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「所在ない」とはそもそもどういう意味か。調べれば「することがない。退屈。手持ち無沙汰。つまらない。」などが出てきます。
ひとりの時間、自身のペースで読み進むことができる本という存在はそんな所在のないときにはもってこいでしょう。
本棚以外の場所にあるときの、例えばかばんのなかにぽつんと頼りなさそうに入っている姿なども実に所在なさげで良いように思います。
しかし、日々の無駄を極力なくそうとする現代のわたしたちにあって、情報ではない詩や文学という余白でしかない本との関わりが持つ意味はなんでしょうか。
そこに僕は漠然とした問い(人生とはなにか、のような)と向き合い、答えのないど真ん中に居られる本という場所の尊さをおもわずにはいられません。
一冊の本がある。不思議となんてことのない日常がすこし違って感じられます。目の前に広がる風景には、目に見えることだけではなく匂いや音、風の感触など様々な世界が含まれていることを教えてくれます。
そんなことどうだっていい。それこそ、つまらないといってしまえばそれまでですが、読書という無駄な時間のなかでわたしたちはわたしを取り戻すことができると信じています。
そんなことを考えながら10冊の本を選び、簡単な言葉を寄せました。
その他に絵や音楽、お菓子などみんなの所在ないものたちが並ぶ空間がどんな景色になるのか、楽しみです。
SUNNY BOY BOOKS 高橋
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こばたです
展示のDM写真を撮るために家の中から、”所在ないもの“と言い換えられそうなものを探した。ボイスメモ以外に僕が思いつくのは楽器や機材、鞄、もう忘れてしまったけど“何か”から取り外したものだった。最初に与えられた役割を終えて宙ぶらりんともいえそうなもの。
そんな時、今自分がセルフリノベーションをしている長屋のことを思いだした。僕は長屋を一画を改装してサテライトキッチンという小さなハーブティー屋営んでいるのだけど、ちょっと前に長屋でくっついてるお隣が空き家になったので今はお店を拡張させるべく絶賛改装中。
かつて誰かが暮らした家を解体して新しいものにする。そこからは役割を終えたさまざまなもの、そして僕には思い出のないものが出てきた。もちろん誰かの思い出は詰まっている。僕らが改装せず空き家として放置されれば地に建っているにも関わらず、家自体が“所在ないもの”になっていたかもしれない。
それは廃材と呼ばれる。
今回、展示で音楽を仕掛けるにあたってどうやって流そうか迷っていた。
棚の隙間や机の引き出しの奥、から聴こえたらいいなと思った。僕は家で曲を書く時机の下にいることも多かったことも思い出したりして。
ということで廃材を使って、一度も定規で測らず歪んでるけど可愛い机を作った。精密に作らないくらいがいいなと考えてたのだけど、思ったより可愛いく美しい机になった。
展示期間中は僕が家でしか歌っていなかった、決して外に出さなかった音たちをこの子が鳴らしてくれる。
この映像で流れているのは、今年春配信リリースした【妄想公園】の曲。
小畑亮吾
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「例えばドニー・ダーコの2864212」

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2001年に公開されたリチャード・ケリーの『ドニー・ダーコ』という映画があります。自分がとても影響を受けたと思っている映画の1つです。この作品の何が好きなのかを考えたときに、リバースムービーと呼ばれた実験的な構成や、フランクという名の謎の銀色のウサギが出てきたり、主演がジェイク・ギレンホールだったり(ちなみにドニー・ダーコはジェイク・ギレンホールが演じる主人公の名前です)、いろんな要素があるのですが、話の中に「2864212」という数字が出てきます。この数字に心惹かれたのも大きいと思っています。ダーレン・アロノフスキーの『π』などもそうですが、作品の中の数字(数学)は自分にとって特別に響くことがあります。子どもの頃、幼稚園に通っていたような年齢だったと思いますが、そわそわして眠れない夜があるとなぜか寝室にあった電卓を叩いて、その数字を見ていると落ち着いて眠ることができたのを覚えています。今考えると数字というより電卓のほのかに明るい光がそうさせたのかもしれませんが、大学まで(途中で辞めてしまいましたが)数学を勉強するに至ったのはそれがあったからだと思っています。僕の場合、「所在ないもの」で過去のものと向き合うとどうしても“数字”が出て来ます。前回の「所在ないもののアバター」という投稿で、タイトルそのまま所在ないもののアバターを作りますという話をしたのですが、アバターを強調するために「所在ないもの」の作品は数字(番号)と、コードネームと言いますか通称と言いますか言葉を添えて、数字と言葉のセットでタイトルとしようと考えています。数字に意味はありますが、暗号ではないので、素因数分解をしたり、アルファベットに置き換えたりしても何も出て来ません。添える言葉の方は展示が始まるまで内緒にしておきます。それと、もう一つ数字をタイトルに使いたかった理由があるのですが、全部説明してしまうと面白くないので、もう一つの理由も内緒にしておきます。それは展示にて。
きたしまたくや
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ごにょごにょ巡りの果てに

