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#ゲートコラム
nonsectradicals · 2 years
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音楽を作ること
自分のために音楽を作ってます。人にはどう聴こえるとかは考えません。 人にどう聴こえるかとか考えたとしても、その人とは価値観が違います。どう聴こえるか、ぴったり理解できるわけではありません。
作る時間が一番楽しいです。作ったものを聴くのも。それが売れるとか売れないとか、心配もしません。売り込む時間があったら、一節(ひとふし)書いた方が、人類の文化に貢献できそうです。
自分の音楽には100パーセントの自信があります!おお、自分、かっこいい。何しろ、自分がいいと思うようにこしらえてるのですから。ただし、それが人にはどう聴こえてるのかということに対しては、全く自信はありません。もし、「三好音楽は良い」と、多少は誰かに思われてるとするなら、もう少し、商売がうまくいってるはずです。
「自分が作ったものは、三割り増しで良く聴こえる」と聞いたことがあります。三好史の場合、五割か八割か十二割増しで名曲に聴こえてるのかもしれません。自分には。
人に聴いてもらうのが目的ではないから、気楽なものです。好きなように作れます。プロデューサー様から「もっとド派手に」「分厚い音で」「ぶっ飛んだ感じで」とか理不尽な横槍を入れられることもありません。
「戦姫絶唱シンフォギア」という大人気アニメーション作品があります。プロデューサー様が「ライブとアニメが融合した作品はヒット作になりうる」という理由で、劇中で女の子が歌って戦っていました。もう目的だか、手段だか。自分が「こう表現したいんだ」ではなく、「売れるから」やると。
いいのです、実際大ヒットしたし、売れることが目的でも。人様の価値観、否定はしません。ただ、もし自分が「売れるためにこうやってくれ」とか言われたら、その場から意識が遠くなってしまうことでしょう。
ポップスの王様、細野晴臣は、出だしの1音を聞いただけで、「これは人に聞かせることを意識してる音楽」か判断できるそうです。さすが商業音楽で成功した人だと思います。ポップス好きで、ポップスにどっぷりハマって育ったということだから。
ただ、三好史の場合、オリジナル音楽だけでなく、リミックス作ったり、DJしたりします。DJ、これは、もう、完全に商売としてやってますね。今のアーティスト寄りのDJと違い、昭和のディスコ勤務のDJでした。踊らせてなんぼ。フロアに人が少なくなったら、フロントからインターホン来て「おい踊らせろよ」と言われます。これはトラウマになっていて、自由なクラブの世界でも、心の中でインターホン鳴ってます。
先日のイベントで若いDJの方が「たとえ曲が被っても、かけたい曲を好きなようにかければいい」と豪語していました。フロアで聞いている人にとっては、同じ曲ばかりだと「またかよ」ってなるかもしれないです。この豪語は、発信者としてのアーティスト的宣言なのかと思えそうですね。実際は、ガチガチに決めてきた選曲曲順を変えることができなくて、強がっていたようにも感じます。結局、自分を含め他のDJは、その人がかけたのを避けてやってました。
少し話がずれましたが、DJは聞く人がいて成り立つということです。アーティスト的にDJやる人も多いです。かっこいいと思います。いぬの場合は、脳内インターホン鳴ってしまうので、人が聴いているという事、意識せずにはDJできませんけど。
DJで、気持ち悪いほど人に媚び売ってるので、反動でオリジナル曲の世界ではアーティスト的でありたいと思うのかもしれないバウ。DJ活動で、承認欲求的なものは満たされているのでしょう。
「売れなくても構わない、好かれなくてもいい、認められなくてもいい、成功しなくてもいい」と、岡本太郎も言ってました。ありがたい言葉です。
「話題になることが存在理由があることだという勘違いだけは絶対にしないでほしい」伊福部昭が言ってました。話題になること目的で、奇行する人も多いですね。
スター・トレックのようにお金がない世界がやってきたら、商業で作品を作ってる人も、自分の表現したいことを前面に出すようになっていく事でしょう。お金社会じゃなくなれば、ようやく文化が発展するのかもですね。
さて、ノンセクトラジカルズの場合です。マチャールは、かなりの強い心で、売れることを願っています。
バンドキャンプのトップページを開いた時「今一番売れてるのどれ?」と聞いてきます。色々な曲が詰まったマスターミックスをこしらえる時。素材曲を選ぶのに「これ売れたかな、みんな知ってるかな」というのが最優先事項になってるようです。作ったものを売り込むのにも熱心。「新聞沙汰になって話題になれば、ノンセクトラジカルズのこと、みんなに知ってもらえる」とも言っています。
マチャールといぬの、このバランスがいい感じになってると思います。いぬ単体だと、どこまでも突き進んでしまうので、マチャールがポップ方面に引き戻してくれる。自分にはないセンスで、売れてない三好史製の素材曲を、売れる作品に昇華してくれる。ありがたいことです。
あともうひとひねり面白いことをしたらいいのに、あともうちょっと工夫すればかっこよくなるのに、というのをあえて「やらない」。それががポップスだ。と聞いたことあります。やりすぎてるいぬ素材から、他人様が聞けるように削ぎ落としてくれるのがマチャール。信頼しています。
いぬ音楽は、自分では宣伝やりにくいけど、ノンセクトラジカルズなら推せます!令和4年、今年、ノンセクトラジカルズが曲をたくさん公開してます。理由があります。配信用の資金を集めて、定期購読サブスクリプションで音楽を聴いてる方にも届けたいという思いがあるからです。
バンドキャンプで発表してます。気に入ってもらえたら、値段をつけて買ってあげてください!
