Tumgik
tajimashowroom · 1 year
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お久しぶりです!
みなさんどーもどーもたじまです。お元気でしたか? 
ダウンしてた本家サイトをなんとか立て直したので、また遊びにきてもらえたら嬉しいです。
いやーなんかこの数年で色々あったなあ、色々ありすぎた。あとタンブラー放置しすぎた。ごめんな。
今後ともよろしくお願いします。
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tajimashowroom · 3 years
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tajimashowroom · 3 years
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数日前からTwitterで微妙にバズってるSF界隈のはなし。
この人は「売れないのでSFの棚が本屋から減らされた」「BLの本に棚を奪われた」と言ってます。「SFから棚を奪ったのはBLだけでなく本屋の他のジャンル全てでは?(それらの本は売れていて棚を減らされなかったのだから)」というのはおいといたとして、「奪われた」という主観的表現を用いてはいるものの、最大限フラットに解釈すれば「事実を述べているだけ」と言えなくもない。
前述の呟きを引用RTして呟いたこちらの呟き。最初の一文以外は「SF者はもっと良くなるよう前向きに動こう」という内容で、それ自体誰かからケチを付けられる筋合いのある文章ではない。
この引用RTの最初の一文「せめて百合だったらSFと共存共栄した時間線があったかもしれない…。」が決定的にダメだった。極論をいえばここだけなのだ。
三瀬弘康氏のこの発言に反発する人たちに対し三瀬氏を擁護する人の呟きというのがあって、こちらは前述の2つの呟きと違い引用する価値もないので、記憶で概要を述べる。曰く「元になった2人の呟きは現状をよくしていこうという話をしてるだけ。悪く解釈した人が勝手に反発してる」。元の呟きはもっと煽った言い方だったと思うけど詳細を思い出すのは不快だし、正確に記述する義理もないのでこれで済まします。
以下、ここでは「BL」は「女性向けに作られたエンタメ作品」という定義で話します。その理由で「三瀬史の発言に反発してる人達」をひとくくりに「女性である」として話を進めます(実際は彼の発言を問題視する男性も少なからずいました)。他方「SF」と「百合」に対しては定義をしません。
「有害な男らしさ」を持つ、男性のいつもの意見ですよ。「大した話ではないのに大騒ぎしやがって」というやつですよ。今まで様々に女性の意見はこういう言い方で封殺されてきたのです。大した問題じゃないのにうるさい、と。大した問題ではないのはその発言主にとっての話であって、女性にとってはそうではない。今、女性はその封殺を受け入れません。「大した話でない」のは主観的意見です。これらの呟きを見た「男社会で、同じ金額を払っていても女性だという理由で本来の消費者ではないと言われ続けてきた」女性にとっては小さな出来事ではない。男性に踏みつけられている女性が「その踏みつけてる足を退けろ」と言ってるのに、踏みつけてる側の男性にとってはその状態が当たり前だったので他者を踏みつけてることに気がつけない。自分が無自覚に痛めつけている存在が急に声を上げた���に対し「今まで別に何も問題なくやってきたことなのに。何故こんなことで文句を言うの? そっちがおかしいだろ」と言ってる。だが女性たちは声を上げることに決めた。その声に「的外れだ」「大袈裟だ」という非難(元発言者への擁護)は無意味で無価値である。(BLに棚を奪われたという発言に対する)「せめて百合だったらSFと共存共栄した時間線があったかもしれない…。」という呟きだけで女性にとっては問題発言として充分成立するのだ。
この話題に付随して「BLにもSFものはある」「SFにも同性愛ものがある」「女性のSF作家は多い」「近所の本屋でSFの棚を削ったのはBLではなく文具とカフェだった」という反論や身近な体験談を呟いている方を多く見かけるが、この問題の本質は、突き詰めればそういうところではない。「SFボーイズクラブ(この件に反発した方が使っていた呟きでの文言だが、言い得て妙であるので使わせてもらった)」の面々がホモソーシャルの狭い世界で行ってた「いつものような振舞い」をSNSで行い、ホモソーシャルの世界を共有しない人たちの反発を招いたというのがこの件の問題の中心である。元の発言者板橋さとし氏、三瀬弘康氏の擁護をしている諸兄は、彼らの発言に否定的反応をしてる人がなぜこの発言を問題視してるのかという本質を理解出来ていないことをまず理解してもらいたい。まあそれが出来たら苦労ないけどね。
同時に「俺の定義したSFだけが『真のSF』だという考え方で集ってる人たち」の愛好するジャンルが衰退する理由がよく分かった案件でもあった。前述のようにBLにもSF作品はあるし、少女漫画におけるSFの歴史は古く、ラノベにも少年漫画にも映像作品にも普通にSF作品がある。そういう意味ではSFは全く衰退していない。むしろ広くエンタメ業界に根付いている。だが本屋でSFの棚が減ったと嘆いている人にとってそれらは自分が愛したSFではなく、楽しむことも出来ないのでしょう。狭いホモソーシャル社会で、本屋で棚を減らされ不遇な扱いを受けている「自分たちの定義に当てはまるSF作品」をどうぞ愛好し続けてください。
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tajimashowroom · 3 years
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映画館や演劇業界の人やファンがこの1年努力をし、(モリエール以外は)クラスター起こしてないんだけど、緊急事態宣言の適応は「外を歩く人を減らす」という目的がある以上、劇場や映画館、はては人と喋らない博物館美術館同人イベントまで規制の対象になるのは仕方ない。
