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#はいむるぶしぽいとこで三角堂ポーズ
kapppppe · 7 years
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八重山旅3日目🌴 今日はのんびりを楽しむ日👍 午前中のんびり釣りをして 午後は海見て昼寝して散歩して 夜は釣った魚をいただきました🐟 #八重山旅 #ウメイロ #フエフキ #はいむるぶしぽいとこで三角堂ポーズ #はいむるぶし #お腹いっぱい #いつもゆっくりしてるけどいつも以上にゆっくりした #明日帰ります (はいむるぶし 南十字星という名のリゾート)
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groyanderson · 3 years
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ひとみに映る影シーズン2 第六話「どこまでも白い海で」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、 誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第六弾 金城玲蘭「ニライカナイ」はこちら!☆
དང་པོ་
 アブが、飛んでいる。天井のペンダントライトに誘われたアブが、蛍光灯を囲う四角い木枠に囚われ足掻くように飛んでいる。一度電気を消してあげれば、外光に気がついて窓へ逃げていくだろう。そう思ったのに、動こうとすると手足が上がらない。なら蛍光灯を影で覆えば、と思うと、念力も込もらない。 「一美ちゃん」  呼ばれた方向を見ると、私の手を握って座っている佳奈さん。私はホテルの宴会場まで運ばれて、布団で眠っていたようだ。 「起きた?」  障子を隔てた男性側から万狸ちゃんの声。 「うん、起きたよ」 「佳奈ちゃん、一美ちゃん、ごめん。パパがまだ目を覚まさなくて……また後でね」 「うん」  佳奈さんは万狸ちゃんとしっかり会話出来ている。愛輪珠に霊感を植え付けられたためだ。 「……タナカDはまだ帰って来ないから、私が一美ちゃんのご両親に電話した。私達が千里が島に連れてきたせいでこんな事になったのに、全然怒られなかった。それどころか、『いつか娘が戦わなければいけない時が来るのは覚悟していた。それより貴女やカメラマンさんは無事なのか』だって……」  ああ。その冷静な受け答えは、きっとお母さんだ。お父さんやお爺ちゃんお婆ちゃんだったらきっと、『今すぐ千里が島に行って俺が敵を返り討ちにしてやる』とかなんとか言うに決まってるもん。 「お母さんから全部聞いたよ。一美ちゃんは赤ちゃんの時、金剛有明団っていう悪霊の集団に呪いをかけられた。呪われた子は死んじゃうか、乗り越えられれば強い霊能者に成長する。でも生き残っても、いつか死んだら金剛にさらわれて、結局悪い奴に霊力を利用されちゃう」  佳奈さんは正座していた足を崩した。 「だけど一美ちゃんに呪いをかけた奴の仲間に、金剛が悪い集団だって知らなくて騙されてたお坊さんがいた。その人は一美ちゃんの呪いを解くために、身代わりになって自殺した。その後も仏様になって、一美ちゃんや金城さんに修行をつけてあげた」  和尚様……。 「一美ちゃんはそうして特訓した力で、今まで金剛や悪霊と戦い続けてた。私達と普通にロケしてた時も、この千里が島でもずっと。霊感がない私やタナカDには何も言わないで……たった一人で……」  佳奈さんは私から手を離し、膝の上でぎゅっと握った。 「ねえ。そんなに私達って信用できない? そりゃさ。私達は所詮、友達じゃないただの同僚かもしれないよ。けど、それでも仲間じゃん。幽霊見えないし、いっぱい迷惑かけてたのかもしれないけど」  ……そんな風に思った事はない、と答えたいのに、体が動かなくて声も出せない。 「いいよ。それは本当の事だし。てかだぶか、迷惑しかかけてこなかったよね。いつもドッキリで騙して、企画も行先も告げずに連れ回して」  そこは否定しません。 「だって、また一美ちゃんと旅に出たいんだもん。行った事のない場所に三人で殴り込んで、無茶して、笑い合って、喧嘩して、それでも懲りずにまた旅に出るの。もう何度も勝手に電源が落ちるボロボロのワイヤレス付けて、そのへんの電器屋さんで買えそうなカメラ回してね。そうやって互いが互いにいっぱい迷惑かけながら、旅をしたいんだよ」  …… 「なのに……どうして一人で抱えこむの? 一美ちゃんだって私達に迷惑かければいいじゃん! そうすれば面白半分でこんな所には来なかったし、誰も傷つかずに済んだのに!」 「っ……」  どの口が言うんですか。私が危ないって言ったって、あなた達だぶか面白半分で首を突っ込もうとする癖に。 「私達だって本当にヤバい事とネタの分別ぐらいつくもん! それとも何? 『カラキシ』なんて足手まといでしかないからってワケ!?」 「っ……うっ……」  そんな事思ってないってば!! ああ、反論したいのに口が動かない! 「それともいざという時は一人でどうにかできると思ってたワケ? それで結局あの変態煙野郎に惨敗して、そんなボロボロになったんだ。この……ダメ人間!」 「くっ……ぅぅうううう……」  うるさい、うるさい! ダメ人間はどっちだ! 逃げろって言ったのにどうして戻ってきたんだ! そのせいで佳奈さんが……それに…… 「何その目!? 仲間が悪霊と取り残されてて、そこがもう遠目でわかるぐらいドッカンドッカンしてたら心配して当然でしょ!? あーそうですよ。私があの時余計な事しなければ、ラスタな狸さんが殺されて狸おじさんが危篤になる事もなかったよ! 何もかも私のせいですよーっ!!」 「ううう、あああああ! わああぁぁ!」  だからそんな事思ってないってば!! ていうか、中途半端に私の気持ち読み取らないでよ! 私の苦労なんて何も知らなかったクセに!! 「そーだよ! 私何もわかってなかったもん! 一美ちゃんがひた隠しにするから当たり前でしょぉ!?」 「うわあああぁぁぁ!! うっぢゃぁしいいいぃぃ、ごの極悪ロリーダァァァ!!」 「なん……なんだどおぉ、グスッ……この小心者のっ……ダメ人間!」 「ダメ人間!」 「ダメ人間!!」 「「ダメ人間ーーーっ!!!」」  いつの間にか手足も口も動くようになっていた。私と佳奈さんは互いの胸ぐらを掴み合い、今まで番組でもした事がない程本気で罵り合う。佳奈さんは涙で曇った伊達眼鏡を投げ捨て、私の腰を持ち上げて無理やり立たせた。 「わああぁぁーーっ!」  一旦一歩引き、寄り切りを仕掛けてくる。甘いわ! 懐に入ってきた佳奈さんの右肩を引き体勢を浮かせ、 「やああぁぁぁーーっ!!」 思いっきり仏壇返し! しかし宙を���転して倒れた佳奈さんは小柄な体型を活かし即時復帰、助走をつけて私の頬骨にドロップキックを叩きこんだ!! 「ぎゃふッ……あヤバいボキっていった! いっだあぁぁ!!」 「やば、ゴメン! 大丈夫?」 「だ……だいじょばないです……」  と弱った振りをしつつ天井で飛んでいるアブを捕獲! 「んにゃろぉアブ食らえアブ!」 「ぎゃああああぁぁ!!!」 <あんた達、何やってんの?> 「「あ」」  突然のテレパシー。我に返った私達が出入口を見ると、口に血まみれのタオルを当てて全身傷だらけの玲蘭ちゃんが立っていた。
གཉིས་པ་
 アブを外に逃がしてやり、私は玲蘭ちゃんを手当てした。無惨にも前歯がほぼ全部抜け落ちてしまっている。でも診療所は怪我人多数で混雑率二〇〇%越えだという。佳奈さんに色んな応急手当についてネットで調べてもらい、初心者ながらにできる処置は全て行った。 「その傷、やっぱり散減と戦ったの?」 <うん。口欠湿地で。本当に口が欠けるとかウケる> 「いや洒落になんないでしょ」 <てか私そもそも武闘派じゃないのに、あんなデカブツ相手だなんて聞いてないし> 「大体何メートル級だった?」 <五メートル弱? 足は八本あった>  なるほど。なら牛久大師と同じ、大散減の足から顕現したものだろう。つまり地中に潜む大散減は、残りあと六本足。 <てか一美、志多田さんいるのに普通に返事してていいの?> 「あ……私、もうソレ聞こえてます」 <は?>  私もこちらに何があったかを説明する。牛久大師が大散減に取り込まれた。後女津親子がそれを倒すと、御戌神が現れた。私は御戌神が本当は戦いたくない事に気付き、キョンジャクで気を正した。けど次の瞬間金剛愛輪珠如来が現れて、御戌神と私をケチョンケチョンに叩き潰した。奴は私を助けに来た佳奈さんにも呪いをかけようとして、それを防いだ斉二さんがやられた。以降斉一さんは目を覚まさず、タナカDと青木さんもまだ戻ってきていないみたいだ、と。そこまで説明すると、玲蘭ちゃんは頭を抱えて深々とため息をついた。 <最ッ悪……金剛マターとか、マジ聞いてないんだけど……。てか、一美もたいがい化け物だよね。金剛の如来級悪霊と戦って生きて帰れるとか> 「本当、なんで助かったんだろ……。あの時は全身砕かれて内臓ぜんぶ引きずり出されたはずなんだけど」 <ワヤン化してたからでしょ> 「あーそっか……」  砕けたのは影の体だけだったようだ。 「けど和尚様から貰ったプルパを愛輪珠に取られちゃって、今じゃ私何にもできない。だってあいつが、和尚様の事……実は邪尊教の信者だとか言い出すから……」 <は!? 観音和尚が!? いや、そんなのただの侮辱に決まってるし……> 「…………」 <……なに、一美? まさか心当たりあるの!?> 「あの」  佳奈さんが挙手する。 「あの。何なんですか? そのジャソン教とかいうのって」 <ああ、チベットのカルト宗教です。悪魔崇拝の仏教版と言いましょうか> 「じゃあ、河童の家みたいな物?」  とんでもない。 「テロリストですよ。ドマル・イダムという邪尊の力を操ってチベットを支配していた、最悪の独裁宗派です」 「そ、そうなの!?」  ドマル・イダム。その昔、とある心優しい僧侶が瀕死の悪魔を助け、その情け深さに心打たれた悪魔から不滅の心臓を授かった。そうして彼は衆生の苦しみを安らぎに変える抜苦与楽(ばっくよらく)の仏、『ドマル・イダム(紅の守護尊)』となった。しかしドマルは強欲な霊能者や権力者達に囚われて、巨岩に磔にされてしまう。ドマルには権力者に虐げられた貧民の苦しみや怒りを日夜強制的に注ぎ込まれ、やがてチベットはごく少数の貴族と無抵抗で穏やかな奴隷の極端な格差社会になってしまった。 「この事態を重く見た当時のダライ・ラマはドマル信仰を固く禁じて、邪尊教と呼ぶようにしたんです」 「う、うわぁ……悪代官だしなんか罰当たりだし、邪尊教まじで最悪じゃん……」 <罰当たり、そうですね。チベットでは邪尊教を戒めるために、ドマルの仏画が痛々しい姿で描かれてます。まるで心臓と神経線維だけ燃えずに残ったような赤黒い体、絶望的な目つき、何百年も磔にされているせいで常人の倍近く伸びた長い両腕……みたいな> 「やだやだやだ、そんな可哀想な仏画とか怖くて絶対見れない!」  そう、普通の人はこういう反応だ。だからチベット出身の仏教徒にむやみに邪尊教徒だと言いがかりをつけるのは、最大の侮辱なんだ。だけど、和尚様は……いや、それ以上考えたくない。幼い頃、和尚様と修行した一年間。大人になって再会できた時のこと。そして、彼に授かった力……幸せだったはずの記憶を思い起こす度に、色んな伏線が頭を過ぎってしまう。 <……でも、一美さぁ>  玲蘭ちゃんは口に当てていた氷を下ろし、私を真正面から見据えた。 <和尚にどんな秘密があったのか知らないけど、落ちこむのは後にしてくれる? このまま大散減が完全復活したら、明日の便に乗る前に全員死ぬの。今まともな戦力になるの、五寸釘愚連隊とあんたしかいないんだけど> 「私……無理だよ。プルパを奪われて、影も動かせなくなって」 <それなら新しい武器と法力を探しに行くよ> 「!」 <志多田さんも、来て> 「え? ……ふええぇっ!?」  玲蘭ちゃんは首にかけていた長い数珠を静かに持ち上げる。するとどこからか潮騒に似た音が聞こえ、私達の視界が次第に白く薄れていく。これは、まさか……!
གསུམ་པ་
 気がつくと私達は、白一色の世界にいた。足元にはお風呂のように温かい乳白色の海が無限に広がり、空はどこまでも冷たげな霧で覆われている。その境界線は曖昧だ。大気に磯臭はなく、微かに酒粕や米ぬかのような香りがする。 「綺麗……」  佳奈さんが呆然と呟いた。なんとなく、この白い世界に私は来たことがある気がする。確か初めてワヤン不動に変身した直後だったような。すると霧の向こうから、白装束に身を包む天女が現れた。いや、あれは…… 「めんそーれ、ニライカナイへ」 「玲蘭ちゃん!?」「金城さん!?」  初めてちゃんと見たその天女の姿は、半人半魚に変身した玲蘭ちゃん。肌は黄色とパールホワイトのツートーンで、本来耳があった辺りにガラスのように透き通ったヒレが生えている。元々茶髪ボブだった頭も金髪……というより寧ろ、琉球紅型を彷彿とさせる鮮やかな黄色になっていた。燕尾のマーメイドドレス型白装束も裏地は黄色。首から下げたホタル玉の数珠と、裾に近づくにつれてグラデーションしている紅型模様が美しく映える。 「ニライカナイ、母なる乳海。全ての縁と繋がり『必要な物』だけを抜粋して見る事ができる仮想空間。で、この姿は、いわゆる神人(かみんちゅ)ってやつ。わかった?」 「さっぱりわかりません!」  私も佳奈さんに同じく。 「よーするにここは全ての魂と繋がる母乳の海で、どんな相手にもアクセスできるんです。私が何か招き入れないと、ひたすら真っ白なだけだけど」  母乳の海。これこそまさに、金剛が欲しがってやまない『縁の母乳』だ。足元に広がる海水は、散減が吐く穢れた物とはまるで違い、暖かくて淀みない。 「今からこの海で、『マブイグミ』って儀式をする。一美の前世を呼んでパワーを分けて貰うってわけ。でもまず、折角だし……志多田さんもやってみますか?」 「え、私の前世も探してくれるんですか!? えーどうしよ、緊張するー!」 「アー……多分、思ってる感じと違いますよ」  玲蘭ちゃんは尾ビレで海水を打ち上げ、飛沫から瞬く間にススキの葉を錬成した。そして佳奈さんの背中をその葉でペンペンと叩きながら、 「まぶやー、まぶやー、うーてぃくよー」  とユルい調子で呪文を唱えた。すると佳奈さんから幾つもの物体がシュッと飛び出す。それらは人や動物、虫、お守りに家具など様々で、佳奈さんと半透明の線で繋がったまま宙に浮いている。 「なにこれ! もしかして、これって全部私の前世!? ええっ私って昔は桐箪笥だったのぉ!?」 「正確には箪笥に付着していた魂の欠片、いわゆる付喪神です。人間は物心つくまでに周囲の霊的物質を吸収して、七歳ぐらいで魂が完成すると言われています。私が呼び戻したのは、あなたを構成する物質の記憶。強い記憶ほど鮮明に復元できているのがわかりますか?」  そう言われてみると、幾つかの前世は形が朽ちかけている。人間の霊は割と形がはっきりしているけど、箪笥や虫などは朽ちた物が多い。 「たしかに……このおじさん、実家のお仏壇部屋にある写真で見たことあるかも。写真ではもっとおじいさんだったけど」 「亡くなった方が必ずしも亡くなったご年齢で現れるとは限らないんですよ」  私が補足した。そう、有名なスターとか軍人さんとかは、自分にとって全盛期の姿で現れがちなんだ。佳奈さんが言うおじさんも軍服を着ているから、戦時中の御姿なんだろう。  すると玲蘭ちゃんは手ビレ振り、佳奈さんの前世達を等間隔に整列させた。 「志多田さん。この中で一番、あなたにとって『しっくりくる』者を選んで下さい。その者が一つだけ、あなたに力を授けてくれます」 「しっくりくるもの?」  佳奈さんは海中でザブザブと足を引きずり、きちんと並んだ前世達を一つずつ見回っていく。 「うーん……。やっぱり、見たことある人はこのおじさんだけかな。家に写真があったなら、私と血が繋がったご先祖様だと思うし……あれ?」  ふと佳奈さんが立ち止まる。そこにあったのは、殆ど朽ちかけた日本人形。 「この子……!」  どうやら、佳奈さんは『しっくりくる前世』を見つけたようだ。 「私覚えてる。この子は昔、おじいちゃん家の反物屋にいたお人形さんなの。けど隣の中華食堂が火事になった時、うちも半焼しちゃって、多分だからこんなにボロボロなんだと思う」  佳奈さんは屈んで日本人形を手に取る。そして今にも壊れそうなそれに、火傷で火照った肌を癒すように優しく海水をかけた。 「まだ幼稚園ぐらいの時だからうろ覚えだけど。家族で京都のおじいちゃん家に遊びに行ったら、お店にこの子が着てる着物と同じ生地が売ってて。それでおそろいのドレスを作ってほしいっておじいちゃんにお願いしたんだ。それで東京帰った直後だよね、火事。誰も死ななかったけど約束の生地は燃えちゃって、お人形さんが私達を守ってくれたんだろうって話になったんだよ」  佳奈さんが水をかける度に、他の魂達は満足そうな様子で佳奈さんと人形に集約していく。すると玲蘭ちゃんはまた手ビレを振る。二人を淡い光が包みこみ……次の瞬間、人形は紺色の京友禅に身を包む麗しい等身大舞妓に変身した! 「あなたは……!?」 「あら、思い出してくれはったんやないの? お久しぶりどすえ、佳奈ちゃん」  それは見事な『タルパ』だった。魂の素となるエクトプラズム粒子を集め、人工的に作られた霊魂だ。そういえば玲蘭ちゃんが和尚様から習っていたのはこのタルパを作る術だった。なるほど、こういう風に使うために修行していたんだね。  佳奈さんは顕現したての舞妓さんに問う。 「あ、あのね! 外でザトウムシの化け物が暴れてるの! できれば私もみんなと一緒に戦いたいんだけど、あなたの力を貸してくれないかな?」  ところが舞妓さんは困ったような顔で口元を隠した。 「あらあら、随分無茶を言いはりますなぁ。うちはただの人形やさかい、他の方法を考えはった方がええんと違います?」 「そっかぁ……。うーん、どうしよう」 「佳奈さん、だぶか霊能力とは別の事を聞いてみればいいんじゃないですか? せっかく再会できたんだから勿体ないですよ」 「そう? じゃあー……」  佳奈さんはわざとらしいポーズでしばらく考える。そして何かを閃くと、わざとらしく手のひらに拳をポンと乗せた。 「ねえ。童貞を殺す服を着た女を殺す服って、結局どんな服だと思う? 人生最大の謎なんだけど!」 「はいぃ???」  舞妓さんがわかっていないだろうからと、玲蘭ちゃんがタルパで『童貞を殺す服』を顕現してみせた。 「所謂、こーいうのです。女に耐性のない男はこれが好きらしいですよ」  玲蘭ちゃんが再現した童貞を殺す服は完璧だ。フリル付きの長袖ブラウスにリボンタイ、コルセット付きジャンパースカート、ニーハイソックス、童話の『赤い靴』みたいなラウンドトゥパンプス。一見露出が少なく清楚なようで、着ると実は物凄く体型が強調される。まんま佳奈さんの歌詞通りのコーデだ。 「って、だからってどうして私に着せるの!」 「ふっ、ウケる」  キツキツのコルセットに締め付けられた私を、舞妓さんが物珍しそうにシゲシゲと眺める。なんだか気恥ずかしくなってきた。舞妓さんはヒラヒラしたブラウスの襟を持ち上げて苦笑する。 「まあまあ……外国のお人形さんみたいやね。それにしても今時の初心な殿方は、機械で織った今時の生地がお好きなんやなあ。うちみたいな反物屋育ちの古い人形には、こんなはいからなお洋服着こなせんどす」  おお。これこそ噂の京都式皮肉、京ことば! 要するに生地がペラッペラで安っぽいと言っているようだ。 「でも佳奈ちゃんは、『おたさーの姫』はん程度にならもう勝っとるんやないの?」 「え?」  舞妓��んは摘んでいたブラウスを離す。すると彼女が触れていた部分の生地感が、心なしかぱりっとした気がする。 「ぶっちゃけた話ね。どんなに可愛らしい服でも、着る人に品がなければ『こすぷれ』と変わらへん。その点、佳奈ちゃんは立派な『あいどる』やないの。お歌も踊りもぎょうさん練習しはったんやろ? 昔はよちよち歩きやったけど、歩き方や立ち方がえろう綺麗になってはるさかい」  話しながらも舞妓さんは、童貞を殺す服を摘んだり撫でたりしている。その度に童貞を殺す服は少しずつ上等になっていく。形や色は変わらなくても、シワが消え縫製が丁寧になり、まるでオーダーメイドのように着心地が良くなった。そうか、生地だ。生地の素材が格段にグレードアップしているんだ! 「うちらは物の怪には勝てへんかもしれんけど、童貞を殺す服を着た女に負けるほど弱い女やありまへん。反物屋の娘の誇りを忘れたらあかんよ、佳奈ちゃん」  舞妓さんは童貞を殺す服タルパを私から剥がすと、佳奈さんに当てがった。すると佳奈さんが今着ているサマーワンピースは輝きながら消滅。代わりにアイドルステージ上で彼女のトレードマークである、紺色のメイド服姿へと変身した。けどただの衣装じゃない、その生地は仙姿玉質な京友禅だ! 「いつものメイド服が……あ、これってもしかして、おそろいのドレス!?」  舞妓さんはにっこりと微笑み、輝くオーラになって佳奈さんと一体化する。京友禅メイド服とオーラを纏った佳奈さんは、見違えるほど上品な風格を帯びた。童貞やオタサーの姫どころか、全老若男女に好感を持たれる国宝級生人形(スーパーアイドル)の誕生だ!
