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◆『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』鑑賞レポート◆
ロンドン、テムズ川沿いのサマセット・ハウス内のコートールド・ギャ��リーに展示されている秀逸な絵画の一枚がエドゥアール・マネ(Édouard Manet)による、『フォリー・ベルジェールのバー』(Un bar aux Folies Bergère)です。 絵画を見る者は否が応でもバーにいる女性と対峙しなければならない斬新な構図になっています。 幅広のキャンバスには様々な酒瓶が並んだ大理石のバーの向こう側には女性が立ち、その背後には鏡が配置され、それには演じられている曲芸、集う人々、巨大なシャンデリアが映し出されている様が描かれています。 ミュージックホール、フォリー・ベルジェールはジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)、チャールズ・チャップリン( Charles Chaplin)、ジャン・ギャバン(Jean Gabin)等が出演し、演じられたレヴューはミュージカルの原型となりました。 多くの観衆が集い、芸術家、パトロン、娼婦達の社交場でもありました。 この正統的な芸術を崇拝しながら、スキャンダラスな作品で知られる画家が晩年に左足の壊疽に耐えながら完成させた最後の大作は自身の代表作であると同時にベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の象徴としても知られています。 幼いジャンポール・ゴルチェはその後のフォリー・ベルジェールの様子をテレビで観ました。 そしてベルエポック時代のレジェンド達の最後の姿も祖母に連れて行かれた劇場で目に焼き付けました。 世界の中心であったパリの輝きを目撃した無垢な9歳の少年は、まず熊の縫いぐるみでそれから得たインスピレーションを基に創作を実践しました。 18歳にしてピエール・カルダンのアシスタントとして働き、以後1970年代のモードの激動の最前線に立ち合い、ロンドン・パンク・ムーブメント前夜の1976年にデビューを果たします。 1990年にはマドンナのスタンス、人気を決定付けた『Blond Ambition Tour(ブロンド・アンビション・ツアー)』の衣装を担当しました。 彼の半生そのものが、モード史に於いて最も重要な出来事と必然的に完全に一致し、それだけでも稀有な現役ファッションデザイナーであることを証明しています。 そしてフォリー・ベルジェールの原体験と半生を彼なりのスタイルで再現されたのが、『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』です。 世界で35万人が鑑賞しました。
歌と踊り、コメディとファッションショー、ストリップ、ありとあらゆるものが展開され、そこににないものはただ一つ、タブーだけです。 唯一無二のレヴューを全編彩るのはエドゥアール・マネと同じく、フランス、世界の衣服の変遷を深く研究し、リスペクトし、伝統的手法を以てジャンポール・ゴルチェによって生みだされたアヴァンギャルドな衣装です。 極めてプライベートなことをベースとしながら、ファッション史、文化史として貴重で、高い芸術性を保ったまま、エンターテインメントとして昇華されています。 長いキャリアに於いてゴルチェのタイプライター文字の上から斜めにステンシルテンプレートで描かれたブランドロゴ以外にブランドアイコンになったものは多く、実に個性的です。 マリンストライプ、タトゥープリント、コーンブラ、ボンデージ、ブリキ缶等、人々はそれらの断片を見ただけで、彼の作品をイメージします。 しかしながら、それらの一つたりとも彼が創出したものではありません。 彼は手垢の付いた土産品、誰もがその存在自体忘れたもの、一部の好事家同士の証としての悪趣味、その様なものを人知れず拾ってきて、埃を払い、磨き上げて、その美しさを繰り返し理解するまで私達の眼前に差し出したに過ぎません。 それらは功績ではなく、キャリアの最初から行われている活動の方向性の結果の一部でしかなく、その方向性そのものが、彼のアイコンとなっています。 それはありとあらゆる境界線を切り崩すことです。 切り崩すことにより、相反するテーマを融合し、それぞれの美しさを纏ったまったく新しい完璧な作品を高度な技術を用いて創造しました。
