kihopa07
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あてもないワーク≒ANSWER
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Doing filming, consultation, and teaching. Writing about my daily life ,philosophy, and dialogue with myself.     映画監督やったり、苦手克服しない方法での経営の相談に乗ったり、非営利セクターのお手伝いしたり、まあ色々やってます。  書くテーマも多様ですので、あしからず。
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kihopa07 · 24 days ago
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月末振り返り(2025年5月)
2025年、5月終わり。まもなく、梅雨入りか。 この振り返りを書いている時点の関東地方、気温は20度を下回り、大雨が続いている。 作物のことを考えると雨は必要不可欠だとわかりつつも、 こういった天候に必ずやってくる頭痛とも付き合う必要があり、 毎年、毎月、毎日、毎秒、困っている自分がいる。
前回4月の振り返りで告知(?)していた除湿機、無事に購入。 ただいまだにわからないのは、除湿機の構造。 てっきり部屋の湿度を吸い取って、それが水として溜まっていると思って居たけれども、 「除湿機 構造」で検索すると、どうもそういう原理ではないようだ。 吸い取られた水を見て「買ってよかった」と思う自分と裏腹に、 「果たしてこれは本当に除湿しているのだろうか」と思う自分もいる。
4月に引き続き、5月も世界は大きく動いた。 連日入ってくるニュースに全くが気が休まらない。
いろんなニュースがあったけれども、すごく懸念しているのがガザ地区の食糧危機の問題。 本来ガザ地区に入ってくる予定だった支援物資が、全く入ってきていない。 海外メディアはイスラエルが支援物資を運ぶための入り口を封鎖していると報道、 それに対してもちろんイスラエルはその事実を否定、対立するハマスが強奪などをしていると主張。 紛争においていつもわりを食うのは、こどもや女性。 かなり辛い映像だけれども、BBCが報道した私たちが直視しないといけない映像。 *映像には、衝撃的な映像が含まれます。ご自身のご判断でご覧ください。
正直、自分が見たい世界を見続けたいと思う。 でも、世界には見たくない世界が広がっている。 それにだんまりを決め込むこともできる、でもそうはなりたくない。 「無関心」とかそういう話ではない。 スクリーンに映る、痩せ細った乳児は私たちが生み出しているのだから。
引き続き、インプットの時間
5月の連休明けから中旬まで、大型のプロジェクトに関わる予定があった。 ただ直前になってキャンセルの連絡があり、大型連休はひたすらインプットのための時間を割いた。
インプットといっても、「決まったプロジェクト完遂」のためにひたすらアイデアを練るとかではなく、 日々、映画や書籍や展示会からの情報を取り込み、頭の中にあるアイデアに紐付け、メモをする作業。 すごく地味な作業だけれども、今年の秋以降におおきく作用してくるだとう思っている。
実をいうと、こういったインプットを「意識して」継続するのは、苦手だ。 同時にわかったのは、私は動いていることで「仕事をしている」と思う傾向が強いようだ。 逆をいうならば、動いていないと「仕事をしていない」と自分に烙印を押している。 そういった意味では、この期間のインプットを「意識して」することは、 新たな自分を作り出す、更新するための時間だと思うと、非常にrichだと思う(ようにしたい)。
火の鳥展へ
兄の影響で、幼少期から大好きな漫画家の1人手塚治虫の「火の鳥展」へ。 この展示少し変わっていて、生物学者の福岡伸一さんが「火の鳥」を再定義するというもの。
展示自体の詳細は書かないが、 福岡伸一さんの解説が非常に面白く、実家にある火の鳥全巻を再読しようと思った次第。
皮肉というか、非常に趣深いと思ったのが、 「火の鳥」ではひたすらに人間として生まれたが故の「業」のようなものを表現しているが、 その「業」が詰まった六本木ヒルズで展示がされていたのが皮肉であり、 非常にアンビバレントだなと思った。
かなり前からAIやロボットの出現を予測し、 それを的確に言い当てていた手塚治虫の先見性の高さ、 何より私が生まれながらにしてもったを「業」を自己反省せず、 経済成長を至上命題として進んでいること。 悲しいという感情を通り越して、面白いとまで感じてしまう。
この展示に、国賓として某米国大統領を招聘したら面白いのに。
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(日中に訪問したが、夜に訪れるとまた違った風景が見れたかも)
1年ぶりの登山を、2度ほど。
前述のように、大型連休中後の大型プロジェクトがキャンセルされた。 大型プロジェクト前などはなんだかんだ準備やら連絡やらで時間がカツカツになる。 だけど、時間がぽっこりできたということで、パートナーと登山へ。
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(パートナーが撮ってくれた写真。新緑に囲まれていた)
パートナーと登山に行くのは実に2年ぶり。個人的には、1年前の八ヶ岳縦走以来。 標高は高いほうが景色の良さと登山の報われた感は大きいのだけれども、 そんなことよりも「歩く」ことをひたらすに考えることができるのが登山だと思っている。 道中でみる、以前から知っていたつもりの景色を再定義し、 登りはじめに毎度感じる「なんで登ろうとしているんだろう」という答えのない問い、 頂上に着いた後のなんでもできるという達成感、 やがてやってくる下山中の面倒だなと思ってしまう感情など。
こうして書いてみて思うのは、登山をしていて、 やってくる感情というのは、驚くほどに同じだ。 だから、気を抜いていると道迷いをしたり(過去に経験あり)、 急に出てきた獣にいつも以上にびっくりしてしまったり。 すべての感情が「はだか」なんだろうと思う。
パートナーとの登山で登山熱が再熱したわけではないが、 その翌週には、昨年から仲良くしていただいている方と、山中湖の石割山へ。
開始早々、400段の急すぎる階段を登りながら、 「お前は登山とほんまに向き合っているんか」という 石割神社からの声のようなものを受け止め(たような気がするだけ)、 天候は悪いなかでもハイペースで登山を終え、無事に帰宅した。
健康のためとかではなくて、やはり登山はやめれない。 普段着飾っているものをすべて剥いでくる唯一の場所じゃないかと思っている。
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(あいにくの天気だったけれども、山頂では一瞬晴れ間も)
5月に出会った素晴らしい作品
5月はあまり映画を観る時間を確保できなかった。 その代わりにすごく時間を割いたのが、中国サスペンス小説。
以前のエントリーで、日本のノンフィクション文学はレベルが高いと書いた。 では中国はどうかと言われると、圧倒的にサスペンスのレベルが高いと思う。 もちろん日本でも、湊かなえさんや東野圭吾さんを代表するような、 非常にクオリティの高いサスペンスを書く著者は多く存在する。
国が変われば社会環境も異なるというのは至極当たり前だけれども、 「共産主義」という見えやすい管理型社会である中国において、 特に警察や法律などを取り巻くルールのようなものは少し事情は異なり、 さらに人々が社会に抱く不満や疑念のようなものも異なる。
そういった環境の中だらこそ生まれたと思える作品をいくつか紹介。 『悪童たち』(紫金陳 著 稲村文吾 訳) 『死亡通知書 暗黒者』(周浩暉 著 稲村文吾 訳)
もちろん中身については書かないが、 1977年に終結宣言がなされた文化大革命時代から、 中国はどのように変わってきて、その世代を生きた親から生まれた子供たちが見ている世界、 そういったものがこれら小説に反映されている。
自身が中国語を学習しているというのもあるが、 そのあとは芋蔓式に少し古い中国映画にはまっている。 「1978年、冬。」も素晴らしい映画だった。
こういった作品たちに触れれば触れるほど、 自分のできることはまだまだあると感じ、同時に世界の広さを再認識する。
急に思い出した「どうにもできない(なかった)こと」について
どういった経緯で思い出したかはわからない。 思い出は大学時代に遡る。
私は20歳を過ぎて、APUという大分県別府市にある大学に入学した。 いわゆる、高校卒業後のストレート入学ではなかった。 その年齢まで浪人をしていたわけではなく、16歳から20歳まで労働に従事していた。 (なぜ高校学齢期に労働に従事していたかはいつかの機会で説明するかも)
入学後もおぼろげに感じていたことではあったが、 卒業して、時間が経ち、その感じていたことはほぼ確信近いものになった。 それは、「同級生の実家はどんだけ太いんだと」ということ。
私のようにアルバイトを掛け持ちしながら、奨学金をもらっている「苦学生」もいた。 ただ、そういった友人はごく少数だったと記憶している。 多くの友人は、家賃、生活費、交際費(大学生は飲み会)など、 ほぼすべてのお金を実家から送金してもらっていた。
当時、大学生だった私は友人との間にある境遇の差にすごく苦しんだ。 苦しんだというよりは、羨望の念から、大学生活を謳歌する彼らを侮蔑の目で見ていた。 で、そのネガティブな感情を消してくれたのは、 ネパールやバングラデシュから来ていた国際学生の存在だった。 (この話、よく講演でも話している話題。なぜネガティブな感情が消えたかはいつかの講演の機会で)
大学を卒業して、約15年が経とうとしている。 たまたま大学時代の友人と都内で食事をした。 順当にいけば管理職だろうなと思っていたが、友人らはもれなく立派な管理職になっていた。
(依頼されている原稿とかではないので、文章にまとまりないことご容赦ください)
大学の同輩ではないが、大人になってできた友人知人、 世の中ではハイスペと呼ばれる人たちの実家はもれなく、実家が太い人たちばかりだ。 親が大学教授、一流企業の部長職、地元の代議士などなど。挙げればきりがない。
教育社会学でよく言われる「階層の固定化」とはまさにこれ。 じゃあお前はどうしたいんだと問われると、 この固定化を流動的にするような、何かしらの作品や表現をしたいということ。
同時に、なんとか大学に進学できた学生が 心配なく卒業できるような奨学金制度も創設したい。 (そんなお金はないんだけれども)
別府での4年間は、人生にとって忘れることのできない出会いと時間の連続だった。 同時に、自分が「考えること」を必死に続けた場所でもあった。 あの時感じた感情を、ふらっとに捉え、作品に昇華していきたいな。
—— 梅雨、そして夏。
まもなく6月突入。旧暦では水無月とされている月。 水がないわけではなくて、水が必要とされている月。 すなわち、私たちを豊かにしてくれる作物が大きく成長する月。
意図的に操作されているとしか思えないお米問題、 いい加減抜け出して、誰にとっても損のないような環境で、 大切な人(たち)とテーブルや食卓を囲みたい次第。
今月もご縁をいただいた皆さま、ありがとうございました。 自分、今月はよく耐えて、生きた。来月も楽しく、笑って生きていこう。
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kihopa07 · 2 months ago
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月末振り返り(2025年4月)
2025年、4月終わり。2025年が明けて122日。 4月は、なぜか長く感じる月だった。 普段は「あっという間に過ぎ去った」という言葉を使わないようにしているが、 いざ時間が長いと(感じると)、人間はこんなにも疲労が溜まるんだと実感している。
小さな頃から「時間」とどう向き合えばいいのかを考え続けてきた。 カントの時間論をはじめとする、様々な哲学書を取り込んだりもした。 結果、自分のなかでの「時間」というものは、 掴もうとすると逃げるものであり、相手にしないとこちら側に我が物顔で居続けるものだという、 暫定的な結論に落ち着いている。
4月も世界は大きく動いた。こんなにもニュースの数が多い月が続くと、正直しんどい。 その中でも、最も僕の興味を引いた、というより、しんどい気持ちになったのがこのニュース。
2024年、日本で「孤立死」と認定された死亡者数が2万人越え。 1998年に3万人を突破してしまった自死を選んだ方の数が、 ここ数年2万人に減少したことで少し安堵していたが、また違うものがやってきたなと思う。 内閣府は、「孤立死」を「誰にもみとられることなく亡くなり、死後8日以上経過して発見されたことなどから生前、社会��に孤立していたとみられる人」と、定義する。 この日本でそんなことが起きているのかと思う自分、 起きても不自然ではないと感じる自分、二人の自分が混在する。 あまりにも辛い社会の姿だけれども、直視することをやめたくないと思う。
那須の地へ
