奈良県の一番南、日本一広い村、十津川村の中ほど、湯泉地温泉からすぐの武蔵地区は、深山にぽっかりひらけた古くからの里山です。2019年も武蔵盆踊りは8月14日(水)の夜8時から、「ヤマノカロ」は8月12日(月/祝)~14日(水)にカフェをオープンします!
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【最新情報】
【2019/7/24】カフェは、8/12~14の11~15時、旧武蔵小学校校庭で営業いたします。ドリンクと小菓子のご用意になります。お食事の提供はいたしませんのでご注意ください。 8/12~14の11~16時、旧武蔵小学校校舎内にてアーティスト土井麻利江さんによる展示が開催されます。
Twitter、Facebookで随時更新しています。
雨量規制で国道168号線等が通行止めになる場合があります。規制情報はこちらでご確認ください。奈良県道路規制情報 雨量規制時はバスも当該区間で運休します。バスのお問い合わせは、奈良交通お客様サービスセンターTEL:0742-20-3100 または、奈良交通十津川営業所TEL:0746-64-0408へ。
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武蔵のイベントカレンダー
2019年のヤマノカロはカフェを8/12~14、旧武蔵小学校校庭でオープンします。
8/14の盆踊りでは、青年会と有志による屋台がでます。お楽しみに!
※雨天の場合は場所の変更、荒天の場合はイベントの中止の可能性があります。最新情報は、twitter、Facebookでお知らせします。
■各イベントの詳細は、以下のリンク先をご覧ください。
十津川盆踊り
十津川村教育資料館(旧武蔵小学校) 通常は第2・第4日���日のみの開館ですが、お盆のあいだ特別にご覧いただけます。
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カフェでは、武蔵の恵みを取り入れたひんやりドリンクと小菓子をご用意します
8月12日~14日 11:00~15:00 旧武蔵小学校校庭にて
散策や展覧会、教育資料館の見学とあわせて、リラックスした時間をお過ごしください。
※終了時間はラストオーダーになります。 ※テイクアウトはできません。 ※天候や仕入れ状況によって営業時間・場所を変更させていただく場合があります。Twitterでご案内します。
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ヤマノカロ(奈良県吉野郡十津川村武蔵)へのアクセス
グーグルマップ(航空写真で開きます) https://goo.gl/maps/p2Sh1
■まずは十津川村役場をめざしてください。 【自家用車・レンタカー】大阪市内から車で、寄り道せずに約3時間半かかります。 国道168号線は山あいの道です、ご出発前に雨量通行規制など道路交通情報を必ずご確認ください。 日帰りされる方は、時間に余裕を持って朝早めの出発、暗くなる前の下山をおすすめします。
【バス】奈良交通の" 日本で一番長い路線バス" 八木新宮線で十津川村役場まで、 近鉄大和八木駅から約4 時間、JR 五条駅から約2 時間半、JR 新宮駅からも約2 時間半。 奈良交通八木新宮線 http://www.narakotsu.co.jp/rosen/yagi-shingu/ 奈良交通バスについてのお役立ち情報はこちら。 ご出発前にバスの運行状況をお確かめください。奈良交通お客様サービスセンターTEL:0742-20-3100。 のんびりバスの旅は、武蔵での宿泊がおすすめです。武蔵周辺の宿泊情報
雨量規制で168号線等が通行止めになる場合があります。規制情報はこちらでご確認ください。奈良県道路規制情報 雨量規制時はバスも当該区間で運休します。バスのお問い合わせは、奈良交通お客様サービスセンターTEL:0742-20-3100 または、奈良交通十津川営業所TEL:0746-64-0408へ。
その他のアクセス手段に関しては、十津川村観光協会のページをご覧ください。http://totsukawa.info/joho/event/access_map.html
■十津川村役場から武蔵まで ゲストハウス「大森の郷」の看板を目印にお越しください。 車で15分、徒歩なら40分ほどかかります。 ※道路沿いの大森の郷の駐車スペースは宿泊者専用ですので入れないでください。 ※14 日の夜は校庭が盆踊り会場になるため、臨時の駐車スペースが設けられます。地図でご確認の上、そちらもご利用ください。 ※お盆時期、昼間の十津川村は気温がぐんぐん上がります。ドライブ・散策には熱中症対策をお忘れなく。 月曜日のみ、十津川村役場から武蔵まで村営バスが2便あります。武蔵行きの時刻表はこちら。
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十津川といえば温泉!
十津川村の温泉は、堂々の「源泉掛け流し」、いいお湯ぞろいです。公衆浴場も4ヶ所ありますので、日帰りでもお越しになられた際にはぜひお試しください。 3ヶ所めぐられる方には、「3湯めぐりストラップ」1000円がお得。星の湯に行く場合は、あと1ヶ所で元が取れてしまいます。各公衆浴場で購入できます。
では、武蔵から近い順に村営公衆浴場をご案内。各温泉とも、ボディーソープとリンスインシャンプーが備え付けられています。タオルの販売あり。
【湯泉地温泉】→観光協会の湯泉地温泉ご案内(地図あり) 泉湯 こじんまりした温泉ですが、露天風呂もあり、温泉に来たー!という実感のわく硫黄の香りが強めのお湯です。洗い場の蛇口からででくるお湯も温泉(熱!)。お風呂から出たら、隣の和田商店でアイスや飲みものをどうぞ! 大人400円・子ども200円 AM10:00~PM9:00 休業日:火曜日 電話: 0746(62)0090 滝の湯 役場と道の駅の間の橋を渡って右折すぐ。小さな滝の見える露天風呂のある温泉。泉湯より少し広めで休憩室もあります。内風呂から露天風呂までが結構離れていて、裸で屋外の階段を上り下りするのが新鮮、滑らないように気をつけて!樹木に囲まれた露天風呂は滝の水音にマイナスイオンでも癒されます。 大人600円・子供300円 AM8:00~PM9:00 休業日:木曜日 電話: 0746(62)0400
【十津川温泉】→観光協会の十津川温泉ご案内(地図あり) 庵の湯 十津川温泉バス停向かい側から二津野湖畔に降りたところにある公衆浴場。泉湯よりさらにこじんまり、露天風呂はありませんが、湖面すれすれにある浴室からの眺めは抜群。お湯は赤みを帯びています。無料の足湯あり。 大人400円・子供200円 AM10:00~PM9:00 休業日:火曜日 電話: 0746(64)1100
星の湯 ホテル昴に併設された設備充実の一番広い公衆浴場です。いろいろなお風呂があり楽しめます。お盆時期は閉館が早まるのでご注意。 大人800円・子供400円 PM12:00~PM5:00 お盆・正月・GW中はPM4:00まで 休業日:無休 電話:0746(64)1111
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奈良交通バスでヤマノカロを目指される方へ!!