བཞི་པ་
「まぶやー、まぶやー、ゆくみそーれー」  またしても玲蘭ちゃんがゆるい呪文を唱えると、佳奈さんの周囲に残っていた僅かな前世残滓も全て佳奈さんに吸収された。これでマブイグミは終了だ。 「金城さんごめんなさい。やっぱり私、バトルには参加できなさそうです……」 「お気になさらないで下さい。その霊的衣装は強いので、多少の魔物(マジムン)を避けるお守り効果もあります。私達が戦っている間、ある程度護身してて頂けるだけでも十分助かります」 「りょーかいです! じゃあ、次は一美ちゃんの番だね!」  いよいよ、私の前世が明らかになる。家は代々影法師使いの家系だから、力を取り戻してくれる先代がいると信じたい。 「まぶやー、まぶやー、うーてぃくよー」  玲蘭ちゃんが私の背中を叩く。全身の毛穴が水を吹くような感覚の後、さっき見たものと同じ半透明の線が飛び出した。ところが…… 「あれ? 一美ちゃんの前世、それだけ??」  佳奈さんに言われて自分から生えた前世達を見渡す。……確かに、佳奈さんと比べて圧倒的に少ない。それに形も、指先ほど小さなシジミ蝶とか、書道で使ってた筆とか、小物ばっかり。玲蘭ちゃんも首を傾げる。 「有り得ないんだけど。こんな量でまともに生きていけるの、大きくてもフェレットぐらいだよ」 「うぅ……一美ちゃん、可哀想に。心だけじゃなくて魂も小さいんだ……」 「悪かったですね、小心者で」  一番考えられる可能性としては、ワヤン不動に変身するためのプルパを愛輪珠に奪われたからだろう。念力を使う時、魂の殆どが影に集中する影法師の性質が仇となったんだ。それでも今、こうして肉体を維持できているのはどういう事か。 「小さくても強いもの、魔除けとか石とか……も、うーん。ないし……」 「じゃあ、斉一さんのドッペルゲンガーみたいに別の場所にも魂があるってパターンは?」 「そういうタイプなら、一本だけ遠くまで伸びてる線があるからすぐわかる」 「そっか……」  すると、その会話を聞いていた佳奈さんが私の足元の海中を覗きこんだ。 「ねえこれ、下にもう一本生えてない?」 「え?」  まじまじと見ると、確かにうっすらと線が見えなくもない。すると玲蘭ちゃんが尾ビレを振って、私の周囲だけ海水を退けてくれた。 「あ、本当だ!」  それは水が掃け、足元に残った影溜まりの中。まるで風前の灯火のように薄目を開けた『ファティマの目』が、一筋の赤黒い線で私と繋がっている。そうか。行きの飛行機内で万狸ちゃんを遠隔視するのに使ったファティマの目は、本来邪悪な物から身を守る結界術だ。私の魂は無意識に、これで愛輪珠から身を守っていたらしい。 「そこにあったんだ。やっぱり影法師使いだね」  玲蘭ちゃんがファティマの目を屈んで掬い取ろうとする。ところが、それは意志を持っているように影の奥深くに沈んでしまった。 「ガード固っ……一美、これどうにかして取れない?」  参ったな。念力が使えれば影を動かせるんだけど……とりあえず、影法師の真言を唱えてみる。 (ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン・オム・チャーヤー・ソワカ)  だめだ、ビクともしない。じゃあ次は、和尚様の観世音菩薩の真言。 (オム・マニ・パドメ・フム)  ……ん? 足の指先が若干ピリッときたような。なら和尚様タイプⅡ、プルパを発動する時にも使う馬頭観音真言ならどうか。 (オム・アムリトドバヴァ・フム・パット!)  ピクッ。 「あ、今ちょっと動いた? おーい、一美ちゃんの前世さーん!」  佳奈さんがちょんちょんと私の影をつつく。他の真言やお経も試してみるべきか? けど総当りしている時間はないし…… —シムジャナンコ、リンポチェ……— 「!」 —和尚様?— —あなたの中で眠る仏様へ、お休みなさい、と申したのです。私は彼の『ムナル』ですから……—  脳裏に突然蘇った、和尚様と幼い私の会話。シムジャナンコ(お休みなさい)……チベット語……? 「タシデレ、リンポチェ」  ヴァンッ! ビンゴだ。薄目だった瞳がギョロリと見開いて肥大化し、私の影から飛び出した! だけどそれは、私が知っているファティマの目とまるで違う。眼球ではなく、まるで視神経のように真っ赤なエネルギーの線維が球体型にドクドクと脈動している。上下左右に睫毛じみた線維が突き出し、瞳孔に当たる部分はダマになった神経線維の塊だ。その眼差しは邪悪な物から身を守るどころか、この世の全てを拒絶しているような絶望感を帯びている。玲蘭ちゃんと佳奈さんも堪らず視線を逸らした。 「ぜ、前世さん、怒ってる?」 「……ウケる」  チベット語に反応した謎のエネルギー眼。それが私の大部分を占める前世なら、間違いなく和尚様にまつわる者だろう。正直、今私は和尚様に対してどういう感情を抱いたらいいのかわからなくなっている。でも、たとえ邪尊教徒であろうとなかろうと、彼が私の恩師である事に変わりはない。 「玲蘭ちゃん、佳奈さん。すいません。五分だけ、ちょっと瞑想させて下さい」  どうやら私にも、自分の『縁』と向き合うべき時が来たようだ。
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 ……釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩……。座して目を閉じ、自分の影が十三仏を象る様を心に思い描く。本来影法師の修行で行う瞑想では、ティンシャやシンギング・ボウルといった密教法具を使う。けど千里が島には持ってきていないし、今の私にそれらを使いこなせる力もない。それでも、私は自らの影に佇むエネルギー眼と接続を試み続ける。繋がれ、動け。私は影。私はお前だ。前世よ、そこにいるのなら応えて下さい。目を覚まして下さい…… 「……ッ……!」  心が観世音菩薩のシルエットを想った瞬間、それは充血するように赤く滲んだ。するうち私の心臓がドクンと弾け、業火で煮えくり返ったような血が全身を巡る。私はその熱量と激痛に思わず座禅を崩してしまうが、次の瞬間には何事もなかったかのように体が楽になった。そしてそっと目を開けてみると、ニライカナイだったはずの世界は見覚えのある場所に変わっていた。 「石筵観音寺……!?」  玲蘭ちゃんが代わりに呟く。そう。ここは彼女も昔よく通っていた、私達の和尚様のお寺だ。けどよく見ると、記憶と色々違う箇所がある。 「玲蘭ちゃん、このお御堂、こんなに広かったっけ……?」 「そんなわけない。だってあの観音寺って、和尚が廃墟のガレージに張って作ったタルパ結界でしょ」 「そうだよ。それにあの外の山も、安達太良山じゃないよね? なんかかき氷みたいに細長いけど」 「あれ須弥山(しゅみせん)じゃん。仏教界の中心にある山。だぶか和尚はこの風景を基に石筵観音寺を作ったんじゃない? てーか、何よりさ……」 「うん。……いなくなってるよね、和尚様」  このお御堂には、重大な物が欠けている。御本尊である仏像だ。石筵観音寺では和尚様の宿る金剛観世音菩薩像がいらした須弥壇には、何も置かれていない。ここは、一体……。 「ねーえ! 一美ちゃんの和尚さんってチベットのお坊さんなんだよね? ここにいるよ!」 「「え?」」  振り返ると、佳奈さんがお御堂の奥にある扉を開けて中を指さしている。勿論観音寺にはなかった扉だ。私と玲蘭ちゃんが中を覗くと、部屋は赤い壁のシンプルな寝室だった。中心に火葬場の収骨で使うようなやたらと背の高いベッドが一つだけ設置されている。入室すると、そのベッドで誰かが眠っていた。枕元にはチベット密教徒特有の赤い袈裟が畳まれている。佳奈さんがいて顔がよく見えないけど、どうやら坊主頭……僧侶のようだ。不思議な事に、その僧侶の周りには殆ど影がない。 「もしもーし、和尚さん起きて下さい! 一美ちゃんが大ピンチなんですーっ!」  佳奈さんは大胆にも、僧侶をバシバシと叩き起こそうと試みる。ただ問題がある。彼は和尚様より明らかに背が低いんだ。 「ちょ、佳奈さんまずいですって! この人は和尚様じゃないです!」 「え、そうなの? ごめんごめん、てへっ!」 「てへっじゃないですよ………………!!?!?!??」  佳奈さんが退き僧侶の顔が見えた瞬間、私は全身から冷や汗を噴出した。この……この男は……!!! 「あれ? でも和尚さんじゃないなら、この人が一美ちゃんの前世なんじゃない? おーい、前世さムググム~??」  ヤバいヤバいヤバい!! 佳奈さんが再び僧侶をぶっ叩こうとするのを必死で制止した。 「一美?」  玲蘭ちゃんが訝しんだ。面識はない。初めて見る人だ。だけどこの男が起きたら絶対人類がなんかヤバくなると直感で理解してしまったんだ! ところが…… ༼ ……ン…… ༽  嘘でしょ。 「あ、一美ちゃん! 前世さん起きたよ! わーやば、このお坊さん三つ目じゃん! きっとなんか凄い悟り開いてる人だよ!」  あぁ、終わった……。したたび綺麗な地名の闇シリーズ第六弾、千里が島宝探し編終了。お疲れ様でした。 「ねー前世さん聞いて! 一美ちゃんが大ピンチなの! あ、一美ちゃんっていうのはこの子、あなたの生まれ変わりでー」 ༼ えっ、え?? ガレ……? ジャルペン……?? ༽  僧侶はキョトンとしている。そりゃそうだ、寝起きに京友禅ロリータが何やらまくし立てていれば、誰だって困惑する。 「じゃる……ん? ひょっとして、この人日本語通じない!?」 「一美、通訳できる?」 「むむ、無理無理無理! 習ってたわけじゃないし、和尚様からちょこちょこ聞いてただけだもん!」 「嘘だぁ。一美ちゃんさっきいっぱいなんかモゴモゴ言ってたじゃん。ツンデレとかなんとか」 「あ、あれは真言です! てか最後なんて『おはようございます猊下(げいか)』って言っただけだし」  私だけ腰を抜かしている一方で、佳奈さんと玲蘭ちゃんは変わらずマイペースに会話している。僧侶もまだキョトン顔だ。 「他に知らないの? チベット語」 「えぇー……。あ、挨拶は『タシデレ』で、お休みなさいが『シムジャナンコ』、あと印象に残ってるのは『鏡』が『レモン』って言うとか……後は何だろう。ああ、『眠り』が『ムナル』です」 ༼ ! ༽  私が『ムナル』と発音した瞬間、寝ぼけ眼だった僧侶が急に血相を変えて布団から飛び出した。 ༼ ムナルを知っているのか!? ༽ 「ふわあぁ!?」  僧侶は怖気づいている私の両腕をがっしと掴み、心臓を握り潰すような響きで問う。まるで視神経が溢れ出したような紅茶色の長い睫毛、所々ほつれたように神経線維が露出した肌、そして今までの人生で見てきた誰よりも深い悲壮感を湛える眼差し……やっぱり、間違いない。この僧侶こそが…… 「え? な、なーんだ! お坊さん、日本語喋れるんじゃん……」 「佳奈さん、ちょっと静かにしてて下さい」 「え?」  残酷にも、この僧侶はムナルという言葉に強い反応を示した。これで私の杞憂が事実だったと証明されてしまったんだ。だけど、どんな過去があったのかはともかく、私はやっぱり和尚様を信じたい。そして、自分の魂が内包していたこの男の事も。私は一度深呼吸して、彼の問いに答えた。 「最低限の経緯だけ説明します。私は一美。ムナル様の弟子で、恐らくあなたの来世……いえ、多分、ムナル様によって創られたあなたの神影(ワヤン)です。金剛の大散減という怪物と戦っていたんですが、ムナル様が私の肋骨で作られた法具プルパを金剛愛輪珠如来に奪われました。それでそこの神人にマブイグミして貰って、今ここにいる次第です」 ༼ …… ༽  僧侶は瞬き一つせず私の話を聞く。同時に彼の脳内で凄まじい速度で情報が整理されていくのが、表情でなんとなくわかる。 ༼ 概ね理解��た。ムナルは、そこか ༽  僧侶は何故か佳奈さんを見る。すると京友禅ロリータドレスのスカートポケットに、僧侶と同じ目の形をしたエネルギー眼がバツッと音を立てて生じた。 「きゃあ!」  一方僧侶の掌は拭き掃除をしたティッシュのようにグズグズに綻び、真っ二つに砕けたキョンジャクが乗っていた。 「あ、それ……神社で見つけたんだけど、後で返そうと思って。でも壊れてて……あれ?」  キョンジャクは佳奈さんが話している間に元の形に戻っていた。というより、僧侶がエネルギー眼で金属を溶かし再鋳造したようだ。綻んでいた掌もじわじわと回復していく。 「ど、どういう事? 一美。ムナルって確か、観音和尚の俗名か何かだったよね……そのペンダント、なんなの?」  僧侶の異様な力に気圧されながら、玲蘭ちゃんが問う。 「キョンジャク(羂索)、法具だよ。和尚様の遺骨をメモリアルダイヤにして、友達から貰ったお守りのペンダントに埋め込んでおいたんだ」 ༼ この遺骨ダイヤ、更に形を変えても構わんか? ༽ 「え? はい」  僧侶は私にキョンジャクを返却し、お御堂へ向かった。見ると、和尚様のダイヤが埋まっていた箇所は跡一つなくなっている。私達も続いてお御堂に戻ると、彼はティグクという斧型の法具を持ち、装飾部分に和尚様のダイヤを埋め込んでいた。……ところが次の瞬間、それを露台から須弥山目掛けて思い切り投げた! 「何やってるんですか!?」  ティグクはヒュンヒュンと回転しながら須弥山へ到達する。すると、ヴァダダダダガァン!!! 須弥山の山肌が爆ぜ、さっきの何百倍もの強烈なエネルギー眼が炸裂! 地面が激しく揺れて、僧侶以外それぞれ付近の物や壁に掴まる。 ༼ 拙僧が介入するとなれば、悪戯に事が大きくなる…… ༽  爆風と閃光が鎮まった後の須弥山はグズグズに綻び、血のように赤い断面で神経線維が揺らめいた。そしてエネルギー眼を直撃したはずのティグクは、フリスビーのように回転しながら帰還。僧侶が器用にキャッチすると、次の瞬間それはダイヤの埋め込まれた小さなホイッスルのような形状に変化していた。 ༼ だからあなたは、あくまでムナルから力を授かった事にしなさい。これを吹けばティグクが顕現する ༽ 「この笛は……『カンリン』ですか!?」 ༼ 本来のカンリンは大腿骨でできたもっと大きな物だけどな。元がダイヤにされてたから、復元はこれが限界だ ༽  カンリン、人骨笛。古来よりチベットでは、悪い人の骨にはその人の使っていない良心が残留していて、死んだ悪人の遺骨でできた笛を吹くと霊を鎮められるという言い伝えがあるんだ。 ༼ 悪人の骨は癒しの音色を奏で、悪魔の心臓は煩悩を菩提に変換する。それなら逆に……あの心優しかった男の遺骨は、どんな恐ろしい業火を吹くのだろうな? ༽  顔を上げ、再び僧侶と目が合う。やっぱり彼は、和尚様の事を話している時は少し表情が穏やかになっているように見える。 ༼ ま、ムナルの弟子なら使いこなせるだろ。ところで、『鏡』はレモンじゃなくて『メロン』な? ༽ 「あっ、そうでしたね」  未だどこか悲しげな表情のままだけど、多少フランクになった気がする。恐らく、彼を見た最初は心臓バクバクだった私もまた同様だろう。 「じゃあ、一美……そろそろ、お帰ししてもいい……?」  だぶか打って変わって、玲蘭ちゃんはすっかり及び腰だ。まあそれは仕方ない。僧侶もこの気まずい状況を理解して、あえて彼女と目を合わさないように気遣っている。 「うん。……リンポチェ(猊下)、ありがとうございました」 「一美ちゃんの前世のお坊さん、ありがとー!」 ༼ 報恩謝徳、礼には及ばぬ。こちらこそ、良き未来を見せて貰った ༽ 「え?」 ༼ かつて拙僧を救った愛弟子が巣立ち、弟子を得て帰ってきた。そして今度は、拙僧があなたに報いる運びとなった ༽  玲蘭ちゃんが帰還呪文を唱えるより前に、僧侶は自らこの寺院空間を畳み始めた。神経線維状のエネルギーが竜巻のように這い回りながら、景色を急速に無へ還していく。中心で残像に巻かれて消えていく僧侶は、最後、僅かに笑っていた。 ༼ 衆生と斯様にもエモい縁を結んだのは久しぶりだ。また会おう、ムナルそっくりに育った来世よ ༽
ལྔ་པ་
 竜巻が明けた時、私達はニライカナイをすっ飛ばして宴会場に戻っていた。佳奈さんは泥だらけのサマードレスに戻っているけどオーラを帯びていて、玲蘭ちゃんの口の怪我は何故か完治している。そして私の手には新品のように状態の良くなったキョンジャクと、僅かな視神経の残滓をほつれ糸のように纏う小さなカンリンがあった。 「あー、楽しかった! 金城さん、お人形さんと再会させてくれてありがとうございました! 一美ちゃんも、あのお坊さんめっちゃ良い人で良かったね! 最後エモいとか言ってたし、実はパリピなのかな!? ……あれ、金城さん?」  佳奈さんが振り返ると同時に、玲蘭ちゃんは焦燥しきった様子で私の首根っこを掴んだ。今日は色んな人に掴みかかられる日だ。 「なんなの、あの前世は」  その問いに答える代わりに、私は和尚様の遺骨(カンリン)を吹いてみた。パゥーーーー……決して癒しの音色とは言い難い、小動物の断末魔みたいな音が鳴った。すると私の心臓に焼けるような激痛が走り、全身に煮えたぎった血が迸る! それが足元の影に到達点すると、カセットコンロが点火するように私の全身は業火に包まれた。この一連のプロセスは、実に〇.五秒にも満たなかった。 「そんなっ……その姿……!!」  変身した私を、玲蘭ちゃんは核ミサイルでも見るような驚愕の目で仰いだ。そうか。彼女がワヤン不動の全身をちゃんと見るのは初めてだったっけ。 「一美ちゃん! また変身できるようになったね! あ、前世さんの影響でまつ毛伸びた? いいなー!」  玲蘭ちゃんは慌ててスマホで何かを検索し、悠長に笑っている佳奈さんにそれを見せた。 「ん、ドマル・イダム? ああ、これがさっき話してた邪尊さん……え?」  二人はスマホ画面と私を交互に三度見し、ドッと冷や汗を吹き出した。憤怒相に、背中に背負った業火。私は最初、この姿は不動明王様を模したものだと思っていた。けど私の『衆生の苦しみを業火に変え成仏を促す』力、変身中の痛みや恐怖に対する異常なまでの耐久性、一睨みで他者を黙らせる眼圧、そしてさっき牛久大師に指摘されるまで意識していなかった、伸びた腕。これらは明らかに、抜苦与楽の化身ドマル・イダムと合致している! 「……恐らく、あの前世こそがドマルだ。和尚様は幼い頃の私を金剛から助けるために、文字通り彼を私の守護尊にしたんだと思う。でもドマルは和尚様に『救われた』と言っていた。邪尊教に囚われる前の人間の姿で、私達が来るまで安らかに眠っていたのが何よりの証拠だ。観世音菩薩が時として憤怒の馬頭観音になるように、眠れる抜苦与楽の化身に代わり邪道を討つ憤怒の化身。それが私……」 「ワヤン不動だったってわけ……ウケる」  ウケる、と言いつつも、玲蘭ちゃんはまるで笑っていなかった。私は変身を解き、キョンジャクのネックレスチェーンにカンリンを通した。結局ドマルと和尚様がどういう関係だったのか、未だにはっきりしていない。それでも、この不可思議な縁がなければ今の私は存在しないんだ。この新たな法具カンリンで皆を、そして御戌神や千里が島の人々も守るんだ。  私は紅一美。金剛観世音菩薩に寵愛を賜りし紅の守護尊、ワヤン不動だ。瞳に映る縁無き影を、業火で焼いて救済する!
