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無責任
「独りじゃない」
「きっと誰かが助けてくれる」
アホなのか。9月になるといつもこれである。「誰か」って誰なんだ…?
そこで一曲お送りします。タイトルは「あのな、ひとりはひとりなんだよ。お前は俺の何を知ってるんだ?」…じゃなかった「ルフルール」。
https://youtu.be/QUISTFX9OVw
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普通
本物の勝ち組は貧困を無くすことを考えて顧客の購買力を高め層も広げて、己の財産も徳をも蓄える。刹那的な勝ったつもり組は逆進性の税などで一般の消費が努力と無関係に物理的に落ち込んでも「貧乏なのは甘え」などとホタエて各種パイを失い、ついでに己のケツの穴の小ささも披露する。普通に考えれば、金持ちや勝ち組が「もっと幸せに、安全に、裕福に暮らす方法」を突き詰めたら、前者を採るのだ。
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融合
「融合」というのはそんな簡単なものではない。接着しているだけでは融合とは言えない。ロックの上にウポポをのせただけでは新しくもなんともない。上に乗ってるのは古いままだ。むしろコントラストをつけたことで過去に押し込める所業にさえなる。
様々な要素がお互いの内部に干渉して初めて融合になり得る。しかしまた、その結果が食えるものになっていなければあまり意味が無い。牛乳とサバ缶の汁をただ単に混ぜ合わせただけだと吐く。黒蜜とバニラアイスを混ぜたら「それがどうした」だ。試行錯誤が必要な、非常に難しい作業なのだ。
「融合」と銘打つものが尽く失敗している理由は、何よりそういったダサいまでの「覚悟の無さ」にある。
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「廃墟からの復活」と「女神の騎士」
これまで聴いた中で「音楽として」一番美しくて好きな国歌は東ドイツの「廃墟からの復活」である。
https://youtu.be/JPubaleaPMY?t=4140
歌詞が禁止された曲で、それ故��に言葉や思想の押しつけが薄れたとも言え、また心の中でそれぞれの思いで歌ってる感じもあって、なんかいつも聴いてもとても泣けてしまうのだ。国家観は一人一人違うものであって、愛し方も憎み方もそれぞれ。皮肉にも東ドイツは圧力によって国歌演奏中の思想の自由が与えられ、ある意味どの国よりも先進的な状態が出来たようにも感じるのだ。
https://youtu.be/O7zGFZNinsk
ちなみにこっちはよく聴かれる版。「über Deutschland scheint」のところのオブリが特に美しく、涙なしには聴けない(自分は)。
ところでこれを聴くと「女神の騎士」を思い出してしまう。実は「女神の騎士」には「廃墟からの復活」と同じようなテーマが盛り込まれており、それを表したモチーフの機能が結構似ているからだ。私が東ドイツ国歌を知ったのはそれより最近なので、真似をしたわけではない。「女神の騎士」はミーティング中に生まれた。依頼者の彼は「がんばろうニッポン���などと大声で叫ぶような野暮な男ではなかった。物静かな彼のわずかな言葉を聴いているうちに「一歩一歩階段を上るような…」というフレーズが思い浮かんだ(トラックでいうところの0:26からのサビの部分)。2011年春のことだった。早い話が。
私はそのフレーズをずっと口ずさみながら帰宅し、すぐに制作にとりかかった。しかしそのまま作るといかにも美談で終わってしまう気がした。そんなのは私の性格が許さなかった。廃墟の中には偽善もたくさん存在するだろう。そしてきっと復興と言いながらデタラメを繰り返す為政者も次々と登場するだろう。終いにゃ馬鹿げた話の方が大きくなって目障りになるに違いない…というのが、0:46〜1:04のところである。だんだんズルズルと、あれあれ?という感じになり、最後の最後は「バーカ!♪」という感じで終わる。だから「閃光より好き」なのである。今一度楽しんでいただけたら幸いである。
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義賊
義賊が義賊であるかどうかは大抵は受け手である大衆が判断する。今のニヒルな日本ではいかにも義賊が存在しづらい状況に感じられるが、しかしかつて鼠小僧や石川五右衛門が存在または作り上げられた風土もあった。ここに現代のいきすぎた「波風を立てない美徳」からの脱却の糸口がある気がする。
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カッコイイということ
カッコイイ創作物は大抵、アヴァンギャルドな要素が多分に含まれつつも一定の理解の範疇にある場合にそう認識されることが多く(「あ…そこ、イイ!」という部分的な裏切りなどに代表される)、であれば全く理解できないものは実はとんでもなくカッコイイ可能性を秘めているということになる。しかし。判別できないということは実はクソダサい可能性もあり、そうなるとそもそもそのへんに転がってる「カッコイイもの」はどちらにも振り切れていない、存外中庸なものであるってことじゃないの?という疑念もまた膨らむばかりだったりもする。
いずれにしても一番残念なのは「分かりづらいということはそれだけ凄いという証拠だ」と言い切ってしまうことである。きちんと理解してもらう努力はやはり必要だ。
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「誇りのなかでも最も安っ〜(略)
〜何一つ誇りとすべきもののない憐れむべき愚者は、たまたま自分の属する民族を誇りとするという最後の手段を命の綱と頼むのである。これによって息を吹き返し、随喜感激して」というショーペンハウアーの言葉は、一部の多数派の国民や保守勢力に向けてよく引用されるが、こういうことは一部の少数民族やリベラルの中でも昔からよく起きていることで、彼らにもぴったりはまっ(略)
