#しかし成長世界と裏腹の姿が哀れ
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成長の早すぎるタケノコの功罪
おいしかった~、2年ぶりのタケノコご飯いただきました、子供の頃あれほど嫌いだったタケノコや春の野草のえぐみが人生の苦みを経験してこれほど素晴らしい食べ物のエッセンスに感じられるようになるとは、です、アハハ。今年のタケノコは小さかったので何回にも分けて食べるほど量がなかったので、あまり沢山御飯が作れなかったので、残りはおにぎりにしてまたおやつにいただきたいと思います。殺伐とした世の中をTVを横目に見ていて、そう言えば昔竹藪の中に捨てられていた1億円を拾った人がいたことを思い出し、昔から日本では竹藪の物語が沢山あったことを思い出しました、「舌切り雀」のオハナシは皆さん幼稚園のころ聞かされて知っていますが、今TVを見ていてもまるで幼稚園から帰った4,5歳の子供を対象に事件のことを説明するようなワイドショーを見ながら<日本中幼稚園になったみたいだ>と、もしかして世の中が混迷すると人は次第に幼児(子供)返りに陥るのか、そんな21世紀はそういえばアメリカでもバイデン氏が「私の相手は6歳児だ」とその一方バイデン氏自身は歩きながら躓いて慌ててスタッフが介助したというニュース。アメリカも日本もどう見てもまともな国に想えない昨今、殺人事件の犯人の一人はTVの大河ドラマにも出ていた若者だったと、日常がどこにも境目が分からない今の社会、タケノコも一年で数メートルは成長するがどこからが子供で何時からオトナになるのかそれさえ定かではない人間界もどこか成長する仕方が歪になりそういう人々が構成する社会の姿は何かを身に着けられないまま成人として扱われることの過酷さをTVそのものが演じているように思えて仕方ないこの頃ではあります、ハハ。
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11180143
愛読者が、死んだ。
いや、本当に死んだのかどうかは分からない。が、死んだ、と思うしか、ないのだろう。
そもそも私が小説で脚光を浴びたきっかけは、ある男のルポルタージュを書いたからだった。数多の取材を全て断っていた彼は、なぜか私にだけは心を開いて、全てを話してくれた。だからこそ書けた、そして注目された。
彼は、モラルの欠落した人間だった。善と悪を、その概念から全て捨て去ってしまっていた。人が良いと思うことも、不快に思うことも、彼は理解が出来ず、ただ彼の中のルールを元に生きている、パーソナリティ障害の一種だろうと私は初めて彼に会った時に直感した。
彼は、胸に大きな穴を抱えて、生きていた。無論、それは本当に穴が空いていたわけではないが、彼にとっては本当に穴が空いていて、穴の向こうから人が行き交う景色が見え、空虚、虚無を抱いて生きていた。不思議だ。幻覚、にしては突拍子が無さすぎる。幼い頃にスコンと空いたその穴は成長するごとに広がっていき、穴を埋める為、彼は試行し、画策した。
私が初めて彼に会ったのは、まだ裁判が始まる前のことだった。弁護士すらも遠ざけている、という彼に、私はただ、簡単な挨拶と自己紹介と、そして、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書き添えて、名刺と共に送付した。
その頃の私は書き殴った小説未満をコンテストに送り付けては、音沙汰のない携帯を握り締め、虚無感溢れる日々をなんとか食い繋いでいた。いわゆる底辺、だ。夢もなく、希望もなく、ただ、人並みの能がこれしかない、と、藁よりも脆い小説に、私は縋っていた。
そんな追い込まれた状況で手を伸ばした先が、極刑は免れないだろう男だったのは、今考えてもなぜなのか、よくわからない。ただ、他の囚人に興味があったわけでもなく、ルポルタージュが書きたかったわけでもなく、ただ、話したい。そう思った。
夏の暑い日のことだった。私の家に届いた茶封筒の中には白無地の紙が一枚入っており、筆圧の無い薄い鉛筆の字で「8月24日に、お待ちしています。」と、ただ一文だけが書き記されていた。
こちらから申し込むのに囚人側から日付を指定してくるなんて、風変わりな男だ。と、私は概要程度しか知らない彼の事件について、一通り知っておこうとパソコンを開いた。
『事件の被疑者、高山一途の家は貧しく、母親は風俗で日銭を稼ぎ、父親は勤めていた会社でトラブルを起こしクビになってからずっと、家で酒を飲んでは暴れる日々だった。怒鳴り声、金切声、過去に高山一家の近所に住んでいた住人は、幾度となく喧嘩の声を聞いていたという。高山は友人のない青春時代を送り、高校を卒業し就職した会社でも活躍することは出来ず、社会から孤立しその精神を捻じ曲げていった。高山は己の不出来を己以外の全てのせいだと責任転嫁し、世間を憎み、全てを恨み、そして凶行に至った。
被害者Aは20xx年8月24日午後11時過ぎ、高山の自宅において後頭部をバールで殴打され殺害。その後、高山により身体をバラバラに解体された後ミンチ状に叩き潰された。発見された段階では、人間だったものとは到底思えず修復不可能なほどだったという。
きっかけは近隣住民からの異臭がするという通報だった。高山は殺害から2週間後、Aさんだった腐肉と室内で戯れている所を発見、逮捕に至る。現場はひどい有り様で、近隣住民の中には体調を崩し救急搬送される者もいた。身体に、腐肉とそこから滲み出る汁を塗りたくっていた高山は抵抗することもなく素直に同行し、Aさん殺害及び死体損壊等の罪を認めた。初公判は※月※日予定。』
いくつも情報を拾っていく中で、私は唐突に、彼の名前の意味について気が付き、二の腕にぞわりと鳥肌が立った。
一途。イット。それ。
あぁ、彼は、ずっと忌み嫌われ、居場所もなくただ産み落とされたという理由で必死に生きてきたんだと、何も知らない私ですら胸が締め付けられる思いがした。私は頭に入れた情報から憶測を全て消し、残った彼の人生のカケラを持って、刑務所へと赴いた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「失礼します。」
「どうぞ。」
手錠と腰縄を付けて出てきた青年は、私と大して歳の変わらない、人畜無害、悪く言えば何の印象にも残らない、黒髪と、黒曜石のような真っ黒な瞳の持ち主だった。奥深い、どこまでも底のない瞳をつい値踏みするように見てしまって、慌てて促されるままパイプ椅子へと腰掛けた。彼は開口一番、私の書いている小説のことを聞いた。
「何か一つ、話してくれませんか。」
「え、あ、はい、どんな話がお好きですか。」
「貴方が一番好きな話を。」
「分かりました。では、...世界から言葉が消えたなら。」
私の一番気に入っている話、それは、10万字話すと死んでしまう奇病にかかった、愛し合う二人の話。彼は朗読などしたこともない、世に出てすらいない私の拙い小説を、目を細めて静かに聞いていた。最後まで一度も口を挟むことなく聞いているから、読み上げる私も自然と���が入ってしまう。読み終え、余韻と共に顔を上げると、彼はほろほろ、と、目から雫を溢していた。人が泣く姿を、こんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「だ、大丈夫ですか、」
「えぇ。ありがとうございます。」
「あの、すみません、どうして私と、会っていただけることになったんでしょうか。」
ふるふる、と犬のように首を振った彼はにこり、と機械的にはにかんで、机に手を置き私を見つめた。かしゃり、と決して軽くない鉄の音が、無機質な部屋に響く。
「僕に大してアクションを起こしてくる人達は皆、同情や好奇心、粗探しと金儲けの匂いがしました。送られてくる手紙は全て下手に出ているようで、僕を品定めするように舐め回してくる文章ばかり。」
「...それは、お察しします。」
「でも、貴方の手紙には、「理解しない人間に理解させるため、言葉を紡ぎませんか。」と書かれていた。面白いな、って思いませんか。」
「何故?」
「だって、貴方、「理解させる」って、僕と同じ目線に立って、物を言ってるでしょう。」
「.........意識、していませんでした。私はただ、憶測が嫌いで、貴方のことを理解したいと、そう思っただけです。」
「また、来てくれますか。」
「勿論。貴方のことを、少しずつでいいので、教えてくれますか。」
「一つ、条件があります。」
「何でしょう。」
「もし本にするなら、僕の言葉じゃなく、貴方の言葉で書いて欲しい。」
そして私は、彼の元へ通うことになった。話を聞けば聞くほど、彼の気持ちが痛いほど分かって、いや、分かっていたのかどうかは分からない。共鳴していただけかもしれない、同情心もあったかもしれない、でも私はただただあくる日も、そのあくる日も、私の言葉で彼を表し続けた。私の記した言葉を聞いて、楽しそうに微笑む彼は、私の言葉を最後まで一度も訂正しなかった。
「貴方はどう思う?僕の、したことについて。」
「...私なら、諦めてしまって、きっと得物を手に取って終わってしまうと思います。最後の最後まで、私が満たされることよりも、世間を気にしてしまう。不幸だと己を憐れんで、見えている答えからは目を背けて、後悔し続けて死ぬことは、きっと貴方の目から見れば不思議に映る、と思います。」
「理性的だけど、道徳的な答えではないね。普通はきっと、「己を満たす為に人を殺すのは躊躇う」って、そう答えるんじゃないかな。」
「でも、乾き続ける己のままで生きることは耐え難い苦痛だった時、己を満たす選択をしたことを、誰が責められるんでしょうか。」
「...貴方に、もう少し早く、出逢いたかった。」
ぽつり、零された言葉と、アクリル板越しに翳された掌。温度が重なることはない。触れ合って、痛みを分かち合うこともない。来園者の真似をする猿のように、彼の手に私の手を合わせて、ただ、じっとその目を見つめた。相変わらず何の感情もない目は、いつもより少しだけ暖かいような、そんな気がした。
彼も、私も、孤独だったのだと、その時初めて気が付いた。世間から隔離され、もしくは自ら距離を置き、人間が信じられず、理解不能な数億もの生き物に囲まれて秩序を保ちながら日々歩かされることに抗えず、翻弄され。きっと彼の胸に空いていた穴は、彼が被害者を殺害し、埋めようと必死に肉塊を塗りたくっていた穴は、彼以外の人間が、もしくは彼が、無意識のうちに彼から抉り取っていった、彼そのものだったのだろう。理解した瞬間止まらなくなった涙を、彼は拭えない。そうだった、最初に私の話で涙した彼の頬を撫でることだって、私には出来なかった。私と彼は、分かり合えたはずなのに、分かり合えない。私の言葉で作り上げた彼は、世間が言う狂人でも可哀想な子でもない、ただ一人の、人間だった。
その数日後、彼が獄中で首を吊ったという報道が流れた時、何となく、そうなるような気がしていて、それでも私は、彼が味わったような、胸に穴が開くような喪失感を抱いた。彼はただ、理解されたかっただけだ。理解のない人間の言葉が、行動が、彼の歩く道を少しずつ曲げていった。
私は書き溜めていた彼の全てを、一冊の本にした。本のタイトルは、「今日も、皮肉なほど空は青い。」。逮捕された彼が手錠をかけられた時、部屋のカーテンの隙間から空が見えた、と言っていた。ぴっちり閉じていたはずなのに、その時だけひらりと翻った暗赤色のカーテンの間から顔を覗かせた青は、目に刺さって痛いほど、青かった、と。
出版社は皆、猟奇的殺人犯のノンフィクションを出版したい、と食い付いた。帯に著名人の寒気がする言葉も書かれた。私の名前も大々的に張り出され、重版が決定し、至る所で賛否両論が巻き起こった。被害者の遺族は怒りを露わにし、会見で私と、彼に対しての呪詛をぶちまけた。
インタビュー、取材、関わってくる人間の全てを私は拒否して、来る日も来る日も、読者から届く手紙、メール、SNS上に散乱する、本の感想を読み漁り続けた。
そこに、私の望むものは何もなかった。
『あなたは犯罪者に対して同情を誘いたいんですか?』
私がいつ、どこに、彼を可哀想だと記したのだろう。
『犯罪者を擁護したいのですか?理解出来ません。彼は人を殺したんですよ。』
彼は許されるべきだとも、悪くない、とも私は書いていない。彼は素直に逮捕され、正式な処罰ではないが、命をもって罪へ対応した。これ以上、何をしろ、と言うのだろう。彼が跪き頭を地面に擦り付け、涙ながらに謝罪する所を見たかったのだろうか。
『とても面白かったです。狂人の世界が何となく理解出来ました。』
何をどう理解したら、この感想が���かぶのだろう。そもそもこの人は、私の本を読んだのだろうか。
『作者はもしかしたら接していくうちに、高山を愛してしまったのではないか?贔屓目の文章は公平ではなく気持ちが悪い。』
『全てを人のせいにして自分が悪くないと喚く子供に殺された方が哀れでならない。』
『結局人殺しの自己正当化本。それに手を貸した筆者も同罪。裁かれろ。』
『ただただ不快。皆寂しかったり、一人になる瞬間はある。自分だけが苦しい、と言わんばかりの態度に腹が立つ。』
『いくら貰えるんだろうなぁ筆者。羨ましいぜ、人殺しのキチガイの本書いて金貰えるなんて。』
私は、とても愚かだったのだと気付かされた。
皆に理解させよう、などと宣って、彼を、私の言葉で形作ったこと。裏を返せば、その行為は、言葉を尽くせば理解される、と、人間に期待をしていたに他ならない。
私は、彼によって得たわずかな幸福よりも、その後に押し寄せてくる大きな悲しみ、不幸がどうしようもなく耐え難く、心底、己が哀れだった。
胸に穴が空いている、と言う幻覚を見続けた彼は、穴が塞がりそうになるたび、そしてまた無機質な空虚に戻るたび、こんな痛みを感じていたのだろうか。
私は毎日、感想を読み続けた。貰った手紙は、読んだものから燃やしていった。他者に理解される、ということが、どれほど難しいのかを、思い知った。言葉を紡ぐことが怖くなり、彼を理解した私ですら、疑わしく、かといって己と論争するほどの気力はなく、ただ、この世に私以外の、彼の理解者は現れず、唯一の彼の理解者はここにいても、もう彼の話に相槌を打つことは叶わず、陰鬱とする思考の暗闇の中を、堂々巡りしていた。
思考を持つ植物になりたい、と、ずっと思っていた。人間は考える葦である、という言葉が皮肉に聞こえるほど、私はただ、一人で、誰の脳にも引っ掛からず、狭間を生きていた。
孤独、などという言葉で表すのは烏滸がましいほど、私、彼が抱えるソレは哀しく、決して治らない不治の病のようなものだった。私は彼であり、彼は私だった。同じ境遇、というわけではない。赤の他人。彼には守るべき己の秩序があり、私にはそんな誇り高いものすらなく、能動的、怠惰に流されて生きていた。
彼は、目の前にいた人間の頭にバールを振り下ろす瞬間も、身体をミンチにする工程も、全て正気だった。ただ心の中に一つだけ、それをしなければ、生きているのが恐ろしい、今しなければずっと後悔し続ける、胸を掻きむしり大声を上げて暴れたくなるような焦燥感、漠然とした不安感、それらをごちゃ混ぜにした感情、抗えない欲求のようなものが湧き上がってきた、と話していた。上手く呼吸が出来なくなる感覚、と言われて、思わず己の胸を抑えた記憶が懐かしい。
出版から3ヶ月、私は感想を読むのをやめた。人間がもっと憎らしく、恐ろしく、嫌いになった。彼が褒めてくれた、利己的な幸せの話を追い求めよう。そう決めた。私の秩序は、小説を書き続けること。嗚呼と叫ぶ声を、流れた血を、光のない部屋を、全てを飲み込む黒を文字に乗せて、上手く呼吸すること。
出版社は、どこも私の名前を見た瞬間、原稿を送り返し、もしくは廃棄した。『君も人殺したんでしょ?なんだか噂で聞いたよ。』『よくうちで本出せると思ったね、君、自分がしたこと忘れたの?』『無理ですね。会社潰したくないので。』『女ならまだ赤裸々なセックスエッセイでも書かせてやれるけど、男じゃ使えないよ、いらない。』数多の断り文句は見事に各社で違うもので、私は感嘆すると共に、人間がまた嫌いになった。彼が乗せてくれたから、私の言葉が輝いていたのだと痛感した。きっとあの本は、ノンフィクション、ルポルタージュじゃなくても、きっと人の心に突き刺さったはずだと、そう思わずにはいられなかった。
以前に働いていた会社は、ルポの出版の直前に辞表を出した。私がいなくても、普段通り世界は回る。著者の実物を狂ったように探し回っていた人間も、見つからないと分かるや否や他の叩く対象を見つけ、そちらで楽しんでいるようだった。私の書いた彼の本は、悪趣味な三流ルポ、と呼ばれた。貯金は底を尽きた。手当たり次第応募して見つけた仕事で、小銭を稼いだ。家賃と、食事に使えばもう残りは硬貨しか残らない、そんな生活になった。元より、彼の本によって得た利益は、全て燃やしてしまっていた。それが、正しい末路だと思ったからだったが、何故と言われれば説明は出来ない。ただ燃えて、真っ赤になった札が灰白色に色褪せ、風に脆く崩れていく姿を見て、幸せそうだと、そう思った。
名前を伏せ、webサイトで小説を投稿し始めた。アクセス数も、いいね!も、どうでも良かった。私はただ秩序を保つために書き、顎を上げて、夜店の金魚のように、浅い水槽の中で居場所なく肩を縮めながら、ただ、遥か遠くにある空を眺めては、届くはずもない鰭を伸ばした。
ある日、web上のダイレクトメールに一件のメッセージが入った。非難か、批評か、スパムか。開いた画面には文字がつらつらと記されていた。
『貴方の本を、販売当時に読みました。明記はされていませんが、某殺人事件のルポを書かれていた方ですか?文体が、似ていたのでもし勘違いであれば、すみません。』
断言するように言い当てられたのは初めてだったが、画面をスクロールする指はもう今更震えない。
『最新作、読みました。とても...哀しい話でした。ゾンビ、なんてコミカルなテーマなのに、貴方はコメをトラにしてしまう才能があるんでしょう��。悲劇。ただ、二人が次の世界で、二人の望む幸せを得られることを祈りたくなる、そんな話でした。過去作も、全て読みました。目を覆いたくなるリアルな描写も、抽象的なのに五感のどこかに優しく触れるような比喩も、とても素敵です。これからも、書いてください。』
コメとトラ。私が太宰の「人間失格」を好きな事は当然知らないだろうに、不思議と親近感が湧いた。単純だ。と少し笑ってから、私はその奇特な人間に一言、返信した。
『私のルポルタージュを読んで、どう思われましたか。』
無名の人間、それも、ファンタジーやラブコメがランキング上位を占めるwebにおいて、埋もれに埋もれていた私を見つけた人。だからこそ聞きたかった。例えどんな答えが返ってきても構わなかった。もう、罵詈雑言には慣れていた。
数日後、通知音に誘われて開いたDMには、前回よりも短い感想が送られてきていた。
『人を殺めた事実を別にすれば、私は少しだけ、彼の気持ちを理解出来る気がしました。。彼の抱いていた底なしの虚無感が見せた胸の穴も、それを埋めようと無意識のうちに焦がれていたものがやっと現れた時の衝動。共感は微塵も出来ないが、全く理解が出来ない化け物でも狂人でもない、赤色を見て赤色だと思う一人の人間だと思いました。』
何度も読み返していると、もう1通、メッセージが来た。惜しみながらも画面をスクロールする。
『もう一度読み直して、感想を考えました。外野からどうこう言えるほど、彼を軽んじることが出来ませんでした。良い悪いは、彼の起こした行動に対してであれば悪で、それを彼は自死という形で償った。彼の思考について善悪を語れるのは、本人だけ。』
私は、画面の向こうに現れた人間に、頭を下げた。見えるはずもない。自己満足だ。そう知りながらも、下げずにはいられなかった。彼を、私を、理解してくれてありがとう。それが、私が愛読者と出会った瞬間だった。
愛読者は、どうやら私の作風をいたく気に入ったらしかった。あれやこれや、私の言葉で色んな世界を見てみたい、と強請った。その様子はどこか彼にも似ている気がして、私は愛読者の望むまま、数多の世界を創造した。いっそう創作は捗った。愛読者以外の人間は、ろくに寄り付かずたまに冷やかす輩が現れる程度で、私の言葉は、世間には刺さらない。
まるで神にでもなった気分だった。初めて小説を書いた時、私の指先一つで、人が自由に動き、話し、歩き、生きて、死ぬ。理想の愛を作り上げることも、到底現実世界では幸せになれない人を幸せにすることも、なんでも出来た。幸福のシロップが私の脳のタンパク質にじゅわじゅわと染みていって、甘ったるいスポンジになって、溢れ出すのは快楽物質。
そう、私は神になった。上から下界を見下ろし、手に持った無数の糸を引いて切って繋いでダンス。鼻歌まじりに踊るはワルツ。喜悲劇とも呼べるその一人芝居を、私はただ、演じた。
世の偉いベストセラー作家も、私の敬愛する文豪も、ポエムを垂れ流す病んだSNSの住人も、暗闇の中で自慰じみた創作をして死んでいく私も、きっと書く理由なんて、ただ楽しくて気持ちいいから。それに尽きるような気がする。
愛読者は私の思考をよく理解し、ただモラルのない行為にはノーを突きつけ、感想を欠かさずくれた。楽しかった。アクリルの向こうで私の話を聞いていた彼は、感想を口にすることはなかった。核心を突き、時に厳しい指摘をし、それでも全ての登場人物に対して寄り添い、「理解」してくれた。行動の理由を、言動の意味を、目線の行く先を、彼らの見る世界を。
一人で歩いていた暗い世界に、ぽつり、ぽつりと街灯が灯っていく、そんな感覚。じわりじわり暖かくなる肌触りのいい空気が私を包んで、私は初めて、人と共有することの幸せを味わった。不変を自分以外に見出し、脳内を共鳴させることの価値を知った。
幸せは麻薬だ、とかの人が説く。0の状態から1の幸せを得た人間は、気付いた頃にはその1を見失う。10の幸せがないと、幸せを感じなくなる。人間は1の幸せを持っていても、0の時よりも、不幸に感じる。幸福感という魔物に侵され支配されてしまった哀れな脳が見せる、もっと大きな、訪れるはずと信じて疑わない幻影の幸せ。
私はさしずめ、来るはずのプレゼントを玄関先でそわそわと待つ少女のように無垢で、そして、馬鹿だった。無知ゆえの、無垢の信頼ゆえの、馬鹿。救えない。
愛読者は姿を消した。ある日話を更新した私のDMは、いつまで経っても鳴らなかった。震える手で押した愛読者のアカウントは消えていた。私はその時初めて、愛読者の名前も顔も性別も、何もかもを知らないことに気が付いた。遅すぎた、否、知っていたところで何が出来たのだろう。私はただ、愛読者から感想という自己顕示欲を満たせる砂糖を注がれ続けて、その甘さに耽溺していた白痴の蟻だったのに。並ぶ言葉がざらざらと、砂時計の砂の如く崩れて床に散らばっていく幻覚が見えて、私は端末を放り投げ、野良猫を落ち着かせるように布団を被り、何がいけなかったのかをひとしきり考え、そして、やめた。
人間は、皆、勝手だ。何故か。皆、自分が大事だからだ。誰も守ってくれない己を守るため、生きるため、人は必死に崖を這い上がって、その途中で崖にしがみつく他者の手を足場にしていたとしても、気付く術はない。
愛読者は何も悪くない。これは、���間に期待し、信用という目に見えない清らかな物を崇拝し、焦がれ、浅はかにも己の手の中に得られると勘違いし小躍りした、道化師の喜劇だ。
愛読者は今日も、どこかで息をして、空を見上げているのだろうか。彼が亡くなった時と同じ感覚を抱いていた。彼が最後に見た澄んだ空。私が、諦観し絶望しながらも、明日も見るであろう狭い空。人生には不幸も幸せもなく、ただいっさいがすぎていく、そう言った27歳の太宰の言葉が、彼の年に近付いてからやっと分かるようになった。そう、人が生きる、ということに、最初から大して意味はない。今、人間がヒエラルキーの頂点に君臨し、80億弱もひしめき合って睨み合って生きていることにも、意味はない。ただ、そうあったから。
愛読者が消えた意味も、彼が自ら命を絶った理由も、考えるのをやめよう。と思った。呼吸代わりに、ある種の強迫観念に基づいて狂ったように綴っていた世界も、閉じたところで私は死なないし、私は死ぬ。最早私が今こうして生きているのも、植物状態で眠る私の見ている長い長い夢かもしれない。
私は思考を捨て、人でいることをやめた。
途端に、世界が輝きだした。全てが美しく見える。私が今ここにあることが、何よりも楽しく、笑いが止まらない。鉄線入りの窓ガラスが、かの大聖堂のステンドグラスよりも耽美に見える。
太宰先生、貴方はきっと思考を続けたから、あんな話を書いたのよ。私、今、そこかしこに檸檬を置いて回りたいほど愉快。
これがきっと、幸せ。って呼ぶのね。
愛読者は死んだ。もう戻らない。私の世界と共に死んだ、と思っていたが、元から生きても死んでもいなかった。否、生きていて、死んでいた。シュレディンガーの猫だ。
「嗚呼、私、やっぱり、
