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yuccccca · 6 years ago
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2019.06.30 母子生活支援施設で過ごして 6月を以って働いていた 母子生活支援施設を退職しました。 短かったけれど、 たくさんのことを学んだ10ヶ月だった。 思えば1年前にドイツから帰国し、 将来に迷っていた中で 日本の公的な制度に関心を持って 飛び込んだ世界、 その頃はこんな施設が この社会にあることすら知らなかった。 辛いことばっかりで 全然楽しい仕事ではないし、 好きな仕事でもないのに、 ここで働くことができてよかったって この仕事を選んだ自分の選択を 心の底から愛せるような そんな不思議な場所だった。 入職した当初に受けた説明で、 「この世帯は”セイホ”で」という言葉を セイホとは?と理解できなかったことを はっきりと覚えている。 そのくらい未熟で何にも知らなかった。 生活保護の受給者、DVの被害者、加害者、 精神疾患を持っている人、 知的な発達が未熟な人、 社会の中で生きにくそうにしている人に たくさん出会って今まで 私が生きてきた社会とは違う社会が 同時に存在していることを知った。 そして今まで概念としての認識で 実態がなかった存在が個人として ちゃんと自分の中に形成されて、 今はたまたま自分が支援者として ここにいるけれど立ち位置が 逆になる可能性だって十分にあったこと 今だってその可能性があるんだって 本当に強く感じた。 誰だって自力で生きていくことが 難しくなる可能性あるし そもそも1人だけで 生きていく必要もないんだよ。 必要な時には社会に対して 助けを求めていい、 もし出来るなら可能な時に 自分も誰かの助けになる。 福祉の側の人間として 社会の中の様々な出来事、 青山の児相設置、児童虐待、 保育園の待機児童、 女性が仕事をしながら 育児をすること(それも女性1人で)、 生活保障のあり方を 考えることができたのもよかった。 現実を知ったし、 少しだけ問題の本質も見えてきた。 日本の社会の中の色んな問題に 今でもまだ辟易するばかりだけれど 何もわからずにひたすら 自分の無力さを嘆いていた頃よりも 少しだけ気持ちが明るくなったなって思える。 私は私なりの方法でこの社会に アプローチして行きたい。 これから、現場とは少しだけ離れるけれど 力をつけてまたいつか戻ってきたい。 他人の幸せを思って頑張っている人が たくさんいることを知れたのもよかった。 本当の愛をたくさん見た。
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yuccccca · 6 years ago
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2019.02.01 わたし達が男尊女卑について語るときに、 もちろん今の男性中心の社会はおかしいし 例えば性犯罪が起こったときに 被害者(多くの場合は女性)が責められ、 入学試験で女性が不当に減点されるのは 間違っていると断言できる。 いまの女性に仕事か子供かを選ばせる 二極化した社会もおかしいと思うし、 わたし達にはもっとグラデーション的に 無数の選択肢があるべきだし、 望んだ道を選ぶ権利があるとずっと思っていた。 でも、その一方で生物学的に どうしたって子供を産むことは 女の人にしかできない、という現実が とても辛かった。 そこだけはどうしても男性に譲ることができない。 だから、理解したくない様々なこと、 企業が産休の必要のない男性を欲しがること、 男性を中心とした社会を作りたい、 女性には子供を産んで 子育てをしてもらえればいいというような 理不尽な要求を切り捨てられないことがとても苦しかった。 もちろん子育ては男女が平等に担うべきだと思いながらも 出産だけは、男性に求めることができないことが どうしてもジレンマだった。 香取照幸『教養としての社会保障』を読んで、 目の前に光が見えたような、 そんな感覚だった。 これは、タイトルの通り現代の日本における 社会保障のあり方、そして問題点についての本で いわゆるフェミニズム的な内容ではないのだけれど わたしがずっと求めていた1つの答えがそこにあって、 そのことがおそらくはフェミニストではない 著者から語られたことが嬉しくて 泣きそうになった。 ずっといまの日本の政府に不信感しかなかったし 社会保障はいま連日、不正問題で話題の 厚労省の管轄なのでなんてタイムリーな、 と呆れてしまう気持ちもあるけれど でもやっぱりすごく安心した。 いまの日本はいうまでもなく 超高齢化社会で、少子化もどんどん進んでいて 国には借金がたくさんあって、 毎年のように災害もあって みんなが不安な中、 当たり前のようにデフレが続いている。 では、どうすればいいかといえば 女性に働いてもらい、子供を産んでもらうこと。 なんだ!国が、社会が、 女性に働いて欲しいし、 子供を産んで欲しいのか!って 当たり前のことを思った。 それなら、女性が働きやすくて 子育てのしやすい社会を作るのは わたし達女の人だけの願いではなくて、 この社会に一刻も早く求められることだったんだ。 それならわたし達は、何の葛藤も抱えずに 望んだ世界を要求していいんだ! そのことがとってもクリアにわかって すごく嬉しい。 香取さんが、著書の中で 現状の女性に2択の選択を求める社会について 女性の問題でなく社会の問題だ、 女性はむしろ被害者で犠牲者であり 問題があるのは男性中心の社会であると きっぱり言ってくれたことに 救われた。
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yuccccca · 6 years ago
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2018年 読んだ漫画 ことしは漫画をたくさん読んだんですが、 改めて思い出して数えてみたら500冊以上ありました。 せっかくたくさん読んだので、1年の終わりに 特に印象に残ったものの感想をメモしておきます。 ダンスールとハイキュー以外はことし初めて読んだ作品、 緩やかに読んでよかった順にしました。 『7seeds』田村由美 ことし読んでよかった 漫画ナンバー1はこれかもしれない、 本当に人生で大切なことは 7seedsに全て描いてあるといっても 過言ではないと思う。 サバイバルもので辛い描写が多くて 読み返すのは勇気がいるので しばらくは読み返せないと思うけど、 めちゃくちゃ考えさせられる人生みたいな作品。 『トクサツガガガ』丹羽庭 最高な作品です。みんな読んで! と声高々におすすめしたい。 大切なことがたくさん書いてあるし、 めちゃくちゃ元気になれる。 おすすめナンバーワン。 『青のフラッグ』KAITO 青フラはここのところの新しいお話しを読むたびに どんどん面白くなっている気がする。 物語の最初はいわゆる セクシャルマイノリティを扱った恋愛のお話し、 という括りの中でとりわけ 秀でた作品というわけではなかったと思うけれど、 LGBTQに収まらない今まで無意識のうちに 強要されていたジェンダーロールを 物語の中で意識させてからの展開は 読んでいてハッとさせられることが多い。 マミちゃんが大好き。これからも楽しみ。 『しまなみ誰そ彼』鎌谷悠希 この作品の中で語られる “互いをわかり合えなくても、 わかり合えないまま生きていける世の中がいい“  この言葉が現実のいろんな問題を考えるときに 1つの光になってくれると思う。 これからますます多様になっていくべきこの社会で 優しく生きていくための光。 『岡崎に捧ぐ』山本さほ エモい、を漫画にしたらこんなお話しになるのかな。 笑って泣きながら読んだ、ありがとう!って気持ち。 『違国日記』ヤマシタトモコ めちゃくちゃ好きです。槙生ちゃんの優しさが すごく理想的でこんな優しさを身に纏いたい、 優しさに溢れた作品だなと思う。 『先生の白い嘘』鳥飼茜 性犯罪を取り扱った作品なので、 終始辛く苦しいお話しで、 かなり漫画的な演出があるにも関わらず 最終的に大きな希望があるわけではないのですが、 きっと現実はそういうものだと思うし、 ただ日常を積み重ねていくしかないという点では 割と誠実なお話しなのかな。 ずっとめちゃくちゃ嫌な女だなと思っていた子が、 保守的な女の子にみえて実は1番強かった、というのは “母は強し“を絵に描いたような展開で作品の中では 彼女が唯一自分の意思を 突き通したということを考えると その言葉通りなのかもなとは思うんだけれど、 わたし達はまさにこれを変えていかなくちゃいけなくて、 これからは綾香のような戦いかたが男や女に関わらず 出来るようになってほしいと願うと同時に 絶望させられる作品です。 正直読んでいて1番キツかったけど、 だからこそ読んで欲しい。 『プリンセスメゾン』池辺葵 独身女性が家を買うお話し。 自分にとってはそのテーマだけで面白いんだけれど、 わたし達がどうやって生きるかを考えるうえで 大切な作品になると思う。 『地獄のガールフレンド』鳥飼茜 終わりかたが微妙だと方々で言われておりますが、 わたしも1度読んだときはここで終わり? と思いましたが、読み返して この終わりかたこそが鳥飼さんが この作品で伝えたかったことなのかな、と思った。 