【2018/7/23更新】バスでのんびり移動もいいものです。が、いかんせん十津川は遠いので、バスで往復して日帰り��かなり厳しいです。現地滞在が最大で3時間くらい、そのうち十津川村役場バス停からヤマノカロまでの徒歩往復が1時間くらいかかります。ぜひ十津川で宿泊してゆっくりしていってくださいね。バス停から近い湯泉地温泉エリアがおすすめです。
奈良交通 八木新宮線のホームページはこちら。 http://www.narakotsu.co.jp/rosen/yagi-shingu/index.html ですが、十津川村役場バス停の時刻が出ていないのと、↑のホームページにはでてこない十津川村役場を通るバス(五條バスセンター~十津川温泉)もありますので、こちらの時刻表検索で検索してください。(時刻表形式で表示にチェック) https://navi.narakotsu.co.jp/search/ ※広域通院ラインは平日のみ運行。
大阪・和歌山方面からは、JR五条駅(奈良交通の時刻表検索では五條駅と入力)から乗車で十津川村役場まで、3時間弱。五條からは平日は6便、土日祝(平日の8/13~15含む)は5便あります。 JR五条駅までの電車もとても少ないので(王寺・なんば方面・橋本・和歌山方面とも1時間に1本くらい)ご注意ください。
京都方面・大阪でも近鉄沿線からは、近鉄の大和八木駅から乗車が便利。ただしバス乗車時間は、4時間くらいかかります。八木駅発は1日に3便です。
※バスに乗りますと「谷瀬のつり橋」がある上野地で休憩があります。休憩時間は運転手さんが案内されます(15分程度)。例年、お盆期間中はつり橋は一方通行になりますので、つり橋を渡ってしまうと休憩時間中にバスに戻ってくることができません。つり橋を体験したい方は、途中下車できる「168バスハイク乗車券」をご検討ください。 上野地には昔ながらのお土産やさん兼食堂が何軒かあり、短時間でもお昼時ならちょっとしためはり寿司などのパックが買えたり、デッドストックな民芸品探しも楽しいです。つり橋の対岸の谷瀬にも地元の方が運営するつり橋茶屋があり休憩したり、めはり寿司や採れたての野菜を買ったりできます。
※月曜日のみ、十津川村役場から武蔵まで村営バスが2便あります。武蔵行きの時刻表はこちら↓ https://www.vill.totsukawa.lg.jp/life/transport/bus/pdf/takatakimusasi_jikokuhyou.pdf
※雨量規制で国道168号線等が通行止めになる場合があります。雨量規制時はバスも当該区間で運休します。バスのお問い合わせは、奈良交通お客様サービスセンターTEL:0742-20-3100 または、奈良交通十津川営業所TEL:0746-64-0408へ。
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武蔵周辺の宿泊情報
【2018/7/23更新】せっかく来たなら、ぜひ泊まってゆっくり過ごしていただきたい武蔵界隈。朝晩は涼しいですし、夜には盆踊りも(8/14の本番と、練習が例年、8/1・3・5・6・8・9・10の20 時~、旧武蔵小学校にてあります)。 民宿は電話で予約のところが多いですが、じゃらんや楽天トラベルから予約できるお宿もあります。
※地区内でのキャンプ・野宿・車中泊はご遠慮ください。 ※村内で夜に食事ができる場所は非常に限られています。素泊まりされる方はご注意ください。
【武蔵】 ヤマノカロから徒歩30秒!武蔵内唯一の宿泊施設です。 大森の郷 アレックス・カー氏プロデュースで古民家をモダンに改装したゲストハウス。2室のみ。 http://www.totsukawa-stay.com/
【国道沿い】 一乃湯ホテル 道の駅の並び。このあたりで一番大きな宿。 電話:0746-62-0101 http://ichinoyu.jp/
【小原】 温泉民宿かたやま 役場から滝の湯方面へ橋を渡って左折。内湯あり。 電話:0746-63-0012 http://yunoyado.jp/
【その他のエリア】 十津川村役場から新宮方面に車で20分ほど行った、十津川温泉(平谷)は宿泊施設の数が多くご利用いただきやすいと思います。その他のエリアは以下のリンクを参考になさってください。 十津川村観光協会 旅館・ホテル一覧 http://totsukawa.info/joho/kyokaiin_itiran/ 民宿一覧 http://totsukawa.info/joho/kyokaiin_itiran/3minsyuku_itiran.html 奈良県「農家民宿・一棟貸しの宿」http://www.okuyamato.pref.nara.jp/nouka/index.html
※キャンプ場 紀伊半島大水害で閉鎖したままのところが多く、泉湯の裏にあった平瀬キャンプ場も営業していません。 営業中のキャンプ場 つり橋の里キャンプ場【谷瀬】 http://web1.kcn.jp/tsuribashinosato/ 谷瀬つり橋オートキャンプ場【上野地】 http://web1.kcn.jp/tsuribashinosato/
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十津川盆踊り
十津川盆踊りは、舞扇を両手に持って踊る優雅な踊りです。毎年8/13~15に村内各地で開催されます。踊りは地区ごとに異なり、多い地区では30 曲ほども伝承され、しかも全て違う振りがついているんです! 小原(13日)・武蔵(14日)・西川(15日)の3 つの地区で踊られている大踊りは国の重要無形文化財に指定されています。
ウィキペディア:十津川の大踊
ヤマノカロがオープンする武蔵の盆踊りは、8/14 の夜8 時より元小学校の校庭で開催、深夜まで続きます。雨天の場合は、小学校の隣の元お堂で開催されます。お堂での踊りも非常に風情があり、狭い空間で密集して踊るためさらに盛り上がります。
武蔵では8月にはいると練習が始まります。練習は1・3・5・6・8・9・10日の夜8時から10時ごろまで。本番・練習ともどなたでもご参加いただけます。練習は雨天は中止の場合あり。
武蔵の盆踊りでは、1981年に大阪大学などが調査に入ったことをきっかけに、現在も中川真さん(現在は大阪市立大学大学院教授)が学生や縁あって十津川に通うようになったリピーターとともに、準備や片づけを手伝いながら、盆踊りを盛り上げています。
武蔵盆踊り 主催:武蔵青年会 後援:武蔵踊保存会
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「武蔵の昔のお話」2016書き起こし
2016年8月11日 旧武蔵小学校の校庭にて。 長年にわたり武蔵の盆踊りを担ってこられた小田奈良枝さんと尾中明美さんに、昔の盆踊りの様子や女性の目線から見たお祭りについて伺いました。 この記事は当日の記録から、一部を抜粋しました。 聞き手:中川真さん(大阪市立大学教授)

中川 大阪から来ました中川と申します。よろしくお願いいたします。 今日はとても素敵な女性のそばにおりまして、どきどきしております。小田奈良枝さんは90歳ということで、大正15年ですか、昭和元年、まさに昭和そのまま、で、尾中明美さんが昭和9年のお生まれということで、お二人とも十津川村の武蔵の盆踊りの継承に本当に長く長く貢献なさっておられます。ご本人たちはどう思っておられるかわからないけれども、芸能の流れからいうととっても尊敬すべき方々です。
武蔵の盆踊りとは
中川 この武蔵の盆踊りは、平成元年に国指定の無形民俗文化財に指定された踊りです。風流と書きまして「ふりゅう」と読みますけれども、風流系の盆踊りとして非常に著名なものです。 盆踊りはそもそも踊念仏と呼ばれた宗教的な行為で、仏の力を感じたりそれを実践したりするために踊っていたのですが、時代を下って江戸時代にはいると、風流という要素が付け加わりました。風流というのはひとことでいうと「美しさ」「飾っていくこと」です。そして、京都の河原で阿国の歌舞伎踊りが始まったのが17世紀の初めです。十津川の盆踊りは阿国の歌舞伎踊りの影響を強く受けた風流系の盆踊りで、江戸時代初期の踊りの姿を典型的に残しているのが「大踊り」と呼ばれている踊りです。 大踊りはどちらかというと太鼓が中心の踊りなんですけれども、それ以外の扇を使う踊りを中心とした、こちらでは「バカ踊り」というんですか、すごく難しい扇の振りが加わっていって今日の踊りになってきた。 そういう意味では、ものすごく古い、とっても大事な近世の美しさというものを保っている踊りで、お二人はその継承のど真ん中にずっと何十年も携わってこられたのです。
今日はいくつか、個人的な古いお話から、徐々にに今日のほうに移っていけたらなあと思っているんです。
子ども時代(昭和初期・戦前)
奈良枝 私ら子どもの時分は、呼び太鼓って、日が暮れてきたらそのへんをずうっと太鼓をたたいて回ったんですよ、それが今はね、子どもも少なくなってないようになりましたし、まあそういう面はな、違ってきてますな。
中川 なるほど。踊る場所とかはどこでなさってたんですか?
奈良枝 踊る場所はあっこやったな、クラブ。私ら(外では)踊ってないな。クラブばっかりやなあ。
中川 お二人の若いころは、やぐらもなくてお堂の中で踊っていた、と。盆踊りってやぐらがあってその周りをぐるぐる回るっていうイメージが強いんですけれど、この形は十津川においてはとっても新しいですね。 ですので、基本的にはお堂の中とか、つまり、お堂、クラブ?これクラブなんですか??
