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#キューバ国営放送
kaoru-gohan · 6 years
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宇宙大使館のヤダちゃんに教えてもらって、引きこもりのカラダひっぺがしていってきました、オーガニックカカオビーンズWS。 https://www.facebook.com/events/382489415819160/ まさにカカオセレモニー💙 カカオのシアワセな香りに包まれて至福の時間でした。 ウワサの小豆島のゴローさん、 七輪でカカオ豆をゆーっくり焙煎しながらのやわらかな話口調ですでに癒される。 ゴローさんのカカオ豆との出会いは2011年に遡る。 3月11日の震災で職を失い、かねてより行きたかったキューバへ。 梅雨時の湿度のたかーい、霧深いキューバの街を走ってて ふいにいい香りに包まれてシアワセなキモチになった。 それはカカオ豆の工場が吐き出した、カカオ豆を焙煎する香りだった。 キューバといえばチェゲバラ、 各家庭に肖像が飾ってあるくらい尊敬されてる人物 カカオ豆はそのチェゲバラが栽培を推奨していた作物 自然界でもっとも抗酸化作用強く、人をシアワセにするチカラがあるというカカオ ゴローさんはそれが震災で傷ついた日本に必要と感じ、持ち帰ることを決めた。 新聞紙に包まれたカカオ豆50kgどーん! できるだけたくさん持って帰れるよう自分の荷物も処分した 世界一厳しいというキューバの税関を通ることができ 仲間たちが震災復興に取り組んでいた釜石へ。 そこでホットチョコレートをふるまったらみんな元気になった! このカカオを輸入したいと大使館に交渉、 個人ではダメといわれたので法人「GOROCUBA」を設立 しかしながらキューバやる気なし、貿易の経験なし 送ってもらうよう依頼したサンプルもいつまでたってもこない... うまくいかず長野や群馬の麻農家の手伝いを渡り歩き 釜石で会ったスペイン人の個展が開かれるというご縁で 小豆島に流れ着いたときは文無しだったそう。 家賃5000円畑付きの古民家を借りることができて 森林組合やオリーブ農家のおてつだいをしてくらした。 2年ほど経ってくらしに余裕がでてきて やっぱりカカオが忘れられず... お隣の豊島に新婚旅行にきたメキシコ人夫婦と出会い 彼らを訪ねてカカオ発祥の地メキシコに向かうゴローさん。 バスで1日かけて到着したチアバス州はいちばんまずしいところ。 マヤ文明以来同じ言語を話し、同じくらしを続けてる。 湿気であたり一面霧、なにも見えない 3日ぶりに晴れたらそこはジャングルの真ん中、 マンゴー、パパイヤ、カカオ…あちこちにいろんな果物の木、まるで天国みたいな場所 この地はかつて奴隷として連れてこられた人たちが 1960、70年代にナタ一本で開拓して自分たちの場所にしてきたところ 今も自給自足で暮らしている。 換金作物としてカカオ、コーヒーを育ていたが ハーシーズ、ネスカフェといった大手企業に搾取されてた。 その状況にメキシコ中の若者たちが立ち上がり農機具を持って抗議、 内戦状態が続いていた。いわゆるサパティスタ民族解放軍 非営利団体が住民の生活を守ってた。 おカネ使う場所がないようなところ、お店も宿も、ない ようやく泊めてもらえる場所がみつかった それがカカオ農家のおじさんの家。 翌日、カカオ農家の組合の会合があるという。 カカオ農家の組合の会合でゴローさんはカカオ豆を求めてここにきたこと、 言い値で買う、対等取引、利益が出たら還元すると約束。 信用を得てそれから2週間カカオ農家をはしご、 カカオ豆を輸入できる運びになった... (...って、メモをもとにまとめてみたけど、ワークショップの紹介文に全部書いてあった) こんなお話を聞いてるうちに焙煎されたカカオのシアワセな香りが会場に充満…💙 ひとつのポッドに40個くらい入ってるカカオ豆、 バナナの葉っぱにくるんで1週間くらい発酵させるのだそう。 焙煎する前のカカオ豆はフシギに冷たい食感... それが焙煎するとナッツのような...?酸味がある...? 3種の豆がブレンドされてた クリオロ、フォラステロ... 甘みとしてゴビ砂漠に自生してるレーズンと一緒にいただく。 カカオ豆には120の芳香成分があるそう そのうち「アナンダマイド」は「至福物質」とも呼ばれ、幸福感や高揚感をもたらすそう。  https://bit.ly/2QQcYPg 松果体に作用する。 *「松果体」ってなんやったっけ? 『第三の眼』とも呼ばれるほど、体の器官の中でもひときわ謎めいた部位???   → https://sekirintaro.com/shoukatai/ !!! 最も退化した感覚、嗅覚に作用することで元気になっちゃう! とかね、もうフツウのカカオ豆では満足できなくなっちゃいそうなもりだくさんでした。 メキシコ、行きたくなった! 、の前に、小豆島にも… https://www.instagram.com/p/BsuNIXrjdWF/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1ox4l6zwaadng
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xf-2 · 6 years
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ウイグル人の人権活動家として知られる女性が、乳児を含む大規模失踪事件を糾弾した6日後、彼女の妹と叔母が失踪した。
マルコ・レスピンティ(Marco Respinti)
国連人権理事会が 普遍的・定期的レビュー(Universal Periodic Review)で中国について審査した日、私は初めてジュネーブでルシャン・アッバス(Rushan Abbas)に会った。印象深かったのは、彼女が中年の ウイグル人 女性の写真のプラカードを持っており、そこには次の言葉が書かれていたことだ。「妹はどこにいるの?妹は医者なので、職業訓練は必要ありません」。新疆ウイグル自治区 で多数の人を収容する強制収容所は、実のところ、公式名称を 「教育による改心」のための強制収容所 としており、そこに収監されている人々は拷問を受けて死んでいくにもかかわらず、中国共産党 は収容者の宗教的な過激思想を治癒するための「職業訓練」を提供しているのだと主張している。
ルシャンは過激派でも何でもない。彼女はウイグル人のイスラム教徒で、現在、西側諸国に暮らし、その欠点にもかかわらず西側諸国を高く評価している。西側諸国において、ルシャンは同胞の人々の 人権 の擁護者である。祖国でもかつては人権活動家であり、米国では世界的な名声を博した。けれどもそれには、高い代償がついてしまった。
アッバスは1985年から1988年にかけて新疆大学で民主主義を推進するデモを行っていた元学生運動家で、1987年には大学で学生科学文化連合の副会長を務めた。学生連合は、現在の 世界ウイグル会議(World Uyghur Congress)の会長、ドルクン・エイサ(Dolkun Isa)によって設立された組織で、彼女はそれ以来、ずっとエイサと密接に協力してきた。米国では、アッバスはカリフォルニアに拠点を置く天山海外学生学者協会(Tengritagh Overseas Students and Scholars Association)の共同設立者である。同協会は1993年に設立された米国初のウイグル人の組織で、アッバスはその組織の初代副会長を務めた。彼女が後に草案作成に寄与した憲章と規制は、1998年にウイグル米国協会(Uyghur American Association、UAA)設立の青写真となり、重要な役割を果たした。UAAは全米民主主義基金(National Endowment for Democracy)から資金の供給を受けている。アッバスはその後2期にわたってUAAの副会長に選出された。1998年に米国議会がワシントンDCに拠点を置くラジオ・フリー・アジア(Radio Free Asia)でウイグル語サービスの資金援助を決めたとき、アッバスは最初のウイグル人レポーター兼アナウンサーを務め、毎日ウイグル地方へ向けてラジオ放送を行っていた。
2002年から2003年にかけて、アッバスはキューバのグアンタナモ湾で通訳として不朽の自由作戦(Operation Enduring Freedom)に関わった。また、米国議会のメンバーと国務省の関係者に対してウイグル人の人権状況とその歴史と文化について幾度となく説明し、議会の委員会と人権委員会(Human Rights Commissions)における証言を手配した。彼女は自分の専門知識を他の連邦・軍事当局にも提供し、2007年に当時のジョージ・W・ブッシュ大統領と、プラハ在住でウイグル人の世界的に有名な道義的指導者であるラビア・カーディル(Rebiya Kadeer)との間の会議を��ポートした。その年の後半、彼女はホワイトハウスで当時のファーストレディ、ローラ・ブッシュとも会い、新疆(中国の地名だが、ウイグル人は「東トルキスタン」という名称を好む)の人権状況について説明した。
新疆の状況の悪化に伴い、アッバスはウイグル人のためのキャンペーンを起ち上げ、人権と民主的自由を推進する運動を展開している。
グアンタナモ湾という地名からは、テロと拘留を想起させます。どうやってそこに関わるようになったのですか?
キューバ沿岸の米海軍基地にある軍の刑務所であるグンタナモ湾収容所(一般的に「Gitmo」(グアンタナモ基地)として知られている)に関わるようになったのは、「グルジャ事件」の後に22人のウイグル人が、この収容所に拘禁された件とつながりがあがります。1997年2月上旬、独立を求めた30人の唱道者が処刑され、ウイグル人としてのアイデンティティが抑圧されたことがきっかけで、新疆ウイグル 自治区 の 県級市 であるグルジャ市で抗議運動が連続して発生しました。2日間にわたるデモの後、2月5日に警察はデモの参加者に暴力をふるい、発砲することで解散させました。その日に撃たれて死亡した人の数は、政府当局の公式発表では9人ですが、私たちは100人以上が殺害され、最大で167人に上るとみています。1,600人ほどが逮捕されたという説もあります。私の話と関わってくる22人のウイグル人は、中国から脱出し、国境を接する中央アジア諸国に逃れることに成功しました。
けれども、国境を越えても新たな魔の手が彼らに迫っていました。上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization、SCO)です。2001年6月15日、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの指導者たちは、中国の上海で、ユーラシアの政治的、経済的および安全保障上の同盟の創設を発表しました。その後、2002年6月にSCO協定が調印され、2003年9月19日から活動を開始しました(2017年6月8日にインドとパキスタンも参加)。その協定にはテロに協力して対峙することが含まれています。つまり、「テロ」は他の国々に押し付ける力を持つ国が定義することになるのです。基本的にこの協定があることで、中国政府がウイグル人に関して要求していることを、中央アジア諸国も常に実行することを意味します。それはつまり、ウイグル人を逮捕し、強制送還することです。
そのため、「グルジャ事件」から難を逃れた22人のウイグル人は、再び逃走しなければなりませんでした。彼らは保護を約束してくれ、さらにトルコ、カナダ、米国とは異なりビザを必要としない、パキスタンとアフガニスタンに到着しました。22人の悪夢が始まったのは9月11日の同時多発テロ事件後、米軍がアフガニスタンを急襲した時です。戦争地帯を脱出しようとしているとき、パキスタンの賞金稼ぎに囚われて、外国人戦闘員として米国当局に一人あたり5,000ドル(約55万円)で売り払われてしまったのです。けれどもそれは、(間違っていますが、)中国が彼らをテロリストと宣言したことが端緒でした。結局、22人のウイグル人は、グアンタナモ基地に収監されることになりました。その後、2002年から2003年にかけて包括的に調査をした結果、米国政府は、22人に対するテロ容疑が間違っていたこと、米国やその同盟国に何も脅威を与える者たちではないことをはっきりさせました。しかし、釈放後にどこの国に向かうのかは、新たな大問題でした。中国政府は、グアンタナモ基地から解放されたウイグル人の再定住を受け入れないよう各国に圧力をかけていたからです。その結果、潔白の22人は囚人として4年間から11年間、グアンタナモ基地にとどまることになりました。
私は米国在住のウイグル人として、アフガン戦争に関わっていた国防総省の請負業者の1社から連絡を受けました。2002年初めから12月にかけて、グアンタナモ基地で通訳として働かないか、と持ちかけられたのです。通訳の仕事を終えて基地から離れた後の2003年4月、もう2か月間戻って通訳をしてほしいと頼まれました。結局、基地には合計で11か月間、フルタイムで働いていました。2006年、収監期間が無期限に延長されたとき、私は22人のウイグル人を擁護するチームに加わり、人身保護令状の申請を行いました。弁護士と私は、オバマ政権と密接に協力して彼らが再定住できるように尽力し、最終的には、アルバニア、バミューダ、パラオ、スイス、エルサルバドル、スロヴェニアに送られることになりました。正義が勝ち、彼らは晴れて自由の身になったのです。カナダを拠点として活動する、受賞歴のあるチリの映画制作者、パトリシオ・アンリケス(Patricio Henriquez)監督は、この話を基に映画を制作しました。『Uyghurs: Prisoners of the Absurd』(仮訳:『ウイグル:不条理な囚人』)です。この映画は、2014年10月10日にモントリオールのフェスティバル・デュ・ヌーヴォー・シネマでプレミア上映されました。私も台本づくりにかかわり、その場面では、私自身も映画に出演しました。この映画は後に英国、オランダ、チェコのプラハの国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、さらにトルコと台湾のドキュメンタリー映画祭のオープニング作品となりました。
あなたは新疆で生まれ、そこで勉学に励みましたね。ウイグル人として暮らしていた当時の思い出にはどのようなものがありますか?
私は新疆のウルムチ 市 で生まれ育ち、1989年5月に祖国を離れました。子供時代、青春時代の思い出は、豊かでカラフルな民族的なウイグル文化で彩られています。毛沢東 の 文化大革命 の暗黒時代が過ぎ去った後のことで、約10年間、とても楽しい時を過ごしました。
米国に来た理由と、そこに留まろうと思った理由は何ですか?
米国へは修士号を取得するために、1989年5月9日にやって来ました。最初に、私はワシントン州プロッサーにあるワシントン州立大学の灌漑農業研究普及センターに客員研究員として所属し、後に大学院生として植物病理学部に入学しました。米国に留まることにしたのは、米国に到着してすぐの1989年6月4日、共産党の命令が引き金となって天安門事件が起きたからです。戦車が市内を走行し、砲撃しているのをテレビで観ました。帰国しないことを決心するには十分な理由でした。
迫害を受けるウイグル人のための人権活動を始めたのはいつからですか?
ウルムチの新疆大学の学生だった頃から、人々の代表として活動していました。米国で活動を始めたのは、新疆でウイグル人の死傷者を出した暴動や事件が1990年代に頻発した頃からです。
「One Voice One Step」はアッバスさんが提唱された偉大なキャッチフレーズですが、それについてお話をお聞かせいただけますか?
2017年4月から新疆の状況は急速に悪化したのですが、国際社会、メディアや各国政府は沈黙を続けました。恐ろしい残虐行為が起こっているにもかかわらず、国際的には関心をもたれていませんでした。ウイグルアカデミー(ウイグル国家の科学と教育を推進するために2009年9月9日にイスタンブールで設立)と、私の兄である米国フィラデルフィアのドレクセル大学のリシャット・アッバス博士(Dr. Rishat Abbas)(ウイグルアカデミーの名誉会長であり、世界ウイグル会議の上級顧問を努めるとともに、在米ウイグル人協会(Uyghur American Association)と、ウイグル人権プロジェクト(Uyghur Human Rights Project)の共同設立者の1人)の助けを借りて、2017年10月に学術会議を開催しました。そこで、私はパネリストの1人として紹介されました。その目的は、今でこそ正式に「教育による改心」のための強制収容所と呼ばれる新疆の拘留所について、主要メディアの注目を集める方法を見つけ、世界中のウイグル人を導いて人権運動を巻き起こすことでした。2018年1月、私は海外のすべてのウイグル人の組織や活動家を巻き込み、世界規模で抗議活動を行うことを思いつきました。女性たちがこれらの抗議行動を率いれば、国際的なメディアの注目を集められるかもしれないと考え、私は世界中のウイグル人女性に連絡し、詳細な計画を練るために小さな諮問グループをとりまとめました。それは結局、「One Voice One Step」(OVOS)と呼ばれるWhatsAppグループに発展し、私たちの組織である「ウイグル人のためのキャンペーン」(Campaign for Uyghurs)のイニシアティブの名称になりました。「OVOS」は非常に明確なメッセージを持っていました。それは「私たちの故郷で行われている残虐行為に対して、皆の声を合わせ、海外のすべてのウイグル組織やウイグル人活動家と一緒に前に一歩踏み出すこと」です。その努力が結実して、3月15日、ニューヨークで開かれた第62回国連女性の地位委員会(UN Commission on the Status of Women in New York)の会合に合わせて、国連本部の前でデモを行い、続いて国連の中国代表団に対して抗議活動を行いました。世界中で同じ日に、オーストラリア、ベルギー、カナダ、フランス、フィンランド、ドイツ、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、トルコ、日本、イギリスの計14か国18都市で22時間にわたって、一致団結して抗議活動を行いました。
新疆に住んでいる親戚の何人かが姿を消しましたね・・・
ホータン市に暮らす夫の親族が忽然と姿を消しました。69歳と71歳の農家を営む夫妻、その娘のうち3人と義理の娘1人、4人の娘の夫たちがいなくなってしまいました。私と夫のアブドゥルハキム・イドリス(Abdulhakim Idris)は、2017年4月以来、彼らと連絡が取れない状態が続いていて、彼らが全員、悪名高い強制収容所に連行されたのではないかと危惧しています。夫の3歳から22歳の14人の姪と甥が今日どこにいるのか、私たちには見当がつきません。中国内陸部の児童養護施設に送られたのかもしれません。夫の弟、アブドゥルヒム・イドリス(Abdurehim Idris)が20年の懲役刑を宣告されたとも聞きました。この出来事を受けて、2018年9月5日、私はワシントンD.C.で開催されたハドソン研究所(Hudson Institute)の会議にパネリストの1人として参加し、新疆で中国政府が犯している残虐行為、私の夫の親族が置かれているだろう境遇、そして強制収容所の状況を公にすることにしました。この会議から6日後の9月11日、私の叔母と妹のグルシャン・アッバスが姿を消しました。遠い親戚からは叔母が釈放されたと聞きましたが、妹とは音信不通の状態が続いています。
信教の自由と人権を支持するご自身の活動が原因で連行されたとお思いですか?
妹と叔母が標的にされたのはおかしなことです。2人は有名人ではなく、作家や詩人、教育者というわけでもありません。どちらも国外のイスラム教の国を訪れたことはなく、流暢に中国語を話します。標的にされるウイグル人は���海外渡航歴のある人(「テロ」や「外国勢力」との「共謀」の嫌疑をかけられる)や、中国語(北京語)が話せない人(話せない人は、中央政府から、無知な不具または独立主義の反乱者の兆候として見られる)であるケースが大多数だからです。妹は政府が経営する病院で医師として働いていました。妹も叔母も、いわゆる「職業訓練センター」(すなわち強制収容所)に送られる人の通常の基準もあてはまらないのです。そのため、彼女たちが拉致された理由は、「連帯責任」しか考えられないと断言できます。彼女たちは、米国で活動している私に対する共産党による報復の犠牲者です。
習近平国家主席のすべての宗教に対する戦いは非常に冷酷です。このやり方は最近始まったのでしょうか、それとも以前から行われているのでしょうか?
ウイグル人とイスラム教徒を同時に、強烈に敵視するのは、習近平 が初めてです。その根底にあるのは、世界で支配的な地位を得たいという彼の圧倒的な夢です。今日、東トルキスタンの全人口が習近平の一帯一路構想の犠牲になっています。一帯一路構想というのは、アジア、ヨーロッパ、アフリカ全体でインフラを構築し、投資を行う壮大な開発戦略で、「新シルクロード」という名称でも知られ、帝国主義的な中国の夢である「中国製造2025」(Made in China 2025)の最終解決案です。「中国製造2025」というのは、2049年までに中国を世界をリードする製造・技術強国にするという3段階計画のうち、グローバリゼーションを「中国的に」定義しなおす最初の段階です。ハドソン研究所の中国戦略センターの所長であるマイケル・ピルスベリー(Michael Pillsbury)博士は、著書『The Hundred-Year Marathon: China’s Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower』(仮訳:百年マラソン:米国に代わり世界の超大国となる中国の秘密戦略)(ニューヨーク: St. Martin’s Griffin、2015)の中ではっきりと述べており、占領された東トルキスタンは、世界を統治する青写真の戦略的中心にあります。
1949年の毛沢東国家主席による東トルキスタンの占領以来、政府はウイグル文化と宗教を容赦なく破壊しようとしてきました。ウイグル人は「民族主義者」、「反革命者」、「分離主義者」というレッテルを貼られ、迫害されてきたのです。9・11の悲劇の後、共産党当局はその取組みを「テロとの戦い」と改名しました。新疆地域全体が、このように色塗られたのです。処罰は文化に対して、集団規模で行われています。何百万という人々が、犯罪を行った嫌疑なしに逮捕され、拘束されています。県や地区、近隣のコミュニティが、割り当てられたノルマを達成することに必死です。中国はすべての抵抗を「イスラムによるテロ」と特徴付けており、それを口実にして、DNAの収集、あらゆる場所への監視カメラの設置、顔認識ソフトウェア、車両へのGPS追跡装置搭載を基礎に監視体制を敷いています。新疆全域が、警察国家になったのです。
米国ではウイグル人に多くの同情が寄せられています。マルコ・ルビオ(Marco Rubio)上院議員が議長を務め、クリストファー・H・スミス(Christopher H. Smith)下院議員が共同議長を務める、中国問題に関する連邦議会・行政府委員会は、中国の現状をさらけ出し、迫害されている新疆のイスラム教徒の証言を聞くための公聴会をしばしば開催しています。これに何を期待しますか?
私が見るところ、米国が寄せる同情、そしてウイグル人に対する米国の政治家の支援は、本物の人権の観点から来ています。ウイグル問題に関して、米国は常に正義と正しい行いをする側についています。そのため、力強く意義深い行動を取るところを見たいと思っています。例えば、そのような恐ろしい残虐行為や人道に対する罪を犯した中国当局者に対して、グローバル・マグニツキー法に基づく制裁を発動することが挙げられます。また、2018年11月中旬に上院外交委員会の有力メンバーであるルビオ上院議員とロバート・メネンデス(Robert Menendez)上院議員、それにスミス下院議員が法案を提出した、ウイグル人権政策法に支持が集まるところを見たいと思っています。また、この地域に調査団を派遣したり、ラジオ・フリー・アジアのウイグル語サービスの放送時間を拡大したりすることも希望しています。このような行動は、ウイグル人の大規模拘束などを白日の下に晒し、世の中に伝える上で不可欠です。地域の実情を伝えることは、世論を操作する北京の共産党政権が仕組んだ情報封鎖とメディアの検閲によって妨げられているからです。
米国では多くの人がイスラム教徒と米国との間には自然と敵対的な関係があると見ているようですが、ウイグル問題の場合はその逆の反応を示していますね。
米国政府と国会議員は、前述した1998年のラジオ・フリー・アジアのウイグル語サービスへの資金拠出に始まり、22人のウイグル人をグアンタナモ基地から解放する取組みを続け、ウイグル人の民主運動をいつも力強くサポートしてくれ���います。これらの出来事は、安心できる関係を築くためのターニングポイントでした。私は、米国政府と米国国民が、中国共産党政権の邪悪な目的にようやく気づき始めていると思います。中国のナショナリズムは、米国を世界の超大国から引きずり落とすことだけを目指しているのではなく、世界の民主主義と自由を中国の全体主義的な哲学と体系で置き換えることを目指しています。今、新疆は前例のない危機的な状況に置かれています。世界がこのひどい状況を前にして共産主義の中国と対峙しないなら、大規模監視、抑圧と蛮行のために、世界は闇に覆われ、私たちが今日享受しているような自由な世界に終止符が打たれてしまうことでしょう。
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translation-diary · 3 years
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「ネット戦争」は「サイバー戦争」よりもさらに悪いかもしれない
約30年前に初めて説明されたリスクは、今や成熟している。
By Ian Bogost
2022年2月26日
ロシアとウクライナの紛争は、大規模なサイバー戦争を引き起こす可能性があると、ニュー・サイエンテイスト誌は推測している。前例のないサイバー戦争が起こる可能性があると、マルコ・ルビオ上院議員は警告した。ハッカー集団「アノニマス」がロシア政府に対してサイバー戦争を仕掛けたとされている。
サイバー戦争というと聞こえは悪いが、その通りである。大雑把に言えば、コンピュータを使った戦闘の世界的な脅威ということになる。電力網、浄水場、通信網、銀行、そのどれもが、地球の裏側から見えない形で侵入される可能性があるのだ。この不透明で広大な脅威は、さらに拡大し、スパイ活動、情報操作、コンピュータ・インフラへの攻撃など、すべてを網羅することも可能だ。サイバー戦争が始まる。では、具体的に何を心配すればいいのだろうか?
