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#バンドゥン
doubleluckcoffee · 1 year
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ジャワティピカアスリ ナチュラル
PRICE:100g 850円  200g 1600円 
焙煎度:中煎り
生産地:インドネシア ジャワ島 / バンドゥン / タンクバンプラフ山
精製:ナチュラル
標高:1,600-1,800m
品種:ティピカ
乾燥:天日乾燥、アフリカンベッド
栽培・農薬の使用:農薬化学肥料不使用、シェードグロウン
STORY:
ジャワ島の西部バンドゥンという街から出発し、最近も噴火のあった火山地域をオフロードジープで4時間ほど揺られた山奥にその畑はあります。「アスリ」とは現地の言葉で「本物の」という意味。 ティピカはアラビカの原種の1つで、エチオピアからイエメンに渡り、インドを経てこのジャワ島に伝わったとされています。その後、ジャワ島から持ち出された1株のティピカ種から、現在世界中に分布するコーヒーが派生したと言われています。 このコーヒーは、パック=ヨゼフのマイクロロットです。彼は、古くから残るティピカの木を厳選し、その特性を最大限活かした精製方法を見つけようと奮闘しています。近隣の小農家にコーヒー栽培技術を指導し、生産者側での品質向上を目指し、コーヒーだけでなく野菜や花などの農業にも携わり、オフシーズンの経済活動として近隣の農家に指導したりもしています。市場平均の1.5倍の価格で買い取ることで超完熟の優良チェリーを確保するように努めている、本当に素晴らしい生産者です。 スラウェシ大学農学部教授と共同開発した乳酸菌を乾燥時に噴霧し、乳酸菌発酵を促しています。 ナチュラル特有のフレーバーをさらに向上させる試みをしています。
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cheechより; こちらの生豆はほーーんとうにきれいです。なので上がりも美しいです。惚れちゃったので今後もある限り飲みたいコーヒーとなりました。 とにかく酸味などのバランスがよく、生産過程、味ともにリッチなコーヒーだなと思います。 ほのかにフルーティでふんわりとチョコレートな風味があります。 あと、ティピカ種のみの単一品種という面でも贅沢さも味わいどころかなと。美味しい!
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misono156165 · 4 years
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焼売#鳩ヶ谷 #埼玉県 #美味い #焼売 #インドネシア #バンドゥン #よく食べた Shumai #Hatogaya #Saitama #Delicious #Shumai #Indonesia #Bandung #I ate well (高砂 餃子・焼売専門店) https://www.instagram.com/p/CLY7m2OhZ4w/?igshid=zd0w4k94h3j9
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1週間の下宿探しの末、念願の入居!!
ついにホテル住まいを脱し、私にも住所ができる。
この1週間色々な友達に付き添ってもらい、毎日のように下宿先を探していた。Kos(寮のようなもの)とアパート(綺麗なマンション)を、あわせて30件程みてまわったのではないだろうか。こちらの一般人は、取りあえず白いタイルの床とカラフルな壁、白い蛍光灯が好きと言うことが分かった。住宅の照明の種類が本当に乏しい。
結果、家賃15000円で15m2ちょっとのkosに決定!
理由はオーナーが一階に住んでいて、めちゃくちゃいい人(何言ってるかは理解できないけど)だったこと。ベースで蟻10匹ゴキ1匹ヤモリ1匹くらいだけど全然綺麗な方だし、明るくて学校から近いのでok。
インドネシアの学生はおそらく月6500円〜17000円の寮もしくはアパートが普通で、これらの物件には基本スタッフが数名いて、洗濯や掃除全般をしてくれる。私はさらにだめ人間になれる。
水回りが共用であったり無窓の小さな部屋であれば8000円程度で住めるが、清潔さや個人のシャワ��が必要となると14000円以上という感じ。
35000円くらい払えばキングサイズベット付きのタワーマンションもしくはローカルホテルに住める。
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このような類いのアパートにもなかなかそそられたが、節約と友人を作るためkosにする。英語が通じず交通手段の限られる場所では、友人の大切さを痛感する。はたしてこれからどうやって恩返しできるだろうか。。。
モノによって異なるが物価の話をすると、現在は日本の1/10〜3/5という感じ。
食事は基本的に外食文化で、道ばたにたくさんのカートが並ぶ。
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これらは裏にバケツが2つ置いてあり、食器はそれにジャボンとするだけ。インドネシア人ですら腹を下すお店もある。
そんな中で、クリエイティブな若者の街と言われるバンドゥンには東京にあっても大人気になりそうなカフェやレストランも沢山あり混乱する。バンドゥンは小高い山々に囲まれており非常に恵まれた気候。常時25℃前後で爽やかな風が吹く。
よって建物は基本オープン。窓や壁の取り合いを気にせず、植栽や敷地優先で設計されるため、東京ではみられないような構成やシークエンスが多々みられる。
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友人たちはいつも気を使ってこのような衛生的でおしゃれなお店に案内してくれるが、日本の1/2以上の価格帯なので普段使いは難しい。
先日実践した結果、私は道ばたのカートでも平気なことが分かった(便秘解消のもくろみが夢と散った)ので、早々に一食100円程度でインドネシアを楽しむことができる!インドネシアできたなシュランしたら汚すぎてうますぎて番組崩壊だろう。皆、汚ければ汚い程うまいということを知っているのだ。
信号も帰宅ピーク時は止まって、手信号になる。建物も表面的に高級だったりおしゃれであればいいのだ。多くの人は色々な理由から合理化しすぎないことに取り敢えず納得しているようだった。
建物のつくりも生活の仕方も木目細かくないことで、「あともうちょっと」をやらないことで、家族や友達と笑顔でたくさんの時間を過ごせるのだ。
他にもこちらのカラオケのシステムや若者のファッション、日々の過ごし方、乗り物、バンドゥンの街についてなど書きたいことは色々あるがまたいつか。
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2019asap · 3 years
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2019グローバルアートにおけるアジア現代美術の現在
日本とアジアとの芸術文化交流において、本学は重要な役割を担ってきた。本学へのアジアからの留学生が帰国後、母国の芸術家育成や芸術振興に大きな貢献を果たしたという重要な歴史を考えても、本学における日本とアジアの交流は重要な位置づけを持つ。そして、現代美術においては、アジアのアートとアーティストは、アジアの経済成長を背景にグローバルなアートシーンにおいて、ますますプレゼンスが高まってきている。そのような中で現代美術において日本とアジアの交流を行うことは大変重要で意義を持つ。  本プログラムは、学生をアジアに派遣し、アジアでの国際展、アーティストのアトリエや美術大学への訪問などを通して、グローバルアートにおけるアジア現代美術の現状と課題を学ぶことを通して、アジア人のアーティストとしての自らの道を考える貴重な機会を提供することを目的とする。 2018年はヴェトナム・タイとの連携の強化を図り、大きな手応え得るができた。2019年は、ジャカルタで開催されるビエンナーレを訪問し、参加キュレーター、参加アーティストとの交流を通してアジアの現在を学ぶ。同時に2018年から開始したタイのシラパコーン大学との連携も強化するためにバンコクを訪問し、ジャカパン・ヴィラシネークル教授と共同企画でシラパコーン大学との共同ワークショップを開催する。シラパコーン大学は2019年6月には東南アジアの美術大学のネットワーク会議をホストする予定で、シラパコーン大学を当面の東南アジアネットワークの拠点と捉え、ワークショップの開催、連携の強化を図る。バンコクでのリサーチにおいては2018年同様に、ジムトンプソンギャラリーのクリッティヤー・カーウィーウォン、アーティストのウィット・ピムカンチャナポンにも講師を依頼する。 インドネシアにおいてはジャカルタとバンドゥン、ジョグジャカルタを訪問する。ジャカルタにおいてはルワンルパなどのアーティスト・コレクティブの活動、国際的に活躍するアーティストのスタジオを訪問するなど、インドネシアのアートの課題に向かい合う機会を設ける。バンドゥンにおいてはバンドゥン工科大学を訪ね、学生同士のワークショップを開催し、将来の国際交流協定校の候補として連携を深める。ジョグジャカルタにおいては、アーティストのスタジオを訪問し、アーティストの街と呼ばれるジョグジャを経験する。  これらの国際展、アトリエ訪問、美術大学やアートセンター訪問など幅広くアジアのアートの現場に出会うことによって体感できる貴重な学びの機会を通して、アジアのアートやアーティストの現状と課題を学び、今後の自らの活動をアジアそしてグローバルに位置付けることに役立てる。 (事業開催後は各自で自由行動としてリサーチをする機会をも提供できるように計画を行なっている。11月22日より開催のシンガポール・ビエンナーレを訪問できるように日程を調整しており、シンガポールでは、教員は協定校であるラサール芸術大学を訪問し、Venka Purushothaman 副学長を中心に今後の連携についての調査を行いたいと考えている。)
