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#白山遙拝所
sattworld · 4 years
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熊野古道みたく人呼べるようにすればいいのに。
以下は会員記事より転載。
 十和田古道は本県側の五戸道、七戸道、三戸道、秋田県側の白沢道と藤原道。うち五戸道は五戸七崎(ならさき)にあった中世の永福寺(八戸市豊崎町上永福寺、七崎神社・普賢院の地)から休屋・十和田御堂(みどう)(現在の十和田神社)に向かう。元禄年間(1688~1704)、五戸道に大掛かりな改修工事を施したのが「十和田新道」で、子ノ口交差点に残る碑に記録されている。
 江戸時代、寺社参詣が普及し十和田信仰は最盛期を迎えた。南部藩は五戸代官に命じ、落ち葉や積雪でも迷わないよう深く掘り下げた参詣道(堀道)を整備した。
 人々は山や谷を越え、難行苦行の末に十和田湖へたどり着いた。苦しみを乗り越えてこそ、大願成就の道が開けると信じていた。
 昨年11月から5月末まで両グループは合同で4回、計7日間にわたる現地踏査を行った。月日山一帯から惣辺(そうべ)原野までは新道工事の痕跡が濃厚で、約7割が堀道として残っていた。最も大形の堀道は上幅約3メートル、下幅約1.5メートル、深さ約3メートルの堂々とした造りだった。
 ところが惣辺原野を越えて十和田湖に近づくと堀道は一転、目立たなくなる。工事が長期化し藩の財政逼迫(ひっぱく)が原因とみられる。
 月日山では修験(しゅげん)の行場(ぎょうば)となった岩場や、みそぎ払いの清水を確認。霊山の入り口となる結界と分かった。
 古道沿いでは御神燈や道標、朽ち果てた鳥居、城館・見張り所跡などを見つけた。遙拝所(奥入瀬渓流・銚子大滝近く)にはお堂跡とみられる平場(ひらば)もあった。
 調査に関わった斉藤利男・弘前大学名誉教授(日本中世史)は「霊山十和田は北東北最大の霊場で、多くの参拝客が押し寄せたからこそ、南部藩が10年以上の歳月と巨費を投じて堀道の参詣道を整備した。十和田信仰の世界は予想以上に壮大だった」と総括した。
 小笠原理事長は「古道を守る中世(戦国時代)城館と見張り所を発見したのは驚きで、津軽為信の挙兵後、南部と津軽をつなぐ古道の重要性と緊張感が伝わった」と振り返った。
 観光地として知られる十和田湖は近年、衰退が目立つ。東日本大震災で打撃を受け、新型コロナウイルスの影響も深刻だ。中川会長は「十和田古道のゴールは十和田湖。古道の評価が定まると十和田湖の価値も上がる。美しい自然に歴史の要素が加わると、十和田湖の魅力アップにつながる」と期待した。
 ◇
霊山十和田 十和田湖はかつて高山の頂上に神秘の湖が広がる霊山で、修験者の修行の場だった。参詣者は休屋の解除(はらい)川(神田川)でみそぎを行い、杉並木の参道を神仏習合の寺院・十和田御堂(みどう)(現在は十和田神社)に向かった。地名は参詣者の宿泊小屋(休屋)に由来する。平安時代末期の開山で、湖底から鎌倉時代に流通した北宋銭(ほくそうせん)が大量に見つかっている。
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omiearthdiver · 3 years
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日吉大社の原点 原初の水への信仰を伝える東本宮の樹下宮 日吉大社の境内は広く、「西本宮エリア」「東本宮エリア」「奥宮エリア」に分けられる。神社の機能としては、日吉大社全体(山王総本宮)として平安京や比叡山延暦寺を守護する神を祀り、「西本宮エリア」は国家鎮護の神を祀り、「東本宮エリア」は山の地主神を里宮で祀り、「奥宮エリア(八王子山)」は日吉大社の原点で山の地主神の荒魂を祀る仕組みである。その中で樹下(じゅげ、このもと)宮があるのは「東本宮エリア」である。 また、日吉大社は水が豊富な場所である。各社殿の周りには溝が引かれ、社殿を一周するように水が引きこまれている。樹下宮の足元にも、社殿に添って溝があり、東本宮エリアを流れる水は、背後の八王子山裾から湧き出た水で、大物忌神社、東本宮本殿、樹下宮本殿を一周、各井戸とも合わさって、大宮川に流れ込む。信仰の原点は、水を生み出す八王子山(牛尾山)を崇め(神奈備山信仰、磐座祭祀)、そこから生み出された水を日吉大社の神々が清めて、人が住む里へと送り出し、その恵みを人々が受けるという、縄文時代以来の山そのものが神聖視される磐座祭祀を中心に、後にさまざま神々が追加されていった信仰が見えてくる。 樹下(じゅげ、このもと)宮のある場所は、古い祭祀場と思われる。その理由として、以下の2点が挙げられる。まず、社殿の配置が不可解であり、東本宮本殿は楼門から一直線の南面に建てられているが、樹下宮は、軸線を約90度ずらした東面に建てられている。本来、里宮は神体山を遙拝するためのものだから、本殿の背後に八王子山が位置するはず。樹下宮は神体山である八王子山(牛尾山)を背負う配置になっている。樹下宮が里宮の本来の信仰の場所だったかもしれない。 また、樹下宮内には神座の真下に霊泉の井戸があり、霊泉が湧き出しているそうだ。樹下宮の祭神・玉依姫命は、記紀神話で、海神(わたつみ)の次女であり、水と関わりの深い神である。後に祭神として結びつけられたのであろう。社殿のなかった時代には、この霊泉のある場所が、古代の祭祀場であったと考えられる。樹下宮本殿の両脇には桂の木(樹木)が生えている。清らかな水のある場所に生える桂の木があることも、この場所が水の祭祀場であった古代人の心象の名残ではないだろうか。 #樹下宮 #東本宮 #日吉大社 #八王子山 #近江 #琵琶湖 #近江アースダイバー #近江学 #旅の近江ものがたり #近江の探究 #近江のツーリズム #近江のガイド #琵琶湖サイクリング #近江八景 #近江の神社 #近江の寺院 #近江の寺社 #近江の社寺 #白洲正子 #司馬遼太郎 #松尾芭蕉 #国宝 #重要文化財 #滋賀 #大津 #Shiga #Biwako #Otsu (日吉大社) https://www.instagram.com/p/CUVWPJYPeyq/?utm_medium=tumblr
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gakutumblr · 6 years
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#小室浅間神社 GW浅間神社めぐり 2社目です。 新倉浅間神社から駅まで戻り、今度は反対側へ歩くと、すぐの所に鎮座されてます。 良い天気で、写真映えしますね。境内に入ったら猫ちゃんが寄って来てくれて、営業してくれました😆すぐ居なくなっちゃいましたがw まずは参拝。そして御朱印をいただき、真っ白な神馬🐎を眺めてたら、またニャンコ来たんですが。触ろうとしたら、今度は怒られて猫パンチされました😅なんで… こちらは 旧称 #下宮浅間神社 #冨士山下宮小室浅間神社 ともいい、地元では #下浅間 #下浅間神社 と言われてます。 元々は、延暦12年(793年)、征夷大将軍 #坂上田村麻呂 が東征の際、現鎮座地より富士山を遙拝して戦勝を祈願し、戦勝後の大同2年(807年)、神恩に感謝して社殿を造営したのにはじまります。 この「下」と言われる理由は、もともと「宮」と呼称されていたもにが、上吉田の諏訪ノ森にある諏訪神社境内に新たに祀られた北口浅間神社をはじめ、各村々が浅間大神を祀り始めたため区別する必要から「下宮浅間」と呼称され始めました。 富士山二合目にある小室浅間神社、もしくは富士山そのものを「上宮」としています。 #山梨県 #富士吉田市下吉田 #浅間 #浅間神社 # #神社 #御朱印 #ご朱印 #ゴシュコレ #御朱印めぐり #御朱印集め #御朱印収集 #御朱印巡り #御朱印好き #御朱印部 #御朱印巡りの旅 (小室浅間神社(下浅間))
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shibaracu · 5 years
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●木花咲耶姫 コノハナノサクヤビメ
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●木花咲耶姫 コノハナノサクヤビメ 木花之佐久夜毘売 コノハナサクヤヒメ 木花開耶姫 ★コノハナノサクヤビメ - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/コノハナノサクヤビメ コノハナノサクヤビメは、日本神話に登場する女神。一般的には木花咲耶姫と記される。また『古事記』では木花之佐久夜毘売、『日本書紀』では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、又は単にサクヤビメと呼ばれることもある。『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名で、コノハナノサクヤビメは別名としている。 オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘で、姉にイワナガヒメ(石長比売、磐長姫)がいる。ニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。   ★絶世の美女、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話と祀られている神社 https://www.e-sogi.com/guide/27985/ 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは、日本神話に登場する女神です。非常に美しく桜の花の名の語源ともいわれています。また作者不明ではあるものの、平安時代の初期につくられたとされる「竹取物語」のかぐや姫のモデルだとも伝わっています。絶世の美女と謳われた木花咲耶姫とは、どのような神様なのでしょうか。そのご神ご利益・ご神徳や祀られている神社をご紹介します。 目次    1 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは    2 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)のご利益・ご神徳    3 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が登場する神話のストーリー    4 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られる神社    5 まとめ   ★八百万の神大図鑑- 木花佐久夜毘売 https://00m.in/9zMrY 【和魂】美『開花の時です』. 蕾が花開くときです。 人は美しいものに引き寄せられます。 内面だけではなく外見を磨くことであなたの魅力が増します。 後回しにしていたことに挑戦してください。 心地の良い環境が整うでしょう。 今は美容関係と縁が深くなっています。 あなたに相応しい相手を引き寄せるでしょう。   ★木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示 http://kibanamano.cocolog-nifty.com/ 2006/10/23 地球にある者全て神の恵みなり。 そを我が国の物とし、また、自国に無き物他国からとりてもと、考ゆる汚れし者たち。 大きな神罰、いずれ下りしもの。 世界の神は一つなること気づけば争いなくなるらん。   ★コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)とは|ご利益や祀られる神社 https://00m.in/yv9XL 2018/08/18 - コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)とはどんな神様なのか?神話の中のコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)の話から、ご利益(御神徳)、祀られている神社、富士山とコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)との関係と言った話まで解説をします。   ★木花咲耶姫とは (コノハナサクヤビメとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/%E6%9C%A8%E8%8A%B1%E5%92%B2%E8%80%B6%E5%A7%AB 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の元に姉のイワナガヒメと共に嫁がされるが、イワナガヒメは大変醜かったため追い返され、木花咲耶姫だけが妻となった。   ★絶世の美女、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話祀られている神社 https://www.excite.co.jp/news/article/ESogi_27985/ 2019/11/19 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは、日本神話に登場する女神です。非常に美しく桜の花の名の語源ともいわれています。また作者不明ではあるものの、平安時代の初期につくられたとされる「竹取物語」のかぐや姫のモデルだとも伝わっています。絶世の美女と謳われた木花咲耶姫とは、どのような神様なのでしょうか。そのご神ご利益・ご神徳や祀られている神社をご紹介します。   ★木花咲耶姫命 http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/konohana.html 別称:木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤビメノミコト)、神阿多津比売命(カミアタツヒメノミコト)、豊吾多津媛命(トヨアタツヒメノミコト)、神吾田鹿葦津姫命(カミアタカアシツヒメノミコト)、酒解子神(サケトケノコノカミ)、木花知流比売命(コノハナチルヒメノミコト)、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)性別:♀系譜:大山祗神の娘。邇邇芸神と結婚し火照(ホデリ)命(海幸彦)、火須勢理(ホスセリ)命、火遠理(ホオリ)命(山幸彦)を産む。姉は石長姫命(イワナガヒメノミコト)神格:山の神、火の神、酒造の神神社:富士山本宮浅間(センゲン)神社、浅間神社  日本の木の花の代表といえばもちろん桜である。  その桜の美しさを体現しているのが木花咲耶姫命だ。  「木の花」が美しく「咲く」というのは、ものごとの繁栄を象徴する名前である。  神話には、日本の山の神の総元締の大山祗神の娘で、天孫邇邇芸命と結婚してその子を産む、見目麗しい女性として描かれている。  ただ、桜の花は満開になればやがて散る。 美人薄命という言葉があるように、この神はまさに美しさと同時に花の命のはかなさも象徴している。  これを表しているのが天孫の寿命の神話だ。   詳細についてはそちらを参照していただきたい。   ★木花咲耶姫さまと共に - 楽天ブログ https://plaza.rakuten.co.jp/konohanasaku/ 2014/08/25 2006年、全ての龍の孤高の王たる白き龍が目覚めた。 始まりは、2005年秋. 神社仏閣*足跡つけし場. 神仏は 人々の直ぐ傍におられます。 ぜひ、心を向けて下さい。必ずお導きがあります。 困った時だけでなく心を向けられることをお薦めします。   ★木花咲耶姫様の御神示 http://konohanasakuya.blog.jp/ ウイルスにも役割がある この世の万物事象すべてに役割あり。 山や海や川に住む生命も小さな虫も雑草も、小さな石ころでさえ役目ありてつくられたり。 大元の神が善の神と悪の神をつくられたるは、この世を調和させる為ならん。 細菌とて善玉菌悪玉菌あるように、ウイルスも同様なり。 ウイルス、細菌の感染症に対し、人間は都度薬を作りて対応するなれど、結果さらに強きウイルス、細菌作り出す。   ★神無月特集(9) 邇邇芸命と咲耶姫 http://www.ffortune.net/calen/izumo/sinwa/sinwa09.htm さて地上の国が天照大神の子に譲られることになったので、天照大神は最初 の予定通り天之忍穂耳命を下らせようとしますが、このとき天之忍穂耳命に 子供が生まれたので、その子(天照の孫)邇邇芸命が代わって降臨すること になりました。 この邇邇芸命(正式には天邇岐志 国邇岐志 天津日高日子番能 邇邇芸命と いう長い名前である)には八尺の勾玉・鏡・草薙剣の三種の神器が渡され、 天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命・思金神・手力 男神・天石門別神などの神が付きしたがって地上へと降りて行きました。   ★木花咲耶姫を祀る神社の写真集   http://www.kaiunnoyashiro.com/jinja-link/0-konohanasakuyahime.htm 東口本宮冨士浅間神社 静岡県 小山町 木花開耶姫命・大己貴命・彦火火出見命 一幣司浅間神社    静岡県 御殿場市   木花開耶姫命 北口本宮冨士浅間神社 山梨県 富士吉田市 木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵命・大山祇神 箱根神社   神奈川県 箱根町    瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・木花咲耶姫命 木花咲耶姫 安産の神、子育ての神。 オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘。 天孫ニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の妻。 ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。ホオリの孫が神武天皇。 火中出産の説話から火の神として祀られるようになり、富士山に鎮座して東日本一帯を守護することになったとされているが、 浅間神社の総本宮である富士山本宮浅間大社では、水の神として富士山の噴火を鎮めるために祀られたとしている。 別名 木花之佐久夜毘売・木花開耶姫・神阿多都比売(カムアタツヒメ)・鹿葦津姫・葦津姫(カヤツヒメ) ★木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の神話やゆかりの神社 | SPIBRE https://spirituabreath.com/konohanasakuyahime-11009.html 2019/05/01 物語における登場人物としてヒロインと言うのは今も昔も欠かせないものであり、日本神話と言う物語においてのベストヒロインと呼べる神様は誰かと言われたらそれは恐らくコノハナサクヤヒメであると言えるでしょう。またコノハナサクヤヒメは「富士山信仰」とも関係がある神様でして、日本神話をちょっと詳しく知りたい方には是非とも知っておいて貰いたい神様の一人。 そこで今回はこの日本神話における当時の日本人にとっての理想を詰め込んだとも言えるコノハナサクヤヒメについて御紹介させていただきます。 目次 1.神話に出てくる神様と言う目で見た姿 2.祭られる神様として見た姿 3.神話「ニニギノミコトとの誓約(うけい)」 4.2つの役割を持つコノハナサクヤヒメ 5.まとめ   ★相撲は神事 : 木花咲耶姫様の御神示  2017/11/27 http://konohanasakuya.blog.jp/archives/27374271.html 相撲は神事 相撲は神に捧げる神事ならん。 なれどその意識は今は薄れ、ただ力と力のぶつかりあい、最後には我と我のぶつかりあい。 長きに渡り受け継がれたる神聖なる相撲のその世界に入るものは覚悟をして臨まねばならぬ。 日々修行続けるは魂を磨くためなり。争いをするためにあらず。 相撲は宇宙を表す国技なれば、土俵は黄、四本柱の青、赤、白、黒、五行を表すなり。 日本の誇れる国技も暴力、嘘、隠蔽、体質と変わりぬればもはや神事にあらず。 相撲に携わるもの指導するものはいつも正しき行動にて魂を磨き少しの事に感情を揺さぶられぬ強さ、寛容さ必要ならん。 相撲を観る者もまた相撲は神事なることをしっかり心に刻み神聖なる心をもちて観らねばならぬ。 相撲の世界穢れるは神への冒涜となりにけり。   ★みやざきの神話と伝承101:可愛岳と可愛山陵 https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/021.html  ●「花米」を供え参詣  北川町ではニニギノミコトの山陵について、国が指定している「伝説地可愛山陵」とは別に可愛岳(727.7メートル)を山陵とする伝承が古くからある。可愛岳は西南戦争で、西郷軍の鹿児島・城山への最後の敗走が始まるところである。政府軍もよもやここを越えるとは、と思ったほど険しい山である。  可愛岳は行縢山とともに古代から信仰の山であった。天永元(1110)年の可愛岳に関する記録に、「年籠(としごもり)用途分」(年末に用意するもの)として「愛(エ)山正月1日鏡餅3枚 花米」とある。「花米」は神社参詣のとき神前に供える米のことである。八幡宮の神事、およびそのために用意しなければならない品物の目録に可愛山に供えるものが記されており、信仰の古さを知ることができる。   ★岸町二丁目 木花咲耶姫の山車 - 川越まつり https://kawagoematsuri.jp/dashi/25konohanasakuya.html 山車は二重鉾、四つ車、唐破風付き囃子台で廻り舞台。原型は昭和27年の牛車に屋台を乗せた小さなものだった。昭和33年以降その原型に改修を重ね、平成27年に現在の形に完成させた。 人形は岩槻の福田東久の作。古事記に安産、子育ての神として登場する神武天皇の曾祖母 木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)。山車の彫刻や見送り幕、四方幕の図柄にも木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)に関連する物語が表されている。なお四方幕は現代の名工桐生市の大沢紀代美の作。彫刻は掛布の松林洋。   ★木花開耶姫神社-R指定な川柳がいっぱい!珍しいハート形の神様【雲仙】 https://www.9navi.jp/konohanaya-shrine.html (注意) *この文面の中には一部に【閲覧注意】が含まれます。 卑猥なものが苦手な人は見ないで下さい。↓↓. 温泉地で有名な九州の雲仙。 こちらの温泉街の裏手を少し歩くと、原生沼が広がり散策コースとなっています。 