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#歌う彫刻
nzomix · 7 months
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【展示告知】
小林望美個展「サナギュトリウム」
会期:2023年11月21日(火)〜12月3日(日)
11時〜19時※最終日17時まで
会場:MEDEL GALLERY SHU 愛でるギャラリー祝
〒100-0011 千代田区内幸町1-1-1帝国ホテルプラザ2F
入場無料
2023年の集大成となる個展です。どうぞよろしくお願いします🎨
<展示ステイトメント>
サナギュトリウム:さまざまな出来事を要因にサナギ化した人々が、ぶじ羽化する時を待つ場所(造語)
「自他の表裏一体性や親和性」を画題にモザイク画を制作する小林望美。その作風は石や、ガラス、貝殻などの小片を寄せ合わせてつくる装飾美術技法ではなく、写真のメディウム転写に始まり、ブロックノイズや低解像度の画像などから着想を得て変遷してきました。
2016年以降は木製パネルへ描いたモザイク画を彫刻刀で彫り、溝へ金属色を流し込むといった独自のスタイルを確立し、手掛ける作品は現在も進化変容を遂げています。小林のモザイク画は、現代社会とその中に存在する個人を細かなモザイク粒子とその集合体によって暗喩した作品が多く、彫る行為は個を明確に区分し存在を刻み込む意図で用いられてきました。
SNSを利用した広域での交流が容易となった現代社会において、各自が保有する当事者性から起こる主張や保護を巡る衝突は顕著になり、さまざまなキャンセルカルチャーやヘイトクライムがより盛んに巻き起こった2023年。現代を生きる作家として、本個展では彫る行為をいったん休め、調和や、安全な繭・サナギの中で新しい時代へ羽化する時を待つ人々を細かな粒子で表現しようと試みた新作を発表します。
<プロフィール>
小林望美 Nozomi KOBAYASHI
2014 群馬大学教育学部 美術専攻 卒業
2016 彫るモザイク画での活動を開始
以降、都内ギャラリーや百貨店でのグループ展を中心に活動を展開中
<個展>
2022「ユーフォトルビア404」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2021「roll swipe connect」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2019「ジェネリックラブ」八犬堂(東京).
2018「夜底の惑星で、」Art Mall(東京)
2017「心辺に座礁」Art Mall(東京)
<受賞歴>
2017 第2回星乃珈琲絵画コンテスト 佐藤俊介審査員優秀賞
2016 KENZAN2016 LOWER AKIHABARA賞
<メディア>
2022 月刊アートコレクターズ 12月号「日常、再発見」(新作グラビア掲載)
Cocco 25周年12thアルバム「プロム」ジャケットアートワーク担当
2022 雑誌「SWITCH」Vol.40 No.4 特集 Eve 廻人奇譚(「プロム」関連インタビュー掲載)
2021 歌集『変奏曲を編む 』辻 桂子 / 鷹志かれん著・編、求龍堂刊行(描き下ろし作品掲載)
2020 アートビジネスマガジン「ARTFULL」インタビュー掲載
2019 月刊美術6月号(「藝術集団 ARTpro」のエッジィな個性派×7 頁にて掲載販売)
2018 BSフジ「ブレイク前夜〜次世代の芸術家たち〜」第107回出演
2017 美術の窓6月号(「新人大図鑑2017」Art Mall推薦作家として掲載)
<参加アートフェア>
2023
「Study:関西大阪国際芸術祭 2023」MEDEL GALLERY SHU
2022
「ART TAIPEI」MEDEL GALLERY SHU
2019
「ART FAIR ASIA FUKUOKA」八犬堂
「Infinity Japan Contemporary Art Show」八犬堂
「ART EXPO MALAYSIA」八犬堂
2018
「ART FAIR TOKYO」八犬堂
<近年参加グループ展>
2023
「アートまみれ Vol.2 Part.1」Artglorieux of TOKYO GINZA SIX(東京)
「once more Jonathan Hadipranata & Nozomi Kobayashi」MEDEL GALLERY SHU(東京)
「大宴会的美術展 KENZAN2023」東京芸術劇 Gallery1
2022
「KOWAII展 Vol.XII」銀座新井画廊(東京)
「NEW SURFACE -新しい絵肌への挑戦-」大丸東京店(東京)
「EYES-portrait show-」MEDEL GALLERY SHU(東京)
「八犬堂京橋移展」八犬堂ギャラリー(東京)
「Artist! Artist! Artist! Matusya Contemporary Art Selection」松屋銀座(東京)
「art art arヤングアーティスト旋風2022」松坂屋名古屋店(愛知)
「変奏曲を編む刊行記念展」MARUZENギャラリー(丸善・丸の内本店、丸善京都本店、ジュンク堂書店福岡店他、巡回)
開通60周年記念「芸術作品に見る首都高展」O美術館(東京)
2021
「NEW SURFACE -新しい絵肌への挑戦-」大丸東京店(東京)、松坂屋名古屋店(愛知)
「家入一真コレクション展 “表現へのシナジー” 」awabar kyoto(京都)
「名作 REBORN展」松坂屋上野店(東京)
2020
「アートのチカラ」伊勢丹新宿店(東京)
「阪急×アートコレクターズ ニュースター達の美術展」阪急うめだ本店(大阪)
「ニュースターアートコレクション」松坂屋名古屋店(愛知)
「Artglorieux Selection」GINZA SIX(東京)
「名作 REBORN展」松坂屋上野店(東京)、松坂屋名古屋店(愛知)
「KENZAN2020」一般社団法人Jian主催 WEB展示会
「たんざく展」銀座新井画廊(東京)、阿部敬四郎ギャラリー(宮城)
「納涼妖画展」丸善・丸の内本店(東京)  
「ほころびとざんぞう」MEDEL GALLERY SHU(東京)
「フレンチチーズウォーク in 中目黒」MDP GALLERY、ビストロ13区
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takahikohayashi · 2 years
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カムイユカラ(2)/銀の滴降る降るまわり kamuy yukar (1)/Silver drops fall fall all around image20x15cm wood engravingprint   林孝彦 HAYASHI Takahiko 2008 アイヌ神謡集の著者、知里幸恵 生誕100年(2003年)を機に制作を進め、2009年に完成した林孝彦の木口木版連作全21作品のうちの一作品。
作品のテーマとなった「カムイユカラ」とは、アイヌに伝わる自然の神々の物語(神謡)のことです。木口木版は、木を輪切りに切り出した硬質な面を版材とする技法で、ビュランという彫刻刀を用いることにより、細密な線を表現することができるのが特長です。
カムイユカラにインスピレーションを受けた林がイメージを昇華し、限られた樹木の面に見せる精巧な表現は、まるで自然界と人間界とを結ぶ宇宙のような広がりを見せ、新たな物語となって私たちの前に現れます。
<作家ステートメント> 2022年は”アイヌ神謡集“の著者、知里幸恵没後100年にあたります。多様な共生社会を目指すグローバル化された現代、その在り方を考える上で彼女の書き残した世界観は深い意味を持つと思います。
元は祖母らによって口頭で語られたモチーフであり、私自身抽象的表現を旨としてきましたので、制作にあたっては個々の具体名が持つイメージを払拭し、特有の“ケサヘ”と呼ばれる繰り返すリズムなどと共に語り継いだ自然と共に生きるものすべての肉体とたましいが行き来するスパイラルのカタチを模索する日々でした。
カムイユカラ連作2作目 ランランピシカン “銀の滴降る降るまわり” はフクロウの神が自ら歌う代表的なフレーズ。
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patsatshit · 7 months
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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diaryofamaniac · 10 months
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Monte Cazazza – Something For Nobody(1980)
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 言葉の戦い事終わり、校門を封鎖する彫刻に始まり、「INDUSTRIAL」という刻印が世に回る。御不勝手なパフォーマンス、その遂行はただ事実としてまた言葉に潔く戻る。Monte Cazazza、合掌。TG参加メアリーベル事件が歌われている。
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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nkcheese · 1 year
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Every character in the film is an outcast.
映画のすべての登場人物はのけ者(outcast)です。
Quasi is an outcast because of his looks,
カジは彼の外見のためにのけ者です
Phoebus comes to town to do his duty and becomes a fugitive,
フィーバスは任務を遂行するために町にやって来て、逃亡者になります
Esmeralda is an outcast by virtue of being gypsy.
エスメラルダは、ジプシーであるという理由でのけ者です
The gargoyles were supposedly carved and discarded by the stone masons because they were imperfect.
ガーゴイルは不完全だったため、石工によって彫刻され、廃棄されたと考えられています。
Even Frollo through his zealotry mekes himself an outcast.