サイバーなんとかという言葉は、サイバー戦争を除いて今やもう死語だ、というのは、ネット文化についていけなかった人たちの口癖だ。(ドナルド・トランプがテレビで "the cyber "と言い放ったのを覚えているだろうか)1993年、現在使われている「サイバー戦争」という言葉が作られた当時は、この接頭辞はもっと一般的だった。その年、ランド・コーポレーションは、国際政治アナリストのジョン・アルキラとデイヴィッド・ロンフェルトによる『サイバー戦争がやってくる!』というパンフレットを発行した。その前提は単純であった。情報革命は武力紛争のあり方を変え、それを表現する新しい言語が必要となる。
将来のリスクを明確にするために、彼らは2つのシナリオを提示し、それぞれに独自の呼称をつけた。後者は「ネット」を意味するため、「サイバー」よりも時代錯誤な感じがするが、その発想は驚くほど現代的である。アルキージャとロンフェルトにとって、ネットウォーは社会的・商業的現象である。ネットウォーとは、ネットワーク化された通信手段を介して行われる紛争であり、今日、人々が「ディスインフォメーション」と呼ぶものに最も近いと言える。ある集団が、ネットワーク化されたコミュニケーション技術を通じて発信されるメッセージによって、他の集団が持つ自分たちのメンバーや社会的背景に関する知識を破壊しようとするとき、それがネット戦争なのだ。
当時、アルキージャとロンフェルトは、ネット戦争とは主に国家を基盤とした活動であり、あらゆる通信ネットワーク上で展開されうるものであると想像していた。(例えば、アメリカは、マイアミにあるラジオ・テレビジョン・マルティという放送局を通じて、キューバとネットウォーしていた(この放送局は、アメリカ連邦政府から資金提供を受けて、キューバにスペイン語で放送していた)。国営の新聞社も、特定の電話や電子メッセージを傍受したり禁止したりする監視システムとともに、ネット戦争に加担することができる。
しかし、ランドはもう一つの種類のネット戦争も想像していた。「ライバル関係にある非国家主体が戦うもので、政府は国益への巻き添えを防ぐために傍観し、おそらくは一方を支援する」ものである。アルキージャとロンフェルトは、この種のネット戦争を「最も推測しやすいもの」と呼んだが、現在ではかなり明確に見ることができるものだ。FacebookのようなソーシャルメディアプラットフォームやGoogleのようなテクノロジー企業が大規模な情報の保存と公開を始めたとき、これらのプラットフォームはイデオロギー的な対立を引き起こすレバーになったのだ。プーチン率いるロシアのような政府は、社会的対立を生み出したり、悪化させたりするために、こうしたメカニズムを意図的に操作することができるし、実際にそうしている。他の国家主体は、特に裕福なグローバル・ビジネスに対して大きな支配力を行使できない場合、こうした手段を阻止したり、検知したりするのに苦労している。
今日、ネット戦争はディスインフォメーションに取って代わられたが、この2つの考え方を区別することは有用である。ディスインフォメーションは冷戦時代の新語で、ロシア語のdezinformatsiyaからの借用語であり、ターゲットとなるプロパガンダ、つまり欺くことを意図したメッセージのことを指す。ネットウォーとは、通信ネットワークそのものを操作することである。メッセージの作成と発信の容易さは、情報の流れを促進し、それにまつわる注目を収益化するテクノロジー企業による世界的な征服のおかげで、劇的に向上したのである。ネット戦争の戦略家は、このようなプラットフォームを効果的に利用する方法を学ぶ。ネット戦争の戦術は、偽情報キャンペーンを展開するかもしれないが、そうとは限らない。メッセージの内容は無害に見えるかもしれないが、その頻度、発信元、配信、広がりはそうではないかもしれない。
しかし、コンピュータは人間が読める情報を配信するだけではない。ダムや決済システムなど、モノを操作するのにも情報を利用する。そのシステムを意図的に破壊するのがサイバー戦争だ。
軍事作戦では、道路や橋、空港や工場などを破壊する戦術が常に展開されてきた。そのような行為は、軍事作戦そのものを混乱させることもあれば、ターゲットの文化的・経済的な中心を不安定にすることもある。しかし、今ではほとんどすべてのものがコンピュータによって操作されている。電話やニュースメディアなどの通信システムだけでなく、自動車、発電所、銀行システムもそうだ。さらに悪いことに、それらのシステムの多くはインターネットに接続されており、一昔前(あるいは最近)よりもはるかに攻撃されやすくなっている。コンピュータで動いているあなたの車は、ソフトウェアのアップデートをダウンロードすることができるようになるかもしれないし、遠隔操作で機能を停止させられるかもしれない。ボットネットがマルウェアを配布したり起動させたりする仲介役として利用し、より重要なターゲットに攻撃を仕掛けることができるのだ。
ネット戦争とは対照的に、アルキージャとロンフェルトは、サイバー戦争は基本的に国家に基づく活動であると見ている。これは、コンピュータによる攻撃を実行できる主体が政府だけだからというわけではなく、むしろ、国家を基盤とする紛争がサイバー戦争戦略から利益を得る可能性があるからである。ランド論文の一節は、この考えを明瞭かつ恐怖に満ちた形で要約している。「戦争の革新として、21世紀には電撃戦が20世紀にとってそうであったように、サイバー戦争がそうなるかもしれないと予想している」。
サイバー戦争の前例は、それを実行したエージェントを特定するのが難しいこともあり、カタログ化するのが困難であった。2007年にエストニアのウェブサイトで発生したDDoS攻撃(トラフィックでコンピュータを圧倒する攻撃)は、同国がソ連の銅像を撤去したことに対する報復と思われる。2008年にロシアがグルジアに侵攻した際にも同様の攻撃があり、情報技術による電撃戦としてのサイバー戦争がはっきりと示されましたが、旧ソビエト連邦共和国のインターネット普及率が比較的低かったため、目立った成果は得られなかった。2010年には、米国とイスラエルの協力により、「スタックスネット」と呼ばれるコンピュータワームが展開され、核兵器を濃縮していると思われるイランの施設を停止させた。他にもある。
しかし、サイバー戦争の最も正当で識別可能な例は、その前年にクリミアが占領された後、2015年にロシアがウクライナのエネルギー公共施設をマルウェアで攻撃したもので、ほぼ一例として残っている。この攻撃により、数十万人の人々が短期間に停電に見舞われた。その後、ウクライナの銀行、輸送インフラ、港湾を標的とした関連攻撃が続いた。これらの攻撃は、ほとんど警告であったし、今もそうである。サイバー戦争が本格化する可能性が出てきたのだ。
今週のロシアのウクライナ侵攻は、私たちの知る限り、まだ大規模なサイバー攻撃は行われていない。しかし、クリミアの前例と、プーチンが介入する可能性のある人物に対して行った脅しが相まって、サイバー戦争は世界的な問題となったのである。近接は関係ない。少なくとも理論上は、いつでも、銀行口座、電力、水道、その他すべてが封鎖されるかもしれないのだ。その結果、壊滅的な被害を受けるかもしれない。
1993年当時、アルキージャとロンフェルトの「戦争の本質の変容」という予測は、一歩行き過ぎたものに思えたかもしれない。戦争の性質の変化は、一部の超大国による意図的、計画的な核兵器の蓄積、すなわち戦略兵器の積極的な増強から生じたものであった。これに対して、サイバー戦争の脅威は、接続性の継続的な革新の副産物として偶然に蓄積された脆弱性のグローバルな備蓄と関係がある。結局のところ、同じような感覚なのだ。サイバーウォーは現実である。
最近、ネット戦争、サイバー戦争への対策が叫ばれている。私たちは、ニュースの共有と消費の速度を落とすようアドバイスされている。誤報研究者のマイク・コーフィールドは、SIFTと呼ばれるモデルで、「停止し、ソースを調査し、より良い報道を見つけ、主張を追跡せよ」と提案している。同時に、IT部門はシステムを最新の状態に保ち、フィッシングメールに注意するよう注意を促している。しかし、このような個人的・局所的な努力では限界がある。一人の内省的なソーシャルメディア・クリッカーが嘘の拡散を遅らせることはできないし、賢明な従業員でさえ、接続されたガジェットが作り出すセキュリティホールを塞ぐことはできないのである。
ネット戦争やサイバー戦争のリスクは、利便性の結果である。通信ネットワークが普及し、それまで考えられなかったような大量のオーダーメイドのコンテンツが瞬時に提供されるようになった。通信ネットワークが拡大し、巨大化するにつれて、より多くの人々に、より迅速に影響を与える可能性のある悪用の機会が増えた。一方、企業や政府機関では、業務上の利便性を高めるために、コンピュータ・インフラに新たな脆弱性が生じることを選択した。このような利便性は、かつてはそれだけの価値があるように思われていた。しかし、今はそうではないのだ。
出典:The Threat of Cyberwar Has Finally Arrived - The Atlantic
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benediktine · 3 years
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【「きみたち日本人は腹が立たないのか」チェ・ゲバラは、広島の原爆資料館で憤った。】 - https://www.huffingtonpost.jp/entry/guevara_jp_5f2b936dc5b6b9cff7ed109b : https://archive.is/jWLlp 2020年08月06日 17時29分 JST | 更新 2020年08月12日 11時19分 JST 安藤健二
妻に宛てた絵はがきで「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」と広島訪問を勧めていた。
 {{ 図版 : エルネスト・チェ・ゲバラの写真 Joseph Scherschel via Getty Images }}
キューバ革命の伝説的英雄として知られる、エルネスト・チェ・ゲバラ。31歳のときに広島を訪問した。革命のわずか半年後、1959年7月25日のことだった。
{{ 【ゲバラ画像集】 : https://www.huffingtonpost.jp/entry/gazowaku_jp_5f2bd515c5b6b9cff7eda1d8?hee : https://archive.is/zWaMv }}
国立銀行総裁として、通商代表団を率いての来日。当初のスケジュールでは、広島訪問の予定はなかった。
しかし、8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」というゲバラらの強い願いから予定は変更。フェルナンデス大尉と駐日キューバ大使の2人だけが随行して、大阪から急きょ広島に向かった。交通機関は、夜行列車で行ったという説と、飛行機を利用したという2説がありはっきりしていない。
■《県庁職員、ゲバラの問いかけに「ぎくっとした」》
ゲバラらが原爆慰霊碑に献花する姿を、中国新聞のカメラマンが撮影している。花を手向けるフェルナンデス大尉の後ろで、戦闘服姿のゲバラはうつむき加減で直立していた。その後、一行は原爆資料館を約1時間かけてじっくりと見学した。
館内のさまざまな原爆被害の陳列品を見る中で、それまで無口だったゲバラが突然、通訳担当の広島県庁職員の見口健蔵氏に英語で問いかけた。
「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」
ゲバラが原爆の惨禍に憤りをみせた瞬間だった。三好徹氏の「チェ・ゲバラ伝 増補版 」(文春文庫)の中で、見口氏は「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています」と回想している。
■《「平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い」》
広島訪問時、ゲバラは妻のアレイダに宛てて絵はがきを送っている。毎日新聞によると、そこには以下のように書かれていたという。
============≫ 「私の愛する人。今日は広島、原爆の落とされた街から送ります。原爆慰霊碑には7万8000人の死者の名前があり、合計は18万人と推定されています。平和のために断固として闘うには、この地を訪れるのが良い。抱擁を。チェ」 ≪============
ゲバラは1961年にキューバで工業相に就任したが、やがてキューバを離れた。1967年にボリビアでゲリラ活動中、政府軍に射殺された。39歳だった。
ゲバラが原爆の恐ろしさを伝えたこともあり、キューバでは原爆教育に力を入れるようになった。 
2017年の {{ 産経WEST : https://www.sankei.com/west/news/171013/wst1710130001-n2.html : https://archive.is/s4KzD }} は「現在でもキューバでは毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育で広島、長崎の原爆投下について教えているという」と報じている。
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trumpq · 4 years
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【フリン中将】 2021/3/6 0:30 JST
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これは私が今まで読んだ記事の中で最もスマートなものの一つで、真剣に考え抜かれた解決策が書かれています。そして、それを書いたのはアメリカ市民ではない。もしこの種の提案された対策を取らなければ、結果はアメリカにとって悲惨なものになるだろう。
オピニオン。社会主義からアメリカを救うためのニュージーランド人の9つの「スターター・ステップ」
アプリをダウンロードして https://ept.ms/DownloadApp で詳細を読む
エポック・タイムズ 社会主義からアメリカを救うためのニュージーランド人の9つの「スターター・ステップ」 https://www.theepochtimes.com/a-new-zealanders-9-starter-steps-to-save-america-from-socialism_3718917.html
解説。私はニュージーランド人ですが、アメリカとその人々のことはよく知っています。私はローワー48州のすべての州を訪れ、この素晴らしい国で500人以上の聴衆に演説してきました。私のメッセージはいつも同じである。アメリカは残忍な専制的社会主義革命に向かっている。
※続きに記事の和訳。余裕があったら本当はこういう風に参考記事も全部訳しておきたいのですが。
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トレバー・ラウドン記述 2021年3月6日更新
解説
私はニュージーランド人だが、アメリカとその人々のことはよく知っている。私はハワイとアラスカを除く48のすべての州を訪れ、この素晴らしい国で500人以上の聴衆に演説してきた。私のメッセージはいつも同じだ。アメリカは残忍な専制的社会主義革命に向かっている。
今、それが目の前で繰り広げられている。
では、何ができるのか?共和国は救えるのか?正直、分からない。
しかし、少なくともこの国に戦うチャンスを与えるために、いくつかの手段を提案できる。
1. 現実を直視する
何百万人ものアメリカ人が未だに完全に否定している。多くの人は、軍が密かに支配していると考えている。正義が行われ、ドナルド・トランプ大統領が復活するのは時間の問題だと考えている。「秘密の計画」があると考えている。真実は、トランプ氏は共産主義者、グローバリスト、そして彼自身の党内の裏切り者たちの同盟によって操られていたということだ。「ディープステート」は今、ほぼ完全にコントロールされている。
トランプ氏は2024年までには復帰しないだろう。それまでに意味のある選挙が行われていればの話だが。
民主党は、トランプ氏が決して落選しないようにするために、2200万人の不法移民の権利を剥奪し、選挙制度を廃止し、プエルトリコ人とD.C.の州制によって極左の上院議員を少なくとも4人増やし、さらに何千万人もの第三世界の難民と不法移民を国内に氾濫させることを計画している。彼らはまた、民主党の永遠の支配を保証する投票の「改革」、すなわち大量郵送投票、身分証明書の廃止などを全国的に導入することを計画している。
民主党が上院のフィリバスター制度を廃止し、最高裁判事に左翼の「判事」を少なくとも4人増やすことができれば、伝統的な政治手法に頼っていても、これを阻止する方法は事実上ないだろう。
私たちは今、リアルタイムで、中国に操られたマルクス・レーニン主義革命を起こしているのだ。
軍隊は我々を救えないし、トランプも救えない。それどころか、容赦ない民主党/共産党の攻撃からトランプ氏と軍部を守るのは愛国者次第だ。
十分なアメリカ人が不愉快な真実に直面したとき、そのとき、そしてそのときだけ、私たちは希望を語ることができる。
2. すべての暴力的なレトリックを止めよう
暴力はアメリカを救わない。厳しい現実は、バラク・オバマ大統領が愛国的な将軍を左寄りの政治的任命者に置き換えるために8年もの歳月を費やしたということだ。彼は素晴らしい仕事をした。もし暴力が勃発した場合(神に禁じられている)、軍は政府の側に立ち、反乱軍の側には立たないだろう。
ロシアや中国、キューバ、北朝鮮、イランが、民主党の友人が愛国的な反乱で敗北している間、傍観していると誰も思っていないだろうか?彼らは間違いなく、この機会を利用して「主敵」を一掃するだろう。
オンラインで、公共の集会で、または個人的な会合で、暴力を扇動する人に注意してほしい。速やかに距離を置こう。彼らは良くても絶望的に世間知らずで、最悪の場合は政府の挑発者になるだろう。
左翼は「右翼」の暴力を祈っている。愛国心のあるアメリカ人への大規模な弾圧の口実になるだろう。この国は平和的に救われるか、全く救われないかだ。もし重大な暴力が勃発したら、それは終わりだ。
憲法修正第二条は何としても守られなければならない。たとえ生物学的な戦争や核攻撃に直面しても、武装した民衆は、少なくとも暴政をチェックするための何らかの手段となる。アメリカ人は銃を持ち続けて、自分たちの国民に対して銃を使う必要がないように毎日働くべきだ。
3. 赤字の全州で選挙の完全性を取り戻す
有権者の信頼が数ヶ月以内に回復しなければ、共和党は絶望的だ。民主党員は投票を続けるだろう。共和党の有権者の多くは家に留まるだろう。彼らは選挙を信用せず、参加を拒否するだろう。ジョージア州の上院選では、すでにこの傾向が表れている。
現在、30の州が共和党の議会を率いている。いくつかの州では、すでに選挙手続きの不備を修正するための調査が行われている。大半の州は、国民が大きく関与しない限り、白紙化されることになるだろう。その結果、電子投票機の廃止や、組織的な有権者不正行為への重い罰則などが提言に盛り込まれなければ、粉飾決算になる可能性が高い。警戒しよう。
愛国者は、まず赤色の州で、次に青色の州の赤色の郡で、そして2022年以降には全国で、投票の完全性を回復するために働かなければならない。
このプロセスに参加してほしい。それが最優先事項だ。
4. 共和党の選挙区を直ちに閉鎖すること
これは当たり前のことのはずだが、誰も話題にしていない。アメリカで共和党の選挙区を本当に閉鎖しているのは5つの州だけである。これは、ほとんどの州で民主党員や無党派(共産主義者でさえも)が共和党の選挙に投票できることを意味し、彼らは投票している。アメリカ全土で、GOPの敵は、自分たちができる限り弱くて弱虫な候補者を選ぶために、共和党の予備選に投票している。
これが、共和党の基盤が超愛国的である理由だが、ほとんどの州で選出された彼らの代表者のほとんどは、「進歩的な」民主党員のような投票をしている。
共和党の愛国者の皆さん、選挙区を閉じよう。それはあなたの党を変えるはずだ。
5. 自由国家のコンパクトを組織する
MAGAの人々は「国家の中に国家を作る」必要がある。これは分離独立を意味するものではない(ロシアや中国はすぐにそのような分裂を利用するだろう)。必要なのは、米国憲法ですでに概説されている修正第10条の権利を再確認することだ。すでにコントロールできなくなってい���連邦政府は、国内に残されたあらゆる形態の独立に対して大暴れしようとしている。そうする勇気のあるすべての赤毛の州は、連邦政府のあらゆる形態の行き過ぎた行為に集団で反対するために、直ちに正式な協定に向けて動き始めなければならない。
そのような正式な同盟は、フロリダとテキサスから始まり、オクラホマ、プレインズ州、南部のほとんどの州、ニューハンプシャー、自由な中西部の州、共和党主導の北部と西部の州を招待して拡大していくべきだ。
このような同盟は、フロリダキーズとメキシコ湾から五大湖とカナダ国境、さらにはアラスカまで伸び、国全体を二分することになる。
バージニア州、メリーランド州、ニュージャージー州、マサチューセッツ州、イリノイ州、ミネソタ州、ニューメキシコ州、コロラド州、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州のような青色州の赤い郡を加えれば、ワシントン州が挑戦するのが非常に困難な、投票権と経済圏が形成されることになるだろう。
バイデン政権が最近、CCPウイルスの流行を遅らせるためにフロリダ州のロン・デサンティス知事が同州内のすべてのレストランを閉鎖することを提案した際、同知事は大規模な封鎖は効果がなく、経済的にも恐ろしい結果を招くとして丁重に拒否した。
バイデンはその後、フロリダ州との間の空路と道路の旅行の違憲禁止をほのめかしたと報じられている。この脅しはフロリダだけには効くかもしれない。フロリダに加えてテキサスとオクラホマ、そして他の10から25の州には効かないだろう。
米国は技術的には自由で独立した州の連合体である。その理想を完全に実現する時が来た。
南部の州は間もなく、不法移民の大規模な新しい波に揺さぶられることになるだろう。連邦政府はそれを防ぐために何もしないだろう。テキサス州、フロリダ州、アリゾナ州、そしてニューメキシコ州とカリフォルニア州の自由州は、今すぐ国境を守る準備をする必要がある。これは、連邦政府が憲法上保持する移民問題ではなく、州の公共福祉の問題なのだ。
もちろん、バイデン・ハリス政権は、最高裁に左翼の判事を増員して、事実上何でも「合憲」にしようとしている。しかし、これは裁判所に行く必要すらないはずだ。州政府はすでに修正第10条の下で連邦政府の行き過ぎた行為を無効にする権限を持っている。州政府は、ワシントンを憲法上の小さな箱に戻すために団結しなければならないだけだ。
共和国は修正第1条(言論の自由)と修正第10条(州の主権)の勇気ある適用によって救われるだろう。
6. 共和国レビュー
すべての自由な州は、直ちに「共和制見直し」プロセスの採用に着手すべきだ。西部や北部のいくつかの州では、連邦政府との関わりを見直して、すべての違憲な関係を排除したり、無効にしたりしようという小さな動きが広がっている。
憲法上、州は技術的には連邦政府よりも優れている。州は「対等な立場」の教義の下で主権者であり、違憲プログラムへの関与を拒否する法的権限を持っているのだ。
例えば、ほとんどの州は連邦政府から教育予算の約10%しかもらっていないが、教育省の指示にはほとんど完全に従属している。公教育のすべてを地方で管理することと引き換えに、そのわずか10%を見送ってはどうだろうか。アメリカは公立学校で若者を失っている。愛国心のある親なら誰もがそれを知っている。
これは、親が子供の教育をよりコントロールできるようにし、市民が自分たちの政府をコントロールできるようにするものだ。これは、あなたの州の教育予算の10パーセントの価値があるだろうか?
もし自由な州が連邦政府のやり過ぎに反対するならば、違憲な連邦政府のお金を見送る準備もしなければならない。
共和国のレビューを徹底的に監査すれば、すぐに州議会に権力が戻り、本来あるべき場所に戻るだろう。
7. 複数の州の「アメリカ・ファースト」大衆同盟を結成する
左翼には、民主党の内外で活動している600のグループの全国的な同盟である「Our Revolution」がある。アメリカ民主社会党とアメリカ共産党によって運営されている「私たちの革命」は、民主党の選挙でアレキサンドリア・オカシオ・コルテス(民主党.N.Y.州)、イルハン・オマール(民主党.ミネソタ州)、ラシダ・タリーブ(民主党.ミシガン州)のような極左候補を選出するために活動している。革命は民主党の規律の対象ではないが民主党の候補者を選ぶことができるのだ。
私たちは、共和党の外でも内でも活動する「アメリカ・ファースト」の傘グループを必要としている。
この組織は、連邦の各州のあらゆるレベルの政府において、MAGA/アメリカ・ファーストのアジェンダを推進するためのものでなければならない。
このような運動は、共和党の支配下になくても、7,000万人から8,000万人のトランプ有権者のエネルギーを利用することができる。
アメリカ・ファーストは、ティーパーティーとMAGA運動、草の根の共和党員、愛国的な民主党員、無党派層を団結させ、数千万人の有権者を動員して、GOPを本当にポピュリストで愛国的なMAGA政党へと変貌させることができる。
ミッチ・マコーネル氏を例に挙げてみよう。
トランプ氏は、2020年の選挙後、自分たちの基盤を裏切った共和党の下院議員や上院議員に対抗するために、すでに候補者を吟味している。
アメリカ・ファーストの人々は、2022年に数十人の共和党の売り逃げを一次的に排除するために、何百万人もの共和党員を登録しなければならない。アメリカ・ファースト/MAGA運動は、2024年までにGOPのすべてのレベルを「所有」することができる。GOPはMAGA運動が共和党のブランドを必要としている以上に、MAGA運動を必要としているのだ。
一方で、赤色の州には70人近くの極左民主党議員がいる。有権者の信頼性を回復するだけで、2022年にはそのうちの何人かを打ち負かすことができる。
トランプ氏に支持されたMAGA候補をすべての選挙で起用すれば、さらに多くの候補者をひっくり返すことができるだろう。2022年に下院を奪還し、バイデン氏を「レームダック」大統領にすることは、実現可能性を超えているだろう。
8. ボイコット/バイコット・ビッグタイム
愛国者は、より正直なプラットフォームのために、グーグル、フェイスブック、ツイッターなどを放棄すべきである。彼らはまた、愛国者を「キャンセル」するビッグ・テック事業者に重く罰金を科すデサンティスの努力を熱烈に支持すべきである。もし25や30の自由州が同じことをしたら、「ビッグ・テック」はすぐにリトル・テックになってしまうだろう。
愛国者達は、非愛国的な企業の全国的なボイコットと、マイピローやゴーヤフーズのような忠実なアメリカの企業のためのバイコット(※買って応援する)を組織する必要がある。
すでに、地元のグループが「非友好的な」地元企業や友好的な代替品のリストを作成しているので、愛国者は反対派を支持するのをやめて、仲間のMAGA支持者ともっと一緒に過ごすことができるようになっている。
また、脆弱な非愛国的企業を順次ターゲットにするのも賢い方法だ。
8,000万人のMAGA愛国者が、そのような企業1社の全国的なボイコットを今から始めることを決意した場合を想像してみてほしい。このボイコットは、対象企業が倒産するか、愛国者を「キャンセル」したことを謝罪するまで、無期限に続くことになる。該当する場合は、MAGAファミリー全員が、今年中にキャンセルされた人の製品のうち少なくとも1つを購入することを一斉に約束することができる。
4月1日には別の不誠実な企業が狙われ、次に5月1日には別の企業が狙われ、6月1日には別の企業が狙われる、などの可能性があった。
2~3社が潰れたり、謝罪したりした後、すぐに大企業が「キャンセルカルチャー」から手を引くようになるのが目に見えている。
愛国者はこの国の消費力を持っているんだ、みんな。敵を飢えさせ、味方を養わなければならない。
繰り返しになるが、愛国者は国の中に国を作る必要がある。
愛国者は可能な限り共産主義の中国製品をボイコットする。ラベルをチェックしてみよう。2021年に中国の共産主義者の製品を買うのは、1939年にナチスの製品を買うようなものだ。それは不道徳であり、自殺行為だ。
中国共産党は中国共産党ウイルスでアメリカ経済を不振に陥れた。その後、親中派の共産主義者がBLMの大規模な暴動を扇動した。同じ連中が2020年の選挙に影響を与えた。
そろそろアメリカ人は第一の敵である中国共産党に資金を提供するのをやめようとしている。
9. 国家レベルでの悪質な外国の影響力の除去
デサンティス氏は、フロリダでの共産主義的な中国の活動を大幅に抑制する法案を発表した。この法案は、ロシア、イラン、シリア、北朝鮮、キューバ、ベネズエラなど、この国の内政に干渉する他のいくつかの敵国も標的にしている。
2020年12月、トランプ大統領のジョン・ラトクリフ国家情報長官は、中国共産党が恐喝や賄賂の未遂を含む数十人の議員とその側近を標的とした「大規模な影響力キャンペーン」を行っていたことを明らかにした。
現在、敵対政権の数千の外国企業が、土地、食料生産施設、技術会社、教育施設、インフラを買い占めている。
何万人もの外国人工作員が、中国や他の悪質な国家の利益のために、非国民的なビジネスマン、非倫理的な政治家、同情的なジャーナリストを共謀している。
バイデン・ハリス政権の下では、連邦レベルでこれらの活動を止めるために何もされないだろうが、自由州にはまだ多くのことができる。
すべての自由な州が外国の贈収賄、汚職、スパイ活動、および破壊行為を取り締まれば、この国は変わるだろう。
もし何百人もの腐敗した学者、ジャーナリスト、実業家、政治家が(両党から)摘発され、処罰されれば、この国はすぐに道徳的、経済的、政治的な回復への道を歩むことになるだろう。
あなたはどう思ったか?
これらのステップだけではアメリカを救うことはできないが、正しい方向への大きな一歩になると信じている。私は、さらなる提案と計画を持ってフォローアップしていくつもりだ。しかし、今のところは、コメント欄であなたのコメント、提案、批判を見てみたいと思う。
ご愛読ありがとうございました。感謝するキウイより、アメリカに神のご加護がありますように。
トレバー・ラウドンはニュージーランド出身の作家、映画監督、講演者である。30年以上にわたり、彼は急進的な左翼、マルクス主義者、テロリストの動きと主流派政治への密かな影響力を研究してきました。著書に「Enemies Within. Enemies Within: Communists, Socialists and Progressives in the U.S. Congress "と同様のテーマのドキュメンタリー映画 "Enemies Within "で知られている。最近出版された本は "White House Reds: Communists, Socialists & Security Risks Running for U.S. President, 2020 "です。
この記事で表現された見解は著者の意見であり、必ずしもエポックタイムズの見解を反映しているわけではありません。
※アメリカ国民向けの具体案は日本人にはあまり参考の参考くらいにしかならなかったけど、世界から見るアメリカへのアドバイスとしてとても面白かった。現実を見る、のは日本人にも響きそう笑。GAFA系や中華系のボイコットやお金の使い方に関しては個人的にすでにそうしてるけど(大企業より頑張ってほしい個人商店やサービスを積極的に使っている)、世界の流れの一端として、もっと周りにも表明したり促した方がいいかなと思ったりもした。非暴力の徹底は私も望む点で、軍が一般市民に対する暴行ももちろんだけど、BLMやアンティファの正義の下の暴力も確実に批判されるべきだと思う。 ※あとこの記事は翻訳がサクサク上手くいってよかったです。ゲートウェイ~とか言い回し含めてめんどくさいのが多いのよ。
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judachigeiju · 7 years
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二〇〇八年の断片集
これは二〇〇八年の断片を集めたもの。二十三歳から二十四歳の記録。二〇〇九年の断片集もある。
七月
何も読まない人は幸いだ。
眼鏡をかけないとほとんどの女性は美人に見える。
金持ちも貧乏人も、感じられる幸せの容量は同じだ。
長く話す人は思慮が無く、短く話す人は愚鈍である。
法律が増えれば増えるほど犯罪は増える。
男は学問をしないと莫迦になる。女は学問をすると莫迦になる。
真面目に生きようとすればするほど不真面目に生きざるをえなくなる。不真面目に生きようとすれば人は自然と真面目になる。
八月
同期の女の子たちが下宿に来たとき、大きな蜘蛛を見つけ、「早くやっつけなきゃ」と言った。でも私は殺さなかった。全ての命は尊い。だからこそ、それを奪うには快楽を求める心が必要だ。恨みや嫌悪感や投げやりな心で命を奪ってはならない。それが命への礼である。
駅前に昼飯を食べに行って戻る途中で中学生くらいの見知らぬ少女に「こんにちは」と挨拶をされて、私は「おっーす」と返事をした。よく日焼けしてぽっちゃりとした女の子だった。記憶にない。
女性の先輩職員。良く言えば女性的、悪く言えば女性的。
大いなる誤算。知的障害児に興味はあったし、今でも興味はある。しかしそれは文学的な興味であって療育への興味ではない。
もし私が心から愛する女性がいるとすれば千人の男に抱かれた十四歳。
人生は無為だ。日本全土を巡る放浪の旅をするか、インドネシアに移住するか。
日々の生活に倦怠を感じたら何かを創作して形に残す。物語でも、絵画でも、音楽でも。それが子供である必要はない。
もっと野菜を食べよう
電車内での痴漢がなぜ罰せられるのかというと、痴漢は数百円から数千円で買うべき「服の上からの臀部の愛撫」や「下半身への性器の擦りつけ」などといった行為を無銭で楽しもうとしたからだ。すなわち痴漢は窃盗と同じ種の犯罪である。同じ理由で強姦も強盗と同じ種の犯罪であろう。
もし誰かが他の人に「あなたの好きなタイプは何?」と質問した場合、質問者は、回答者が異性のあるタイプ(イデア)を追求するために異性とつき合うもののだと予め規���してしまっている。実際には様々な異性の違いを楽しむために異性とつき合う人がいるというのに。そういう人間にとって「好きなタイプ」を定めてしまうことは無意味で味気のない行為だ。例えば私が「好きなタイプは?」と聞かれて「双子」と答えるのも双子の微妙な違いが好きだからに他ならない。
聞いた話によれば博多は結婚適齢期の独身女性が同年代の男性より多く、若い女性にとっての激戦区だという。或いは独身志向が強いのか。
男は、彼自身に興味のある女を賢いと思い、彼自身ではなく他の男に興味のある女を愚かだと見なす。だから全ての女を愚かだと断定する男は、どの女にも好かれていない、と思い込んでいるのだ。
私は他人の肉体を物質としか見なせない。例えば美女の肉体は何か貴重な物質であり、臭い男の肉体は何か臭い物質である。舌、唇、鼻、耳朶、乳首、陰唇、いずれの他人の肉片も博物館に保管されてしまう。
もし婚約者が元娼婦であっても結婚を完遂できる原動力が真実の愛だとしたら、私は純潔の処女ですら愛さない。
私は思う。仕事が嫌であればあるほど休暇の浮遊感は大きくなる。これは余暇を楽しむ為だけに労働している私にとって、都合の良いことではないか。まとまった休みが定期的にとれて、しかもその余暇が楽しいとしたらこれほど私に合っている仕事は無いんじゃなかろうか、と。
久しぶりに共感できる主人公トマーシュを見出すことができた。彼のように軽く生きたい、その軽さに耐えられないくらいまでに。
どんな社会体制であろうと、それが大勢の人間が集う社会という形式をとる限り、それに馴染めない人間が必ず存在する。そんな人間がとりうる手段は二つ。浮遊するか、絶望するか。あらゆる革命と変革は彼らとは無関係に為されている。
多くの若手経営者は織田信長を崇拝するが、そのうちほとんどの経営者は信長的人物を社員として採用しない。
職場の上司であるA係長は「結婚相手は妥協で選ぶな」と言うが、彼は自分が妥協で選ばれたかもしれない可能性を全く考慮していない凄い奴だ。
文学は少年期の私をどうしようもなく破滅せしめ、青年期においてどん底より救いたもうた。
女性と一緒の職場で、かなり動く仕事なので、よく乳房を触る。私は謝らない、気付かないふりをする。女性が「すいません」と謝ると惚けた顔をして軽く会釈を返す。
娼婦を尊敬できない男はあらゆる女を尊敬できない。
理想の老後。自営業か自由業で京都近郊に住む。東京近郊に、離婚した最初の妻との間に作った娘が夫と住んでいる。一年に一回だけ、娘を訪れる。私は彼女の子供たちから「京都のおじちゃん」と呼ばれ不思議がられている。というのも彼らにとっては三人目の祖父だから。週に一度、五條楽園に赴く。月に一度、長旅に出る。読書は欠かさない。
子供が欲しい、と私が思うときに浮かぶ光景は、一ヶ月に一度、裁判所が許可した時間だけ、まだ幼い娘か息子とレストランで会食し、帰り際にすぐ飽きられることが分かっている玩具を贈る場面。娘であればベッドに並んで忘れ去られる熊のぬいぐるみ。「何であのおじちゃんは熊さんのぬいぐるみばっかりくれるの?」小学生に上がったら絵本にしようかな。
もし私に、成人して未だに童貞の息子がいれば、かつてボルヘスの父がしたように、売春宿へ息子を送ろう。そんな理想の家庭を思い浮かべる。
恥骨が痛い。
美女や美少女をよく見かける街は美人が多いのではない。女性が街を歩いても安全な街なのだ。
人間が知覚できる事象はこの世界の極僅かなことに過ぎない。感覚が鋭敏であればあるほど、その人の知覚世界はより色彩に溢れ音楽に満ちて起伏に富み揺らぎ歪み傾いでいる。現代人が霊的存在について余り語らないのは、現代生活が感覚を鈍くさせているからだ。しかし火はいつまでも物質の揺らぎ、すなわちこの知覚世界の裏側に干渉し続けている。人よ、火を燃やせ、世界を超越せよ。
既に自分が正気と呼ばれるものを喪い、狂気の領域にあることを、数年前から薄々と気付いている。
職場での私は人生の裏を生き、休暇中での私は人生の表を生きる。
私は女性と議論をしない。いくら言葉を交換しても、お互いの思想と志向の違いを再認識するだけだからだ。そしてその段階に至った場合、私はその違いを知ることに興味が持てない。だから私は言う「女性と交換すべきは言葉ではなく、体液のみ」
今一番やりたいこと、中学生のときからの夢。どこからか女児を捕獲してきて、押し入れの中で飼育、調教し、優れた女性に育て上げること。
人間存在の悲劇を噛み締めた。
九月
福祉業は風俗業と同じで、水のような商売である。仕事の結果は形にならずに流れていき、客の記憶の中にだけ残るのだ。
新入社員の陥り易い思想的誤りは、自分に上司を殺害する権利があると思い込むこと。
法律で私の体を罰することができても、私の魂までは罰することができない。
今の仕事を続けるくらいなら、一九四五年四月初頭に大ベルリン防衛地域司令官に任命された方がましだ。
給料とは、働いたがために心を蝕むようになった苦しみと失った幾らかの正気の代償として労働者が得る金銭のこと、サラリー。
子宮のない女性は男性にとって「性の試験管」である。
中絶禁止も同性愛禁止も獣姦禁止も自慰禁止も旧約聖書創世記第三十八章第九節でのオナンの行為に対する第十節での主の怒りに由来する。しかし、人類はもう子種の浪費を許されるほどに殖えたのではないだろうか?
放浪の旅に出たい。
白地で絵は描かない。すべて黒地の上に描く。
若いときの苦労と快楽は買ってでもせよ。
もし私と結婚して離婚を言い出さない女がいたら、私は彼女の理性を��う。
「今朝は強姦したかい?」が朝の挨拶代わりになるような都市。その都市でそう挨拶されたのなら私は快活に答えよう「ああ、今朝は女児を二人だけだ」
男根のない男性は女性にとって「お払い箱」だ。
中学生のころはサド侯爵の書く小説の倒錯的な場面を読んでよく興奮したものだが、今読み返してみて、その哲学的記述には感心するが、倒錯性は何も感じなくなってしまった。すなわち、勃たないのだ。
三日に一度は射精しないと健康に悪いそうだ。
女性に懸案事項の説明を請われて私が説明すると、大抵の女性は「私さんは私のせいにした」と非難する。単に私は事実を述べただけなのに女性に内在する被害妄想癖が私を卑怯者に仕立て上げるのだ。ゆえに私は説く「女性と交換すべきは言葉ではなく、体液のみ」
生理痛による発言ならしょうがない。
早稲田大学に通っていたころの記憶が、今は全くない。
私の働くK学園では誕生会と称してその月の誕生者を祝い、誕生カードを送る。先輩職員方はカードに百文字くらいの感動的な文章を綴る。けれど私は、文字は「おたんじょうびおめでとう」と名前くらいで、あとは動物の絵を大きく描く。先輩職員はそれを見て「文字が少なすぎる」と注意する。おかしい。園生は文字が読めないか読めても読み辛い人が殆どなのに、文字を多く書くのは保護者向けに書いているからだ。なんだかんだ偉そうなことを言ったって職員連中は知的障害者のことを考えていないのだ。
産まれるまで気づかなかった。生きることがこんなに大変だったなんて。
少しまともな知能を持っていれば理解できると思うが、この福祉社会は健常者と障害者にとっては生きやすいけれど、その中間に生きる半端者にとってはまことに生きにくい。
放浪に備えて知能指数七十前後の話し方を習得しなければならない。そうすれば同情や施しを得やすくなるだろう。
人の性格はその人の祖先の生業から遺伝を受けると考える。私の祖先は今昔物語にも載せられた鈴鹿峠の山賊であった。すなはち略奪・狩猟・採集・漂泊を生業とする山の民だ。福祉職なんて性分ではない、放浪者こそ最もふさわしい。
職場で大事なことは飲み会や余暇活動などで自分の味方を増やすことであり、それは私が最も苦手とすることだ。むしろ得意とするのは敵を増やすこと。
職場の人間がみな緑色の眼で私を見ている。奴等はまともな人間じゃない。
もしこの学園の職員のまま死んだら、悔やんでも悔やみきれない。
A係長に「やめちまえ!」と罵られたのだから今すぐ辞めても構わないだろう。むしろ辞めた方が有難く思われるはずだ。邪魔な奴がいなくなったと。
「すごい着想力ですね」と言うところを「すごい着床力ですね」と言ってしまった。
失踪を決意した次の日の職場の奴等はなんだか心優しい。
看護婦さんの注射が上手くて、少しも痛くなかった。
心を鬼とせよ。奴等は飢えた猛獣だ。おまえの臀肉を狙っている。
失踪して、日本中の山々を彷徨する。歩兵第三十一聯隊の福島泰蔵大尉が私の師匠だ。
人類は幼形成熟であり全て人類は成形(天使形態)に変態する寸前で死ぬ、という幻想。天使の蝶
地球を覆う現代文明という代物は、依存症ないしは文学的な意味での依存から成立している。
全ての人類が物質的依存から解放され流浪の旅に出た瞬間、現代文明は衰退し、文化とほとんど差の無い放浪文明が萌芽する。
私にとって「衰退」は悪い意味を持たない。なぜなら「進化」と「退化」は「変化」の類義語という認識しか持ちえないからだ。
だって進歩と退歩のどっちがいいかなんて誰にも分からないだろ?
K学園では、遅番勤務上がりの二十二時からミーティングが開かれる。クラスミーティングは三人の担任で開かれ、係長ミーティングは三担任に係長を加えて開かれる。留守録によれば、昨夜ミーティングがあったらしい。でも私はそのことを知らされておらず、その時には疲れ果てて自宅で寝ていた。これが昨今の事態の本質である。同じクラスの先輩職員は新人の私に満足な情報を与えず、それでいて私が「ちゃんとやっていない」と罵るのだ。先輩職員は「分からないことは聞かないとこちらも教えることができません」という態度だが、超能力者でもない私にはいつミーティングが開かれるかなんて知るよしもない。
どいつもこいつも腐りきっている。
九月十五日、新宿駅で下野国住人エーリク氏(「沈黙のソネット」)と出会い、神保町で昼飯を食べて東京駅で別れた。思考する脳と発話する舌の相違の甚だしさが一つの人格を形造る。
たったそのことを理解するだけでこんなにも親しみが湧くというのに。
必ず連絡しよう。
判断を中止してください。理解しようとして下さい。
ひとつの職場やサークルや組織に長くいるということは、陰口を叩かれる人から陰口を叩く人になるということだ。
管理職とは判断しなければならない職務だ。部下の人格さえも、誤解とともに。
仕事をすると人生が色褪せて見える。
曉の空は美しい。夜が怒りと悲しみに溢れていたからこそ
おまえは妊娠したての子宮に夫以外の陰茎を突き立てられて、なんとも思わないのか?
青年は旅の人。道連れは記憶だけ。
映画「Into The Wild」を観た。すなわち「Into The Mind」だった。
新宿を歩く人々は本来の美しさを失っている。
十月
現代文明世界はアリストテレス的人間観の上に立脚している。故に、私のようにポリス的動物であることを捨てて放浪し無宿、社会常識に則った思考は不可能であるために言語的思考のみを行うことで価値の変造をもくろむ「獣」はやがて排除される。
ただし、ディオゲネス的世界市民主義が台頭するのであれば話は変わってくる。
資本主義の豚どもよ、犬となれ!
