Tumgik
kamomesong-blog · 5 years
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ふたつの棚
幡ヶ谷という地域に住んでいたことがある。渋谷区とは云ってもハイソな雰囲気はなく、高速道路が横たわっているため街の景観もよろしくなく、また民泊が点々としているということもあって治安もあまりよろしからず、どうにも好きになれない土地柄だったのだが、そんな中でも好きなスポットはいくつかあって、代々木八幡宮まで足を伸ばせば緑生い茂る鎮守の森に癒されたし、近所には立派な庭を構えたお宅もあり、年に一度雪が降った日などはその邸宅のお庭をそっと覗きこむと、普段は鬱蒼とした木々の生えた庭も別世界のようで心が躍ったものだった。 いつか庭つきの家を持ちたい……などと夢を描いて遊べば、幾分かでも心なぐさめられようというものだ。
その邸宅からしばらく行ったところに小さな図書館があり、私はいつもそこに通っていた。 図書館は古めかしくこぢんまりとしていて、都心ということもあってか訪ねてくる人もほとんどおらず、コピーを取るにも許可はいらないというので、私はせっせと古典文学全集や漢詩集、資料の数々をコピーしたものだが、その図書館にあって一番気に入っている棚があった。それは詩歌の並んだ棚で、中央公論新社の『日本の詩歌』やがずらりと並び、棚の合間合間に現代詩文庫が顔をのぞかせて、近代の詩歌はひととおり揃うという有様だった。もちろん近代以前の詩歌の本もきちんと並んでいて、近代詩歌の向かいにある棚には岩波書店の日本古典文学全集本を含め、万葉集から新古今和歌集、山家集と定番は抑えてあるし、中西進氏の『万葉の秀歌』なども収まっていた。 私はその近代詩歌の棚からしばしば詩歌の本を借りたものだが、たとえ本を借りなくとも、その棚がそこにあるというだけで妙に心が安らぎ、この図書館に寄せる信頼は厚いものとなった。積読本を家に何十冊も何百冊もお持ちの方はお分かりになると思うのだが、本を一度も開かずとも、自分の愛する類いの本がそこにあるという環境は心落ち着くものだ。この本たちがあるからここにいても大丈夫だと、まるで自分のホームグラウンドのように思える。
たった一列の棚があるだけで、こうも違うのかとも思う。もちろん、世界幻想文学大系が全巻収まった棚や、タブッキや残雪が並ぶ魅力的な海外文学の棚もいいのだけれど、詩歌の棚はひときわ輝いて見えた。幡ヶ谷という土地で再び暮らしたいとは思わない。それでももう一度あの棚の前に立って、じっくり本を眺めたいという気持ちに駆られることは未だにある。 私はそういう棚に憧れて、自室の本棚にも詩歌コーナーを作ったものの、自分で詩集を並べた棚と、図書館に置いてある、人が詩集を並べた棚というのはやはり違う。まるであの図書館の棚は私への贈り物だったのではないかという気すらしてくる。もちろん図書館は公共の施設だから、私だけでなく、図書館を利用する全ての人への贈り物なのだ。 そういう贈り物としての図書館が私にはたまらなくいとおしく思える。
そしてもうひとつ、私が忘れられない棚がある。それは自宅のリビングにあった棚で、母の仕事道具や彼女が集めたお香の数々、そしてCDが収められ、その上にはONKYOのCDコンポが置かれていた。休日になると母はよく100曲クラシックと題された、CMやドラマなどでも使われているメジャーな楽曲だけを集めたクラシックのオムニバスCDを聴いたものだった。その安っぽさに辟易していた私は、ワーグナーのワルキューレの騎行が流れればそそくさと自室に戻ったものだ。母曰く、私の体調が悪いのでかけてくれたと云うのだが、西洋近代史、それもナチスの歴史を専攻していた時期があった私は、どうしてもワーグナーが好きになれない。ワルキューレの騎行となればなおさらだ。 それでも独身時代、ローンを組んでクラシックの100枚組のレコードを買ったり、年に一二回は私たち家族を連れてクラシックのコンサートに足を運ぶ母のことだったので、そういうものに対して陰険な目を向けてしまう私の方がよほどひねくれ者なのだろう。母の思いを素直に汲んでおけばと思ってももう遅い。
また別の日には、私がプレゼントした広橋真紀子さんのジブリのピアノアレンジのCDをかけていたこともあった。母はあまり近所迷惑というものに頓着しないらしく、窓を全開にして音楽を流すので私は内心ひやひやしたものだが、吹き抜ける風とピアノの音色が心地よかったのもまたたしかだ。幸いにも苦情は受けず、また安アパートということもあって多少の生活音はお互いさまという環境だったためか、そういうものにおおらかな人が多かったのかもしれない。深夜に育ち盛りの中高生が両親と激しくバトルする声が聞こえてくることもしょっちゅうだった。 そういうわけで近所の人からすればはた迷惑だったのかもしれないが、ピアノの流れるのんびりとした休日の午後が私は好きで、その棚から香る木材の匂いと、松をイメージしたお香の良い香りが移っていることもあって、今、ふとその香りを思い出すと軽やかなピアノの音色も流れてくる。 今住んでいる場所で窓を全開にして音楽を流す度胸は私にはないので、いつもはイヤフォンをして、あるいは窓を閉ざして音楽を聴いているが、あのおおらかな時間が恋しくなることもある。
幡ヶ谷の思い出はまだまだいくつもあるが、このふたつの棚は私にとって幡ヶ谷での生活を象徴するものだった。もうあの棚たちに触れることはできないけれど、記憶の中で大切に慈しんでいたい。
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kamomesong-blog · 5 years
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ころんだ壺
 近頃にわかに「茶」に興味を持ち始めている。きっかけは、10年ほど前の直木賞受賞作『利休にたずねよ』を読んで面白かったから、というミーハーなものだ。読み終えるや、いてもたってもいられず、近所のスーパーで安価な抹茶を買ってみたり、焼き物に関する素人向けのガイドブックを読んだりして楽しんでいる。  ちょうど、出光美術館で「六古窯展 〈和〉のやきもの」という展示をやっていたので足を運んだのだが、これがとても充実していて、漠然とした「茶」の周辺への興味は特に「焼き物」へのあこがれとなった。
 もともと焼き物のよさなどはあまりよくわからず、いやな言い方をすれば、「さして大差のない壺の形を、訳知り顔の老爺たちがむやみに云々しているのだろう」くらいに思って敬遠していた。  しかし、陳列された古い壺のいろいろを見ていくうちに、形はともかく壺の「景色」の美しさは自分のようなずぶの素人にも味わえるようだとわかってきた。「景色」というのは独特の言葉だが、要するに焼き物の表面の色合いや質感のことである。壺を焼くときに、粘土や釉薬(焼き物の表面に塗るガラス質の溶液)が化学変化を起こすことでさまざまな色合いや模様、すなわち「景色」が浮かび上がる。優品とされる壺の景色というのは抽象画さながらで、ぼうっと眺めているうち、微弱な電流が流れるように静かな感動が身体中を駆け巡る。
 展示の入り口付近、ひときわ目立つところに大きな壺が陳列されている。なだらかなカーブを描くどっしりとした姿で、上部にちょこん、と小さな取っ手(耳)が2つついている。案内札には「双耳壺 室町時代」と書かれている。  少し緑がかったような黄土色の肌をしていて、遠くからぱっと見ても地味な壺にしか見えないのだが、近くでみると妙につやつやしている。しかも、上部(「肩」というらしい)からもっとも膨らんでいる部分(「胴」)にかけて、青にも白にも紫にも見えるような微妙な色合いの雫が幾筋も、ツツツツ、と斜めに垂れている。それが「鈍くなまめいている」とでも言いたくなるようで、奇妙に美しい。  この雫の正体は、展示場の解説文によると、壺を超高温で焼成する際に燃料の薪の灰がガラス化したものであるらしい。そして面白いのは、雫が垂直でなく斜めに垂れている理由は「焼いている途中で倒れてしまったから」なのだそうである。  ところで、倒れたせいではないのかもしれないが、この壺の形は左右対称ではなく、下部(「腰」)がちょっとだけひしゃげている。  形といい景色といい、焼き物というのはなかなか陶工の意図どおりとはいかないらしい。
 興味深い話がある。焼き物を作るときの職人にとってアウト・オブ・コントロールな要素=偶然性に対する態度には、その文化の美意識が露骨に表われるらしいのだ。  焼き物の本場といってよい中国は、「天」を畏れる思想に一本貫かれていたから、たとえば偶然性の極といってよい「窯変」(予期しない焼き色や形の変化)という現象は天の異変によるものと考えられ、不吉なしるしとして忌避された。そして、天の厳かな姿を体現するような端正で完璧な器を追求した。だから、窯の中で倒れて釉薬が斜めに垂れ、形の少しひしゃげた壺の価値などは決して認めなかったに違いない。  日本でも中華の美意識に貫かれた完璧な器を崇拝した時期はあったが、一方で中国では廃棄されてしまう「窯変」によってできあがった曜変天目茶碗を至宝としていたし、よく知られているように戦国時代の茶の湯では敢えて大胆にねじ曲がった器を争って求めたりもしている。どこか、美意識として呑気であり、よくいえば偶然性に対して寛容であった。
