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#此処より会津富士望む
spst-haru · 2 years
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[ 緑薫る庭園 ] . . . 緑葉コキアの広がる猪苗代の庭園から、 青い会津富士を望む。 . . . ==================== 📷 2022.09 Inawashiro Herb Garden, Yama-gun, Fukushima . Nikon D5300 🍃🏔🍃🏔🍃🏔🍃🏔🍃 ==================== . . . #japan #fukushima #inawashiroherbgarden #inawashiroherbgarden_mtbandai #inawashiroherben_bandaisan #inawashiroherbgarden_aizufuji #inawashiroherben_aizufuji #inawashiroherbgarden_kochia #inawashiroherben_kochia #inawashiroherbgarden_greenkochia #inawashiroherben_greenkochia #inawashiroherbgarden_bluesky #inawashiroherben_bluesky #福島 #猪苗代ハーブ園 #猪苗代ハーブ園_磐梯山 #猪苗代ハーブ園_会津富士 #猪苗代ハーブ園_コキア #猪苗代ハーブ園_グリーンコキア #猪苗代ハーブ園_緑葉コキア #猪苗代ハーブ園_青空 #緑葉セカイ #ryokuyo_sekai #夏風に揺れるグリーンコキア #green_kochia_waving_in_the_summer_breeze #緑葉の薫る庭園 #garden_with_green_leaves #此処より会津富士望む #the_place_to_view_mtbandai #nikond5300 (猪苗代ハーブ園) https://www.instagram.com/p/Cj1BHK_SvHT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 5 years
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各地句会報
花鳥誌令和2年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
令和元年11月7日 うづら三日の月句会
小春日も心配事も窓の外 さとみ 病む兄の泣き顔背には小春かな さとみ 秋深し見知らぬ人と船に乗る 都 蔵の戸をきしませ開き新酒出る 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月7日 花鳥さゞれ会
師と僧と旅の我等に雁渡る 雪 山国の黒きばかりの赤とんぼ 雪 冬桜なつかしや人なつかしや 雪 大根引く太さを笑ふ女たち かづを 大根干す風は乾ける匂ひして かづを 老杉が静寂深めし神の留守 かづを 石仏と頭巾と袈裟と冬に入る 匠 みくじ引く神無月とは知りながら 匠 料亭も跡形もなく冬日濃し 清女 茶の花や蓮如の道の道しるべ 千代子 何と無く書店をのぞく神の留守 啓子 神の留守社の木々も痩せ果てり 希 渡り来て水尾美しく鴨泳ぐ 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月8日 鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
午後の日を傾け綿虫のしきり 栄子 冬晴や鎮木に番の鳩留り 益恵 老いし身に糶の活気や冬の浜 すみ子 山茶花の今日咲く花と散る花と 都 木には木の記憶のありて紅葉散る 佐代子 この杜の心音刻みけらつつき 都 神の留守とて松替へて拝む夫 史子 冬用意山の官舎に軍手干し 悦子 唐臼の杵の一端冬日置く 悦子 針を持つ縁の隅より秋の声 立子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月9日 枡形句会
栗林圭魚選 特選句
陽子師を偲ぶ秋蝶ふはと舞ふ 和代 晩学に俳句習ひて石蕗の花 美枝子 錦秋の映る足湯を揺らしをり 白陶 人波に乗りつ辿りて酉の市 美枝子 年尾忌や最期看取りし人も逝き ゆう子 母訪ひて帰る不安や神の留守 百合子 堂裏を見守る大樹蔦紅葉 多美女 師の墓参暗闇坂は冬めきて 教子 おほやうに蝦夷語る声消えて冬 ゆう子 柿一つ眩しく照らす陽子晴 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月9日 零の会
坊城俊樹選 特選句
一陣の紅葉五重塔を巻く 順子 冬帝の傷無き空へ念仏を 光子 百段は小春浄土へ登る数 梓渕 冬晴や胸に罅抱く仁王像 慶月 文豪の寂土を指せば綿虫も 順子 円柱の影踏む人の冬あたたか 和子 鐘楼を去りかねてゐる冬の蝶 悠紀子 霜晴のちりとりに幸田家とあり 光子 小春日の水煙はるか雲の行く 眞理子 人間も餓鬼も屯す寺小春 美佐子