犬どもよ、広場で自慰をせよ。
本当にエコを実現したいのであれば、冷蔵庫も車もクーラーもあらゆる文明機器を捨ててディオゲネスのように生きればよい。それ以外のエコは全て偽者のエコだ。
真実のエコは全人類の穏やかなる自殺である。
たぶん、文明機器を捨てた現代人は、亡命先で奴隷マネスに逃げられたディオゲネスのようになるだろう。
「おかしな話だよ、マネスのほうはディオゲネスなしにも生きていけるが、ディオゲネスのほうはマネスなしでは生きていけないだろうとすれば」
文明社会とは人間をひたすらに脆弱な動物にさせる機構だ。もう二度と野生には戻れないほどに。ここでは人間はひたすらにちっぽけになるだけだ。
青年よ、常に己の中の獣を調教しておけ。そしていざという時には牙を剥き、爪を立てて、おまえを侮辱した奴らに目にモノを見せてやれ。
かつて大学時代に海驢という女に言い寄られた季節のことだ。ふと私の中に「あの女に会いたい」という感情が起こった。その感情を確かめるために、私は自慰をした。すると面倒くさくなって余りその女に会いたくなくなった。私は重ねてもう一度自慰をした。すると全く会いたくなくなった。二、三日して袋に種が満ちると再び私の中に「会いたい」という感情が芽生えた。ゆえに私は結論付けた。恋愛とは性欲の文学的表現に過ぎないと。
私と彼女とは違う地平に立つ人間であった。前者は「人間の地平」に立ち、恋愛は蔑ろにしても人間は尊んだ。一方、後者は「恋愛の地平」に立ち、人間は蔑ろにしても恋愛は尊んだ。そのため後者は私にメールで別離を告げた上に自意識過剰な主張を何度も送りつけて来た。彼女流の恋愛観ではそれが至極正しく、真っ当なことのように思えたのだろう。それに対し前者はあくまでも人間としての防衛線を保つことしかできなかった。
彼女は自分の精神的あるいは肉体的欲求を充たすためだけに私を利用したにすぎなかった。そのために「恋愛」という文法を用いた。それに対し、私は人間であるという前提の上に立っていた。ゆえに二つの歯車が歯をあわせることはなかった。
『百年の孤独』のブエンディーア一族は愛なくして繁殖した。一族の最後の者は叔母と甥の近親相姦によって産まれたためにその呪いとして豚のしっぽを持って産まれ、蟻のむさぼるところとなった。しかし百年に及ぶ一族の歴史の中で「豚のしっぽ」は初めて愛によって産まれた子供であった。
『百年の孤独』は単行本を三冊買い、合わせて六回読んだ。私が長編小説をここまで繰り返して読んだのは他に例のないことだ。
琉球美人は琥珀色の肌、引き締まった細い肢体と小顔を特徴とするけれど、秋田美人は朱を散らした色白の肌、ふくよかな肉体と顎先を集約点として突き出た面長を特徴とする。
選びがたく、悩ましい。
一夫一妻婚という制度の発明は多くの人間を罪人とした。つまり、一夫一妻婚という制度を継続する限り、社会は姦淫罪を量産せざるをえないのである。
法律の数だけ、罪がある。
あらゆる家庭の災厄は、一夫一妻婚が生んだ。
一夫一妻婚が形作る「家庭」は、ある種の子供たちにとっての牢獄である。
私にとっても、「家庭」は牢獄だった。
ディオゲネスは人間をよく理解していた。ゆえに彼は結婚を否定した。そして、彼は女性の共有と当然の結論としての子どもの共有を主張した。
女が産んだ赤ん坊の父親が誰か、なんてことはどうでもいいじゃないか。
私は沖縄から奄美に至る航路で、仰向けに寝ながら「死の恐怖」を超越した。超越したとき、肩から背中にかけて熱いモノが走った。目からは涙が溢れ、こめかみを濡らした。
そのとき、私は一度、死んだのである。
「死の恐怖」は小学二年生の私を捕え、十五年に及び、私の心を鷲掴みにして離さなかった。それは常に無感覚への恐怖、偉大なる世界が消滅することへの恐怖であった。
死によって他人が私を忘却するとか、そういったことは恐れなかった。「死への恐怖」はきわめて個人的な問題であった。
死後に感覚があるのならば、人間はその新しい感覚で永遠を生きるだろう。もし、死後に感覚がないのならば、死は何ら思い悩むことではない。マルクス・アウレリウス・アントニヌスの思想の私なりの解釈である。
「死への恐怖」は克服した。しかし、私はまだ完全に「死」んだわけではない。
今までは常に捕われてきた人生だった。これからはこちらが捕える人生である。
蟹田駅で特急に乗り、青函トンネルを通って木古内駅で降りた。すると、もう電車がなかった。しょうがないので駅近くの公民館の前で野宿をした。二十三時に寝て五時に起きた。小雨が降っていて、寒かった。吐く息が白い。
北海道では寝袋の下にアルミシ��トを敷いて大地に体温を奪われるのを防がないと危険だ。今の寝袋は零下十度まで快眠、零下二十度まで生存できるそうだが、零下二十度でも快眠できるようにしたい。
『闇の左手』の、アイとエストラーベンの氷原越えを復習しよう。
北海道の面積はオーストリーより広く、北海道の人口五六〇万人はデンマークより多く、道内総生産額GDP約二十兆円はマレーシアやチェコよりも大きい。また、道内の陸上兵力は三万七千人でベルギー・ポルトガル・南アフリカ。キューバの陸軍と同規模である。そして道内だけの食料自給率は二百パーセントに届こうとしている。
北海道は数値上では充分に一国として独立できる。独立後の国名はもちろん「アイヌモシリ」、人間の大地。
私は、その大地を歩く。
さすがに放浪する資金に先が見えたので札幌市南区澄川にアパートを借りた。
まだ鍵をもらえない夜に、不動産会社の女性社員が自宅に泊めてくれた。北海道の人はやたらと親切だ。
ちなみに私は女性社員宅で、晩飯を食べてから朝までいびき一つかかずに熟睡していたようだ。
どうやら寝言の癖は治ったらしい。
PHSを買った。
もし宇宙の果てまで行けるという宇宙船があるのならば、地球上で想定しうるあらゆる幸福を諦めてでも、私は宇宙飛行士になる。
そして、私の死体は永遠に宇宙をさまようだろう。
ある人が言っていた「全ての女性は男でふさがっており、あぶれた男は彼女たちの体が空くのを待っている」という感覚を今日、はじめて味わった。
那覇の人と札幌の人は語尾に「さー」をつける。なぜ?
ちなみに私は一日の大半を欲情して過ごし、半日は半勃し、四分の一は勃起している。というのも私の神経はズタズタになっていて、脳が異常なまでに興奮物質を分泌するからだ。
物理的に、私は「狂人」である。ゆえに小学4年生の私を「気が違っている」と評したあの女性教諭は正しかったのだ。
まず買わなくてはいけないのは掃除機、それと便座カバー。
尊大な解釈だが、中学生の私は自分のことを「桁外れの出力で凍結してしまった電算機」に喩えていた。今ならさしずめ「お祓い箱」と喩える。
大した運動もしないのに疲れやすい人というのは、たいてい脳内で体力はおろか生命力さえも過剰消費しているものだ。
ハローワークで調べたところ、私の適職は技能職か芸術家だという。
北海道のスーパーでは玉ねぎとじゃがいもがそれぞれ一個十円で買える。食うのには困らなそうだ。
中古パソコンを買った。ネットを繋げば、さぁさ始まる楽しくも愉快なNEET生活。
野菜を凍らせないために冷蔵庫を買った。
近所の澄川若草公園のベンチに男子高生が腰掛け、女子高生が前から枝垂れかかり、野合していた。北海道はおおらかだ。
夕方になると近所でやたらと陸自将校を見る。昨日は将校さんがスピードくじを買っていた。
今、私の中で福満しげゆきが熱い。
『コレラの時代の愛』を手に取った途端に涙が溢れてきた。さすがガルシア・マルケスである。本を持つ者にも訴えかける。ましてや読む者へは。
宇宙の最果てを超え、宇宙化以前空間の有り様を地球に報告する使命を帯びた超光速航宙船「エスペラント」
推進機関は決まっている。原子力だ。
はてさて、膨張しているという宇宙の辺涯はどのようになっているのだろう?
乗組員は地球に未練のなくなった七人の若者、日本国から二十八歳、タンザニア人男性二十五歳、イスラエル人男性二十三歳、フランス人女性二十七歳、インドネシア人女性二十五歳、ペルー人女性二十二歳、国籍不明少女十九歳。それと修理用ロボット三台。
航宙船の大きさ、全長二四〇メートル、幅三〇メートル。乗組員は訓練により、航宙船を自力で組み立てることが可能である。
船内には恒星熱で駆動する五つの栽培室、三つの畜産室、三つの水槽室があり、その他にも食料加工機が装備されている。船内で半永久的な食料生産が可能である。
凍眠室では肉体を凍結することで老化を遅らせることが出来る。しかし完全に止めることはできない。
この銀河は今、宇宙のどのあたりを漂っているのだろう?
船内の娯楽は様々で、読書・運動・遊戯・音楽・絵画など地球上でできることはほぼ船内でできる。
これは娯楽というより使命に近いが、性交が七日おきに違う相手と行われる。ただし自分の遺伝子を継承した異性とは性交しない。
宇宙化以前空間についての報告書をまとめるのは私の何世代か後の子孫になるだろう。
図書室には地球人類の叡智の集約である五十万冊が書籍と電子文書とで保管されている。
本の記述言語も船内共通語も人工言語である。
乗組員は医療知識を身に付けており、簡単な外科手術なら執刀可能である。また薬剤、輸血用血液も完備されている。
酸素は栽培室や庭園内の植物で生成される。水は使用後に循環、濾過、消毒される。糞尿は堆肥となり栽培室に回される。
トイレ、洗濯、洗浄では水を一切使わない。
航宙船は地球に帰還することはない。可能であれば宇宙化以前世界で居住惑星を見つける。
もし、宇宙膨張説が誤りで、宇宙に果てなどなかったとしたら、彼らの人生の意味とは?
いずれにせよ彼らも他の死者と同じように忘れさられるだけだ。
甜菜の糖度は水に浮かべて量る。
もし私が四十年後、人生について語るとすれば、「人生は語りえないこと」と「人生を語るのは恥さらし以外の何物でもないこと」を語るだろう。
大朋めがね、最高。
よく映画などで「この街に知り合いは誰もいない」なんて主人公が出てくるけれど、今の私がそれだ。
「マシニスト」はけっこう凄い映画。
昼下がりの真駒内公園は心地好いが、日が翳ると寒い。
カレーはインド人にとっての味噌汁である。
私の安アパートの一階には若い女が二人の幼女と住んでいる。1Rに女三人、そして幼女のうちの一人は養護学校に通っている。見たところ知的障害ではない、身体的な障害だと思う。
私は酒を飲まないし、酒が嫌いだけれど、時々飲みたくなる酒がある。一つは黄酒、もう一つはサングリア。そして大抵すぐ飽きる。
ローマ帝国時代は葡萄酒を水割りしないで飲むことは下品なことだった。
葡萄酒一に対し蜜柑果汁を三か四の比率で混ぜ、小さく切ったバナナを入れて冷蔵庫で冷やして飲む。これが我流サングリア。底に残ったバナナが一番おいしい。
日本の宗教、寺院や神社が信仰を失った理由は落ち着いて座れる場を市民に提供しなかったからだ。私もそうだが、現代の若者で休日に仏前や神前の座敷へ行き、無料で何時間も座っていられる者は何人いるだろうか?
ポテトチップスを食べながら歩いていたら四羽の烏が数キロメートルも私の跡をつけてきて、途中で烏同士の縄張り争いが始まった。ブランコに乗った女児が、烏の襲撃から走って逃げる私を見て笑っていた。
まだ仕事が決まらない。やはり職業適性診断システムの通り、「工」のつく職業を目指した方がいいのだろうか?
そうだ。私は稼業に生き甲斐は求めないのだから、工場の歯車になることに悔いはない 。
そういえば、小学生のころの放課後は主に炬燵で横になってテレビを見ていた。学校生活で甚だしく疲労していたのだ。
人と向き合う仕事ではどうしても甚だしく疲労せざるをえない。
近所から藻岩山が見えるけれど、どうやらそこで初雪が観測されたらしい。もう札幌は冬だ。
こんな自堕落な生活がいつまで続くのだろう?
「命の続く限りだ」
日能研札幌が私に試練を与えた。小学五年生のテキストを使って模擬授業をして、出来が良ければ私を雇うというのだ。
真冬日の存在にびびり、紅衛兵が被るような帽子と電気ストーブを買った。
夜間の水抜きは十二月から始めよう。
札幌市中央図書館へ行く。蔵書は充分ではないものの悪くはない。
岩明均は古代ギリシャ世界に主題を置いている。塩野七生は中世イタリアが主題だった。赤羊は十九世紀のヨーロッパに主眼を置いているという。私も時代と地域を特定した主題があるといいなぁと思っているけれど特に思い浮かばない。
まぁ私には「帝国」という物語世界があるし。
敢えて言うなら、二十世紀エスペラント運動に携わった奇特人を取り上げると面白そうだ。
母の私への愛情が、一般の母子愛のようなものではなく、所謂「共依存」の一方通行であるならば、これまでの二十四年弱を説明しやすくなる。
十一月
戦争がなくて女性を共有できて食べる物に困らず各成人に満足な住居が割り当てられ、言論と思想と信教の自由がそこそこあり、働けば働いた分だけ暮らすのに困らない給料を貰えて老後は年金が保証され、学費と医療費が無料の国。それが私の政治的目的だ。
つまり空想的社会主義。
それと人類人主義だか世界市民主義だかよく分けられない個人のあり方が私の基幹思想だ。
よって、ここに「空想的社会主義人類人党」を掲げる!
政権交代は選挙によるもの、そして政体の転換は民主的な投票によるものが好ましい。
思想を根拠とした暴力と殺害は厳しく禁止する。
キリスト教的異性独占行為である結婚制を廃止し、十八歳以上の労働者あるいは学生である男女が抽選で定められた相手と三日毎に共同交配所で生殖行為をする交��制を敷く。妊娠から出産までは人類人政府が完全に支援し、交配に因って誕生した父親不明の子どもたちは人類人政府が「人類の子どもたち」(filoj de homaro)として十八歳まで養育する。ただし母親は六歳まで自分の子どもを育てる権利を有する。もちろん義務ではないので育児放棄も可能だ。
同性愛者は「特殊交配所」を利用できる。
「人類の子どもたち」への教育は「人類人主義」(homaranismo)と「性欲の賛美」に基づいて行われる。
資本主義的異性寡占行為である恋愛の宣伝行為や過剰な恋愛賛美は個人的な趣味と芸術的表現以外ではこれを制限する。
いかなる場所であっても人類人は抽選で定められた相手以外の人類人との性交を禁止される。十三歳以上十八歳未満同士の性交、及び十三歳以上十八歳未満の「人類の子どもたち」と人類人との性交は性欲の解消と自己存在の確立のための行為としてこれを許可する。
すべての人類人は共同食堂を有する共同住宅が付与され、その見返りとして都市部では共同職場、近郊部では共同工場、農村部では共同農場にて労働する義務がある。
労働には対価として報酬と七十歳以降(もしくは退労勧告後)の年金が共通通貨ステーロ(stelo)で、そして交配する権利が与えられる。労働者及び退労者は医療費が無料である。
十八歳で全ての「人類の子どもたち」は人類人となる。人類人になった次の一月から、人類人は希望とそれまでの学校成績、そして試験を考慮した上で各種大学校に入学できる。そこで四年間、学問或いは職業訓練などに励む。学費は無償。もちろん、大学校に通わずそのまま労働者となる選択もある。
共同住宅での居住が困難な各種障害者は共同食堂を有する共同施設に入所でき、施設付属の工場や農場での労働を行うことによって労働者と同じく報酬と年金を得ることができる。もちろん交配する権利も与えられ、その対象は障害の程度により共同施設内の異性と施設外の異性とに分けられる。
刑務所では付属の工場や農場で労働している者に限り報酬と年金、そして刑務所内の異性と交配する権利が与えられる。
共同交配所は感染症の恐れがない限り、病院の患者も利用できる。
全ての「人類の子どもたち」はエスペラントを国際補助語として学ぶ。また全ての「人類の子どもたち」は各人の母語によって教育される権利を有し、母語による教師のいない学科は国際補助語エスペラントで教育される。第一外国語、第二外国語以下の外国語は個人の選択によって決定される。
共同住宅は一棟につき三十~五十戸(三十人から五十人)を収容し、共同住宅が十棟前後集まって一つの島を形成する。そして島が幾つか集まって区が形成され、区が幾つか集まって行政単位として、都市部の市、近郊部の町、農村部の村が形成される。区が設けられない場合もある。共同交配所は島単位で運営される。
人類人政府が統治する領域内で、島から島への移動は自由である。すなわち「空想的社会主義人類人共和国、日本群島」東京市世田谷区第三粕谷島第五棟第二十三号から「空想的社会主義人類人共和国、パリ盆地」パリ市第三区第十八島第一棟第十二号への移住は共同住宅の空きさえあれば誰でも可能である。必要なのは法律的処理と引越し作業だけだ。
移住先での行政サービスは母語で行われる。不可能な場合はエスペラントが用いられる。そのため人類人政府が統治する領域であれば善き人類人はどの共和国のどの島へ行っても行政サービスの内容を理解することができる。またどの人類人政府でも共通通貨ステーロ(stelo)が用いられているので、身元証明書と共通通貨を携帯していれば人類人はどの人類人政府へも簡単に旅行することができる。
死ぬと遺体は共同墓地に葬られる。遺産は全て人類人政府が没収し、家財道具は再利用される。
地球があますことなく全て空想的社会主義人類人共和国によって統治されたとき、(自己主張が激しく自意識過剰な反体制者どもは未だに音楽やテロで抵抗しているのだろうが)現生人類は己の種族の性欲の激しさに驚くことだろう。
複十字健診センターで肺のレントゲン写真を撮った。
私は中一から中三までツベルクリン反応は全て陰性で、そのためにひどく膿の出る注射を六回射った。
体育祭の度に注射されたところが膿んでぐちゅぐちゅになるので、体育祭の練習は嫌いだった。
それほど嫌な思いをしたのに、結核にかかっていたら笑える。
子規も啄木も同じ鳥のことを表す漢字だ。その鳥の口の中は赤い。
まるで結核患者の吐血のように。
札幌の地下鉄には網棚がない。
私は幼稚園に年中組から入った。そして最初の登園日に幼稚園のおもちゃを家に持って帰った。もちろん私に悪気はない。誰も「持って帰っちゃダメ」とは言わなくて、家でもそのおもちゃで遊びたかったから持って帰ったのだ。
私はそういう子どもだったし、今も多分にそういう人間だ。これを我が儘と呼ぶのは勝手だが、私は自身を「暗黙の了解のわからない人種」だと解釈している。
悪いのは「暗くて黙っているのになぜか了解している人種」だ。黙っていないで話せばいいのに。
シャルル・フーリエの『四運動の理論』を読み始めた。愉快だ。
十二月
買ってあったのに神聖なるアスパラガスを食べ忘れていたため、尿が臭い。
北海道の靴底は内地と違うらしい。
鶏の心臓と肝臓が半額だったので臓物カレーを作った。まずかったし、臓物である必要性がなかった。
半月弱だけ働いた九月分の給料が六万円だけ振り込まれていた。時給制の契約社員だから当然だが、奇特なことよ。
それでドミノピザを頼んだら、配達員が茶髪で小柄で猫を連想させる女の子、アキモトさんだった。お釣りを数える指先のたどたどしさがバイト経験の薄さを物語っている。思わず「ゆっくりでいいよ」「ご苦労様」などと優しい声をかけてしまった。
これが逆の立場であれば、私はアキモトさんの食べるであろうピッツァの上に己の白濁精子をバタァの如く振りかけたであろうに。
水商売とは「やったことが形に残らず水のように流れていく商売・仕事」の意である。
「福祉業は水商売なんです」と某知的障害児施設の幹部が言っていた。
かつて医師であった渡辺淳一が小説家になると決めたとき、母に「そんな水商売はやめなさい」と言われたという。
しかしよく考えれば、小説家の仕事は文章という形で残される。もし医師が医学研究を行わなければ、接客業である医師の方こそ水商売である。
水商売と非水商売のと境界は生産物の��続性や仕事の複数性について思考せざるをえず、曖昧である。ゆえに水商売の定義は難しく、渡辺淳一の例のように単なる負の意味を持つ言葉としてしか使われていない。
第三次産業はそもそも水商売である。
映画「レッドクリフ」を観た。「赤壁」に非ず。
九月までハリウッドのアクション映画だろうと私が思っていたのは事実だ。
蜀三将が強すぎて、かつ格好良すぎる。
官渡の戦いと赤壁の戦いは三国志の二大盛り場だけれど、まだ三国鼎立はなっていないんだよね。小学生のころは赤壁の戦い時の情勢がよくわかっていなかった。
中村師童(甘寧)が頑張っていた。
八卦陣には身震いがした。
規制が入って乳房は映せない。
前半は戦闘と外交の連続で、主線の通っていない名場面の羅列映画、すなわち駄作かな?と思ったけれど、お茶の場面で一本の線がすうっと引かれた。
赤壁の戦いは三国志版トロイ戦争だったのだ。
趙薇(尚香)の演技が浮いている。喜劇向きだな。
一番良かった場面は、次回の予告。次の主題は火と風だ。
この映画を観たあとの私なら一騎当千である。
滑舌が余りよくないので「公序良俗」と言おうとすると「公女凌辱」となってしまう。
ネットに繋がっていないパソコンはただのゲーム機だ。
電話窓口「私さまは、テレビの地上デジタル移行への対策はどのようになさっておいででしょうか?」 、私「テレビを買わないようにしています」
夜の狸小路は面白い。
まだ二十代も前半なのに、新しいことを始めるのにさえ「腰が重い」とは。
負けたいと願う心は知りたいと願う心である。
小麦は米より必須アミノ酸の量が格段に少ないので、パンだけで必要な栄養を摂るのは難しく、どうしても肉が必要になるのだ。
逆に言えば米は必須アミノ酸を多く含むので、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べただけで栄養は充分なのだ。
日本人女性が段々と痩せ形になったのは食事の洋風化のお蔭なのだ。
中古冷蔵庫のホース接続部から水が漏れるので調べたら、ゴムが弱くなっていた。仕方ないのでヨドバシカメラで四七二円の替えを買って付け直した。
じゃがいもを四つに切ってサランラップでくるみ、七五〇Wで三分チン。それにマヨネーズと青海苔をかけたものを小腹がすいたら食べている。二キログラムを一九八円とかで売るのが悪い。
札幌の良いところ。東急ハンズとハローワークとブックオフとヨドバシカメラとアニメイトととらのあなとメロンブックスと紀伊國屋書店とドンキホーテとダイソーがお互い歩いて行ける距離にあること。(毎日一巡している)なのに人通りが渋谷や秋葉原よりも少ないこと。
そういえば、私が高校二年生のときはアニメイトとメロンブックスは狸小路の雑居ビルの二階にあったような気がする。
時計台はいつ見てもしょぼい。でも旧北海道庁は素晴らしい。
奄美大島もそうだったけれど母娘や母子をよく見掛ける。
朝起きて、今朝は特にしばれるさーと思ったら、粉雪が降ってたさー。
藻岩山の山頂付近に雪が積もっていた。風が吹くと皮膚に刃を当てたように冷たい。
昼になると雪の粒が大きくなって降りしきる。この分だと積もりそう。藻岩山が見えなくなった。
昼過ぎにはまた粉雪に戻った。
ローマ教会は一二八二年に全シチリア島民を破門したことがある。
ガブリエル・ガルシア・マルケスの登場人物は名を替えてあちこちにいる。
ガブリエル・ガルシ��・マルケスはノーベル賞受賞講演中に、スペイン語文法の単純化と文法規則の人間化、そして正字法の撤廃を訴えた。
今日、たい焼きを食い逃げした女の子に体当たりされたような感覚を味わった。
国際補助語エスペラントを図書館で借りた入門テキストで復習している。新たな発見もあり奥深い。 ベネズエラの正式名称は「ベネズエラ・ボリバル共和国」である。
将来日本で福祉戦争が起こる。福祉をする側(貧困層)と福祉をされる側(富裕層)の間の闘争だ。
大学二年生のころ、札幌市北区出身の友人が「そのゼミの先輩の彼女は風俗嬢なんだよ」と馬鹿にしたように言っていた。確か業種はヘルスだったと思う。
私はしかし生粋の文学青年であったので、その先輩は「本物の愛とは何かを知る男」だと感心したものだった。
世に云う恋愛には三種ある。一に肉体的征服感、二に精神的連携、三に依存。いずれも正しい。
女性や青年はこれら三種に序列をつけたがるが、本能より出る感情ではない。
もし恋人が風俗嬢の場合、肉体的征服感を主とする者は悶え苦しみ、精神的連携を主とする者は仕事を応援し、依存する者は依存し続けるだろう。
江戸時代、豪商や文人は吉原の高級娼婦を正妻に身請けしたし、仏蘭西にも『椿姫』という高級娼婦との恋愛を描いた小説がある。
何も人生は女性のために生きるのではなく、自分自身のために生きるのだから先進的な近代人たちはあまり妻の過去や職業にこだわらなかったのだ。
ましてや現代人をば。
札幌で諸兄が遊ぶとしたら薄野ではなく、南六条東三丁目の交差点を豊平橋の方へ行って右手にある二つの会館はどうだろう。
少なくともその豊平川沿いの会館群は十九時くらいから薄野の風俗店が閉まる〇時以降も午前三時まで営業している。脱法営業だからだ。今日までなら行くことはないけれど、明日の幕開けとともに始まった空白の三時間でなら行く価値はある。
カネマツ会館と五条東会館とあり、黄色地の看板で飾ってあるのですぐ分かる。共に二階建平屋風となっていて中には小さな飲み屋が軒を連ねている。
坂口安吾は高校生のときに読んで挫折したが、さもありなん。小僧っ子にはわからんさ。
手に職じゃないけれど前の住居からアクリルガッシュを持ってきたのでアクリル画を再開した。
私は全て絵画は部屋の装飾のために描かれると信じ、絵画による自己表現というものを信用していない。
掛軸はそもそも飾るものであるし、ルネッサンス期のアトリエでは壁画を製作していた。
絵画は装飾品であるからこそ芸術であり、美術なのだ。
私の部屋には本棚がなく、また買わない予定であるから、寂しい白壁が広く空いているのだ。
街のあちこちに水色の函がおかれ、滑り止めの砂が満載だ。冬支度である。
これは「常に凡ゆる断片」
私の現在の研修生という立場は気楽だ。職場へ行く義務はない、しかし職場へ行って研修するとただ呆っと座っていただけでも給料が出る。七時間いれば日給は一万を超すが残念なことに交通費は出ない。
結局、履歴書を出して面接したところ、全てに受かっていた。
大学五年間で一度も病院にかからなかったし、四、五年生のときは特に無病息災だった。それは生活が閉塞的であったからだ。しかし小学生どもと触れ合う職場ではいつ伝染されるか怖くて堪らない。
結核ではないことを証明しなければならない。
ミニシアター系の映画は気取った芸術学生や頭の悪い女子大生が「こんな映画を観る自分っておしゃれ!」と観るものと相場が決まっているが、私も観る。今日はシアターキノで「敵こそ、我が友」を観た。
私はフランス人気質でフランス映画がよく合うので、フランス映画を多く上映するシアターキノは選ぶ苦労がない。
政治はえげつない。民主制であろうが、独裁制であろうが国家が人間の集合体である限り、醜い。
クラウス・バルビーは残忍な性格だったろう。しかし悪だったのだろうか? 悪とはきっと温和な性格をしていると思う。
風呂に入らないまでも足だけでもお湯に浸らせるだけで眠り心地が全然違う。
北海道では小学生でも棒を「ぼっこ」、唐揚げを「ざんぎ」と言う。
電車を「汽車」と言うのは分かる。というのは汽車と呼んでいた時代と今とで利便はほぼ同じだし、電車は山手線や京王線こそが呼ばれるに相応しい。
職場を二十一時に出発し歩いて自宅まで帰ると一時間半でつく。もちろん手袋、帽子(フード)、マフラーは必要だが。
「かたわ少女」という障害者の女の子を攻略するゲームが海外で製作中らしい。
しかし知的障害児が登場しないのが残念だ。白痴少女は萌えるのに。
男は女が弱い立場にあるときだけ、女を守ろうとするし、大切にして真剣に愛そうとする。
それは彼女たちが「この人がいないとこの先自分を愛してくれる男が現れないかもしれない」と不安に思っていることを男が知っているからだ。
男は女が自分より弱い位置に立っていないと安心できない。
というのは男は、一度男を知った女は男なしではいられないこと、そして女は常に男を乗り換える機会を伺っていることを知っているからだ。
女にとって男は靴と同じである。足裏は一度靴になれると直接地面を踏む痛さには耐えられないし、履き古した靴は履き替えたいと思うだろう。あるいはまだ新しくても見栄のために違う靴を物色したりする。それにサイズが大き過ぎてもダメだし、小さ過ぎてもダメだ。
だから、賢明な男は、いわゆるまともで競争相手のいそうな女は遊び感覚でしかつきあわないのだ。
つまり、障害を持つ少女或いは女性というのは現代社会では稀に見る「愛され女」なのだ。
死は恐れるに足らず。人間は死なない。なぜなら死ねば人間ではなくなるから。
怒るな、褒めよ。大事なことはチンパンジーが教えてくれる。
日本の大衆文化が幼稚なのは、大衆文化を形成するための大衆、つまり充分に余暇のある人々が生徒と学生に限られていて、成熟した大人は仕事に追われて忙しく文化どころじゃないからだ。
すると数の論理で中学生、高校生、専門学校生や女子大生に受けの良い番組、音楽、小説、漫画があたかも日本中の注目を浴びているかのように見える。或いは情報媒体がそう見させている。
いわゆる恋愛主義が社会を支配する主流思想に思えるのはそういった中学生や高校生の未熟さや幼稚さが大衆文化の前線を陣どっているからだ。
少しでも文化に興味のある人であれば仕事に就いて余暇を奪われることを恐れるだろう。そして無職への風当たりの強さに怯むのと同時に大衆文化の幼稚化を憎まなければならない。
まともな大衆文化を形成するには充分な数の大人が充分な量の余暇を持つ必要がある。そうやって数の論理で生徒・学生文化を日本大衆文化の一分野へと押し戻していかなければならない。
恋愛主義を一派閥へと駆逐し、男女の関係を“人間の地平”に立脚するものにしなければならない。
とりあえず私はキノカフェでフランス映画を観て、市立図書館で坂口安吾と旧共産圏とラテンアメリカの文学を読もう。
皇帝、国王、大統領は偉大で、豪華な外見をしていなければならない。たとえ黒革金銀細工の財布の中身が空であっても。
職場を出ると粉雪。
十一月二十日の札幌市内における最高気温、零度以下。
つまり真冬日。
そして、朝起きると人生でかつて経験したことのないような積雪。
水抜きしないと水道管が凍る。
起床時の室温、三度。
湯たんぽを購入。
氷雪上を歩くため、靴にスパイクをつけた。
そんな晩に狸小路で演奏している音楽愛好家がいる。
零下三度の札幌で、私は豊平川沿いを自宅まで歩き、やっと帰宅する。
帰宅時の室温、一度。
私を雇った職場が入っているビルに北海道で一番有名な政治家が所属する個人政党の本部がある。
だから今日は政治の話をしよう。
狸小路で日本共産党のDVDをもらった。
それはまさに志位書記長のファン・ディスクだったが、つらつらと全編を鑑賞してしまった。
あやうく共産党のファンになりそうだった。しんぶん赤旗日曜版を定期購読して、日本共産党に入党しそうになった。
旧共産圏を生きた人の小説を読むと、共産主義もそれほど悪くはないと思えてくる。
悪いのは共産主義じゃなくて独裁的な指導者と我が儘で自己主張の激しい反体制者だけだ。
けれど、そもそも私は人間集団が嫌いなんだ。
だからどこかの政党に入ることはまずしない。
それに大学時代に身近に見てきた「共産党」は醜悪だったし、第一に私はデモとか行進とかの集団行動が嫌いなんだ。団結しようとするのは現実から逃げているからだ。
もっとやり方がスマートなら、話を聞いてくれるかもしれないのに。やり方が顕示的で、目的へと努力する前から諦念が感じられる。まるで知的障害児や駄々っ子のようだ。
つまり私は共産主義には興味があるが、共産党はあまり好ましく思っていない。
しかし一国を動かすためには何かしらの政治学を学ばねばならない。大学の政治学部に入学するか既存政党に入るか、独学で習得するか?
よし、独学しよう。そして政党は私が自ら創ればいい!
大学四年生の夏、就職活動を諦めたときから生きている感覚に乏しくなってきたんだ。だんだんと。
早口でまくしたてる人は苦手だ。いや、人ではなくて早口が苦手で、早口で喋られると泣きたくなる。特に女性に多い。
早口な人と吃っている人のどちらを選べと言われたら間違いなく吃っている人を選ぶ。
早口な女性は別に頭の回転が速いのではない。なぜなら思考によって、ではなく記憶と憶測だけで話すからだ。
つまり早口の女性は言葉を持たない。彼女たちは壊れかけたテープレコーダーに過ぎないのだ。
職を探す度に共産主義を羨望する。
自動的に職は与えられて然るべきだと思う。
働く時間というのは私にとって死の時間である。
なぜ己の死を自分で探さねばならない?
私は常に余暇か副業が生きている時間なのだ。
これは逃げ、なのか? 或いはそういう生き方なのか?
「辞めさせた、或いは辞めた職場は労働者の次の仕事を見つける義務がある」という法律を作って欲しい。
逃げられた職場も。
「よく働こう」とするのではなく「よく生きよう」とする者にとって資本主義は残酷だ。
ニートさんとかフリーターさんを問題視する人は、まず面接で若者を見捨てる人を問題視した方がいいよ。とブックオフとパン屋チェーンのアルバイト面接に落ちた私が言う。やっぱり大学時代のバイトと同じ業種しか雇ってくれないのか? なんだ、この職業カースト制は?
私だって美味しいパンを作って主婦層や職業婦人からモてはやされたいのに。
生きているのかなぁ、本当に? 自分。
佐賀県からこの一週間、このブログへのアクセスがなかった。
その程度の教養レベルか!佐賀県の教育委員長は職務怠慢により死刑!
或いは佐賀県にパソコンは無いのか?