 僕の見た室町時代の「双耳壺」も、まったく偶然の産物であるといえるだろう。  これを作ったのが老練の陶工だったか、いや案外若かったか、それはわからないが、とにかくこの壺はまったく彼の手には負えなかった。なにしろ、途中で窯の中で「ころんじゃった」のだから。  ゴトッ、という鈍い音に驚き、焼き上がるまでの長い時間を彼は「あーあ」と思いながらじっと過ごしていただろうか。ところが、窯から取り出し、すっころんだその身を抱き起こしてやってよくよく見てみれば、滋味掬すべきというような地肌に艶めいた雫が斜(はす)に垂れているのは目の覚めるほどに美しい。少し下手ぐったために、ゆるやかにくねった腰にもかえってほかの壺にはない魅力があるようだ。  「これはこれで、なかなか」と陶工は思い、「いや、これでこそ」とこの壺を��蔵した歴世の数寄者たちは考えたにちがいない。だからこそ、「焼成途中でころんだ壺」はなおざりに扱われることなく数百年の命脈を保ち続け、「優品」として今日に伝わっているのだろう。
 「途中、ころんじゃったけどなァ。景色の色っぽさは目ェ覚めるようだし、形もこれはこれで、なかなか可愛らしいよ。」  「ほんとうになァ。美人だが、隙があるってとこかね。」  展示場で壺の景色に見とれているうちに、この壺が焼き上がったいつかの日の、どこぞの窯場へと心は遊んでゆく。陶工たちが、新しくこの世に生まれ出たその初々しい姿を前に、照れながらも喜びを抑えきれずに軽口をたたき合っている。  ついさっき抱き起こされ、作業台に据え置かれた壺は、小さな耳をそばだて、傍らでじっとそれを聞いている。  思えばそれから、長い長い年月が経ったものだ。壺は相変わらず美しく可愛らしく、ただじっと佇みながらも、時折、気まぐれにそっとささやきかけてきて、往時の人の呑気さ、鷹揚さを僕らに教えてくれる。  
(展示は今週日曜日で終わってしまいますが、件の壺は所蔵元である福井陶芸館のホームページにも写真が載っています。ぜひ一度見てみてください。https://www.tougeikan.jp/kanzohin.php[上から4番目の壺])
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kamomesong-blog · 5 years
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桔梗の檻
いいえ、あなたにはわかりますまい。この尽きせぬ哀しみの泉が枯れ果てるまでこぼす私の涙など、あなたからご覧になればたちまち消えるはかなき露に過ぎぬのでしょう。歌を交わした私を置いて、夜明けとともに去ったあの人の残り香を想って涙に暮れるのを、愚かと弾ずるのならお好きなだけ責めなさい。愛執に囚われて地獄に堕ちるさだめと云うなら罵りなさい。いいえ、人は恋と呼んでも、私は決して恋とは呼びますまい。むしろ恋敵と云うのがふさわしい。共に歌に恋いこがれ、歌の巧拙、上品下品(じょうぼんげぼん)を競った敵(かたき)です。憎たらしい、慕わしい、お懐かしい敵です。朧月に花もみじ、蛍の光に雪のせつなさを三十一文字にかけて、この玉の緒をかけて研ぎすました日々を恋というにはあまりに熱い。春になれば佐保姫を、秋が来(きた)れば竜田姫を仰ぎ見て、その錦の御髪(おぐし)の美を讃えるのが我らが勤め、あの人はついぞ私の唇に触れませなんだ。この体をもって誑かしたというのなら、白衣を剥いてご覧なさい。私の肉は歌となってほどけましょう。月下の秋草となってそよぎましょう。乱れ咲いた青白の桔梗に囚われて、こころ改めるまで私はあなたを離しますまい。
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kamomesong-blog · 5 years
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蓮華の調べ
愛には飽いた、禽獣の肉にも飽いた、屠り弔い、また屠って血塗れた刃をぬぐい、己の血も返り血も見境なく浴びつづける日々にも飽いた。漁師と云えばよろしかろう、猟師と呼べば聞こえは良かろう。武者なら誉れも高かろう。されどこの身は悪鬼にて、仏心も御法もほど遠き、地獄をひた這う者なれば、真白き腕も薙ぎ払い、菊花も蓮華も枯れ果てて、花の骸もそのままに、腐臭ただよう室に座す。三途の川より手前のことはつゆとも覚えず、己の亡き父母の顔ももはや忘れた。恨みつらみが募り募ってここまで落ちてきたような、はたまた主君を殺め、あるいは友を裏切り、道ならぬ恋に命を焦がしたのだったか、今となってはわからぬが、この地獄に閉ざされているからには罪科を負っているに相違ない。幾千年ここにとどめ置かれてなお清まらぬ心を抱いて遥か彼方を仰げば、かすかなる錫杖の音が降り注ぎ、辺りはまばゆい白光に包まれた。かつてこの地獄に地蔵菩薩の舞い降りて、衆生を救ったと耳にしたが、それも遥か七百年前のこと、私は差し伸べられた御手を振り払い、ここに自らを置き去りにしたのだ。その私が救われようはずもない。否、あれに見えるは菩薩でない。自ら命を絶ってこの地へ堕とされたばかりの女郎ではあるまいか。生前御仏の名で春をひさぎ、苦行に喘いで身も心もくびれて己を売った母の名を一声叫んで舌を噛み切って去んだと聞いた。この地にいてもなお苦役からは逃れられず、涙も凍る地獄の果てに赴いて、眠りこける男の傍らで読経を上げるのを心の糧としていたというが、ようやく発心が報われたというのか。まばゆくばかりに光を放ち、数多の男の手で穢れた衣は今や天衣となり、生前呼ばれた観音の名にふさわしく、性は男女(なんにょ)の区別を超えた。蓮華が花開くように彼の唇から妙なる調べがあふれだし、清らかな手に導かれて私は幾千年の時を過ごした地獄をあとにした。
雨伽詩音
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kamomesong-blog · 5 years
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幸福のないクローゼット
 「巷で無闇に有り難がられている"個性"とかいうものこそ、我ら一人ひとりを孤独にする元凶なのだ。これ以上、生き別れのふしあわせな双子を生むには及ばぬ。いまこそ個を滅し種を統一せよ。」  昨年の冬に手持ちの靴下を1種類だけにしてしまった。  もともと持っていた縞柄の靴下もチェック柄の靴下も、そればかりか水玉も無地も、青いも赤いも、とにかく遺漏なくごみ袋に入れて燃えるゴミの日に出してしまった。そうして同じ鼠色の靴下ばかり10束買ってきて、それで「統一」は完了した。革命の一夜というものは案外呆気なく明けるものだなと思ったものだった。  以来、快適だ。  何がいいって、全行程において靴下の「ペア」を考慮する必要が全くないのである。以前、靴下をペアにするのが面倒くさいという話を書いたが、それら一切から解脱したわけなのだ。  まず、洗濯して取り込むときに、同じ柄の靴下を一組にするあの煩雑な作業をしなくていい。洗濯ハンガーのピンチから取り外した靴下の束を鷲掴みにして、そのままクローゼットにぶち込むだけだ。朝出かける前には、その無造作に詰められた靴下の中から適当に二足を引き抜いて履けばいい。どんなに慌ただしくとも、左右の柄がちぐはぐになっていて出先で恥をかくというようなことがない。だってもともと一種の靴下しか持っていないんだから。  靴下を脱ぎ散らかしているうちに片方をどこかへ紛失してしまって、いつまでも片割れが見つからないあの苛立たしさを感じる必要ももうない。今後、靴下を何足失くしたとしても、靴下の総数が奇数のときにわずかに一足だけ余るに過ぎない。変な話、失くし放題なのである。  何かをやめて得られる自由もあるというわけだ。こういう消極的な自由こそいい。  これまでは、ある柄の靴下の片方を失くすたびに「生き別れの双子」が増えていき、クローゼットの底に澱のように沈み、積もっていった。あの孤児たちの恨みがましい視線から免れるためだけにも、靴下の統一は是非とも必要だったのである。  かつて、色とりどり、模様もさまざまの靴下たちは、狭いクローゼットの中で思い思いに呼吸していた。彼らの間にはそれこそ生き別れの哀しみもあったろうし、互いに愛し合い、あるいは憎み合ったこともあったであろう。 ところが、あるとき彼らの中に革命家が現れてこう唱えた。  「個を滅し種を統一せよ。」  そして彼らは一夜にして「個」を失い、無味乾燥なクローン灰鼠の群れと化した──。  ことの顛末は、映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の最後で、美しき女主人公草薙素子が「電子の海」に還り個を喪失したのによく似ている。  続篇『イノセンス』で、元同僚のバトーは彼女に問い質さずにはいられなかった。  「聞かせてくれ。今の自分を幸福と感じるか。」  すると素子はこう応える。  「懐かしい価値観ね。」  今日、クローゼットに群棲するクローン灰鼠たちにも、往時の感情はもうない。  「なぜ棄てた。我らを、我らの歓びや哀しみを。」  実のところ、靴下を取り出して履こうとすると、クローゼットの奥のほうからそんな怨嗟の声が聞こえてくる気がする日もある。  だが所詮、それも人たる我が身の後ろめたさからくる錯覚であろう。もはや我がクローゼットには、不幸もなければ幸福もないのだから。