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imemone · 4 years
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See you tonight!City Lights 2020.9.26 Saturday at CONTORT Dj : jaz-t56,, Emi, Yosuke GUEST DJ: RADIO MONDO-Andhika & Shun Breezin’ from JAKARTA 毎度お馴染みコントートでのAORナイト「シティライツ」 久しぶりの開催です。 アジア各地で加熱する「シティポップ」ムーブメント 僕たちもDJパーティ「URBAN CLASSICS」でその熱量を 直接感じてきました。早くアジアでDJやりたいなー。 さて、そんなアジアはジャカルタからスペシャルなゲストを迎えて 今回は「アジアンAOR」ナイトをお送りします。 RADIO MONDO-Andhika & Shunは、インドネシアン・ファンクから アジアン・グルーヴ、パラダイス感あふれるビートミュージックを セレクトするDJユニット。 Andhikahは現在、東京〜シンガポールも往来しながらジャカルタ、 バンドゥン、バリ、高円寺などに店舗を持つ「SUB STORE」という ショップのオーナーでもあります。 Shunは、2005年にインドネシアに渡り、2012から8年間ジャカルタ サブカル界では誰もが知る伝説の「CAFE MONDO」を経営。 昨年日本に戻り現在、新たなチャレンジを画策中。インドネシアの ポップミュージックコレクターとしてはまちがいなくナンバーワン の逸材です。Shunさんのミックス最高です。 さてそんな二人をシティライツにお迎えし、AORでアジアンなシティ ミュージックをスピンしてもらいます。もちろんレギュラーメンバーの プレイもお聴き逃しなく。 (Contort) https://www.instagram.com/p/CFlrJ4rFle8/?igshid=16ku29dh8kb1k
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chamonixmontblanc · 6 years
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メキシコから帰国後は沖縄へショップ物件の確認へとひとっ飛び。台風と遭遇して1泊延長して福岡へ戻り、またすぐに5年⁉️いや、6年ぶりの東京へ。ニューヨークで繋げて頂いた会社さまへご挨拶に行って、夜は新ブランドの打ち合わせを恵比寿にて。からの渋谷へ。そして、福岡に戻った翌日には初めてのインドネシアへ。仁川からクアラルンプールを経由してバンドゥンに到着。バンドゥンはインドネシアの中でも安定した気候で染め物などが盛んな生地の街。そんな街で良質なシルク素材を探して、先ずは案内をして下さるIT関連会社社長のクアンさんのオフィスを訪問しました。と、言うか実は空港までお迎えに来て下さってお昼もオープンしたばっかりの凄いレストランでご馳走になり、至れり尽くせりのスーパージェントルマンなクアンさんにさっそくお世話になりまくりです。さぁ、ではいよいよ本題の生地探し。先ずはクアンさんのお友達シルビーさんの縫製工場を訪れて、良質なシルクやレーヨンやビスコースなど沢山の生地を見て触れて商談。更にはデジタルプリントに至るまで詳しく説明して頂き、僕たちが求めるシルクを探して下さる事になりました。ありがとうございます。そして、バンドゥンを後にバリ島までひとっ飛び。次はバリ島にて生地屋さんと縫製工場を見学。バリ島ではアテンドして下さるマキさんのネットワークで沢山のブランドや問屋など素晴らしい出会いと貴重な経験をさせて頂きました。言葉が全く通じない海外で通訳まで本当にお世話になりました。生地屋さんと工場はしっかりと確認出来たので、日本に戻ったらデザイン画を描いてパターンを興してサンプル作成へと本格的な洋服作りが始まります。今までは販売するだけでしたが、作る側になるとは思っていませんでした。ですが、託して頂いたご縁に感謝して精一杯の知恵と経験と感性を注ぎ込んで服作りに励みます🙋🏻‍♂️
 After returning from Mexico to Okinawa it flies to confirm the shop property a bit. I encountered a typhoon and extended it for 1 night to return to Fukuoka, soon again in 5 years or No, to Tokyo for 6 years. I went to a company that I had connected with New York and greeted me at a brand meeting in Ebisu at night. From Shibuya to. And the day after I returned to Fukuoka, I went to Indonesia for the first time. Arrived from Incheon via Kuala Lumpur to Bandung. Bandung is a city of cloth fabric that is stable in Indonesia and is popular with dyed materials. In such a city I looked for high-quality silk material, first visited Kuan's office of the president of an IT affiliate who will guide me. Actually, I came to pick you up at the airport and thank you for having a treat at a great restaurant that was open for lunch and I am sure that I will take care of my super gentleman Mr. Kuan who is full of excitement. Now, finally searching for the actual fabric. First of all, I visited Mr. Kuan's friend Silvie's garment factory and looked at a lot of fabrics such as high-quality silk, rayon, viscose etc and negotiated. Furthermore, I explained in detail up to the digital print, and it was decided to search for the silk we want. Thank you very much. And Bandung later fly to Bali later. Next, I visited the fabric shop and garment factory in Bali. In Bali, we had a wonderful encounter and valuable experience such as many brands and wholesalers in the network of Maki who is doing an attendance. I was truly indebted to the interpreter overseas where I could not understand the language at all. Since I could firmly confirm the factory with the fabric store, when I return to Japan I will draw a design picture and start a pattern to start making full-fledged clothes to sample preparation. Until now I only sold, but I did not expect to be the making side. However, I appreciate the edge you entrusted and will devote all of your wisdom, experience and sensitivity to encourage you to make clothes.