20代後半から30代のなんとなく 将来が不安な女の人の作品は幾つもあるけれど、 どれも結局恋愛で全てが 解決してしまうようなお話しが多い中で、 このお話しの登場人物たちはもちろん恋愛もしているし、 その恋愛に期待もしつつもそこではない、 日常の延長線上に微かな希望を見つけてくれて、 それは決して華やかではないけれど、 それが妙にリアルでよかった。 いや、実際に自分が同じ立場になったら、 こんなの全然うそじゃん~!って 突っ込みたくなるかもしれないけど。 『バクマン。』大場つぐみ 小畑健 バクマンを読んでからジャンプで 新連載や読み切りをちゃんと読むようになったし、 アンケートを早めに毎回出すようになった。 ジャンプを読むのにバクマン読んでよかったなって思うし、 好きな作品みんな残ってくれてありがとうって思う….. 物語としては、秋人と最高のコンビが めちゃくちゃ信頼しあっているのが最高。 『あさひなぐ』こざき亜衣 作品の中の薙刀はチームスポーツなんだけれど、 個人競技でもあって、 だからこそのチームメイトとのやりとりが面白い。 形式として『ちはやふる』と 似ているなと思うんだけれど、 ちはやふるが才能のお話しだとすると、 あさひなぐはもっと精神的なものによった お話しなのかなって思う。 雰囲気として女子のスポーツものという点では 『はねバド』とも似ていると思うけど、 はねバドよりは硬派です。 物語だけで���くて、 構図や絵を含めて美しい作品だなって思う。 『ひだまり保育園おとな組』坂井恵理 『82年生まれ、キム・ジヨン』が 女性のリアルだとすると、 この作品は子育てのリアルなんだと思う。 お話しの中にでてくる保育士の ゲイの男の子の言葉が本当に悲しいんだけれど、 子どもが大好きなはずの彼が 子どもを欲しいと思えない社会に未来があるのかな、 って本当に思う。辛いけど、 ちゃんと知って向き合わないといけないお話だと思う。 『町田くんの世界』安藤ゆき 学園恋愛ものなんて久しぶりに読んだんだけれど、 これは恋愛というよりは愛情のお話だと思う。 町田くんという優しさを 人の形にしたみたいな男の子のお話。 『さよなら、おとこのこ』志村貴子 はじめてBL作品読んだんですが、 そういったジャンルを超えた 夢を追いかける1人の人間のちょっと不思議なお話。 志村さんの描く男の子好きなので楽しく読んでます。 これも新刊楽しみ! 『アオアシ』小林有吾 スポーツ漫画として『ハイキュー!!』は めちゃくちゃレベルが高いと思っていて、 『ハイキュー‼︎』が大好きなので スポーツ漫画へのハードルが なかなか高いと思うんだけど これは面白くて単行本買いました、 新刊が楽しみ。 物語において才能っていうのは めちゃくちゃ重要な要素だなって思うんだけれど、 才能の有無で語られがちなスポーツものに関わらず チームプレイ競技としての物語の作り方が すごく面白いと思う。 あと、主人公のお母さんがめちゃくちゃ好きです。 『ヲタクに恋は難しい』ふじた わたしはヲタ恋を読んで決心して、switchを買いました。 ドラマよりも漫画の方がテンポが良くて面白い。 『SLAM DUNK』井上雅彦 連載中に読んで、毎週はらはらして楽しみたかった! 超有名、人気作ですが、 特に『ハイキュー!!』はリアルスポーツ漫画として スラダンと常に比較されている印象が強かったので、 そんなに面白いのか?と思ってやっと読みました、 面白かった。スポーツ漫画としてももちろん 面白かったけれど、桜木軍団がすごく好き、 一緒につるんでいた仲間が真剣にバスケに熱中するのを 揶揄いつつも心から応援し、手助けするヤンキーが最高。 山王戦で選手生命に関わるかもしれない 怪我にもかかわらず花道が試合に出場したところや 最後の添えるだけのプレイは、過去のこういった 名作の描写が『ハイキュー!!』の様々なエピソードへ 綿々と繋がってきたんだろうなと感慨深いものがある。 (すぐ自分の好きなものに繋げる) 『太陽が見ている(かもしれないから)』いくえみ綾 いくえみさんの作品は何だかんだよく読んでいて、 本屋さんで見ると思わず買っちゃうんだけど、 実はそんなに好きじゃないな....って ずっと思っていたんだけど、これは面白かった。 いくえみさんの作品のなかで1番好きかもしれない。 カズオイシグロの『わたしを離さないで』を想起させる。 途中まではこれってホラーじゃん....と 思って読んでました、 ハッピーエンドのラブストーリーです。 『私の少年』高野ひと深 小学生の男の子と30歳の女の人とのお話しということで 少し敬遠していたんだけれど、 児童虐待の問題を孕んでいて めちゃくちゃ意義のある作品だなと思う。 続きが楽しみ。 『アクタージュ』マツキタツヤ 宇佐崎しろ 連載が始まった時ジャンプで読んで あんまり好きになれなくて 1度読むのやめたんですけど、 舞台へんめちゃくちゃ面白いですね! いまのジャンプで毎週楽しみにしている 1,2はハイキューとアクタージュです。 『波よ聞いてくれ』沙村広明 とにかく情報量で圧倒してくるエンタメ作品、 ミナレみたいな女の人大好き、 行き当たりばったりだけれど 一生懸命生きてる感じが最高。 『BASARA』田村由美 『7seeds』があまりにも良すぎたので 気になって一気に読んだ、 時代物の壮大なラブストーリー。 7seedsがあまりに良すぎたので、 比べるのは癪ですがこれも物語としてかなり面白いです。 『ワールドトリガー』葦原大介 ワートリ連載再開しましたね、やったー! 葦原先生の”天才ではない人たちへ”の ワートリのキャッチコピーが大好き。 初期はあまり面白さがわからなかったんですけど 9巻でおちました、 今読み返すと4巻あたりもかなり面白いです。 ただ悪い意味でジャンプ的な点もあって そこは読むたびにもやもやしてます。 『DRAGON BALL』鳥山明 ドラゴンボールを読んでないなんて、 でおなじみのドラゴンボール。 ようやく読みました。当たり前だけど いまの作品はこれに影響されて ますます面白いものを作っているわけで、 いま読んですごい面白いかといえばう〜んと 唸ってしまうけれど、 読んでよかったなとは思います。 この作品がいまでもめちゃくちゃ リスペクトされていることは いろんな作品を読んでいて端々で感じる。 『月曜日の友達』阿部共実 „きっと中学生や高校生の多感な時期に この物語りに出逢っていたら 救われたところが大きかったんだろうな、と思う。 よい意味でも悪い意味でも わたしは大人になってしまったんだな、 と感じてすこしさみしい。“ これを書いたのが1巻を読み終わったとき、 最後まで読み終えてこれからのわたしにとっても、 これはすごく大切な作品になるかもしれないって思う。 わたしは彼らより大人になったけれど、 それでも本当の大人になれずに踠いているし これからも踠き続けるだろうけれど、 その度にこの作品に慰められると思う。 『メタモルフォーゼの縁側』鶴屋香央理 まだ2巻読めてないのではやく読みたい。 好きなことをやってる人たちが 楽しそうでいいな、と思う。 『弟の夫』田亀源五郎 子どもと関わることが増えて その純粋さが希望だなってすごく思うけど まさにこの作品がそれで、 彼らにとっての当たり前が どんどん変わっていってほしいなって思うし、 その選択肢をたくさん用意してあげたい。 女の子だってヒーローになれる、 男の子だってお姫様になれる、 が当たり前の社会になって、きっとわたし達の中にも 無意識にある古い既成概念をがんがん壊してほしいし、 わたし達も負けずに その前の道を作っていきたいと改めて思う。 『1122-いいふうふ-』渡辺ペコ 3巻まではめちゃくちゃ面白い〜!って思ったけど、 この後の展開を面白くするの難しそう…..って 雲行きの怪しい終盤だったので 4巻読むのビビっています。 3巻までは『あなたのことはそれほど』の 浮気がバレるまで展開と似たようなスピード感です、 あなたのことはそれほども最初面白く読んでたのに、 浮気がバレてからは読み進めるのが 辛くなってまだ読めてない。 『推しが武道館いってくれたら死ぬ』平尾アウリ 最初は面白くてめちゃくちゃにやにやしながら読んで、 元気になれるー!と思っていたんですが、 4巻辺りからアイドル側の描写が 多くなってきたのでツライけど 現実ってそうゆうものだよね。 これも新刊読めてない…. 『健康で文化的な最低限度の生活』柏木ハルコ ドラマは見てないからわからないんだけれど、 漫画はだいぶ癖があって、 内容と相まって読みやすい作品ではないと思うし、 面白い!って感じではないけど、 わたしはこの漫画を読まなかったら 今の仕事をしてなかったかもしれないな、と思う。 『凪のお暇』コトリミサト わたしは“空気読んでこ“スタンスの凪とは 真逆の場所に来てしまったので、 凪がいる場所もめちゃくちゃ辛いことが あるんだろうなとは理解しつつも その苦しさまで思いやる余裕はないわ、 こっちもこっちで辛いし大変だし 自分のことで精一杯だから!という感じです。 でも、うららちゃんのお母さんのことは大好き。 『ダンス・ダンス・ダンスール』ジョージ朝倉 ジョージさんの作るお話を信頼しているので、 いつも新刊楽しみにしている。 題材の似た『ボールルームへようこそ』を 読んだから改めて思うけど、 ジョージさんは本当に人間のエゴとか嫉妬とかを エグいぐらいに突きつけてくるので 最高だなって思います。 『���イキュー!!』古舘春一 ドイツにいた時、ハイキューの稲荷崎戦があったから ちゃんと頑張れたと思う。本当に大好きだ! まだ完結している作品でまだ全部読めてないものや 連載中で読んでる作品がたくさんあって、 最近ジョジョを読み始めてまだ20巻くらいなのと、 ルポルタージュと宝石の国を買って まだ読めていないので頑張って読みたい。 来年は引き続きジャンプと新刊を楽しみに生きるぞ!
