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世界の終わり
2012年が世界のおわりだったと言われています(マヤ暦的に)。
私はその頃不思議な体験をしました。
夜寝ていると、突然背中から何かが飛び出してきて背中とベットの間で暴れていました。
見てもいないし、いままで触ったこともないのに蛇だとすぐにわかりました。
私は背中から蛇をとり、見てみるととぐろを巻いてじっとこっちをみてきていました。
手にのるサイズで色はわかりません。怒ったり威嚇をしてくるでもなく、敵意はなさそうですが好かれている感じでもなく、やや威厳も感じました。
ただ怖いので、そのままつまんで、(ベッドの隣が窓だったので)、窓の外に出しました。
起きてみて夢だったと気づくのですが、その頃は夢はすぐ忘れてしまっていて、起きてからも夢を覚えていることはあまりなかったので稀な体験でした。
何より、背中からどさっと出てきた感覚、背中の後ろで暴れ回る感覚、外に出す時に窓を開ける時の手の感覚がとてもはっきりと、実体験のように感じられて記憶に残っています。
よく思い出すと、その体験をしたのが2012年の冬至前頃のことで、マヤ暦のいう世界の終わりの時期と重なり私の身にも変化が起きた事象だったのかと思いました。
はっきりと感覚が残る夢でした。
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月と私
子供の頃は月は私にとって大事なものだったようだ。
毎年の中秋の名月にはお団子とすすきを最早義務のようにしっかり用意して月が見える部屋に用意していた。
月に誰がいるとか次は何の神様とかそんな知識がなくとも。
体に関する漢字はみんな「つきへん」がついたり、赤ちゃんのリズムが月と一致していたり、不思議な場所ですよね。
ちなみに保育園の帰りに「月が追いかけてくるー」と小さい私は言っていました。(これは今でも覚えてる)
今も綺麗だから好きです。
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カラスの道案内3
カラスの道案内3つ目は、モーニングです。
岐阜の伊奈波神社にいった時のこと、何を血迷ったか朝から歩いて神社まで行きました。
駅から30半くらいはかかったはず。結構疲れたし、岐阜はモーニング文化があるので、「素敵なモーニングできますように」とお願いしてしまいました。
神社を出たのが10時40分ごろ。また歩いてしまいます。メインストリートを歩きますがあまりカフェはなく。
しかし突然向かいのビルからカラスが大声で鳴き出しました。なんかあった?ってレベルで。すると私の歩いている道の先をおしゃれなカフェがありました。ホテル併設みたいな。看板も出て、モーニングやってる、メニューも値段も書いてある。
でも私は通り過ぎてしまいました。ほかにもあるやろと。
しかし甘くなかった。メインストリートを歩けどなかなかカフェなし、よさげなのなしで駅に近くなってきました。ちょっとちゃんと調べよって調べてみたら、モーニングはどこも基本11時まで、そして今既に11時すぎ。そうです。時間切れ。
結局駅までの道にもよさげなのなし、そもそも時間切れで、カラスが教えてくれた場所が後から考えると一番いい場所でした。雰囲気も。
あの時のカラスさん、ほんとにごめんなさい。そしてほんとにありがとう。次の時はあそこ行きます。
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カラスの道案内2
カラスの道案内2つ目、奈良の巻向に行った際、巻向遺跡を探して歩いていました。
いくつかの建物跡が見つかった場所なので、柱などが置かれているはずが、地図をみて行った場所はいくつか看板はあるものの、公園のような場所でした。ここなのか?これだけなのか?他なのか?地図と格闘しながらずっと探している間中、何故がカラスがずーっとないていました。警告っぽく。ここじゃないと言われてら感じで(実際ないし)いろいろ検索してやっともう一つ先の角だとわかり、その方向にあるきだした途端カラスの鳴き声がおさまりました。
結構な時間、その公園にいて端から端まで探したりしたので、その間中泣いていたことになります。私は教えてくれてたと思っています。
なお、この近くにある、垂仁天皇の宮「巻向珠城宮跡」に行った際には、なんとも言えない、とても懐かしい、とても安心する、家族といるような気持ちになったことが思い出深いです。
巻向地域にいる時そのような気持ちでいましたが、この宮跡が一際つよく感じました。
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カラスの道案内
熊野の新宮のお宮に参拝した頃から、カラスから道案内をしてもらえることが何度かありました。
一つ目、引っ越しをしようと、候補の部屋の近くへ行き、街の雰囲気を調べた日がありました。
だいたいの場所は把握していたので、こっちの方かなーっと住宅街をあるいていました。
候補の部屋の近くに差し掛かったところ、その周辺は少し道が入り組んでいて、住宅街なのでわかりやすい標識も信号名もありませんでした。調べてもいいけどどっちかなーとか適当に考えてたら、左側の道にカラスが堂々と立っていました。
なんとなくこっちって言ってる気がして左に行くと辿り着きました。
また、その帰り、駅の近くの大きな車も走る道でなんか変な感じがして後ろを見ると、カラスが地面を歩いて私に着いてきていました。ほんとペタペタって感じ。
偶然といえば偶然ですが、大きな通りの道で、道路を"歩いている"カラスなんて初めて見たので驚きました。
ちょうどその街は熊野神社がある街で、以前参拝したことがあるのでお世話してもらったと思っています。
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神様の感触
私は手で少し感覚できます。
神様かもしくは目には見えないものについて、手で触ることができます。
その感覚は、シャボン玉のようでそれよりはたくましく、風船のようでそれよりはハリが少ないものです。
熱くもなく、冷たくもない。
ぷっくりが一番合う表現だと思います。
一番感じたのは石上神宮のそばの神田神社で、社の3mくらい前でもおおきなぷっくりを感じました。
恐れ多くてお社まではいかず、ぷっくり手前でご挨拶して帰りました。
さすが奈良、石上!
