南船北馬の精神史 老荘思想 / 道教 - 古代中国の思想史 - 福永光司 (元京都大学人文科学研究所) - YouTube
See on Scoop.it - Brain & Soul
南船北馬の精神史 ー古代中国の思想史ー
元京都大学人文科学研究所長
福 永 光 司(ふくなが みつじ)
大正7年大分県中津市生まれ。昭和17年京都帝国大学文学部哲学科卒。復員後、京都大学助手、高校教師などを経て、昭和36年京都大学人文研助教授、45年教授。49年東京大学文学部教授を経て、55年京都大学人文研所長となり、57年定年退官。同年関西大学教授。61年北九州大学教授、平成元年退職。荘子、老子研究の大家。近年は天皇制の思想、信仰を道教の観点から解明する論文を発表。著書に「荘子」「老子」道教と日本文化」など。
wiki :
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%B0%B8%E5%85%89%E5%8F%B8
ききて 白 鳥 元 雄
ナレーター: 大分県北部、福岡県と境を接する中津市。天正(てんしょう)年間に黒田如水(じょすい)によって築かれ、昭和三十九年に再建された中津城が冬の空にくっきり聳えています。江戸時代から奥平氏十万石の城下町として栄えた面影を今に伝える町です。中津城からは北に周防灘(すおうなだ)、東に国東(くにさき)半島、南に耶馬渓(やばけい)の山々を望むことが出来ます。今日お訪ねする福永光司さんは、大正七年にここ中津市でお生まれになり、京都大学で中国哲学を専攻され、特に老荘(ろうそう)思想の研究で知られております。京都大学、東京大学などで教鞭を執られた後、昭和六十一年から、故郷へ戻って研究を続けておられます。市内南高瀬のお住まいで、温かいコタツに当たりながらお話を伺いました。
白鳥: こういう柔らかい陽射しに包まれ��畳のお部屋で、漢籍を丹念に読んでいらっしゃるお姿などは、どうも帰るべき故郷(ふるさと)を持たない私から言うと大変羨ましいんでございますがね。
福永: ええ。一応、郷里に帰ることが出来て、非常に静かなところで、その点は帰って来て良かったと思っております。
白鳥: それにしても膨大なご本ですね。
福永: そうですね。あるのは書物ばかりで。ちょっと農村の中では奇妙な感じです。私はこの村で生まれ育ったんですけれども、五十年程離れていましたから、ちょっと村の人たちと違和感がありまして。
白鳥: ああ、これはしょうがないですね。
福永: 私としてはゆっくり書物を読めますし、東京や京都のような騒がしさとか、同僚との言い争いや、負けん気を起こすことも憎みあうこともありません。その点は非常にいいと思います。
白鳥: このお部屋に入りまして、先ずこの額がパッと目に入ってきましたですね。これは賢治という署名から見ると、宮沢賢治の言葉なんですか。
福永: ええ。言葉は宮沢賢治の言葉ですけれども、書いたのは宮沢賢治じゃなくて、私の京都大学学生時代からの友人で、素晴らしい��を書く人がいまして。この額が目に入りましたので「是非譲ってくれ」。
風とゆききし
雲から
エネルギーをとる
「風と雲というのは、これは荘子の逍遙遊の哲学のキーワードなんだから」ということで譲ってもらったんです。
白鳥: そうですか。 風とゆききし雲からエネルギーをとる
福永: はい。風の文学というのは、中国では荘子から始まるんですね。それから雲の文学もやはり荘子から始まります。荘子の言葉で言いますと、
千歳(せんざい)世を厭(いと)えば去りて上僊(じょうせん)し、
彼(か)の白雲(はくうん)に乗じて帝郷(ていきょう)に至らん
(『荘子』天地篇)
「千歳(せんざい)世を厭(いと)えば去りて上僊(じょうせん)す」。白い雲「白雲に乗りて、帝郷(ていきょう)に至る」。
帝郷は皇帝の帝という字と故郷(ふるさと)の郷(きょう)ですけれども、これは上帝すなわち神の世界と言う意味ですね。不老不死の神仙(しんせん)世界という意味で、白い雲に乗って神仙世界に行くという意味なんですけれども。
白鳥: 成る程。
福永: はい。結局、現実世界と天上の神仙世界との交通手段という問題ですが、一番古いのが雲ですね。雲に乗って行き来するということ。それから今度は動物の龍に乗って、行き来するということになって、そこで雲と龍のコンビネーション(Combination)雲龍(うんりゅう)が成立します。
白鳥: はあ、成る程。
福永: それから、今度は鳥がその次に来て、鳥のなかでも鳳(おおとり)から鶴ですね。鶴に乗って仙人が神仙世界に行くというふうに。
白鳥: そんな絵も見たような気もありますですね。お目出度い絵で。
福永: ええ。そして今度は雲と水のコンビネーションで逍遙の遊びを実践する、これは後に禅宗の雲水(うんすい)という言葉になりますけれども、もともとはやはり荘子がルーツですね。
白鳥: 成る程ね。「風とゆききし 雲からエネルギーをとる」。
福永: ということで、一番のルーツは老荘の哲学です。
白鳥: その言葉に惚れ込んで、これを。
福永: ええ。是非にということで。それから私も若い時にはやはり風と行き来し、雲からエネルギーを取るということで、つまりこれは風雲児という中国語にもなりますけれども。
白鳥: 成る程ね。
福永: はい。九州の田舎から、風と雲を望んで広々とした世界に出たいという、そういう願いをもっていましたので、「この額を是非」と言って貰って来たんです。
白鳥: そうですか。成る程。そういった意味では、『荘子(そうじ)』という本を書いた荘子、或いはそれの先輩に当たる老子ですか。この老荘の思想というのは、いまその風とか雲というのは象徴だというお話がありましたけれども、基本的にはどういう考えなんですか。
福永: それはやはり”道(みち)”という言葉ですね。道路の道(どう)という言葉ですけれども、これは分かり易く言えば、”命の根源”ということです。これは京都の哲学界などで、”真実在(しんじつざい)”というふうな言葉にも訳されていますけれども、万物を万物として成り立たしめている根源的な真理。要するに万物はそれぞれ命をもって生きている。その万物の命の根源。これが道ということですね。中国ではダオ Dao と発音します。ヨーロッパでは Tao タオですね。タオイズムのタオ。
白鳥: 日本ではそのように道(どう)とか、道(みち)とか。
福永: ええ。真実在と言っても、森羅万象(しんらばんしょう)の根源にあって、森羅万象、勿論、人間をも含む”森羅万象を森羅万象として、存在せしめている根本の真理”ということで、分かり易く言えば、私は”命の根源”という言葉で表現出来ると思います。
白鳥: 全ての存在を存在せしめている真理という。
福永: 根源的な真理ですね。
白鳥: 根源的な真理ですね。
福永: その根源的な真理は働きをもっているわけですね。ですから荘子の哲学の場合には、道は変化の流れというふうに、流れとして捉えていきます。私達が学んだ京都の哲学界では、西田幾多郎先生のように、”生命の流れ”という言葉で表現されます。”真実在(しんじつざい)”ということも、実は西田幾多郎先生が最初に荘子の道を”真実在”という新しい日本語で訳されたんだと思います。
白鳥: 今の一切存在を一切存在たらしめている根源的な真理、そういったある一種の超越的な存在というのをよく神という形で観念する、そういう宗教というのは多いんですよね。そうじゃなくて荘子では真理という言い方をしているわけですね。
福永: ええ。真理という言い方ですね。荘子よりも前に孔子さんという、これは儒教の開祖にされる方ですけれども、その方の場合も、やはり道という言葉を使いますけれども、孔子さんの場合の道は、先王(せんのう)の道とか、君子の道とか、支配者として多くの人達の人の上に立って、支配していく場合の理想的な人格という意味で、君子と呼ばれる。君(きみ)という字が付いていますから、これは人の上に立つという支配階級という意味を同時に含むわけですね。支配者として人々を治めていく立派な人格をもった人を君子と呼び、その君子のあり方が道(みち)ですね。
白鳥: そういうところから道徳律みたいなイメージが出て来るんですかね。
福永: そうです。しかしその君子の道は後生の人が勝手に作るんではなくて、先王の道、ずっと中国の古くからの理想的な支配者、帝王、天子(てんし)さんが作られたものなんですね。
白鳥: そうすると、その老子、荘子の言った道、それとはちょっと違うものですよね。
福永: 違うんですね。だから儒教の場合でしたら、やはりこれは家族制度を基盤において、祖先崇拝ということが重要視され、その祖先は天の神と繋がるというふうに考えられる。天の神、これを上帝(じょうてい)、上の帝王(ていおう)と書きますけれども、上帝とか、天帝とかいうふうに呼んで、その天の神の委託を受けて、地上の皇帝が出現してくるというふうに説くわけですね。
白鳥: 成る程。老子、荘子の場合にはそういう孔子の考え方とはちょっと違って、むしろ道というのは別な一種の観念とか、概念とかというふうな、そういったものに使っていると。
福永: そうですね。