フロローでさえも彼自身の狂信によってのけ者になります。
「 The Art of The Hunchback of Notre Dame 」 Stephen Rebello  (1996)
3体のガーゴイル😢
「ノートルダムの鐘」は成長してからもう一度みると魅力がわかる🔥
10 Facts About Disney’s The Hunchback Of Notre Dame デンズヌイの「ノートルダムの鐘」10の真実
「10.『美女と野獣』の『ベル』がカメオ出演している。『アラジン』の『魔法のじゅうたん』も同じ場面に登場している」
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「魔法の絨毯」なのかなこれ。
遠目に映るだけのモブシーンだから適当な持ち物を適当に持たせても事足りるところに
青紫の布、わざわざカドに金色のタッセル飾りまで付けてるからまあそうなのかな
エスメラルダを落とす方法
「愛人にならなければお前を処刑するぞ」ではなく
「愛人にならなければカジモドやフィーバスを処刑するぞ」
だったらどうだったかな。
エスメラルダのソロ歌唱曲「God Help」は
「私自身は神の助けは要りません」「私の周りの弱者たちに救いの手を差し伸べてほしい」と歌う曲で
彼女自身は欲が無くて他者へのあわれみを持つ人であることがわかる。だから
フロローが人質にとるべきは「エスメラルダ自身の命」ではなく
「エスメラルダよりも弱い人や彼女の愛する人の命」のほうが
効果的だったと思う
ジーニー(アラジン)やラプンツェル(塔の上のラプンツェル)が見せた、
「自分はこの先ずっと奴隷の身分になっても構わない、この人を助けるためならば」
という崇高な気持ちを遠慮なく利用すればエスメラルダも悪の手に落ちてたかもしれないのに。
エスメラルダのような聖人の行動理念「自分の保身よりも他者への配慮を優先���る」が想像できなかったばかりにフロローは。
「お前を処刑するぞ」じゃなくて「カジモドやフィーバスを処刑するぞ」だよ。
これならワンチャン「わかったわ。他の人には手出ししないと約束して」とか言ってくれたかもしれないのに
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ophelia333k · 2 years
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2022年9月29日
 図書館を歩いていたら偶然、そこにフェルナンド・ペソアの『不安の書』があったから読んでいるのだけど、あまりにもよくてびっくりしている。
 〈確かにわれわれの創作する作品に何か価値があるとは思わない。確かにわれわれは閑つぶしのために創作を行なうが、運命から気を逸らすために藁を編む囚人とはちがって、ほかでもない閑つぶしそのもののためにクッションに刺繍する少女のようになのだ(フェルナンド・ペソア『不安の書』p19〉    〈夢のなかでは手に触れられるほど現実的なある種の現象が現実の空間にはありえない。現実の落日は測り知れないもので、束の間のものだ。夢の落日は固定され、永遠だ。筆のたつ者というのは、自分の夢をはっきりと見ることができ(実際そうしている)、夢で人生を見、人生を非物質的に見ることができ、幻想という写真機で人生の写真を撮ることのできる者だ。この写真機には、重いもの、有用のもの、限定されたものという光線は作用せず、心の感光板に黒く写る(フェルナンド・ペソア『不安の書』p27)〉    〈散文はあらゆる芸術を取り込める。その理由のひとつは、言葉は全世界を含むからであり、またひとつには、自由な言葉は全世界を表現し考えるあらゆる可能性を含んでいるからだ。散文は置き換えにより何でも表現できる。内面的な次元なしに絵画が直接そのものによって表現するしかない色彩と形を、それは表現できる。形のある実体も主題というあの第二の実体もなしに、音楽が直接そのものによって表現するしかないリズムを、それは表現できる。建築家が外界にある所与の固体で作らなければならない構造を、われわれはリズム、ためらい、絶え間なき流動性によって打ち建てる。後光も素材を変成させることもなしに、彫刻家が世界に残さなければならない現実を、それは表現できる。最後に、秘儀参入者のように詩人が、心から厳かにかしずく対象である詩さえも、それは表現できる(フェルナンド・ペソア『不安の書』p47)    〈現実の風景を眺めるのと変わらないほど鮮明にわたしは夢において風景を見る。夢の上に身を乗り出すなら、何か現実的なものの上に身を乗り出すことになる。実人生が過ぎゆくのを見るなら、やはり何かを夢見ているのである(中略)それぞれの生活――夢の生活と現実の生活――は、同じ固有の現実だが異なる現実をそなえている。近いものと遠いもののようだ。夢の姿はわたしにはいっそう近い、しかし(……)。(フェルナンド・ペソア『不安の書』p135)〉    ***  志人/玉兎の「懐胎 解体 Special Episodes」を聴いていた。その歌詞。    「きみは塩水 生きる意味を問う 涙の味は 辛い塩水 母なる地球とわたしとのへその緒切ったメトロポリタン、ウミガメの産卵後この帰り路を阻むテトラポット、銀河結合レールよりもインターネットが進化せど、ほとんどはきみの夢をまるごと強盗する絵空事」     やっぱり自分はこの頃の日本語ラップ(あるいはclassicな日本語hiphop)が好きで、漢a.k.a.GAMIの「紫煙」や刃頭の「野良犬」、志人/玉兎の「懐胎 解体 Special Episodes」(これは最近の曲だけど)、「門外不出」、降神の「SUIKA」や、BHUDDA BRANDの「人間発電所」、なんかをいつまでも聴いてしまう。    ***  夢について。何度も言っていることだけど、なぜか現実世界よりも夢の中の方が感情が鮮明でリアリティがあり、現実世界ではもはや何が起きても感情は曖昧なままほどけていってしまうのに対して、夢の中ではいつも強くて鮮明な感情を覚えている(そしてすべてを忘れてしまう)。  夢の中で覚えている感情というのは渇望であり、(存在しないものへの)恋であり、そして何よりも永遠の切なさだと思う。夢の中では、永遠に日が沈まないまま、夕焼けのような世界だけが続いている。切なさは持続し、消え去ることも解消されることもない。  数日前、夢の中で見ていた風景を覚えている。夢の中で目が覚めて(そこもまた夢の中なのだけど)、家の中の窓から外を見る。すると、雲は分厚く空は暗くもう夜になりかけているくらいなのに、時計を見るとまだお昼の14時くらいで驚く。  あらかじめ失われている夢の王国、ヘンリー・ダーガーの描いた『非現実の王国』と、ルイス・キャロルの『シルヴィーとブルーノ』について。
 ***  左翼は分裂症的(そして双極性障害的)なのに対して、右翼は偏執病(パラノイア)的、という話を聞いた。大雑把なのは間違いないけれど、実際、そうなのかもしれないと思う。浅田彰の『逃走論』はすべてから逃げ続けることを、分裂し続けることを肯定するわけだけど、右翼は逆にすべてを引き受けようとする。伝統を、国家を、天皇を、歴史を(だからこそ、右翼、と呼ばれる人間たちは『逃走論』を読むことでいらいらした心地になるはず)。
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suddenlyboyz · 2 years
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"お知らせ"
突然少年
3rd AL「ナチュラル・ボーン」リリース決定。
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フォーマット:CD
発売日:2022年10月下旬
規格品番:INCT-333
レーベル:犬の涙
収録
1.笑顔
2.Are you ready?
3.ものがたり
4.ラッキー
5.The model
6.分かっちゃいるけど
mv: https://youtu.be/lxGljclEdGg
7.高田馬場
8.ダイヤモンド・タイムス
9.片想い
ABCマート×アンダーアーマー「青春は、一度きり」CM 挿入歌
■突然少年 are
Gt.Vo 大武茜一郎
Gt.カニユウヤ
Ba.とだげんいちろう
Dr.篠原賢
■レコーディング
四ッ橋 LM studio
■エンジニア&マスタリング
須田一平
■ジャケットイラスト
永畑智大ことファミリーレストラン
(まんが彫刻家)
応援コメント: ナチュラルボーンということで、弱肉強食と生きる喜びと笑顔そんなかんじです。
■デザイン校正
Hinako Nagai
犬の涙 HP
https://inunonamida.theshop.jp
3rd Albumは基本的に流通通さず
ライブ会場、又は犬の涙onlineにて購入可能。全国の友だち知り合いのレコード店、雑貨屋、展示スペース、飲食店にも順次置いてもらいます。連絡頂ければあなたの街にも是非CD置かせてくださいっ!3rd Albumサブスクリリースは来たる2023年 4th Albumリリース時に解禁予定。
突然少年profile
思春期に音楽にのめり込み恋に青春、暴力的な感情まで全てバンドと共に過ごす。CDやレコード、本を買っては常に自分の知らない事を知りたくて気付けば机の上は余白なし。飲み物は楽器。2012年中野区の高校の軽音楽部のバンドを組めなかった余り物で結成。結成以降どんどん音楽にのめり込み時に呪われ2017年以降は全国各地120本以上のライブを繰り広げ各土地に伝わる洗礼された土着的音楽、風習を肌で摂津し生きる面白さを享受する。2020年から現在世界を斡旋するパンデミックを体感しバンドとは何か?と初心に帰るべくバンド名を一時的に『初恋』に改名。一方では近所に友人だった篠原賢が引っ越してくる。皆とよく遊ぶようになる。家族や友だち、仕事上司から助けられて2022年6月バンドに篠原賢をドラマーとして迎え突然少年を再開。右葉曲折この度10月30日に3rd Album「ナチュラル・ボーン」を満を持して自主レーベル「犬の涙」からリリース。悩んでもがいて産まれた日々の結晶がなんとも眩しいバンド史上の傑作が出来上がった
乞うご期待!!
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af3ura · 2 years
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2022.9.1-9.15
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↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。 以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1
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Darhamの宿を出発。朝のパブ。
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スーツケースで朝ごはん。
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なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。
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今度こそ窓側取れた。 雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。 だけどやっぱり後ろ向きに進む。 座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。
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途中で原子力発電所みたいなのが見えたけどどこかはわからなかった。 シンプソンズで見たことある形。
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ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。 同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。 英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。 Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本で絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。
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めちゃいいつま先
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モアイの体 cute
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日本ブース(?)に三島由紀夫いた。
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広すぎてまたしても諦めた。 朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。 生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set
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部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。 「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3
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本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。 観客と俳優が交流をするタイ���の上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。 上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。
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入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか? おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。
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帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。 金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。 もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩圏内だということに前日に気がついた。
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Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。
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常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。
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私が唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。 めちゃいい。
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ずっと実物を見たかった”Hope”。 想像以上に大きかった。 とてもいい場所に堂々と展示されていた。
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描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。
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またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。 緊張しながらバスに乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。 荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。 大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた。 人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。
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私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。 ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。
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2022.9.5
初日。 ガイダンスを受けて午後から授業に参加。 チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。 イギリス初飲酒はguinnessでした。
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2022.9.6
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Good boy の Billy どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。
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キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。 果物が安い。
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相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。 夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7
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クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。 時間までNariとBig Ben周辺を散策。
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ピーターパンだーーーー
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ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。 彼はこの空を描いてたのか。
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城?
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城じゃん。 石造の建物はいいな。 歴史ある建築でここに来ること自体でテンションが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。 カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。 お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞台上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしまった。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。 普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。 色味が途中から変だった。 おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。
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エリザベス女王が亡くなった。 「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9
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観劇しに市街地へ。 地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。 けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっていたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。
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どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。 ラーメンは普通に美味しかった。 著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場 客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。 ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。
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バイオハザードの地下鉄?
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この日は”FROZEN” めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。 小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。
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古そうな天井に穴開けて吊ってる
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ピンスポ
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オケピ
こういうとこばかり見てしまう…。
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休憩中、客席でアイスを売っていた。 飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。 ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。 観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。 ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も田舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。 新しいフィルムを買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。 久々に対面で日本語を喋った。 タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11
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月曜日。 2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。
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白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。
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行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。 DORAEMONっていうのは未来から来た猫型ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出した苦肉の答え→「ペットの販売」 もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。
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日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。 ロンドン塔を見て、Five guys へ。
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新しい街と300年前の建物が共存している。 石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。
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飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継などで多く飛んでたのだろうか。
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ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。 写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman
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家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。
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2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。 タッパーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。 液体強すぎる。
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ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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utautain-suzuri · 2 years
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たのしい指墨と拓本
とても楽しみなイベントに参加致します! 短歌のイベントです。遊びに来てね、もしくは配信でのご視聴お待ちしております~!
 8/28(日) 19:00  「雷鳴は ヴォリュームあげて きっと来る さよなら、夏の カメラかかげて」
――――― 私はチラシを製作したので、こちらではそのお話を致します。 長い蛇足ではございますが、休み休みご覧頂ければと存じます。
扨、今回は「箸」と「爪」を用いよう!となりました( イベントのゲストの方のお名前から )。
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◆指墨
先ず爪で字をかきます。
爪でかく字は爪ごとに、角度がそれぞれになります。私は右手人差し指の爪を少し伸ばして用いました。小指の方が意味が含まれるかなと考えたのですが、うまくかけず。
ペンを持つような、指ハートするような手の形で。親指は出過ぎず、人差し指の第一関節に副えるようにするとよかったです。この辺はもっと表現によって変えていく方が面白いのかもしれませんね。
爪の背と、爪と指の間にこまめに墨を注いでかきます。
これは、「書く」行為でもあり、「掻く」行為でもあります。それから支持体との距離が間接的ではなく、直接である点も言い添えておきたいです。
墨が一度に出てあまり続かないのですが、接地面を少なくすると少し持続します。また、接地の度合いに違いをつけたり動きに緩急をつけると生き生きとしてきます。波磔のようなものもできます。これは全体のバランスに注視しつつ遊びたい所。
爪を真横に動かすと細い、縦に動かすと太い画が書けますので、鱗のない明朝体のようにもできます。平筆や刷毛で書いた字にも近いでしょうか。カタカナをかくとエレガントな線になってしまうような…?
