Tumgik
jmnmjnmj · 3 years
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終わるまで終わらないこと
 「おそらくその悩みは死ぬまで続くでしょう。百歳になるまで同じことを考えるでしょう。寂しいと、自分が何者なのかわからないと。私の人生にはどんな意味があったのかと。そう思うたびに寂しいし、ぞっとします。でももっと怖いのは、そんな悩みを知らずに生きることです。ほとんどの人はその質問に顔を背けます。向き合うと苦しい上に答えもなく、疑っては探求することの繰り返しでしかないですから。生きるということは結局、自分の存在を疑う終わりのない過程にすぎません。それがどれほどつらくて耐え難いことなのか知っていく……」(ソン・ウォンビョン『三十の反撃』)
 パソコンに向かい、ソフトを扱えさえすれば誰でもできるような仕事をする。席がたまたま余ったからという理由で仕事を与えられているようだ。この日々に何の意味があるのだろうかと考えてしまうが、世の中の大多数の人たちはそんなことを考えずに生活しているらしい。素直にすごいなと思う。13歳の時からずっと私はなんで存在してるんだろう、なんのためにいるんだろうと、そんなことばかり考えてくらくらしながら生きている。そして今もその答えは見つからない。きっと一生見つからない。
 大好きだった秋がどこか憂鬱に感じるのは誕生日の気配を感じ取ったからだ。本当にばかげているとは思うけれど、私は私がこの世に生まれてしまったことにいまだに納得がいっていない。一週間前に鬱の大波がやってきて、衝動的に「死にたい」と母親に言うと即座に「だめ」と返された。そこで私が真っ先にに感じたのは勝手に産んでおいてなんでそんなことが言えるんだろうという理不尽さで、悲しみと絶望と怒りをキャンバスに思い切り塗りたくったような混乱に陥った。私は折り合いがつけられない。折り合いをつけることに折り合いをつけられない。
 ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申上げましょうね。すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあうれしい!と、思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。(チェーホフ『ワーニャ伯父さん』)
 『ドライブ・マイ・カー』の原作はたいして好きではなかったが、映画はとても良かった。3時間があっという間だった。劇中で演じられるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の台詞に恥ずかしいくらい涙した。心の傷ついた部分に絆創膏を貼ってもらった気がした。私の人生はいまのところほとんど夜だ。暗ビロードみたいな夜の底を這いつくばっている。そんな状態で折り合いをつけられなくても、長い夜を生きてさえすれば良いと言われているみたいだった。
 自分の呼吸が終わるまで人生が終わらないことに、時おり耐えがたい絶望を感じる。私はたぶん何も生み出せないだろうし、意味のある人生を送ることもないだろう。誰かのあこがれにもなれないだろう。生きづらさに苦しむ日々なんだろう。でも、生きてさえすればいいのかな、わからない。生きてさえすれば。この言葉は希望にもその逆にも感じられるけれど、『ワーニャ伯父さん』のあの台詞が自分の心を灯してくれたことは忘れたくないなと思う。
#1
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jmnmjnmj · 3 years
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さよならを紡ぐ
 私のInstagramには鍵がついていて、仲の良い人しか見られない設定になっている。アカウントを新しくした時は全員と仲がいいと思っていた。それから数年が経ったけれど、このなかで友達と言える人はもう数人しかいないのだろうなとぼんやり思う。
 20歳そこそこの私は、自分で言うのもなんだけども、すごく面白かった。ユーモアがあって、きつめの皮肉ばかり言っていた。同じような友達がたくさんできて、永遠にも思われたモラトリアムの中でお祭り騒ぎを繰り広げていた。
 十代を過ごすというだけでも楽なことではないのに、世紀末に十代を過ごすというのは、いっそうきつい経験だった。絶望と無力感、悲観的展望が異常なほど私たちを覆いつくし、私たちはそれを忘れるためにやたらとピアスの穴を開けた。もちろん今だってピアスをしている人はたくさんいるけれど、その当時はレースやパフスリーブの服を着た女の子たちまでが、さかいもなく耳の穴を広げるのに血眼になっていた。女の子たちは主に透明なアクリル拡張子を入れたのだが、ふと振り返ればその穴から空が見えた。ピアスの穴から空がのぞいていた子たちは、今、どうしているだろう。(…)私たちは長い休みに入るたびに髪をいろんな色に染めた。あまりにも流行し過ぎてみんなが飽きてしまったため、派手なヘアカラーが再び流行するまで十年近くかかった。(チョン・セラン『アンダー、サンダー、テンダー』)
 祭りはいつか終わる。社会的不適合だったはずのみんなはきちんと大人になっていった。私だけがうまく大人になれなかった。友人たちが私を疎む理由があるならきっと、いい歳なのに青臭すぎるのだろう。Instagramでは時おりやりとりはするけれど、私が誘うといつも返事が来なくなる。そうやってなんとなく時間が過ぎる。そうだよね。あの頃の私はすごく面白かったけど、もうそうじゃないよね、みんな変わったよね、とつまらない自嘲ばかりしている。退屈な大人。当時付き合っていた友人たちとはもう会わないのだろうな。会うことがないのだろうな。
 真夏のピークが去った、で始まる曲を久しぶりに聴いている。今年はテレワークでずっと家にいたので、まったく夏を感じられなかった。あの夏、私たちが無邪気に友達として過ご���た夏からずいぶん経った。花火をして、煙草を吸って酔っ払ったあの夏。夜中にクラブを出て歩いていたら流れ星を見つけたあの夏。私たちは永遠に若くてふまじめて、Captured Tracksの青春を閉じ込めたようなみずみずしいレコードがかかっていた。あの頃を回想し、現在を苦々しく思う。昔は面白かった子。つまらない人。大人になれない大人。終わった季節だけが確かな熱を帯びている。
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jmnmjnmj · 3 years
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自分のこと好きじゃないってそれはもう死ぬしかないじゃん
 紅組の帽子を被ったあかねちゃんはそう言って信じられないような目で私を見たので、私も同じような視線で見つめ返した。自分を好きじゃない私は死んだほうがいいのかな。そう思いながら白組の帽子を被り直す。ぴんと張ったゴムが耳の後ろに当たって痛い。たった一日でずいぶんと日焼けした肌が痛んだ。数日したら鼻の頭の皮だけがべりべりとめくれて、きっとますますみっともない顔になる。そうしてまたきらいな男の子たちにばかにされ、消しゴムのカスを投げられるだろう。梅雨入り前の6月のぎらついた日差しも砂煙にぼやけたグランドも運動会も予行練習もソーラン節も何もかも最悪だ。
 なんでこんな話題になったのかまったくわからない。とにかくよく覚えているのは、なぜか自分のことが好きかどうかといった話題になったこと、私は「自分のことなんか大嫌い」と答えたらあかねちゃんが「自分のこと好きじゃないってそれはもう死ぬしかないじゃん」と答え、肌を逆撫でるような嫌な沈黙が続いたこと。先生が吹いた笛がその沈黙を勢いよく破った。
