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yfuga · 2 months ago
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20250220
Howardと、Whangarei から北へ1時間ほど走って彼の住む村へ向かう。正直なところ今どこにいるのかもよく分かっていないけれども、道中が美しかったので記録。
途中、彼は日本の歌を一曲歌ってと言った。上を向いて歩こうを歌った。彼は、「歩いていて、桜が散る様子が見える」と言った。
彼はマオリの歌を歌った。私には、緑に囲まれた流れる川と、夕陽のオレンジと、どこか悲しい何かが見えた。彼は、「この歌は、鳥が自然の中を飛び、長い間戻ってこなかった歴史をうたう歌」だと言った。
マオリの言語は美しく聞こえる。私たちは「water people」。- Natiwai
自然は私たちのずっと前からある世代、だから上の世代を世話するように、take careする。私は名前を名乗る時は、自然や山や川のことを言って -その後に自分の名を名乗る、最後だ、とも。
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20250221 小さなボートに乗って海へ。浅い海を歩く。
20250222 I choose XX because I chose, ice cream のゲーム。過去から選ぶことは、他人の人生を生きること。
20250223 基本的に大掃除、夜はカードゲームをするなど。
20250224 Howard体調不良で病院へ送迎。明日のministerのために、居合わせた学生x2とボランティアの私で準備を進める -ふたりはパソコンでプレゼンテーションを作っている。私はふたりの会話がイマイチ掴めないのもあり、まあ他にできる役割を担おうの姿勢。だけど、私はここで何をしているんだろう?This is not what I expected という気持ち。もっと海の上で過ごす時間を想像していたけれど、まだプロジェクトは構想段階だったので、事務所で作戦を練るような時間が多い。
20250225 minister(秘書)ほかゲストが集まった。私はコーヒーを作るに徹した。機械を扱えてよかった、美味しいものを作ることに責任を持って向き合える。夕方はビーチへ。foggyで幻想的な、山と岩に囲まれた海。
20250226 Day off. ナタリーに連れられて行ったビーチが秘密の場所のようであまりにも美しく、水は透明度の高いコバルトブルーで、まさにhidden gemという感じ。ふと、誰もいないから、ずっとやってみたかったことを、と思って裸スイム。気持ちよかった。 深水と電話。早く岩手に帰らねば、という気持ちが日に日に増している。先に進みたい、もう根無し草はいいかな。
20250227 1日$200の契約で終日仕事を手伝うことになった。ハイエースを運転し、造船場へ行って船の掃除から。中のものを全部出して掃除機をかけるなど。それから備品を買い出したり書類の提出など各所を駆け回り… 船を見た感じ嫌な予感がしたが、翌日か週末の出船に間に合わなさそうなことは確実だった。で、聞いたところ今週中には出ないようだった。となれば、もうここにいる用事はないな、と思った。最後にWhangareiからWhangaruruまでの航海を楽しみにしていたから。そもそも、海の上での仕事を期待して来て(まだ計画と調査段階だったのは誤算だった、先に確認するべきだった)、結局ほとんど雑用などをして過ごした。身体の自由のきかない人のために手足となって動くのは、関係性あってこそなのかもしれない���良くしてもらいながら申し訳ないが、あれこれ指図を受けて動き続けることに嫌気が指していた。残り2日分の給料は惜しいが、ここを出て、ニュージーランドを満喫するしかない。山火事のことも相まって、完全に他人の雑用を手伝うモードではなくなっていた。私はここで何をしているんだ。そうして、明日の朝去ることを伝えた。
20250228 海の上が恋しい。ますます、ほとんどそのことばかり考えている。まるで依存症かのように。自然に浸ること、やるべきことがある状態、生活を作ることが好きだ。
これ以上オーストラリアでやれることはないかな、やり尽くした感じがある。ああ、でもマサアキさんの寿司を手伝うのは本当に楽しみなんだ。あの活気や魚のある生活が、どんなものなのか。そしてオーストラリアから日本へ繋ぐことができる直接的なキャリアを最後に掴みたいという思いもある。オーストラリアの寿司業界、小漁師がどんな風に生計を立てているかとか、魚を美味しくすることについて(熟成)…。ここ最近ずっと選択の連続で、頭が痛い。早く生活を安定させたいな。
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yfuga · 2 months ago
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20250119
天国のような場所に来た - Waiheke Island. 旅は、呼ばれている気がする場所へ行くのがいい。感性が、訴えかける何かをキャッチしている。それに気づいている状態を「呼ばれている」と言ってみようか。
3週間ぽっと予定が空いたら何をするか、の答えは旅だった。オーストラリアにいること自体がすでに旅路の中にいるようでありながら、「旅がしたい」という気持ちがずっとどこかにあったのは、私の中でオーストラリア滞在がすでに完了していた(コフィンベイ 時点)こと、さして「呼ばれている」わけではないことが分かっていたからだろう。
ニュージーランドを好きになってしまうことは、結構前から分かっていた気がする。実際、初めてタイとカンボジアを一人旅した時、国境を超えた瞬間からカンボジアに心を奪われたように、ニュージーランドを好きになるまでさして時間はかからなかった。
硫黄の匂いが漂うロトウラでの数日を経て、迷った挙句Waiheke島へ来た。Waihekeという名前がなんとなく気に入った、島に行きたかった、スピリチュアルな空気が流れているらしい -といった理由で。(タイミングの合わなかったCouch surfingのホストJeffのヒッピーっぽさも相まって)
とんでもないところに来てしまったな、ぐるっと周るバスで小高い丘を登ったり降りたりする途中、右にも左にもエメラルドグリーンの海が見える。サーフィンの出来そうな波のたつビーチもあれば、奥まった湾の先にある静かな海もあって。何より深い緑と海の青の距離の近さが圧倒的に好きだった。そうだ、私はこういう、ちょっとした湿度と、キュッとした規模感が好きなんだった。パカーンと開いた広大なオーストラリアのチルな空気もいいけれど、土地の空気感に馴染むというか、居心地の良さを感じるのはニュージーランド だった。
「この先に何があるのだろう」という好奇心が、私をどこまでも先へ進ませる。海へ続く細い下り坂とか、どこへ到着するのか見えない細い石畳の階段とか。そういう景色がいたるところにあるのがこの島だった。
この数日を、ゆっくり過ごそうと決めた。なるべく考えすぎずに、精神を旅する時間にしたい。
Yogaの教室を探そうと検索して、最初に見つけたのがOhserのヒーリングセッション/マッサージだった。google mapの写真を見て、行きたい、と直感的に惹かれる。こういうとき、一旦値段を見てちょっと検討してみたりするけれど、結局「今必要な気がする」という気持ちに背かない(その場合は値段を行かない理由にしない)のは、私のいいところだと思う。
行ってよかった。Osherには簡単な言葉で、思考が散らかっている気がする、頭から首と肩が重い、と伝えただけなのに、彼女は「graundingしたいのね」いって、それはまさに私がここでしたいことだった。地に足をつけてゆく。
一つ一つに事前に了解を取ってくれるのも安心があった。音楽を流すか、自然の音と私が歌うかのオプションがある -電子音を求めていなかったから、音楽はいらないと伝えた結果、彼女の信じられないくらい美しい歌声、というかハミングに包まれることになった。
ハミングは、彼女と私との間で生まれる��ンスピレーション、彼女が受け取ったものから生まれる音だそうだ。楽器みたいだ、と思った。彼女の頭の中には、日本の桜が浮かんだらしい。
Osherは時々音を口ずさむ。その音は、場の空気を変える。浄化するような、振動でその場に流れている何かをチェンジするような力があった。少なくとも私にはそう聞こえた。別れ際、ハグは心臓と心臓を合わせるようにするのだと教えてくれた。
前日の連絡で予約が取れたのは、キャンセルが入ったからだったと知った。本当に必要なものは本当に必要なタイミングで、道が開かれる。
人を癒すことについて考えている。ヒーリングは、することによって自分も癒される -のか分からないけれど(足裏マッサージは、相手から受けるエネルギーが強くて、という話を思い出す)、相手に集中することが私は割と得意だから、やってみたらいいんじゃないかな、という興味がずっとある。
