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the-passing · 3 years
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『モンドリアン——純粋な絵画を求めて』展
(SOMPO美術館、東京、2021年3月23日〜6月6日)
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オランダの画家ピート・モンドリアン(1872-1944)の生誕150周年にあわせた回顧展。
デン・ハーグ美術館所蔵の50点を含む60点余りの作品が展示されている。初期の風景画が多く並び、デ・ステイルの頃までの展開を追える。デ・ステイル期の直前の動向がいくぶん手薄で、アメリカ期の作品がまったくないのは、少々淋しいか。
構成に対するモンドリアンの関心は、初期の風景画からすでにうかがわれる。筆やパレットナイフのタッチによる力動性と速度を構成して画面をつくりあげており、とくに水の水平性と木の垂直性のせめぎあうリズムは見事だ。《乳牛のいる牧草地》(1902-1905)の画面中段に帯状に走る筆致は、上段・下段のそれよりも明らかに速さを感じさせ、その速度の違いによって奥行きをつくりだしている。初期のモンドリアンはしばしばこうした上中下の三層構造の画面を描くが、速度や方向の違いを巧みに構成していて、ダイナミックでありリズミカルである。この感覚は終生ゆらぐことがないように思う。
抽象絵画に達してからは、しばしばタブローをごく細い木枠で囲んでいる。画面自体がモジュールのリズミックな拡張で構成されているのと同様、これらのタブロー自体が、リズミックに構成されて建築空間から都市空間までへと拡張されていくモジュールになっているのだ。アメリカに渡ったあとのモンドリアンの作品がしばしば都市のタイトルをもつのも、この拡張性が逆方向に収縮されたと見れば、抽象か具象かという愚問に煩わされずにすむだろう。モンドリアンの作品にあっては、拡張と収縮のリズムが生の全体性を包摂して展開しようとしている。
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the-passing · 3 years
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『マーク・マンダース――マーク・マンダースの不在』展
(東京都現代美術館、東京、2021年3月20日〜6月20日)
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オランダの彫刻家マーク・マンダース(1968- )の個展。30点ほどの作品が並び、「建物としての自画像」をかたちづくる。
先日の『ミヒャエル・ボレマンス、マーク・マンダース――ダブル・サイレンス』展(金沢21世紀美術館)での展示作品とかなり重なっているものの、今回の東京都現代美術館のほうが明るく直線的な空間であるために、あたかも文章を読むように一連の作品をひとつらなりにたどっていくという印象が強い。詩人として出発したというマンダース自身、しばしば展示のことを、言葉ではなく実物によって書く行為として語っている。切断されては接合されて組み立てられた彫刻が、さらに配され並べられて、物の言語で空間に書かれた文章になる。
1920年代に自分の作品が発表されていたなら……と、ありえなかった美術史を想像するマンダースの彫刻は、その赤青黄の板やカンヴァスがデ・ステイルを想起させ、また板に挟まれたアルカイックな表情の人物像がフェルナン・レジェやル・コルビュジエらのキュビスム(チュビスム、ピュリスム)を、そして椅子や机の様式がジャンヌレやリートフェルトらの家具を、連想させずにはいない。マンダース作品は、ときに粘土や木材と思わせておいて実は青銅であったりするように、古びて燻んだ1920年代の作品の発掘かと見えて実のところ今まさに制作中のものである。このとき材料も様式も等しく時間的素材になっていて、見かけと実際との落差において操作され、構成されている。だからこそ、時間の凍結したような空間ができあがるのだろうと思う。
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the-passing · 4 years
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『ミヒャエル・ボレマンス、マーク・マンダース——ダブル・サイレンス』展
(金沢21世紀美術館、金沢、2020年9月19日〜2021年2月28日)
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 オランダの彫刻家マーク・マンダース(1968- )とベルギーの画家ミヒャエル・ボレマンス(1963- )の展覧会。
 2013年のヴェネツィア・ビエンナーレで感銘を受けて以来、マーク・マンダースはたえず気なる芸術家の一人でありつづけている。崩れかけたアルカイックな人体彫像の断片と、廃材のごとき木板や鉄板とが寄せ集められて、太古の彫像が発掘されて応急処置をほどこされたところのようにも、つい先ほど制作を中断したばかりのようにも見える作品であって、古いのか新しいのか、時間感覚が狂わされる。その発掘現場を思わせる空間、発掘品に見えるオブジェは、「建物としての自画像」というマンダースの一貫したコンセプトに照らされるとき、「自己」なるものの壮大な復元計画の進行中の一コマのごとく見えてくる。だが、それは復元などできるものなのか、そもそもかつてほんとうに実在していたものであったのか…。