岡田順子選 特選句
冬帝の傷無き空へ念仏を 光子 小春日の墓所を巡れば塔婆揺れ 瑠璃 七五三五重塔の下敷に 俊樹 幸田家のちりとり冬の土の上 小鳥 国菊のにごり酒売る低き軒 眞理子 綿虫は露伴の墓を湧きしてふ 俊樹 露伴墓所露の五重塔を背に 梓渕 乳母車に小春日和をさし入れむ 和子 恍惚の刀自に連れられ七五三 俊樹 寒き刃を牛革で研ぐ理髪店 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月11日 なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
冬日和ペットショップへ廻り道 あき子 冬日和リュックの老女たくましく 迪子 レシピすら知らぬや父の大根漬け 聰 手締めして小さき熊手も売られゆく ます江 電球の光集めて大熊手 秋尚 冬日和波をはるかに島光る 怜 大根漬日干しの香り閉ぢ込めて 秋尚 隙間なく沢庵樽の幾何模様 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月12日 萩花鳥句会
面影の静かに浮かぶ小夜時雨 小勇 菊日和ティアラ煌めくオープンカー 祐子 七五三口とんがらせ紅をさす 美恵子 空と海ピンクに染めて神の留守 吉之 肝心な話は神の旅の後 陽子 秋空や火葬で昇天首里の城 健雄 山茶花や新たな命娘は宿し ゆかり 由布岳をすつぽり覆ひ時雨雲 克弘
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年9月13日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
古錨虹屋の跡に秋の風 よみ子 萩しだれ小さき花つけ坂の道 寛子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月16日 伊藤柏翠記念館霜月抄
坊城俊樹選 特選句
菊の香にゐて菊の香をふと忘れ 雪 此処に果つ一向一揆曼珠沙華 同 時雨るるや山里小さくなるばかり みす枝 冬の月よろづの影の沈みけり みす枝 神座る石につつじの返り花 たゞし 菊花展きれいなままで枯急ぐ 富子 石庭のすき間すき間の草紅葉 清女 秋の声一乗谷にあふれをり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月19日 風月句会
坊城俊樹選 特選句
七五三兄は普段着にて並ぶ 秋尚 朝の日へ懸崖菊のはみ出でて 同 参道の黄菊一人に濃かりけり 久子 大日堂灯して昏く冬紅葉 斉 仁王門出でて一礼冬ぬくし 三無 一拍に鳴り龍冬を立ち上る 斉 大綿の霊峰富士を過ぎりけり 圭魚
栗林圭魚選 特選句
法の山札所露に冬に入る 斉 冬ぬくし丈六不動の黒き肌 佑天 鬼門守る花柊の古木かな 斉 朝の日へ懸崖菊のはみ出でて 秋尚 開け閉てに津軽林檎の匂ひくる 久子 大日堂灯して昏く冬紅葉 斉 足袋の子の鼻緒にぐづる七五三 久子 奥多摩も富士も指呼なる冬日和 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月20日 福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
大根を洗ふ人らは尻向けて 世詩明 初時雨軒に梯子を掛けしまま 世詩明 をの子の手ふと触れたしや星月夜 令子 仮の歯入れ鏡見てゐる小六月 令子 コルセットきつめに締めて小六月 清女 鉄路なきふるさと歩く小六月 よしのり 柊の花に幼帝祀る宮 雪 それぞれの鍵に鳴る鈴秋深む 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月21日 鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
濃紅葉の陶あかりなる幽石庭 昭子 あやとり橋紅葉明りに行き戻り 昭子 草紅葉鋤き込ま���つつ田の眠る 紀代美 六腑もう三つを切りて冬に入る 一涓 花の名を男に聞かれ女郎花 雪 揺れてゐる揺れてをらざる猫じやらし 雪 天高く金の鯱そびえ立つ やすえ 千尋なる谷へ落葉の幾万枚 みす枝 落葉踏めば山の深さを語りをり みす枝 石蕗の花野仏瞼円らなる 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月23日 武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
男女ゐて何も起らぬ近松忌 世詩明 枯野ゆく川面に日矢の幾筋も さよ子 近松忌女の嘘の徒ならず 世詩明 遠き日の恋も忘れし木の葉髪 英美子 嚔出てわれを罵る人は誰 世詩明 小夜時雨静かに落ちる夢の淵 昭子 薪能舞台そのまま返り花 利栄 寒晴や命の電話海に向く 錦子 手足自由動く勤労感謝の日 みす枝 諦めて諦め切れず神の留守 靖子 高西風や舟屋早々灯を点す 昭女 重力で長く伸びたる糸瓜かな 三四郎 時雨るるや茅葺き重くなるばかり みす枝 紅葉して峙つ山をやさしくす 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月27日 九州花鳥会
