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Do your dance dance in the moonlight
仕事に落ちまくっている。流石に落ち込む。そうするとだんだん焦ってくる。お金のこと考え始めると焦って、ネガティブなことばかりが頭に浮かんでくる。今すぐお金が無くなるわけでもないのに、なんだかお先真っ暗な気さえしてくる。このまま仕事見つからなくて帰ることになるのかな、とか。選ばなきゃ仕事があることは分かってる。でも、もう自分に嘘ついてまでお金稼ぎたくないよー。日本でしんどかったこと、また繰り返したくはない。私は私らしく生きたいよー。
私らしいって何だろうって考えたけど、楽しみながら生きることかもしれない。今を楽しめてるとしたら、それは私らしく生きてることになるのかも。お金は確かに大事、でも焦ってお金を優先した仕事をしても、楽しくないと感じるならそれはダメだよね。パートタイムであろうと、少しなりとも自分がワクワクするようなことをやりたい。楽しい?って聞かれた時に、素直に楽しいよって言えるようなことをしたいよー。お金も距離も条件も一旦置いといて、ワクワクするかしないかで仕事を探してみるのはどうだろう。私としてはかなり冒険しているように感じる。でも、なんか楽しそう。そんなこと、今までしたことなかった。
そこで、それをすることで、私は楽しいか、ワクワクできているか、っていうのを己に問い続けていたい。私らしさを先に考えてからそれを実行するのではなく、ワクワクしている・楽しんでいるその状態こそが「私らしい」ということになる、のかもしれないと気づいた火曜日の深夜でした。
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労働に対するモチベが低すぎる
仕事見つからないよ〜!本格的に探し始めて早2週間半くらいですが、中々見つかりません。一つオファーを貰ったけど遠すぎたので断念。それ以外は音沙汰無しでございますわよ。結果催促したりもしてるが、無視されてる^_^ 落ちてる連絡するのもダルいか^_^
というわけで職探し難航してるので、色んな業界にアプローチを��てみてますが、ふと思い立ちアカデミック系の求人も覗いてみた。だがしかし、全く楽しそうではない。てか仕事量多くね? 時給はいいけど大変そうだーと思い、そっとウィンドウを閉じた。
今は生活のための仕事を探してるので、そこに楽しさとかはあまり求めていないけど、でもやっぱり少なからずそこに時間を費やすのならちょっとでも興味を持てそうな事がいいなーと思ったりもする。本を読んだり文を書いたり、(内容にもよるが)リサーチをすることは楽しかったので、アカデミック系の職ありかも!と考えたが、それらを仕事にするとなったら全く興味を持てなかった。
なぜだろう。仕事、という概念が絡むとなんかしっかりしなきゃって感じがするよね。責任感が生じるというか。金銭が発生するからなのかもだけど。そういう状況下でアカデミックの現場にいるのはしんどそう。
まあつまり、自分の興味のために知識を吸収したり出力することは楽しいけど、好きでも無いのに特定の誰かに向けて同じような事するのは、ちょっと息苦しそうな感じがした。なんて自分勝手な人間なんだ。。。
てか何でも仕事に結びつけて考えるのは嫌よね〜。もうあれだ、業種とかではなく人間関係がいい感じのところで働けたらいいかなと思います。
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そういえばちょっと前まで住所不定無職だった
ひとまず住む家が見つかったので今は絶賛仕事探しに励んでいます。家賃はちょっと高いけど腰を落ち着ける場所が見つかったのは安心。タイトルにも書いたけど、住所不定無職って響き、恐ろしい。NHKの昼のニュースでよく聞いたフレーズだよ。
早速家が決まったので、日本で作ったwiseという送金サービスの住所変更をしようと思い、カスタマーサービスに契約書の写真を添付して変更したい事をメールした。そしたらなんと返事はノー。マジか?こちとらこのバカみたいな円安下でデポジットと安くない家賃を払っているんですが?と言いたい気持ちを抑えて、なぜダメなのか聞いたところ、賃貸条件が書かれてないからと来た。見たところ書かれているし、正直何を言っているかよく分からない。
私の家は個人の大家さんが貸しているので、契約書もなんかワードでパパッと作った感じの出来です。でもちゃんと双方のサインはある。公的な書類っぽくないからダメってコト?も〜マジでめんどくさい。しっかりしているのかもしれないけどさー、書類が通らない理由もいまいち的を得ないのは何?わざと?もっと適当でいいじゃん(泣)
なのでwiseの住所変更を達成するためにも、職をなる早(死語ですか?)で見つけたいと思います。俺は求職の鬼になる。
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新しい滞在先に来た時のホームシック感
今日は引っ越しだった。といってもタクシー(しかもプリウス)一つで引っ越したので、文字から想像するような大がかりな移動はしていない。一ヶ月居たエアビーに着いた時も感じたホームシック的なものを、今回も引っ越し先に到着して荷解きをしている時にフッと降りてきた。あ、なんか寂しい、みたいな感じ。このホームシックは日本が恋しいとかではなく、ただ慣れた場所が恋しい、という意味のホームシックかなーと思っている。新しい場所はソワソワして落ち着かないし。匂いとか違うし。なので私は到着したら割とすぐに手持ちの香水を部屋に撒きます。とにかく一刻も早く落ち着ける空間として整えたいので……。
他人の家に来たんだな、でも1人だな、なんか寂しいな、というお気持ちが襲ってきてちょっとシュンとしたのでさっさと寝ます。こういう時はさっさと寝るに限る。夜更かしすると碌な事考えないんでね。
今の家は家賃が高めなのでいずれ引っ越すつもりだけど、早く落ち着ける場所にしたいなー、セーブポイントが無いと冒険出来ないじゃんね。
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消費以外の楽しいことって社会が用意してくれるの?
