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mana612 · 7 years ago
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死んでました。
風邪というべきなのか、熱や頭痛やら鼻水やら一気に押し寄せて、死んでました。
遡ること2週間前、オガワさんのオラクルカードのセッションに行ってきたのだけど、なんとなく、その頃から体はだる重くて、少々へろへろな感じでカードを引かせてもらった。
出てきたカードは、
【time has come】 【i am yes】
時が来た、来ましたか。私はイエス、高須クリニック。
オガワさんから「完璧ですね」「どんどんいってください」のありがた〜〜いお言���いただいたのに、当の本人は呑気なもので。
1990年2月、新日本プロレス東京ドームでの、猪木・坂口対、橋本・蝶野のタッグマッチ。試合前のインタビューで橋本が放った名台詞、「時は来た。それだけだ」を思い出していたのだ。
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(最後に蝶野が笑いをこらえる所がポイント。)
それからあれよあれよと具合がどんどん悪くなっていき、歩くのさえしんどくなってしまった。
でもタイミングとは上手くできているもので、もともと長めの休みをとっていた時期と重なり、じっくりと体を休めることができた。 尊敬する哲学者、内田樹先生が「風邪は社会性を持つ病である」と言っていたのを思い出す。 そう言えば風邪を引くときは大抵、土日、GW、正月、盆休み、有給休暇の時なのだ。 なんだよ、空気読むの上手かよ。
でも今回の風邪はいつもの風邪と少し違っていた気がする。
何かのウィルスが外から入ってきたというより、自分の内側から自ら熱を出したような気がした。 これがいわゆる、あの俗にいう、あの噂の!デトックスちゃんなんですかね。 しんどいでしょこれ。辛いわ。 これまでデトックスの時期に入った方々に、ま〜気軽に「きたね〜よかったね〜☆」と呑気に言ってきましたが、反省しました。そんな気軽にめでたく言うもんやあらしまへん。辛いんだからもっと労わってあげなさいよ。はいすみませんでした。土下座。
しかしただただ寝てるだけの生活は、それはそれで暇なもので。アイホイ先生には大分お世話になりました。
横になりながら、改めて自分のホロスコープを調べてじっくり眺めたりした。
一般的な天体に加え、キロン、リリス、ジュノー、��ラス、ベスタ、バーテックス…etc なかなか面白い。もっと詳しく勉強したら、生まれてから死ぬまでの私の設計図が、解明できるのだろうか。
そしてなぜか、優しい綺麗な音しか聴きたくなくなり、ピアノ音楽やクラシックばかりYouTubeで聴いていました。のだめカンタービレなんか超面白いもんね。1話から最終回、パリ編、映画版の前編後編全部見た。なんならこのサイクル50周くらいした。大好きか。
あんなに激しく愛し合った(←?スカパラが、遠のいていく…
スカパラね、もう年末までのライブスケジュールね、決まってるんですよ。
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(出典:http://www.tokyoska.net)
なんだこのスケジュール。休みないの?なんなの?止まったら死ぬの?マグロか?回遊魚か?だから最近さかなくんさんとコラボしてんのか。
なのに私まだ一枚もチケットとってないの。なんなら一切行く気しない。友達がびっくりしてるんですよ。何事かと。
そういえばアーユルヴェーダの蓮村先生に、私は音に敏感だと言われていた。 思い起こせば小さい頃、とにかく大きい音や刺激のある音がキライで、周りが引くほど大泣きしていたのだった。なんでアンタはそんなに怖がっていたのかと、未だに家族に言われることがある。 理由はわからないけど、少しずつ少しずつ、本来の自分というものに戻ってきたのかもしれない。
音以外にも、出来ないことや、実は我慢していたことなどが、以前よりはっきりわかってきた気がする。 嬉しいけれど、この十何年頑張ってきて積み上げてきたこと、例えば苦手だけど克服しようとしてきたこととか、出来なくなってくるのでしょうかね… 既にその気配がチラホラと出てきてますよ。やばいですよやばいですよ。 本当に頑張ってきたのに。
何度もこちらで言ってきたとおり、アテシ普通の人の数十倍、社会性ないんですよ。めちゃくちゃ努力して周りに馴染めるようにやってきたけど、今それが音を立てて崩れていっています。
積木くずし。…パンチパーマ入れたろか。
そう、頑張ってきたことの一つに【組織で働く・人と関わ��】ということがあった。これは、学校を卒業してから今に至るまで最大の苦手分野。難関だった。
私と会ったことのある方ならわかると思いますが、私は、人と顔を合わせて話すことが非常に苦手で。
できれば顔なんて見て欲しくないし、下を向き合うか、テレパシーで話が出来ればいいのにと常日頃思っている。
そして人の話を覚えておくことも非常に苦手で、今でもこの部分にはいつも悩まされているけども。