中学生のころ、スナッフビデオは都市伝説だと聞いて、「ならば自分たちで作ればいいんじゃないか」と思った。
抑圧された子供は、一人暮らしをすればできるかもしれないことを妄想するものだが、私の場合、その全てが犯罪がらみだった。
さて、私はこの見知らぬ百五十万都市で市民記者に登録した。
仕事における電話の秘訣は、相手に電話したことを後悔させないことだ。
空想的社会主義者の食卓。【切り餅(磯辺か餡)三個と納豆】【玄米フレーク五十グラムに牛乳かけ】【蒸し馬鈴薯と野菜スープ】【インスタント麺と蒸し馬鈴薯】【御飯と魚介缶詰と味噌汁】【ピザトースト二枚と野菜スープ】【カレーライス】【食パン二枚と目玉焼き】
空想的社会主義者の食事への心得。粗食、同一性保持、昼食は朝食と夕食のつなぎ。
空想的社会主義者の主要飲料は【牛乳】で、【野菜ジュース】や【珈琲】や【茶】は嗜好品として飲む。牛乳を多く飲む日は必ず納豆などの大豆食品を食べるべきである。
空想的社会主義者の栄養補給剤は【エビオス錠】である。
これは決まりではないが、豚肉と鰭や鱗のない魚は食べない。肉製品と乳製品を一緒に食べない。血を食べるのはダメ。
イスラエル国歌「ハティクヴァ」は物哀しい。
ラーメン! フライングスパゲッティモンスター。
実家にいたころは飽食気味で、私はやや肥満だった。
母は愛情を食事でしか表現できない人だったからだ。
学園時代はよく食べた。しかしよく戦ったので痩せた。
今は粗食で痩せた。
今日、昨日、一昨日は図書館(徒歩五分)とスーパーマーケット(徒歩三分)に行く他はずっとパソコンの前で過ごした。
おかげでウンコが硬い。
二ちゃんねる系のサイトに今更ながらはまっている。
もう仕事とかどうでもいいや。面接とかで人間性試されるの嫌いだし。
ほら、お外は怖いし。寒いし。
いつの間にか雪降ってるし。
火星に土地でも買って移り住もうかな?
やれやれ
人間は今でこそ呼吸し、食べ、排泄し、寝て、思考している。
しかし数年後か数十年後には思考は消え去り、記憶もなくなるだろう。
私はもしかしたら今までの人生の四倍の時間を生きるかもしれない。しかし決して五倍は生きないだろう。
思考と記憶の消滅、それを人は「死」と呼ぶ。
症例はいくつもあるにも関わらず「死」の問題は医学によっては解決されていない。ただ宗教だけがこれを信仰により解決させようとしている。
人はこう思うだろう。なぜ必ず「死」ぬ人間に思考が与えられたのか?と。思考さえなければ「死」を思い悩むことはなかったのに、と。
私はこう考える。誰かがこう仕組んだのだ「人間よ、その『死』とやらについて思考せよ」と。
で、私は考えた。人間は「死」ぬ、ゆえに有限だ。しかし人間の集合体である人類は半永久的に存在する。この違いに意味が存在する。
人間が「死」ぬのはなぜか?それは人類全体に更新を与えるためだ。つまり個人の人生というのは人類という種族全体の繁栄のためにある。
恐竜は失敗した。しかしあの時代にはあの形態が最適だった。今の時代は人類の形態が最適である。しかしいつ人類の絶滅が訪れるかわからない。
個人やある人間集団の私欲のために人類が犠牲になるとしたら、死んでいった人類はもとよりその個人やその人間集団の人生も無駄になる。なぜなら彼らは人生を無駄なことに使ったからだ。或いはそれも人類の試行錯誤なのか?
ゆえに私は結論付けた。人間の人生を活かすには常に自身のためではなく人類のために生きよ、と。私の宗教的信条でもある。
私が二〇〇七年二月に生み出した「人類意志こそ神」という真理は今もゆるぎない。
その結論ゆえに私は人類人主義と世界市民主義を支持する。
世界連邦を唱えるバハイ教はある意味では正しい。世界中心都市論と世界政府論を除いては。
ゆえに私は「宗教団体に所属しているか?」に関しては無宗教だが、「信仰を持つか?」については有信仰だ。
人類全体へのゆるぎない信仰。
警察犯処罰令第一条第三号「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者は、三十日未満の拘留に処せられる」。私、危なかったなぁ。
ちなみに昨日は十五時すぎでマイナス三度だった。気温がプラスになることはなかった。
フードか帽子を被らないと顔が凍る。
キブツの子供は母親と離れて暮らす生活を強いられるので就学前は夜尿や指しゃぶりなどの情緒的未発達が見られる。
しかし子供の家での十八年間に及ぶ集団生活を経て、青年期になると非神経症ともいう��き環境適応能力と高い社会奉仕意欲を示すという。
人口の十%にも満たないキブツの人がイスラエルを率い、パレスチナ人どもから国を守ってきたと言っても過言ではない。
キブツはどこかスパルタと似ている。
母親の愛にくるまれてすくすく育ち、教育を終えて社会に出る際に新しい環境に適応できず引きこもりになったり神経症を患ったりする日本とは正反対である。
また家族という、気の違った両親の作る牢獄に囚われることなく、子供は成長することが出来る。そのことの、なんという幸福。
キブツ制度が全く善くて素晴らしいと賞賛するわけではないが、日本人はキブツなどの社会主義制度を少しは見習うべきだよ。
なぜ働けるし、働く意志のある人間が働けないのだ?労働力の余剰をどうして解決しようとしないのか?
ギリシャ的な暴動を起こしたいさね。ヘルメット、鉄パイプ、ナイフ、クロスボウ、火炎瓶を装備してさ。戦うんだ。
見えない何かと。
そのために私は筋トレを欠かさない。
正しい太り方をしよう。正しく太った人は美しい。
正しく太った人は、間違って痩せた人より美しい。
皆さんも親になれば分かると思うが、愚かな親は「子供は家庭にさえいれば良く育つ」と信じ、施設に預けられた子供を見ると「可哀想に!」なぞと言う。
これは親の傲慢であり、怠慢だ。
ある種の家庭に産まれた子供にとって、家庭とは牢獄に過ぎない。
悪しき家庭は普通の施設にさえ劣る。
もちろん、部下に怒鳴りつける上司がいるような施設は失格である。やたら怒鳴りつける父親がいるような家庭が失敗であるように。
家庭は人生の不条理の始まりである。結婚がそうであるように。
不倫の存在は結婚制度の不完全さと失敗を裏付けている。
なぜ男性は一人のやがては醜く老いる女性と共に生きねばならず、女性は一人の頑固で我が儘な男性に肉体を支配されなければならないのだ?
ならば結婚制度をなくし、複数の男性と複数の女性が乱交する交配を制度化すればいい。
そして交配を道徳とする。
これで家庭は消滅し、家庭起源の不幸も消え去る。
女性と子供を家庭という牢獄から解放しなければならない。
これはおいしいぞ
不満があるなら耐えてはならない。叫ばなければ、心弱き者はいつまでも弱いままだ。
INTER LUPOJ KRIU LUPE!
祖父の最初の記憶は航空機である。私は祖父の住む福岡まで航空機で遊びに行った。
両親の結婚式のときに某Hグループのエレベーター専門子会社の社長に就任したと聞くから、その時は既に退職していたのだろう。
それから祖父は奈良の西大寺に引っ越した。奈良での記憶はあまりにも大きい。
遊園地へ車で行く途中で私が寝てしまい、目覚めたら祖父宅の前だった。
祖父は三重県の山奥の出身で、憲兵として猿田彦神社を守っていたら終戦になったという。
カメラ好きで本好きだった。本好きは私まで遺伝したが、カメラ好きは父までの遺伝で止まってしまった。
最近、腰を痛めて歩行困難になったので東京区内に引っ越した。
父から連絡があり、今から急遽、私はAIRDO二十便で羽田空港へ向かう。
明日を迎えるかどうかは、分からないという。
こんなに揺れた飛行はチュニス・カルタゴ空港からシャルル・ド・ゴール空港への飛行以来だ。
連絡から二時間半で私はすでに機上の人だったため、荷物が近所徒歩五分の図書館へ行く際と同じ量である。
東京は雨が降っていることもあるけれど蒸し暑い。
この三ヶ月で私は巨大大陸辺縁にある弧状群島の知床から那覇までを一往復分移動したことになる。
私は行動する直前にはその行動について考えない。そのために行動に躊躇はない。
そのせいで今まで様々な困難があったけれど、今回は良かったのかもしれない。
考えてみれば祖父は昨日で八十四歳である。私があと四日で二十四歳であるように。
まだまだ十分とは言えないが神々に文句はつけられない年齢だ。
容態は少し落ち着いたようだが、まだ危ないらしい。
十二月六日に、大阪の釜ヶ崎で暴動事件が起こっていたという。引き金をひいたのは暴力的で犯罪的な西成警察署による労働者への暴行事件だった。
「連れて行かれた西成署の三階の個室で、四人の刑事に代わる代わる顔を殴られ、紐で首を締められ、足蹴りされ、挙句の果てに両足持たれて逆さ釣りにされた。気が遠くなると、スプレーをかけられたと言う。生活保護を打ち切ると脅かされて、その店に近づかないという始末書まで書かされている。」(西成署警察官の暴行に抗議する!)
年末における雇用問題の原因は、報道をみるかぎりでは労働者の選択肢の狭さに原因がある。
いや、労働者はそもそも選択なんてしたくはないのだ。だって仕事のために生きているわけではなく、生きるために仕事をしているのだから。
経営者はもちろん「仕事にために生きる人」を求めるだろう。已むをえないことだ。しかし従業員もそれに右に倣え、では自分で自分の首を絞めているようなものだ。面従腹背が必要である。
そういう意味で、日本の労働者は正社員も派遣社員も労働意識が低い。
企業が、「お客様のためにある」時代は終わりを告げた。これからは「従業員のためにある」企業が求められている。
労働力の均衡という面から見れば、学業を終えた健康な成人には自動的に職が与えられてしかるべきなのに。
情況の囚人という心理実験によれば、派遣社員も正社員になれば正社員ばりの働きをするし、正社員も派遣社員になればそれだけの働きをする。あらゆる面接や選別は無意味であって、人事が行うべきはしかるべき職を与え、仕事の結果を見て評価を与えるのではなく、「こういう結果であってほしい」という仮定の評価を実際に与えてしまうことだ。
十二月二十二日には札幌に帰る。
トロヤ点への新たなる月の飛来、止まない月震、超未来人類と新興恐竜との共存などについて有機的に考えようとしているが、果たせない。
六百円で大根サラダ・鴨肉三切・味噌汁・鳥肉たっぷりの丼物・アイスが食べられる地下一階のカフェ・ダイニングバーを見つけた。
十二月二十日に開店したジュンク堂へ行った。池袋級書艦だった。エスペラント関連書籍は十冊以上、なんと『百年の孤独』のスペイン語版も置いてあった。
札幌はジュンク堂、とらのあな、アニメイト、ブックオフの並びが熱い。
JRタワーのヴィレヴァンが狭いなぁ、嫌やなぁと思っていたらロフトの中にもあった。でも、ヴィレヴァン下北沢店の足元にも及ばない。
アリストテレスは貨幣を万物の尺度とする資本主義的世界を想定した。その一方でディオゲネスは貨幣を変造した罪でシノペを追放され、世界市民となった。彼は貨幣(常識、慣習)を変造したのだ。
純連のみそラーメンは美味しかった。
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hentaianime2019 · 4 years
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(CNN)アルゼンチンにある革命家エルネスト・チェ・ゲバラの生家が、約40万ドル(約4300万円)で売りに出されている 元スレ 1apricot_chan ★2020/07/13(月) 19:07:58.33ID:xlHavjYS9 (CNN) アルゼンチンにある革命家エルネスト・チェ・ゲバラの生家が、約40万ドル(約4300万円)で売りに出されている。国営テラム通信が伝えた。 売りに出されているのは、首都ブエノスアイレスから約300キロ北部のロサリオにある集合住宅の1室(約200平方メートル)。2011年以来、空き室になっていた。 現在の所有者の1人で実業家のフランシスコ・ファルッジア氏はCNNスペイン語放送の取材に対し、この物件はもともと売却する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で予定を早めたと説明した。同物件は歴史的、建築的価値があり、立地も良好だと話している。既に何件か引き合いがあるという。 チェ・ゲバラは1950年代のキューバ革命に大きな役割を果たした人物。この革命で、フィデル・カストロ元国家評議会議長とともに、フルヘンシオ・バティスタ政権を崩壊させた。 チェ・ゲバラは後にキューバ中央銀行総裁に就任したが、1965年にキューバを離れて世界各地でゲリラ闘争を続けた。この闘争では数百人が処刑されたとも伝えられ、その残忍なやり方に対しては批判もある。 チェ・ゲバラは1967年、ボリビア軍によって射殺され、6人の仲間とともに集団で埋葬された。 2020.07.13 Mon posted at 16:03 JST…
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東京の代々木病院。 日本共産党系の医療機関団体「全日本民主医療機関連合会(民医連)」の総本山とも言えるこの病院が、世界の共産主義諸国において人権弾圧の中心的役割を果たした”強制収容所(ラーゲリ)”と化しているという。 党や最高指導者への批判者や異分子に「精神病患者」のレッテルを貼って葬り去ろうとしているというのだ。 日本にもソルジェニーツインが描いた”収容所列島”が存在しているのか。 知られざる実態を元共産党員の二人が告発する。   年賀状が発端の精神鑑定   -まず、お二人が強制的に代々木病院精神科で精神鑑定を受けさせられた経緯をお伺いしたい。   兵本 私の場合は1990(平成2)年の年賀状が発端でした。 89年は東欧の社会主義の崩壊があり、暮れに自宅で年賀状を書いていたら、テレビのニュースにルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が逮捕されて銃殺された場面が映し出された。 人々は「チャウシェスクはドラキュラだ」と厳しく非難していました。 それを見て私はカッときたわけです。 なぜかと言うと、宮本顕治氏の指導下にあった日本共産党はそれまでチャウシェスクを「東欧の自主独立の政策を進めている人物であり、国内的には社会主義国家の建設を順調にやっている」と称え、「ルーマニア人民の英雄である」と天まで持ち上げていた。 こういう例は他にもあって、宮本委員長はソ連を訪問してブレジネフと共同声明を発表して世界平和を謳い上げた。 ところが声明発表のわずか3日後にソ連がアフガンに軍事侵入しました。 ことほどさように宮本さんはトンチンカンなことをやる。 私は前々から宮本さんのやることに批判的だったので、チャウシェスク処刑の場面を見て、頭にカッときて、「宮本独裁三十年」と書いたんです。   -ほほう、それで。   兵本 正月が終わって国会(参院議員会館)へ出勤したら、党本部の書記局から「ちょっと来い」と呼び出しがあり、行ったんです。 宮本氏の右腕とも言われていた書記局員が、私の出した年賀状を手に「君、これ書いただろう」と言うわけです。 否定もできないので「そうです」と認めたんですけど、密告の、共産党では報告制度と言うんですが、素早さには本当に驚きました。 「どうしてこういうことを書くんだ」とギューギューやられた。事実上の査問です。 最初のうちは私も「宮本さんが独裁しているのは事実だと思う」とがんばった。 書記局員は「我が党は民主的に運営されている。宮本さんだって党大会で選出されてやっているんだ」と言う。 形式的にはそうだけれども、共産党の党大会というのはあらかじめ誰が中央の役員に選出されるとか宮本さんが引き続き委員長をやるとか筋書きが決まっている。 ほかにも書記局長や国対委員長の決裁で決まった国会の代表質問の原稿が宮本さんの鶴の一声で正反対の内容に書き換えさせられたこともたびたびあった。 それを指摘して「これを独裁と言わずして何が独裁か」と2、3時間頑張ったけれど、とても認められる雰囲気じゃない。 結局、「間違ったことを書いた」と認めて謝罪するか、開き直って議員秘書を辞めるかの二者択一を迫られたわけです。 でも、私はその時、逃げ口上なんだけど 「一連の東欧の社会主義国の崩壊を目撃して非常にショックを受けた。 (年賀状を書いた時は)精神が動揺して情緒的にも不安定だった」と言ってしまった。 向こうはそれにパッと飛びついてきて「君は情緒不安定なのか。正常だったらそんなことを書くはずがない。精神鑑定を受けろ」ということになってしまったんです。   安東 私は党の方針を百パーセント正しいと信じていましたし、党を批判したこともなかった。 1986(昭和61)年に中央大学を中退して民青中野地区委員会に加盟し、同じ年に共産党に入党、熱心に活動したもんですから翌年には民青中野地区の副委員長になり、88年には民青を卒業して共産党中野地区委員会の専従党員となり、牛乳配達をしながら真面目に党の仕事や学習をしていました。 民青の時代には、機関誌の民青新聞の代金にしても各地区の委員会は滞納が多くて、7月と12月のボーナスでカンパを集めて払うような実情で、中野地区委員会でも四百部が降ろされてきて実際配られるのは百部くらいでした。 自分の場合は民青新聞をきちんと配達、集金して半年以上も連続して月内に上納金を完納し、都の常任委員会でもほめられたり発表されたりしていました。 また党の指定文献はすべて読み、中央委員会の決定も決定の翌日には読了していました。 それが、民青の副委員長になってから仲間に「頭がおかしいんじゃないか」と言われるようになったのです。 そのうち、陰口だけじゃなく、面と向かって「精神病院に連れて行くぞ」と言われるようになったので、 民青を卒業後の88(昭和63)年11月ごろ、党本部の訴願委員会に「自分は一生懸命活動しているのに何とかしてほしい」と手紙を書きました。 訴願委員会というのはそういう訴えを受けてその解決を図るところです。 ところが、訴願委員会から自分のところには一切の連絡もないまま、ある日、地区委員会の組織部長に 「お前、党の中央に何か書いただろう。 病院へ連れて行けという指示だ」と言われた。 機関紙部長も「もう代々木病院の予約取っちゃったから」と言う。 自分は断ったんですよ。 けれど相談する人もいないし、上級組織の都委員会だとかあちこちに手紙を書きました。 が、これも一切無視されました。 自分が機関紙部長に 「私は正常だから病院には行かない。おかしいのはあなただ」と言うと、「じゃ、俺も一緒に検査を受けてもいいから」と言って、結局、だまされるようにして翌89(平成元)年1月の末に代々木病院に連れていかれました。   兵本 安東さんは物事を几帳面にまじめに考えながらやるタイプ。 共産党の常任活動家としては向かないタイプですよ(笑い)。 適当にやらないと、あの世界はやっていけないの。 機関紙の赤旗を拡張しなさいと言われても、そんなもの増えるわけないんだから、増えなくても増えましたとか増やしたふりをするとか、口では「はい、はい」と言いながら実際はやらないとか、適当に手抜きをしないと回らない世界なんだ。 中央委員会に勤務する熱心な党員だから赤旗をばんばん増やせるかというと、そんなことはないわけで、みんな増やせなくて困っている。 けれど、党本部の人間が赤旗の拡張をやっていないということになると具合が悪いので、・・・・   みんなで「頭がおかしいんじゃないか」と言って、追い出すための口実に使ったんじゃないかな。で、代々木病院はどうでした?   自宅療養なのに、人手不足で赤旗配達   安東 病院では医師に「自分は無理やり連れてこられたんだ」と散々言いましたから、そのときから嫌われました(笑い)。 脳のCTスキャンと脳波の検査をされました。 結果は勿論正常でして、医師も「あなたは正常です」と言いましたが、同時に「ただ病名をつけなければ法律上(今後)精神科に通院することはできないので、病名はつけます」と、納得してくれという感じで言われました。 病名は何とつけられたのか覚えてないんですが、ハイペリドールという薬を出されて、3ヵ月間の自宅療養の指示を出されました。 自宅療養だというのに赤旗の早朝配達の人が足りないからといって、配達はやらされました。 医師からは2週間に一度来るように言われたんですが、1ヵ月に一度行ったり2ヵ月に一度だったりしてしてました。 この間、医師も代わり、「シルピリド100」とか「アキネトン」とかいう薬をもらいました。 病院に行くと、事務室の電話が結構聞こえて党から電話がかかってきたり、待合室というか廊下に共産党の人間がいて「安東は精神分裂病と認定して入院させろ」と言ったりしているのが聞こえました。 とにかく、最初に精神科に連れて行かれたことですごく気落ちしてしまって、その後は党の専従はやめましたが、親元の杉並に戻ってまた民青に再加盟して活動はしてました。 しかし、杉並でも、一緒に活動していた人に中野での体験を話したら「あなたは重度の精神病だから代々木病院に入院しなさい」と言われて、またもショックを受けました。 共産党は嘘をつかない政党だとか、民主主義の権化だとか、共産党は正しくて倫理的にも道徳的にも最も権威のある正当だと信じ切っていましたから。 それで共産党とも民青とも関係のない友達に病院行きの話をしたら「共産党なんか止めた方がいい」と言われました。 91(平成3)年に離党しました。・・・・   兵本 私も最初は忙しいとか今日は都合が悪いとか言って逃げ回っておったんだけど、国会の(共産党の)事務局長から自宅に早朝電話がかかってきて「今日は他の仕事をさておいてまず代々木病院に行って精神鑑定を受けろ」と厳命が来たんですよ。 それまでに秘書仲間に相談したら「そういう屈辱的なことに耐えるよりは、さっさと退職するなり離党するなりしろ」と言う人と、「受けておいて、後で『精神鑑定をやられた』と宣伝してやったらどうだ」と言う人と半々で、私は後者の道を選び、病院に行ったんです。 精神科の廊下の待合室に座っていたら、顔見知りの医師が通りかかって「今日は何ですか?」と聞くから「先生に診てもらいに来ました」と話したら、ニヤッと笑って部屋の中に入った。 しばらくして彼がまた顔を出して「兵本さん、何ですか?」とまた言うので「精神鑑定を受けてこいと言われたので来ました」と答えると、真顔になって「じゃ入って」ということで順番をとばして中へ入ったわけ。・・・・・     安東 世界中で共産党は純粋な共産主義者、ピュア・コミュニストの追い出しをやっています。 私も結局、離党したわけなんです。 その後、私が「日本共産党には”強制収容所”があって、党の言うことを行かない人間を代々木病院精神科に連れて行っている」という批判をしたり共産党の医療戦略に関する研究を始めたことと関係があると思うのですが、 現在に至るまで私の職場に押しかけたり、外出先まで私を追い回したりして邪魔、嫌がらせをする人間がいるんです。 私は昔、映画やドラマのエキストラをやっていましたが、職場にやってきて同僚に「安東を雇うとこんな目にあうんだぞ」と脅しめいたことを言ったこともあります。 昨年12月には都議会を傍聴に行ったのですが、眼鏡をかけた小太りの女性がいて、おかしな話ですが、都議会事務所に私の名前を出して中傷されました。 年がら年中のこのような行動に、裏切られたという思いを通りこして共産主義を心から憎むようになりました。   兵本 党と衝突を起こして離れた人間が反党活動をやっていないかを監視するということはやっていると思いますよ。幹部会調査室というところでね。 私の場合も精神鑑定を受けた後、それで無罪放免になったわけではなく、自己批判書を書かされました。 「書かなかったら党にいられなくするぞ」みたいなことを言われてね。 職場の同僚が心配して「偉大な宮本議長に対して本当にとんでもない誤りを犯しました」といったことを私に変わって書いてくれたんだけど、自分で添削して国会担当の事務局長のところに持っていったら、私が書き直したところを全部具合が悪いと指導され、勝手に書き直されましたよ。   精神医療を懲罰に乱用 -これまでのお話から察すると、お二人以外にも強制的に精神鑑定を受けさせられた党員はいるんでしょうねえ。   兵本 私を診た医師が言っていました、兵本さん、あんただけじゃないんだと、党の機構の上から下までどんどん送り込まれてくるよと。 党活動の矛盾が精神科医に持ち込まれて本当に困るんだと嘆いていました。 共産党は年がら年中赤旗の拡張運動をやってますが、絶えず上からノルマのように何月何日まで何部増やせと指示を打ってくる。 ところが、年中だから下部の党員は動かない。 ある県の機関紙拡大を担当している機関紙部長が上と下の板挟みになってノイローゼ気味になったんでしょうねえ。 「こんな拡大の方針はおかしい」と発言した。 そしたら「お前、ちょっと代々木病院へ行け」と言われて、来たケースがあったそうですわ。 「こんなもの精神病ですか? 誰でも(陰では)言ってることだわ」と医師は言ってましたよ。 こういうふうに党の方針に反対する人、異論を唱える人、異分子と目された人を「あいつは頭がおかしい」と扱って代々木病院の精神科へ送り込むというのは、精神科、精神病院を党員のイデオロギーをコントロールする一つの手段として、あるいは懲罰機構として利用しているわけで、けしからん話だと思う。 それで全国から患者が来ると言うんだ。 中には党生活とか党活動の矛盾に悩んで本当に精神状態がおかしくなった人もいるんじゃないかとは思いますが、大半はカッコ付きの患者、政治的な患者だよ。 精神科の治療というのは問診が中心なんです。 その内容で正常かおかしいかの判断をするわけですね。 だから医師は患者に日常生活とか職場の様子とか仕事ぶりとか質問しますよね。 ということは、党からすれば普通の病院に行かせると、共産党員というのは日常的にこういうことをやっているんだという情報が外部に出てしまうことになる。 だから、共産党系の民主医療機関、民医連と言うんですけど、そこの精神科に連れて行くのは党活動の内容が外部に漏れるのを防ぐためなんです。 正常な人間に精神科に行けというのは屈辱を与えるというか、ものすごいプレッシャーを与えることになるんです。 私と似たような目にあった人の話を聞いたことがありますが、病院に向かうときに吐き気がする。 病院に近づけば近づくほど頭がズキンズキンと痛くなる。 それで今日はもう病院に行くのをやめようとクルッと引き返すと、吐き気も頭痛もスッと治るという。 精神的に非常に苦痛を与えるんですよ。 もうひとつは精神科に行けと言われたことが恥ずかしい。 自分は後ろめたいことはないんだけれども、しかし、本人にはいやな思い出だし、社会的に明るみに出したくないという心境になる。 さらに私のように大学生のころから共産党員で何十年も党活動をやった人間にとっては周りの人間はみんな党員だし、色々な人間関係が築かれている。 そういう人間がそこからパッと飛び出したり、発言したりすることは大変なことなんだ。 しかも共産党と世間に知られている人間が再就職するたって大変なんですよ。 だから、泣き寝入りするしかない。 この”収容所”の問題が余り世間に知られていない理由はいま言ったことが複雑に絡んでいるからだと思いますよ。 それでも日本の場合は党の外に自由な社会があるわけで、精神鑑定を強要されたら警察に駆け込むこともできる。 しかし、共産主義国家のように国全体がこういう体制、システムで覆われて逃げる場所がないとなると、これは本当に恐ろしいことですよ。 その辺のことは、安東さん、詳しいんじゃないですか?     証人喚問で実態を解明すべき   安東 私は共産党をやめた時点から、日本共産党には”強制収容所”があって、党の言うことをきかない人間を代々木病院の精神科に連れて行っている、それは共産主義に共通しているんじゃないかということを研究し、公然と主張もしています。 ソ連、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、東ドイツ、アンゴラ、ユーゴスラビア、キューバ、どこの共産主義国でも精神医療が乱用されていることが学者の研究やアムネスティの発表で明らかになっていますね。 中国や北朝鮮では精神病院に連れていく前に抹殺されることが多いようですが、やはり中国の反体制の批判者が精神病院に連れて行かれるから助けてくれという手紙を出したということがアムネスティの記録に残っています。 共産党が反体制派や意見を異にする者を精神病と認定する理由は、 まずそういうレッテル貼りをすることによって彼らの主張が一般国民から相手にされなくすること。 私の場合でも、私が何か言っても共産党は、「あれは代々木病院で精神病と診断された人間の言うことだ。聞かなくていい」と言えるわけです。 精神病院に閉じ込めることで彼らを沈黙させることができるのも理由の一つです。 彼らを逮捕すると、法廷で何をしゃべるか分からない危険があります。 ソ連の場合ですが、病院に入れる方が裁判にかけるより費用がかからないという学者の研究が出ています。 日本共産党は選挙ポスターで「人権を守る共産党」なんて謳っていますが、『収容所列島』でソ連の強制収容所の実態を描き出し、ノーベル文学賞を受賞したソルジェニーツィンにどういう態度をとったか。 「ソルジェニーツィンはおかしい」 「ソルジェニーツィンの社会主義論は社会主義を歪めている」と批判し、彼を弾圧したソ連共産党は内政干渉になるという理由で全く批判していない。 そういう党がどうして人権を語れるのかと思いますね。 日本共産党系の民医連傘下には今、千以上の病院・診療所があり、独特の綱領を持っています。 同じく新日本医師会は独特の宣言を持っている。 それらを読むと���「アメリカ帝国主義に反対する」だとか「日本独占資本主義に反対する闘争の中で生まれた伝統を受け継いでいる」だとか言っています。・・・・   兵本 結局ね、共産党というのは査問をやったり、統制委員会にかけたり、自己批判書を書かせたりすることでイデオロギーをコントロールしていかないことには全体を維持できない性格を持っていると思うんですよ。 この間、現在は米国席の呉弘達という人権活動家が来日しまして、私も30分ほど話しましたが、中国でも党の言うことを聞かない人間は精神病院に放り込んでしまうとはっきり言っていました。 天安門事件に参加した北京大学の学生のなんかでも精神病院に入れられていると。 だから僕は共産主義というものの有機的な一部分だと思う。 日本共産党の場合は微弱な政党だけれども、これが大きな政党に成長していけば、こういう懲罰システムも大きく成長していく。これは決して軽く考えていいことじゃない。 重大な問題として捉えてほしい。 先ほどの安東さんの話を継いで言うと、日本の精神医学界は、民医連系の精神科で本来の精神医療からは邪道な治療行為が行われていないか、調査してほしいと思いますね。 極端なケースについては人権擁護局なんかも立ち入り調査すべきだと思います。 もう一つ、いままで申し上げたようなケースについて、精神医療の問題として捉えるのであれば、国会でいえば厚生委員会、人権問題として捉えるのであれば法務委員会あたりで、例えば代々木病院の医師たちを証人喚問して調べるべきだと思います。   安東 同感です。 怖いのは、ソ連共産党の医師を引き合いに出して言えば、彼らは反体制の人間を心底から病人だと思いこんで疑わないらしいですね。 彼らの理論では他の人間と違う人間は病気だということになる。   兵本 実態を解明すべきですよ。 こういうことを平然とやっている政党が大手を振って闊歩しておるということは由々しいことで、国会証人喚問。 共産党は何かあるとすぐ「国会に呼べ」「証人喚問しろ」と要求する党だから(笑い)、いっぺん、医師を国会に呼んでいただいて、みんなから質問してもらったらいいんじゃないかと私、思いますね。   ----- (以下、ゆたかのコメント) 月刊誌「正論」4月号が、上記の告発対談を掲載したところ、早速「しんぶん赤旗」3日付で、「雑誌『正論』4月号の『告発対談』について」と題して批判を行っています。 その素早さはさすがです。 しかし、いつものことながら、「しんぶん赤旗」での主張は以下のとおり事実を歪曲した反論でした。   ①「しんぶん赤旗」の文中では、 「兵本氏は、1990年、『東欧情勢にショックを受け、夜も眠れず、心理的パニック状態になった』とのべ、みずから希望して医師の診察を受けたことがあります」 と兵本氏が自主的に精神医にかかったと述べています。 →『正論』に書かれた対談のどこをどう読んだら「みずから希望して医師の診察を受けた」と読めるのか、その文章読解力の不足、またそのように強弁できる精神こそ非常に疑問ですが、そこが共産党機関紙「しんぶん赤旗」たる所以なのかもしれません。 たぶん、問題を提起した『正論』そのものを読んで自分で確認作業を行うということすらしない、「しんぶん赤旗」のみを情報源としている閉じられた情報の中にいる共産党員に対しては、このような事実とかけ離れた(曲解した)記述をしても信じてもらえるでしょうが、あまりにもお粗末な反論と言わざるをえません。 (このようなことはこれ以外にも往々にしてあることなので、指摘すること自体疲れてしまいますが・・・) 『正論』によると、上記のとおり、89年暮れにルーマニアでチャウシェスク大統領夫妻が逮捕され銃殺されたニュースをきっかけに、兵本氏が年賀状に「宮本独裁30年」と書いたことを党本部の書記局員が問いつめ、「事実上の査問」になり、年賀状に書いたことを謝罪するか議員秘書を辞めるかの二者択一を迫られ、「逃げ口上」として東欧情勢にショックを受け「精神が動揺して情緒的に不安定だった」と言ったところ、代々木病院で精神鑑定を受けるように厳命されたといっています。 『正論』で兵本氏は、「党の方針に反対する人、異論を唱える人、異分子と目された人を『あいつは頭がおかしい』と扱って代々木病院の精神科へ送り込むというのは、精神科、精神病院を党員のイデオロギーをコントロールする一つの手段としてあるいは懲罰機構として利用している」と指摘し、同院を“収容所”と表現しています。
共産党の精神病院への強制的な精神鑑定受診強要
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kuroda-kanbee · 7 years
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数年分のコピペ013
6月 17, 2017 左翼が嫌われる原因、本質的には「日本人を見下す」から。「日本人がまた侵略戦争を始めるかもしれない!」と日本人を信用しない一方で、「中国が日本を侵略するわけがない」「北朝鮮が日本に核ミサイルを打つわけがない」と近隣諸国は信用する。これで日本人から支持されるわけがない。 田山たかしさんのツイート (via irregular-expression) (元記事: twitter.com (tumbujから)) 370 リアクション 6月 17, 2017 まぁ韓国が意図的に朝鮮併合(韓国併合)と第二次世界大戦を混同させるよう誘導しているのは事実だな   まず李承晩政権の正当性を確立する為に、日本に対して抵抗活動をしていたと嘘をついた その結果、韓国独立軍が日本軍に虐殺されただの 韓国は独立戦争に勝った戦勝国だの ありもしない嘘と妄想がつみあげられていったが いざ、まともな歴史検証をすると第二次世界大戦当時の朝鮮半島は ほぼ蚊帳の外 むしろ逆に中国やアメリカに対し謝罪する立場 そこで”第二次世界大戦の被害者”を吹聴するために従軍慰安婦や強制連行を捏造する必要があった 笑 韓 ブログ : ”壮大な誤解〟 韓国こそ「ドイツに学べ」(ソウル=黒田勝弘) (via chikuri) (元記事: wara2ch.com (nashi-kyoから))
6月 16, 2017 しかしフィリピンのミンダナオ島で20万人が住む大都市がISとその支持者に軍事制圧されて住民は人間の盾にされ、大統領が全ての外遊をキャンセル、隣のインドネシアなんかも警戒レベル最高になってるというのに日本は呑気だなとTVを見て思う。 まずその事実を一向に報道しないのが不思議。 Twitter / JET00jyuubangai (via dontrblgme404) (元記事: twitter.com (kinsyuuから))