初期はいわゆるデザイナーらしく、パンツとスカートやアクセサリーと衣服の融合、表と裏や上着と下着の逆転といったテクニカルなことに始まりました。 ストリートとオートクチュール、男女、階級、異なるイデオロギーとなると社会的、哲学的な問題提起へと変遷していきます。 聖域のないデザイナーは衣服と裸体、リメイクと創作、衣服を身に着けているかもしくは前にぶら下げているだけかの違い、自身のオートクチュールブランドを他のデザイナーに制作して貰う等、自身のアイデンティティーそのものも危うくする位、挑戦的にその境界線を切り崩しています。 『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』のクライマックスも同じ様なメッセージで締め括っています。 楽しい結末ですが、観るものに今後の自身の服との付き合い方、もしくは生き方さえも考えさせます。 「多様性」という言葉すら認知されていなかった50年以上前から、醜と思われてい���ものから美を見出し、マイノリティに共感してきたジャンポール・ゴルチェはデザイナーにして芸術家であり思想家です。 高度な哲学、技術を惜しみなく発揮しながら、この上なく楽天的にフランス的エスプリで解りやすく作品にテーマを示すゴルチェ。 彼の作品を身に着けることは彼のイデオロギー、審美観の共犯者となるに等しいのです。
弊店は縁あって、ジャンポール・ゴルチェブランドの黎明期である1984年頃から作品を取り扱ってきました。 そして、彼自身の名前を冠したブランドだけでなく、多岐に渡る彼の作品を世界的にも稀に見る程フォローしてきました。 ゴルチェのオンリーショップから2005年にセレクトショップへと移行。 現在でも商品セレクトのベースとなる価値観はジャンポール・ゴルチェによって培われています。 また、依然として世界的に貴重なジャンポール・ゴルチェのアーカイヴスも多く保有しています。 余すことなくその作品を御見せし、そのテーマ、由来、特徴を御伝え出来ます。 彼の世界観に触れ、もしくはその共犯者となる、またとない機会です。 『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』を観た方もそうでない方も、一度弊店に足を運んで頂ければ、幸いです。 スタッフ一同、御待ち申し上げております。
Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】8月24(木) 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【ブログ】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【オンラインショップ】http://gallery-jpg.com/
#jeanpaulgaultier#ジャンポールゴルチェ#ファッションフリークショー#fashionfreakshow#ミュージカル#レヴュー#演劇#舞台#ドクターバッグ#ソフトチュール#コルセット#マキシ丈コート#ジーンズポールゴルチェ#JPG#ゴルチェトゥザパワーオブツー#ジャンポールゴルチェソレイユ#オムオブジェ#Vサイバー#ニューローズ#タトゥープリント#ジュニアゴルチェ#国産ゴルチェ#アルセラピィ#artherapie#マリンボーダー#がま口バッグ#ジャンポールゴルチェオム#ジャンポールゴルチェファム#ゴルチェの店
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◆ジャンポールゴルチェ『ファッションフリークショー』鑑賞レポート◆
