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#本要約 投資家さんと繋がりたい 投資初心者さんと繋がりたい 日本株 歴史 読書好きな人と繋がりたい
teatreeweb · 2 years
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【本の要約】『お金の流れでわかる世界の歴史/大村大次郎著』世界株?米国株?【書評・感想含】
全世界株?米国株?
答え: 全世界株
理由
✅経済の覇権は変化する
✅過去に学べず歴史は繰り返す
https://teatree-life.com/life/903/
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kozotakei · 5 years
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株式市場の6つの問題点と新しい市場のアウトライン
こんにちは。武井浩三です。
重なり合う社会構造のことをポリモルフィック・ネットワーキングと呼ぶのですが、その日本語訳が多形構造(たけいこうぞう)という事実を知って、今世における自分の天命を見てしまった気がして、嬉しいような悲しいような。 そんな35歳(2児の父)です。
さて。
最近「武井さんは何を目指してるの?」と聞かれることがチラホラありまして。僕も自分がどこに向かっているのか、本当に分からなくなっていて困っています笑。でも、「今の世の中の課題が、こういう風に解決したらいいのになぁ」っていう理想イメージは、ところどころの業界や領域に対して持っている部分もありまして、今日はその中でも「現行の株式市場に対する問題提起と、その解決策となりうる新しい市場のアウトライン」を、筆の趣くままに自由に書かせて頂こうと思います。
あ、あと、最初に断っておいた方が良いと思いますが、以下の内容は単なる武井の持論ですので、信憑性やエビデンスなどを求めないで下さい(笑)。気になった部分はググって頂ければ、僕が参照したり引用しているよっぽどちゃんとした記事や論文が出てくると思います。
これで今回も心置きなく好き勝手に書けます。
市場(証券取引所)と株式会社の歴史
まずはじめに申しておきたいのですが、僕は現行の株式市場に対して課題感を感じてはいるけれども、こんな仕組みを作った人類の過去を、めちゃくちゃリスペクトしています。債権や株式などを証券化して、市場を作って流通させる仕組みを作って、必要なところにお金が行き届くようにして、投資家や所有者は必要なときに証券を現金化することもできて。
そのお陰で社会が急激に圧倒的に物質的に豊かになったし、その恩恵の元で現代の我々は生活が出来ているし、だからこそ次なる課題を見つけて取り組めている訳でして。
ここから少し、僕自身の情報の整理も兼ねて、株式会社や取引所の歴史を簡単に棚卸ししようと思います。債権や株式や所有権を流通できるようにしたのが「証券」です。色々な言葉を使ってしまうかもしれませんが、同意語だと思って下さい。市場、株式市場、取引所、なども雰囲気で使い分けるかもしれませんが、僕的には同じ意味で使います。
世界で最初の株式会社が出来たのは1602年。オランダの東インド会社。そして世界で最初の証券取引所ができたのも1602年。アムステルダム取引所。
日本で最初の株式会社は、坂本龍馬が1865年頃に作った海援隊・亀山社中と言われることもありますが、これらは本来の株式会社の要素である、
株式の発行による資本の集中と利潤の配当
有限責任制
所有(出資)と経営の分離
株式譲渡の自由
の要素を持っていないので、厳密には株式会社ではありません。
日本で本当に最初の株式会社が出来たのは1873年の第一国立銀行です。渋沢栄一さんが作りました。そして日本に株式の取引所が出来たのは1878年。
あれ?
