Tumgik
toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第参話「蜂須賀、主にとある進言をせし事」4
 それより二週間後。ついに大改装の時がやってきた。住人たちはこの日に備え、暇を見つけては荷造りを進めたが、なかなかどうして大変な手間であった。  この本丸が稼働してから一月が経とうとしているのだ。ヒトとして生きていくには何かと物が必要だ。程度の差こそあれど私物はそれなりに増えている。  すべての荷の梱包を終えたのは当日の朝のこと。当然ながらさあこれで一段落、とはいかない。屋敷の外へ荷を運び出す作業が待っているのだ。  家事を担う式神たちの手も借りながら、風呂敷や段ボール箱に詰め込まれた品々をすっかり庭先に運び出したときには午近くになっていた。ここから先は、審神者の仕事である。  屋敷の庭に立つ少女の前には、新屋敷の小型模型が立体投影されていた。デフォルト設定の屋敷をいったん霊子にまで分解し、設計図に沿って再構築するのだ。  今日の彼女はいつもの白衣緋袴の上に無地の千早を重ねている。本来は奉納舞に用いる衣装であるが、この場では審神者の霊力を高め、霊子操作を補助するために小道具として機能する。くわえて左手には榊の枝に紙垂(しで)をとりつけた大幣(おおぬさ)を、右手には神楽鈴を携えていた。  練度の高い審神者は祝詞や祭具が無くとも霊子を操ることができるというが、少女の技量にはまだまだ不安がある。ゆえに、できる限り神職の正装に近い装身具が用意された。  特別な装束を身につけた少女は深く長く息を吐いた。大仕事を前に、緊張していないと言えば嘘になる。それでも、あの日、蜂須賀虎徹を顕現させた折の様な不安は無い。静かに精神を統一し屋敷を構成する霊子を少しずつ収束する。その中には、馴染み深い刀剣たちの気配が混じっていた。  少女の第六感は、彼らの痕跡を様々な色彩を放つ光の粒子として知覚する。この金色のは蜂須賀虎徹、白銀のは五虎退、桃色は宗三左文字・・・・・・。それらの粒子一つ一つに、ここで過ごした彼らのとの記憶が宿っている。  いつしか少女は微笑みを浮かべていた。大丈夫、みんなの気配が背中を押してくれている。  屋敷の輪郭が徐々に薄くなり、両手の祭具に宿る霊子が濃度を増していく。薄眼を開けて手首を返す。右手の神楽鈴が立てるシャリンという澄んだ音が辺り一面に響きわたった。その鈴音に導かれて、収束した霊子が分散し、新しい形に再構成されていくーー。
 どれほどの時間が経っただろうか。少女が肩から力を抜いたとき、一同の前には前庭をそなえた屋敷が姿を現していた。  その屋敷は、正面から眺めると乳白色の化粧煉瓦が美しい洋館に見える。玄関には優美なアーチを描く白いドア。その上部にはステンドグラスが嵌め込まれている。向かって右手にあるテラスが目を引く。大きな窓が温室を連想させるのだ。  洋館部分は主に審神者の執務や本丸の管理、訪問者の接待といった公的な目的に利用する。山伏国広と、それに続くであろう者たちの為に設けたフィットネルームもこちらだ。鳴狐が希望した娯楽室もある。半地下にせり出す広間に、書架のみならず机やソファを並べたそこは、もはや図書館に近い。   この洋館の裏手に回れば数寄屋風の家屋が見える。こちらは主屋であり、少女や刀剣たちの居住空間だ。坪庭を囲む板張りの廊下で繋がれた造りを採用した。中庭に面した硝子戸や、幾何学的に組まれた木枠が、どこかモダンな風情を感じさせる。宗三の様に料理を好む者のために設けた大厨房と食堂はこの主屋に設けた。  実はこの主屋、和室と洋間が混在している。そのうちの一室、マントルピースのあるホールは以前の大座敷に代わる会議室だ。大浴場とは独立したタイル張りのバスルームもある。少女の居室は主屋三階の洋間だが、刀剣たちの居室は和室と洋間を同数用意した。南に面した部屋を選べば、以前と変わらぬ知泉回遊式庭園を望むことができる。  浮島の「ゲート」や、楠の大樹、そして未だ使用されたことのない茶室も据え置きだ。鍛刀部屋と道場は、利便性を考慮して、屋敷から独立した別棟として設置した。ことばもなく立ち尽くす一同を前に、近侍として主の相談に乗っていた蜂須賀虎徹が口を開く。 「皆の要望を考えると、和式と洋式の意匠を兼ね備えた屋敷がいいのではという話になってね」  この屋敷を作り出した張本人である少女は、『気に入ってもらえましたか?』 と書かれたページを開き、そろそろとスケッチブックを頭上に掲げた。その目はぎゅっとつむられている。  刀剣たちの反応を見るのが少女には殊更おそろしい。みんなの顔に失望が浮かんでいたらどうしよう? 蜂須賀には「サプライズの楽しみは大切だ」と説得されたけれど、やっぱり断りを入れておくべきだったのではないか。そんな疑念と不安に、少女は身を縮こませる。  けれどもいつまで経っても誰の声も聞こえてこない。さすがにこれは・・・・・・反応が鈍すぎる。何かあったのかと不審に思った少女がついに顔を上げようとしたそのとき、不意に何か柔らかいものが胸元に跳びついてきた。驚いて目を見開けば、そこには鳴狐のお供の姿。 「すばらしいです!主さまぁ!」 「これは面白い。予想外だ。最高」  混乱する少女の前にキツネの主人がいつの間にか現れて、彼女髪をくしゃくしゃにかきまぜる。先手をとられた堀川国広は、「抜け駆けはずるいですよ!」と叫びながら駆け寄ってきた。 「粋なお屋敷ですね! 兼さんも山姥切の兄弟もきっと気に入ってくれます。ありがとうございます」  真正面からの賛辞を捧げられて少女は耳まで赤くなった。次にやってきたのは五虎退と虎たち。頬を紅潮させた五虎退が 「主様! すごいです!」と喝采を上げれば、虎たちが歓声をあげながら跳びついてくる。それに対抗心を燃やしたキツネも加わって、少女は彼らに揉みくちゃにされた。  助けを求めて蜂須賀を見やっても、彼は悪戯に成功した子どもの様な笑顔で微笑むばかり。あれは駄目だ、助ける気がまるでない。「覚えてなさい」と唇を動かせば、彼はやれやれと肩を竦めて見せた。  興奮冷めやらぬ獣たちから少女を助け出してくれたのは山伏国広だった。軽々と少女を抱き上げた彼は「主殿、お見事!」と言ってニッと微笑んだ。その野性的な外見を裏切る繊細な動きで芝の上に降ろされた少女の前に、宗三左文字が現れる。物憂げな目をわずかに緩めて、青年は口を開いた。 「誰にも文句などはつけさせませんよ。あなたはよく頑張りました」  柔らかな声音で告げられたことばに、少女の目が潤んでいく。コクコクと何度も首を縦に振る彼女は、無意識に彼の袖を摘まんでいた。宗三左文字はそれを咎めない。彼はよく知っているのだ。少女が表にはしなかった葛藤を。刀剣たちの為に苦心した時間を。  最後にやってきた蜂須賀虎徹は主の涙に気づかぬ振りで、「さあ、屋敷の中を見せようか!」と一同に呼びかけた。少女の周囲から賑やかな歓声が上がるなか、蜂須賀の温かな手が肩に添えられた。ーーわたしの神様たちは、こんなにも優しい。 ーーー  荷運びも終わり、皆が新しい居室にに落ち着いた頃。荷ほどきにいそしむ刀剣たちとは裏腹に、主たる少女は新たな自室で大きな溜息を吐いていた。  審神者に就任するまでずっとマンション住まいだったから、居室兼寝室であるこの部屋は洋間にした。木製のベッドに、作業机、鏡台、クローゼット。小ぶりのソファ。センスのよい壁紙やカーテンは蜂須賀の手によるものだ。  この居心地の良い部屋には何の不満も無い。少女の眉を曇らせるのは、ベッドの上に広げたワンピースだ。この、見るからに仕立ての良いお洒落着を、これらから身につけなければならない。それがどうにも憂鬱で仕方が無い。  着飾った主を真ん中にして、新しい屋敷の前で記念撮影をする。それが蜂須賀虎徹の願いなのだ。  審神者に支給される白衣とあくまで袴は新人向けの装束であって、常日頃から着用を義務づけられている訳ではない。神楽鈴や大幣と同じく、 文字通り審神者という役職に「形から入る」ための装置なのだ。練度が上がればこうしたお膳立ても必要がなくなる。  顕現の様な神経を使う儀式は別として、今の少女にはこの装束を纏う必要も義務もない。けれども、彼女はこれまで、ただの一度も私服を身につけた試しはなかった。  そんな主に、蜂須賀は「この機会に俺の見立てた衣装を着て欲しい」とねだったのだ。もちろん、日頃から蜂須賀を頼みにしている少女が断れないと知った上で、だ。  少女は蜂須賀の言うところの「お仕着せ」に身を包むことに抵抗はない。むしろ今まで袖を通したこともない類の可愛らしいワンピース、こちらの方がよほどハードルが高い。鏡の前で何度か体に当てたはしたものの、すぐにベッドに放り出した。事の発端となった蜂須賀の提案が恨めしい。他ならぬ彼の頼みでなければ絶対に却下していた。だって、まるで似合う気がしないのだ。  審神者に就任する前、俗世では母親が選んだ服を疑うこともなく身につけていた。服だけではない。ペンケース、ノート、食器、鞄、靴、ありとあらゆる日用雑貨すべては母の趣味によるものだった。髪型も同じだ。いつもショートカットに髪を整えていた。顎にまで毛先が伸びてくると美容院に連れて行かれた。彼女の頭には、娘に好みを尋ねるという選択��は無いようだった。  お母さんが今のわたしを見たらきっと怒るだろうなと、少女はぼんやり考える。あの人はわたしが女の子らしい装いをすることを嫌がっていたから。少女は陰鬱な思考を放棄して、ぺたんと尻もちをつく。ベッドに広がるワンピースの柄をじっと見つめていた。 「・・・なんです、そんなところに座り込んで」  何の前触れもなく降ってきた艶のある声に、少女は大いに狼狽した。驚いてふり仰げば、そこには物憂げな雰囲気をまとう青年、宗三左文字が建っていた。  身振り手振りでなぜノックをしなかったのかと抗議をする少女は、何度もドアを叩いたが返事は無く、そのうえ最初からドアは開け放たれていたと言われてがっくりと肩を落とした。「床に座り込んで宙を眺めている主の姿を見たら、心配にもなります」と告げる彼のことばは、まったくの正論だ。反論の余地も無い。  ぐうの音も出ない立場に置かれた少女は、潔く降伏することにした。宗三にソファを勧めて、自らも備え付けの椅子に腰掛ける。妖艶な青年は遠慮なくソファに沈み、長い足を組んだ。海外誌のトップを飾るモデルのように様になっている。美しい。 『何のご用ですか?』 「皆、新しい部屋に落ち着きました。気の早い連中は荷ほどきを終えて玄関先に出ていますよ」  宗三の言に驚いて柱時計を見れば、新居に足を踏み入れてから優に二時間が経っている。想像以上に長い時を呆けたままに過ごしていたようだ。 「主は女性ですから、支度には時間がかかるだろうと噂していましたけれど、何となく気がかりで」 「……」  足を組み替えた宗三左文字は、ベッドに投げ出されたままのワンピースを 流し目で見遣る。ペパーミントグリーンの、愛らしいそれ。 「なるほど。あなたの気鬱の原因は、アレですか」  見事に頭痛の種を���い当てられた少女は目を丸くする。蜂須賀以外の刀たちには、身支度を調えてから記念写真を撮るとだけ説明している。この本丸に就任してより初となる洋装を披露することは知らせていない。塞ぎ込む少女とワンピースを結びつける手掛かりはなかった筈だ。そんな少女の反応を見た宗三の顔には「腑に落ちた」と書いてある。 「それで? 何がご不満なんです? わが主様は」  不機嫌さを隠そうともしない宗三の態度に少女は抵抗する気力を失った。蜂須賀にも告げていない想いを、のろのろと文字にする。 『この服は、わたしには、にあわないです。髪も、ずいぶん伸びちゃった』 「まだ袖を通してもいないのに、なぜわかるんです」
 にべもない青年の言に少女は黙り込む。ギュッと袴を握り込み、無言を貫く主の姿を前にして、宗三は盛大な溜息をついた。  駄目だ。刀剣たちの前では気を張って、主人らしくふるまおうと務めてきたのに。今日はどうも旗色が悪い。これではまるで駄々をこねている様だ。この胸の内には重苦しい感情が渦を巻いているのに、ちっとも伝えられやしない。