 私たちは何もなかったかのように「あの先生ほんとに声でかいしうるさくてウザいよね」といつも通りの会話をして、木陰からじりつく日差しが差す校庭の真ん中へと向かった。ソーラン節の練習が始まったが私はしばらくあかねちゃんの言葉について考えていたので何回か間違えて、嫌いな先生に大声でなじられた。
 古い記憶によれば私は10歳の時点で自分のことを大嫌いと言っていた。どうしてだろう。塾をサボったからだろうか。何かにつけひとりっ子であることをきょうだい持ちの子からディスられていたからだろうか。片付けができないからだろうか。忘れ物してばかりだからだろうか。親の期待を裏切り続けているからだろうか。男子にブスと言われたからだろうか。ソーラン節がなかなか覚えられなかっただろうか。算数のテストで15点を取ったからだろうか。女の子たちの恋愛の話がまったく理解できないからだろうか。
 とにかく、私は自分のことが嫌いで、それは夜のあとは朝になる、りんごは赤い、皮膚を切ったら赤い血が出る、そういう物事と並べることのできるような、ごくあたりまえの感覚だった。だから自分のことを好き、という感情をまったくわからないまま歳を重ねていた。「自分のことが嫌い」はいつしか感覚は吐き気を催すような嫌悪となり、不快さになり、私は私でいることがコンプレックスになっていた。
 何日か前にツイッターで「ジンくんは自分だけの揺るぎない美の基準があるので、たとえ彼が一般的にハンサムという顔立ちに生まれていなくても、自分が自分だからハンサムだと感じると思う」という旨のツイートを見かけ、私は何年か前に日記に「私が私を憎む理由は私自身だから」と書き殴ったことを思い出した。今では自分に暴力的な感情を向けることはほとんどなくなった。けれど、時おりそういうことを思う。いつか私もジンさんみたいに私であるという理由ひとつのみで自分を愛することができたらいい。
 あかねちゃんとはクラスがはなればなれになってから話さなくなった。クラスのいじめっ子グループに入った彼女はより気を強くさせ、私は恐怖心から彼女を避けるようになった。私は一度も同窓会に呼ばれたことはないのでもう彼女と会うことは一生ないだろう。あかねちゃんは自分のこと好きじゃないってそれはもう死ぬしかないじゃん、とまだ言うだろうか。彼女の言葉によると死ぬしかなかった私は大人になって自分を愛そうと生きている。
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jmnmjnmj · 3 years
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蜜月
 しばらく文章がうまく書けなかった。先日、BTSの新曲にまつわるnoteを書いてみたけれど、個人的にはあまりよくない出来と思っている。20分で書いてそのまま投稿してしまったから、一晩寝かせなかったからかもしれない。
 とにかく文章が書けない。五月から六月にかけてたくさんの記事を書いたけれど、あのとき私は無限に文章が生み出せると思っていた。書き留めておきたいことや文章が泉のように頭から湧き出るばかりであった。まさに言葉と蜜月を過ごしていた期間だった。今はさんざんだ。何もうまく書けない。
 今の私の頭はタトゥーと運動のことで頭がいっぱいだ。悪しきオリンピックの開催日に中学生の頃から念願だったタトゥーを入れる。運動はタトゥーを入れる腕をきれいに見せたくて始めたがもともと身体を動かすのが好きなので、朝晩飽きずに運動をしている。それと読書。今は本がよく読める時期のような気がしていて、暇さえあれば何かしら読んでいる。活字の蜜月なのだと思う。
 思い返すと私はあらゆる物事と蜜月を過ごした。音楽、映画、アニメ、日本のアイドルグループ…… 
 特に親しい関係を築いていたのは映画だったと思う。十六歳から二十三歳の頃だろうか。まだネットフリックスがなかったので、渋谷のツタヤまでDVDやVHSを借りに足繁く通っていた。当時ネットフリックスやアマゾンプライムがあったら、間違いなく気が狂っていただろう。週末は早稲田松竹で二本立ての映画を見、時には武蔵野館とシネマカリテ、べつの時にはイメージフォーラムとユーロスペースをはしごし、帰宅してから夜中まで渋谷のツタヤで借りた映画を見た。気に入った作品は繰り返し眺めていた。ロメール『緑の光線』のVHSはたぶん十回は見た。しかし映画との蜜月は終わった。ネットフリックスもアマゾンプライムも加入してもたいして見ていないし、月に数回程度の映画館でも昔の作品ばかり見ている。ロメール、ケリー・ライカート、キェシロフスキ、ホウ・シャオエン…… 映画との蜜月の話ならいくらでも書ける。
とにかく私と言葉の蜜月も終わってしまったらしい。私は文章を通じて自分の思考を捉えることができる。思考を捉えることで自分自身の輪郭にもふれることができる。そう思っていたのに、突然エラーを起こしてしまったみたいな気分だ。できることならこのブログも頻繁に更新したいと思っている。でもまだ難しいかもしれない。ただ今日なんとなくテキストエディタを開いて、だらだらとここまで書けたのはいいことだ。リハビリは大事だから。
 雷が鳴っている。家で聞く雷はノイズミュージックみたいでかっこいいと思う。窓を打ちつける雨音も落ち着く。晴れや曇りの日はうれしいけれど、静かすぎてそわそわする。
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jmnmjnmj · 3 years
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ある日曜と月曜の夜
 先週からじわじわと浸食されているようなメンタルヘルスの不調は今も続いていて、目に見えるものすべてに勝手に傷ついてばかりいる。なかなか進まない韓国語の語学学習本に。ビッグサイズの服を着るのをやめて窮屈そうなコルセットを着たビリー・アイリッシュに。通知のこないiPhoneに。何を食べても満たされない食欲に。自分の丸い撫で肩ややわらかい脂肪が女性らしいと形容されることに。
 昨日は友達と麻辣麺(大盛り)を食べ、ビッグサイズのガトーショコラを食べ、他愛ない話をし続けていた。友達は私の冗談にもたくさん笑ってくれるめずらしい人で、悪友だと思っている。ずっと好きなアイドルの話と、今だから言える学生時代のクラスメイトの悪口で盛り上がった。楽しかった。屈託なく楽しかった。でも私は異常に疲れていて、帰宅してすぐに寝た。二十時から翌朝の七時まで、イケアで買ったサメのぬいぐるみを抱きながら泥のように眠った。
 友達が最近会ったマッチングアプリの人の話をする。質問しても答えるだけで、話を広げないの。私がインタビュアーみたいで、ほんとにばかばかしかった。私たちはそいつの悪口で盛り上がる。私は会ったこともないのに。
 私も恋人は欲しいけど、でも今楽しいんだよね、なんか。オタ活もだし、ぜんぜん寂しいとか思わない。
 だったら作ろうとしなくていいんじゃない?  だけどさ、この先のことを考えると ── 一人で生きていくのは無理なんだよ、収入が少ないから。だから結婚して、養ってもらう気とかはないけど、仕事は好きだし…… でもずっと一人だと無理だと思う、私は、生きてくの。女ひとりでも一生余裕で生きていけるくらいの収入があったら、私は一生誰とも付き合いたくないな。そう自分で言っていて、泣きそうになってきた。
