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ESCAPADE, Skyward
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薛 珠麗(せつ しゅれい)による個人ブログ
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shurei-sit-blog · 4 years ago
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2020年→2021年。
2020年。 世界中に一人として、予定通りに生きられた人がいない年。 わたしもその一人だ。 呆然と見回す。 吹き飛んだ計画、生活、幸せ。 失われた命。 1年前、誰がこんな2020年を想像しただろう。 そんな1年、 わたしは今まで生きてきて身につけられなかった大切なことを たくさん、本当にたくさん、手にすることができた。 今まで生きていて見つけられなかった道を見つけ、 その道を自分の足で、歩くことができた。 生きている間に、自分を最も鮮やかに生かす生かし方で、生かす。 その準備ができた1年になった。 一番大切なことが見つかった2020年、さようなら。 2021年、わたしなりに世界に立ち向かう1年にしたい。 皆さん2020年、お疲れさまでした。ありがとうございました。 2021年の世界が、光の方へ、命の増す方へ、 進んでゆきますように。 どうぞお元気で、安全で。 一人一人がその人らしさを全うできる世界に、なりますように。 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 5 years ago
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よろしく2020年。
今日は豊洲マンハッタン生活(=IHI ステージアラウンド東京で 上演される『ウエスト・サイド・ストーリー』のために稼働中の 日々)150日めだ。 日本キャスト版シーズン3の千秋楽(=2020年5月31日) まで数えると、合計301日間。 なので、明日でやっと折り返し、である。 そんな、2020年 元日。 シーズン1の本番もシーズン2の稽古も、 年末年始は3日間のお休み。 シーズン1の本番は1月13日まで。 残り14ステージ。(ひえぇ~) シーズン2は1か月後に初日を迎える。(ひえぇ~) そんな状況なので、2020年はいつにも増して 【年末年始】【お正月】といった感覚がない! とにかく7月からほとんど休みもなく走り続けているので、 3日も連続で休めるなんて夢のよう‥‥と、そればかり。 そんな、2020年 元日。 「どんな1年にしようか」と考える。 とにかく、5月いっぱいまでは、 『ウエスト・サイド・ストーリー』一色の日々だ。 1月13日にシーズン1が終わってしまい、 2月1日にシーズン2が初日を迎え、 3月10日より前のどこかでシーズン3の稽古が始まり、 3月10日にシーズン2が終わってしまい、 4月1日にシーズン3が初日を迎え、 5月31日にシーズン3も終わってしまう。 書き出しただけで‥‥怒涛の日々。 それまでの、つまり5月31日までの日々に、 目標を設定しよう。 『ウエスト・サイド・ストーリー』にわたしの全てを 持っていかれないこと。 自分の LIFE を、日々のきらめきを、日々ちゃんと、 愛すること。 『ウエスト・サイド・ストーリー』の後も続くわたしの人��、 わたしの演劇を、しっかりちゃんと生き、進め、歩むこと。 『ウエスト・サイド・ストーリー』の向こうにたくさん あるはずの楽しみと、希望と、可能な限り共に歩むこと。 と同時に、『ウエスト・サイド・ストーリー』に、 シーズン1に、 シーズン2に、 シーズン3に、 持っている全てを注ぎきること。 それでも足りないかもしれないから、 注げるもの与えられるものを、どんどん獲得しながら、 進むこと。 一片の悔いも、残さぬこと。 わたしの人生で、『ウエスト・サイド・ストーリー』に、 一片の悔いも、残さぬこと。 そんな、2020年 元日。 そして、世界へは。 2020年。 全ての人々が、自分らしい生を全うできる、 そんな世界でありますように。 わたしの大切な人たちが、その大切な人たちが、 そのまた大切な人たちが、 みんなみんな、健康で幸せで、ありますように。 こんな薛 珠麗ですが、皆さま何とぞ、よろしくお願い致します! 2020年 元日 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 5 years ago
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ありがとう2019年。
2019年大晦日にこれを書いている。
今日はわたしの【豊洲マンハッタン生活】――つまり IHI ステージアラウンド東京版『ウエスト・サイド・ストーリー』の 現場に通い始めてから、149日め。 豊洲マンハッタン生活は2019年8月5日に始まり、 2020年5月31日に終わる予定なので、合計で301日間になる。 折り返しを迎えるのはお正月かな。
と言いつつ、実際は2018年後半からわたしの生活は ほぼ『ウエスト・サイド・ストーリー』一色に染まっている。
もっと言えば、ステアラ版と入れ替わるみたいに終わった 宝塚宙組版も併せれば、 わたしの『ウエスト・サイド・ストーリー』生活は 合計3年と1か月になる。37か月! それも残り5か月だ。 そんな、2019年大晦日。2019年を軽く振り返ってみる。 主な活動はどう考えても、 ��述したIHI ステージアラウンド東京版『ウエスト・サイド・ストーリー』。 わたしは日本側の選出補として、 8月に来日キャスト版の舞台稽古に立ち会い、 9月と10月はシーズン1の稽古にあたり、 11月にシーズン1の初日を開けて、以降は公演中のチェックをした。 現在、シーズン2が稽古中。 豊洲マンハッタンにかかりっきりになる前に 自分の演劇活動を充実させようとかなりジタバタしたのだけれど、 形になったのは 1月にゴーチ・ブラザーズ主催により開催した 『エンジェルス・イン・アメリカ』ワークショップと、 2月にわたしが主宰する ESCAPADE Workshop で開催した 『欲望という名の電車』ワークショップ。 人生のうちのこれだけ長い期間を1本の作品に取られるため、 その前や後の演劇活動がとても大切になってくるけれど、 前が充実させられなかった分、後を充実させられるのか‥‥ 課題として2020年に持ち越されそうだ。 他には、 一昨年と去年、東京での公演を演出した『グールドと20の質問』と 昨年東京と仙台での公演を演出した『注文の多い宮沢賢治』 (いずれも伊藤靖浩氏が主宰する「一人芝居ミュージカル短編集」シリーズ、 通称【ひとみゅー】50作品のうちの2作品) が10月に新潟で再演された。 台風19号に直撃された影響で新潟入りできず、 自分の演出作品なのに本番は観られなかったが。 ‥‥と、何だかネガティブな方向の文章になっている気がするが、 何しろ『ウエスト・サイド・ストーリー』のシーズン1は公演終盤だし、 シーズン2は絶賛稽古中だしで、 全く年末感もなければ振り返る気分でもない。 しかし! わたしの人生でも大きな1年だった2019年が今日で終わりなのだから、 そこを敢えて!ちゃんと振り返ろうと思う。 まず、1月のゴーチ・ブラザーズ主催 『エンジェルス・イン・アメリカ』ワークショップ。 初めて「上演を視野に入れた」と銘打って開催したワークショップ。 