Tumgik
#新潟は世界で一番重い雪
endekashi · 9 months
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Wind is blowing from the Asia
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ジュディ•オングさんの「魅せられて」の歌詞、昔からずっと「Wind is blowing from the Asia」だと思ってだけど、Asia(アジア)じゃなくてAegean(エーゲ海)だったって知ってました?
でも我々ほうてい野郎にとっては、アジア大陸からの風のおかげでこうして楽しませてもらってる訳でやっぱり、このままAsiaでいいんじゃないかと思う訳です。
でもね、たまーに、もうええっちゅーねんって位吹いちゃうんですよねえ。
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本日のカスタマー。なにやら顔出しNGの人がいますねえ。まあ、みんな色々ありますからね。あんまり詮索せんで下さいな。
遥々高知からいらした方も!先日の九州といい、やたらウェッサイづいてるえんでかしです。
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Acharmの店長さんも言ってたけど、山の世界では都会という白馬。降雪後のピーカンっちゅー事で色々芸能人いましたよ(山の)。
まずはフォトグラファーニッシー率いるヤングガンズ。みんな10代だとか。これから要チェックや!
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こいやのうなP、ケータ、ドラゴン、ホーリー。
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更にRED EYE FILMのシブチンさんに村瀬姉妹、コクボ君とー…一番左は…うちのお客さんかーい。しれーっと入ってました。
他にも色々、(山の)芸能人いました。
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風はボーボーですが山は大賑わい。我先へと上を目指す人々。
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我々は飯森神社奥社にワッツアップかましながらゆっくり向かいます。なんかいいとこ余ってねーかな〜。
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あっちは結構風当たってそうだな〜。
かと言って風の影響の少なそうな大岩周辺はすでに大賑わい。
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初八方だっつーもんで散歩がてら奥の方まで行ってみますか。
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絶えず風は強かったけどたまにお休みになる時間もありましてなんとか進むと…
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あら、意外とまだ誰も入ってない。みんな結構上を目指す人もいたようで。
ウィンドスラブに警戒しながらドロップイン!
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いいスプレー上がっていい写真になりそうだけど遠い〜。一人ガイドの辛いところ。
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多少パックされてるものの、全然気持ちいいほうていでありました。
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ピーカンでほうていなら最高なわけですよ。
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スキーヤーはちと難しそうだったけど、上手く乗りこなしてました。
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いや〜良かったね〜なんて喜びを分かちあっていると、尾根を移動していた二人組がリモートで雪崩を誘発。
サイズ1.5~2位かな?幅50m 厚さ20cmくらいでした。
別に自分達のところには来ない感じだったけどちょっと焦りました。
やっぱこんだけ吹いてればウィンドスラブ出来ますよね。気をつけていきやしょう。
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そうは言っても最高な訳ですよ。
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下に下がれば風の影響なくなるかなーって期待してたけど沢の中までばっちりパック。抜け目のない仕事をされてますね。
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谷を脱出。
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どこにいてもボーボーでゆっくり休むとこがねえ〜。
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あまり人の入ってなさそうな場所を狙ったらまたも小規模ながらもウィンドスラブ。
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面つるは面つるだけど風で飛ばされた面つるです。
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雪があればスイスイ降りられる谷も、カリカリじゃがいも畑でシーズン最初の身体にこたえます。
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上では山の雰囲気に飲まれていたのか口数の少なかった彼女。普段、居酒屋でカウンターの守護神と呼ばれる程の呑んべえらしく、標高が下がるにつれ、次第に調子を発揮してきましたが、みんなが欲しがる場面では魅せてくれませんでした。
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てな訳で無事終了!初八方いかがでしたでしょうか?まあ、八方らしい八方でしたね!
白馬は他にも色んなルートが楽しめますんでまた来てくださいね!
お疲れ山でした!&おしょっ様でしたー!
P.S 新潟LOWクルーのみんな!高知の重鎮にもフォトブック渡しておくように頼んどいたぜ!
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hiraharu · 4 years
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【パンと日用品のわざわざってどんな店なの?】 ・ こんばんは。本日はわたし達のお店「パンと日用品の店わざわざ」について改めてご紹介させていただきます!もう知ってる、という方もいらっしゃるかもしれませんが、それはそれで知ってもらえていることがとても嬉しい。もしまだあまり知らなかったという方にも、思いが届くとこれまた嬉しいです。 ・ <2009年に長野県東御市の山の上でオープン。>
わざわざは、2009年に長野県東御市御牧原(とうみしみまきはら)の山の上に、弊社代表の平田が一人で開業しました。一人でパンを焼きながら日用品を仕入れ販売するというとても小さな小さな店からスタートしています。段々とメンバーが増え、2017年に株式会社わざわざを設立し現在は20名ほど働いています。店はDIYの積み重ねで作られていて、店の前に広がる景色は美しく、車でしか来れない立地。冬は寒さが厳しい土地ですが、雪の降る日は年に数回、そんな場所にわざわざはあります。 ・ <自分たちが心からよいと思うもの>
コンセプトは食と生活それぞれの面から、自分たちが心からよいと思うものを販売しているそんな店を心がけています。 ・ わざわざで販売している日用品や食品などは、全て自分たちで日々使っているものばかりです。耐久性に優れ、シンプルな飽きのこないデザイン、一緒に暮らしていく中で生活に違和感なく溶け込んでいくような日常の品々。また、食品は地元のもの、国内、海外のもの問わず、無農薬であったり、素材が吟味され、きちんと作られたものを集めて販売しています。所狭しと並んだ食料品コーナーでは、全て試食したものを販売しています。 ・ <パンは食事パンのみ。>
パンは毎日食べても飽きのこないものをということで、パンとお菓子は薪窯とガス窯で焼いています。自家製酵母や国産の粉や油を用いて、できるだけ体に優しい食を目指して、作っています。パンは2種類。薪窯で焼いたカンパーニュとガス窯で焼いた角食しかありません。私はパンは食事パンしか殆ど食べません。自分が心から美味しい、毎日食べたいと思う、「究極の普通のパン」を焼きたいと思っています。飽きのこない、毎日食べたい、体を作るパン、焼いてます。 ・ <唯一無二の薪窯。>
2011年の東日本大震災をきっかけにエネルギーの問題を深く考え、単一のエネルギーに頼らない製造をしたいと思い立ち、もっとも原始的な薪窯を作ることにしました。薪窯はできるだけ燃焼効率のよいものと、ロケットストーブを組み込んだ薪窯を設計し、地元の職人に製作をお願いし、おそらく世界初であろうロケットストーブ式薪窯を作りました。一番早出のパン職人は朝5時に出勤し、薪をくべて窯に火を入れる仕事から始まります。薪窯ではカンパーニュとお菓子類を焼いています。カンパーニュは毎日24ホールほど焼いています。窯が温まるまで2時間。ようやく温まった窯にふくふくのカンパーニュが一つずつ入っていきます。いいパンが焼けた日は、嬉しい日。 ・ <店の中はまるで忍者屋敷のよう。>
大工さんに基礎工事を頼んで店主がハーフビルドして作った店を、商品やお客様が増えるたびに自分たちでDIYで改築していきました。扉を取って階段を作ったり、屋根裏部屋を改装したり、テラスを作ったりと繰り返したDIYで、図らずも店内はまるで忍者屋敷のような作りになってしまいました。しゃがんで歩かないと商品に出会えない場所も。でも、それがまたいいんです。頭がぶつかってしまう天井裏など、狭い店内をウロウロと歩きながら商品を探す楽しみがあって、お客様がゆっくり買い物を楽しんでくれています。一つ一つの陳列台もほとんどが廃材を利用して作っています。なんどもなんどもリサイクル。 下記のURLではさらに詳しくこれまでのわざわざの歩みをご覧いただけます。(代表ヒラタのnoteに遷移します。) https://note.com/wazawazapan/n/nc572aa91b8bb ・ <2019年に姉妹店「問tou」がオープン。>
狭い店内をどうにか解消して、お客様に買い物しやすい環境をと土地を探し続け、東御市に相談に通っているうちに、市内の公共施設の運営を委託されることになりました。あれよあれよと話は進み、東御市の芸術村公園の敷地内にわざわざとは全く違うコンセプトの問tou(とう)をオープンすることになったのです。新潟のツバメコーヒー、上田市のバリューブックスの協力を得てできた問touはできました。3000冊の本とアート、丁寧に一杯ずつハンドドリップされるコーヒー、オンラインストアにもある衣料品らとともに、みなさまをお待ちしております。 詳しくは問touのWEBサイトへ。 https://toutokai.com/ ・ <わたし達は4つのお店を運営しています。>
わたし達はオンラインストアも一つのお店と考えています。現在は実店舗として「わざわざ」と「問tou」の2つ。オンラインストアとして「自社オンラインストア」と「キナリノモール」に出店しています。オンラインのお客様がいつか実店舗に行ってみたいと憧れをもっていただけるような店づくり。買い物がしやすく様々な情報がわかりやくまとめられた読んでも楽しいオンラインストア。
インターネットとリアルを行き来しながら、お客様とコミュニケーションを図る場所作りがわたし達の仕事です。これからもわざわざをご愛顧いただけると幸いです。 自社オンラインストアにはわざわざの様々な情報が集積しています。ぜひご覧ください。 https://waza2.com/ ・ <"あったらいいな"から生まれたわざわざオリジナル商品、今再入荷中です!>
「こんなものがあったらいいな」「ここがこうだったら100点なのに」そんな思いから生まれたわざわざオリジナル商品。世の中に余っている資源を活かし、丈夫でゴミになりにくい定番品を作るこのものづくりは、おかげさまでご好評いただき、なかなか商品が揃わない時期も…。すみません…。ただ、現在再入荷があり比較的商品が揃っている状態になっています!ぜひこの機会にご覧ください! ・ わざわざのストレッチもんぺ わざわざオリジナル 快適なもんぺに、さらに快適をプラスしたストレッチもんぺ。チノとブラックの両カラーが揃いました。 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=139105402 ・ わざわざのリネン靴下 わざわざオリジナル 夏に履きたいリネン靴下。ぴったりとフィットしてくれるリネンの靴下がない、という問題を解決した、さらっとしてぴたっとフィットが味わえる靴下です。人気のS,Mサイズも再入荷しました。 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=103403197 ・ わざわざの残糸ソックス わざわざオリジナル 上記のリネン靴下などのオリジナルソックスを作っていただいているタイコーさんで余ってしまっていた糸"残糸"を活用し商品になったのがこちらの残糸ソックス。2足1000円という価格にこだわりました。今なら全サイズ揃っています。 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=119102438 ・ ザンシンバッグ わざわざオリジナル 残糸ソックスと同じく、タイコーさんで余ってしまっていたナイロン糸を使いできた「ザンシンバッグ」。買い物バッグにイチオシのLサイズが入荷しています。 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=148844328 ・ 丸いバターケース わざわざオリジナル 人が作ったとわかるものを目指したバターケースが待望の再入荷。そのためそれぞれが一点物に近い表情豊かな仕上がりになっています。もちろんバターだけでなく、使い方は自由。思い思いの使い方をしていただけたら幸いです。蓋の心地よいくぼみが、スタッキングを可能にしている点も嬉しいポイント! https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=127708450 ・ #etc #わざわざで買えます #パンと日用品の店わざわざ
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muraoka-net · 8 years
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#除雪ボラ2017 シーズンインして以来、皆さんの画に「LIKE❗️」できず、甚だ恐縮です。おとといは会津若松〜西の路面状況に痺れ、昨日は忘れ物とりに寄り道した後の群馬県内の「関越トンネル〜昭和 渋滞30km」‼️((((;゚Д゚)))))))のスキー渋滞にシビレ、時間食いましたが、無事に帰宅しました。 ・ 先週末の豊実の画を、まずはPOSTしてくんで、もー少しおつきあいのほどを...(>人<;) ・ ・ 1日目(土)の作業後、車で約20分かかりますが、#熱すぎる温泉 ♨️で有名(❓)な #かのせ温泉 #赤湯 へ...。 #露天風呂が熱すぎる と聞いてたが、この日はヌルで助かった(^^;)ww #フロもオンナもヌルめが丁度いい (*≧���≦*) #新潟は世界で一番重い雪 ・ #雪かきボランティア #除雪ボランティア2017 #新潟県庁が組織#スコップ2017 今回は、#NPOコスモ夢舞台 が主催 #行くぜ新潟 #新潟県 #Niigata #越後 #大雪 が山間部は#豪雪 (´⊙ω⊙`)❗️#雪国 半端ネー( ̄▽ ̄)ww #ボランティア初心者にオススメ #汗をかいた後のお楽しみ ・ #今季最終か❓#今季ラストか❓#あと1回ぐらい行きたい (^^;) 今回は#新潟県阿賀町 旧#鹿瀬村#豊実地区#限界集落の中の限界集落 #これが私の生きる道_社会貢献 ・ 今週は、今日から3日間夜勤。#いってきます ( ^_^)/~~~ (かのせ温泉 赤湯)
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lluisco1g · 3 years
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Today's date2022年 02月 02日(水)Today's weather
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見たくて一〇年間働いた
出典:週刊求人タイムス vol.386 昭和57年4月29日
PHOTO●立木寛彦
森 敦
もり・あつし 明治45年熊本生まれ。作家。旧制一高中退。昭和48年『月山』で芥川賞受賞。最後の“放浪作家”と言われている。著書に『鳥海山』『浦島太郎の人間探検記』などがある。
 
 心ゆくまで月山を眺めていたい、それが森敦さんの願いだった。その夢を実現するために一〇年間働いた。つまり一〇年間働いて一〇年間遊ぶ、これが森さんのライフサイクルだ。その“月山”で芥川賞も受賞した。われわれは六日間働いて一日遊ぶ──。このライフサイクルの違いはそのまま現代人批評にもなっている。というと理に落ちるけれど、とまれ森さんの放浪・交遊譚に耳を傾けてみよう。
 
菊池寛に見習って“登校拒否”
『月山』がね、もう一〇年にもなるのにまだ売れてる。……文庫本が出てるのに、まだ売れてる。
 署名してくれって本がこんなに溜まってるんだけど、手がね……お酒を飲まないとよく書けないんで酒飲んで書いてるけど、ちっともはかどらない。
『月山』を書いたあとで、新井満という青年がジーンズみたいな着物を着て、ヨイショ、ヨイショとギターをさげてやって来た。で、
「ちょっと聞いてください」
 と歌い出したわけですよ、僕の前で。
 で、終わってから、
「これはなんの歌かわかりますか」
 というわけです。
「どうも聞いたような気がするな」
「そりゃそうです、森さんの書いた文章をそのまま歌ったんです」
 どうもそういう読者が多いね。
 その歌はレコードになって、あれはLPなんだけど一万五〇〇〇枚ぐらい売れてるみたいですよ。
 だからそのために『月山』がバレエになったり、日舞になったり、朗読になったり、芝居や映画になったりしたわけです。……で、いろんなことが僕のまわりに起こってきた。
 それもこれも五〇年前に菊池寛と出会ったりしたことがきっかけになっているのだけど……ま、そんな話でもしてみましょうか。だって作家の話を聞いてもしょうがないと思うんだよ、作家の頭なんてカラッポなんだから。……カラッポにするよう努めてるから。だけどせっかくだから昔のことでも思い出しでみましょうかね。
 あれはたしか一九歳の頃かな、日本女子大学というのが雑司ヶ谷にありまして、そこへ行くと女子大学生ばかりなんですが、別に女子大学生をどう思ったわけでもないけど、よく散歩したんです。環境もいいから。
 で、散歩してですね、ふと表札を見ると「菊池寛」と書いてある。それだけならなんということもないんです。別に入ろうとも思わなかった。
 ところが表札の傍に、
「新聞記者、雑誌記者以外のかたは執筆多忙につき面会お断わり」
 と書いてあった。
 それを見たから入って行ったんです。
 そしたら偶然、菊池寛が廊下に出て来てバッタリ会った。それが最初の出会いです。
 そのとき菊池さんに話したのは、僕は第一高等学校に入っていたのですけど、いい学校ではありますけど、まあ行かなくてもいいんじゃないかと、そんな気持になっていたので相談してみたわけです。すると菊池さんが、
「そうだそうだ、だから俺もやめたんだ」
 で、いきなりなにも聞かないで、
「七五円だね」
 なにが七五円だと思っていたら無雑作に七五円くれた。当時の七五円というのは大変な額ですよ、東京帝大を出た人の初任給が六五円の時代でしたから。
 それから僕を文学青年だと思ったのか横光利一を紹介してくれた。
 菊池寛が生前に最も信用していたのは、同輩では芥川龍之介で、後輩では横光利一だったんですよ。
“豪商”のような吉川英治
 横光さんも僕を作家志望の学生だと思ったんでしょうね、作家志望でもない者が訪ねて来るわけはないから。
 僕は作家志望でもなんでもなくて、むしろ当時の青年としては数学がよくできたほうで、いまでも机には数学の本が広げてあります。最近になって矢野健太郎さんとも対談したし、広中平祐さんとも対談しましたけど、そのとき広中さんは、
「私がこれまで研究してきたことは、つまりは森さんが、一言でおっしゃっていることです」
 なんていってくれました。
 ま、話は傍道にそれちゃったけど、とにかく僕は文学青年ではなかった。
 だけれども菊池、横光という二人の作家に作家志望と思われて、一九のとき毎日新聞に『酩酊船』という小説を書いたわけです。で、書いたあと思いきって学校をやめた。
 学校をやめるきっかけで書いたようなものですから、それからさらに書き続ける理由はなにもないわけです。
 なにも作家になろうと思っていませんから。
 ただ、そうしているあいだに作家たちとはずいぶん知り合いまして、川端康成さんと横光さんの二人に訓戒を与えられたこともあるんですよ。
 ある事件があって、ある業界誌みたいなものに若者の僕と今東光さんが暴れて押しこんできたと……そう、その業界誌みたいなものに記事にされたんです、写真と一緒に。そしたら二人がいうんですよ、
「今東光なんて、あんなものと一緒に写真を撮っちゃいかん」
 川端さんと今東光とは大変に仲が悪かったですから。
 中山義秀と会ったのも横光さんのところですね、早稲田大学で横光さんの同級生なんですよ。でも横光さんはよくこんなことをいってましたね。
「義秀は僕のことを同級生だと思っているけど、僕が義秀と同級になったのは、僕が一度早稲田をやめて、二度目に入ったときなんだ。だから僕は義秀の先輩なのにあいつは同輩と思ってる。どうも具合が悪い」。