6月 16, 2017 日本の公共放送NHKは世界で唯一、外国籍の正社員を大量採用している公共放送であり、その外国籍社員の大半は日本国籍を持たない在日鮮人たち。 彼らがニュースの原稿を書き、ドラマの演出をし、ドキュメンタリーを制作して各種番組を編成している。まさに異常事態。 欧米の公共放送は多民族の社員からなる多様な社会を形成しているが、社員は全てその国の国籍保有者。 自国の国籍を有していることがBBCにしろ民放のアメリカ3大ネットワークにしろ採用の条件であり、外国籍の人間を正社員に採用するなどあり得ない話。 NHKの在日鮮人社員ら���グループを形成して社内人事にまで口を出し、在日鮮人を芋蔓式にどんどん新規採用している。 我国の放送法・電波法では、放送が外国の宣伝工作機関に陥らないために外国資本の出資を厳しく制限している。 しかしながら重要なのは放送局の職員を外国人に支配されないことの方であり、野党時代に散々偏向報道で煮え湯を呑まされた自民党は速やかに放送法を改正して外国籍社員を排除し、かつ、条文の受信料を視聴料に変更して放送のスクランブル化を図るべし。 そうすればシナチョンに資する売国偏向報道は無くなり、90歳の老女から1年分の衛星受信料先落としなどの悪行も出来なくなる。 日本の公共放送NHKは世界で唯一外国籍の正社員を大量採用しており、その外国籍社員の大半は日本国籍を持たない在日韓国人である!!! NHK役員「外国籍の社員数は【 把握していない 】」 - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via man-nona) (元記事: news-us.jp (rita7788から))
6月 16, 2017 反日マスコミ、左翼野党、民進党の言い換え 賛成多数→強行採決 テロ等準備罪→共謀罪 野党の審議拒否→審議時間が足りない 獣医師会が新規参入を一学部に絞らせる圧力→安倍政権の圧力 文科省の判断→安倍政権に忖度 切り貼りした捏造文書→文書が複数存在 買春官僚→貧困調査 https://twitter.com/shinjihi/status/875274128571326464 (via shinjihi)(gojohから)
6月 16, 2017 海外メディアが日本を批判している、という権威付けにニューヨーク・タイムズを使うのはもう止めてくれませんか? 普通のアメリカ人記者が書いたならともかく、ノリミツ・オオニシ記者でしょう? NYタイムズのノリミツ大西記者がF2戦闘機のグアム爆撃演習を批判 : 週刊オブイェクト (via katoyuu, katoyuu) (via yaruo, yaruo)
6月 16, 2017 快楽天ファンの皆様から「え?AERAって快楽天より発行部数少ないの?」という驚きの声が上がっていますが、二倍以上の開きがあります。 いざとなったらエロマンガファンの方が大きな声が出るので自信を持って快楽天を応援して下さい。(笑) ジョンお姉さんさんのツイート: “快楽天ファンの皆様から「え?AERAって快楽天より発行部数少ないの?」という驚きの声が上がっていますが、二倍以上の開きがあります。 いざとなったらエロマンガファンの方が大きな声が出るので自信を持って快楽天を応援して下さい。(笑)” (via hkdmz) (元記事: twitter.com (tumuginから))
6月 16, 2017 作品が犯罪に影響する云々の度に over-sleep: 津川雅彦さん 「影響はあるけど、影響を受ける奴は救いようのないバカ」 ビートたけしさん 「じゃあ、なんでお涙頂戴の良い話だらけだなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ」 フランク・ザッパさん 「今おれはデンタルフロスの歌を歌ったんだが、お前の歯は奇麗になったか?」 松本人志さん 「百歩譲って、オレの番組が子供に悪影響だったとしよう。 でも、それなら親であるあなた方が、 『マネしてはいけませんよ』と言えばいい。 たかだか1時間の番組の、ほんの数分間の一コーナーの影響力に、あなたたち親の影響力は劣っているのか?」 ー 参照ツィート アクノス所長=リンさんのツイート shamuonさんのツイート hideさんのツイート (shiro-10banから)
6月 14, 2017 【1】「民主主義」とは、意見の違う相手の立場を尊重することです。
ですから「平和安全法案」を勝手に「戦争法案」と呼ぶような人達は民主主義の敵です。 与党の人達は、万が一心の中で思っていたとしても、国会の議場で民主党や共産党、社民党の人達を「売国奴」とは呼びませんし、山本太郎氏を「低能」とも呼びません。少なくとも、国会は民主主義の実現を目指す場だと心得ているからです。
【2】「民主主義」とは、いきなり自分の考えを押し付けるのではなく、相手との妥協点を探ることです。
ですから、国会で多数派を占める与党を基盤にする政府法案を、気に入らないかといって妥協点を見いだす努力もせず「廃案!廃案!」と叫ぶ人達は民主主義の敵です。 与党の人達は、「次世代の党」「日本を元気にする会」「新党改革」の人達の主張を付帯決議に取り入れるという形で妥協を図りました。これが民主主義です。また、「次世代の党」他の人達もイデオロギーを超えて、修正案を練り上げました。これが民主主義です。 SEALDsの皆さんが「帰ったらご飯を造って待ってくれているお母さんがいる平和を守りたい」と訴えた時に、その訴えがフェミニズムの立場から気に入らないと批判した上野さんとかいうおばさんがいたでしょう。ほんのささやかな違いが許せない。そういう人が民主主義の敵です。 ちなみに、平和安全法制は、そういう皆さんが願う平和を未来に向かって守るために造られたのです。 【3】「民主主義」とは、妥協点を見いだせなかった時には多数決で全体の意見を決めることです。
人間ですから、いくら話し合っても妥協点を見いだせないこともあるでしょう。そういう時には、人の値打ちは皆平等ですから、全員が平等に同じ1票を持って多数決で意見を決める。それが民主主義です。 100時間も話し合ったのに、暴力で多数決(国会では採決といいます)を妨害した人や、自分達が通路を通せんぼしているのに、それを退けようとしたら「セクハラ、セクハラ」と叫んだおばさん達がいたでしょう。あれが民主主義の敵です。 【4】「民主主義」とは、多数決で決まった意見に皆が従うことです。
中東でデモをして選挙が行われた時に「アラブの春」と喜んでいた人がいたでしょう。だけどデモによって選挙を実現した人は、自分の気に入らない選挙結果に従わず暴力で抵抗しました。そして、今アラブ世界から大勢の難民がヨーロッパに押し寄せています。 皆さんと一緒にデモをしたおじさんおばさんが、もし「こんな国会議決に従えない」と叫んだとしたら、その人達が民主主義の敵です。 もちろん、日本は民主主義の国であると同時に立憲主義の国でもありますから、裁判で平和安全法制の違憲を争うことは問題ありません。しかし、万一、自己判断で違憲だから従う必要がないと言い出したら、その人達は民主主義だけでなく立憲主義の敵でもあります。 太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう - ザ・ニュー・スタンダード (via irregular-expression) (元記事: newstandard.jp.net (gojohから))
6月 14, 2017 最近イスラムのコーランとハディース読んでるけど「豚肉を食うな」以外にも「三人でいる時二人にしか通じないネタを話さない」「なんとなく飯をおごったりしろ」「旅はいいぞ」「ぼっちは仲間に入れてけ」みたいな話ばっかりで普通に最高の宗教だと思った もりそば大明神さんのツイート (via mug-g)(元記事: twitter.com (zaq1234から))
6月 14, 2017 昔カウンセリングの勉強をしてるときに「真に人格的で情緒が安定していて愛情深く他者に優しい人は、そうでない人からは冷たい人に見える」という事実を学んで、驚いたことを思い出すなあ。 はてなブックマーク - 優しい人ほど他者に期待しない - 指揮者だって人間だ (via hepton-rk)(hisuixから)
6月 13, 2017 会社でいわゆる「飲み込みが早い人」をずっと観察していたことがある。そうすると、なんとなくではあるが、飲み込みが早い人と普通の人に違いがあることがわかってきた。 例えば、何か新しい知識を習うことになったとする。普通の人は、教えてもらったことを1つでも多く覚えようと努力する。一方で、飲み込みが早い人はなるべく覚えるものを少なくしようと努力する。枝葉を徹底的にそぎ落とし、これを覚えてないともうどうしようもないという部分を抽出してそこの部分の学習に集中する。そういった取捨選択を、自然にやっている。 言い換えると、「上手に枝葉を捨てられる人」が「飲み込みが早い人」になっているようだった。実際、「飲み込みが早い人」にあまり重要でないマイナーな事項について質問をすると、全然答えられない(一方で、飲み込みがあまりよくない人だと、こういう質問にも案外答えられたりする)。でも、それでいいのである。重要度が低いことは、必要になった時に覚えれば現実にはそれでまず問題ない。最初の段階で枝葉にこだわりすぎると学習は迷走し、いつまでたっても「分かってない人」に見えてしまう。 結局のところ、「飲み込みが早い人」の多くは頭の回転が人の3倍早いとか、人より記憶力が10倍いいとかそういうことではなくて、力の配分に優れているということなのだ。効率よく何かを学習しようと思ったら大事なことから順番にやるのはあたりまえだが、それができている人は案外少ない。何を学び、何を学ばないかを決めることで、勝負のほとんどは決まってしまう。 何かを学ぶ際には、枝葉で時間を無駄にしすぎないように、気をつけたい。 「飲み込みが早い人」は何が違うのか - 脱社畜ブログ (via ishizue)(元記事: dennou-kurage.hatenablog.com (akr64oから))
6月 13, 2017 学生諸君。勉強しよう。世界の学生は必死にしてる。する奴としない奴には差がでる。俺たちは勉強してなかったが大丈夫とか言うオヤジたちを信じてはいけない。証拠に今の日本は大丈夫じゃない。日本の学校が世界の水準から落伍してることを僕らも受け止めて必死に改善の努力してる。一緒に突破しよう Twitter / jirok (via dorelax) バブル世代の罪深さ (via scsa)(元記事: twitter.com (mysamplingsから))
6月 13, 2017 昨日、都内某私大の教授をしていた人とご飯食べたけど 「あのね世の中でちゃんと活躍している人って、結局中学の教科書をちゃんと理解している人なんだと思いますよ。」 って言ってた。 Twitter / kissaka (via ashitatsu)(mysamplingsから)
6月 13, 2017 流行った痕跡のない「日本死ね」の言葉は流行語のトップ10に入った。審査員のどなたがそう願っているだけの話ではないのか。「中国死ね」「韓国死ね」と叫べば確実にヘイトだと非難されるが、「日本死ね」は大丈夫だ。結局この日本で、日本に対するヘイトだけは、いつでも大手を振って罷り通るのだ。 Twitter / liyonyon (via re-nise3kawan)(元記事: twitter.com (dojiahol735から))
6月 13, 2017 ペリーが浦賀に来る前に石垣島で騒ぎがあった。 米奴隷船ロバートバウン号に積まれた苦力が暴動を起こし、船長を殺してこの島に逃げ込んだのだ。 ペリーは戦艦サラトガを差し向けて苦力を狩り出し、白人に抵抗した見せしめにその場で吊るした。 暴動の原因は洋上に出たところで400人の支那人を裸にし、辮髪を切り落とし、キューバやペルーなど売り払い先ごとにCやPの焼き鏝を胸に押し当てた。 売り物にならない病気持ちはその場で海に突き落として鮫に食わせた。 季節労務の募集だと思っていた支那人たちは奴隷にされたことを知って暴動を起こした。 この顛末はパーカー米公使が石垣島から連れ戻された苦力を船員殺しの実行犯として告訴したときの厦門の裁判記録による。 維新前夜、日本の周辺にうごめく欧米列強はこんな無茶をやっていた。 そんな中で日本は国を開いて近代化を果たし、支那朝鮮の目覚めも促した。 結局は支那を取り込んだ欧米に潰されたが、そこまで健気な日本を加藤登紀子は「日本と聞くだけで腐臭がする」といい、大江健三郎は下手な文章と下手な嘘で日本を蔑んで喜ぶ。 日教組も欧米に倣い「明治維新は市民革命じゃあない」とヘンな貶め方をしてきた。 彼らの言う市民革命はフランス革命のように支配階層を片端からギロチンにかけるのが形だ。この革命では60万人が殺された。 ロシア革命も立派な市民革命で、レーニンは皇帝一家皆殺しにし「富農を毎日100人ずつ」吊るさせた。革命の犠牲者は900万に上った。 支配階層の殺戮が市民革命の要件なら、毛沢東もポルポトももっと高く評価されていいことになる。 明治維新は足軽、小者という最下層市民が支配階層の武士を排除した。 形は市民革命的だが、処分は殺戮ではなく秩禄処分、つまり解雇だけだった。 革命後の国体も天皇を戴く構造はそのまま。足軽上がりの伊藤博文らが側近に上がり、天皇の親政を輔弼するが如く振る舞った。 伊藤はルイ王朝のリシュリューで井上馨がコルベールのつもりだったか。 それが世間に厳しく批判され、明治天皇が望まれた「万機公論に決する」民選議院設立が急がれた。 明治5年に鉄道を走らせ、明治16年には発電所も作ったのに国会開設が一番遅れて明治23年というところに伊藤ら足軽たちの権力への拘りが窺われる。 大量殺戮のない明治維新のもう一つの特徴が、旧弊に飽きていた市民の生活革命だった。 まず髷だ。朝起きると月代を剃り、髷を結う。女は鬢付け油で固める。 寝るときも髷を結ったままだから、箱枕という固い箱を首筋にあてて寝る。 寝相の悪い人には拷問だっただろう。 髪洗いも毎日とはいかないから虱も湧く。柘植の櫛が好まれたのは虱の卵取りに効果があったからだ。 女は嫁ぐと眉を剃り、歯を黒く染めた。そんなヘンな習慣が平安の昔から人々を縛ってきた。 面倒な着物も髷もお歯黒もやめたい。それを維新に便乗して全部やめた。 日本に倣ってトルコ近代化を目指したケマルパシャはトルコ帽をやめさせるのに何百人も死刑にした。 支那人は辮髪に拘り、切り落とされただけで暴動を起こしたことは���述した。 米国人は今もヤードポンドを変えられない。世にも不思議な45メートルプールで泳いでいる。散切り頭を叩いてみれば、と唄う日本人とは大違いだ。 日本人はまた維新を機に儒学もやめた。儒学に囚われたままの支那朝鮮に挨拶することもやめた。 血も流さず、寝床から思想まで古い殻をきっぱり捨てた維新はむしろ市民革命のお手本と言っていい。 あれから1世紀半。平和憲法とか朝日新聞とか、つまらぬ澱が溜まって、支那朝鮮に挨拶まで始めた。 今、維新という。維新に策は要らない。もう一度どぶ浚いすればいい。 維新を考える:変見自在 高山正之 週刊新潮 2012.9.20号 (via nandato)(元記事: nandato-blog (gpx250r-ninjaから))
6月 13, 2017 【在日ヤクザ分裂】米メディア「在日系vs部落系の争い」とマスコミのタブーをあっさり言ってのけるw 1: Ψ 2015/08/31(月) 16:10:14.19 ID:b0jqZI2u0 「根源は韓国・朝鮮系vs被差別部落系の争い」と米メディア フォーチュン誌のランキングでは、山口組は、2位のロシアン・マフィア『ブラトヴァ』(収益85億ドル)を大きく引き離してトップに立っている。同誌は、「中国マフィアなどの東アジアの犯罪グループは、多くは血縁関係で結ばれているが、ヤクザは“入念に作り上げられたヒエラルキー”で結ばれている。メンバーは一度加入すれば、全ての忠誠心を優先的にヤクザ社会に捧げなければならない」と記す。この「世界で最も中央集権化された組織運営」が、群を抜いた収益を上げる鍵だとしている。 山口組の分裂は、この中央集権化されたピラミッドの一角が崩れることを意味する。警察や政府が抗争の一般市民への影響を懸念すると同時に、組織弱体化の千載一遇のチャンスと見るのはそのためだ。組側もそれを十分に認識していると見える。 山口組は1980年代にも分裂の危機を迎え、30人以上の死者を出す抗争に発展した。その際には組員を呼び戻すために高額の“退職金”を用意するなどの“年金プラン”を導入し組員の離反を防いだという(『Daily Beast』)。今回も何らかの懐柔策が取られるかもしれない。 ただし、対立の根はもっと根深い所にあるようだ。『Daily Beast』は、国内メディアがあまり触れない、ヤクザの出自に関する“タブー”に触れている。同メディアは、日本のヤクザの多くは、帰化した韓国・朝鮮系(または在日韓国・朝鮮人)と、かつての被差別部落出身者だと指摘する。そして、「山口組(山健組・関西派)には被差別部落出身のメンバーが多く、『弘道会』は韓国(・朝鮮)系の割合が高い。これが2つの派閥の緊張を作り出している」と記している。 [NewSphere 2015.8.31]http://newsphere.jp/national/20150831-1/ 2: Ψ 2015/08/31(月) 16:12:45.89 ID:mRk0jTlb0 そうだったのか わかりやすい 【直球ワロタw】山口組分裂:海外メディア「在日系vs部落系の争い」とあっさり言ってのけるwwwwwwwwww (via hizayamasan)(gpx250r-ninjaから)
6月 12, 2017 明治維新も大東亜戦争もどちらも世界史的な偉業だと思う 明治維新は日本国内の内政的なものだけど 大東亜戦争はアジアやアフリカなど世界中の白人植民地支配を終焉させたという世界史的な意味で永久に記念されるべきもの (via shinjihi) 今はまだ白人世界なので、まだ日本は敵認識されてますが、あとちょっとですよ。あとちょっと。 (via a-ne-go)(a-ne-goから)
6月 12, 2017 ・韓国が北朝鮮の分まで戦時賠償をもらって使い込みしてることも知らない ・日韓併合で、当時一国が買えるほどの金額の朝鮮のロシアに対する借金を日本が肩代わりしたことも知らない http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-5291.html ちょっとアレなニュース 日韓基本条約、日本は小学生で習うのに韓国は大人でも知らない (via worldwalker2)(zaki123から)
6月 12, 2017 日本にいつまでも反省をしろと問うニューヨークタイムズやワシントンポストに、英国人ジャーナリストがキツイ一撃を食らわす!
英国人ジャーナリスト「はっきり言って日本はもうとっくの昔に謝罪も賠償もしてるだろ、ニューヨークタイムズやワシントンポストは、いつまでも日本に謝罪を要求するなら、自国がやった戦争犯罪の原爆投下やインディアン虐殺についてもオバマに謝罪しろと言うべきなのでは?」 http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51888314.html 海外反応! I LOVE JAPAN  : 英国人ジャーナリスト「ニューヨークタイムズは頭おかしい!」 (via worldwalker2)(b-m-graphixから)
6月 12, 2017 ①廃止:やめられないか? ②削減:削れないか?粗くしてもよいものか? ③容易化:もっと早く、もっと簡単にできないか? ④標準化:ルール化、マニュアル化できないか? ⑤計画化:いつ、何をするか先読みできないか? ⑥分業分担:分業化・集中化・外注できないか? ⑦同期化:手待ち・督促・調整をなくせないか? ⑧機械化:手書きをやめられないか?自動化できないか? この8原則を、上から順番に検討していくことで、業務改善が図られるというものです。 明日から使える業務改善!0仕事を減らす8原則0 - やっちゃえ先生ブログ (via nokoto55) (元記事: yacchaesensei.hatenablog.com (tra249から))
6月 11, 2017  「ヒマラヤの氷河が2035年までにみな解けてしまうという予測には根拠がなかった」  「アフリカの農業生産は20年までに半減するという予測も間違いだった」  「アマゾンの熱帯雨林はこのままだと40%以上が危機に直面するという記述にも科学的根拠はなかった」  「オランダの国土は地球温暖化のためにすでに55%が海抜ゼロ以下になったという発表もミスで、実際にはまだ26%だった」
 こんな事実が次々と判明し、米国では地球温暖化への疑念がどっとぶつけられるようになった。 まとめたニュース:温暖化「ぜんぶウソでした」 国連の科学的報告書に途方もないミスがあったらしい (via 719043, 719043) (via zaq1234, zaq1234)
6月 11, 2017 酒呑んでるときに「アクサのCMではなぜドイツ車ばかり事故るのか」とお題を出したら、元保険屋の友人が「フランスの会社だから」と言って、全員がガッテンガッテンガッテン Twitter / Takuri_east (via 719043)(元記事: twitter.com (zaq1234から))
6月 11, 2017 人の話の聴き方が上手い人には共通する特徴があって、それは列記するとこのようなことだと思う。  1.人の話をおもしろがって聞く。  2.なにか広がりそうなところがあると、そこを聞いてみる。  3.相手がなにを話しても、攻撃的にならず、たしなめ方が上手い。  4.自分の話もするのだけど、それはあくまで対比としてする。  5.自分の話をするときは、たいてい、一歩下がった位置でおもしろおかしい失敗譚が多い。  6.相手が話したがりそうなところを見つけるのが上手い。  7.話し手を全肯定する。  8.ちょっとぐらい矛盾があってもつっこまない。  9.相手の話を否定しない。  etc……  これってなんなのだろうと考えると、ホスト・ホステスの話の聴き方に近い。  ひとことで言えば、話し手を主役にするのが上手い人なのだと気付いた。 (via footwork) (via ssbt) (via aya-brea-har)
嫌われ易い人は、他人の話に乗っかって”俺なんか…”“私なんて…”で突っ走り、自分の事を聞いて欲しい香りをぷんぷんさせる人。(via iiithurboiii) (via hayami) (via subdub) (via kimrash) (via tinyreminder) (via mdnlvs)
6月 9, 2017 帰り、全然話したことのない無口な人と一緒になって、一人で「キラキラした道路ってあるじゃないですか、あれなにか入ってるんですかね0ぼくあの道路大好きです」ってベラベラ話してたら、分かれ道で「あれはカレットってガラスを砕いたやつを混ぜてる」と、さよならも言わず去っていったのが良かった ぱぱんたさんのツイート (via quotation2)(元記事: twitter.com (kobazoから))
6月 9, 2017 韓国人夫婦が台湾に旅行に来ていたそうだ。台湾のレストランに入り、漬物やつまみなど冷菜5皿を頼んだそうだ。しかし、会計になって「冷菜代は払わない。だって韓国ではキムチは無料だから!」とゴネて、代金を踏み倒した。確かに、韓国ではキムチやナムルはサービスでついてくることが多い。しかし、夫婦が訪れたのは台湾。自己中心的なひどい振る舞いが問題視されている。 事件が起きたのは台北市だ。店名は明かされていないが、わりと名の通った牛肉麺の店だという。そこに1組の韓国人夫婦が現れた。 夫婦は牛肉麺の他に、漬物やおつまみなど5品・320台湾ドル(約840円)をオーダー。しかし、会計になってこの5品分の代金は払わないとゴネだしたのだ。理由は「韓国ではキムチなどの漬物は無料だから払う必要はない」というのである。 全く筋が通っていない。確かに韓国ではキムチやナムルはサービスでついてくることが多い。しかし、ここは台湾、しかも台湾名物・牛肉麺の店である。店のオーナーは「彼らはかなり怒った様子で“なんで払わないといけないんだ!”と言いました」と振り返る。 オーナーがどんなに説明しても韓国人夫婦は「why!? why!?」と繰り返すばかり。全く聞き入れる様子はない。全くらちがあかず、オーナーも「もういい」と言うほかなかった。結局、夫婦は冷菜分の代金を払わずに出て行ったそうだ。このやりとりを見ていたほかの客が、ネットに一部始終を書き込み。事が明るみになったという。   外国に行けば、現地の習慣が自分の “常識” と異なることは多い。しかし「郷に入れば郷に従え」という言葉があるように、基本的には現地の習慣を尊重すべきではないだろうか。この韓国人夫婦の振る舞いは自己中心的だと言えよう。店主は 「今度からメニューに韓国語で “冷菜は有料です” と書こうと思います」と話しているそうだ。 【これはヒドイ】韓国人が台湾のレストランで代金を踏み倒す 漬物など冷菜5品を注文 → 「韓国ではキムチは無料ニダ!!」【まさに土人】 | 速報☆東亜政経 (`・ω・´) なにしろ「声闘ソント」の国の人ですから。大声で罵りあい、黙ったら負け。最後まであきらめずに騒いだ方が正しい。そこに理屈はありません。従軍慰安婦の構図とか、アメリカ軍はなぜ韓国人取扱い要領「相手にするな、どうせ大したことは言っていない」と記したか、などと合せて考えると見えるものがあると思います。 (via gasarak)(元記事: sqiz (fortyniner045から))
6月 9, 2017 ちょっと興味深い話 http://masubuti.exblog.jp/18962569/ 沖縄が返還される前、尖閣諸島周辺に群がるシナや台湾の漁船を危惧した昭和天皇が、 当時総務長官だった山中貞則さんに尋ねた。 「山中、尖閣諸島には蘇鉄は生えているのか」。 山中さんは「申し訳ありません、存じません」と答えたのだが、 昭和天皇は独白のように「沖縄に蘇鉄はあるが、台湾にはない」と答えられたそうだ。 植物学の学者でもある昭和天皇らしい話だが、これはすごく的を射ていて、 当時の我々の先遣隊が魚釣島に上陸した際、帰還した学生たちに聞くと、 「そこら中、蘇鉄だらけでした」と。 人間の行き来が植物の種を土地から土地へ運んで行くわけで、 これは昔から沖縄から尖閣諸島への人々の往来が頻繁にあった確固たる証しなのだ。 第一、シナが尖閣諸島を自国の領土だと主張する理由に挙げる、 大陸棚の延長線なんてものはばかばかしい話で、海上での波風や、潮の流れなどを考えると、 沖縄から尖閣諸島に渡るよりも、シナから渡ることははるかに難しいこと。 事実として、昔から尖閣諸島は間違いなく日本の文化圏にある。
6月 8, 2017 おまえら、よく覚えとけ NHKは特殊法人だから 法人税、1円も払ってないからな NHK 「受信料値下げしたので、利益ゼロになりました」…でも”NHK職員、平均年収1000万円超” (via norick)(元記事: norick (bbk0524から))
6月 8, 2017 そうそう!就活で人事権のある異性にプライベートな会食に誘われたり家を訪問したいと言われたら、絶対「父か母も呼んでいいですか!」とか「その日は兄がいるのでご挨拶させてください!」とか言うべき。わたしはそれで人事(のちに私に片想いしていたことが判明)の家庭訪問を避けることができた。 椿さんのツイート (via gkojax)(bbk0524から)
6月 8, 2017 こないだ戦時アメリカでの日系人の苦悩を書いた本読んだが如何にアメリカに誠意をたてるかに全力を注ぎそれでも強制収容され財産没収され戦地では最前線の盾にされなをかつアメリカに忠誠を示そうと尽力する涙ぐましい移民の姿があった弱点の立場を最大限利用し法制をねじ曲げ悪用し 日本の揚げ足取りに奔走し義務を果たさず権利を声高にのみ要求する現代の在日コリアンとはてんで真逆の哀しいほどひたむきな移民が存在したというのに驚愕した 652 名無しさん@13周年 2012/09/09(日) 11:45:51.03 ID:SJhRGVds0 ≫629ネットで第442連隊戦闘団の話を初めて見た時、なんでこういう歴史を教えないんだろうと思ったよ http://www.tanken.com/442.html まあ、鮮人にとって都合悪すぎるのは分かる
6月 8, 2017 1.犯罪者はわりと動物に近い 2.動物の前で餌をちらつかせたら襲われる だから頭の良い金持ちは金をチラつかせないし、頭の良い女は肌をチラつかせない。チラつかせるのは頭が悪くて「すべての人間に等しく知性がある」と勘違いしているバカだけ。 砂鉄さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (newtonblueから))
6月 7, 2017 頭が良い人は打算的で冷たいと思ってる人が多いんだな。 私の知る世界では逆だ。 頭の良い人は優しい。 頭の悪い人はすぐ切れたり、誤解して絡んできたり、縄張り意識で敵対したり、仲良くなっても、ちょっとした事で「裏切った」とか因縁つけてくる。短絡的で妄想的で暴力的で、優しくなんかない。 Twitter / takuramix(via hutaba) 2014-03-04 (via my-precious-legacy) これなー。ヤンキー信仰ってやつだよな。(via yoosee)(元記事: twitter.com (quote-over100notes-jpから))
6月 7, 2017 北アメリカでは白人によって故意に天然痘がインディアンに広められた例もある。フレンチ・インディアン戦争やポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとした。19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。 天然痘 - Wikipedia (via otsune)(元記事: Wikipedia (hallowoから))
6月 4, 2017 アメリカが金融制裁をやってる。 北朝鮮系のヤクザの銀行口座やクレジットカードが次々凍結されてて。 韓国から日本への送金も滞ってんの。 サヨクとかリベラルを名乗ってるマスコミへの工作資金でもある。 ちなみにアダルトサイトの摘発やAV女優への人権侵害も。 最近になって急に行われるようになった。 台湾ルートでの送金や身代わりが増えたのでそっちも捕まってるよ。 覚醒剤だとモロに違法。 金塊なら運び出す時点では違法ではない。 バレないように持ち込めたら換金は容易。 宝石類だと出処がわからないと買い叩かれるが、金塊は潰してしまえばわからない。 北朝鮮有事で金相場が高騰してることと、日本では売買の税率が低いことも影響してる。 韓国ルートだよ。
6月 3, 2017 この詐欺グループのポイントは、メンバー全員が首都圏の「名門校の生徒」であること。そして全員が違う学校の生徒であることだ。また被害者役の子は、いかにも大人しそうな顔をした女の子が担う。髪はもちろん黒髪だ。ちなみに当時はガングロなる女子も巷にはびこっていて、女子高生といえば日サロで焼いた黒い肌に茶髪、ルーズソックスが定番だった。そんな時代に、名門校の制服を着た、しかも黒髪の少女が、まさか詐欺グループの一員だとは誰も思わない。そして、全員が違う制服を着た女子高生たちが、実はグルであることも分からない。たまたま現場に居合わせた義侠心のある女子高生にしか見えないからだ。  もちろん、駅員室に行って駅員や警察官から学校名や名前を聞かれても、堂々と生徒手帳を見せる。これで大人はすっかり女子高生たちの言うことを信じてしまう。大人は名門校の女子生徒には甘いのだ。そして警察も検察も裁判官も、そんな大人の信頼厚い女子高生たちが言うことを、「信頼できる第三者の証言」として取り扱う。餌食にされた男性からすれば、どこの誰とも知れない女子高生たちがグルであることを立証するなど、まず不可能だ。  かくして冤罪詐欺事件は成立する。駅員室に行く前に示談が成立すればセーフだが、駅員室まで行くことになっても駅員も警察官も女子高生の言うことをすっかり信用するから、男性は起訴まで持って行かれる。起訴されたら実刑がつくことが怖いので、裁判で有利になるようにほとんどの被疑者は示談交渉してくる。また、逮捕・拘留されても、起訴される前に示談できれば起訴猶予の可能性もある。いずれにせよ、被疑者は結局示談を持ちかける。これで女子高生たちは何がしかの金品を、ターゲット男性から巻き上げることになる。 名門女子高生「痴漢冤罪詐欺」グループ、中年男を狙う巧妙な手口 | 社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭 | ダイヤモンド・オンライン (via otsune)(元記事: diamond.jp (yaruoから))
6月 3, 2017 多くの弁護士が、極力簡裁を避けて地裁に提訴しようとするのはなぜか。 その理由はいろいろあるが、最も大きいのは裁判官の質の違いだ。 簡裁判事の質は、通常の判事に比べると平均的に低い上にバラつきも大きい。したがって、簡裁に訴訟提起するとおかしな判断をされるリスクが高いからだ。 「簡裁判事」という用語は、単に「簡裁に所属する判事」という意味ではない。法律上、判事とは別の「簡易裁判所判事」という特殊な職名があるのだ。 実は簡裁判事は、司法試験に合格しなくてもなることができる。 一般の方はたいていこれを知らないから、言うといつも驚かれる。 弁護士が簡易裁判所を避ける理由 - 弁護士三浦義隆のブログ (via otsune)(元記事: miurayoshitaka.hatenablog.com (yaruoから)) 6月 3, 2017 事業仕分けの恐ろしいかったところはやはり「高度な知識と技術の研究開発のために研究者たちが金策にも苦労していたものを、その内容を理解できない者、理解する気のない者が『税金の無駄』という一言で切り捨てにかかった」という、うっかり文化大革命のプチ再現になりかけたことじゃないかなと。 鷹斗さんはTwitterを使っています (via ashzashwash)(元記事: twitter.com (impossiblemodelfactoryから))
6月 3, 2017 以前、なにかの本で 「女というのは、自分にいつかシンデレラの奇跡が起きると信じている、イジワルな継姉たちである。だから彼女らは、自分の身近で起きたシンデレラストーリーを、自らの機会損失だと勘違いして、嫉妬に狂う」 って文章を目にした事がある。
修羅場とか武勇伝とか (via gkojax) よく考えたら、男も同じだよな。(via sus503) (元記事: shuraba.seesaa.net (flashno1から))
6月 1, 2017 中国や朝鮮というのは、「死者に鞭うつ文化」なんだけれど、日本人の文化というのは、「死人のことは悪く言わない」。この文化的違いが、反日帰化人政党は理解できないから、「民進党が、自民党批判をすればするほど、なぜか自民党の支持率があがるんですよ。自民党のスキャンダルでも」。林雄介さんのツイート (via gkojax)(lovecakeから)
5月 30, 2017 カーペットに液体こぼした時、零した場所にタオル(液体を吸い取らせたい布)をあててその上から掃除機で吸うとほぼ跡形もなくキレイにタオルに液体を吸い取らせられる…というライフハックは試してみたら本当にその通りで家事系ライフハックでここ一番感動したので心からオススメしたい。 原 点 回 帰 @サカグチ(@sakaguchixxx)さん | Twitter (via bibidebabideboo)(元記事: twitter.com (etau0422から))
5月 30, 2017 人生の質はつねに喜ぶことのできる能力に比例している。喜ぶことのできる能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる贈り物なのだ。 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 / ジュリア・キャメロン (via ebook-q)(we-will-winから)
5月 30, 2017 つまりね、左翼ってのは国民の不幸を必要としているんだ。だから経済政策をしない。公共事業を批判する。発展はもう良いじゃないかと言う。国民の貧困が左翼の力になるからな。不安のない快適な暮らしがしたければ、お前の貧困を望む連中に力を貸すのを止めろ砂鉄さんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (we-will-winから))
