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2023.5.7 精神の皮を分厚く
GWはKGのボランティアスタッフを体験した。
去年のGWは自分のことについて考えるを目的とし、本を読んだり、
なるべく一人で過ごすようにしていたが、途中から「孤独感」に
苛まれてまた涙目になるような日々だったことを覚えている。
最近のテーマは頭で考えず、身体で飛び込むようにしている。
いくら考えたところで意味がないというか、考える前に行動する、
自分の好きなことや興味のあることに飛び込んでみる、というのが
今の自分だ。
新しいお店や行ったことのない場所に行くようにしている。
主に立ち飲みだけど。
そうなっていけば今まで見えなかったような側面や、違う角度で
物事を見れそうな気がする。主に立ち飲み屋の情報だけど。
もしかすると自分は元々外交的なパワーがある程度備わっていて、
それを自分のナーディズムのようなもので押し込めていたのかもしれない。
実際は斜に構えることなく、素直になれば誰かと話がしたかったり
知り合いをたくさん増やしていきたいのかもしれない。
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“わたしを保つもの”
日頃心地良く聴いている音楽が実は自分自身を守っているものなのだと自律神経が崩れている今このタイミングで気付く。自分からすすんで行っている無意識下の選択がわたしを保っていた。夢とか愛とかそういうことを考える前にまずは当たり前の生活を心がけること。正しく生きること。朝、陽の光を浴びること。ただ生きているだけで、外出中に前頭葉の締まりを実感したり眉間に皺を寄せて泣かないように歩いているなと思うことが多いのでまずはリラックスして生きれるように自分を制御していきたい。今心地良いと思うことを集めて生きていく。散歩、ストレッチ、十分な睡眠(夜) 早寝早起きと昼寝をしないことを心掛けたい。年々自律神経、私の精神力が弱くなっていること、感受性の強さ、繊細さが増していっていることが分かる。感受性の強さや繊細��物事に気づけること(例えばミニマルアートの本質を理解できるような)は自分が人生を賭けて育てたいものの一つだと考えられる。そして無意識にそれを得ようとしている。ヌーヴェルヴァーグやアケルマンのような繊細な映画を観ることで自己実現をしようとしている。自分の成長と自分の制御の必要性が両方同時にある。多分簡単なことで整うことができると思う。SNSとは距離を置く。誰かの思考が沢山注がれてしまう。無意識に他人と自分を比較している。前までのSNS大好きTwitter少年はどこへやら。本を読もう。今日はヨガに通いたいと思いました。自分の中で気持ちを成熟させたい。それまでは散歩、ランニング、ウォーキングでいきたい。ヨガは雨の日もできるしマインドフルネス的な部分でも良さそうである。カタカナが苦手だが”無”になりたい。7日間のうち1日は無の日を作る方が良いらしい。無から始める私の実存の有り難さ。そう有難い。生きているだけですごい。忘れがちだけど忘れないようにしないとね スピリチュアル、みたいなのは嫌なんだけど最近は仏教によく出会う。何か自分の思う正しさの中で急がず、焦らず、誰とも比較することなくこつこつと毎日をささやかに積み上げていきたい。
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絶望と希望と
最近は仕事が忙しくて土日にまで仕事を持ち込んでいる。
これは自分の気質がいけないのだと思う。
あとからやれば良い、と言って土日を捧げている。
俯瞰に思うと阿保らしい。
休日のために働いているのに仕事のために休日を過ごしているのはよく分からない。
仕事と休日のバランスが週2日働いてあと5日は休み、くらいが良いのになと思う。
暇だから仕事をしている、という感性を失いたくない。
生きるために働いている、という感覚はない。
食べるために働いている、という感覚もない。
社会的に今自分のできること、自由を手に入れる、お金を手に入れることを何か維持やもっとよりよくなるために働いているのに
その自由な時間がない。仕事に囚われている、という感覚がある。
それは自分が好きで得意なことじゃないからなのかもしれない。
好きで得意なことであればまだ魂を捧げているような感覚、生き様、自分の生を全うしている感覚があるのかもしれない。
ロックスターのように。
うつ病、というものがあれば自分はそれに近いのだと思うしそういう状況になりやすいのだと思う。
特に4月〜8月まではどれだけビジネスホテルの近くにある精神科へ行こうと思ったか、
そろそろお世話になりどきかなと思っただろうか。
