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アートプロジェクトにおいて、地域の特色を理解することの重要性
in BEPPUは毎年1組のアーティストを別府に招いて開催されるアートプロジェクトである。2018年は国際的な現代アーティストのアニッシュ・カプーア氏を招聘し、10月6日から11月25日の約1ヶ月半、別府公園をメイン会場に作品を展開した。

またこの時期は第33回国民文化祭、第18回全国障害者芸術・文化祭が大分県で開かれており、in BEPPUはその目玉事業としての位置付けとされている。
メイン会場である別府公園に行く前に案内してもらったところがある。プロジェクトスタッフでもある友人に作品を観る前に別府という地域を知って欲しいと案内されたのは、車で約40分ほどのところにある塚原温泉の火口乃泉だった。
一見関連性がないように思えるカプーア氏の作品と火口。しかし陰と陽、表と裏など二極一対を特徴とする彼の作品において、悠然な九州特有の山の景色と、煙を上げ溌剌たる火口の様子は対極でありながらお互いがなくてはならない存在であり、まさに二曲一対の景色なのだと私は感じた。アニッシュ・カプーアin BEPPUは別府という地だからこそ意味のある作品でありプロジェクトなのである。


会場に展開された作品は「Sky Mirror」「Void Pavilion V」「コンセプト・オブ・ハピネス」の3作品。別府で行われる意味を理解しているからこそ選ばれた3作品なのだろうと考える。
先に述べたようにin BEPPUは大分県で行われている国民文化祭、障害者芸術・文化祭の一プロジェクトとして開催されている。日田市の複合文化施設AOSE、旧料理屋「盆地」では大巻伸嗣氏のイントロダクション「SUIKYO」が、大分市の大分県立美術館では「障がい者アートの祭典」が開催されていた。県全体として盛り上げようとする印象を感じた。


in BEPPUを主催しているNPO法人BEPPU PUROJECTが2008年より継��しているKASHIMAは「貸間」から名付けられたアーティスト・イン・レジデンスプログラムである。他にも別府市内で複数のAIRを展開しており、温泉浴場の壁画やビルの壁面、立体駐車場の屋上など街のあらゆる場所にアートが存在する。アートを高尚なものとせず幅広い層に裾野を広げようとする意識が感じられる。



世界的なアーティストを招聘してのアートプロジェクト、またAIRを活用した若手芸術家による地域活性。アートを軸に各々の役割が最大限に発揮されているように思う。別府は非常に面白い街である。
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歴史×観光×アート-芸術祭における持続可能性とは-
道後オンセナート2018は松山市道後温泉街エリアを中心に開催されている芸術祭であり、プレオープンを含めて18か月の会期で行われる。
本稿では2017、2018年と2度参加した当芸術祭について客観的データを交えながらその役割と影響について述べる。


道後温泉改築120周年を記念して開催された道後オンセナート2014では「最古にして最先端」をコンセプトにアートワーク及び周辺の宿泊施設とのアートコラボが話題を呼び、多くの観光客が訪れた。実際に道後温泉における宿泊者の推移を見るとしまなみ海道が開通した1999年から下降の一途を辿っていたものの、2014年には増加している。
1年に1人のアーティストを招聘して開催された15、16年を経て今回の芸術祭は経験値をさらに積み、より洗練されたように私は思えた。「アートにのぼせろ~温泉アートエンターテイメント~」と題し、街なかに設置されたアート作品はもとより、2014年から継続している道後温泉本館を舞台としたインスタレーションや周辺の宿泊施設とのコラボに加え、今年は有名アパレルブランドが手掛けた浴衣など「観光地・道後」の素材を存分に発揮した作品群となっている。
また、注目すべきは持続可能なアートコミュニティを目指し、地元のクリエイター達が中心となって芸術祭を運営している点である。単発イベントの成功ではなく、アートを生かして街を活性し続けることが当初から一貫した目的であることが窺える。


