赤い貨車
一
そこは広い野原で、かなたに堤防が��えた。堤防のかなたに川があるのではなく、やはり野原で、轍の跡が深く泥濘にくいこんだ田舎道が、堤防の橋の下をくぐったさきにつづいて見えた。工事のはじめから堤防は大きな空の下で弓なりに野をはい、多分愉快な自動車道にでもなるわけらしかった。革命の時、工事が中止された。それ以来いつになっても働く人間の姿は見えず、ある個所は橋をかけるように堤防と堤防とをきりはなしたまま、鉄橋はなかった。村に近いところでは、すでに堤防の砂がくずれた。未完成な堤防になれた子供たちがそこを駈けのぼったり駈け下りたりした。山羊が高いところで白い腹の毛を風に吹かせていることもある。
ナースチャは、伯母の家へすむようになってから、ずっとこの堤防を見馴れていた。しかしナースチャ自身は、一度も堤防によじのぼったことはなかった。遠くから眺めて、時々、いい景色で心持がよいと思った。そういう気質は、ナースチャの死んだ親父が彼女のうちへのこして行ったものだ。
野原のなかに、もう一つ動かず毎日ナースチャの目に映るものがあった。それは堤防とは反対側の野のかなたの果にある貨車の列だ。貨車は八台見えた。七月の太陽に暑そうな赫土色に光って見えた。一日じゅう貨車は動かないままでいた。それに気づいた時、ナースチャはなんだか楽しみな心持で、元気づいた。——あの貨車はいつ動き出すのだろう。このうねをきってしまうのとどちらが早いか。
ナースチャは、ジャガいも畑でさくりをきっているのであった。畑は本物の畑とは云えなかった。少し深く掘ると腐った薬罐の破片だの罐詰の空罐だのの出て来る原っぱの端だが、その地面の草を四角くむしって仕立屋の伯母がジャガいもを作っているのだ。
鍬のいやに根っこのところを握って、白いプラトークを頭にかぶったナースチャは地面を掘りかえしつづけた。掘られた土は冷やりナースチャの裸足の甲にかかり、あたりには暑い草いきれと微かな土の匂いとがした。ナースチャの桃色木綿の裾に風が吹いた。
ナースチャは、わざと自分の腕の下から、そばかすのある頬ぺたを逆にして、ちょいちょい人気ない原っぱのかなたの空とその下の赤い貨車の列とをのぞいた。貨車は動かず、空の白雲が流れて、野原の半面と貨車とを大きくかげらした。
二
村道は埃っぽい。
村道のはずれに並木道があった。その古い菩提樹の並木道をあっちへ横切ると、石敷の歩道がはじまる。槭樹の影の落ちる歩道は八方から集って、緑のたまりのような公園となった。
公園はほとんどロシアじゅうに有名だ。天気のよい日曜日、池のまわりのベンチの上に、あらゆる賑やかなプロレタリアの色彩と笑声があふれた。ギターと手風琴の音が木立の蔭から夜まで響いた。石橋の上で、赤いプラトークをかぶった工場の娘が兵卒と踊る。公園じゅうにアイスクリーム売りの手押車と向日葵の種、糖果などを売る籠一つ、あるいは二尺四方の愛嬌よき店がちらばった。市からは工場の見学団が楽団を先頭にしてやって来る。見学団は停車場から一露里の道中でうっすり埃をかぶった大よそゆきのエナメル靴の上から、草鞋のようなカバーを麻紐でくるぶしにくくりつけ、静かに力づよく押しあいながら、エカテリナ二世宮殿の毛氈の上を歩いた。彼らが、支那皇帝がこの精力的な女皇に贈ったという堆朱の大瓶を眺めている間、そしてこのたいして美しいとも思えぬ瓶一つのために八十年間三代の工人が働いたという説明をきいて、ぼーっと頭のなかにその長い歳月についやされた工賃を反射させている時、別隊のプーシュキン見学団が、宮殿の外の往来で日にやけながら、ある家屋の軒を見上げていた。
「諸君! ここがわれらの大詩人プーシュキンの学んだ貴族学校長、エンゲルガルトが住んでいた家であります」
十数人の男女が頤をそろえて見上げたその水色石造建築物の外観は極めて平凡で、歩道に向った下の窓の奥に「下宿・レオノヴォイ」という札が出してあった。白いカーテンの上からゼラニアムの赤い花が見える。
見学団から見えぬその家のテラスで、五人の男女がカンバス椅子にかけていた。モスクワから一日おくれに到着する「イズヴェスチャ」が老教授の膝の上にあった。彼は、水っぽくしなびた婆さんみたいな鼻のある顔で目の前の槭樹の梢を眺めている。槭樹はいま七月で、葉かげに青塗りの木造飛行機模型のような実の房を一杯つけているのであった。革命後十一年目——生活……学士院——「イズヴェスチャ」第六面にCCCP学士院で会員候補氏名が発表された。特殊技術部の候補者には、ゴスプランのグレブ・マクシミリアノヴィッチ・クルジジャノウスキー、歴史部ポクロフスキー、哲学部の候補にはブハーリン。今秋四十何人か全然新しい会員が選挙されるということに老教授は歓喜を感じ得ないのだった。ペチカたきの男しかコンムニストはいなかったのだ。教授は色のわるい平手で、ぐるりとまばらに髯の生えた自分の顔をなでまわして云った。
「……ふむ、今日は埃っぽくて、あまりぞっとしない天気だ」
「そうですとも」
隣のカンヴァス椅子から、ねずみ色の肩かけを胸の上であわせた肥った女が答えた。
「だいたいことしの天気はお話になりませんよ。気候まで昔とはなんだか様子がちがって来た。こんな寒い夏なんて! 聞いたことがあるでしょうか。十度ですよたった!」
彼女は心臓病で、一日この下宿のテラスに坐り通しているのであった。
プーシュキン見学団は、のろのろ往来を横切り、エカテリナ宮殿のバロック式窓の外で半円を描いた。彼らが立って一せいに見ている往来に一匹犬がいた。犬も立ち止って見学団を眺めた。人通りが往来にふと絶えたので、遠くからその様子を見ると、見学団はさながらその犬について説明を傾聴しているように見えた。
テラスの手すりに深くのり出してもたれ、笑いながらこの光景を見おろしていた一人の女が、声高に、
「ウラジミール・イワノヴィッチ、ちょっとごらんなさい」
と叫んだ。はげのこった髪をくりくり坊主のように短くして、太短い眉、あから顔の電気技師が女のそばへ行った。
「昨日の先生でしょう? あのわれらの大詩人プーシュキンをやっているの」
「どれ?」
技師は、見出すのがよほど困難とみえ白粉の濃くついている女の顔のごくそばへ自分の青く剃った頬っぺたをもって行った。
「どこに?」
「そら、あの黄色いプラトークの美しい人のまえ」
「ちがうらしいな。昨日の男は茶色のネクタイでしたぜ」
「かわいそうに!」
女は、技師の肩に鏝をかけた自分の頭をおっつけそうに喉を反らせ、やがてこごみ、大笑いした。
「まさかネクタイを茶色から黒にする勇気もない男なんてこの世にあるもんですか?」
笑いながら、ひどく黒く光るながしめでウラジミール・イワノヴィッチの縁なし眼鏡をのぞいた。
「そうじゃありませんの——いかが?」
女の口が白い顔から浮き出し宙で紅く開いたまま、一直線に技師の顔に向ってすべってくるような感覚であった。
肩のひろくあいた白服の胸に三色菫の造花をつけて笑っている女は、市の映画常設館ピカデリーのプログラム売りが職業であった。
「自分でおかしくなってしまいますわ、二つの外国語を知っていて、中学校を金牌で出た女がこんな仕事しかないなんて……」
それは食卓でのことで、思わず彼女の顔を見なおした数人の年とった女には目をかけず、その時もやっぱり彼女は野菊の白い花越しに技師ばっかりを見つめ、いらだたしげに笑った。
「ねえ、こういうのがロシア語では機会均等と云うのでしょうか?」
アンナ・リヴォーヴナその他の女たちは、黙って払い下げ品ロマノフ家紋章入りの皿から氷菓と一緒にこまこました思いを飲み下した。例えば、八十五ルーブリ——しかもそれがやっと歩合でとれる金で、どうして夏だからと云って下宿へ来て、二週間に八十四ルーブリ払えるであろう?(または)毎朝毎朝ああやって目先をかえて出て来る着物は、どういう工面で出来ることやら——
女のいう二箇国語の知識や金牌やらが信じられぬ存在になるのであった。
電気技師だってそれらを信じるというのではなかった。ただ一ヵ月に取れる金の八十五ルーブリと二週間に出せる金の八十四ルーブリとの間にある矛盾が、漠然と遠くない過去、資本主義時代のペテルブルグ生活を思い出させ、女が、わたしの夫、わたしの夫と云う職業も不明な夫が複数の感じで彼に映るのであった。その朝、タタール風な頭の電気技師は妻君より早く起きた。来年銀婚式をするべき妻君のユリヤ・ニコライエヴナが小さい義歯にブラッシをかけている間に、彼は今朝はバラ色のなりの女と公園の奥を散歩した。技師だけ妻君の室に戻り、再び夫婦で食堂へ降りた時、玄関から真直食堂に入っていたバラ色のニーナは待ちかねていたように立ち上って、まず妻君の手を握った。
「お早うございます。ユリヤ・ニコライエヴナ。なんていいお天気なんでしょう、今朝は! わたしじっとしていられなくなって散歩してまいりましたの、御一緒に——ねえ、アレキサンドル・ミハイロヴィッチ」
女は可愛い自分の祖父さんでも抱くように七十歳の、だぶだぶした麻の詰襟服を着たアレキサンドル・ミハイロヴィッチの肩にさわった。が、半中気で耳の遠い老人にニーナの言葉はまるできこえなかった。
仕立屋タマーラは、同じ下宿のうちでもこんな具合な食堂にはなんの関係もなかった。黒と白の四角い石を碁盤形にしいた廊下がある。廊下は暗い。そのかなたの小部屋で、下宿の主婦の胴まわりにテープをまわして働いた。小部屋の窓の外には楡の木が枝をひろげていた。でこぼこ石の中庭越しに、裏の長屋と家畜小舎が見えた。大鎌が二ちょう、白壁が落ちて赤煉瓦の出た低い小舎の外壁にもたせかけてある。牛の臭いが時々した。
三
雨が降りつづいた。やんでも太陽は出ず、風がつめたかった。
大きな仕立台に向って、伯母のタマーラが田舎住居にしては白い、丸いおでこをふせて黒絹のユーブカへ飾紐をつけている。無口な娘にでも別にやさしい言葉などかけることのない、顔と手の小さい寡婦だ。向いあいでナースチャは不恰好な子供服の裾かがりをやっている。うしろの板の羽目へ黄色い編下げの頭をくっつけ、相手によっかかるようにしてシューラがナースチャの肱を二本の指で締めつけた。シューラは退屈だ。シューラは茶色の服を着た骨っぽい肩をブルブル震わせ、ナースチャの顔色をうかがいつつ指に力を入れる。
「オイ! シューロチカ!」
「痛い?」
黙ってナースチャは肱を動かし、シューラの手をはらいのけた。シューラは蒼い顔でにやにや笑った。しばらく間をおきこんどは、おはじきでもするように首をまげ、狙いをつけ、ナースチャの肱の関節を弾きはじめた。これをやられるとなにかの機勢で腕がピーンと指の先までしびれ、心持が悪いと云ったらない。ナースチャは怒って悪態をついたり、追いまわしたりした。シューラは、だから退屈だとこのてを使うのだ。ナースチャは、裾かがりの上にうつ向いたまま激しくシューラを小突いた。
「およしったら! シューロチカ」
「なぜさ」
「きこえないの? お、よ、しっていってるのが」
ナースチャは、どんなにふざけたって笑ったって叱りもしない代り一緒に笑いもしない伯母の真向うに坐って、面白くなれないのだった。猫もいない空台所へシューラは出て行った。
伯母が云った。
「もうどのくらいですむかい?」
「五インチばかり」
「すんだら畑みて来てくれないか」
耕地で男が二三人水はけをやっている。
原っぱの端のジャガいも畑は、悪い天気あげくで作物がちぢみ、かえってまわりの雑草が伸びたように感じられた。七月だのに、ジャガいもは花を開くどころではない。
ナースチャは、鍬の根っこを両手で握り、空地のまわりの浅いくぼみをほじくりかえした。ここは土地が一帯低いのだから、ナースチャが畑のそとの雑草の根の間へちっとやそっと鍬目を入れたって、溜水は日が照りつけるまで大してひきはしないのだ。
ナースチャは、熱心に鍬を動かしたり、ぼんやり原っぱを見渡したりした。灰色につめたく光る空が野の上にあった。堤防では、通る人もない。
仔豚が一匹往来に出ていた。たんぽぽや馬ごやしの茂った往来端の柔かい泥へ鼻をつっこんだなり、一心不乱に進んで行く。ナースチャが振りかえってみると、かなり遠くからもぐらの掘りあげたような泥がつづいていた。きたない、おかしい畜生とならんで、ナースチャは歩いた。
白樺が六本生えている。柵から空地へ入ったナースチャは思いがけず石の上にぱっとした若い女が立っているのでびっくりした。女は黄繻子の頭巻きで、下から黒い髪の束をこぼし、家の外羽目に打ちつけてあるT・A・スミルノワ、黒で書いた白エナメルの表札を見上げていた。ナースチャを認め、女は眼尻でちょっと笑った。その眼は少し日やけした顔のなかでやはり黒かった。いい外套を着ている。
長雨に降りこめられたのち、やっと人を見た感じで亢奮し、ナースチャは梯子を駈けのぼった。伯母のエナメル名札こそ屋根の下にうってあるが実際彼らの住んでいるのは二階の二間だけで、七家族が一つの木造二階建家屋に暮していた。階下は便所の臭いがひどくしていた。
黒油布張りの扉を開けるなり入ったナースチャは、首をのばし、
「ヘーイ、シューロチカ!」と呼びかけた口をわれ知らず手でおおった。女の客が来ていた。仕立物台の前の床几にかけ、伯母と話している。ナースチャは百姓娘らしく静かにそっと室内へすべりこんだ。
「まあ! 昨日来なさったんですか、なんて残念なことをしたんだろう。おかみさん、あなたになにも云いませんでしたか」
「いいえ」
ねずみ色と白のひだの多い服を着たその客は肩をすぼめた。シューラは蒼い顔に唇をきっと引きしめ、またたきもせず客の一挙一動を見守った。
「わたしんところになおしてお貰いしたいものがあるんですがね」
「へえ」
「一枚たけをつめるのと、一枚ちょっと胸の工合をなおしてお貰いしたいのと——ドイツにいたころ買ったんで、品がいいからすてるのももったいないと思ってね」
仕立屋の伯母は、別にわざとでもない落着いた口調で、
「ようございます」
と答えた。
「直き出来ます?」
女客は少し床几からのり出すようにして、つづけた。
「それで……なんですか、いつ来て下さいます?」
「明日あがります」
「わたしの室でやってお貰い出来ないかしら」
「それは出来ません」
仕立屋の伯母は、落ちついて、しかしきっぱり断った。
「あなたのお仕事ばかりしているんでありませんから」
客は、仮縫には自分がまた出かけてきてよいと云った。
「あなたよりはわたしの方が暇ですからね、とにかく……。で、どのくらいで出来るでしょうたいてい……下宿の前にも一軒あったんですが、おかみさんがあなたへ紹介して下さったもんだからわざわざ来たんですよ」
ナースチャとシューラとは緊張した顔を仕立屋の伯母に向けた。伯母はなんと答えるであろう。どの客とでも話がここで最も白熱し、彼女らはかけ引をみるのであった。
伯母は、シューラそっくりな声のない蒼白い笑いをうかべて黙っている。(昨日彼女が見つけなかった商売仇を、��だけ来るこの人が下宿の向いに今日見つけたのだそうだ)
「あらましのところでいいんですよ。もちろん」
「まだ品物を拝見していないんですから……」
「勉強して下さるようなら、わたしの友達でおたのみしたいって云っている人もあるし、いくらでもお世話しますよ、ねえ」
客はナースチャの方を見ていくぶんわざとらしく元気に笑った。ナースチャは笑わなかった。
「わたしは子供たちを食べさせて行かなけりゃなりませんですからね」
伯母が云った。