ウクライナ
愛国 (democracy and communism)
銃規制
gun control
MRIの音
核磁気共鳴画像法 (MRI)
差別問題
dignity and respect
伊福部昭の声でゴルジェ
nTOM
性の多様性
LGBTQQIAAPPO2S
重機をイメージしたゴルジェ
smarter safer stronger
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nonsectradicals · 3 years
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重ねることの罪
歳を重ねるのは、楽しくもあり、ワクワクするものです。ただ、音楽を作るのに、音を重ねるのが苦痛になってきました。
日本人の美観、だけでなく、料理なども含めた価値観は、「単純なもの」が良いとされています。
外国の料理番組で「元の食材を、いかに加工して組み合わせるか」で競い合うというのを観ました。ギトギトに飾り立てられた料理。手を加えれば加えるほど、点数が高くなるというもの。
我が国を考えると、寿司などは、ネタとシャリだけ。素材の良さを際立たせるという、究極の料理であります。寿司が米国に渡ると、カリフォルニアロールなどといって、色んな物を詰め込んでまとめてしまって、やはりギトギト方面に進んでしまいます。
水墨画も、単純なようだけど、白と黒だけの世界に心惹かれます。国旗の日の丸も、世界で一番簡素で洗練されている気がします。これは日本人特有の感覚なのかもしれません。
そして、音楽。そもそも、「我々が音楽と思わされてるもの」は、西洋の理屈で語られることが多いです。西洋では、一つの旋律に、別の楽器を絡めたり、伴奏をつけたりします。その絡め方と、時間経過による心象変化を、音楽と呼んでいるようです。絡め方が、知的で、複雑であるほど高尚で、美しいというわけです。
ラヴェルのボレロ。一定のリズムと旋律で進行していって、楽器が肉付けされていく超絶名曲。西洋では「素晴らしいけど、ここに音楽はない」などと評価されたそうです。なるほど、知的に絡め合わせる対位旋律などがないのは確かです。西洋人が音楽と認識している要素がないのでしょうね。私などは、ボレロを聴くと感動で手が震えてしまいます。理屈で組み合わされた、作為のある絡め合わせなど、なくても大丈夫なのです。例え、音楽と言われなくても。
経済的に強くはなく、音楽などなかなか買えません。図書館で無料でコンパクトディスクを借りて聴いています。毎日のように図書館詣でをして、なんとなく借りた中で、運命の一枚に出会いました。
日本の木遣りのアルバムでした。旋法、調性、テンポ、歌詞の譜割り、歌い方など、「あぁ、こういう音楽を作りたかったんだ」と感じました
基本的に単旋律で、楽器の伴奏もありません。先走りして先導する一人がいる場合もあって、純粋な単旋律とは言えないかもけど、訴えかけてくるものは、強い一つです。「絡め合わせるのが音楽だ」という世界の方には、引っかかるものは少ないと思います。
木遣りに出会ってから、聴く音楽が変わり始めました。いつもアイチューンズで音楽を聴いてるのですが、新しいプレイリストを作りました。「独奏・独唱・単旋律」というのを。
今までのライブラリーの中から一曲一曲聞いて選んでいき、1700曲を超えました。ライブラリー全体の中の、四分の一も発掘してないので、まだ増えそうです。
歌の独唱ならいいのですが、楽器の独奏曲の中には、求めているものと違う感じも多いバウ。ピアノやオルガン、クラシックギター独奏だと、和声的表現の伴奏を、一人で同時に奏でるのがほとんどです。楽器と楽器、歌と伴奏、旋律と旋律を重ねる以外の意味の「重ねる」。あぁ、和声の登場。
和声、もっというと和声の進行に頼ってるような音楽には、以前から嫌悪感を感じていました。ノンセクトラジカルズのウェブログにも「和声信仰」などと書いたこともあります。
「音楽には、和声の進行が入っていなければいけない」みたいに思い込まされています。音楽の授業や、作曲の教科書もそうでしょう。「まず、コード進行を考えましょう」みたいな。
教えるのもそうだし、商業音楽もほとんどそうだし、町で耳に入ってくる音楽もそう。みんな和声の進行が義務のように入っています。