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kamomesong-blog · 5 years
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旅鳥
ああまことに遠いところまで来てしまった。旅鳥を追うようにして南下してきた私の故郷は影も形も見えず、きっと今ごろは小さな家の中庭にも桃の花が咲いていよう。妻のことだ、私が家にいなくとも、日々化粧をして春の衣に袖を通し、琴の弦を調えて私の帰りを待っていることだろう。都から南方の果てに追いやられた友の行方は未だ知れない。細々と交わしていた書簡は絶えて久しく、彼が寄越した最後の一通には、かつて共に机を並べた学び舎で、父母兄弟を養う夢を語り合った日々が綴られていた。ひとときの間は彼らは我らをさびれた故郷の誇りと呼び、心を尽くして歓待したものだったが、一向に出世しない我らはやがて見向きもされなくなり、月ごとに送られてくる無心の催促に嫌気がさして、不味い酒の肴にしたものだった。夢はやぶれ、都を追われ、彼は南方の彼方へ去った。科挙にやっとのことで及第し、栄達の道にはみじんも縁がなかった私たちがこうして片道かぎりの旅路に散っても、都に連なる宮城は今日も甍を光らせていることだろう。宦官どもが仕える美姫たちは我が妻がこの先も纏うことのない絹の衣に袖を通し、額には花鈿を施し、きらびやかな簪でうるわしい黒髪を飾って笑いさざめいているだろう。ああ妻よ、私はおまえを捨ててきたのだ。父母に宛てがわれたおまえを私は心憎からず思っていたが、かような形でおまえを裏切ったからには誰も私を許すまい。父母に合わせる顔もない。されどたとえ万人に乞われたところで万乗の君を再び仰ごうとはつゆほどにも思わない。友に殉じるため、猿鳴き交わすこの夜を私は往く。
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kamomesong-blog · 6 years
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閉鎖的読書空間 2/2「方丈の愉悦」
 好きなYouTubeの動画に「お座敷テクノ」なるものがある。
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 男性が狭い居室に正座し、シンセサイザー、シーケンサー、ドラムマシンを並べて独りでテクノ・ライブをしている様子を固定カメラで撮影したものだ。座る前に一礼、座ってまた一礼してから演奏を始めるあたりに我が東洋に古来伝わる「礼」の精神が静かに息づいている。
 クラブハウスでテクノが演奏される場合には、キーボードスタンドの上に機材を置いて「立って」プレイするのが当然だが、敢えて正座する。居室は「お座敷」という言葉からは遠い質素なものだが、むしろそのほうがかえって趣深いのは不思議である。夕暮れ時なのだろうか、少し薄暗い部屋には斜めに光が差し、どことなく色褪せたような敷物の上に正座してアナログシンセのスライダーを上下している姿は、さながら琴を爪弾く検校である。
 また、そういうジャンルがあるのだろうか、やはり「お座敷テクノ」という名前が確かついていて、和装の美しい女性がTB-303という名機を膝前に置き、畳に端座してアシッド・ハウスを即興演奏する動画もとても好きだったが、そちらはいつの間にか消されてしまったらしい。彼女も家元の女師匠然としていて大変クールだった。
 畳の上に置かれるシンセサイザーが琴のように見えるのは故なきことではない。『方丈記』の作者鴨長明( 1155~1216 )が、方丈、つまり1丈(約3メートル)四方の居室で琴をかき鳴らす姿と重なるのである。
 長明が暮らした方丈を図解した絵などを見てみると、部屋の半分に布団が敷いてあり、残った四分の一のスペースに経机、もう四分の一に琴が安置されている。かつては文人の趣味生活といえば一に読書、二に音楽であった。畳の上にシンセサイザーやシーケンサーのような電子楽器を置くのは一見ミスマッチのようだが、その実古態に通じるからだろうか、案外しっくりくる。そういう、前衛にして尚古、攻めて良し守っても又良しというところもお座敷テクノの魅力といわねばならない。
 読書と音楽の関係は実に根深い。鴨長明よりもっと遡って、文人の祖のように仰がれる中国の陶淵明( 365~427 )も酒と詩と琴の音を愛し、しかもその自伝(「五柳先生伝」)によればやはり住まいは3メートル四方に満たないほどだったらしい。  自然、部屋の配置はほとんど長明と似たようなものになったのではないかと想像される。ただし陶淵明は琴の演奏がぜんぜんできなかったから、彼は琴に弦を張らなかった。酔いに任せてその弦のない琴をエアギターのようにかき鳴らして楽しむのである。こういう愉快な男と酒を飲みたいものだ。
 彼の自伝にはまた、
 読書を好めども、甚だしくは解することを求めず。意に会するもの有る毎に、便ち欣然として食を忘る。(読書を好むが、細かい解釈などは詮索しない。ただ自分の心に適う言葉に出会うたび、喜びのあまりものを食べるのも忘れるほどであった。)
 という。この一節を読むたび、潔い行き方だなと尊敬してやまないが、考えてみると家が狭くてあまり多くの本を架蔵することができないから、自然とそういう読み方に行き着いたかもしれない。  研究者のように一々の言葉の意味を究明しようとすると、辞書や古典を博捜してその拠り所を求めることになるから随分かさばる。だから広い家にたくさんの本を架蔵しているならともかく、貧家に生まれついて学者として名を上げるには、本という本を読む端から覚えてしまうような超人的勉強家でなければならなかったはずだ、と思うが、愛すべきエピキュリアンである陶淵明はそんなことにははなから興味がなかったに違いない。  ちなみに、鴨長明も遁世してからはほとんど本を持たなかったようで、経机の上に『法華経』を常に置いているほかは、琴を置いているスペースの上方に竹製の吊り棚を設けて、仏教書の抜き書きなどした本を自分でこしらえて置いておくばかりだったと『方丈記』には書いてある。  こうしてみると、ふだん読書する空間というものは読書人の本の読み方をよく表しているようでおもしろい。しかもそれは、結局のところ人の生き方、身の振り方にまで行き着いてしまうのではないかと思うのだ。  というのも、鴨長明も陶淵明も、もとは朝廷に仕えてサラリーマンをやっていたが、人間関係のストレスと思うように出世できない苛立ちがつのったある日、「やーめた」とばかり自由人へと転じたある種のダメ人間であった。  自分も──とつい思う、ある日突然会社を辞めて、四畳半のアパートを借りて「方丈」を構え、これはと思う本だけ数冊置いて気ままに読み、読むのに惓んだら「お座敷テクノ」よろしく畳に置いたシンセサイザーを思うままかき鳴らす生活を始めたらいいかもしれない。テクノ文人の誕生である。
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kamomesong-blog · 6 years
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閑雅な復讐
S女史に捧ぐ
すべての美なるものに幸いあれと願うおまえの手には手錠のごとき腕輪がつけられて、主人の手によって鍵を外されるのを待っている。市井に暮らす絵描きにすぎなかったおまえがこうして飼われることになったのも、無名の画家たちがたむろするバーでの諍いに端を発したことだった。品評会で異端の烙印を捺されたおまえにしきりに酒を勧める一方で、自らは入選の誉れにあずかった絵描きはほくそ笑み、おまえの描く静物画を安宿の壁にもかからぬ代物だとこき下ろしたのだった。
種々の花が生けられたガラスのフラワーベースも、芳醇な香りが匂い立つような果物も、その横に描き込まれた髑髏の頭と、その眼窩からこぼれる宝玉や薔薇の類いによって貶められ、あるいは中世の装飾写本に置かれた死者の手によって弾じられた。ひからびて青ざめた手には大粒の忌まわしいホープダイヤモンドの指輪が輝いていて大いに不興を買ったし、深紅のハイヒールをしとどに濡らす潰れたラズベリーやワイルドベリーの数々とその下に踏みにじられた鴉の亡骸、その手前に描かれた陰惨なフォルムで殻をこじ開けられた胡桃と、それを歯をむき出しにして食む栗鼠の姿も、人々には受け入れがたかった。孔雀の羽が幾多も描かれた絵には、その一枚を食む真紅の唇だけが描かれて、暗黒の画面の中に浮き上がっていた。その唇にはラブレットと呼ばれるピアスが施され、鋭利で淫靡な光を宿していた。