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silatnotebook · 6 years
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本チラシはインドネシア語版をGoogle翻訳で英語にし、さらに日本語にしたと思われます。 --------------------------------------------- 流派チャクラブアナは1984年にカラワン県ジャティサリでRd.オバン・スマルナによって始められた。彼はシリワンギ師団の士官であった。しかし、流派チャクラブアナは地元カラワンのインドネシア・プンチャック・シラット協会(IPSI)にも登録を済ませた。このことにより、すでに完成した道場をより快適に使用することができるようになった。流派チャクラブアナの基本となっているのはチマンデである。2012年に執行部が入れ替わり、活動が再活性化した。会長にアデイトヤ・マワルディ、幹部にオットー・スンダワン、指導部長にエエップ・サイフル・アンワルが就任した。道場は西ジャワ州カラワン県ジャティサリ郡メカルサリ村RT01RW05のハムレト・バカン・アンタイにある。そしてスバン県に支部が一つある。練習は通常、道場で行われるが、これに加えて周辺の学校でも実施している。競技シラットの分野では、バンドゥン・オープン、チレボン・オープン、ジャカルタ学生選手権などで好成績を修めている。また、ダンギアン、スバン、レンバンといった地域で催される公式イベントやテレビ番組などへ頻繁に参加し、シラット演武を披露している。
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kuantan · 9 years
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バンドゥンを出る。
先日Jalan Gardujati沿いにある学校に立ち寄って空港への行き方を聞いた。タクシーだと時間がかかる上、高い。遠回りをしているように見える。空港からJl Gardujatiまでにtoll wayなどないのだが、来た時はtollwayを使うとか言って吹きかけられた。といっても1200円ぐらいだったが。 その学校のジルバップをした女の先生が、空港への行き方を親切に紙に書いて教えてくれた。が、一昨日ツイッターで空港(Bandara Hussein Sastranegara)のアカウントに聞いてみると、それは全く間違いだった。 地図で見てもJl Gardujatiから空港までは近い。歩いても行けなくはない距離である。アンコタを乗り継いで行くのが良い。 まずJalan Gardujatiから黄色いアンコタでIstana Plaza…
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私が何故インドネシアに留学したか。
 「東京で生活する現代人が生きているという実感を再獲得するために有効な哲学」を、「それに対抗しないような建築」のデザインを通して空間化することを学ぶには、両者が存在するインドネシアが適していたからである。  そうなると、ここで言う哲学はバリ・ヒンドゥーやそれ以前からバリにある教えとなる。また表現方法は特に竹の建築が良いのではないかと思っている。  ここで何故バリの教えなのか、何故竹の建築なのか、何故その両者を言うのかということになるが、正直これは私の主観や直感が発端である。よってその背景になり得る情報を、ちゃきちゃきシティ・ガールの現代生活を重ねて説明したいと思う。
   大学4年に差し掛かった当時、建築設計の課題を通して私はいつも何に挑戦していたのか、頭の中にもやもやと存在しているものは何なのかについて考えていた。そして取り敢えず言葉にしたのは、「生きてる!っていうvividな感覚をもっと感じたい」ということだった。  ああ、がばがばにモノが溢れた成熟社会に生まれたゆとり世代によくある欲求か、と言われてしまえばそれまでだ。しかしこれは、日常生活での自身の感覚の鈍りや、もっと大きな枠組みで一人の人間を考えたときに発生する矛盾が、丹田から湧き出たときに末端の口から発砲されたものだ。  そしてこのような言葉での伝え方や、このような意欲を根底にして挑んだ設計課題は、あまりに抽象的で理想主義的であるので、いつも受け手によって評価が大きく異なる。  しかし、私が感じるような現代生活の行き詰まりは多くの人が感じていると思う。  では何故そんなことを感じるのか。
 物を蓄えたり眠るためだけとなった住居を前日の疲れと共に出発し、ただスムーズに歩くためだけにある道を歩く。分刻みで運行する電車に収納されて、今日も顔色の悪い学生ばかりが引きこもる大学へ到着する。全てがとてもスムーズなので視界の8割が携帯画面でも自動的に到着できる。  これは建築学科進学後の私の日常なので、ちょっと灰色チックに描かれた日常だけども。
 色々なものが数値で計量可能にするために純化されて、取り敢えず平等で苦情の無い消去法でできたような社会システムが出来上がった。そして毎日経験する都市空間も住居もなんとなく生命を感じられないものなのである。
 そこに埋没している自分は「我此処に在り」という実感のない、空虚な個体である。本当の「我」は生き生きとした肉体を伴う生命である。  日本は戦後の近代化の中で、円滑な住宅供給のために「家族」を核家族という計量可能な単位とし、住居はそんな一家族や一個人のための工業製品。インフラや交通手段も安全や清潔、効率性と引き換えにただ一つの役割しかもたない。大学だって学生一人を資金や労働力としてカウントする。
 デカルトの「我思う、故に我あり」の「我」は抽象世界の肉体の無い我であり、科学技術文明を裏付けた数で解析できる物質の世界を相手にしている。
 地中海周辺の地域は不安定な自然環境の中で、自然支配の科学技術が発展し、西洋資本主義文明を築いてきた。しかし東アジアの稲作地帯は山や里、海の水の循環を維持し、生物の多様性を守りながら共存してきた。日本も豊かな自然にたっぷり恩恵の受けた稲作漁労文明の島である。それが今や完全に近代文明に塗り尽くされている。この過程で数や要素に還元できない多義的な世界を失ってきた。
 いま盛んに求められている、あらゆるものの「多様性」やコミュニティ論、環境論は、紀元前から日本にあった白黒つけられないものもひっくるめて私たちの世界とする多元的なアニミズム的思想への回帰とも言える。
 私と違って優秀な建築学科生が留学するヨーロッパやアメリカは、確かに有名建築の宝庫であり、都市開発や様々なデザインの成功例はあるけれど、それを真似しても我々にフィットしないことがいまやっと分かってきたのである。
 なので、今さら終わった文明の西洋に留学しても根本的なヒントは無いと思うのだ。まあ万が一でもそんなヒントを見つけられたら儲け物だが。
 それよりも「発展途上国」のインドネシアには私たちが失ったものが何故か今も維持されていたり、東京では実現できていない妙なバランスの都市生活がある。それらの実態や知恵を知りたくて、こうやって「先進国」から学生が訪れるのだから、この「発展途上国」というネーミングは不適切なのである。
 インドネシアではもう少し複雑性を残したヒトで溢れている。例えば私の住むジャワ島バンドゥンは、相乗りバスはバス停が無く好きなところで乗って好きなところで降りれる。その代わり満員になるまで出発しなかったり、普段と違う順路を走りはじめるときもある。人が居る場には物売りが集まっていて、道端は言うまでもなく、ショッピングモール内や高速バスに乗っていてもどこからとも無く現れる。歩道はもはや歩くための役割は諦め気味であり、屋台や下水や植物のためのスペースとなっている。
 衣食住も産業の後ろに全てが隠れてしまうこと無く、上半身くらいはひょっこり露出されている。もちろんH&Mやハイブランド、マクドナルドや綺麗なレストランもある。けれど、好きな布を選んで路地裏の安い仕立て屋さんに持って行けば、自分好みの服を作ってもらえる。市場に行けば虫が食べることのできる泥付き野菜や、朝潰したチキンを好きな量買える。小腹が空けばそこら辺の屋台でスナックを揚げてもらえばいい。自給自足活動は全くしていないし、おしゃれなカフェや大学の沢山ある都市に住んでいる。しかし高額を支払ったり特別な努力をせずとも、このような消費スタイルを選択できる。
