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暑い日々
中期的な気象予報によればこれからの1か月は10年に一度のレベルの高温になるという。最近はこの種のニュースがありふれたものとなり、あまり刺激を感じなくなっていることも確かだ。 隣接する市では、熱中症対策としていざというときに利用する避暑所というべきものを市民に示している。公立の施設が大半であるが、ショッピングセンターなどもある。買い物目的でなくても使ってよいと言っている訳だ。 商業施設は入りやすいので改めてここにうたわなくてもよいのかも知れない。一部の人以外はあまり利用することが少ない文化施設や、庁舎などの開放は役に立つかもしれない。 しばらく真夏日が続く。適度に避暑を忘れないようにしたい。
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塩分補給
熱中症対策には水分とともに塩分補給が必要だという。日頃、塩分を害毒扱いしているが、発汗する季節は寧ろ摂らねばならないもののようだ。 この時期になると熱中症予防のレクチャーを受ける。それはこの症状が健康な人を一気に死に陥れる危険性をはらむからである。私も若い頃にそれに近い状況になったことがあるが、軽度であったためことなきを得た。これになると水分が取れなくなるから不思議だ。脳にダメージが加わると何が必要なのかの判断ができなくなるらしい。 最近は基礎体力が減退しているので熱中症にはかなり気をつけている。暑い日が続く、油断はできない。
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中東への介入は悪手
イスラエルとイランの間の戦争にアメリカが介入して、一層中東情勢が不安定になっている。アラブ地区とは少し異なるイランはイスラム圏では独自の政治と文化を持っている。中東は地域内でも数多くの民族、宗教宗派が入り乱れるが、さらにイギリス、フランス、ロシア、アメリカが干渉して状況の複雑さが際立っている。 思えばイスラエル建国やシオニズムの流れを誘導したのはヨーロッパの列強であり、第二次世界大戦後はアメリカが利権をめぐって暗躍している。イラクも石油施設をイギリスに奪われ、国営化を目指した政権は米英の秘密機関によって潰されている。歴史上の教訓として欧米が中東情勢に絡むと混乱と戦争をもたらすということは言える。 にも拘わらず、アメリカはまたしても介入してしまった。いろいろな言い訳をしているようだが、報復合戦になることは容易に予想できる。アメリカは自国中心主義となり、海外の問題に金をかけないとい…
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記憶の上限と下限
人生の中でもっとも昔の記憶は何だろう。私の場合は幼稚園に通っていたころの一コマが思い浮かぶ。ただ、それにはその後の人生の中で獲得した様々な経験が上書きされているので純粋な記憶かどうかは分からない。とにかく、決まったいくつかのシーンだけが残っている。 何が記憶に残るのか。それもかなり偶然な気がする。ことの重要性や深刻さの度合いで記憶が選択されるのかといえばそうでもない。大切なことはむしろ忘れることが多いのに、何気ないことの方が記憶に残っている。特にとてもショックな出来事はなぜか忘れてしまう。心の防衛本能が働いているのだろうか。 記憶の下限はどこにあるのだろうか。死の間際まで意識がある場合はまれだ。多くの人は記憶の下限を迎えて、それから身体の死を迎える。だからその下限を確かめることはできない。今の私の記憶がこれからもそのまま残るものなのか。そのいつか分からない下限のときまで持ってい…
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下り坂に咲く花
減退した中で咲かせる花はあるのだろうか。最近はそればかり思う。自分の心身の衰えを痛感するゆえに、それでも何ができるのかを模索したくなる。 年老いた親の姿を見ると、己の未来が如実に予測できる。どんなに気丈であっても、脳に障害が発生すれば遺憾ともしがたい。私のように不摂生な毎日を送っていればその落ち込みは急激に表れるはずだ。 だから、せめてどうしようもならないうちに、人様の役に立つことをしておきたい。最早、最後の目標はこれから自分が他者から受ける恩恵を越える貢献を残したいということしかない。残念ながら、財産を寄付するといった直接的な貢献はできない。わずかでもお前がいて助かったというに何かをしておきたい。 恐らくこうした願いは先輩たちが共通して考えてこられたことなのだろう。でも、これを言葉にすることは難しく、評価も困難だ。多くの方が思い半ばで他人に見いだされないままになられている…