これらの施設で感染症が拡散するかどうかではなく「これらの施設に行く人たちが街を出歩いてるのを見て「宣言中なのにみんな出歩いてるやん。外出自粛なんてしなくていいんだ」と思って外出してしまう人」を抑止するのが目的なので。
だからこの一年劇場や映画館が「感染対策を徹底しクラスターを起こさなかった実績」は今回の宣言には反映されない。かといってこの一年業界の人やファンが行ってきた感染症対策が無駄になったわけではないよ。それをしてなかったらもっとひどいことになってたかもしれない。
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tajimashowroom · 3 years
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コロナ禍ですね。いかがお過ごしですか。
物心つく前は分からないけど、ついた後は、子供というのは大人に色々なことを禁止されて生きるわけですが、その際禁じてる理由も教えてくれたらいいのにな、と思ってました。大抵は禁じられた行為には子供に危険が及ぶことが起きる自体と連動してますよね。分かりやすいので言うと車道に走り出しちゃだめ、みたいな。車道が危ないのは子供でも分かるのですが、よく分からなかったのが「横断歩道を渡るときは手を上げよう」です。大人でそんなことをしてる人はいません。子供だけにさせるのはなぜか。それが分からないと承伏できません。「大人は子供より体が小さいため、ドライバーの視界に入らないことがある。手を上げることでドライバーに存在を示すことで危険を回避できる」という理由があるのですが、そういう説明をしてくれたら私は納得出来たはずでした。実際にはその根拠に私が気がついたのは大人になってからです。子供の頃車の事故に遭わなかったのは幸いでした。
一方的に指示され、それの理由が分からないと、私は当惑します。理の通った理由が説明されたら納得がいきますし、気をつけようと思います。それに応用も効くようになります。車道に走り出すのがダメなら歩いて出るのもダメです。
私はそんな面倒くさい人生を歩んで来ました。でもそれでよかった事もあります。大学の学祭の時に、車で構内に入ろうとする人を止める検問のような仕事をしたことがありました。「車で入場できません」と言っても簡単に引き下がる相手ばかりではありません。そういう人は普段から構内に車で出入りしてる人です。構内に駐車スペースがあるのを知っていて、そこに停めようと思って来ているのです。そういうしつこく車で入ろうとする人でも「構内に車を停めるスペースがもうないんです」というとすんなり引き下がることに気が付きました。学祭の最中ですから、構内がいつもと違うということを、そういう風に言われたら納得しているようでした。多分「構内に車は入れません」の一点張りでやってたらその仕事はもっと面倒くさかったはずです。なぜダメなのか理解しないと納得出来ない人間だからこそ、自分が伝える立場になったときも納得できる適切な理由を相手に伝えることが出来ました。
さて。コロナ禍です。我々は色々な行動を制限され生きています。マスクの着用。会食の禁止、カラオケも出来ない。旅行も推奨されない。これらはそれぞれ感染症を拡げないための理由があって言われているものです。マスクを付けるのは発話や呼吸の際に飛び散る飛沫を抑えるためです。COVID-19は飛沫で感染すると解説されています。そういうのを踏まえた上で「会食を禁止されてるけど2人での食事は会食に当たらないと思った」「複数人数で食事をした時会話はしたけどマスクは付けていた(食事のためにマスクは顎まで下げていた)」というような人がいるという話をテレビやTwitterなどで聞きます。
そういう人は子供の頃大人に禁じられたことをその理由も考えずに守ってた人なのでしょう。でなければ「会食」の定義(というか認識?)を盾に「会食はしてない」とは言わないでしょう。「なぜ会食が禁じられているか」を理解していれば自分が考える「会食」ではなかったとしても「これは感染を拡げる可能性がある」と判断出来るでしょう。その判断が出来れば、自分がやろうとしてることの危険性を考え、その行為をやめるはずです。それが出来ないのは自分で考えないから。指示された時何を根拠にその指示がされているかを考えずに指示の内容の「上っ面」だけを守って「これでよし」としてきた人生だったのでしょう。「マスクを顎に下げて食事しながら会話」のケースも同じです。一人で食事するならマスクは外していいですし、複数で食事するとしてもビデオ通話で別の場所にいる相手とであれば会話しながら食事して、マスクをはずしてても大丈夫。でも同じ空間で複数人数で食事をするなら、同じ方向を向いて食事の最中は会話はしない。そういう事を感染症対策として繰り返し聞いてきた筈です。それなのに「禁止されてるのは会食。これは会食にあたらない」「マスクは付けている(顎に下げてるから呼気漏れるけど)」? そうやって生きてきたんでしょうね。今まではそれでもよかったかもしれない。多分それでダメだったことも起きていると思うけど、その時に学習してない人が今回こういう危険な行為をしているのだと思います。でも今は感染症が流行してる非常時です。「どういった行為が」「なぜ」禁止されているのかを理解せず、ただ言葉尻を捉えて、ものを考えずに下した自己判断で行った行動で、たくさんの人が死亡する可能性がある。
私はADHDです。発達障害の面倒くさい人生を歩んでいます。自分���ことをそんなに頭が良いとは思っていません。でも自分で考えることをせず、何が問題なのかも考えずに行動する人の多さに驚きつつ、自分は実はそんなに頭が悪くなかったんだなと思います。子供の頃の私は、大人から見たら「大人たちのいうことをよくきく健常発達のいい子ちゃんたち」より面倒くさい子供であったのは確かです。でもそういう面倒くさいやり方で正解だったんだな、と思っているところです。「健常」発達って一体何なんですかね。非常時ではむしろ害があるじゃないですか。
さてコロナ禍ですが、いかがお過ごしですか?