六角形の家。木造の六角形の家に、Cygnetに続き今回も出会った。Osherの背術の場である小さな六角の古屋は、Osherのインスピレーションをもとに旦那さんが建てたそうだ。「自分の小さいスペースが欲しいと思って」。ドアが小さいなと思ったら、それは中古の古いガラス窓だった。天井にはガラス窓で空が見える。木造の小さい家を立てる、が、木造の六角形の小さな箱をself buildする、に変わった。敷地のちょっと離れた場所に小屋がある、瞑想部屋のような、シンプルな作りの建物 -それは時々、世界へ開くことができる。東南アジアや世界のどこかで好きなものを買い付けてきたり、学んだこと(料理屋マッサージ)を生かす場所として、敷地にはブース的に人を呼んで - 母屋は、自分の暮らす場所として、古い家を整えて。
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yfuga · 3 months ago
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20250116 (20250211)
ああ、あっという間に2025年。前回の記録から三ヶ月も経過している。恐ろしい。現在地はタスマニア・ホバート、明日からCygnetの木造ボートリペアリングのホームステイへ。立ち位置としては、まあまあ迷っている、と思う。
9月から1月頭にかけてのコフィンベイ があまりにも楽しすぎた、濃密で、安定していて、生活があった、というのが大きい。仕事があり毎週インカムがあることによる精神的安心感。そして文字通り「ガポガポ貯まる」。お金がガポガポ貯まる、という経験を初めてしたし、今後これほどまでの収入と貯金率はあり得るのか?という具合。それが、大した経験や資格のないバックパッカーにすら適応される水準なのだから、これほど多くの移民が集まるのも理解できる。
自然にどっぷり浸かる日々だった。一日のほとんどを機械の前で、牡蠣をひっくり返すだけのような日ももちろんあるけれど、海の上(海の中)はいつもあっという間だった。カラッとした空とするするの流れる海の青、陸のわずかな緑と砂浜の白だけで視界が覆われる、360度、その時間が私を生き返らせる。
イルカが船に集まる。彼らは友だちのようだ、Brendyはそれを知っていて、イルカを囲むように船を走らせる -イルカは波を楽しんでジャンプする。
学んだことを挙げてみるとすれば。
美しい食卓について
他者と過ごすことで開かれる新しい世界について
日本の魚を扱う技術について
美しい食卓について。 魚を釣る(主にwhiting鱚、Australian salmon, Tommy, Trevallyシマアジ)、養殖のKing fishヒラマサ、Cray fish や 拾ったScallopを食べた。BrendyやEmma, Christian ��料理の方法はいつもシンプルで美しくおいしかった -魚それ自体の美味しさは東北のそれとは違う、というか脂の乗りや旨みがどうしても少なく感じる。だからこその調理法というか。シンプルに粉をつけて揚げるにしても、ヒラマサの刺身にレモンとオリーブオイルとケッパーに塩コショウを振るにしても、cray fishに混ぜたオリーブオイルとバターガーリック塩胡椒を塗ってオーブンで調理するにしても- Brendyはレシピに忠実に、時間や温度を測りながら作る人だった。いつも完成度が高く、かつ控除芯がある彼らと、火の通り具合とか色々会話しながら食べるーある意味で評論しながら食べる(私はそれが苦手だった、出されたものは文句を言わずに食べる、という教育はそういう意味ではマイナスに働く)。適当に切って醤油とわさびでガツガツ食べる美味しさとは違う時間を過ごした。素材がいい場所での料理は、ある意味で怠慢でいられるのかもしれない。でも、私はこれまで、「失敗しても、まあいいか、自分が食べるし」という気持ちで調理してきたところがある。一度、徹底的にやるというところからしか、向上しない道があるよな、ということを、Brendyの食への向き合い方から学んだ。
他者と過ごすことについて。 後半、特にフランス人バックパッカーが4人増えてからの生活は、それまでの2人との静かな生活と一転して苦労した、というか疲れていた。私は自分のリズム、健やかにいられる時間の使い方を理解していると思っていたし、それを守るのに必死だった。明らかに外交的な彼らの過ごし方とは圧倒的な違いがあり、一人の時間を求めていた。ある時Adreanが私に聞いた ーもっと話したい?みたいなことを。 私は、人といる時間と同じくらいの���重で一人の時間が必要、みたいなことを言った。以前はあなたみたいになりたかった、とも。彼は彼で、自分もそうだった -お互いないものに憧れるのは面白いね、みたいなことを言った。この時初めて彼らと、本音で話せた気がする。パーティー夜、テラス席の端っこで。 Coffin bayを去る日までの最後の2週間、クリスマスからニューイヤー過ぎの期間を怒涛の勢いで彼らと遊んだ。キャンプにいき、パーティーで夜更かしをし、仕事前にビーチに行き、また立て続けにキャンプをし- もう最後だから、と自分に言い聞かせるようにして始めた怒涛の日々が、あまりにも楽しく、そして不思議なほど精神的に疲れなかった。健やかであるためには絶対に一人の時間が必要、と思っていた私は、こんなにも人と一緒にいる時間を楽しめることを知った。びっくりした。ガバッとキャパが広がった感覚だった。彼らでなかったらそうはならなかったかも。今でも時々、Adreanだったらどう振る舞うかな -と考える。ポジティブで明るく、他者に思いやりのあるパーティー好きなフレンチポルトギース。
魚の扱いについて Brendyは魚の扱いを学びたかった。Christianはネクストレベルに行きたいんだと言っていた。釣りをして、締めたり血抜きをしたり、熟成のためのラッピングをしたりした。たったそれらのことが、彼らにとっては(多少の知識がある彼らでさえ)新鮮なようだった。 一方で私には、熟成してもポテンシャルを引き出せないというもどかしさがった。魚が違う、旨みや脂が感じられないから熟成しても美味しくならない -美味しい刺身を作りたいのに。難しかった。「どんな魚でも美味しくする」と言っていた要太郎さんの言葉を思い出した。どんな素材でも美味しくいただくための知識は、学んで身につけなければいけない。どこへ行こうか。分かってはいたことだけど、小手先の技術ではたどり着けない場所がある。私はそこへ行きたい。本物の場所へ。
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yfuga · 6 months ago
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20241027
7時に起きて、oyster walk を歩いてboat rampへ向かい、お気に入りのコーヒーバンでカプチーノを買って海辺で飲んだ。道中、ランニングをする綺麗な女性と一緒に走る4歳くらいの子どもとすれ違い挨拶を交わす。そのあと、3歳くらいの小さく歩く女の子とおじいさんのお散歩にも出会った。それぞれが、それぞれのペースで朝の時間を過ごす。美しい日曜日の始まり。
ずっとこの日を楽しみにしていた。スチームミルクのカプチーノが飲みたかった。「1週間このコーヒーを楽しみに頑張った〜」ってなんていうんだ、とchat gptに聞く。"I've been waiting to have your coffee for a week!" と練習しながらトラックにたどり着き、その通り伝える。伝わった!嬉しそうだ。私も嬉しい。こういう、初心者なりの喜びを純粋に味わっていられることが、フレッシュに学び続けられる秘訣ではないだろうか、あまり自分を俯瞰しすぎないようにしたい。と最近すごく思う。
昨日、やっと訪れた土曜日は突然の誘いを受けて釣りの日となった。Brendyと彼の兄弟Tony、妻Lindyと出かける。時々、いい魚が入ったら私はpickを持って締めに向かう。アジの頭は尖っていてピックが上手く刺さらずに身を切ってしまった、血抜きもイマイチ。サーモンは思いの外上手くいって一発で締まった。血抜きも入念に。釣りそれ自体より、魚を触っている時間の方が好きだ。
この日Lindyは誕生日で、夜は友人たちがきてパーティーをするの、メインは今日の魚、という話の流れであなたも来る?と言われ���。私は今回は行かないことにした。誕生日、身内の集まりに言葉のわからない初対面の私が一人紛れ込むことによる諸々の影響を考えて、いやそこは皆さんで楽しんでください、と思ったし、何より先週のような撃沈パーティー(ただでさえ苦戦する馴染みの四人で夕食のはずが、突然6人くらいの知らない人たちが現れて何もできずただ満月を見上げていた)に今週も遭遇するのはごめんだった。休みたい。という本音を、宿題があるから、という理由でごまかす。断る、というのも私なりに勇気の要ることだった。Brendyは「too shy」と言った。その通りです。
釣りの最中は頑張って話した。ひとつの物事からとにかくいろいろ出来る限り力を尽くして話す、たとえ相手が興味あろうとなかろうと枝葉までつたって行く、日本語ですらやらないことを、練習とかこつけて一生懸命にやる、これはひとつのいい練習であると最近気がついた(ただでさえ口数が少ないのに、英語となるとあまりにも無口な最近だったため)。そして帰り際、Brendyが「夜パーティーをやるから。来たければ来たらいい」と言った。え!さっき断ったのに!いやー、という戸惑い。後ろからTonyが、「Her Birthday だよ!」と言う、そのpushにさすがにNoと言えなかった、私はオーケー場所はどこ?と困った笑顔を向ける、多分相当眉毛が下がっていたと思う。