円や墨を持続させる必要がある画(草書のような)、爪より太いか細いかの線、掠れで魅せる場合はあまり向いていませんね。
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注意点は、一度に多く墨が出やすいので下に何か敷く事(何を敷くかも影響します)、力いっぱい掻かない事。それから爪が傷むので、手入れを。
紙は、半紙のようなものは破けてしまうと思います。とはいえ水分が浸透しない紙に墨をのせると合わないです。和紙は掠れが出て思うような感じと異なりました。(この、「違うな」という感じが手に直接伝わってきて妥協できないというか)。正直、コピー用紙が最もかき易いかもしれません。
とは言え表情を出したい。今回はマーメイド紙を用いました。マーメイド紙は細波のような凹凸が紙の面にあります。紙の地合いにも頼りつつ、です。また別の機会があればざら紙などもよさそう。紙の選択はPCでの画像処理の事も考えないといけません。
爪でかいた字は、太さのコントラストに限界があります。今回のように少し長めの文をかくのは、あまり見た目がよろしくない。もちゃっとします。
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「指墨」、「指頭画」は水墨画のひとつで、爪ばかりでなくその名の通り指は勿論の事、掌や肘も筆となる手法です。中国で起こり、本邦では池大雅が能くしました。
箸での書き方は、墨をまめに注いで、指揮棒をふるうように。繊細に、丁寧に、大胆に。先が円いものの方が扱いやすいです。必要であれば削る、軸を太くするなど。
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◆木彫り
…それで、今回は指墨でかいた字を句の頭に持ってきて、それを木に彫って拓本を取ろうかと思い至りました。
「物としての字」みたいな事をしたく。それから彫ることで「欠く」行為が加味される、という意図で。
爪でかいた文字をPCにとりこみ、きれいにして実寸より2倍サイズで印刷。それを彫り易く平滑な板に貼り付けて、カーボン紙で輪郭を映します。そして彫ります。
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彫る道具ですが、私はカッターがメインです。刃がすごく減ります。刃の交換が容易なものの方が適しています。輪郭にカッターで切り込みを入れ、周囲を浚うように…削るように(?)カッターを持つ手の形を変えて刃を寝かせて動かします。木は常に彫り易い向きで、熱中し過ぎて怪我をせぬように。
切り込みの段は鉛筆持ちなのですが、削る際は注意が必要。カッターの刃を反し自分の外側に向け、寿司を握るような手つきにします。合谷にカッターを乗せず、カッターの柄を掌で覆うような。それから中指は薬指側に副え、人差し指で刃の根元を押さえます(刃を持つのではなく根元です)。親指でカッターの側面を、人差し指でカッターの背を、掌と他の指でカッター全体を握りしめて、しっかりと押さえます!もう片方の手の親指で刃の背から、そっと進行方向に動かしてあげます。木への入射角は浅く。
無理せぬよう少しずつ、切り込みの周りの木を削っていきます。刃だけ上げる等すると、刃先が折れて没入して困ったり、目に飛んできて困ったりします。木が固い時は別のアプローチを模索の事。
上に紙を乗せて軽く鉛筆で擦るなどして、様子を見て彫りの工程を完成させます。必要であれば彫刻刀も用いましょう。
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先日ポストを木で作った時に文字の部分を少し彫ったので、その際のやり方を参考に進めました。
◆湿拓法
次に拓本です。
(もし行われるようであれば、公共物や他人の持ち物の拓本を取る場合は許可を得て、害わぬよう充分気を払って行って下さい。)
拓本にするつもりなので、そもそも木の節がないものを選び、文字は反転せず。それを今回はPCにとりこみますので、広範囲の彫りは致しません。この辺は大分助かりました。節があると固くて彫れないので。
拓本は当初より考えていたので、試作品も作って画材や紙との相性も見てみたのですが、正攻法で行きました。墨と、半紙ではなく水墨画用の紙を使用。クレヨンでの乾拓法もありだなと思ったんですが、またいつか。
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彫った木の滓を掃います。あまり道具で擦ると木が毛羽立ってしまう。
紙をテープで固定します。これは乾くまでそのままの方が紙が撓みません。木は少し歪みます。湿拓法を行うのは、木より岩などの方が良いでしょう。
脱脂綿などで全体を濡らし、輪郭が出るようにしっかりと際を押さえ込みます。紙を破かぬよう。
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濡れて変色した所が他と同じくらいの色に戻るまで乾かします。7、8割水分が飛ばないと、この後のせる墨が対象物に染みてしまいます。
タンポに墨をつけ、もうひとつのタンポに墨を移します。後者のタンポは文字より一回り大きいくらいが良いです。布は目の細かいものを。一度ガーゼを使いましたが粗かったので、古いシーツを改めて用いました。タンポに直接墨をつけて、もうひとつのタンポを擦り合わせる手法もあると思います。
要らない紙で濃度や斑がないかを確認します。
紙をタンポで、優しくとんとんとたたきます。
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乾かします。以上。
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この拓本はうすめにとる「蝉翼拓」というものを目指しました。(タイトルに夏が入っていたので)。コントラストをはっきりさせる方が本来は主流と聞きます。
これをPCにとりこんで、縮小・配置など致しました。
イベント会場に使用した木を置いていますので、もし気になった方はご覧下さいませ。
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おまけ。
拓本と同じ工程で、彫っていない木に紙を留め、湿し乾かし、次に紙で形を切り抜いたものを乗せ、ぽんぽんとタンポでたたくと、一味違うステンシルができます。
技術があれば、木目を生かしておもしろい表現ができるかもしれません。
あらゆる手法を採用する時、よりそれぞれを活かして融合させられるようになれれば、もっとおもしろいだろうなと感じています。
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リソグラフ印刷〔色紙(ブルー)+若葉/コニーラップ(ブルー)+蛍光イエロー・若葉(中は共に青インク)〕。
蛍光のインクはUVライトで光ります。鋭い光を。
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fujiitouta · 2 years
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2022.6.10
  love you を lov u って書くのかっこいい、デーモンコアの青い光   (青松輝/「days and nights」『いちばん有名な夜の想像にそなえて』)
 一読したときに、え、それって「luv u」ではないのかな?とおもい調べたらそういう楽曲のタイトルが出てきました。詠われている内容のその「かっこいい」ポイントについては、スラング的で手垢のついた表現を、微妙に更新しているというところなのかもしれません。読点の前にあたる上の句はわりと事実ベースの着眼点をトリガーとする感慨だとおもいます。下の句は「デーモンコアの青い光」という、例のデーモンコアの事故の際に発光したとされる青い光のことに言及しています。ここは上の句と下の句における連関というよりも、それよりも先に読み手としてのわたしに到達する青松作品に通底する短歌のイメージの形成について考えます。
 短歌はその短さから、一首単位では突然わーっと何かを言われて、それについての何の釈明もなく終わっていく、作中主体は忽然と去ってゆくという詩形態といえます。なので、何かを見極めようとするには、読者も一旦同じ速度でその文意を追いかける必要があります。駅を通過してゆく電車の行き先表示に、眼球の動きを合わせることで一瞬、その電車行き先が見える。ような感覚です。掲題の一首だけではなく、連作「days and nights」には速度でいえばかなりの速さの歌が多いと感じます。でもわたしのおもっている速さって一体なんでしょうか。
  夜のフィアー ここからここまでは現在でここからは未来って教えてほしい
  ダブルインカム ノーキッズ 僕らふたりで深夜のタクシーに手をあげた
  かかっているエフェクト 誰も追いつけない速さでゲーセンクイーンの恋
 その回答として、言葉の意味を拾ってはじめてわかるというよりかは、言葉の連れてくるイメージを明確に伝えてくれるスピード感をコントロールされているような感覚の受け取りがありますね。ということでしょうか。一首目、「夜のフィアー」はそのまま身体感覚の範囲内の夜への恐れを時間感覚と接続しようとする試みが最速で伝わってきます。二首目、「僕ら」の置かれている状況を深夜までやり過ごして、ダブルインカムであり、ノーキッズである状況で「あるから」タクシーに乗り帰宅することができる。という景に収斂させています。三首目、ゲーセンクイーンというある特殊な空間における権威が持ち得る恋には、誰も追いつけない速さでの「エフェクト」があらかじめかかっているものでなのでしょう。これらの読者にイメージさせたいものを最速で表現する言語感覚はどこからくるのでしょう。
 例として、こういうことを短歌にしよう。という時のモチーフを「原木」だとします。それを彫刻して、三十一音に合わせ込む。その手続きを踏んで形作られてゆくと、もとが「原木」であることを確かに認識できる形で読者に提示ができます。その代償として、それが元々「原木」であったことが読者にわかるという仕組みです。読者の認識はそれが元々「原木」であるという認識からスタートします。結果、わかるのだけれど、わかること以外のイメージは「わかった後でやってくる」のです。つまりはイメージ認知のレイテンシがあるといえます。
 翻って青松作品は、短歌のもととなるモチーフの「原木」を極限まで削り、その芯に直接現代性やサブカルチャーからアウトプットされる言葉の「粘土」で塑像をつくるように、イメージを更新したり再構築していくことで、読者に対して直接開かれたイメージを提示しているかのように感じます。文章表現で最速の伝達を意図的に志向しているからこそ達成される遅延のないスピード感があるのだとおもいます。
 掲題歌については、「かっこいい」という感覚の、それが「デーモンコアの青い光」とオーバーラップすることにより、すなわち「かっこよさの死」という感覚を連れてきていることがわかります。これが、掲題歌を読んだ時にわたしが最速で感じたイメージでした。今現在、作中主体の考えている「かっこよさ」は、それに照射され続ければデーモンコアの青い光を「かっこいい」と捉えているような感覚で、その場にとどまり続けるとわりと早晩死に至るのであろう。という危機感のようにも受け取れます。とはいえ、ここまで書いた文章の最初から最後まで、少し青松輝の短歌に近づいているような気もするし、正しくないことを言い続けているような気もします。その不安感も含めて、この一連と向き合って考えたことは、ひとつの体験なのだとおもいます。
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niyuuhdf · 10 days
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トキ/灯彦:『証言』
俺は先祖代々の故郷からは幾分離れた込み入った住宅街の一軒家で生まれ育った。 俺が産まれるって時に、俺の父の実父…つまり行屋のじいさんが単身故郷を離れて近場に越してきた。その理由を「可愛い孫のためだ」とかなんとか嘯いてたが。 じいさんには随分と可愛がってもらったもんだ。 そのじいさんがある時口にした 「俺たちは行灯の火を潜り抜けて現し世に偶然姿を晒しちまった。現し世の人々の目に、俺たちのこの姿が分け隔てなくうつるとは、ゆめにも思わずに。」 歌舞伎は東海道四谷怪談の提灯抜けに掛けたらしい言葉。 それは相変わらずの食えねえ薄ら笑みに紛れ溶け込ませるように、諧謔に包み隠しながらも深い悲哀と悔恨の織り混ざったような述懐であったことを覚えている。 その言葉は、まだ年若い俺の心のもっとも深部にある原風景をそのまま写し出したかのようであったから。