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梅雨はどこに
連日真夏日で一体梅雨はどこに行ったのかと思う。それほど柔ではないと思っていた我が老体もあちこちに不具合が出ている。それをいかに他人に悟られず、平気を装うか。この点の技術も蓄えている。 梅雨寒なる季語を懐かしく思うこの頃だ。予報を見るとしばらくは高音傾向である。来週は雨が降るようだが、気温が下がらなければ不快指数が上がるだけだ。 とにかくいまは耐えること。暑熱順化にかけるしかない。
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今日は酷暑か
今日の予想最高気温は34℃という。いわゆる酷暑まであと少ししかない。子どもの頃、30℃を越える日はそうそうなかったと記憶している。32℃ともなるとこの世の終わりではないかと何となく考えていた。今となっては懐かしい思い出だ。 最近は酷暑日なる範疇ができ、それも定着してきた。6月にしてこの気温なのだから、この先が思いやられる。
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料理は
料理は芸術という人もいれば科学という人もいる。確かにその両方の側面を持つものだ。料理の作成過程を見るとそう思う��� 料理において材料や調味料の組み合わせはある程度決まっている。それが文化ごとに型のようなものがあるので、郷土料理のようなものが発生する。私の身近では醤油や味醂、さらには昆布や鰹節でとった出汁を使う味付けが定着しているので、そういう味覚を美味しさの基準にしがちだ。この意味では料理は文化の具現化したものだ。 とはいえ作る人により、味付けが微妙に異なり、いわゆる母の味なるものがある。店ごとに味が微妙に違うというのも楽しみの一つだ。その意味では料理は個人だとも言える。 私たちは簡易な既製品的な味付けに慣れてしまい、これらの料理の本質を忘れつつある。一からすべてを作ってきた時代の苦労を取り戻せとはいえないが、せめてどのように作られているのか、そこまでにどのような物語があった…
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下旬
6月も半分が終わった。やるべきことが終わらないまま、過ごしてしまったことになる。どうも来週はかなり暑い日々になるようだ。煮え切らないというより、湿り切らない梅雨が続くことになる。 なんとかしなくてはならないと思うほど、何もつかめなくなると感じる。できなくて当たり前と割り切るようにしたい。他人に迷惑をかけない限り、オウンペースで切り抜けたい。
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濡れた傘の持ち方
雨が降ると傘のことが気にかかる。電車に乗って移動することが多い私にとって濡れた傘をどうするかは大きな問題だ。満員電車に乗ることが多いので一層困っている。 傘は持ち方によっては他人を濡らしたり、先が当たってけがをさせるおそれがある。だから、私は折り畳みを利用するが、これだと今度はそれをどのように持つのかが問題になる。いまは傘についている袋を濡れたままでも無理やり入れてしまって、傘を小さく収納している。それでも雫は気になってしまう。 おそらくすでにあると思うが、その袋に入れると速乾する素材のものがあればいいと考える。その都度、水を切ればいいと思われるかもしれないが、都会に住んでいるとそれもなかなか難しい。傘の持ち方の工夫はこれからも考えていきたい。
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狐の役どころ
漢文の授業で「戦国策」にある「虎の威を借る」という件を扱う。虎に捕えられ絶対絶命の狐が、天命によって百獣の王に任ぜられたものと偽ることで危機を逃れるというあの話である。 弱い者が機知によって強者に勝つという話のように思うが原文に当たると話の目的が異なることが分かる。隣国から送り込まれたスパイのような者がこの話を語るのだが、その中では虎は王の比喩であり、狐は実力者である重臣を例えている。そして、重臣が王の権威を蔑ろにして、自らを王の力を持つものと僭称しているというのだ。王と臣下の信頼関係を貶めるための話ということになる。内紛を狙った工作の話は他にもあるから、その一つであることになる。 狐はあくまでも狡猾な立回りをしたまでで、機知を賞賛する気分はなかった。絶対的な王制の時代に王臣の関係を覆すことが推奨されることはないだろう。現代人が狐を賢い者と捉えるのは、既成権力にも知恵を使えば立ち向…
