* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者 1984年12月の証言
部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。
あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。
彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。
・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。
私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。
私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。
しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。
もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。
* 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生 1995年10月 証言
私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。
注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された
総勢22~23人だったと思います。
平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、
3時間しか寝られないほどでした。
午後は隊員の助手をやりました。
2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。
その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。
平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました
・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。
ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、
安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。
安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。
20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。
その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。
竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。
気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、
風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります
・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。
全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。
初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。
しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました
・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、
名前は書いてありませんでした。
中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。
これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。
ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、
ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。
731部隊には、子どももいました。
私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。
1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。
1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。
もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、
そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました
・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。
解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。
それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。
“マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。
これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、
それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。
正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。
通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、
このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、
意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。
はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。
臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。
他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、
どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。
菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。
片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。
731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました
・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、
自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。
今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。
チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。
私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。
チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。
航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。
その後どのような効果があったか調査に入りました。
ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。
当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。
・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、
ノミが地上に散らばるというやり方です
・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。
もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。
アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。
朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、
この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。
アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。
1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている)
・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、
肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。
各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って
肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、
明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。
私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・
* 匿名 731部隊少佐 薬学専門家
1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から
昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。
「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。
防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、
窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。
「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、
約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。
死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。
1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。
死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。
「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。
この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。
ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。
すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。
それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。
この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。
昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。
佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、
マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。
婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。
婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。
その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。
死んだのだと思う。
* 山内豊紀 証言 1951年11月4日 中国档案館他編「人体実験」
われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。
吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、
どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。
みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。
* 秦正 自筆供述書 1954年9月7日 中国档案館他編「人体実験」
私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。
1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。
まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。
これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。
日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。
(このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた)
その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。
*上田弥太郎 供述書 731部隊の研究者 1953年11月11日 中国档案館他編「人体実験」
1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。
すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、
一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、
被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。
残酷な凍傷実験を行っていたのである。
* 上田弥太郎 731部隊の研究者
中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言
・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、
足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる
・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。
しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。
こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。
警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、
殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ
・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。
彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。
私たちはマルタ何本と呼んでいる。
そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかは��からない。
* 篠塚良雄 731部隊少年隊 1923年生 1994年10月証言から
・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました
・・・・5月12日中国の平房に転属になりました
・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは
「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。
建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。
「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました
・・・・当時私は16歳でした。
私たちに教育が開始されました・・・・
「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。
見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・
「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、
併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました
・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました
・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました
・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました
・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。
ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。
「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです
・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、
通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。
江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように
それぞれ専門の細菌研究が進められていました
・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。
大型の高圧滅菌機器が20基ありました
・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました
・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。
この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。
ノモンハンのときには��日300缶を培養したことは間違いありません
・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。
1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです
・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました
・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。
ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。
まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。
これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。
そうするとネズミは死にますが、
ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。
おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います
・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました
・・・・私は5名の方を殺害いたしました。
5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、
あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。
ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。
その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。
睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。
ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。
まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました
・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。
特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。
注:ノモンハン事件
1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。
ハルハ河事件とも言う。
4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、
約17,000人の死者を出した。
ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。
あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。
731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。
参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、
瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。
(注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります)
* 鶴田兼敏 731部隊少年隊 1921年生
1994年731部隊展の報告書から
入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした
・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、
麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。
不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。
しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。
するとマルタとは死刑囚だと言うんです。
軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、
「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・
基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。
そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。
ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、
その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。
そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。
死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。
一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。
ノミの採取は月に1,2度行なっていました
・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです
・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。
「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。
私たちは言われたままに作業をしました
・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。
「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました
・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、
あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです
・・・・いまだに頭に残っているものがあります。
部隊本部の2階に標本室があったのですが、
その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。
中国人の男性でした。
また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。
それもやはり中国人でした。
今もそれが目に焼きついて離れません。
* 小笠原 明 731部隊少年隊 1928年生れ 1993~94年の証言から
・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました
・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。
それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。
標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。
すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。
全身が標本となっていました。
またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。
これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。
拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので
死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました
・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、
どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。
人名も書いてありました。
このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。
田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです
・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました
・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました
・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました
・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。
10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。
* 千田英男 1917年生れ 731部隊教育隊 1974年証言
・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」
ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた
・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。
4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。
つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・
*石橋直方 研究助手
私は栄養失調の実験を見ました。
これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。
この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。
これには2人のマルタが使われていました。
彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。
1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。
食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、
そんなに長いこと生きられるはずがありません。
*越定男 第731部隊第3部本部付運搬班
1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ-
-東条首相も視察に来た
本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、
東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。
しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。
-マルタの輸送について
・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、
間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。
マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-ムの端にあった憲兵隊詰所、
それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。
日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。
最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。
ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、
足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。
いや死んでからも外されることはなかったんです。
足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。
-ブリキ製の詰襟
私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。
安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、
彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。
マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、
頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、
マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。
むごい実験でした。
-頻繁に行われた毒ガス実験
731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。
実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。
その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、
観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。
使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。
マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、
10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、
時間を計ったり、記録をとったりしていました。
マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、
観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。
私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、
毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。
-逃げまどうマルタを
あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。
この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、
感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼���をのぞいて、
爆発の瞬間を待っていました。その時でした。
1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。
驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。
私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、
足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。
豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。
残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、
我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。
-囚人は全員殺された
731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。
戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、
石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、
「731の秘密は墓場まで持っていけ。
機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。
撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。
大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。
私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。
私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。
被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。
*傳景奇 ハルピン市香坊区 1952年11月15日 証言
私は今年33歳です。
19歳から労工として「第731部隊」で働きました。
班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。
私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。
1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で
いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。
当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。
2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。
煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、
涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。
3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、
しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。
壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。
4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、
私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。
5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が
工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。
6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました
*関成貴 ハルピン市香坊区 1952年11月4日 証言
私は三家子に住んで40年以上になります。
満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。
康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で
日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、
それにサル等の動物の血を注射器で採って、
何に使うのかわかりませんでしたが、
その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。
その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、
ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、
馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。
しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると
しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。
この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、
足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。
1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、
自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。
ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。
*羅壽山 証言日不明
ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて
半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。
彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。
猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
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天ヶ瀬さんちの今日のごはん2
『生姜焼き定食』with High×Joker
調理実習。そう言えばそんなものもあったなあと冬馬は若干17歳にして遠い昔のことのように思い出す。
高校には在学しているが、入学してからすぐアイドルと言うものに片足を突っ込んでしまったせいでまともに通った記憶がない。良くて一週間に4日、平均して2日程度の登校だった。
それについて冬馬は既に親とも示談の決着がついていたし、961プロダクションに所属した段階で知らぬ間に黒井社長が高校側にも話を通していた。
結果、冬馬は余裕で出席日数が足りていなくても、テストの結果があまりにも悲惨でなければ留年という措置をとられることはない。その契約が冬馬を安心してトップアイドルたらしめていた。
しかし、そのせいか冬馬は中学以来学校行事というものに参加していないのである。体育祭、文化祭、スポーツ大会など大きな行事から、それこそ理科の実験や家庭科の調理実習までも。
ただ単純にタイミングが合わなかったというのもあるが、数時間を消費して何かを作り上げたり、前の時間に予習した上で調理実習をする家庭科においては来るか来ないか分からない冬馬の席は用意されていなかったし、万が一当日来ることが出来ても先生が「天ヶ瀬は出来ること知ってるから全班見てやってくれ」と大雑把な指示をよこすのである。
結果、冬馬は高校入学から今現在にかけて調理実習に一般参加したことがなく、いつも第二の家庭科の教師の如く各班のテーブルを周り、もう少し弱火の方が良いだの、こうやって切ると手を怪我しなくて済むなどと自身の知識を教授することばかりだった。
冬馬自身、クラスメイトに迷惑はかけたくないと思っていたし、かと言ってアイドルになったことを後悔するつもりもなかった。
だから同じ事務所の現役高校生ユニットであるHigh×Jokerから調理実習と言う言葉が出た時、思ってしまったのだ。
もしもアイドルになっていなかったら、と。
「で、調理実習の課題は決まってんのか?」
打ち合わせ開始までまだ時間がある。どうせプロデューサーも口煩くしないと思うのでハイジョの面々と、何やら生暖かい目をこちらに向けていた北斗を席に座らせた。
北斗は「おかまいなく」とやたらニコニコしていて、こちらからの救援要請の視線はスルーの方針のようだ。冬馬は内心「後で覚えておけよ」と拗ねる。
「今年の課題はなんと! "生姜焼き定食"っす!」
「定食ってことは、味噌汁とかも作るのか?」
「そうなんだ。生姜焼きと、けんちん汁と……えっと、」
「コナフキイモっすよ!」
「こふきいもです……」
隼人のフォローに回った四季のフォローをする旬というコンビネーションを見せ、残り二人はいつも通りだと言わんばかりにすました顔で座っている。なんというか、温度差の激しいユニットだなと冬馬は以前からなんとなく感じていたことを再認識した。
「明日の夜なら空いてるから、その時でいいか?」
結局、断る理由もなく、むしろ315プロの後輩たちに求められたことをどこか喜ばしく思いながらも冬馬は、喜ぶ彼らに顔を綻ばせながらも「生姜焼き、けんちん汁、粉ふきいも」と携帯のメモ帳に記入した。
翌日、買い出しを終えて冬馬の家の敷居を跨いだHigh×Jokerの五人は、靴を脱いだかと思うとどこかそわそわした様子で冬馬の家の中を見回す。口々に「冬馬の家だ」「普通だ」と呟く彼らに、冬馬は苦笑してビニール袋から買ってきた食材を取り出し始める。
しばらくそうして物珍しそうな目を至る所に向けている四季、隼人、春名をそのままに、先日北斗にもやってみせたように使用する調味料を小皿に分けようとする。が、手伝おうとキッチンに入ってきた旬と夏来を見て手を止めた。
「どうしました?」
「いや……悪い、一旦俺の部屋に集まってくれるか?」
こくりと頷いて、そのまま二人は未だ「わーWのポスターだー」だの、「合宿の時の写真だー」などと騒がしい冬馬の部屋の方へと向かっていった。
すっかり失念していた。気付かなかった。自身の置かれている環境を過信していた。
キッチンには最大でも四人しか入ることができず、更に言うなら食事用に使用しているテーブルも到底六人では使用できないサイズである。
いつもは翔太と北斗しか使用しない為、大人数用の設備など必要なかったが、今回は冬馬も入れれば六人である。当然全員キッチンに入れて解説しながら料理を進めることなど出来ない。
冬馬はどうしたものかとうんうん唸る。料理を作るということに気を置きすぎて人数のことは気にも留めていなかった自分を責める。
テーブルはクローゼットに幾つか保管してある段ボールを組み立て、上に敷物さえ敷いてしまえば見た目はどうあれかろうじてなんとかなるとして、問題はキッチンに人数が入れないことだ。
とすれば、人数を分けるしかない。
冬馬の部屋で各々座りこんだ五人に、冬馬は仁王立ちで言う。
「……調理実習の予行のつもりでやるしかねえ」
「調理実習の、予行?」
「俺の家のキッチンには全員入りきらねえのと、包丁が3つしかねえ。だからそれぞれの工程を分担してやるのはどうだ? 材料を切る担当は俺の部屋、調理担当はキッチン。って、二つに分けて、後で教え合ったりすればなんとかなるだろ」
「なるほど、だから料理実習の予行なんですね」
「早速グッパするっす!」
分かれた五人を並行して冬馬が教えていく形に落ち着き、息つきながらも冬馬は愛用のエプロンに腕を通す。同じように持ってきたエプロンを身に着けた五人が歳も変わらない冬馬に頭を下げるのはどうも不思議な気持ちだが、「よろしくお願いします」と声を揃えられると、やってやろうという気にさせる。
冬馬はキッチンの棚から今日の為に研いでおいた包丁と、ピーラー、牛乳パックを開いて作った即席のまな板を下準備担当である四季、春名、夏来の三名に渡し、肉パックとジップロックをテーブルに置く。と、春名が何やら企み顔で鞄の中からビニール袋を取り出していた。中から覗くのは……クッ��ーの金型?
