#昔は、ボールペンやノートを使い切ることが楽しかった気がする。
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ボールペンのインクが春からかなり減ったことに気がついた。少しだけ幼い頃を思い出して懐かしい気分になった。
#もしもし話#昔は、ボールペンやノートを使い切ることが楽しかった気がする。#あとどれくらいで使い切るか予想したりなんかして…#今よりも健全な精神を持っていた気がする。#同じものを買おうかな……#……やる事やります
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逆の関係
長身女性もの。14k文字。
妻の美雪と出会ったのは高校の入学式だったろうか、出会ったというよりも姿を見た程度ではあったが、今でもあの時の衝撃を忘れることはない。スクールバスから降り立って、上級生に案内されて、体育館にずらりと並んだ生徒たちの中でひときわ突き抜けた、――周りは高校一年生の女子なのだから、遠目からでも胸から上が丸ごと見えてしまっているほどに背の高い女生徒、――もう心臓が張り裂けそうでならなかった。あまりにも現実離れしている。見間違い? それとも台に乗っている? いやいや、何度目を擦っても一人だけ浮いたように胸から上が出てしまっている。他の女子がちょっと大きめの160センチだとしても、明らかに190センチは超えている。……
残念なことに美雪とは違うクラスであったから、心配されるほどに落胆してしまったのだが、嬉しいことに彼女と声を交わしたのはそれから2、3日もしなかった。
ちょっとここで、話を分かりやすくするために説明しておきたいことがあるので、回り道を許していただきたい。私たちの高校では、クラスは分かれるけれども、実のところ授業はそれとは関係なく、選んだ先生の元に生徒が行って、そこで授業を受けると云う、要は大学みたいな授業の受け方なのである。だから毎時間、本来の教室に教科書やらを取りに戻りはするけれど、だいたいあっちへ移動して、こっちへ移動して、それが終わればここへ移動して、……と云うように、学生からすると面倒くさいだけのシステムを、私はこなしていた。
で、私は最初の週の木曜日、うっかり教室を間違えてしまって、微妙に食い違った席順に違和感を覚えながら座っていたのであるが、チャイムが鳴る少し前、目の前に黒い人の気配を感じて目を上げると、――彼女が居た。
「あ、あの、……」
と鈴のような綺麗な声が私にかかる。
「は、はい?」
ときっと変な声を出してしまっていただろう。何せ目線よりもずっと上に彼女のスカートと裾の切れ目が見えるのである。それに、天井を見るように顔を上げると、「美雪」と云ふ名にふさわしい綺麗で大人びた顔つきが見え、私は必死で歯が震えるのを抑えていた。
「もしかして、間違えてませんか? そこ私の席だと思うんですけど、……」
「あれ? えっと、もしかして、次は化学ではない?」
「そうですね。次はここ古典になってます」
ペロリと彼女が席順等々を記している紙を見せてくれる。
「えっ、あっ、ほんとうだ。……ご、ごめん。通りで変だと思った。……」
と、私は立ち上がった。――のだが、立ち上がった感覚がまるでしなかった。私の眼の前には彼女の豊かな胸元があったし、ぐいと見上げないと彼女と目が合わせられないし、私の腰と彼女の太ももの腹がだいたい同じ位置に来ているし、……要は座った状態で人を見上げる時の景色が、そこには広がっていた。――
「いや、ごめんね。どうぞ」
と足早に過ぎようとしたのであるが、焦りが顔に出てしまっていたのか、
「くすくす、……次からは気をつけてね」
と、柔らかな笑みを浮かべられた彼女に、私は手を振られながら教室を後にした。
ただただ恥ずかしかった。一目惚れをした相手に笑われて、第一印象が肝心なのにこれでは、……と思って、次の授業中泣きそうになっていた。
ところが話はこれだけではないのである。明くる日、教室を移動していると廊下に彼女の姿が見えたので、自然私は隠れるように次の授業の教室に入ったのであるが、なんとそこに彼女が、扉の上に頭をぶつけないよう身をかがめて入って来た。しかも私の横の席に座ってくるのである。私は窮屈そうに横へ放り出されている彼女の足の筋と肉の織りなす芸術に見とれつつも、教科書と、ノートと、筆��用具を取り出す彼女を眺めていた。――と、その時、ひらひらと、扇のように大きな手が右へ、左へ。
「こんにちは。今日は間違えてませんよね?」
とくすくすと笑ってくる。
「たぶんね。誰もここに来なかったら、大丈夫だろう」
この時の私はなぜか冷静だった。それでも彼女のくすぐったい笑いに顔を赤くしてはいたが、……
「ふふ、そうなってからは遅いんじゃありません?」
「ま、でも、同じ教科書を出しているあたり、間違ってはいないんだろうな」
「ですね、――」
とチラリと時計を見た。
「自己紹介、……しましょうか」
「だな。でも、その前に、俺に敬語なんて必要ないんだけど?」
いえ、これは癖なので、……と云ってから彼女は自分の名前を云い出した。旧姓は笹川と云う。私はどこそこの中学校から来た者で、地元はあそこで、今はスクールバスで通っている身で、家で飼っている兎がたいへん可愛くて、……などなど意外にも自身のことをたくさん喋る。
「へえ、笹川さんはあの辺りから来たんだ。俺もお爺ちゃんがあそこらへんに住んでるから、よく行くよ」
「それなら、すれ違ってるかもしれませんね。――ところで、笹川〝さん〟はやめてください」
「笹川さんが敬語をやめたらね」
「うぅ、……橘さんのいぢわる。ひどいです。……」
とわざとらしく手を目元にやるので、私はその見た目とは反対のお茶目っぷりに声を出して笑った。
この日が契機となって、私たちは週に一度だけ、それも10分だけある休み時間のみではあるが、よく話をしたものだった。私の緊張も次第に溶けていって、一ヶ月もすれば、ごく自然に美雪の前で振る舞えるようになっていた。が、彼女の長身ぶりは半端なものではなく、毎回教室をかがんで入ってくるし、普通のボールペンやらシャーペンがミニチュアサイズに見えてしまうし、相変わらず私の頭は彼女の胸元にしか辿り着いてないし、何より足を前に伸ばせば前の席からかかとが出てしまうのには、驚きで目を見開いてしまった。すると美雪はハッとなって足を引っ込めるのであるが、その仕草がまたいじらしくて、辛抱するのも限界であったかもしれない。
当然、彼女の身長については様々な憶測が飛び交っていた。180センチだの190センチだの、はたまた2メートルは超えているだの、何度聞いたことか。一応男子で180センチはある同級生が居たから、わざと並ぶように立ってもらい、それを色々な角度から見て目算で美雪の身長を見積もると云う方法をやったことがある。が、彼女は話している時には下を向くのと、体を使って話そうとするから上手くはいかなかった。それでもなんとか見てみると、182センチの男子生徒の頭の天辺が、彼女の顎程度にしか辿り着いてないのである。と��うことは、彼女が小顔であることを考慮すると190センチと、もう少しあるぐらい、とにかく190センチは超えている、――という結論に至った。