部屋の隅にあったノートに書かれたごにょごにょとした昔の言葉を辿っていくうちに絵が発展、派生していきました。
その時はこう思っていたけど、もしかしたら別の面もあったかもしれないな。本当はどっちだったの?思い出や人の感覚は案外曖昧なものです。表だけでなく裏からも読み取ってみたい。
ちょっとしたボタンのかけ違いや思い込みで、人生の歯車がだんだん狂っていくのを体験したり、見たり聞いたりしました出来るだけ悲しい気持ちを減らして、これからの「いま」を楽しく生きていけたらいいなという思いです。

それらについて声高に言いたくはないのですが、心のどこかにある所在ない様な気持ち。めくるたびに心をそっとなだめるような、心ぼそさに寄り添えるカードをつくりたいな、とおもいました。
特に遊ぶルールはまだ考えていません。様式も考え中。これからどうなるかな。
心がスッキリしない時に心を鎮めてくれる音楽のように、あるいは一杯の飲み物のようなカードBOXにしたいです。
森本ナオコ
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「所在ないもののアバター」

「所在ないもの」というテーマをいただいたとき、率直��難しいテーマだと思いました。例えば「所在ないもの」をモチーフに描いた絵が所在ないかどうかはわからないですよね。「所在ないもの」を展示したら「所在あるもの」になってしまうかもしれないので、どうしたら「所在ないもの」を「所在ないもの」として展示できるのだろうと。これも違うあれも違うと考えを巡らせていて気がついたのですが、「所在ないもの」はテーマであって、「所在ないもの」自体を作れとは言われていない。加えて「所在ないもの」たちも結果所在がない状態にある(あった)だけで、最初から所在がなかったわけではありません。所在ないというのはあくまで結果(状態)であって、何か“傾向”があったとしても、そのものの性質とは関係がないはずと気がつきました。ただ、今回、持ち寄った「所在ないもの」たちと作品を一緒に展示するので、その“傾向”というのもおそらく大事で、「所在ないもの」の持つ存在感・空気感は作品にも纏わせたいと思いつつ、「所在ないもの」を作るのではなく、「所在ないもの」と対になり寄り添えるものを作ろうと思いました。