もちろん、中には素晴らしい作品もあります。しかし義務的に、和声入れてるだけのもあります。売るために寂しくならないように、入れなきゃいけないと思って和声使ってるっぽいのも多いバウ。
伴奏が白玉でコード鳴らすだけの、アレンジすることを放棄したような音楽もあります。ギターのアルペジオだけとか。
和声の勉強しても、自分の頭では扱いきれない、制御できないです。そこらへんの劣等感から、嫌悪に変化してるのかもしれません。西欧的な高尚な感じはするけど、美しく感じられないし。
和声に対する嫌悪感は、ここまでにします。ただ、言いたかったのは、ドミソと鳴らされても、そんなに美しく感じられないということです。そして、それがどう知的に進行しようと、興味の対象にはならないといやうことです。自分だけなんだろうけど。和声の進行大好きな人には、全ての音楽の和声の進行を分析して聞くという楽しみがあるのでしょうね。
ドミソがイヤでも、笙の和声は、大好きなんです。聴くと背筋に何かが走って、シャキッとします。笙の和声を分析して、自分の曲の中に使うことも多いバウ。
売られている音楽には、「単旋律で伴奏なし」は少ないですね。寂しいからでしょうか。
お仕事で音楽作らせてもらう時、プロデューサーさんから必ず「もっとド派手に」と言われます。察するに、ほかの作曲者の皆さんも、派手に派手にと尻を叩かれているのではないでしょうか。あるいは、作る時すでに、「プロデューサーさんからのオッケーをもらうことを目標」として、脳内プロデューサーが派手に派手にと追い立てているかもしれません。商業音楽に特化できてる、世渡り上手のスーパーマンです。ちょっと、口に苦いものが混じったような言い方だったかな。
サビでいきなりスネアドラムが裏打ちになり、倍のテンポになるような演出。主旋律の裏にコーラスで別の歌詞を重ねて歌わせて「どうだ知的だろ」みたいな鼻高々な効果。あー、ご苦労様ですと思って聞いてしまいます。寿司や刺身、木遣りの国の美しさを追求する身には、「もっと派手に」と言われるのは、辛いものがあります
木遣りに覚醒する以前から、明清楽の世界で音楽を楽しんでおりました。月琴や笛、四胡に阮咸など、様々な楽器で合奏します。みなさん同じ旋律を演奏する、単旋律です。
手が多い人は、伸ばす音や休符などに、装飾的に即興でこぶしを入れることもあります。自分は阮咸を弾いてるのですが、早弾き追いつかず、タマを減らして、拍の頭だけ弾いたりしています。
楽器の音域に合わない時や演奏しづらい時は、勝手にオクターブ上下させたりします。作曲者が楽器を知り尽くして、厳格に配置するようなオーケストラの世界とは、まるで違った世界です。明清楽に出会って、音楽の楽しみ方が変わりました。人それぞれ技量があるから、それぞれ楽しめば良いといった包容力は、ありがたいです。西洋文化の頂点を目指している、オーケストラや吹奏楽の演奏とは違いますね。明清楽の演奏は楽しいです。
明清楽は、中国から伝来した楽器や楽譜を元に、日本人なりの表現で発展したものです。大元の中国では、明や清の時代の楽器など、そのままの形では残っていないとのことです。
何千年も歴史があるけど、国や主となる民族が、どんどん入れ替わって、前時代の文化などは悪とされ、見かけだけでもゴリゴリ進歩させていく国。文化大革命の時は、「とにかくなんでも良いから前とは変えろ」と指令が来て、楽器もフレットや弦や音に関係ない装飾などを無理やり増やしたりしたそうです。ずっと一国だった日本とは、感覚が違うのですね。わりと、西欧も、常に変わらなければいけないという、強迫観念的な考えが主流だと思います。
そして西欧が最高と思わされている、商業音楽の世界も、「新しい音楽、新しい音楽」と進歩のようなものを脅迫してきます。古い、とされているような音楽では商売にはなりません。800年ほど前からある木遣り歌でも、十分感動できるというのに。
20代のころ、日本のDJの最先端のように扱われてた時がありました。制作や取材受けても、「こいつらに頼めば最先端にしてくれる」みたいな期待とか受けて、重荷でした。今の若い人気制作者も、「常に最新を追いかけないといけない」と押し付けられているかもしれません。「派手に派手に色々重ねて!」指令に、うんざりしてるかもですね
