Tumgik
#洗えるぷしゅぷしゅマスコット
furoku · 1 year
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5/19発売【宝島社】
#シナぷしゅ 洗えるプシュプシュマスコット付BOOK
装丁とミニ絵本のデザインを担当しました。マスコットは気持ち良い触りごごちとサイズ感です!
https://tkj.jp/book/?cd=TD040497
11 notes · View notes
s2xyou · 8 months
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ぽちゃ。ちゃぷ。
きみのことを背もたれにして、湯船でぱちゃぱちゃと水遊び。…みず?お湯遊び?中におれのお気に入りのキャラのマスコットが入っとるタイプの入浴剤、いつしかのきみが見つけて買って来てくれたやつ。ソファでそのままおっぱじまりそうやったから、お風呂入ってからやないといややって駄々こねて何故か一緒に入浴中。脱衣所まで着いてくるもんやから、1人で入るで?なんで時間もったいないじゃんの押し問答の末、えっちする前に明るいとこで恥ずかしいとかそういうおれの嘆きは全スルーされて今に至る。まあ、頭洗ってもらうんきもちかったし、頭洗ったるんも楽しかったし。身体だけは自分で洗うって死守したけど。なんだかんだ、やっぱお風呂一緒に入るんて好きやなあって思ってみたり。でもやっぱそれって、そういう段階を踏んどるからある程度の羞恥心とかなく楽しめるもんやのに、今日は所々恥が捨てきれへんくてきみにからかわれたんが気に食わへん。てことで、向かい合うんは恥ずかしいから、きみにはいまおれの背もたれになってもらっとるとこ。入浴剤の中から出て来たキャラは、おれの1番好きなそれやなかったけど。それでもおれのことを思い出して、これを買って来てくれたんがうれしかったんよなあって、思い出しにまにま。これはおれの宝物。ちゃんと大事に飾っとこ。感謝の意を伝えるべく、ぐだあーときみにもたれかかれば、どうしたのーなんてうしろから腕をぎゅっと回された。ゆるく指を絡めて、ちゃぷちゃぷ言わせてあそんで、伸びをするみたいにきみの肩に後頭部を擦り付ける。
『いい匂いするね』
そう言いながら、おれが逃げられへんようにぐっと抱き抱える腕に力を込めて、晒け出した首筋に顔を埋められた。わざと音を立てるように唇を落とされ、甘い声が漏れる。
「こーら」
ぽちゃんときみの腕を軽く叩けば、そのままゆるく指を絡めていた手に両手をまとめて握られて、腕も使って押さえ込まれる。んー?なんて言いながら滑るように肩まで落ちてくる唇。ぴくぴくと身体を震わせて、荒くなる息に、反響する声に、結局おれまでその気になって。
『なあに、そんな顔して。言わなきゃわかんないよ』
「ん、ちゅーして」
そのまま口付けられて、深く、深く、きみの味を覚えていく。ちょうど腰に当たるきみのそれを押し付けられて、揺さぶられ���、早く欲しいなんて思うてもたから。
「あ、ね、ここで、しよ?」
ほら、おっきい鏡も、あるし。鏡越しに、きみのその顔見てみたなってもたんやもん。
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find-u-ku323 · 4 years
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『アマビエを飼うための、たったひとつの決心』
 アパートの一室に、私より少しだけ小さくて異様な同居人がいる。窓を開けると眩しがり、窓を閉めると寂しがる、そんな面倒臭い性格をしているが、とりあえず水につけておいて頭を��でてやると機嫌を直す。  昨日は夜遅くまで酒を飲み寝落ちしてしまっていたから、髪もボサボサだし何の支度もしていない。食器は辛うじて洗った痕跡が見られる。頭が痛くて動けそうになかったが、今日も出勤しなくちゃいけないから、黙って気を張って朝食の支度をする。  私たちの社会にウイルスが撒き散らされてから、半年はなんとか自分だけのためにオーダーメイドされた孤独に耐えることが可能だった。梅雨どきの前くらいにテレワークも解かれてからは職場でだけだが人と話すようになったし、そうじゃなくても旧知の友人たちとオンラインで飲み会をしたり、家で出来る楽しみで満足するように心がけていた。もともと、家にいてもそれなりにやっていける人だったから、いつまでも自粛生活で大丈夫なんじゃないかとすら錯覚できた。  しかし、秋口に入り涼しくなったころから、急に人恋しくなった。随分規制も緩くなったりして、人と会って話もいくらかしているし、誰かと会えなくたって心に不満足な部分はないのに。SNSを使っても、誰と話していても、それだけでは感じ取れない微細なところを私はなぜか知っていた。  なるほど、このウイルスはそういう人間らしい本能的な寂しさを私たちに本当の意味で思い知らせるためのものだったんだ、と妙に納得してしまった。  それで久しぶりに街に出て、人ごみが戻ってきた高架下の商店街に立ち入ってみた。目新しいものは、自粛期間中に出ていた安くて大量に入っているマスクと、タピオカミルクティーの店に貼られていた閉店を知らせる紙くらいのもので、正直つまらなく感じながらブラブラと歩いていた。  そんなとき、横目にちらりと見えた店の窓に、控えめに書いてあった文字に、冗談だろうと思いながら、本当だったらとんでもないことだろうな、なんて空想をつくりあげてみた。  『アマビエ、売ってます』。せいぜい、マスコットかキーホルダーが関の山だろう。私は電車のごうごうと走る音を真上に聞きながら、見送ろうと思って足を進めようとした。  だけど、なんとなく自分の部屋を思い返して、このまま生きて死ぬのはちょっと情けない孤独だな、かといって誰と添い遂げるなんてのも重いし、と考えた挙句に、入るだけなら、と軽い気持ちで店に入っていった。 「ごめんください」 「いらっしゃいませ」  感じの良い、眼鏡をかけた店員が出て来た。声や訛り、顔つきを見るに、このあたりの人ではなさそうだ、と私は変な推測を立てた。  店の中を歩き回ってみたが、目的のそれが見つかる気配もない。もしや、アマビエを売っているというのは私の壮大な見間違いで、本当はアマエビを売っているんじゃないかとすら考え、焦った勢いで店員に声をかけた。 「あの、『アマビエ』を売っていると書いてあったので来てみたんですが、それってどこにあるんですか」 「お客様、失礼ですが、後ろに立ってるのがそれですよ」  店員が指さしたのは、木彫りの形をしていて、色付けはまだなされていないような、そういうオブジェだった。私はてっきりこれをただの置物だと認識していたから、なんとなく緩慢な視線でもって見逃していたのだった。  なるほど、鮭を食べる熊と同じ部類の、重いだけのアレね、と、セールスをやんわりと断ろうとした私を、店員は少し低い声で引き止めようとした。 「ただのオブジェだったら、ウチでも売ろうとは思わないですよ」 「でも、見た目は店の前とかに置かれてる人形と一緒に見えますが」 「ちゃんと呼びかけに反応するんですよ。ほら、アマビエ」  癖っ毛がぴこぴこ揺れている彼の声に反応するかのように、アマビエもまた自然な形でぴこぴこと揺れながらこちらに向かってくる。私には到底ありえない光景に見えたが、しかし実際にそれは起こっていた。  奇妙なフォルムをしている。噂には聞いていたが、魚のでっぷりとした胴体に──愛らしいと思えないこともないが──どことなく変な顔つきで、実体にしてみるとそんなにかわいらしいわけでもないようだった。 「どういうしかけで動いてるんですか」 「私も分からないんですよ、それが。こういうことになる以前に輸入したんですが、説明書も何もついてなくて、ただ、来たお客さんには割と懐いているし、耳をすませばモーター音らしいのも聞こえるんで、たぶん機械仕掛けだろうと思うんです」  そういうと、店員は私にその機械音を聞かせようとしたのか、しばらく黙りこくったが、私の耳が悪いのか、そういう音は聞こえなかった。  でも、それもどうでもいいことだ。どうせ買わないし、興味本位で見ただけのこと。さっさと離れていけば、次第に関心も薄れていくはず……。 「あっ、こら、アマビエ! 離れろ!」  平均から見ればほんの少しだけ小柄な男が必死で木彫りの大きな「生き物」を止める様は、正直、ちょっと滑稽だった。しかし彼が止めてくれなければ、私があのアマビエに押し倒されていただろうから、笑うのはちょっと酷だと思い直した。  アマビエは結局、私のほうにしがみつくのを辞めようとしなかった。それで呆れたように店員は笑い、「お買い上げになりますか?」なんて呑気に言うのだった。 「冗談じゃないですよ、私、アパートに住んでるんでそんな大きいの連れて帰れないし、だいいち私の力じゃ重くて運べやしないですよ。それに、高いでしょうし」私は思いつく限りの反対意見を述べて、この奇妙な神の遣いを押し付けられるのを拒んだ。 「鳴き声もしないし見た目にしては軽い部類ですから。運搬に関しては、うち配送もやってるんで問題ないと思います。お値段は、……仰る通り高いですが、分割もできますよ」 「おいくらでして」 「二十万円でございます。分割二十回払いでいかがでしょう」  大きな買い物をするのに、こんな軽いノリでいいのだろうか。いやしかし、ペット不可のつまらない部屋に「モノ」扱いで半ば生き物みたいなものがいとも容易く連れてこられることを考えれば、犬や猫よりもコストはかからないのか。  そう思ったとき、見つめ返してくるアマビエの目線がぐっと煌めいて見えた。いつも見るときは横顔ばかりで正面からまじまじと目線を向けることはなかったので、なんか印象が全然違うし、思ったよりもキュートじゃない。しかしその見た目の不気味さのせいで、逆に自分好みな神秘さを持っているようにも見えた。 「……買い、ま、す」 「ありがとうございます。それじゃ、お会計しましょうか」  ──言ってしまった。  なんで私はこうもやすやすと口車に乗ってしまうのだろう。そういう具合で、アマビエを買った日のこと、電車に乗って家に帰る過程については、本当に買うまでのことしか覚えていない。その要因は恐らく、人恋しさに負けて、いらないオブジェを買ってしまったという圧倒的な敗北感である。  それからちょうど一週間後のよく晴れた有給休暇の水曜日、宅配のお兄さんがとても重そうに「それ」を届けてくれた。ダンボール箱の中に何重にも梱包されていて、ご丁寧に「アマビエとの付き合い方」という冊子も同梱されていた。  手書きで製本されているらしい「アマビエとの付き合い方」によれば、アマビエとは人魚のようなもので、つねに水辺を好むが、風呂桶に水を貯めて一定時間浸からせておくなどすれば十分だという。鳴かないかわりに、感情表現は身体を震わせることで行うらしいが、書かれているコミュニケーションの種類が細かすぎて違いが私には分からなかった。なにより、一番不思議だったのは、餌が納豆であるということだった。一応、魚なのに。  何はともあれ、思ったよりも部屋への収まりが良かったことに私は安心した。私より頭ひとつ分背が低くて、普通にしていれば決して目線がかちあうことはない。私が目を合わせようとした時だけ、アマビエのほうも目を動かしてくれる。こういう一方通行に見えて互いに取り合うコミュニケーションができる存在を私は求めていたようだった。  アマビエと暮らす生活は、そういうわけで、いくつかのことをちゃんとこなしてさえいれば心地よいものだった。散歩もしなくていいし、仕事から帰ってきたら玄関の前で待っていてくれる。一日一度の水浴びをさせておけば、身体はすぐに清潔になる。  ただ、一日三食の納豆を用意するのは、私にとってはすごく骨の折れることだった。 「うぇえ……」  呻き声が一人(と一匹)の部屋から聞こえてくる。アマビエは鳴かないから、もちろん私のものだ。  私は納豆があまり好きではない。あの香りや粘り気、風味が全く受け入れられないのに加えて、食べた後にパックの後処理をしなくてはいけないのも良くない要素だ。子供の頃に、父に無理やり食わされてからはもはやトラウマの域ですらある。  そんな忌まわしい納豆を、三日おきにスーパーへ行って律儀に三パック入を三つを買っていくのが、日々のルーティンだった。  安っぽい有線、夕暮れ時に主婦たちが今日からの食卓に並べるべきものを見繕う様、ときどき子どもたちの声が混じるのを聞くと、なんだか元の世界に戻れた気がする。しかし、目を凝らして見てみれば、並んでいる列はしっかり距離をあけているし、以前のような試食コーナーなんて一切見かけなくなってしまった。些細な変化に見えるけど、小さなことでも大きな変化を巻き起こすバタフライ・エフェクトにだってなりかねないんだ、って思ったりした。  自分のご飯のために集めたかごの中に、目当ての納豆をきっちり三つ入れていく。これがせめてイカの塩辛とかチータラとか、もっと酒のつまみになりそうなものだったなら、と思わないでもない。  ソーシャルディスタンスを守った人びとの列に並びながら会計を待つ間、ふと、アマビエはひとりのときって何をして過ごしているんだろうか、と不思議に思った。  実家の犬は、私とふたりきりになったときはゲージの中で死んだように眠っていたし、あるいは昔付き合っていた男の子が飼っていた猫はじっとしないでひょこひょことあちらそちらを駆け回っていた。しかしアマビエはあくまで陸に上がれるだけの人魚(らしきもの)であり、一人のときはどんな風に時間を潰しているのか、主人の帰りを待ちわびるだけなのだろうか、と疑問に思ってしまって、もうレジが空いているのを、後ろの人が私の肩を叩いて知らせてくれるまで気がつかなかった。  そうか、なるほど。私は、私だけが孤独だと思っていた。もし私が本当にアマビエを「モノ」として見ていたのなら絶対に気が付かないことだったと思う。  いや、きっとアマビエは「モノ」に違いないのだ。あれは生き物らしくないし、意思も��こまで持っているような素振りを見せない。店員が言っていたような、ちょっとぜんまい仕掛けのような音も聞こえるようになってきた。  それでも、私は家にアマビエを飼い始めたときから、きっと違う愛情のような、私には似合わない心の機微が動き出したのだ。  とぼとぼと歩く帰り道、そして自分のご飯、苦手だったはずの納豆を用意するとき、その間じゅうずっと、私が抱えていた本当の孤独を考え込んでいた。それは、ウイルスが作り上げた外的な孤独なんかじゃない。自分の中に潜んでいた寂しがりの自分が、ウイルスで社会から切り離されて、目の前に転がり込んだアマビエによって露にされただけだったんだ、そう思ったときに堰を切ったように涙が溢れそうになった。  そのとき、私のほうに駆け寄ってくれた音がした。別に私を抱き寄せてくれるわけでも、温もりをくれるわけでもないし、言葉のひとつもくれやしない。ただ、視線を向けるだけ。だけど、私はそれでゆっくりと自分が作り上げた孤独の氷を溶かすことが出来た。  ごちゃごちゃと細かいゴミの散らばった、掃除もろくにしていないような部屋を見渡す。狭いし、暗いし、日々は辛いことばかりだ。それはアマビエがいたっていなくたって変わらないけど、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、自分が抱えていたものを吐き出すことができそうだと思った。  元の世界に戻ることは出来ないくらい、私も随分と変わってしまった。そして、そのことに絶望している暇もなかった。今は違う。アマビエが私の立っている現実を残酷なまでに視認させたから、自分がどうしようもなく孤独だ、という絶望からはじめられる。
 元々の伝承におけるアマビエは、海からやってきて「病気が流行したら、自分の姿を描いて人々に見せよ」と人びとに伝えていたらしい。これは私の推測でしかないのだが、きっとあの店にあったアマビエの木彫りは、アマビエが自らの姿を見せた時に依頼したものなのではないか、と思っている。そして、その仮の姿にアマビエが入っているのだとしたら……。  ……うん、こんな童話のようなことを思いつくってことは、やっぱり疲れているのだ。  いつものように、納豆のパックを水で流した後、歯を磨いて眠ろう。そうやって、自分のやるべきことを丁寧にこなしていく他に、孤独をほどく方法はない。それに、目覚めたら横でただ木彫りのアマビエが笑っているのだから、何の心配もいらない。
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nanaintheblue · 7 years
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夜明けの祝福
十七歳まではまだ少女。でも十八歳からはもう少女じゃなくなる。それから先はなんて名前でくくられるのかはまだ知らない。たった十二ヶ月経つだけで、わたしがいる階段の段数は、陽だまりの踊り場から一段上がってしまう。 桜はもうすぐ咲く。ちょうど教室から見える中庭の大きな桜の樹の枝や幹は、花を咲かせる用意をして、ほんのりと土色に薄紅色を透かしている。血が通っているみたいだ。春の色は生きているから、とてもやさしい。 あの桜がようやく咲く頃には卒業してしまっているけれど、固い蕾がほころびる頃には、わたしは少女じゃなくなっている。十八歳まであと六日。いまはまだ、十七歳と三百四十九日。 卒業式の翌日、わたしは十八歳の誕生日を迎える。  高校生活三年間、最後の一年間は文字通り飛ぶように過ぎた。情報で習ったパソコンのフォルダみたいに、記憶がぎゅむっと圧縮されたみたいだ。あんまり矢みたいに一瞬だったから、三年生になってからの記憶はまだ思い出に風化していない。だから、懐かしいなんて感情はほとんど沸いてこない。まだ、国立大の前期の合格発表が終わっていないせいだろうか。 センター試験も前期試験も終わり、教室はクラス替えしたばかりの四月の頃と同じような空気に包まれている。春からも一緒だかんな、同じ予備校行こうな、なんて自虐的な冗談で男子が盛り上がっていたりする。前期試験が終わってからずっと、前日にインフルエンザにかかったことでふさぎこんでいたクラスメイトの女の子も、吹っ切れたのかいまはグループの子たちと高らかな笑い声を上げてお弁当を食べていた。 三月上旬うまれのわたし以外のみんなは、もうとっくに十八歳になっている。だからもう、制服を脱いでおとなになる準備をして未来を待ち構えている。 でも、わたしはまだスカーフにすっぽり守られた子供のままだ。スカーフが取れる卒業式、わたしはすこしは変われているのだろうか。 あちこちに卒業の匂いがする。わたしたちが受験しているあいだ後輩が掃除した校舎のよそよそしい清潔さとか、回ってくる色紙の色とりどりの文字とか、先生たちの三年生を見る暖かい目とか、ブラスバンドが練習している仰げば尊しとか。そういうのが、わたしたちをかりたてている気がする。卒業の気分になるように。 さっきクラスの女の子から回ってきた色紙は、まだ机の上にある。クラスメイト全員ぶんのかこみが初めからつくられていて、真ん中の方から順にカラフルに埋まっていた。 卒業してもまたあそぼうね、と、一年間ありがとう、のあいだくらいの親密さって、なんて書けばいいのかわからない。そんなに仲よくはない、けどメアドは知ってるし朝玄関で会ったら「おはよう」くらいは言う。ちかしいのもそっけないのもいやだ。でも早く埋めて次の出席番号の子に回さなきゃいけない。 結局、迷いに迷ったけれど「一年間ありがとう。卒業してもお互いがんばろうね」と無難過ぎることを書いて次の子に回した。わたしには、クラスメイト全員ぶんの寄せ書きをもらいたがる子の気持ちがよくわからない。半数以上が別に中で仲よくない人なのに。卒業アルバムができあがったら、白いページもみんなで埋めるんだろう。みんなにとって、そのページがどれだけ多くのカラフルなメッセージで埋まっているかが重要なのだ。ちょっとでも余白があったら、友達が少ないみたいではずかしいらしい。ほんとうにメッセージを書いてほしい人なんて数えるほどしかいないわたしには、到底わからないけれど。 「津川! 学食、三年は半額らしいぞ! 卒業割引!」 ふいに隣のクラスの男子が入ってきてさけんだ。後ろの黒板に落書きしていた津川くんは「まじか!」とすぐさま反応して、ドラえもんを描いていたチョークを放り出し、「え、ちょ、いま行く!」と席から財布を取って教室を飛び出していく。 「アホだ」「なぜ信じる」などと、一緒にラクガキしていた男子はけたたましく笑い、後を追って廊下に出ていった。「バカ!お前、マジバカ!」「そんなうまい話あるか!」と、廊下から笑い声がかさなって聞こえてくる。 ぎや~はははは、と爆発するような大きな笑いが起こったあと、足音はやがて遠ざかっていった。ほんとうに食堂に行くらしい。「騙されるかね、ふつー」「素直すぎ」とその様子を見ていた女の子たちは苦笑していた。 津川くんはしょっちゅうみんなからからかわれている。男子からは「天然バカ」と呼ばれ、先生たちにすら「津川はほんとうにバカだ」と授業中ネタにされていた。クラスのマスコット、と言えばいいんだろうか、男子からも女子からもいじられている。津川、津川、とことあるごとに呼ばれ、休み時間、教室からどっと笑い声が起こるときはいつだって、中心には津川くんがいる。なんで笑われているのかわからない、と言いたげな、素で困った顔をして。 わたしはその表情が好きだ。ほかに、寸足らずのズボンからのぞくくるぶしが好きだ。笑うとすぐ赤く染まる耳たぶが好きだ。半ズボンの体操服姿になった時だけ見える、膝のうらの白さが好きだ。筆箱につけた、汚れたチャーリー・ブラウンのキーホルダーが好きだ。 津川くんが、好きだ。 津川くんとは去年から同じクラスで、でも口をきいたことはいちどもない。記憶の中にある、アイドルの雑誌の切り抜きみたいにかさなっている津川くんは、横顔か、背を向けているものばかりだ。 でも、津川くんの声を聴いているだけでわたしは幸福な気持ちになる。津川くんの意外と低い声がわたしの中に積もっていくのがただ好きだった。その中に自分に対して向けられたものはひとつだってないけれど、わたしの中には津川くんがいっぱいで、溢れだしそうだ。 さっきの色紙の中にも、津川くんが書いたメッセージがあった。「一年間ありがとね~」という、男子らしい最小限のひとことだったけれど、それでもうらやましくってしかたなかった。津川くんの文字を、言葉を、誰にも見せたくないと思った。 わたしだって、津川くんの言葉が欲しいのに。でも、わたしは色紙を回さない。たぶん、卒業アルバムも、せいぜいクラスの女の子にしか埋めてもらえない。 ねじれの位置みたいに、接点をなにも持たないまま、わたしたちは大学生、あるいは予備校生になってしまう。「高校の同級生」という、ただひとつわたしたちを結びつけている細い糸が、卒業式に断ち切れてしまう。 