それからの数時間は完全に体が重かった。いや、行きたくないなら行かなければいいじゃないか、そもそもそんな気持ちで行くのは彼女に失礼だ、挨拶だけしてプレゼントを渡して帰ろうか、社交のためにいったいこの小さい町で何を買えばいいんだ…と葛藤を繰り替えす。��、少し外でうたた寝して驚異の回復スッキリ具合。ちょっと考えて、うーん、どうなりたいか、と自分に問うとしたら、初めて会った彼女の誕生日を出来る限り小さな何かだとしても心から祝い、楽しめる人でありたい、という小さな明るい気持ちを抱いてプレゼントのレモンカードを急いで作り、IGAで白ワインを買って向かった。
英語であろうとなかろうと、パーティーや飲み会は大の苦手である。特にここ数年は出来る限りの力を尽くして逃げていた。場にいるために、自分の社交スイッチをONにし続けなければならない。そのエネルギー消費は凄まじい。ナチュラルに社交的であれる人たちが羨ましい。かと言って受け身な人間ではありたくないから頑張る。まあでも出来ることなら一人で静かに過ごしたい、という面倒くさい自分が結局そういう場から自分を遠ざける。
結果として今回は行ってよかった。一瞬危うい場面もあったけれどなんだかんだ楽しかった気がする。50代の皆さんの優しさ(ゆっくり話し、話題を提供してくれ、グループであってもアイコンタクトを交わして仲間に入れてくれる)に大いに助けられ、私も出来る限り話す、という努力をすることができた。小さくて大きな成長と呼びたい。
3人の子どもを持つ(一人は私と同い年)タスマニア出身のお母さん世代の女性との話が印象深かった。毎朝5時に起きてエクササイズと犬の散歩をするヘルシーで素敵な女性。子どもが小さい時にもNZやアメリカに家族で旅をしてきた、それらの話の中で私は少し深く入り込みたくなった。いつも英語でできる会話は表面をギリギリなぞるくらいの程度までしか潜れないから、自分の中にそういう気持ちが生まれたのは意外だった。そして、小さい子どもがいながら旅行をする大変さについて聞いた。私には、それに関するストッパーがある。彼女は、全く問題じゃない、と言った。むしろすごく楽しい、(細かい表現は忘れてしまったけど)人生で初めての体験や感動をする人を見るのは美しい経験、みたいなことを言っていた。
オーストラリアに来て思うことの一つが、女性たちの格好よさである。魅力的に見える。自身があり、余裕があり、自立している、それらがにじみ出ているような女性に出会うことが多い。うち多くは経済的に余裕のある人たちであることは確かなのだけれど、それらを差し置いても、旅人である私への接し方、話し方、立ち姿や振る舞いに惹かれることの多さは日本での自分の感覚と少し違う。私は今まで基本的に男性に憧れてきた。というか、惹かれる、こうなりたい、強い魅力を感じる対象がほとんど男性だった。それについてはよく思いを巡らせるテーマではあって、唯一「こんな風になりたい」と強く感銘を受けた女性は斉吉商店の和枝さんである(唯一なのでよく覚えている)。それが、ここではどうだろう。強烈に印象に残る、もっと話したい、彼女の人生の話を聞いてみたい、と思う出会いがすでにいくつもある。初めて、女性としての人生にこんなにも意識が向いた。
もう一つ、いくつかのホームステイやパーティーを経て思うパーティー文化の良い部分、はじめにちょっとした前菜やスナック(この日は下にハーブを敷いてレモンを絞った牡蠣)を食べお酒を飲みながらちょっとした雑談を楽しむ。お酒を飲みながら、キッチンの真ん中の大きなテーブルで食事の準備、主に男性。魚のフライの準備。Lindyはオーブンでポテトを焼いている。サラダ。パン。魚のフライとテーブルセッティングをそれぞれが同時にして、着席してディナー、シンプルで簡単で美しいプレート。あまり料理に参加しなかったメンバーがさらっとお皿を片付けて、デザートに移行。面白いのは、「良いよ良いよ、私やるから座ってて」みたいなやりとりが見当たらない。役割分担があらかじめ決まっているのかいないのか、暗黙の了解のようにスムーズに、それぞれがそれぞれの役割を果たす、同時に楽しみながら、この流れの美しいことよ。負担が偏ることのない自然なパーティーのあり方、これなら私も家でやりたい。
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yfuga · 7 months ago
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2024/10/04
Coffin bayに来て2週間と2日経過(これを書くまでまだ2週間経ってすらいないと思っていた)。あっという間に週末。
月曜から金曜まで、朝7時から4、5時頃まで働いて、週末は休み。「まだ火曜日だ」「もう金曜日だ」といった日常を久しぶりに送っている。週末は美味しいものを作って食べるのが楽しみ。
Port lincolnはオーストラリアいちの漁業の町だったらしい、知らなかった。特にマグロの水揚げ、ヒラマサなど。知らずに行き着いたのがラッキーである。
街には思ったほど海の街感はないけれど、中心地から少し離れたところに船着場があって、たくさんの漁船が泊まっている。主にヒラマサ、エビ、ロブスターのかご船もあった。そこそこ大きい。
Coffin bayの船着場にも時々漁船が泊まっている。今はイワシの巻き網船。同僚のTingは同乗の機会を狙っていて、「サーディントリップ!」と呼んでいる(かわいい)。
海がとにかく綺麗。あと、夜空も。夜キャラバンを出ると、びっくりするくらい星が見える。視界が広いので、プラネタリウムみたいに地平線近くまで星空。
敷地内には畑があって、レモンとオレンジの木には文字のごとくたわわに実っている。毎日それを食べる(ありがたい)。そして鶏。Moreton islandもそうだったけれど、買い物に行くのに一苦労��場所でいかに自給できるか、が生活の豊かさに直結するからか、充実した農園がある。結果的に私の食生活は非常にカラフル。作って食べる、が何よりの楽しみになった。
昨日は初めてウェットスーツを着て海に入って作業、ウェットの浮力をコントロールしながら足のつかない水深で作業をするのはコツがいる、少なくともカゴをとって船へ渡すので精一杯だった。足が着く場所は快適。大きなうねりも少ないので、怖くない。
初日、250馬力2台の全速力で駆け抜ける海の上で強烈な潮風を浴びながら、「ああ、また海の上に戻ってこれて嬉しい!」と猛烈に思った。ああこれこれ、これが求めるもの。そしてそれが日常であること。海、海のそばにいることが、特別なものであってはいけない。私には、常にその一部であることが大事、海にとっても、私にとっても。欠けてしまうと、他で補うことができない。
大きな会社の、様々やることのうちの一部の作業を黙々とやるような時間も多い。ベルトコンベアに立ち流れる牡蠣をひたすら選別する数時間とか。まあそれを黙々とやるのも悪くはないのだけど、養殖業の面白さは、どうやって大きくなるかとか、より良くなるかとか、そういう実験的なところにあると思うので、作業のゆく先をより理解したい所存。
そういえば先週はBrandyの知人、水産業関係者と毎週木曜日のパブディナーに行き、週末の釣りに同行した。船とライセンスの売買を仲介するビジネスをしているCristineといけ活け締めの話をして、それを実践するためにwhitingとgar fishを締めて血抜きと内臓処理をしていつもやるようにペーパーとラップですっかり包んで渡した。そういうのを当たり前にやっていて、正直教えるほどのレベルでは到底ないと思いつつ、ただその「当たり前」レベルはここの人たちと圧倒的な差がある、ということを知った。Cristineは、基本的なことはわかるけどnext levelに行きたいんだ、と言っていた。Port lincolnのマグロ養殖船の船には、かつて日本人が魚の処理の仕方を教えに来たらしい。
実は基本的に女性は雇わない(カップルのみ)(agreeじゃないけど、理解できる。事実だから。とTing)らしいBrandyがなぜ私を雇ったかというと、ikejimeを習いたいからだった、というのはどこまで嘘か本当かわからないけれど面白い話で、確かに彼がおもむろに「で、君はikejimeができるんだって?」と尋ねたときの雰囲気からまあまあ感じ取るものがあった。ここに来る前、そういえば私はちょうど魚の締めや処理をもっとやりたい、というようなことを書いていたから、思わぬ形で訪れたことに感謝である。
描いていた理想が、思わぬ形で叶っていることに気づく、100%ではなくても、だんだんとそこに近づいてゆく過程。
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yfuga · 8 months ago
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20240917