 ミヒャエル・ボレマンスの絵画は、今回まとめて見てみて、室内空間のスケールの捉え方を面白く思う。展示室や劇場や映画館の内部にスケールの異なる人物像が入り交じり、二次元と三次元のあいだで転移するようにも、映像と現実の区別が反転するようにも見える。美術館の室内でこの絵画を見ている自分もその画面内に巻き込まれる感覚が生じる。しばしば彼の絵画のなかで人間と人形との区別が揺らぐのも、このスケールの揺らぎの延長線上に位置づけるべきか。
 崩れかけにも作りかけにも見えるマンダースの彫刻と、スケールが狂って人間か人形かが曖昧なボレマンスの絵画とが並ぶさまは、含蓄に富む。
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the-passing · 4 years
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『ヤン・ヴォーーォヴ・ンヤ』展
(国立国際美術館、大阪、2020年6月2日〜10月11日)
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 ヴェトナム生まれデンマーク育ちの芸術家ヤン・ヴォー(1975- )の個展。ヴォーの一家にとって重大な経験であったヴェトナム戦争ゆかりの品々を素材にしたインスタレーション作品が、おもに展示されている。
かつて初めて見たヴォーの作品は、一見したところ綺麗な手書きのフランス語で綴られた手紙だった。これは19世紀のフランス人宣教師がヴェトナムで処刑される前に故国フランスの父親に宛てた手紙を、ヤン・ヴォーの父親が模写したものだという。そのヴォーの父親は、フランス植民地時代のヴェトナムに育ったために美しいアルファベット文字を書けるものの、フランス語自体は読めない。フランスの植民地になる以前にヴェトナムで処刑されたフランス人宣教師が父親に宛てた手紙を、フランスの植民地支配を受けたベトナム人がその息子のために書き写したという、歴史の捻れを見事に圧縮していて、目眩がした。さっと眺めただけで美しく、でも謎めいて、よくよく知れば底知れない歴史の深淵につながっていた。

今回の個展でも、ヴェトナム戦争時に交わされた手紙や、重要な政治的決定がなされたホテルの部屋の椅子とシャンデリアなど、史料や遺品というべきものがその意味を摩耗させて美しいオブジェになり、けれどもかろうじて謎めいた違和感を残す。分かりそうで分からず、分からないのに分かりそうな感覚。説明も解説もなくオブジェが転がっていて、時間とともに意味が摩耗して消滅していくこと、しかし完全には消え去らずに今でもどこか引っ掛かりを残していることを、まざまざと感じさせる。
説明や解説は、ヴォーによれば作品を歴史の「免罪符」にしてしまうがゆえに、展示からは周到に排除されている。歴史は再構成されず、脱構築されるとも言いがたく、いわば彫刻的素材になる。
むしろ輸送用の木枠に納められたシャンデリア、キャリーバッグに詰められた中世の木造彫刻、コンデンスミルクの木箱に入れられた古代の大理石像のように、すべてがその時代を超えて持ち運ばれていくことをこそ「歴史」というべきか。だがヴォーはそれをイメージだという。ストーリーではなく、イメージだと。
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the-passing · 4 years
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『坂田一男──捲土重来』展
(東京ステーションギャラリー、東京、2019年12月7日〜2020年1月26日/岡山県立美術館、岡山、2020年2月18日〜3月22日)
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 日本におけるキュビスム絵画の極北とも言うべき作品を描きつづけた坂田一男(1889-1956)の回顧展。
 坂田一男の絵画作品では、壺や金魚鉢、手榴弾にエンジンなど、内と外に区切られた空間が陥入し、反転し、透過し、また遮断される。アトリエ冠水の際のタブローの破損も構成に取り込まれ、複数の空間が折り畳まれる。機械への関心もこの内から外への展開にあって、未来主義的なダイナミズムとも構成主義的なミクロコスモスとも異なるように思う。
 そのなかで、1955年頃の最晩年の水平線の作品群には、言い知れない開放感がある。層が剝がれていって、奥の空間からこちらに貫入し浸透してくるような、光が差し込んでくるような、開けた感覚がある。それは窓の安らぎであり、海の喜ばしさでもある。絵画の表面を皮膜のように覆う白いマチエールは、海の波と泡だろうか。後期の坂田作品の表面を覆うアンフォルメル的な白い層には、レイヨニスムを想起させるような光の屈折の感覚があるように思うが、水平線の作品はむしろ波と泡の感覚だ。瀬戸内海を横切る船をなかば隠し、しかしなかばはその船の運動を見えるようにする、波立ち泡立つ海という空間である。空間とは、空気と光にかぎられず、水でもありうるだろう。
 坂田作品では、世界の層が剥がれて光と風が入ってくるのであって、モンドリアンのようにグリッドがリズミックに世界を生成するのではない。ル・コルビュジエやオザンファンらのピュリスムにたしかに近しくとも、オブジェの配列操作からよりも、層を剥がしたり重ねたりする空間操作から着想されているように思う。だから水害で画面が剥れても、作品と制作は継続しえたのだろう。