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珈琲一杯
ちょっと前の話。マイノリティにスポットを当てて新聞連載をしている社会部の記者が、政治部在籍時に首相と会食したらしいのだが、それを平然と楽しそうに取材をお願いしに行ったマイノリティに話し、断られてショックを受けるというスゴイヤツがいた。ものすごいアホとしか言いようがないのだが、それはともかく、リベラル系新聞の社会部記者がこんな感性でやっていけるわけだから、そりゃ政治部の記者がベッタリで強く追及できないのも頷ける。
ちなみに。
※政治家とメディアの会合 米は「コーヒー1杯」超えると癒着
https://www.news-postseven.com/archives/20150614_328057.html
※英国BBCの社員は政治家の記者会見に出されるコーヒーさえ飲まない
https://twitter.com/higa0818/status/456930114727464960?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=http%3A%2F%2Fwww.asyura2.com%2F14%2Fsenkyo165%2Fmsg%2F740.html
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暗殺したい!
勢いで突然公開した。
https://youtu.be/Tg3d2Hj-RV4
あんだけ袋叩きにあった経験があるのに、ビビるってのは本当に悪い意味で大人になったんだと思う。
ちなみに公式サイトも。
http://www.imeruat.com/iwtatop.html
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遠慮せず
「そんなこと役に立つのか?」「音楽と関係あるのか?」と思われることをずっとやり続けてるとある日ズドーンと直結することがある。ましてやアイデアやインスピレーションは音楽の外から生まれることの方が圧倒的に多い。当たり前の話なんだが、結構当たり前になってない。面白い曲を書く秘訣は「音楽以外の好きなことがあれば遠慮せずやりまくる」。と、ただし食えるかどうかは全く別。
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In Japan
In Japan, there are tendency to concern or criticize about linking political problems and social problems to music. Admittedly I am not necessarily trying to link them. However, those probrems are important inspirations and driving forces for me. Without them, songs such as "Giant" were not born. https://youtu.be/j--BPcCaeQU
日本では、政治的問題と社会的問題を音楽に結びつけることについて懸念する、あるいは批判する傾向があります。確かに私は必ずしもそれらをリンクしようとしているわけではありません。しかし、これらの問題は私にとって重要なインスピレーションと原動力です。それがなければ、 "Giant"のような曲は生まれませんでした。
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Pass2
作曲も園芸学もどちらも好きで、楽曲作りの視野を広げる効果も十二分にあると認識しつつ特に迷うことなく園芸学を選び、鍵盤を叩きまくっていることだけは天晴れだと思うが、他の部分はしっかり改善すべし。
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Far Saa Far
努力が報われないことはある 生まれたときから槍の雨の下にいた彼女はがんばりが足りないの? 社会のせいにするのも勇気がいる すごく勇気がいるんだ
Far さぁ Far この故郷から逃げよう Far さぁ Far かっこ悪いことじゃない(逃げ出すのは)
Sometimes effort is not be rewarded Is it because the girl born under the rain of spears is not trying hard enough? It takes courage to blame society You need so much courage
Far さぁ Far Escape from my home land Far さぁ Far There's nothing to be ashamed of (to escape)
IMERUAT “Far Saa Far”より
https://soundcloud.com/imeruat/far-saa-far
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波木里正吉さん