ロンドン、テムズ川沿いのサマセット・ハウス内のコートールド・ギャラリーに展示されている秀逸な絵画の一枚がエドゥアール・マネ(Édouard Manet)による、『フォリー・ベルジェールのバー』(Un bar aux Folies Bergère)です。 絵画を見る者は否が応でもバーにいる女性と対峙しなければならない斬新な構図になっています。 幅広のキャンバスには様々な酒瓶が並んだ大理石のバーの向こう側には女性が立ち、その背後には鏡が配置され、それには演じられている曲芸、集う人々、巨大なシャンデリアが映し出されている様が描かれています。 ミュージックホール、フォリー・ベルジェールはジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)、チャールズ・チャップリン( Charles Chaplin)、ジャン・ギャバン(Jean Gabin)等が出演し、演じられたレヴューはミュージカルの原型となりました。 多くの観衆が集い、芸術家、パトロン、娼婦達の社交場でもありました。 この正統的な芸術を崇拝しながら、スキャンダラスな作品で知られる画家が晩年に左足の壊疽に耐えながら完成させた最後の大作は自身の代表作であると同時にベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の象徴としても知られています。
幼いジャンポール・ゴルチェはその後のフォリー・ベルジェールの様子をテレビで観ました。 そしてベルエポック時代のレジェンド達の最後の姿も祖母に連れて行かれた劇場で目に焼き付けました。 世界の中心であったパリの輝きを目撃した無垢な9歳の少年は、まず熊の縫いぐるみでそれから得たインスピレーションを基に創作を実践しました。 18歳にしてピエール・カルダンのアシスタントとして働き、以後1970年代のモードの激動の最前線に立ち合い、ロンドン・パンク・ムーブメント前夜の1976年にデビューを果たします。 1990年にはマドンナのスタンス、人気を決定付けたBlond Ambition Tour(ブロンド・アンビション・ツアー)の衣装を担当しました。 彼の半生そのものが、モード史に於いて最も重要な出来事と必然的に完全に一致し、それだけでも稀有な現役ファッションデザイナーであることを証明しています。 そしてフォリー・ベルジェールの原体験と半生を彼なりのスタイルで再現されたのが、ジャンポール・ゴルチェ『ファッション・フリーク・ショー』(jean Paul Gaultier『Fashion Freak Show』)です。 世界で35万人が鑑賞しました。
歌と踊り、コメディとファッションショー、ストリップ、ありとあらゆるものが展開され、そこににないものはただ一つ、タブーだけです。 唯一無二のレヴューを全編彩るのはエドゥアール・マネと同じく、フランス、世界の衣服の変遷を深く研究し、リスペクトし、伝統的手法を以てジャンポール・ゴルチェによって生みだされたアヴァンギャルドな衣装です。 極めてプライベートなことをベースとしながら、ファッション史、文化史として貴重で、高い芸術性を保ったまま、エンターテインメントとして昇華されています。 長いキャリアに於いてゴルチェのタイプライター文字の上から斜めにステンシルテンプレートで描かれたブランドロゴ以外にブランドアイコンになったものは多く、実に個性的です。 マリンストライプ、タトゥープリント、コーンブラ、ボンデージ、ブリキ缶等、人々はそれらの断片を見ただけで、彼の作品をイメージします。 しかしながら、それらの一つたりとも彼が創出したものではありません。 彼は手垢の付いた土産品、誰もがその存在自体忘れたもの、一部の好事家同士の証としての悪趣味、その様なものを人知れず拾ってきて、埃を払い、磨き上げて、その美しさを繰り返し理解するまで私達の眼前に差し出したに過ぎません。 それらは功績ではなく、キャリアの最初から行われている活動の方向性の結果の一部でしかなく、その方向性そのものが、彼のアイコンとなっています。 それはありとあらゆる境界線を切り崩すことです。 切り崩すことにより、相反するテーマを融合し、それぞれの美しさを纏ったまったく新しい完璧な作品を高度な技術を用いて創造しました。
初期はいわゆるデザイナーらしく、パンツとスカートやアクセサリーと衣服の融合、表と裏や上着と下着の逆転といったテクニカルなことに始まりました。 ストリートとオートクチュール、男女、階級、異なるイデオロギーとなると社会的、哲学的な問題提起へと変遷していきます。 聖域のないデザイナーは衣服と裸体、リメイクと創作、衣服を身に着けているかもしくは前にぶら下げているだけかの違い、自身のオートクチュールブランドを他のデザイナーに制作して貰う等、自身のアイデンティティーそのものも危うくする位、挑戦的にその境界線を切り崩しています。 