僕自身、登山をする。友人が僕のことを、ヤマノボラーと称していたことがあったっけ。 登山の醍醐味は、登山をした人だけに与えられる特権、山頂からの眺めだ。 山の頂からの眺めも素晴らしいのだけれども、山がつながっている景色、 いわゆる「連峰」や「山脈」という景色を見て楽しめるのも登山の醍醐味だと思っている。
この山と海に囲まれている島国で、日本全国いろいろな連峰が存在する。 そのなかでも大好きなひとつが「那須連山」。 はじめてみたとき、言葉通り息を飲んだのを覚えている。
その那須の地には、過去に登山ではない機会で何度かお世話になった。 そして今回は、義理の母のお祝い旅行で那須に向かった。
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どういうことをしたかは割愛するけれども、 改めて感じたことは都内からのアクセスが非常に良いということ。 新幹線に乗ってしまえばあっという那須塩原に到着する。 そしてそこから温泉地まであっという間の旅。非常にコンパクトだなと思う。
その一方で、一日時間をかけて回りたい美術館や食べ物屋さんなどはたくさんあり、 次はパートナーと二人で時間をかけて回ってみたいなという思っている。
悩ましいのは、訪れる季節。 那須連山の雄大さは冬期だからこそ、の部分もある。一方で、それだと山道は不安定になる。 はて、どうしたものだろうか。贅沢に悩んでみたい。
石川直樹/ロバート・キャパ
今月も、自分が生き(のび)るための作業としてのインプット作業に勤しんだ。
一つ目は、写真家・石川直樹の「With the Whole Earth Below」へ。 石川さんは、2024年に8,000m峰14座を登頂した。 本展示では、はじめてエベレストに登った頃から、14座踏破までの写真の数々を展示していた。
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かなり大規模な展示で、はじめて石川さんの展示を観た東京オペラシティを思い出させた。 僕が石川さんの作品に魅了される理由は、ただの登山写真でないから、というシンプルな理由だ。 彼は決して自身のことを、「登山家」と呼ばない。 旅を続けるうちに「登山」があり、そこに残すためのツールとして「写真」があるそうだ。
そのあたりの話は、石川さんがクリス智子さんの番組で話しているので、ご興味がある方はぜひ。
もうひとつ足を運んだ展示は、ロバート・キャパ「戦争」。
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カメラを少しでも知っている人にとってキャパは憧れの存在であるが、 途上国で写真を少しかじっていた僕にとっては神様のような存在だ。 キャパの「ノルマンディー上陸作戦」の瞬間を切り取った写真はあまりにも有名だ。
キャパが「戦争」の写真を撮り始めたのがスペイン内戦が起きた1930年代。 そこから約90年後の世界は、いまだに戦争を続けている。 ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、パキスタンとインド。 人は歴史から学ばないというが、これほどに愚かなものなのかと絶望する。
私自身も曲がりなりにも国際協力の現場にいたが、その結果わかっているのは、 戦争は決してなくならないということ。理由や論理は省く。 なくならない、けれども、無くすために一人一人の個人ができることをしているのか。 キャパが亡くなる前に撮った写真を眺めながら、そんなことを考えた。
中国語との対峙
ここに何度も書いていることだが、昨年末から中国語の勉強を始めた。 5つ目となる「外国語」を学びはじめた理由は、過去の記事を参照。
僕は、いわゆる「勉強」、そしてそれを測るための「試験」は無駄と捉えている。 一方で、語学はある程度の文法と単語力がなければ会話もできない。 フランス語を学んだときにそれを思い、定期的に試験を受けることを始めた。
日本では、中国語に関連する試験は二つあるが、私はHSKと呼ばれる 世界共通の中国語試験を3月に受験した。 級は下の方だけれども、無事に9割を取得することができた。 安堵。
同時に4月始まったのが、オンラインでの中国語クラス。 これは立命館の孔子学院が開講しているもので、毎週課題に追われている。
最近になって思うのは、齢を重ねれば重ねるほど、 学びたい欲が増大していく。不思議なものだ、あんなに勉強が嫌いだったのに。 そういった意味では、日本は「勉強」を間違って教えていると思ったり。
素晴らしいノンフィクション(たち)
日本の文化芸術レベルは年々低くなっていると、 アーティストやクリエイター界隈ではよく言われているが、 それはノンフィクション(界)には適用されない話だと思っている。
今までも日本で生まれた素晴らしいノンフィクションに出会ってきたけれども、 期せずして4月はたくさんの素晴らしいノンフィクションに出会った。
透析患者の終末期医療への問題提議をする『透析を止めた日』堀川惠子、 1980年代に大きなブームを巻き起こした女子プロレスを追った『プロレス少女伝説』井田真木子 戦後日本の復活の象徴となった力道山の妻を描写した『力道山未亡人』。
すべての書籍ひとつひとを紹介したいが、そういう趣旨のブログではないので割愛。 一つ目に紹介した『透析を止めた日』堀川惠子を読んで考えたことをつらつらと。
”「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、「緩和ケア」を受けることさえでき��いのか? 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫。 その壮絶な最期を看取った著者による、息をのむ医療ノンフィクション! " (講談社HPより引用)
本作は、日本の透析医療に一石を投じる書である。 日本は透析大国であり、約35万人の患者がいるとされる。(2021年日本透析医学会調査発表による) 著者が提議する問題は極めてシンプルだ。 いわゆる「血液透析」をはじめるための道はたくさん用意されているが、 終末期においてはたったひとつの道しか用意されていない。 その課題を、自身と自身のパートナーの経験を通じて、物語を展開する。
本作で透析についての知識を深めたことは言うまでもないが、 同時にわたしたちがいかに「看取り」、言い換えるならば「死に際」を知らないかを痛感した。
考えてみると、医療従事者や介護専門職者でない限り、 わたしたちは多くの「死に際」に立ち会うことはない。 病と闘い、医学的な「死」を迎える場所はどこだろうか。 多くは病院ではないだろうか。それを「普通」として捉えている私たちは、 思考停止に陥っているのではないか。
桜の時期を過ぎて
そういえば、今年は比較的長い期間、桜を楽しめたように思う。 天気に恵まれた一方、服装選びが難しい春でもあったと思っている。
今回の振り返りでは、仕事のことをあまり書いていないが、 年初に予測した通りあまり多くの仕事は舞い込んできておらず、 それと引き換えに、たくさんのインプットをするべく日々生きている。
昨年制作したドキュメンタリー映画は、ありがたいことに毎月国内外のどこかで上映されている。 5月以降も、ロンドン、東京、名古屋、大阪、神奈川での上映が決まっている。 ご興味ある方は、私のSocial Mediaをご参照ください。
来月をすぎると、日本名物、梅雨の時期がやってくる。 梅雨といえば、湿度。湿度と戦うにはあまりにも余剰体力がないので、 今年は除湿機の購入を検討している。うまく機能すればいいな。
いよいよ5月突入。 今月もご縁をいただいた皆さまありがとうございました。 自分、よく生きた。来月もよく生きよう。
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kihopa07 · 3 months ago
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月末振り返り(2025年3月)
2025年3月、終わり。 飽きずに、月末の振り返りをルーティン化すべく、今月も実施。 やっと春が来たと思い「春うらら」な気分に浸っていたが、一気に寒の戻りに見舞われた。 仕舞おうと思っていたダウンコートを引っ張り出し、人との待ち合わせに向かった春の雨の日。
大分県の別府市に住んでいたころ、春先前にやってくる「春の雨」を知り、好きになった。 九州は暖かいという自身の幻想を蹴り飛ばしてくれるような寒さと共に、 まもなくやってくる春の兆しを、遠くの高崎山と眼前の鶴見岳から精一杯、体で感じていた。 よく言われることだけれども、自然に「優しい」や「厳しい」などなく、 自然は、ただそこに「ある」だけなのだ。
この振り返りを書きはじめる数日前に、ミャンマーを震源とする大きな地震が発生した。 すでに多くの方の命が奪われ、報道を目にする度に自身が経験した二つの大地震の記憶を逡巡させ、 報道される事実に目を背けたい気持ちに覆われながら、 それでも友人らがいるミャンマーに想いを馳せる。 一日でも早く安寧が訪れますように。
欧州諸国の軍備化について
非常に広い欧州諸国を欧州と括るのは幾分雑だが、 欧州では以前から兵役義務制度を持つくらいに、国防は日本以上に喫緊な課題だった。 このニュースにもあるように、欧州圏の多くの国が兵役義務の再導入時期を早めることや、 男性ではなく女性も兵役対象になっていくこと、そして軍事予算を増加することを発表している。
これは、米国がNATOから手を引くことによる影響だとされている。 この世界の流れをみて思うのは、今までいかに世界全体が米国に依存していたかということ。
これを現代で当事者として経験している私たちは (この場合の当事者は、決して嬉しい意味での当事者ではないけれども) コロナ禍で経験したような NEW WORLDになる変化を目の当たりにしているかもしれない。 ちなみに、大抵そういうのは、かなりの時間が経ってからわかると歴史が証明している。
淡々とやっていくこと
世界で色々なことが起きていると、どうもやるべきことを淡々とできない自分がいる。 それでも私たちは自分が理想とする世界に向けて、もしくは自分の理想とするものに向けて、 淡々と手足を動かし、もしくは頭を使ってていく必要がある。
それは決して世界に対して鈍感であれということではなく、 現実を踏まえた上でそれでも自分がやると決めたことを淡々と推し進めていくこと。
起業家の大先輩である慎泰俊さんのポッドキャストを聴きながら、 今日も気持ちを少しでも整えていきたい。
今月出会ったものたち
自分自身が生きやすくなるために取り込んだものたちをいくつか紹介。
『ハーレムの熱い日々』吉田ルイ子 昨年、天明を全うされた写真家吉田ルイ子さんの書籍。 1960年代ニューヨーク・ハーレムに住みながら、 当時の変わりゆくハーレムを写真と文章で綴ったエッセイ。 そういえば、映画『ゴースト』で主人公の恋人は、 いわゆるニューヨークのスラム街で殺害されたと記憶している。 かの有名な恋愛映画においても、人種差別的・区画差別的マインドが横たわっていたことに気づく。 そこから米国は区画整備をして綺麗で安全になったとされている。まさに今の大阪のようだ。
市原佐都子/Q「キティ」 Orangcosongで知り合った照明デザイナーさんからご紹介いただき観劇。 舞台についての感想を書き出すとキリがないので、短めに認める。 私たちが問うべきことは、そしてやはり、消えていかないいけないのは、 家父長制とそれを狡猾に無意識に利用する輩たちではないだろうか。
下記、舞台の説明を引用。
"生と性の規範を根底からくつがえす市原佐都子が放つ“宇宙規模”の最新作。 社会における不可触なタブーや性をめぐる矛盾を、大胆不敵かつ繊細に問いつづける劇作家・演出家、市原佐都子。今作では家父長制や資本主義、大量生産・消費システムのひずみから生じる不条理や滑稽、そして欲望のグローバルな均一化を、痛烈なQ(クエスチョン)に昇華して突きつける。食べるために生殖を管理される畜産、知らぬ間にハメられてしまう性的な文脈、営利至上主義がもたらす劣悪な労働環境……。幾度も繰り返される「かわいい」のセリフが、玉虫色に意味を変貌させる先に、果たしてユートピアはあり得るのか!?日本、韓国、香港の俳優陣がくりひろげる懸命かつ批評的ユーモア満載の今作は、現代を生きるすべての者たちへ、取り返しのつかない激震をもたらすだろう。"
『それでも私は生きていく』ミア・ハンセン=ラヴ フランス映画は、余白の作り方が非常にうまいといつも思う。 久しぶりにそう思えるフランス映画に出会った。 余白といえば、かの有名なプロダクションA24作品の生み出す余白も好きだけれども、 近年だと『コット、はじまりの夏』がおすすめ。 そういえば、個人的に感じているのは、近頃一気にフランス映画の流通が減ったような気がする。 たしかそんなデータもあった気がする。 フランス映画のわかりづらさと余白の広さと大きさは、想像力への期待であると私は定義するが、 多くの日本の視聴者にとっては変化の乏しい、結論の見えづらい、 退屈な作品として認識されてしまうのだろうか。
山登りについて
2024年はドキュメンタリー制作と公開に忙殺されていて、 毎年恒例の八ヶ岳ソロ登山を敢行することができなかった。
今年は比較的時間的余裕がありそうなので、縦走ソロ登山を敢行しようと思っている。 そんなとき、大好きな、写真家の石川直樹さんの展示の情報が届いた。