去年まではみんなに同じ春が来た。春はひとつしかなかった。 でも、今度は二百四十人ぶんの春がそれぞれにやってくる。エンドロールが開けたら、わたしたちはみんな、紐を解いたネックレスのビーズみたいにばらばらになってしまう。  塾から帰り、九時過ぎの遅い夕食を食べていると、「ただいま~」と軽やかな声がした。「あーさむ、お母さんお茶ちょうだいお茶」とお姉ちゃんがスリッパを鳴らしてダイニングに入ってくる。お茶を受け取り、飲みほす。 東京の大学に通うお姉ちゃんが帰ってきて一週間経つ。大学は春休みが早い。わたしが第一志望の前期試験にぴりぴりしていたのにも関わらず、お姉ちゃんは帰郷してからずっと地元の友達と遊んでいた。そしてたぶん今日も。 「どこ行ってたの?」 「サイゼ。あと居酒屋。中学の友達と集まって飲んだんだ。超盛り上がったー!」 ソファーにどっかり座って、するするとストッキングを脱ぎだす。「楓、行儀悪い」とお母さんにたしなめられても、平気な顔して生足になった。お姉ちゃんを見ていると、大学生ってほんとうに自由なんだなぁと思う。 違う、そうじゃない。お姉ちゃんは高校生の時だって自由だった。塾帰りにマックに寄ったり、彼氏と遊んだり、クラスのみんなと花火をしに海へ行ったり。学校に行くのにも、朝からアイロンで髪をストレートにするので忙しそうだった。 ふと思い出す。お姉ちゃんが最新のコテを買ってきたのは高校二年の時だった。「うわっすご!熱い熱い!」などとはしゃぎながら洗面所の鏡でコテと格闘していた。首にやけどをつくったり髪を焦がしたりしていたけれど、お姉ちゃんは三日で使いこなせるようになり、内巻きも外巻きもきれいにつくれるようになっていた。 いちど、「泉もやってあげようか?」と誘われたけれど、「わたしショートだから、いい」と断った。髪が長くなったら巻いてもらおう、と思っていた。でも、お姉ちゃんはもう誘ってはこず、わたしの髪も肩を��ぎることはなかった。去年、受験勉強の時邪魔になるから、とせっかく伸びかけていたのに切ってしまったのだ。 受験生のあいだ、いちども美容院に行かなかった髪は、肩のあたりを少し過ぎるくらいまで伸びた。いまなら、巻いてもおかしくないかもしれない。 卒業式の日、お姉ちゃんに「巻いて」って頼もうか。お姉ちゃんのときは、五時起きして朝からみつあみを編み込んだり、巻いたりしてかなり本格的な髪型にして卒業式に出ていた。夜、打ち上げから帰ってきた頃にはすっかりケープも取れ、なぜかポニーテールで帰ってきたけど、見せてくれた携帯の写真では、友達の中でお姉ちゃんの髪がいちばんきれいに巻かれていた。 「楓、ごはん食べないんならお風呂入っちゃいなさい」 「えっあるの? 食べる食べる!」  お姉ちゃんがシチューだけよそってわたしの隣につく。「外に食べてきたのに、太るよ」とお母さんに意地悪を言われても、ふひっと笑うだけ。わたしだったら我慢して食べない。たとえ大好物のシチューでも。 「あーあさり入ってる! 今日シーフードじゃん、やりぃ」 スプーンをかちゃかちゃ鳴らしながら、お姉ちゃんはいちども我慢なんてしたことがないみたいな笑顔でシチューをたっぷりと食べる。わたしは少しだけ残ったシチューの底を見下ろした。 「ごちそうさま。……お姉ちゃん、貝柱食べる?」 「食べる! あたし貝柱めっちゃ好き!」 貝柱のかたまりをお姉ちゃんのお皿に移す。貝柱はわたしだって大好物だ。だから残して最後までとっておいていた。 でも、これはお姉ちゃんが食べるべきなんじゃないかとふと、思ったのだった。お姉ちゃんのほうが大好物を食べるのにふさわしいひとのような気がした。 スプーンで貝柱をよそってお姉ちゃんのお皿に移す。この世界はわたしよりお姉ちゃんに似合うものばっかりで、いやになる。 「イズ!」 白い蛍光灯の光がリノリウムの床にはじかれている、八時すぎの薬局。わたしが並んだレジにいた店員の女の子がぴょんと顔を上げた。まんまるなくりくりまなこと真正面から目が合う。あっと声を上げてわたしは彼女をゆびさしてしまった。 「え……多香子? うっそ!」 こんなところで会うかー!信じらんない、あんたほんとにイズ? 多香子は変わらない笑みを浮かべながら、キリシトールガムと紅茶をレジ袋に入れる。わたしはしましまエプロンの幼なじみをあらためて眺めた。 「え、ここでバイトしてんだ?」 「ん。あと少しで終わるからさ、ちょっとそこで待っててよ」 すみのベンチに移動して座り、買ったばかりの紅茶を開けた。『33Hの卒業打ち上げ決行決定!希望場所受付中』というメールが一斉送信で届いているのを確認して携帯を閉じる。少し紅茶を口に含んだところで、「イズ~」と多香子が荷物を抱えて駆け寄ってき た。勢いのままわたしに体当たりする。 「もー超ひさしぶり。イズ変わんないな! 元気してた?」 「そういや多香子と会うの、ほぼ半年ぶりだね」 家すぐ近くなのにね~、とわたしたちは大きな声を上げて笑う。子供のように、遠慮なく。女子高生らしいことをするのはずいぶんひさしぶりだ。 多香子は幼なじみで、家も近所だから、昔はしょっちゅうお互いの家に出入りして遊んでいた。わたしとお姉ちゃんと多香子で三姉妹のようにくっつき回っていて、わたしのことは「イズ」、お姉ちゃんのことは「かえちゃん」と呼び、近所のほかの子もまじえて鬼ごっこしたり缶蹴りして遅くまで遊んだ。毎日が楽しくて楽しくて仕方がない、朝が待ち遠しくてたまらない日々が、わたしにもあったのだ。 「やっぱ高校違うと会わないな。あんなに飽きるほど顔見てたのに」 「多香子が制服重視する! とか言って遠いとこ行くからじゃん」   だって近くのってどこもめっちゃださい! 言うたらあんたのとこのセーラーも微妙だし!と笑うのでわたしは肘でどついてやった。幼なじみって特別だと思う。小学校とか中学校でもほかに仲のいい友達はいたけど、学校が別れてしまうと、たまに会ってもなんだか最近は話があんまりつづかない。思い出を語り合うぐらいで、共通項がなくなるとふいに沈黙になって、同級生の時にはありえなかった気まずさに包まれたりする。 でも幼なじみは、ブランクとか関係なくいつも同じ距離感がある。そのことに、すごく、安心する。 わたしたちは先を争うようにして近況報告した。岩川と真子、中二から付き合ってたのにとうとう別れたらしいよー! うっそマジで! 多香子は自分のことはほとんどしゃべらず、噂話ばかりしゃべる。受験の話題を、わざと避けていることくらいわかっていたし、多香子は推薦で短大合格が決まっていることは秋にお母さんから聞いていた。だからわたしから切り出さなきゃいけないのはわかっていたけど、多香子が次から次に話をするので、わたしはなかなか言い出せなかった。 「受験さ。K大受けたんだよね」  多香子の話が途切れるのを待って、とうとう切り出した。多香子がほっとしたような表情と驚いた表情を一緒に浮かべる。ほんとうは、わたしが話を遮るのをずっと待っていたんだろう。 「え、マジか。すんごいね、さすがじゃん」 「いやいやいや、まだ受かってないからすごくないって。多香子、推薦受かったんだよね。おめでとう」 えへへ、と多香子が笑う。真っ黒になって遊んでいたわたしたちも、大学生になった。時間ってなんて残酷なんだろう。 「K大ってことはさ、東京だよね」 「……うん」 「楓ちゃんと一緒に住むの?」 多香子の声は作りたてのわたあめみたいだ。ふわふわと包み込むようにやわらかい。 「……ううん、お姉ちゃんとはまた違うところに住む。離れてるからさ」 「そっかあ」 いつから多香子はお姉ちゃんのことを「かえちゃん」と呼ばなくなったんだろう。お姉ちゃんがわたしたちと鬼ごっこや缶蹴りをしなくな り、マンガより雑誌を買うになって、外でなわとびするよりも友達とプリクラを取りに行ったりするようになってから、だろうか。 「卒業かぁ」 わたしの声は、夜の薬局の雑音にかき消されそうになる。 「ほんと早いな」 でも大学楽しみ!と無邪気に多香子は笑う。わたしはその声の余韻が完全に空気から消えるのを待ってから、こわいよ、とつぶやいてみた。そうだね、と言ってくれるのを待っていた。 でも多香子は「大学生になったらやっと自由になれるね、うれし」とほんのり笑うだけだった。 三年前の春。高校に受かった時、わたしはうれしさよりもまず不安におそわれた。勉強についていけるだろうか。まわりの子とうまくやっていけるだろうか。高望みしないでもう一ランク下の高校を受ければよかったんじゃないか、などと春休み中ずっと不安でいっぱいだった。四月から学校が始まっても、変わらなかった。 わたしはその不安や心配を、大学生になっても繰り返すのだろうか。 中学も高校も大学も、わたしは未知の扉が怖かった。また1から始めなきゃいけないのかと思うと、おなかがしくしく痛んだ。 どうしてわたしは変われないのだろう。お姉ちゃんやほかのみんなみたいに、まわりの変化を楽しめないんだろう。 わたしだって昔はこうじゃなかったはずなのに。いまではいつも鞄の中に痛み止めの薬が入っていないと不安になるくらい小心者で神経質で、怖がりだ。 「ただいま」 よろよろとリビングに入る。めずらしくお姉ちゃんはわたしより先に帰っていた。「おかえりなさい」とポッキーをかじりながら言う。目はテレビに向かっていた。 「遅かったねー。どっか行ってたの?」 「ドラッグストア寄ってた。……あ、そうだ、久しぶりに多香子に会ったよ」 「へー。元気にしてた?」 「うん」 なつかしいね、と言ってポッキーに手を伸ばす。あんまり興味がなさそうで、多香子のバイトや短大のことをしゃべろうとしてたのを飲み込む。昔のことをかんたんに忘れてしまうお姉ちゃんがうらやましい。うらやましくて、憎たらしい。 「……お姉ちゃん」 「うん?」 テレビからの光で、お姉ちゃんの明るいブラウンの髪にきれいな天使の輪が浮かんでいる。シャンプーのCMみたいだ。 「やっぱ、いいや」 ダイニングテーブルの上にあったラップのかかったお皿をレンジで温める。窓ガラスに映るわたしの髪は真っ暗だった。その横に小さく映るお姉ちゃんの栗色にひかる髪。 姉妹なのに、わたしたちはぜんぜん違う。 レンジから温まったお皿を取り出す。鶏肉とレンコンの甘辛煮、わたしはあんまり好きじゃない。 「今日さー、高校の時の友達にあったんだけど、これもらっちゃった」 と、お姉ちゃんがこちらにやってきて何か差し出した。 「……なに」 「カラオケのクーポン。わたしもう少ししたら帰るし、地元のカラオケのだから要らないんだよね。泉の高校から近いし、いいじゃん」 だからあげる、と差し出される。「いい」と断ると、「遠慮��んなってー」と、笑って押しつけられた。 「卒業式のあととか、どうせみんなでカラオケとか行くんでしょ?これ大人数対応だから持ってたら重宝されるよ~」  にこにこと無邪気に笑う。お姉ちゃんは知らないのだろうか。クラス会や打ち上げに参加しない人もいるんだってことを。そういう選択があるということさえ、お姉ちゃんは知らないのだろう。知らないで生きてこられたんだ、とも思う。 「……いいってば。わたしカラオケなんてほとんど行かないし」 「え!? 信じらんない、何で!?」 わたしは返事をしなかった。しゃくしゃくしゃくん、とレンコンを噛むと、すじが前歯に挟まった。繊維がからまるからむかしから苦手だ。 「まーあたしが持ってても正直意味ないし。取り敢えず持ってればいいんじゃん? ね?」 勝手に決めて、クーポンをテーブルに置いてリビングを出ていく。わたしはやたらカラフルなクーポンの束を見下ろした。ふっと、さっき届いていたメールを思いだした。そして教室で聞いた津川くんの声を、思い出す。 行こうかな。クラスの打ち上げ。 「卒業式の打ち上げ六時からココスね! カラオケも行くよー!」 昼休み、クラスの副組長の女の子の声に、即、地割れのような歓声があちこちからひびいた。行く行く行くーっ!と津川くんがぴょんぴょん跳び跳ねて誰かにはたかれているのを、視界の隅で、捉える。 「予約するから、参加する人挙手してね!」 はい、はい、とみんなが一斉に手を挙げている。超たのしみ、俺ココスのハンバーグ大好き!と津川くんがさけんでいる。じゃあハンバーグない店に変えようぜ、とほかの男子が笑っている。 わたしは携帯をポケットの中でにぎりしめたまま、左手を外に出せずにいた。もう全員参加ってことでよくね?そう誰かが言ってくれればいいのに。でもみんななにも言わない。   わたしは手を挙げられない。副組長は教室を見回した。 「これでぜんぶ?」 谷田ちゃん、と小さく呼んだ。わたしも行くかもしれないから数に入れといて。そう言うつもりだった。でも副組長はわたしの声に気づかず、「じゃあけってー。部活のお別れ会終わったらすぐ集合ね」とメモを閉じてしまった。「酒飲みたい!」「持ち込むなよ津川!」 ――騒いでいる誰一人、わたしのか細い声に気づかない。 お姉ちゃんからもらったクーポンは、鞄のポケットに入れてある。昨日、結局もらって束ごと入れておいた。 でもわたしには使えなかった。 三月の空は水でできているみたいにたっぷりと青い。表面張力でぷるぷるふるえてるみたいだ。 わたしは立ち上がって教室を出た。 わたしはお姉ちゃんになれなかった。 どうして、お姉ちゃんみたいになれるかも、なんて一瞬でも思ったんだろう。 幼い頃、わたしたち姉妹はよく入れ替わりごっこをして遊んだ。「どっしーん」と言いながらお互いぶつかって、中身を入れ替わって遊ぶのだ。お姉ちゃんはわたしの本を読んで、わたしはお姉ちゃんの自由帳に絵を描いた。お姉さんぶって「いずみ」と呼べるのがうれしくって、お姉ちゃんに「おねえちゃん」って呼んでもらうだけで胸がどきどきした。ときどき、多香子の前でやってみせて、ほんとうに入れ替わったんだと信じこませたこともあった。 わたしは、まだあの遊びをつづけているのかもしれない。お姉ちゃんがこの遊びをしなくなっても、ずっとひとりでお姉ちゃんに入れ替わろうとしてるのかもしれない。 そんなことできっこないのに。 お姉ちゃんにはかんたんにできることが、わたしにはとっても難しい。スカートをあと三センチ短くすることとか、隣の席の子にルーズリーフを借りることとか、違うクラスに行って大きな声で誰かを呼ぶこととか、男の子に気さくに話しかけることとか、行事ごとの打ち上げに参加することとか。お姉ちゃんにはなんでもないことが、わたしには立ちはだかる壁みたいに思える。 ベッドにばふんと寝転がった。合格発表は卒業式の次の日、つまり誕生日に発表される。 お母さんは、妹のわたしには地元に残ってほしかったみたいだけど、わたしは東京の女子大の法学部を受けた。お姉ちゃんの大学から、わざと遠いところを選んだ。でも東京には行きたかったのだ。お姉ちゃんのいない、東京へ。 お姉ちゃんとくらべても、負けてないくらいに充実した生活を過ごしたい。泉も楽しそうだね、いいね、ってお姉ちゃんに言ってもらいたい。 泉と入れ替わってもいいかも、と思ってくれるぐらいに。 三年生は午前までしか学校はないから、わ���しはいつもの半分しか津川くんを見られない。HRのあいだ、机に名前を彫っている津川くんの手の甲に血管がぽこんと浮き出ている。わたしはそれを窓に映してがんばって見ていた。雨の日とか冬の夕方ははっきり見えたのに、春の午前は津川くんを全然うまく映してくれない。カッターシャツの白さだけが薄ぼんやりと浮かんでいた。 ただ見ているだけなんて、なんて不毛なんだろう。お姉ちゃんならそう言う。津川くんメアド教えてー?って訊きに行く。一ヶ月後には付き合っている。でも、津川くんへの気持ちを認めることでさえ、一年かかった。あとの一年、津川くんだけを目で追いつづけた。窓ガラスの中の、津川くんを。 津川くんは大阪の国立大学を受けている。教育学部。津川に勉強とか習いたくねー!と男子は笑っていたけれど、わたしは未来の津川くんの生徒がうらやましかった。先生だったら、窓ガラスに映さなくてもまっすぐ見つめていられる。ノートなんか取らずに、わたしは津川くんの声だけに耳を傾けたい。 わたしは先生に恋するべきだったのかもしれない。先生だったら、挨拶もふつうにできるし、職員室に質問に行けば自然に話せる。バレンタインにチョコも渡せる。最初から恋に片思い以上のことはあきらめているわたしには、それがぴったりだったのに。 でも、わたしが好きになったのは津川くんだった。朝、玄関で偶然会ってもおはようって気軽に言えない相手を好きになってしまった。 お姉ちゃんが初めて誰かと付き合ったのは中一の冬、バレンタインの日にクラスの男の子に手作りのチョコを渡してそのまま付き合った。 「なんか思ったより楽しくない、女々しいし」と言って二年生に上がってすぐ別れてしまったけれど、わたしにはお姉ちゃんがまぶしかった。お姉ちゃんが彼氏と一緒に帰っているのを偶然通学路から見かけたとき、わたしはあわてて隠れた。お姉ちゃんは彼氏と楽しげに笑い、ときどき背中をどついたり、腕をつかんでぐるぐる回ったりしていた。小学生のわたしは、お姉ちゃんのことが誇らしかった。 男の子からも女の子からも人気があって、いつも人といるお姉ちゃんには、全然遊びに行かないわたしがどう見えているのだろう。あたしの妹なのに陰気くさいな、なんてほんとうは思っているのかもしれない。 わたしたちはたまたま姉妹だったから仲良くできた。もし同級生だったら、お互い違うグループに属して、口もきかなかったにちがいない。 晴れの日は、心も気持ちよく突き抜けてゆるむ。朝起きた時は、指で髪を梳かすと頭皮が冷たいくらいだったのに、登校する時間には日が出て暖かくなっていた。 お昼はみんな学食に行って、昼休みの教室にはほとんど人が残っていなかった。最後だから、って思うとやっぱり惜しいらしい。わたしはいつもどおり教室でごはんを食べた。 「みんななんだって食堂行くかねー、別に明日だって空いてんのにさ」  誰かが小声で言う。だよね、とわたしも思う。津川くんも仲間と学食へ行ってしまった。「今日の定食のエビチリは俺のもんだ!」「津川ダッシュ!」――わたしは、津川くんが小さなおにぎりを三口で食べるのを見たかったのに。 午後から卒業式予行がある。学食だけじゃない。もうお弁当も最後だった。 教室の中は、光のこまかい粒がひとつひとつ目に見えそうなくらい明るかった。細胞のすみずみにまでその光が満ちているみたいに、あったかい。 お弁当のナプキンをたたみながら、時計に目をやる。まだまだ時間があった。他の子たちもお弁当を終えて携帯をいじっていたけれど、あたしはそんな気分になれなかった。ひさしぶりに、なんだかからだが陽射しを求めている。 図書室に行くと、「羽柴さん!あらぁ、ひさしぶりだね」とカウンターから司書の先生が声をかけてくれた。今年はともかく、一、二年生の頃、わたしは図書室の常連だったので名前を覚えてもらえている。 「もうだいぶ来てなかったねぇ。夏から? いやもっとかな」 「本、ずうっと断ってたんですよ」 読んじゃうと止まらなくなるから、とつづけると、先生は少しだけ気の毒そうな顔になり「三年生だもんねぇ」とうなずいた。 南の棟の端にある図書室は、教室よりさらにあったかい。さらに、ストーブも焚かれている。塵が日光の中きらきらと舞っていた。わたしは新刊コーナーに目をやる。 ふぅ、と先生が息をついた。 「羽柴さんももう卒業だね」 わたしは大江健三郎を手に取った。目次だけ見て、戻す。 「早いね、三年間。ついこないだまで一年生だったのに」 歳は取りたくないね、と先生は優しく目じりに皺を寄せる。わたしだってそうだ。わたしはいつも、わたしの時間においてかれている。 「卒業して忙しくなると思うけど、時々は思いだしてね」 先生は眉を下げて微笑んだ。それは、けして忘れられることのない人だけが口にできる言葉だと思う。先生も、ほんとうはそのことをわかってるんじゃないか、そこまで考えて、自分のひねくれた考え方にうんざりした。どうして人の行為を素直に受け取れないのだろう。子供の時から、面と向かって言われる自分への褒め言葉を信じきれない卑屈なところがある。自分に自信がないせいだろうか。 「大学生になっても、頑張ってね」 わたしはへたくそにうなずいた。大学生になれないかもしれませんよ、なんてへそ曲がりなことを言おうとして口を閉じる。最後の最後に先生を困らせるなんてばかみたい、と思ったからだ。わたしだって、そこまで子供じゃなかった。それに、悲しさとかさびしさはそういう言葉でまぎらわせられるわけじゃない。かえってむなしくなるだけだ。 チャイムが鳴り、「お世話になりました」と頭を下げて部屋を出た。卒業おめでとう、と背中で声がして、わたしはくちびるにきゅっと力を込める。 ほんとうはおめでたくなんか、ないのに。 「お姉ちゃ、」 わたしはドアを開けてすぐ、固まってしまった。「え?誰?」「楓の妹じゃね?」――たくさん人がお姉ちゃんの部屋にいる。テーブルの上には缶ビールがたくさんあった。帰ってきた時、なんか靴多いな、とは思ったのだけれど、どうせ物持ちのお姉ちゃんのだろうと勘違いしたのだ。まさかお姉ちゃんの友達が来てるなんて思わなかった。 「んー泉? なに?」 酔っぱらって赤い顔をしているお姉ちゃんに「なんでもない」とだけ早口で言ってドアを閉めた。自分の部屋に戻る。 明日は卒業式だから、朝髪を巻いてもらいたくて頼むつもりだった。でも、いいや、どうせ朝頼めばいいし。お姉ちゃんが二日酔いしやすいたちだってことは頭の隅に追いやる。 制服は、アイロンをかけてハンガーにかけてある。三年間使ったスクールバッグも、学習机のわきのフックにきちんとかかっていた。ローファーも、さっきお母さんが磨いてくれたのが玄関にある。三年前の入学式の前夜となにも変わっていないのに、明日からそれらを必要としなくなる。いったい代わりになにを身につけるんだろう。 ベッドに寝そべって、携帯を開く。アドレス帳の、〈高校〉のグループで振り分けていたメアドを、一瞬迷ったけれど、どうせ要らないんだから、と思いっ切って全件削除してみた。三十人近くのメアドが消え、アドレス帳が一気にすかすかになった。あまりにあっけなくて、してはいけないことをしたみたいで気持ち悪い。次に受信ボックスをひらいて、不必要なメールを削除した。メールの選択削除って、自分で過去を都合よく切り取ってカスタマイズしてるみたいだ。 メールがどんどん消えていく。最初は気持ちがよかった。優越感もあったし、胸がすっとした。でも、続けていくうちに自分の表情から弱々しく笑みが失せるのがわかった。わたしが持っていたもののほとんどは、ほんとうはいらないものだったのかもしれない。そんなふうに感じたせいだった。 くやしくなって、途中でやめた。「持ち物って持ち主をまんま表してるんだよ」と言うお姉ちゃんの言葉を思い出したから、なんて思いたくない。 いつもより早く目がさめたけれど、張り切ってるみたいだからベッドの中ですこしまどろむ。なんとなく、光が白っぽい。とくべつな日だから、わたしの脳が勝手にそう見せてるだけなのかもしれないけど。布団の中で、伸びをして起き上がった。 