親からも友達からも、コミュニケーションが大前提であるグラフィックの仕事は辞めた方がいいと何度も言われたけど、何故か辞める気持ちには一切ならなかった。出来ることはいつでも出来るから、出来ないことをしてみたい。その一心でしがみついた。
数えきれない程泣いて、歯をくいしばってしがみついたおかげ…なのかはわからないが、5年程前、日本で初めて設立された某クリエィティブエージェンシーのグループ会社に採用になり、そこで2年程働かせてもらった。
《恋のチカラ》というドラマをご存知だろうか? 2000年のはじめにフジテレビで放送された、深津絵里さん、堤真一さんが主役の広告会社を舞台にした恋愛モノなのだが、その堤真一さんが大手から独立し、新しく設立した広告会社が、このエージェンシーをモデルにしたものなのである。
中学生の時、ハマりにハマったドラマの舞台の会社に入れたことは��伊藤の人生の中で唯一の自慢である。ミーハーと思われようが全く構わない。後世まで語り継ぎたい。誰に。
下っ端の下っ端だったけど、途中でデザインの仕事を辞めていたら、日本のデザイン界のトップを走る素晴らしい方々の素晴らしい仕事ぶりを側で見ることは出来なかったかもしれない。
私を採用してくれた堤真一…もといボスには心から感謝している。
ごくたまに社会人1,2年目くらいの方と会い、うまくいかず会社を辞めようかと悩んでることを打ち明けられた際は、私の1,2年目の凄まじい武勇伝を話すことにしている。大抵爆笑して元気になって帰っていく。
私のようなク×みたいな人間でもなんとかやっていけますよと。
なんとかやってったら、その先に見えてくるものもありますよと。
ただ最近、その、歯をくいしばってやってきたことが、前述の通り出来なくなってきたり、もう必要がないのかもしれないような気がしてきた。
最初はすごく戸惑っていたし、いまでもその戸惑いの中にいるし、なんなら戻るまいと抵抗する自分だっている。
でも抵抗してもしょうがないのでこのまま、まさに 玉ねぎの皮を一枚一枚むいていくように、本来の自分になっていこうと思います。本当の自分とやら が何かはわからないけれど、ずっと望んでいたことだから。
いい意味であきらめる。出来ることをやる。無理をしない。オガワさんや、しーさん、かおりさんから教えてもらった事をようやく、言葉でなく、心や体全身で味わって、実感しています。
出来ることを伸ばしていい。思い切り逃げて、心から安心できる方角へ行ったって構わない。出来ないことを頑張ることだって勇敢だ。
10年走ってきてようやく見えてきた。頑張るひとも、踏ん張るひとも、休むひとも、すべてすべて、まずは「いいんだよ」と言ってあげたい。今感じているあなたのその思いそのものが素晴らしいと。
何か一つ、出来事が起き、何か一つでも、心の中で感じることがある。それだけで花丸や。
私なりの【YES】を見つけられた気がする。
随分回り道したな。
でも、回り道した中で見た風景もなかなか面白いものだった。
そこでしか感じることのできない風、不思議な羽を持つ鳥、虹色の雨。
沢山の出来事に笑顔で手を振りながら、今、ふりだしのようなふりだしでないようなはじまりの場所にえいっと足を踏み入れた。
来ましたね、time has come。
来ましたんでよろしくお願いいたします。 来たとかいいつつ、お送りしなければならないデザインのデザインあれやこれや、ご依頼いただいている皆様に一切来てませんよね。
本っっ当にすみません。土下座。
もう暫くお待ちください、順次進めて参ります。よろしくお願いいたします。
現場からは以上です。
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mana612 · 7 years ago
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sunsetへ。
最近あったあれやこれやを報告に。
なんか、サンセットは神社みたいだと思った。
定期的に心を綺麗に洗ってもらう場所。
いいね、サンセット神社。
サンセット・シュリンプ。それ海老か。
サンセット・シュレック。それ映画。
サンセット・シュライン。ね。
色々あったけど、よかったねーなんて話したりした後に出たカードは、
<You did good job>
あなたはよく頑張りました。自分で自分を褒めてあげなさい。
だった。
「頑張ったねー」
「頑張ったよー」
「頑張った頑張った」
「まなちゃん本当だよー頑張ったよー」
なんて、何度もかおりさんから、一生ぶんくらいの頑張ったねをいただいて、いつものことながらぐしゃぐしゃに泣いたのだった。
一つ、ステージを上がれただろうか。
卒業できたよね。
でもまたここから進んでいくんだろうな。がんばんなきゃな。
ありがとう、ありがとうと、今までのあらゆる出来事に笑顔で手を振りながらsunsetを後にした。
とても心が豊かで幸せに満ち溢れていた。
江ノ電に乗って、鎌倉へ向かう。
ふと横に立っていた若い女の子たちが、わあっと歓声をあげてスマホを取り出している。
海側の窓の方へくるりと振り返ると、太陽の光が海の水面いっぱいに反射していた。
どこまでも遠く、遠く、果てしなく。