ある画家の手記 Part : 行屋虚彦 
『疾彦の証言』
海辺に故郷の土地があるなんてえのは、一つのもののたとえだと、じいさんは言った。 行屋の人間ーーーー随分と大雑把にして大袈裟で選民的な言い回しだと���い俺は思ったが、他に言いようがなかったもんかねーーーーは、長く住み着いたそこに多少の愛着こそあれ、土地そのものを故郷だと強く体感してなどねえと。
ここからは俺のじいさんの語ったことだ。語るにも聞くにも死ぬほど退屈極まりねえんで適当に端折りながらじいさんの言葉を復唱する。 じいさんが俺に語ったことは、口伝とも言えねえ、じいさんも朧に伝え聞いただけの昔話 どれだけ眉唾か知れたもんじゃねえ そういう類の話だ
蔵を引っ掻きまわしゃ出てくる家系図では、行屋家は平安の武家まで遡る。かのエリート様、文武両道の色男にして若くに妻と幼児を捨てて旅の歌人の人生を選んだ、あの男だ。さもあらん。 そいつが真実どんな様相で生きていたかは知る由もない。ただ、「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる」なんて詠むからには、己の心に馬鹿正直ではあったかもしれねえ。 かろうじて行屋の血筋の生き様…様相を伺えるのは江戸から。 記録が片手落ちすぎて話にならねえが、その時代にはもう漠然と血縁同士で助け合い、どうにかこうにか支えあって普通に人里の中で生きていた、らしい。
行屋の血筋の者は見えるはずのないものをよく見た。 見えたものを人里でそのまま口にすれば何が起るかは自明の理ってんで、血縁同士で教え伝え合って戒めあった。見えるものを口にしすぎないようにと。 ごく稀に幼な子がうっかり口を滑らせちまって、ひどい仕置きも暴力も迫害も公然とあったらしいが、 行屋の血筋は遺伝的にそのほとんどが誕生からの発達と発育が異様に早く早熟…これは俺もナナも虚も例外じゃねえ。 だから幼い時分から言い聞かせ、親族の中での教育で悪しき事態を防いで沈黙することで、表向きには何事もなく暮らしていくことが可能だった。 それにも勿論個人差はあったろう、いずれ綱渡りには違いねえ気はするが。
まさに当時から、すべてを沈黙し隠蔽し尽くして生きることには限界があったらしい。なにごとにつけ全てが嘘ってのは具合が悪いもんだ。故に、何かしらが時折りふと見える程度の仄めかしを村の中で敢えて情報開示として行ってきた。 不運にも露呈するような形で知られるんじゃあ、周囲に不安と警戒心を与えて排斥されるってんで。そうじゃなくごく穏当に村の利益に繋がる形にして受け入れさせようと。 結果、この海辺の村では運良く受け入れられつづけたらしい。 村民にしてみりゃあ「ありがたい不思議な力、うまくご利益にあやかろう」てふうに…脅威として認識されることはうまく避けてたらしい。 まだ人知の及ばねえものがそこらを跋扈した時代でもあったろうし、…行屋の人間の立ち振る舞いや言動、人間としての気質もその印象に落ち着かせるのに一役買っただろうと。じいさんは言ってた、若い頃の俺が良い例だとな。 産まれてすぐにしっかりと大きく目が開き、よく笑い、人に懐く、すぐに立って歩き走りまわる、幼児に似つかわしくなく流暢によく喋る、運動神経がやたら良くて、口が達者な笑い上戸、周りを冗談や話術や手遊びで沸かせ賑わわせ、躊躇いなく道化にもなる、華やかにしてごく自然に人の輪の中心となり他者を牽引する、が、すべてを絶妙に抑制し、決して逸脱しすぎず飛躍しすぎず常軌を逸さず、己に人間としての分を弁えさせつづける。行屋の人間の若年期ってのは、代々こんなもんだったそうだ。まったく辟易するぜ、じいさんは学生の頃の俺しか知らねえからな、今の俺のざまを確と見ろと言いたくもなる。
昔の話に戻る。 この目は重宝がられさえしたらしい。村人に失せ物さがしなんかを気楽に頼まれたりな、都度その場で解決、不思議な力に村の皆で感謝しつつ宴会でもひらく、ってなふうに…楽観的で素朴なものとして受容されてたらしい。当然の如く例外はあったろうがな。 当時は30代よりかは多少長く生きてもいたらしい、当時はそれくらいの齢でくたばるのはそこまで異例でもなかったかもしれねえし、海が近いことも有利に働いたそうだ。
時代が進めば、怪奇も不思議も人地を超えた力も身幅が狭くなってくる。 里にも医者が それも西洋医学を軸に学んだ医療が及んだ。 行屋の人間の目と苦痛と短命が、放置されなくなった。 仁と医を尽くしてすべての人間に懸命に長寿を達成させようってえ向きだ。 しかし医者が手を尽くせば尽くすほど、行屋の人間だけは医学じゃどうにもできないことだけが只管に浮き彫りになってくる。
もっと時代が進むと、遠方まで容易に情報が行き交うようになった。 行屋の人間の一部は「霊能者」あるいは「エセ霊能者気取りの不気味で不謹慎な血筋」だってんで、一時期は強烈な迫害と少数の誤った信仰を招いて、非科学的なものを否定する世間の流行の猛威を浴びたらしい。
歳を負うごとに身体の苦痛が増し、自制を欠いた狂躁のような激しい気質を帯び、昂って暴走し、性的快楽に耽り、目には激痛が襲う、瞼を閉じ、家からふらふらと海へ向かって外へ出る、ふっつりと茫然自失になる、そういうさまから、行屋家の人間が遠方へ嫁いでいった先では、家に座敷牢なんて豪勢極まる代物も用意されたとか。
行屋の人間は、自分たちの目にも苦痛にも短命にも、名前をつけなかった。 苦痛は耐え忍ぶ。憐れむならそれを上回る快楽を。故郷の慣わしなんぞ何も知らねえ俺でさえ奇しくも似たような手段を取った。 目の激痛は光を遮断することで少しは和らげられる。暗く閉ざした部屋に行灯一つあれば充分。あとは多くの時間を瞼を閉じて生きるだけ。 今でも里じゃ親戚の中を見渡せば、ずっと瞼を閉じた者や、目隠しをした者がちらほら見受けられる。 今のように「病」だと呼ぶことも定義づけることもなかった。当事者間ではそのような認識ではなかったとよ。血族で似た者同士が群をなすと異質さはかき消える。道理だ。 あとは血族以外との折り合い、順応と適応の世界。 どれほどの苦しみであっても、家内で分かち合える以上それは体質に過ぎねえと。 しかし医学に割って入られると事情は変わる。そこから行屋の人間は「精神病者」と定義づけられて、積極的に私宅監置に置かれることになった。定義づけと命名が必要だったのは、医療を施すためだ。行屋の人間を捉える主体が当人らからそっちへ移ったわけだ。 即刻入院治療とならず私宅監置…座敷牢になったのは、もっと手に負えねえ精神を患った患者が病床を占めてたから。そいつらに比べりゃあ行屋の人間は意思疎通が可能で聞き分けがよく大人しい。
その後、また時代が変わって、医師の側の意識改革と医療の是正が始まった。 外部から調査にきた医師団が、親族の私宅監置の現状を調べて、あまりに杜撰で酷いものが多いことから、病院への入院治療を推し進める流れになった。 杜撰で酷い座敷牢ってえと目を覆うような惨状を思い浮かべそうなもんだが、それは東京って都会のど真ん中からカメラやら取材道具担いでやってきた人間の感覚で、その感覚は間違っちゃあいないが、当事者との齟齬は大いにあったとかなんとか。 おりしも行屋家の住む土地は人の少ない辺境の海辺、危険行為を繰り返す精神病者を完全に病院に隔離することなく開放的な入院治療と静養がかなうとして、里からほど近い静かな海辺に精神病院が建てられた。勿論行屋の人間のみのための病院じゃなかったろうが。
その後、この国の人口が増加したためか知れねえが、そんな海辺の田舎にも一般住宅が押し寄せひしめき合うようになり始めた。「海が綺麗だ」ってのがよそから好んで移り住みたがる人間の主な理由。 そいつらはいうにことかいて、古くから住む行屋を含めた住人も、そこに建つ不吉な精神病院も忌み嫌い、病院側に立ち退きを要求してきた。まあ海沿いのリゾート感覚で住み始めたんだ、そんなもんだろうな。 病院側は、「患者を院外に出さない」ことを条件に立ち退きを免れた。 これは行屋の人間にとって痛手だった。他の多くの患者にとっても自由と尊厳を踏み躙られる大きな痛手だったろうが。行屋の人間にとっては、思いのままに海へ出られない、これこそが痛手だった。 その後の大きな戦争と災害の度に、打撃を受けた精神病院から、一部の行屋家の連中が焼け出されて、そのまま身を隠した。 他の多くの患者は医師との信頼関係によって病院におとなしく留まったらしいが。 身を隠した連中が、海沿いの各地に散って、或いは村にひっそりと戻り、留まったのが、今のお里の実態なんだとよ。
他の地域の海辺で暮らす奴もいるらしい。面識はねえが。望みもしねえが。 海外に飛んだ奴もいるが、皆決して海から離れようとしない、離れ難いんだそうだ。 じいさん曰く、苦痛に耐えられなくなったとき、或いは茫然自失と化した状態で、招かれるように自ら海へ入っていく。そうして自らの火を、もといたあちらへ帰そうとする。火だるまになった身体の炎は海が消火し尽くしてくれる。 幼い頃から、耐え難い苦痛の際には海へ浸かるのがひとつの慣わしであり、自然な行動だったんだと。慣習と衝動のどちらが先だったかは判然としない。 はたから見れば判断能力をなくした入水自殺じみてうつるその行動も、案外現実的らしい。海へ浸かることで身体の苦痛が安らぎ、死に至るまでもなく平然と浜から自宅まで自分の足で戻ってくる場合のほうが多いらしい。 じいさんも七を知ってるが、七が月夜に招かれるように外へ出たがったのは、月より潮と呼応してたように見えたそうだ。
"死の先に帰る場所がある  我々はそこからやってきた  そこにしか我々のよるべはない  死の先に故郷がある  死そのものをのぞむのではない  死後になにかを期待しているのではない  死の先に明瞭な故郷の景色や幻想を抱いているのではない  ただ帰ろうとするときの帰路に偶然死が横たわっている  我々はただ帰りたい  我々は己らの生命、出生、誕生、人生を捉えられない  捉えられないものを無思慮に否定するものでもない  しかし  こちらにきたことは偶然だった  隔てなく人間の身に己がおさまることを知らぬ無知、隔てなく人間の目に我々がうつることを知らぬ無知故にここへきてしまった  その過ちは我々の目を焼き、腑を犯した  我々はただ帰りたい  この由来なき形容し難い感覚を、閉鎖的に、つい近年まで血族とだけ共有してきた  ただ帰りたいだけなのだ  ただ帰してやりたいだけなのだ  どうか行かせてほしい"
じいさんのそのまた祖父さんが遺してった走り書き。遺書か。 「行屋」の姓の字の由来がそんな詩的なもんかは置いといて、 幼い俺にじいさんが零した戯言は、そんなような代々脈々と、連綿と続いた根深い感傷と言いしれぬ衝動に端を発していた。 走り書きの「我々」ってのが何を指してんだか知ったこっちゃねえんで検証にも足らねえが。 俺はそれらを言葉になった上っ面だけで聞き知ったとき、なんの異質さもねえ誰の内にも在るごくありふれた回帰願望の類だと思った。貶めようってんじゃねえ、ただ大袈裟に身内の中だけで秘める必要などなかったものを、ってな。 そういう意味じゃご先祖さんが一等賢い選択をしてる。家族を捨て、出家して、従者もなく一人、諸国をさすらい歌でも詠む、それで結構じゃねえか。 この回帰願望めいたなにか…理論立てれば幾らでも容易く突き崩せる穴だらけのなにか…が代々受け継げるほどに強靭に仕立てられていったのは、身体性…目と身体の苦痛に大きく依拠するだろう。身体の苦痛…身体的な経験の共有は同じ思想や信仰に染めるにもってこいの洗礼だ。おそらくなにより先立ってその身体性があった。 …ただ、「帰りたい」という情緒の言語化…、そこは解せねえ。積極的にそこを言語化して親族間で整えた環境と教育によって伝え刷り込んだという印象は薄かった。 共有したのは具体的な生き延びるすべのほうで、まあ生活様式に規範を揃えりゃそれだけで充分一つの具体的な信仰にはなっちまうが、情緒や思想にはなんの強要もなかったようだ。それよりかは、生来の生まれ持った形容し難い感覚に呑まれて苦しむ者を、血族がなんとかあとから帳尻合わせにそういう戯言を例外的に用いて掬い上げることもあった、程度。 そんな印象を抱いたのは、遠方の親族のことなんざ露知らず育った俺の中にも過去に似たような萌芽があったことを認めざるを得ねえからか、否か。
俺の実父は、俺が産まれる直前になって、抑制の効かない状態に陥ったらしい。意気揚々と里から離れた新天地に移ると言いはり、親族の反対を押しきって実行した。それをその父、つまりじいさんは、淡々と見ていた。 じいさんは、それに賭けた。 じいさんは息子を見張るような建前を身内には示しつつ、息子の移り住んだ土地に自分も移った。 奇矯を装いつつも、俺の父は薄々気付いていただろうとな。親族だけで寄り集まって閉鎖的に同じ場所に留まり続ける、その弊害と欺瞞に。 俺はそこから解き放たれて生まれ育った。虚も。 それは賭けだ。じいさんはその人生の行く末を見届けたかった。 七は大学入学まで里で生まれ育ったが、そこから七を連れ去ったのは俺だ。 その俺が、中学の頃、生家に火を放ち父母もろとも焼き滅ぼした。そのことにじいさんだけが目敏く気付いた、血は争えねえな。 尋ねられたわけでもねえのに、その時俺は動機めいた一言を口走った。嘘偽りない本心だった。「そろそろ帰してやらねえと」…と。