白鳥: そういう老子とか荘子、これは確か西暦紀元でいうと、紀元前四世紀とか、五世紀という方なんですね。
福永: 孔子さんの場合が前六世紀、荘子さんの場合が前四世紀ですね。老子はずっと中国では伝統的に孔子さんの師匠ということになっていますから、孔子さんよりも先輩ということになります。ただし今残っている『老子』という書物の成立は、大体、前三世紀の頃であるというのが、一般の定説みたいになっております。
白鳥: そうですか。その老子とか、荘子、つまり老荘思想と言われて、思想家であり哲学者なのですね、神様というような超越者の存在ではない、そういう基本原理としてのタオ、道という観念が生まれたのは何故なんですか。
福永: ええ。それは結局、孔子さんの儒教の場合は、人間とは何かを為す存在であるということで、何を為すか、如何に為すかという”為す”に重点をおく。これは作為もしくは有為という中国語を使いますけれども、何を為すかということを一貫して重視する。孔子さんの教えは要するに「有為の教え」である。
白鳥: 有るという字に為すという字で、有為(ゆうい)。
福永:�� 「為すこと有らん」というのは、これは孟子の言葉で、『孟子』という書物の中に見える言葉ですけれども、儒教は有為の教えであるとされる。しかしこれは一種の理想ですから、現実にはその通りにいかない場合がある。例えば親が亡くなったら、子は三年の喪(も)に服し、その間は夫婦の交わりをしてはならないとか、いろいろな細かい規定があるんです。実際に三年間それを守るということは不可能ですから、結局、表と裏の二重帳簿式の一種の誤魔化しが横行するということになります。そういう誤魔化しをもう一度根本から洗い直すということで無為の教えが説かれる。出来るだけ人間のすることを切り捨てていって身軽になるという切り捨ての方向ですね。有為の教えというのは積み重ねの努力を積み重ねていく。それに対して、出来るだけ切り捨てていって身軽になる生き方。それで道というものが人間を含む一切万物を一切万物として、成り立たしめる根源の根源であるということになります。ですから儒教で上帝とか天の神とか言えば最高の存在ですけれども、その最高の上帝や天の神をも天の神として、成り立たしめる根源の真理がタオであるということになって、上帝や神を上帝や神として成り立たしめる根源の根源の真理がタオということですから、つまり宗教を宗教として成り立たしめる根源の根源の哲学的真理とでも言ったらいいかと思います。
白鳥: 成る程。儒教が人のあり方というのは、つまり人の存在をいわば前提として、こうあるべきだというような形の一種の道徳律への教えと。
福永: ええ。そうですね。儒教の教えは政治倫理の教えという言い方もされます。
白鳥: それに対して道の教え、道教という言い方もありますけれども、道の教えの方はそうじゃないんだと。人間というのはもっと根源的に考えると、こういうものなんだということなんですね。
福永: 宇宙と人間の根源にある真理は何かと。
白鳥: しかも人というのは相当混沌(こんとん)たるものだと、そんな綺麗ごとでは済まないんだという。
福永: ええ。そうです。それは実際に偽善が横行する社会であると同時に、戦国時代という戦争に明け暮れて、丁度、戦争に駆り出された私達と同じように、朝起きたらその日の命があるか、ないか保証はないという、そういう状況の中で人間とは何か、自分が生まれて来たということはどういう意味を持つのか。やがて死ぬということは大きな流れの中で、どういう意味を持つのか。人間とはどこからきて、どこへ行くのかとか。そういった問題を考えざるを得ない状況に置かれて、道の哲学が成立したというふうに考えたらいいんではないかと私は思います。
白鳥: そうですか。
福永: 一番の老荘の哲学のスタート点は、この自分の命というのがどのようにして成立したのかということ。それからこの命を全うする為にはどのようにしたらいいかということで、これは荘子の中の言葉ですけれども、「生を全うし身を保つ」「全生(ぜんせい)保身(ほしん)」ということが、それで道教の最高の理想だというふうに説かれているんですね。
白鳥: 「全生保身」。
福永: 「全生保身」。完全の全という字に、生命の生という字、それから保健の保つという字に、身体の身ですね。
白鳥: 全生保身。
福永: ええ。全生保身。この保身という老荘哲学の言葉に対して、孔子さんの儒教の方では、これは少し極端な言い方ですけれども、『論語』の中に「身を殺す」という。「身を保つ」に対して、「身を殺して仁を成す」。儒教の最高の理想は”仁”ですから、それに対して老荘の哲学の場合は政治倫理だとか、経済軍事とか、いろいろなことを言っても、それはその時、その時のいろんな状況で変わっていくけれども、一番大切なことは”人間の命を最高の価値”とするということですね。政治も経済も軍事も全て命を全うする為に考えられなければならない。命を全うする為のサーバント(Servant)でしかないんだと。それを逆に、政治倫理の為に命を捨てるということを説く教えは、どこかずれているんではないかというのが、老荘の立場ですね。生を全うするということ、そしてこれは老荘の重要な要素である身体ですね。ここで身(み)をというのは身体(からだ)なんです。身体を非常に重視するんですね。生身の身体で命を考えていく。ですから医学と結びつき、薬学と結びつくわけですけれども、漢方医学というのは、もともと道教から始まるんですね。ですからそういうふうにして、同時に老荘の哲学は荘子の段階で生老病死、人間が生まれてくるということは、どういうことなのか。それから歳をとるということはどういうことなのか。それから病むということはどういうことであり、やがて死を迎える死とはどういうことなのかということに対して、一つの哲学が整理さ れるわけですね。それは『荘子』という書物の中にありますけれども、老荘の哲学の根本ですね。
白鳥: 儒教がいわば忠孝、そういう仁という一種のイデオロギーですね。それへの忠誠というのかな、それへの献身を最大限の徳目としたのに対して全く百八十度違う。
福永: ええ。そうです。ですから儒教の立場から言えば、とんでもない思想ということで危険な思想であると。
白鳥: 反体制ですね。
福永: だから、かって私もそういって、それは「お前の同調している、老荘の哲学というのは大変危険な思想である」というふうに、忠告されたこともあります。ただしかし、老荘の場合は今言ったように生を全うすることを根本として、生を全うする為にはどのようにしたらいいかということで、先ず最初は、鬼の道、鬼道とか、或いは巫女(みこ)さんの道、巫術(ふじゅつ)とか、呼ばれて、つまりシャーマニズム(Shamanism)ですね。シャーマニズムからスタートするんですね。神様にお願いするということでスタートするんですけれども、そのうちにやはり人間の自力で開発しなければならないということで、医学薬学が第二の段階で展開していきます。それから第三の段階で医学薬学というのは技術的な問題で、それよりも一体命とは何なのかという命の哲学が、第三段階で出て、人間の命というのは宇宙の大きな命の流れ、そこから個の命が生まれてきて、一定期間この世での生活を過ごすと、生まれる前の宇宙の大きな命に帰っていくんだという命の哲学が完成するんですね。しかし今度は第四の段階で、しかし命を全うするということを現実の世界で実現しようとすれば、やはり政治の良し悪し、それから経済の問題、それから社会のあり方、それから軍事や技術というふうな、また戦争と平和というそういう問題を考えなければ命を全うするという問題は解決出来ないんだというふうに中国で大体五世紀頃から、そういう考え方になって、そこで儒教との接合点が出来るわけですね。
白鳥: ああ、成る程。つまり社会問題と政治的な問題とその解決のための実践論ですね。
福永: ええ。ですから、四世紀を境にして、それまでの老荘や道教の哲学というのはこれはいわば反体制で体制を批判する側だったんですけれども、四世紀、五世紀の頃から体制内に変わる。そして唐の時代のように皇帝の宗教に道教がなるわけですから、そこのところは一応区別しなければいけませんけれども。生老病死ということから、命を最高の価値として、その命を全うするということを最高の目標にして、政治も軍事も科学技術もみなそれのサーバントであるという位置づけをしなければいけないというのが、老荘の「道」の哲学です。
白鳥: つまりその身を保つということは、今ある存在そのものを、つまりしかるべく生まれた道という真理によって生来した人の存在そのものを大事にするんだ。自分の命だけの問題じゃなくて、存在そのものを大事にするんだという、こういう思想なんですね。