まるで光の道が水の上に浮かんでいるようだった。
感動して、また泣きそうになる。
これまで何度もこちらの海を見てきたけれど、泣きそうになる程美しいと思える、こんな素晴らしい景色はみたことがなかった。
思わず電車を降りる。
たくさんのトンビが山の上で優雅に飛んでいた。
過去、今じゃない別の人生。
私は沢山の鳥が舞う不思議な場所で、密かに星を観測していたらしい。
昔みていた景色もこんな感じだったのだろうか。
そんな事を考えながら海へと歩いた。
この日を一生忘れたくないと思った。できるならずっとこのまま。死なずに覚えていられるならば。
どうしてだろう。何か心が変化した時に感じるもの見えてくるものが違ってくるのだろうか。
おそらくこんなに天気がよく、気持ちの良い日はこのあたりでは何度もあるだろうけど、私にとっては特別。どの瞬間を切りとっても全部が美しくて幸せな日だった。さりげない一瞬一瞬、全てがだ。
電車の中で写真を撮っていた女の子達の笑顔。
信号待ちしながら一生懸命ガラケーで海を撮っていたおばさん。
コンビニの上���くるくる回っていた3羽のトンビ。
昼は野菜を食べたいと思ってたのにがっつりお肉のごはんを頼んでしまったこと。
ファブリックキャンプへ向かう途中、どうしてもと思い、鶴岡八幡宮に秒でお参りしたこと。
お参りした後に見下ろした鎌倉の風景。
weltさんに香りを作ってもらう時に窓から見えた、ふわふわと舞い降りる雪の景色。
スタバでエクストラホットのソイラテを飲みながら、わら半紙にラフを描いたときのステッドラーの感触。
ずっとずっと忘れたくない、すべてが幸せで愛しい。そんな一日。
そしていつか私も誰かの忘れられない一日の、一瞬の風景に紛れていたいなと思ったのだった。そんな瞬間、訪れたとしてもきっと気づくことができないかもしれないのだけど。
名もしらぬ場所の誰かの心の中で、永遠に生き続けられる気がするのである。
以上。
…そろそろネタブログ書きたいなあ
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mana612 · 7 years ago
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なんか、様子がおかしい。
いや、私の様子がおかしいのは今に始まったことではないのだけど。
なんか違う。いつもの私の体ではない。
完璧繋がっている。何と?宇宙と。
背骨に沿って、透明な管のような、柔らかなストローのような、はたまた一筋の風のような、光のようなものが、天高くどこまでも私の体と繋がっている。でも遥か遠くにあるはずの宇宙は、頭の上、すぐそばにあるのだ。
意識を合わせれば、すぐにでも感じられる。カメラのピントを合わせるように。いや合わせようとしなくても、そこにいて、感じている。
深く深く、とても心地が良かった。
やる気のない仕事がますますやる気がなくなる。。。(だめだろ)
そろそろ行こう。sidheさんにメールをした。ずっと考えてたことを聞いてみよう。
きっと今なら教えてくれる気がしたのだ。
でもしーさんがナビゲートしてくれたものは、私の頭の中で考えていたクエスチョンより、もっともっと深いものだった。
遥か彼方の遠い昔、文字もなかったような時代から、脈々と受け継がれてきたものを、今私は魂の奥底に秘めている。
ものすごいエネルギー。まぶしくて強い光、今にも吹き飛ばされてしまうんじゃないかと思うくらい、おおきな力。
でもその��対の闇もとても深い。
しーさんは私に、その光と闇、両方を教えてくれた。
闇が深ければ深い程、光は強く輝くと。
ちょっとは大人になれたと思っていたのに全然子供だった。
いいかげん強くなったと思っていたのにびっくりするくらい弱かった。
トラウマなんて言葉使いたくなかったのに、トラウマ以外の言葉が浮かばない。
小さな子供に還ったようにびーびー泣いた。
でもそれが私であると、当たり前のことに気づく。
臆病で神経質で繊細で弱い私。
でもそれでいい。受け入れなければ、次へ進めない。自分から、誰かから、優しく抱きしめてもらうことも教えていただいた。
「答え」より「問い」だ。
問いこそ、答えのような気もする。
問いを追い求める姿そのものが人生だと、誰かが言っていたような。
これから私は、その、おおきなおおきな
「問い」に向き合おうとしている。
どーしましょ知っちゃった。課題びっくりするほど大きいわ。デカすぎるでしょ。リンダ困っちゃう。
でも確かに「答え」はある。
一生かけて探してみよう。
それが私の魂だから。
「歩み続けて欲しい」と私の魂が言っているから。
その言葉を受け取るために、sidhe healingに導かれた。
体から���わっていた光の感触も、今日の為にあったのだ。そんな気がしている。ほんと、いつからこんな風に感じれるようになったんでしょうね。
母さん、僕はいつから、こんなんになったんでせうね、冬、鎌倉駅からヒンメル展へ向かう途中ーーー
突然何を話し出しているんでしょうね。
わからない人は、西条八十 ぼくの帽子 で検索!
話は戻って、いつから?冬至から?ヒンメル展から?フォルメン始めてから?ラブラドライト身につけてから?