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the-passing · 8 years
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ブルーノ・ラトゥール特別講演会「新たな気候体制と3つの美学:科学、芸術、政治」
(東京藝術大学、東京、2016年7月16日)
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フランスの哲学者・社会学者・人類学者ブリュノ・ラトゥール(1947- )による「人新世 Anthropocene」の芸術をめぐっての講演会。
 ブリュノ・ラトゥールは、科学・芸術・政治の「美学」――感性の再編技術――によって、「人新世」の大地に生きる人間と非人間のありようを構想し、地図化すべき、と主張する。旧気候体制の地図(グローブ)は大航海時代のものであり、それに対して「人新世」という新気候体制の地図(アース、「ガイア」)はまだない。その新しい地図をどう描くかが、旧気候体制にもとづく近代化=グローバル化からどう脱出するかに関わってくる、と。ミシェル・セール『自然契約』がその最初の一歩であったとのことだが、同じ頃にフェリックス・ガタリが環境・精神・社会の三つのエコロジーを美学的パラダイムによって再編しようとしたことも思い起こされて、ラトゥールの企図はセールはもちろんガタリの延長線上にも位置づけられるものかもしれない。ラトゥールによれば、新しい地図を描くのは科学だけの仕事ではなく、科学・芸術・政治の三つの美学が必要だというのだから。人新世に関する知識はあったとしても、知識だけでは足らず、それを感受させる仕組みが、すなわち美学が必要だというのだから。
 ラトゥールがまず指摘するのは、われわれの生活が地球の表面で、つまり臨界領域としての大地で営まれていることだ。それは惑星としての地球ではない。旧気候体制の地球は安定したグローブとして理解されていたが、新気候体制の地球は揺れ動く大地としてのアースであり、それがラトゥールのキュレーションによる展覧会『Reset Modernity!』(2016)のテーマだという。前近代的なランドでも、近代的なグローブでもない、今日の非近代的なアース――「ガイア」――としての地球のイメージは科学者だけでなく芸術家によっても描かれうる。そこからラトゥールは科学と芸術の新しい協働の可能性を提起し、たとえばピエール・ユイグ《睡蓮移植》(2014)を取り上げる。クロード・モネの庭の睡蓮を展示室内のプラントに移植したこの作品は、二次元の絵画であるモネ《睡蓮》から三次元の生態系であるユイグ《睡蓮移植》への変化において、旧気候体制から新気候体制への移行を可視化しているというのである。
 その後ラトゥールは、トマス・サラセノのインスタレーション《時空間の泡の上で》(2012)と《人新世モニュメント》(2014)、フィリップ・スカルゾニの漫画『褐色の季節』(2012)、演劇集団ガイア・グローバル・サーカスの活動(2013-16)、国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)にあわせて開催されたアマンディエ劇場でのイベント(2015)、庭師ジル・クレマンとアルー市民によるパフォーマンス《世界とわれわれ》等に次々と触れていった。これらがすべて芸術作品として素晴らしいものかというと、正直なところ疑問符をつけざるをえないし(サラセノには面白い作品が多いとしても)、「科学」と「政治」がその営為の厳格さを逃れる口実として「芸術」を持ち出しがちな現状を思えば、それらの協働に手放しで賛同できはしないものの、ラトゥールの指摘が科学も政治もその美学的次元を考慮すべきとのことであれば興味深いものと感じる。
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the-passing · 10 years
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『ジャック・カロ――リアリズムと奇想の劇場』展
(国立西洋美術館、東京、2014年4月8日〜6月15日)
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 カロの描いたコメディア・デッラルテの版画シリーズがかねてから気になっていたところに開催された今回の展覧会。残念ながら、期待していたコメディア・デッラルテのものはわずか数点しか展示されていなかったが、修業時代から晩年まで、聖人と乞食、宮廷と風景、祝祭と戦争など、カロの仕事の広がりに触れることができた。
 まだ修業時代というのを思わせるキリストの物語の版画がどれも一つの均質な空間のなかに人物やモチーフを配しているに対して、そうした物語の視覚化よりも祝祭の記録や社会の描写といった面が強くなると、目録化と地図化の要素が入り込み、人物同士のあいだ、モチーフ同士のあいだ、前景と後景とのあいだにギャップが生じはじめるところが面白い。均質な遠近法空間ではなく、このギャップこそが、モチーフを並列し、描写し、記録し、目録化することを可能にしているように思う。乞食も聖人も同様に目録化される。「戦争の悲惨」シリーズよりも、軍隊教練の版画のほうが面白く感じられるのも、目録的な構成のためだろうか。ユベール・ダミッシュがデカルト的主体とデカルトの都市経験との絡まり合いを論じた際に、都市の内部の一点から凝視するブルネッレスキに対して、都市の周縁から俯瞰するカロに言及していたことが、ふと思い起こされる。これを、遠近法的な窃視の主体ではない、古典主義のタブロー的な欲望の格子というべきだろうか。