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mashiroyami · 6 years
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Page 74 : コミュニケーション
 漆黒を残してビルディング群の向こう側へと太陽は完全に去っていった。頭上から道を照らす人口の灯火はちかちかと不規則的な点滅運動を繰り返していて、どこか頼りない。管理が行き届いてないんだと真弥は言う。人間に放っておかれた道具はゆっくりと時間をかけて力を失い、朽ち果てていくだけ。無数の窓から放たれている室内灯の大群や派手なネオンの広告が目に焼き付く情景を思い出すと、華美とは正反対の枯れた静寂に違和感を抱かざるを得なかった。けれど、そういうものなのかもしれない。クロはひとり自分に納得させる。どんな場合でも何かしらの死角がある。手の届かない隙間には埃がたまっていくものだ。首都も例外ではない。きっと、それだけの話。  アパートから歩いてすぐ辿り着く場所にピザを売っている店がある。真弥がクロと圭を引きつれてやってきたのは、そこだ。  セントラル北区のカラーである住宅区らしく道沿いを埋めるようにマンションやアパートが立ち並ぶ中で、息を潜めてこじんまりと構えている小店だったが、扉を開いてみれば彼等と同じく夕食を買いに来ている客で店の中は賑わっていた。闇夜の中で煌々と輝く店内はそこだけ陽だまりになっているかのようで、食欲を刺激する濃厚なピザの香りと雑多な明るい声で満たされていた。きらきらと輝いているような温かな照明が闇夜に慣れた目には眩しく焼き付くようだ。  一ホール頼むことも勿論できるようだが、木でできた見世棚に並べられたカラフルなピザはそれぞれ切り分けられていて、透明なケースで蓋がされている。好きなものを選んでトレイに乗せていく形式が基本らしい。奢るから遠慮しないで食べなさい育ち盛りの青少年。真弥があっけらかんとそう言い放って自由に泳がされた青少年二名。圭が目を輝かせピザに釘付けになっている横で、クロは目を右往左往と動かして圭についていっているような状態だった。 「なあなあ、トマトならどれがいいかな! やっぱりこのマルゲリータかなあ、この店で二番目に人気だって!」 「結論ついてるならそれにすればいいだろ」 「いや、でも、ハムとかチキンとか大量に乗ってるあれも気になるんだよ」 「もうどっちも買えば? どうせ一枚だけのつもり、ないんだろ」  明らかに興味が無さそうな受け答えはあてにならない。ちゃんと考えてくれよ、と口を尖らせながら、圭はトマトベースのものが並んだ一角を前に悶々と悩む。その最中、肩を落として溜息をついたクロの様子に視線が動く。 「クロは何にしようとしてんの?」  一度自分の迷いを棚に上げて圭が尋ねる。 「いや、別に、俺は何でもいいんだけど」 「けど?」 「……大したことじゃないから」  誤魔化そうとするクロを前に、圭の眉間に皺が寄る。目の前で淀んだ言い草をされるのを圭は特に好まない。 「なんだよ気になるじゃん。大したことな��なら別に言ったって問題ないだろ!」  ああ、面倒臭い追求だ。無意味に隠そうとすればすぐに食いついてくる。圭はそんな奴だった。クロが大きな溜息を吐いた瞬間、ピザをとるヘラが目の前に飛び込んできて反射的に身が震えてしまった。 「旨いもんの前でむやみやたらに溜息を吐かない! 飯に失礼だ!」  鋭い指摘。視線を横にずらしていくと、クロをまっすぐ睨みつけている圭の顔にぶつかった。クロはまた大きく息を吐きそうになったが、寸のところで止める。 「……あいつは」 「あいつ?」 「何が、好きだったっけ、って思ってただけ」  クロが何のことを指してるのか数秒思考して、思い至る節にぶつかった。その瞬間、圭の顔がゆるまっていく。  ああ、なるほど。それはつまり。 「ラーナーの喜ぶ顔が見たいけどそういえばラーナーの好みをよく分かっていないことに今ようやく気がついて焦ってどうしようどれなら好きなんだろう喜んでくれるんだろう、というやつか!」 「そこまでは思ってない」  忙しなく動いた舌のなんと軽やかなことだろうか、クロは低い声で応戦する。 「またまたあ、お前も可愛いとこあるじゃん」 「そういうのじゃなくて、だから……ああ、もういいや」 「そういうのってなんだよー、どういうこと俺が思ったって?」 「もういいって言っただろ!」  にやけた表情で顔を覗き込んでくる圭から逃げるように、クロはその場から足早に立ち去ろうとする。からかう素振りが気に入らなくて、無性に腹立たしい。同時に急に顔が熱くなってきていて、胸の奥が引っかかれているようだった。  ごめんごめん、と圭が笑いながらクロを追いかける。謝罪の言葉は上っ面だけで、反省の欠片も見えない。気に入った玩具でも見つけたような笑い方。全く、こっちは真剣だというのに。先程の圭に対する自身の態度は棚に上げ、クロは圭を見ないようにわざとらしく視線を上げて周りを見渡す。相手が低身長だというのはこういう時に便利だった。  そこで、多忙に声をあげながら店員が手を動かしているレジカウンターの隣に立つ真弥の姿を視界に入れた。  真弥はよく足を運んでいる常連らしく、一人他の店員とは違うデザインの制服を着た――安易な発想だが、店主だろうか――中年男性と談笑している様子が認められた。一体どんな内容の話題を膨らませているのか、騒がしい店内では聞きとることができない。けれど真弥の表情は非常に和やかなもので、相手も同様であった。真弥の持っているプレートに男性が破顔しながらどんどんピザを乗せていって、真弥は少し困ったような素振りを見せながら、けれど笑っている。その日常の切れ端を垣間見ただけでも、打ち解けた仲であることは容易に想像できた。そういう空気を纏っていた。森の中に生える一本の木のように、なんの違和感なく空気に馴染んでいる真弥の姿は、クロの目にはやたらと印象的に焼き付く。意識して見つめていると、不意に自分が置き去りにされているような感覚に襲われた。ざわめきの中で浮き彫りになる、自分というかたち。耳から遠のいていく笑い声。  腕から力が無くなっていく最中、突然背中を叩かれる。衝撃は決して強いものではなかったが、驚きが全ての思考をはねとばした。濃厚なチーズの香りが鼻孔に同時に蘇ってくる。彼の中で消えていた周囲の声が息を吹き返して一気に降り注ぐ。 「なにぼーっとしてんだよ。人の話聞いてんのか!」  真弥に気がとられて、すっかり圭のことは頭から飛んでしまっていた。怒っているようだが、隣にいたにも関わらず圭が発していたらしい言葉をどうしても思い出すことができない。 「聞いてない」 「そういうところは正直だな、まったく……」  諦めたように圭は肩を落とし、再びクロを見上げる。 「俺はやっぱり無難なのは人気なものかなって思うんだけど」  何が、と尋ねようとしたところで、ラーナーに何を買って帰るべきか悩んでいたことを思い出した。圭は店が提示している紹介タグを頼りに候補を挙げていく。自分が他のことに気を取られている間に真面目に考えてくれていたのだと気付くと、申し訳無さが沸き上がってくる。 「ほんとなんか、知らないわけ。なんだかんだ二ヶ月くらいは一緒にいるんだろ?」 「うーん……」  クロの視線は自然と落ちる。圭からは呆れたように苦笑が漏れた。 「お前さ、笹波白とか俺達の仲間とか黒の団の情報とか集めるのもいいけど、目の前の情報を手に入れる方が先なんじゃね? ほんと他人に興味無いのな」 「うるさいな」  声は濁っている。裏表の無い言葉は軽くとも時折容赦なく的を射るから、油断していると身構える前に胸に突き刺さってくる。相手に悪気はなくても。つまり、図星だった。同じようなことをアランにも言われたことを思い出す。他人のことを知ろうとしていない、わかっていないと激しい怒声で揺さぶられた道中の記憶が脳裏にちらつく。  他人に対して自分の姿勢に問題があるのは間違いないのだろう。気持ちを読み取ろうとする意欲も欠けている。 「あいつ、なんでも食べるから。……分かりづらい」 「大事だぜ、コムニケーション」  聞き間違いか、圭の発した単語に違和感を抱いたが、クロには言い返す言葉もない。  なんでこんな話を圭としてるのだろう。情けなさが湧き上がってきて、クロは肩を落とす。ラーナーが倒れてアランに連絡したときもそうだ。彼女が関わると、自分ひとりでは匙を投げてしまう。答えを求めるように誰かに縋る。いつの間に、自分と誰かを繋げている糸がこんなに強く纏わるようになったのだろう。 「じゃあ、逆に嫌いなものとか」 「嫌いなもの」  反復すると、脳内の端っこで何かがちらつく。引っかかりを手繰りよせると、自然と眉間に皺が寄る。何かが、思い出せそうだ。その正体を判明させようと思考を回転させる。頬を綻ばせて食べている表情で、何かを言っていた。会話をしていた。そう遠い過去のことではない。昼下がりの、たくさんの人の声とジャズ音楽。サンドイッチ。穴を掘っていくように外側から記憶の断片を繋いでいくと、思い至る節に突き当たる。思いついた瞬間閉じ込んでいた心に涼風が吹きこんだ。 「ピーマンが駄目だって言ってた」 「お、有用。じゃあピーマンが乗ってそうなやつはやめよう。……って、そんなに無さそうだけど」  からからと笑うと、つられてクロの口元も僅かに緩む。  夜はますます深まっていく。店主との談話を終わらせてやってきた真弥に急かされて、夕食を選ぶのにそれからそう時間はかからなかった。  結局、無難に人気なものを数種と、ウォルタ出身ということで海鮮物は好きなのではないかというふと思いついたクロの安直な予想のもとシーフードのピザを選んで、ラーナーへの土産となったのだった。
 *
「あそこのピザは美味しいんだ。店長もいい人だし。いつ行っても明るくてね」  軽い足取り、軽い口ぶりで帰路を辿る。道を歩く男三人の手には平たい箱の入った袋がそれぞれ入っていた。相変わらずふらふらと点滅している外灯の下を潜り抜けていく。 「近所に旨い食べ物屋があるっていうのは幸せだと思わないか。あのピザ屋があるから今のアパートに定住しているようなものだよ」  隣を歩くクロは目線を上げる。  まるであの店が真弥とこの地を結び留めている綱であるかのような物言いだとクロには聞こえた。勘繰りすぎなのだろうか。そうでなければ今すぐにでもここを出て行くのに、と言葉にならない部分が含んでいるかのようだった。けれど、生活に大きな不満を抱えているようには見えない。彼は、彼なりの良き生活を手に入れているのではないのだろうか。首都に溶け込んで、そんな真弥を見ていると、クロの心にちくりと針を刺したような痛みが走る。どこかで感じたことのある痛みだ、すぐに、リコリスでルーク家に優しく包まれている圭の姿が頭に浮かび上がってきた。その本能的な感覚が、感情が、一体何を示しているのか。自分のことなのにひどくぼんやりしている。  そういうことばかりだ。自分のことも、他人のことも、よくわからない。真弥のことも、よくわからない。 「意外でした」 「何が?」  振り返った真弥の表情は不思議そうに笑っている。 「いや……普通に生活してるところというか、馴染んでいるところが」 「ああ、わかる。クロとはちょっと違った雰囲気で、一匹狼でいそうだって思ってた!」 「何それ、俺そんなに孤独なイメージあったの?」  真弥は苦笑を浮かべる。 「そういうつもりじゃないですけど。なんていうか」考えを整理するように一呼吸を置いてから、クロは再び口を開く。「普通の人みたいだって」 「そう見える?」  試すように彼は改めて問いかける。  濃厚に凝縮された熱を閉じ込めた袋が、歩く度にがさがさと音を立てる。静寂に浸った夜の中ではやたらと耳を突く音だった。 「お前等にそう見えたなら、及第点かな」  返答を待たずに言い放ち、真弥は満足そうな表情を浮かべた。 「クロや圭はどうしてたわけ。あの時に解散したはずだけど、なんでまた一緒にいるんだろうなって思ってたんだよね。二人ともずっと旅してるのか?」 「違う違う。俺はついこないだからクロに合流したんだ。それまでは、リコリスに」  即座の圭の返答に、真弥がへえと声をあげた。 「リコリス? ……っていうと、どこだっけ。アーレイスだよな」 「わかんないのかよ、ひでえな。アーレイスだよ。李国との国境に沿って、山脈があるだろ。そのあたり」 「大雑把すぎてあんまり場所がぴんとこないよ。まあ、それはまた辺鄙な所に」 「山奥だから分からなくたってしょうがないけどさ。あまりに田舎だから、ずっといても黒の団の影一つなかったんだ」 「はは、それはいいや」 「だろ? いいとこなんだ」  自慢げに胸を張る圭。無意識に零れる無邪気な笑顔。  その裏側にある淋しさは見せないように振る舞っている。  真弥はふと口を開ける。でも、と何かを言おうとしてしかし引っ込めた。尋ねようとして野暮な問いだと気が付いたのだ。ならば今どうしてここに。昔に比べて明るくなった性格、彼をそうさせた環境。僅かな会話からも感じ取れる、圭がリコリスに抱いている愛情。平穏な場所を飛び出した理由は、どうせ、黒の団に繋がっていく。真弥には容易に想像できた。思い出が美しいほど、汚れた記憶は顧みたくないものだろう。 「じゃ、クロと圭が再会したのは、リコリスか?」 「そう。クロから来てくれたんだ」 「よく居場所が分かったな。黒の団だって掴めなかったんだろう」  真弥の視線は圭からクロに流れていく。会話の相手に指定されたクロは目を俯かせて淡々と応える。 「昔ポケギアで連絡先の交換をしてたのが残ってたので。幸いにも、お互い捨ててなかったから」 「ポケギアって、まさか、あの?」  驚きに上ずった声に、クロは頷く。真弥の目はぐんと丸くなる。 「よく捨てなかったな。俺は気色悪いし今は新しいのにしてるよ」 「そりゃ、俺だってできるなら捨てたいですけど……便利なのも、事実ですから」 「同じく」  だって仕方がない。圭は両手を開いておどけたポーズをとってみせた。  気持ちが悪いというそのポケギアが、クロと圭を繋ぎ直して、アランや他の誰かと繋げていく。重要なツールは身に馴染むと簡単に手放すことが出来ない。クロは左手にピザの入った袋を持ち替えて、右の腰につけてあるポーチからポケギアを手に取った。小さな傷が無数に刻まれた、闇夜のような黒色のボディ。懐かしいな、とそれを見た真弥は呟いていた。溜息を共に吐くような感慨の籠もった声であった。 「……圭に会いに行ったのには、何か理由があるんだろ」  ポケギアを定位置に戻した後、不意打ちの発言に、クロの手が止まる。 「よくわかりましたね」 「わかるよ。山脈付近なんてそう気軽にいける場所じゃないんだし、なんとなく話をしたいだけならそれこそ電話で出来る」  妙に察しがいい。クロが次の言葉を探っている間に、次々と真弥からは問いが浴びせられる。 「何をしようとしてるんだ? 他の奴はどうした」  クロは口を閉じ、考え込む。回り込んでこずに直球で真ん中に投げてくる。隠す理由も特に無い。どうせ、真弥にも持ちかけようとしていた話題だ。まさかこのタイミングで話すチャンスがやってくるとは考えていなくて、不意を突かれただけだ。クロは細く息を吸って続けざまにゆっくりと吐き出す。 「真弥さんにも言おうと思ってたんですけど」  無意識にクロの声はいつもに増して小さな声になっていた。  軽く周囲を見回す。何を言おうとしているのか、同じようにリコリスで話を持ちかけられた圭には簡単に予想できた。クロにつられるように彼も周りに人影が無いことを確認する。  それからクロは真弥に顔を近付け、遠くの誰かに聞きとられないよう慎重に口を開いた。 「俺、黒の団を、倒したいんです」 「へえ」  口の中で転がしただけのような小さな声に、即座に相手の声のトーンが上がる。真弥の興味を引いた。クロは手応えを掴む。 「それはまた、物騒で抽象的な目標だ」 「圭にそれに協力してほしくて俺はリコリスに行きました。まずは信用できる仲間がほしかったから。他の皆はまだ何も分かっていない状態です」 「……それで首都に来たと。ここなら何か分かるかもしれないって」 「それだけではないんですけど……はい。それに、真弥さんが首都にいるかもしれないという噂は聞いていましたし」 「ふーん」  ふと真弥の足が止まり、それに合わせてクロと圭も立ち止まる。いつの間にか、彼等は真弥の住むアパートの目の前へとやってきていた。すっかり暗闇に包まれた住宅街では、点々と窓から零れている光が人の気配を感じさせる。真弥の住む部屋も、ラーナーやノエルの存在を示すように明かりがついている。  真弥はクロ達の方を見ず、考え込むように口を紡いでいた。 「真弥さんにも、協力してもらいたいんです」  崩れなかった柔和な笑顔は今は影に潜み、固くなった表情で地面に視線を落としている。返答が来る気配はない。  多分、もう一歩だ。クロは姿勢を前のめりにさせる。 「黒の団の行いは、真弥さんもよく解ってるでしょう。もう、終わらせたいんです、全部。団員も、秩序も、実験も、全て壊す。そうしないと、いつまでも俺達は本当の意味で自由になれない。そう、思いませんか。それに、旅の最中でも黒の団の理不尽な行為を目の当たりにしてきました。直接的には無関係なのに傷つく人も見てきました。リコリスで圭が世話になった家族も、圭を匿った事実がある以上、黒の団がいる限り安全とは限りません。あいつは……ラーナーは、家族を黒の団に奪われた」 「……そうだな。ニノも」  ほつりと落とされた呟きは風に溶ける。癒えることのない古傷が痛んだように、強気に強張っていたクロの表情がニノの名前に歪んだ。 「ラーナーは、ニノや父親のことを知りません。自動車事故だと報されてる」 「そうか……」  項垂れていた真弥の頭がゆっくりと上がり、視線は遠くの空へと向く。しばらくそのまま考え込むように無言を貫いた後、そうか、と繰り返した。そして、クロの方に顔を向ける。 「複雑だな、クロ」  疲れたような浅い笑みから滲み出た声に、クロは応えることができなかった。  そこにいる誰もの身体の奥にあるそれぞれの傷が、痛む。  真弥は息を吸い込んだ。落ち着かせるように、深く。 「それにしても、打倒黒の団ってやつか」重量のある感情を払いのけたように、真弥の声は軽くなっていた。「考えておくよ、前向きに。面白そうだからさ。ただそれより今は、夕飯の方が優先だ」  話題を転換させて、真弥はまた元のように穏やかな笑みを浮かべた。  消化不良と言いたげにクロは顔を顰めたが、深追いはしない。したところで、躱されるのは目に見えている。誤魔化し躱すことが得意で飄々とした彼だからこそ、真面目な顔をして吐きだす言葉には本心がより滲み出ているようだった。  複雑だと言い放った真弥の渇いた笑みに滲んだどこか悲しげな顔は、クロも圭も殆ど見たことのない顔だった。  一行が真弥の部屋に戻ってくると、窓際に立ちポニータの頭を撫でているラーナーの姿がまず彼等の目に入る。見回りを支持されていたアメモースも戻ってきており、ポニータの火に照らされて空中で羽ばたきを続けていた。彼女の足元にはエーフィやブラッキーも揃っている。囲むように旅を共にしているポケモン達が並んでいた。 「これは壮観だ」  思わず感嘆の声をあげる真弥。帰宅した面々は持ち帰ってきた食事をテーブルにそれぞれ置く。  ブラッキーが耳をぴんと立てて真弥を見やる。遠くのものを目をこらして見つめようとしているように赤い瞳は尖る。睨みつけられている真弥は苦笑いを浮かべた。やがてブラッキーはラーナーの傍を離れ、庭へと飛び出す。 「ブラッキー!?」  慌ててラーナーは身を外に向けたが、いつものアメモースのように遠くへいくような素振りは見せない。正方形に区切られた真っ暗な草むらの中で、黄色い輪が浮き上がるように光る。草同士が擦りあっている音はやがて沈黙する。その場に座り込んだらしい。 「あれニノのポケモンだよね。俺、昔からあのブラッキーには嫌われてるんだ。基本的にポケモンには好まれないんだけど」  真弥は諦めるように肩を竦めた。  その横で圭が率先してピザの箱を開いていた。蓋を開けた瞬間、店に満たされていた香りが褪せずに溢れ出す。その香りはすぐにラーナーの鼻にも届き、空腹感が擽られる。表面に乗った油分が照明を照らし返して光っており、生地はふっくらと焼けている。今にも蕩けていきそうなチーズは、まだ乾燥せず温かさが残っている。  ラーナーは庭から離れクロ達の元へと集まる。本日の夕食を目の当たりにして、抑えきれない興奮が歓声となり湧き上がる。 「すごい。ピザなんて、本当に久しぶり!」 「俺のおすすめ。ホールも買ってあるし、これだけあれば腹いっぱいになるでしょ」  次々と箱は開かれていく。計五箱。それに新鮮な野菜が詰め込まれたサラダや柔らかく揚げたばかりの山盛りポテトといったサイドメニューの詰め合わせ。一堂に集まっている人数に対して、少し多すぎるくらいだ。 「これ、ノエルさんの分も含まれているんですよね?」  想像を遥かに上回って大量に用意された御馳走に圧倒されラーナーが尋ねると、勿論と真弥はすぐに頷く。 「あいつも好きだからね。残しておけば夜中にこっそり食べるよ。全く、出てこればいいのにな」 「真弥さん、それより早く食べようぜ。俺もう腹減って死にそうだ!」  真弥がノエルに対して憂いているのを気にも留めていないかのように圭は訴えかけた。トマトソースの赤とチーズの白が鮮やかに分かれたマルゲリータに既にその手は伸びている。  食欲を我慢しようとも隠そうともしない圭を前に、ラーナーも真弥も一瞬ぽかんと面食らう。やがて、真弥は胸の奥からふつふつと湧き立ってくるように、身体を震わせるように笑った。 「ははっそうだな。それが大事だ。よし、どんどん食べろ!」 「お言葉に甘えて!」  よしと命じられた飼いならされた動物のように、圭の手はピザを掴んだ。それに続く様に、各々好きなものを手に取っていく。濃厚に味付けされたそれらはまだ焼き立ての熱気を含んで膨らんでおり、ひとたび口の中に入ればあっという間に味覚を豊かに刺激する。歯が具を潰すたびに程よい油と熱が破裂して満たしていき、各口を緩ませた。 「美味しい……!」  心底幸せそうに頬を蕩けさせて、海老や烏賊といった海鮮物が豪快に乗ったピザをゆっくり噛みしめているラーナーの顔を横目に、クロはこっそりと胸を撫で下ろすのだった。 < index >