言わずと知れた観光地であっても、野放しにしていればやがて宿泊者は減少する。瀬戸大橋が開通した1988年と先に述べたしまなみ海道が開通した1999年には大幅に観光客は増えているが、これからの時代、ハード面に頼った観光客の増加は望み薄なのではないだろうか。むしろ工夫次第で無限に広がる可能性のあるソフト面を充実させることが一筋の���明のように思う。
道後オンセナートはもともとあった日本有数の観光地という地盤にあえて新しい風を吹かせ、ハード面とソフト面をうまく両立させた芸術祭であると私は考える。
参考文献
『道後温泉における観光客増加に向けての取り組みとその効果』明間奈津紀
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湯の町 道後 隅々案内
タテモノ ノ モケイ「道後温泉本館」
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忘れてはいけない何かを忘れてしまいそうな時、アートはそれを喚び起こしてくれる
瀬尾夏美氏の「空白を訪ねる」は東日本大震災をテーマにした作品である。当事者が優しく語りかけてくるような物語は生き延びた者や亡くなった者、あらゆる感情が一つになってそこにあったように思う。
横浜トリエンナーレ2017は今回で6回目を迎える国際芸術祭である。「島と星座とガラパゴス」というタイトルのもと、横浜美術館を中心に赤レンガ倉庫、開港記念会館にて多数の作品が展示されている。
当芸術祭は毎回テーマが設定されており、副題には『「接続性」と「孤立」から世界のいまをどう考えるか?』と掲げられている。世界的なグローバル化はあらゆる問題となって派生しており、芸術がどう絡めるのか、若しくは非力なものとしてネグレクトされるのか、今後の評価に注視したい。
ちなみに前回2014年開催時のタイトルは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」だったが、テーマ性は今回の方が明確且つテーマに沿った作品が多���ように感じた。(参照記事 テーマに特化したアートイベントとしての芸術祭)


トゥアン・アンドリュー・グエン氏の「The Island」はベトナム戦争後、多くの難民が押し寄せた島を舞台に描かれた映像作品である。
過酷な環境のもとで生活していた難民の当時の実際の映像と、現在の燦たる風景の中で繰り広げられるフィクションが対照となり観るものを惹きつける。インスタレーションというより映画といっても良い完成度であった。
冒頭で述べた、「空白を訪ねる」や美術館前に展示された艾未未氏の救命胴衣と救命ボートを使ったインスタレーション、それからこの「The Island」を通して、私は今世界が抱えている多くの問題について考えさせられ、同時にそれを何の抵抗もなく受け入れることができるアートの強みというものを感じた。


私は東日本大震災後、東北地方には訪れていない。東京にいながら目を逸らしていた。野次馬根性で被災地に行く気にはなれなかったし、かと言ってボランティアをする気にもなれなかった。
自分には何ができるのかを模索しながらも、忙しさを理由に積極的に関わろうとしないことに対する罪悪感は、やがて時が経つにつれて記憶とともに小さくなっていく。
人は忘れることで自分の身を守っている。忘れることで前に進むことができる。しかし人は完全に過去を忘れることができるのだろうか。小さく小さく点となった記憶は頭の中のどこかにひっそりと仕舞われているのではないだろうか。
記憶の片隅に置かれた小さな「それ」をふとした時に思い起こさせてくれるのがアートなのだと思う。
忘れないでほしいと他人に願うことは難しい。ただ、こういったきっかけから記憶を喚び起こし、各々に���発的に何かを植え付けることは可能であると考える。
参考文献
横浜トリエンナーレ2017『島と星座とガラパゴス』青幻舎(2017)
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或る美術館を中心に島の未来を考察する
しまなみ海道のほぼ中央に位置する大三島は瀬戸内海で5番目に大きな島である。サイクリストや観光客で賑わう道の駅、多々羅しまなみ公園の反対に位置する場所にその美術館はひっそりと佇んでいる。 伊東豊雄建築ミュージアムは伊東豊雄氏が塾長を務める伊東塾において、大三島で取り組んでいるプロジェクトを発信しているミュージアムである。プロジェクトは多岐にわたっており、瀬戸内初のワイン作り、観光客や島に住む人が交流できるオーベルジュなど計画の過程が写真や資料とともに展示されている。