「でも御心配はいりません。とにかく明日品物を拝見してからのことにしましょう」
ナースチャとシューラが中庭を見下すと、黄繻子の頭巻きをした若い女は、さっきの石の上で小さく足ぶみしながらまだ待っていた。ねずみ色のショールを頭へかぶりながら彼らのところへ来た女客が足早に下から出て行き、直ぐつれ立って柵のそとへ去った。
四
隅の椅子にナースチャがかけて見ていた。
アンナ・リヴォーヴナは髪に気をつけながら頭からゆっくり服をかぶって着かけている。のびた腋の下、レースの沢山ついた下着。
すっかり裾をひきおろし、あっちこっち皺をなおし、アンナ・リヴォーヴナは長い鏡の前へ近づいて立った。
「どう?」
ナースチャは、自分に云われたのかどうかわからず、黙っていた。
「なんて云うのお前さんの名——マーシェンカ?」
横向きになって、袖のつけ工合を鏡のなかで眺めながらきいた。
「いいえ。ナースチャ」
「じゃ、ナースチャ、見てちょうだい。腋の下んところがつれてやしないかしら」
ナースチャは立って絹紗のような紫の服を見た。
「なんともありません」
その服をぬぎ、こんどは裾をつめた方を着こみ、小一時間ぐずぐずしている間に、アンナ・リヴォーヴナは、ナースチャにチョコレートを食べさした。そして、田舎娘の細そりした体に不釣合ながっしり大きい手を眺めながら、こんな問答をした。
「お前さん、丈夫?」
「ええ」
「もう一人いた娘さんと姉妹なの?」
「いいえ、あの娘は従妹です」
「へえ、じゃあ誰のお母さんなの、仕立屋さんは」
「シューロチカの」
「お前さんの親は? 田舎?」
「死にました」
ナースチャは変にせつないように、不愉快なような表情をしてぶっきら棒に答えた。
「ふしあわせな! 二人とも死んだの? いつ?」
「饑饉の年。わたしどものところ、そりゃあ病気が流行ったんです。はじめお母さんがねて、それからお父さんがわるくなって、お父さんが十日先に死んだ。棺が二つ出ました。わたしもやっぱりその時は病気で、熱くって熱くって……窓からどんなに飛出したかったか!」
ナースチャは思い出すように室の窓の方を見たが、急に顔を近づけ、
「ごらんなさい。家じゃ兄さんが死んでから、なにもかもめちゃめちゃになっちゃったんですよ」
熱心に、低い声でささやきはじめた。
「兄さんが生きているうちは、本当になんだってあったんです。パンだって、バタだって、麦粉だって。……兄さんが死んだ時は、泣いた。お父さんも泣いた。兄さんの金時計だけは友達が持って来てくれましたけど……それはいい時計だったんです」
「その兄さんて、なにしていたの?」
「食糧のことをしていたんですけど、なんて云うんでしょうか。……兄さんはボルシェビキだったんですよ。出かける時、お父さんがそれはしっかり兄さんを抱いて接吻してね、兄さんの唇から血が出るほどきつく接吻したんです。兄さんもお父さんに接吻してね、そして出かけて行ったんですよ」
アンナ・リヴォーヴナは溜息をついて、しばらくしてきいた。
「叔母さん、親切にしておくれかい?」
ナースチャは、白木綿の襯衣の背中へ手を廻し、それを下へひっぱるような身振りをしながら短く、
「あたりまえです」
と答えた。
「どこかへつとめちゃいけないの? ナースチャ」
「村には仕事がないんです」
「……そうやって伯母さんのところにいつまでいたってしようがあるまいねえ……いくつ? お前さん」
「来月で十七です」
「モスクワへでも来りゃいいのに」
なかばひとり言のように云い、アンナ・リヴォーヴナは立ち上って、仕立代をナースチャに渡した。
「じゃ、布地はこのつぎ伯母さんが見えた時、つもって貰いますからってね」
五
いままで知らなかった感じがナースチャの心に生じた。モスクワへ、自分でも行けるのであろうか。原っぱへ出て、夏空の下の長い堤防や遠くの動かぬ貨車の列を見る時、ナースチャの眼に涙が浮んだ。小学三年だけ行ったナースチャの頭に、アンナ・リヴォーヴナの言葉はつよくうちこまれ、彼女は忘れることが出来なかった。しかし、ナースチャは口に出してはなにも云わなかった。自分の心がこわかった。
ある午後、市場へ買い出しに出かけていると夕立がかかって来た。ナースチャはいそいで市場のアーチの下へ逃げこんだ。アーチは奥行が深く、その内壁に沿うて十六カペイキの耳飾や針を売る三文雑貨屋や、紐屋、古着売りなどの店が張られている。五六人の労働者と、子供をかかえた一人のツィガンカがやはりアーチの下へ雨宿りに来た。ツィガンカは裸足で、赤い更紗の重くひろい裾を蹴るように歩き、一人一人の労���者の前に手を出した。銭をやるものはない。風がさっと吹く。雨あしが白くけむって移った。労働者の濡れた体が乾きかける一種の匂いとタバコの匂いがアーチのなかにこもった。山羊が一匹、野菜店のさしかけた板屋根の横から雨をついてこちらへ向ってかけ出して来た。アーチの下へ入ると、山羊は壁によせて開けてある鉄扉と内壁との間へ頭だけつっこんだ。そうすると安心したように山羊は眼を細くし、時々短い白い尻尾をぶるるるとふるわした。ナースチャはむき出しな腕に籠を引かけ、その山羊のとぼけた鼻面を見ながら笑った。
「ばか……」
ナースチャの肩に後から触るものがある。
「お前さんもここへ逃げこんだの?」
振返って見て、ナースチャは顔をあからめた。
アンナ・リヴォーヴナが自分の体からはなして洋傘の滴をきりながら立っているのであった。
「気違いみたいなお天気じゃないの」
ツィガンカが、目さとく彼女を見つけ、そばへよって来た。
「可愛いお方、占いしましょう、たった十カペイキ、占いさせて下さい」
アンナ・リヴォーヴナは手提袋をあけ、三カペイキの銅貨をツィガンカの黒い、爪だけ白い手の平にのせた。
ツィガンカはおじぎし、アーチの端へ去った。
「わたしは占いがこわい」
アンナ・リヴォーヴナがナースチャにささやいた。
「お前さんはどう?」
ナースチャはわからなかった。彼女はツィガンカに一ぺんも物乞いをされたことがなかった。そのくらい、見すぼらしい村の娘なのであった。
雨が小降りになって、アンナ・リヴォーヴナとナースチャはアーチの下を出た。
「お前さん急ぐの?」
「いいえ」
歩道の横で女が三人ならび、いまの夕立で柔くなった石の間の地面で草取りをはじめている。その前を通り過ぎた時、アンナ・リヴォーヴナが云った。
「お前さん、本当にモスクワへ出る気はないかい」
ナースチャは、顔や胸があつくなってなんと返事してよいかわからなかった。なんとなく心ひかれたからアンナ・リヴォーヴナについて来は来たのだが……
「もし来たいなら、わたしが帰る時、一しょに行ってもいいね」
アンナ・リヴォーヴナはつづけて云った。
「わたしの家でも働いてくれる人がいるんだからどうせ」
「わたしにはお金がありません」
「そのくらいのことはわたしが立てかえといて上げてもいい。——お前さん、床の拭きよう知っているだろう?」
「知っています」
「洗濯出来るだろう?」
「ええ」
「スープのとりようだって知ってるわね、もちろん」
ナースチャは、ほんの少し弱く、
「ええ」
と答えた。(伯母のところでは、一月に二度くらいしか肉入のスープなど食べなかった。)
「それごらん!」
夕立の水たまり、そこにいまは日光と青葉のかげが爽やかにチラチラしている上を越しながら、アンナ・リヴォーヴナは陽気にナースチャに断言した。
「もうちゃんと立派な女中さんじゃないの!」
主人は技師で、大きい娘はもうお嫁に行ってしまっていて、家は暇なこと、月給は十三ルーブリということをアンナ・リヴォーヴナは説明した。
「わたしはいまのようにしているよりいいと思うね」
「…………」
「どうしたのさ黙りこんで……ああ、別れたくない人がいるのね?」
「伯母さんに話して下さい、アンナ・リヴォーヴナ!」
ナースチャはとびつくような本気さで云った。
「どうぞ伯母さんに話して下さい。わたしは行きたい! 本当に行きたいんです!」
ナースチャのそばかすのある顔が急にみっともなくのぼせて、彼女は涙を頬っぺたの上に落した。
「泣かないだっていいのに、おかしなナースチャ!」
モスクワでは職業組合に入る女中が多くなった。職業組合員の女中は、まるで役人でも頼むようにやかましい証書を交換したり、一つ間違うと訴訟を起したり、アンナ・リヴォーヴナにはひどく居心地わるかった。それにせっかく四五月経ってなれたと思うと六月目には出てしまうものも多い。職業組合員になるには六ヵ月働いた上でなければならず、組合員になると、アンナ・リヴォーヴナの利益とは関係ない利益が彼女たちにあるのであった。ナースチャは職業紹介所から来る娘でなく、田舎の原っぱから真直ぐ自分の家へ来るというだけでも、アンナ・リヴォーヴナは満足だった。
「可愛いムーシェンカ」
アンナ・リヴォーヴナは娘へ書いた。
「この間は手紙をありがとう。坊やの歯々がとうとう生えたってね。おめでとう。わたしは本当にうれしいよ。ソヴェトのわたしの孫の歯もやはりキリストさまのと同じに前歯から生えることが確められて。
イワン・ドミトリィッチさんは相かわらず会議会議かい。昔の妻は良人に猟に出かけられてよく淋しい思いをしたものです。いまの妻は会議に良人を奪われる。会議が猟よりわるいところは、会議に季節がないことと、猟師小舎でのやき肉のかわりにお茶のぬるいのとサンドウィッチで夜の十二時五十分までタバコでもうもうした席に坐っていなければならないことです。まして猟には、あのあぶなかしいエナメル靴をはいた秘書役などと云うものはついていなかったんだからね! (だがイワン・ドミトリィッチには、くれぐれもよろしく伝えておくれ。わたしは母親の本能で、彼がそうざらにはないお前の良人なのを知っているんだからね)
さて、わたしもいよいよ明日ここを引きあげます。例年の通り日やけと散歩でつぶした靴の踵のお土産のほかに今年はちょっとした掘出し物がある。あててごらん! 女中がつれて帰れるらしいのです。いまのモスクワで、身許のはっきりした田舎出の女中は、人造絹糸でない絹ものと同じくらい珍しいじゃあないか。大して気は利きそうもないが、お前も知っているサーシュカね、あれのように、またたく間に三本も赤葡萄酒のびんをひろくもないユーブカの間へちょろまかすような芸当のないのもたしからしい(孤児だから面倒でないし、辛棒もするでしょう)もし——
アンナ・リヴォーヴナは、もしお前の方で欲しければと書きかけたのを消し、
——もし眼鏡ちがいでなかったら、どうぞお前もよろこんでおくれ」
と結んだ。
下宿の夕飯後、大きな鏡のある客間の長椅子で、アンナ・リヴォーヴナは手紙のその部分を面白そうにニーナや技師の妻ユリヤ・ニコライエヴナなどに読んできかせた。(彼女の左の手首から下っている袋のなかにある、手紙のもう一枚の方には、ユリヤ・ニコライエヴナの夫である頭の禿げた電気技師が、妻の留守の夜、どんなにバタンと閉めた戸をまたそっと開けてニーナの部屋へ忍んで行ったか、翌日二人がどんなに人目をかまわず、食べかけたパイを皿ごととりかえっこして食べたか恐ろしい事実を書いてあるのであった)
アンナ・リヴォーヴナの少しふるえを帯びた声の合間合間にニーナは、
「素敵! 素敵!」
と叫んだ。
「なんて愉快な機智にとんだお手紙なんでしょう! 本当にわたし母にきかせてやりたい。こんな面白い手紙をもらう娘さんも世間にはいらっしゃるんですものねえ。まったくゾーシチェンコと合作がお出来になるわ、ねえ、ユリヤ・ニコライエヴナ?」
小さい白い布に刺繍をしながら、歯からもれる声でユリヤ・ニコライエヴナは、
「さあ」
やや重く答えた。
「私はゾーシチェンコを知っているけれど、なんだかがさつなひとで……わたしは好きでありませんよ」
下宿へ食事だけしに通って来る小柄な軍医が、下から議論の中心になったゾーシチェンコのとじの切れた短篇集をもって来た。彼は「恐ろしき夜」を女達に朗読しはじめた。
この時間に、村端れの仕立屋タマーラの窓からランプの光が夜の村道までさしていた。
ランプの真下で伯母がラシャの裁物をしている。明日立つナースチャが隣室からの光りで戸口のところだけ明るい台所で、大箱の蓋を開け、荷ごしらえをしている。わずかの下着と、二枚の冬服と一枚外套があるばかりであった。いままで、その上に毎晩ナースチャが寝て来た箱のなかには、まだいくらか古着があったが、どれも小さくなったり、きれていたり、役に立つのはなかった。
シューラが、箱の底をほじくって、すり切れた、誰かの古い狐の皮を引ずり出した。
「いいもの! いいもの! さあ、ナーシェンカ、これもつめといでよ」
「おやめよ」
「なぜさ! モスクワは寒いよ、ホラ!」
狐の皮を自分の頸にまきつけ、シューラはしなをしてナースチャのぐるりを歩きまわった。
「いい襟巻だよ」
相手にならず、洗ってあるのや洗ってないのや靴下をつかんで麻袋につめこんでいたナースチャは、溜息をつき、手の甲で額をこすり箱にもたれて坐ってしまった。ややしばらくそのかたちのナースチャを眺めていたシューラは、狐の皮をぬぎ、うしろ手のままそろりと箱のふちへずりのぼった。ナースチャは動かぬ。シューラはよほど経ってからこごんで、小さい声でよびかけた。
「ナーシェンカ」
「…………」
「お前……ねえナーシェンカ、こわくない? 行っちゃうの……」
「…………」
「ね、ナーシェンカ、こわくない?」
箱からぶら下っているシューラの骨っぽい少女の脛が、いきなりナースチャの若々しい腕で抱きしめられた。
「黙ってて! 後生だから」
ナースチャはさっきからなんとも云えない心持なのであった。伯母の頭の上にある真鍮の吊ランプも、夜の台所の匂いも、なにもかにもふだんと変らないのに、自分だけが行ってしまって帰らないというのは、なんと妙な、切ない心持であろう。ナースチャは、暗いうちでさらにシューラの脛を抱きしめ自分の額を押しつけた。この世で、これだけしか抱けるものはなかった。
その心持がシューラに通じた。シューラは、ナースチャの髪をなで、むせばないように口をあけて泣いた。
隣室では、ランプの光がさし、はさみの音がする。ランプの光はぼろのかたまりのようにナースチャをかげにおき、シューラの金髪の一部分だけをせまく射るように照らしつづけた。
六
ソフィヤ村のナーシェンカは市に出た。
ナースチャは電車にのっている。電車は二台連結だ。ナースチャはひろげた脚の間に麻袋をおき、あとの車にのっている。アンナ・リヴォーヴナはナースチャの隣にかけ、かばんをそばにおき、その上に肱をついて眼をつぶっている。電車は午前九時すぎのモスクワを行くのだ。ナースチャは朝日のあたる窓に向って、顔をしかめながら外をみた。大きいまるで見知らぬ都会の景色のなかでナースチャになじみのあるのは向日葵の種売りだけであった。朝のところどころの露店で、五カペイキのコップは向日葵を盛って厚ぼったく光った。
電車の窓の下をトラックが通る。トラックには三人労働者がのっていて、あっち向きに電車を追いぬきながら、窓にあるナースチャの顔を見つけ、互になにか云って笑った。
「おーい、こっちへ乗ってきな!」
怒鳴りつつ去った。紫と白の太い縞シャツを着た、若い男の笑顔を、ナースチャはいい男だったと思った。
樹の枝でつくった平べったい檻に鶏を沢山入れ、山のように積んだ荷馬車が行った。下積みの檻は、上からの重みでひずんで、一羽雄鶏が苦しそうに檻のすき間から首を外へ突出していた。
アンナ・リヴォーヴナの家では、どんな正餐を食べるのであろうか?