追記
こういう人たちですよ。何が原因で何を止めるために緊急事態宣言が発令されるのか分かってない人たち。「コロナ感染」がどこまでも「他人事」な人たち。私が医療従事者ならキレてる。
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tajimashowroom · 3 years
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Java sparrow in my home
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tajimashowroom · 3 years
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Class A, 5th place. Arashiyama squad. Crew Mitsuru Tokieda.
A級5位嵐山隊隊員、時枝充。
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tajimashowroom · 3 years
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14歳。テンゾウ
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tajimashowroom · 3 years
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テレビのニュースでワクチンを打つ医者がワクチン未摂取で、順番が逆なのではないかと感染症対策に詳しくない私でも思ったのですが、この国のワクチン接種の優先度は正しいのでしょうか。ワクチン未摂取の医師にワクチンを打ってもらうのは、相手が無症状の感染患者だった場合、接種に来た人全員に感染リスクがありますよね。ワクチン摂取に来た人の中に無症状の患者がいる場合もある。ワクチンを受けに来た人から医師に移り、その医師からワクチン摂取に来た大勢の人に移る(クラスターが起こる)のが最悪の事態ではないでしょうか。
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tajimashowroom · 3 years
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尼崎のこの記事を見ると大阪の感染拡大は自業自得なんじゃないの?
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tajimashowroom · 3 years
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Twitterの広告で見る異世界転生ファッションデザイナーマンガ、見かけるたびにイラッとくる。現実の服飾史に対するリスペクトがない。広告でしか見てないので本編見たらもしかしたらあるのかもしれないが。知らんけど。
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tajimashowroom · 3 years
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炎症性腸疾患になった時、男性は他人に教えてもらうか自分で何かきっかけがあって気がつくまで「生理用品が簡易オムツとして使える」という発想に至らないらしい。生理用品は痔で利用する場合もある。男性に生理用品の存在を認知してもらうことは広い意味では男性自身のためにもなるの���はないか。もっと教育や啓蒙活動が進んだほうがいいのではないだろうか。
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tajimashowroom · 3 years
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私はこういう自分の予測変換を他人と共有して楽しむというのが遊びとしてビタイチ共感出来なくて、バカバカしいとすら思っている。私は長い年月をかけて生きていくために必要な発達障害の「障害」を克服していく必要があって、それはある程度達成しつつある(まだ全然足りないけど)。でも根源的に他人の、しかも多くの人の感覚を理解することは無理だと思う時があって、例えばこういうのがそれ。
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tajimashowroom · 3 years
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「Club SLAZY」というオリジナルの舞台があって、みんなに見てほしいと思いながらTwitterで主張してたのですが、長くなり過ぎたのでこちらでまとめます。
基本情報
全部で6本の作品(1つは外伝的扱いだがここではまとめて語ろうと思う)とスペシャルライブというおまけ的な公演がある。ライブと言っているが6作目のその後が描かれており楽曲中心だが実質的に7作目にあたる。