物凄く対話を大切にしたワークショップだった。 『エンジェルス・イン・アメリカ』は時代と対話することで生まれた、 時代と対話する作品だと感じるからだ。 結果、今の日本では、 人間や生きることや社会についての大切なテーマについて考え、 言葉を交わす機会がまだまだ少なすぎること、 そしてそこにこそ社会の希望も、演劇の希望も、存在するだろうことが、 実感として感じ取れるワークショップになった。 ちょっと間が空いてしまうが、 『エンジェルス・イン・アメリカ』への探求は良い形で続けてゆきたいし、 ここで出逢った演劇人との関係は豊かなものにしてゆきたい。 2月の ESCAPADE Workshop 『欲望という名の電車』ワークショップ。 わたしが主宰する ESCAPADE Workshop が しばらく開催できないこともあり、 緊急で開催したワークショップだったが、 濃密すぎる戯曲に分け入る時間は豊かで少し恐ろしくて、 取り組む俳優たち一人一人の勇気が花開いたワークショップとなった。 勇気といえば、 10月の新潟での『グールドと20の質問』『注文の多い宮沢賢治』の 再演では、 前者でグレン・グールドを演じた大柿友哉、 後者で宮沢賢治を演じた森田学ともに、 それぞれの役をすでに何回も演じたことがあるにも関わらず、 新たな課題に挑戦してもらった。 たいへん勇気を必要とする道のりを、2人ともが苦しみながら、 あるいは震えながらも大胆に、歩んでくれた。 前述した通り台風のせいで本番を目にすることはできなかったけれど、 ゲネプロの映像から判断するに、 多くの人の目に触れてほしい舞台成果があったと確信している。 ステアラ版『ウエスト・サイド・ストーリー』については まだ語るタイミングでない気がする。 ただただ、神の手になるとしか思えないこの偉大な作品、 この作品を通して出逢えたたくさんのかけがえのない仲間たち、 彼らと共に戦った日々、 彼らと共に今も重ねている日々の戦い、 そしてこの作品に触れてくださった全ての皆さまに、 ただただ、感謝と愛を。 ‥‥と、つい、仕事ばかり振り返ってしまうけれど。 プライベートでは、5月に小豆島へ旅行できたのが楽しかった! 大好きな池田のゆっこと、松之木天辺さんが経営する民泊&劇場へ、 大好きな福麻むつ美さんと大好きな伊藤靖浩くんを観に行った。 この旅で松之木天辺さんも大好きになったし、 彼が愛する小豆島の美しさに魅せられて大好きになったし、 小豆島で出会った右近健一さんも大好きになった! 同じく5月には数十年ぶりにマカオに行って、それも楽しかったなー。 人間としては、常に越えるべき壁が立ちはだかる1年だった。 本当に、一歩進むごとに、きちんきちんと、壁が待っていた。 それを正面から見つめ、 今の自分にできる最善の対策を組み立て、 その時の自分の勇気を総動員して、飛んだ。 1つ1つの壁はそんなに大きな壁ではなかったけれど、 考えて組み立てた一つ一つ、 総動員した勇気の一つ一つは、 確実にわたしを前進させて、次の場所へと運んでくれた。 それを振り返って今、本当に幸せな1年だったと感じる。 と同時に、2020年もそれを着実に続けていかなくては、と。 ありがとう、2019年。 2019年、皆さまありがとう! 良いお年をお迎えください。
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shurei-sit-blog · 6 years ago
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ありがとう2018年。
昨日ゴーチ・ブラザーズ主催『エンジェルス・イン・アメリカ』 ワークショップの告知(→リンク)をして、 #悪巧み003 では根本的な部分で大きく舵を切って大転換を図ったので、 今日は少しリフレッシュしようと、池袋へ、 見逃していた NTLive『アマデウス』を見に行った。 最近は人さまが創った演劇の感想をSNSで書くことに 興味が失せていたのだけど、 ナショナル・シアター・ライブはどうもいつも書いてしまう。 今日の『アマデウス』も。 で、「リフレッシュしたらもう一仕事」と思っていたのだけど、 カラダとアタマとココロが勝手に結託して、 いつの間にか【仕事納め】を決め込んだようだ。 理由もなく涙が浮かんだりもしているので、 これはちょっと休んだ方が良さそうな感じ。 ‥‥というわけで、2018年を総括するモード。 本当は大晦日に振り返る方が好みではあるのだけれど。 断言できてしまうけれど、今年は今までの人生で最高の1年になった。 ようやく人生が始まったと思う。 よっぽどの長生きでない限りわたしの人生はもうとっくに後半戦な訳で、 まぁずいぶんと始まるのが遅かったわけだけれど、 人生が始まらないまま死ぬことは、あまりに、あまりに容易い。 逆に言えば、この歳で「始まった!」と言い切れるわたしは 何てラッキーなことか。幸せだ。 2018年、本当にありがとう。愛してるよおぉー!! 簡単に、活動を書き出そう。
【 演 出 】
去年 vol2 の男性版を演出した伊藤靖浩さん主宰/作曲の 【一人芝居ミュージカル短編集】(略して【ひとみゅー】)は今年、 目標である100作品のちょうど半分、50作品が出来上がった。 今年、わたしはそのうちの7作品を演出した。 まず4月、【ひとみゅー】のスピンオフ的な公演だった 「三人寄っても一人芝居」で vol2でわたし自身が演出して初演されたグレン・グールドを題材にした 『グールドと20の質問』 vol3で初演された宮沢賢治を題材にした『注文の多い宮沢賢治』 の2作品を演出。 ゴールデンウィークには本家ひとみゅー、 つまり【一人芝居ミュージカル短編集】vol5で アル・カポネを題材にした『Solitude Gangsta』 ヒエロニムス・ボスを題材にした『2xxx年 快楽の園へ』 ユリウス・フチークを題材にした『絞首台の上のジャーナリスト』 藤田嗣治を題材にした『fou fou』 テネシィ・ウィリアムズを題材にした『この哀しきホテル』 の5作品を演出。 10月には仙台で開催された「せんだい卸町アートマルシェ」で 4月に演出した『注文の多い宮沢賢治』を再演した。
振り返ってみると、 演出家としては【ひとみゅー】こと 【一人芝居ミュージカル短編集】一色の1年だった。 本当はそれ以外の演出作の話もあったのだけれど、 ある企画はわたしとは無関係な主催者の事情で中止になったり、 また別の企画は最高のタイミングを狙ってわたし自身が時期を再考したり。 しかし、ひとみゅーが持つ 「実在した人物を題材にした30分の一人芝居ミュージカル」という 【型】に繰り返し取り組んだおかげもあってか、 4月、5月、10月と、 演出家としてささやかながら明確な目標を定め、 それをクリアし、 次にはそれを分析して新たな目標を定め、 またそれをクリアし‥‥と、 意識的にステップアップすることができた実感がある。 あくまで、わたし自身の中での、ではあるが、 まさに【手応え】という言葉がぴったりくる実感だった。
【 劇 作 】
【一人芝居ミュージカル短編集 vol5】 テネシィ・ウィリアムズ題材の 『この哀しきホテル』で 2本めの短編ミュージカル一人芝居を執筆。 昨年書いた伊藤若冲とは、 ミュージカルとしてのスタイルが全く違った作品に挑戦できた。 若冲の時も「わたしそのもの」みたいな脚本が書けた!と思ったけれど、 全く違う作品なのにテネシィも「わたしそのもの」と思える。 早く3本めの「わたしそのもの」を書きたい。 どこまで「わたしそのもの」を続けられるだろう。続けたい���のだ。
【 翻 訳 】