「……お姉ちゃんは?」 階段を降り、ダイニングに入る。「楓なら酔いつぶれて眠りこけてるわよ、起きてこないって」とお母さんがお茶を汲みながら言った。 なんか用あった?と訊かれ、べつに、と洗面所に入る。つめたい水で、一気に肌が引き締まった。同時に、頭の隅の細胞からひえびえと冴え渡るような気がした。 棚に置かれたコテがちらりと視界に入る。 髪なんか巻いても、意味ないのに。なに気合い入れてんの、って笑われるだけだ。なんで最後に巻いてもらおう、なんて思ったんだろう。 はしゃいでいた気持ちが、水溜まりが乾いてくのを早回しで見てるみたいにすーっと自分の中で小さくなって、消えた。 櫛を通して寝癖を直し、なでつけてダイニングのテーブルについた。お母さんが「泉、今日帰り何時?」と声をかけてくる。 トーストをかじりながら、遅くなるかも、と返す。「打ち上げ?」と訊かれ、うんとうなずいてしまった。 「そう。楓の時も遅かったしねぇ、お母さんたちも夜は外で食べてくるから」 わたしは黙ってコーヒーを飲んだ。 じゃあ行ってくるね。 結局お姉ちゃんは起きてこず、そのまま家を出た。春の匂いが風になって鼻をかすめ、髪を揺らす。 巻かなくてよかったんだ、と思う。 式のあとの最後のホームルームが終わってもみんな教室に残っていた。ホームルームで配られたアルバムをみんなが見てさわいでいる。 「津川やべえ!ピースしながら目ぇ完全につぶってるし」「うっせー!」――わたしはやっぱり、最後まで津川くんの声を拾ってしまう。 式の最中も、来賓の話の時にかくん、とうなだれてしまっている津川くんのつむじだけ、見ていた。 うちのにも書いて書いてー、と誰かのアルバムとともに油性ペンがあちこちで回っている。「泉も書いてよ」と頼まれ、ちいさいちいさいコメントを、持ち主が誰なのかわからないまま、流れ作業のように残していく。持ち主の子だって、べつに誰が書いたかなんてどうでもいいのだ。ただ余白を色とりどりの文字が埋めていればそれでいい。わたしの、「羽柴泉」の言葉が欲しくてわたしに頼んでくれる子なんていない。 いつのまにか、わたしのアルバムにもそれなりにコメントで埋まっていた。「33H一生ダチ!」と太いつよいピンクで書かれていたけれど、全然ぴんとこない。一生どころか一瞬だ。こういう定型文を書いたときだけ、わたしたちは仲間とか親友になったりする。 津川くんに、なにか書いてほしい。べつに書くことなんかなくてもいい、大学でもがんばれよとかそういうのでいいから、わたし個人への言葉なんて贅沢は言わないから、「大学でもがんばれ」みたいな走り書きの一言で全然かまわないから、わたしに言葉を残してほしい。そうしたらわたしは、津川くんを思い出にしてしまえる。感傷とか寂しさとかずっと抱えてきた想いとかを、懐かしいという感情に瓶詰めできるのに。 そう思いながらも、わたしは何にも言えない。言えないから、津川くんはまだ思い出になってくれない。 立ち上がった。アルバムをしまい、マフラーを巻きつけ、鞄を肩に背負う。と、 「うわっわわっ」 誰かに背中からぶつかられた。それが津川くんだと知り、津川くんの下で身を固くした。からだが心臓になったみたいだ。ばねみたいに体の内側で体当たりを繰り返す。 「ちょっ何すんだよもー、人にぶつかったじゃんか、ちったぁ加減しろよなー」 津川くんが仲間に向かってさけんだ。半分だけわたしを振り返り、「わりーね、羽柴さん」と言う。わたしは、うん、としか言えなかった。顔に熱がうわーっと回ってきて、火がついたみたいに火照る。仲間の元へ戻っていく津川くんの背中を見られなくて、急いで教室を出た。廊下はつめたい空気で涼しいのに、頬の熱は冷ましてくれない。 初めて名前、呼ばれた。よりによって、最後の日に。 やっぱり打ち上げ、参加すればよかった。それはいまからでも間に合うから、どうしようかなぁと鞄をぐるぐる回してしまう。なにかしてないと足がふわふわと地面から浮いてしまいそうだった。わたしはそういう小さいちいさい幸せで、からだの中がいっぱいに満たされてしまう。最後の最後にこんなことをするなんて、神さまは意地悪だ。 一階では後輩があわただしく動いていた。部活ごとの送別会の準備らしい。横目で通りすぎ、玄関で靴を替えた。あまりにあっさりしていて、誰かにちょっと待ってよ、と呼びとめられるんじゃないかと思ったけれど、わたしをとめる声なんてなかった。 外に出る。まったくひとけがなくて、寒気がした。桜はほころびかけてはいるけれど、まだつぼみだ。 まだ三時なのに、どうしたらいいんだろう。 耳にはまだ、津川くんの声がぶつかった温度ごと残っている。 がんばって六時まで駅近くの市立図書館で本を読んだり後期試験のための小論文の対策をしていたけれど、もう限界だった。集中しようにも、周りの子供がうるさくて、目の前の机にいた学生カップルを見ていたくなくて、立ち上がった。外はもう、昼の名残が夜に押し出されそうになっていて、ぎょっとしてしまう。タイムワープしたみたいだ。 荷物をま��めて、トイレの個室に入る。マナーモードにしていた携帯を取り出した。 【新着Eメールはありません】 画面に浮かぶ文字をぼんやり見つめる。やがて暗くなり、消えた。もう打ち上げ始まってるのかな、と思ってみる。やっぱりいまから参加してもいいかな、って幹事の子にメールしたら、すぐに返ってくるのだろうか。 新規メールを作成し、宛先の〈アドレス帳引用〉から副組長のものを探そうとして、途中であ、と力が抜けた。昨日、クラスメイトのメアドを一掃したことを忘れていた。 ごつ、と頭を戸にぶつけて寄りかかる。半開きのくちびるから笑いが漏れた。ばかみたい。自分から消しておいてやっぱりすがろうとするなんて、かっこわるい。 代わりに、メール作成をやめて、アドレス帳を開いた。〈西多香子〉を探しだし、通話ボタンを押す。 四コール。なかなか出ない。じれったくて、個室の中をぐるぐるしてしまう。七コール目で「はいよー」と多香子が出た。ほっとする。 「あ、多香子ー? ね、いま暇? いまから帰るんだけどさ、よかったらどっかごはん行かない? 卒業祝いってことでひさしぶりに」 「あーっ……ごめ、イズ」 言葉の途中で多香子が言った。明らかに声に困惑を感じ、はっとする。胸を満たしていた熱い高揚が急速に冷めていく。 「私いま部活の送別会で焼肉屋にいるんだわ。悪いけど、あとでね」 その時、やっと多香子の後ろにたくさんの人の声があるのに気づいた。そして、騒がしいJ-POPが流れていることに。 「ごめんごめんほんと。せっかく電話くれたのに」 わたしは顔が真っ赤になるのがわかった。恥ずかしくてしかたなかった。たぁこ、なに電話してんのー彼氏ぃ? 誰かの声に、「違うし幼なじみ!女だから!」と多香子が携帯から離してこたえる。早く切ってしまいたい、と思った。 「ううん、こっちこそ邪魔してごめん。じゃあ、楽しんで」 「じゃーねー」 ���帯を切る。通話時間は一分���なかった。トイレを見下ろしながら、わたしなにしてるんだろう、と思った。 かし、と髪を掻く。期待していたことへの恥ずかしさよりも何よりも、たったいま起こした行動や言動、自分という人間を心底くだらないと思った。 今日、卒業式なのに。いったいなにやってるんだろう。 知らなかった、と思う。多香子が「たぁこ」と呼ばれてることとか、しっかり居場所を持っていることとか、わたしの誘いを断ることとか。多香子にも、多香子の世界があるってこととか。 コンビニに入って一時間経つ。食欲なんかなかったけど、駅ビルをまわるのにもあきて、夕食に菓子パンを買ってそのまま店で食べた。携帯をいじってりぼんやりして時間をつぶしていたけれど、店員さんが長居しつづけるわたしをにらんでいる。お客さんも少ない。もう何時間もひとりで過ごしすぎて、時間の感覚がおかしくなっていた。外はもう真夜中の準備をしているなんて信じられない。 もう一個なにか買おうかな、ピザまんとか。べつにおなかすいてないけど。とにかく帰りたくなかった。両親から、今日は親戚の家に泊まるとメールがあった。帰ってもどうせひとりだ。 カウンターを降りる。コンビニの前を、高校生の集団が通り過ぎていくのを見て、あわてて棚の奥に回った。そうっと覗き込む。うちの制服だ。でも、文系の違うクラスだった。ほっとしたのか、がっかりしたのか、自分でもわからない。 ボーリング行こうぜ! とうっすら声が聞こえる。えー疲れるムリ! カラオケ行こカラオケー、笑い声がぱらぱらと上がる。集団は過ぎていった。 ふう、と息を吐く。 ばかみたい。あの人たちが、じゃなく、隠れてあの人たちを見ているわたしが。 今だけじゃない。ずっとそうだった。わたしはいつも、みんなのことを遠くから見るだけで、仲間に入らなかった。三年間、ずっと。 でもほんとうは、みんなの中にわたしも入りたかったのだ。みんなと普通に、気軽にしゃべったり遊んだり、ノートを貸したり借りたり、誕生日を祝ってもらったりしたかった。お姉ちゃんみたいに、派手なやり方じゃなくてもいい、うまれてきた日をおめでとうって祝福されたかった。わたしってこの程度だし、とか、わたしだから、というくだらないいじましい理由なんかで、ほどほどのところで我慢したくなんかなかった。べつにいいや、あんまり興味ないし好きじゃないし、という顔をしながら、周りの古都をずっと外から羨んだりひがんだりしていた。 明日、誕生日なのに。 わたしは誰にも祝ってもらえない。誰もわたしの誕生日を知らない。 誕生日まであと二時間。 わたしがいまのわたしから変われるとしたら、今日と明日の境目しか、時間がない。 自転車をぐいぐい漕ぐ。向かうのは、海。道は一本に突き抜けていて、ブレーキはほとんど使わなかった。 ポケットの中の携帯はやっぱり震えない。誰からのメールも受信しない。 昼間あんなに暖かかったのに、頬を切る風はひどくつめたい。耳をちぎっていこうとするみたいに鋭くて、痛くてたまらない。 でも、ほんとうに痛いのは耳じゃないということに、ずっと前から気づいていた。 ペダルに力を込める。耳元で金属的な音が鳴る。 海を見よう、と思った。ひとりきりで、海を見ながら誕生日を迎えよう。とにかく、このまま家に帰れない。このまま夜の街を歩いていてもなにも変わらない。 無心で自転車を漕ぐ。言えなかった言葉が、ふつふつと勝手に記憶からこぼれてくる。 わたしも打ち上げに行っていい? 津川くん、よかったらメアド教えてくれないかな。 卒業式の日、わたしの髪を巻いてほしい。 実際には外に出てこなかった自分の声が、からだのなかで渦を巻いていく。わたしのなかには、言えなくて心の中で反芻するだけだった言葉がたくさんたくさん積み重なっている。どれも他愛ないことだ。小学校の卒業式、憧れていた先生にサインを頼みに行きたかったけれどみんなに囲まれていたのであきらめたこと。ピアノをやめたいと言えずにいやいや高校受験までつづけたこと。新しいコートじゃなくて楓のお下がりでいい?とお母さんに言われてうなずいてしまったこと。そういうちいさいちいさいわだかまりが、お腹の底でぷつぷつと泡立っている。忘れていると思っていたのに、わたしはしっかりと覚えていた。最後まで口にできなかったことを、忘れることができなかった。ひとつひとつはちいさくても、どんどん積み重なってわたしはそれらにからめとられて身動きできなくなっている。 はっ、と大きく口を開けた。白いかたまりになって息が後ろに飛んでいく。 海が見えた。立ち上がって漕ぐ。スカートが風をはらんでぐわんとふくらみ、マフラーがひるがえってわたしの頬をぴしっと打つ。自転車を漕ぐ脚の筋肉がひきつりそうだ。鼻のあたまで夜風を掻き分けていく。 行かなきゃ。 あそこまで、辿り着かなきゃ。 いずみぃ! 早く早く! お姉ちゃんの声がする。まだ、わたしたちが同じ時間を過ごしていた頃の、お姉ちゃんとわたしが入れ替わってあそべた頃の声が。 まってよおねえちゃん、砂があつくて歩けないよ。 先行っちゃうよ! きゃーつめたい! やだやだやだ、水かけないでよー! わたしたちはもう、子供じゃない。あの頃と違う世界に飛び込まなきゃいけない。 23時46分。やっと海に着いた。こんな時間に海にいるなんて、実感が湧かない。潮の匂いは感じているのに、ちっとも現実味がない。 遊歩道で自転車から降り、砂浜と道路を分けているガードレールをまたいで越える。つんとした海の匂いがする。潮騒がこんなに近い。 急坂の砂浜に積み上げられたテトラポッドを、ひとつひとつゆっくり降りる。バランスを崩して海に落ちそうになり、あわてて壁に手をつく。ぱんっ、と意外と大きな音を立てた。 壁に手をついてからだを支え、荒い息を整えて、もういちど携帯を取り出す。23:52。ぎりぎり間に合ったみたいだ。 壁から手を離し、もう一段テトラポッドを降りた。その上で足に力を込めて落ちないように踏んばる。前髪が汗で額にはりついていた。 そうっと海を見下ろす。空よりも真っ暗で、見つめているとなにかが出てきそうで怖い。昼間の海とはまったく違う。昼間より潮騒が大きい。かすかに水面がさざめいていた。月も出ていない。波打ち際で砕ける波の白さが闇の中で際立つ。のたうちまわる生き物みたいで気味が悪い。 打ち寄せては砕ける波は、わたしを呑み込もうとしてるみたいだ。 呑み込んじゃえばいい。波が引いたら、わたしがわたしじゃなくなっていればいい。 波の音が、心臓の音と重なって、混ざりあう。肌が潮風になぶられて汗が冷えていった。23:55。あと五分。あと五分でわたしは十八歳になる。十八歳になってしまう。こんな、夜更けの海で。 どうして子供は大人になってしまうんだろう。いつまでわたしは子供でいるつもりなんだろう。わたしはいったいなににせかされて、ここにいるんだろう。 わからない。わからないからここに来たんだ。 髪が煽られ、スカートがばたばたとひるがえる。セーラーが背中で持ち上がっているのがわかった。マフラーは自転車のかごの中だ。寒い。歯が鳴る。でも、気持ちいい。ひゅうっと海から運ばれてきた風でそのまま持ち上がってしまいたい。 はっ、はっ、と絶え間なく吐き出される白い息が視界をぼやかす。23:59。あと四十秒。 わたしは目を閉じた。わざわざ夜中に自転車を飛ばして海まで来たことが、急にくだらない、ばっかみたい、そんなふうに思ってしまいそうになった。 行けなかった打ち上げ、教えて、と言えなかった津川くんのアドレス、巻かれていない髪、わたしの知らないところで楽しんでいる多香子、前歯で噛むと挟まるレンコンの繊維、四月から通うはずの東京の大学、似てないねって友達に言われたお姉ちゃんとのプリクラ、片方のページだけコメントで埋まった卒業アルバム、司書さんに言えなかった素直なお礼の言葉、最後に聞いた津川くんの声、何時間も歩き回って時間つぶしした卒業式の放課後。いろんなものが、わたしの足元をぐらぐらさせる。わたしをがんじがらめにする。 もう、そういうのはいやだ。 目を開けた。あしたまであと7秒。あと7秒で誕生日になる。息を整えてカウントを始めた。 ご、よん、さん、に、いち。 ゼロ。 しゅるりと結び目を引っぱってスカーフをはずした。空に放る。 わたしの幼い部分が、遠くに、遠くに舞い上がっていく。それはすぐに赤い点になって、闇にまぎれて見えなくなった。じっと目をこらす。空をにらみつける。風にさらされ、眼球がつめたくなる。 東京に行ったくらいで、わたしは変われない。髪をきれいに巻いたり、ピアスを開けたり、流行りの服を着こなしたり、男の子と気さくにしゃべるようになったり、そういうことができるようになるわけじゃない。そんなこと、わかっている。 でも、ここにいたらいまのわたしからは一ミリも変われない。 このままじゃだめだ。すこしでも、いまのわたしから変わりたかった。お姉ちゃんみたいになりたい、わたしであることをやめたい、と思っている自分を、すこしでも変えたかった。十七歳までのわたしの延長線上に十八歳のわたしがいるのはだめだと思った。 だからわたしは海に来た。 そしてもうすぐ、東京に行くのだろう。きっと。 にぎりしめていた携帯が、ふるえた。Eメールだ。受信は0:00ぴったりだった。 【誕生日&卒業おめでとう!】 お姉ちゃんからだった。 たくさんのデコレーションで、闇の中、ちかちかとカラフルに光っている。いまわたしが家にいないことを知っているはずなのに、余計なことは訊かずにお祝いだけしてくれた。 ありがとう、と声に出して呟いたら視界の底が揺らいだ。涙を指ではじく。でも、あとからあとからあふれてくる。 す、と息を吸った。 おもいっきり、さけんだ。言葉や意味のあることではなく、ずっと溜まっていたものを、ぜんぶ、吐き出す。 海はぜんぶ吸いとってくれる。わたしはずっと、ずっと、さけびつづけた。海に吸い込まれて、声の名残は残らない。 でも、わたしは忘れない。誰も聞いていなくたって、ひとりぼっちだったって、わたしはわたしという聴衆を消すことはできない。 やがて声が嗄れて、出なくなっても、わたしは海に向かってさけびつづけた。涙でくちびるが濡れる。寒さでしびれた手の甲で、ぐいとぬぐう。 海鳥がキュウ、キュウ、と鳴いている。 刻々と、わたしの十八歳の日々が始まっていく。 肩で息をついた。手で掴んだ膝小僧のつめたさを、いとおしいと思った。忘れちゃだめだ、と思った。 もう、わたしは少女にもどれない。 でも、前に進むのがいやだなんて思わなかった。 洟を啜り、両足にぐっと力を込める。強くまばたきして、まぶたに残った涙を外に流しきる。 海と空との境界線がわからなくなった水平線を、いつまでも、いつまでも見つめつづけていた。 追記。高2の冬に書いたものを推敲した作品。わたしが当時すきだった男の子はこんな人の好い男子じゃなく、目つきの鋭い、怖い感じの同じ背丈の男子だった。
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lostsidech · 7 years
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3: Pair’s First United Front(3/3)
→UNITED FRONT: 夕方、七崎瑠真
  株式会社ホムラグループ、東京本社。
 ものものしい柵の前に瑠真は一人佇み、曇天に伸びる白いビルを睨んでいる。同じ白壁でも丸いフォルムとガラスで開放感を重視した協会とは違い、画一的な窓の分厚さと不気味な細長さが来る者を拒んでいるように重苦しく目につく。
 もっともそれは、ここぞ敵の本丸と気構えた瑠真のほうの視界の問題かもしれないが。
 翔成の父親の噛み合わない記憶は、ホムラグループの手出しに違いないと瑠真は半分確信していた。妖術師が何かしているとしたら、望夢も春姫も黒だと言った本社は限りなく手がかりに近い。
 望夢から返事が来るまで待ちたかった気持ちはあるが、あのでくの坊、夕方六時定時連絡をすっぽかした。向こうも忙しいのだと思いたいが、制限時間をお互いに決めた以上じっとしているわけにもいかない。それから、単純に気が急いて、瑠真個人が突き動かされていた。繋がる謎があるから。今回本題ではないけれど、ここには、山代美葉乃につながるヒントがあるかもしれない……。
 心の奥底で、ほんとうは連絡を待たなければならないことを知っていた。だけど、ペアに止められたくない、と意地になったもっと根底の部分が言い返していた。
「……よし」
 決心を反復して確認した。つきん、と心臓に緊張の痛みが走る。日沖家でも注目を集めたマスコットは入念に見えにくいように奥に仕舞う。
 正面扉に近づき、ロビーに入る。協会の重厚な木造りとはまた少し趣が異なる、透明感あるロビーだった。広くはないが現代的で、ガラスと鏡でしつらえられた空間に丸い受付が備えられている。
「あの」
 受付ににじり寄って声をかけると、愛想のいい女性がにっこりと応対した。
「あら。こんにちは?」
「本部の児子(にこ)さんに、どうしても、緊急で、用事があって。お仕事中だと思うんですけど」
 仕事中は百も承知だった。成実には悪いが電話はしなかった。直接の知り合いならいざ知らず、他人が頼んでも、相手に後ろ暗い部分があればあるほど事前連絡を警戒されるのが目に見えていたからだ。瑠真の名前は協会のデータベースに載っているという弊害もあり、名乗ることができない。直接行って急用を訴えた方が、まだ捕まえられる可能性が高いという算段だった。
 不安が仄かに胸を突いている。決めて来たのは間違いないけれど、簡単に足を踏み入れていい場所なのか、断言できるわけじゃない。ここは妖術師勢力の本拠、協会とは違う世界を見ている人たちの居場所……
 ホムラグループの受付嬢は難しい顔をしていた。入った時点で子供だからと無碍に追い払われなかっただけでも僥倖ではある。
「ごめんなさい、どれくらい緊急なのか、教えてもらわないと……」
 強行突破の手段をもう一つ考えていた。
「私、児子さんの姪の莉梨(りり)っていいます。家庭の事情で、ちょっと電話も使えなくて」
 嘘の���有名詞を出すとき、少し心臓が跳ねた。
 曖昧な切り札だった。立ち去り際、翔成の父親が教えてくれた名前だ。
(「児子がよく預かってるって言ってた、姪だったかな。君と同年代の女の子だから、そのあたりで親近感を持ってくれるかもしれない」)
 もちろん身分詐称に使うとはその場では言っていない。勝手に聞いて勝手にやっているのは七崎瑠真で、日沖家には関係がない。
「あら。莉梨さん?」
 思った以上に受付嬢が反応した。こちらを見つめて目をぱちくりする。児子経由か何か、彼女も知っていたのかもしれない。
 一瞬ひやりとしたが、顔を知っていたわけではないようで、すんなりと内線電話機を取ってくれた。ダイヤルを押して待ち、少しして話しかける。「児子さん、莉梨さんがお呼びです」こちらはもう一度そこで息を詰めた。けれどやり取りは短く、特に問題はなかったようでそのまま受話器が置かれた。
 ほうっと息を吐いた。万一にでも本人確認でお喋りでもさせられたら、逆にひと暴れでもしてやるつもりだった。相手からすれば偽物の姪を、補導に出てくる可能性があるわけだ。各方面に申し訳ないが瑠真の得意分野はそういう方面である。
「本人はちょっと上から動けないので、部下をやるから上がって待って、だそうよ。ここにいてね」
「はい」
 それならどのタイミングで嘘の仮面を脱いで本題を投げつけるか……部下に本名を伝えても仕方ない。上で顔を合わせてからか。待っている間に移動中ペアに入れた定時連絡を確認する。返事はまだなかった。読んだ形跡もない。
 溜息を吐いて顔を上げると、カード認証式ゲートの向こうに若者の姿が見えた。黒髪にウィンドブレーカーのようなカジュアルな上着をまとった、二十代半ばか後半かの、背の高い青年だった。
 青年は朗らかな声で、
「やあ。児子さんの部下で鈴木っていいます、呼んだのは君でいいかい?」
「あっ、はい、莉梨です……」
「莉梨ちゃんのことはよく知ってるよ。とりあえず入っておいで」
 鈴木の社員カードでゲートを開けてもらった。ちらりと認識が引っかかる。
(鈴木?)