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yuccccca · 7 years ago
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2018.07.05 わたし達みんな最高にかっこいい大人になって 光の中をいきようね。 恥ずかしながら今日、 朝起きてツイッターで初めて 水道民営化のことを知って、 またか、と思わずにはいられなかった。 先週、英国のBBCで伊藤詩織さんの企画が 放送されてまた議論が活発になった 事件そのものに対するセカンドレイプや BBCや英国に対する理不尽な批判、 そしてこの問題について全く報道しない 日本のメディアに辟易していたし、 メディアがワールドカップばかり取り上げる その中で可決した働き方改革に対しても、 もうこの国はどこに向かおうとしているのかと 憤慨するばかりだったのを、 なんとかお洒落してみたり本を読んだり、 気持ちを慰めていたところへ、また。
問題が山積みで、思うところが多すぎて、 もう何に怒ればいいか分からなくなってきた。 とっくに日本は国による 倫理的な生活という点において後進国と はっきり断言してしまっていいほどに 遅れていると思うんですけれど、 ほかの国が先だって実践してきてくれた いくつもの先例に目を向けることもせず、 同じ失敗を自ら選んでいるとしか思えない。 国としての常識が国際的に 退廃的であることを認めず、 過去の過ちを顧みずに 一体どこへ向かおうとしているのか。
鳥貴族の盗撮した店長が証拠があるにも 関わらず該当する法規制がない為に 逮捕されていないことを知って 本当に驚いたんだけれど、 そういう決まりだからしょうがないよね。 と言ってしまうことは簡単で、 わたし達はそれをおかしいと 言い続けていかないといけない。 少し前に朝鮮学校の子たちが学校で 北朝鮮に修学旅行へ行った際に、 関税で北朝鮮からのお土産を 全て取り上げられてしまった件で、 これをおかしいという人とこれが決まりだから 当たり前だという人がいたけれど、 決まりだからと言ってしまう人はそもそも 日本の法律が正しいと疑うことをしない。 まずは知ること、疑ってみること、 だって盗撮犯を逮捕出来ない法に なんの意味があるの。 これはもう男とか女とか関係なく わたし達の本当に身近にある問題だと思う。 特に性被害に関してあまりにも 法が役割を果たせてない。 自分の生まれ育った、 大切なひとたちが生きている場所に 光が見えなくてただ純粋にかなしい。 わたしはフェミニズムを知って、 これを改めて意識して世界が変わったので 知識を得ることは生きていく為に 大切なことであると同時に 生きにくくなってしまうことがあると 身をもって知っているので、 良くも悪くもフェミニズムをほかの人に 伝えるときにはかなり気をつかうんだけれど、 今回の国会の法案について知らないひとが あまりにも多いことに危機感を隠せない。 わたしは今日、水道民営化の件を知って めちゃくちゃ憤慨しているし やらなくてはいけない事を放り出して こんな長ったらしい文章を 書かずにいられないほど苦しいけれど、 知らないままだったらと思うと恐ろしいし、 知らないところで自分が所属している社会が どんどん悪いほうに向かっていることが すごく恥ずかしい。 わたし達には自分のためにも、 大切な人のためにも、そして次の世代のためにも 社会をよくする義務があるのに これを見過ごしていていいの、と 思わずにはいられない。 だって、まだ問題は山積みだとはいえ 今は女の人が会社で男の人と一緒に働くことが 当たり前になっているけれど、 いまの男女雇用機会均等法が成立したのって 1997年のことなんですよ。 ほんの20年前のことで、 それまでは働くということにおいて 女の人が男の人と差別されるのが 当たり前だったんだよ。 それをきっと勇気ある女の人や 善良な男の人たちが既成概念と抑圧と 苦しみながらも根気よく闘ってくれて いまがある。そう思ったらわたし達が 未来に生きる誰かのためになにもしないなんて そんな無責任なことは出来ないはず。 ぜんぜん光が見えなくて苦しいけれど、 わたしの周りにはこの社会の行く末を ちゃんと知ろうとしていて、 理不尽なことには自分のことでなくても 一緒に怒って苦しんでくれる、 辛くても絶望せずにいつも既成概念を疑って、 自分と違う他人をいつだって尊重する、 お洒落も面白いことも楽しいことも大好きで しあわせに生きようとしている 最高にかっこいい人たちが沢山いるから、 ほんとうにそのことに救われる。 そんな人たちがめちゃくちゃかっこいいことを もっとみんなが知って、どんどん そんな人たちが増えていってほしい。 わたし達にできることは泣きたくなるくらい 僅かなささやかなことだけかもしれないけど、 諦めずにいつか光を見てみたい。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.06.10 未来を願うときに私たちが思うこと 『トクサツガガガ』1巻の7話が めちゃくちゃ好きなんですけど、 読んでる人いるかな。 特撮オタクの仲村さんと幼い女の子の マックのハッピーセットらしきものに ついてくるおもちゃを巡るお話で、 幼い女の子”マナミちゃん”は 男の子向けのなんとかレンジャーの おもちゃが欲しいのだけれど お母さんに一人だけ違うのはヘンだよ、 と言われてプリキュアらしき 女の子向けのおもちゃを 強要させられてしまう。 その一部始終を見ていた仲村さんは なんでもっと粘らないー!と悶々としつつも、 例えどんなに選択肢が増えたって 結局決めるのは大人、 語彙も少ないし小さい子供が 大人を説得させて勝つなんて ムリなんだよ....と、 マナミちゃんと幼い自分と重ねる。 「欲しいって思ったものを選んでいいんだよ。」 今の社会ってマイノリティにとっては すごく生きにくい 息苦しい世界だと思うんだけれど それをどうしたらいいんだろう。 『ひだまり保育園 おとな組』で 保育士をしているゲイの男の子が 恋人に子供を持ちたいかどうか聞かれたときに 自分が子供を持つことを躊躇する理由を話す。 それはもちろん、 自分たちが同性カップルであることも そうなのだけれど、それよりも ここで子供を育てたくない。 って思ってる、ということ。 「個性を尊重」と言いつつも 結局はみんなと同じことをして そこからはみ出さないことが「いい子」、 その場所に自分たちの居場所はない。 いまの社会の中にある異様なまでの 異質なものを排除しようとする大きな流れの はじまりはきっとここなんですよね。 幼い頃からみんなと 同じようにしているのが正解で、 少しでも違うと間違っているだの、 ヘンだの批判されて。 でもそれを非難できるかというと、 簡単には非難できないよね。 だってそっちの方が楽だから。 みんなと一緒は決して正解ではないけれど、 そっちの方が楽なのは明らかで、 待機児童が大きな問題になるくらいに 保育士さんの数も保育園の数も足りなくて お給料が安くて 大変な保育士さんを責めることなんて 普通に考えたらできない。 これってきっと児童虐待の問題ともイコールで 児童相談所の人たちにお金と時間と知識が 十分であるかというと そうじゃないだろうなと思うし、 そもそも子供を育てる親に お金と時間の余裕があれば きっと改善されるんだろうなって 問題がたくさんある。 お金さえあれば解決できる問題が お金がないために起こってしまってるのかな。 だってみんな違うのは当たり前で、 それを当たり前に 受け入れられる世界になったら どうなるんだろう。 「人と人との距離感は時に  ぶつかってみなければわからなくて、  その作業は柔らかい心を  潰すばかりだけれど、  生きてて、  同じ船に乗る以上、  沈黙を破らなきゃならないこともある。  互いをわかり合えなくても、  わかり合えないまま生きていける世の中がいい。」 もちろんいろんな面があると思うけれど、 私にとってのフェミニズムはこれなんだよね。 でもこれって全ての差別に対する考え方だし、 フェミニズムというとどうしても 女の人のためのもの という印象が拭きれないから 他に何かわかりやすい言い方はないのかな。 