福永: そうですね。分かり易く言えば、命を身体で捉えるということですね。霊魂とか、非常に抽象的な死後の安らかさとか、そう言った問題よりも、生身の身体で命を捉えていく。その為に医学が必要であり、薬学が必要であり、いい政治が必要であり、いい科学技術が必要である。しかしそれらは全て、生を全うする為の補助手段なんだという考え方ですね。それを本末転倒して政治的なといっても、実際はある特定の皇帝だとか、政治権力者の敷いた路線に従わないものは全部悪として、殺してしまうというようなやり方ではなくて、政治は如何にしたら人類の命を全うすることに役立つか、科学技術というものも、あくまで命を全うする為の一つのもっとも有効な手段として、位置づけられなければいけないのに、科学技術が独走してしまって、人間が科学技術のサーバントにされてしまうような世の中は、非常におかしいんではないかというのが老荘の「道」の哲学の立場なんですね。
白鳥: 成る程。先生、いまお話を伺っていると、とにかく儒教というのは、あれは漢の武帝あたりですか。
福永: 孔子や孟子の儒学が漢の武帝の時代から現実の政治教化の中に組み込まれて儒教となります。
白鳥: 国家的な儒教として、
福永: ええ。そうです。
白鳥: 儒教とそれに対抗する道教ですね。道の教えというものが、これはやっぱり中国文化、或いは中国の思想というものの中ではこの二つが綯(な)い交ぜて。
福永: そうですね。相反するようですけれども、互いに助け合うという面もあるわけですね。それから初めの間は、例えば西暦前三世紀に書かれた『荀子(じゅんし)』という書物の中で、老荘の哲学というのは、これは「天を知って人を知らないものだ」と批判するのに対して、老荘の哲学の側からは儒教というのは「人を知って天を知らないもの」と批判しますね。非常に上手く対照しますけれども、
白鳥: お互いにこう批難の応酬と言いますか。
福永: 宇宙大自然の中に人間を位置づけて、人間とは何かを問うという点では、老荘の哲学は優れているけれども、現実の世界を秩序づけ処理するという点から言うと、全然無能力だという批判に対して、老荘の哲学の側から、これは『荘子』の中にもそういう意味の言葉がありますけれども、孔子さんを開祖にする儒教は、現実の人間世界を秩序づけ処理をすることは実に上手い。けれども、人間とは本来何であるのかとか、人間を人間として成りたたしめている大きな宇宙的世界については、つまり、具体的には生老病死の哲学については、何の答えも出せないという批判で対立するんですけれども。先程申しましたように、四世紀、五世紀の頃から、皇帝はこの道教の信者になるという現象が出て来まして、結局皇帝の不老不死の欲求と道教が結びつくわけですけれども。そういうふうにして皇帝であっても、公的な政治的人格としては、秩序の形成者、つまり儒教を信仰するけれども、プライベートな個人の生活では、道教の信者になるというふうにして、同じ人格が道教と儒教を合わせ持つという現象が中国文化の中で五世紀以降出て来るわけですね。
白鳥: ほんとにこう上手くない交ぜて、時にはある一人の人格の中に二つが入り込む。
福永: ええ、だから定年までは儒教であるけれども、それが定年になって在野の人となれば老荘の哲学、或いは道教の信者になるというケースが中国では非常に多いですね。
白鳥: そうですか。福永さんは昨年、こういう儒教の文化と「道」の哲学の対比。 それと中国でも北と南の文化を対比的にお捉えになって、”馬の文化”と”船の文化”と、こういうネーミングをされましたですね。これはやはりこう全てが対応しているというふうに考えてよろし いんですか。
福永: ええ、対比して考えていいと思いますけれども。私は大正七年、一九一八年の生まれですけれども、ずっと満州事変からこのかた戦争の時代に生まれ育ちました。そして実際に戦場にも行きましたが、私が行った戦場は中国の南の方ですね。広東省(かんとんしょう)から福建(ふっけん)省、海南島の海岸に近い地域の警備をする為に駐屯していたんですけれども、戦争の時代ですから、私達は徹底して、九州は特に徹底して儒教の教育訓練ですね。「身を殺して仁を成す。敵陣に突っ込んでいくことを君の為、父の為に、つまり忠孝の道徳の実現の為に、一命を擲(なげう)って、倒れて後止むというのが、お前達の最高の生き方なんだ。最高の死に方なんだ」という教育で、徹底的に訓練を受けました。戦場は中国南方の臨海地域で、この地域は実は孔子さ���を開祖にする儒教よりも、老子や荘子を開祖にする道教、或いはそれの元である老荘の「道」の哲学。そういうものが非常に支配的な海原の文化、私は「船の文化」と呼んでいますけれども、その地域に駐屯して生活しています中に、中国の南の方の海の近くの漢民族以外の少数民族と呼ばれている人達の生活の仕方が、私の生まれ育った九州の東部の人々の生活の仕方と非常によく似ていますので、私は倭寇(わこう)の子孫がここに定着しているんじゃないかと、初め思ったんですけれどもね。一年経ち、二年経ちする中には、そうではなくて、むしろ私たちの祖先がこちらから移住してきたかも知れないという、そういう考え方に変わりました。
白鳥: 中国南部から日本へ。
福永: それから中国の文化に大きな二つの流れがあるということに気が付きました。二つの流れというのが、その一つは南の船の文化、海原の文化ですね。もう一つが北の馬の文化。これは西暦前二世紀の漢の武帝の頃から、儒教と結合します。それから南の船の文化の方が老荘の哲学と。これは前二世紀に書かれた『淮南子(えなんじ)』という書物の中で確認されます。ここでは、既に老荘の哲学と、船の文化とが結合されていて、たとえば『荘子』列御寇篇に記述されているように老荘の理想的な人格というのは、丁度「繋がれざる舟の如し」、岸壁に固定されていない舟が波間に自由に揺蕩(たゆた)う、そのような揺蕩(たゆたい)を持つ自由人であると説明しています。その揺蕩(たゆたい)というのが、これは遊びの文化であり、同時に自由の文化であるというふうにして、老荘の「道」の哲学と結合していくんですね。
白鳥: はあ、まさに船を一つの喩えにして、
福永: そうです。それから海原を根源的な真理と老荘の哲学で説く。道というのは、分かり易く言うと、それは海原だと。道は���てしなく広がる海原のようなものであるという説明が、これはやはり『荘子』(知北遊篇)の中に出て来ます。そしてまた、老子の哲学で、最高の善は君主でも家父長でもなくて、これは水である。 「上善は水のごとし。・・・水は道に幾(ちか)し」 という老子の言葉(『老子』第八章)がありますけれども、
白鳥: 水は道に幾し。
福永: ええ。そしてこの言葉の上文に「上善(じょうぜん)は水のごとし」とあります。
白鳥: それくらいに、中国と言うと、私達は一つに考えてしまうようですけれども、そんなにやっぱり北と南、そして考え方も違うわけなんですね。
福永: それを私は大体、次に述べるような七つの点で一おう区別しておりますけれども、その第一番目は”秩序と混沌”、或いは”渾沌(こんとん)”とも書きますが、
白鳥: 最初におっしゃったコスモスとカオス。
福永: まずコスモスですね。秩序という中国語は儒教の古典の『周礼(しゅらい)』という書物の中に初めて出て来る中国語ですね。それから秩序と関連して”条理””不条理”という言葉がありますけれども、条理という言葉、これは『孟子(もうし)』の中の言葉ですね。筋道(すじみち)、筋を立てる、筋を通すという意味の条理という中国語を最初に使ったのは『孟子』(万章篇)で、孟子は条理すなわち秩序だてるということは、聖人の教えの根幹を成す言葉だという意味のことを言っております。それに対して、老荘の方はカオスという言葉、混沌(こんとん)ですね。これは三水偏(さんずいへん)に、軍隊の軍の字を書く場合もありますけれども、意味は混と同じです。これは生きているもの、生きてあること、或いは命の営みを説明する言葉として『荘子(そうじ)』という書物の中で最初に使われる言葉ですね。人間が生きているということは、これは秩序だったところもあるけれども、どうしても秩序では捉えきれない何かが残るんだということですね。どうしても割り切れないものが、命の営みの中にはどうしても残るんであって、これは論理学などでいう矛盾という言葉ですね。形式論理学の矛盾ということでは到底捉えきれないカオスの状態。
白鳥: そういうものは条理や秩序なんていうことを大事にする立場からは、とても許せないことなんですね。
福永: 許せないことですけれども、
白鳥: 老荘の人達は、それをそのままカオス、混沌のまま受け取ろうじゃないかと、
福永: そうですね。やはり命の原点というものを大事にして、秩序も大事だけれども、その原点を押さえて、そこから秩序というものを、絶えず見守っていくということが必要であって、秩序というものは、一度出来上がってしまうと時間の経過とともに形骸化してしまう。そういう性質をもっている。つまり老荘の哲学では、人間の作ったものはどんなに完璧なもののように見えても、何時かは崩れ去り、滅び去っていくものだという、そういう考え方があるわけですね。しかし命をもっているもの、特にこの天地大自然、大宇宙の命の流れというものは、そういった人間の作ったものを越えたところにある。しかしそれは矛盾だとか、対立だとか、そう言った秩序の論理では説き尽くしていけない混沌とした要素を絶えず残している、それが生きていること、命というものの本質であり実態であるというふうに説くわけですね。