「そうですね。これを纏った姿が好ましいか否か。それはあなたが決めることです。第三者の意見はどうであれ」 「・・・・・・?」  主の態度に苛立ちを隠そうともしない宗三が言い放ったのは、幼い主の意向を尊重することばだった。しかし目を見ればわかる。理屈としては納得しても彼の感情はそうではない。事実、彼が続けたのは少女の懊悩を否定することばだった。 「これはあくまで僕個人の意見ですが、なかなか良いと思いますよ。そのワンピース」 『そうかな』 「ええ、そうですとも」 『でも、無理に着せようとはしないんですね』 「それは僕の主義に反しますから」
 主たる彼女にこうまで歯に衣着せぬ物言いをするのは、今のところ宗三左文字くらいだ。その嫋やかな出で立ちに反して、少女が顕現させたこの打刀は直情的で血の気が多い。  実を言えば、そんな率直な言動を見せる彼のことを少女は少しばかり羨ましく思っている。だからだろうか。気がつけば、言わずにおこうと決めていた疑問を口にしていた。 『宗三、あのとき、どうして本当の願いごとをいわなかったの』 「おや、どうしてわかったんです」 『宗三の嘘はわかりやすいです』 「あなたも言いますね」  ふぅ、と細く長い息を吐き出して、宗三左文字は天を仰いだ。もしも映画であったなら、ここは主演俳優が優雅に紫煙をくゆらせる場面だ。 「僕の本当の願いは、誰かに頼んで叶えられる類のものじゃありませんから」 『宗三は、カゴの鳥でいるのはいや?』 「ええ、あなたと同じ様に」   向かい合う二人の間に沈黙が落ちる。主従は互いの目をじっと見つめた。そこに甘やかな空気などは微塵も無い。殺気すら感じさせる無言の応酬の後で、先に動いたのは宗三左文字の方だった。 「あなたも、この本丸という籠から出ることはできないのでしょう?」 「・・・・・・」 「そんな風に睨まずとも、無理に事情を聞き出しやしませんよーーあなたが僕に踏み込んでこない限りは、ですが」  この辺りが話を切り上げる頃合いだと考えたのだろう。胸に渇望を秘めた青年は「そろそろ失礼します」と口にして腰を上げた。少女はそれを黙って見送る。ドアノブに手をかけた宗三はしかし、そこで主の方へ振り返る。 「髪が気になるなら、堀川国広にでも頼むことです。くれぐれも僕に切ってくれなんて言わないでくださいね。僕らは刀の付喪神であって、鋏じゃないんですから」  脈絡の無い宗三の発言に、少女は首を傾げる。彼の意図を理解するまでには数秒を要した。・・・・・・思い返せば、彼に何が気にくわないのかと尋ねられたとき、この服と髪に違和感があると答えた。あれは話の枕だとばかり思っていたが、違ったようだ。  確かに、自分で髪を切る自信はないから、誰かに頼もうとは考えていたけれど。 髪が話題にのぼった時からずいぶん間が空いている。なぜ今頃になってわざわざ蒸し返す必要があったのか。
 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。少女の訝しげな態度を前にして、宗三左文字は憂鬱そうに呟いた。 「写真を撮るというから前髪を少しばかり整えてみたら。見て下さい、この様です」  そう言って彼が持ち上げた一房は、言われて見れば実にざんばらだった。真面目くさった声音のまま「どうやら僕は、思っていたよりも不器用だった様です」と悲し気に呟いた。  その情けない表情と先ほどまでの傲岸な彼の落差たるや。少女は思わず吹き出した。肩を震わせる主に、そんなに笑うことはないでしょうと拗ねて見せるものだから、ついに少女は腹を抱えた。  もしも声が出せていたなら大声で笑っていただろう。先ほどまで張りつめた空気はすっかり緩んで、霧散していった。泣き笑いをしながら少女は悟る。
 宗三左文字は彼なりに気をつかってくれたのだ。彼の言うとおり、ひどく不器用なやり方で。     少女は乱れた呼気を整えながら、子どものように膨れる彼をおいでおいでと手招きする。向かう先は鏡台だ。ここには蜂須賀が必要だと言い張って集めさせた小物が詰まっている。  抽斗から何かを取り出した少女は、宗三に手を出せとジェスチャーする。怪訝そうな色を浮かべる青年の手のひらに載せられたのは、金属製のヘアピンだった。  鳥の羽根を模した装飾が控えめに施されている。摘まみ上げたそれをしげしげと眺めた彼は、やがてニヤリと微笑んで見せたのだった。  この日、幼い少女を主と仰ぐ刀剣たちは新たな屋敷を得た。引っ越し作業を一段落させた彼らは玄関先に集う。ペパーミントグリーンのワンピースを纏った少女がそこに登場すると、彼らは多いに湧き上がった。
 晴れやかな衣装に身を包んだ主を囲んだ刀剣たちは、記念写真を撮影した。本丸の初期部隊の面々が顔を揃えたその一葉は額に納められ、少女の執務室に飾られている。  主の隣を陣取った宗三左文字が見慣れないヘアピンをしている理由は、少女と彼だけの細やかな秘密である。
了.
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第参話「蜂須賀虎徹、主にとある進言をせし事」3
 次はどこへ行く? という蜂須賀の問いに、少女はしばらく考える素振りを見せた後に、屋敷から渡り廊下でつながれた離れを指さした。そこは板張りの道場になっていて、手合わせや修練に利用されている。  蜂須賀の主は、これまでの生活を通じて刀剣たちの行動パターンをほぼ把握していた。彼女のお目当ては粟田口の二振。内番や遠征のない日、鳴狐と五虎退がそこで稽古に励んでいることは蜂須賀も承知している。  はたして道場に歩を進めれば、木刀がかち合って立てる鈍い音と裂帛の声が耳に届くーー当たりだ。主従は顏を見合わせて微笑んだ。
 道場の戸口を叩くよりも早く、床に落とされた何かが立てる甲高い音が響いた。どちらかが木刀を取り落としたのだろう。勝負がついたのだ。  そっと中を覗き込めば、そこには予想通り、鳴狐と五虎退の姿があった。木刀を腰に携えなおし、悠然とこちらに手を振る鳴狐。一方で五虎退は転がりおちた木刀を大慌てで拾い上げている。軍配は鳴狐に上がったようだ。
 稽古の邪魔をしたことを詫びる蜂須賀に、お供のキツネが「ちょうど切りの良いところだったのですよう」と答える。鳴狐も大きく頷き、頭を下げる主にその必要はないと言外に訴えた。五虎退はといえば目に涙を浮かべたまま駆け寄ってきた。虎たちも彼の後ろをついてくる。  無言のままペコリとお辞儀をする少年は唇を噛んでいた。線の細い外見に反してこの短刀は負けず嫌いだ。稽古とはいえ、自分より後に鍛刀された者に敗北を喫したことが悔しいのだろう。  彼の胸中にうずまく怒りが、少女には透けて見えるようだった。私にできることはなんだろう? 一種の逡巡の後、彼女は五虎退の指を両の手で包み込んだ。ハッとして顔を上げる五虎退は、くしゃりとした笑顔を浮かべたのだった。 
   「本丸に望むこと、でございますか!」  肩に乗ったキツネの声に合わせて、二振は思案するような素振りを見せた。大げさに考えることはない、と言い添える蜂須賀が事のあらましを説明する。それなら、と自らの口を開いたのは鳴狐だった。 「本が、欲しい」 「本?」  意外な答えに面食らった蜂須賀に、面頬をした青年は大真面目に頷いて見せた。 「こう見えて鳴狐は好奇心旺盛��のですよぅ! 文学、歴史、哲学、経済からスポーツ、ゲーム(非電源)にゲーム(電源)にライトノベルまで! 鳴狐の関心は尽きることはありません!」 「・・・・・・俺が言うのも何だが、このご時世にペーパーブックを所望するとは物好きだな」 「本は、好き。紙の匂いと触感がたまらない」 「そ、そうか」  珍しくも身を乗り出して力説された蜂須賀は、鳴狐の迫力にやや退きつつも頷いた。少女はといえば彼の望みに目を見張り、スケッチブックに何ごとが書きつけた。 『図書館を、つくります。ゲームもおきましょう』 「良いの?」 『私も、みんなと、遊びたいです』  主の書き連ねた文字に鳴狐は目を細める。面頬越しにも彼の喜色がはっきりと伝わる。主人と同じく、お供も文字通り跳びはねて喜んだ。  身軽なキツネに頬ずりされた少女は、押し黙ったままのいま一人の刀剣を気遣わしげに見つめた。少年のことばを、主たる彼女はじっと待っている。 「あの、主様」  彼を見つめる少女は黙したまま、けれど辛抱強く続きを促す。 「僕は、僕は!」  すぅ、と息を吸い込んだ五虎退は口を開く。 「僕は! もっと強くなりたいです!」 「・・・・・・五虎退、それは」  論点がずれていると指摘しようとした蜂須賀を手で制したのは、主と仰ぐ少女だった。悲しげな色を浮かべた目で見つめられた蜂須賀虎徹はたじろく。  気弱で繊細な彼の主は、時折こうして固い意志を垣間見せては蜂須賀を戸惑わせる。 「今この本丸にいる粟田口吉光の刀は僕だけです。僕が、吉光を背負っている」  だから! と続ける少年の目はまだ涙で潤んでいる。
「僕は強くなりたいです。吉光の刀として恥ずかしくないように。主さんに胸を張れるように・・・・・・いつかここに来るかもしれない一兄、一期一振に、よく頑張りましたって言ってもらえるように」  少年、五虎退の目には揺るがぬ眼力が宿っていた。それの眼差しは少女のものによく似ている。蜂須賀はあらためて思い起こす。この本丸に顕現した仲間は皆、隣にいる幼い主の因子を宿していることを。  蜂須賀、五虎退、鳴狐、そして他の面々も彼女の気質を反映している。ならば、少年の言動は主のそれだーー火のように熱い想いを身の内に隠して、生きている。 『わかりました』 「主、」 『助力は、おしみません。五虎退が望むのなら、本丸の外にだって出してあげます』  ぎょっとしたのは他ならぬ五虎退本人だ。刀剣男士を本丸の管轄外に出すことは厳重に禁じられている。それを知らない審神者は居ない。けれど少女の表情にも目にも嘘はなかった。静かに狼狽する鳴狐に蜂須賀も小さく頷く。誰も彼女に害が及ぶことを望んではいない。  意を決した蜂須賀は、身を乗り出し主に諫言せんとして、しかし叶わなかった。出鼻をくじくように白い管狐が中空に出現し、少女の前に降り立ったからだ。 「それは可能ですよ。十分に練度が上がった刀剣には『修行』システムを適用することが許されています。むろん、その為の条件は厳しいものですが」  少女は唐突に介入したこんのすけをじっと見つめた。いったいいつから監視していたのか。相変わらずこの管狐の挙動は謎が多い。 『それでも、ぜったいに五虎退の願いをかなえます』 「結構。なに、審神者としての職務をつとめておられれば遠からずその日は来るでしょう」  こんのすけはそう言ってゆらりと尾を振った。政府直属の監査官と対峙する少女の背は力強く伸びていて、覇気すら感じさせる。  蜂須賀はひととき呼吸を忘れた。この毅然とした少女は誰だろう。つい先ほどまでは自らの望むことすらわからず、心細さを隠せずにいたのに。 『誰よりも早く、一番に、五虎退を修行に旅立たせてみせます』  文字でもってそう語った主に、 五虎退は頬を紅潮させて微笑んだ。細められた目尻から零れるものがあったことは、彼の情熱と共に胸に秘しておこう。少女はそう密やかに思った。
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 少女と蜂須賀の本丸めぐりは、それから間を置くことなく終結した。道場から屋敷に戻る道すがら、残る刀剣と行き会ったからだ。