そこに付随するものを短絡的に切り捨てて 簡略化してしまうのは危険だけれど、 わかりやすいって��うのは 決して悪いことだけではないもんね。 『しまなみ誰そ彼』で セクシャルマイノリティに悩む男の子を巡って この子は一体何者なのかと周りの人たちが 彼を名前のある何かにしようとする。 女の子の格好をするのが好きだけれど、 それを人に見せたいわけじゃない。 男の子を好きなわけでもない。 彼自身にも彼のことはわからない。 分類にこだわってそれに名前をつけて 安心してしまうのは違う、 そういう名前に人や物事の輪郭を求めるのは。 それでも、彼自身が なにかの決まった名前を持って 安心できるのだとしたら、 それは救いであるよね。 わたし自身が当事者ではない問題は 想像することしかできないけれど、 でも自分のことならわかる。 わたしは母子家庭で 父をまだ10代の頃に亡くして それから世間のかわいそうという風潮に 幾度となく触れてきたけれど 絶対にそんなことない。 もちろん辛いことや 寂しいこともたくさんあったけれど でも全然かわいそうなんかじゃない。 両親がいて子供がいて、 それだけが正しい家族の形で それ以外はかわいそうだ、というのは違う。 いろんな家族の形があっていい。 そのためには、家族というものは 父性を持った父親と母性を持った母親で カタチ作られているというステレオタイプを 壊していかなくちゃいけないんだよね。 いつか様々なカタチの家族が 当たり前の世界になったら、 それは必然的にLGBTの人たちにとって 優しい世界になっているはずだし、 それは仲村さんにとっても、 マナミちゃんにとっても きっと優しい世界なんだろうな。 これがフェミニズムの 目指しているところなのかな、とも思う。 そして願わくば、 何かの問題があってシングルマザーになった 女の人たちが苦しまなくても 子供たちを幸せにできると 確信できる世の中になってほしい。 もちろん逆も然りだけれど。 例えば、カップルのうちどちらかが 病気になったり不幸があったりしても 朝晩のバイトを掛け持ちして、子育てもして、 なんてせずに普通に生活して 幸せに生きていけるようになるべきだし、 子供達はもちろん大人だって 暴力から逃げられる選択肢があるべきで 何かあった時に選択肢が 用意されてなくちゃいけない。 それをみんな自己責任だって 突き放すのは簡単だけれど、 弱い立場にある人にとって優しい世界こそが きっと本当に温かい場所なんだろうな、って それを願わずにはいられないよね。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.05.04
Wenn ich in hier meine Herz umbringe,
das ist ich bin alles aufgeben.
Natürlich bin ich schrecklich, und habe Angst.
Aber meine Entscheidung denke ich recht.
Es bringt mich zum Licht.
Wann ich das wissen kann oder nicht,
weiß ich noch nicht.
Aber muss ich geradeaus gehen, ins Lichts sein .
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yuccccca · 7 years ago
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2018.04.17
もう少しで日本を離れてからまる半年が経つ。
わたしはこの半年の日本をほとんど
ツイッター上の情報でしか知らないけれど
この短い時間の中で色々なことがあって、
様々なことが変化したなかで
どれか1つでもよい方向に向いたものが
あったのかな。
もちろんツイッターでわたしが得ている
情報はかなり意図的にわたし自身が
取捨選択したものばかりなので
それだけで物事を判断するのは
危険なことだというのは重々承知している。
でも連日流れてくる悲痛な情報と
自分の無知と力の無さが
涙が出てくるくらい苦しくて悔しい。
特に男尊女卑のニュースは
離れた場所でわたし自身が
日常を体感することなく
その情報ばかりを目にすると
現状はこんなに酷かったのかと
目を逸らしたくなるようなことばかり。
わたし達はもうどこに行こうとも
その根っこは日本にある。
そのことに安心すると同時に
この現状に嘆きたくもなってしまう。
日本に帰ることを意識し始めて、
大好きな人たちがたくさんいる場所なので
嬉しいと同時に、複雑な気分。
政治のこと、フェミニズムのこと、
色んなことがあるけれど
例えば東京にいたら当たり前の日常、
弱いものいじめみたいに
誰かを不幸にするテレビ番組、
下品な電車の中の週刊誌の広告、
電車の遅延で駅員さんを
怒鳴りつけるサラリーマン、
自分の首を絞めているようにしか
思えない過剰なサービス、
公共の場で何も考えずポルノみたいな
雑誌を広げるおじさん。
考え出したらキリがないね、
そしてそこに入ってしまえば、
それがきっと当たり前になってしまうだろう
自分自身にも嫌気がさす。
どうにか、本当にささやかでも
どうかあの場所が少しでもよい方向へ
向かっていくことはないんだろうか。
沢山ある細胞のひとつみたいに
きっとその大きな流れは変えられずとも
ほんの僅かでもわたしができることは
何かあるのかな。
悲痛な声をあげた女のひと達の
その勇気さえも
わけもわからない大きな力で
踏みにじられてしまうあの場所に、
呆れてしまうような醜い場所だけれど
それでも光があって欲しい。
そう思ったときに、
わたしの側にあるのは
やっぱりフェミニズムな気がする。
日本ではフェミニズムというと
どうしても過激なイメージが
先行してしまっているような気がするけれど、
でもそれはまだ大きなコミュニティでなくても
端っこのほうで少しずつ、でも確実に
変わってきていると確信してる。
去年、このことについて
様々なことを話せる人が側にいたときに
書き留めていた言葉がまさに
いまのわたしの揺らぎそうなこころを
ぴしっと留めてくれている。
もっと色んなことを知って、見て、話したいな。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.03.27-2018.04.05
こっちにきてからのはじめての
長いお休みでパリに来た。
この前ここに来たのは、
まだドイツに行く前のこと。
4ヶ月ぶりのパリ。
まだたった4ヶ月しか経ってないのに
随分といろんなことがあったな。
わたしが知っているなかで
もっとも早い4ヶ月だったように思う。
前回ここで過ごしたときは
自分がこれからどこに行くのかも
どこを目指しているのかもわからずに
ただただ不安だった。
同じ場所を歩いていて、
同じようにまわりの人たちが
話している言葉は全然わからなかったけれど
それでもいま自分の場所がこの先にあること、
帰る場所とやるべきことがわかっていることに
こんなに気持ちが軽くなるのかと
清々しい気持ちだった。
それと同時に
全くわからないフランス語に触れて、
いつのまにかドイツ語はわたしにとって
親しい存在になっていることに気がついた。
まだまだ歩みを進めはじめたばかりだけれど
いまはドイツ語を学ぶことがすごく楽しいし
手探りで鈍いけれど、
ちょっとずつ視界がクリアになって
行くさまが見えて嬉しい。
2日目からははるばる東京から来た
妹と合流したので、
はじめてのパリ以来にザ観光地をまわって
慌ただしくすごした。
4年ぶりにルーブル美術館を訪れたら
ガイドブックに載っているような
有名どころの西洋絵画はもちろん
1番にイスラム美術に惹かれて
展示を観に行ったわたし自身の行動にも
変化を感じる。すごくいい変化だ。
たくさんの物語りにふれて、
さまざまな人と出会うなかで
いろいろな物事に関心を持って
色んなことが面白くなってきた。
fortsetzung