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【SPN】庭師と騎士
警告:R18※性描写、差別的描写
ペアリング:サム/ディーン、オリキャラ/ディーン
登場人物:ディーン・ウィンチェスター、サム・ウィンチェスター、ボビー・シンガー・ルーファス・ターナー、ケビン・トラン、チャーリー・ブラッドベリー、クラウス神父(モデル:クラウリー)
文字数:約16000字
設定: 修道院の囚われ庭師ディーン(20)と宿を頼みに来た騎士サム(24)。年齢逆転、中世AU。
言い訳: 映画「天使たちのビッチナイト」に影響を受けました。ボソボソと書いてましたがちょっと行き詰まり、詰まってまで書くほどのものじゃないので一旦停止します。
◇
自分のことなら肋骨の二本や三本が折れていたとしても気づかないふりをしていられるが、部下たちを休ませる必要があった。
王国騎士の象徴である深紅のマントは彼ら自身の血に染められ、疲労と傷の痛みとで意識��もうろうとしている者も数名いた。何よりも空腹だった。狩りをしようにも、矢がなく、矢を作るためにキャンプを張る体力もない。 一度腰を下ろせばそこが墓地になるかもしれなかった。 辺境の村を救うために命じられた出征だった。王はどこまで知っていたのか……。おそらくは何も知らなかったのに違いない。そうだと信じたかった。辺境の村はすでに隣国に占領されていた。彼らは罠にかけられたのだった。 待ち構えていた敵兵に大勢の仲間の命と馬を奪われ、サムは惨めな敗走を余儀なくされた。 森の中を、王城とは微妙にずれた方向へ進んでいるのに、サムに率いられた騎士たちは何もいわなかった。彼らもまた、サムと同じ疑いを胸に抱いていたのだ。全ては王に仕組まれたのではないかと。 誰一人口には出さなかったが、森の中をさ迷うサムに行き先を尋ねる者もいなかった。 なけなしの食糧を持たせて斥候に出していたケビンが、隊のもとに戻ってきた。彼は森の中に修道院を発見した。サムはその修道院に避難するべきか迷った。森は王国の領内だ。もしも王が裏切っていた場合、修道院にまで手を回されていたら彼らは殺される。 だが、このままでは夜を越せない者もいるかもしれなかった。サムは未だ六人の騎士を率いていて、王国よりサムに忠実な彼らを何としても生かさなければならない。 サムはケビンに案内を命じた。
◇
ディーンは自分の名前を気に入っていたが、今ではその名前を呼ぶ者はほとんどいなかった。 修道院では誰もがディーンのことを「あれ」とか「そこの」とか表現する。もしくは彼自身の職業である「庭師」とか。彼自身に、直接呼びかける者はいない。なぜなら彼は耳が聞こえないし、口も利けないから。 ディーンは今年で二十歳になる……らしい。彼は子供のころに両親を盗賊に殺されて、もともと身を寄せる予定だったこの修道院に引き取られた。ただし支払うべき寄付金も盗賊に奪われたので、修道士としてではなく庭師として働いて暮らしている。 夜中、ディーンはフラフラになりながら修道院を出て、納屋に帰り着いた。家畜小屋の横の納屋が彼の住処だ。神父が彼に酒を飲ませたので、藁の下に敷いた板のわずかな段差にも躓いてしまった。 そのまま藁の中にうずくまって、眠ってしまおうと思った時だ。納屋の戸の下の隙間から、赤い炎の色と複数の人影がちらついて見えた。 ディーンは、静かに身を起こした。少し胸やけはするが、幻覚を見るほど酔ってはいない。ディーンがいる納屋は、修道院の庭の中にある。修道士たちをオオカミやクマから守る塀の、内側だ。修道士たちは夜中にうろついたりしないから、この人影は外部からの――塀の外、森からの――侵入者たちのものだ。 門番の爺さんは何をしていたのか。もちろん、寝ているんだろう、夜更かしするには年を取りすぎている。今までも修道院が盗賊被害には遭ったことはあるが、こんな夜中じゃなかった。オオカミにとってはボロを着ていようが聖職者のローブを着ていようが肉は肉。強襲も山菜取りも日差しの入る間にやるのが最善だ。 では何者か。ディーンはそっと戸を開けて姿を見ようとした。ところが戸に手をかける間もなく、外から勢いよく開けられて転がり出てしまう。うつ伏せに倒れた鼻先に松明の火を受けてきらめく刃のきっさきを見て、そういえば、神父に持たされたロウソクが小屋の中で灯しっぱなしだったなと気づく。 「こそこそと覗き見をしていたな」 ざらついて低い声がディーンを脅した。ディーンはその一声だけで、彼がとても疲れて、痛みを堪えているのがわかった。 「やめろ、ルーファス! 何をしている」 若い男の声がした。ディーンを脅している男は剣のきっさきを外に向けた。「こいつが、俺たちを見張っていた。きっと刺客だ。俺たちがここに来るのを知っていて、殺そうとしてたんだ」 刺客、という言葉に、側にいた男たちが反応した。いったい何人いるんだ。すっかりと敵意を向けられて、ディーンはひるんだ。 「馬鹿な、彼を見ろ。丸腰だ。それに刺客なら小屋の中でロウソクなんて灯して待っているわけがない」 若い声の男が手を握って、ディーンを立たせた。俯いていると首から上が視界にも入らない。とても背の高い男だった。 「すまない、怖がらせてしまった。我々は……森で迷ってしまって、怪我を負った者もいる。宿と手当てが必要で、どうかここを頼らせてもらいたいと思って訪ねた」 背の高さのわりに、威圧的なところのない声だった。ディーンが頷くのを見て、男は続けた。 「君は――君は、修道士か?」 ディーンは首をかしげる。「そうか、でも、ここの人間だ。そうだろ? 神父に会わせてもらえるかい?」 ディーンはまた、首をかしげる。 「なんだ、こいつ、ぼんやりして」 さっき脅してきた男――闇夜に溶け込むような黒い肌をした――が、胡乱そうに顔をゆがめて吐き捨てる。「おお、酒臭いぞ。おおかた雑用係が、くすねた赤ワインをこっそり飲んでいたんだろう」 「いや、もしかして――君、耳が聞こえないの?」 若い男が自分の耳辺りを指さしてそういったので、ディーンは頷いた。それから彼は自分の口を指さして、声が出ないことをアピールする。 男の肩が一段下がったように見えて、ディーンは胸が重くなった。相手が自分を役立たずと判断して失望したのがわかるとき、いつもそうなる。 彼らは盗賊には見えなかった。何に見えるかって、それは一目でわかった。彼らは深紅の騎士だ。王国の誇り高い戦士たち。 幼いころに憧れた存在に囲まれて、これまで以上に自分が矮小な存在に思えた。 「聞こえないし、しゃべれもしないんじゃ、役に立たない。行こう、ケビンに神父を探させればいい」 疲れた男の声。 抗議のため息が松明の明かりの外から聞こえた。「また僕一人? 構いませんけどね、僕だって交渉するには疲れ過ぎて……」 「一番若いしまともに歩いてるじゃないか! 俺なんか見ろ、腕が折れて肩も外れてる、それに多分、日が上る前に止血しないと死ぬ!」 ディーンは初めて彼らの悲惨な状態に気が付いた。 松明を持っているのは一番背の高い、若い声の男で、彼はどうやら肋骨が折れているようだった。肩が下がっているのはそのせいかもしれなかった。ルーファスと呼ばれた、やや年配の黒い肌の男は、無事なところは剣を握った右腕だけというありさまだった。左半身が黒ずんでいて、それが全て彼自身の血であるのなら一晩もたないというのも納得だ。女性もいた。兜から零れた髪が松明の炎とそっくりの色に輝いて見えた。しかしその顔は血と泥で汚れていて、別の騎士が彼女の左足が地面に付かないように支えていた。その騎士自身も、兜の外された頭に傷を受けているのか、額から流れた血で耳が濡れている。 六人――いや、七人だろうか。みんな満身創痍だ。最強の騎士たちが、どうしてこんなに傷ついて、夜中に森の中をゆく羽目に。 ディーンは松明を持った男の腕を引っ張った。折れた肋骨に響いたのか、呻きながら彼は腕を振り払おうとする。 「待って、彼、案内してくれるんじゃない? 中に、神父様のところに」 女性の騎士がそういった。ディーンはそれを聞こえないが、何となく表情で理解した振りをして頷き、ますます騎士の腕を引っ張った。 騎士はそれきりディーンの誘導に素直についてきた。彼が歩き出すとみんなも黙って歩き出す。どうやらこの背の高い男が、この一団のリーダーであるらしかった。 修道院の正面扉の鍵はいつでも開いているが、神父の居室はたいていの場合――とりわけ夜はそうだ――鍵がかかっている。ディーンはいつも自分が来たことを示す独特のリズムでノックをした。 「……なんだ?」 すぐに扉の向こうで、眠りから起こされて不機嫌そうな声が聞こえてほっとする。もう一度ノックすると、今度は苛立たし気に寝台から降りる音がした。「なんだ、ディーン、忘れ物でもしたのか……」 戸を開いた神父は、ディーンと彼の後ろに立つ騎士たちの姿を見て、ぎょっとして仰け反った。いつも偉そうにしている神父のそんな顔を見られてディーンは少しおかしかった。 ディーンは背の高い男が事情を説明できるように脇にのいた。 「夜半にこのような不意の訪問をして申し訳ない。緊急の事態ですのでどうかお許し頂きたい。私は王国騎士のサミュエル・ウィンチェスター。彼は同じく騎士のルーファス。彼は重傷を負っていて一刻も早い治療が必要です。他にも手当と休息が必要な者たちがいる」 神父は、突然現れた傷だらけの騎士たちと、さっき別れたばかりの庭師を代わる代わる、忙しなく視線を動かして見て、それから普段着のような体面をするりと羽織った。深刻そうに頷き、それから騎士たちを安心させるようにほほ笑む。「騎士の皆様、もう安全です。すぐに��癒師を呼びます。食堂がいいでしょう、治療は厨房で行います。おい」 目線でディーンは呼びかけられ、あわてて神父のひざ元に跪いて彼の唇を読むふりをする。 「治癒師を、起こして、食堂に、連れてきなさい。わかったか?」 ディーンは三回頷いて、立ち上がると治癒師のいる棟へ駆け出す。 「ご親切に感謝する」 男のやわらかい礼が聞こえる。「……彼はディーンという名なのか? あとでもう一度会いたい、ずいぶんと怖がらせてしまったのに、我々の窮状を理解して中へ案内してくれた……」 ディーンはその声を立ち止まって聞いていたかったが、”聞こえない”のに盗み聞きなどできるはずがなかった。
◇
明け方にルーファスは熱を出し、治癒師は回復まで数日はかかるだろうといった。サムは騎士たちと目を合わせた。今はまだ、森の深いところにあるこの修道院には何の知らせも来ていないようだが、いずれは王国から兵士が遣わされ、この当たりで姿を消した騎士たち――”反逆者たち”と呼ばれるかもしれない――がいることを知らされるだろう。俗世から離れているとはいえ修道院には多くの貴族や裕福な商家の息子が、いずれはまた世俗へ戻ることを前提にここで生活している。彼らの耳に王宮での噂が届いていないことはまずあり得なく、彼らがどちらの派閥を支持しているかはサムにはわからない。もっとも王が追っている失踪騎士を庇おうなどという不届きな者が、たくさんいては困るのだった。 出征の命令が罠であったのなら、彼らは尾けられていたはずだった。サムの死体を探しに捜索がしかれるのは間違いない。この修道院もいずれ見つかるだろう。長く留まるのは良策ではない。 かといって昏睡状態のルーファスを担いで森に戻るわけにもいかず、止む無くサムたちはしばらくの滞在を請うことになった。 修道院長のクラウス神父は快く応じてくれたが、用意されたのは厨房の下の地下室で、そこはかとなく歓迎とは真逆の意図を読み取れる程度には不快だった。彼には腹に一物ありそうな感じがした。サムの予感はしばしば王の占い師をも勝るが、騎士たちを不安させるような予感は口には出せなかった。 厨房の火の前で休ませているルーファスと、彼に付き添っているボビーを除く、五人の騎士が地下に立ち尽くし、ひとまず寝られる場所を求めて目をさ迷わせている。探すまでもない狭い空間だった。横になれるのは三人、あとの二人は壁に寄せた空き箱の上で膝を枕に眠るしかないだろう。 「お腹がすいた」 疲れて表情もないチャーリーが言った。「立ったままでもいいから寝たい。でもその前に、生の人参でもいいから食べたいわ」 「僕も同感。もちろんできれば生じゃなくて、熱々のシチューに煮込まれた人参がいいけど」 ガースの言葉に、チャーリーとケビンが深い溜息をついた。 地下室の入口からボビーの声が下りてきた。「おい、今から食べ物がそっちに行くぞ」 まるでパン��足が生えているかのように言い方にサムが階段の上に入口を見上げると、ほっそりした足首が現れた。 足首の持ち主は片手に重ねた平皿の上にゴブレットとワイン瓶を乗せ、革の手袋をはめたもう片方の手には湯気のたつ小鍋を下げて階段を下りてきた。 家畜小屋の隣にいた青年、ディーンだった。神父が彼を使いによこしたのだろう。 「シチューだ!」 ガースが喜びの声を上げた。チャーリーとケビンも控え目な歓声を上げる。みんなの目がおいしそうな匂いを発する小鍋に向かっているのに対し、サムは青年の足首から目が離せないでいた。 彼はなぜ裸足なんだろう。何かの罰か? 神父は修道士や雑用係に体罰を与えるような指導をしているのか? サムは薄暗い地下室にあってほの白く光って見える足首から視線を引きはがし、もっと上に目をやった。まだ夜着のままの薄着、庭でルーファスが引き倒したせいで薄汚れている。細いが力のありそうなしっかりとした肩から腕。まっすぐに伸びた首の上には信じられないほど繊細な美貌が乗っていた。 サムは青年から皿を受け取ってやろうと手を伸ばした。ところがサムが皿に手をかけたとたん、びっくりした彼はバランスを崩して階段を一段踏みそこねた。 転びそうになった彼を、サムは慌てて抱き止めた。耳元に、彼の声にならない悲鳴のような、驚きの吐息を感じる。そうだ、彼は耳が聞こえないのだった。話すことが出来ないのはわかるが、声を出すこともできないとは。 「急に触っちゃだめよ、サム!」 床に落ちた皿を拾いながらチャーリーがいう。「彼は耳が聞こえないんでしょ、彼に見えないところから現れたらびっくりするじゃない」 「ディーンだっけ? いや、救世主だ、なんておいしそうなシチュー、スープか? これで僕らは生き延びられる」 ガースが恭しく小鍋を受け取り、空き箱の上に並べた皿にさっさと盛り付けていく。階段の一番下でサムに抱き止められたままのディーンは、自分の仕事を取られたように見えたのか焦って体をよじったが、サムはどうしてか離しがたくて、すぐには解放してやれなかった。 まったく、どうして裸足なんだ?
修道士たちが詩を読みながら朝食を終えるのを交代で横になりながら過ごして待ち、穴倉のような地下室から出て騎士たちは食堂で体を伸ばした。一晩中ルーファスの看病をしていたボビーにも休めと命じて、サムが代わりに厨房の隅に居座ることにした。 厨房番の修道士は彼らがまるでそこに居ないかのように振る舞う。サムも彼らの日課を邪魔する意思はないのでただ黙って石窯の火と、マントでくるんだ藁の上に寝かせた熟練の騎士の寝顔を見るだけだ。 ルーファスは気難しく人の好き嫌いが激しい男だが、サムが幼い頃から”ウィンチェスター家”に仕えていた忠臣だ。もし彼がこのまま目覚めなかったら……。自分が王宮でもっとうまく立ち回れていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。 若き王の父と――つまり前王とサムの父親が���弟同士だったために、サムにも王位継承権があった。実際、前王が危篤の際には若すぎる王太子を不安視する者たちからサムを王にと推す声も上がった。不穏な声が派閥化する前にサムは自ら継承権を放棄し、領地の大半を王に返還して王宮に留まり一騎士としての振る舞いに徹した。 その無欲さと節制した態度が逆に信奉者を集めることとなり、サムが最も望まないもの――”ウィンチェスター派”の存在が宮殿内に囁かれるようになった。国王派――この場合は年若き王をいいように操ろうとする老練な大臣たちという意味だ――が敵意と警戒心を募らせるのも無理はないとサムが理解するくらいには、噂は公然と囁かれた。何とか火消しに回ったが、疑いを持つ者にとっては、それが有罪の証に見えただろう。 自分のせいで部下たちを失い、また失いつつあるのかと思うと、サムはたまらないむなしさに襲われた。 ペタペタと石の床を踏む足音が聞こえ顔を上げる。ディーンが水差しを持って厨房にやってきた。彼は石窯の横に置かれた桶の中に水を入れる。サムは声もかけずに暗がりから彼の横顔をぼうっと眺めた。声をかけたところで、彼には聞こえないが―― 床で寝ているルーファスが呻きながら寝返りを打った。動きに気づいたディーンが彼のほうを見て、その奥にいるサムにも気づいた。 「やあ」 サムは聞こえないとわかりつつ声をかけた。まるきり無駄ではないだろう。神父の唇を読んで指示を受けていたようだから、言葉を知らないわけではないようだ。 彼が自分の唇を読めるように火の前に近づく。 「あー、僕は、サムだ。サム、王国の騎士。サムだ。君はディーン、ディーンだね? そう呼んでいいかい?」 ディーンは目を丸く見開いて頷いた。零れそうなほど大きな目だ。狼を前にしたうさぎみたいに警戒している。 「怖がらないでいい。昨夜はありがとう。乱��なことをしてすまなかった。怪我はないか?」 強ばった顔で頷かれる。彼は自らの喉を指して話せないことをアピールした。サムは手を上げてわかっていることを示す。 「ごめん――君の仕事の邪魔をするつもりはないんだ。ただ、何か困ってることがあるなら――」 じっと見つめられたまま首を振られる。「――ない?」 今度は頷かれる。「――……そうか、わかった。邪魔をしてごめん」 ディーンは一度瞬きをしてサムを見つめた。彼は本当に美しい青年だった。薄汚れてはいるし、お世辞にも清潔な香りがするとは言い難かったが、王宮でもお目にかかったことのないほど端正な顔立ちをしている。こんな森の奥深くの修道院で雑用係をしているのが信じられないくらいだ。耳と口が不自由なことがその理由に間違いないだろうが、それにしても――。 水差しの水を全て桶に注いでしまうと、ディーンはしばし躊躇った後、サムを指さして、それから自分の胸をさすった。 彼が動くのを眺めるだけでぼうっとしてしまう自分をサムは自覚した。ディーンは何かを伝えたいのだ。もう一度同じ仕草をした。 「君の? 僕の、胸?」 ディーンは、今度は地下に繋がる階段のほうを指さして、その場で転ぶ真似をした。そしてまたサムの胸のあたりを指さす。 理解されてないとわかるとディーンの行動は早かった。彼はルーファスをまたいでサムの前にしゃがみ込み、彼の胸に直接触れた。 サムは戦闘中以外に初めて、自分の心臓の音を聞いた。 ディーンの瞳の色は鮮やかな新緑だった。夜にはわからなかったが、髪の色も暗い金髪だ。厨房に差し込む埃っぽい日差しを浴びてキラキラと輝いている。 呆然と瞳を見つめていると、やっとその目が自分を心配していることに気が付いた。 「……ああ、そっか。僕が骨折してること、君は気づいてるんだね」 ”骨折”という言葉に彼が頷いたので、サムは納得した。さっき階段から落ちかけた彼を抱き止めたから、痛みが悪化していないか心配してくれたのだろう。サムは、彼が理解されるのが困難と知りながら、わざわざその心配を伝えようとしてくれたことに、非常な喜びを感じた。 「大丈夫だよ、自分で包帯を巻いた。よくあることなんだ、小さいころは馬に乗るたびに落馬して骨を折ってた。僕は治りが早いんだ。治るたびに背が伸びる」 少し早口で言ってしまったから、ディーンが読み取ってくれたかはわからなかった。だが照れくさくて笑ったサムにつられるように、ディーンも笑顔になった。 まさに魂を吸い取られるような美しさだった。魔術にかかったように目が逸らせない。完璧な頬の稜線に触れたくなって、サムは思わず手を伸ばした。 厨房の入口で大きな音がした。ボビーが戸にかかっていたモップを倒した音のようだった。 「やれやれ、どこもかしこも、掃除道具と本ばかりだ。一生ここにいても退屈しないぞ」 「ボビー?」 「ああ、水が一杯ほしくてな。ルーファスの調子はどうだ?」 サムが立ち上がる前に、ディーンは驚くほどの素早さで裏戸から出て行ってしまった。
◇
キラキラしてる。 ディーンは昔からキラキラしたものに弱かった。 木漏れ日を浴びながら一時の昼寝は何物にも得難い喜びだ。太陽は全てを輝かせる。泥だまりの水だってきらめく。生まれたばかりの子ヤギの瞳、朝露に濡れた花と重たげな羽を開く蝶。礼拝堂でかしずいた修道士の手から下がるロザリオ。水差しから桶に水を注ぐときの小気味よい飛沫。 彼はそういったものを愛していた。キラキラしたものを。つまりは美しいもの。彼が持ち得なかったもの。 サムという騎士はディーンが今までに見た何よりも輝いていた。 あまりにもまぶしくて直視しているのが辛くなったほどだ。彼の瞳の色に見入っていたせいで、厨房で大きな音に反応してしまった。幸いサムは音を立てた騎士のほうに目がいってディーンの反応には気づかなかったようだ。 もう一度彼の目を見て彼に触れてみたかったが、近づくのが恐ろしくもあった。
ディーン何某という男の子がこの世に生を受けたとき、彼は両親にとても祝福された子供だった。彼は美しい子だと言われて育った。親というのは自分の子が世界で一番美しく愛らしいと信じるものだから仕方ない。おかげでディーンは両親が殺され、修道院に引き取られる八つか���つの頃まで、自分が怪物だと知らずに生きてこられた。 修道院長のクラウス神父は親と寄付金を失った彼を憐れみ深く受け入れてくれたが、幼い孤児を見る目に嫌悪感が宿っているのをディーンは見逃さなかった。 「お前は醜い、ディーン。稀に見る醜さだ」と神父は、気の毒だが率直に言わざるを得ないといった。「その幼さでその醜さ、成長すれば見る者が怖気をふるう怪物のごとき醜悪な存在となるだろう。無視できない悪評を招く。もし怪物を飼っていると噂が立てば、修道院の名が傷つき、私と修道士たちは教会を追われるだろう。お前も森に戻るしかなくなる」 しかしと神父は続けた。「拾った怪物が不具となれば話は違う。耳も聞こえなければ口もきけないただの醜い哀れな子供を保護したとなれば、教皇も納得なさるだろう。いいかね、ディーン。お前をそう呼ぶのは今日この日から私だけだ。他の者たちの話に耳を傾けてはいけないし、口を聞いてもいけない。おまえは不具だ。不具でなければ、ここを追い出される。ただの唾棄すべき怪物だ。わかったかね? 本当にわかっているなら、誓いを立てるのだ」 「神様に嘘をつけとおっしゃるのですか?」 まろやかな頬を打たれてディーンは床に這いつくばった。礼拝堂の高窓から差し込む明かりを背負って神父は怒りをあらわにした。 「何という身勝手な物言いだ、すでに悪魔がその身に宿っている! お前の言葉は毒、お前の耳は地獄に通じている! 盗賊どもがお前を見逃したのも、生かしておいたほうが悪が世に蔓延るとわかっていたからに違いない。そんな者を神聖な修道院で養おうとは、愚かな考えだった。今すぐに出ていきなさい」 ディーンは、恐ろしくて泣いてすがった。修道院を追い出されたら行くところがない。森へ放り出されたら一晩のうちに狼の餌食になって死んでしまうだろう。生き延びられたとしても、神父ですら嫌悪するほど醜い自分が、他に受け入れてくれる場所があるはずもない。 ディーンは誓った。何度も誓って神父に許しを請うた。「話しません、聞きません。修道院のみなさまのご迷惑になることは決してしません。お願いです。追い出さないでください」 「お前を信じよう。我が子よ」 打たれた頬をやさしく撫でられ、跪いてディーンを起こした神父に、ディーンは一生返せぬ恩を負った。
ぼんやりと昔を思い出しながら草をむしっていたディーンの手元に影が落ちた。 「やあ、ディーン……だめだ、こっちを向いてもらってからじゃないと」 後ろでサムがぼやくのが聞こえた。 ディーンは手についた草を払って、振り向いた。太陽は真上にあり、彼は太陽よりも背が高いことがわかって、ディーンはまた草むしりに戻った。 「あの、えっと……。ディーン? ディーン」 正面に回り込まれて、ディーンは仕方なく目線を上げた。屈んだサムはディーンと目が合うと、白い歯をこぼして笑った。 ああ、やっぱりキラキラしてる。 ディーンは困った。
◇