道普請だ。電車はのろのろ進む。……ナースチャはなんだかちょっとぼんやりした。
やがて教会の金の円屋根が光って見える広い通りへ出た。からりとして明るい往��の上に、一台柩馬車がいた。柩馬車は黒い。棺も黒い。花もなくひいて行く。後からプラトークをかぶった女が二人、年とった女を左右からかかえて歩いていた。柩馬車の御者台には、御者とならんで十一二の男の児が冬外套を着てのっかって行く。
窓からのり出してナースチャはその葬式を見送った。その時ひろい街の上にあるのは朝日とその葬式ばかりで、いつまでもいつまでも馬車にのっかって行く男の児の外套を着た背中が黒くぽっつりとかなたに見えるのであった。……ナースチャは窓をはなれ、坐りなおし、帳簿つけをしている女車掌の胸につり下っている、テープのように巻いた切符を眺めた。切符は赤、黄、水色、白——電車はながい。
七
クレムリン城内と向いあって、四角にモスストロイ(モスクワ土木課)がある。
パーヴェル・パヴロヴィッチは五年間、歩いてその三階へ通いつづけた。出かける前に、彼は火傷しそうに熱い茶を受皿にあけて飲んで、バタつきパンをたべて、タバコを吸いながら水色の技術制帽を外套の袖口で一二へんこすってかぶるのであった。
ナースチャは一時間半前に、台所の寝台から起きた。ソフィヤ村の伯母の家でナースチャの寝床は大箱の上だった。ここでは箱でなく、台所の壁から一枚板が下りた。ナースチャはその上へ掛物にくるまって眠るのであった。
パーヴェル・パヴロヴィッチが、茶をのんで窓越しに並木道の菩提樹の梢を眺めている間に、ナースチャはニッケル盆にコップと薬罐とバラ模様の急須をのせ、食堂の隣室の戸をたたいた。
「入ってもよござんすか」
直ぐ、
「お入り」
と返事のある時もある。いつまでも返事のない時、ナースチャは、ドンドン戸をたたいた。それはきっとそうやってたたかなければいけないのだ。鍵があく。
「おお眠い。一たい何時? いま」
ナースチャは丁寧に腰をかがめてテーブルへ盆をおきつつ答える。
「八時十分です」
リザ・セミョンノヴナは裸足のまま寝台の前の小さい古い絨毯布の上に立っていた。あくびをし、柔かい金髪のおかっぱを両手でもしゃくしゃにこねまわし、もう一つあくびをしつつナースチャの肩へよっかかった。
「ナースチャ、鬼よ、お前! たったいっぺんでいいからうんざりするほど寝かしといてくれればいいのに!」
ナースチャ自身は黒い髪をたっぷり持って首の上に重く丸めていた。彼女には、この金髪の、足の裏まで柔いみたいなリザ・セミョンノヴナが好もしかった。リザ・セミョンノヴナはナースチャが来て半月後、アンナ・リヴォーヴナが出した貸間広告で来た銀行員である。
リザ・セミョンノヴナは、
脚をぶらぶらふりながら、
わたしは樽にかけている。
コンムニストだということは
云ったげようか
とても、陽気だ。
流行歌をうたい出し、ナースチャの顔のなかになんともしれぬながしめを与え、麻の手拭を肩にかけて洗面所へ出かける。ナースチャもついて室を出て、おなじ廊下で一つ手前の台所へ帰る。
籠をぶらぶら振りながら
わたしは窓にかけている。
女中になるということは
云ったげようか
とても、陽気(ウェルショールイ)だ。
陽気だということに反語のこころをふくめてナースチャは、心のうちでいくつもかえ歌をこしらえ、調子をとりつつ、それが火曜日の朝ならばごし���しと洗濯盥でアンナ・リヴォーヴナの下着をもむのであった。
パーヴェル・パヴロヴィッチが出て行く。リザ・セミョンノヴナが赤い手提に身許証明書と八カペイキのパンとを入れて出て行く。アンナ・リヴォーヴナがそのあとで独り食堂で、桃色の夜帽子をかぶったまま茶を飲む。ナースチャは寝室と、リザ・セミョンノヴナの室掃除をする。ナースチャはリザ・セミョンノヴナがそのうえで白粉もつけるし、手紙も書くたった一脚の、いつも一晩で散らかるテーブルの上を、彼女独特の原則にしたがって片づけた。ソフィヤ村で、ナースチャはいつこのような白粉箱、香水箱、新聞、古手紙、毛糸の黒坊人形まである小机を見たことがあろう。ナースチャはしかたがないから、あるほどのものを片ぱしから大きさの順で机の端につみ重ねた。したがって、新聞が基礎構造で、「週間」「アガニョーク」「エルマー・ガントリー」という英語の筋ばかり厚い小説、日記、字引、五月八日にキエフから来た手紙、もう一つ小さい端のめくれた古手帳、その上に、ナースチャはきまって黄色い円い白粉箱をおき、黒坊人形は手にとって一つ接吻して、その白粉箱によせかけ、片づけ終るのであった。リザ・セミョンノヴナは帰って来て——夕方か夜更けかに——興業銀行で百八ルーブリの月給をもらう代り、怠ることの出来ない英語勉強のために、音読用エルマー・ガントリーをとろうとすると、それがまた彼女の金髪らしい性質で、いつの間にか机一杯に白粉箱や古手紙が散らばってしまうのであった。
カウカーズの上靴を寝台の下にしまって、ナースチャがリザ・セミョンノヴナの室に鍵をかけ終ると、アンナ・リヴォーヴナは廊下で黒麦わらの帽子をかぶっている。
「さあ、籠を持って」
「ただいま」
「牛乳壜を入れたかい?」
「ええ」
戸に鍵をかけ、はしごを中途まで降りかけると、アンナ・リヴォーヴナは、
「ホラ、また忘れちゃった!」
と立ち止った。
「ナースチャ、忘れたろう?」
「なんです」
「ケフィールの瓶さ」
幸いナースチャが平然と腕に下げている籠からビール瓶くらいのケフィールの空瓶を出して見せられる時はよいが、さもないと、ナースチャはまたはしごをのぼって、鍵をあけて、台所へ行って瓶をとって、また表の戸を閉めて、念のためいっぺん引っぱって見て、アンナ・リヴォーヴナの待っているところまで戻らねばならぬ。悪い時は、どうかしてアンナ・リヴォーヴナが扉のしめようを信用せず、
「いい娘だから、もう一度しっかり見ておいで。モスクワはソフィヤ村じゃないんだからね、三分間扉を開けっ放しにしておいてごらん、壁のペイチカまでさらわれちまうから」
と云う場合であった。ナースチャは戻らねばならぬ。三階まで二度往復せねばならぬことを意味するのであった。
市場には、村の市場より数倍の店と群集と、いろんな匂いとがある。市場のモスクワ式ごろた石の通路では、花キャベジの葉っぱ、タバコの吸殻、わら屑、新聞の切れっ端が踏みにじられていた。魚売店からきたなく臭い水がごろた石の間を流れた。市場の古いごろた石道はきつい日に照らされて表面だけ白っぽくかわいて見えても、石と石との隙間の奥にはいつも黒いぐしゃぐしゃした泥濘がある。ナースチャは時々、そのごろた石と石との隙間に靴の踵をかまれてよろけながら、眼をつき出し、愉快そうにアンナ・リヴォーヴナのあとから店々をのぞいて歩くのであった。
頭上の大板へ葡萄と林檎を盛った男が、長靴を鳴らし人をかきわけてやって来た。女がその肩にぶつかった。
「ヘーイ、ヘイ! ばかやろう!」
いそいでよけた女の顔の前へ、てのひらにのせた鶏をつき出して、横歩きをしつつ髯の大きな男が熱心につばきをとばしてしゃべった。
「奥さん、じゃいくらならいいんだね。見なさい。こりゃ本当のヒナですぜ、けさつぶした」
赤い羽根付の帽子をかぶった女は止らず歩きつづけた。
「だから、もう云ったよ。八十五カペイキ!」
「もう十カペイキだけ! あんたにとってこれっぽっち同じじゃないか」
「同じなら、お前さん負けとき」
「わたしのを買って下さいよ、ね奥さん」
更紗のプラトークをかぶった女が、その時やっぱり手に毛をにぎったひどくひねた鶏をのせ、人かげから、歩いてゆく女の前に現れた。
「ねえ、奥さん、本当の主婦ならこれを見落しゃしませんよ、たった九十五カペイキ、お買いなさい奥さん」
二人の鶏売りにはさまれ、女は怒ったように、
「駄目! 駄目!」
と叫んで一そう早く歩き出した。
「わたしは買わないよ、いらないっていったら!」
行手にはもう別の人だかりがあり、鮭の切売りを見物しているのであった。
「ナースチャ!」
肉売り店の前に立って少し口をあけ、面白そうにその様子を見ていたナースチャは、びっくりしてうしろを向いた。
「さ、これ」
アンナ・リヴォーヴナは犢の骨付肉を新聞でつまんでナースチャの籠へ入れた。
「駄目だよ。さらわれちゃ」
女が二人ならんで足許の箱に玉子をひろげていた。ナースチャが来かかった時、年よりの方の女が、急にあわてて箱をもち上げ、
「来たよ」
とささやいた。あわててもう一人の女も箱を持ち上げ逃げるかまえをしたが、そちらを見て、
「籠をもってる」
安心して、再び玉子の箱を元のように足許に下した。直ぐ巡査が現れた。巡査も買物で、ほかの群集の男女と同じに籠をぶら下げ、玉子売の隣で胡瓜漬売の前にたたずんだ。ナースチャは顔を上に向けて笑った。市場は、陽気だ。
リザ・セミョンノヴナも陽気でなくはなかった。
リザ・セミョンノヴナは時々は夜も、台所へ入って来ることがある。
「ナースチャ、ちょっとじりじりやらせてね」
爪磨した彼女の手にアルミニュームの小鍋がある。小鍋に二つの卵とハムが入っている。アンナ・リヴォーヴナとリザ・セミョンノヴナがとり交した契約書には、モスクワの借室がたいていそうであるように台所は利用せぬことになっているのであった。セミョンノヴナでも、しかし時には、夜、茶と一しょに熱いものが食べたかろうではないか。
台所の隅の腰かけに、昼間のせてあった金盥の代りに、いまはナースチャ自身がかけている。ハムをあぶりながら、リザ・セミョンノヴナは綺麗な水色の瞳で、じろじろナースチャを眺めて、云うのであった。
「ナースチャ、なぜおかっぱにしないの」
「わたし似合わないんです」
リザ・セミョンノヴナの小料理は手伝うこともないので、かえってナースチャは間がわるい表情だ。
「きったことがあるの?」
「いいえ、伯母さんも似合わないというし、シューラも似合わないって云うもんだから」
「ばかなナースチャ、おかっぱにしないのなんか禿げ頭の爺さんか豚だけよ——ごらん、わたしだってよく似合ってるじゃないの」
ナースチャは、感嘆して、紫苑色のリザ・セミョンノヴナのすらりとしたスウェーター姿を眺めた。
「わたしだってあなたみたいな髪さえあれば……こんな黒い髪! あきあきしちゃう」
「ホウ、ホウ、ホウ」
肩をすぼめ、唇を丸め、ホークで器用に小鍋をひっかけながら、
「そら出来た」
リザ・セミョンノヴナはガスを消す。
「寝る? ナースチャ」
ナースチャはもっといろいろのことをしゃべりたい。その心持をあらわす暇のないうちに、
「じゃおやすみ、ありがとうよ、ナースチャ」
リザ・セミョンノヴナは裾の端を台所の戸がしめこみそうにひらり、小鍋を持って自分の室に行ってしまうのであった。
ナースチャがお休みなさいと云う間もなかった。
彼女は台所の隅の四本柱の腰かけの上で、両手を膝の間にはさみ、体を前や後に振りながら周囲の物音をききすます。廊下のあちらでリザ・セミョンノヴナの戸が閉った。食堂からこもった笑声が響いた。食堂の入口に厚いカーテンが下っているからあんなに遠く聞えるのだ。アンナ・リヴォーヴナ夫婦と夫婦づれの客が、カル���をやっていた。ナースチャがずっとさっきコーヒーを持って行ったら、アンナ・リヴォーヴナはカルタを手のなかで一心にそろえながら、
「お砂糖もいるよ」
と云った。主人のパーヴェル・パヴロヴィッチがその前に台所へ顔を出して、
「ナースチャ、コーヒーおくれ、苦くしちゃいかんぜ」
と云って直ぐ引っこんだ。夜の間にナースチャにかけられた言葉のそれが全部である。
膝の間にはさんでいた片方の手をのばして、ナースチャはかたわらの棚の下をさぐった。いろんな紙屑のなかから、手当り次第に引っぱり出してみると、パーヴェル・パヴロヴィッチが役所から持って来た製図の切れ端であった。もう一遍やって見ると、新聞が出た。ナースチャは太い活字をひろって読んだ。パホード・プロチフ・エストラノドノイ・ハルツールイ……これはなんのことだろう。別のところには細かい字がうんと書いてあってカリーニンとかルジュタクとか人の名がある。
再び両手を膝にはさみ、体をゆすり、ナースチャはシューラを恋しく思い出すのであった。寂しい……。明るい……明るい……そして一人ぼっちの台所は寂しい。夜はいつしか進んでナースチャはねむたくなる。大きなあくびをして立ち上り、彼女はギーと板を下し、その上にのって高い棚から掛物をひきずりおろした。
便所で誰かが灯をつける度に、高窓のガラスを越してナースチャの寝顔に光がさした。ナースチャは口をあけ、うなりながら眠った。
八
細い肱を蟹のように張って、ナースチャは火のしをかけた。二人寝台用の大敷布はたたむにも、伸すにもナースチャ一人の手にあまった。アンナ・リヴォーヴナが新聞の上へ出して行った木炭は少しだから、火の気の強いうちに、急いでかけてしまわねばならぬ。力がいるのと木炭のガスとでナースチャの顔はほてり、頭痛がした。しかしナースチャは、肱を蟹のように曲げ一生懸命火のしをかける。
ジジーン!