奈良枝 クラブなんです、昔から。でも本当はお堂なんですけどね、お寺やったんですよ。廃仏毀釈になってから、保育所になっとったんですよ。
中川 明治に入ると廃仏毀釈というのがあって、で、この小学校が明治8年ですよね。明治の初めというのは、この場所においても、お寺がなくなり、新しい小学校ができるというものすごい激動の時期であったわけです。 お寺で踊っていたということは先ほど言った念仏踊りですね。場所については踊念仏の影響というのが非常に強く残っていたわけです。 子どもさんってほとんどみなさん踊ってたんですか?
明美 踊りましたねえ。小学校に入るともうすぐ皆踊っ��し、入るまでにも踊ったんじゃないかと思うんですけれど、そこらへんは私らもはっきり覚えてないですけど。 このやぐらの代わりが長椅子、それも木製の長椅子で、こう3つ三角にして、音頭取りのおばあさんらが三人。ほいで上のほうの、大きな白の提灯でもないし、あのなんていうかな、そこで今でも吊ってますがな、四角で。それも作って天井につるして。 私ら小さいときは、建物の中で広さが限られてますわね。この運動場と違うから。隣村からも踊りの応援に来てくれるし、たくさんの若い人も武蔵におられたし、いっぱいでもう子どもらは扇も振れないくらいでしたんです。
大踊り
明美 それでもう、そんなして何曲か踊って、大踊りに入ってきますわね、そうしたらすぐにみんな子どもらは(外へ)飛び出て、あそこに腰かけるぐらいの高さのなんていうかなあ、畑のぐるりずっとコンクリであったんですわ、こっちは運動場になってて。そして大踊りが終わるまで外で遊んだり腰かけておしゃべりしたりというような状況でした、女の子は。男の子はどうしてたか、憶えてないですけど…。
奈良枝 男の子も踊らんだったんちゃうか?大踊りになったらなあ。
中川 なんか去年も西義秋さんにお話し伺ったら、あんまり踊らんかったなあ~、とおっしゃってましたけどねえ。
奈良枝 そうやろなあ。大踊り言ったら長いでしょ、だから嫌いやったわ、子どもの時分。もうぜんぜんわからんしな。バカ踊りやったら飛び込んで踊ったんやがな。あの大踊りだけは嫌いやった(笑)。
明美 それが3回ほど(繰り返して)踊ったんかな。
奈良枝 そうそう、そうそう。
明美 大踊りっていっても昔は「お城」とか「十三、四、五」とか。
中川 現在大踊りというのは、一曲といいますか、最初はゆったりとした部分、そして後半は早くダイナミックな部分ですけれども、それで一つのかたまりになっています。 それとは別の大踊りもあって。「十三、四、五」「鎌倉」「お城」というのは歌詞だけが残っています。これはもう無理なんですか?
奈良枝 今、習おうと思ってもおらんもんなあ。一人おるけど、その人もちょっと、うーん。その「十三、四、五」という踊りが私らも好きやったんや!
中川 あ、好きやったんですか!
奈良枝 うん、好きやった、けど嫌い!踊るのは嫌い!(笑)見るのは好きやったんや、きれいな踊りで。
盆踊りとの関わり
中川 踊りはいつぐらいまで踊ってらっしゃったんですか?
奈良枝 踊りはそやな、44~5歳まで踊ったかなあ。足ケガしてからは踊ってないんです。そやけど、松葉づえついてね、なんかあるとき(出張公演など)は行って、踊ったりしたんですよ、そういうときもあったんやけどね。(お盆の)踊りはそのときはしてなかったんやけど。
中川 あーそうですか。でも踊りはほんと大好きだったんですよね。
奈良枝 そうそう、踊りは好きやったからな、もう足さえ痛なかったらほんまに踊り子のほういきたかったんですわ。
中川 明美さんはわりと最近までずっと踊ってらっしゃいましたよね?
明美 踊ってました。
奈良枝 この人はもうずっと踊っとったよってな。
明美 結婚するまでです。
中川 結婚するまで踊ってたって…最近結婚なさったんですか(笑) 。
一同 あはは(笑) 。
明美 やっぱり、子どもが生まれると、子どもを見てくれる人があればいいけど、主人が踊ってたから、子ども連れては踊れない。だから。
中川 明美さんのご主人は、尾中嘉明さんとおっしゃって、以前盆踊りの保存会の会長をなさっておりました。嘉明さんは会長をなさった時期がずいぶん長かったですねえ。
明美 踊りが好きやったんでしょうね、ずっと踊ってたから。だけどなんか不思議やなと思ったのが、長男やったらあの大踊りも習ったんやな。そやから、主人のお兄さんは踊ってたんですわ、「十三、四、五」も「鎌倉」やなんかも。
中川 じゃご主人は長男じゃなかった?
明美 次男やったから。次男らはあんまり踊らなんだったか、それとも嫌いやったんか、そこらへんはちゃんと聞いてないんですけど。
中川 なるほど。大事な踊りは長男が受け継いでいく?
明美 じゃないかと思うんですわ、次男三男はあんまり踊ってないように思いました。
中川 ふーん。踊りはお二人とも見よう見まね?それとも誰かに習うんですか?
奈良枝 見よう見まねやの。 明美 見まねやの~。
奈良枝 やっぱりそれだけ自分が好きだったから踊れるようになったんやと思いますわ。見よう見まねで。手とり足とりで習ったことないな。
明美 教えてくれるような人もいなかったしな、みんな踊ったから。
中川 もう踊るのは当たり前みたいな?
奈良枝 そう。 明美 そうそう。
中川 お二人とも武蔵の生まれで、生粋の武蔵人ですから、ほんとに小さいころからずーっと…。
奈良枝 そうやな。
踊りの移り変わり
中川 ちょっと細かいとこに入っていきますけれども、若いころに踊っておられた踊りと、今の踊り、その踊り自体は変わってますか?
奈良枝 踊り自体は変わってないな。変わってないです。
中川 そうですか。ちょっとなんか一つ振りがなくなってしまうとか?
奈良枝 あ、そういうのはひとつあるけどね、うん。「うずまき」って踊り。
中川 「うずまき」ってどんな踊りですか?ちょっと歌って…
奈良枝 どんな歌やったっけ。
…ちょいとちょいと 鮎は瀬ですむ 鳥りゃ木でとまる 人は情けの ちょいとちょいと 人は情けの やれこりゃもとですむ それもそじゃないか
ここに「ね」が入ったんです、昔は。 「それもそじゃないか ねぇあなた ちょいとちょいと」 って入ったんですよ。それが今は、そこで省かんことには調子があわん。
明美 これが「ちょいとちょいと」になったらきれいでもあるし。
中川 つまり踊りが少し短くなったということですか?
奈良枝 昔はそれに合わんでももう歌だけ歌うていったら、それもそのまま踊っていったんやと思うわ。
明美 次々と歌に合わせずに。
中川 踊りそのものは変わってないけれども、歌のほうを踊りに合わせて変えた?
奈良枝 そうそう。
明美 結局、その「ちょいとちょいと」もビデオ撮り(無形文化財指定に際して作られたビデオ)の時にあわせたんやな。そのほうがわかりやすいやろうということで。 それまではずっと「ちょいとちょいと」があわんでも、そのままずっときたんやけども、これはそろったほうがいいやろと。
中川 わかりました。そういうビデオ撮りだとか外部の力が入ったときに踊りが変わりますよね。大踊りが万博だとか行った時ぐらいからかなり短くなった話を聞きました。15分や20分ぐらいに合わせてくれ、って。でそれが逆に今やるときの本番も舞台でやってるような短さになったという話も聞いたんですが、そのへんはどうですかね?
明美 大踊りはちょっと変わったかの。
客席から平瀬肇万(ただかず)さん(保存会の現会長) 一番長いときは1時間10分ぐらいあった。
中川 1時間10分ですよね?いま20分ぐらいですよ!
肇万 俺ら小学校4年生ぐらいに習ったときは、1時間10分ぐらいあった。
中川 つまり繰り返しがなくなったっていうことです?