 日曜の依頼の岳下が言った、ごく普通の名前、というプロジェクト担当者の条件に適う気がする。
 いや、どう見ても新卒何年目の若者で、重役には見えない。社内に鈴木なんて何人いるという話だろう。別人だ。
(……だと思うけど)
 警戒するべきだ。鈴木を名乗った青年の背後、受付からも死角になる位置でペタルを練り、全身に防護と筋力増強のどちらかをすぐにかけられるように準備しておいた。ここはたぶん望夢に言わせれば不便な協会式、何かやると視覚的にすぐばれる。能力の悪用を約束で禁じる協会の教育では、第一に〈光術〉から枝を伸ばす八式カリキュラムが採用されている。すべての動作に発光を伴うから、とりあえず隠れて細工はできないわけだ。
 それにしても、と瑠真は集中を戻す。受付嬢といい彼といい、児子の姪のことは意外とよく社内に知られているらしい。
(偽物だってばれてるとしたら……)
 嫌な感想がちらりと過った。だが態度に表すわけにはいかない。腹をくくるしかない。ここまで来たらどちらでも同じだ。
 鈴木はエレベーターに乗って五階を押した。扉が閉まり、圧力を伴って金属の箱が上昇を始める。会話はなかった。黒髪を後ろに撫でつけた青年はこちらを見もしない。瑠真は静かに距離を測り続ける。
「着いたよ。おいで」
 それが次の言葉だ。エレベーターホールから下ろされる。五階の廊下はロビーとは一転、入り組んだ会議室の集まりでほの暗かった。
「ホムラグループって研究開発部門もあるんですよね? それってどの階?」
 できるだけ無邪気を装って尋ねた。鈴木は笑い声をあげた。
「ここで探しても仕方ないよ。研究所は別にあるから」
「あ、そっか……」
 先を行く鈴木が足を止め、一つの会議室の扉を開けた。どうぞ、と手で入室を促される。大の苦手だが一応警戒してまずは罠の気配を探った。望夢が得意な感知系だ。やっぱり何も分からないのは想定の内だった。覚悟を決めて一歩踏み出した。まだ、瑠真個人が罠を受けるような展開は特に発生していないはずだ。
 会議室の窓際に一人、男が座っていた。ベージュのジャケットのカジュアルスーツの前を開け、やや思い切った色選びの赤いネクタイを締めているのがどこか挑戦的な人影だ。年齢は五〇周りと思われる。案内されたということは、この人が、
「にこさ―」
 声をかけかけて、言葉が詰まった。その男性が机の上にこうべを垂れ、完全に気を失っていることに気が付いたから。
 背後でドアが閉まった。
 背筋が冷えるのを他人事みたいに知覚した。ブラインドが完全に降りている。
 後ずさりした瑠真の肩を青年が支えた。
「さて、思いっきりこっちも話があるわけだけど」
 やばい、と思った瞬間ほぼ無意識に両腕を中心にペタルを発現していた。瑠真の身体が鈍色に輝いた。自分でも現象と同時くらいにようやく認識が働く。〈増強〉系。
腕っぷしで突っ込む! 相手が次に口を開く前に、口の中で増強系体術の教育用通し番号を唱えた。型名みたいに身体で覚えやすいから。重心を落として相手の腰回りに抱き着き、胴体を押し払った。抵抗を予測したが、意外にあっさりと青年の細身が動く。
 うわ、とゆるい声とともに鈴木を名乗る青年は机の列に突っ込んだ。
 逃げようと扉に手をかけたが、その机の列から声がかかった。
「翔成くんの話をしに来たんじゃないの?」
 ぴたりと動作が止まった。後輩の名前が出た。
 振り返ると、青年が体勢を立て直して、倒れた机の端に腰かけ、こちらへ話しかけていた。
「いきなりひどいじゃじゃ馬だな、きみ。まあ見越してたけど。とりあえず、俺は敵じゃないよ。私怨はあるけどね」
 攻撃の意志はない、とばかりに両手をひらひらと振ってみせる。瑠真は扉に背を押し付け、青年を睨みつける。
「私怨……?」
「あぁ、そっちから行く? 莉梨の名前を使うんじゃないよ、その子は別に児子の姪じゃないからね」
 明らかに青年の瞳にどろどろした恨みが宿った。情報を見込んだのとは関係のない部分の答えだったが、それで少し現状が理解できた。一階で偽名を聞いた時点でたぶん別人だとばれていたのだ。やはり下手な嘘なんか、吐くものじゃない。
「莉梨のことは置いとこう」
 青年は冷静に言った。
「とりあえずまず、俺は児(に)子(こ)操(そう)也(や)。善也は俺の父親だ」
「アンタもニコ?」
「せめて敬称付けろよ、年上だぞ」
 とげとげしく訂正を受ける。置いておこうと言われはしたが恐らく嫌われたみたいだ。ホムラグループの青年、改め児子は、「鈴木」の名札を外して、それで窓際の男性を指した。あちらが本来の名札の持ち主、ということだろうか……瑠真が一階で児子さんをと呼んだから、同じ苗字の児子操也は瑠真と二人になるまで名前を詐称していたらしい。
「君が何しにここへ来たのかはだいたい想像がつく。日沖翔成くんの事情が知りたいわけだ」
「……」
「これに関���ちゃ俺たち親子は担当者だからそれなりに詳しい。もちろん君の名前もね、瑠真ちゃん」
 睨む視線を強くするしかなかった。
「翔成くんにどうして担当者なんてものがいるの?」
「正確には父の善也が、翔成くんの父親の担当者だった」
 翔成の父親。今日話をしたばかりだ。
「あちらの父親はちょっとした不幸な行き違いで、ホムラグループに敵愾(てきがい)心を抱いていてね。俺の父親が、ちょっと話し合ってそれを解消してもらった。仕事はそれで終わり。お話も終わりの予定だったんだよ。ところが、ついでの経過観察を任された俺が呑気に眺めてると、翔成くんがその頃からどうも両親に隠し事を始めたじゃないか?」
「どうやってわかるの、そんなの?」
                         胡散臭い語りに瑠真は敵意を隠さないまま口を挟んだ。監視カメラでも仕掛けたとか言わないだろうな。だとしたら立派な犯罪だ。
「俺が世間話ついでに何度か家に行っただけさぁ」
「……そんなこと、日沖家両親とも言わなかったけど」
「おっと」
 口を滑らせた、とでも言いたげに児子が唇を押さえた。それも人心操作とやらか? 腹立ちで殴り掛かりたかったが、仮にも有益な情報を共有している最中だ。児子は続けて、
「じゃ、ま、極秘情報だけど遠慮なく。俺がなぜ鈴木さんの名札を借りているかわかる? 色々都合のいい理由はあるんだけど、一つとして、児子善也、カッコ俺の父、と鈴木さんが入れ替わっていたことへのリスペクトがあるね」
「入れ替わっていた」
「そこで寝てる鈴木さんはもともと日沖さんと同じ、ちょっとばかしホムラグループの反勢力的な香りを漂わせてた人だ。俺の父親は彼らのやり取りに入り込んで話を聞くために、鈴木さんと自分、日沖さんと自分をそれぞれ誤認技術使って入れ替えて、いつも通りに話させようとした。その結果出てきたのがイフの計画……まぁ、この話にはどうでもいいっちゃいいんだけど、一応言っとくと君がさっき名乗りやがった莉梨ちゃんの誘拐計画ね」
 莉梨は思っていた以上に重要人物だったらしい。顔も知らない少女に頭の中で許しを乞うておく。
「で、俺らは何をしたかって言うと、彼らの『思念』を消して、同じことを企めないように、関係メンバーをばらばらにした。日沖さんは社長だったから動かしようがなかったけど、とりあえず動かせる奴は転勤とか転属させたということだ」
「シネン?」
「きみ、望夢くんの知り合いだよね? 帆村式がウンヌンは喋ってもいい相手? オーケー。帆村式の解釈ベースは人間の思念です。ある人が関心を持つこと、信じること、望むことを操作することで状況を調整する」
 人心操作とはそういうことか。児子は瑠真の促しを待たず喋り続ける。
「ただし帆村汎用型の思念操作にはちょっとした穴もある。最大の問題が、親しい人には本人の思考回路や興味の対象が変わったのが分かってしまう可能性があるということだ。すげえ技術者が丹念にやればそういうミスは減らせるけど、まぁ普段はどちらかというと後追いで穴を埋めるほうを選ぶよね」
「……なるほど」
「そういう話聞いてた? それで経過観察が俺だったの。俺はご家庭の様子を見て、翔成くんがお父さんの変化に気づいたなって察した。それで申請してつい先日、先週頃、今度は日沖翔成くんの担当者になったってわけだ。親から子へ、観察者も被観察者も。アンダースタンド?」
 流れは理解した。どこまで信用していい相手なのかは置いておいて。
 児子操也の話が正しいと仮定すると、そもそも成実とそこの窓際で寝ている鈴木が結託してホムラグループの敵をしていたのが発端。翔成もグループには隠れて何かしていたということになる。翔成を動かしているのは少なくともホムラグループではない。ポケットの上から無意識にマスコットの入ったふくらみに触れる。じゃあ父親の失くした意思、思念とやらを継いだ……?
 児子が明るい調子で言った。
「ここまで喋ったから、今の持ち帰って神名に伝えてくれないかな? それとももうアンテナ張ってここで聞いてる?」
 瑠真は動きを止めた。
「春姫に? どうして?」
「あれ」
 児子が不思議そうな顔をした。反応が想定と食い違っていたらしい。
「君、ここで探偵ごっこやってるの、神名さんの指示じゃないの?」
「……違う」
 瑠真の関わり方は半端ではあるが、少なくとも春姫の指揮下ではない。むしろ望夢の報告によると春姫は一切関係ない体裁でないと困るらしい。正直そのへんの力加減はよく分かっていないが。
「私―と、ペアが気になってる。協会の人たちは何にも知らない」
 そう言え、と言われていたのは確かだが、新野(しんの)や杏佳(きょうか)にも特に相談していないのは本当だ。児子が露骨に嫌そうな顔をした。
「正直に言いなよ。それ、そういうことにしたら協会が責任逃れできるからでしょ? 君たち、捨て駒にされてるってことだよ? 気分悪くない?」
「その勘違いのほうが気分悪いわよ。私たちが勝手にやってるの、自分で」
 強い口調で遮った。これに関しては迷いはない。お前たちに考える力があるはずがない、と言われているようで不愉快だった。
 児子はお手上げ、と実際にその場で両手を掲げて見せた。呆れた顔だ。
「その真偽はともかくとしてさ。後ろに神名がいないってことを俺がここで認めちゃうと」
 その表情がすっと陰のあるものに変わる。
「何するか分からない一般人の中学生にこれだけぺらぺら喋ったの、全面的に失敗ってことになるんだけど」
 色の浅い瞳が冷酷さを帯びた。瑠真は思わず背後の扉に手をかけた。それこそ……翔成の父親が何を忘れているのかも忘れてしまっていたように、瑠真の記憶だって何事もなく処理される可能性が頭を過ったのだ。これ以上何も聞けないだろうし、状況をペアと共有したい。
 けれどその足でなんとなく踏みとどまった。
 窓際に、児子に名札を奪われた鈴木社員が意識を失ったまま項垂れている。
 とっさに身体が動いた。傍の机に両手をついて飛び越える。児子の反応はすぐにはない。振り返らず転がるように窓際に走り寄った。まだ〈増強〉は続いている。
 ペタルを膂力に集中し、鈴木の片腕を両手で抱え込んだ。ちょっとバランスを崩してよろめきながら肩の上に腕を回す。重要参考人だ。心配心配じゃない以前に、放っておく対象じゃない。
 児子はまだその場でこっちを見ていた。
「連れてってどうするの? 本人が今や何にも知らないホムラグループ社員だけど」
「アンタ、騙して利用してる口で……っ」
「その人自身は、危害を加えられたとは一ミリも思ってないよ。君が協会に連れて行ったところで、事態が分からなくて困るだけだろ」
 それを言われると鼻白むしかない。それでもここに置いていくのは何か違う気がする。
「アンタたちの洗脳を解けば、色々話してくれるんじゃ……」
「あぁ、そっか。神名とか、それこそ解析屋の高瀬くんとかの力量次第では、汎用帆村式くらい復元されちゃう可能性があるのか。それは困るねえ。高瀬くん、うちの解釈にはわりと詳しいし」
 そのへんは瑠真は知らないが、児子はむしろアドバイスしてくれているのかと思うくらい親切だった。
「けど、残念ながら瑠真ちゃん。思念戻しても、その人なんにも知らないよ」
「……は?」
 さっきと言っていることが違う。ホムラグループ反勢力だったから思念を消したのではなかったのか。
「いやぁ、それが翔成くんの行動のヒントには特にならないってこと。だって翔成くん、あの子、何してるの? お父さんたちの後継したいんだとしたら、いざってときにホムラグループを脅迫するための誘拐計画を継いだってこと? できるわけないじゃん。一人で。そうなると、単にもうあれは、お父さんの記憶を消したホムラグループへのシンプルな恨みだと思うんだけど。俺たちを困らせる手段を探して、何らかのきっかけで高瀬式秘術の複雑な立ち位置に気が付いた。刺激すれば帆村と対立すると思った。そんなものじゃないの?」
 滔々とした解説だった。瑠真は口を半開きにして一通りの台詞を聞いてしまった。
 自分が全貌を理解できているとは思わないが、それは……なくはない話、のような、気がする。少なくとも昨晩望夢が言っていた、高瀬家の監視が襲撃に気づけばまずは帆村に糾弾が行く、という話にも繋がる気がする。
 だけど、と違和感を抱く。辻褄は合っても……瑠真が抱いている、この「探偵ごっこ」の中で培ってきた翔成の像と……一致しない。
 児子が目を細めた。瑠真の反応に情報を見いだした顔だった。あ、と思う。日沖翔成の実像を知る者として、恐らく予測の妥当性判断に利用されている。だから春姫に知らせるとかいう段階が過ぎてもここまで親切に内情を喋られるのだ。
 とっさに表情を消したが遅かった。まだ、聞けるだけ情報を聞き出すべきか? それとも後ろの窓をぶち破ってでもすぐに逃げるべきか? その場合、言われたとおり鈴木社員は放置していくか……? この手の交渉事はさすがに、経験値が足りない……
 肩の上でふと呻き声がした。
「あっ」
 思わず間抜けな声とともに荷物をずり落としていた。鈴木が目を覚ましていた。これだけ揺り動かして耳元でわぁわぁ言えば意識も戻るかもしれない。その場合仮にもホムラグループ社員の児子より圧倒的にこの場で怪しいのは瑠真だ。
 視界の端で児子が、また意識を奪うか値踏みするような目で名札を弄んでいた。鈴木がしばしばと瞼を上下し、焦点が合わないように座ったまま辺りを見回し、そして瑠真に目を留める。
 最初に、驚きがあった。
「あれ? 君、どこかで……」
「は?」
 二度目のフレーズだった。なぜおっさんにばかり一昔前のナンパみたいな勘違いをされる? 瑠真は思わずその場で反応した。
 だが聞きとがめていたのは当然瑠真だけではなかった。児子の目が鋭くなった。
「鈴木さん?」
「……うん、児子……の息子のほうか? 俺は今……」
「鈴木さん」
 低い声だった。鈴木が警戒したように動きを止めた。
 児子は何に関係があるのか、鈴木の顔写真が掲載された名札を紐を伸ばして目の前に掲げ、本人に見せつけているようだった。それで何か共通認識が生まれたのか、鈴木が表情を硬くしてその場でぎこちなく立ち上がる。
「なんの恨みがある……?」
「あなた、今、瑠真ちゃんに見覚えがあるような反応をしましたね。平時なら大したことじゃないけど、今は解説してもらおうか」
 突然俎上に引きずり出された瑠真は当惑して二人の大人を交互に眺めた。ついでに鈴木を連れていた場合の脱出経路を目で確認するが、扉の前には児子が陣取っている。背後の窓ガラスはできれば損傷したくないが、何秒で開けられるだろうか?
 鈴木は顔をしかめていた。
「申し訳ないが、その……名前もちゃんとは知らないし、どこかですれ違ったんだろうとしか」
「……空振りならいいんだけど。一応、翔成くんがその子の知り合いっていう明確な符号があるからね」
 児子はほとんど独り言を言っていた。
「あぁ、もしかして俺が消しちゃ��た思念群のどっかかな、その顔見ると」
 ウィンドブレーカーから伸びる手が鈴木の名札を触って、機械のスイッチを切り替えるように撫でた。
 瞬間、瑠真の隣で男が息を詰まらせた。頭をぶん殴られでもしたかのような素振りだった。
「ちょ……っと、大丈夫!?」
 大の大人に聞くことではなかったかもしれない。だが、思わず駆け寄った瑠真の腕にほとんど支えられるくらいよろめいた鈴木の目から、気が付いたら子供のような涙が溢れ出していた。瞬間的な痛みとか、自失とか、そういうものを思わせる涙だ。
「なに……?」
 ぞっとして、自分から駆け寄った男からもう一度距離を取りそうになる。だけど、本人のせいではないことも明確に分かる。
 児子に目を転じると、彼は机の列を回ってゆっくりとこちらに歩み寄るところだった。
「一気に切り替えると、ちょっと精神的負荷が大きいことがあるね。なんというか、思念封印系の操作は乖離性健忘の仕組みと重なるところがあるみたいで。強制的なトラウマ認定みたいな? 戻すときは催眠荒療治の超短縮版になっちゃって」
「何その、実験台みたいな言い方っ……」
 相変わらず軽薄な調子を崩さない児子に不快感が湧く。言っている意味は分からないが、青年が残酷なまでに平静なことだけは分かる。
「鈴木さん、その女の子に見覚えはある?」
 近づいてきた児子が鈴木の頭に手を触れ、背後の壁に押し付けた。催眠と言った言葉がまさに近いのだろう、涙を流す男は茫然としたまま言葉を紡ぐ。
「ない……けど、何故か、守らなきゃいけなかったような気は、する」
「私を……?」
 いちばん不可解なのは瑠真だった。翔成と、せいぜい望夢の問題のつもりで首を突っ込んできたのだ。私は無関係のお節介なんじゃなかったのか?