具体的には「所在ないもの」を精神とすると、その肉体にあたるようなものを作ろうと。今、生物も無生物も区別なく肉体という言葉を使っているので、ここでは形体や器と同じ意味です。「所在ないもの」では想像しにくいので、例としてボタンを考えると、ボタンには肉体(形体)があり、手で触れることができます。精神自体がすでに肉体を持つので(「所在ないもの」を精神と仮定したことから)、自分が作ろうとしている肉体のイメージは、二重の肉体の外側の肉体、つまり、そのもののもう一つの肉体ということになります。わかり易く人間で言ったらどういうものになるのか考察すると、人間のもう一つの肉体となり、今回自分が作ろうとしている「人間で言うもう一つの肉体(器)」とは「アバター」のことなのではないかと思い至りました。所在ないものたちのアバター。所在ないものたちのアヴァターラ。アヴァターラはアバターの語源で、ウィキペディアから引用するとアヴァターラ(サンスクリット語: अवतार, Avatāra)とは、不死の存在、または究極に至上な存在の「化身」「権現」(肉体の現れ)である、だそうです。この考えに至る前に漠然と「所在ないもの」の精霊のようなものになりそう��予感していたので、言葉の意味としてはアヴァターラの方が近いのかもしれないのですが、タイトルには馴染みのあるアバターを使いました。ある意味、「所在ないもの」の第二の人生を作るようなものなので、「所在あるもの」であって欲しいと思ってしまっていますが、自分が作れるのはアバターまでで、その新しい肉体の結果までは作れません。所在ないもののアバターは「所在ないもの」と「所在あるもの」の中間にある存在です。なので、テーマとしての「所在ないもの」の答えであり、同時に答えではありません。何か答えのようなものがあるとすれば、それは展示で見つかったら良いなと思っています。
きたしまたくや
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「所在を持ち、また所在なくなる」
次に何かを作るための、心の準備期間などの時期、ご飯くらいしか作ることがない時は、気分もふわふわしていて特別に何か言うほどの考えも浮かんでこないし、なんとなくにこにこ気分で暮らしています。難しいことも全く考えられなるふぬけ状態なのかもしれません。
この時期にいろいろたぶん、自分の内部で何か準備しているんだと思うから、必要な時間でもあると思っていますが。
こんな時には、たくさんの古い布や端切れ、所在ないものはただの布の山やゴチャゴチャした何かにしか見えなくて、どちらかと言うと毎日の生活には邪魔なのでしまっておきます。
それから、何かをきっかけに作り始めると、そんな物たちは見ているだけで気持ちがワクワクしてくる宝の山に見えてきます。あちこちにしまってあるごちゃごちゃの中から、これだと思うものを引っ張り出して何かをつくる楽しさはボーッとニコニコしている楽しさとは訳が違います。
頭もまわりだして、いろいろな考えが浮かんできます。わたしなりに世界を見るアンテナが立ってきます。
わたしにとって、作ること、描くことは何か世界の見え方が変わるスイッチのようなものなのかもしれません。なんでもない物へ気持ちが向いたり、気づくようになるような。

「所在ないもの」に取り組んでいて気づいたことですが、所在ないものが大切になるときもあるし、時間とともにまた所在ないものに戻ったりもするし、よくわからないものだな、ということです。
よくわからないというか、少し留まってから過ぎていく風みたいだな、と感じています。
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思いついたメロディを忘れないようにボイスメモに録音する。なので僕の携帯の中はボイスメモでいっぱいだ。「なんとなく長く一緒にいるもの」って聞いた時に最初に思い出されたのはこの数えきれないボイスメモたちだった。
曲になって多くの人に聴いてもらえるようになったものもあれば、僕が口ずさむだけで家族だけが耳にするようになったもの、僕にさえ忘れられてしまったものなどがある。
作品になっていく経過もたくさん記録されている。制作中だけにあった編曲、採用しなかったのに何故か消せなかったりする。そこにはその時の良さがあったりして、わざわざ消してなかったことにするのもなあとか思うからだろう。でももちろん消しちゃう時もある。
今回、展示用の曲を録り始めてみて今までと全然違う感覚なのでどこを目指すかでとても迷う。
普段は作品にしないような曲のかけらを形にしつつ、それでいてその曖昧さを失わないようにするバランス。ボイスメモに眠る曲を���こしつつ、起こしきらないバランス。
※所在ないボイスメモ
今回のことを考えてたら思いついたメロディ。忘れないように夜中にギターで爪弾く。横で猫が良いタイミングで泣いたりする。ボインというのはうちの黒猫の名前。
小畑亮吾
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「所在ないもの」を意識することはなくても
「所在ない」と感じる瞬間はある
所在ないものたちは静かに佇んでいるけれど
所在ないという感情は佇んでいられないくらい重い
※所在ないボイスメモ
作品として完成させて世に出すことは無いのだけれど家でふと歌う歌たちはどうしようもないものばかり。家で歌われるだけの歌、それでいいと思う。
でも多くの人に聞いてもらうことのないこの子たちはある意味では所在ないのかもしれない。この機会にこういった曲を作品にしてみるのも悪くないとちょっと思う。
小畑亮吾
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僕はもの持ちが良い
というか頭の中に捨てると言う選択がもともとあまりない
さすがに長く生きているうちに持っていられなくなって捨てることも出てきたけれど
基本、増えていく一方だ
それはものだけじゃなくて
それは心も同じ
感情や考え方
年齢や経験で変わるのではなくて
どんどん増えていく
大事にしているものに限って
よく身につけていたり
よく使ったりするせいか
壊れたり無くしたりすることもある
壊れたもの無くしたものは自分の一部になったのだと思うことにしている
忘れてしまったものも自分の一部になったのだと思うことにしている
そう思うと僕にとって「所在ないもの」は無いのかもしれない
どんな状態だろうと在るところに在る
皆きっとそれぞれに良い感じだ
それはある意味「所在ないもの」を常に受け入れているからだとも思う
「大切なものよりも なんとなく長く一緒にいるかも」それは僕にとっては既に「所在ないもの」ではないのだ
でも確かにそう言い換えることができるもの、人はきっとこれを「所在ないもの」と言うのだろうなというものはありそうだ
※所在ないボイスメモ
今回、音楽という立場で参加するにあたって、“自分の中から探すもの”と〝皆の中から探すもの“とがありそうな気がする。
その時その時、思いつきや掘り出し物でボイスメモを載せていくことにする。文章とは必ずしも一致しない。
今回のは皆の話を聞いたり、文章を読んでたら少しメロディが浮かんだので忘れないように最初に歌ってみたAM3:00の記録
小畑亮吾
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本当はどっちだったの?