「Club SLAZY」「Club SLAZY the 2nd invitation」「Club SLAZY the 3rd invitation」「Club SLAZY the 4th invitation」「Club SLAZY~Another World~」「Club SLAZY the final invitation」「Club SLAZY Special live」
以下1作目〜6作目と書いていきます。無印が1作目、AWが5作目、finalが6作目です。スペシャルライブはスペシャルライブかSPlive。
他に1作目と2作目の間にあったライブ「LUV SLAZY」、3作目と4作目の間にあったライブ「LUV SLAZY II」という公演がある。スペシャルライブに比べると演じているシーンは少な目でライブが中心。円盤化していないので自分の記憶にたよるしかないけど、少し触れるかも。IIは曲だけプレイボタンで発売されました。
更にスペシャルライブの後にTVドラマにもなっているがキャパオーバーのためこの記事では触れないと思う。
メインスタッフ紹介
脚本・演出 三浦香さん。この世界を創造したまさに神。この作品は三浦さんの脳内のアミューズメントパークに私ら部外者の観客が招待されているのだと思っている。最近テニスの王子様ミュージカルで演出補をしてらっしゃると思ったら最新作ではついに演出・脚本をやることになったとか。熱い。
脚本 伊勢直弘さん。3作目からの参加ですが、3作目で人気が出て4作目でブレイクしたと言われてるこの作品にとってとても大切な人。
振付 當間里美さん。意味が分からないくらいカッコいい振り付けをする人。刀剣乱舞ミュージカルでも振付してます。
作詞作曲 ASUさん。意味が分からないくらいカッコいい曲と歌詞を作る人。この作品の根底を支えてると言っても過言ではない。まあとにかく聴いてください。
私はClub SLAZYのことが大好きだ。しかしCSL(略称)を見てると「ひょわぁぁぁ………すき……」みたいな感じで偏差値が落ちて語彙がなくなり、他の人にプレゼン出来るような冷静な状態ではなくなってしまうんだ。
例えば「クラブスレイジーとは何か?」という根本かつ初心者向けの説明をしようとすると、ゲンドウポーズで「クラブスレイジー……それが一体何なのか、実は未だにさっぱり分からんのです……誰か教えて」って言い出す。それが私だ。
「Club SLAZY」はメンズキャバレーの名前である。店のパフォーマーは全員男性。客は全員女性。招待制で、「ガーネットカード」と呼ばれる赤い封筒に入った招待状がないと行くことが出来ない。
招待状を送る相手は店の支配人が決めている。
招待状を送る基準は「つらくて惨め」「悲しい」状態であること。スレイジーは店のパフォーマンスで女性の心を慰めるのが目的なのだ。
ところでこの店、お代をもらってないのだ。無料なのだ。慈善事業なのだ。
それで「この店のそもそもの存在目的は何?」ってならない? 私はなったね‼️
支配人の他にオーナーがいる。オーナーがあやしい。悲しい女性の涙を集めて何をするつもりなんだ。それとも他に真の目的があるのか? 謎のまま物語は進む。支配人はZs(ジーズ)、オーナーはX(エックス)といいます。
もしかしたらジャンルはファンタジーなのかもしれない……多分ファンタジーだ。異世界の話かもしれない。この作品の世界は大まかにアンダーワールド(私たちのいる現実世界)、Club SLAZYという異空間(招待状がないとたどり着けない、キャストも自由には出入り出来ない、料金も取らずに営業してるこのキャバレーは、異空間なのである)、「トリ」というもう一つの異空間の3つに分かれている。スレイジーやトリは天国や地獄のメタファーなのか? そう単純な話でもない。
Club SLAZYは沢山のパフォーマーがすごい歌とダンスを繰り出しくる。曲も歌も振り付けもすばらしくて、これらだけでも元が取れる。各パフォーマー毎に持ち歌がある。そうでない歌もある。舞台では完璧なパフォーマンスを魅せる彼らは実は舞台裏ではダメダメで、不思議ちゃんで…と変人揃い。
そんな酒浸りだったりナルシストだったり弱気だったり人見知りだったりと、色々ダメな男たちが、日々衝突したりしなかったりしながらダラダラ暮らしてるっぽいです。そういうのを楽しみます。
舞台でソロパフォーマンスが出来るのは上限5人なので、その枠を競い、更に5位の中で順位を競ってもいる。
表向きはそんな風に競争社会を基盤にしたシステムの店になってる。
でも実際はそうじゃないんだなあ。
男社会の闘争を繰り広げてるふりをした女社会の話だなって勝手に思ってる。で、理不尽な父性を象徴するXはどこまでも異物なのだ。
ほら、全然簡単に説明出来てないよこの人‼️
えー……プレゼンしようとすればするほどドツボにハマりますね。ストーリーにとても癖があるので、ノリについていけない人にとっては「何だこりゃ」になるし、好きになった人にとっては「最高ぉぉぉ‼️」となる。見る人を選ぶ作品かもしれない。でもついてこれなかった人も声を揃えて「歌は曲も歌詞もとてもいい。ダンスもいい」ってゆいます。全編オリジナル楽曲なのですが、歌いいんですよー騙されたと思って見てくれ。もしかしたらお話も気にいるかもしれないですし。ぜひー。キャストもいいよ。キャストもいい‼️ 見てくれ‼️(語彙は死んだ)
Club SLAZYには千子村正(ミュ)、燭台切(ステ)、博多(原作の声優さん)ととうらぶ界隈でお馴染みのキャストが揃ってるよ! 真田丸で信之の息子を演じた役者さんもおるので大河ドラマクラスタも見て。「レディ・プレイヤー・ワン」に出たハリウッド俳優もおるんやで。洋画クラスタもついでに見て。