この原生沼のすぐ横にあるのが木花開耶姫(このはなさくやひめ)神社です。 古事記や日本書紀にも出てくる女神様でロマンティックな響きがする名前だから、さぞかし神社もロマンに満ちたものと思いきや、、、?! もくじ    1 山道には短冊がいっぱい    2 注意点その1:大人限定    3 注意点その2:山道    4 注意点その3:駐車場   ★富士山と女性の深い繋がり【あなたの知らない富士山 ... - TABIZINE https://tabizine.jp/2018/07/07/192878/ 2018/07/07 7月1日は、日本の象徴かつ世界遺産である富士山の山開きです。富士登山はもはや日本人のみならず、海外旅行客にも人気。そこで、「祝!富士山開山」として、富士山のトリビアを全8回特集でお届けします。第7回目は「女人禁制」だった富士山について。 目次    1 江戸時代に、富士登山が大流行    2 富士講ってなに?    3 富士講本部は渋谷の道玄坂にあった    4 女人禁制だった富士山    5 富士山に行けない女性はどうしたの?    6 はじめて富士山に登った女性は    7 実は紀元前にすでに登頂した人物がいた    8 ドラマティックな木花咲耶姫の人生    9 富士山の神様は女性    10 富士山は女性と縁が深い山だった   ★女子力アップ!木華佐久耶比咩神社ー岡山県の ... - 岡山の街角から https://www.okayamania.com/spot/rekishi/konohanasakuyahimejinja.htm 美の神様を祀る、倉敷市の木華佐久耶比咩神社をご紹介します。 詳細 祭神:木華佐久耶比咩命     大山祇命     大國主命 別名、愛称:福南山神社 所在地:倉敷市福江1671-4 駐車場:有り、無料 参拝は24時間可   ★霧島神宮・御由緒 http://www.kirishimajingu.or.jp/contents/goyuisho.html 霧島神宮の御由緒や御祭神について御紹介しています。 相殿神:木花咲耶姫尊(お后)・彦火火出見尊(御子神)・豊玉姫尊(御子神のお后)・鵜 草葺不合尊(御孫神)・玉依姫尊(御孫神のお后)・神倭磐余彦尊(御曽孫神).   ★このはなさくや図鑑~美しい日本の桜~ - Biglobe http://www7b.biglobe.ne.jp/~cerasus/ 日本最古の書「古事記」に登場する木之花咲耶姫(このはなさくやひめ:さくらのように美しい姫の意)は桜の女神です。 「このはなさくや図鑑~美しい日本の桜~」は桜をこよなく愛する者が桜を探求するあまり、出会った一期一会の桜図鑑です。  本サイトは、桜図鑑 桜の品種データベースです。 Last update 2020/2/15 MENU 日本の桜について・桜の名前から-桜図鑑 桜の各部位・花の咲き方から-桜図鑑 桜の花の色から-桜図鑑 ※現在編集中 桜の系統と品種について   ★海援隊の盗作と、木花咲耶姫様からの神示 | 愛上王 上を向いて歩こう http://firstdoor.jugem.jp/?eid=433 2012/04/20  今朝、某ブログランキングに並んでいます記事タイトルを眺めていましたら、 パクリに関した話題らしき記事を発見。(臼さんとこですな。 今回はでかしたわ。) で、自分のこの目で確認しました所、 以前にもブログ、「イスファロン」から盗作したのが発覚した海援隊がまたヤッタようです。 今回は二つ盗作していたのが明るみになりました。 イブの地球 宇宙昆虫 2012年3月17日 10:35 http://blog.iruka.holy.jp/?eid=760 http://megalodon.jp/2012-0419-0616-43/blog.iruka.holy.jp/?eid=760   ★木花咲耶姫さまからのメッセージ - 宇宙∞sora - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/sora_666/e/509a3212085cb0c79f4dca849a980b9b 2011/08/28 久しぶりに木花咲耶姫さまがおこしでした マイラと私にメッセージをくださいました "あなた方がしていくことが やっとわかりましたね 地球上に光を降ろすのです あなた方にしかできないこと あなた方はシリウスにも魂があります" 私たちは金星やベガやシリウスにもいたようです いたというより魂の系列なのでしょうが   ★木花咲耶姫様からのスピリチュアルメッセージ | 愛とソウルメイトを引き寄せる https://ameblo.jp/romantic-alfred/entry-10878178240.html 2011/05/01 先日、 とても素敵な神社を 見つけました。 この神社は、 雑誌や本などでは 載っていないので、 あまり有名な神社ではないのですが、 すばらしい神社です。 その神社には、 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと) が祭られていて、 木花咲耶姫様の像があります。   ★【再掲】発展の歪 : 木花咲耶姫様の御神示 http://konohanasakuya.blog.jp/archives/1479919.html 2015/04/14 文明の急速なる発展の歪みは今この世に表れんとす。 便利なる物品あふるるは人間の知恵深きゆえなれど、便利さと共に失いたるものも多かりなん。 そのつけは時に人間の想像を遙かに超え表るるなり。 重大事が起こる前に、文明の過ちに気づきて改めねばならぬ。 人が撒きたる毒による病も、今表面化したるはまだまだ氷山の一角。このままなれば、人が撒きたる毒にて人が滅びる恐れありと悟るべけれ。 文明栄え、便利になるは悪しきにあらず。 宇宙の理に適う文明なれば、人の命を疎かにすることはなし。   ★木花咲耶姫からのメッセージ | 本質からの喜びへと還ろう https://ameblo.jp/purna-aqua/entry-12316693267.html 2017/10/04 富士山リトリートツアー ~ Part4~ のつづき、まとめですkira* こちらの記事 たくさんの方にお読みいただきました。 それでは、最終章を・・・ 必要な方へと届きますように   ★大山祇神社 「木花咲耶姫」と「瀬織津姫」が同一と言われる理由  https://makild.exblog.jp/16302761/   2011年 10月 30日 昨日は、大山積神に5つの名前があるということをお話しました。 そして、716年、宮浦の本宮が���成した時、一緒に、4つの神社が建てられ、その神社の神々は、5つの名前があるという、本当の意味の神々の神社だった。 かなり長い文章になってしまい、よくわからなかったかもしれませんが、根本の考えは、5つの神の名前があるということです。 それが、古事記の中での名前と、それと同じ意味を持つ、本当の神の名前の神社だということでした。   ★木花開耶姫:玄松子の祭神記 https://genbu.net/saijin/konohanasakuya.htm 木花開耶姫   このはなさくやひめ 別名 木花咲弥姫命:このはなさくやひめのみこと 木花之佐久夜毘売:このはなさくやひめ 神阿多都比売:かむあたつひめ 豊吾田津媛命:とよあたつひめのみこと 神吾田鹿草津姫命:かむあたかあしつひめのみこと 許乃波奈佐久夜比売命:このはなさくやひめのみこと 酒解子神:さかとけのみこがみ   ★古事記の日本神話『コノハナサクヤヒメ』をラノベ風に現代語訳して http://kojiki.co/nihonshinwa/episode32.html 日向に建てた宮殿で国造りを進めながら、ニニギは立派な大人へと成長した。 そんなある日、高天原から葦原の中つ国まで案内してくれたサルタビコが、故郷に帰りたいと言い出したので、ウズメに送らせることにした。 そのついでに、ウズメが1人でサルタビコに声をかけた時の勇気を称えて、名前をあげた。   ★コノハナサクヤヒメ - 日本神話・神社まとめ https://nihonsinwa.com/page/75.html オオヤマヅミ神の娘で、天孫ニニギ命と結ばれて、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を産む。姉はブサイクで頑丈なイワナガヒメ神(石長比売)。燃やした小屋で出産したことから火の神ともされ、古代ではバリバリの活火山だった富士山の浅間神社の祭神でもあります。花とその儚さを体現した美しい神。父のオオヤマヅミ神が酒を造ったことから酒造の神として一緒に祀られることも。
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hi-highmt · 6 years
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5年振りの御岳山
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5年振りに奥多摩の御岳山・ロックガーデンを巡ってきました。 この夏は、仕事が忙しかったり暑すぎたり台風直撃だったりで山に行けず、私は5月末の陣馬山以来の約4ヶ月ぶりの山行となりました(他の皆さんは3ヶ月ぶり)。
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そんな訳で、比較的緩めのリハビリコースとして選んだ御岳山ですが、この長い石段と、その前の参道の茶店の手前の坂がかなり急だったのを忘れていました…(今回も勿論バス&ケーブルカー利用です)。
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以前にもご紹介したカッパの拷問風ベンチ。
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この石工さんの遊び心のお陰で、長い階段も楽しめる…。
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でも気付かない人は全く気付かないようで…。
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新しく、ワンコの拷問風ベンチも仲間入りしていました。
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長い石段を登り切ったら、武蔵御嶽神社の本殿です。なかなかカラフル!
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本殿の正面には日の出山が見えます。
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本殿の裏手には、前回登った奥の院を望む遙拝所が。奥の院は霧が掛かってハッキリとは見えませんでしたが、それがかえって神秘的でした。 ここが本日の最高地点、929m。
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参拝の後は、ぬかるんだショートカットコースで長尾平の分岐へ下り、ロックガーデンを目指します。
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この辺りから、沢や苔が登場し始めます。
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一昨日降った雨が残っているのか、道には水溜まりも出来ていました。
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苔むした大きな岩の横を通り抜けて少し歩くと…
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出ました、七代(ななよ)の滝!心なしか、以前来た時より水量が多いような。
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苔とのコントラストも綺麗です。
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ちょっとグラつく板を渡って、次は天狗岩を目指します。
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御岳山でキツイのは最初の石段だけ…と、何故か記憶から抜け落ちていたのですが、この鉄のハシゴのような階段も、結構な心臓破りの急角度の階段でした(しかも長い)。
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終わった!と思ったらまたハシゴ…。そして登りきった頃には掌が鉄臭く…。
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で、これが天狗岩。手前の男性の頭の位置で、その大きさを推し量っていただけるかと思います。左手には鎖が付いていて、1番上まで登れるようですが階段でバテていたのと岩が濡れていたので、今回はやめておきました。右上に黒っぽいカラス天狗の銅像があるのが見えるでしょうか。
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天狗岩を通り過ぎたら、いよいよロックガーデンに入ります。 沢沿いの道は、ちょっと滑るけど水音が気持ち良い♫
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この辺りの水は、あまり冷たくありませんでした。
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屋久島の白谷雲水峡にも似てますが、こっちは道が完全に整備されていてスニーカーでも歩ける感じです。
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夏場の低山ハイキングコースとしてピッタリですね〜(今日は気温低いけど)。 そう言えば、昨年の9月は御岳山の北側、海沢園地を歩いたんでしたっけ。
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そして、前回と同じく東屋の付近でランチ休憩。冷えた体にフリーズドライのお味噌汁が美味しい…焼き茄子最高!そして見上げると緑が美しい!
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何だか寒くなって来たので、予定よりも20分ほど早めにランチを切り上げ、綾広の滝を目指します。栄養補給したせいか足取りも軽い♫
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禊ぎの滝行に使われる綾広の滝には鳥居が建っています。右手の岩には「禊乃門」と彫られていますね。
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ここでもまた記念撮影。人が多い山だとこれを頼めるのがありがたい…。
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綾広の滝、上から見ても綺麗です。
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今回は綾広の滝から大山への分岐へ上がり、右手の御岳山へ戻る登山道へ。 途中、新しく出来た綺麗なトイレを利用しつつ、ユルッとした道を上っていくと、奥の院からの道との合流地点「天狗の腰掛け杉」へ。面白いほどに枝が90度に曲がっています。 5年前に来た時は、ロックガーデンから鍋割山と奥の院までのロング&ハードコースでした。膝痛の全盛期だったこともあり、この杉に辿り着いた頃は結構ヘロヘロだったような記憶が…。 まぁ、翌年の奥多摩駅から愛宕山・鋸山・大岳・御岳山の縦走の方が大変だったけど。今の体力じゃあんなこと出来ないな、きっと。
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御岳山の参道にはシュウカイドウ(秋海棠)の花も。ちょっとベゴニアに似ています。他にも、曼珠沙華(彼岸花)など色々な花が咲いていたのですが、撮り忘れてしまいました〜。
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下りも勿論、ケーブルカー利用です。以前来た時は貰った覚えのない記念乗車券(入場はICカードで)。何故か登りのものの方がしっかりとした材質でした。
御岳山はバスとケーブルの乗り継ぎ時間などを考えながら歩かなければならないのが面倒でだけど、やっぱり楽しい!今度は日の出山にも行きたいなぁ。
帰りは青梅線の河辺駅で途中下車し、「梅の湯」でサッパリして帰宅。久々の山女子会、何とか雨にも降られずに下山出来て良かった良かった!
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hi2shinji · 7 years
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南船北馬の精神史 老荘思想 / 道教 - 古代中国の思想史 - 福永光司 (元京都大学人文科学研究所) - YouTube
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南船北馬の精神史 ー古代中国の思想史ー 
元京都大学人文科学研究所長 
福 永 光 司(ふくなが みつじ) 
大正7年大分県中津市生まれ。昭和17年京都帝国大学文学部哲学科卒。復員後、京都大学助手、高校教師などを経て、昭和36年京都大学人文研助教授、45年教授。49年東京大学文学部教授を経て、55年京都大学人文研所長となり、57年定年退官。同年関西大学教授。61年北九州大学教授、平成元年退職。荘子、老子研究の大家。近年は天皇制の思想、信仰を道教の観点から解明する論文を発表。著書に「荘子」「老子」道教と日本文化」など。 
wiki : 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%B0%B8%E5%85%89%E5%8F%B8
ききて 白 鳥  元 雄   
ナレーター: 大分県北部、福岡県と境を接する中津市。天正(てんしょう)年間に黒田如水(じょすい)によって築かれ、昭和三十九年に再建された中津城が冬の空にくっきり聳えています。江戸時代から奥平氏十万石の城下町として栄えた面影を今に伝える町です。中津城からは北に周防灘(すおうなだ)、東に国東(くにさき)半島、南に耶馬渓(やばけい)の山々を望むことが出来ます。今日お訪ねする福永光司さんは、大正七年にここ中津市でお生まれになり、京都大学で中国哲学を専攻され、特に老荘(ろうそう)思想の研究で知られております。京都大学、東京大学などで教鞭を執られた後、昭和六十一年から、故郷へ戻って研究を続けておられます。市内南高瀬のお住まいで、温かいコタツに当たりながらお話を伺いました。  
白鳥:  こういう柔らかい陽射しに包まれ��畳のお部屋で、漢籍を丹念に読んでいらっしゃるお姿などは、どうも帰るべき故郷(ふるさと)を持たない私から言うと大変羨ましいんでございますがね。     
福永:  ええ。一応、郷里に帰ることが出来て、非常に静かなところで、その点は帰って来て良かったと思っております。   
白鳥:  それにしても膨大なご本ですね。 
福永:  そうですね。あるのは書物ばかりで。ちょっと農村の中では奇妙な感じです。私はこの村で生まれ育ったんですけれども、五十年程離れていましたから、ちょっと村の人たちと違和感がありまして。   
白鳥:  ああ、これはしょうがないですね。   
福永:  私としてはゆっくり書物を読めますし、東京や京都のような騒がしさとか、同僚との言い争いや、負けん気を起こすことも憎みあうこともありません。その点は非常にいいと思います。   
白鳥:  このお部屋に入りまして、先ずこの額がパッと目に入ってきましたですね。これは賢治という署名から見ると、宮沢賢治の言葉なんですか。   
福永:  ええ。言葉は宮沢賢治の言葉ですけれども、書いたのは宮沢賢治じゃなくて、私の京都大学学生時代からの友人で、素晴らしい��を書く人がいまして。この額が目に入りましたので「是非譲ってくれ」。      
風とゆききし 
雲から 
エネルギーをとる 
「風と雲というのは、これは荘子の逍遙遊の哲学のキーワードなんだから」ということで譲ってもらったんです。   
白鳥:  そうですか。 風とゆききし雲からエネルギーをとる   
福永:  はい。風の文学というのは、中国では荘子から始まるんですね。それから雲の文学もやはり荘子から始まります。荘子の言葉で言いますと、        
千歳(せんざい)世を厭(いと)えば去りて上僊(じょうせん)し、  
彼(か)の白雲(はくうん)に乗じて帝郷(ていきょう)に至らん        
(『荘子』天地篇)   
「千歳(せんざい)世を厭(いと)えば去りて上僊(じょうせん)す」。白い雲「白雲に乗りて、帝郷(ていきょう)に至る」。
帝郷は皇帝の帝という字と故郷(ふるさと)の郷(きょう)ですけれども、これは上帝すなわち神の世界と言う意味ですね。不老不死の神仙(しんせん)世界という意味で、白い雲に乗って神仙世界に行くという意味なんですけれども。   
白鳥:  成る程。   
福永:  はい。結局、現実世界と天上の神仙世界との交通手段という問題ですが、一番古いのが雲ですね。雲に乗って行き来するということ。それから今度は動物の龍に乗って、行き来するということになって、そこで雲と龍のコンビネーション(Combination)雲龍(うんりゅう)が成立します。   
白鳥:  はあ、成る程。   
福永:  それから、今度は鳥がその次に来て、鳥のなかでも鳳(おおとり)から鶴ですね。鶴に乗って仙人が神仙世界に行くというふうに。   
白鳥:  そんな絵も見たような気もありますですね。お目出度い絵で。   
福永:  ええ。そして今度は雲と水のコンビネーションで逍遙の遊びを実践する、これは後に禅宗の雲水(うんすい)という言葉になりますけれども、もともとはやはり荘子がルーツですね。   
白鳥:  成る程ね。「風とゆききし 雲からエネルギーをとる」。   
福永:  ということで、一番のルーツは老荘の哲学です。   
白鳥:  その言葉に惚れ込んで、これを。   
福永:  ええ。是非にということで。それから私も若い時にはやはり風と行き来し、雲からエネルギーを取るということで、つまりこれは風雲児という中国語にもなりますけれども。   
白鳥:  成る程ね。   
福永:  はい。九州の田舎から、風と雲を望んで広々とした世界に出たいという、そういう願いをもっていましたので、「この額を是非」と言って貰って来たんです。   
白鳥:  そうですか。成る程。そういった意味では、『荘子(そうじ)』という本を書いた荘子、或いはそれの先輩に当たる老子ですか。この老荘の思想というのは、いまその風とか雲というのは象徴だというお話がありましたけれども、基本的にはどういう考えなんですか。   
