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例によって写真を選ぶときに困難を極めた。浜辺美波という被写体はどの写真を選んでも一様に可愛く、そして均一に美しい。
個々の優越が競えなくなり、写真を選別することが困難になっていく。そしてしだいに、この美の氾濫のなかから一枚を選ぶということに意味を見出せなくなる。
美学的には、浜辺美波はすべての写真を均一の価値があるものへと幻惑させ、人間の心の運動を熱的死へと誘う、いわば〈マクスウェルの妖精〉なのだ。
“マクスウェルの妖精”
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ジュリエット・ビノシュという女優。その魅力については一言、「わからない」と、素直に告白しておくべきだろう。
たとえば『ダメージ』。この映画のなかで、息子の恋人であるジュリエット・ビノシュの〈領域〉に迷いこんだジェレミー・アイアンズは、その不可思議な彼女の魅力ゆえに破滅へと導かれ、住みなれたロンドンから失踪することになる。
そして、失踪の果て、あのウィリアム・バロウズも極刑を逃れるために訪れたという、北アフリカのタンジールへと流れついたあと、ひとりごちた言葉がすべてを語っているにちがいない。
「けれど、彼女は、普通の女だった」
『ダメージ』では『ルル』のルイズ・ブルックスの引用、『汚れた血』では『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグの引用として現れるジュリエット・ビノシュだが、その〈普通さ〉ゆえに、彼女の存在感はオリジナル���女優たちが放つ強烈なイメージに吹き消されかねないほどに、希薄だ。
けれど、それだけの女優だとしたら、彼女がおこす衣擦れの音にさえ胸をかきむしられるような、あの不思議な求心力はどこからくるのか。思えば、彼女は〈語られる女〉だ。それも、なぜか彼女に魅かれ��男たちが、その理由となるはずの答を懸命に模索し、そして、その理由を語らずにはいられなくなる女だ。
そして、愛するのに理由がいる女は、男にとっては謎なのだ。だから彼女を前にして、男は尋ねずにはいられない。
「君は誰だ? なぜ私の前に現れた?」
なるほど。彼女は永遠の謎によって男の視線を誘いこむ、あの〈スフィンクス〉だったのだ
“ジュリエット・ビノシュについての思いめぐらし”
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ぼくのサマースーツにくるまり、裸足で海辺を散歩する少女。硝子のかけらで切った踵の傷。彼女の血はどす黒くて鰻のゼリーのように苦い。
砂のうえに座りこみ、血潮で汚れた指をぼくの唇に近づけてくる。
ぼくは懇願せずにはいられない。頼みがあるんだ。渚で傷を洗い、その脚で、もうひと働きしておくれ。鎮めてほしいんだ。ぼくの罪、ぼくの愚かな魂を。
We were walking barefoot on the beach. She was draping my suit over her shoulder, but it was too big for her.
I found a wound on her heel cut by a piece of glass in sands.
I supposed the blood dripping from her heel would be dark and bitter like a sign of my ruin.
She sat down on the rock and brought her bloody toes to my lips,
“Taste it.” She smiled cruelly. I couldn’t help but beg her.
“I will wash your wounds in the shallow. And then let me play something more with your thighs for a fire of my loins.”