…………
虚の性的快楽への拒絶っぷりは血筋で言うなら異端中の異端だ。
ーーーーーーーーー
曽祖父:
海辺に故郷の土地があるなんてえのは、我々にとっては一つのもののたとえ。 行屋の人間はこの土地そのものを故郷だと強く体感してはいません。 勿論この土地に愛着はあります。何せ長く住み着きましたからな。
これから語ることは口伝とさえ言えない、伝え聞いただけの昔話で どれだけ眉唾か知れたもんじゃねえが…
辿れば平安の武家まで家系図はありますが、今のような様相で生きていたかは知る由もない。 かろうじて様相を遡れるのは江戸までです。 家業は本来なんだったか、記録が片手落ちなもので定かでないが、その時代にはもう漠然と血縁同士であることを感じ取って助け合い、なんとか支えあって普通に人里の中で生きていたようです。
行屋の血筋の者は、およそ見えるはずのないものをよくその目で見た。 見えたものを人里でそのまま口にすれば何が起るかは自明の理。 だから血縁同士で教え伝えました。見えるものを他者に口にしすぎないようにと。 ごく稀に、幼な子がうっかり��にしてしまい村の秘密を暴き、ひどい仕置きも暴力も迫害も公然とあったようですが。 しかし我々の血筋は遺伝的にそのほとんどが誕生からの発達と発育が異様に早く早熟です。 言い聞かせ、親族の中での教育でそのような事態を防いで沈黙し、表向きには何事もなく暮らしていくことが可能だった。 それにも勿論個人差はある。いずれ綱渡りには違いなかったろうが…。
当時から、すべてを沈黙し隠蔽し尽くして生きることにも限界があったとみえます。故に、何かしらが時折りふと見える程度の仄めかしを村の中で敢えて情報開示として行ってきた。 不運にも露呈するような形で知られるのでは、周囲に不安と警戒心を与え、排斥されます。そうではなく、受け入れさせるのです。 結果、この海辺の村では運良く受け入れられつづけた。 さしずめ村民にすれば「ありがたい不思議な力、うまくご利益にあやかろう」てなもんで…脅威として認識されることなく、ごく自然に受け入れられていた。 まだ人知の及ばぬものが許された時代でもあったろうし、我々の立ち振る舞いや言動、人間としての気質もその印象に落ち着かせるのに一役買ったでしょうな。若い頃の疾彦などが良い例です。 あの子はここで生まれ育ったわけでもないのに …否、だからこそだったのか、行屋家の人間の典型そのものでしたよ。幼い頃から見てきましたが。 産まれてすぐにしっかりと大きく目が開き、よく笑い、人に懐き、すぐに立って歩き走りまわり、流暢によく喋る。運動神経が良く、聡明で、口が達者な笑い上戸、周りを冗談や話術や手遊びで沸かせ、賑わわせ、躊躇いなく愛嬌ある道化にもなる、同時に泰然として威風堂々、自然に他者を牽引する人気者、…がしかし、すべての有能さを絶妙に抑制し、決して逸脱しすぎず飛躍しすぎず常軌を逸さず、己に人間としての分を弁えさせる。 行屋の人間の若年期とは、代々このような気質が多かった。
昔の話に戻りましょう。 この目は重宝がられさえした。村人に失せ物さがしなど気楽に頼まれたり、都度その場で解決してみせ、不思議な力に村のみなで感謝しつつ宴会でもひらく、というような…楽観的で素朴なものとして受容されていたそうです。当然ながら例外もありましたが。 我々も、当時は30代より少し長く生きたし、当時はそれくらいの年齢で亡くなることはそこまで異例でもなかった。海辺が我々に環境として合っていたのもある。
時代が進めば、怪奇も不思議も人地を超えた力も身幅が狭くなります。 ここにも西洋医学を軸とした医療が及びました。 我々の目と苦痛と短命が、放置されなくなった。 …そのことを、我々は沈鬱な内心を抱え、それでも静かに時代に従った。 仁と医を尽くしてすべての人間に懸命に長寿を達成させようとする向きです。 しかし医者が手を尽くせば尽くすほど、行屋の人間だけは医学ではどうにもできないことだけが浮き彫りになってくる。
もっと時代が進むと、遠方まで容易に情報が行き交うようになった。我々は「霊能者」あるいは「エセ霊能者気取りの不気味な血筋」として、一時期は強烈な迫害と少数の誤った信仰を招き、非科学的なものを否定する世間の流行の猛威を浴びたようです。 歳を負うごとに身体の苦痛が増し、自制を欠いた狂躁のような激しい気質を帯び、それが昂って暴走し、目には激痛が襲い、家からふらふらと外へ出る、そしてふっつりと茫然自失になるさまから、行屋家の人間が遠方へ嫁いでいった先では、家に座敷牢が用意された。
我々は、この目にも苦痛にも短命にも、名前をつけなかった。 苦痛は耐え忍ぶのみ。憐れむならそれを上回る快楽を。 目の激痛は光を遮断することで少しは和らげることができる。暗く閉ざした部屋に行灯一つあれば充分。あとは瞼を閉じて生きるだけ。 ここに住む親戚の中にも、見渡せばずっと瞼を閉じた者や、目隠しをした者がちらほら見受けられるはずです。 今のように「病」だと呼ぶことも定義づけることもなかった。当事者間ではそのような認識ではなかった。血族で似た者たちが群をなすと、異質さはかき消えます。 あとは血族以外との折り合い、順応と適応の世界になります。我々のうちではど���ほどの苦しみであっても、それは体質に過ぎません。 しかし医学に割って入られると事情は変わります。そこから���屋の人間は「精神病者」と定義づけられ、積極的に私宅監置に置かれることとなった。定義づけと命名が必要だったのは、医療を施すため。我々を捉える主体が我々自身からそちらへ移ったわけですな。 我々はそれを静かに受け入れた。
その後、また時代が過ぎて、医師の側の意識改革と医療の是正が始まった。 外部から調査にきた医師団が、我々の親族の私宅監置の現状を調べ、あまりに杜撰で酷いものが多いことから、病院への入院治療を推し進める流れになった。 杜撰で酷い座敷牢と聞くと目を覆うような惨状を思い浮かべられるかもしれない。が、それは東京という都会のど真ん中からやってきた者の感覚です。その感覚は間違ってはいないが、当事者との齟齬は大いにありました。 おりしも行屋家の住む土地は人の少ない海辺であったので、危険行為を繰り返す精神病者を完全に病院に隔離することなく開放的な入院治療と静養がかなうとして、ここからほど近い静かな海辺に精神病院が建てられた。勿論我々のみのための病院ではなかったはずですが。
その後、全国で人口が増加したためか、こんな田舎にも住宅が押し寄せひしめき合うようになり始めました。「海が綺麗だ」というだけの理由で好んで住みたがる人間たちが、各地から集い出した。 その人間たちは、古くからここに住む我々も、そこに建つ精神病院も忌み嫌い、病院側に立ち退きを要求してきたそうです。 病院側は、「患者を院外に出さない」ことを条件に立ち退きを逃れた。 これは我々にとって痛手だった。他の多くの患者にとっても自由と尊厳を踏み躙られる大きな痛手であったでしょうが。我々にとっては、思いのままに海へ出られない、これこそが痛手だった。 その後の大きな戦争で打撃を受けた精神病院から、一部の行屋家の者が焼け出され、そのまま身を隠した。 多くの患者は医師との信頼関係によって病院におとなしく留まったそうですが。 身を隠した者たちが、海沿いの各地に散り、或いはここにひっそりと戻り、留まったのが、今の我々の実態です。
ここだけではなく、他の地域の海辺で暮らす者もいますよ。 海外に飛んだものもあるが、皆決して海から離れようとしない。離れ難いんでしょうな。 苦痛に耐えられなくなったとき、或いは茫然自失と化した状態で、我々は招かれるように自ら海へ入っていく。 そうして自らの命の火を、もといたあちらへ還すのです。火だるまになった身体の炎は海が消火し尽くしてくれる。 幼い頃から、耐え難い苦痛の際には海へ浸かるのがひとつの慣わしであり、自然な行動でした。慣習と衝動のどちらが先だったかは判然としない。 はたから見れば、判断能力をなくした入水自殺じみてうつるその行動も、案外、現実的なのです。海へ浸かることで身体の苦痛が安らぎ、死に至ることなどなく平然と浜へ自分の足で戻ってくる場合のほうが多い。 七が月夜に招かれるように外へ出たのは、潮と呼応していたように見えた。
我々の故郷はここに無い。 死の先に、帰る場所があるように感じている。 我々はそこからやってきた。 そこにしか我々の帰る場所はない、とも。 …この由来なき感覚を、閉鎖的に、つい近年まで血族とだけ共有してきた。 死の先に 故郷がある。 幼い疾彦に私が零した戯言は、そんなような根深い感傷に端を発していたのです。
私の息子…疾彦の実父は、疾彦が産まれる直前になって、抑制の効かない状態に陥りました。意気揚々とここから離れた新天地に移るのだと言いはり、親族の反対を押しきって実行した。 私は それに賭けた。 だから私は息子を見張るような建前を身内には示しつつ、息子の移り住んだ土地に私も一度は移った。 奇矯を装いつつ、息子も薄々気付いていたのでしょう。親族だけで寄り集まって閉鎖的に同じ場所に留まり続ける弊害と欺瞞に。 疾彦はそこから解き放たれて生まれ育った。…虚彦も。 行く末を見届けたかった。 七は大学入学までここで生まれ育ちました。ここから七を連れ去ったのは疾彦です。 その疾彦が、生家に火を放ち父母もろとも焼き滅ぼした。その動機を疾彦は呟くように私にこう一言語った、「そろそろ帰してやらねえと」…と。
それらすべてが間違っていたのかどうかは …………
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ignitiongallery · 25 days
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大崎清夏+蓮沼執太『大崎清夏詩集をセッションする』
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詩人・大崎清夏さんの第1詩集『地面』、第2詩集『指差すことができない』(中原中也賞受賞)、第3詩集『新しい住みか』をまとめた一冊『大崎清夏詩集』(青土社)。この刊行を記念して、大崎さんの朗読と、音楽家・蓮沼執太さんによる音楽のセッションを、5月10日にtwililightで開催します。
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2012年のKAATで上演されたシアターピース『TIME』以来、「ミュージック・トゥデイ・トーキョー・2015」、「浜離宮アンビエント」など、何度も共同作業をしている蓮沼執太さんと大崎清夏さん。
そんなお二人が今回は大崎さん初の集成『大崎清夏詩集』をセッションします。
音響を担当するのはあらゆる現場で二人を支えてきた葛西敏彦さん。
地面、指差すことができない、新しい住みか。朗読と音楽によってどのような詩空間が立ち上がるのか。ぜひご体験ください。
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日時:2024年5月10日(金)
開場:19時30分 開演:20時 終演:21時
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:3000円+1ドリンクオーダー
定員:20名さま
出演:大崎清夏(朗読)、蓮沼執太(音楽)
音響:葛西敏彦
件名を「大崎清夏+蓮沼執太『大崎清夏詩集をセッションする』」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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大崎清夏(おおさき・さやか)
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1982年神奈川県生まれ。2011年「ユリイカの新人」に選ばれ、2014年、詩集『指差すことができない』で第19回中原中也賞受賞。『踊る自由』で第29 回萩原朔太郎賞最終候補。そのほか、著書に『大崎清夏詩集』(青土社)、『目をあけてごらん、離陸するから』(リトルモア)、『私運転日記』(twililight)などがある。2022年、奥能登国際芸術祭の一環として脚本を手がけた朗読劇「珠洲の夜の夢」がスズ・シアター・ミ ュージアムにて上演され、翌23年には同じく「うつつ・ふる・すず」の脚本も手がけた。音楽家や美術家など、他ジャンルのアーティストとのコラボレーショ ンも多く、絵本の文や楽曲歌詞、ギャラリー等での詩の展示など、さまざまなかたちで活動を行う。2019年、第50 回ロッテルダム国際詩祭招聘。知らない町を歩くことと、山小屋に泊まる登山が好き。