1月に東京国際フォーラムで、7~8月に梅田芸術劇場で、 宝塚歌劇団宙組公演『WEST SIDE STORY』が上演された。 2018年、実在の人、今はもう亡い人、物語の人、様々なものや作品、と 本当にたくさんの出逢いや再会を果たした。 どれもかけがえがないけれど、 特記したい出逢いは『WEST SIDE STORY』と その世界に生きる人物たちとのそれ、と感じる。
『WEST SIDE STORY』の翻訳をしたことでわたしは、 これまで自覚していなかった【移民】というアイデンティティを 獲得したと思う。 わたしは、骨の髄まで、港の娘!移民の子! そしてもう一つ、『WEST SIDE STORY』の翻訳を手が���たことを きっかけに、 思えば20年前に始めた翻訳という仕事からの、引退を決意した。 同時に、新作ミュージカル創作プロセスにおける国際的コラボレーションの 橋渡しの仕事からも引退を決めた。 これから翻訳は、自分の演出作の場合のみ、しようと思う。
『WEST SIDE STORY』を翻訳したことで、 わたしは完全に、気が済んだのだ。 わたしの演劇人生は、この偉大な作品と、出会うことができた。 そして今回、戯曲の翻訳のみならず、 物語の背景、戯曲の読み込みといった、 翻訳家の職分の中でもとりわけドラマトゥルグ的側面の仕事に関しても、 その時のわたしにできる最大限の仕事ができたと、自分では思っている。 何て凄い作品なんだろう。何て、何て凄まじい戯曲なんだろう。 向き合えば向き合うほどに広がり深まる世界は、初めての体験だった。 もう何も思い残すことはない。 わたしは演出がしたいのだ。戯曲が、ミュージカルが書きたいのだ。 一番したいことのために、時間を、つまりは人生を、費やしたい。 命を、注ぎ込みたい。 海外の優れた演劇人や演劇作品をでき得る限り良い形で日本に紹介する、 その架け橋となることを自分の務めと思ってここまでやってきたけれど、 架け橋としてのわたしの最後のミッションは、 「薛 珠麗という優れた演出家を、日本や世界に紹介すること」だーい! そう腹をくくり、退路を断ち、わたしは奔走した。 自分が本当に創りたい芝居を、創るために。 いや、今も日々奔走している。しばらく奔走は続く。 そして、自分から物事を仕掛けるということは、 一時も気持ちの休まらない人生を生きることになり得ると、 わたしは初めて知った。 昨日告知した 『エンジェルス・イン・アメリカ』ワークショップ(→リンク)と、 その向こうにある上演企画が、悪巧み004。 その他にも【悪巧み】は4つ。 (わたしは悪巧みをナンバリングしているのだ) 他にも、わたしが仕掛けたのでなくいただいたお仕事が1つ。 2019年から2020年、そしてその向こうへ。 遅咲きの、乱れ咲きの、狂い咲きを、目指そうと思う。 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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パリ de 『動植綵絵』2日め、その2:ギャルリー・ラフェイエットとパサージュ。
(パリ de 『動植綵絵』2日め、その1:シャンゼリゼ~プティ・パレ。の続きです)
パリ2日めは、シャンゼリゼの PAUL で朝食の後プティ・パレで『動植綵絵』を堪能してから、シャンゼリゼに戻ってファストフード店でサラダのランチ。 パリでは全ての食事にパンがもれなく付いてくるので、サラダだけでも充分なお昼ごはん。
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昼食後、もう一度プティ・パレの前を通り革命広場いやコンコルド広場(←しつこい)を抜け、マドレーヌ広場を経由してオスマン通りへ。 老舗デパート、ギャレリー・ラファイエットでお茶。 ギャレリー・ラファイエットはいわゆる三越的なデパートで、わたしには買うものなんて殆どない(ああでも昔、ちょっとベビードール風のお洋服を買って『ナイン』というミュージカルの初日に着たっけ!)のだけれど、オスマン通りに建つ本店の、建物が凄いのだ。 アール・ヌーヴォー様式のドーム内部がとにかく装飾的な上にカラフルで、ミハエル・ネグリンのアクセサリーみたい。 デパートだけど歴史的建造物だしパリのランドマークの一つでもあるから、中に入るのにセキュリティがあって、手荷物の検査がある。 見晴らしの良いカフェを見つけて、エスプレッソをいただきながらドームを見上げたり、写真を撮ったり。 下を見下ろすと、ごくごく普通のコスメ売り場だ。
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オスマン通りをそのまま東に歩いて、パサージュのある辺りへ。 パサージュというのは、18世紀や19世紀に建てられた、アーケート状の小径のこと。 ガラスの天窓の下に小さな商店やレストランやカフェが並んでいて、いずれもパリらしい風情がある。 わたしはパサージュが大好きで、13年前に来た時も5年前に来た時もずいぶん歩いたしたくさん写真を撮った。 でも今回は、何だか盛り上がらなかった。 お店がかなり入れ替わっていたのが一つ。 お気に入りだったパサージュ・ジョフロワに大きなマークス&スペンサーのスーパーが入っていた。 これもやはりお気に入りだったギャレリー・ヴィヴィエンヌが、大規模な工事中だった。 気に入っていたお店のいくつかも、見当たらなかった。 それと、メジャーでない、少しひっそりしたパサージュを歩いていると、観光客の騒音を立てるのが憚られて写真を撮る気になれなかった、というのもあった。 「何百年前からあるの?」と聞きたくなるような、 「『ハリー・ポッター』のダイアゴン横丁ってちっともフィクションじゃないんだ‥‥」と悟るような、 古本屋さんやヴィンテージのコインや切手や絵葉書(使用済み)のお店、アート・ギャラリーなんかは、 「何百歳なんですか。魔法使いなんですか。フランス革命の時の思い出を教えてください」と聞きたくなるご主人が、 「どこの小道具屋でレンタルして来たんですか?」と聞きたくなるような革張りのソファーに収まって、革の装丁の大きな本を読んでいたりする。 店の奥には震度1の揺れで崩れそうな、華奢で美しい螺旋の階段。 息を潜めて歩くのが精一杯だった。 (と言いつつ、アート・ギャラリーの奥のデスクには100% Mac が鎮座していることはしっかり確認した) 写真は、ほんの少しだけ。
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レストランの多いパサージュは、午後だったから、どの店もひっそり。 小径に並べられたテーブルは、夜になれば賑やかになるんだろうな。 それでも、ろうそくの明かりが灯るだけで、薄暗くてロマンティックなんだろうな。 パリの街は、深い青に晴れた空も似合うけれど、薄暗がりがよく似合う。 この日の夕方は、三人寄ってもひとみゅー会 à Paris! それはまた続きに→ 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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パリ de 『動植綵絵』2日め、その1:シャンゼリゼ~プティ・パレ。
(パリ de 『動植綵絵』1日め、その2:オペラ~シャンゼリゼ~トロカデロ。の続きです。) パリ2日め。 まず、シャンゼリゼ通りにある PAUL で朝食。 わたしが滞在していたアパルトマンからはお散歩圏内。 (わたしの【お散歩圏内】は多分、平均よりだいぶ広めかもしれないが。笑) 途中、セーヌ川を渡る。アンヴァリッド橋から見えるエッフェル塔。 2日めも物凄い晴天!