恐らく全部だろう。そしてその全てがしーさんきっかけだ。
ありがとう。
私はこれから新しい私に変化していくだろう。いや、本来の私に戻っていく感じだ。古く戻るのではなく、新しく還っていく。
しーさんご自身も、ヒンメル展を境に変わっている感じがすると言っていた。
うん、わかる。すっと強いものが、体の中心に存在している。それが粒子になって、外へ外へと溢れ出ている。新しい Sidheさんだ。Sidhe2.0だ。
その強さでまたこれから沢山の人に、優しさを与えるのでしょう。
微力ながら心から応援しています。
ありがとう。
ありがとう。
セッションの帰り道、一色海岸に寄ってみた。 夕陽の赤が空の青と混ざって、とても美しいグラデーションを描いている。
iphoneから流れてくる曲にふと心がとまる。
ギャビロペの3rdアルバム Twilight for 9th street.
8番めの曲、Just like a woman.
Bob dylanの曲をインスト���カバーしたものだ。 優しく包みこんでくれる2本のエレキのメロディが、じんわりと深いとこまで沁みてくる。
Nobody feels any pain, Tonight as I stand inside the rain Everybody knows that baby’s got new clothes, But lately I see her ribbons and her bows Have fallen from her curls
She takes just like a woman, yes, she does She makes love just like a woman, yes, she does And she aches just like a woman But she breaks just like a little girl
小さな女の子が、まるで大人の女性のように愛を振る舞う。そして女性は振る舞う、傷つきやすい、小さな女の子のようにーーー
原曲の内容が知りたくなり、検索してみると、なんとなくこんな感じの歌詞だった。 Dylanが愛する人に送った曲だけど、このあとの歌詞からも曲全体を通しても、私には新しく生まれ変わる曲のように思えたのだ。こじつけだけどね。
歌詞の中の少女が、まんま鏡のように、私の姿を写しだしているようにも思える。こじつけだけどね。
ふふ。
世界は面白いな。
そう思いながら再生画面に戻り、ギャビロペのアルバムのジャケットをもう一度見返してみると、そこには真っ暗な暗闇の中で光る、不思議な虹が描かれていた。
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mana612 · 7 years ago
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疲れたとき、必ず見てしまうインスタアカウントがある。
▶ブックデザイナー 名久井直子さん(@shiromame)の飼猫の小春ちゃん。可愛い。とびきり可愛い。我が子にしたい。
▶イラストレーター えちがわのりゆきさん(@echigawanoriyuki)のアカウントに登場する愛娘、にち��ゃん。可愛い。とびきり可愛い。我が子にしたい。
存在してるだけで癒されるこの2トップにこの度、新しい癒しのインスタアカウントが私の中に加わった。
香取慎吾さん。
言わずと知れたスーパーアイドルグループ、元smapのメンバーその人である。72時間ホンネTVとの連動で始まったSNS。初めてインスタの投稿がされた時の衝撃は忘れられない。つーかいまだに「ファッ香取くんインスタやってんじゃん!」って開いた時の5回に2回はびっくりする。
解散前、スマスマやスマステで暗い顔を見ることの方が多かったから、こんなに生き生きした姿、笑顔にまた出会えることが嬉しかった。
番組内容はともかく、3日間で100万人のフォロワーを獲得したのは彼の笑顔に惹かれたことが大きな理由なのではないだろうか。作られた笑顔ではなく、心の底から楽しそうなのが誰が見てもわかるから。
解散しても、きっと一生遊んで暮らせると思うし、これからは絵を描いたり好きなことをして生きていくのかなと思っていたので、すぐファンの方の元へ戻ってきてくれたのは以外だったが、これが本当にやりたかったことなんだなと感じた。
自分を求めてくれる人達の前で自由に表現する。制限される中ではなく、あくまでも自分の思うままに。解散したとしても、例え事務所から更新料10億円差し出されても、自由でいたかった。そう10億でもだ。10円置くのとちゃいまっせ。
新しい地図が発足されるまで、ホンネTVが始まるまでの間、多くの人の協力があったことは容易に想像できるが、特にマネージャーの飯島三智さんの力は相当なものだったと思う。
飯島さん、いや三智さんありがとう。
なんか知んないけど街 で三智さんに出会ったらお礼言っちゃうと思う。活動を再開してくれるようにサポートしてくれてありがとう。笑顔を届けてくれてありがとう。
一人の人の笑顔で何十万人、何百万人の人が幸せになれるなんて、やっぱり香取くんは選ばれた人なのだと思った。何度も繰り返すが彼のありのまま、心の底から満ち溢れるパワーに人は惹きつけられたに違いない。
ありのままでいること、今の時代の重要なキーワードである。