「若里さん。それ、」
「冬馬っちー! まずは何をすればいいっすか!?」
「あ、ああ……生姜焼きはまず肉に下味をつけておかなくちゃいけねえからな。俺がやるから真似してくれ」
「はいっす!」
流されるまま冬馬は春名のポジションを借り、まず生姜焼き用の豚ロース肉を一枚まな板の上に置いて白い脂身と赤身の境にある筋に数カ所、包丁で切れ目を入れた。
真剣な四季の視線が手元に刺さり集中が削がれるものの、普段からやっていることは手が覚えているもので、すんなりと一枚筋切りを終えることができた。
「これは筋切りって言って、焼いた時に肉が縮んで丸くなるのを防ぐんだ、全体に火を通らせるって意味もあるから生焼け防止にもなるぞ。
もう一枚ゆっくりと見せるように切ってやって、包丁を春名に手渡す。ベッドの上では調理担当の隼人と旬が興味深そうにその様子を眺めていた。
三人がぎこちない動きで肉に包丁を入れていく。左手を包丁の真下に入れないことだけを注視しながら冬馬も息を飲んで見つめる。
「あーっ!!!!!」
「どうした!?」
四季が突然声を出して包丁を置いたものだから、冬馬は怪我でもしたのかと飛び跳ねるように腰を上げた。
「切れちゃったっすー」
四季が照れ笑いしながら見せてきたのは脂身と赤身の間がぱっくり割れた肉である。へへ、と頭を掻く四季に、旬が溜息を吐いたのが見えた。冬馬は「練習だから大丈夫だ」と言って切れた肉を次々とジップロックに放り込んでいく。
食材を切る担当が三人もいれば六人分の肉などあっという間に切り終わってしまう。一人二枚、計十二枚の肉が二つのジップロックに入れられて狭そうに固まっている。測りながら醤油、砂糖、酒を投入、予め卸しておいたしょうがも少々入れた。
筋切りを済ませた豚ロースと下味のタレが入ったジップロックを何度か軽く揉んで肉に満遍なくタレが染み込むようにする。志願した春名が意気揚々と揉み込み、夏来はどこか慎重に袋の中を混ぜていく。
生姜焼きの下味が終われば次はけんちん汁の準備だ。
四季と夏来にキッチンに行ってもらい、まず食材を洗う。洗った物を夏来が軽く拭いてから冬馬の自室で待つ春名と一緒にそれらを切る。そう説明すると、春名が「頭いいな」と膝を打った。
食材洗いは口頭説明で任せるとして、切り方だけは見て覚えてもらうしかない。春名と夏来の前でピーラーを使い、ささがきにしたごぼうを酢水に落としていく。里芋、人参、大根、こんにゃく、長葱も同じようにして少し切り方を見せると二人は四苦八苦しながらも冬馬の真似をしていく。
「若里さん、切るの上手いっスね」
「ハルナ、凄い……」
「前に少しだけ飲食店でバイトしてたからなあ。つっても、料理なんてほとんど作らせてもらえなかったけど。少しくらいなら自信あるぜ」
「じゃあ、後は頼んだっス。俺は旬と隼人連れてキッチンに行ってるんで」
「え、もう?」
「調理実習は時間が限られてるからな。食材が切れるの待ってたら日が暮れるぜ。同時進行で進めていくから、自分達の担当に集中してくれ」
「そっか……わかった!」
拳を握った隼人に冬馬はへへっと笑って、食材を洗う四季の邪魔にならないようにキッチンに入る。シンクはキッチンのど真ん中にあるため、四季には横にずれた上で体を伸ばしてもらう形になるが仕方ない。
やはりキッチンは四人入れば満員で、覗き込んだ旬と隼人がやや狭そうに見える。少し壁に寄るといくらか楽になったように見えるが、それでも狭いものは狭い。
肘で打つことがないように注意しながら厚底鍋にごま油を投入する。
温まるのを待つ間にペーパータオルで包んだ油揚げを電子レンジに突っ込んだ。
「油揚げをレンジにかけるんですか?」
「本当は油抜きっつって、油揚げに味が染み込みやすいように一度熱湯に通すんだけど、いちいちお湯沸かすのもめんどくせえから、そう言う時はレンジで温めれば……ほら、押してみろよ」
熱の通った油揚げをまな板の上に置いて隼人が軽く押すと、白いキッチンぺーパーがじわりと油が滲む。更にグッと押し込むと、あっという間に隼人の掌が油まみれになってしまった。
「うわああ~!」などとオーバーリアクションを見せる隼人と、感心したように瞬きをする旬、違う反応を見るのも面白い。人並みに料理の知識を持っている北斗に教えるのは楽だったが、自分にとって当たり前の知識にいちいち反応してくれる彼らも教え甲斐があるというものだ。
「短冊切りで」と言って油揚げを夏来に渡すと、静々と両手で皿を掴んで冬馬の自室へと向かっていく。しばらくしてから戻ってきた夏来が差し出したボウルにはささがきにされたごぼうが揺れていた。
自室からは四季の歌に春名が合いの手を入れているのが聞こえる。あれだけノリノリだと仕事も大層捗っているのだろう。いつの間にか置かれていた加工済のにんじん、大根、里芋、こんにゃくと一緒に酢水を流したごぼうを鍋に投入した。
野菜についた水がごま油と交わることなくぱちぱち跳ねる。
「冬馬っち! 言われた野菜全部洗い終わったっすよー!」
「お、そしたら次は粉ふきいもの準備に取り掛かるから、じゃがいもを洗ってくれ。夏来と若里さんに『ピーラーで皮を剥いて、包丁の根元でくぼんだところを抉ってから8等分したのを水にさらす』って言っといてくれ。あと油揚げももらってきてくれるか?」
「ラジャっす!」