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PAUL では外に出ているテーブルに陣取り、クロワッサン2つと、カフェ。 セルフサービスでの段取りがよく分からなくて飲み物を買いそびれてしまった。 列に並び直そうとしたら、すぐそばで並んでいた観光客らしきマダムが「隣のコーヒー、美味しいからお薦めよ」と教えてくれたので、コーヒーだけ隣の店で買い直した。 見ると、ピエール・エルメだった。なるほど、そりゃ美味しそうだ。 買ったのはカプチーノだったかな。濃厚で、うっすらとチョコレートの風味がした気がする。 朝食の下に覗いているのは、前日に、やはりシャンゼリゼ通りで買ったバッグだ。
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シャンゼリゼ通りの街路樹に、強烈な陽光がきらきらしていた。 乾燥した空気というのは輝くものだとパリで改めて知る。 そして空は、宇宙を思わせるほど深い青。
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さて、シャンゼリゼ通りをそのまま下って行けば、そこはプティ・パレ。 若冲はんが、『動植綵絵』が、待っていてくれる! ここが極楽でなくて何だろう。 2年ぶりの、『動植綵絵』。 ゆっくり見るのは9年ぶりだ。 初めて見てから11年半。 この日で10回めの『動植綵絵』。 『動植綵絵』を中心的なモティーフに一人芝居ミュージカルを書いて演出してからは、初めて見る。
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相国寺が所蔵していた頃、年に1度展示されていた時に倣って、『釈迦三尊像』を囲むようにして30幅が掛けられている。 といっても展示室はわりと長めの長方形なので、4面の壁を、なるべく角を丸めるような形状で配置している、というだけだけれど。 展示室の真ん中に立ってぐるりと全体に目線を巡らせても33幅の全てを見ることが叶わない展示だったのは、少し残念だった。 それでも、まず最初に展示室の真ん中、『釈迦三尊像』のうち『釈迦如来像』の前に立って、展示室を見回してみる。 凄い。途端に、わたしが書いた一人芝居ミュージカル『千年の約束』のM4『楽園』という楽曲が脳内に流れ始め、と同時に、全33幅が回転を始めた。 それはもう、大スペクタクル。 作曲をして若冲役で出演もした(それもわたしのたっての願いで)伊藤靖浩(敬称略)はどうして、『動植綵絵』を見たこともないのにこんな曲が書けるのか! 悔しい。何故か悔しい。 「悔しい」と言いつつ、わたしが18時間もかけて(初めて見るわけでもないのに)パリまで『動植綵絵』を見にきたのは、「絵が回るか」を確かに来たようなものだ。 全33幅の回転劇場を体験して、わたしの旅は報われた。 パリまで『動植綵絵』を見に来たのは、もう一つ、とあることを確かめるためだった。 それも、展示室に立ってみて3秒くらいで達成された。 それが何だったかは、またいつか。 プティ・パレでの『動植綵絵』展示には計4回行った。そのたびに1時間半ほども滞在しただろうか。 この日は唯一のオリジナル・グッズだったポスターだけを買って、そのまま散歩へ。 それはまた続きに→ パリ de 『動植綵絵』2日め、その2:ギャレリー・ラファイエットトパサージュ。 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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パリ de 『動植綵絵』1日め、その2:オペラ~シャンゼリゼ~トロカデロ。
(パリ de 『動植綵絵』1日め、その1:オペラ座。の続きです。)
オペラ座の近所のスタバを出て、シャネル本店で有名なカンボン通り(でもシャネルは現在改装��建て替え?中)などを通って、革命広場へ。
‥‥あ、現代ではコンコルド広場と呼ばれているのでしたっけ。
わたしはかつて、20年という時を隔てて、互いに全く無関係な2人の人に「前世で貴女はフランス革命の革命家の妻だった。夫はギロチンで亡くなった。あなた自身も革命活動をしていた」と言い渡されたことがある。
ということは、ここはわたしが未亡人になった場所、ということになる。
今はただオベリスクが建ち噴水が美しいばかりの革命広場いやコンコルド広場。この日は、とにかく空が青くて、光が眩しかった。
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そして、革命広場いやコンコルド広場の隣(距離、すんごいあるけど)がプティ・パレ! 伊藤若冲の代表作『動植綵絵』と『釈迦三尊像』全三十三幅が展示されている、プティ・パレ! 深い青の空、白亜の宮殿、そこにハートの尾羽を踊らせる『老松白鳳図』‥‥ 何という夢のような景色か‥‥!!! ‥‥しかしこの日はなんと、閉館まで1時間を残して「今日は人がたくさん並んでいるからもう入れない」とお預けを喰らう結果に‥‥‥嗚呼。
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仕方がないからトボトボとしっぽを垂らしてそのままシャンゼリゼまで歩いて行き、買い物をした。 Longchamp のバッグの、欲しかったフランス限定モデルを入手してやった!(といっても帝劇S席ほどしないお値段)
買い物やお茶や食事をした時は、必ずお店の写真も撮る。 これ、オススメです。思い出にも記録にもなる。(ミーは記録魔)
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この日、凱旋門には「どうやって吊ってるの!?」と驚愕するほど大きな三色旗が飾ってあった。 これが平常運転かと思ったら、他の日にはなかった。この日は何だったんだろう? そんなことならもっと近寄って見れば良かった。どうやって吊っていたのか、本当に謎だ。(そこか)
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帰りはトロカデロの方まで足を伸ばした。トロカデロからのエッフェル塔は絶景!太陽の向きも絶妙だった。
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街を歩いて気づいたのは、至るところに若冲さんのポスターが貼ってあるということ。 まず、わたしのアパルトマンの最寄りのメトロ駅に貼ってあったのが歓迎されているようでとても嬉しかった。 他にも、「こっちの道でいいのかな」「先にこっちに行こうかな」と少しだけ迷うたびに、そこには必ずと言って良いほど、若冲さんが待ち構えていたのだった。まるで導いてくれているみたいに‥‥って、初日は若冲さんにふられたのだけれど。笑
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しかし、もちろん翌朝!朝イチ、前のめりでプティ・パレに乗り込んだ。
それはまた続きに→ パリ de 『動植綵絵』2日め、その1:シャンゼリゼ〜プティ・パレ。
スマホの歩数計によれば、1日めは2万2255歩、歩いたらしい。 行きの飛行機でしっかり寝ると、歩ける距離が違う!
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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パリ de 『動植綵絵』1日め、その1:オペラ座。
(パリ de 『動植綵絵』、旅立ち。の続きです。)
シャルル・ド・ゴール空港に着いたらとにかく Roissy Bus に乗る。いわゆるリムジンバスなのだけど、何しろパリ・オペラ座ガルニエ宮の真横に乗り付けることができるのだ。わたしは「パリで最初に見る景色はガルニエ宮」と決めているので、パリでの宿泊の条件も「オペラ駅に1本で行けること」である。
荷物をガラガラ引いている状態でオペラ座の外観を写真に撮り、地下鉄に乗ってアパルトマンへ向かい、荷物を置いて軽く身支度を整え直して、今度は手ぶらでオペラ座へ向かった。
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ちょうど昼前だったので、まずは前回のパリ旅行と同じ、オペラ座のはす向かいにある老舗カフェ・ド・ラ・ペに入ってランチを。内装が美しくて大好き。それにしても、パンにバターを塗ってハムとチーズを挟んだだけのものが、何故こうも美味しいのだろう‥‥!