 私は障害者雇用で働いている低収入の女だ。今はよくてもこの先、自分だけの収入で生きていける気がまったくしない。誰かに頼らないとこの先ずっと生きていけないと思ってて、そこから逃れる手段のひとつが結婚だと考えている。でも本当は結婚なんかしたくない、誰かと暮らしたくない、恋愛もべつにしなくていい。一生いたいと思える大切な人に出会えたら最高だけどそのままの私を愛してくれる変わり者なんてそうそういないので、生きるためにデートの日は着たくもない服を着ている。馬鹿みたいだ。生きるために、相手に気に入られるために、タトゥーも髪の毛をあざやかなグリーンに染めるのも我慢している、この人生は何なのだろう。私はBTSの影響でLOVE MYSELFを、つまりは自分を愛そうと奮闘しているけれど、こんなの真逆じゃないか。あの日のすさまじい疲れはそういうところに気付いてしまったことからくる精神的疲労なのだろうか。友達は、真理だね、と言っていた。私の真理。
 好きなタトゥーリストがそろそろ月末〜来月の施術の募集を始めると告知していて、私は予約しようかどうか考えはじめている。身体に絵柄を入れることで自分を縛りつける「相手に気に入られる」「愛される」という呪縛から逃れられるだろうか。入れたいデザインはもう決まっている。パズルのハート。パズルパターンは自閉症スペクトルの複雑さを表している。私は最近いろんなものに勝手に傷ついているけれど、きっとそのタトゥーは私を傷つけない。どうしてかわからないけれど、そう思う。
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jmnmjnmj · 3 years
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この記事は、一部のユーザーに適さない可能性があります
 イヴ・トゥモア、ノイ!、スロッビング・グリッスル、ジェニー・ヴァル…… なんとなく落ち着くので、家にいるときはそんな音楽ばかり聴いている。静かに腐っていく肉を思わせる音楽。TGの”Hamburger Lady”の女は燃えて死にかけている。この暗い終わりなき地獄のような音楽。
 時おり、自分は頭が悪いのになんでこんなインテリが好むような音楽を聴いているんだろうと思うことがある。
 「頭が悪い」の定義はまあ個人によっていろいろあるけれど、ここでは理解力の低さ、と定義したい。私は昔から勉強ができず、人の話もいまいち理解できないことがよくあった。これは発達障害の特性なのかなんなのかよくわからないが、とにかく友達からは馬鹿であることを指摘されたり、揶揄されることがよくあった(そしてそれは私から自尊心を奪っていった)。  中学校は途中から行かなくなって内申点がつかなくなったので高校は誰でも入れるところに行き、そこで努力をすることも一切なく、誰でも入れるような大学に入学した。『花束みたいな恋をした』のふたりが学生時代に小馬鹿にしていたような、ああいった日々を送りつつ、ひとりで音楽を聴き、映画を見たり、本を読んでいた。
 ツイッターで初めて作ったアカウントは音楽の情報収集に使っていた。そこで出会った趣味の合う人たちはみなMARCH以上、早慶もごろごろいて、東大・京大生ともたくさん知り合った。彼らは幼い頃から勉強ができて、知性があって、英語ができて、当たり前のように千葉雅也やシオランやヴェイユ、アーレントを読んでいた。そこで思ったのは ── 私はなんで頭が悪いのに、置かれている階級、環境、学んできたもの、辿ってきた道のりはあまりにも違うはずの彼らと同じ音楽や映画や本にふれているんだろう?私はなんで頭が悪いのに、彼らと同じものが好きなんだろう?という問いと、そこからやってくる後ろめたさだった。
 頭の良さと趣味はイコールではないことはわかっているがしかし何らかの差というのは必ずあるはずで、まさしくこういった階級差について扱っているっぽい(面倒でちゃんと読んでない)『ディスクタンシオン』を書いたブルデューはエリート校に進学した時に周囲に上流階級の子弟が圧倒的に多いことに愕然とし、格差社会の現実を目の当たりにしたことをきっかけに、みずからメスを入れることにしたらしい。なるほどね。
 ブルデューは、経済資本(つまり金)と文化資本が人の社会的位置/階層を決め、その社会的位置が人の慣習行動や趣味(生活様式)を構造化する、と述べているっぽいのだが(これもさっと調べた程度)、私は特筆すべきことは何もない中流階級に生まれ、文化資本は ── どうなんだろう。学歴はほぼない。だから何らかのバグが起きたとしか思えない。
 あのときツイッターでたくさん話した京大院卒の友達は官僚になった。なんで私は官僚と仲が良いんだろうとたまに思う。ブルデューが存命していたら私は興味深い研究対象になったんじゃないか。それとも本当は私みたいな人は結構いるのかもしれない。珍しくもなんともないのかもしれない。インターネットもあるし。インターネットは私を自由にしてくれた翼だ。しかし私がこの翼で飛んでいる空はきっと本当は小さな鳥籠でしかなく、それは一生変わることのない階級なのかもしれない。
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jmnmjnmj · 3 years
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ウィノナ・ライダーと十四歳の私
 十四歳は青みがかった重苦しいグレーだった。私はずっと混乱していて、いつだって嘔吐の一歩寸前のような気分だった。学校も部活も保健室登校もフリースクールも思春期メンタルクリニックも拒絶し、カーテンを締め切った暗闇みたいな部屋でひたすら映画を見ていた時期があった。当時の私のとっての映画は親友、教科書、恋人、生き方の指南書だった。
 漆黒のビロードみたいな髪と暗い目を持った女の子。それがウィノナの第一印象だった。ほとんど直感で、あの子は私と同類かもしれないと思った。それもそうだ。彼女が演じていたのは自殺未遂を起こして精神病棟に入院した役どころだったから。でも、ウィノナが演じていた役はこの世界になじめなかったり疎外されている役が多かった。フリーク、オタク、ゴスガール、変わり者…… 彼女の真っ黒で大きな目は、どんなに嬉しそうでもいつだって孤独に見えた。孤独とさみしさが神経質そうなひびきをもって波打っていた。  私は自分をウィノナに自己投影し、ウィノナを親友だと思い込むようになった。しかし私とウィノナは20歳以上離れていて、彼女は「落ち目のセレブリティ」あるいは「おじさんたちがかつて恋をしたアイドル」だった。私が好きな彼女の作品はすべて、自分が生まれる前のものだった。そして高校に上がった頃には、私のアイドルはアンナ・カリーナに変わった。
 ウィノナが私にとって特別な女の子であったことを思い出したのはDJ Borlingの”Winona”だった。ローファイ・ハウスと呼ばれるダンスミュージックで、90年代のディープ・ハウスを意識したような楽曲だが、そこにウィノナの1997年のインタビューがサンプリングされていた。
"It is difficult to... to be judged That... to be reviewed As a teenager i-i remember one A casting director that later became a producer Ahm... I was in the middle of doing a reading for her and she stops me And she said 'Listen... You are not pretty enough to be an actress. You have to find something else that you wanna do.'"