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ama-gaeru · 6 years
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林田の世界(初稿版)
第4話 カッコイイラップ
 「うわー。これすごいですねー。どういう仕掛けで動いてるんですかぁ? 可愛いぃー。触ってもいいですぅ?」  猫らしきものと並んで立っている林田に俺は能天気な声で聞く。
 今の俺は「休日にららぽーと豊洲にやってきたら大きな猫を見かけたので、遠目から写メるだけでは満足できず、直接話しかけにきたフレンドリーな人」という設定だ。  これで38回めのチャレンジ。
 俺としてもそろそろゴーサインを出したいところだが、全ては林田の頑張りにかかっている。  頑張れ林田。猫ではない何かのために。 「この巨大猫ロボットNE-Co-NOW(ネーコゥナウ)は我々の団体が開発したスーパーアニマトロニクスという新技術を用いて、5,000年前に地上に存在した猫を再現したものです」  林田は口元にだけ笑みを浮かべ、殆ど息継ぎをせず、音程も変えずに話す。 「え、5,000年前の猫ってこんななんですか?」  俺は若干の警戒心と好奇心を混ぜ合わせた表情で尋ねる。 「我々の団体が明らかにした事実です。アメリカのシンポジウムでも発表されている確かなことなのですが、残念ながら日本では敵対勢力の妨害にあい」  機械音声のような平坦な林田の声が『敵対勢力』の部分で突然テンションが上がった時のジャパネットタカタ社長になる。てぇきったいぃ勢力っ!  もちろん、これも俺の指導だ。 「この事実はもみ消されているのです。電通、博報堂、そしてNHKへの」  またしても『電通』、『博報堂』、『そしてNHK』の部分だけジャパネットタカタ社長になる。でぇんつー! はくほうどー! そしてえねっちけー! 「献金を我々の団体が拒否したための陰湿な嫌がらせです。我々の団体はこう言った嫌がらせにも負けず、こうして地道に人々と交流しているのです。巨大猫は5,000年前から存在し、今もどこかに存在し続けている。彼らは超高次元的存在、つまりはいわゆる高次元支配者、ハイルーラー達と交信できる電波塔的存在であるのだと、我々はお伝えしたいのです」  教えた通り、瞬きの数はできる限り抑えるようにしている。  油断するとディカプリオ皺を浮かべる奴の額も今は穏やか。  鼻から上には神経が通っていないと思えと散々注意したのがようやく実った。いい感じだ。眉と目はピクリともしない。  「10」という数字を時計回りに90度回転させたものを、2つ並べたら今の林田の目つきだ。  虚ろだ。実にいい虚ろさ。奴の目の中には無が広がっている。 「もしも世界の真実に興味があればすぐ側で我々の団体が主催するカルチャーセミナーを行っていますので、いかがですか。参加されている皆さん、全員、猫派でございますし。いつもは満席なので一般の方は参加できないのですが、ここでお会いしたのも何かの縁ですからちょっと本部にかけあってみますね。ちょっと待っててください」 「え、今からですか? すいません、今からはちょっと」  林田はスマホを取り出し、電話をかけるふりをする。本番では交通案内に電話するつもりだが、今はまだ練習だからそこはアテフリでいい。 「どうも。青年団豊洲支部班長の森田です。はいはい。そうです。今日のセミナーに飛び込みで1人入れますか?」 「すいません、あの」  俺が抗議の声を上げるふりをする。  林田は抗議の声を無視して話し続ける。そうそう。聞く耳は持たない。それでいい。 「そこを何とか。会場からすぐそばにいるんです。はい。はい。問題ありません。では参加費は私が立て替えておくということで。はい。ありがとうございます! ありがとうございます!」  林田はありがとうございますと大声で叫びながら激しくお辞儀をし、スマホを切るふりをする。 「おめでとうございます。セミナー参加、オッケーです。さぁ、ご一緒しましょう」 「いや、あの、ごめんなさい。結構です!」 「え、なんでですか? すぐ側なんですよ? あなたが参加したいっていうからわざわざ参加費立て替えたのに。なんで行かないとか言うんですか。あなたが行きたいって言ったんですよ」  そうだ。林田。  恩着せがましく。気の弱い人なら「私のせいなのかな?」と思ってしまうくらいの恩着せがましさで攻めて行こう。でも本当��ついてこられたら困るから、ギリギリの怪しさはキープ。ギリギリで怪しさをキープだ。 「言ってないです! やめてください! 本当に、本当に、そういう、宗教とか結構ですから!」 「宗教じゃないですよ。宗教なんかじゃないですよ。我々の団体はただのカルチャーセミナーです。基本的には無料の宗教法人ですが、この宗教って言うのはあくまでも便宜上でして、実際には素晴らしい思想に触れて、人々とささえあおうじゃないかと、つまりそういう意味での宗教ですから。あくまでも、名目上の問題であって、実際には宗教なんかじゃないんです。お料理教室とか、手芸教室とか、色々なセミナーを定期的に行っているんです。宗教ではないです。そういう団体ではありません。突然大声で宗教だなんだって、あなた失礼な人だ。いいですか、このスーパーアニマトロニクスを始め私たちの団体は様々な技術革新を援助している、画期的な、画期的な、団体なんです。芸能界にも我々の活動に参加してくれている賛同者が沢山いるんですよ。「ジュラシックパーク」に「アバター」、それに「クローバーフィールド」にも技術提供しているんです。エグザイルの何人かも我々のセミナーにはよく参加してくださっています。もちろん公にするとファンが押し寄せてしまって、本当に参加する資格のある方々が参加できなくなってしまうので、すべてクローズドイベントですが。それにロバート・ダウニーJrやシャロン・ストーン、ジョニー・デップ、スティーブン・スピルバーグ、ベネディクト・カンバーバッジも我々の一員なんですよ。そんな我々が宗教のわけないじゃないですか。我々は完全に健全で、完全に安全な、クリーンなセミナーです。今なら参加した方全員に食パン一斤、セミナー終了後のアンケートに答えてくださった方には暗いところで光るクリスチャン・ラッセンのポストカードをプレゼントしています。宗教ではありませんから。怪しい団体ではないですよ。とても健全なんです。猫好きの集まりです」 「もう結構です! 追いかけてこないでください!」  俺は林田から少し離れ、足踏みをする。    数秒の間、俺たちは無言で見つめあった。  林田は口だけが笑っていて、それ以外のパーツは麻痺しているように見える表情を崩さない。  さっき、ここまで来て表情を変えて不合格になったことを覚えているのだろう。 「……合格だ」 「うわー! やったー!」 「林田ー!」  林田と猫らしきものが揃って両手を天に突き立てるポーズをする。林田はともかくとして、猫らしきものは右前足を舐め舐めからの顔ゴシゴシ、左前足を舐め舐めからの顔ゴシゴシを繰り返していただけで、特に何もしてないんだけど。 「もうこのまま合格できないんじゃないかと……ホッとしたよぉ」  林田は身を前にかがめ、両膝に手をついて大きく息を吐く。 「頑張った甲斐あったよ、林田。『こいつにだけはついていっちゃいけない』『絶対に布団を買わされる』っていう空気がビンビンに伝わってきた。お前、そういう才能あると思う」 「ありがとう! ありがとう! 自分でも驚いてる! 自分の才能に驚いてる!」  林田は猫らしきものと両掌を軽く叩き合わせる、いわゆるセッセッセをしながら言った。仲良し。 「本番でもこの調子で行こう。あとこれ。忘れずに」  俺は電話台に置いておいたA4サイズの紙束−−タウンページくらいの厚み−−を手に取ると、その大体半分くらいを林田に渡した。  林田が俺が作り上げた「よくできた猫のロボットを餌に怪しげなカルチャーセミナーに人々を連れて行こうとする新興宗教の青年団の人・森田くん」の設定を飲み込むのに四苦八苦している間に−−森田くんの生い立ち、人間関係、大学で感じた孤独、幾つもの自己啓発セミナーを経て真理に目覚めた経緯など、設定は隙なく作り込んだ−−奴のパソコンを借りて作り上げた「何らかの新興宗教のチラシ」だ。「電波」「チラシ」「宗教」「やばい」などでググって出てきた画像を元に制作した。  何世代か前のインクジェットで出力したから、小さい文字や写真が絶妙に滲んでいる。それもまた味があっていいんじゃないだろうか。レーザープリンターでは出せない独特の風味だ。 「どうだ?」  林田はまじまじとチラシを見つめ、顔を上げる。満面の笑顔。 「キてると思う!」  俺たちは流川と花道を思わせるハイタッチを決めた。ヤマオーにだって勝てる。 「うぇーい!」と林田こと流川楓。 「うぇいうぇーい!」と俺こと桜木花道。  俺たちはペタンク以外の球技をしたことがない。
 俺は「9.11はアメリカの自作自演!」タスキを、林田は「今こそ核兵器の積極的拡散を!」タスキをかける。ドンキホーテで買ってきたパーティ用の無地のタスキに油性マジックで「これだ」と思える文章を書き込んだものだ。『自作自演!』と『核兵器』は赤いマジックを使った。  なかなか際どい球を投げたという自覚はある。  2人ともスーツ。俺の服は林田に借りた。ちょっと袖が足りないし、ウエストがちょっときついけど、まぁ仕方ない。  万が一知り合いに遭遇するという可能性もあるので、俺も林田も髪型はぴっちりした七三分けで、伊達眼鏡装備だ。 「さあ、おまえもこれを付けるんだ」  俺は猫らしきものにもタスキをかける。こっちには「NHKは毒電波を出している!」の文字。  ギリギリの球を投げている自覚はある。  俺たちはお互いの姿を眺め、思わず吹き出す。 「これは、絶対に、絶対に、話しかけたくないな」  ぶほぉ、ぶほぉと吹き出しながら林田が言う。 「借りに「あ、猫のぬいぐるみだー」って近寄ってきたとしても、タスキの文字が見えたらもうそれ以上近づいてこないだろ。俺なら逃げるね」  絶対に、絶対に逃げる。関わりあいになっちゃいけない臭いしかしない。 「仮に近づいてきたとしても、このチラシを渡してセミナーに勧誘すれば絶対に逃げ出すね。間違いないね」  林田が頷く。 「よし。じゃぁ、無事に準備もできたし、そろそろ出かけよう。ここからららぽーとまで行って、そこからぐるーっと海岸周りを歩いて、そんで戻ってこような。まだ陽も明るいし、きっと気持ちいいぞ」  俺、林田、猫らしきものの順で一列に並び、俺たちは「サザエさん」のエンディングの磯野家みたいなノリで玄関へ進む。あれは家に入るけど、俺たちは家から出るんだ。  ドアノブを握った時、俺は振り返って林田と猫らしきものに厳しい声で言った。 「このドアを一歩くぐれば、俺たちは今の俺たちとは違う俺たちだ。俺と林田が考えた架空の宗教団体、宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会(ハイコズミックサイエンス・ハッピネス・リアライゼーション・カムカム)豊洲支部の青年団の団員と、宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会が制作した、「ものすごくよくできた猫のロボット」だ。わかったな! 大宇宙支配者達に栄光あれ!(ヤシュケマーナ・パパラポリシェ)」  俺は両手の親指と人差し指をくっつけて三角形を作り、それを胸の前に掲げる。架空の宗教、宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会の神聖な誓いの動作だ。俺が考えた。  あらゆる邪気を払い、魂を清める動作であると同時に、架空の教祖オールマザー・バステトへの忠誠を示す言葉でもある。架空の教祖オールマザー・バステトは林田が考えた。設定上では去年の今頃に昇天され、ハイルーラー達の御元に導かれたということになっている。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  林田が続く。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  俺が繰り返す。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  林田がまた繰り返す。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  俺が繰り返す。だんだん楽しくなってきた。そういえば最近、何かを大声で叫ぶことってなかったかもしれない。 「林田ーなーう林田林田!」  努力は認めよう。  俺たちは架空の教祖オールマザー・バステトへの忠誠の言葉を徐々に徐々に大きくなる声で叫びながら林田の部屋から飛び出した。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  宇宙への、教祖オールマザー・バステトへの、深宇宙にいるハイルーラーたちへの信仰心が、俺のテンションを上げてゆく。  光り輝く星々と、謎めいたダークマーターが俺たちに力を与えている! この世の真理は大宇宙科学幸福実現協議会に微笑むだろう!    4時間後。    ドアを開けて部屋に戻るなり、俺は浜辺に打ち上げられたクラゲと化して、その場に崩れ落ちた。  右脇腹の奥で肝臓が「やめてください。死んでしまいます」と金切り声をあげ、ふくらはぎは「やめてください。死んでしまいます」と啜り泣いている。耳の後ろに心臓が移動し、鼓動が響くたびに毛穴から汗が流れ出した。  頬に触れるひんやりしたフローリングが気持ちいい。このまま意識を失ってしまいたい。  猫らしきものが部屋に入るのを待ってからドアに鍵とチェーンをかけた林田は、それでもう体力を使い果たしたらしく俺に続いてクラゲになり、壁に背中を預けてズルズルと座り込んだ。 「林田、なうなうなう、なうなう林田なうなうなう」  猫らしきものはどっかで聞いたことのあるリズムでそういうと、林田と視線を合わせるように奴の前に膝をつき、前足の肉球を林田の顔面に押し付け始めた。顔に白粉を叩く女の人みたいな感じでポフポフと。  例のあくびの途中で一時停止したような笑顔を浮かべていたので、おそらくは奴なりに「お散歩楽しかったよ」的感謝を示しているのだろうが、林田は肉球を顔に押し付けられるたびに「おっふ」「おっふ」と苦しげに呻く。やめてやれ。 「なう」  お。やめてあげた。  猫らしきものは俺の方に顔を向け、膝立ちでこっちににじり寄ってくる。やめろ。こっちに来るな。膝で歩くな。 「林田」  人違いです。  立ち上がって奴から距離を取りたいが、もう呼吸するのですら精一杯なのだ。 「林田、なうなうなう、なうなう林田なうなうなう」  猫らしきものは床にくっついてない側の俺の顔を、先ほど林田にしたように肉球で叩き始めた。痛くはない。風船で叩かれている感じだ。痛くはないが、疲れているんだ。やめてくれ。  抗議の声を上げようとするも、その度に肉球が顔を打つので俺も先ほどの林田のように「おっふ」「おっふ」としか口にできない。何回めかの「おっふ」で俺は先ほどから猫らしきものが口遊んでいるのがキャリー・パミュパミュの「ウェイウェイ、ポンポンポン」ってやつだと気がついた。曲名は知らんけど、林田が好きな曲だ。  じゃぁやはり、これは猫らしきものなりの労いなんだろう。飼い主のお気に入りの歌とともに「よくやったじゃないかぁ」と肉球パフパフをしてくれているのかもしれない。 「なう」 「おっふ」  しかしやめていただきたいのだ。  やがて猫らしきものは深々と頷いてからリビングへと消えていった。  奴にしかわからない何かに納得し、奴にしかわからない何かを満足させたのだろう。しばらくするとテレビの音が聞こえてきた。 『エブリディ! エブリバディ! 楽しんじゃおうぜ、コカコーラ!』  俺が知らない間にリモコンまで使えるようになっていたようだ。チャンネルまで変えているのが音でわかる。
 猫が去った後、電気もついていない薄暗い玄関廊下に俺と林田の荒れた呼吸音が響く。音だけ聴くとダースベーダーの呼吸音で作ったカノンみたいだ。  目を開けているのも辛くて、俺は目を閉じ、しばし、ダースベーダーカノンを耳で楽しむ。本当は全然楽しくなんかない。ただちょっとでも気を紛らわせないと辛いのだ。主にふくらはぎがパンパンに張っていて辛いのだ。
 シュッ、シュッ、シュッー、シューココッ、シューココッ。  シュコーァッ。  シュッ、シュッ、シュッー、シューココッ、シューココッ。  シュコーァッ。  シューコ、シューッコッコッ、シュココッ、シュコーッコーッコッシュココッ、シューココッ、シューココッ。  シュコーァッ。
 「お前」  ダースベーダーこと林田が弱々しく呻く。 「ググッとけよ、バカ」  ケツに何かが当たる。多分、林田が靴を投げつけてきたんだろう。やり返す体力も気力もない。そもそも林田の言うとり、今回は俺が悪い。 「実在するなんて思わなかった」  なんであるんだよ。  宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会。 「バカ、バカ、バーカ」  2つめ、3つめの靴が飛んできて、俺の背中や腰に当たる。林田も疲れているので力を込めて投げれないのだろう。痛くはない。  俺は「バーカ、バーカ」と俺を罵り続ける林田の声をBGMに、外で起きたことを回想する。どこで間違えたんだろうと後悔を噛み締めながら。    最初の2時間は計画通りだった。  遠くから写メを撮る人々はいたが、近づいてくる者は皆無。  たまに遠くから「きゃー! なにあれ、凄くなーい?」と若い女の子たちが走ってきたが、必ず途中でグループ内の警戒心の強い誰かがタスキに気がつき「うわっ! まじやばいって! あれやばいって! Uターン! Uターン!」と叫んで、方向転換していった。「東京コエー、東京マジコエー」と鳴く者もいた。  人々は俺たちを避けた。それはもう避けた。  「猫ちゃーん」と寄ってきた子供たちを、親御さんは「それはダメ! 絶対にダメ!」と叫びながら連れ戻した。まるで俺たちを目にしただけで、何らかの病気に感染するかのように。
 俺たちは宗教に対する人々の偏見を目の当たりにした。  確かに。  確かに俺たちは猫らしきものをお散歩させるために、ちょっとアレな人たちを装った。  だが、ちょっとアレだからといって、ここまでの偏見と、嫌悪と、侮蔑の目で見られなければならないのだろうか? 俺はそう思った。  ちょっと普通とは考え方が違うだけで、ここまであからさまに侮蔑するとは何事だろうか。  例えば俺が丸坊主で、数珠を下げ、着物を着ていたとしたら、こんな風に反応しただろうか?  あれだって変じゃないか。坊主にするとか、お数珠とか、変じゃないか。そんなことする必要ないのに。  何が違うっていうんだろう?   俺たち宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会は、宇宙は62のハイルーラーによって支配されており、地球の統治を担当しているのは31番めのハイルーラーである巨大な猫であると信じている。  気まぐれな猫である我らがハイルーラーは1999年の夏に姿を消してしまい、以来地球はハイルーラー不在の無法地帯と化してしまった。ハイルーラーが去ってから、地球に「真に新しいもの」は生まれなくなったのだ。  教祖のオールマザー・バステトことローラ・マクガナンがミネソタにある彼女の実家の納屋で天啓を授かったのはちょうどその時。  ハイルーラーの声を聞いた彼女は、気まぐれなハイルーラーの地球への帰還を願い、祈りを捧げる活動を開始。それが宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会の始まりだ。  極めて平和な宗教だ。血塗られた歴史もない。完全にクリーン。ただただ、星々を見上げてはハイルーラーの帰還を待っているだけ。  それなのになぜ、こんな目で見られなければならない! 筋が通らない! 血液型占いや星座占いの方がずっと悪質じゃないか! あれは人格を! 行動を! 運命を縛る! だが我々の宗教はハイルーラーの帰還によって、「真に新しいもの」が生まれなくなったこの世界を解放するという、いわば自由賛歌ではないか! ハイルーラーが全てを解放する!   俺たちの考えや信仰を理解してくれないのは構わないが、信仰の違いによって誰かを排斥したり、侮蔑したりするのは間違っている。そんなことはしてはいけないのだ! レイシスト! そう、こいつらはレイシスト! 理由もなく我々を差別する思想なき者たち! 大衆! 大衆という名の悪魔! 恥を知れ! 貴様らの偏見になど負けるものか! 大宇宙支配者達に栄光あれ!  −−今になって冷静に思い返すと、俺は役作りを本格的にやりすぎたのだ。  宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会の教義や歴史は俺と林田で考えたのだが−−大部分は林田のアイディアだ。あいつ「ドクター・フー」大好きだから−−、俺はのめり込んでしまった。度を越してのめり込んだ。  俺は何かの振りをしているうちにどんどん何かっぽくなってしまって、最初から自分が何かであったような気持ちになってしまうところがある。  以前よく行く電気屋で店員に間違えられてオススメの大型テレビを聞かれた時も「俺も客ですよ」の一言が言えずに、予算や部屋のサイズやテレビの使用頻度を聞いた上でビエラをお薦めし、「アマゾンさんの方がお安いんですが、今週の木曜日はポイントアップデーですから20%キャッシュバックになります。だから今日は買わずに木曜日にもう一度いらしてください。今、担当者をお呼びして、品物を取り置きさせますので」とまで言った。お呼びした担当者は始終微妙な顔をしていた。  俺はごっこ遊びで本気のポテンシャルを発揮するタイプゆえ、ここから先の展開は起こるべくしておきた悲劇と言えなくもない。