呼鈴がクワルチーラじゅうに響いた。火のしを平ったい金びしゃくにのせ、ナースチャは入口へ行った。
「どなた?」
いきなり開けるなと、ナースチャはきびしく云いつけられているのであった。
「開けて下さい。部屋を見に来たんですから」
それは全然聞きおぼえのない男の声であった。ナースチャは、戸に手をかけたなり怒った声で、
「誰です、そこにいるの?」
と云った。部屋を見る人間がいるなんて、ナースチャは聞かされていなかった。
「心配なさるな、アンナ・リヴォーヴナのクワルチーラでしょう?」
「ええ」
「部屋を拝見に来たんです。開けてくれればいいんです」
午後二時半で、家はナースチャひとりであった。そればかりか建物全体が一日じゅうで一番しんとして人気のない時刻だ。ナースチャはだんだん気味悪くなり、戸の外の気配をきき澄した。
外の男は足をふみかえたり、もそもそしていたが、こんどは拳でトントン戸をたたいた。ナースチャは、内から前垂の端をつかんで叫んだ。
「行って下さい。知らない人に戸を開けることなんて出来ないんだから。アンナ・リヴォーヴナはお留守ですよ」
「強情ぱり」
そう云う声がし、つづいてコンクリートの階段を降りる足音がした。——悪魔奴、どいつを連れていったんだ!——ナースチャは台所へ戻り、火のしに木炭を足し、サモワール用の小煙筒をしかけた。ナースチャは、満足を感じながら、ふつふつと小さいおきの落ちたのを一枚の仕上った敷布の上から吹きはらった。アンナ・リヴォーヴナは、ナースチャが洗濯上手だと云って、ひどくほめた。ナースチャもほめられれば嬉しかった。ナースチャが来たては中国人の洗濯屋に出していたこの大敷布までいつか彼女が洗うようなことになった。洗濯屋に負けず綺麗だと云われるために、若いナースチャは過分に労力を費すのであった。
十五分もたったころ、アンナ・リヴォーヴナの声が入口でした。
「さあさあ、どうぞこちらへ」
ナースチャは台所の戸からのぞいた。アンナ・リヴォーヴナのうしろから、バンドつきの外套を着て書類入を抱えた山羊髯の小男が、すべるような足どりで入って来た。男はナースチャを見つけると、ちょっと鳥打帽子のひさしに指をかけ、いやに丁寧に、
「こんにちは」
と云った。さっきの男だろうか。ナースチャがまごついていると、その山羊髯の男は唇だけで薄く笑いながら、
「アンナ・リヴォーヴナ、あの娘さんがさっきわたしを入れませんでしたよ」
と云った。
「まあ、どうしたのさお前、御挨拶をおし。田舎のお嬢さんですが、それはよく働きますの」
アンナ・リヴォーヴナは愛嬌よくナースチャに近よって肩をたたいた。
「お互に仲よし、ね。親子のようにやっています」
ナースチャは、つっ立ったまま二人が食堂に入るのを見送り、肩をしゃくり、台所へ戻った。男の水のように冷たくて、ねばっこい瞳がナースチャを不快にした。男は唇で笑ってアンナ・リヴォーヴナに話しながら、眼でじっと睨んだのであった。
男は本当に部屋を借りるらしかった。パーヴェル・パヴロヴィッチが書斎のようにしていた小室へ、先週大工が来て棚を作った。その室をアンナ・リヴォーヴナは男に見せた。壁をとおしてナースチャのところへ話が聞えた。
「ちょっと失礼、この寝台はこっちの壁へつけた方が勝手なように思われますな」
「それはどうぞ御勝手に、わたしどもあなたが居心地よくていらっしゃればなによりなんですから」
床の上をすべるような気ぜわしい靴の音。
「ごめん下さい、こっちは台所ですか」
「ええ、ですけれど」
アンナ・リヴォーヴナがいそいで答えた。
「決しておじゃまはさせません。朝はどうせあなたと御一緒時分ですし、わたしども夜だって早いんですから」
「それは結構。……もう一分間どうぞおじゃまさせて下さい。あなたんところに大きな絨毯はありませんか」
男を送り出すとアンナ・リヴォーヴナは頭をふりふり食堂へ戻った。夜、リザ・セミョンノヴナのところへ茶を運んだ時、ナースチャは、
「聞いて下さい。リザ・セミョンノヴナ」
例の、もう散らかりかけている小机の隅へ膝をついた。
「今日、なんて男が室を借りに来たか! なにか云うたんびに一々ちょっと失礼だの、ごめんなさいだのくっつけるんですよ、そのくせ、机が二寸長すぎてもいけないんだって!」
肌の綺麗な顔を少し反らせ、湿っぽくて臭そうなナースチャの綿繻子の前垂を眺めながら、リザ・セミョンノヴナはきいた。
「もうきまったの」
ナースチャは田舎女らしく目まぜをしてささやいた。
「アンナ・リヴォーヴナはちっともその男を好いちゃいないんです。ちゃんとわかってる。——でもお金があるんですよ、半年分払うんですって」
「ふうん」
「あの山羊髯!」
リザ・セミョンノヴナは無頓着に云った。
「いいさ、そんな男の細君になる女だってあるんだから」
出がけにナースチャが戸を開けると、廊下で鋸の音がした。
「なにがはじまったの」
「ごらんなさい、パーヴェル・パヴロヴィッチが机を二寸ちぢめているんですよ」
男は越して来た。台所に引っこんでいたナースチャが風呂場へ行って見たら、風呂場の壁へ特別彼用のニッケル製手拭掛と、歯磨ブラシ、コップなどのせるやはりニッケルの道具が取りつけられていた。男は自分用の茶碗を持って台所へ行こうとして小熊の剥製や帽子掛のある廊下でリザ・セミョンノヴナに出喰わした。猫背ですべるように歩いていた彼は、素早く歩を横に移して壁ぎわにより、ぴったり脚をそろえて立った。
「こんにちは」
「こんにちは」
行きすぎようとするリザ・セミョンノヴナを遮って、
「一分間おじゃまさせていただきます。あなたもここにお住いですか」
「ええ」
「それは結構。どうぞあなたの美しいお手を——わたしはオルロフ、経済をやっています」
リザ・セミョンノヴナは手の甲を接吻させ、自分の名は云わず室に入って勢よく戸を閉めた。
オルロフはこれまでアンナ・リヴォーヴナの食堂にあった家で一番いいスタンドも借りて自分の部屋へ据えた。彼は二つの葡萄酒コップを持っていた。葡萄酒コップは茶がかった緑色で台にグリグリ飾のついた玻璃であった。朝ナースチャが、彼の茶碗に茶を入れて運んで行くと、「バルザック」とレッテルの貼ってある白葡萄酒の瓶の横にそのコップがあって、オルロフ自身は山羊髯をなで、布張の椅子にいる。彼は目を離さずナースチャの顔を見て云った。
「ナースチャ、コップを洗ってくれるね」
「よろしい」
「もしお前がこわしたら、くびり殺すからそのつもりでいなさい」
「…………」
「わかったか」
「わかりました」
ナースチャは、ぷりぷりしてコップを盆にのせるのであったが、心のうちでは恐怖を感じた。それを洗って元に戻すまで、オルロフの水のように冷たいねばっこい眼付がつけて来るような気がした。
リザ・セミョンノヴナとオルロフはすべてに正反対であった。例えばリザ・セミョンノヴナは室掃除のことでいつか小言を云ったことがあるだろうか。南京虫がくった朝だけ、リザ・セミョンノヴナは、
「ごらん、ナースチャ」
柔らかな肢でも手でも、赤くふくれたところをナースチャにつきつけて云うのであった。
「恥しくないかい」
アンナ・リヴォーヴナが寝室の戸棚へしまっておくミヤソニツカヤ通のおそろしい臭いの南京虫退治薬をまけと云うだけのことなのであった。
オルロフのいるうちに、なるたけ彼の部屋は掃除しなければならない。オルロフは室を去らず、ナースチャが机の上をいじっている時に、椅子の上から、椅子の下をはくときは衣裳棚の前に立って監視した。
「どうぞ御親切に、ナースチャ、その暦はインキ壺の右の肩のところへおいて下さい」
または、
「あれが見えないかね、可愛いナースチャ」
猫背のオルロフが水のような眼で見ているところは寝台の下で、鞄の端に一条の糸屑が引っかかっているのであった。
九
十二月になった。日が短くなって、モスクワには毎日雪が降った。
頭からショールをかぶったナースチャは脚の間に石油罐をおき、歩道に立っていた。石油販売所はまだ売りはじめない。雪の積った燈柱の下にトラックが一台いた。そのトラックと石油販売所の入口にかけて歩道を横切り階子のようなものがかけられていた。トラックの上の男が石油の大きな樽をその階子にのせた。歩道にいる男がそれをころがして店へ運びこむ。石油販売所の内部は暗くがらんとしている。陰気な石の壁の上にも石の床にも石油のしみと臭いがある。トラックからおろす石油の樽も油じみて黒い。その樽に雪がついていた。
雪は細かく、しきりに降る。
石油販売所の石段から、買いての列は町角のタバコ売店の前まで連った。女ばかりであった。ナースチャの後には石油焜炉を下げた婆さんが立っていた。ナースチャの前には、若い娘が繩でつるしたガラス壜を歩道において、壁にもたれ、一心に本を読んでいる。ショールからはみ出した娘の前髪に雪がちらちらついた。粉雪をとおして遠くに、アルバート街の赤と白で塗った大教会の塔が美しく眺められる。
ナースチャはバタも買わなければならなかった。彼女は四十分も待っているのだ。ナースチャは、うしろの婆さんに、
「わたしちょっと買物をしてくるから、番おぼえてて下さいね」
と頼んだ。
「罐おいてくから、どうぞ見てて下さい、お婆さん」
石油焜炉を片手に下げながら婆さんは、往来から拾った吸いのこりのタバコをふかしていた。
「よしよし、見ててやるよ」
バタとジャガいもを籠に入れ、籠は腕にひっかけ、外套のかくしから向日葵の種を出して食べ食べナースチャが戻って来ると、石油販売所の人だかりは一そうひどくなっていた。ただの通行人は、そこまで来ると、車道へおりて行った。ナースチャが自分の番の場所へ立とうとすると、さっきはいなかった太った紫のプラトークの女がそばにいて、
「女市民! どうぞ順にならんどくれ、わたしはお前さんより前に来ているんだよ」
と叫んだ。
「なぜさ。わたしはさっきからここにいたんですよ」
石油焜炉を下げてタバコをのんでいた婆さんもどこかへ行って見えなかった。ナースチャはもう一つうしろの女を証人にしようとした。
「ね、お前さんだって知ってるねえ」
茶色の帽子をかぶった女は、外套の高い襟の間から鼻先だけ出し、つまらなそうに答えた。
「知らない」
「うしろへおいで。ごまかしたって駄目だよ、女市民さん」
「お前ここへ立っといで、いいから」
そう云ったのは、ナースチャの前で本を読んでいた娘であった。
「この人は、はじめっからここにいたんです。わたしが知ってる。罐もある——ごらん」
ナースチャは再び罐を足にはさんで立った。娘も本を読みつづけた。
ナースチャは、向日葵の種を前歯で破って殻を唇の間からほき出しつつ、娘の本をのぞいた。読んでいるページの上に、どこか図書館の紫のゴム印がおしてあった。ナースチャはしばらく眺めていて、きいた。
「面白い、その本」
「うん」
ナースチャは、吐息をつくように云った。
「わたしんとこにはなにもない」
指をページの間にはさんで本をとじ、娘はナースチャを見た。
「なぜ?」
「なぜだかそうなんです」
ナースチャは規則正しく、速く向日葵の種の殻をほき出しつづけた。娘は、石油販売所の入口の群集を見た。
「どうしたんだろう、今日は」
往来を映画の広告車が五台つづいて通った。赤塗のゴム輪の上に、赤坊を抱いた女の顔の大写しと、火事場の焔のなかに働いている消防夫の写真が掲げてある。車を押す男たちは、降る雪にさからって首を下げ、ならんで電車路を横切った。
娘が、
「あれは面白いよ」
と云った。
「みた? お前」
「いいえ。……わたし映画大好きだけれど高くって——それにわたしいつも独りで行かなけりゃならないんです。みな友達づれだのに、はじめっからおしまいまでわたし黙って坐ってるんです」
「どこかに働いてるの」
「ええ」
「組合に入ってないの、お前」
ナースチャは、拇指のつけ根みたいなところで口のはたをふきながら娘を見た。ナースチャはきかれたことを理解しなかった。
「組合……どんな」
「ナルピット」
「そこへ入ると映画がやすくなるんですか」
「わたしいつだって十五カペイキか二十カペイキでみている」
やっと石油が売り出され、列は少しずつ前進しはじめた。娘は繩で壜をつるし上げながら云った。
「わたしもう二年組合に入って、夜は勉強しているし、朝九時から夕方五時ぐらいまでの働きだし、満足してるわ」
壜へ石油をつめてもらうと、娘は、外套に雪をつけたまま、ナースチャの横を通りぬけて先へ出て行った。
村での話とはちがって、ナースチャがいつくと、直ぐ二人も借室人が入った。その一人が、直接の主人よりナースチャになんだかおっかぶさって(悪魔にさらわれろ)泣きたい気持にさせるのも仕方がないとする。洗濯物のふえたことも、このごろは食物ごしらえをほとんど一人でしなければならなくなったこともまあいいとする。ナースチャを苦しめるのは、この森の樹より人間の多いモスクワで自分が、まるっきりの独りぼっちだという事実であった。
アンナ・リヴォーヴナは不親切ではなかった。しかしそれはアンナ・リヴォーヴナが、親切にしようと思っている間だけのことであった。もし自分が病気になって働けなくなったらどうなるか、ナースチャは感じていた。アンナ・リヴォーヴナは自分を彼女の借室の台所の隅においてはおかないであろう。頭のなかにはるかに小さくソフィヤ村のひろい原っぱや、原っぱのかなたに動かぬ赤い貨車の景色などが浮んだ。白樺の生えたあの二階家で、伯母がよくも自分を養っていてくれたといまは思われた。働きがなくなったと云ってそこは帰れるところではない。ナースチャは仲間がほしかった。その仲間のほしい心持を話す友達さえないということが、このモスクワであり得るだろうか。
モスクワだから、それはあり得た。ナースチャがたまに夜映画から帰ると、アルバートの広場で通りすがりの若い男が耳のそばで、
「行こうよ」
とささやいた。ナースチャがその若ものの顔を見定めずに通りすぎるように、その男もナースチャの顔をはっきり見もせず、麦酒屋の窓から片明りのさす歩道でささやくのであった。
十
入ったばかりのところは、がらんとした室だ。木の床の上に大机が一脚あった。その机の上に数冊パンフレットがおかれている。赤い布で飾ったレーニンの肖像が左側の壁にかかり、その下に壁新聞がはってあった。壁新聞に赤いプラトークをかぶって手を振っている若い女の笑い顔の插画がある。
上靴をぬぐのか脱がないのか、ナースチャは、迷って、誰もいぬその室に立ち、見まわした。室の境に戸がなく、奥が見えた。上靴をはいたまま、女がある机の前に立っている。ナースチャは腕にかけた買物籠がゆれぬように片手で押え、そろそろ奥へ歩いた。
暗い室だ。大机が三つあって、三人の女が働いていた。白タイルがところどころ欠けて、燃き口のくすぶったペチカが室の隅にある。
入口に立っていると、ナースチャに一番近い机の前に坐っている女が、
「お前さんはなに用」
ときいた。藍縞の男ものシャツを着て、紺と黄色のさっぱりしたネクタイを胸の上にたらしている女であった。
「わたし組合に入れましょうか」
「なぜいけない? まあ掛けなさい」
アンナ・リヴォーヴナの台所にあると同じ腰かけにナースチャは坐った。他の机の前では、さきに来た女が小さい帳面を出して、なにか計算してもらっていた。「お前さんは、いままでに二十二ルーブリ五十カペイキしか受けとっていないことになるね」「ええ」——「あまりがいくらあることになる?」女は二十六ルーブリ近くだと答えた。——「よく見といで、二十五ルーブリと五十カペイキだよ」好奇心と不安とをもってナースチャはその問答をきいた。
「デリ」と赤地に金文字つきの平ったい箱から巻タバコを出し、吸いつけながら、紺と黄色のネクタイの女が云った。
「さて、と……お前さんどこで働いている?」
「アンナ・リヴォーヴナのところです」
「番地は」
ナースチャのそばかすのある顔がだんだんひどく赤くなった。
「知りません」
「じゃいい。いままでいっぺんも、どこでも組合員だったことはない?」