このミュージアムの概要をまとめた本を受付で購入し、東京に戻りゆっくり読ませてもらった。その本の中に私の琴線に触れた言葉があったので紹介する。ちなみにミュージアムの受付の方も移住されてきたそうだ。
大三島のために、島の人たちのために、なんて思いながらやってきたけれど、 でもそれは、他者のことで、自分のことになっていないのでは、と。 ならば、人のためだけではなく、自分のためにもやってみる。 自分たちも楽しんで、責任も持って、島の人たちと一緒に、自分たちの小さな旗を立ててみる。(註1)
この、「人のためだけではなく、自分のためにもやってみる」ということは一見簡単なように思えて、実は意識しないと難しいことである。私の経験から述べさせてもらうと、外部から移住してきた者はその土地に馴染もうと必死になってしまうことがある。頑張ってしまうあまりに空回りしてしまい、なかなか馴染めず、当初自分の思い描いていた移住生活の理想像みたいなものからかけ離れてしまい、結局夢を断念する���因となる。 私も高松へ移住した当初は必死に馴染もうとしていた節がある。しかしそれは自分も疲れてしまうし、相手も疲れさせてしまう。ある日私は「馴染もうとする」ことをやめた。それは交流をしないとか自分本位になるとかというものではなく、あくまで移住者として外からの視点を生かしながら自分にできることをしようと考えたのである。そうすることで精神的にも幾分楽になり、充実した移住生活を送れるようになった。


大三島には他にも美術館が点在している。ところミュージアム大三島は現代彫刻のみを蒐集したミュージアムであり、大三島美術館は日本画家を中心に1000点近い作品が展示されている。かつて福武總一郎氏は「経済は文化のしもべである」と語っているが、文化や芸術が成熟しているこの島に人々が集まり、魅力的な地域となって島の経済を活性化しようと試みることは自然の流れであると私は考える。場を中心に地域が変わっていく良い例なのではないだろうか。
参考文献 今治市伊東豊雄建築ミュージアム『新しいライフスタイルを大三島から考える』NPOこれからの建築を考える 伊東建築塾(2017)
註1『新しいライフスタイルを大三島から考える』p024
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「建築」で日本を変える (集英社新書)
これからどうする――未来のつくり方
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地図に舞い戻った島-地域の本質を知るということ-
船からは「まもなくウサギの島、大久野島」のアナウンス。船内には人参やキャベツを袋に詰めた家族やカップルが笑顔で前方の島を眺めていた。 大久野島は大三島盛港から船で15分の国有地と保養地で占められた島である。島に降り立った観光客の期待に応えるように彼らは我々の元に寄ってくる。わざわざ外海からやってきた人間たちの��労を慮ることなく頂いた餌を思い思いに食す。小さな島とは思えないほどの人口+ウサギの密度であった。


島をしばらく歩くと小さな資料館が目に入る。大久野島は戦時中毒ガスを製造しており、その歴史的資料や実際の製造に使用された器具などが展示されていた。 中には毒ガスを受けた人々の写真など目を背けたくなるようなものもあった。私が見学している際に、或る中年の女性が「こんなの見てられない」と大きな声で叫びながら早々と館を後にして出て行ったのが印象的であり、私は何とも言えない虚無感を覚えた。しかしそれは責められることではない。 ウサギの島として大々的にメディアに取り上げられ、この島の歴史を知らないまま来島している人があまりにも多いのだ。裏を返せばウサギの島として有名になったおかげで、島の歴史を知ることになった人も増えたと言える。