サムは困っていた。どうにもこの雑用係の庭師が気になって仕方ない。 厨房から風のように消えた彼を追って修道院の中庭を探していると、ネズの木の下で草をむしっている背中を見つけた。話しかけようとして彼が聞こえないことを改めて思い出す。聞こえない相手と会話がしたいと思うなんてどうかしてる。 それなのに気づけば彼の前に腰を下ろして、身振り手振りを交えながら話しかけていた。仕事中のディーンは、あまり興味のない顔と時々サムに向けてくれる。それだけでなぜか心が満たされた。 ネズの実を採って指の中で転がしていると、その実をディーンが取ろうとした。修道院の土地で採れる実は全て神が修道士に恵まれた貴重なもの――それがたとえ一粒の未熟な実でも――だからサムは素直に彼に渡してやればよかった。だがサムは反射的に手をひっこめた。ディーンの反応がみたかったのだ。彼は騎士にからかわれて恥じ入るような男か、それとも立ち向かってくるか? 答えはすぐにわかった。彼は明らかにむっとした顔でサムを見上げ、身を乗り出し手を伸ばしてきた。 サムはさらに後ろに下がり、ディーンは膝で土を蹴って追いすがる。怒りのせいか日差しを長く浴びすぎたせいか――おそらくそのどちらも原因だ――額まで紅潮した顔をまっすぐに向けられて、サムは胸の奥底に歓喜が生まれるのを感じた。 「ハハハ……! ああ……」 するりと言葉がこぼれ出てきた。「ああ、君はなんて美しいんだ!」 ディーンがサムの手を取ったのと、サムがディーンの腕を掴んだのと、どちらが早かったかわからかない。サムはディーンに飛びつかれたと思ったし、ディーンはサムに引き倒されたと思ったかもしれない。どっちにしろ、結果的に彼らはネズの根のくぼみに入ってキスをした。 長いキスをした。サムはディーンの髪の中に手を入れた。やわらかい髪は土のにおいがした。彼の唾液はみずみずしい草の味がした。耳を指で挟んで引っ張ると、ん、ん、と喉を鳴らす音が聞こえた。とても小さな音だったが初めて聞いた彼の”声”だった。もっと聞きたくて、サムは色んなところを触った。耳、うなじ、肩、胸、直接肌に触れたくて、腹に手を伸ばしたところでディーンが抵抗した。 初めは抵抗だとわからなかった。嫌なことは嫌と言ってくれる相手としか寝たことがなかったからだ。ところが強く手首を掴まれて我に返った。 「ごめん!」 サムは慌てて手を離した。「ご、ごめん、本当にごめん! こんなこと……こんなことするべきじゃなかった。僕は……だめだ、どうかしてる」 額を抱えてネズの根に尻を押し付け、できるだけディーンから離れようとした。「僕はどうかしてる。いつもはもっと……何というか……こんなにがっついてなくて、それに君は男で修道院に住んでるし――ま、まあ、そういう問題じゃないけど――ディーン――本当にごめん――ディーン?」 ディーンは泣いていた。静かに一筋の涙を頬に流してサムを見ていた。 「待って!」 またも彼の身の軽さを証明する動きを見届けることになった。納屋のほうに走っていく彼の姿を、今度はとても追う気にはなれなかった。
◇
夜、クラウス神父の部屋でディーンは跪いていた。 「神父様、私は罪を犯しました。二日ぶりの告解です」 「続けて」 「私は罪を犯しました……」 ディーンはごくりとつばを飲み込んだ。「私は、自らの毒で、ある人を……ある人を、侵してしまったかもしれません」 暖炉の前に置かれたイスに座り、本を読んでいた神父は、鼻にかけていた眼鏡を外してディーンを見た。 「それは由々しきことだ、ディーン。お前の毒はとても強い。いったい誰を毒に侵したのだ。修道士か?」 「いいえ、騎士です」 「騎士! 昨日ここに侵入してきたばかりの、あの狼藉者どものことか? ディーン、おお、ディーン。お前の中の悪魔はいつになったら消えるのだろう」 神父は叩きつけるように本を閉じ、立ち上がった。「新顔とくれば誘惑せずにはおれないのか? どうやって、毒を仕込んだ。どの騎士だ」 「一番背のたかい騎士です。クラウス神父。彼の唇を吸いました。その時、もしかしたら声を出してしまったかもしれません。ほんの少しですが、とても近くにいたので聞こえたかもしれません」 「なんてことだ」 「あと、彼の上に乗ったときに胸を強く圧迫してしまったように思います。骨折がひどくなっていなければいいのですが、あとで治癒師にみてもらうことはできますか?」 「ディーン……」 神父は長い溜息をついた。「ディーン。お前の悪魔は強くなっている。聖餐のワインを飲ませても、毒を薄めることはできなかった。お前と唯一こうして言葉を交わし、お前の毒を一身に受けている私の体はもうボロボロだ」 「そんな」 「これ以上ひどくなれば、告解を聞くことも困難になるかもしれない」 ディーンはうろたえた。「神父様が許しを与えて下さらなければおれは……本物の怪物になってしまいます」 「そうだ。だから私は耐えているのだ。だが今日はこれが限界だ。日に日にお前の毒は強くなっていくからな」 神父はローブを脱いで寝台に横たわった。「頼む、やってくれ、ディーン」 ディーンは頷いて寝台に片膝を乗せると、神父の下衣を下ろして屈み込んだ。現れたペニスを手にとって丁寧に舐め始める。 「私の中からお前の毒を吸い取り、全て飲み込むのだ。一滴でも零せば修道院に毒が広がってしまう。お前のためにもそれは防がなくてはならない」 「はい、神父様」 「黙りなさい! 黙って、もっと強く吸うんだ!」 神父は厳しく叱責したが、不出来な子に向けて優しくアドバイスをくれた。「口の中に、全部入れてしまったほうがいい。強く全体を頬の内側でこすりながら吸ったほうが、毒が出てくるのも早いだろう」 心の中でだけ頷いて、ディーンはいわれた通り吸い続けた。もう何度もやっていることなのに、一度としてうまくやれたことがない。いつも最後には、神父の手を煩わせてしまう。彼は自分のために毒で苦しんでいるのにだ。 今回も毒が出る前に疲れて吸う力が弱まってしまい、神父に手伝ってもらうことになった。 「歯を立てたら地獄行きだからな。お前を地獄に堕としたくはない」 神父は忠告してから、両手でディーンの頭を抱えて上下にゆすった。昨夜はワインを飲んだあとにこれをやったからしばらく目眩が治まらなかった。今日はしらふだし、神父がこうやって手を借してくれるとすぐに終わるのでディーンはほっとした。 硬く張りつめたペニスから熱い液体が出てきた。ディーンは舌を使って慎重に喉の奥に送り、飲み込んでいった。飲み込むときにどうしても少し声が出てしまうが、神父がそれを咎めたことはなかった。ディーンが努力して���えているのを知っているのだろう。 注意深く全て飲み込んで、それでも以前、もう出ないと思って口を離した瞬間に吹き出てきたことがあったので、もう一度根本から絞るように吸っていき、本当に終わったと確信してからペニスを解放した。神父の体は汗ばんでいて、四肢はぐったりと投げ出されていた。 ディーンはテーブルに置かれた水差しの水を自分の上着にしみこませ、神父の顔をぬぐった。まどろみから覚めたような穏やかな顔で、神父はディーンを見つめた。 「これで私の毒はお前に戻った。私は救われたが、お前は違う。許しを得るために、また私を毒に侵さねばならない。哀れな醜い我が子よ」 そういって背を向け、神父は眠りに入った。その背中をしばし見つめて、ディーンは今夜彼から与えられなかった神の許しが得られるよう、心の中祈った。
◇
修道士たちが寝静まった夜、一人の騎士が目を覚ました。 「うーん、とうとう地獄に落ちたか……どうりで犬の腐ったような臭いがするはずだ」 「ルーファス!」 ボビーの声でサムは目を覚ました。地下は狭すぎるが、サムがいなければ全員が横になれるとわかったから厨房の隅で寝ていたのだ。 「ルーファス! このアホンダラ、いつまで寝てるつもりだった!」 ボビーが歓喜の声を上げて長い付き合いの騎士を起こしてやっていた。サムはゴブレットに水を注いで彼らのもとへ運んだ。 「サミュエル」 「ルーファス。よく戻ってきた」 皮肉っぽい騎士は眉を上げた。「大げさだな。ちょっと寝てただけだ」 ボビーの手からゴブレットを取り、一口飲んで元気よく咳き込んだあと、周囲を見回す。「それより、ここはどこだ、なんでお前らまで床に寝てる?」 「厨房だよ。他の皆はこの地下で寝てる。修道院長はあまり僕らを歓迎していないみたいだ。いきなり殺されないだけマシだけどね」 「なんてこった。のん気にしすぎだ。食糧をいただいてさっさと出発しよう」 「馬鹿言ってないで寝てろ。死にかけたんだぞ」 起き上がろうとするルーファスをボビーが押し戻す。しかしその腕を掴んで傷ついた騎士は強引に起きようとする。 「おい、寝てろって」 「うるさい、腹が減って寝るどころじゃない!」 サムとボビーは顔を見合わせた。
三人の騎士は食堂に移動した。一本のロウソクを囲んで、鍋に入れっぱなしのシチューをルーファスが食べるのを見守る。 「で、どうする」 まずそうな顔でルーファスはいう。もっともルーファスは何を食べてもこういう顔だから別にシチューが腐っているわけではない。例外が強い酒を飲む時くらいで、一度密造酒を売って儲けていた商売上手な盗賊団を摘発した時には大喜びだった(酒類は国庫に押収されると知ってからも喜んでいたからサムは心配だった)。 修道院にある酒といえば聖体のワインくらいだろう。ブドウ園を持っている裕福な修道院もあるが、この清貧を絵にしたような辺境の修道院ではワインは貴重品のはずだ。ルーファスが酒に手を出せない環境でよかった。しかし――サムは思い出した。そんな貴重なワインの匂いを、あのみすぼらしい身なりの、納屋で寝てい��青年は纏わせていたのだった。 「どうするって?」 ボビーが聞き返す。ルーファスは舌打ちしそうな顔になってスプーンを振った。「これからどこへ行くかってことだよ! 王都に戻って裏切者だか敗走者だかの烙印を押されて処刑されるのはごめんだぜ」 「おい、ルーファス!」 「いいんだ、ボビー。はっきりさせなきゃならないことだ」 サムはロウソクの火を見つめながらいった。「誤魔化してもしょうがない。我々は罠にかけられた。仕掛けたのは王だ。もう王都には戻れない――戻れば僕だけでなく、全員が殺される」 「もとからお前さんの居ない所で生き延びようとは思っていないさ。だが俺とルーファスはともかく……」 「若くて将来有望で王都に恋人がいる私でも同じように思ってるわよ」 チャーリーが食堂に来た。ルーファスの隣に座って平皿に移したシチューを覗き込む。「それおいしい?」 「土まみれのカブよりはな」 「なあ、今の話だが、俺はこう思ってる」 ボビーがいった。「この状況になって初めて言えることだが、王国は腐ってる。王に信念がないせいだ。私欲にまみれた大臣どもが好き放題している。民は仕える主を選べないが、俺たちは違う。もとから誰に忠義を尽くすべきか知っている。もう選んでいる。もうすでに、自分の望む王の下にいる」 「その話、なんだか素敵に聞こえる。続けて」 チャーリーがいう。 「いや、まったく素敵じゃない。むしろ危険だ」 サムはいったが、彼の言葉を取り合う者はいなかった。 ゴブレットの水を飲み干してルーファスが頷いた。「サムを王にするって? それはいい。そうしよう。四年前にあの棒みたいなガキに冠を乗せる前にそうしとけばよかったんだ。野生馬を捕まえて藁で編んだ鞍に乗り、折れた剣を振りかざして、七人の騎士で玉座を奪還する!」 そしてまた顔をしかめながらシチューを食べ始める。「俺はそれでもいいよ。少なくとも戦って死ねる」 ボビーがうなった。「これは死ぬ話じゃない。最後まで聞け、ルーファス」 「そうよ、死ぬのは怖くないけど賢く生きたっていい」 チャーリーが細い指でテーブルを叩く。「ねえ、私に案がある。ここの修道院長に相談するのよ。彼から教皇に仲裁を頼んでもらうの。時間を稼いで仲間を集める。探せば腐った大臣の中にもまだウジ虫が沸いてないヤツもいるかもしれない。血を流さなくても王を変える手はある。アダムだって冠の重さから解放されさえすればいい子に戻るわよ」 「それよりウィンチェスター領に戻ってしばらく潜伏すべきだ。あそこの領民は王よりもサムに従う。俺たちを王兵に差し出したりしない」 「だから、それからどうするのかって話よ。潜伏もいいけど結局王と対決するしかないじゃない、このまま森で朽ち果てるか北の隣国に情報を売って保護してもらって本物の売国奴になる他には!」 「ちょっと落ち着け、二人とも。修道士たちが起きてくる。それから僕の計画���聞け」 「ろくな計画じゃない」 「ルーファス! ぼやくな」 「そうよルーファス、死にかけたくせに。黙ってさっさと食べなさいよ」 サムはため息を吐きそうになるのを堪えて皆に宣言した。「王都には僕一人で行く」 「ほらな」とスプーンを放ってルーファスが特大のため息を吐いた。「ろくな計画じゃない」
◇
行商売りの見習い少年と仲良くなったことがあった。同年代の子と遊ぶのは初めてだったから嬉しくて、ディーンは思わず自分の秘密をもらしてしまった。自分の口で見の上を語る彼に、少年はそんなのはおかしいといった。 「君は神父に騙されているんだよ。君は醜くなんかない、夏の蝶の羽のように美しいよ」 「神様の家で嘘をついちゃいけないよ」 「嘘なんかじゃない。ホントにホントだよ。僕は師匠について色んな場所へ行くけれど、どんなお貴族様の家でだって君みたいな綺麗な人を見たことがないよ」 ディーンは嬉しかった。少年の優しさに感謝した。次の日の朝、出発するはずの行商売りが見習いがいなくなったと騒ぎ出し、修道士たちが探すと、裏の枯れ井戸の底で見つかった。 井戸は淵が朽ちていて、遺体を引き上げることもできなかった。神父は木の板で封印をした。ひと夏の友人は永遠に枯れ井戸の中に閉じ込められた。 修道院は巨大な棺桶だ。 ディーンは二度と友人を作らなかった。
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女子高生と山月記
「虎になる」というフレーズが流行った。
高校時代の話だ。かつて鬼才と呼ばれた男が、己の心に潜む獣に振り回されて虎になる話を習った。重い題材なのにどうにも心にひっかかる上、人間が虎になるという衝撃的展開に驚いた。加えて「尊大な羞恥心」だとか「臆病な自尊心」とかいう妙に語呂の良いワードが登場することから、わたしたちは授業が終わってもこの話を忘れられず、結果「虎になる」というフレーズを局地的に流行らせた。
わたしたちは虎になった。主に葛藤してどうしようもない時や人間関係が煩わしい時、そして自分が嫌いになった時に。具体的に言うならテスト前や恋愛にまつわる他者とのいざこざ、理想と現実の狭間でもがいた時に、現状の気怠さを「ほんと虎になるわあ」と溜息交じりに吐き出したのだ。
仲のいいグループだけで使う暗号のような、気怠さの共有コードのような使い方をしていたのに、いつしか他のグループにも「虎になる」子が現れた。使い方を教えたわけじゃない。なのに彼女たちはわたしたちが使うように「このままじゃ虎になる」と自然に言ってみせた。
言葉は感染する。きっとわたしたちが使うのを聞いて、自分たちのグループにも採用したんだろう。だけど説明してもいないのに完璧な用��で虎��なってみせた彼女に驚くとともに、「山月記」という物語がわたしたちに与えた影響に驚いた。グループとか関係なく、わたしたちは同じものを受け取っていた。
あの頃、わたしたちは言葉に出来ずとも、仄暗いものを心の中に感じていた。山月記を教わる前は各々が好き勝手に感じていたものだ。だけど中島敦が、山月記という物語を通じてわたしたちに教えてくれた。あれは間違いなく「虎」だった。
怪物と親交を深める
友人たちと虎になっていたのは、もう昔の話だ。
今は内なる虎どころか目に見える怪物と相対する年頃になった。つまり就職してお局様と出会う羽目になった。歩く脅威とはまさにこのこと。生きているだけでケチをつけられ、重箱の隅という隅をほじくり回される。
仕事面では優秀だけど気に食わないことがあれば謎のコネで上に訴え、悪評を広め、最終的には泣き叫び壁を殴り颯爽と帰っていくお局様。人生で初めて出会う怪物がここにいた。
上司ガチャ爆死というワードが脳裏をよぎる中図太く仕事を続け、数年経った今はお局様に個人的なドライブに誘われるなど驚くほどに良好な関係を築いた。怪物の懐にちゃっかり収まった形になる。
努力をお局様との敵対や転職活動ではなく和解(と言ってもこちらに非は無いので向こうの軟化を待つだけ)に費やしたのは、お局様に好かれたかったからではなく、単純に可哀想だと思ったからだった。
もちろん腹は立った。この人さえいなければ職場は良い人ばかりだし、天国だろうと考えた。だけど度が過ぎる不条理を与えられると怒りよりも疑問が湧く。何故この人はこんなにも怒っているのだろう、と。一度そう思ってしまうと止められない。わたしはお局様が人目もはばからない怪物になってしまった理由を求めてサバンナの奥地へと旅立ったのだった。
この場合サバンナの奥地というのは比喩で、しかしお局様の私生活や歴史といった個人情報を知るには誰かの心の奥地、それこそサバンナのように深い場所へ踏み入らなければならないと考えていた。怪物のような同僚とはいえ、他人のことをべらべらと喋るわけがないと思っていたのだ。だけどわたしがお局様の詳細を尋ねると、先輩方はみな知ることが当然だと言わんばかりに必要以上を教えてくれた。
悲しくてありきたりな話だった。偏見と既存利益に潰されていた若い女性が、ひょんなことから道を外れて二度と戻れなくなった話。詳細は書かないけれど同情の余地がある。お局様はひどい仕打ちを受けた上、助けてくれる人もいなかった。だからといって女という女をいびり倒す理由にはならないけど、性格が歪む原因としては大いに納得できる。
そして過去から現在までひとりの人間を歪め続けた不幸をネタのように話せる人間に囲まれてしまったことも、お局様にとっては不幸だろうなと感じた。「昔は可愛かったのに、あの時は大変だった���だよ」と笑って言うくらいなら、あの時と言わず今助けてあげればいいのに。
お局様の世界観にも一応の倫理はあるらしいけど、誰も興味が無いから触れない。あれだけ噂話を教えてくれた先輩も、昔は可愛かったと謎目線の上司も、お局様がお怒りになる基準を知らず天災のように諦めるだけ。お局様マニュアルというか対応心得が無いのかと尋ねれば、ぜひあなたが作ってくれと笑われた。台風の発生機序を研究し始めた頃の人間ってこんな感じなのかな、とか思ったりした。
お局様と普通に話すようになってから、こんなことを言われた。
「これまではひとりで全部決めてきた。誰も決めてくれないから。だけどひとりで決めるのは大変だから手伝ってほしい」
誰も決めてくれないったって、あなたが全部聞く耳持たなかったんでしょう。そう言いかけて思い出した。
お局様が感情に任せた強い口調で話した後は、誰もが「あの人はああ言ってるんだよね」と腫れ物に触るような扱いをする。少し経って冷静になったお局様が前言撤回して別の意見を言うと「気分で言うことがコロコロ変わる」と冷ややかな態度を取るだけ。そして最終的に「誰からも意見が来なかったから私が決める」とお局様が決定を下す。
この間、お局様に意見できる人は影で溜息をつくだけで何もしない。怯える人は陰口だけで何も言わない。お局様の目線からすると、確かに孤独な一本道だ。
「喧嘩がしたいわけじゃない。違う意見も聞きたい」
そう言われた瞬間に眩暈がしたのは、自分の認識が揺らいだからだ。
何でこの人は急に普通の人っぽいことを言うんだ。目が合った奴らを全員ボコボコにするような生き方をしているじゃないか。もしこの人がこんな、いかにも普通のことを言うと、わたしはこの人を怪物じゃなくて普通の人だと思ってしまう。普通だから理不尽な仕打ちに歪んで、歪んだから手を差し伸べてもらえなくて、手を差し伸べてもらえないから怪物になった、ただの可哀想な人に見えてしまうじゃないか。
わたしがお局様に対して行ったのは、普通のことだけ。
何をしたか? 無視されるとわかって挨拶をして、注意をされれば非礼を詫びて、フォローされればお礼を言った。わからないことがあれば聞き、無知を咎められれば反省する。お前はわたしを特別にいじめるが、こっちはお前をなんてことのない日常の一部としか思っていないぞという反抗心からの行動だけど、特別なことは何もしなかった。
特別なことなんて何もないのに、お局様はわたしを懐に入れた。先輩たちからは猛獣使いと呼ばれた。上役からはお前がお局様のハンドルを握るんだと謎の激励を受けた。だけど何も響かない。きっと褒められて、認められているんだろうけど何一つ嬉しくない。頭の中にこびりついて離れないのは、わたしが自分の意見を真っ向から言った時の、嬉しそうなお局様の顔。
この人は普通の人なのに、こんな怪物になってしまったのか。
一度でもそう考えてしまうと、信じて立っていた足元がぐらぐらと揺れるような、どうしようもない不安に襲われた。
おはよう自我
性格は25��を過ぎると変わらない、というのは友人の言葉だ。
25という数字の根拠はわからない。だけど友人の体感としては大体それくらいの年頃から融通がきかなくなっていくらしい。友人はわたしが受けた理不尽(主にお局様)の話を聞くたび「凝り固まった奴らはどうしようもないよ」と諦め顔で笑う。
友人の言葉には納得できたりできなかったりするけれど、個人的には「大人になったら性格は濃縮される」という持論を推したい。気の利く人がいつしか神経質になったり、雑な人はおおらかになったり。自我が確立した人間の性格は、とんでもない理不尽や幸運が無ければ、培った自我から派生していくものだと思っている。
と、したり顔で喋ったものの、わたしの体感として自我の芽生えはつい最近で、偶然にも25歳の時だ。友人がどうしようもないよと匙を投げる年頃にやっと芽生えた。遅すぎる自我よ、おはよう。
自我がない25年間は何をしていたんだと言われそうだけど、それなりに頑張って生きていた。もちろん記憶はあるし、自由意志もあるし、ちゃんと人間として過ごしていた。それでも不思議なことに、25歳の時不意に「自分はこういう人間なんだ」と納得する瞬間があったのだ。
出来ること出来ないこと、やりたいことやれないこと。理解と諦めと希望がごちゃ混ぜになった不思議な気分だった。ふわふわと漂っていた自分の表面に薄皮が張られたような、世界の解像度が上がったような、言い知れない感覚をどう表せばいいのかよくわからない。
だけどひとつ確かにわかるのは、自分と他人は違う人間だ、とこれまで以上に感じるようになったこと。自分の基本的なかたちがわかったから、生きるのが少し楽になった。
大辞林によると、自我とは「意識や行為を主体としてつかさどる主体としての私」らしい。細かい定義を個人がどれだけ認識しているかはさておき、インターネット上では「最近自我が芽生えた」と呟くアカウントがいくつか存在する。自分を赤ちゃんだと思う人RT、みたいな感じではなく「主体としての私」が芽生えたのがつい最近、という雰囲気のアカウントだ。
自我が芽生える前後のツイートを遡って見てみても、特に差異は感じない。普通に人生の断片が記載されているだけで自我の有る無しなんてわからない。それでも本人の体感として「最近自我が芽生えた」という意識があるのは、わたしと境遇が似ているようで親近感が持てた。
そんな顔もしらないアカウント達が「自分は20代後半に芽生えた。周囲もそれくらいで芽生える人が多い」「自分は双子だから物ごころついた時から他人との違いや自我を感じて生きていた」「自我が芽生える前の生き方をよく覚えていない」などと呟く様子を眺めるのが好きだった。
他人に求められる役割や、着せられがちな生き方がある。だけどそれよりも自分の行きたい道があって、思考しながら日々進む。思い悩むこともあるけど他人のことはあまり、気にしなくなった。
友人たちも似たような感じだ。個人主義になったと言えばいいのだろうか。みんな自分の世界があって、他人の世界も大切にする。学生時代と違って気の合わない人���ちとは距離も置けるし、大人になってからの方が楽しい人間関係を築けると確信した。
確信した。そう、それは間違いじゃない。だけど気になることがあるのだ。
自分というかたちを知るほど、興味のないものを全く取り込まなくなってきた。行動の自由度が高まった分、思い通りにならない時に苛立ちを感じてしまう。わたしはどんどん我儘になっている気がした。
友人の言葉を借りれば、人間は25歳を過ぎると性格を変えることができない。
これはもしかして「だいたい25歳あたりから自分の歩き方がわかるから進む道を譲らなくなる。結果として柔軟性が無くなり、自分を形作る価値観の再編ができない」のではないか。そしてわたしの理論では性格というのは濃縮される。価値観の再編ができないままどんどん濃くなっていく。
ここで一文、山月記から引用をする。
「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」
濃縮されゆく人間の気質は、いずれ猛獣に至る。
このまま気のおけない友人に囲まれて、自分のやりたいことをやって、見たいものだけを見ていったらわたしの性格はどんな風に濃縮されるのだろう。今現在、気の合わない人たちを排除した人間関係を築いているくらいだ、この先解放的な性格になるとは思えない。
自分の世界を深めることは、他人が持つ世界との差異を浮き彫りにすることだ。自分の信条に合わない世界も必ずあるだろう。わたしはそれを尊重できるだろうか。
耳に優しい言葉を聞いて、見たいものだけを見て、自分の世界を深めていく。それは風の吹かない部屋で延々と穴を掘ることと何が違うのだろう。わたしがいつか狭い穴の中で暮らすようになったら、「外は晴れてるから出ておいで」と言ってくれる人はいるだろうか。もし誰もいなかったら、わたしは永遠に穴の中で暮らす羽目になる。
