Tumgik
sirokuma-3 · 3 years
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今年の目標として以前、以下の記事の中で、
「アウトプットすることでインプットする」
を目標にした。
目標達成に役立ちそうな本があったので、読んでみた。
https://sirokuma-3.tumblr.com/post/639611439963897856/2021%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%9B%AE%E6%A8%99%E3%81%A8
「アウトプット大全」の続編が本書だ。
本を読むとき、人の話を聞くとき、どんなことに気をつけると最大限の学びが得られるか、その手法やマインドセットなどが書いてある。
この本の中で、「1度にインプットできるのは3つまで」という記述がある。
人間の頭をPCに例えていうと、瞬間的に処理するワーキングスペースの最大料が人間では3つまでなのだそうだ。
本やセミナーなどなど。でも「1度に処理できる」なので、3つを超えた量でもアウトプットしたりすればまた次の3つを取り扱うことができる。
著者はこのことを3+3法と呼んでいた。
というわけで本投稿でもあと2つのことまでで終わりたいと思う。
2つ目は「アウトプット前提でインプットすると効果が増す」点だ。
この記事を書こうと思うと、漫然と読むのではなく、ブログの中で述べたいと思ったことをちゃんと理解しようとして読む。
+文章でのアウトプットができるので定着も図れる。
例えば映画や美術鑑賞などでも、ブログに書く・または人前で感想を述べること前提だと、学びとれることの量や質が向上するのだそうだ。
ブログを書こうと思って本を読んだら付箋をつけることを忘れないようにしたい。
最後に私のありたい像について気が付かされた点を紹介する。
それは「深読」×速読・多読 の境地だ
著者や速読や多読の前に、まずは1冊の本を深く、理解できるように読むこと「深読」を勧めている。
でも深読ができるようなったら、速読や多読していくことは否定していない。著者自身も1冊15分で読んだり、月に20冊も読んでいるそうだ。
深読が「できるようになる」状態とは、「その本の内容について十分なアウトプットができるようなった」ことを目安にする。
正直まだこの本について十分なアウトプットができるようになったとは言えないので、またこの本について記事を追加していこうと思う。
ちなみに、この記事はほとんど本書を見ずに書いた。
何も見ずに思い出しながら書くことを「想起練習」というのだそうで、この本でも述べられていた。
ちなみに想起練習をするのは、インプットが終わった直後に何も見ず、紙1枚にぐわーっと覚えていることを書き出す、「全アウトプット」をする場面で。
これも実施したいと思うことの1つだ。
この記事は8:11〜8:35の24分間の間に書いた。
アウトプットの量を増やすにはアウトプット自体がカンタンでラクなことが大事な気がしていて、短時間であればあるほど良い。
必要なことは何かきちんと考えて、過不足なく取り組みたい。
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sirokuma-3 · 3 years
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これから読む本
カバーは取って、しおりは使わない派だ
データを正しく読み取る際の心得を取り扱った本らしい
コロナに関する報道でもデータが多用されていることから売れているみたいで、2020年の夏以降からずっと本屋に並んでいるイメージだ(実際の発売時期は不明だが)
この本で、自分の面倒くさがりな性分との付き合い方がわかるんじゃないか、と期待している。
たとえば年末調整とか健康診断
引っ越した後に保険会社に連絡すること
エトセトラetc.