ロンドンにはいい感じの公園が至る所にあるので、暇な時とかリフレッシュしたい時はとりあえず公園でボーッとしたり本を読んだりしてる。あとは美術館行ったりギャラリーに行ったりしてます。どれも無料なので、無職の身としてはありがたいばかりですね。まぁ別に無職じゃなくても公園でチルしたり美術館や博物館で鑑賞はできますが、何が言いたいかっていうと、お金をかけなくても楽しいこととかリラックスできることが、大都会で実現できるのはすごい気がする。私の中では都会での娯楽は金がかかるなぁというイメージだったから。東京でも無料の展示とかは沢山あるし、公園とか植物園とか屋上庭園とか色々あるとは思う。ただ、無料の展示は量が少なくてあっさり見終わったりするし、公園もそれほど数があるわけじゃない。そもそもそんなに公園で寛いでる人を見かけたことがあまりない。そういう時間の過ごし方が浸透していないってことだと思う。私も公園で寝っ転がることなんてロンドンに来るまでほぼ無かったけど、皆寝転んでるから私も〜って感じ。
消費以外の楽しいことって色々あるはずなのに、楽しいことって消費以外に無いような気がしてくる。そういう環境で育ってきたからこそ、所謂メインストリーム的な生き方から外れるのがすごく怖かった。外れたら楽しいこと出来ない気がしたから。
でも、何を楽しいと感じるかは人それぞれだけど、きっと消費以外にも楽しいことってあると思います。まともに会社員やってた時は、それに気づけなかったというか、その余裕が無かったような。あと、あらゆるメディアが消費を促してくるから、周りも自分も消費が一番の娯楽だと感じるのは当たり前のことだと思う。でも皆が消費ばっかりしてたら、新しく楽しいことって中々生まれてこないし、生まれたとしてもすぐにそれも消費されちゃうよね。それって後々つまんない社会になるじゃん!嫌 だから、社会が消費以外にも楽しいことあるよーってもっと知らせてくれたら良いのになー、てかそうするべきじゃないですか?皆が消費ばっかしてたら、段々飽きてきて経済とかも滞るかもしれないじゃん、知らんけど。だから社会頼む!もっと色んな生き方肯定してくれ!