そして「穴の中より広い家の方が荷物も置けるし便利だよ」という他人の忠告を、忠告として受け取ることができるだろうか。視野が狭くなってしまえば、自分の世界以外のものは全て亜流に見えるかもしれない。「この穴の良さがわからないなんて」とか言ってしまうかもしれない。
自分が世間一般から大きく外れた生き物になってしまう可能性を、初めて考えた。
そして、冷やかな目で見られ持て余されたお局様に自分の姿が重なる。
わたしもお局様のようになる可能性がある。
そんな考えに至った時、心の中で虎が吠えたような気がした。
内側からの足音
ここで改めて、山月記を復習する。
山月記 (中島 敦) 隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こwww.aozora.gr.jp
ものすごく簡単にあらすじを書く。
能力はあるのに生活が苦しい李徴という男がいる。地方の役人を辞めて詩で生きようとするものの全然売れない。家族養うには詩じゃ無理だな、と再び役人になるも、昔見下していた奴らが出世して指示出ししてくるからプライドがぼろ��ろ。発狂して虎になってしまった。
そして虎として生きていた李徴は、かつての友人である袁傪と再会する。
李徴は袁傪と会話をする。「何かが呼んでるから外に出たら自然と走り出しちゃって、すごい夢中で走るうちに力がみなぎって、気づいたら虎になってたんだよね」「人の心と虎の心が混じってるから、うさぎ食べる時もあれば自己嫌悪がやばい時もある」「このまま虎になる予感がするけど、詩で有名になれなかったのが心底辛いからちょっとこの詩メモって」とか。
そして「でも虎になった理由、心当たり無いわけじゃない」と、以下のように語る。
人間であった時、己は努めて人との交りを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。
実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。
(中略)
人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。
そして李徴は「妻と子供にはもう死んだよって伝えて」「妻子よりも詩のことを先に話しちゃうあたりほんと虎」と自嘲しつつも「もうこの道通らないでね」「ちょっと歩いたら振り返ってみて。今の姿見せる。もう二度と君が会いたいなんて思わないように」と話して、宣言通りに虎となった姿を見せて、友人の前から姿を消す。
以上、ざっくりとした説明だけど、引用部分には思い当たる節しか無くひたすらに心が痛い。中島敦の破壊力に怯えるとともに、これがデビュー作という事実に驚く。
そして大事なところだから何度も引用をする。
「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」
わたしの中に芽吹いた自我は、よりよい人生への切符であると同時に猛獣の幼生でもあった。自分と世界の間に線を引く術を知ってしまったから、世界を自分のことのように感じ入ることが無くなって呼吸が楽になった反面、濃縮されゆく自分自身を希釈することが難しくなった。
自分の見える範囲、好きな範囲だけを掘り進めるのが本当に楽しいからこそ、強く思う。自我は、猛獣だ。虎だ。そして心地よい世界への入り口だ。李徴が虎になった時「身体中に力が充ち満ちた感じ」と表現された理由がよくわかる。
自分に自信を持つことは、素晴らしくもあり恐ろしい。
有名な動画だけど、自分を信じることの恐ろしさはこれを見るとわかりやすい。この動画ではバスケットボールが延々とパスされていく。そこで、動画の中で「白服の人が何回パスに参加したか」を答えてほしい。
おわかりいただけただろうか。
この動画の目的に気づいて��らえただろうか。
動画には事実が映されている。そのうち、わたし達はどれだけの情報を受け取っただろうか。見たいものは見えたとしても、見なかったものは、無かったことにされただろうか。自分でも気づかないうちにかけていた色眼鏡は、いつ外せるのだろうか。
どうしてこんなにも、わたしは自分の中にいる猛獣を恐れているのか。
それは「素敵な自分でいたい」とか「よりアップデートされた自分でいたい」なんていうお綺麗なものじゃなくて、ただ単に身近な怪物たちが哀れで醜いからだ。
愚痴ついでに説明するとお局様の他にもう一人、職場に怪物がいる。
わたしと同時期に入ってきた男の子だった。素直で明るい体育会系で、愚痴をこぼすのが下手くそ。溜め込んでしまうタイプだなあと気にかけていたけど、ちょっと会わない間に怪物に変貌していた。
彼は愚痴を言うのも、話し相手を選ぶのも下手だった。どんな悪態にも同調し、否定せず、建設的な意見よりも感情的な意見を述べ、煽ることが得意な奴とつるんでしまった結果、自分の抱く負の感情を全て「尊重されるべき真っ当なもの」と思うようになった。友人は選んだ方がいい。悪い奴じゃなくても癖のある奴は用法容量を守るべき。ちなみに癖だらけの煽りマンは、わたしがプレイしているゲームに出てくる「キャスターリンボ」という奴が本当によく似てる。
彼は職場の人間のうち大半を嫌いになった。もちろん顔には出さないけれど、壁に耳あり障子に目あり、キャスターリンボと話している内容は筒抜けだから彼の罵詈雑言レパートリーは皆よく知るところである。
彼が人を嫌う基準は、最初こそ真っ当だった。仕事が適当だとか、やり方が強引だとか。その点、性別や見た目、歩き方やで人を嫌うお局様とは違う。しかし次第に腹を立てるハードルがどんどん下がって、人によって許す許さないの基準を大きく変えた。
そして一度嫌いになった人間を徹底的にマークして、どんな同情的背景があろうと、その背景含めて人間性や犯したミスを延々と馬鹿にするのだ。「あいつの事情なんて俺知らない」と子どものように頬を膨らませながら。
そして後輩たちを集めて、愚痴を肴に飲み会を開く。下には強く上には媚び、ながら唾を吐く。なお建設的な意見を表立って言いはしない。影でこそこそと、キャスターリンボや後輩たちに愚痴るだけだ。
愚痴のレベルがえげつない彼は、今でこそ腫れ物に触るように扱われるけれど、仕事に対する誠実さや巧みな話術は目を見張るものがあって、キャスターリンボとつるみさえしなければ将来の幹部候補だったと上司が嘆いていた。でも今の彼が幹部になったらパワハラセクハラモラハラが権力と服を着て歩いているような感じになってしまう。とんだ化け物だ。そうなればすみやかに辞職しなければならない。
人間の相性は化学反応のようで、理想通りには進まない。向けられた感情を鏡のように反射するコミュニケーション術を持ったキャスターリンボと、負の感情のコ��トロールが下手くそな彼は、壊滅的に相性が良すぎたのだろう。
かつて同期として肩を並べていたはずの彼は、随分遠くに行ってしまった。入ってきた頃は、溜息交じりに扱い方を囁かれるような人間ではなかった。こうなる前に何か出来ることがあったのかもしれない。そんなことを考えては、現状を思い気分が沈んだ。今のわたしは彼に嫌われているから何を言っても届かない。
お局様も彼も、良いところはあるものの人間として尊敬できない。好きか嫌いかで言えば嫌いだ。興味はあるし同情もするけど、こんな人間にはなりたくない。だけどわたしは最近、自分の都合で他人に苛立つことが増えた。あえて見たいものだけを見ているように思う。見たくない自分を見つめていると、二人とも、わたしの生きる延長線上に立っている気がした。
周囲を巻き込みながらも気持ちよく生きている二人がどうにも他人事には思えない。わたしが彼に対して何かしたかったと思うのは、自分がもし怪物になった時、誰かに止めてほしいと思うからなのかもしれない。
臆病者の旅路
「自分が行動を起こせば変わった、なんて思うのは傲慢だよ」
怪物になった彼のことを引きずるわたしに、屈強なミスチルファンがそう言った。このミスチルファン(以下ファンと呼ぶ)は彼のことを友人の友人程度に知っており、彼の変貌過程も知っている。
「あいつは成るべくしてそう成ったんだよ。あんなになっても誰も止めてくれない程度の人間関係しか築けなかったあいつ自身に問題があるから、周りがどうこうって問題じゃない。そこまで気にするのは筋違いだし踏み込み過ぎ」とファンは言う。ドライな意見に聞こえるけど自信満々に言われると一理あるような気がしてくる。
ファンはわたしよりも早い段階で「自我」を確立していた。中学高校の時には既に今と同じ自分の世界を、自分の理論を持っていたらしい。そして「調子乗ってたらボコボコにされたけど、叱ってくれる人がいなかったら自意識モンスターになってたから良かった」と話してくれたことがある。
もしかしたら、自意識モンスターという概念を持っているファンには自分が怪物になる恐怖を理解してもらえるかもしれない。そんな思いで打ち明けた。これまで書き連ねてきたことを、一から十まで長々と。
ファンは時々頷きながら、黙って聞いてくれた。そして話が終わり、沈黙が続く。どんな反応をするかと待っていたら、ファンは突然歌い出した。
「滞らないように揺れて流れて、透き通ってく水のような心であれたら「アー↑」
名曲HANABIである。
「HANABIだ、まじHANABIだわ」と、ファンはひとりで納得しながら桜井さんすごいと呪文のように唱えた。そして「今度ミスチルの詩集貸すよ……曲もいいけど文字で見たら全然雰囲気違うし染み込み方が違うから」と力強く約束してくれた。ミスチルが詩集を出していたことを、わたしはその時初めて知った。
ファンが言うには、HANABIという曲は「ボーカルの桜井さんが冬場金魚の水槽を掃除するときにね、水が冷たいからちょっと貯めて放置しつつ……あれ塩素抜きを兼ねて��んだっけ? まあいいけど水貯めた翌日水の中に金魚を入れたらバタバタ死んでね、金魚が死んだのは水の中に空気が無かったからなんだけど、ああ水も死ぬんだな、人間も同じだなあという思いからHANABIという曲が生まれたんだよ」ということらしい。
ファンは歌い出し以降、わたしの怪物化への懸念に言及することなく、いかに桜井さんが素晴らしいかという話を延々と続けた。詩の作り込みが凄まじく、自分が生きる中で曲の印象が変わっていくのが面白いのだと。そして「HANABIの解釈がまたひとつ深まってしまった」「桜井さんはアップテンポな曲に容易く地獄を放り込む」と満足そうに去っていった。
わたしはミスチルファン歴が浅く、桜井さんのことはまだよくわからない。だけどファンの感性や屈強さは心から信頼している。だから、わたしが怪物の話をした直後に突如歌われたフレーズをファンの回答として勝手に受け取ることとした。
空気も水も溜まれば淀む。人だって立ち止まれば淀むのだ。透き通った心でいたいなら常に心を動かさなくてはならない……そういうことなんだろう。と思った矢先にファンからLINEが届いた。
「今みたいに揺れるのが大事なんだと思う」「自分はこれでいいのかって悩み続けること自体に意味があって」「どんどん新しいものを取り入れていけば」「自浄作用も働くし」「周りの人からも大事にしてもらえる」
細切れに届く言葉は胸に響くものの、お前それ面と向かって言ってほしかったし何なら歌う前に言ってくれやという気持ちが前に出る。
だけどこういう想定外の行動によって、自分の思い浮かべるやりとりよりも斜め上のやりとりが生まれた時、世界はわからんことだらけだなあと驚きを感じる。面白い時も苛立つ時もあるけど、こうやって人から驚きを貰える限り、わたしの世界はおそらく滞らないのだと思う。
問題はわたし自身が、自分の心を「揺れて流れる」ような不安定すぎる場所に置き続けられるか、ということで。驚きを与えてくれる友人がいても、結局は自分次第だ。
心に住まう猛獣はわたし自身であり、手綱も握っている。だけど、不安がどうにも拭えない。他の人たちはわたしのように猛獣を恐れたりしないのだろうか。ただ真っ直ぐに生きているのか、それとも自分を恐れることなく律することが出来るのか。
本来これは感じなくても生きていける恐怖なのかもしれない。だとしたら、そんなものに怯えているわたしは貧乏くじを引いてしまったのか、あるいは精神が未熟なのか。
そんなことを考えている時、インターネットで出会った友人の言葉を思い出した。ぼんやりと覚えていたものを、もう一度あれ教えてと頼みこんだらログを発掘してくれたので引用させていただく。
「文明の広がりと生命維持とか考えると色々面白いよね。例えば日本人はとても鬱になりやすいけど、統計とってみるとアフリカ(人類の起源)から離れるほどセロトニントランスポーター(心の安定に寄与する物質を運ぶもの)の働きが弱いんだってさ。��まりとても不安になりやすい」
「でも私たちがアフリカから極東に辿り着くには、それは重要なことだったんだよね。不安で周りを確認しておっかなびっくり足を踏み出す人間じゃないと、遠くの目的地には到達できない。人間どうしたってネガティブになりがちだけど、私たちはネガティブだからこそ今まで生存できてたってわけです」
「古代文明が栄えた場所も、全部あったかいところなんだよね。シュメール、アッカド、バビロニア。ほかの四大文明も。でも、時代を追うにつれて主役は北へ北へと移っていってるんだよね。やっぱりアフリカから遠く離れれば離れるほど不安だから、色々立ち止まって考えることが多くて、その結果なのかもしれないなあなんて思ったりします」
「じゃあ、移動手段と情報伝達が過度に発達した現代や未来はどうなるんだろうって思うと、途端に法則が当てはまらなくなるから困る。文明の北上は臨界点だし、等しく技術が飽和したなら、今度は環境の恵まれた南の辺りから自由な発想が生まれてくるのかもしれないし、もしかしたら、さらなる北を求めて人間は宇宙にさまよい出すのかもしれないなって思いました」
この話を聞いた当時は、人間すげえや、とか何でこの人こんなこと知ってるのすごっ面白っとしか思わなかった。だけど今はこの話に励まされている。
臆病者じゃないと到達できない場所がある。精神論じゃない。今わたしがここで生きているのは、過去の臆病者たちが一歩を踏み出した結果。わたしの未熟さ、抱える恐怖は、もしかしたら遥か遠くに辿り着くために必要な要素なのかもしれない。
行き着く先できっとわたしは色んなものに触れて、考えて、自分を確かめては組み替える。心の中の猛獣に押しつぶされて他を顧みない怪物となれば、完結した世界に満足して旅に出る気にもならないだろう。だけど恐怖に震える間は、怪物にならず歩いて行ける。長い旅路に意味はある。現に足を伸ばしてオンラインの世界に辿り着いたからこそ友人に出会い、知識に触れ、こうして励まされたのだから。
いつか怪物になるわたしへ
それでもやっぱり、わたしはいつか怪物になると思う。
いずれ自分が塗り替えられるという恐怖と戦いながら、怪物化に抗いながら、最終的には成ってしまうと思うのだ。様々なものを見聞きして、考え込んで、いつか考えることを止めて。そうして引き籠る内側の世界はきっと居心地が良い。自分を疑い続けるような旅を続けるより、好きなものだけを追及する方が幸せだと思う。
自分の世界の外に向けた想像力が、わたしを人間たらしめている。目の前に立っている人が見えないところで泣いている可能性を考えるし、自分の理屈が他人に通用しないことを知っている。
だけどこの想像力を全て自分のためだけに使うのなら、誰が泣こうが喚こうが知ったこっちゃないし、理屈は押し通すものとして狡猾に立ち回るだろう。自分のためだけに生きれば毎日がもっと楽になる。
怪物になりたくないと思うたび、怪物の良さ���突き付けられる。いつの日かこんな風に悩むことすら面倒になって、全てを放り投げて大の字に寝転ぶ時が必ずやって来る。わたしは臆病な奴だから、自分を傷つけて揺るがすものから必ず逃げたくなるだろう。そして考えることを止めて、周りにイエスマンだけを置いて、自分だけの素敵な世界を作りたくなるはずだ。
怪物になったら、怪物じゃない時の理想なんて理解できないかもしれない。だから正気があるうちに「わたしが変なことを言ったらボコボコにしてほしい」と介錯願いを数人に出している。勇者を育てる魔王がいたならこんな気分なのかもしれない。どうか綺麗に殺しておくれ、わが愛しの勇者たちよ。もし君達が先に怪物化したら喜び勇んで殴りに行くね。
いつか怪物になるわたしは、世間で触れ合う怪物どもに中指を立てて生きている。いずれ自分も辿る道、自覚も無しに通る道。哀れで醜い、と言われる側に立った時、わたしは何を見ているだろう。自分が怪物になったと気づかず、他の奴らを見下しているのだろうか。実はもうとっくに怪物なのかもしれないけど、勇者たちからの正論パンチが飛んできていないからまだセーフだと思いたい。
ふざけて「虎になる」なんて言っていた頃から、随分遠くに来てしまった。見える景色も歩き方も随分変わったけど、わたしという人間の連続性はゆるやかに保たれながら過去から未来へ伸びていく。願わくばこの悩ましい旅路が、葛藤ばかりではなく瑞々しい驚きと喜びに満ちたものになりますように。
この文章はいつか怪物になるわたしへ向けた弔辞であり、激励であり、備忘録だ。
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秋の下で~アルター・エゴ
!Transformers Fan Fiction!
・ローラーとプロールの話
・IDW1Seriesネタバレを含みます。
・独自解釈、また人間関係が原作と異なります。
00.
蝶になった夢を、お前は見ている。
お前になった夢を、蝶は見ている。宛ら、歴史に準えるように、蝶は現世の夢を見る。有り得たかもしれない可能性を、悲劇を謳う様に奏でる様を、逸話であり得たかもしれない悪夢を、幻想を、夢を――そして、誰かの嗚咽を。
結局は最後に残るのは誰かの悲しみだけだ。可哀想に、だって幸せなんて永遠に続く筈が無いのに、
お前が呪いを受ける筈だったのに。
――ある平行世界の歴史から発掘されたとあるディセプティコン指揮官との会話ログ
×××××:では、貴方は同胞を処刑するのに躊躇いもないと――そう仰っているのですか?
被験体04:ああ、そうだ
×××××:貴方は元々オートボットだった筈です。そのディセプティコンに関わっているオートボットですら殺すのは人としてどうなのですか?それは貴方の憎悪なのですか?貴方の精神は異常を起こしています。とても人として有り得ないのです。
被験体04:それはとっくに言われた事だ。貴方はとてもいい精神科医だ。その腕だったら、戦争被害者を救えるのかもしれないのに。
×××××:それはとてもあり得ません…私はただの医者です。そして、医者は誰かを救えるとは限らないのです。だとしたら、貴方は何を望むのですか?憎悪?それとも――メガトロンへの憧憬?
被験体04:メガトロンの為に裏切り者を殺す
×××××:…………そうですか。貴方は本当に変わってしまったのですね。オプティマス・プライムの指示で、貴方を調べさせていただきましたが、昔の姿とは到底大違いです。貴方の名前は?
被験体04:――ターン
×××××:ですが、貴方の身柄や情報を調べさせて頂きました。貴方、本当は(此処だけノイズが入っていて読み取れない)なのでしょう?
被験体04:その名前はとっくに捨てた
×××××:いいえ、そんな事はありません。何故、貴方は友を裏切ったのですか!?貴方はどうして――オプティマス・プライムを裏切ったのですか!?私には、到底信じられない事で…っ
被験体04:オプティマス・プライム――ああ、そうだった。彼は――とても素晴らしい友人だったよ
(その言葉の先はノイズで途切れていて進めない。会話はここで終了している)
01.
少し仮眠していた。
目が覚めてあの一連の後、ラチェットと話をした後――遺体安置室に行った。安置台に横たわっているスキッズの遺体。あの頃の、ショックウェーブの学び舎でグリッヂやウィンドチャージャーと健気に話をしていた学生だった彼は、大人びて成長していた。ロストライトクルーの一人であるノーティカから聞いた話だと、彼はスワーブやゲッタウェイと親しくやっており、仲睦まじくしている様子が見られていたと。
(どうしてこんな事に――)
ターン――いや、グリッヂの戦いの時に命を落とし、トレイルカッター――トレイルブレイカーもまた、彼の部下によって殺された。スキッズは過去を失った理由はターンの手を借り、グラインドコアを修復した事によって多くの悲劇が起きてしまった。自らの罪を悔やみ、過去を記憶の彼方に葬り去った。過去を悔やんでも仕方がない。だから、前を向く事で――自分自身と向き合う事が出来るのだから。だが、この結末は残酷ではないのか?何時の間にか仮眠をしていたらしく、部屋の隅で居眠りをしていた。すると、安置室にもう一人、部屋に入ってきた者がいた。
「……ああ、貴方でしたか………」
ラング。ロストライト号の精神科医である。スキッズに色々助けられた。とラチェットから話は聞いている、が。あまり顔色は良くない様子だ。
「…すまなかった」
「貴方は、何も悪くありません。……ただ、私は皆から想像出来るほど、誰かを救う先生じゃないんです」
「スキッズの事だろう?お前は何も――責める事は無いんだ」
「すみません……ただ、スキッズは悔いは無い。と思っていると思いますが…こんなの、耐えられないんです」
ラングは、辛そうに心境を吐き出した。
「…折角会えた同僚に裏切られ、自分自身をズタズタにされ…私は、彼の本当の心に気付けられなかったんです…!」
一瞬の沈黙。ラングは、吐き気を堪え――ローラーはラングを抱き締め、落ち着かせた。
「すみません……けれど、スキッズが死んだ現実がまだ、受け入れられずに居るんです…」
自分自身も分かっていた筈なのだ。ショックウェーブも、グリッヂも、トレイルブレイカーも――そしてスキッズも、もう此処には居ないのだ。けれど、自分自身がオプティマスや彼等を信じていた筈だ。自分自身の無力さを呪っても、自分自身で選んだ筈だ。だが、この代償は重過ぎる。今度は自分自身が、現実を受け入れる番なのだろうか。
「……すまない」
ラングが嗚咽に漏れ、すすり泣く声がした。ローラーは目の前の現実を、ゆっくり受け入れるように、スキッズの遺体をただ、見つめる事しかできなかった。
02.
「なあ、俺思うんだけどさ」
アノードは突然のラグの発言を耳にし、アノードは「どうしたの?」と後ろに居るラグを見た。
「ローラーさんってさ――あの有名なオプティマス・プライムの友人で相棒だったんだろ?どうして彼の話をしたがらないんだろうって」
ラグがローラーの肩に乗せて貰って、やんちゃに遊んでいる様子が見られるのだが。でもラグが復活して何事も無かったら良いんだけど。とアノードは思う。もうあの辛い出来事は二度と御免だ。
「…多分、思うんだけど。あまり話したがらないのって嫌な事でもあったんじゃないのかな」
「どうしてそう思うの?」
「…前、遺体安置室があるエリアに行ったんだけどさ。ローラーさんがラング先生と何らかの話をしていたんだよ。スキッズ…?だったかな。その人の話をしてたんだ。ラング先生、とっても辛そうだった��
スキッズについては、多分恐らくきっと…ローラーの知り合いだと思うが、アノードは、多分違うのだろう。と否定した。
「ラグ――それは違うと思う」
「え?何でだよ」
「多分、オプティマスの事を話したがらないのって…辛いんじゃないのかな。ほら、私だってラグが死んだ事実を受け入れられないから、必死で誤魔化した事があったじゃない」
多分、ローラーも重い事実を受け入れる事がまだ出来ないんじゃないのかな。とアノードは答える。アノードの答えに、ラグは自分の身を考えると――ローラーも重い事実を背負っている、だから…と考えたが、アノードを見つめた。
「…ねえラグ」
「?どうしたんだ」
「私もローラーに肩車されたいな」
「はい?????????」
アノードがアノードのままで、本当に良かったと思う――それを内心嬉しく思ったラグであった。
「…………すまん」
メガトロンとあの機能主義者の世界の一件の後、ラチェットは再び、ローラーに詫びた。
「お前が、謝る事は無いんだ」
「お前さんを再び…事件に巻き込んでしまったのは、申し訳無いと思う」
「だから、お前が謝るべきではないんだ――悪いのは、何ものうのうと事実を受け止めきれないでいる、俺だ」
トレイルカッターやスキッズの事は、本当に悪かった。
「…そしてファルマも、巻き込んでしまったんだ。だから――」
メガトロンは今頃、何をしているのだろうか――恐らくは、スタースクリームもサウンドウェーブも居ない。あの世界でうまくや���ていけるだろうか。度重なる不安と、ラチェットのファーストエイドやホットスポット達の心配もある。自分が、今度はやるしかない。
05.
