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ryotarox · 5 hours
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フォルマリズム批判 – artscape
フォルマリズム批判 Обвинения в формализме(露), Accusation of Russian Formalism(英) 1930年代から50年代のソヴィエトにおいて生じた、内容よりも形式の実験を重視した前衛的で難解な傾向を持つ芸術作品や作家を批判するキャンペーン。これによりロシア・アヴァンギャルドの多くが作風の転向を余儀なくされた。 そもそも「フォルマリズム」は、ロマン・ヤコブソンらによるモスクワ言語学サークルや、ヴィクトル・シクロフスキー、ボリス・エイヘンバウム、ユーリ・トゥイニャーノフらをメンバーとするオポヤズ(詩的言語研究会)が行なった、文学作品を形式や構造の側面から研究する傾向に由来する。 24年にトロツキーの著作『文学と革命』のなかでフォルマリズムが批判され、その後も文学におけるヘゲモニー争いの過程で形式や手法に凝った傾向を持つ作家はたびたび「フォルマリスト」として批判を受けた。 30年代になると、社会主義リアリズムを唯一の公的な芸術形式として採択することが決定され、文学以外のあらゆる芸術ジャンルにおいて形式主義批判が生じた。このため「フォルマリズム」は否定的な言葉として定着した。 最も大々的なフォルマリズム批判は、36年に『プラウダ』紙上で行なわれた、ショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に対する、形式的でブルジョワ的であるという批判である。演出家のフセヴォロド・メイエルホリドは芸術実験の正当性の主張を貫いたため、40年に処刑された。
社会主義リアリズム - Wikipedia
ロシア・アヴァンギャルド 詳細は「ロシア・アヴァンギャルド」を参照 1920年代になり革命の嵐が去り、ソビエト連邦が誕生すると、それまでの保守的美術を支えていたパトロンである貴族階級やブルジョワ、ブルジョワ的芸術家らが処刑されたり亡命し、ロシアの芸術界には大きな空白があいた。 ブルジョワジー好みの作風でなかったため、それまで不遇だったロシアの若き芸術家の一群たちは革命によって成立した政治形態に賛同し、保守的な美術を退け、前衛的かつ社会革命の為の芸術を試み、大衆への浸透を図った。彼らが近代において芸術が大衆文化全体の変革にかかわるものとして認識していたことが新しい。ここに、貴族的ハイ・カルチャーから、大衆的ロー・カルチャーへの移行が始まる。 芸術家らはすぐれた芸術運動を展開し「ロシア・アヴァンギャルド」と呼ばれる一大芸術運動となった。美術・音楽・文学・デザイン・建築などあらゆる分野でそれぞれの画期的な作品を発表することで革命的・政治的芸術の発露とした。 これらは革命直後の気風とも一致し、革命後の新生活の理想や美を純粋に追求した。 国家政府の支持のもとで対外的にも展開され国外の芸術家にも影響を与えた。しかしこうした革新的芸術は労働者階級や大衆の一部、政治指導者のなかには難解とする者もあり、評判が芳しくなかったという。また彼ら前衛芸術家の間にも、実質的な革命芸術の方向性をめぐり路線の争いがあった。
社会主義リアリズムの国家による採用 1930年代に入り革命後の混乱がおさまり、社会主義国家の建設が軌道に乗り始めた頃、労働者や農民出身の新しい芸術家たちが出現し、革命以前からの知識人や芸術家らも国家の理想とする「プロレタリア芸術」表現を支持する側に回った。 これら二つの芸術家の流れを一つにまとめ上げ、社会主義国家の発展のために一人でも多くの労働者大衆を芸術を通じて社会主義建設に目覚めさせ、鼓舞しなければならないという政治主導的な芸術への動きが強まっていった。 労働者階級にある一般大衆にわかりやすく世界の「現実」に対する目を開かせ、革命や社会建設のために働く労働者を鼓舞するような芸術をつくるべく、1932年のソ連共産党中央委員会は芸術団体の国家による一元化を決定した。その年の秋、スターリンは作家たちとの懇談のなかで「社会主義リアリズム」の表現方針を提唱[1]し、あらゆる芸術分野の大会で公式に採用されるに至った。 その表現方針は ・現実を、社会主義革命が発展しているという認識の下で、空想的ではなく現実的に、歴史的具体性をもって描く ・芸術的描写は、労働者を社会主義精神に添うように思想的に改造し教育する課題に取り組まなければならない この方針は過去にさかのぼって解釈され、帝政ロシア時代に書かれたゴーリキーの『母』のような作品も、社会主義リアリズムのさきがけだったとして扱われるようになった。多くの労働者大衆を引きつけるため、作品の娯楽性にも注意が払われた[2]。