昨年も石川さんの写真展を拝見したのだけれども、この人のスピードはすごいと思う。 8,000メートル級の山14座登頂されたのはいうまでもないが、 写真展をほぼ毎年開催されるバイタリティーに圧倒される。
私の山登りは、石川直樹さんの登山に比べるのも大変おこがましいけれど、 いつも石川さんの持って帰ってこられる「瞬間」をみながら、自分も頑張ろうと思っている。
現在開催中の写真展はまだ訪問できていないので、訪問記はまだ来月の振り返りにて。
生まれた日
3月、無事に齢をひとつ重ねた。何に対して無事かわからないけれども。 生まれた日には、母親が教えてくれたエピソードに想いを馳せるようにしている。
私の母は、産後お腹が空きすぎて、私をバスケット(かご)に入れ、 お好み屋さんに向かい、一人で3枚くらいのお好み焼きを平らげたそうだ。 お店の店主に「あんた、なんか痩せたんちゃうか?」と言われて、 横においたバスケットを見せながら「退院してきてん」と言ったそうだ。
いつも言ってるし書いていることだけど、 生まれるということは死ぬということを確定させることだ。 死に向かって生きるというのは何とも変な日本語だけれども、 色々なことに喜怒哀楽を持てるのはここにいるからに他ない。
だから生まれた日は、生死をかけて私を世に送り出してくれた母に感謝の連絡をしている。 「オモニありがとう」と何回言えるのだろう。 (胎児に関連する書籍:『胎児のはなし』)
Second Quarter開始
1年のうち、4分の1が終わろうとしている。 まもなく4月、そう春。一番怠けてしまいそうになる時期の到来。 一方で外でのアクティビティが楽しくなってくる季節。
心も、体も、健康に、よく食べて、よく寝たい。 今月もご縁をいただいた皆さま、ありがとうございました。 自分、寒さ対策よく頑張った。生きていこ。
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kihopa07 · 4 months ago
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月末振り返り(2025年2月)
2025年2月、終わり。1月に続き、月末振り返りを実行。 どこまで続くかわからないけれども、歯磨きのようにルーティン化することが当面の目標。
[中国語学習]
思い立って、2024年12月末から中国語の勉強を始めた。 日本でも、少ないくない学習者を擁する言語、中国語。 なぜ、中国語を始めたかを改めて整理してみる。
ありがたいことに、今まで色々な国々を訪れる機会に恵まれた。 その国々で出会う人々の中で必ず会う機会があったのが、中国の方。 初めてアフリカの大地を踏んだときも、タイからエチオピアへ向かう機内でも出会った中国の方。 いまや14億の人口を誇る中国の力は、世界に出る度に感じる。
中国語を学び始めて感じるのは、学習が楽しいということ。 以前、学んである程度のレベルに到達して今は塩漬けにしているフランス語とは少し違う感覚。 やはり文化が身近にあるということは、学習のモチベーションにダイレクトに影響するのかもしれない。
今秋には、中国への渡航も予定している。 それまでに旅で困らないくらいの中国語を身につけるべく、3月には資格試験、 4月からは大学が開講しているオンラインでの中国語クラスを取ることにした。
学べば学ぶほど、大学で出会った中国から来ていた友人らを思い出す。 語学はやはり人をつなぐのだと再認識。
[写真展開催]
私自身、「見た目問題」を解決するNPO法人マイフェイス・マイスタイルに長らく関わっている。 啓発を目的とした写真展が開催され、お手伝い・プロデュースの立場としてご縁をいただいた。
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前回の写真展は2020年の1月、世界がコロナ禍に包まれる直前。 そこからずいぶんと時間が経過してしまったが、それでも4日間で300人を超える方にご来場いただいた。
写真展最終日に、旧知の大学教授といろいろと話す機会に恵まれた。 その中で出てきた話に、どこまでいっても「マジョリティ」は自身が持つ、 ある種の特権に気づくことはできないのだろうか、そんな話を当該の教授と話した。
マジョリティとマイノリティという二項対立を作ることで、 多くの問題は、かも問題の深層をつきあてているような錯覚に陥る。 だからこそ、二項対立に収斂することは極めて危険だとわかっている。 けれども、いつまでたっても特権を持つ立場というのは、持たない人によって越境されることはない。
だとすれば、綺麗事抜きにして、「運動」によってでしか、 その構図を変化させることはできないんじゃないのかなと、一周回って、今そう思う。
これは引き続き考え続けたいこと。
[映画上映について]
先月に引き続き、2月も映画上映をする機会に恵まれた、しかも海外で。 アジア圏ではなくて、飛行機だと10時間以上かかる欧州、英国にて。
10月に開催した東京での上映会に参加してくださった方がご連絡をくださり、 そこからロンドン・エディンバラの二箇所で、同時上映の機会をいただいた。
詳細は省くけれども、この上映会に私はオンラインで参加した。 質疑応答の時間に、こんな質問をもらった。
映画の中でもでてくる「多文化共生」という言葉にかわるものはあるのか、ということ。 今の所、「多文化共生」に代わる言葉を私はみつけていないし、つくることもできていない。
ただ、この言葉のように、耳障りがいいけれども、極めてsuperficialな言葉が日本には溢れている。 多様性とか、包摂とか、そういった類のもの。
言葉がないことで社会の変化を生み出せないことは理解できてるとしても、 その言葉が、誰によって、どのような意図で生み出されたのか。 それを無視して、言葉だけを使うというのは、非常に無責任ではないかと思う。
自分自身も日々の生活の中で、そういうことがないのかと改めて問うてみたい。
[ある本を読んで感じたこと]
毎月色々な本や映画に触れるようにしているんだけれども、 今月手に取った『傷の声ー絡まった糸をほどこうとした人の物語』(齋藤塔子)を読んで、 日本における生きづらさを考えずにはいられなかった。
この本の詳細については割愛するけれども、 本書と引き合いに出されるのが『卒業式までに死にません』(南条あや)がある。
若者はなぜ生きづらいのかを分析したいわけではなくて、 南条あやさんの本が出は2000年に刊行され、そして齋藤さんの本は2024年に刊行された。 24年も経過していても、このリストカットによる自死はなくならない。
私の友人の多くは、東横キッズやグリ下キッズと対峙する仕事をしているし、 日本では本当にたくさんの若者支援団体が存在する。 けれども、日本におけるteenの自死はなくならない。 なんでだろうと思う。
参考URL:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250129/k10014706581000.html
[最近考えていること]
今更感たっぷりだけれども、「生きる」とは何かということを日々考えている。 夏は開放的で前向きな気持ちになるけれども、冬はどうしてもこういった難しいことに頭が働く。
現代において、生きるというのはお金があることが大前提となる。 ここではそれを批判したいわけではなくて、そのシステムにおいて、 私たちは「生きる」ことをどう捉えたらいいのか、ということを考えたい。
そもそも、お金を稼ぐこと=人としての価値、のような構図が現代にあると思っていて、 そういう価値観は嫌だなと思って生き続けていたけれども、 近頃その思想に侵食されているなと気づくことが時折ある。
お金を稼げない=非生産的、という考え方自体が間違っているし、 そもそも生と貨幣というものは同列に並ぶものでないとわかっているにも関わらず。
自身にとっての警告のためにもここにそれを記すことにした。
参考図書:『能力で人を分けなくなる日 いのちと価値のあいだ』最首悟
[ドキュメンタリー制作について]
映画をやはり創り続けたい、という気持ちが日々高まっている。 高まっているという表現は正しくないかもしれないし、現在上映中の映画を編集していたときも、 「なんでこんな職業を選んだのだろう」と思うことが多々あったにも関わらず、 また「創りたい欲求」に襲われている。
どこかで何回か書いたけれども、 2019年から撮影をはじめて2022年に撮影を終えた、ある映像がある。 テーマを隠す必要もないのでここで書いてしまうと、 男性の「包茎」をテーマとしたドキュメンタリーだ。
色々なところでこの話をすると、多くの人からクスッと笑われてしまう。 それは非常に腹立たしいのだけれども、その反応がこの映画をつくるきっかけとなっている。
前作では女性のドキュメンタリーを手がけ、 作品では女性の身体的事柄が、いかに男性の都合によって歪曲されているかを描写した(つもり)。
そして、今回は男性の身体的事柄。 男性の身体的事柄になるやいなや、笑いの対象になってしまう。これはやはり違和感しかない。 ということで、2025年中に本作の編集を終えたいと思っているところ。
一緒に作品をみて、アドバイスや意見をくださる方を募集。
[まもなく春]
このエントリーを書いている時点では、春がだいぶ見えてきたような陽気が続いている。 (週明けからまた寒波がやってくるらしいけど)
春がやってくるとどうしても怠惰になってしまう節があるけれども、 一年のうちの4分の1がまもなく終わろうとしている。
改めて、自分の帯をしめて日々の生活を送りたい。
今月、ご縁のあった皆様、ありがとうございました。 自分、よく頑張った。生き続けていこう。
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kihopa07 · 5 months ago
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月末振り返り(2025年1月)
2025年スタート。今年の干支は、巳。 家族に巳年生まれのメンバーが多い私にとっては、非常に縁の深い年になりそう。
そういえば、日本では蛇といえば、例えば白蛇のように、幸運をイメージすると思う。 しかし、国が変わればイメージが同じとは限らない。 恥ずかしながら知らなかったけれども、中国では巳年になるべく子どもを設けないそうだ。(参照記事) その影響で、巳年生まれの子どもの各種学校への競争率は低いそうだ。
唐突だけれども、この月末振り返りをスタートしてみたい。
特にビジネス的な効果を期待しているわけではなくて、 自身が「アーカイブ」にハマっているが故。
格段決まったフォーマットなどは今のところないけれども、 書いていくうちの決まっていくかもしれない。
[映画上映についてのあれこれ]
昨年制作を終えた、移民の子どもの母語に関するドキュメンタリー映画について。 この映画、大変ありがたいことに、 制作完了直後の発表的意味合いを込めた四都市(大阪、東京、名古屋、福岡)での上映会後も、 ありがたいことに上映が続いている。
1月は、2か所で上映の機会をいただいた。 ひとつは、阪神大震災30周年関連シンポジウム@関西外大。 もうひとつは、公益財団法人さんのボランティア研修会にて。
2月は英国(オンラインで参加)、4月は東京郊外(対面)での上映が決まっている。
映画上映をする機会が増えるということは、人前で話す機会が増えるということを意味する。 本来、講演などで人前に立つ機会は少なくはなかったけれども、 そういった講演で話すのと、映画上映で話すのは少し毛色が違うように感じる。
いつからかわからないけれども、シャキシャキ話すをやめるようになった。 といっても、それでもまだまだシャキシャキ話している方になるんだろうけれども、 それでも一時期の起業家時代を知っている方からすると、大きな変化だと思う。
これは意識的にやっていることではあるけれども、思わぬ弊害(?)もあった。 英語のスピーキングの速度も落ちてしまったのである。 色々と理由を考えてみたけれども、要因としてあるのは言葉を選ぶからということ。
人前で話すことというのは、毎日のトレーニングに似ている。
[演劇クエストについてのあれこれ]
ひょんな出会いから、アート・コレクティブのorangcosongのアソシエイト・メンバーに加入した。 orancosongの説明はこちら。
アソシエイト・メンバーとしてjoinしたことは旧年中に発表されていたけれども、 特段自分から発表するものでもないと思い、特に発表せずにいた。
1月中旬、orangcosongが普段からされている「演劇クエスト」に参加した。 この日は、アソシエイト・メンバーの新年会もかねて、終了後に全員で飲み屋に集合。 メンバーの中には国内外の遠方に在住されている方もいるので、これるメンバーのみ。
この「演劇クエスト」が非常に面白かった。 「演劇クエスト」について簡単に説明すると、 事前に冒険の書を渡されて、それを読み進めながら宝を探す。 私は、お昼過ぎの13時に東京都現代美術館からスタートした。 気づくと、ほぼ休みなく日が暮れるまで、自分の世界に没入しており、 気付けば30,000歩も歩いていた。
没入とはこういうことだ、長く忘れていたような記憶・感触だった。 一人旅に似ているかもしれないと思ったけれども、異国の地の一人旅だとこういうわけにはいかない。 土台に言語によるコミュニティケーションが可能であるというある種の安心、 それに加えてある程度知っている土地であるということ。 それが今回の没入感の理由だった気がする。