 それから直木三十五とは、木挽町だったかな、あのあたりに芸者置屋があって、そこの二階が彼の仕事場だったんですよ。部屋には将棋や麻雀や遊び道具がみんな揃ってあって、横光さんや川端さんや、もちろん菊池寛も来て麻雀なんかやってましてね。
 だから僕はつい最近までそこを文藝春秋の倶楽部だと思ってた。最近ある人に聞いて直木三十五の仕事場だったと知ったんです。
 直木さんという人はものすごくお金を儲けたけど、また、ものすごくお金を使う人でもあったんです。だから、そこの家賃なんかも文春で払ってたかも知れないな。で、ものすごく痩せた人でね、ほんとに骨と皮でしたよ。
 あるとき、ある出版社の社長が、
「直木さん、このごろお痩せになりましたね」
 といったら、それまで原稿を書いていたのに急に血相を変えて、
「なにい」
 といったですね。慌てて菊池さんが、
「直木はこれでも太ったほうなんだ」
 このあたりが、菊池寛らしいところでね。直木さんはこのあと間もなくして死にました。
 そういえば吉川英治さんも来てたな。
 吉川さんは競馬が好きでしてね、菊池さんも好きで二人とも馬を持っていたし、僕の母親も競馬好きなもんだから、一緒に競馬場に行ったりして……。
 僕は、吉川さんってたいしたもんじゃないな、と思っていたからそれを母親にいったら叱られちゃった。
「あんな立派な人はありますか、関西の豪商のような感じをうけた」
 そういってましたよ。いま考えてみると、やっぱり品格はあったんでしょう。
 
後世に残る中島と梶井
 それから佐藤春夫さんはね、小日向町に住んでいて、門柱に菊池寛さんとはまったく逆のことを書いていた。
「多忙につき新聞記者、雑誌記者は面会お断り」
 それで、おもしろい対称的だなと思って訪ねてみたら会ってくれましてね。やはり僕を文学青年だと思って、
「日本でブラブラしていても親からなにがしかの金をもらうであろうから、その金でメキシコにでも行ってブラブラしとれ、そのほうが得だ」
 そういうんです。で、なにげなく机の上を見たら永井荷風の『つゆのあとさき』が置いてあった。それがすごく印象的で……そういうことを思い出すといまだに懐しいし、愉快であるね。
 佐藤さんと菊池さん横光さんは大変仲が悪かったけど、僕はそのどちらにも可愛がられた。どちらも大変によくしてくれましたよ。
 同じ年頃では檀一雄なんかね。檀一雄は僕が『酩酊船』を書いたとき訪ねて来まして……。いかにも恰好のいい青年でしたよ。もう、見ただけで凡庸な青年とは違うというのがわかりました。なにか、さっそうとしたところがありましてね。
 で、二度目に来たときは青年と一緒だった。檀君がいうわけですよ、
「ここに秀才がおる」
 それが太宰治だった。
 すぐ三人で酒を飲みに行って滅茶苦茶に飲んだわけ。だからなにを話したのかは覚えていない。だけどそのなかに中原中也もいたっていうんですよ。ところが僕はその中原中也を憶えておらんのです。
 同郷の人では中島敦さん。彼は僕の中学の先輩です。
 中島さんという人は中学のころから伝説的な人で、山口じゃ中島さんを知らない人はいなかったですよ、一高にも一番だったかで入っているしね。その当時の一高ったら、いまの東大とはわけが違います。全国から二万人ぐらい受けに来て六〇人ぐらいしか入れないんだから。それの一番ですからね。
 戦前にフランツ・カフカを読んでいたのは中島敦のみじゃないですか。『李陵』とか『山月記』とか、あれはカフカの影響で書いたんです。おそらくそういうことを論じている人はいないと思うけれど、僕はほとんどそうだと思ってる。
 とにかく大変な英才で語学、漢学、なんでもできる。三三歳で亡くなったけど、惜しいことをしたと思いますね。
 中島敦や梶井基次郎は、もう後世に、残るのが決まったようなものではないですか。
 梶井さんは『青空』という同人雑誌をやっていましてね、病弱のように思われてるけどなかなか行動的で、同人の家は全部回ってましたよ、三好達治でも中谷孝雄でも。
 その『青空』の同人は全部偉くなったですね、ひとりの落ちこぼれもなく全員が文壇に出ちゃった。で、そのなかで一番早く出たのが北川冬彦なんです。
 北川さんは僕のことを「弟や」といってましてね、いまはもう歳とったから神経質じゃないけど、若いころはものすごくピリピリしておった。その北川さんが、
「森君とどうしてあんなに親しくなったのかわからない」
 そう書いているんです。その北川さんの縁で梶井さんとも関係ができたわけなんですが、同人のなかで梶井さんが大将というか親玉だってことは誰でも知っていたんです。梶井というのは大変なものを書いているというのは誰でもが知っておったです、その当時。
 それから立原道造というのは僕の同級生でした。……僕はそのころ、文学青年みたいに扱われていたけど、本当は文学青年なんて一格下のヤツと、こう、いつも思っていました。だから立原なんかはたいしたことねえや、と。
 ただ、よく東大の建築科に入れたな、とは思っていましたね、建築科は難しかったですから。
 堀辰雄さんとも、よくその話をしましてね、堀さんも「私も驚いてます」なんていってましたね。
 堀さんとは……横光さんが毎晩銀座を散歩して、いつも資生堂という喫茶店に行きまして、そこに必ず堀辰雄が来ておったから、横光さんと一緒に銀座に行くと嫌でも同席することになるわけです。
 堀さんと僕とは、いろんな意味で考えかたが違いましたね。だから立原が仲立ちしたりしまして……。
孤独ではなかった放浪生活
 いま一番親しいのは北川さんもそうだけど、小島信夫君ですね。きょうはまだ話していないけど、毎日電話で話さないことはないといってもいい仲です。
 ずいぶん古くからの知合いで、終戦後に彼が僕のところに訪ねて来て、それからずっと友達です。
 どうも彼は子供のときから僕の名前だけは知っていたらしくて。……というのは僕は子供のころに受験雑誌なんかに頼まれて演説なんかやっていたんです。それが速記となって雑誌に載って、それを小島君が読んでいたらしいんです。
 いまはもう、向こうのほうが偉くなっちゃっているけど。
 若い人では三好徹さんですね。彼は私が尾鷲の北山川という川でダム開発の仕事をしていたとき、そのダムを取材に来たんですよ、読売新聞の第一線記者としてね。
 で、僕がそこにいることを知って、近くの本屋から『文学界』を買って来て、自分の書いた小説を読んでくれ、と来たわけです。
 『遠い声』という小説でね、それがなかなかよかった。だからこれはなかなか見込みのある人間だ。偉くなるんじゃないかな、と思っていたらやはり偉くなったよ。
 だいたい僕を訪ねて来た人はみんな偉くなっちゃうんだな、どういうわけか。
 三好君は弥彦にも訪ねて来たし、いろんなところに師事するみたいにして訪ねてきたね。勝目梓君もそんな感じで訪ねて来た一人です。
 だから僕は一九歳のとき『酩酊船』を書いて、それから六一歳に『月山』を書くまでのあいだなにも書かなかったとはいえ、文壇的に孤独ではなかったんです。いろんな町や村を放浪しているときも淋しいなんて思ったことは、まったくなかったですよ。
 
一夜遊ぶために三日働く
 僕はね、一〇年働いたら一〇年遊ぶというふうにしてあるから、遊ぶときは徹底して遊ぶ。奈良なら奈良のとてもいいところに家を借りて、それからまたほうぼうを放浪する。そういう遊びなんです。
 奈良は瑜伽山に住んでいたんですが、奈良では一番いいところじゃないですか、大和平野の全容を見晴らすようなところでね。
 僕の住んでいたところは、いまは重要文化財かなにかになっているところです。それほど素晴らしい離れだった。それから新潟の弥彦に行ったのは雪が見たいという、ただそれだけのことですよ。
 弥彦は新潟でも雪の降らないとこらしくて、降っても二センチぐらいしか積もらないと���元の人から聞いてガッカリしたけど、僕が行ったその年だけは想像もつかないような豪雪でね、一晩で軒先まで積もったですよ。
 九〇歳になる人が、
「こんなに降ったのは記憶がない」
 というぐらいの大雪でね。
 それと、庄内に行ったのは鳥海山と月山が見たかったから。それもいろんな角度から見たかったから一〇か所ぐらい借家を替えましたよ。なに、移るのなんか簡単でね、トラックなんかに乗せてもらって、このへんがいいな、と思うところで家を探すんです。
 だから、かなり合理的ですよ。なんの不自由もない。どんな田舎でだって暮らせるね、あの月山でも暮らせたんだから。
 二十三歳ぐらいのとき、樺太まで行きましたよ、なんの動機もなく日本の果てまで行ってみようかな、と思っただけで。
 国境の町は敷香(シスカ)というんですが、その対岸にホタスという森があって、そこに北方民族が固まって生活しているわけです。
 そのときは敷香の宿に泊まるよりは愉快じゃないかと思って、オロチョン族とかヤクートとかツングースとか、そうした人たちとトナカイの群を追いかけながらテント生活をしてね。
 一〇年本当に働けば一〇年遊ぶくらいの金は貯まります。そのかわり中途半端な貯めかたじゃ駄目だな。
 僕は尾鷲で電源開発の仕事をしていたけど、働いてるときは優秀な人でね、しかもすぐ隣町の紀の本にも行ったことがないぐらい仕事一途。
 とにかく一夜遊ぼうと思ったら本気で三日働かないと駄目ですよ。金を使いながら金を貯めようったって、絶対に金なんか貯まりません。
 だから僕は奈良にいたときも伊豆にいたときも、東北にいたときも、お金はたくさん持っていましたよ。
 庄内に、月山におるときだって、お金は十分に持っていた。心ゆくまで月山が見たくて、それが目的で一〇年問働いたわけですからね。(構成・横川隆)
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浪江町から遠く離れて(フルート菅野桃香さんの場合)
いつもは福島市での合同練習会の合間にせわしなく行う団員へのインタビューなのですが、8月の夏合宿までしばらく期間があることもあり、あらためて二人の団員に時間を取ってもらって話を聞きました。二人に共通するのは、東京電力福島第一原発に一番近い場所で約4kmしか離れていない町、福島県浪江町(なみえまち)出身であること。昨年の3月31日には町の一部の避難指示が解除されました。しかし、団員の二人はともに現在は東京の音楽大学に通い、ご家族も浪江町にお戻りにはなっていません。
今年の3月の東北ユースオーケストラ演奏会2018では、初めて団員の作曲作品をステージで演奏する試みを行いました。現代音楽の作曲家として世界から注目を集める藤倉大さんが、実は昔からの坂本龍一監督ファンという関係であったがために、昨年末に藤倉さんによる団員向けの作曲ワークショップが実現し、希望する6名はその成果を演奏会で披露することができました。
フルート担当の菅野桃香さんもそんな作曲家の一人でした。リハーサルで「福島県いわき市出身、大学1年生」と紹介したら、入団申し込み時のデータだったようで、後から「わたしは実は浪江町出身で、いま実家は取り壊され、避難していわき市に住んでいます。浪江町での紹介をお願いします」と明るく言ってきてくれました。彼女のつくった作品のタイトルは「当たり前の幸せ」。この東北ユースオーケストラを通じて表現したい気持ちがあるのだなと受け止めました。いつかまとまった時間を取ってインタビューさせて欲しいと頼んだところ、「聞いてもらったら何でも話しますよ。むしろ話したいです。」と応じてくれました。
東京音楽大学のフルート専攻の2年生として埼玉に住み、池袋の学校に通う忙しい菅野さんと時間を合わせて、平日朝の新宿のファミリーレストランで1時間半しっかり話を聞きました。
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今日は忙しいところわざわざ出てきてくれてありがとう。なぜ学校の近くではなくて埼玉に住んでいるの?
防音設備の整った部屋は高いんです。でも学校までは電車で一本だから便利なんです。来年から校舎が代官山に移ってしまうのですが。
それは音大生ならではの悩みだね。お洒落な代官山近くの防音の部屋を借りるとなると、また高くつきそうだね。
たぶん引っ越せないと思います(笑)
今日はあらためて311の時のこと。それ以降体験したことを伺いたいと思います。思い出したくないこともあると思うし、嫌だったら正直に答えたくないと言ってください。どうぞよろしくお願いします。菅野さんは何年生まれですか?
1999年生まれに実はいわき市で生まれてすぐに浪江町に引っ越しました。だから浪江町出身と言っています。
99年生まれということは震災の時は12歳ですね。
浪江小学校六年生で、その日は卒業式の練習をしていました。子どもしかいない三階の教室にみんなでいたら、午後2時46分に突然揺れ出し、「机の下に隠れて」と構内放送が流れても、あまりの揺れに机は動くし、立っていられないしで、そのまましゃがみ込むのが精一杯でした。教室の窓から周辺の家がバタバタ崩れていく風景を目にして大きな衝撃を受けました。今でも脳裏にしっかりと刻まれています。
校庭に避難するように指示が出たのですが、いつもの避難訓練とは違って、構内のいろんなものが散乱した状態で、下駄箱は倒れていて、よじ登ってなんとか校舎に出ることができました。
立て続けに起こる余震の怖さと寒さにおびえていたら雪が降ってきました。もともと福島県の浜(通り地区)は冬でも雪が積もるようなことは滅多になく、もちろん3月に雪が降るようなことは無かったので、とても不吉な思いになりました。その頃、海辺のほうでは津波が来ていたんですね。一番海に近い小学校は跡形もなく流されました。
津波のことを知ったのは夜になってからです。なにしろ停電していましたから。うちの両親はともに小学校の教師でした。発災時は自分たちの受け持つ生徒のケアで手一杯だったようです。
実は姉は中学校の卒業式を終えて、高校受験も終わったことだし家でのんびりしているところ地震に襲われたそうです。うちが瓦屋根の一軒家で、家に飛び出す時に瓦がいっぱい落ちてきて、危ない目にあったらしいです。
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(3年後の一時帰還の際に撮影された実家から落ちた屋根瓦の様子)
そのあとご家族はどのように会えたのかな?
幸い両親は姉とは連絡がとれて安心していたようです。姉は隣の比較的新しい分譲アパートに住むピアノの先生のところで避難できていました。
夜の7時くらいに大熊の小学校の教員だった父が学校まで迎えに来てくれました。一緒に学校で避難していた友達が電話で親と「(自分たちが住んでいた)アパートは全壊して潰れてしまった」と会話しているのを聞き、それなりの覚悟はしていましたが、うちの家は最悪ながら建ってはいました。それを確認して、お腹が空いていたので、市役所の体育館で炊き出しの豚汁をいただきに行きました。
家では親の寝室だけが無事で、わたしたち姉妹は両親のベッドで寝かせてもらいました。両親は居間で一晩過ごしました。いつ家が崩れるかもしれないとの不安はありましたね。
その頃、原発はすでに危ない状況にあったよね?
次の日、朝6時に、血相変えた両親に起こされました。「避難するよ、原発が心配だから、町ごと避難するよ」と。人口2万人の浪江の人たちが、なぜ渋滞しながら山の方に向かうのだろうと思いました。近所に住んでいた祖父母もあわせて6人が車に乗っていました。わたしは毛布とお菓子だけを持っていました。町の中心部から内陸のほうに北上した津島地区へと逃げました。
避難所は人一杯であふれかえっていました。実は後からその頃の津島が一番線量が高かったと知るのですが。そこで、ひさしぶりに津島の親戚のおばあちゃんの家へ行きました。昼に素麺をいただいて、テレビで震災の報道中継を見ていたら、福島第一原発が爆発しました。実際、おばあちゃんの家で「ボン」という爆発音を聞きました。二基が爆発し、これは、やばいこと起きているぞと実感しました。親は「逃げるぞ」と、夜の9時には車を出して、郡山市まで向かいました。あてもなく向かったのですが、原発近隣住民を受け入れている避難所を調べ、たどり着いたのですが、浜の人たちがすごいいっぱいいてびっくりしました。
その次の日、3月13日は、新潟からいとこが郡山の避難所に来てくれたのが心強かったです。なんでもない励ましというか、会うだけで安心できたんですね。そして、浪江のおじいちゃんおばあさんを新潟に連れて行ってくれました。残った家族4人は着る服が無いので、「しまむらで買おう」となり、郡山の店舗に行ってみたら店員さんもお客さんも普通にいて、なんで自分たちだけこんな目にあっているのだろうと強く思いました。同じ県内なのに過ごし方があまりに違い過ぎて。
避難所でパン配給受けて、携帯の充電をして、足りない毛布を買って、ガソリンスタンドで1〜2時間並んでと、とてもせわしなく動き回りました。そして、前日の避難所に戻ってみると、自分たちの毛布3枚だけになっていて、たくさんいた人たちが誰一人いません。避難所が閉鎖されたことを知りました。民間のスーパー銭湯でしたからしょうがないですよね。
それから慌てて避難先探しです。浪江町から避難する人たちを受け入れてくれる郡山の聾学校の避難所を知り、そちらに移動しました。夜なのに職員の方々が親切に出迎えてくださり、とてもほっとしたことを覚えています。味噌汁、おにぎり。ひさびさにあったかいものをいただきました。しかし、その避難所も狭い和室に、3、4組の家族がいて、3日間はなんとか過ごしましたが、これはしんどいねとなり、いとこの家のある新潟へ移動しました。一泊だけ先に祖父母が避難したいとこの家に泊まらせてもらったのですが、次の日には両親が手配してくれた六畳一間のアパートを借りて、一週間くらい過ごした。時々いとこが気分転換にと近くのイオンモールに連れて出してくれるのですが、そこにあるあまりの日常とのギャップがショックで、わたしたちはいったい何なんだろうと思いました。
その頃も小学校の卒業式が気になっていました。浪江町の小学校の卒業式は中止との連絡は受けていて、しかし、4月の頭には浪江に帰れると思っていたんです。それなのに「しばらく帰れない」と親に言われ、それまでは涙も出なかっのですが、初めて号泣しました。友達がどこにいるかもわからなかった。
311の日、待機していた小学校で当時一番仲が良かった友達と、「またね、明日ね。でも明日は学校の片付けをしたり、忙しいんだろうね」と言って別れました。でも、その友達とはもう会うことはありませんでした。
その後、中学2年の時に一回だけ仙台で会いました。会ってみると頭がフリーズしてしまいました。ほんとうはこの子と同じ中学校の生��を過ごすはずだったんだなあって。今は違う制服を着て、別々のところに離れて暮らしている。同じ浪江町の地元の中学校の制服もジャージも買っていたのに。それを一緒に着ることができなかったんだなぁ。そんなことを思いながら3時間、311の後にお互いが体験したことを話し合ったことを覚えています。彼女はおばあちゃんのいる山形の家へ引っ越して、それっきりです。
姉がいわき高校に合格していたので、いわき市にアパートを借りようということになりました。わたしは全く知らない中学校に通うことになりました。入学式の日、学校の教室に連れて行かれ、自分のサイズの制服を選んでと言われるがままに中学校の制服に着替え、そのまま入学式となりました。当初は、原発事故の被害の大きかった地区の子どもたちが集められたクラスで、それは心強かったですね。
浪江町の実家には震災後に帰ったことはある?
今までに2度、一時帰宅で帰りました。初めては2014年の3月23日でした。線量が高いので15歳以上でないと入れなかったんです。ひさびさに帰ることはうれしかったけど、自分の家に入って、その荒れ果てた姿にショックを受けました。周りは太ったネズミが走り回っていました。自宅には明らかに泥棒が入った痕跡がありました。小学生の時に、親に「もっと大きい家に引っ越したい」とか言っていたことを後悔しました。
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(初めて防護服を着て一時帰還した際に撮影された実家の外観)
いつも団員インタビューではお決まりで聞いている質問です。311の経験は菅野さんをどう変えましたか?
今になれば被災地の人たちは「震災を経て成長した」と言ったりされているけど、テレビやメディアなんかで報道されている話は嘘くさいです。震災を通じて学んだことと言えば、「当たり前ということほど幸せなことはない」です。住む家も無くなった、お金も無くなった。実際は津波で人がたくさん亡くなった。よく知っていた先生の生まれ��ばかりの娘さんはおばあちゃんと一緒に津波で流されてしまいました。震災で身近な人を亡くした方の前で「震災を通して成長しました」とはとても言えないです。中には原発事故のせいで精神的に追い詰められて亡くなった人もいます。
「震災を経て成長した」。 そんな��さらっとした一言は言えないです。
わたしにとっては、とてもたいへんな目にあったけれど、そこで親がかんばってくれたことが有難いです。中学、高校時代のわたしのモットーは、「この子、被災したんだと言われたくない。」でした。浪江町の子として避けられるのも嫌だった。実際、最初に避難先の郡山で受けた放射線量の検査ではひっかかりましたし、中学生の時の甲状腺検査でもひっかかりました。友達で不登校になった子もいます。原発に対してそんな知識は無いけど、その必要性とか言っている人がよくわからないです。まだ原発があること自体が意味わからないです。
普通に過ごすためには、たいへんでした。でも、こんなことは頑張りにはならないと思っています。すべて親に用意してもらった。何不自由なく過ごせる環境を整えてくれた親にはただただ感謝しかありません。いま、音大に行けているって、本当に毎日親には感謝しています。
音大に行きたいと思ったのはいつ?
いわき市での中学2年の時に、お医者さんのたちによるアマチュアの復興コンサートを聴く機会がありました。それが、なぜかまるで自分のためだけに演奏してくれたかのようで心に響き、感動たんです。その時に、自分がプロの演奏家になったら、いつか誰かの力になれるかもしれないと思ったのです。小学校からのフルートとピアノはやっていました。いわきの高校の部活で吹奏楽に入り、とても熱心な学校だったので、フルートに一所懸命に打ち込みました。
東北ユースオーケストラでこれから何をしたいですか?
たまたま高校三年の時にスマホで検索していたら東北ユースオーケストラの存在を知りました。趣旨を読んで「自分にぴったりなオーケストラがある!」と思い、うれしかったです。それまでオーケストラの経験も無かったですから。東京音大を受験し合格できて、事務局に電話で「東北ユースオーケストラに入りたいと、団員募集はしているのですか」と問い合わせて、昨年度の第3期から団員になることができました。
団員のみんながみんなわたしのような体験をしていないですから、機会があれば団員の人たちにこの経験を話してみたいと思います。こんなことがあった同じ地方の人として、東北ユースオーケストラとして意味を持って活動しやすくなるのではと思います。わたしは話すことが苦にならないので。たまに泣きたくなる時もありますけど。
菅野さんにとって311の後、音楽ってどんなものでしたか?