鍋の中からごま油の香りがふわりと舞い上がってくる。和食と言えば醤油かごまの香りだよな、なんて思いながら野菜を菜箸でつつく。
隼人と旬が興味深そうに覗き込むものだから面白くて、冬馬はそっと菜箸を差し出した。
「やるか?」
「いいの!?」
「見てばっかりじゃつまんねえだろ、やった方が覚えると思うぜ」
「それもそうですね……。ハヤト、お願いします」
「わ、わかった」
隼人はおずおずと菜箸を受け取り、ぎこちない動きで鍋の中を突き始めた。ぱちりぱちりと動く野菜はまるで鍋の中で踊っているようにも見える。その中に四季が置いていった油揚げと長葱を鍋の中に投入すればジジッと音が大きくなって、隼人が菜箸を動かす度に弾けた。
しばらく炒めていると、鮮やかだった野菜に飴色が付き始め、香ばしさが仄かに匂ってきた。閉じ込めるように水を入れて蓋をする。と、すぐに蓋は白く霞んで水滴を張り付けた。
「よし、俺はじゃがいももらってくるから、このまま鍋見ててくれ」
二人の了承を背に自室へ向かう。が、ふと聞こえた声に足を止めた。
何やら中が怪しい。先程まで四季の歌がキッチンにまで聞こえていたというのに、今は気持ち悪いくらい無音を貫き通している。微かに声が聞こえた気がした。音をたてないよう、ゆっくりと近づいていくと、曖昧だった声はより明確に変わっていった。
「ないな」「こっちはどうっすか?」などと雑談をするには小さすぎるそれは明らかに何かを企んでいるもので、冬馬は気付かれないよう、こっそりと覗き込む。剥いたじゃがいもを持った夏来と目が合う。灰色の瞳が揺れて、冬馬とそれを行き来した。
夏来の視線の先を見れば、這い蹲ってベッドの下に手を入れる春名と四季の姿があり、冬馬は目を細める。視界の端に映った夏来が困ったように冬馬の名前を呼んだ。
「……何してんスか」
言うと、二人はビクッと体を揺らして、恐る恐る振り返る。冬馬の姿を認めた瞬間「いやあ……」と誤魔化すような笑みを張り付けた。
「冬馬もアイドルとは言え17歳だろ? やっぱり一冊や二冊は隠してると思ってさ」
「宝探しっす!」
開き直り、一周回って堂々としている二人は冬馬を指さして笑う。夏来が申し訳なさそうに眉を落としているのもあって冬馬の視界はちぐはぐだ。
エロ本。聞き慣れずとも意味を知る単語に冬馬は顔を赤らめ、「そ、そんなもの持ってねえ!!!」と手をぶんぶん振るが、その表情は「俺は今とても動揺しています」の一言に尽きた。相変わらず夏来はおろおろと冬馬を見ては春名達に視線を戻すことを繰り返している。
「やっぱり冬馬っちには北斗っちがいるからエロ本なんていらないんすよ!」
「それとこれとは別だろ。な、冬馬、どうなんだ?」
「な、な……」
口をはくはくと開閉させ、茹蛸のように赤くなった顔を隠すように後ろ歩きで部屋を脱出しようとする冬馬は、扉に強く背中を打ち付けてその場に蹲った。仮にもアイドルとは思えない唸り声が口から飛び出たが、エロ本という単語に頭の中を掻き回された冬馬には痛みを気にしている余裕がなかった。
駆け寄ってきた三人が冬馬の背中を摩ろうとするが、混乱に混乱を重ねた冬馬は「そ、そういうの、ないんで……」と言うのが精いっぱいで、痛む背を撫でながらよろよろとその場を離脱した。
なんてことない感じで出て行ったにも関わらず、満身��痍で帰ってきた冬馬に旬と隼人は目を丸くするが、詳細を聞かれる前に「なんでもねえから」と冬馬は威圧する。頼むから聞かないでくれ。どこか必死な形相の冬馬を見て二人は息を飲んだ。
「えっと……もう10分な」
なんとか立て直しつつも痛みを撫でる冬馬は、粉ふきいもに取り掛かるべく深めのフライパンに水を入れた。と、同時に自分が失念したことを思い出す。
(じゃがいも貰ってくんの忘れた…………)
手元には何もない。動揺のあまり何も持ち帰らなかった。じゃがいもを取りに行ってくるといったにも関わらず、だ。しかし、あんなやり取りがあった矢先に取りに帰るのも恥ずかしい。どんな顔をして「芋をくれ」と言うのか。
どうしたものかと百面相していると、夏来が廊下からひょこっと顔を出した。手には冬馬が求めていたじゃがいもの入ったボウル。曇り気味だった瞳を輝かせると、夏来はまたも申し訳なさそうな顔をして「これ、取りに来たのかなって・・・・思ったから」と、それを手渡した。
「さっきは……ごめんね。二人とも、反省……してた」
「いや、大丈夫だ。気にしないでくれって伝えといてくれ。あと、そっちの仕事は終わりだから片付けしてテーブル拭いておいてくれるか?」
頷き、部屋に戻って行った夏来を見送ってから冬馬はじゃがいもを手にコンロの前に戻る。用意しておいた鍋の中にじゃがいもを入れて火をかけた。これでしばらくは火を調整する他じゃがいもには触れなくてもいいだろう。
「お湯になる前に入れてしまって良かったんですか?」
「じゃがいもはいいんだよ、むしろ沸騰したお湯に入れると中が茹で上がる頃には外がぐずぐずになっちまう」
「そっか、だから水から入れるんだ」
「逆にブロッコリーとか小松菜は茹ですぎるとくったりして食感が悪くなるから、沸騰したお湯から入れないといけないんだけど……物によってだな」
「では、その都度調べた方が良いんでしょうか」