傍で様子を眺めていた仲間たちも皆一様におまえを笑い、胸の悪くなるような酩酊感も相まって、おまえには小太りのゴブリンたちが酒宴を催しているさまが重なって見えた。醜悪きわまりない様相を呈したバーにあって、グラスを磨いていたバーテンダーは素知らぬ顔をしていたが、頼みもしないキス・フロム・ヘブンを差し出し、おまえは名前も知らぬままそれを干した。バーテンダーは悪夢のような宴をよそにおまえの手を取り、中指のルビーの指輪から連なるブレスレットをはめたかと思うと、「少々このお方を拝借します。どうぞ宴を続けてください」と告げた。その場に群れなしていた絵描きたちはおまえを侮蔑する中傷まじりの冗談を交わして笑いさざめいたが、バーテンダーはおまえの手を取って、カウンターの奥にある部屋へといざなった。
重厚感のある緋色の壁紙に囲まれた部屋には、おまえが16歳のときから描きつづけてきた静物画の数々が飾られ、そのほとんどが画廊主に断られたり、品評会の出展に頓挫したものばかりだった。パンに事欠いておまえが細々と売りに出していたのを、このバーテンダーはひとりで蒐集していたらしい。もっともおまえはそれを知る由もなく、すでに上演が終わって久しいオペラのポスターや、安っぽい風俗画の数々とともに露店に並べられているのを、おまえはぐっと手を握りしめて見ていたが、買い手がついたという知らせが入っても満足な金にはならなかった。パンにスープの野菜を買えばたちまち懐は寒くなり、安アパートメントの屋根裏部屋で古ぼけた毛布を頭からかぶって暖をとる日々が続いていたのだった。
さてこの奇妙な画廊の中央に配された絵には銀食器のティーセットとともにアメジストの指輪をつけた貴婦人の手だけが描かれ、その手首はちぎれそうなほどに細やかなロザリオで戒められていた。ナイフとフォークからは鮮血がしたって美しい手を濡らし、ロザリオの先端には十字架が表わされ、磔刑に処せられたキリストの沈痛な面持ちも血にまみれて判別できなかった。聖書の上に描かれた白い鳩もまた真珠のネックレスで縛り上げられ、翼は力なく垂れていた。背景に掛かった画中画にはエデンの園が描かれていたが、あらゆる花々は頽れて、噴水は朽ち果て、楽園は退廃の限りを尽くしていた。バーテンダーはフィンガーブレスレットがはめられたおまえを中央に置かれた布張りの瀟洒な椅子へと導き、辺りに薔薇や芍薬、矢車菊、鈴蘭、カーネーションを生けた花瓶と、何種類ものさくらんぼを盛りつけたアンティークガラスの器を配して満足げに頷いた。
「あなたにはここで絵を描いてもらいます。私だけのための絵を。ここはあなたのアトリエであり、あなたという作品そのものになるのです」 バーテンダーはそう云っておまえの手に絵筆を握らせて、再びカウンターへと姿を消した。ひとり残されたおまえは、椅子の前に鎮座する年代物のキャンバスに向かい、今日も絵筆を走らせる。時折主人から差し入れられるものと云えば、季節の果物とチョコレート、そしてザクロのカクテルだけだった。甘美な食物とふつふつと胸の内にこみ上げる憎しみだけを糧として、描き出す静物画に毒を宿し、その毒がこの部屋を満たすまでおまえは一心不乱に筆を動かすだろう。いずれはたっぷりと毒をしたたらせたこの部屋が画廊の主人や仲間とは名ばかりの絵描きたちの前に開け放たれ、そのときはじめて彼らはおまえが復讐をなし得たことを知るだろう。数々の絵はキリストを尊ぶ人々の心を踏みにじり、ただ美を崇拝する狂信者となったおまえの信仰の証をここに見るだろう。ただ絵の中に信仰を閉ざし、己をもこの部屋に閉ざすことによって、おまえは誇り高き美の殉教者としてとこしえに名を留めることになるだろう。そしておまえがここから出る頃にはバーテンダーは、その胸に髑髏とその眼窩からあふれる葡萄の果実を描きこまれて屍と化しているに違いない。
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kamomesong-blog · 6 years
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アナスタシア 6
 おそるおそる口づけた、グラスの中身はほのかに甘い。ぬるりとした感触が口内にへばりつく。やっと喉に落ちたかと思うとこれまで歩いてきた疲れが癒え、脳神経が冴え渡るような心地がした。03b02の持つ手技と似ていると学者は思った。振り返ると、通って来た道が宝石の鎖で塞がっていることに気づいた。これから起こる出来事を想像して胸が高鳴り、不思議と焦りはなかった。  足を組みながら精霊売りは尋ねた。 「神のからだを探してるってことは……、」  薬指の欠けた手は毛先を絡めて遊んでいる。 「アナスタシアがいないってこと?」 「そうです。風の中から声が聞こえたので、この砂漠を歩き続けていました。」 「今は『ふつうじゃない』ってことね。」  すでに神のない世���に生を受けた学者は、神の不在が自らの存在を揺るがすという恐怖心を持たない。精霊売りはといえばおおかた状況を理解したようで、質問を続けた。 「逃げたの?」 「わかりません。」 「はるばる来たわりに、わからないことだらけね。」  見下すように笑った。03b02は、まるでそのような態度が自然とでも言いたげで、馬鹿にされているというのに不快な表情ひとつ見せない。 「もし逃げたんだったら、こんな人間だらけの砂漠じゃなくって、もっと混沌とした、自分の姿を隠せるところにいるんじゃないかしら。あたしがあそこから逃げ出して、もう戻らないと思ったら、そう考えるけどね。」 「そんな非道なことをなさるはずがない。神のからだがなければ、私たちは……。」  03b02はうろたえて、先に続く言葉を失っていた。学者はその震える肩に手を添え、そのわけを尋ねた。自分を置いてどんどん進んでいく二人のすきまに、ようやく入り込むことができた。 「神はわれわれの生みの親なのです。」 「母ということですか?」  必死で探す根拠が母の喪失ならば、学者も共感できる気がした。しかし、あれほどの列をなしていた妖精たちを、果たしてすべて産んだのだろうか。ゆうに20人を超えていたのに加え、学者から見ると03b02一行はおよそ同じ年代にみえた。その驚異的な能力もふくめて、神と呼ばれているのだろうか。 「そうです。」  話を先に進めたい気持ちが先走っているのか、震えた声で言い切る。 「ちょっと、それだけじゃわからないでしょ。先生は人間なんだから、ちゃんとを説明してあげないと。」  精霊売りは空のグラスを揺らしながら咎めた。03b02は不服そうな顔で頷き、しぶしぶと説明を始めた。できるだけ少ない言葉で済むよう慎重に言葉を選んでいたので、時折不自然な間があった。 「私達はみな……、森でいちばん大きな樹から肉体を授かります。その肉体に魂を与えてくださるのが神……精霊売りさんのおっしゃる『アナスタシア』なのです。」  どおりで人間と妖精で組成が違うわけだと、学者はこれまで疑問に思っていたことにようやく納得した。砂漠の毒をものともしないその生命力とメカニズムはどうなっているのか、ますます関心が高まる。このことは、砂漠に来なければ一生わからなかったかもしれない。学者ははじめて、この忌まわしい砂漠に来たことを幸運に思った。 「そして私達は神の『御言葉』を基に生きています。神の不在は、生きる指針を失うのと同義なのです。」  学者の脳内で、希望を叶えるためのパズルが組まれていく。これまで忘れるように努めていた「この砂漠を出る」という希望だ。03b02の信心深さがその重要なピースになるかもしれないと、彼は考えていた。 「03b02さんにとって神がどれだけ大事な存在なのか、少しずつわかってきました。ただ、ひとつ疑問があって、精霊売りさんは何故、ここにいるのでしょうか?神の『御言葉』がなくとも、生きていける妖精がいるということでしょうか。」  話の腰を折るのを申し訳なく思いつつも、一度火のついた好奇心を止める術はなかった。もし砂漠を出ることが叶えば、精霊売りに再び会える保証はない。 「さぁね。あたしは生まれてからずっとアナスタシアの言葉に疑問を持ってたから、耐えきれなくなってここに出てきただけよ。あたしみたいなのがどうして産まれてきちゃうかは、あたしも知りたい。」  そのあとであれこれと精霊売りは説明を加えたが「アナスタシアの言葉を聞きたくない」という意志以外、何も伝わってこなかった。学者は追求するのを止め、そういった妖精がどのように生きていくかを尋ねた。精霊売りは、自分のように痺れを切らして森を出るか、事件を起こして追い出されるかのどちらかだと言った。 「それで、今はどうなの?あたしみたいなの、いるの?」 「私が森にいたときはたくさんいました。」  むっとした顔で03b02は吐き捨てた。 「たくさん?何かあったの?」 「今は神のからだを探すことが優先です。そのためにここに来ました。彼らを待たせています。もう少ししたら夜になります。」  声を荒げて03b02は言った。なめらかな眉間には皺が寄り、陶器に入った亀裂のようにみえた。これ以上問い詰めては怒りだしそうだったので、学者はあわてて精霊売りに目配せした。 「……そうね。神がいないのだって前代未聞の事件なわけだし。ごめんね。」  03b02は答えない。失礼のないようにと言ったというのに、このざまだ。学者は深いため息をつく。 「さっきも言ったけど、この砂漠にはいないと思う。もしいたらあたし、すぐさまここを出てるわ。声を聞きたくなくて、ここまで来たんだから。」  がっくりと肩を落とす03b02を気の毒に思いながらも、学者の頭にはひとつの国が浮かんできていた。