音楽を通じて発信できることがあると思っています。思えば日本で世界でも前例のない事故に巻き込まれて貴重な経験をしました。こういうことがあったんだと伝えることは、戦争のことを言い伝えるように、もちろん言うことも楽しいことではないけど、伝えることの大切さを感じています。何万人かのうちの1人としての責任でしょうか。少し話すだけでも、意味があるのかなって。東北ユースオーケストラは、坂本監督のような世界に知られている人のもとで活動している訳ですから、発信しないのはもったいないと思います。わたしは望まれれば震災のことを語らせていただきます。震災で避難して、今はこういう気待ちになったんだ、ということを。
言葉だけではなく、音楽でも伝えることもできると思っています。だから、震災に逢った人の立場を思って演奏したい。
これまでにわたし自身、復興していると思ったことは一回も無いです。
東北ユースオーケストラは自分が成長できる場だと思います。 震災のことを伝えていきたい。家には戻れず、友達に会えなくなった。あの自分の大好きだった町に帰ることができない。
でも、あえて言うと自分の心が復興してるかな、強くなったかな。
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学業とバイトで忙しい合間をぬってしっかり時間を取ってくれた菅野さん。話しづらいことも多々あったと思いますが、どうもありがとうございました。
「わたし自身、復興していると思ったことは一回も無いです。」
この一言がとてもとても強く心に残りました。
ひとの命自体がかけがえ無く、どんなに輪廻転生を信じようとも、このいまここに授かっている、この生きる人生は一回限りのものです。しかし、命に限らず、すべての事物や感情も含めて、一度失ったものは取り戻せないのだなと。
今やパソコンの誤操作を簡単なキー操作一つで取り消したり、失ったデジタルデータをバックアップから復元したりしていますが、実はそんなことは現実の世界においては無いのです。一度落ちた屋根瓦は割れたままです。別の似た屋根瓦がそれに取って替わることができたとしても、それは前とは違う物に過ぎません。友情などの人間関係においてもそうでしょう。一度離れたり失われたりした感情は戻らない。紀元前の世の東西の哲人が言ったように、「同じ川に2度入ることはできない」のです。
ひょっとすると「復興」という考え自体に無理があるのではとも思えてきました。元に戻す「復元」や「復興」ではなく、むしろ新たに共につくる「再興」や「再共創」という考えに立ったほうがいいのではないか。
菅野さんは自身の経験を経て、音楽を通じて発信できることがあると言ってくれました。音楽にできることは何なのか。そんなことを考えている時に、京都大学の霊長類研究所で長年チンパンジーの研究を続けられた松沢哲郎さんの新刊『分かちあう心の進化』という本をたまたま手にしていました。野生チンパンジーは、声やドラミングで仲間とリズムやテンポを呼応させながら「ともに何かをする」「息を合わせる」ことで、音に乗せて何かを伝えている。音が情報を運んでいる。その結果、送り手も受けてもお互いが「想像するちから」をはたらかせて、目の前の見えないものを心に思い浮かべます、と指摘されています。音楽の他にも言語や絵画、料理の例を引き合いに出しながら、芸術とは「想像するちからを伸ばすこと」であり、「分かちあうもの」だとの考えを述べられています。
東北ユースオーケストラは、311を3県で体験した同世代という条件だけでつながった混成オーケストラです。今いる環境や立場も違う団員たちが、お互いの体験や思いを想像しながら、ひとつの音楽をともに奏でる。その偶然の喜びを団員たちだけでなく、この演奏をサポートし聴いていただける方々と分かちあうこと。このこと自体がすでにメッセージであるのだということにあらためて気づきました。もちろん演奏内容の質的向上も伴ってのことですが。
ともあれ浪江町出身の団員の体験談と現在の思いを深く聴くことで、東北ユースオーケストラを続けていくことの意義を再確認できた確かめられた。そんな気がしています。近々もう一人の浪江町出身の団員のインタビューをご紹介する予定です。
末筆ながら今月の西日本豪雨で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。東北ユースオーケストラで何かお力になれそうなことがありましたら、どうぞお気兼ねなくご連絡をいただければと思います。 どうか当たり前の暮らしに早く戻られますように。
引き続き東北ユースオーケストラへのご支援もどうぞよろしくお願いします。
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az-ogi · 7 years
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MY BEST POP SONGS 2017
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10. 黒木渚 - 解放区への旅
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作詞:黒木渚 作曲:黒木渚 編曲:松岡モトキ guitars:松岡モトキ bass:沖山優司 drums:柏倉隆史 piano:多畠幸良 programming:宮田リョウ
シンガーソングライター黒木渚の6枚目のシングル。喉の病気の治療による約1年間の音楽活動休止を経ての復帰作。
一聴するにサウンドは楽しげな雰囲気のカントリー風味で、バンジョーのような弦楽器によるアルペジオにはポップな響きがあります。ただし、下地にあるのは疾走感あるロックで、楽曲の核には力強い歌詞があります。《限界を超えて全てがガラクタに感じる 小さなプライドも 陰湿なムードも 下世話な噂も》という時代の空気にマッチした突き抜けた歌詞もさることながら、この曲で最もエモーショナルなのが後半で登場するシャウト――言葉から解放された瞬間――だというのが、逆説的にこの曲が伝えたいことを一発で表現しています。実際この曲、1サビやラストのサビでは気分が完全には高揚せず、このシャウト部分が曲の最高潮のような作りをしているのです(本人がそのつもりで作ったか分かりませんが私はそう鑑賞します)。作り込まれた上手なメロディーでも、言葉を尽くしたキラーフレーズでもなく、活動休止中に持て余していた喉を存分に発揮した叫びと、柏倉隆史(ex. toe)による爆竹のような激しいドラムプレイがすべてを掻っさらってゆくのです。
9. ギャランティーク和恵 - 輝いて Night Flight
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作詞:森雪之丞 作曲:ゲイリー芦屋 編曲:ゲイリー芦屋
めちゃくちゃ良いです。なんでしょう、この感じは。ずっと良い。ずっと良いというのは、目立つサビが無いというのが大きい気がします。全部サビのような気もするし、全部サビじゃない気もする。最初から最後まで”半イキ”状態と言えばいいのかしら? 全体を通して見るとBメロ的~橋渡し的なブロックが多く、結局最後までしっかりとイカせてくれないままループを繰り返します。自ら”ジェットストリーム・ディスコ”と名付けるこのネオ歌謡曲。滑走路を走っていたジェット機が急に離陸するような旋律を機に、ゆるい曲線を描いて上下を繰り返し、時に乱高下しながら、決して着陸することなく浮遊し続けるこのメロディーラインこそ、《旅はまだ途中よ》と歌うギャランティーク和恵の人生そのものなのではないでしょうか。
8. RYUTist - 涙のイエスタデイ
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作詞:バルカン坂爪 作曲:バルカン坂爪 編曲:バルカン坂爪 Guitar:ヴァイパー永井/キューティクル荒井(THE MANDUMS) Bass:アンソニー渡辺(THE MANDUMS) Saxophone:ブラバス大脇(THE MANDUMS) Programming・Keyboards:バルカン坂爪(THE MANDUMS) Chorus:ナタリー石田/ピータンくみこ(THE MANDUMS) Strings・Programming:KOJI oba Vo&Chorus Arrange&Diection:KOJI oba
新潟のご当地アイドルグループRYUTistのサードアルバム『柳都芸妓』より、THE MANDUMSが制作に全面参加した楽曲。
一発目の音の鳴りから極上の一言に尽きます。うねるベースと、その輪郭を優しく包むRYUTistの4人のハーモニー。今、アイドルで音楽そのものにここまで愛を注いでくれていることに感謝したい気持ちです。2016年に発売したセカンドアルバムも本当に素晴らしく、この2枚で私の中ではすでに殿堂入りのアイドルグループです。ありがとう、ありがとう……。
7. Sexy Zone - 秘密のシェア
[No Image]
作詞:Hiroki Tanaka(LEGO BIG MORL) 作曲:馬飼野康二 編曲:CHOKKAKU
5人組男性アイドルグループ、Sexy Zoneの最新シングル『ぎゅっと』のカップリング曲。お馴染みの馬飼野康二による作曲、CHOKKAKUによる編曲という鉄壁の布陣です。
左チャンネルから聞こえるギターのカッティングが非常に印象的なイントロ~Aメロ。キャッチーかつポップなサビ。全体的にバランスがいい。セクゾの良さも出てます。2017年のジャニーズ楽曲では一番好きだったかな。KinKi Kids「Shiny」、A.B.C-Z「テレパシーOne!Two!」、V6(20th Century)「会って話を」あたりも良かったけどね。
6. fhána - 青空のラプソディー
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作詞:林 英樹 作曲:佐藤純一 編曲:fhána
4人組の音楽ユニット、fhánaの10枚目のシングル。
多展開&過圧縮、そして突き抜けるポップ感。星野源以降の感覚と言えばよいのでしょうか。ディスコを単純に当時のままリバイバルするのではなく現代仕様にアップデートするとき、こういった高速BPMであったり、転調だったり、それぞれのアーティストが持つ武器をしっかりとまぶしていますよね。歌詞も良かったです。
5. ゴスペラーズ - Fly me to the disco ball
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作詞:酒井雄二 作曲:酒井雄二、��田祥一郎 編曲:平田祥一郎 Programming & other instruments:平田祥一郎 Guitar:太田貴之
5人組ボーカルグループ、ゴスペラーズの49枚目のシングル。ゴージャスなサウンド。跳ねるリズム。そして中盤で登場する次のフレーズがビシッと決まります。
《この地球はもう ぼくらにとっては 重力が強すぎるかな》
ベストフレーズ・オブ・2017ではないでしょうか。
4. teto - 9月になること
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作詞:小池貞利 作曲:小池貞利 ゲストコーラス:たかはしほのか(リーガルリリー)
待ってました……ついにトップ5にバンドの曲が入る日が……。埼玉出身の4人組ロックバンド、tetoのファーストミニアルバム『dystopia』からの一曲。
荒々しい演奏と飛び散る衝動。初っ端のインディーポップっぽい音から徐々にサウンドが激しくなり、ガチャガチャしだすと同時にメロには切なさが。andymoriよろしく、どことなくノスタルジックなサビに完全に心を掴まれてしまいました。ゲストにリーガルリリーのボーカルさんというのもまたGoodです。
3. クミコ with 風街レビュー - 消しゴム
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作詞:松本隆 作曲:吉澤嘉代子 編曲:冨田恵一
作詞家の松本隆と初タッグとなる作曲家によってラブソングを作るプロジェクト、クミコ with 風街レビューのファーストアルバム『デラシネ』がリリースされました。この曲はその中で吉澤嘉代子が作曲を担当した一曲。吉澤嘉代子の紡ぐ優しいメロディーに絶妙にマッチする松本隆の歌詞、そしてそれを柔らかく撫でるように歌うクミコの歌声。極上の逸品です。
時代を斬る言葉や歌が好まれるのは仕方のないことですが、斬ってばかりでは身がもたないと思うのです。時代の傷口をそっと癒すような曲もあっていいのでは? 「消しゴム」はそういう曲です。サウンドプロデュースは冨田大先生ですから、音の良さは保証します。
《会話の最後に ため息ひとつ あなたはあわてて エア消しゴムで消す ゴシゴシ》 《言葉の矢は鋭くて いつの間にかハリネズミ》
2. 宮本佳那子 - レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム
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作詞:藤本記子(Nostalgic Orchestra) 作曲:藤本記子(Nostalgic Orchestra) 編曲:福富雅之(Nostalgic Orchestra)
2017年2月より放送開始されたテレビアニメ『キラキラ☆プリキュアアラモード』の前期エンディング・テーマ。かなりの多展開な楽曲ですが、印象として情報過剰な雰囲気はありません。ずっと明るく、分かりやすくポップなのです。その”開けた仕上がり”に感服しました。途中の掛け合いも楽しいですし、曲全体を通して言葉遊びが素晴らしい。
これは完全に個人的な見解ですが、2017年の日本で最もアベレージの高いポップスを作り続けたのはプリキュアだったわけです。アニソン問わず、音楽シーンという広い枠を取ってみてもプリキュアはかなり水準の高いポップスを生み出し続けてくれた印象でした。「トレビアンサンブル!!」、「メモワール・ミルフィーユ」、「キラキラ☆スイート☆マドモアゼル」、「シュビドゥビ☆スイーツタイム」…etc. そしてそのクオリティの底上げに一役買っていたのが”Nostalgic Orchestra”の存在だったのです。
2016年よりプリキュア関連の音楽作品のクレジットに現れはじめた”Nostalgic Orchestra”なる謎の名義。しかも、毎回作品のクオリティが高く「ただの新人じゃない…いったい何者なのか」と界隈では話題になってました。それが、つい先日(12月3日)のことです。Twitterアカウントが突如開設され、ホームページも公開。藤本記子と福富雅之を中心とする音楽団体であることが明かされました。これまでにしっかりとしたキャリアを積んできた彼らがなぜ覆面で楽曲提供してきたのかについて、曰く「まっさらな状態/気持ちで、楽曲の力だけで、どこまで進むことができるかという挑戦」だというのです。まさにその言葉通りに”楽曲の力”だけでシーンをざわつかせることに成功した彼らは、いま日本の音楽界で最も熱い野心を持ったプロジェクトだと思います。
1. ロミオ&ジュリアス[碓氷真澄(CV:白井悠介), 佐久間咲也(CV:酒井広大)] - 僕らの絆
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作詞:利根川貴之 作曲:北川勝利 編曲:北川勝利 Guitar & Wind Chime:北川勝利 Orchestra Arrange & Programming:rionos Drums:山本真央 Wood Bass:千ヶ崎学(KIRINJI) Piano:末松華子
スマホアプリ、イケメン役者育成ゲーム『A3!』内で登場する春組によるファースト・ミニアルバムからの1曲。
男性声優2人によるほぼアカペラのデュエットからはじまり、やがてゴージャスなオーケストレーションの施されたミュージカル調へと発展。ドラムのリムショットと軽快なウッドベースが物語のアクセルを踏み、ピアノのアレンジが曲の世界観に奥行きを与える。ストリングスは先日「ハシタイロ」で鮮烈なデビューを飾ったrionosによるもの。恋敵同士がなぜか意気投合し男の友情へと進展するという歌詞の内容は荒唐無稽だが、豪華な生音の録音に包まれることで、単なる2次元のフィクションは立派なファンタジーへと変貌する。狭い世界を抜け出して2人で旅に出ようと決意した後のラストのサビ転調を、あなたは涙なしでは聴けないだろう・・・。
作曲はラウンド・テーブルの北川勝利。思えば、2015年のキャラソンの名曲「笑顔になる」も彼によるデュエットソングでした。「デュエットを書かせたら彼の右に出るものはいない!」と言いたくなるほど強烈に甘美なメロディーライン、とろけるような旋律の絡み合い。2017年、最も美しい音楽の魔法を感じさせてくれた作品でした。
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SONG LIST & 総括
1. ロミオ&ジュリアス[碓氷真澄(CV:白井悠介), 佐久間咲也(CV:酒井広大)] - 僕らの絆 2. 宮本佳那子 - レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム 3. クミコ with 風街レビュー - 消しゴム 4. teto - 9月になること 5. ゴスペラーズ - Fly me to the disco ball 6. fhána - 青空のラプソディー 7. Sexy Zone - 秘密のシェア 8. RYUTist - 涙のイエスタデイ 9. ギャランティーク和恵 - 輝いて Night Flight 10. 黒木渚 - 解放区への旅
...というわけで、2017年の私の年間ベストソングは「僕らの絆」でした。2017年は前年までのキャラソン系の勢いを引き継ぎつつ、ポップスはポップスで深みを増し、バンドはバンドで良い方向に風向きが変わった、そういう年だったと思います。上半期は全体的にもパッとしない印象でなんとなく閉じ籠ったものが多く、CorneliusやMONDO GROSSOらから漏れ出すどんよりとしたアンビエンスに包まれていた中盤までの音楽シーンも、下半期に入ってからは神様、僕は気づいてしまったや米津玄師やDAOKOなどの新しい風が吹き荒れ、CHAIやドミコを始めとしたバンド勢が頭角を現し徐々に雲間に光が差してきた感じですね。なかでも女性の活躍は健在でした。しかも、ロック的なスタンスを備えた方々による楽曲の存在感が強かった印象があります。さユり「平行線」、赤い公園「journey」、あいみょん「君はロックを聴かない」、そして黒木渚「解放区への旅」。ここに欅坂46「エキセントリック」を加えてあげれば、これでもうそのまま”THE 2017”みたいなリストが出来上がるのではないでしょうか。おいおい、男共はどうした! ...なんて毎年思ってる気がしますが、その点については90年代の方々(イエモン、オザケン、エックス、エレカシ、スピッツ...etc)が再始動&再評価される形で獅子奮迅の活躍を見せたとも言えるでしょう。ますます若い男衆には肩身の狭い世の中になっていきそうですが、そういう意味や期待を込めての、tetoのこの順位だったりします。さて、2018年の音楽はどうなるのでしょうか。今からとても楽しみです。ブログもちょいちょい更新しようと思っています(これも毎年言ってる)。では、今年もどうぞよろしくお願い致します。
@az_ogi
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endekashi · 5 years
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遠足行ってきました。
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先日、新潟のほうてい野郎、石坂亮から電話がリンリン。「ゆうさっくん、ちと天気が読めねえんだけど、避難小屋泊まって撮影しない?」『行く!!』そろそろ白馬以外も滑りに行きたいと思ってたんで、なんだかんだ毎年お邪魔してる越後のお山へ今年も挨拶へ行って参りやした。
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白馬のメンバーはカメラマンの伊藤剛君と、ケノザ氏。ケノザ氏は集合時間の朝4時になっても現れず、電話も応答なし。ああ、こりゃ完全に寝てるなと思い、置いていく事を決意。15分程走ったところで今起きたと連絡があり、そこで彼を待ち無事合流。結局30分程予定より遅れ、彼は帰りのラーメンをみんなに奢るというペナルティを背負い旅が始まりました。新潟に着くと、豪雪地帯のはずなのに田んぼに雪が無い茶色い世界。白馬も同じ状況だが、普段見慣れてない場所だと余計にショッキングに写ります。
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photo/ Go Ito
亮の家に着き、共同装備を振り分けたり山行の確認などをする。新潟側のメンバーは亮、ヤングガンのカズマ、フィルマーのシュンペイの3人。カズマは昨年来た時に人柱になった、つらい過去を持つ男。
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そんじゃ行ってみましょうかね。みんな泊まり道具の入ったでかいバッグです。
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重い荷物が肩に食い込みますが、頑張って登ります。
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重い、薮い、急登の三重苦。
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をなんとか切り抜け、次の難関、氷結した急斜面へ。
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ここでアイゼン投入。
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なんとか切り抜け、今夜の寝床の避難小屋へ着。まずは入り口を掘り出さねば。
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せっかくなんで雪崩救助のUコンベア方式で掘ってみたりしながら
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遂に
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ご開帳〜!!
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ここが今夜のホテル。快適です。The おにぎりって感じのおにぎりを頬張る亮。
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更に夏の間、何度もここへ上がり管理している亮の役得でストーブまで!(一般の方は利用できません。)俺ん家よりあったかいかも。
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とりあえず小屋であったまり、飯食ったり、お酒飲んだりしてほぐれたところで外へ出てみるとアラやだ、さっきまでガスガスだったのに晴れてるじゃない。
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photo/ Go Ito
綺麗ですね〜。
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いい時間です。
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ゆっくりと夜が更けていきます。
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さーて宴は続きますよ。
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Patagoniaのマコちゃんが差し入れでくれた有機的な豆スープ。みんなで分けてもまあまあな量で美味しくて、こいつはサイコーだぜ!
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マコちゃん!おしょっ様です!!魚もうまかった!!
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美味いしあったかいし最高ですね。あれ?若手2人がさっきから外行ったまんま帰ってこない。な〜にホモってんだあいつら。
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外へ出てみると満点な星空。「さっきすげー流れ星見ちゃいましたよ!」と興奮気味に話す若手。田舎っぺのくせによくそこまで感動できんなと関心してると、あれ?今これ撮影できんじゃないの?と、あるアングルを閃いてしまいました。
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photo/ Go Ito
それがこちら。まるで原田知世を探しに行く三上博史みたいでしょ?クラストの上に僅かな新雪が乗っかり気持ちのいいパーティーシュレッドでした。そんなこんなで、みんなでキャッキャッして、よーし明日は例の北斜面で朝日の中撮影するぞー!3時半起きだー!とお休みします。
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朝起きるとガックリ。視界は最悪、風もビュービュー。ずっと天気予報とにらめっこしてた亮が一番ガックリしてました。まあ、しょうがないね、自然に合わせてくしかないね。てな訳でお休み〜。と二度寝を決め込む。
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photo/ Go Ito
普段より長い時間ぐっすり寝て、ゆっくりまったりと朝の時間を楽しみました。だって今日は降りるだけだでね。
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そんじゃ帰りますかねえ。
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ハードガスだったものの、ローカルが一緒だから大丈夫だべと、亮を先頭に降りていきます。
とその時!