光に照らされた昼(太陽)の時代。精神主義の時代。
この地球は、2500年続いた夜の時代から昼の時代に移行した。これに関して、私はお話し会等は参加したことないのだけど、オガワさんがblogなどで公開されてるのでなんとなくの大筋はわかる。
でもどうして2500年なのだろう。地球が自転し、太陽の光が当たる時とそうでない時があるように、銀河全体もぐるぐると回っていて、中心か何処からか、「おおきな光」が注がれている。その光が照らされている時とそうでない時があるのではないか。知らんけど。
これまでの2500年はすべてが闇に包ま��た文明が未発達の物質中心の時代で(おかげでテクノロジーが発達した)、これからの2500年は真逆の、高度に文明が発達した精神中心の時代。んでまた次の2500年は高度な物質中心の時代…なのか?また戦争とかいっぱい起きてしまうんか?知らんけど。
そうならないようにこの2500年は愛、魂、神…、目に見えない精神的な世界を発達させていかにゃならんね。また闇に覆われても、愛や魂や神がきちんと見えたり、感じることができるように。
とはいえーだ。まずはついこないだ切り替わった昼の時代についてぇーだ。生まれ変わるかどうかもわからん2500年後のこと考えても意味なし芳一。まさに今生きている昼の時代について考えましょうそうしましょう。
昼の時代は、今まで隠されていた、偽っていた自分はなくなり、本来の自分の姿が照らされる。勘の鋭い人はそのことに気づき始めていて、本来の自分に目覚め、この新しい次元に移行しているのがまさに今なのだそうな。スコレーに来てる人は、そんな霊的感覚の鋭い人で目覚めの早い人なんだって。良かったね。
ただ、スコレーでなくても、例えば表現をする世界、芸能界とかでも感覚の鋭い人は沢山いると思う。今回はそんな昼の時代の波(?)にノリにノリまくっているタレントの方を独断と偏見でご紹介したいと思います。
あ、申し遅れました、私、juhnと申します。ユンじゃないです。受粉(じゅふん)です。男でも女でもありません。どちらかというと、めしべです。
そろそろ本家から苦情が来てもおかしくないと思うのでいずれ自粛すると思います。来年とかいつの間にかこのブログ無くなってたら、そういうことなんだなって察してください。
そしてこのブログはあくまでも勝手な妄想で壁に向かってブツブツ呟いているだけなので決して信じないように。太陽の時代について知りたい人はちきゅうのがっこうに参加してね。こちらは読むだけ損。
冗談はさておき、昼の時代の波に乗ってる人、一人め。
小柳ルミ子さん。え、小柳ルミ子さんよ。
歌手でありダンサーであり女優。昔はパートナーである大澄賢也さんとメディアでラブラブな姿を晒しているのが印象的だった。
ただ離婚されてからはなんだかルミ子さん、とっても寂しそうだったな。新しいパートナーダンサーを迎えても「賢也君以外の代わりのダンサーはいない」って言ってたもんね。メディアでも瀬戸際の花嫁なんて揶揄されていて、そこまで言わなくてもいーじゃんかよ、とランドセル担ぎながらリトル伊藤はテレビ見ながら思ってましたよ。ええ。
それが今はどうでしょう。もうすっかりおなじみになっているが、彼女はサッカー解説者として大活躍しているのだ。
彼女がサッカーにハマり始めたき��かけは、2002年の日韓ワールドカップかららしいのだが、どんどんサッカー愛がエスカレートしていき、今では年間2000試合以上も観戦し、試合内容を記録したノートは100冊を超える程のサッカー狂。
そして今年ついに念願の解説者デビューを果たし、初解説と思えない玄人並の名言を連発した。
「ボシュ監督のアヤックスはヨーロッパリーグ決勝でモウリーニョにまんまとハメられた。(ドルトムントの)若い攻撃陣をどれだけマネジメントできるか。4-3-3の中でね」「個人的にはトゥヘルより期待してる。前任者はチームとの信頼関係がなかった」「サッカーはただクソ真面目にやってもダメ。ずる賢くないと。ジャッジを味方につけてしたたかに。それも人生だから」「サッカーは人生の縮図、社会の縮図、人間関係の縮図」
…凄過ぎ。
7月には彼女が選手の中で最も愛するリオネル・メッシと対面。展開早ぇ。
サッカーの話をしている時、ルミ子さんは非常に生き生きとしていて、見ているこちらもなんだか元気になれる。だって本当に本当に楽しそうなんだもん。恐らく彼女の、人を真っ直ぐに愛する心と、徹底的に分析、研究し、表現する才能がばっちりサッカーという分野に当てはまったのだと思う。良かったね。
続いて2人め。
香川照之さん。
俳優であり歌舞伎俳優。日本アカデミー賞最優秀助演男優賞受賞、ブルーリボン賞助演男優賞受賞など、華々しい経歴を持つ日本を代表する演者さんだが、近年注目されるのは、狂気と思える程の昆虫愛。幼い頃から昆虫が好きだったそうで、俳優さんになっても映画のロケで草むらがあると休憩時間熱心に昆虫を探していたそうな。
2016年10月に放送された、NHKの番組「昆虫すごいぜ」は大反響。放送後200件以上もの感想が寄せられる程だったそう。
とにかく熱い昆虫愛。カマキリの着ぐるみを着て多摩川の河川敷を這いずり回る画は衝撃以外の何物でもなかった。
「俳優生活苦節28年、やっと本当にやりたい仕事ができました!」「草むらを見るとムラムラする」「今日の衣装はカマキリの“メス”なので、私のことは『お母さん』と呼びなさい」
