Tumgik
saritamix · 2 years
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手術と治療に向けて入院した。入院する科は最初の1週間は糖尿病内科、手術をする時は泌尿器科に転科すると聞いており、8/30~9/4まで糖尿病内科病棟で過ごし、9/5~9/14まで泌尿器科病棟で過ごした。結論から言うと手術自体は無事に終わり、9/15に退院した。
PCR検査(唾液)を入院の2~3日前に行い陰性であることを確認した後に入院するのだが、ここ最近コロナが急増しているからと糖内のM先生に再度PCR検査(鼻)をされた。
M先生は産科の入院時に受けた印象から「1番最悪なパターンを淡々と告げてくる感情がないモナリザのような人」と認識しており、再会することがとても怖かった(完全にトラウマ)。しかし、再会したM先生はあの時と同一人物なのか?と思うくらい雰囲気や口調、表情も違っていた。私がコロナにかからずに入院し、予定通りに手術が受けられることを「オペが飛ばなくて良かったですね〜」と喜び、部屋の回診時には持参していたぬいぐるみを見て「カバさん可愛い〜」と褒めてくれた。また、手術当日は「頑張ってくださいね〜」とファインティングポーズでニコニコと応援してくれた。
泌尿器科のI先生の時もそうだったが、M先生も産科の回診時に受けた印象とだいぶ違うと感じた。私の精神がおかしくなり過ぎて悪い印象を抱いてしまっていたのか、それとも彼らが産科病棟に来る時は常時オンモードになっていたのか。何れにしても、私の見ていた姿はほんの一面にしか過ぎなかったんだなと思った。
入院してから受けた印象(主観&勝手な憶測)
産科病棟→赤ちゃんの世話があるからか、体が痛かろうが辛かろうが容赦なく動かされる。歩くことに関しては基本放置。病棟は連れ去り防止の為か、入口はシャッターで固く閉じられていて簡単に出入りは出来ない(NICU病棟も同じ)。例えるならスパルタの短期合宿所。ママ同士の交流も特にない(少なくとも私が入院中の時は見たことがない)。
糖尿病内科病棟→エレベーターを出るとすぐに通路に出て病室まで行ける。基本的にご高齢の方が多いからか、転倒に対してかなり過敏&過保護。少しでもふらつきがあるとナースコールで呼べと言われる(少し歩いているだけで介助が必要ないか声をかけられた)。長期入院患者が多いからか、患者間での交流や会話があったりする。全体的にアットホームな印象。
泌尿器科病棟→造りは糖尿病内科病棟とほぼ同じ(シャワー室の造りなど多少違う部分はある)。シモ系のお世話や仕事が多くて多忙なのか、ナースコールを押しても看護師はすぐに来てくれない。頼んだことも催促しないと後回しにされたり忘れられがち(痛み止めの薬とか体拭きとか)。親身な方もいたが事務的な対応をする看護師が多い。基本放置プレイ。
手術を終えて
腹腔鏡手術は帝王切開を上回る痛みだった。まさか開腹手術より痛いなんて思っていなかったので、「帝王切開より痛いです!!」と医師や看護師に何度も訴えた。痛みが強くて看護師に頻繁に痛み止めを求めたが、「先生のオーダーが〜」とすぐに処方されず、確認も遅くて地獄だった。泌尿器科の入院生活は糖尿病内科よりも辛かったが、糖内病棟で友だちになった人とメッセージ交換したり、同室で顔見知りになった人と愚痴ることでかなり救われた。2~3ヶ月の間に同じ病院で3つの科の入院を経験する妊産婦なんて滅多にいないだろうな。歩けるだけ前回よりはマシだったし、泣いている自分を滑稽に思える余裕があった。
退院してから
再会した息子は最後に見た時より元気でふっくらしており、意味のないギャン泣きが始まっていた。毎日時間があっという間に溶けていき、気が付けば3連休が終わっていて9月も終わろうとしている。
体調の方は、大量に出ていたコルチゾールが一気に少なくなった弊害が身体中に出ている。片方の副腎が正常に活動するまではもう少し時間がかかりそう。それまでステロイドと上手く付き合って気長に待つしかない。ただ、闘病と育児の両立が想像以上にキツい。この数ヶ月、色々あり過ぎて筋肉も体力もかなり落ちてしまった。今月までは夫が頻繁に家にいたからなんとか休めていたけれど、来月から夫は出社して不在になるので夜中から夕方まではワンオペになる。見た目は健常だから、この苦しさをどう表現したらいいのか分からない。サボっているように見えたら嫌だなと思って伝えようとすればするほど、言い訳がましく思えて自己嫌悪してしまう。この状況も過去のものとして笑って話せる日がやってくるのかな。
何事もなく無事に乗り越えられますように。
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saritamix · 2 years
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違和感
8/27
深夜~朝
子の泣き方がいつもと違うことに気付く。お腹が空く(通常2~3時間間隔)と怪獣のように泣いて主張⇒ゾンビ飲みをするのに泣かない。起こしてミルクを飲ませる。
体温が高めで測ると38.5°Cを越える。色々調べて薄着にさせたり室温を下げる。体温下がる。
熱がまた上がる。泣き方も弱々しいし、オムツ替えの時の暴れもない(いつもは足をバタバタさせて泣くことが多い)。ミルクを飲みながら苦しそうに唸る。
●今回の発熱についての懸念点
子の面倒は平日の夜間は私、休日は夫と共に面倒を見ていた。平日の昼~夕にかけては義実家(上の階)に預けていた。第二子を出産して里帰りしていた義姉も面倒を見てくれていた。第一子は保育園に通っている。この日の昼、里帰りを終える義姉の引越し手伝いのため、子と私と夫の3人で上の階に向かう。義姉は発熱のため別室で寝ていた(コロナかどうかは不明だった)
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⇒夕飯を食べながら経過を見ていたが、怖くなり#8000に発信
⇒私がかけた時は繋がらず、少し時間を置いた後に夫がかける
⇒いつも通っている大学病院に電話をした方が良いと勧められる
⇒マスクが出来ない、ワクチン未摂取の子どもは熱がある場合、問答無用でNに入院しなければいけない
⇒大学病院のNの空きがないので、家の近くの総合病院に連携される
⇒タクシーに乗って緊急外来へ向かう
ぐったりした子と共にタクシーで病院に向かった。病院���タクシーで20~30分の距離にあった。本当はいつも通っている大学病院の方が安心感はあるが、空きがないならどうしようもない。せめて良い病院であることを祈りながら子の手を握っていた。
病院は想像よりも大きかった。インターホンを押して名前を伝えると、緊急外来は別の入口だと伝えられる。グルっと大きく外周させられて入口に向かう。あまりの遠さに苛立つ。やっとのことで入口に辿り着き、インターホンを押して再度名前を伝える。看護師に扉を開けられ部屋に通された。
コロナ陽性の疑いを強く持たれているとここまで徹底された対応をされるのか、と思うくらい看護師の対応は冷ややかだった(医療従事者が倒れたら大変なのは承知している)(人によるのかもしれないが指示や口調そして表情、あまりの冷たさに驚いた)
しばらく待つと小児科医(M先生)が入室して来た。看護師があまりに冷たかったのでこの病院に対して早くも不信感が芽生えていたが、M先生は柔らかく丁寧な口調で対応してくれ安心した(後に知ったがM先生は大学病院でお世話になっているI先生と繋がりがあるらしい)
診察と検査を進めるに当たって先生と私と夫で話したが、驚いたのは子の情報だけではなく私の病気についても細かく連携されていたことだった。私が8月末に再入院して、9月に手術があることまで伝わっていた。M先生からは 「お子さんにはコロナの疑いがあるので、免疫力が低下しているお母さんが一緒にいるのは危険。感染したら手術が受けられなくなるし、今の体では重症化する恐れもある。これ以上同じ空間に居ない方が良いから、お母さんだけ先に帰宅して下さい」 と優しくも毅然とした口調で伝えられた。戸惑い渋ったが、先生と夫に強く促され仕方なく1人でタクシーを呼び先に帰宅した。
帰路に着く車内では複雑な気持ちだった。子が苦しんでいるのに、一緒に居て見守ることも出来ない親なんて…私が来た意味は何だったのだろう。でも、先生の言っているリスクも分かる。これでもし、コロナに自分がかかったら全てのスケジュールが一旦白紙になる。それだけは避けないといけない。頭では理解していたが、あまりにも悔しかった。
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8/28~8/31
結論、子はただの風邪だった。子は8/31に退院し、私は8/30に入院したので入れ違いになった。
術後、問題がなければ退院予定は9月中旬。それまではしばらくお別れ。
今しか見れない成長を夫と一緒に見れないのは寂しいけど…どうか健やかに過ごしていてね。
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saritamix · 2 years
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術前検査
8/25
手術に向けて術前検査と診察を受けて来た。
この日は泌尿器科の受診のみだったが、検査や診察がてんこ盛りで忙しく、8時5分頃に家を出て帰宅が16時過ぎになった。
→尿検査(即終わる)&血液検査(待ち時間���い)