白鳥: これはまた本当のコントラストをなしておりますですね。
福永: そうです。その次の第二は道と関連しますけれども、老子の哲学では、「道は万物の母」という言葉がありますけれども、儒教の場合でしたら、例えば、儒教の古典の『書経(しょきょう)』という書物の中では「天地は万物の父母(ふぼ)」父(ちち)、母(はは)となって、母の上に父がのっかってくるんですけれども、老子の哲学の場合には天地万物の母であって、父がないんですね。ということは道は女性的なものが根源であって、男性的なものではなく、母として女性として表現されるということ。 これは儒教が父系制社会を基盤にし、道教が母系制社会を基盤に置くというのと対応しますけれども。それから、第三に老子は道をまた天の道、天道(てんとう)とも言いますから、そこで今、日本語で「お天道(てんとう)さんは」という、お日様(ひさま)のことですね。で船の文化では太陽という言葉を使わずに日輪(にちりん)という言葉を使ったり、今、日本語のお日様ですね。そのお日様は女性と考える。それからお日様の赤い色、これも女性と考えますね。いまNHKの紅白歌合戦で、紅というのは、これははっきりと女性ですね。しかし、私の小学校時代では、中津は江戸時代、奥平(おくだいら)藩の城下町でしたから、士族の子孫の人達がかなりいて、士族の人達は儒教の勉強を江戸時代からずっとやっておりますから、従って、お日様は太陽で、太陽の陽は男性ですから、はっきりとお日様を男性と考えるわけです。そして、お日様の赤い色、これは中国共産党の赤い旗もそうですし、日本の旧軍隊でも、赤い真心(まごころ)、赤誠(せきせい)という言葉が戦争中によく流行りましたけれども、あれは男性と繋がる言葉ですね。
白鳥: 赤は男の色だと。
福永: それは儒教の立場、馬の文化の立場からはそうですね。しかし船の文化の立場では、お天道さんは女性ですね。古事記の天照大神(あまてらすおおみかみ)ははっきり女性と書いてありませんけれども、日本書記では「須佐之男命(すさのおのみこと)の阿姉(なね)」とはっきり書いてありますから。
白鳥: 女性神ですよね。
福永: そういうことで、お日様を男と見るか女と見るかということで、一応中国の文化が二つに分かれる。それからその次の第四は、これは右と左の問題ですけれども。今、日本の人達、男も女も私のように和服の場合は、必ず左の襟を右の襟の上にして着ます。これは中国語で左衽(さじん)、左という字に、衽(じん)は衣扁(ころもへん)に壬申(じんしん)の乱の壬(じん)という字を書きます。これは『論語』の中で左衽は野蛮人だという意味のことを孔子さんが言っておりますけれども舟の文化では左が上位。左大臣が右大臣よりも上位です。これに対して馬の文化、儒教の文化は、いま日本の社会であの人の右に出る者はないという言葉がありますけれども、右上位ですね。
白鳥: 私達が和服を着る時には、左上位になっておるわけですね。
福永: ええ。左上位です。中国でも道教や仏教のお坊さんは左衽(さじん)ですね。
白鳥: 左が上。
福永: それで右を上位にする支配階級、儒教の人達の命令を聞かない人が「彼奴(あいつ)は左巻(ひだりまき)だ」「彼奴の家は左前(ひだりまえ)だ」とさげすまれる。これは儒教の文献『礼記(らいき)』にはっきりと「右を尊しとし、左を卑しとす」と書かれておりますですね。
白鳥: 右左(みぎひだり)も何か随分典型的な差が出て来るんですね。
福永: そうですね。それから第五に奇数と偶数もそうですね。日本の場合でしたら、いまも七五三行事というのが、盛んに行われていますけれども、このように奇数を重んじるのは元々中国の船の文化ですね。老荘の「道」の哲学、それを踏まえた道教という一種の宗教の儀式などで、人間の命の成長を、三の節目で押さえ、五の節目で押さえ、七の節目で確認していくという、そういう考え方があります。それが日本の古事記の神生み神話の中に取り入れられて、「三柱(みはしら)の神から別天神(ことあまつかみ)の五柱(いつはしら)、神世七代」というふうに神話の展開も、三五七になっていて、これが神(じん)社(しゃ)神道(しんとう)で、七五三行事になって、現在まで続くわけです。これは老子や道教の哲学の宇宙生成論で、「道は一を生じ」、一から三になって、三から五になって、五から七に展開していくという、そういう宇宙生成論が、根底に踏まえられています。
白鳥: やっぱり奇数が基軸になっているんですか。それに対して儒教の方は。
福永: 儒教の方は「太極(たいきょく)、両儀(りょうぎ)を生じ、両儀、四象(ししょう)を生じ、四象八卦(はっか)を生ず」というふうに、二の倍数となっております。両儀というのは天と地で、両は二と同じですね。
白鳥: 二、四、八。
福永: 「八卦は万物の情(じょう)を類す」。「情を類す」というのは、真実の姿を類例的に表示するの意味です。
白鳥: その上は万という数字。
福永: ええ。そうです。老子の場合は「三は万物を生ず」。
白鳥: 三、五、七、とこういくわけですね。
福永: ええ。奇数です。それに対して儒教の方は偶数ですね。日本では江戸時代は徳川幕府が儒教を採用しましたから、お祝い事は、すべて一対(つい)とするか二の倍数ということになりますね。
白鳥: それともう一つ先生が第六番目として挙げられたのは剛と柔という。
福永: そうです。
白鳥: これはなんでしたか。
福永: それが『論語』の中の「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁(じん)に近し」。
白鳥: ああ、これは我々の耳にも繋がっているものですね。
福永: 硬くて強いということが、より美徳であるという感覚。これはやはり戦場に赴く男子を中心に考えたものですね。ですから硬くて強い。それに対して老子の哲学ではつまり船の文化の方では、ソフトである、柔らかいということ、しなやかという意味ですけれども。柔軟というのが元の意味ですけれども、ソフトでしなやかさを持つと、それが硬くて強いものに最終的には勝利を占める。これを老子は「柔(じゅう)は剛に勝つ」という表現をしていますけれども。それを踏まえて加納治五郎さんの講道館柔道ですね。加納治五郎さんは兵庫県の灘(なだ)の出身ですから、船の文化の地域の出身者ですけれども、「柔よく剛を制す」と。この言葉は柔道場であればどこにでも額にして掲げておりますけれども。これは老子の哲学、つまり船の文化に基づくわけですね。ですからハードなものも必要だけれども、ハードであると共にソフトの面、その両方が必要であるということですね。
白鳥: 生老病死の感覚なんかも全然違うわけなんですか。
福永: 生老病死の考え方は、大枠で申しますと、両者で共通しているものが多いんですけれども、やはり一番問題になる点は、儒教は家族制度を基盤において、祖先崇拝を非常に強く説いていますから、祖先のお祀りをす���のに、祖先の霊魂が存在しないという考え方は、やはり成り立ちませんから、そこでお祀りをする限り、祖先の霊魂が存在する、これは一応、天に上がっているけれども、子孫は天に上がっている祖先の霊魂を下ろしてきてお祀りをする、或 いは魂を鎮める、招魂鎮魂(しょうこんちんこん)という儀式が行われますけれども。老荘の哲学の場合は、死というのは、生まれる前の自分に帰るということ、生まれる前の自分というのは、宇宙の大きな命の流れ、それに個の命が帰っていくんだと。死とは生まれる前の自分に帰ることなんだと。そしてその生まれる前の自分というのは、これは今、和歌山県の熊野などに残っていますあの補陀落(ほだらく)(ポタラカ)渡海の信仰。仏教と結合していますけれども。それから浄土真宗の場合でしたら、西方浄土というふうに水平線上に死者の世界を考えていきます。それに対して馬の文化の場合は、垂直線上というか、上下の関係で考えていくというふうにやはり違ってきます。ここで一番問題は、六世紀の中国で大論争が起きるわけですけれども、人間の死後に、霊魂が存在するかしないかという問題。それから霊魂が存在するという側は立派なお墓や神廟を作って、祖先のお祀りを盛大にするという考え方ですね。葬式も全財産を注ぎ込んで、盛大に行うのが、親孝行だという考え方に対して、老荘の哲学の方は、個の命は宇宙の大きな命に帰っていくんだという考え方ですから、『荘子』の中では、はっきり葬式もお墓もいらないんだと説いています。天地大自然を大きな棺桶と考えればいいじゃないかというわけですね。そして自分の死体は、この宇宙空間にばらまいてやればいい。儒教のように立派な棺桶を作ったって、地下に埋めれば、いずれ虫の餌(えさ)になるだけで、鳥の餌になるのと、地中の虫の餌になるだけの違いだから、拘る必要はないというふうに考えるわけですね。
白鳥: 成る程ね。そして先生が最後に挙げられるのが、七つ目の賢と愚ですか。