ジャンポール・ゴルチェ『ファッション・フリーク・ショー』(jean Paul Gaultier『Fashion Freak Show』)のクライマックスも同じ様なメッセージで締め括っています。 楽しい結末ですが、観るものに今後の自身の服との付き合い方、もしくは生き方さえも考えさせます。 「多様性」という言葉すら認知されていなかった50年以上前から、醜と思われていたものから美を見出し、マイノリティに共感してきたジャンポール・ゴルチェはデザイナーにして芸術家であり思想家です。 高度な哲学、技術を惜しみなく発揮しながら、この上なく楽天的にフランス的エスプリで解りやすく作品にテーマを示すゴルチェ。 彼の作品を身に着けることは彼のイデオロギー、審美観の共犯者となるに等しいのです。
弊店は縁あって、ジャンポール・ゴル���ェブランドの黎明期である1984年頃から作品を取り扱ってきました。 そして、彼自身の名前を冠したブランドだけでなく、多岐に渡る彼の作品を世界的にも稀に見る程フォローしてきました。 ゴルチェのオンリーショップから2005年にセレクトショップへと移行。現在でも商品セレクトのベースとなる価値観はジャンポール・ゴルチェによって培われています。 また、依然として世界的に貴重なジャンポール・ゴルチェのアーカイヴスも多く保有しています。 余すことなくその作品を御見せし、そのテーマ、由来、特徴を御伝え出来ます。 彼の世界観に触れ、もしくはその共犯者となる、またとない機会です。 ジャンポール・ゴルチェ『ファッション・フリーク・ショー』(jean Paul Gaultier『Fashion Freak Show』)を観た方もそうでない方も、一度弊店に足を運んで頂ければ、幸いです。 スタッフ一同、御待ち申し上げております。
Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】8月24(木) 【PHONE】06-6644-2526 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【ブログ】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【オンラインショップ】http://gallery-jpg.com/
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ゴルチェ派のプロフィール写真が変わりました。 ジャンポールゴルチェ1989/1990秋冬コレクションの頃のアートワークから。 このショーはちょうど現代版の映画『バットマン』の1作目(ティムバートン監督、マイケルキートン主演、ジャックニコルソン出演)の上演にゴルチェがインスパイアされて全編フランスのピカレスクがテーマになっていました。 全てのモデルが、メイクや髪型も含め、アルセーヌ ルパンやファントマのような怪人になりすましています。 日本で云うと『黄金バット』や『仮面の忍者赤影』、『ドグラマグラ』や江戸川乱歩作品みたいな感じでしょうか。 ショーのサウンドは、映画の為にプリンスが制作したオリジナルサウンドトラックを見事にリミックスしたものです。 弊社にとっては凄い影響を受けた素晴らしいコレクションなのですが、今でもYouTubeに全編映像はアップされていません。 今見てもシビレます。当時の日本ではあまりにも早過ぎた感じで当然正当な評価は受けれませんでした。 元新旧の国産ゴルチェの精鋭で製作しているGalleryのオリジナルウェアはこのコレクションをかなり意識しています。 是非そちらも御覧下さい�� 通販サイト Gallery オリジナルウェアのページ:http://www.gallery-jpg.com/category/98/