オランダでも日本でも、株式会社と取引所が出来たタイミングがほとんど一緒。
そりゃそうですよね。株式はそもそもが、所有権を流動化させたり分散化させたりすることが目的ですから、それが流通するセカンダリーマーケット(二次取引市場)がなければ流動化しにくい。
つまりは、組織の形が変わったから市場の形が変わった。
証券の取引所ができるまでにも、魚や野菜や花などの市場がありました。それまでは市場(しじょう)というよりは性質的、意味合い的には市場(いちば)と呼んだほうが的確かもしれません。
でも組織の形が変わって(ステークホルダーとの関係性が変わって)、新しい市場(しじょう)の必要性が生まれたわけですよね。これって、後述しますが、ダイヤモンドメディアのようなティール組織が生まれてきたことと、クラウドファンディングやICO(イニシャル・コイン・オファリング)、STO(セキュリティ・トークン・オファリング)などの新しい資金調達の仕組みが生まれて来ていることとシンクロしてますよね。必然というか。
株式市場に対する課題感
ダイヤモンドメディアを通じて僕は、新しい組織の形というものを2007年から、かれこれ10年以上研究したり実践したりしてきましたが、株式会社という企業組織を突き詰めていくと、株式(所有権)という権利に辿り着きます。
所有権は権力の根源であって、しかもその所有権は私有財産権として近代国家では生存権と同列に守られている上に、トマ・ピケティの言う通り資本(所有権)を持っている人が更に富むのが資本主義のシステムですし、このスパイラルの負の側面が、今の成熟社会の問題を生み出してしまっているという結論に至ります。
もちろん株式市場は、素晴らしい機能と役割を持っているんですけどね。 例えば、株式上場する企業にとってのメリットは、
資金調達
第三者による信用担保
上場企業ブランド
流動性による株式の資産化
ステークホルダー(仲間)の増加
こんな感じで5つぐらいに分けられるかな。 調達する会社以外のステークホルダーにも、もちろんメリットはありますよね。
例えば、社会にとっては必要な企業や業界に資金が届けることができるし、従業員にとっては社会的信用になるし、経営者(創業者)にとっては大金持ちになって持たざる者から持つ者へと成り上がれるし、投資家にとっては資産運用の機会だし。
全否定はしていないのですが、ただ、僕が認識している現行の株式市場の問題点というものが、人口減少とITによるデフレ経済の社会環境下で、自然環境に対する配慮や人間の幸福度などの面で、露呈してきていると思っています。
「自然環境」と「人間の幸福度」。 本当にこの2点に集約されるかもしれませんね。
以下、僕が認識している現行の株式市場の問題点です。 (できるだけMECEに洗い出してみました。)
上場維持コスト(四半期決算、IR、内部統制、監査)
無限成長を求める(個人・企業・社会における合成の誤謬)
不特定多数の株主(ステークホルダーの無関心化)
管理統制型ガバナンスの限界(情報の不透明性、約束と結果報告による説明責任、機能していない株主総会、外部干渉の限界)
ドメスティック(基本的には市場が国内を対象としている)
インサイダー(当事者である投資家が内部情報にアクセスできない)
この6つの問題点が解消されない限り、上場企業の不祥事は無くなりません。絶対に。経営者のモラルが問題なのではありません。企業は利益の最大化の方向に進んでしまう生き物です。その方向性をデザインすることが、社会全体として必要な時期に入ったのだと思っています。
市場の問題点ではありませんが、過去に【株式会社の3つの致命的欠陥】というブログを書いたことがあります。もし興味のある方は、そちらも読んで頂けると嬉しいです。
新しい株式市場らしきものの出現
6つの問題点を1つ1つ噛み砕いて説明することは、このブログでは控えて別の機会に譲りたいと思います。長いのでw
新しい組織の形であるティールや僕らの言うところの自然経営やDAO(Decentralized Autonomous Organization)と呼ばれる共同体が2000年以降に、業種業態・場所・営利非営利問わず生まれてきました。
これらが生まれてきた理由は前述したとおり、3つの要素に起因します。
人口の頭打ち
経済成長の頭打ち
ITの社会インフラ化
単純な成長曲線が終わってデフレ化した国やエリアや産業などで、シンクロニシティ的に、ダイヤモンドメディアのようなものが生まれていますし、こういった思想に基づいたものが必要とされています。訪問介護のNPOのビュートゾルフや教育でいうとレッジョ・エミリアやモンテッソーリやサドベリーなど。
そしてそれらとシンクロして、新しい市場が生まれてきました。
僕から見ると、あたかも��幣経済以外の経済を流通させるためのデザインのようにも見えます。それが下記のような市場やシステムです。寄付型のクラウドファンディングやボランタリーのものは、ここでは除いています。株式市場らしきものと定義します。
株式のクラウドファンディング
ICO(Initial Coin Offering)
STO(Security Token Offering)
ILP(Initial Loan Precurement)
僕はこれらの市場に期待をしています。それは前述した現行の株式市場の6つの問題点を解決しうる可能性があるからです。トークンはステークホルダーの持つ権利を自由に設計できますし、所有権以外の権利を流通させることも出来ますし、ブロックチェーンを使えば特定多数のトークンホルダーにすることが出来ます。