「いや、よく言われるのは『地面よりも下に出来る野菜は水から、上に出来る野菜はお湯から』だ。かぼちゃととうもろこしだけは地面の上でも水からなんだが……それは例外って覚えておけば大丈夫だろ」
「なるほど、それなら覚えやすいですね」
隼人は携帯電話のメモ帳に、旬は持参したリングノートにメモをとっていく。ちらりと見ると、隼人のノートの端にクマのキャラクターが落書きされていて、四季の仕業だなと微笑ましくなった。
冬馬の授業ノートもあまり使用されてはいないが、いざ授業に行くとなると授業終了のチャイムが鳴るまで白紙のままではいられない。
時には新曲のダンスの構成を、時には知り合いの似顔絵を、そして時にはライブパフォーマンスの一つとしてサインを逆向きに書けるように練習している。
以前、ホワイトデーのイベントのパフォーマンスの一つとして旬とWの蒼井悠介がカメラ前にセットしたアクリル板にサインを書くということをしたとプロデューサーに聞いた。それから自分達も使う機会があるかもしれないと独断で練習し始めたのだが、いかんせん難しい。
普通のサインならば慣れたものでさらさらと書けるのだが、逆となるとそれは最早文字ではなく図の一つとして脳が認識してしまい、崩れてしまうのだ。授業中に何度書いては透かして先生に怪訝な目を向けられたかは分からないが、残念なことに未だに上手く出来ない。
「なあ、旬」
「はい?」
「逆サインって、かなり練習したのか?」
唐突に話が飛躍し、旬は一瞬困惑した顔を見せる。しかし、至って真面目な瞳の中で揺れる炎を見れば、これが彼をトップアイドルたらしめていた貪欲さなのかと旬は瞬きする。
「なかなか苦戦しました」と殊勝を孕んだ声で返すと、冬馬は顎に手を置いて「やっぱり練習あるのみだよなあ」と呟くので、なるほど彼もそれに苦戦していたのかと納得した。
「冬馬くんって、本当にアイドルが好きなんですね」
「ん? どうした急に」
「いえ、少し思っただけなのであまり気にしないでください」
「そうか……?」と零しながら、冬馬がけんちん汁の鍋の蓋を開けた。湯気がぶわっと広がり、覗き込む隼人の顔面に直撃した。うわあと声を上げて後退する隼人に声をかけると、笑いながら「びっくりした」と返ってきた。
香りものは入れていないので野菜特有の水っぽい青臭さが鼻を掠める。しかし、どうやら丁度良い頃合いだ��たらしい。春名たちに水抜きしておいてもらった豆腐を少しずつちぎって入れる。
次に隼人に計量カップと計量スプーンを渡し、傍に醤油さしと塩の入ったケース、料理酒のボトルを置いてやる。「まず醤油を大さじ2杯」と言うと、隼人は力が入った見るからに慎重な手つきでスプーンに醤油を垂らし始めた。
量は気にしなくて良いと言った北斗に「ちゃんと計れ」と叱ったこともある冬馬だが、流石にここまで細かく考えなくてもいいのに、と小さく笑った。肩まで強張った隼人の手はぷるぷると震えながらも零れる一歩手前まで醤油を垂らしている。
初めの内は自分もそうだったなと冬馬は昔に思いを馳せた。確かあの頃の自分もグラムはきっちり0,1単位で合わせていたし、液体も零れる寸前まで入れて大さじとしていた。今にして思えばそこまでギリギリ入れてしまえばそれはもう大さじ一杯ではない思うのだが、大さじと言うからには一番大きいスプーン一杯に入れれば良いのだと自己解決していた冬馬には、きっと成長以外で辿り着け得ない答えだった。
調味料を入れ終えた隼人に小皿を手渡す。「味見してみろよ」と言うと、やはり隼人は恐る恐ると言った様子でよそった汁を啜った。
「………………薄い?」
首を傾げる隼人に、旬が「貸してください」と同じように味見をする。が、顔を顰めたかと思うと、「いえ……」と前置く。
「僕は丁度いいと思いますけど」
「味の好みは人それぞれだからな。もし当日も意見が分かれたら全員に味見してもらうといい。自分一人だと味って分からないもんだろうし。……ん、俺だったらもう少し醤油を入れるか、後で盛った後に塩胡椒で調整するかだな」
「そっか! 各自で調整するって手もあるならそっちの方が良いかも」
冬馬が頷くと、隼人と旬も目を合わせて頷いた。意思の疎通は出来たらしい。
一先ずけんちん汁は完成として、次は粉ふきいもだ。鍋は丁度沸騰し始めたくらいで、竹串を刺さずとも芋が茹できっていないことはわかる。八等分しているのでさほど時間はかからないだろうが、まだ触れるのは早い。
「?」
その時、誰かの来訪を知らせるチャイムが鳴った。
もう少し待つかとシンクの上を掃除し始めていた冬馬は、少し濡れた手をタオルで拭く「竹串で刺して中まで火が通ってたらザルにあげといてくれ」と二人に言うと、声を揃えて了承したので、「頼むな」と言い残した。
こんな時間に郵便? いや、普通なら昼過ぎには到着しているはずだ。ということはそれ以外の……例えば保険の紹介か、はたまた自社の商品の紹介などかもしれない。だとしたら帰ってもらうのに苦戦を強いられるかもしれない。あまり鍋から目を離したくないんだよなと内心でぼやき、扉の前の人物を映しているであろうモニターを覗いた。
急いで玄関を開けると、玄関の前で大荷物を抱えた彼が冬馬にウィンクを飛ばす。
「チャオ☆ 冬馬、邪魔しちゃったかな?」
「北斗!? お前今日仕事って言ってなかったか? って言うか、そのデカい荷物なんだよ」
「終わってすぐに来たんだ。六人じゃテーブル足りないと思って、買ってきたよ」