福永:  それはやはり”道(みち)”という言葉ですね。道路の道(どう)という言葉ですけれども、これは分かり易く言えば、”命の根源”ということです。これは京都の哲学界などで、”真実在(しんじつざい)”というふうな言葉にも訳されていますけれども、万物を万物として成り立たしめている根源的な真理。要するに万物はそれぞれ命をもって生きている。その万物の命の根源。これが道ということですね。中国ではダオ Dao と発音します。ヨーロッパでは Tao タオですね。タオイズムのタオ。   
白鳥:  日本ではそのように道(どう)とか、道(みち)とか。   
福永:  ええ。真実在と言っても、森羅万象(しんらばんしょう)の根源にあって、森羅万象、勿論、人間をも含む”森羅万象を森羅万象として、存在せしめている根本の真理”ということで、分かり易く言えば、私は”命の根源”という言葉で表現出来ると思います。   
白鳥:  全ての存在を存在せしめている真理という。   
福永:  根源的な真理ですね。   
白鳥:  根源的な真理ですね。   
福永:  その根源的な真理は働きをもっているわけですね。ですから荘子の哲学の場合には、道は変化の流れというふうに、流れとして捉えていきます。私達が学んだ京都の哲学界では、西田幾多郎先生のように、”生命の流れ”という言葉で表現されます。”真実在(しんじつざい)”ということも、実は西田幾多郎先生が最初に荘子の道を”真実在”という新しい日本語で訳されたんだと思います。   
白鳥:  今の一切存在を一切存在たらしめている根源的な真理、そういったある一種の超越的な存在というのをよく神という形で観念する、そういう宗教というのは多いんですよね。そうじゃなくて荘子では真理という言い方をしているわけですね。   
福永:  ええ。真理という言い方ですね。荘子よりも前に孔子さんという、これは儒教の開祖にされる方ですけれども、その方の場合も、やはり道という言葉を使いますけれども、孔子さんの場合の道は、先王(せんのう)の道とか、君子の道とか、支配者として多くの人達の人の上に立って、支配していく場合の理想的な人格という意味で、君子と呼ばれる。君(きみ)という字が付いていますから、これは人の上に立つという支配階級という意味を同時に含むわけですね。支配者として人々を治めていく立派な人格をもった人を君子と呼び、その君子のあり方が道(みち)ですね。   
白鳥:  そういうところから道徳律みたいなイメージが出て来るんですかね。   
福永:  そうです。しかしその君子の道は後生の人が勝手に作るんではなくて、先王の道、ずっと中国の古くからの理想的な支配者、帝王、天子(てんし)さんが作られたものなんですね。   
白鳥:  そうすると、その老子、荘子の言った道、それとはちょっと違うものですよね。   
福永:  違うんですね。だから儒教の場合でしたら、やはりこれは家族制度を基盤において、祖先崇拝ということが重要視され、その祖先は天の神と繋がるというふうに考えられる。天の神、これを上帝(じょうてい)、上の帝王(ていおう)と書きますけれども、上帝とか、天帝とかいうふうに呼んで、その天の神の委託を受けて、地上の皇帝が出現してくるというふうに説くわけですね。   
白鳥:  成る程。老子、荘子の場合にはそういう孔子の考え方とはちょっと違って、むしろ道というのは別な一種の観念とか、概念とかというふうな、そういったものに使っていると。   
福永:  そうですね。   
白鳥:  そういう老子とか荘子、これは確か西暦紀元でいうと、紀元前四世紀とか、五世紀という方なんですね。   
福永:  孔子さんの場合が前六世紀、荘子さんの場合が前四世紀ですね。老子はずっと中国では伝統的に孔子さんの師匠ということになっていますから、孔子さんよりも先輩ということになります。ただし今残っている『老子』という書物の成立は、大体、前三世紀の頃であるというのが、一般の定説みたいになっております。   
白鳥:  そうですか。その老子とか、荘子、つまり老荘思想と言われて、思想家であり哲学者なのですね、神様というような超越者の存在ではない、そういう基本原理としてのタオ、道という観念が生まれたのは何故なんですか。   
福永:  ええ。それは結局、孔子さんの儒教の場合は、人間とは何かを為す存在であるということで、何を為すか、如何に為すかという”為す”に重点をおく。これは作為もしくは有為という中国語を使いますけれども、何を為すかということを一貫して重視する。孔子さんの教えは要するに「有為の教え」である。   
白鳥:  有るという字に為すという字で、有為(ゆうい)。   
福永:�� 「為すこと有らん」というのは、これは孟子の言葉で、『孟子』という書物の中に見える言葉ですけれども、儒教は有為の教えであるとされる。しかしこれは一種の理想ですから、現実にはその通りにいかない場合がある。例えば親が亡くなったら、子は三年の喪(も)に服し、その間は夫婦の交わりをしてはならないとか、いろいろな細かい規定があるんです。実際に三年間それを守るということは不可能ですから、結局、表と裏の二重帳簿式の一種の誤魔化しが横行するということになります。そういう誤魔化しをもう一度根本から洗い直すということで無為の教えが説かれる。出来るだけ人間のすることを切り捨てていって身軽になるという切り捨ての方向ですね。有為の教えというのは積み重ねの努力を積み重ねていく。それに対して、出来るだけ切り捨てていって身軽になる生き方。それで道というものが人間を含む一切万物を一切万物として、成り立たしめる根源の根源であるということになります。ですから儒教で上帝とか天の神とか言えば最高の存在ですけれども、その最高の上帝や天の神をも天の神として、成り立たしめる根源の真理がタオであるということになって、上帝や神を上帝や神として成り立たしめる根源の根源の真理がタオということですから、つまり宗教を宗教として成り立たしめる根源の根源の哲学的真理とでも言ったらいいかと思います。   
白鳥:  成る程。儒教が人のあり方というのは、つまり人の存在をいわば前提として、こうあるべきだというような形の一種の道徳律への教えと。   
福永:  ええ。そうですね。儒教の教えは政治倫理の教えという言い方もされます。   
白鳥:  それに対して道の教え、道教という言い方もありますけれども、道の教えの方はそうじゃないんだと。人間というのはもっと根源的に考えると、こういうものなんだということなんですね。   
福永:  宇宙と人間の根源にある真理は何かと。   
白鳥:  しかも人というのは相当混沌(こんとん)たるものだと、そんな綺麗ごとでは済まないんだという。   
福永:  ええ。そうです。それは実際に偽善が横行する社会であると同時に、戦国時代という戦争に明け暮れて、丁度、戦争に駆り出された私達と同じように、朝起きたらその日の命があるか、ないか保証はないという、そういう状況の中で人間とは何か、自分が生まれて来たということはどういう意味を持つのか。やがて死ぬということは大きな流れの中で、どういう意味を持つのか。人間とはどこからきて、どこへ行くのかとか。そういった問題を考えざるを得ない状況に置かれて、道の哲学が成立したというふうに考えたらいいんではないかと私は思います。   
白鳥:  そうですか。   
福永:  一番の老荘の哲学のスタート点は、この自分の命というのがどのようにして成立したのかということ。それからこの命を全うする為にはどのようにしたらいいかということで、これは荘子の中の言葉ですけれども、「生を全うし身を保つ」「全生(ぜんせい)保身(ほしん)」ということが、それで道教の最高の理想だというふうに説かれているんですね。   
白鳥:  「全生保身」。   
福永:  「全生保身」。完全の全という字に、生命の生という字、それから保健の保つという字に、身体の身ですね。   
白鳥:  全生保身。   
福永:  ええ。全生保身。この保身という老荘哲学の言葉に対して、孔子さんの儒教の方では、これは少し極端な言い方ですけれども、『論語』の中に「身を殺す」という。「身を保つ」に対して、「身を殺して仁を成す」。儒教の最高の理想は”仁”ですから、それに対して老荘の哲学の場合は政治倫理だとか、経済軍事とか、いろいろなことを言っても、それはその時、その時のいろんな状況で変わっていくけれども、一番大切なことは”人間の命を最高の価値”とするということですね。政治も経済も軍事も全て命を全うする為に考えられなければならない。命を全うする為のサーバント(Servant)でしかないんだと。それを逆に、政治倫理の為に命を捨てるということを説く教えは、どこかずれているんではないかというのが、老荘の立場ですね。生を全うするということ、そしてこれは老荘の重要な要素である身体ですね。ここで身(み)をというのは身体(からだ)なんです。身体を非常に重視するんですね。生身の身体で命を考えていく。ですから医学と結びつき、薬学と結びつくわけですけれども、漢方医学というのは、もともと道教から始まるんですね。ですからそういうふうにして、同時に老荘の哲学は荘子の段階で生老病死、人間が生まれてくるということは、どういうことなのか。それから歳をとるということはどういうことなのか。それから病むということはどういうことであり、やがて死を迎える死とはどういうことなのかということに対して、一つの哲学が整理さ れるわけですね。それは『荘子』という書物の中にありますけれども、老荘の哲学の根本ですね。   
白鳥:  儒教がいわば忠孝、そういう仁という一種のイデオロギーですね。それへの忠誠というのかな、それへの献身を最大限の徳目としたのに対して全く百八十度違う。   
福永:  ええ。そうです。ですから儒教の立場から言えば、とんでもない思想ということで危険な思想であると。   
白鳥:  反体制ですね。   
福永:  だから、かって私もそういって、それは「お前の同調している、老荘の哲学というのは大変危険な思想である」というふうに、忠告されたこともあります。ただしかし、老荘の場合は今言ったように生を全うすることを根本として、生を全うする為にはどのようにしたらいいかということで、先ず最初は、鬼の道、鬼道とか、或いは巫女(みこ)さんの道、巫術(ふじゅつ)とか、呼ばれて、つまりシャーマニズム(Shamanism)ですね。シャーマニズムからスタートするんですね。神様にお願いするということでスタートするんですけれども、そのうちにやはり人間の自力で開発しなければならないということで、医学薬学が第二の段階で展開していきます。それから第三の段階で医学薬学というのは技術的な問題で、それよりも一体命とは何なのかという命の哲学が、第三段階で出て、人間の命というのは宇宙の大きな命の流れ、そこから個の命が生まれてきて、一定期間この世での生活を過ごすと、生まれる前の宇宙の大きな命に帰っていくんだという命の哲学が完成するんですね。しかし今度は第四の段階で、しかし命を全うするということを現実の世界で実現しようとすれば、やはり政治の良し悪し、それから経済の問題、それから社会のあり方、それから軍事や技術というふうな、また戦争と平和というそういう問題を考えなければ命を全うするという問題は解決出来ないんだというふうに中国で大体五世紀頃から、そういう考え方になって、そこで儒教との接合点が出来るわけですね。   
白鳥:  ああ、成る程。つまり社会問題と政治的な問題とその解決のための実践論ですね。   
福永:  ええ。ですから、四世紀を境にして、それまでの老荘や道教の哲学というのはこれはいわば反体制で体制を批判する側だったんですけれども、四世紀、五世紀の頃から体制内に変わる。そして唐の時代のように皇帝の宗教に道教がなるわけですから、そこのところは一応区別しなければいけませんけれども。生老病死ということから、命を最高の価値として、その命を全うするということを最高の目標にして、政治も軍事も科学技術もみなそれのサーバントであるという位置づけをしなければいけないというのが、老荘の「道」の哲学です。   
白鳥:  つまりその身を保つということは、今ある存在そのものを、つまりしかるべく生まれた道という真理によって生来した人の存在そのものを大事にするんだ。自分の命だけの問題じゃなくて、存在そのものを大事にするんだという、こういう思想なんですね。   
福永:  そうですね。分かり易く言えば、命を身体で捉えるということですね。霊魂とか、非常に抽象的な死後の安らかさとか、そう言った問題よりも、生身の身体で命を捉えていく。その為に医学が必要であり、薬学が必要であり、いい政治が必要であり、いい科学技術が必要である。しかしそれらは全て、生を全うする為の補助手段なんだという考え方ですね。それを本末転倒して政治的なといっても、実際はある特定の皇帝だとか、政治権力者の敷いた路線に従わないものは全部悪として、殺してしまうというようなやり方ではなくて、政治は如何にしたら人類の命を全うすることに役立つか、科学技術というものも、あくまで命を全うする為の一つのもっとも有効な手段として、位置づけられなければいけないのに、科学技術が独走してしまって、人間が科学技術のサーバントにされてしまうような世の中は、非常におかしいんではないかというのが老荘の「道」の哲学の立場なんですね。   
白鳥:  成る程。先生、いまお話を伺っていると、とにかく儒教というのは、あれは漢の武帝あたりですか。   
福永:  孔子や孟子の儒学が漢の武帝の時代から現実の政治教化の中に組み込まれて儒教となります。   
白鳥:  国家的な儒教として、   
福永:  ええ。そうです。   
白鳥:  儒教とそれに対抗する道教ですね。道の教えというものが、これはやっぱり中国文化、或いは中国の思想というものの中ではこの二つが綯(な)い交ぜて。  
福永:  そうですね。相反するようですけれども、互いに助け合うという面もあるわけですね。それから初めの間は、例えば西暦前三世紀に書かれた『荀子(じゅんし)』という書物の中で、老荘の哲学というのは、これは「天を知って人を知らないものだ」と批判するのに対して、老荘の哲学の側からは儒教というのは「人を知って天を知らないもの」と批判しますね。非常に上手く対照しますけれども、   
白鳥:  お互いにこう批難の応酬と言いますか。   
福永:  宇宙大自然の中に人間を位置づけて、人間とは何かを問うという点では、老荘の哲学は優れているけれども、現実の世界を秩序づけ処理するという点から言うと、全然無能力だという批判に対して、老荘の哲学の側から、これは『荘子』の中にもそういう意味の言葉がありますけれども、孔子さんを開祖にする儒教は、現実の人間世界を秩序づけ処理をすることは実に上手い。けれども、人間とは本来何であるのかとか、人間を人間として成りたたしめている大きな宇宙的世界については、つまり、具体的には生老病死の哲学については、何の答えも出せないという批判で対立するんですけれども。先程申しましたように、四世紀、五世紀の頃から、皇帝はこの道教の信者になるという現象が出て来まして、結局皇帝の不老不死の欲求と道教が結びつくわけですけれども。そういうふうにして皇帝であっても、公的な政治的人格としては、秩序の形成者、つまり儒教を信仰するけれども、プライベートな個人の生活では、道教の信者になるというふうにして、同じ人格が道教と儒教を合わせ持つという現象が中国文化の中で五世紀以降出て来るわけですね。   
白鳥:  ほんとにこう上手くない交ぜて、時にはある一人の人格の中に二つが入り込む。   
福永:  ええ、だから定年までは儒教であるけれども、それが定年になって在野の人となれば老荘の哲学、或いは道教の信者になるというケースが中国では非常に多いですね。   
白鳥:  そうですか。福永さんは昨年、こういう儒教の文化と「道」の哲学の対比。 それと中国でも北と南の文化を対比的にお捉えになって、”馬の文化”と”船の文化”と、こういうネーミングをされましたですね。これはやはりこう全てが対応しているというふうに考えてよろし いんですか。   
福永:  ええ、対比して考えていいと思いますけれども。私は大正七年、一九一八年の生まれですけれども、ずっと満州事変からこのかた戦争の時代に生まれ育ちました。そして実際に戦場にも行きましたが、私が行った戦場は中国の南の方ですね。広東省(かんとんしょう)から福建(ふっけん)省、海南島の海岸に近い地域の警備をする為に駐屯していたんですけれども、戦争の時代ですから、私達は徹底して、九州は特に徹底して儒教の教育訓練ですね。「身を殺して仁を成す。敵陣に突っ込んでいくことを君の為、父の為に、つまり忠孝の道徳の実現の為に、一命を擲(なげう)って、倒れて後止むというのが、お前達の最高の生き方なんだ。最高の死に方なんだ」という教育で、徹底的に訓練を受けました。戦場は中国南方の臨海地域で、この地域は実は孔子さ���を開祖にする儒教よりも、老子や荘子を開祖にする道教、或いはそれの元である老荘の「道」の哲学。そういうものが非常に支配的な海原の文化、私は「船の文化」と呼んでいますけれども、その地域に駐屯して生活しています中に、中国の南の方の海の近くの漢民族以外の少数民族と呼ばれている人達の生活の仕方が、私の生まれ育った九州の東部の人々の生活の仕方と非常によく似ていますので、私は倭寇(わこう)の子孫がここに定着しているんじゃないかと、初め思ったんですけれどもね。一年経ち、二年経ちする中には、そうではなくて、むしろ私たちの祖先がこちらから移住してきたかも知れないという、そういう考え方に変わりました。   
白鳥:  中国南部から日本へ。   
福永:  それから中国の文化に大きな二つの流れがあるということに気が付きました。二つの流れというのが、その一つは南の船の文化、海原の文化ですね。もう一つが北の馬の文化。これは西暦前二世紀の漢の武帝の頃から、儒教と結合します。それから南の船の文化の方が老荘の哲学と。これは前二世紀に書かれた『淮南子(えなんじ)』という書物の中で確認されます。ここでは、既に老荘の哲学と、船の文化とが結合されていて、たとえば『荘子』列御寇篇に記述されているように老荘の理想的な人格というのは、丁度「繋がれざる舟の如し」、岸壁に固定されていない舟が波間に自由に揺蕩(たゆた)う、そのような揺蕩(たゆたい)を持つ自由人であると説明しています。その揺蕩(たゆたい)というのが、これは遊びの文化であり、同時に自由の文化であるというふうにして、老荘の「道」の哲学と結合していくんですね。   
白鳥:  はあ、まさに船を一つの喩えにして、   
福永:  そうです。それから海原を根源的な真理と老荘の哲学で説く。道というのは、分かり易く言うと、それは海原だと。道は���てしなく広がる海原のようなものであるという説明が、これはやはり『荘子』(知北遊篇)の中に出て来ます。そしてまた、老子の哲学で、最高の善は君主でも家父長でもなくて、これは水である。   「上善は水のごとし。・・・水は道に幾(ちか)し」 という老子の言葉(『老子』第八章)がありますけれども、   
白鳥:  水は道に幾し。   
福永:  ええ。そしてこの言葉の上文に「上善(じょうぜん)は水のごとし」とあります。   
白鳥:  それくらいに、中国と言うと、私達は一つに考えてしまうようですけれども、そんなにやっぱり北と南、そして考え方も違うわけなんですね。   
福永:  それを私は大体、次に述べるような七つの点で一おう区別しておりますけれども、その第一番目は”秩序と混沌”、或いは”渾沌(こんとん)”とも書きますが、   
白鳥:  最初におっしゃったコスモスとカオス。   
福永:  まずコスモスですね。秩序という中国語は儒教の古典の『周礼(しゅらい)』という書物の中に初めて出て来る中国語ですね。それから秩序と関連して”条理””不条理”という言葉がありますけれども、条理という言葉、これは『孟子(もうし)』の中の言葉ですね。筋道(すじみち)、筋を立てる、筋を通すという意味の条理という中国語を最初に使ったのは『孟子』(万章篇)で、孟子は条理すなわち秩序だてるということは、聖人の教えの根幹を成す言葉だという意味のことを言っております。それに対して、老荘の方はカオスという言葉、混沌(こんとん)ですね。これは三水偏(さんずいへん)に、軍隊の軍の字を書く場合もありますけれども、意味は混と同じです。これは生きているもの、生きてあること、或いは命の営みを説明する言葉として『荘子(そうじ)』という書物の中で最初に使われる言葉ですね。人間が生きているということは、これは秩序だったところもあるけれども、どうしても秩序では捉えきれない何かが残るんだということですね。どうしても割り切れないものが、命の営みの中にはどうしても残るんであって、これは論理学などでいう矛盾という言葉ですね。形式論理学の矛盾ということでは到底捉えきれないカオスの状態。   
白鳥:  そういうものは条理や秩序なんていうことを大事にする立場からは、とても許せないことなんですね。   
福永:  許せないことですけれども、   
白鳥:  老荘の人達は、それをそのままカオス、混沌のまま受け取ろうじゃないかと、   
福永:  そうですね。やはり命の原点というものを大事にして、秩序も大事だけれども、その原点を押さえて、そこから秩序というものを、絶えず見守っていくということが必要であって、秩序というものは、一度出来上がってしまうと時間の経過とともに形骸化してしまう。そういう性質をもっている。つまり老荘の哲学では、人間の作ったものはどんなに完璧なもののように見えても、何時かは崩れ去り、滅び去っていくものだという、そういう考え方があるわけですね。しかし命をもっているもの、特にこの天地大自然、大宇宙の命の流れというものは、そういった人間の作ったものを越えたところにある。しかしそれは矛盾だとか、対立だとか、そう言った秩序の論理では説き尽くしていけない混沌とした要素を絶えず残している、それが生きていること、命というものの本質であり実態であるというふうに説くわけですね。   
白鳥:  これはまた本当のコントラストをなしておりますですね。   
福永:  そうです。その次の第二は道と関連しますけれども、老子の哲学では、「道は万物の母」という言葉がありますけれども、儒教の場合でしたら、例えば、儒教の古典の『書経(しょきょう)』という書物の中では「天地は万物の父母(ふぼ)」父(ちち)、母(はは)となって、母の上に父がのっかってくるんですけれども、老子の哲学の場合には天地万物の母であって、父がないんですね。ということは道は女性的なものが根源であって、男性的なものではなく、母として女性として表現されるということ。 これは儒教が父系制社会を基盤にし、道教が母系制社会を基盤に置くというのと対応しますけれども。それから、第三に老子は道をまた天の道、天道(てんとう)とも言いますから、そこで今、日本語で「お天道(てんとう)さんは」という、お日様(ひさま)のことですね。で船の文化では太陽という言葉を使わずに日輪(にちりん)という言葉を使ったり、今、日本語のお日様ですね。そのお日様は女性と考える。それからお日様の赤い色、これも女性と考えますね。いまNHKの紅白歌合戦で、紅というのは、これははっきりと女性ですね。しかし、私の小学校時代では、中津は江戸時代、奥平(おくだいら)藩の城下町でしたから、士族の子孫の人達がかなりいて、士族の人達は儒教の勉強を江戸時代からずっとやっておりますから、従って、お日様は太陽で、太陽の陽は男性ですから、はっきりとお日様を男性と考えるわけです。そして、お日様の赤い色、これは中国共産党の赤い旗もそうですし、日本の旧軍隊でも、赤い真心(まごころ)、赤誠(せきせい)という言葉が戦争中によく流行りましたけれども、あれは男性と繋がる言葉ですね。   