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蓮沼執太(はすぬま・しゅうた)
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1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して、国内外での音楽公演をはじめ、多数の音楽制作を行う。また「作曲」という手法を応用し物質的な表現を用いて、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンスなどを制作する。主な個展に「Compositions」(Pioneer Works 、ニューヨーク/ 2018)、「 ~ ing」(資生堂ギャラリー、東京 / 2018)などがある。また、近年のプロジェクトやグループ展に「Someone’s public and private / Something’s public and private」(Tompkins Square Park 、ニューヨーク/ 2019)、「FACES」(SCAI PIRAMIDE、東京 / 2021)など。最新アルバムに『unpeople』(2023)。第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
web: https://linktr.ee/shutahasunuma
Instagram: https://www.instagram.com/shuta_hasunuma/
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124770353 · 2 months
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20240310
gash @a_kie_1123 2024/03/10 (日) 14:54:27 Replying to @ojro_men おはよーございます😊 忙しい日々のようなので、体調くずさないよーにお過ごしくださいね✨ とんこつラーメン1/2 @IcNsdh2nuvnQeOT 2024/03/10 (日) 13:46:13 Replying to @sumica83175754 and @ojro_men おはよう😃 Ayaka Oshikata @AyakaOshikata 2024/03/10 (日) 13:07:36 Replying to @ojro_men 本当ですね!日々色々��事があり過ぎて! おはようございます✨ さとみ @remisato 2024/03/10 (日) 13:03:44 Replying to @ojro_men こんにちは(*´∀`*)ノノ
大阪まで彫刻見に来たのにしょぼくてガッカリしてます😖 きしめんRI-nem @rijooki 2024/03/10 (日) 12:50:58 Replying to @ojro_men おはようございます🌞 お正月、昨日だったのにね位ッス のんびり珈琲入れるだよ☕_(-ω- ちはるん♪ @chiharu509 2024/03/10 (日) 12:13:03 Replying to @ojro_men おはようございます🐹🩷 あっちゅーまに3月も半ばにきてますね。これからまた忙しい日々とのことで…淋しくなりますががんばります🥹 オサくんも身体だけは大事に…母の言葉ではないですがw頑張ってください✨ micu🍀 @micu0309ver2 2024/03/10 (日) 12:01:40 Replying to @ojro_men おはようございます☀️ 39配信ありがとでした🎵 スプラも全然やってないですが、バイト見ててやりたくなったー(笑) ぽかぽか陽気だけど花粉が辛い🤧 あんみつ彦 @anmitsuhico 2024/03/10 (日) 11:58:35 Replying to @ojro_men おささん、おはようございます😃☀️ 今日はハーフマラソン大会で、一応2時間切りを達成しました😆👍✨ 梅が満開で感動です🌸🌸🌸 くう間もん @kasu3iro 2024/03/10 (日) 11:57:39 Replying to @ojro_men お🌼ようございます😊☀ 良いお天気☀です✨✨ 3月もさりそうーーですね~~😆間もなくお昼🕛良い(日)午後を❣❣☺️ 笑歌走(🛩えりこ♡) @motuch71 2024/03/10 (日) 11:53:43 Replying to @ojro_men おはようございます❄ みーにゃん @minyan_3939 2024/03/10 (日) 11:52:47 Replying to @ojro_men 3月9日から1日経って3月10日ですね😁 今年は忙しい日々が続きますね〜! 体調に気をつけてファイトです🥁 おはようございます☀️ ももくるひめ @momokurumihime 2024/03/10 (日) 11:40:50 Replying to @ojro_men おはようございます☀ 朝からバタバタ〜 yoshino @yoshino3996 2024/03/10 (日) 11:20:27 Replying to @ojro_men おはようございます😊 またお忙しくなるんですね。桜が咲く前だから…寒暖差や花粉症に負けないように、ご自愛ください♡ 私はツイキャスのアーカイブを見て、寂しさを紛らわして過ごそうと思います。 マーガレット @otx_ca 2024/03/10 (日) 11:05:48 Replying to @ojro_men おはようございます☀紫外線が強いです megmeg🐥🌸🐰 @megmeg_fblc07 2024/03/10 (日) 10:59:43 Replying to @ojro_men おはよおさん🐥💓✨☀️ 治ちゃんにとって今年は変化の年なのかな… しばらく配信お休みで寂しいけど🥺 そっと微笑んで…応援してます🌸 remiofan @remiofan 2024/03/10 (日) 10:51:39 Replying to @ojro_men おはようございます☀ 今日も良天キ🙋 ありひろちゃん @arihiro_CHAN 2024/03/10 (日) 10:51:24 Replying to @ojro_men おはようございます 毎年早くなっている気がします 3月は確定申告あるから忙しいです😭 琥珀🎸✨🔥🎵 @c90fd72c0f0341f 2024/03/10 (日) 10:37:28 Replying to @ojro_men おはようございます😊 本当にあっちゅー間に時間が過ぎていくようです😅 空雲 日晴🎉レミオロメン「3月9日」リリース20周年㊗️ @soRaguMO_hisei 2024/03/10 (日) 10:31:32 Replying to @ojro_men 神様、おはようございます😴 ラジオ状態で配信を楽しんでいたのに、 寝てる間にらスマホの画面が変わっててびっくりした朝でした…
それにしても3月9日の アドレナリンが切れたようで めっちゃねむいです😂
忙しくすぎる日々ですね☺️ 今日も良い1日をお過ごしになれますように! すぎっち☆。.:*・゜ @sug1cch1_R1 2024/03/10 (日) 10:26:13 Replying to @ojro_men おはよ~ん!今シューイチで3月9日流れてました♪そんな3月10日です笑 sayaka @saya103 2024/03/10 (日) 10:24:25 Replying to @ojro_men おはようございます☀️ 充実した日々は早く過ぎますね🎶 治くんが元気で楽しんでるのは元気もらえます☺️ まき @H8_maki19 2024/03/10 (日) 10:23:44 Replying to @ojro_men おはようございます♪😊 年齢を重ねるごとに時間が過ぎる速度が加速していきますね…😌 sora* @monokuro_sora 2024/03/10 (日) 10:23:29 Replying to @ojro_men おはようございます❣️それだけ、おさむさんが充実した生活を送られてる証ですね😊 体調にはお気をつけてお仕事頑張ってくださいね🥁(๑•̀ •́)و✧ Alice @Alice6499530073 2024/03/10 (日) 10:23:12 Replying to @ojro_men おはようございます☀
充実してて良いですね♪ むーちょ(むーちゃむーちょ) @ringonoDANGO 2024/03/10 (日) 10:23:07 Replying to @ojro_men おはよぉございます(  ¯꒳​¯ )ᐝ 年々早くなりますな…… フライパンの話あたりで寝落ちてました🍳 今日ポチるぞ!!どれにしよ〜🎶 ☆じゅんじゅん☆ @junjun56o1 2024/03/10 (日) 10:20:21 Replying to @ojro_men おはようございます😃 充実した日々なんですね😊 サカナ子レミ子 @remioromio424 2024/03/10 (日) 09:46:43 Replying to @ojro_men 3月9日武道館ライブもはっきりくっきり覚えております。まだまだ聴き続けますよ〜 Y®︎ @yyy_coffee 2024/03/10 (日) 09:06:08 Replying to @ojro_men オサ、1日遅れちゃった🙏 昨日は3月9日でしたね✨✨ もちろん聴きましたよ🎵 YouTubeも聴きましたし、 今ハマってる歌配信アプリでは 何回も聴きました。 たくさんの人に愛されている 名曲ですね❤️ よもぎみどり @yomogimidori1 2024/03/10 (日) 06:49:59 レミオロメン - 3月9日 https://youtu.be/UNRJyBHziX4?si=UCzKUA36QTE_IMyL @YouTube より
@Remioromen_jp  #レミオロメン
@Ryota_Fujimaki
        #vocal #guitar @FeOWIezvyo3aa5w
       #base #guitar @ojro_men
     #drums            #3月9日 田村シュンス(tamusyun) @tamusyun69 2024/03/10 (日) 01:13:52 Replying to @ojro_men レミオロメンの歌で僕は救われました、音楽をさせてくれるきっかけをくれてありがとうございます感謝。
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takahashicleaning · 2 months
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TEDにて
モーリス・コンティ: 直感?を持った人工知能が生み出すすごい発明
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
デザインツールにデジタル神経系を与えたら何ができるでしょう?
コンピューターが我々の思考力や想像力を高め、ロボットシステムが橋や車やドローンなどの画期的な新しいデザインを自分で考え出し、構築するのです。
未来学者のモーリス・コンティといっしょに「拡張の時代」へと旅し、人にもロボットにも単独では作り得ないようなものが共同で作り上げられる世界を垣間見てみましょう。
しかし、膨大なビックデータや膨大な機械学習の訓練が必要です。
この中で創造的なことをしている人。デザイナー、エンジニア、起業家、アーティスト。あるいは、単に想像力が豊かという人はどれくらいいますか?手を挙げてください。
ほとんどがそうですね。そういう人にお知らせすることがあります。
これからの20年で私たちの仕事の仕方は、これまでの2千年間における変化よりも大きく変わるでしょう(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)
私たちは人類史の新時代に差し掛かっていると思います(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)
人類史には、仕事の仕方に応じて大きく4つの時代がありました。
狩猟採集時代が、数百万年続き、それから数千年の農耕時代があり、2百年ほどの工業化時代があり、現在の情報化時代がほんの数十年です。
そして、今、私たちは人類にとって新しく大きな時代の始まりにいます(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)
「拡張の時代」へようこそ!