 ああ私はこのウィノナの喋りかた、少し神経質そうな喋り方がたまらなく好きだった。『ヘザーズ』『悲しみよ、こんにちは』『17歳のカルテ』『恋する人魚たち』を見返し、世界から疎外されたような十四歳の自分にとってどれだけ救いになったか、この曲を聴きながら思い出していた。奇しくも2016年はウィノナが『ストレンジャー・シングス』に出演し、再フィーバーを起こした年でもあった。彼女はもう奇妙な女の子ではない。でも彼女がこうして脚光を浴びていることが私は嬉しい。それは友達が認められたような喜びに似ているかもしれない。ウィノナは私のことを知らない。けれど、ウィノナはいつまでも私の親友だ。彼女を見るたびに十四歳の頃を思い出す。あの暗い混乱が渦巻いていた日々と、私だけの親友のことを。
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jmnmjnmj · 3 years
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나는 너무나도 슬프다
 さっき記事ひとつを更新したが、夕方あたりからなんとなく気分が悪いのでどこかに吐き出したい。この不快さの原因はわからない。憂鬱な音楽を流していたらめずらしく、本当にめずらしく余計に憂鬱になったのでロネッツの”Be My Baby”とフランス・ギャルの”Poupée de cire, poupée de son”の2曲をひたすら流している。お気楽で有頂天で、何もかもがきらびやかでロマンチックだった時代の産物。
 ”Poupée de cire, poupée de son”を作ったゲンズブールは10代の私のアイドルだった。私は当時どこかの男のロリータになることを望んでいた。パリにある彼の墓まで行ったりもしたけれど、今は1960年ではなく2021年だ。ジェーンとシャルロットとバンブーには悪いけれど、彼の発言や行いは糾弾されるべきだ。”Poupée de cire, poupée de son”を聴くことは彼を擁護することにも繋がるのか考えながらこれを打っているが、そういえば”Be My Baby”のフィル・スペクターの発言だって問題ばかりだった。
私は病気なの 何で病気か知らないけど インターネットやテレビを何時間も見続けて やめようと思ってもそこから動けないの 自分のことも正直に話せない 何かに興奮すると抑えられなくなる 眠れないし何も手につかない すべてを愛してるけ��� 自分が何をすべきかわからない(ノア・バームバック『ミストレス・アメリカ』)
 本当に意味もなくインターネットを巡回してしまうのは気分が悪い証拠。何もかもが最悪だ。さっきからひたすらツイッターとインスタグラムとはてなブログとnoteとYoutubeが織りなすすばらしき文明の宇宙を巡回し続けている。腹立たしい。普段は何も感じないが、フォロワーが減ったことにもなんだかむかついている。私のツイートなんかフォローする価値もないのに、減ったことについていらだっている自分はなんてなんて尊大で嫌な人間なんだろう。
 ”Be My Baby”が1963年、”Poupée de cire, poupée de son”が65年。インターネットなんて存在しなかったけれど、みんなどうしてたんだろう。60年代の孤独は本当に孤独だったに違いない。今はSNSがあるから誰とでも喋れることができる。人といる感じになれる。それなのに私はなんだかずっと孤独なままのような気がしている。接続過剰なのに孤独。遂にiPhoneの電源を消す。沈黙したiPhoneはただの長方形になる。眠るまで電源を入れませんように。
 ここまで書いて、夕飯を食べてPCの前に戻ってきた。さっきの苛立ちは姿を変えたのか、いま途方もなく悲しい。窓辺に買ったままの本が積み上がっている。私は今やるべきことは熱いシャワーを浴びて、積み上がった本を少し読んで眠るだけ(本当は今すぐ寝たいけれど、食べたばかりなので絶対に胃もたれを起こす)。それなのに身体が動かない。tumblrから他のサイトに移動したら終わりだ。いつまでもネットサーフィンをしてしまうに決まっている。BGMをロネッツとフランス・ギャルからJonnineの”Blue Hills”に変える。スカスカの暗い音像は私の憂鬱を包んでくれるような気がして泣きそうになる。私は悲しいと日本語で言うとあまりにも直接的な気がして나는 슬프다と呟く。나는 너무나도 슬프다. 繰り返す。나는 너무나도 슬프다. また繰り返す。나는 너무나도 슬프다. 
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jmnmjnmj · 3 years
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worst comes to worst
終わりの見えない労働。そんな骨の折れる労働から私を救ってくれる人は誰もいないのだなという諦念。働けなくなったらどうしようという不安。つまり私の気がかりは、常に死ではなくて生なのだ。(キム・ヘジン『娘について』)
 いつからだろう。生きることが喜びと希望にあふれたものではなく、諦念と乾いた絶望の繰り返しになったのは。十四歳のころに祖母が認知症にかかって、私を「知らない子」と呼んで家から追い出そうとしたときからかもしれない。私は突然に変わった祖母にひどく傷つきながらも、自分もきっといつかああなるのだ、認知症にかかって、素敵な思い出も大切なひとのこともすべて砂のようにこぼれ落ちてゆくのだ。そう思った。祖母はその三年後に亡くなった。たとえ恋愛結婚をして愛するひとと家庭を持っても、けっきょくは孤独になって、すべて忘れていくのだ。だとしたら生き長らえる意味ってなんだろう、そう思いながら棺を見つめていた。
 障害者雇用で働いている。なので当然ながら賃金は普通雇用よりは低い。老後2000万が必要と言われている時代だ。とうていそんな金は稼げない。だからきっと、心身をこわしたり、それこそ祖母のような認知症になるまで働かなければならないのだろう。この日常があと五十年、六〇年続く。私の身体は日々老いていく。精神の解像度は高まるのに、できないことが増えていく。そう思うと何もかも耐えられな��。
 私が何か成し遂げたり、素晴らしい功績を残した人物であればそうは思わないだろうなと考えたがやっぱり怖いと思う。どんなに有名になっても最後はどうせ墓場だから。でも金持ちだったらいい死に方、自分が望む死に方はできるかも。ホテルみたいな老人ホームで、爆音でBTSをかけてもらうとか。私はきっと、老人ホームに入る金もない。ひとりで孤独に死んでいくのだろうという予感だけは昔からある。
(…)「わたくしどもは、お選びいただけるよう数種類ご用意しております。いずれもたいへん趣があり、お気に召すものがみつかるのではないかと思います。こちらでございます。」そう言って、光沢紙のカタログをテーブルに広げ、わたしに選ばせる。ひどいものばかり。今やらなくちゃいけないのは、的外れなオプションの中から、最もマシなものを選ぶこと。そういうことには慣れている。母もそうだった。(モナ・アワド『ファットガールをめぐる13の物語』)
 的外れなオプションの中から最もマシなものを選ぶこと。精神障害者としての私の特技だ。親身になってくれるけどあらゆることが微妙にずれている区のアドバイザー、相槌しか打たない精神科医A、過去のことばかり掘り返す精神科医B、これがいくつかの病院やカウンセリングを渡った結果。彼らと話すたび、私は障害者なのだと強く感じ、生きていくことが不安になる。これからも的外れなオプションの中、障害者に与えられたオプションの中から最もマシなものを悩みながら選び続けるのだろう。そうやって老いていくのだろう。