福永: そうですね。これはもう『論語』(子張篇)に「君子は賢(けん)を尊ぶ」、「賢(かしこ)いということを大切にする」という言葉があるのに対して、船の文化を代表する『老子』の場合には、「我は愚人の心なるかな」「私の心というのは本当に愚かで、はきはきものも言えない。そういう愚かさを私はいつも抱きしめている」というような表現になって、これが後に浄土真宗の親鸞さんの愚禿親鸞(ぐとくしんらん)の愚禿(ぐとく)ですね。愚禿の禿(とく)はお坊さんという意味ですから、そこでは人間の賢さよりも、愚かしさを厳しく見つめていく。私達みたいな海外の戦場で敗戦を向かえて、戦場でいろいろと、人間が如何に愚かで危うい存在であるかということを、本当に身に沁みて、体験してきた世代ですけれども。そういった人間の愚かさ、暗さ、危うさの凝視、賢さも勿論注目しますけれども、賢さ以上に、人間の愚かさの凝視からスタートする、これはお釈迦さんの仏教も、私は同じだと思いますけれども、わが国では浄土真宗の親鸞さんがその典型的な人間だと思います。これは今の日本の教育界とも関係して来ると思いますけれども。
白鳥: 賢になりたい、或いはなるべきだという、そういう呼び掛けとしては分かるんだけれども、実際問題として、賢というものを立てた時に、愚というものをどう。
福永: そうですね。その前に、賢とはいったい何かということですね。今の日本の教育界の場合は、どうしてもアメリカのハイテクノロジーの文化と言いますか、要するに、数字の文化ですね。デジタル(Digital)のデジットというのは、これはアラビア数字という意味で、全ての文化現象をアラビア数字化していくというところから、ハイテクノロジーの文化が始まっているわけですから、その消化率の高いものほど賢いということになる。
白鳥: 全て数字化する。
福永: 数字化するわけですね。
白鳥: 標準化する。
福永: ですから、その路線で、最も素早く能率的に行動出来るものが、これが賢なんですけれども。人間の賢さ、愚かさというのは視点や角度を変えると、全く違った情景が出て来るということになります。人間の賢さとは何かということ、これは根源的には、人間とは何かという問題と絡んできますけれども。それが同時に教育の問題、政治の問題とも密接に関連し、これからの人類のあり方とも大きくかかわってきます。そういうことから最近、アメリカでフリッチヨフ・カプラという理論物理学者が『タオ自然学』という書物を出して、ハイテクノロジーの一番の本場で今、技術とは何かという問題、それを人間の心、マインドと結びつけ、マインドとテクノロジー、この関係をどういうふうに考えるべきかということの一つの答えとして、タオイズムのタオ、中国の道教の思想哲学がクローズアップされてきていますけれども。アメリカのハイテクノロジーを最も戦後忠実に後を追っかけてきた日本の文化の場合も、やはり同じような問題が浮上してきます。これは亡くなられた理論物理学者の湯川秀樹先生が、生前によく引用しておられた『荘子』の中の言葉ですが、
機械有る者は、必ず機事有り、
機事有る者は、必ず機心有り。
(『荘子』天地篇)
ここで機械というのは、カラクリというくらいの意味ですけれども。
白鳥: 機はマシンの機械の機を使うんですか。
福永: ええ。機械はマシンという意味も含みますけれども、当時はカラクリという言葉の方が適当だと思います。「機械有る者は 必ず機事あり」。「機事」は機械の機の字に、事件の事という字を書きますけれども、機械技術をすべてとする人は、全ての事物を機械で処理して、それで万事終わりだという考え方を持ちやすい。そうして「機事有る者は 必ず機心あり」、機械をすべてとする技術者は、その人の心も機械のように冷徹で、ただ物理的な動きしか持たない、生きた命の息吹を持たない心のあり方になってしまって、全く機械的に操作するようになる危険があるから、注意しなさいという言葉を、西暦前四世紀の哲学者・荘子が人類に警告しています。その荘子の言葉を生前の湯川さんが私に「凄いことを言っているなあ」というふうに、よくおっしゃっておられましたけれども、この言葉をやはり二十一世紀に向けての日本の人々は、今からやはり噛みしめていくべきではないかと、そういうふうに私は思います。
白鳥: 全てのこういった警告を二十一世紀へのメッセージとして、私達がまともに受け止めなければいけないかも知れませんですね。
福永: そうですね。
白鳥: どうも有り難うございました。
これは、平成九年一月二十六日に、NHK教育テレビの「こころの時代」で放映されたものである
以下より引用 :
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-174.htm
Shinji Nakamura's insight:
【五木寛之】この時代に必要な 『覚悟』 《学問ノススメ》vol 152 ハイライト 54分29秒 から 映像 スタート
五木寛之の 心の師 を語る部分より。
http://bit.ly/2B7nj1X から
道教 タオイズム の専門家 元京都大学人文科学研究所長 福永光司 先生を知ることとなる。
【映像 1時間】 南船北馬の精神史 福永光司 1997年1月26日 放送
無為の教え 切り捨てて身軽になる道 ⇔ 有為の教え 積み重ね
荘子 道教の最高の理想 生を全うして身を保つ 「全生保身」 ⇔ 孔子 儒教 論語 : 「身を殺して仁を為す。」 儒教の最高の理想 は 仁
「人間の命」 を最高の価値とする。 政治、倫理、経済、軍事 等の全ては 命を全うする為に考えられなければならない。
命を全うする為のサー バントでしかない。
それを逆に、政治、倫理の為に命を捨てると説く教えはどこかずれている。
老荘の立場 人間の生身の体を命と考え、第一とする教え 「漢方医学は道教から始まる」
儒教の反体制 4,5世紀から儒教と交わる。
0 notes
名古近畿紀伊關西行
対於三重縣, 自然就想到伊勢海老, 其他ー無所知, 剛巧テレビ播出詹x自喜遊和杜x
風介紹這地方, 這地方有更多認識, 如伊勢神宮 (外/内宮)、鳥羽-海女和松板牛等.
於是先訂機票, 然後在網上予約鳥羽-鲸崎の「海女小屋‧おぜごさん」的海女午餐
(近海邉那間小屋, 只容納4至11人), 和致電丸善水產予約海上燒き牡蠣たべ放題 ,
以上兩間只接受上網和電話予約. (要多謝我同事Amy幫忙上網予約海女小屋,
弟婦同事也幫忙致電予約是否成功和我同學Olive致電到丸善水産).
之後到本港旅行社買「伊勢‧熊野和歌山地區周遊卷 5 day」¥20000, 不只去
三重縣, 還會去熊野三山, 所以才買此券. (此劵可乗坐 Jr名古屋→鳥羽、新宮→
熊野本宮バス、Jr伊勢市‧鳥羽至尾鷲、那智至那智山バス、Jr名古屋至紀伊勝浦),
還有(三重交通バス-外宮、伊勢二見鳥羽周遊“CAN バス” 、尾鷲車站口~鷲毛間
、尾鷲車站口~瀬木山、熊野古道中心間、熊野市車站口~千枚田.通峠入口、
(熊野交通バス-勝浦車站、那智山間、新宮車站~本宮大社前間、新宮車站~小口
間)再加關西广域周遊券 5 day ¥9000, 此券可經城崎溫泉.
此行會到名古屋、伊勢、松板、鳥羽、熊野、那智勝浦、城崎温泉、神户、
白浜-とれとれ市場、大阪共十二天.
1/24 乘廉航楽桃航空凌晨機到關西空港, 到达第2客運大樓,已是清晨六點, 之後坐
無料バス轉到第1客運大樓, 再乗到Jr新大阪駅轉到名古屋, 到達后, 巳是中午時份,
即放下にもつ在ホテル裡, 便乗地下鐵名城線到伝馬町下車, 在伝馬町有兩間「あ
つた蓬萊軒」, 一間是在熱田神宮的「あつた蓬萊軒 神宮店」剛才這天休日.
另一間在熱田區神户町503的【あつた蓬萊軒 本店】, 可在車駅4番出口, 由天橋
直行向右落天橋即达, 近馬路旁, 旁边車位方便駕車前來, ���达時已是1時40分,
即登記取位, 但要待20 min, 終於到了午時休息前, 才可入席. 這1873年 (明治6)年
創業的老鋪鰻魚料理店, 招焷菜色是鰻魚飯三吃, 為了品嘗這足足使用一尾半的鰻
魚所制作出分量滿點的鰻魚飯, 從逺方來訪的客人络縪不絕.
甫坐下即下單點了這店名物, 用備長炭燒き的「ひつまぶし」¥3600,鰻魚飯三吃:
先將日式飯箱內的鰻魚飯分四等分份, 第一碗不加任何佐料,細細品嘗鰻魚和醤汁,
第二碗加入葱花、芥末或海苔等佐料, 笫三碗是茶泡飯, 第四碗依自己喜愛方式品
嘗.
吃畢后,就出發到大須商店街, 先在大須觀音駅下車, 徒歩至日本三大觀音堂之一-
大須觀音廟,
廟旁為【大須觀音商店街】,主要售買服裝、超市、生活雜貨、擺設品及食肆為主,
逛完一陣后, 就回ホテル辦理入住手續, 然後晩上出發到【荣】, 這裡衆多百貨公
司, 來這裡目的吃《手羽先》, 先到「世界の山ちゃん本店」這店在日本各地
設有分店, 連香港也有二間分店,
這裡《幻の手羽先》¥ 430 / 5 pcs, 是即叫即炸, 鮮嫩無比的雞翼用袐傳醤油調製
的鹹甜醤汁和椒麻胡椒, 加配一杯冰涷啤酒, 真是吃到一隻接一隻, 停不了,
之後到「風來坊 錦店」,
甫入見到不少上班族下班到來, 熱氛熱鬧, 我們被坐到隔著玻璃的廚房, 看著年輕
廚師, 先用低溫油炸到八分熟後, 再移到高溫的油鍋中二次油炸, 用老闆親調的
醬汁所製成炸雞翼, 表面酥脆裡面滿滿的肉汁, 口感不錯. 我們點了手羽先
¥450/ 5 pcs 和もと (雞槌)n¥500 / 4 pcs, 稍感可惜沒有雞翅尖的部份.