「買ってきたって……って、おい!」
状況を飲み込みきれない冬馬の肩をポンっと叩き、そのまま北斗は冬馬の家の中に入っていく。持っていたデガブツを廊下に置いて、格好つけたブーツを丁寧に脱いでいく。
「お前の分の生姜焼き用意してねえけど……」
「それなら大丈夫だよ。テーブルだけ組み立てたら俺は帰るから。俺のことは気にしないで」
いつもの余裕な笑みを浮かべて北斗は四季達の待つ自室へと入って行った。瞬間、中のざわつきが増し、冬馬は頭を掻く。と、同時に先程の会話を思い出して背筋が凍った。
『やっぱり冬馬っちには北斗っちがいるからエロ本なんていらないんすよ!』
頭を抱えて冬馬は唸る。
よりによってこのタイミングで当事者の一人である北斗が来てしまうのは予想外だった。夏来は反省していたと言っていたが、万が一先程のような質問が北斗に向けられたなら、北斗の性格上、答えに結びつくような直接的な発言はせずとも、精神的怪我を負いかねない。何より、知らない所で自分の話をされていると思うと精神的によろしくない。釘を刺すなら今である。
やや駆け足で自室へと向かった冬馬だが、キッチンの前を通過した瞬間かかった「冬馬(さん)」の声に引っ張られ、半ば強制的に引き留められたのだった。
「どうした?」
「じゃがいも大丈夫そうだけど、次はどうすればいい?」
「あー…………、ああ………………」
脳裏に浮かぶは今自室で挨拶を交わしているであろう北斗と四季達の姿。そしてそのまま流れ込む雑談。
テーブルを組み立てに来ただけの北斗が木を差し込んだりしている間に冬馬のソウイウ事情について話すことなど容易い。今すぐにでも襟足を掴んで釘を一本どころか百本刺してやりたい。
しかし、料理は鮮度が命だ。このまま突然の来訪客を構っている暇などない。冬馬は疼く足と騒ぐ心臓を抑え込んでコンロの前に戻った。
「まず深底のフライパンを温めて、茹でたじゃがいもを入れるんだ。油は入れなくていいからな」
中火ではあるが、焼き目がつかないように念入りにじゃがいもの位置を変えていくと、ふやけたじゃいがいもの表面がぼろぼろとフライパンの上に零れ、落ちた先から少しずつ乾いていった。
「このじゃがいものパラパラしたのを粉に見立てて、"粉吹き芋"って言うんだ。そんで、あとはこう」
解説する口を動かし続けながらも冬馬は芋の入ったフライパンに塩を一摘まみ投げ入れ、蓋をして横に振る。一度だけでなく二度、三度と力強く振ってはコンロに戻しを繰り返す。
「鍋を振るとじゃがいもの角が取れて粉になるだろ」
「なるほど……見た目も綺麗に仕上がりそうですね」
菜箸で一つ口に運び、咀嚼する。
いい感じに表面の水分は飛んでいるし、中にも火が通っていて食感も良い。塩味も程良く、副菜としては良い出来である。一つずつ旬と隼人の口に入れてやると、二人とも顔を綻ばせた。
「よし! あとは生姜焼きを焼くだけだぜ!」
「俺さっきから何度もお腹鳴ってるんだよね……」
「へへ、すぐできるから焼いてる間に芋を皿に盛って、けんちん汁もよそっといてくれ」
「分かりました。えっと、お茶碗はこれでしょうか?」
「そう、皿足りてねえから無い分は他の皿使ってくれ。生姜焼きも一皿にまとめちまうな
残念ながら冬馬の家の食器はそう多くない。たまに転勤から戻ってくる父と、定期的に食べに来るが分かっている北斗と翔太の分の食器は用意しているが(と言うよりも自分達で買ってきた)、一度に大人数の客が来ることがないため、今回のようなケースは初めてであった。とは言え、今日の為に食器を買い足すのも野暮な話である。
ハイジョの5人には悪いが、どうせ調理実習で揃った食器で食べることになるのだ、今日だけは我慢してくれ。そう口にしながらタレに漬け込んだ生姜焼きを熱したフライパンに乗せると、じゅうという音と共に醤油の焼ける香ばしい匂いが鼻腔を擽った。
待ってましたと言わんばかりに口内を溢れた唾液を飲み込む。満遍なく火が通るように肉を広げ、焼き目が付くのを待つ間、グラスに醤油、砂糖、酒、卸ししょうがを加えて混ぜる。人によってはここで片栗粉を入れて肉に絡みやすくしたりもするのだが、それはシンプルな料理を作った後の応用で良いだろう。彼らの「うまくいった」の一言を聞いてからまた教えてやればいい。初心者にあーだこーだと知恵ばかり吹き込んでもパンクするだけなのだから。
赤黒を纏っていた肉は熱を浴びてすっかり色を変え、表面にはこんがりと焼き目がついている。その上から作ったタレをかけてやると、鍋の中から歓喜の音があがる。
一枚ずつ丁寧にひっくり返し、タレをしっかりと絡めてやれば完成だ。
四季がうっかり切ってしまった肉の隙間はやはり焼くと一層開いてしまったのだが、これはこれで良い経験だろう。初めから料理が上手い人間なんていないのだから。
大皿に盛られた12枚の生姜焼きを見つめ、冬馬は鼻を鳴らす。粉ふきいもとけんちん汁をよそい終えた二人もそれを見て小さく拍手をした。
「よし、飯にしようぜ!」
大量の皿を持って三人が部屋に入ると、見覚えのない黒いテーブルに肘をついて号泣する春名と四季の姿が目に入った。その正面にはあっけらかんとしている北斗、横にはどこか切なげな表情を浮かべつつも口元を歪ませている夏来。