肇万 そうそう、ほんで元歌が長かったんや。元歌がものすごい長かった。ここで聞いとって居眠りするぐらい長かった。それが今ひとつになったから短いの。
明美 そやから、最初の歌(ゆったりした部分、男性中心の踊り)が始まると、女の子らがみな(クラブから)出てきてそこらへんで涼んだり遊んだり。それで跳ねだしたら(後半のダイナミックな部分。よっさよっさと掛け声をかけながら踊る)、飛び込んでいってまた同じように跳ねてたんやけれども、最後の「よさよさ」まで。
中川 「よっさよっさ」も昔はもっと長かったですか?
明美 長かったねえ。
中川 大踊りはですね、最後「よっさよっさよっさよっさ」って言って体力が尽きるまで踊るっていうか、ぐるぐるぐる走って回るっていいますかね、ものすごくダイナミックな場面に移りかわって見ているほうはとっても面白いですけれども、やってるほうはほんとに息が切れるというか、はあはあ言って。
扇と灯篭
中川 今日は、昔使われていた扇を持ってきていただけました?
奈良枝 もうボロボロになっとる。
中川 ちょっと開けてください。おー。
奈良枝 今のみたいなきれいな扇じゃないけどな。
明美 かわいいな。
中川 金色とか銀色でキラキラした感じではないけれども、華やかな感じですよね?扇は何回か買い替えたりしたんですかね?
奈良枝 いやー。一回、二回ぐらい変えたかな、三回も変えてないと思うわ。これで、まあ私はあんまりよう踊らなかったからな。途中で音頭取りになったから使わんかったから。子どもらもあんまり踊らんし、うちのは(笑) 。
明美 扇は高いからねえ今は。子どもの時はよう買ってもらわなかったから、破れてくるんやでこれが。折り目が。だからこれに今やったらテープでもありますけれども、そんな時分はないし。半紙でお盆前になったらこれを全部貼ってきれいに使いましたわ、私らは。なかなか扇一本って高いもんやから、ねえ。昔でも高かったんやと思います。
中川 これはどこで買われたんですか?
奈良枝 どこで買うたんやろ。憶えてないよ。これ親に買ってもらった。母親に。
中川 じゃあ相当古いですね。これ昭和の初期ですね。
奈良枝 こういうの、小原で売っとったんやろか?
明美 平谷に新しい店もあったしな。
中川 大踊りのときに使う灯篭って、笹竹につけていろんな色のついた紙を貼るんですが、灯篭は誰が作るんですか?
奈良枝 小さいの貼るのだけはね、女の人ができて。男の人らは、この枠のを(音頭取りの上に吊る大きな行灯)。それを毎年張り替えて。
明美 でも昔はあんまり(大踊りのクライマックスで)回数まわってたらのう、火が出てきて、昔はろうそくやったから。叩きあいもしとったし、火がついたら池に持っていって走ってざぶっと浸けたり、そんな光景も見てますわ。
中川 なんか朝まで踊ってたっていう話も聞きましたけど。
奈良枝 朝まで踊った、ほんまに。夜が明けるまで。
肇万 4時ごろまで踊ったの。
奈良枝 そうそうそう。ほいでそれは終わってから家帰って朝ごはん食べて、でその足でこれ片づけに来たんや。えらかったわぁ、あのときは。
中川 それ女性も片づけに来るんですか?
奈良枝 来ました。
中川 ちょうちんを乾かしたりだとか?いろいろありますね。
奈良枝 はいはいはい。
中川 でも人も多かったんですよね?昔は。
奈良枝 多かったなあ、あの時分は。
明美 そりゃの、男の人多かったしな。
戦後の盆踊り
中川 それは戦争が…。
奈良枝 そうやなあ。
中川 じゃあ戦争のころっていうのは盆踊りやってたんですか?
奈良枝 戦争のころはなかったの。
明美 なかったと思うな。
奈良枝 終戦になってからやの、再開したのは。
中川 それで第二次世界大戦のあと、すぐに盆踊りをはじめられた?
奈良枝 それもどうやろ、(昭和)二十何年ぐらいはまだ踊ってなかったやろ。
明美 踊っとったんちゃう?うーん。25~6年には踊ったようにも思う。私、中学校の時踊ったから。
奈良枝 しおり、これもたぶん古いわの、40…
明美 これ、踊りの会則。保存会できてからか?
奈良枝 そうそう。これ保存会できてからね、てのは41年か。
中川 あー、武蔵踊りのしおり。主に歌詞が書いてありますね。
奈良枝 そうです。一番最後に細かい字で書いてるでしょ?それが武蔵の踊りが出演したところなんですわ。大踊りを。
中川 はぁー!各地に出演、昭和35年が一番最初ですね。
奈良枝 やからのう、26~7年ごろはもう踊っとったんやろか?
中川 大阪の万博が昭和45年ですね。この話はよく聞きますが、その前もかなり出ていらっしゃいますね。これ全部行かれました?
奈良枝 私は全然行ってない、まだ入ってなかったから、保存会に。
中川 保存会っていうのはもっと年上の方が入っている?
奈良枝 ここにおる人は入っとったけど、私出てましたやろ、外へ。
中川 なるほど、昭和35年っていったらちょうど35歳くらい。その頃、奈良枝さんは結婚して武蔵ではないところに住まわれていたんですね。
奈良枝 明美さんは行ったんちゃうか?
明美 どこが一番先になっとった?
中川 昭和35年の8月20日に盆踊りコンクールっていうのが橿原神宮で。
明美 最初は私行ってないわ、だいぶん行ってない。主人はだいぶん出とるけれども、私はいちばん下の子がいくつぐらいやったかなあ、もう6つか7つくらいやったか、人に頼んで行けるようになってから。だから主人の母親が面倒見てくれたし。
中川 なるほど、子育てのときはなかなか出にくい?
奈良枝 そうやな。
明美 泊りがけになったからなあ。外に出ると。今のように車で走ったわけでなかったから。バスやったから。ほとんど。
音頭取り
中川 そうしたら、音頭取りの話をしたいと思うんですが。音頭取りっていうのはどうやってなるもんなんでしょう。
奈良枝 私は足が悪かって踊れんかったから、姉らが二人、文江の姉と照江の姉と、音頭を取ってましたんで、それの付属品として私がそこへ入ったんですよ(笑)。
中川 付属ですか…。奈良枝さんは四女ですかね、静江、文江、照江、奈良枝、という踊りの大好きな方ばっかり。
明美 まだもう一人上に。たまさんて。
奈良枝 あの姉は音頭取ってなかったよってな。
明美 でも上手やった。
中川 踊り系の家やったわけですね。
奈良枝 そやろな。
中川 その五人姉妹がいて、男の兄弟は?
奈良枝 二人おりました。兄貴らは二人とも、25と26で戦争に行って亡くなった。
中川 そうですか…うーん。じゃあ慰霊祭とかの時は行かれたりするんですね。
奈良枝 はい。母親と父親と行きましたけどな。私ら子どもは行かんかったけど。
中川 最近ですね、明美さんも音頭取りでやぐらの上におられたり…
奈良枝 明美さんは去年やめたんか、音頭(笑) 。
中川 やめたって?どういうことですか??
明美 やめたんや。いじめられたからや(笑)。よう歌わんのに上がってきたっていじめられた(笑) 。
奈良枝 伏して拝んで頼むんやけども、来てくれんねん(笑) 。
中川 言うことが違いますね(笑) 。
明美 足がまったく悪くなってね。ほんだから、やぐらの段を上下するんだけどしんどいし。もうだから3年ほど来てないんかと。
中川 じゃあそこ、エレベーターみたいなのつけたらできる?
奈良枝 それやの。エレベーターつけたら来てくれるかも(笑) 。
明美 今晩もだいぶ思案して出てきまして。
中川 今晩は、奈良枝さんが、ぜったい明美さんに来てもらわないと私は出ない、と。引きずりこまれてます。
明美 ほーんと?(笑)ここにも引っ張りあげられて。私らも踊りは好きなほうやったから。
中川 もうほんとに長い間お師匠みたいな感じで、みんな明美さんの踊りを見て、そやったそやった、っていうので踊っていたような雰囲気を私は憶えていますね。
奈良枝 この人はまた踊りをよう知ってるからな。
明美 いやそんなことないわ、忘れてしもうたけども。
奈良枝 そんなことないやろ(笑)。
中川 まあ音頭取りで、最初は付属品で入られて、で今では付属品でもなくなって、ほんとにご本体になってしまったんですけれども。
奈良枝 骨董品になって(笑) 。
中川 歌詞は引き継がれるんですか?あるいは自分でお考えになったりする?