豊島の不法投棄然り、高松市大島のハンセン病患者の隔離然り、犬島の煙害然り、なぜこんなにも瀬戸内海の島々に悲惨な過去があったのか(参照記事 芸術祭に照らし出される瀬戸内海島嶼部の陰と芸術の役割について)。そしてなぜ私は今までそういった歴史を知らなかったのだろうか。晴れ晴れとした空、青い海。瀬戸内海の島々に来て素晴らしい景色を眺めているとふとそんな思いに駆られることがある。 地域の本質(歴史)を知るきっかけが豊島は瀬戸芸であり、大久野島はウサギであっただけなのかもしれない。過程はどうであれ、その土地の過去を知る機会があることは良いことであり、無駄にしてはいけないように思う。 なんだかんだと言いながらやはりウサギと戯れるのはとても楽しかった。島の歴史を知るきっかけとしての役目をウサギには担ってもらいたいと考える。島の盛況ぶりを見ると私に言われるまでもないのかもしれないが。

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大久野島からのバトン
地図から消された島―大久野島毒ガス工場
うさぎ島日和 [DVD]
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島全体を囲むアート群
生口島は国内有数の柑橘類の生産地であり、しまなみ海道にある瀬戸田PAのレモンラーメンは特産品を生かした名物として観光客に人気である。また、平山郁夫美術館や国宝である向上寺の三重塔など文化、芸術の面でも歴史のある島である。 1989年に開催されたアートプロジェクト「瀬戸田ビエンナーレ」は1999年まで続き、その後も「島ごと美術館」というプロジェクトとして屋外彫刻作品を中心に島中に展示されている。

現在17の作品が海岸沿いや公共施設、小学校に展示されており香川県の豊島にも作品がある青木野枝氏など著名な彫刻家が参加している。作家らは自ら展示する場所を選び、その場に由来する作品を制作しているという。 決して大規模なプロジェクトではないものの、アーティストと地域が一体となった作品がこういった島にも根付いていることを私は大変嬉しく感じた。



鑑賞方法としては自転車での周遊をお勧めする。しまなみ海道はサイクリストの聖地と呼ばれ、レンタサイクルや自転車に関する施設が充実している。島は1周23kmと回りやすく、��ったりとした時間の中で海と山とアートを眺めながらの遊覧は他の芸術祭とはまた違った風情を味わえるのではないだろうか。
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平山郁夫が描く しまなみ海道五十三次
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芸術祭の継続とクオリティの維持
龍野アートプロジェクト2016とは兵庫県たつの市龍野町を中心とした国際芸術祭である。開催期間は他の芸術祭と比べると比較的短いものの、2011年より毎年開催されており、そのクオリティの維持は特筆すべきものがある。

歴史的価値のある建築群と現代アートの融合が効果的である。積み重ねてきたまちの歴史=時空をテーマにした作品には地域への愛着、誇りを感じるものも多い。 行政主導の芸術祭が多い中、龍野アートプロジェクトは民間が主導で運営しているとのことで企画力に長けたイベントであることが窺える。





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岡山芸術交流にみる芸術祭の次のステージ
岡山芸術交流2016とは岡山市を中心とした国際芸術祭であり、美術館や岡山城、公共施設を利用したインスタレーションが多数展示��ている。

国際的なイベントを意識しており、アーティスティックディレクターに世界で活躍するイギリス出身のリアム・ギリック氏を起用している。また、駅に貼り付けている大々的なポスターは全面英語で書かれており(名前の羅列だが)、テーマが明確である。
個人的には非常に面白い作品が多く、継続した開催を希望している。会場から日本三名園の後楽園も近く、自然と観光へ流れる動線も計算されているように思える。国際イベントと国内の観光名所とのギャップや相乗効果を感じることができた。単に芸術祭を開くだけではなく、芸術祭を入り口としてもともとそこにある地域の魅力に気付かせることが今後の芸術祭にも大事な要素となるのではないだろうか。