→レントゲン(この日は空いてた)
→スパイロ(肺活量を測る検査。何度もやり直しさせられて1番キツかった)
→心臓エコー(20分くらい)
→安静時心電図(10分くらい)
→術前診察(時間厳守 1時間半くらい)
→医師の診察(1時間くらい)
→会計(1時間くらい)
途中、お腹が空いたので院内のコンビニでパンを買い、診察の前に食べることにした。渡り廊下の飲食が出来そうなテーブルがあったので、先に座っていた車椅子のおじいさんに相席していいかを尋ねた。おじいさんは 『公共の場所ですから。どうぞどうぞ』 と気さくに答えてくれた。
食べながらおじいさんと少しだけ会話をした。車椅子歴は4~5年で、本人曰くまだまだひよっこだということ。足が元気な頃はよくヨーロッパに旅行していたこと。アメリカよりも昔の文化を大切にする国(ローマ)に魅力を感じること。
今は車椅子生活で大変そうに見えるのに、思い出を語る眼は優しくて、すごくいきいきとしていた。その姿が本当に眩しくて、歩ける足がある自分が歩く度に痛い辛いとべそをかいていたことがなんだか恥ずかしかった。
日常生活が急に壊れたり、昨日出来たことが今日いきなり出来なくなるということをここ数ヶ月で嫌というほど痛感している。明日、急に目が見えなくなるかもしれない。口からご飯が食べられなくなるかもしれない。歩けなくなるかもしれない。命を落とすかもしれない。etc…そんな不安やリスクを常に考えながら生きていたらキリがない。だけど、人間何かを失う時は本当に一瞬であっという間だ。だからこそ、自分が今出来ることを精一杯頑張ったり楽しんだりして 『現在』 という時間をどれだけ充実させられるかが今後の人生においてとても重要なことだと思った。
29歳から30歳の間、心身ともに大きな変化があった。不妊治療、妊娠・出産、罹患。言葉単体にしたらどれも珍しいものではない本当にありふれたもの。でも、自分にとっては今までの価値観や人生観を大きく変えるものばかりだった。罹患に関しては経験して良かったなんてことは思わないけど…得たものや気付いたことは沢山ある。
自分にとって本当に大切なものはとてもシンプルで。家族や友人と楽しく話せて一緒の時間を過ごせること、ご飯を美味しく食べられること、気軽に歩いたり座ったり出来ること、ベッドで自由に寝返りが打てること、物事を同時に思考して実行すること。今まで自由に出来ていたこれらがまた自然と出来るようになったら…もう充分幸せかな。
おじいさんと話した後、午後の医師(I先生)の診察まで1時間ほど待った。診察では朝の検査の結果と今後の手術に向けてのスケジュール等伝えられた。私は現在抱いている疑問点や懸念点をいくつか質問した。
私:色んな人のブログを読んだり調べて100万人に数人しか見つからない病気って書いてありました。やっぱり珍しい病気なんですか?
I先生:いや〜そんなに珍しくないですし、結構いますよ
私:(え…?ネットやブログの情報と違う…?泌尿器科では全然珍しくない?産科にいたから見つからなかっただけ…?頼りない雰囲気あるけど…症例多くこなしている先生なのかな?)
私:回復まで1年だと早い方だと見ました。こればかりは個人差があるから何とも言えないとは思いますが…やっぱり1年以上かかるものなのでしょうか?
I先生:え〜個人差はありますがお若いですし、そんなにかからないと思いますよ
私:今回の執刀は先生がするんですか?
I先生:え〜私もいますが…他の人と数名でチームを組んでやります
etc…
産科入院時の初対面では 『「え〜」 を多用してあまり目を合わせない、頼りがいがなさそうな先生』 というイメージだったけど、今回の診察では 「え〜」 を多用しつつも、ポジティブかつテキパキと回答をしてくれたので少し安心した(勿論、起こりうるリスクの説明もされた)。
大きな手術は子どもの頃の骨折(全麻)と今年の帝王切開(局麻)の2回くらいしか経験がないから正直怖い。多分どんな手術でも緊張するし慣れることはないと思う。だけど、早く根治したいから早く手術を受けたいという気持ちも同じくらい強い。
今はただ、目の前のことをひとつずつ乗り越えていきたい。
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saritamix · 2 years
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8/22
自分と子の1ヶ月健診があった(早産だから体はまだ新生児。不思議な感じ)。
子は3414gと順調に大きくなっている。貧血気味なので鉄のシロップを飲ませているけど、他は特に大きな問題はなし。産まれて間もない頃はミルク20~30ccを何十分もかけて飲んでいたのにね。今では哺乳瓶に首を振りながらかぶりつくくらい食欲が旺盛。その様子がとても面白く、夫と 『ゾンビ吸い』 と呼んでいる。また、下半身の力も付いてきたようでキック力がとても強い。オムツ替えの時はいつも暴れ回っていて苦労している。
一方私は、産科と整形外科の検査や受診が立て込んでいたので、小児科の受診や授乳、オムツ替えは夫に任せてひたすら院内を歩き回った。お盆明けの大学病院の混み具合を舐めていた。何をするのも長時間待つことが多いし、とにかく広いから受付から検査室までの移動だけでもヘトヘトになってしまう。
整形外科→レントゲンで問題なし。とりあえず大きな痛みや怪我な���なければもう通わなくてOK
産科→子宮の戻り具合は順調。降圧薬は引き続き処方されて経過観察
帝王切開から1ヶ月経つけど、私の体の調子は相変わらず芳しくない。例えるなら全力疾走した後の倦怠感や動悸、息苦しさが常にある感じ。ずっと体が重くて頭がクラクラしているから、屋内外での歩行は基本的に伝い歩きをしている。この症状は産後の影響でしばらくしたら治るものだと期待していたんだけどな。やっぱり病気の影響みたい(あとは薬の副作用もあるかも)。
同じクッシング症候群に罹患した人の情報が知りたくてアメブロで経験談を色々見たけど…クッシングって指定難病で100万人に2~3人であまりメジャーな病気ではないみたい(犬に多い病気らしい)。回復は術後1年だったら比較的早い方?らしい。
今週は術前の検査があるし、来週には入院だし、来月には手術だから今更ああだこうだ罹患したことに対して嘆くつもりはないよ。ただ、回復のスピードや今後出る不調に関しては個人差があって見通しが立つものじゃないから…不安は常に心の中にある(いつも強くいられないことは許してほしいとどうしても思ってしまう)(それはやっぱり甘えなのかな)。
焦っても仕方ないけど、とにかく1日でも早く動ける体に戻りたい。
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saritamix · 2 years
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退院
7/26
退院診察がある日。この日、検査や診察で問題がなければ7/27に退院が出来ると聞いていた。糖尿病内科医より強く感染症に気を付けろと言われているので、風邪やコロナ、サル痘にかかることへ恐怖心が異常に強くなっていたが、心も体も限界に来ていたため早く家に帰りたい気持ちが勝っていた。絶対に明日退院する。気分は通常よりもハイになっていた。
10時に産科の診察の予定があったが、急患のオペが入ったらしく延びてしまった。お産も立て込んでいるらしい。天気が悪い時に体調を崩す妊婦さん多かったし、自分も悪くなっていたことが多かったような気がする。顔も知らない妊婦さん達の無事を祈った。
貰った書類のうちのいくつかを記入した後、バースレビューを書いた(バースプランは結局何も書けずに終わってしまった)。高校の友人が出産の話をしてくれた時、人生で1番の達成感があったと言っていたけど自分は真逆だった。毎日体の痛みや恐怖に耐えることで精一杯。赤ちゃんに対してちゃんと向き合えていなかったし、途中からは自分が救われたい、早く楽になりたいとしか考えられてなかった気がする。ありのままの気持ちを泣きながら書いた。
14時30分過ぎ、色々な予定がズレまくり昼食が来る。インスリンを打つ際に助産師より15時から赤ちゃんの面会があった旨を告げられてやっと思い出す。自分の体のことしか考えてなかった。面会の時間を忘れていたことにかなりのショックを受ける。自分の退院のことしか考えていなかった…最低だ。急いで昼食を食べ、動揺したままNICUに向かう。この日は赤ちゃんのオムツ替えをしてミルクをあげた。前よりは怖くなかったし手も震えなかった。ただ、自分と赤ちゃんの写真を撮られるのはすごく嫌だった。妊娠してから醜く変化した自分の顔や体を未だ受け入れられない。手足は細いままなのに顔と首が太くて化け物みたい。どうせなら全部細くなればいいのに。こんな姿で赤ちゃんとの写真を残したくない。いい加減受け入れなきゃとは思っているのに…未だに受け入れられなかった。明日の面会はいつにするかと看護師に聞かれ、退院や会計の時間を考慮してとりあえず11時頃に予約した。面会が終わり部屋に戻る。産科の診察も終え、退院しても問題ない旨を告げられる。やった。夫に退院が確定した連絡をする。
18時過ぎ、回診で産科医と明日退院確定で問題ないか念の為に確認する。「産科はOKだけど糖内の方では11時半にCT検査あるよね?それ終わらないと退院出来ないでしょ?」と言われてパニックになる。CT検査なんてあったっけ?その検査をパスしないと退院が出来ない?赤ちゃんとの面会11時に入れてしまっている。どうしよう。自分がどういう説明を受けてどんな返答をしたか覚えてない。激しく動揺しながら夫に電話する。パニック状態の私を心配して夫が病棟へ連絡してくれた。