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コスチューム
購入したことは無いが、Commissionというアメリカのファッションブランドが好き。最近SS25のコレクションを発表したのだが、それが本当もうめちゃくちゃ良い。スタイリングとかモデルとかが絶妙なのも魅力のひとつだと思う。デザイナーは3人、全員アジアにルーツを持ち、ブランドのコアイメージもアジアンカルチャーに由来している。曰く、忙しい中でもファッションに気を使う彼らの母親がクールで、それがイメージ源になっているとか。そのコレクションを眺めて思うのは、日常的で普段着っぽいテイストなのに、どこか違和感というか不思議な感じがするのだ。それもどうやら意図されているようで、彼らは日常的でありながらも映画衣装のようなコスチュームらしいファッションを目指しているとインタビューの中で話していた。
普遍的でありながらも衣装のような、特別な感じというのはどうやって表現できるのだろう。個人的には、中身と装いが一致していることかなーと思っている。つまり、中身を装いで表現するということだ。そうすることでありふれた服もなんだか素敵に見えるということです。そんなこと可能なんかいというツッコミが予想されますが、まあ、着続けていればそれっぽくなるんじゃないんですかね(適当)。それに、無意識的に手に取り続ける服は少なからずあなたの内部を表現する一部になっているのではないでしょうか。もちろん、ポリシーを持って同じ服を着続けることはカッコいいし、私もやりたい。でも、もしかたら、「なんかよく分かんないけどこの服好きだし心地いいな」と思うファッションが、すでにあなたの思想というかポリシー的なものを表現しているのかもしれない、と思った。無意識的に選んでるかもしれないよねというお話です。とにかく、まずは中身をしっかりしないとね、とCommissionの素敵コレクションを見て再認識した次第です。ファッションという装飾的なカルチャーによって自分の意見を持つこと(精神)の重要さを気付かされるの、皮肉がきいておる。
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見ること/見られること
この間行ったSerpentine Galleriesに併設されていた本屋で、ジョンバージャーのWays of Seeingを見た。学部時代に読んだことがあるが、おそらく人生で初めての美術系の学術書だったと思う。英語も難しくないので読みやすく、ボリュームもそんなに無かった気がする。むしろアートに馴染みが無い人に向けて書かれていたような……内容はタイトルの通り、「見ること」について書かれている。絵画や広告、その他様々なメディアを見る視線にはどのような意味が含まれているのか、そのメディアが鑑賞者に要求することは何なのか、みたいな感じだったと思う(かなりうろ覚え)。
視線といえば先日電車に乗った際、隣席の人にかなりジロジロ見られた。覗き込むまでいかないが、半分そんな感じだった。ロンドンに来たばかりということもあり驚いたが、平静を装ってそのままでいたら興味を失ったようでそれ以降はチラチラ見る程度だった。それっぽい匂いがしたのでおそらく大麻を吸っていたのだろう。普通に挙動不審で怖かった〜。
見られるということは怖い。だが面倒くさいことに私にも承認欲求?はあるので、全く見られないというのは寂しい。今日髪型いい感じ!という時は見てほしいし。
でも長い間ジロジロ見られるのは嫌だな、と思う。しかも今回の例は電車内だった。街でジロジロ見られるのとは緊張感が違う。ゴフマンの儀礼的無関心が言うように、電車内では無関心を装うのが暗黙のルールなのに、それを無視して視線を向け続けられるのは、居心地が悪いどころか恐怖だった。外のように逃げ切ることができないし、何より至近距離にいる。席を立ってもよかったが、下手に刺激したくないなと思い無で過ごした。見られた理由なぞ知る由も無いが、とにかく嫌&恐怖だった。
その後特に予定もなかったので、2回目のテートモダンに行くことにした。片山真理さんの展示がどうしても見たかったのだが、やっぱり良かった。特に、見られ続けてナイーブになってた心に刺さりまくってちょっとうるってきた。片山さんは両足義足で、それ故におそらく幼少の頃から他人の視線を否応なく浴びせられてきたんじゃないかと思う。けれど、セルフポートレートという方法で自身を作品の一部とすることによって、「見る」という行為の質を変化させている。生身の人間に向ける好奇の視線と、アートを鑑賞する視線は、違うはずだ。前者は他人を自分とは切り離したものとして「見て」いるが、アートを鑑賞するときは、そこに自分の姿を見ることだって出来る。片山さんの作品には、彼女自身に向けられる視線を「好奇」で終わらせず、見る人々をその先へ、もっと自由な、過去だったり未来だったりへと連れて行ってくれる気がする。そんなパワーがある。
P.S. キマってる時は電車に乗らないで欲しいです。
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クリケット
今日初めてクリケットを実際に見た。近所の公園で絵でも描くかーと思い適当な木の下に腰を下ろしたら、目の前の開けたエリアで白い服を着た人々が10名ほどいて何かをしているようだった。何してるんだ?と眺めていたら、クリケットだと分かった。黒執事でしか読んだことがなかったので、本当にやってる!と思いちょっと感動した。
ルールはほぼ知らないのだが、あまり激しくないスポーツだということは分かった。芝生の公園でやってるし。服装もどことなく優雅な感じ。ポロシャツとか靴とか帽子とか。見ているうちに、これは勝敗を楽しむのではなく、イギリスにおける貴重な青天と爽やかな風と豊かな緑を味わう遊戯のような気がしてきた。それくらい、なんか、優雅というか、白熱さがない。草野球でももうちょい白熱するだろってレベル。ルールか知らんがプレイヤー同士で拍手が度々起こるし。これが紳士のスポーツか~となった日曜の午後でした。
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経験信仰者
新潟に住んでいたときはほとんど美術館やギャラリーに行かなかった。行ったとしても大地の芸術祭とか。東京に居た時も自分の東京近辺の美術館に行くくらいだった。せっかくアクセス抜群の都内に居たんだからもっと全国の美術館とかギャラリーに行けばよかったと後悔している。
学生の頃は周りよりも知識が無かったので追いつくために必死に勉強をしていたけれど、経験と勉強の往復をもっと実践すべきだったと今になって思う。本だけだとサラーっと流してしまうことも、実際に経験すると五感を伴った記憶として残るので定着率が高い気がする。
だからこうして今ロンドンに居て、夥しい数の名作をほぼ無料で見れるというのは改めて学び直す絶好の機会なんだ、とふと思った。
全然本読めてないけど。
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コンラン卿
subtitle: Today's Viewing is so hasstle.