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この日のガルニエ宮はリハーサルがあるとかで場内には入れないということだったが「それでも良いから」と見学コースへ。結果的にこれが大正解だった。
まずはかの大階段。「マスカレ~♪」
ここは来るたびにたくさん写真を撮っているけれど、この日は激混みだったため、あまり良い写真がない。
わたしの自慢は「混んでいる場所でも、あたかも人がいないかのような写真を撮るのがうまい」なのだが、大階段はやはり大きいのと、この日の混雑が格別だったため、特技があまり発揮できず。
4枚目の写真、階段の段々のアールの形が上から下へと変化してゆく様子にお気づきだろうか。前回の旅で気づいた、地味だけど圧倒的な、美しさ。
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そして大広間。増殖が止まらないような過剰さと「様式なんて無視だ無視」なガルニエ先生の強烈な個性と主張が大好きな空間。それにしてもこの増殖っぷりは若冲といい勝負だと今回思った。黄金という色の仕組みをよく分かっているところも似ている。
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オペラ座の見学は4回めだけれど、初めて資料庫を見た。巻物文化だった日本には永遠に追いつけない、ヨーロッパならではの���書室の空間美が、ここにも。
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見学コースから出る直前に、とある一つのボックス席から舞台稽古の様子が覗けることに気づいた!もちろん撮影は禁止だけれど、ビニールのカーテン越しにテクリハの様子が見られた。テクリハの地味で地道な作業はイズコも同じであった。
何に興奮したって、あのシャンデリアのフェードアウトが見られたということだ。考えてみれば現役の劇場なのだからあのシャンデリアが調光できるのは当たり前なのだけれど、実際にフェードアウトが見られる機会はそうそうないので(ガルニエ宮でバレエ公演を観たとしても客電アウトのタイミングでシャンデリアはなかなか見ない)めちゃくちゃ貴重だったような気がする。大興奮。
当然写真はないので、以前の旅行で撮った場内の写真を貼っておく。
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オペラ座をたっぷり歩き回った後、近所のスタバへ。これですよこれ。これが「近所のスタバ」。
どこに行ってもスタバ大好きだけど、コーヒーが美味しいパリでわざわざスタバになぞ入りませんよ‥‥と思っていたわたしも思わず入ってしまう、「近所のスタバ」。天井や壁はこんなだけれど、テーブルや椅子の並んでいる感じは、普通の「近所のスタバ」だった。
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この後オペラ駅界隈を後にして、ブラブラと西へ→パリ de 『動植綵絵』1日め、その2:オペラ〜シャンゼリゼ〜トロカデロ。へと続きます。
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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パリ de 『動植綵絵』、旅立ち。
我が最愛の男=絵師・伊藤若冲の代表作『動植綵絵』がパリで展示されると知ったのは、2017年9月14日のことだった。その瞬間に「行く!」と決めたパリに実際に行って帰ってきた、というブログを書こうと思う。
「日本のものなら日本で見られるのに」と思うなかれ。『動植綵絵』三十幅はかつて相国寺所蔵だった頃には、セットで描かれた『釈迦三尊像』三幅と併せて年に1回、相国寺の書院で全点が公開されていたが、廃仏毀釈の折1889年に皇室の所蔵となってからは、日本国内では1926年、2007年、2009年、2016年の4回しか全点展示はされておらず、2016年の公開時には最長で5時間半も並ばなくては見られなかった代物だ。今回のパリでの展示は2009年のワシントンに続いて2回めの海外での展示になる。しかも『釈迦三尊像』と併せての全三十三幅の展示は、2007年京都、2016年東京に続いてたったの3回めとなる。
わたしはそんな『動植綵絵』を2007年の相国寺で2回、2009年の東京国立博物館で4回、2016年の東京都美術館で3回、の計9回見ている。しかし昨年【一人芝居ミュージカル短編集】vol.2で若冲を題材に、それも『動植綵絵』を中心的なモティーフに据えて一人芝居ミュージカルを書いたので、どうしても自分が書いた作品を踏まえた上で『動植綵絵』が見たくて、パリ行きを即座に決めたのだった。
宮内庁はこの、信じがたいほど保存状態の良い宝を、きっちり1か月しか公開させない。その1か月をめがけて旅行を計画したのだが、日程を組む段階で「あ、蚤の市に行きたい」と思い出し、普通なら日程をずらせば良いところで泊数を増やすという無茶をしたので、絵を見に行くのが目的というわりには6泊9日というゆったりした旅になった。
しかしそのおかげで、『動植綵絵』は計4回見られたし、郊外に足を伸ばしてジヴェルニーにあるクロード・モネの自宅兼アトリエ、そして睡蓮の池を含む庭園や、やはりパリ郊外ヴィリエ・オ・バクルにある藤田嗣治の最晩年の自宅兼アトリエを訪れることもできて、充実の旅となった。
パリは4回めだった。何故かこれまではいつも冬だったので、初めての初秋のパリ。日中はブラウス1枚で歩けるほど暖かく、連日ピーカンに快晴、宇宙を思わせる深い青の空が輝く、気持ちの良い旅となった。
エアは北京経由の中国国際航空にした。北京経由のパリ便は羽田を19:40に出て、シャルル・ド・ゴールに翌朝7時に着く。帰りも20:20に出て、翌日の18:55に羽田に着く。パリ滞在時間をフルに使えて時差ボケにも優しく、お勧めだ。もちろんお財布にもたいへん優しかった。 写真は、深夜の北京首都国際空港。【巴黎】(←中国ではこう書くらしい!美しい!!)への出発は午前2時過ぎだった。
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中国国際航空は一頃評判がとても悪くてネットで検索すると恐ろしい話がたくさん出てきたが、今回の旅では全て定刻での運行で、優秀だった。確かに機内食はお値段なりという感じだったけれど、わたしにはチケット代が安い方がありがたい。ただし、飲み物を配るタイミングが1回少ない‥‥という印象だったので、水分だけはしっかり機内に持ち込む必要がある。後は機内で言葉に不自由した。いや皆さん話せるは話せるのだが、広東語訛りになら慣れまくっているわたしでさえほとんど聞き取れない英語だったし、わたしの英語もなかなか聞き取ってもらえないという、あまりしたことのない経験をした。それと「中国人は黙って座っていない」の噂は本当で、乗客が皆さん機内をうろうろしてなかなかの賑わいだったが、わたしはこれでも一応チャイニーズ、そういう感じに慣れているので大して気にならなかった。往路は中秋の名月にあたった。機内食で可愛らしい月餅が配られたのがちょっと嬉しかった。中秋の名月は中国では日本よりずっと盛大なお祭りで、家族で集まって祝うのだ。 月餅は保存食で、少しずつ切り分けながら時間をかけたり家族で分けたりして食べるものなので、小さなものでも一人ではなかなか食べきれない。中にナッツなどがぎゅうぎゅうに練り込んであって、物凄く濃厚なのだ。知らずに和菓子感覚で食べ始めた日本人の乗客は食べきるのに苦労したと思う。わたしは持ち帰って家族の土産にした。
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宿泊は民泊を選択した。冷蔵庫とキッチンがついている方が旅は���適だ。パリは特に、ホテルよりアパルトマンが旅の気分を盛り上げる。
ちょっと長くなってしまった。写真中心の、簡潔な旅ブログにしたいのだが、果たしてそうできますか!