19時過ぎ、糖尿病内科医(M先生)が部屋に来る。「朝にCT検査があることを説明をした時にあなたからはきちんと承諾を得ていた」「CT検査は撮るだけなのでそれが終われば退院が出来る旨を伝えていた」と言われる。足し算も上手く出来ないし説明されたことも忘れてしまうと泣きながら謝る。「その症状はいつからですか?」「それはコルチゾールのせいで気分が躁鬱状態になっているからですね。気にしないでください」といつものモナリザなような表情で返答された。気にしないでと言われても。著しい記憶力の低下や感情をコントロール出来ない自分に対して更に惨めな気持ちになった。
でも想像してみてよ。心の準備が出来ないままいきなり入院。下半身は激痛で何をするにも辛い。お腹には守らなきゃいけない存在がいる。どんどん増えるインスリンへの不安。ほぼ毎日変わる食事の仕方や間食への指示。血糖値は1日に6~9回測らされる。多くの人が出入りし夜中はトイレで目覚めるから常に寝不足。低血糖症状で意識障害を起こして何回か倒れる。妊娠中に滅多にかからない病気が見つかる。赤ちゃんはNICUにいていつ退院かは分からない etc…
そんなギリギリの精神状態で生きている経産婦に「放射線を発する注射を後日する」「その注射を打ったら8月×日~△日までは赤ちゃんの傍に15分以上いられない」「15分傍にいたら何メートル離れて」etc…を一気に口頭で言われてもさ。混乱するに決まってるじゃん。むしろ冷静に聞ける人間はいる?いるかもしれないけど…私には難しかった。先生には想像出来ないんだろうな。外来にいないから相手にしている層も違うだろうし、常に冷静さや正確性が求められる職業だし。寄り添いを求める方がおかしいって分かってるよ…
この時たまたま部屋に居合わせた助産師が私の様子を見て気を遣ってくれ、「お産が立て込んでいるので遅くなるかもしれませんが、私がご主人に説明するので21時過ぎに3人で電話しましょう」 「明日の朝に確定した予定を書いたメモを渡すので、何も考えなくて大丈夫ですよ」 と提案をしてくれた。約束通り21時過ぎに退院スケジュールについて説明をしてくれ、翌朝には予定を書いたメモを渡してくれた。また、M先生より夫を含めて再度治療スケジュールについて再度説明をしたいと言われたらしく、14時頃に面談の調整をして貰った。
7/27
10時前後、CTを撮りに車椅子で検査室に連れて行って貰う(産科の血液検査もクリアして一安心)。CTの台に乗るのはお腹の傷や腰が痛くて一苦労だったが、呆気ないほどすぐに終わった。部屋に戻るとちょうど清掃の時間と被り、私の好きな清掃スタッフのおばあさんが入室してきた。今日退院が出来ることを伝えたらとても喜んでくれた。そしてまた8月末に入院予定だと伝えたところ 「早く治療出来て良かったね。私は別の病棟の清掃も入るから会えるかもね」 と言ってくれた。このおばあさんと会話したのはほんの数回、数分だったが、心がとても救われたし本当に感謝している。私もこんな素敵なおばあさんになりたいと思った。
13時、赤ちゃんとの面会に向かう。いつも通りずっと寝てる。入院期間の面会中、目を開けてる姿をあまり見なかったな。本来だったらまだお腹にいる時期だもんね。抱っこをさせて貰う。看護師さんが気を利かせて赤ちゃんとの写真や動画を撮ってくれた。自分の今の顔や体がずっと受け入れられなくて、赤ちゃんと一緒に写るのはすごく抵抗がある。本来なら嬉しいことのはずなのにね。こんな格好悪いことを考えているなんてみっともなくて誰にも言えないな。
途中から小児科医のI先生が入室して来る。今後のことについて夫と私に説明したいとのことなので、M先生との面談の後に3人で話すことになった。
M先生→今後の治療スケジュールについて説明を受ける。これから服用する薬の副作用についても説明をされたが、重篤な副作用を大多数に起こるうるかのように言うからとても怖い。(皮膚がボロボロになって包帯を巻く必要がある、肝機能障害を起こして人工透析が必要になるetc…)夫もビビる。そして風邪でも重篤化するからくれぐれも感染症には気を付けなさいと念押しされる。妊娠期間中、1度も風邪をひいたことがないと伝えると、「それはただのラッキーでした」とキッパリ言われる。やっぱりこの先生、苦手だ。
I先生→子どもに関しては現状特に大きな問題はないが、これから血液検査等行って経過観察を行っていくとのことだった。そして、私の母乳をあげても問題がないかどうかについては、検査に出しコルチゾールの値を調べた上で判断すると言われた。正直、今後の入院や手術のことを考えると母乳育児は無理なので、検査の結果についてはどうでも良かった。でも、そう思うこと自体が何かすごく悪いことのように思えてしまい、心苦しくなった。色々説明を受けた後、目線を入れる等プライバシーには充分に配慮するので私の顔の写真が欲しいと言われる。珍しい症例だから論文を書いたり学会で発表したりするのだろうか。正直、この顔は残したくないのが本音だけど…複雑な気持ちで承諾した。
先生たちとの面談が終わった後、荷物を持って病院を出る。自動ドアを抜けた時、あまりの気温の高さと湿度に驚いた。7月の下旬で季節は夏。頭では分かっていたけど、もうこんなに外が暑くて蝉が鳴いてるなんて。すごく変な感じ。少し待ってタクシーに乗り込む。タクシーに乗ってからは入院する時と同じように夫がずっと手を握ってくれていた。タクシーの窓から見える空は好きな夏空で。握ってくれた夫の手がとても温かくて。胸の奥からよく分からない感情が次から次へと溢れて涙が止まらなかった。「しんどかった」 「痛かった」 「辛かった」 「怖かった」 呟いたら今まで我慢していたものが一気に決壊した。タクシーの中で泣くつもりなんてなかったのに。嗚咽と弱音が止まらなかった。それに対して夫は終始優しく返答してくれた。
タクシーから降りて、エントランスに入る。ここのエントランスってこんなに広かったっけ?見慣れた風景のはずなのに全然違う場所のように感じる。エレベーターに乗って家の中に入る。ここも知っている自分の家のはずなのに。知っているのに知らない場所みたい。初めての感覚でとても怖かった。しばらくしたら気持ちが落ち着いて、日常生活に戻れるのだろうか。今後に対しての不安は沢山あるけど、この日はゆっくり��ャワーを浴びられて時間を気にせずご飯を食べられたことが何より嬉しかった。
寝る時、夫から手を握ってきた。夫も私と同じように怖かったり寂しかったり不安な夜を何度も過ごしたのだろうか。申し訳ない気持ちもあったけど、自分が必要とされている存在な気がして嬉しくて安心した。
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8/15
今日、子どもが退院した。
子どもは特に大きな問題なく、ミルクもよく飲むようになりとても元気。
退院してからずっと弱音を吐いてばかりだったけど、小さな子どもを見ていたら私はもっと強くならないとダメだなと改めて思えた。
治療のために離れることを考えると寂しいし悲しいけど…
前向きに頑張りたい。
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saritamix · 2 years
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負担をかけたくない。
疎まれたくない。
見限られたくない。
人に必要以上の迷惑や負担をかけるくらいなら死んだ方が良かったんじゃないかって、毎日何回も考えてしまう。
母はどんな気持ちで1人で末期癌のパートナーの介護をしていたのだろう…とか考えてしまう。
この不安定な精神症状はコルチゾールのせい+産後のホルモンバランスの変化のせいだとは理解しているし、心配してくれる人に対してあまりにも失礼なことだから口に出してはいけないとは思うけど。。
辛いな。
8/9追記
言うつもりなかったんだけど義実家でみんなでご飯を食べるのが嫌過ぎて昨日の夜あの時死んでおけば良かった、って言ってしまった。最悪だね。
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saritamix · 2 years
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記憶や思考が纏まらない。これを書くにも数日間もかかっている。もどかしい。
7/23
帝王切開2日後、歩行訓練が始まった。歩行が出来たら尿カテーテルと点滴を取ってNICUにいる赤ちゃんに会いに行けるらしい。
腹の傷は噂に聞いていた通り痛かったが、あの砕けるような腰の痛みよりは遥かにマシだと思いノロノロだけど歩くことが出来た。
16時頃、赤ちゃんに会いに小児科の病棟に向かう。念入りに手洗いと消毒をした上でNICUの病棟に入った(産科とは違い入口からはピリピリした空気を感じた)。
赤ちゃんのいるスペースには溌剌とした看護師が嬉々として案内してくれた。可愛い可愛いと何度も赤ちゃんを褒め、私に対しても積極的に話しかけてくれた(助産師になりたいらしく赤ちゃんが大好き&ママと話すことも好きらしい)。
そんな看護師とは反対に、私は可愛いという気持ちよりも複雑な気持ちでいっぱいだった。この子を産んだのは本当に私なのだろうか?いや、私であることに間違いはないんだけど…可愛い…?確かに可愛いけれど…私が可愛いなんて簡単に言っていいのだろうか…?
