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「ある」は有限、「ない」は無限かつ不変
昔は家族のためとか友達のためとか、強迫観念に突き動かされるような形で頑張ることができたけれど、それがなくなってもう何年もの間、頑張る理由が見つからない。
理由がないから、無鉄砲な走り方ができなくなったから、まだひとりで生き永らえている。
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Facebookが流行って以降、SNSアカウントは実名が一般的になった。
わたしもその潮流に乗り、持っているアカウントはほぼ実名(知人と当たり前に繋がっている)のものばかりになった。
でも最近、古のインターネットみたいに、一部の知人だけとか、どこの誰だか全然知らない人とゆるっと交流するみたいなことをまたしたいな〜と思う。
最近の匿名アカウントは、怒ってるか病んでるか趣味特化かアフィリエイトばっかりで恐い。
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体がバグっている
首のリンパがずっと腫れている。 38度まではいかないくらいの熱がほぼ毎日出ている。 夜は普段眠れないが、反動が来るとずっと寝てしまう。 歩いたり何か活動したりするとすぐ疲れてしまう。 偏頭痛が頻繁に起き、薬を飲んでも治らない。 なんとなくめまいがする。 Fitbitの安静時心拍数が低下していく。 ストレスのない生活をしているとは言い難いが、メンタル的な不調というよりは普通に体調が悪くてメンタルがだめになりそう。 貧血だろうと思いサプリメントを飲んでいるが、なかなか改善しない。
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悪は存在しないのか?
生きていると色々な場面で悪意を感じ取ることはある。 しかし、「悪」と言い切れるようなものにはまだ実際には出会っていないかもしれない。 結果が悪でも因果が悪ではないこともあれば、その逆もある。 悪はどこにでも存在するし、どこにも存在しないとも言える。
『悪は存在しない』という映画を観た。 「上流で起きたことは必ず下流へ影響をもたらす。」 自然と、そこに存在する人間たちの相互作用のなかで保たれたバランス。それが崩されたり崩れたりすることが描かれているようだった。 映画の中ではっきり悪として描かれた存在はあったけれど、それでもこの世に悪は存在しないのかもしれない���いう気持ちにもなれる、美しい映像だった。
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生成AIについては、色々な可能性が広がることへの期待で個人的にはわくわくしているし、実際の活用方法を模索してもいる。 でも一方で、簡単にそれっぽいものを作れてしまうことへの懸念も感じている。SEOに特化したコンテンツを量産してPVを伸ばすメディアが大量発生した時代のように、目的のないコンテンツが溢れるようになるのではないかと。すでにそういう文章を目にすることも多い。 検索のアルゴリズムに向けて、AIが作るコンテンツを世に出し続ける。 これは一体誰がつくる誰のためのもの?
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知らない不幸と、知ることによる不幸がある
自分は何者でもないと思い続ける絶望と、自分は何者かであるはずなのにその姿になれていないと思い続ける絶望だったら、質的には後者のほうがつらいのかもしれないと最近考えた。
持っていないものを嘆くより持っていたものを失う方が、その絶望には本人にとっての現実感と重みが伴うはずだ。
ぼくは幼少期から自分は何者でもないという気持ちが強かったので、ここまで来ることができたのかもしれない。
昔は不幸になってでも世界の知らなくていいことを全部知りたいと思っていたけれど、世界が広がるにつれ知らなくていいことはたくさんあると思うようになったきた。
今はそういうものを避けることで、自分の安全を保つようにしている。
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バンコクにいる
ここには4歳の時、家族旅行で来たことがある。 なぜ4歳だと言い切れるかというと、旅行の代わりに、幼稚園での初めての芋掘り行事に参加できなかったからだ。 翌年はきちんと芋を掘ったので、園を休んでバンコクへ行ったのが年少の秋であったことがわかる。
4歳で訪れたバンコクが、最初で最後の海外家族旅行だった。 (国内に限っても、それ以降家族全員揃っての旅行は他2回くらいだと思うけど) 初めてで唯一の海外だったというのもあって、この旅行についてはわりとはっきりと複数の記憶がある。
仕切りのある広いホテルの部屋をお兄ちゃんと駆け回って遊んだこと、 ホテルにあるフルーツの盛り合わせを食べていいのか悩んだこと、 象にバナナをあげるのが怖くてできなくてお兄ちゃんがやっているのを見てできたこと、 ワットポーにある特大の金色の涅槃像を見て背面は無防備だと感じたこと、 回り道をするタクシーに両親が不安になりわたしも不安になったこと、 バンコクの道で「そんなとこ歩いてると死ぬぞ!」と知らない日本人に家族で怒鳴られたこと、 プーケットでわたし以外の家族がダイビングに参加したこと、 わたしはタイ人のガイドと取り残されなぜか彼に(普通の意味で)とても可愛がられたこと
バンコクの街並みを歩いていると、色々連鎖的に蘇ってくる記憶があり、不思議で疲れる。
行き先にタイを選んだのは母だろうし、母はその後も一人でタイに渡ったりしているので、何か特別な思い入れがあったのではないかと思うのだけれどどうなのだろう。
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「ブラザーペナルティ」という言葉を知った。 この記事によると、男兄弟がいる女性は、姉や妹だけをもつ女性よりも学歴や収入に格差が生まれる傾向にあるという。
わたしには5歳上の兄がいたが、この例にはあたらないだろう。 むしろ兄の存在が、わたしに学歴や収入を獲得させたとも言える。
昔兄に一度だけ「お前のために大学はあきらめた。」と言われたことがある。 年齢や金銭的な計算を冷静にすると、それは事実ではないような気がするけれど、 兄に少なからずそういう気持ちがあったことは事実なのだろう。
一方でわたしも口にしたことはなかったけれど、 兄のために母のために、学歴や収入を得るための選択をしていた。 ある時点まではそこにわたし自身の意志はほとんどなく、 兄がやらなかったことを引き継いでいた感覚だった。
わたしたち兄弟は皮肉にも、たぶんずっと、 お互いがお互いの犠牲になったと思い込んでいた。
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替えの利かないもの
突然の大災害や事件に見舞われたとしたら何を持って逃げるか、 何かが起きる度に考える。
とはいえ、いつも答えは決まっている。 お兄ちゃんからもらったiPod Classicと、 社会人になってから自分で買ったトランペット。
替えの利かないものって、思い出の品か、 手放したら同じもの���見つけられない一点ものくらいしかない。
高度に発達した工業社会である現代に生きるわたしたちは、 大抵の物質的なものを失っても代替品を手に入れることができる。
自分という人間ですら替えが効くと思っている。 周りの誰のこともそんな風には思っていないけれど。
昔から、できるだけ大事なものは持たないようにしている。
友人は「失ったら困るものは過去の領収書」という結論に辿り着いていた。
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煙を吐き出す
書きたいことや描きたいことがあった気がするけれど、いざ机に向かってみると何も思い浮かばなくなってしまう。 頭の中ではいつも忙しなく言葉が飛び交っているのに、何かを出力しようとすると飛び交う言葉を掴むのが躊躇われる。 今は店員��自分しかいないシーシャ屋で煙を吐き出している。

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