私はこの話を馬鹿らしいと思いながら聞いて、その実どれほど心を踊らせていたか。たった一ヶ月前には中学生であった女子高生が、男よりも遥かに高い、190センチを超える身長を持っている。……これだけ分かれば、もう夜のおかずには困らない。しかもめちゃくちゃかわいい、奥ゆかしい、麗しい、……
より私の心を踊らせたのは、中学生時代から美雪の友達だと云う女子の話であった。聞くと彼女は小学生の時にすでに180センチ以上あり、ランドセルが背負えないからトートバッグか何かを持って通学していたと云う。それで中学に入ると、身長の伸びは鈍くはなったが、身体測定のたびに先生を驚かせていたから190センチ以上と云うのは確かだと思う。色々あるけど、すごいのはプールの授業の時で、水深1メートル10センチだったから、みんな胸元に水面が来ていたんだけど、彼女だけ股のあたり、――腰にも水面が届いてなかった。笹川は背が高いけど、本当に恐ろしいのは足の長さなんだよ。君も座ってると別にあの子があんなに背が高いとは思わないでしょ? と云うのである。
たしかにその通りである。私は当時、美雪と基本的に話をすると云えば、互いに座ったまま声を交わすことだったから、しばしば目が合ってしまって顔が赤くなるのを感じたものだった。彼女の上半身は普通の、……少し大柄かな? と思う程度、……恐らく原因は豊かな乳房にある、……裸を見ることの出来る今だから云えるが、背が高いとは云っても、少なくとも私よりは細い。……いや、やっぱり胸はちょっと大きすぎるかもしれない。……
それで、だいたい彼女の身長は190センチ台だということが分かったのであるが、あまりにもはっきりしないものだから、なぜか私に白羽の矢が立ったのであった。恐らく私があまりにも楽しげに美雪と話していたからであらう。
「あー、わかんね。たちばなー、お前聞いて来てくれよ」
「えっ、何で俺なんだよ」
「だって俺たちっていうか、1年の男子の中で、笹川と一番仲が良いのってお前じゃん?」
「それは、まあ、自負してるけど、……だけどこういうのはコンプレックスになってるかもしれないから、良くはないだろ」
「けどお前も、もっと仲を縮めたいだろう? ならいつかは聞かなくちゃいけないから、ほら、ほら、行くぞ」
「あ、ちょっと、まっ、………」
と、俺は昼休みの時間、まだ食べ終えていない弁当を尻目に連れ出されてしまった。
とは云っても、他人のコンプレックスになってるかもしれない事柄に口を出すのはご法度であるから、もぐもぐと色鮮やかな弁当を食べている美雪の前に立たされた私は、頭が真っ白になっていた。ニヤニヤと笑いながら見てくる友人には、今思い出しても腹が立つ。
「あ、……」
「うん? どうしました?」
「あ、いや、なんでもない。あー、……こ、今度の日曜��ユニバでも行かないか?」
なぜ、デートの誘いになったのかは、私自身も分からない。ニヤニヤと笑っていた友人は口を開けて止まっているし、彼女の周りに居た女子数名もパントマイムのように動きが止まっているし、そもそも��話として教室中がしいんと静まりかえってしまった。なんでこんなことを云ったんだ、今すぐにでも教室から出て行きたい、……そんな思いがあって、誤魔化すように頬を爪でかいていたけれども、美雪だけは、あの柔らかい笑みを浮かべていた。嫌味も嫌悪も全くない、今でも私だけに見せるあの、純粋に好意に満ちた笑みを。
そんな美雪だったから、当然デートには行くことになったのであるが、私としては出来るだけその時の事は思い出したくない。それまで恋愛の「れ」の字も味わったことのない小僧が、いきなり女性とデートだなんて、――しかもほとんど自分の理想と云っても良いほどの体と性格を持っているのだから、それはそれはひどい有様だった。
まず、会話が上手く続かない。彼女が頑張って話題を振ってくれるのを感ずる度に、逃げ出したくなった。実は友人数名がこっそりとついてきていたらしく、あの後かなり揶揄されたのもきつい。それに、歩幅が違いすぎて、始終小走りでなくては彼女についていけなかったのが、何よりも情けなくてつらい。
それほどまでに、彼女の足は長いのである。具体的に云えば、彼女の膝下と私の股下がおおよそ同じなのである。裸足であれば言い過ぎなのであるが、あの日美雪は底のあるブーツを履いており、並んでいる時にこっそりと比べてみたところ、足の長さが倍くらい違う。目線を落とすとすぐそこに彼女の豊満なお尻、……が見えるのはいつものことなのであるが、あの日はタイツかストッキングで包まれた彼女の膝が、ほんとうに私の足の付け根と同じ位置にあった。
デート後半になると、私が息をきらしながら遅れてついてくるので、美雪はとうとう手を繋ごうと提案した。承知した私の手を包む彼女の手の暖かさは、初夏であってもやさしく、一生忘れられない。……が、却って大変であった。彼女は意外と力が強く、疲れて足取り重くなった私の手をしっかりと握って引っ張るものだから、感覚としては無理やりマラソンをさせられているのに似る。グイグイと他の客をかき分けて行く彼女に、けれども手の心地よさを味わいたい私は、無理でもついていくしかなかった。
その様子がどんなものであったかを知ったのは次の日であった。勝手についてきた連中が写真を撮っていたと云うので、見せてもらったところ、――いや、もう忘れたい。お姉ちゃんに無理やり連れてこられた小学生の弟が、手を繋がれてやっとのことで歩いている様子が、……あゝ、今でも時折その写真は見ることがあるのだが、まさに大人と子ども、……周りの人々にそういう風に見られていたと云うだけでも、私はもう我慢できなくなる。違う写真には、私��疲れて下を向いていた時の様子が映し出されていたのであるが、それもむくれてしまった子どものように見える。……私は美雪に嫌われたと思った。せっかくデートに誘ったのに、こんな情けない男と出歩くなんてと、思っていた。
が、彼女は彼女でかなり楽しんだらしい。明くる日のお昼休みにわざわざこちらの教室にまで出向いて、昨日は楽しかったです、お誘いありがとうございました、ところで次はどこに行きましょう? 金曜日に言い合いっこしましょうか。では、ほんとうに昨日はありがとうございました。と云って、呆気にとられているうちに出ていってしまった。
美雪とはそれからどんどん心を寄せ合って行った。とは云っても、私も彼女も非常な奥手で、弁当を一緒に食べることすら一年はかかった。キスをするのには丸ごと二年はかかった。お互い奥手過ぎて告白というものをせず、自然の成り行きにまかせていたせいなのだが、だからこそ初キスの耽美さは際立っていた。それは私たちが高校3年生に上がる頃だっただろうか、すっかり寒さが和らいで、桜もほとんど散っていたから4月ももう後半と云った頃合いだらう。どうしてキスなどと云うものをしようと思ったのかは分からない、それすらも成り行きに任せていたから。だが、確かに憶えているのはどんどん近づいてくる彼女の唇である。