本来的にはこの「演劇クエスト」は、異国の地や知らない土地で開催されており、 ローマなどでも展開されているのだけれども、没入感も異なってくるのだろう。
改めて思うのは、何かに没入するというのは、細かい条件が整い、 初めてなせるのかもしれないということ。
[待つことについてのあれこれ]
関西人だからなのか、個人の資質のせいか、それはわからないけれども、 昔から「待つこと」ができない。かなりの「せっかち」なのだ。
年明けに仕事関係の方と食事をしていて、私は「せっかち」みたいな話になって、 なんなら階段を使わせてしまってすみませんと言われてしまい、 あぁ、せっかちであることってあまり得じゃないかもしれないなと思っている。
いや、以前からせっかちであることで得をしたと思えるようなことはあまりなかった。 じゃあ、なんで「待つこと」をしないんだろうと思う。
「待つこと」というのは、ある種の忍耐が必要だ。 その忍耐というのは、自分へのこれまたある種の自信のようなものからくることだと思っている。
不思議なのは、日本国外に行くと、それぞれの国に流れている時間やペースに抗いたいと思わない。 では、なぜ日本ではそうなるんだろうかと今まで何度も考えてきた。
おそらく、日本だと自分のやりたいように物事がcontrollableだと思っているからだ。 山登りも、サーフィンも全く自分の思うようにいかないのに、なぜコントールするんだろうか。
期せずして、この問いにぶちあたっている。
[2025年についてのあれこれ]
昨年、前述のドキュメンタリー映画が完成したので(英語字幕はまだ作業中) 今年は新たな制作などは一旦お休みしようと思っている。
一方でいまだ発表できていない作品もあり、 その映像の編集や構成を考える一年にできればいいなと思っている。
制作や創作において、インプットとアウトプットのバランスは重要だ。 昨年は溜め込んだものを一気に放出したような気がしているので、 今年は入れ込む作業に少し専念したいなと思っている。
毎年50冊くらいの本を読むようにしているし、年間40本は映画を観るようにしているが、 2025年は倍くらいの量を体内に取り込めればいいなと思っている。
興味深い舞台、演劇、展示などがあれば是非お誘いください。
[おわり]
突然始めたこの月末振り返り。 無理は禁物ということで、自分のペースでぼちぼちやっていきます。
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kihopa07 · 5 months ago
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さようなら2024年、こんにちは2025年。
年末になると、急いでその年を振り返るための文章を認めるのが恒例になっていた。 今までは、時間がなくともカタチにすることを至上命題���し、 書き終わった後に、もっとこんなことを書けたんじゃないかと思うことも少なくなかった。
この文章を書いている今時点、世の中はすでに2024年を終え、2025年を迎えている。
これまでの人生を振り返ってみると、どちらかといえば、ひとつのことに時間をかけるより、 とりえずは飛び込んでみる、やってみる、形にしてみることに重きを置いてきた。
齢を重ねてその性質が変わったかと問われると、根本的な部分は変わっていないと思う。 けれども、以前と比べると、やってみる<深める にシフトしつつある自分がいることは確かだ。
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2024年も、実にたくさんのことが私たちの日本、世界各地で起きた。
個人的な記憶として鮮明に残っているのは、米国大統領選挙。 数年前だとありえないとされたトランプ前大統領が、圧倒的な勝利を収めた。
日本のマスコミの「民主主義の敗北」というような報道を多く目にしたが、 どうもうまくその報道姿勢を飲み込むことができなかった。
私個人として、トランプ前大統領を全く支持はしておらず、彼が過去に行ってきたことは許容できない。 一方で、米国という国を大きな塊としてみた際に、彼を選ぶ他に選択肢がなかったのだと思う。
「民主主義の敗北」といった、耳障りの良い言葉で情勢分析をする日本のマスコミは、 今風の言葉でいうところの「オワコン」なのかもしれないと、夜の報道を観ながら思った。
別にマスコミ批判をしたいわけではない。 今まで良いとされてきたものがついに駆逐される時代がやってきたのだ。
同時に、やはり歴史は繰り返す。 欧州でみられる右派政権の台頭をみてみると、時代はまた同じ轍を踏むのだろう。
大きく悲観する気持ちはあると同時に、思考停止に陥りたくないと思う自分がいる。
――――――――――――――――――――――――
そんな2024年は僕にとって、「創る」年だった。
2024年9月、日本における移民の子どもの母語保障についてのドキュメンタリーを制作した。
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(映画「In Between- in Search of Native Language Spaces / はざま-母語のための場をさがして-」」
「制作した」と書くと、短い期間でつくりあげたような印象を与えてしまうけれども、 プロジェクト自体は2023年の8月からスタートしており、
約1年の撮影と編集を終え、無事に完成した。
映画のTrailerはこちら。
大変ありがたいことに、すでに多くの大学や組織で上映をしていただいている。 (上映に興味を持ってくださる方はこちらからご連絡をください)
映画の細かい内容は割愛するとして、 一言でいうと、今回の映画制作はひたすらに自分との闘いだった。
映画を作るたび、どうしてこんなことに興味を持ってしまったんだうと思う。 ドキュメンタリー制作というのは、ある種の命を削る作業だと僕は思っているが、 それでもその削られた命はどこかで新たな芽を産んでいると信じてやまない。
こういう考え方をしているせいか、会う人会う人に「修行僧みたいですね」と言われることが多くある。 断じて言いたいのは、本来的に僕は「なまけもの」的性質が強い人であるということ。 ただ、成し得たいもののためには、あまりにも能力が不足している、 不足しているならば、できるひとたちより、より多くの時間やコストの投資が必要だ。
理由は、すごくシンプルなのだ。
そういえば、朝のルーティン(ランニング、筋トレ、ヨガ)を始めて、2025年で10年目になる。
体調不良にならない限り、どこにいようが、ほぼ毎日そのルーティンを繰り返してきた。 そういうことをいうと、これまた、「ストイック」ですよね、と言われることがある。 断じて言いたいのは、そうしなければいけない「理由」がそこにあるだけ、ということ。 (この場合は、偏頭痛や気持ちの浮き沈みを軽減することが何より重要だと10年前に考えたので)
話を映画制作に戻す。
ゴールデンウィークから映像編集作業を開始した。 こういった映画という構想はあれども、どこにもシナリオはない。 シナリオのなかで物語を動かすきっかけとなるのは、僕のペンだ。
見えない敵のような「なにか」を必死に掴もうと、 ほぼ毎日シェアオフィスの同じ席に、朝から夜まで座り、思考をこらし、編集作業もした。
編集を終えてみて思うのは、10年前の僕だったら絶対に放棄しているということ。
いや、放棄は大袈裟かもしれないけれども、多かれ少なかれ、妥協をしていた確率は非常に高い。 朝のルーティンを10年継続したことがよかったのかどうかわからないけれども、 ジリジリと積み上げることの深みというか滋味のようなものをここ数年で知ったとも言える。
(ちなみに次回作の編集を考えると、これまた面倒だなという感情があるのは確か)
あと2,3年もすると、齢40に到達する。 多動気味で、いつも怪我をして病院に運ばれてばかりいた少年が、 ここまで変わるなんて、人生わからないものだ。
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ところで、身体は順調に老化の一途を辿っていると感じている。
4月頃に感染症に罹患し、8月に原因不明の病気(?)に悩まされた。 後者の方は、検査をすれど感染症のサインはなく、それでも高熱が続き、1週間ずっと床にいた。 何より、いつもなら体調不良でもたくさんのご飯を口にできる僕だけれども、 今回はほぼ何も口にすることができず、それを隣で見ていた妻が非常に心配していた。
夏だけれども、冷房を入れずに、夏の風に揺られるカーテンを眺めながら、 いつになったら体調回復するんだろう、健康第一とはよく言ったもんだなんてことを思っていた。
身体とは、とことんわからないものだと思う。
2024年は、近しい人の身体に関する悪い報告がたくさんあった。 いわゆる、「がん」と呼ばれる病におかされてしまったという報告。 なんで、「がん」は私たちの体にやってくるんだろう、何がしたいんだろう、 そもそも現代の医学で治癒できないなんてことがありえるのだろうか。 全知全能の神のように、なんでもわかりえてしまう現代社会においても、 私と大切な人の間を分断してしまうものが、存在するということがにわかに信じられなかった。
そして、今でもうまく自分のなかで咀嚼することができていない。 人は生まれた瞬間に死を迎えることを運命づけられる。 そんなことはわかっている、けれどもやはり、わからない。
こうしている間にも、私は死へ向かっている。
私は特定の宗教を信仰していないが、それでも何らかの神にすがりたいと思うのは、 極めて自然なことなんだろうと、自身の経験をもって、改めて理解したような気がした。
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あることがきっかけで、六本木で開催されていたLouise Bourgeoisの展示に赴いた。 展示途中に、「芸術は正気を保証する( Art is a guaranty of sanity)」という言葉に目が留まった。
私にとって、すべての行動は正気を担保するためのものだ。 とりわけ、創作活動は「表現せずにはいられない」気持ちによるものだ。
こういうことを書くと、格好をつけるなと言われるかもしれないが、本当にそうなのだ。 私から創作やそれ以外のアウトプットを奪ってしまうと、私はこの世に存在したいと思えない。
ただ、生物学的に考えると、生まれたことに理由はないことは明瞭なわけだし、 生き続けることにも必然性のようなものはないはずだ。 そこに物語を付与し続けるのは、人間の極めて傲慢なエゴによるものなんだろう。
私にとって、創作活動と同じく正気を担保するためのものとして、「旅」がある。
「旅」というと、「余暇」のようなバケーション的行為を連想されるかもしれないが、 私にとっての「旅」とは日常の延長性上にある、けれども「ホーム」ではないところを回ることだ。
そういった意味では、毎年、国内線・国際線含め年30回以上飛行機に搭乗し、 月の半分はほぼ自宅にいない状態をすでに10年以上続けて���る。
そういった意味では、「旅する人生」と言っても過言ではないと思っている。
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その「旅」と「創作」を合わせたのが、「シルクロード・プロジェクト」だ。
きっかけは、コロナ禍前のウズベキスタン渡航。 ウズベキスタンでは良い記憶しかなく、それがよかったのかウズベクに関わる創作をしたいと思った。
帰国後、早速次なる目的地であるイランへのフライトを予約し、渡航。それが2020年2月末だった。 渡航直後に世界的にコロナが流行し、イランのテヘランに軟禁状態で滞在し、 運休が続くフライトの中から、 なぞのイランの航空会社のフライトに搭乗し、マレーシア経由でなんとか帰国。
そこから、コロナ禍で長らく海外に赴くことは叶わず、コロナが明けたと思えた昨年、 私はインドに向かった。
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(Hawa Mahal@Jaipur)
不勉強すぎて知らなかったけれども、行ってからわかったのは、 インドはウズベキスタンと深く関わりがあるということ。 例えば、ウズベキスタンで食べたプロフ(ラム肉を使ったピラフ)は、イランではポロと呼ばれていた。 遠い記憶にあった言葉、「シルクロード」。そう、すべてはシルクロードで繋がっていた。
そこから私は毎年訪れる国を、シルクロード縛り(?)でまわるようにしている。
前置きが長くなったけれども、今年選んだのはベトナムという国。 ベトナムとは、個人的な深い関わりもあり、 なんなら大学時代はたくさんのベトナムから来た友人に囲まれていた。
ベトナムがシルクロード?と思われるかもしれないが、 ベトナムの海岸沿いは交易の地として栄えていた。
事実、訪れたホイアンという街には、日本の長崎から贈呈された御朱印船のレプリカまで置かれていた。
そんなベトナムを、約10日間で南北横断する旅を敢行した。 順路は、ホーチミン→ホイアン→ハノイ。
今でも思い出す、成田発の飛行機が到着したホーチミンの空港に降り立ったときの蒸し暑い空気、 ベトナム名物と言われるバイクの隊列、日本でもよく食べるフォーをひたすら食べたこと、 プロパガンダアートが描かれた店内で飲んだベトナムコーヒー、 確かにここでは戦争があったんだとわかる跡地と博物館、 最終日に訪れたスペクタクルな建物、ホーチミン博物館。