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ryotarox · 5 hours
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松木武彦 『美の考古学―古代人は何に魅せられてきたか―』 | 新潮社
「心を動かす力」の発見 タモリ「先生が縄文土器を発見されたんですか?」 岡本太郎(大きくうなずく) タモリ「どこで?」 岡本太郎「上野の博物館で」(場内爆笑)  ――ってな感じのテレビでのやりとりを寝っころがって見ながら、「ホントのことなのにな」と苦笑したのをおぼえています。もう30年も前になるでしょうか。  もちろん岡本太郎が「発見」したのは縄文土器の「美」です。彼以前に土器は考古学の資料でしかなく、「美」の観点から光をあてる人などいませんでした。  考古学の「発見」は、発掘現場だけでなされるものではないのです。  そして松木武彦さんの『美の考古学―古代人は何に魅せられてきたか―』は、岡本太郎以上の「美」の「発見」に満ちた一冊なのです。なにせ最新の考古学の科学的アプローチで、太古から古墳時代までの長大な歴史を、「美」という視点から丸ごと捉えなおそうというのですから。 「美とは、広い意味で、心を動かす力である」と、松木さんは看破します。  手に握って使う石斧から、縄文・弥生土器、青銅器、ひいては巨大な古墳にいたるまで、ヒトがつくってきたモノには、いずれも「美」=「心を動かす力」が込められている。それらを精緻に読み解くことで、「心を動かす力」こそは「歴史を動かす力」であったことが、くっきりと浮かびあがってきます。(最後の方には、「弥生文化に異議あり!」なんて爆弾も、さりげなく仕掛けられていたりして……)  どうです、あなたも松木さんと一緒に、新たな「美」を「発見」してみませんか?
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ryotarox · 8 hours
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後年チェリビダッケは、フルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。 あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという。
セルジュ・チェリビダッケ - Wikipedia
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ryotarox · 9 hours
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(丹下健三の大屋根(大阪万博) - YouTubeから)
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ryotarox · 10 hours
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1970年4月26日、万博会場の「太陽の塔」の黄金の顔の右目の中から赤軍派を名乗る男が覆面姿で現れ、万博中止を訴えるアジ演説などをしながら1週間籠城した。警察の説得などで5月3日に眼からでてきた所を逮捕された。赤軍派とは関係がなく、単独による犯行だった(78/94)ー再生!太陽の塔:朝日新聞デジタル
アイジャック事件 - Wikipedia
ヤノベケンジ入門 文字お越し集
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ryotarox · 10 hours
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日本万国博覧会 - Wikipedia
現代音楽(万博で初演・公開されたもの)
伊福部昭『日本の自然と日本人の夢』(三菱未来館)
黛敏郎『生命の讃歌』(太陽の塔)
ヤニス・クセナキス『ヒビキ・ハナ・マ』(鉄鋼館)
カールハインツ・シュトックハウゼン『シュピラール』『シュティムンク』(西ドイツ館)[243]
高橋悠治『慧眼(エゲン)』(鉄鋼館)
武満徹『クロッシング』、『四季』(いずれも鉄鋼館)
松平頼暁『アッセンブリッジズ』
三善晃『トランジット』
湯浅譲二『スペース・プロジェクションのための音楽』(せんい館)
湯浅譲二『ヴォイセス・カミング』より「テレ・フォノ・パシー」(電気通信館)
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電子音楽の個展 「松平頼曉」電子音楽 VS 環境音楽 立体音響で大阪万博「おはようの音楽」お祭り広場を聴く! | Peatix