確か、キスをしたのは階段の踊り場であった。ベタな場所ではあるが、学校の中であそこほど気分を高めてくれる所はなかろう。奥手な私たちにはぴったりな場所である。階段を二段か、三段上がったところで美雪は私を呼び止めた。
「優斗さん、……あ、そのままで。……」
相変わらず「さん」付けはしていたが、その頃にはすっかり、私たちは下の名で互いを呼び合っていた。
「どうした?」
と云っているうちにも美雪は近づいてくる。――不思議だった。いつもは下から見上げる美雪の顔が今では、――それでも彼女は私を見下ろしてはいたが、まっすぐ目の前に見える。
「……目を閉じてください」
いつの間にか頬を、顔を、頭を彼女の大きな手で包まれていた。薄目を開けてみると、もう目の前まで彼女の顔が近づいてきている。あっ、と思った時には唇と唇が触れ合っている。……
頬から暖かい手の感触が無くなったので、目を開くと、顔を赤くしてはにかむ美雪と目が合った。きっと私も同じような顔をしていたに違いないが、その時はもう目の前に居る女性が愛おしくて愛おしくて、このまま授業をサボって駆け出したい気持ちに駆られた。
「さ、早く行きましょう。もう予鈴が鳴りましたよ」
と一息で私の居た段を飛び越すと、こっちの手を取ってくる。
「ああ、そうだな。……」
私はそれくらいしか言葉を発せられやしなかった。
それからの一年間は、美雪との勉強に費やした。もっとも私は教えられるばかりではあったが、そのおかげで、受験はお互い無事に突破できて、お互い無事に同じ大学へ通うことになった。残念ながら大学時代は一つの事を除いて特筆すべき事がまるでない。全くもって平々��々としたキャンパスライフだった。
さて、その「一つの事」なのであるが、それは何かと云うと、ついに彼女の身長が判明したのである。大学二回生の時の健康診断の時だったのはよく憶えている。私は長い行列に並ぶのが面倒で飛ばそうかと思っていたのだが、朝方下宿先へとやってきた美雪に、それこそ姉弟のように引っ張られる形で、保健センターへと向かった。レントゲンこそ男女別だったものの、血圧身長体重を測る列に並ぶ頃には、私はまた美雪の後ろにひっついて歩いていた。
彼女は相変わらず女神のような存在だった。後ろに居る私は云うまでもないとして、列に並ぶ誰よりも頭二つ三つは突き抜けている。みんな、彼女からすれば子どもである。誰も彼女には敵わない、誰しもが彼女の弟妹でしかない。ただ私だけが彼女の恋人であった。
事が起こったのは私が身長を測り終えた時である。美雪は私を待っていてくれたのだが、ちょうど私たちの間には微妙な段差があって、胸元にあった彼女の診断結果が見えてしまっていたのである。苦い顔をしながら眺めていたから、横から来た私に気が付いていなかったのかもしれない。だが普段は気が付かなかったところで何も見えない。彼女の胸元と云えばちょうど私の頭の天辺なのだから、背伸びをしなければ、何があるのかも分からない。――が、とにかく、その時の私には、小さいカードに刻まれた下から二つ目の数字がなぜかはっきりと見えた。そこには198.8と云う数字が刻まれていた。余裕があったから私のカードを見てみると、167.4と云う数字が刻まれているからきっとそれは身長で、なら彼女の身長は198.8センチ、……もうあと2センチも大きくなれば2メートル、……2メートル、2メートル、………
胸の高鳴りは、しかし保健センターの職員に邪魔をされてしまって、その後教科書を買いに行くと云う美雪に引っ張られているうちに消えてしまった。が、その日私の頭の中にはずっと198.8と云う数字がめぐりにめぐっていた。あの時の、高校生の時の、190センチ以上は確実にあるという話は確かであった。美雪の身長は198.8センチ、多少の違いはあるとしても、成長期を終えようとしている女の子の身長が、そう違うことは無いはずである。ならば、少なくとも高校に入学した時の美雪の身長は195センチはあったはずである。なるほどそれなら182センチの男子が並んだところで、顎までしか届かなかったのも頷ける。扉という扉を〝くぐる〟のも頷ける。自販機よりも背が高いことも頷けるし、電車の荷物棚で体を支えるのも頷けるし、私の下宿先の天井で頭を打ったのも頷ける。私はとんでもない女子高校生と、あの日出会い、あの日お互いを語り合い、そして、あの日恋に落ちたようである。
結婚をしたのは私たちが特に留年することもなく、大学を卒業したその年であった。恥ずかしながら美雪と初めてしたのは初夜だった。服を脱いで、下着一枚となり、私の前であの大きな乳房を隠そうと腕をもじもじさせる彼女の姿は、いつもと打って変わって、まだ年端のいかない少女のものであった。私はゆっくりとブラジャーを取って眺めた。カップの左下にあるタグには65P と云う英数字が並んでい���。天は美雪に何もかもを与えていた。体も頭脳も美貌も境遇も、何もかもを彼女は持っていた。P カップのブラジャーは途方もなくいい匂いがした。私は実際に彼女の乳房に包まれたくなった。美雪は私を受け入れてくれた。乳房のあいだに辛うじて見える私の頭を撫でてくれた。力の入らない私の背を撫でてくれた。私は彼女の恋人でも弟でもなかった。ただの赤ん坊であった。私はいつしか彼女をこう呼んでいた。
「まま、……」
と。――
一度やってしまえば美雪も私も枷が外れたのか、週に一度とか、月に一度のペースではあるけれども、性行為に勤しんだ。殊に嬉しかったのは彼女が私の様々な要望を答えてくれることであった。もうすでにお分かりの通り、長身女性そのものを性癖として持つ私はずっと昔からそういうプレイをしたくしてしたくてたまらなかった。時には男が床でするように、彼女の太ももにモノをこすり付けたり、時には壁際で圧迫されながら素股、――と云ってもほとんど膝のあたりにしか届かなかったが、彼女の乳房の匂いを嗅ぎながら情けなく太ももで扱かれたり、時には上から押さえつけられるようなキスと手コキだけで射精に至ったり、様々な長身プレイを楽しんだ。
特に、私が気に入ったのは美雪の腕力に任せたプレイだった。先にチラリと出てきたのであるが、彼女の力は強い、……いや、強すぎる。もう何度、ひょんなことで体を浮かされたか。朝眠気にかまけて眠っていたら、ふわり。電車で倒れそうになったら、ふわり。性行為の時に「だっこ」と云ったら、ふわり。重くはないのか? と聞くと、優斗さん軽いんだもん、全然重くないよと云う。私も身長こそ167センチで止まっているが、体重は55キロあるから決して軽くは無いはずである。それを軽いと云って、ふわりと持ち上げられるのは驚異的であるとしか言いようがない。