時雨懇親句会
坊城俊樹選 特選句
飴色の街灯続く小夜時雨 愛 水旨き里に嫁ぎて寒造 孝子 檻握る猿の冷たき指紋かな 愛 まつ黄色ならぬ銀杏の潮傷み 由紀子 女一人拝礼長く冬茜 勝利 鮫干さる眼に残る冬の海 由紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月28日 九州花鳥会
名護屋城址・唐津吟行句会
坊城俊樹選 特選句
花八手古塁の石は無言なり さえこ 陣跡の石みな尖り石蕗の花 かおり 冬ざれや野望はかなき陣地跡 成子 神渡玄海の波荒ぶらせ 勝利 天守台傾ぐ古木に群千鳥 順子 軍船か壱岐か対馬か冬怒涛 千代 旧邸の玻璃戸に冬の海うねる 愛 冬萌や官兵衛ふれし野面積 寿美香 もののふの声解き放つ冬怒涛 かおり 杉戸絵の蛍火ともる冬館 由紀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年11月29日 九州花鳥会
定例句会
坊城俊樹選 特選句
淋しらに転がりてみる枯野原 美穂 方舟にユダ紛れ込む開戦日 寿美香 にほどりのまやかしものの水面かな 愛 歳月は水に映らず枯柳 朝子 冬の日の胸の奥まで照らしけり 孝子 かひつぶりそしらぬ貌で浮き上る 阿佐美 冬の濤さらに激しき次を待つ 美穂 あかときの光まとひて鳰 阿佐美 太閤の野望くだきし冬怒涛 睦子 冬芽立つ石垣のみの夢のあと 光子 大根の真つ白な音おろしけり 寿美香 天から降りそそぎたるごと石蕗の花 光子 チラシより軽き新聞漱石忌 寿美香
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
さくら花鳥会
岡田順子選 特選句
容赦なく大根洗ふ滴飛ぶ あけみ 桜紅葉樹齢五百を彩りて みえこ 炉開や心の澄みて茶を点てる 寿子 身に入むや高架の下の弾き語り 登美子 遠目にも鳥休む岩秋白し 登美子 信楽の大火鉢にてもてなされ 寿子 冬近し気情な父の小言増え あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和元年10月11日 芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
公報の声風に乗る野分雲 よみ子 くつきりと山巓晴れて秋の川 同 人住まぬ生家の跡の金木犀 孝子 ひとしきり犬の遠吠え野分雲 よみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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shibaracu · 4 years
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∵ ∵ ∵ 日本の時の読み方
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∵ ∵ ∵ 日本の時の読み方 ★比較文化史の試み37 旧石器時代  https://00m.in/8ulBa 旧石器時代 日本の旧石器時代は、約3万5千年前の後期旧石器を始まりとする。 いわゆる、原人や猿人などのことではなく、私たちと同じ 「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)」の時代に入ってきてからである。 しかも、ナイフ型石器というかなり完成された石器を伴う。 つまり、旧石器人は高度な技術をもって、日本列島にやってきた。こ のナイフ型石器には日本固有の特長があり、周辺地域とは異なる点がいくつかある。 もちろん、彼らには日本人などといった意識はないし、 単に現在の日本の領土内にい���ということにすぎない。 文化の継承があるとは断定できないが、現在に我々が存在する以上、 旧石器時代に我々の先祖にあたる人々どこかにがいることは間違いない。   ★比較文化史の試み38 旧石器時代2  https://00m.in/i84RV 旧石器時代 その2 北海道は大陸と陸続きの関係で、本州・四国・九州とは異なった石器文化をもっていた。 大陸から見れば半島であり、北海道までは容易に到達することができる。 ナイフ型石器が日本列島独自の文化であることは前述のとおりだが、 それは本州・四国・九州が対象となる。 北海道に到達した旧石器人が「まだ舟をつくっていない」と仮定するなら、 津軽海峡を越えられるのは厳寒期の凍結時だけと思われる。 おそらく、これが文化を分けた理由だろう。   ★比較文化史の試み39 旧石器時代3  https://00m.in/TbNdW 旧石器時代 その3 ナイフ型石器II期になると、角錐状の石器が出現する。 しかし、現在のところ北海道では出土しない。 これも津軽海峡という「海」が影響しているのだろう。 北海道は旧石器時代を通して本土とはやや異なる文化圏に属していたようだ。 旧石器時代の黒曜石の産地のひとつに神津島があり、神津島が本土と 陸続きになったことがないと考えられ、このことから舟の存在が指摘されている。 その根拠となった「石斧と砥石(といし)」がナイフ型石器I期の途中で 忽然(こつぜん)と消えてしまう。 この原因は全く不明である。