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(photo taken by my partner, Cong Ca Phe@Hoi An)
すごく平易な言葉かもしれないけれども、確かに世界は繋がっているのだと実感した。
インドを訪れた際は、初日と最終日しか食(主にカレー)に舌鼓を打つことができなかったが、 ベトナムでは毎日おいしさに溢れた日々を過ごせたのは、奇跡的だったと思っている。 (それくらいにインドが過酷だったわけだけれども)
インドがそうであったように、一度の滞在でベトナムを満喫できたとは言い難い。 次に訪れる際は、海岸沿いではなく、内陸地を時間をかけてまわりたいと思っている。
2025年、シルクロードプロジェクト。いよいよ、目的地を「中国」に据えてみようと思う。
これも何かのきっかけだと思い、2024年の年の瀬から、 HSK3級を目標として、中国語の勉強をスタートした。
さて、中国への旅、どうなるのだろうか。
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今でも実感がないと言えばそうなんだけれども、僕には法的に認められたパートナーがいる。 しかも、僕の場合は二つの国で夫婦として認められている。 書類は2箇所出す必要があり非常に面倒ではあったけれども、 二つの国で認められるなんて、なんか得した気分。
前述のシルクロードプロジェクト、昨年のインドも、 そして今年のベトナムもパートナーと一緒に移動し、旅をした。
旅をするということは、文字通りずっと一緒にいることになる。 それは、裸を見せ合う以上に恥ずかしいし、ストレスがたまることでもある。
何なら本来的に一人で行動するのが好きな僕にとって、 すなわち人に合わせることのできない僕にとって、 だれかと「ホーム」でない場所に滞在するというのは、決して楽とは言えない。
それが理由からかどうかはわからないが、ベトナムではたくさん喧嘩した。
インドは過酷さによって喧嘩をするほどの気力がなかっただけなのかもしれないが、 より安全で、より清潔であるベトナムにおいては、とりあえず喧嘩が多発した。 だからといって、パートナーを置いて、「ほな、日本集合で」というわけにはならないし、できない。 (そんなことをしかねないのが僕だから、非常に性格に問題ありだと自分で思う)
インドでの一番の思い出は、二人でトイレを取り合ったこと。 リアルすぎる体験談はさておき、バラナシのガンジス沿いで毎晩行われるプージャをみたこと。 事故にあったでもないのに、すべての音と動きがスローのように思えた。
では、ベトナムはどうだったか、これを書きながら改めて考えている。 ベトナムでは、たくさんの博物館や記念館を訪れた。 ベトナムという国の文化保存への意識の高さを感じた。
けれども、そういった博物館や歴史的建造物を一緒に訪れたことはあまり記憶に残っていない。
記憶としてもっとも深く刻まれているのは、中部の都市のホイアン市街を自転車で移動したこと。
ベトナムはありえない数のバイクがあまりにも有名だが、それらの隊列と共に、 ホイアン市街を颯爽と、自転車を漕いだ。
まだまだ暑さの残るホイアン市街を 二人で大した目的もなく街を知ろうと自転車で回ったこと、何より記憶に残っている。
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(near Old Quarter, Hanoi)
不思議なのは、インドのときもそうであったように、 長期の旅から帰国すると、二人の関係性が良くなる、というより深くなることに気づく。 これは、パートナーも同意している。 環境や言語の違う場所で、時間を共有することは、何かを生み出すのかな。 2025年は、パートナーと共に、いざ中国へ。
――――――――――――――――――――――――
この文章、かなり時間をかけて、ゆっくり書いている。 だから、今までの振り返りブログと比にならないくらい長文になっている。 なので、ぼちぼち終わりにしたいと思う。
2024年、ご縁をいただいた方、出会ってくださった方、 時間を共にしてくださった方、ありがとうございました。 2025年、これから時間を共にするであろう皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
笑って、楽しく、それでも真面目に、やりたいことをやっていくぞ。
良い一年でありますように。
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おまけ:Hoan Kiem Lakeでは妙齢女性の健康ダンスが盛んだった。
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kihopa07 · 1 year ago
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2023年振り返り、2024年に向けて。
お仕事だろうが、個人的な日記だろうが、書き出しというのは難しいものだ。 さらにひいて考えてみると、何かをスタートするときは常に困難がつきまとう。
僕は昼寝を習慣的にする人なんだけれども、 朝の起床よりも、昼寝から目を覚ますときのほうが辛いと感じてしまう。 そんなときにいつもイメージするのは、新生児がはじめて呼吸する瞬間だ。
新生児は母のお腹の中で約10ヶ月を過ごす。 いざ外にでるというとき、はじめて光を認知する。 さらに、はじめての空気を体内に取り込み、 空気を認知した合図とともに泣き声をあげると言われている。
昼寝から目覚めるときの僕の感覚は、これに近い。 なぜそう思うのか、理由はもちろんわからない。 だけど、生きるというのは本当に大変なことなんだろうというのは、今になってわかる。 生きていると、この呼吸の歓びを忘れてやしないかと考えるようにしている。
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ようやく「コロナ禍」を抜け出し、「ノーマル」な世界に戻った。 世界は「ニューノーマル」に向かうだろうと思っていたけれども、決してそうではなかった。
歴史は繰り返すという言葉があるが、認めざるをえないようなことばかりだった。 ウクライナでの戦争は終わる様子もなく、 長らく世界が無視し続けていたパレスチナ問題が武力衝突という形で表出した。 悔しい気持ちが毎日続いている。あまりにも悔しい。
私たちはどれだけのネガティブで受け入れがたい事実を知らずに生きているんだろうか。 生まれた場所によって人の権利が左右されてはいけないとよく言われるけれども、 それを真っ向から否定するような世界が今も広がっている。
例えば、コンゴ民主共和国で蹂躙されつづける人々の存在を知っているか。 ミャンマーで、今もなお民主化運動のために戦い続けている人の存在はどうだろうか。 中国の山間部で、「文明」と程遠い生活を送り続ける人々は存在するのだろうか。 そんなことを考えると、茫漠な問題に対して、僕は何もできないと鬱々とした気分に包まれる。
なぜ、こんなにも気分が下がりつづけるのだろうか。 よく考えてみると、長らく「世界」に出ていなかった。 そうだ、世界の地に足をつけることで、 ある種の「希望」をみつけることができるかもしれない。 そう思って、僕は海外の航空券を手配した。
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向かったのは、インド。 旅人の最終目的地とも言われる、インド。
インドに向かった理由はいくつかあった。 私にとって大切な人が過去に生活を長くしていた、平和を願ったガンディーがいたということ、 そしてなによりも「こちら側」で、エスノセントリックに物事を判断している自分を捉え直すため。
インドはなんせ広い。 旅程の関係でインドを全土回るということはできなかったが、 主要都市と呼ばれる、デリー、アグラ、ジャイプール、バラナシを訪問した。
今でも忘れることのないもの、それはインドの街中に溢れる音の存在。 とりあえず、インドはうるさい。うるさいという表現は正しくないかもしれない。 朝夜関係なく、街が元気だ。街だけではない、人々が元気だった。
(デリー市内にて)
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もちろん元気じゃない人たちもいる。 アウトカーストにも出会ったし、女性が男性と異なる扱いを受けている姿も目にした。 過去にアフリカに滞在したときのように、目を背けたくなる事実がそこら中にあった。
いや、日本にも目を背けたくなる事実はたくさんある。 だけど、見えづらいだけじゃないか。何も大きな違いはない。 (そもそも貧困や置かれる立場の種類や属性の違いがあるのは大前提として)
唯一大きな違いがあるとすれば、やはり人も街も元気だということ。 これは揺るぎないインドなんだろうと思った。
旅の終わりに、聖なる河が流れるガンジス河に向かった。 ヒンドゥー教徒にとって、ここで死ねることが何より大切なこととされている。
正直大きな感動はなかった。 だけど、インドの中でもどんな価値も基本的にOKとされているようなそんな土地だった。 明確な階級社会があるインドにおいて、この土地は「混合」が許容されている、 そんな気がした。あくまでも僕にとってだけれども。
(ガンジスで沐浴する人々)
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余談ではあるけれども、インドに向かった理由のもうひとつ。 それは、パートナーとの関係性を編み直すことだった。
帰国して何かが変わった、良い方向に。 インドの神様が応援してくれたからか、ガンジスに行ったからかわからない。 タージマハルに眠る王妃が、私たちに嫉妬してしないことを願うばかり。
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この1年自分���身が何をしたんだろうと、 業務的な流れで振り返りをしていて、わかったこと。
なんせ海外メディアの仕事がすごく多かった。 まさに「コロナ禍」明けの影響をがっつり、良い方向で享受した。
一方で、昨年報告した「包茎」に関するドキュメンタリーの編集は未だ終わらず、 日の目をみるのは2024年になってしまうのは、大きな反省点。
仕事をする上での反省点はたくさんあるんだけれども、 愚直に、丁寧な人間性を、急がずに築くことで、実績もついてくるんだなとやっと思えるようになった。
ドラッカーの名言じゃないけれども、 理想はマーケティングをせずとも、仕事を依頼されるような人間でいること。 そのためには、まだまだ不足している部分が多いなとも反省。
新年は、包茎のドキュメンタリーも含め、2本のドキュメンタリー新作がお披露目予定です。 2作品ともお楽しみに。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 仕事が順調に進んでいる一方、「安全でない場所で挑戦したい気持ち」は年々大きくなっている。
自分自身が生を終えるとき、こうであってほしいという像が明確にある。 それは、「在日朝鮮・韓国人がいた」とわかる作品を次世代に残すこと。 何より、それは自身の家族の甥と姪に届いて欲しいと思っている。
そのために、今の置かれている自分自身の在り方では不足する。 だから、僕自身は数年以内に海外に行き、全く違う文化と価値を享受しようと思っている。 (海外にいくというのは以前から言及しているけれども)
加えて、もっと学問をしたい気持ちがある。 大学院で、映像人類学をより深めたい、それはフランスか韓国で。
そのためには、フランス語と韓国語のさらなるブラッシュアップが必要になってくる。 なので、2024年は語学も磨く一年にしたいと思っている次第。
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最後はパートナーのことを少し。 時間がたっても、みてきたものきいてきたものの違いはあまりにも大きいと日々感じる。 交差することはこれからもないんだろうとおもう、決してネガティブな意味ではなく。
一方で、二人で何かを作り上げることの楽しさにも気づいた。 二人で築けることはなにか、やはり共通の記憶だろう。 だから、二人で忘れることのできない経験、そして何気ない時間を大切に、 2024年も大切に時間を紡いでいければいいのかなと思ったり。 (パートナーと二人でみたガンジスでのpuja。忘れない記憶。)
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毎年、このエントリーを書くのは一苦労だ。 だけど、やはり書いていてよかったと振り返ったときに思える。 だから、これからも書き続けるか。
2023年、出会ってくださった方、ご縁をいただいた皆さまありがとうございました。 2024年、新たに出会ってくださる方、ご縁を引き続きいただける方、どうぞよろしくお願いいたします。
朴 基浩 Kiho Park 박기호
(ソロ登山で、8年ぶりに出会った八ヶ岳)
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kihopa07 · 2 years ago
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自分を大切にすること≒近視眼?