(2014年5月24日)
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the-passing · 10 years
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エリー・デューリング講演会「レトロ未来」
(早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系、東京、2014年5月22日)
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 フランスの哲学者エリー・デューリング(1972- )による「レトロフューチャー趣味〔Rétro-futurisme〕」をめぐっての講演会。
 デューリングは、アンリ・ベルクソンの名高い既視感論「現在の思い出と誤った再認」を大胆に敷衍することで、1980年代以降のポップカルチャー(SF小説や映画、テレビドラマ、音楽、ビデオゲーム、さらにグラフィック・産業製品・商業建築のデザインなど)に見られる「レトロフューチャー趣味」を、現在のただなかで作動している「潜在性」として読み解いていく。
 近刊予定の著書『未来は存在しない』の予告編でもあるという今回の講演は、『2300年未来への旅』(1976)と『ブレードランナー』(1982)の二つのSF映画への言及からはじまった。この二つが対比されつつ、「レトロフューチャー趣味」がたんなる懐古趣味の一形態に尽きるものではないことが、まず確認される。「レトロフューチャー」といえば、20世紀初頭以来、1970年の大阪万国博覧会あたりまで連綿と紡がれてきたユートピア的な未来像──過去の人々が想い描いたけれども実現しなかった未来のイメージ──のことだ。そうした古びた未来イメージを今になって嗜好することは、往々にして、希望の失われた現代社会から目を背け、明るく輝いていた過去を懐かしむメランコリックなノスタルジーだとされる。けれども、「時間の病理学」の観点からデューリングは、そのようなレトロマニアの「メランコリー」の身振りとは異なるレトロフューチャー趣味のありようを、現在をパラレルワールド化する「パラノイア」の身振りになぞらえる。
 ウィリアム・ギブスン+ブルース・スターリングのスチームパンク小説『ディファレンス・エンジン』のように、現代のコンピュータがヴィクトリア朝時代に開発されていたと想像してみること。あるいは、最近のイギリスのテレビドラマ・シリーズ『SHERLOCK』のように、シャーロック・ホームズが現代に生まれていたらと想像してみること。もしくは、ギブスンのSF短編小説「ガーンズバック連続体」のように、実際に建てられたレトロフューチャーなグーギー様式の建築を追いかけながら、別の未来に迷い込んでしまうこと。SF小説やテレビドラマから、ビデオゲームのエミュレーションにまで広がっているこの「パラレルワールドの想像力」こそ、メランコリー的ではないパラノイア的な「レトロフューチャー趣味」の核心である。実現しなかった過去の未来像は、このとき、現在の作品や製品を、現代の文化と社会を、形成する母胎になっている。その意味で、可能だったもうひとつ別の未来は現在を構成しているのだと、デューリングは言う。過去の未来、レトロフューチャーは、現在を潜在的なレヴェルで構成しているのだ、と。
 ベルクソンは既視感のメカニズムを考察しながら、現在の知覚と過去の思い出が同時に生成していると主張した。デューリングはこの「現在と過去の二重生成」を敷衍して、レトロフューチャーがベルクソンの言う「純粋な思い出」として、「潜在性」として、いまここのただなかで作動しているとする(こう言ってよければ、まさに「痕跡過剰性」の一形態ということだ)。だからこそ、ジャック・タチ監督の映画『プレイタイム』(1967)やアメリカのテレビドラマ・シリーズ『マッドメン』のように、レトロフューチャーはしばしば、過去のものなのか現在のものなのか判別できない。むしろ「無時間的なもの(ユークロニー)」として、時間に縛られずに反復される「シミュラークル」として、立ち現れる。過去のものなのに現在のように見えてしまう。はたまた、現在のものなのに未来に再発見されるだろう過去のように見えてしまう。あえて古色のエフェクトを付加するポラロイド写真のように、レトロフューチャー趣味は虚構の時間性でもって現在を別の未来へと生成変化させる力なのだとして、講演はデューリングの美しい息子のポラロイド写真で締め括られた。
 想像力や思い出は、たんなる無力な思念なのではなく、現在を未来へと生成変化させる潜在性として現に力を振るっている。レトロフューチャー趣味のパラレルワールド的な想像力をベルクソン=ドゥルーズの潜在性の議論につなげてみせるところは、デューリングの才気が存分に発揮されているように思う(理論的な枠組み自体は、率直に言って、さほど目新しくは見えないにしても──デューリングの美術批評を読んでいつも抱く印象もおおむね同様だ)。デューリングといい、あるいはパトリス・マニグリエやクァンタン・メイヤスーやトリスタン・ガルシアといい、SF的なポップカルチャーと現代アートを巧みに形而上学の議論につなげるのは、フランスの新しい世代の哲学者たちにある程度共有された趨勢なのかもしれない。