5月 30, 2017 まず最初になぜ、フランスがこんなにまで国を挙げて三陸かきを応援してくれるのかについて説明したい。 フランスにとってカキは、国民食といってもいいほど重要な食材なのである。 ほとんどの場合、殻つきで生で食べる。 あまり生食文化のないフランスであるが、カキだけは例外。 その理由は、古代ローマ時代にまでさかのぼる。 兵士の食糧として、沿岸部でカキの養殖を行いながら進軍し、英気を養った。 そのため、いまでもカキだけはそのまま生で食べる習慣があるのだといわれている。 そして、さらにはフランス人にとってクリスマスのご馳走といえば、誰しもが七面鳥よりもカキと答える。 とにかく国民すべてがカキを愛しているのである。 そんなフランスにおいて、1970年代にカキに病気が蔓延し、壊滅的な被害が発生した。 その際に、日本から宮城種(マガキ)が提供され、その宮城種は、病気をものともせず成長し、危機を救ったのである。 現在では、フランスの市場に流通しているカキの90%が、この宮城種の子孫となった。 (宮城種が入ってくるまでは、ヨーロッパヒラガキ(ブラン種)など薄いカキが中心だった。) このため、フランスのカキの関係者はみなこの事実を知っており、 「1970年に日本が助けてくれなかったら、いまのフランスのカキ業界はない。だからできることはなんでもする。」と口ぐちに言ってくれるのだ。 1970年代以降も、フランスおいては、ほぼ10年ごとのペースで、なにかしらの病気が発生し、そのたびに日本は水産庁を通して、フランスに宮城種を提供してきた経緯がある。 そして、現在も2008年ごろから、またフランスにおいて種牡蠣(カキの赤ちゃん)が死滅する病気がではじめ、あらためて宮城種の導入を検討、2011年の3月には、その実験のための第1便(約5000個)が、フランス国立海洋研究所(イフレメール:Ifremer) に提供される予定であった。 そのための事前調査も昨年より行われていた。 が、いざ開始となるそのわずか数日前に、震災がおき、提供は当然のごとく中断、その後も放射能の影響などが危惧され、フランスは別の候補を探さねばならなくなった。 以上の経緯から、宮城種の救援復興を国を挙げて応援してくれているのである。 フランスからの三陸かき支援についてのレポート|東日本カキ産地救援復興対策会議|ROC|主管:日本オイスター協会 (via clione)(元記事: ameblo.jp (sejiijesから))
5月 30, 2017 私「イギリスってどこの国にも負けたことないもんね」 英「馬鹿か!日本に負けただろうが!」 私「え、いつ?」 英「薩摩如きに負けただろうが!大量のSATHUMA(みかん)輸入させただろうが!」 私「知らん」 英「お前の国の歴史の授業は何を教えてるんだ!」 怒られた。 あの佐々岡さんはTwitterを使っています (via windsock)(元記事: twitter.com (sejiijesから))
5月 29, 2017 読めそうで読めない漢字ランキング   1位 具に(つぶさに) 2位 論う(あげつらう) 3位 挙って(こぞって) 4位 準える(なぞらえる) 5位 穿る(ほじる) 6位 漸く(ようやく) 7位 弁える(わきまえる) 8位 与する(くみする) 9位 目眩く(めくるめく) 10位 然も(さも)
5月 29, 2017 天皇というものには、「世界で最高峰の権威」があり、「最古にして最後の皇帝」で、「独裁者防止機能」や「権力のバックアップ機能」があり、「軍事力としての抑止力」がある。個人個人においても、外交能力や人格も良好。 で、どれだけこの皇室や宮内庁に税金を使っているかというと、年間、国民一人当たり「200円」月々なら17円弱。安いか高いかと見るかは個人の主観だけども、決して金では買えないもので、しかも世界に誇れるものだということは覚えておいて欲しいですな。っつーか、教科書で教えろ。日本人が知らない天皇の価値と役割 (via ken1ymd) (via dannnao) (via gkojax-text) (via daisydiary2) (via precall) (via slay-t) (via waclips) (via
5月 29, 2017 最初はノルウェーにも抗議してたんだよなシーシェパード でもノルウェーは軍艦出してきて砲撃してシーシェパードの船沈めた上に その場でグルグル旋回して渦作って海に投げ出された奴らは渦に飲まれて皆殺し 以来ノルウェーにはだんまり シーシェパード「捕鯨国の日本許さん!」→ぶっちぎりでノルウェーが世界一の捕鯨大国にwwwwwwwwwww (via ashzashwash)(元記事: girlsvip-matome.com (mitsuhayashiから))
5月 29, 2017 パトラッシュ…僕はもうシカ肉の生食が危ないって言い続けるのに疲れたんだ… だからもうFacebookで、シカ肉の刺身やたたきの投稿に沢山いいねが付いて、「美味しそうですね!」ってコメントで盛り上がっている時に、E型肝炎や寄生虫のリスクの話をして、場をシラケさせたりなんかしないよ…桔梗屋さんのツイート (via gkojax)(tra249から)
5月 29, 2017 デンマークでは、飲酒運転で捕まるとその場で車を没収される法律ができた。結果、飲酒運転による死亡事故が半分に減ったそうだ。没収した車はオークションにかけられ、売り上げは国庫に入るという。素敵やん。(via eternityscape)(元記事: twitter.com (nakawankumaから))
5月 29, 2017 癌告知を受けたら老齢年金を受け取れること 950: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/16(水) 21:47:33.04 ID:2MJnAGnh >>947 障害年金では? 951: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/17(木) 03:48:12.08 ID:AIH4AQLO >>950 老齢だよ 死んで貰い損ねないように、という前だしの救済措置みたいなもんだが、お上は口が避けても言わない 952: おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/11/17(木) 03:58:58.28 ID:ghAG2bhp >>950 全く知られていないと思うけど、ダブル受給も可能だぜよ。 知らない人は損してるなあと思うこと。『クレジットカードを拾ったら発行会社に連絡で謝礼が貰える』:哲学ニュースnwk (via 719043)(元記事: blog.livedoor.jp (tra249から))
5月 26, 2017 これが日テレの忖度かw→ 玉木の親は香川県獣医師会の副会長 玉木の弟は獣医師 玉木の秘書は元日テレプロデューサー 玉木の秘書の夫は日テレ報道番組制作会社の会長 獣医師会は玉木に100万円の献金 玉木は父親に1000万円の借金(無利子のため実質的な献金の疑い) 獣医師会は加計学園の獣医学部新設に反対 玉木は獣医師会の会合で獣医学部新設は潰すと発言 怪文書の出所は今以て不明だが、持ってきたのは玉木 怪文書を真っ先に本物だと肯定した北村元議員は現獣医師会顧問 玉木と獣医師会の関係が明るみになっても日テレの報道番組では不自然な安倍叩き (via shinjihi)(toutiku-m44から)
5月 25, 2017 6人の研究者たちがこの本を書こうと思い立ったのは、ヒトラーもスターリ��もやったことは同じというところにある。 この中で、共産党が戦争以外で殺した人の数、つまり粛清やテロや強制収容所などで虐殺した人の数を調べて以下のように列挙している。
 ソ連(ロシア):2000万人  支那:6500万人  ベトナム:100万人  北朝鮮:200万人  カンボジア:200万人  東欧:100万人  ラテンアメリカ:15万人  アフリカ:170万人  アフガニスタン:150万人  国際共産主義運動(コミンテルン)と政権についていない共産党によって殺害された人:約1万人  総計:約1億人
ナチスのユダヤ人虐殺はどんなに多く見積もっても共産党が殺した数の4分の1にすぎない。 これほどの残虐行為を行なった共産主義は、これまで一度も裁かれていない。 共産主義黒書 (via ginzuna)(元記事: geocities.co.jp (ginzunaから))
5月 25, 2017 ネット上にこんなのがあった。「玉音放送を現代語訳してみた」 「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」このフレーズは何度も耳にした。 そして、これが玉音放送で唯一理解出来る箇所でもあった。 何を言ってたのか、全文理解してみようなんて思った事なかった。 そして、これが現代語訳だそうです。 あの時代、国民はどんな想いでこの放送を聞いていたんだろうか、。 世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。 私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。 そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。 最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。 けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。 その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争 を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。 そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。 私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。 この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。けれども 私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。 私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。 感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。 何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて 総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよく よく理解してもらいたい。 玉音放送を現代語訳 HF -BLOG-|.fatale|fatale.honeyee.com (via pipco)(元記事: takudeath (hiyoko72から))
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5月 22, 2017 その場にいない人を褒める
5月 22, 2017 山本五十六の名言「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば,人は動かじ。」には続きがある。 「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」 と続く。 #意外と知られてないこと Twitter / hassotoilet: 山本五十六の名言「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほ … (via eternityscape)
5月 20, 2017 日本は自分たちがしたことについて、まったく自覚がない 日本がパリ講和会議で出した人種差別撤廃案。それがいかに欧米諸国を困らせたか。日本人は全然理解していない。 アメリカがハワイを併合した。その時、日本は強く抗議した。また日本は、アメリカが長く望んだ支那への進出の大きな障壁となった。アメリカは日本を強く憎んだ。日本人は全然理解していないが、その憎しみは、国際法を無視した通商破壊や無差別爆撃、原爆の投下を見れば明らかである。 ロシアは、日露戦争で満洲や朝鮮への野望を、日本に打ち砕かれた。さらにロシア革命の後、日本はシベリア出兵で革命に干渉した。ロシアがどれだけ日本を憎んだか。日本は自覚していないが、その憎しみは一九四五年の終戦時、満洲で日本人の女性や子供まで虐殺されるほどであった。 ノモンハン事件で、日本は一万九千人もの戦傷病者を出した。しかし、一九九一年のソ連崩壊後に公表された資料によれば、ソ連の戦傷病者数は二万四千人である。さらに、一九四一年に関東軍特殊演習に結集された七十万の日本軍による圧力に、スターリンは恐怖した。終戦間際の弱体化した日本軍に対して、スターリンは百七十四万の軍勢を満洲国境に展開した。 日本人は、日本が世界を大きく変えてしまったことを自覚していない。ロシアやアメリカがどれだけ日本の力を恐れていたかを自覚していない。 日本はあまり搾取もせず、条約も遵守し、国際法規にも触れなかった。それでもアメリカは覇権を求めた。その戦争でアメリカは、日本を叩きすぎた。そのせいで、その後、支那を失い、朝鮮半島やベトナムで戦争をしなければならなくなった。ソ連が強大なライバルになり、長引く冷戦に耐えなければならなくなったのも、そのためである。 さらに、無差別空襲に原爆の投下、日本人を虐殺しまくったその戦争を正当化するために、戦前の日本に‘異常な軍国主義国家’の汚名を着せた。そうまでしなければ、日米戦におけるアメリカの正統性は説明できないものだった。利害が一致する限りにおいて、ソ連の北方領土占領、南京大虐殺や従軍慰安婦の捏造も受け入れた。今も、受け入れつつある。 なぜ、彼らはそこまで日本を憎んだのか。それは日本が、白人支配に対する唯一の抵抗者であったからに他ならない。だからこそ、徹底的にやられた。特攻や硫黄島・沖縄といった命がけの戦いがなければ、また冷戦の萌芽がなければ、日本は地球上から消え去ることになったのではないだろうか。 世界の、日本に対する恐怖は消えたわけではない。だから、事あるごとに日本は苦しめられる。彼らのルールで頑張っても、追いつき追い越そうとする頃には、理不尽なまでにルールを変更される。日本への恐怖は、今でも健在だ。明治以降の積み重ねは、現代日本人の意識以上に私たちに対する大きな評価につながっている。それを理解した途端、日本人は元気になる。日本の歴史の本当の姿が分かれば、それだけで将来は開ける。 めんどくせぇことばかり なぜ歴史を学ぶのか 世界への影響力を日本人は自覚していなかった 『真実の満洲史【1894-1956】』 (via ittm) (元記事: jhfk1413.blog.fc2.com (nakatoshi0610から))
5月 20, 2017 皆さんは写真の見出しの%を信じているのではないかな?しかし余りに有名なフレーズのため訂正はしない。正確には全国の米軍施設の沖縄の割合は22.6%である。横田、横須賀、岩国、佐世保は自衛隊共有と言う理由から75%の数字から省かれてい… https://t.co/OJj0MZwfqk 美ら海・沖縄さんのツイート (via gkojax) (hiroakisから)
5月 17, 2017 人権運動家、平和運動家、反原発運動家、基地反対派の正体は? & 反日、売国奴、在日韓国人、 中国、韓国、北朝鮮=特亜3国の工作機関・工作員 Mi2 on Twitter 9:20 AM - 14 May 2017
5月 11, 2017 驚異的な識字率 当時の日本国民の識字率は75%前後と欧米諸国より遥かに高かった。識字率の高さは、「自己ノ氏名ヲ書シ得ザル者」は兵役に就くことを不可能とすることができ、複雑な兵器の取り扱い方法が紙の説明書による伝達で可能であったため、訓練の効率化をもたらした。 一方のロシア側は、日露戦争で捕虜となったロシア人の中で自分の名前すらも書くことのできない者が過半数はいる状況であった。これは、貴族への教育制度しかない当時の欧米の識字率の低さ(20%前後)がもたらした当然の結果であった。このため、日本各地のロシア人捕虜収容所では、あまりに気の毒な惨状から、ロシア語の読み書き教育が行われた。 また、捕虜となった日本兵の書いた論文が欧米の新聞に紹介されると、一兵卒すら論文が書ける日本の実力に、欧米の識者は驚愕し、貴族中心の教育制度から、庶民を含めた教育制度への社会改革をもたらした。 日本海海戦 - Wikipedia (via toronei)(元記事: Wikipedia (zaki123から))
5月 10, 2017 人から謗られたり、あられもないことを言われると、憤るのが人情であるが、たとえ怒っても、その心のどこか奥に、「イヤこういうことも、実は自分を反省し、錬磨する契機になる。そこで自分という人聞ができてゆくのだ。結構、ありがたいことだ」と思うことです。(安岡正篤)
5月 9, 2017 仕事でフランスに行った時の話し。 地元の名士みたいなおっさんが既得権益持ってて、このおっさんと話しをつけないと行けなかった。 このおっさんが何かにつけては、フランス自慢したくてしょうがない人で、 東洋の猿に香り高いおフランスの文化を嗅がせてもらえるだけでも有難いと思え臭がプンプン。 仕事上、しょうがないから相槌打ってたけど、地元の教会自慢された時に、あまりにウザイので 「え?あの教会?いつできたの?18世紀?新しいね」って言ってもうた。 「新しい?」って食いついてくるので「オレが結婚式した地元の神社は11世紀からある。 日本じゃ、そんなのゴロゴロある」って言ったら、おっさんシュンとなって、オレの前では自慢しなくなった。 それに仕事の交渉もしやすくなった。
別のフランス人とのやりとり。 俺は英語しか喋れないし相手も英語喋れるので英語で話していた。 ある日不具合発生。期限を過ぎているのにアナウンスされるべき事項がなしの礫だから文句を言いに行った。 そしたら、そいつは「全部書類に書いてある」と言い張る。 俺は書類を引っ張りだして 「ここを見ろ。書類にはディレクターが1時までに決定すると書いてあるぞ。 ディレクターはお前だろ。もう1時過ぎてるぞ。今すぐ決めろ」 って言うと、突然、そいつは、フランス語で何かをわめいて自分の部屋に引っ込んだ。 余りにも腹がたったのでドアをガンガンノックしながら 「舐めとったらシバきまわすぞ。アホンダラァ!!」 俺は大阪弁でまくしたてた。 そうしたら、そいつの上司登場。 俺が何を言ってるかは分からなかったけど、俺が本気で怒ってることは分かったらしい。 その上司に事情を説明したら、「それはおかしい。アイツに即決めさせる」と言って処理してくれた。
どうやら奴らの行動原理は、自分のほうが格上って言うことを示してお前は格下だから言うことを聞けって言うことみたいだな。 だから、自分が格上の根拠を否定されると急に弱気になる。 なんか、めっちゃヤンキー文化。 あれ以来、フランス人と交渉するときは、こっちも上から目線でちょうど良いと思ってる。 欧州人は紳士ぶってるけど、やること結構えげつないもんな - 2chコピペ保存道場 (via darylfranz) (元記事: 2chcopipe.com (quote-over1000notes-jpから))
5月 9, 2017 ■ 公衆電話の番号を知る裏技
  ■用意■
  用意するものは2点、   1:0度数のテレカ(残数なしのテレカ)   2:録音できるテープレコーダー(980円の再生専用でなく録音可能     のもの。MDでもOK)      上記が用意できたらいざ!出陣
  ■やり方■
  1:緑(MCシリーズ)公衆電話の受話器をあげて、0度数のテレカを     入れます。   2:0度数の為すぐテレカが戻ってきますが、テレカの排出口と挿入口     を指で押さえてテレカが排出されないようにします。   3:しばらく押え続けた後で手で受話器のフックを下げる   4:発信音(ツー)が聞こえた後でDTMFの音が聞こえてくるので、     すかさずテープレコーダーでDTMF音を録音する。   5:音が聞こえなくなったらテープを止め巻きも戻しておく。   6:今度は灰色のISDN電話の所に行き、受話器をあげテレカ(度数     があるもの)を挿入する。   7:先ほど録音したテープを灰色電話の送話部に大音量で流す。   8:灰色電話の液晶部分に数字が表示される。   9:その数字の下10桁(市外局番+局番+番号の9~10桁)をメモる。   10:そのメモった番号が先ほどの緑電話の電話番号だ。
  ■注意■
   緑のMCシリーズでも一部シリーズで使用できません。   結構目立つので夜にすることをお勧めします   緑電話で録音したテープを灰色電話で大音量で流す事が必須。
305 :水先案名無い人:2010/09/21(火) 23:23:36 ID:QKA3vWAq0 ≫268 なんという壮大な無駄知識 ヒロイモノ中毒 公衆電話の番号を知る裏技 (via darylfranz) (tempest0256から)
5月 4, 2017 戦前、アメリカがスペインと戦争した時に宣戦布告したのは、戦争が始まって1週間後です。 国際法では、宣戦布告はしてもしなくても良いとされてます。 因みに戦後、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争等で宣戦布告してません。 米政府のプロパガンダだった「リメンバー・パールハーバー」 : 大艦巨砲主義! (via 774rider)(元記事: military38.com (rintaro210から))
5月 4, 2017 日本の戦後、多くの子女がGHQの米兵にレイプされる事件が頻発したため、GHQの為に慰安婦を募集して、慰安所を儲けた。「女の防波堤」と呼ばれた。この話はぜんぜん出てこないし、クリントンも知らないのかな? 2ちゃん的韓国ニュース : 【慰安婦】 「お金をもらっていたら被害者ではないのか。『強制』させられることだけが被害なのか」 市民団体がシンポジウム (via mcsgsym)(tanakakanata314から)
5月 4, 2017 こういうのをお花畑お花畑いうけど、ほんとにお花畑だったら世界中の国に同じこと呼びかける筈でしょ。でもこの手の人の9割9分は日本の軍備だけを強烈に敵視するでしょ。つまりお花畑装った別のものだよ。 はてなブックマーク - 井筒監督「他国が攻めてきたら日本国民は無抵抗で降伏すればいい。そこから政府が交渉すればいい」 - 痛いニュース(ノ∀`) : ライブドアブログ スターが200超えててすごい。(via kom)(元記事: b.hatena.ne.jp (yuzieから))
5月 1, 2017 ヨーロッパ人が、300年にわたって、アジアで、アジア人を家畜同然に扱って金もうけした。  ↓ 日本がこれを追い払おうとした。  ↓ 欧米が中国の後ろから武器や物資を運んでこれに抵抗。  ↓ これを日本が撃退。・・・←中国人はこれを日本の侵略だ、とか言ってる。  ↓ 裏に隠れてる欧米に対して、日本軍がボコりに出た。  ↓ アメリカ以外のすべてを、日本が駆逐した。  ↓ アメリカには負けた。  ↓ なぜか日本が全世界に負けてアジアに迷惑をかけたことにされてる。  ↓ 戦後70年以上も、日本の学校では「日本が悪い」と教育されてきた。  ↓ 最近、これはおかしい。真実を見よう、という風潮になってきた。 http://military38.com/archives/40956071.html 「太平洋戦争は自衛のための戦争だった」「アジア解放のための戦争だった」←これマジ? : 大艦巨砲主義! (via worldwalker2) (mc2-eから)
5月 1, 2017 Testosteroneさんのツイート: “悪口陰口嫌がらせ、全部暇人のやる事だから気にすんな。プライベートも仕事も絶好調で超ハッピーな人がわざわざ他人の事チェックしてケチつけねーだろ?自分がうまくいってなくて不幸で暇な奴が悪口陰口嫌がらせなんてするんだよ。「おう暇人!お疲れ!」って思っときゃいい。相手しても損するだけだ。” (via vhodnk) (元記事: twitter.com (uechinから))
5月 1, 2017 カルト教団を識別するチェックポイント 1.教団名を秘匿して勧誘する 2. 従来の人間関係との絶縁を迫る 3.カルトの教えのみを善とする 4.思考力を奪う 5. 危機感を煽る 6.退会が困難 balance-meter:
5月 1, 2017 この10カ条って 教育や指導する場面だけじゃなくて 営業や提案でも使えるんじゃない? http://bit.ly/1iz5NYW 教え方のルール10カ条
熱意よりも何をどうすればいいのか具体的な指示を 「教えた」かどうかは「学ぶ側が学んだかどうか」で考える 結果が思わしくないのは,すべて教える側の責任 上手に教えたいのならコミュニケーション上手になる 教えるときは相手をよく観察して相手の状況をつかむ 相手にとってちょうどいい知識を与える 相手に教えたことを練習させて結果をフィードバックする 相手にできるようになってほしい具体的なゴールを決める 相手の「心」は変えられないが「行動」は変えられる ゴールは必ず行動として設定する (via drhaniwa)(元記事: haniwa.blog3.fc2.com (trinityworks-interestから))
5月 1, 2017 三河の一向一揆もようやく収まった頃、一揆に加わった家臣たちも、宗旨替えを条件に 帰参する事になった。ところが、小栗又市という男のみ、どう言っても改宗しない。 家康は又市を呼びつけ 「どうして宗旨を改めぬのだ!?改めねば、この場でその首を斬り放つぞ!」 又市「例え素っ首斬りおとされようとも、宗旨は改めませぬ!」 家康が脅しても、どう説得しても、又市はうんと言わない。あまりの頑固さに呆れた家康は 「もうよい。命はとらぬ、何処へでも行け。」と、召し放った。 すると又市、その場でがばとひれ伏し、こう叫んだ 「小栗又市、ただ今から宗旨を改めます!」 家康はさらに呆れて、 「たった今首を斬られても改宗せぬと言ったではないか。どうしていきなりその気になったのだ?」 「武士たる者、首を斬ると脅されての改宗など出来るものですか! しかしたった今私は、殿によって一命を救われました。 であれば、そのご恩に報いないといけません。なので、改宗いたします。」 三河武士は面倒くさいのだ。 面倒くさい 続・妄想的日常 (via mcsgsym)2008-10-25
4月 29, 2017 戦争ってなんですかと人に訊かれた時には、「国際紛争解決の最高にして最後の手段。」と答えるようにしている。残念ながら、人類は戦争に代わるような有効な国際紛争の解決手段を持っていない。>RT Twitter / keenedge1999 (via netinago99) (元記事: twitter.com (manatu-manatuから))
4月 29, 2017 インド vs パキスタン 「日本にはコリアンタウンがある?すごい仲が良いんだな、パキスタンにインド人街ができたら3秒で灰になってるよ」 というジョークがある 日本と韓国より仲が悪い隣国一覧はこちらwwwwwwwwww : 【2ch】ニュー速クオリティ (via himmelkei) (元記事: news4vip.livedoor.biz (manatu-manatuから))
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thetaizuru · 7 years
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東南アジアにおける欧米プロパガンダ - 本物の“サクセス・ストーリー” Andre Vltchek2017年9月25日New Eastern Outlook 全てが実にあつかましい形でおこなわれている。世界のこの場所にいない人々には、これほど‘完璧な’設計など到底想像できまい。 所属クラブに、私の場合はタイ外国人記者クラブ(FCCT)に入るやいなや、洗脳の長い腕が伸びて来る。 居心地の良い長椅子に座るとすぐ、しっかり世話をしてくれる。一体何を考え、考え方をいかに形成し、変更するか、指示され、命令されるのだ。 時折、中国における“腐敗と不品行”に関する映画を見せられる。とりわけフィリピンの反欧米大統領を中傷するような公開討論に参加するよう奨励される。 最近のことではあるが、中東、特にシリアも、注目を浴びるようになった。 もちろん、FCCTのような場所で提供されるほぼ全て、欧米の見解というか、より正確には保守派から‘リベラル’に至るまでの一連の欧米の見解だ。クラブはアジアでも東南アジアの中心にありながら、欧米の思考方法に熟達したごく少数のタイ人を除いて、きわめて少数のアジア人しか招かれない。あるいは、ダライ・ラマのような欧米の代理人、もちろん、このような人々は何時でも大歓迎だ! ‘反対側’の話をきくことなどあきらめて頂きたい- 中国本土からの共産主義思想家や作家、フィリピンの親ドゥテルテ派の学者や活動家のような講演者たちに出くわすことは決してない。 FCCTで見受けられるタイ人の大半は、実際、欧米主要マスコミの権威者に支援業務を提供する人々だ。通訳、フィクサー、ウエーターや数人の業務担当者だ。 ここは、アジア人が欧米人に、アジアに関して講義をする場ではない。ここは、欧米人がアジア人に、概して、どのように考えるべきか、とりわけ、自分たちの国について何を考えるべきかを教える場なのだ。 FCCTと同じ階の絨毯を敷いた狭い廊下の先には、BBC、NBCや、いくつかの他の主要欧米マスコミ事務所がある。バンコクの‘ペントハウス’マニヤー・センター・ビルディングは、実際、自給自足可能なプロパガンダ総合施設なのだ。 そして今晩、シリア国境からわずか数キロの場所で、約80,000人の難民を収容しているヨルダン’の巨大なザータリ難民キャンプに関する「サラーム・隣人」と題するアメリカ・ドキュメンタリー映画の無料上映(我々のような会員向けに)が行われる。 FCCTのビラには、あからさまに、こうある。“在バンコク・アメリカ大使館とアメリカ・フィルム・ショーケースの協力“ アメリカ大使館職員が映画を紹介する。(あからさまに)アメリカ国務省が後援している映画だ。 FCCTは混雑している。皆ビールを飲んでいる。冒頭のあらゆる演説に、人々は従順に拍手する。帝国の外務省が東南アジアでも最も重要な都市の外国人記者クラブで催しを主催する皮肉には誰も気がついてないように見える。冗談が飛び交うこともなく、風刺は皆無だ。欧米マスコミ連中は、きちんとしつけられている。オリバー・ストーンの“サルバドル”など期待してはならない - 全く違う時代のものなのだ。 生ぬるい当惑に満ちている。ここでは激烈なイデオロギー対決を目にすることは決してない。人は場所をわきまえている。彼らは��一体何を言うべきか、どう振る舞うべきかを十分承知している。しかし最も重要なのは、連中が何を書くべきかを知っていることだ。 * 映画は短く、わずか75分ほどで、実際はなから分かりきっていた。全く酷いというものではない。映画技法は立派で、おそらく、ごく僅かな事実しか提示していないせいで、事実上の間違いは非常に少ない。映画制作者たちは‘政治的に正しい’のだ。連中は時に、特に難民の子供たちとやりとりする際、感情を抑えきれず涙ぐむ。 “キャンプ住民は我々に心を開き、家も見せてくれた”などの陳腐なきまり文句に満ちている。 だがFCCTのあらゆる場所にあるモニター画面に冷ややかに規則的に現れる、いくつか当然予想できる場面もあった。たとえばこういうものだ。子供たちは暴力的な戦争ビデオ・ゲームで遊んでいる。ある子供が突然こう言う。 “ああ、これはアサド政権の旗だ… この人たちが僕に弾や武器をくれるんだ。” ソフトで‘善意で’うまく撮影されたプロパガンダを吹き込まれたのだ。シリア戦争における欧米の重要で、恐ろしい役割に関して、一言たりとも発せられない。ザータリ難民んキャンプが、最も過激な親欧米、親湾岸諸国テロ組織の訓練キャンプの一つであることに一言も触れない。 映画が終わった後、Q/Aコーナーにも参加することにした。 アメリカ納税者の負担でタイまでやってきた二人の映画監督を、いささか皮肉に称賛した。私もケニヤ-ソマリア国境の悪名高い残虐なダダーブも含め、難民キャンプ内で何本か映画を撮ったと言った。そこで、私は単刀直入に聞いた。 “シリア難民は一方の側だけの話ししかすることが許されていないのはご存じですか? 私はザータリ難民キャンプを良く知っています。そこでは、イラクのクルド地域にあるシリア難民キャンプ同様、シリア人はふるいにかけられ、アサド大統領に反対だと言わない限り、対応してもらえず、支援を得られないのです。” 練達の欧米プロパガンダ制作者の当惑した顔が私をじっと見据えた。アメリカ大使館官僚連中は冷静さを保っている。連中はプロで、うろたえるようなことはまずない。 だがマスコミ連中は憤慨した。ロシア語なまりを誇張して、私が映画を制作している放送局の一つとして南米のテレスールの名前をあげた。よく言うよ。何と身の程知らず。非欧米人が、欧米の世論を形成する連中に、世界について説教を垂れるとは! 私はこう結論づけた。 “大半のシリア難民はシリア政府から逃れているのではありません。彼らは欧米や湾岸やあちこちの同盟諸国が始め、支持している戦争の恐怖から逃れているのです。” 沈黙は完璧になった。 すると、上流中産階級出身で、欧米で育ったことが明らかな現地タイ人の若い女性がマイクに近づき、可愛らしく笑いながら言った。 “ザータリ・キャンプを来年早々訪問したいと思います。中東については何も知らないので、なぜだかわかりませんが… 難民に何かできるかもしれませんね? 私は何かを学べるかも知れません?” “何枚か自取りを撮影するかも”と私は思った。 すぐに私は気分が悪くなり、文字通り、そこから逃げ出した。 * 東南アジア丸ごとが、欧米や日本の親欧米プロパガンダという、きつい拘束衣に閉じ込められているのだ。とは言え主要マスコミや、連中が欧米プロパガンダを流布する手口が、拘束衣が機能する仕方の唯一の例というわけではない。 ほぼ全ての真面目な大手書店(少なくとも英語本を販売している店)は、日本の巨大書店、紀伊国屋に、既に‘打ち負かされている’。東南アジアにおいて、書籍販売における紀伊国屋は、食品小売りにおけるカルフールにあたる。インドネシア、マレーシア、タイとシンガポールで営業しており、店舗は上品で、洗練されている。だが何か売れ筋の本を買いたいのでない限り、棚に見る(見つからない)ものに失望し、衝撃さえ受けるかも知れない。 こうした書店で、ノーベル文学賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシェェヴィッチ作品などの何百冊もの酷い反ソ連プロパガンダ本を見つけられるのは言うまでもない。だがエレナ・ポニアトウスカのような偉大な代表的メキシコ人左翼作家の本を探そうとしても、一冊も見つからない! ジョゼ・サラマーゴ、ダリオ・フォのような(だが共産主義の)思想家やハロルド・ピンター(この作家三人全員ノーベル文学賞を受章しているが、政権には大いに嫌われている)の大半の作品をそこで見つけることなどあきらめていただきたい。運が良ければ彼らの著作の一冊か二冊は見つけられるかも知れないが、それ以上は無理だ。 おそらくベルトルト・ブレヒトの戯曲の一編や二編なら見つけられるかも知れない。私はバンコクで探して、一冊しか見つからな��った。ガリレオだ。 東南アジアの書店では、反中国、反共産主義プロパガンダなら“食べ放題”だが、莫言を除いて、本当に偉大な現代中国共産主義の小説家や詩人の本は一冊もない。 もちろん、何か“好ましからぬもの”を見つけ出そうなどしてはならない。「好ましからぬ」という表現で、私は、欧米がこの地域に植えつけ、支持している、宗教や、新植民地主義や君主制や、‘文化’といった言葉の陰に隠れていることが多い現地の封建構造などのあらゆるものに対する皮肉っぽい批判を意味している。 インドネシアでは状況は最も途方もない。