一度、遊びだからと云って、握力計を握らせたことがあった。3000円ほどの玩具のような握力計ではあったが、100キロまで測れると云うので、さすがにそのくらいあれば良いかと思って買ってきたのである。案の定、美雪は全力を全く出してくれなかった。デジタル表示を見ながら、ちょうど25キロか30キロほどで測定を止めて、手渡してくる。ちゃんとして、と云っても笑ってごまかさ��る。結局その日は諦めて、また機会があればと思って、それっきりになっていたのであるが、数カ月後のある日、部屋の片付けをしている時に件の握力計が出てきたので、そう云えばあの時自分が測ってなかったなと思って握ってみると、なぜかスカスカする。握力計だから、握ると手応えがあるはずだが、……? と思いながらもう一度握ると、やはりスカスカする。不思議に思って適当にボタンを押していると、100、28、31、27、……と云った数字が出てくる。2つ目以降の数字はまさにあの日美雪が出した結果であった。と、云うことは最初の100と云う数字は一体、……? あの日以来、自分はこの握力計には触っていない。それにこの壊れた取手の部分も気になる。……そこで私はある結論に至り、背筋を寒くした。美雪を怒らせてしまったら、一体どうなる。……? 本気で手を握られでもしたら、……? 私の股間は熱くなる一方であった。
だが、彼女の力の強さを実感するに従って、漠然とした物足らなさが私を襲っていた。美雪にその力を存分に発揮させて、己の無力さを味わいたい。行為に到る時、彼女はどこか一歩引いたような風采(とりなり)で私を痛めつけるのである。それは本来美雪の性癖がそっちでは無いからでもあるし、まさか夫にそういうことをするわけにはいかないと云う思いもあるのであらう。赤ちゃんごっこはそこを上手くついてはいるが、やはり彼女にはその力でもって、私を嬲ってほしい。もっともっと、私を蔑んでほしい。……
とは云っても、美雪は完璧な良妻賢母である。何時に家に帰ろうとも起きていてくれて、しかも笑顔で迎えてくれるし、ご飯は物凄く美味しいし、家事は何一つ抜かり無く行うし、夫への気遣いはやりすぎなほどである。私はとんでもない女性を嫁にもらったようであった。毎日が幸せで、毎日が楽しく、充実している。――
だが、そんな私と美雪のしあわせな結婚生活は終わりを迎えようとしていた。なぜなら、……
「パパ! パパ! 居るよね、聞いて聞いて!」
と娘の詩穂里が、〝腰を折り曲げながら〟書斎に入ってくる。全てはこの娘とのいびつな関係が原因なのである。――
詩穂里が生まれたのは結婚してすぐのことであった。まさかこんなに大きな女性から生まれたとは思えない、小さな可愛らしい存在に、私たち夫婦は胸を打たれた。授乳のためにさらに大きくなった美雪の乳房から母乳を飲む姿は、天使のようにも思える。
詩穂里はすくすくと成長した。それこそ退院時にはすでに同年代の子よりも一回りほど大きかったのだが、美雪が痛がっても母乳を求め続けた結果、離乳期はもとより幼稚園に入る頃には、一人だけ小学生が紛れたかと思うほど、娘は大きくなっていた。妻は、私もそんな感じだったから、別にいじめられていなければ気にするでもない、と云うので見守っていたのであるが、詩穂里とその組の集合写真を見てあろうことか、私は明らかに娘に、――それもまだ小学生にも至っていない女の子に向けるべきでない欲望が芽生えるのを感じた。美雪が撮って見せてくれる写真や動画もまた、かわいいかわいいとは口で云いながらも、その実私はその、他の子と比べて倍はあろうかと云う体格をした娘に股間を固くしていた。
小学生に上がった娘は相変わらず大きかった。他の子と比べるのは云うまでもないが、小学三年生になる頃には男の先生と比べても遜色なくなっていた。その時にはもうすでに身長160センチ近かったであろうか、気がついた時には私も詩穂里に背の高さで追いつかれつつあった。小学生のまだあどけない顔つきが日を追う毎に高くなって行く。……私はこの年になって久しぶりに、負けて悔しいという感情を抱いていた。
結局負けたのは詩穂里が小学四年生のときであった���ろうか、立った時にやたら目線が合うかと思いきや、次の週には少し上から、次の月には娘ははっきりと私を見下ろしていた。そしてあろうことか、
「あれ? パパなんか小さくない?」
と云って、自身の頭から手をすっと横へずらしてくる。その手は明らかに数センチは私の上をかすめていった。
「ふふん。パパに勝っちゃった。ほめてほめて!」
「あ、あぁ、……よくやった。……」
私の声はかすれ声となっていた。
「ダメよ。そういうことしちゃ。パパだって意外と気にしてるんだから。ほら、ごめんなさいは?」
「あ、……えと、ごめんなさい」
詩穂里は美雪の云うことは聞くと云った風で、そこには妻の背の高さに対する尊敬の念が含まれているらしかった。
次の年、つまり詩穂里が小学5年生となった時、娘の身体測定の結果を見た私は愕然とした。そこには182.3センチという数字が並んでいた。180センチオーバーの小学5年生、……それが我が娘だなんて信じられやしなかった。
もうその頃には詩穂里は私よりも頭一つ以上は大きく、親子三人で出かけると決まって間に挟まることになる私のみすぼらしさは計り知れなかったことであろう。方や2メートルまであと一歩の美女、方や小学5年生にして180センチを超えた美少女。しかもヒールのあるブーツを履くので、外では二人の身長差はなくなる。……私は小人になった気分で、両者に手を引かれてついていくしかなかった。いや、小人と云うよりは囚われた宇宙人と云った方が正しいか。ある時、公衆の面前で、いきなり詩穂里が手を上げて、
「ほら、お母さんも」
と云うので、美雪も手を挙げる。私はあっさりバンザイの格好になったのであるが、肩に痛みを感じるや、次第に地から足が浮く感覚がする。――
そういう時がもう何度もあった。それに、二人とも、私の耳が自分たちの口の30センチは下にあることを利用して、コソコソとこちらをチラリと見つつ話をするのである。そして大概の場合、私は二人に挟まって、前からは美雪が、後ろからは詩穂里がという風にどんどん圧迫してくるのである。二人の長身美女に挟まれて身動きの取れない男、……想像したくもないが、一体どのように傍からは映っているのであろう。
そんな娘との関係が歪になり初めたのは、このペースで身長が伸び続ければ190センチも軽いと思っていた矢先のことであった。これは私たち夫婦の落ち度なのであるが、どうも夜の営みと云うものを見られたらしい。とは云っても、そんなに重いものではなくて、ただ妻に持ち上げられて背中をぽんぽんと、……要は赤ちゃんをあやすように抱っこされていた光景を見られたらしかった。
だが、小学5年生の女の子にとっては衝撃だったのであろう。明くる日、ちょうど折り悪く土曜日だったから、昨晩の余韻に浸りつつ、ソファに寝転がって本を呼んでいたところ、突然、
「パパ」
「ん? どうした?」
「ちょっと立って」
とニヤニヤと笑いながら云ってくる。手を伸ばして来ていたので、掴んで立ち上がると、
「そのまま立っててね」
と云われる。相変わらず小学生らしからぬ圧倒的な体つきであった。私の背は娘の肩までしか届いていなかった。目線は彼女の胸元であった。神々しさを感じ��いると、詩穂里は唐突に脇の下に手を入れてきた。そして、気がついた時には、――私は彼女と目が合っていた。