「なあ、あんたって…あのDJDの……」
ニッケルが振り向くと、フルクラムが恐れ恐れにDJDと問いかける。ニッケルは「ええ…も、元DJDだったのよ」と返した。
「DJDって、メガトロンによって壊滅したんだよ、な…。だったら、俺はもうあいつらの影に怯えずに済む…けど、今はスコルノポックの奴等が居るから一難去って、また一難なんだよな」
スコルノポックは自らが持っているマグニフィカスを狙っている筈だ。しかし、デスザラスと別れて、今はフルクラム達と一緒に居る。ニッケルはフルクラム、いや――スカベンジャーズと一緒なら、大丈夫だ。スコルノポックとは違い、良心を持ち合わせている。
「けど……DJDの医者であるあんたが、何で裏切るような事を…」
「えっと……ごめんなさい。あそこに居るのが、辛かったの」「……そ、そうなのか」
誤魔化してしまった。けれども、ターンが自分のリペアを受けた時――ある事を喋っていた。
いつ、の事だろうか。
「ショックウェーブ議員?…オプティマスプライムの、本当の名前…?」
ニッケルは、ターンの言葉に耳を傾けた。
「ああ、ディセプティコンの科学参謀であるショックウェーブは…本来は私の"師"であった。評議会へのクーデターで、元々の本来の姿は失われた――」
「データバンクに載ってあったエンピュラータと、シャドウプレイの事かしら?」
あの技術は禁忌技術の筈だ――禁忌とされてきた技術を、評議会が隠し持っていたのだろうか。
「だが、私は見て来たのだ。師はオプティマスプライムの…友人だったのだ」
「えっ、友人」
それは初耳だ。自分はまだDJDに入って日が浅い、だからメンバーのリペアやケアをしていながらも、彼等の世間話をしているが――ターンの話は、意外な話だった。まさかターンに、師が居るなんて。
「師は…学生だった私に、色々な事を教えてくれた。だが、それはある事件によって唐突に終わった。師は評議会に連行された後――シャドウプレイの手術を強制的に施行された」
「酷い…どうして、評議会はそんな事を」
「…正義だからこそ、どんな事を使っても厭わないと言う免罪符が評議会には蔓延っていたのだ。私の顔は――元々は師の顔が使われていたのだから」
ニッケルはターンの顔を見上げた。顔の半分は、醜い傷跡で覆われている。元々はショックウェーブの顔だった。
「…ターンは、どうしてディセプティコンに入ったの?」
「――ニッケル?」
フルクラムの言葉に、ニッケルは我に返った。今は、此処から脱出する事を考えるべきだ。フルクラムやクランクケースは武器を持ち併せている最中――ニッケルはある事を思い返していた。
『――ただ、純粋な力で師の友人である、ある男が羨ましかった』
(……それって………)
ターンの言葉が、胸にまだひっかかった。
04.
「やはり、大義なんて本当は――いらなかったんじゃないのか」
ローラーはラチェットを見て、そう言いながらエンゲックスを飲んだ。ロディマスを指しているのだろうか。ああ、やっぱりオライオンの事だろうな――とラチェットは言葉を返した。
「プライムになると言う事は、大きな代償を払わなければならない。オプティマスは、大きな代償を払った――私は、彼を責める事は出来なかった。それが彼の進む道だ…ショックウェーブや、スプリングアームとホイールアーチが居ない、誰が彼を支えると言うんだ。それでも彼は、大義を掲げながらも、自分を保とうと…」
「…再び別れてから、暫く会っていないんだろう。だが、あいつは…『正義感が強いロディオン警察署長』と皆は言うけれども、本当は大きく何かを背負い込みがちな性格をしているんだ。俺や、ラチェットに悩みを打ち明ければ、助けにもなれば良かったんだ」
ショックウェーブの一件から、オライオン――オプティマスは、大きく変わった。何かを抱え込みで、本心すら打ち明けられない状況が続いた。ゼータプライムの戦いや、地球での出来事、そして――あの悲劇が。
「…私は、本当にこれで良かったのか。と今までずっと、悩んでいた。ファルマの一件のあと、アンブロンを失ったのも、ファーストエイドに大きな荷物を背負わせたのも――私の責任があった。それに――ドリフトが一度、出て行った時に、ファルマもあんな気持ちだったんだろうか。ただ、お前さんが行方不明になった時も――バンブルビーが、死んだ時も――他者の為に、自己犠牲をする彼等が、私は、本心でずっと嫌になったんじゃないのかと」
ラチェットの思い切りの行動で、ドリフトを連れ戻した行動は――それは、正しい行動なのだと信じた。ただ――自己犠牲する精神が、本当は嫌になってきたんじゃないか。と何処かで引っ掛かってきた。
「…一人で自分を犠牲にしながら死ぬくらいなら、人に看取られて死んで来い」
その、思い切りの精神がラチェットの今も昔も変わらない精神だった。
「ローラー、お前さんもだ!!!ゼータプライムの戦いの時だって勝手に無茶をして一人で特攻して…!無断で特攻するなんて無茶すぎる!」
ラチェットの図星と思える発言に、ローラーは黙り込んだ。
「…だが、もうあの無茶はするな。二度と他者を悲しませるような、自分を傷つけてまで行動するのは止せ………?どうした、何頭を抱えているんだ」
ローラーは腹を抱えて笑った。何時以来だろう、こんな会話をしたのは。
「…こうやってお前と、話をするなんていつ以来だろうな。今までずっと、ピリピリした会話だったからな」
「…やはりお前さん、本当は今も昔も根っこは変わっていないのではないのか?」
「有難う」
ラチェットはため息をつきながらも、今度スワーブバーに誘ったらドリフトに絶対無茶も承知なローラーの愚痴を吐いてやる。と誓った。
05.
ウルトラマグナスが機能主義世界に一人残ったメガトロンの事を考えた。自分で、スタースクリームもサウンドウェーブも居ないあの世界で、どう戦えと言うのだろうか。ただ、ローラーはメガトロンを信頼し、メガトロンもロディマスに後を託した。
――彼なら、メガトロンを一番信頼しているのかもしれない。
オプティマス・プライム――元々は、オライオン・パックスと共に戦った仲間だ。オプティマスがメガトロンを理解しているのであれば、ローラーも少なからずメガトロンを信頼しているのだろう。私とラチェットとローラーに後の事を託したメガトロンは、今頃何をしているのだろうか。無事を祈るしかなかった。それを見かけたロディマスが、ウルトラマグナスに寄りかかる。
「…なあ、マグナス。話があるんだ」
「話、とは?」
「……俺、やっぱりリーダーに向いていないのかな」
ロディマスが、メガトロンが居なくなった途端にほんの少し、不安が零れた気がした。
「…俺、元々リーダーの気質に向いていないってアトマイザーやゲッタウェイからそう言われていたけど、ゲッタウェイの気持ちも少し…分かるかもしれないんだ。でも、仲間を危険に晒す行為なんて絶対にしちゃ駄目なんだ。だから、俺達はサイバーユートピアを目指さなきゃならない…けど、今の現状、仲間が皆不安に駆られているんだ。だから俺が元気を出して、皆の背中を押さなきゃいけないんだ」
メガトロンが居たからこそ、ロディマスは船長で居られたのだろう。だが、メガトロンが居ない現状、スキッズの死やゲッタウェイの裏切りで精神が限界に近付いている仲間達を鼓舞する為に、ロディマスは無理をしながらも元気に振る舞っている。
「…ロディマス、あまり無理はするな」
「えっ?……えっ」
ロディマスがウルトラマグナスに抱き抱えられるような形で、椅子に座らせた。
「君が一番無理をしている。そんな事をしても皆、不安になるだけだ……だから、不安や気持ちを、私にぶつけてくれ」
…だから今は、メガトロンが居ない今、自分がロディマスを支えるべきだ。ウルトラマグナスはそう思い、メガトロンの無事を祈った。
06.
それは何時だったか、もう戻れないあの時の話。
目の前に居るのはラチェットの友人?弟子みたいな存在と、オライオンからの話は聞いていたが、まさか此処までしかめっ面な性格をしているなんて想像もしていなかったのだ。クレムジーク印のドリンクなら、此処なら取り扱っているのかもしれないと思い、彼に問いかけたら物凄く滅茶苦茶な事を言われた気がするのだ。
「自分で探れ」と。
この後、色々何とかクレムジークドリンクがある自販機を発見してどうにか手に入れた後。休憩室で彼と、話をしていた。ある時、こう言われたのだ。
「それで、お前は時折複雑な表情を見せるな」
スプリングアームとホイールアーチの一件以来、顔色を暗くさせる事があったオライオンだったが、ショックウェーブ議員と出会った事で顔色を明るくさせる事が多くなったのだが――自分が、複雑な表情をする事があった。この複雑な心境は、嫉妬なのだろうか。だが、自分はこれ以上、彼――ファルマに、言及する事はなかった。
「無理な願いなんだ…」
サイバーユートピアのデータを集めている最中に、あの時の事を思い出す。ラチェットとファルマ、ショックウェーブとアカデミーの彼等を思う。一緒に、平穏に暮らせるなんて、最初から無理な願いなのだ。自分は、そんな願いがあって欲しいと考えた。だが、それは無理な願いだと分かりきって、嘆いて。
グリッヂとスキッズの殺し合い。
グリッヂが殺したファルマと言う存在。
救う事すら叶わないショックウェーブの存在。
願いは、どれも叶う事は許されなかった。許される筈が、無かったのだ。
07.
「トランスフォーマーってさ、死んだら何処に行くと思う?」
「オールスパークだろ?死んだらオールスパークに還るってノーティカさんに教えられたんだ。後ヴェロシティさんにも」
アノードの問いに、ラグはそう言葉を返した。だが、アノードはある事実を��った。
「…じゃあ、アフタースパークでみた光景、信じられる?」
「………」
ブレインストームがクォークと言うと、そのクォークと言う人物はブレインストームの名前を呼んだ。アフタースパークはスパークの安楽死施設と言われているが、ラグはいや俺だって到底受け入れられないんだよ…と愚痴ったのだが。
「…でも、ニッケルちゃんにとっては嬉しいんじゃないのかな。ター…」
「アノード、それ言っちゃいけない。ニッケルにとってかなり複雑なんだ…だから、そっとさせてくれないか…」
アノードはごめん!と言いながら、俯いているニッケルに謝った。ニッケルは「いい、の」とぼそりと呟いていた。だが、アノードは一つだけ、気がかりな事があった。
「…死者の、世界……ネクロボットさんも、この光景は何か知っているのか、な…」
「写真、残っているか?」「…ロディオン警察時代の写真か?」
ローラーがラチェットの部屋に入り、その写真をラチェットは机から引っ張り出した。かなり古ぼけた写真であるが、スプリングアームとホイールアーチ、オライオンとローラー…ロディオン警察時代の写真があった。
「懐かしいな。お前さんが新人であるスプリングアームとホイールアーチに、色々傍迷惑なアドバイスした頃は覚えているよ。よーく私の世話になってくれたからな」
「……は、はは…あの時のラチェットは怖かったからな……」
正直、怪我をしまくったスプリングアームたちとローラーを正座させてガミガミ説教させたのが懐かしい。
「……少し、力を抜け。お前さんは、責任感が強すぎる」
どうせスプリングアームの事だ。相当責任を張り詰めていたんだろう?とラチェットが彼に指摘すると、ローラーは椅子に座った。
「すまん」「お前さんは……悪くないんだ」
あの時、スプリングアームと再会した時は零れ落ちた感情が膨れ上がったのだろう。彼に、謝りたい気持ちも分かる。オライオンに、気持ちを吐き出したい気持ちも分かる。だが、過去も、今も変わらない――ラチェットは、問い掛けた。
「気持ちは?」
「整理した……一応」
「どうだった?」
「大丈夫……恐らく」
「お前さん、大丈夫か?」
「……恐らく、大丈夫じゃない」
ラチェットは、ローラーを見てなら、もう少し話をしようじゃないかと言わんばかりに、バルコニーに出た。
「お前さんは、そう言う奴だ」
08.
「本当は――俺がオプティマスを支えるべきだった筈なんだ」
オプティマスはメガトロンの理想に共感した。誰もが共に生きれる平等な世界――だけど、それが理不尽な事実に歪められてしまった。平等な世界、相互理解が出来る理想の世界。機能主義ではなく、誰もが平等に生きれる理想の世界。それが、叶わぬ夢だと思い知らされたのはショックウェーブが連れ去られた後――クーデターが起こった後だったのだから。
「けれど、それはショックウェーブがやるべき事だと何処かで言い訳をしていた。だから、支える事が出来なかった――自分で自分を追い詰めていたんだ」
ローラーの心境と、その葛藤でラチェットは、ただそれを聞いていた。それらが叶わぬ夢だと知っても尚、オプティマスの背中を追い続けていた。それも、ラチェットは最初から知っていた筈だ。自分もオプティマス――オライオンを支えるべきだった筈だ。だが、自分もまた、ショックウェーブが担うと何処かで言い訳をしてしまったのだろう。
「…今も、時々考えるんだ――何も知らなかった自分が嫌になる」
――スキッズとグリッヂの事の顛末は、変えられなかったのか。憎悪を復讐や処刑に走る彼を、自分が起こした過ち、罪を耐え切れず――自分自身を殺してしまった彼について何もかも、知らなかったのだ。
「…ターンの亡骸を――見た時は信じたくなかった。どうして、なんだと思いたかった。けれど、これも現実を受け止めなくちゃいけないのだろうかって言い訳を、何処かで――」
「……罪を犯した者は、一生糾弾されなければならない覚悟を背負わなければならない。言われようもない悪意も、どうしようもない事実も。私だって、覚悟をしていた。デルファイで――だが、ドリフトと出会い、共に行動していた時に分かった事があった」
過ぎた時間は戻らない。だから、今を大事にし――共に生き、共に死ぬ事が、自分に出来る使命なのだろうから。
本当は分かっていた筈だ。あの青い花が咲き乱れる世界で、嘗て共に笑い、共に生きると誓った彼等の墓標が其処にあるのだと。過去は取り戻す事が出来ない。過去を変える事は許されない。今を生き抜く事が、自分達に課せられた使命なのだから。再生と祝福、生と死、罪と罰。許されない真実と許された運命。
(――ショックウェーブ、お前は俺を――許してくれるか。彼等と共に、その世界に行くことが出来ない、自分を)
#idw transformers#transformers#ayane.fic#mtmte#lost light#roller#ratchet#pharma#anode#ultra magnus#nickel#fulcrum#tarn#rung#lug#Ayane.fic
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【My Favorite Movies of 2022】









【My Favorite Movies of 2022】
ノー・シャーク
バスタブとブロードウェイ: もうひとつのミュージカル世界(U-NXET邦題ブロードウェイとバスタブ)
エルヴィス
セイント・モード/狂信
アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー
スペンサー ダイアナの決意
NOPE/ノープ
ミセス・ハリス、パリへ行く
幸せへのまわり道
マイ・ニューヨーク・ダイアリー
*今年も「3年ルールで2020年以降公開を新作とカウント」します。 ◆劇場で
『エルヴィス/Elvis』
“その時、腰が動いた”。メンフィスからラスベガスまで悪夢と背中合わせのスターダムを貪り、貪られ、燃え尽きるまでの英雄暗黒神話。パーカー大佐を語り手に大胆に解釈した、魔術(ブードゥー?)的ジェットコースター映画。20世紀アメリカ史、ポップ音楽史、芸能史、信仰、亡霊…の複数レイヤーはぴったりくっ付いたまま、どれも切り離せない。エルヴィスもその一つ。でもこんだけアメリカの光と影を象徴するポップアイコンは、エルヴィスかマリリン・モンローくらいだろうな。(奇しくもその2人の映画が同じ年に…)
『スペンサー ダイアナの決意/Spencer』
『ジャッキー』に続き、パブロ・ララインの20世紀実録風「亡霊映画」。ジョニー・グリーンウッドの音楽、まるで棺を運ぶように進む車列、そこにあるキジの屍、そして「何かが見ている」気配を感じる亡霊視点のカメラが過剰にオカルトホラー。ダイアナは魂を失くした着せ替え人形と化し、二つの屋敷の間に放置された案山子だ。けど、ララインは亡霊を殺しはしない。ただ穏やかに安らぎを与えるのだった。
『ミセス・ハリス、パリへ行く/Mrs. Harris Goes to Paris』
憧れは力なり。キラキラ輝くドレスと、それに心奪われる瞬間のドリー・ズーム!ミセス・ハリスの赤い頬、ちょこまかした仕草、時に押しが強い姿勢、旅行鞄で佇む姿はまるでパディントン。でも実は対価についての話であり、「箱とその中身」の話で、ある意味左岸派映画。贅沢は敵じゃない!レスリー・マンヴィルとイザベル・ユペールの共演こそ、ほんと贅沢でした。
『NOPE/ノープ』
思った以上にスローバーン。そして思った以上に『ヴァスト・オブ・ナイト』と対になる。何せ、方や「I see you」、方や「I hear you」だもの。アレはアダムスキー型というより、下から見上げたカウボーイハットみたいだった。
『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』
作家になるにはNYだ!と、まずは憧れの力ありき。でも書く以前に読んでばかりの読書映画。ひたすらインプットの日々、消化しきれないほどの情報や知識や刺激的体験が次々と。羨ましいやらわかりみ深いやら。「フラニーとゾーイー」を久々に読み直したくなった。
◆配信で
『ノー・シャーク/No Shark』 https://www.amazon.co.jp/dp/B09KGFZ86K?tag=vod_contentsdetail-22
サメに食われたいのにサメはなし。NYのビーチを転々としながら、ひたすらその時を待つ女の脳内モノローグが延々と続く。まるで「ゴドーを待ちながら」か、ひとりマンブルコアか。正に人を食ったようなオチと、Toby Goodshankのエンディング曲がダメ押しする、デッドパンでナンセンスな「探索的狡噛」。それでもれっきとしたビーチ映画でサメ映画(反ジョーズ映画)。あの声とリズムが妙に心地良かった。
『バスタブとブロードウェイ: もうひとつのミュージカル世界/Bathtubs Over Broadway』 https://video.unext.jp/title/SID0067147
企業ミュージカル・レコード沼へようこそ。それは知ら���ざるミュージカルの宝庫、もう一つのショウビズ世界。名作や名曲があり、巨匠もスターもいた。深い、深いぞこの沼は…!愛と情熱、同志との出会い、真剣で貪欲な探究心が思わぬ広がりを見せていくのにワクワクしかないドキュメンタリー。マニアの真っすぐで曇りのない愛が起こす奇跡に清々しく心洗われた。
『セイント・モード/狂信』 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09HNDY45W/ref=atv_dp_share_cu_r
『キャリー』meets『ミザリー』を更にメンタル・スプラッターに振り切った感じで、ローズ・グラス監督デビュウ作は完成度高いと思う。陰気に寂れたコニーアイランド、ワンルームのアパート、主演モーフィッド・クラークが良い。
『アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャー』 https://www.netflix.com/title/81161042
ロトスコープ・アニメで事細かに再現したスペースエイジの子供時代。ギプスしてる子が必ずいたとかイタズラ電話とかあったあった、TVアンテナに巻いたアルミホイル細かすぎ!でも記憶とは既にファンタジー。同じ69年の『ベルファスト』と通じると思った。ベトナム戦争とアイルランド紛争、少年の頭の中で混じり合う虚実、モノクロやアニメーションとしてパッケージ化した少年時代…けど、こちらには帰る家があって安心して眠れる。その楽観性が尊い。
『幸せへのまわり道』
(Amazonプライム、 U-NEXTほか)
トム・ハンクスはご本人完コピ以上に、優しく細めた目の奥にぞっとさせるブラックホールを演じているから恐るべし。殆ど瞬きしないし笑顔なのに笑ってない、『コラライン』のボタンの目みたいな…つい覗き込んでしまうようなその目に映る自分を見つめざるを得ない。ロジャースさんのシーンは全部、心がツーンとする。君たちは僕であり、君にできたなら僕にもできる。大変だけどやらなくちゃ…。ご本人の歌声が流れる中、優しさの王国ミニチュアセットを組み立てる男たちの手!
◆他にも良かった
『アネット』
緑のローブで殆どメルド(ドニ・ラヴァン)と化してるが、アダム・ドライヴァーはマイクとも人形ともプロレスができる、ほんと良いプロレスラーだな!先にサントラ聴いてたのもあって、スパークスのナンバーが頭から離れない。
『レット・ゼム・オール・トーク』
事件のないミステリー。ロードのないロードムービー(客船だから)。けど作家と探偵と死体はいる。そこがとても面白い。いわば聞き込みをする探偵役、ごく自然と年上に懐き気を許させるルーカス・ヘッジスのリアクションが絶妙。ソダーバーグは今まで特にピンとこなかったけれど、これはかなり好みで楽しかった。
『さよなら、私のロンリー』 https://www.netflix.com/title/81239497
エヴァン・レイチェル・ウッドの長くて重たそうな髪とダボダボな古ジャージ姿、動物的で芸術的な身のこなし、そして野太い声のインパクトたるや。生まれたてでおっぱい目指して匍匐前進する場面はちょっと感動しちゃう。痛くて甘くて苦くて儚くて曖昧で奇妙な、説明しにくい感覚をユーモラスに掬い取ってみせるミランダ・ジュライ。『ニューヨーカー誌の世界』にある短編小説の映画化『ロイ・スパイヴィ』も、ほろ苦く甘い後味が好き。
『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』 https://www.netflix.com/title/81341644
銀貨30枚より銃よりも強いのは、権力のバッヂ(今だからこそ尚更うんざりする話だ)。言葉と目力で深く静かにカリスマ性を放つダニエル・カルーヤと、身軽な身体で飄々とリアクションするラキース・スタンフィールドがとても良い。特に「何なんだよもう!」って巻き込まれて焦って悪足掻きするラキースは毎度最高、そのジレンマは滑稽なほど哀しい。監督シャカ・キングの演出が非常にソリッド。
『ワールド・トゥ・カム 彼女たちの夜明け』 https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B09HNDVQL7/ref=atv_dp_share_cu_r
黒髪長身キャサリン・ウォーターストンと赤毛ヴァネッサ・カービー、これ時代が違えば『テルマ&ルイーズ』だ。だから悲劇だけど希望でもある。展開とは裏腹に、雪に覆われ荒涼とした冬景色から夏を迎え、来るべき世界へと「台帳には記録されない」女たちの地図。
夜空に星のあるように(リヴァイバル)
ザ・フォッグ(リヴァイバル)
ディナー・イン・アメリカ
スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
ヒッチャー ニューマスター版
家をめぐる3つの物語
ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野
パワー・オブ・ザ・ドッグ
ビルとテッドの時空旅行 音楽で世界を救え!