スハルト退陣後、急激に増えたあらゆるまともな書店は文字通り消滅した。以後、紀伊国屋はジャカルタの商売を‘模様替えし’、現在は大衆小説や、若干のペンギン・クラシックや似たような主流作品しか売っていない。 ジャカルタのプラザ・スナヤンにある紀伊国屋のマーケティング担当者アリフがこう説明してくれた。 “棚の配列はシンガポール店と同じはずですが、ここでは、インドネシア人経営層が何を売るか決めます。” 確かに彼らは決めている! 想像通り、アドルフ・ヒトラー (インドネシアでは、非常に人気の高い歴史上の人物)や、彼の‘ベスト・セラー’ (少なくともジャカルタでは) “我が闘争”を含む多数の本だ。そのすぐ隣には、最低の反共産主義プロパガンダに満ちた棚がいくつかある。 国民洗脳の点で、インドネシアは、1965年以来、常に東南アジアの先達だ。 もちろん、もっぱら東南アジア言語の本を売る現地書店チェーンもあるとは言える。とはいえ、それは極めて限定されている。率直に言って、世界でも、この地域では、高品質翻訳の本という文化がなく 現地言語で刊行されている書籍の数は比較的少ない。最も傑出したインドネシア人小説家プラムディヤ・アナンタ・トゥールでさえ、マクシム・ゴリキーの“母”を、バハサ・インドネシアに翻訳する際(“イブンダ”)、作業に、元のロシア文章をスクロールしながら(彼はさほどロシア語は話せないと認めている)オランダ語訳と彼の‘直感’を使ったと私に告白したことがある。 * 何十年もの大変な努力で、欧米による東南アジアの知的洗脳は今やほぼ完成している。 洗脳は、学生に奨学金を支出し、インドネシア人、タイ人、マレーシア人や他の‘学者’や教授に条件付きの資金供与をして部分的に‘教育’によって行われている。 欧米プロパガンダは‘文化’を通しても‘首尾よく’流布されている。欧米‘文化センター’は、大半の地方都市で、‘高尚な芸術’を提供する(奇妙にも)唯一の場所であることが多いのだが、明らかに、ヨーロッパと北アメリカの帝国主義的狙い(最新小説“Aurora”で私が鮮やかに描写した通り)を推進している。 現地エリートは、ほぼ完全に外国の企業権益と政治権益にこびへつらっている。愛国心などただのはやり言葉にすぎず、何の実態もない。 欧米帝国主義に対するイデオロギー的、物理的反対から、東南アジアほど隔離されている場所は、世界に他にない。 欧米による完璧な洗脳の結果は壊滅的だ。巨大な東南アジアが、偉大な思想家、作家、映画監督や科学者を生み出すことができないのだ。タイ(重要な小説家チャート・コープチッティ)や、インドネシア(オーストラリア人の友人で画家のジョージ・バーチェットが、‘ディエゴ・リベラとピカソの現地版の爆発的融合’と表現するスハルト・ファシスト政権時代の元政治囚だった政治画家ジョコ・ペキック)は、ごく僅かな例外だ。 ナイジェリアからレバノン、イランからメキシコに至るまで、世界の他の貧しい、荒廃させられた、複雑な場所は、文字通り、大量の素晴らしい作家、映画監督や知識人を生み出している。 * ベトナム (そして、ある程度は、ラオス)を除き、欧米は、全ての共産主義と社会主義的な考え方や国際主義を、文字通り根絶した。それは、大虐殺と粛清の画策によって、残忍に行われた。インドネシアだけで、何十万人、おそらく、何百万人もの左翼が、1965年のクーデター後に殺害された。東チモールでは、左翼FRETILIN運動が、ポルトガルからの独立を獲得し、公正で明快な選挙で、権力の座についた後、住民の30%が、スハルトの軍によって殺された。タイでは、共産主義者は、石油樽の中で、生きたまま焼かれた。マレーシア、シンガポールとフィリピンでは、共産主義者の殺害や失踪が起きた。 インドネシアを含む幾つかの国々で、‘共産主義イデオロギー’は依然、公式に禁止されている。 国際主義、反帝国主義や共産主義や知的追求が破壊された後、東南アジアには、外国から保守的な形の宗教や、大量消費主義、‘伝統的な家族の価値’や、グロテスクなほど極端な個人主義が注入された。 同時に、既に何年も、何十年も、この地域は、買春ツアーと、安く、安易な生き方を探し求めている多数の‘国外在住者’とで、有名、いや悪名まで高くなった。その過程で、彼らは現地‘文化’を形成し、この地域脱知性化してしまった。北京や東京は、磁石のように、無数の偉大な外国人学者、思想家や創造力ある人材を惹きつけているが、概して、東南アジアは、控えめに言っても、大いに異なる種類の外国人たちが殺到している。連中は、一体なぜここが居心地良いのだろう?年齢や功績と無関係に、白人だと言うだけで、東南アジアで享受できる‘大いなる尊敬’のおかげだ。この尊敬は、欧米文化は優れており、実際、世界最高だという何千回も繰り返される(大半は間接的に)明白なウソによる、現地人の洗脳に由来している。 ヨーロッパ人や北アメリカ人が、更に居心地がよくなるものがある。東南アジアでは、欧米プロパガンダによって広められるほぼ全ての基本原理、最もprimitive grain資本主義と右翼イデオロギーが歴史的に受け入れられ、大目に見られ、うやうやしく複製さえされている。 * 現地の学界の連中にとって、欧米(あるいは日本)のお墨付きだけが重要なのだ。その結果、東南アジアは、愛国的な自立思考が、実際一体どのように構成されるものかを忘れてしまったのだ。 大半の東南アジアの新聞は、遠い国々に‘海外特派員’を置いていない。彼らのほぼ全ての国際ニュース報道が、ロイター、AFPやAPなどの欧米主要通信社から直接送られている。それを通って、少なくとも、多少の異なる反対の情報が入り、大衆に影響を与えられるような抜け穴は、全くなさそうに見える。 バンコクやジャカルタやクアラルンプールの街頭で‘南-南’協力について質問をすると、相手はぽかんとする。何か新しい携帯電話用アプリかファスト・フード・レストラン・チェーンについて話をしているのではと思われるだろう。BRICSって何、石工? 書店は基本的に終わっており、商業映画は極めて入念に選ばれた(空虚であればあるほど良い)ハリウッド ‘ブロックバスター’や現地ホラー映画を提供している。 ジャワ歌舞劇の伝統的政治劇(ケトプラック)を含む、現地の芸術は最近は‘時代遅れ’、つまり、脇に追いやられ、全く意味のないものにされ、沈黙させられたのだ。 Scarce芸術映画クラブ、バンコクのリバー・シティーにある、アメリカやヨーロッパの文化施設 (“スポンサー”)ステッカーが玄関を飾っている。 リバー・シティー映画クラブ近くの画廊の一つにある行儀の悪い画商が、股から二基の醜悪なミサイルがぶら下がっているオバマの絵をつい最近無謀にも展示した。だが、どうやら、トルコ大使館が後援し、何人かの欧米外交官が出席する公式上映直前に挑発的な芸術作品を取り除くよう依頼されたようだ。“倉庫に一緒に行きましょう、ご覧にいれますよ”と、何か違法ポルノや麻薬の類をあっせんするかのように、彼は私にささやいた。 * たぶん、“いかに物事がおこなわれるか”の最も分かりやすい例は、数年前にジャカルタのゲーテ・インスティテュート構内で私が出くわしたものだ。学芸員たちは、グダニスクでのある抗議行動中に、治安部隊が、抗議行動参加者に向けて発砲した際のポーランドの‘連帯’時代の何枚かの古い写真を展示することに決めたのだ。 展示は‘共産主義’が公然と禁じられ、1965年、アメリカが支援したクーデターの際、何百万人もが虐殺され、巨大な群島全体が、多国籍や現地の採掘や、伐採カルテルによって、取り返しがつかないほど略奪され破壊されたインドネシアの首都でぬけぬけと、開催された。悪夢のような超過激資本主義が、何十年間もインドネシアを支配し、破壊しているのに、ドイツがインドネシア国民に見せることにしたのはグダニスクなのだ! ��十年か昔、ポーランドで殺害された一握りの共産主義者が追悼され、インドネシア国民に紹介されるのだ。もちろんドイツの文化施設は、インドネシアの親欧米虐殺部隊による共産主義者の大量虐殺を追悼する展示をしようなどとは夢想だにしなかった。 * 今東南アジアの人々は、ロシアについて、ほとんど何も知らず、中国についても、ほとんど何も知らない(欧米の民衆扇動家連中が、民衆に知って欲しいと思っていること以外は)。南アフリカを含むアフリカはよその惑星にあり、中南米もそうだ。現地エリートだけが遠隔の地まで旅行する余裕があり、この連中は、欧米のご主人たちや、公式教義に忠実だ。彼らは決して真実をかたらず、決して偽情報に波風をたてることはない。 この地域の人々は、たいてい近隣諸国のことより、北アメリカのポピュラー音楽やヨーロッパのサッカーのことを良く知っている。東南アジアの貧しい人々は、公正で平等主義の社会を構築しようとしている中南米に関して、ほとんど無知のままにされている。彼らは、キューバ、ボリビア、ベネズエラやエクアドルについては、ほとんど何も知らない。 もちろん、東南アジアで、最近のアンゴラでのMPLA再選(アンゴラは、人類に対する欧米植民地主義犯罪と、新植民地的略奪の象徴の一つなので、世界にとって極めて重要な意味を持つ出来事)が論じられる可能性は全くない。東南アジアでは、キューバや、その国際主義についてや、欧米帝国主義に対し、今誇らしく、断固として立ち上がっている国々の連合についてさえ論議することは決してない。 中東についてはどうだろう? 話題は、パレスチナ問題のみに限定されており、それすら、大部分がイスラム教徒のインドネシアとマレーシアにおいてしか議論されていない。他の中東の‘つながり’は、余りに‘非宗教的’で、余りに‘社会主義者’だと非難されている、不自然に注入された、アサド大統領憎悪だ(もちろん、こうしたものは、こちらでは大変な‘犯罪’で、明らかに称賛にはならない)。 * 東南アジアでは、欧米が明らかに勝ち誇っている。欧米はこの巨大な(そして過去には多様だった)地域を、まんまと‘無力化し’、‘鎮定し’、洗脳し、知的に奴隷化した。 この状況が永遠に続かなければ、それも余り長時間続かなければ良いのだが。 フィリピンとベトナムは急速に正気を取り戻し、欧米の命令に従わない意思を固めつつある。 だが、インドネシアは、‘イスラム教を侮辱した’という全く不合理で異様な非難(非難が余りに奇怪なので、現地の言語学者たちすら彼の支持に回ったが、判決は‘政治的’で、公正とは無関係だった)で中傷され、投獄されたジャカルタの進歩的州知事‘アホック’に対する伝統的な形の‘法的クーデター’の後、大きな挫折を味わった。彼の本当の‘罪’はこうだ。アホックが、この依然絶望的なファシスト国家において、少なくとも多少は社会主義的な要素を導入しようとしたことなのだ。彼は倒れた。間もなく、他の人々が新たな試みをするかも知れない。 一方、中国もロシアも、この地域に本格的に入り込もうとしている。現地の‘最上流連中’は注視している。東南アジア・エリートの大半は、もちろん北ベトナムの人々を除いて、何世紀もずっと売り物だった。 反帝国主義連合が、より強力でより豊かになるにつれ、実際、近い将来、いくつかの東南アジア諸国トップの本格的な心変わりもあり得る。共産主義さえ、最終的には再度合法化される可能性があるが、多少の資金提供や奨学金や相当な助成金を広めるのに成功できたらの話に過ぎない。 もしそうなれば、バンコクFCCTでの画一的な論議も、最終的に、活気に満ちた多様なものとなり得よう。 もちろん、欧米はそういうことが起きるのを阻止すべく、全力を尽くすだろう。 アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、小説家、映画製作者で、調査ジャーナリスト。彼は数十ヶ国で、戦争や紛争を報道してきた。彼の新刊書、三冊には、革命小説“オーロラ”と、政治ノンフィクション・ベストラーの二冊 “帝国の嘘を暴く”と“欧米帝国主義と闘う”がある。他の著書は、ここで見ることができる。彼は、テレスールと、アル・マヤディーンTVに映画を制作している。ルワンダと、コンゴ民主共和国に関する彼の画期的ドキュメンタリー「ルワンダ・ギャンビット」を見る。中南米やオセアニアで暮らした後、ヴルチェクは現在、東アジアと中東に暮らし、世界中で働いている。ウェブサイトとツイッターで、彼に連絡ができる。 記事原文のurl:https://journal-neo.org/2017/09/23/western-propaganda-in-southeast-asia-a-true-success-story/ ----------
東南アジアにおける欧米プロパガンダ - 本物の“サクセス・ストーリー”: マスコミに載らない海外記事
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キューバ駐在のカナダ外交官とその家族、「音響攻撃」で5人が被害
キューバの首都ハバナにある米国大使館の前に掲げられたキューバ国旗(2016年11月26日撮影)。 【AFP=時事】キューバでここ数か月、外交官らを狙った謎の「音響攻撃」によりカナダの外交官らとその家族の少なくとも計5人に被害が出ていると、公営カナダ放送協会が15日報じた。 一連の事件が明らかになったのは今年8月初め。カナダおよび米国当局が、キューバの首都ハバナに駐在している自国の外交官らが突然、 Source: 国外総合のニュースまとめ
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キューバ紀行DAY2
キューバ紀行DAY2 朝8時に起きて朝食。アイダとその隣にいたムキムキの若い男の子が調理してくれていた。 息子?かと思ったが特に紹介は無かった。お手製朝食はかなり美味しかった。パパイヤとパイナップルのフルーツカクテルから、オムレツと野菜の炒め物のプレート、ブレッドが出た。そして、コーヒー!これが本当にかなり苦かった。私にはエスプレッソトリプルみたいに感じて飲めなかった。 2人は美味い美味い、と飲んでた。大人や。最後に出てきた搾りたてのパパイヤジュースはとても美味しかった。 朝一で周辺を散歩。this is havana!道はとても汚くて舗装されていなくて土埃だらけでガタガタだった。廃墟かな?と思うような崩れかかった建物ばかり。目に飛び込んでくるもの全てが新鮮。花粉症のない国に来た!最高や!と思ってたのもつかの間、埃だらけで鼻水と涙は相変わらず止まらなかった。慢性的なアレルギーになってしまったのだろう、私は…。昨日騒がれまくってたアイダ家の前の家はパッと見ガラクタを置いてるようにしか見えなかったけど、よく見ると洗剤?やなんかいまだに分かんないけどまぁなんか生活に必要なものが勉強テーブルくらいの大きさの板の上に無造作に並べられていて一応商店らしかった。道にはお花やさんがあったり、人の活気があった。 協会が出て来た。中に入って見ると開放感があるとても綺麗で鮮やかな聖堂だった。突然丸い可愛らしいおばちゃんに話しかけられた。ハポネス?と聞かれてイエスというと日本人のことを話し出した。奈良に住んでいるナカノヨシエ(ego rappin'!?)の話はわかったのだけどそのあとは全く分からず、愛情を持って話してくれていることだけは伝わって来たのだけどその最中に突然おばちゃんが目頭を押さえて泣き始めた。一体なぜ…全く分からなかった。でも最後はお別れのほっぺにするキスの挨拶をしてくれた。分からないことがこんなにも残念だった。深い愛情は感じた。おばちゃんは先に出ていった。そのあと、目の前のパン屋に入っていった。 周りの散策に行くと50m進むのも時間がかかるほど見所ばかり。サンドイッチ屋さん、パン屋、スーパーマーケット、カフェテリア、ピザ屋など。ネイル屋さんもあったな、賑わってた。みどりの窓口みたいなところは床屋なのか美容室っぽい看板が出てたけどなんやったんやろか。なんでピザ屋こんな多いんやろか。カズさんが言ってた街中のぐちゃぐちゃのパスタってあるんやろうか。行列ができているところがあって、幼稚園のような見た目の野外マーケットがある!と思って中を見るとみんなが袋に入れて何かを貰っていた。そっか、この国は配給があるんだ、と気がついた。その近くにえらい派手なカバンを持ったおばさんがいるなぁと思って通りすがりによくみたら、ピンクに染められたニワトリを腰の位置で抱えているだけだった。 途中で何もかも曖昧なんだけどキューバのmulti principle Cuban なんとかって(訳すとpeople power みたいな感じだった)とこがあってなんか集会所みたいなのかな?そこに入ってみた。奥には食堂みたいなところもあったんだけどおばちゃんが慌てて追いかけて来て笑顔で出て行けみたいな仕草をする。 ここも配給の場所なのかな…。でも笑顔で伝えてくるあたりが優しいなぁ。また行きすがりにおばちゃんに話しかけられる。みんな話しかけてくる。何も分からない。 かなり広いんだけど相当薄暗いスーパーみたいなところがあった。荷物を預けるスタイルなんだけど入らなかった。あー、入っておけば良かった、あそこは心残り。一人は途中で茶色い瓶のいかにも怪しいけど中身ファンタみたいな飲み物を買っていた。カピトルの近くに行くとよくウェブに取り上げられているホアキナさんの有名なカーサがあった。隣りは今にも崩れそうな廃墟みたいな建物だった。建物はカラフルだ、空は本当に綺麗だ。カピトルは工事をしていたけど、そんな街並みに似つかわしくないくらい新しくて立派な建物だった。 もう少し進むとクラシックタクシーが大量に駐車されているところにぶつかった。めちゃくちゃ賑わっている、排気ガスの匂いにクラクションがそこら中でなり、たくさんの人が行き交う、騒がしい、後で認識するがここがセントラルパークだった。でも本当周りに危ない人がほとんどいない。ショルダーバッグだって後ろにかけていても大丈夫。フラフラ歩いているとお約束かのように観光タクシーに声をかけられた。ミゲルに出会った。50CUCで1時間なんだけど君達には特別に40にするよ、行かない?と言って来た。高すぎるから30にしてよ、というとそれは君たちにとってはいいかもしれないけど僕にとってはダメだ!35でどう?!いくよ!(てか来い!)と言ったので まぁいっか、人力車みたいなもんだしせっかくだから乗ってみよう!と思って乗ってみた。 こんな観光客らしいこと1人だったら絶対しないけど、今回の旅はキューバに行くことも大事なんだけど、私にとってはこの三人で行くことが結構大事だった。入社して出会いたまたま同世代で、同じことを経験して来た同志、彼らと見る同じ景色。ミゲルには値段をおまけしてもらったけどとてもナイスガイでかなり丁寧なやつだっだ。英語ができた説明しながら色々連れて行ってくれた。シティ→法王も来たチャペル→フリーメイソンの地球マーク(フリーメイソンってvery familiar in Cuba らしい)→お墓→植物園→革命広場→ジョンレノン広場→映画の撮影にもよく使われるモヒートレストラン→マルコンとナショナルホテル→戻り。 これは病院だよ、とか、植物園の近くでこれはハバナで一番古い木さ、とか このお墓はハバナで一番大きいんだよ、ゲバラはいるの?いや、ゲバラはサンティアゴデグーバにいる。とか教えてくれた。 革命広場に着いた時にはおじさんが大声で笑いながら話しかけて来てなんて言ったの?と聞いたら、この車を見ないときはないぜ!と言って来たんだよ、とのこと。 つまりミゲルは相当な働き者でかつ、仕事ができるやつだったということ。 途中車が止まってなんでここで泊まるの?と聞いたら何故かわかるかい?地図を見てよ!と言われて見るとジョンレノン広場だった。ジョンの銅像と写真が撮れる。なんでジョンレノンがあるの?と聞いたら、ビートルズのロックミュージックがキューバで解禁されたのを記念してここに建てたんだよと言っていた。 (後で調べて見た、共産圏ではビートルズが禁止されてたみたいだけど、銅像が建てられたのは没後20周年を記念してのことのよう。詳細はここに乗っていた。 http://blog.goo.ne.jp/docoh/e/8efb34563805986a2355cd7958d44424) それから、すぐ近くのモヒートが飲めるところに行って見た。一人がずっと、モヒートモヒートと言ってたから行ったがいっぱい6CUCだった。(後で考えると割高だったことがわかった。) ミゲルは俺はラムはいらない、とノンアルだった。飲酒運転はしないのか、さすがだな。それから、いろいろ話した、彼は国が運営する機関で電気関係の仕事をしているらしい。でもそれは1ヶ月10CUCしか稼げない。だから、副業をしている、それがこれだと、これなら1月40CUCは稼げる、と言っていた。 いつも先進国(キューバが先進国なのかは分からない)の人に出会って給料の話になるとその安さに吃驚する。そんなのでやっていけるの?と思うんだけど、彼らは楽しそうに暮らしている。英語は大学で勉強したと言っていた。日本語も辞書を駆使して話してくれた、とても勤勉なやつだった。 そのあとは早かった。あっという間にマルコンを通り抜けすぐに市内に到着。最後には写真を撮って終わった。やはり貧しい国なのか、どうか分からなかった。幸せの価値について問題。 市内に戻ってオビスポ通りへ、古本屋によってSFの本を購入。5CUC。そんなに安くない。 歩いているといろんなオープンテラスのレストランで演奏がされていた。民芸品が売っているところも日本と変わらないくらいの物価。 大人がたくさん並んでいるところがあって、1つ1CUCの行列のアイスクリームを食べた。イチゴとココナッツ?味。美味しい。 街中では当たり前のように必ずどこかから音楽が聞こえてくる。数メートルおきに音楽を聴きながらご飯を食べれるレストランがたる。さすがハバナで一番の観光通りか。 我々は、トリップアドバイザーのアドバイスに従ってレストランへ。 わずか8ドルでソンのようなナイスミュージックとキューバリブレとチーズサンドイッチが食べられるのはいいと思った。チーズサンドイッチはがちでパンにチーズが挟まれているだけだった。ナイスな演奏の後に演奏家が路上で喧嘩しているのを見つけた時、かなり楽しかった。 そしてバラデロの予約をしにホテルフロリダへ。 とっても厳しい先生のような女性が担当者。英語上手だったけどとにかく、なんか色々怒られた気がする。まぁ私がホテルの場所を正確に伝えなかったのが悪いんだけど…77CUCで4starよ、これはあなたたちへのスペシャルオファーだから!と。 パソコンはあるんだけどネットがないから、ホテルの写真も全て画像保存していた。メールを送るのも一苦労という感じだった。マンガはみんなよ見るの?私の娘は15歳で日本のアニメが大好きなんだけど私は全く理解できないわ!となんかディスられてる気分になった笑 とりあえずまた8時前に戻ってこいと言われたので、お金は払ってホテルフロリダを後に。 するとなんと、昨日のともくんに突然出会った。怪しい人に泊まらないかと言われたから付いて行ったんですよ!と、彼はひとり旅を相当満喫していた。 そのあとアルマス広場にいったら、一生いれるんじゃないかってくらい心地よかった。中央祈念像と鮮やかな緑の葉に心地よい風、幸せの象徴の鳩。それにパン屑を与えるおじさん、のんびり眠る犬。日本と変わらないんだけどそこにいる人たちがキューバ人ってだけでまるで違った風景に見える。 そのあと、のんびり歩きながらいざマーケットへ。途中では巨大な駅?を改造した物置や、ハバナクラブ博物館があった。暑くて疲れている中、ようやく到着。私、歩きながら寝てた気がする。マーケットは広かった。キューバ人の絵や、民芸品、帽子、キューバンシャツなどが売られていた。清潔感!キューバ人の絵、写真に収めておけばよかった。もっと、ちゃんと見ればよかった、、 私と中里さんは帽子を、むたいくんは前から欲しがってたキューバシャツをゲットしていた。そのあと中里さんが買って1/3も飲みきれなかったココナッツジュースが相当つぼだった。 となりがtabaco factoryみたいに書いてあってのぞいてみたけど、ただのカフェだった。ちょっと見学に〜とむたいくんがフラフラ入っていくと、順番抜かししないで、と言われた。キューバ人は真面目だし順番を守る。 結局そこには行かずにモロ要塞に行くことにした。毎回タクシーは10と行ってくるから、近いのに高すぎるから毎回値切る。数字を覚えていつ使うの?と馬鹿にしてきていたむたいくんも、ごめん数字めっちゃ使うわ、と言ってくるくらいだった。要塞を通るには地下通路を通る。まぁただのトンネルだけど。 要塞は人が少なく、緑の草原の中にどしんと立っていて、本当に綺麗で驚クほどだった。しばらく青すぎるカリブ海を眺めた。青、蒼、碧。 ドアが開いていた灯台に勝手に登ると、灯台守のおじいさんとスペイン人?の家族三人がいた。あら!ここは本当は入ってきちゃダメなのよ、私たちは特別に入れてもらったの、でもしょうがないわ、ちょっと景色を見てみたら…?外にでちゃダメよ!と言われたのに一歩だけ出て写真撮ってしまった。柔らかく怒られた。おじいさんは電話とラジカセとテーブルで1日をそこで過ごすらしい。サルサが流れていた。電気をどうやって点灯させるか、教えてくれた。18マイル明かりは届くらしい。そのあと、また降りて要塞の博物館を見学した。海賊から守るために作られた要塞。要塞の絶壁から眺めるカリブ海はどうやって表現したらいいのかわからない。今のこの平和で陽気なキューバは、その革命の歴史とともに、英雄と共にあるのだなと思うと胸が熱くなった。ゲバラなんて革命始めた時28歳だぜ、同い年かぁ、、とか考えていた。要塞の近くのお土産屋では一歩進むごとに話しかけらた。分かりやすいやつなんて、can you help me? I have three childrenと言っていた。 一度カーサに戻って3時間半くらい爆睡した。 夜は、8時に戻って来いと言われたからとりあえずホテルフロリダへ。タクシーの値段交渉はむずいなぁ、慌てて行ったけどフロリダに着いた時にはお姉さんは余裕な感じで、コンファメーションの確認のみ、、満足そうだったからいっか。そして4ブロック先の音楽スポットを教えてもらった。ウロウロしていると物凄い低音が聞こえてくる建物があってクラブかと思ったらどうやら、ただの家の二階からきこえてくるらしい。あまりにも家すぎて行かなかった、1人だったら行ってたな、きっと陽気に受け入れてくれただろうな。 広場はとても素敵だった。お抱えバンドのいるレストランがひしめき合っていて、みんな自分のレストランのバンドの音と、隣のバンドの音混ざらずにちゃんと聴けてるのかな、と心配になった。お腹を空かせてから、酒場という名前の酒場にイン。素晴らしい音楽が既に外に漏れていたのと、ボーイがナイスガイで惹かれた。みんな入れない人は外に椅子を並べてモヒート飲みながら聞いていた。しばらくすると突然演奏が止んでしまった、休憩らしい。五分。短か!そしてまたすぐ再開。ここで飲んだモヒートは最高に美味しくて音楽も素晴らしくて感動のあまり泣きそうになるほどだった。 しばらく楽しんでからカサデラムジカへ初の自転車タクシーで。一台で行きたかったんだけど二人乗りで、二台に分かれて乗車。自転車タクシーはもう道がボコボコだから、ボンボン跳ねる。日本でもあるの?と聞かれて、人間が走って運ぶやつがあるよ!というと、are you crazyと言われた。 ようやく到着したんだけど、、なんと7ヶ月前からおやすみらしい。そこで出会ったカサデラムジカの前で説明してくれた黒人のスーパーナイスなクラバーガイが他のところに連れてくよ!と言って連れてきてくれた。サルサ、レゲトンのクラブへ見学してはどう?と聞いて連れて行ってくれた。クラブガイドかと思って最後にお金払うのかな?と思ったら何も要求されなかった。 結局レゲトンで落ち着いたがとても面白い店だった。壁にはキューバのタバコの看板がびっしり貼られていて、天井には管楽器が無造作にたくさん貼り付けられていた。頼んだピニャコラーダも本当に美味しかった。いちごの砂糖みたいなものを淵につけるんやなぁ。 程なくしてすスタンドマイクしかななかったステージ上に黒人の男一人とサイドMC的なサングラスをかけたやつが現れた。この二人が盛り上げた。レゲトンって言っても本気のレゲエっぽいのもあれば、すごくサルサっぽいのも多かった。全体的にかなり明るくて、お客さんは二階で見たり、1階で見たりフロアで本気で踊る(タンゴ的な)人もいたり、腰の振り方が玄人だったり、そういうの踊れるのすごくいいなと思った。そんなことを思っているとクラバーガイがサルサジャズのステップの踏み方も教えてくれた。彼は若かったんだけど、英語がすごく上手だった 。ミゲルもそうなんだけど、若い世代が英語が上手な人が多いところからも、アメリカの影響を感じた。 ほどなくして帰宅。 カーサに帰ってからは洗濯をした。いい匂い、ユークイルにからまれまくるあ。アイダの匂いになるかしら。明日は七時起きでビニャーレスへ。
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muraoka-net · 8 years
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昨日は富士山、おとといはニャン...。完全休業してますたε-(´∀`; ) ・ ・ #おはようございます 。 2017年《平成29年》2月24日(金) #今日は何の日 で、 ・ ・ 鉄道ストの日、 大喪の礼 後醍醐天皇が隠岐を脱出して京都に向かう(1333年)、 ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改正して制定(グレゴリウス暦)(1582年)、 ペリー一行、横浜で電信機の実験(1854年)、 幕府、裁縫ミシンの講習会(1868年)、 天皇が東京に滞在中は太政官を東京に移すことが決まる(東京遷都)(1869年)、 明治政府、キリスト教を解禁(1873年)、 イギリスで初のクロスカントリー選手権開催(1877年)、 日本鉄道会社の機関手ら400人、鉄道初のストライキに突入(1898年)、 日本平民党が日本社会党に合流し、第1回大会が開催される(1906年)、 尾崎行雄らが政友倶楽部を結成(1913年)、 直木三十五、没。43歳(1934年)、 「月光仮面」放送開始(1958年)、 新宿御苑で昭和天皇の大喪の礼。163か国9,800人が参列(1989年)、ユナイテッド航空811便貨物ドア脱落事故(1989年)、 湾岸戦争: 多国籍軍による大規模地上攻勢「砂漠の剣作戦」が発動。3日間でクウェートを奪還(1991年)、 フィデル・カストロがキューバ国家評議会議長を辞任し、弟のラウル・カストロが後任に就任(2008年)、 プレミアムフライデーが実施(2017年)、 ・ ・ 誕生花:つるにちにち草 (Periwinkle) 花言葉:楽しい思い出 ・ ・ 小生も、使い込んだクルマのバッテリーのごとく🔋2日間で満充電⁉️(苦笑) ・ そんな、今夜から4夜勤な金曜日も行ってみよー♫そして#おやすみなさい 🎶#おはよう#morning#朝#素敵な一日を ・ #青空#BlueSky#晴天#晴れ #いい天気 ・ #イマソラ#今空#いまそら#空#ソラ#そら#sky#今日の茨城の天気#茨城の天気#今の空模様 #空模様#IGで繋がる空#誰かと繋がる小さな幸せ#そら部#ソラバカ戦隊#おなじそらのした #ibaraki#茨城空港周辺 ・ ※今日の出来事は、「函館インフォメーション・ネットワーク㍿」が運営するデータベース『HINET』より、小生の気になったのを、幾つかPickUpしております。 (茨城空港 Ibaraki Airport)
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bsiokbe · 8 years