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kamomesong-blog · 6 years
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閉鎖的読書空間 1/2「称呼番号 2425番の読書」
  Amazonの電子書籍アプリ「Kindle」をときどき利用する。アプリを開くと、一瞬、梢の大きく広がった大樹の幹に凭れて、三角座りになって本を読む少年の絵が出てくる。この絵はKindleのイメージイラストとして採用されているようで、アプリのアイコンも同じ図柄になっている。
 こんな風な「木陰で読書をする図」はKindleに限らず、あちこちで見かけるような気もする。何か、「いかにも」という感じである。ところが不思議と、自分自身はこういう風に木により掛かって本を読んだことなど一度もない。
 ふと思いついてグーグルの画像検索で「木陰で読書」と入れてみると、やはり、Kindleの少年のように木の幹に寄りかかって読書する若者の写真がたくさん出てくる。大体どの写真も、木の周りには芝生が敷き詰められており、どうやら公園の広場らしい。
 なるほど、僕が今まで知らなかっただけで、世の読書子はみな、晴れた休日になると本を携えてスキップしながら公園へ向かい、樹木に身を預けてゆったりと読書を楽しんでいたのか。
 ──いや、そんなわけあるかよ。どうも、嘘くさい。
 むしろ、なにもかも正反対の条件というべき「大雪の日に狭い自室で読書」なら、何度も経験がある。
 朝起きると窓の外は一面真っ白で、前々から約してあった飲み会はあっさり中止。外で買い物を済まそうにも、家の周りが吹雪によって包囲されているから果たせない。しかたなく、熱いコーヒーを入れ、こたつに籠もって服も着替えず延々と読む。
 あれは、なかなかどうして、本読む幸せのひとつの極北というべきものだ。なんといおうか、本というのは僕の実感としては「他にやることもないし、本でも読むかあ」というような一種の気怠さと諦めの最良の友なのである。
 本好きと人には申せ、「さあ、読むぞ!」なんていって両腕を天に向かって突き上げ、勇躍してページをめくってみればすぐ、飽きる。
 かえって、お金がないから、外は大雪で電車が動かないから、大怪我をしてしまったから、好きなあの子に約束をすっぽかされたから、なんだかダルいから──やる気や自由や生命力は奪われてしまっているのだが、気づけばダラダラ読んでいた、なんて日の読書のほうがたいてい、面白い。皮肉だがそんなものではないだろうか。
 漢の匡衡(きょうこう)という学者は家が貧乏で灯油が買えなかったため、家の壁に穴を穿つことで隣家の光を入れて本を読んだそうだが、そういう風に空間的にも心理的にも、閉ざされて他に行きようもないといった地点のほうが、己を虚しゅうして心を本の中へ遊ばせるのにはいいのだろう。
 いかんせん「木陰で読書」に比べると暗く後ろ向きのようではあるが、���は開けた場所より、閉鎖空間でこそ饒舌にもの言うのだと僕は思う。
 いま、自室の書架に一冊の岩波新書がある。『仏教』。数年前に古本屋で買ったものだ。家で開いてみるまで気がつかなかったのだが、裏の見返しに、罫線の引かれた長方形の紙が貼り付けてある。図書館の図書カードのように見えるが、そうではない。
 東京拘置所の「閲覧票」である。
 閲覧票とは、拘置所に拘置されている者が、中で購入したり差し入れてもらったりする本に貼付するよう決められている紙切れのことをいう。
称呼番号:2425番
居室:B棟舎7階55号室
氏名:片霧(※仮名)
書籍名:仏教 第二版
閲読期間:18年2月8日まで
 掌ほどの小さな紙片に、これだけのことが記されている。
 ──片霧がこの本を手に入れたその日、彼は名前ではなく2425番と呼ばれ、B棟舎7階55号室という奇妙に暗号めいた房室で寝起きする境涯にあった。この狭い房室にあっては他にすることもなかったので、彼はなんの気なしに粗末な畳敷きの床の上に身を崩し、その本を開き、2500年ほど前の釈迦という男の言行について何がしかを思った。
 もとより、どこの誰とも、いかな罪状で繋がれる身となった人かも知らない。いくら想像をたくましくしてみても、その片霧という人のある日の読書が彼にとってどのような体験だったか、わかるわけもない。それでも、拘置所で本を読むということは、なにがとはいわずただ物凄いものだろうと思わずにはおれない。
「娯楽」
 と、無邪気に言い切っていいものか、僕にはわからない。が、人間に残される最後の娯楽は畢竟、本ではないか、と言われれば、本好きはみな慄然とするのではないか。
 だから、晴れた日に公園にゆく人よ。木陰で本など読むんじゃない。
 ──と、僕は思うのだ。
 読書の進む悪しき日はいずれ来る。今日という佳き日には、友と連れ立って歩き、なわとびか何か、ただ嬉々として跳んでいるがよい。 (次回に続く)
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kamomesong-blog · 6 years
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惜春記
 かつて世を去った詩人の遺した書物には悪鬼羅刹が封ぜられ、さる私設図書館の地下深くで数世紀の時を経てなお眠りつづけていると聞く。その図書館には死せる無名の人々が置き去りにしていった数億を越える本の数々が収められ、代々司書を務める白檀という家の子息が管理していると云う。香木もまた失われて久しく、白檀も伽羅沈香と並んで人工香料での復元に成功したとの報が世間をにぎわせたばかりだが、その名をいただく司書の家もまた旧時代の遺物とも云うべき血筋。世界に冠たる電子図書館の司書は人工知能の管轄下に置かれているし、古今東西のあらゆる書物が電子データによって保存されている今となっては、稀覯本は存在しないに等しい。紙媒体の本はとうに焼却炉の灰と化し、風に巻き上げられて四方(よも)の海へ散ったかに思われた。
 しかし今、私はおまえの遺した本を手に途方に暮れている。二十余歳にして世を去ったおまえを悼む父母から遺言と云い添えて本を預かったものの、大学で生物学を学ぶ私にしてみれば畑違いもいいところで、話は合わず、そりも合わず、ただ偶然にも生体番号が前後していたからという理由だけで母親同士が意気投合して幼なじみとなって十余年が過ぎた。利害もなければ情も薄い付き合いだ。多くの時間を共にしてきた間柄ではあったが、互いの心はついにぴたりと重なることはなかった。少なくとも私はそう思っている。
 今だから云えるが、幼いころから秀でた兄に負い目を感じ、母親からの情愛の多くを兄に奪われてきた私は、たしかにおまえをうらやんでいた。両親にひとしく愛情を注がれて、何不自由なく育ったかに見えたおまえを。兄への、そして母への心に巣食う血への憎悪というものに無縁だったおまえを。おまえは父から受け継いだという万年筆を手に、いつも私に手紙を寄越したものだが、そのブルーブラックのインクは、清く気高いおまえの心を映じて、血の色に濁った私の心とは相容れないものだった。おまえが瀟洒な万年筆で筆を滑らせ、あるときは電子データから写経をし、あるときは時節に応じて父母に贈る花束に添えて文を書くたびに、私の心にやましい嫉妬心がわき起こるのをおまえは知る由もなかったのだ。だがおまえは父母兄弟ではなく私の弔辞を欲して去った。三ヶ月前、病魔に冒されたおまえと交わした約束が私の心に根を張って、私はその役目を諾(うべな)わざるをえなかった。
 本の表題には日本霊異記の五字が見え、もはや散逸した全集本の端本かとおぼしき装丁だった。ページを繰れども古文に疎い私にはほとんど判読しがたく、生前おまえが籍を置いていた研究室から察するに仏教の説話を編んだ本であることは窺い知れたが、因果応報とやらを奉ずる人間の末期(まつご)が早すぎる死であったことを思えば、すでに形をとどめない宗教というものがおまえを救ったとは私には思えない。否、死者の心、死者のひそかに捧げた祈りを弾ずる驕りを私はここに恥じる。やはり私はおまえの良き友ではなかったのだ。