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先頭を滑っていた亮が突然我々の前から姿を消した!!
実は彼は雪庇から転落してたのです。幸い落ちたところの雪が柔らかく、でかいバックパックのおかげで頭も打たず無傷で済んだものの、かなりの恐怖体験だったそうです。いや〜ホワイトアウトは怖いねえ〜。散々知ってる山でもこんな事になるなんて。
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ホワイトアウト怖いし、荷物も重いし、雪も良くないし、薮いし、硬いし、急だし慎重にゆっくり降りました。早く降りてヒグマラーメン食おう!!
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と、思ったら亮が「ゆうさっくんまだ関山行ってないっしょ?今日は関山だな。」はい、その日のベストウェイはローカルが知っている。喜んで!!とりあえず見てくれから仕上がっていて期待せずにはいられない。
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オススメの一つの油揚げ。中に納豆が入ってます。美味!!
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みんなでワイワイ美味しくやりました!尾崎さん、ごっつぁんです!!いや〜撮影的には残念な結果でしたが夜のパーティーで十分昇天したんで悔いはないです。あ〜楽しかった!新潟のみんなおしょっ様でした〜!!
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oharash · 5 years
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砂浜の教室
「アヅサはいいよね。学校以外に行くところあるんだから」
小5の夏、人間関係に悩んでいた友人にそんなことを言われた。
嫌なら話さなければいいじゃん、とかそんなことを俺は言ったのだろう。
彼の目にかすかにちらついていた怒りとも憎しみともわからない火の粉は俺の皮膚を焼いた。火傷みたいに。
「アヅやっぱり制服似合うね、中学の学ランもよかったけどブレザー着るとカッコイイ感じ。指定ジャージも送って! 友達とお昼食べてる写真とか送って、ていうかもう毎日何か撮って送って」
「そんな撮るものなくね? 」
「あるよ、もうね鞄とか文房具とか教科書ノートとか全部見せて欲しい。あー高校生いいな、俺もアヅと制服デートしたい」
机の上に立てたタブレットの向こうで、頭に寝癖をつけたユウくんがぼやいている。日本とカナダ・トロントの時差は約13時間。こっちが夜ならあっちは朝だ。練習を終えて帰宅するとユウくんからのスカイプが入っていた。朝ギリギリまで寝ている彼からすると珍しいことだ。
「昨日帰ってきたらそのまま寝ちゃってさ。9時間寝てんのこれでも。目が覚めたらもう寝れなくって、アヅが帰ってくるまで待ってよーって。あ、俺ね✖️✖️に日本に帰るよ。東京で仕事。平日なんだけどさあ」
リラックスして喋っていたユウくんの声が少し早口になる。先週新しくしたiPadはトロントとのスカイプもほぼ時差なく映すけど、目元のこわばりや声の硬さが伝わるほどではない。そのはずなのに、ユウくんの早口が俺の凪いだ心に雫を落とした。波紋が音なく広がりユウくんの緊張が伝わる。
「ごめ、平日は学校行かなきゃいけないから」
「だよね。東京からアヅんちだとギリ日帰りできないしなー。仕方ないね」
俺は一年の半分を海外で過ごす上、日本にいるときも調整や大会が入れば遠征にでかけてゆく。だからスノボ関連のスケジュールがない日は絶対に学校に行くことにしている。小中から父に厳しく言われたことだが、今は俺の意思だった。
けど、時々後ろめたくなる。ユウくんは俺以上に忙しく競技の他に取材や撮影、さまざまなタイアップをこなしていて、俺たちが会えるのはオフシーズンのそれも俺の学校のない夏休みか土日、そしてユウくんが帰国していてスケジュールの空く日。これらが合致する奇跡的なタイミングのみだ。学校、というのは恋人に悲しい思いをさせても優先するべきものなんだろうか。一日くらいいいんじゃないのか。けれどひとつ特例を作ったらほかの何かも瓦解する気がして、俺は未だ頑なだった。そしてユウくんはそれに対して何を言うでもなかった。
「シーズン前の帰国はそれでラスト?」
「ううん、お盆に帰れると思う。じいさんの初盆なんだ。時間作るからさ。会お」
それでもこの半年の付き合いでその奇跡が何度も起きて、話もしたし手も繋いだしキスもセックスもした。世界の未知をふたりでつかむような心地だった。「俺ら運命だよね」と言うユウくんのポジティブさを、俺は結構愛している。
「じゃあそろそろ支度するね。愛してるよアヅ」
7インチの画面の中で、小さなユウくんがウインクをする。ラテン系のスクールメイトと仲良くなってからよく使うようになった仕草だが俺はいつも即座に反応できない。曖昧に笑って通話を切った。
なだらかでない世界を克服してゆく、本質的な強度を備えているユウくん。不器用で怠惰であるがゆえに、世の中に振り回されて日常生活の些細な達成に喜びを見出す人とは違うところにいる。でも、無神経ではない。
石川さんの唇が数回、何かを言いかけて震えた。
初夏の日差しが教室に差し込み、学校指定のハーフパンツから覗く彼女の膝を照らしている。進学したと思ったら球技大会が始まり、間を空けずに体育祭がやってきた。俺は体育祭当日は遠征。一年はコスプレをしての応援合戦に棒倒し、四人5脚にリレーと種目が多い。当日不在なことと接触系が多いこともあって俺は競技の練習には不参加。いよいよ準備に大詰めのラスト一週間、俺にあてがわれたのは横断幕の作成だった。
俺は絵も字も書けない、というかペンキ自体触ったことがない。ペイント用のクラッカーの方がまだ馴染みがある。幸いにもひとりではなくて、足首を捻挫していて体育祭に参加できない石川藍は俺より少しは頼りになりそうだった。
「いいフォント探して、それ拡大コピーしてレタリングしよ」。石川さんはスマホに「黎明」と表示させて俺に突き出した。チームのお題、というかテーマ。読み方を尋ねると石川さんは呟くように「レイメイ」と教えてくれた。
そうしてスマホとコンビニのコピー機を駆使して、俺たちは横断幕サイズの「黎明」の文字を手に入れた。カーボン紙を敷いて、A3のコピー用紙をパズルのように並べてゆく。コピー用紙の上を膝で移動するとぺたぺたと音が響く。それくらい教室は静かだった。ブラバンの音が遠く響いている。
「…音楽かけてもいい?」
静寂と、慣れない人が至近距離にいるのが落ち着かなかった。かと言って何を喋っても続かない気がする。
石川さんの唇が何かを言いかけて震え、恐らく始めに思いついたのとは違う言葉を差し出した。是。
iPodを取り出して、あまりハードでないプレイリストをタップする。ゆるいヒップホップが教室の空気を眠くしていった。
体育祭は来週の水曜日。土日を考えると明後日の金曜までには完成させておきたい。なるべく忠実に元の字をなぞっていく。
「北野って結構几帳面なんだね」
「…そうかな。やったことないから怖くて」
「すごい丁寧だと思う。私もちゃんとやろ。今日美術の松田に‘もっと丁寧に書けっていわれちゃったよ」「…そう」「北野は芸術、何とってるの」「音楽」「ああ、それっぽい。河野くんとかと一緒だ」クラスの半分は名前と顔が一致しない俺だが、コウノとは初日に‘やべえ! 銀メダリスト!’と声をかけてきて以来、多分そこそこ仲がいい。「河野くん、歌上手いよね。応援歌練習のとき隣だったんだ」「そうかも。桑田佳祐のモノマネも上手いよ」「あーそれ聴いたことある! わかる! ぜつみょーに上手い!」石川さんは鉛筆を掲げるように振って歯を見せた。靄がかかっていた教室に花が咲いたみたいだった。「あいつノートとか貸してくれるし、助かってる」「ああ北野いないこと多いもんね」「体育祭の日も遠征だからこの横断幕、デビューするとこ見れない」「じゃあ写真送ってあげる。LINE教えて」言われるままに画面を開く。俺のアイコンはチョコバナナ。ボード仲間のタクミが勝手に設定した。「片山じゃん」「…?」「かたやま」石川さんは俺が聞き取りやすいようにか、気持ちゆっくりと発音した。ゆるい川のように流れていた会話が俺の側で滞る。石川さんが顔を上げた。ああこれきっと、いつものやつだ。俺だけがわかんないやつ。「世界史の片山、タイと靴下の色合わせるじゃん。前に茶色いスーツに黄色いタイと靴下履いててさ。それがチョコバナナっぽいって。私の周りだけの内輪ネタだったかも、ごめんね」石川さんは過剰に笑う。笑顔にペンキをぶちまけるように。ペンキの飛沫は俺の膝を汚して、それ以上は侵食してこなかった。プレイリストのヒップホップが会話の空白をゆるく埋めてゆく。
中学は小学校からの持ち上がりで、義務教育は同じメンツで過ごした。あまり行けない学校はそれでも人見知りの俺にとってはどこか安心する場所だった。「高校で色んな出会いがあるといいね。俺とかアヅは普通の学生やってたら全然会えない人にたくさん会えるけど、学校の友達って特別だから」俺の入学前にユウくんが言っていた。俺には地元の友達もスノボ仲間もスケボー仲間もたくさんいて、仲間を積極的に増やす必要はないような気もする。けれどそれらはほとんど年上の人たちだった。そのことに対する漠然とした危機感と、新しい制服に身を包んだ高揚感が俺の舌を走らせた。
「俺、あんまりそういうのわかんないんだ、一年のうち8ヶ月くらい海外にいるから、日本の流行りとか全然わかんない」言いたいことはそれではないのだけれど、伝える語彙がない。世界史の教師のスタイリングは日本の流行りではないのわかっているが、もっと言うなら暗黙の了解だとか、これを言うとみんなが笑う、みたいなのがわからない。言語、価値観、それはなんて言うんだろう。もっとつかみどころのない、明日になれば忘れるランディング。
「そういうのってかっこよさじゃん」
石川さんは手をとめず、ハーフパンツの裾をまくるの同じナチュラルさで言った。
「ううんと、北野がそう言えるのってかっこよさじゃん。内輪ネタなんて大事なことじゃないし、学校を一歩出たら伝わらないしね」
その通りだ。この学校の広さはどれくらいだろう。そして世界はその何倍あるのだろう。教室の30人と、この時間にしか存在しない頼りないマークのようなもの。けれど時々、そんな薄雪のようなものが欲しくなる。ピンで刺した場所だって、ピンが増えればいつか大陸になる。ユウくんもこんな気持ちになったことがあるだろうか。
「わかったらわかったで面倒だよ。私とかそういうものばかり気にしちゃう。ソフトやるために来たのにさ」
「…ソフト部なんだ」石川さんは恐らく気を使って、自分を下げて言ってくれているのだろうに、俺のコミュニケーション能力ときたらこれだ。石川さんは足首のギプスを振り返って「これだけど��」と呟いた。まつげの先に光が粒を作っている。骨を感じさせないまるい頰が、やけに幼くみえた。
「体育祭出れないメンツふたりで横断幕つくることになった。相手女子だし俺人見知りだから沈黙作業になるかと思ったけど、少しコミュニケーションがとれた。俺も少し成長してね???」
帰り道、バスの中でユウくんにメッセージを送る。時差があるのでリアルタイムの返事はない。ユウくんがくれたイヤフォンは重低音がよく響く。窓の外を景色が流れてゆく。田植えの終わった水田から短い稲がまっすぐ天に向かってのびている。その清々しさと黄色くなってきた光の物悲しさがせめぎ合う時間帯だ。作業着のじいさんが腕を組んで農道に佇んでいる。次の角を曲がると海が見える。俺はこの山と畑と田んぼと海しかない田舎を結構愛していた。冬はこの町にいることはほとんどないから、春と初夏の風景を。
横断幕を作る作業はあと1日。嫌な作業でなくてよかった。学校に行くのが億劫になってしまうのは避けたかった。夜、練習から帰ってきたユウくんと少ししゃべった。「どんな子? かわいい?」「んー、運動部って感じ」「そうでもないってことね。何話したの?」「暗黙の了解。教師のあだ名とか。俺がそういうのわかんないって言ったら北野はそれでいいんじゃないみたいなこと言われた��「あー、俺らあるあるだよね。学校の内輪ネタみたいなのわかんない」「そうそれ。寂しいわけじゃないけど、わかんねえなって思う」「アヅは気になるの?」「んー…」画面の向こうではユウくんがストレッチをしている。股関節がべったりと開く。「気になる、っていえば、なる。…」沈黙が落ちる。俺は思ったことは似たような言葉に乗せないでちゃんと船を作って相手に届けたい。面倒なときもあるけど、少なくともメディアで喋る時とユウくんと話すときは逃げないでトライしたい。ユウくんはこの沈黙を許してくれて、かつ罪悪感を持たなくて済む珍しい人だった。「小中は同じメンツだったから、あんまり感じなかったけど。俺はクラスの人全部覚えてないけど向こうは俺のこと知ってて。お客さんみたいに扱われてる感じがする。それが学校だっていうのが、何か、俺だけ置いてかれてる気がする。みんな同じバスに乗ってるところを原付で追いかけていくみたいな」でもそれって、内輪ネタがわかんないからってだけなんだろうか。「ああ、置いてかれる、ね」ユウくんは笑うと目がすっと細くなる。「ちょっとわかるよ。あー、アヅの近くに行きたいな。嫌かも知れないけど、俺と次会うまでその気持ち持っててよ。消化しないで時々思い出して、新鮮なままにしてて」
俺が所属するのはスポーツ科で、学校が力を入れている野球と陸上、ソフトボールの生徒が多かった。スノーボードをやっているのは俺だけだ。寮生活をしてる奴も多いからか、自然と部活ごとにグループができる。自然とぼっちになりかけた俺によく絡んでくれるコウノは陸上部だった。日焼けしていて手足が長く、眉と髪がいつも嫌味なく整えられている。コウノと一緒にいる陸上部の奴らもよく声をかけてくれる。石川さんからみたら、俺もこのグループにいるように見えるんだろうか。
三限の移動教室の帰り、講義室Bに忘れ物をした俺はひと足遅れて階段を降りていた。視界の端には教室の前に備え付けられたロッカーが見える。その手前で女子がひとつの生き物のように塊になっていた。抱きついたり顔を寄せたり、女の子のコミュニケーションは密だ。みんな短髪で日焼けしている。制服と同じようにそれが揃っていて、その中に石川さんを見つけた。これがソフトボール部の子たちか。ふと、楽しそうにじゃれあっていた女子たちが動きを止めた。ほんの一瞬。その瞬間に彼女たちは分裂するように個々の生き物になった。石川さん以外の女子はお互いに顔を見合わせて、困ったような含み笑いをして教室に入っていく。
不安げに視線を上げた石川さんと目が合った。彼女の唇はわなないていたけど、言いたいことがあるようには見えなかった。喉の奥にぬるいものが引っかかる。石川さんはこの光景を誰にも見られたくなかったろう。迷った末に挨拶のつもりで左手を挙げた。彼女は眉を釣り上げ、肩をいからせて教室に駆け込んで行った。
さらさらと天気雨が降っている。教室は昨日より暗くて、机を寄せて作った作業スペースが昨日より広く感じた。
下書きを終えた俺たちはペンキで文字の縁をなぞり始めた。黎明。レイメイ。石川さんは俺の斜め向かいで筆先を睨むように作業していた。今日のプレイリストはトゥデイズヒッツ。洋楽邦楽男女ソロバンドグループ。スマホは脈絡のない音を流し続けて、音は砂のように俺たちの間に積もっていった。「…この曲」「うん?」積もった砂を蹴ちらさない、静かな足取りのような声。「✖️✖︎駅ってタイトルじゃん。うちの実家の最寄駅なの。待合にこの曲の宣伝ポスターたくさん貼ってあってさ、この人のファンクラブみたいになってる」「…そうなんだ。✖︎✖︎駅ってどこにあるの?」「S区」「へえ。じゃあ実家東京なんだ」「そう」砂が積もり続ける。このままでは泥になる。こういうときユウくんならどうするんだろう。石川さんがすごくコミュニケーションが上手いとか、すごく美人だったら俺の舌ももう少し饒舌だったのだろうか。興味を持って。昼間見た光景が蘇る。俺は何もしてやれないし、それについて聞くのも気持ち悪がられる気がした。この場だけの会話を楽しく進める方法も思いつかない。泥に足をとられる。
石川さんが立ち上がり、部活用のウインドブレーカーを羽織って戻ってきた。日焼けした指先には血の気がない。女の子には今日の気温は寒いのだろうか。このまま泥に膝まで浸かって時間をやり過ごすのはダサい気がした。小学生のときに言われた「アズはいいよね」という言葉を思い出す。そうだ、だって俺は命がけでその居場所を作っているのだから。でも本当にそれでいいんだろうか。誰かのことを一生わからないとしても、まだ諦めるのは早い気がする。ユウくんのことを思い出した。石川さんの額をじっと見た。ユウくんは俺から言葉を引き出したいとき、何も言わず目に力をこめる。自分の視線の力を疑わないかのように。「…何?」石川さんの声がざらついた。胸の奥が冷えた。逃げないためには地面を踏みしめなくてはいけない。期せずして我慢比べのように石川さんと睨み合うかたちになってしまった。
泥から抜け出したい。
開け放した窓から入ってきた風が布と床の隙間に入り込み、布を波打たせた。文字とそこに停滞していた空気がふわっと動き、視界が揺れたみたいな印象を与えた。見ていた俺の脳髄が揺れたのかもしれない。
先に表情を解いたのは石川さんだった。肩を落としてゆっくりと静かに息を吐く。「何か言いたいことあるなら言ってよ。先回りして私に考えろっていうの。いくら北野がスゴイ奴だからってそこまで私にさせる権利ない」石川さんが身体中にトゲを立てた。今度は俺が唇を震えさせる番だった。うん、とか、えーと、とか言えば言うほど自分を追い詰める言葉しか出てこない。「…4限の前」「やっぱりそれかあ。北野って結構おせっかいっていうか、スマートじゃないよね」踏み入った報復とばかりに、石川さんが俺の心を刺す。その声は低く、けれどふくらみがあって、どこか優しかった。丸い頰の石川さんんが俺よりずっと年上に見えた。
「なんか、気になって」「うん」
「4月の初めにたくさん雪が降ったの覚えてる? さすが新潟だね雪ヤバイ、って言ったの。ちょっと調子に乗ったようにか、無神経に聞こえたのかな。みんなに、直接は何も言われないけどすごく嫌がられた。東京から来たんだもんね、って。なんかそれから、部活も寮も馴染めない。シカトとかハブるとかはないけど、私が話すと、まあ見たとおりだよ」石川さんは所在なさげにギプスに触って、ぐにゃりと顔を歪めた。「でもまだ学校入って2ヶ月だし、家にも帰れない」「…ごめん」「謝るくらいなら聞かないでよ、何がしたいの」「うん」
プレイリストはいつの間にか終わっていて、ハードなヒップホップになっていた。ラッパーのしゃがれた声が教室に似合わない。‘SNSでくだらねえことを垂れ流す豚になるな。俺らは先へゆく。’ボードに乗っているときはあれほど高揚感をくれる音や言葉が、はるか遠くに聞こえた。雨はいつのまにか上がっていて青い空だけが浮かんでいた。
「じゃあ私も北野に聞くよ。何がいいかなあ…」
石川さんが、きっと優しさでもって空気を動かす。彼女が新潟の女の子にとって無神経に見えたとしても彼女が優しいか否かとは別の話だ。
「北野、彼女いるの」
相変わらず俺はダサく絶句するしかなかった。絶句。四句。杜甫。テストに出すって今日古典の中村が言ってた。行く先々で聞かれる質問なのでそれなりに答えは用意してあった。けれど今は、自分の心の柔らかい部分のベールをあげてくれた石川さんには、それで答えるのはフェアじゃない。不道徳や道ならぬことより今は嘘のほうが罪が重い。
「あっ人に言えない感じ? 人妻とか⁉︎」
「…人妻じゃない。年上だけど」
「ふうん。どっちから告白したの? 北野?」
首を振る。テーブルの下で手を握られた日のことを思い出す。‘俺ら付き合うべきだ。そう思わない? ’初めて目が合った時から、俺はユウくんの言うがままだ。
「何だ違うの。いいね、私も好きな人がいるんだ」
気づけば文字の着色が終わっていた。石川さんが四隅を引っ張って布をぴんと張り直す。その一方で、俺たちを繋ぐ微かな糸がたわむ。
「これで乾かして終わりだね。今日はこのまま帰ろ。私明日、朝練の前に来て後のことやっておくから」
「…ありがとう。頼む。コウノとかに手伝わせる? 俺、言っとくけど」
「今の私が男子に手伝ってもらったりしたらまじでハブられかねないからやめて。北野と作業してるのだってギリギリなんだよ。大丈夫、あの子たちこれくらい手伝ってくれる」
石川さんは安心しきれない悲しい顔で笑った。
下足箱の前でスニーカーに履き替える。いつの間にか雨はやみ、外は白いほど明るくて、校舎の中は真っ暗だった。しばらく学校に来れないから、教科書やワークブックを詰め込んだデイパックが肩に食い込んだ。校門を出るとようやく深く息が吸える気がする。帰ったらスケボーに乗って体を温めて、夕飯を食べて体をよくほぐしてから車に乗ろう。
校門を出て左に曲がって、フェンス沿いを歩くと公園が見えてくる。いつもはうちの生徒もたむろしているけど、今日は体育祭の前だからか小学生ばかりだった。ひとりだけ、フードを被った若い男がリフティングをしている。フリースタイルフットボールだろうか。あまり上手くはないけれど、この辺では珍しい。ウエアがアンダーアーマーなのが日本っぽい。サンクレメンテで見るボーラーたちはみんなNIKEかPUMAだ。
「…はっ?」
腹筋が動いた。結構なボリュームで俺は間抜けな声を出して、耳からイヤフォンを引き抜いた。
ボーラーは俺の姿を目に止めると手を振ってゆっくりと近づいてきた。背後の民家の二階の窓が揃って青く浮かび上がる。
