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窓口、午前11時
「すいませんー」
「はい、今参ります、窓口お願いしまーす」
今日も執務室の奥から、課長補佐の甲高い声が聞こえた。定年を間近に漸く課長補佐の役職に登った上司は、補佐になってもなお窓口の方向を向いている。しかし自らはでない。自らはでないのに窓口への反応は誰よりも早い。一番奥の席で窓口の方向を見るなんてのは余程暇か、自分の仕事もろくに集中できないだろうに。現に補佐はどの部署の補佐よりも遅く残っている。
窓口コールの上司
「課長補佐にもなって、窓口方向ばっか見ているから仕事が遅いんだよ」と罵る声もあるが、補佐は補佐なりに頑張っているのだろう。部下の作成した予算資料を書き換え、額面だけ数字を減らす無根拠なシーリングを実施した挙句、数字の根拠をろくに説明できず、部長を前に沈黙し、部下の資料が悪いと居直るくらいに立ち回りは上手いから、まあ実務は無能でも公務員としては有能なのだと思う。合併前の町役場の上司なら許されたであろう無能さ加減を象徴する「窓口コール」を聞けるのもあとわずかだと思うと、嬉しい反面寂しい思いもしている。
臨時職員は2名いるが、1名はトイレ休憩。1名は対応中。自ずと窓口に近い正規職員である私の出番となる。営業口調を出しながらご挨拶をして、どういった手���きにきたのかを確認する。申請する制度を確認し、申請書を出力して記入を案内する。この課にくる申請者はこの説明なしには住所氏名を書くことすらおぼつかない。案内してかけるくらいならまだいいが、書いてくれと曰う者も少なくない。しかし、下手に書かせるよりも自分で書いたほうが早いのだから、同意を得て代筆、捺印をお願いする。
ありがとうございました。
今日は礼が言える社会人が窓口に来てくれた。対応も数分で終わる。1日にこういう人が来ると、その日はラッキーである。大概の人は礼も言えず、サービスを受けることが当たり前といった顔をした者がほとんどだ。まあ、別にいいんだが。知性なしに礼節は身につかぬのだろう。
鳴り止まぬ、電話。
窓口を終え事務仕事を再開すると、電話端末がけたたましい音を立てた。うちの係はワンコールで取るので真面目な部署だろう。病欠の連絡もワンコールで取られるので驚かされる。かけた側も少しびっくりするのではなかろうか。
「□□の件で...」
専門職側の職掌の話であった。
専門職側の職掌の話は正直わからない。誰がなんの仕事をしているのかレベルでわからないほどで、事務分掌を読んでも抽象的か大まかにしかわからない。とりあえず専門職側に、電話の主の名と要件を述べ、引き取ってもらう。事務方は詳細は分からないので、立ち入らない。とりあえず電話をやり過ごし、漸く事務を再開した。
国庫負担金の交付申請。申請者の有無や突発的な事象によって賽の目にように変わる金額を、どうにか実績値に近い値に見込んでいく。事業は例年実績値が乱高下しており、返還金が発生。補正手続の芽は早めに積んでおきたく、気を使う。
窓口に出ぬ、臨時職員。
補佐の窓口コールがうざいので、時々窓口を見る。つくづくでもしない窓口に関心寄せる補佐の姿勢は不快である。部下の効率を下げている。定年で本当に良かったと思うところ。計算機を叩きつつ、たまに窓口を見る。臨時、てめえは窓口しっかり見とけよ。事務ねえんだから。いい加減、臨時は窓口席に待機させておくほうがいいと思う。いちいち自席に戻らせるから、窓口にでない姿勢が許される。
顔なし様のご訪問
臨時職員が窓口に出て数分後、怒号が聞こえてきた。やれやれ、また修羅モードなお客様でしょうかね。千と千尋の銭湯を彷彿とさせるような客層の部署で、今日も「顔なし様」がやってきた。最初は大人しく、口数も少ないが、特有のこだわりから、説明がわからないと暴れ出す。IQが低いというのか、まあそういう神様は多いのである。早速、ヘルプに入る。あーあーまたひどい顔しちゃってる。どうされましたか?
「どうされましたかじゃねえよ!この女、訳わからんこと言うとる!!」
「それは大変申し訳ありませんでした。どういったことでお困りになられましたか」
手続はとある支援証明書の交付。聞けば支援額が変更になることに納得がいかないらしい。支援額は国の要綱に明記された算定方法に基づき算出され、前年の所得額が影響する。とりあえずこちらの資料を見せ、目の前で計算したが、特有の症状はどんどん悪化していく。
「そんなこと聞いてるんじゃねえんだよ!!何で額が上がったんだよお!俺はそんなに貰ってねえぞ!くそ!」
「所得のことについては、こちらとしては如何ともし難く、源泉徴収などをご確認いただくか、事業所に問い合わせいただくしかないです。」
特有の症状の方々はお気持ち至上主義のスイッチが入ると、なかなか理路整然とした案内が通らない。
「うるさい!!お前ら俺を馬鹿にしているだろう!gふいlgfk」
こうなるともう、静まるまで待つしかない。
感情的な言動が幾らか続いた。私は深刻そうにいかにも気の毒そうに相槌を打ちながら、同じような案内を繰り返した。2回目くらいで漸く落ち着いたようで、お客様は手続きに進まれた。一度ヒートアップすると、なかなか鎮まれない。そういう方であるが故この部署に来ているのだから、対応はそれ相応に配慮しておこなわねばならない。だが、配慮の想定を超えていく彼らの言動に対してはその醜悪さを許容する寛容さと余裕が大切になる。諦観とも言える心境で、窓口をしながらふと考える。我々はすごいことをしていると。
淘汰(自然)と福祉(構造)
この部署に来てから、私はしばしばヒトについて考えを巡らせている。
社会不適合者と呼ばれる言葉がよく聞かれるネット界隈であるが、見る限りでは自虐的な意味合いで用いられ、その対象者は十分に社会に受容されている。一方で私が現場で眺める存在は、本物の社会不適合者だ。人間社会に受け入れられないのも無理はない特質を持ち、その特質が故に差別され、さらに特質を悪化させている。現象で言えば淘汰と呼ばれる現象であり、動物界で有れば子孫を残せず、その性質は種から消えていく。
だが、人類は優れているのか、文明��生み出し、社会を築く中で「福祉」を生み出している。それは全ての人に権利あるが故に、救済せねばならないという幾度にも当たる歴史的営為の成果であろう。私が今目にしているのはその偉大な成果が遺憾なく発揮される場である。若干、虚しい営みのような気もするが。優秀な存在だけが生き残る。動物界の構造とは違うが、しかし、結局のところ生きるだけではないのかとね。抽象論だけであれば、間違い無く自然淘汰は誤りであるとの結論を導き出せるだろう。ところが現場で彼等の向き合う痛みとそこから来るルサンチマンを突きつけられたとき、これはとおもわず怯んでしまう。実害を受けたとき抽象論のような答えが揺らんでしまう。
顔なし様を見送りながら、彼らの不幸に思いを寄せる。難しい。本当に世界は難しいねと。
今日も窓口は続いていく。あまたのお客様を見送りながら
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