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ジャンポール ゴルチェ2020年1月22日にパリで行われた2020年春夏オートクチュールコレクションを最後に引退しました。 突然、私達は置き去りにされ、その日以降、彼不在の世界が始まりました。 そこでも日々新たに膨大な衣服がデザインされ、制作されていきます。 そして、それに飲み込まれる日常へと戻っていくでしょう。 しかし、私達はジャンポール ゴルチェの不在は決して誰にも埋めらないことを知っています。 アレキサンダー マックィーンの自死により、ブランドは存続しながらも、それに匹敵するデザイナーがこの10年間登場しなかった様に。 偉大な芸術家の影響力は強すぎるとその効果はむしろ認知されにくいです。 なぜなら、それが一般常識として定着し、人々はまるで大昔からそこに有ったかのように錯覚するからです。 特にファッションデザイナーはそのデザイナーの作品を購買してない圧倒的多数の消費者にまで影響を与えています。 私達がマリンボーダーを着用するときや、フーディの上にジャケットを羽織るときにジャンポール ゴルチェの存在を意識するでしょうか? コルセットを装着しても眉をひそめる者はいないし、あなたの息子がスカートを穿いても心配することはありません。 スタッズやタトゥー柄は言うには及ばずです。 ゴルチェが最初に生み出したわけではありませんが、彼の登場以前にはこれら全てが一般的なものではありませんでした。 これらのアイテムは、以前は使い古された土産物、もしくは一部のアウトサイダーの倒錯した美意識の産物にしかありませんでした。 彼はこれらを美しく再構築し、繰り返しコレクションで発表してきました。 それでは、それらが一般化した現在、彼自身のアプローチ、提案、存在価値は低くなったのでしょうか? ポール マッカートニーが「イェスタディ」を歌い、以降数多くのミュージシャンがそれをカヴァーしたり、インスパイアされた楽曲を作ったとしても彼の価値は下がるどころか高まる一方です。 それと同じくゴルチェの価値は世界では絶対的なものです。 引退に先立ち、その理由としてジャンポール ゴルチェは18歳で「ピエール カルダン(Pierre Cardin)」の門戸を叩いた自身の50年のキャリアの区切りであることを挙げました。 ゴルチェは自作のスケッチを送り、連絡を受けた少年は母を伴って訪問しました。 それから、50年後、ジャンポール ゴルチェが最後のショーの舞台に選んだのはパリ中央、セーヌ川右岸の劇場「シャトレ座(Theatre du Chatelet)」でした。 シャトレ座はヴィクトル ユゴーが小説『レ・ミゼラブル』を発表し、第二回ロンドン万国博覧会が開催されて最先端の科学技術と共に東洋美術が展示された1862年に建立されました。 以来、数々の演劇、オペラ、ヴァラエティショー、バレェ、そして1906年には映画も上演されてきました。 ピョートル チャイコフスキー、エドヴァルド グリーグ、リヒャルト シュトラウス、グスタフ マーラーらが自ら指揮をここで振るい、自作を発表しました。 かつてセルゲイ ディアギレフ率いるバレェ リュスのクロード ドビュッシー作曲、レオン バクスト美術、衣裳、ヴァーツラフ ニジンスキー出演、振り付けの『牧神の午後』の初演が行われたのもシャトレ座でした。 この露骨な性表現によるスキャンダルな作品はモダンバレェの礎であると同時に20世紀初頭の最高の舞踏、音楽、美術の結実として知られています。 19世紀中に始まり、ベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の芸術の発信地となり、今日まで存続している格式ある劇場です。 革新的でありながら完璧な歴史主義者でパリジャンとしてのアイデンティティを持つジャンポール ゴルチェにとってこれ以上相応しい劇場はありません。 巨大な階段が配置された舞台下のオーケストラピットには本物オーケストラが演奏し、ゴルチェが1989年にリリースした「アゥ トゥ ドゥ ザット(AOU TOU DOU ZAT)」に厚みを持たせました。 そして、これが誰しもが観たことのないスペクタクルでありながら、格調高いオートクチュールであることを知らしめました。
#jeanpaulgaultier#ジャンポールゴルチェ#ゴルチェ#juniorgaultier#ジュニアゴルチェ#gaultierparis#ゴルチェジーンズ#ジーンズポールゴルチェ#ゴルチェトゥザパワーオブトゥー#jpg#ジーページェー#オムオブジェ#artherapie#アルセラピィ#fuzzi#フッジ#オートクチュール#ハウスクチュール#プレタポルテ#恐るべき子供達#アンファンテリブル#ピエールカルダン#セルゲイディアギレフ#バレェリュス#レオンバクスト#ヴァーツラフニジンスキー#シャトレ座#マリンボーダ#メンズスカート#スカートパンツ