「アヅお疲れー。わあ本当に高校生してる、制服眩しー。そろそろかなって電話しようと思ってたところ。アヅから見つけてくれるなんて、俺たち本当に運命だね」
「いや何してんの。は? 東京で仕事って言ってたじゃん」
「明日からね。空港から直で来ちゃった。北陸新幹線サイコー」
「じゃなくて帰りは」
「新幹線じゃ間に合わなくても、車なら明日の朝までに帰れるんだなあ。プータローしてる友達がいたからバイト頼んだの、あとで合流してレンタカーで帰るから安心して。車の中で寝てけるし。アヅ電車の時間まであと50分あるでしょ。っていうかせっかく来たんだからもっと喜んでよ」
何で俺の通学電車のダイヤを知っているんだ。いやユウくんならそれくらい調べる。GoogleアースとGoogle検索を駆使して、徒歩電車バスの乗り継ぎまで把握してるだろう。
「マジで? そのために来たの? その、50分のために?」
「うん、本当はアヅの家まで送って行きたいんだけど、車の中じゃふたりきりになれないからね」
そういう問題ではない。ベンチに座らされてミネラルウォーターを渡される。俺の好きな銘柄。ユウくんが使っていたサッカーボールはところどころ擦り切れていた。誰かの忘れ物を使っていたのか、それくらい使い込んでいるのか。全く判断がつかなかった。 されるがままにペットボトルを開けて水を口に含む。キンとした冷たさが額に響���た。渦を巻いていた言葉たちが凪いできた。
「ユウくんがうちのうちの学校の前にいんの、なんかシュール」
「ええどういう意味? 夢みたいってこと?」
「夢みたいにありえない。ていうかユウくんいつからフットボール始めたの」
「んんーついこの間。ネットでストリートスポーツ見てたら見つけて。スケボーとかスノボはできないけど、これならできるかな? って」
それであんまり上手くなかったのか。氷上でなら世界一をとるユウくんがボールを転がしている姿は結構不恰好だった。俺は微塵もスケートに関心を示さないのに、この人はエクストリームスポーツやストリートスポーツに興味を持ってくれる。こういうところがユウくんと俺の違いなんだろうか。いやもっとシンプルなものか。時間だとか体力だとかを考慮して、たぶんほとんどの人は50分のために片道6時間をかけて移動はしない。けれど最後に決めるのは自分だ。自分で決めて、欲しいものは手に入れる。それを突き詰めるとこんな変な人間になるのだ。俺はユウくんのつるりとした頰に触れた。
ベンチでの時間は瞬く間に過ぎた。ユウくんと肩を並べて駅までの道を歩く。身長差が7センチもあるので、俺がユウくんに話しかけるときは自然と斜めから見上げる格好になる。
「ユウくんは高校の友達と今でも会ってる?」
「んー? 俺高校で友達ほとんどいなかったよ。うちのスポクラ、男子は野球部多かったから。俺とかすごく嫌われてた。わかるでしょ?」
「え、自分は友達いないのに俺には友達作れって言ったの︎」
「そうだよ。俺友達欲しかったし。アヅ、この間のLINEで‘ちょっとコミュニケーションとれた’なんて無理してたけど、その女の子と少しちゃんと話せたみたいだね。この間俺がそのままでいてって言ったのに、今寂しくなさそうだよ」
それはユウくんが来てくれたからだろう。ふと、学校を振り返った。駅までほど近いところまで来てしまってはもう校舎は見えない。石川さんはもう帰っただろうか。居辛いという、寮に。
改札は人がまばらだった。「キスしたいな」というユウくんを小突いた。肩を引かれ、7センチ上から唇を寄せて囁かれる。「じゃ、次会ったらエッチしよ」もう一回小突く羽目になった。ユウくんは目を糸のように細めてケラケラ笑っている。得体の知れない魔物のように。フィストバンプをして別れを告げる。「来てくれてありがとう」「んん、いつでも。アヅがいるところに行くよ」
定期を通して改札を通って、何度も振り返った。ユウくんは胸のあたりで手のひらを振っていた。テレビで見るより少し無骨な仕草だった。‘アヅサ’と、声を出さずに口のかたちだけで俺を呼ぶ。普段呼ばない本名を呼ばれて、どうということはないのに鼻の奥がじんわり熱くなって、イヤフォンを耳に突っ込んだ。会えない時間より別れの瞬間の方が、心が台風みたいになる。
翌日、空港に向かう道中で車であくびをしていると、石川さんからメッセージが届いた。「頑張ってね」の言葉と櫓にかけられた‘黎明‘の横断幕。雨は降らなかったようで、まだ人のまばらなグラウンドに俺らの旗がひらめいていた。
1ヶ月の遠征を終えて帰国すると、田んぼは力強く青さを誇っていた。俺は初めての夏服に袖を通してユウくんに写真を送った。帰ってはきたがひと息ついている暇はなかった。南半球のオンスノーで得た手応えとか課題を日本でこなさなくてはいけない。そうしているうちにあっという間にシーズンインだ。俺の一年は子どもの頃からスノボでまわっている。
久しぶりの学校は少し緊張した。コウノはわざとらしい大声で歓迎してくれた。そこで俺はやっと石川さんが退学したことを聞いた。コウノは「体育祭から後くらい? からこなくなった。先週HRで川北先生が退学しましたって言ってたわ。家庭の事情だって」と特に何も知らない様子だった。やがて石川さんの話題は夏の高校総体の話や考査の範囲にこぼれ落ちて波に飲まれ、ゆっくりと俺たちの足元に沈んでいった。
あのとき石川さんのメッセージに俺はなんて返したっけ。ありがとう、とかそんなだった気がする。もっと何か聞くべきことがあったのは知っていたけれど、帰ったら会えるしまあいいか、と手を止めていた。トークルームを開くと石川さんのアカウントはunknownになっていた。昼休みにベランダで電話を鳴らしてみたが使われていない番号です、というアナウンスが遠く響いた。
石川さんのギプスと、ユウくんのことを思った。担任に食いさがって連絡先を教えてもらうとか、クラスの女子たちに手当たり次第に聞くとか、やってるかわからないけどSNSを辿るとか、きっと何かしら石川さんに連絡をとる方法はあるだろう。けれどそれをして、俺は彼女に何を言うんだろう。ユウくんとのトークルームを開いて閉じた。ユウくんは誰よりも好きな人だけどこの気持ちは共有できないし、間違わずに手渡せる自信がなかった。石川さんは辛さを俺に渡してくれたのに。
みぞおちの奥に、さらさらと砂が積もっていく、砂浜のようなあの教室を思い出す。退屈で薄暗くて、蜂蜜みたいに濃密だった時間。「きたのーメシ食おうぜー」とコウノが窓から顔を出した。上手く笑えない笑顔で返して、俺は教室へ戻る。外の明るさに慣れた目が、一瞬教室の中を暗くした。すぐに目は慣れてしまって、俺は教室の喧騒に溶けていった。
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timetrip-instalog · 6 years
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フォロワーさんにお問い合わせいただいたので、いつも冬山で着てるシェルパンツのお話をば。 . . . Teton Bros. Breath Pant KB ティートンブロス ブレスパンツ ニットバッカー . . . ブレスパンツは前からありましたが、私が履いてるのは普通のブレスパンツではなく「Knit Backer」 。ニットバッカ―はPolartec社の研究開発チームと「Teton Bros.」が 2年の歳月をかけて共同で開発した新素材。 . . . Neoshell®の持つ軽量性と優れた透湿性に、しなやかさ&伸縮性が加わることで、 より動きやすさが問われるアイスクライマーに適したプロダクトとしてアップデートされました。 . . . 見た目は普通にソフトシェルパンツの雰囲気です。ツルギライト等に採用されていた従来のネオシェルとは比べ物にならないほど柔らかくしなやか。シャカシャカ感は全く無く、伸縮性もあり、若干のストレッチ性能も持ち合わせているのが素晴らしい。 . . . これが本当に防水素材なの?と目を疑ってしまうほど。(このパンツの尋常じゃない動きやすさは、写真5枚目以降の赤城小沼のボツ写真見てもらうとわかりやすいかと!) 私は氷点下5〜10℃の世界で履いてますが、普通にペラペラの薄さの軽量パンツです。誤解なきよう。 . . . 着ていても蒸れない高い透湿性はもちろんのこと、着用時のしなやかさはまるで空気をまとっているかのよう。breath pants その名の通り、呼吸してくれるパンツ。本当に、しなやかさが別格です。着心地もたまらないです。もう普通の、しゃがむと突っ張るシェルパンツには戻れません! . . . 本来のレインウェアとして使うだけではなく、通常のトレッキングパンツとしても、街着としても違和感なく着れます。ちなみに私は、冬山行くときは、朝、家を出る時から帰宅するまでこのパンツを履きっぱなしです。ズボラ〜さんには本当に手放せないパンツですね。笑 . . . 普通はレインウェアといえば、蒸れたり足さばきが邪魔になるので、ザーザー雨が降ってる時しかほとんど履かないものですが、ブレスパンツの性能とデザインなら、寒い時期のランやハイク時、レインウェアとしてではなくメインのパンツとしても履けるし、下に暖かい光電子の冬用タイツやhoudiniのロッジパンツ(フリースパンツ)等着込めば、冬季のオーバーパンツとして、一年中大活躍間違いなし。 . . . (ただし耐寒能力はかなり個人差ありなので冬季にメインで使えるかは人による。私は筋肉質で暑がりなので普通の人よりかなり薄着でいけるタイプですのでご注意くださいw) . . . 参考までに、164cm普通体重、筋肉質体型で、Mサイズ履いてます。3シーズンしか履かなければたぶんxsサイズ、冬季も着るならSサイズでもokなはずです。在庫がMしかなかったのでM買いましたが、クナイでひざ下から裾までをシュッとさせれば問題なし! . . . ブレスパンツにクナイしとけば、汚れたり濡れたりしても、クナイだけ外すだけで、そのままブレスパンツを履きっぱなしでいられるし、ブレスパンツは薄手なのでクナイがソックス代わりにもなってくれて防寒対策にもなるし、なにより見た目がシュット見えるので本当にオススメです。ザ、機能美! . . . ご参考までに、画像2枚目は、この前の新潟を雪板で旅した格好。フユゾラに、ブレスパンツに、AREthのスノーブーツMORGENROT。雪国では、これで里から雪山までok◎ ただし、ガンガン雪が降ってるような日はフリースパンツを中に履かないとちょっと厳しい。 . . . 画像3枚目は、同じtetonbros のツルギライトMと、ブレスパンツMの着用図です。同じユニセックス(メンズライン?)Mでもブレスパンツの方がやや大きめな作りだと思います。 . . . おまけで画像4枚目は、車内や室内でのカッコ。フリースはもっぱらhoudiniのoutrightです。このくらいの薄さが一番使いやすい。 . . . 私は去年までツルギライトで冬山登山してましたが、今年からフユゾラが快適すぎて、今はもっぱらフユゾラです。丈が長いのが本当に最高。その分の安心感がたまらない。たぶんもうツルギライトは夏山縦走とかでしか着ないかな〜 . . . 結局、tetonbros の宣伝してたのに、アクシーズの押し売りっぽくなってしまいました。笑 . . . では、ほかに何か聞きたいことありましたらお気軽にどうぞ〜😎 https://www.instagram.com/p/Bt5w9QcBRKK/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=d8y6o3i6tvg6
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shibaracu · 5 years
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●「ずいずいずっころばし」   童謡と口承伝播
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●「ずいずいずっころばし」   童謡と口承伝播 ★「ずいずいずっころばし」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ずいずいずっころばし 古くから日本に伝わる童謡。遊び歌として知られ、その遊戯をもいう。「お茶壺道中」についての唄だと言われているほか、不純異性交遊を表す戯歌とも言われている。 NHKの『みんなのうた』でも放送された。   ★宇治採茶使(うじさいちゃし) https://ja.wikipedia.org/wiki/宇治採茶使 京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中という。   ★本当は怖い童謡 「ずいずいずっころばし」の謎|Team YUAN|note https://note.com/moshikoji/n/n0c04a1c45f2f 2019/05/08 もくじ    童謡の暗号    茶壺道中    井戸茶碗    筒井筒    俵のねずみ    まとめ 童謡の暗号  わらべうたの中には、歌詞に底知れない暗さを感じるものがあります。「ずいずいずっころばし」もその一つ。無垢なこどもたちに「うた」という形に暗号化して、後世に語り継がせたかった作者の意図は何かについて、考えてみました。 茶壺道中    ずいずいずっころばし  ごまみそずい    ちゃつぼにおわれて  とっぴんしゃん      ぬけたら どんどこしょ    たわらのねずみが 米食ってちゅう  ちゅう ちゅう ちゅう    おっとさんがよんでも  おっかさんがよんでも  いきっこなしよ     いどのまわりで  おちゃわんかいたの だぁれ この歌は何についてうたったものなのか、それを読み解くカギは、「ちゃつぼにおわれて  とっぴんしゃん」にあります。江戸時代、将軍御用の宇治茶を採茶し、茶壺に入れて江戸まで運ぶ茶壺道中という行事がありました。茶壺が通行している間は、農民は耕作をやめて家にこもらなければならなかったので、「とっぴんしゃん(戸をぴしゃん)」と表現されています。   ★お茶壺道中って、なんのことですか? - 国土交通省 関東地方整備局 https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index4/answer10.htm Q10  お茶壺道中って、なんのことですか? A10  江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中といいました。 幕府が宇治茶の上納を命じる宇治採茶師をはじめて派遣したのは慶長18年(1613)とされ、茶壺道中が制度化されるのは寛永10年(1633)のことです。 毎年4月下旬か5月上旬になると、宇治から茶葉の生育状況の報告を受け、茶壺付添人ら(8人から14人)が茶壺ともに江戸を出発します。茶詰めは採茶師が宇治に到着してから9日目より茶道頭立ち会いのもとで始まり、茶詰めを終えると茶壺は封印され、羽二重で包み、さらにその上を綿入れの帛紗で包み、長棒駕籠の中に箱ができていて、それをその中に納めるというもので、その取り扱いには細心の注意が払われました。 茶壺道中は五摂家や宮門跡に準じる権威の高いもので、茶壺が通行する際には、大名らも駕籠を降りなければならず、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどです。 「ズイズイ ズッコロバシ ごまみそズイ 茶壺におわれて ドッピンシャン ぬけたら ドンドコショ」――このわらべうたは、田植えで忙しい百姓たちが、この茶壺道中を風刺した歌ともいわれています。   ★上林春松本店の章 第五話 御茶壷道中の栄誉、そして挑戦の時代へ https://www.ayataka.jp/story/kanbayasi/05.html
徳川家光、御茶壷道中を制定    徳川幕府がうまれ、政治の中心が京都から江戸へ移ってからも、徳川家康は宇治のお茶を好み、宇治から江戸へ茶葉を取り寄せ楽しんでいました。その後二代将軍秀忠、や三代将軍徳川家光をはじめとする将軍家に、宇治のお茶は愛好され続けました。寛永4年(1627年)、家光は、幕府が朝廷に献上するための茶葉と、将軍家で使用するための茶葉を、上林家を筆頭とする宇治御茶師たちに作らせます。それ以降、毎年新茶の時期になると宇治から江戸へお茶が運ばれるようになり、寛永10年(1633年)頃に家光によって制度化され、将軍家の権威を示す儀式として毎年行われるようになりました。当初は、宇治採茶使(うじさいちゃし)を務める徒歩頭(かちがしら)に、茶道頭、茶道衆らが付き添うものでしたが、後に「御茶壺道中(おちゃつぼどうちゅう)」と呼ばれる大々的な行列になりました。 【参考文献】 『茶大百科I 歴史・文化/品質・機能性/品種/製茶』(2008年発行/農��漁村文化協会) 『宇治市史3近世の歴史と景観』(1976年発行・宇治市) 『宇治市史4近代の歴史と景観』(1978年発行・宇治市) 『緑茶の事典』(日本茶業中央会 監修・改訂3版・2005年発行/柴田書店) 宇治・上林記念館資料   ★Shougo.Blog ずいずいずっころばし“とお茶壷道中、そして日野 http://shougo.blog4.fc2.com/blog-entry-200.html 2008/01/07 今年は、ねずみの年である。 ねずみと言うと、小さい頃から歌った歌で、ある童謡を思い出す。     ずいずいずっころばし ゴマ味噌ずい     茶壷に追われて トッピンシャン     抜けたら ドンドコショ     俵のねずみが米食って チュウ     チュウ チュウ チュウ     おとさんが呼んでも     おかさんが呼んでも     いきっこなああしよ     井戸の周りで お茶碗かいたのだあれ この歌、歌詞の意味がよくわからない。 子供の頃だったから、わからないのは当然のような気がするが、実は、大人になった今でもよくわかっていない。 この歌詞を、研究している人がいるらしい。表の意味と裏の意味があって、裏の方では、なにやら暗号めいたものに使っていたのだという。 中には、この作者は、あのガラシャの父親の細川忠興だと言う人もいる。   ★大名も道を譲るお茶の行列 お茶壷道中(都留市) 山梨のなう ... http://yamanashinow.blog137.fc2.com/blog-entry-476.html 2011/11/02 お茶壷道中は、徳川将軍家に宇治抹茶を江戸まで運んでいた行列です。 その一部は、茶壷に入れてこの谷村(やむら)の地に保存・熟成されていたと言われています。 将軍家御用達のお茶や茶壷なので、たとえ大名であってもその行列を遮る事はできない と伝えられています。 この歴史的事実を元に再現されたのが、都留市で行われているお茶壷道中です。 茶壷をかごに入れて、独特な行列の動きで出立から受け渡しまでを再現しています。 また、同時に都留市の産業祭りも行われていました。    1、お茶壷道中    2、つる産業まつり   ★童歌「ずいずいずっころばし」の虚実 https://userweb.inets.jp/webaccess/zukyo.html この歌は、
    ずいずいずっころばしごまみそずい     茶壷に追はれてとっぴんしゃん     抜けたらどんどこしょ     俵のねずみが米食ってちゅう     ちゅうちゅうちゅう     おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも行きっこなしよ     井戸の周りでお茶わん欠いたの誰
    ずいずいずっころばしごまみそずい     ちゃつぼにおはれてとっぴんしゃん     ぬけたらどんどこしょ     たはらのねずみがこめくってちゅう     ちゅうちゅうちゅう     おっとさんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ     いどのまはりでおちゃわんかいたのだれ
というものですが、この文字数を数えると112文字となり、16×7文字で蛇行状に表示してみたところ、意味の通りそうな文章を見出しました。