 とはいえ、それが形而上学の「図解」よりも先にまで進むことができているかどうかは、それはそれとして検討すべき問題だろう。講演中にほのめかされた潜在性一元論とでも言うべき立場──「未来は存在せず、存在するのはただ現在のただなかで作動する力としての過去だけだ」──に対して、レトロフューチャーはさらに新たななにかを思考させはしないのだろうか。現在に違和感なく浸透してしまうシミュラークルとしてのレトロフューチャーと、現在を積極的に異化する結晶イメージとしてのレトロフューチャーは、たしかに潜在性という点では同じかもしれないが、それでもその差異は等閑視してかまわないものなのだろうか。つまりは、過去の未来という名の潜在性のただなかにおける現在の知覚の地位、「純粋な思い出」に対する「純粋な知覚」(ふたたび換言するなら「痕跡過剰性」に対する「感性過剰性」)が、次には問題になるように思う。
(2014年5月22日)
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the-passing · 10 years
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『増山たづ子――すべて写真になる日まで』展
(IZU PHOTO MUSEUM、静岡、2013年10月6日〜2014年7月27日)
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 写真ならではの力というべきか、アーカイヴの力というべきか、この厖大な数の重みは圧倒的な印象を残す。「歴史」には書かれていない歴史にたしかに触れたという感覚は、一枚の写真よりも、数え切れないほどの写真をまえにしたほうが強まるのかもしれない。
 それにしても「残したい」という欲望はどこから来るのだろう。意識されないほど日常化された土地の記憶――辿ろうと思えば縄文時代以前にまで遡りうる――が反復と存続を求めるのだろうか。ヴィクトル・セガレン『記憶なき民』を無性に読みたくなる。言ってしまえば、ダム計画の悲劇はいくども繰り返されてきたことだろう。でもそれを「繰り返し」としか考えられないのは、もはや「記憶なき民」となってしまったからではないのか。過去を断ち切り、反復を振り捨てて、新しい社会の発展を志向することが、たえず繰り返しを生み出すという逆説。
(2014年5月22日)
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『柳瀬正夢1900−1945』展
(愛媛県美術館、愛媛、2014年4月5日〜5月18日)
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 未来派美術協会やマヴォといった戦前日本の前衛芸術運動に参加するとともに、プロレタリア美術運動においてもジョージ・グロスゆずりの線描でもって鋭い社会批判を見せた、柳瀬正夢(1900−1945)の回顧展。
 10代なかばから20代はじめにかけての油彩では、ポスト印象主義から未来主義や表現主義までをまたたくまに消化していて、早熟の天才ぶりをうかがわせる。と同時に、あくまでも丁寧で几帳面な「手」を感じさせ、同世代の村山知義と比べてみると、圧倒的に「画家」であるように思う。その印象は油彩だけでなく、プロレタリア美術運動のなかで展開されたカリカチュアや漫画でも変わらない。2012年の回顧展でまとめて触れた村山作品の数々はむしろ、活動をおしすすめていくエネルギーとアイディアの炸裂が印象的だった。柳瀬もたしかに溢れ出る才能に制作が追いついていないという印象を与えるものの、油彩にしてもカリカチュアや漫画にしても、確固とした技巧と丁寧な手業を偲ばせる。とはいえ、治安維持法によって逮捕されたあとの作品になると、点数こそ多いものの、どれも悩みと迷いの所産のように感じられて、見ていて息苦しくなる。
 それにしても、精力的に描かれた漫画の数々をまえにすると、それがまさしく複製技術時代の政治的な駆け引きの媒体であったことがまざまざと見えてくる。かつての西洋の版画やタピスリーも、同様の複製イメージとして、そうしたものだったのだろうか。
(2014年5月17日)
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the-passing · 11 years
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『実験工房――戦後芸術を切り拓く』展
(富山県立近代美術館、富山、2013年7月13日〜9月8日)+「ミュージック・コンクレート/電子音楽オーディション」再現コンサート(富山県立近代美術館エントランスロビー、富山、2013年7月15日)+湯浅譲二講演会「実験工房、そして瀧口修造について」(富山県立近代美術館ホール、富山、2013年8月10日)
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※「2013-2014年の都市・建築・言葉アンケート」、『10+1 web site』(2014年1月)に掲載。
 現代フランスの哲学者エリー・デューリングは、論考「実験のいくつかの体制」(2009)のなかで、戦後に各地で展開された「実験芸術」には複数の体制があったことを指摘した。けれども、デューリングの分析する「人間行動学的体制」(E.A.T.やジャン・ティンゲリーなど)、「認識論的体制」(アスガー・ヨルンやシチュアシオニストなど)、「宇宙論的体制」(ジョン・ケージやフルクサスなど)のいずれにも、実��工房の「実験」はすっきりと収まらない。テクノロジーを利用し開拓するにしても、新たな媒体や素材自体に興味があるわけではない。既存の芸術制度や社会状況に対するオルタナティヴな場を切り拓きはするが、芸術を直接的な政治活動にはしない。いちはやくケージと交流をもったけれど、日常生活への着目や自己表現の放棄をおこなうわけでもなく、ワーク・イン・プログレスという発想もない。