試過兩間手羽先, 我還是喜愛前者的口味, 之後會ホテル休息
1/25 吃過早餐, 出發到伊勢市, 到ホテル放下にもつ, 即乘車到Jr到鳥羽駅, 出了
徒歩到對面バス總站, 乗開往(鳥羽小学校‧石鏡港方向)的かもめバス, 在本浦港/
今井下車,
在本浦港下車需下斜坡, 如在下個今井, 因已在本浦港, 歩落斜坡,
沿海邊方向一直行,大約徒歩20 min, 便到【丸善水產】, 筏小屋で食べるユニ一ク
な趣向が好評. 海に浮かぶ筏の上の小屋で食べるという野趣あふれる口ケ一ショ
ンが人氣. 別メ二ュ一で, 生カキ、酢力キ、カキフライなども.
因予約了11時, 到埗后報到, 就坐下店員遞上餐牌, 因我們選了かき放顊80分鐘
¥2600 セット, 便先捧上酢カキ、カキ湯、白飯,
之後每人一盤生力キ和計時器, 以便計カキ所蒸時間, 把鐡蓋蓋上, 待數分鐘, 就可
以進食, 超新鮮.
吃飽后, 付款期間, 適逢社長中村修一さん在, 他得知我是予約的香港人, 便用
普通話與我傾談和一起拍照,
之後折返回車駅回伊勢市駅, 轉乘三重交通バス到【伊勢神宮– 內宮】, 神宮125社
の中でもつとも中心となるお宮は, 皇の祖先であリ日本人の総氏神樣である
天照大御神をお祀りしているこの内宮. 正式名称を皇大神宫という. こ鎮座は遙
が2000年余り昔の垂仁天皇の御代に遡リ, 五十鈐川町の現在は, 天照大御神が
永逺の住まいとして選ばれた地だ.
先經過「五十鈴川御手洗場」~ 五十鈐川の川原に石畳を敷き詰めて, 水際まで
行けるようになっている. かつてはここが參拝者の禊場だつた. 石畳は德川綱吉
の生母‧桂昌院が寄進したものと伝わゐ. 透明な川水で手をすすいで正宮へ向か
おう.
然後歩至 『正宮』~ 神宮の中でもつとも格式の高いメインスボシト, 五重の垣
根と4つの社殿からなリ, 祭神の天照大御神は最奥のご正殿に鎮座されている.
ご神体は三種の神器のひとつ「八咫の鏡 (やたのかがみ)」とされる. 純白の幌
の前で, 感謝の念を捧げよう.
『荒祭宮』~ 內宮の中で正宮に次いで尊ばれている第一別官. 正宮が天照大御
神の穩やかな一面である和御魂をお祀リしているのに対し, ここ荒祭宮には積極
果敢なー面である荒御魂をお祀リする.
『風日祈宮』~ 內宮の別宮で, 五十鈐川の支流‧島路川に架かる風日祈宮橋を渡
つた先にある. 祭神の級長津彦命と級長戸辺命は風雨の順調を司る神様.
參拝完后, 歩至伊勢神宮 內宮の門前にある【おはらい町】とおかげ横丁には,
名物グルメのテイクアウトや料理店, カフェ, 和菓子や工芸品などのみやげ物店
などが集結.
町內必試「豆腐庵山中」, 用五十鈐川の伏流水と国産大豆、天然にがりで作る
豆腐を販売.
我們買了うの花ド一ナシ ¥100
和「赤福 本店」宝永4年 (1707)創業よリ参拝者に愛され続けるロンゲセラ一名
物 ● 赤福缾の製造‧売を行う. みやげ用の購入も可能だが, ここではぜひ赤福餅
のイートインを体験しておきたい.
畳敷きの座敷や縁側席が設けられていて, 番茶とー緒にほっこり気分でくつろ
げる. 赤福 (用蓮蓉包著糯米) 2 pcs + 番茶 ¥420.
吃畢后, 已是5時, 商店陸陸續續休業, 於是便乘車回伊勢市駅, 到附近和民食晚飯.
之後歩行ホテル休息.
1/26 早上到ホテル附近食早餐, 然後就出發去伊賀, 先乘鐵道到「伊賀上野」,
再轉乗伊賀鐡道到「上野市駅」,
在上野市駅下車,
徒歩7分至伊賀上野公園, 公園內的【伊賀流忍者館】¥756, 這在江户時代の農家
を移築, 據說在日本已有100年歷史, 於1964年開業. 館內分為「忍者屋敷」主要
介紹各種隱藏在民居大宅中的忍者機關.
「忍者表演广場」由嚴格訓練的表演者, 演出忍術示範, 當日是休日, 沒法看表演.
「忍者體驗館」及「忍者傳承館」,展示有關忍者的武器如資料, 以供遊客參觀.
參觀完畢, 就乗車到松板駅, 下車歩行到牛銀吃午餐, 這創業於明治35年 (1902)の
創業的【牛銀 本店】 . 松板牛の中でも最高ゲレ一ドを追求, 精肉後約2週間熟成
させ, 旨みを引き出した肉を厳選使用するなど, ごだわリを受け繼いでいる. すき
やきは肉と野菜を別々に煮て, それぞれの味を楽しむのが牛銀流.
難得到來, 當然要吃松板牛啦!
我們甫進 ,店員引領到個室坐下, 奉上午餐餐牌, 有不同選擇,すきやきセット分
五款, 分別是寿〔特選〕 /楽 〔特選〕 /橘/松/梅, 價錢分別是 ¥17280/ ¥16988/
¥13424/ ¥11048/ ¥8672. 此しょうゆと砂糖にて味つけした當時流です.
1人前の松板肉は150g=2件です. 我們選了寿〔特選〕, 兩人所選要一致, 不能所
選不同. 待了10 min, 店員捧上松板牛和證書, 給我們看, 然後開始凖備烹煮,
先用1小件牛脂肪來煮起鍋, 放下松板牛, 稍煮片刻加上砂糖和醬汁再煮一陣.
只需沾上卵汁就可以進食, 味道不會太油膩, 肉質又滑又嫩, 也不會過份甜.
中途煮些蔬菜, 之後把餘下一件松板牛也烹煮, 最後抱著滿足的肚子離開.
然後到【伊勢神宮~外宮】, 創建は内宮鎮座から遅れること約500年. 祭神は衣
食住全般を司る産業の守リ神.豐受大御神であリ, 正式名称を豐受大神宮とい
う. この神様, 天照大御神のご指名によリ神々のお食事係として丹波の国から呼
び寄せられた「食」の神様としての役割も大きく, 外宮では1年365日, 朝タ2回,
古式に則って神饌を献上する「日別朝タ大御鐉祭」が行われている.市街地に広
がる89万mもの宮域の森に, 正宮のほが別宮3社, 摂社.末社.所管社10社が静
かに佇む.
正宮~外宮の中でもっとも格式が高く中心となるお宮が正宮. 四重の垣根と6つ
の社殿からなる複離な構造になっておリ, 祭神.豐受大御神がおられるのは,
一番内側のもっとも清淨な一角に立つご正殿.板垣內での写真撮影は禁止なの
で気をつけよう.
土宮~2015年1月遷御の土宮は, 宮域ー帶の土地の守リ神として崇められる大土
乃御祖神 (おおつちのみおやのかみ)をお祀リする別宮. 外宮がご鎮座する以���
からこの土地におられ, 宮域内ではもっと古老の神様だ.
多賀宮~外宮域內にある3つの別宮のうちもっとも格式が高い第ー別宮. 正宮に
次いで重要なお宮だ. 祭神は正宮と同じ豐受大御神だが, こちらは神様の活動的
な 一面「荒御魂(あらみたま)」をお祀リしておリ, 新しいことに挑戦するときの
強い味方.
風宮~外宮の別宮のーつで, 級長津彦命令(しなつひこのみこと)と級長戸辺命
(しなとべのみこと)をお祀リしている. 農作物の収穫を左右する雨風の順調を司
る神様であリ, 元寇のときに神風を吹かせて日本を救った神様.
參拝完, 回程沿路商店街, 两辺有不少店舗.
因巳接近5時, 大多店鋪巳休業, 見到有間「山村みるくがっこう」 這山村乳業の
乳製品を販売する直営店. ショ一ケースには昔懷かしい瓶��牛乳や自家制
プリンが並ぶ. 冬は風味をとばさないよう湯煎したホットミルク提供.
正凖備休業時 便即購買稱年間1万個は売れる人気のプリン(即布丁) ¥250.
見天未黑,就出發去二見興玉神社, 乘Jr伊勢市駅から參宮線で8分, 在ニ見浦駅下
車, 下車時巳是6時, 天也黑了,
徒歩10 min,沿路有不少旅館, 往海辺走,便到這【二見興玉神社 】.
是縁結びや夫婦円滿, 交通安全などにご利益があるという神社. みちひらきの神
様.猿田彥大神を祀る.n波間に仲良く並ぶ大小2つの岩を太い注連縄で結んだ天
婦岩は二見浦のシンボル. 天照大御神を象徴する太陽と, 夫婦岩の沖合700mの
海中にある猿田彦大神ゆかリの霊石「興玉神石」を拝むための鳥居の役目を果
たす. 夫婦岩石高さ9mの男岩と4mの女岩を結ぶ注連縄は, 年3回張リ替えられ
る.