などなど、ルミ子さん同様に番組内でさまざまな名言が飛び出した。
本日、大晦日にEテレで過去4作が一挙に放送され、元旦には新作のマレーシアロケの模様が放送されるらしい。見たい。見た過ぎる。
きっと香川さんは【自然】というものと強いご縁���あって、私達に自然と寄り添うこと、昆虫もしくは野生というものから多くを学ばせるために生まれてきたメッセンジャーのような方なのかもしれない。…と、なんかいい感じにまとめてみたが、番組見てもあんまり昆虫の知識は頭に入って来ず、ただただ自然相手に暴走する香川さん見てるのが面白いだけ。
しかしお2人とも、自分の心の底から湧き上がる「好き」に驚く程正直。ただ楽しんでいるように見えて仕方ないが、きっちり仕事に結びついている。そしてそれを見る視聴者も楽しい。元気が出る。まさにwin-winの関係。香取くんと同じような幸せに満ちたエネルギーを感じた。
もし、もしこれが全ての人に作用したらーー今すぐにでも世界は平和になる。
もう我慢しなくていい。時代は変わり、すべてが明るく、すみずみまで見え、感じられるようになった。心の底から湧き上がるものを表現すれば全てがうまくいく。新しい昼の時代とはなんと幸せな時代だろうか。
どんな人も底知れぬ可能性があり、これからそれが目覚めていく。これまでの自分からは思いもよらなかったことと出会えるかもしれない。まさに未知の大遭遇。
きっとそれは心のまま、感じたままに生きることがキーワードだと思う。性別も年齢も関係ないし、今どんな職業についていてももちろん関係ない。
ドロ沼離婚したってメッシにインタビューできるし、歌舞伎役者だってカマキリになれるのだ。
全ての人に無限の可能性がある。
さあそれで、自分はどうなのだと。未知すぎてわかんない。デザイン業やってっけども、大したことない。できないことの方が多いし。
そもそも私、宇宙人らしいので、地球が合わない。人の話がわからない。覚えられない。やろうと思ったことすぐに忘れる。全然違うこと話し出す。このこと書いてると泣きそうになる。
こんなんだから、まず会社の打ち合わせがめっぽう苦手。メモをしても何書いてんのか読めないし。つーか会議の話がわからな過ぎて、聞いてても左から右へ言葉が通り過ぎ、しまいには眠りこけ(そうになって)しまうのである。一瞬ね一瞬。…よく給料貰えてんな。
でも何故か、周りの考えてることがわかったりしちゃうもんだから、ミスをしてしまうと私に向けられたキツい感情を感知してしまい、しんどくなったりする。何年も通っている会社なのに、緊張し過ぎて会社近くのルノアールで、ホットミルクを飲んで気持ちを落ち着けてから出勤していた時期もあった。できるようになりたいのにできない自分。気合いを入れないと普通ができない。
光に照らされる昼の時代、本来の自分に目覚めていくのはいいけども、元の自分になればなるほど、社会に馴染めなくなって、生きてゆけなくなるのではないかという怖さに襲われた。サンセットのかおりさんにも、こんなような相談したっけかな。。泣きながら。
でもかおりさん、こう話してくれた。
「宇宙人だからできることをしてく���さい。あんまり社会のとかのことは気にしなくていいし、マナさんが一生懸命にしていること、以外と違うかもしれない。まずは自分の魂の声を聞いてあげること。そして宇宙人だからオバQだからドラえもんだからできることがあって、そのためにこの地球に来ているから。ある意味自分の為にしていることが、私達の幸せを底上げしてくれると思いますよ。その方が私たち、HAPPYになるね。」
染みるーーー
できるだろうか。香取くんのように香川さんのように、ルミ子さんのように。自分のための幸せが、誰かの幸せに繋げられるだろうか。
自分を心の底から解放できる鍵はどこにあるのだろう。
かおりさんの言葉と共に、救いになってるのは、同じように宇宙人気質のスコレーで出会った大事な友人達。みんなすっごく頑張っている。勇気を貰える。もがきながらも、自分という家に住み付き合っている。その姿が愛しくて仕方ない。なんだか上から目線で申し訳ない。
いつか、いつの日か、そんな宇宙人達を沢山集めて会合を開きたい。皆で集まって、地球での頑張りを讃えたり、故郷の星のことを話しながら。わいわいやるのだ。宇宙人の大集合。未知の大大大遭遇。
「貴方は何処の星から来たの?あぁ、あの虹で出来た星ね。あの星、とても美しいと思ってたの。この地球で出会えるなんて本当に嬉しい」
「よくこの地球で頑張ってるよね。でも地球、とても美しくて大好きだよね」
こんなことを話してみたい。
ぶっとんでていい、話しがまとまらなくたっていい。皆がいてくれるだけで幸せになれる。なんかその皆の影響で、自分のやるべきことや、幸せになれること、見つけられるかもしれないし。勝手に妄想し、勝手にワクワクしてきた。来た来た、心の底から楽しいこと。
きっと楽しいだろうな。ぽかぽかした陽気の中、テーブルを囲んで身のある話や全く身にならない話で盛り上がる。皆がわいわいしてる姿を眺めながら、白湯をすする。その場にいたらきっと嬉しくてなんか知んないけど白湯で泥酔するかもしれないわ。史上初、白湯で酔う人間。
そして安心しきって、1人、皆の輪の中で眠りこけてしまうのだ。
それが今の夢。心から求める私の幸せ。そこから何か未知を引き出す鍵が見つかるかもしれない。
以上。