皿を置きながら「どうしたんだ……?」と言うと、眼鏡を水滴でびちゃびちゃに濡らした四季がゾンビの如く勢いで冬馬の腕を掴み、冬馬っちぃいい……と言葉にならない声で言う。驚きのあまり腕を弾いてしまった冬馬は一歩、二歩と後ずさる。
料理をしている間に一体何があったというのか。
「オレ……オレ、メガメガ感動したっす!」
「俺も……さっきはごめんな、エロ本なんて探して……」
「冬馬っちが作った料理……大事に食べるっす!」
先程まで男子高生らしい態度できゃっきゃと騒いでいた二人が身も蓋もなく号泣している理由は十中八九今も微笑みを張り付けているこの男のせいだろう。問い詰めると、「聞かれた事を答えていただけだよ」と言った。
だからその内容を聞いているのだが、きっとこの様子では白状するつもりなどないのだろう。二人の様子を見る限り、恥ずかしい話をしていたわけでもなさそうなので今日のところは見逃すことにした。今度絶対聞きだす。
「肉はねえけど、けんちん汁だけでも飲んでくか? 粉ふきいもも少しならあるし」
「そうだね、みんなが作った物を食べたい気持ちもあるんだけど、今日は遠慮しておくよ。ごめん冬馬、ゴミは纏めておいたから後は頼んだよ。みんな、ごゆっくり」
「お、おい」
来た時よりも大分軽装備になった北斗が冬馬の静止も聞かずに玄関に向かっていくので、冬馬は追って彼の名前を呼ぶ。すると、立ち止まり振り返った北斗はゆっくりと口を開いた。
「本当にいいのか?」
「いいんだよ、見たいものは見れたから」
「見たいもん?」
「ふふ、内緒だよ。今度教えてあげるから、そんな顔しないで」
額に軽く口づけををする。楽しんでね、そう言って北斗は笑った。冬馬が「……おう」と小さく返すと、彼は満足そうな表情で去って行ったのだった。北斗がいなくなったあとを暫く見つめ、冬馬は小さく一息つく。
……まあいいか。内緒と言った時の北斗の優しい瞳を思い出し、冬馬は小さく笑みを零した。どうせまた会えるのだから、その時にでも春名たちの涙の理由と一緒に聞けばいいだろう。
踵を返す。が、すぐぴたりと動きを止めた。
「…………、…………………………見たのか?」
「えーっと……へへ…………」
「すみません……………………」
気まずそうに視線を泳がせる旬と隼人は、北斗の話の余韻に浸っている三人を置いて北斗を見送るべく追ってきた様子だった。そして目撃してしまったのは同じ事務所の先輩にあたる二人のキスシーン。額だったのが不幸中の幸いだが、ついさっきまで顔を合わせていた人間同士の接吻シーンを見て困惑しない者はいないだろう。
北斗に好き勝手やらせたことを心底後悔し、冬馬は震える声で「気にすんな」と言った。
諸々の予定外はあったものの、並んだ料理を見た瞬間、五人は一様に「美味しそう」だとか、「お腹がすいた」などといった言葉を口にする。かく言う冬馬も全く同じ気持ちであった。
四季の「オッケーっす!」の言葉を合図に、全員そっと手を合わせる。
「「 いただきます 」」
冬馬の先導にくっつく形で五人が挨拶をすると、語尾を言い終えるか終わらないかというタイミングで四季が飛び出した。
「早速一枚いただきっす!」
「お! ずりいぞシキ! 俺も!」
「行儀悪いですよ、二人とも」
「けんちん汁、美味しい……」
「あれ? 何だろうこの人参……」
騒がしい二人は置いておいて、隼人がけんちん汁の中から発見した人参は銀杏切りにされた他のものとは違い、丸のまま中心が円形にくり抜かれている。見れば、冬馬のけんちん汁にも同じような円形の人参がいくつか入っていて、首を傾げた。
「お、ハヤトと冬馬大当たりー! ドーナツ型だぜ!」
春名は自らのけんちん汁からもドーナツ型の人参を摘まみ上げて嬉しそうに言う。
先程春名が持っていた金型はそのためにわざわざ持ってきたのか。
「………………」
思い出すのは以前作ったカレーの星形人参だ。確か翔太が一つだけ入れて、「これを食べた人はきっといいことあるよ」なんて言っていたのだが、結局煮込んでかき混ぜていく中でそれは形を留めきれなくてバラバラになってしまった。しかし、角のある人参が三人の皿にそれぞれ入っているのを見て、北斗が「分け合いだね」と言った。
確か、それから数日後に315プロダクションの社長が楽屋に顔を出して、それで―――。
今となっては遠い昔のことに想いを馳せて、冬馬は生姜焼きを一口齧った。
タレの甘塩っぱさが舌に触れる。口内を通ってあの香ばしい香りが鼻まで上がってきた。��も程良く柔らかく美味しい。追って白米を口に放り込むと、タレがつやつやの白米に乗って舌に触れる。最高の組み合わせだと思った。
けんちん汁も、味噌汁ほど味は強くないが野菜のうま味と塩、醤油の素朴な味は安心する。これが良いと思うのは日本人だからなのか、はたまた単純に好みの問題なのか。それでも具沢山の汁を飲み込んだ時に感じる満たされた感覚はきっと、一つの幸せの形なんだろう。
「芋も美味いけど、バターかけてえ」
「それ……じゃがバター…………」
Jupiterの三人で食べている時とはまた違った騒がしさが部屋を満たしていく。沢山の音が冬馬の鼓膜を叩いた。
「調理実習どうだったかちゃんと連絡くれよ」
「もちろんっす! まずは旬っちと隼人っちから作り方を教えてもらうところからっす!」
「明日部室で確認���ましょう」