奈良枝 歌詞ですか?いえ、みな本(武蔵の全曲の歌詞が載っている冊子)見て。でも、その本にない歌詞あるでしょ。
中川 そうそうそう、いっぱいあるんですよ。
奈良枝 それもまた他のとこからひらいだして。短いところはちょっと長めに歌えるように。
中川 例えば「高い山」なんかでも、西川の冊子、平谷の冊子とかもらって、ぱらぱらとみますと、全然歌詞が違いますね。
奈良枝 ああ、そうでしょう。
中川 最初の「高い山から谷底見れば」それだけ一緒ですけれども、それからどんどん変わって。違いますよね、地域によって。
奈良枝 そうな、平谷のほうも違うしな。
中川 それはやはり武蔵で伝承されてきたいろんな歌詞を拾い集めて書かれてるんですか?
奈良枝 なんなんやろなあ。
明美 そうや。いくつもいくつも書いてくれてるわ。奈良枝さんが、今の新しいのに。わたしら全然知らん。歌うてないから。
奈良枝 ああ、そうかそうか。これは平谷の人らが歌うとるやつを書き込んだりしたんやで。節はおうていくからね、そういうなんを拾いこんでも。みんなどれでも曲にあったのができるからね。この「くどき」(歌詞が物語になっている曲)やとかなにかはな、別やけど。
明美 ずっとつづいてるからの、文句が。
奈良枝 バカ踊りはね。
中川 バカ踊りはどんな歌詞でもいわば使いまわしができて。 盆踊りで実際本番の時ですね、歌の順番はどうやって決められるんですか?我々は音頭取りの言いなりになって踊るわけですけれども。 ここの踊りは、最初は「ダンチョネ」をやります。その次は「高い山から」、次は「串本節」と、だいだいなんとなくあるわけですけど、その後はどうされるんですか?
奈良枝 どんなにっていうたらいいんやろ。踊りやすいようなのから拾い出して毎年踊るんやけど。だから難しいのは最後に残っていくと思うんですわ。
明美 初めての人が多かったときなんかは。やっぱり踊りやすい…。
中川 踊ってるほうからすれば「木曽節」というのが手踊りですごく簡単ですけれども、あれから踊るっていうのは違いますよね。
奈良枝 そうそう、一番最初はね「ダンチョネ」とか「高い山」、最初にいきますね。ほいでそういうバカ踊りを最初に三つ四つして、ほして「くどき」に入るんです。やっぱりくどきはね、ちょっと間あいだいれたほうがいいやろかな、っていうて。
中川 で、やぐらの上で次あれしようとかこれしようとか相談なさってるわけですよね?音頭取り2~3人で。だいたいマイクで聞こえてくるんですけど、相談ごとが(笑) 。
奈良枝 そうでしょう?
明美 年寄りはそういうことが分からんの。今のことが。
奈良枝 これ(マイク)を切っといてしゃべるってことをせんよってな。
中川 あー今いろいろ考えてはるわーって思いながら待ってるわけですけれども。昔に比べて今の盆踊りの雰囲気とかはどうでしょう?
奈良枝 昔はの、ほんまに賑やかやったけども、歌そのもんでもな、賑やかに、音頭、囃子、もうみんな囃子をしたからねえ。やっぱり昔の人はみな踊り歌を知っとったから、それで囃子もようできたんやろうと思いますわ。
中川 14日の本番の日は、都会に出てられる方も戻ってこられて、結構うまい人もおられますよね?
奈良枝 そうそう。やっぱり好きな人はしっかり憶えてますわ。
再び娘時代のエピソードへ
中川 いいですか、なんかこれだけはもうちょっとしゃべっておきたいとか、もしあったらどうぞ。
明美 私ら5年6年生ぐらいになってきて、そろそろ大人の中に入って踊れるようになってきたら、お盆やから、ちょっとお化粧もしてほしいし、だけど自分ではようしない、家の者にもようしてもらわない、っていうて。ちょうどこの学校に勤められた先生がそこの前の家におりましたんで、その先生がしてあげるからおいでっていうことで、最初のうちはしてもらってたんですけど。やっぱり私ら中学生になって、ただしてもらうだけでは気の毒やからいうことで、お金だしてもとってくれないから、草刈りを手伝いに行って、刈るのから持つのから、ちゃんと納屋に入れて詰めるまでしておいて。 お化粧してもらって三人五人と踊って。ほんで夜中家に帰る頃に、この顔洗うのもったいないの、って言いながら、二人三人に連れて帰ったこと、あっと思い出した。
中川 そんなにきれいにしてくれるんですか?
明美 まあきれいじゃなしにただ白塗りですけど、汗かくから落ちてしまうんやけどね。それでもやっぱり毎年そないやって、中学校まで三年行く間そんなして、もう中学校卒業したらもうね、別やから、それもお願いにもよう行けなかったけど。だから親なりおばあさんなりが行って頼んでくれて、そして草刈りを手伝うたり運ぶの手伝どうたりして、そうしてお盆にはもうそれこそ晴れ姿で踊らしてもらったの、いまでもよう忘れませんわ。
奈良枝 昔は、かんざしってものはなかったんですな。だから今咲いてますやろ、ムクゲの花、あれを取ってきてね、それで頭にさして、踊ったんですよ。
明美 私らは紙で、障子紙で、障子紙ちょっと強いから、半紙よりね。それで切って花を作って、中に赤いインクでぴゅーっと竹にキレを巻いて吹いたりして、ほして、その夜中まで(お堂で)踊って外へ出てきたりして夜露を受けるでしょ?ほたらしんなりとしてくるやん、紙やから。中へ入っていって踊るのこんど、私のどないなっとるって隣の人に聞いたり。ひしゃげとるって。だんだんと花がしぼんできたっていって、踊ったこともある。
中川 それはまさに風流の精神ですよね。飾って、美しくして。
奈良枝 やっぱり女の人やってなんか飾りたいという気になったんやろな。
明美 お盆だけやもんの、こんなことしたのも。
中川 ほんとに特別な日だったんですね。そういうのを全然知らなくて、ああ、そんなことあったんだって。 本日はこのお二人にお話をうかがって、私ももう35年通ってますけども、聞いたことなかったような話をいっぱい聞かせていただいて本当にありがとうございました。みなさん拍手を。
奈良枝・明美 ありがとうございました。
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「武蔵の昔のお話」2015書き起こし
2015年8月12日 旧武蔵小学校横のお堂にて。 西義秋さんの「武蔵の昔のお話」は、西さんが村の行事で神主を務められる際、お祭りのいわれと共に昔の武蔵の風俗のお話を聞かせてくださるのがとても面白く、ぜひみなさんにも聞いていただきたいと思ってお願いしたものです。 この記事は当日の記録から、一部を抜粋しました。 聞き手:中川真さん(大阪市立大学大学院教授)

中川 みなさんこんばんは。私は中川と申します。この武蔵の集落と関わり始めましたのは34年前です。今年は35年めということになります。その間、西さんは何度もお目にかかりお話を伺っているんですけれども、今日はちょ��とまとめてお話を聞けるということでとても楽しみにしております。
西 じゃ、あらためてみなさんこんばんは。私、今、先生から紹介されました西義秋と申します。えー、雑談になります。別にこれといったテーマもあるわけじゃございませんので。 あの、みなさん、テレビやラジオで聞かれたことがあると思いますが、綾小路きみまろ、あれが私おもしろうて、自分の車の中ではよう(カセットテープを)差し込んでは、走りながら聞くんですわ。ちょうどあの話のようになると思うんですが。
中川 お生まれは昭和ですか?