続きます→ パリ de 『動植綵絵』1日め、その1:オペラ座
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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わたしのホテル。わたしはホテル。(18.10.04.追記)
「業の深い戯曲が好き」 人によくそう言われるし、自分でもそう言っているし、実際に好きだ。
でもこれまで20年以上演劇をやってきて、 わたしにはどこか、そんな戯曲に 「巻き込まれてしまう」ところがあった。
正直に言えば、「巻き込まれたい」部分もあった、かも、知れない。
「どんな戯曲よりもドラマティックに生きたい」 というような願望がわたしになかったとは、 振り返った時に、言い切れない。(恥ずかしい)
しかし、巻き込まれたら本気で!ガチで!狂う!だろうレベルの 絶望が描かれた戯曲を経験し (ちなみに、2016年に翻訳した『ガラスの動物園』である)
アタマやココロの中で一度に7つの物語を走らせなければならない 季節を経験し (断っておくがわたしのスケジューリングのミスではなく、 わたしには不可抗力&不測の事態が重なりまくったのである)
わたしは必要に迫られて、ようやく、 【物語の世界】と【自分の世界】を完全に分ける方法を編み出した。
それは、心をホテルにすることだ。 1つの物語を1つの客室に収める。 時には思い出も、1つの物語や1人の人や1つの場という単位にまとめて、 1つの客室へ。
思えば、無意識のまま昔からそんなことをしていたような気もする。 たった1回の観劇、たった1回読んだだけの本でも、 琴線に触れた物語であれば、心の中にその物語だけの場所が生まれる。 だから長らく、稽古中や翻訳中、 わたしはテレビドラマや映画が見られず、本も読めない。 せいぜい、以前に見たもの読んだものと、再会するくらいが限界だ。
心に物語のための空間を新しく生み出すことは、 わたしにはそれなりの負担だから。 (芝居だけはどうしようもないので、いつもとても頑張って観る)
そうやって無意識のまま心の中に次々に作り出してきた 【物語のための空間】を、 明確に【ホテルの客室】と意識してみた。 客室といってももちろん空間は無限で、 屋外へも宇宙へもどんどん広がってゆく。
そうすると、気持ちを切り替えることが簡単になった。 物語の業に巻き込まれることはもちろん、 物語同士が混同したり、その中で迷子になったりする心配もなくなった。 何かが混乱しそうになった時は、 明確に「客室の扉を閉じて出る」とイメージすると良い。
客室の扉を出た先には、ホテルオーナーであるわたしの、 プライベートスペースが広がる。
客室の中でどんなことが起きていても関係ない、 ニュートラルで平和な空間だ。
【扉】と言いつつ、わたしがイメージしているのは 客室が扉で区切られて、その扉には鍵がついていて‥‥というよりは 映画『ファンタスティック・ビースト』に登場する鞄のようなシステム。 自由自在に、魔法のように、わくわくと、世界から世界へと飛び回る。
鍵を使うシステムだと鍵をなくしたり閉じ込められたり迷子になったりと 色々と大変そうなので、鍵はかけないシステムにしている。
心をホテルにして以来、 「こりゃあ狂わずに訳せる気がしない‥‥」と思っていた戯曲も 健やかなまま訳せたし、 (ちなみに2017年に翻訳した『欲望という名の電車』である) 打ち込んだ作品が千秋楽を迎えても、以前のように ロス状態に陥ることがなくなった。 (何しろその客室にはいつだって行ける)
が、新たな問題が浮上。
【ホテルオーナーのプライベートスペース】が思いのほか、 空っぽなのである。
といっても、いわゆる「結婚もしていないし子供もいないし」的な アレではない。 (そりゃ、夫や子供がいたならば こんなこと考えるヒマすらないだろうが。笑)
思い起こせばこの1年半ほど、わたしは【客室】から【客室】へと 飛び回るばかりで、 【プライベートスペース】にいる時間がほとんどなかった。 むしろ、避けていたかもしれない。逃げていたかもしれない。 「生きているようで生きていない」というか。
去年、同居している家族が怪我をして入院したタイミングで一度 「ああ、人生も生活もちゃんと営み、 目の前のことにちゃんと向き合わないと、 わたしはもう限界だ」と思うには思ったけれど、 直後に例の「脳内で7つの物語を同時に走らせる」季節が来てしまい、 それどころではなくなってしまった。
結果、 とても頻繁に出かけていた、大好きな散歩も、 ここのところほとんどしていない。 趣味のカフェタイムもここのところは分刻み。 散歩がてらお店を見て歩くこともなくなって、 気がつけばネットショッピングばかり。 自慢だった、自室の過不足ない収納、行き届いた掃除も、 プチ崩壊して久しい。
他にはわたしは、どんなことから日常の歓びを感じていただろう? 何が好きで、何が歓びで、何が大切だろう? もう何だか全てが遠ざかってしまっているような気がする。
というより、わたしのホテルは、ずいぶん孤独だ。 客室は他者が存在するような次元に存在しないとしても、 ホテルオーナーのプライベートスペースも、どうだ。ひとけがない。
自分そのもののようなそのホテルに、 自分以外の人影があまりにないことに、 わたしは初めて気づいて、ギョッとした。
生み出す物語も、自分が生きる物語も、 いのち漲らせたいとわたしは思う。
仕事的には色々と節目だし、 プライベートではこんなことに気づいてしまったし、で 色んな意味/次元で【自分の将来を組み上げる】プロジェクトに 着手する必要がありそうだ。 そしてそれは、最高に面白いプロジェクトになりそうだ。 (この春は特に忙しかったので【リハビリ】ともいうかも‥‥)
そんなわけで、久しぶりに、プライベートブログを更新してみた。 これからはもう少し頻繁に更新してゆきたいと思う。
18.10.04.追記。
この記事を書いてから5か月ほども経っただろうか。
わたしはホテル・オーナーであると同時に、旅人でもあると思い直した。 客室は、わたしが日々自由に発つことのできる、旅。 「ホテルオーナーのプライベートスペース」は特に存在せず、 全ての客室がわたしの自由でにできる空間。 ホテルは【世界】だ。
記事の中では当たり前のように 「客室は他者が存在するような次元に存在しないとしても」と 書いているけれど、 みんなでワイワイ集まって飲んだり食べたりする部屋もあるし、 旅によっては道連れもいる。 割と自由に出たり入ったりする人だっている。
いま読み返すと、ずいぶん自分を孤独に捉えたブログだなぁと思う。 人生も生活も、この記事を書いた時と何一つ変わったことはないけれど (例えば交際ステイタスが変わった、というようなことは、ない) わたしというホテルは少しだけ、風通しが良くなったのかも知れない。 そんな自分に、気づけただけかも知れない。
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 7 years ago
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ありがとう2017年!
2017年、大晦日です。
以下、わたしの2017年の活動を書き出します。
【 演出 】
伊藤靖浩さん主宰【一人芝居ミュージカル短編集 vol2】の男性版の演出家として、 滝廉太郎を題材にした『いまわのうた』 グレン・グールドを題材にした『グールドと20の質問』 オーギュスト・エスコフィエを題材にした『a la cuisine!〜偉大なシェフの帽子』 ガガーリンを題材にした『ライカの宙』 伊藤若冲を題材にした『千年の約束』 の5作品の演出、
マレーネ・ディートリッヒを題材にした『over the wall』 を伊藤靖浩さんと共同演出。
主宰している ESCAPADE Workshop では、
第2回『楽屋』 第3回『マンザナ、わが町』 第4回『クローサー』 第5回『スカイライト』 第6回『スカイライト』追加 第7回三島由紀夫『熱帯樹』/『近代能楽集』 第8回『欲望という名の電車』 第9回『欲望という名の電車』追加
と、7本の戯曲を題材に8回のワークショップを開催。 参加者:のべ122名、実数としては72名。
また、あまりお知らせできませんでしたが、 出津彩子さんによる1日きりの朗読公演『あの人の手』の演出も担当��ました。
【 劇作 】
【一人芝居ミュージカル短編集 vol2】伊藤若冲『千年の約束』 でミュージカル作家としてデビュー。
【 翻訳 】
帝国劇場と梅田芸術劇場で『レディ・ベス』が再演。 (再演といっても、新装開店!作品が新しく生まれ変わりました)
また、 ESCAPADE Workshop で取り上げた 『欲望という名の電車』 はわたしの新訳でした。
また、2018年1月に公演の宝塚歌劇団宙組『WEST SIDE STORY』の新訳も手がけました。
また、宝塚歌劇団花組『ハンナのお花屋さん』の翻訳の部分でのお手伝いもしました。
【国際的コラボレーションの橋渡し】
日生劇場『グレート・ギャツビー』 帝国劇場と梅田芸術劇場『レディ・ベス』(再演) 宝塚歌劇団雪組『ひかりふる路』
以上が2017年の薛 珠麗の演劇活動です。 2017年、わたしの人生で最も豊かな1年となりました。
2017年にお世話になりました全ての皆さま、誠にありがとうございました!