磨製石斧が舟を作る道具で、より便利で 新しい道具に置き換わったのなら、その石器が出土するはずだが、 現実には、そのような石器は見つかっていない。 その結果、磨製石斧を動物解体用の道具とする説が有力視されることになる。 そして、大型動物の激減が磨製石斧の生産を止めさせる。 そのように説明するのが「動物解体道具説」である。 出土した磨製石斧の一部から動物の脂肪酸が検出できたとの報告もあるが、 疑問視するむきもある。 ★江戸時代の時間の感覚は弥生時代と変わらない...?: あまのじゃくの羅針盤 http://aze.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-4ff7.html 2011/02/17 江戸時代は,なんせ...2時間単位で行動していたみたい。 この間の1時間は半刻と呼ばれてはいたが、これはもう時間の経過が分からない。  したがって腹時計でやっていたとも...?  「明け六つ」も一定の時刻ではなかった。 文字通り夜のあける時間...という程度の割り振り、感覚だった? 故に、この明け六つは季節によって動いていく。 季節が変われば明け六つの時刻が変わり 「一刻」の時間の長さも季節によって変わっていた。 また昼と夜の長さが季節で変わるから、 一刻の時間の長さも昼と夜では少し違うものになる。 ★第75回 時計と時間 – 縄文エッセイ - 縄文ファン https://aomori-jomon.jp/essay/?p=7477   2014/12/09 蚊やダニは我々が気づかない間に皮膚に穴をあけて管を刺し、血を吸って立ち去るという離れ業をやってのけます。小さくてすばしこい蚊の眼には人間の巨大な肉体の動きはスローモーションに見えると聞いたことがあります。反対に、静かに立っていると思える樹木は早回しのフィルムで見ると、実は生き生きと陽の光を追って葉や枝を動かし、成長していることがわかります。 小さな虫、大きな木それぞれに流れる時間は、その速さが違うということになります。 木と虫にとどまらず、あらゆる生き物にはそれぞれに流れる時間の速度があって、惑星レベルで考えれば、マントルの動きや季節風の代謝などさらにマクロな時間が流れ、宇宙に至っては時間の流れはさらに混沌とした不確かなものになると考えられます。 ★西孝二郎著『古代史のからくり』の紹介 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/ekikyo.htm  1  古代日本の古典や祭祀・信仰が道教など中国の古代思想の影響を受けているという指摘が、これまでかなりなされてきた。個人的には、扶桑国問題などで『山海経』が興味深いものの、これを含めて中国や朝鮮半島の経典・祭祀を念頭においた観点からの日本古代史の考察や古典の分析も望まれる。  さて、本書(2007年8月刊、彩図社ぶんりき文庫)は、儒教の基本テキスト「五経」の筆頭に挙げられる易経と記紀との関係について、考察を加え所説を展開するものである。裏表紙に記載の紹介文には、「古代史料のあちこちに潜む文字遊び・言葉遊びの数々。その大半は『易経』に立脚して創作された記紀の内容……。長年月の間に築き上げられてきた数多の定説の塔を粉砕し、一からの再考を強いる、古代史研究のための新・基礎解釈!」と記される。通読してみても、これは要を得た説明といえよう。 ★「古事記」「日本書紀」の読み方(地名、人名) https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2018/e/2097f44e1e6324b1c803c2b9bac344b7 2018-06-09  歴史の祠(ほこら)  魏志倭人伝の読み方(地名、人名) https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2018/e/61bca435a9719951984e1a1073501a6a を参考に日本の歴史書「古事記」「日本書紀」の漢字について考えてみましょう。 漢字が仏教と共に日本に伝わったのが飛鳥時代の6世紀ごろ 氏姓制度で、地名や豪族の名前に漢字が使われます。 基本的には、漢字二文字が名前です。 ★日本が好きになる!歴史全授業(小6・中学) 2013/05/14 http://aokihumu.blog69.fc2.com/blog-category-6.html ★弥生時代の開始年代 http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi.htm 国立歴史民俗博物館で「弥生はいつからか」というテーマで企画展示が行われているので2007年8月11日に四年ぶりに佐原まで出かけました。四年前にマスコミに大きく取り上げられ、その後の成果の報告を期待してでかけました。九州から東北までの縄文晩期~弥生の遺跡で発掘された土器に付着した炭化物や、水田に打ち込まれた杭(くい)や矢板で年代測定が行われました。国立歴史民俗博物館では、弥生時代の開始時期の定義を、水田稲作の始まった時期とし、九州北部で水田稲作が始まった前10世紀後半としています。