    ずいずいずつころばしごまみそずい     んやしんぴつとてれはおにぼつやち     ぬけたらどんどこしよたはらのねず     うゆちうゆちうゆちてつくめこがみ     ちゆうおつとさんがよんでもおつか     どいよしなこつきいもでんよがんさ     のま���りでおちやわんかいたのだれ これを右上から読んでいきます。   ★ずいずいずっころばしの本当の意味は  森竹 高裕 http://sirius.la.coocan.jp/syakai/rekisi/sengoki04.htm 童歌の中に「ずいずいずっころばし」という歌がある。私も子どもの頃この 歌でよく遊んだ。昔から語り継がれているこの歌にはどんな意味があるのか の学習をした。 発問1 ずいずいずっころばしの歌を知っていますか ほとんどの子どもが知っていた。  ・幼稚園のときにやったことがあるよ 楽しそうに歌ってくれた。そこで歌を思い出しながら、「ずいずいずっころ ばし」をみんなでやってみた。「~おちゃわん割ったのだあれ」で自分の指 のところに鬼が止まると「キャー」といって楽しそうである。   ★ずいずいずっころばし(ずいずいずっころばし) [ 日本大百科全書(小学館) ] . 子供の遊びの一つ。いまでは、鬼ごっこなどで他のものをつかまえる役である鬼を決める際には、おおかた「じゃんけん」で決めるが、昔は鬼きめのことばというのがあって、ずいずいずっころばしもその一つである。みんなが両手の握りこぶしを出していると、円陣の中に入った鬼が「ずいずいずっころばしごまみそずい、茶壺(ちゃつぼ)におわれてとっぴんしゃん、ぬけたらどんどこせ、俵のネズミが米食ってちゅう、ちゅうちゅうちゅう、おっとさんがよんでもおっかさんがよんでも行きっこなあしよ、井戸のまわりでお茶碗(ちゃわん)かいたのだあれ」と歌いながら一つずつ数えていき、唱え言の最後に当たった者が鬼に決まるという方法もあった。 唱え言の詞(ことば)は、地方によってすこしずつの差はあるが、「ずいずいずっころばし」は江戸時代から用いられていたらしい。 [ 執筆者:高野 修 ]   ★おちゃらかほい&ずいずいずっころばしの遊び方 http://homepage-nifty.com/osiete/s785.htm 下記URLに詳しく遊び方が書いてありますのでご覧になって下さい。私の遊んだ時と同じなので大丈夫なハズです。(^。^) 片手に指が入るくらいの輪を作る。 最初に親を決めておきます。 自分の輪から初めて順番に指を突っ込んで回して行きます。 誰かの手の中で終了 終了された人が親です。 ずいずいずっころばし 参考URL: あの歌この歌 童謡・唱歌・わらべ歌 歌集 http://www.interq.or.jp/japan/k3j/warabeuta/zuizuizukkorobasi.htm 参考URL:手遊び唄集 http://infofarm.cc.affrc.go.jp/~momotani/teasobi/zuizui/zuizui.html   ★最後の御茶壺道中: 歴史~とはずがたり~ http://sans-culotte.seesaa.net/article/62829482.html 2007/10/28 最後の御茶壺道中,日々の気になった話題から興味を感じた事を歴史に照らして語り尽くします。   ★第52回 『ずいずいずっころばし』 - まぼろしチャンネル http://www.maboroshi-ch.com/old/edu/ext_61.htm 日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『ずいずいずっころばし』です。  小学校の机や家の火鉢の周りでめいめい拳を突き出して、声をそろえて歌った『ずいずいずっころばし』。大人になった今では全く歌う機会がありませんが、その小気味よいメロディーと指で突っつかれた触覚は、長じてもなお、体の中に残っています。この歌は、古くから歌われてきた「わらべ歌」。『通りゃんせ』や『かごめかごめ』と同様、作詞者や作曲者はわかっていません。   ★あははっ 語楽 ずいずいずっころばし http://www3.kcn.ne.jp/~jarry/jkou/ii102.html ■注1 古い文献に「虫を捕ったり、ずっころばしを集めたり・・」とあるので、子どもが興味を示す何か?があるのだと思います。方言でしょうか??どなたかご存じの方いらっしゃいませんか?! ■注2 「ずい」は、「どんどん~する」という意味と、夏野菜の「ずいき」(サトイモの葉柄)と、ごますり接待の掛詞です。 ■注3 江戸時代に、ある殿様につかえていた小僧があやまって庭で大切なお茶碗を落として割ってしまったのだそうです。その小僧はその罪を償うために、近くにあった井戸に身を投げたという話が広まっていて、きっと子どもたちには「怖いぞ~」という脅しになったのでしょう。 ■柳田国男氏は『トッピンシャンという文句は東北地方の昔話で語りおわった時に「おしまい」という意味の決まり文句として使われる、「とっぴんぱらりのぷう」などとの共通性がありそうだ』と述べています。   ★「ずいずいずっころばし」の歌詞と遊び方!どんな意味があるの? https://chiik.jp/articles/PXeSn 2018/12/11 最近その知育効果が見直されつつある「わらべうた」。そんなわらべうたのひとつに「ずいずいずっころばし」があります。こちらでは「ずいずいずっころばし」の歌詞や遊び方に加え、その歌詞の意味もご紹介。新たな発見に、パパママも好奇心がくすぐられるかもしれません。   ★『桃太郎』も『ねずみの嫁入り』も! 口伝えに広がる文学の世界 https://yumenavi.info/lecture.aspx?GNKCD=g008369 口頭で伝えるからこそ、変化が起こる  昔話や伝説、世間話など、文字ではなく、口頭で伝わった文学を「口承文芸(文学)」と呼びます。『桃太郎』や『こぶとりじいさん』なども口承文芸です。口頭で伝えられているので、語り手が言葉を足したり、内容を変えてしまうことがあるのが特徴です。例えば、『口裂け女』は、岐阜の山奥のおばあさんの家に、口の裂けた女の人が出たという話だけだったのに、地域によっては、赤いコートを着ているとか、三人姉妹だとか、捕まったら生きて帰れないなどのエピソードが加わり、日本全国に広がりました。        ★口承 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/口承 口承(こうしょう、英: oral tradition)は、歌いついだり、語りついだりして、口から口へと伝えること、あるいは伝えられたもの。 口頭での伝承(口頭伝承)・口伝(くでん)、口伝え(くちづたえ)での伝承(口伝伝承)ともいう。 口承のうち、限られた選ばれた者だけに、伝承することを口秘といい、いわゆる一子相伝や秘伝といわれるものも口秘である。 口承の内容が石碑に刻まれたもののように永くから変わらず伝わっている、という意味で口碑ともいう。   ◆童歌 わらべうた わらべ唄 わらべ歌 日本の歴史 雑学の世界 http://widetown.cocotte.jp/japan_den/japan_den173.htm ■童歌 ■絵描き歌 / たこ入道・あひるのこ・こぶた・カッパ・さかな・およめさん・お姫さま・てっちゃん・コックさん・へのへのもへじ・・・ ■数え歌 / 京都の通り名・いちじくにんじん・いちにさんまのしっぽ・一つとや・・・ ■遊び歌1 / 茶つぼ・手遊び歌・お手玉唄・口あそび唄・・・ ■遊び歌2 / おちゃらかほい・お寺の和尚さん・茶摘み・アルプス一万尺・・・ ■遊び歌3 / かごめかごめ・はないちもんめ・通りゃんせ・ずいずいずっころばし・いろはに金平糖・一かけ二かけ・今年の牡丹・せんべいやけた・あぶくたった1・あぶくたった2・あそび唄・なわとび唄・・・ ■手鞠歌 / あんたがたどこさ・道成寺・一匁のい助さん・一番はじめは一の宮・各地の手まり唄1・各地の手まり唄2・・・ ■子守歌 / ねんねんころりよ・五木の子守唄・ゆりかごの唄・竹田の子守唄・中国地方の子守唄・島原の子守歌・・・ ■わらべ唄の分類 2  ■わらべ唄の分類 3 ■全国の童歌  北海道・青森・岩手・宮城・秋田・山形・福島   栃木・群馬・茨城・埼玉・千葉・東京・神奈川   山梨・静岡・長野・新潟・愛知・岐阜・石川・富山・福井   三重・奈良・和歌山・滋賀・京都・大阪・兵庫   岡山・広島・鳥取・島根・山口   愛媛・徳島・香川・高知   福岡・佐賀・大分・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄 ■童歌諸話 / 子守唄と守り子唄・子守歌の世界・子守唄にみる幼児労働・童唄の発想と表現・童謡わらべ歌・子供の歌・お月さまいくつ・「お月さん幾つ」考・螢狩の唄・わらべうた・仏教とわらべうた・わらべ歌に隠された闇・わらべ歌と差別・雪渡りとわらべ歌・座敷童子・桃太郎・亥の子・ジャンケンポン・わらべ歌と猫・・・   通りゃんせ・ずいずいずっころばし・げんこつ山のたぬきさん・雪やコンコン・坊やはよい子だ・いもむしごろごろ・せっせっせ・鬼さんこちら手の鳴るほうへ・ホーホー蛍こい・だいぼろつぼろ・やもよやもよ・こうもりこっこ・烏勘三郎・しりとり歌・さよなら三角・大寒小寒・かくれんぼ・あんたがたどこさ・花いちもんめ・春よ来い・守さ子守さ・花咲爺・かごめかごめ・指きりげんまん・家の裏の黒猫・うしもうー・うさぎうさぎ・夕焼けこやけ・雀雀ほしんじょ・だるまさん・諸唄
歌詞は、口承による童歌のため、作詞者は未詳で、また、歌詞にいろいろなパターンがある。   ◆        昔 話 の 発 生   http://miuras-tiger.la.coocan.jp/mukashi-no-hassei.html        遠野物語ゼミナール’99講義記録 『昔話の世界 』         遠野物語研究所 2000.03.01        三浦 佑之 (MIURA Sukeyuki)            目次   一 昔話と神話、あるいは昔話の発生                  二 昔話の年輪                  三 昔話と神話-蛇婿入り                  四 古代の笑い話  今日は、三浦です。  今日、私に与えられた題は、「昔話の発生」です。  昔話の発生というテーマを考えていくためには、どうしても神話について  考えていかなければならないわけです。  このゼミナールのレジュメにふれておきましたけれども、  口承文芸といいましょうか、語られるお話はどのようなものであったか、  その一つのジャンルとしての昔話の成立が、  どんなふうに見えてくるのだろうかということを話させていただくつもりです。   ◆■呪符  http://blog.mushanavi.com/talisman/  呪術と言っても呪いのための呪術ではないですが、呪術のための道具、そしてお守りとして不可欠な物として呪符がある…。これは霊符、神符、秘符、護符等とも呼ばれ、お寺や神社等で出してくれるお札もまた、呪符です。いずれもそれぞれの社寺が伝承の秘法に則って、その呪力を乗り移らせたものですよね?  呪符は、日本では4つに大別されるのですが ・修験道系=奈良時代の山岳修行者・役小角によって創始されたと言われるもので、日本古来の神道に中国の道教、インド古来の密教等を絡ませて、これに民間の土俗信仰を配したもの…これは「救急如律令(すみやかに去り、滞るなかれ!という意味)」の文字を入れ、それぞれの祈願ごとに符形(呪力を図面化したもの)が加えられている…。因みに「鎮宅七十二霊符」等の古くから残る道教系や陰陽道の呪符も今ではこれに分類されている。 ・仏教系=主に密教から生まれたもので、仏の力や真言を示すサンスクリット語や絵等が使われます。 ・神道系=神社から出されるお札の事。ほとんどは神様の名前と神の印が使われますが、一部、神代文字(日本古来の文字と言われるもの)を配したもの…。 ・欧米系=ペンタグラム(五芒星章)やヘキサグラム(六芒星章)にサークルを加えたものが多く使われる。
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afiri8backlog · 5 years
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開かれたパンドラの箱の最後の希望か?それとも日本全土を地獄に叩き落すのか?ウイルスは保有しているが症状は発生していない無症状病原体保有者という謎の存在が誕生
武漢からのチャーター便の2便に乗っていた特殊症例
ここ数日の武漢での新型コロナウイルスに関する情報やそれが日本に入ってくる事に対する政府の無能な対応などに絶望してもはや、日本は終わった・・と思ってた
中国の新型コロナウイルスはSARSと考えて対策を
チャーター便で武漢から帰国した日本人に思う事
しかし、今朝一番の武漢からのチャーター便2号に乗っていた帰国した人たちの中に、帰国後の保健所の詳細な検査の段階で、新型コロナウイルスに感染しているが、熱や発熱などの症状が一切でていない特殊ケースが2例あった模様
※動画4:30くらいから見ればいいです
感染してるが症状がでない無症状病原体保有者の特徴
40代男性 居住地不明 行動歴調査中 症状はなく念の為の検査(PCR)で陽性(感染)と判明 現在
50代女性 居住地不明 行動歴調査中 症状はなく念の為の検査(PCR)で陽性(感染)と判明
この2人は陽性反応が出てるので100%新型コロナウイルスに感染している。そのため、2週間の潜伏期間中、隔離されて様子見の間に発症しなければ、ウイルスを無毒化する体質を持っているか、あるいはウイルスと共生する体質になったという希望的な観測ができます
・・が、同時に私は同じくらい危険性も感じます
救世主か?スーパースプレッダーか?
ウイルスを無害化する体質になったのであれば、その人自体が生きたワクチンのようなもので、検体として血液や唾液など医療機関やウイルス研究に協力してもらえれば、もしかしたら早急に日本人に適合しやすいワクチンが作られるかもしれない可能性を意味します
そして、日本人の感染が未然に防げるようになれば、日本発祥で世界中の感染を恐れる人に救いの手を差し伸べる事ができる可能性もあります
一方で、スーパースプレッダー(一人で大量に感染者を出す病原体の宿主)として、ウイルスが宿主の肉体を攻撃しないが、周りには増殖し感染を広げるという危険性。ウイルスが共生を選んだ人は生き残るが、ウイルスを拒絶しようと抗体が反応した人は発熱や咳で苦しむ症状が発生するかもしれない
無害化か?宿主化か? この2例の無症状病原体保有者がどちらなのかわからない
だけど、希望的観測、良い方に、望む方に考えていくとすれば、無害化であってほしい
経験から感じるウイルスの無害化と共生
ウイルスといっても命に支障をきたすレベルのものではなく、花粉症やぜんそくなどの症状で考えるとわかりやすい
例えば秋ごろに咳がでてぜんそくが止らなくなる症状を経験した事があるが、これはハウスダストがエアコンなどの風で巻き上がり、密閉空間で体内に入った結果、体内の抗体が細菌や異物混入を検知して、咳で外に押し出すというメカニズムが発生しているだけ
実はこれ、プラズマクラスターエアコンなら同じ状況でも咳が止まるのを実感
プラズマクラスターって効果あんの?マジで検証したら驚きの効果を体感!
しかし、プラズマクラスターが空気中のハウスダストや細菌を退治して消滅させてくれる訳ではなく、一時的に電気と水の膜でウイルスの活動を無害化し、地面に落として空気を綺麗にしてくれてるだけの話なので、プラズマクラスターの動作を止めたら、電気と水の膜が亡くなり、ウイルスが再び活性化して咳が発生する
結局、体の中の抗体が有害だ!異物だ!(# ゚Д゚)ノと拒絶する限り、共生はありえないため、体外へ出そう!消滅させよう!として発熱・咳・鼻水・くしゃみ・涙・嘔吐・排便というメカニズムが発生する
その点、ノロウイルスは感染すれば症状は重いが吐き出してしまえば治るので簡単
ノロウイルスと風邪が俺の中で同時に発生
花粉症の場合は咳・鼻水・くしゃみ・涙はあるけど、嘔吐や排せつといった細菌感染のような症状はない(※PM2.5や光化学スモッグが含まれてる場合は別)
一方で同じ空間にいながら、花粉症の人に咳をくらったり、くしゃみを直撃させられたり、飛沫感染や空気感染が100%起きる環境にあっても、花粉症の症状が発動しない人もいるのは、そもそもが体内の抗体がそれを異物として過剰な抵抗反応を見せていないという事。これが抗体が花粉と共生している状態
花粉症にならない家族の謎解明
花粉症対策にじゃばらが効く理由とその裏づけ論
なので、もともと特殊な体質(自然や野生の抗体を持っている可能性)なんだろうけど、おそらく今回の無症状病原体保有者というのは、ウイルスとの共生に成功した凄い貴重な存在である反面
自分だけじゃなく周りへの感染も無害化しているのか?(人類との共生) 自分には症状は発生しないが周りへの感染は広めるのか?(ウイルスが宿主として利用)
共生か寄生か?で言えば、ミクロな世界でその構図が若干見えたよね?
寄生菌が操るゾンビアリとNeuralink ミクロとマクロ世界のリンクの話1
そして、今回の政府のひどさを多くの国民が知った訳で、これも該当する。社会構造の2割は非常識だ、社会不適合者だとレッテルを張られながらも声をあげて叫んでるのだから、残り6割も早く気づいてほしい
働きアリのメカニズム 2割のさぼりの本当の姿
この問題は、今はまだ極東アジア周辺で収まっているが、まさに人類の存亡をかけた絶望のパンドラの箱(ウイルス)が開かれて、箱が閉じられる(中国閉鎖)最後に飛び出してきた希望(武漢からの日本人無症状病原体保有者=救世主)のような状況
もし無害化されて人類とウイルスが共生になれば、それは人間の病原菌に対する新たな抗体として取り込まれる。そうなれば、どんな病原菌にも負けない強い新人類の誕生でもあるので、期待したい(。-人-。)
今、日本は異常気象だ(実はここ5日間、雲もないのに星が1個しか見えない日が続いている)。毎年豪雪が降る東北や新潟には雪は5センチも降ってない所か雨で溶けて全部消えた(おかげで除雪設備買った建設会社も消えた・・)
この雨のおかげで空気は乾燥しないで、風邪やインフルエンザ菌の拡散を防ぐカーテンの効果にもなってるだろう。霊的にも不思議に守られてるような現状で、これでウイルス無毒化の日本人が現れたら最高だね(≧▽≦)それこそ望んだ未来だ
・・そういう、予定調和のシナリオ(救世主は日本から現れる)だったりしてな(;´・ω・) (゚Д゚;)オマ
あれ?・・そうなると、総理自身が検査拒否したたった2人に対し「検査の強制はできない!」と言った上に、頼むから自分から来てくれればいいとも言わないのはなぜ? やっぱこの検査スルーした二人は・・普通の国民じゃないな?(身内かな)
社会問題・テクノロジー
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chequeredlife · 7 years
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祖父が行方不明になって、凍死した。
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3月半ば、久しぶりに父の故郷である新潟へと足を運びました。
新潟では、父の弟である叔父一家と祖父が暮らしています。 母方の祖父母はずっと前に、父方の祖母も15年前に亡くしている自分にとって、健在だったのは祖父ひとり。
学生時代は毎年夏に顔を出していたけれど、社会人になってからは忙しさを理由に数年に一度しか足を運べておらず、至らない孫でした。
ここ数年は、身体も弱り、認知症の症状もあり、在宅での介護を受けながら暮らしていた祖父。大きな病気等がある訳ではなく、今すぐにどうこうと言う訳ではないけれど、おそらく祖父と顔を合わせられる機会も多くはないのだろう…。
普段から意識した訳ではないけれど、振り返ってみると、心のどこかでそんな考えを持っていたと思います。 でも、「その時」がある日突然、本当に思いもよらない報せでやってきました。
「介護業界をよりよくする」「高齢化社会の課題を解決する」 そんなことを思って仕事をしていたつもりの自分が、部分的であるにせよその課題の当事者になって思ったこと・感じたこと。
こんな形で言葉にしてよいのか…とここ半月逡巡していたのですが、自分自身のけじめとこれからのために、言葉に紡いでおこうと思います。
祖父がある日、いなくなった。
その報せが母から届いたのは、月曜日の朝でした。
‟祖父が土曜日の昼、家族が目を離している間にふらっと家を出て、行方が分からなくなった”
“叔父一家を中心に近所の人も懸命に探しているが、まだ見つかっていない”
東京にいる自分たちは、何もすることができないため、ただ無事を祈りつつ連絡を待つことになりました。
心配に思いながらも、何もすることができず、通勤して仕事に取り組むことしかできませんでした。 多少暖かくなってきて、雪は降らなくなったとはいえ3月の新潟。 朝晩はかなり冷え込みます。
田畑はあるけれども、祖父の家は住宅地の中にあり、人目にもつきやすいような場所。2日間探して探しきれないような自然の広がる場所でもありません。
そのような中で、2日間行方が分からない。 どうしても、最悪のケースを想像してしまう自分がいました。
「祖父が見つかった」との報せ。
そして、その日の午後。母から発見の報せが届きました。
祖父が遺体となって発見された。 これから事件性がないか検死に入るが、おそらく凍死だろう。 取り急ぎ父が新潟に向かうので、詳細はまた連絡する。
報せを聞いた時、色々な感情がよぎりました。
祖父自身の当時の状況、ずっと探し続けていた叔父一家の心情、 突然すぎて整理ができていない自分自身の心の置き所。 家族が正に高齢化における課題で命を落としたことへの衝撃。
ただ、目の前の仕事があって、そこに向き合う必要がある中、比較的冷静に受け止めていたように思います。 悲しいことが起きたけど、目の前のことを疎かにしちゃいけないと。
最期の時、祖父は何を思ったのだろう。
訃報が届いたその日は、たまたま研修講師で地方への出張が入っており、新潟はおろか東京からも離れることへの後ろめたさもありつつ、翌日の仕事のために現地へと向かいました。
現地に着き、実家へと連絡をすると父とつながり、第一報よりも詳しい情報を聞くことができました。
祖父が見つかったのは、家からもそう遠くない公共施設の敷地内でした。
詳細については、ここで述べることはしませんが、その敷地の屋外で見つかったそうで、寒さを凌ぐためか、排水溝的な狭い溝の中に横たわっていたそうです。
涙声の父との電話を終え、空港から市街地まで向かうバスの中、祖父が暮らしていた新潟を思い出すような田園風景が流れる車窓を見つつ、
祖父は、いったいどこに向かおうとしていたのだろう? 冷たい溝の中で最後に何を思ったのだろう?