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気比神社と涙
気比神社は敦賀駅から少し歩いたところにあります。
一昨年青春18きっぷ旅で立ち寄った場所で、駅前のホテルに泊まり朝一で参拝しました。
もともと敦賀は行く予定がなかったところで、まして気比神社があることも知らず、着いてから行くことを決めた場所でした。
4月の始めで朝はまだ肌寒く、歩いて20分くらい。やっぱやめようかと何度か思いました。
行ってみたら港に近い場所で大きくはないけれど落ち着いた場所でした。朝なのであまり人はおらず、本殿に参拝します。
私は神社やお寺に参拝すると時々手の先などにフワッとした感触を感じることがありますが、こちらでも微かに感じ、暫く手を合わせていました。
お願い事はいつもあまりしないので挨拶だけしているのですが、しばらくすると涙が出てきました。しかも右目からだけ。全く悲しくないし、感動も特にしていないのに。
このことなしばらく気になっていたのですが、同じような事象が「古代の女性の悲しみ」のようなテーマの話の時にもあり、調べてみると右眼は女性性を表すそう。
気比神社の主祭神も女性ですし、そうなのかなーと思った次第です。
イルミナティも右目を隠しますしね
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宍道湖の哀愁
宍道湖に行くといつも物悲しい気持ちになった。
やるせなくて泣いちゃうような。
それでも山陰にいくと必ず訪れていた。
それにしても宍道湖は不思議な場所。
湖なら他にもあるが、あんなに見たくなる、美しいと感じる、自分の感情に深く触れてくるところは他にはない。
しかし2年前訪れた時は様子が変わっていた。
物悲しい気持ちにはならず、湖のほとりをあるくと、打ち寄せる波がぺちゃくちゃおしゃべりしてきているように感じた。
いろいろなそっちの知識に長けた人が神事をしているらしいが、その効用か。
雲間から光が射す天象にも預かれて素敵な訪問になった。
売布神社にも参拝できてよかった。
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4回生まれ変わった
ある日、左足の方からメッセージのような独り言のようなものが聞こえました。
これまた音声ではない、ただそう言われているのがわかる、かつ口調や声色までわかるやつです。
声の主は人間で例えると渋い爺さん(いや、お爺様)。
内容は「裁きを下すものとして4回生まれ変わった」というもの。
誰のことかは知りません。そもそも何も問うていません。
不思議な体験でした。
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本当の名前
皆さんは自分の本当の名前知っていますか。
戸籍の名前ではないやつです。
私の話です。
私には親からつけてもらった戸籍上の名前とは別の名前があるようです。
小さい頃から自分の名前を名乗るのに違和感がいつもあり、学校に入ってからはテストなどで自分の名前書くのに、「違うのに〜違うのに〜」とどこかで抵抗している自分がいつもいました。
また「本当の名前」というフレーズにやけに怯えることもありました。(ドラマや小説の中などで)
ある日、ゲド戦記をみました。ゲド戦記にも「本当の名前」がでてきます。男の子がいつも呼ばれている名前ではない、本当の名前を悪い人(?)から無理やり聞き出され、操られてしまうというもの。そう、本当の名前を知られると、知った相手に操られてしまうのです。
ファンタジーのよくある設定かもしれませんが、この場面でとても恐怖を覚えました。
スピリチュアルの知識を少し持ってからは、感覚を使って本当の名前(多分)を突き止めました。一文字ずつ出して違和感があるかないか感じながら決めていきました。
これのあとは、「違うのに〜違うのに〜」が大分減っています。
今ところその名前は他誰にも教えていません。
なんでそんな名前があるのかも、その意味も知らないし調べてません。
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レクイエム
髭男のアポトーシスって歌ありますよね?