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 当たり前だけれども、「我」此処に在ると実感するためには我自身と我の周辺について知っていることが不可欠である。
 日常のシステムは複数の構成要素の、要素ではなく「関係性」の方に本質があるという意見が、様々な分野で増えてきた。けれども効率化を理由にその関係性を切ってきたのが「近代化」である。しかし今、この「関係性」のほうは全体を記述する方法論がなく模索状況にあるので、私たちは科学技術の発展からつながる次の発展を遂げられていない。
 私のメインテーマはインドネシアのバリ島にある。何故かというと彼らの生活背景にあるものがここバンドゥンよりも見えやすいこと。そしてそれが日本人の私にしっくりくるからだ。おそらくしっくりくるのは、現在ジャワ島は大多数をイスラム教徒が占めるのに対して、バリ島はバリ・ヒンドゥーが9割を占めているからだ。イスラム教はユダヤ教やキリスト教に影響を受けた一神教であり、バリ・ヒンドゥーは土着の祖霊信仰とインド起源の仏教やヒンドゥー教が習合した多神教だ。(一神教と多神教が対立するものとは考えていない。)
 因みに私も両親も特定の宗教を信仰してはいない。けれど、祖父母と同居していたことや小学2年から習字、中学1年からヨーガを大学受験までの期間習っていたことが少し影響しているのかもしれない。バリに行くとそこの精霊信仰や山岳信仰などが本来自身にも備わっていたと思い出す。
 そして決して清潔でも安全でもないけれど、生命力を感じる空間がある。ヨーロッパには感動する程美しい空間はあるけれど、この種類の高揚感はない。 
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 上の図は以前バッとつくった、いま自分が興味のある事柄の相関図だ。私の研究室では全く触れられないようなものが中心を陣取っている。。。
 卒業論文も先生の一番嫌いなものをテーマにして、最終的には学会提出までできたので気にしないことにする。そのため今から自分自身で勉強しなくてはいけないけども。
 以上より、私はこの一年強で、インドネシアのアニミズム的知恵や近代化との妙なバランスの取り方、生命を感じる空間を、少しでも感じ取ることができたらいいと思っている。
 そしてもう一つのテーマはBambooだが、ちょっとばかし長くなってしまったので続きは次回!
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silatnotebook · 6 years
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エディ・M・ナラプラヤ(プンチャック・シラット、ジャカルタ)氏紹介 2
中学校に進学してから、見習いとしてBKR(人民治安隊、注:インドネシア国軍の前身)に参加した。彼はスリワンギ師団の”ガルーダ・プティ“分隊とともに、第一次軍事侵攻に立ち向かうゲリラ戦に身を投じた。また、スラバヤの士官学校で教育を受ける機会を得た(1951年)。その後、バンドゥンの上級士官学校に進み(1957年)、さらには日本のセキュリティ・コース(1962年)、アメリカの米陸軍指揮幕僚大学(1972年)で諸外国の人と共に学ぶ機会も得た。独立戦争が終了した後、国内および国外でのいくつかの軍事軍練に参加した。 軍歴を重ねるなかで1965年の悲劇的な9月30日事件の後、国軍将校たちの身辺警護に関与した。その後、大統領代行となっていたスハルト将軍の警護部隊長となった。1967年から1972年まで陸軍憲兵(POMAD)特殊部隊に参加した。この部隊は大統領の警備をその任務としていた。1974年にジャカルタ師団の副作戦官に就任し、1975年には首都防衛隊の副長に就任した。1977年にはジャカルタ師団副長、1979年から1983年まで同師団准将、1983年から1984年まで国防省次官となった。そして1984年から1987年まで、R.スプラプト知事の元でジャカルタ特別州副知事を務めた。
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 スンバ島の住居の空間構造
〜床下〜
 スンバの家は、とんがり帽子の屋根組を支える中央の4本の柱を軸として、通常16本程度の柱で支えられている。
 そもそもこの構造は、東南アジア各地から日本にかけて広くみられる穀倉の建築構造に由来していると思われる。しかし、スンバ島では高床式住居として様式化され、どの家も細部の装飾と水平に広がった大きな床によって今や米倉の面影は薄れている。
 竹の仕切りに覆われていない床下空間を除くと、村や家によって異なる基礎の出で立ちを見ることができる。
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〜高床〜
 高床の上は人間の空間である。
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 kodi村の場合は特殊な住居配置がなされているため、正面玄関は常に支石墓を向いている。
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 そして露台ですら1m以上の高さがあるので、その前にワンステップ設けてあり、内部空間は地表から2mほどになる。
 もちろん村によって異なるが、基本的には馬や牛などの家畜を床下に抱えることになるので、それくらの高さになる。
 マラプの宿るスンバの家には上と下、前と後ろ、右と左といった空間の対立軸が強い意味を持っている。
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 正面右の入口は男性や男性客のためのもの。もちろん手前の露台で用を足す場合も多い。
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 正面入口から入ってすぐの右手前の空間には儀礼に使用する道具が飾られている。
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 これはおそらく打楽器と思われるが、実際に使用するのかマラプの宿るものとして祀っているのかは不明。しかし、スンバのこの類いの楽器にはだいたい人間の革がはってある。
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 そして、4本柱のうち右手前の柱は占いの儀式の際に祈願する対象となっている。この柱の上の屋根裏にマラプが祀られており、人間界とマラプを垂直につなげる神聖な役割を担っているのだ。
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 この神聖化された4本の柱(特に右手前の占いの柱)は、��定の種類の聖木のみが使用される。
 建設の際は一番に建ち上がり、そして家が取り壊された後もそこにマラプの家があったことを証明するように柱のみが残されていた。
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 西部ではほとんどの家がこの大きな円盤が4本柱の上に飾られている。穀倉のネズミ返しが由来だろうが、ここでは物を載せる台となっている。
 
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 そして、その中心には炉が配置され、灰の下にはマムリが置かれているそうだ。マムリはマラプが宿るとされている動物の角などで作られた手のひらサイズのお守りだが、それが炉の心臓と呼ばれて肺の下にも眠っている。
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 数軒を見学させてもらった結果、各住居で最も差異が見られたのは内装であった。内装はその家の家族のみで仕上げることが多く、壁材が木材の場合と竹材の場合、間仕切りがほとんどない家と間仕切りだらけの家があった。
 しかしそれぞれの空間の位置の秩序は島内で共通しており、強い観念体系として人々の役割や振る舞いの全てを規定している。
 要するに、上(屋根裏)はマラプの空間であり、その下は人間の空間、そしてその下は家畜の空間。