従来の弥生観では、水田稲作と金属器がセットで生産性が非常に向上し、わずか100年間で畿内や東海の一部にまで伝播したことになっていましたが、報告された弥生時代では、早・前期の600年間が石器時代であり、ゆっくりと時間をかけて水田稲作が広がっていきました。   ★道祖神 男根 胞衣(えな)信仰 猿楽  [No5] http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/enasinko.html 精霊の王/中沢新一 註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。 猿楽の徒の先祖である秦河勝は、壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ下ってきた異常児として、この世に出現した。この異常児はのちに猿楽を創出し、のこりなくその芸を一族の者に伝えたあとは、中が空洞になった「うつぼ船」に封印されて海中を漂ったはてに、播州は坂越(サコシ)の浜に漂着したのだった。その地で、はじめ秦河勝の霊体は「胞衣荒神」となって猛威をふるった。金春禅竹はそれこそが、秦河勝が宿神であり、荒神であり、胞衣であることの、まぎれもない証拠であると書いたのである。     ●onia222さん 縄文時代は,みな3,4時間ほどの労働で,あとは歌ったり踊ったりと楽しい生活をしていたと思います。 なので世界中から永く日本は憧れの的だったようです。
諸外国は先天的に戦う宿命を持つ蕃族割拠のローカルの地でしたし、 従って歴史文化も永続きはなかったですからね。 今のほうが便利かどうかも疑問です。便利が進歩ではないかも知れません。
今と古代とは、価値観が全く違いますから、単純に比較できません。 人口比や食糧の多少で比較しても其れが要件になるかどうかは分からない。 貧しさとは何なのか?今は食料が豊かなのか?今は平和なのか? こうした点についてそもそも日本人は認識できていない。
例えば、縄文時代は戦争をした形跡が見られないのに対して、 「20世紀は戦争の世紀」だったと言われる。 それで凡そ1億人が犠牲になった。今も何処かで戦争や内乱が続いています。 食料と水飢饉で何百万人もが苦しんでいます。
此れでは、人類には学習能力が皆無である証拠であり、今の世間の常識が 「生命第一」としたり、モノカネ主義の価値観こそ大きな誤解である事を 知るべきです。 日本人は昔から長寿でしたが、長寿は結果であって、病気や苦しみの中で 生き永らえるのは無意味です。
戦後の日本や今のアジアのように多産多死ではなくて、今のように少子化でした。 縄文時代は、今のようにどっさり食ってどっさりウンコをする快楽文明ではなかった。
マスプロ、マス消費、大量生産、大量消費と大量ゴミと大量殺りくの戦乱、 病気、苦しみはなかった。 寧ろ其れをなくす知恵や哲学がありました。 また四季折々の滋味豊かな旬の食べ物が、家の周りの天然の冷蔵庫である 森や川に多種多様に幾らでもあった。
其れに比べて今はスーパーに色んな物があるけど、全て年中変わり映えのない 汚染された加工食品や偽装食品であり、ペットフードと大差ない商品。 そんなものしか食べられない生活は貧しいし、量より質の問題です。
それしかない中で、毎日仕事仕事の状況で有るなら、 ペットでも欝になってしまいますね? 其れとは違って縄文時代から江戸時代までの日本は、 凡そ上述のような平和と調和の暮らしでした。
一体どこが違ったのかと言えば、モノカネ主義ではなくて、 根本的には、どうせ一生、生きるなら悪魔の中ではなくて、 神様と共に生きようとする考えで暮らしていたからです。
◆消えた歴史 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-922.html 戦後、ほんとうに日本的なもの、日本人が絶対に知っておくべき様々な歴史が、 次々と消えて行っているように思います。 たとえば、物語として、日本の神話や、 曽我兄弟、二宮尊徳、赤穂浪士、山鹿素行、乃木希典、天狗党、天誅組、 義経と頼朝の相克、壬申の乱、朝鮮進駐軍、ハーグ陸戦条約、軍人勅諭、 教育勅語等々、数え上げればきりがない。
◆縄文紀行 北日本の遺跡~実像に迫る http://okome-okome.sakura.ne.jp/data/touhoku.htm 47 ナゾの板材 縄文の戦争論に一石  (2004.03.16)  「縄文の狩猟採集民は富や蓄えがなかった。従って戦争はなかった。  定義は難しいが、戦争は農耕社会が成熟した弥生時代から始まった」  これは三年前に青森市内で開かれた、ある原子力関係の大会で、  佐原真・国立歴史民俗博物館館長(故人)が、  特別講演の中で述べた弥生の戦争論だ。
◆大平山元I遺跡 - Wikipedia http://bit.ly/ylekLh 大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)とは、青森県外ヶ浜町にある、縄文時代遺跡である。出土した土器片.この遺跡から発掘された縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法の算定で16500年前(暦年較正年代法による)と...