保育器の穴から手を入れ恐る恐る体に触る。小さくて、柔らかくて、細い。私が触っている様子を動画に撮ってくれた。そして「15時頃に来てタイミングが合えばミルクとかあげられますよ」と看護師が教えてくれた。正直ミルクをあげたいという気持ちはまったく浮かばなかったが、翌日の面会は15時に予約した。
面会は1時間なのでこの日は17時で面会時間は終了。とても長く感じた1時間だった。看護師に話しかけられる度、可愛いと言われる度、逃げ出したくて泣きたくなる気持ちでいっぱいだった。面会したら多幸感で満たされると思ってた。実際は恐怖や戸惑いの方が大きかった。こんな気持ちでまた明日も面会するのだろうか。赤ちゃんに心から会いたいと思えない私はどこかおかしいのだろうか。
7/24
いつも通り時間とタスクに追われる生活をし、15時に間に合うようになんとかシャワーを浴びる(3、4日ぶりに浴びられた)。まだ体のあちこちが痛いので一挙手一投足にかなりの時間がかかる。離床するにも数分の勇気がいるし、思う様に動けない自分がもどかしい。急いで髪を乾かしてNICUへ向かう。病棟は離れているから正直歩くのは辛いけど…自分の足で歩いて行かないといけないような気がした。
昨日とは違う看護師が案内してくれた。保育器の穴から手を通して震える手でオムツ替えをした。赤ちゃんのあまりの細さに怖くて手が震える。難しいし壊してしまいそう。哺乳瓶からミルクをあげる。これで合っているのか?窒息しないのか?怖い。泣きたい。逃げ出したい。
看護師がzoomで夫に繋いでくれた。夫は義実家にいたようで、画面からはとても楽しそうな声が聞こえる。私の状況を看護師が解説し、赤ちゃんの様子が画面の向こうに流される。みんなが楽しそうに私の名前を呼び手を振ってくれたが、画面の向こうのテンションと私のテンションがあまりにも違い過ぎて絶望感でいっぱいになった。
義母は私が水天宮にお参りに行っていたら赤ちゃんはNICUに入らなかったとか思っているのではないか?今現在、同じ空間にいて母子ともに健康な義姉と新生児、病気の私とNICUにいる子で比べられているのではないか?自分の被害妄想だと分かっていても、そんな考えがずっと頭を支配して罪悪感だけが募る時間だった。
部屋に戻った後、夫に産んでから毎日罪悪感に苛まれることが頻繁にあるとメッセージを送った。20時に過ぎに電話がかかってきたが、血糖値測定が21時にあったので諸々が終わってから折り返した。冷静に話したい気持ちとは裏腹に、途中から不安や辛さを思いつくままに嗚咽しながらぶちまけていた。
義母の言葉が頭から離れなくて苦しい。義姉と比較されている気がして悲しい。子どもの容態がこれからどうなるか分からなくて怖い。臨月まで耐えることが出来なかった罪悪感と無力感。自分の顔や体、声がいつ戻るか明確に分からないことへの不安と恐怖。今回の入院にかかる金銭面での罪悪感等。
そんな私に対して夫はひとつひとつゆっくりと答えて励ましてくれた。「うちの家族は病気のなか産んでくれたことに感謝しているし頭が上がらないって言ってるよ」「何があっても俺はいつでも味方だよ」「zoomの件は配慮出来なくてごめん」「俺は2人が無事に生きててくれたことが嬉しいよ」「君は充分頑張ったよ」「お金のことは全然心配しなくていいよ」「病気の治療法も分かっているものだから良くなっていくよ」
途中、電話の向こうからはすすり泣く夫の声が聞こえた。「意識障害を起こして倒れたところを見て本当に怖かった」 「気付かれず放置されていたら昏睡状態になって脳に障害を負う可能性もあった」 みたいなことを言っていた(記憶が曖昧)。
それを聞いてずっと怖くて辛い思いをしていたのは私だけじゃなかったんだと感じたし、もし逆の立場になったら…と考えると理解出来る部分もあった(夫が目の前で死にかけるところを見たらずっと1人の家にいるなんて耐えられないかもしれない)(実家が近くにあるなら短時間でも行ってしまうかもしれない)。
7/25
この日は腫瘍の大きさ���確認するためMRI検査があると聞いていた。車椅子に乗り検査室に連れて行って貰う。フロアを移動中、大きな窓から見える空があまりに綺麗な夏空で涙が出た。エレベーターに乗って各階で扉が開く時や検査室に向かう途中、痛いと叫んでいる人や車椅子に乗っている人、ストレッチャーで運ばれている人を見かけた。
ここは大学病院。当たり前だけど外来や入院で治療している患者さんが沢山いる。辛いのも痛いのも私だけじゃないんだよな。クッシング症候群だって普通だったらなんてことはない病気の中のひとつだったはず。悪性腫瘍の可能性は全くないとは言えないけれど、腹腔鏡手術&腫瘍摘出&内服薬使用(数ヶ月~1年以上程度?)で済むなら軽い方なのではないのだろうか。ただ今回病院側でなかなか発見出来なかったのは、この病気は妊娠と重なる可能性が非常に低く、症状も妊娠による変化と酷似していたからかもしれない。
・生理止まる、月経異常
⇒妊娠したら生理来ないから分からない
・顔が丸くなる(ムーンフェイス)
⇒妊娠よるむくみと思われるし、病院内ではマスクを付けているから分からない
・お腹が出る、肩や背中に肉がつく
⇒妊婦はお腹が出るし、肩や背中に肉がつく人もいる
・糖尿病や高血圧になる
⇒妊娠糖尿病、妊娠高血圧症候群
・手足の筋肉が落ちる
⇒運動不足になったら落ちる
・骨粗鬆症、骨折しやすくなる
⇒妊娠によるホルモンの影響で骨盤が緩んでると思われる
・不眠やうつ病などの精神症状が出る
⇒妊娠によるホルモンの影響で情緒不安定になる
etc…
検査後はいつも通り時間に追われながら諸々をこなし、急いで15時頃NICUに向かう。この日、抱っこが出来るようになったと言われたので初めて抱かせて貰った。相変わらず怖い気持ちもあったけど…赤ちゃんから伝わる熱があまりにも暖かく、嬉しい気持ちとともに涙が溢れ出た。抱っこしながらミルクをあげるのはやっぱり難しい。赤ちゃんもなかなか起きない。眠りながら飲んでる?看護師や助産師は手慣れててすごいと思った。
この日は臨床心理士(Nさん)も同席していた。平日・NICUメインにいる臨床心理士らしい。NICUに子がいると普通の経産婦よりメンタルが不安定になる人が多いらしく、心のケアのために対話をするらしい。
「自分は4年間心理学を専攻していた」 「だから頭の中では何となくこういう状態になっていると自分なりに客観視や想像をしていた」 「でも実際は全然感情のコントロールが出来ない」 「日々罪悪感でいっぱいで可愛いと言うことも思うこともいけないような気がしてしまう」 と泣きながら話した。Nさんは 「可愛いって思っても言っても良いんです」 と優しく背中を擦りながら話を聞いてくれた。
帝王切開の時に立ち会ってくれた小児科医(I先生)が入室し、丁寧に話をしてくれた。子の状態は血糖値も安定しており今のところ大きな問題はないこと。今後のスケジュールとしてはACTHとコルチゾールの血液検査を行うが恐らくこの子は問題ないだろうと思っているとのこと。ミルクの飲みに関しては週数が経てばどんどん飲む力が増すので時間が解決してくれるから待ちましょう。等
ただ母乳に関しては科によって意見が分かれており、飲ませるにしても飲ませないにしても今後の参考や治療のために取れたら提供して欲しいと言われた(データや参考文献があまりに少ないので現時点では分からないらしい)。
入院する際にそれらしきことが書いてある同意書にサインしているし、このクソみたいな病気に他の妊婦が運悪く罹患することがあったらと想像するだけで苦しくなった。この経験が今後の治療の役に立つなら勿論問題はないと伝えた(罹患しないのが1番だけど)。
面会を終え部屋に戻る。色んな科の先生が回診で結果やら今後のスケジュールについてそれぞれ伝えに来た。
整形外科(U先生)⇒仙骨に微細な骨折の治りかけの跡がある。今度レントゲン撮るからこの日に診させて欲しい。お尻をぶつけないように気を付けること。重い物を持つのも良くない。赤ちゃんを抱っこするのもあまり良くないのでサポートしてくれる家族はいるか。等
糖尿病内科(M先生)⇒糖尿病については特に心配していない。根治しないままだと菌に対する免疫力が著しく下がっている状態。風邪や感染症でも重篤化するので充分に気を付けること。等
一気に沢山の情報を伝えられて頭や気持ちが追いついていかない(この日に限った話じゃない)。もう頭の中がパンクして壊れそうだった。赤ちゃん出来るだけ持つなって?そんな体でこれから育児が出来るのか?自分の体や今後の育児について、恐怖と不安だけがまた募っていった。
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saritamix · 2 years
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出産
7/20
まずは誘発分娩を試みるため子宮口を拡げる処置をした。お風呂に入れなくなるのでこの日は10時頃にシャワーを浴びた。
11時過ぎ、内診で指を奥まで入れられる。せいぜい1cmくらいしか開いていない。この段階でもう泣き叫ぶほど痛い。ラミナリアという棒を3本入れられる。絶叫して泣く。
医師は「夜にバルーンを入れるけどこれよりは痛くないからね」と言った。マジか。それからいつも通り時間に追われる生活をし、ラミナリアを抜いてバルーンを入れた。お腹の中が痛い。腰も痛い。下半身すべてが痛い。自分の声も汚い。夫と通話しながら痛い痛いと泣く。夫の電話先では義実家の声が聞こえてきた。頑張れという声が聞こえたような気がするが、全く嬉しいと思えない。むしろ腹が立つくらい。誘発分娩舐めてた。もうこの時点で心が折れかける。