波木里正吉先生が亡くなられて今月5日で10年になりました。その後、全くと言っていいほど研究活動はしていませんが、それでもかつてやっていてよかったと思うことは結構あります。たまに自作の資料を読み返して、大半が記憶から消えていることに驚くと同時に「まとめておいてよかった」と思うことも。何よりU君の登場が衝撃でした。2015年のちょうど今頃、戦後日本に於けるウィルタの研究、それも特務機関近辺をも守備範囲とする大変若い研究家に取材を受けました。何よりフィールドワークの基礎(何を持ってそう言うかは置いておいて)がパーフェクト!衝撃の要因が多すぎて羅列しづらいのですが、なるほどこのような対象を研究テーマにしようと思った動機を考えれば、フィールドワークの質の高さについても頷けるというものです。「自分しか知らないのではないか」という話題が15歳の口から次々と出てくることに、驚きよりも嬉しさが勝ちました。私はこういった研究は音楽や映像に応用する(しかない)立場で、研究の時間も少ないし精度も低かったわけですが、しかしこういった応用(アイヌの黒歴史や樺太特務機関の世界が、そもそも混沌とするばかりの創作物に影響するという化学反応)は自分の知る限りでは希有なものなので、宙ぶらりんであってもこのスタイルは捨てられないと思っていました。U君はそういった個人的な応用問題をも理解した上で…だったので、正直これまで受けた取材の何よりも感激であったわけです。U君がプレゼントで持って来てくれた資料は膨大で、そのほとんどが入手困難な資料のコピーでした。彼は夏休みの間ずっと、北海道や神戸に取材に回り、きちんとアポをとって取材をし、そこにしかないような資料を得てきたのです。「古書店にもなかなか置いてない書籍を入手!」とか「熊本に取材に行ってきた!」という私の自己満足はもはやカス。ああ、ちゃんとした人が現れた、よかった…という気持ちでした。彼は「僕は子供だから逆に(取材対象の)皆さんが警戒したりせず接してくれるんですよ^^」と謙遜するほど。彼は私と話しながら緊張でずっと手に汗を握っていたそうで、私が波木里先生と電話で話したときと同じ感じがして、それもまた。その後、彼はIMERUATのライブにいつもかけつけてくれています。彼は今年度は大学受験で、てっきりそっち方面に行くと思いきや、理系でものづくりの方面に進むとか。毎日作曲に没頭している某女子高生が農学部を受験するとか、視野の広さというのか、こういう若者は大好きです。それはまた別の話として、この10年間で特務機関寄りのウィルタに関する創作物はちょこちょこですが作りました。本文にある「ヴァルヴァーラの野望」という曲は波木里先生が樺太でエラい目に遭わされたヤクート人女性の物語を歌った歌。昨年発表した「kilto kilto」はヴァルヴァーラの野望の続編に当たる曲で、樺太の戦乱と人々の分断の前日を描いています。音楽が先行して出来ていて、徐々にこの世界に合致していったため、テーマに対する意欲が先というわけではありません。また乱暴にもウィルタ語辞書などを参考にしただけの歌詞で、専門家に聞いていないのが心残りなのですが、色々あれこれ考えてヨシとしました(笑)。そしてまだ続けたいと思っています。波木里正吉作品のいずれかの舞台化か映像化か何かです。それもあってミュージックビデオ「暗殺したい!」で演出や映像を少しかじりました。またU君の守備範囲の中でも波木里先生の世界はほぼ手つけていない状態。それもなんとなく、10年前から頭にある「やめましょうそのことは。昔のことは抜きにしましょう。」と言いたいだけ言ってオホーツク海に近いドライブインから去って行く旧部下を見送る波木里正吉とコバルト色の空を、何らかの形で描きたいという気持ちを後押しする材料になってないと言えなくもない…とも。2018.10.9
https://www.facebook.com/notes/1568842238425/
…と、Facebookのノートに追記した。
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LGBT
中学生のS君。彼のことを性同一性障害だとずっと思い込んでいた。性の悩みを聞いたこともあったし、長い付き合いだから疑っていなかった。ところがつい最近「彼女ほしー」とツイートしてるので「あれ!?違ったのか!?」と驚いた。でもすぐに気づいてふふっとなった。「あ…俺はもうすっかりS君のことを男子としてしか認識しないようになっていたんだ」と。乱暴に言えば「慣れ」である。でも慣れは案外簡単なものだと思ったし、世の中の常識も20年、30年で大きく変わっているものだ。であればいい方向を期待していい気がする。S君はとても魅力的だ。絵も歌も抜群に上手い。気前がいいし、優しいし、竹を割ったような性格で、本当にいいヤツ!だ。いつかきっといい彼女が見つかると思う。
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そんなものはない
インタビューで答えるのにいつも困ってしまう質問が「作品を通してリスナーに伝えたいことは?」とか「どこを聞いて欲しいか?」だ。なぜ表現をするに、常にメッセージを持たなければならないのか。確かに例えば「暗殺したい!」にはこれでもかと思いの丈、主義主張、一家言などを詰め込んでいる。しかし、それをメッセージとして伝えたいかどうかはまた別の話である。思いの丈、主義主張、一家言を詰め込むことによって初めてやりたい表現、楽しい創作が出来るのであって、必ずしも誰かにその原材料を共有させることを目的に作ってるわけではないのだ。アイヌがアイヌ伝統舞踊をしただけで「アイヌの伝統を守る使命を背負っているんですね!」とやる輩が現れる。ライフストーリーを語っただけで「反差別を掲げて活動しているんですね!」とやるマヌケが現れる。こういう花畑に対する自分の拒否反応は近年ますますひどくなる一方で、それは突然かなり関係ない話だが、とにかく「表現者は何かを伝えるために表現をしている」という固定観念に対して違和感を20年間感じ続けているということである。「なぜこんな表現をしたのか?」であればとても簡単でいつも喜んで答えている。料理に喩えればいいかもしれない。ただどの作品にも色々詰め���んでいて、理解できるように語ると長くなるので、インタビューとしてなかなか成立しない。
by 関羽雲長
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