「ふうん。嘘は吐いてないね」
 児子は不愉快げに呟いた。その表情に得心はない。まだ探らなくてはならないのだろう、その手が男を引き立てて瑠真から引きはがした。
 瑠真はポケット越しにぎゅっとネコのマスコットを握りしめた。
「おじさん、ねえ、天使の人形持ってない?」
 ここで大声で訊くのは、もしかして博打かもしれなかった。児子が眉をひそめて振り返った。
「何?」
「鈴木のおじさんに言ってんの。持ってたら私に頂戴……!」
 ぼんやりとしていた男の目が瑠真を振り向いた。その瞬間、何かもどかしい符号を見つけたような一瞬の光が表情にひらめいた。
 児子に片腕を引き立てられながら、もう片手が素早く懐に伸びた。ホムラグループの青年が止める前に、拘束をかいくぐって瑠真のほうへ小さな白い塊が投げられる。
 窓際でキャッチした。児子が鈴木を離してこっちに戻ろうとしていた。
「瑠真ちゃん? 説明して」
「やだっ」
〈念動系〉を発動した。背後の窓枠からブラインドシャッターを引きちぎり、児子に向かって指先の指示で投げつける。背後から窓の光が瑠真の横顔を照らして、一瞬視界が遮られた。
 がしゃがしゃと騒々しい音を立て、数メートル大のシャッターが児子の頭から被さった。青年は振り払おうとするがすぐには取り去れない。身を翻して裸になった窓の鍵を下ろし、力任せに開け放つ。窓枠に飛び乗ると、強い斜光が顔を焼いた。足元を見て、くらりとした。掴まれそうな張り出しなどが特にない。五階から地階まで……一跳びだとしたら衝撃に瑠真の身体補強は追いつくだろうか。
「ほんっとうに可愛くないじゃじゃ馬だね、きみ……!」
 完全に私怨の声音が届いた。振り向くと青年はむしゃくしゃしたようにブラインドシャッターを長身の足元に叩きつけ、大きくまたいでこちらに近づいてきた。
 瑠真は窓枠の上でくるりと振り向き、
「それ、誰と比べて言ってんの? 莉梨って子?」
 わざと煽った。児子は至近距離で笑った。
「名前を呼ぶなよ、お前が」
 手を伸ばされる直前に跳ね上がって、脚を揃えて落ちた。児子の真上に。
 てっきり窓から逃げると思っていたのだろう。青年はとっさに身を避けて、ついでに机の列にまたもや突っ込んだ。瑠真は両足で着地すると、事態に取り残されている鈴木の肩を掴んで正面扉から駆け出した。
 階段ホールで手を振り切られた。
「悪い、これ以上一緒には行けない」
「私に何が関係あるのか知りたいだけなんだけど」
 思わず語気を荒げたが、鈴木はもう意識がしっかりしていた。
「もしかして、俺も覚えていない俺の記憶を探れば、君たちに利のある情報が出てくるのかもしれない。だけど、申し訳ないけど、俺もあまり勢力戦に関わりたくはないんだ」
「あのね……っ」
 もどかしさでダンッと足踏みした。本当に記憶解析などができるのかは知らないが、とにもかくにも有力なヒントなのだ。帆村の手に残られると困る。
 鈴木は壁に手を突きつつ、
「さっきの人形は持っていけよ、俺には何が重要なのかさっぱり分からん。だけど、これ以上関わったら俺の生活に関わる。家族にも関わる」
「ホムラグループに反乱したかったんじゃないのっ?」
「なんであんなものに関わることになったんだろうな、机上の空論だった。むしろ、万一こんな勢力戦に巻き込まれた時の保身の武器だったんだよ。空論だったから、記憶を消されただけで済んだ。今はまだそこに戻れる」
 最初こそ言い返そうと思って口を開いた。だが、突然意味を悟った。彼を連れて行くということは、一般人を巻き込むということであり、バックに協会がいないと大声で言うしかない今の瑠真は彼の生活について一切責任をとれない。
 助けてくれ、逃がしてくれ、と言われればまだやることが明確だった。でも、ここには別の秩序がある。
「じゃあ、もう関わらないの? あいつらに手がかりを喋れって言われたら喋る?」
「手がかりって、なんの? 日沖の息子の話か?」
 痛みをこらえるような顔をされた。手を入れられていた記憶がまだ関わっているのかもしれない。
「そんなもの、まず前提がおかしいよ。俺はたぶん、俺も覚えていない部分にどこまで責任が持てるかは分からないけど、その子については何も知らない。そのうえで、知っていたとしても、児子やほかの裏側勢力が追い回すのはおかしいと思う」
 児子がなかなか現れないと思っていたが、鈴木の肩越しに事態を視認してごくりと唾を飲んだ。廊下の向こうで青年がさっきまでいなかったほかの社員たちとやり取りを交わしている。輪の中からこちらにふと視線を投げる。追手が増えているのだ。
「ほら、やっぱりな。児子のヤツ、なんでああ短絡的に人を敵にするんだ」
 鼓膜の上だけでその声を捉えながら振り向く。階段の下から複数の足音が響いていた。挟まれた……
「反対の突き当りに非常階段がある。協会の子なら扉は壊せるだろ。こういう状況なら正当行為にできる」
 ふと突然声を低くした鈴木が耳元で囁いた。瑠真の意識が急に引き戻された。
「行っておいで。俺はこっちで、そもそも翔成くんも君も対立するべき対象じゃないはずだって奴らを説得してやる」
 はっと見上げたとき、そのまま背中を押し出された。たたらを踏んで床に手を突き、振り向いたとき、児子がこちらを指さした。
 鈴木がステアケースと非常階段の間を守るように廊下の真ん中に立った。瑠真はほんの少しの間やり取りの意味を咀嚼して振り向いていたが、天使のぬいぐるみをギュっと握りしめて立ち上がり、廊下を駆け抜けた。
言われた通り扉の施錠部に破壊のペタルを寄せて引き開けた。折り返し階段をほとんど十段ずつ飛び降りて敷地を飛び出したとき、携帯が通知で鳴った。息を切らしながらちらりと視線を落とすと、ペアのメッセージが連続で二件入っている。
『ホムラグループにって何?』
『何してる 電話して』
 瑠真は首を振り、一度歩調を緩めて息を整えた。少し冷静になっていた。児子のやり方を見ても何も分からなかったのだ、ホムラグループの考え方や使う妖術を知らない瑠真は避け方も知らない。きちんと相方と情報共有するほうが有効のはずだ。
 通話を立ち上げた。スリーコール以内で少年はすぐに答えた。
  →UNITED FRONT: 高瀬望夢
 「たぶんすぐにお前が手出しされることはない。あいつらにも日沖の動機が分かってないとしたら、お前があいつらに喋らなかった情報を警戒して、しばらく泳がせるんじゃないかな」
『だったらいい。どこで話したら聞かれない?』
「協会の宿舎内部はいちおう春姫の権力下で手出し無用ってことになってる。特にデリケートだから、俺の部屋」
『オーケー』
 通話が切れた。携帯を仕舞う望夢を隣の女が興味深げに見ている。
「ほんとに普通の知識幅なんだね、噂の彼女。こっち側連れ回して、不安ないの?」
「俺が連れ回してるんじゃない。放っておいたら無闇やたらにあちこち首突っ込むんだよ」
 完全な腹立ち声になっていた。昨夜のうちに確認しておかなかったのも悪いと言えば悪かったが、さすがに帆村式本社に突っ込むのに合流を待たないのは想像外だった。親とか友達を回っておけと伝えていたのだ。
「そんなもんかね。もうなんか共同戦線とか言ってる時点で驚くほど肝が太い気がするけどね」
 バイザー付きのヘルメットにライダースジャケット。明らかにバイク乗りの格好をしている用心棒は首を傾げて愛機に凭れかかる。横浜からここまで、望夢と別ルートで移動して合流した1300ccだ。
「で、私は何をしたらいいんだっけ」
 望夢は複雑な眼で彼女を見た。とある後払い報酬を盾に味方にした用心棒は、名を名乗らず、ただ自分を「セン」と呼ぶように望夢に指示していた。
「作戦会議をして連絡するよ。どっかすぐに出られる場所にいてくれ」
「はいはい、年増はお邪魔虫ね。うそ、神名(かんな)の不可侵地帯に土足で踏み込むほど命知らずじゃないよ」
 ひらひらと手を振って、年若い用心棒はバイクを吹かすと、軽やかにバイザーを下げて走り去っていった。宿舎のほど近くだった。一人になった緊張感と相手から解放された安堵が一緒になって重く息を吐く。
 父親が雇っていたという用心棒。いや、そのときは用心棒ではなく、もっと直接的な―刺客だったという。想像しかけて首を振る。望夢は実家にいる間、他勢力の解釈を教わる以外の実戦的な教育はほとんど受けていない。ほとんど時代に不要となった秘匿派警察が一体何をしていたのか、知らないままで育っている。
 たとえば去年の八月、父親は反解釈異能勢力のテロで殺されているわけだが……その際に高瀬家側から反撃として放たれた戦力に、彼女は含まれていたのだろうか? だとしたら、あの夜起きたこと、沈んだ命、忘れ去られた名前の主を彼女は見ているかもしれなくて―
 ぼうっと終わったことに思いを馳せていると、十数分で宿舎エントランスに少女がやってきた。すでに夕風に乾いてはいるが、うねった前髪は相当汗びっしょりだったらしい。
「戦力って手に入ったの?」
 疑わしげに周囲を見回しながら開口一番でそう訊いた。彼女にはまだ具体的には伝えていなかった。
「所属フリーの用心棒」
「ツテかなんかで味方につけたってこと?」
「まぁ」
 契約内容ははぐらかした。不安げな顔をするペアを本題に促すため、しばらく鍵と一緒に言葉を探す。
 鍵束をポケットから引っ張り出しながら、低い声で言った。
「一種の無期限契約かな」
 唇を結んだままの瑠真の目の前で、エントランスの自動ドアが開く。
「行こうぜ、こんなとこで話してないで」
 背を向けて先に宿舎に入ると、少女は一瞬だけ足踏みしたが、扉が閉まる前に後ろを追随した。ぱたぱたとスニーカーの底を鳴らしてついてきながら、ぼそりと、「隠し事はやめてよ」と言った。
 聞こえなかった振りをして自室の扉を開けた。現状の作戦会議に望夢個人の事情は不要だ。
  →UNIITED FRONT: 結節、ペア
 「何が一番重要?」
 腰を下ろしながらこちらに視線を投げて尋ねた望夢に、気持ちを切り替える息を一つ吐いて、ずっと握っ���いた天使の人形を示した。首の周りに巻かれたリボンと頭のマスコット紐のせいで首吊り人形みたいにも見える。
「見せたよね。翔成くんから貰ったのとお揃い」
「どこで拾った? 社員か?」
「うん。ホムラグループの反勢力内で結構大事なものだと思う。ハサミある?」
 一瞬けげんな顔をした後、意味するところを合点したらしい望夢が席を立って黒い鋏を持ってきた。その間に瑠真がリボンを解いた天使の首に、首切りを繋ぎ合わせたみたいな乱雑な縫い痕があった。
 いくらシュール系マスコットだと言って、これはたぶん意図的な疵じゃない。
「完璧な一般人だった。だから、同じグループで持ってるとしたら、物理的にヒントなんじゃないかって」
 言いながら糸を切った。あっさりと天使の首が傾いた。
 綿の中に埋め込むように指先大のケースが隠されていた。
 あ、と望夢が声を漏らした。
「もしかして、日沖から受け取ってたほうも?」
「そっちで先に気づいた。なんか入ってるとは思ってたけど、だって私あれ目の前で獲った新品だって騙されてたんだもん」
 渋面でポケットの底から眼帯ネコのほうを取り出した。何のことはない、翔成が四月に父親と喧嘩していたというそれが、今瑠真が持っているこの人形そのものだった。思い返せば、翔成は自分の手で景品をポケットから回収したあと、鞄の中に同じ手を入れていた。財布を仕舞うためだと思ったけれど、同じデザインのマスコットを仕込んでいて持ち替えたのならぱっと見では瑠真には分からない。新品にしてはくたびれているとか思っている場合ではなかった。
 指先で探した結果、こっちの隠し場所は眼帯の下だった。全く同じ規格のチップがもう一枚発見される。
「IC? いちおうパソコンで読むか」
 たぶん携帯電話用のメモリーチップだったが、なんでこの物のない部屋にそれはあるのか、望夢は引き出しからアダプターとノートパソコンを引っ張り出してきてコードで繋いだ。ロックがかけられていたりしたらちょっと困ったが、中身はあっさりと開いた。
 最初に翔成の残していったほうを開く。
「バイタライザーの添付文書だ、これ。それと灯火病院プロジェクトの公式記録っぽいもの」
 文書ファイルが二つだった。ざっと確認した望夢が淡々と報告する。新規情報があったわけではないらしく、一通り斜め読みしてもそれ以上の発言はない。
「こっちは?」
 鈴木が持っていたほうを指さした。チップを入れ替えた望夢が「あー」と呻くような声を出す。「これ、お前、こっちのほうがやばいかも」
「何が……」
 望夢が開いたドキュメントを覗き込んで絶句した。物凄く見覚えのある人物の写真が貼り付けられていた。
 七崎瑠真だ。
 協会の公式ページに載っているはずの人相の悪い証明写真が一枚。あとは事細かに出退勤記録や家の位置。……東京の瑠真の宿舎を中心とした情報で助かった。この画面にもし、今両親や祖母が住んでいる野(の)古(こ)の町まで載せられていたら、衝動的な怒りでメモリーを握りつぶしていたかもしれない。
「私を調べてたってこと?」
「なんか、こないだの依頼といい、やっぱり協会の内部情報が漏れてる気がする。待って、���う一つファイルが入ってる」
 望夢も驚いてはいるのだろうが、あくまで声音はフラットに保ったままで別のドキュメントをクリックする。そちらは画像も装飾もない端的な箇条書きだった。けれど、その無味乾燥さが逆に、見栄えに気を払っている場合ではないような切実さを感じさせた。
 『対応マニュアル : 内部記憶消去と監視に対する対策について
ホムラグループ本社との接触がある毎二日前に、ヒイラギ会(仮称)が我々に記憶消去を行わせる。本マニュアルは、これによって最も重要な情報が失われることを避けつつ、ヒイラギ会の目も欺く方法を協議の上まとめたものである。文責 : 鈴木義治、日沖成実。』
  これは、もしかして、最重要情報ではないだろうか。
 ヒイラギ会。新たな敵の名前……? 手が震え、抑え込むように握って画面を睨んだ。望夢がゆっくりとスクロールを動かした。
 『1.基礎情報
a.     ヒイラギ会(仮称)…我々の協力者である反ホムラグループ組織。解釈異能について様々な知識を提供。協会やその他の解釈勢力にも同様に反感を示しているものと思われる。窓口として電話でのみ接触。ヒイラギ会とは先方が名乗った仮称であるが、現状それ以上の手掛かりなし。電話オペレーターは三名ほどが交代で行っていると思われるが、規模、素性、最終目的、その他不明。
b.     我々(名称なし)…ホムラグループに所属あるいは関係した一般人(協会定義にて、イルミナント開花率5%未満かつ最大干渉予測値10eps未満)の中で、ホムラグループないしあらゆる解釈異能に不信を抱いた者のネットワークとして構築された情報共有コミュニティ。文責に名を連ねた二名の他は、万一ヒイラギ会あるいはホムラグループの目に触れた場合のリスク最小化のため、本稿には示さないものとする(ただし、いずれにせよ二名がホムラグループ式の調査を受けた場合は、思念の紐づけとして確実に明らかになるので、覚悟してほしい)。
c.     記憶消去…厳密にはホムラグループ式の思念封印。ホムラグループが我々と接触し、我々の思念を探った場合に備えて、ヒイラギ会に繋がる思念を予め封印するもの。実施者はヒイラギ会ではなく、我々メンバー相互である。イルミナント開花率を低度に保ったまま相互の思念を封印するため、ヒイラギ会によって提供されたArtificial-Light(いわゆるバイタライザー)を用いる。』
 「ちょっと待って……」
 瑠真は思わず望夢のスクロールの手を止めて額に手をやった。情報の洪水が飛び込んできて視界がぐるぐる回る。
 噛み砕きたい。ヒイラギ会というのは正体不明の黒幕らしい。成実たちは彼らに協力を求めつつ、一方で対抗策を用意している、ということでいいのか?
 このあたりもだいぶ気になったが、それ以上に理不尽な腹立ちが湧いたのは、
「じゃあつまり、翔成くんのお父さんたちが何も知らなかったのって、ホムラグループ以前に自分たちで思念を消してたからってこと⁉」
 眩暈がした。話がややこしいのももちろんだが、バイタライザーを全員が使っていた? 瑠真たちに打たれたら問答無用で破裂するような危険なもの、翔成が連続使用して体調を崩したかもしれないというあれのことを?
「ヒイラギ会って奴はめちゃくちゃ卑怯だな。用心深いっていうか、自分たちは指示するだけで手を下さずに自分たちの情報を伏せさせてる」
 望夢が眉根をぎゅっと寄せて低く呟き、さらに先へとページを繰った。
 『…これは、ヒイラギ会が我々に対する協力を申し出た時点で、ホムラグループを警戒して提案され、双方が合意して成立したものである。しかしながら、活動を続ける中で、ヒイラギ会に対しても全面的な信頼を置かず、念のため我々の自衛手段を確保しようと提案が出た。完全に思念を封じた後、ヒイラギ会が一度与えていた情報を選別して我々を惑わすおそれがあるためである。
 そこで、毎思念封印の前に物理的な手段で情報を残し、ホムラグループと接触予定のないメンバー一名に、その隠し場所のヒントのみ、思念を保持してもらうこととなった。』
  具体的な対抗理由と対抗手段。隠し場所というのがこの人形のことなのだろう。
「もしかして、翔成くんがその一人のメンバーだったってことになる?」
「あるかもな、でも断言はできない」
 『2.状況と対策
a. 我々の情報がホムラグループ、あるいはヒイラギ会に見つかっていない間は、情報の持ち主をできるだけ分散させること。また、本マニュアルだけは全員が共有しているが、各記憶消去後に一度でも確認したら、各デバイスから履歴を辿れないように削除すること。公の場で情報について会話することは避けること。ヒイラギ会は主に音声による監視手段を何らか保持している可能性が高い。(現状我々にはその監視手段を視認できないため、符丁として、テントウムシが止まっている、という言葉で相互に注意喚起を行っている。)
b. 我々の情報がホムラグループに発見された場合、その時の記憶保持者が中心になってこれを積極的に提出すること。機会のない限りホムラグループに協力してヒイラギ会を告発することは避けたいが、我々の記憶管理がホムラグループ式である以上、一度ほころびが見つかれば抵抗する方法はない。
c. もしもヒイラギ会のメンバーが第一にこれを発見した場合、責任はすべて我々に掛かるだろう。』
  話がきな臭い。ホムラグループにもヒイラギ会にも、根本的には抵抗できないと書き残しているようなものだ。
 瑠真はホムラグループでもその反勢力でも、ヒイラギ会でもない。瑠真が見つけてしまったときは、どうしろと言うのだ?