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美術手帖 2016年10月号
現代アート10講
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「生涯孤島但し安心立命」大島のガイドボランティアを経て思うこと

瀬戸内国際芸術祭で島々が賑わう秋。私は10月に3日間ほど大島でガイドボランティアをさせてもらった。ボランティアサポーターはこえび隊と呼ばれる年齢も職業も様々な一般の人々によって成り立っており、会期前の作品作りの手伝いから会期中の作品鑑賞の受付���会期後の作品の撤去など芸術祭において幅広い分野で活躍している。むしろこえび隊がいなかったら芸術祭は運営できないのではないだろうかというほどである。 私も高松へ移住している期間中何度かこえび隊に登録しボランティアをさせてもらった。中でもこの大島は私の思い入れのある島で、ここでガイドができる喜びはひとしおであった。
初めて大島に訪れたのは2013年であった。芸術祭に浮かれる私は各島々のインスタレーションを鑑賞しては「作品」のみを観て地域を知った気になっていた。しかし、大島の歴史をガイドから聞き、その歴史に呼応するようなインスタレーションを鑑賞した時、芸術祭に対する私の考えは甘かったのだと衝撃を受けた。(参照記事 芸術祭に照らし出される瀬戸内海島嶼部の陰と芸術の役割について) 以降、私はこの大島のために何かできることはないかと模索していた。ガイドボランティアとしてこの島を少しでも多くの人に伝えることができたことを大変嬉しく思う。 現在全国で芸術祭が開催されているが、必ずと言っていいほどボランティア団体が存在している。鑑賞者としての視点だけでなくボランティア目線から芸術祭を考えてみるとまた新たな発見があるかもしれない。


私はこの優しさに包まれた島が大好きである。大島は芸術祭の見方を変えるきっかけとなった場所であり、アートだけではない地域としてのあり方を考えさせられるきっかけとなった。私が地域芸術祭や地域活性の取り組みを評価する上での基本的な哲学のようなものがここにあるように思える。

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東京大学×和歌山・加太の取り組みにみるクラウドファンディングの可能性
クラウドファンディングを利用したまちづくりは全国的に珍しいものではなくなってきており、資金調達以外に宣伝などの面でも効果がある。 私が参加したCFの一つに東京大学大学院生による和歌山県加太のまちづくりプロジェクトがある。加太に魅力を感じた学生たちが、海水���の時期を過ぎると人が少なくなってしまうこの地域を盛り上げようと海辺に風灯りを並べてこの地域の魅力を知ってもらいたいというものである。


都市部以外の地域は人口減少による過疎化は避けられない課題であり、自治体によってその対応方法は様々であり、注視していく必要がある。 今回のプロジェクトは地元以外の人間と地元の住民がうまく融合しているように思える。もともと地域にはポテンシャルがありそれをどう引き出すかという場合に「外部の人間」がキーマンになるのではないだろうか。 海辺に並んだ風灯りは子供達と一緒に作ったものだそうで、夜の海に灯る幻想的な風景を映し出していた。子供達が地元に誇りを持つということは地域にとってはとても重要な要素であり、継続性のある取り組みが必要だと感じた。 クラウドファンディングは外部の人間を取り込みやすい宣伝方法である。そのメリット・デメリットをよく検討し、うまく活用すれば地域活性に有効な手段となり得るはずである。


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ぼくらがクラウドファンディングを使う理由 12プロジェクトの舞台裏
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-アートが先か、意識が先か-伊吹島と黄金町のケースから芸術祭を読み取る
観音寺港から船で25分。伊吹島といえばいりこである。港に着いてすぐの商店ではいりこ関連の商品が多数売られていた。芸術祭で賑わう島。地元住民による島や作品のガイドも行われており、活気づいている印象を受けた。 島で日常的に使われていた浮きや網を使った作品、建築作品としての公衆トイレなど独特な作品が多く非常に有意義な時間を過ごした。地元の特産を生かした伊吹島産カタクチイワシを使ったアンチョビカレーは旨し。の一言。