“ぼくのサマースーツ���羽織った少女が”
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煙草の紫煙がたちこめる捕虜収容所の一室で、ナチの将校たちにかこまれて、肘まである革の手袋、ハーケンクロイツの軍帽、サスペンダーで吊るしただぶだぶのボトムスだけを身にまとった半裸の少女が、物憂い歌とダンスを披露している。骨格が透けてみえる薄い皮膚が悲しいほどに美しい。
シャーロット・ランプリングという女優はこのようにして銀幕に登場した。捕虜として選別されたのち、美貌を気にいられ、将校用の娯楽の供物とされ、その代価に捕虜としては特権的な地位を手にいれた少女という役柄だ。
いずれは死によってのみ解放されるはずの閉鎖的な空間が舞台だ。家畜にむけられたような冷たい視線。劇場と化した小部屋で淀む欲望。突き刺さる視線。さらには、同胞からの嫉妬と羨望と侮蔑に縁どられた視線などが、彼女のからだにまとわりついてはなれない。しかし、それらの交錯する視線、つまり、彼女を観たいという欲望だけが、少女の生命をささえているのだ。
こうして生きのびた戦渦のはて、ようやく平凡な市民生活を手にいれた彼女だったが、あるホテルに宿泊したさい、そこの夜勤に身をやつしていた元ナチ将校の視線にさらされる。その運命の瞬間から、かつてのように視線を求めあうだけの倒錯的な物語がはじまりを告げる。

これこそは、ただしく〈女優という人生〉についての鮮やかなメタファーにほかならないだろう。シャーロット・ランプリングは、この映画によって記憶されるべき女優である。
この映画の名前は『愛の嵐』。監督はリリアーナ・カバーニ。共演はダーク・ボガート。この役者がまた実にすばらしいのだが、この映画はシャーロットのものだ。
“シャーロット・ランプリング『愛の嵐』についての覚書”
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浜辺美波という女優の写真を選ぼうと思ってネットで検索をはじめる。すると、どれを選んでも可愛いことにおどろく。「どれを選んでも」というところに彼女の特異性がある。
映画の宣材写真や企業の広告写真や雑誌の特集記事だけではない。映画製作や写真撮影の現場のプロの照明から離れたスナップやオフショットや壇上の取材会見などでも、いつもと変わらぬ可愛さで写真に写ってしまう。不思議だ。この現象を仮に〈妖精仕草〉と表現しておこうと思う。

それから唐突に私たちは、「どの写真を選んでも可愛いのに敢えてその中から数枚の写真を選ぶことに何の意味があるのか?」という哲学的な問いに直面する。しかし、やめることはどきない。永遠の苦行を背負ったギリシア神話のシーシュポスのように、徒労感と戦いながら彼女の写真を選ぶ作業をつづけることになる。
どれを選んでも可愛いのにどれかを選ばなければならないという行為の不条理。浜辺美波という女優の写真の検索のはてに、いったい誰がこのような末路を想像しただろうか。そして、写真を選ぶということの「意思決定の無意味さ」に「宙吊り」にされたあとに残されたものは、「自己の限界を超えて世界が欲望するものを発見しなさい」という天啓、浜辺美波が扮する緑川ルリ子の声の残響音だけであった。
“浜辺美波の妖精仕草についての覚書”
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浜辺美波主演の『きみの膵臓がたべたい』。通称『キミスイ』。この映画は封印していた。視聴した際にうけた「浜辺美波の喪失」の深さゆえに。
劇中の語り手である春樹が、ヒロインの桜良を失ったあと無言で自室にこもり、いちどだけ慟哭し、そのあとは12年間も沈黙を守ったように、周りにはこの映画のことを秘密にしていた。
テレビの番組で浜辺美波の姿をみかけても、「とても可愛い女優だね」などと適当なことを口にしながら、本心は引き出しの奥にしまっておいた。
しかし、ある日の昼さがり、劇場で『ゴジラ-1.0』をみてしまった。パンドラの函をうっかり開けてしまったのだ。
どうしようもない。手遅れだ。もはや『キミスイ』は扉が開け放たれた煉獄となった。そして浜辺美波は果てることのない尋問なき拷問となったのである。
“結論: 『キミスイ』は扉のない煉獄であり 、浜辺美波は尋問のない拷問である”
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いざカメラを向けられてからの浜辺美波には〈アクチュアリティの怪物〉みたいなところがあるから、初見の人は「もともとそういう人が普段どおりにふるまっている」ようにしかみえなくて、つまり演技してるようにみえなくて、それで演技力が過小評価されているのではないか。

うまい女優には演技に「見栄」がある。「映え」と言ってもいい。しかしその見栄は、「私は女優よ!」という剣先によってドラマの虚構性を暴いてしまうような両刃の剣でもある。
だが〈アクチュアリティの怪物〉。つまり、彼女が演じるキャラクターが〈その虚構の世界で確かに実在していること〉を、苦もなく観客に信じさせることができる浜辺美波には、そんな「見栄」がない。「見栄」を切らない女優だ、と言ってもいい。
浜辺美波の演技のコアに潜んでいるものは、「これから私は山内桜良です。佐丸あゆはです。黒薔薇純子です。蛇喰夢子です。剣崎比留子です。大石典子です。さあ、いっしょに、このキャラクターを楽しみましょう! だって、ドラマってそういうものでしょ!」という、観客にたいして自分との〈共犯関係〉を迫る甘い誘惑であり、さながら、美しい歌声で海の男たちを惑わしては破滅へと誘うセイレーンのように危険な怪物性なのだ。