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shurei-sit-blog · 8 years ago
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帰るべき場所は、いつも【未来】。
『天空の城ラピュタ』を見るたびに、 今までの人生で一番辛かったかもしれない日々を思い出す。
わたしの血中には「さすらい」「冒険」といった成分が、 多分ほとんど、流れていない。 それが生まれつきの性格なのか、 クラスの半分くらいが1、2年で入れ替わっちゃうという 転校生だらけの学校に14年間も通い続けたからなのか、 はたまた、気が休まることがほとんどなかった家庭環境が 原因なのかは、分からない。 わたしは旅行は大好きだけれど、 遠い国に住むことには全く興味を持たないまま生きてきた。 世界の色々な場所に行って不自由しない言語が自由に 使えるのにもったいない、と言われることも多いけれど、 わたしの本能は、とにかく 形あるもので自分の周りを固めること、 巣を作ること、 帰れる場を確保すること、 帰るべき場に帰ること。 守ってもらうこと。 守られた環境で、広い世界の夢を見ること。
つまり、ずっとわたしは【過去】に生きる人間だった。 【過去】とはつまり、安全で都合が良くて変化する恐れのない世界、だ。 その証拠にわたしは、強い巣作り本能を持っているにも関わらず、 家庭を作ることを選ばなかった。 家庭を作るには、 変化が怖過ぎた。 失うことが怖過ぎた。 理想通りにならないことが怖過ぎた。
安定。安定。 涙が出るほど安定が欲しい。 守られていたい。
そんなわたしが、自宅以上に家族以上に【帰るべき場所】だった 物理的な場所と精神的な場の両方を、ほぼ同時期に失ったのが 2009年のことだ。
下に、そんな2009年の元日に(mixiに!)書いた日記を 転載する。 ここには物理的な【帰るべき場所】を失うことしか書いていない けれど、この2か月後には、精神的な【帰るべき場所】までも わたしは失うことになる。
『天空の城ラピュタ』のエンディング曲『君をのせて』には、 わたしの正気を救ってもらった気がする。
過去という居場所に固執することしか知らなかったわたしに、 未来へ歩いてゆくイメージを与えてくれた歌。
でも本当の意味で 「世界中のどこに行ってもアウトサイダーなわたしにとって、 生きるということは、 自分が見たい景色を作ること。 自分がいたい場所を築くこと」 と気づいたのは、 これより更に7年後のことだ。 「帰りたい」と強く思うのに帰るべき場所を持たないわたしは、 7年もの間、壮大な迷子になった。 迷子になって、迷走しまくって、 帰れる場所を手にする当てなど一つもなくなった。 ものの見事に、一旦全ての拠り所を、失った。
その時ようやく、わたしは始まったのだと思う。
「帰るべき場所はいつも【未来】」。 わたしにとっては、何よりもつらい言葉。 何よりも難しい言葉。 でもきっと、これ以外にもう、生きる道がない言葉。
その手段が、演劇だったのだと思う。 結局わたしは、それが一番やりたかったらしい。
冒険の血なんて一滴も流れていないわたしだけれど、 ようやく、一歩進むごとに自分の世界が築かれる、という ことが感覚として分かるようになってきた。 そのおかげでわたしは、一番つらかった時期から8年が経つ今、 人生で一番、幸せだ。
その一歩めを記した際に書いた日記を、転載する。 そうしておかないと、mixi の日記、いつか見失いそうだから。笑
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2009年が明けた!
こんなに「早く来てほしい」と思った新年はなかった。 こんなに、未来を思うとどきどきする新年もなかった。
わたしの2009年は、紅白で見た『君をのせて』で明けた。 どうしてだろう。『天空の城ラピュタ』は元々大好きな映画、 そしてこの主題歌も元々大好きな歌だが、今日という日、 わたしはもう泣けて泣けて泣けてどうしようもない。
(以下、映画『天空の城ラピュタ』と主題歌『君をのせて』を 知らないとちんぷんかんぶんでごめんなさい)
冒険に出る歌なのに、なぜあんなにせつないんだろう。 この物語の少年には、家とそこでの優しく毅然とした暮らしは あっても、帰るべき家族がない。だから、突然空から降ってきた 愛するに足る、守るに足る人を守るため、 そして理解されず笑い者のまま死んだ父親の夢を追うためなら、 40秒で全てを捨てて冒険の旅に出かけられるのだ。 父親の形見(恐らくあれはそうだ)のゴーグルだけを身につけて。 帰るべき場所のない少年と少女は、しかしお互いをみつけた。 ふたりは、世界を救うために、潔くその命を捧げるのだ。 静かな目で世界をみつめ、二人固く手を繋ぎ合って。
帰る場所は、追うべき夢。 一瞬一瞬を、大切なもののために、ただそれだけに、生きる。 何と潔い、それはもう寂しいほど潔い、そして美しくそして 確かで、穏やかで満ち足りた生き方だろう。
人間はふるさとを恋しがるように、過去に引き止められる。 自分の帰る場所は今あるいている道の先にあると、断言できたなら どんなにか自由で幸せだろう。
わたしは2009年に、帰るべき場所をひとつ、失うのだ。 17年前からの最愛の場所。13年間、芝居を創り続けた劇場。 わたしの生活であり夢であり、神殿だった場所。 ベニサン・ピットが閉鎖され取り壊される。 この日記を目にする人にベニサン・ピットのファンは多いと 思うが、人生の1/3をここで生きたわたしの想いの深さを 誰が理解できようか。
父も母もない少年の心と体の全てに父が、母が刻まれていたように ベニサン・ピットの宝はわたしの全てに流れていると思いたい。 帰るべき場所が道の先で待っていると信じて、旅に出かけたい。 「誰かが待っている輝かしい地平線」を目指して。 「ひときれのパン」と「ナイフ ランプ かばんに詰め込んで」。 少し緊張した目元には、きりりとゴーグルをかけるのだ。
2009年、まだ見ぬふるさとラピュタを探しに、旅に出よう。 夢を叶える1年に、したいと思う。
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shurei-sit-blog · 8 years ago
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2017年4月11日。
男性版の演出とエスムラルダ ver. の共同演出を担当した【一人芝居ミュージカル短編集 vol.2】が千秋楽を迎えた日が、わたしの誕生日だった。
奇しくも、満月。 しかも、全体の稽古が始まったのが新月の日。
わたしにとっての、初ミュージカル演出。 わたしにとっての、初オリジナル・ミュージカル脚本。
その上、男性版の初日を迎えた翌日、「さぁ今日は女性版の初日!」と思っていたところで 会場変更という出来事があり、それでも以降の5日間11ステージを1回も休まず千秋楽を迎えたということもあり‥‥
しかも、「どうにか無事に公演を終えた」どころではない。 今回の作品は全部で13本の、約30分の一人芝居ミュージカルを毎ステージ3本か4本上演するという形式のオムニバスだったのだけれど、 1日に公演する3ステージで上演する作品のトータルが8本だったりするのだ。 しかも、同じ演目を、ステージによって違う俳優が演じたりするのだ。 そのような、お祭りのようで楽しいけれど非常に過酷な公演スタイルの中にあっても、 逆に、その負荷が舞台を、そこに立つ俳優を、磨き上げる。 その回の上演順によって毎回違った化学反応が生まれたり、 1ステージごとに作品世界が違った様相を見せ‥‥ そんなステージを背負って立つ一人一人の俳優、ミュージシャンの佇まいの、その美しさたるや。
胸を張って言う。 演出家として、こんなにまで「生きた」手応えを感じることはなかなかないのではないか。 演劇の神さま、総合��修!という感じの舞台になった。と、わたしは思う。
そんなわけで、【一人ミュージカル短編集 vol.2】は、かなりスペシャルな作品になった。 その千秋楽である2017年4月11日は、かなりスペシャルな誕生日になった。
それにしても、豪華なバースデイ・ソングだったなぁ。 ジョルジュ・サンドやオーギュスト・エスコフィエが歌ってくれるんだから。 ジュディ・ガーランドとマレーネ・ディートリッヒと滝廉太郎って、どんだけ豪華なの? クレオパトラと荻野吟子とグレン・グールドと伊藤若冲なんて、2人ずつだよ!