芸術祭及びアートプロジェクトの成り立ちには様々な背景や過程があり、何を持って成功、失敗とするのか一概に述べることはできない。地域活性という点に注視して黄金町バザールを例に挙げ比較してみる。 横浜の黄金町はもともとは売買春等違法な店舗が乱立していた地区をアートの力を借りてイメージの転換に成功した例であるが、この場合「アート」を住民たちが能動的に活用しているという特徴がある。(参照記事 アートによる再生を目指したまち) 一方、国際芸術祭という大きなイベントが望む望まないとに関わらずわが町に設置された小さな島々は「アート」に対して受動的な印象を受ける。こういったケースの場合、一番気をつけなければならないのは、外部の者及びごく一部の地元民だけでプロジェクトを進めるべきではないということである。行き過ぎたボランティア活動には私は反対の立場なのだが、背伸びしすぎない、無理のない活動は芸術祭を裾野へ広げる有効な手段だと言える。 そういった意味において、下の写真のような島の住民が芸術祭に触発されてアートに積極的に触れるということは裾野が広がっているだけでなく、芸術祭が地域に受け入れられているという証なのではないだろうか。

私が伊吹島へ行くため駅から港へ歩いていると、瀬戸芸のTシャツを着た初老の男性に声をかけられ、「ここから港まではちょっと遠いから車に乗って行きな」と言われ送ってもらった思い出は忘れられない。十分この地域には芸術祭が浸透しているようである。


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島に溶け込むアートプロジェクト
須田港行きのバスを降りるとそこはまるで異世界にたどり着いたかのような静けさに包まれていた。明らかに時間の流れの速さが都市部とは違っていた。


港から船で15分の粟島へ。私はある作品に心惹かれこの島にやってきた。 漂流郵便局とは香川県三豊市粟島に設置されているアートプロジェクトである。 届け先のわからない手紙の辿り着く場所。過去様々な漂着物が流れ着いた島ならではのアート作品だと感じた。 一枚の手紙をじっくり読む者、数枚の手紙に目を通しながら流し読みする者、様々な想いがこの郵便局に溢れていた。

決してアクセスの良い場所とは言えないが、むしろその事がこういったアートプロジェクトの価値を高めているのではないだろうか。時間の流れは島を出て最寄り駅に着くまでゆっくりと進み続けていた。


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漂流郵便局: 届け先のわからない手紙、預かります
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変容する街の役割におけるシビックプライドとしての芸術祭について
TOKYO ART FLOW 00とは二子玉川駅周辺を舞台にした都市型芸術祭である。 本稿では私の体験を通して、変わりゆく街の機能や役割に対応するための手段としての芸術祭について述べる。

1 TOKYO ART FLOW 00とは 1-1 概要 2016年7月29日から31日までの3日間で開催されたTOKYO ART FLOW 00は二子玉川駅周辺を拠点とした都市型芸術祭である。開発が進む都市と近くに流れる多摩川の河川敷を利用した展示を組み合わせ、都市と自然の街を意識したイベントとなっている。主催は世田谷区の他に民間企業が主体となっている。
1-2 特徴 テストプロジェクトという兼ね合いもあり、3日間という短期間での開催であった。しかしながら夜景プロジェクトや星空鑑賞など夜間にまで及ぶイベントも見受けられ、プロジェクトの充実を感じた。 作品展示だけでなく、ライブやワークショップ等の参加型イベントが比較的多いように感じた。
2 観察 灯篭を灯しながら河川敷を歩いたり、著名人によるキャンプでのワークショップなどが充実しており、参加型のイベントが多いように感じた。河川敷の作品に関しては、近場でキャンプや水遊びをする人々に混じって芸術祭を楽しむ人々がおり、非常ににぎわっている印象を受けた。 駅から少し歩けば芸術祭のテーマカラーであるマゼンタを基調とした店舗や案内標識などがあり統一感を感じることができた。案内標識の統一は芸術祭において重要なものとなる。主要会場から少し離れた場所への移動もマゼンタの標識があれば安心して移動することができる。 私が参加した提灯行列は参加者がLEDに照らされた提灯を持って列となって河川敷を歩くもので、その行列自体がアートとなり自身がアートの一部となっている感覚になった。 一点気になったのは今回の芸術祭において多摩川流域全体を対象としたプロジェクトが進行しているようだが、多摩川全体を巻き込んだプロジェクトがどういうものなのか見当がつかないところであり、さらに下流に住む私にとって同じイベントを共有しているという意識は全く感じられない。今後の動向を見守っていきたいと思う。