 文書はここで終わっていた。黙り込んでしまった瑠真に対して、望夢がちらりと視線を投げ、二つのファイルを順に閉じた。
「ところでさ、暴れ猫」
「……なに?」
 軽薄なあだ名呼びに警告するつもりでじろりと睨むが、望夢は続く言葉を選びこそすれ、特に反省は見せなかった。
「秘術師(うち)からさっき連絡があって、たぶん日沖の居場所が分かってるんだけど」
「……」
 望夢は手元で自分のスマートホンをとんとん、と叩いていた。誰かしらから電話があった、ということだろう。
「残留紋を辿って、渋谷の廃病院かなにかに行き着いたってさ。俺たちがあいつらに任せたのは同勢力の軽率な動きの抑制までだから、それ以上あいつらがやる理由は今のところ特にない。ここから先は俺たちが向かうか、向かわないか。あるいはほかに思いついた手段をとるか」
「……それ、私に訊いてんの?」
「日沖のバックボーンを探れって任務はお前に丸投げだったからな。お前が決めるところだよ」
 状況が状況なら、というか今がまさに然るべき状況なのだが、無責任な言いぐさだった。無責任ではあったけれど、間違いではない。瑠真はこれに対する答えをまさに考えていた。
 深呼吸をする。膝の上で手のひらを握りしめる。
「殴りに行く」
 一言で宣言すると、望夢は少しだけ興味深そうに眉を持ち上げた。
「へぇ」
「腹が立った。日沖翔成、あの見栄っ張り、何考えてるんだが知らないけど。正面から引きずり出して、思ってること全部喋らせてやる」
「助ける、とかじゃないんだ」
「状況分からないし、共感なんか全然できない。助ける気持ちとか、微塵も湧かないわ」
 マスコットを拾い上げて立ち上がった。
「でも、今ムカついたのだけはほんとだから」
 ペアの少年を見下ろした。同意を求める気はなくて、むしろ、目の前の少年にもケンカを売っているようなつもりで。
 望夢は部屋の電光が眩しかったのか、こちらを見上げてちょっと目を細めた。
「なんか、お前っぽい顔になった」
「は?」
「なんでもない」
 行こうか、と気軽な相槌があった。瑠真は肩の力を緩め、改めて頷いた。
 やっぱり自分にはこれしかないのだ、と思った。小難しい理屈なんか分からない、想像力だってないんだから、七崎瑠真のエゴをぶつけるしかないのだ、と。
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lostsidech · 7 years
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3 : Pair's First United Front(2/3)
→UNITED FRONT: 朝、高瀬望夢
 翌朝、宿舎守衛の目を誤魔化すためだけに制服を着て最初の目的地に向かった。
 そもそもお仕着せで春姫に入れられた学校だが、身分偽装の意味合いが強いのであまり真面目に通っていない。進級できないと別の意味で社会をドロップアウトするので最低出席数は確認しているが、まだ一学期前半で余裕はたっぷりあるのだ。こういう話をするとペアには罵られるけど。
「まぁぁたぞろお主ら何をしておるのかと思うたら……」
「またってなんだよ。前回はお前のせいだよ」
 そういう話ではないわ、と叱る口調で言われた。朝の光は取り入れる気があるらしい裏のほうの会長室は、棚と一体になった隠し扉を大きく開け放って表の会長室の窓に向けている。こういうときに来客とかあったらどうするんだろう。さすがに会長クラスになったら先にアポイントがあるか。
 本日は湯呑で緑茶を啜りつつ少女は、
「で? 妾に何をしてほしいと? 帆村の牽制か? 小童の保護? どれもやらんぞ。協会には遠いいがみ合いじゃろう? 妾がどこかに肩入れすれば大問題じゃろうに?」
「どれもやらなくていいよ。というか、何もしないでくれ」
 小言を遮ると、春姫はものすごく不満な顔をした。
「分かったような口ぶりじゃな」
「さすがに分かるよ、お前が前線に出るのは喧嘩を買うときだけだって。今回大事になったら巻き込まれてる一般人が危ない、俺だって面倒だし」
 春姫は渋面を崩さなかった。
「じゃったら何のためにここに来た」
「お前が知らずに深追いして政治問題になるのを避けるため。っていうのと、念押しかな」
 笑いかけると、少女は金色の瞳を怪しげにぎゅっと細めた。「念押し?」
「俺がやることに手出しするなよ」
 しばらく推し量るような沈黙があった。
 湯呑を揺らしながら、少女は引きつったような笑みを浮かべる。
「それも含め、何もするなと?」
「そう」
 望夢の秘力(いちいち訂正が煩雑だが春姫に言わせれば「ペタル」である)は春姫と二分されている。正確なフィフティ・フィフティではなく、優先権は圧倒的に春姫にあって、業務時間外やあからさまな不要場面での使用を感知されるとパスを奪われることがある。春姫が派手に暴れるのに邪魔という理由で根こそぎ止められて全部持っていかれることもある。こっちの持ち物であるにも関わらず理不尽な話だが、立場上仕方がないといえば仕方がない。
 だがまさにこれから面倒ごとに突っ込もうという段になってそれでは身を守るにも心もとないのだった。春姫が動くわけにいかない盤面だというのなら彼女の戦闘行為に不可欠になる場面もないだろう。数か月前までにこんなことを打診したら即刻縛り上げられて忠誠を誓うまで放してもらえないところだっただろうが、とりあえず現状それほど裏切りは警戒されていないと踏んでの提案だった。
 春姫は片腕を肘置きに突くとその手で額���覆い、深く長い溜息を吐いた。
「お主はどういう名目で動く?」
 当然の確認である。春姫の名前が協会を背負っているように、望夢にも余計なラベルは無数に付いている。
「個人として。秘匿派警察は分解していて、当主の動きまで責任取れる状態じゃないし、協会からしたら代表名乗らせるほどもない成績下位の平会員だ。これでオーケー?」
「まだ足りんぞ。ペアの知人の問題に関わるのは私的関係ゆえであって、業務上の障りやトラブルを懸念したためではない。当然瑠真にも一言でも協会と言わせるのではないぞ、分かったか?」
「そこまで問題になるかよ」
「万一にでも難癖を付けられたら困るのは妾じゃ。良いな、分かったな」
 追い打ちして頷かされた。もとより瑠真が協会の代表を名乗りたがることはないだろう。春姫が困るかどうかは正直知ったこっちゃないが、大事にならないならそのほうがいい。
 やや趣旨の変わった質問を幾つかすると、春姫は少し驚いたあと、知らんぞどうなっても、という口ぶりでそっけなく答えを与えてくれた。
  →UNITED FRONT: 朝、七崎瑠真
  普通に登校した。今日は学校から任務スタートだ。
「おはよー、瑠真、早いね」
 目を丸くする小町(コミュニティ渡り鳥の嗜みか、だいたい通例で登校が早くてあっちこっちで喋っているのである)に顔を向けて、自分の席に荷物を置く。
「一年の教室、行った?」
「んん? 行ってない。なんかあるの?」
 首を傾げる少女に肩を竦めて、鞄からスマホだけ取り出す。貰いもののマスコットがぷらんと揺れる。
「いーや、話になってるのかなって思っただけ」
 不思議そうに見つめる小町以下クラス数名の視線をすり抜けて、瑠真は教室を後にした。とりあえず教師ならこれくらいの時間には出勤しているだろう。
 自分の担任ではなく、国語科準備室のほうだが。
  「あー、どうも。待ってました」
「生徒におもねって恥ずかしくない?」
 約束も予告もしていなかったはずだが二日連続、一年の担任国語教師は完全に諸手を挙げて歓迎の構えだった。瑠真のキツめのツッコミはそのまま机の上の茶菓子を差し出されたせいである。伊豆かなんかのお土産マークだった。
「口止め料な。今から話すことは七崎さんだけの話にしてほしい」
「私が昨日の時点で関係者だから?」
「うん。それもそうだし、親御さんにも確認取ったうえで、まああなたなら信頼できるでしょうということで」
 協会での素行などが知られたらほぼ人選ミスだ。もちろんこちらの目的とも一致しているので断る気はない。
 伊豆って書きたかっただけの普通の饅頭のパッケージをぺりぺりと開ける。
「翔成くん、家に帰らなかったんでしょ」
「そうだな。何か知ってる?」
「昨日の五時半ごろの時点で、家にはいなかったことだけ」
 嘘を吐く側に立つのに慣れていないので、冷静に答えるのに少し神経を使った。どこから話が漏れるか分からないのでできるだけ情報を伏せろ、とは望夢の指示だ。
「逆に昨日、翔成くんのことおかしいって言ってたのは何だったの?」
 緊張ついでに口ぶりも硬くなったが、今のところ疑われた様子はなかった。
 翔成の担任はふうっと息を吐いて椅子の背を軋らせた。
「参ってるように見えたって言ったあれのことか?」
「そう」
「見た感じの体調がかなり悪そうだったのは分かるよな」
 他人の見た目に鈍いせいでどれくらい重度だったかは正直よくわからない。「うん」
「俺が日沖に会ったのは早退報告の一瞬だけでな。あんまりしんどそうだったから、迎えを呼べばいいだろ、って言ったら、断られた。口では『親も仕事で』とか『帰れないほどじゃないから』って言ってたけど、ちょっと言い訳くさいと思ってな」
「どういう意味で?」
「勝手な所感だが、日沖はあれ、人に頼ることに強迫観念があるんじゃないかな」
 ひやっとして饅頭の包みを握りつぶした。瑠真にはあまり思いつかない角度の話だった。
「基本的に全然迷惑かけないやつだから、いざというときも大したことじゃない、一人で何とかしなきゃって思ってしまうとしたら怖いよなって。『ここでゆっくりしていってもいいぞ』とは思わず言ったんだけど、体調悪いの引き留めるわけにもいかんし、あっさり断られて帰してしまった」
「センセイは……」
 名前も忘れてしまっていたし、相手への呼びかけ方が分からなくて曖昧な人称になった。
「翔成くんが何を考えてると思ってるの?」
「全然わからん。そういうのはまだ目線の近い先輩たちの領分だろうよ」
 丸投げだった。だが分からなくて当然だ。ホムラグループやバイタライザー、ろくでもない裏知識を色々持っている瑠真でさえ全貌が見えない。
 人に頼ることへの抵抗。妥当だとしたら迂遠に何度も念を押してきた翔成の言動に説明が付かないこともない。だけど、と瑠真は思う。ぜんぜん間違っている目の付け所だとは思わないけれど、やっぱりそれだけじゃ腑に落ち��い。
「授業出ずに翔成くん探しに行くって、話付けてもらえません?」
 あまり期待せずに提案し、案の定却下された。
「探すのは警察の仕事。生徒一人の安否でも頭が痛いのに、もう一人に特例を許したらしっちゃかめっちゃかだぞ」
「まぁそうだよね……」
「先輩はきっちり日常をこなしてくれ。そのうえで大人には分からん話があったらこっそり教えてくれ、教師としては以上だ」
 どちらにしろ学校でやるタスクをもう少し課されていたのでまだ帰れなかった。承諾して席を立ち、ついでに放課後に日沖家に寄る許可を求める。
「担任から言っといてもらったほうがいいですよね」
「向こうも話聞きたいんじゃないかなあ。頼む」
 あっさり話が進むのだった。信頼は時にそれなりに居心地が悪い。国語科準備室を出て連絡アプリを立ちあげ、ペアに定時報告した。
『担任に確認終わり』
『こっちも春姫には話つけた』
 お前は学校行かんのかい、と若干突っ込みたい。
  →UNITED FRONT: 昼 高瀬望夢
  灯火記念病院。
 どこぞの学校と似たような、そういう通称で呼ばれる病院がある。
 名前の通り、『灯火』の一人が中心になって立ち上げたと言われている。超常関連の負傷やトラウマを治療することを専門の目的とした総合病院。だがそれが表向きの話であるのは望夢たちにとっては暗黙の了解だ。
 その病棟は、刑務所に入れるわけにいかない〝超常外〟異能犯罪者の収容所になっている―
「斎(いつき)和平(かずひら)」
 名前はそうなっていた。本名かどうかは知らない。どこぞに潜り込むためだけに適当に作った名前かもしれない。
 無駄に立派なクリーム色の病院だった。世間に知られるわけにいかない異能の巣窟だとはとても思えない。周囲に建物がないので記念病院の威容だけが青空にそそり立っている。受付で面会表の記入を済ませ、足早に病室に向かった。
 ノックも無しで扉を開けると、病室のベッドに座っていた男がこちらを見て微笑んだ。
「おやおや」
 白い髪に細い体躯、不健康そうな肌の色。
 ペイルグリーンの入院着と相まって、なかば生気が消えたような印象を植え付けてくる一人の男。
「いつかは来ると思っていましたよ」
「長話は今度だ」
 望夢は先手を打って相手の話を封じた。扉は閉めたが、その傍から動くことはない。相手も了解しているのか、ベッドを離れる動きは見せない。
 高瀬式秘術師外部研究員。二か月前の騒動を指揮した張本人だ。
「用件は何ですか? 二か月前の全貌? 今の私の説明から?」
「それも知りたいけど」
 斎は静かに笑っている。少なくとも春姫によると、彼は全く戦意を喪失しているらしい。元より研究員だ。所属組織の両方から切り捨てられ、瀕死の状態で春姫に保護されて以来、驚くほど柔和に一般人然と日々を過ごしているらしかった。
 信用はできない。黙っているだけで、腹の裏で何を考えているか分からないのだから。
                          「具体的な助言が一つ欲しい」
「助言? 私が? 貴方にですか?」
「切り捨てられた時点で、力関係からは解放されてるはずだ。利益もないけど、何言ったってリスクもない。そうだろ?」
 実のところ、斎和平の名前を最初に示したのはあの周東(すとう)とかいうサイレントバーサーカーだった。『おれたちは自分の鬱憤を晴らすためには動くが、その過程でうっかりお前をゴマ粒みたいに磨り潰しても誰も責任を取らねえ。斎のオッサンのときみたいなもんだな』その親切なアドバイスに従って春姫にカマをかけたところ、案の定ここを指定された。春姫はあれで過去の敵を飼い慣らすことに悦びを覚えるという厄介な性癖を持っている。いくつ爆弾を抱え込めば気が済むのか知らないが。
 籠に繋がれた斎の心情は読めない。
「何をお求めですか?」
「身を護る方法」
 すぐに返事はなかった。
 望夢は相手を見据えながら言葉を続ける。
「具体的に言うと用心棒とかがいい。お前は外部勢力から口八丁手八丁でうちの過激派に取り入ってる、所属に関係なく力を貸してくれるフリーランスの一人や二人知ってるんじゃないかって……」
「はっはは!」
 突如相手が可笑しそうに笑った。これまで確とした感情の動きを見たことがなかったので望夢はびくりと肩をこわばらせた。
「すっかり神名(かんな)に飼い殺されたと思っていたのに、意外だ、まだまだこっち側から足を洗う気がないんですね? 好感が持てる」
「表も裏もない、目の前に転がり込んでくるんだから全部一緒だ。そういうお前はどうなんだよ?」
「どうとは?」
「とりあえずこんなところにいるみたいだけど、出されたらどうするの。フリーで所属先を探す? それとも表で身分でも買うのか?」
「いいえ、どうでしょうね」
 斎は枯れたような色の瞳に先を見るような光を灯してにやりと笑った。こんな話を高瀬式所属時にしたことがなかったので当然かもしれないが、「人間」を相手にしているのだと一瞬ぎくりとした。相手にも相手で考えていることがあるのだと。
「所属先がどうなるかは分かりませんが、少なくともこの解釈異能の世界から抜けることはないでしょうね、私はこれが面白いと思っているのだから」
「面白い?」
「世界は解釈層の重なり合いですよ。勢力を隔てるヴェールを潜るごとに見える世界がガラリと変わる、真理とされている根本からまるごとね。これが面白くないはずがありますか? じゃあ『真実』の世界、ヴェールを全て取り払った先には何があるのか? それとも何もないのか? 何もないとしたら、私たちが生活しているこの地面は実際には薄い色布の積み上げでしかないのか。考えることはいくつでもある。私はその末端で世界を見るためにここにいるのです」
 望夢は数秒返事をしなかった。斎和平のぎらぎらした目がこっちを見ていた。その目が望夢を透過してそのまま、彼が言った言葉の指す先を見ているような気がした―絶対的な真実。
意味しているところ自体はわかる、世界解釈は事象を見る色眼鏡だ。勢力を渡れば、介する色も変わる。それならそもそもの眼鏡を外して透明な景色を確かめてみたい―思いついてもおかしくないだろう。けれど、それに人生をかけるほど? 望夢だって他の解釈の論理を学んできた……だがそれはあくまで解釈闘争の中を生き抜くのに必要だからだ。
 一瞬思いを馳せかけたが、首を振って思索を振り払った。今必要なのは哲学論議じゃない、戦力へのパスだ。
「……だったら俺に貸しを作ったからって後で困るってこともないな」
「用心棒でしたか。まぁいいでしょう、間接的に神名の機嫌を取っておくと後で生きやすいかもしれませんしね」
 斎はあっさり承諾すると、ベッド脇のボードからメモを取ってさらさらと文字を書いた。それを差し出すので、取っていた距離をそろそろと詰めて受け取った。
 折られたメモを開くと端正な細い字で住所が書いてある。
「横浜?」
「基本的に対面でなければ話は聞いてもらえないと思いますので、悪しからず。現状の貴方に手を貸すとしたらこの人物がいちばん有力でしょう」
「どういう相手……?」
「あぁそれより、契約料はどうするつもりですか。まさか協会の給金で賄えるとは思いませんが?」
 望夢はうっと顔を上げた。
「それなんだけど、実家の財源へのアクセスって誰か持ってるの。去年父さんがいなくなってから、春姫が差し押さえたわけでもなさそうなんだけど」
「そんなもの、とっくに食い尽くされたに決まっているでしょう。細分化されて派閥にばらまかれてから数か月で消えましたよ。そもそも協会の台頭からとっくに半世紀、大した規模が残っていたわけでもなさそうですが」
 目をぱちくりしていると、斎は噴き出した。
「もしかして本気で当てにしていたのですか。私が最大派閥を押さえていたから知っているとでも思っていた?」
「えっと……」
 口ごもっていると、無責任に投げ出された。
「心配ないでしょう、とりあえず行ってみるのが吉です。貴方は色々特殊な人間ですから」
 特殊、と言いながら自分の頭を突いてみせる。完全に馬鹿にされたと思ったがそれにしては言葉尻に自信がある。何か思うところがあるのかもしれない。
「現状俺に手を貸すとしたらそいつだって言ったな? 事情があるのか?」
「いいえ。会えば分かります、としか。強いて言えば、性格の問題、ですかね」
「性格……」
「あぁ、それから仕事の話をするならレコードを一枚借りていきなさい」
「レコード?」
 もう一枚メモを渡された。なんとなく知っている程度のクラシックの曲名が一つ指定されている。
「それで依頼人を見分けるそうです。ね、分かるでしょう、我が強いわけです」
 分かるでしょうと言われても辟易するしかなかったが、臨機応変に使える戦力が欲しいのが事実である以上仕方がなかった。口元をごにょつかせながら諦めて斎の病室を出て、病院の出入り口へと向かう。
 昼定時だ。ペアに連絡する。とりあえず動くための戦力確保のため横浜に向かう旨。
 ほとんど敷地を出たところではっと気が付いた。
「レコードってそんなすぐ借りられるっけ��
  →UNITED FRONT: 夕方、七崎瑠真
 「翔成の先輩よね? ありがとう、いらっしゃい」
 担任のところで見た書類によると翔成の母親の名前は日沖叶恵だ。人の親と話す経験のなさから少々身構えて向かったが、考えてみれば協会の依頼で一般家庭に上がるようなものだ。
 叶恵は翔成の端正な雰囲気とはちょっと印象が違って、ごく普通に所帯じみて力の抜けた母親らしい女性だった。目鼻立ちは美人に類される素顔ではあろうが、大人しげというか、黒髪を無造作に短くして化粧っ気なく、古いエプロンをかけてサンダルを突っかけたままの恰好で出迎えられたときには少々のギャップを受けた。瑠真の母親が見栄っ張りなタイプなので同年代の母親像が固定されていたところもある。
「お邪魔します、突然で」
「突然なのは翔成だからね。上がって」
 日沖家そのものも、社長邸宅と勝手にハードルを上げていたがごく普通の一戸建てだ。通された畳のお茶の間で飲み物とお菓子を出された。それこそ普段の依頼ならさっさと食い得と頂くのだが、話題が話題なので今は控えておく。
「翔成くんのこと、聞きたいんですけど」
 エプロンを外した叶恵が正面に腰を下ろした。改めて肚を決める。必要なことを探らなくてはならない。
 まず第一に、家族がどこまで関知しているのか。
「もう警察とかには話してるんですか?」
「まぁね……一通り思いつく話はしたけど、どうやら」
「……体調不良の理由、心当たりは?」
 いいえ、という返事だった。鵜呑みにするかは別にして、例のバイタライザーについてはこっちだけが持っている情報だと思った方がよさそうだ。
 室内を見まわしつつ話題を捏ねまわす。
「ほんとはお父さんにも話聞きたいんですけど、まだ仕事ですよね。社長だし」
 見回しながら続けてそう問うと、叶恵はそうね、とあいづちを打つ。
「翔成の先輩が来ることをメールで伝えたの。早めに帰ってくると思う」
 言いながら、こちらをじっと見つめた。
「色々詳しいのね、私からお願いするつもりでいたのに」
「げっ」
 思わず硬直した。それは何の気ない言葉ではあっただろうが、瑠真からすると潜入捜査を看破されたような気持ちで心臓に悪い。
 どう振舞ったらいい、ととっさに考えた。仕事だったらこれで普通なのだ、最初から事件を探れと言われて派遣されるのだから。……普通の学校の先輩って、どういうポジションだ?
 近い参照先としてぱっと思い浮かんだのが山代美葉乃だった。瞬間的に像を振り払った。山代家の叔父叔母は参考にならない。
「ええー、と」
 一瞬のうちにぐるぐるとそんなことを考えた末に、気遣いを放棄した。望夢じゃないんだから口八丁は無理だ。
 ストレートに伝えることにした。
「翔成くんの目的とバックグラウンドを考えてるの。分かったら力になれるかもしれないから」
 これでもまだ伏せたものが多かった。瑠真が一人で考えているわけではないし、誰の力になるとも断言はできない。今どこにいる、なんてことは公警察が見つけたって一緒だ。瑠真が……瑠真と望夢が知らなければならないのは、協会やホムラグループが明るみに出せない裏側がどこまで関わっているかの問題だ。
 叶恵はしばらく丸く目をしばたいて、そのあとそう、と呟きながら頷いた。
「……気持ちはありがたいけど、翔成のために無理をしないでね」
 警戒された、と反射的に思った。だけどそれは警戒じゃなかったかもしれない。一度差し出された箱の蓋を閉じて、少し手前に引かれてしまったようなものだ。……子供だから、そういう心配かもしれない。
 口を開いて、しかしこの後何を言えばいいのか分からずに固まった。望夢に対しては軽い気持ちで日沖家の探り出しを請け負ったが、こんなところで立ち止まることになるとは思わなかったのだ。
 だが、転機はあった。
「ただいま」
 表で瑠真も通された玄関戸が開く音がして、男の人の声がよく通って響いてきた。
 反射的に振り向いた瑠真の視界に、お茶の間の戸を引いて現れた男性の姿が映った。スーツ姿に洒落っ気のある髪型をして、面長の顔に丸い瞳。雰囲気は取っつきやすい。
 日沖成実、だったはずだ。翔成の父親……ホムラグループの一員。
 瑠真が何を言っていいのか固まっていたのと同様に、成実も一瞬ぽかんと口を開けて動きを止めた。
「ええと……あれ?」
 いっとき、六畳のお茶の間に沈黙が降りた。
 なぜここに見知らぬ中学生がいるか、ということか? 反射的に言い訳の必要を感じた瑠真は居住まいを正し、身体ごと向き直って早口で自己紹介した。
「翔成くんのこと聞いて、話しに来てます。二年で、先輩で」
「あっ……いや、ええと。七崎さん? ……どこかで会ったことあったっけ?」
「は?」
 今度は瑠真がぽかんとする番だった。
 叶恵も目をぱちくりしていた。叶恵からはその手の反応は特に受けなかったはずだ。
「メールで名前を伝えたわよね?」
「あ、そう……そのときは知ってる子だとまでは思わなかったんだけど、顔を見たら、ちょっと」
 瑠真からすると一切見覚えがない。授業参観の廊下か、協会のどこかの依頼ですれ違うことがあったとかだろうか?