「いいえ」
「そのアンナ・なんとかさんの家へ来るまで勤めていたかい」
「いいえ、はじめてです」
「いく日もう勤めた?」
「去年の八月からです」
「八、九、十、十一、十二、一、二——と。月給はいくら」
「十三ルーブリ」
ナースチャは正直に金額を答えてから、心配になって女の顔をじっと見た。女はしかしあたり前な顔で、机の引出しから二枚、大きい紙を出した。
「さ、これを持って帰ってすっかり書きこんでもらっといで」
ナースチャは、きき間違え、また赤くなった。
「わたし、書けません」
「お前さんは主人じゃないだろう」
タバコの煙をふっと口のすみからふきながら、陽気に云って、笑った。
「ごらん、すっかりこの項目に、主人の名、職業、お前さんの名、パスポルトの番号、月給、働く条件、休日まで書きこんでもらって、それから組合に入るんだ、わかったろう?」
「ありがとう」
「主人が書いてくれたら、住宅管理人に裏書きしてもらって、またここへおいで」
ナースチャが、紙を手にもって立ちかけた時、女がきいた。
「クラブへ行ったのかい、お前さん」
「いいえ」
「誰にこのメストコムをきいた?」
「リザ・セミョンノヴナが教えました」
椅子の背にタバコを持った手を廻してかけ、女は立っているナースチャを見上げた。
「誰だい……それは」
「家にいるお嬢さんです」
「ふむ……よしよし」
「さよなら」
女はうなずいて、こむらで椅子を押しながら自分の場所から立ち上った。
凍って白い並木道では大勢の子供がスキーで遊んでいる。母親や子守のいるベンチの前を中国の女が、ゴムでつるした色つき毬を売って歩いた。雪の長い並木道を纏足で中国の女は黒く、よちよち動いた。並木道の外れの電車路に、婆さんと男の子供がいた。転轍手と遊んでいた。
「おくれよ。おじいちゃん」
転轍に使う金棒を男の子はほしがった。白い髯で山羊なめし外套の転轍手は笑いながら、金棒をうしろにかくした。
「いけないよ、いけないよ、おくれよ」
「ワロージャ!」
婆さんが叱った。転轍手は男の子に金棒を渡した。男の子はたちまちその金棒にまたがって、雪の上を駈け、あっちへ行った。転轍手は子供の方と、かなたの電車線路の上とをかわるがわる眺めた。電車が見えはじめた。転轍手はいそいで子供のところへ走って行った。
ナースチャは自分の村にあった鉄橋の景色を思い出した。鉄橋の両端には見張所があった。銃を肩から逆さにつった平服の番人が橋桁にならべた板の上をいつもぶらぶら歩いていた。ナースチャの死んだ親父も赤いルバシカを着て番人したことがある。鉄橋から見下す河水のひろやかな大きさ……。汽車が通る時は鉄橋じゅうがふるえた。
欄干にしがみついて、顔にかかるあつい息や、頭がしびれそうに轟然とたくさんの輪が重って目の前をころがり通るのを見送ってしまうと、子供らは一せいに橋桁の上へ躍り出して、手をたたき笑った。ナースチャもほかの子供も裸足であった。鉄橋のかなたは原で、村の共同物干場があった。いろんな色のぼろが、原のおっぴらいたなかに見えた。
メストコムからもらって来た紙をもって、ナースチャは食堂へ入って行った。夕食後であった。パーヴェル・パヴロヴィッチがシャツだけで長椅子の上に長くなって、パイプをふかしている。アンナ・リヴォーヴナは第二回工業化株券のことを話していた。
「なんだい、ナースチャ」
ナースチャはアンナ・リヴォーヴナが肱をついているテーブルのそばに立った。
「これに書きこんでいただきたいんです」
アンナ・リヴォーヴナは自分の腕越しにナースチャの差し出している紙を見下し、けげんそうにのっそり二つの肱をテーブルからおろした。
「……なんなのさ、一たい」
「わたし、組合に入りたいんですけれど、組合へはこの書付がないと駄目だって云われたんです」
「組合ってお前……神よ! なにを考え出したのさ、急に」
ナースチャを見上げ、それから夫をアンナ・リヴォーヴナは眺めた。パーヴェル・パヴロヴィッチは故意としか思われぬ無邪気な眉のひらきようをして、窓の外に見とれている。アンナ・リヴォーヴナは、頭をふり、紙をひろげて、項目に眼をとおしはじめた。
その場の空気から、ナースチャは変に不安な居心地のわるい心持になり、立ちつづけた。これはそんななにごとかなのであろうか。
待ち遠しくなったほど丁寧に読み終って手を紙の上におき、アンナ・リヴォーヴナは、
「じゃ、よろしい」
とおだやかに云った。
「書いたげよう。——だがいそぎゃしないんだろう? ナースチャ」
ナースチャはいそぐと云えなくなって、
「ええ」
と答えた。
「じゃ、紙おいときますから」
はっきりしない気持でナースチャが去ろうとすると、アンナ・リヴォーヴナが彼女をよびとめた。
「ちょっと、ナースチャ、この紙、たしかに書いたげるには書いたげるが、お前、組合ってどんなもんだか、よく知ってるかい」
食堂の戸口のカーテンのところに立ち止って、ナースチャはまごつきを感じ、むっつり答えた。
「知ってると思います」
「そりゃ素敵だ! 説明してごらん」
ナースチャは、前垂をひっぱりながら、野性なきつい眼付で主人たち夫婦をみた。ナースチャは主人たちの前で長い文句で自分の考えを述べることなどに、てんからなれていない。アンナ・リヴォーヴナはからかうように、
「きまりわるがることはないじゃないか」
と笑った。
「お前の組合のことをお前が話すんじゃないか」
腹が立って来て、ナースチャは云った。
「組合へ入れば、映画がやすくなるんです」
爆発するような口をあけてあおむきに寝ころんだパーヴェル・パヴロヴィッチが笑った。
「上出来! 上出来!」
「父さん! たら……それから? ナースチャ」
ちっとも云いたくない心持をこらえて、ナースチャは、
「クラブもあります」
と云った。
「夜ひまなとき、わたし、クラブのクルジョークで勉強したいと思ったのです。わたし、ここでほんの一人ぼっちだけど、そこへいけば沢山仲間があります」
だんだん自由に話せるようになり、ナースチャはいつか再びテーブルのそばまで戻って力づよく云った。
「ごらんなさい。アンナ・リヴォーヴナ、もし明日でも、いらなくなれば、あなたはわたしを出すことが出来ます。でも、わたしはどうしたらいいでしょう?——それはわたしの苦しみです。あなたの苦しみではない」
「……そりゃ本当だ。……でも、ナースチャ。お前、どのくらい沢山組合に入ってる娘たちが失業で淫売婦になってアルバートをうろついているか知ってるかい」
ナースチャは知らなかった。アンナ・リヴォーヴナは、舌を鳴らした。
「ごらん!」
人さし指を立て、ナースチャの顔の前でふった。
「自分の胡瓜を売ろうとする人間は、それが苦いとは云わないものさ。第一、組合へ入ればお金とられるんだよ」
「それは知ってます」
「いくら払わなけりゃならないって云ったい」
「…………」
確かな歩合をナースチャは知らなかった。
アンナ・リヴォーヴナはしばらく頑固に黙っているナースチャの顔を見まもり、やがて捨てるように云った。
「わたしのことじゃないから、どうでもいいけれどね。つまらないようなもんじゃないか。沢山お金とったって、とっただけの割で組合へとられてさ、おまけに失業積立金まで出して、ひとを食べさせてやるなんて」
ナースチャの頭が、ゆっくり、農民らしくこんがらかりはじめた。アンナ・リヴォーヴナに云われてみると、自分がはっきり知らぬいろいろのことのどこかに、なにか自分に損の行きそうなことが隠れているように感じられ出した。ナースチャは、アンナ・リヴォーヴナを信用はしなかった。同時に、組合も全部信用出来ない心持になって来たのであった。陰気な眼付をして、ナースチャはテーブルの上の紙を眺めた。
「心配おしでない、いいようにして上げるから」
アンナ・リヴォーヴナは、しょげたナースチャの肩を押し出してやりながら云った。
十一
「どうした? ナースチャ」
リザ・セミョンノヴナが舶来の、十五ルーブリ出して買った絹靴下の穴をつくろいながらきいた。
「組合のこと」
両手を腰にかって立ち、リザ・セミョンノヴナの手許を見下していたナースチャは、隣の食堂へ目まぜして、小さい声を出せと合図した。
「行きました。この間」
「すんだの」
「アンナ・リヴォーヴナがまだ書付を書いてくれないんです」
リザ・セミョンノヴナはちょっとだまりこんだのち、云った。
「なんとか云われたら、こうお云い。じゃなぜパーヴェル・パヴロヴィッチは自分の組合へ入っているんですかって——いい?」
ナースチャはつよく合点合点した。
けれども、ナースチャの本心はもうかわっているのであった。アンナ・リヴォーヴナにほのめかされた疑いが彼女の頭からのかなかった。ナースチャは主人をせきたてなかった。
十日ばかりして、またリザ・セミョンノヴナに同じことをきかれた時、ナースチャはむしろ不意に体のどこかを突かれたような感じをうけた。(まだ忘れないでいたか)ナースチャはとっさに不自然な熱心さでリザ・セミョンノヴナへこごみかかり訴えた。
「聞いて下さい。リザ・セミョンノヴナ、アンナ・リヴォーヴナは返事だけして承知しないつもりなんですよ。どんなにわたしが毎日毎日頼んでるか! 昨日だって、わたし一時間も云ったんです。そりゃあ一生懸命云ったんです」
だがリザ・セミョンノヴナは、彼女の綺麗で怜悧な水色の横目でナースチャの喋べくるのを眺めながら、膝を抱えて体をふりふり、彼女の鼻歌をうたいつづけた。
船が行く——
渦巻く水は
じきに気ずいに
魚を飼うだろう
ナースチャは、リザ・セミョンノヴナが自分を信じないことを感じた。
「どうしましょう? リザ・セミョンノヴナ」
リザ・セミョンノヴナは黙っている。
「ね、リザ・セミョンノヴナ」
自分の虚言の見破られた意識から、ナースチャは困って泣きそうになった。
「ね、リザ・セミョンノヴナ」
ナースチャは不器用に手をのばして、リザ・セミョンノヴナの膝にさわって云った。
「悪く思わないで下さい」
リザ・セミョンノヴナは、それでもやっぱり黙っていた。
ナースチャがもらって来た書類は、二つ折になって食堂の棚の上にのったまま受難週間になった。
建物の中庭へ荷馬車が入って来た。そして、雪の下から現われた去年の秋からのごもくたを運び去���た。黒い湿った地面が出た。人はまだ冬外套を着て往来を歩いていたが、日が当ると、中庭の黒い地面からはものの腐る温いにおいがした。それは春の匂いであった。日に数度借室のだれかが、中庭で絨毯をたたいた。張り渡した綱にたたいた絨毯を干して、建物のそばのベンチに子供をかけさせておいた。子供は犬と戯れつつ、あるいは建物の四階の窓からリボンをつき出している友達と声高にしゃべりつつ、絨毯の番をした。中庭の光景のあちらの空に芽ぐんだばかりの緑色に煙る菩提樹の大きな頂が見えた。煉瓦の赤い建物がそこにあるので、菩提樹の柔い緑色は一そう柔く煙のように見える。
アンナ・リヴォーヴナは借室へ床磨きをよんだ。復活祭まで床磨き人は、権威ありげに口をきいた。ナースチャは洗濯をした。ふだんの洗濯のほかに、アンナ・リヴォーヴナが去年の復活祭から枕にかけたレースや、食卓覆い、カーテンを洗った。台所の外についている露台に石油焜炉を持ち出し、洗濯物をにては盥のなかでもむ。オルロフが、すべるように猫背でやって来た。台所の戸は、箒をつっかって開け放しだ。そこから露台に向って彼は、例の口調で、
「ナースチャ、いつお前の手がすくだろうかね」
ナースチャは、背を向けたまま答える。
「三時間かかります」
一年じゅうの洗濯をしてしまわなければならぬ。働きながら、時々ナースチャは石鹸水でふやけた手を露台の上からふって笑った。露台の上から、下の中庭越しに塀が見えた。塀のじゃかじゃか出た針金越しに別の建物の平屋の翼が見下せた。パン屋の仕事場がそこにあった。開いた窓に向ってパンこね台があった。白帽をかぶり、帽子ほどは白くない仕事着をきた職人が四人働いていた。ナースチャが去年の夏来た時にもそのパン工場がやっぱり見えた。間もなく永い冬が来てその窓は閉まり、やがて凍ってなにも見えなかった。
再び春だ。職人の顔ぶれが少しちがったとしても、それがなんであろう。彼らの一人は、露台にいるナースチャに向って手を振った。ナースチャは笑う。彼はそれを見て笑って、ナースチャにききとれぬことをなにか云う。ナースチャはまた笑う。一人別の職人が、パンのこね粉をむしって、なにかこしらえ、ナースチャに見せるように高くさし上げる。その時はみなの職人が仕事をやめた。笑って、がやがや云いながらナースチャの方を見上げた。仕事場の方は暗いし、第一遠いし、なんの形だかナースチャに見わけられない。彼女は手を振った。職人たちはまるではしゃいで笑いつづけた。
「ヘーイ、娘っ子」
「ヒュー! ヒュー!」
畜生! ナースチャはむっとして露台から引きこむ。しかし、翌朝戸をあけ、露台へ出る時、ナースチャは挨拶を用意しているのだ。
ナースチャは、夜十一時半までひのしかけをした。最後のハンカチを終ったが、まだ火があった。ナースチャは今朝ほしたアンナ・リヴォーヴナの下着にひのしをしてしまいたいと思った。けれども、建物の物干場は五階の屋根裏だ。しんとした階段と、物干場のがらんどうな湿っぽい大きさがナースチャを恐れさした。
ナースチャは、忍び足でリザ・セミョンノヴナの戸へ近づいた。戸から燈火が洩れている。ナースチャは、そっとたたいた。
「お入り」
リザ・セミョンノヴナは、まだ着物もぬがず、新聞から切抜をしていた。
「リザ・セミョンノヴナ、ごめんなさい、邪魔して。——わたし、物干場へ行かなけりゃならないんです」
ナースチャは云った。
「でも……こわいんです」
「なぜさ」
「一番てっぺんなんですもの、それに、もう夜で、暗くて」
「アンナ・リヴォーヴナにそうお云い」
「神よ! わたしぶたれます」
リザ・セミョンノヴナは急に両足で立った。
「さ、早く、早く!」
「ああ、ありがたい! リザ・セミョンノヴナ、あなたは本当に」
「いいから鍵とっといで、早く!」
ナースチャがさきに立って階段をのぼって行った。足音が、夜のコンクリートの壁に反響した。小さい夜間電燈が各階の踊場についているだけであった。
「ごらんなさい、リザ・セミョンノヴナ、こわいでしょう、わたし、この間、あっちの建物の翼へ泥棒が入ったって聞いているから、一人じゃ来られないんです」
夜じゅう、借室の下の入口の戸が開いているのは事実であった。木戸口は十二時にしまった。
リザ・セミョンノヴナは、
「なんでもない」
と云った。
「陽気じゃないだけさ」
物干場は五階目の登りきったところで、一つ、物干場の戸があるきりであった。上へ行く路はない。下へ、もと来た階段を下りられるだけであった。夜は凄い感じがした。ナースチャは、スイッチをひねってから鍵で、そのたった一つの戸を明け、自分とリザ・セミョンノヴナを入れたのち、堅くとざした。
床には砂がしいてある。いく条も繩が張り渡され、その三分の二ばか��に物が干してあった。天井は低い。隅になにかの樽があった。ナースチャは、裾飾りのついたアンナ・リヴォーヴナの下着を腕にかけて外へ出た。あとに麻の大敷布三枚、台覆い、パーヴェル・パヴロヴィッチの下着、さらに奥のところにナースチャの前垂、更紗の服、桃色の股引がさかさに繩からつる下っているのが、薄暗い電燈で見えた。
「それだけでいいの」
「ええ、あとは明日でいいんです。左側のは、よその人のです」
ナースチャは永いことかかって戸の鍵をしめた。
リザ・セミョンノヴナは、廊下の物音で目をさました。復活祭に、あと三日という朝だ。女の声がした。アンナ・リヴォーヴナの声がした。泣き声が聞えたような気がした。
顔洗いに行くと、台所の戸が開いていた。ナースチャがその真中に立って、しゃくり上げて泣いている。リザ・セミョンノヴナは、
「なにをこわしたの、ナースチャ」