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jmnmjnmj · 3 years
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短歌の墓場にて
 恋をするとやたらポエティックになってしまう癖は十代のころから変わらなくて、私は自分のそういう気質が本当に嫌だった。本当に本当に嫌だった。恋をしない人間になりたかった。私にとって恋とは自分を弱く脆くさせるもので、できうる限り避けたいものだった。
 そんなことばかり考えているうちに、恋愛をするのがめっきり難しくなってしまった。かつては敏感だった恋愛のアンテナのようなものがまったく機能しない。あの抗えない恋愛の衝動が今では懐かしく思う。戻りたくはないけれど。
恋をしてaikoを歌いたかったけどそれすら背伸びだな私には
 初めて転職して少し経ったころだから、二十五歳の時だ。私はとある企業で働いていたがそこは何もかも最悪だった。私はそこで自尊心のすべてを踏みにじられたが、それはまた別の話だ。私がいた課の隣には財務課があって、その人は異動してきた人だった。一目惚れだった。私の恋愛のアンテナが働いたのは今のところこれが最後である。
乱雑なデスクの隅にあるニベア あなたの指の芳香を思う 百二十二円で買った恍惚を肌に舐めさせ夜白む
 私の席からはその人の座席が一直線に見えて、常に後ろ姿を見ることができた。その人は整理整頓が苦手なのか、机の上はいつも散らかっていた。白い書類であふれた机上でニベアの青いパッケージはよく目立っていた。ロクシタンでもボディショップでもなくニベア。ドラッグストアで買っただろうニベア。その人はけっこうな頻度でニベアを塗っていたので、きっと乾燥肌だったのだろう。私もこっそりニベアを買ったが、会社に持っていく勇気はなかった。でも眠る前に塗って、その人の手も今の自分と同じすずらんの芳香がすることを思うと幸せな気持ちになった。
天鵞絨の夜空の色は恋う人の黒髪に似て恋は深まり
 その人は光沢みたいに輝く黒髪を持っていた。職場にいるのが辛くて辛くて最低な気分で帰宅していた冬の夜だった。なんとなく空を見上げるとビロードみたいな空が広がっていて、私はそこにその人の黒髪を見出してしまって、苦しくなった。私はたしかにあのやわらかな黒髪に触れたかった。
外国語は判らないけど ジュテームと聞き浮かばれたのあなたの目
 当時の私の救いは映画だった。映画だけが私を生かしていた。悲惨なメロドラマが好きだった。つまらないフランス映画を見ていた。男と女が何度も何度もジュテームと言っている。連呼されると滑稽だ。でもジュテームのどこか湿度をふくんだ色っぽい響きを耳にするたびにその人の少し斜視ぎみの丸くて黒い目を思い出した。
暗闇を握ったあの所作のまま わたしのばらを折ってください
 その人の黒髪に触れるどころか、話すこともかなわなかった。  私は適応障害になり職場に行けなくなって、そのまま退職した。最後にその人を見たのは二月の中旬だった。髪を切ったばかりで、えりあしが綺麗に刈り上げられていた。私はその人の顔と名前と声、あとスワローズが好きなことしか知ることができなかった(机の上にスワローズのグッズがいくつか置いてあった)。私はその人についてもっと知りたかったけれど、もうできることはない。何より今さらどうこうなりたいという気持ちもいっさいない。
 恋をするたびに何か詩を書いたり曲を作ったり文章を書いたりしているわけじゃない。しかしなぜかこの時は恋愛についての短歌を創作しまくり、iPhoneのメモに保存し続けていた。この記事にあるのはすべてこの当時に詠んだ短歌である。誰にも見せていなかったけれどもう時効だし、ここで供養させることにする。
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jmnmjnmj · 3 years
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ドラマが見たいだけなのに
 才能。それはあまりにもスケールが大きく、遠い物事のように思える。音楽の才能、スポーツの才能、芸術の才能、文学の才能。でも私は些細なことにこそ才能とやらは宿っているものだと思う。たとえば卵焼きをおいしく作る才能、ポスターをまっすぐ貼る才能、洗濯物をきれいに畳む才能、タイプミスせず文章を打つ才能、などなど。
 私はドラマを見る才能がまったくない。連続ものの醍醐味である「続きが楽しみ」という感情がいっさい持てない。映画みたいに「120分で終わらせてくれ」と思ってしまう最悪すぎる視聴者だ。
 韓国語の勉強も兼ねて、無理やり韓ドラを見ようとしていた時期があった。『応答せよ1997』『ヴィツェンツォ』『賢い医師生活』『サイコだけど大丈夫』『スタートアップ』『こんにちは、私だよ!』『梨泰院クラス』…… すべて一話、二話だけでもものすごくおもしろいのに、二話あるいは三話以降がまったく見られない。三十分〜六十分以上の話が十話以上続くと思うと気が遠くなる。ちなみにこれは韓ドラだけでなく日本や他国のドラマもそうで、『クイーンズ・ギャンビット』も『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』も『モダン・ラブ』も『セックス・エデュケーション』も『POSE』もそうだった(しかし『ストレンジャー・シングス』『FREABAG』『アンオーソドックス』の三つだけは全話完走できたうえに、『FREABAG』は三周した。これは私史上最大の謎である)。
 自分のBTSのアカウントのタイムラインのひとたちは、よく韓ドラを見ている印象がある。私はドラマを一話から最後まで見られるひとが本当に本当にうらやましいと思っている。いや、うらやましいとかそういうレベルではなく、嫉妬している。完全に妬んでいる。ぎりぎりと歯ぎしりするくらいに悔しいと思う。現代劇の韓ドラを見るだけで韓国の生活や文化がなんとなく理解できることもあるし、K-POPが好きなひとであればそれは推しへの理解にも繋がってくる。ついでに単語や挨拶なんかも覚えられる(狂ったようにフランス映画を見まくっていた時、まったく勉強していないにも関わらずスラングを中心に聞き取れたり話すことができた)。みんなもっともっと自分のことを誇ったほうがいいと思う。「私にはドラマを見る才能、ドラマを楽しむ才能がある」って。
 面倒なのはドラマを見る才能がない自分が嫌になってしまうことだ。こんなことひとつで落ち込むなんてばかげているとは思う。しかしとにかく私はドラマが見たい。韓ドラを一話で挫折せずにきちんと��走したい。ドラマを見る楽しみを味わいたい。ドラマを通じて韓国の生活だったり、少しでもいいから言葉やスラングを理解したい。でもそれはBTSの777人先着限定のGood Morning America Summer Concert Seriesのイベントに当たるくらい無謀で不可能なことに思える。
 好きな監督がドラマの監督をしたら完走できるだろうか?韓国ならホン・サンス。三十分で一話完結×十話くらいならいいかもしれない。でもあのホン・サンスの雰囲気は映画だからこそ出るものなのかもしれない、などとあれこれ考えているあいだも、私はNetflixの韓国ドラマ一覧のページを諦念とともにスクロールし続ける。