長い人生の最期をもっとよい形で迎えてほしかった。
これまで、全然しっかりと関われていなかった・なにも祖父にしてやれなかったことを棚に上げて、心の底からそう思いました。
自分とは違い、ずっと祖父に寄り添い、支えてきた叔父一家の心痛を思い、どうか責任を感じないでほしい、と切に切に願いました。
そんなことを考えていたら、急に堪えられなくなり、バスの中でボロボロと涙が出てきて、止まらなくなってしまいました。  
完全に不審人物になっていたと思います。
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翌日の研修の仕事を終え、次の日から通夜・告別式に出るために新潟へ向かいました。思ってもみない形での、数年ぶりの新潟訪問でした。
通夜・告別式の日は兼業で行っている介護の現場の方の仕事でした。 本当に急な休みでシフトに穴を空けてしまうため、「せめて告別式だけでも…」と思って相談した自分に対して、ホームのメンバーは「こちらは気にしないでいいから」と通夜の日も送り出してくれました。
急な欠員をカバーしてくれて本当は大変なはずなのに、快く送り出してくれたホームのメンバーには感謝の気持ちしかありません。 おかげで、祖父にきちんと別れを告げることができました。
自分は全く‟当事者”になれていなかった。
粛々と儀式が行われ、全てを終えて東京へ戻る際中、
ああ、自分は介護問題の、高齢化社会が抱える課題の‟当事者”に全くなれていなかったな…。
そんなことをずっと思っていました。
社会人になってから、現場・人事採用・マネジメント、そして今の仕事と、ずっと介護業界に携わり続けてきました。
「高齢化社会の課題解決をしたい」 「介護に携わる人ー職員も、高齢者も、家族もーみんなにとって、よりよい社会をつくる一助となりたい」
そんな思いで、仕事を続けてきていました。
一方で、私が介護業界で仕事をしているのは、強い原体験がある訳ではなく、たまたま新卒の時に「この会社で働きたい」と思ったのが介護業界の会社だったからにすぎず、「きっと自分が向かい合うテーマは別のものでも、同じようにやりがいや面白さを感じながら仕事もできたのだろうな…」と、これまでも思っていました。
介護を、高齢化社会をよりよくしていきたい。 そのための仕事をしたい。
その想いは以前も今も変わらないし、これまでも高齢化がますます進展する社会で暮らす一員として、「当事者意識」を持って働いているつもりでした。
でも、祖父の死を通して、一個人として、自分自身に高齢化社会における課題が降りかかってくるという覚悟も、心構えも、準備も何一つ出来ていなかったことに、痛いほど気づかされました。
自分の持っていた「当事者意識」なんて、円の本当に一番外側にいて、分かった気になっていただけなんだな、と。
自分のそのお気楽さというか、能天気さには、乾いた笑いしか出ませんでした。
でも…、その気づきは私にとっては後悔や反省ばかりではなく、改めてもう一度、自分の仕事との向き合い方を見つめなおし、歩み出すきっかけになったようにも思いました。
改めて、「介護から人の可能性に挑む。」
私自身は元々、ワーカホリックタイプの人間で、「面白い」「ワクワクする」と思える仕事は、公私の境が吹っ飛ぶレベルで没頭してしまうタイプです。
そんなスタイルに、ちょっとの感心と、たっぷりの呆れを込めて、
なんでそんなに仕事を頑張れるの?
なんてことを周囲の人から問われることが多くあります。
そんな時、半分照れ隠しの冗談、半分本気で、いつも私は「趣味」と答えてきました。
「社会課題を解決したい」 「介護業界をよりよくしたい」
そんな思いを持ち、自分のスキル・経験を活かしていきたいとの思いで、楽しみながら、仕事を続けてきました。
でも、前述のとおり、その目指すゴールの部分に強い思い入れがあった訳ではなく、たまたま行き着いたテーマが「介護」であり「高齢化社会」だった。
そんな意識をこれまで持っていたから、おそらく本気でやっている自分自身の姿を「趣味」と言って茶化していたのかなぁ…、と今になって思います。
それそのものが、自分の性格をよーく表していると思うので、悪いとは思っていないのですが。笑
でも、望むと望まざると、高齢化社会の進展が生み出す様々な課題は、私にとってもはや他人事ではなくなってしまった。
自分自身が、自分の近しい人に起こったこと・感じたことが、きっと今のままではこれから先、どんどん増えていってしまう。
何とかその状況を変えていきた��。 そのために、これまでやってきたことを、これまで以上の意思を持って進めていく。 今は、そんな風に思っています。
これまで「趣味」だと茶化しつつも、積み重ねてきたものも、もちろん無駄ではなかったと思っています。 たまたま行き着いた「介護」という世界で、自分が経験してきたこと・身につけてきたこと・出会って想いを共に歩める人たち…。 それでまるっと全て解決はできるなんて思ってはいません。
でも、それらを信じて、努力を続けていけば、もしかすると自分でも何かお役に立てることがありそうだ。 「介護」「高齢化社会」という、より当事者意識を持って向き合おうとするテーマに、そんな手応えを持てている今の状況はきっと幸運なんだろうなと感じています。
楽しさやワクワクを探しながら仕事をするスタンスはこれまで通り、 でも、これまで以上に信念と決意を持って、 Join for KaigoのMissionである「介護から、人の可能性に挑む。」ということに挑戦を続けていこうと思います。
…なんだか、自分の頭の中を長々と曝け出してしまいましたが。
今の気持ちを、祖父のことを忘れないためにも、ここに刻んでおこうと思います。
もうすぐ新しい季節・年度が始まります。 これからも、悠々とマイペースに、でも想いを込めて、一つひとつの仕事をしていこうと思っておりますので、関係各位の皆様、引き続きよろしくお願い致します。
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1063una · 7 years
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北原里英ー女優として覚醒。極限状態で挑んだ白石和彌作品『サニー/32』の現場とは。
’13年に公開されるやいなや同年の国内映画賞を席巻した『凶悪』でブレイク。その後も『日本で一番悪い奴ら』『牝猫たち』『彼女がその名を知らない鳥たち』と快進撃を続ける白石和彌監督の最新作『サニー / 32』がいよいよ公開される。 かつてネット社会で神格化された殺人犯“サニー”。事件から14年目の夜、平凡な女性・赤理が、サニーの熱狂的なファンによって拉致監禁されたことを発端に、予想外の事件が立て続けに起こってゆくーー。 そんな現代社会の歪んだリアルをこれでもかとブチ込んだ、カオスとバイオレンスの極北とも言えるような本作において、ヒロイン・赤理を演じているのが、今春「NGT48」から卒業することを発表した人気アイドル、北原里英。 「NGT48」の地元・新潟での極寒の雪の中、ピエール瀧、リリー・フランキー、門脇麦…といった一癖も二癖もある俳優陣に囲まれての主演ーーというプレッシャーをバネに爆発的な演技を披露。見事、女優として覚醒した彼女に「2018年もっともヤバい」と噂の本作について語ってもらった。
取材・文 / 井口啓子 撮影 / コザイリサ
雪山を逃げるシーンは過酷すぎて、撮り終わったときに泣いてしまった。
まず「白石監督の映画にきたりえが!?」と驚いた人も多いと思うのですが、本作の話が決まった経緯について教えていただけますか?
実は私、もともと白石監督のファンだったんです。『凶悪』を観て、そのときは監督が白石監督だということは意識せず観ていたのですが、すごい!と。何故でしょうね。もともと明るくてキラキラした映画よりは、暗い、血が出るようなエンタメ作品が好きでしたし、生々しい感じに惹かれたというか…。 経緯としては、三年前に秋元康先生がオールナイトニッポンの中でサプライズ発表をするという企画がありまして、私へのサプライズが「北原で主演映画を撮ろう」というものでした。それで発表の後に「どんな映画が好きなの?」と秋元さんに聞かれまして、その頃観た映画の中で一番印象的だった作品が『凶悪』だったので、『凶悪』のような映画に出たいです!と即答しました。
それはすごい! まさにビンゴで夢を実現されたわけですが、その時。ラジオを聞かれていたファンの方は、北原さん主演映画がこんなものになるとは想像しなかったでしょうね。
そうですね。ラジオでの発表から月日が経ってしまいましたが、最高の形で実現できたのは嬉しかったですね。でも、今一番お忙しい白石監督の勢いを止めてしまってはいけないというプレッシャーがありましたし、台本の1ページごとに事件が起きているのではないかと思うほど、さまざまなことが次々に起こるスリリングな物語なので、興奮すると同時に、自分にできるのかな?と不安もありました。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
撮影に入る前に、なにか準備とか役づくりはされましたか? 
赤理という女性についても、台本を読んだだけでは正直どんな子なのかわからず、事前に準備しておくべきことはありますか?と白石監督にお聞きしました。白石監督は「何も準備しなくていいですよ」と仰って、助監督の方も「いや、これはほぼ北原さんだと思ってもらって大丈夫なので」と仰いました。その時、深く考えず臨もうって腹が決まりました(笑)。 実際、撮影も気持ちが入りやすいように、ほぼ順撮りで進めて下さったので、撮影が進むにつれて、自然に赤理としてふるまえるようになりました。私が赤理になったというよりは、赤理がこちらに寄ってきてくれたような感覚です。 この『サニー / 32』はオリジナル脚本ではありますが、実際にあった事件がモチーフとなっています。当初、私はそのことを知らず、撮影中に共演者との話で知ったぐらい、余計な知識や情報をまったく入れずに臨んだので、役を演じてはいましたが、その場の自分の気持ちを大事にできたのではと思います。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
今回は共演者もピエール瀧さん&リリー・フランキーさんの『凶悪』コンビを筆頭に、強烈な存在感を持つ方ばかりで、かなり刺激を受けられたのでは…?
撮影中は皆さん、役との向き合い方が素晴らしいと感じました。皆さんの動きを拝見しながら、自然に勉強させていただいた気がします。リリーさんは撮影後にも「今日も1日おつかれさまでした。よくがんばりましたね」とメッセージを毎日のように下さって。他の共演者の方々も様々なお声を掛けてくださり、本当に周りの方々に支えていただいた現場でした。
しかし、雪に閉ざされた廃屋や海辺でのリンチシーンは、肉体的にも精神的にも相当ハードだったのでは?
とてもハードでした。高いところから飛び降りるようなシーンもスタントなしで演じましたし、海辺のシーンでは大きい雹が横なぐりで降ってきて…、人生でいちばん辛かったです。特に薄い衣装で雪山を逃げるシーンは過酷すぎて、撮影が終わったときに泣いてしまいました。寒くて泣いたのは初めてでした(笑)。
職業的な意味でのアイドル映画ではなく、偶像・虚像的な意味でのアイドル映画
まさに壮絶な現場だったわけですが、あの荒涼とした風景も鬼気迫る人間模様も、この環境でないと撮れないものだったんでしょうね。
そうだと思います。撮影が終わったときに白石監督が「『凶悪』の5倍辛かった」と仰っていたのも嬉しかったですし、完成した映画を観て、新潟で撮影したことに意味があるシーンばかりで本当に頑張って良かったと思いました。過酷な状況にみんなで立ち向かっていたことで、共演者の方々とも一体感が生まれて。撮影は三週間ほどだったのですが、その間、東京には戻らず缶詰め状態で、だんだん家族のような気持ちが芽生えてきて…。まさに映画の世界とリンクしていたので、そういう意味でもリアルに撮れたのではないかと思います。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
そういう虚実皮膜な構造は、サニーとして神格化されていく赤理と実際にアイドルである北原さんにも重なりますよね。
どうなのでしょうね…。唯一、理解できると思ったのは、赤理が何も起こらない日常の中でストーカーの被害に遭い、気味が悪く怖いのですが、どこかでその非日常をワクワクしている。いざ自分がその立場になったら絶対に嫌なのに、どこかで変なことが起きないかなという、そういった感覚は私にもありますし、おそらく人間誰しも持っているものなのではと思います。赤理がサニーとして覚醒したのは、非日常的な状況がそうさせたのかもしれませんが彼女自身、心のどこかでそういう存在になることを憧れていたのだと思います。 現実離れした話ではあるのですが、人間誰しも持っている潜在的な欲望を描いたという意味ではリアルな映画だと思います。今やネットの方がリアルだという方も多くて、こうした事が起こらないとも限らないですし、他にも今の現代社会が持っている問題が詰め込まれた作品だと思うので、特にスマホ世代の若者に観ていただきたいですね。
白石監督は本作を「アイドル映画���と公言されてますが…?
撮影前��ら白石さんは「アイドル映画を撮ろうと思っているんだよね」と仰っていました。私は『凶悪』が好きなので、これがアイドル映画だとはまったく感じなかったのですが、完成した作品を観て、これは職業的な意味でのアイドル映画ではなく、偶像・虚像的な意味でのアイドル映画なのだ!と腑に落ちました。今はネット上で誰でも有名になれる時代ですし、確かにこれは現代の、白石和彌氏によるアイドル映画だなと。
©2018 『サニー / 32』製作委員会
まさに白石監督にしか撮れない、壮絶なアイドル映画だと思います。北原さんにとっても重要な女優開眼作になったのでは?
そうですね。女優の仕事は、普段絶対に経験できないことが、経験したくない(笑)ことができるのがすごいなと思いますし、私自身、みんなで集まって何かを作り上げることが好きなタイプなので、映画の現場の雰囲気はとても好きです。今回でちょっとやそっとのことでは辛いと思わなくなったと思うので、いいものを作るために自分がしっかりがんばれるような女優になれたらなと思います。
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映画『サニー/32』の出演者、北原里英、ピエール瀧、そしてリリー・フランキーによる鼎談インタビュー。映画についてはもちろん、「カッコいいおじさんの哲学」についても語ってもらった。 今年春にNGT48グループから卒業することを発表した北原里英。彼女が主演を務め、白石和彌(監督)と高橋泉(脚本)の『凶悪』タッグによる完全オリジナル作品『サニー/32』が公開された。 中学校教師の藤井赤理(北原)が24歳の誕生日に拉致・監禁される。実行犯は、「犯罪史上、もっとも可愛い殺人犯」と呼ばれ、世間を騒がせた少女サニーの狂信的信者である二人。彼らは藤井のことを、成長したサニーだと信じて疑わないのだが果たして……? この狂信者二人を演じるのは、なんと『凶悪』でも圧倒的な存在感を見せつけたピエール瀧とリリー・フランキー。今回もまた、忘れることのできない怪演っぷりを発揮している。 そこで今回Rolling Stone Japanでは、北原、瀧、そしてリリーによる鼎談を敢行した。 ─まずは、北原さんがAKB48グループ卒業前の最後の主演映画として『サニー/32』に出演することになった経緯から教えてください。 北原 発端は、『AKB48のオールナイトニッポン』の「サプライズスペシャル」という回でした。そこで秋元康先生が、「北原が主演の映画を作ろう」と発表してくださったんです。ただ、AKB48のそういった企画は、途中で無くなってしまうことも結構あり、半信半疑で構えていたんですよ。秋元先生から「北原はどんな映画に出たいの?」と訊かれたときも、『凶悪』のような映画に出たいです!』なんて言ったものだから、そんなの実現するはずないだろうって。そうしたら本当に白石(和彌)監督に撮って頂くことになったので、最初は信じられなかったですね。しかも、このお二人と一緒じゃないですか。 ─『凶悪』はどの辺りに惹かれたのですか? 北原 とにかく、観たときの衝撃がすごかったんです。特におじいちゃん(ジジ・ぶぅ)を殺してしまうシーンは、精神的にも本当ショックだったんですけど……。 リリー いや、ジジ・ぶぅは、殺されていいんですよ。 北原 もう、何仰っているんですか。殺されてもいい人なんて、この世に一人もいません!(笑)  瀧 『凶悪』の、ああいうダークな世界観に惹かれたということは、人間のポジティヴな部分よりも、ネガティヴな部分、陰鬱な部分に興味を持ったということなんだろうね。ポジティヴな部分に正直か、ネガティヴな部分に正直かによって、その人の生き方は変わると思うのだけど、後者に対する正直な気持ちが北原さんは強いんじゃない? 北原 そうなのかもしれないですね。そういった映画の方が好きですね。自分自身はどちらかというと明るい性格なんですが、何故か暗いものや影のあるものに惹かれるというか。 リリー 北原さんは普段が真面目だから、『凶悪』に出てくるような人たちって、SF映画のキャラクターくらい遠い世界の存在なのかもね。 北原 それはあります。 リリー 俺や瀧の周りにはあんな連中たくさんいるから。人殺しばっかり。 北原 冗談を!(笑)。でも確かに、私にとって『凶悪』は別世界の話ですね。それに比べると今回の『サニー/32』は、ある意味では救いのある映画だなと思いました。それこそポジティヴな方向へ、最終的には向かっていくので。 リリー 『凶悪』には、いかにも悪そうな連中ばかり出てくるけど、『サニー/32』はいかにも悪そうな人は出てこないんだよね。 瀧 結構マヌケだしね、みんな。 リリー ネットを使って集まって悪いことしている連中の、邪悪な願望を抱えつつもどこかマヌケな感じとか、詰めの甘い感じっていうのが、すごくリアルに描かれている。そういう意味では『凶悪』に出てくるような圧倒的な悪人はいないし、ベクトルも全然違うよね。似ているのは撮影環境が劣悪だったってこと(笑)。 北原 あははは。白石監督が、「『凶悪』の5倍つらかった」と仰っていました。 瀧 『凶悪』では、雪はまだ降ってなかったからね。 リリー 雪じゃなくて、雹(ひょう)だよ雹!  瀧 (笑)。ホントに、「遭難するんじゃないか?」って感じの撮影でした。 『凶悪』より『サニー/32』の方がポップだしロック。(リリー) ─現場での、皆さんの雰囲気はどうでした?瀧 現場はもう、合宿みたいな感じでしたよ。リリー 若いキャストはみんな、旅館のタコ部屋みたいなところで寝てたし、みんなで同じ銭湯に入ったりして。瀧 ふと窓の外を見ると、どす黒い海が大きな波を立てていて。その音がこっちまで届くし、風がビューッと吹けば、窓がガタガタ揺れる。そんな中にいると、ついついダークな気分になってしまうので(笑)、それもあってみんなで楽しくワイワイやっていたところもありますね。リリー 撮影場所が、新潟のものすごく辺鄙なところだったんですよ。コンビニまで車がないと行けないし、ちょっとした「旅」というか。コンビニに売ってるモノが一番のご馳走っていう。だって、撮影が終わるのが深夜1時とかだからさ。北原 そうでしたね!(笑)。いつもリリーさんがコンビニでいろんなお菓子やパンを買ってきてくださるんですが、それだけが唯一の楽しみになってきて。─せっかく新潟にいるのに、海の幸を堪能することもなく?北原 そういえば、撮影現場の近くに「寺泊魚の市場通り(通称「魚のアメ横」)」というところがあって。そこでリリーさんが、ノドグロを買ってきてくださったこともありましたよね?リリー めちゃくちゃ安かったんですよ。蟹も発泡スチロールの箱に8杯くらい入ってて2000円とか。それも買って帰って、旅館でお味噌汁にしてもらったね。なので結構、外出はしたかな。俺と瀧は空き時間も多かったし。最後は観光して帰ったよね。瀧 リリーさんと車で行楽してこようってなって。燕三条まで行ったんですよ。刃物の町で、そこにアウトレットのショップがあるらしいと聞いて。リリー すげえ買った。瀧 気がついたらキッチン用品を10万円分くらい買っていました(笑)。北原 かなり満喫しているじゃないですか!リリー あ、でも泊まってた旅館の銭湯は気持ち良かったじゃない?北原:確かに。私は当然女湯なんですが、男湯から瀧さんやリリーさんの楽しそうな声が聞こえてくるんです。「楽しそうだなあ」と思いながら一人で入っていました(笑)。リリー 撮影終わって深夜になると、風呂場には撮影スタッフと俺達しかいないから、女湯から「カコーン」って音が聞こえると、「里英ちゃーん!」で呼んだりして。瀧 そうそう。「おい、向こうでヤツは今、裸だぞ!」ってね。リリー そのとき俺は瀧のアレをしゃぶってるんだけどね。北原 え、そうだったんですか!?(笑)瀧 そう、今回もね。─(笑)。今回、北原さんはすごく難しい役どころだったかと思うのですが。北原 彼女が「覚醒」してからの演技がしっかりとできるか撮影前から不安でしたね。でも、ほぼ順撮りで進んでいきましたし、皆さんと一緒にずっと過ごしていたので、「この方たちの中で(演技するの)だったら大丈夫だ」という安心感もあって、何とか演じきることができました。─リリーさんと瀧さんは『凶悪』以来、再び白石組でタッグを組むことになったわけですが、一緒にやってみてどうでしたか?瀧 白石監督の映画に、リリーさんと僕がこういう役回りで出てくる時点で『凶悪』と被るわけじゃないですか。そこを敢えて「よし」としたということは、ある意味『凶悪』自体をもパロディにしているというか、カリカチュアしているし、『凶悪』自体を一つの作品として完結させないようにしているのかもしれないですね。あるいは、リリーさんと僕をここでもう一度使うことで『凶悪』の呪いを打ち消そうとしているのかも。─ああ、なるほど。『凶悪』の見え方も違ってくるかもしれないですね。瀧 それと、『凶悪』は実際にあった一つの事件を基に作られた作品ですけど、『サニー/32』はいろんなモチーフが幕の内弁当のように詰め合わせになってる。こっちの作品の方がポジティヴに感じるのは、根底にある暗くて重いテーマを、明るい色で強引にコーティングしているからじゃないかな。リリー 毒を砂糖でコーティングしてるんだから、『サニー/32』の方がポップだしロック。ローリングストーン読者こそ観なければいけない映画ですよ。 俺とか瀧とか、別に余裕があるわけじゃないの。やる気がないだけ。(リリー) ─ありがとうございます(笑)。今回、皆さんに「カッコいいおじさんの哲学」ついてもお聞きしたくて。リリーさんと瀧さんは50代になって、「カッコいい」の定義は変わりましたか?瀧 「カッコいい」はいろんな設定がありますよね。例えば嗜好品に詳しいとか、あるいは「動じない」みたいな心構えのことかもしれない。リリーさんは嗜好品に詳しいですよね、ウィスキーマニアなところもあるし。僕の場合は振り返ってみると、そういうの何も身についてないなと思って、ちょっとゾッとします(笑)。リリー 今回もそうだし『凶悪』のときも、俺たちずっと撮影の合間に『どうぶつの森』をやっていたからね(笑)。若い頃は、まさか自分がオッさんになってもゲームしてるなんて、想像もしなかった。そういう意味では、何にも変わりゃしないのかもね。若い頃に憧れてた、「嗜好品を磨いてゆっくりとした時間を過ごしながら、何にも動じず……」みたいな渋いオッさん像からはもう、全然程遠い。北原 お二人は、対照的おじさんなんです。瀧さんは5歳児みたいで……(笑)。無邪気な感じが可愛いらしいなと思いました。現場でしりとりが流行っていたのですが、最初リリーさんと「5文字しりとり」をやっていたら、瀧さんが割り込んできて「うーん、5文字ね、おちんちん!」みたいな。瀧 そんなこと言ってたっけ?(笑)北原:でも、そうやって場を和ませて下さっているんだなと感じていましたし、本当に癒されました。一方リリーさんは、文字通り包容力のある方で。撮影が終わると「今日もよく頑張りましたね」と労って下さるんです。その言葉に助けていただいて、つらい撮影も乗り越えられたと思うんですよね。お二人とも本当に素敵な方だったので、おじさまのことがとても好きになりましたよ(笑)。─北原さんの中で、「カッコイイおじさん」の条件ってありますか?北原 やっぱり、余裕があることではないですかね、精神的にも経済的にも。精神的な余裕って、経済的な余裕からくるところも若干あるじゃないですか。そこは完全には切り離せないと思います。リリー 俺とか瀧とか、別に余裕があるわけじゃないの。やる気がないだけ。瀧 そう。気持ちが追いついてないだけ。本当はもっとグイグイいきたいんだけど、疲れちゃうんで「ま、いっか」ってなってるの。他のキャストはみんな若くて明るい中、俺とリリーさんは隠居したお爺ちゃんみたいだったよね。お菓子モグモグ食べててさ(笑)。それが「動じない人たち」と思わせてたのかも。─(笑)。北原さんは、今後やってみたい役はありますか?北原 今回はかなり特殊な役柄だったのですが、これから本格的にお芝居をやっていくのであれば、普通の役ができないとダメだなと思うんです。普通の女の子、「合コンにいる女A」や「恋敵B」のような役が、しっかりとちゃんと出来るようになりたいですね。リリー 今回は卒業発表して一発目の映画だし、このくらいぶっ飛んでてよかったかもね(笑)。瀧 北原さんのファンもビックリだよね、「よりによって、そこに行くの?」みたいな。北原 (笑)。でも本当に、この作品を携えて卒業できるのは本当にラッキーだと思います!『サニー/32』全国劇場公開中脚本 高橋泉出演 北原里英、ピエール瀧、門脇麦、リリー・フランキーほか Rolling Stone
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myjam6 · 7 years
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隠居しようと思ってもできなかったバンギャル或いはかつてバンギャルだった貴方へ100の質問
近年の私��生活がなーーんかクサクサしてるのは絶対ライブに行かなくなったからだよな、なんでもいいからそこそこ若くてかっこいいビジュアル系のライブに行きたいな〜でも転職しないと厳しいな〜と仕事のふりしてサボりながら悶々としているところに懐かしい単語が飛び込んでみたので仕事のふりしてやってみます
1. あなたのお名前は?