令和4年になったら、数えで56歳になります。生涯音楽を追求し続けて、ようやくはじめて独奏曲を書きました。今までは、重ねる事を聞かせる部分の主流にしてました。これならプレイリストの「独奏・独唱・単旋律」に入れて、自分でも愛聴できそうです。箏なので、伴奏も含めた表現になり、単旋律の域には達してないけど。いずれ笛や尺八の独奏曲に挑戦してみたいです。木遣りから得られた感動を自分なりに表現したくて。
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nonsectradicals · 9 years
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和声しらなくても大丈夫と応援したい
音楽の要素の基本というと、律動、旋律、和声ですよね。
それぞれの要素は、それぞれ大事なのに、コード進行の奴隷になってる人がいます。 「コード信仰」という感じでしょうか。
「音楽勉強するには、まずコード進行を学ばなきゃ」 「音楽のこと知りたいけど、コード進行ってなんか難しいなぁ」 「コード知らないと、音楽作れないんでしょ?」
「この人は音楽を知っている」イコール 「この人はコードを知っている」になりがちなんですよね。
いきなりトップダウン式に、今日の文章をまとめると、「西洋のコード進行ばかりが音楽じゃない!」ということだバウ。 結論が出てるので、忙しい方は、もう読み進めなくても良いです。この事について、色々述べていくだけです。
銀座でショーの音楽の仕事をしてる時、ある若者に会いました。音楽業界の方で、鍵盤の演奏も達者で、聴いた曲の和声を、すぐ拾って弾いてくれました。
お客さんもいない休憩時間の時のこと。ウルトラマンガイアとか流したら、「こんな感じかな」と言いながら、ポロロンポロロンと和声を演奏しだしたりするのです。すごいですよね。聞いてない部分も次の進行予想して、即興で演奏してました。素晴らしい。
ただ、この方、典型的なコード信仰者でした。「世の中の全ての音楽は、コード進行で成り立ってる」と信じてるみたい。
なんか、ちょっと鼻に付く感じ。いぬもムキになって、西洋の和声の進行で語れないような曲を流してみました。まあ、その時は伊福部昭のシンフォニアタプカーラだったんですけどね。一応、音になぞって採譜してくれて和声つけて演奏してくれたけど、響きがバタくさくなって、タプカーラの良さを表現はしてなかったですねー。ヒヒヒ。
和声の響きは好きだけど、それがどう進行するかとかは、ちょっと興味の外になるかも。
いぬは、西洋の和声の進行を使った音楽は書いてません。響きとしての和声は大好きです。大事です。
いぬのオリジナル曲を、他の方にリミックスしてもらう事も多々あります。多くの方が、コード進行つけてくれます。響きは全く変わるけど、これはこれで面白いものです!
「コード進行コード進行」と呪いにでもかかったかのような曲の中でも、ありますよね、すごいの。ギターやキーボードなど、コードを白玉で鳴らすだけの曲。もう「アレンジするという行為を放棄した」ようなの。
いやぁ、まぁ、美観価値観はそれぞれですから、否定はしません。そういうのも、あっていいのです。
コード信仰者には、「いかに複雑で変わったコードを使うかが生きがいになってる」ような方もおります。いますよね。「どうだ俺様は、こんな難しいコード進行を扱えるんだぞ。頭良いだろう」的なオーラを発信してくれる方。
良いんです、そういうのもありです。そういう方の作品は、別のコード信仰者の耳には素晴らしく聞こえるはずです。むしろ、コードを分かってる人向けに作ってるかもしれません。お互い「お!こんな進行使って、なかなかやるな」とか思いながら音楽聴いてることでしょう。
いぬは、小学生のころやっていたクラシックギターで、とにかく「音楽はコードだぞ!」みたいなのを叩き込まれました。それで、逆に、違和感みたいなのを感じるようになったのかも。
和声の進行だけに頼ったような曲を聴くと、なんか虫唾が走るようになってしまいました。
この状態になると大変です。世の中のポップスなどの九割以上を楽しんで聞けなくなります。オススメできません。だって、ほとんどコード当てられて、コードの奴隷になってるでしょ。
そして、コード使ってないと「こいつの音楽は劣ってる」みたいにも扱われるかもしれません。どっぷりとコード慣れした世界人類の耳には、なにか、物足りないようにも聞こえるかも。