 堀川国広は式神たちの陣頭指揮をとって、掃除洗濯に邁進していた。偶の休日だというのにと呆れた顔を向ける蜂須賀に、「何かしていないと落ち着かないんです」と朗らかに答えたこの少年のひととなりは、脇差という特殊な刀種の性質を見事に反映していた。  その堀川国広が願ったのは、彼の半身である和泉守兼定と、同じ刀匠の手による打刀、山姥切国広の顕現であった。 「僕より幼い形(なり)をしている五虎退を差し置いてって考えると、なんだか照れくさいんだけど。やっぱり自分の心に嘘はつけなくて」  そう言ってはにかむ彼に少女は何度も首を横に振った。『はずかしくなんてありません』と真剣に語る主の姿に、堀川国広は姿勢を正して礼を述べた。  宗三左文字と鉢合わせたのは台所だった。子どもの足にこの屋敷は決して狭くない。少女は疲れを見せまいと気張っていたようだが、歩みの速度が緩やかになったのを見落とす蜂須賀ではなかった。  大丈夫だと言い張る少女をなんとか宥めて、一服しようと向かった先に、かの妖艶な打刀は佇んでいたのだった。  刀剣たちの中で最も所在が掴みづらいのは間違いなく彼だと目していただけに、主従は揃って肩すかしを食らった。だがこの場合は、むしろ宗三の気まぐれに感謝するべきだろう。  宗三左文字は厨房の設備を睨みながら、手元に起ち上げたディスプレイの頁を繰っていた。興味をもった少女が尋ねると料理のレシピ集だと言う。 「別段、式神たちの料理に不満がある訳ではないんです」  気怠げな様子とは裏腹に、宗三左文字はどこか熱の籠もった声音で彼の持論を説いた。 「けれど、どんなに美味しくても同じ味付けに決まった献立では、飽きてしまうでしょう?」 「一理あるな。全自動化された厨房と式神たちでは、微妙な匙加減は再現できない。それはヒトの領分だ」 「それもありますし、純粋に僕の手で料理を作ってみたいというのもあります」 「宗三がか?」 「何です、何か問題でも?」 「とんでもない。ただ、鳴狐といい宗三といい、アナクロニズムにこだわるのが意外だったんだ」  鳴狐がどうかしたのですかと首を傾げる宗三に、蜂須賀と少女は彼の趣味嗜好について身ぶり手ぶりを交えて語って聞かせる。いきさつを飲み込んだ宗三左文字はくすくすと笑みを零した。 「せっかく人の身を得たのです。あの人もこの機会を存分に活かしたいと考えたのでしょう」  かくして宗三左文字の希望により、新しい屋敷には本格的な厨房設備を取り入れることとなった。 ---  刀剣たちの希望を一通り聞き終えた主従は、「ついでですから」と宗三が淹れてくれた茶と菓子を手に、少女の居室に戻った。スケッチブックを見返しながら、立体投影された屋敷のサンプルを弄る少女の眉間には皺が寄っている。 「主、そう気を張らなくても良い」 「・・・・・・」 「何か不安があるのか?」  誰よりも信を置く近侍を見つめる彼女は不安の色が浮かぶ目を伏せた。言おうか、言うまいか。蜂須賀には、いたずらに前髪をもてあそぶ少女が葛藤しているように見えた。無理に聞き出しても良い結果にはなるまい。  蜂須賀が静かに茶を啜っていると、彼の主は鉛筆を手に取り、白紙のページに走らせ始めた。 『こわい。作り替えた屋敷がおかしなものになったら』 「仮に珍妙な屋敷をこしらえたとして、誰も主を責めたり、失望したりすることはない。むしろ愉快な日々を過ごせると喜ぶような連中だ」  蜂須賀たちが主と仰ぐ子どもは、蜂須賀の答えに俯いてしまった。彼女にとって蜂須賀の言は得心のいくものではなかったらしい。そのことに少なからず落ち込んでいる自分に気がついて、内心で苦笑する。  まだまだ己と主の対話は覚束ない。ちょっとした切欠で中断したり、巧く真意を伝えられないこともある。  けれど、と蜂須賀は思い直す。それは俺と主に限ったことではない。ヒトであれモノであれ、別個の存在が向き合えば、そこには何かしらの衝突が生じる。完全に意思疎通が可能な存在があるとすれば、それは人格をそのままトレースしたAIぐらいだ。ヒトが造り出したAIと、俺たちの様な付喪神との違いはきっと、手探りの対話を楽しむことができるかどうかなのだ。 「・・・・・・失態は、怖いことだ。俺にとっても」  静かに口を開いた己の近侍に、少女は意外そうな表情を作った。それは、顕現した時より、幼い主を支えんと勤めてきた彼がもらした、初めての弱音だった。 「長曽祢虎徹の名高い真作、蜂須賀虎徹の銘は、正直に言えば・・・・・・この身には重い。その化身に相応しくあらねばという想いが、いつでも俺を縛る」  この恐れが少女の抱くものと同質かはわから��い。主の心中を理解できると、容易く口にしたくはない。それは誠実な臣のあり方ではないと、蜂須賀虎徹がたどってきた長い歴史が告げている。
「 ヒトの身と精神を得てから日は浅いが、きっと恐ろしいのは失敗そのものじゃない。しくじった時に周囲がどんな反応を見せるかだと俺は思う。」 「少なくとも、俺はどんな結果になっても主を見下したりはしない。それは、虎徹としての矜持に背くふるまいだから」
 まるで初めて出会った相手にそうするように、蜂須賀にとって無二の主は、まじまじと彼を見つめた。やがて少女の表情から強ばりがゆるゆると溶けて、安らかなものに変わっていく。 『大事なことを忘れてた』 「何かな」 『はちすか、は、この本丸で何がしたい?』 「ーーそうだな、俺は」  蜂須賀が口にした願いを聞いて、少女は大いに面食らった。この表情は初めて見た! 新しい主の顔を見つけるのも悪くないものだと、蜂須賀虎徹は声を上げて笑ったのだ。
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第参話「蜂須賀虎徹、主にとある進言をせし事」2
 屋敷の庭にある植栽の中でも、その樹は一際異彩を放っていた。朱塗りの橋で繋がれた彼岸と此岸のうち現世の側にある楠の木。その幹は少女が懸命に腕を伸ばしても抱え切れない。まだ樹齢は若いけれども、葉は青々と茂り、枝ぶりも立派なものだった。  探し人の姿はこの大樹の根元にあった。修験者の装いをした刀の名は、山伏国広。彼は結跏趺坐(という��前の座法なのだと、他ならぬ彼自身に教えてもらったばかりだ)に印を組み、深い瞑想に入っていた。さながら楠の木と一体になっているかの様だ。いったん忘我の境地に達してしまえば、どんな喧騒も山伏国広を妨げることはできない。けれどもどういう理屈か、用事がある者が近づけば、たちどころに意識を浮上させ、呵々と笑いかけてくるのだ。
 少女がここで山伏国広を見かけたのは、彼が顕現したばかりの頃。その日は蜂須賀が遠征で本丸を留守にしていた。執務にも集中できず、気晴らしに散歩に出た先でこの楠を見つけたのだ。
 惹かれるままに歩み寄り、葉の隙間から零れる光に魅入っていた彼女は、足元に注意を払うことを束の間忘れた。隆起した根に躓き、あわや転倒……! というところで、木陰で瞑想していた山伏に助けられたのだ。彼に抱きかかえられた少女は大いに驚き、事態を悟ると顔を赤らめ、次には青くなった。   碌に受け身もとれやしないのに、不注意で木の根を傷つけ、そのうえ修行を邪魔してしまった。怒られる! と身構えた少女の予想は、しかしものの見事に裏切られた。山伏国広は彼女の無事を確めると「いきなり抱き抱えられてはさぞ驚いたであろう。しばし待たれい」と微笑みながら、屋敷の縁側まで運んでくれたのだ。  「修行に気を取られて主殿を危険に晒すとは! 誠に面目ない!」  どっかと地に腰を下ろし、目線を合わせてそう言い切った山伏に少女は呆けた。覚悟していた叱責や怒鳴り声はなかった。それどころか、何の落ち度もない彼が頭を下げている。 『わるいのは私なのに、どうしておこらないの?』  震えながらそう問いかけた少女に「主殿の顔を見ればわかり申す。拙僧が言わずとも主殿は十分に理解しておられる。然らば、叱責は不要!」と答えた山伏国広は、声なき嗚咽を漏らす主の頭を優しく撫でたのだった。  以来、少女はこの青年に蜂須賀虎徹とは異なる信頼を置いている。出会ってすぐに情けないところを見せてしまったから、彼の前ではどうも気を張ることができない。――甘えている、と言ってもいいかもしれない。だからこそ、真っ先に彼を訪ねようと思ったのだ。
 —–
 今日もまた、山伏国広は声を掛けられる前に意識を覚醒させたようだった。修行の邪魔をしたことを詫びる少女に、彼は鷹揚に笑ってみせる。しかしながら、いつも泰然とした山伏も此度の用向きにはいささか面食らったらしい。彼は己が顎を撫でながら唸った。 「拙僧がこの本丸に望むこと、であるか」 『なんでもいいんです』 「ふぅむ。しかし拙僧ここでの生活に不満はござらん」  眉根を寄せた山伏国広が少女に連れ添う近侍に目を遣ると、彼は幼い主と同じ表情を浮かべていた。山伏はこっそりと口の端を緩める。やはり似た者同士なのだ、この二人は。ここで答えに窮すれば、生真面目な彼らをいたずらに困らせるだけだろう。それは山伏国広の本意ではない。  彼は一計を案じると、やおら膝を打った。期待に満ちた目でこちらを見る主従にもったいぶって咳払いをしてみせる。 「主殿、拙僧は山を所望する!」 「――は?」 『やま、ですか』 「然様! 山に籠り、自然のなかで苦行を積むことこそ修験者の本分!」 「し、しかし山伏、それは!」 「無論、いまの主殿には難題だと承知しているとも」  山伏国広は呵々と笑って、いつかの様に主の頭を撫でながら「それゆえ、拙僧は未来の主殿にこの願いをお委ねしたい」と続けた。いくら自由度が高い霊子空間とはいえ、少女の技量では山一つを本丸に出現させることは不可能だ。少女も刀剣たちも練度が足りない。可能になるとすれば、それはずっと後の、未来の話。願いが成就する日を待ちながら、この本丸で生きていくことを望むと山伏は笑った。 「その日が来るまでは、この楠をお借りいたす!」  そう言って視線を上げた山伏につられて、少女と蜂須賀も真下から大木の枝葉を見上げる。木漏れ日が、眩しい。 「この木も拙僧も、主殿も同じ。有機体か霊子体かの違いはあれど、突き詰めれば皆ひとしく此世に在り、いつかは無に帰す」 『ほんものも、にせものも、ない?』 「御名答!」  蜂須賀虎徹の眉がピクリと動いたのに気づかぬ振りをして、山伏国広は少女を抱え上げた。楠特有の、濃い匂いが間近で立ち昇っている。高くなった目線の先にあるのは、小さな蕾! 山伏国広と少女が遭遇した折にはなかったものだ。  少女は頬を紅潮させながら蕾を指し、山伏に向かって唇をぱくぱくと動かした。 「然様! 主殿、この木は生きている。蕾が膨らみ花が咲きやがて実を結ぶ。他の樹木も同じ」  ゆっくりと大地に降ろされた少女は庭の植栽を見渡した。デフォルト設定のままの、作られた庭。けれどこの短い期間にも生命は巡り、ヒトと刀たちの記憶はごく微細な光の粒子となって、そこかしこに宿りはじめている。  霊子で構築された空間だからこそ、審神者たる少女の目にその変化は顕著だった。鮮烈な驚きのままに彼女は鉛筆を走らせる。 『山伏さん、おにわはこのままにしておきます』 「うむ、それもよかろう」 『そのかわり、おやしきに、きん肉をきたえるお部屋をつくりますね』 「おお、それは有難い!」  かくて幼き審神者とその近侍は、一振目の要望を聞き出すことに成功した。スケッチブックにしっかりとメモをとった少女は、山伏国広にぺこりとお辞儀をすると、軽い足取りで走り出した。次の刀の許へ行こう、私のたいせつな、彼らの願いを聞き届けるために。  「山伏国広」 「何であろう、蜂須賀殿」 「 ――感謝する」 「何のこれしき! 主の幸いは我らの一番の願いなれば」  蜂須賀虎徹は一礼をして、彼らにとって唯一無二の主の姿を追っていった。
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第参話「蜂須賀虎徹、主にとある進言をせし事」1
 姿見の前に、少女が立ちつくしている。瘦せぎすの少女はワンピースをおそるおそる当てては、溜息をつくという動作を幾度も繰り返していた。 ペパーミントグリーンの優しい色調、シャーリングが施された胸元。スカート部分はふわりと広がっており、袖はない。裾は同系色のフリルで縁どられている。それはまだ幼さの残る彼女の愛らしさをこの上なく惹き立てる衣装だった。しかし鏡を覗き込む少女の顔色は優れない。
 審神者に就任してからは支給された白衣と緋袴で通してきた。両親と生活していた頃もボーイッシュな服装ばかりで、制服以外のスカートは履いたこともなかった。髪型はいつもショートカット。  別段そういったスタイルを好んでいたという訳ではない。ただ母の選ぶ服や髪型をそのまま受け容れていただけだ。
 顎のラインを越えた髪を摘まみ上げてみる。毛先はもう肩に届きそうだ。霊子で構成されたこの体は、体格や背格好こそ生来のものと同じだが、色彩は大きく変化していた。髪は亜麻色に近くなり、黒かった目は灰色に転じた。  審神者の職務を全うすることで頭が一杯で、いつの間にか髪の長さなど気にも留めていなかった。霊子体の彩度は霊力の高さと反比例すると教わったのが、ずいぶん前のように思える。  生身の肉体ではないとはいえ腹は空くし、眠気もあれば排泄もする。髪や爪が伸びても不思議はない。少女はふと夢想する。今の私をお母さんが見たら何と言うだろう?