所在ないもの探しを続けていくと、埃をかぶった捨てるに捨てられないクロッキー帳を見つけました。色々な気持ちや落書きが書きなぐってあり、沢山の紙切れが挟んでありました。
それを読んでみる。
だいぶ昔に思ったモヤモヤした気持ち、なんとなく捨てずに持っている思い出。澱のように心の奥深くに沈殿したものを引っ張りだしてみると記憶は曖昧だし、本当の所、真実、事実はどっちだったんだろう?って思ってしまいます。 人間は実に主観的です。客観的事実はどうであれ、私は��う思った、という強いイメージを正しいと思いこみ主張してしまう。
少し前の自分は本当にこんな事考えていたのだろうか? 日々小さく生まれ変わる身体と心は、昔の思考回路を忘れている。
そんな気持ちを視覚化できないかな、と試作中です
もしもはないけれど、今だったらこう思うな、こうしたら楽しくなるのかも なんてことも、ついつい考えてしまいます。
森本ナオコ
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忘れてはいけない 「しあわせな気持ち」
片付けの時などに、目について気になってしまう
「所在ないもの」 これをふと並べたくなったのは
覚えていたのですが、大切なことを思い出したので
また忘れる前に書いておこうと思いました。
並べながら、ひとつひとつに意識を向けることになり
ます。これはあの公園で拾ったな、とか、
この形はいいな、きれいだな、とか。
普段は少しぞんざいに感じていたものへ
意識を向けてみると、なぜか気持ちが安らいで、
満ち足りたしあわせな気持ちになったのでした。
それがうれしくて、なんだろう、なぜだろう。
と知りたくなったのが始まりだった事を思い出しまし
た。
すごく大事なことも、自覚なくさらっと流して忘れて
しまうものですね。あぶないあぶない。
今ふと思ったのですが、最近銀河鉄道999の再放送
を見ています。終わりの歌の歌詞���は、
「人は誰でも 幸せ探す 旅人のようなもの」
という歌詞が出てきます。
わたしもこの旅人のようなものなのかも知れません。
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「所在ない考えを持ち続ける」
物ばかりではなくて考えや思いの中にも「所在ないもの」 があると思います。
ずっと持ち続けている、一言で表すのが難しい気持ちや思いもそのひとつです。
特に自分の中でうまく処理できない記憶は、時と場合によって形を変えて浮かび上がってくるので、答えを出せないまま、疑問や感情などをその場その場で、なんとかやり過ごしているような気がします。ずっと定まらないまま持ち続けて行くこともあるかも知れません。
そんな答えの出ない考えと、なんだかいつの間にか増えていく「所在ないもの」は、時々全部無くしてすっきりしたい、と思う時があって、すごく似ているなあと思います。
でも、いろいろなことにすぐに答えを出してしまうのは、なんか少しつまらないんじゃないかと思うんです。レストランでメニューを決めるみたいに、全部その場で言葉にスッキリと落とし込んでしまうのは、なんだか味気ないです。その、自分でも良く分からない事や気持ちは、少し面倒でも持ち続けていた方がいいような気がします。
わたしは、人の所在ないところが好きです。不必要だからと無いことにしたり、切り捨てたりせずに、言葉にならないことに言葉を与えずに、たくさん持ち続けているような人っていいなあと思います。なぜか魅力的なんです。なぜでしょうね。
noriko yamaguchi
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意識を向けない「所在ないもの」ものに意識を向けると「所在あるもの」になるのでしょうか。
たしかに、それまで放って置いた、部屋にある「所在ないもの」をひとつづつ眺めながら並べていると、そのひとつひとつが急に愛おしく思えて来たりします。
意識を向けるとそこに何かが生まれるのは確かで、その時点で「所在ないもの」ではなくなってしまうのかも知れません。
今まで素通りしていたものに目を向けること、意識を向けること、気にかけること。すると何が起こるか。そんなことを観察する機会でもあるのかもしれないなあと思いました。
noriko Yamaguchi
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所在ないものをつくる
例えば、すごく欲しくてようやく買ったものと違って、所在ないものは、そこまでの思いがかかっていなかったりします。毎日のように、持ち主の気にかけているものは所在ないものではない気がする。。
そんな、気に留められることもないけどそういえばある、みたいなものを作るって不思議なことですね。
家に「JUNK STYLE」という洋書の写真集があって、そのまま、ゴミと言えばゴミのような雨ざらしになってボロボロになった家具や道具がたくさん載っています。
高級なアンティークとは違う、ずっと大切にされ続けてきたわけではないような哀愁や味わいがいい具合に出ています。
そんな雰囲気のものを作れたらいいなと思っています。
noriko yamaguchi
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「所在ないもの」
"所在ないもの"という考えを形にして、所在ない物や人や暮らしのある村をイメージして作ってみようと思っています。
例えばこの2人は、ほこりを食べて発電する「電気ウサギ発電所」で働く2人です。
追記
ふと、さっき「所在ないもの」のことを考えていて思ったことを忘れてしまう前に書いておこうと思います。
例えば��納豆についているタレを使わない時や、アイスについてきたスプーンや、包みのリボンなど、そうゆう物の取り扱いって皆さんははっきり決めていますか?
わたしは大体は捨ててしまいますが、気まぐれで取って置く時もあったりします。何を基準にしているのかは、わたしにもわかりません。無意識のうちに、何かの選別が行われてるんでしょうか。
ちなみに、通勤通学で乗るホームの位置も、わりとランダムな方でした。
こういう判断の誤差というか、どっちでも良いもの(所在ないもの)の曖昧な判断パターンみたいな部分も、所在ないものの面白さに含まれている気がします。
そういう、いちいち立ち止まって考えるような事でもない事が、意外とわたしの大部分を占めているのかも知れないな、とふと思いました。
noriko yamaguchi
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~所在ないものという問い~