 俺は「そこまでしなくていいじゃん。結構恥ずかしいんだよ、俺」と渋る林田と、見るもの全てに興味を惹かれていて首をあっちこっちに向けている猫らしきものを連れて、混雑するららぽーと豊洲の中に入った。
 そして俺たちは練り歩いた。   混雑するららぽーと豊洲のノースポートエリアを。  センターポートエリアを。  サウスポートエリアを。  シップ1を。  シップ2を。  シップ3を。  シップ4を。  1階を。  2階を。  3階を。  俺たちは肩で風を切って歩いた。  人々は俺たちを避けた。  右へ、左へ、避けた。  俺たちが歩けばそこに道ができた。
 俺たちは横一列に広がった。  −−ドワナ・クローズマ・アーィ−−。  俺の脳内でエアロスミスが「アルマゲドン」の歌を歌っていた。  俺の脳内で俺は公開時に散々馬鹿にしていた「アルマゲドン」の、散々バカにしていたブルース・ウィリスになっていた。  オレンジの宇宙服。ガラスのヘルメット。地球を救うために宇宙へと飛び立つ英雄。  −−フンフンフフ、フフフン、フン、フフ、アイ・ミィスィー・ユー、フンフンフフフフフフーン−−。  脳内エアロスミスがぼんやりと歌い続けていた。俺はあの歌をサビしか知らないし、「アルマゲドン」もブルース・ウィリスと仲間たちが横一列になって歩いてくるシーンしか覚えてないのだから仕方ない。  −−ドワナ・クローズマ・アァァァァーィイイィィィ!−−。  歌がサビに差し掛かると、俺の脳内エアロスミスのボーカルは元気になった。  まちがいなく、俺は、俺たちは、俺たち宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会は、偏見という名の巨大隕石に立ち向かう、勇敢な男たちだった。  今思えば、ここはあのラップとギターが格好いいやつの方が場面的にはぴったりだったのかもしれない。曲名は知らない。ギターが格好良くて、ラップが格好いいやつだよ。  ダラララッダラララッタ! キュィーン! ダラララッダラララッタタッ!   コ、コ、ニ・カッコイイ・ラップガ・カッコイイ・ラップガ・ハイルンダゼ、マジデ、メェーン!   ギュイーン、ギュイーン。  ナンカ・カッコイイ・ラップガ・カッコイイ・ラップガ・ハイルンダゼ・マジデメェーン! 何回か繰り返してからの。  ウォーク・ズィス・ウェーィ! 合いの手! ウォーク・ズィス・ウェーィ! 合いの手! ウォーク・ズィス・ウェーィ!  っていう。曲名は知らない。かっこいいやつだよ。エアロスミスの。壁突き破ってくるやつだよ。
 とにかくエアロスミスみたいに俺は叫んだ。ABCマートの前で。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  林田も叫んだ。サンマルクカフェの前で。 「大宇宙支配者達に栄光あれ!」  猫らしきものもの叫んだ。4DXでマッドマックスを再上映中の映画館の前で。 「林田ーなーう林田林田!」  努力は認めた。  俺はそういうの、ちゃんと評価するタイプだから。  警備員の「お客様、困ります」の声は、宗教の自由という言葉を連呼して押しつぶした。  俺はスターをとった後に坂道を滑り降り、道を上ってくるクリボーやノコノコを虐殺するマリオだった。  そういった調子こきマリオがどうなるか、俺は忘れていた。  スターマリオは坂道を下りきったところにある崖をジャンプし損ねて、スター状態のまま死ぬのだ。    スターマリオタイムが楽しすぎて、顔を真っ赤にして怒りに震えている7、8人の男女が俺たちを取り囲んでいるのに気がつくのが、少々遅れてしまったのは、そういうわけだ。俺はスターマリオ。彼らは坂道の後の崖。
 彼らは本物の宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会豊洲支部であった。 「あなた達は勝手にうちの団体の名前を使って、一体何をやっているんですか! バカにしているんですか!」  リーダーらしき人は確かこんなことを言っていた。お怒りはごもっともだった。 「公安ですよ。こいつら公安の回し者です。俺たちを挑発して、先に手を出させようとしてるんです。その手には乗らないからな! 我々はお前達政府の陰謀には屈しない!」  腹心らしき人は確かこんなことを言っていた。彼はちょっと考えすぎのきらいがあった。 「こいつら、幸福の科学じゃないのか?」  後ろの方にいた誰かがこんなことを言っていた。幸福の科学に思わぬ流れ弾が飛んだ。俺は本当にごめんなさいって思った。 「とにかく、ちょっと一緒に来てもらえますか? 一体誰の差し金で、何の目的で、我々のことをバカにする真似をしたのか、説明してもらいます!」 「なう」  リーダーらしき人が俺の腕を掴もうと伸ばした手を、いつの間にか俺の隣に立っていた猫もどきがはたき落した。  リーダーらしき人は林田が猫ロボットを動かしたと思ったらしく、林田を睨みつけて「スイッチを切りなさい」と言い、もう一度俺に手を伸ばし−−。 「なう」  また叩き落とされた。 「ちょっと」と手を伸ばしては。 「なう」叩き落とされ。 「いい加減に」と手を伸ばしては。 「なう」叩き落とされ。 「しろって」と手を伸ばしては。 「なう」叩き落とされた。 「なう、なう、なう、なう、なう」  猫らしきものはポフンポフンと肉球でもってリーダーらしき人の腕を叩き続けた。  俺と林田は「おい、よせ」「これは俺たちが悪いパターンのやつだ」と奴を宥めようとしたが、奴は「なうなう」と言い続け、リーダーらしき人を叩き続けた。痛くはなさそうだったが、屈辱的だったろう。  林田が「やめろって。こういうのは謝れば済むんだから」とうっかり言ってしまったのが、決定打だったのだ。  今思い返しても、あれは林田の一番悪いところが濃縮された発言だったと思う。  林田はちょっとああいうとこある。  きっと自分の子供が悪いことをした時に「ほーら。他の人たちに怒られちゃうよー」と言って「他の人たち」の神経を逆なでするタイプの親になるだろうと俺は常々思っている。今から矯正可能だろうか。……無理だろうなぁ。アラサーだもんなぁ。そう簡単に性格変えられねぇよな。  リーダーらしき人がなんと叫んだのかは覚えていない。というか聞き取れなかった。不穏な響きではあった。というのも集団の空気が切り替わったからだ。単なる怒りから、攻��態勢へと。    そういうわけで。  俺たちは走った。  青春映画のワンシーンみたいに。  先頭は猫もどき。続いて林田、ほぼ横並びで俺。  ららぽーとからガスの科学館まで。  そしてガスの科学館から国際展示場まで。  さらにそこからまた別ルートでららぽーとまで。  俺たちは走った。  宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会豊洲支部の人たちに追いかけられながら。
 宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会豊洲支部の人たちは本気で怒っていた。  俺たちは本気でビビっていた。 「悪気があったわけじゃないんです」 「本当にすいませんでした」 「本当にすいませんでした」 「本当に、本当に、もうしませんから」 「あなたたちの気持ちは痛いほどよくわかります」 「宗教差別って本当に幼稚です」 「日本人は宗教に寛容だなんて大嘘ですよね」  そんなようなことを時々振り返りながら俺と林田は宗教法人・大宇宙科学幸福実現協議会豊洲支部の人たちに向かって叫んだが、帰ってきたのは罵声だけだった。  俺なりに彼らの辛い状況は理解していたというか、自分的にはむしろ俺は彼ら側だと思っていたので、彼らから 「ちくしょう! 少数派だと思ってバカにしやがって!」 「宗教相手なら何やってもいいと思っているんだろう!」 「大嫌いだ! 大嫌いだー!」 「いじめっ子ー! キリスト教や仏教はバカにしないくせに! 腰抜け!」 「Youtuberかニコ動のクソ実況者かまとめサイトか! どのクソ野郎だ! 新興宗教をからかって遊んでみたら人生オワタとでも書くつもりか! アフィ野郎!」 「面白いか! 俺たちを指差して笑って、それで面白いのか! 自分たちが同じことをされたらどんな気持ちか、考えろ!」 「俺たちも人間だ! 人間なんだ!」 「新興宗教と押し売り犯罪集団を同一視してんじゃねぇ!」  という言葉が投げつけられるたびに心が痛んだ。  言いにくい名前のお婆ちゃん魔女先生に戦いを挑まれたスネイプ先生の気持ちだった。  猫もどきは俺と林田の1メートルくらい前を、俺たちの方を向いて後ろ向きに走っていた。両手はだらっと下げたまま、足だけがミシン針みたいに激しく上下していた。あれっぽかった。アイリッシュダンス? っていうの? 下半身だけで踊るやつ。あれっぽかった。  そして笑顔だった。外で走れるのが楽しくてしょうがない感じだった。奴にとっては最高の散歩になったのだろう。    俺たちは1時間近くあっちこっちと走り回り、なんとか追っ手を巻いて、ようやくここへ戻ってきたのだ。もう当分ららぽーとには行けない。    「もうだめだ。動けない」  林田が呻く。  またしてもしばしのダースベーダー呼吸音のカノン。  それを破ったのは猫らしきものの足音だった。  目を開けると、2リットルサイズのコーラのペットボトルを両手で抱きしめるようにして奴は立っていた。 「なう」  奴は林田の前に歩いて行くと、ペットボトルの開け口を林田に向ける。 「なう」  どうやらキャップを開けて欲しいらしい。飲むんだ。コーラ。猫が。いや、猫じゃないけど。 「今、疲れてるから」  林田はかすれた声でそれだけ言う。猫らしきものの耳が少し倒れる。  猫らしきものはまた俺に顔を向ける。 「林田」  人違いです。 「なう」  猫らしきものは俺の方にもキャップを向ける。 「無理。疲れてんの。後にして」  猫らしきものの耳がまた倒れる。 「なーう」  奴はキャップをその尖った歯で噛み始めた。カッカッカッカッという軽い音が響く。奴は右から、左から、時にはペットボトルを持ち直したりもして、キャップを歯で開けようと試みたが、結局はどれも失敗した。 「林田」  吐き捨てるように猫らしきものは言い、ペットボトルを廊下に投げつけた。イライラすると物に当たるタイプのようだ。ペットボトルは軽くバウンドして、玄関の方に転がってゆく。衝撃で中身が泡立ったのが見えた。あれじゃぁ開けた時、大惨事になるな。  猫らしきものは俺たちに背中を向け、リビングへと消える。またテレビの音が聞こえる。 『エブリディ! エブリバディ! 楽しんじゃおうぜ、コカコーラ! 疲れた気持ちもスカッとふっとばせ!』  あぁ。あのコーラ、自分用じゃなくて俺たち用だったのか。  なんだ。あいつ、結構、気を使えるタイプなんじゃないか。 「なう」  猫らしきものがまた戻ってきた。  また何かを抱えている。コーラではないけど、大きさはそれくらい。  お醤油だ。お醤油のボトルだ。  猫らしきものは首を右に傾けて、歯でキャップをカッカッカッと弄る。  力を込めて捻らないといけないコーラのボトルとは違い、お醤油のキャップは簡単に開いた。  猫らしきもの、満面のスマイル。 「林田。なーうー」  まさかそれを俺たちに飲ませようとはしてないよな。コーラの代打をお醤油に務めさせようとはしてないよな。似てるのは色だけだぞ。
 まさかだった。  猫らしきものは身動きが取れない林田の前まで歩いて行くと、「となりのトトロ」でカンタがサツキに傘を押し付けた時のように−−「ん!」「ん!」ってやるあのシーン−−林田にお醤油を押し付けた。  林田は口を固く閉じ、首を横に振り続けた。  猫らしきものは「全く解せない」というようにお醤油と林田を交互に見た後で、お醤油のボトルを林田の頭の上で、ひっくり返した。 「ちょ、ま、待てよぉ」  木村拓哉の下手くそなモノマネみたいな林田の声は、お醤油の流れ落ちる音で止められた。もし林田が寿司だったらシャリが崩れて箸でつかめなくなるくらい、林田はお醤油でひたひたになった。  ただでさえ疲労困憊しているところに、この仕打ち。  林田は完全に打ちひしがれ、うつろな目で天井を見上げて「もー」とキョンキョンみたいな口調で言った。  お醤油の中身が半分になったところで猫らしきものは、勿論、俺を見た。 「林田」  人違いです。
 ちょ、ま、ちょ、ちょ、待てよ。
 もー。
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jimichinikasegu · 7 years
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ケーララ、お互いさまが彼岸
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谷崎潤一郎は、あこがれがMAXレベルにまで高まっていた中国の地を踏んだ時に「アレ?思ってたところと違うゾ?」という幻滅を覚えないでいられなかったはずだけれど、谷崎特有の現実肯定力、というか現実変容力を発揮して、かの地がこれ以上ないほどすばらしいところだと「信じ切って」、こころから楽しみ切って最高の思い出にした、それに比べて芥川の中国旅行記の暗さはどうだろうと野崎歓が書いていて、それは多分、人の資質によるところによるのが大きいのでしょうけど、どうせならどのような現実を前にしてもそれを良い方に、自分にとって価値のある尊いものだという風に感じられるならもうけものでしょう。
それが旅する前の心構えみたいなものでした。(旅人K)
ケーララ、その魅惑的響きにするどく反応するようになったのは、いつ頃からだったのだろうか。ケーララという響きを頭のなかで何度も転がしていた。ある夕方、駅前にとれたて野菜ととれたて果実を販売する屋台が立っていた。ダンボールに大きく、マジックで値段が書き込まれてある。手ぬぐいを頭に巻き付けた青年が立っていた。そこを通り過ぎた時にかすかに感じた芳香によってすら南国行きの切符を想像してしまったぼくは、そのとき、ケーララ・ランドに行くしかないことを受け入れていた。
青果店の軒先の熱帯の芳香に 南国行き切符を夢みる
地名は光でできていると大岡信はその卓越した詩「地名論」で語っている。ケーララという響きに魅了されたのなら、そこに行ってみるだけの正当な理由になる。「ぼくたちは清らかな光の発見を志す身」(ランボー)なのだから。覚悟を決めたらあとは簡単。一週間休暇を取り、一路インドへ。
✈✈✈
成田→北京→ムンバイ→トリヴァンドラム。まともに寝ていない。でもトリヴァンドラム空港に降りた時の開放感はどうだろう。冷凍都市から一気に南国の真ん中。ジェットエアウェイズの紺色の翼が太陽の光で輝いているのを背にぼくはトリヴァンドラム空港に入り、トイレでTシャツに着替えた。これはすべては南インドのグロリアス・サンの下における話。かれはすべての魔法を知っている/アンダー・ザ・サン。
空港を出て、トリ市駅前までとりあえずオートで向かう。うれしさしかない。オートの揺れ、ドライバーのハンドルの捌き方。ドアのない車の開放感。色あせた壁。看板。見える風景のひとつひとつが全部いい。青空に映える花々もいいし年代物のバスの群れもいい。駅までで降り、ふしぎなインディアンコーヒーショップでチャーイを飲んで休みながら、周囲の人たちの話す音を聞くのもいい。ガラスを必要としない窓からいい風が入ってくる。「いいぞ、いいぞ」と日本語でつぶやいては笑みを浮かべるぼくはすこし間が抜けていたはずだった。気分はすっかり高揚していて、疲れを感じない。
そのノリでカニャークマリまで行くことにする。最南端の近くまで来て、そこまで行かない手はないから。行かざるをえないといってもよかった。
ポリネシアは三角形なんだって? だったらそれぞれの頂点には行かざるをえないね。これは愚考だ、否定できない。地図を見たり、どこかで見かけた一枚の写真にとりつかれたり、何かの文章の一節が妙に気にかかったりして、無根拠に出発する愚者の一部族。ぼくはそのひとりだった。 管啓次郎『斜線の旅』
ぼくもそのひとりだった。列車を待つ間、駅ナカの軽食屋でサモサとチャーイをボウイに注文する。これが10年ぶりのインド。べっこう縁のメガネを掛けた初老のおじさんが、さりげなく僕の前に座り、僕たちは英語で話した。僕のまえに座る前から僕は彼を認めていた。リラックスの仕方が尋常じゃないというか、ストレスから完全に切り離されて独存しているような印象を受けていた。軽みをマスターした身のこなし。オランダ人だという。働かなくていいんですか?と聞くと、そうだ、もう働かなくていいんだという返事だった。各国の子どもの遊びを取材して、それをホームページに載せているということだった(kidsplaybook.comというもので、帰国してから見てみたらとてもよかった)。日本の子どもの遊びも取材したいんだけどね、と彼は言った。東京では子どもたちは外で遊んでいるかね?さあ、昨今は遊びが掌に収まり、片手間で消費されるようになってますからね。そんな彼らをこそ取材したらどうですか。まったく、それはもうどこの国も同じだよ。まったくクレイジーなことに。
プラットフォームでアナウンスする女性の声も変わっていないようだった。これはふしぎなことではないだろうか。案内に従い、車内に乗り込む。パックパックひとつ、肩から降ろし、空席に座るとまもなく動き始めた。全開の窓からいい風が入ってくる重厚な鉄の塊は誇らしげに汽笛をあげながら走る。すべて初めて目にする風景を通過していく。真っ白な画用紙の上に鉛筆でするりと一本線を引く、その線のあたらしさを、この列車は体現していた。鬱蒼と茂るヤシの木などからなるケーララの植生が全開で生きていた。ごろりと寝転ぶ青年のスマホからは軽快なヒンディー・ポップが流れていて、それが車内の暑さと完璧に調和していた。みんな穏やかに談笑している。幼女の着ている白いワンピースの赤い水玉模様が、薄暗い車内に差し込むあかるい光を受けてひときわ映えていた。すっかりリラックスした僕はサンダルを脱ぎ、裸足で前の席に足を載せる。そして窓枠に肘を載せて風に吹かれている。この自由さ。京葉線での通勤の日々が遠くにかすみ、すぐに消失した。まるでそんなことは始めからなかったかのような、あっさりとした消失。風景は鮮やかに彩られ、列車は力いっぱい加速している。その速度。あらゆる窓、あらゆる出入り口が世界に向かって開け放たれ、天井に据えられた無数のファンが唸っている。このオープンネスの比類なさ。鬱屈した島国だけに居たら一生感じることのできない経験だと断言できる。いろいろなものをじっとみるのが僕の仕事だという認識はずっと持っている。
インドの駅の表示版は、黄色に黒の文字。その書体はどう形容したらいいのか、とにかくインドの雰囲気に合う、普遍的で超時代的なフォント。英語、ヒンディー語、それから南インドの言葉が併記されてる。エラニエルという駅名が妙にふしぎな、インドっぽくない響きがした。プラットフォームのベンチに座ったままじっとしている人たちが、ひとつの腰掛けにひとりくらいの割合でいて、乗客や木陰の模様を眺めるともなしに眺めていた、そのもてあまされた時間そのものも、パンクチュアリティに統率された東京の電車時間や、何十分も遅れた上、バス停と遠く離れたところに雑に停車したバスに向かって殺到する北京のバス時間とも等質な時間なのだった。そしてそれを列車の窓から見つめる僕の目も、その時間とともにあった。僕もその人の隣にさりげなく座り同じ時間を共有したかったが、僕たちがお互いに話し合うことがあったとしても、そもそもお互いが触れ合うことのできない彼岸として存在しているだけなのかもしれなかった。それぞれがもつ自分という思いは此岸として感じられるが相手にとっては彼岸。その間にはガンガーがゆっくりと流れていて、川岸の風景は似ているけれど両岸は動けないので、お互いに手を振ることだけが精一杯なのだった。
平行線の二本だが、手を振るくらいは(中村一義)
カニャークマリが終点。それ以上南はないのだから。下車した時、すでにかすかに潮の匂いがしていた。駅から歩いて海に向かう。年代物の車があちこちを走っていたのは、カルカッタのようだった。そしてサダルストリートの安宿の屋上で瓶詰めのマンゴージュースを飲んで涼んでいた日々を思いだすのだった。でも今は初めての町にいて、サンダルつっかけてまっすぐ海まで歩いている。途中日陰でコーラを飲む。家々の塗装の色彩感覚が鮮やかで、そのどれもが強烈な日差しの中、充足していて調和しているように見えた。そんな光景の向こうから、着飾った少女たちがはしゃぎながら通り過ぎていったとき、自分はいま、亜大陸の最南端で一人いることに、ふしぎな気がした。
ふしぎな気がした、なんて言ってるけど、ここに来てみたくて、チケットやらなにから手配した自分が自分を連れてきただけじゃないか!