ときいた。ナースチャは立っている場所を動かず、前垂をつかんだまま、顔から手をはなして答えた。
「干物をすっかり盗まれちゃったんです」
云ううちに、涙が眼からころがり落ちて、怯えたナースチャの頬を流れた。
「昨夜、あなたも見たあの干物を今朝までに誰かが盗んだんです」
リザ・セミョンノヴナは、腹立たしそうに、
「いつだって復活祭の前って云うと、ろくなことはありゃしない」
と云った。モスクワで一番盗難の多い季節なのであった。
「お泣きでない、ナースチャ、泣いたって出て来やしない」
「オイ! オイ! リザ・セミョンノヴナ、恐ろしい、わたしがいつ悪いことをしたのでしょう、アンナ・リヴォーヴナやマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗んだって云うんです」
「お泣きでない、お前に二人寝台の敷布なんぞいらないのはみな知ってるんだから」
閉めきった食堂から、電話の音がした。ナースチャはしゃくりながらそれをきき澄した。
「アンナ・リヴォーヴナが警察へ電話をかけているんです。わたしのところへ犬をよぶんです」
リザ・セミョンノヴナが室へ戻ると、ナースチャは茶を運んで来た。彼女はもう泣いていなかった。リザ・セミョンノヴナが机の前に坐り、茶を飲んでいる間、ナースチャは、いくたびか黙ろうとしながら黙り切れず、訴えた。
「あの人たちは盗まれたものがあまり惜しいので、わたしが盗んだなんて云うんです。犬が来たって、わたしどこの隅でも、靴の底まで嗅がせます。平気だ」
ナースチャの涙がとまったが、昂奮でいまはかすかに胴ぶるいしているのが見えた。
「ただ、ね、リザ・セミョンノヴナ、わたしはもう八ヵ月近くアンナ・リヴォーヴナのところで働いた。アンナ・リヴォーヴナはわたしが不正直でもおいたでしょうか? それだのに、いまになって盗んだなんて云われるの、口惜しいんです」
リザ・セミョンノヴナは、苦笑いして、
「じゃ、わたしも犬に嗅がせなけりゃなるまい」
と云った。
「ゆうべ、一緒にあんなところへ行ったんだから」
「あなたは知らないけれど、オルロフは、いつだって机の上に細かいお金をばらで出しとくんですよ。なぜ? わたしは知っています。オルロフはわたしを試しているんです。わたし、指の先だってそんなお金にさわったことはありゃしない。——そんなにしたって、ふしあわせな人間には、ふしあわせしか来ないんです。——オイ! いまにどんなふしあわせが来るだろう——」
夕方リザ・セミョンノヴナは、鈴蘭の花束と、金色で細いリボン飾りのついた卵を買って帰って来た。狭い借室での復活祭の仕度だ。廊下で、アンナ・リヴォーヴナに出会った。すると挨拶もせず出しぬけに彼女は、リザ・セミョンノヴナに云った。
「今朝警察からあなたのことをききに来ましたよ、どうしたんでしょう」
「……そんなことをわたしが知るもんですか、アンナ・リヴォーヴナ」
リザ・セミョンノヴナは、ナースチャが茶を持って来た時、
「アンナ・リヴォーヴナは、盗まれた敷布が惜しくて、頭をおっことしてしまったよ、ナースチャ」
と云った。
「どうしたい、可愛い犬はよくお前を嗅いでってくれたかい?」
「ええ、アンナ・リヴォーヴナとマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗まなかったのが不満なんです。ねえ、リザ・セミョンノヴナ。いまにどんなふしあわせが来るんでしょう。ちょうどわたしのところに鍵のあった晩に盗まれるなんてねえ。……盗んだ人間は、安全でわたしだけがこんな辛い思いをするなんて」
ナースチャは、急に憎悪に燃えた眼をして叫んだ。
「悪人奴! 悪人奴!」
往来では粉雪が降り出した。歩道の上を花売り男が両手に鈴蘭の束を持ち、
「新しい鈴蘭、きりたての鈴蘭、お買いなさい、五十カペイキ」
通行する年よりの女に近づいて、花束をつきつけた。老婆は買物籠の経木製の二本の百合の花を指さした。「ごらん! これを。いりゃしないやね」——アルバートの広場の赤白塗の古い大教会では、二人の男が鐘楼で受難金曜日の鐘を鳴らした。教会の外壁をまわって通る電車の窓ガラスと、向う側の食堂の扉が、ガーン、ガーン重くけたたましく鐘の音響によって絶えずふるえた。上衣の左右のかくしへウォツカ瓶を突こみ、一本からは時々ラッパのみしつつ、労働者が一人ならんでいる客待ちタクシーのかげを通った。いろんな方角から射出す明りで通行人の顔が歪んで見える広場の辻を、警笛を鳴らしつづけ、赤十字の応急自動車が走り去った。夜のうちで赤い十字が瞬間人々の目をかすめ、光った。
粉雪はますます降り、鐘の音波はやや雪にこもり、下方から光線をあびる教会の尖塔は雪の降る空の高みでぼやけはじめた。しかし、食料品販売所では、床にまいた大鋸屑を靴にくっつけて歩道までよごす節季買物の男女の出入が絶えない。
アンナ・リヴォーヴナは夫と「鷲の森」の娘のところへ行った。そこには、ガスでない白樺薪をたく本物のペチカがあって、アンナ・リヴォーヴナは、例年復活祭のクリーチは、うちのと、娘たち家族の分と、そこで焼くのであった。リザ・セミョンノヴナは芝居へ行ったし、ナースチャの台所では、水道栓からしたたる水の音がきこえるだけであった。
ナースチャは、踏台をして高い棚の奥から、古びた樺細工の鞄をおろした。布団やなにかと一緒にこれも今朝コンクリートの床の上で警察の犬に嗅がれたものだ。膝の上に鞄をおき、ふたをあけ、ナースチャは、縁に赤い水玉模様のついたけちなハンカチづつみをとり出した。死んだ母親がナースチャにくれた聖像であった。聖像は、ほんの小さい二寸角ばかりのもので、なんだかわからない古い厚い板に、金もののキリストと聖者がついていた。キリストも聖者も目鼻はなかった。金属板の上に簡単な直線で体と顔面の輪廓だけ刻まれている。ナースチャは片手でその聖像を持ち、片手で自分の胸の上に十字を切った。
明日早朝焼かなければならぬ肉入パンの種がこしらえてある鉢を料理台の上で片よせ、ナースチャは、その小さい聖像を壁にもたせておいた。三カペイキの小蝋燭の燃えさしをさがし出し、ボール紙の切端に蝋をおとして立て、二本の蕊に火をつけた。自分の大さにつり合った蝋燭の焔を受けて、聖像のキリストと聖者とはうれしげに台所のなかで輝いた。ナースチャは、本当の聖壇の前でするように、聖像の前に立ち、いくども胸に十字をきっては低く叩頭した。
それがすむと、台をもって来て、ナースチャは料理台にぴったりくっついて架けた。台の上で両腕を深く組み合わせ、その上に顎をのせ、自分の顔と同じたかさにある小さい聖像をナースチャはしげしげと眺めはじめた。——どうして、このキリストや聖者に眼も口もないのであろう。右の方に立っているのが、自分の聖者だと、ナースチャは子供のときから教えられた。だが、どこでこれが聖者ナデージュダだとわかるのだろう。目もなく、口もなく、それで自分を護ってくれることが出来るであろうか。ああ、しかし、キリストにだって眼や口がないではないか。
ナースチャは祈の文句も正式には知らず、不断信心しているというのでもなかったが、そうして、蝋燭の光に照らされる古馴染の小聖像を眺めていると、親しい休まった心持になった。思いがけない出来事で疲れ、泣いた心が、和らいだ。蝋燭の燃える微かな匂いも、いい心持だ……ふっと腕に押しつけている口の隅からよだれが出そうになった。ナースチャはいそいでそれを吸いこみ、また頭を下して頬ぺたを腕にのっけた。またたきする度にナースチャの睫毛をとおして、蝋燭のしんのまわりと聖像の面から短い後光が細かく一杯八方へさした。一つずつナースチャのまたたきがゆっくり重くなった。それにつれて後光は、蝋燭のまわりと聖像の面の上から次第に長く、明るく、顔の上にさして来るような気がする。ナースチャは溜息をついた。彼女の手足から感覚がぬけ、いつか閉じた瞼をとおし頭のうちまで光で一杯になった。
いびきで、ナースチャは愕然と目を開いた。彼女は自分の周囲を見まわした。かっちりと電燈が台所じゅうを照らしている。蝋燭は三分ほどともりのこっている。ナースチャは蝋燭を吹き消した。煙がゆれて、強い匂いが漂った。さっきとはまたちがう淋しい心持がナースチャに起った。ナースチャは伸びをし、肩をかいた。
ベルが鳴って、オルロフが帰って来た。彼は廊下で外套をぬぎながら、水のような眼でじっとナースチャを見つめ、
「いい娘さんだね、お前は」
と云った。ナースチャは、自分の顔になにかがついているんだと思って、あわてて手のひらで口のまわりをこすった。オルロフは、やっぱり水のような眼でナースチャを見まもり、命令した。
「どうかわたしに熱い茶を一杯持って来てくれないかね」
ナースチャが台所へ行くうしろから、彼はもういっぺん叫んだ。
「ごく熱いのでなけりゃいけないぞ」
ナースチャは、台所の戸をばたんと閉めて、薬罐をガスにかけた。夜業しているパン工場の燈火が、降る粉雪を射て、ナースチャのところから低く下に見えた。
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齊心:憶我在太行抗日前線抗大的戰鬥生活(圖)
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齊雲、齊心、齊步姐弟仨 齊心(左)與習仲勛 抗戰時期的齊心 習近平和母親齊心散步。
作者丨齊心
來源丨《百年潮》雜志
齊心同志是習仲勛同志的夫人、習近平總書記的母親。近日,她在《百年潮》雜志發表《激情燃燒的青春歲月——憶我在太行抗日前線抗大的戰鬥生活》一文,回憶她的抗戰革命生涯。從今天起,我們將連載這篇文章。
今年是抗日戰爭勝利70周年,在這莊嚴的歷史時刻,我不禁心潮澎湃,激動不已。70多年前在太行抗日根據地戰鬥生活的日日夜夜又浮現在我的眼前。那是我15歲至17歲人生最美好的青春歲月,沒有父母的呵護,沒有傢的溫馨,沒有少女的嬌嗔,有的隻是艱苦卓絕的戰鬥洗禮和激情燃燒的革命情懷,我的青春獻給瞭中華民族偉大的解放事業,我為此感到驕傲和自豪。本文回顧我那一段戰鬥生活,作為對抗戰勝利70周年的紀念,同時表達對關心愛護我的抗大老校長何長工,對與我並肩戰鬥過的戰友們,以及引領我走上革命道路的姐姐齊雲的深切懷念和敬意。
曲折參加革命
1937年,我13歲,父親在太原賦閑,經濟上沒有收入,全傢生活陷於困境。母親帶我和弟弟回老傢河北高陽縣城內東街老房居住,姐姐齊韞(後改名齊雲)早在1936年初已去北平寄居在姑母傢,在北平師范大學附屬中學上高中。我在高陽縣立女子完小六年級上瞭一個學期後,也去瞭北平和姐姐一起寄住在姑母傢。
姐姐思想進步,除瞭在學校參加抗日救亡活動,在傢時每天都高唱革命歌曲,如《義勇軍進行曲》《畢業歌》《開路先鋒》《梅娘曲》《大路歌》等,我也學會瞭不少。在姐姐的救亡歌曲和進步思想熏陶下,我心中產生瞭深重的民族危機感。
這年夏天,當我考上北平市立女一中時,傳來瞭盧溝橋的炮聲,七七事變爆發。二十九路軍英勇奮戰,北平市民同仇敵愾。我親眼目睹瞭在南長街四條一號(姑母傢)路口,二十九路軍堆積沙袋準備巷戰,心中振奮不已。但二十九路軍在前線遭受重大犧牲之後,被迫撤退。
這年7月29日北平淪陷,我在姑母傢門口馬路上親眼目睹瞭日本鬼子的機械化部隊,炮兵、坦克、步兵及騎著洋馬斜挎著花環的騎兵,狂妄地在大街上耀武揚威,我心中充滿瞭怒火。恐怖籠罩瞭古都北平。姑母傢中也都在時刻準備應付日軍查抄、搜捕。
我的姐姐齊韞當時剛18歲,正在北平師大附中讀書,是中華民族解放先鋒隊隊員、中共黨員發展對象,因她在群眾中有威信,地下黨組織讓她擔任學校學生會主席。當時姐姐的政治面貌已暴露,不宜繼續留在北平,遂於當年8月帶著我一同撤離瞭北平。撤離是由中共地下黨領導進行的,我們是第12批疏散的平津流亡學生。我們的目的地是太原,同行者有十來個男女師生,為瞭縮小目標,扮演瞭各種角色,如喬裝打扮為父女、夫妻、兄妹等。在火車站上,我們從兇神惡煞般的日本憲兵的刺刀行列下穿過,一上車就分散到各車廂,分頭而坐。我和姐姐及她的同窗好友阮學文一組,恰好和一位年長的天津商人坐在一起。姐姐穿一件淡藍色旗袍,白色半高跟皮鞋,儀態優雅,像一個貴小姐,我穿瞭一件粉紅色的小褂和姐姐親手給我做的黑背帶裙子,和阮學文及穿綢大褂的商人一起,很像是一傢人。火車行到廊坊車站,突然上來一隊嘰裡呱啦說日語的日本兵,列車上頓時充滿瞭緊張不安的氣氛。
到天津時,那位商人領著我們下車,再次從日本鬼子的刺刀行列中穿過。日本鬼子特別仇恨具有愛國傳統的平津學生,隻要看到穿學生制服的或懷疑是學生的就抓到日本憲兵司令部審問。我們三人在天津商人的掩護下沒有被抓,其他人都被抓瞭。好心的商人把我們送到天津法租界,在他的一位朋友傢中住瞭一夜。第二天,我們十多位同伴都各自脫險,會合在事前約定的地點。大傢各自講述瞭如何應付敵人的故事。扮演父親的老師說,日本鬼子從扮演女兒的女生箱中搜出一把水果刀,狠狠地把刀子往桌上一插,問:“你要殺人嗎?”扮演父親的老師就說:“她一個女孩子怎麼會殺人呢?”質問得鬼子啞口無言。還有一位年齡較大的大學生,看起來膽子很小,說是信佛教的,他說:“我當時心裡直念金剛經!”惹得大傢哄堂大笑。
我們從天津坐小輪船到瞭塘沽,順利地轉乘瞭英國大輪船。脫離危險的大批平津學生公開出現在英輪的甲板上高唱《義勇軍進行曲》《松花江上》《畢業歌》等救亡歌曲,發表抗日救亡演講,群情振奮,慷慨激昂。
我們沿途經過煙臺、青島、濟南、開封等地,每到一地都由當地政府接待,住學校,睡地鋪,吃饅頭喝稀飯就咸菜,覺得很新鮮,一點也不覺得苦。在煙臺我們品嘗瞭煙臺蘋果和煙臺梨,在濟南時,山東省政府主席韓復榘給我們發瞭路費,並講瞭話,我們還品嘗瞭有名的山東煎餅。在青島我們參觀瞭炮臺,並照相留念。在去開封的路上,在沿途的車站停車時我們都進行講演和高唱革命歌曲。
到瞭太原,我和姐姐暫住在阮學文傢,當時日軍正不斷轟炸太原,我們不得不天天跑著躲警報。中秋節之後,姐姐得知她初中母校山西平民中學已疏散轉移到徐溝縣,我倆即去瞭該校繼續讀書。大約過瞭兩個月,1937年11月8日太原失守前,時任長治縣縣長的父親派人接我和姐姐到瞭長治,因父親不是閻錫山嫡系,我們去後不久父親即被免職。當年初冬父親帶我們到陽城縣賦閑。當時我黨在晉東南已創建瞭抗日根據地,姐姐已與當地革命同志取得聯系。此時,陽城已建立瞭中國共產黨領導的抗日政權,縣長是李敏之(後改名林耶),他的夫人林貞(原是上海工人)任縣婦聯主任。這年春節和元宵節,縣長夫婦在縣政府駐地邀東北大學校友聚會,姐姐也被特邀,並帶我同去參加這些活動。因為姐姐革命歌曲唱得好,大傢歡迎不止,姐姐便大大方方地唱瞭一曲《梅娘曲》,歌詞為:“哥哥!你別忘瞭我呀!我是你親愛的梅娘,你曾坐在我們傢的窗上,嚼著那鮮紅的檳榔……”姐姐也讓我唱瞭一小段京戲《蓮英驚夢》,戲詞為:“你把那冤枉的事對我來講,一樁樁、一件件,件件樁樁對小妹細說端詳。”林貞親手包瞭江南風味的肉餡元宵,在座的十多位都是北方人,大傢感到很新鮮,格外高興。
在這期間,我不但接觸到很多革命同志,也看瞭一些革命書籍,如《毛澤東印象記》《二萬五千裡長征》和斯諾寫的《西行漫記》等,思想上很向往革命,崇敬中國共產黨、八路軍。關心我的林貞想讓我做兒童團的工作,姐姐則想讓我去晉城八路軍訓練班。正在醞釀我如何參加革命時,我卻病瞭,頭劇痛、高燒多日,流瞭很多鼻血,嘴和胳膊都腫瞭,身體虛弱得走路都要扶著墻。1938年初,日軍調集三萬多兵力分九路大舉進攻晉東南抗日根據地,就在此時日軍轟炸瞭陽城這座小山城,接著就要發起進攻。一天,姐姐突然穿一身軍裝,背著背包回傢來和父親辭行,她向父親行瞭一個軍禮,說她參加遊擊隊瞭,並對我說:“你剛病好,我帶不瞭你。”結果我失去瞭在1938年春參加革命的機會。