あれ直接的な歌詞はないけどある種のレクイエムですよね。
これ私には接種者へのレイクエムにしか聞こえませんでした。
ちょうど、一般の方の接種が始まり接種率がガンガン伸びていた2021年8月リリースだそうです。
そのちょっと前、周りの人がぞくぞ��うちに行っている時、テレビCMでガンガン流れていたことを覚えています。
しかも流れる部分の歌詞が、「訪れるべき時が来た〜」というものでした。
商業音楽は頼まれたテーマで書くこともあるようです。タイミングのよさにぞっとすると共にそれまで自分で調べていた事実と合わせて考え、この世の残酷さを改めて感じさせられたものでした。
怖かった。
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百襲姫の恋
百襲姫は正式には倭迹迹日百襲姫と呼ばれ、古代の皇族です。
大物主神と結婚した人でもあります。
この方は、箸墓古墳の被葬者とも言われ、卑弥呼でもあったと言われる人です。
私は竹内睦泰さんのファンなのですが、著者の中で百襲姫は魏志倭人伝に書かれた卑弥呼であり、大物主との神婚譚は結婚して巫女をやめたという意味だと書かれていました。
時代的には崇神天皇の頃で、魏志倭人伝では卑弥呼の後に男王が立ち、国が荒れたと書かれています。
この男王とはだれか、竹内さんは魏志倭人伝に書かれた一人だけ卑弥呼に会える男子(取次をする)がいた、その男子のことだ、と言われています。またその男子は霊的な力を持ち、彼もまた神であったと。(おそらくこの方が竹内宿禰の先祖)
私は先日山野辺の道に行きいくつか回る中で箸墓古墳にも行ってきました。帰りはバスに乗ったのですが、なぜかその最中「魔法騎士レイアース」の結末が頭に浮かんできました。
魔法騎士レイアースはなかよしで連載された子供向けのまんがで、三人の主人公が異世界のお姫様エメロード姫から呼ばれてその世界「セフィーロ」を救うという物語です。
結末としては、悪者とされエメロード姫を監禁していた神官ザガートは、実はエメロード姫を愛し守っていたということがわかります。
実はセフィーロはエメロード姫の「祈り」により世界が保たれる場所で、姫は常にセフィーロのために祈らなければならなかったのです。しかし姫は一番近くにいて補佐してくれるザガートを愛してしまい、彼だけの為に祈るようになってしまった。たから彼はあえて悪者になり世界が荒れたのを自分のせいにした。
姫の祈りが必要なこと、近くにいる神官を愛したこと、姫の祈りをやめたのち国が荒れたこと、共通している部分が多い気がするんです。もちろんレイアースは創作ですから関係ないと言ってしまえばそれまで。
でも箸墓古墳の前をバスで通りながらこのことを思い出すのは不思議な巡り合わせだと思いました。
あの頃の偉い方の結婚は政略結婚だったと思うので、もし思い合っての結婚だったら少し素敵だと思います。だからこそ大物主との神婚単潭が残されたのだと私は勝手に思っています。
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「たくさんの人が…」というお告げ(?!)
コロナが始まる頃(2019年の末ごろだと思う。まだみんなにとっての脅威ではなかった頃)、ある日、目が覚める直前に「たくさんの人が○ぬ」というメッセージがあった。
音で聞こえるのでもなく視覚的に文章をみるのでもない。なぜかそう言われているのがわかるやつ。
占星術で2020年は大変な年になると知っていたので、「そうか、いま流行り出したコロナで、たくさんの人が行ってしまうのか!」と思った。もちろんその中に自分もいると思ったから(だからそんなお告げがきたと思った)、契約書類など整理したりもした。
"2020年中に"、"コロナで"、そういうことになると解釈していた私はこの一年修羅場になるぞと思っていた。その頃はまだ豪華客船事件もなく、みんなマスクもせず、ワクチンの話さえ上がっていなかった時だった。そして大騒ぎはしたが、2020年中にはそれほどたくさんの犠牲はでなかった。
今になって考えると解釈が違っていたことがわかる。
もっと長いスパンをかけて、コロナとは別のものを理由に、たくさんの、私が思っていたよりたくさんの人がいくことになるようだ。
そして私が思っていたよりかなり残酷なことに恐れ慄いている。
無事であって欲しいと思いつつ、代償がゼロでは済まない事態だとも思っている。
前向きに考えることがよいのは理解できるが、このことについては重たく冷たい石が私の胸に居座り続けている。
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