7/21
7時前後、助産師が入室し着替えるように指示される。体重測定をし荷物をまとめLDR室へ入る。モニターをお腹、両腕には血圧を下げる点滴と促進剤を入れる点滴、左腕には自動の血圧計が付けられる。
8時前後、点滴で水を入れられる。砕けるような腰の痛みと闘いながら血糖値測定をする。
9時過ぎ、産科医が来てバルーンを抜かれる。回診やエコーをやってくれる産科医は複数人いて、この時の人は苦手な医師だった(お腹のエコーもガンガン押し当ててきてめちゃくちゃ痛かった)。子宮口に指をガッと入れられたけど、私があまりに痛がったせいかすぐに抜いて助産師に「子宮口の開きを見といて」と言って早々に立ち去る。無性に悲しくて惨めな気持ちになる。眼鏡越しのあの冷ややかな目、怖い。
10時過ぎ、点滴は少し動くだけでピーピー鳴るからなかなか落ち着かない。スマホも満足に触れない。寝返りもモニターが付いているからなかなか出来ない。動く度に腰が痛い。頻尿だからトイレに行きたくなる。トイレに行くにはいちいちモニターを外して貰い、点滴を持ってドアから歩いて離れたトイレに行かなければいけない。そして尿はいつも通り溜めないといけないのでいちいちカップを取らなきゃならない。腰の痛みに耐えつつ椅子から降りてノロノロ歩きながらトイレに行く。点滴が両腕に2つあるので助産師の補助がないとトイレにも気軽にいけない。人間としての尊厳がガリガリに削られている気分。
12:45 血糖値測定とインスリン注射と昼食。ここでも時間が来たら血糖値測定を自分でしなければならない。その度に体を起こすのも辛い。
13:20促進剤増やされる。両隣の部屋からは産声が聞こえた。いいなぁ。私も早く産みたい。終わりたい。
途中から余裕がなくなり、時間と内容のメモをとるのをやめた。20時過ぎまで上記のようなことを繰り返した。もう何かに縋るような気持ちで過ごしていた。結局破水せず陣痛も来ずでお産には至らなかったので、またバルーンを入れられて明日の朝に再度挑戦ということになった。
前向きに頑張ると言ったのに頑張れていない無力感でいっぱいだった。
7/22
8時過ぎ、バルーンを抜いて子宮口の拡がりを確認される。せいぜい2cmくらいらしい。絶望的な気持ちになる。12時くらいまでダメなら帝王切開になることも考慮すると言われ(子宮口の様子を見つついけそうなら継続する可能性あり)絶飲食になる。お腹は空かない。ただ、喉の乾きが段々酷くなり辛くなる。お腹の痛みは昨日より強いのに陣痛が来る気配がない。喉がカラカラなのにトイレには行きたくなる。トイレに行く時に助産師に喉の乾きを訴える。トイレでうがいのみ行って良いと言われうがいのみ行う。これをあと3時間以上、もしくはそれ以上耐えなくちゃいけない。そう考えたらクラクラした。
13時前、心と体に限界が来る。あんなに生きたいと思っていたのに。辛すぎて夫にしにたいとメッセージを送る。号泣していたところ産科医が入室。1番好きな医師で涙腺が崩壊する。もう無理、耐えられないと泣きながら訴える。医師は優しく、でも少し残念そうな顔で「帝王切開にしよっか」と言った。せめて腰の痛みがなければもう少し頑張れた、と言うと「充分頑張ったよ」と言われ更に泣く(7/25のMRIで分かったこと。お尻の骨辺りに微細な骨折の治りかけの跡があったらしい。骨折していたから助産師のアドバイスの何をしても改善せず、激痛だったのかもしれない)。
13時30分に帝王切開を行うと言われ、バタバタと手術の準備が始まった。寝たまま剃毛されて手術着に着替えさせられた。その後、ストレッチャーに移され急いで手術室に運ばれた。産科病棟を出る時、別の助産師に励まされる。正直、怖いという気持ちは全くなく安堵感でいっぱいだった。色んな人から貰った優しい言葉だけを頭の中で何度も何度も反芻させていた。私も帝王切開で産まれたし大好きな友だちもフォロワーさんも職場のあの人もみんな頑張って乗り越えている。だからきっと大丈夫。
オペ室の前で1度止められる。助産師がオペ看に引き継ぎを行っていた。アレルギーの有無や歯について等、いくつか質問をされる。その後オペ室に入室。オペ看は説明をしながらずっと私の手をさすってくれていた。きっとものすごく恐怖を感じていると思われているんだろう。麻酔科医も入室してきた。「適宜状況を説明しますから安心して下さいね」と言ってくれた。状況の説明をしてくれるのは本当にありがたかったし、LDR室にいた時とは大違いだと思った。あの部屋にいた時は助産師が1名または2名ずつ機械的かつ定期的に入退室を繰り返し、色々な処置を行っていた。基本的にこちらから質問するまでは詳しい説明はしてくれず、ただ淡々と作業をこなしている状況が恐ろしくて苦痛だった。
麻酔を背中に3本ほど入れる。針は痛いけどじわじわ下半身の感覚がなくなってくる。尿カテーテルを入れられた。痛くない。腰の痛みも全く感じない。嬉しい。執刀医は私の好きな医師だから何も心配していなかった。
オペ中は必要最低限の会話以外ずっと無言のイメージがあったが、執刀医含め周りは普通に雑談を交えながらオペを行っていた。それも私に安心感を与えた。横にいる麻酔科医やオペ看に自分から雑談を出来るほど冷静だった。10歳頃に木から落ちて全身麻酔4時間の手術を行ったこと。その時の自分の方が弱音を吐かず頑張っていた記憶があるので、入院してからずっと頑張れていない自分に対して情けない気持ちを持ち続けていたこと。そんな話をした。
麻酔をしてもお腹をグイングイン押されたりグニョグニョされる感覚がすごかった。痛くはないけど変な違和感。麻酔科医がその時その時を教えてくれたけど、気持ち悪い感覚だな��思った。
14時13分
赤ちゃんが取り出され産声が聞こえた。肺はちゃんと完成されていた。良かった、と心から思った。小児科医が横に赤ちゃんを連れて来てくれた。赤ちゃんの皮膚は赤く、しわくちゃの顔で泣いていた。この子が本当に9ヶ月間も私の中にいたのか。なんか不思議な気持ち。
触れても良いと言われたので手や足に触れる。この感情を上手く表現出来る言葉が見つからない。ただ、涙が止まらなかった。早々に赤ちゃんはNICUに連れて行かれ、私の縫合の処置が始まった。ここから先はあまり覚えてないけど意外と時間がかかるな、寒いなと思った。処置が終わりリカバリー室に連れて行かれる。体が寒くて仕方ない。温風が出る機械で温められ、その後部屋に戻って寝かされた。両足には血栓防止のポンプらしき機械が取り付けられる。ちょっと気持ちいい。
部屋に戻され1人の時間になれたので、夫・友だち・家族等に出産の報告をした。
その後、小児科医から夫を今日呼べるか?とお達しが入り夫を呼び出す。NICUへの入院手続きを行ったらしい。
夫も私も直接会えないが、zoomで赤ちゃんの姿を見ることが出来た。夫によく似ているなと思った。
その後、眠気が来たので眠った。
尿カテーテルを入れているのでトイレに行く必要がなく、麻酔が効いているので腰の痛みも全く感じない。入院してから1番快適に眠れた夜だった。
その夜、入院して初めて安らかな夢を見た。赤ちゃんの口元にキスをする夢だった。キスをした後『あ、虫歯菌が移る。ダメだ…』と思ったら、赤ちゃんは嬉しそうにニコッと笑ってくれた。それだけでとても幸せな気持ちになれた。
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2022.07.22
35w 4d 2356g
午後2時13分
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saritamix · 2 years
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決定
7/19
出産の日が決まった。
最短、今週の木曜(7/21)か金曜(7/22)にお産になるとのこと。
産科医と糖尿病内科医が話し合いをし、週数的には早産になってしまうが現在の状況を考えると長くお腹に留めることの方が危険と判断された。
・血糖値が安定していなくて危険
→重度の低血糖症状を起こしている&原因不明
・週数が進むと更に血糖値が不安定になるリスクがある
→その時にどう対処するかは現時点で不明
・母体のコルチゾール値が非常に高い
→胎児をこの状態の中で長く晒すことは危険
糖尿病内科医からは「こんなにコルチゾール値が高いのにこの週まで母子ともに無事な例は聞いたことがない。大抵は母体が危険になるか、胎児が危険な状態に陥っている」と言われた(今回の私はきっと、良い意味でも悪い意味でも貴重な被検体になったんだろうな…まぁ今後の医療の役に立ててくれ…なんて思いながら話を聞いていた)。
腫瘍については産んだら小さくなれば良いが、こればかりは産んでみないと分からないとのこと。そして産んだ後はMRI等 また検査が必要らしい。腫瘍が悪性か良性かについては、実際に手術しないと分からないとのこと。
この医師と夫が通話したと聞いていたが、クッシング症候群もまだ確定ではなかったらしい…(妊婦の為詳しい検査が出来ていないため)(初耳)。クッシング症候群は早い週数で確定していれば妊娠中に腹腔鏡手術で対応出来るものだと言われたらしく、夫は「じゃあなんでもっと早く調べてくれなかったんですか?」と医師に詰めたかったけど堪えた、と言っていた。