「さあ、なんでも入力してください」とTumblrが言う。画面の向こうには海と丘。
PortLincolnに来た。Adelaideに滞在した一週間は迷いの中にいて、無限かつ永遠に更新される車の情報を追いかけ(たり、追いかけられたり)、次の旅路のための交通手段を探し、合間に町を歩き、宿で新しい人たちと出会った。
疲れていたと思う。make decision (をしないと!という焦り)の連続、切り替えたり、コントロールすることに長けていないことを実感した。いや、トレーニングが足りないのか。流れるままにいく旅はいいものだけど、この場合においては舵を取らなければいけなかった。ただ翻弄されていたように思う。
すべて起こることは最善のタイミングで、与えられると信じている。信じれば信じるほどそうなる気がするし、魔法のように良い風が吹き、行き先を教えてくれる。
頭の中で迷っていると、その流れが滞るというか、サインを見逃すというか。そんな期間になってしまっていた(単純に画面を追いすぎでもある)
合間にpost officeで出会った 自転車乗りyoutuber が「あなたの人生の目的は何?」と聞いた。鏡に向かって問いかけるんだと。私はそれを知っている。志田ちゃんと翼を思い出した。自転車でタスマニアを旅することを思いついていた頃だったから、それについて話した。自転車には、風を受けて走り、不意の出会いをみつけやすくする良さがあることを、私は思い出していた。時間がかかるし大変だけれど、旅の不確実性を濃くする。不確実、っていいよね。だから旅は、世界は面白い。(でも同時にずっと充実し続けているわけではない、この時間は必要だったのか、みたいな間も存在する)
Coffin bayに行く。うっすらと、人生が動きそうな予感がする。少なくとも希望がある。
船の上が恋しくて仕方がないここ数ヶ月。船の上、沖、19tのデッキの上を思う。たくさんの魚に触れられる機会。
鏡を見て問いかけた。私はもったいない精神が強い。何においても無駄にすることが苦手で、無駄を前にすると心が痛んで仕方ない。
魚の処理が好きなのはそういうわけなのだろう。血抜きをすれば圧倒的に美味しくなるはずの魚をただ野締めにするのを見ていられない。ちょっと包丁を入れるだけなのに。逆に少し手をかければ、ポテンシャルをぐんと引き出せる。価値が上がる、美味しくなり得る、良い状態で受け渡すことができる。そういう手間を惜しまない、というかちょっとした一手間によって起こる変化に意義を感じる。
そういうことの先に、取りすぎを減らしたり、価値をあげたりする小さな変化があるのかな。取り���みの事例はたくさんあるはずだけど。
チャンスが豊富にある、船の上が好きだった。最高の環境。大変なことをあげたらきりがないが、本質的には愛しかなかった。だからまだこんなにも惹かれるのだろう。ネックと言えば、人間関係だけなのが悔しい、惜しい。人から引き起こされるあれこれに、お手上げになってしまったことが。
数年前の投稿を眺める。沖、陸が見えないほどの海の上で向こうを見る大ちゃんの後ろ姿があった。「今日はどんな景色に出会えるだろう」。
私は、沖が恋しい。海の上が恋しい。あの景色、沖に佇むあの時間が今後の人生で訪れないのは無理すぎる。と思って泣いた。いや、無いなら無いでそれなりに陸の仕事を自分なりに頑張るのだろうけれど、何かが満たされない、虚無である。自分の中に、海でしか満たされない何かがあり、それはどうしようもなく自分の真ん中に近い。そしてその景色のなかに生きるには、私はこれまで誰かの力を借りなければならなかった。瑞穂丸の上、長栄丸の上。彼らに連れて行ってもらわなければ、私はそこへ行けない。5年後、10年後もそこに居たいなら、私は、自分で舵を切らなければ行けない。学ばなければ。船を、エンジンを、機械を、お金を、経済を、仕事を。自分のものにする必要がある。その覚悟が、今までなかった。
人生をかけても良い、ということにしか、時間を注ぎたくない。人生をかけても良い、と思うなら、惜しまずに力を注ぐことができる。6割でも8割でもなく、120%を注ぎこめるものが何かを知っている。もう一度、強い意志を持って、自分の人生の真ん中に海を置こう。
-
おばあちゃんと短い電話。満月の今日、「十五夜だっけ」という話しをした。「十五夜」がどんな意味を持つ単語なのか、いまだに調べなければ説明できない。にも関わらず今日が十五夜であるという会話を交わしながら、日本語って美しいな、などと思った。(調べよう)
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yfuga · 8 months ago
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20240911
旅路の記録。Adelaideにて 久しぶりにビーチへ(といっても二日ぶりか、Moretonbay以来)。風が強く、飲み込まれそうな深く荒い波に身がすくむ。この感覚は久しぶりである。嫌いじゃない。
力強い風が、不要なものを全てかっさらっていくようだった。私を洗う。海と隣り合わせて生活していた頃は、毎日潮風に洗われていたんだな。それにどれほど助けられていたか、身をもって知る旅立った。(海まで片道1時間半のパース街中で暮らした数ヶ月、後半本当に具合が悪かった)
生物として、いち生命体として、循環の中にいることを忘れたくない。というか、実感していたい。どこかから運ばれてきた食料品を食料品店で買い、調味料を買い、それらを掛け合わせて食べる生活。土から知っている食��をほとんど生きた状態で身体に入れる。調子が違う、土着の存在であればあるほど。バスに揺られながら考える。
ここにも、海に向けられた椅子があった。故人を偲び寄贈された椅子。「彼は海が好きだった。だからこの椅子と彼の視界をシェアします。」
彼の生活の一部だったのだろう、浜辺を散歩し、立ち止まり、海を眺める男性の後ろ姿を想像する。愛する人の愛した景色を、見知らぬ他者と共有するという思考と行動、私はそれを受け、椅子に座り、知らぬ故人を偲ぶ。時空を超えて共有する眺め。
何かを見る人の目線に、はっとすることがある。空が赤く染まった船の上で、一瞬手を止めてその赤を見る仲間の目線。言葉を交わさず、視線を交わさず、しかし共感があった。
日常の一部に海があることが、今では当たり前になった。
生まれ育った場所を振り返ると、歩く、ということは目的を持った移動そのものであった。20年近く住んで、愛おしむような感覚をもって景色を見ただろうか。
ふと、父と母の姿が浮かんだ。彼らの愛する景色を私は知っているだろうか。
遡る記憶の中に、母と並んで眺めた景色がある。子ども部屋から空を眺めた夜、月(だったか、星だったか。月のような気がする)が綺麗だという母の横で、視力が落ち始めていた私はぼやぼやとした輪郭に、「もう綺麗な月を見られないのか」と思って静かに涙ぐんだ。
横ならび、共有する景色の記憶。
日常が、常に目的を持ったものではなく、ただなんとなく美しいとか、好きだとか、立ち止まりたくなるような景色とともに生きたい。生活が、こなすためのもので埋まるのではなく、静かに受け止める瞬間を貯めていたい。心のトーンは深く、耕された柔らかい土をもっていたい。
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yfuga · 1 year ago
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20240426
Byron bayのバックパッカーズで考え事。 脳内を英語にしようとしているけれど、英語で思考すると言語レベルに応じて思考レベルも低下するのでちょうどよくウロウロできない。��方ないから今は日本語で、物事を思い更ける時間を作ろう。
最近の出会いについて 横浜に滞在した一週間で、思わぬ出会いに恵まれた。早起きした日に知り、滑り込み申し込んだsho farm, Yaoの料理教室(の前日の畑の旅とトークセッションとランチ)は、横浜と東京の往復中に満たされなかった気持ちよさをたっぷり与えてくれた。空が広く、緑と青と茶色、自然の色に満ち、風が通るのを感じる、そういう気持ち良さの中で常に生きたい。神奈川の楽園のような場所で、生姜を植え、青空の下で、薪の火で炊いたご飯とYaoのタイランチを食べた。贅沢だった。「お腹も心も満たされた〜」と言った、隣の席のカレンが現れたとき、目が離せなかった、言い得ぬオーラをまとった彼女のそれはなんなのだろう。ファッションやメイクはカラフルだけどシンプルで、彼女そのものを映し出すようなスタイルだった。話していて思う、彼女はピュアそのものだった。言葉に、姿勢に、壁がなく、余計な思慮を感じさせないというか。子どものそれのようでもありながら、芯の強さも感じさせる、目線と言葉遣いに一瞬で魅了された。無理のない、彼女自身が彼女そのものであり続ける感じが、他者も無理させない空気を作り出すのかもしれない。とにかく、彼女を取り巻く空気がピュアで、また一瞬で友だちをつくる、歳も関係なさそうだ。彼女自身が、年齢や性別で人を見ないのだろう。私もそうなりたい。ただ低いトーン、落ち着いたペースで話すだけとも違う。素直に人を素晴らしいと思い、プラスのエネルギーに満ちた生命力のある人、それを表現して生きようとしている(実際にそう)。