境內には猿田彦大神の使いとされる力工ルの像が多数ある
猿田彦大神を主にお祀リする本殿. 拝殿の前には丸く編まれた「輪注連縄」が
置かれている. (因黑暗不便拍神社, 所以没有拍照, 只得拝拜), 拝拜途中, 有不少
人駕車前來. 之後返回伊勢市外宮附近其中一間営業至晩上十時的食店, 這店有不
少海鮮選揮. 我選擇了烏冬和
鯵魚定食,
友人選了不少海鮮, 如かキ、帯子、栄螺等. 之後回ホテル休息.
1/27 先到鳥羽ホテル放下にもつ, 歩行至附近的【ミキモト真珠島】¥1500
~御木本吉 が世界で初めて真珠の養殖を成功させた島. 真珠博物館や御木幸吉
紀念館, 真珠を販売するパールプラザがある.
目の前の海で約1時間ごとに海女の実演も行われる. (因予約海女午餐, 沒有參觀).
購買了真珠飾物做手信, 之後急往鳥羽巴士總站, (前幾天到丸善水產也是在這裡
乘搭),
乗かもめバス往國崎線方向, 在相差(石神さん前)下車, 往海辺方向行, 沿左辺海堤
方向一直走就會看到【相差かまど海女小屋体験--鯨崎おぜごさん】~相差漁港の
きさに海女さんの休憇所といった海沿いの建物ある海女小屋, 現役の海女さん
に素潛リ漁のよもやま話を聞かせてもらいながら, 豪快な魚介の炭火焼きを堪能
でき る. 現場有两位海女(這裡稱海女叫Ama),在屋前等待我們和另一班台灣團到
來,
我們在網上已予約ランチタイム ( 1 hrs ¥3500), 新鮮な海の幸を堪能したい方
にオススメ! (当日料理内容: サザ工●大アサリ●アおうぎ貝●アジ干物● カキ ●
うにごはん● ●お餅など相差で獲れた旬のもの)
叧伊勢海老●あわびなと, は別料金是¥3000 / 1 pcs (当日料金), 兩位海女工作
分配是一位負責焼海鮮(就是這位),
另一位負責招呼(這位8X歲, 現在都有也做海女, 还有我們所吃的海鮮, 也是她今早
潛海補獲), 以她這年紀精神不錯, 皮膚補養好好.
在她們辺焼我們進食交談期間, 台灣圑也到來, 氣氛頓覺熱鬧起來,
這裡海鮮非常新鮮, 既然还吃不夠, 加上以当日伊勢海老和あわび料金, 在香港是
不能吃到的, 必定要Encore啦! 好滿足呀!
我在這裡向兩位Ama說聲, おっかれさまでした和あリがとうごさいました.
帶著滿足和感欣的心離開, 折返途中, 見到另一間相差町かまと, 這間不是小屋,
多接待旅行團.
之後往【石神さん(神明神社)】~ 神明神社の境内には多くの神様が祀られてい
る. なかでも有名なのが「石神さん」だ. 女性の願いを一つだけかなえてくれる
神様で, 地元の海女さんをはじめ全国から女性參拝者が絶えない.
我也買了ド一マン‧セ一マンお守¥800. 然後乘車到伊勢神宮-內宮的おかげ横丁
買前天沒有食的可樂餅
也再次食赤福餅(本想在這裡買盒回HK, 食用期只有三天, 只好放棄, 但幸運地在回
HK那天給我買到, 到回港翌天食用期才過), 之後乘車到松板, 吃回転焼松板牛,
從松板駐步行15min便到, 這【焼肉一升びん-宮町店】, 是全日唯一回転方式食焼
松板牛.
像吃回転寿司ー樣, 在回転帶上看到喜歡辺碟, 按制打開門, 就可以取出, 放在爐上
焼, 注意金色碟是靚肉價錢貴D, 所以不需焼太耐, 會令肉質変老.
1/28 吃過早餐, 取過にもっ, 就出發去新宮駅, 也是到ホテル放下にもつ, 從新宮駅
歩約10分, 經赤い欄十か美しい橋を渡って境内へ向かおう, 到【熊野速玉大社】
~(別名イザナギノミコト) と熊野夫須美大神 (別名イザナミノミコト)の夫婦神
に熊野の神々を祀る. 室町時代の将軍, 足利義滿によリ奉納された国宝「彩絵檜
扇」など1200点以上の神宝を所蔵する.
附近還有【神倉神社】, 538段も急峻な石段を上つた山上の地に鎮座する巨岩が
この神社の御神体. 因石級比較斜只好放棄. 乘川丈線バス往【熊野本宮大社】
經由, 車程約50min, 於本宮大社下車, 下車時天还未黑, 這本宮大社是全國3000社
以上を数える熊野神社の総本宮. 熊野参詣の旅人が熊野三山で最初に訪れた熊野
権現造リの御本殿は, 明治24年(1891)に大斎原がら遷された上四社の建物.
国道に面した鳥居をくぐリ, 石段の参道を上ってゆこう.
スサノオノミコトさる家津美御子大神を主祭神に祀る
参拝后天已黑, 即往車駅, 但等了大約10分, 还未見最後班車, 只好向正駕車回家的
老夫婦問路, 因回我們所住ホテル, 車程要一小時, 所以他們載我們到交番所, 由警
員幫助我們, 他們就離開, 最後得到警員幫忙, 我們可以撘乗另一班バス回新宮駅.
(在我們等車期間, 老夫婦折返担心我們, 知道还有バス可回去, 才放心駕車離開,
在這向老夫婦和警員說声あリがとうごさいました).
1/29 這日心情非常忐忑, 因要去熊野那智大社, 要行473段石級, 担心友人體力,
在紀伊勝浦駅搭乗往那智山のバス在終点那智山下車, 歩至山下至山上, 雖要歩
473段石梯, 慶幸不算太辛苦,友人體力尚力, 終可鬆一口氣.
終於到【熊野那智大社】~神武天皇が海上がら那智の山に光が輝くのを見て
滝を探リ当て, 神として祭ったのが始まリ, 仁通天皇5年 (317)に滝のそはから
現在の地に社殿が遌座された, 御本殿には十三柱の神々が祭られている
熊野造の御本殿を間近できる内庭は正式参拝の時だけ入場できる. 御本毀の前に
は八咫鳥が化身したという烏石, 熊野のシンボル八咫鳥は熊野の神々の使い.
当然要用那智の滝の高さにちなんだ133cmの名物ジャンポおみくじ求簽啦!
境内に枝を広げる樹龄800年のクスノキは平安盛のお手植えと伝わる御神木.
願い事を書いた護摩木¥300を手に洞をくぐって開運祈願を.
往【那智山青岸渡寺】~那智の滝で裸形上人が感得した観世音菩蕯を安置した
のが始まリ. 西国三十三カ所霊場第ー番札所として知られる. 豐臣秀吉が天正
18年 (1590)に再建した本堂は国の重要文化財に指定.
行畢后往前走, 便是【三重塔】~朱紅色的三重塔是那智山的標誌, 江户時代曾經
燒毀, 於1972年重新建造, 塔上可欣賞到那智瀑布的美景.
既然瀑布美景咁靚. 便再往【那智の滝】(飛瀧神社)~原生林に包まれた高さ
133mの断崖から流れ落ちる荘巌な滝で, ー段の滝としては日本一の落差を誇る.
「那智の扇祭リ」は毎年7月14日にこの滝の前で執リ行われる.
除了可正面在飛瀧神社前觀賞外, 也可付費¥300登上御瀧拜所舞台, 近距離感受
瀑布的氣勢,
当日天氣晴朗, 可看彩虹反射在瀑布上, 真是幸運呢!
之後乘バス到「大門坂駐車場前」下車, 歩10min至【大門坂茶屋】~起業16年,
熊野古道を旅した平安貴族風の衣裝の着付けをしてくれる. 大門均の夫婦杉周辺
で記念撮影を楽しめるモデルコース¥2000 (所要時間1時間)と那智山に上って
散策できる体験コース¥3000 (所要時間2時間)から選べ, 女性.男性.子供用の
衣裝が揃う.
可租平安服到【大門坂】~那智山へかう參詣, 夫婦杉から大門跡まで約600mに
渡って石段の道が続く. 因時間關係,我只好租借平安服來拍照, 工作人員只用了
10分鐘就幫我完成裝身, 又幫忙拍照. 剛巧碰見80歲老板娘在, 因她本人經常在
テレビ出現, 便請求她ー起拍照,
之後折返回紀伊勝浦, 吃過下午茶,
就回ホテル, 晩上到車駅附近【bodai 母大】~這間開業11年的母大, 這店的名物
「新鮮生まぐろ」是把新鮮まぐろ沾上麵包糠略略泡油製成炸まぐろ塊, (就是下
圖左上方)味道是外脆皮薄,內軟的口感, 有不同層次的享受.之後回ホテル休息.
1/30 早上7時先到附近的【勝浦漁港魚市場】, 參觀呑拿魚拍賣, 因前天ホテル的
員工告知可不用予約見學 (¥1000), 可在場外觀看或到2樓觀看, 當天有過千條
吞拿魚拍賣, 親眼看到不少漁民進行拍賣,交投極為活躍. 據聞交投量高達1百噸之
多.