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yuccccca · 7 years ago
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2018.03.24
あの娘の中にもいるわたしへ
きっと目の前のことだけ見て 楽しいことだけ考えていれば もっと楽に生きられるはずなのに、 いろんなことが視界にはいって 気になって苦しくなってしまう。 目の前の道はいろんな 障害物に阻まれて なかなか前に進めない。 でもちゃんと向き合って、 考えて悩んで出した答えならば その選択がいつかのわたしを 救ってくれると信じたい。 そこまで心のなかで闘った 苦しみや葛藤もすべて。 色んなことに気がついて、 傷ついてそれでも前に進もうとする 不器用だけれど誠実な 貴方のその進む先が、 きっと優しいものでありますように。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.03.22
今週はまた冬にもどって、 毎日のように雪が降っている。 町中の至るところで “schönes Osterfest!“の声が行き交う 3月も終わりに近づいたこの頃。 クリスマスもお正月もなく働いていたので 久しぶりの長いお休みまでもうすぐ。 懇ろな人たちと久しぶりに ゆっくり過ごせるのが本当に嬉しい。
ここ1、2週間くらいずっと気持ちが ずんと重たくって、 それでも綺麗な色のお花を飾ったり かわいいお洋服を着たり 勉強の時間を諦めて沢山寝たりして 自分の気持ちをコントロールして どうにかやっていけるように なったところにちょっとだけ 大人になったな、としみじみしている。 そんなふうに騙しだましやっていても やっぱり毎日暗い気持ちになってしまって しゃんとしなきゃ!と思っていたけれど きっとわたしがすべきことは 自分を鼓舞することじゃなくて、 ここを離れるべきなのかもしれない。
たどり着きたい場所に向かって 時間を使えることの有り難さを すごく痛感しているし、 そのためにいま出来る 最善の選択をして ここにいるわけだけれど、 それはきっといつでも 変わり続けているものだろうし この場所にしがみついている必要は きっとない。 今日の朝、そのことがふと頭に浮かんで たぶん本当の意味で気持ちが軽くなった。
もちろん、辛くて苦しくても 歯を食いしばって 耐えなきゃいけない時は絶対にある。 でも、きっといまは逃げてもいいとき。 自分の気持ちを守るために 逃げることは悪いことじゃないって、 いま思い返すと幼いころからずっと 両親はわたしに教えてくれてたんだな。 弱いところを両親にも誰にも 見せられなくてずっと気を張って 物事を0か100でしか受け入れられずに 苦しかった頃が懐かしい。 母が100じゃなくて70だって 頑張ったなら良いんだよって いつも言ってくれたことや、 父が例えばマラソン大会を頑張ったとか 漢検に受かったとか 完璧じゃないちいさなことも ささやかにお祝いしてくれたことが いつも泣きたいくらい嬉しかった。 みんないまに繋がってる。
先へ進む道はいくつも用意されている。 いつだって最善の道を、 わたしが1番チカラを出せる道を 選んでいい。 間違えてもまだ選び直せる。 たぶんこれは昔からの 考えかたの癖みたいなもので 一度決めた道を逸れることは カッコ悪いような気がしてしまう、 もちろん自分の道がちゃんと見えていて そこに一心に真っ直ぐに進む人たちは いつだってかっこよくて眩しいけれど、 でも同じくらいに試行錯誤して いくつもの決断をして 自分の場所を探している人だって めちゃくちゃかっこいいのを わたしは知ってるよな。
昨日、ずっと楽しみにしていた 東京からの贈り物が届いて、 辛くても頑張ってればよいことが ちゃんとあるんだなってなんだか 使い古された台詞が頭に浮かんだ。 ここでは、いつも 心が折れそうなときに 示しあわせたように 好きな人たちからの贈り物が本当に届くんだよ。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.03.17 最近、なんだか余裕がなくて 息苦しいくらいに気持ちが いっぱいいっぱいになってしまった。 久しぶりに梨木さんの文章を読みたい。 どこにいても電子書籍でポチッとすれば その言葉は手に入るわけだけれど、 逃げ出したくなるような卒制や 初めての読書会を一緒に過ごした 付箋やマーカーに塗れた くたびれたあの一冊がとても愛おしいな。 あれは確かいまパリにあるのかな。 そうしたらもう直ぐだ。 3月になっても雪の降りしきる マイナスの気温が続いたヨーロッパも 3月半ばになって ようやく春めいてきて本当に嬉しい。 と思っていたら、 今日はまた冬に戻って雪が降った。 でも、ここに来たのが1年で1番 夜が長い季節だったので、 最近は6時ごろ迄明るくて それだけですごく嬉しい。 時間がどんどん経つにつれて、 必然的に気持ちが明るくなるのはいいな。 前に光りがあって、 時が経つのが全然怖くない。 梨木さんのエッセイのなかで 最近は移動の何もかもが便利になって、 体だけは殆ど1日あれば どこにでも行けるような 世の中になったけれど、 気持ちはついて行けなくて 例えば飛行機や高速道路で ひゅんっと辿り着いた場所では どことなくふわふわとして、 不在なような気がする。というような 旨の文章を読んだのを思い出した。 そこでは、 そう考えてみると ヨーロッパのような遠い場所への船旅は 気持ちと体を一緒に運んでくれる 魅力的な手段であるのではないか、 と綴っていた。 ここでの最初の3ヶ月は 殆どお休みもなく、 すべてのことにただただ必死で 息をつく暇もなく過ごしていたけれど いま、4ヶ月近くが経って 気持ちが伴って、 紛れもなくここでの毎日が わたしの日常になって、 先のことを考えるようになったりして、 ちょっと余裕ができていたように 思っていたけれど、 逆にあまりに焦りすぎて 躍起になりすぎてたのかな。 きっとこっちに来てから 本を全然読めてないのも なんだか苦しい理由のひとつなんだろうな。 ここでのわたしの楽しみはもっぱら 好きな人たちから届くお手紙と まんがなんですけど、 まだドイツに来て1週間くらいだった頃、 あまりに辛くて、 でもドイツ語の勉強をしないと 自己嫌悪でさらに苦しくて、 という時にドイツ語訳の ばななさんの『キッチン』を買って それからこれはずっとわたしの テキストでもあり唯一 ずっと読んでいる物語りでもある。 まだドイツ語がなにもわからなくて 殆どすべての単語を 辞書でひいていたあの時から、 この物語りにすごく慰められてる。 人が死ぬお話しなので、 このお話しを読んでいると 必然的にいまはもういない人たちや 大切な人たちの死を考える。 そして、これは本当に自分でも びっくりしているんだけれど、 わたしは近しい親族に関しては たとえ誰かが突然に いま居なくなってしまったとして、 きっと後悔することはないなって 確信している。 すぐ駆けつけられない距離にいることが すこしも怖くない。 例えば、この先 „ああ、いまこの瞬間に あの人がいてくれたらな“って 思うことは絶対にあるし、 その未来からは絶対に 誰も逃げられないと思っている。 もしなにかがあった時に、 悲しみの中にいるあの人のそばに すぐに寄り添ってあげれれない 心苦しさはもちろんある。 でも、わたしは 特に大学生になってから いままでの5年間、 家族に対してだけは本当に誠実に 心からみんなを愛して 自分にその時出来ることを 直向きにやって来たって言いきれるし、 それをちゃんと受け取って貰えた きっとわたしがみんなのことを 大好きだってちゃんとわかってる、 という安心感に満ちている。 一緒にいた時はただただ離れることが 不安でしょうがなかったのに、 きっと離れてみなければわからなかった。 この5年間がすべて 良いものであったかといえば 全くそんなわけはないし、 後悔だって数え切れないほどあるけれど 家族に対しての自分の思いや行動だけは あの頃のわたしによくやったねって 言ってあげたいし、 この気持ちはきっとずっと変わらないと思う。 こんどは、ここで、また違う何かで 未来のわたしがいまのわたしに よくやったねって思えるように。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.03.03