クリエイティブな姉妹なんだねって言ったら、「みんなクリエイティブ、、☺️」と言ってくれた。本当にそのとおり。畑のあと、カレンちゃんが友だちになった聖子さんの家に行って琵琶の葉の化粧水をもらった。琵琶の葉とアルコールだけ。聖子さんは、お茶を淹れる人であり、仏教(ミロク様)などに詳しく、玄関にお茶をおいたり(お茶湯)、水を波動調整して飲む(ブルーボトルと月または太陽の光)など、私にはまだ分かったり分からなかったりする、しかしもちろんとても興味深い女性だった。琵琶は中国から来て昔は日本のどの家にも生えてい��くらい主要な植物で、医者いらずと言われるくらいの効力があり、それによって抑圧されてしまったらしい。そういう、日本古来からある自然の力、目に見えないもののエネルギーを、私も探求してみたいと最近思う。海外に行くほど、アジア人であり日本人であることを意識せざるを得ず、それゆえ確かに、比較しても日本にはない何か深みのようなものがあり私たち一人一人に染み込んでいるとも気づいた。出汁とか、発酵とか、そういう技術的なものももちろんだし、家屋の作り(木の家、足裏で感じる)、お茶といった文化的なもの、東洋医学など。結局、私は日本人であり、細胞レベルで存在する居心地の良さのようなものがそこにはあると自覚したところだった(オーストラリアに居て、ゴージャスな建物や派手な食べ物はあれど、居ても食べてもどこか満たされない染み込まない何かがあった。頭の理解ではなく感覚的な何か。結局、ブラウンライスと味噌汁が一番美味しい)
カレンちゃんのような忘れられない空気を纏った人との出会いがいくつかある。奄美のジュネ、ニューカレドニアのアーティストの彼女。 彼女らは確かにあるところではとても近しいものを持っていて(スピリチュアル的な感覚と信仰など)しかしそういった意識���持つ人との出会いは他にも幾多にも渡り、必ずしも全員がそうではない。宇宙的な何かを問いたくなるのはなぜだろう、美しく、ピュアで、まるはだかなような存在。ハグするとき、それは挨拶ではなく、エネルギーの交換ともいうような、長く暖かいハグをし呼吸する。その瞬間に起こっていることを全身で感じている時間が流れる。美しかった。
本当は、誰に対しても、そう在りたい。そういう存在になりたい。 きっと目指すのではなく、なるのだろうとも知っている。
以前、「生きるってなんだろう」「生きるために本質的に必要なものは?」みたいなことを問い続けていて、その結果海に辿り着いた。
物質的な世界で求めたくなる、キャリアや技術とは違う世界線の探求である。しかし、そういうものを求めたくなる時もある。実際に、彼ら彼女らは結構何かしらの技術とも言えるようなものを持っていて、でもそれは彼らの道のりの中で得たものだ。語学力とか、知識とか。
その世界と、自分自身の生命の探求みたいなものの世界線の違いに迷うことが多い。そうか、でも、行き来したらいいのか。と、書いていて思う。
現実世界を生きるためのサバイバル道具→コーヒー淹れ、水産関係、サーフィン(意外とこっち) 生命の探求→海の世界を知りたい、素潜り、ケルプの森を潜る、鯨の海で泳ぐ、水に溶ける
瞑想は自分にとってどっちかな。料理は?英語は?
最近、「本当に求めているものではない気がする」と思ったりして、時間の使い方を考えあぐねていたけれど。うまく行き来しながら生きるの中心を作りたい。いまは、海を旅することで満ち足りる気がするから、やっぱり海なのかも。
続きはまた。
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yfuga · 1 year ago
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20240229
2月中に、4月以降の身の振りを考えると決めていたのに、決まっていないじゃないか!ここ数日の私と言えば、時化をいいことに朝からダラダラとスマホをいじりネットサーフィンをし、それに疲れて寝て、夜は気持ちよく眠りにつけず。という、負のルーティンをこなしていた。おかげさまで、不満げな顔をしている。
流れる気がよくないと、周りのできごともよろしくない。せっかくカフェまで来たのにボールペンを忘れたし、聞きたくもないたった2分の嫌味っぽい罵声への負の感情を丸一日以上持て余している。ああ、やだやだ。
気高くいこうじゃないか。そんなことを言う人は、低い次元の住民なんだ。所詮その程度の世界で、自分が偉いと疑わず、思うようにならないイライラを感情にまかせて他者にあたるような人は、いくら雇い主でも申し訳ないがお呼びじゃない。願い下げである。優しい人なのだけど、残念だ。噛み合わないながらも汲み取るコミュニケーションに、つかれてきている。田舎の人間関係にうんざりしたとも言える。
理不尽、は存在するけれど、それを「理不尽」と思うことが、自分を正当化していることになるような気がして気持ちが悪い。自分だけが正しいと思っていることを世に見せびらかしているようで、格好悪いのでやめよう。
負の感情に惑わされそうになったときは、他者を喜ばすことを考えたらいいのではないか、などと思う。「朝起きた時に、ひとりでも喜ばせることを考えよ」という、どこかの経営者の教えのように。今日はひろこさんにマーロのパンを買っていった。内湾のカレー屋さんに、目を見てごちそうさまを言った(美味しかったですまで言える勇気が欲しい、オーストラリアなら恥ずかしがらずに言えるのに)。いつかお店をやるときに集めたいものを書き留めておくのが楽しい。
今朝、筋トレをした。始めるまでが億劫なだけで、やり始めれば「ああ、これがやりたかったんだ!」という身体の喜びを思い出す。向上したり、積み重なったり、とにかく良い方向へ向かっている感じのすることが、本当は大好きなんだ。
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yfuga · 1 year ago
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20240126
ちいさくていい。ビーちゃんのタイ料理、maaloの塩パン、sanenのお菓子、カイルたちに会いにonetreeとビーフパイ、夜のオガタヤ、気仙沼のスパイスカレー、登米のラーメン。
記事を書く時は高田のイマジン。夜まであいている。道の駅にカレーを食べにいくとコウダイさんが居て、客席の友人と鉢合わせる。
気仙沼で美味しいトーストが食べたい時はヤッセコーヒーへ。山の空気もいい。引きこもって仕事をしたいときは市役所の前の喫茶店。wifiがないがそれがいい。
大船渡の最近のお気に入りはマリゾー。今日は店内に猫がいた。次はもちもちパスタが食べたいな。
帰りに温泉か銭湯に寄る。その日のお風呂を、疲労度と気分と営業時間で選択できる。水に浸かると生き返る自分にとって、なにより豊かな生活である。最近、盛の温泉が加わった。
これくらいがちょうどいい。頭の中に地図があり、いる人たちの顔が思い浮かぶ。検索しなくていい。必要なものは全て自分の中にある。
これくらいの小ささが、情報量が、私にとってはちょうどよく、心地良い。迷わなくていい。見つけやすい。幸せを、見つけやすいのだ。
日々のひとつひとつが、積��重なっていく感じがある。顔を出す、あいに行く、言葉を交わす、またねと言う、そして��た来る。生活のなかにあるこの距離感がちょうど良い。
たまに新しいものが現れて、その新しさを味わい楽しみ、いつもの選択肢に加わったり、加わらなかったり
楽しみをつくる側に、まわれるだろうか 自分のものをもちながら、それをもって周りのひとたちのもつものと、重ね合わせてゆける、そういう楽しさをつくる一員になりたい。
このまちでなりたい。このまちでなるために、このまちにないものを、出かけてゆける私は、ちょっとそとへ出て、自分のなかにとりいれて、その色をもってまたここへ帰る
それはなんだろう、それはなんだろうか
英語だろうか、英語をもって世界と交わり、世界をもってこのまちに住み、窓のような、窓のような存在になれたらいいかもしれない
このまちの窓、世界とつながる入り口に 風通しの良い場所がすき 
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yfuga · 1 year ago
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20231125
寿司まつ田、大船渡温泉、one tree、28歳の誕生日
雪がちらついた。黒崎温泉で熱いお湯に浸かりすぎてのぼせる。ああ、またか、またやってしまった、気を抜くと意識が遠のきそうなときは、気を強く持ち、なんとかして集中するしかない。結構必死になる。そうしているうち、なんだかちょっとイライラしてきた。悔しい感じになった。なぜ、こうなのか。いったい何をやっているんだ私は、しっかりしなさいよ、という気持ち。しっかり地に足をつけて立って、フラフラしている場合じゃないでしょう、気を確かに、と自分に言う。
おでこに力が入り、眉間に皺が寄る。目が、なんかキリっとした感じに。そうだ、これが、私の顔だったじゃないか。