今年も登山シーズンがスタートした。 週末になると予定されていたように雨が降ったり、 急に大きな地震がやってきたりと、 なんだか変な気象が続いていたけれども、 運良く天気に恵まれ、箱根連山のひとつ「明神ヶ岳」に行ってきた。 登山を始めてからしばらくはソロ登山だったけれども、 近頃はパートナーと一緒に登るようになり、 登山中にいわゆる「精神統一」のような禅問答の時間がなくなった。 そうか、久しぶりにソロ登山をしてみようと思った。
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(登山した人だけが見れる景色。富士山がくっきり目の前に) 新年が明けてから、文字通り今日までをなんとか走り抜けた。 フリーという立場で、仕事をいただけるのはありがたいことこの上ないんだけれども、何かが入るということはそこに他のものは入らないことを意味する。 新年を迎える前に予定していた「やりたいこと」が できているのかと問われると、答えはNOになる。 仕事の具体的な話をここに書く気はないんだけれども、 やはり僕は、いわゆる「みえやすい」仕事で生きていくということに、 少しばかりのざらつきを感じる。 お金が嫌いなわけではないし、むしろお金はあって困らない。 だけど、「みえにくい」ことにいかに価値を付与していくのか、 いや現代が理解できなくても、何かしらの作品を残すこと。 おそらく、僕はそこに生きる情熱のようなものを感じるんだろう。
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(4月も半ばだというのに、仕事先で訪れた軽井沢の浅間山は雪化粧していた) 5月になってバタバタと色々なことが崩れていった。 雪崩が起きたというよりい、雪崩が起きる前の小さな滑落のようなもの。 30代半ばまでは、 「これでいいんだ」と自分で納得することを大切にしていたし、 それは「自己主張」であって、誰も傷つけていないと自負していた。 その自負を180度変えてしまうような出来事があったわけではない。 じわじわ、ちょろちょろとそんなことを想起させることがあった。 自分を大切にすることは間違いなく大切だと思う。 だけれども、やはり思いやりという概念は、自己愛と反対軸にあるものではないかと最近思っている。 現代においては、自分を愛することが他人を愛することだ、 みたいな思想が流布して久しい、なんなら聖書にもそういった教えがある。 (グレゴリー・ベイトソンを再度読み進めている影響なのかわからないが) そもそも、自己愛と他者愛は共存できるのかと問うてみる。 自己へのベクトルというものが、どうすれば他者へのベクトルとなるのか。 それをきちんと納得できるロジックで説明できる人がいれば、 ぜひ僕にゆっくりと教えてほしいと思っている。 あくまでも結果論だけれども、なんか自分の中での上期が今日終わった。 明日から下期がスタート。年末まで頑張ってみますか。
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(与那国島での朝。撮影を忘れて、クルーと国境と朝日を全身で感じた)
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kihopa07 · 2 years ago
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「2022年から、2023年へ。やっぱりcomfort zoneから出たい。」
今年もこの時期がやってきた。そう、振り返りの時間。 ここ数年は都内での年越しをしていたせいか、 ゆっくり振り返りの時間がなかったような気がする。 やはり環境は大切だと思う。けれども、それも言い訳なような気もする。
師走に予定外に隙間時間ができ、 そんな時、立て続けにドキュメンタリー映画を鑑賞していた。 シリアの内戦中にこどもが生まれその母親が監督として撮影した作品、 韓国の政府とメディアの癒着を徹底的に告発しようとする作品。
魂が震えた。久しぶりの感覚だった。 僕はやはりどこまでいっても「闘っていたい」んだと。 「闘い方」はいろいろとあるけれども、 ひたすら座って待っているのがやはり嫌だ。 年末の振り返りの時期に、 このinstinct(本能)を呼びさますことができて、よかった。
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前のエントリーにも書いたけれども、 「包茎」に関するドキュメンタリー映画の撮影がようやく終わった。
コロナが流行し始めた2020年から動いていたので、 リサーチも合わせると2年も時間を費やしてしまった。 前作の生理に関するドキュメンタリーに比べて 倍以上の時間がかかってしまった。 けれども、今回は一人の被写体に向き合ってみようと思った結果だった。
撮影の中で、自身の撮影のスキル不足や、 構成の甘さに嫌気がさしたけれども、 それ以上に、自分が「正義」を振りかざし、 それに合わせた物語展開をしていようとしていた。
詳しくは映画をみていただきたいけれども、 自分がたてた仮説というものを検証していくのが ある種ドキュメンタリーの大義だと思っている。 ただ、その仮説に近づけるためだけの撮影(や構成)になっている可能性も高く、自分の枠になんとかあてはめようとしてしまう「弱さ」みたいなものも感じた。
ドキュメンタリーも創作なので、そこに客観性はなく、 むしろ主観の賜物ではあると思うが、 それでも腰を据えてカメラのファインダー越しに 被写体を眺める難しさを感じた。
こちらの映画、春頃にはみなさまにお披露目できる予定です。
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(クランクアップの地、北陸にて。日本海の趣を肌に。)
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今年もパートナーと一緒に、山登りを楽しんだ。 登った山は、筑波山、大菩薩峠、赤城山、三ノ塔の4つ。 どれも大きな怪我や事故なく。
どの山も、それぞれに良さがあるのは大前提なんだけれども、 景色と天気に恵まれたといえるのは、間違いなく、「大菩薩嶺」(山梨)。
都内から、登山口まで結構な時間がかかったし、 ロッジ泊はまさかの私たちだけというレアな状況だったけれども、 それでも朝方に見えるアルプスの残った雪の景色、近くにみえる富士の姿。
山登りに出会ってから10年以上経とうとしている。 毎回、苦行でしかないと感じるけれども、やめることができない。 むしろ、やめたいと思ったことはない。
登山中のパートナーとの喧嘩も減らない。 けれども、パートナーとまた登りたいと思う。
山に対する想いを書こうと思ったけれ��も、無粋だからやめる。 来年も、春から秋にかけて山登りを楽しもう。 準備も、移動も、登るのも大変だけれども。
来年は、この3つの山を予定。 ⇨金峰山、磐梯山、白根山。
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(4月に登った大菩薩嶺。雷岩からの富士を望む。)
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生きるための仕事。いわゆる「ライスワーク」。
コロナ規制緩和も相まって、海外メディアの案件が戻り始めた。 VIPのアテンド案件があったり、北米の新聞社のアテンドがあったり。
件数自体は少なかったけれども、やる度に語学に課題を感じる。 BBCでの東京オリンピックの案件以来、毎日英語をしている。 けれども、なかなか「のびたなー」と感じることができない。
中学生のころから考えると、英語は約20年以上勉強している。 米国滞在1年で、英語を使う仕事をできているのは大いに評価するべきだけれども、 誰かに教えてもらったように、語学は「ししおどし」のようなもの。
溜まるまではすごく時間がかかる、レベルアップを感じる、またゼロに戻る。 この繰り返し。多動症で継続が何より苦手な僕が唯一続けているもの、それは「語学」。
そういえば、フランス語の勉強を再開することにした。 コロナ前にはじめて、1年間である程度の基礎は勉強した。 けれど、コロナでやる気を削がれ(言い訳)、勉強をストップしていた。
いつかやろうと思っていたとき、友人を介してフランスからやってきた研究者と仲良くなった。 彼女の存在がやはり大きく、自分自身のキャリアを考えても、 やはりフランス語は必要だということになった。
そこに加えて、韓国語の復習も進めていきたいと思っている。 これは、パートナーの影響によるもの。 ある程度の会話も筆記もできるけれども、 パートナーが飽きずに毎日勉強する姿をみて、 僕も韓国語で仕事できるくらいになろうと決心し、今に至る。
とりあえず、韓国語もフランス語も大学院に行けるくらいのレベルにもっていくことが目標。 (本当に中国語とスペイン語もしたいけれども、時間が圧倒的に不足。)
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話が「語学」に逸れてしまったけれども、「ライスワーク」の件。 端的にいうと、ぼちぼち新しいステージに向かおうと思っている。
自分自身は、やはり改めて深く「学問」をしたいと思っている。 もちろん、仕事をしながらになるので、その仕事をどうするかということ。
前職のNPO共同代表を2015年に退任し、 そこからなんとかフリーで仕事をして、来年で8年目になる。
東京のご家族に助けられて、その周りのみなさまからお仕事をいただき、 映像の仕事も少しずつ増えてきて、海外の案件も連絡をいただけるようになった。 来年はフリーとして9年目。10年目を終えるとき、リセットしようと思っている。 (なので、今から面白いジャンルの案件がある方、教えてください。)
今いただているご縁を継続すること、それは安定につながる。 パートナーもできた、だからこそ安定は重要な組織基盤(家族基盤)のようなもの。 しかし、それとトレードオフするように、心はすさんでいくような気がする。
いや、すさむわけではない。 「ここではないどこか」なんてどこにもないことは知っている。 けれども、安定から生まれる退屈のようなものを真正面から壊していきたいと思う。
2023年は、フリー10年目以降のキャリアのための具体的な動きをします。 海外生活のための語学関係やプログラムへの申し込みや、 もしくは、日本の大学院への入学準備など。やれるところまでやってみます。
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最後にパートナーとのこと。 今年もしょうもないことでいっぱい喧嘩した。本当にありえないくらいに。
正当化するために、「魂のぶつかり合い」と僕は命名しているけれども、 それは詭弁であり、多くは僕の自己中心的な考えからやってきていると思っている。
ただその中でも思うのは、日本という国おいては、 自己主張することはやはりよいものとされず、 パートナーも多分に漏れず、自己主張する姿を嫌う傾向にあった。
ただパートナーシップというものは不思議で、 お互いがお互いに同化しているなと感じていることも増えた。 移民に対する同化政策は全く同意できないけれども、 こういった同化はあっても悪くないと、考えるようになったは成長なのか。
二人の住まいも過密都市から、少し緩和されている都市に移した。 お互いにフリーで活動しているからこそなせる技かもしれない。
正直なところ、 二人の関係性にいつ終わりがきてもおかしくないと思っている。 ただそれは決して暗い話とかではなくて、 「永遠」なんて幻想は大嫌いだからそう思う。
「永遠」なんて絶対にないから、 結果としての「永遠」というものが理想だと思っている。
来年は、もっと愛情表現ができる人になろうと本心で思っている。 年明けにパートナーとwant list(s)をお互いに交換しよう。
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(パートナーと姉の甥姪。家族を大切にしてくれること、他の人が真似できない彼女の好きなところ。)
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このエントリー毎年書くのは、結構骨が折れる作業なのだけれども、 後々振り返るとすごく面白いと感じているので、しつこく続けている。 (Tumblrよ、サービス終了なんてありえないぞ!)
2022年、ご縁をいただいたみなさま、ありがとうございました。 2023年、ご縁のある方も、これからいただく方も、どうぞよろしくお願いいたします。
朴 基浩 Kiho Park 박기호
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kihopa07 · 3 years ago
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撮影終了、編集作業へ。
相変わらず、二拠点生活をしている。関東、関西。 この生活を続けて10年以上が経とうとしているけれども、 変わってきたかもしれないと感じることがある。僕自身のことではなく。
数年前は関西に戻ってくると「関西やなー」と思えたけれども、 近頃はどうもそのように思えなくなった。 もちろん、「551」や「新大阪」の看板、 少し派手な色の衣服を身に纏ったご婦人をみると、そう思える。 けれども、どうも「建物」が一緒に見えてしまうのだ。
関西を象徴するシンボル的な建物は除くとして、 どの「箱」もすべて東京のようになってしまったような気がする。
これは関西に限ったことではなく、 「関東」一円の色々な場所に行ってもそのように感じることは否めない。
駅をでればある程度のブランドのアパレルショップが揃っていて、 好きなパン屋さんも揃っていて、それを見ると安心する自分がいると同時に、 なんて退屈なんだろうなと思うことがある。
少しレベル感が大きすぎる話かもしれないけれども、 日本全体が同じような「箱」になっているような気がしてならない。
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ずっと撮り続けていたドキュメンタリーの撮影がようやく終わった。
前作の生理についてのドキュメンタリーが公開され早2年。 次は「包茎をテーマにつくります」と言い続けてきた。 コロナという想定外の出来事に見舞われ、 テンポが狂ってしまったという言い訳のもと、 こんなに時間がかかってしまった。
最後の撮影は、本作のメインとなる方の地元での撮影だった。
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(日本海。太平洋とまた違う趣がある気がする。)
そこは、日本海に囲まれた地域。 近畿なのか、北陸なのかわからないとそのご本人も言っていた。
私は近畿から電車とバスを乗り継ぎ、そこへ向かった。 やはり、彼の足跡を辿ってみたいと思った。 そうじゃないとわからないこともある。
詳しくは本作で紹介するけれども、 私はどうしても彼のある種の「思想」が理解できなかった。 どうしてそんなに固執するんですが、 もっと違う価値観を持ってみてはどうでしょうか。 彼と向き合った2年間、僕も僕でそれに固執して、彼にそれを伝え続けた。
結果からいうと、彼のある種の「思想」は撮り終えた今でも変わっていない。 けれども、電車とバスを乗り継いでわかったことがあった。
彼はこの電車とバスに揺られながら、 期待を胸に都市部に向かっていたのか。 帰路ではまたうまくいかなかったと失望し、 先が見えない道路を眺めたいたのだろうか、と。
僕は、随分と勘違いをしていたのかもしれない。 「フェミニズム」や「男女平等」という言葉の名の下に、 僕のある種の「思想」を彼に2年間押し付けていたのかもしれない。
正直なところ、 まだ僕の中でしてしまった「暴力」みたいなものに対する答えはでていない。 それは、これからの編集の中で、 じっくりと向き合っていきたいと思っている。