 右は儀礼を行う男性の空間、左は家事を行う女性の空間。前は神聖で公的な空間、後ろは世俗的で私的な空間。
 マラプは屋根裏の右手前に祀られ、男性は右の空間で儀礼を行い、普段はそこで横になっている。女性は後ろの出入り口を使用して、左側で炊事を行う。
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〜屋根〜
 内装は家族のみで組み立てるのに対し、屋根は村人総出で建ち上げる。柱を地に埋める儀式から2、3日で葺き終わるそうだ。
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 そして最も神聖な屋根裏は普段人間が入ることも見ることも許されない。
 豊作祈願と収穫の感謝の儀礼の時のみ、特別な権限を持つ男性のみが右手前の空間から梯子をかけ、屋根裏にのぼることができる。
 4本柱の上にのる屋根のとんがった部分は穀倉構造の部分であり、そこは全てマラプの住む屋根裏空間が占めている。
 こうした建築構造をみると、マラプは特別権威のあった父系祖先の神と言われているが、穀物に関係しているのが常なのではないだろうか。
 現在私の住んでいるジャワ島のバンドゥンがあるスンダ地方も、イスラム教が上陸する前の地域信仰では「Sri Pohaci」という豊作の女神を崇拝していたそうだ。
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 東部地方よりも天高く伸びる西部の屋根。
 容積でみたら、ほとんどがマラプの空間で、その下にちょろっと人間が住み着いて、さらにその下にちょろちょろっとその他の動物が住み着いている程度に思える。
 
 神棚もなく勝手口もなく、現在を生きる人間のみで全ての容積を使用する、物理的な次元の中でしかない住居と比べて、感じ考えることのできる時間の範囲、領域の繊細な意味、宇宙までも届く空間の広がりは非常に豊かで、視覚で確認することのできない時間と意味と空間を自覚でき、より多くの側面での自分の位置づけを、自分を含めた全てを一体とした上で取り扱うことができる。
 もちろんこれは建築が先行する問題ではないが、生活の豊かさを取り戻す住居のデザインのヒントにはなり得る。
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突撃ひとり旅 !! in バリ島南部
 去年旅行で来たインドネシアと、2ヶ月住んだ現在のインドネシアは全く異なる。
 インドネシア語が全く話せず、こちらに知人もいない場合、インドネシアはどこにも行けず汚く危険な場所である。公共交通機関はジャカルタにちょろっと電車が通っているくらいなので、安全で充実した観光をしたいのなら、高額で英語の通じるホテルと車とガイドマンを買わなくてはいけない。
 しかしインドネシア語で雑談がちょっとできて、友人がたくさんいれば、どんな地域も島も無料で泊まれて、交通費も無料もしくは現地価格で済んでしまう。やはり、、、なんと心地よい国だろう。。
 大学にはジャワ島内の様々な地域やその他の島々から学生がやってきている。よって、どこか旅行する時は彼らの実家や、友人宅に上がり込める。みんな喜んで受け入れてくれる。日本の田舎のおじちゃんおばちゃんで国民が構成されているような感じだ。
 5年間いた東工大では全く友人ができなかったのに、こちらにきて一瞬で校内外の友人がたくさんできた。
 基本的にインドネシアって、冷めた人間がいないのだ。本当にいない。
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 笑いの壷が笑い上戸の小学生のように浅く、日本や欧米なら10人中1人しか笑わないようなことで全員が大声で爆笑する。
 みんな冷めてないから、ちょっと話せればアウェー感を感じることが無い。日本語ぺらぺらなのに東工大でアウェー感を感じ続けてきたせいもあり、現在非常に心地がよい。負の連鎖から正の連鎖に切り替わった。
 物売りや客引きも、最初は外国人の私をお金として見るが、インドネシア語でちょろっと話せば急に人間を見る目に変わる。仕舞いには、みんな集まってきて冗談の言い合いが始まる。みんな暇なのだ。だから優しいのだ。
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 今回のバリ旅行も、前日までホテル予約をすっかり忘れていた。
 友人につっこまれて思い出し、デンパサールの友人の友人部屋に泊まらせてもらえることに。仕事中でもチャットの返信が早いのがインドネシア人の特徴。
 バリ島に到着し、バリ島からスンバ島に行くまで丸1日時間ができたので、南部で過ごした。これまた前日になって予定がゼロから10に。つくづく人生ラッキーでここまで来ている。
 午前中にデンパサールの友人宅からウブドまでバイクタクシーで30分200円くらいかけ、バンブーレストランへ。
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eff studioのBamboe Koening Restaurant でひとりブランチをとる。
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 三枚の屋根が湾曲して高さを変えながら中央のステージを囲む。
 若干過剰とも感じる小屋組みの構造を目で追う。アーチをつくる一番太い竹材は直径15cmくらい。それが三本束ねてある。
 おそらく下の写真で、一点から上に広がる柱の束を連続させたいという意図が先にあるように思えた。
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 今回屋根は茅葺きや板葺きではない。
 防虫の薬品を塗るメンテナンスに年20万くらいかかるとスタッフが教えてくれた。竹の弱点は虫に弱いこと。。しかし天然素材の防虫薬や処理もあるという噂。今後インターン先で勉強予定。
 その後、奇跡的にお客さんを載せたuberがこのレストランに到着し、運良くMonkey forest 通りまで乗せてもらう。
 この奇跡がなければ1時間真昼の日光の下で歩く予定であった。
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 Monkey forest 通りはウブドの観光名所Monkey forest周辺のショッピングストリートである。バリの旅行ガイド本には欠かせない観光スポット。
 観光客向けの店店の隙間や上部に、個人住宅の寺が出現する。ホームステイビジネスをしている家も多いようだ。
 バンドンよりは面白いものがあることを期待して、隙間時間にここで買い物をしてみた。日本程ではないが、衣服やアクセサリーに関してはバリは物価が高い。今住んでいるバンドンはファッション関係が安いことで有名で、週末にはインドネシアじゅうから買い物客が訪れる。
 夕方から私を泊まらせてくれた友人の勤める建築事務所で何やらプレゼンがあるとのことで、デンパサールに帰ろうとする。
 しかしみなの忠告通り、ここに格安なuberやバイクタクシーはない。空港や観光地から、それらの新しい勢力を排除している昔ながらの言い値タクシーを使用する他ない。
 よって、行きは500円程度だったものを、帰りは2000円かけて帰宅。
 しかも、バンドンとバリの時差を忘れてゆっくりビールを飲んでいた。バンドンでは入手困難なビールがそこかしこにあるのだから仕方がない。
 インドネシアは東西に広がる島々で構成されているので、国内でも島によって時差がある。なのでジャカルタやバンドンなどのジャワ島とバリ島では1時間の時差があるのだ。
 3時間遅れで事務所に到着。
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 しかしインドネシアお決まりのゆったりさ。まだ始まっていなかったので事務所を散策させてもらう。
 ここはPopo danes architectという設計事務所で、おそらくバリで一番の大御所建築家、Popo氏のオフィスである。
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 彼女は私を泊めてくれたバンドン工科大学出身のDear。学部卒業後ここで働き始めたばかりだ。泊まった彼女の寮はオフィスのとなりで月1万円!