Club SLAZYの登場人物はみんな弱っちい。何だか自分のことのように思えるんだ。特に社会で働き始めたはいいけど、男と同じ扱いはさせてもらえず、理不尽な世の中に悩んでる女性には。本当の気持ちを隠してたり、愛する人と別れたり、有象無象の試練を前にして座り込んでる人たちに、寄り添ってくれるんだ。……って、勝手に思ってるんだけど。私はDVDをヘビロテしてしまっていつのまにかこんな風に考えるようになったんだけど、普通の観客は違うのかもしれない。分からん。Club SLAZYのことを私は何も分からない。
Club SLAZY を好きな人たちは自らを「檻民」と称していた。これは3作目の中で登場人物がClub SLAZYという店を「小さな檻の中」と称したことによる。しかしその後5作目で公式に「386」という通称が登場する。以来私たちは自らを386と呼称している。「みはる」と読みます。
スレイ���ーは作内で何回か舞台上での早着替えがあるんですが、どれもいいんだよね〜。特に4作目冒頭のOddsさんのが好き❤️ 魔法少女ものの変身シーンに匹敵するエモさだと思っている。
言い忘れてたんだけどこの店ではソロパフォーマンスを許されたトップ5の実力者を「レイジー」と呼称しています。レイジーになるべく頑張っている見習いパフォーマーは「ニュージャック」パフォーマンスをしない店の裏方スタッフは「ミスティック」と呼ばれてます。上下関係はこう。
オーナー・支配人>レイジー>ミスティック>ニュージャック
ゆえあって引退した元レイジーには「キングダム」という呼称あり。と言ってもキングダムの話はあまりない。
レイジーは更に序列があり、高い順にトップエース、セカンドエース、サードスター、フォーススター、ファイブスターという称号があります。なぜ5番手だけフィフススターでないのかは私も知りません。
ニュージャックを経て実力を認められるとレイジーになるような感じだが、ニュージャックにならずいきなりレイジーになる人もいる。確認されている中ではCBがニュージャック経験者。Bloom、DeepとEndはニュージャックを経ていない。また、レイジーになった後も並んで順番に上に上がっていく訳ではなく、順位の変動で逆転するケースもあり、極端な例だとBloomはいきなりセカンドエースになっている。ごぼう抜きである。
登場人物紹介
Act(あくと:大山真志)。歌とダンスが圧巻のナンバーワンパフォーマー、トップエース。お話の中で色々とあって、店を後にした。彼がいなくなった後のトップスター��セカンドエースのBloomが兼任している。別���世界では戦国大名(大泉洋)の正妻(吉田羊)の息子をやっている。
Bloom(ぶるーむ:太田基裕)。レイジーの2番手であるセカンドエースの男。色気と歌唱力で客を魅了するが、舞台裏に戻るとやる気のなさにいつも死にたがってる。おばけになれたらいいな〜とか言ってる。かなり重篤な天然の不思議ちゃん。トップエースに相応しい実力を備えた彼がトップの座を固辞するのは何故か。単に面倒くさいからか。それとも❓ 別の世界ではすぐに脱ごうとする刀剣男士をやっている。
Cool Beans(くーるびーorくーるびーんず:米原幸佑)。サードスター。マジで万年サードスター。彼がレイジーになる前のサードスターはOddsだったが、それ以外の人は作内で一度もサードスターだったことがない。圧倒的3番手。俺様主義で自分大好き。全ての観客が自分のパフォーマンスのあまりのすばらしさに失明すると思っている。「クラブスレイジーのマシンガンナルシスト」と評される彼のパフォーマンスは完全に陽キャラパリピのそれ。その実怖がりで寂しがり屋。周囲の人間の不和に何よりも怯える心優しい意気地なしである。本人は常にトップエースになりたがっているが、「やる気のないやつとは勝負したくない」というポリシーのためBloomとは戦いたがらない。Actには「2番手になってから言え」と相手にしてもらえない。理不尽。それゆえに万年サードスター。そんな彼は全386から愛されてます。私も愛してます。
Deep(でぃーぷ:加藤良輔)。フォーススターつまり4番手のレイジー。勤勉とは程遠く隙あらばさぼりたいと思っている大酒飲み。似たような傾向のあるBloomと仲が良く、ノリが違いすぎるCBのことは苦手らしい。しかしそんな彼にも色々な過去があり、これからも色々起こるのだ(分からん)。
End(遠藤/えんど:井澤勇貴)。恋人に振られた男。彼女が確認もせずゴミ箱に捨てたガーネットカードを手にしたばっかりにClub SLAZYに迷い込んできた狂言回し(1作目のみ。以降は一レイジー)。そのカード多分元カノ宛のやぞ。周囲にボケが多いのでツッコミ役に回らざるを得ない業を背負ってる。いつの間にかSLAZYで働いていて、やる気もそこそこある模様。Deepが彼の教育係になったが、実際にはEndが酔い潰れたDeepを回収する係である。歌と踊りが上手く、すぐに他人のナンバーをカバーしたがる傾向あり。欠番になってたファイブスターに就任。迷い猫を保護したばかりにひどい目にあう。トラブル受難体質。
Fly(ふらい:才川コージ)。レイジーを目指して日々努力するニュージャック。CBが教育係をしていて、何故か彼のことを崇めている。歌担当みたいに出てくるけど実際は筋肉担当(中の人筋肉番組出演履歴あり)。
Graf(ぐらふ:後藤健流)。レイジーを目指して日々頑張っているニュージャック。Flyと同じくCBが教育係。兄弟弟子立場にあるFlyとニコイチ扱いされることが多く、しかしふたりともそのことには不本意なようだ。メガネをしてるけどインテリ系ではなくダンス担当。ダンスが半端ない。まじでダンスを見てくれ。何故か彼もCBのことを崇めている。