西 大正15年、昭和元年。あと3ヶ月でちょうど 90歳になります。
中川 ということで、武蔵のご出身で、昭和元年から昭和と平成をほとんどここにおられた。戦争中だとかそういうときに、しばらく和歌山に行かれたけど、ずっと武蔵をご覧になってこられたので、できるかぎり古い話を伺いたいなと。第二次世界大戦の前のお話とか、もし可能でしたら盆踊りの思い出とかそういうこともありましたら。
西 はい。この武蔵という村は、私が生まれた頃からの記憶にありますと、非常に団結心の強い村であると。小学生のころには感じませんでしたけれども、だんだんだんだんと自分が成人するにしたがって、この村人の先輩、いわゆるご先祖たちは、なんとえらいなあと。 一例を申しますと、この村には、杉、ヒノキなんかが育った共有山があります。この共有山を、財産ですから、みんなが協力して育てた。必ず月に一回は下刈りといって山の木の下に生えてくる雑草、雑木ですね、それを全部、今のようなあんな機械力はありませんので、皆、下刈り鎌という鎌で朝早くからみんな手弁当で刈りました。共有山の大半はあの大森山の奥にあります。その共有山を資金として、村の、たとえば学校の修理をするとか、道路の補修をするとかの費用を全部まかなっていました。今は、みなさんもご存知のように、山の価値は、このくらい山の価値がなくなった時代はいまだかつてないというくらい低下しております。お金にしようと思ったら、ほんとに馬鹿らしいほどの値段にしかならない。ところが戦後は、だんだんだんだんと日本の経済状態が良くなっていったがために山の価値があったから、みなさんがこの下からずっと登って来ている道路も、今は村道、十津川村の管理下になっておりますけれども、武蔵の共有財産の中から資金を出して、武蔵の村の方々の汗と涙の結晶です。だから今はこの世にはおらない方々が、本当に苦心されて村を作り上げたと。さっき言いましたように、団結心のある村人であったなあということが、自分が年をとってくればくるほど感じております。
学校の先生の地域での役割
西 この武蔵には、その当時、勝山という先生がおりまして、その先生は36年と6ヶ月、ずっとここの学校へ来ておられた。学校といっても、みなさんの卒業された学校のようなのとこの辺は違います。二学級で、校長先生が一年生と五年生、六年生を受け持ち、 二、三、四年生は女の先生が受け持つ、そういう学校の状態でした。
中川 先生ふたり?
西 ふたりです。 けれどもその当時やっぱり60~70人、多いときだったら80人ぐらいこの校舎でおったわけです。で、そのときの職員住宅というのが今ここに 改造されています。あれが職員住宅です。
中川 ゲストハウス(大森の郷)ですね。
西 校長先生がこちら(東側)のほうで、部屋を二つに区切って隣のほうが女の先生。そういう職員住宅だった。 そのときに今申しました、勝山という先生が武蔵に、報徳会という会を始められた。まあ今で言えば自治会です。今のわたしらの年代、まあ、80歳以上の方、80歳ちょっと無理かなあ、もう90歳以上の方は全部、その報徳会というのに月に一回、 たいてい夜で、昼したときもあって、一戸の家庭には必ず一人は出席して、いわゆる村の山林の問題とか自治会的な会合をしていました。それが本当に根強く残っております。 私は、あの先生の力というのは大したもんだなあと。お父さんお母さんもその先生に習い、子どもまでもその先生が教えている、という形態です。 まあ、昭和の戦後の学校の様子は変わってきます。A校からB校、C校とぐるぐるぐるぐるローテーションしていくのが、わたしらが学校へ行っている当時の形態でしたわ。 その当時は ひとつの村には必ず小学校、それから昔は高等小学校というのがありまして、小学校6年間は義務教育ね。あと小学校の上に高等小学校というのが2年間、これはもう自由です。行ってもいいし行かなくてもいい。この高等小学校に行くためには授業料を払って行った訳です。
中川 はいはい、解説しますね。 この小学校は昭和45 年まで小学校として授業に使われていました。1970年ですね。ですから45年前に閉校になった。それまでのお話でした。 ひとつの村にひとつの小学校というのは、ひとつの村というのは武蔵のことで、十津川村でひとつの村ということじゃなくて それぞれ集落でそれぞれ小学校を維持していた。子どもたちもたくさんいた。 それから西さんも学校の先生をなさっていて、それはここじゃなくて?
西 ここではありません。十津川村内で。
中川 村内で学校の先生をされていたと。すいません、ちょっと話の腰を折りまして。みなさんに話の背景を説明しながら答えていただきました。
虫送り
西 それからね、古い話になりますけれども、ちょうど今頃になると、おそらくわたしらより後輩の方は知らないと思いますがね、ちょうどお盆の2日前か3日前、まあ今日12日ですか、13日か14日、この天候にも寄りますが、天候のいいときには13日がたぶんその日だったんですが、これも年に一度のね、虫送りという村の行事。農作物にいろんな害虫がつきます。その害虫をなくすための、まあ言えば神事ですな。今は人家がだいぶ少なくなっておりますけれども、この一番上の家のところから、 たぶんわたしの記憶では 三人ないし四人だったと思うんです。竹に盆踊りで使う灯篭のようなものをつけて、それをかざして、虫送りという行事をしました。そして、これをずーっと道路を下がっていって、十津川荘のところの河原で、笹についている虫を川に流す。そのときの三、四人が「ねーぇむーし、はーぁむーし、おおくるよ」この言葉を大きな声でずっと繰り返す。そして小さな太鼓とお寺なんかで叩く、ちーんちーんて鐘な、鐘。あれを叩きながら、虫送りをやりました。
中川 村の人全員?
西 当番になっておるからな、だから今年はこの家とこの家とこの家、その次はこの家とこの家とこの家、 順繰り順繰りに回っていくね。 中川 虫送りのとき、たいまつとか?
西 それはね、昼間やるんです。
中川 あ、昼間やるんですか!
西 昼間やって、ちょうどね、たぶん13日か遅くとも14日の日にはやりました。わしらが小学校3年生か4年生ごろに記憶があります。
中川 総代さんはなさってました?
総代さん たしかにそういう話は聞いて、記憶に残っているんですが…。
中川 じゃあ実際にはもうされてなかった?もう廃れていたっていうか。
川のめぐみ
西 で、虫送りはずっと行って川にね。そのときの川っていったら、今の川と様子が違います。水量もあるし、本当にきれいな水でしたわ。ほんと、とても今の川とは例えられない、ね。ウナギもおるアユもおる、非常にきれいな川でしたわ。今から考えてみたら、ほんとに夢のようなといいますか。そら、もう今の川は死んでますよ。
中川 ダムができる前の話?
西 そう。できる前。
中川 で、十津川が すごくきれいだった?いろいろウナギとか採りに行かれた?
西 あーおりました。おりました。
中川 筏とかも?
西 そうですね。
中川 ダムがなかったから。
西 そうそう。
中川 じゃ川底ももうちょっと深い?