幸せの答え合わせ
TOVE/トーベ
目指せメタルロード
トラブル・ウィズ・ユー
ペトルーニャに祝福を
元カレとツイラクだけは絶対に避けたい件
洞窟
マチルダ・ザ・ミュージカル
ホワイト・ノイズ
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ひとみに映る影シーズン2 第五話「大妖怪合戦」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、 誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロ���で訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第五弾 後女津親子「KAZUSA」はこちら!☆
དང་པོ་
河童信者に手を引かれ、私達は表に出る。小学校は休み時間にも関わらず、校庭に子供達が一人もいない。代わりに何故か、島の屈強そうな男達が待ち構えていた。 「いたぞ! 救済を!」「救済を!」 「え、何……わあぁっ何を!?」 島民達は異様な目つきで青木さんを襲撃! 青木さんは咄嗟に振り払い逃走。しかし校外からどんどん島民が押し寄せる。人一倍大柄な彼も、多勢に組み付かれれば為す術もないだろう��� 「助けて! とと、止まってください!!」 「「救済を……救済を……!」」 ゾンビのようにうわ言を呟きながら青木さんを追う島民達。見た限り明確な悪霊はいないようだけど、昨晩の一件然り。彼らが何らかの理由で正気を失っている可能性は高い! このままでは捕まってしまう……その時タナカDが佳奈さんにカメラを預け、荒れ狂う島民達と青木さんの間に入った! 「志多田さん、紅さん、先に行って下さい! ここは僕が食い止めゴハアァ!!」 タナカDに漁師風島民のチョークタックルが炸裂! 「タナカDーっ!」 「と……ともかく行け! 音はカメラマイクでいいから、ばっちり心霊収めてきて下さいよッ……!」 「い、行きましょう! ともかく大師が大変なんです!!」 河童信者に急かされ、私と佳奈さんは月蔵小学校を離れた。傾斜が急な亡目坂を息絶えだえに駆け上がると、案内された先は再び御戌神社。嫌な予感が募る。牛久大師は……いた。大散減を封印していた祠にだらりと寄りかかり、足を投げ出して座っている。しかも、祠の護符が剥がされている! 「んあー……まぁま、まぁまぁ……」 牛久大師は赤子のように指を咥え、私を見るなりママと呼び始めた。 「う……牛久大師?」 「この通りなのです。大師は除霊のために祠の御札を剥がして、そうしたら……き、急に赤ちゃんに……」 河童信者は指先が震えている。大師は四つん這いで私ににじり寄った。 「え、あの……」 「エヘヘ、まんまー! ぱいぱい! ぱいぱいチュッチュ!!」 大師が口をすぼめて更ににじり寄る。息が臭い。大師のひん剥いた唇の裏側にはビッシリと毛穴ような細孔が空いていて、その一粒一粒にキャビアみたいな黒い汚れが詰まっている。その余りにも気色悪い裏唇が大師の顔の皮を裏返すように広がっていき……って、これはまさか! 「ヒィィィッ! 寄るな、化け物!!」 私は咄嗟に牛久大師を蹴り飛ばしてしまった。今のは御戌神社や倶利伽羅と同じ、金剛の者に見える穢れた幻視!? という事は、大師は既に…… 「……ふっふっふっふ。かーっぱっぱっぱっぱっぱ!!」 突然大師は赤子の振りを止め、すくっと立ち上がった。その顔は既に平常時に戻っている。 「ドッキリ大成功ー! 河童の家でーす!」 「かーっぱっぱ!」「かっぱっぱっぱ!」 先程まで俯いていた河童信者も、堰を切ったように笑い出す。 「いやぁパッパッパ。一度でいいから、紅一美君を騙してみたかったのだ! 本気で心配してくれたかね?」 「かっぱっぱ!!」「かっぱっぱっぱぁーっ!!」 私が絶句していると、河童の家は殊更大きく笑い声を上げた。けどよく見ると、目が怯えている? 更には何故か地面に倒れたまま動かない信者や、声がかすれて笑う事すらままならない信者もいるようだ。すると大師はピタリと笑顔を止め、その笑っていない信者を睨んだ。 「……おん? なんだお前、どうした。面白くないか?」 大師と目が合った信者はビクリと後ずさり、泣きそうな声で笑おうと努力する。 「かかッ……かっぱ……かぱぱ……」 「面、白、く、ないのか???」 大師は更に高圧的に声を荒らげた。 「お前は普段きちんと勤行してるのか? 笑顔に勝る力無し。教祖の俺が面白い事を言ったら笑う。教義以前に人として当たり前のマナーだろ、エエッ!?」 「ひゃいぁ!! そそ、そ、その通りです! メッチャおもろかったです!!」 「面白かったんなら笑えよ!! はぁ、空気悪くしやがって」 すると大師は信者を指さし、「バーン」と銃を撃つ真似をする。 「ひいっ……え?」 「『ひいっ……え?』じゃねえだろ? 人が『バーン』っつったら傷口を抑えて『なんじゃカパあぁぁ!?』。常識だろ!?」 「あっあっ、すいません、すいません……」 「わかったか」 「はい」 「本当にわかったか? もっかい撃つぞ!」 「はい!」 「ほら【バーン】!」 「なんじゃッ……エッ……え……!?」 信者は大師が期待するリアクションを取らず、口から一筋の血を垂らして倒れた。数秒後、彼の腹部から血溜まりが静かに広がっていく。他の信者達は顔面蒼白、一方佳奈さんは何が起きたか理解できず唖然としている。彼は……牛久大師の脳力、声による衝撃波で実際に『銃殺』されたんだ。 「ああもう、下手糞」 「……うわああぁぁ!」「助けてくれーーっ!!」 信者達は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。すると大師は深くため息をつき、 「はあぁぁぁ……そこは笑う所だろうが……【カーッパッパァ】!!!」 再び特殊な声を発した。すると祠から大量の散減がワサワサと吹き出し、信者達を襲撃する! 「ボゴゴボーーッ!」「やめ、やめて大師、やめアバーーッ!」 信者達は散減に体を食い荒らされ、口に汚染母乳を注ぎこまれ、まさに虫に寄生された動物のようにもんどり打つ! 「どうだ、これが笑顔の力よ。かっぱっぱ!」 「牛久舎登大師! 封印を解いて、どうなるかわかってるんですか!?」 私は大師を睨みつける。すると大師は首をぐるりと傾け、私に醜悪な笑みを浮かべた。 「ん? 除霊を依頼された俺が札を剥がすのに何の問題がある? 最も、俺は最初(ハナ)からそうするつもりで千里が島に来たのだ」 「何ですって!?」 「コンペに参加する前から、千里が島には大散減という怪物がいると聞いていた……もし俺がそいつを除霊できれば、河童の家は全国、いや世界規模に拡大する! そう思っていたのだがな。封印を解いてみたら、少しだけ気が変わったよ……」 大師は祠を愛おしそうに撫で回す。 「大散減は俺を攻撃するどころか、法力を授けてくれた。この俺の特殊脳力『ホーミー』の音圧は更に強力になり、もはや信者の助けなどなくとも声で他人を殺せるほどにだ!」 信者達は絶望的な顔で大師を見ている。この男、どうやら大散減に縁を食われたようだ。怪物の悪縁に操られているとも気付かず、与えられた力に陶酔してしまったのだろう。 「もう除霊なんかやめだ、やめ。俺は大散減を河童総本山に連れて帰り、生き神として君臨してやる! だがその前に、お前と一戦交えてみたかったのだ……ワヤン不動よ!」 「!」 彼は再び私を『ワヤン不動』と呼んだ。しかもよりによって、佳奈さんの目の前で。 「え、一美ちゃん……牛久大師と知り合いなの……?」 「いいえ……い、一体、何の話ですか?」 「とぼけるな、紅一美君! 知っているぞ、お前の正体はワヤン不動。背中に影でできた漆黒の炎を纏い、脚まで届く長い腕で燃え盛る龍の剣を振るう半人半仏の影人間(シャドーパーソン)だ! 当然そこいらの霊能者とは比べ物にならない猛者だろう。しかも大いなる神仏に楯突く悪霊の眷属だと聞くが」 「和尚様を愚弄するな!」 あっ、しまった! 「一美ちゃん……?」 もう、全てを明かすしかないのか……私はついに、プルパに手をかけた。しかしその時、佳奈さんが私の腕を掴む。 「わかった、一美ちゃん逃げよう。今この人に関わっちゃダメ! 河童信者も苦しそうだし、きっと祠のせいで錯乱してるんだよ!」 「佳奈さん……」 佳奈さんは私を連れて鳥居に走った。けど鳥居周辺には何匹もの散減が待ち構えている! 「かぁーっぱっぱ、何も知らぬカラキシ小娘め! その女の本性を見よ!」 このままでは散減に襲われるか正体がばれるかの二択。それなら私の取るべき行動は、決まりきっている! 「佳奈さん、止まって!」 私は佳奈さんを抱き止め、足元から二人分の影を持ち上げた! 念力で光の屈折を強め、影表面の明暗コン��ラストを極限まで高めてから……一気に放出する! 「マバーッ!」「ンマウゥーッ!」 今は昨晩とは打って変わって快晴。強烈な光と影の熱エネルギーを浴びた散減はたちまち集団炎上! けど、これでついに…… 「かーっぱぱぱ!! ワヤン不動、正体暴いたり! さあ、これで心置き無く戦え「どうやら間に合ったようですね」 その時、鳥居の外から牛久大師の言葉を遮る声。そして、ぽん、ぽこぽん、と小気味よい小太鼓のような音。 「誰だ!?」 ぽんぽこ、ぽんぽこ、ぽん……それは化け狸の腹鼓。鳥居をくぐり現れた後女津親子は、私達と牛久大師の間に立ちはだかった! 「『ラスタな狸』が知らせてくれたんですよ。牛久舎登大師が大散減に取り憑かれて錯乱し、したたびさんに難癖をつけているとね。だが、この方々には指一本触れさせない」 「約束通り、手柄は奪わせてもらったよ。ぽんぽこぽーん!」 万狸ちゃんが私にウインクし、斉二さんはお腹をぽんと叩いてみせる。 「ええい、退け雑魚め! お前などに興味は【なあぁいッ】!!」 大師の声が響くと、祠がズルリと傾き倒れた。そこから今までで最大級のおぞましい瘴気が上がり、大師を飲み込んでいく! 「クアァーーッパッパッパァ! 力が……力がみなぎってくるくるクルクルグゥルゥゥゥアアアアア!!!!」 バキン、ボキン! 大師の胸部から肋骨が一本ずつ飛び出し、毛の生えた大脚に成長していく! 「な……なっ……!?」 それは霊感のない者にも見える物理的光景だ。佳奈さんは初めて目の当たりにした心霊現象に、ただただ腰を抜かす。しかし後女津親子は怯まない! 「逃げて下さい、と言いたいところですが……この島に、私の背中よりも安全な場所はなさそうだ」
གཉིས་པ་
斉一さんはトレードマークである狸マントの裾から、琵琶に似た弦楽器を取り出した。同時に彼の臀部には超自然の尻尾が生え、万狸ちゃんと斉二さんも臨戦態勢に入る。病院で加賀繍さんのおばさまを守っている斉三さんは不在だ。一方ついさっきまで牛久大師だった怪獣は、毛むくじゃらの細長い八本足に八つの顔。頂上にそびえる胴体は河童の名残の禿頭。巨大ザトウムシ、大散減だ! 【【退け、雑魚が! 化け狸なんぞに興味はない! クァーッパッパァアア!!!】】 縦横五メートル級の巨体から放たれる衝撃音! 同時に斉一さんもシャラランと弦楽器を鳴らす。すると弦の音色は爆音に呑み込まれる事無く神秘的に響き、私達の周囲のみ衝撃を打ち消した! 【何ィ!?】 「その言葉、そのままお返し致します。河童なんぞに負けたら妖怪の沽券に関わるのでね」 【貴様アァァ!!】 チャン、チャン、チャン、チャン……爪弾かれる根色で気枯地が浄化されていくように、彼の周囲の景色が色鮮やかになっていく。よく見るとその不思議な弦は、斉一さんの尻尾から伸びる極彩色の糸が張られていた。レゲエめいたリズムに合わせて万狸ちゃんがぽんぽこと腹鼓を打ち、斉二さんは尻尾から糸を周囲の木々や屋根に伝わせる。 【ウヌゥゥゥーッ!】 大散減は斉一さんに足払いを仕掛けた。砂利が撒き上がり、すわ斉一さんのマントがフワリと浮く……と思いきや、ドロン! 次の瞬間、私達の目の前では狸妖怪と化した斉一さんが、涼しい顔のまま弦をかき鳴らし続けている。幽体離脱で物理攻撃無効! 「どこ見てんだ、ノロマ!」 大散減の遥か後方、後女津斉一の肉体を回しているのは斉二さんだ! 木々に伝わせた糸を掴み、ターザンの如くサッサと飛び移っていく。そのスピードとテクニックは斉一さんや斉三さんには無い、彼だけの力のようだ。大散減は癇癪を起こしたように突進、しかし追いつけない! すると一方、腹鼓を打っていた万狸ちゃんが大散減に牙を剥く! 「準備オッケー。ぽーん、ぽっこ……どぉーーーん!!」 ドコドコドコドコドコドォン!!!! 張り巡らされた糸の上で器用に身を翻した万狸ちゃんは、無数の茶釜に妖怪変化し大散減に降り注ぐ! 恐竜も泣いて絶滅する大破壊隕石群、ブンブクメテオバーストだ!! 【ドワーーーッ!!!】 大散減はギャグ漫画的なリアクションと共に吹っ飛んだ! 樹齢百年はあろう立派な椎木に叩きつけられ、足が一本メコリとへし折れる。その傷口から穢れた縁母乳が噴出すると、大散減はグルグルと身を回転し飛沫を撒き散らした! 椎木枯死! 「ッうおぁ!」 飛び石が当たって墜落した斉二さんの後頭部に穢れ母乳がかかる。付着部位はまるで硫酸のように焼け、鼻につく激臭を放つ。 「斉二さん!」 「イテテ、マントがなかったら禿げるところだった」 【なんだとッ!? 貴様ァ! 河童ヘアを愚弄するなアアァ!】 再び起き上がる大散減。また何か音波攻撃を仕掛けようとしている!? 「おい斉一、まだか!」 「まだ……いや、行っちまうか」 ジャカジャランッ!! 弦楽器が一際強いストロークで奏でられると、御戌神社が極彩色に包まれた! 草花は季節感を無視して咲き乱れ、虫や動物が飛び出し、あらゆる動物霊やエクトプラズムが宙を舞う。斉一さんは側転しながら本体に戻り、万狸ちゃんも次の妖怪変化に先駆けて腹鼓を強打する! 「縁亡き哀れな怪物よ、とくと見ろ。この気枯地で生ける命の縁を!」 ジャカン!! ザワワワワ、ピィーッギャァギャァーッ! 弦の一弾きで森羅万象が後女津親子に味方し、花鳥風月が大散減を襲う! 千里が島の全ての命を踊らせる狸囃子、これが地相鑑定士の戦い方だ! 【【しゃらくせェェェェェエエエ!!】】 キイィィーーーーィィン! 耳をつんざく超音波! 満ち満ちていた動植物はパタパタと倒れ、霊魂達は分解霧散! 再び気枯た世界で、大散減の一足がニタリ��笑い顔を上げると……目の前には依然として生い茂る竹藪の群青、そして大鎌に化けた万狸ちゃん! 「竹の生命力なめんなあああぁぁ!!!」 大鎌万狸ちゃんは竹藪をスパンスパンとぶった斬り、妖力で大散減に投げつける。竹伐狸(たけきりだぬき)の竹槍千本ノックだ! 【ドヘェーーー!!】 針山にされた大散減は昭和のコメディ番組のようにひっくり返る! シャンパン栓が抜かれるように足が三本吹き飛び、穢れ母乳の噴水が宙に螺旋を描いた! 「一美ちゃん、一瞬パパ頼んでいい?」 万狸ちゃんに声をかけられると、斉一さんが再び私達の前に戻ってきた。目で合図し合い、私は影を伸ばして斉一さんの肉体に重ねる。念力を送りこんで彼に半憑依すると同時に、斉一さんは化け狸になって飛び出した。 【【何が縁だクソが! 雑魚はさっさと死んで分解霧散して強者の養分になればいい、最後に笑うのは俺だけでいいんだよ! 弱肉強食、それ以外の余計な縁はいらねぇだろうがああァーーッ!!!】】 大散減は残った四本足で立ち上がろうとするが、何故かその場から動けない。よく見ると、大散減の足元に河童信者達がしがみついている! 「大師、もうやめてくれ!」 「私達の好きだった貴方は、こんなつまらない怪物じゃなかった!」 「やってくれ、狸さん。みんなの笑顔の為にやってくれーーーッ!!」 【やめろ、お前ら……死に損ないが!!】 大散減はかつての仲間達を振り飛ばした。この怪物にもはや人間との縁は微塵も残っていないんだ! 「大散減、許さない!」 ドォンッ! 心臓に響くような強い腹鼓を合図に、万狸ちゃんに斉一さんと斉二さんが合体する。すると全ての霊魂や動植物を取り込むような竜巻が起こり、やがて巨大な生命力の塊を形成した。あれは日本最大級の狸妖怪変化、大(おっ)かむろだ! 「どおおぉぉぉおおん!!!」 大かむろが大散減目掛けて垂直落下! 衝撃で地が揺れ、草花が舞い、カラフルな光の糸が空を染める!! 【【やめろーーっ! 俺の身体が……力がァァァーーーッ!!!】】 質量とエーテル体の塊にのしかかられた大散減はブチブチと音を立て全身崩壊! 残った足が一本、二本と次々に潰れていく。 【【【ズコオオォォォォーーーーー!!!!】】】 極彩色の嵐が炸裂し、私は爆風から佳奈さんを庇うように抱きしめる。轟音と光が収まって顔を上げると、そこには元通りに分かれた後女津親子、血や汚れにまみれた河童信者、そして幾つもの命が佇んでいた。
གསུམ་པ་
「一美ちゃーーん!」 戦いを終えた万狸ちゃんが私に飛びついた。支えきれず、尻餅をつく。 「きゃっ!」 「ねえねえ、見た? 私の妖術凄かったでしょ!?」 「こら、万狸! 紅さんに今そんな事したら……」 斉一さんがちらっと佳奈さんに視線を向けた。万狸ちゃんは慌てて私から離れ、「はわわぁ! 危ない危ない~」と可愛く腹鼓を叩いた。私も横を見ると、幸い佳奈さんは目を閉じて何か考えているようだった。 「佳奈さん?」 「……そうだよ、怪物は『五十尺』……気をつけて、大散減まだ死んでないかも!」 「え!?」 その時、ズガガガガガ! 地面が激しく揺れだす。後女津親子は三人背中合わせになり周囲を警戒。佳奈さんがバランスを崩して転倒しそうになる。抱きとめて辺りを見渡すと、祠と反対側の手洗い場に煙突のように巨大な柱が天高く突き上がった! 柱は元牛久大師だったご遺体をかっさらって飲み込む。咀嚼しながらぐにゃりと曲がり、その先端には目のない顔。まさか、これは…… 「大散減の……足!」 「ちょっと待って下さい。志多田さん……『大散減は五十尺』と仰いましたか!?」 斉一さんが血相を変えて聞く。言われてみれば、青木さんもそんな事を言っていた気がする。 「あの、こんな時にすいません。五十尺ってどれくらいなんですか?」 「「十五メートルだよ!!」」 「どえええぇぇ!?」 恥ずかしい事に知らないのは私とタナカDだけだったようだ。にわかには信じ難いけど、体長十五メートルの怪物大散減は、地中にずっと潜んでいたんだ! その寸法によると、牛久大師が取り込んでいた力は大散減の足一本程度にも満たない事になる。ところが、大師を飲み込んだ大散減の足はそのまま動かなくなった。 「あ……あれ?」 万狸ちゃんは恐る恐る足に近付き観察する。 「……消化不良かな。封印するなら今がチャンスみたい」 斉一さんと斉二さんは尻尾の糸の残量を確認する。ところがさっきの戦闘で殆ど使い果たしてしまっていたようた。 「参ったな……これじゃ仮止めの結界すら張れないぞ」 「斉三さんを呼んでくるよ、パパ。ちょっと待ってて!」 万狸ちゃんが亡目坂へ向かう。すると突然斉一さんが呼び止めた。 「止まれ、万狸!」 「え?」 ボタッ。振り向いた万狸ちゃんの背後で何かが落下した。見るとそれは……まだ赤い血に濡れた人骨。それも肋骨だ! 「ンマアアアァァゥゥゥ!!!」 「ち、散減!?」 肋骨は金切り声を上げ散減に変化! 万狸ちゃんが慌てて飛び退くも、散減は彼女を一瞥もせず大散減のもとへ向かう。そしてまだ穢れていない母乳を口角から零しながら、自ら大散減の口の中へ飛びこんでいった。 「一美ちゃん、狸おじさん、あれ!」 佳奈さんが上空を指す。見上げるとそこには、宙に浮かぶ謎の獣。チベタンマスティフを彷彿とさせる超大型犬で、毛並みはガス火のように青白く輝いている。ライオンに似たたてがみがあり、額には星型の中央に一本線を引いたような記号の霊符。首には首輪めいて注連縄が巻かれていて、そこに幾つか人間の頭蓋骨があしらわれている。目は白目がなく、代わりにまるで皆既日蝕のような光輪が黒い眼孔内で燦然と輝く。その獣が鮮血滴る肋骨を幾つも溢れるほど口に咥え、グルグルと唸っているんだ。私と佳奈さんの脳裏に、同じ歌が思い浮かぶ。 「誰かが絵筆を落としたら……」 「お空で見下ろす二つの目……月と太陽……」 今ようやく、あの民謡の全ての意味が明らかになった。一本線を足した星型の記号、そして大散減に危害を加えると現れる、日蝕の目を持つ獣。そうだ。千里が島にいる怪物は散減だけじゃない。江戸時代に縁を失い邪神となった哀れな少年、徳川徳松……御戌神! 「ガォォォ!!」 御戌神が吠え、肋骨をガラガラと落とした。肋骨が散減になると同時に御戌神も垂直降下し万狸ちゃんを狙う! 「万狸!」 すかさず斉二さんが残り僅かな糸を伸ばし、近くの椎木の幹に空中ブランコをかけ万狸ちゃんを救出。但しこれで、後女津親子の妖力残量が尽きてしまった。一方御戌神は、今度は斉一さんを狙い走りだす! 一目散に逃走しても、巨犬に人間が追いつけるわけもなし。斉一さんは呆気なく押し倒されてしまった。 「うわあぁ!」 「パパ!!」 斉一さんを羽交い締めにした御戌神は大口を開く! 今まさに肋骨を食いちぎろうとした、その時……御戌神の視界を突如闇が覆う! 「グァ!?」 御戌神は両目を抑えてよろめく。その隙に斉一さんは脱出。佳奈さんが驚愕した顔で私を見る……。 「斉一さん、斉二さん、万狸ちゃん。今までお気遣い頂いたのに、すみません……でももう、緊急事態だから」 私の影は右手部分でスッパリと切れている。御戌神に目くらましをするために、切り取って投げたんだ。 「じゃ、じゃあ一美ちゃんって、本当に……」 「グルアァァ!!」 佳奈さんが言いかけた途中、私は影を介して静電気のような痛みを受ける。御戌神は自力で目の影を剥がしたようだ。それが出来るという事は、彼も私と同じような力を持っているのか? 「……大師の言ったことは、三分の一ぐらい本当です」 御戌神が私に牙を剥く! 私はさっき大師の前でやった時と同じように、影表面の光の屈折率を上げる。表面は銀色の光沢を帯び、瞬く間に鏡のようになる。 「ガルル……!」 この『影鏡』で御戌神を取り囲み撹乱しつつ、ひとまず佳奈さん達から離れる。けど御戌神はすぐに追ってくるだろう。 「ワヤンの力は影の炎。魂を燃やして、悪霊を焼くんです」 逃げながら木や物の影を私の姿に整形、『タルパ』という法力で最低限動き回れるだけの自立した魂を与える。 「けど、その力は本当に許してはいけない、滅ぼさなきゃいけない相手にしか使いません。だぶか私には、そうでもしなきゃいけない敵がいるって事です」 ヴァンッと電流のような音がして、御戌神が影鏡を突破した。私は既に自分にも影を纏い、傍目には影分身と見分けがつかなくなっている。けど御戌神は一切迷いなく、私目掛けて走ってきた。 「霊感がある事、黙っていてすみませんでした。けど私に僅かでも力がある事が公になったら、きっと余計な災いを招いてしまう」 それは想定内だ。走ってくる御戌神の前に影分身達が立ちはだかり、全員同時自爆! 無論それは神様にとって微々たるダメージ。でも隙を作るには十分な火力だ。御戌神の背後を取り、『影踏み』で完全に身動きを封じる! 「佳奈さんは特に、巻き込みたくなかったんです……きゃっ!?」 突然御戌神が激しく発光し、影踏みの術をかき消した。