しかしながら現在はまだ、これらの仕組みや市場も6つの問題点を抱えたままです。
現行の市場をブロックチェーン上に置き換えるだけでは、根本的な問題は解消されません。逆にICOなどはガバナンスがほぼ無いので、実態は9割が詐欺的な調達であると言われています(実態は誰にも分かりませんが)。
STOは無法地帯のICOを証券としてSECの管理下に置くために作られました。しかしブロックチェーンによる分散化はなされていますが、ガバナンスの自律化は市場としてデザインされていません。だからこそ僕らがダイヤモンドメディアで培ってきた「自浄作用の働く、第三者不要のガバナンスデザイン」がここに役立つと考えているのです。
新しい株式市場のアウトライン
ようやく最後の章。 お付き合いありがとうございます。
では、具体的に新しい市場にどんな要素がデザインされれば、暴走せずに合成の誤謬が起こらずに健全に機能するのか。僕の考える新しい株式市場のアウトラインは下記です。
ステークホルダーへの情報開示とプロセスに対する関与(インサイダーとアウトサイダーの解消)
自律分散型ガバナンス( 内部における情報の透明性の徹底 、多数決に依らない意思決定)
ブロックチェーンとトークンによるステークホルダーの非匿名化
セカンダリーマーケットによるトークンの流動化(資産性の付与)
所有権以外の権利のトークン化(債権、利用権・使用権、関与権、その他色々)
4のセカンダリーマーケットに関しては、すでにトークン取引所が世界には沢山生まれていますね。
現行の株式市場は「管理統制型ガバナンス」です。ダイヤモンドメディアのような「自律分散型ガバナンス」をICOやSTOの仕組みにインプリメントできれば、市場自体が自律分散型になる(まだまだ僕の妄想レベルですが)。
そしてこのマーケットってのが、もっと沢山、しかも例えば「世田谷区内の個人商店のトークン取引所」とか「大田区の製造業の中小企業のトークン取引所」とか「医療関係のNPOのトークン取引所」とか「フリースクールなどの認可外教育機関のトークン取引所」とか、色々なものが生まれていけば、社会に対しての個々人のオーナーシップが失われずに、みんなで街を作るとか社会で子供を育てるとか、株主や債権者も一体となって会社を経営するとか、そういった理想的な座組が構造体として実現できる。
これを国家にインプリメントすると、税金の仕組みも同じように自律分散型でデザイン出来ます。ガバメントクラウドファンディングと呼ばれるプロジェクト型のふるさと納税が生まれてきましたが、これがもっとローカルな「〇〇公園の芝生を植え替える」とか「〇〇小学校の通学路にガードレールを設置する」とかそういう単位で納税ができるようになれば、喜んで納税する人が増えますよね。間違いなく。税金を納めたくない感情は「納めた税金が何に使われているか分からない」という分断から生まれるので。
国家という概念が、ブロックチェーンによって必要性自体から揺らいでいく時代だと思っています。中央集権が不必要になっちゃうんですから。
国家の持つ徴税権という超強力な権力は、もちろん必要があって存在します。
公共サービスの費用調達
所得の再分配
景気の調整
所得の再分配ってのは、今の経済システムが完璧ではないから国が干渉しているってことですね。これら3つの税金の目的は、ブロックチェーンとクラウドファンディングのような用途を自主決定できる仕組みによって賄うことができると思っています。
なんか、税金の話になってきちゃったけど、調子良いんでもう少し続けます(笑)。
税金には4つの原則があります。
公平 税負担は各人の能力に比例すべきこと。言い換えれば、国家の保護の下に享受する利益に比例すべきこと。
明確 租税は、恣意的であってはならないこと。支払時期・方法・金額が明白で、平易なものであること。
便宜 租税は、納税者が支払うのに最も便宜なる時期と方法によって徴収されるべきこと。
最小 国庫に帰する純収入額と人民の給付する額との差をなるべく少なくすること。
これらを、新しい税金(経済の循環)のシステムに置き換えることができれば、国という概念自体が丸ごと不必要になりうる。仕組み上は、ですけども。
そしてそれは、
グローバルタックス
クラウドタクシング(前述のガバメントクラウドファンディング)
ノンマネタリー納税
によって実現し得ると思っています。100年後ぐらいに(笑)。
でももしかしたらもっと早いかも。ベネズエラなんかは国家としてICOをしちゃいましたし、エストニアはe-Residencyで国土に依存しない国家構想を実践しちゃってますし、仮想通貨取引所やトークン取引所の取引高は、東証マザーズの取引高を一瞬で超えちゃいましたし、世界最大の仮想通貨取引所のBinanceなんかはおそらくNASDAQとかニューヨーク証券取引所の取引高をあっという間に超えていくでしょう。
取引高が多けりゃ良いって話ではありませんが、それが地域に広がれば地域通貨のようなものとして地域の活性化に繋がるでしょうし、誰もが労働収入と資本収入を同時に得られるようになる。そうするとピケティが提起したr>g(資本成長>経済成長)の問題点が丸ごと無くなる。
そんな理想の世界を妄想して、そろそろ終えようかな。なんともまとまりのないブログで本当にすみません。
でも10年後は、マザーズや東京証券取引所は、下手するとオワコンになってしまいかねないとも思っています。もちろん東証も変化に適合していくと思いますが。
ありがとうございます!