西 水の水量がちがいますわ。今の何倍かの水量です。もう川の底まで見えるぐらいきれいで。今の川は死んでますわ。生きた川じゃないです。 四万十川とかあれほどの水量はなかったけど、そりゃあもっともっときれいな、さ。それで今、先生がおっしゃったように筏が流れると、自分たちが泳いでいる間に筏に飛び乗って、そら筏のおっさんが竿を持って「こら!」言って怒る。怒りよったらまた水の中にバーンと飛び込んだりね。そういうことをしました。 ついでに申し上げますけれどもね、ここの谷なんかでもね、魚は今は稀でしょうね。前はウナギなんかおったんですよ。で僕ら子どもの頃は、6月7月8月ごろまでは土曜日、学校終わったら、谷に釣りに行ってね。ミミズを刺して晩方谷につけておいて、朝起きて行って上げる。ほんだらもうこんな(30センチくらい)ウナギが、そう何匹もかからん、まあ3匹か4匹はね、1回すればウナギは掛かります。今はもうぜんぜんそんなんありませんけどな。 4年前の水害からはねえ、もう川がねえ、さっき言いました繰り返しですが、死んでしまっています。もう昔のような面影はありませんわ。今まであったようなせせらぎは土砂が流れてねえ。10年か15年先にはもとの姿になるか知らんけれども、もう山が崩壊しているから、ほうぼうでな。だからちょっと雨が降れば本流でもそうです、泥水がどんどん流れる。だから魚もなにも住めんです。
村のお祝い事
西 それから、この十津川村内にどのくらいそういう村があったかどうかわたしも分からないですが、伊勢講といってね。どういうことかというと、 年に一度伊勢神宮に参拝する。今のようにマイカーで行くというようなそんな時代ではありません。それがために旅費ですね、それを毎月なにがしかの一定の額を積み立てしておるんです。その積み立てをした費用で、大体一年に4戸、それが順繰りに、今年はここ、今年はここ、今年はここ、と抽選で選んでいるんです。それはまだ20年前くらいまでは続けておりました。 そのお伊勢参りの方が帰ってくる日は大体分かります。何日に帰ってくる。で帰ってくると、この向こうに行ったところにお宮さんがありますが、あのお宮さんの庭でぐるーっとござを敷いて。自分たちの食べるお酒の肴ですね、そういうものは各自の家庭が持ってくる。村から出すのはおにぎり。そのおにぎりも村の婦人会の方が作ってずっとみんなに配って。ビールはその当時はなかったと思うなあ、たぶん酒でした。で、それこそ一日がかりで神事をすませて、そしてお昼前から食べたり飲んだり歌ったり伊勢音頭を踊ったり、それが年中行事でした。今から考えたらまあほんとにあの当時はほんとに村が和やかなといいますか、平和といいますか。子供心にもそのときには白いごはんだからうれしかった。普通の家庭では麦を知ってますか、麦ごはん。普通麦ごはん。麦と米と混ぜて。ところがその伊勢講のときには白ごはんを食べれるから、まあうれしかった。 今から考えたら、テレビがあるわけでもない、ラジオがあるわけでもなし、もちろん今のような携帯電話もありません。まあ村の憩いの場だったわけですね。
それから、次にはね、今では結婚式といったら、もう��分の家で結婚式をする人は最近はほとんどおりません。みな和歌山行ったとか家から離れて結婚する。ところが私なんかの子どもの頃、あるいは私自身もそうです。わたしは昭和29年の3月26日、今でも記憶あります。わしの家内はこの上の川津というところから来たんです、風屋ダムからちょっといったところ。そうするとたんすとかそういう荷物をその当時はまだここまで車が上がらなかったと思うんです。上がったんかなあ、ちょっとそのへん定かじゃないです。で嫁さんは、今の嫁さんみたいな 立派な乗用車じゃないです。もうほんまに、かたことの車を頼んで乗せてきて、歩いて家まで。その家で三々九度をして、そして近所の人たちや親戚みんな集まって、そこで式が済んだら披露宴というやつ。今のようにそんなに豊富に食事もありません。まったくの家でつくった質素なごちそうですわ。 私の知り合いの方が西川いうところにおるんですが、そういう話をしたときに、「私のところでは夜が明けるまで酒を飲み交わして、もう早よう帰ってくれればいいのに、もう眠たいのに、もう飲んで次から次へともう参った」という話をしておりましたけどね。
盆踊り
中川 それで西さん、盆踊りに何か思い出とかありましたら、ちょっとお話いただけたらうれしいと思いますけど。
西 私らの若い頃はねえ、盆踊りっていったらほとんどここ(お堂)やって、ここばっか。外で踊りをしだしてから、20年?
客席から いやいや30、えー40年くらい。
西 40年くらいか。私らが若い19、20歳ごろの盆踊りといったらね、ほとんどここやったんです。天気であろうが雨ふりであろうが。
中川 それはたぶん踊念仏の影響というか、踊念仏はそもそもお堂の中で念仏踊りをやってたわけだからね。それがずっと続いていたんでしょうね。
西 お盆の14日の晩はね、ほとんど夜が明けるまで踊りましたわ。もう夜通し踊りました。で、わしらがその当時、青年会というのがあってね。さっきも言いましたが、飲み物っていうものは昭和初期、20年から終戦直後やな、酒なんてまあちょっとくらいあったかしらんけど、まあほとんどなかった。だからね、盆のためにどぶろくっていってね、密造ですわ。どぶろくっていうのを作ってね。ちょうど盆中にできあがるくらいに日にちを計算して。そしてそれを飲んで、それでみんなで踊った。 ここにも(お堂の鴨居のところ)こういう跡(紙を貼り付けたような)があるんですよ。そうとう古いもんなんですよ。これは何をしたかというと、祝儀をくれます、お盆のときは。今もやってます。それをここにだーっと貼ったんです。 そして、盆は各小字によって、今日はここ、明日はどこ、あさってはどこ、と順繰りにまわる、昔からのひとつのしきたりというかな。だから 隣の村が盆のときには、武蔵の若い人たちがあの焼峰という尾根を越えて踊りに行くんです。
中川 大野ですね。
西 そうそう。で今度はここが盆のときには、大野の人たちがまたこっちへ来てくれます。そういう交流をやっておりました。そういう交流の中で、青年との付き合いというか交際が始まった、そういう例もある。
中川 交際っていうのは?
西 いわゆる男女の交流がな。武蔵から行く、で大野からくる。
中川 それで結婚とかにつながるとか
西 そういう例もあります。数は少ないけどね。 だからお互いに隣の村の青年と、そしてこちらの村から行って、今でも年配の方で、武蔵の14日の晩には来てくれる人もおりますよ。大野からも。 そして14日の晩にはね、変装して踊る人もたまにはでました。男が女の服装をしたり、女が男の服装をしたり いろんな変装をして、踊りの中の雰囲気をうんと盛り上げるというか。最近はそういう人もいなくなったけどね。
中川 その盆踊りのときに、ご先祖様のことをかなり意識したりなさってたんですか?あんまりそういうことはなかったですか?
西 僕らの頃にはなあ、盆というのはご先祖の供養だっていうのは分かってはおったけど。
中川 むしろ娯楽として
西 そうそう、娯楽です。娯楽の場でしたわ。 ただただここで音頭取りの方がここで歌ってね、今のようにマイクをつかってとかね、そういう時代じゃなかったです。ほんまにね素朴なね、素朴な踊り。
中川 でもたくさん踊ったんですか?
西 ああ踊りましたよ、人数は踊りました。 で、私はもうだんだんだんだん自分が年をとってきて、この素朴な踊りの中に民俗的なよさっていうかな、そういうものが教えられた、なるほどなあと。
中川 あの、十津川の踊りは、そんなに私は素朴とは思えないんですけどね。素朴というよりものすごく洗練されてっていう踊りに見えるんですけれども。西さんから見たら素朴なんですか?
西 そういう感じがするねえ。 まあ、けど、そういう民俗的なものも、ああ言われてみればそうかなあっていう…。私ら子どもの頃は、ああ今年も同じ、また来年も同じ、っていうような、マンネリ化してしまっておってな
中川 あってあたりまえみたいな?
西 そうそうそうそう。別に新しいということは自分ではね。だいぶ歳とともに変わってきましたけどね。 灯篭もはじめてご覧になった方は、こういうものを持って踊る、それはもうきれいなもんですわな。
中川 もうびっくりしたんですよ。 私初めて30年何 前に見たとき、こんな盆踊りがあるのか、 30種類も違う踊りがあって、それで村の人はそれ当たり前のこととしてやっているわけでしょ。それでもうびっくりして。それから取り付かれてしまったんです。
西 もう先生ここにおいでになってから、 何年ぐらいになるんですか?