松平頼暁がNHK電子音楽スタジオに残した「電子音楽」トランジェント '64&テープのための「アッセンブリッジス」を新たにリマスタリンして再生。VS「環境音楽」は大阪万国博覧会の作品、お祭り広場で流れた12ch作品「おはようの音楽」をArtware hub KAKEHASHI MEMORIALの全方位型36.8chイマーシブステージで体感することが出来ます。 EXPO’70 お祭り広場「おはようの音楽」Theatre piece ver. with bulb lighting by Takeshi Mukai
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ryotarox · 11 hours
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「『梅田地下オデッセイ』でめぐる梅田地下ダンジョン探検。」大阪あそ歩
知る人ぞ知る、大阪SFの名作『梅田地下オデッセイ』でめぐる 梅田地下ダンジョン探検。 ~拡大する梅田地下街のナゾと昭和レトロ。大阪の防災システムとコンピュータ監視の未来を見る地底ラビリンスを歩く~
2024年2月23日、友人から紹介されて堀晃先生の『梅田地下オデッセイ』でめぐる梅田地下ダンジョン探検に参加してきました。 【コースの行程】集合場所 :阪急梅田駅茶屋町口改札口前 阪急梅田駅~阪急三番街~ホワイティ梅田~地下鉄梅田駅~駅前ビル~地下鉄西梅田駅~堂島(解散)
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以下、当日渡された堀先生制作の「『梅田地下オデッセイ』あらすじ」に準拠して進めます。  左は現在の地下街。①~⑦は地図上に記載の番号に対応してます(写真は時系列で並べてますが、必ずしも粗筋と一対一の対応をしているわけではありません(汗;))  以下の地の文は、堀先生がまとめられた粗筋、()内は、私の呟きです。  ガイド役の芝崎さんが「『梅田地下オデッセイ』は、チカコンが開閉を制御するシャッターで迷路が出来るという話でもあるので、今回のツアーは“シャッター”を愛でる旅でもあります」とおっしゃっていたのが印象的でした。
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HORI AKIRA:梅田地下オデッセイ
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SF小説も生んだ梅田地下街。「梅田ダンジョン」と呼ばれる街の今とこれから | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
この作品が注目されて以来、堀氏は梅田地下街に詳しい作家として、地下街で事件が起こるたびにニュースメディアからコメントを求められるようになったという。初秋の昼下がり、そんな堀氏に、梅田の新しい顔のひとつ「茶屋町」でお会いし、お話を伺った。
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ryotarox · 1 day
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2021年10月6日
Windows 11 は「ブルーム」で開花 – 新しいオペレーティング システムの新しいシンボル
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Gentle baby
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Ready for the world cup
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リフがなんとなく似てる
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ryotarox · 1 day
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三体問題の近似解の一例。三つの質点が非常に複雑かつ不規則な運動をすることが分かる。
(三体問題 - Wikipediaから)
古典力学において、三体問題(さんたいもんだい、英: three-body problem)とは、互いに重力相互作用する三質点系の運動がどのようなものかを問う問題[1][2][3]。 天体力学では万有引力により相互作用する天体の運行をモデル化した問題として、18世紀中頃から活発に研究されてきた[4][5]。運動の軌道を与える一般解が求積法では求まらない問題として知られる。