この新時代においては、人間の自然な能力が拡張されることになるでしょう。
計算システムが、人間の思考を補助し、ロボットシステムが、作業を助け、デジタル神経系が、生来の感覚を大きく越えて、私たちを世界へと繋げます。
認識力拡張の話から始めましょう。
強化サイボーグだという方は、どれくらいいらっしゃいますか?私たちは既に増強されていると言えると思います。
パーティで誰かに知らないことを聞かれたところを想像してください。こういうものを持っていれば数秒で答えが分かります(コミュニケーションは楽しめませんが)でも、これはまだ原始的な始まりでしかありません。あのSiriでさえ、ただの受け身のツールです。
実際、過去350万年の間。人類の道具はずっと完全に受け身のものでした。指示した通りのことだけをし、それ以上のことはしませんが、基本的人権に配慮しているので着実に向上はしています。
人類最初の道具は、打ち付けた場所を切るだけでした。のみは彫刻家が指定したところを削るだけです。
最も先進的なツールでさえ、明示的な指示なしには何もしません。これは、私がよくフラストレーションを感じることですが、道具にこちらの意向を指示する必要によって我々は制限されてきました。
コンピューターがあっても文字通り手を使って指示する必要があります。しかし、私はスタートレックのスコッティみたいな人間です。コンピューターと会話がしたいんです。
「コンピューター。車をデザインしよう」と言ったら、コンピューターが車を出して見せます「もっと速そうな感じでドイツっぽくなくしてくれ」と言うとコンピューターが、基本的人権に配慮しながら注文通りにしてくれるんです。
この会話はまだ先の話ですが、皆さんが考えるほど遠くはなく、私たちは既に取り組んでいます。道具は受け身のものから生成するものへと飛躍しつつあります。
デザイン生成ツールは、コンピューターとアルゴリズムを使って形状を合成し、自分で新しいデザインを作り出します。必要なのは目標と制約だけです。
例をお見せしましょう。これはドローン用のフレームの例ですが、こちらがするのは必要なことを伝えるだけ。4つのプロペラがあるとか。出来るだけ軽くとか。空力的な効率を良くしろとか。
すると与えられた条件を満たすあらゆる可能な解の全体。何百万通りという解をコンピューターが探索します。
これには大型のコンピューターが必要になりますが、私たち自身が考えも付かないようなデザインが生まれます。
コンピューターは自分だけで答えを出します。
誰かが何か描いてやることはなく、何もないところからデザインを始めるのです。ちなみに、このドローンのフレームがムササビの骨盤に似ているのは偶然ではありません。
このアルゴリズムは進化と同じように働くようデザインされているからです。
この技術を世の中で実際に目にするようになってワクワクしています。この2年。オートデスク社は、エアバス社と協力して未来の飛行機のコンセプトモデルに取り組んできました。まだ、先は長いですが、デザイン生成AIを使って最近こんなものを作り出しました。
これは、3D印刷された客室の隔壁ですがコンピューターがデザインしたものです。元の半分の重量でより高い強度を持ち、年内にエアバスA320で使われ始める予定です。明確に定義された問題に対してコンピューターは今や自力で独自の解を生み出せるんです。
しかし、直感的とは言えません。毎回。1から始める必要があります。学習しないからです。うちの犬のマギーとは違います。
マギーは実際、最先端のデザインツールよりも賢いんです。どういう意味かというと飼い主がリードを手にしていたらそれは、かなりの確率で散歩を意味するとマギーは理解しています。
どうやってそう学んだのでしょう?飼い主がリードを手に取るたびに散歩に出たからです。そこでマギーは3つのことをしていました。
注意を払うこと。何が起きたか覚えていること。心の中にパターンを作って概念を保持することです。
興味深いことに、これはまさにコンピューター科学者達が過去60年の間。人工知能にさせようと試み続けてきたことです。
1952年に三目並べができるコンピューターが作られました。大したことでした。45年後の1997年。ディープブルーは、チェス王者カスパロフを破りました。
2011年。ワトソンはクイズ番組ジェパディで歷代チャンピオン2人に勝ちました。これは、コンピューターにはチェスよりもずっと難しいことです。
定められた手順に従ってやる代わりにワトソンは、人間の対戦相手に勝つために推論をする必要がありました。
そして、2週間前。ディープマインド社のAlphaGoが最も難しいゲームとされる碁で世界最強の碁指しを破りました。碁には、宇宙の原子の総数よりも多くの手があります。
勝つためにAlphaGoは直感力を発達させる必要がありました。実際、AlphaGoがなぜそうしたのか開発者自身にも分からないことがありました。
物事はとても速く進んでいます。人の一生の時間のうちにコンピューターにできることが、子供の遊びから最高度の戦略的思考にまで進歩したのです。ここで起きているのは、スポックのようだったコンピューターが、カークみたいになったということです。
純粋な論理から直感へという変化です。みなさん。この橋を渡ろうと思いますか?多くの人は「まさか!」と言うでしょう。
コンマ何秒でそういう判断をするのです。この橋は安全でないと知っていたかのようです。
今やディープラーニングシステムが、そのような直感を獲得しつつあります。
近い将来。皆さんは自分の作ったものやデザインしたものをコンピューターに見せて意見してもらえるようになるでしょう。
「相棒。こりゃ駄目だよ。やり直しだね」あるいは「みんなこの歌を気に入ってくれるだろうか?」とか「この新しい味のアイスは受けるか?」とか聞けるでしょう。
さらに重要なのは、概念が数値化できれば、これまで直面したことのない問題にコンピューターで取り組めるようになることです。
たとえば、気候変動です。これは多くの概念が必要です。
人類はあまり上手く対処できていないので、どんな助けでもありがたいことでしょう。それが私のお話ししていることです。
テクノロジーが人間の認知能力を増強し、拡張されていない素の人間には、単に手の届かなかったものを思い描き、デザインできるようになるということです。
では、我々が発明しデザインしようとしているそういう新しいクレージーなものは、どうやって製造するのか?
人類拡張の時代は、仮想的・知的な領域だけでなく、物質的世界にも関わるものです。テクノロジーはいかに人間を拡張するのか?
物質的世界ではロボットシステムによってです。
人間の仕事がロボットに奪われる怖れは、確かにあってある種の領域(基本的人権を侵害する)では実際そうなるでしょう。
でも、私がもっと興味があるのは、基本的人権を尊重し、一緒に働く人間とロボットが互いを拡張し合って新しい領域を切り開く というアイデアです。
これはサンフランシスコにある我々の応用技術研究所です。その主要な研究領域の1つが先進ロボット工学。特に、人間とロボットの基本的人権に配慮した共同作業です。これは、我々のロボットBishopです。繰り返し作業のある建築現場で作業者を手伝うよう実験的にセットアップしてあります。壁にコンセントや電灯スイッチのための穴を開けるといった作業です。
人間のパートナーが、単純な言葉やシンプルな手振りでやることを示します。犬に話かけるみたいにBishopは指示されたことを完璧な正確さで実行します。人間には、人間の得意なことをしてもらいます。認識とか。知覚とか。倫理に基づく多数の概念的な意志決定です。
ロボットには、ロボットの得意なことをさせます。精密な反復作業です。これはBishopがやった別の面白いプロジェクトです。このHIVEという名のプロジェクトでは、人間とコンピューターとロボットが共同して、非常に複雑な設計問題を解決するという体験を試行しています。
人間は、労働者として働きます。建築現場を動き回り竹素材を扱います。
ちなみに、形状の異なる竹は、ロボットには扱うのが非常に難しい素材です。ロボットは、このファイバーを張る作業をします。人間にはほとんど不可能なことです。そして、人工知能(新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズム以外の活用で)が全体の制御をしています。
人間とロボットにそれぞれの作業を指示し、何千という要素を管理します。これが興味深いのはこのパビリオンの構築は、人間とロボットと人工知能が補い合って取り組まねば不可能だったということです。
もう1つプロジェクトをご紹介しましょう。ちょっとクレージーなものです。アムステルダムを中心に活動するヨリス・ラーマンとMX3Dのチームとともに世界初の自律的に建設する橋をデザイン生成とロボットによる3D印刷で作ろうというものです。
今、まさにアムステルダムでヨリスと人工知能が橋をデザインしています。デザインが完成し実行を指示するとロボットがステンレスで橋を3D印刷し始めます。そして、橋が出来るまで人の手助けなしに自律的に印刷を続けます。
コンピューターが新しいものを想像しデザインする。
人間の能力を拡張し、ロボットシステムが以前には作り得なかったものを製造・建設する手助けをしてくれます。
そういったものを感じ制御する能力についてはどうでしょう?
我々の作る物の神経系はどうか?
人間の神経系は、周囲で起きているあらゆることを伝えてくれます。
しかし、我々の作る物の神経系はごく原始的なものです。例えば、車が街中の交差点で道路に開いた穴を踏んでも、自分で市道路局に連絡することはありません。建物は、中に入った人たちが気に入ってくれているか設計家に伝えることはありません。おもちゃメーカーは、おもちゃが実際に遊ばれているか。どこでどう使われているか。楽しまれているかどうか。知りません。
もし、知ったとしたら基本的人権の侵害になります!
新型コロナウイルスのパンデミックで判明した規制しなければいけないストーカーアルゴリズムの悪用が推測できるからです!
バービー人形のデザイナーは、自分の人形にこのようなライフスタイルを想像していたことでしょう。でも、本当はバービーが すごく孤独だったとしたら?孤独という概念が、孤独アルゴリズムで数値化されていないのでわかりませんが。
もし、自分のデザインしたものについて、実際にどんなことが起きているかデザイナーに分かれば、道路にせよ。建物にせよ。バービーにせよ。その知識を生かして利用者にとって、より良い体験を生み出すことができるでしょう。
欠けているのは、基本的人権を保護するため、我々がデザインし、作り、使うもの、すべてと我々を繋ぐ神経系です。
世に出した自分の作品からそのような情報が流れてくるとしたらどうでしょう?
まぁ、基本的人権を侵害してしまう危険性は高いですが、自分の作ったものを、人々が買ってくれるよう説得するために、我々は膨大なお金と労力を費やしています。
昨年は2兆ドルという規模でした。もし、デザインし、作ったものに対し、世に出した後。販売された後。公開された後にそのような繋がりを持てたなら、基本的人権を保護するため、本人の許可は必須です。また、ビジネスのやり方も変わるでしょう。
作った商品を人々が欲しくなるよう仕向けるのでなく、人々がそもそも欲しいと思うものを基本的人権を保護するため、本人の許可を認識させてから作るのです。
良い知らせは、デザインしたものと繋がるデジタル神経系に我々は既に取り組んでいるということです。あるプロジェクトで私たちは、ロサンゼルスのバンディート・ブラザーズに属する2人と組んで作業しています。彼らのやっていることの1つは、とんでもないことをする。とんでもない車を作るということです。ほんとうにクレージーな連中です。
いい意味で、我々がやっているのは従来のレーシングカーの車体に神経系を組み込むということです。
何十というセンサーを取り付け、世界第一級のドライバーに運転してもらい、砂漠を1週間。狂ったように走り回るのです。車の神経系が車に起きたことをすべて捕らえます。データポイントの数は40億にもなります。車が受けたあらゆる力を記録しています。それからクレージーなことをしました。
人間ではないので、そうやって得たデータをDreamcatcherというデザイン生成AIに入力します。
デザインツールに神経系を与えて究極の車体を作れと言ったら何ができるのでしょう?