因まぐろ体験CAN ¥2500 (約3時間で手作リの缶詰が完成), 3日前までに要予約,
不可即時予約, 只好放棄吧! :( 參觀完畢后, 到附近吃午飯,
之後到觀光棧橋乘〈浦島丸〉免費接駁船到【ホテル浦島】,
這兩張照片是翌日補拍的
ホテル浦島~面積近21萬平方呎, 內設6種特色溫泉, 包括有山頂的遙峰の湯、可
以看到海景的天海の湯、人氣最強半露天洞窟溫泉的忘帰洞 (照片是ホテル提供)
不露天洞窟的玄武洞、
磯の湯、
滝の湯
還有沿著150米長電梯上最頂的「山上館」, 剛巧當日在忘帰洞門口旁面有個指示
牌上面寫『平成28年9月1日よリ平成29年9月30日まで, 山上館の耐震工事に
伴う休館, 山上館ご利用ない施設如狼煙山遊園、浦島稻荷神社、遙峰の湯、
エスカレーター「スペースウォーカー」、展望台なと』, 沒法上去山上館, 只好
換過ゆカた便先到忘帰洞泡温泉,然後玄武洞,滝の湯,磯の湯. (記得把工作人員
交給住客的地圖, 在背面的圖顯示上蓋上所屬印章, 集斉后交回工作人員, 就可以
獲取小禮品). 吃過自助晚餐后,
再到忘帰洞泡湯, 边泡湯边看天上星星, 十���寫意. 然後回房休息.
1/31清晨時份, 也到忘帰洞泡湯, 边泡湯边等日出, 頓覺精神充沛, 之後吃過早餐,
取回にもつ乘船返回棧橋, 再乗船到【中の島】放下にもつ,
就出發到串本, 出了串本駅后友人提議到樫野釣公園センタ一, 但バス来回時間不
便, 只好放棄. 到附近的串本無人不曉的【料理萬口】吃午餐, 這間小小的餐廳已
創業50之久,店內的招牌菜定平民料理鰹魚茶漬飯¥1450, 吃這茶漬飯有程序的,
首先把碗內的こぽん分半, 加入6片以醬汁芝麻輕醃的生鏗魚, 灑上兩匙醬汁, 再加
入紫菜和わさび, 就品嘗到鰹魚鮮味,之後把餘下的加在ー起, 倒入熱茶, 這可以吃
到两種不同的味道, 味道不錯.
之後回中の島, 這ホテル是所建在海中心的 (照片是ホテル提供), 座擁無敵海景, 毎
間房間都可以看勝浦灣的景緻,
館內有山上頂的潮聞亭, 但也有指示牌寫著『平成29年1月10日~4月27日まで,
進行耐震工事の為, 潮聞亭のみ休館, 潮聞亭上から行ける山上逰歩道にある足湯
と魚魡リ場も御利用ない. 這表明島内に溫泉6本を保有し, 1日800トン, 毎分560
リットルと豐富な湯量を誇る天然溫泉です. すべて温泉掛け流しの 天然溫泉で
す. 還有眼前美景盡入眼底的源泉かけ流入露天風呂「紀州潮聞の湯」, 像海與
溫泉连在一起. 1階的男性露天風呂比較開掦, 而2階女性露天風呂, 有竹簾做阻隔.
也可到大浴湯,
要付費的貸切露天風呂, 足湯『空海(そらみ)の湯』, 先換過ゆかた后到2階泡
紀聞の湯, 雖然沒有男性露天風呂開揚, 但也可以逺處看到船隻駛過, 船上人們看不
清楚島上的. 之後去餐廳吃已予約的釜飯料理, 好豐富呀! :p
吃畢后, 經過大堂剛巧有個小型音樂會, 友人留下欣賞, 而我回房間稍作休息, 又再
次去泡湯, 之後會房間休息.
2/1 清晨時份, 也边泡湯边等日出, 然後吃早餐, 取過にもつ, 便回JR紀伊勝浦駅,
出發到【城崎溫泉】,最好選擇由京都出發, 只需時間2hr20min, 而我們由紀伊勝浦
出發, 所需時間7hr, 到逹已是下午5時許, 這裡兵庫県城崎溫泉名物是但馬牛と
松葉蟹. (建議最少住一晚)
大部份店鋪巳休業, 只餘少部份还在營業, (翌日補拍), 在車駅走出就看到大大隻
螃蟹鉗標誌, 駅前的湯飲場, 可試喝溫泉水, 味道就..........
先到旅館辦理入住手續, 職員奉上可泡七湯牌子, 吃過晚餐, 就出發去駅前七外湯
之一「さとの湯」 (翌日補拍)
之二「地藏湯」 (翌日補拍)
之三「柳湯」 (翌日補拍)
之四「一の湯」, (翌日補拍) 剛巧今天休日, 留待翌日去泡湯
之五「御所の湯」 (翌日補拍), 這個旅館推介的, 因有水柱可按摩
之六「鴻の湯」 (翌日補拍)
之七「まんだら湯」 (翌日補拍) , 因當晚太黑找不到, 翌日休日, 最終沒法泡湯.
所以共泡了六個湯, 因每個都試, 所泡時間很短. (要留意各泡湯的時間和休日).
2/2 翌日清晨, 就排隊進「一の湯」, 内裡是不露天洞窟溫泉, 我個人頗喜歡, 所泡
時間頗長. 之後回旅館吃早餐, 街上店舖開始營業, 海鮮店的海鮮又新鮮又便宜.
於是我們去掛著大大隻螃蟹的「りなば」鮮魚店旁的食店,
因時間还早, 店內沒太多人, 於是到售票機前購買食劵, 我們揀選了「かにコース
(全六品) ¥3500, 套餐有蟹蓋焉、蟹湯、蟹腳刺身、烤蟹腳、炸蟹腳天婦羅なと.
之後去附近的「茶屋」買了但馬牛まん¥300 和
螃蟹まん¥300
剛巧又到中午1時左右, 到小宿緣附的但馬牛的專門店~三國屋, 吃但馬牛午餐,
甫入店內坐下, 店員奉上meau, 我們選了特選「但馬牛ステーキ 御膳」
(但馬牛ステーキ 100g) ¥4800, 套餐有先付、サラダ、但馬牛ステ一キ、ご飯、
お味噌汁、お漬物. 雖但馬牛有少計油鎌, 但味道名不虛傳, :P
城崎溫泉有得食但馬牛和螃蟹, 又有7個泡湯, 值得重臨的.
之後到旅館取にもつ, 返回大阪.
2/3 吃過早餐, 便出發去白浜とれとれ市掦,
到達時, 剛巧有進行吞拿魚解體, 有不少遊客和本地人站着觀看, 等待準備購買.
我們也有購買
也買了些海鮮(只需1萬左右, 十分便宜), 拿到市場旁焼烤場,
吃畢后,臨走前不忘買紀州南高梅啦! :P
之後乗車回大阪, 到道頓堀吃晚餐, 之後回去休息.
2/4 吃過早餐, 到附近黑門市場诳诳, 就乘車到神户, 吃神户牛啦! 在Jr三の宮駅下
車, 歩至友人想到「ステーキランド 神户館 Steak Land 」在網上有不少網友推
介這店超好吃又便宜的神户牛排午餐,位在阪急三宮駅對面, 但現場肉眼看有不少
排道人龍, 最少排2hr以上才可入內, 附近分店也要排1hr以上, 因為今天旁晚乘夜
機返港, 只好放棄.
於是去由台灣女星林x玲推介 「神户ステーキレストランーモーリや 本店」,
這裡的 Mouriya選用但馬牛是神户牛的素牛, 神户牛是一個品牌, 據講要在神户
肉流通推進協議會注册的指定農户或兵庫県內指定食肉中心養的牛在A、B等級中
BMS值, 達到6級標準以上, 才可稱為神户牛.
因我們沒有予約, 店員把分店咭片Mouriya 澟 給我們, 在Queen’s course 大樓2/F,
甫店坐下, 店員奉上午餐meau, 我們選了神户牛ランチ的ランプステ一キ 150g
〔A5〕¥6900, (上記コ一スにはスープ、サラダ、焼き野菜、パンまたはライス
香の物、咖啡または紅茶が付きます. 雖然價錢並不便宜, 既然來到神户, 就要食
神户最出名的美食超特選的神户牛啦! :)
因Mouriya モーリや料理方式是鐡板燒, 可以看到廚師烹煮手藝.
廚師會先在烹煮前把所選牛排, 放在鐡板前給顧客看看, 之後烹煮.
主菜這六塊小小的ランプステーキ, 眞是不便宜, 雖然已選五成熟, 但仍有很韌.
味道尚可,
另付費配上炒飯.
當日廚師心情麻麻, 全程沒有表情呢! :(
然後帶著滿足的肚子離開, 回ホテル取にもつ到機場, 旁晚乘夜機回港.
經過這十二天的旅程, 可以嘗到日本三大和牛:松板牛、.但馬牛.
也泡了四日溫泉, 好滿足, 雖然在旅途中, 產生不少驚險的事情, 但都是美好回億.
又係時候開始計劃下次東北之旅.
0 notes