やらなきゃいけないんだけど、考えたくなくて放置しちゃうことはありがちだと思う
なんで放置しちゃうのか
実際にそう言ったことで手を動かす時間は長くたって1時間程度くらいしかかからないことばかりだ。だから、物理的には面倒くさくなくて、あくまで気持ちの問題だ。
年末調整では金額が、健康診断では身体の成分の数値が、そういう数字に表される現実を受け止めるのが怖いのかもしれないと考えた。
自分は建築やってはいるけどもともとは文系で、数字を追うこと自体に抵抗があるというのもある。
それでこの本を読めば数字が映しだす現実を捉えるやり方みたいなものを身につけられるかもしれないなと期待して購入した。
…ここまで書いてみてわかったことだけど、この本を読もうと思った理由としてはちょっと筋が通ってない。気がする。
この本を読むことにした理由のうち、衝動的な直感の成分が多いんだと思う。
この本を読んで実際どうだったか、観察したい。
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sirokuma-3 · 3 years
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全力と限界
自分が限界まで頑張ったらどうなるんだろう、と思いながら仕事をしている
と、とある経営者の言葉が心に残っている。
そして仕事始めの日、弊社会長が年始の挨拶のなかでこう述べた。
こんなご時世だから健康に気をつける人は多いと思うが、自分が若い頃、健康なんて考えたことなかった。2徹3徹は当たり前だった。身体が壊れるまでやれとは言わないが、そういう経験は歳とってからはできない。若いうちに限界までやってみるというのを経験してみてもいいんじゃないか
徹夜した数を数えて偉ぶるのは違うとおもうが、それ以外は概ねその通りだなと思った。
限界まで頑張る経験をすれば、人生はまた違った景色に見えるんだろうと思う。
全力ってなんだろう
じゃあさっそく全力で頑張ろうとしたら、
自分の全力ってなんだろうとはたと考えた。
(そもそも全力で頑張ろうというのはヘンで、気がついたら限界までがむしゃらだった、とあるべきなんだろう)
その考えは一旦置いておく。
たとえば、学校の課題を提出した時のことを考えた。作品でもレポートでも。
課題提出は期限がついていて、自分はギリギリまで手をつけずその場凌ぎで捨てるように提出することが多かった。
そのとき、ホッとした気持ちと、ちゃんとやればもっといいものが出せたのに、と後悔した気持ちがしたものだ。
それから、先生や友だちに対して、自分はやればもっとすごいんだって言いたい気持ちにもなった。
(もちろん口には出さないが)(って思うならやりなさいよとおもうが)
もしあの時、もっと早く手をつけて全力で取り組んでいたら…?後悔しなかったんじゃないか。
そう考えて、自分にとっての全力の定義がわかったような気がした。
自分にとっての全力は、
誰に見せても後悔しないものを作ること
では限界とは?
そんな自分も、建築の専門学校での卒業設計は全力を出せた。
しかし、クラスメイトは凄くて
もう、凄くて
ただただ圧倒された
全力を出しても叶わなかった。
そのことを思い出して、もしかしたら、彼らに届くことが自分にとって限界を突破した先なのかもしれないとおもった。
自分にとっての限界とは、
全力によって拡張される自分の能力
と仮に定義しておくことにした。
今年のテーマとは別にこのことも胸に留めたいとおもう。
おわり
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sirokuma-3 · 3 years
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2021年の目標と
tumblrの使い方
あけましておめでとうございます。
全然更新していませんが今年もよろしくお願いします。
今年のテーマ
アウトプットすることでインプットする
というと?
以下の記事で
知識を記事に起こすことは「経験」
と書いた。これこそアウトプット=経験することで知識を身につける的な狙いでの発言だった
しかし、更新は全然できていなかった
それではまったく、知識を身につけることにならない。そのため、<アウトプットすることでインプットする>をテーマとした
tumblrについて
更新が全然できなかったのは凝り性が祟っているとおもう。1つの記事のクオリティにこだわって、頻度が下がってしまった。
アウトプットすることのハードルを下げないといけないと感じた。
そこで<とりあえず世に出す>場としてtumblrを使っていくことにしようと考えた。
とりあえず世に出したものは、情報が中途半端になると思うが、そのうちnoteとか別のブログサイトを立ち上げてそちらにまとめようかなとおもう。
突然だが、芸人のみやぞんがイッテQの中で言った
練習、練習、練習、本番 よりも 本番、本番、本番、本番 をすれば早く上達する
という言葉が好きで、よくそのとおりだよなぁと思い返す。
アウトプットでいうところの「本番」とは、「投稿ボタン」を押した瞬間だと思う。
この瞬間をみやぞんにならってたくさん繰り返す、これが今年の私の目標です。
おわり
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sirokuma-3 · 4 years
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記事を投稿する前に
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設計事務所勤務3年目の私が、学生だったころの自分に向けて、2級建築士試験と実務のおもしろいリンクを紹介する記事を書く
このブログのコンセプトをまとめるとそうなる
しかしそれらの記事を投稿し始める前に、手法について先に触れておきたいと思う
1,仕事中にネタを収集する
いきなり模範的な所員ではないかもしれない発言だ。
しかし、仕事中に疑問点があるのはどんな人でもあることだと思うし、大丈夫たぶん、笑
建築士事務所ならではで仕事中に出会うネタといえば、建材やら設備やらのメーカーからの飛び込み営業がある
例えば換気設備とか杭メーカーとか、細かいところはメーカーの方が専門なため、営業さんの話はとても勉強になる
もちろん実際に関わっているプロジェクトで起きたトラブルや注意点、または事務所内で回覧される建築雑誌など、
ネタには困らない
2,過去問の中にネタと同じあるいは似た話がないか探す
そう言った情報を仕事中にメモしておいて、あとで(強調)過去問に似た話がないか探す
すると結構ヒットするのだ
過去問の冊子をパラパラめくって、関連する単語があったらとりあえずふせんを貼っておく
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3,記事のテーマと流れを決める
ふせんを貼る作業では結構「ぶれ」が起きる
例えばコンクリートの種類についてのネタだったけど、コンクリートに混ぜる薬(混和剤)の問題を見つけてそっちにもふせんを貼るとか。
それはそれでいいのだけど、脱線のボリュームが大きいと準備により時間がとられてしまうので、ある程度まとまったテーマと落とし所を見つけてから準備に取りかかりたい。
4,過去問を起こす
2級の試験は計画、施工、法規、構造の4科目ある。
1科目につき25問出る。1年で100問だ。
しかし、忘れてはいけないのが、1問につき5つの選択肢があることだ。
「正答だけ」覚えたり勉強していると私のように落第することになる。
それに、仕事中に出会うネタは試験問題では例年正答にならない選択肢(モブ)の場合も往々にしてある。
そんなモブにまでかまってしまうと、いくら時間があっても足りないのかもしれないが、現実として仕事中にモブの知識と遭遇するし何よりおもしろいことなのであまりスルーはしたくない。
そんなわけで100問×5=500の選択肢
かつ、手元にある過去問は2009年から2019年までの10年分載っている。
ブログの素材としての過去問は、
500の選択肢×10=5000肢!だ!!