ふたつの質点が互いにニュートン重力を及ぼし合って運動するとき、その軌道は楕円、放物線、双曲線のいずれかになることが知られている(ケプラーの法則)。 三体問題はこの系にさらにひとつの質点が加わった場合の進化を求めるもので、太陽-地球-月系や、太陽-木星-土星系など、天体力学の様々な局面で必要となるため古くから調べられてきた。現実的に三体問題を取り扱う場合、問題の簡略化のために、いくつかの仮定がなされることがある。三体ともに同一平面上を運動するという仮定を置く場合、平面三体問題と呼ばれる。三体のうち、一体の質量が他の二体に影響を及ぼさないほど微小で無視できるとする仮定を置いた場合、制限三体問題と呼ばれる。特に制限三体問題において、残り二体の軌道を円軌道と仮定する場合、円制限三体問題と呼ばれる。 よく知られた特殊解としては、円制限三体問題におけるラグランジュ点や、三体の質量が等しい場合に8の字型の軌道をとる8の字解[6]等が存在する。
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ryotarox · 1 day
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Amazon.co.jp: ブラームス:後期ピアノ作品集: ミュージック
ピアノ: ワレリー・アファナシエフ Valery Afanassiev
録音:1992年[PCM デジタル録音]
1 - 3つの間奏曲 作品117 第1曲 変ホ長調 2 - 3つの間奏曲 作品117 第2曲 変ロ短調 3 - 3つの間奏曲 作品117 第3曲 嬰ハ短調 4 - 6つのピアノ曲 作品118 第1曲 間奏曲 イ短調 5 - 6つのピアノ曲 作品118 第2曲 間奏曲 イ長調 6 - 6つのピアノ曲 作品118 第3曲 バラード ト短調 7 - 6つのピアノ曲 作品118 第4曲 間奏曲 ヘ短調 8 - 6つのピアノ曲 作品118 第5曲 ロマンス ヘ長調 9 - 6つのピアノ曲 作品118 第6曲 間奏曲 変ホ短調 10 - 4つのピアノ曲 作品119 第1曲 間奏曲 ロ短調 11 - 4つのピアノ曲 作品119 第2曲 間奏曲 ホ短調 12 - 4つのピアノ曲 作品119 第3曲 間奏曲 ハ長調 13 - 4つのピアノ曲 作品119 第4曲 ラプソディー 変ホ長調
零度のブラームス 浅田彰 ブラームスは、充溢から創造するのではなく、充溢を渇望して創造の真似をしているだけであり、交響曲をはじめとするその大作群は、不能者の誇大妄想の産物にすぎない。ニーチェは『ヴァーグナーの場合』の「第二の追記」においてこう断じた。むろん、挫折した作曲家でもあったこの哲学者の性急な断定を額面通りに受け取るべきかどうかはわからない。しかし、自らの空虚さを意識するあまりますます巨大なスケールへと伸び上がり、それでいて頂点を極めることができずにまたしても低徊の中に落ち込んでゆくあれらの大作群を聴くと、ニーチェの診断がいかにも正確なもののように思えてくるのも事実なのだ。少なくとも、私は生きるためにそれらを必要としない。あえて言えば、私はそれらのすべてを、このディスクに収められたピアノの小品のために投げうつだろう。 117から119までの作品番号を持つこれらの小品は、ニーチェの診断から4年をへた1892年、ブラームスが59才のときに書かれた。死が5年後に迫っていることからすると、晩年の作品と言ってよい。実際、自らの内の空虚を埋めるために大作を築き上げる試みはとうに放棄され、作曲家は、いまや、メランコリックな視線で、しかし正面から、あの空虚を見つめている。「豊かでない場合には、人は貧しくあるために十分なだけの誇りを持つべきだ!」というニーチェの知恵をわがものとしたかのように、一切の無駄は切り捨てられ、最小限の要素がこのうえなく精緻に組み合わされて、虚空の上で震える蜘蛛の巣のような音楽を作り出すのだ。その音の小宇宙の無限の深さこそ、晩年のブラームスの偉大な達成であった。 こうしてみると、いま、それらの作品を演奏するのに、ヴァレリー・アファナシエフ以上の適任者はいないと言うべきだろう。「メランコリーはもっとも高貴な感情である」と言うロシア生まれのピアニスト―――いや、たんにピアニストと呼ばれるのを嫌い、コンサートやレコーディングを制限して、読書や執筆、そしてワインの鑑定に時を費やすことを好む、たぐいまれな思索家。彼は、いつもながらの極度に遅いテンポ、そして、氷のように冷たく透明な音色によって、甘ったるい青春へのノスタルジーや老いの繰り言めいた澱みを一掃し、すべてを零度の虚空へと解き放つ。そのとき、音楽は、人間的な、あまりに人間的なスケールを超えた、ほとんどコズミックな深さを獲得し、しかも、致命的なまでに純粋な歌、彼岸から響いてくるかのような歌となって回帰してくるのである。 たとえば、117-1や118-2。センチメンタルなまでに美しい無言歌が、あくまでも高貴な輪郭を保って垂直に立ち上がる。