白鳥:  赤は男の色だと。   
福永:  それは儒教の立場、馬の文化の立場からはそうですね。しかし船の文化の立場では、お天道さんは女性ですね。古事記の天照大神(あまてらすおおみかみ)ははっきり女性と書いてありませんけれども、日本書記では「須佐之男命(すさのおのみこと)の阿姉(なね)」とはっきり書いてありますから。   
白鳥:  女性神ですよね。   
福永:  そういうことで、お日様を男と見るか女と見るかということで、一応中国の文化が二つに分かれる。それからその次の第四は、これは右と左の問題ですけれども。今、日本の人達、男も女も私のように和服の場合は、必ず左の襟を右の襟の上にして着ます。これは中国語で左衽(さじん)、左という字に、衽(じん)は衣扁(ころもへん)に壬申(じんしん)の乱の壬(じん)という字を書きます。これは『論語』の中で左衽は野蛮人だという意味のことを孔子さんが言っておりますけれども舟の文化では左が上位。左大臣が右大臣よりも上位です。これに対して馬の文化、儒教の文化は、いま日本の社会であの人の右に出る者はないという言葉がありますけれども、右上位ですね。   
白鳥:  私達が和服を着る時には、左上位になっておるわけですね。   
福永:  ええ。左上位です。中国でも道教や仏教のお坊さんは左衽(さじん)ですね。   
白鳥:  左が上。   
福永:  それで右を上位にする支配階級、儒教の人達の命令を聞かない人が「彼奴(あいつ)は左巻(ひだりまき)だ」「彼奴の家は左前(ひだりまえ)だ」とさげすまれる。これは儒教の文献『礼記(らいき)』にはっきりと「右を尊しとし、左を卑しとす」と書かれておりますですね。   
白鳥:  右左(みぎひだり)も何か随分典型的な差が出て来るんですね。   
福永:  そうですね。それから第五に奇数と偶数もそうですね。日本の場合でしたら、いまも七五三行事というのが、盛んに行われていますけれども、このように奇数を重んじるのは元々中国の船の文化ですね。老荘の「道」の哲学、それを踏まえた道教という一種の宗教の儀式などで、人間の命の成長を、三の節目で押さえ、五の節目で押さえ、七の節目で確認していくという、そういう考え方があります。それが日本の古事記の神生み神話の中に取り入れられて、「三柱(みはしら)の神から別天神(ことあまつかみ)の五柱(いつはしら)、神世七代」というふうに神話の展開も、三五七になっていて、これが神(じん)社(しゃ)神道(しんとう)で、七五三行事になって、現在まで続くわけです。これは老子や道教の哲学の宇宙生成論で、「道は一を生じ」、一から三になって、三から五になって、五から七に展開していくという、そういう宇宙生成論が、根底に踏まえられています。   
白鳥:  やっぱり奇数が基軸になっているんですか。それに対して儒教の方は。   
福永:  儒教の方は「太極(たいきょく)、両儀(りょうぎ)を生じ、両儀、四象(ししょう)を生じ、四象八卦(はっか)を生ず」というふうに、二の倍数となっております。両儀というのは天と地で、両は二と同じですね。   
白鳥:  二、四、八。   
福永:  「八卦は万物の情(じょう)を類す」。「情を類す」というのは、真実の姿を類例的に表示するの意味です。   
白鳥:  その上は万という数字。   
福永:  ええ。そうです。老子の場合は「三は万物を生ず」。   
白鳥:  三、五、七、とこういくわけですね。   
福永:  ええ。奇数です。それに対して儒教の方は偶数ですね。日本では江戸時代は徳川幕府が儒教を採用しましたから、お祝い事は、すべて一対(つい)とするか二の倍数ということになりますね。  
白鳥:  それともう一つ先生が第六番目として挙げられたのは剛と柔という。   
福永:  そうです。   
白鳥:  これはなんでしたか。   
福永:  それが『論語』の中の「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁(じん)に近し」。   
白鳥:  ああ、これは我々の耳にも繋がっているものですね。   
福永:  硬くて強いということが、より美徳であるという感覚。これはやはり戦場に赴く男子を中心に考えたものですね。ですから硬くて強い。それに対して老子の哲学ではつまり船の文化の方では、ソフトである、柔らかいということ、しなやかという意味ですけれども。柔軟というのが元の意味ですけれども、ソフトでしなやかさを持つと、それが硬くて強いものに最終的には勝利を占める。これを老子は「柔(じゅう)は剛に勝つ」という表現をしていますけれども。それを踏まえて加納治五郎さんの講道館柔道ですね。加納治五郎さんは兵庫県の灘(なだ)の出身ですから、船の文化の地域の出身者ですけれども、「柔よく剛を制す」と。この言葉は柔道場であればどこにでも額にして掲げておりますけれども。これは老子の哲学、つまり船の文化に基づくわけですね。ですからハードなものも必要だけれども、ハードであると共にソフトの面、その両方が必要であるということですね。   
白鳥:  生老病死の感覚なんかも全然違うわけなんですか。   
福永:  生老病死の考え方は、大枠で申しますと、両者で共通しているものが多いんですけれども、やはり一番問題になる点は、儒教は家族制度を基盤において、祖先崇拝を非常に強く説いていますから、祖先のお祀りをす���のに、祖先の霊魂が存在しないという考え方は、やはり成り立ちませんから、そこでお祀りをする限り、祖先の霊魂が存在する、これは一応、天に上がっているけれども、子孫は天に上がっている祖先の霊魂を下ろしてきてお祀りをする、或 いは魂を鎮める、招魂鎮魂(しょうこんちんこん)という儀式が行われますけれども。老荘の哲学の場合は、死というのは、生まれる前の自分に帰るということ、生まれる前の自分というのは、宇宙の大きな命の流れ、それに個の命が帰っていくんだと。死とは生まれる前の自分に帰ることなんだと。そしてその生まれる前の自分というのは、これは今、和歌山県の熊野などに残っていますあの補陀落(ほだらく)(ポタラカ)渡海の信仰。仏教と結合していますけれども。それから浄土真宗の場合でしたら、西方浄土というふうに水平線上に死者の世界を考えていきます。それに対して馬の文化の場合は、垂直線上というか、上下の関係で考えていくというふうにやはり違ってきます。ここで一番問題は、六世紀の中国で大論争が起きるわけですけれども、人間の死後に、霊魂が存在するかしないかという問題。それから霊魂が存在するという側は立派なお墓や神廟を作って、祖先のお祀りを盛大にするという考え方ですね。葬式も全財産を注ぎ込んで、盛大に行うのが、親孝行だという考え方に対して、老荘の哲学の方は、個の命は宇宙の大きな命に帰っていくんだという考え方ですから、『荘子』の中では、はっきり葬式もお墓もいらないんだと説いています。天地大自然を大きな棺桶と考えればいいじゃないかというわけですね。そして自分の死体は、この宇宙空間にばらまいてやればいい。儒教のように立派な棺桶を作ったって、地下に埋めれば、いずれ虫の餌(えさ)になるだけで、鳥の餌になるのと、地中の虫の餌になるだけの違いだから、拘る必要はないというふうに考えるわけですね。   
白鳥:  成る程ね。そして先生が最後に挙げられるのが、七つ目の賢と愚ですか。   
福永:  そうですね。これはもう『論語』(子張篇)に「君子は賢(けん)を尊ぶ」、「賢(かしこ)いということを大切にする」という言葉があるのに対して、船の文化を代表する『老子』の場合には、「我は愚人の心なるかな」「私の心というのは本当に愚かで、はきはきものも言えない。そういう愚かさを私はいつも抱きしめている」というような表現になって、これが後に浄土真宗の親鸞さんの愚禿親鸞(ぐとくしんらん)の愚禿(ぐとく)ですね。愚禿の禿(とく)はお坊さんという意味ですから、そこでは人間の賢さよりも、愚かしさを厳しく見つめていく。私達みたいな海外の戦場で敗戦を向かえて、戦場でいろいろと、人間が如何に愚かで危うい存在であるかということを、本当に身に沁みて、体験してきた世代ですけれども。そういった人間の愚かさ、暗さ、危うさの凝視、賢さも勿論注目しますけれども、賢さ以上に、人間の愚かさの凝視からスタートする、これはお釈迦さんの仏教も、私は同じだと思いますけれども、わが国では浄土真宗の親鸞さんがその典型的な人間だと思います。これは今の日本の教育界とも関係して来ると思いますけれども。   
白鳥:  賢になりたい、或いはなるべきだという、そういう呼び掛けとしては分かるんだけれども、実際問題として、賢というものを立てた時に、愚というものをどう。   
福永:  そうですね。その前に、賢とはいったい何かということですね。今の日本の教育界の場合は、どうしてもアメリカのハイテクノロジーの文化と言いますか、要するに、数字の文化ですね。デジタル(Digital)のデジットというのは、これはアラビア数字という意味で、全ての文化現象をアラビア数字化していくというところから、ハイテクノロジーの文化が始まっているわけですから、その消化率の高いものほど賢いということになる。   
白鳥:  全て数字化する。   
福永:  数字化するわけですね。   
白鳥:  標準化する。   
福永:  ですから、その路線で、最も素早く能率的に行動出来るものが、これが賢なんですけれども。人間の賢さ、愚かさというのは視点や角度を変えると、全く違った情景が出て来るということになります。人間の賢さとは何かということ、これは根源的には、人間とは何かという問題と絡んできますけれども。それが同時に教育の問題、政治の問題とも密接に関連し、これからの人類のあり方とも大きくかかわってきます。そういうことから最近、アメリカでフリッチヨフ・カプラという理論物理学者が『タオ自然学』という書物を出して、ハイテクノロジーの一番の本場で今、技術とは何かという問題、それを人間の心、マインドと結びつけ、マインドとテクノロジー、この関係をどういうふうに考えるべきかということの一つの答えとして、タオイズムのタオ、中国の道教の思想哲学がクローズアップされてきていますけれども。アメリカのハイテクノロジーを最も戦後忠実に後を追っかけてきた日本の文化の場合も、やはり同じような問題が浮上してきます。これは亡くなられた理論物理学者の湯川秀樹先生が、生前によく引用しておられた『荘子』の中の言葉ですが、        
機械有る者は、必ず機事有り、      
機事有る者は、必ず機心有り。        
(『荘子』天地篇)   
ここで機械というのは、カラクリというくらいの意味ですけれども。   
白鳥:  機はマシンの機械の機を使うんですか。   
福永:  ええ。機械はマシンという意味も含みますけれども、当時はカラクリという言葉の方が適当だと思います。「機械有る者は 必ず機事あり」。「機事」は機械の機の字に、事件の事という字を書きますけれども、機械技術をすべてとする人は、全ての事物を機械で処理して、それで万事終わりだという考え方を持ちやすい。そうして「機事有る者は 必ず機心あり」、機械をすべてとする技術者は、その人の心も機械のように冷徹で、ただ物理的な動きしか持たない、生きた命の息吹を持たない心のあり方になってしまって、全く機械的に操作するようになる危険があるから、注意しなさいという言葉を、西暦前四世紀の哲学者・荘子が人類に警告しています。その荘子の言葉を生前の湯川さんが私に「凄いことを言っているなあ」というふうに、よくおっしゃっておられましたけれども、この言葉をやはり二十一世紀に向けての日本の人々は、今からやはり噛みしめていくべきではないかと、そういうふうに私は思います。   
白鳥:  全てのこういった警告を二十一世紀へのメッセージとして、私達がまともに受け止めなければいけないかも知れませんですね。   
福永:  そうですね。   
白鳥:  どうも有り難うございました。          
これは、平成九年一月二十六日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである 
以下より引用 :
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-174.htm
Shinji Nakamura's insight:
【五木寛之】この時代に必要な 『覚悟』 《学問ノススメ》vol 152 ハイライト 54分29秒 から 映像 スタート 
五木寛之の 心の師 を語る部分より。 
http://bit.ly/2B7nj1X から 
道教 タオイズム の専門家 元京都大学人文科学研究所長 福永光司 先生を知ることとなる。 
【映像 1時間】 南船北馬の精神史 福永光司  1997年1月26日 放送  
無為の教え 切り捨てて身軽になる道 ⇔ 有為の教え  積み重ね 
荘子 道教の最高の理想  生を全うして身を保つ 「全生保身」 ⇔  孔子 儒教 論語 : 「身を殺して仁を為す。」  儒教の最高の理想 は 仁
 「人間の命」 を最高の価値とする。 政治、倫理、経済、軍事 等の全ては 命を全うする為に考えられなければならない。 
命を全うする為のサー バントでしかない。 
それを逆に、政治、倫理の為に命を捨てると説く教えはどこかずれている。 
老荘の立場 人間の生身の体を命と考え、第一とする教え 「漢方医学は道教から始まる」  
儒教の反体制  4,5世紀から儒教と交わる。
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「末法味わい薄けれども教海もとより深し」資延敏雄大僧正師御遺誡
「末法味わい薄けれども教海もとより深し」資延敏雄大僧正師御遺誡 この度、資延敏雄大僧正師によります御文章「末法味わい薄けれども教海もとより深し」の御遺誡を、改めて自省として、心に留めるために、ここに挙げさせて頂いておきたいと存じます。 拙生は、常々、自らを正式な僧侶と思ったことは一度もありません。 ようやく、昨秋(平成28年11月)に、自身の「生前葬儀」として覚悟して臨ませて頂きましたダライ・ラマ14世法王猊下様御導師によります無上瑜伽タントラの灌頂を拝受することができまして、やっと正式な仏教徒となることができた浅学菲才、未熟にて愚かなる一在家の一修行者であると自覚致しております。 次生は、何とか御仏縁ありて、この世に生じることができ、できれば正式な僧侶として仏道を歩むことにより、皆様のお役に立てれる衆生済度の聖業に励めれますように、しっかりと心掛けて今生の修行の精進に努めて参りたいところでございます。 川口英俊 合掌 以下は、まず原文と、それから、原文・現代語訳(東賢性師による)対比となっております。 「末法味わい薄けれども教海もとより深し」「六大新報(2006年新年号)・巻頭文」 高野山真言宗管長・総本山金剛峰寺第411世座主(当時) 資延敏雄(すけのぶびんゆう)大僧正師 波羅夷十重多犯の愚老、四大散ずれば忽ち龍戸に転ずること必定にて、斯様な弁舌を揮うは身の程を知らず、慚愧に堪えざることながら、敢えて諷せずしてここに謇諤す。 高祖弘法大師、真言秘密の法門を讃して曰く。「顕薬塵を払い、真言庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す」と。また曰く「三密加持即疾顕」と。 しかしながら今、我ら高祖の末徒を称したる者の有り様たるや如何。真言行人に三密の鑰もて庫を開ける者なく、顕薬施して塵苦を払うの人も無し。ただ手に密印を弄んで口に真言を囀り、意三毒を刹那として離れず、ついに仏日の影、行者の心水に影ずることなし。多くは三業放縦、四無量四摂の鉤縄そなえずし���祈祷占術に専らし、邪命養身して恥じず。甚だしきは霊ありと身見・邪見し、奇妙不可思議の弁舌を振るって衆人を惑わす。煩悩即菩提、即事而真の玄旨を牽強付会し、五根に縄掛けず、五欲を恣にして華服玉食、これ大欲なりと嘯く者の夥多たること、羝羊の群れの如し。嗚呼、我ら悉く飽食暖衣、逸居して教なく、些かも禽獣に異なることなし。 また高祖大師、真言行人須く顕密二戒を堅持すべしと御遺誡され、重ねて『御遺告』の十八に曰く「夫れ以みれば女人は是れ万性の本、氏を弘め門を継ぐ者なり。然れども佛弟子に於いて親厚すれば、諸悪の根源、嗷嗷の本なり。是を以て六波羅蜜経に曰く、女人に親近すべからず。若し猶お親近せば善法皆な盡きなむ等と云云」と。 しかるに今時、我ら寺家悉く妻妾蓄えて是を常とし、寺寺に媒嫁し、相嫁して血脈一統を造り、人の寺家在家の出自を問うて軽重の別を用うる。これ佛家転じて婆羅門と堕したの証。たまさか方服を着して庫裏に居直る禿頭の類、布施無きは経を読まずと非法に信施を掠め盗り、世事に自ら参与して、貴人に好みを結んではこれを悦ぶ。伽藍に財施あれば、心地忽ち濁悪に染まり、有力の檀越あれば媚び諂いてさらにこれを求むる。 今の僧徒、悉く得度沙弥の式にて不婬を誓い、三聚戒壇に進具して不犯を重ね誓して形を沙門に比しながら、あろうことか佛前婚儀に及びてこれに毫も疑念を抱かず、「これ佛縁なり」「有り難き哉、これ如来の導きなり」と狂談して寿ぎ、なお比丘の名を騙って一向恥じぬは、世の盗賊にも遙かに劣れり。三昧耶戒にて「大師の教えの如く、我誓って修行して云々」と述べ誓う舌、妄語の斧となって己が身を裁断す。 佛陀の金言、高祖の遺戒悉く違犯するも、「我佛弟子なり、我高祖の末徒なり」と揚言するは、厚顔無恥にして傲岸不遜の極みなり。噫、「慚恥の服は、諸の荘厳に於いて第一なり」 との佛陀の遺教、寺家に於いては、今は昔の物語か。 これによって三宝の鳥、僧の声を失って羽撃くを息め、南天の鉄塔固く扉を鎖して開かず。四禅に棚引く雲は散り、魚山呂律の川は枯れ、悉曇十八の林に遊ぶ人絶えて久しい。「物の興廃は必ず人による」 との高祖の箴言まこと爾なり。今佛法の荒廃、僧徒によって甚だし。当にこれ獅子身中の蟲なるべし。是の如き因縁、釈教に照らすに歴々たり。今の真言行人、皆悉く戒法持たず、律儀備えざるが故なり。 『遺教経』に曰く、「汝等比丘、我が滅後に於いて当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは即ち是れ汝の大師なり。(中略)戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因せば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘、当に浄戒を持ちて毀犯せしめること勿るべし。若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生じることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを」と。また『四分律』等諸律に制戒の由を挙げて曰く、「正法の久しく住するを得る」 と。持戒によって正法起こり、破戒によりて末法きたること、寧ろ我らが非道によって分明なり。三密の金剛、持戒の徒にその威を現し、破戒の輩は虚しく自ら三界に掣肘す。 然りと雖も、当下扶桑に戒法相伝、行学兼備の律虎すでに悉く寂滅し、僧伽滅びて何処にも無く、求法の輩は涕涙して律幢たなびく往昔を恋慕するのみ。 或る人曰く、伝教大師、平安の昔に小律を捨て、唯受大乗戒の義を建てたる。本邦、大乗相応の地にして、しかも在家佛法にて僧儀相応の地に非ずと。また曰く、律儀は時代錯誤にして理に応ぜざるものなるが故に、寧ろ新しき僧儀を立つべしと。これ門外の徒の放言、僻事の極みなり。僧儀・戒法悉く佛説佛制にして三蔵所伝。菩薩の律儀戒は声聞の七衆別解脱戒に同じと『瑜伽論』に誠説するを聴け。また近世、北嶺に安楽の猛風起こりたる由を知れ。大迦葉尊者「佛制戒したまう所の如く、応さに随順して学すべし」と制し、鶏足入定して龍樹三会の会坐を俟つこと高祖に同じ。もし末世愚鈍の予輩が新しき僧儀なるを立つることあらば、戒禁取の咎あって、なお網呑舟の魚を漏らすこと必定なり。 また或る人曰く、妙瑞律師の昔より今に至るまで南山に有部の戒法縷々として絶えずと。このこと爾らず。現行授戒規則の不如法たるや甚だしく、通別共に授戒成立の余地寸毫も無きこと、諸律諸経論の文拠を待たずとも明らかなり。界壇の境定かならず、難遮問わず、入壇受戒者六物具えず 、十人壇上に列すると雖も持律十歳の戒和尚これ無く、清浄五夏の阿闍梨等、真出家者一人として存せぬが故なり。居るは戒に不通の猩猩和尚、威儀の不備たる狂酔阿闍梨ばかりなり。また曰く、今の授戒、現前の十師を用いず。冥の五師を請じて証と為すと。このことまた一向爾らず。豈能く売僧万斛の壇上に諸仏諸菩薩来たらんや。これによって知るべし、我ら真言門徒悉く無戒の相似僧、否、願人坊主に過ぎざることを。今時南山に授戒と称するは、佛名を三百ばかり譫言して漫ろに空礼虚拝し、まだ受けざる戒を布薩する戯れ事なり。 開陳したる是の如き辛辣の言、老いて頑迷固陋たる者の故なき悪口、由なき讒言に非ず。世に、至愚と雖も人を責むるときは即ち明らかに、聡明ありと雖も己を恕するときは即ち昏しと云えり 。我則ち賊心入道に異なることなく、此の如き言を揮うに価する行業、微塵もなきこと重々承知。ただ命根まさに尽き果てんとする今、下機下根の老犬馬にて戒法興復するに力及ばずとも、ここに興法利生の願発すが故の所辯なり。もとよりこれ名聞利養の為に非ず。 『華厳経』に曰く「信は道の元、功徳の母なり」と。『智度論』には「仏法の大海は信を以て能入とす」と信の重きを明かすと雖も、今真言門徒の喧伝するところの信、邪にして澄浄・随順・不壊等の義、一としてなし。それ信徒拐かして闇然たる妄境に堕さしむの因、五結ますます強固にして悪趣に導くの縁なり。いかでか十信の初位にも達すべき。ただ口に南無云々とのみ唱え礼する人、滅後その舌、浄土に生じて蛭となり、その身は悪趣に転じて諸苦を受けんこと疑いなし 。およそ仏法に於ける信に曇濁・盲順・依存の義無し。信これ持戒、信これ修禅、信これ智慧なり。信これ勤修、心念、修禅、智慧獲得するの勝因なり。諸仏諸賢聖の遺徳に胡座して、一生の陽炎の如き楽を嘗め、多生を損なうこと勿れ。名聞利養に縛され、歌舞音曲に現を抜かして、悪趣に長く沈溺すること勿れ。 呑刀刮腸して頭燃を払い、三学如法に具足して善逝の徳を世に顕せ。日に安般四念して四諦を観じ、以て賢聖十地の雲に登れ。上機上根なる者は、三密相応して大日の影自心に現し、以て真言門徒の証と為せ。 唯一言も不可思議を口にすること勿れ。人の機根万差にして等しからず。宗我を逞しくして自他の優劣を判じること勿れ。徒に高邁の言葉を陳ぜず、分を過ぎたるを求めず、法を得れば拳拳服膺してその果を求めよ。自らの機根省みずして多聞を求めれば、則ち百年生けれども一法に迷う。ただ一法を聞いて心念勤修せば、一日にして万法証するも可なり。機の大乗小乗の別を外儀に求めず、ただ己が心地にこれを求めよ。内に菩薩行を秘し、外に声聞の形をなせ。小を嗤って大に背き、むしろ邪に転ずること勿れ。 出家の罪業度し難きこと、興正菩薩の辯の如し。出家たるもの、異性と接すること清涼大師の如くあれ。見起これば則ち不浄観にてこれを離れよ。