Q(きゅー:法月康平)。ミスティックのリーダー。私は多分Q連続体から来たんじゃないかと思いますね(トレッキー向け)。指を鳴らすとあるべきものがあるべき場所へと飛んでいく。Qだよ。めっちゃQだ(詳しくは新スタートレックをご覧ください)。誰に対しても優しいが特にCBに優しい。この人も途中の話で色々あります。物語の最初からいましたみたいな顔をしてるが初登場は2作目。
Zs(じーず:藤原祐規)。店の支配人。現役時代はセカンドエースで、不真面目な勤務態度についてトップエースであるYaにとやかく言われていたっぽい。Yaがいなくなった後トップエースになるように当時の支配人Xに言われるも固辞。セカンドとトップを兼任とか言い出した(実質はトップエース)。その後いつのまにか店の支配人をやる羽目になる。そんな経緯があり、支配人業もあまりまじめにやってる様子がない。そこそこ。爪を隠すタイプの能ある昼行灯系キャラ。ガーネットカードが間違って遠藤の手に渡ったのは明らかにミステイクである。本来男の手には渡らないものなのだ。
Ya(やー:大須賀純)。Zsの好奇心がきっかけで店を去った当時のトップエース。Zsと違って性格は真面目。色々あって店から去り、店に再訪してから色々あってまた店を去った。「愛は幻」はEndでなくYaの持ち歌だと思ってます。別の世界では大阪城で小判を沢山収集する刀剣男士をやっている。大阪城特効ではマジでお世話になってます。
1作目は店に道場破り(?)に来たYa、何か思うところのあったAct、「不思議の国のアリス」のアリスのように店に迷い込んでしまった遠藤の3人が軸になるお話。
King(きんぐ:渡辺大輔)。Zsが現役のレイジーでトップ兼セカンドだった時にフォーススターだった男。Zsが現役を引退した時にZsに実力を認められてトップエースになる。当時のメンバーは伝説と称されていて一時代を築いたっぽいんですが、メンタル弱めなとこが穴になってしまった。突然店から姿を消した。ところが消えた彼を探すものは誰もいなかった。
Odds(おっず:藤田玲)。Zsがトップ兼セカンドの時にサードスターだった男。Zs引退でセカンドエースになった。トップエースになりたがってたが残念ながらKingがトップに選ばれてしまった。しかしセカンドエースをやってるうちに日和り、やっぱセカンドエースがいいなあ‼️ と思いながらやってたのにある日彼のトップエースKingがいなくなり、やる気を失って彼も店を辞めた。Zsさんと違って怠惰ではないが、ちょっと頭のネジが緩いところがある。kawaii。猫アレルギー。別の世界では新撰組の残党を連れてTo the Northしている。
Peeps(ピープス:山下翔央)。ニュージャック。何やら目的があって店にいる模様。
2作目はキングダムであるKingとOddsの元に手書きの招待状届き、2人が店を再訪する話である。2人が店を辞した時のいざこざをちゃんとしたい者がにせのガーネットカードを使い呼び寄せたのだ。
Riddle(りどる:森崎ウィン)とReti(れてぃ:INZ)。ある日突然店にやってきた謎の2人組。店のみんなは彼らを知らないが、彼らは店のみんなのことを知ってる。それどころか昔のことまで知ってる! 一体何者なの⁉️ 2人ともパフォーマンスがかなりエグい。人と話すのが得意ではないという割に明るく人懐こいのがリドル。別の世界では仮想世界の中に隠されたイースターエッグを仲間と探してる(監督・スピルバーグ)。無口でミステリアスなのがレティ。
X(えっくす:石坂勇)。かつての支配人。Zsが支配人になった時に引退。そしてオーナーになった。それまでオーナー誰だったのよ。気になる。Xがオーナー兼支配人だったのかもしれない。現役の時代をちょっと見たいよね。オーナーポジションで店ではパフォーマンスしないけどソロの持ち歌はあり。腹に一物ありそうで何かと不穏なムーブをする。自分で指名した割にZsの怠慢な勤務態度に不満がある模様。
千と千尋みたいな世界観があるっぽくて、「名付け」が特別な意味を持つっぽい。RiddleとRetiは乱入してきた後に居合わせたオーナーXが名前を付けた。ZsやOddsはXが、CBあたりはZsが名付けた。支配人クラスでないと名付けられないような感じ(何もかも推測)。
ふらりとBloomが姿を消したある日、トップもセカンドもいないSLAZYに謎の2人組が現れて…というのが3作目のお話。この回から脚本が2人体制になりました。2人でどのように分業をしてるか分かりませんが、三浦さんの味は残したまま脚本がパワーアップしたというのがもっぱらの評価。
DooBop(どぅーばっぷ:倉貫匡弘)。寄るべない身の上の兄弟の兄。色々あってSLAZYに来てニュージャックになり、Oddsが彼の教育係になる。同じ時期に店に来て同じくOddsが教育係になったCBとは兄弟弟子である。この2人もニュージャックの頃やたら教育係のOddsを崇めていた。どこかで見た構図である。
Jr.(じゅにあ:大森夏向)。寄るべない身の上の兄弟の弟。兄と店に来た後はミスティックになる。というか子供だったのでミスティックに育てられる。名前も彼だけ例外中の例外でミスティックが付けた。別の世界では妹に「鬼いちゃん」と言われるほど怖い兄だったがあえなく戦死(監督・片渕須直)。
8と9(ハチとキュウ)。2人のミスティック。ミスティックは名を持たず、数字で個体分けがされている。数字が若い程責任者としての地位が高い。つまりえらい。8と9はDooBopと一緒にやってきたJr.に名前を付け、彼を育てた。名前がシングルなのでかなりえらいはずである。1番えらいのは「1」な訳だが、メタ的なことをいうと三浦香さんのことではないかと思っている。