だけれども、今段階でわかるのは、 やはりカメラを向けるというのは「暴力」であるということ。
自他共に意識しようとしまいが、 そこには「対立構造」「優劣関係」のようなものが生ずる。 当たり前だし、ずっとわかっていた気でいた。 しかし、全く無自覚だったのかもしれない。 自分自身が作り上げた「箱」から抜け出せていないのでは。
今のところわかっているのは、ここまで。 ここから編集作業をして、 年明けに関係者をお招きして、試写会を開催します。 ご興味ある方はご連絡を。
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kihopa07 · 3 years ago
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2022年7月8日から始まった。
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振り返ってみると、あれが始まりだったよねという出来事が歴史にはある。 それは、時間が連続的なものであることを証明し、不可逆なものでもあるということ。
2022年7月8日、僕はご飯を食べるまえに昼寝をしていた。 ここ最近、ずっと体調がすぐれない。しかもずっと続いていた。 昼寝から覚めると、あの出来事のニュースが携帯に表示されていた。
思想的には全く好きではない、元首相が襲撃を受けたという一報。 日本という国では長らくありえなかった、銃撃という方法。 そんなことより、ほんとうのことなのか?と何度も自分を疑った。
急いで普段は見ないテレビをつける。各社、中継をつなぎレポートをする。 元首相はヘリコプターで病院に運ばれたという。 その間、他の政党代表者のコメントがモニターに映し出される。 台本があるかのように、 「言論封殺」「蛮行」という言葉が延々と繰り返される。 本当にあってはいけないことがこの日本で起きたんだ、僕はそう感じた。
仕事の予定で家を出る、そして会議中に元首相が亡くなった報道が入る。 会議中の会話を止めることはなかったが、どうしたもんだろうと思った。
早々にSNSでは、犯人は在日だと決まり文句のような言葉が投げられていた。 ニュージーランドで襲撃があった際、国の代表者は名前を公表しないとした。 で、日本のメディアはどうだろう。容疑者の名前を事件後数時間で報道していた。
会議から帰宅後にテレビを再度つける。 元首相の功績を振り返る映像が流れる。SNSでは賞賛のコメントと同時に、 反対思想が彼を死に追い込んだんだという責任追求が始まっていた。 テレビのアナウンサーは喪服のような格好。あれ、何かおかしくないか。
僕はすごくすごく元首相が嫌いだった。いや、今でも、嫌いだ。 歴史認識から始まり、メディアの使い方。 本当に心が強い人だったんだろう。皮肉ね。
難病を持ちながらも公務をされていたこと。 これは多くの人が知るべきこと。 でも、僕は彼の存在を消したいと思わない。 彼は誰かにとっての大切な人であるから。 そもそも誰もが彼を嫌いになっても、 その人を誰かかが殺していい理由はないよね。
もやもやした気分と共に朝を迎える。 駅で見かけた新聞。各社見出しが全く同じ。あれれ、おかしいな。 天皇崩御ですか。違うよね、元首相がなくなったんだよね。
海外メディアは暗殺という言葉を使い、日本メディアは使わない。 何が違うんだろうね。立派な暗殺だと思うんだけれども。 この国に、暗殺するような人はいないとでも言いたいのだろうか。 あれれ、やっぱりわからない。
色々なことをうやむやにしたくない。 そんな小さなこと、気にしなくていいじゃないか。
紐のほつれってはじめは気にならない。 でも放置していると��ボタンが落ちていることにも気づかない。
暴力には反対したい。元首相のご冥福をお祈りいたします。
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kihopa07 · 3 years ago
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アウトプット、ね。
前回の更新は、旧年2021年だった。 この文章を認めている段階ですにで、年の半分が過ぎた。
ここ数週間は仕事に文字通り忙殺されていて、 今日は久しぶりに早めにご飯を食べてお風呂に入ることができた。 そんなときにふと、昔書いていた日記(ブログ)を読んだ。
一番古い記録は2008年から始まっていた。 読みながら思ったこと、それは自分自身の根本は 何も変わっていないということ。 色々なものを食べて、読んで、聞いて、自分は少しでも前にいったり、後ろにいったりつもりでいた。 けれども、たぶん20代前半で獲得した言語や思考というものは大きく変わらないんだろうということ。
そんな感じで久しぶりに色々と考えてみたいそんな夜。
まずは、世の中の空気感について。 今は首都圏と呼ばれるところに住まいを置いていて、 人の多い電車に乗る生活をしている。 電車に乗ると思うのは、みんなスマホをいじっていて、 動画フィード、ゲームなどをみながらそれぞれの時間を楽しんでいる。
で、僕が思うのは、そういったものから どれだけ身になるものが生まれているかということ。 おそらくなんだけど、今の社会は、長く深く、身につく、 いわば身体化されるものというのは、 あまり多くの民衆に歓迎されていないような気がしてならない。
取り込んでは捨てるの繰り返し。 そのスピードをいかにあげるかを競うかのように。 スローライフとか、ロハスだとか声高に叫んでいても、 この世の中にはまだまだ縁遠い。
情報が溢れていて、その情報をいかに早く多く得るか。 過去に新聞社やテレビ局が躍起になって得ようとしていたことを、 私たち一般人(?)がやろうとしている。僕はすごくそれが気持ち悪い。
数年ぶりに首都圏に住まいを置いて思うことは、 よくもわるくも、首都圏は変わらないということ。
いつまでたってもみんなの憧れであり続けるし、 仕事は中央に集まり続けるし、 結局はここではじまることが多いんだと思う。 やっぱり僕は気持ち悪いなと思う。
だから、パートナーに相談をして、首都圏を離れることにした。 まだ住まいを移していないが、 一言でいうと首都圏の生活に疲れたんだと思う。
ちなみに首都圏を離れる理由は他にもある。 2年後をめどに海外に住まいを移そうと考えているから。
そのためには、良い場所で、よいものを作っていく必要がある。 そう考えた時に、首都圏は決して適しているとは言い難いものがあった。 新しいものを取り込み、匿名性を担保し、 自分が最先端にいるような感覚になれる。 だけれども、僕はその価値を欲しいと思わないし、 今のライフステージで欲していない。 むしろ、深く考えることのできる場所がよいのだ。
引き続き、色々と考えてみる。 やはりアウトプットが少ないということは、言葉が錆びるということ。 言葉は生きている。 どこかで話し言葉だけに依存している自分がいたけれども、 それは決してよくないものだとこれを書きながら大いに反省している。
すごく暗いイメージを持たれるかもしれないけれども、 僕は極めて元気だし、いい仕事をさせてもらえている。 もちろん、パートナーとの言い合いは全く減らない。 けれども、少しずつ二人で二人の重なる部分、 重なり合える部分を模索している。 見つけることで、希望が見えることもあれば、 全くないと感じて絶望することもある。 たぶん、他人といるということは、 究極的にはそういうことなんだろうと思う。
そういえば、ずっと行きたかった「頂」というフェスに参加した。 コロナでずっと延期されていただけに、参加できる喜びはひとしおだった。
そのフェスの中で candle timeというものがある。 その時間だけは、ステージを除く会場中の電気を消し、キャンドルを灯す。
なんともその時間が僕にとって平和な時間だった。 大好きなPUSHIMの歌声に耳を傾け、僕は隣にいる人の存在を確認する。 そうだ、この人は僕のパートナーなんだと。ここにいれるということ。 こんなことはわかりきっているけれども、すごい確率でここにいれるんだと。 そう思うと、今までの罵詈雑言をひどく反省し、抱きしめたい気持ちになった。 僕自身は、本当に表現が下手だなと日々感じるのである。
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(音だけがそこにあった@頂) さて、静岡から戻り、冒頭の文章に戻る。 僕はすごく仕事に忙殺されている。日本語としてはおかしいんだけれども。
自分自身が大切にしたいことって本当はすごくシンプルなはずだ。 だけれども、シンプルを無理して、 シンプルにコンプレックスにする必要もない。 だから、もう一度こういった言葉をしっかり紡いでいこう。
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kihopa07 · 3 years ago
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「2021年おしまい、2022年はじまり。」
毎年恒例の振り返りブログ。 ブログの更新頻度はすっかり減ってしまったけれども、 この振り返りをせずして年越しができないようになってしまったみたい。
まずは、仕事のハイライトから。
働く環境が大きく変化したわけではないけれども、 7月から9月末にかけて東京オリンピック・パラリンピックに関わる仕事に従事していた。 仕事先は、英国公共放送のBBCという放送局。
大阪G20でご縁が始まり、たまにお仕事をいただいていた。 そして、2020年の延期を経て、無事に開催、そして仕事となった。
書ききれないくらいにたくさん出来事があったけれども、 BBCの持っている「人権ありきで仕事をすすめる姿勢」というものに触れた。
なかなか伝わり辛いと思うので、言い換えるとすれば、 「報道はもちろん大切だけれども、それ以上に個人の尊厳を大切にする」ということ。
一方で、自分の仕事の課題が見えた。 イギリス英語ということもあったけれども、自分の英語能力不足を痛感した。 今までなんとなく英語を使って海外と仕事をしてきたけれども、 これじゃプロフェッショナルとして英語を使って仕事ができない。
五輪が終わって、海外でのキャリアを考え始めている。 同時に、英語の勉強を日々のルーティンとして進めている。
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(中継場所のデックス東京ビーチ。photo taken by BBC staff )
次に、パートナーとのことについて。
今年も懲りずにたくさん喧嘩をした。お互い、もういいよ、というくらいに。 大抵は、自分に責任があることはわかっている。 僕はいつからこんなにご機嫌じゃない人になったんだろうかと思うくらいに。
ある時、私の姉が「あんた昔はもっと、ひょうきんやったのにな。」と言った。 そうだ、いつからこんなにつまらない人間になったんだろう、と。
私のパートナーは基本的にひょうきんで、明るい。 彼女にたくさん救われている。けれども、悲しませてばかりだなと思うこともある。 となると、もうこれは僕自身の問題になってくる。
幼少期のことなのか、起業したときのことなのか。原因はわからない。 だけれども、やっぱりパートナーと笑っていたい。 だから、新年に自分を掘り下げる作業をはじめてみようと思う、専門家の力を借りて。
パートナーとは、たくさん旅をした。 「旅」というのは、非日常と言われるけれども、 仕事とプライベートの境界が曖昧な僕にとっては非常に重要なものが旅。
コロナ禍なので海外渡航は叶わなかったけれども、 約9日間を使って、神戸、広島、別府、大阪、鳥羽を巡った。 その中で、僕が今まで勘違いしていたこと、気づいていなかったパートナーの一面に触れた。 そのほとんどがポジティブな文脈において。
今までは自由気ままに生活をして、すべての時間が自分のものだった。 そして、今はそれを二分割でなくとも、 前提として「パートナー」の存在があり、生活を紡ぐ。
今過ごしているこの時間は、「自分のもの」なのか、 それとも「パートナーとのもの」なのか。
そのあたりの定義づけをしっかりすれば、 自ずと自分がとるべき言動は決まってくるんじゃないかなと考えたり。
パートナーとの生活ありきで新年の目標を考えたとき、 「ご機嫌になれる選択はどちらか」という言葉が舞い降りた。 瞬時に、新年を迎えて大切にしたい言葉になった。
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(鳥羽の旅館からみた伊勢湾)
続いて、自分をめぐることについて。
うまく言語化できるかわからないけれども、書いてみよう。
別に「在日」を隠しているわけでもなかったし、 それを忌避するような仕事やプライベートではない。
けれども、ふと思った。 民族としての「在日朝鮮・韓国人」という人たちは、今後いなくなる(だろう)。 だとしたら、生きている間の残すべきことがあるだろうと。
今まで意識して在日同胞の先輩と会っていなかった。 けれども、彼らが汗水垂らして獲得したものを学びたい。 そして、それはかなり近いところにいる。 じゃあ、もっと動けばいい。それだけだ。
はっきり言って、これ以上日本に住みたいと思わない。 ヘイトを撒き散らす輩、そしてそれを批判するでもなく傍観する人々。 どっちもどっちだろうと思う。
「個人の尊厳」なんてものはなくて、基本がマイナスから。 マイナスをずっと変えようとするけれども、できないことが続くと、疲れる。
家族はいるけれども、しんどい気持ちを持ったまま日本にいる必要って何? 僕が今日本にいる理由は、大切な仲間や先輩がたくさんいるから。 でも、彼らがいなくなったとして、僕はこの国にいることを選ぶだろうか。
来年一年を通して、住む場所についても改めて考えてみたい。
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来年は、キャリア変更のための準備、住む場所の再検討、パートナーとの関係性深化。 これを軸に動いていきたいと思っています。
命も時間も極めて有限である、そして生まれたときに死ぬことは決まっている。 だから、僕は何を選んでいくのか。改めて考えて生きていこう。
今年も本当にたくさんの人にお世話になりました。 ご縁をいただいた皆様、ありがとうございました。
新年もどうぞよろしくお願いします。
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(9月に登頂した日光・男体山頂から)
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kihopa07 · 4 years ago
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「そっちの世はまだ平和か?」
私を育ててくれた別府という場所。 その地で出会った、90歳をこえる友人の死を、最近知った。 ずいぶんと遅れて。
ずっと会いに行かないと行かないと思っていた。 だから、先日別府を訪れたときにその方に会いに行った。 そこで、その方の死を知った。
彼はインドで最高位されるShantyであり、 同時にインド国籍を持つ日本出身の仏教指導者だった。
彼に出会ったのは、約10年前。 平和活動に勤しむ知人からご紹介いただいた方、それが酒迎さんだった。
彼は、第二次世界大戦中に平和を志す体験をした。 明日、自信が特攻隊として出撃するというとき、日本が終戦を迎えた。 なかったかもしれない命を何に捧げようか考えた末、 彼は僧侶になることを決めた(と話を聞いている)。
「戦争はいかん」「平和が一番だ」「お酒を飲め」 それが彼の口癖だった。
晩年、電話しても声が届かないくらいに身体は衰えていた。 けれどもいざ会うと、 「平和活動してるのか」「お酒を飲め」と言われ続けた。