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jmnmjnmj · 3 years
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内側の線
 昼に食べた辛ラーメンのカップには「お湯を内側の線まで注いでください」の線が存在しなかった。前に買ったものにはきちんと線が入っていた気がするので、製造時のミスなのだろう。どこまで注いでいいかわからないが、勘でやる。三分待つ。食べてみる。美味しい。
 製造時のミス、と聞くと私はきまって自分の発達障害について思い出す。発達障害は遺伝するというけれど、私の親、親族にはそういった人は誰も見受けられなかった。誰の影響でもなかった。私はただ運が悪いだけだった。製造時のミス。そう聞くたびに私は勝手に自分ごととして捉えてしまって、傷ついてしまう。
 内側の線のないカップラーメンと、どこまで注いでいいかわからない熱湯。それは私と私の対人関係によく似ている。「アスペルガーのコミュニケーションは独特」と言うが、私は生まれついてのそれなので自分の独特さがよくわからない。昔と比べればずいぶんコミュニケーションのコツは掴めたとは思う。
 昔の私はほんとうにひどかった。「天気がいいですね」と言われると「鳩が怖いんです」と返すような支離滅裂さだったが、今は「散歩でもしたいですね」とか「明日もこんな天気だといいですね」とか、それなりの返事を打ち返せるようにはなった。外づらはとてもいい。でも仲良くなったひとからウザがられることがすごく多いので、親しくなった人との距離感が一般的な感覚からするとかなり狂っているのだろう。私はその狂った感じがわからない。
今の友だちはみんなわたしのことをウザいと思ってる。できることなら自分を包んでいるウザさのオーラを取り払って、一からやり直したい。次はきっとうまくやれる気がする。(…)今いる友だちではもうだめだ。みんなきっと、わたしがウザくなくなったことには気づいてくれないだろう。友だちから明るくて楽しい人だと思われるには、新しい人たちと一から知り合うのでないとだめだ。(ミランダ・ジュライ 『階段の男』)
 熱湯をどこまで入れていいかわからない。気づけば適切な量を超えていて、友達は私から去っていく。親しい人が目の前から去るのを何回も何回も経験したが、いつだってそれはできたばかりの傷のような生々しい悲しみをもたらす。そして私はいつも思う。どうして他人を不快にさせたのに、自分が悲しいんだろう。
 このまえの情熱的になりたいジンペンの彼の時だってたぶんそうだった。デートする前のラインからは彼の好意が強い閃光のごとくばちばちと光っていた。”Butter”がリリースされたから連絡でも来ればいいなと思ったけれど、私のスマホは黙ったままだ。あの時も私は話しすぎた。熱湯を入れすぎた。人と仲良くなりたいのに、いつも失敗する。内側の線がないのは誰のせいでもない。だから私は誰のせいにもできないし、ただただ悲しくて悲しくてたまらない。
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jmnmjnmj · 3 years
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私は私の文章のトップオタク
 いま、人生で一番いちばん文章を書いている。振り切っている。寝ても覚めても私の頭は「文章を書く」ということであふれている。それは強迫観念でも義務でもなく、「美味しいご飯を食べたい」とか「友達に会いたい」みたいな、自分の人生を豊かにするための欲としてそこにある。
 思えば小学生のころからずっと文章を書いていた気がする。一人っ子で友達も少ない私はひとりで時間を潰すことが得意で、その「暇つぶし」のひとつが文章を書くことだった。Windows XPを立ち上げて、日記のように思ったことをつらつらと書いた。Windowsはガラケーのメモ機能になり、メモ機能はブログになった。でも人に見せたことはなかった。当時から自分が人よりも繊細で内省しがちなことを自覚していたから、誰にも私の心に踏み込まれたくなかった。
 そういうふうに文章を書きはじめて15、6年くらいは経っているけれど、私の言葉、文体などはその時々の文学的アイドルに影響された。坂口安吾に、サリンジャーに、本谷有希子に、リディア・デイヴィスに、ミランダ・ジュライになった。川上未映子に影響された時なんて生まれも育ちも東京なのに、こてこての関西弁で書いた。我ながら模倣はうまかったが、それはまったく私自身の声ではなかった。他人の声を悪用し、矮小化させただけだった。
 ナムジュンは「あなたのことを話してください」と言ったが、私は自分の声を持っていなかった。すべて他人の言葉を借りただけでしかなかった。でも私はどうしても彼らのことを、そして私の天使のことを語りたかった。そうやって見えない星をひたすら手探りで掴むようにして書いたのがこの記事だった。完成した瞬間、涙が出そうになった。私はやっと自分の、自分だけの言葉で話すことができたと思った。いびつで稚拙だけど、それは間違いなく私だけの言葉であり、私だけの星だった。これまで見えなかった星を掴むことができた、そのことは何もなかった私に少しばかりの自信をもたらした。
 こうして言葉に起こして初めて自分の考えが整理できる人間だと最近になって気づいたので、春ごろから頻繁にnoteを更新して、こんなtumblrまで書いている。私の言葉は完全に私だけのものになった。しかし外国語と同じように、自分の言葉は使わないとどんどん忘れていくものだと思っているので、自分の心を写す鏡としてこれからも自分について、アイドルについて、日々について、書くことを怠らずにいたい。
 そして最近強く思うのは、自分の文章がとても好きだということ。自分の文章のTO(トップオタク)と言っても過言ではない。技巧も語彙力もない、つんのめったドラムのように無茶苦茶でいびつな文章だ。それでも私は自分の文章が、私だけが掴んだこの言葉が好きだ。誰が口を塞ごうとも、私は言葉を綴るのをやめたくはない。
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jmnmjnmj · 3 years
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体は精神の先をずるずるとゆく
 川上未映子との出会いはたしか十五、六歳のころだった。『乳と卵』で芥川賞を受賞したというニュースがテレビで流れていた。親に「このひと、なんとなくあんたに似てる」と言われて以来うっすらと気になって、中身も何も知らないままタイトルに惹かれて彼女のデビュー作である『先端で、さすわ さされるわ それええわ』を取り寄せた。
 それまでの私の文学的アイドルといえば村上春樹、坂口安吾、舞城王太郎の三人組だったがそのトリオは解散し、川上未映子というひとりの鮮烈なる新星にうってかわった。それはまったく新しい言語体験だった。彼女の言葉からは強靭なビートを感じた。ビート、リズム、ダンス。白い紙の上に印刷された既存の言葉は解体され、再構築され、ひとつひとつのそれらが意思を持ってらんらんと躍っていた。彼女が「性交」と書くとそれはまったく違う意味を持つようだった。衝撃だった。