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mana612 · 7 years ago
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今私の目の前には大量に積み上げられた紙や資料の山がある。
この秋、ヒンメルを描くにあたり、向き合ってきた思い出の山だ。
しーさんからお話をいただいた当初は、有り難くって嬉しくて、るんるんしながらペンを滑らせていた。
でもだんだんと本格的な制作期間に入ると、思うように作業が進まなくなった。
「宇宙を具現化したものを…」「山下先生の作品に馴染むものを…」「もっと自由に、解放した心を表現して…」
形にしたい、叶えたい願望が頭のなかにあり過ぎて、自分をいつの間にかガチガチに縛って、わけわかんなくなってきた。
スティルバイトを握りしめ、第五を開くアロマを浴びるように焚く日々。
もう途中ね、自分の描くHの文字が大嫌いになったよまじで。(しーさんごめんなさい…)
思えばこんなになるまで、表現することに心から向き合ってきたことはなかった。
多少作る事に携わってきてはきてはいたけど、所詮小さなマスコミ会社のDTP。こんな体験今までできていなかった。いや、やってきたつもりがやってきていなかったというべきか。
表現することイコール自分をさらけ出すことなんだ。知らなかった。
ありのままの自分がそのまま写し出される。未熟な部分や汚い部分もすべて。これはすごく怖いことなんだ。
悩んでいた理由はきっと、出来てない自分を突きつけられたからなのだと思う。
私の周りいるアーティストさん達は皆、素晴らしい才能を持っている人達ばっかりで、ごくごく当たり前のようにその表現を行っているものだと思っていた。バカか。
私の中の西川きよしが、行うは難し言うはヤスシくんやでしかし。と囁いた気がする。ヘレンも同じこと言いはると思います。
きっとどのアーティストさんも長い期間、この気持ちに向き合い、世に生み出された作品の数の何十倍、何百倍もの未完の山を積み上げてきたはずなのだ。
まだ始まったばかり。そもそもただ描くということを真剣に体験し、どやさと外に出してみただけで、私は描くことが向いているのかも分からない。
それでも、私も周りの尊敬する方たちのように自分にしかできないことを存分に発揮してみたいと思った。なんでもいい。とにかく同じ「創造」の世界に行きたい。すぐにでも。そう、気分は今いくよくるよ師匠。
冬のヒンメル展は「わたし」と「宇宙」に出会うことがテーマなのだそうです。今の自分が持つ、宇宙、天空のイメージをロゴに込めました。
展覧会が始まるより一足早く「わたし」と「宇宙」に触れさせていただきましたよ。お得ーーー
.
これからもっともっと頑張り���す。しーさんにこのような機会を与えてくださって本当に感謝しています。心からありがとうございます。
どうなることやら。まずはスタート、創造の世界に足つっこんだところから始めさせて下さい。
…神さまに言われてるだろうなきっと
「伊藤ちゃん、そんなとこに足出して」
「いや腕やっちゅうねん」
以上。
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mana612 · 7 years ago
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山のスコレーへ初めて訪れてから1年が過ぎていた。
思えば遠くへみのもんた。
昨年の4月に起こった熊本地震の直後から、私は言葉にできないような危機感を感じながら過ごしていた。夏までもたないかもしれない、私が、日本が、はじき飛ばされてしまうような、いつ死んでおかしくないような、そんな感覚に襲われていた。
怖い。
とりあえず災害への備えのために、食料の備蓄やトイレットペーパーを大量に買い込んだり、できることは何で���やった。それはそれは必死だった。
万が一の時のために、家族や大切な人へ遺す手紙まで準備していた。
…切羽詰まっているくせに、ビジュアルにもちゃんとこだわろうと吉祥寺のおしゃれ紙ショップ【paper message】に行って小一時間便箋を選んだりする銀オーラチックなとこだけは変わらない。
そして毎日のように、地球に向かって祈っていた。あと1カ月、あと1週間、生きさせてください。皆の心が穏やかな状態でいられるよう祈らせてください。
毎日同じ時間、同じ場所で祈っていた。
それしかできることがなかった。
どうしてそんなに焦っていたのか、理由はわからないけどそう感じていたのだからしょうがない。
そしてもう一つ、私にはこれ程までに必死になる理由があった。
私は日本のスカバンド、東京スカパラダイスオーケストラの大ファンなのである。
8月にスカパラのフェスのチケットとツアーバスの予約をしていた。
死んでしまったらもうスカパラに会えなくなる。ワンマンやホールツアーも大好きだが、一年に一度、楽しみにしていたスカパラ主催のフェスに行けなくなるなんて考えられない。
さっき地球を穏やかにつったけど、思いの強さ的には、
スカパラ>地球
であった。
地球が、日本が、どうにかなってしまったらスカパラのライブが見���なくなる。電気とかほら、ステージに照明つかなくなるじゃん?アンプ繋いでも音でないじゃん?PAさん調整できないじゃん?