「え、……うわ! しほ、下ろしてくれ!!」
とジタバタと、地につかぬ足を動かすが、娘には何の抵抗もなっていないようである。そもそも私を持ち上げるのに全然力を使っていないようであった。無邪気な声で、
「あははは、パパかるーい」
と私を上下させながら云う。
「や、やめてくれ!!」
「ふふふ、わたし昨日見ちゃったよ。たかいたかいしてあげよっか」
「やめろ、たのむ、詩穂里!!」
「えー? やだ」
私の叫び声を他所に、詩穂里はさらに手を上へ。
「ほーら、たかいたかーい」
「うわああああああ!!!」
脇腹に感じる激しい痛みもあったが、それ以上に、天井に頭をぶつける恐怖の方が強かった。私はとにかく手も使って暴れたが、妻譲りの怪力を持つ娘には全くもって通じていない。
「ふふん、どう? もう一回?」
「や、やめて、……やめてくれ」
「やだ。それ、たかいたかーい!」
それが幾度となく繰り返された。小学生の娘にたかいたかいをされる恐怖と屈辱に私は涙を流しそうにもなっていた。――と、その時、折良く野暮用から美雪が帰ってきたらしく、部屋に入ってくる。
「あら? 二人とも何やってるの?」
「パパにたかいたかいしてあげてるの!」
「そう、ならもっとしてあげてね」
「美雪、……助けてくれ。……」
「優斗さん、実は楽しんでるでしょう? 私はまだやらないといけないことがあるから、もうちょっとしほの相手をしてあげて。大丈夫、怪我しないように手加減はしてくれるから、ね? しほちゃん?」
「うん! じゃあパパ、もう一回行くよー?」
――全く、私はとんでもない女の子を娘に持ってしまったようである。小学生なのに、背は私よりもう30センチ近くは高い、顔は可愛い、力は怪力、……それに生まれつきのサディスティックな性質。……この時、詩穂里にたかいたかいをされながら、私は美雪では満たされ得なかった何かが自分のなかに満ちていくのを感じた。
そして、その感覚は以来、続くことになった。と、云うのも、詩穂里はこの日以来、しばしば私を相手にたかいたかいやら、美雪のように抱っこをして背中をぽんぽんと叩いてくれたりするのである。彼女からするとごっこ遊びの一種なのであろう。体つきこそ大人顔負けなのに、心は小学生のままである。
そう云えば、家族三人で海に出かけた時は特にひどかった。私は沖に出る二人について行ったのであるが、あっという間に足が底につかなくなってしまった。見かねた美雪に引っ張られて抱きかかえられたものの、それに嫉妬した詩穂里に、
「ほら、パパおいでおいで」
と無理やり妻の柔らかい体から引き剥がされる。そして、
「もう、小さいのに無理して出てきて、溺れたら困るでしょ?」
と云う。もはや子供扱いだったが、さらに、
「なら、溺れないように詩穂里お姉さんと一緒に特訓しよう! ほら、まさとくん、手は離さないからゆっくりと浮いてごらん?」
と、本当に泳ぎの練習が始まってしまった。極めつけには、妻と娘よりも私が先にバテてしまって、注目を浴びる中、詩穂里の胸に抱きかかえて海から上がったのである。
公衆の面前で、小学生の娘に抱きかかえられ��父親、……もうたまらなかった。私は妻よりも娘の方にすっかり好意が移ってしまった。まだ未発達な詩穂里の乳房を感じながら、その力強さと、その優しさに酔いしれていた。この時はまだ、あんなことになるとは思ってはいなかった。
あんなこと、と云うのはそれから実に一年が経った頃合いの出来事である。詩穂里は小学6年生、春の身体測定では身長はほとんど妻と変わらない193.4センチだと云う。顔つきもどこか妻に似て、おしとやかである。もう私では背伸びをしても娘の肩に届かない。寝る時は湯たんぽにしかなっていない。普段はほとんど子供をあやすような甘い声しかかけられない。
そんな中、私はある日曜日、大学の同級生とちょっとした遊びに出かける予定があって、支度をしていたのであるが、いざ出かけようと自室の扉を開こうとした時、向こう側から勢いよく詩穂里が入ってきた。当然、屈んで扉をくぐる。
「パパ、どこへ行こうとしてるの?」
いつもとは違うトゲトゲしい調子に、私は相手が娘だと云うのに怖かった。
「いや、ちょっと友達とな。……」
「へえ、そう」
「あ、遊びに行くから、……」
「ふぅん? そうなんだ。わたしとの約束よりもパパは友達との遊びを優先させちゃうんだ」
約束、……たしか先週か先々週に詩穂里と一緒に、――思い出した時には遅かった。私は壁際に追い詰められていた。
「ま、まって、それはまた来週、来週に行こう、な?」
「パパ」
「だ、だから今日は、家でおるすば、……」
「パパ?」
「は、はい」
私を追い詰めた詩穂里はどんどんと近寄って来て、一人の小��な男をその体でもって潰そうと云わんばかりに密着してくる。彼女の胸と壁に挟まれた頭に激痛が走り、私は呻き声をあげる。
「やっぱいいや、行ってもいいよ。許してあげる。でもそのかわり、わたしはずっとこうしてるから」
「うがああああ!!」
「あ、思いついた。じゃあ、こうしよう。このままパパがわたしから逃げられたら、約束のこと無しにしてあげる。でも、出来なかったら。……」
「あ、ひっ、うああ!!!」
と私は詩穂里の体を跳ね除けようとしているのであるが、それは約束云々と云うよりも、この激痛から逃れられたい一心からであった。
「ふふふ、よわいよわいパパ。小学生の娘にも勝てないなんて、……ほら、頑張って、頑張って」
と詩穂里は馬鹿にしたように云う。そのうちにもどんどん彼女の力は強くなっていく。
「ね、パパ、今日はさ、わたしと一緒にいけないことしようよ。お母さんには内緒で。あと10分で逃げられなかったら、そうしようね」
と、その「いけないこと」を暗示するように、太ももを私の股間にこすりつける。
もうどうしようもなかった。気がついた時には私は手を取られてバンザイの格好をしていたし、娘の太ももに座るようにして足は宙に浮いていた。抵抗する気なぞ、とうに消えていた。
結局、その日は本当に美雪には適当を云って、大学の友人には子どもが熱を出したと云って、詩穂里とホテルへ向かった。……この先は云うまでもなかろう。彼女の初めてとは思えない手付きや言葉遣いで、私の娘に対する長年の欲望は全て搾り取られてしまった。行為の最中、私に主導権はなかった。ただひ��すら、歳の離れた実の娘のなすがまま、存分に嬲られ、痛めつけられ、挙句の果てにはその余りの神々しさに彼女をこう呼んだ。
「まま、……」
と。――
「パパー? 聞いてるー? 今日ねー、――」
と詩穂里は私の眼の前に腰掛けた。つい数週間前に中学生になったばかりの彼女はもう妻よりも大きい。私からすると二人とも巨人のように見えるのであるが、明らかに詩穂里の頭の方が、美雪よりも高い位置にある。少し前に、とうとうお母さんよりも大きくなっちゃった! と、はしゃいでいたのは記憶に新しい。
――その時、嬉しいことを思い出した。娘は今日、身体測定だと云って家を出ていっていた。