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ジャンポール ゴルチェ2020年1月22日にパリで行われた2020年春夏オートクチュールコレクションを最後に引退しました。 突然、私達は置き去りにされ、その日以降、彼不在の世界が始まりました。 そこでも日々新たに膨大な衣服がデザインされ、制作されていきます。 そして、それに飲み込まれる日常へと戻っていくでしょう。 しかし、私達はジャンポール ゴルチェの不在は決して誰にも埋めらないことを知っています。 アレキサンダー マックィーンの自死により、ブランドは存続しながらも、それに匹敵するデザイナーがこの10年間登場しなかった様に。 偉大な芸術家の影響力は強すぎるとその効果はむしろ認知されにくいです。 なぜなら、それが一般常識として定着し、人々はまるで大昔からそこに有ったかのように錯覚するからです。 特にファッションデザイナーはそのデザイナーの作品を購買してない圧倒的多数の消費者にまで影響を与えています。 私達がマリンボーダーを着用するときや、フーディの上にジャケットを羽織るときにジャンポール ゴルチェの存在を意識するでしょうか? コルセットを装着しても眉をひそめる者はいないし、あなたの息子がスカートを穿いても心配することはありません。 スタッズやタトゥー柄は言うには及ばずです。 ゴルチェが最初に生み出したわけではありませんが、彼の登場以前にはこれら全てが一般的なものではありませんでした。 これらのアイテムは、以前は使い古された土産物、もしくは一部のアウトサイダーの倒錯した美意識の産物にしかありませんでした。 彼はこれらを美しく再構築し、繰り返しコレクションで発表してきました。 それでは、それらが一般化した現在、彼自身のアプローチ、提案、存在価値は低くなったのでしょうか? ポール マッカートニーが「イェスタディ」を歌い、以降数多くのミュージシャンがそれをカヴァーしたり、インスパイアされた楽曲を作ったとしても彼の価値は下がるどころか高まる一方です。 それと同じくゴルチェの価値は世界では絶対的なものです。 引退に先立ち、その理由としてジャンポール ゴルチェは18歳で「ピエール カルダン(Pierre Cardin)」の門戸を叩いた自身の50年のキャリアの区切りであることを挙げました。 ゴルチェは自作のスケッチを送り、連絡を受けた少年は母を伴って訪問しました。 それから、50年後、ジャンポール ゴルチェが最後のショーの舞台に選んだのはパリ中央、セーヌ川右岸の劇場「シャトレ座(Theatre du Chatelet)」でした。 シャトレ座はヴィクトル ユゴーが小説『レ・ミゼラブル』を発表し、第二回ロンドン万国博覧会が開催されて最先端の科学技術と共に東洋美術が展示された1862年に建立されました。 以来、数々の演劇、オペラ、ヴァラエティショー、バレェ、そして1906年には映画も上演されてきました。 ピョートル チャイコフスキー、エドヴァルド グリーグ、リヒャルト シュトラウス、グスタフ マーラーらが自ら指揮をここで振るい、自作を発表しました。 かつてセルゲイ ディアギレフ率いるバレェ リュスのクロード ドビュッシー作曲、レオン バクスト美術、衣裳、ヴァーツラフ ニジンスキー出演、振り付けの『牧神の午後』の初演が行われたのもシャトレ座でした。 この露骨な性表現によるスキャンダルな作品はモダンバレェの礎であると同時に20世紀初頭の最高の舞踏、音楽、美術の結実として知られています。 19世紀中に始まり、ベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の芸術の発信地となり、今日まで存続している格式ある劇場です。 革新的でありながら完璧な歴史主義者でパリジャンとしてのアイデンティティを持つジャンポール ゴルチェにとってこれ以上相応しい劇場はありません。 巨大な階段が配置された舞台下のオーケストラピットには本物オーケストラが演奏し、ゴルチェが1989年にリリースした「アゥ トゥ ドゥ ザット(AOU TOU DOU ZAT)」に厚みを持たせました。 そして、これが誰しもが観たことのないスペクタクルでありながら、格調高いオートクチュールであることを知らしめました。
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