3 評価 二子玉川は元々人口の多い土地でありイベント参加のためにこの地へ来た人がどの程度であるか分かりづらいところではあるが、身の回りで非日常的な取り組みが行われているということは住民や働く人々にとって一種の象徴となるのではないだろうか。それが単なる話しのネタとなるのか地域住民の誇りとなるかは今後の継続次第であると考える。 この度の芸術祭に参加して感じたことは、芸術祭の役割は非常に多岐に渡るということである。以前レポートした神戸ビエンナーレは都市のブランド力をアートによってさらに昇華させるものであった。今回のTOKYO ART FLOW 00はさらに地域を限定し、その目的も「誇り」というものに絞ったものであるように感じた。目的を絞れば手段も講じやすい。地元民がどれだけ参加するかということが重要なのではないだろうか。 二子玉川はここ数年で急激に発展したように思う。さらに大企業がこの地へ進出し、街の役割は「住む街」から「住む者と働く者が共存する街」へと役割を変えた。街を利用する人々のカテゴリが変わっていく中で、当該の街はどうすればまとまることができるのか。その答えの一つが今回の芸術祭であったように思う。 シビックプライド。街の誇りというのは住む人にも働く人にも影響するものではないだろうか。今後も注目し、できるだけ参加していきたい芸術祭である。 個人的には「邪悪なハンコ屋 しにものぐるい」を数年前から知っていただけにこういったイベントで遭遇できたことに非常に感動を覚えた次第である。

参考文献 東京都『東京文化ビジョン』 大森正夫『神戸ビエ ンナーレの理念と実践 地域性に基づいたアートプロジェクトの計画と意義』
この記事は2016年の記事を加筆・修正したものです。テキスト、イメージの無断転載を禁じます。
パブリックアートの展開と到達点:アートの公共性・地域文化の再生・芸術文化の未来 (文化とまちづくり叢書)
シビックプライド―都市のコミュニケーションをデザインする (宣伝会議Business Books)
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地域産業をアーカイブ化することの重要性
モザイクタイルミュージアムとは2016年に開館した多治見市の美術館である。多治見はモザイクタイル発祥の地であり、またその生産量も全国一である。近年では見かける機会は減少しているが、地域産業を作品としてアーカイブ化することでタイルの魅力を再発見し、後世への継承、新しい活用方法などを模索していくものと思われる。


市内にはセラミックパークMINO、岐阜県現代陶芸美術館、岐阜県陶磁資料館、市之倉さかづき美術館と多くの陶磁器に関する文化施設がある。また、たじみ陶器まつりといったイベントを毎年開催しており多くのやきものファンで賑わっている。 私もイベントの際に市之倉を中心に廻ったことがあるが、窯元で直接作品を購入できたり、その窯元の作家さんと直接話ができたりと普段味わうことのできない経験をさせてもらった。



伝統や産業は衰退していくものである。その衰退の過程の中で時代の流れに対応していくのか、もしくはあえて対応しないのかによって大きく後来が決まると考える。対象物をアーカイブ化することによって当事者以外にも目に見える「カタチ」となり、どんな歴史を経てきたのか、課題や問題は何なのか、解決策はあるのかといった認識を共有することができるのではないだろうか。