4作目はDooBopとJr.が店に来たところから始まり、過去の回想と現在が行き来する(2作目もそうだった)。現在の方の冒頭でキングダムのOddsが支配人Zsに呼び出され、Zsが店にいない間の代理支配人に任命される。Oddsは最初は戸惑うが結局満更でもない様子で引き受ける。Kawaii。私が好きなOddsさん早着替えはここ。Zsさんと違って割とちゃんと支配人の仕事をやろうとする。
V.P.(ぶいぴー:Kimeru)。Actがトップエースになる前、ファイブスターだった時期のセカンドエース。サードスターのCBの扱いがひどい。一方当時のトップエースWillにはとても献身的。だが彼の愛が大切なものをこわしてしまう。このくだりはSLAZY全編を通した中でもかなりの悲劇。
Will(うぃる:東啓介)。V.P.の時代のトップエース。彼には先見の明があるとV.P.は評している。彼も紛れもなく圧倒的実力を持ったトップエースなのだが、セカンドエースの重い愛を受けながら店を引っ張るにはいささか繊細すぎた。色々あって店を去る。別の世界では眼に眼帯をつけた脚が3mある刀剣男士をやっている。
Eyeball(あいぼーる:長倉正明)。メインは5作目だが地味に1作目から登場しているネームドキャラ(その時は松本祐一さんがニュージャックと兼任でやってました)。優しいけど気が弱く、自分勝手なレイジーたちの間で一生懸命場を取り持とうとしてた苦労人。彼も色々あって色々あるのだった(分からん)。1作目で登場と書いたが、姿を変えて4作目にも出ていたということが暴露され、386は5作目でめちゃくちゃ高低差のあるジェットコースター気分を味あわされたのである。恐るべし三浦香。
5作目は1作目で店を去ったActが店を再訪するところから始まる。彼がファイブスターだった過去の時代のエピソードに不穏にXが絡んでくる。余談ながら当時の順位は上から順にWill、V.P.、CoolBeans、Deep、Act。
6作目には新規のキャラクターはいない。Actが居なくなったあと長らく空位であったトップエースに新たにレイジーが指名される。誰が新しいトップエースになるのか? あなたの目でご確認ください。
シャドウ。正確には人の名前ではない。支配人にのみ存在するイマジナリーフレンド的存在。支配人本人以外に彼らを見ているのはQのみである。Qにはなぜ彼らを視認する能力があるのかは分からない。多分Qのミスティックリーダーとしての資質を現しているのだろう(何もかも推測)。ZsのシャドウはGrafの中の人が兼任している。4作目で新任支配人になったOddsにも彼のシャドウが現れる。支配人はレイジーたちに比べると責任を負う立場ゆえ、第2の自分が現れてしまう、という設定らしい。彼らは自分の本体の支配人の味方であるが、実利的に役に立つ存在ではない。だがたまにとても重要なことをする(ときがある)。
以下色々感想や解説。
Club SLAZYという物語の持つエモさについて。Club SLAZYは男同士がクソデカ感情をぶつけ合ってる作品と思わせておいて、デカい感情をそっとしまって好きな人と好きな人の幸せを願ったり、好きな人が悲しまないように誤解されたまますっといなくなったり、居場所が欲しかっただけなのにどうしてこんなことに…とか、過保護な親の干渉から逃れようともがいたりとか、そんなような物語である。ぶつけ合ってる場面もないわけではないが、逆に他の人の幸せのために自分のデカい感情をそっとしまってしまう男の方に涙する。エモい。一方選択を重ねた結果望まない別離を経験する男たちもいる。エモい。
名付けについて追記。Jr.の名付けは例外と言ったが、よく考えるとキングダムのYaに名付けられたEndも例外だった。
衣装について。ステージ衣装は基本形に対しキャラごとにアレンジが入り、かつニュージャックはスタッズ少なめ、レイジー多めという差別化がなされている。シャツの色は黒だが過去の話に出てくるレイジーはベージュ色のシャツを着ている。Xが支配人の時代にレイジーになった人たちはベージュ、Zs時代になってからは黒という分け方っぽい。ミスティックは多少サスペンダーに違いはあるが基本的にみんな同じ服装である。リーダーのQは少し違う服を着ている。
トップエースだけは赤い羽飾りを身につけることを許されている。悲しき女性の涙を貯めると言われてるガーネットという謎のマジックアイテムも持っている。近くに悲しんでる人がいると光る。どういう仕組みなの。謎すぎ。
謎のアイテムといえばZsのステッキである。1作目では先が赤く光るギミックが付いていたが、2作目から光らなくなった。代理支配人になったOddsもステッキを持つが彼のそれは間違いなく武器である。華麗なステッキ捌きに客のハートが撃ち抜かれるのだ。恐るべし代理支配人。
80〜90年代のバラエティ番組の系譜。(執筆中)
繰り返される別離というテーマ。(執筆中)
SLAZYのキャラは自分自身に能動的な人、受動的な人に分けられる。(執筆中)
「セカンドエース」という母性についてあるいはせめぎ合うマチズモとフェニミズム(執筆中)
私のSLAZY履歴。見た順番が少し行き来している。LUV SLAZY IIの後の4作目公演までのテンションが半端なかった。(執筆中)
ありがとうClub SLAZY。4作目の初日を見た時の多幸感が忘れられない(執筆中)
楽曲紹介(執筆中)