 オフィスでみんなとキャッキャしていたら、Effan氏に再会!Effan氏は午前中に訪れたバンブーレストランの設計者でEff studioのボス。Ibukuのグリーンスクールなどを手がけていた。
 今回彼のスタジオ見学ができなかったのは、ジャカルタの大学の建築学生を率いて、バリで2週間のワークショップを担当していたから。その最終日がPopo氏のオフィス見学で、会いに行かずしてここでまたお会いできた。
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 Popoオフィスの中庭でプレゼンするEffan氏。
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 そしてこの方が、大御所Popo氏。今回が初対面であったが、バリのインターンについて色々と提案やアドバイスを頂けた。
 私のデブ化を隠すため、あえてこの写真。しかしバリはバンドンと違って好きな服を自由に着れるのが良い。バンドゥンがあるジャワ島はムスリムの島なので肩や脚を出すことはできない。
 この後さらにパーティーがあったのでお腹も出していたが、オフィスでも問題ないようだ。
 そしてインドネシアに来て初めての夜遊び!
 バンドンでは、基本的に夜9時前には帰宅して、パーティーなんぞ無い生活。ムスリムの友人たちは飲まないし、朝7時から遊んで昼過ぎには解散する驚きの健康さ。
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 しかし知人の日本人アーティストに招待されて、今回夜9時から潜入。何やらアットホームな空間。
 ブース周辺を飾る彼女の作品たち。
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 バリは外国人の多い観光地なので夜間もバンドンより治安は良いらしい。しかしその分スリやひったくりも多いので注意。
 私は翌朝からスンバ島に飛び立つ予定だったので、プールに突き落とされる前に帰宅した。しかし、バリ島は日本同様開放的だ、、、
   ともかく、JK時代あだ名が露出狂だったこの私が、この2ヶ月お酒と露出を控えられたことを褒めたい。
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 インターン先を決定致しました!!
 インドネシアに来て2ヶ月ちょっと。自身のスケジュール詰め込み主義と、インドネシアの将来より今を過ごす過ごし方(働かない時間の多さ)と、旅行と大学の掛け合いと、新しく出会う人の多さで、2ヶ月は比較的長かったような複雑な感覚。
 
そもそも私の留学計画は、
前半(1月〜6月):バンドン工科大学(ITB)で友達つくり、バリ事務所リサーチ、インドネシア語習得
後半(7月〜3月):バリ島でインターン
合間:インドネシア巡り、アジア、ヨーロッパ諸国旅行
という、なんともその場のノリでいこうという計画。
 しかし3月で前半のミッションは大方満足できる範囲で達成した。東京人の意欲でバンドゥン市内もあらかた消費したので、早くバリの現場に行きたい! という気持ちが高まる。
 そこで急遽バックパックにポートフォリオを入れて、大学をさぼって一週間バリ島(合間にスンバ島)に。
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 色んな巡り合わせで、この2ヶ月で国内で知名度が高いバリの建築家(インドネシア人に限定)には、全てお会いできた。
 そして今回の旅行で実際に事務所にお邪魔したり、関係者の話を聞いてRumah Intaranに決定したのだ。
 一泊事務所に泊まらせて頂き、翌朝インターンしたいですと申し出て、後日連絡すると言われたのに午後の別れ際にはOKの返事を頂けた!
 よってデザインスタジオのメンバーには色々な意味で申し訳ないが、ITBの学期が修了する前の来月にバリに引っ越すことにした。
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 この事務所には、テレビもガスコンロもシャワーも無い。
 デンパサール空港から北上して山を越え、バリ島の北部に位置する(赤のポイント)。北部の中心市街シンガラジャからも1時間くらいなのでまわりには特に何も無い。
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 よってスタッフは皆事務所に泊まっていて、ボスの家族と共同生活をしている。
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 ここでは村の生活と同じかそれ以上にシンプルな生活が実践されてる。
 毎朝日が昇る前の5時半から全員で簡単なヨガと筋トレ。その後各自担当する仕事を。あるスタッフは朝ご飯の支度、あるスタッフは動物のえさやり、あるスタッフは庭掃除など。。。そして、みんなで朝ご飯を食べて水浴び。
 インドネシアではシャワーを浴びるとかお風呂に入るという表現(機会)はほとんどなく、マンディー(水浴び)という。
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 そして9時には仕事を始める。そしてお昼をみなで食べ、一時間昼休憩があり、5時には仕事が終わる。その繰り返しである。掃き掃除もヒーリングのひとつとなる。ボスにとって建築設計はそれほど重要な活動ではなく、毎日何を食べ、何を使い、どう過ごすかが重要だという考えのもとで運営されている。
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 もっと大きな事務所にも色々とお邪魔したが、スタイリッシュなオフィスで大規模なプロジェクトを掛け持ち、ハイレベルなスタッフが揃う場所で働くなら東京でインターンした方がそれぞれの意味で勝る。
 出来るだけ東京でできない生活をしたい。という単純な考えに立ち戻ると、この事務所になった。
 毎食火起こしから始まる。建築学ぶ前に人として火も起こせないことを恥じていたので、これは良いチャンスだと思った。
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 そしてインドネシアの村に行ってよく思うのだが、ゴミの量が非常に少ない。動植物と理想的な距離感で生活できる。
 半屋外のトイレ兼水浴び小屋には大きな木が生えてて水槽に水が張ってあるだけ。その水で顔を洗っても、虫や落ち葉が顔中について洗った気がしない。昔から虫等は平気なので、若干の潔癖スイッチをオフにすれば、まあいっかとなる。
 これは砂利の入った濾過壷。
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 スタッフやインターン生も英語が通じない人が多いので、今よりインドネシア語の必要性が高い環境に自分を置ける。
 仕事に関してはバリ島のホテルやレストランの設計が中心で、事務所の敷地内や畑の改造実験もする。色々な大学や団体が訪れてきてワークショップをすることが多いのでそれの手伝い、バリ北部に関するガイド本の作成やツーリズムプロジェクトも関わることになった。因みにボスのGede氏はウンダギでバリ人だ。
 大御所を中心にバリ人の建築家はみな、南部や海岸沿いはもはやバリではないと言う。日本人にも人気なデンパサールやクタなどは、バリの文化はもう見えてこない汚れた地域になってしまったということだ。山に近いウブドも観光地を歩くと白人や若干のアジア人で溢れていて、ここがどこだか分からなくなる。
 よって根っからのバリ人建築家の中では、「これが本当のバリである。」として、観光地化の進んでいない北部や山の上を知ってもらおうという動きがあるようだ。本来のバリの姿、ヒンドゥー教や先住民が訪れる前のバリに興味があるので、それらのプロジェクトに運良く巻き込んでもらえるのは楽しみである。
 取りあえず半年間お世話になる。その後はその後考えることにした。
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 帰り道、山を越え、空港へ下る乗り合いバス。みなに劣悪な交通手段だとおどされたが、激安でとても快適。