セミオープン先で甲状腺ホルモンの値を指摘されたのが2月半ば。その時にもっとセミオープン先の医師がもっと強く受診を勧めてくれていたら何かが変わっていたのだろうか…それとも私が自主的に行動していたら回避出来たのだろうか…と何回も何回も考えていたので複雑な気持ちになった。
産科医からは経膣分娩が出来るか水曜日(7/20)の内診で子宮口の柔らかさ等を確認し、可能であれば促進剤の投与を行って様子を見るとのことだった。週数的に体が適しておらず経膣分娩が難しそうなら帝王切開にするという流れらしい。自分の予想的には帝王切開になるんだろうなと思う(根拠はないけどなんとなく)(実母にも同じことを言われた)。
お腹の子には本当に申し訳ないけど。。正直この先の見えない生活を8月の半ばまで続けろと言われたら自殺を考えるくらい私には耐えられなかった。1日1日をいつもギリギリの心と体で生きていた。数時間毎にある血糖値測定やインスリン注射。それらを早くこなしたいのに思うように動けない下半身の激痛とストレス。色んな人の入室が多く睡眠も満足に取れない。低血糖症状で自分も子も死ぬかもしれないのではという不安や恐怖。本当にすべてが限界だった。
経膣分娩でも帝王切開でも怖いしそれぞれ違う痛みはあるだろうけど…それでも今は前向きに頑張ろうと希望を持てて思えるのが嬉しい。夫も予定日が早めに決まったことに対してネガティブなことを言っていなかったのが救い。産んだ後の自分の体の不安はあるけど…とりあえず今は無事に赤ちゃんに会えることだけを祈って頑張る。
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夜、夫との電話で、義母が私が水天宮の戌の日参りに行っていれば今こんな状況にならなかった…って思っていたらしいと聞いた。私が夫に「実母が変な謎理論を言ってきてね〜」 という流れで聞いたけど、悲しい気持ちと腹立たしい気持ちになった。義姉は32~34歳(記憶曖昧)で1人目も2人目も自然妊娠+安産と聞いていた(確か1人目は1回指導タイミングだと聞いたけど…私は自然妊娠だと思ってる)。私が不妊脳拗らせてる故に義姉に対しては一方的に劣等感を持ってしまっていたから、ああやっぱり義姉と比べられていたのか…とか考えたら…もうね。1人目も2人目も自分が水天宮に連れて行ったから安産になったとか思っていたんだ。そっかそっかって。神様に祈って子どもを授かれたり、何事もなく臨月を迎えて出産が出来たら誰も苦労しないけどね。こんなこと言いたくないけど、不妊治療だって元々私の数値は全く問題なかったよ。私主導で色々調べて行動して夫の数値が良くないことを初めて知ったんだよ。対外受精を推奨に〇が付いた検査結果の紙を初っ端から見た時の気持ち、分かる?妊娠のしやすさとか問題なく出産を迎えられるかどうかなんて祈ってどうにかなったら誰も苦労しないし泣かないよ?祈ってもどうしようもないから医療があって、みんな縋るような気持ちで大金かけてまでそれに頼ってるんだよ?
どのくらいの温度感で言ったのかは分からないし、共感をしてほしいなんて思ってはいなかったけど。。理解や配慮はされていると思っていた分ショックだった。
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saritamix · 2 years
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7/16
糖尿病内科医から血糖値測定の時間や食事についての変更を言われた。そのスケジュールがまた忙しなく、夜あまり寝れそうにないと思ったので、夫が面会に来る前に1時間ほど仮眠を取った。
16時半、夫が面会に来た。ちょうどその時に間食も来たので夫がいる前で食べていた。食べている時も起きた時も汗が引かず、寒いけど暑いなぁと思いながらパンを食べ切る。汗をバスタオルで拭きながら夫と話していたけど、何だか夫の様子がおかしかった。
「呂律が回っていないみたいだけど大丈夫?」と聞かれた。心配かけたくなかった私は「余裕のよっちゃん✌️」なんてふざけたことを言っていた。「ナースコール押すよ?」 「え、いいよいいよ」ナースコール押される。「妻の呂律が回っていません…」
記憶はここで途切れた
気付いたら点滴をしていて心電図を付けられていた。私の意識が戻って落ち着いた頃、別室に待機させられていた夫が戻って来た。呂律が回っていない&目の焦点が合っていないからナースコールしたら酷い低血糖症状(血糖値21)が起こっていたこと、助産師8名に囲まれて処置されていたこと等。そして異変を感じたらナースコールを押して欲しいと切実に言われた(助産師にもよく言われる)。
夫には妊娠するよりもずっと前から冗談で「私がいなくなったらどれだけ悲しむか見てみたいな〜」とか「君は私がいなくなってからそのありがたみを実感するんだよ」とかめんどくさいメンヘラ発言をしていたけれど。。実際に私が死にそうな場面を見て少し泣いてしまった夫を見て、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
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もしかしたら死ぬかもしれない可能性もあるよな…と思い、後悔がないように2年ぶり?に母親と話した。母親と話したら号泣するかと思ったけど、相変わらずのマシンガントーク&トンチンカンな謎理論をぶちかましてきて逆に涙は引いた。
母は帝王切開(陣痛有り)で私と兄を出産しているけど、私に対しても「10ヶ月過ぎたら帝王切開が出来ないか積極的に医師に相談しなさい」 と勧めてきた。「日本では下から産むのが正義みたいに言われているけど、アメリカだと皆お腹切っている人多いよ?」 とか 「あなたは高血圧なんだから下からよりも予定して帝王切開した方が母体にも赤ちゃんにも良いはずだよ」 等。今日の回診の産科医からは「帝王切開は癒着とか合併症とかのリスクがあるから〜」 と説明されたんだけどな。。どちらも納得出来るので、一体何が正しいのか分からない。でも帝王切開が楽なお産ではないことは母が身を持って知っているはずだから、まぁもう何でもいいや…と途中から話半分で聞いていた。
クッシング症候群についての不安を伝えたところ、「逆に病院で見つけて貰ってラッキーだったと思いなさい」 「あなたはただの病気で入院したわけじゃない。赤ちゃんと一緒に治療していると思いなさい」 「ずっと望んでいた妊娠でしょ?宝物じゃん。ママになるんでしょ?しっかりしなさい」 「暗くなる必要なんかない。産まれる楽しみがあるでしょ?前向きに捉えなさい。母親が暗くなると赤ちゃんが鬱病になるよ?」 等様々なことを言われた。普通だったら泣いたり怒ったりするかもしれないけど。。どこか腑に落ちる部分もあってかすんなり聞くことが出来た。
入院生活はおそらく出産までコースの可能性が限りなく高い(というかもうほぼ確定だと思ってる)。ずっと前向きなんて無理だし、泣くことはこれからもあると思う。それでも1日、1週間でも長くお腹で育てて週数を稼ぐ気持ちを何とか持とう。体は本当に辛いし低血糖症状も怖いけど。。そこはもう病院を、医療を信じるしかない。。
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saritamix · 2 years
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意識障害
7/9から夜中の低血糖症状に悩まされていた。
その度に血糖値測定を行い、必要によってブドウ糖を飲んだり食べたりしていた。そして医師の指導の元、条件を変えた食事を行っていた。
途中から糖尿病内科医は『反応性低血糖』が起こっているのでは?と推測し、持効型のインスリン注射を止め、食前の速攻型のインスリン注射のみを行っていた。
7/14の24時前後
従った食事方法でも夜中に低血糖症状が起きた。発汗+寒気。いつものやつが来た、と思った。自分で測定してナースコールしないと…でも手が震えて上手く測定器のセットが出来ない。バラバラとセンサーが落ちる。ナースコールを押したつもりだった。実際は押せてなかったらしい。夢と現実が曖昧になっていた。結局この夜は低血糖症状の報告が出来ず。朝5時に測ったら60↑だったまぁいいや…と自己判断。翌朝、助産師にその旨を伝えたら「その時はナースコールで呼んでください。私が絶対測るので」と言われた。
7/15の24時前後
この日もまた低血糖症状が起きるのでは?と怖かったので24時にアラームをセットし23時頃に寝た。妊娠高血圧腎症もあるのでトイレで小水を溜めていて、いつも24時前後に助産師によって回収される。
24時前に助産師が入室した時、私は酷く暑い暑いと訴えていたそう(記憶にない)
それから沢山の人から声をかけられた気がするけれど、呂律が回らなくて上手く話せなくて「早く血糖値測定しなきゃ…」「自分の声気持ち悪いなぁ…」とか意識が混濁していた。意識が少しはっきりした時、助産師が3人、糖尿病内科医が1人、私の周りを囲んでいた。左手には点滴が繋がれていた。血糖値が30以下になっていたらしい。それからもなかなか血糖値は安定せず、ブドウ糖のタブレットを食べては血糖値測定を繰り返した。
今日はほぼ寝れてない状態だけど…また夜に眠るのが怖いな。