「あなたに女の子らしい服は似合わないわ」    脳裏に蘇った声に少女は肩を震わせた ―― やめよう。考えても意味のないことだ。この本丸はあの人を受け容れないし、たとえ私が俗世に戻っても、こんな髪や衣装であの人の前に立つ日はきっと来ない。
 少女は軽く頭(かぶり)を振って、戸惑いながらワンピースに視線を落とす。どうしてこんな事になってしまったんだろう?
  —–
 見事な勝利を収めた、あの初陣から数日後。傷を負った者たちの手入れも終わり、本丸に穏やかな日常が戻ってきた。
初の出撃任務を成し遂げた少女は、このほど運営から正式に審神者として認可された。ここまでくれば長かった研修期間も終わりだ。本丸の運営にかんする幾つかの制約が解除され、少女には新たな権限が与えられた。その一つが本丸の増改築である。
「主、これからは仲間も次々と増えていく。この際だ、屋敷の増築ではなく建築様式そのものを変更してみては?」
 昼餉を終え、自室で任務報酬の使途について考えていた少女は、近侍のことばに首を傾げた。
 現在、少女の本丸は武家屋敷の体をとっている。これは運営が提供したベーシックユニットである。審神者の拠点、本丸は霊脈が集中する地点ーー多くは寺社仏閣が建てられている土地ーーに設置される。  霊子によって形成された空間ゆえに俗世の人間には認知できないし、生身の肉体では立ち入ることはできない。
 審神者たる少女の肉体も、霊子体で形成されたアバターである。当然ながら彼女や刀剣たちが暮らす屋敷も霊子で構成されているため、審神者の操作によって好みの様式に変更が可能だ。  屋敷のカタログを立体投影しながら、どうかな?と問う蜂須賀虎徹に、少女はスケッチブックに鉛筆を走らせた。
『ぞうちくでは、ダメですか?』 「もちろん駄目ではないよ。でも、ここは俺たちにとって大切な家だ。デフォルト設定のままというのは少し味気ない気がしてね」
 少女から困惑した視線を向けられた汎用アプケーション、こんのすけは蜂須賀の意見に首肯した。
「屋敷の変更は主様にとっても霊子操作の良い訓練となります。今後の戦力増強を見据えて、使い出の良いデザインを採用されてはいかがでしょう」
 意外な反応に少女は困惑の色を深めた。主の愁眉を認めた蜂須賀が「もちろん、今のデザインが気に入っているのならそのままでも良い」と伝えると、彼女は首を横に振る。
『どんなデザインが良いのかわからないです』 「というと?」 『すきな物をえらぶのが、苦手なんです』
 そう書き終えると、少女は哀しげな表情のまま俯いてしまった。そんな主の反応に蜂須賀は内心で呻く。彼女が声を出せなくなった理由の一端を垣間見た気がする。チラリと管狐を見遣れば、彼は蜂須賀に軽く尻尾を振���て見せた。  おそらく蜂須賀の推測は当たっているのだ。とすれば、これは主にとって良い機会になるのではないだろうか?蜂須賀はカタログを消して、主に寄り添った。
「では、こういうのはどうだろう? 他の皆に要望を聞いて回るんだ。屋敷のデザインに限ることはない。顕現してからしばらく経つ。ヒトの身にも慣れて、そろそろ欲しい物や試してみたい事が出てくる頃だよ」
 どうかな? と微笑みながら問いかけると、少女は大きな瞳を潤ませながらも、しっかりと頷いた。膝を着いて立ち上がる主を支えてやりながら、蜂須賀は主が置かれていた環境に思いを馳せる。  自分の為には動けなくとも、他者の為なら動くことができる。それが蜂須賀の知る主だ。彼女の現状に打開策があるとしたら、鍵を握るのは本丸の仲間たちだろう。
「まずは皆を探しに行こう。今日は遠征に出ている者はいないから、屋敷の中にいる筈だよ」
 そう提案する近侍に少女は頷いて、板張りの廊下へと足を踏み出した。脳内で己が刀剣たちの姿がありそうな場所をリストアップする。鍛錬、内番、休養……誰がどこにいるだろうか。  一番はじめに思い当たったのは、少女にとっての師であり、蜂須賀とは異なる意味で頼みにしている一振。
『おにわの、大きな木のところにいきます』
 そう伝えると、着流しを纏った彼女の近侍は「謹んでお供しよう」と大仰に頷き、柔らかく微笑んで見せたのだった。
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第弐話「蜂須賀虎徹、主の笑みを目にす事」4
 慶応四年一月三日の午後。蜂須賀虎徹に率いられた刀剣たちは京の南方、下鳥羽に転移した。薩摩藩を中心に構成された新政府軍は城南宮から小枝橋にかけて東西に陣を展開し街道を封鎖。本拠地が置かれた伏見から縦列を組んで北上する旧幕府軍を迎え撃たんとしている。 
 蜂須賀らは新政府軍に悟られぬよう空き家に身を隠し、時間遡行軍の出方を伺っていた。史実ではこの日の夕刻に薩摩藩と旧幕府軍が激突、鳥羽および伏見で大規模な戦闘が発生する。鳥羽伏見の戦いと呼ばれるこの戦で京の街は炎上、大きな代償を払った末に、この戦闘は新政府軍の勝利で終わる。 「皆も知っての通り、鳥羽伏見の戦いは戊辰戦争の契機だ。この戦は歴史の転換点。この鳥羽に出現した以上、時間遡行軍の狙いは戊辰戦争の改変で確定だろう。介入すれば戊辰戦争のみならず、明治の御一新に至る流れを覆すことできる」  情報をまとめる蜂須賀の言を継いだのは、堀川国広であった。 「僕と兼さんの元主は、新撰組隊士を率いて伏見での戦闘に参戦した。よく覚えてるよ、薩摩藩の発砲が二つの戦の戦端を開いた」 「であれば、狙われるのは薩摩藩の砲兵という線が濃厚、ということでしょうか」  宗三左文字の推察に堀川が深く頷いた。「如何する蜂須賀殿」と声を掛ける山伏国広に、隊長を務める蜂須賀は黙考し、ややあってから堀川と五虎退を見る。 「五虎退、この周辺の偵察を頼む。時間遡行軍の気配を探って欲しい。堀川は土地勘を活かして新政府軍の動向を検分し報告を。つらいだろうが、くれぐれも我々の本分を忘れないでくれ」  愁眉を見せる蜂須賀を当の堀川国広は明るく笑いとばした。浅葱色の大きな瞳はどこまでも穏やかで、揺るぎない。 「ありがとう隊長、でも大丈夫! 肚ならとうに括っている。今の主はあの子。そしてこの任務は主と僕らにとって大切な初陣だ。見てて、新撰組の刀として必ず本領を発揮してみせるから」 「……ならば俺からは何も言うことはない。深入りは避けて、行動は慎重に」 「はい!」 「みなさんも、あの、どうかお気をつけて……!」  機動力に優れ隠密行動を得意とする二振は、互いに目を見合わすと、無言で異なる方向に飛び出していった。今後の行動方針は、彼らのもたらす情報によって決まる。それまでは、残された刀剣たちはこの空き家で待機となる。
 待つだけの身はつらい。こんなときは得てしてよくない妄想に囚われるものだ。藁座布団に座した蜂須賀は、頭の片隅に染みついた主への疑念について考えずにおれなかった。
—–  審神者の職務のなかでも鍛刀は運任せの面が強い。にもかかわらず、主は祝詞を唱えることも叶わない身でありながら、ほぼ理想的な刀種配分で仲間たちを引き寄せた。そのうえ彼らの性質は彼女にとって非常に都合が良い。主の気性では扱いが難しいと思われる刀剣男士は見事に弾かれている。
 気になる点はまだある。男士の肉体は審神者の霊子で構成されている。それゆえ、その気質や性能には良くも悪くも個体差が生じるのが常だ。  精神的に不安定な審神者によって励起された刀剣��なかには、モノとして経験した負のエピソードやかつての主の記憶に囚われ、審神者の制御下から逸脱する者もある。
 たとえば堀川国広。彼は新撰組副長である土方歳三の佩刀だ。幕末維新期に転移させると、元の主を生かそうと暴走する個体も少なくないと、彼を顕現させる前にこんのすけに聞かされた。  だからこそ蜂須賀は先ほど堀川を試す様な指示を出したのだが、彼に迷いはなかった。堀川国広という刀剣男士を形成するエピソード。その核となる元の主ではなく、今の主を優先すると言ってのけたのだ。
 宗三左文字もそうだ。彼はその来歴から主を挑発するかのような言動をとることで知られている。けれどわが本丸ではどうだ。主が幼く、哀れな身の上であることを差し引いても、他の個体と比較してその物腰は随分柔らかい。……おかしくは、ないだろうか。この不自然さ、まるで刀剣男士として人格を形成する過程に第三者の介入があったかの様だ。そしておそらく、初期刀である蜂須賀自身もその例外ではない。
 そもそも主はなぜ審神者に就任できたのか。審神者はその性質上、彼岸に親和性をもつ者――此の世の境界に立つ女性や子どもに適性が見出される。  けれども歴史修正主義者の全容は未だ明らかになっておらず、検非違使なる第三勢力まで登場する始末。刀剣男士はもちろん、審神者の身も安全とはいえない。女子どもに勧められる職業ではないのだ。  事実、演練で見かける審神者の多くはとうに成人を迎えた者たち。若い者でも十代後半。蜂須賀の主のように、幼いこどもが審神者を勤めている本丸を他に知らない。
 これらが意味することは何か? 蜂須賀が立てた仮説はこうだ。この本丸は非常に特殊な立ち位置にあり、それゆえ様々な便宜が図られている。おそらくは主の与り知らぬところで。  自らが置かれた境遇について彼女がどの程度理解しているのかはわからない。ただこんのすけは別だ。蜂須賀は彼の挙動から、かの管狐が主にかかわる重要な情報を秘匿していると確信している。何らかの理由で上層部からの庇護と監視の対象となっている審神者。それが蜂須賀の主である――。 「何か思い悩んでおられる様だな、蜂須賀殿」  不意に掛けられた声にハッとして振り返れば、いつの間にか隣の藁座布団に山伏国広が腰を下ろしていた。蜂須賀は内心の動揺を押し隠す様に居住まいを正す。この仮説はいまだ俺の疑念に過ぎない。何より今は任務の最中だ。仲間たちをいたずらに不安にさせることは避けなければ。 「そんな事は……いや、そうだな。少し」  山伏国広は聡い。彼に見据えられれば、平静を装ったところで容易く内心を見透かされてしまいそうだ。蜂須賀は考えた末に、思案していた内容の一部だけを明かすことにした。 「任務の最中にすまない。考えていたんだ。なぜ主は俺を初期刀に選んだのかと」 「ほう」 「面白そうな話ですね。僕らも混ぜて貰えますか」 「鳴狐も蜂須賀殿のお話に興味をもっております!」
 気がつけば残った刀剣たちが膝を突き合わせ、蜂須賀の周囲に集まってきていた。蜂須賀は思わず苦笑する。どうやら俺の気鬱など、仲間たちにはとうの昔にお見通しだったらしい。  最初に口を開いたのは宗三左文字だった。艶めいた微笑をにじませて、天下人の間を渡り歩いた銘刀は呟く。 「僕に言わせれば何の不思議もありませんよ。主と貴方は似た者同士ですから」 「似ている? 俺と主が?」 「ええ。生真面目で意志が固く、融通が利かない。それから人の耳目を気にする癖(へき)など、特に」 「宗三! 俺はともかく主を悪しざまに評するのは捨て置けないな!」 「おやおや、僕は褒めているのですよ。ねぇ山伏」