写真を少し。
お花を何人もの方からいただいた。 わたしは真紅の薔薇をよくいただく。 何の占いを見ても属性は【火】、ラッキーカラーは【赤】、 名前にまで【朱】が入っているせいか、とにかく赤がだぁーい好き!なので、 皆さん気をつかってくださるのだと思う。 真っ赤な薔薇はもはやトレードマークなので、 真っ赤な薔薇をぎゅっと集めたアレンジメントも、 真っ赤な薔薇を中心にシックな色合いにまとめたアレンジメントも、 とっても嬉しい。
そんな友人の一人は、わたしの舞台を観劇するたびに、真っ赤な薔薇を贈ってくれる。 初めて観た舞台には、1本の薔薇を。 2本目に観た舞台には、2本の薔薇を。 今回は、3本。 今に「持ちきれないよ」「破産しちゃうよ」って言わせたい!笑
今回は、芍薬もいただいた。
わたしが今回書いた脚本の題材が伊藤若冲なので、彼が代表作『動植綵絵』で描いている芍薬を、と友人が選んでくださった。 何て粋なチョイスだ!嬉しい!! 実は『動植綵絵』は、今回書いた脚本のメインモティーフでもあったのだ!
春のピンク色って、どうしてこんなにきれいなのだろう。 全然詳しくないのでお花の種類は分からないけれど、ピンクのお花の花束もいただいたのだ。 あでやかで瑞々しくて、可憐でいて華やかで、春のパワーをいただける!
全て一緒に集めて。我が家のリビングがまるで、芳しき花園のよう。 春、乱れ咲き。
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featuring 芍薬 version!
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featuring 薔薇 version!
こちら、チームひとみゅー2、集合写真。 とてもとても残念なことに、お仕事だったり体調だったりで全員ではないのだけれど、新たにわたしたちの劇場となったザ☆キッチンNAKANO の客席にて。 照明の松本永さんが何と、写真のためにささっと明かりを吊り変えてくださった。 誰かが言った。「一人芝居のはずなのに大所帯」と。 本当だー!
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キャストともたくさん写真を撮ったけれど、ここにはこの1枚を。 本当にお世話になりました。お疲れさまでした。
左が、照明の松本永さん。 真ん中が、わたし。 右が、伊藤靖浩さん。
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彼の肩書きはこちらを見て欲しい。
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こんな面白い大入り袋、後にも先にもないって言い切れる! ちなみに、これでも省略してあるのだ。 「演出」とあるけれど、正確には「女性ver. 演出」「エスムラルダ ver. 共同演出」だ。
そしてこちらが、わたしの大入り袋。 演出のぶんと、脚本のぶんと、2つ。
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今年の誕生日は何だか、生まれ直した気がしている。 ニューなミー!
【創ること】【問うこと】にギアが入った感がある。
演劇というのは、
心を弄び、 魂を弄び 命を弄び、 人生を弄ぶ、 本当に恐ろしい仕事だけれど。
人と人とを、 人と世界とを、 一瞬を永遠へと、 繋ぎ得る、尊い仕事でもある。
それをわたしは、していこう。改めて、覚悟が決まった。
かくして生まれ直した、ニューなミー。 スペシャルな作品とスペシャルなバースデイに感謝を込めて‥‥
これから思いっきり、暴れてやるー!
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 8 years ago
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明けました2017年!
2017年、明けました! 明けましておめでとうございます!!
東の空を少しずつ黄金色に染める初日の出を 見守りながら、こんなお願い事をしました。
  世界中が去年よりも平和に、寛容になりますように。   日本にも世界にも、災害がありませんように。   わたしやわたしの大切な人たちが、健康でありますように。   みんなが自分の生きたいように、毎日を生きられますように。   わたしの‥‥(以下、秘密。)
薛 珠麗の2017年の仕事は、
* 主催する ESCAPADE Workshop として:   『楽屋——流れ去るものはやがてなつかしき』ワークショップ   『マンザナ、わが町』ワークショップ   の開催
* ちょこっとお手伝いしたミュージカル   『グレート・ギャツビー』   の上演
* 翻訳作品であるミュージカル   『レディ・ベス』   の再演
が今のところアナウンスされています。 他のプロジェクトも実現に向けて鋭意企画中です。
今年は外へと発信してゆく1年になる予定です。
これをご覧になっている皆さんにとって2017年が 元気で楽しく幸せで、手応えぎっしり、充実した1年に、 なりますように!
本年もどうぞよろしくお願いいたします!!
2017年1月1日 薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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shurei-sit-blog · 8 years ago
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ありがとう2016年!
ド年末というタイミングで、新しいブログに初めての投稿!
2016年の始まりはわたしの人生の中で、覚えている限り最も、夢も希望もない始まりだった。
でもそのおかげでか、これまで一度も潜ったことのないほどの奥まで、本当に底の底まで、自分という人間の核心まで潜ってみることができた気がする。 どん底ついでに。 思えばそこまで真剣に自分と向き合ったことは、今までなかったように思う。 生まれ、育ち、学校、恋愛、演劇との出会い、今までの活動‥‥遡ったり辿ったりして、時にはその場所を再訪したりして、本当にとことん。徹底的に。
思えば演出家という職業は、資本といったら、経験と知識、後は身体に備えた五感と、ココロとアタマに備えた感性や感情やセンスや理念、といったものだ。 マジでガチで【自分】ひとつだけ。他には何の資本も持てない。 共に演劇をつくる人との出会い、関係性、絆は【財産】であって、この資本を元に築くもの。
思えばわたしはその大切な(なけなしの!)資本を、正確に把握することも分析することも、管理することも、棚卸も、意識的に行ってはこなかった気がする。 どん底ついでにそれをしっかり行って、そうやって見えてきた「やりたいこと」や「できること」を整理して始めたのが、俳優向けワークショップだった。
思いついたのが1月29日。2月3月と準備を進め、情報を公開したのが2月24日、第1回の開催が3月29日からだった。
それから12月4日まで、自分で翻訳した5つの戯曲と2つの名スピーチをテキストに、9回のワークショップを行った。 実に延べ141名、実数にして75名の皆さんが、参加してくださった。
自分のやりたいことの純度が100%の場に俳優の皆さんが集い、そこで共に、一つの妥協もせず、作品世界の構築を目指す。 それを9回行うことは、想像を絶する過酷さだった。 何しろ公演を行うわけではないので、立ちはだかる【条件】とか【現実】がない。 だからこそ、公演以上に妥協が許されない。 本当に大切なこと、本質しか、存在しない。 それがわたしにとっての、ワークショップ。
2016年は他に大作ミュージカルのお仕事もさせていただいたけれど、 何よりこの9回のワークショップを通して、何がしたいのか、何ができるのか、何をすべきなのか、を一つ一つ、みつけることができた。 ���たしという資本を土台に、トライ&エラーしながらひとつひとつの煉瓦を探して、見つけて、積んでいった。 煉瓦は、そのひとつひとつが、ワークショップに参加してくださった一人一人が持ち込んでくださった全て、戯曲を書いた作家の込めただろうメッセージ、戯曲に登場する人物たちの激情、ワークショップで生まれた忘れがたい演劇の瞬間と繋がっていて、ずっしりと重い。 そうやって少しずつ、一つずつだけど構築されつつあるものは、生きていて熱くて、変化し続けて不安定にも関わらず、もんのすごく強固だ。 しなやかで、強固。
今までで一番苦しいところから始まった2016年は、今までで一番幸せな1年になった。 「終わり」と思った時、それを【始まり】にするかどうかは、自分次第。 本当に、そう思う。
2017年はいよいよ、外に発信し、問い始める時期にしたい。
2016年、わたしに関わってくださった皆さん!ありがとうございました!
元気に楽しく幸せに、良いお年をお迎え下さいませ♪
薛 珠麗(せつ しゅれい Shurei Sit)
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