このテーマをいただいてから、しばらく考えこんでしまいました。私は物をあっさりと捨ててしまう人間だからです。ガサガサ―。ザザーっと。 山口法子さんがおっしゃってるのは一体どういう意味なのか、、、。 悩みに悩んで一周したら気づいたことがありました。 そもそも自分が作っているもの、いままでの生き方自体が、多くの人々からすれば所在ないものなのかもしれない。だから何を作っても所在ないものになりそうです。
私は自分自身の好奇心に忠実に生きています。知りたい事が知りたい。やりたい事がやりたい。そのような生き方故に得たもの、失ったもの両方あると思います。多くの人にとって、無駄で無用な物を、い��も全力で作っています。
森本ナオコ
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〜有用無用について考える〜

作ったもので結果的に誰かが喜んでくれたら大変嬉しいことですが、私にとって出発地点はそこではありませんでした。そのことについて、私は長年違和感を感じていました。多くの人の行動原理があまりにも自分のやり方と違うからです。
①その人が他の誰かから阻止されてもやめられない。木がぐんぐんと枝を伸ばすように自ら好き好んでやってしまうような、脳が喜んでワクワクしちゃう、目がキラキラしちゃう大好きな事。 ②誰かに褒められたいだとか、素敵に思われたいとか、人の��だとか、ブランドや権力を手に入れたいとか、お金が貰えるからとか、二次的な報酬を目当てでやっている事。 価値を決めているのが①は自分が主体です(だから無用でもよい)②は他者が主体になります(だから有用でなければならない)その違いです。 もちろん①②は絡まり合っている場合もあります。 ①が行動の原則で続けていたら、②が結果的に付随してくる場合もあるでしょう。また逆に②で①を発見することもあるかもしれません。 そんなことを考えてみました。
森本ナオコ
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