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osadashin · 5 years
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山本太郎と孔子とガンジー
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まえがき
梅雨明けたね。
短い夏を楽しもうー!
早く海行きたくてうずうずしてるんだけど、明日からバタバタと移動の日々で、
淡路島→大阪→千葉→東京→大阪→京丹後
とゆっくりできる時間がなくなりそうだから
その前に、今回の選挙のことを自分の中で整理したくて久しぶりに放置していたBLOGを更新してみた。
いつも通り答えなんて出ない。
自分の中での方向性の再確認をしただけ。
でも、嬉しい気づきが確かにあった。
やっぱりいろんなコミュニティの中に出たり入ったりしているから、多様なエッジの中にいる人もいれば、本当に普通に過ごしている学生からスーパー経営者まで、いろんな友達がいるんだなあと改めて気がついた。
いい意味で偏っているし、いい意味で偏っていない。
自分と違う意見の人が周りにはたくさんいて、その人たちがどんどん新しい見地をくれる。
違う意見を持っている相手にもきちんとリスペクトがあって話し合うってこと。
それってすごい恵まれた機会。
ありがたいよなあ、感謝。
だからこそ、誰と話をしても、え?やっぱり目指すゴール同じだよね。
そうそう、幸せになりたいってことは同じだったよね。と議論は着地していて、
最後にはだいたい分かり合えている。
と、こちらは思っている。笑
だから、やっぱり、この人とこの人を繋げて何か始めたらめちゃくちゃおもしろいだろうなあ。
なんてまだ起こってもいない化学反応はどんなことがはじまるのかワクワクしている自分に気がつく。
僕が一人でできることはとても小さいけど、みんなが思い描いてる部分的なパーツの絵を一つ一つ繋げて大きな絵にしたら、
いわゆるヤバイ絵が出来上がると思うし、
それが自分のこれからの1つの役割だと思ってる。
これからきっと僕はそれをしていくんだろうなあという希望に今とても胸が踊っている。
さあ、みんなでやろう、良い世界作り。
山本太郎と孔子とガンジー
日本に帰ってきてから約3週間というもの、
急に現れた日常と非日常とのギャップになんだかダイエットでリバウンドした後の気持ちってこんな感じなのかなという最近の心の状態。
バックパッカーしていた頃の抜け殻感ってやつを思い出す。
いろんな想いのレイヤーが重なり合ってて、全部同じ自分の感情なんだけど
中々しっくりこないし、まだもやもやしてる。
だから、このもやっとをひたすら書き連ねていくことにした。
言葉まで届かない想いが出てきたらいいなと思って書く。
さて、シューマッハカレッジでのことも自分の中でしっかり言語化して、
きちんと栄養にしていきたかったんだけど。
それよりも日本が今、ああ、もう行き着くとこまできてるよね、諦めようか、外山恒一さん。
なんてまた「少数派の自分」に酔ってしまいそうだったので、
そこから絡まってる糸を解いて、少しでも建設的になろうと思う。
まず、現状、あまりにも長い間物質的な豊かさを追い求めて、
はじめからそこに合った美しさだったり、
人と人が作った共同体の持つ思いやりだったり、
そんなことよりもはるかに個人的な欲望を優先する社会が増えてしまった。
人それぞれ豊かさの在り方が違って、その価値観が違うのは多様性だけど、それが露骨にぶつかり合うのが選挙の最たるもの。
お金持ちになりたい人もいるし、自然が好きな人もいるし、たくさんの好きと嫌いがそれぞれにある。
マルクス主義もいれば、資本第一主義の人もいて、かと思えばビートニクスがいたり、ソローがいたり、etc。
みんなバラバラに自分の幸せとか楽しいとか情熱のある方を目指して歩いてる。
そんな状態だとお互いの価値観がぶつかってしまって争ってしまうから、
ある程度の規模で国家というものがそこにルールを敷いて、システムの中で自由にしてくださいね。
というのが三権分立の司法立法行政で今の民主主義の国家の在り方だと僕は思ってる。
でも、今そのたくさんの価値観を持った人がそのルール、システムの中にいる中で、
正確には人だけではなく生物多様性をうまくバランスとって国家が地球規模でも調整していかないといけないんだけど。
中々どうしてうまくいかなくて問題だらけになっている。
特に今は選挙における国政だけで考えても、そのシステムやルールの中にいる国民が怒っている。
それは、
誰かの犠牲の上に成り立つ経済的豊かさで本当にみんなが幸せになれるの?