彼が亡くなって2年後に私は彼の死を知った。 お師匠さんの遺影の横に、いつも通りの彼の顔があった。
笑ってるとは言えない、強い意思をもったお顔。 意思が口の結び方に表れていた。
その写真を見ながら、こちらに来るのが、 遅くなってすみませんと思った。 そんなときに、 「どうだ。そっちは平和か。平和活動はしてるのか、ぱくさん。」 という声が聞こえたような気がした。
「日本は、今のところまだ平和です。活動を頑張ります。」
遅かったかもしれない。 けれども、彼はあの世(があるとして)でお酒を飲みながら、 祈りの方法である太鼓を叩きながら平和活動をしているのだろう。
いずれ僕もあの世にいったときに気持ちよく乾杯したい。 負けていられない。
酒迎天信、ご冥福をお祈りします。
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kihopa07 · 4 years ago
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夏の話とか、3都市のこととか。
涼しいというよりは、肌寒くなった。 気がつけば、暦が10月になろうとしている。
昨日、パートナーと奥日光の男体山に登ったのだけれども、 山頂周辺の少しばかり紅葉した木々を見つけて、季節を感じた。
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(男体山山頂から中禅寺湖を眺める。最高の天気だった。)
登山は「始めた」いうよりは、「出会った」という表現が正しく、 正気、今でもしんどいさやつらさを感じることはある。 けれども、山頂に登った達成感だけではなく、 継続することでわかるようなことがあるようなないような。 齢を重ねても、ずっと登山を続けられたらいいね、 とパートナーとは話している。
振り返ってみると、今年の夏は仕事に忙殺されていた。
コロナ禍で一時はどうなるかと思ったけれども、 海外の放送局の一員としてオリンピック・パラリンピックの業務に従事していた。
この放送局との仕事は何度もしているのだけれども、 それでも今回の業務はイベントの規模感に比例して、 スタッフの規模感も全く違った。 そしてそれに比例して、就寝時間も遅く、疲労もかなり大きかった。 今でもまだメンタルとフィジカル、両方を合わせた疲れが残っている。
この業務に加えて、日々のコンサルや映像の仕事も上乗せされ、 よく夏をこせたなと思っている。 と同時に、疲労が溜まるとつい弱いというよりは、 自分が下だと思っている人に対して、 マウンティングを取るようなこともあった。
これは自分でも意外だった。
今まで、若者支援という仕事のジャンルで創業して、 いわゆる社会から「弱い」とされる人を支援してきた。 だから、自分が「弱い」人を見下すようなことはないと思っていたから。
オリンピックとパラリンピックを始める前は、 本社があるイギリスでいつか自分も働きたいと思っていたが、 今は全くそんな風に思わなくなった。
おそらくこれは私にだけ適用される話かもしれないが、 僕は権力とか名誉に近いところに一番行ってはいけない人間なのかなと思う。 なんでそう思うかというと、被差別体験をしているという過去は、 どんなに経験やお金があっても、乗り越えることのできない現実を知る。
そして、その現実を簡単に覆してしまうものが「権力」や「名誉」だと、 未だどこかで信じてしまっているわけだ。 だから、僕は一番そこに近い場所にいるべきでないと思っている。
そういえば、長らく日本を出ていない。 こんな経験、大学に入るまえのしんどい生活をしていた頃以来だと思う。
だから、僕は10月末から日本の3都市を回ることにした。パートナーと。 場所は、独断と偏見で満ち溢れている。
広島。僕にとって大切な場所。 生まれも育ってもないけれども、 アメリカから帰国して16歳で会社員をしていたとき、 ふと2度目の訪問をしてから、大好きになった街。 戦後復興の象徴とされるが、それ以上に多くの私の同胞が被曝した場所。 自分の出自にrespectを示すと同時に、自分はどうありたいかを問う場所。
別府。僕を育てくれた愛すべき場所。 お金もない中でなんとかきたのが別府。大学生として。 ここでの生活は本当にきつかった。当時は見えない敵を倒すかのように、 勉学と仕事に勤しんだ。 別府には大切な仲間と家族がたくさんいる。 コロナで会えてなかった皆さんにパートナーを紹介しようと思う。
鳥羽。僕が家族とよく訪れた場所。 両親は離婚しているが、私が幼少期に何度か連れてきてくれているのが鳥羽。 海が大好きという自分自身の趣もあるが、 壮大な海と、水族館のラッコに会いたい。 最後は少し贅沢な旅にしようと思っている。
ここまで書いてみて思うのは、極めて私勝手な旅だということ。 「あなたはいつも本当に自分勝手なのよ」とパートナーに言われる。 それを言える関係性にも注目したいが、僕は唯我独尊なんだな、 今まで出会った人はどれだけ僕に譲歩してくれていたのだろうと思ったり。
さて、今年も残すところ3ヶ月。 ドキュメンタリー映画もいよいよクランクイン。 日の目を見るのは、年が明けた春頃かな。
自分にとって今、本当に必要なものはなんだろうと問い続ける毎日。 改めて、働く人とか、住む場所を考えたい。 ゆっくり、着実に。そうそうこのブログも息が長いっけ。
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kihopa07 · 4 years ago
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「あなたに会えてよかった」
はっきりいって、僕は善い人じゃない。
相手に対して意地悪をしてしまうこともあるし、 相手を過小評価してしまうこともあるし、なんなら見下すことも多々ある。
そんなことをずっとしてきた因果かどうかわからないけれども、 数年前、僕は組織全体から「意地悪」(と僕は捉えていること)を受けて、 自分の命を絶とうとしたことがあった。 まさに「絶望期」だった。
そんなとき、たまたま出会った人がいた。 その方は、ずっとあることに情熱を傾けている方だった。
ある講演で共演させていただいたのがご縁だった。 その方が紡ぐ言葉を聞きながら、僕は涙をこらえるのに必死だった。 この後、自分自身の講演があるのにどうしようと思いながら。
そこから少し時計の針は進み、 僕はその方が持っているラジオ番組にお招きいただいた。 その番組名が、「あなたに会えてよかった」だった。
「あなたに会えてよかった」という言葉。 英語でいうと、I am so much happy to see youかな。 むしろ、I am the happiest person in the world to see youが近いかもしれない。
善い人でない僕は、その言葉に半信半疑だった。 だけれども、その方が「あなたに会えてよかった」というと、 心にすっと入ってくるものがあった。 そのときの僕に理由はわからなかった。
けれども、命を絶とうとしていた僕は、その言葉にずいぶんと救われた。 その方からすると、私は何もしていないと言われるかもしれない。 けれども、僕を救ってくれた言葉だった。
そして最近、その方とまたご縁をいただいた。 今その方は、人生の集大成とも言えるような本を書こうとしている。 あることがきっかけで、僕に手伝ってくれないかとオファーをしてくださった。
オファーを受けて、僕は考えた。決して楽ではないオファーと思ったから。 僕を救ってくれた方の編集者兼伴奏者になれるのだろうか。
「やっぱり若い人に届けたいねん。」
その方の一言で、僕はオファーを受けることに決めた。 そして、僕を救ってくれた義理を果たしたいと。
話は少し逸れるけれども、 最近『オープンダイアローグ』(斉藤環)を読んでいて、 そこで「外在化」という心理学用語を詳しくしった。
そうか、やっぱり僕には言語化が必要なんだ。 なんであのとき死のうと思ったのか、 なんでまあいっかと思えなかったのか、 なんであのとき組織から逃げることを選べなかったのか。
はっきりいって、僕はまだあの記憶から抜け出せないでいる。
だから心が不安定になることも多々あるし、 その度一番近しい関係性のパートナーに迷惑をかけている。 (本当に迷惑な話だ)
そうか、僕には言語化が必要なのだ。 だから、このタイミングで書籍の編集にかかわるんだ。 僕のあの生々しい記憶を、言語化するためのプロセスとして。
決して楽ではないだろう。 けれども、僕だからこそできるお仕事だと思う。
日の目を見るのは少し先になるかもしれないいが、 それでも妥協せずにそのかたと向き合ってみたい。 だから、ここにこうして記すことにした。
次は、僕がその方に、 「あなたに会えてよかった」と言いたいな。
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kihopa07 · 4 years ago
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新しかった2020年、新しい2021年。
新年明けましておめでとうございます。 旧年中、お会いできた方も、できなかった方も、 ここまで私とご縁をいただきありがとうございました。
時は、すでに2021年となっておりますが、 毎年恒例の新年のブログ更新ということで、ブログを更新してみよう。
2020年は、新しい在り方がひたすたに求められた。 去年の今頃にはまだ想像もできなかった「コロナ」という文字。 この文字に間違いなく翻弄された一年だっと思う。 記録にも記憶にも間違いなく残る文字。
「コロナ」は私たちの色々なものを規制し、ときは奪っていったが、 一方で、私たちが本当にみないといけないものや、 大切にしないといけないものを、浮き彫りにしたと思っている。
さらにいうなれば、 それはある種の能力格差やある種の格差を顕著化させたし、 それによって、多くの人が路頭に迷いやすい社会状態になったとも言えるだろう。
そんな1年、僕はどう生きたんだろうか。
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昨年のこの時期のエントリーで、 「結婚に対して焦っていたんだと思う」的な文章を書いていた。
この文章を書いた時は、 「結婚は考えなくてもいいのかな」という気持ちで言葉を綴っていたが、 今となっては、「ある意味でどちらに転んでもいいだろう」という気持ちで、言葉を綴っていたと思える。
自分でも未だ実感はないのだけれども、 2020年に法的に「夫婦」と認められることになった。
法的とか、男女とかそういうのは記号であってどうでもいいことなんだけれども、 この人をずっと大切にしたい、もちろん気持ちの移ろいはあるかもしれないけれども、 それでもずっと縁が切れない、むしろ切りたくないと思える人と婚姻関係を結んだ。
多くの人に報告する気もないけれども、 このブログを読んでる人は、おそらく大切な人ばかりだと思うので、 あえてこのような報告をさせてもらいました。
よかったら何かしらの形で祝ってください。すごく喜びます。
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正直、「婚姻関係」を結ぶということに、僕自身、理解が追いついていない。
一生この人を愛するとか、 法的に認められたからどうとか、 そんなことより、一番大切にしたいと思える人を通じて、 自分の色々な面を感じているというのが、 「婚姻関係」を結んでみて、感じていることと言えるかもしれない。
例えば、国籍のこと。
法的に婚姻関係を結ぶというのは、国籍が異なる人、 すなわち私にとっては、すごく大変なことだった。
たかが書類と言われるかもしれない。 けれども、その書類がひと手間もふた手間もかかり、 結果として、それはパートナーと国籍について話し合う時間をもたらした。
パートナーは、僕の国籍についての歴史も、背景も、何も知らなかった。 むしろ、僕が一番忌避するような「無自覚」な人と呼んでもいいかもしれない。 けれども、「何も知らなかった」からこそ、 現代的な「純日本人」とか、「ナショナリズム」なんて発想はなくて、 「あなたはあなた」「国籍のことは正直よくわからない。」と言ってくれた。
僕は自分の存在意義を確かめるかのように、 彼女が歴史背景を知らないことに何度も絶望し、 彼女が加害者側の国籍保持者であることを何度も責めて、 そのたびに、自分は何に対して怒っているのかわからなくなった。
ふと思った。 「日本人」とひと括りにして怒りをぶつけている僕こそが、 何より「差別主義者」なのかもしれないと。
ドイツでは、加害の歴史をこどもたちにたくさん教える。 そして、戦争から70年以上経った今でも、国民として反省を示す。 もちろん、ネオナチなどの思想集団は存在するけれども、 国家として「反省の歴史」として位置付けている。
じゃあこの国、日本はどうだろう。 一人一人の国民に責任はないかもしれない。 だけれども、被害と加害という単純な構図に押し込めた瞬間、 そこから生まれる「対話」や「未来」はないんじゃないかと思っている。
ところで、私のパートナーは、私と婚姻関係を結んで、 「日本人」とか「外国人」という言葉に敏感に反応するようになった。 誰かを通じて、知識が蓄積される。これこそ、本当の友好というものではないか。
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2019年末に「生理」に関するドキュメンタリー映画を制作した。
詳しくはここで書かないが、 2020年は、3つの場所で映画が日の目を見た。 やはり嬉しかったのは、東京の映画館で上映されたということ。
映画祭の一部だったけれども、それでも自分のつくった作品が、 大好きな映画館で、大きなスクリーンにうつされるというのは感慨深いものがあった。
2020年は、前作の上映と新作の制作を予定していた。 結論からいうと、コロナ禍を言い訳に、新作映画の制作はできなかった。 ただ、自粛期間が伸びれば伸びるほど、僕は自分の撮りたいテーマを明確にしていった。
やはり「性」にまつわるもの。 しかも、それは「社会」によって作られたもの。
2021年は新作に取り組みます。 色々と悩みましたが、テーマは「包茎」です。
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そういえば、コロナ禍で、姉が子どもを産んだ。 産んだというより、なんとか、本当になんとか、新しい命を繋いでくれた。 本当にありがとう。
何度かこのブログにも姉は登場しているのだけれども、 コロナ禍で子どもを産むというのは壮絶極まりなく、 何より本人は本当に不安の連続だったと思う。
コロナ禍で立ち会いができないということ、 これほど、本人にも、家族にも辛いことはないと思う。 仕方のないことだとはわかっている。 けれども、一人ではじめての出産に臨んだ姉の気持ちを考えると、 いまでも大粒の涙が溢れて止まらない。
そんなことが関係あるかどうかわからないが、 僕は姉の産んだ子ども、すなわち僕にとっての甥をすでに溺愛している。 毎月、姉の家で会う時間は、最高の一言に尽きる。
こうして命の誕生に何度か遭遇すると、 いよいよ自分も子どもが欲しいかもしれないと思い始めている。 すぐにご報告できるかも、ね。
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2020年は、全く創作とか、インプットとか、アウトプットをできなかった。 だから、ことしはしっかり時間を割いていく。
もちろん、僕と一緒にいてくれるパートナーに感謝の気持ちを忘れずに。 ぶつかってばかりだけれども、妥協はしていないし、これからもしないと決めている。
さぁ、2021年の始まり。 みなさまにとって、愛の溢れる1年になりますように。
2021年1月吉日 朴 基浩
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