「久しぶりに身長測ったんだよ! 聞きたい?」
「あ、ああ。……」
グイと近づいてくる、詩穂里は、誰にも聞こえぬと云うのに、私だけに伝わるよう耳打ちをする。
「2メートルと、7センチ、……だよ!」
「2メートル、2メートル、7センチ、……2メートル、2メートル。……」
「そんな何度も云わなくていいじゃん。もう、パパはお馬鹿さんだねぇ」
と、云いながら詩穂里は私の体を抱きしめる。
「ね、約束、覚えてる?」
「も、もちろん」
「良かった。ほら、おいでまさとくん」
と私の顔を豊かになりつつある胸元に抱き寄せる。私は彼女に体をすっかり預けて、その甘い匂いに頭をとろけさせた。
「まま、……」
「んふふ、また今夜しようね、まさとくん」
だらりと垂れた私の体を愛おしく抱きしめながら、詩穂里は子守唄を歌った。それは鈴のように美しく、よく通る音色だった。
(おわり)
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手帳の話
自分が自分のために何かしたのはいつのことだったかをすぐ忘れる。映画を観て印象的な台詞や演出を噛みしめたこと。好きな漫画や小説を読みふけったこと。その行間をたぐって文章を綴ったこと。響きの良い句歌や詩の一節を好きな色のインクで書き留めたこと。初めて見る古いもの、伝わったものを作り出した時代や人間の営みに思いを馳せたこと。美味しいものを食べたこと。誰かと会ったこと。知らない場所へ出かけたこと。いつもの場所で過ごしたこと。自分が書きたいためだけにちまちま小説を書いていること。 それらすべてが、半日もすれば幾月も幾年も昔のことに思えてしまう。美しいものはいつも遠くにあると錯覚する。写真を見て���それがつい先週の出来事という実感がない。昨日書き上げて公開したばかりの小説が古びて見える。そしてどうにもならない虚無に呑まれる。生きてるのになんにもできてない。なにもしてない。なにもない。 なんにもしてないしなんにもないわ、と昨年末Twitterにつぶやいたら急に数十件の通知が来て、何事かと思ったらすべてたったひとりのフォロワーさんによるRTだった。この一年で自分がツイートした映画や小説や展覧会の感想、綴った文字、創った作品、見た風景、美味しかった思い出、棚に迎えたお気に入り、それらが突然自分の目の前に流れてきた。どれも自分にとっては良い出会いだったから忘れないように撮ったり書いたりしたはずなのに、いま見てもこれは良いものだったと確信が持てるのに、今年のものだと覚えていたものは半分にも満たなかった。半年前に観た現代詩のインスタレーションの展覧会をもう3年は前のものだと思っていたのはショックだった。なんにもしてないなんにもないという虚無感はただの幻覚だった。 ではこの焼かれるような空虚はなんだ。渇きはなんだ。虚無の分際で今日を終えるのは悪だ罪だと毎夜毎夜の底に溢れる焦燥が嘘で、不眠と不安に病んで労働もできずにいる現状ばかりが嘘ではないとはどういう。
どういう。

とにもかくにも、幻覚から与えられる暴力は完全に余計な苦しみである。ないものに人生を割いている場合ではない。 まず自分のために何をして何と出会って何を持ち帰ったのかを、振り返る場所が必要だった。自分で自分のツイートを���るのは悪手だった。すべて自分のためにやっていることとはいえ、自分が良いと思ったものが多くの他人にスルーされている現実を直視する作業は事故が起こりかねない。なんにもないという幻聴が肥大化する。作業の成果が芳しくなければどうせ心が折れる。たわいもない一年分の他人の戯言からその人間にとって良い出会いだったであろうものをひとつひとつ拾って掌に乗せて見せるような、先のフォロワーさんの行いがたいへんありがたかった理由はそういうところだ。 できれば個人的な記録に留めたい。やたら遡らずとも一瞥で俯瞰できる記録がいい。一目で視界に収まる大きさと、何を書いても許される自由さと、どこに何を書くか迷わない易さと手間がかからない身近さ、短さ。「ちゃんとしてない」感が滲んでメンタルを倦ませることがないように、最低限の記録でもそこそこちゃんとして見える形式のもの。 まあ手帳だろうな、と思い至った。 手帳は毎年買っているがいかんせん使いかたがへたくそだ。年の半分までは仕事の予定や映画の公開予定日などをそこそこ書き込んでいるのだが、年末に近づくにつれ手帳を開くメンタル的余裕が死んでいく。予定やToDoは付箋に書いてデスクに貼り付けておくのが早いし終わったものから剥がして捨てていかないと終わった気がしない。平日休日寝込んで過ごして結局観に行けなかった映画の、公開予定日だけが書き込まれている手帳は視界に入るたびHPを削られる。果たせなかった予定だけ消しゴムで消したいのに同じ日付のマスに書き込んだボールペンの字がこすれて広がる。貼ってはがせるはずのシールが剥がれず醜い爪の痕が紙面に残る、紙ごと剥がれてみっともなく毛ばだつ、ここまでくるともう嫌になって自宅の床で丸まるしかない。手帳を使う才能がない。 それでいてまだ手帳かと言われるとぐうの音も出ないのだが、要は変動する予定を管理する才能がないのであって(言ってて悲しくなってきた)、確定した結果を書き留める才能はあるかもしれんのである。事実これまでノートのまとめかたが分かりやすいとか、まとめた感想がコンテンツを浴びるきっかけになったとか、プレゼンが上手いとか、ありがたいことにそっちの方面でお褒めいただいた経験は何度かあった人生である。他人から見てそこそこ得意であるらしい能力を他人ではなく自分のためだけに使う、というのはかなり贅沢なこと��ちょっと気が引けるけれども、人間は自分で自分を幸福にする、ないし幸福にせねばならない生き物なので、「おまえはおまえのためにこうした良いものを与えておまえをちゃんと幸福にしようとしている人間なのですよ」という事実を、ほかでもない自分自身に理解させるためには清貧など謡ってられないのである。清貧すなわち死。餓えて死にたくなくば張り切れおまえ。ここで張り切らんでどうする。