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「 猫 」から読み解くインドネシア、バンドゥンの街
 ここバンドゥン、インドネシアの街はネコで溢れている。とにかく多いので、ここはひとつ「 猫 」によってバンドゥンを捉えてみようと思った。
 ほとんどが野良だが、彼らは日本のそれと比べるととにかく顔が小さく胴体もスレンダーだ。しっぽは長いものばかりで日本のようなレパートリーはない。瞳は色素が薄いものが多く、毛色や柄も日本では見たことがないものが大半を占める。
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 さすがに専攻は建築なので、何故かは分からない。しかしネコがそうならここらへんの人間もそうなのかと一応考えてみる。バンドゥンは山岳地帯で、スンダ語が使用されるスンダ地方の中心都市である。ここら出身の人々はSUNDANESEと呼ばれ、色が比較的白く美人が多いことで有名らしい。確かに以前、指導教員にバンドン工科大学を私に薦めた理由を聞いてみたら「美人が多いと聞いたから。」と言われた。。。。
 確かにそれは最重要項目だ。 私の住む女子寮もかわいい子が多くて日々幸せである。
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 実際ジャワ島は侵略され続けていた島なので、実に様々な国や地方の血が混ざっており、一概にこんな体型でこんな顔と言い表すことは不可能である。
 しかし、ひとつ言えるのは皆最低でも2言語は話せると言うことだ。インドネシアの標準語はBahasa Indonesia(インドネシア語)。それに加えて、バンドゥンならスンダ語と言うように、上の図の各地方はそれぞれの言語を学校で教わる。因みに首都ジャカルタはBetawiという民族がいてBetawi語があったそうだが、ほとんど消滅して今は標準語のインドネシア語のみが使用されている。江戸っ子が消滅した東京のような感じだ(若干違うが)。
 関心したのは、言語だけでなくそれぞれの地方の文化や歴史が学校教育できちんと教えられ、誇りを持ってそれらを継続しようという意思を皆が持っていることである。自分がどこ出身で何人であるかが強いアイデンティティになっていて、ジャワ人同士であればバンドゥンでもジャワ語を使う。日本では小中高大学と、自分の地方に関する授業などあっただろうか。当たり前だか、出身地方の伝統音楽や方言、料理、歴史、宗教など、知らなかったら継承もできない。
 取りあえず、ネコの言語は聞いた感じ日本と変わらないようであった。しかし、夜中の求愛時の声はこちらの方が癖がない。
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 とにかく至る所にネコ。レストランでも学校でもお店でも。なぜこんなに視界にネコが入ってくるかと言うと、今のところ理由は2つ考えられる。
 一つはバンドゥンの建物のつくり。基本的に地上1階、グランドフロアが完全に壁やガラスで覆われることがないからである。特に彼らの食料がある飲食店はほとんどが半屋外になっており、テラス席プラス窓全開の室空間というのが普通。バンドゥンでは雨さえしのげればよく、空調は全く必要がない。
 去年の夏にバンドゥンを訪れて驚いたのは、屋台やローカル店のみならず、新しい大型ショッピングモールもピロティ様式的なものを前面に押し出していること。閉め切ってクーラーガンガン=富の象徴ということが未だにアジア諸国の共通認識かと思っていたが、バンドゥンは違うようである。
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その建物の意匠がどうであれ、気持ちのよい風が吹き、暑くも寒くもない日陰は、万人にとって非常に好ましいものである。そこにさらに健やかな植物や流れる水があればなおさらである。大学でも住宅でも滑り出し窓やルーバーが常に開けっ放し、もしくは閉まらない構造になっている。
 よって、どこで食事をしていてもふと足下をみると猫がすり寄ってくるのだ。買い物をしていても主人のような顔をして店内をうろついているし、大学に行っても毎日校舎のエントランスはネコと生徒でごった返している。
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数日前はこの展示ホールのど真ん中にネコの排泄物が鎮座していた。
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 また、私の寮では2階であっても寝てる間に猫が侵入しないようにと、この扉を閉めなくてはならない。エントランスの門も、セキュリティとネコ侵入防止用に門が二重で設置されてある。
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 そしてもう一つの理由はジャワ島がイスラム圏だということ。飼育が大変という理由でネコをペットとしている世帯は少ないが、イスラム教では予言者ムハンマドも愛していたとして猫は敬愛すべき存在となっている。
よって殺処分したり強制的に去勢したりもしないのでこれだけの数になっているのだろう。乱暴に扱うこともないので、こちらの野良は本当に人懐っこく、子ネコの割合も非常に多い。しかしよく建物のエントランスで弱ってうずくまる子ネコを目にする。おそらく大半は翌日には餓死するのではないかと思う。加えてここは交通量がすさまじい街だ。轢かれてしまうものも多いであろう。
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 しかし、一度も死体を見たことがないのだ。不思議に思い、知り合いに聞いてみたところ、家で飼育することは少ないが死体を見つけた場合は多くの人が敬意の念を持って埋葬するらしい。
 因みにジャワ島で「犬」はどうかというと、たまにある一定の地域で見かける程度で数は少ない。これはイスラム教において犬は豚と同様に不浄なものとされているからである。涎が不潔とされていて、決して触らないようにと皆恐れている。それにも関わらず飼育している世帯をちらほら見かける。これも気になっていたので知人に聞いたところ、セキュリティのために番犬としているだけであって、触れることは滅多にないらしい。
 触れずにどのようにしつけるのかはあまり想像できないが、ネコもイヌも飼育したことのある身としては、以上の全ての事柄が気になる話であったのだ。
 これは道ばたで広げられていたペットショップ。コンパクトなのにこれはだいぶバラエティ豊かである。
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 私はどのジャンルも大好き!なので値段だけでも聞いておこう!と血走ったが、インドネシアのペットショップ事情はきっと日本のそれよりも暗黒なのであろうと想像し、踏みとどまる。狂犬病ワクチンも結局接種せずに渡航したので、動物と触れ合うことは控えている。これはだいぶ辛いのである。
 時々見かける、CAT AND ICECREAMという名前のcaffeが気になっているので、今度一度行って想像通りか確かめたいと思う。
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バリ・ヒンドゥーの教え「トリ・ヒタ・カラナ」の話
 私は2013年から東工大で建築意匠について学んでいるのだが、ここ最近は「パッシブデザイン」や「サステナブルデザイン」に関する授業が多くなってきた。これらは太陽光や風など自然エネルギーをうまく建築に取り入れることで、省エネで快適な空間を産み出そうというものである。
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 ここ常春のバンドゥンとは違って暑く寒い四季のある日本では、ずっと昔から建築をデザインする上で考えられてきたことなのだ。今はそれを様々な技術やソフトを使って、設計段階からシミュレーションする建築家もふえてきた。これは授業でやった私の班のへなちょこなシミュレーションだけども。。。