「コード知らないと音楽作れないんでしょ」なんておじけづいてる方には「そんなことないバウ!」と応援したくなります。世界から孤立はするかもだけど。
音楽に、和声的表現は大事だけど、それだけが主人公ではない!気がします。ちょっと弱腰だけど。音を魅力的に感じる要素って、他にも色々あるはずです。冒頭に述べた旋律や律動など。もっと言うと空気感とか、雰囲気とか。
いわゆる、コードネームが貼り付けられるような進行には興味ないけど、和声の美しさや効果は知ってるはずなのだ!高音が上がったら、鏡に写したように低音が下がるミラーリングという手法などは、大好きでよく使います。
一番いぬがよく使うのは、笙と同じ和声です。笙の響き聴くと、背筋がしゃんとします。あの感じを表現したくて、笙の構成音を解析して、応用したりしてます。
世界には色んな音楽があっていいはずです。必ずしも、西洋のコードの奴隷にならなくてもいいはず。多分。
人生をかけた実験みたいになってるけど。
ついったーで出会って共感した言葉
学んだらそれをすぐ使いたくなって、あまつさえそれが厳然たる正解であると学んだものだから、この曲はいい曲、正解な曲のはずだ、って盲目になるんですよ。
きくお Twitter
美しくて面白いコード進行を学び、それを間違いなく使用しているのだから、少なくともこの曲が良くないってことはあり得ないはずだし、むしろいい曲じゃなきゃいかんだろう、っていう感じ
きくお Twitter
難しいコードを使ってる人の曲ってつまんない
suppa micro pamchopp Twitter
いぬ (MIYOSI, Fumi)
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nonsectradicals · 12 years
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ラテンフリースタイルについて
ラテンフリースタイルという音楽のジャンルがありました。
盛り上がってたのは、1980年代中頃から、90年代初めの頃でした。
カバーガールズの「Show Me」や、シャノンの「Let The Music Play」など、ヒット曲もありましたよ。
今から思い起こすと、かなり弱小ジャンル。なので、ラテンフリースタイルについては、間違った認識が浸透してます。
よくあるのが、「ハイエナジー・ユーロビートのテンポ遅いヤツ」と思われてる事。
これについては、原因に察しがつきます。「当時流行っていたダンスミュージック集」なんてのが発売されると、ハイエナジー・ユーロビートに混ざってラテンフリースタイルも収容されるものなのです。ほら、ヒット曲もあったしね。
だから、資料や情報から当時を追体験している若い人には、「ハイエナジーの遅いの」みたいな捉え方にされてしまうのですよね。
ラテンフリースタイルを再定義した「トンカカ」にも、ハイエナジーが多く混ざってます。トンカカが、ただの「80年代の懐かしい音楽」みたいな拡大解釈になってしまってます。
もともと、音楽のジャンル分けなんて、どうでもいいものだけどね。
2012年現代に置き換えて、分かりやすく大げさに言うと「ダブステップって、ドラムンベースの遅いヤツでしょ?」みたいな感じですよ。知ってる人が、そんな言葉聞くとおかしいと思うでしょ。それが四半世紀後の2037年には、若い人には同じに聞こえるかも、ってこと。
では、分かりやすいラテンフリースタイルの特徴を述べましょう。
キックの数が多い。横ノリ。ハットが16分音符でずっとなってる。
中には、四つ打ちのラテンフリースタイルという例外もあるから、あまり学術的に受け取らないでね。
ハットの特徴から、ノンセクトラジカルズでは当時から、ラテンフリースタイルのことを「つくつく」と呼んでました。
テンポ的には、110bpm前後から120bpm台。
マイナーな曲調。
タイトルに「Never」「No」「Don’t」など否定の言葉が多いという報告もあります。これ、おもしろい。
新宿の東亜会館にDJ勤務していた頃など「三好は、ニューヨークビート続く事が多いので、少なくしろ」と注意された事もあります。ラテンフリースタイルには、そんな言い方もあるんですね。
ラテンフリースタイルの素晴らしさは、「エディタに恵まれていて、エディットの世界的遺産の宝庫」になってること。