 m 2. インターネット上では主にどこへ所属していますか?(twitter、instagram、facebook、mixiなどなど)  ツイッターとインスタ7:3 3. バンギャル歴は何年?(音源ファンでも可)また、バンギャルになったきっかけは?
 10年ほど 4. 初ライヴはいつ、誰を見に行きましたか?
 多分10年前ぐらいのT.M.Revolution
5. メジャーorインディーズ、どちらを主に追っていましたか?
 回数で言ったらインディーズかなあ 6. 本命(だった)バンドは?(複数可)
 LUNA SEA
 Moran 7. 過去に通ったバンド経歴を教えてください。
そのバンド目当てでチケットを買ったことがあり複数回ワンマンにも行ってるような感じだったのは
 LUNA SEA
 Moran
 cali≠gari
 メリー
あたりですかね 8. 好きなメンバーさんと、その理由は?
 すぎさま:愛
 ひとみさん:青春
 石井さん:ヒーロー
9. 本命バンドでオススメの1曲は?
オススメというかダントツ好きな曲は
 LUNA SEA:TWICE・Selves・into the sun
 Moran:rub、南へ・浮遊病・望めないと知る結末に、理由が僕を慰める
10. 墓場まで持っていきたいほど好きなアルバムを5枚ぐらい教えてください。
 Apples/Moran(わたしの青春です)
 cali≠gariの世界/cali≠gari(世界を変えてくれたというか、こんなに魅力的な人が世の中にいるのか!という衝撃)
 IMAGE/LUNA SEA(原点です)
 雫-shizuku-/Kagrra,(何万回救われたかわからない)
 hide singles〜Junk Story(ロックの目覚め) 11. よく行くライヴハウス、もしくは好きだったライヴハウスを教えてください。  よく行ってた:池袋手刀・高田馬場AREA・下北沢Que
 好き:高田馬場AREA・恵比寿リキッドルーム・新宿LOFT 12. 月に何回くらいライヴへ行きますか?(全盛期の本数と現在の本数も宜しければ教えてください)  全盛期:10/月
 今:0/月 13. 出待ち入り待ちなど、追っかけ行為はしていましたか?
 時と場合によって・・・・
14. メンバーさんには積極的に話し掛けるほうですか?
 時と場合によって・・・・ 15. ライヴは何人で行きますか?決まった相手やグループはありますか?
 時と場合によって・・・・
16. ライヴ終了後の過ごし方を教えてください(打ち上げなど)。
 軽くご飯食べてすぐ解散 17. バンギャルでいて楽しい点を教えてください。
 当時衝撃だったんですが、寺山修司の言葉で
 >競馬ファンは馬券を買わない。財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。
 というのがあるんですけど、バンギャルの楽しさもまさにこれに尽きる感じです
18. 逆に、バンギャルでいて辛い点を教えてください。
 お金と時間がなくなるけど趣味って大概そんなもんじゃない?
19. バンドマンになってみたいと思った事はありますか?その理由は?
 クソみたいなバンドマン見ると、俺も来世で化粧映えする薄顔になって女の子侍らせてえ・・って思わなくもない 20. ライヴはいつもどの辺りで見ますか?(最前、柵ゲット、壁際などなど)
 柵か壁のどちらかは欲しい なぜなら体力がないから 21. 昔と今ではライヴの見方は変わりましたか?暴れられますか?足腰は悪くなっていない?  見方はそんなに変わらない 足腰は悪い 22. ヘドバン、逆ダイ、フリ、手扇子など、好きなノリ方を教えてください。
 Moranに通ってたら跳ねながら横ノリに強くなりました
23. ライブへ行く時の服装を教えてください(系統、ブランドなど)。
 ナメられない服装・・
24. また、普段の服装を教えてください。社会的にカモフラージュしていますか?
 世を偲ぶ仮のOLのすがた 25. コスプレはしていますか?何コスですか?また、コスプレ暦は何年ですか?
 麺コスの経歴はないです・・ 26. 1回のライヴで使うお金はどれくらい?
 基本チケ代と交通費と交際費のみ
27. 自分のメイクのこだわりはありますか?ある方はオススメのコスメなどを教えてください(ライヴで暴れても落ちないメイク法など)。
 基本強がりたいいきがりたい人種なので未だにライブ行く時だけはカラコン入れるか迷います 28. ライヴへ行かない期間は体調やメンタル的な変化はありましたか?
 鬱々としますね 29. ライヴへ行かない期間は主に何をしていますか?
 働いてたまにジャニーズを見る 30. ライヴへ足が遠退いた理由(遠退いていない人はその由を)。
 なんでだろう、Moranの解散が一番大きかったのかなあ
 あとそのタイミングで大学卒業して物理的に忙しくなった 31. 社会的な立場を教えてください(会社員、主婦、学生などなど)。
 会社員の端くれ 32. 愛読している(していた)音楽雑誌は?
 ひとみんコラムがあったのでSHOXXは読んでた 未だに手に取りそうになる 33. 愛読している(していた)ファッション雑誌は?
 中学生の頃とかはKERA読んでました
 今はファッション誌ほぼ読まないなー 34. ライヴへ行く時の必須アイテムや便利アイテムを教えてください。
 ジャンプしすぎてポシェット5個破壊してるので物は持たない 35. 最近、注目のバンドはいますか?
 誰か教えてくれよ 36. バンド以外で好きなアーティスト、俳優、タレントなどはいますか?
 生田斗真とV6 37. かつて好きだったバンドが復活したらどうしますか?もしくは復活した方はライヴへ行きましたか?  Moranは絶対行くから
 あとKagrra,とZI:KILL・・・
 Fatimaの復活は行きました 38. 古今東西、最も好きなヴォーカリスト(歌い手)は?
 ひとみしんぺい 39. 古今東西、最も好きなギタリストは?
 すぎさま 40. 古今東西、最も好きなベーシストは?
 なおらん 41. 古今東西、最も好きなドラマーは?
 実はやもちゃんセンパイ 42. 上司にしたいバンドマンは?
 仕事のハナシはヤメテッッ!! 43. 部下にしたいバンドマンは?
 仕事のハナシはヤメテッッ!! 44. バンギャルをやっていた中でイタイ思い出ベスト3は?
 口をつぐみたい 45. バンギャル活動以外の趣味を教えてください。
 今はジャニーズと化粧品収集ですかね 46. 突然ですが、オススメの防寒グッズを教えてください。
 ホッカイロを背中の下の方に貼るのオススメ 47. 地方遠征ライヴへの移動手段は何を使っていますか?
 体力がゴミなので夜行バスNG 新幹線か飛行機じゃないと動けない 48. 移動でかかった最長時間は?何処から何処まで?
 ライブでそこまで長距離行った記憶ないな・・新潟から名古屋が地味にキツかった 49. 思い出深いライヴを教えてください(年月日、場所、バンド)。
 2010/12/25  LUNACY 黒服限定GIG ~the Holy Night~@東京ドーム
 ・私の頭の中にしか存在してなかったLUNACYが、ずっと活動を続けてきたみたいにめちゃめちゃ進化してかっこよくなってそこに存在してるっていう、夢みたいなライブだった
一人一枚制限だったからみんな隣は知らない人で、黒ずくめの東京ドームが開演前静まり返ってて異様な光景だったなあ
 2012/2/3 Moran BLACK IN BLACK II@新潟LOTS
 ・大雪で電車は止まるは交通網は麻痺るはでなかなかカオスな日だった
メンバーもファンも真っ黒なLOTSで、白っぽい光になんかダストみたいなのがキラキラしてて、その中で同じ闇の中でを歌ってるひとみさんの姿が本当に綺麗で
ここでこのバンドのワンマンが見たいって心底思って、そこからインストのたびにメンバーに言い続けてた
結局解散まで叶うことはなかったけど、私未だに諦めてないから!MoranさんLOTSでワンマンして!!!
 2012/4/30 MERRY 10th Anniversary FINAL @ Zepp Tokyo ~Beautiful Freaks A GO GO~
・MERRY初、かつ今の所唯一のZeppワンマン
Beautiful Freaks発売後で、確か群青初お披露目ライブだったかな?
SWANがすっごくよかった、ああこれはいなくなった人たちの歌だと思って泣いた
メリーは頑張って欲しいまじで
 2014/9/27 cali≠gari 20th Caliversary"2013-2014" 最終公演 第7期終了 - To say Good bye is to die a little -@日比谷野外音楽堂
・青春の終わりって感じだねとみんなで言ってた 青臭い
 2015/6/27-28 LUNATIC FEST.@幕張メッセ
・人生で一番楽しい二日間だったかもしんない
 2015/9/21 Moran Last Live「夜明け前、最後の夜に永遠を紐解く方程式を夢む」@Zepp Diver City
・楽しかった思い出の終わりの日
私のバンギャル生活もここで終わってしまったんだろうなと思う
50. 突然ですが、オススメのお取り寄せグルメ・スイーツを教えてください!
 こないだ北海道遠征した時に買ったルイベがめっちゃ美味しかった
51. 和食派?洋食派?それとも?
 和食 52. Dバンドと言われて思いつくのは?また、Lバンドと言われて思いつくのは?  DはD、Lバンドはラルクって感じ・・ 53. 行きたいライヴが重なってしまいました。貴方ならどっちを取る?   ・本命バンドのツアー地方遠征   ・2番目に好きなバンドの地元でワンマンライヴ
 後者かな・・ 54. 好きなメンバーへのプレゼント。いくらまでなら出せる?
 にまん
55. あなたの地元の特産品を教えてください!
 米 56. マイブームは何ですか?
 仕事のふりしてサボること
57. 1日の平均睡眠時間を教えてください。  7時間くらい 58. 今まで見たライヴで面白かった・印象に残ったMCがあれば教えてください。
 ひとみしんぺい「俺は!手紙になりたいんだ!!」 59. 今までで見た中で一番印象に残っているフライヤーがあったら教えてください。
 カリガリのフライヤーはどれも結構好き 60. 大好きなバンドの海外ライヴは何処までなら付いて行ける?
 今もう海外はきついっす・・・ 61. 「大切なお知らせ」という文字にドキリとする貴方。別の言い方を考えてください。
 めっちゃいいお知らせ 62. 夢の競演セッション♪好きなメンバーを当て嵌めて自分だけのスペシャルバンドを作ってください。  Vo.ひとみさん石井さん
 G.すぎさまあっきー真さん間瀬さん
 Ba.なおらんkazuさん
 Dr.やもさん
63. カラオケに行くと必ず歌う曲は?また好きな機種は?
 Party Monsterにて照明芸
 カラオケはカラ鉄一択
64. オススメもしくは実践している健康法を教えてください。
 ない!! 65. オススメの飲食店を教えてください。
 話すと長くなるよ・・・ 66. ファンレターはどれくらいの頻度で出す?内容的には何を書く?
 地元インストでは毎回書いてたけど毎回同じことしか書いてなかった 67. 使っているスマホ(もしくは携帯電話)の機種を教えてください。
 あいぽん 68. 待受画面は何にしていますか?
 イッヌ 69. 着メロは使っていますか?
 数年使ってない 70. バンドの音源はどのくらい所有していますか?
 いっぱい・・ 71. 音源・バンドグッズ整理法を教えてください。
 できてない・・ 72. ライヴのチケットは大事に保管してありますか?
 適当に保管してる 73. 小規模ライヴハウスの良い所、悪い所を教えてください。  客が怖い、動線が悪い 74. 大規模会場の良い所、悪い所を教えてください。
 客が怖い、帰りが混む 75. バンギャルとして思い出の場所を教えてください。
 高田馬場AREAの横の坂で大雪の��に転倒してそのまま滑り落ちた 76. 今まで好きになったバンドマンに共通する部分って何かある?
 うーーーん・・? 77. 今まで見た中で、一番麗しい(美しい)と思ったバンドマンは?
 すぎさま 78. 今まで見た中で、一番可愛いと思ったバンドマンは?
 すぎさま 79. 好きなバンドマンの衣装・世界観は?
 なんでもいいよ! 80. 好きなバンドの音楽性は?(ざっくりでいいです)
 ギターがギュイーン 81. あったら嬉しい物販を教えてください。
 イヤホン 82. あったら嬉しいライヴハウスのサービスを教えてください(例:着席スタイルで飲食しながらライヴ鑑賞)  怖くない綺麗なトイレ 83. バンドのYouTubeチャンネルはよく見ますか?チャンネル登録している?
 なぜかレジレコチャンネル登録してる 84. バンドの情報は主にどこで入手しますか?
 ツイッター 85. テレビは見ますか?好きな番組やオススメの番組を教えてください(インターネットTVも可)。
 見ない 86. 好きな漫画、好きなキャラクターなどはありますか?
 最近ザ・ファブルにはまってます 87. 映画はよく見ますか?オススメの映画を教えてください。
 生田斗真作品ですかね! 88. ペットは飼っていますか?
 ない 89. ちょっと気力が無い日に大好きなバンドのライヴ。そんな時に限って大好きなメンバーに煽られてしまいました。あなたならどう反応する?
 とりあえず跳ねる 90. 「元祖ヴィジュアル系!」と言えば、どのバンド?
 X 91. あなたのバンドマンへのフェチズム、あったら教えてください。
 のけぞった喉の照り加減 92. 今日は大好きなバンドのライヴ。そんな日のあなたの1日の行動は?  ギリギリに起きる→焦る→開演10分前につく→見る→ボーっと帰る→ツイッター→余韻に浸りながら寝る 93. 今だからこそ言える自分のライヴネームの数々。思い切って全部ぶっちゃけてください。
 勘弁して欲しいやつ 94. ライブ中に起こった「超ラッキー」な出来事があったら教えてください。
 すぎさまの投げたピックが自分の足元らへんに落ちてキタコレ!!と思って拾ったらJさんのだった 95. 家族・友達・職場などには自分がバンギャルだと公表していますか?また、その反応は?
 母「あらっこの声、Xね」私「これはLUNA SEAだよ」母「これがXでしょ」私「これはGLAYですね」
 上司「あーわかった!三宅くん好きだから河村隆一好きなんでしょ!顔似てるもんね!」私(どこが・・?) 96. 5年後、自分はまだバンギャルだと思いますか?それともバンギャルに復帰していると思いますか?
 復帰していたい気もする 97. 大好きなバンドへ、普段は言えない事をぶっちゃけてください(愛重めでお願いします)。
 金なら出す!!さっさと復活して!!!! 98. 人生やり直せるとしたら、またバンギャルになりたい?
 もういい!! 99. あなたが考える「バンギャルの定義」とは?
 バンギャルの自覚を持ったらバンギャルだよ 100. お疲れ様でした。最後に一言どうぞ・・・†  100問意外と長い!! 出典:ピンブラブログ
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