 仏教史を専門とするおまえの指導教官に連絡を取り、そこからつてをたどって白檀家の現当主にまで行き当たった。果たして目の前に現れた彼は、折目正しい挨拶ののちに私の手から日本霊異記を受け取り、そのまま白衣を翻したかと思うと終わりの見えない地下室の階段を下って行った。ひとり取り残されて、広大に立ち並ぶ本棚をぼんやりと眺めている、私は己の名が記された本を目の当たりにした。おまえは私にこの本を見せんがためにここに導いたのか。この名に託された秘密を、おまえと、そして忌まわしい母だけが知っていたというのか。その秘密を明かさんとおまえは私は誘(いざな)っているのか。
「僕は二十一年生きて、儚いとも虚しいとも思わないが、ただひとつ心残りがある。僕の両親は僕の本を燃やすだろう。彼らは悪人なのではない。根っからの善人だ。ただ彼らにとっては紙の本というものが目ざわりでしょうがないんだ。老い支度をするにはなおさら無用の長物と云ったところだろう。だから僕の墓標をきみの手で立ててほしい。沙石という名を持つきみにこの本を届けてほしい」
 たしかにおまえはそう云ってほほえみを浮かべ、やがて長い眠りについたのだった。その顔に一切の翳りはなく、ああ、おまえはそうして死の床にあって親を恨むこともなく、おまえの母が手ずから生けたスイートピーの香りに包まれ、祝福された春の死者として逝くのかと、私の頬を敗北の涙が伝ったのだった。
 荼毘に付された遺骨は、遺言によって桜の巨木の根元に埋められた。私はあと何度あの桜の下でお前を想えばいいのだろう。忘却がやすらぎをもたらすまで、たとえ夏が逝き、秋が巡って冬になっても、私の春は終わらない。この書物は私の春を終わらせてくれるだろうか。  私は沙石集と記された本にそっと手を伸ばし、ページを捲りはじめた。背後に差し込む日の光が白衣を纏った人影を刻みつけるのにも気づかずに。
「沙石、あなたをこの本に収めることをご友人はお待ちかねだったのですよ」 白衣を纏った男はふわりと笑った。
雨伽詩音
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kamomesong-blog · 6 years
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100円ローソンにも正月は来る
 この正月に、家の近くの100円ローソンで福袋を買った。
 帰省を終えていま住んでいるマンションに戻る道すがら、コンビニとしてはやや薄暗い店内から漏れる光に照らされて、店頭の脇のほうに「福袋」と大書された朱の紙袋が列んでいる。伊勢丹や三越なんかの賑々しい初売りセールで、装いも結構な福袋が列んでいても気にせず素通りするだろうが、「100円ローソンにも正月は来るのだなあ」と思ってみると却って妙に趣があるようで思わず足を止めてしまった。それで十五秒ほど佇んでいたろうか、税込1,000円という価格の手頃さからか、たまには正月らしいことをしてみようという浮き足立った気持ちからか、つい一つ手に取ったのだった。
 薔薇の香りの芳香剤とか、静電気を飛ばす棒のついたキーホルダーとか、よくわからない英文の入った安っぽいマグカップとか、そういう自分にとってほとんど要らないような物ばかりぎっしり詰まっていたらどうしよう、と思わなかったわけではない。だが、それはそれで、新春に咲く大輪のあだ花ではある。たったの1,000円で、あだ花をガサッとさらっていって、「福袋大爆死」できるのならむしろ安い、安い。いや、そのほうがかえっていいね。どうせなら思い切りぼったくってくれ、俺を、福袋大爆死させてくれ、という具合に、やはり随分浮き足立った気持ちで買って帰った���けである。
 カップ焼きそば。パスタ麺。ミートソース。ツナ缶。ポン酢味のふりかけ。のりたまのふりかけ。歌舞伎揚げ。袋入りのポテトチップス(コンソメ味)。缶入りのポテトチップス(サワークリームオニオン味)。アポロチョコレート。チョコスナック。ソーダキャンディ。開封済みの菓子の袋を留めるクリップ。メラミンスポンジ。ウェットティッシュ。
 だが、なんのことはない。開けてみれば、却ってがっかりするほど、ハズレのないラインナップである。一日中家にこもって、100円ローソンに出向くのすら億劫な休日の昼下がりに、あると少し嬉しいようなものばかり1,500円分詰まっている。福袋の主題である「福」という「ハレ」の雰囲気に欠ける、まったく「ケ」の品々であることに目をつむれば、これ以上を望むべくもない、「大爆死」どころか「コスパ最強」の福袋なのであった。
 ♦︎
 ところで、この店にはクサカベさん(仮名)というイケメンボイスの若い男性店員が務めている。昨年の夏ごろだったか、いつものように缶ビール一本を差し出して会計をしてもらっているとき、ふとその声のよさに気がついたのだった。
「画面のタッチお願いします」
「204円になります」
「ありがとうございました」
 店員としての最低限の言葉だったが、その低く囁くようなのに不思議とよく通る声の艶が耳に残った。以来、僕は彼のことを覚えてしまって、接客してもらうたびに「今日は当たりだな」と男のくせになぜか少し嬉しい。
 狭義のイケメンボイスというのは、単に男性の美声全般を指すのではなくて、そのままほぼ女性の「アニメ声」に相当するような、アニメに出てくるイケメンキャラクターの声の独特の声質や発声法を指している。クサカベさんの声は、まさしくそういう狭義のイケメンボイスで、見ようによってはオタクっぽくて垢抜けないその太い黒縁メガネも、少し伸び気味の黒髪も、ただその声の美なるによって「気取りのないインテリ風の美青年」の装いに見えてしまう。正しく、「イケメンボイスのクサカベさん」なのである。
 彼の声のよさに気づいた人なら皆、自然にああいう声を出しているのか、意図して声を「つくって」いるのかということを知りたがるはずである。時々、ぶりっ子でアニメ声を擬装する若い女性がいるように、彼も人からよく思われようと、イケメンボイスを擬装しているのではないか、と。そのことについては僕もずいぶん気になった。
 だが、缶ビールの入った袋を提げて家路を急ぐいつかの晩に気づいたのだが、彼が僕を相手に声をつくる理由は何もないのではないか。若く美しい女性の客ならいざ知らず、同性のサラリーマンを相手に媚態を演じても虚しく、ただでさえ忙しく働いているのに疲れるだけである。もし、仮に彼が声を「つくって」いるにしても、その理由はモテたいからといった通俗的かつ生半可なものではあり得ず、確固とした目的意識をもって持続的に声をつくっているはずだ、と。
 だから僕はこう思う。恐らく、クサカベさんは声優を目指している青年なのだ。昼は声優学校に通い、夜は100円ローソンでアルバイトに励んでおり、学校でのボイストレーニングに飽き足らず、アルバイトの接客もトレーニングの時間と捉えて余念なく声を研ぎ澄ましているに違いない。
 最良の結果のために敢えて苦難の道を往く「ヘラクレスの選択」という言葉が、ギリシャ神話の中に見えるというのを最近何かの本で読んだ。あの耳に心地よいイケメンボイスは、限られた時間の中で、接客の質も、自分の声の質も高めたい、そのためなら、たとえ通常より神経をつかうにしても、声帯が緊張するにしても、決してそれを厭うまいと思うクサカベさんにとっての「ヘラクレスの選択」だったのである。
 ♦︎
 そんな風に思うことにして、もしそうであるなら偉い人だと、僕は皮算用式にクサカベさんを尊敬している。
 一週間足らずで半分ほど消費してしまった例の福袋にしても、平成三十年の大晦日の夜に、客足の途絶えたタイミングを見計らいながら、店内をぐるぐるぐるぐる、クサカベさんが詰めて回ったものかもしれないではないか。
 庶民の本当に欲しいものを知っているのは、庶民である。アルバイトをしながら声優学校に通っていると思しいクサカベさんにしても決して生活に十分な余裕はないだろうが、そういう生活の中で磨き抜いた庶民感覚と、店員としてのささやかな良心をもって厳選したという痕跡が、福袋のラインナップからありありと見て取れるのである。
 懐かしいゲームを引っ張り出してきて、久しぶりにちょっとだけ遊んでみるつもりが妙にはまってしまい、いつのまにか深更に及んで腹が空いたときに食う、あのカップ焼きそばの美味さ。
 友達が急に家に遊びに来て、発泡酒を注いでとりとめもない思い出話に花を咲かせるとき、間に合わせで開封したあの歌舞伎揚げの美味さ、ポテトチップスの美味さ。
 「めでたさも中くらいなりおらが春」という一茶の俳句にいうところの、ある日の「中くらいのめでたさ」がこの福袋には詰まっているのだ。とすれば、これは正しく福の袋なのである。旧年中はありがとう、100円ローソン。今年もどうぞよろしく、クサカベさん、なのである。
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kamomesong-blog · 6 years
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新年のご挨拶