ノンセクトラジカルズは、そのエディットの洗礼を受けてしまったので、いまでも、ラテンフリースタイル風味の音作りになってます。トンカカです。つくつくです。
ラテンフリースタイルに興味を持ったら、是非、聞いてみてくださいね。現代でも新曲は作り続けられてるとか。
Shannon – Let The Music Play
Marie Venchura – My Heart Holds The Key
Sweet Sensation – Never let you go
Alisha – Baby Talk
LAZY GUNG – strawberry fiction (nonSectRadicals Mix)
いぬ (MIYOSI, Fumi)
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nonsectradicals · 13 years
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原曲リスペクトミックスは昔からあった
「crabMixxは、原曲の良い部分を活かしたまま、クラブで使いやすくしてくれてる美味しい蟹料理」と評価されることも多いバウ。(一部ねつ造表現)
たしかに、現代のリミックスって、「原曲のボーカルだけ残して、あとはありきたりのクラブサウンドにする」のがほとんど。
「音楽をどのように聴かせれば良くなるか」だけを考えて生きて来た編曲家様が作った原曲。その生命力あふれるアレンジを、わざと全部外して、DJ様流儀の単調な枠組みに流し込む。
超元気爆発な原曲を、アカペラ残して、おしゃれサウンドにしてしまう。
いや、悪くはないです。かっこいいですよ。音も良いし踊りやすい。あの方も、その方も、あなたも、そんな作風で、仕事たくさんもらってるじゃないですか。
原曲の大事な決めの部分を、外してしまうのは、もったいないですよね。DJ様の俺様音楽主張したい気持ちも理解できるけど。
そんな中だから、crabMixxの、原曲リスペクトミックスが評価されるのかもしれません。
「ぜんぜん変えてないじゃないか、こんなのリミックスじゃない」と言われても良いです。
DJが「スカスカ四つ打ちリミックス」作り出す前にも、リミックスという言葉はあって、テープエディットなんかも、リミックスと言われてたんですよ。
そして、「原曲活かしてクラブで使いやすくする」という作品もあったんです。そう、ULTIMIXです。
crabMixxがやってることは、ULTIMIXなんですね。軽いテープエディットも入ってたし。
優等生の四つ打ちおしゃれリミックスが虚しく聞こえて来たら、美味しい蟹料理を食べに来てください。
いぬ (MIYOSI, Fumi)
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nonsectradicals · 13 years
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リミックスに求められるものも変わりましたね
「DJでしか、音楽に関わってないと、DJの時に『俺様世界』発揮したくなってしまう」というコラムを書��ました。
原曲を、おもしろおかしく、あるいはかっこよく変えてしまう「リミックス」。 このリミックスを、DJが作る行為にも、普段の音楽との関わりが表現されます。
太古のディスコ時代には、リミックスというのは、主にテープエディットやサンプラーなんかを使って、曲の時間的構成をいじるものでした。
DJの発想ですから、いわゆる西洋音楽の理屈などにはしばられずに、それはそれは野蛮で、バカっぽく、大胆で、笑えて、カッコいいものでした。(全部ほめ言葉)
2チャンネルの編集だけだったのが、徐々に、ディスコで使いやすいようにリズムを変えたりしていくようになりました。 公式リミックスでは、マルチトラックから好きな音をもらったり、楽器を全部入れ替えたり、そのうち「編曲」に近いものになってきました。
それから20年、いまでは「リミックスコンテスト」があっても、選考内容が「和声の変え方が個性的で良い」とかになってます。 おいおい、アレンジ合戦かよ!音楽家かよ!DJは音楽じゃないよ!
いや、悪くないですよ。そういう時代です。
DJの作る音楽は、バカっぽいんです。しつこいですか。 もう一度いいます、バカっぽいんですよ!