 実験工房の「実験」は、いまだいかなる文化や因習にも取り込まれていない真新しいテクノロジーを介して、あらゆる文明以前の全人類的な「起源」にさかのぼろうというものだ。「進歩」ではなく「回帰」──それを、瀧口修造から受け継がれたシュルレアリスム的な実験の精神の一展開と見るべきかもしれないと思いつつ、戦後の成長と発展のイデオロギーとは異なる「場」の姿を仄見る機会となった。
(2013年7月14日/7月15日/8月10日)
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the-passing · 11 years
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表象文化論学会第8回大会・企画パネル:加藤有子『ブルーノ・シュルツ――目から手へ』(第4回学会賞受賞作)を読む
(関西大学千里山キャンパス、大阪、2013年6月30日)
※『REPRE――表象文化論学会ニューズレター』第19号(2013年9月)に掲載。
 登壇者の阿部賢一氏は、シュルツ文学における視覚の苦痛や剥奪というモチーフの頻出を指摘し、また西成彦氏はシュルツ絵画おける窃視的な欲望の執拗な上演に着目する。作者や読者/観者を巻き込んでしまうような、見ることの力と無力。司会の松浦寿夫氏も示唆したように、ポルノグラフィックな欲望喚起を生み出すのはまさに形式的な操作にほかならないとすれば、シュルツ作品における自己言及的な形式や祖型の反復は、戦略的な自己演出という次元を踏み越えてしまうものでもあるにちがいない。
 ジャック・ラカンを引き合いに出すまでもなく、欲望の原因と対象にはつねに齟齬があるにもかかわらず誤認されるのなら、形式と欲望の拗れた繋がりは、ジクムント・フロイトの読者であったシュルツにとっていかなるものだったのだろうか。あるいはシュルツの読者/観者にとっては。他作品の模倣や摂取、あるいは映画・活人画・建築などの他の芸術媒体に向けた関心も含め、形式的な操作が欲望と取り結ぶ関係についてあらためて問題意識を向けさせるパネルであったように思う。
(2013年6月30日)
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the-passing · 12 years
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シンポジウム「ヴァールブルク美学・文化科学の可能性」
(東京大学駒場キャンパス21KOMCEE地下1階MMホール、東京、2012年12月22日)
※『REPRE――表象文化論学会ニューズレター』第18号(2013年5月)に掲載。
 一見するとカッシーラー流の進歩主義的な精神史観をとっているかに思えてしまうヴァールブルクだが、しかし彼は「未開から文明へ」という図式から逸脱する歴史的事象に──こう言ってよければ「細部」に──つねに鋭敏だった。『ムネモシュネ・アトラス』もまた、そのような図式的な理解をたえず擦り抜ける。もしもパネルの一枚一枚をある時代精神の挿絵として眺め、パネルの連なりを西洋人の(あるいは人類の)精神構造の図解──これはたんに範囲を際限なく広げただけの時代精神の挿絵にすぎないが──として読もうとするなら、そのとき見えるのは(細部に目をつむるのでなければ)まさにそのような図式の解れと綻びばかりだろう。『ムネモシュネ・アトラス』は、歴史を鳥瞰するような普遍的な視点も座標も想定していない──それがジョルジョ・アガンベンの先駆的な指摘であったが、『ムネモシュネ・アトラス』と歴史(学)の関係は、一見したところよりもはるかに複雑である。時間を消去してすべての図像を等価に配列できるという思い込み、いまここにいる自分だけは鳥瞰的視点をとれるのだという思い込みを回避して、いかに歴史を捉えることができるだろうか。もしこの問いを引き受けようとするなら、今回のように『ムネモシュネ・アトラス』自体を、ヴァールブルク自身を、歴史化していく試み(しかもたんに「時代に位置づける」のとは異なる水準で)が、ますます必要になっていくことだろう。
 本2013年に入ってからも、フランスの社会科学高等研究院(EHESS)を中心に編集されている美術史研究のオンライン電子ジャーナル『イマージュ・ル=ヴュ』(Images Re-vues)が「アビ・ヴァールブルクの残存」特集を組むなど、研究の進展はとどまるところを知らない。その特集に寄せた論文で、ダヴィデ・スティミッリが示唆的な指摘をしている。ヴァールブルクのメモに最初に「ムネモシュネ」の名があらわれたとき、それは記憶の女神ではなく、人々に謎をかけるスフィンクスを指していたのだという。『ムネモシュネ・アトラス』は、わたしたちに西洋文化の「分裂症」の解決策を差し出しているのではなく、まさにその問題自体を差し出している。ヴァールブルク自身、スキファノイア宮の壁画に関するかの有名な講演の締めくくりで、「わたしにとって重要なのは、よどみなく答えることよりも、新たな問いを取り出すことだ」と語ったように。
(2012年12月22日)
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シンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙MVNDVS WARBVRGIANVS――『ムネモシュネ・アトラス』をめぐって」
(東京大学駒場キャンパス学際交流ホール、東京、2012年6月30日)
※『REPRE――表象文化論学会ニューズレター』第16号(2012年9月)に掲載。