古来、僧の女犯頗る多しと雖も、その罪甚だ重きこと聖教に明らかにして、高祖も重々誡めたるところ。もし律儀持すること能わざれば、捨戒して白衣となれ。もし捨せずして婬法行わば、それ波羅夷不共住にして、己が今生の釈子の種、断滅す。またこれに謗法の重き罪咎あり。よくよく意に留めるべし。 願わくば至心に真言の法門を奉じるの朋、高祖の遺志を継ぐべきの畏友、大聖の誠言に随って不死の法幡を掲げんことを。伏して請う、極心求法の道人、奮起し戒壇再興して僧宝を建て、人天の帰依処となって誠道を照らさんことを。僧儀興復して戒徳の香、扶桑に千代に留まらしむことを。道心堅固の人、西大の菩薩・深草の上人・葛城の尊者等諸賢に倣いて、如説修行の聖僧とならんことを。 忠言耳に逆らう。おそらくは不肖の我が訥言、その耳奥に達して心応じる人少なし。ただ我、聖賢知識の人現れば、たちまち弟子となって泥土に伏し、その沓を頂かん。 高野山真言宗 総本山金剛峯寺第411世座主 資延敏雄 識 原文の参照・・ 真言宗泉涌寺派大本山・法楽寺様サイト・戒律講説・資延敏雄「末法味わい薄けれども教海もとより深し」 http://www.horakuji.hello-net.info/lecture/nippon/mappou~ajiwai/index.htm ・・以上原文ここまで。 以下、原文を読みやすく現代語に直されて、ご自身のFacebook上にて公開されました東賢性師の内容からの引用・・ https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=403665213363810&id=100011610049289 原文対比・東師訳文は【 】内 波羅夷十重多犯の愚老、四大散ずれば忽ち龍戸に転ずること必定にて、斯様な弁舌を揮うは身の程を知らず、慚愧に堪えざることながら、敢えて諷せずしてここに謇諤す。 【決して懺悔しても許されない邪婬・盗み・殺生・自ら賞賛を得ようとしたり、十種の戒律を多く犯した愚かな老人は、亡くなればたちまちに畜生に生まれ変わることが避けられない。この様な事をお話をするのは、身の程を知らずで、自らと他の方に対して恥ずかしいことで耐えられないが、敢えて批判を覚悟して、ここにハッキリとお話ししたい。】 高祖弘法大師、真言秘密の法門を讃して曰く。「顕薬塵を払い、真言庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す」と。また曰く「三密加持即疾顕」と。 【高祖弘法大師、真言秘密の教えの内容を称賛して申された、「顕教は物事に着いたホコリを払って、その本質に漸次近づいていくようなものであるが、密教は物事の本質に直接迫るようなものであり、物事のあらゆる特性を認め生かす教えである」と。また「身体・言葉・心を整え融合し、仏菩薩の境地と同じくすれば、たちまちに仏陀の境地に到るのです」と。】 しかしながら今、我ら高祖の末徒を称したる者の有り様たるや如何。真言行人に三密の鑰もて庫を開ける者なく、顕薬施して塵苦を払うの人も無し。ただ手に密印を弄んで口に真言を囀り、意三毒を刹那として離れず、ついに仏日の影、行者の心水に影ずることなし。多くは三業放縦、四無量四摂の鉤縄そなえずして祈祷占術に専らし、邪命養身して恥じず。甚だしきは霊ありと身見・邪見し、奇妙不可思議の弁舌を振るって衆人を惑わす。煩悩即菩提、即事而真の玄旨を牽強付会し、五根に縄掛けず、五欲を恣にして華服玉食、これ大欲なりと嘯く者の夥多たること、羝羊の群れの如し。嗚呼、我ら悉く飽食暖衣、逸居して教なく、些かも禽獣に異なることなし。 【しかしながら、現代のお大師様の末徒を称したる者の有り様は、一体どうなっているのか?真言密教にて実践している者に、三密の鍵を持って物事の本質に直接迫り、物事のあらゆる特性を認め生かす教えを開ける者など無く、それ以前の仏法を弘め物事の本質に漸次近づいて苦悩を払う人すらいない。ただ手に秘密の印をもて遊び、口に真言をさえずり、心に貪りや怒り・恥ずかしい考えを絶え間なく持って離れようともしない。ついに太陽の様な仏陀の光が、僧侶の水の様な心に映し出されることもない。多くは行動・言葉・意識の働きは好き放題、四つの他者を慈しみ哀れ��心を養う修行、生けとし生ける者の苦しみを取り除く為の四つの方法の鉤縄を実践する事もなく、祈祷や占術に専念し、それによって金品を集める様な出家者が、決してしてはならぬ四つの邪な生活を平然として恥じる事もない。最も許し難いのは、霊がいるなど、一切に固有の存在があるとか、仏法の判断基準となる仏陀の金言、三蔵に伝わる聖言にそぐわない誤った物事の見方、また、輪廻転生や因果応報を否定する邪見を持ち、言葉巧みに人気取りの弁舌を振るって人を酔わせ惑わせる。究極的な真実である「煩悩即菩提」や「生滅変化して、これら自他の差別がある目前の現象世界が、そのまま真理そのものである」の深い真実を自分の都合のいい様に解釈し、五つの感覚器官に縄掛けず、その感覚器官から生まれる五つの欲を欲しいままにブチまけて、豪勢な食事に高級な衣服を着て、僧侶としてあるまじき贅沢な生活を当たり前とし、これを密教の極意である「大欲なんだ」と平然と話すのは、愚かな動物と何ら変わりない姿だ!嗚呼!その様な食べたいだけ食べ、着たいだけ着て、自由奔放に暮らし、教養も知性も道徳もないのであれば、その人は獣と何ら変わることがない!】 また高祖大師、真言行人須く顕密二戒を堅持すべしと御遺誡され、重ねて『御遺告』の十八に曰く「夫れ以みれば女人は是れ万性の本、氏を弘め門を継ぐ者なり。然れども佛弟子に於いて親厚すれば、諸悪の根源、嗷嗷の本なり。是を以て六波羅蜜経に曰く、女人に親近すべからず。若し猶お親近せば善法皆な盡きなむ等と云云」と。 【また高祖大師は、「真言の僧侶はすべからく顕教と密教の二つの戒を堅持すべし」と御遺誡され、重ねて『御遺告』の十八項に、「夫れ考えてみれば、女性は全ての命の源、家を弘め家を継��大切な性を持つ。しかし仏弟子にとって、近づき親しくし過ぎれば諸悪の根源、騒がしくなる原因である。だから『六波羅蜜経』には、女人に親しくなり、近づいてはならない。もし軽々しく親密になれば、善法は皆な盡きなむ等と云云」と諭されている。】 しかるに今時、我ら寺家悉く妻妾蓄えて是を常とし、寺寺に媒嫁し、相嫁して血脈一統を造り、人の寺家在家の出自を問うて軽重の別を用うる。これ佛家転じて婆羅門と堕したの証。たまさか方服を着して庫裏に居直る禿頭の類、布施無きは経を読まずと非法に信施を掠め盗り、世事に自ら参与して、貴人に好みを結んではこれを悦ぶ。伽藍に財施あれば、心地忽ち濁悪に染まり、有力の檀越あれば媚び諂いてさらにこれを求むる。 【しかるに現代は、我ら寺にあっては悉く妻や浮気相手を作ることが当たり前となり、寺同士で結婚したり、親戚関係を作って血筋の一統を造り、寺生まれか在家生まれかを問い、出生の優劣を用いる。これは仏の家ではなく、出生の身分を説くバラモンに堕落した証拠。たまに僧衣を着して、庫裏に居直る坊主頭の連中は、「布施が無いとお経を読まず」と仏法を信仰する人の志をかすめ盗り、世俗に自ら飛び込んで社会的地位のある者や有名人と知り合いとなったと悦ぶ。寺院に寄付があれば、心の中に忽ち悪しき感情に染まり、財力と地位のあるの檀家には、媚び諂いてさらに寄付求める。】 今の僧徒、悉く得度沙弥の式にて不婬を誓い、三聚戒壇に進具して不犯を重ね誓して形を沙門に比しながら、あろうことか佛前婚儀に及びてこれに毫も疑念を抱かず、「これ佛縁なり」「有り難き哉、これ如来の導きなり」と狂談して寿ぎ、なお比丘の名を騙って一向恥じぬは、世の盗賊にも遙かに劣れり。三昧耶戒にて「大師の教えの如く、我誓って修行して云々」と述べ誓う舌、妄語の斧となって己が身を裁断す。佛陀の金言、高祖の遺戒悉く違犯するも、「我佛弟子なり、我高祖の末徒なり」と揚言するは、厚顔無恥にして傲岸不遜の極みなり。噫、「慚恥の服は、諸の荘厳に於いて第一なり」 との佛陀の遺教、寺家に於いては、今は昔の物語か。 【今の僧侶集団は、悉く得度し沙弥になる儀式にて、淫行せずと誓い、正式な僧侶になる受戒に進み、戒律を具える際にも重ね誓して、外見だけを釈迦の弟子に重ねる。あろうことか仏前の婚儀に及んでは、これに少しも疑念を抱かないで「これ仏縁なり」や「有り難き哉、これ如来の導きなり」と、仏の金言と都合よく解釈して、お祝いの言葉を述べ、なお正式な僧侶たる比丘の名をかたるも一向恥じぬことは、世間の盗賊にも遙かに劣っている。密教の戒律である三昧耶戒にて、「大師の教えの如く、私は誓って修行して云々」と述べて誓うその自らの舌根拠の無い言葉の斧となって自分自身を裁き断ずることになる。仏陀の金言、高祖空海の『遺戒』を全て誤った解釈をして罪を犯しても、「我は釈迦の弟子なり、我は高祖大師空海の末徒なり」と平然と人々に語るは、厚顔無恥にして驕り高ぶり見下した極みだ!嗚呼!「いつも自分を省みる謙虚な心を持っている人こそ、どんな高価な衣服をまとうよりも、最高に美しく見える」との仏陀の遺言の教えは、寺院や僧侶にとっては、とうの昔の単なる物語になってしまった。】 これによって三宝の鳥、僧の声を失って羽撃くを息め、南天の鉄塔固く扉を鎖して開かず。四禅に棚引く雲は散り、魚山呂律の川は枯れ、悉曇十八の林に遊ぶ人絶えて久しい。「物の興廃は必ず人による」 との高祖の箴言まこと爾なり。今佛法の荒廃、僧徒によって甚だし。当にこれ獅子身中の蟲なるべし。是の如き因縁、釈教に照らすに歴々たり。今の真言行人、皆悉く戒法持たず、律儀備えざるが故なり。 【これによって仏法僧の三宝の鳥は、三宝の中の「僧」の声を失って空に羽ばたくをやめ、密教がこの世界に最初に伝わった南インドのアマラバティの鉄の宝塔は固く扉を鎖して開く事は無くなった。欲望が調教され、清らかな身体を持つ色界である「四禅」の世界に棚引く雲は散り、声明の聖地である魚山の音色の調べである「呂律」の川は枯れ、真理の文字である梵字悉曇の十八の言葉の法則を学ぶ者が絶えてどれだけ経つのだろう。「物の興廃は必ず人による」との高祖空海の戒めの言葉は、本当に現実の事となってしまった。今の仏法の荒廃は僧侶によってなされている。本当に「獅子身中の蟲」のようだ。この様な因縁は釈迦の教えに照らしたら当たり前の事だ!今の真言の僧侶は、全てみな戒律や教えを持っていないし、戒律に従った通りに心身に備わって無いからである。】 『遺教経』に曰く、「汝等比丘、我が滅後に於いて当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは即ち是れ汝の大師なり。(中略)戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因せば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。是の故に比丘、当に浄戒を持ちて毀犯せしめること勿るべし。若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生じることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを」と。また『四分律』等諸律に制戒の由を挙げて曰く、「正法の久しく住するを得る」 と。持戒によって正法起こり、破戒によりて末法きたること、寧ろ我らが非道によって分明なり。三密の金剛、持戒の徒にその威を現し、破戒の輩は虚しく自ら三界に掣肘す。 【『遺教経』に曰く「汝たち比丘、私が入滅した後において、まさにに戒律を尊重し、大切な宝とすべし。暗闇に灯明に遇い、貧しき人が宝を得る様に、本当に知らなくてはならない。これは即ち、これこそあなた方の偉大なる師なのです。(中略)戒はこれ正しく順序立てて、解脱へいたる根本です。だから波羅提木叉(人となる道)と言うのです。この戒を根拠とする原因とは、諸の禅定及び苦しみを消滅する智慧を生ずることを得るからで、この故に比丘はまさに、浄らかな戒を持ちて、犯し捨て貶めることはしてはなりません。もし人がよく浄らかな戒を持てば、この事によって素晴らしい善い教えが有あるのです。もし浄らかな戒が無ければ、諸々の善の功徳はみな、生まれて得る事も無い。この様なことから本当に理解して下さい。戒は第一に、安穏の功徳が生まれる根本である事を」と。また『四分律』等の諸々の律を定めて整理する理由を挙げている中に、「正しき教えが長く住するを得るのです」と。戒律を持ち保つ事によって正しい教えが起こり、戒を破る事によりて末法が訪れること。それは我らが仏法の教えに従わず、僧侶としての本分と自覚を忘れることが原因なのは考えれば明らかなことです。三密の金剛たる真言僧は、持戒の僧侶にこその威力を現し、破戒の僧侶の輩は虚しく自ら三界にのさばり、横から干渉し真っ当な僧侶の歩む道を妨げるのです。】 然りと雖も、当下扶桑に戒法相伝、行学兼備の律虎すでに悉く寂滅し、僧伽滅びて何処にも無く、求法の輩は涕涙して律幢たなびく往昔を恋慕するのみ。 【そうは言っても、日本のおける戒律の教えを相伝し、実践と智慧を得た行学兼備の律僧は、すでに悉くお亡くなりになり存在しない。僧侶の集団も滅びてどこにも無く、教えを求めるの真の僧侶は、そんな現実に涙を流して、正しき戒律を守り、正き教えが弘まっていた昔を恋慕するのみ。】 或る人曰く、伝教大師、平安の昔に小律を捨て、唯受大乗戒の義を建てたる。本邦、大乗相応の地にして、しかも在家佛法にて僧儀相応の地に非ずと。また曰く、律儀は時代錯誤にして理に応ぜざるものなるが故に、寧ろ新しき僧儀を立つべしと。これ門外の徒の放言、僻事の極みなり。僧儀・戒法悉く佛説佛制にして三蔵所伝。菩薩の律儀戒は声聞の七衆別解脱戒に同じと『瑜伽論』に誠説するを聴け。また近世、北嶺に安楽の猛風起こりたる由を知れ。大迦葉尊者「佛制戒したまう所の如く、応さに随順して学すべし」と制し、鶏足入定して龍樹三会の会坐を俟つこと高祖に同じ。もし末世愚鈍の予輩が新しき僧儀なるを立つることあらば、戒禁取の咎あって、なお網呑舟の魚を漏らすこと必定なり。 【或る人が申すには、伝教大師が平安の昔に小乗の律を捨てて、唯だ大乗戒を受ける意味を作り上げた。この国は大乗の相応の地にして、しかも在家の仏法にて僧侶の存在する場所ではない、と。また申すには、戒律の実践は時代錯誤にして、理にかなってないからで、むしろ新しき僧侶の意味付けをしなければならない、と。これらは真の仏法を学ぶ者では無く、その様に実践できない者の僻みの極みなのです。僧儀・戒法悉く仏の説であり仏の定めたものにして、経律論の三蔵が伝えるところである。また菩薩の律儀戒である菩薩戒は、小乗の声聞の七衆別解脱戒に同じであると『瑜伽論』に真実の説を学び理解せよ!また近世比叡山に安楽律という比丘戒を奉じる一派が起こり、猛風の様に弘まったのは何故か知るべきである。釈迦の弟子である大迦葉尊者は、「仏陀の制定した戒の一々を、応さに順に従って学び実践すべし」と定め鶏足山の中にて入定し、弥勒菩薩下生し成道して仏陀となりて龍樹三会の説法の会坐に加わるとあるのは、高祖空海大師に同じなのです。もし末世の今に愚かで鈍感なる僧侶が、新しき僧侶のあり方を立てるのであれば、誤った戒律や誓いによって悟りを得るという過ちを犯し、あたかも網の目が粗いために、舟をのむほどの大魚までも逃す様に、真理真実を得る事は無いでしょう。】 また或る人曰く、妙瑞律師の昔より今に至るまで南山に有部の戒法縷々として絶えずと。このこと爾らず。現行授戒規則の不如法たるや甚だしく、通別共に授戒成立の余地寸毫も無きこと、諸律諸経論の文拠を待たずとも明らかなり。界壇の境定かならず、難遮問わず、入壇受戒者六物具えず 、十人壇上に列すると雖も持律十歳の戒和尚これ無く、清浄五夏の阿闍梨等、真出家者一人として存せぬが故なり。居るは戒に不通の猩猩和尚、威儀の不備たる狂酔阿闍梨ばかりなり。また曰く、今の授戒、現前の十師を用いず。冥の五師を請じて証と為すと。このことまた一向爾らず。豈能く売僧万斛の壇上に諸仏諸菩薩来たらんや。これによって知るべし、我ら真言門徒悉く無戒の相似僧、否、願人坊主に過ぎざることを。今時南山に授戒と称するは、佛名を三百ばかり譫言して漫ろに空礼虚拝し、まだ受けざる戒を布薩する戯れ事なり。 【またある人が申すには、高野山の律僧である妙瑞律師の昔より現在に至るまで、高野山には有部の戒と教えが脈々としながら絶えていないと。これは全く誤りである。現在行われている授戒の規則は、仏法に従っていない事は甚だしく、共通と特別共に授戒が成立する余地が微塵も無い事は、諸々の律・経典・論書の内容の根拠を待たずとも明らかなる事である。受戒を行う境界の壇の境を定めず、戒を授ける相応しい条件を具えているか、授けてはならない条件を持っていないかを受者に問い質す事も無く、戒を授ける道場に入る為に必要な僧侶の六つの道具も持っていない。受戒に参列する十人の僧侶も、持戒清浄の比丘が十人以上揃い、その全員の了承が必要で、その内の三人は授戒の主導的役割を担うだけの戒和尚もおらず、具足戒を受けてから十年以上経過し、持戒清浄であって戒律に通じた僧侶、具足戒を受けてから五年以上経過した持戒清浄の比丘で、和尚の代理として受者に立ち居振る舞いや袈裟の着方などを教授する役割を担う五夏の阿闍梨、真の出家者が一人として存していないからである。実際にいるのは戒に通じていない猿の化け物の様な和尚、威儀や作法が怪しく備わっていなく、自分が一体何をやっているのか分かってない阿闍梨ばかりなり。また言うには、現在の授戒では実際の十人の和尚を用いずに、釈尊や菩薩を五人の和尚として道場にお招きして、授戒の証しとしている。このことは本当におかしな事である。それは仏法を飯の種にして商売する卑しい僧侶がたくさんいる道場に、果たして諸仏諸菩薩が来て下さるのでしょうか?これによって知らなくてはならない。我ら真言宗の門徒は、全てみな戒律を持たない真似事の僧、いや僧侶の姿をした盗人程度である。今時、高野山にて授戒と称しているのは、御仏の名を三百ばかり空々しく唱え、ぞろぞろと騒がしくに空に礼し虚しく拝し、まだ受ていない戒の内容を説くのは無意味な事である。】 開陳したる是の如き辛辣の言、老いて頑迷固陋たる者の故なき悪口、由なき讒言に非ず。世に、至愚と雖も人を責むるときは即ち明らかに、聡明ありと雖も己を恕するときは即ち昏しと云えり 。我則ち賊心入道に異なることなく、此の如き言を揮うに価する行業、微塵もなきこと重々承知。ただ命根まさに尽き果てんとする今、下機下根の老犬馬にて戒法興復するに力及ばずとも、ここに興法利生の願発すが故の所辯なり。もとよりこれ名聞利養の為に非ず。 【この様な内容を人の前で述べ、この如き厳しい言葉、老いて頑固になりとち狂い、古い考えで新しい見解を受け入れられない坊主の悪口の様ではあるが、意味も無くただ真面目に取り組んでいる僧侶を陥れ批難する内容ではありません。世の中の人間は、自分が愚かでありながら人を責め立てるときは、細々したところまで言い立てるものである。また逆に大変に��口で細かい点までよく頭の回る人間でも、自分の欠点をみずから指摘するときは気付かないものであると申します。私は単に仏教を信仰するでもなく、免税の特権や衣食住に困らないなどの理由で僧侶をするとか、または正しき具足戒を受けずに比丘として生活する者と同じで、この様に辛辣な内容を申すだけの行いなど、微塵もしていないのは重々承知しています。ただ私の命がまさに尽き果てんとする今、頭も育ちも悪い老いた犬や馬の様な私が、戒律の教えを興復するに力が無くても、ここに仏法を再興して、生けとし生けるものの幸福の為に願いを発したから述べたのです。もとより自ら有名になり自分の利得の為ではありません。】 『華厳経』に曰く「信は道の元、功徳の母なり」と。『智度論』には「仏法の大海は信を以て能入とす」と信の重きを明かすと雖も、今真言門徒の喧伝するところの信、邪にして澄浄・随順・不壊等の義、一としてなし。それ信徒拐かして闇然たる妄境に堕さしむの因、五結ますます強固にして悪趣に導くの縁なり。いかでか十信の初位にも達すべき。ただ口に南無云々とのみ唱え礼する人、滅後その舌、浄土に生じて蛭となり、その身は悪趣に転じて諸苦を受けんこと疑いなし 。およそ仏法に於ける信に曇濁・盲順・依存の義無し。信これ持戒、信これ修禅、信これ智慧なり。信これ勤修、心念、修禅、智慧獲得するの勝因なり。諸仏諸賢聖の遺徳に胡座して、一生の陽炎の如き楽を嘗め、多生を損なうこと勿れ。名聞利養に縛され、歌舞音曲に現を抜かして、悪趣に長く沈溺すること勿れ。 【『華厳経』には、「信は実践の元、功徳の母なり」と。『智度論』には、「仏法の大海は信を以てよく入る」と信の重きを明かしてるとは言え、今の真言宗の僧侶の喧伝するところの信は、邪にして根拠が不明瞭かつ、各々が勝手に分かりもせずに説明し、理論的思考と経験の両方に裏打ちされたものでなければならならないのにも関わらず、信仰する人を騙して返って暗闇の苦悩の状態へと向かわせる原因となり、五つの煩悩を強固にさせて悪しき境遇へと導く縁となっている。口に大乗・大乗とのぼせる割には、誰も菩薩として第一段階にすら至り得ていない。ただ口に「南無云々」とのみ唱え礼する人は、亡くなった後に舌だけが浄土に生じて蛭となり、その身は地獄などに転じて諸々の苦を受ける事は確実である。およそ仏法における信に、曖昧な根拠、根拠のない教えに従ったり、意味なく依存する意味は無いのです。信とは戒を持ち、信とは思考し、信とは智慧なのです。信は勤め修め、心にて考え、深い考察して、智慧を獲得する事が優れた原因となるのです。諸仏や菩薩・聖者の遺徳にあぐらをかいて、その一生に陽炎の如き目先の満足と楽しみを嘗めて、何度も輪廻の苦界に生まれる事にならないようにし、多くの人から称賛されて世間の地位を求める欲に縛られ、歌舞音曲にうつつを抜かして、地獄などの悪しき境遇に長く生まれ変わる事にならないようにしなければならない。】 呑刀刮腸して頭燃を払い、三学如法に具足して善逝の徳を世に顕せ。日に安般四念して四諦を観じ、以て賢聖十地の雲に登れ。上機上根なる者は、三密相応して大日の影自心に現し、以て真言門徒の証と為せ。 【心を入れ替えて努力して怠らず、戒律・禅定・智慧の三つの学びを釈尊の説かれた通りに具足して、仏陀の尊い徳を世の中に顕せ!毎日最初は呼吸を数えて心を落ち着け集中し、次に呼吸ならびに身心の状態をただ観じていく瞑想をし、身体・感覚器官・心・真実が、それぞれ不浄・苦・無常・無我であると観じなさい。世界は苦であるという聖なる真理、世界は様々な原因と条件とによって、仮に構成された実体のないものであるという聖なる真理、苦しみの生存の死滅という聖なる真理、苦しみの生存を死滅させる道という聖なる真理を観じ、これからの修行によって次第に悟りを深めよ。素晴らしい環境と自らの器が素晴らしい者は、身体・言葉・意識が融合し、仏陀の働きと相応して、大日如来の姿が自らの心に現れて、これを以って真言密教の僧侶の証しとせよ。】 唯一言も不可思議を口にすること勿れ。人の機根万差にして等しからず。宗我を逞しくして自他の優劣を判じること勿れ。徒に高邁の言葉を陳ぜず、分を過ぎたるを求めず、法を得れば拳拳服膺してその果を求めよ。自らの機根省みずして多聞を求めれば、則ち百年生けれども一法に迷う。ただ一法を聞いて心念勤修せば、一日にして万法証するも可なり。機の大乗小乗の別を外儀に求めず、ただ己が心地にこれを求めよ。内に菩薩行を秘し、外に声聞の形をなせ。小を嗤って大に背き、むしろ邪に転ずること勿れ。 【ただの一言もこれが根拠の無い神秘な事だと語ってはならない。人の機根というのは様々にしてみな同じでは無いのです。