細い路地の先に海が見えた時の高揚感、あれはまるで初めてガンガーを、まるで迷路のように入り組んだ細い路地の彼方から認めた時の高揚感と少し似ていた。まっすぐ進み、サンダルを穿いたまま、ジーンズの裾をまくり上げ、砂浜に立ち、そのまま波打際で波に浸る。風は強いし波もある。しかしその風はいつまでも受けていたいと思わせるような温暖な風だった。砂礫は荒めで、素足での感触は日本の渚で感じるそれとは異なり、足の裏をチクチク刺した。海の色がなにかこう見たことのないような緑。午後二時の光を受けて、そんな光り方をしていた。そこにはただ、別の海があっただけだ。同じ空間に違うものが存在できないのだから当然だ。
木造の船、とすら言えないような、靴の型のような、船の中身。船の形を保つために不使用時に入れておく用なのかと思われた木型の上に座り(拝借します・・・)、風、スリランカ、そのはるか南に広がる広漠としたインド洋を通ってやってきた風を感じながら、足を乾かしていた。はるか洋上を見やりつつ(はじめて使ったことばだ!)、その足を乾かす間の時間、聞こえるのは風と波の音だけ。成田から一息に、インドの最南端というダイナミックな移動ができて満足していた。
よる八時の食堂でアールゴービー(じゃがいもとカリフラワーのカレー)とチャパティを食す。カレーがとてもスパイシーでホットであったが、認めないわけにはいくまい。今まで食べてきたカレーの中で最もうまかった。何が違うのか。北インド(といってもそんな大雑把な捉え方はどうなのだろうか)のやさしい味わいに比して、ここのカレーはぎっしりしている。ダイナミックに炒められスパイスともどもぐつぐつ煮込まれた刻み玉ねぎが主役級の活躍を果たしつつ、過激なスパイスのいろいろが身体を突き抜けてたとき、いまぼくは最もうまいカレーを食べていることに気づいていた。卓球玉より小さい、かわいいじゃがいもの旨さ、辛味を緩和しつつ、そのものの味もカレーのハーモニーに参加している。そしてカリフラワー。赤い衣で揚げてあり、そいつがあたかも唐揚げの衣のように味がついていて、ぱくつくと中のカリフラワーが迎える。まったく予期しない幸運の一皿。あまりに辛いため、チャーイ2杯、ミネラルウォーター1本なしでは食べ切れなかったのだけれど。上野の「デリー」のコルマカレーに近い味といえば伝わるだろうか。それを本場にした味。その後なにげなくPOLOを買い求め、舌先で転がしながら部屋に戻り、そうしてやっとぐっすり眠ったのである。
朝4時からお寺の拡声器からお経なのかなんなのか、ひたすら大音量で声が響く。ぼくはインド最南端のお寺、
トリ市に戻り、今度はシヴァナンダ・アーシュラムに向かう。まずバスターミナルでNeyyar Damに行くバスを探す。どのバスもタミル文字かなんかで書かれていて読めない。しかしNeyyar Damという文字だけは英語表記だったのは、そこを目指す旅人が多いからだろう。その、必要最小限の親切心がありがたかったし、どう見てもなれない旅人という風情を察知したのか座りやすい一人がけの椅子を勧めてくれた料金回収人のカインドネスもありがたく受け取った。ぼくは、これから山奥のアーシュラムでリトリートするのだ。たった3日間のつもりなんだけど。
アーシュラムにたどり着き、チェックインする時のフロントのイギリス女性(発音のしかたでなんとなく推測)が、なんともまぶしいウインクを交えながら施設の説明をしてくれていた。すでにここのやりかたに従い、受け入れるつもりでいる。なにか収穫があればいいと思うけど、ただまったく何も考えずtranquilityを楽しめたら気分転換にもなるだろう。枕や布団や蚊帳を渡され、ドミトリーの空いているベッドを探し、周りのひとにハイなんて挨拶する。みんな笑顔。笑顔を保つのがルールなのかっていうくらいみんな笑顔。
ベーシック・アーシュラム・スケジュールとはこういうもの。
05.20 AM Wake-up Bell 06.00 AM Satsang (Group Meditation, Chanting, Talk) 07.30 AM Tea Time 08.00 AM Asana Class (Beginners & Intermediate) 10.00 AM Vegetarian Meal 11.00 AM Karma Yoga 12.30 PM Coaching Class (Optional) 01.30 PM Tea Time 02.00 PM Lecture 03.30 PM Asana Class (Beginners & Intermediate) 06.00 PM Vegetarian Meal 08.00 PM Satsan (Group Meditation, Chanting, Talk) 10.30 PM Lights Out
ヨーガの先生になる人たちのコースは別にあって、上のはヨーガ・バケーションのコース。ヨーガ・バケーションは予約しないで直接行ってチェックインする。詳しくはシヴァナンダアーシュラムのHP参照。カルマ・ヨーガというのは、食事の準備とか宿舎の掃除とかそういったことの手伝い。アーサナクラスは、頭立ちのポーズができるくらいならいきなり中級クラスから初めていいと思った。初級、中級ともに、講師は日本人のときもあったりインド人のときもあった。中級だからといって頭立ちできなくても身体が固くてうまくアーサナができなくても何も言われないし、むしろできるように手伝ってくれる。あんたは初級でしばらくやってなさいなんて冷たいこと言うような雰囲気はなかった。生徒はみんなおだやかな気分を保つことに集中しているようだった。
毎日朝と晩に瞑想およびレクチャーの時間がある。瞑想に入る前にマントラみたいなものを太鼓やタンバリンやオルガンのメロディーと共に歌う。それが意外と楽しい。そのあと瞑想が始まり、時たま香炉を下げて講堂全体にすがすがしい柑橘系のお香の香りを撒いてくれる方がいて、その香りがたまらなくよかった。レクチャーはいろいろと話してくれたけれどなにぶんインドなまりがあってイマイチ聞き取れなかったが、欧米人は普通に理解できていて、ジョークがあれば笑っていた。通じるか通じないかは発音がすべてというわけではなくて、おそらくその話し方とか論理の持って行き方みたいなところ?が大切なんだろうか。
ヨーガが唯一だと思わないほうがいい、スキーも乗馬も楽しめばいいし、好きなスポーツチームを応援したっていい。実際、スワミ・ヴィシュヌ・デーワナンダはそうしていたし、飛行機を操縦するなどしてアクティブだったのだから。スポーツには相手がいるが、ヨーガにはいらない。スポーツには一定の筋肉の緊張を必要とするがヨーガ求めるのはフレキシブルなマッスル。ヨーガは内なるコームネスを追求するだけで競争やストレスとは無縁。セルフ・リアライゼーションを実現するために長く生きるのを目的としてヨーガはある。なんてところはメモった。
この美しいシヴァナンダアーシュラムはインドのヨーガアーシュラムを紹介する本(Yoga in India, kindle edition)で見つけて、その紹介文にパーフェクトなヨーガのイントロダクションとかって書いていたので調べていくうちに一度はこういうところで過ごしてみたいという気になったの。シヴァナンダヨーガは、12の基本アーサナを集中的に練習する。これは難しいアーサナを追求する苦行的なヨーガとは対照的に、初心者でもすんなりヨーガを実習していける、そして日常生活のちょっとした時間に実践できる、いわば開かれた形のヨーガだろう。その12のベーシックアーサナとは、大事に参照している伊藤武のヨーガ本で紹介されているアーサナとかなり重複して好感できた。頭立ち、肩立ち、犂、魚、前屈、コブラ、イナゴ、弓、ねじり、カラスまたはクジャク、立ち前屈、三角形。シヴァナンダのHPにわかりやすい紹介があります。特に、頭立ち(シールシャーサナ)の練習を推奨された。頭立ち、それはケルアックの『ザ・ダルマ・バムス』The Dharma Bumsに出てくる元海兵隊のニュージャージー州出身のホーボーが実践する健康法でもある。ケルアックはその男にLAで列車を待っているときに出会った。ディーガ・ニカーヤ(長部経典)のことばが書かれた紙の切れ端を大事に持っている理想家肌のホーボーだった。役に立てばいいなと思うので、唐突だけどケルアックから長めの引用。
「どうやって神経痛をなおしたのか知りたいね。実は、おれも、血栓症の気があっていけねえんだ」 「そうか、あんたもか。いや、きっとこいつは、あんたのやつにも利くにちげえねえ。なに、わきゃないよ。毎日三分ずつ、頭を地べたにつけて逆立ちをやりゃいいんだ。いや、五分の方がいいかな。おれはね、毎朝起抜けに、河原にいようが、ゴットンゴットン走ってる貨車の上にいようが、小さいマットを敷いて、逆立ちをして五百数えることにしてるんだ。それで、大体三分の勘定になるだろ、な、なるだろ」男は五百まで数えりゃ三分の勘定になるかどうかということをやけに気にしていた。へんな野郎だ。大方、小学校で、算数ができなかったので、自信がなかったにちがいあるまい。 「まあ、そんな見当だね」 「ともかく、こいつを毎日やってみろよ。おれの神経痛がなおったんだから、あんたの血栓症もきっとなおっちまうよ。おれは、今年四十になるんだぜ。ああ、それからね、毎晩寝る前に、あったかいミルクにハチミツを入れて飲むといいよ。おれは、いつもハチミツをビンに入れて持ってるんだ(彼は、そいつをズダ袋の中から引っぱり出してみせた)。まず、ミルクを空きカンに入れて、それからハチミツを入れて、温めて、飲むわけさ。まあ、この二つだな」 「オーケー」
ジャック・ケルアック『ザ・ダルマ・バムス』
ケルアックはその助言を実践して、三ヶ月後には病気がすっかり治り、再発することもなくなったと書いている。そしてあの元海兵隊ホーボーがブッダだったのだと確信するのだった。頭立ちは確かにすばらしい。ここに来るまでは壁の補助がないとできなかったけれど、肘を肩幅と同じくらい、つまり両手で双方の肘を掴んだ時の幅で、肘をその間隔に保ち、三角形の底辺を形成し、頭頂をその頂点に据え、遼の手のひらでそれをサポートする。うまく説明できない!画像を見るのが一番手っ取り早いね。とにかくぼくも壁なしで容易にできるようになった。勢い良く地面を蹴って逆立ちするのではなくて、少しずつ腹筋で上げていくほうがコントロールし易いってこと。
それから、スーリヤ・ナマスカーラ(太陽崇拝)も重点的に実習する。12セットを毎回必ずきちっとやりきる。これが意外としんどい。関節が悲鳴をあげるようだけど、気持ちよくもある。慣れてくると身体も柔らかくなってどんどん楽しくなる。そうして熱中しているあいだ、ふと会社の様子を思い出したり、電車通勤のあの雰囲気を思い出したりするのだけれど、今ここにいることとあまり関係ないことのように思えた。リラ~ックス、コンプリートリー・・・と講師がやさしくくりかえす。 アーシュラム内はサンダルか裸足で歩く。慣れているひとは裸足が普通のようだった。足の裏がやわなぼくはサンダルなしじゃ痛い。犬がひだまりで眠っている。瞑想時に猫がぼくの膝下でくつろぐ。動物たちまでまったくリラックスしているのはすこし驚きだった。なんの警戒心も持っていなくて、そこにいる人たちも驚かせたりからかったりすることはなく、大事に接していた。自分が敵意を捨てたら相手も敵意を捨てるというようなことが『ヨーガ・スートラ』に書いてあったっけ。
アーシュラムには何も持っていかなくていいんですよ。お店があって、ヨーガマットからなにからなにまで買えるから。現金のやり取りはない���電子マネーみたいな、チャージ式のカードを使って購入する。水は、自由に飲めるしペットボトルに詰めることもできる。そしてこの水がたまらなくうまかった。なぜかわからないが、たぶんそこの雰囲気とかも影響しているんだろう。コーラなんて飲みたいとも思わなかったのは、そこが資本主義のイコンとも言えるコカ・コーラすら及ばない聖域なのかもしれなかった。食事もまた最高においしい。そのようにして、規則正しい生活を3日続けた。その短さに驚かれることもあったが、東京で仕事が待ってるんですよ、ぼくには。そのことが、幸せなのか不幸なのか、はっきり断定できなかった。仕事があるだけいいじゃないかと思う。働くことと好きなことをやることの間の広がりはいまだ測定できた例がない。
東京の会社員も年に一度、3日だけでもいいので来たらいいのにと思う(でもまた元の生活に戻ったらそうした感覚ってぜんぶわすれちゃうもんだな…)。時間も株価も為替もどうでもいい。会社は、あんたがいなくてもそれまで通り運営されていくことだろう。ぼくたちはあまりに自分を重要視していないか。迂回は逃避ではない、実践だ。会社員・・・、ぼくはそういう働き方を否定しない。そんなふうに思わないでくださいね。ここのやりかたが一番いいなんて言うつもりはないし。どちらもお互いぜったいに代わってあげることができない。だけどアーシュラム生活のほうが健康にはいい。
太宰治は、怒るときに怒らないと人間をやっている甲斐がありませんと書いていて、このあたりにぼくは太宰の文学的グルーヴを感じるわけだが、ぼくとしてはタゴールの「怒らないことによって怒りに打ち勝て」という考えに寄り添って生きていきたい。なんでって単純なことさ。怒りは健康にわるいから。おそらく日本の、世界の未来を想像すると、以下に気持ちよく生きていくかということにシフトしていきそうな気がする。この、健康にいいかどうかというのが重大な判断基準になる。たとえば世間一般的には当然怒るべき場面で怒らない。いらいらやもどかしさや欲求不満や面子や承認欲求を脇において、怒りは体に悪いということのみによって怒りをスルーすること。それは本人の健康にもいいことだけれど、同時に怒りの連鎖を止めることを意味する。怒る事になっている主体が、自主的にその「社会的役割」を捨てて、怒りをスルーする。『7つの習慣』にあるように、反応は自主的に選べるのだから。それは世界に対する貢献とすら言っていい。怒りの連鎖を止めることは並大抵のことではない。それにはおそらく修練が必要だけれど、試してみる価値はあるんじゃない? 「怒らないことによって怒りに打ち勝て」とベンガルの大詩人タゴールが言った。これほど深いことばも鮮い。そういうことができる文化で暮らしたかったね、できるかな、これから。
矛盾を受け入れ健康になる (YO-KING)
カルマ・ヨーガという行為について説明があった。それはバガヴァッド・ギーターでクリシュナがアルジュナに説く重要な教えのひとつである。仕事に精を出している無私の状態がそのままヨーガであるという。知識として知らなかったわけではない。それではわざわざ南インドの山奥にまで来ることもなかったのかもしれないが、これも僕のカルマなんだろう。そこまでしないとわからないなんて。日本でも周りを見渡せばそこらじゅうに見つかるはずだ、無私でやっている崇高な人々が。ヨーガということばの広がりかたに、あらためて念を深めたことでした。
少ない荷物をまとめてアーシュラムを辞すまえにもう一度お寺に行ってしばらく佇んでみる。おそらくここにはぎっしりと物語が詰まっているが、人生に意味を求めること自体ナンセンスなのか、人生は意味の外にあるのだとしたら?その人生を物語として理解するようにこの世の中はできているのだとしたら、意味は生の中にしかなく、生そのものを意味づけできるわけではない。人生の中身には意味があるが、人生そのものには意味はない、意味づけできない。そうならこの生は何なのか。ストップ・メイキング・センス。意味を求めないこと、ただあることで満ち足りるべきだ。そなことをなめらかな石の腰掛けに座って風を感じていたときに思った。その時は「エウレカ!」ばりにはっとしたくらいだが、今こうして書いていてもその時のエウレカ感は蘇らないようだ。日本で生活しているうちに消えてしまうような思念は、始めからなくてもいいものなのか?