日軍侵占陽城後,父親帶著傢人逃出縣城,住在離縣城較遠的一個小山村。那些日子裡,我常想念仍在淪陷區杳無音信的母親和弟弟,但我更加思念姐姐,因為隻有見到她,我才能參加革命。有時,我一個人到村外樹林子裡去唱《松花江上》,我把“我的傢在東北松花江上”唱成“我的傢在河北大清河上”,把“爹娘呀!爹娘呀!”唱成“娘呀!娘呀!”唱到“什麼時候才能歡聚在一堂”時,就禁不住放聲大哭。
一天,姐姐派人送來信說:“你已經不小瞭,怎麼不為自己前途著想呢?”我意識到姐姐是在召喚我參加革命,於是就跟著送信人走瞭,沒有和父親說一聲。走到半山腰,父親追上來瞭,他不放心我跟這個人走,我隻好隨父親回去,結果又一次失去瞭找姐姐的機會。但我仍不甘心,後來父親帶著傢人轉移到另外一個縣的村莊逃難時,我煮瞭幾個雞蛋,拿瞭些幹糧,藏在門後想偷跑,結果又被父親發現瞭。父親說:“你碰上國民黨兵怎麼辦呢?”我終於醒悟到盲目偷跑終不是辦法。後來隨父親去瞭西安,結束瞭這一段逃難生活。
當時西安正是春夏之交,我閑住在傢,苦悶之極。夏秋之季,恰好父親的世交好友陳光鬥(決死隊縱隊長)正在山西駐防,父親即托付陳夫人帶我同去山西,在那裡遇上瞭決死隊董天知(1940年百團大戰時犧牲)和董愈公兩同志。董天知和姐夫魏健相識,不久前他還收到過魏健的信。陳光鬥向他談瞭我急於找姐姐要求參加革命的情況。他們決定幫助我,並在路經西安時征得瞭我父親的同意,使我最終得以在西安與他們會合,並一同奔赴晉東南抗日前線。我們在河南澠池過黃河到山西,經垣曲、陽城、晉城到長治與姐姐、姐夫相逢。此時,姐姐已懷孕。在長治過瞭春節,姐姐親自送我去屯留抗日軍政大學一分校駐地,介紹我到女生隊學習。從此,我踏上瞭革命征途,成為一名光榮的八路軍戰士,這一天是1939年3月18日,時年15歲。
抗大生活的日子
姐姐當時已改叫齊雲,送我到抗大一分校時,她對接待我們的校部領導同志說:“我妹妹是一張白紙,染成什麼顏色就是什麼顏色。”吃午飯時,那位經過長征的老紅軍陪我們一起吃飯,他端瞭一洋鐵盆菜放在桌子上,和藹可親地說:“我們抗大吃飯是打沖鋒照鏡子,吃菜誰也不謙讓,很快把菜吃完,還端起盆來把菜湯喝光。”隨後,姐姐拿瞭校部的介紹信,從校部駐地到距離不遠的崗上村女生隊駐地隊部報到,在隊部見到隊長陳彤(東北人)、指導員王宏(東北人)、副指導員邵黎(西安人),姐姐告別時,叮囑我說:“你們隊上還有好幾位經過長征的紅軍同志,你應該好好向他們學習。”
1938年黨中央在延安做出瞭到敵後辦學的戰略部署,由何長工、周純全率領抗大總校的一部分學員東渡黃河,通過日軍的封鎖線,歷經艱險於1939年1月到達晉東南山西屯留縣,創立抗大一分校,校部駐地是故縣鎮。何長工、周純全分別擔任正、副校長。抗大一分校是八路軍前方總部的隨營學校,地處太行根據地的抗日前方。抗大一分校的學習生活充滿瞭軍事化、戰鬥化、革命化的氣氛。下面是我對抗大戰鬥、學習生活的一些回憶。
緊急集合:軍事訓練首先要適應緊急集合。因為處在戰爭環境,隨時都會遭遇敵人的突然襲擊,所以,每周至少要有一兩次緊急集合。每次緊急集合,學員們都以最快的速度穿好軍衣,打好綁帶和背包,戴好軍帽,紮上皮帶(睡前綁帶、皮帶都放在軍帽裡),穿好鞋,由班長帶領到隊部列隊集合,炊事班的同志也背著灶具一起集合,全隊集合速度約十分鐘,集合完畢,隊領導簡單說明敵情,即帶隊出發轉移,直到天亮前又回到原駐地時才知是演習。為適應戰爭環境,女生隊吃飯時間限制在十分鐘之內,到時間,值日區隊長一吹哨,立即整隊集合。
出早操:每天天不亮,起床號一吹就集合出操,進行班、排、連教練,由區隊長輪流值日領隊出操,一般是姿勢教練,有時還進行著裝演習。
練習打靶:每天支架瞄三角,練習打靶。我第一次打靶打飛瞭,第二次打中十環,體會是:槍的準星尖對準缺口時,稍低點,因為彈道是弧形的。
嚴格遵守軍紀:服裝整齊、動作靈活、作風嚴謹、有禮貌,外出見領導喊報告並敬禮,同志之間相遇互相敬禮。有上級或外界人士來巡視工作或參觀時,隊部常派我持槍在隊部站崗。
站崗放哨:一般夜間是兩個人站崗,用燃香來計時間,兩個鐘頭換一次崗。姐夫魏健曾送給我一塊手表,我立即把它交出作為站崗時公用,計時就方便多瞭。記得我還放過流動哨,夜間一個人持槍在村子裡警惕地巡邏,這對我鍛煉很大。我們處在日偽、國民黨、共產黨三個政權對立的環境中,夜間放流動哨有被敵人摸哨的危險,據說男生隊有一位近視眼同志就被敵人摸瞭哨。
抗大一分校的軍事課程主要是講授《論持久戰》《遊擊戰》等,還講過軍事學。講遊擊戰時,還配合做過實戰演習,記得在演習中劉抗同學(新中國成立後曾任中國紡織工業部技術司司長等職,於2012年去世)佯裝受傷,在陣地上喊:“輕傷不下火線!”戴近視眼鏡體弱的一位四川同志(大學生)佯作日軍俘虜,被大車拉走。政治課程主要是學習《社會發展史》《政治經濟學》《抗日民族統一戰線》等。
我們上課一般在露天,坐在背包上,有時在駐地崗上村天主教堂裡。過去我很少寫信,此時,我已能記筆記,是用紫藥水泡成墨水用蘸水鋼筆書寫。隊部還曾調我到校部用復寫紙抄寫過東西,我雖然文化基礎差,但進步卻是明顯的。
隊上經常組織一些小分隊到本村或外村向群眾宣傳抗日救亡,控訴日軍的種種暴行。我們經常用革命歌曲發動群眾,如《支前歌》歌詞曰:“小小的燈兒暗幽幽,丈夫打仗把我丟,不悲不傷我也不愁,給他縫件衣裳解憂愁……”《攔羊歌》歌詞曰:“高高山上攔綿羊,王傢三姐好模樣,東洋強盜到南鄉,殺得雞飛狗跳墻,王傢三姐奸淫死,高高山上不見羊,攔羊人兒暗悲傷,拿起刀槍幹一場!”
我們還參加挖防空洞和種菜等勞動。有一次種菜時,不小心把姐姐送的心愛的鋼筆掉到井裡,我幼稚地要求把我用轆轤井繩放到井裡去尋找,由於大同學的阻攔,才沒有下去。
我們每天生活在激動人心的革命歌曲聲中,我最喜愛的是《抗大校歌》,歌詞是:“黃河之濱,集合著一群中華民族優秀的子孫。人類解放,救國的責任,全靠我們自己來擔承;同學們,努力學習!團結、緊張、活潑、嚴肅,我們的作風;同學們,積極工作,艱苦奮鬥、英勇犧牲,我們的傳統;像黃河之水洶湧澎湃,把日寇驅逐於國土之東,向著新社會,前進!前進!我們是勞動者的先鋒!”每次全隊集合,都要唱《大刀進行曲》,每當唱完“大刀向鬼子們的頭上砍去”!大傢便齊喊一聲“殺”!甚是威風。《三大紀律八項註意》也是經常唱的歌。我們特別註意在實際行動中遵守群眾紀律,駐防時每天幫房東打掃院子、挑水,在離開時,要把居室內外清理幹凈。在��伍行進中我們經常唱《八路軍軍歌》(後經修改部分歌詞,改名《中國人民解放軍進行曲》),歌聲使隊伍步調整齊,英勇豪邁。
我們每人有一個缸子,吃飯、喝水、洗臉、漱口、洗腳都用它。雖然戰爭生活非常艱苦,但並不覺得苦,因為團結友愛溫暖著每一個人的心。不管誰買一個饅頭,一班人都分吃一口。在年、節假日裡,全隊同志和隊領導圍成一圈席地而坐,每人發一個熟土豆或一把大紅豆,當作茶點。當然,有時還會改善生活吃一頓肉,夥食委員王軍同學(新中國成立後曾任黑龍江省副省長等職,於2014年去世)是膠東人,把“肉”念成“油”,常惹得眾人大笑。她還有一個拿手的節目是學老大娘哭,盤腿坐在地上邊拍大腿邊哭道:“我的天哪!”表情煞是生動。
每周我們都有一個生活會,大傢交流思想和感受,新來的同學則要全面介紹個人和傢庭的情況,以增進彼此的瞭解和相互間的團結友愛。
我深切體會到抗大是培育革命英雄主義、革命樂觀主義,建立革命人生觀的大熔爐。抗大熔爐把我從一個剛剛參加革命的新兵,鍛煉成一個具有堅定革命理想的戰士,並很快成為一名共產黨員。
1939年夏,抗大一分校籌備黨的18周年紀念展覽時,組織讓我去做講解員,紀念活動由於日軍7月大“掃蕩”而中斷,反“掃蕩”鬥爭隨之展開瞭。在反“掃蕩”開始輕裝時,我把從傢中帶來的呢子大衣和藍緞被面捐給瞭校部文工團做服裝道具,隻剩下一條被裡做瞭個夾被。第一次急行軍,快步經過泥沙灘後又走瞭一夜,第二天繼續行軍,感到特別困倦,我掉隊瞭。
黨組織已把我列為發展對象,為瞭考驗我,把我調到隊部當通訊員,負責與營部的聯絡。當時,我已經習慣瞭急行軍,不再掉隊,反而和隊部文書張志專(新中國成立後曾任全國婦女幹部學校校長,於2007年去世)當瞭行軍中的收容隊,她趕著小毛驢馱文件,我扛著槍,一起收容掉隊的同志。
隊部每天不分晝夜派我去營部通訊聯絡,我扛著長槍跑來跑去,什麼都不怕,感到很自豪。有一次,營長問我:“你們女同志為什麼剃光頭呢?”我笑著回答他說:“我們女同志為什麼不可以剃光頭呢?”剃光頭是為瞭適應戰爭環境的需要,因為既無法洗理,又沒梳子,更怕長虱子。過去駐防時,隻有一個走村串戶的剃頭挑子,不但給我們很多女同志剃瞭光頭,而且還給我刮過一次臉。那時,我們這些年輕的女戰士,為瞭適應戰爭環境,什麼都不顧忌。
我不分白天和黑夜,不斷接受命令,沿著山野裡的陌生路去送信,不怕狼、不怕日本鬼子和武裝漢奸,每天完成任務回到隊部,立即就趴在炕沿上或長條板凳上睡著瞭。經過這一次參加反“掃蕩”戰鬥的鍛煉和考驗,我具備瞭入黨條件。我於1939年8月14日,在山西省平順縣一個村莊裡由女生隊指導員邵黎、副指導員孫敏介紹,加入瞭中國共產黨,當時我實際年齡隻有15歲。一同宣誓的還有同班同學趙莉。邵黎介紹我時說:“齊心同志不夠入黨年齡,但是她革命堅決,經過上級黨組織批準入黨,按黨章(1938年黨的六屆六中全會規定年滿18歲才能入黨)規定18歲轉黨,候補期兩年。”並提醒我說:“齊心同志傢庭環境比較優越,入黨後應加強思想鍛煉。”我的入黨誓詞是:“保守秘密,永不叛黨,忠於革命,忠於黨,革命到底,為共產主義而獻身!”我被編入黨小組開始過組織生活,當時黨組織尚不公開,全隊隻有易輝是公開黨員,黨小組長是吳國英(新中國成立後改名吳梅香,在全國婦聯工作,已離休)。
1939年秋,隊領導批準我去看望姐姐。姐姐於1939年在山西平順縣生瞭第一個孩子,是個女孩,我畫瞭一個路線圖,一個村、一個村邊問邊走,才摸索到西灣村,見到姐姐母女。該村駐有抗大一分校衛生所,當時正準備召開軍民聯歡會,要我去參加排練歌舞節目,我高興地去瞭。有一次我鄭重地問姐姐:“大姐,你入黨瞭嗎?”她驚訝地說:“你問這幹什麼?”因為當時黨組織是秘密的,她為瞭保守秘密始終沒有說她是共產黨員,後來我才知道她早在1938年初就在山西省陽城縣入瞭黨。然而我卻對她說:“我已經入黨瞭。”姐姐說:“一個青年走這條路是光榮的!”
日軍又要“掃蕩”瞭,我的假期也滿瞭,但對姐姐很是放心不下,我憂慮地說:“你剛生孩子怎麼辦?”姐姐豪邁地回答:“不要為我過慮。”因為我要歸隊瞭,姐姐帶我到小飯鋪吃饅頭,在那艱苦的年代,饅頭就是最好吃的瞭。我依依不舍地向姐姐告別,出瞭村走著走著,不小心一下子跌到水溝裡,衣服全濕透瞭,隻好又回到姐姐處多住瞭一夜。翌日經過姐夫魏健工作的行署時已是中午,吃瞭拌有幹豆角的小米稀飯,就愉快地歸隊去瞭。
我們在平順縣山區駐防期間,我的同班同學易輝(新中國成立後任中國兵器情報所政治部副主任,於2013年去世)是隊上的民運幹事,在派出做民運工作時,突然遭遇日軍追擊,她誓死不當俘虜毅然跳崖而摔斷腿,在深溝裡昏迷瞭兩天兩夜。我們隊上給她寫瞭慰問信,還送瞭慰問傘。校長何長工揮筆題瞭“寧為玉碎,不為瓦全”八個大字表彰她。
抗大畢業轉戰長治
1939年秋後,抗大一分校由平順縣駐地轉移到壺關縣山區,我們女生隊駐在神郊村大廟裡。後來,副校長周純全帶抗大一分校去瞭山東,校長何長工留在晉東南的一分校留守處等待抗大總校來會合。
姐夫魏健工作的專署位於距離抗大女生隊駐地隻有五裡的樹掌村,在開大會時,我常看到他和何長工校長坐在主席臺上。此時,我已經抗大五期畢業,本來去山東的名單裡也有我,但姐姐齊雲願我留在太行做青年工作。組織上還考慮讓我去國民黨軍隊做統戰工作,姐姐不同意,她認為我不成熟,去那裡太復雜。後來長治縣縣長張燮堂到抗大一分校要幹部,組織上即決定派我和王軍到長治縣幹校工作,王軍任婦幹隊隊長,我做指導員。何長工校長親自接見我和王軍,並對我們說:“你們女同志要有政治傢的風度,大錯誤可是犯不得呀!”何校長語重心長的話給我留下深刻的印象,一直銘記在心。
我和姐姐告別時,正值凜凜寒冬,在樹掌村的行署見到她時,見她留著短發,穿一身比較新的灰軍裝,顯得英俊灑脫。見姐夫還穿著草鞋,我就買瞭兩雙氈靴送給他們。姐姐也是臨時來的,晚上他們睡在炕上,我睡在辦公桌上,第二天我就去瞭長治幹校。長治幹校校長是個四川籍的老紅軍,有一教員也是剛從抗大一分校調去的。另有兩位女同志,一位是河南人,原任縣婦聯主任;另一位是文化教員,本地人。不久,何校長下達指示說,候補黨員不能當指導員,我就改任隊長兼教員。學員是從區、鄉婦聯主任中選派來的,還有的是放瞭足的小腳婦女,我帶她們參加反“掃蕩”時,她們背著背包,掛著手榴彈,急行軍時沒一個掉隊的。我當隊長兼教員,每天帶領出操,經常在隊前講話,還教唱抗日歌曲。睡的是地鋪,吃的是小米或玉米稠粥。淳樸的婦女幹部學員和我如同親姐妹一般,我頭疼腦熱傷風感冒,很怕紮針,她們就七手八腳地一擁而上,把我按在用草或麥秸鋪的地鋪上,強制給我紮針,這些給我留下瞭難忘的回憶。
1939年日軍冬季“掃蕩”時,王軍早已調到縣政府做秘書,我調去參加縣政府的戰地工作團。一天,我們隨縣政府到長治縣的西火鎮,該鎮是陳賡領導的八路軍一二九師三八六旅剛攻克的村鎮,街上還貼著日偽漢奸的反動標語,其中一條:“打倒七分像鬼,三分像人的張大麻子!”赫然在目,這是敵人在謾罵污蔑抗日縣長張燮堂。
我奉命到村婦聯主任傢佈置召開群眾大會,主人熱情地讓我吃瞭一碗糠糊糊,驅散瞭寒氣。當我回到團部(縣政府)時,他們正在用磚頭架爐灶熬粥。忽然“啪啦啦、啪啦啦”響起瞭機關槍聲,頓時一片混亂。通訊員報告敵情:“敵人騎兵和炮兵迂回包圍!”張縣長立即命令突圍,當時幸虧有三八六旅的一個團用一挺機關槍在村口掩護我們突圍。敵人的大炮聲和機槍聲響成一片,隻聽見子彈在空中呼嘯而過,更危險的是打在地上的子彈,“突突突”“撲撲撲”,揚起瞭陣陣塵土,不時地還聽到幾聲轟鳴的炮聲,我們不成隊伍地跑著,子彈密集時就跑得快些,稀疏時就慢些,地上散亂地丟棄著一些辦公文具、復印蠟版等。
我看到張縣長在槍林彈雨中,牽著馬用手槍朝著敵人的方向射擊。我身處激烈的戰場,不禁感到異常的激動和振奮,“寧死不當俘虜”的誓言在耳邊回蕩,完全沒有恐懼,甚至還想回村拿我遺忘的挎包。突圍中,我看到老鄉兒子背著老母親倉皇奔跑,還驚恐地喊著:“老黃來啦!老黃來啦!”(老黃是指穿黃色軍衣的日本鬼子)。
西火鎮是一個盆地,當時處在日軍炮兵、騎兵迂回包圍之中,我們在三八六旅一挺機關槍掩護下,得以從村子的一個缺口突圍,穿過敵人密集火力,繞道上山才得以脫險。我給姐姐寫信敘述瞭這次突圍的遭遇,並說,我們剛剛收復這個村鎮,還不瞭解敵情就盲目樂觀地佈置動員群眾回村,召開祝捷大會,多虧群眾大部分躲在山裡沒回來,否則後果將不堪設想。另外,信中還說張縣長拿著手槍朝敵人方向打瞭幾槍,並無目標,貌似勇敢,實是驚慌失措的表現。我當時的看法很幼稚,對張縣長這樣評價是不恰當的。
我們從西火鎮突圍之後,來到離長治縣城約60華裡的蔭城鎮,剛把縣政府的牌子掛出來,敵人又來襲擊,我們就又立即轉移,如此連續多日,每天都要走幾十裡地。當時我和王軍被稱為“風雲兒女”,隨著縣戰地工作團在本縣范圍內和敵人近距離周旋。
調回抗大
1940年1月,我們被調回抗大一分校留守處,不久即和總校合並。當時抗大總校也已經轉移太行根據地,校部駐地先是在武鄉縣蟠龍鎮,後移到黎城縣霞莊,羅瑞卿、滕代遠先後擔任總校副校長,何長工擔任總校教育長。抗大總校後期,徐向前任代校長,何長工任副校長兼教育長。
一天,何長工通知我到他處,對我說:“你父親作為閻錫山派來的代表到八路軍總部談判,態度比較好,他說他是受騙的。”我馬上表態說:“我和他斷絕父女關系。”因為我認為我和父親是兩個陣營,決不能含糊(父親後來隨傅作義將軍起義,新中國成立後參加瞭人民政府的工作,於1956年逝世)。
1940年夏,八路軍在華北對日軍進行百團大戰時,天天有捷報傳來,校部經常召開軍民聯歡會,開展擁軍愛民活動,我和機要員小段合演擁軍愛民小節目。
我還教駐地群眾唱擁軍的歌曲,歌詞是:“青天呀藍天,這個藍藍的天,這是什麼人的隊伍上瞭前線?叫一聲老鄉聽分明,這就是堅決抗戰的八路軍!這就是堅決抗戰的八路軍!”