自らの宗派を最高として、他の宗派の優劣を根拠無く判断してはならない。必要以上に優れている言葉を語る事なく、身の丈以上の過ぎたるを求めず、教えを得れば心にとどめて、忘れない様にしてその結果を求めよ。自らの機根省みず事なく、仏の教法を多く知ったり、多くの知識を蓄えたいとして求めれば、則ち百年生きたとしてもたった一つの教えに迷う。たった一つの教えを聞いて心して考え勤めて実践すれば、一日にして全ての仏法の心髄を会得する可能性もあるのです。それをきっかけに大乗や小乗の違いを修行法や作法、袈裟の使い方など見かけに求めず、ただ自分の心の考えや思慮に求めなさい。自らの内側の菩薩行を世間に見せること無く、外見を声聞などの小乗の比丘の姿をせよ。細かな事を大切にせず肝心な事に背き、それによって悪しき事にならない様にせよ。】 出家の罪業度し難きこと、興正菩薩の辯の如し。出家たるもの、異性と接すること清涼大師の如くあれ。見起これば則ち不浄観にてこれを離れよ。古来、僧の女犯頗る多しと雖も、その罪甚だ重きこと聖教に明らかにして、高祖も重々誡めたるところ。もし律儀持すること能わざれば、捨戒して白衣となれ。もし捨せずして婬法行わば、それ波羅夷不共住にして、己が今生の釈子の種、断滅す。またこれに謗法の重き罪咎あり。よくよく意に留めるべし。 【出家をした者の罪作りな言動を糺し、理解し合うことは大変難しいのは、興正菩薩叡尊律師も説明しています。出家たるもの、異性と接すること清涼大師の様にあるべきです。女性に性的な想いが起これば、その時に生命の真実の姿を想う「不浄観」によって、性的な感情から離れなさい。古来から僧侶の女犯はとても多いといえども、その罪はとても重いことは三蔵に明らかにしており、高祖大師空海も重ね重ね誡めているのです。もし戒律を持するこが難しいならば、戒律を返して俗服を着る者になりなさい。もし捨てようとしないで女犯を行うならば、それは戒律の最も重い違犯を犯して、自らの心にある今の人生の仏となる種を断じて滅すことになるのです。またこれに教えを貶めるの重き罪が含まれるので、よくよく心に留めておきなさい。】 願わくば至心に真言の法門を奉じるの朋、高祖の遺志を継ぐべきの畏友、大聖の誠言に随って不死の法幡を掲げんことを。伏して請う、極心求法の道人、奮起し戒壇再興して僧宝を建て、人天の帰依処となって誠道を照らさんことを。僧儀興復して戒徳の香、扶桑に千代に留まらしむことを。道心堅固の人、西大の菩薩・深草の上人・葛城の尊者等諸賢に倣いて、如説修行の聖僧とならんことを。 【願わくば真心を持って真言密教の教えを学び伝える仲間たちは、高祖大師空海の遺志を継ぐべき尊敬し合う仲間、釈尊の誠の言葉に随って、生死の苦しみを除く教えの旗を掲げて欲しい。伏してお願いしたい。極めて心から教えを求めている僧侶や在家の方々は、奮起して正しい戒律を伝え弘める活動を復活し、僧宝をいま一度輝かせ、人や天の信頼される人となって、正しい釈尊の教えと実践を照らして下さい。僧侶としてのあるべき姿や行動をまた再興して、戒律の徳の香りが日本に永遠に留まって欲しい。僧侶として生き方を真っ当に歩んでいる人は西大寺の興正菩薩叡尊師や深草の上人と呼ばれ日蓮宗の僧侶でありながら釈尊が定めた小乗の四分律を行じることを主張し諸宗の人とも盛んに交流を持った高徳である玄政上人や、葛城の尊者と呼ばれ自身が所属する宗派に対する盲信や、宗派びいきを厳しく批判したため、保守層から異端視もされた慈雲尊者の様な諸々の素晴らしい大徳にならい、釈尊の説かれた教えに従って修行実践する僧侶になって下さい。】 忠言耳に逆らう。おそらくは不肖の我が訥言、その耳奥に達して心応じる人少なし。ただ我、聖賢知識の人現れば、たちまち弟子となって泥土に伏し、その沓を頂かん。 【忠告というものは、それを必要とする人にこそ求められず、むしろそれを言えば怒りを買うだけです。おそらくは未熟者のたどたどしい言葉なので、皆さんの耳の奥に達して心から応じる人は少ないでしょう。ただ私は素晴らしい智慧を持ち実践をする僧侶が現れたら、直ぐに弟子となって屍となったその場所から這い出して、その僧侶の足を頂き礼拝するだけです。】 ・・以上ここまで。 ・・ お坊さんネットQ&Aサービス・hasunoha http://hasunoha.jp/ 新機能「おきもち」 https://hasunoha.jp/docs/okimochi hasunoha型クラウドファンディング「おきもち」始動 http://taka.hasunoha-blog.info/okimochi/ 「hasunoha」拙回答まとめ集 http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/ 書籍化『hasunoha お坊さんお悩み相談室』発売中! http://hasunoha.jp/docs/pr_0002 hasunoha書籍化・印税収益の一部・東日本大震災・被災者支援に寄附 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/89551fac04beefe15a197270ba215a78 ・・ 日々の修習の記録・・ 毎日のお勤め・・ ・六座グル・ヨーガ(フルバージョン)-回(朝夕) ・ガンデン・ラギャマのグル・ヨーガ -回 ・チッタマニターラ尊成就法     -回  (全)は全て・(半)は義務読経まで 都度のお勤め・・ ・甚深道たる上師供養儀軌のグル・ヨーガ       -回     ・上師供養における供物の供養というもの       -回    ・ポア(ポワ)観想成就法・三つの真髄の教え     -回 ・「五次第」読誦(秘密集会究竟次第解説和訳テクスト)-回 「日々の密教修習の内容」2017.5.22 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/70dc1c61aa0103cce9c0a57dd58fae5e 甚深道たる上師供養儀軌福田 口自在たる慧蔵にて至善なる勝者流の、教誨の真髄を持す比類なき御方、無数なる勝者の海を凝集せし御身に祈願せん。最上と共通の悉地を給わんことを。ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下に最敬礼申し上げます。 「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8f49efb18934ec00993d52e91c603327 ・・ 8/29-9/1・ダライ・ラマ法王猊下様・ご法話ネット中継『ブッダパーリタ註』(『根本中論頌』の註釈書) http://www.dalailamajapanese.com/live 中観帰謬論証派の思想を学ぶ上でもかなり重要な内容となります。ツォンカパ大師は、文殊菩薩様からの御啓示により、ブッダパーリタ大師の根本中論註を再精読なさられた契機により、中観の真髄を見極められたとおっしゃられておられます。それだけにダライ・ラマ法王様によりますご法話も、かなり尊く意義深いものになること確実でございます。有り難し。合掌 ・・ 以前にポア(ポワ)に関しての話題にて出させて頂きました『「歓喜の地・兜率天に至る階梯」と言われる「三つの真髄の教え」による観想の段階』の註釈書(ダライ・ラマ2世 ゲンドゥン・ギャツォ大師註釈 マリア・リンチェン氏訳)が、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトで公開されており、ダウンロードも可となっていますので、是非、ご参照なさられて下さい。 http://www.tibethouse.jp/about/buddhism/text/ 11月御来日のダライ・ラマ法王様のご法話・灌頂の事前勉強会が開催されるようです。 『縁起讃・修習次第(中篇)』事前勉強会開催のお知らせ http://www.tibethouse.jp/event/2017/170918event.html ダライ・ラマ法王 東京来日法話『縁起讃・修習次第(中篇)・聖観自在菩薩の許可灌頂』 2017年11月11日(土)~13日(月) http://www.tibethouse.jp/event/2017/teaching171111.html 2015年御来日の際には、聖観自在菩薩様許可灌頂が、より本格的な十一面千手観音菩薩様とカサルパニ観音菩薩様の灌頂へと変更になりましたね。誠に尊く有り難いことでございました。 石濱裕美子先生ブログ参照 http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-746.html ダライ・ラマ法王猊下様「熊本仏教講演会」 http://dalailama-kumamoto.org/ ・・ 「チッタマニターラ尊成就法の実践における御供えについて」2017.1.16 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52232371.html 「チッタマニターラ尊灌頂後のチベット密教の実修について」2016.12.11 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/33da8a793a1f6a08cd586e55de609e68 「チッタマニターラ尊灌頂におけるダライ・ラマ法王猊下様との問答内容について」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d814a5bc49ee9ffef9a7f8cf8cf73516 11/11-13「ダライ・ラマ法王猊下様・チッタマニターラ尊灌頂ご報告」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3101a23d05b1d35a25b1014052e6a728 ダライ・ラマ法王猊下様御来日/拙予習経過まとめ(2016.11.9) http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/792738f8de7c80c7d85ef6d7d1a2ac74 ダライ・ラマ法王14世日本公式サイト | 法王庁 http://www.dalailamajapanese.com/ 公式フェイスブック https://www.facebook.com/dalailamajapanese/ ダライ・ラマ法王猊下様御加持成就の「金剛杵と金剛鈴」 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52211094.html 2015.4.17「ダライ・ラマ法王猊下様のこと・・」 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52189915.html 2015.4.13「ダライ・ラマ法王14世来日法話 般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」ご報告 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3ac42f140aef2fb85956f1fcd45e1b13 2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df 2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12 ・・ 自分上場・VALU参加! https://valu.is/kawaguchi ・・ 「勝義方便メモ No.12」 https://togetter.com/li/1073026 ・・ 3/11東日本大震災七回忌 3/9-10未来の住職塾卒業式・フォーラム 3/10ポタラ・カレッジ訪問 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52235550.html 『未来の住職塾』受講を迷っているあなたへ!!! http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/5c578446835d9bc715a4fd053c352e0d 未来の住職塾・本科・第五期・受講感想(2017.1.24) http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/4c6afe0858cc7be1a89652de98f15062 ・・ 『葬儀と供養の意義について』平成29年8月・お盆施餓鬼法要配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d2c3793b56451efdff407f7090851dc1 「大阪春秋」最新166号・春号・特集「夕陽のまち おおさか」紹介・日想観と往生院 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/70160379.html 『般若心経における「空」について』 平成28年8月・お盆施餓鬼法要配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392 「Amazonお坊さん便」の抱える問題について/平成28年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d339cd6c14be7db57860f241caf4984d 「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b 「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c 「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f 「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76 ・・ 悟りへの因縁・修習・階梯について http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/cd86e06b26f70bfa72e8933112ee6e98 以下は、続きとしての定型記事一覧となります。 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d60b9c69361758c6b7de52bd7f5c863b ご興味がございましたら、各それぞれご覧下さいましたら幸いに存じます。
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wongsally · 7 years
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名古近畿紀伊關西行
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対於三重縣, 自然就想到伊勢海老, 其他ー無所知, 剛巧テレビ播出詹x自喜遊和杜x
風介紹這地方, 這地方有更多認識, 如伊勢神宮 (外/内宮)、鳥羽-海女和松板牛等.
於是先訂機票, 然後在網上予約鳥羽-鲸崎の「海女小屋‧おぜごさん」的海女午餐
(近海邉那間小屋, 只容納4至11人), 和致電丸善水產予約海上燒き牡蠣たべ放題 ,
以上兩間只接受上網和電話予約. (要多謝我同事Amy幫忙上網予約海女小屋,
弟婦同事也幫忙致電予約是否成功和我同學Olive致電到丸善水産).
之後到本港旅行社買「伊勢‧熊野和歌山地區周遊卷 5 day」¥20000, 不只去
三重縣, 還會去熊野三山, 所以才買此券. (此劵可乗坐 Jr名古屋→鳥羽、新宮→
熊野本宮バス、Jr伊勢市‧鳥羽至尾鷲、那智至那智山バス、Jr名古屋至紀伊勝浦),
還有(三重交通バス-外宮、伊勢二見鳥羽周遊“CAN バス” 、尾鷲車站口~鷲毛間
、尾鷲車站口~瀬木山、熊野古道中心間、熊野市車站口~千枚田.通峠入口、
(熊野交通バス-勝浦車站、那智山間、新宮車站~本宮大社前間、新宮車站~小口
間)再加關西广域周遊券 5 day ¥9000, 此券可經城崎溫泉.
此行會到名古屋、伊勢、松板、鳥羽、熊野、那智勝浦、城崎温泉、神户、
白浜-とれとれ市場、大阪共十二天.
1/24 乘廉航楽桃航空凌晨機到關西空港, 到达第2客運大樓,已是清晨六點, 之後坐
無料バス轉到第1客運大樓, 再乗到Jr新大阪駅轉到名古屋, 到達后, 巳是中午時份,
即放下にもつ在ホテル裡, 便乗地下鐵名城線到伝馬町下車, 在伝馬町有兩間「あ
つた蓬萊軒」, 一間是在熱田神宮的「あつた蓬萊軒  神宮店」剛才這天休日.
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另一間在熱田區神户町503的【あつた蓬萊軒  本店】, 可在車駅4番出口, 由天橋
直行向右落天橋即达, 近馬路旁, 旁边車位方便駕車前來, ���达時已是1時40分,
即登記取位, 但要待20 min, 終於到了午時休息前, 才可入席. 這1873年 (明治6)年
創業的老鋪鰻魚料理店, 招焷菜色是鰻魚飯三吃, 為了品嘗這足足使用一尾半的鰻
魚所制作出分量滿點的鰻魚飯, 從逺方來訪的客人络縪不絕. 
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甫坐下即下單點了這店名物, 用備長炭燒き的「ひつまぶし」¥3600,鰻魚飯三吃:
先將日式飯箱內的鰻魚飯分四等分份,  第一碗不加任何佐料,細細品嘗鰻魚和醤汁, 
第二碗加入葱花、芥末或海苔等佐料, 笫三碗是茶泡飯, 第四碗依自己喜愛方式品
嘗.
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吃畢后,就出發到大須商店街, 先在大須觀音駅下車, 徒歩至日本三大觀音堂之一-
大須觀音廟,
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廟旁為【大須觀音商店街】,主要售買服裝、超市、生活雜貨、擺設品及食肆為主,
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逛完一陣后, 就回ホテル辦理入住手續, 然後晩上出發到【荣】, 這裡衆多百貨公
司, 來這裡目的吃《手羽先》, 先到「世界の山ちゃん本店」這店在日本各地
設有分店, 連香港也有二間分店, 
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這裡《幻の手羽先》¥ 430 / 5 pcs, 是即叫即炸, 鮮嫩無比的雞翼用袐傳醤油調製
的鹹甜醤汁和椒麻胡椒, 加配一杯冰涷啤酒, 真是吃到一隻接一隻, 停不了,
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之後到「風來坊 錦店」, 
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甫入見到不少上班族下班到來, 熱氛熱鬧,  我們被坐到隔著玻璃的廚房, 看著年輕
廚師, 先用低溫油炸到八分熟後, 再移到高溫的油鍋中二次油炸, 用老闆親調的
醬汁所製成炸雞翼, 表面酥脆裡面滿滿的肉汁, 口感不錯. 我們點了手羽先
¥450/ 5 pcs 和もと (雞槌)n¥500 / 4 pcs, 稍感可惜沒有雞翅尖的部份.
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試過兩間手羽先, 我還是喜愛前者的口味, 之後會ホテル休息
1/25 吃過早餐, 出發到伊勢市, 到ホテル放下にもつ, 即乘車到Jr到鳥羽駅, 出了
徒歩到對面バス總站, 乗開往(鳥羽小学校‧石鏡港方向)的かもめバス, 在本浦港/
今井下車,
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在本浦港下車需下斜坡, 如在下個今井, 因已在本浦港, 歩落斜坡, 
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沿海邊方向一直行,大約徒歩20 min, 便到【丸善水產】, 筏小屋で食べるユニ一ク
な趣向が好評. 海に浮かぶ筏の上の小屋で食べるという野趣あふれる口ケ一ショ
ンが人氣. 別メ二ュ一で, 生カキ、酢力キ、カキフライなども.
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因予約了11時, 到埗后報到, 就坐下店員遞上餐牌, 因我們選了かき放顊80分鐘
¥2600 セット, 便先捧上酢カキ、カキ湯、白飯,
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之後每人一盤生力キ和計時器, 以便計カキ所蒸時間, 把鐡蓋蓋上, 待數分鐘, 就可
以進食, 超新鮮.
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吃飽后, 付款期間, 適逢社長中村修一さん在, 他得知我是予約的香港人, 便用
普通話與我傾談和一起拍照,
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之後折返回車駅回伊勢市駅, 轉乘三重交通バス到【伊勢神宮– 內宮】, 神宮125社
の中でもつとも中心となるお宮は, 皇の祖先であリ日本人の総氏神樣である
天照大御神をお祀りしているこの内宮. 正式名称を皇大神宫という. こ鎮座は遙
が2000年余り昔の垂仁天皇の御代に遡リ, 五十鈐川町の現在は, 天照大御神が
永逺の住まいとして選ばれた地だ. 
先經過「五十鈴川御手洗場」~ 五十鈐川の川原に石畳を敷き詰めて, 水際まで
行けるようになっている. かつてはここが參拝者の禊場だつた. 石畳は德川綱吉
の生母‧桂昌院が寄進したものと伝わゐ. 透明な川水で手をすすいで正宮へ向か
おう.
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然後歩至 『正宮』~ 神宮の中でもつとも格式の高いメインスボシト, 五重の垣
根と4つの社殿からなリ, 祭神の天照大御神は最奥のご正殿に鎮座されている.
ご神体は三種の神器のひとつ「八咫の鏡 (やたのかがみ)」とされる. 純白の幌
の前で, 感謝の念を捧げよう.
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『荒祭宮』~  內宮の中で正宮に次いで尊ばれている第一別官.  正宮が天照大御
神の穩やかな一面である和御魂をお祀リしているのに対し, ここ荒祭宮には積極
果敢なー面である荒御魂をお祀リする.
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『風日祈宮』~ 內宮の別宮で, 五十鈐川の支流‧島路川に架かる風日祈宮橋を渡
つた先にある. 祭神の級長津彦命と級長戸辺命は風雨の順調を司る神様.
參拝完后, 歩至伊勢神宮 內宮の門前にある【おはらい町】とおかげ横丁には,
名物グルメのテイクアウトや料理店, カフェ, 和菓子や工芸品などのみやげ物店
などが集結.