※ここで注意だが、例年出ている定番の選択肢も多い。そんな被りを除けば、いくらか減るとは思う…
毎回の記事では決めたテーマと落とし所に合った数十個程度の選択肢/5000肢を取り上げつつ、仕事中の出来事やプラスで調べたこと(例えばメーカーのリンクを貼るとか)を加えてまとめたい。
5000の選択肢を来年までに1周、できない気がする
しかし、とりあえずやってみる
頑張ります。
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sirokuma-3 · 4 years
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学生だったわたしへ、建築はおもしろいよ
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設計事務所に勤め始めて、いま3年目だ
どの業界でもあることだとは思うが、建築業界は怒鳴られるなど当たり前の厳しい世界だと聞かされていたし、実際、専門学校のクラスメイトもそう話していた。
だから就職するときはドキドキしていた。でも勤めている事務所の人々は拍子抜けするくらい優しく、良い人ばかりだ。おかげでいまも毎日幸福感の中で仕事ができている。本当に幸運なことだと思う。
一方、やっぱり技術的なところは分かってないことばかりだと痛感する日々でもある。
2級建築士の学科を一通り学んだ。
学んでいるとき“建築士試験の学科は受験と一緒で作業ゲー”という説を聞いたことがあるが、実務をやっていると「あながちそうでもない」と感じられる。実務でも役立つ知識だと思う。
そしてそれらは「おもしろい」ことばかりだ。
というわけで、実務と過去問をリンクさせた横断的な記事を書いていきたい。
学生だった頃の自分に
「建築はもっとおもしろいよ!ワクワクするでしょう?」
と見せられるような、そんな記事を載せていきたいと思っている。
ところで、カテゴライズすることを病的に好むわたしは、この手の類の知識を、どのようにアーカイブしてやろうか、方法論ばかり考えて、まったく記事が書けない時期が長かった。
しかし、このように考え直すことにした。
知識を記事に起こすことは「経験」だと。
「経験」は目には見えないけど、自分の中で積み重なっていく。見えないアーカイブでいいじゃないか、と「経験化」という言葉を思いついてから腑に落ちた。
もちろん、建築士試験に合格するにはそれだけではダメだと認識はしているので、ちゃんとトレーニング的に問題に取り組んでもいく(宣言)
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sirokuma-3 · 4 years
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彼らのまなざしの先は、
とある界隈で「生き物好き」と呼ばれる人々がいることを、私は夫に出会ってはじめて知った。
私も小さい頃は、動物・鳥類・植物・恐竜図鑑を愛読していて、どちらかといえば生き物好きな方だと自認しているけれど、
夫を含む「生き物好き」な方々には程遠い。
一体なにが違うんだろう。
ある本がきっかけで、その違いの確からしい理由に近づけた。気がしている。
その本が長嶋祐成著『THE FISH 魚と出会う図鑑』だ
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※生き物好きとは たいていは小さいころ、生き物と触れるために魚釣りや虫取りなどに熱中した人々で、大学で生物系の学部へ進まれることが多いように思う。彼らは主に大学のコミュニティや、環境保護系のNPO・NGOのつながり、または都立公園などの大きな公園のボランティアコミュニティなどに「生息」しているもようだ。
いつからかは定かじゃないが、夫は長嶋さんのファンで、
ポストカードなどを手に入れては、壁に貼って飾っている。
この本の出版記念の個展に誘われて、
根津にあるギャラリー、マルヒへ出かけたのは、今年2020年の7月末のことだった。
古民家を改装したギャラリーに入ると、壁に長嶋さんが描いた魚の絵の原画が飾られていた。
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※撮影許可済み