地球が正常に機能してこそのスカパラ。
だから私の祈る鉾先はとにもかくにも地球であった。
今考えたら狂ってたとしか思えない。
そもそも世界ごと吹っ飛んだりすればスカパラどころではない。弊社も御社も木っ端みじんなシンゴジラ状態なのだから。ライブどころじゃないって。どこまでも思考が飛んでいる。
だが、その狂気的な愛と祈りの効果(たぶん違う)によって、なんとか8月まで自分にも地球にも危機的な出来事が起こることは無かった。フェスもちゃんと行けた。
でもまだ少し、心には違和感があった。自分自身をもっと穏やかにしなければ。
その時私は、加藤俊朗さんの『呼吸の本』を熱心に読んでいた。呼吸を整えて、自分を、世界を、地球を感じること。
毎日のように地球に対して(矛盾たっぷりの)お祈りをしていた私は、今ここで生きていること、地球にいることに感謝と愛情の気持ちを真剣に抱くようになっていた。
もっともっと良くしたい。自分を整えれば整えるほど、ちょっとでも地球も連動して穏やかになるのかももしれない。なんか、繋がっている気がする。地球と、私は。心とカラダ、人間のぜんぶ、オリンパス。
そんな願いが、自然と私を瞑想へ引き寄せていった。
それが山のスコレーへ行こうと思ったきっかけ。
もう4〜5年くらい前から、オガワさんのお名前とスコレーという場所については知っていたけど、イベントやセッションに参加する機会はなく、いつか行ければいいな〜となんとなく思っていたくらいだった。
初めて瞑想レッスンで山のスコレーを訪れた時は、それはそれは心身がぐちゃぐちゃで、常に何かを頭で必死に考えている状態。肩も背中もガッチガチに凝り固まって、アンメルツゴールデンEX(ちょっと高いやつ)が手放せない状態だった。
何から解消してよいのかわからないまま、心にざわざわしたものが残ったまま、藁をもつかむ思いで参加したのだけど、レッスンが始まる前、こんなことをオガワさんが話してくれた。
「私達の心には、壺のようなものがあります、日々過ごしていると、この壺も汚れたり、中身がいっぱいになって溢れてしまいます。部屋を綺麗にするように、心の中の壺も綺麗にしてあげましょう」
そう話してくれた瞬間、何故かドバドバと涙が溢れてきた。「探していたものを見つけるきっかけは、ここにあるよ。」と私の魂が囁いた気がした。
それから1年、何度も何度も、まーしつこいくらいにスコレーのイベントやレッスンに参加させていただいた。おかげ様でだいぶ心も体も、ましになった気がしている。
気がついたら、この世からはじき飛ばされてしまうような不安や恐怖感も消えてなくなっていた。
あんなにガチガチだった身体が、驚くほど柔らかくなったし、何よりも沢山の素晴らしい出会いにめぐり会えた。今までで一番、自分が自分らしくいれる人達と一緒にいれる幸せ。
瞑想���すると半年で人生が変わる。想像もしない場所へ連れて行ってくれる。それは本当のようです。
オガワさんが瞑想を大切にしている理由もこれなんだと分かった。自分の真ん中が綺麗になれば、あとは自然に良くなっていく。
何度めかの瞑想レッスンで、
「伊藤(私)さんはブっ飛んだ人だから。。」
オガワさんのこの言葉に爆笑←してくれた、Harbal therapistの里美さん。
彼女とはその日の瞑想レッスン以来、すぐに意気投合し、今新しいプロジェクトを一緒に始めようとしている。
のちに死んでしまうような気持ちを抱いていたことを彼女に話したら、「それはきっと、死ぬんじゃなくて、生まれ変わろうとしていたんじゃないかな」と、言ってくれた。神ーーー
Beltene of springで出会った、ficelさんは同じ水色のオーラを持った大切なお友達。灰方るりさんとも出会ってすぐにイベントでお手伝いをさせていただいて、ficelさん同様に今では私の心の中に大きな支えとなってくれている方。
いつも会えるわけではないけれど、それぞれがそれぞれの場所で必死で頑張っている。そう思うだけで力をくれる存在。
他にも沢山沢山、素晴らしいお友達に出会うことが出来た。
こんなことってあるんだなあ。こんなにも人に対して愛が持てるようになるんだなあ。人っていつだって変われるんだなあ。つーか前の自分にはもう戻れないわー。まじ思えば遠くへみのもんただわー。つーか谷中敦氏がバラエティ番組でl love youを月が綺麗ですねみたいに訳してくださいってなった時「もう後には戻れないな」って回答してて出演者感動させてたわ腹立つわー。
そんな風に少し、他人事のように、でも静かに感動もしながら今を過ごしている。
そして新月の今夜、またここから新しく始まりそうな気がする。
1年前を振り返りながら、またこれからどんな風に変わっていくのか、どんな場所へ行くのか。記録の変わりに時たま、ここに綴って行こうと思います。以上。
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