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 建築専門誌でも、ハウスメーカーの広告でも「環境とは」とか「エコな建築」とか「サステナブル建築」などという言葉が目立つようになる。エネルギー収支が実際は他と変わらないのに、これが作り手側の免罪符的な役割として利用されることも多々ある。よってこれはきちんと勉強しない限り、なかなか取扱いが難しい。
 そしてもうひとつ、避けて通れないのは「コミュニティ」という言葉。今や学生の課題発表でも建築シンポジウムでもSNSでも頻繁に使用される。それは血縁関係でもなく町内会のような組織でもなく、何かを共有するアソシエーション的な意味で使われたり志向されたりすることが多い。
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 これはそういった事柄周辺に関してつくった年末のお面作品。(今風)
 建築デザイン畑の人々が最も目にするメディア、建築専門誌では以上のような議論を通して、「ヒトと環境の関係」、「ヒトとヒトの関係」、「ヒトとモノの関係」などという言葉が飛び交っているのだ。これは、環境とそれと我々のやりとり、共同体維持の条件、時間という概念などを再認識することで、現代人の本当の意味で持続可能な生活を模索しようということなのだろう。
 そんなときに数々のバリ・ヒンドゥーの教えの中で、特に「おおそのままやん!」と思ってしまったのが「トリ・ヒタ・カラナ(Tri Hita Karana)」である。
 これは、サンスクリット語で"Tri→3"、"Hita→幸福"、"Karana→原因"の意味。どんなスケールにおいても、「神と人間」「人間と人間」「人間と環境」の3つの関係を大切にすることが幸福や繁栄に繋がるという土着の知識体系である。例えば一つの住宅においても一つの村においても、神と人間と環境の3要素をバランスよく配置することが重要になってくる。神の領域(寺院など聖域)、人間の領域(集落)、自然の領域(水田や森林)がある面積、ある位置関係で調和するように計画する。このような理念が9世紀頃から実践的に集落や住居、生活の仕方に根付いている。
 そしてバリ島には「バリ州の文化的景観 : トリ・ヒタ・カラナ哲学に基づくスバック灌漑システム」と言う名前の世界遺産がある。
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 これは、「トリ・ヒタ・カラナの哲学に基づく」の部分が大事なのである。それが補足されたことにより、見事遺産登録されたのだ。なぜなら美しい棚田は世界中にあるし、それを維持するための共同体システムも色々あるだろう。
 世界の注目に値するのは今の政府が自然環境や文化遺産保持のため、サステナブル・ツーリズム政策にこの古き哲学を「トリ・ヒ タ・カラナ観光賞プログラム」として積極的に取り入れていることだ。これはバリが中央政府主導の乱開発マス・ツーリズムの弊害を深く経験し、1970年頃から地域住民や環境に配慮したオルタナティブ・ツーリズムを経た後、それでもなかなか改善しない状況に限界が訪れ、90年代末から強まった動きだ。次世代の機会を促進させ、文化や生態系を破壊することなく、経済的、社会的かつ景観的要求に応える方法で行われる観光産業をサステナブル・ツーリズムと呼ぶ。そこに、実践に及んでいなかったトリ・ヒタ・カラナ哲学への回帰をバリのツーリズムに不可欠なものとして位置付けた。
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 現代日本の建築業界ではさすがに「神と人間の関係」に関して言及されることは少ない。しかし、同様に農耕民族として村社会で生きてきた島国に住む我々にも、このうような哲学が蓄積されていておかしくないはずである。
 きっとそれが今の世代にまで伝えられるような習慣や身体的なスキルがなかったので、新しい理論や表現、技術によってなんとか摑み取ろうとしているのだ。
 東京オリンピックを前に日本中で様々な取り組みや政策が目立つようになってきたが、バリと違って文化の慣性力がない今の日本では、持続可能な観光も地域も生活も建築もはっきりとは見えてこないのである。
 最初と最後の写真は去年の夏に泊まったバリ島ウブドのBamboo Indahというユニークな宿泊施設!
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KAMPUNG KREATIF DAGO POJOK
バンドゥン工科大学から少し北上したところにあるクリエイティブなKampung(集落)、Kampung Dago Pojokに訪れる。
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カンプンはバンドゥンにもジャカルタにも沢山点在する、通りに面した商店とそれに平行して流れる小さな川との間に密集する小住宅群である。多くは賑やかなメインストリートから川に下る斜面上にあるため一見隠れて見えないが、カンプンに入る細い路地が時折商店の隙間にちらりと見える。
去年の夏はジャカルタのあるカンプンで東大のWSがあり、お題が先輩の結婚式を挙げるという興味深いものだったので少しお邪魔した。
おそらく市内の集落の多くはインフラの普及率が大変低く、採光も不十分であるため住環境があまり良いとは言えない。夏の東大の新領域の研究室を始め、発展途上国で活動するのはインフラやコミュニティ、エネルギー開発などの人々であり、建築デザインの研究室が活動することはほとんどない。なのでこちらで同じ畑の留学生に出会うことはほとんどないのだ。
しかしそんな中でも国際的に注目され、自力でプロモーションできているクリエイティブ観光カンプンもあるのだ。
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ある日友人にバンドゥンのクリエイティビティが表出された場所はないのかと聞いたら、ここを教えてくれた。KAMPUNG KREATIF DAGO POJOKはアーティストの住民が中心となり各方面の協力を得た後、アートや民芸品、伝統舞踊などで食べていくためのスキルを身につけた集落である。
ITBをはじめとした大学の建築学科が定期的に訪れ、WSスペースや住人のための集会所、オブジェなどを一緒に制作している。さらにはヨーロッパから伝統楽器の演奏や人形制作などを学ぶために、住み込みで訪れる学生もいる。ここを訪れる若者の多くは、分野や国内外問わず論文の事例としてここをリサーチしているようだ。
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急遽時間ができて訪れてみたという感じであったが、暖かく迎え入れてくれた。ラッキーなことに夕方から夜にかけてイベントがあり、子供や男たちの自己流カンフーや伝統舞踊の披露があった。夜にはインドネシアで活動する芸術グループからパントマイムの出演があり、終始住民と関係者で盛り上がった。
これらは立派な自己表現の場であり、観光産業で生きていくための教育も兼ねている。
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都市ではこのような類いの細い路地は基本アウトなのだが、カンプンは何故か安全に保たれている。おそらく住民全員が家族関係にあるような強固なコミュニティであり、たくさんの子供とそれを見守る大人たちのおかげであろう。
どこのカンプンに行っても子供たちはニコニコで、言葉が通じなくてもみな長時間話して笑っていられる。日本からと聞けば、みなから写真を求めらる。女子に求められるとどうしてもウハウハしてしまう。アーティストの場合はそれを自身のお店のプロモーションに使うようだ。発信力もあるカンプンはもはや国際的に学術分野で注目され、支援される立場から脱しつつあるようだ。
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