 会場にはまた、『ムネモシュネ・アトラス』の復元パネル数点(原寸よりやや小ぶりのB0サイズ)、カラー版パネル1点(100号カンヴァスサイズ)、全パネルの縮小版2種類(A4サイズ、およびトランプカードサイズ)が展示され、発表でも使用された。一昨年から昨年にかけて開催され話題になったジョルジュ・ディディ=ユベルマン監修の『アトラス──いかにして世界を背負うか』展(マドリードのソフィア王妃芸術センター、カールスルーエの芸術メディアテクノロジー・センター(ZKM)、ハンブルクのファルケンベルク・コレクションを巡回)でも、ほぼ原寸大に引き延ばされたパネル記録写真が展示されていたというが、本シンポジウムの復元パネルを実見してみて強く思い起こされたのが、そのディディ=ユベルマンによる指摘──「アトラス」は「エンサイクロペディア」とも「アーカイヴ」とも異なるという指摘だった。地図による視覚的な認識と理解は、百科全書のような体系性も、アーカイヴのような網羅性も目指してはおらず、むしろ思いがけない発見へと開かれているのである。
 1990年以降のヴァールブルク研究の進展は目覚ましい。ことに近年のドイツでは、ヴァールブルクが新世代の人文科学研究の旗印とさえなっている感がある。生命科学と認知科学の隆盛をまえにした人文科学側の対抗戦略という、ドイツ国内のアカデミック・ポリティクスの問題も多分にあるとしても、イタリアでもマウリツィオ・ゲラルディやクラウディア・チェリ・ヴィアらを中心に独自の遺稿校訂翻訳や論文集の出版が精力的におこなわれ、またフランスでもディディ=ユベルマンやフィリップ=アラン・ミショーらによる理論的な再評価が登場している。そうしたなかで開催された本シンポジウムは、思想史・美術史・科学史の多角的な視点と、復元パネルによるヴァールブルクの方法の追体験とによって、ヴァールブルク晩年の壮大な試みに迫るまたとない機会だったように思う。
(2012年6月30日)
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マウリツィオ・ベッティーニ講演会
(京都大学大学院人間・環境学研究科、京都、2012年3月15日)
※『ユリイカ』第44巻第5号(2012年5月、246頁)に掲載。
クレオールからヒューマニズムへ——翻訳の航跡
 エドゥアール・グリッサンが亡くなって一年になる。豊饒な詩と物語のかたわらに紡がれたその思想は、クレオールという現象を一つのパラダイムに変貌させた。帰属や共有に代えて、交換と混淆という観点から、地球上の人間たちの営為を理解しなおす端緒を開いたのである。
 この言語の複数性と不透明性が西洋で認識されたのは、実はルネサンスだったように思う。モンテーニュは「フランス語で事足りなければ、ガスコーニュ語で間に合わせればいい」と書き、ジョルダーノ・ブルーノは「翻訳からこそ、あらゆる学知はその子孫を得た」と語る。概念を透明に表象できる普遍言語たらんとした中世スコラ学の人工的なラテン語は、野蛮として打ち捨てられる。かくして近代の黎明たるルネサンスは、帝国主義的拡張から逆説的にもクレオールを生み出す一方で、複数性と不透明性にもとづいた「ヒューマニズム」という新しい哲学を創造しただろう。
(2012年3月15日)
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『世界制作の方法』展
(国立国際美術館、大阪、2011年10月4日〜12月11日)
※『REAR』第27号(2012年、84〜85頁)に掲載。
洞窟の出口へ——『世界制作の方法』展に寄せて
 『旧約聖書』によれば、神は「光あれ」という言葉から世界の創造をはじめたという。とするなら、この展覧会の多くの作品で闇と光が効果的にもちいられているのは、あながち偶然でないのかもしれない。会場で最初に足を踏み入れることになった大西康明《体積の裏側》(2011)からして、夜明けに光と闇とが分離するさまを強く連想させる。降りしきる雨の軌跡を思わせる無数の黒い接着剤の筋の先に、白い半透明の大判ポリエチレンシートが吊り下がり、展示空間の上方全体を覆っている。雪を戴いた山脈の稜線と見まがう襞のポリエチレンシートの上方は薄暗く、下方は仄明るく、さながら明暗の反転した朝の山稜のようで、清澄な魅力を湛えている。円筒形の暗い部屋の壁に蓄光塗料で木立が描かれた木藤純子《Sound of Silence #2》(2011)の叙情的な微光から、垂れ下がる無数のショッキングピンクのテープの合間より蛍光灯の明かりが漏れ差す鬼頭健吾《flimsy royal》(2009)のセンセーショナルな明光まで、この展覧会に集められた「世界」の多くは、まず闇に光が差し込むところからはじまっている。
 展覧会タイトルの由来となったグッドマンが――科学偏重のきらいのあったルドルフ・カルナップらの論理実証主義に相対して――芸術を科学とならぶ「世界制作の方法」と見なしたとき、そこになにより含意されていたのは「世界の複数性」だっただろう。この複数性は、フォントネル的な多元宇宙の複数性(別の天体の別の文明)でもなければ、ライプニッツ的な可能世界の複数性(ありえたかもしれないもう一つの現実)でもない。この現実世界そのものが複数的であること――ゆえに複数的に解釈されること――である。けれども展覧会場では、1部屋ごとに1芸術家(グループ)が割り当てられ、部屋ごとに別の世界が展開し、複数的とはいえ、それぞれの世界はあくまでも各部屋の内部に閉ざされている。美術館という空間の物理的な制約と言ってしまえばそれまでだろう。とはいえ、暗い洞窟のごとき閉ざされた空間がなければ「世界」は創造されないとの夢想が、頭に纏いつく。