今日ツイッターの askみたいなサービスで フェミニズムについて 話しているツイートを見た。 その時にさらっと見逃してしまって いま探してみても 見つからなかったんだけれど フェミニズムの問題に 苦しんでいる若い人からの メッセージに年長の女性が “わたしが現状を良くするから もう少し待っていて” という趣旨の返答をしていた。
これを見て、パッと東京で フェミニズムについて話す会に 参加したときのことを思い出した。 その時はわたしが最年少で、 自分の周りの若い世代の現状を フェミニストとして活動している 年長の方に話したら、 その人はあまりの悲痛な現状に 驚いて"ごめんね"って謝っていた。 男尊女卑が明らかだった自分の世代から 問題はもっと改善していると思っていたのに 現実はそうはなっていない、 そのことに年長者として 傷付いた様子で謝る彼女の素直な表情に わたしは泣きそうになって 少し救われた気がした。
そしてその時、 未来の日本を生きるすべての人たちの為に 彼女は自分を奮い立たせて 険しい道を歩いてくれているんだ ということが本当にわかった。 そんな未来のことなんて 見て見ぬ振りをして 楽に生きていくことだって出来るのに 名前も知らない誰かの未来が 少しでも明るくなるように 戦ってくれている。 その時のその人の悲しそうな表情に わたしは"戦ってくれているあなたに そんな顔をさせたいわけじゃないの。 むしろありがとう、 って言いたい気持ちだよ" って伝えたかった。
そうだよね。 わたしたちは何時だって つぎの世代の為に 戦うことができるんだよね。 それは決して著名で 影響力を持つ人だけの役割じゃなくて ちっぽけでもわたしたちみんなに 与えられた役割なんだよね。
レールの敷かれていない道を歩くのは 心細くて不安で泣きそうになるけれど、 その道をいつか誰かが見つけて、 その人にとっての光になることもあるのかな。 舗装された道を カッコ良く歩く人の後ろよりも、 道なき道を不恰好に進む人の後ろが 強く光っていてほしい。 わたしが、前を進む人の 残してくれた幾つもの軌跡に 光を見つけて励まされているように、 手探りに進んで行ったわたしの足跡に 誰かが光を見つけてくれることが きっと、いつかありますように。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.02.17 / 2018.02.18 / 2018.03.01
わたしの怠惰な性格がまざまざと 浮き彫りになっているこの日記ですが、 あの楽しかった日をまだ忘れないうちに 書きとめておこうと ついにこんな矛盾した日付けを いくつも並べることになってしまった。 この無秩序な感じがわたしらしくて なかなか気に入ってもいるんだけれど。
2月17/18日、 ヨーロッパ旅行に来ている友人と アムステルダムで待ち合わせて会ってきた。 この日を日本にいる頃から ずっと楽しみにしていたの。 ほとんど3ヶ月ぶりに友人に会ったので すごく嬉しくてずっと腕を組んで スキップしたいようなそんな気持ちだった。 色々と話したいこともあったのに、 久しぶりに懇ろな人たちと 過ごした時間が心地良すぎて のんびりしてしまった。 わたしはお休みが2日しか取れなかったので 早々に帰ってきたんたけれど、 夜行バスで帰る日、夕方頃から 友人たちと別れるのが寂しくて こっちに来てから初めてこのまま一緒に 帰ってしまいたいと思ってしまった。 たった2日一緒にいただけで こんな気持ちになってしまうのに、 今度妹と10日も旅行して大丈夫かな。 まあ帰ってきたらとっても忙しくて 落ち込んでいる暇なんてなかったので そんな心配は必要ないと思うけれど。
最後の夜ごはんは、 アムステルダムに住んでいる 高校の頃の先輩を交えてだったのだけど、 美味しいごはん(久しぶりのシーフード!)と ワインを飲んで賑やかに楽しく過ごして バスの時間がせまっているのに気づいて 慌ただしく別れたのがすごくよかった。 まだついこの前のことなのに、 なんだかまぼろしみたいな気持ちで 思い出してる。 いまはアムステルダムで買った かわいい花瓶に活けたチューリップが わたしの部屋を明るくしてくれてる。
東京である人と海外での生活について 話していたときにも思っていたけれど アムステルダムで会った先輩と話して 改めて思ったのは、 エネルギッシュな人たちの やってみればいいじゃん、という 大胆で眩しい言葉に隠された 自信がすごいな。 その場所で居場所を 見つけた人たちの言葉だから そう思うのかな。 わたしも時々、 自分でも想像しなかったような 突拍子もない大胆な行動に 自分で驚いたりするけれど、 それでもわたしはすごく臆病だと思っていて 一歩ずつちゃんと進んで行かないと 不安でしょうがない。 これはがしがし行動出来ちゃう人からすれば 甘い考えなんだろうけれど、 でもまだ先は長い。 ゆっくりでもいいから 確実に前に進んでいきたい。 たぶんわたしは無理しすぎると、 最後までたどり着けずに 折れてしまいそうな気がするから。 (これこそが甘えなんだと ちゃんと分かってもいるんだけどね。)
昨日の日記を書いていて気付いたけれど いままではなんとなく こうなりたいなという希望が 遠くの方に見えていただけだったけれど 少しずつ進んでいく決意をして そこまでの道がぼんやり見えてきた気がする。 きっといままでもその道は どこかにあったはずなのに わたしは自信がなくて 見ないようにしていたんだな。 曖昧に、でも確実に道がひらけてきた。 その先のことはまだわからないけれど、 そこに行けば新しく見えてくる光も きっとあるよね。 たぶん、いままでで1番 未来のことを考えてドキドキしてる。 これからもっと先のことを考えるのが 楽しくなるといいな。 すごい、希望だ。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.02.28
‪あっという間に春が来た。 ヨーロッパがみんな 今週はめちゃくちゃ冷え込んでいて 今日もマイナス10°だったけれど 暦のうえではもう春になる。 ここでの本当の春を迎えるのが すごく楽しみだな。
東京を離れて4ヶ月がたつ。 ドイツに来たのが それから1週間後くらいなので、 自分の中での区切りが ちょっと難しいんだけれど いつの間にかここでの毎日が まぎれもなくわたしの日常になったな。 今日ようやくビザを貰って、 いまのままここに居られるのが 何時までなのかがわかって ちょっとだけ先のことが見えてきた。 はやく帰りたいような、 ずっとここに居たいような気持ち。 色々な事情で7月まではきっと 先のことはちゃんと決まらないだろうから ゆっくり考えよう。 いまはちょっとずつ光が見えてきて 先のことを考えるのが楽しい。 そこに近づいていけるように ちゃんと進むんだ。
仮ビザを貰いに行ったのは ひと月前くらいかな。 その時はまだ全然わからなかった ドイツ語が今日はほとんど分かって ちょっとびっくりした。 そういえば、それまで 英語でコミュニケーションを 取ってもらっていたのを ドイツ語にしてもらったのは ほんのひと月前の出来事だったな。 全然まだまだだけれど、 そうやって考えると 確実に前に進んでる。
もう10年近い付き合いの英語が めちゃくちゃなコンプレックスに なってしまっているので、 真っさらな状態から始めたドイツ語が 少しずつ開けてきているのが 本当に嬉しい。 ほとんどなにも知らないまま いきなりドイツに来て、 ドイツ語でドイツ語を勉強しているので 赤ちゃんみたいな気持ちで たくさんの言葉と出逢って、 まためぐり合うと その言葉知ってる!って すごく嬉しくなる。
日本にいるときから 留学したいと話すと、 せっかく海外に行くのに 語学だけじゃもったいないよって いろんな人に言われたけれど 新しい言葉と出逢ったら、 その言葉でもっともっと広い世界を 見ることが出来るんだよ。 こんな楽しいことはないよ!