たまには大人数で食べるのも悪くない。騒がしさに小さな幸せを感じながらも冬馬は少し温くなったけんちん汁を胃に流し込んだ。
数日後、冬馬はいつも使っているスーパーで夕飯の買い出しをしていた。
珍しく15時過ぎには撮影が終わったので時短など気にせずゆっくり何かを作れそうだ。同じく夕飯の買い出しに来たらしい主婦達に並んで魚コーナーを眺めていると、ジーンズの尻ポケットに入れた携帯が震えたので、一度列から出て邪魔にならない所へ寄った。
メッセージの着信らしい。開くと、先日の調理実習の予行の為に即席で作られたHigh×Jokerと冬馬の六人のグループに画像が投稿されたところであった。
『大成功っす!』
ピースサインの奥に置かれた皿には筋の繋がった完璧な生姜焼きが盛られ、横に添えられた粉ふきいももどこか形は歪だが綺麗に添えられている。
ほう、と感心していると、追加でもう一枚画像が送られてくる。けんちん汁のようだが、浮かんだ人参がクマの形をしていた。
『クマっち型人参女子達にダイコーヒョーっすよ!』
『おつかれさま! いいな、俺も型持って行こうかな』
『ドーナツ型なら貸すぞ、ハヤト』
四季、隼人、春名と続くメッセージにスタンプで応答して再び尻ポケットに差し込む。
詳しくはまた次の機会にでも聞くことにしよう。きっと彼らのことだから調理実習というテーマだけでも話題に事欠かないはずだ。
今もポケットの中で震え続ける携帯電話に、冬馬は口元を緩ませながらも夫婦たちの中に戻っていく。
氷の中に漬かっている魚達を眺める。中には知らない名前の魚もあり、冒険してみるのも面白そうだと右端から一つずつ眺めていく。ふと、看板にでかでかと書かれた『今が旬!』の文字が目についた。
今の時期はアジが旬なのか。冒険も良いが、素直に旬の物を食べるのも一年の一興である。干物もいいが、なめろうやシンプルな塩焼きにしても美味しそうだ。冬馬が目を光らせて美味しいアジを見極めていると、店員がこちらを見て笑った。
「おっ、お兄さん。アジかい? 今が旬だよ!」
「そうっスね……とりあえず二匹」
「はいよ! お兄さんは?」
「すごく美味しそうだね。でも、僕は料理出来ないから…」
商店街にいた人をそのままスーパーに連れてきましたと言わんばかりの豪快で気前の良さそうなおっちゃんが冬馬の隣にいるであろう男性に問いかける。聞こえた声に、冬馬は跳ねるように顔を上げた。そして瞠目する。
ずっと隣にいたのは小太りの主婦だったはずだ。いつの間に入れ替わったのか、そして彼は一体何故ここにいるのか。
「……都築さん?」
小太りなんて程遠いむしろ細すぎる程細い彼、Altessimoの都築圭は冬馬の姿を認めた後儚く笑った。
携帯電話が震え、メッセージの受信を訴える。開くと315プロダクション全体グループへの投稿のようだった。神楽麗から、内容は『都築さんを見た人はいませんか』である。冬馬は目の前にいる人を二度見して、簡潔に「ここにいる」と送る。と、すぐに麗から電話がかかってきた。
「もしもし?」
『お疲れ様です! 天ヶ瀬さん、都築さんはまだそこにいますか!?』
「え、ああ、一応いるけど……」
以前撮影で会った時にも同じような声を聞いたな、なんて斜め上の事を思い出しながらも麗の酷く焦った言葉に冬馬は面食らう。彼は電話口ではあはあと息を切らしながら「すぐに向かいますので、場所を教えてはもらえないでしょうか。これからわたしの家で打ち合わせをしようと言っていたのに目を離した隙にいなくなってしまって……」などと言っているので、冬馬は更に言葉を失った。
目を離しただけで見失ってしまう。麗がかつて困ったように言った言葉を思い出し、なるほどと頬を掻く。
「急がなくていいぞ。場所は送るからよ、都築さんは任せてくれ」
『すみません、お願いします』
通話を切ってすぐ、住所を麗に送る。「晩飯用意しとくから」の一言も添えて。念の為に傍に都築がいることを確認し、冬馬は魚コーナーの店員に向き直った。丁度冬馬が頼んだアジの袋にシールが張られたところであった。
冬馬は小さく息吐いた。
「すみません、やっぱりアジ合計六匹で」
たくさん食べるんだね、なんて都築が隣で笑った。
NEXT→『アジフライ』with Altessimo
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【画像】Twitter民「ステーキ3ポンドなんて食べられるわけない」
1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2017/09/25(月) 11:10:34.83 ID:5dz9KLwNp まっくす@ハピオワ@Iwannabethemax ステーキ屋にて店「量はどうしますか?」(大食いやし300グラムくらいいけるやろ)俺「3…(あ、もしかしてポンドで答えないといけない?1ポンドって100グラムだよね…)ポンドで」店「3…ポンドですか?」俺「はい!!(全力ス… https://t.co/KigwT4RLsQ 2017/09/24 12:54:55 //platform.twitter.com/widgets.js 続きを読む Source: 雪崩速報@話題まとめ
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