 このとりとめのない夢想は、会場のなかば、クワクボリョウタ《10番目の感傷(点・線・面)》(2011)でいっそう振り払いがたいものになる。暗い部屋のなか、発光ダイオードを灯した鉄道模型が線路を走り、周囲に置かれた人形や洗濯バサミや鉛筆やザルやバケツの巨大な影を次々と壁面に投げかけていく。車窓の向こうを流れゆく都市の眺めのように、見ていて飽きることがない。その魅惑的な影絵は、19世紀のファンタスマゴリーやパノラマといったスペクタクル装置の末裔と思わせる一方で、はるかな古代のプラトンの洞窟の再演のようにも感じられてしまう。閉ざされた暗闇の空間のうちでこそ、その影の世界は立ち上がるのだから。
 おそらくはそのために、クワクボ作品のつぎに置かれていた半田真規《緑のシルエット》(2011)があれほど不可解で異様ですらある印象を与えたのだろう。イスラーム教の聖なる象徴たる150面体の平面図とおぼしき形態にタイルが貼られ、その表面をバターミルクの皮膜が覆っている。もともとは鮮やかだっただろうタイルの色彩はくすみ、その幾何学模様もくもり、もはや人目を惹くようなものでなくなっている。白い壁に反射する美術館の照明ばかりが眩しく、眼前にはどんな「世界」も展開されていない。プラトンの洞窟を脱け出し��先にはイデアの太陽が輝いていたが、クワクボ作品の影の世界から脱け出した先にあるのは、目立たないタイルが貼られたたんなる展示室である。
 けれども、その代わり半田作品は世界に「裂け目」を開き、実のところ「多層性」という意味での世界の複数性をあらわにしているように思う。知られているように、イスラーム美術にあって幾何学形態は聖なるものの現前にほかならない。とすれば、半田作品の壁面のタイルは、俗世から隔絶している聖なる世界が突如として露出したその界面ではないだろうか。同時に、日本にとってはるかな異邦の世界が露呈し滲入してきているその界面でもあるだろう。もっともその表面はバターミルクの皮膜で覆われて、そこに異世界が口を開けているのだという感覚はほとんど封じ込められている。とはいえそれだけに、バターミルクの皮膜が乾燥のために剥落して、タイルの鮮やかな色彩がわずかに覗いて見えることが、そのあるかなきかの世界の裂け目の存在を強く印象づける。洞窟の暗闇に閉ざされた世界とは対照的に、洞窟の出口の先で世界は別の世界に滲入され、その複数の世界の多層的な重なり合いを露出させている。
 芸術家ないし工匠を世界を創造する神になぞらえる隠喩法は、おそらくインスタレーションの手法と結びついて現代に息を吹き返し、それとともに世界の複数性という主題もまた、今日新たな様相を呈しはじめているのかもしれない――洞窟のごとく地中深くに設えられた国立国際美術館の展示室をあとにして、地上の出口へと向かいながら、ふと思う。
(2011年11月18日/12月3日)
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『大山里奈――ことの余韻』展
(ARTZONE、京都、2011年10月31日〜11月12日)
※『ARTZONE MAGAZINE CAGE』第24号(2011年)に掲載。
わたしは水が落ちるのを待たねばならない——大山里奈個展『ことの余韻』に寄せて
 水滴は瞬時に、ほとんど見えない速さで落ちる。蒸気も波紋も瞬時に、見えたのか疑わしいほどの速さで消える。同じ水滴のインスタレーションでも、ビル・ヴィオラの《彼はあなたのために涙を流す》(1976)のようにじっくりと水滴を、そこに映り込む人影や光景を、見たりはできない。なにも見た気になれないまま、また水が落ちるのを待つ時間ばかりが長く続く。苛立たしいまでに長く。
 なぜ苛立たしいのだろう。林檎が落ちるのを見たニュートンは、万有引力を発見しこそすれ、たぶん苛立ちはしなかった。待っていなかったのだから。この苛立ちはむしろ、水に砂糖が溶けるのを待たねばならなかったベルクソンの苛立ちに近いように思う。だれも望みどおりに時間を延ばしたり縮めたりはできない。僕のリズムは水のリズムと違う。だから、僕は水が落ちるのを待たねばならない。時間とは――ニュートンでなくベルクソンが考えたように――この「待たねばならない」ことだろう。待つ必要があるのは、世界にいくつもの異なったリズムがあるからだ。人はそのリズムの複数性に気づいたとき、自分のリズムを乱されて苛立つ。ふとそんな気がしてくる。
 「余韻」という言葉は示唆的だ。残り続けるリズムのことなのだから。しかも余韻は静かに待つ人の耳にしか響かない。待つこともせずに立ち去る人は、余韻が聞こえず、自分のとは別のリズムの存在に気づかず、苛立つこともない。逆に待つ人は、もしかしたら苛立ちながらも、余韻をずっと聴き続けるだろう。待っているかぎり。この個展で「ことの余韻」と言われているものが、なにか出来事が起こった痕跡でなくて、その出来事がなおも奏でているリズムだとしたら――そう考えると、会場の残りの作品からも眼に見えないリズムが響いてくる。たとえ白い布に透明感ある色斑が広がる《ことの余韻 氷》がサム・フランシスの絵画を想起させようとも、黒い布に乾いた粘液が煌めく《ことの余韻 ナメクジ》がデュシャンの《偽りの風景》(1946)を連想させようとも、色のついた氷が溶けるリズム、ナメクジが這うリズムはまったく別物だ。そして、たとえ氷は溶けてナメクジは去っても、蒸気も波紋も消え、個展がおわっても、その余韻はまだ響いている。待っているかぎり。だからいまも、僕は水が落ちるのを待っている。
(2011年11月11日)
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