たまに気持ちが落ち込むと、 本当にドイツ語が話せたり、 読めたりするようになるのは いつになるんだろう、と 絶望しそうな気持ちになったり ふとなんのためにドイツ語を 勉強しているんだろうと 思うこともあるけれど、 いまのわたしを救ってくれるのは ただここで頑張ることだけなんだろうな。 まだまだ先は長い。 でもちゃんと光は見えてるよ。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.01.28
もうずっと楽しみにしていたお休みの日! 日帰りの遠出で朝早いので、 前日の夜からいそいそとサンドイッチを作り 本を選んでそれだけでもとても楽しい。 ベルリンからここへ来るまで以来、 久しぶりの長い移動。 1人でも誰かとでも、 わたしはこのどこかへ向かう 道中が大好きだな。 乗り物に乗っていると 絶対に眠くなってしまうので 本を読んでいるうちに寝入って、 満足に寝たあとにも 充分に本を読む時間があるといい。 だから、7時間ぐらいの道中が わたし的にはベストなんだけれど なかなか長いね。 思い返せば、東京でも時間が許すかぎり 満員電車を15分で帰れる特急よりも 座って本を読んだりうとうとしながら 帰る鈍行が好きだったな。 家族には呆れられていたけれど。
よく考えると、わたしはヨーロッパの 田舎の小さな町にほとんど 行ったことがないんですよね。 ロンドン、パリ、ベルリン、ミラノと 大きな街にはかなりの数行ったけれど 唯一、イタリアでナポリや ソレントに行ったくらいかな。 今回はPina Bauschの舞台を観るために Wuppertal へ。 去年東京で観たNelkenが初めての コンテンポラリーダンスだったのですが、 めちゃくちゃ感銘を受けてしまって 1年後にWuppertal まで観劇に来てるの すごくわたしらしくて笑ってしまうな。
他に、Wuppertal は 世界初の空中鉄道の町なのですが そのモノレールがすごく良くて、 意味もなく端まで乗ってみたりした。 これは町の中の小さな川の上を走るのだけれど 結構高くて揺れるので高所恐怖症のわたしは かなりそわそわとする思いだったのですが 窓から見えるその開けた感じが とっても綺麗で素敵だった。 その街に住んでいる風な男のひとが ちょうど前に座っていて、 ちょっと身を乗り出して ずっと川を眺めているのもよかった。 モノレールで真下が川なので 左右に仰々しい鉄骨やら 工場の配管やらがあって かなり無機質な印象もあったけれど、 その分自然も多くて色あざやかで 賑やかな無機質という感じ。
日曜日でほとんどお店は閉まっているので 今日の予定は夜の観劇と唯一開いている ��じんまりとした美術館のみ。 ちょうどマネの企画をやっていて 楽しみにしていた。 マネの展覧会を観るのは初めてだな。 企画展とは別にモネやルノワール、 ドラクロワなどの作家の作品もあったけれど こんな田舎の美術館に、 決して有名ではないけれど巨匠の すごく素敵な小品 (といってしまうのが 躊躇われるほどよかった) がこれだけあって さすがヨーロッパだなと思った。 展示ももちろんよかったのだけれど 何よりもベルリン以来の美術館だったので 作品タイトルが読める!ということに すごく興奮してしまって、 タイトルばっかり見てたな。
その後、何もすることがなくなって あまりにも早くオペラハウスに 着いてしまったので 近くに見かけた唯一のカフェ (といっても、駅の売店の傍らにある ささやかなもの)で本の続きを読もうと コーヒーを頼んでふと壁をみたら、 ダンサーのサイン入りの ピナの映画のポスターが飾ってあって こころの中で密かに感動していた。 今日、持ってきたのは 須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』 須賀さんの作品を読むのは これが初めてなのだけれど このエッセイには少しだけ 梨木さんと同じような温かさを感じた。 海外での人との繋がり、 いくら親しくしていてもやっぱり 違う国や文化をバックグラウンドに持つ 人との物語りがそう思わせたのかな。 たった1日、それも夕方に着いて 翌日のお昼の飛行機で出発という 観光するにはあまりにも短い時間のなかで ミラノの大聖堂とその街を歩いたのを思い出した。 ミラノ、その滞在時間のせいで 多分今まで行った場所のなかで 最も観光出来なかった場所なので 記憶が曖昧なんだけれど、 小川洋子『最果てのアーケード』を読んだ時に まっ先に浮かんだのがミラノなんだよな。 これはわたしの空想のなかの 物語りなんだけれど、 あの華やかなのどこかに ささやかな最果てのアーケードがあるんだって ずっと思いながら読んだ。 この物語りを読んでいた時も寧ろ、 小さくて懐かしい雰囲気の パリのパサージュのほうが イメージは近い気がしていたんだけれど、 なぜだかわたしのなかであれは ミラノの設定だった。
Pinaの舞台は相変わらず素敵でした。 今日の演目は、 Pina Bausch『Sieben Todsüden』 最早オペラに近い、 唄によって語られる物語り。 よかったけれど、 なにせ初めて見たのが『Nelken』だから めちゃくちゃハードルが高いんだよな、、 いつかドイツ語で愛について語られる この物語りを観てみたい。 今回の舞台については まだ解釈しきれていないので また改めて書こう。
思いがけず、 数年前のイタリア旅行を 詳細に思い出した1日だった。 そんな帰り路、 ふと素敵なことを思い出した。 イタリア旅行は大学1年生のときの 1ヶ月のヨーロッパ旅行の中で 訪れたんだけれど、 この旅行は日本から一緒に来た子と 何カ国がまわって2週間で別れてから、 1人で何日か過ごして、 そのあとイタリアで別の友だち2人と合流、 イタリアを一緒に観光したのち わたしはベルギー、 彼女たちはスペインへという かなりフリーダムなものだったんだけれど イタリアでの最後の目的地がミラノで 3週間以上も日本を離れるのが初めてなわたしは すでにかなりのホームシックで ただでさえ早く帰りたくて しょうがなかったのに、 また1人になるのが寂しくて こころが折れそうになってた。 そんな別れの日、 友人が前日にスーパーで買った パンとハムやレタスでささやかな サンドイッチを作って持たせてくれたの。 いまでも小さなホテルの窓辺のテーブルで いそいそと3人分のサンドイッチを作る 彼女の姿を曖昧に憶えてる。 あれはわたしのなかで最も素敵な サンドイッチの思い出のひとつだな。 と考えていて思い浮かんだ。 そういえば、ドイツにくる前によった パリでの最終日、 友人が飛行機で食べなって 持たせてくれたマフィンの思い出も すごく温かくてよかったな。 色んな場所で色んな人との ささやかな思い出が思い出されて嬉しい。 今日のこともきっといつか 温かい気持ちで思い出されるといいな。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.01.22 偶然にツイッターでジョージさんの 『ダンス・ダンス・ダンスール』について 書かれたツイートを見た。 ダンスールは主人公が 幼い頃からバレエに惹かれつつも 周りの目を気にして 素直になれずにいたところへ バレエスクールを主宰する母親を持つ 女の子がそのことを見い出して スクールに誘うことから始まる 物語りなんだけれど、 そこでその女の子は主人公を誘うために 制服でスカート姿にもかかわらず 「540」というジャンプの技をする。 その時にめちゃくちゃパンツが見えるんだけど おばかな主人公はそれに釣られて バレエ教室までついていくわけですよ、、 まあその場面が不快というか、 セクハラだというご指摘だったんだけれど、 そうか。確かに、 見ようによってはそうなのか。 わたしはほとんどの ジョージさんの作品を読んでいて、 その上でジョージさんの描く物語りや その文脈をとても信頼しているので、 読んでいてそうとは思わなかったけれど 改めて意識して見ると 潤平どんだけおばかなんだ。 これは、一巻冒頭の出来事なんだけれど 既刊の7巻を読んでいて (新刊8巻はきっと今ごろ ドイツを目指して空を渡っている頃、、) これはジョージさんが 潤平がいかに幼稚であるかを描くために 必要な要素だったような気もするんですよ。 都のパンツに惹かれて バレエ教室についていってしまうくらいだし、 レオタードの女の子を意識して赤面したり、 恥かしくて女の子と踊れなかったり、 男なのにバレエなんてという 同級生の目を気にして逃げて、 サッカーやらジークンドーやらバンドやらで 友達からの人気をとって見たり。 