影と心身を繋いでいた私も後方に吹き飛ばされる。ドラマや舞台出演で鍛えたアクションで何とか受身を取るも、顔を上げると既に御戌神は目の前! 「……え?」 私はこの時初めてちゃんと目が合った御戌神に、一瞬だけ子犬のように切なげな表情を見た。この戌……いや、この人は、まさか…… 「ガルルル!」 「くっ」 牙を剥かれて慌てて影を持ち上げ、気休めにもならないバリアを張る。ところが御戌神は意外にも、そんな脆弱なバリアにぶち当たって停止してしまった。私の方には殆ど負荷がかかっていない。よく見ると御戌神とバリアの間にもう一層、光の壁のようなものがあるのが見える。やっぱり彼は私と同じ……いや、逆。光にまつわる力を持っているようだ。 「あなた、ひょっとして……本当は戦いたくないんですか?」 「!」 一瞬私の話に気を取られた御戌神は、光の壁に押し戻されて後ずさった。日蝕の瞳をよく見ると、月部分に覆われた裏側で太陽の瞳孔が物言いたげに燻っている。 「やっぱり、大散減の悪縁に操られているだけなんですね」 私も彼と戦いたくない。だからまだプルパは鞄の中だ。代わりに首にかけていたお守り、キョンジャクのペンダントを取った。御戌神は自らの光に苦しむように、唸りながら地面を転がり回る。 「グルル……ゥウウウ、ガオォォ!!」 光を振り払い、御戌神は再び私に突進! 私も御戌神目掛けてキョンジャクを投げる。ペンダントヘッドからエクトプラズム環が膨張し、投げ縄のように御戌神を捕らえた! 「ギャウッ!」 御戌神はキョンジャクに縛られ転倒、ジタバタともがく。しかし数秒のうちに、憑き物が取れたように大人しくなった。これは気が乱れてしまった魂を正常に戻す、私にキョンジャクをくれた友達の霊能力によるものだ。隣にしゃがんで背中を撫でると、御戌神の目は日蝕が終わるように輝きを増していく。そこからゆっくりと、煤色に濁った涙が一筋流れた。 「ごめんなさい、苦しいですよね。ちょっと大散減を封印してくるので、このまま少し我慢できますか?」 御戌神は「クゥン」と弱々しく鳴き、微かに頷いた。私は御戌神の傍を離れ、地面から突き出た大散減の足に向かう。 「ひ、一美ちゃん!」 突然佳奈さんが叫ぶ。次の瞬間、背後でパシュン! と破裂音が鳴った。何事かと思い振り向くと、御戌神を拘束していたキョンジャクが割れている。御戌神は黒い煙に纏わりつかれ、息苦しそうに体をよじりながら宙に浮き始めた。 「カッ……ガァ……!」 御戌神の顔色がみるみる紅潮し、足をバタつかせて苦悶する。救出に戻ろうと踵を返すと、御戌神を包む黒煙がみるみる人型に固まっていき…… 「躾が足りなかったか? 生贄は生贄の所業を全うしなければならんぞ」 そこには黒い煙の本体が、人間の皮膚から顔と局部だけくり抜いた肉襦袢を着て立っていた。それを見た瞬間、血中にタールが循環するような不快感が私の全身を巡った。 「え、ひょっとしてまた何か出てきたの!?」 「……佳奈さん、斉一さんと一緒に逃げて下さい。噂をすれば、何とやらです」 佳奈さんに見えないのも無理はない。厳密にはその肉襦袢は、死体そのものじゃなくて故人から奪い取った霊力でできている。亡布録(なぶろく)、金剛有明団の冒涜的エーテル法具。 「噂をすればってまさか、一美ちゃんが『絶対に滅ぼさなきゃいけない相手』がそこに……っ!?」 圧。悪いが佳奈さんは視線で黙らせた。これからこの神社は、灼熱地獄と化すのだから。 「い、行こう、志多田さん!」 斉一さん達は佳奈さんや数人の生き残った河童信者を率いて神社から退散した。これで境内に残ったのは、私と御戌神と黒煙のみ。しかし…… 「……どうして黒人なんだ?」 私は黒煙に問いかけた。 「ん?」 「どうして肉襦袢の人種が変わったのかと聞いているんだ。二十二年前、お前はアジア人だっただろう。前の死体はどうした」 「……随分と昔の話をするな、裏切り者の巫女よ。貴様はファッションモデルになったと聞くが、二十年以上一度もコーディネートを変えた事がないのかね?」 煙はさも当然といった反応を���す。この調子なら、こいつは服を買い換える感覚で何人もの肉体や魂を利用していたに違いない。私の、和尚様も。この男が……悪霊の分際で自らを『如来』と名乗り、これまで数え切れない悪行を犯してきた外道野郎が! 「金剛愛輪珠如来(こんごうあいわずにょらい)ィィィーーーッ!!!!」 オム・アムリトドバヴァ・フム・パット! 駆け出しながら心中に真言が響き渡り、私はついに鞄からプルパを取り出す! 憤怒相を湛える馬頭観音が熱を持ち、ヴァンと電磁波を発し炎上! 暗黒の影炎が倶利伽羅龍王を貫く刃渡り四十センチのグルカナイフに変化。完成、倶利伽羅龍王剣! 「私は神影不動明王。憤怒の炎で全てを影に還す……ワヤン不動だ!」 今度こそ、本気の神影繰り(ワヤン・クリ)が始まる。
བཞི་པ་
殺意煮えくり返る憤怒の化身は周囲の散減を手当り次第龍王剣で焼却! 引火に引火が重なり肥大化した影の炎を愛輪珠に叩き込む! 「一生日の当たらない体にしてやる!!」 「愚かな」 愛輪珠は業火を片手で易々と受け止め、くり抜かれた顔面から黒煙を吐出。たちまち周囲の空気が穢れに包まれ、炎が弱まって……いく前に愛輪珠周辺の一帯を焼き尽くす! 「ぐわあぁぁ、やめろ、ギャアアァアガーーーッ!!!」 猛り狂う業火に晒され龍王剣が激痛に叫んだ! しかし宿敵を前にした暴走特急は草の根一本残さない! 「かぁーーっはっはっはァ! ここで会ったがお前の運の尽きよ。滅べ、ほおぉろべえええぇーーーっ!!!」 殺意、憎悪、義憤ンンンンッ! しかし燃え盛る炎の中、 「まるで癇癪を起こした子供だ」 愛輪珠は平然と棒立ちしている。 「どの口が言うか、外道よ! お前が犯してきた罪の数々を鑑みれば癇癪すら生ぬるい。切り刻んだ上で煙も出ないほど焼却してくれようぞおぉぉ!!」 炎をたなびかせ、愛輪珠を何度も叩き斬る! しかし愛輪珠は身動ぎ一つせず、私の攻撃を硬化した煙で防いでしまう。だから何だ、一回で斬れないなら千回斬ればいい! 人生最大の宿敵を何度も斬撃できるなんて、こんなに愉快な事が他にあるだろうか!? 「かぁーはははは! もっと防げ、もっとその煙を浪費するがいい! かぁーはっはっはァ!!」 「やれやれ、そんなにこの私と戯れたいか」 ゴォッ! 顔の無い亡布録から煙が吹き出す。漆黒に燃えていた視界が一瞬にして濁った灰色で染まった。私はたちまち息が出来なくなる。 「ぐ、ァッ……」 酸欠か。これで炎が弱まるかと思ったか? 私の炎は影、酸素など不要だ! 「造作なし!」 意地の再炎上! だぶか島もろとも焼き尽くしてやる…… 「ん?」 シュゴオォォン、ドカカカカァン!! 炎が突然黄土色に変わり、化学反応のように爆ぜた! 「な……カハッ……」 「そのような稚拙な戦い方しか知らずに、よく金剛の楽園に楯突こうと思ったな。哀れな裏切り者の眷族よ」 「だ、黙れ……くあううぅっ!」 炎とはまるで異なる、染みるような激痛が私の体内外を撫で上げる。地面に叩きつけられ、影がビリビリと痙攣した。かくなる上は、更なる火力で黄土色の炎を上書きしないと…… 「っ!? ……がああぁぁーーっ!!」 迂闊だった。新たな炎も汚染されている! 「ようやく大人しくなったか」 愛輪珠が歩み寄り、瀕死の私の頭に恋人のようにぽんぽんと触れる。 「やめろ……やめろおぉ……!」 全身で行き場のない憤怒が渦巻く。 「巫女よ。お前は我々金剛を邪道だとのたまうが、我々金剛の民が自らの手で殺生を犯した事はないぞ」 「ほざけ……自分の手を汚さなければ殺生ではないだと……? だからお前達は邪道なんだ……!」 煮えくり返った血液が、この身に炎を蘇らせる。 「何の罪もない衆生に試練と称して呪いをかけ、頼んでもいないのに霊能力を与え……そうしてお前達が造り出した怪物は、娑婆で幾つもの命を奪う。幾つもの人生を狂わせる! これを邪道と言わずして何と言えようか、卑怯者!」 「それは誤解だ。我々は衆生の為に、来たる金剛の楽園を築き上げ……」 「それが邪道だと言っているんだ!」 心から溢れた憤怒はタールのような影になって噴出する! 汚染によって動かなくなった体が再び立ち上がる! 「そこで倒れている河童信者達を見ろ。彼らは牛久大師を敬愛していた。大師が大散減に魅了されたのは、確かに自己責任だったかもしれない。だがそもそも、お前達があんな怪獣を生み出していなければこんな事にはならなかった。徳川家の少年が祟り神になる事だってなかった!!」 思い返せば思い返すほど、影はグラグラと湧き出る! 「かつてお前に法具を植え付けられた少年は大量殺人鬼になり、村を一つ壊滅させた。お前に試練を課せられた少女は、生まれた時から何度も命の危機に晒され続けた。それに……それに、私の和尚様は……」 「和尚? ……ああ。あの……」 再点火完了! 影は歪に穢れを孕んだまま、火柱となり愛輪珠を封印する! たとえ我が身が消し炭になろうと、こいつだけは滅ぼさなければならないんだ! くたばれ! くたばれえええぇぇぇえええ!!! 「……あの邪尊(じゃそん)教徒の若造か」 「え?」 一瞬何を言われたか理解できないまま、気がつくと私は黄土色の爆風に吹き飛ばされていた。影と内臓が煙になって体から離脱する感覚。無限に溢れる悔恨で心が塗り固められる感覚。それはどこか懐かしく、まるで何百年も前から続く業のように思えた。 「ぐあっ!!」 私は壊れかけの御戌塚に叩きつけられる。耳の中に全身が砕ける音が響いた。 「ほら見ろ、殺生に『手を汚さなかった』だろう? それにしてもその顔は、奴から何も聞かされていないようだな」 「かっ……ぁ……」 黙れ。これ以上和尚様を愚弄するな。そう言いたかったのに、もはや声は出ない。それでも冷めやらぬ怒りで、さっきまで自分の体だった抜け殻がモソモソと蠢くのみ。 「あの男は……金剛観世音菩薩はな……」 言うな。やめろ。そんなはずはないんだ。だから…… 「……チベットの邪神、ドマル・イダムを崇拝する邪教の信者だ」 嘘だ。……うそだ。 「あっ……」 「これは金剛の法具だ。返して貰うぞ」 愛輪珠に龍王剣を奪われた。次第に薄れていく僅かな影と意識の中、愛輪珠が気絶した御戌神を掴んで去っていく姿を懸命に目で追う。すると視野角外から……誰かが…… 「一美ちゃん、一美ちゃーん!」 「ダメだ志多田さん、危険すぎる!」 佳奈さん……斉二……さん…… 「ん? 無知なる衆生が何故ここに……? どれ、一つ金剛の法力を施してやろうか」 逃……げ…… 「ヒッ……いぎっ……うぷ……」 「成人がこれを飲み込むのは痛かろう。だが衆生よ、これでそなたも金剛の巫女になれるのだ」 や…………ろ………… 「その子を離せ、悪霊……ぐッ!? がああぁぁああああッ!!!!」 「げほ、オエッ……え……? ラスタな、狸さん……?」 ……………… 「畜生霊による邪魔が入ったか。衆生の法力が中途半端になってしまった、これではこの娘に金剛の有明は訪れん」 「嘘でしょ……私を、かばってくれたの……!?」 「それにしてもこの狸、いい毛皮だな。ここで着替えていこう」 「な、何するの!? やめてよ! やめてえぇーーーっ!!」 ………………もう、ダメだ……。
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【黒バス】高緑がサンライズビルに来た話(高緑が隣に引っ越してきた番外編)
2014/11/09 発行コピー本web再録
誰も私の名前なんか知らなくていいのだが、私の近所、というか、私のアパートの隣に住む人の名前は是非覚えてもらいたい。そうじゃないと話がなにも進まないからだ。繰り返して言おう、私の名前なんかどうだっていいが、私の、隣に住む、二人のイケメンの名前だけは、今すぐに覚えて欲しい。
そのイケメンの一人の名前は高尾和成といい、もう一人の名前は緑間真太郎という。
覚えてもらえただろうか? 高尾和成、と、緑間真太郎である。人間記憶できるのは見たものの六十二%だという話もあるくらいだから、あと三度ほど繰り返して言おう。
高尾和成と、緑間真太郎、高尾和成と、緑間真太郎、高尾和成と、緑間真太郎である。よろしいだろうか。
さて、じゃあ、少々お時間を頂戴して、私はこの二人のイケメンについての話をさせてもらおう。私が何故かうっかり休日にこの二人に出会い、何故かストーカーまがいの行為をする羽目になり、貴重な貴重な一週間の日曜日を潰した話をしよう。
ちなみ、言い忘れたけれど、こいつらはホモだ。
*
人間誰しも美味い魚が食べたくなる瞬間というのが日常の中のふとした瞬間に訪れるものである。ああ、そうだ、美味い刺身が食べたい。ウニのどんぶりが食べたい。生牡蠣をすすってもいいし、タコの刺身を口の中で鳴らしてもいい。とにもかくにも頭の中が水族館のようになってしまって、スーパーに寄っても湿気た本当にマグロなんだか判らない赤身の魚が鎮座しているのを冷たい目で見るしかなくなる、そういう瞬間が来るものである。
私の場合それが今週の木曜日で、その日の帰りにはコンビニでおにぎりを買いながら、絶対に日曜日には美味い魚食ってやると決意したのだ。
だから一人で築地まで来たんです。
友達はどいつもこいつもデートと合コンと飲み会で予定が埋まっていた日曜日、お前たちは生魚を貪りたくないのか? と思いつつ、若干の敗北感は海鮮丼で蹴飛ばしてやろうと私は意気揚々、築地の狭い道を歩く。目指すは事前にリサーチした海鮮丼の店である。
ただでさえ狭い築地の路地の更に裏、店の中に通路があって、そこをぐいぐい折れて中に入っていくと、そこはウニが山ほど乗った海鮮丼の店である。お値段二千五百円。高い。高いがウニのためだ。ウニにはそれだけの価値があるのだ。そしてそれを食す私は二千五百円以上の価値がある人間なのだ。そういうことにしておいてください。時給二千五百円ももらってないけどな。その半分あるかなしやくらいだけどな。社会人なんて。
お一人様はお一人様らしくカウンター席に座る。注文を済ませ、さあいざゆかんと身構えた、その瞬間である。
「ひゃー、こんなわかりにくい場所にあんのに混んでんだな」
「それだけ人気なのだろう」
「そりゃわかるけどね。あ、すんませーん二人でっす」
聞き覚えがある声がするなあと思った。より正確に言えば、聞き覚えがあるホモの声がするなあと思った。
振り返ることは決してしない。それをした瞬間に負けると思った。そして別に振り返らなくても、私の視界の右端には、ちらちらと緑色の影が見えた。
私の人生の中で、私の知る限り、緑色の髪をした男なんてのは、渋谷と原宿にはいても築地にはいない。もしもいるとしたら、それはきっと、信じがたいかもしれないが、きっと、その男の自毛なのだろう。そして私の人生の中で、驚くべきことに、自毛が緑色の人間というものがたった一人存在しているのである。
「真ちゃん椅子狭くねえ?」
「いつものことだ」
「そりゃそーだわ。ぶっは、家のソファはキングサイズで買ってあるからあんま意識したことなかったけど、やっぱ改めてこうしてみると、ぶっふ、でっか、真ちゃん」
「恐ろしく今更なのだよ。というかこの店が全体的にこじんまりしているだけだ」
「真ちゃんどんだけ足がはみ出してんのさ。ってか、足、机にぶつかってねえ?」
「そうだな。お前と違って足の比率が大きいからそうもなる」
「俺は平均ですー」
「そうかそうか。ところで高尾、俺とお前の身長差は何センチだったかな。こうして座っているとあまり差が無いように思える。もしかして身長がのびたのか?」
「ぶっとばすぞこの野郎」
「椅子に座るとお前と目線が合いやすくて俺としては嬉しい限りなのだよ」
「デレと見せかけてけなすの禁止!」
「ふん」
「楽しそうに笑うのも禁止!」
「笑うのも駄目なのか」
「なんか妬ける」
ハイ分かってました確定しましたありがとうございましたこいつらは間違いなく私の家の隣に住むホモ、略してトナホモのお二人でいらっしゃいますー。頭文字ならWTSH、ワタシの家のトナリにスムホモ。マジかよ。どんな確率だよ。すげえ確率だよ。なんと私は家の外に出てもこのホモに出会ってしまう運命らしい。じゃあもう家の隣のホモじゃないじゃん。私の隣のホモじゃん。何ソレ。隣のホモモ……やめようどこから訴えられるか判らない。
「ま、俺としても目線が同じだと真ちゃんの表情が見やすくていいんだけどね」
「そうだな。俺も普段お前のつむじしか見ていないから、そろそろお前の顔がつむじになりそうだったのだよ」
「なんだかんだ言って俺の顔好きなくせに」
「…………」
「お、図星?」
いやーすげえウニはまだかなー。なんで私は休日の昼間っからホモのいちゃこらついた会話なんか聞いてるんだろうなー。ていうか周りの人たちは何も思わないのか? 思わないんだろうな。だってみんな目の前の海鮮丼か自分のおしゃべりに夢中なのだ。私のようにまだ海鮮丼も来てなくて、一緒にしゃべる相手もいない人間だけがホモの会話を敏感に拾い上げている。
っていうかね、あんたらもね、ホモなんだからね、こう、ちょっとくらいは節度っていうかね、なんかこう、隠れてる感出しなさいよ。外で会話をする時は友人同士のように、触れ合わず、馴れ合わず……みたいななんか、そういう葛藤みたいなの無いんですか。無いんですね。
いやあったらあったでそれはそれで可哀想というか、男女のカップルは外で堂々といちゃつけるのにホモは駄目ってそれって差別なんじゃないのとか難しいこと色々考えなきゃいけなくなって面倒なんだけど。面倒なんですけど。
だからこんな怒る筋合いも無いんですけどね。なんででしょうね。多分男と男がくっつくことによって、私のようにあぶれる女が出現することへの怒りってやつでしょうかね。本当に。
この高尾くんも緑間くんもイケメンで性格も(恐らくとても)良いだろう二人がくっつかれたら女の行き場ってどこよ。どこにもないわよ。こんな築地のカウンターに一人追いやられるだけよ。ええい、いっそ殺せ。
「真ちゃんどれにすんの?」
「これだな」
「えっウニ乗ってないじゃん」
「そうだな」
「ここウニでめっちゃ有名なのにいいの?」
「構わん」
緑間くんの発言は本当に必要最低限なのに、高尾くんがとてもわかりやすく解説してくれるおかげで会話をきくことしかできない私にも状況がわかる。高尾くんは将来レポーターにでもなればいいんじゃないだろうか? 取り敢えず緑間くん��ウニに興味が無いというアンビリーバボーな人種であることは理解したけれど本当にじゃあなんでこの店に来たんだ。言っとくけどウニ以外の取り揃えはあんまり無いぞここ。
「うーん。真ちゃんがそれでいいならいいけど。俺はこれな! ウニ特盛ウニ丼な!」
「テレビで見た時からずっと騒いでいたのだからそれ以外を頼んだら逆に驚きなのだよ」
「へへへ。いやー、ほら、なんかさ、もう頭の中が海鮮一色になっちゃう時ってあるじゃん。あ、もう駄目だ今週中に魚食わないと死ぬわ俺、みたいな」
「その程度で死ぬな」
「気持ちの問題だよ。真ちゃんだっておしるこ飲めなくなったら」
「お前を殺す」
「嘘だろとんでもない八つ当たりじゃねえか」
ほんとにな。でも多分わかったけど、いや全然わからないけど何となくわかったけど、これ緑間くんの方はもしかして全然海鮮気分じゃないんじゃないか?
もしかしたらウニが嫌いな可能性すら存在する。でもどうしても海鮮が食べたい彼氏のために何も言わずに付いてきたっていう……今彼氏っていう言葉を使ったことに自分で酷いダメージをくらっている……でも間違いなく夜の営みでは緑間くんが高尾くんを、えー、その、なんだ、受け入れている、側(婉曲表現)の筈なので多分これで合っている。
昨晩もお楽しみのようでしたからね。めっちゃ声私の家まで響いてましたからね。
『ね、真ちゃん、きこえてる?』
『ん、あ、っは、たか、お?』
『あー、ほとんどトんじゃってるか……。ねえ、ゲームしようよ。先にイった方が負け』
『や、め、そこ、奥、も、むり、っだ、ぁ』
『負けたら勝った人の言うこと何でも一つ聞いてね』
『っぁ、ぁあ!』
つまらぬ物を思い出してしまって真昼間からそっと真顔を晒してしまった。あ? もしかして今日ウニ食べに来てるのってこの罰ゲームの一環なのか? なんかそんな気がしてきた。凄いな。どんどんホモのデート事情に詳しくなっていくな。私。
ようやく私の前に運ばれてきた海鮮丼は彩りも美しく、橙色の照明をゆっくりとはじくイクラが美しい。米もひと粒ひと粒立っていて、丁寧に切られたマグロの刺身とタコと調和している。そして何よりも、ウニ。丼の半分近くを覆うようなこの重厚感。あー、ありがてえ。これでようやくホモの会話をシャットダウンできる。ありがとうウニ。ありがとう母なる海。ありがとう地球。うめぇ。
*
さてさて、わざわざ休日に築地にまで出てきたのだから折角だから女子力の高いことをしておきたい。というか、会社に行って休日何してたの? とか聞かれた時に「アッ一人で築地に行って海鮮丼食べて帰ってきました~」とか絶対に言えない。そんな時の強い味方。買い物だ。ショッピングだ。「ちょっと秋物のお洋服が見たくて~買い物しに遠出したんですよぉ~お洋服選ぶのって凄く悩んじゃうから、ひとりじゃないと行けなくって~」。これだ。とっても正解だ。「お昼にお腹空いちゃったんで築地まで足を伸ばしておいしい海鮮丼も食べてきちゃいました! え? あ、私あんまり一人とか気にならないタイプなんです~」とか言えばちょっと個性的な私アピールもできるけどそれはやめとこう。そんな訳で私は築地から首都高速を超えて銀座まで歩く。いやー本当に、あの雑多な築地とレディの街銀座がこんな徒歩十分みたいな距離にあるのは未だに納得がいかない。
あと何が納得いかないってここでまたあのホモに遭遇するのが納得いかない。
何故だ。何故銀座三越のデパ地下にお前たちがいるんだ。私もなんで洋服じゃなくてデパ地下で惣菜見てるんだ。マジで失敗した。
「しんちゃーん、まだ決まらねえの?」
「まだだ」
「そんなに悩むなら好きなの全部買っちまえば? どうせ金あるんだろ?」
「馬鹿か。全て買うのはもう決まっているのだよ。何箱ずつ買うかだ」
「そこは一つにしとけ」
そうだよね。買い物するのに凄い迷っちゃって凄い時間かかっちゃっても、それに付き合ってくれる彼氏がいるなら一緒に行くよね。わかってたよ。大丈夫。私知ってた。
「俺的にはこれが気になるかな」
「じゃあそれも買うのだよ」
「もしかして、買おうと思って無かった系? そしたら別にいいんだけど」
「いや、元々買うつもりだったが三箱にする」
「いやいやいやいや、それはおかしい俺の取り分がどれくらいなのかも判らないけど間違いなく俺はひと箱分も一人で食べない」
「俺がふた箱食べたいのだよ」
「じゃあやっぱ俺がひと箱じゃん」
「お前はひと切れで良いだろう。残りは俺が食べる」
「じゃあ真ちゃんそれほぼ三箱一人でくってんじゃん!」
緑間くんがじいっと見てるのは老舗和菓子屋のディスプレイである。最近は和菓子もどんどんお洒落な包装がされてパッと見和菓子だとわからないような物も増えているが、はてさてこの緑間くんが見つめているのは昔ながらの和紙に包まれたしとやかな羊羹。私知ってるけどこういうのってだいたい高い。っていうか羊羹ってドカ買いするものじゃなくない? そんな全種箱買いとかするのじゃなくない?