◆大平山元遺跡 - 北海道・北東北の縄文遺跡群 https://jomon-japan.jp/jomon-sites/odai-yamamoto/ 大平山元遺跡. [おおだい やまもと いせき]. 2013(平成25)年3月27日 史跡指定. 時代区分-草創期. 青森県津軽半島の東側中央部、陸奥湾に注ぐ蟹田川左岸の標高26mの河岸段丘上に立地する、縄文時代草創期初頭(紀元前13,000年頃)の遺跡です。 旧石器時代の特徴を持つ石器群とともに、土器片と石鏃(せきぞく)が出土しています。土器片に直接付着していた炭化物の放射性炭素年代測定を行ったところ、12,680±140~13,780±170yrB.P.という年代が得られました。これにより約16,500年前のものである可能性が指摘されています。また、共伴する神子柴・長者久保石器群は、旧石器時代末期の特徴を引き継いでいます。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時の流れていうか時間の使い方は様々で時間を遡るほどのんびりしていた。
現代人が果たして時間を無駄に使っているのか。    人それぞれの考え方がある。
忘年会 新年会 懇親会 など 身近で行う模様しや宴会などは短時間で企画して実行できる。
人を集めるとなると最低 経験では三ヶ月。 大きくなれ��なるほど時間は掛かるもの。 時間かければ良いとは限らないけど。
時の流れの中で時間の観念はその時の情景なども加味されて人により変わってくる。
縄文時代は,みな3,4時間ほどの労働で, あとは歌ったり踊ったりと楽しい生活をしていた
こんな生活をしてみたいもの。 キット時間はユックリと たゆとう様に流れ居たのだろう。
時計に縛られて生活している。  現代人は幸せなのかな。
今は 武漢コロナウィルスに触り回されている。
支那人や 白人が 関わると 碌なことは無い。 のんびりと ゆったりと 行きたいものである。
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spst-haru · 2 years
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[ 初秋の猪苗代 ] . . . 秋晴れの日、 磐梯山を望む町で秋桜が咲き出す。 . . . ==================== 📷 2022.09 Inawashiro Herb Garden, Yama-gun, Fukushima . Nikon D5300 🌸🏔🌸🏔🌸🏔🌸🏔🌸 ==================== . . . #japan #fukushima #inawashiroherbgarden #inawashiroherben #inawashiroherben_bandaisan #inawashiroherbgarden_mtbandai #inawashiroherbgarden_aizufuji #inawashiroherben_aizufuji #aizufuji #inawashiroherbgarden_pinkcosmos #inawashiroherben_pinkcosmos #inawashiroherbgarden_cosmos #inawashiroherben_akizakura #inawashiroherbgarden_bluesky #福島 #猪苗代ハーブ園 #猪苗代ハーブ園_磐梯山 #猪苗代ハーブ園_会津富士 #会津富士 #猪苗代ハーブ園_ピンクコスモス #猪苗代ハーブ園_コスモス #猪苗代ハーブ園_秋桜 #猪苗代ハーブ園_青空 #秋桜の候 #akizakura_season #花色大地 #flower_colored_ground #此処より会津富士望む #the_place_to_view_mtbandai #nikond5300   (猪苗代ハーブ園) https://www.instagram.com/p/CjfGQiUP-pp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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