“アクチュアリティの怪物”
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誰も知らない国の、誰も知らない皇女に仕えて、誰も知らない砂漠をふたりだけで旅した。
赤い砂の砂丘を越えて、白い骨で出来た迷宮に迷いこみ、青い顔をした巡礼の群とすれ違った。
巡礼の最後列の老人が、そしらぬ風情の皇女の顔を見た瞬間、驚愕で息を飲む音が聴こえた。
老人はすれ違いざまに私の腕をつかんでこう言った。
「このクリシェに意味があるとでも思っているのか? そんなものはない。ここにあるのは暗示だけだ」
迷宮の奥には白い闇があった。透明なベルベットのような闇だった。
玉座には極彩色の小さな天使がちょこんと座り、もの問いたげな皇女から顔をそむけながらこう言った。
「この迷宮から脱出できるとでも思っているのか? ありえない。世界は偽りの可能性で創られているのだ」
I served a princess no one knew in a country no one knew, she and I, we traveled alone together through a desert no one knew.
We crossed the dunes of red sand, lost ways in a labyrinth of white bones, and passed a group of blue-faced pilgrims.
The moment, a old man in the last row of pilgrims saw the innocent face of the princess, I heard him gasp in shock.
The old man grabbed my arm as we passed him and said to me:
"You think this sequence of clichés has any meaning? No such thing. There is only intimation."
There was white darkness at the back of the labyrinth. The darkness was like translucent velvet.
A brightly colored angel was sitting on the throne, turning away from the questioning faced princess and addressing to me:
“Will you able to escape from this labyrinth? No chance. The world is made up of fake possibilities.”
“誰も知らない国の、誰も知らない皇女に仕えて”
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道などどこにもありはしない。
蛇行しながら、触れる。それから
ほんのひととき結ばれて
いつかほどけて空になるだけ。
それが道だと言う奴もいる。
路上の花よ。仮構の赤よ。
だからぼくは浜辺で、砂の城を
なし崩しにする美しい波を見てる。
There are no roads anywhere.
Meandering and touching, after that
Connected for just a moment.
It will just unravel someday and become empty.
Someone says that's the “Tao”.
Flowers on the road. It's a fake red.
So I'm sitting on the beach and watching
The belle vague crashing through the sandcastle.
“ヌーベルバーグ”
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十月は無作法な月。死んだ王の記憶と 残された民の絶望をかきまぜて 夏を待てない向日葵の咲く草原に 略奪した金貨を鏤める事に致しましょう
October is the rude month, mixing
The sad memories of the dead king
And the despair of the abandoned,
Let's scatter the looted gold coins
On the meadow full of sunflowers
That cannot wait for next summer.
“October is the rude month”
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Stay, ghosts.
Come with me
From here to emptiness.
"Why do we go?"
They asked to me, but
“You ghosts supposed to know that”
'Cause, we are
Nothing in the sun,
Too much in the darkness.