「Garnet Star」「あなたは知らない」「Crazy Girl」「魔法のホウキ」「The Ranway Pierrot」「愛は幻」「Circus」「The Midnight parade」「DRUG」「Khorosho!」「The Curtain Song」「Patient of love」「Peeps gospel」「Show Business! 」「Slave March 」「Lonely Boogie」「Marionnette」「FAKE」「The Broken Ferris Wheel」「サヨナラ」「Serenade」「Thema of SLAZY」「A to Z」etc...あかん全然書ききれてないな。もっとある。
この記事を誰よりも伝えたかったあなたへ。個人的な友人への弔意なので読まなくてもいいです(執筆中)
書き途中でーす‼️
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tajimashowroom · 7 years
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tajimashowroom · 7 years
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映画「ボーダーライン」(ネタバレあり)
初日舞台挨拶にて2度鑑賞。以下ネタバレあり(というかネタバレに考慮していない)感想。
電話のコールが長くなってついに取らなくなった(と思った)アベルに見切りをつけた遠藤、安易に健太に鞍替えしすぎ。と初見では思った。二度目には、こう思った。まだ境界線の向こう側にいるアベルが向こうでやっていきたくなったというのなら(自分の仕事をもう受けずに、足を洗おうと思っているのなら)、そうさせてやろう、彼をこちら側から突き放そう、向こうの住人にさせようと思ったんだ。彼を拘束するつもりも多分最初から全然なくて。遠藤の過去はだいたいこんなことがあったのだろうというのは映画だけでも充分汲み取れる。遠藤に父性を求めたアベルのように遠藤もアベルに失った自分の庇護者たちを重ねていた。
健太に鞍替えというのは社長がその先を予測できるくらいだから、遠藤にだってヤバいというのはわかっていたはずで、それでもしたということは、「南の島での暮らし」という自分の過去とも現在とも似つかわしくないおとぎ話のようなものをよすがに生きていた遠藤が、その夢すら生きる(とりあえず安易に設定しておいた)目的にすらならなくなっていたのだろう。もう終わらせたくなった。破滅願望の現れ。
最期に「気にしなくていい、みんな俺のしたことだ」(二度見ただけなのでセリフは大意です)とアベルに言う。初見では、単に「平澤殺しは実質的には俺の行いで、お前は直接手をくだしていてもそれを背負わなくていい」という意味だと思ってた。二度目に見たときは「俺のしたこと」は平澤殺しに止まらず、「全て」にかかっていたんだと感じるようになった。「破滅」を選んだ自分が起こした、アベルにかかわる「全て」。
はじめにこの映画の情報を知った時にはDUSTZの楽曲タイトルをそのまま映画のタイトルにしていたので、主演を立てて付けた「感覚的な」名付けだと思っていたが、実際に見てみたら、思った以上に「境界線」の話だった。抽象的でなく具象的に。このタイトルの映画だった。世の中の大半の人は境界線の遥か遠くで生きている。境界線のことなど気がつきすらせずに自分たちの世界の中心の近くで安穏に暮らしている。境界線を目の前にして生きている人々は、つまりは、社会からはじき出された人たち。そこに境界線があって、彼岸があり、此岸があり、そのどちらにいくか。そのままそこにとどまるか。境界線から離れるにしても、遠ざかるか、超えてしまうか。そこ���物語があった。
死に際の遠藤を目の前にしたアベルのシーン。たくさんの種類の感情が自分の中で大量に渦を巻き、爆発してしまってもおかしくないくらいなのに、現実にはその身は爆発なんてするはずもなく、その感情は放出する場を持たずぐるぐると回りながら溜まっていくばかり。その情感、すごく分かった。すごく伝わった。私もそんな時がある。フィクションだから、私のそれなんかよりもっともっと大きなものとして映画の中で表されていた。私はアベルの姿、一挙手一投足に目を奪われた。ひきつれるような気持ちになる。
それが良かった。
アベルは3人の男の命を背負った人間になった。そのあと、アベルが乗って走り出した車が境界線のどちら側にいくか、ラストシーンでは明示していない。美しい風景に、大好きなバンドの曲が重なって、キャストとスタッフのクレジットが始まった。最高の映画だった。作ってくれてありがとうございました。プロデューサー飯塚さん、監督渡辺さんありがとうございました。(舞台挨拶に登壇されていたので、代表してお二人にお礼を)
最後に。広澤がアベルに「いい顔してるな」という二つのシーン、二つともアベルは本当にいい顔をしていた。そしてそんなことをいう平澤も最高にいい顔してた!
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tajimashowroom · 7 years
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玲さん
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How utterly adorable is he?
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