無意味であることが救い。そう思ってみた。どんな宗教を持っていようと、その人の具体的生自体、意味を越えているのだとしたら、たとえばヨーガを修めない人たちもそうでない人たちも同等であって、意味のないということそのものによってすでに全員救われている。意味を求めるから苦しくなる。ぼくたちは何かを得たい、充実感や肯定感を得たい。そのような希求こそが苦の根源であるとブッダは説く。どんな神様や宗教を信じようと尊重します。でも意味を蒸発させる、自己すら否定するという宗教こそ、「そんなんじゃなしにほんとうにたったひとりの神さま」の教えなのかと、ものすごく心細い思考が、欠けた湯呑みの縁にそっと触れるように、かろうじて到達した。アーシュラムのお寺にはいろいろな聖人の絵が掛けられていて、パット見なにがすごいのかわからないのだが、そこには一遍上人のような聖性を生きた人たちばかりなのだろう。空港や機内で読んでいたこの本に導かれたのだろうか。ノートにメモった箇所はこんなとこ。
「誰もぼくの生を代わって死んでくれることができないのは、誰もぼくの生を代わって生きてくれることができないからなんだよ。とって代わってくれないっていう点では、死はちっとも特別なものじゃないさ」
「人生に意味を求める人が多いんだけど、あれは、まちがいだよ。人生の内側には、もちろんたくさんの意味付けができるし、生きがいはあるさ。でも、人生の全体を、つまりそれが存在したってことを、まるごと外から意味づけるものなんて、ありえないのさ。そんなものがありえないってことこそが、それをほんものの奇跡にしているんだ��らね」 永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』
タクシーとバスでトリバンドラムに戻る。Tranquilityの極地から、すぐに雑踏と喧騒と排気ガスの只中へ。この落差。早いとここの落差に対応すべく早速コーラを買い求めごくごく飲むありさま。トリ市のバスターミナルの混雑のなか、コーチン(エルナクラム)行きのバスを探す。普通の市内バスみたいなバスにその目的地が書いてあったけれど、こんなので6時間ガタゴト揺られるのはちょっと勘弁だな、と思いながらそのバスはやりすごす。リムジンバスがあり、非常に快適そうなバスがあり、乗り込む気が満々だったけれど、それは完全予約制のバスであった。俺達は違うみたいな雰囲気のエリートっぽい青年たちがスマホ片手に乗り込んでいった。そして、ついに中級かなっていうレベルのバスがやってきて、鼻息荒く一番乗りで乗り込んだのである。そしていちばん前の席に座っていたら、代金回収人から一番前は女性用なんだよと言われて、オーソーリーなんつってその後ろの席に移ったんだよ。
インドのバスはケイオスなロードを突き進む。ホーンを鳴らし、道を切り開く。道中、車が市街地でつっかえて停止中に、鼻先を干魚の匂いが突き抜け、その懐かしい海辺を思わせる匂いの突然の到来に驚く。見ると、道端で各種干物を新聞の上に広げて商いをしている。干された魚たちの姿をなにげなく見つめていた時、売り主のおじさんと目が合う。おじさんは僕に向かって干物片手に「ほれ、ほれ」とでも言わんばかりに干物を手向けていたのだった。まさかバスを停めて買いに降りてくるとでも思っているのか?冗談でやっているのか?でも、バスが再び進むまでの間の10秒足らずの時間、おじさんの表情は陽気でありながらあくまでもまじめそうだった。ぼくが買いに降りてくると信じている風でもあったのかもしれなかった。バスの高みから、スプライトを飲んでいるという優雅な旅人である僕も、そのとき運転手に「停めて!干物買うの!」と懇願することを、もっともっとアクチュアルに考えてもよかったのではなったか?他の乗客を気にせずに。なんて真面目ぶらなくてもいいんだけどさ。そんなおじさんの仕草に、ぼくはその時苦笑を見せながら、やり過ごすことしかできなかった。かれが遠ざかってもしばらくその時の印象は残った。ちなみに生の魚は氷の上に載せられて、日にさらされながら売られている。ダイキンの次はホシザキの出番なのではないか。インドのあらゆる魚屋がホシザキの業務用冷凍庫を保有する日をぼくは幻視した。
大きめなバス停でしばらく停まる。そこをウロウロしていた開襟シャツ、丈の短いスラックス、へらへらしたソールのサンダルという出で立ち、いわば南インドのデフォルトスタイルといっていいようなおじさんが、見たこともない黄緑色した、食べかけの果実をさりげなく手にしながら、けだるそうにきょろきょろしていた。新聞売りが近づいてきた時、いかにも慣れきった仕草で1部買い求めた。買うという行為が完結するまでが長かった!片手に持っていた果物を咀嚼するペースを早めることも遅くすることもせず、ポケットの中の小銭を実にマイペースで探し、それが代金に足りないことが分かっても焦る素振りはまったく見せず、今度は後ろのポケットにある財布を取り出し、改めて小銭を探し、まるでこれくらいの小銭は当然あるし、別に惜しくもなんともない、だからおれのポケットのどこに小銭があるのか知らないんだよ、でもあんたはその小銭が欲しくて仕方がないんだろう?という仕草で、小銭を少年の手に渡す。その行程におよそ4分はかかっていて、その間新聞売りは神妙な表情で律儀に待っていた。そこにぼくたちはカジュアルな悠久と普遍的な経済原理を垣間見ていたのかもしれなかった。
Varkara、Kollam、 Amrithapuri、 Kayamkulam、 Harippad、 Alleppeyなど、時間があれば一つ一つ寄ってみたい地を通過していった。すぐに見えなくなったけれど、そこに行った気にさせて、納得してみた。そ熱帯雨林とバックウォーターの感じもバスの車窓から一瞥できた。時間があればバックウォーターの旅したかったなあ。
エルナクラム(コーチンの中心地。旅行者に人気のあるヒストリックなフォート・コーチンはそこからちょっと離れたところにある一区画)に着く直前の30分位はハイウェイが整備されていて非常にスムーズに進んだ。このハイウェイも将来ずっと南の方まで延ばすとの由。バスを降りたらすぐにフォートコチに向かうべく動く。ぼくの計画ではフェリー乗り場までオートで行き、そこからフェリーで向こう岸まで渡り、歩いてアゴダで予約してた宿まで行くというもの。でも流しのオートリキシャが、フェリーは故障しているので今日は出ない、だからぐるっと下から廻るルートで行くしかない、お代は300ルピーでよいと言う。つぎつぎと現れるオート運転手たちも同じことを言う。20年前の自分なら簡単に信じていたのではなかったか。そんなことあるかと思いながらウロウロしていたら、プリペイドのオート乗り場に出くわし、フェリーターミナルまで30ルピーとあっさり決まる。まったく気が抜けない。
船は8時半が最終のようだった、チケットを買えたのが8時28分、図らずもギリギリ間に合った格好。波でわずかに揺れている小さな船に座り、出発を待っていた。港湾都市特有の雰囲気というものはある。前方の若者連がSNSのメッセージ機能を使って盛り上がっている。好きな女の子にメッセージでも送っているのだろうか。薄暗い船内でかすかに揺れを感じながらだまって座っている。船の漕ぎ手が乗船してきたなと思っていたら、いつのまにか船はするりと進み始めていた。それはあまりにもさりげなかった。汽笛もなにも鳴らさずに。出入り口の扉は無造作に空いたまま。その空いた扉からゆったりとした夜の水がナトリウムランプのオレンジの光を受けて揺れていた。ぼくたちの乗った小さな船が巨大な船の船体の近くをするりと通り過ぎていく時、巨大な船の甲板の明るい光が遠く感じられた。
フォートの雰囲気は良かった。洗練されていたと言っても良かった。欧米人の姿が非常に多く、ここが一種のわりと快適な滞在場所として一定の人気があることを伺わせた。ニセコや青島や大理のような雰囲気にも似ていた。ぼくが泊まった安宿ですら、洗練された内装、親しげなスタッフを擁し、快適だった。そのスタッフはまだ少年のようだったけれど、ぼくなんかがロビーを通り過ぎるときすら、必ず立ち上がりにっと微笑んでくれる。ドアも先回りして開けてくれるのだった。
市内観光で見るべきところはたくさんあったけれど、これが見れたらそれでいいというのがあった。それはマッタンチェリーのユダヤ人街にある400年の歴史を誇るシナゴ��グの床を埋める広東から舶来された青タイル(”It features an ornate gold pulpit and elaborate hand-painted, willow-pattern floor tiles from Canto, China, which were added in 1762.” Lonely Planet, South India & Kerala) 。この青タイルを見たいという気持ちはすごくあったのだが、あろうことか行ったときにはクローズしていた。シナゴーグの基礎知識として金曜の午後から月曜まで閉まるということすら調べていなかった自分がわるい。コーチンが舞台の小説、ルシュディの『ムーア人の最後のため息』に、ここの青タイルが登場するのだった。その美しい青タイルから物語がつぎつぎと立ち現れる、そんな魅惑的なお話。次回ここにくることはあるのかと思いながらユダヤ人街を散策した。そういえばカタカリダンスもインド武術もバックウォーターも観れなかったなあ。オートの運転手はサイナゴーグと発音したので、僕の中でいつの間にかサイナゴーグになっていた。アイランドはイズランドで、ナンバーワンはナンバルワン、サンキューベリーマッチはタンキューベルリマッチ(というかそもそもカタカナ発音の英語とインド風アクセントの英語はどちらがましなのか?)。そうやって、異国の響きに分け入っていくときの新鮮な驚き。そしてぼくの発音もまぎれもなく、彼らにとっては異質であるわけで、その異なる響きが交差することのおもしろさ。ぼくが突飛な思いつきをしてここに来ない限り決して発生しなかったこと。それはほとんど旅の経験の根幹をなすものだと思う。翌日、ビエンナーレという、まちなかや歴史的建物の中に現代アートを展示するイベントが開催されていて、そいつを見ながら、街を散策する。そしてフロントのお兄さんにウーバルことUBERで車を呼んでもらってコーチン国際空港へ向かった。特に結論のない旅だけど、結論のある旅なんてない。いつか必ず付せられる最後の句点があるだけ。だけど、連鎖を続けてゆくこと、とぎれさせないこと、最終ヴァージョンの存在を許さないこと(管啓次郎)、そのための旅。
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groyanderson · 5 years
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ひとみに映る影 第五話「金剛を斬れ!」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。 書籍版では戦闘シーンとかゴアシーンとかマシマシで挿絵も書いたから買ってえええぇぇ!!! →→→☆ここから買おう☆←←← (※全部内容は一緒です。) pixiv版
◆◆◆
 ポーポーポポポーポポポー…
 「こちらは、熱海町広報です。五時になりました。 よい子の皆さん、気をつけてお家に帰りましょう…」
 冬は日が沈むのが早い。すっかり暗くなった石筵霊山では、 防災無線から地元の小学生の声と、童謡『ザトウムシ』の電子リコーダー音だけが空しく響いている。 一方、霊山中腹に建つ廃工場ガレージで、私は…
 「ピキィェェェーーーーッ!!!」  「紅さん、落ち着いて下さい!」  「うっちゃあしぃゃあぁあーーー!!こいつがあ!鼻クソッ!殺人鬼のクソ!私の口、口にッ! お前も間接クソ舐めろゲスメド野郎おぉぉ!!こねぁごんばやろがあぁぁあああああああ!! キエェェーーーーッ!!」
 その時私は言葉にならない奇声を上げながら、皮を剥かれた即身仏ミイラに向かって、半狂乱で錆びついたグルカナイフを振り回していた。 そこそこ大柄な譲司さんや、ガタイの良いアメリカ半魚人男性の霊を憑依したイナちゃんに取り押さえられていたにも関わらず、 どこから出ているかわからない力で、ミイラをジャーキーになるまで切り刻もうと試みていた。
 そのまま体感二分ほど暴れ、多少ヒスが冷却してきた頃か。 突然ガレージ外からオリベちゃんがツカツカと近寄ってきて、
 「!」
 私の顎を強引に掴み上げた。 ラメ入りグロスを厚く塗られた彼女の唇が、私の唇に男らしく押し当てられる。
 「んっむ…オ…オリベちゃん…!?」  <同じライスクッカーからゴハンを食べる、それが日本流の友情の証だそうね> 同じ釜の飯を食う?まさか、彼女も見てたのか。あの衝撃的なサイコメトリー回想を。 それでいてなお…私の汚い口に、キスを…?  <それが何?子育てしてたら鼻吸いぐらいよくやる事よ。 だぶか(『逆に』を意味するヘブライ語のスラング)、これであなたも私のベイビー達の鼻水と間接キスしちゃったわね!> 嘘つき。今時医療機器エンジニアが、だぶか鼻吸い器も使わずに育児するわけがない! 私の思っている事を読み取った彼女が、テレパシーで優しい嘘をつきながら私を抱きしめてくれたんだ。  「お…お母さぁん…!」 これが人妻の魅力か。さりげなくナイフは没収されていた。
 <ほらジャック、あんたもよ!>  「は!?」 次にオリベちゃんは、イナちゃんの肉体からジャックさんを引っ剥がして私に宛がった。 互いの唇が触れ合っている間、ジャックさんのコワモテ顔がみるみる紅潮していく。  「ぶはッ!」 唇が離れると、ジャックさんは実体を持たない霊魂にも関わらず、息を吸う音を立てた。 そして赤面したままそっぽを向いてしまった。  「や…やべえ、俺芸能人とキスしちまった…!」 たぶん彼は例のサイコメトリーを見ていないんだろう。ちょっと悪い事をした気分だ。
 しかしオリベちゃんは既に譲司さんまでも羽交い絞めにしていた。  <コラ怖気づくんじゃないわよ!> 譲司さんは必死に抵抗している。  「そうやなくて!さすがに俺がやるとスキャンダルとかがあかんし…」  <男でしょおおおおおおぉぉぉ!!?>  「ハイイィィィィ!!!」 次の瞬間、譲司さんはとても申し訳なさそうに私と接吻を交わした。 そのまま何故か勢いでリナやポメちゃんともチューしちゃった。
 全員が茫然としていると、いつの間にか意識を取り戻していたイナちゃんが私を背後から押し倒した。  「きゃっ!イナちゃん!?」  「みんなだけズルい!私もチューするヨ!」 そ、それはまずい!私はプロレスの手四つみたいな姿勢でイナちゃんを押し返そうとする。  「違うのイナちゃん!これにはわけが…うわーっ!!」 しかしなす術なく床ドンされ、グラデーションリップを精巧に塗られた彼女の唇が、私の唇に男らしく押し当てられる。
 互いの唇が離れるのを感じて私は薄目を開けると、 目の前ではイナちゃんが『E』『十』の手相を持つ両手の平を広げていた。  「これ。ロックサビヒリュのシンボル」 肋楔の緋龍。さっきサイコメトリー内で、肉襦袢の不気味な如来が言っていた言葉だ。 どうして彼女がそれを?  「…見てたの?」  「意識飛んで、暗いトンネルでヒトミちゃんとヘラガモ先生追いかけた。 そしたらアイワズが、赤ちゃんのヒトミちゃんに悪さしてた」 アイワズ?もしかして、あの肉襦袢の事?イナちゃんは何か知っているのか…。
 すると突然ポメラー子ちゃんが「わぅ!」と小さく鳴き、動物的霊感で床に散らばった半紙の一枚を選んで口に咥えた。 そのまま彼女はそれを私達の足元に置く。半紙には『愛輪珠』と書かれていた。  「これ、小さい頃私が書いたやつ…!」  「愛輪珠如来(あいわずにょらい)…」 譲司さんが呟いた。その語感は、忘れ去っていた私の記憶の断片とカチリと噛みあった気がした。
 イナちゃんも、別の半紙を一枚拾い上げる。あの『E』『十』が書かれた半紙を。  「私、悪いものヒキヨセするから、 子供の頃から、韓国で色んな人見てもらってた。 お寺、シャーマン、だめ。気功行った、教会で洗礼もした。だめだった。 でも幾つかの霊能者先生、みんな同じ事言うの…コンゴウの呪いは誰にも治せないて」 私と譲司さんが同時にはっとする。 金剛…愛輪珠如来に続いて、またイナちゃんの口からサイコメトリーと合致するキーワードが飛び出した。
 「まえ、気功の先生こっそり教えてくれた。地面の下はコンゴウの楽園あって、強い霊能者死ぬとそこ連れて行く。 アジアでは偉い仏様なアイワズが仕事してて、才能ある人間見つけると、 その人死ぬまでにいっぱい強くなるように、呪いかけていっぱい霊能力使わせる。 私のロックサビヒリュもそれで付けられた。 それ以上は私あまり知らない。たぶん誰もよく知らないこと思う」 地底に金剛の楽園?まるで都市伝説みたいだ。 でも、その説明を当てはめれば、愛輪珠如来と赤僧衣がしていた会話の意味が、なんとなく理解できる。
 「なんだそりゃ。じゃあお前の引き寄せ体質は、呪いとやらのせいだったのか?」 ジャックさんの眉間に微かな怒りのこもった皺が寄った。  「うん。私、本当は悪い気をよける力使いヨ。でも心が弱ると、ヒリュが悪さするんだ!」 イナちゃんは悪霊を引き寄せた時と同じように、両手をぎゅっと固く握り合った。 今の私達はもう、この動作の意味を理解できる。 これはキリスト教的なお祈りのポーズじゃなくて、両掌に刻まれた呪いを霊力で抑えこんでいたんだ。
 「…ねえアナタ」 突然リナがイナちゃんに問いかける。  「高校生ぐらいよね?年はいくつ?」  「オモ?十六歳だヨ」  「1994年生まれ?」  「そだヨ」
 リナは暫く神妙な顔つきで何か考え、やがて口を開いた。  「どうやら、アナタにも…いいえ。 もうこの際、この場に集まった全員に知る権利があるわね」 そして顔を上げ、私達全員に対して表明した。  「紅一美と即身仏、そして倶利伽羅龍王について。アタシが知ってる事洗いざらい話すから、よく聞きなさい」
◆◆◆
 1994年、時期は今と同じく十一月頃。アタシは紅一美という少女によって生み出された。 いや、正確には、アタシは石筵霊山に漂う動物霊の残骸をアップサイクルした人工妖精だ。 当時はまだ、リナという名前も人間じみた知性も持っていなかった。
 アタシは与えられた本能に従って、自分を本物の鳥だと信じて過ごしていた。 そんなある日、金色の炎を纏った大きな赤い蛇に襲われて、食べられそうになった。 アタシはソイツを天敵だと見なして、無我夢中で抵抗した。
 結論を言うと、ソイツはこっちが情けなくなるぐらい弱っちかった。 というより、戦う前から手負いだったみたい。 返り討ちされたソイツは、アタシを説得するために知能を与えて、こう語りだした。
 「俺様は金剛の魂を金剛の楽園へ導く緋龍、その名も金剛倶利伽羅龍王だ。 本来ならお前如き軽くヒネってやれるが、今の��様は裏切り者に大事な法具を盗まれ、満身創痍なのだ。 お前を生み出した者の家から金剛の赤子の肋骨を持ってきてくれるなら、お前の望みを一つ叶えてやるぞ」 そこでアタシは、そのクリカラナントカと名乗ってきたソイツに、人間になりたいと祈った。 知能を授かって、自分が人工の魂だと知ったとき、自分も霊魂を創って生み出してみたいと思ったからだ。 でもクリカラは、「今の俺にそこまでする力はない」と言って、アタシの顔だけを人間に変えた。
 アタシは肋骨を取り返しに行く前に、まず人里に降りる事にした。 一刻も早く人間の世界を知りたかったから。それに、人間の顔をみんなに自慢したかったからだ。 ところが霊感のある人間達は、みんなアタシを見ると笑った。クリカラはアタシに適当な顔を着けたのだと、その時初めて知った。 だからアタシは腹いせに、クリカラの目論見を全て『裏切り者』にチクってやろうと考えた。
 改めて自分が生み出されたガレージに戻ると、アタシは初めて内部に仕組まれたトリックアートに気付いた。 そのガレージ内は、なまじ霊感の強い人間が見ると、まるでチベットの立派な寺院みたいに見える幻影結界が張られていたの。 緑のトタン壁や積み上がった段ボールは、極楽絵図で彩られた赤壁とマニ車に。 黄ばんだ新聞紙の上に砂だらけの毛布が敷かれただけの床は、虎と麒麟があしらわれた絨毯に。 中央に置かれた不気味なミイラは、木彫りの立派な観音菩薩像に。 人間の霊能者並の知性と霊感を得たアタシにも、それは見えるようになっていた。
 すると、漆塗りのローテーブル、もとい、ベニヤ板を乗せたビールケースの上で物書きをしていた小さい子が、元気よく立ち上がった。頭は丸坊主だけど女の子だ。 その子に…一美によって生み出されたアタシには、女の子だとわかった。  「書けた!和尚様、書けましたぁ!」 幼い一美は墨がついた手で半紙を掲げる。そこに書かれているのは少なくとも日本語じゃない、未知の模様だ。 すると観音像から白い気体が浮かび上がり、とたんに人間形の霊魂になった。
 「あぁ…!」 思わず感嘆の息が漏れた。その霊魂は、結界内の何よりも美しかったのだ。 赤い僧衣に包まれた、陶器のような滑らかで白い肌。 まるで生まれつき毛根すらなかったかのような、凹凸や皺一つない卵型の頭部。 どの角度から見ても左右対称の整った顔。 細くしなやかで、かつ力強さをも感じ取れる四肢…。 これこそ真の『美しい人』だと、アタシはその時思い知った。 和尚、と呼ばれたその美しい人は、天女が奏でる二胡のような優雅な声で一美と会話したのち、アタシに気付いて会釈をした。
 一美が昼寝を始めた後、その美しい人はアタシに色々な事を語った。 その人の名前は金剛観世音菩薩(こんごうかんぜおんぼさつ)、生前は違う名を持つチベット人の僧侶だったらしい。 金剛観世音…(ああ、面倒ったらしいわ!次から観音和尚でいいわね!)は生前、 瞑想中に金剛愛輪珠如来と名乗る高次霊体と邂逅した。 その時、如来に自分の没後全身の皮膚を献上するという契約を交わし、悟りを開いて菩薩になった。 皮膚を献上するのは、死体に残留した霊力を外道者に奪われなくするためだと聞かされて。 だけど、実際はその如来や、如来を送りこんできた金剛の楽園こそ、とんでもない外道だったの。
 イナちゃんが話していた通り、愛輪珠如来はアジア各地の霊能者に、苦行という名の呪いや霊能力、特殊脳力を植えつけていた。 しかも金剛の者達は、素質のある人間は善人か悪人かなんてお構い無しに楽園へ迎え入れる方針だった。 それこそ、あの殺人鬼サミュエル・ミラーだって対象者だった。 そして、サミュエル・ミラーが水家曽良となって日本に送られてくると、 金剛の楽園で水家の担当者は愛輪珠如来になった。
 だけど、愛輪珠如来と幽体離脱した観音和尚が水家の様子を検めた時、水家はNICの医師達によって、既に脳力や霊能力を物理的に剥奪されていた。 そこで如来は、水家と同じ病院で生まれた一美に、水家の霊能力を無理やり引き継がせたの。 それだけじゃ飽き足らず、一美の肋骨を一本奪って、それを媒介に、呪いの管理者である肋楔の緋龍を生み出すよう観音和尚に指示した。 観音和尚はここで遂に、偽りの仏や楽園に反逆する決意をしたのよ。
 彼は如来の指示に従い、石英を彫って、緋龍の器となる倶利伽羅龍王像を作った。 但し、一美の代わりに自分の肋骨を自ら抜き取って、それを媒介に埋め込んだ。 この工作が死後金剛の者達に気付かれないように、彼はわざわざ脇腹の低い所を切って、そこから自分の体内に腕を潜らせて肋骨を折ったの。 そして一美の肋骨は、入れ替わりに自分の体内に隠した。
 観音和尚は脇腹から血を流したまま七日七晩観音経を唱え続けた後、事切れて即身仏となった。 すると即座に生死者入り混じった金剛の者達が現れ、契約通り彼の遺体から生皮を剥いでいった。 霊力を失い、金剛の楽園にとって価値がなくなった遺体は、心霊スポットとして名高い怪人屋敷のガレージに遺棄されたわ。
 一方何も知らないクリカラは、一美のもとへ向かっていた。 そして一美に重篤な呪いをかけようとしたその瞬間…突然力を失った! クリカラが自分の肋骨は一美のものではないと気付いた時にはもう遅かったわ。 仕方なくクリカラは、一美を呪う事を一時断念して、金剛の楽園へ退散した。
 観音和尚はアタシに以上の事を打ち明けると、穏やかな顔で眠る一美の頬をそっと撫でて、続きを語った。
 没後、裏切り者として金剛の楽園から見放された観音和尚は、怪人屋敷に集う霊魂や人工精霊達に仏の教えを説いて過ごしていた。 そして四年の歳月が流れた1994年、彼のもとに、不動明王に導かれし影法師の女神、萩姫が現れた。
 「どういうわけか、金剛倶利伽羅龍王が復活しました。 龍王は県内各地のパワースポットを占拠して力を得ています。 一美は私達影法師にとって大切な継承者ですが、磐梯熱海温泉を守る立場の私は龍王に逆らえません。 どうか彼女を救うのを手伝って下さい」
 これはアタシの想像だけど…クリカラは同時期韓国で、新たな金剛のターゲット、イナちゃんから力を奪ったんじゃないかしら。 萩姫に導かれ、観音和尚が猪苗代の紅家に向かうと、一美の胸元には確かに緋龍のシンボルが浮かび上がっていた。
 観音和尚と一美の家族は協力してクリカラを退けたが、少ない霊力を酷使し続けた彼の魂はもう風前の灯火だった。 クリカラが完全に滅びていない以上、一美がいつまた危険に晒されるかわからない。 だからアナタの両親は、アナタを一人前の霊能者にするために、観音和尚に預けたのよ…。
◆◆◆
 「以上、これがアタシの知っている事全て」 リナは事の顛末を語り終えると、改めて全員と一人ずつ目を合わせた。 私をさっきまで苦しめていた色んな感情…不安や悲しみ、怒りは、潮が引くように治まってきていた。  「この話、本当なら、アナタが二十歳になった時にご両親が話す予定だったの。…ていうか、明後日じゃないの。アナタの誕生日。 はっきり言って、観音和尚はアナタの友達が猪苗代湖で騒ぎを起こした頃には既に限界だったわ。 だから彼は最後に、アタシを猪苗代へ遣わせたの。 それっきりよ。以来、二度と彼を見ていないわ…」
 数秒の沈黙があった後、私は口を開いた。  「リナにとって…観音寺や和尚様は、美しかったんだよね?」 物理脳を持つ人間と違い、霊魂は殆ど記憶を保てない。 だから彼らは自分にちなんだ場所や友人、お墓、依代といった物の残留思念を常に読み取り、 そこから自分の自我目線の思念だけを抽出して、記憶として認識する。 リナがこの観音寺を美しいと表現したのは、単に私の記憶を鏡のように反射しただけなのか、それとも…。  「少なくとも、この場から思い出せる景色を見て、今アタシは美しいと感じたわよ」  「…そうなんだね」
 お蕎麦屋さんの予約時間はもうとっくに過ぎているだろう。 けど、私は皆に一つお願いをした。  「すいません。十分…ううん、五分でいいんです。 ちゃんと心を落ち着かせたいので、少しだけ瞑想をしてもいいですか?」 皆は黙ったまま、視線で許してくれた。  「わぅ」 構へんよ。と、ポメラー子ちゃんが代表して答えた。
 影法師使いの瞑想は、一般的な仏教や密教のやり方とは少し異なる。 まず姿勢よく座禅を組み、頭にシンギングボウルという真鍮の器を乗せる。 次に両手の親指と人差し指の間に、ティンシャという、紐の両端に小さなシンバルのような楽器がついた法具をぶら下げる。 その両手を向かい合わせて親指と小指だけを重ね、観音様の印相、つまりハンドサインを作れば準備完了だ。
 瞑想を始める。目を瞑り、心に自分を取り囲む十三仏を思い描く。 仏様を一名ずつ数えるように精神世界でゆっくりと自転しながら、じっくり十三拍かけて息を吸う。  「スーーーーーー…………ッフーーーー…………」 吐く時も十三拍で、反対回りに仏様と対面していく。 ちなみに一拍は約一.五秒。久しぶりにやったけど、相当きつい。肺活量の衰えを感じる。 でも暫くすると…。
 …ウヮンゥンゥンゥン…ヮンゥンゥンゥン…
 <何?何の音!?>  「この1/f揺らぎは…ああっ!紅さんや!」 私の頭上のシンギングボウルが一人でに揺らぎ音を奏ではじめ、皆がどよめいた。 実はこれは、影法師を操るエロプティックエネルギーという特殊な念力によるものだ。
 …ワンゥンゥンゥン…ヮンゥンゥンゥン… テャァーーーーーン…!