もっとできるでしょう、と自分に言う。奮い立たせるように。弱い自分に打ち勝つように。結局そういうときの自分が一番、私らしい、というか、そうじゃなくちゃ、というような気持ちを思い出した。久しぶりに思い出した。船に乗っていたときは毎日がそんな感じで、鏡を見ては険しい顔をした自分に、もっとできる、と言い聞かせ、船では、なんでこんなこともできないのか、こんなもんじゃないでしょうと言い聞かせ。強く強く強くある方へ向かう。私はそうやって、挑み続けながら自分を越えてゆく、根底にある熱を燃やし続けることで自分を生かし続けているはずだ。
広田が自分にとってどういう町か、と問えば、挑戦の町だ、とふと思った。間違いなく、すべてはここから始まった。あたたかさややさしさよりも、奮い立たせて戸を叩く、ちょっと先を信じる、自分の殻をやぶるとか、そういう記憶が濃い。自分の内に燃え続ける火を、消してはいけないな。
朝、露天風呂から見えたカゴを入れるひとを見て、この美しい景色の一部であることが、私の何にも代え難い喜びであることを思い出した。趣味は温泉、水に浸かると何度でも生き返ることができる、行動から学び、挑み続けることが命を燃やす方法。大事なことを思い出すことができた28歳の誕生日。
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yfuga · 1 year ago
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20231122
並木から岩手へ
並木のおばあちゃんち最終日の夜、この場所が無くなってしまうことが寂しくて泣いた。
どうしようもない喪失感を癒すために、暖かいハグを想像した。この家から、直接岩手へ向かうことを選んでよかった。何よりも救いである
ひとりで生きるとしたら、こういう時、自分で自分を慰めるしかない、と思うと、むしろ慰めるよりも感じない方へ向かう気もする。それを強さと呼ぶだろうか。冷たさ、のほうが正確かもしれない。痛みを分かち合う他者の存在によって、わたしは痛みに向き合い、受け入れ、それによって優しくあれる。
ごうさんに「泣いちゃう」とLINEをして、そのまま寝た。ごうさんはこういうとき、あまりいろんなことを言わない人だ。何も言わないかもしれない。翌朝、泣いているキャラクターのスタンプが送られていた。その数時間後、海の上の、夜明けの写真が一枚送られてきていた。
夜明けの一枚の写真。船の上で、水平線にスマホを向ける姿を想像した。その一枚を送る早朝6時を想像した。私は、この人の、内側にある、こういう優しさに、きちんと気付けているだろうか。何も気付かず、ただ通り過ぎてしまいそうな愛に、心を向けられているだろうか。
分かりやすくないもの、ほんのすこし奥に隠れているあたたかさややわらかさを知ることができる豊かさは、私自身の内になるものだ。内面を耕せば、内側から取り出して、それだけ多くのものを得ることができるとニーチェも言っていた。呼応のようなものかもしれない。土のようだ、と今は思う。砂のような乾いた土は、いくら水をやっても吸収せず、ぼろぼろの泥になった。真っ黒く柔らかい土は、自らの力によって湿度を保ち、沢山の生き物が住み、耕されているようだった。良い循環があり、持続的であるようにに見えた。どちらが良い土か、一目瞭然なそれを、なぜ私は知っているのだろう。なぜその黒い湿った土に、豊かさをみるのだろう。だけどそれはたしかに、多くを生み出す土壌だった。
杉田のおばあちゃんが亡くなったとき、亡くなったことを遠回しにさらっと伝え、伝えなかったかのように次の話題にうつった。女の子が泣いているスタンプを彼は送ってくれた。亡くなったの?と聞いて。泣いているスタンプを、私も送った。
並木の家の本棚から見つけたアルケミストをもらってきた。旅の終わりに読むのにぴったりだった。大切なもの、本当に必要なものは、必要なタイミングで目の前に現れることを忘れてはいけない。また、見つけそびれないように、目の前のものごとを注意して見ようとしなくてはならない。
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yfuga · 2 years ago
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20230927
#オーストラリア旅行記 05
こんなに美しい夜があって良いのだろうか。
最後の夜だからと、夕日を見にビーチへ、夜はディナーを共にしてくれた。ビーチで火を焚いて、Sandyは釣りをして、WadeとRolyと友人たちはお酒を飲んだ。Tamyも来てくれた。さくっと夕日を見て帰る人、暗くなるまで火を囲む人。それぞれがその時間を味わい、好んでいる感じがよかった。
WadeとSandyとカウンターでステーキとチップスとサラダを囲む。
二人は本当に、「時間を一緒に過ごす」ということを、たっぷりとしてくれた。こんなにも、食卓を囲み会話をすることに、すべてを注いだことがあっただろうか、というほどに。同時に日々いかに、食事や食卓の時間をただ通り過ぎているか気付かされる。
二人は私に訪ねた。ここでの過ごし方はどうか(別々の住まいや食事について)、
Wadeは私に聞いた。なぜ漁師なのか。なぜ英語を学ぶか。英語が海の仕事に必要ないなら何に必要なのか。女性が漁師として働くのは大変か。
とにかく海が好きなのでずっとやりたい(hole of life)、未だにbad luckを運ぶと信じられてたりしてそういう大変さがある。
本当はもっと言いたいことがあったけれど英語で伝えやすいことが先に口から出る、だから本当にいいたかったことにたどり着けないことがあるな。「生きてる感じがする」って言いたかった。
「どのように学ぶか?」尋ねてくれたのは印象的だった。だって君は賢い。と言って(んー、ありがとう!と返した)、例えば本を読む?それとも、やりながら学ぶタイプ?と。もちろんlearn from doingでそれはEmityと同じだって。
二人は、学ぶのが早いとか、よく働くとか、この時間に限らずたくさん伝えてくれて、Sandyはこの二週間でもすごく上達したよと、Wadeにもっとたくさん聞きたいことがあったけど全然言葉がなくてと言ったらわかってるよ(彼は一時インドネシアにいたので言語学習者の気持ちがよくわかる)と、私は次に二人に会う時に、もっと話せるようになっていて、もっとお互いを理解できるようになる、そういう再会ができるのならそれは最高だ、とても楽しみだと思った。
彼は次にくるときは短い期間でもいいんだよと言う。2週間のステイを希望するのは仕事において慣れてより力になれるからだけど、ショートステイでもanytime、と言ってくれるのはただ私たちの間に良い関係性が築けたからであり、それをとても光栄に思う。
今朝、you are the best みたいなことを言ってくれた。よく働くという意味で。彼は以前からタスマニアの求人情報を調べて教えてくれたりしていて、今日も「もし求人に必要なら、自分の電話番号を使って良い、そしたら君の働きぶりをつたえる(こういうときに、shit だったよっていうから〜みたいないじりは本当に既視感、どこも同じで面白い)」というようなことを伝えてくれて、ああなるほど、そういうこともあるのか、と思った。つまり、wwoofは収入にはなり得ないが、経験が、仕事にこのようなかたちで直結する可能性については想像していなかった。ちょっと、もう少し力を抜くべきだろうか、と思うほどに結構一生懸命はたらいてしまったけど、やっぱりこれが私の生き方であり(力の出し惜しみをしない)その先に、結果としていいことがおこる(かもしれない)ことを、やっぱり私は知っている。
私の仕事ぶりを褒めてくれる流れで、「いいチームはいい仕事を作る。船も同じでしょう?小さな場所で(私は、そして、毎日ね!と言った)」と言う彼の言葉は忘れ難い。
Wadeはあまり誕生日にプレゼントとかしないんだって。みんな期待するでしょって。でも、なんでもないときにふとプレゼントをしたりする。Sandyは、そうそう、誕生日に何もないって、オ、オーケー…って感じよ、でもブリスベンに行ったあとこの猫(置物)を持って帰ってきたの!とすごく嬉しそうに言う。俺たちはequalだ、いや彼女がbossか。私たちはequalなのという。二人が、カウンターの反対側で隣りになって、二人とも私の目をしっかり見ながら話してくれる。外のテーブルに移って、失敗から学ぶんだよ、とか、this is the lifeとか、彼が彼の仕事が好きでよかった、とか、私にはすごく、ふたりがそれぞれ独立していながらそれでいて一つの生命体のように見えた。それぞれに意思を持っていながら二人でひとつの考えを共有している感じ。ふたりでひとつ、という言葉を真に使うとしたら、こういう場面のような。
必要なのは、思っていることを言うことだろうか。どちらかが我慢を重ねていてはこうはならない。他者や、家庭に見えない側面がたくさんあることは承知している。でも彼らとの時間は、愛ある時間だった。Wadeは、Sandyは、深い愛情をもち、それをもって他者に接せられる人だった。そういうことを、そうした家族のありさまに触れる、触れて、自分の内側がかき混ざるような体験によって、私は少しずつ少しずつ、家族や、他者との関係性に対してポジティブな気持ちを抱きつつある。岩手にはじまり、大きく確実で尊い変化である。もし将来子どもがいたとしたら、そういう意味で、旅をすすめたい。