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駅の紫陽花
駅の紫陽花 最寄駅の構内にある植え込みに咲く紫陽花はこれからが見頃だ。元は日本のガクアジサイであり、それが国内外で品種改良されて今に至るという。シーボルトの逸話も有名であり、この花への接点はいくらでもある。 その中に蓄える毒のことなど、実に奥深いが、梅雨空の癒しとしてこの花の果たす役割は大きい。地質により色変わりするという繊細な生態も魅力だ。 紫陽花に救われる日がこれから増えるのだろう。花に報いることはできないが、せめて霖雨の季節を乗り切ることを目指したい。

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梅雨入り
関東地方も梅雨入りした模様だ。今日は朝から雨、いまは止んでいるがいつ降ってもおかしくない感じがする。 気象関係の会社のコメントによれば今年の梅雨はかなりメリハリのあるものになりそうだとのこと。降れば土砂降り。晴れれば猛暑。これを梅雨と呼んでいいのかと思う。果たして本当はどんな季節になるのだろう。 唱歌の「夏は来ぬ」に描かれる。五月女の田植えや水鶏の独特な鳴き声など水田の風景は今の住まいからは別世界だ。恵みの季節になってほしいと願う。
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妄想不足
学生の頃、小説のようなものを書いた。いま考えても愚かな内容だ。日常にあるきっかけで変化が起きる。それまで出来なかったことが急にできるようになり、それゆえに世界観が激変するという内容だ。 ただ、自分だけ変わっても結局何もできない。その無力さに気づくと持っていた能力が失われてしまい、虚しさに苛まれるといった筋である。当時よく読んだ小説の二番煎じだ。味付けを当時の生活に引きつけて書いたので、それなりにいいとは思ったが、もう原稿はどこかに行ってしまった。 同じような内容を今書こうとしたら無駄な注釈をたくさん入れてより理屈っぽいものしかできないだろう。最近、感じるのは妄想ができないことだ。創作にとって大事な一歩目が踏み出せない。 だから、このブログのような短いエッセイしか書けていない。それでも書けるだけまだましと自分を励ましている。突飛推しもないことを書くのはしばしば創作の代替行為で…
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明日にも梅雨入りか
今日は薄雲が一日中多い、夕刻には雨がぱらついた。天気の週間予報を見ると明日からおおむね雨か曇り、おそらく関東地方も明日には梅雨入りするのだろう。 梅雨というのは梅雨前線と呼ばれる停滞前線がその地方に継続的にかかる状態をいうそうだ。今日の天気図をみると、本州の南海上に梅雨前線がつながっており、九州南部はそれが一部接している。これが北上すると本格的な梅雨が始まるということだろう。 関東地方の梅雨入りの平均日は今日(6月8日)らしく、今年はほぼ平年並みの梅雨入りとなりそうだ。例年、梅雨末期に水害が発生する傾向にあるので、これから備えておく必要がある。といっても私のできることは限られている。雨に降られても何とかなるように着替えを職場に用意しておくこと、ズボンの上に穿くレインコートを用意しておくこと。折れない傘を用意しておくことなどがある。おそらく、そのどれかを忘れて慌てふためく自分の姿…
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歌の力
古典文学の世界のお約束に和歌は特別というものがある。現況の困難を歌が解決するという話は類型が多く、読解の鍵となる前提条件だ。 地の文が理を述べるのなら、歌は情の表現であり、古人が何れを尊重していたのかを窺い知れる。 現代では情的なメッセージは副次的なものであり、ときにはノイズの扱いを受ける。どちらがよいというわけではないが、現代社会の息苦しさの一因が情の軽視にあることは間違いないのではないだろうか。
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紫陽花
紫陽花の花が咲き出した。梅雨時を象徴する花である。品種改良の末、さまざまなバリエーションがあり、梅雨空の下の楽しみの一つだ。 この紫陽花は日本の固有種で、いまガクアジサイと読んでいるのがそれに近い。これが国内外で品種改良が行われて、さまざまな変種が存在する。 梅雨時の花として親しみ深いが、実は毒を含む。カタツムリが葉を這う絵柄を思い浮かべるが、実際には毒のために虫は寄らないのだそうだ。 梅雨どきの心やりとして紫陽花は大事な花である。
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