あるいは、117-2のレース細工のように精密な表現。とくに中間部から主部に回帰するところは、ダンパー・ペダルを控えた潔癖な表現によって、ほとんどヴェーベルンを予告するような抽象的な表情を見せる。その印象は、虚空にかかったままゆっくりと広がってゆくような118-6や119-1においていっそう強まるだろう(これを聴いた後では、ブラームスの対極としてのヴァーグナーが新ヴィーン楽派につながってゆくという音楽史の常識を考え直さなければならない)。このような演奏を支える最大のモメントとして強調しておきたいのは、音色の美しさだ。柔らかい手でフワッと鍵盤をはたくような独特のタッチによって生み出される、このうえなく透明で、しかも金属的になることのない音色。それがあの精密きわまる表現を支えると同時に、119-4のようなダイナミックな音楽にあくまでも冷たい輝きを与えるのである。 それにしても、このような演奏はあまりにも「現代的」であり、誇張が過ぎているのではないか。ある意味ではそうかもしれない。だが、たとえば119-1について、作曲家はクララ・シューマンへの手紙のなかでこう述べている。「この小曲は格別にメランコリックです。だから「非常にゆっくりと」という表示は十分ではありません。ひとつひとつの小節、ひとつひとつの音は、まるで、これらの不協和音からの官能的な喜びをともなって、各々の小節や音からメランコリーを吸い込むかのように、リタルダンドで響かなければなりません。」これこそ、ここでアファナシエフが忠実に実現してみせていることではなかったか。彼は、常識的なブラームス像を突き破ることで、ブラームスその人が晩年に夢見ていた小さくしかも無限に深い抽象的な音の宇宙を現代に甦らせたのである。そして、繰り返そう、私はこの1枚のディスクのために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつだろう。 [1992.7]
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「私はこの1枚のディスクのために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつだろう。」
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後期ピアノ作品集 ヴァレリー・アファナシエフ : ブラームス(1833-1897) | HMV&BOOKS online - COCQ-85330
この演奏を絶賛される皆さんは、このCDに添付された浅田彰の文章、そしてアファナシェフ自身の「文学」に引きずられ、先入観を抱いたまま聴いていませんか? これらがどれだけブラームスの音楽とは縁遠いことか! 遅いテンポのために音と音の間隔が開いている、これをもってブラームスの晩年の世界は新ウィーン楽派に通ずるなどというのは、自己満足の解釈の極みです。
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このアルバムを素晴らしいと褒めてるというより、ブラームスの交響曲などの管弦楽が好きではないと言ってるのかも。
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ryotarox · 1 day
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モロダーは1977年に、レコード・ミラー誌のロビン・カッツに次のように語っている。 「あの曲は単なるアルバムの収録曲の一つとして作ったんだ。ドナのレコーディングは10分で終わった。これだけビッグな曲になるなんて僕らは誰も思っていなかったんだ」
(ドナ・サマーの「I Feel Love」が音楽界にもたらした変革から)
時は1977年。ブライアン・イーノとデヴィッド・ボウイは、ベルリンで『Heroes』の制作に勤しんでいた。そんなある日、イーノは新発売の7インチ盤を興奮気味に掲げながらスタジオに駆け込み、ボウイにこう熱く語った。 「このシングルはこの先15年のあいだ、クラブ・ミュージックのサウンドを一変させるよ」 そのシングルこそがドナ・サマーの「I Feel Love」だった。彼の言葉は確かに正しかったが、このコメントには2点の訂正が必要だ。つまり、“この先15年のあいだ”を“永久に”、そして“クラブ・ミュージック”を“あらゆる音楽”に変える必要があったのだ。
『I Remember Yesterday』は、それぞれの曲に異なる時代が表現されたコンセプト・アルバムである。モロダーとベロッテは、音楽の未来を象徴する楽曲をアルバムの最後に配するというアイデアをあとから思いついたという。それがいかに的確な判断だったか、彼ら自身もそのときは気付いていなかった。