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町內必試「豆腐庵山中」, 用五十鈐川の伏流水と国産大豆、天然にがりで作る
豆腐を販売.
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我們買了うの花ド一ナシ ¥100
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和「赤福 本店」宝永4年 (1707)創業よリ参拝者に愛され続けるロンゲセラ一名
物 ● 赤福缾の製造‧売を行う. みやげ用の購入も可能だが, ここではぜひ赤福餅
のイートインを体験しておきたい.
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畳敷きの座敷や縁側席が設けられていて, 番茶とー緒にほっこり気分でくつろ
げる. 赤福 (用蓮蓉包著糯米) 2 pcs +  番茶 ¥420. 
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吃畢后, 已是5時, 商店陸陸續續休業, 於是便乘車回伊勢市駅, 到附近和民食晚飯.
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之後歩行ホテル休息.
1/26 早上到ホテル附近食早餐, 然後就出發去伊賀, 先乘鐵道到「伊賀上野」,
再轉乗伊賀鐡道到「上野市駅」,
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在上野市駅下車,
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徒歩7分至伊賀上野公園, 公園內的【伊賀流忍者館】¥756, 這在江户時代の農家
を移築, 據說在日本已有100年歷史, 於1964年開業. 館內分為「忍者屋敷」主要
介紹各種隱藏在民居大宅中的忍者機關.
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「忍者表演广場」由嚴格訓練的表演者, 演出忍術示範, 當日是休日, 沒法看表演.
「忍者體驗館」及「忍者傳承館」,展示有關忍者的武器如資料, 以供遊客參觀.
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參觀完畢, 就乗車到松板駅, 下車歩行到牛銀吃午餐, 這創業於明治35年 (1902)の
創業的【牛銀 本店】 . 松板牛の中でも最高ゲレ一ドを追求, 精肉後約2週間熟成
させ, 旨みを引き出した肉を厳選使用するなど, ごだわリを受け繼いでいる. すき
やきは肉と野菜を別々に煮て, それぞれの味を楽しむのが牛銀流.
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難得到來, 當然要吃松板牛啦!
我們甫進 ,店員引領到個室坐下, 奉上午餐餐牌,  有不同選擇,すきやきセット分
五款, 分別是寿〔特選〕 /楽 〔特選〕 /橘/松/梅, 價錢分別是 ¥17280/ ¥16988/
¥13424/ ¥11048/ ¥8672. 此しょうゆと砂糖にて味つけした當時流です.
1人前の松板肉は150g=2件です. 我們選了寿〔特選〕, 兩人所選要一致, 不能所
選不同. 待了10 min, 店員捧上松板牛和證書, 給我們看, 然後開始凖備烹煮,
先用1小件牛脂肪來煮起鍋, 放下松板牛, 稍煮片刻加上砂糖和醬汁再煮一陣.
只需沾上卵汁就可以進食, 味道不會太油膩, 肉質又滑又嫩, 也不會過份甜.
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中途煮些蔬菜, 之後把餘下一件松板牛也烹煮, 最後抱著滿足的肚子離開.
然後到【伊勢神宮~外宮】, 創建は内宮鎮座から遅れること約500年. 祭神は衣
食住全般を司る産業の守リ神.豐受大御神であリ, 正式名称を豐受大神宮とい
う. この神様, 天照大御神のご指名によリ神々のお食事係として丹波の国から呼
 び寄せられた「食」の神様としての役割も大きく, 外宮では1年365日, 朝タ2回,
古式に則って神饌を献上する「日別朝タ大御鐉祭」が行われている.市街地に広
がる89万mもの宮域の森に, 正宮のほが別宮3社, 摂社.末社.所管社10社が静
かに佇む.
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正宮~外宮の中でもっとも格式が高く中心となるお宮が正宮. 四重の垣根と6つ
の社殿からなる複離な構造になっておリ, 祭神.豐受大御神がおられるのは, 
一番内側のもっとも清淨な一角に立つご正殿.板垣內での写真撮影は禁止なの
で気をつけよう.
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土宮~2015年1月遷御の土宮は, 宮域ー帶の土地の守リ神として崇められる大土
乃御祖神 (おおつちのみおやのかみ)をお祀リする別宮. 外宮がご鎮座する以���
からこの土地におられ, 宮域内ではもっと古老の神様だ.
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多賀宮~外宮域內にある3つの別宮のうちもっとも格式が高い第ー別宮. 正宮に
次いで重要なお宮だ. 祭神は正宮と同じ豐受大御神だが, こちらは神様の活動的
な 一面「荒御魂(あらみたま)」をお祀リしておリ, 新しいことに挑戦するときの
強い味方.
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風宮~外宮の別宮のーつで, 級長津彦命令(しなつひこのみこと)と級長戸辺命
(しなとべのみこと)をお祀リしている. 農作物の収穫を左右する雨風の順調を司
る神様であリ, 元寇のときに神風を吹かせて日本を救った神様.
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參拝完, 回程沿路商店街, 两辺有不少店舗.
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因巳接近5時, 大多店鋪巳休業, 見到有間「山村みるくがっこう」 這山村乳業の
乳製品を販売する直営店. ショ一ケースには昔懷かしい瓶��牛乳や自家制
プリンが並ぶ. 冬は風味をとばさないよう湯煎したホットミルク提供.
正凖備休業時 便即購買稱年間1万個は売れる人気のプリン(即布丁) ¥250.
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見天未黑,就出發去二見興玉神社,  乘Jr伊勢市駅から參宮線で8分, 在ニ見浦駅下
車, 下車時巳是6時, 天也黑了,
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徒歩10 min,沿路有不少旅館, 往海辺走,便到這【二見興玉神社 】.
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是縁結びや夫婦円滿, 交通安全などにご利益があるという神社. みちひらきの神
様.猿田彥大神を祀る.n波間に仲良く並ぶ大小2つの岩を太い注連縄で結んだ天
婦岩は二見浦のシンボル. 天照大御神を象徴する太陽と, 夫婦岩の沖合700mの
海中にある猿田彦大神ゆかリの霊石「興玉神石」を拝むための鳥居の役目を果
たす.  夫婦岩石高さ9mの男岩と4mの女岩を結ぶ注連縄は, 年3回張リ替えられ
る.
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境內には猿田彦大神の使いとされる力工ルの像が多数ある
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猿田彦大神を主にお祀リする本殿. 拝殿の前には丸く編まれた「輪注連縄」が
置かれている. (因黑暗不便拍神社, 所以没有拍照, 只得拝拜), 拝拜途中, 有不少
人駕車前來. 之後返回伊勢市外宮附近其中一間営業至晩上十時的食店, 這店有不
少海鮮選揮. 我選擇了烏冬和
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鯵魚定食,
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友人選了不少海鮮, 如かキ、帯子、栄螺等. 之後回ホテル休息.
1/27 先到鳥羽ホテル放下にもつ, 歩行至附近的【ミキモト真珠島】¥1500
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~御木本吉 が世界で初めて真珠の養殖を成功させた島. 真珠博物館や御木幸吉
紀念館, 真珠を販売するパールプラザがある.
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目の前の海で約1時間ごとに海女の実演も行われる. (因予約海女午餐, 沒有參觀).
購買了真珠飾物做手信, 之後急往鳥羽巴士總站, (前幾天到丸善水產也是在這裡
乘搭), 
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乗かもめバス往國崎線方向, 在相差(石神さん前)下車, 往海辺方向行, 沿左辺海堤
方向一直走就會看到【相差かまど海女小屋体験--鯨崎おぜごさん】~相差漁港の
きさに海女さんの休憇所といった海沿いの建物ある海女小屋, 現役の海女さん
に素潛リ漁のよもやま話を聞かせてもらいながら, 豪快な魚介の炭火焼きを堪能
でき る. 現場有两位海女(這裡稱海女叫Ama),在屋前等待我們和另一班台灣團到
來,
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 我們在網上已予約ランチタイム ( 1 hrs ¥3500), 新鮮な海の幸を堪能したい方
にオススメ! (当日料理内容: サザ工●大アサリ●アおうぎ貝●アジ干物● カキ ●
うにごはん● ●お餅など相差で獲れた旬のもの) 
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叧伊勢海老●あわびなと, は別料金是¥3000 / 1 pcs (当日料金), 兩位海女工作
分配是一位負責焼海鮮(就是這位), 
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另一位負責招呼(這位8X歲, 現在都有也做海女, 还有我們所吃的海鮮, 也是她今早
潛海補獲), 以她這年紀精神不錯, 皮膚補養好好.
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在她們辺焼我們進食交談期間, 台灣圑也到來, 氣氛頓覺熱鬧起來, 
這裡海鮮非常新鮮, 既然还吃不夠, 加上以当日伊勢海老和あわび料金, 在香港是
不能吃到的, 必定要Encore啦! 好滿足呀!
我在這裡向兩位Ama說聲, おっかれさまでした和あリがとうごさいました.
帶著滿足和感欣的心離開,  折返途中, 見到另一間相差町かまと, 這間不是小屋,
多接待旅行團.
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之後往【石神さん(神明神社)】~ 神明神社の境内には多くの神様が祀られてい
る. なかでも有名なのが「石神さん」だ. 女性の願いを一つだけかなえてくれる
神様で, 地元の海女さんをはじめ全国から女性參拝者が絶えない.
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我也買了ド一マン‧セ一マンお守¥800. 然後乘車到伊勢神宮-內宮的おかげ横丁
買前天沒有食的可樂餅
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也再次食赤福餅(本想在這裡買盒回HK, 食用期只有三天, 只好放棄, 但幸運地在回
HK那天給我買到, 到回港翌天食用期才過), 之後乘車到松板, 吃回転焼松板牛,
從松板駐步行15min便到, 這【焼肉一升びん-宮町店】, 是全日唯一回転方式食焼
松板牛.
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像吃回転寿司ー樣, 在回転帶上看到喜歡辺碟, 按制打開門, 就可以取出, 放在爐上
焼, 注意金色碟是靚肉價錢貴D, 所以不需焼太耐, 會令肉質変老.
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1/28 吃過早餐, 取過にもっ, 就出發去新宮駅, 也是到ホテル放下にもつ, 從新宮駅
歩約10分, 經赤い欄十か美しい橋を渡って境内へ向かおう,  到【熊野速玉大社】
~(別名イザナギノミコト) と熊野夫須美大神 (別名イザナミノミコト)の夫婦神
に熊野の神々を祀る. 室町時代の将軍, 足利義滿によリ奉納された国宝「彩絵檜
扇」など1200点以上の神宝を所蔵する.               
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附近還有【神倉神社】, 538段も急峻な石段を上つた山上の地に鎮座する巨岩が
この神社の御神体. 因石級比較斜只好放棄. 乘川丈線バス往【熊野本宮大社】
經由, 車程約50min, 於本宮大社下車, 下車時天还未黑, 這本宮大社是全國3000社
以上を数える熊野神社の総本宮. 熊野参詣の旅人が熊野三山で最初に訪れた熊野
権現造リの御本殿は, 明治24年(1891)に大斎原がら遷された上四社の建物.
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国道に面した鳥居をくぐリ, 石段の参道を上ってゆこう.
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スサノオノミコトさる家津美御子大神を主祭神に祀る
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参拝后天已黑, 即往車駅, 但等了大約10分, 还未見最後班車, 只好向正駕車回家的
老夫婦問路, 因回我們所住ホテル, 車程要一小時, 所以他們載我們到交番所, 由警
員幫助我們, 他們就離開, 最後得到警員幫忙, 我們可以撘乗另一班バス回新宮駅.
(在我們等車期間, 老夫婦折返担心我們, 知道还有バス可回去, 才放心駕車離開,
在這向老夫婦和警員說声あリがとうごさいました).
1/29 這日心情非常忐忑, 因要去熊野那智大社, 要行473段石級, 担心友人體力,
在紀伊勝浦駅搭乗往那智山のバス在終点那智山下車, 歩至山下至山上, 雖要歩
473段石梯, 慶幸不算太辛苦,友人體力尚力, 終可鬆一口氣.
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終於到【熊野那智大社】~神武天皇が海上がら那智の山に光が輝くのを見て
滝を探リ当て, 神として祭ったのが始まリ, 仁通天皇5年 (317)に滝のそはから
現在の地に社殿が遌座された, 御本殿には十三柱の神々が祭られている
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熊野造の御本殿を間近できる内庭は正式参拝の時だけ入場できる. 御本毀の前に
は八咫鳥が化身したという烏石, 熊野のシンボル八咫鳥は熊野の神々の使い.
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当然要用那智の滝の高さにちなんだ133cmの名物ジャンポおみくじ求簽啦!
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境内に枝を広げる樹龄800年のクスノキは平安盛のお手植えと伝わる御神木.
願い事を書いた護摩木¥300を手に洞をくぐって開運祈願を.
往【那智山青岸渡寺】~那智の滝で裸形上人が感得した観世音菩蕯を安置した
のが始まリ. 西国三十三カ所霊場第ー番札所として知られる. 豐臣秀吉が天正
18年 (1590)に再建した本堂は国の重要文化財に指定.
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行畢后往前走, 便是【三重塔】~朱紅色的三重塔是那智山的標誌, 江户時代曾經
燒毀, 於1972年重新建造, 塔上可欣賞到那智瀑布的美景.
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既然瀑布美景咁靚. 便再往【那智の滝】(飛瀧神社)~原生林に包まれた高さ
133mの断崖から流れ落ちる荘巌な滝で, ー段の滝としては日本一の落差を誇る.
「那智の扇祭リ」は毎年7月14日にこの滝の前で執リ行われる.
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除了可正面在飛瀧神社前觀賞外, 也可付費¥300登上御瀧拜所舞台, 近距離感受
瀑布的氣勢, 
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当日天氣晴朗, 可看彩虹反射在瀑布上, 真是幸運呢!
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之後乘バス到「大門坂駐車場前」下車, 歩10min至【大門坂茶屋】~起業16年,
熊野古道を旅した平安貴族風の衣裝の着付けをしてくれる. 大門均の夫婦杉周辺
で記念撮影を楽しめるモデルコース¥2000 (所要時間1時間)と那智山に上って
散策できる体験コース¥3000 (所要時間2時間)から選べ, 女性.男性.子供用の
衣裝が揃う.
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可租平安服到【大門坂】~那智山へかう參詣, 夫婦杉から大門跡まで約600mに
渡って石段の道が続く.  因時間關係,我只好租借平安服來拍照, 工作人員只用了
10分鐘就幫我完成裝身, 又幫忙拍照. 剛巧碰見80歲老板娘在, 因她本人經常在
テレビ出現, 便請求她ー起拍照,
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之後折返回紀伊勝浦, 吃過下午茶, 
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就回ホテル, 晩上到車駅附近【bodai 母大】~這間開業11年的母大, 這店的名物
「新鮮生まぐろ」是把新鮮まぐろ沾上麵包糠略略泡油製成炸まぐろ塊, (就是下
圖左上方)味道是外脆皮薄,內軟的口感, 有不同層次的享受.之後回ホテル休息.
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1/30 早上7時先到附近的【勝浦漁港魚市場】, 參觀呑拿魚拍賣, 因前天ホテル的
員工告知可不用予約見學 (¥1000), 可在場外觀看或到2樓觀看, 當天有過千條
吞拿魚拍賣, 親眼看到不少漁民進行拍賣,交投極為活躍. 據聞交投量高達1百噸之
多.
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因まぐろ体験CAN ¥2500 (約3時間で手作リの缶詰が完成), 3日前までに要予約,
不可即時予約, 只好放棄吧! :( 參觀完畢后, 到附近吃午飯,
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之後到觀光棧橋乘〈浦島丸〉免費接駁船到【ホテル浦島】,
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這兩張照片是翌日補拍的
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ホテル浦島~面積近21萬平方呎, 內設6種特色溫泉, 包括有山頂的遙峰の湯、可
以看到海景的天海の湯、人氣最強半露天洞窟溫泉的忘帰洞 (照片是ホテル提供)
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不露天洞窟的玄武洞、
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磯の湯、
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滝の湯
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還有沿著150米長電梯上最頂的「山上館」, 剛巧當日在忘帰洞門口旁面有個指示
牌上面寫『平成28年9月1日よリ平成29年9月30日まで, 山上館の耐震工事に
伴う休館, 山上館ご利用ない施設如狼煙山遊園、浦島稻荷神社、遙峰の湯、
エスカレーター「スペースウォーカー」、展望台なと』, 沒法上去山上館, 只好
換過ゆカた便先到忘帰洞泡温泉,然後玄武洞,滝の湯,磯の湯. (記得把工作人員
交給住客的地圖, 在背面的圖顯示上蓋上所屬印章, 集斉后交回工作人員, 就可以
獲取小禮品). 吃過自助晚餐后,
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再到忘帰洞泡湯, 边泡湯边看天上星星, 十���寫意. 然後回房休息. 
1/31清晨時份, 也到忘帰洞泡湯, 边泡湯边等日出, 頓覺精神充沛, 之後吃過早餐,
取回にもつ乘船返回棧橋, 再乗船到【中の島】放下にもつ,
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就出發到串本, 出了串本駅后友人提議到樫野釣公園センタ一, 但バス来回時間不
便, 只好放棄. 到附近的串本無人不曉的【料理萬口】吃午餐, 這間小小的餐廳已
創業50之久,店內的招牌菜定平民料理鰹魚茶漬飯¥1450, 吃這茶漬飯有程序的,
首先把碗內的こぽん分半, 加入6片以醬汁芝麻輕醃的生鏗魚, 灑上兩匙醬汁, 再加
入紫菜和わさび, 就品嘗到鰹魚鮮味,之後把餘下的加在ー起, 倒入熱茶, 這可以吃
到两種不同的味道, 味道不錯.
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之後回中の島, 這ホテル是所建在海中心的 (照片是ホテル提供), 座擁無敵海景, 毎
間房間都可以看勝浦灣的景緻,
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館內有山上頂的潮聞亭, 但也有指示牌寫著『平成29年1月10日~4月27日まで, 
進行耐震工事の為, 潮聞亭のみ休館, 潮聞亭上から行ける山上逰歩道にある足湯
と魚魡リ場も御利用ない. 這表明島内に溫泉6本を保有し, 1日800トン, 毎分560
リットルと豐富な湯量を誇る天然溫泉です. すべて温泉掛け流しの 天然溫泉で
す. 還有眼前美景盡入眼底的源泉かけ流入露天風呂「紀州潮聞の湯」, 像海與
溫泉连在一起. 1階的男性露天風呂比較開掦, 而2階女性露天風呂, 有竹簾做阻隔.
也可到大浴湯,
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要付費的貸切露天風呂, 足湯『空海(そらみ)の湯』, 先換過ゆかた后到2階泡
紀聞の湯, 雖然沒有男性露天風呂開揚, 但也可以逺處看到船隻駛過, 船上人們看不
清楚島上的. 之後去餐廳吃已予約的釜飯料理, 好豐富呀! :p
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吃畢后, 經過大堂剛巧有個小型音樂會, 友人留下欣賞, 而我回房間稍作休息, 又再
次去泡湯, 之後會房間休息.
2/1  清晨時份, 也边泡湯边等日出, 然後吃早餐, 取過にもつ, 便回JR紀伊勝浦駅,
出發到【城崎溫泉】,最好選擇由京都出發, 只需時間2hr20min, 而我們由紀伊勝浦
出發, 所需時間7hr, 到逹已是下午5時許, 這裡兵庫県城崎溫泉名物是但馬牛と
松葉蟹. (建議最少住一晚)
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大部份店鋪巳休業, 只餘少部份还在營業,  (翌日補拍), 在車駅走出就看到大大隻
螃蟹鉗標誌, 駅前的湯飲場, 可試喝溫泉水, 味道就..........
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先到旅館辦理入住手續, 職員奉上可泡七湯牌子, 吃過晚餐, 就出發去駅前七外湯
之一「さとの湯」 (翌日補拍)
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之二「地藏湯」 (翌日補拍)
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之三「柳湯」 (翌日補拍)
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之四「一の湯」, (翌日補拍) 剛巧今天休日, 留待翌日去泡湯
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之五「御所の湯」 (翌日補拍), 這個旅館推介的, 因有水柱可按摩
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之六「鴻の湯」 (翌日補拍)
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之七「まんだら湯」 (翌日補拍) , 因當晚太黑找不到, 翌日休日, 最終沒法泡湯.
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所以共泡了六個湯, 因每個都試, 所泡時間很短. (要留意各泡湯的時間和休日).
2/2 翌日清晨, 就排隊進「一の湯」, 内裡是不露天洞窟溫泉, 我個人頗喜歡, 所泡
時間頗長. 之後回旅館吃早餐, 街上店舖開始營業, 海鮮店的海鮮又新鮮又便宜. 
於是我們去掛著大大隻螃蟹的「りなば」鮮魚店旁的食店,
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因時間还早, 店內沒太多人, 於是到售票機前購買食劵, 我們揀選了「かにコース
(全六品) ¥3500, 套餐有蟹蓋焉、蟹湯、蟹腳刺身、烤蟹腳、炸蟹腳天婦羅なと.