 水を向けられた山伏は「然り!」と膝を打ち、呵々と笑いながら頷いて見せた。 「短所は長所に通ず。拙僧はそれらが悪しき癖だとは思わぬ! ここには居らぬ兄弟も五虎退殿も想いは同じであろう。のう、鳴狐殿!」 「然様にございます!」 「……主も、蜂須賀も、皆の様子によく気を配っている」  話の雲行きに戸惑いを覚える蜂須賀に、山伏国広は力強く微笑みかける。 「袖振り合うも多生の縁と申す。主と蜂須賀殿の縁(えにし)にも俗世にあっては計り知れぬ理由があると愚考いたす」 「理由?」 「惹かれるものがあったのであろう。おそらくは主殿ご自身も気づいてはおられぬ、何かが」  少々面映ゆい想いをしながらも、蜂須賀は山伏の言葉を胸の裡で反芻する。懐にある主から授かったお守りを、装束の上からそっと撫でた。この任務を終えたら彼女に問うてみよう。己の何を見込んで顕現させたのかを。  蜂須賀が思索からゆっくりと意識を浮上させたその時、戸口に何者かが近づく気配があった。身構える一同を手で制して、蜂須賀は静かに誰何した。返ってきたのは「あの、五虎退です……!」という押し殺した声。  蜂須賀が頷いたのを見届けて鳴狐がそっと木戸を開けると、白い肌と髪をもつ少年が跳び込んできた。 「堀川さんから伝令です。鴨川べりで時間遡行軍を発見、敵軍は逆行陣を形成す。至急合流されたし!」  五虎退のことばを聞くや否や、彼らは速やかに立ち上がり空き家を後にした。すでに日が陰りつつある鳥羽の地を、一陣の風の如く駆け���ける。  偵察役として先んじて河原に潜んでいた堀川国広を確認すると、気配を絶って彼に合流した。今や敵影ははっきりと視認できる距離にあった。少女が呼び起こした六振の刀剣たちは、夜闇に紛れて己が本体を抜き放つ。 「――雁行陣だ。全力で往こう。我らの主に、勝利を!」 「応ッ!」   —–  待つだけの身はつらい。少女は落ち着かない想いで、自室に座して端末の画面を見つめていた。  ヒトの魂は時間遡行に耐えられない。転移先での陣頭指揮は部隊の長に一任される。いったん転移した刀剣男士たちに審神者ができることは少ない。こうして彼らのバイタルを観測し、不測の事態に備える程度だ。  「維新の記憶」は練度の低い男士たちが派遣される時代だ。他の記憶に比べれば危険性も低いとされている。けれども、それは彼らの無事を保証する根拠にはならない。戦場では何が起きてもおかしくないのだから。  その上、部隊には堀川国広がいる。彼の元主はこの時代を生きた人物だ。堀川に限ってそんなことはないと思いつつも、無茶をしていないか気が気でない。  だいじょうぶ。みんな、必ず帰ってきてくれるって約束してくれた。信じなきゃ――理性はそう囁くのに、少女の心は不安でいっぱいだ。
 審神者に就任してから、彼女のそばには常に誰かが居てくれた。だからこそ、人気のない屋敷に残されるのが酷くこたえる。とりわけ最初の日からずっと共にあった蜂須賀の不在は、少女を落ち着かなくさせた。  頼みのこんのすけは「彼らが帰還するまで私達にできることはありません」と素っ気なく告げるのみで、さっさとスリープモードに入ってしまった。どこまでも事務的なインターフェイスの態度が恨めしい。思わず溜息が出た。
 正直に言えば、課された任務の達成よりも、少しでも早くこの不安と寂しさが解消されることを願う自分がいる。この手で顕現させた男士たち、その誰か一人でも欠けたら、この虚ろな心を満たすことは生涯できないだろう。   彼らと共に生活するこの本丸こそが唯一の居場所であり、帰る場所になっていたのだと、今更ながら気づかされた。 きっともう、彼女は彼らの誰一人としてこの本丸から解放してやることはできない。独立した人格を有する彼らの意志を無視する行いは、審神者として恥ずべきものだとわかっていても。  蜂須賀に託したお守りの本体、彼女の霊子波長が刻まれた呪符を手繰り寄せると、少女は祈るように霊力を籠めた。どうか無事に帰って来て。一刻も早く。
 —– それからどれくらい経ったのだろう。極度の緊張に耐えきれず、うつらうつらと舟を漕いでいた彼女は、自身のものとよく似た霊気を察知して目を覚ました。文机に投影された画面には、ゲートが起動中であることを示すアイコンが表示されている。彼女は手をついて立ち上がり、庭へと一目散に駆けだした!  広間の襖を開け放ち、庭に面した広縁から目を凝らせば、浮島に建つゲートが発光している。声を発することのできない唇が戦慄く。沓脱石の草履を引っ掛けるのももどかしく、少女は転げ落ちるように走りだした。  転移に伴う霊子光がゆっくりと収束すると、そこには六つの人影のみが残されていた。そのうちの一つが少女の姿を見とめて駆け寄ってくる。先に走り出した少女よりもその足は速い。彼と彼女は息を整えながら、朱い橋の袂で向き合った。  今にも泣き出しそうな彼女は、労いのことばを彼に伝えようとして……スケッチブックを自室に忘れたことに気がついた。ああ、何てこと!こんな時に限って!
 狼狽する彼女をよそに、主の許にたどり着いた彼、蜂須賀虎徹は気品ある仕草で跪き、ゆっくりと顔を上げた。絹糸のような薄紫の髪が、その顔(かんばせ)からハラハラと流れおちていく。 「第一部隊、総員ここに帰還! 軽傷者4名、中傷者2名。重傷者は無し。任務達成、我ら敵軍の殲滅に成功す!――俺たちの勝ちだ。ただいま、主」  呆けた様に蜂須賀を眺めていた彼女は、やがて嗚咽を上げ始めた。主の動揺ぶりに腰を浮かしかける己が近侍を制して、その頬を両の手で包み込む。無事を確かめるように何度も頬を撫でるうちに、少女の緊張はゆるやかに解けていく……。
 白く滑らかなその頬は、戦の余韻か、いまだ熱をもっていた。肌の温もりを直に感じとった少女の胸に、実感は遅れてやってくる。生きているのだ、彼は! 音を成さない言の葉に応えてくれた、たった一人の蜂須賀虎徹は!
  冷え切っていた少女の掌が温まる頃には、ゆったりと歩を進めていた他の者たちも皆、橋を渡り終えていた。決して軽くはない傷を負いながらも、彼らの顔に浮かぶのは疲労ではなく、喜色。  見事に初陣を終えた彼女の刀剣は、ある者は誇らしげな顔で、またある者は柔らかな笑みを浮かべて、彼らの主を見つめている。
 ひとりひとりの顔を確かめ、全員が帰還した事を認めた彼女は、顔をくしゃりとゆがませた。 大きな灰色の目から、幾筋も熱い涙が零れ落ちる。いつも不安の色を浮かべていた幼さの残る頰には赤味がさして、薄い唇の端が花がひらく様にゆっくりと緩む。  それは紛れもなく、彼らが顕現してから初めて目にした、主の笑顔。 息を飲む一同を見渡しながら、ありったけの感情を籠めて、少女は無音のことばを一音ずつ紡いでいく。 
『お・か・え・り・な・さ・い』
 あのスケッチブックはないけれど、主の想いを載せたその音は、温かな雫となって、刀剣たちの胸にジワリと染み込んでいったのだった。
了.
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第弐話「蜂須賀虎徹、主の笑みを目にす事」3
 本丸に付随する庭園を流れる人工池泉、その中心に浮かぶ島にソレはある。ソレは一見すると朱丹塗りの両部鳥居だ。  しかし、その奥に社殿の姿は無く、開けた空き地が広がるばかり。この鳥居、実のところは「ゲート」と呼称される時間遡行装置であった。   ゲートのある島と屋敷の庭との間に架かる朱塗りの橋。その手前には、この本丸に所属する刀剣たちが戦装束を纏って勢揃いしていた。彼らの主たる少女の姿もある。  彼女の前に投影されている画面は、刀剣男士が遡行する時代・地域を設定するアプリケーションである。
 審神者たる彼女の役目は、画面に浮かぶアイコンをタップすることだけだ。指先の動作ひとつで、ゲートを潜った刀剣たちはこの場から搔き消え、指定した時代へと転移する。こうして見送りに出て来る必要すらない。  けれども彼女は、安穏と部屋に籠ってはいられなかった。転移に失敗したらどうしよう? 遡行した先で予期せぬトラブルに巻き込まれるかもしれない。敵軍との戦闘で重傷を負うこともあるだろう。  時間遡行軍の出現した地域に刀剣たちを送り、脅威を排除する。それこそが審神者の本分ではあると頭では理解している。しかしどうしても不安は拭えない。もしも予期せぬ事故で彼らを失うことになったら、正気ではいられまい。  自ら顕現させた彼らとの付き合いは日が浅い。けれどこの本丸での日々は心休まるものだった。彼女にとっては生まれて初めて味わう温かな家。こんな場所を知ってしまったら、もう以前の孤独な生活にはきっと耐え切れない。
 そしてそれ以上に、この任務が失敗した場合に待ち受ける未来が、何よりも、怖い。彼女が審神者に就任した経緯は極めて特殊で、その立場は不安定だ。  審神者としての適性に疑問がもたれる様な評価が下されたら、このプロジェクトは頓挫する。そして彼女はあの家に戻らねばならない。
 想像するだけで胃が冷え込む様だった。俯く彼女は震える腕で自らを抱きしめる。不意の目眩に襲われて足元がふらつく。視野が狭くなって、周囲の音さえ聴こえない…!  恐怖に身を縮こませていた少女は、両肩に添えられた手の重みにはっとして顔を上げた。彼女が最初に顕現させた刀剣男士、蜂須賀虎徹が、彼女を背後から優しく包みこんでいた。
「主、君が呼び起こした俺たちの力を信じてくれ」
 艶のある美しい髪が彼女の頬や首に触れる……くすぐったい。声にならない吐息が零れる。視界を遮られ、目に映るものは彼の瞳だけ。薄紫の瞳はどこまでも穏やかに凪いでいた。 その瞬間、彼女はすべてを忘れてその瞳に見惚れていた。 「主さん、蜂須賀さ……じゃなかった、隊長の補佐なら僕に任せておいて!」 「ぼ、僕もあの、が、頑張ります! 皆さんに、たくさん鍛えてもらいましたから!」 「然り! 殿(しんがり)は拙僧に任せられい。何、これでも腕には覚えがある。蜂須賀殿が存分に戦える様に力を尽くそう!」  背に掛かる声に振り返れば、彼女を主と慕う刀剣たちが優しい目で彼女を見つめていた。驚きに目を見張る彼女に、場の成り行きを静かに見守っていた宗三左文字がゆるりと口を開く。 「主、どうやらこの部隊は隊長を筆頭に血気盛んな者たちばかりのようです。功を焦って突出せぬよう、僕が見張っておきましょう」 「酷いな宗三! それでは俺が猪武者の様じゃないか」 「おや、違うのですか?」 「何だと!?」 「アアホラ、やっぱり猪そっくりです」  うっそりと微笑んで言ってのける宗三に、生真面目な蜂須賀がグイと詰め寄る。そこに「はいはーい! 二人とも、そこまでです」とすかさず割って入るのは堀川だ。  山伏は「実に結構! 仲良きことは素晴らしき哉!」と呵々と笑い、鳴狐のお供が「いかにもいかにも」と調子を合わせる。  五虎退はといえば「あわわ…! 喧嘩は、あの、駄目ですぅ」と涙声で駆け寄ったはいいが、ものの見事に転んでしまい、宗三と蜂須賀に助け起こされる始末。どっと笑い声が起きた。