というわけで、『結果を記録する』ための手帳を探した。B6サイズで月間と週間、どちらの予定も書き込めるタイプのもの。週間の書式はバーチカルが望ましかった。「行動記録」をつけるためだ。 鬱病で休職している職員の復帰に向けたデイケアに通っていたときは、毎日「行動記録」をつけて提出することを求められていた。行動記録とは認知行動療法の一環で、その日の行動によってどんな感情が起こったか、感情によって体調がどうおかしくなったかを客観的に把握するためのものだ(と自分は理解した)。眠れない起き上がれない気持ち悪い外が怖いつらいしんどい吐き気すごい眩暈する寝たくない動けない何も手につかない頭回らないできない意味ない価値ない何、いまのおれは何、という不甲斐なさが全部どす黒いぐちゃっとした粘性の虚無が脂で覆われているだけの無意味な肉塊と化していたのがいちばん酷い鬱だったときの自分の状況なわけだが、このどす黒い虚無のいくらかは実は「気のせい」であると知るために認知行動療法はある(と自分は理解した)し、行動記録は実際やってみるとそういう効果があった。 やり方は認知行動療法の本に載っているのでほんとうに必要な方は調べたうえで用法容量を正しく守って実践してほしい。ここには基本だけ書く。午前・午後・夜の時間帯それぞれに自分が取った行動と、そのときの気分を記録する。「午前:寝ていた(鬱)、午後:掃除をした(集中)、夜:DVDを見た(楽しい→就寝前は不安)」くらいでいい。 こんなのでも二週間も続けていれば見えてくるものがある。いくら自分が「理由もなく寝込む無意味で無駄で無用な最底辺の人間」であることは事実!と思っていても、記録をつけていれば寝込んでいたのは前日のデイケアを頑張りすぎたせいで、家事は予定通りにこなせていて、つまり「理由もなく寝込む」のも「無駄で無用」な自分も「気のせい」だと知ることができる。自罰が習慣付いている人間はこれだけでもちょっとは息ができるようになるものだ。

デイケア通所期の行動記録は、ラコニックの「STYLE NOTEBOOK Weekly」というノートに付けていた。日付が入っていないフリー形式の週間ダイアリーで、見開き1ページに一週間分の記入欄が24時間のバーチカル形式で印刷されている。クリーム色の紙に薄いグレーの罫線、読みやすいが主張の強すぎない書体で構成されたノートは目にうるさいと感じることがなかった。 その日の行動と気分を簡潔に記録する。当然生じる数多の空欄は、放っておくと「何もしてない」幻聴が無限に湧いてくるので、好きな色柄のシールを片っ端からぺたぺた貼って塞いだ。病んで働けない虚無から逃れようと創作に走って走り過ぎていよいよ情緒と頭がおかしいことになっていた夏のさなか、創作を諦め、毎日ちまちまと自分の行動を書き取りシールを貼るだけの作業は手間だったが不快ではなかった。
ラコニック STYLE NOTEBOOK Weekly https://laconic-generalstore.jp/?pid=164509740
このノートを一冊使い切ったので二冊目を買おうかとも思ったのだが、手帳とノート二冊を抱えて出勤する手間を自分は惜しむだろうと予想がついた。文房具は大好きだがいっぱい持ち歩きたい欲はあまりない。手荷物はできるだけ少なく、お気に入りのものだけ携えていきたい。 そんなわけで昨年の末、手帳売り場で「マンスリー」「週間レフト」など書式ごとに分類されたラベルのなかから「バーチカル」をを探してはサンプルを開き、ああでもないこうでもないと呻いた末に辿り着いたのがNOLTYだった。
NOLTY公式サイト https://nolty.jp/
NOLTY(能率手帳)は1949年に日本で初めて「時間目盛り」入りの手帳を販売したメーカーだ。能率手帳という名称に「ビジネスマンのための手帳」といった���象を個人的に受けるのは、自分の父が掌に乗るほど小さく真っ黒な能率手帳を長年愛用しているせいだろう(朝から晩まで多忙な父があの小柄な紙束にどうやって仕事の予定をまとめているのかいまだに不思議だ)。実際「時間目盛り」は仕事の能率を上げるためのアイデアだったらしい。手帳売場にNOLTY専用のスペースが毎年そこそこの広さで展開されるのを見てはいたが、手帳が上手く使えない人間には過ぎたものに思えて横目に通り過ぎるばかりだった。この数年は働けていない身で働く人間のための売場に近付くのも恐ろしかった。 今回NOLTYを選んだのは、ほかのメーカーから出ている「バーチカル」のデザインが絶妙に自分の需要と合わなかったからだ。書体が読みづらいとか、強めの朱色が苦手だとか、こまかいところは色々あったがいちばん困ったのは「余白」だった。 様々なデザインの手帳をめくってみると、見開き1ページあたりの余白、ないしメモ欄の配置や大きさは手帳の書式に左右されるということがしみじみ分かる。たとえばマンスリー(月間)手帳はブロック形式のカレンダーに似た、1ヶ月分の記入欄を見開きページ全体に大きく配置し、その両端や下段に余白が置かれているものが多い。ウィークリー(週間)手帳、特に週間レフトは、見開きの片面(左面)に一週間分の記入欄がやや余裕を持って納められ、右面に丸々空いた余白は自由度の高いメモ欄として開放されたデザインをよく見かける。 一方で、バーチカルは1日の時間軸を一定の時間ごと、等幅の罫線で区切る書式なので、日ごとの記入欄がどうしても一方方向に長く伸びる。罫線の幅が狭いと書き込みづらく、機能性が落ちるので、最低限の広さを縦横に持たせる必要もあるだろう。これを一週間分ずつ見開き1ページに詰め込んだうえで、時間に縛られない週別の予定やTodoが書けるような「余白」も配置するというのは、どうやらほかの書式に比べて大変であるらしい。実際、売場で見かけたバーチカル手帳は余白が広いほど機能の一部が犠牲になっているデザインが多かった。平日はノートの縦いっぱいに1時間ごと罫線を引いておきながら、土日は「午前」「午後」のざっくり分けで長さを縮小し縦一列にまとめてしまっているもの。朝活重視で5:00から罫線を引きつつ、夜時間は21:00以降を省略し下段をメモ欄に充てているもの。休日も夜間も仕事がある人間は顧客として扱われていない感があるデザインだ。もちろん自分で罫線を引く手もあるが、そういうひと手間が結局は日々の記録をしんどくさせる。

NOLTYはその点、さすがだった。伊達に長年能率を謡っていない。見開き1ページに収められた一週間分の記入欄は一日ごとに充分なスペースを保持し、日々の時間軸は平日土日問わず6:00から24:00まで罫線が引かれている。自分が求めていた、行動記録のために最低限必要な導線がそこにはあった。そのうえで各日の上段と下段には日ごとの予定を書き込む余地のある余白があり、見開きの右側には全体の三分の一ほどもある広いメモ欄が確保され、右上には今週が月の第何週目かを一目で把握できる小さいカレンダーまで盛り込まれている。
「一目で視界に収まる大きさと、何を書いても許される自由さと、どこに何を書くか迷わない易さと手間がかからない身近さ、短さ。「ちゃんとしてない」感が滲んでメンタルを倦ませることがないように、最低限の記録でもそこそこちゃんとして見える形式のもの。」
自分のための記録をつける場所へ最初に求めたものがなんかもう全部ここにあるのだった。 今まで他の売場で見てきたちまちましたバーチカルとはなんだったのだろう。同じB6サイズで同じ書式なのに使い勝手の良さの差をこうも歴然と見せられると愕然としてしまう。しかもNOLTY、同じバーチカル手帳のなかにレイアウトと仕様の違うものがいくつもある! 月間と週間が連続したページ構成の「アクセス」、日ごとの余白が三つある「キャレル」、書体が上品な印象でメモ欄の充実した「ベルノ」など、手帳を使う人間の様々なニーズに対応しうる機能がそれぞれに搭載・拡張されているラインナップを前に正直はしゃいだ。全然分かってなかったけど能率手帳、めっちゃすごいのでは…!?