それ同じこと自分の家族や自分の大切な人にできるの?
というシステムやルールを作ってきたリーダー達への疑問と不信感。
一方で、その既得損益や今まで誇示してきた権力を失いたくない人たちは
どう考えても道徳心に反する、人としての倫理観が箍が外れてしまっている。
え?でも、選挙の投票結果からしたら自民党や公明党に入れる人が多いから政府として支持しているし、成立しているんじゃないの?
って、そう、ここまでお付き合いして、読んでくれた人は考える人も中にはいると思う。
そこの中には、上であげたみたいな経済的豊かさの利権争いや権力間における忖度があって、
結果として、そのwin-winの関係を続けていくために投票においても、大企業の組織票がある。
松本人志の会長が辞めるなら僕もの言葉の中にある義理堅さにも同じような大企業の関係図が見える。
残念だけど、誰一人傷つけない日曜日よりの使者は、
少し雲の上に行き過ぎて、下界が見えず、少し盲目になってしまったみたい。
急に吉本の話になったけど、政治のことも会社運営のことも、問題はどちらも全体が持っている権利を一部の上層部やその仲間たちが私的な利益の為に利用しているという点では同じだと思っている。
使う言葉が違うけど、意味は一緒で、
政治も会社がお笑いでもメディアでも、問題も答えも全て同じところで交わっている。
選挙でいうと、投票率が50%以下で投票に行かない人がいるのは、
こうした現状がもう投票したところで何が変わるのだろう。
それだったら目の前の仕事や生活を一生懸命取り組んだ方がもっと生産的じゃない?
と思う人が多いんだと思う。
実際、周りで行かない人はそうだった。
そういった話になった時に僕はもう面倒臭いが勝ってしまって話さない自分が嫌だった。
だから、整理して、言語化したかった。
じゃあ、具体的にどうしたら、この多様な人たちの中でみんなが幸せになれるのか。
当たり前に幸せに生きて、おだやかに暮らせる、そんなまともな国になれるのか。
その為には、どんなルールやシステムが必要なのか。
本当はそれをみんなで考えていくべきだし、それをいまの現状でみんなで答え合わせをするのが選挙であり、政治だと思っている。
あくまで1つの方法でしかないし、そもそもそのシステムやルールが多数決によるものだから多様性��んてない。
って突っ込みたくなるところもたくさんあるんだけど。
少数派は多数派の意見にはずっと勝てないからね。
でも、それすらも放棄して、賢い人たちにお任せ、既存のシステムが間違ってるから放棄とか既得損益にぶら下がる人たちに諦めてるではなくて、
これは民主主義をしていく上で国家を運営する上で、最低限みんなが考えなくちゃいけないこと。って僕は思ってる。
だって、みんな幸せになりたいでしょ?自分の子供のこととても大切に思っているでしょ?