クラブ向けのリミックスを聞くと、音楽的に大事な編曲の決めとか、おいしいところとか、全部殺して、淡々と四つ打ちに流し込むというの多いじゃないですか。 いや、悪くはないんです。かっこいいです。クラブで使いやすくて、雰囲気あって、踊りやすい…はずです。
逆に、音楽方面の人が、DJ世界に踏み込む場合があるバウね。
理論から来てる人だから、DJやるのにもマスターミックス作るのにも、まず「調性、和音」が大事で、つなぐときも、転調させたりしてます。 悪くないです。見事ですね。美しいですね。音楽家ですから。そういう価値観があってもいいでしょう。
お客さんも、「なんて良い響きなんだ」と聞いて盛り上がってくれることでしょう。「今のいい音程のつなぎだったぜ!イエイ!」とか。
うちら、野蛮なDJ界は、つなぎの時の音程感と来たら、それはそれは恐ろしいものですよ!もう、勢いとノリだけでゴーゴー!ですよ。
音楽からDJに踏み込んで来てる人にも、DJとは違う名前が欲しいものですよね。やってること、ほとんど演奏会ですから。
とはいえ、いろんな価値観があるから、面白いんだよね。この時代。音楽家DJも、いいじゃないですか。
ちょっと、口に苦いものを含んだような記事になってしまって、反省。
ノンセクトラジカルズの場合、そういう音楽的表現は、他の場所でやってるので、DJの時は、気が済んでるみたいで、DJ行為に専念できるみたい。
リミックスを作るときも、なにも音楽的な訴えかけを前面にすることはなく、開き直って、バカっぽく作れてます。 いまの時代に求められてる「リミックス」には該当しないかもしれないけど。
いぬ (MIYOSI, Fumi)
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nonsectradicals · 13 years
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DJはアーティストじゃなかった
いまのクラブ時代は、もう、価値観変わってしまったけど、その昔、DJというのは音楽家とは違いました。
「その場の雰囲気や空気に合わせて選曲をしていく」のが古来からのDJ。 今は、セットリストという選曲順番をあらかじめ決めてきて、その通りに流す、いわゆる「バンドの演奏曲順決めて来る」みたいな人も多いですね。
そして、ミキサーやつまみを動かす「パフォーマンス的なものを見せて」場を盛り上げるというのが、DJだという認識になってるバウね。 つまり、アーティスト的になってきてる。それらが、悪いとは言ってませんよ。
ディスコの時代、就職していた店には、DJブースがまったく見えないというのもありました。中央集権的なDJブースが見えないし、みなさん、それぞれ好きな方向いて踊ってました。 それだけあって、選曲というものが、一番重要でした。いくら見事なフェーダーさばきしても見えないし。
やはり、80年代後半あたりから、DJにアーティスト性が求められるようになってしまったんだバウね。その頃から、スターみたいなDJが出てきて、テレビの音楽番組とかに出るようになったし。
極端に、「DJはもっと自分だけの世界を表現すべきで、ヒット曲とか流すなんて地に落ちたものだ」「人にこびるなんて、それがお前のやりたかったことか」なんて意見を言う人もいます。
悪くないです。そういう時代です。
そういうアート寄りになってしまったDJ。なんか別の呼び名があるといいかもしれないバウね。
いぬの場合、アート的なものやオリジナル音楽は、DJとは別の機会で、存分に発揮できてるバウ。それはそれは存分に。 ですから、DJの時に、無理に個性とか芸術を持ち込まなくても、気が済んでるみたい。
DJでしか、音楽に関わってないと、DJの時に「俺様世界」発揮したくなってしまうかもね。
古くさい考えだと、DJはサービス業。 楽しんでもらって、踊らせて、なんぼのもんなんですよー。
踊らせてないと、フロントからインターフォンかかってきて「おい踊らせろよ」と尻叩かれます。 あのインターフォンはトラウマになってて、DJはじめて28年経っても、心の中で鳴り続けてます。
与えられたパートで、「どういう曲順でかけたら、自分が今一番プッシュしたい曲を効果的にいい曲に聞かせることが出来るのか」というのは、いつも考えてます。
そういう、まだ浸透してないパワープッシュ曲。自分の世界の曲。そして、みんなが知ってるアンセムなんかも交えながら、バランスよく進めていくのがDJだと思ってます。 アーティスト的なのばかり求めないで、それぐらいで手を打ってくれないでしょうか!
いぬ (MIYOSI, Fumi)
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nonsectradicals · 13 years
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フレーズサンプリングは作曲でもある
ノンセクトラジカルズのエディット部分で、「原曲の流れには存在し���い部分」ってあるバウよね。
たとえば、歌い出しの前で、2小節とか4小節、歌い出しの音を利用して、編集だけで尺を伸ばしてるような部分。 サビの前の、爆竹みたいなエディットによる4小節とか8小節。
テープエディット風ではあるけど、イメージ的には「フレーズサンプリング」と言った方が、しっくりくるかな。
実は、あの部分をこしらえている時の脳みその状態は、作曲をしてる時と近いバウ。
使用する部品は、縦切りにした原曲の音。 それを、どう並べて、全く未知の新しい「旋律」にしていくかが、エディットを作る重要なポイントであります。
「エディットするのに、音程を一番気にしてる」のだけど、ちょっと意外かもしれないバウね。 ドラムだけの部分を、いぬにエディットさせると、つまらないモノしか作らないですよー。これで証明できる。