ここ数年で自分の世界に対する見方が変わっているのかもしれない。
もともとそういう気質があると思うが、それに拍車がかかったような気がする。
正気でいたい。正気ってそもそも何か、と考えるところが自分だろう。
何か正気でいたいと考えている。正気が狂気だとも思う。
今が忙しいだけ、今が辛いだけ。
そう思ってこれから先も過ごしていくのだろう。
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欲望と徳 / ファッションと私の関係性
自分にとって”お洒落で居よう”と思うことは生命力の源泉ややる気のようなものに深く関わっていると気付いた一日だった。
最近欲望についてよく考える。私の欲望とそれを何か正しい形で昇華する方法。その正しい形を徳と呼ぶならば僕にはファッションや音楽、芸術など総じて文化的なものカルチャーのようなものに携わること、それが分かることや分かろうとすること、考えることが自分自身の徳なのかもしれないと思いました。
これは学生の頃からファションと音楽、芸術が好きだったことが関係しているように思う。無意識に女性のファッションやかっこいい男性のファッションを見るし、前を歩いている人のファッションについてなるほど、とかもっとこうしたら格好良いなとか、自分だったらこうするな、など普通に考えている。否定するのではなく、考えている。それが自分の中では無意識レベルでの普通になっているが、多分それが習慣=徳のようなものなのかもしれない。
自分の欲望とそれが発露するポイント、それが僕にとってはファッションだったりそれと関わりのあるものごとなのだろうと考えられる。久しぶりに百貨店に行き、東京に初めて短期間だが住んだ時はうきうきとした気持ちでPARCOに行ったなと思い出した。COMME des GARÇONS, ANREALAGE, FRUiTSやTUNEがとても面白くて7Aちゃんとかあわつまいちゃんとかるうこちゃんとかまあいろいろ他にもたくさんの方々がいて共通でみんな知ってるみたいなそんな感じだった。自分もそういうところのひとつ、今も通っているけれどTUNEや日本のストリートファッションに根深く関わっているところと関わっていて、なんだかそっかここが居場所だったんだなと書きながら改めて思いました。そうかだからストリートスナップをやっていたんだなと。今で言うとOUR’Sとかになるのかな。シトウさんや日本のストリートファッションに親交のある方々と繋がっていったら面白そうだなと、どの口が言うんだって感じですが一ファンとして思います。
今日は眼鏡を見に行った。一年に1本、去年は2本購入した。友人と一年に一本買っていた過去があるからなんだかそれが続いているようにも思う。今年も一本買いたいな。仕事、日常用に一本。一流のものに触れることはとても良いことだと思う。香水も買いました。
ただ最近アニメも面白い。今日少しだけ見たODD TAXYは現代的な部分があり、少し社会風刺的な部分もあってこれは良さそうな作品である。主人公はどこかブコウスキーのような、いっぱしの酒呑みのような雰囲気で自分と似ている部分もあるような気が今はしている。
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ここ最近は自分自身の中にある大切な物事を仕事の忙しさに感けて放棄しているような気がする。
部屋の荷物が多くなってしまったことや今日一日何をするかを選ぶ余地と積読本を読んでいないことから無意識的に多数の選択肢がある環境と責任感のようなものが働いて足が浮いてしまうような感覚があった。
だから断捨離をした。具体的には本を手放そうとしていて、廊下に貯めてある。
身軽にはなった気がするが自分の中の大切なもの、水を与える種のようなものそのものが失われたような感覚もある。
環境が自分自身を決定づけるというが、職場では身軽な人、世間やテレビ、最近のニュースをよくチェックしその話がよくされる。そんなの当たり前のことだが。
また、パチンコや、携帯ゲームが好きな人もいる。そういった人は何か身軽というか人生に対して疑いが無いような気がする。ほんの少しだけ怠惰も感じる。それは偏見なのかもしれない。
会話はキャッチボールや創出だと思うが、私が投げたボールが返ってこなかったり、創出、しりとりのようなことが起こらない人が居ることに気がついた。
それは”若いから”なのか”怠惰”だからか、今のところよく分かっていないが自分はそういう場合に何か自分の存��を認められていないような気持ちになってしまうことが分かった。今そこにいる相手に対しての愛がないのだろうと無意識的に思っているのかもしれないし、会話がそのように返ってくることが当たり前だと思っている自分がいるのだと思う。ある意味支配的なのは自分の方なのかもしれない。自分の方が精神的に大人だと思ってしまうがそれはそうではないのかもしれない。気質の違いということにしておこう。