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yfuga · 2 years ago
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20230918
#オーストラリア旅行記 04
牡蠣作業の日。朝8時から牡蠣の選別作業(ベルトコンベアに牡蠣を流し死んだ牡蠣などを選別)、牡蠣の株分けと掃除、掃除した牡蠣をカゴにいれて吊るしにいき、洗浄前の牡蠣を持って帰ってくる、ゴミ牡蠣を捨てる。
多分これがノーマルな1日の流れ。
牡蠣の掃除、尖っていないナイフのようなものを使ってくっついた牡蠣を取り除く。やっていることは日本の牡蠣掃除と同じ。日本では電動のドリルを使っていた話をしたら、こっちでも使っている人いるよ���でもあれはfackingだね。振動がよくない。頭をドリルでガリガリやられたらどう?(といって自分が牡蠣になる)これが俺たちのスタイル。的なことを言っていて、なるほどそういう考えもあるのか、などと思った。昔使っていたという電動ドリルを見せてくれ、まじでファッキンという(この人たちfackingやらshitを相当よくつかう)多分振動についてその他試行錯誤があったのだと思う。が、そんなことより屈強なオージーのおじさんが牡蠣の気持ちになって頭をガンガンされたらどう?!?!みたいな顔をするのがかわいらしくて仕方なかった
ここは人口20人の島。昨日パーティーにいた人たちはみんな住民で、リタイアした人、漁業関係、別荘を管理(庭など)?する人、本土に働きに行く人、などがいる。SandyとWadeの娘さんはここで生まれ育ち、学校がないこの場所でどうやって?と思ったらSandyが全て教えたらしい。オンラインの学校も使って。オーストラリアにはところどころそういう地域があるそうだ、島の北部の農園地帯など。友だちができないことだけは問題かな、とローリー。彼は彼女をたくさん島のいろいろなところへ連れて行ったらしい。Sandyにあとで聞いたら、terrible、やるもんじゃないわ、と言っていた。
養殖船まで歩く道、家の前が海になったり砂地になったりする。マングローブの木々の中を、海(だった場所)を歩いていくのは不思議で神秘的。Wadeとローリーの背中が素敵に映える。帰り道、二匹のカメを見つけた。美しく泳いでいた。
カメをみると私は、私がこれまで殺したカメの数々を思って泣きたい気持ちになる。なぜ魚はよくて亀は、というふうに考え出すときりがないのだが、もちろんどんな命も平等に等しく罪のない命、という上で亀は、私たちにとって獲る理由もないのにかかってしまい、不必要に命をおとす。そこに網があるというだけで。彼らの、スイスイと泳ぐ美しい姿を奪ってしまうことへの罪の意識というか。Jeanの腕にはかわいいカメのタトゥーがあった。それをみて、もしタトゥーを入れるなら、カメとクジラと魚がいいな、と思った。忘れない罪。
作業をしながら英語で話すのはとても難しい。脳の使用量の問題。だけど、彼らの話は魅力的だった。Wadeは24年前からここで牡蠣をやっている。先生はいなくて独学。最初にこの島にきたときは何かしごとを手伝うためで、小屋のような古い建物に住んでいた。ローリーはサーフィンをしに19歳の頃に島を訪れて、気に入り、ここに住みたいと思い、お金を貯めて、家とボートを買った。水と自然と、好きだからこの仕事をしてるんだ、とはっきり言った。漁師はみんなそうだと思う、と私は言った。
私は彼らに暖かさと親切さを感じる。私は旅人でよそ者だが、マングローブと干潟の写真をとりにいくと言った時のローリーのあたたかい眼差しは、わかる、美しいよね!と言っているように見えた。彼はよく景色を眺めてい���。私がここで排他的な空気をいまのところ感じない、仮説だけど、30年まえにこの人たちも、ここが好きで、美しい!と魅せられ、移り住んだからかな、などと思う。なんというかあまり、所有感がない。いや、もしかしたら彼らのなかにだってプライドとか誇りとか、土地への何かしらの意思はあるかもしれないが、それが他者に対して排他的な方向性ではたらかないというか。田舎において往々にして起こる、ちょっとした疎外感のようなものの理由は所有感なのかもしれない。そして、「土地は誰のものか」という、田瀬さん(だったかな)と言葉を思う。
ここの牡蠣は隣の島の業者が買って、そこから店に渡るらしい。牡蠣殻は砂にただ埋める。小さい牡蠣の方が好まれる。ああ、他にもいろいろ聞きたいことがあったけど、彼らの英語は本当に難しい……苦戦。もったいない。
そういえば作業中、私の仕事の話になって、夢は?と聞かれた。私は、自分の船をもって魚をとることだよ!と、やっぱりまっすぐに答えた。
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yfuga · 2 years ago
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20230916
#オーストラリア旅行記 03
あっという間に3日目。1日にはすこし仕事をし、二日目はday off, 今日は8時に仕事は始まらず午前中Wadeと一緒にエビを買いに行き、13時から1時間半ほど仕事。
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オーストラリアは三連休、その為キャンプをしに来島した客がBBQ用の食材を買いに来る。島に店がない。作業場の裏にあるちいさな加工場と店にひっきりなしにお客さんが来る!いい感じ。SandyとWadeは生牡蠣を向き、調理済みのprowns(ガーリックバター味、焼くだけ/ノーマル頭なし/生)を売る。
牡蠣を根元のほうから剥く、やり方が違って難しい。あまり力をいれすぎず、twistして、開ける感じ。
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Wadeがエビを買いに行くのに乗っていた。最高に気持ちいい。波で、バッタンバッタンと跳ねる船外機、慣れててよかった…。船外機降ろしてと言われたが降ろす場所わからずウロウロした
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午後、潮のひいた海を"歩いて"船までゆく。作業船がちょっと先に止まっている。マングローブの木々の中を歩く。素晴らしい景色。写真に撮りたかったけどカメラがない。
将来こどもに伝えるとしたら、こういうことを伝えたいな、などと思う。世界には、インスタやgoogleで見られない景色が広がっている。撮りたくても撮れない、写したくても写せない光景がある。生の、それらを体感すること。忘れたくないと思って心に刻んで、もしかしたら記憶からいつかは消えてしまうかもしれないけれど、そしてそれを残念に思うけど、きっと自分の内面を耕していると信じている。
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沖?というのか、牡蠣のあるところでの作業は難しくないが力がいる。パンツまでびしょびしょになりながら、水��中を歩き、砂に棒をさして作業船を停める。たくさん浮かんでいる四角い大きな平べったいカゴの中に牡蠣。クリップをはずし(タコカゴと同じクリップ。慣れててよかった)作業船に乗せる。
ここで、足を負傷。フジツボでスネをピーっと切る。ああ、来る前に気をつけてって言われたのに…と、切って思い出す。水からあがると結構血がたれてびっくりした。海水温が高い海にはバクテリアが多いから傷口によくないと、二日前に聞いたばかりでさらにビビる。熱湯で消毒し、アロエ軟膏を薄く塗る。あってよかったアロエ軟膏。サーフィンで怪我したちいさな切り傷から敗血症になったひとの記事を読んでしまって不安になる。とりあえず寝る。このあと仕事がなくてよかった。インターネットで傷口対処法を学ぶ。マキロンなくていいらしい!こうして私はまた少し強くなる(なにごともないといいな)
 
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Jeanが優しすぎてかなり好きになった。あと四日で旅立つらしい。今日彼女がつくった野菜のオーブン焼きと、イチゴのチョコレートがけは最高に美味しかったな。このあとバイロンベイ、シドニー、タスマニアに行くと聞いて、えー同じ!となった、おっかけるってなんていうんだ…と思ったら、followでした。
Sandyに寿司を作るように頼まれて、さすがに今回は検索して作り方を学ぶ。思ってたのと結構違った。
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yfuga · 2 years ago
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20230914
#オーストラリア旅行記 02
9/14 Moreton Islandへ
モートン島。アイルランド人のWWOOFerジーンにとても助けられている。彼女の英語は分かりやすく、オージーの英語を通訳してくれている笑 ジーンは後1週間らしい。どうしよう!