 相手と見つめ合って探りかけたが、他人の空似かもしれないものに拘泥していても仕方なかった。本題は別にある。バイタライザーの入手経路などを探れるとしたら父親が有力だろう、と事前に打ち合わせている。畳に手を突いて話を戻しかけたとき、再び成実の言葉で動きを止められた。
「叶恵、そのぬいぐるみ、前翔成が言ってたやつかな?」
「ぬいぐるみ?」
 問われた母親より瑠真が先に反応した。ポケットに手が行って、いつも通り外側に垂れ下がっていた眼帯ネコを掴む。
「これ……が、どうかしたの」
「あぁいや、前に少し」
 父親自身も戸惑っているようだった。瑠真はマスコットを握りしめる。異物感が指先を刺激する。
 叶恵が横から解説を差しはさんできた。
「前に、翔成がお父さんと喧嘩してたことがあったの。そのきっかけが何かのキャラクターを知ってるの知らないのってことだった気がするけど、そのときのこと……?」
「うん。見せられたのと同じじゃないかな」
「待って。翔成くんがこういうマスコットを持ってて、喧嘩になったってこと?」
 瑠真はたまらず制止をかけた。翔成が声を荒げる風景、というのがまず異常事態として脳内に赤字でひらめく。きっと何か関係がある。
「あぁ、なんて言われたかな……僕にも全然ぴんとこなくて、合ってるか分からないんだけど……」
 日沖成実が顔をしかめた。思い出して、なおいぶかる仕草。
「『お父さんが渡してくれたのに、忘れたのか』って……」
 ほぼビンゴだ。
 話の必要を感じたらしい成実がスーツ姿のままで座卓に同席した。叶恵が黙って上着を受け取る。瑠真はテーブルに手を突きつつ、
「それっていつ」
「四月かなあ……?」
「四月?」
 瑠真がゲーセンでマスコットを渡されたのはつい先週だ。翔成はとっくに目を付けていた?
「あの……何か、本当に忘れたとしたら、きっかけに心当たりは……?」
 さすがに聞き方が下手だった気が自分でもした。成実が奇妙な顔で口をつぐんだ。もう一言を言っていいものかどうか胸の中で逡巡した。春姫はホムラグループの裏側にいる異能集団を何と説明した? 人心操作に長けた、妖術師―
「瑠真ちゃん」
 ぽそりと叶恵が名前を呼んだ。瑠真の思考が断ち切られた。名前そのものは翔成の担任から伝えられていたはずだが、ファーストネームで呼ばれたのは初めてだ。
「翔成のこと、どうして心配してくれてるの?」
「え」
 またちょっと固まった。ついさっき前のめりになりすぎて距離を取られたばかりなのに、またもや正面から突っ込んでいた。
 そして、その質問はこの数日間瑠真を悩ませているそれに一瞬で繋がった。翔成を……助けを求めていない誰かを、どうして追う?
「担任の先生が言ってたのが気になって。谷中(やなか)でしたっけ」
 少々苦しかったが、いま一番心境に近いとしたらこれだろう、と教師の言葉を引っ張り出していた。
「翔成くん、真面目だからって。助けてほしいって言わないかもしれないって……いや、私助けても何も、他人なんですけど」
「真面目……そうね」
 叶恵がふっと笑った。瑠真がつい語末に言い訳を付け足したのは目の前の叶恵がずっと沈みがちな顔でこちらを見ていたからだ。親を差し置いて理解者気取りの瑠真を憐れむように。仄かなやりづらさが胸を引っ掻く。
「翔成はずうっと心配かけないし、いい子のままで大きくなったのよね。だから四月によく分からないことで声を大きくしてたのを、私もお父さんもよく覚えてたんだけど……でも、それと同じくらい、負��ず嫌いなんじゃないかな」
「負けず嫌い?」
 瑠真は正座を直しながら叶恵を伺った。突っ込みすぎの探偵ごっこに制止をかけられたのだとばかり思っていたが、別の角度から手がかりに導かれている気がする。
「そうかもな」
 成実が目を逸らしてこっそり相槌を打った。叶恵は笑顔を保ちつつ息継ぎをすると、
「あの子はすごく普通の、いい子だけど、それってちょっと、自分のために何かされるのが嫌っていう面倒くさい性格でもあると思ってるの。宿題は手伝われたくないから徹夜してでも見えないところでやる、怪我したら隠して笑顔で帰ってきて一人で治療する。頑固なのよね」
「それは……」
 結構度を越した真面目さではなかろうか。瑠真もある程度は共感できるが、泣き言は言ってナンボ程度には人に甘えている。
「だったら……」
「そうね、昨日から家に帰らないのも、何かに巻き込まれたっていうのがいちばん怖いけど、兆候は色々あったわけでしょう。私にだって全部は教えてくれない子だから……教えてくれずに、何かをやりに黙って出たんだって思ったら」
 ふと叶恵が言葉を切ると、さっと席を立って奥の部屋に引っ込んでいった。手に成実の上着を持ったままだったので、ハンガーに掛けにいった? 瑠真がぽかんとしていると、当の成実が申し訳なさそうに少しだけ座る位置を詰めて、こそっと瑠真に囁きかけた。
「母さん、あれで結構参ってるんだよね。ちょっとそっとしといてあげて」
「あっ」
 ごめんなさい、と言いかけたが言いそびれて口をもぞつかせた挙句に目を逸らした。だから人の親には慣れていないのだ、まともな友達なんかずっといないんだから。
 父親の成実も決して気楽な立場ではないはずだが、表面上接しやすい軽いトーンのままで、話題を繋げてくる。
「僕がまだ聞くことってある?」
「えっと」
 ポケットから飛び出たネコのぬいぐるみを握りしめて切り出そうかしばらく迷ったが、結局少し違う角度に決めた。
「灯火病院プロジェクトって知ってます?」
 成実がこちらを見つめたまま動きを止めた。
「ホムラグループの?」
「そう。こないだ子会社の流通商社で聞いた」
 成実はしばらく考えると、スーツの胸元からさっき取り出していた小物の中から革の名刺入れを取り出した。待っていると入っていた名刺から一枚を差し出される。
『株式会社帆村商事 本部 児子善也』
 関係者の名前、ということだろうか。
「���村商事……本社?」
 ちらりと検索画面のトップで見た単語のような気がした。怪しいインターネット知識で問い返すと、成実は頷いて手のひらに字を書くしぐさをした。
「読めないだろう、それでニコ・ゼンヤ。僕も仲良かった子会社社員だったけど、こないだ本社に転勤になってね」
「はぁ、あれ?」
 どこかで聞いた話と被って聞こえた。確か、土日の依頼で監視役だった岳下が、灯火病院プロジェクトの担当者について似たようなことを言っていたはずだ。だが、そこで聞いたのは……田中とか鈴木とか、普通の名前って話だったような……?
 その担当者と同一人物かは疑問だが、知り合いの可能性は大いにある。当たって損はない調査対象だ。
「まだだいぶ時間早いから、仕事中じゃないかとは思うけど。たぶんかなり詳しい人だったはずだから、電話でアポ取ったりするといいんじゃないかな」
「ありがとう。ございます」
 話しやすさからついつい敬語が外れるが、無理やりくっつけた。翔成と何が関係あるとも言っていないから、騙しているような罪悪感はまだあった。
「何かわかったら、教えてくれるかな」
 さすがに物憂げに溜息を吐く成実に無言で頷いた。元より望夢とも最優先は家族や公的機関による捜索だと打ち合わせている。……言えることだったらいいけど。
 話が済んだような空気が流れ、ちらりと時計を見た。夕方定時連絡の時間だ。
「出ますけど、叶恵さんは?」
 腰を上げながら伺いを立てると、成実は首を振った。
「僕から挨拶しとくよ。悪いね、気を遣わせて」
「いや」
「母さんはすごく心配性なんだよな。だから僕も翔成もついつい何も言わないでおこうって考えてしまいがちなんだけど」
 それはなんとなく腑に落ちる感覚だった。瑠真の母親はまだ大声で心配だと騒ぐからいいようなものだけれど、やっぱりかなりの心配性だし、同じことを、叶恵のように黙って考えているのであればこっちだって物静かにもなるかもしれない。
 腰を上げながらアプリを立ちあげて望夢に連絡した。座ったままでまじまじとこちらを眺めていた成実が、ほうっと息を吐いてこう言った。
「でもやっぱり、どっかで会った気がするなあ」
「私?」
 頭半分の相槌しか打てなかった。悪いけど記憶がないです。
  →UNITED FRONT: 夕方、高瀬望夢
  都外に出た電車が目的駅への到着を告げた。
 大きなターミナル駅だった。望夢は人波をかいくぐって急ぎ足になりつつ、目的の住所を検索する。商品探しと移動で時間を食ってしまった。すでに午後四時を回ってぼちぼち学生の姿が見られるようになり、学校にも行かずに制服で歩き回っている違和感からは逃れられる。
 指定された住所はごく普通のアパートだった。望夢個人がフリーランスへの依頼などというものを経験するのは初めてなのでこれが相場かどうかは分からない。自宅に色々事情を抱えた依頼人を呼ぶのってリスクが大きいんじゃないだろうか、とぼんやり考える。自宅じゃないのかもしれない。
 見まわしながら階段を上り、教えられた部屋の前に立つ。角部屋だった。隣の建物と廊下の距離が近く、あまり日差しが入るとは言えない。ためらった末に普通にインターホンを押したが、返事がなかった。
「留守……」
 考えてみたら必ずいるとは限らない。他の依頼で空けているかもしれないし、生活している以上私用でいないこともあるかもしれない。最近の訪問先が引きこもりの春姫と軟禁状態の入院客だったので基準が狂っていた。溜息を吐いて後ろの鉄の手摺りにもたれかかった。時間を確認しつつ、暇つぶしのつもりでスマホに繋いだイヤホンを入れる。
 午後四時四十四分。ゾロ目だ、と思った瞬間背後からひやりと冷気を感じた。
「動くな」
 耳元で囁かれるまでもなく体が固まっていた。
 何者かに手摺り越しに手を回され、首筋に何かを当てられていた。自然と刃物だと思っていた。あからさまだ。一歩でも動いたら頸動脈を掻き切られる位置。
 二階だぞ、と麻痺したように思った。片手は隣の手摺りに突いているのが分かったが、音もなく忍び寄るには足場が不安定すぎる。……音、しなかったよな?
 ふんわりと、知らない解釈の香りがした。見知った解釈でも同じことはできるが、感じる気配が一致しない。
「坊や、異能者(アルチスト)だね。探りながら上がってきたでしょう?」
「……」
「囮? スケープゴート? なんにせよ子供なのが趣味悪い。やるなら一人でやりなよ、気に入らないな」
 聞きながら、じわじわと違和感に認識が追いついていた。女の声だ、それもかなり若い。能力に性別が関わるわけではないが、業界多数は圧倒的に男性であることを思うと大きな特徴にはなる。斎が意図的に黙っていたんだとしたら望夢に対する多少の悪戯なのかもしれない。
 はっと思い出して指だけでスマホを操作すると、肩越しに後ろに画面を向けた。「んん?」女の声が怪訝になった。
「Op.37bis……なに、仕事?」
 その声が読み上げたのはクラシックの作曲番号だ。望夢は掻き切られそうな首を動かさないように、引きつってはいるが肯定の笑みを浮かべた。
「レコード手に入らなかったから、ダウンロードなんだけど……」
 背後の気配が一瞬固まった。
 それから軽やかな爆笑が弾けた。怖いので大きく動かないでほしい。
「おもしろ! 現代っ子かよ」
「……現代っ子だよ、悪かったな」
「まぁまぁ私はデジタルとアナログの音の違いに文句を付けるタイプだけど、つまり別件だと思っていいんだね? 話が噛み合わない」
 首元から刃物が外された。自分で思っていた以上に緊張していた全身から一気に力が抜けて、随所に痛みを感じた。心臓が早鐘を打っている。
 隣の手摺をくるりと飛び越えて、背後の気配が正面に立った。やはり若い女性だ、見た目はあてにならないが大学生程度かもしれない。長い黒髪と青みがかった瞳がかなり浮世離れた印象を作っているが、ほとんど針のように細い刃物を懐に仕舞った同じ腕に買い物袋を引っ掛けているのだけがいやに庶民っぽい。ちなみに近くの中華街の有名店だった。
「別件って?」
 ようやく余裕ができて小声で訊くと、彼女は肩をすくめて自室の扉に向かった。腰まで真っ直ぐ伸びた髪が綺麗に靡いた。
「坊やが何者か知らないけど、刺激が嫌いならちょっと目を閉じてたほうがいいかもしれないよ」
 ナンバーロックを外して扉を引き開けた女の言葉に眉を寄せている間に、扉の影から倒れ掛かる影があった。
「!」
 遅れてそれが人体だと認識したとき、先程から漂っていた死の気配の正体を察した。死んでいる……、殺されている。血の色はほとんどなかった。うなじに一箇所汚れた部分があって、
最低限の労力で頚椎を切られたことを物語っている。
 反射的に口を押さえて目を逸らしたが、女は溜息ひとつで死体を押しのけると、入り口のクローゼットの中に突っ込んだ。
「組織に所属してないから、恨みを買うとすぐに手を出されるんだよね。あ、気にしないで、こいつも無所属なのは確認済み。あとで専門業者を呼ぶから」
 気にしないでというのも無茶だったが、女の白い顔を見て思わずためらった。フリーランスの用心棒……その世界は確かにこんなものなのかもしれないが、あまりに倫理観が食い違っている。
(何が俺に向いてるって言われたんだろう……?)
 脚が迷う。こんなものを戦力にしようとしている?
 女の蒼い瞳がこちらを見ていた。
「平和呆けしたガキだね。何しにここまで来た?」
「……」
 口を開くが、すぐに答えられずに俯いてしまった。事実を伝えることはできるが、それによって話を先に進めることに抵抗が芽生えたのだ。
 女は首を振った。呆れられたらしい、当然だ。
「迷うなら帰りなよ。あーあ、現場を知らない正義感ってやつ……高瀬式にいた頃を思い出すね」
 ピクリと望夢の肩が跳ねた。
「高瀬式にいた頃……って、斎(いつき)に雇われてたのか?」
「斎? 知り合い? あ」
 そこでようやく女の声が疑わしげな色を帯びた。
 俯いている望夢の顔を覗き込むように腰を折り、しばしの間をおいてにやりと笑う。
「なるほどね」
 覗き込まれているのが居心地悪くなり小さく顔を上げると、蒼い瞳と目が合った。完全に面白がる表情になった白い顔を隣の建物との隙間から辛うじて入る夕映えが照らしている。
「高瀬望夢だな?」
 ためらいながら頷くと女は得心した顔で頷いた。
「そうかい、一度会ってみたかったんだ。篝(かがり)のヤツの忘れ形見にね」
「……父さんの知り合い?」
 父親の名前が聞こえた気がした。斎が雇っていたのならむしろ本家側からは隠れた位置の契約だったのではないかと思っていたが。
 蒼い瞳が三日月形に細くなる。
「斎和平のことも知っちゃいるけどね。私を雇ってたのは高瀬篝だよ」
 返事ができなかった。望夢はそもそも一昨年の八月の死以前にも、己の父親と話したことがほとんどない。そういう家だったのだ。
 自分の知らないものが始まる嫌な予感をほのかに受け取った。
「こんなところでいつまで話すのさ。食べ物が冷めちゃうよ。中へおいで、高瀬式のお坊ちゃん」
 さらりと髪の毛を翻して、女が先に背を向けた。自分も踵を返して逃げ帰ろうか、と一瞬思った。先ほど刃物を向けられたときとは違う、徐々に押しつぶすような冷気に心臓が波打っている。
 だが、握りしめたスマートホンの熱さがほのかに望夢を引き留めていた。決行中の作戦。組織圧力の入り乱れる中で個人戦をやりたいと思ったら、まず好きに使える戦力がないと話にならない。
「……頼む」
 ゆっくり肺に溜まったものを吐き出した後、大きく吸って、足を踏み出した。
 ちなみにこのとき瑠真からの連絡はまだ来ていなかったが、この後の彼女の行動予定を知っていたら恐らく望夢は止めただろう。
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lostsidech · 7 years
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2:For Whom is Your Egoism(3/3)
 週明け月曜日、気持ちは釈然としないがいち学生は変わらぬ登校日である。
 座っていても気持ちが散漫になりがちで、二限が体育だったのがそれなりの気晴らしになった。種目はハンドボール、当クラス女子はグラウンド授業だ。
「ええ、階段とこで会って話しかけられただけだよ。瑠真の友達かって聞かれたんだよ」
「なんでそれで私より仲良くなってんだよ……」
 任意で二人組を作るよう指示されたので一択で小町。ここまではいつも通りだったが、ゆるい雑談のうちに話が後輩に及んだ。恩返し系後輩こと日沖翔成(ひおきかなる)である。
 不意を打たれたのだが、小町はなぜかとっくに翔成と面識があった。何でも向こうから見つけて話しに来たのだと言う。
 瑠真より頭一つ分背の高い小町は黙っていれば柳のような流麗な身体つきだが球技全般へなちょこである。彼女は妙なフォームでへろへろボールを投げつつ、
「翔成くんすっごい真面目だよね。お礼がしたいからどんな人なのか教えてくれって言われてしまった」
「どうせ好き勝手……」
「ふふーん、ちょっと警戒心が強いとこあるけど慣らすとカワイイ猫ちゃんだよって教えてあげた」
「ぶん殴るわよ!」
 全力で返球すると受け取れなかった小町がよりにもよって顔で受けてぼふっと言った。
「あ」いちおう言い訳すると狙ってはいない。「ごめん」
 横に逸れたボールがてんてんとグラウンドを転がっていく。文化系美少女が鼻を押さえて「いてー」と文句を言うので、怪我がないことだけ確認して瑠真が追いかけに行った。
 グラウンドの反対側を占有している男子集団がどうやら一年生らしいのが走りながらわかった。歩調を緩めてボールを拾い上げながら目で探す。やはりというか、チビすけだらけの頭の中に見覚えのあるさらさら髪が混じっていた。翔成だ。
「ん……」
 日沖翔成が何やら囲まれている。注目を受けているというか、群がられているというか、どうやら心配されている。目を凝らして数歩近づいて、血の色に気が付いた。
「何……?」
 どきりと嫌な感じがして、グラウンドを横切った。自分たちの授業に戻らなければならないはずだが、ちょっとくらい目零してもらう。
 一年生たちがざわざわ言っていた。
「保健室行きなよ」
「せんせぇ」
「付き添う?」
 対して真ん中にいる翔成が首を振って輪を離れる。
「いや、だいじょぶ。ちょっと休んでくる」
「日沖翔成」
 瑠真が十歩遠くから声をかけた。
 振り向いた翔成が小町と同じく顔の真ん中を押さえていたので最初に外傷を疑った。急な鼻血を本人も予期していなかったらしく、夏物の白い体操服の前面と手のひらをじっとり粘っこい血に汚している。どうやら一年生たちは短距離走のタイムか何かを取っていたらしかった。顔面だけを怪我する競技ではない。
 翔成が焦って取り繕うような仕草を見せた。気持ちは分かるが誤魔化せる状態でもない。
「ええと、せんぱい……」
「私付き添うけど。保健室? の前に洗面台?」
「あーっ、あー、あのですね、この期に及んで恩を作らせないで貰えます、こないだで清算したつもりだったんですけど……」
「うるさいな、理屈ばっかっ」
 逃げようとするので思わずむっとして、腕を掴んで向き直らせた。怯んだみたいな表情がどうにも消耗していた。疲労による出血だったかもしれない。
 腹が立った。意地でも休ませてやる。
「行くよ」
「うげえ」後輩が普通に嫌そうな反応をした。「完全に立つ瀬がない」
「あ、あのう」
 背後から翔成のクラスメイトらしい大人しそうな少年がこそっと話しかけてきた。声をひそめているが周り全員聞いている。
「日沖くん、今朝からずっと体調悪そうだったんで、見てあげてください」
「いや私医者じゃないから言われても困るけど。まぁ聞いとくわ。そうなの?」
 後輩に話を振ると少年は綺麗な髪の頂をがっくりと項垂れた。「言われたくなかったんですけど」
 とりあえず一年生集団を離れて翔成の手を引くと、諦めたのか後輩は素直に引っ張られてついてきた。途中でこっちに気づいたらしい小町が駆け寄ってきた。
「あれえ、翔成くんじゃん、どうしたの?」
「保健室連れてく。ちょうどいいや、言い訳しといて、私サボるから」
 小脇に抱えていたハンドボールを下手に投げると、案の定受け取れない小町がその場でわたわたした。何度か弾いた空中のボールを掴み取って、「瑠真あのねえ」
 翔成が顔を逸らした。
「うう、小町さんにまで醜態を見られてしまった、お嫁に行けない」
「元気じゃないアンタ」
「元気なんですよ、離してください」
「断る」
 とりあえずその血は流すべきだし、余裕があるなら着替えたほうがいい。そもそも顔色が全く元気には見えなかった。色白の肌に隈が浮いている。
 小町を追っ払ってしばらく無言になったが、とりあえず校庭の端の水道に辿り着いたので手を放して蛇口を捻ってやった。翔成はしばらくばしゃばしゃと顔を洗って、少しして落ち着いたようでほうっと息を吐きながら顔をあげた。子犬のように細かく頭を振って水気を払う。
「すみません、瑠真さん」
「いい」
 また清算云々言い出すんじゃないかという気がしたので強めに遮っておく。
「休みに行くでしょ?」
「この際早退しようかな」
 水道の端にもたれかかって眺めていると、後輩は汚れていない半袖の端を引っ張り上げて雑に顔をぬぐった。ハンカチを貸せばいいのかと思ったが瑠真も体操服に仕込み忘れていた。保健室までは見送るつもりで再度手を出して、ふと気が付く。
「やっぱ怪我したの」
「え。……あー、いいえ、怪我じゃないです」
 あやふやな答えをして後輩は腕を擦った。それで消えるわけでもないのに。少年の左の前腕部に斑状に打ち身のような内出血の跡があった。出した手がためらった。無理に掴むことができない。