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新年あけましておめでとうございます
かもめは今年の5月で結成3年目を迎えます。 ここまで続けてこられたのは、ひとえにいつも読んでくださる読者の皆様と、メンバーの協力あってこそです。主宰として厚く御礼申し上げます。
昨年は合同誌『かもめソング』を頒布するという大きなイベントがありました。 イベントや通販で本を手に取ってくださったみなさま、ありがとうございました。 今年もメンバー一同、個性あふれるかもめの歌たちをお届けいたします。 どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
かもめ主宰・雨伽詩音
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kamomesong-blog · 6 years
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アナスタシア 5
 なだらかな坂を下ると、入り口にものものしい鉄扉があった。重々しい鉄の鎖が何本も繋がれたそれは、とても人間の力では開きそうにない。精霊売りがローブの中から鍵の束を出し、差し込んで何かを唱えている。重厚な扉はたちまち姿を消して、洞窟の入り口が顔をみせた。なるほど鍵と魔術の合わせ技かと学者は思った。精霊売りの持つ鍵の束を盗んだという話は時折耳にしていたが、洞窟の中に入れたという話を聞いたことはなかった。忍び込もうとする矢先に、盗んだ者たちは忽然と姿を消してしまうのだった。ひとり合点のいった顔で頷く学者をよそに、精霊売りは言った。 「さぁ、入って。」 「私達全員入れますか?」 「そうねぇ。」  精霊売りは、あらためて03b02率いる列に目をやった。ざっと2,30人だろうか。渋い顔をした。 「うちは狭いから、ちょっと難しいかもしれない。でも、この先を少し歩くとオアシスがあるわ。悪いんだけど、そこで待っていてもらってもいいかしら?」  列がざわつき始めた。先程出会ったばかりの精霊売りと、教団のリーダー格である03b02をふたりきりにすることに不安があるらしく、あからさまな悪態も聞こえてきた。 「こんなに気にかけてくれる人がいるなんて、羨ましいわ。」 「しかし彼らには納得してもらわねば……。」  03b02は口をつぐんだ。すると列の後ろから、ずんぐりとした妖精がゆっくりと歩いてきた。痩せ型の者が多い中、ひとりだけふっくらとしている。 「僭越ながら、わたしが先頭を歩きましょう。03b02様は、どうぞゆっくりお話しになってください。そして神のお身体を見つけられんことを……。」  小太りの妖精は両手を組んでしゃがみこんで、祈る仕草をみせた。03b02もそれに応えた。  それから垂れた目を懸命に尖らせて、精霊売りの方を向いた。精霊売りにはその様子がなんともいじらしく見え、笑ってしまいそうなのをぐっと堪えた。 「どうか03b02様を健やかなままお返しくださいませ。」 「取って食べたりしないから安心して。無事に帰すわ。」  信用ならない���いった面持ちながら、小太りの妖精は潔く引き下がった。これも神の身体を思ってのことだった。砂漠の外から来た者は知恵ある者に縋るしかない。それは学者や精霊売りといった、識者とされる人々であった。列の後ろに出発の合図をし、03b02の方へ向き直った。 「03b02様、どうかご無事で。」 「皆を頼みます。」  彼女はざわめく列を穏やかにおさめ、のそのそと歩き始めた。列はいささか乱れていたが、徐々に統制のとれた形へと戻っていった。 「お待たせしてすみません。」  03b02は深々と頭を下げた。学者はこれから起こる出来事を想像して気が気でなかったので、愛想のない返事をかえした。 「行きましょう。」  三人が洞窟に入ると扉は再び姿を現し、入り口を塞いだ。近くで様子を窺っていたならず者が扉を叩くも、鎖のぶつかりあう音がするだけで、びくともしなかった。  短い廊下の先に大きな広間があった。金銀財宝が無造作に所狭しと積まれており、それらの放つ光のおかげで部屋は明るい。中心にほんの少しだけ砂地が見える。03b02は、この宝をすべて取り払えば置いてきた仲間たちも座れるのではないかと考えたが、さきほど「失礼のないように」と言われたのを思い出し、振り上げた手をおろした。精霊売りはその様子に気づいていたが、咎めることはしなかった。  広間の奥には細長い扉があり、青い宝石の連なるネックレスが何本も絡んでいた。学者は扉を開けたい気持ちでいっぱいになったが、どうせ入り口と同じ魔法がかかっているのだろうと思い、黙って筆記用具をかばんから出すにとどめ「怪しい扉」と走り書きをした。 「豪華なお部屋ですね。」 「全部仕事の報酬なの。でも宝って興味がなくって、いい加減だわ。ほしいものがあったら、適当に拾っていいわよ。」  ふたりとも全く興味を示さず、黙って宝の隙間を縫って歩いた。ふたりが中心に座ると、地面は見えなくなった。燦然と輝く宝に包まれたふたりの姿。 「飲み物を用意するから。」  精霊売りは大きな宝を踏んで足場にしながら、扉の向こう側へ消えた。精霊売りがドアノブに触れるとネックレスは姿を消し、鍵の開く音がした。学者は扉の先にあるものを想像した。月並みに考えればここにあるのよりもずっと価値のあるものだろうが、どうも宝には興味のない男のようであるから、何があるのか皆目見当がつかない。じっと耳を澄ましてみると、固いものが削れるような音が聞こえた。 「03b02さん、なにか聞こえませんか?」 「いえ、何も。」 「ガリガリと鳴っている気がするのですが。扉の向こうで。」  悩ましそうに耳を澄ます03b02の姿に、学者は落胆した。いるかもわからない神の声は聞こえて、近くにある音は聞こえないというのか。ほどなくして精霊売りが戻った。ぴかぴかに磨かれたグラスには赤く透き通った飲み物が注がれている。人肌程度に温かくやや粘性があるものの、匂いはない。 「狭くてごめんね。」 「アナスタシアの話をしましょう。彼らを待たせすぎてはなりません。」  精霊売りは大きく平たい宝石の上に座った。砂漠の夜のごとき漆黒の石だった。
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kamomesong-blog · 6 years
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動く歩道ひとりで乗ると遅い(2018年に詠んだ俳句)
こんなに月が高い裸で寝そべると
この句の詞書は9月に書いた文章に譲る。人間はたまには裸で寝そべって空を仰いだほうがよいのではないかしら。「想い邪(よこしま)なし」 とでもいうべき古来の透明な感情が背中の肌から蘇ってくるから。
動く歩道ひとりで乗ると遅い
9月に〈ジョジョ展〉を観るため、僕は地下鉄六本木駅から国立新美術館へ向かっていた。構内は入り組んでおり、あちこち迷い歩いたところへ、無闇に長い「動く歩道」がある。休日の六本木など人であふれていそうだが、そこだけは奇妙にひっそりとしている。すでに歩き疲れていたので自分から進むことなく、運ばれるに任せた。こうも遅いかね、と思った。
寒夜かな破(や)れし袋を提げる帰路
重さに耐えかねた紙袋が破れ、中に充満していた荷物が一度に解き放たれるあの一瞬、あの勢いはほとんど官能的といっていいと思うが、事果てた後は大抵ケチなものである。道に散乱した物──林檎なら林檎、本なら本を散らかしたままこれを顧みず、悠々然と往けば彼は詩人であろう。しかし僕らはそれらをそそくさと拾って不器用に小脇に抱え、窮したような顔をして帰路を急ぐのである。底の抜けてしまったぼろの袋を軽々と提げて歩く夜道の切なさはどうしようもない。
電飾の鄙(ひな)びたるこそめでたけれ
鄙(ひな)ぶりのむしろめでたやクリスマス
田無駅前のクリスマスのよそおいを詠んだ。規模なのか、光量なのか、配置のセンスなのか、なにが都心と郊外とのイルミネーションの洗練度合いを分けているのかはわからないが、都鄙の格差はこの時期の大通りを彩る電飾を見比べてみると確かに大きく隔たっているようである。だが都心のはどうも気取りが強すぎるようでかえって味気ない。むしろ田無くらいのほどよく雅にあらず貧にあらずといった電飾を、買ったネギでも提げながらほんの少し立ち止まって見るほうが、年の瀬のめでたさはしみじみ感じられる。
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kamomesong-blog · 6 years
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図書館という味方