そういう、本当に自分の好きなものと 向き合えな���くらいの 彼の未熟さを表現するために 必要な描写のような気がするんですよね。 実際に、男なのにバレエなんてという ステレオタイプな考え方があるって ある程度説得力を持っていると思うし、 彼がバレエと向き合えないのは そういった面が大きいんですよ。 そして、こういった要素は もう一人のバレエダンサー 流鶯との対比をより 鮮やかにするためのものでもあるので 一概にこの場面だけを見て悪 / 善を決めるのは 難しいなと思うわけです。 ジョージさんのお話は 『溺れるナイフ』しかり、 『ハートを打ちのめせ』しかり、 かなり女性性、男性性を 強調した物語りだと思うし、 思春期のそういったものを過剰に意識しつつも どう扱ったら良いのかわからない、 未熟な登場人物こそが魅力でもあると思うから こういった表現や描写を まるごと否定してしまうのは どうなのかなってやっぱり思う。 女性性のことを話そうとすると去年見た、 ピナ・バウシュ『春の祭典』を 思い出すのだけれど これは生け贄をテーマにした物語りで、 生け贄に選ばれた女性は 最後胸をあらわにして踊るんですが じゃあ、これを演じるダンサーの女性性が 軽んじられているかというと、 決してそんなことはなくて、 この手法によって 確実に伝わるものがあると思うし、 芸術としての表現の一種なんだと 多くの人が納得するでしょう。 ここの線引きがいま、とても難しいなと思う。 とはいっても、漫画、 特に少年向けの物語りの中には不必要な セクハラともいえる表現が多々あるとは思うし そこに関してはいい加減にしようよ、と 憤慨する気持ちもある。 最近読んだ『ワールドトリガー』が すごく面白くて気に入っているんだけれど、 そこで登場人物の一人が何の脈絡もなく セクハラをする場面が2回あって、 なんでこんなことしてしまったの、と 思わずにはいられないんですよ。 その人を語る時に、 その描写が必要だったとは どうしても思えないし、 むしろない方が 絶対によかったと思うんですよね。 わたしは自分なりにジャンプ作品の そういった風潮がそうさせたのかなと 思っているんですが、 ジャンプ作品って 本当にたくさんの人が読んでいるし 女の人やその描写を不快に思う人が 一定数いるはずにもかかわらず なんであんな場面を 描いてしてしまうんだろう、 と思わずにはいられないんですよ。 あのセクハラの描写がなくても きっとワートリの面白さって 変わらないと思うけど、 あの2回のセクハラの描写があることで 作品の面白さとは異なる倫理的な価値を 確実に落としていると思えてならないんです。 他にも少年漫画だからといって 自分の中で無理やり納得させてしまっている そういった描写の多くを、 本当は少年漫画だからこそ 改めて考えなくちゃいけないはずなんだよね。 ワートリのセクハラ描写を問題視していた人が 同じように『ハイキュー』の中で 数人のバレー部員が美人マネージャーのことを 過剰にマドンナ扱いすることについても 問題視していたのだけれど、 そうか、これも確かに 女性性を過剰に意識させて 差別していると考えられるのか。 わたしは今まで読んでいて、 この描写について 特に何も感じなかったけれど 不快に感じる人がいるのであれば それに対して誠実な気持ちで いつでも一考する必要があると思うし こういったことに敏感でいたい。 いくら好きな物語であっても 好きな作者の作品であっても 公正に判断できる視点を持っていたい。 これは、男性性・女性性の問題だけじゃなくて 差別とされるすべての考え方に対して。 年末年始、日本のテレビで人種差別についての 話題がかなり大きくなっていたけれど こういった日本の中での問題に 海外に住む日本人のひとりとして 初めて触れて、 わたしの判断基準の1つは いま自分の周りにいる多様な人たちに 話して恥ずかしくないか、だなって思った。 今回の件はやっぱり恥ずかしいよ。 不快な思いをする人がいるなら、 それはやっぱりもう一度 向き合うべきことなんでしょうね。 ピナバウシュの『春の祭典』を たくさんの人が見ることができる 日本のテレビで放送することが 良いことかといえば 決してそんなことはなくて。 わたしはこの作品に出会えて よかったなって思えるし 本当に素晴らしい、大好きな作品だけれど これを見て不快な思いを する人がいるであろうことを 想像するのは決して難しいことではないし 見たい人が見ればいい。 きっと100パーセント悪い物事や 100パーセント良い物事ってそんなにない、 だからこそ、一つ一つと 丁寧に向き合う必要があるんでしょうね。 そうして、丁寧に向き合った物事は 例え誰かとわかりあえずとも、 数字やデータだけに頼って 結論づけた結果よりも きっとあたたかいものであると信じたい。
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yuccccca · 7 years ago
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2018.01.17 毎日いっぱいいっぱいで 相変わらず日記と呼ぶには あまりにも間が空きすぎているこの場所。 いろんなことに追われて、 書き留める時間がないなって ずっと思っていたけれど 書くことがわたしの気持ちを 鎮めてくれるような気がして 久しぶりにゆっくり書いてみようと ページを開いた。 先日ようやく仮のビザがおりて、 これで日本を発つときに目標にしていた 3ヶ月以内にホストファミリーを見つけて ビザを取るというのが叶ったわけだけれど ドイツ語のいわばレベル1をパスすることは できなかった (というかその必要がなくなった) のは 複雑な気分だね。 実際のレベルがどうかは別として、 わたしがこのレベル1のクラスを終えるのは まだまだ先になりそうだし いろんな兼ね合いのためなので こればかりはしょうがないと思いつつ やっぱり焦る気持ちはある。 今思えばなんて無謀な試みだったんだろうと、 もしわたしと同じ状況で 日本を離れようとする人がいるなら 全力で止めるくらいには 過去の自分に呆れているけど、 でもいろんな幸運のおかげでなんとか あのとき決断してよかったなって思えるよ。 全てがうまく行ったわけでは もちろんないけれど、 1週間前にベルリンのお家が ちゃんと決まったことも すぐにホストファミリーが決まったことも、 そこでの条件も なんて幸運なんだろうと思える 出逢いだった。 もし今の家族と巡りあっていなければ、 最悪は日本に帰るって可能性も きっとあったよなって今になって思う。 それぐらい、言葉の通じない場所で 誰も頼る人がいなくて ひとりというのは堪えるものがあった。 そうはいっても、 いまの環境に満足しているかといえば 決してそうではなくて。 いまは家族の1人が大きな試験を控えているので 1ヶ月近くお休みなく働いているんだけど、 気持ちに余裕がなくなって、 すごく情緒不安定になっているなって思うし そのせいで勉強に身が入らなくなったり 人に優しくできないのは 本末転倒なような気がしてる。 去年、あなたのよいところは 優しいところだよって教えてくれた人がいて、 その優しさに気づかせてくれて、 わたしは初めてそれに自覚的になれたので いま自分がやろうとしていることが きっと本来ならば断ってもいいことなんだって わかってはいる。 だけど、その一方でその優しさは 自分の唯一の武器でもあるって知ってるから 断ることを躊躇ってしまう。 優しさってあたたかいもののだけど それは一歩間違えると甘えだよね。 きっとわたしのこれは甘えなんだろうな。 だって、戦ってない。 そしてそれは、ある視点から見ると 優しさと受け取れてしまうから 悪いことじゃないように思えてしまうけれど、 わたしに優しさを教えてくれた人は、 その優しさだけで やっていけることも知っているけれど もっと戦えるようになりなさいって言っていたな。 今がそのチャンスなような気がしている。 生活と仕事を共にして、 これだけ親密な関わりを持つのは初めてだから 受け身になるばかりじゃなくて、 ちゃんと自分の意思を持って 他人と付き合うんだ。 もしここでそれができたら、 ちょっとだけわたしも変われる気がする。
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