 屋敷の庭が明るい喧騒に満たされていく。常と変わらぬ彼らの姿に、身体の強張りがゆっくりと解けていった。そうして落ち着きを取り戻した彼女は悟る。  不安を隠せぬ主の為に、彼らはわざとおどけてみせたのだ。刀剣たちにとっても初めての出陣だ。実戦に挑む彼らとて、不安なのは同じだろうに。 「大丈夫。すぐに帰ってくる」    いつの間にやってきたのか、彼女に寄り添うように立つ鳴狐が自らの口でそう呟いて、主の頭を優しく撫でた。先ほどまでとは別種の感情の奔流に飲み込まれて、彼女の瞳が涙で潤んでいく。
 私はじぶんのことしか考えられなかったのに。みんな私のことを心配してくれた。なら、私もみんなの主としてちゃんとしなきゃ。
 深呼吸をした彼女は、己の頬をパンとはたいてから鳴狐の手を引く。主の意を正確に汲み取った彼は、「みんな、ちょっと集まって」と仲間たちに呼び掛けた。  駆けつけた刀剣たちを前にして、彼女は懐から懐紙に包まれた何かを取り出し、その場で開封した。中から現れたのは六人分のお守り。その意味するところを悟って、蜂須賀が弾かれた様に顔を上げた。 「主! これは」 『みんながあぶない目にあわないように、おこづかいで、買いました』 「主……」  刀剣男士たちの肉体が完全に破壊される前に、魂を本丸へと帰還させる機能をもつこれは、決して安いものではない。  彼女が本丸にもちこんだ数少ない私物の中に、陶器の貯金箱があったことを蜂須賀は思い出した。 お菓子の家を象ったその貯金箱を主は自室に飾り、ことのほか大切にしていた。そうだ、最近あれを見ていなかった。  何かを言いたげにこちらを見遣る近侍に向かって、彼女はスケッチブックを掲げてみせる。『かならず、ぶじに、帰ってきて』。  蜂須賀はこみ上げてくる涙を堪え、小さな手が差し出すお守りを部隊を代表して恭しく受け取った。あえて口にはすまい。主の心づくしに報いるためにも。
「――この蜂須賀虎徹、かならずや任務を遂行し、御前に帰還してみせましょう」  最初に出会ったときの様に、膝を着く蜂須賀虎徹。その頬に手を伸ばして触れた彼女は、大きく頷いた。 —–  『いってらっしゃい』という文字に応と頷いた一同���、朱塗りの橋を渡り浮島に足を踏み入れた。橋より先は高濃度の霊子に満ちた空間。ヒトである彼女は立ち入る��とができない。鳥居型のゲートの手前で、準備はできたとばかりにこちらを振り返る刀剣たちに手を振って、一呼吸。  彼女は意を決して、「維新の記憶」というアイコンをそっとタップした。ゲートを潜り抜ける直前、蜂須賀が発した鬨の声が周囲に響き渡る。
「さあ征こう! 俺達の、戦場へ!」
  次の瞬間には、刀剣たちの姿は浮島から消え失せていた。彼らの行先は鳥羽。戊辰戦争の緒戦となる鳥羽伏見の戦い。その勃発地である。  
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第弐話「蜂須賀虎徹、主の笑みを目にす事」2
 軽快な足音と共に、板張りの廊下を黒髪の少年が駆けてくる。臙脂色のジャージを着込んだ彼は、この屋敷の最奥に位置する一室の襖を勢い良く引いた。
「主さん! お茶の準備ができましたよ!」
 溌剌とした声で叫ぶのと同時に、ぴょこりと顔を覗かせた彼はしかし、目していた人物とは別に先客があることを悟って、小さく「あちゃぁ」と呟いた。 「・・・・・・堀川国広。ここは仮にも主の御座の間だ。口煩く言うのは本意ではないが、せめて襖を開ける前に声をかけろ」 「あははっ! ごめんなさい! 主さん、蜂須賀さん」
 明るい声で笑う少年の名は堀川国広である。屈託のない彼の笑みに、蜂須賀虎徹は眉根を寄せてこめかみを押さえる。
 この部屋の住人たる少女は、そんな対照的な二人の表情に口許を緩めた。文机に向かう彼女は、蜂須賀の助力を受けながら、運営に提出する報告書を作成しているところであった。  スケッチブックにサラサラと鉛筆を走らせると、その場で居直り、堀川に今しがた書きつけた文字を掲げる。
 「ありがとう堀川くん」と書かれた頁を確認した堀川は、まだあどけなさの残る主に「どういたしまして。主さん!」と微笑んだ。
「主、甘やかすのは良くない」 「蜂須賀さんすみません! 今度からは重々気をつけますね」
 言外に、だから主を責めないであげて、と語る堀川に、蜂須賀はグッと押し黙る。視界の端に、少女が戸惑いながら彼らの顔を見比べているのを捉えたからだ。
「ぜひそうしてくれ。……主、丁度いい頃合いだ。そろそろ休憩にしよう」
 彼らの、いや、この本丸に属する全ての刀剣たちの上に立つ少女は、己が近侍の提案にゆっくりと頷き、膝を着いて立ち上がる。  彼女と蜂須賀虎徹が新たな刀剣たちを鍛刀してから、すでに一〇日が経っていた。
—–  堀川国広に連れられて居間に足を踏み入れば、他の者たちはすでに大きな卓を囲んで座していた。彼らは主の到着を待っていたのであろう。  到着が遅れたことを詫びるよりも先に、胸元を目がけて跳びついて来た五匹の子虎たちから熱烈な歓迎を受けて、彼女はまごついた。
「ああっ! 虎君たち、主さまに飛びついたら駄目ですぅ!」 「よいではないか五虎退殿。あやつらのおかげで見事に場が和んだのだ。実に結構!」
 線の細い少年が悲鳴を上げて腰を浮かすのを、青髪を短く刈りあげた青年が呵々と笑って宥めた。続いて声を上げたのは、面頬で顔を覆った青年、の膝元に控えていた狐である。 「主様! わたくし! わたくしめも存分に愛でてくださいませ!」 「・・・・・・駄目。お茶が先」
 虎たちを羨望のまなざしで見遣る小さな相棒を、寡黙な青年がたしなめる。最後の一人、桃色の髪を括った青年は艶のある声でそんな一同に呼びかけた。 「さぁ皆さん。何はともあれ主をお迎えしましょう」  賑やかで、それ以上に温かい雰囲気に包まれた部屋。戸口に立ったままの彼女は、涙を滲ませながら静かに俯いた。  この人たちは私を責めたりしない。みんなとても、優しい……。  祈りを捧げるかのように胸元で自らの手を組む彼女の背に、そっと手を添えたのは蜂須賀虎徹である。やさしい熱を感じて振り仰げば、「席に着こう、主」と穏やかに微笑む彼に、頷く。
 山伏国広、宗三左文字、鳴狐、堀川国広、五虎退、そして蜂須賀虎徹。発足したばかりの第一部隊を構成する面々が、ここに勢揃いしていた。 —–  新たに五振を鍛刀した彼女は彼らを順に顕現させた。最初に呼び起こしたのは短刀である五虎退である。蜂須賀のときのような霊力の枯渇に直面することもなく、儀式は無事に終了した。  審神者として経験を重ねるにつれ、霊子制御の精度が上がり、霊力の消費量を抑えられるようになったのではというのが、こんのすけの見解である。
 蜂須賀もまた、主に負けず劣らず忙しい日々を過ごしていた。近侍としての職務に加えて、新しく顕現した者たちの居室の手配や、生活用品の調達、風呂や手入れ部屋の設置と、成すべきことは幾らでもあったのだ。
 せめてもの救いは、食事の準備や掃除、洗濯といった家事については、本丸を支える演算機とその端末たちがこなしてくれている点だろう。だが彼らにはヒトや自立式AIのような細やかな配慮は期待できない。状況に応じて詳細な指示を下し、現場を監督する者が必要だった。  さいわいにも、五虎退と、彼の次に顕現した堀川国広はこういった分野に優れた才を発揮した。この本丸において、蜂須賀の手が行き届かない部分でその辣腕を振るう二人の存在は大きい。  続く打刀の、鳴狐と宗三左文字もまた、主の置かれた状況とこの本丸の特異性を理解すると、進んで協力を申し出てくれた。彼らは刀装作成や遠征を担当し、運営から課される任務達成に貢献した。
 最後に顕現した山伏国広はヒトの身を得て間もないが、人体の構造をいち早く把握し、皆に各々の体格や刀種特性に応じた戦い方を指導している。演練においてその効果はいかんなく発揮された。蜂須賀が席を外している折になど、その陽の気でもって主の抱える不安を和らげてやってもいるようだ。
 主と蜂須賀ふたりきりであった頃に比べれば、何と賑やかで心強いことであろう。蜂須賀は薫り高い茶を啜りながら、一同の顔を見渡す。皆、信頼できる仲間たちだ。  彼らの支援のもとで、主たる彼女は着実に練度を上げている。本丸も生活の拠点として十分に機能するようになった。となれば、そろそろ件の管狐から何らかのお達しが下されて然るべきだろう。
 はたして、蜂須賀が湯呑に落としていた視線を上げたとき、ここ数日姿を見なかった管狐型インターフェイス――こんのすけが不意に中空から出現し、ネコの様に身体をしならせて審神者の前に着地したのだった。
「ご無沙汰しております主様。こんのすけは運営よりご指示を預かってまいりました」
 彼女は一瞬だけビクリと肩を震わせたが、蜂須賀と同じく密かに覚悟を決めていたのだろう。深呼吸を一つすると、正面からこんのすけを見据えた。
「すでに万事は整いました。速やかに部隊を編制し、ご出陣ください」  管狐がもたらしたのは、運営からの出撃要請。そう、ついに来るべき時が来たのだ。彼女と彼らにとっての初陣が、ここに幕を明けたのである。  
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toki-ko-ko · 7 years
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第弐話「蜂須賀虎徹、主の笑みを目にす事」 1
 晴れて主従となった口の利けぬ少女と蜂須賀虎徹。彼女と彼は並んで中座敷に座し、こんのすけのことばに神妙な面持ちで耳を傾けていた。  この管狐型アプリケーションは、運営から派遣された情報官であると同時に、審神者および本丸の監査官でもある。
「通常のオリエンテーションでは、顕現の次に初期刀を単騎出陣させ、重傷状態の危険性について実践的なレクチャーを受けていただきます。しかし、主様にはこの行程は刺激が強すぎるとこんのすけは判断します。よって、鍛刀による戦力の拡充を図り、しかる後に初陣に挑むのが良いでしょう」
 新米審神者である彼女は、愛用のスケッチブックではなく手帳を広げ、熱心に管狐の意見を書き込んでいる。どこか微笑ましいその姿を見守っていると、鉛筆を走らせていた彼女が不意に手を止めた。 何か気になる点でもあったのだろうか。