図書館との付き合い方が引っ越してから変わった。 今住んでいるところに引っ越すまでは、転居することを前提に暮らしていたこともあって蔵書を増やせず、自室の本棚から取り出して読む本よりも図書館で借りて読む本の比重が大きかったのだが、新居に移ってからは蔵書を気兼ねなく増やせるようになり、図書館で借りる本も文芸書から実用書へとシフトした。 私はブクログの本棚に図書館で借りた本をタグ付けして登録していて、そこに文芸書が増えていくのが図書館へ行く楽しみのひとつでもあったので、一抹の寂しさも感じつつ、年齢とともに図書館との付き合い方が変わっていくのはやむを得ないとも思う。 ほんの数年前までは暮らしに関わる本や禅の本を借りて読むことはまずなかったが、引っ越して家事全般を担うようになってからはおのずと手が伸びるようになった。 日々の生活そのものに価値を見出すという旨のそれらの本たちは、少なからず私に勇気を与えてくれたし、生活の糧となっている。またそうした類の本は自分で買うとなるとためらってしまうのだけれども、図書館だと気兼ねなく借りて読めるのがうれしい。 こうしてみると、普段はあまり文芸書を読まないものの、暮らしの本をぽつぽつと読んでいた母の面影が自分に重なるようで、少し面映ゆいと感じ���とともに、自分が着実に年齢を重ねていることを実感する。
それでももっと図書館を活用したいという思いは変わらない。 図書館は私自身のパワースポットでもあり、その場に行くと心が安らいだり、元気になれる場所のひとつだ。 最近借りた本だと『国文学 解釈と鑑賞』という学術雑誌の萩原朔太郎の特集号が面白かったし、このような本が気軽に読めるのも図書館ならではの魅力だ。転居する前まで通っていた図書館にも置いていなかった類の学術書が読めるというのは本当にありがたい。 さらに図書館と云えば文学全集が揃っていることも見逃せない。漢籍にまつわる論文を読む時には必ず出典を辿って原典に当たることにしていて、そのようなときに新釈漢文大系などの全集本が揃っている図書館の存在は心強い。 ここのところ慢心していることもあって、そうした文学全集を活用する頻度は格段に減ってしまった。だからこそ図書館ときちんと向き合うことが自分の姿勢を正す第一歩だなと思う。形から入るというと言葉は悪いけれど、図書館を使い倒そうという意識が、怠慢な私にとって勉強するきっかけとなるなら、利用しない手はない。
つい尻込みしてしまう海外文学にももっとたくさん触れてみたい。幸いにも図書館には海外文学が古典作品から現代作品まで網羅されている。 近ごろ気になっているのは、澁澤龍彦が愛したサドやジャン・ジュネ、ビアズリー、ゴーティエ、マンディアルグといった耽美派の作家たちだ。一冊の本からつながっている糸をたぐり寄せるのに、手当り次第に本を買うというのもひとつの手だてではあるけれど、図書館ならばいくらでも失敗ができる。手に取ってみて、自分の肌に合わないと思う本が出てきても、海外の古典文学の場合は訳者を替えて読むこともできる。そうした場合には図書館の蔵書数がものを云う。 そうやってぶつかって怪我をして歩き回った数だけ、私の経験となり力となっていくのだと思うと、わくわくせずにはいられない。 図書館という場所はいつだって私の人生に寄り添ってくれる。両親に本を買ってもらえなかった幼少期も、図書館に通い詰めてひたすら児童書を読んだし、いじめられていた時も学校の図書館で日々借り続けた本があったから何とかやってこられた。こんなに力強い味方は他にない。
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kamomesong-blog · 6 years
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柿泥棒
 いま住んでいる賃貸アパートの隣に、旧家の風格漂う立派な家が建っている。広い敷地でブルーベリー農園を営んでいる。虫除けの青い網でこしらえられた小屋の中で幾本ものブルーベリーの木が列をなして植わっているのが、うちのベランダからよく見渡せる。
 休日の朝に欄干に布団を干していると、ラジオの音らしいくぐもった人声が、調子外れの音楽に混じってこちらまで聞こえてくる。見ると、遠くで白茶けた麦わら帽子がせわしく動いている。ブルーベリー農園の旦那が農作業にいそしむのである。
 農園の奥には野球場にあるような背の高いフェンスがある。これを隔てて向こうに市立中学校があるらしい。ラジオの音に、部活動の休日練習だろうか、金属バットの球を打つ音と球児らの掛け声が加わると、いよいよ長閑である。
 農園と賃貸アパートとの境には、幹から大きくねじ曲がった柿の木が一本生えている。ちょうどこの柿の木に接する二階の角の部屋を借りているものだから、ベランダに出るたびにふと目に入ってくる。梢に山ほど実った柿の実は、はじめは青くて固そうだったが、ここ二た月ほどでだんだんと鮮やかな朱に色づいてきた。
 「借景」という言葉がある。お寺の庭などで敷地外の山々の景色などを庭の景色の一つとしてしまう方法のことをいうそうだが、隣家のこの柿の木も我が安アパートにしてみれば贅沢な借景である。
 九月も半ばだったか、ある晩に僕は近所の西友で売れ残った線香花火を買ってきて、一緒に住んでいる彼女と二人してアパートのベランダで楽しんでいた。吹く風はすでに少し冷たく、手元で揺れる線香花火はずいぶん寂しく頼りなげたった。
 買っただけの花火がもう尽きようという頃に、ふと、目に飛び込んできたのが例の柿の実である。
 朝見る柿の実は、あざやかな朱の色をよく晴れた空に点じて、ただしみじみと秋の喜びを心に灯してくれるばかりである。だが夜見る柿の実は、暗闇にうっすらと光を放つ朱い珠玉のように妖しく美しいのだ。
「この柿の実を、とって食ったら、美味いだろうね」
 夜の暗闇が、柿の実の美しさが人の心を泥棒にしたものだろうか。
「そんなことばかり言って」
 彼女が、勧めるでもたしなめるでもないように答えて、その日はそれきりになった。
 だが、暗がりに浮かぶ朱い柿の実の影像は、妙な粘り気を帯びたように心の中に消えずに残った。そして、少しの水流で湖底の澱が巻き上がるように、事あるごとに脳裡に再生されるのである。
 そうしてもう十一月に入っていた。
 ある寒い夜、僕はちょっと早いが炬燵を出してきて、焼酎のお湯割りをひとりで飲んでいた。その時期彼女は帰省していて家に居なかった。
 本を読むには酔いが回りすぎており、つまみもろくに用意していなかったので妙に手持ち無沙汰になった。
(あの柿の実を、とって食ったら、美味いだろうな)
 いつの間にか僕は心の裡でそういう風に独りごちながら酒をちびちび啜っていた。
 常識的には、他人の家の柿の木から実をもぎとるのは盗みに当たりそうである。しかし、木の枝はほしいままに伸びて敷地の境界を冒している。そういう意味では、自分で自分の敷地の柿の実をただとって食うのにすぎないのではないか。
 あるいは蘇東坡という中国の昔の詩人はこういうことを言っている。すべて自然の産物は造物主のはたらきによって産み出されたのだから、ある意味で人はこれらを何一つ我が物にできないともいえるし、また翻って、なんでもかんでも所有しているともいえるのだと。これを「造物者の無尽蔵」というそうである。
(なるほど、造物者の無尽蔵か。すると、山も川も、可憐な花も、燃えるような夕日も、そしてあの小さな朱い柿の実も、すべてこれ誰のものでもなく、また同時に俺のものでもあるというわけだなァ。さすがに、蘇東坡はえらい)
 酔っていい気になって屁理屈をこね、僕は揚々とベランダへ躍り出た。夜気はいよいよ冷たく、幾顆もの柿の朱の輝きはいっそう冴え返って夜の暗幕に点々と火を灯している。
 ──ところが、すぐに気がつくのだが、どの実をとろうとしても、意外にあと少しというところで手が届かないのである。指先でほんの少し触れることはできるが、もぎ取るにはあと数十センチ遠い。
 思わずむきになって欄干に身を乗り出し、しばらく頑張ってみるものの、足元が少しふらついていることもあって危ない。段々、ほんの少しの間違いで落っこちるのではないか、ということが怖くなってきて、そうなるともう、ダメなのだ。
 惜しいかな! 怖さで酔いも冷め果てた。すっかり白けて風呂にも入らず寝た。
 翌朝、布団を干そうとしてベランダへ出ると嫌でも柿の木が目に入る。
 簡単にとれそうに見えたんだがなあ、と恨めしいような思いで眺める。そうして驚いた。
 ──夜の暗闇のせいで気づけなかったのだろうか、どの柿の実もすでによく熟れてわずかに崩れてきており、しかもほとんどの実の天辺に、鋭く抉られたような穴が空いているのである。先にもう食われているのである。
 梢でうるさく鳴き交わす種々の鳥のほうが、造物者の無尽蔵を享けるに一枚上手だったということだ。
〈鳥どもに先越されたり柿泥棒〉
 その晩赴いた酒席で、僕は大学時代の後輩にすぐに事の顛末を話した。しかも、自作の俳句まで披露して得意でいると、
「平成も終わろうという年に、あんたは何やってんですか」
 と呆れられた。それもそうだと思った。
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