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saritamix · 2 years
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救済
常時ネガティブになり過ぎるのも精神的にしんどいので、入院してから逆に良かったことを考えてみた。
・入院する病棟について事前に知れたこと
⇒大部屋、個室の作り
⇒生活の時間帯(赤ちゃんのお世話以外)
⇒シャワー室の作り��利用時間
・医師や助産師を事前に知れたこと
⇒顔と人柄が分かることは安心に繋がる
⇒運良く助産師さんはみんな優しく良い人
・家族や友人の優しさを改めて実感
⇒文句を言わず面会や物資支援をしてくれ、何かと気にかけてくれる夫
⇒(公にしていないけれど)友人が心配して連絡をくれる
⇒初診時に仲良くなった妊婦さんも励ましてくれる
色々辛いけど。。
人に恵まれているのが唯一の救いかな。
土曜日、夫がまた面会に来てくれるらしい。
また5,500円かかるのに。優しいな。
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追記
義姉が昨日第2子を出産したらしい。(本当におめでとう)
前回は確か陣痛から5時間くらい?で今回は4時間くらいだったとのこと。
1人目も2人目の時も大きな体のトラブルなく、自然妊娠⇒スピード出産と聞いた。
お産は絶対痛いし、仕事や家事、育児をしながらの妊婦生活は絶対に大変だと思うけど。。
義姉の体が心から羨ましいと思ってしまった。笑
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saritamix · 2 years
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何を頑張れば良いのか分からない。
何と闘っているのか分からない。
どういう気持ちでいたらいいのか分からない。
歩行がままならないのが1番辛い。恥ずかしい。惨め。悔しい。
早く産ませてと泣きながら医師に懇願してしまうくらいもう全てに余裕がない。
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左の副腎に腫瘍が見つかった。
産後、早めに腹腔鏡手術で取った方が良いとのこと。
最低2週間、検査や入院がある。
その間、赤ちゃんを誰に見てもらうか考える必要がある。
とりあえず今はお産優先。
他にも色々言われたけど、情報量多くて全部理解して覚えられない。
簡単な計算すらも時間がかかってしまう。
いつからこんなに馬鹿になってしまったんだろう。
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saritamix · 2 years
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低血糖症状
インスリン注射が怖い。
糖尿病内科を2回目の受診日に入院が決まったわけだけど、糖尿病内科医とインスリンの単位数を決める話をした時に「今度の食事からは6~8単位増やしてみましょう」と言われていた。その時は「あんなヘルシーな食事で米も食べないのに3単位打って、食後2時間の血糖値が120以下にならないから仕方ないよなぁ…」と考えていたからとりあえず受け入れることが出来た。
入院してからの食事は地獄だった。味は悪くないけどなにせ妊産婦常食。カロリーで計算されて作られているので量や糖質が多いし妊娠糖尿病の妊婦向けのメニューではない。ご飯なんて150gもあった(+バナナ1本とか)。ここ1~2年前から家庭では白米を買っておらず、主食はロウカット玄米。しかも70gですら血糖値オーバーするのに白米150gなんて。。血糖値爆上げに決まってる。予想通り血糖値は200を超え、食事の度にインスリンの単位数は10台、20台、30台、40台とどんどん増やされていった(今は最高68単位。もっと増えるかも)。単純にご飯量が多い&血糖値スパイクが怖いので、途中からご飯を10~20gほど残すようになった。妊産婦常食は妊娠後期の妊婦の胃にはキツいと判断されたのか、私の食事は主食を−1/2にして、間食を2回(10時と15時)取るように指示された。
それでも血糖値は安定せず、食前3回のインスリン注射+就寝前にもインスリン注射が追加された。食前に打つやつは超速攻型、就寝前に打つやつは持効型というものらしい。持効型は9単位打つように指示された。
夜のインスリン注射を始めてからか、寝汗が酷く暑くて起きることが多くなった。部屋の冷房の効きが悪いのか?と思い、寝る時は22°Cに設定した。
7/8に糖尿病内科医から夜の持効型を朝と夜に分けて打つように指示された。それで血糖値を常時安定させようという狙いらしい。夜の単位数は9→4に変更になり、その日の21時のインスリン注射では4単位を打って寝た。
7/9に日付が変わる前、あまりの暑さ?寒さに目が覚めた。全身が汗でぐしょぐしょで震えが止まらなかった。震えているのに汗まみれなのが意味が分からず、とりあえず部屋の温度を見る。24°C。なら室内が暑いわけではない。とりあえず痛い腰を上げてなんとか服を着替えた。それでも震えが止まらないのでこれは何かがおかしいと思い始める。もしかしたら低血糖症状かもしれない、と思い血糖値を測定したら55。調べたところ明らかな低血糖症状だった。
ナースコールを押し「低血糖症状が出たらどうしたら良いのか」と尋ねたところ助産師が入室し血糖値を聞かれた。血糖値を伝えるとブドウ糖を持って来てくれて食べるように指示された。その後、1時間後と2時間後に血糖値を教えてほしいと言われた。ブドウ糖を食べて横になったは良いけど1時間後の測定は自力で出来ず助産師が測ってくれた。血糖値は76→105と上昇しやっと眠ることが出来た。
いつも夜に暑くて寝苦しかったのは、もしかしたら低血糖症状だったのかもしれない。いつも9単位だったのに4単位でこんな風になってしまうなんて。全く予想もしていなかった。もしこれが血糖値30以下とかになっていて、意識障害や昏睡状態になっていたらどうなっていたのだろうか。私も子も生きているのだろうか。最悪、子は助かるのだろうか。母体がダメなら子もダメになってしまうのか。色々考えたらインスリン注射がたまらなく怖くなった。
これはあまりに辛すぎて意識を飛ばしてほしい、いっそ殺してほしいと何回か思ってしまった罰なのかな。
よく分からないまま死ぬのは怖いし生きたいと思った。
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saritamix · 2 years
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これはもう闘病生活なのではないのだろうか
7/4
自分が思うよりも毎日が忙しないスケジュールで暇がなく精神的に疲れていた。我慢出来ないほどの腰の激痛に襲われ泣きながら歩いていたところ、助産師に心配され自分の中で溜めていた沢山の感情が一気に溢れ出てしまった。
助産師に何か困っていることはないかと優しく聞かれ、人(医師、助産師、清掃員)の入室のタイミングが分からない&頻繁だから身構えてしまうこと。みんな仕事で忙しいことが分かっているから待たせてはいけないと思って焦る&すぐに対応しなきゃと思うけど体が痛くて素早く動かせないから申し訳なく感じるのが辛いこと。食事は多くて苦しいのにインスリンの単位が増え続けることへの戸惑い&いきなり増えた注射の回数と下がらない血糖値への心理的ストレスが大きいこと等を伝えた。
助産師は優しく話を聞いてくれた。そして私のストレスが少しでも減らせるようにあれこれと提案してくれたり、腰の痛みに効く歩き方や立ち方やストレッチ等を教えてくれた。
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7/6
1月にセミオープンシステム先のクリニックで行った血液検査の甲状腺ホルモンの数値に対してずっと気になっていた。妊娠して私より体重が増えている妊婦さんは何故顔が変わらないのだろう?何故首が細いのだろう?私の顔付きがこんなに変わったのは本当に妊娠太りによるものなのか?産んだら本当に元に戻るのか? と長い間ずっと悩んでいた。
セミオープン先のクリニックから大学病院に戻された時、産科医に「私の顔の変化は甲状腺ホルモンによるものではないのか?」と何度か聞いたけど、産科医には「産んだら大体元に戻るよ」と軽く流されて終わった。
それでもやはり自分の中では納得出来ず、入院してから糖尿病内科医に非妊娠時の数値と妊娠後の数値を見せ、こんな症状があるのだけど本当に甲状腺ホルモンの影響ではないのか?としつこく聞いた。その時は「これらは甲状腺ホルモンの影響ではないし、治療対象ではない」と回答され、やはりモヤモヤした気持ちで終わった。
夜に助産師より「明日朝6時に採血をするから30分前から安静するように」と指示を貰った。どうやら甲状腺ホルモンの数値について調べるとのことだった。あの時、糖尿病内科医は甲状腺ホルモンの影響ではないと回答したが、私の顔をたまたま食事中にチラッと見た時に顔付きに疑問を感じたらしく(院内で人と同じ空間にいる時はマスク着用が必須)(それか私があまりにも質問したせいなのか分からないけど)精密検査で詳しく調べる流れになったようだ。