そんなこと思ってもいないって言うならちょっともう話は別だし、既存のシステムやルールへの諦めから投票しないっていうのはどちらかというと俺らもうこんな国無理だから出て行くわって言って新しくエコビレッジとかヒッピー、コミューンでよく見かけるような新しい小さな村つくりやコミュニティの形を模索してる人たちなんだと思う、里山資本主義やTTTも近しいものを感じる。
どちらかでこの二極化していく社会で分けるなら僕も現状の国家運営の正しい形が小さくても大きくてもどっちでも難しいと思ってる。
だって、そもそもそれを選抜するシステムやルールがトンチンカンだからさ。
でも、それってすごく人間らしいなあとも思ってる。
欠陥だらけ、それを受け入れるところからはじまるってすごくヨガスートラみたいだよね。
ダメなシステムも受け入れて、じゃあその上でこの生態系の中で僕らは何ができるのだろうか。って。
だから、多数派で支持され政権をとる人たちが本来は、人として正しい道徳心を持っていることはすごく大切だと思っている。
すごく抽象的なんだけど、違う意見を持っている相手に出会った時でも、きちんとリスペクトがあって話し合うって理解しようとする心を持っていることだと思う。
そして、既存のシステムとルールの内側でに小さいビレッジのサークルを作っても、大きいシステムの中では井の中の蛙です。
そんなに言うなら政治家になって解決する為に立候補すればいいのにって言い出す人もいるんだけど。
あくまでもそれはより良い世界を作るための一つの方法だと思っているし、基本的にルーツはアナキズムに回帰するから。
アナキズムっていうと、危険思想みたいに思われるし、
アナキズムは権力反対!アンチキリスト!資本主義ファック!を想像するんだけど、
僕の中でではなくて、無政府主義の概念は国家運営なんてしなくても、本来人が持っている良心があるならば、システムやルールを決めなくても人は争わず協力して幸せに暮らせるのではないの���という性善説を信じているということ。
それってもはやアナキズムでもなんでもないんだけどさ。
特に、暴動したいわけでも、火炎瓶投げ込みたいわけでもない。
今が10代青春ど真ん中だったらわからないけどね。
最後に残っているのは、ただただ、おだやかに暮らしたいという願望。
だからこそ、国に頼るばかりの大きな政府の時代は終わっていて、新しい世界は心あるビジネスなら世界は変わるんじゃないかなと思ってる。
資本主義、通貨という共通の信頼を示すものが必要なのは、仮想通貨でも地域通貨でも円でもドルでも変わらないし、それはギフトエコノミーでも同じだと思う。
つまりは、そのお金という手段の使い方だ。
結局、それらは全て1つの役割でしかないんだけど、その一つ一つのピースの中で今一番欠けているのがビジネスの領域で「今」力がある人とそうでない人の二極化の中で対立する構造になってる価値観を本当はみんなでもっと上手くやれたらいいのにね、という橋渡しをすることが心のあるビジネス、大いなる富の役割なんだと思う。
話がだいぶ選挙という大筋からずれたけど、
まあ、結局、選挙で決めるのは、どの意見が今は多数派なのかを選んで、
その多数派になった集団に決定権を委ねることになる。
そうなると、この政党の政策は支持できないけど、この議員さんの政策は応援したいのに。
なんていう民主主義のシステム上の弊害も出てくる。
最終的に、多数決になると党として力を持っているグループの意見になるから一人一人の議員の顔は見えなくなるシステムがそこにはある。
見るべきなのは党ではなく人だ。
っていう人もいるけど、結果いざ多数決になった時には個人での大変素晴らしい政策も想いこそあれど党の中では消えてしまうのが現状の選挙システムの残念なところだし、そんなに素晴らしい政策があるのに、単純になんでその政党の中で頑張るのか僕には不思議でならない。
長いものに巻かれているうちは、あなたも長いものとして見られてしまっても仕方ないと思う。
さて、これ以上描いても前置きだけで終わりそうなので少し本題へ進む。
今回の選挙において、特に論点として上がっていたのが、
憲法改正、消費増税、年金、エネルギー、原子力発電、沖縄の基地、学費、同性婚など。
個人的には農、食の部分だったり、他にもたくさん話をすべき論点はあるんだけど、それも書き始めたらもうトンデモ法みたいな量になるのでまた改めてにして進める。
まず、最初に気になったのが、多くの人が、周りにいる経営者の人たちですら、消費税0なんてできるわけがない、社会保障やインフラ整備はどうするんだっていうのをよく話したり、見かけた。
その時点で僕から見たら経営者としては結構アウトだと思うんだけど。。
そもそも、消費税が始まったのは高齢化による社会保障不足を解決する為だったのだけど。
それに使うというならば、消費税8%に上がった時に徴収した8兆円の財務の結果を見たらわかるように収入で得た内の16%しか使われてないし、残り84%は使用用途不明。挙句、トランプにアメリカの牛肉と野菜をもっとたくさん輸入することを約束して、戦闘機爆買いして接待三昧。
仮に増税したとしたら、今まで以上に景気、消費動向は衰えて大企業のあなたたちが作っているものだって買う人がいなくなるし、結果的に日本経済は衰退していったら誰が得するのかは簡単に想像できる。
考えてみてよ?