我在抗大總校校部總務科當文書時,曾住在一個觀裡,觀裡的住持是一位老道士,我常幫他掃院子,他還給我吃過當地最好吃的燜面,那是把豆角切成絲,和面條放在鍋裡燜熟,當地叫爐面。
1940年夏秋之交,我被調到衛生處當文書。秋季日軍又要“掃蕩”瞭,為此,抗大總校也做瞭反“掃蕩”部署,決定去山裡背棉衣。我們衛生處整隊去山裡之後,因棉衣少,去的人多,我也沒背得上棉衣,就跟著前面的幾個人往回走。不料前面的人一轉眼走進一個村莊不見瞭,我還以為他們仍在我前面,其實是到老鄉傢去買柿子瞭,我不知情,就更加快腳步往前走,越走天越黑,我的確有些心慌瞭,因為隨時可能遇上武裝漢奸,另外路也不熟悉。正在著急地走著,突然遇上校部總務科管後勤的許股長(是一位老紅軍),正在忙於備戰佈置糧草。他驚訝地發現瞭我,忙把我帶到他辦公室去,讓人給我做瞭烙餅炒雞蛋,還讓我先在熱炕上睡一會兒,等天快亮時再歸隊,以免黑天半夜遇上武裝漢奸。我在熱炕上睡至天將黎明,才向這位敬愛的老紅軍告別返回駐地。回去後天已大亮,我因為中途掉隊違反瞭紀律受到批評。掉隊途中路遇老紅軍這件事在我記憶中是永不能忘記的,使我深深地感受到革命隊伍的溫暖。
我們抗大一分校在1939年冬曾唱過一首反“掃蕩”歌曲,歌詞十分雄壯:“烈火燃燒在太行山上,憤怒充滿瞭我們的胸膛,鬼子們各路進攻來‘掃蕩’,殺人、放火、奸淫又搶糧。山川震驚、林木震蕩,展開遊擊戰爭,打到敵人後方,兄勸弟,兒別娘,來一個反‘掃蕩’!”然後重復唱“展開遊擊戰爭,打到敵人後方,兄勸弟,兒別娘,來一個反‘掃蕩’!”
反“掃蕩”開始時,在行軍途中,曾遇見抗大一分校女生隊同班同學綽號叫“李逵”的劉勇(因她說話嗓門大而起此綽號,新中國成立後曾任北京市農業機械局副局長,於2006年去世),她在1939年初與八路軍炮兵團(當時八路軍隻有這一個炮兵團)政委邱創成結婚。她看到我時,從馬上下來,掏出一把炒豆子給瞭我。我還看到彭總愛人浦安修穿著繳獲的日本軍大衣,站在馬前,目送著我們的隊伍過去。在急行軍中,前面的同志傳來一碗帶泥湯的小米稀飯,前面的同志喝一口,再傳給後面的同志,每人喝一口,一個接一個地傳送下去,直到把這一碗稀飯喝完。
在這次秋季反“掃蕩”中,抗大總校分兩個梯隊突圍,我們是晉冀魯豫邊區,回旋餘地很大,時任總校教育長的何長工,實戰經驗豐富,由他率領校部等單位組成的第一梯隊,較順利地突圍,由山西經涉縣過漳河轉移到冀西河北邢臺地區校部駐地漿水鎮;由總校訓練部長王智濤率第二梯隊(訓練部、衛生處等單位組成)在山西黎城縣小臥鋪山上與敵周旋瞭40多天,我當時在衛生處當文書。王智濤部長留學蘇聯學過軍事,對軍事條例比較熟悉,但實戰經驗少,使我們經常處於緊急狀態和急行軍之中,且大多是在秋雨綿綿的夜間轉移,在轉移前要把白天的飯吃瞭,吃不太熟的玉米碴子飯。有一天白天在山底下遇到敵人追擊,我看到背小孩行軍的女同志艱難地走著,傷病員發出令人心碎的呼叫:“我要死呀!我要死呀!”那情景真讓人心痛。夜行軍中,秋雨淋淋,背的背包被淋,連背包裡的衣裳都濕透瞭。天亮後,看到每個人都是一副泥臉,大傢相視而笑。行軍沒有敵情時,前面的同志摔倒瞭,後面的就小聲唱《國際歌》中的“起來!”在這種艱苦的戰鬥環境中,同志們都充滿瞭革命的樂觀主義和革命友愛。在行軍途中,盡管肚子餓,也吃不上飯,但樹上的柿子掉瞭下來,地下長的蘿卜就在路旁,沒有一個人去拿,我們牢記八路軍的群眾紀律,一刻不松懈。
在百團大戰中,日軍傷亡慘重,從此,日軍把它在中國的主力調到華北頻繁“掃蕩”,實行慘無人道的“三光”政策,妄圖把抗日根據地變成“無人區”。我根據地軍民則針鋒相對,開展瞭艱苦卓絕的反“掃蕩”鬥爭。
在1940年秋季的反“掃蕩”中,關傢垴戰鬥是八路軍炮兵和步兵在黎城關傢垴配合作戰的一次激烈戰鬥。我們在小臥鋪山上,親眼目睹瞭這一戰鬥場面。我們所在山頭的天是藍藍的,戰場那邊的山卻是硝煙彌漫,槍炮聲驚天動地。第一道防線上的傷兵一下來,我們馬上擁上去致敬、慰問。敵人非常殘暴,我們的野戰軍戰士由於連續作戰體力下降,拼刺刀時有時兩三個人與一個敵人拼,那情景真是氣壯山河!
百團大戰後,我們和敵人處於艱苦的相持階段,敵人的頻繁“掃蕩”,加上“三光”政策,使根據地軍民處在極端困難的境況。後來,我們經過40多天和敵人周旋的戰鬥生活,終於突破包圍圈,經涉縣渡過瞭漳河,向冀西邢臺目的地前進。
冬天脫棉衣渡河,全身麻木,不覺寒冷,過瞭河就跑步前進。快到目的地時,校部宣傳隊迎瞭上來,用快板熱烈歡迎,唱道:“同志們,辛苦瞭,勝利瞭,前面不遠就是目的地!”鼓勵我們戰勝疲勞奮勇前進。到達邢臺抗大總校衛生處駐地一個距離總校駐地不遠的村莊,我們終於和總校會師瞭。
衛生處王指導員做瞭這次反“掃蕩”的總結報告,表揚瞭一些同志,其中也有我,並正式宣佈我轉為中共正式黨員。我時年16周歲。
在這段時間我睡的是石板炕。晚飯後,就摟樹葉燒炕,前半夜燙得睡不著覺,後半夜凍得睡不著,這使我腰部疼痛,並留下瞭後遺癥。當時環境艱苦,群眾以柿子糠充半年口糧。我看到房東傢裡一大鍋清水煮很少的小米,多以蔓菁或是蘿卜充饑。
奔赴延安
1940年底,我被調到幹訓隊學習,當時我們和張汶等幾個同志,夜裡合著蓋被子,以便取暖。此時,總校決定疏散女同志到地方工作,並決定我和陳彤、王軍、林毅、張汶、赤茜(郝治平)一同離校。張汶、赤茜留在北方局黨校學習,我和陳、王、林四人原是抗大一分校的,決定去延安學習。離校前,何長工(時任總校教育長,原抗大一分校校長)對我們四人講:“你們到延安去,政治文化理論水平又會提高一步。”
組織上決定我們四個女同志去延安後,我們即從冀西邢臺地區出發,到瞭山西遼縣(現左權縣)八路軍總部所在地,住在八路軍前總招待所,那隻是有一個大炕的大房間而已。當時,原總校校長羅瑞卿正在和赤茜談戀愛,他來看她時,竟站在門檻羞怯得不好意思進房門。
我在總部遇到姐夫魏健,他時任山西平順縣縣長,正在總部參加縣長會議。他穿瞭我姐姐穿過的舊棉軍衣,雖然拆洗得很幹凈,但顯得很短。他買瞭些花生、柿餅給我吃。我從總部回到招待所的第二天,就踏上瞭去延安的路程。出發前,我給姐夫寫瞭一張便條說:“我們要出發瞭,我到延安學習兩年就返回太行山,再會吧,1943年!”我們背著背包走出村一兩裡路,姐夫追上來,給瞭我一點邊幣,同時還介紹瞭幾位在延安的東北大學同學和戰友,如佟冬、王一民、林楓等,並叮囑我要警惕壞人。
我們到延安的隊伍由幾部分人組成:(一)八路軍前方總部一部分人,其中有前總政治部副主任陸定一、曾演過阿Q的趙品三及夫人、一位背著孩子做青年工作的女同志、一隊日本俘虜和一個朝鮮人,他們要到延安去日本工農學校學習,還有我們四個抗大總校的女同志。(二)一一五師、一二九師團以上的軍政幹部,他們大都是經過長征的紅軍幹部,去延安剛成立的軍政學院��習。除瞭我們四個女同志和日本俘虜之外,其他人都騎著馬。這一大隊人馬由野戰軍掩護。
這支隊伍臨時指揮部政委是陸定一,司令員是尹先炳(一二九師旅長)。我們白天走瞭60裡山地,下山前召開瞭軍人大會,動員大傢不要掉隊。下山後就是敵占區,夜間在平原上緊急行軍120裡,通過瞭敵人控制的同浦路、汾河、白晉公路幾道封鎖線。我們走得很快,同浦路封鎖線一閃而過,然後又渡過汾河和白晉公路。在公路上,是四列縱隊跑步前進,敵人的探照燈從碉堡打出來照得公路明晃晃的,不時地還打出冷槍。因為日軍出兵“掃蕩”晉綏根據地,我們通過以上封鎖線時都較順利,然後宿營在遊擊區的一個村子裡,村子馬上封鎖瞭消息,隻準進人,不準出去。白天走瞭60裡山地,記得下山時一丈多深的溝,竟一跳而下,夜間又跑瞭120裡平地,腳腕非常疼痛。
我們四個女同志在被封鎖的村子裡,得到暫時的休息,為瞭取暖,我們把身體埋在老鄉的麥草堆裡,隻露出一個頭,也隻是打個盹就又出發瞭。我們由交城遊擊區進入晉綏根據地時,遭遇到日軍的“掃蕩”。我們隊伍沒帶電臺,隨時都有可能遭遇敵人,途中都是露營,經過日軍“掃蕩”制造的“無人區”,看到很多被燒毀的房子和黑咕隆咚的窯洞。老鄉都跑到深山裡去瞭,鍋都砸瞭,好不容易找到一口鍋,就去河裡破冰打點水,撿些被燒毀的房子零碎木頭燒水洗腳,以便繼續行軍。我們在老鄉的地窖裡找到一些土豆,便寫個條子說明原委,並留下足夠的錢給老鄉。煮瞭土豆除當時吃,還要再留幾個做第二天行軍的幹糧。夜間,撿些小木柴燒一堆火,我們四人圍坐在火堆旁,坐在背包上打盹、睡覺,還要不時添柴以免火熄滅。那時正值十冬臘月,臉都凍壞瞭,就把我的毛衣拆瞭,每人織瞭一個臉罩禦寒,到延安後陳彤還為拆瞭我的毛衣而惋惜。
一天傍晚,還沒有到達當天預定的宿營地,因為天太冷,陸定一讓我們提前十裡宿營。第二天到達原定宿營地時,才發現敵人昨晚就住在那裡,看到到處都是丟棄的罐頭盒和香煙盒,大傢慶幸陸定一決策英明,幸虧昨天提前十裡宿營,否則必然和敵人遭遇上瞭。我們在行進中,有時前衛尖兵看到敵人,有時後衛與敵人接上瞭火。一次我們正準備進一個村子,敵機忽然轟炸瞭那個村子,接著敵人步兵就搶占瞭該村,尹先炳司令員機智地指揮我們繞過村莊上山脫險,山上刺骨的朔風鉆進我們的氈軍帽,像針紮一樣,但我們都很興奮,因為我們又一次避開瞭敵人。
我們到達黃河岸上,看到被日軍蹂躪過的村莊,傢傢戶戶室內空空,一無所有,門上貼著白紙(傢裡有被殺害的親人),一片淒涼。從山裡躲避回來的老鄉控訴著敵人的暴行,一路上看到的都是敵人慘無人道的“三光”政策所造成的慘狀。
渡過黃河,到瞭陜甘寧邊區的葭縣,雞娃子叫來,狗娃子咬,紡線織佈生產忙,一派生機,和黃河對岸的景象截然不同。當地的人們熱情款待我們,讓我們住在暖窯熱炕上,吃熱騰騰的小米幹飯和酸菜。入夜,我們放心地睡瞭一覺。到瞭米脂縣,陸定一總結時,指出全體同志對三大紀律八項註意都做得很好,還表揚瞭我們四個女同志。我們女同志住在縣婦聯,孫克悠、文漪兩位婦聯幹部接待瞭我們。
在歡迎會上,那位朝鮮人代表日本戰俘上臺講話,說他們也是日本軍國主義的受害者,迫使他們離開父母妻子,到中國屠殺中國人民,他們以親身經歷控訴日本軍國主義的罪行,表示也要參加革命,反對日本軍國主義,反對侵略戰爭。日本戰俘中有兩個與我們接近過的,一個叫阿佈,一個叫村山。阿佈是到村中找花姑娘時被俘的,村山是小販出身,這是他倆親口向我們介紹的。
後來到瞭綏德,那是綏德地區的中心縣,是該地區黨政軍領導機關所在地。駐軍三五九旅旅長王震、政治部副主任王恩茂安排我們這支隊伍休整,請我們吃飯,看瞭話劇《雷雨》,還召開瞭軍民大會,聲討國民黨頑固派發動的皖南事變反共暴行。
我們在綏德過瞭春節,就邁開大步奔向延安。到延安後,我們四人都分到中央黨校學習,當時中央組織部的秘書柳文和我談話,說:“你們幾個都在抗大學習工作過,就不必再上一般的學校瞭。雖然你入黨不久,為瞭培養青年幹部,也讓你上中央黨校學習。”這時是1941年春一二月,我17歲。從此告別瞭抗日前線的戰鬥生活,掀開瞭我革命生涯中新的一頁。
我於1939年至1941年間,在民族危亡的緊要關頭投身革命並直接走向抗日前線,經過戰爭的考驗,從一個懵懂無知的少女,成長為一個堅強的共產黨員和革命戰士,矢志為革命事業貢獻畢生。在太行抗日根據地的戰鬥經歷是我人生中永遠的豐碑,它影響和鼓舞瞭我以後整個的人生道路,對此我永遠珍視並終生銘記。
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