「主様、ご質問でしょうか?」
 蜂須賀がスケッチブックの新しい頁を開いて差し出せば、彼女はぺこりとお辞儀をして素早く文字を書き連ねた。
「『どの刀種を鍛刀すればいいですか?』ですか。そうですね、部隊は六名単位で構成されることはご存知ですね。まだ資源が潤沢だとは言えませんので、槍と大太刀は除くのが良いでしょう。かといって短刀と脇差ばかりでは戦力に不安が残ります」 「・・・・・・では、太刀を狙える配分で打刀を鍛刀し、残った分で最低値のレシピを回す、というのはどうだ」
 蜂須賀の提案に幼い主はゆっくり頷き、賛成の意を示す。
 霊力の枯渇で衰弱した彼の主は、二日ほどを養生に費やした。看病をしていた蜂須賀の目にも、彼女の霊力がいまや十分に満ちていることは明らかだ。精神的にも落ち着きを取り戻しているように見える。
 審神者の霊力を大量に消費する顕現とは異なり、鍛刀を担うのは妖精型の式神たちだ。審神者は彼らに資源の配合や投入量を指示するだけでいい(ただし本丸運営において、資源の管理は顕現以上に審神者の手腕が問われるポイントではある)。むろん式神たちを動かすのにも霊力は必要だが、顕現と比較すれば微々たる量で済む。
「資源の保有状況はこのようになっております」
 こんのすけがトンと前足で畳を踏み鳴らすと、二人の正面に詳細情報が投影された。主と共に画面を覗き込みながら、今日のところは鍛刀に専念し、明日から日に一振ずつ顕現させていくのが良かろうと蜂須賀は黙考していた。
—–  この本丸の鍛錬所は、屋敷とは独立して設けられている。ブリーフィングを終えた蜂須賀と彼女は、こんのすけの先導で初めてそこに足を踏み入れた。政府から支給された形代に息を吹きかければ、それらは瞬く間に鍛冶師の出で立ちをした小人に変じていく。
 律儀にも件のスケッチブックを使って「私は声が出せません」と説明し丁寧に頭を下げる彼女と、そんな審神者の態度に狼狽し、ジェスチャーで顔をあげてくれと必死に訴える式神たち。  彼らの姿はなかなかに愛らしく、もっと堪能してみたくはあったが、蜂須賀は真摯な主に報いるために式神の声を代弁してやることにした。
 赤面して頬を覆う彼女の周囲で、式神たちが戯れている。どうやら彼らは、早くもこの幼い審神者に親愛の情をもったらしい。
 その有様を見つめる蜂須賀の胸に、ふと暗い予感がよぎった。ごく簡易な術式で構成される式神が、こうまでヒトに懐くことは珍しい。彼女はヒトではない者たちに愛される資質をもっているのかもしれない。  審神者としては才に恵まれている、と言えるのだが――殺伐とした俗世にあっては、彼女はひどく生きづらいのではないだろうか。
 蜂須賀虎徹は頭を軽く振って、頭に浮かんだ考えを打ち消した。
「主、彼らと戯れるのも良いけれど、そろそろ本題に入ってはどうかな?」
 信頼する近侍の声に、彼女は何度も頷いてみせたのだった。 —–  式神たちの手で鍛冶場の炉に火が熾されてから三時間後。再び中座敷に戻ってきた二人は、五振の刀剣を畳の上に並べた。手伝い札を用いながら鍛刀を続け、新たに加わった六振の内訳は、太刀一、打刀二、脇差一、短刀一、である。
「まずまずの結果と言えます。初期の段階で、資源の消費が大きい太刀ばかりを運用するのはお勧めできません」
 緊張した表情の主に『どうですか?』と問われたこんのすけは、事務的な口調で意見を述べた。ホッと息を吐く主を労わりつつ、蜂須賀はかの管狐に刀帳を見たいと希望する。  新たな刀を鍛刀、あるいは拾得した場合、該当する刀剣男士の頁にかけられた閲覧制限が解除される仕様になっている。
 主従二人で刀帳と照らし合わせた結果、彼らの名前と初期値が判明した。太刀は山伏国広、打刀は鳴狐と宗三左文字、脇差は堀川国広、短刀は五虎退であった。
「主、どうやら重複した者は居ないようだ。全員が仲間に加わってくれる」
 良かったね、と続けた蜂須賀に、彼の主は灰色の瞳を潤ませながら深く頷いた。それを喜ばしく思う蜂須賀の頭にはしかし、ある疑念が浮かんだ。
 山伏国広は筋骨隆々の鷹揚な男だ。気さくな性分の持ち主でありながら、達観した面をも持ち合わせている。戦力としても申し分ない。きっと彼女の良き相談相手になってくれる。  鳴狐もまた口数こそ少ないが人懐こい性質の青年だ。彼がお供に連れている狐は、その愛らしさでもって彼女の張りつめた心を癒すだろう。  宗三左文字は一癖ある性格をしているが、彼女が抱える苦悩を解する者になりうる。年長の彼らは、彼女の良き師、良き兄となるに違いない。
 堀川国広は脇差の特性を濃く反映した朗らかな少年だ。何かと苦労の多い彼女の介助を、進んで引き受ける姿が目に浮かぶ。  短刀の五虎退は言わずもがな、闘いを厭う優しい子だ。武器としての自らに自信がない面もあるが、それゆえに彼女とは通じ合う所があるだろう。個性の強い短刀たちのなかで、彼女が最も親しみやすい性質を帯びている。  この面子は主にあまりに都合が良い。これではまるで、自らにとって心地の良い存在を選んで鍛刀したかのようではないか。  馬鹿々々しい発想だが、蜂須賀にはどうしても、この人選の裏に何か大きな力が働いている様に思えてならなかった。
 もしこの疑念が的を射るものであったとしたら。初期刀である蜂須賀も例外ではないだろう。ならば、俺のいかなる性質が彼女を惹きつけたのか。当の主に袖を引かれるまで、蜂須賀は思考の海に耽溺していた。 
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第壱話「蜂須賀虎徹、口の利けぬ主と出会いし事」 3
 足音も荒く自室に駆け戻った彼女は、勢いよく襖を引いた。震える指を叱咤して鍵を掛ける。金輪に引っ掛けるだけの機構が何とも頼りない。
 立て籠もるには向いていない部屋だ、力づくで突破されたら防ぎようが無いなという冷静な判断と、もうどうにでもなってしまえという自暴自棄な想いが交差する。
 顕現の為にもてる霊力を全てつぎ込んでしまった彼女には、体力はほとんど残されていない。くわえてこの全力疾走だ。強い目眩に襲われ立っていられなくなって、ずるずるとその場にへたり込んだ。もはや身体を支えることすら億劫で、そのまま襖にもたれかかる。
 成功の喜びに浸っていられたのは一瞬だった。いざ彼を目の前にしたら途方もなく怖ろしくなったから。  私みたいな何の取り柄も無い子どもが彼を呼び出した? 本当に? 何かの間違いではないだろうか。だって、彼と並び立つ自分のイメージがちっとも湧かない。釣り合わない。私と彼とではぜんぜん釣り合わない!
 そんな想いに襲われて、気づいたらあの場から逃げ出していた。私の呼び声に応えてくれた、優しい彼を置き去りにして。見知らぬ相手、慣れない地にひとりきりで、きっと心細かっただろうに。
 極度の不安からしくしくと痛みだした胃に掌を添えた拍子に、涙があふれて畳に零れ落ちた。今更ながらに彼女は気づく。  そうか、私泣いていたんだ。声が出せないと、こんなことにも気づけない。自分のことなのに・・・・・・。
 手で顔を覆った彼女の喉から漏れだすのは、引き攣った吐息だけだった。動揺する彼女は、その身を苛む陰鬱な気分が、霊力を急激に放出した副作用だとは理解できずにいた。ただひたすらに己を責めては、自縄自縛のループに沈み込む。
 こんなとき、どう対処すればいいのか彼女は知らない。弱ったときに背を撫でてくれる大人は、彼女を取り巻く世界にはいなかったから。
 感情の奔流に身を任せて泣き叫ぶことすら叶わず、彼女はただただ涙を流し続けた。
—–
 蜂須賀虎徹は彼の主が住まう一室の前に居た。金色に瞬くあの霊子の気配を辿って、ここまで追って来てしまった。微かに空気を震わすのは、声を上げて泣くことすら叶わない主が立てる嗚咽だろう。
 襖に背を預けて泣きじゃくる幼い主の姿を想像すれば、あまりの痛ましさに胸が痛む。特殊な事情を抱える主にどう接するのが正解なのか、ヒトの肉体を得たばかりの蜂須賀にはわからない。  あの管狐には「いずれ落ち着くからしばらく放っておけ」と説かれたものの、どうしても素直に従う気にはなれなかった。彼女を突き動かすものについて、多少なりとも知ってしまった今となっては猶更だ。それに、蜂須賀の直感が正しければ、彼女は……。
 広縁に立つ蜂須賀は覚悟を決めると、深呼吸してから襖に手を添えた。
「・・・・・・主、俺だ」
 ヒッと息を飲む気配と衣擦れの音。予期せぬ蜂須賀の訪問に面食らって体勢を崩してしまったのだろう。室内の畳が軋んでいる。
「押し入るつもりはないよ。どうかそのままで聞いて欲しい」
 困惑しているのか、あるいは驚きのあまり思考停止してしまったのか。いずれにせよ、幸いにも主はその場に留まったままでいてくれるようだ。この機を逃すまいと、蜂須賀はことばを重ねる。
「俺は怒っていない。まぁ、少々面食らったことは否定できないかな?」
 蜂須賀を撥ね退ける勢いで立ち上がった少女の姿を想い出せば、自然に笑いがこみ上げてくる。なかなかの俊敏さだった。 「もし俺の機嫌を損ねたとでも考えているのなら、それは無用の心配だ。あれだけ熱烈に呼びかけてくれた声の主に出会えたんだから。とても嬉しかったよ、君の姿を『見る』ことができて」
 幼い主が狼狽する気配がつぶさに伝わってくるが、蜂須賀は敢えて無視を決め込んで語り続ける。祈りのことばを唱える様に。 「眠りの淵で君の声を聞いて、どうしてか気を惹かれた。この審神者に応えてみようと初めて思えた。俺を現世に顕現させたのは、紛れもなく君だ」
 それから数分も経っただろうか。カチカチという軽い金属音の後に、幼い少女は自ら姿を現した。  罰が悪いのだろう、俯いて蜂須賀と顔を合わせようとしない彼女の表情は、肩口で切り揃えられた髪に隠されている。そんな主の様子に蜂須賀は笑みを深めた。
 やはり己が直感は正しかった。彼女は管狐が語るほど弱くはない。強い意志と、審神者としての矜持をこの細い体の内に秘めている。  少女の前に跪いた蜂須賀は、スケッチブックと鉛筆をそっと差し出した。驚きに目を見開いた少女と蜂須賀の視線が、今度こそしっかりと合わさる。
「俺の身体は君の霊子で構成されている。ここにいるのは君という存在から派生した、世界で唯一の蜂須賀虎徹だ。けれど俺は君ではない。君の考えていることがわからない。だから君のことばを聞かせて欲しい。俺は主のことを知りたい。幾ら時間がかかっても、構わないから」
 泣き腫らして、すっかり赤くなった彼女の眼球から新たな涙が溢れるのを、蜂須賀虎徹は確かに見た。
 かくして、声を紡ぐことのない唇を戦慄かせた少女と、彼女を傷つけぬよう胸元にそっと抱きよせた彼は、ここに主従と相成ったのだった。
了.