2023年1月始まり ウィークリー手帳 NOLTY エクリB6-7 https://jmam.shop/shopdetail/000000004818/
サンプルを見比べて吟味した結果、自分が選んだのは「エクリ」だった。これは月間と週間が交互に並ぶ「アクセス」とは異なり、手帳の前半に月間、後半に週間のページがまとめられた構成になっている。書き込む内容を月間と週間で分けようと考えていたので、前後に分かれた構成のほうが使いやすそうだったのだ。色違いのスピン(栞)が2本付いており、当月当週のページを手繰るのに不自由しなさそうなのも良かった。「ベルノ」の書体の優雅さとメモページの豊富さは自分では持て余す気がした。各日の下段に余白があるのは「キャレル」も同様だったが、「キャレル」の余白は無地なのに対し「エクリ」の余白は時間軸と同じ幅の罫線が引かれていて、書くときに迷うことがなさそうなのは後者だった。万が一のとき24:00以降の���盛り代わりに使えそうなのも良い。 ちなみに「エクリ」とはフランス語で「書く(書かれたもの)」を意味するらしい。公式の説明にも「「書く」ことを第一に考えた記入スペース充実のシンプル手帳」とある。名詮自性を果たすかは使い手次第としても、潔い名前だ。穏やかに光るホワイト紙にグレーの数字、罫線、休日欄の淡い赤、明朗だが趣のある書体で構成された「エクリ」は、たしかにどんな筆跡もさまになりそうな佇まいをしている。

そんなこんなでうちにやってきたエクリは色々あってこういうすがたになった。 臙脂色の手帳用バンドはミドリの製品だ。過日の使いこなせかった手帳に合わせて買ったものだが、エクリの表紙が暖色系のグレーなのでわりと似合っている気がする。ちなみに取り扱いサイズはA5とB6用、色はほかに黒と紺がある。
ミドリ クリップバンド https://www.midori-store.net/smp/item/62311006.html
表紙裏のペンホルダーに挿してあるのはKaweco製万年筆で、太さはEF(めっちゃ細い)。FやMのほうがぬらぬら書けて楽しいのでふだんまず買わないのだが、このIridescent Pearlという色は当時とても人気で、ダメ元でペンとインクと文房具の店を訪ねたところこの一本だけが残っていたのだ。かなり迷ったが、細かい字が書けるから手帳なんかにいいですよ、と店主にも勧められたので買った。手帳に装着するには別売のクリップが必要で、これはほかの文具店で問い合わせたところ在庫がひとつしかなく、そのたったひとつがカラバリのなかでもこの本体の色に似合いそうだと思っていたシルバーだったのでほっとした。インクはKawecoのロイヤルブルーを入れている。片岡義男が『万年筆インク紙』で述べている、ブルーのインクはクリーム色の紙に書くのがいちばん美しい、との意見には全面的に同意するけれども(書籍用紙「ソリスト」を使用したBIBLIOPHILICのBIBLIO NOTEなんかはほんとにそうである)、このホワイト紙とロイヤルブルーの組み合わせも悪くないというか、書いてて気分が上がるくらいの良さはある。

週間バーチカルには予定どおり「行動記録」をつけている。何時に寝て起きてどこ行って何を観て買って、などをざっくり書く。そのときの気分も書くのが本来は正しいのだが、デイケア通所期にもあった、頭の調子が悪いと気分と幻聴の区別がつかなくなってあることないこととめどなく書き連ねる現象が起きそうだったので今年は止めた。自分のためにしたことを振り返って「無駄だった」と思うようであれば当時の多幸感や前向きな気持ちも書いておくとよいのだけど、最近はそういう不調も少なくなった。「楽しかったな」「やってよかった」と思えるほどには回復できて本当にほっとしている。 各月のインデックスにはTRAVELER’S notebookのカスタマイズシールを貼った。毎年違うテーマに基づいた限定柄のグッズが展開されていて、趣味に近いテーマが取り上げられるとつい買ってしまう。2021年の「本」と2023年の「カフェ」がまさにそれで、今年の手帳は月間ページに21年のアブサンじみたグリーン、週間ページに23年のワインレッドを合わせた。
仕事の予定も週間バーチカルに書き込んでいるので、予定を把握しやすいように職場の月間予定表を縮小コピーし、SUNNYの手帳用下敷きにマステで貼って当週のページに挟んでいる。下敷はB6サイズ用だが手帳からはみ出さないよう少し小さめに作られていて、そこが気に入っている。
月間は、自分のためにした行動を月ごとに振り返るページにした。バーチカルの記録から、観た映画、読んだ本、出かけた場所、食べたもの、創作した日を拾って書き込む。��初は書き写すのが面倒になりそうで、自分のために何かした日にシールを貼るだけにしたのだが、この日なにかしたっけかと何度もバーチカルをめくり直すほうがよほど面倒だった。良い記憶を遠くへ追いやってしまう悪癖の根深さを忘れていた。時間を割いてでも振り返りをするべきなのだ、自分のような、自ずから虚無を幻視するような人間は特に。 書き写すときはなるべく太い字かつ鮮やかな色で書く。太い線だと字数のわりに紙面がそこそこ埋められるし、文字が潰れないよう大きめに書くから目に留まる字が書ける。よく使うのは数年前にゼブラから発売された水性マーカー「クリッカート」。蓋がないのにペン先が乾かない独自のインクを使用しているノック式マーカーで、48色のカラーは紙に滲まず可読性に優れている。ノックしたときに白い本体の窓からのぞく赤色もかわいい。
ゼブラ クリッカート https://www.zebra.co.jp/pro/detail/clickart/
むろん万年筆で書くこともある。最近は紙の色や筆の細さによっては読みづらくなってしまう淡い色のインクをサファリのLAMY万年筆M(中字)に入れて使うのが楽しい。LAMYのMは(筆圧や机の高さにもよるだろうが)2mmくらいの太さで文字が書けるので、黄色系やピンク系のインクで書いた文字でもわりあいすんなり読める。ただし自分のようにせっかちな人間はよく書いたあとを擦る。それも色が淡いので許容範囲だ。どうしても気になる場合はもうシールで隠す。必要な記録を終えたらあとはとにかく好��なシールを貼って貼って貼る。自分にとっての良いもので不在の虚無を充たしていく。 それと各月の余白に「しいたけ占い」の月毎の運勢をプリントして貼っている。占い全般、熱心に信じる気概はない。自分が思いもつかないベクトルから助言があるところは面白いが、直接の助けになることはまずないからだ。自分にしばしば助言や応援をくれる周りの人たちは、こちらの現状や経歴をふまえてこちらができそうな範囲の提案をしてくれるし、受け入れられそうな言葉を選んで話してくれる。そういう優しさに救われている。占いはこちらの背景を一切知らない立場から一方的に予測を投げてくるばかりなので、こちらが状況に応じて都合の良い言葉を拾うしかない。ただ、そうすると自分を知っている人間ならまず向けない視点や言いそうにない提案が当然混じってくる。なるほどそういう考え方もあるか、と自分の現状を面白がるのに占いは使える。

ここまで整えておいてちゃんと年末まで使われているのか、どれほど役に立つかはまだなんとも分からないけれども、少なくともこうして振り返る場所を整えることはちゃんと自分のためだったのだし、今後あんまり使われなかろうと「自分のため」に一念発起した事実はかたちとしてもうここにある。自分が何を考えて一連の準備をしたかも書き出せたからには、ひとまずは良しとしたい。読んでくれてありがとうございました。
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