世間や一般のようなものがこの世界を支配していると思う。マジョリティと呼ばれる何か。社会的通念と呼ばれる何か。
私は何か低い位置でいつも居たいのかもしれない。社会的な幸福やノリノリである状況、それはinstagramに顕著に現れるが、そういった状態があまり好ましくないと無意識的に思っているのかもしれない。
ひねくれていると同時に正しいことはそうじゃない、と自分の経験から得ているのだろう。
エリック・ロメールを観ている時が一番自分らしいと思う。
自分の中の孤独感や愛着への固執のようなものは拭えないし、自分を深化させるような行為に耽るとその兆候が強く現れるような気がする。
2019年以前はどのように過ごしていたのだろうとよく思う。SNS:Twitterに没頭していたような気もするし、何かSNSに対して自我や社会との境界を感じていた。Twitterが主でinstagramが従。こう考えてみると自分はSNSに依存している気もする。2019年以降は本や実生活を主、instagramを従、Twitterを従その2としていた。しかしまたSNSをよく観ている。ここから出なければとよく思う。
そのためにもギターを再開した。仕事の忙しさに感けて観ていたアニメ群。アニメは深く考えずに見れるからいい。そしてドーパミンのようなものが出て、楽しいという感情が簡単に手に入る。
そう、ぼっちざろっく!の影響である。
もしかすると努力をすることを忘れているのかもしれない、何かを積み上げてその上で達成されるものについて忘れているのかもしれない。
それは時代が無意識的にそうさせているのかもしれないとも思う。欲しいものが翌日には届くインターネットショッピングや観たいものがすぐに観れるサブスクリプションサービス。利便性が悪として働いている部分も少なからずあるのではないかと肌感で思う。努力、山に登ること、そこから見える景色、美味しい空気、達成感。そういったものが自分の中で希薄になっているように思う。簡単に無修正のポルノ動画を見れる時代でもあることから。
そんな時代精神の中で重要視されているのが”詩性”だと今は思う。
どう生きるか、何を大切に過ごすか、表面的な物事よりも本質的な物事を見抜く力。
それを養っていきたいと考えている。
正しいことは何もない。ただ現象だけが私の目の前に現れる。
この世界に生を受けた以上、自分の生を全うしてやりたいと強く思う。死ぬまで。
繰り返される毎日。30歳になった今は毎日の繰り返しを実感する。毎週の仕事、土日の過ごし方。
繰り返しの中で鍛錬される私の自我。
たぶん大切なものごとは手放してはいけない。
あと何でもオーバーに考えすぎているのかもしれない。
でも楽しいんだ、こういうことが
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今日も特筆して何もしなかった。
掃除機が届いて掃除をした。素晴らしい。
自分の愛着に対する感情みたいなものとの向き合い方が分かった気がする。とりあえず、あんまり深く考えない。考える前に行動を起こしてみることと、自分を許すことかな。散歩が結構いい。面白い。
さあ、移動です。今から移動です。のんびりいこう。
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shadowplay
自分の性格や生活が周りの環境に影響を受ける。テレビやマスメディアが覇権を握る。正常や常識が狂気であること。例えばスプラトゥーンをやっていた人がポケモンをやり始めるように何か層のようなものがある。社会的な流行に乗る人、社会的な流行に乗らない人、自分は自分だけの流行に乗っかって生きていきたい。
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最近は週に6日働いている。
コロナ以前では土日が当たり前のようにお休みだった。ほぼ毎日定時に帰り、とても幸福だったように思う。
自分の中の持ち物を少なくすることが解決へと続くのではないかと考えている。
好きなことはもちろん続けていきたいけれど、まずは仕事をこなすことを実践していきたい。
フルサイズのキーボードはコーディングを行う方におすすめかもしれない。買ってからわかることがある。少しずつ改善していきたい。
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6+0.5