夕方からの内見の前に同じ方向にあるDesign Museumに行ってきた。アートというよりデザインなので、前のめりというかまぁ楽しそうなので行ってみるかレベルの気持ちで訪れた。結果、めちゃ楽しかった。ありとあらゆる物のデザインについて展示してるので飽きないし、展示方法もユニークかつカラフルなのでテーマパーク感があった。かと思えば「いいデザインとは?」っていうキャプションの側にライフルとギプスがあったりする。単にビジュアルや使い勝手の良さを伝えるのではなく、デザインが社会に与える影響、人々から与えられる影響についても触れているのでじっくり見ると時間がかかる。そんなに展示無いけど。服もちらほら取り上げられていて嬉しかった。ヴィヴィアンウエストウッドのズタボロディズニーシャツが好き。
これから1時間かけて内見先まで行くのがダルくなるくらい真剣に見てしまいましたが、何とか歩きます。
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些細なことが嬉しい
subtitle: What a privileged environment!
滞在先の洗濯機をうまく使うコツがようやく分かった。ネットで探してもよく分からなかったので試行錯誤して自力で見つけたのだが、それだけでこんなにも嬉しい。27年も日本にいると苦労せずに毎日を過ごせてしまう。初めての外国での暮らしは大変だけど、こういう小さな出来事で元気が出たり喜びを感じることは美しいし、きっとここに来なきゃ感じられなかったと思う。その瞬間だけじゃなくて、後々もきっと思い出すし糧になる。
ちなみに、窓の閉じ方はまだよく分かっていない。
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こんにちは、ロンドン
ロンドンに引っ越した。
所謂ワーキングホリデーなので2年間の滞在予定になる。ロンドンに引っ越したとは言うものの、まだ定住先は見つかっていない。家探しが困難な事は渡英前から知っていたはずなのに、いざ問題に直面すると結構しんどい。まだAirbnbの期限まで時間はあるものの、ふとした瞬間に不安になる。全ては運とタイミングなのに……。
不確定なものに左右されて嘆いてばかりいられないので、エネルギーチャージのために美術館に行った。無料だし。そんで初テートモダンは超最高!でも時間あんまり無くて片山真理さんの展示見逃してたしじっくり見れたわけじゃないから絶対また行きます。何が良かったかは後でじっくり書くよー
今は公園で寝転がりながら衝動買いした高いタルトを食べてます。頑張るぞー
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ブログ投稿にうってつけの日
久々の晴れで気温も高いし、なんとなく気分が良い。買い物に行った帰りに車窓から景色をぼんやり見ていると、外は平和でのんびりしていて、これが幸せってやつなのかもと思った。けどそう思った次の瞬間には不安になった。なぜなら人生は続くからです。ディズニー行った時も同じような思考によく至る。今どんなに「幸せだー!」と思ってもそれには終わりが来るし、その後も日常は同じように繰り返されると思うと、ちょっと高いところから落ちた時のような恐怖感に襲われる。似たような毎日を送ることに恐れを抱いているらしい。理由はまた今度ボーッとしながら考えます。とりあえず最近は絵を描いている。参考写真無いとまだ厳しい。絵描くの大変だけど楽しいね。
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明るかった夜
寝ようと思って電気消したら外が妙に明るくてびっくりした。写真で見ると電灯みたいな月だね。いつもと違う月が嬉しくて、この日は寝るの勿体ないなーと思いながら寝ました。

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