Wadeには漁師らしい雰囲気がある。メリハリがあり、動きに勢いがあり、掴むような視線でこちらを覗きながら話す。
朝8時頃から昼過ぎまで働くので、到着早々に牡蠣カゴの確認と修理、牡蠣の選抜作業をした。経験があるからか、この仕事知ってるぞ…という感じがある(身体が動く)経験、ありがたや。
ラッセル島は人も島も穏やかで素敵な島だったけど、私には少し退屈に思えた。というか、感じていたのはやはり退屈さだったの���!ということに、ここへきて気付いた。忙しなく働く、暮らしの中に仕事がある感じがやはり好きなのだと思う。
ラッセル島について、「ああ、ラッセルね。」みたいな反応がうっすらとある気がしていたが、「ヒッピーの島」みたいなことを言っていて、理解した。ラッセル、やはり特殊なひとたちの集まりではあるのだと思う。もちろん全員ではないだろうけれども
旅をしていて、何をしているんだろうという気持ちになることがある。特に今回。そして度々東北が思い浮かぶ。多分、私はもう本当に必要なものは何か知っていて、それがある場所もしっていて、そこに居場所を感じていて、それらは自分の中であまりにも圧倒的で揺らぎない。27年めの人生にしてそれ程圧倒的なものをすでに得ている、ということが、どれだけ尊いことか。
船外機で迎えに来てくれたWadeの115馬力全速走行に跳ねながら、あー、やっぱりこれだ(というかこれでしかない)と思った。生きている感じ。広い空と海の青、潮と風を浴びている時のそれを知ってしまったら、それ以上私が私であれるものはない。もうどこにいってもただひとつの答えなのだから、迷う必要はないはずなのに。
潮がびっくりするほどひいている。多分、牡蠣養殖場はカラカラなのでは。毎日乾いてもいいスタイルなのかな。英語でなんて聞いたらいいんだろ。結構話せない(聞き取れない)なーと思っている。みんなが見えているものが見えない。聞こえているものを得られない。なかなか表面上しか捉えきれない感じがあって残念に思う。機会損失というか。道のりは長い。
 
 
Wadeは24年前に島に来て、最後の一人だった漁師を手伝い、あとを継いだ?らしい。その前は肉の会社。沖には8000のカゴがある。干潮の時はすっかり干上がるが、牡蠣を強くするからOK。沢山牡蠣を死なせたし、今でもと言う。今度の日曜日に50歳。すでに20歳の娘と、孫がいるそうだ。全然もっと年上だと思っていた…!
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yfuga · 2 years ago
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20230913
#オーストラリア旅行記 01
成田空港でウルトラライトダウンを落とし、ケアンズで飛行機を逃し(時計設定ミスで過去を生きていた)、余計な支出に加え想像以上に寒い。灼熱の日本にいながら、20度以下の気温を真面目に想像できなかった。ブリスベンのユニクロにウルトラライトライトダウンはあるだろうか。もしくは、暖かくなるまでタスマニアに行かないか。
9/8 Russell Islandに着いた。Samidaはアーティストであり、家中に素敵な絵、階下には工房がある。昨年引っ越してきたという家は洋風の二階建て、一階は倉庫的なつくりで二階にすべてが収まっている。Qennslander というらしい。ふたり暮らしにちょうどいいサイズ感。友人のGrammeの家に行った、彼には16歳上の夫がいる。庭、というか敷地にところせましと植わっている植物は全部食べられるらしい。パーマカルチャー式。they help each otherと言っていた。雑多に見えるが、木は常に植え続け、結果生え続けている状態にしたいらしい。パパイヤ、ミント、ターメリック、ミルクで作ってくれたスムージーが美味しかった。
Samidaはフィジー生まれのインド人で、15人の兄弟はみんなNZに住んでいる。食べ物に非常に気を使う人。すごくシンプルで美味しい料理を作る。初日のジャガイモと玉ねぎと鶏肉をシーズニングで軽く炒めトマト缶とミント、ハーブ、パセリ、ローズマリーをいれてオーブンで仕上げた鍋が美味しかった。
対してSteveはとてもオーストラリアンな人。非常に背が高く、怪獣っぽい見た目をしている。背が高すぎて歩行に支障をきたしているようだった。wi-fiのパスワードがToo tallなのは自虐なのかただのギャグか、かつてのニックネームか何かか。パイが好きで、私がパイの話をしたら冷凍のパイを買ったばかりにもかかわらずお店のパイを買ってくれた。会社の昼休みにもパイを食べるらしい。ちなみにミートパイは、真ん中に穴をあけてケチャップをいれるのがオーストラリアンスタイル。マスタードでも良い。
この家で非常に助かったのはSamidaの食意識。紅茶を好み、ジンジャー、モリンガ、ジャスミンなどのお茶をいつでも飲んでよい。寒さで完全に風邪をひいていたためジンジャーティーに大変助けられた。コーヒーの家だったらどうなっていたことかと思う。多くを食べず、野菜が好き。すっからかんの冷蔵庫をあけて、「I am not poor」といっていた。いっぱいにしたくないらしい、鮮度が大事で。どちらかというと「I am poor, give money」と言われがちだったので(主にマラウイ)なんか斬新な気分だった。
仕事は主にガーデニングに近く、彼女の新しい庭に植物を移植する。しきりにBONZAIっていうの、何かと思ったら盆栽だった。有名らしい。小さい木、的な。
月曜は島内のアートセンター的なところへGrammeと一緒に行き、それぞれのアート作品を仕上げる。Grammeは水の流れる仕様の置物みたいなものを作っていた。私はペイントを手伝う。Grammeは何かをトリガーにして身体の状態が変わり、ろれつが回らなくなり、あとときどき奇声を発する。大変そう。月曜からアートをしに集まる奥様方を見て、リッチやなあ…などと思う。
Samida、主婦なのかと思っていたら、経営者でもあった!不動産的な会社を持っているらしい。オフィスはメインランドにあるとか。…余裕のある主婦だと思っていた。彼女のアートは素晴らしい。
帰りがけに絵をくれた。「meaning of Life」すべてのアートには意味があるのよ、と初日に渡したアイヌハ��カチを見ながら言っていたことと同じ話をする。meaning of Life、昨日話した食べることに通づるとも。
フィジーのアクセサリーもくれた。大事なものなのでは…って言いたかったけど言い方分からず、ありがたく受け取った。最終日にひたすらペンキ塗りをして労働!!に加えて謎の餃子と寿司をつくった結果非常に喜んでもらえてよかった。さすがに少し疲れなので翌朝に出発することにした。
寿司に関しては正直結構残念な仕上がりで、真面目に勉強しようと思った、というか正直こんなにもメジャーで、求められるとは思っていなかった。寿司専門学校に通おうか。
ところでこの島はとても静かで、いろんな種類のアーティストが住み、ところどころにパーマカルチャー的思想をもった人がいる。帰りのフェリーにも、全身でアートを表現しているようなカラフルお姉さんがいた。全体的には経済的余裕のある人たちのように見えるが、どうなんだろう。
そういえば、femaleのカニはとらない話面白かったな。罰金だから、もし間違ってもらったカニがメスだったら庭に埋めると言っていた。キャーー!なんでfemale!!!!ってなるらしい。徹底しているな。
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