「無から旋律作るわけじゃないから、そんなの作曲じゃないだろ」みたいに、思われるかもしれません。
「作曲」という概念ですら、時代によって変わってきてます。
「自分のオリジナルの楽器を作ること」が作曲だった時もありました。 「楽器も作れないなんて、それは作曲じゃないだろ」みたいな。
いまは、歌の主旋律だけを一本書くことが、作曲の定義になってますよね。 どんどん変わっていくんですよ、概念。
ですから、独自フレーズでふくらませる場合も、作曲行為と言い張りたいバウ。
確かに、エディット行為は、無から新たな音の流れを作るわけではないですよ。 調性や、リズム母体など、原曲に頼りきっているバウ。
逆にいうと、調性を気にしないで、時間軸操作によって、新旋律を生み出す「ライトな作曲」って感じですよ。
普段から、ドレミファをいじって遊んでるわけじゃない人で、エディット作りたい人もいることでしょう。 そういう方が、いきなり、エディットによるフレーズで、新展開を作ろうとしても、どうやっていいか、道が見えなくなるわけです。発想できないんです。
「初期打ち」と言われる、音の頭だけを繰り返す行為。 最初四分音符、次に八分音符、十六分音符…。 「ダ・ダ・ダ・ダ・ダダ・ダダ・ダダ・ダダ・ダダダダ・ダダダダ…」っていう、何も考えなくていいエディットを作るのが、フレーズ発想できない人に多いのも、わかるでしょ。
エディットの神様、オマールサンタナが、エディットやめて曲作りに行ってしまったというのも、この「エディット=作曲」説の裏付けにもなりそう。 そして、オマールは、そっちの分野でも、天才的成果を上げているバウ。
どうでしょう。エディットを作る上での、ヒントになったでしょうか。 エディットを聞いて楽しむ上での、指針にもなったのではないでしょうか。
いぬ (MIYOSI, Fumi)
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nonsectradicals · 15 years
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世界初のPCDJ O’BAR 2218
nonSectRadicals結成の1〜2年前のコト。 MIDI CITY(THE JG’Sが作った会社)が、世界初のDigital DJの店「O’BAR 2218」を、芝浦でオープンさせました。 アナログのターンテーブルを使わずに、音源を全てMacに取り込んで照明も同期させて営業していました。
当時のMacはエラーも多くトラブルだらけでした。でも、今考えても最先端の店だったなぁと思います!
そのシステムを考案したのがnonSectのinuこと三好史でした。 世界初のPCDJを生み出したのが、inuなんです。 inuと制作を始めたのもO’BARからだったと思う。
僕はオープニングからのレギュラーDJのメンバーとして入れてもらったのをきっかけにMacの虜になり、気が付けばMacを買っていました。
当時買ったMacはIIcxってヤツだったんだけど、一式で170万円位だった・・・それでもメモリーは何と2MBだった! 今からは考えられない世界ですがホントなんです。 更に40万円位投入して8MBにした記憶があります(泣)
1GBのハードディスクなんて100万じゃ買えなかった・・・ しかも大きさ、重さ共にすさまじかった!
MASAAKI TAMURA
おまけ 何年かして、IIcxを下取りに出そうと思って見積もりに出したら、2500円だった・・・ これじゃゲームボーイも買えないじゃん!
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nonsectradicals · 15 years
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Michael Jackson追悼
前にも書きましたがnonSectradicalsは二人共DJでした・・・ 今の様にCLUB等々でのイベントも無いのは勿論 CLUB自体が全然無い時代でした。DISCOの時代です。
店の営業を考えるとメジャーなアーティストの曲、流行っている曲は嫌でも かけなければならない時代(?)でした。 そんな数あるHIT曲のひとつとして特に気にもせずかけていたマイケル・・・ 深く考えた事はなかったけど、今思えば出すシングル全てにお世話になっていた。
お世話になっていたと言われてもDJをやった事のない方にはピンとこないかもしれませんが、要はDance Floorを盛り上げるのを助けてもらったという訳です。
「King Of POPS」と言われている彼ですがnonSectRadicalsは二人共に極端でして 例え仕事の曲でも仕事以外の時は自分達の好きな音以外は聴かないのでマイケルの曲も店でかける時以外は聴いた事がなかった訳です。
今回、追悼としてMini Mixを作りまして その時にマイケルジャクソンとは どんなヤツだったのだろうと 今さらになって目を向けてみました。 そしたら想像以上に凄い人だったんだと改めて常識知らずのnonSectRadicalsは驚きました(笑)
アルバム等々の総売り上げ約8億枚!
全米シングルチャートで1位を獲得した史上最年少アーティスト!
全米シングルチャート初登場1位を獲得した史上初のアーティスト!
年間売上高が1億ドルを超えた初のエンターティナー!
史上初の同じアルバムから5曲連続ビルボード連続1位!
人類史上最大セールスを出したアルバム「スリラー」!
彼の残した遺産は約980億円、借金を差し引いても残約500億円!
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