 それからは熱に浮かされ狂ったように彼女の作品を読み漁った。当時は刊行された作品も多くなかったので、同じ作品を何度も何度も読み返した。特に好きだったのはエッセイ集『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』で、私が文章を書くにあたって何かしらの影響を受けた作品を挙げるならきっとこの本は間違いなくリストインしている。
 生きるべきが、死ぬべきか。なんて言葉はときどき実際は、老いるべきか、死ぬべきか、ということなのだろう。生きるということは、そのまま老いることであって、自分が論理的に死ぬことはないと出来ないと判っていても、老いの場合はどうよ。老いというそのものも、死と同じく触ることはできないが、(それも単なる言葉だから)体験しているという事実。ひえ。今、ということしかないのなら、この老いというものはいったいなんであるのか。自分の死はいつも彼方にしかなく、それが私を捉えることができないにもかかわらず老いは今ここにある事実! ひえ。二十八歳の体は老いている。どっこい確実に老いている。めらりめらりと老いている。それでどうなっていくのだろうか。(川上未映子『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』)
 二十八歳の体は老いている、という文章を読んでいた十五、六歳の私も当時の彼女と同じ年齢になった。たしかに二十八歳の体は老いている。何を食べても太れない痩せぎすだった体にはやわらかい肉がつき、怠惰な生活を送った証拠のように筋肉は落ちた。感覚としても私の体は重くなり、昔より地上に縛られている気がしている。
 BTS用のアカウントを作って三ヶ月になるが、感じるのはフォロワーは私より年下が圧倒的に多いということ。高校生のひともいる。普通に生活していては絶対に交わらないだろうひとたちとBTSというグループを通してフラットな関係性を築けることは尊くて愉しい。最高だ。二十歳前後の彼女/彼らにとって二十八歳はどんな年齢だろう。私がそれくらいの年齢だったとき、二十八歳なんてあまりにも遠かった。ソウルよりもモスクワよりもアムステルダムよりもニューヨークよりもサンパウロより遠かった。ほとんど宇宙みたいななにかだった。自分が二十八歳ということが本当に本当に信じがたい。私はまったくよい大人、魅力的な大人、かっこいい大人ではない。自分の年齢を言うことその行為に恥ずかしさはまったくないが(「女性に」年齢を訊くのは失礼という風潮もよく理解できない。男性には失礼ではないのに)、しかし年相応の精神を持たない自分が死ぬほど恥ずかしいので、年齢を言うことにとてつもないためらいがある。私はまだ自分を二十一歳くらいだと思っているふしがある。フォーエバー21。
 私が十五、六歳から二十八歳になるまでのあいだ、川上未映子はすさまじい勢いで日本の文壇を駆け上がった。彼女の作品は『すべて真夜中の恋人たち』以降きちんと読まなくなってしまったけれど(『夏物語』はとてもよかった)、二十八歳のいま、「二十八歳の体は老いている」について考える。十五歳の体だって昨日の自分と比べたら老いていたはずだ。私たちは老いるために生まれたのだろうか。Lana Del Reyは焦点の合わない目で甘ったるく”we were born to die”と歌ってた。老いるため。死ぬため。「二十八歳の体は老いている」を読んだあの頃よりも私はたしかに老いたのかもしれない。でも見えるようになったもの、言葉として掴めるようになったことは山ほどある。それによって呼吸をしやすくなったことは確かで、これからどうなるのだろうとわくわくしている部分もある。あとは精神が体に追いつくだけだ。二十八歳の精神を会得したころにはもっといろんなものが見えたり、まだ知らない何かを掴めているかもしれない。
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jmnmjnmj · 3 years
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エンドロールは流れないまま人生は続いていく
映画ならこの辺りでエンディングを迎えるんだけど(たとえばワイルド・エンジェルズのような/ゴーストワールドのような/大人は判ってくれないのような)いま自分がいるのは残念ながら、台本があってその通りに物事が進んでいく虚構の世界ではなくて、物語の終わりの見えない、映画以上に不条理で血なまぐさい無慈悲な現実だということ
 これは20歳の時にブログに書いた一節。
 数年にいっぺん、鬱の大波がやってくる年がある。20歳のときもそうだった。あの年は最悪だった。いつも死ぬことばかり考えていたし、映画のようにエンドロールが流れて勝手に自分の人生が終わる日を夢見ていた。
 はじめて失恋らしい失恋をしたのもこの歳だった。当時は恋愛が自分の世界の中心で、それを失った私は抜け殻みたいなひどい状態だった。失恋をした数日後、何を考えたのかひとりで海を見に江ノ島に行った。『大人は判ってくれない』のラストシーンが海だったから、海に行けば何かが終わると思っていた。たくさんのカップルに囲まれながら海を見、すうっと滑空してきた鳶に菓子を奪われた。ダサくて情けなくて、すごく私らしいなと思う。
 鳶に菓子を奪われて呆然とする。5秒間空を見上げる。カット。画面が真っ暗になり、エンドロールになる。Brittal StarsによるOMDの”Souvenir”がかかって、終わり。そんな人生がよかったのに残念ながらカットはかからず、あれから何年も経って、私はあと数年で30歳になる。
 『ハリー・ポッターと賢者の石』のパンフレットの文中に、現実は魔法よりマジカルだったか素敵だったか奇跡的だったか、とにかく現実のほうが楽しい!みたいな旨の見出しがあって、当時小学生の低学年だった自分はそんなわけないと半ばショックを受けたことをよく覚えている。当時の私はホグワーツから入学の手紙が来るだろうと本気で思いこんでいて、イギリスに行っても不自由しないよう英語を勉強していた。ハロー、マイネームイズ◯◯、アイムフロムジャパン、ナイストゥーミートゥー。ホグワーツからの手紙は来なかった。
 人生はどんなに絶望してもエンドロールは流れない。台本も何もなく、現実は血みどろで不条理な出来事だらけだ。20歳の私がいまの私を見たら驚くだろう。障害者になったこと、障害者でもクリエイティブ系の仕事についていること、韓国のアイドルのオタクをやっていること、そして生きていること。
 私はあなたが思うような人生を生きられなかった。23歳では死ねなかったし(私はリヴァーフェニックスとイアンカーティスと同じ23歳で死ぬことを望んでいた)、鬱は寄せては返す波のように何度もやってくるし、あのころの恋愛への情熱がうそみたいに誰のこともたいして好きになれないし、狂ったように見ていた映画もさほど関心を持てない。海に以前のような感慨も抱かない。ああ今、エンドロールが流れないかな、人生終わんないかな、とかも思わなくなった。生きることを受け入れはじめたのだろうか。それともこれは諦めだろうか。とにかく私はままならない現実を生きて、日々何かをすり減らしている。愛するBTSが”Life Goes On”と歌っている。エンドロールは流れない。人生も終わらない。わかっている。でも私の人生にエンドロールがあるとしたら、”Life Goes On”がいいなと思う。そして”Life Goes On”が鳴り終わっても、私の人生は続いていく。
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jmnmjnmj · 3 years
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うれしい怪現象