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地域産業の活性化戦略―イノベーター集積の経済性を求めて
うつわの里を訪ねる 美濃・多治見・土岐 (エイムック 2000)
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アーティストと島民の輪に加わる鑑賞者
沙弥島はかつては島であったが埋め立てにより陸続きとなった香川県坂出市の町である。近くに瀬戸大橋を望むロケーションは圧巻の一言。縄文時代の製塩文化跡や土器・石器の出土、万葉集の歌人、柿本人麿の碑や東山魁夷美術館等があり歴史的・文化的にも重要な地域である。瀬戸内国際芸術祭には2013年より参加している。


陸続きというアクセスの良さもあり芸術祭の参加は春のみながら、その春会期は小豆島に次ぐ2番目の来場者数となった。 海岸に設置された作品「そらあみ」はカラフルな魚網で作成された作品で作家と島民の共同作品によるものである。この作品の特徴としては住民参加型に留まらず、そらあみツアーというワークショップを開き、島を訪れた人々も作品制作に関われるという点にある。島民がツアー参加者へ作品の作り方を教えながら交流を図っている。



作家と地元民の関係性はもとより、外部からの鑑賞者も加わることで芸術祭への認知度や親しみが広がっていくものと考える。アーティストと地元民の輪の中にさらに鑑賞者が加わることで芸術祭の新しいかたちが見えてくるのではないだろうか。


参考文献 瀬戸内国際芸術祭2016 総括報告
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近代産業遺産と現代アートの融合-アートで遺構を保存する-
高松港から片道約2時間。犬島は瀬戸内海に浮かぶ岡山市の島である。犬島精錬美術館は直島の地中美術館、豊島の豊島美術館とともにベネッセアートサイト直島が運営しており2008年に開館した。 近代産業遺産である精錬所を保存しながらも現代アートと融合させることで過去の歴史背景を学びながら未来的なオブジェクトの鑑賞を楽しむことができる。


島へ着いた際には静かな海と相まって異国の遺産跡に来たかのような印象を受けた。犬島は戦争と産業革命に振り回された島である。精錬所より排出される煙害など他の瀬戸内海の島々と同様にあまり語られることのない陰の歴史があった。 犬島精錬美術館は三分一博志氏の建築と柳幸典氏のアート作品による協働プロジェクトである。地熱や太陽光などの自然エネルギーを活用し、精錬所の煙突を空調のような機能として使用することで、廃墟を再び蘇らせたのである。


かつて精錬所の跡地には廃棄物処理場の建設が予定されていたと聞く。美術館開館までの福武氏や柳氏他関係者の苦労は計り知れないものがあっただろう。 我々はアートから何を学ぶべきか。芸術を通してこの国のたどってきた歴史やそれに翻弄されたきた人々がいたことを知ることが重要なのではないだろうか。「現代アートはよく分からない」という話を聞くが、作品についての解説を1ページだけでも読めば見方は180度変わってくるものである。 我々鑑賞者の学ぶ態度にも変化が必要なのではないだろうか。

参考文献 柳幸典『犬島ノート』(2010)
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犬島「家プロジェクト」
Yanagi Yukinori Inujima Note / 柳 幸典 犬島ノート
産業遺産JAPAN
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定期航路のない島「小豊島」へ特別航行
小豊島(おでしま)は瀬戸内海に浮かぶ香川県小豆郡の小さな島である。高松港から片道1時間半、定期航路はないため観光目的での上陸は綿密な計画が必要である。ブランド牛である小豆島オリーブ牛の畜産が盛んである。


島に詳しい人の話によると人口10人前後に対し、オリーブ牛約500頭を飼育しているとのこと。島にある船も牛を載せるためのものであり、「安全第一」の標識とともに牛の絵が船に描かれているのが印象的であった。


試行錯誤の末の特産を生かしたブランド牛。これも一つの地域活性の手段の一つではないだろうか。



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