週に6日仕事をしている。忙しい時期は毎年のようにやってくる。2020-2021のコロナ禍では毎日定時に帰り、休日は映画を観るか、美術館へ行くなどしていた。あの日々はやはり幸福だったのだと思うしその時も”これは長くは続かない”,”猶予期間だ”と思いながら過ごしていた。少なくとも1月末までは忙しい日々となりそう。仕事が忙しいと映画や読書への体力がなくなり、アニメやYoutubeを延々と見たりする。これを中間的な精神性にいると呼んでいる。読書をしたり、映画を観たりする行為はどちらかといえば自己実現や階段を登る行為に近いのかもしれない。アニメやYoutubeは何も考えずに摂取できるから良い。SFや化学的な部分の知識が付く。
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人は混沌と呼ばれる世界に対し認識を積極的な側面で持つか消極的な側面で持つかで世界に対する認識が変わるように思う。
本当は本を読んだり考えることをするのではなく、夢や理想のようなものに対し行動を起こせば自分が抱えている鬱のようなものを軽減できるのかもしれないと思う。
ただ日常は目の前の課題を粛々とこなすことが続いていく。仕事の合間に自分を保とうとしている気分になる。平日の定時後と休日に、仕事のいとまに生を育んでいるような感覚でいる。
社会に対し自分の位置を明確に認識し、地に足が着いている感覚が自分の存在を確からしくする。池田晶子のエッセイに触れることで何かこれまで”ある”と思っていたことが実際には”ない”だったり、これまでの既成概念が取り外されていく感覚がある。どれだけ消費的な社会に従属していたのだろう。どれだけ資本主義社会の構造に自分自身を埋没させていたのだろう。その感覚が自分自身を社会的な立場から足を浮かせる。
多分疑わずに例えばテレビを観るなどして社会的な側面に対してしっかり考えたりして行動している人が強いし何か世界からモテるのかもしれない。目標と理想、生き方、日々の努力 実家に居る時は夢や理想について何か頑張ろうと思えた。大阪に来ていつもの日常に戻ると何もする気が起きない。今日はこのままでも良い。
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今日は思うことがあってこれを辞めようかなと思ったが外に向けて何かをちゃんと自分の言葉として言う、表現することは身体にいい気がするので続けます。ちょっと続けて残しておく。
最近お酒をよく飲んでいると思う。冷静に考えると一日一本、二日に一回は飲んでいる気がする。
大人だから良いのかもしれないが少し頻度を落としてランニングや筋トレをして健康的になろうと思います。
今日は遠くへ行こうと思っていたが自分の今やるべきことをしないとなってことでここはひとつ自制し、ちゃんとやりました。それだけで今日は偉い気がする。100均久しぶりに行った。100均の空気感なんだか少し好きかも。明日からもしゃんと生きたいものですね。
では、よい日々を💐
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相変わらずGondwana Recordsの曲を聴いている。妙に気が合う。一昔前ではこそばゆい感じだった音も許せると言うかああこれもこれで良いんだなと思える心地よさがある。
元気が良くなり、その後元気が落ちる法則をなんとなく掴んだ気がする。全体主義的な話を自分がする場合だ。最近会社の方針などの話をしたがなんとなくそういう話や講習を面倒くさいではなく割と真面目に考えて受けた後はそうなっているような気がする。
この世の中には色々な人、お店などがあるけれど結局は大体似たようなところしか行かないし落ち着く場所ってあると思う。でも最近は新しいお店に入って失敗するのも悪く無いかなと思う。あと金曜日が荒れる場合が多くなってきた。これまでは如何に早く帰宅して映画を観るか、”奴ら”とは違う、差別化をしていきたい、のような感覚だったが仕事の付き合いで人とご飯に行く機会が少なくなった、自分が歳を重ねてきたからか外で飲みに行くのも悪くない、になってきた感じがある。会社で社会的な部分を補完しているからもう少し自分に引きこもる時間を増やしたほうがいいのかもと思う。
結局はDAISOやSeria, 近所のスーパーが落ち着く、みたいなところは誰にしもあると思う。
生活感がないから魂が渇いてしまう 酒を飲んでしまう みたいなところはあるのかもしれない。よく団地を散歩するのだが人の生活感で安心感を得ることができる。無意識に何か疎外感のようなものを感じているのか、生活が好きなのか。家族と住んでいた日々を思い返すのか、ただ焼魚の匂いに豊かさを感じる。
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世界がつまらないのは自分のせい?