バーベキュー10人でやるから1人会費3000円ねー!って言われていざ行ってみたら、
お肉ワンパック500gと玉ねぎしかないみたいなバーベキューだったらなんで?ってなるでしょ?
あれだったらケンカになるよね。
30000円もあつめたのに1000円くらいしか使ってなくて残りの29000円どこ行ったんだよ!って。
そしたら、プレステ欲しくて買った。って言われたらそいつはどうなる?
たぶん、もうバーベキュー呼ばれないよね。
それが今の政権がやってること。
話を戻すと、
戦闘機を買ってるけど、俺ら戦争したいからお金渡したんだっけ?
それからそのために憲法変えて自衛隊に出動してほしいんだっけ?
中国人と韓国人とは仲良くなれないの?
アメリカの野菜とか牛肉をどうしても輸入してまで食べたいの?
米よりもこれからの主食はパンとマッシュポテトが健康で肥満知らず?
日本の今の問題は、国の経営者たちがみんなからお金集めて約束したことをほとんど守ってないことにある。
もはや、そんな約束すらしなくなって堂々とプレステ欲しいですって言うようになってきたけど。
そして、一部の特権階級の人たちだけがそのみんなから集めたお金をまた自分たちの輪の中でいかに循環させて増やすかだけを考えてる。
だから、大企業みたいにお金を持ってる人たちも団結して行動しないと自分たちも割りに合わないから忖度する。
プレステ買ってもらえる会社やそれに付随するテレビが必要だったり、電力会社も儲かるよね。
SONYが悪いみたいになってるけど、例えなので。
「物を作る苦労を知っている人は失敗を人のせいにはしない」井深大さんのこの言葉好きです。
どんどん脱線するのでもう一度戻すと、
年金だって少子高齢化で社会保障のお金足りないし、お金はあったほうがいいから300億投資しよう!なんて言い出して、それも大企業の株を大量購入してたり、大量に買うから株価上がってるんだけど、本当に良い成長してる企業に投資して増やそうとしている訳じゃないから、結果、投入した資金も大損して今じゃ92億円マイナス。
そんなことだから、年金の元金も足りないねって、少子高齢化とかいう話じゃなくて、もうお金なくなっちゃったからみんな頑張って2000万今から貯めればなんとかなるよって言い出す。
もし、これが会社とか友達の間で同じことされたら発狂してると思う。
もう怒り狂うでしょ?
だから、みんな怒って少し過激な発言をしてしまってる。
もちろん、過激すぎて反政権への二極化に拍車をかける言動や相手を嘲笑う口撃は結果的にやっていることが同じだからやめたほうがいい。
でも、その根底にある怒りにはちゃんと心がある。と僕は思っている。
行き過ぎた現政府の行動が行き過ぎた反体制の行動を生んでいる。
それでは伝わるものも伝わらないよなんて意見もわかるけど、もうそういうフェーズを超えてしまった人たちがあまりに多すぎて行き着くとこまできているんだと思う。
残念だけど金ならあるし、関わらなければいいからって言ってる人も、他人事じゃない。
このままだと、そのうち行き過ぎた過激派と行き過ぎた政府の内戦だってはじまりかねないと思うし、そんなの時代錯誤だけど、同じ東アジアの近隣国家である香港を見たら他人事じゃないのかもしれないのは想像できる。
そうでなくても東京での毎朝の通勤サラリーマンファイトが盛んになってきて、それに巻き込まれる人だって出てきてしまう。
そんなの全然望んでいない、誰も。
僕タクシーか車だからっていう人もあおり運転とか新しい争いの形は残念だけどあるしね。
だから、消費税が0とか、所得税上限が45パーでとかそんな話もあるんだけど。
それ以上に、財務、会社で言ったら経理、横領したい放題みたいな。そんな会社潰れるよね、でもこの会社というか社長さんや役員たち、自分たちの生活レベルは変えたくないからみんなお金くださいって。
そりゃあ、僕たち気がついてる人たちは怒るよね。そのうちテロとか起きてもおかしくない。起きたら起きたでテロ対策とか言って、自衛のためにはお金がかかるとかなんとか言ってまたいろんな方法で集めたりするのが想像できる。
彼らに被害が及ばない限りは事件や事故は経済を発展させる為の好材料。
吉本の場合は、それがある側面だけだったから逃げられなかっただけだね。
今回の選挙はそれ以上にさらにたくさん問題が絡みあってるからだけど、まあ、つまりお金と権力でコントロールするのが大好きな人たちととそれに抗うその他の闘いの選挙だったってのが大筋の見え方。
単純に見たら、正義と悪の二極化。
だから、ポピュリズムなんて簡単な言葉でカテゴライズされるし、政権の広告はプロパガンダの為のマーケティングなんて言われる。
お金儲けすることやお金を持つことが悪いって言ってるんじゃなくて、お金はあくまで手段で方法だっていうこと。
そのお金であなたは一体何をするの?正しく使えますか?