 「それ」はひたすら増え続ける人と、ゆっくり増える人、あと全然増えない人がいる。減り続ける人もいる。「それ」が一気に増えるときはきっと、予兆がある。増えた人はおそらく、少しずつ「それ」が来たあとで、竜巻のような強い勢いで「それ」が増殖していく。私はそう思っている。「それ」はわかりやすい。「それ」は増えるのを良しとしている人もいれば、「それ」をまったく気にしていない人もいる。ウザがっている人もいるだろう。私は「それ」が増えたら素直にうれしいなと思う。でも「それ」が増える原因がさっぱりわからないと、怪現象に見舞われているような気持ちにもなる。
 2週間くらい前からnoteのフォロワーが増え続けている。これを書いている24時間以内でも2人増えた。2週間前と比べて22人も増えている。多いひとからしてみればまったくたいした数字ではないだろうけれど、もともとフォロワーが多くないうえに特にバズってもおらず、編集部のおすすめ記事的なコンテンツやなんとか賞にもまったく選ばれていない自分としては謎だらけだ。怪現象だ。どうなっているんだろう。
 自分の文章が評価されるというか、好意的に思われることほどうれしいことはない。だから単純にうれしい。すごくうれしい。ジャンプしたらそのまま月まで届いちゃうんじゃないかってくらいうれしい。でも、フォロワーが増えるときってやっぱり、何かの予兆めいたものだったり、心当たりがあるものだ。少なくとも他のアカウントではそうだった。
 たしかに少し前に書いた自分が発達障害であることをカムアウトした記事はたくさんのいいねをもらった。ツイッターでもフォロワー数のわりに広く拡散してもらった(ありがとうございます)。noteのフォロワーが増えたのはそこから数日後、ツイッターの通知欄が完全に落ち着いた頃だった。みんなどこから来ているのだろう?気になりすぎる。
 というわけでこれを読んでいるひとで最近noteをフォローしました!noteから来ました!という方はいらっしゃいますか。どういう経緯でを見つけたのか、よかったらマシュマロで教えてほしい。いや、普通に関係ないツイートにリプライでも大丈夫です。よろしくお願いします。このうれしい怪現象の正体を知りたい。
 とまあ、くだらない記事になってしまったけれど、私は本来はこういう人間だ。冗談しか言わない。ふざけてばっかり。さっき保存した下書きのタイトルは「J-HOPEさんが好きすぎてホープ軒に通う日々」だ。こんなのキムソクジンさんすら笑わないだろう。たしかにホープ軒にはよく行っているし、毎回ホソクさんを思い出しながら食べているし、何ならBTSを好きになってから明らかに行く回数が増えている。そういう記事を書きたかった。ここではこういうしょうもない話もたくさん書ければいいなと思っている。
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jmnmjnmj · 3 years
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私をブロックした友達が推しの舞台に行けますように
 数日前、彼女の推しの主演舞台の幕が上がった。彼女は医療従事者なので、見に行けないだろう。自分に置き換えて考えてみると気が狂ってしまいそうだ。しかし彼女は舞台に行けなくても悔しいと言わず、推しを気丈に思うツイートをするだろう。私は彼女のそういうところが不思議だった。私はむかつくときはむかつく、悔しいときは悔しいと言うけれど、彼女はいつだってあらゆる空気を読んで、一言も不平不満を言わなかった。仕事に関しても本当はしんどいのに辛いのに大丈夫じゃないのにひたすら自分を犠牲にし、その状況をごく当たり前のように受け入れていた。彼女にこの状況は少し違うんじゃないか、もう少し自分を大切にすべきだと言ったこともあったけれど、いつも無言で微笑んでいた。そんな彼女にブロックされるなんて私はとんでもなく嫌われていたのかもしれないが、私は悲しみとともに嬉しい気持ちもどこかにあった。初めて彼女の本音を聞けたと思った。
 私はARMYになる前はジャニーズのオタクだった。しかし私はジャニーズ事務所とそのファンダムに関してはまったく好ましく思っていなかった。社会や政治の話をするオタクは疎んじまれるし、事務所はいまだに24時間テレビを手放そうとしない。ジャニーズタレントによるミソジニー、性差別、セクハラに思える発言を見せられるたびにフェミニストたちはその発言や行動に対してまっとうに思える批判をしたが、オタクの多くは「推しが女性嫌悪的な発言をしたこと」ではなく女性嫌悪的な発言をした「推し」その人が叩かれたと思い「喧嘩を売られた」と怒る、まさに地獄絵図のような図を何回か見た。しょうもないことですぐに乱れるファンダム、というのが私の正直な印象だった。推しのことは大好きだったけれどとにかくファンダムの居心地が悪かったので「私はコミュ障です」という言い訳を盾に、数少ない身内以外のオタクとは出来る限りコミュニケーションを取らなかった。彼女となぜ仲良くなったのかもまったく覚えていない。
 私と友達はあらゆる点で真逆だった。彼女の発言からは時おり右寄りなのではないかと思わせられることがあった。今の政治にも特に何も感じていないようだったし、家父長制を受け入れ、私が社会や女性問題の話を少しでもすると引かれた。彼女の推しのことはそこそこ好意的には思っていたが、年齢のわりにやたらと古いジェンダー観に辟易することがよくあった。彼女は彼のそういった「古風で男らしいところ」が好きと言っていた。友達を見ていると、彼女はあまりにも正しく、自分が間違っているんじゃないかと思わせられることがあった。それでも私と友達は仲が良かった。彼女といると楽しかった。
 私がARMYになって彼女の私への態度が変化したのはなんとなく感じていた。私たちのあいだには見えない溝ができていた。会話はいまいち噛み合わず、学生時代は仲が良かったのにたまたま地元で会った同級生と盛り上がりに欠ける世間話をしている気持ちになった。私はどうしようもなくさみしかった。彼女とふたたび無邪気に推しの話をしたかったけれど、私はもうジャニーズのことがまったくわからない、BTSのオタクだった。
 年始に、彼女にラインをした。本当にどうでもいい内容だった。返事はいつまで経っても返ってこず、既読すらつかないまま春になった。私はある日無性に腹が立って、自分はなんて幼稚なんだろうと呆れながらも彼女のインスタをブロ解した。彼女のアカウントは「ていねいなオタ活」といった趣があって、私は前々からその小洒落た雰囲気になんとなくむかついていた。彼女もまたそういうふうにして私の何かにむかついていたのだろうし、もしかしたら私の気の強さや言葉のひとつひとつに傷ついていたのかもしれない。
 数日前、彼女の推しの主演舞台の幕が上がった。彼女は医療従事者なので、見に行けないだろう。しかし彼女は舞台��行けなくても悔しいと言わず、推しを気丈に思うツイートをするだろう。ツイッターのおすすめユーザーにはなぜかたまに友達が出てくるので、私のアカウントを覗かれているのかもしれない。ねえ、これも見てる? ちなみに私はあなたのアカウントが何度も何度もおすすめされようが絶対に覗かないことに決めている。なんか悔しいから。
 一生既読のつくことのないかもしれないラインの画面を見つめる。早く彼女が気兼ねなく推しを見に行ける世界が来ることを祈っている。
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