 息苦しさと過度の集中力が私の体に痙攣を引き起こし、時折自然とティンシャが鳴る。 波のように揺らぎ、重なり合った響きが、辺り一帯を荘厳な雰囲気で包み込む。 その揺らぎを感じて、私も精神世界で変化自在な影になり、万華鏡のように休みなく各仏様の姿に変形し続けている。 私は影、私は影法師そのものだ。完全黒体になれ。 そして心まで無我の境地に達した時、この身に当たる全ての光を吸収し…放出する!
 テャァーーーーーン…!
 「オモナ…すごい!」 そっと目を開ける。眼前に広がる光景は、もはやガレージ内ではない。  「そうか。ここが…あんたが信じ続けた故郷なんだな」 今ならイナちゃんやジャックさんにも見えるようだ。 懐かしい赤と真鍮のお御堂。窓辺から吹き抜ける爽やかな風。 そのお御堂の中心で、とりわけ澄んだ空気を纏って立つのは、仙姿玉質な金剛観世音菩薩像…和尚様。 そして、頭と両手に法具を置き、和尚様とお揃いの赤い僧衣を纏った私。 ここは、石筵観音寺。私が小さい頃住んでいたお寺だ。
 『よく帰ってきましたね』 和尚様の意思が聞こえた。声でもテレパシーでもない、もっと純粋な波動で。 彼はまだ滅びていなかったんだ。  「あの…私達、申し訳ありません。和尚様の記憶、見ちゃって…それで…」  『一美』
 和尚様は私の両手を取り、彼の胸の中に沈めた。ティンシャが「チリリリ」とくぐもった音をたてた。 心なしか暖かい胸の中で、私の手に棒のようなものがそっと落ちてきた。 両手を引き出してみると、それは細長い小さな骨…赤ん坊の頃に失われた、私の肋骨だった。 顔を上げると、和尚様の優しくも決意に満ちた微笑みが私の網膜に焼きつき、瞑想による幻影はそこで分解霧散した。
 『行くのです』 彼は成仏したんだ。
 次の瞬間、私達を取り巻く光景は薄暗いガレージに戻っていた。 でも、今のはただの幻影じゃない。和尚様のお胸には穿ったような跡が残っている。 私が握っていた肋骨はいつの間にか、何らかの念力によって形を変えていた。  「これは…プルパ」  <プルパ?> オリベちゃんが興味津々に顔を寄せる。  「私知てるヨ。チベットの法具ね。 煩悩、悪い気、甘え、貫く剣だヨ」 イナちゃんが私の代わりに答えてくれた。
 そう、プルパは別名金剛杭とも呼ばれる、観世音菩薩様の怒りの力がこもった密教法具だ。 忍者のクナイに似た形で、柄に馬頭明王(ばとうみょうおう)という怒った容相の観音様が彫刻されている。
 「オム・アムリトドバヴァ・フム・���ット…ぐっ!!」 馬頭明王の��言を唱えてみると、プルパは電気を帯びたように私の影を吸いこみ…
 ヴァンッ!…短いレーザービームみたいな音を立てて、刃渡り四十センチ程の漆黒のグルカナイフに変形した。  「フゥ!あんた、最強武器を手に入れたな」 影を引っ張られてプルパを持つ手さえ覚束無い私を、ジャックさんが茶化す。  「武器って、私にこれで何と戦えって言うんですか!?…うわあぁ!」 途端、プルパは一人でに動き、床に落ちていた『金剛愛輪珠』の半紙にドス���と突き立った。  「ウップス…」 ジャックさんも思わず神妙な顔になる。 どうやら、和尚様は…本気で怒っているらしい。 憤怒の観音力で、私に偽りの金剛を叩き斬れと言っているんだ!
◆◆◆
 私達はガレージのシャッターをそっと閉じ、改めて公安警察内のNIC直属部署に通報した。 自分達はひとまず怪人屋敷内で待機。 譲司さんがお蕎麦屋さんにキャンセルの連絡を入れようとした、その時だった。
 カァーン!…カァーン! スピーカーを通した鐘の音。電話だ。譲司さんはスマホをフリックする。 案の定、画面に再びハイセポスさんがあらわれた。  『やあ、ミス・クレナイ。さっきはすまなかったね。 石筵にあんな素晴らしい観音寺があるなんて、僕は知らなかったのさ』  「いえ、こちらこそ取り乱してすみませんでした。 …あの光景、ハイセポスさんも見られてたんですね」  『おっと、幻影への不正アクセスも謝罪しなければいけないかね』 彼はいたずらっぽく笑った。
 『また電話を繋いだのは他でもない。ミス・リナの一連の話を聞き、一つ合点がいった事があってだな… ああ、その前に、アンリウェッサ。蕎麦屋の予約は僕が勝手にキャンセルしちゃったけど、構わないね?』  「え?あ、どーもスイマセン!」 譲司さんはスマホを長財布に立てかけようと四苦八苦しながら、画面に向かってビジネスライクな会釈をした。
 『実は僕には兄がいて、中東支部で彼も殺されたんだ。 だが彼はある時突然、「俺はこいつの脳内で神になってやる」とかなんとか言って、水家の精神世界で失踪してしまった。 それから暫く経ち、僕達NIC職員のタルパが兄を捕獲すると、彼はこう言ったのさ…「俺は龍王の手下に選ばれた、神として生きていく資格があるんだ」とね』  「龍王!?」  「どうして水家の脳内に!?」 私達全員が驚きにどよめいた。
 『そう、お察しの通り。君達の宿敵、金剛倶利伽羅龍王の事だろうさ。 龍王はなんでも、水家の脳内に蠢く『穢れ』を喰らっていたらしい。 そして僕の兄は、穢れを成長させるには沢山の感情が必要だから、あまりタルパを奪い尽くさないでくれとのたまったんだ』  「穢れ?」  『ジョージとオリベは知っているだろう』  「穢れ」譲司さんの額から汗が流れ落ちた。「…自我浸食性悪性脳腫瘍(じがしんしょくせいあくせいのうしゅよう)」 彼の口から恐ろしい言葉が飛び出した。
 自我浸食性悪性脳腫瘍。私も知っている病名だ。 通称タピオカ病とも呼ばれるそれは、脳に黒い粒々の腫瘍ができて、精神がおかしくなってしまう病気だ。 発病者は狂暴になって、自分が一番大切な人を殺したり、物を壊したりするという。 ただでさえ殺人鬼の水家がそれに感染していたとなると…恐ろしいの一言に尽きる。  『その通り、穢れとはタピオカ腫瘍だ。 本来は生きた人間を狂わす脳腫瘍だが、霊魂にそれを感染させれば、そいつは強力な悪霊と化す。 だから龍王は、水家の脳内に閉じ込められたタルパ達を、穢れた腫瘍粒に当てがっていたんだ。 悪霊をたらふく喰って強くなるためにね。兄はその計画にまんまと利用されていたのさ』
 ジャックさんが画面を覗きこむ。  「水家は、安徳森に俺達が救出された時には失踪していたんだよな? まさか、奴は今もどこかで、龍王のエサ牧場としてこっそり生かされ続けてやがるのか!?」  『そこまではわからない。だがこうは考えられないだろうか? 観音和尚の計らいで一たび力を失った龍王は、ミス・パクから霊力を吸収し、更に福島中のパワースポットを乗っ取って復活した。 すると金剛の楽園にとって因縁深い男、水家曽良を見つけ、更に水家の精神世界でタピオカ病という副産物を発見する。 彼は、水家の精神を乗っ取ってタルパを生ませ続ければ、ほぼ無限に悪霊を生み出し喰らえる半永久機関に気づいた。 そして自分が楽園で高い地位を獲得できるほど強大化するその日まで、フリードリンクのタピオカミルクティーを浴びるように飲み続けているのさ!』  「は、半永久にタピオカミルクティーを…アイゴー!」 イナちゃんが身震いする。いや、さ、さすがにそれは飛躍しすぎでは…。 とはいえ、この仮説が正しければえらい事だ。
 「けど…」 譲司さんがおずおずと手を挙げる。  「もし水家の脳内でそんな強い悪霊が育っとったら、霊感を持つ誰かが既に発見しとるのでは? 水家はNICの強力な脳力者捜査官がおる公安部だけやなくて、マル暴にも指名手配されとります。 俺の友人にも、マル暴で殉職した霊がいますが…そんな話聞いたことありません」  <そうね。悪霊説は無理があるわ。 それでもあの殺人鬼は一刻も早く見つけ出さないとだけど> オリベちゃんが同調した。
 私はその時、ふと閃いた。オリベちゃんといえば…  「そういえばオリベちゃん、ここに来た時、怪人屋敷の二階に気配がするって言ってましたよね?」  <え?…ええ。でも、一瞬だけよ。 ファティマンドラのアンダーソンさんを見つけた時には消えていたから、てっきりアンダーソンさんの霊だったんだとばかり…>  『二階?…ああ、でかしたぞオリベ!これは灯台もと暗しだ!』 突然、ハイセポスさんがはっとした顔を画面いっぱいに近寄らせた。  『誰か、そこの階段を上ってごらん。そうすれば大変な事実に気がつくだろう! ああ、僕達は今までどうしてこれを見落としていたんだ!!』
 画面内で心底嬉しそうにくるくる踊るハイセポスさんとは裏腹に、私達の頭上にはハテナマークが浮かんでいる。 とりあえず、私とオリベちゃん、ジャックさんで階段へ向かった。
◆◆◆
 階段脇には館内図ボードがあった。影燈籠で照らしてみると、この工場は三階建てのようだ。 ジャックさんがボードを指さしながら、水家と共通の記憶を辿る。  「そういや、水家が潜伏していたのも二階だったな。 二階はほぼ一階の作業所と吹き抜け構造で、あまり大きな部屋はないんだ。 ええと、更衣室、事務所、細菌検査室…ああ、そうだそうだ!あいつが占拠していたのは応接室だ。」  「じゃあ、二階の応接室に向かいましょう! 影燈籠は光源がない場所では使えないから…」 私とオリベちゃんはそれぞれスマホを懐中電灯モードにした。
 一つ上のフロアに出て、真っ暗な廊下を進む。 幾つかのドアをドアプレートを読みながら素通りしていくと、確かに『応接室』と書かれた部屋があった。 鍵は開いていたから、私達は速やかに入室する。
 室内を見渡すと、端に畳まれたパイプ椅子と長机、それに昔小学校などによく置いてあった、オーバーヘッドプロジェクターが一台見える。  <応接室というより、まるで工場見学に来た子供達向けの教室みたいね>  「水家の私物はもう警察が回収したんでしょうか?それより…」 それより気になる事がある。オリベちゃん、ジャックさんも同じ事を考えていたように頷いた。  「…この部屋、あいつの残留思念や霊がいた気配を全く感じねえ。 あいつが潜伏していたのはここじゃねえみてえだな」  「本当にここが応接室なんでしょうか?ドアプレートは誰でも簡単に付け替えられますよね」  <ええ。それに、さっきの廊下、広かったわよね? 左右どちらにも沢山ドアがあって。どこが吹き抜けだっていうの?>
 私達は改めて階段へ戻った。ここは…三階だ。  「二階が、ない!?」 私はまた階段を下ってみる。一階。上る。三階。 だからといって、一つ分フロアを隔てるほど長い階段じゃない。明らかに次元が歪んでいる!
 イナちゃんや譲司さんも含めて、一階の階段前に全員集合する。 私は外灯が当たる場所に移動し、影の中のリナに呼びかけた。  「あんたはどうだった?私絶対二階がなくなってたと思うんだけど…」  「そうね。アタシ、途中で外に出て壁から入ろうとしたけど、それもダメだった」  <でも、次元が歪むなんて事、本当にあるの? NICは心霊やエスパーの研究でも最先端だけど、人間がテレポーテーションする現象は見た事ないわ> オリベちゃんは欧米的にわざとらしく肩をすくめた。  「現代解明されとる量子テレポーテーションは、SFみたいな瞬間移動とは別物やしな。 だったら、逆の発想や…イナ」  「オモ?」 譲司さんはイナちゃんに、スマホで音楽をかけながら一緒に階段を上るよう指示する。
 『背後からっ絞ーめー殺す、鋼鉄入りのーリーボン♪』 ビクッ!…音楽が鳴り始めるやいなや、私は思わず身構えて、キョロキョロと周囲を伺った。 イナちゃん、よりにもよって、どうしてその曲を選んだんだ。  「あははは!ヒトミあんた、ビビりすぎよ!」  「う…うるさい、リナ!」 休みの日には聴きたくなかった声。 この曲は、私を度々ドッキリで連れ回す極悪アイドル、志多田佳奈さんのヒットソング『童貞を殺す服を着た女を殺す服』だ。タイトル長すぎ!
 『返り血をっさーえーぎーる、黒髪ロングのカーテン♪』  「歌うで、イナ…仕込みカミッソーリー入りの♪」  「「フリフリフリルブラーウス♪」」 二人は階段を上がりながら、暗い廃工場の階段というホラー感満載の場に似つかわしくないアイドルポップを歌う。 しかし、  「「あーあー♪なんて恐るべき、チェ…」」  『…リー!キラー!アサシンだ!』 二人は突然、示し合わせたようなタイミングで歌うのを止めた。 イナちゃんのスマホから、佳奈さんの間抜けな声だけが階下に響く。  「なんだあいつら。歌詞を忘れたのか?」 肩でリズムを取りながら、ジャックさんが見上げた。  <…待って。あの二人、意識がないわ!> オリベちゃんが異変を感知。慌てて彼らを追いかけようとすると、その時!
 「「…リー!キラー!アサシ…ん?」」  『わ・た・し・童貞を殺す服を着た女を…』  「オモナ?もうサビなの?」 彼らはまるで時を止められていたかのように、また突然歌いだした。 スマホから流れる音楽との音ズレに、イナちゃんが困惑する。  「やっぱりそうか。オリベ! 今から…ええと、ひーふーみー…八秒後きっかりに、俺に強めのサイコキネシスをうってくれ!」 何かに気付いている譲司さんは、そう言うと階段を下りはじめた。
 五、六、七…八!  <アクシャーヴ!>ビヤーーーッバババババ!!!  「わぎゃぁばばばばばば!!!死ぬ!死ぬーっ!!」 オリベちゃんの頭が紫色に光るのが傍目から見えるほど強烈なサイコキネシスを受け、譲司さんは時間きっかりに叫び声を上げた。  「げほっ、げほ…あーっ!ほら!行けたで、二階!皆来てみ!!」 少し焼けた声で譲司さんが叫ぶ。  「わ、わきゃんわきゃん!?」 飼い主の危機を察してポメちゃんが階段を駆け上がる。 私達もそれに続くと、途中で全員譲司さんに器用に抱きとめられ、我に返った。  「わきゅ?」  「あれ?」  「俺達、今…」
 「どうやらこの階段には、二階周辺を無意識に飛ばしてまう、催眠結界が張られとるみたいやな。 それならテレポートより幾分か現実的や。 ただ、問題は…これ作ったん誰で、どうやったら開けられるかって事やな…」 譲司さんが目線で、二階入口の鉄扉を指し示した。 そこには、白墨で複雑極まりないシンボルが幾つも丁重にレイアウトされて書かれた、黒い護符が貼ってあった。
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