Tumgik
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left-stand-homerun · 4 years
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京都・観光・コロナ・デモ
2020年12月6日
add-coco はづき
京都が観光地として有名なのは言うまでもない。
日本においても、世界においても、京都といえば思い描かれるイメージがあり
京都自身も、それを心得た上で多くの人が望むような「京都らしさ」を捻出し、それを売りにして経済的豊かさを継続的に得ていこうとするのが道理であるというような風潮が、昨今、異様に盛り上がっていたものだった。
それらは当然のように開かれるはずだった「東京オリンピック」から流れてくる外国人観光客に期待を寄せた動きでもあった。
大きな資本が流入し高級ホテルが建てられまくる一方で、歴史的価値のある京町屋が残念がられながらもどこからも救いの手が伸びることなく解体されていった。
中心地に建っていたデパートは年々観光客向けの仕様に変化を重ね地元住民客を失い、ついに閉店した。
街中では、外国から来る観光客向けのドラッグストアが隙間を見つけるなり容赦なくどんどん増殖していく。
しかし、そんな中、世界的に見舞われたcovid-19によって、全ての観光地は凍った。
京都も当然、観光客が皆無になり見慣れた雑踏は影もなく消え去り、見たことのないレベルで人がいない風景のまま冬が過ぎ、底冷え状態が何ヶ月も続いた。
京都に住む誰もが「やばい」と感じる程に街中だけでなく少なくとも市内全体が閑散としていた。
普段から観光客に文句をぶつけたくてしょうがないような生活者は未だかつてなかった開放感をただただ味わっていたかもしれないが
観光地として観光客相手の商いをしていた者が多くいる街の灯りはしばらく暗いままだった。
歴史的にみても長い年月、日本の観光地の柱を担ってきた京都が経済的に凍てつくだなんて想定外の災難であることは間違いなかった。
自分もいつになく広々とした京都の町で、少しだけのびのびとした気持ちを味わいもしたが
同時にこれから起こるであろう多くのことや、片隅で個人経営の小さな商いをする友人たちのことを想い、ゾッとした。
個人の小さな店がオンラインショップやテイクアウトや配達に即座に対応できるわけではないし仕入れ代だって支払わねばならないし
自粛なんてしたらあっという間に光熱費や家賃すら払えなくなることは目に見えていた。
一体この自分にできることなどあるのだろうか?あるとすれば何だろうか?と考えてはみるものの、自分も職業上の理由から感染リスクを厳しめに避けねばならず、出歩いて懇意にする飲食店や商店に足繁く通い少しでもお金を落とす、なんてことも出来なかった。
いくつクラウンドファウンディングが立ちあがり、いくら寄付をしたら全ての事業を救えるのだろう?
幾ばくかの寄付に対する返礼の半袖Tシャツだけがタンスに増えていった。
そして観光地としての京都が売り出されるあまりに、京都にも他所にも忘れられてしまわれがちだが京都はたくさんの大学が密集する学生の町でもある。
学生たちも全ての課外活動を禁じられ殆どの講義がオンライン化したことで、下宿先のアパートを引き払って実家に帰ったという人もいたし
帰るに帰れない学生や、アルバイトが減り仕送りが減り奨学金や学費減免の対象外になる学生もいて、生活に困窮している人もいた。
また、学生が多く住む町だから当然、学生や教職員のための店も沢山ある。
学生や教職員を軸に商いが成り立つような店の多くは薄利多売で、テナント料が比較的安い路地裏などに立地しているため
薄利小売では瞬く間に成り立たなくなり、人知れず、絶望し、閉店していく後ろ姿を、悲しくもどかしい気持ちで見続けるしかなかった。
日本で行われたcovid-19による経済的ダメージへの補償は全く充分ではないだけではなく
京都府知事も京都市長も全く需要に見合うような対策が打ち出せも施せもせず
人々の忍耐力がただただ試されるばかりで、途方に暮れるか、絶望するか、くらいしか選択肢がないかのような暗い雰囲気がじわじわと染みていった。
正直、いき過ぎた観光地化には心底辟易していたけれど、京都は観光客が来ることによる収入によって街の文化や伝統や建築や店などが支えられてきたことも確かで
その事による恩恵を暮らしている一人として自分も享受していたのだという事を、今回のコロナ禍によって自覚させられた。
もしも京都が古くからの観光地じゃなかったらとっくに潰れていたのであろう道具屋とか銭湯とか喫茶店とか古本屋とか飲食店とかたくさんあることを考えると、自分には観光そのものを一刀両断に全面的に批判することが難しいと感じさえもした。しかし一方では、加速度的に進んでいく資本主義的観光地開発によってその土地が本来持ち合わせていた特有の文化や建築物など本来観光の魅力の主軸ともいえるべき部分が急速に破壊されつつあることも痛いほど肌身にしみて感じている。
冷たい風が吹き荒ぶ町の中で、しょんぼりとしながらも、ただこのままうつむいていてはいけないんじゃないか、やはり少しでも声をあげていこうと思った。