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第壱話「蜂須賀虎徹、口の利けぬ主と出会いし事」 2
 そこは彼女にとって新天地であった。脅かす者のいない夢の様な場所。これからはずっとここで暮らすことができるのだ。この儀式を成功させることさえできたなら。
「――以上でガイダンスを終了します。さあ主様、『初期刀』を選択してください」
 子狐の形をしたアプリケーションの声が、水膜を隔てた様にくぐもって聞こえる。耳がうまく働かない。激しく脈打つ心臓の鼓動のせいだろうか。
 初期刀の顕現は、審神者を志す者に課される最後の試験だ。五振の打刀から最も相性の良い個体を選び出し、これを顕現させなければならない。 この儀式を無事に完遂できなければ、審神者の適性は無いものと判断され、時間遡行と審神者システムに関する全ての記憶を消去される。
 彼女が審神者になると決断した日から早二カ月。あれからひたすらに修練を重ねてきた。それは一〇歳の誕生日を迎えたばかりの身には過酷な日々ではあったが、あの家から離れたい一心で食らいついた。仮想空間におけるシュミレーションでも、合格ラインに到達する成績を必死で叩き出している。  それらすべての努力が報われるか否かは、これから挑む儀式の結果にかかっているのだ。
 正直に言えば、未知の世界に足を踏み入れるのは怖ろしい。もしも失敗してしまったらという不安もある。それでも、新しい環境を希求する想いの方がずっと大きかった。ゆっくりと深呼吸を繰り返してから、彼女は眼前に出現した刀帳に近づいた。
 モノに宿った魂に形を与える術式、顕現は、本来は素養の高い血族に伝わる一子相伝の奥義である。審神者として高い資質を有する者が、何十年も修行を続けた果てにようやく習得するものだ。
 だが歴史改変という特異なテロルの前に、悠長に審神者を育成する余裕は無い。ヒトの魂はタイムリープの反動に耐えられない。時間遡行軍に対抗できるのは、無機物――それも武器から生じ戦の才を備える付喪神だけなのだから。彼らをヒトとして励起させられる審神者の絶対数を、短期間で増大させる必要があった。
 そこで時の政府は、付喪神の外見、性能、人格をある程度まで固定することで、顕現をより簡易な術式へと再構築した。いわば顕現のマニュアル化である。これによって、新たな審神者を大量に輩出することに成功した。  この手法で励起された付喪神の能力は旧式のそれに大きく劣るが、同一の規格をもつ付喪神を無限にコピーできるというメリットがあった。そうして開発されたのが刀剣男士である。
 開発に成功した刀剣男士の情報は、刀帳と呼ばれるカタログに納められる。刀剣男士を具現化する上で重要なのはイメージだ。彼らの特徴を詳細に記載した刀帳は、審神者にとって大きな助けとなる。
 彼女は今、その刀帳を手にしている。初めて顕現に挑む審神者に支給される刀帳は、殆どの頁が白紙だ。そこには初期刀として設定されている五振の情報のみが掲載されている。
 ぱらぱらと頁を繰る小さな��が、ある頁で止まった。食い入る様に詳細情報を読み耽ることしばし。彼女は躊躇いながら頁をタップして、「彼」の姿を立体投影する。
 魅入られたかの様に件の刀剣男士を見つめる様に、こんのすけは意外そうに目を細めた。いったい、彼の何がこの内気な娘の琴線に触れたのだろうか。 彼女の監督者として、ほんの少し興味を惹かれたこんのすけはしかし、職務を全うすることを優先した。
「主様。顕現させるのは『彼』でよろしいですか」
 時を忘れていた彼女は、穏やかな声音に意識を引き戻されたようだった。子狐に向き直り、大きく頷くのを見届けたこんのすけは、その場でトンと宙返りをした。見事に着地を決めたときには、結界内に据え置かれた刀掛台にそれまでなかった筈の打刀が出現していた。彼女は息を飲み、目を白黒させる。
 名高い刀匠、虎徹の稀少な真打が一つ。金色の拵も美しいその刀は、蜂須賀家に伝来したことから銘を蜂須賀虎徹という。むろん複製ではあるが、先端技術によって細部に至るまで完全に再現されたそれは、十分に媒介として機能する。
「これより顕現の儀を執り行いますが、主様は已む無きご事情でお声を発することができません。祝詞を唱えることが叶わない以上、他の審神者よりも消費する霊力は大きくなります。心身ともにご負担がかかることが予想されますが、覚悟はおありですか?」
 こんのすけの不穏なことばに、彼女はびくりと肩を揺らした。しかし、すぐに顔をひきしめて、脇に抱えていたスケッチブック――今の彼女にとって他人と意志の疎通を図る唯一の手段だ――を広げ鉛筆を走らせた。そうして書きあげた文字列を、勢いよくこんのすけに突きつける。
「……『かくごはできています、おねがいします!』ですか。無用の心配でしたね。では、この形代に霊力を籠めてくださいませ」
 大きく頷いた彼女は、スケッチブックと鉛筆を畳の上に置いて、与えられた形代を両の手で捧げもった。  祈りを籠めて額に当てたのち、細く長くフゥと形代に息を吹きかける。彼女の霊力を宿した形代はひとりでに動き出し、打刀の許へと飛んで行った。
「さあ、主様。その御力を存分にお示しください」
 こんのすけの合図を皮切りに、彼女は瞼を閉じて深呼吸をすると、二礼し、拍手を二度高く打ち鳴らす。
 声に出せないなら、そのぶんだけ強く想いを籠めよう。霊力なんか幾ら使ったって構わない。お願いします。どうか届いて。彼の許に!
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toki-ko-ko · 7 years
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連作:小学生審神者と刀たち
第壱話「蜂須賀虎徹、口の利けぬ主と出会いし事 1
 すべてのはじまりは声だった。長きにわたり眠りについていた彼の意識を揺り起こしたのは、遠い日に授けられた銘を呼ばう微かな声。
「来やれ、来やれ、蜂須賀虎徹。我は審神者、名を■■■■ 。誉も高き汝が記憶、汝が力を欲する者なり」
 とろとろと甘やかな微睡の中に揺蕩っていた彼、名工・長曽祢虎徹が真作の一つ「蜂須賀虎徹」は逡巡する。あの声に応えるべきか否か。  一度返事をしてしまえば最後、この穏やかな彼岸と此岸の狭間には二度と戻れまい。煩わしい現世に引き戻されて、自我を保ったまま僕としてヒトに使役されるのだ。誇り高い彼にとって、それは望ましい在り方ではなかった。
「畏み畏み申す。蜂須賀虎徹、聞し召せ。我は眩き汝をこそ欲す」
  蜂須賀が黙考を続ける間にも、彼を呼ぶ声は途切れることはなかった。蜂須賀の意識がゆるやかに覚醒し始めたのか、あるいは召喚の言葉に籠められた霊力が次第に強くなったのか。声は時を追うごとに近づいてくる。
 これまでにも幾度かこうして呼びかけられたことはある。しかし、蜂須賀はそれらの声に応じはしなかった。心動かされるものが無かったからだ。 過去に蜂須賀の顕現を試みた審神者たち――モノに宿った魂の声を聞き、呼び起こす異能者――もまた、反応が芳しくないとみるや、別の付喪神に対象を切り替えたのだが。此度の審神者は随分と熱心だった。
 興味を覚えた蜂須賀がよくよく注意を向けると、高くか細いその声は、まだ歳若い女のものだった。細い糸を手繰る様にかの声を発する者の霊子を辿れば、やがて祝詞の内容が詳らかになる。
「蜂須賀虎徹さん、私にはあなたの力が必要です。どうか私の許へと来てください。お願い、します……!」
  涙交じりのそれはひどく拙く、けれど、これまでの誰の声にも感じたことのない切実さを帯びていた。  代々にわたり家宝として奉られ、ヒトから畏敬の念をもって愛された蜂須賀だ。ひとたび審神者に情をもってしまえば、その哀れな声を無視することは最早できなかった。
 声を構成する霊子にそっと触れると、金色の光が周囲に満ちた。女の声をよすがとして現世へと「接続」されたのだ。同時に、未知の感覚に驚きでもしたのだろうか、声の主が詠唱を中断してしまったことが直に伝わってくる。
 よほど経験の浅い審神者と縁を結んでしまったらしいなと、内心で苦笑した。けれども、此度は果てのない無聊に倦む心配は無さそうだ。何しろ、顕現する前からこれほどやきもちさせてくれるのだから。
 程なくして、蜂須賀の霊子体は急速に光の始点、声の主が待つ現世へと引き寄せられていった――。
——
《審神者システムの医療転用研究に関する報告書》
二二二五年一月一四日   臨床試験被験者第一号 ■■■■(一〇歳、女、症例:心因性発語障害)、リハビリテーション用本丸β版において初期刀の顕現に成功。審神者適性を有すると認定さる。これをもって研究班は本プロジェクトの正式運用に移行す。
・研究番号:YG8912 ・研究代表者:■■■■■(共同研究者:■■■■■、■■■■、■■■■■ 、■■■■■) ・監督者:こんのすけ丁型プロトタイプ ・本丸所在地:京都府京都市■■■■区■■町■■番地■■神社 ・被験者:■■■■ ・初期刀:蜂須賀虎徹
——  
 眩しいほどの光の奔流に目が慣れた頃、蜂須賀虎徹はゆるやかに目を見開いた。眼球を通して直接視認するという行為は初めてだ。内心に動揺が走るが、名刀「虎徹」の真作として、こんなところで醜態を晒す訳にはいかない。瞬きを数度繰り返し、静かに深呼吸をする。
 呼び出されたこの部屋は、蜂須賀にとっては懐かしい武家屋敷の一室、襖と欄間で区切られた六畳一間の奥座敷だった。その中央に張られた注連縄、結界の内側に蜂須賀は立っている。 
 なるほど、これが肉体を通じて知覚するという経験かと納得する頃には、動悸もすっかり治まっていた。
  さて、こうしてヒトの身をもつ付喪神として顕現した以上、彼を励起した審神者が側にいる筈である。……その筈なのだが。ゆっくりと周囲を見渡しても、それらしい人物が見当たらない。蜂須賀に呼びかけ続けた、あの霊子の気配は確かに感じるのだが。
 これは面妖な、と形の良い頤に指先を当てて思案し始めたそのとき、蜂須賀の足元から、誰かが息を飲む音が聞こえた。はっとして見遣れば、そこにはまだ十になるかならないかという年頃の女童が座り込んでいた。もとい、正確に言えば不自然な姿勢でへたり込んでいた。
 おそらくは蜂須賀の顕現に驚き、膝から崩れ落ちてしまったのだろう。お仕着せらしい白衣に緋色の袴を纏ったその子どもの手足は、震えていた。彼女の傍らには、蜂須賀の励起に用いたと思しき白い人型の形代が落ちている。とすれば彼女が審神者であろう。想像よりもずっと幼かったけれど。
 蜂須賀は不安を隠せずにいる彼女を安心させるべく、いつか主の目を通じて「観た」洋画の騎士の仕草を真似て膝をついた。拵えに合わせた金色の甲冑がぶつかって鈍い音を立てた。
 蜂須賀の行動に肩をびくつかせた女童の前髪がハラリと流れて、灰色の目が覗く。呼び出した者と応じた者、ここにきて両者はようやく見つめ合ったのである。
「蜂須賀虎徹だ。君の呼びかけに応じ参上した。俺を贋作と」
 一緒にしないでほしいな、と続けようとした蜂須賀の名乗りは、少女が前触れもなく立ち上がったことで遮られた。  驚きに目を見開く蜂須賀をよそに、ぐっと唇を噛んだ彼女の瞳からは涙が溢れ、幾筋も頬へ伝い落ちていく。  やがて少女は勢いよく襖を明け放ち、虚を衝かれた蜂須賀を置き去りにして、いずこかへと走り去ってしまった。
 驚きのあまり固まっていた蜂須賀が動き出したのは数秒のちのことである。懸命に呼び掛けられて心動かされ、いざ顕現して見ればこの仕打ち。  「・・・・・・何なんだいったい」と彼が嘆息しtのも無理からぬことだろう。誰に向けた訳でもないこの独白はしかし、思いがけない返答によって問いに転じた。
「それについてはわたくしから説明いたしましょう」
 気配を感じぬ第三者の登場に、反射的に居合抜きの構えをとった蜂須賀は面食らう。奇妙な隈取を施した狐が喋っている。だが問題なのはその点ではない。
 蜂須賀虎徹は、仮にも荒事を司る刀の付喪神である。彼が気配を感じとることができない存在がこの世にいるとすれば、可能性は一つだ。
「君は……生類ではないな?」
 はたしてその狐――審神者向け汎用アプリケーション・管狐型インターフェイス「こんのすけ」――は、少女の私物と思しきスケッチブックを咥えたまま、「いかにも」と明瞭な声を出して見せたのだった。
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toki-ko-ko · 7 years
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toki-ko-ko · 7 years
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生きることと物語
友人が「生きるうえで物語を必要とする人と、しない人がいる」と私に言った。 ここでいう物語とは、創作物全般のこと。 物語をよすがとして生きている種の人間である私には、物語に感情���入することがない有り様という���がぴんと来ない。 物語と自己を切り離して考えることができない、と言い換えても良いかもしれない。世界を物語によって因数分解しているし、物語を私の経験によって因数分解している。そうせずには居れないのだ。 二つの生の有り様は、優劣をつけるるべきものでも、つけられるものでもない。ただ私は、物語を必要とする人間であることを嬉しく思う。物語を通して見る世界はこんなにも豊かで、過酷で、そして輝いている。 解釈が間違っていたとしても、物語を受容して、己が血肉とする行為自体に罪は無い。作者や周囲の人に、その解釈を押し付けさえしなければ。
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toki-ko-ko · 7 years
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はじめまして
千鳥のとき子の、好きなものを好きなだけ書くスペース。 小説とか載せるよー!
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