正直、何のためのセミオープンシステムなんだって思ったし、私から働きかける前にもっと早く検査なり何なりしてくれよと憤りを感じた。
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7/7
6:00採血(30分前から安静)
6:15 心音確認+血圧測定
8:15 血糖値測定+朝食+インスリン注射
9:00 朝食下げ
9:20 助産師が寝具周り拭く
9:40 NST(約30分)
10:25 間食
10:35 回診
11:00 部屋の清掃(時間ずらして貰った)
12:20 血糖値測定+昼食+インスリン注射
13:15 昼食下げ
13:55 急いでシャワー(シャワー時間8時~16時)
14:20 血糖値測定
15:00 血圧測定
〜間食の時間だけどリネン交換の日だから待機〜
15:15 急いで間食
15:30 16時の採血のため安静
15:55 回診
16:00 採血
18:20 血糖値測定+夕食+インスリン注射
19:07 夕食下げ
21:15 血糖値測定+血圧測定+インスリン注射
23:15 採血(30分前から安静)
〜血管が出にくいため失敗され2回刺される〜
23:20 針を変え再入室
23:25 助産師退出
終わり
(採血ない時はいつも大体こんなスケジュール)
明日また8:00から採血のため30分前から安静が必要とのことだった。血管が出にくい自分の体が恨めしかった。
回診時の糖尿病内科医の話によると、『クッシング症候群』の可能性があるとのことだった。調べてみたところ私が気にしている体の変化と一致していて、高血圧も糖尿病も全てはこの甲状腺ホルモンの異常から始まったのかな…と思った。
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7/8
この日は夫が16:30に面会に来てくれる日だった。つい最近(7/5)面会が可能になったと助産師から聞かされたけど、そのハードルがなかなか高い。
・ワクチン3回摂取必須(証明書必要)
・面会の前々日前に予約電話(電話受付時間10時~14時)
・PCRの検査を詰問前日の10時30分前までに病院に来て受ける(自費5,500円必要)
・面会時間火曜~土曜(第2土曜日は×)(14時~17時の30分間のみ)
夫には「1回5,500円もかかるしわざわざ面会来なくていいよ」と言ったけど、伝えたその日のうちに病院に電話してくれたらしい(受付時間について私が伝え忘れていたのか助産師からの説明が漏れていたのか忘れたけど、予約受付時間外だからこの日は予約が出来なかったとのこと)。
16時前、糖尿病内科医が2人来ていくつか質問をされた。体外受精での妊娠と聞いたが月経については不規則だったか?妊娠前は太っていたか?体付きは?家族に糖尿病の人はいるか?等。会社で行った健康診断のデータ(過去数年分)がアプリで見れるため、そのデータを見せながら回答した。
16:30夫が面会にやってきた。現状の私の状態や今の自宅の状況について、お互いの仕事の話(産休中だけど会社のチャットは常にROMしている)等、雑談や情報共有を行った。途中の夕方の回診で産科医が入室した。クッシング症候群の可能性が高いため来週MRIを行うこと、妊娠後期のMRIは胎児には影響がないこと等、夫と私に説明をしてくれた。
30分のみの面会時間だったけど、助産師が呼びに来るのが遅く夫は17:15に退出した。泣かずに普段通りに会話が出来たことが嬉しかった。
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saritamix · 2 years
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管理入院
6/27
家庭血圧は最高血圧140を超え、最低血圧も90から下がらない日が続き、遂に観念して渋々病院に電話を連絡した(夫にも諦めて病院に連絡しなさいと言われた)。
病院に電話連絡をしたところ、今日受診したいから病院に来れますか?と聞かれたので 「今日は11時から糖尿病内科の受診なのでその後でも大丈夫か?」 と確認したところ、もっと早く診たいから早めに来てほしいとのことだった。
通常の受診から妊婦健診に切り替わり、糖尿病内科の受診と行き来しつつ色々精密検査を行った。その結果、『妊娠高血圧腎症』という診断結果になり 「明日の午後から2週間ほど入院して下さい」 と医師に告げられ紙を渡された。
血圧が下がらないのは分かっていたし、もしかしたら予定日よりは早めに入院する可能性もあるかもなぁ…なんて悠長に考えてはいたけれど、いきなり明日入院するとは思っていなかったため動揺してしまった。ただ、前日にスーツケースが届いていたのが不幸中の幸いだったな、とどこか冷静に受け止めていた自分もいた。
それからはバタバタだった。院内で入院の手続きをした後に帰宅、諸々の書類の準備や記入、入院するための荷造りを始めた。院内で夫に電話連絡したところ、会社を早退して色々必要な荷物を買って来てくれた。しかし病院での疲れのせいか頭が上手く働かず腰も痛かったため、荷造りはこの日のうちには終わらなかった。
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6/28
早めに起床し荷造りを再開した。本当に必要そうなものを考えつつパッキングをしたけれど、かなりの大荷物になってしまった。
着替えの際は久しぶりに夫に靴下を履かせて貰った。『今回の入院は2週間想定だけど、もしかしたら長引いてこのまま出産して退院するまで会えないかもしれないな…』と想像したら急に寂しくなり、涙が止まらなくなってしまった。夫は 「俺も泣きそうだよ…」 と言いながらも最後に欠伸をかましてきたので2人で笑ってしまった。
13時~14時の入院受付時刻に間に合うように2人でタクシーで病院に向かった。車内では夫がずっと手を握ってくれた。そう言えば採卵で病院に向かうタクシーの時もこうやって手を握ってくれていたなぁ…とふと思い出した。あの時と今回とでは状況は全く違うけれど、相変わらず優しいな良い人と家族になれて良かったなと心から感謝した。
受付で色々手続きを済ませ、16時過ぎに入院した。コロナの影響で面会は一切NG、何か荷物の受け渡しがあればナースステーションで看護師に渡すルールらしい。夫とはナースステーションで別れを告げ、4人部屋の入口から右側の部屋に入った。
元々いびきが酷く妊娠してからは甲状腺ホルモンの低下のためか顔や首や鼻が浮腫んで更に悪化していた。寝ている時に他人に迷惑をかけたくないので個室を希望したのだけれど、生憎個室は満床とのことで4人部屋のまま過ごすことになった。
コロナのため部屋の人たちとの交流はなく、基本みんな無言でカーテンは締め切っている状態だった。回診に来る助産師と他の患者さんの会話を聞いて推測すると、右隣は出産を終え明日退院予定の産婦さん・目の前の人はおそらく妊娠悪阻の妊婦さん・斜め前の人は分からないけれど何かしらの理由で点滴をしている妊婦さんだった。
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6/30
午後、個室が空いたと言われたので部屋を移動した。 6/29は数時間置きに来る回診や各種数値確認、その合間に同意書などを書いたりしていたため息つく暇もなかった。また、いびきを気にしてあまり寝れていなかったのでこの日のことはよく覚えていない(こむら返りに初めてなって痛かったけど叫ぶのを我慢した…くらい)。
正直、6/29時点で気が狂いそうだったから早めに移動が出来て本当に安心した(個室料金はめちゃくちゃ高いけど…ストレスがない方がマシ)。
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気が付けばもう7/2。
正直、入院生活はもっと暇かと思っていた。
実際は、血糖値測定(6回)血圧測定(3~4回?)回診(2回?)NST、心音確認(2回?)インスリン注射(4回~)食事の配膳、結構な頻度で部屋に誰かしら来るためあまり気が休まらない(暇がないので寂しい気持ちで病まないのは不幸中の幸い?)。食事は妊産婦常食なので量が多く正直キツい。インスリンの量は日々増えていく��でちょっと怖さもある。
入院は2週間想定だけど、もしかしたら長引くんだろうなぁ…
慣れたくはないけれど、少しでも楽に過ごすために早くこの生活に順応したい。
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saritamix · 2 years
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先日、30歳の誕生日を迎えた。
以前はお腹の子と迎える誕生日は、どれだけ特別で幸せなことだろうと考えていた。
実際は日々生きるのに精一杯で余裕がなく、多幸感溢れる1日を迎えることは出来なかったけれど。。
それでも人の優しさを感じられて嬉しかったし、改めて自分は幸せ者だなと感じられた。
最近は寝食や歩行、生活の全てが本当に困難で毎日が不安だけど…なんとか乗り越えたいと思う。
2022/06/24
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