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5歳 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1761年:クラシック音楽作曲家)  最初の作曲を行う。ピアノ曲「アンダンテ ハ長調 K.1a」 。他に5曲作っている。   9歳 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1765年=9歳0か月:クラシック音楽作曲家)  最初の交響曲を初演。作曲は8歳の時。   出雲阿国(1581年:女芸能者、歌舞伎創始者)  9月(新暦の10月)に御所で「ややこ踊り」を演じた記録がある。この時、数えで8~11歳と記録されているので、7~10歳の間と考えられる。   10歳 フランシス・ドレーク(1553年:海賊、イギリス海軍提督)  この頃に家出し、近所に住む老船長の船に乗る。  のちに下層農民の身分から海軍提督にまで上り詰める。封建時代・絶対王制の西欧社会での一番の出世物語の始まり。   11歳 森鴎外(森林太郎/1873年=11歳7か月:医者、小説家)  東京帝国大学医学部予科へ入学。日本における最年少の大学入学記録。 マララ・ユスフザイ(2009年:平和人権活動家)  武装勢力タリバン支配地域の惨状を英BBCに匿名で投稿していたが、パキスタン政府が表彰のために本名を公開してしまった。  表彰のある講演会の会場にあらわれ、以降、本名での平和人権活動に変わる。同時にタリバンから命を狙われるようになる。   12歳 ベンジャミン・フランクリン(1718年:科学者、政治家)  10歳で学校を終えて兄の経営する印刷所(現在の出版社)で働き始める。  兄が政府批判の書籍を印刷した罪で投獄されると、12歳で編集長兼発行人を任される。 13歳 ミケランジェロ・ブオナローティ(1488年:美術家)  幼いの頃から絵画や彫刻に興味を示し、この年にドメニコ・ギルランダイオに弟子入りする。   ジュリエット・キャブレット(1595年:シェイクスピア著)  演劇「ロミオとジュリエット」   14歳 ジャンヌ・ダルク(1428年=14歳4か月:聖人)  大天使ミカエルの啓示を受け、オルレアンを訪れる。 マリー・アントワネット(1755年=14歳5か月:オーストリア大公王女、フランス王妃)  フランス王子ルイ15世と政略結婚させられる。 アン・サリヴァン(1880年=14歳5か月:ヘレン・ケラーの家庭教師)  病気で9歳の時に視力を失い、マサチューセッツ州にあるパーキンス盲学校に訓練のために入学する。  その後の手術が成功し、わずかながら視力は回復する。 坂井三郎(1933年=14歳8か月:戦闘機乗り、太平洋戦争の撃墜王)  飛行機を近くで見たいという一心で、周囲の反対を無視して海軍へ入隊する。 八百屋お七(1683年=数えでは16歳:八百屋の娘)  大火で避難した寺で会った男と再開したいため、放火未遂の罪を犯して火刑に処せられる。 大石主税良金(1703年=数えでは16歳:赤穂浪士)  大石内蔵助の息子。赤穂浪士の最年少。吉良邸討ち入り。切腹。   15歳 近藤勇(1849年=15歳1か月:幕末志士)  農民の子供であるが、武士を目指して剣術道場へ入門する。 マララ・ユスフザイ(2012年=15歳3か月:平和人権活動家)  中学からスクールバスで帰宅するところを武装勢力タリバンに襲撃され、頭部と首に銃弾を受ける重傷を負う。治療のためにイギリスへ渡る。 ジョン万次郎(1841年:漁師、翻訳家)  鳥島へ漂着して143日間のサバイバル生活を送る。  その後アメリカの捕鯨船に救助されるが、船長に気に入られてアメリカへ連れていかれた。 乃木希典(1865年:武士、軍人)  長州軍の一兵卒として初陣。幕府軍と戦う。   16歳 山下清(1938年=16歳9か月:放浪画家)  銀座にある画廊で初の個展を開催。画家として高い評価を受ける。 ニール・アームストロング(1947年=16歳10か月:宇宙飛行士)  ホロウェイ・プランという海軍入隊を前提とした奨学金制度を利用して、大学へ進学する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1787年:クラシック音楽作曲家)  ウィーンへ旅行し、モーツァルトに弟子入りを求めるが断られる。 ウォルト・ディズニー(1917年:漫画家、実業家)  第一次世界大戦のフランスから復員。帰国後、漫画家として活動を始める。   フローレンス・ナイチンゲール(1837年=16歳8か月:看護師、統計学者)  生涯4度あったという神の啓示のうち、最初の啓示を受ける。この時はまだ啓示によって行動が変わることはなかった。   蝶々夫人(マダム・バタフライ/1904年:ジャコモ・プッチーニ作)  オペラ「蝶々夫人」。アメリカ海軍士官ピンカートンの現地妻になった歳。   17歳 手塚治虫(1946年=17歳2か月:漫画家)  4コマ漫画「マアチャンの日記帳」で漫画家デビュー。 マララ・ユスフザイ(2014年=17歳4か月:平和人権活動家)  史上最年少でのノーベル平和賞受賞。 ウラジーミル・レーニン(1887年=17歳8か月:革命家)  学生運動に参加したことで逮捕・投獄され、大学からも退学処分を受ける。  この投獄、監視中にカール・マルクスの資本論などを読みあさり、マルクス主義へ急速に傾倒していく。 マルコ・ポーロ(1271年:商人)  ヴェネチアからアジアの旅へ出発する。 伊達政宗(1584年:戦国大名)  武将としての素質を見抜いた父輝宗から、伊達家17代の家督を継承する。この時の父輝宗は40歳。 天草四郎時貞(1638年:キリスト教徒総大将)  島原の乱の首謀者として処刑される。生年不詳。17歳ぐらいとされる。   18歳 ヴィクトリア女王(アレクサンドリナ・ヴィクトリア/1837年=18歳0か月:イギリス女王)  前任のウィリアム4世の崩御により、イギリス女王となる。イギリス黄金期の象徴的存在。 山下清(1940年=18歳0か月:放浪画家)  徴兵検査がイヤで逃亡。放浪生活が始まる。(1954年まで) ビル・ゲイツ(1975年=18歳5か月:実業家)  ポール・アレンと共にトラフォデータ社を創設。同年にはハーバード大学を休学し、マイクロソフト社を創業する。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1929年=18歳8か月:カトリック教修道女)  インドのロレート修道会へ入会。この頃にダージリンで見たインドの貧民の生活に衝撃を受ける。 カール・フリードリッヒ・ガウス(1796年=18歳11か月:数学者)  正17角形の作図法を発見。この発見を機に数学者の道を進むことに決める。  またこの発見の前に統計手法として重要な「最小二乗法」も発見している。   19歳 中大兄皇子(645年:のちの天智天皇)  中臣鎌足とともにクーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害した。ここから大化の改新が始まる。 ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(1875年:地質学者)  明治政府に招かれて東京帝大の初代教授に就任する。  ナウマンに関する経歴には不明な点が多い。結果としての業績は大きいが、この時はまだミュンヘン大学の学部生だったという話もあるが……。 ハワード・ヒューズ(1925年:実業家)  前年の父の死により莫大な遺産を手にし、それを元に最初の事業として映画制作を始める。  のちに航空宇宙産業にも手を出し、「地球上の富の半分を持つ男」という二つ名を与えられる大実業家となる。   20歳 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1829年=20歳1か月:クラシック音楽作曲家)  J.S.バッハの作品を再評価し、マタイ受難曲を死後初上演する。 ビル・ゲイツ(1975年=20歳2か月:実業家)  マイクロソフト社設立。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1931年=20歳9か月:カトリック教修道女)  誓願を立て、聖人になることを誓う。 アン・サリヴァン(1887年=20歳10か月:ヘレン・ケラーの家庭教師)  ヘレン・ケラーの家庭教師として、パーキンス盲学校から派遣される。  サリヴァンの派遣は、電話の発明者グラハム・ベルの仲介による。   ジョージ・H・W・ブッシュ(1944年:政治家、アメリカ第41代大統領)  太平洋戦争に攻撃機パイロットとして従軍したこの年、2回撃墜されるも生還している。 三島由紀夫(1955年:小説家、劇作家)  世界一周旅行中にギリシャで見た彫像に感化され、この頃からボディビルによる肉体改造を始める。   21歳 エルビス・プレスリー(1956年=21歳3か月:ロックミュージシャン)  前年サン・レコードからRCAへ移籍。その移籍1曲目で一気にブレイクする。 スティーブ・ジョブズ(1977年=21歳10か月:実業家)  アップル社設立。7か月前にApple Iを発表してパソコンを生み出す。それで得た資金を元手にした。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1861年:クラシック音楽作曲家)  法務省に勤めながら、サンクトペテルブルグ音楽院に通い始める。 沖田総司(1863年:幕末志士)  新撰組1番隊隊長となる。この時、19歳という説もある。 ユージン・オーマンディ(1921年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  マネージャーに騙され、演奏旅行で来ていたニューヨークの街に無一文で放り出される。  糧を得るためにニューヨーク・キャピタル劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者となり、腕を買われてその年の内にコンサートマスターになる。  アメリカンドリームを象徴する大出世譚の始まり。   22歳 フランツ・シューベルト(1819年=22歳0か月:クラシック音楽作曲家)  ピアノ五重奏曲「鱒」作曲。  この頃にシューベルトの音楽は一度完成の域に達し、以降、新しいスタイルを確立しようと苦悩する。  同じ頃に仲介者が起こしたトラブルに巻き込まれ、楽譜出版界から干されたに等しい扱いを受ける。  以降に作った歌曲以外の曲(オペラを含む)は、この時から20年以上(死後10年以上)一つも出版できなかった。  死の10年後、遺族を訪問したシューマンが楽譜を発見しなかったら、そのまま埋もれた作家になっていた可能性がある。 チャールズ・ダーウィン(1931年=22歳10か月:生物学者)  測量船ビーグル号に乗り、ここから5年間世界を旅する。 アレクサンダー3世(紀元前334年:マケドニア大王)  東方遠征を始める。2年後にはエジプト、3年後にはペルシャを征服する。   23歳 エイブラハム・リンカーン(1832年=23歳1か月:政治家)  義勇兵の身分のままイリノイ州議員選挙に立候補するが落選。2年後に初当選するとイリノイ州軍大尉になる。 毛沢東(1918年=23歳3か月:政治家、思想家)  師範学校卒業前に、学友たちと政治結社「新民学会」を創立。ここから1年間、共産主義について猛勉強する。 高杉晋作(1863年=23歳7か月:尊王の志士)  下関戦争で米仏から報復を受けた関門海峡の防衛を任される。 高杉晋作(1863年=23歳8か月:尊王の志士)  奇兵隊創設。 島崎藤村(1906年=23歳11か月:詩人、小説家)  長編小説「破戒」を自費出版。作家デビュー。 劉備(184年:三国志英雄)  黄巾の乱が起こり、関羽、張飛らと義勇軍を起こす。 福沢諭吉(1858年:蘭学者、啓蒙思想家)  蘭学塾「一小家塾」(のちの慶応義塾大学)を創立。 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1863年:クラシック音楽作曲家)  法務省を辞職し、音楽活動に専念する。   24歳 小澤征爾(1959年=24歳0か月:クラシック音楽指揮者)  第9回ブザンソン国際音楽祭の指揮者部門でコンクール第1位となる。 吉田松陰(1854年=24歳7か月:長州藩士)  ロシア船に密航を企てるが失敗する。のちに松下村塾を起こす。 鳥山明(1980年=24歳8か月:漫画家) 「Dr.スランプ」連載開始。同年発売の第1巻は短期間に100万部を突破して話題となる。 チャールズ・チャップリン(1914年=24歳9か月:喜劇俳優)  映画「ヴェニスの子供自動車競走」で扮したチョビ髭の紳士の格好が受け、以降のスタイルを確立する。 ユージン・オーマンディ(1924年=24歳10か月:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  指揮者デビュー。急病で倒れた指揮者の代役で、ニューヨーク・キャピタル劇場管弦楽団を指揮する。  これを機にバイオリン奏者から指揮者へ転向する。 ビル・ゲイツ(1980年:実業家)  MS-DOSを開発。   25歳 織田信長(1560年=25歳11か月:戦国武将)  桶狭間の戦いで今川軍を破り、天下取りに名乗りを挙げる。 アルフレッド・ヒッチコック(1925年:映画監督)  この時はまだ映画会社の広告デザイナーだったが、サイレント映画を監督するチャンスが与えられる。 ビル・ゲイツ(1980年:実業家)   IBMが自社パソコンに使うOSの独自開発に断念し、デジタルリサーチ社のCP/Mを採用しようとするが交渉が折り合わず不採用。  代わりにMS-DOSを採用され、ここから実業家としての大躍進が始まる。   アイザック・ニュートン(1668年:物理学者)  この頃、ペストの流行により故郷へ戻る。そこで万有引力、光学、微分積分学などの着想を次々と得る。「創造的休暇」の年。 毛沢東(1919年:政治家、思想家)  この年、帰郷して故郷の初等中学校で歴史教師をしていた。   26歳 パブロ・ピカソ(1907年=26歳0か月:画家)  抽象画の実験作「アビニヨンの娘たち」をマティス、ブラックなど一部の友人たちに公開。反応が良くないため、激しく落胆する。  ほぼ1年後にブラックも挑戦した抽象画を画廊で公開したところから抽象画の制作が始まる。 ナポレオン・ボナパルト(1795年=26歳2か月:軍人)  フランス軍の将軍に昇進する。兵学校を卒業して砲兵士官として任官してから10年での偉業。 長谷川町子(1946年=26歳3か月:漫画家)  福岡県の地方紙『夕刊フクニチ』にて「サザエさん」の連載開始。 マザー・テレサ(アグネス・ボヤジュ/1937年=26歳8か月:カトリック教修道女)  最終誓願を立てる。これより世界の貧困救済のための聖人生活が始まる。 クリスティアン・ホイヘンス(1655年=26歳10か月、天文学者、物理学者、数学者)  土星の衛星タイタンを発見。土星の周りに見えるものが環であることを発見。オリオン大星雲を発見しスケッチを残す。 アルバート・アインシュタイン(1905年:物理学者) 「特殊相対性理論」「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」等、5つの論文を提出する。「奇跡の年」。  なお、この時に提出した「特殊相対性理論」は大学側が理解できず、論文は受理されなかった。 スティーブ・ジョブズ(1981年:実業家)  IBMがパソコン市場に参入してきたため急速にシェアを奪われていく。対抗策としてLisaプロジェクトを立ち上げる。  ただし仲間との不和により翌年にはLisaプロジェクトからはずされ、別に立ち上げたMacintoshプロジェクトに専念する。   ジョン・F・ケネディ(1943年=26歳2か月:政治家、第35代アメリカ大統領)  魚雷艇の艇長としてソロモン諸島へ配属されて4か月目。駆逐艦「天霧」と衝突して海に投げ出される。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1802年:クラシック音楽作曲家)  この頃から難聴が始まる。ただし高音が聞き取れなくなる西欧人に多い遺伝病であって、完全に聴力が奪われたわけではない。   27歳 チェ・ゲバラ(1955年=27歳1か月:キューバ革命家)  亡命先のメキシコでフィデル・カストロと出会い意気投合。軍医としてゲリラ戦に参加することを決意する。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1823年=27歳4か月:医師、博物学者)  鎖国中の日本へ来て、オランダ商館の医師となる。 クリスティアン・ホイヘンス(1656年=27歳8か月、天文学者、物理学者、数学者)  天文観測のために振り子時計を製作。  振り子時計はガリレオの発明だが、振り子の不規則な振動を抑えて実用化に成功する。 土方歳三(1863年=27歳10か月:幕末志士)  新撰組の前身となる壬生浪士組を結成する。 諸葛亮(諸葛孔明/208年:軍師)  赤壁の戦いでいくつもの奇計を講じて、10倍もの兵力差のあった曹操軍を退ける。  この時、曹操(53歳)、劉備(47歳)、孫権(26歳)、周瑜(33歳)。 湯川秀樹(1934年:物理学者) 「中間子理論構想」の論文を発表。   28歳 アーサー・コナン・ドイル(1887年=28歳7か月:小説家)  シャーロック・ホームズ・シリーズの第1作、「緋色の研究」を発表。 ヨハン・ゼバスチャン・バッハ(1714年=28歳10か月:クラシック音楽作曲家)  ヴァイマールの楽師長に就任。しかしお家騒動に巻き込まれて投獄されるハメになる。 フランシス・ドレーク(1568年:海賊、イギリス海軍提督)  乗船していた交易船がスペイン海軍の奇襲を受けて壊滅。これにより生涯続くスペインへの復讐心に火がつく。 宮本武蔵(1612年:剣豪)  巌流島で佐々木小次郎と戦う。生年には諸説あり、25歳~30歳の幅がある。 松平定信(1787年:大名、政治家)  徳川家斉のもとで家老となり、寛政の改革に着手する。 アルバート・アインシュタイン(1907年:物理学者) 「等価原理」を着想。これがのちの「一般相対性理論」になる。   ジミー・カーター(1953年:政治家、第39代アメリカ大統領)  父の死により勤めていた海軍を退役し、南部のピーナッツ農場の経営を引き継ぐ。政治家として活動を始めるのは35歳から。   29歳 グラハム・ベル(1876年=29歳0か月:発明家)  電話の実験に成功。最初の言葉は「ワトソン君、用事がある、ちょっと来てくれたまえ」。 ミケランジェロ・ブオナローティ(1504年=29歳6か月:美術家)  製作期間4年を経て、ダビデ像完成。 坂本龍馬(1867年=29歳7か月:土佐藩士)  亀山社中(のちの海援隊)を創設。事業経営を始める。 ゴータマ・シッダールタ(釈迦/年齢は特定されるが年代は不詳:宗教家、仏教創始者)  王宮を抜け出して出家。仙人修業を始める。 木曽義仲(1183年:平安武将)  1180年に挙兵。1183年7月に京都に入り、ついに念願の天下人となる。  しかし、それまでの戦乱と飢饉が重なったために治安を回復できず、そこから反撃を受けて一気に転落人生となり、翌年に討ち取られる。 ジェームス・ワット(1765年:技術者、発明家)  蒸気機関の発明に成功する。ただし資金難で実用化まで10年以上かかる。 ハワード・ヒューズ(1935年:実業家)  航空産業に乗り出し、ヒューズ・エアクラフト社を創設。同年、偽名でアメリカン航空へもぐりこみ、パイロットをやってい���。   30歳 スティーブ・ジョブズ(1985年=30歳0か月:実業家)  30歳の誕生日。アップル社の取締役会によって、創業者でありながらアップル社から追放されてしまう。  3か月後にNeXT社を立ち上げ、のちのMacOSXとなるOSの開発を始める。 ビル・ゲイツ(1985年=30歳0か月:実業家)  Windows発表。前年に発表されたMasOSが自社パソコン専用だったのに対して汎用であったため、5年でOSの市場占有率第1位となる。 徳川慶喜(1868年=30歳2か月:徳川第15代将軍)  大政奉還。 坂本龍馬(1866年=30歳2か月:土佐藩士)  西郷隆盛、桂小五郎(のちの木戸孝允)を説き伏せ、薩長同盟を成立させる。 スティーブ・ジョブズ(1986年=30歳11か月:実業家)  ルーカスフィルム社のコンピューター部門を買収し、CG映画会社ピクサーを立ち上げる。 フランシス・ドレーク(1570年:海賊、イギリス海軍提督)  2年前に受けた恨みから、スペイン船を狙った海賊活動を始める。 出雲阿国(1603年:女芸能者、歌舞伎創始者)  春に「かぶき踊り」を上演。世界初の歌劇上演記録で、のちの歌舞伎となる。歌舞伎は1600年には演じられていた可能性がある。  当初の歌舞伎は女優のみが歌って踊る「宝塚歌劇」に似た構成だった。  ただし歌舞伎を風俗業界がこぞって真似た影響で、半世紀後には女性が演じることを禁じられ、以降は野郎歌舞伎のみとなった。 トーマス・エジソン(1877年:発明家、実業家)  蓄音機を開発し、発明家としての名声を得る。 アンドリュー・カーネギー(1865年頃:実業家)  通信技師として就職したペンシルベニア鉄道を退職。実業家として歩み出す。  鉄道会社にいた時代に橋が木製から鋼鉄製へ変わると予想して鉄橋会社を設立。製鉄事業の拡大に乗り出す。 ジークムント・フロイト(1886年:精神科医、精神学者)  ウィーンで精神科医院を開業。ここで実践した治療法より精神分析を確立する。 アガサ・クリスティ(1920年:小説家)  作家デビュー。デビュー作は「スタイルズ荘の怪事件」   31歳 ジョン・レノン(1971年=31歳0か月:シンガーソングライター)  楽曲「イマジン」発表。 足利尊氏(1336年:室町幕府初代将軍)  南北朝の動乱を鎮め、室町幕府を確立する。名実ともに認められるのは1338年。 手塚治虫(1961年=31歳4か月:漫画家)   奈良県立医大で医学博士の学位を取る。 手塚治虫(1961年=31歳7か月:漫画家)  手塚動画プロダクション(のちの「虫プロダクション」)創設。 中臣鎌足(645年:政治家)  中大兄皇子とともにクーデターを起こし、蘇我入鹿を殺害した。のちに藤原姓を名乗る。 ユージン・オーマンディ(1931年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  病欠したトスカニーニの代役で、フィラデルフィア管弦楽団定期公演を指揮。  この指揮ぶりが評価されて、ミネアポリス交響楽団(現、ミネソタ管弦楽団)の常任指揮者に就任する。   ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1802年:クラシック音楽作曲家)  この頃に悪化した難聴に悩み、自殺を考えていたらしい。   32歳 アドルフ・ヒトラー(1921年=32歳3か月:政治家)  所属政党名を国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に改名し、党首となる。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1788年=32歳6か月:クラシック音楽作曲家)  三大交響曲(39番~41番)を作曲。この完成度に満足したのか、これ以降は交響曲を作曲していない。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1828年=32歳8か月:医師、博物学者)  季節はずれの台風により、シーボルト事件発生。 トーマス・エジソン(1877年=32歳8か月:発明家、実業家)  エジソン電球(白熱電球)を開発。 アーネスト・トンプソン・シートン(1892年:画家、動物学者)  動物専門の画家としてのかたわら、動物に関する専門書や手記を書き始める。この手記が日本で「シートン動物記」として編纂される。   33歳 ジョージ・ルーカス(1977年=33歳0か月:映画監督)  映画「スター・ウォーズ」公開。 ミケランジェロ・ブオナローティ(1508年:美術家)  バチカン宮殿システィーナ礼拝堂の天井画制作を命じられる。 ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1864年:理論物理学者)  古典電磁気学を確立する。この理論で電磁波を予想し、それまでオカルト扱いだった電波の実用化に道を作る。 アーネスト・トンプソン・シートン(1893年:画家、動物学者)  アメリカの実業家からの依頼でニューメキシコへ行く。そこで「狼王ロボ」の元となる狼と出会う。   34歳 フローレンス・ナイチンゲール(1854年=34歳6か月:看護師、統計学者)  クリミア戦争で看護師として従軍中、生涯3度目の神の啓示を受ける。  以降、戦場病院の補給状況と看護状態の改善に努め、最大42%あった死亡率を翌年には2%まで減らすことに成功する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1804年=34歳11か月:クラシック音楽作曲家)  唯一のオペラ「フィデリオ」を上演。  ただしベートーヴェンの付けたタイトルは「レオノーレ」だったが、それを劇場支配人が勝手に「フィデリオ」へ変えてしまった。  そのことへの抵抗か、ベートーヴェンは序曲「レオノーレ」を5度にわたって作曲している。  現在、もっとも演奏されているのは序曲「レオノーレ」第3番。 ウィリアム・ハーシェル(1773年:クラシック音楽家、天文学者)  数学への興味が高じて始めた天文学を、この頃から本格的に研究するようになる。  この頃のハーシェルは人気のオルガン奏者(本職はヴァイオリン)で、交響曲も20曲以上(最終的に24曲)作っていた。   35歳 ナポレオン・ボナパルト(1804年=35歳3か月:軍人)  フランスの皇帝となる。 フィンセント・ヴァン・ゴッホ(1888年4か月:画家)  名作「ひまわり」の1作目に着手する。  この半年前に精神病から耳を切り落としている。 フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1844年=35歳7か月:クラシック音楽作曲家)  名曲、ヴァイオリン協奏曲ホ短調完成。曲の着想から6年をかけていた。 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1942年=35歳5か月:クラシック音楽作曲家)  交響曲第7番「レニングラード」世界初演。戦時中のソ連のプロパガンダ曲という評価がある。  のちにマイクロフィルムに納めたこの楽譜をめぐって、連合軍とドイツ軍が奪い合う事件が起こる。   36歳 ウォルト・ディズニー(1937年=36歳0か月:漫画家、実業家)  長編アニメ「白雪姫」公開。 ウィルバー・ライト(1903年=36歳8か月:発明家/自転車屋)  世界初の動力飛行に成功。弟オーヴィルは32歳。 安藤広重(歌川広重/1833年:浮世絵師)  東海道五十三次作成。前年に京都まで往復の旅をする機会を得ていた。 川端康成(1935年:小説家)  小説「雪国」を発表。同作品は1968年にノーベル賞を受ける。   37歳 フランシス・ドレーク(1580年=37歳6か月:海賊、イギリス海軍提督)  エリザベス女王に謁見。海賊行為で集めた30万ポンド以上の金銀財宝を献上。その功績によりサーの称号を受け貴族となる。  農民の子から貴族へと出世した、絶対王政時代の最高の出世物語。 ニコラウス・コペルニクス(1510年:天文学者) 「太陽中心説」(地動説)を初めて公言する。   38歳 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1818年=38歳0か月:クラシック音楽作曲家)  田園交響曲(第6番)と運命交響曲(第5番)を同時初演する。  初演は田園交響曲の方が先であったため、当初はそちらが第5番と番号が振られていた。 夏目漱石(1905年=38歳11か月:小説家)  作家デビュー。デビュー作は「吾輩は猫である」 ジャン・アンリ・ファーブル(1861年:生物学者)  研究の資金稼ぎのために昆虫の研究を休み、アカネから染料を取り出す研究に没頭。染料を精製する技術開発に成功する。  しかし先にドイツの企業に染料の人工合成に成功され、事業化には失敗する。 ユージン・オーマンディ(1938年:ヴァイオリニスト、クラシック指揮者)  前任者ストコフスキーの辞任により、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督に就任。以降人気指揮者として在任期間42年の最長記録を打ち立てる。 ビル・ゲイツ(1994年:実業家)  Windowsの大成功により、この年より14年間世界一の億万長者となる。   39歳 田中角栄(1957年=39歳2か月:政治家)  郵政大臣就任。戦後初の30代大臣。 グラハム・ベル(1887年=39歳11か月:発明家)  旧知のヘレン・ケラーの家庭教師として、アン・サリヴァンを推薦する。サリヴァンが家庭教師として赴任したのは、ベルの40歳の誕生日だった。 フェルディナンド・マゼラン(1519年:生年不詳、1480年頃とされる/冒険家)  世界一周航海へ出港。翌々年、フィリピンで戦死する。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1810年:クラシック音楽作曲家)  初演時の「フィデリオ」の名前でオペラの楽譜が出版される。ベートーヴェンはあくまで自分の付けた「レオノーレ」で出したかった。   40歳 ジェームス・ワット(1776年=40歳0か月:技術者、発明家)  蒸気機関の業務用第1号が完成する。 フローレンス・ナイチンゲール(1860年=40歳1か月:看護師、統計学者)  ロンドン聖トマス病院内にナイチンゲール看護学校開校。学生数は10名。  この頃、ナイチンゲールが唱えた公衆衛生の改善��がイギリス議会で採択され、翌年から都市部の死亡率が劇的に下がる。 ムハンマド・イブン=アブドラーフ(モハメット/610年頃:イスラム教創始者)  大天使ジブリール(ガブリエル)からの啓示を受け、預言者としての活動を始める。この時の年齢は不詳。40歳前後と思われる。 クラウディオ・モンテヴェルディ(1607年:歌手、作曲家)  世界最古のオペラ「オルフェオ」を上演。  オペラは1600年にメディチ家の結婚式で演じられたリヌッチーニの「エウリディーチェ」が最古とされるが、非公開である。   41歳 マルコ・ポーロ(1295年:商人)  アジアへの旅から24年ぶりにヴェネチアへ戻る。  行きはシルクロードを通ったが、戻りはインド経由の海路だった。 クリストファ・コロンブス(1492年:生年不詳、1451年頃とされる/冒険家)  西回りでアジアへ向かい、アメリカ新大陸に到達する。(1回目の航海) 大石内蔵助良男(1701年:赤穂藩筆頭家老)  藩主浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷沙汰を起こし、お家断絶。再興のために動き始める。 フローレンス・ナイチンゲール(1861年:看護師、統計学者)  生涯4度目の神の啓示を受け、飢餓救済のために植民地(インド等)の潅漑用水整備を政治家たちに呼びかけ始める。 宮崎駿(1982年:アニメ監督)  漫画「風の谷のナウシカ」連載開始。   バカボンのパパ(1967年:赤塚不二夫著)  漫画「天才バカボン」   42歳 ウィリアム・ハーシェル(1781年=42歳3か月:クラシック音楽家、天文学者)  天王星を発見する。これを機に音楽家の道を捨て、本格的に天文学者となる。のちに観測から天の川銀河の構造を予想する。 スティーブ・ジョブズ(1997年:42歳4か月:実業家)  経営悪化で株式の暴落したアップル社の買収に成功。最大株主の立場を利用して自分を追放した役員たちを全員追放する。  もっとも経営が破綻したアップル社はもう立て直せないと思ったのか、役員追放後、株式1株を残して、あとの150万株をすべて売ってしまう。  その後のアップル社は、ジョブズと関係のあるエリソンらが経営者に就任する。   43歳 宮崎駿(1984年=43歳2か月:アニメ監督)  アニメ映画「風の谷のナウシカ」公開。 ヨハネス・ブラームス(1976年=43歳5か月・クラシック音楽作曲家)  交響曲第1番を完成、初演。作曲開始から21年もの歳月をかけていた。  ブラームスは完成後も、何度も楽譜に手を加えている。 夏目漱石(1910年=43歳6か月:小説家)  伊豆修禅寺で大吐血。作家デビューからの出版ストレスによって急速に胃潰瘍を悪化。1916年、49歳で没。 大石内蔵助良男(1703年=数えでは45歳:赤穂藩筆頭家老)  吉良邸討ち入り。切腹。   44歳 大塩平八郎(1837年=44歳0か月:儒学者)  幕府の腐敗を嘆き、私財を投げ打って大塩平八郎の乱を起こす。 伊藤博文(1885年=44歳2か月:政治家)  初代内閣総理大臣となる。現在も就任時の最年少記録。 宮崎駿(1985年=44歳4か月:アニメ監督)  スタジオジブリ設立。 アイザック・ニュートン(1687年=44歳6か月:物理学者) 「プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)」出版。これが古典力学の基礎となる。 マルコ・ポーロ(1298年:商人)  ヴェネチアとジェノヴァの戦争に巻き込まれ、志願兵として従軍するもジェノヴァの捕虜となる。  この時に獄中で出会った著述家ルスティケロ・ダ・ピサにより、口述された内容が『東方見聞録』として出版される。  なお、『東方見聞録』にはピサによる創作や聞きかじった間違いの逸話が書き加えられている。 ジョキアノ・ロッシーニ(1836年:オペラ作曲家)  音楽家を引退。以降は養豚場、レストランを開き、美食家の道を進む。   45歳 アドルフ・ヒトラー(1934年=45歳4か月:政治家)  ドイツ総統となる。 フランシス・ドレーク(1588年=45歳5か月:海賊、イギリス海軍提督)  アルマダの海戦でイギリス艦隊の実質的な司令官を務め、スペイン無敵艦隊を壊滅させる。17年続いた復讐劇の完���。 ニコラ=ジョゼフ・キュニョー(1770年=45歳9か月:軍事技術者)  世界初の自動車事故を起こす。  前年、蒸気機関で動く3輪自動車(小型の試作車)を開発。4kmを1時間で走破した。  事故を起こしたのは5tある大砲を牽引するために作られた大型で、ルイ15世の前で披露するまさにその時だった。 ガリレオ・ガリレイ(1610年=45歳10か月:科学者)  木星の4大衛星を発見。 三島由紀夫(1970年=45歳10か月:小説家、劇作家)  三島事件。自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省本庁)東部方面総監部に乱入。クーデターに失敗し割腹自殺。   ダルタニャン老人(1884年:アレクサンドル・デュマ著)  小説「三銃士」~主人公ダルタニャンの父   46歳 スティーブ・ジョブズ(2001年=46歳0か月:実業家)  ずっと拒んでいたアップル社の最高経営責任者(CEO)に就任。ここからアップル社は10年で、世界最大の株式会社へと急成長する。 ベンジャミン・フランクリン(1753年:科学者、政治家)  嵐の中で凧を揚げ、雷が電気現象であることを確認する。   47歳 滝川馬琴(1814年:小説家) 「南総里見八犬伝」を執筆開始。完了まで28年を費やす。   48歳 西郷隆盛(1877年=48歳11か月:政治家)  挙兵し、西南戦争を起こす。 アレクサンダー・フレミング(1929年:細菌学者)  ペニシリンを発見する。   50歳 チャールズ・ダーウィン(1959年=50歳9か月:生物学者) 「種の起源」出版。 ユリウス・カエサル(前49年:軍人)  ルビコン川を渡って元老院と対立。のちにローマ内戦を起こして既得権で私腹を肥やす元老院議員を次々と破る。 佐々木小次郎(1612年:剣豪)  生年不詳。宮本武蔵と巌流島で戦った時、最低でも50歳であったらしい。仮に師匠冨田勢源の直弟子であった場合は60歳以上になる。   51歳 エイブラハム・リンカーン(1860年:政治家、第16代アメリカ大統領)  大統領選の中、11歳のグレース・ベデルの手紙を見て、トレードマークになるヒゲを生やすようになる。   52歳 アントニン・ドヴォルザーク(1893年=52歳3か月:クラシック音楽作曲家)  交響曲第9番ホ短調「新世界より」初演。   磯野フネ(1946年:長谷川町子著)  漫画「サザエさん」   53歳 豊臣秀吉(1590年=52歳5か月:戦国大名)  天下統一の完成。   54歳 エイブラハム・リンカーン(1863年=54歳9か月:政治家、第16代アメリカ大統領) 「人民の、人民による……」のゲティスバーグ演説を行なう。 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1506年:美術家)  この頃に「モナ・リザ」を描き上げたとされる。   磯野波平(1946年:長谷川町子著)  漫画「サザエさん」   55歳 ジャン・アンリ・ファーブル(1879年:生物学者)  これまでの研究成果を紹介するために昆虫記の出版を始める。最初の話題はフンコロガシ。   56歳 乃木希典(1905年=56歳0か月:軍人)  日露戦争で旅順要塞を陥落させる。  この戦いで乃木将軍は無能扱いされているが、装備不足の上に期日を決められると、大勢の戦死者を出す戦い方しか選べなかったとも言われる。 伊能忠敬(1800年=56歳4か月:商人、測量家)  日本全国の測量開始。 ジョージ・ワシントン(1789年:軍人、政治家、アメリカ初代大統領)  アメリカの初代大統領になる。 パブロ・ピカソ(1937年:画家)  名画とされる『泣く女』制作。   57歳 東郷平八郎(1905年=57歳4か月:軍人)  日露戦争、日本海海戦で、ロシア・バルチック艦隊を東郷ターンで撃破する。   59歳 マシュー・ペリー(1853年=59歳3か月:軍人)  ペリー艦隊を率いて浦賀に来航する。 チャールズ・ウォルコット(1909年:古生物学者)  カンブリア紀の生物化石を良い状態で保存したバージェス頁岩を発見する。   60歳 セザール・フランク(1883年:クラシック音楽作曲家)  若い頃に作曲を学んで細々と作曲活動をしていたが、この年から本格的に作曲活動を始める。  最高傑作の交響曲ニ短調は65歳の作品。   63歳 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1795年=63歳1か月:クラシック音楽作曲家)  最後の交響曲となる第104番「ロンドン」を完成させる。 アルフレッド・ヒッチコック(1963年=63歳7か月:映画監督)  ヒッチコックの代名詞となるサイコサスペンス映画「鳥」公開。 葛飾北斎(1823年:浮世絵師)  富嶽三十六景の制作を始める。完成は1833年(73歳)。   68歳 ガリレオ・ガリレイ(1632~3年:科学者)  フィレンツェで著書「天文対話」を発表。異端審問を受け軟禁される。   70歳 ニコラウス・コペルニクス(1543年:天文学者)  死亡2か月後に著書「天体の回転について」を出版する。   71歳 ベンジャミン・フランクリン(1777年:科学者、政治家)  アメリカ独立宣言の起草委員の1人となり、ヨーロッパでの外交交渉役として活躍する。
あの人たちは何歳で何を
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hentaianime2019 · 4 years
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(CNN)アルゼンチンにある革命家エルネスト・チェ・ゲバラの生家が、約40万ドル(約4300万円)で売りに出されている
元スレ
1apricot_chan ★2020/07/13(月) 19:07:58.33ID:xlHavjYS9 (CNN) アルゼンチンにある革命家エルネスト・チェ・ゲバラの生家が、約40万ドル(約4300万円)で売りに出されている。国営テラム通信が伝えた。
売りに出されているのは、首都ブエノスアイレスから約300キロ北部のロサリオにある集合住宅の1室(約200平方メートル)。2011年以来、空き室になっていた。
現在の所有者の1人で実業家のフランシスコ・ファルッジア氏はCNNスペイン語放送の取材に対し、この物件はもともと売却する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で予定を早めたと説明した。同物件は歴史的、建築的価値があり、立地も良好だと話している。既に何件か引き合いがあるという。
チェ・ゲバラは1950年代のキューバ革命に大きな役割を果たした人物。この革命で、フィデル・カ…
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