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「I Feel Love」みたいな曲がいっぱい入ったアルバムなのかと思うと、シーケンサー使用曲は他になく、皆、フツーの音楽ばかりなので肩透かしに思った印象。そういう「いろんな時代」がコンセプトだったのか。アルバムタイトルもそうなってる。
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モーグ製モジュラー・シンセサイザーのスペシャリストであるドイツ人エンジニア、ロビー・ウェデルを起用している。 彼らはモロダーの通常の楽曲制作とは逆の順番で、まずはグルーヴ ―― 英ドラマ『ドクター・フー』のテーマ曲をディスコ調にアレンジしたような波打つベース・ラインと、何より重要な電子音のビート ―― から作り上げていった。ビートの制作にあたっては、当時はまだドラム・マシンが十分に進歩していなかったため、ドラムの構成音を一つずつシンセで作り、個別にレコーディングしていったという。 しかし、どうしてもバス・ドラムの音に満足できなかった彼らは、のちにビリー・アイドルのプロデューサーを務めるキース・フォーシーを呼び、バス・ドラムを演奏させた。このトラックにおいて、電子音以外が使用されているのはそこだけである。
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ryotarox · 3 days
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[B! 生物] 三大デザインが完璧な生き物
ilktm ヘビクイワシ。手塚治虫の火の鳥みたいな、まつ毛が長い鳥https://iinee-news.com/post-16760
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ヘビクイワシ - Wikipedia
ヘビクイワシ (蛇喰鷲、Sagittarius serpentarius) は、タカ目に分類される鳥の一種。本種のみでヘビクイワシ属を構成する。 分布 サハラ砂漠以南のアフリカ大陸[7] 繁殖形態は卵生。ペアは一生解消されないと考えられている[7]。繁殖は一年中いつでも行うとされるが、乾季の終わりに繁殖する傾向がある。 求愛行動は波打つような飛行パターンで高く舞い上がり、喉音を鳴らして呼びかけることによってアプローチする。 オスとメスは翼を上下に動かしてお互いを追いかけることで互いの意思を確認
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ryotarox · 4 days
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(「技術的には可能です」と発声するその前に #設計 - Qiitaから)
前に進むためには、「そうでなくこうすればあなたの問題は解決しませんか?」の案を返すことです。それも複数。 そのためには、その場のアクションとしては背景の深掘りが重要。セリフ回しとしては、「技術的にも解決不能な問題を多く含んでいます。問題解決に協力させていただきたいので背景について詳しく聞かせていただけませんか?」。
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日頃からの自分のスキル養成として、どんな問題解決にも、設計にも、コーディングするにあたっても常に複数の実現案を出しては、それらのメリデメを出し、今回はこのデメリットを特に重視するからこの方法を取ると意志決定するというトレーニングです。 やり方が上から降ってくるだけで裁量がない仕事であっても、意志決定する直前のステップまでは考えて、「つまり今回ボスはこのメリットを重視していてこのデメリットを特に避けようとしているのだな」と解釈するところまではできますのでトレーニングは同様にできるはずです。 ボスとの関係次第では、「今回は○○重視ってことですね、勉強になります!」とフィードバック。そしたら自分が思いついていなかった観点がもらえるかもしれないし、ボスがあまり複数案のメリデメを考慮しない人だった場合にはボスのことも一緒に鍛えられますね!
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ryotarox · 4 days
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“【なぜ人は大型犬にじゃれられると「分かった分かった」と言うのか】”
— Xユーザーの水野らばさん: 「【なぜ人は大型犬にじゃれられると「分かった分かった」と言うのか】」 / X
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