っていうのがとても大切だと思う。
集めたお金が正しく使われる制度があるなら信頼して預けられるもんね。
もう正しいが抽象的で多様だよ、っていうのは割愛します。
だから、いい加減何がいいたいのかまとめていくと、
少なくとも山本太郎は、3.11で全てを諦めてしまった僕が唯一応援したいと心から思った人だった。
それは前回の選挙でも思っていて、彼に投票したけど、今回は最初の時を超えてきた。
彼の話を聞いたら、政策に対する裏付けが甘いとか指摘するべき点も確かにたくさんあるんだけど、
そんな話のレベルじゃなくて、彼だけは本気でこの国のおかしな構造を普通の状態に戻そうとしてる。
他にもそういう人たちは他の政党の中にも何人かいた。
逆に同じれいわ新選組の中でもこの人は言ってることは筋が通ってるのに人としては信頼できないかもっていう人もいた。
あら、また選挙のシステムがおかしいの話につながってきちゃった。
それでも、やっぱり、
当たり前に生きて、当たり前に暮らせる、まともな国に。そう思って、だから、僕は彼に一票を入れた。
この一票から日本が世界で語られる良い日本の面に戻ることを信じてる。
そして、別に誰かのその同じ一票を投じて欲しくて書いてるわけじゃない。
僕の正義や意味はそこにあっただけ。
中立的にいたいわけではなく、全員に寄り添いたいわけでもない。
できればそんな聖人でありたいと思うけど、なかなかね。
ただ、正確に情報を得て、僕は僕の中にある人として正しいを追求して生きていきたいだけ。もし間違えてるって気がついたら認められる人でありたい。
自分の心に嘘や偽りを持っていて幸せになれるとは思っていないから。
そして、みんながそのスタートラインに立てた時に三権分立が上手くバランスとってくれるのが理想の国家像だと思ってる。
そういう準備ができているんだろうなと感じるのは、ニュージーランドだったり、カナダだったり。
ブータンは?っていう人いるけど、ブータンは元々の立地条件もあるけど、世界的に先進国に見劣りしないインフラの状態で人の幸せの為に国政をしますと明言している国の方が少なくとも僕には魅力的だ。
お金と権力と欲望は人間の歴史だから、それを正義という人もいるし、否定しない。
ただ、歴史というビックデータの通りそういう人たちはいつか必ず衰退していくと思ってる。
自分がそうなりかけてしまったことで、そういう人たちの心は決して豊かではなく、いつも何かに追われて焦燥感を持っていることも知っている。
つまり、何が言いたかったのかというと、
山本太郎はただのアイコンでしかないということ。
本当に世界を良くする為に必要なのは僕ら自身が山本太郎にならなければいけない。
議論することもその論点がずれないようにすること。
そう、僕たちはみんな幸せになりたかったんだよね。という前提はみんな同じ。
だからこそ、自分たちができる範囲でおかしくなってしまった社���を少しでもまともな方向にかえていくように行動しなくちゃいけない。
結果的にそれが社会や文化となり、歴史になって、自分に返ってくるから。
今は見えない小さなことでも、相手が違う意見を持っていても。
信じて進んでいくこと、そして、見えない相手にもリスペクトを持って取り組むこと。
みんなが山本太郎のように本当に心の底から世界を良くしようと考えて行動すること。
みんなでやろうよ、良い世界つくり。
誰かに甘えてるうちは世界は変わらないよ。
タイトルを孔子とガンジーにしたのは、
最後に出てきた言葉がこの2つだったから。
「和をもって尊しとなす」
そして、
「あなたが見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」 
-マハトマ・ガンジー
そういうことだよね〆
BGM
people get ready/the impressions
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