中川 35年。
西 はぁーー!ふーーーん!! いやね、先生がここにこんだけのお若い人たちを連れておいでになって来ていただいてこそ、今の踊りは存続すると 私はそう思います。
中川 私たちはぜんぜんお助けしているとかそんなつもりは全然なくて、ほんとにすばらしいのでいろいろ体験させていただいて、ほんとに感謝しているんですよ。 やっぱり主体はあくまでも武蔵の方で。20何人保存会の方はおられて、この人たちだけでも立派にされますし。 けれどもちょっと若い人が少ないから、少し色、華やかさを添えるという意味で私たちが一緒にさせていただいているという。
西 そりゃ華を添えてくれるのはね、やっぱり若い人です。
中川 西さんのところにこの前お伺いしてテーブルの上を見たらね、又吉直樹さんの「火花」の本が置いてあってね。読んでるんですよ。ですから最新の小説も読まれて吸収なさってる。ま、ね、こういう方みたいにね、われわれも日々更新していかれる、そういう形ですよね。西さんもね。
西 どうぞあのみなさんね、人生には折り返し地点は ありません。マラソンなら、あるいは駅伝ならば、自分のたすきを次の人に渡せます。ところが、私たちの人生というのは一本道です。行ったらもう帰って来れません。その一本道を、さっき言いましたように、自分に納得の行く日々を送るということが私は大事だなと思います。人がどう言おうがそんなこと関係ねえ。俺の人生は自分が築いたらいいんです。そりゃ親兄弟 親戚にまで反対されてまでする必要はありません。けども、自分の人生は自分が決める、自分の並木道は自分が歩んでいくということが大事じゃないかと思います。 えらい取り留めのないことばかり申し上げました。どうぞみなさん、武蔵の盆をみなさんの力で盛り上げてください。ありがとうございました。
中川 はい、どうもありがとうございました。いろいろ私も教えられることがありました。それでは、ぼちぼち予定の時間も過ぎましたし。もう声がとにかくよくとおるというかお元気で、びっくりしました。
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【終了】探検! 奥武蔵
2017年8月11日(金/祝) 16:00~17:30
子どものころから武蔵を知りつくした達人、小西隆さんといっしょに里山を歩きましょう。ひんやり涼しい水辺から見晴らし台まで、とっておきの場所をご案内します!2016年に続いての開催です。
■対象:小学4年生~大人(山道を歩ける体力のある方) ※小学生は大人同伴でお越し下さい。 ■参加費(1ドリンク付き):1500 円、小学生800円 ■定員:6名 ■お申し込み:ご参加の方全員のお名前・年齢、代表の方のご住所・携帯電話を明記の上、[email protected]までお申し込みください。
※このイベントにご参加の方でご希望の方には、8/11夜の1泊に限り、盆踊りの調査・手伝いチームが滞在する武蔵公民館への受け入れをおこないます。男女同室の雑魚寝・風呂なし(温泉利用)・まかない付。1000円程度ご負担いただきます。宿泊希望の方はお申し込み時にその旨お書き添えください。詳細をお知らせします。 地区内でのキャンプ・車中泊等はおやめください。武蔵エリアの宿泊施設はこちらをご覧ください。
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【終了】夕暮れ武蔵の音さんぽ
2017年8月12日(土)16:30~19:00
谷間に耳を澄ましてみると夜は山から動物が、田から蛙が呼応し、朝は葉から露が滴り、時と共にゆったり音が巡ります。夕暮れ時はどんな音がきこえるでしょう。武蔵地区にある散歩道を目を閉じて感覚をひらき、歩いてみましょう。2015年・2016年に引き続いての開催です。
○耳のたいそう ○音スケッチ ○みちみち音ひろい ○ねころんでみみすます
■対象:小学生以上 ※小学生は大人同伴でお越し下さい。 ■参加費(1ドリンク付):中学生以上1500円・小学生800円 ■定員:10名 ■音の案内人 岩田茉莉江 音風景研究家 奈良県出身。2003 年、沖縄の南大東島で音に魅かれ、こども達と島の音をひろい、南大東島島まるごと館に島民と共に音の展示物「南大東島音たまり」を制作。こどもから大人まで様々な年齢層を対象に音を聴き、感覚をひらくワークショップを重ねる。 http://www.ototamari.net
■お申し込み:イベント名、ご参加の方全員のお名前・年齢、代表の方のご住所・携帯電話を明記の上、[email protected]までお申し込みください。
※このイベントにご参加の方でご希望の方には、8/12夜の1泊に限り、盆踊りの調査・手伝いチームが滞在する武蔵公民館への受け入れをおこないます。男女同室の雑魚寝・風呂なし(温泉利用)・まかない付。1000円程度ご負担いただきます。宿泊希望の方はお申し込み時にその旨お書き添えください。詳細をお知らせします。 地区内でのキャンプ・車中泊等はおやめください。武蔵エリアの宿泊施設はこちらをご覧ください。
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【終了】あなたの持ち物に絵をかきます
2017年8月13日(日)12:00 ~16:00 旧武蔵小学校校庭にて
「何をかいたらいいですかカード」をひいていただき、「丸を3こ」や「三角を2こ」のようなカードの目にしたがって尾柳佳枝さんがあなたの持ち物に絵をかきます。山の思い出にどうぞ。2015年・2016年に引き続いての開催です。 (写真:平野愛)
■素材:紙・布(洗濯可)・木などの水を吸う素材のものがおすすめです。プラスチック・金属などつるつるの物にも描けますが擦れたりするとはがれます。(アクリルガッシュで絵をかきます)
■参加費(1ドリンク付):カード1枚2000円 カード2枚���以降はカード1枚につき1000円 持ち物の大きさはTシャツくらいまで。それよりも大きなものは応相談。
■所要時間:30分~1時間程度
■プロフィール 尾柳佳枝 絵をかく人 絵、絵に動きをつけた映像作品、本、イラストレーションなどを制作。 http://oyanagikae.net
■お申し込み:不要・直接ヤマノカロまでお越しください。
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【終了】 昔の武蔵のお話
2016 年8 月11日(木/ 祝) 20:00~21:00
長年にわたり盆踊りを担ってこられた小田奈良枝さん(90 歳)と尾中明美さん(82 歳)に、昔の武蔵の盆踊りの様子などを伺います。聞き手は、30年以上にわたって武蔵に通いつづけている中川真さん(大阪市立大学大学院教授)です。 ■参加費(1 ドリンク付):500 円 ■お申し込み:不要・元武蔵小学校横のお堂まで直接お越しください。
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ヤマノカロについて
奈良県の一番南、日本一広い村、十津川村の中ほど、湯泉地温泉からすぐの武蔵地区で、 毎年8月14日に開催される盆踊りの時期にあわせて、 期間限定カフェ「ヤマノカロ」を2015年より運営しています。
盆踊り会場でもある集落の中心の旧武蔵小学校の校庭の一角に、十津川村産の間伐材をつかった屋台とベンチを設置。木造のレトロな校舎と山並みに囲まれた抜群のロケーションで、のんびりお過ごしください。
カフェでは地元の食材を使った軽食や甘味とドリンクをご用意してお待ちしています。教育資料館(旧武蔵小学校校舎)での展示やワークショップとあわせてお楽しみください。
【企画】 武蔵の盆踊りに、大阪から10年以上にわたってリピーターとして参加してきた、Calo Bookshop & Cafeの石川あき子と店舗デザインやディスプレイなどを手がける木村亮介が、地域の皆さんとのつながりを生かして「ヤマノカロ」を運営します。
【協力】 むさし地域活性化協議会 大阪市立大学大学院工学研究科横山・徳尾野研究室 大阪市立大学都市研究プラザ 和田商店
【お問い合わせ】 メール [email protected] お電話でのお問い合わせは8/8まで 06-6447-4777(Calo Bookshop & Cafe)
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【終了】奈良県宇陀市菟田野(うだの)の「カエデの郷ひらら」で開催のアートイベント「木造校舎 現代美術館」の最終日11/15(日)に、ヤマノカロの屋台で出店します。
大きさはだいぶ違いますが、十津川・武蔵と同じ木造校舎の校庭でのイベントです。十津川は遠かった…という人も、菟田野ならだいぶ近くなりますね。
「カエデの郷ひらら」へのアクセスは、こちらをご覧ください。
「木造校舎 現代美術館」のFacebookページはこちら。
ご来店お待ちしています!
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すっかり涼しくなってしまいましたが、ようやく今年の夏の写真をまとめました。みなさんに感謝の気持ちをこめて!
ヤマノカロ 2015 アルバム
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