絵には描かれた魚の学名が書かれているし、札にも魚の名前が書かれているのだけど、私にはだいたいピンと来ていなくて、鑑賞しはじめた当初はぼんやり見るだけだった。
でも、なぜか目が離せない。
だんだん絵の魚が ゆらり と煌めいたような気までして、慌てて頭を振って再度観たりした。
絵なのに、水槽をずっと見ているような感覚になって心地よかった。
一方夫はその日在廊されていた長嶋さんご本人に嬉しそうに話しかけていた。
シンメトリーが違和感になる
魚を見るのは釣りですか?スキューバもやるんですか?といった話で盛り上がるふたり。長嶋さんは釣りかシュノーケリングで魚を見ることが多いそうだ。
魚は生きている時と死んで"鮮魚"になった後では身体の色をはじめ見た目がずいぶん違うのだそう。生きた魚をどう観察するのかはたしかに気になる。
シュノーケルの場合、たとえば岩場で潜ると、岩とは違う整然と並んだ部分が目に入り、よーくみるとカサゴだった。
といった感じで生き物を見つけるんですという長嶋さん。
夫はものすごくうなづいていた。
自然の中には左右対象のものがない。
でも魚は左右対象だったり、均等な線や点の模様があったりする。
それが違和感なんだよ
と生き物好きのふたりは言った
視界の中の違和感はだいたい生き物なんだよねと。
そうか、そういう意識で見ているんだ。
といっても、もはや彼らは
「生き物を見つけたい」
「違和感はどこだ」
といった欲求だとか期待とかが無意識になるほど、自動的に生き物を見つける身体になっているに違いない。
残念ながら私にはそんな特殊能力がない。それが身につくほどの生き物への強い期待もなかった。格の違いってやつををまざまざと見せつけられ、一層、彼らへの憧れは強まった。
偶然、描く
鑑賞していて私が不思議に思ったのは、イワシやアジ、サッパなどの透け感のある魚は直線的に着彩されている点だ。
長嶋さんに着彩についても質問してみた。すると
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「色を塗るとき、マスキングをするんです」と答えてくださった。
普通に着彩すると魚の輪郭をなぞることになるけれど、その場合、絵を見た人に「きれいに塗れている」という印象・情報が伝わってしまう。それを避けたいのだという。
マスキングをすることのメリットは、筆がはみだしてもいいということ。輪郭をなぞるようにではなく、  サー、サーっと 直線的に筆を動かす。
すると、色は意図しない場所で重なっていく。
意図を消す 自然を描く
「木の形が好きだけど、その形になったのにはなにか意図があったと思いますか?それは偶然そうなっただけ。でもその自然の形がいいんですよね。だから自分の絵も、偶然そうなった、ようにしたいんです。」
と長嶋さんは言った。
なるべく自分の意図を消して絵を描く。 そのためにマスキングをして着彩する。
いま私が見ている絵が描かれる技法に、そんな素敵な意味があることに感動したし、そしてそれは成功しているように思えた。
だからこそ、絵を通して、生きた魚のきらめきを見たんだ。
また透け感のある魚だけでなく、色が濃い魚、カラフルな魚も、同様の技法で描かれているそうだ。何層も色を重ねて。最後に乗る色が違うだけで、ほとんどの魚に同じだけの種類の絵の具が用いられている。
「これは自慢なんですが、」と前置きをして語ってくれたのは、色覚に障がいを持つ方が長嶋さんの絵を見ると、ふつうは本物の魚とイラストの魚では色が全然違って見えるはずが本物と同じように見えた、というエピソードだった。
「それはきっと、何層にも色を使っているからなんです」と、照れ笑いをされながら長嶋さんは話してくださった。
ただ私は思う。
色を重ねているからだけではない。
長嶋さんが生きた魚をよく観察されているから、とても好きだから、
人間には見えない、または表現できない色、
でも魚に在る色を見ているから、
本物に近い絵になるんじゃないかと。
そのまなざしこそ、生き物好きが持ちえる稀少な能力なのではないか。
彼らのまなざしの先は、生き物好き以外のほとんどの人間はきっと見ることができない。
彼らが見ている景色を、絵によってお裾分けしてもらえた、そんな気分になった。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309290799/
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