コロナ禍の混乱において世界中でデモという直接行動が必要とされるような状況が同時に出現していた。しかし、ここ日本では特徴的な事かもしれないがデモという直接行動そのものが自分たちの政治や暮らしに反映され難いという認識からも尚更「デモなんてやるのは特殊な人たちによる特殊な主義主張」であるとみなされるようなことが常日頃からあり、さらにコロナ禍においては感染リスクやそのことで集会やデモがより一層バッシングされやすい状況であることは、デモを開催することのハードルにもなっていた。国や市政の姿勢に多くの不満が募っていく一方で、身動き取れないようなジレンマにも苛まれていたけれど、黙って我慢し続けている人がいるのにこのまま黙っていたのでは何もかもなかったことにされてしまう。そんなわけにはいかない。
百万遍から声をあげていこう、と仲間たちに呼びかけていつものように小さな手づくりのデモを開催することになった。
百万遍クロスロードは、これまでも京都・左京区・百万遍を中心に生活する自分たちの感じていることを表してきた小さな集まりだ。
百万遍の石垣にずっとあり続けてきた京都大学学生たちの立看板が京都市の思惑と結託させた形で京都大学当局によって撤去されるようになったことに対する批判や
京都大学吉田寮を潰すために京都大学が寮に住む学生を相手に卑劣なやり方で裁判を仕掛けてきたことを批判して存続を訴えたり
京都市政が愚劣な自転車撤去を展開していることに対して抗議したり
京都市政が推進してきたラグジュアリーツーリズム(富裕層のための観光都市計画)のせいで、大学の街の歴史性が踏みにじられていることに対して怒りを表明してきた。
大学に通う学生たちの暮らしは周辺の環境形成とも深く関わりがあり、京都、左京区、百万遍には学生たちの暮らしと周辺地域住民の暮らしが相互に関わり合って醸成された地層のような文化が、蠢く生きものかのように町として形作られてきた歴史がある。
町に活気を放つ存在であった店や充分な補償もされないまま消えていくことも
百万遍に立てられ続けてきた立て看板が大学の職員によって冷徹に撤去されていくことも
この町に住むみんなの元気を少しずつ削っていく。
日本政府はいまだに国内のコロナ感染状況を正確に把握する術も持たず
マスク2枚をまともに配ることもままならず
10万円の補償金を日本に住む全ての人に行き届くように配ることもせず
まだcovid-19が収束していないのに旅行代理店と大手企業ばかりが得するような馬鹿げたキャンペーンに税金を大量投入し
日本国内で人が行き来したり会食をする機会を推進している。
京都市は景観条例の基準を引き下げることを検討し始めた。民間企業のマンションやオフィスビルにもそれらの低い基準で建設を許可していこうとする動きだ。
京都という古い町で辛うじて保存されてきた街並みや景観を壊していくのは大学の立て看板なんかでは決して無い。経済至上主義なんじゃないのか。
そして、そんなこと本当はみんなとっくに気づいているんじゃないのか。
このままでいいのだろうか?
医療従事者はもう限界だと呟いているし、小さな店の扉は閉ざされ冷たいまま、充分以上にある高級ホテルがこれでもかと建設されていく。
エッセンシャルワーカー(みんなの生活を保持するための職業従事者)にはしっかりと慰労手当を含む給料を保証すべきだし
誰もがしばらく休業しても生活に困らないレベルの補償金を行き渡らせることをすべきではないのか。
百万遍クロスロードの小さなデモに小さな声が少しつ集まる
コロナ禍でデモを開催するリスクを鑑みて声があげづらくなっていたけれど、必要な対策をすればいい。
2メートルの横断幕を何本も用意し、両端を持ってもらうことで人と人との距離をあけた。
必要な人にマスクを配り、アルコール消毒液を携帯して歩く。
「黙ってられへん」「タテカンたてさせろ」「自転車撤去やめろ」
「小さな店しんどい」「裁判やめろ吉田寮存続」「京大総長選改悪許せん」
「もう無理、限界や!」「国家権力の介入を許すな!」「WE ARE THE 99%」
愉快な音楽を軽快に流しながらガタゴト引かれるDJブース屋台、マイクを握って訴えをラップする人
仮面をつけて急逝したディヴィッド・グレーバーを悼みながら歩く人
横断幕を掲げ黙々と歩く人、太鼓を打ち鳴らしながら歩く人
みんなでぞろぞろと練り歩く
どんな時でも楽しさに変える想像力や創造力が誰にでもあることが希望の灯だ。
町は呼応する。
手を振る人、立ち止まってにっこり笑う人、話かけてくる人。
クラクションを鳴らし文句を言いながらデモに反感を示す人。
こんな小さなデモに仰々しい人数の警官隊が常に管理しようとつきまとってくる。
全く窮屈だし、不要な警備でしかない。税金の無駄使いではいないのか。
百万遍に着き解散すると、京都市による自転車撤去の車が近づいてきた。
参加者の誰かが直接抗議しにいく。結果、2台くらいを撤去から守れたということで小さな歓声が上がる。
DJブースの移動式タテカン号は保管場所へと移動し、人々は近くの河原で再度集まり湯を沸かし餃子を茹でて食べた。
音楽を鳴らしながら踊る横で、いろんなことを喋ったりして過ごした。
小さなデモには、小さな喜びが煌めく瞬間がある。
それをしっかりと掴んで握りしめ、屈しないぞと自分に誓う。
いつだって誰とだって、その熱を分かち合うために、また暮らしながら考え、話し合いながら共に、トボトボと歩んでいこうと思う。
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