之後去附近的「茶屋」買了但馬牛まん¥300 和
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螃蟹まん¥300
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剛巧又到中午1時左右, 到小宿緣附的但馬牛的專門店~三國屋, 吃但馬牛午餐,
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甫入店內坐下, 店員奉上meau, 我們選了特選「但馬牛ステーキ 御膳」
(但馬牛ステーキ 100g) ¥4800, 套餐有先付、サラダ、但馬牛ステ一キ、ご飯、
お味噌汁、お漬物. 雖但馬牛有少計油鎌, 但味道名不虛傳, :P
城崎溫泉有得食但馬牛和螃蟹, 又有7個泡湯, 值得重臨的.
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之後到旅館取にもつ, 返回大阪.
2/3 吃過早餐, 便出發去白浜とれとれ市掦, 
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到達時, 剛巧有進行吞拿魚解體, 有不少遊客和本地人站着觀看, 等待準備購買.
我們也有購買
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也買了些海鮮(只需1萬左右, 十分便宜), 拿到市場旁焼烤場, 
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吃畢后,臨走前不忘買紀州南高梅啦! :P  
之後乗車回大阪, 到道頓堀吃晚餐, 之後回去休息.
2/4 吃過早餐, 到附近黑門市場诳诳, 就乘車到神户, 吃神户牛啦! 在Jr三の宮駅下
車, 歩至友人想到「ステーキランド  神户館 Steak Land 」在網上有不少網友推
介這店超好吃又便宜的神户牛排午餐,位在阪急三宮駅對面, 但現場肉眼看有不少
排道人龍, 最少排2hr以上才可入內, 附近分店也要排1hr以上, 因為今天旁晚乘夜
機返港, 只好放棄. 
於是去由台灣女星林x玲推介 「神户ステーキレストランーモーリや  本店」,
這裡的 Mouriya選用但馬牛是神户牛的素牛, 神户牛是一個品牌, 據講要在神户
肉流通推進協議會注册的指定農户或兵庫県內指定食肉中心養的牛在A、B等級中
BMS值, 達到6級標準以上, 才可稱為神户牛.
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因我們沒有予約, 店員把分店咭片Mouriya 澟 給我們, 在Queen’s course 大樓2/F,
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甫店坐下, 店員奉上午餐meau, 我們選了神户牛ランチ的ランプステ一キ 150g
〔A5〕¥6900, (上記コ一スにはスープ、サラダ、焼き野菜、パンまたはライス
香の物、咖啡または紅茶が付きます. 雖然價錢並不便宜, 既然來到神户, 就要食
神户最出名的美食超特選的神户牛啦! :)
因Mouriya モーリや料理方式是鐡板燒, 可以看到廚師烹煮手藝.
廚師會先在烹煮前把所選牛排, 放在鐡板前給顧客看看, 之後烹煮.
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主菜這六塊小小的ランプステーキ, 眞是不便宜, 雖然已選五成熟, 但仍有很韌.
味道尚可,
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另付費配上炒飯.
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當日廚師心情麻麻, 全程沒有表情呢! :(  
然後帶著滿足的肚子離開, 回ホテル取にもつ到機場, 旁晚乘夜機回港.
經過這十二天的旅程, 可以嘗到日本三大和牛:松板牛、.但馬牛.
也泡了四日溫泉, 好滿足, 雖然在旅途中, 產生不少驚險的事情, 但都是美好回億.
又係時候開始計劃下次東北之旅.
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theatrum-wl · 8 years
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【劇評】高校演劇関東大会(東京会場)全作品レビュー(その2)
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高校演劇関東大会第二日(12/30)の上演校のレビューです。
【静岡理工科大学星陵高等学校】『あたらしい憲法のはなし』 作:柴幸男 ・まず中央の「浮島」に見立てられた壇に女性が一人、上陸する。この浮島にそれからどんどん人が上陸してくる。最初にこの島に上陸した女性は人がよく、漂着した人がどんどん受け入れていく。しかし人が増えると、土地所有の概念が生まれ、この島は最初に上陸した女性を総理大臣とする「たまたまの国」になる。その後に上陸した人たちは、「国民」になった。漂着する人びとは、移民や難民のアナロジーである。この小さな領土にどんどん人がやってきて、島の領土はどんどん密集状態になっていく。オリジナルの柴幸男の演出スタイルがよく研究・分析されていた。「えーっ!」といった集団で一斉に声を揃えて答える斉唱台詞が効果的に使われている。むしろ柴のオリジナル版より、今回の高校生版のほうが劇の寓意性、「ままごと」感が強調されていて適しているようにさえ思えた。(片山)
・一昨年には「ブルーシート」など高校演劇として意欲的な作品選択をしている演劇部だと思います。役にあったキャストをあれだけの人数そろえられるだけでもすごい部だなと思えます。(マユズミ)
・柴幸男の戯曲を上演。人間社会が必ず何らかのルールを必要とすることを身体感覚のレベルで納得させる優れた教育劇である。丸い島に一人ずつ様々な事情を抱えた人がたどり着き、国民となり、国を形成していくようすを生き生き、はつらつと演じた。だが一言ずつ区切るセリフの言い方や、一斉に打たれる相槌などが、見ていて徐々にしんどくなった。もう少しメリハリがあるとよかった。この作品の大きなポイントは、「国」から離れ、自由に生きている白い服の女性だと思うが、今回の上演ではその存在が浮かび上がってくるところまではいかなかった。(友田)
・柴幸男作の戯曲。既成の場合、その戯曲をどう解釈し、自分達でどう演じるかと言うことになる訳で、そこはしっかりと、役作りも出来ていたと思う。 正に今、我々に突き付けられている大きな問題。現政権が、憲法を改正しようとしている時事性の高い題材。ある小さな島に人が住み、人口が増える、鳥貴族、服を盗まれた人、まったく小学生に見えない小学生(実際高校生にしても大きい)と言った住民を統制するのに憲法を作る過程、国内紛争を寓意的に見せる。ふんわりとしたムードにつつまれた作品だった。タレント議員への揶揄などはあるが、元の戯曲そのものに物語性は持たされていないので、ただ立憲の過程が示された様に受け取ってしまった。それで十分なのかもしれないが。(町田)
【千葉県立松戸高校】『見よ、飛行機の高く飛べるを』 作:永井愛 ・永井愛の傑作戯曲の高校演劇版。高校演劇では珍しい新劇的なリアリズム演技が選択されていた。そしてそのリアリズム演技にしっかり演出が入っていることが最初の数分でわかる。そのクオリティの高さは驚くべきものだった。良妻賢母教育を目標とする大正期の女学校で、平塚雷鳥の『青踏』や与謝野晶子の著作、そして自然主義の小説に触れ、女性の抑圧に抵抗し、自由と自立を圧倒的に不利な状況のなかで求めようとけなげに戦う女学生の物語だ。現在の女子高生がこの作品の中で生きる大正の女子高生を演じることで、大きな劇的効果を獲得していた。過去の時代に、自由を求めて果敢に戦った女学生を描くこの戯曲を、何とかして自分たちの物語として受けとめ、演じたいという切実で真剣な思いが舞台から伝わってきた。彼女たちは大正期の女学生の闘争の物語を自らの物語として引き受けることで、自分たちの殻を打ち破り、さらに高みに上っていこうしているように思えた。こういう高校生が現実に存在するのだ。私が今年見た演劇作品のなかで最も感動が大きかった作品かもしれない。(片山)
・永井愛の作品を上演。婦人運動の先駆者・市川房枝の師範学校時代をモデルにした作品を、そのほぼ百年後に、同年代の女子高校生たちが演じることに大きな意義を感じる。それにふさわしい、力強い上演だった。市川にあたる主人公・杉坂初江は、友人が男性と話しているのを見とがめられて退学になったことに抗議し、授業ボイコットを始めるが、徐々に孤立し、最後に残った親友・光島延ぶも愛する男性との関係からボイコットを抜けていく。今回の上演は華やかな衣装で観客の目を惹き、的確な演出・演技で物語に引き込み、感動へと導いた。先覚者の孤独な栄光を、ただ一機、空高く飛ぶ飛行機に形象化した結末に、胸が熱くなった。関わった生徒達も感じるところは大きかったはず。こうして受け継がれていくものを信じたい。(友田)
・既成脚本による質の高い上演を続けている印象がある部です。パッと見の装置や衣装のレベルの高さですぐに引き込まれます。女学校の生徒たちの演技も物語に自然に引き込むものでした。一方で、校演劇において大人の男性役というのが鬼門だな、と思うところがあって、今回も女子の演者が年齢が近い分やりやすさもあったと思うのですが、男性にはもう一つ、魅力がほしかったな、と思いました。(マユズミ)
・ブラボー!今回の圧倒的なお薦めの作品。凄いものを観せて貰えた。観終わって興奮を誰かに伝えたくて、ロビーに知り合いを探しました。 舞台の上には明治の女子師範学校の女学生達が生きていた。現代の女子高生が演じて血の通った女学生が居た。あの先生達はそう、先生だった。美術も素晴らしかった。 些細なことに過ぎないけど、スポットライトがずれてしまったことがあったけど、他が非の打ちどころなく素晴らしかったからこそ、そのことが目立ってしまうくらい、演出、役者、美術、衣装、演技、所作、音響、効果、パワーと緻密さのバランスが素晴らしかった。袴の裾の線の本数で学年が判る工夫も良かった。 校長と順吉は改善の余地があった様な気が。あそこまで美術に拘るなら扉のノブがシリンダー錠だったことが惜しい。 杉坂を演じた生徒の方、ささやき声をしっかりと劇場全体へ届けていた。今回何校か台詞が聞き取れないことが有ったが、松戸高校の役者、台詞がしっかりとしていた。時代の差を感じて考えさせられる作品。 個人的には有料であっても観に伺うレベルの作品だと。この配役で再演があれば何を置いても伺います。素晴らしい作品をありがとう!(町田)
・秀作でした。この作品は以前大学生がやっていたのを拝見したこともあって、とても好きな本です。60分にまとめて果たして大丈夫なのだろうかとも思いましたが、十分にうまくまとめてくれていました。物語としては恋愛が出てくるのがやや急だという声もありましたが、それに至るまでの小さな所作ひとつひとつで「ああ、好きなんだろうな」と感じさせていて、しっかりと60分の流れの中で展開にも感動することができました。役者もスタッフもレベルが高く、とても丁寧にこの脚本の世界観を表現していて、素晴らしい上演だったと思います。(中村)
【山梨県立上野原高等学校】『575』作:加藤さやか・はやおとうじ ・100年の歴史を持つとある高校の文芸部が舞台。部室のセットが素晴らしい。中央上部に出入り口。そこから階段で下に降りると部室になる。階段の両側には本棚が広がっている。今から50年前、1966年の文芸部と現在、2016年の文芸部の様子が交互に提示される。1966年のパートを顧問の先生が書き、2016年のパートを生徒が書いたとのこと。劇中ではこの二つの時代のエピソードを部分的にシンクロさせながら、時を超えて人をつなぐ文芸の讃歌を爽やかに描き出していた。(片山)
・県大会での舞台美術を公開しておられ拝見した瞬間素晴らしい作品ではないかとの予感。そして期待に違わず素晴らしかった。文芸部の部室、50年前と100年前と今が繋がる。50年の時代を切り取るだけでなく時の綾を紡いでいる。 観る人によってかなり見え方が違うのだろうなと。1966年は私は既に小学校5、6年。ちょうど劇に出てきたウルトラマンやイヤミのシェーが流行っていた。観劇した高校生達は見ていても50年の時の流れは想像も出来ないだろうが、私はもうそれだけ生きていて、その意味でも時の移ろいが心に滲みてくる作品だった。 50年前の先輩からの宿題の連歌、先に下の句の77が遺されていて、あとから上の句の題名にもなっている575を詠むのが、短歌を50年掛けて創る。 小道具もガリ版を置いていたり凝っていた。バルコニーのシーンも印象的だった。部長が居なくなるところの見せ方が判りづらかった。 1916→1966「乙女らの胸凛と張り声涼し」←「早や出立は告げられている」 1966→2016「時かける少女たちの眼差しは」←「風に乱れる髪をみている」(町田)
・部員と顧問が過去と現在、別々のパートを書いて、一本の戯曲を作るという意欲的な創作に挑んだようですが、個人的には序盤でうまく乗り込めずに最後までいってしまいました。(マユズミ)
【静岡県立三島北高等学校】『ラフ・ライフ』作:新堀浩司 幕前での漫才から始まる。若い夫婦のやりとりを描写するこの漫才がなかなか上手く、客席からは笑いが起こる。漫才は5分ほど。幕が上がると場面は学校の教室。脚本の設定に無理があるが、希役の女の子の可愛らしさ、健気な雰囲気とサブ・キャラクターの遙、そして生徒会副会長の荒井など登場人物がいずれも魅力的だった。特に生徒会副会長の荒井を演じた俳優は、その存在の喜劇性、インパクトについては天性のものがある。ひょろっと細長い男の子なのだが、彼の話し方、動きが可笑しくてしかたない。彼が出てくるだけで会場から笑いが起こり、彼が何かすれば爆笑を巻き起こす。反則的と言っていい強烈なキャラクターだった。滑舌が悪くて言っていることがわからなくても可笑しいのだから。(片山)
・開演のベルが鳴る、スタンドマイクが一本幕の前に置かれる。(また幕が上がらないのか?と思った。 ある方から伺ったのだけど、コーチの方が一緒で……)。で幕の前で漫才が始まり、この伏線が後で見事に回収される。 あの日めくりの「本番」なる看板を当日の朝、劇場の前で拝見すると言う偶然が有って、ああなるほどあの文化祭までのカウントダウンのあと、最後は「本番」ってなるんだと一人ニヤニヤしていました。 登場する5人の演技が切り立っていて濃い。主人公の希が顔見知りの男子生徒に夫婦漫才をやろうと頼み込む。その理由が少し「?」 まあ漫才をやりたい理由としては無理がある様に思いましたが、それが気にならない構成の旨さ。皆演技が上手いし、演出も良い。ありゃあ、ラストシーンでみんな泣きますよね。いたたまれなけど笑えて、また泣かされて。 支えようとする仲間たちの気持ちが暖かく伝わってきて、嬉しくなりました。(町田)
・爆笑というものでもないですが、幕開きの漫才で暖かく会場に迎えられてやりやすかったんじゃないかなと思います。さらに序盤で力技というか、キャラクターの強い役を思いっきり演じているのが分かり、最後まで楽しく観れました。(マユズミ)
【早稲田大学高等学院】『死神』作:早稲田大学高等学院演劇部 ・落語の『死神』の設定を一部利用した創作作品。寓話が理知的・教訓的に陥りすぎていて、しかもそこで提示される教訓めいた内容が陳腐でつまらない。斜に構えたシニカルな風刺が鼻についた。(片山)
・上野原高校の感想でも書きましたが、歳を重ねて来た者として、教訓的な部分、理詰めで考えた寓話に薄っぺらさを感じてしまった。神が、上位の神に、ヒエラルキーの発露である敬礼をして、指示を了解することを表するってどうなのかなと言った様に、神としての演技にしては疑問を感じ��り、上位の神がみんなに演説をぶつ辺りの不自然さ、あるいは軽さを感じる部分についていけなかった。作品の発想は素晴らしと思う。同世代の高校生の皆さんの受け取り方は全く違うものだろうと思う。年寄りの戯言ですね。 死神の、立川談志の様な洒脱な味が良かった。(町田)
・都大会に続き二回目の鑑賞だが、実にクールな作品だと再確認した。遠大な時間・空間、神々までを含む作品世界を、いくつかの箱、白と黒の簡素な衣装だけでミニマリスティックに表現。特に、神の象徴でもあり、死をも表現する白いマントの使い方はクールだ。一方で、どうしてもセリフが先行するきらいがあり、演劇作品としての物足りなさにつながっていた。なお、「女性にとっては頭脳よりも容姿の方が重要だ」ととれるセリフがあり、前回見たときも気になったが、この際指摘しておきたい。このセリフは文脈上、作者自身の考えと思われるが、認識として間違っているだけでなく、作品に対する評価を下げてしまったのではないか。(友田)
・高校演劇では緞帳が下りているのが当然というところがあるので、それをいじるだけで変わったことをしているな、と観られるところがあるのが不思議なところです。男子高校生集団が自分たちの思う面白さを見せつける作りだったのではないかと思います。(マユズミ)
【神奈川県立大船高等学校】『戦記 空より高く』原作:サン=テグジュペリ「星の王子さま」 作:のまさとる ・50人以上のキャストが出演するミュージカル仕立ての大スペクタクル。今大会の上演作品のなかで異色の大作だ。「星の王子さま」の物語をベースに、太平洋戦争での特攻隊帰還兵の実話をからませた話だった。特攻隊員が出会う人物・動物は平安時代の安倍晴明、江戸の呑み助、黒船のペリー、広島の極道の妻、紅天狗茸、黄色い花、伏見稲荷神社の狐など無茶苦茶である。こうした時空を超えて特攻隊員たちの前に現れる人物は、それぞれ奇抜な扮装をしてソロや集団で歌や踊りを見せる。混沌としたデタラメのレビュー・ショーが中盤延々と続く。このハチャメチャな展開をつなぐのが、「星の王子さま」のエピソードと繰り返し歌われる「螢の光」である。ここまで大規模で華やかな音楽劇は、高校演劇の枠組みではなかなか作れるものではない。(片山)
・サン=テクジュペリの『星の王子さま』をモチーフにしたミュージカル。原作の飛行士を太平洋戦争末期の特攻機の乗員三人に置き換え、謎の島に不時着した三人が少年・星野桜次郎などの不思議な人物に出会う。様々なパフォーマンスの中で、乗員三人は日本に残してきた恋人などと再会し、生命の大切さに目覚めていく。楽しく華やかな群舞や歌、大仕掛けの大道具など、ショーとしての完成度は高かった。そこに盛り込まれた作品世界はいわゆる「平和教育」の範疇に入るもの。やや型どおりで、高校生の演じる作品としては物足りないと感じた。(友田)
・大船高校といえば独自のミュージカル路線をとっていて、今回も存分に魅せてくれました。次から次へと様々な出し物で登場させるのですが、そのパフォーマンス自体はプロ顔負け、というようなものでもないのですが、多くの部員で作ろうという部としての芝居作りを徹底しているのがよく表れているのかなと思います。今回は時代を飛び越えた登場人物たちが次々現れる印象が強く、総決算といった感じで、個人的に年末最後の観劇にするにも気持ちのいい上演だったと思います。(マユズミ)
・部員数が90名程度。スタッフ専任が3名ほどだろうか、それ以外はキャストとして出演。こんな大所帯、どんな部なのかと校名で検索すると2番目に「大船高校演劇部」と出て来る。HPを見ると土日は練習で休みは月2回くらいと有った。練習が凄い超強豪校だ。 作品は回転する舞台を中心に据えた大掛かりなミュージカル。ベースが星の王子さま。最後の全員でのコーラス、パワーに打たれ涙が滲む。ただ、あの日本史を辿ってゆく歴史の一コマ、一コマ、この劇中劇が何を伝えたいのか受け取りきれず、それらが、どう不時着した特攻隊の3人と繋がり展開しているのか拾えなかった。 ミュージカルとなると、比較する対照がこの大会の他校にはない。全国へ行く学校を選ぶ大会で、この学校の作品と他校の作品をどうすれば比較できるのだろう。ただ演劇は本来比較するものではないのだろうが。(町田)
・こちらも地区大会で拝見しています。大団円の力強い上演でした。星の王子さまをベースに、戦後71年後の今というこの時間と空間を意識した作品。大人になった兵士たち、子どもの心を持つ王子たち。色んな時代の光景を見せる。いつの時代だって人間は変わらず、見た目や色恋、金、酒。きっと71年後だってそれは変わらない。一輪の花を愛する心だって、きっとそのはずだ。それなのに人間は、同じ人間を殺す、戦争をしている。演じている皆も観ている観客も全て皆、今ここにいて、71年後の世界に生きている。空より高く、その心を持って帰った彼らが71年後に見る世界。2016年のラストを飾るに相応しい記念的な公演のように思えました。(中村)
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kazuyoshi1000 · 7 years
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【八幡神社】(やはたじんじゃ)奈良県吉野郡
【八幡神社】(やはたじんじゃ)奈良県吉野郡
県道に面したところに石段があり、二百数十段程上ると社殿に達する。社伝によれば貞観四年、善城山頂字宮辻に奉斎したと伝えられている。延元の初め後醍醐天皇吉野山に皇居を構えられた頃、善城与市郎成喜これに朝仕した。よって綸旨、刀剣並に公文姓を賜わった。後村上天皇の時、成喜の男成喬、賀名生の皇居に勤仕したが、明徳三年南北の両朝一に帰し南帝都に御還輩の際、成喬は累代の朝恩の忝なさに名残を惜しみ、当社に参拝し氏神と奉敬した。 天保十五年九月廿四日鳥居瑞籬破損により建替、鳥居は高さ八尺であったが現存しない。その後嘉永四年十一月本殿・御供所・拝殿等大破したので建替している。又明治廿二年八月十三日後醍醐天皇、後村上天皇の御神霊を御木像に移し奉り奉祀した。 本殿は春日造、檜皮葺、白木(一坪三合)。境内は三百三十六坪で、神饌所、拝殿、遙拝所がある。例祭は十月十五日。
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