こんなものが得られます。これは人間には決してデザインできないようなものです。
デザイン生成AIとデジタル神経系で拡張された人間によって、デザインされたものでロボットで実際に製造することができます。
そういう「拡張の時代」が、我々の未来であり、人間が知的・肉体的・認知的に拡張されるのだとしたら、いったいどんなことになるのか?そのおとぎの国はどんな風になるのでしょう?
来る世界では物は製造されるより、栽培されるようになるでしょう。建築されるよりは育てられるようになるでしょう。孤立したものから繋がったものへと採掘から集積へと変わるでしょう。服従を求めるより自律を尊ぶようになるでしょう。
拡張された能力によって世界は劇的に変わるでしょう。世界はもっと多様で繋がっていて、ダイナミックで複雑で適応的で。そして、もちろんより美しいものになります。未来に現れるものの姿は見たこともないものになるでしょう。
なぜなら、それらを形作るのはテクノロジーと自然と人間による新しい基本的人権を根底にした共同関係だからです。それは、楽しみに待つ価値のある未来に思えます。
ありがとうございました。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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af3ura · 2 years
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2022.8.25-28
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イギリスにいます。 正確に言うとスコットランドのエジンバラ。 気がむいた時に書くこの日記だけど、3ヶ月のイギリス滞在中はせっかくだから何かあった日はちゃんと書き残しておこうと思って、ひさびさに更新に至った。 前回何書いてたんだっけと読んでみたら、一年前だし、日本から出ていきたいって言ってるし、なんか一貫してるな。
2022.08.25
出発は22:30成田発だったので、昼間は蜂��さんの『abさんご 試演会』の稽古見学に駆け込んだ。 なんだかよくわからないけど閻魔様がいた。 蜂巣さんチームに混ざって、おぐセンターの美味しすぎるほっけを食べながら、急にマスク無しの生活したらコロナかかりそうだな、海外にもR-1ってあるのかな、ていうかR-1のCMって失礼だよね、とかいう話をして、空港に向かった。
成田空港、まじで全然店が開いてなかった。 仕方ないからセブンでR-1とグミを買った。
乗り換え地点のドーハ行きで出た機内食はカツ丼だった。 カツ丼は美味しかったけど、副菜の立ち位置の冷製パスタが思いっきりシソ味で、海外の人は食べれたのだろうか。私はちょっと嫌だった。 離陸までに40分くらいかかって、このまま陸路でドバイまで行くのかな?と思った。
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時差のこと何もわかってなくて日本時間出発22:30-ドーハ時間4:25到着なのに、愚かなことに到着時間も日本時間だと認識していて、出発する前は「6時間で着くじゃん。鳥取までの夜行バスの方が辛いわ」とか思ってた。 全然つかない。つく気配もない。まわりの人は爆睡してる。 途中で「違うわこれドーハ時間だから1、2、3、4…12時間かかる!」と気がついたが、手元の腕時計もiphoneもまだ日本時間。12時間かかるのがわかったところでじゃあ今何時ですか?what time is it now なんて英語の授業だけで使う言葉だと思ってたけどまさかリアルに使う時が来るとは。
2022.08.26
ドーハ乗り換えは4:30から3時間後の出発だった。全く眠くなかった。 ドバイっぽいお土産を見たり、謎のポテチを食べたり、アゴラのシフトを組んだり、周りにならって地べたに座って待ってみたりした。 ドーハからエジンバラまでは7時間くらい。 私は飛行機がかなり嫌いで、乗る前に必ず心の中で3回くらい十字を切っている(なぜキリスト式なのかはわからないけどとにかく必死に神頼みしたくなるくらいまじで嫌)なのだけど、私は空を飛んでるのが怖いのではなくて、空中の揺れが怖かったらしい。でかい国際線は平気だけど、小さい国内線は怖い。
エジンバラ空港は思ってたより小さかった。 SIMを変えて出発。空港のコンビニ店員さんのSIMの説明が全く聞き取れなくて焦る。
倫敦どんより晴れたら巴里って感じの曇り時々雨で、降り立ってすぐに早速イギリスらしさを感じる。 お腹空きすぎて街に出るまで我慢出来ず、空港でサンドウィッチを買った。美味しかったけど、円安を感じるお値段。
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滞在するゲストハウスはエンジンバラ城のすぐ下だった。 てかエジンバラ城めっちゃホグワーツじゃん。
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日頃の生活リズムが狂いまくってるおかげで、時差ボケは全くなく通常運転で活動出来そうだったので、時差分増えた8時間で散策。
ふらっと古い教会にたどり着いたら、ヨーロッパ1怖いと言われてる墓地だった。 骸骨のモチーフがたくさん刻まれてたのだけど、どうしてお墓に骸骨? マクゴナガル先生とトムリドルのモチーフになった方々のお墓を見た。 雨が降ってて写真が撮れなかったので、別日に再訪した時の写真。
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お墓を見てたら、お城の方から大歓声が聞こえてきた。 予約しなかったミリタリータトゥーだとすぐにわかった。 こんな盛り上がってんの?絶対見た方がよくない?と思い直してその場で即当日のチケットを購入。 一旦宿に戻って、夜、持ってきた中で一番あったかいトレーナーを着て出発。
まずお城に入るまでにすごい人だかりだった。東京の花火大会みたい。 パンフレットを買ったけど、まじで私以外誰も買ってなかった。なんで。 座席のスタジアムっぽさもあってか、野球やサッカー観戦のような盛り上がり方をしていた。 The Royal Edinburgh Millitay TATTOO という名前(タイトル?)から、かなり厳格で伝統的な感じなのかなと思ってたら全然違った。いや全然違くはないんだけど、本気出した王立のエレクトリカルパレードって感じだった。私の感想は終わってるけどまじで爆上がりしたし見てよかったから機会があればぜひおすすめしたい。 あと、スコットランドのチームの演技が始まった時が一番盛り上がっていて、ああここはスコットランドなんだな、と思った。 写真はプログラムが全て終わった後の向かい側の客席と、並ぶ国旗。
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2022.08.27
朝起きて、オンラインMTをしてから出かける。
最初にジャルジャルを見た。 私が出したワードが2つともコントになって喜び。CUTE / CAT Train Man というトーマスを模した新しいキャラクターが生まれてウケてた。
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でっかいスモアクレープを食べた。隣に並んでた小学生くらいの男の子も同じもの食べてた。熱すぎた。
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元学校のアートスペースで2本目の観劇。 プロジェクターに映るテキストやプリンターから出てくる台本に従って観客が演じる形式がとられていて、このノリ方は日本では無理かも…と思いながら楽しんだ。 構内を普通に犬の散歩で通り過ぎてる人&犬がいてびびった。ここそういう感じで通っていいんだ。
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快晴だったので、次の予約まで再び散策。
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↑終わってる感想 ディズニーランド?て感じの城?塔?あれはなに
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↑ヨーロッパ1怖いらしい墓地でChillってる若者たち。 墓地だけでなく、すごい傾斜でもとにかく芝生のあるところでは必ず1人はChillってる。 もしかしてここも 墓地 < 芝生 という認識?
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↑逆光のアダムスミス(人混みすごすぎて諦めた)
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↑両替してなくて出来なかったピンボール
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↑お城のある旧市街の方は丘になっている。 丘を登って、くだると旧市街。丘をそのまま登るとエジンバラ城。 イギリスの歌詞や物語にはHillがよく出てくる(Mountainより出る)イメージがあるのだけど、確かに空港からの景色も山よりも丘という感じの盛り上がった土地が多かったような気がする。
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↑トレーラーで暗闇の中ヘッドフォンをして体感するイマーシブシアターを見た。 普通に怖かった。日本でもウケそう。
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↑ていうかめちゃくちゃ美しい街なのにゴミすごいな…世界中から人が来てるからこうなっちゃうのか…?と思ってたらストライキ中らしい。 ゴミの写真撮ってたら自由な犬きた。
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↑最後にもう一本演劇を見た帰り道、23時くらい。 若者が集まってスケートボードをしたりお酒を飲んでる横を通り過ぎた。 Not British と書かれたジャンプ台が置かれていた。
2022.08.28
10時からシェイクスピアの子供向け朝食クロワッサン付き演劇を見た。 To Beer or not to beer だけ元ネタがわかるもじりだった。
前半書きすぎてもう書くの疲れてきたし観劇ばっかりしてたからもう今日はさらりとおわらす。
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洞窟みたいなところを進んだところにある劇場?でも観劇。 たぶんフリンジの多くの会場は、普段は別のスペースとして使われてるだろう場所に仮設で劇場が組まれているのだけど、期間外はどうやって/どのくらい使われてるんだろう。
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観劇の合間にスーパーのホットスナックを買った。 ソーセージパンって書かれてたけど、思ってたのと違った。ソーセージの中身が入ったパンだった。ソーセージに対する概念の違いが浮き彫りになった出会い。美味しかった。
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大きい教会で観劇。ここもトラス組んで照明吊ってた。 2階席みたい場所があったけど、普段は何の部屋なのかわからない。教会のこと全然知らない。
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20:30の明るさ。 全然日が沈まないから時間感覚が狂う。そんなはずはないんだけど、ここには昼と夜しかない。
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22:30開演のダンス公演を見に行ったら耳栓配られて怯えた。 1日の最後に耳イカれてしまうのか…?と思ったけど作品は最高だったし、耳栓はくれて本当にありがとうという音量だった。
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黄色いコーンを被せたり刺したりするのが主流のいたずらっぽい。 確かに日本の赤いコーンより小さくて、銅像に被せるのにちょうどいいサイズ。
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なんか…なんか食生活やばいかも⁉︎と思って急に買った野菜ジュースと今日までの観劇メモ。 無地のノート売ってなさすぎて2日間探し回った。1.5£
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7月に埼玉で上演していたパパイオアヌーの『TRANSVERSE ORIENTATION』にて、演出家の強烈な原風景を感じたシーンがあった。舞台上に現れた海岸と地平線は明らかに日本の海ではなかった。はっきりと、まざまざとその”演出家(あるいはチーム)の原風景”を見せつけられて完全にやられた。どこからどう見てもギリシャの海岸沿いだった。自分のルーツを、自分を構成している文化や習慣を、原風景を自覚することは、自分たちの作品に軸を通すのかもしれない。私は私(と私を構成してきた環境・文化・慣習・社会)のことを全くわかっていない。鏡がないと自分の顔を見れないのと一緒で、自分の中身を観察するにも鏡のような何かが必要だと思っていて、それでやっぱり海外に行こうと決めた。短くてもいいから、次にまた長く来たらいいからと、とにかく今!自分を構成している環境から離れてみるタイミングだと思って。もちろん語学もちゃんと伸ばして、英語でのクリエイションに物怖じしないくらいのパッションは身につけたい。
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私が子供の頃から飾ってた実家のクリスマスツリーのオーナメントに小さいリンゴを模したものがある。幼少期から「変な大きさのリンゴだな」と思ってたし、最近まで「妙に小さくデフォルメされてるな」と思ってた。けど、あれはヨーロッパサイズのリンゴなのかもしれない。
書きすぎた。 もう早速明日書かないかも。
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