「あなたは徹底的に僕の面目を潰しますね」
 からかいなのか笑い交じりにそんなことを言われたので瑠真はちょっと憤然とした。
「恩返しマニア。面目の問題じゃないでしょ」
「そうですね、はい」
 あまり響いた気がしなかった。とにもかくにも真面目な後輩を保健室に連行しなければならない。突っ立っているだけでは瑠真もサボり扱いだ。
 今度は自力で後ろからついてきながら、後輩はぼそぼそと言った。
「まあなんというか、この調子だとたとえ僕が海に落ちても救助に来そうな」
「その程度で人をお節介みたいに言��んじゃない。海に落ちたら誰でも助けるでしょ」
「そうですか? じゃあ旅に出てもついてきそう」
「そこまではやらないわよ」
 やり取りが可笑しかったらしく後輩が笑った。
「その線引き、何が違うんですか?」
「何よ、事故じゃないなら何か自分の考えがあるんでしょ」
答えた瞬間、かすかな違和感が脳裏にまたたいた。これって私が断言していいことだっけ。
最近、つい昨日や一昨日くらい近い最近に、ここにいない誰かの話をした。くるくるとフィルムのように無意識に場面が回って、協会本局付設のカフェに行き当たる。
(「自分からいなくなったんだもの、案外楽しくやってるかもね。知らないよ」)
(「真相を知ることで瑠真ちゃん自身が傷つくことになるとは思わない?」)
 なんとなく足を止めて、後輩の顔を振り向いていた。
 少年が気が付いて顔を上げた。「なんです? まだ汚れてますか?」
「いや」
 否定して前を向き直った。たまたま物のたとえが重なっただけで、別に後輩の面倒を見るのは山代美葉乃とは関係がない。
 後輩が旅に出たら止めようとは思わないのに、美葉乃を連れ戻したいと思うのは何故だろう。疑問が頭をかすめて過ぎていったが、意識的に振り払った。
「そうだ」
 連鎖的に記憶が掘り起こされて、翔成に訊きたいことを思いついた。
「このあいだくれたやくざマスコットってさ、なんかコンセプトのあるキャラクターなんだっけ?」
 翔成はジンクスが云々と言っていたくらいだし、たぶんキャラクターが好きなはずだ。そう見込んでの岳下の質問の繰り返しだったが、少年は「え」とうろたえた声を出した。
「なんのコンセプトです?」
「いや、なんか企業とか仕事とかに関係あるのかなって。別にそんなこともない? じゃあいいや」
「えー、それはあげたやつを調べての質問ですかね?」
 よく分からない切り返しが来た。瑠真は眉根を寄せて後輩を見た。後輩はうかがうようにこっちの視線を受け止めている。
「何を調べて?」
「あー、そうか。いいんです、気にしなくて」
 視線を外された。全く会話が噛み合わない。調べろということか? 残念ながらスマホもマスコットもまとめて更衣室に置いている。休憩中に検索くらいできると思うが。
「あのね……」
 説明を要求しかけたが、そこで保健室に着いた。後輩が入口の扉を引き開けて、首を突っ込む。
「すみませーん、早退前提なんですけど」
「あら、どうした? 一年生?」
 中から女性養護教諭の返事が聞こえてくる。瑠真は会話の続きを飲み込んで扉を離れた。面倒だが付き添い任務が終わった以上校庭に戻ったほうがいい。授業時間はまだ半分ほどある。
 翔成の頭がくるりと振り向いた。
「ありがとうございます、瑠真さん」
「あー、ちゃんと休んでよ」
 改まって礼を言われたのでちょっとかしこまって突き放すような言い方になった。翔成はふっと微笑んで敷居をまたいだ。
「清算は自分で決めてやるものなので、口出さないでくださいね」
「また恩返し? エンドレスだな」
 口をとがらせて言い返したところで、引き戸が閉まった。瑠真は肩をすくめて保健室に背を向けた。養護教諭に預けた以上瑠真が引っ張っているよりよっぽど心配ないだろう。回復して
                        またまとわりついてくるならそれはそれだ。
(「何よ、事故じゃないなら何か自分の考えがあるんでしょ」)
 自分で言った言葉が歩きながらフラッシュバックした。あの答え方は正解だったのだろうかという、人と別れた後特有の思い返しの感覚だ。清算は自分で決めてやるものって……その論理だと他にも他人に関わる色んなことが手出し無用になってしまう気がするけど。
「あぁもう」
 望夢に新野に今度は後輩にまで、ああしろこうしろと言われすぎて頭がこんがらがってきた。もともとこんなに考えて動くタイプではない。行きたいと思ったら行くし、嫌だと思ったら拒否する、そういう風にふるまってきた。今さら命題を突き付けられても困る。
 首を振ってまた蘇ってきかけた八月の雨音を鼓膜から振り払った。分かってないって言うな。何を分かれって言うんだ、何も言わないくせに。
 何のために人を助けるんだろう、と思った。望まない誰かに手を差し伸べる意味って、誰のため。
 ×××
 「杏佳(きょうか)、頼んでおった依頼元と連絡は取れたかの?」
「はい。公的な質問の範囲で特に問題はありませんでした。会社として存在することは間違いありませんし、経営規模と取引額にも齟齬はない。ごく普通の子会社です」
杏佳はいつも通りコーヒーメーカーを沸かしながら淡々と答えた。陽気だけは穏やかな五月の午後。どれだけ五月晴れが綺麗でも、裏の会長がどれだけ温和な顔をしていようとも、こういう日は表裏社会のそれぞれの管轄について情報交換の時間でもある。
「ふぅむ、そうなると、山代の妹の居場所としては怪しいのう。妾のほうで尻尾が掴めると良いのじゃが……ん」
 隣で湯沸かし器も点灯した。杏佳が自分のコーヒーだけを淹れて立ったまま嗜んでいると、不満げに小さな手がたしたしと机を叩く。ココアの粉末が注がれたカップがその隣で自己主張している。
 杏佳は無感動な目で資料を繰りつつ、
「自分で淹れてください」
「むぅ、ほんの愛嬌じゃろうて?」
 少女は完全に横着していた。ちょいちょいと指を曲げると、机から吹きこぼれるように術製の蔓草が生えた。その蔓葉がむくむく育って広がり、机からカップを絡めとって回収してことんと湯沸かし器の前に置く。
 冷めた目で眺めつつ、さすがに蔓草では押せないらしい給湯ボタンのみ杏佳が押してやる。
「逆に面倒でしょうに」
「おぉ気が利くな、分かっておろうに。たまにこうして、手の込んだ真似をせぬと使わぬ花言葉(じゅもん)が訛ってしま―んんんっ⁉」
 春姫が素っ頓狂な声を上げた。
 突然急成長した蔓草がカップを跳ね上げて、アツアツのココアを盛大に着物の前身頃にぶちまけたのだった。らしくない失敗と動揺ぶりに杏佳はぽかんとして己の会長を眺める。
「か、会長……?」
 少女はあわててばたばたと手を振り回した。動きに釣られて何の用途だかもよく分からない花びらが虚空にひらひらと巻き上がり、片っ端から空気にほどけて消えていく。無意味に美麗な動揺の後、見た目だけは幼い名誉会長は金色の涙目で動きを止めた。
「あ、あやつら……何をしておるのじゃ?」
 ぷるぷる震えながら少女は言った。
「はい?」
 杏佳は眉根を寄せて問い返した。
 ×××
  放課後、小町づてに担任教師から質問された。どうやら体育を半分サボったのが体育教師からか耳に入ったらしく、保健室にいたのなら問診票を持ってこいとお達しがあったそうだ。
「はぁ? めんどくさ……」
「ごめんよ瑠真ぁ、わたしが本人の体調不良だって言っちゃったからさ」
「セクハラ教師め。生理痛でトイレに籠ってましたって言っても証明書を書かせるのか?」
 憮然としたが、後輩の付き添いになぜか学年違いでサボりに行ったのは説明が難しい。小町の言い訳自体には非がない。担任を丸め込みに行くか、養護教諭を強請って適当な問診を書いてもらうか、迷った末に普通に保健室にその後の翔成の様子を聞きに行こうと思いついた。何も嘘の方向で押し通さなくても、知り合いの後輩の体調がそこそこ切羽詰まっていたのだという説明をすればいいし、よしんばそれで説教を受けても瑠真自身が不愉快なだけだ。
 小町と別れて教室を離れ、階段を降りる。一年生の教室を横目に見つつ保健室に向かったが、少なくとも目に映る範囲で翔成の姿はなかった。途中すれ違ったさっきのおとなしそうな一年生男子が怖い先輩を前にしたように首をちぢこめてお辞儀をした。別に瑠真はボスではない。
 保健室の戸をノックすると、養護教諭がさっきのように「はぁい」と扉越しの声を響かせた。
「怪我? 休憩? 体調不良?」
「えーと、二限に送ってきた一年生の体調を聞きたいんですけど」
 扉の向こうで机につき、引き出しを整理していたらしい養護教諭は、瑠真の返事を聞いて目をぱちくりした。四十代ほどの女性だ。
「日沖(ひおき)くんの先輩?」
「あ、はい」
「うわぁ、引率ありがとうね、あの子だいぶ酷い調子だったみたいだから」
 今度は瑠真が目をしばたく番だった。
「そんなに?」
「一人で帰すの心配だったんだけど、迎えは呼びたくないって言うしね」
 彼女は手元のバインダーをめくって、翔成の問診票らしい一枚をじっと見た。
「聞いてない? 仲がいいんだったら、お見舞いして様子を見てあげた方がいいと思うんだけど」
 瑠真は不穏な空気を感じ取りながら机に歩み寄った。
「暑さにやられて鼻血とかだと思ってましたけど」
「いいえ、……」
 なぜか養護教諭は問診票をぱたんと閉じてしまった。さりげなく視界から隠すように引き出しに入れてしまい、座ったままで瑠真を改めて見上げる。
「担任の先生、国語科の谷中(やなか)さんよ。知ってる?」
「……名前だけだけど、行ってみます」
 もやもやとした気持ちになっていた。情報を伏せられるのは無条件にほぼ嫌いだ。よほど個人の事情かなにかに関わる状態だったのだろうか、見舞いに行ったほうがいいと言うのなら本人を揺すって聞き出してやる。
 谷中とかいう教師は確か隣のクラスの現代文を持っていた。ぼんやりと後輩の揺さぶり方を想像しながら、挨拶をして保健室を後にした。
  -
  翔成の担任教師はだるだ���のスラックスにぼろいサボサンダル履きの、なんというか一部保護者からは眉をひそめられそうな四〇絡みの男だった。プライベートではタバコを咥えていそうな不良教師感がある。
「えーと、日沖くんの知り合いなんですけど」
「うん? 二年生?」
「二年三組の七崎(ななさき)です」
 二年のネクタイを引っ張って身元を明らかにすると、教師が大袈裟に両手を挙げて歓迎の意を表明した。
「七崎さん、七崎瑠真」
「え、知ってるの」
「日沖からかねがね」
「はー?」
 身を引いたが目の前に椅子を出されてしまった。椅子と言っても職員室の常、最初から空いていた机の前から引っ張ってきたキャスター付きだが。
 座らないわけにも行かないので浅く腰かけたが、この貴賓扱いは逆に居心地がよくない。国語教師は変な愛想のよさで、
「えー、体調を聞きに来てくれた?」
「保健室行ったんですけど。お見舞いしないかって」
「ああ、可能ならお願いしたいな。配布物を届けて貰っても?」
「いいけど……」
 翔成向けらしい配布物クリアファイルを手に取り、節ばった指先で紙封筒を探す教師に、瑠真は半眼になって追及した。ずっと気になっていたことだ。
「翔成くん、クラスに友達いないわけ?」
 教師が手を止めた。
「……浮いてるわけでもないんだけどなぁ」
 低い声だ。これまでの愛想のある喋り方から一転、不良な見た目にむしろ見合った物憂い声だった。
 元から先輩にばかりくっついてくるのは暇なのかと思っていたが、保健室に連れて行ったあたりでだいぶ疑わしくなっていた。体操着の同級生たちに心配こそさ��ていたが、積極的に飛び出して面倒を見ようとする一年生が誰もいなかったのが気になったのだ。強いて言えば声をかけてきたおとなしそうな少年が一人いたものの、距離感はだいぶあった。男子ならそんなものかもしれないと見流していたが。
 男性教師が封筒を引っ張り出していた。
「真面目だし愛嬌もあるし、無害なやつなんだが。なんというか、誰とでも仲良くできるけど、下手にいいやつだから特定の仲良しができないのかなと思って見てる」
「……小町みたいな」
「何か言った?」
「いいえ」
 誰とでも仲がいいが、特定のコミュニティはない。ほとんど自動的に相棒の少女と重なっていたが、厳密には根本的なところで少し違う。小町はそれを意識して自らのポジションに定めている。無害ないいやつどころか目立ちまくりの変人ではあるが。翔成は……分からない、学生生活の定番イベントを先輩つかまえてやりたがる奴だった。
 何を考えていたんだ。本当はどうしたいのだろう。
「まあ、仲のいい先輩がいるみたいだから心配はしてないよ」
 仲のいい先輩、と一括りにされた。恩返し云々のしがらみがある瑠真より後ろで結託していたらしい小町を信頼してほしい。
 黙ったままの瑠真に対して教師は勝手に話を進めて、
「というわけで、後輩に免じて届け物に行ってくれるかな。ついでに明日にでもこっそり様子を教えてくれると嬉しい」
 それ自体には異論がなかった。ただ、ついさっき保健室で伏せられた問診票がまだ意識に引っかかっている。
「翔成くん、どういう体調で早退したの?」
 こちらも低い声で探るように尋ねると、教師は机の上で指をとんとんと鳴らした。最初から言うつもりで準備していたらしい。
「鼻血、顔色、筋肉痛」
「筋肉痛?」
 それは初耳だ。腕の内出血も同じ原因だったのだろうか。
「全身の痛み、って養護さんには説明してもらったけどな。とりあえず俺が心配なのは、日沖が明らかに精神的に参ってることのほうだ。たぶん普通の状態じゃない」
 筋肉痛以上に寝耳に水だった。精神的に参っている? さっきの体育の時間もか?
「この数日で……」
 反応に困った。たとえ今日がそうだったとして、先週は元気そうだったはず。
(元気そうだった……?)
 ふと思い出した。瑠真を待っている間下駄箱で眠っていた日沖翔成は、「連日の疲労で」と欠伸をした。
 自ら疲労を表明していた? 空元気? あの時点で気にしておけばよかった。
 教師は続いて別のファイルをブックスタンドの間から取り出すと、ぱらぱらと捲った。クラスで回収する住所や家族構成の記入表らしい。日沖翔成のページを見つけると、机の上に開いて、適当な裏紙に住所を書き写し始める。
「徒歩で一五分、二十分ってところだ。任せて悪いね」
「じゃあ、うちの担任に説明しといてよ。二限怒られたんで」
「なんじゃそりゃ。まぁ意味わからんがね、授業中に先輩が連れてくるのはね」
 意外に綺麗な字で書き写された住所を受け取る。スマホに道案内を打ち込む。国語教師はファイルを両手で持って傾けながら深い溜息を吐いた。
「クラスでは目立たないけど先輩とは仲良くて、成績も標準、家族関係良好、持病なし。……こういう何の問題もないいい子に、突然持ち崩されたら何にも分からんね」
 地図アプリをいじる手が一瞬とまる。何の問題もないいい子。瑠真には想像ができない。ずっと正反対の評価を受け続けてきたからだ。それなら多少なりとも翔成とタイプが似ていて理解がありそうな、小町などのほうを見舞いに送り込むべきじゃないだろうか。教室にまだいるだろうから連れて行ってもいいけど。
 迷いながら国語教師のほうへ目を向けたとき、彼が広げているファイルの一部分が目にとまった。見ようとしたというよりも、ここ最近ずっと意識の中にあったキーワードが自然に視界に飛び込んできたのだ。
 医薬。
「待って」
 用済みのファイルを閉じようとする教師に制止をかけた。
 考える前にその手元からファイルを奪い取っていた。「おいおい」間延びした声で慌てられたがその前に必要なことの確認は済んでいる。続柄・母、日沖叶恵/ヒオキカナエ。職業・パートタイム。続柄・父、日沖成実/ヒオキナルミ。……職業・医薬販売(経営)。
「翔成くんの家って、会社持ってるの?」
 ファイルの端を握りしめて尋ねた。答える前にもう一度ファイルを奪い返されて、きっちりと仕舞われた。勝手に見るなということらしい。
「あんまり許可取らずに話すものじゃないんだけどな、今から行くんだもんな。日沖医薬って、そのままだよ」
「ヒオキイヤク……」
「そんなに有名な会社ではないと思うぞ。CMは打ってない。どこかのグループの傘下だし」
 ぞくりと背中が震えた。昨日の依頼、翔成の様子、ホムラグループ。意味ありげな点と点が頭の中で繋がりそうに回りだす。
「成実(なるみ)さんて、お父さんがなかなかいい人だから聞いてみるといいよ。会社が気になるなら」
 これ以上国語教師からは聞くことができなさそうだった。瑠真はじりじりと繋がらないイメージを思い浮かべながら、礼を言って国語科準備室を辞した。
 額に手をやって知恵熱を覚ましつつ、インターネットブラウザで日沖医薬を検索した。校内の弱い電波でしばらくもどかしい白画面が続いた後、ぱっと画像が表示された。
 明らかに別件で見たことがある白い建物。丸くデフォルメされたヨットのマーク。
「ホムラグループだ……!」
 何が何だかわからなかったが、とにかくまずいという気持ちになっていた。連絡アプリを立ちあげると、個人で使うことはないと思っていた名前をほとんど思案なしに選んだ。元より一番詳しいだろう、ほかに訊く相手が思い当たらない。
 『後輩がホムラグループの関係者かもしれない。身体を壊すようなことって何がある?』
  スマホカバーのストラップホールから、かわいいようでかわいくないやくざな眼帯ネコがぶらんと揺れた。
 ×××
 「後輩……?」
 学校帰り、ペアから珍しい連絡がきた。
 画像が送られてきた。ホムラグループ傘下の小さな会社の公式ページだ。ここの息子、とかそういうことだろうか? 身体を壊した? 正直、これだけでは何も分からない。詳しく教えろ、と返事を送り返した。
 ただ、確証がなくていいのであればやや引っかかっていたことがあった。先日の依頼で耳にした灯火病院プロジェクトとやらを望夢は暇つぶしに調べて、気になる文言を見つけていた。強制開花(バイタライズ)……
 背後で突如膨れ上がった気配に、はっとスマホから顔を上げた。
 ズバチィ‼と首筋に衝撃が走った。一瞬視界が白飛びし、手足の自由が奪われる。朦朧と連想が動いた。
(電気ショック……スタンガン?)
 だったほうがまずかった。思考能力も持って行かれそうになったが、直前に感じた秘力……、いや異化力(ペタル)の感覚が意識を繋ぎ止めた。
 これはペタルで形作られた“「行動を奪う」という意思そのもの”だ。異能なら……俺の知ってる解釈だったら、打ち消せる。
(協会式……と、ちょっと違う気がするけど!)
 協会式のフレームを適用、現象解析、算出。「行動を奪う意思」の形を図式化する。逆算式の方向に自身の異化力を流し込む。初期状態(ゼロ)にする。
 平衡感覚が戻ってくる。やはり若干ラグがあって痛みが残ったが、視界は鮮明になった。協会式、あるいはその類似品だ。間違いない。
「誰だっ……」
 振り向けない。背後から肩に手を回されている。振り払おうと相手の手首を掴んだのと同時、相手が反対の手で素早く何かを取り出し、望夢の肩口にすっと当てた。
「……ッ」
 鋭い痛みが跳ね、身を動かしたのが逆に凶に出て、体内を掻きまわされるような不快な感触で熱が爆発した。
「い……っ」
 痛い、というより、一秒後には、それは吐き気に近くなっていた。
 先程の電気ショックが一時的な衝撃による自失を誘うものだとしたら、今度のそれは内側から突き上げるような熱さが暴れ狂うたぐいの生理的違和だった。何か決定的に過剰なエネルギーが意識を手放すよう襲いかかってくる。打ち消すためのフレームを探り当てようとして、ぞっとする。この身体的負荷は。
 これも、ついさっき考えていなかったら、特定に辿り着かないところだった。
 相手は仕事を終えたと思ったらしい。望夢の襟から手を放すが、望夢が逆に掴んでいた手首を離さなかった。
(普段はやらないんだけどな……っ)
 派手にやらないと、ゼロにならない。
 カッと眩い閃光と熱がその手を起点に発散された。「うあっ⁉」相手が握った手を振り解こうとするが、こっちは逆にその手を引き寄せてくるりと身体を返した。肩で息をしながら、さらに振り払うように周囲で小規模な爆発を具現させた。脅迫と察した相手が動きを止める。ようやくぐるぐる回っていた五感が正常に戻り、過剰なものを吐き出し切ったことを悟る。
 位置関係が逆転した。相手の手を後ろに回して拘束した形になる。荒れ狂っていた感覚がようやく落ち着いて、相手を冷静に観察できるようになった。
「あれ……」
 最初に思ったのは、小さい、だった。
 てっきり大人の襲撃者を想定していた視界に、頭一つ、二つ分くらいの修正が入る。振り回された相手の頭部からぱたんと黒い野球帽が落ちた。さらさらした髪が顔を隠すように前に流れる。
「お前……」
 どこかで会ったっけ?と言いかけたとき、少年ががりっと口の中で何かを噛み砕いた。
「……!」
 さっきの望夢がやったことの逆、今度は少年の側から弾けるような閃光が目を焼いた。思わず視界を庇って手が緩んだ隙に、身体を捻るようにして少年が拘束を抜け出した。
 苦いものでも食べたように顔をしかめながら、こちらに向き直ってポケットに手を入れる。取り出したのはアウトドア用の飛び出しナイフ……さっきまでより分かりやすい凶器だ。
「高瀬望夢……だな?」
 女の子みたいな顔立ちに、せいぜい同年代かもっと下かもしれない体躯。
「お前を殺しにきた」
 綺麗な顔を歪めて、少年は笑った。
 後輩ってこいつか、とわりと自然に思った。
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