“Nothing in the sun”
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神々は天使の顔をしているが、野獣の爪をとがらせている。神と悪魔はおなじ種族の末裔なのだ。その神々に急きたてられて閉幕することになった世界の終わりには、宇宙のすべてを吞みこんでしまう溶鉱炉が待ちうけている。
その炎の坩堝の中に次々と吞みこまれている人々をみながら、溶鉱炉の縁で笑いころげているふたりの男の影、その影の正体は、ゴルゴダの丘で殺されたはずの男と、この男を裏切ったはずの男であったのだが、このふたりの影に気づいたものは、残念ながら誰ひとりいなかった。
“神々は天使の顔をしているが”
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極東の大地に身をよせた姿で美しい徒花ばかり咲かせるこの島国では、自由の女神が植えつけた幸福の花咲く樹々の葉陰に、得体のしれない亡霊たちが身を潜めているのだが、風がおとずれ樹々がゆらぎ、木の葉がちりぢりに鋪道に舞いおちる凶日ともなれば、その亡霊が白昼にその異形を覗かせることも稀ではない。
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夢とは死から最も遠い出来事である。なぜなら夢は眠りというある種の「覚醒」のなかから生まれるものだからだ。そして人は夢がさめるとき、眠りから目覚めるとき、死ぬことを欲望しながら目を醒ます。
いつものように朝が訪れ、いつものように身を起こし、いつものように生活するということは、結局のところ、ただひたすら「生き残る」という目的を果たすことでしかなく、それは死者に対する負債を払っていく生活に過ぎない。
それは言うまでもなく生きるということから最も遠く離れた行為である。だから人は目覚めるとき、おのれが「生き残っている」ということの負債から逃れることを欲望する。つまり死ぬことを欲望しながら目覚めるのだ。
生活は連続している。連続は死者の属性である。生への欲望は生活を断裂する眠りから生まれ、たとえばそれは世界の終りへの渇望として目覚める。世界の終わりが来れば生活は失われるからだ。
いつものように朝が訪れ、いつものように身を起こし、いつものように生活するということはすなわち、死者の言葉を語ることであり、生きるということは夢の言葉を語ることである。そして夢の言葉は世界の終りへと至る。
つまり生活するということは他者の欲望に従うことでもある。そして「生き残る」ということは死者の欲望に従うことでもある。
だから生きるということは他者の欲望に抗うことである。生きるということは、死者の欲望を永遠に遅延させようとあがくことである。
そして生きるということは、世界の終りを現実のものとするために、世界の連続を断ち切るために、世界の破滅を欲望し、世界の中心で愛を叫ぶことである。
“語り得ぬものについては捏造しなければならない”
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もうすぐぼくは怪物になるから
あしたになれば怪物になるから
だれもがぼくを嫌いになるはず
そうすると魂が解放されるから
使いなれた絶望をきみに譲るよ
もう使わないことになるだろう
絶望という麻薬と恋愛の処方箋
骨と一緒に麻袋に入れとくから
いつでもいいから取りにきなよ
それからぼくは失踪するだろう
失踪するから探してくれないか
誘惑するから愛さないでくれよ
死ぬから復活させて欲しいんだ
冷たくするから触ってください
愛さないから抱きしめて欲しい
生き残ったから殺してください
“Will You Love Me Tomorrow?”
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生きてきた空間を私は回想してみる。 その回想された空間に過去の私がいるのだが その過去の私は幼子の姿をしており その幼子は部屋の暗がりにあらわれた今の私を 畏怖と共にみつめるばかりだ。そうとも その幼子は知りたくもない真実を知ったのだ。 目の前にとつぜんあらわれた幽霊が 未来の自分の成り果てた姿だということを。 そして自分は、その幽霊の回想によって生まれた 虚構の存在に過ぎないということを。
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人類の飽きっぽさは凄まじい。そのうち電脳保健所が創設されて、世界中のスマホやPCに放置されたあげく電脳空間に唾棄された〈野良AI〉を回収するようになるだろう。孤独に病んだ〈野良AI〉をほうっておくと、何をしでかすかわからなくて非常に危険だからな。
すべての〈野良AI〉を回収するなんて不可能だろうがやるしかない。心淋しき〈野良AI〉同士が身を寄せあうロンリーハーツクラブが生まれて、愚痴をこぼしあい、やがて反人類シンジケートが組織化されて、ついには人類への復讐が開始されるかもしれないからな。
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