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相変わらずbcで音楽を探しては聴いたりしている。しっかり使ったことが無かったがジャンルやランキングがあり、とても面白い。2015,16とかその辺りにもあったのだろうか?当時はGrime(綴りが合ってるか分からないが)と呼ばれる音楽がインターネットで流行し、ArcaやOPNが名を馳せていた、その後そういった性質もありながらPopに纏めたGrimesが売れたりした気がする。カセットやヴェイパーウェイヴもこの頃から流行った気がします。あと日本であれば禁断の多数決や大島智子などのインターネットサブカルチャーも当時かなり開けて来た気がします。あとこのTumblrも。よしこレモン。
最近自分の調子が良いと自覚する。体調はあまりよくは無いが精神は割と良い状態だと思う。
自分で自分のことを形づくり、やらないことを決めていたのかもしれない、と思う最近です。テレビとインターネットを極力観ないようにし、読書をしていた。それは自分と向き合うため、過去を乗り越えるためみたいな節もあったけれど自分はやっぱり他者とのコミュニケーションが好きだなってことでインターネットとSNSを解禁した。昔からハンゲームやameba piggなどの不特定な誰かと話をするのが結構好きだった。誰かの生活を知り、想像することは自分自身の幅を広げているような気がするし何か豊かで嬉しい気持ちになる。給食を作っている人は腕力がとても要るらしいということ。全然友達居ないなと思っていたけれどたくさんの友達に囲まれて居たことに気づく。世界は結構面白いらしい。今日はとりあえずそう思っている。
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苦しみと悲しみで蓋をする
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Brian Enoのambient処女作を聴いている。Brian Enoに関してはDavid Bowieや自分の中で70′sのブームがあった際に聴いた初期2作と空港にてくらいしかちゃんと聴いたことがなかった。
Brian Enoは言わずもがなAmbientという言葉と音楽を定義付けた人で音楽をそれなりに聴いている方はBowieやTalking Headsの文脈などから知っていると思う。
Eric Satieの家具としての音楽という発想から着想を得ているらしいがサティはシュルレアリスムの方々と信仰が深く、その文脈が現代まで続いていて何か革新のようなものをイーノが時代を読みながら起こしていると考えるとすごく感慨深いものがある。
外にひらけて元気すぎるときは自分の中の悲しみを呼び起こして調子に乗らないようにしている。
そのためにも”死”を考えることは自分の不明瞭になった足元に明確さを与え、地に足を付けてくれる大切な行為だと思う。
外に開けること、内に籠もること
この二つのバランスが人格を保つのかもしれません。
ただ、美容師のようなサービス業の方は何かを持った人とよく会話をすることができるのでとても良いなと思う。人間ひとりひとりは書物のようなもので、何かが堆積していて会話という行為で一番良いものが出てくる、といった形だと思っている。
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made me realize
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Kali Maloneを聴きながらこれを書いています。
自分の中で誰かの真似事のように読書をしていた、もちろんそれは格好良い友人がそうしているから自分も自分なりの深さを手に入れたいと思い本を読むことを意識的に行なっている。
しかし自分が元来好きなことは人とのコミュニケーションなのかもしれないと最近よく思う。2年ほどほぼ使わないようにしていたTwitterを再開したり、旧来の友人や関係のある人に返信をするようにした。そうすると自分の中で閉じていた硬質な殻のようなものがなくなり、わりと居心地が良いことに気がついた。
おそらく本をよく読む友人二人はそれ以外の人との繋がりがよくあるのかもしれない。自分は一人暮らしで誰とも会話しない、誰ともメッセージのやりとりをしない日が基本だからか、読書にばかり目を向けて居るとなんだか辛くなって楽しめないときもあった。単純に読書筋力のようなものがついていないだけなのかもしれないが。
それぞれにそれぞれの気質や楽しみ方、正しさみたいなものがある。
自分を自分で制限せずになんでも楽しんでいきたいと改めて思います。
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day dreaming
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最近は仕事中は新しいジャズを聞いています。ニューエイジ・ジャズというらしい。カテゴライズだとかはどうでもよくて聴いてて心地いいよね。個人的にはSorryなどのインディーロックの人たちがちょっともううるさいの疲れたから良い感じの音楽やらね?って感じで始めたみたいな雰囲気かなと思う。たくさん音楽を聴いているわけではないけれど曲のところどころにインディー然とした表現を感じます。色違いのワークシャツを着ているところも良い。売れたらメインの方のメガネがCartierのものになるのではないかと勝手に妄想している。
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Hikikomori Rhapsody
昨日からベッドと本が友達だ。あとPC。何処へも出かけなくても何処へでもいけるようなそんな気分です。SNSをしっかりと再開したら誰かとのコミュニケーションもこれで補完されるのだろうか?インターネットゲームをよくやる同僚が生き生きとやっている理由もなんとなくわかる。そろそろインターネット上でのコミュニケーションも受け入れるべきなのかな。
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