「真ちゃんさー、マジでそんなに食ったら絶対に太るよ」
「いつも俺にもっと太れもっと太れと言うのはお前だろう」
「だってお前、こう、ぐるっと腕まわした時にさ……あれ? 薄くね? って不安になんだもんよ」
「それでもお前よりは太い筈だが」
「真ちゃん、身長差、身長差、びーえむあいってやつ」
「だから糖分を摂って太ったとしても何ら問題は」
「健康に問題しかねえわ。やだよ俺糖尿病の世話とか」
あ、でも世話するんだー、とか、そっかそっか腕回して抱き合うことに何の恥ずかしさも覚えないんだー、とか、色々思うところはありました。ありましたので私はそっと煎餅をひと箱買いました。荷物になりますが仕方ありません。このやるせない気持ちをバリボリと家で噛み砕いてやろうと思ったのです。本当に。
「すみません、これとこれとこれとこれとこれ、全部二つずつください、これだけ三つ」
「俺のアドバイス一切受け入れなかったね真ちゃん!」
「あ、宅配で」
宅配とかお前天才かよ。とちょっと思いましたがそれよりもぶっ飛ばしたいの方が上回りました。セレブかよ。あとやっぱり高尾くんが気になってる奴は三箱買うんですね。はいはいはい。そうですか。そのことに高尾くんはつっこまないんですか。そうですかそうですか。怒り。
「えー、俺もそしたらキムチ買うわ。全種類」
「やめろ。キムチはくさい」
「すっげー横暴じゃね」
「明太子なら許してやる」
「高えよ! 馬鹿!」
ほんとにな(二回目)。
今度こそ洋服を見に行こう。洋服ならフロアが別れてる。メンズとレディースで別れてる。大丈夫。わたし、ホモ、会わない、絶対。
そうして買い物を終えた私がちょっと休憩がてらに入った和菓子屋でまたこのホモ二人に出会うことになったのであった。もしかして皆さんわかってた? ちなみに私はわかりたくなかった。
「真ちゃんおいしい?」
「ああ」
「そっか、良かった」
「お前はいいのか、抹茶だけで」
「うん」
あーあーあー、あー、はい、はいはい。お昼は高尾くんに合わせたからお茶は緑間くんに合わせた���ね。成程ね。私そろそろホモ検定準一級とか取れるんじゃないだろうか。
*
徒歩エリアを移動するからよくないのでは、と気がついた私はこの惨状から離脱をはかる。何が悲しくてひとりっきりの休日に充実ホモデートを見せつけられなくてはいけないのか? 果てしなく疑問である。
さて、とすると電車で移動するしかないわけだが、銀座からの選択肢といえば限られている。東京か有楽町か日本橋。恐らくそのあたりだ。
そのあたりって、次にホモが移動しそうな場所である。
東京に出て皇居とかでのんびりしたり丸ビルで買い物したり……或いは有楽町に出て映画もありだ……有楽町の映画館は結構マニアックなのとか重たい映画をやっていたりするから緑間くんなんか結構好きなんじゃないだろうか……日本橋は最近コレドが出来てから注目が増えている……が、しかし銀座からは一番遠い……正解は日本橋か? 私は日本橋に出ればいいのか? 間違いはないか? よし、日本橋、行こう。
そしてホモに出会う。
*
全くもってやれやれなのだが、私の目の前にはどう見ても二人の男、すなわちホモとホモ、別名緑間くんと高尾くんが、かわいいインテリアショップの中で真剣に商品を吟味している。
まあ待てよと言いたい。
なんでこのビルにいるのかと問いたい。真剣に問いかけたい。どう見たって中に入っている店舗はほぼ全て女性物のファッションブランドとコスメなのに。何故お前らはその中で堂々とインテリアを見ているんだ。超浮いてる。超みんなちらちら見てる。でも多分イケメンだからみんな見てる。イケメンだからかわいいリスのぬいぐるみを真剣な顔して選んでても許されてる。
「どちらがより真剣な顔をしていると思う、高尾」
「俺のホークアイには両方とも同じにしか見えない」
「お前のホークアイは空間認識能力であって識別能力ではないだろう。今は関係無い」
「そーですね」
「お前の率直な意見が聞きたいのだよ」
「じゃあ率直に言うけど正直どっちも真剣な顔には見えない」
「なんだと?」
「世の中の人間が全てドングリにみえますっていう感じの顔してる」
「このリスの目には人間すらも捕食対象に見えるというのか……」
んなわけないだろう。どう考えても緑間さんはからかわれているし高尾くんは暇つぶしにからかっている。っていうか何で緑間くんは真剣な顔のリスなんて選んでいるんだ? 彼女へのプレゼントだろうか、なんて普通なら思うのかもしれないが、どっこいこいつらはホモである。私今日一日で何回ホモっていう言葉を発したんだろう……心が苦しい……。今、世界で瞬間最高ホモ速をたたき出しているのが恐らく私であろうというのが凄く悲しい……。
「フランス製の真剣な顔をしたリスのぬいぐるみでなくては意味がないのだよ」
「相変わらずおは朝の指定はなんでそんな細かいわけ? リスのぬいぐるみでよくねえ?」
「細かいほうが難易度が上がってご利益も高まりそうだろう」
「何その『強い敵を倒せばいっぱいレベルアップ』みたいな一昔前のゲーム理論」
「しかしそうか。こいつらは真剣な顔はしていないのか」
「いや、まあ考えようによっちゃあ、食事って生きるために必須の行為だし、特に野生動物にとっちゃあ生死の分け目じゃん? そういう意味では、常に人間がドングリに見えるこいつらは常に生きることを考えてるとも言えるし、ってことはこのリス達はそれだけ真剣な顔をしてるとも言えるんじゃないかな?」
「成程」
今のどこに成程の要素があったのだろう。私には何にもわからなかったし果たして喋っていた高尾さんですらわかっていたかどうか怪しいレベルだったのだが、緑間さんはこれで納得したらしい。嘘だろ。何が嘘だろって、結局この二人が無事にリスのぬいぐるみを買い終わるまで物陰でそっと見守ってしまった自分に嘘だろって感じだ。なんなの。これはもしかして親心ってやつなの。駄目じゃん。偶然でここまで出会ってきているのに、それをこっそり見守ってちゃそれはただのストーカーじゃん。やめやめやめ。そういうのやめよう。
リスを買った緑間さんはとてもご満悦な表情をしていて、それを見守る高尾さんもとても幸せそうな顔をしていたことを思い出して私は怒りという感情を呼び起こす。ええい二度と関わるものか。関わるものか!
「やー、しかしまあ買えてよかったわ」
「ああ」
「思いのほかあっさり見つかったから、時間ちょっと余ってんだよなあ。真ちゃん他にどっか行きたいとこある?」
「日本橋か」
「多少移動してもいいけど」
なんと。このホモ二人はこのまま移動するらしい。ならばもう少し盗み聞き、もとい、えー、風の便り(苦しい曖昧表現)に耳を澄ませて違う所へ行けば私の安寧は約束されたものだ。さあ、どこへ移動する。今度こそ東京か? 有楽町か? それとも神田神保町?
「ならば七福神巡りがしたいのだよ」
なんでお前そんなちょっと面白そうなの言い出すかな。
*
緑間さん曰く、少し歩いた所に七福神のそれぞれを祀った神社が密集している場所があるらしい。なんでそんなの知ってんのって感じだが、どうも先ほどの占い云々からして彼はそういった運命とか神様とかそういうの結構信じているタイプのようだ。イケメンじゃなかったら許されない趣味である。だがイケメンだから許そう。私は寛大だ。
寛大だ、じゃねえよ許されないのは私だよこれじゃ本当にストーカーじゃねえか。おい。
しかし時間が余っていたのに加え、なんとなく七福神巡りなんて面白そうな言葉を聞いてしまったからには私もやってみたい。というかもう神頼みするレベルで彼氏が欲しいし寿退社してもうなんの不自由もなく家の中で主婦やってたい。神様に頼んで叶うなら七人の神様くらいいくらでも巡ってやろうじゃないか。
せめて同じ道は歩くまいと高尾さんと緑間さんとは別ののルートを探し、携帯で調べながら歩いていく。こんな場所に来るのなんておじいさんおばあさんだけだろうとタカをくくっていたのだが、なんだか若い女性の姿が多くて私は少しびっくりしてしまう。いや、え、マジで多い。キャリーケースを引いている人もいれば普通に鞄だけの人もいるし、一人の人もいれば団体の人もいるがしかし驚く程みんな女性だ。何かこの近くで女性向けのセミナーとかあったんだろうか。旅行者か? ってくらいの荷物の人もいるんだけど、まさか旅行でこんな場所来ないよなあ。年齢も服装もバラバラで、セミナーって自分で言った言葉も全然信じられない。ただどの人も楽しそうなので、まあ、よくわかんないけどきっと私の知らないどこかで楽しい女性の会があったんだろう。タカミ、とかなんとかいう言葉が頻繁に聞こえたので、もしかしたらそういうアイドルのライブとかあったのかもしれない。
私がホモと一緒に飯食って買い物を眺めわびしい思いをしている間にこの地球上ではこんなにも楽しそうにしている人がいることに嫉妬と祝福を覚えつつ私は神社に向かう。小綱神社、茶の木神社、水天宮、松島神社、までは順調にきた。
そして末廣神社でホモに出会う。いや、流石に七個も同じ行き先巡ってたらそりゃどっかでは会うわ。これに関しちゃ私が悪いわ。
*
「七福神って結構あっさりいるもんなんだな」
「神様をあっさりいるなどというな」
「いやー、だってこんな都会のど真ん中でひっそり密集してるとか思わないじゃん。普通に」
「普通の使い方がわからん」
「あと、正直どの神社も一緒に見える」
「バチが当たれ」
「命令形かよ」
お賽銭を投げ終わったのか喋りながら境内の砂利道を歩く二人を見つけた時、咄嗟に木の陰に隠れた私はもはや完璧なストーカーとしての体を整えている。何も疚しいことなど無いはずなのに何故私はここまでしているのか。わからない。わからないが仕方がないのだ。ああ、流石にもうそろそろ日が暮れるから、木の陰も大きくなって隠れやすいことこの上ない。十一月の太陽は、落ちる時は一瞬だ。
「おい、高尾、おみくじを引くぞ」
「またかよ! 全部の神社で引いてくつもり?」
「当たり前だ」
「いや別にそりゃ引くのは勝手なんだけどさ、全部の神社で大吉出されると、お前の運の良さ知ってる俺でも多少ひくよね」
「ひくとはなんだ。おみくじをか」
「わかってる癖にすっとぼけないで真ちゃん」
大吉しかひかない人間なんてこの世の中にいるのか。それはもう何が楽しくておみくじをひいているのだろう。絶対に楽しくないと思うのだが、どうなんだ。高尾さんもそれは疑問に思ったのか、そんなにひいて楽しいの? と至極真っ当な質問を私の代わりにしてくれる。
「楽しい楽しくないでやっていないのだよ」
「真ちゃんがそう言う時は大体楽しくて仕方無いっていうの俺もう知ってるからね」
「努力の結果が形になっているだけだ。試験と一緒だと思え。毎回ゼロ点のテストと、百点のテスト、どちらが嬉しい。百点だろう。そして百点を取ったから試験に飽きる、ということもないだろう。同じなのだよ」
「絶対におかしいけどうまく言い返せない自分が悔しい」
諦めるな高尾さん! 冷静に考えればツッコミどころは沢山あるぞ!
まずそもそもテストで百点を取った経験なんてあまりないのだが、どうやら緑間さんの口ぶりからすると、努力すればテストで百点は当たり前だし、おみくじで大吉も当たり前らしい。運って努力でどうにかなるものなの? 私には全くわからないが、緑間さんの荷物から顔だけ飛び出しているリスと目が合ったような気がして額を押さえた。努力の結果があのぬいぐるみ。きっと。
「わかったらさっさとひいて次に行くぞ」
「へいへい」
「へいは三回までだ」
「HEYHEYHEY! ……って、真ちゃんこの前テレビでこのネタ見てから、しょっちゅう俺にフるのやめてくれる?」
「似合っているのだよ」
「お前にお笑い番組は似合わないけどな」
「お前が最初に見だしたんだろう」
「ま、そりゃおっしゃるとーり」
合間合間にのろけを挟まなくちゃ会話できないのか? 私の疑問は尽きないが、二人にとってはこれが日常会話なのだろう。高尾さんはつっこみを入れなかったし、緑間さんは恐らくまた大吉を出したらしく、おみくじを枝に結ぶことなくしまった。次は笠間稲荷だな、という声が聞こえて私は目的地を変更。
っていうか、今更だけど、この七福神巡り、調べてみたら神社八ヶ所あったんだけどそんな適当でいいのか?
*
全てを巡り終わるまで、遂にホモたちには出会わなかった。良かった。とても良かった。清々しい気持ちだ。ついでに夕飯も済ませようと思って、暫く悩んだ挙句にファミレスに入った。お一人様ファミリーレストランに怯えるような歳では無い。そして恐らくあの二人はこれだけしっかりデートしてるんだからちゃんとした所予約してる筈、という私の予想は見事に当たり、店内には目立つ緑髪もその隣の黒髪も見当たらなかった。多分今こそ銀座とか有楽町で飯食ってるよあいつら。多分。
私はそろそろホモ検定一級を名乗ってもいいかもしれない。
*
さて、家に戻ってテレビ見て、風呂に入って出たあたりで、アパートの廊下から少し抑えられた話し声が聞こえてきた。高尾さんと、緑間さんのものだろう。もしかしたらまだお話してなかったかもしれないが、私の住むアパートの壁というのは法律スレスレに薄いのである。廊下の話し声とかめっちゃ聞こえるし隣の家のテレビの音だってその気になれば聞こえる。
喘ぎ声だってね。
バタン、という隣のドアが閉まる音。それからドタドタ、とでっかい物音がして、静かになった。何か物落としたんだろうな、と思うがここで警報が鳴る。ホモ検定一級の本能が訴え掛ける。
玄関で聞こえた物音は��移動しただろうか?
何度だって言う。人間の記憶は六十二%、ってこの話はもうしたんだ。まあいい。大事なことだから繰り返し言うけれど、このアパートの壁は薄い。テレビの音だって聞こえてくるくらいだから、男二人の話し声なんて、内容までは聞き取れなくても、『何かをしゃべっている』くらいは常にわかるのだ。
今、廊下を、抑えた声で話していた二人が、玄関から、一言も喋らずに移動するなんてことあるだろうか。
玄関で、大きい物音が聞こえたけれど、もしも何か物を落としたら、普通何がしかの会話が発生するものじゃないだろうか。
つまりこうだ、私は今自分の想像が当たらないことを祈っているが、その、なんだ、これは、あの、あれだ。
あの二人は、玄関からまだ移動していないんじゃないか?
どっと冷や汗が出た。ホモの男二人が大きな物音を立ててから、会話もせずに玄関に居座り続ける理由ってなんだ。ナニしか思いつかない。
ナニってナニだ。
これ以上は喋らせないでくれ。
ええ、ちょっと、ねえ、マジで?
ちなみに私は今凄くトイレに行きたいし、トイレットペーパーは切れてるし、その予備は玄関のスペースに置いてある。警報がまだ頭の中で鳴っている。だがそろそろ膀胱も悲鳴をあげ始めた。人としての尊厳を捨てる訳にはいかない。
そっと玄関へ向かう。頼むから何も聞こえませんようにと祈りながら向かう。となりは驚くほど静かだ。そうして私が玄関の暗闇に鎮座するトイレットペーパーを見つけた瞬間に、また大きな物音がした。
例えるならそれは、人が倒れ込んだ時のような。
ジーザス。いいや、今日の私は七福神か。そういえば七福神って宗派とかあるの?南無妙法蓮華経とか行っておけば大丈夫? 隣から、がさごそと音がする。暴れるような、いいや、絡み合うような? そう、玄関で。
『……ぁつ、た、……め……んっ』
『しん……なあ……そ…あばれ……』
オッケーオッケー聞こえてきた聞こえてきた。これは今晩も盛り上がってきそうじゃないですか。盛り上がってきそうですね。私、明日、仕事なんですけどね。月曜日ですからね。週の始めですからね、でもきっと、彼らには関係ないんでしょうね。いいんじゃないですか。もう。
トイレットペーパーを抱えてトイレに引きこもる。彼らはあのまま玄関でどこまでヤる気なのだろう。まあ寝室から遠ざかっているお陰で、逆に私が寝る場所からは物音が一切聞こえないというのはありがたい話だ。いやでも待って、私にはわからないが、玄関で一発ヤってそのまま満足するものだろうか? 確実にしないだろう。性欲が有り余っているであろう若い男子は必ず次に行くだろう。その時は多分、普通に、ベッドとかに行くだろう。多分だけど。
トイレから出て、もう一度玄関に向かう。
『んっ、ぁあ、……っふ、ぅ……そん……』
『い…から……だま……』
あー、オッケー。やっぱり夢じゃないことを確認して、多分恐らくまず間違いなく訪れるであろう第二ラウンドを予感して、私は寝室にそっとメリーさんの羊を流す。知っているだろうか。都市伝説。携帯電話に、メリーさんとかなんとか名乗る人物から電話だかメールだかが入ってくるのだ。私メリーさん、今あなたの街にいるの、私メリーさん、あなたの家の前にいるの、私めりーさん、今あなたの部屋の前にいるの。そういう調子で近づいて、最後には殺されてしまう、みたいなよくある話。
今の私の気分がまさにソレ。
私ホモの隣人。今ホモが玄関でセックスしてるの。私ホモの隣人。今ホモが一ラウンド終えて廊下を移動してるみたいなの。私ホモの隣人、ホモが寝室に入ってきたみたい。
ホモ検定師範代の名を欲しいままにする私はそんな想像をしながら眠る。頼むから私がノンレム睡眠してる間にホモたちが過ぎ去ってくれますように。
まあ、こんなところで今日一日の私の話は終わりだ。明日会社で何を話そう。一人で築地に行ってたらホモに出会って、買い物してたらホモに出会って、お茶飲んでたらホモに出会って、何故かちょっとホモをストーキングして、最終的にホモの喘ぎ声に怯えながら寝ました。なんて、言えるわけないじゃないか。
夢の中で私は友達とウニを食べながら笑っていた。その友達というのは私の全然知らない人たちで、みんな全然特徴が違って、服の趣味も派手な人から地味な人までいるし、キャリーバッグを持っている人たちもいたし普通の鞄の人もいるし、年齢だってばらばらだし、そうしてみんな一様に楽しそうにタカミという人について語っていた。何がそんなに楽しいのかはわからないけれど、その人たちがあんまりにも幸せそうなので、よく知らない人たちなのに私は何故か友達だと認識していて、一緒に楽しそうに笑って喋っているのだ。
私と見知らぬ人たちはみんな楽しそうだった。だからなんかもう、それでいいような気がしたのだ。私の家の隣にはホモが住んでいるし、私はそんなこと、口が裂けても言えやしないのだけれども。
あーあ、こんな風に友達と一緒に行っていたら、最初からホモに気がつかない一日を過ごせていたかもしれないのにね。
目が覚めたら明日が始まっている。世界のどこかで見知らぬ人たちが楽しそうに生きているし、私の家の隣でホモも楽しく生きているだろう。勿論私も、ぐちぐち仕事に文句を言いながらそれなりに生きていくのだ。
まあ何にせよ、夢の中でもウニはおいしかった。ありがとうウニ。ありがとう母なる海。ありがとう地球。ありがとう世界。きっと明日も晴れだろう。
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Text
魔女の霊薬 種村季弘
十六世紀ドイツの画家ハンス・バルドゥングス・グリーンに、「魔女たち」と題して、数人の魔女が恍惚状態で飛翔したり、そのための準備をしているらしい場景を描いた一幅の銅板画がある。後方に水平に浮遊している老婆が片方の手に尖の二股状になった杖を持ち、もう一方の手で、なかば浮き上った若い娘の腰を抱えて何処(いずこ)かへ拉し去ろうとしている。前景右手には、片手にもうもうと煙を上げる魔香の器を掲げて今にも地を離れんばかりのエクスタシーに浸っている女がいる。
注目すべきはしかし、それよりさらに前景左手の女である。彼女は左の手に何やら呪文のようなものを記入した紙片を持ち、もう一方の手を股間に押入して(後方にぐつぐつ煮えている釜から取り出したものであろう)塗膏(ぬりあぶら)らしきものを陰部に塗布しているのである。呪文と見えたのは、あるいは塗膏の製法または用法を書きとめた処方箋でもあろうか。仔細に見ると、この銅版画は映画的な連続場面で構成されていて、最前景の塗膏を塗布している魔女が遠景に退くのにつれて、徐々にエクスタシーに陥りながら催眠状態で飛翔する(もしくは飛行感覚に襲われる)過程を刻明に記述していることがわかる。
バルドゥングス・グリーンばかりではない。ゴヤも(「サバトへの道」)、アントワーヌ・ヴィルツもレオノール・フィニーも、古来魔女を描いたほとんどの画家が、箒にまたがって空中を飛行する魔女を描いた。魔女は飛ぶのである。しかも股間にあやしげな塗膏をなすり込むことによって。これこそが悪名高い「魔女の塗膏」であった。
ところで、一体、魔女の塗膏の成分はどんなものだったのだろうか。血やグロテスクな小動物のような、さまざまの呪術的成分を混じてはいるけれども、主成分はおおむね幻覚剤的な薬用植物であったようだ。���ッチンゲン大学の精神病理学学者H・ロイナー教授は魔女の塗膏の成分を分析して、混合されたアルカロイドの種類をおよそ五種に大別した。
一、 イヌホオズキ属のアトロパ・べラドンナから抽出されるアトロビン。
二、 ヒヨスから抽出したヒヨスキアミン。
三、 トリカブトのアコニチン。
四、 ダトゥラ・ストニモニウムから取ったスコポラミン。
五、 オランダぱせりからのアフォディシアクム。
これらの各成分から醸し出される効果はまず深い昏睡状態であり、ついで、しばしば性的に儀式化された夢幻的幻視、飛行体験などである。おそらく媚薬(アフロディシアクム)として常用されたオランダぱせりは性的狂宴効果を高めたであろう。魔女審問の記録(十六、七世紀)には、実際におこなわれたものか、それともたんなる幻覚であったの定めではないか、ソドミー、ぺデラスティー、近親相姦のような倒錯性愛の告白がいたるところに見られる。告白された淫行のなかには悪魔の肛門接吻(アナル・キス)のように入社儀式化されているものもあった。アコニチンによる動悸不全はおそらく飛翔からの失墜感覚を惹起した。またベラドンナによる幻覚は、はげしく舞踊と結びつくと運動性の不安――すなわち飛行感覚を喚起する。睡眠への堕落、性的興奮、飛行感覚は、こうして各成分の作用の時差によって交互に複雑に出没する消長を遂げるものにちがいない。
使用法は、右のアルカロイド抽出物の混合液を煮つめたものに、新生児の血や脂、煤などを加えて軟膏状にこしらえたものを、太腿の内側、肩の窪み、女陰のまわりなどにすり込むのである。さて、細工は流々、はたして所期の効果が得られるであろうか。
現代の学者で魔女の塗膏を実際に当時の処方通りに造って人体実験をしてみた人がいる。自然魔術と汎知論、あるいはパラケルスス研究やシュレジア地方の伝説採集の研究で高名な民俗学者ウィルーエーリッヒ・ポイケルト教授である。一九六〇年、ポイケルトと知人のある法律家は、十七世紀の魔女の塗膏を処方通りに復元して、こころみに自分の額と肩の窪みにすり込んでみた。成分はベラドンナ、ヒヨス、朝鮮朝顔、その他の毒性植物を混合したものであった。まもなく二人はけだるい疲労に襲われ、ついで一種の陶酔状態で朦朧となり、それから深い昏睡状態に陥った。目がさめたのようやく二十四時間後で、かなりの頭痛を覚え、口腔からからに渇き切っていた。二人はそれから、時を移さずにぞれぞれ別個に「体験」を記述した。結果はほとんど口裏を合わせたように一致し、しかも、三百年前、異端審問官の拷問によって無理矢理吐き出させられた魔女たちの告白とおどろくべき一致を示したのである。
「私たちの長時間睡眠のなかで体験されたものは、無限の空間へのファンタスティックな飛翔、顔というよりはいやらしい醜面をぶら下げている、さまざまな生き物囲まれたグロテスクな祭り、原始的な地獄めぐり、深い失墜、悪魔の冒険などであった。」(ポイケルト『部屋のなかの悪魔の亡霊』)
してみると十六、七世紀の魔女たちの証言はかならずしも根も葉もない虚構ではなかったのである。一五二五年に『異端審問書』を書いたバルトロメウス・デ・スピナは、当時の有名な医者ぺルガモのアウグストゥス・デ・トゥレが、その家の女中が部屋のなかで素裸になり意識を失って死んだように床に倒れているのを発見した委細を記録している。翌朝、正気に戻ったところを尋ねてみると、彼女は「旅に出ていた」と答えたという。どうやら塗膏を使用したのである。ルネッサンス・イタリアの自然科学学者ヒエロニムス・カルダーヌス(カルダーノ)も旅の幻覚を伴う塗膏の話を書いている。
「それは、おどろくべき事物の数々を見させる効力と作用を有しているとされ……大部分は快楽の家、縁なす行楽地、素晴らしい大宴会、種々様々のきらびやかな衣装を着飾った美しい若者たち、王侯、貴顕の士、要するに人の心を呪縛し魅するありとあらゆるものを目に見させ、ために人びとはてっきりこれらの気晴らしや快楽を享楽し娯しんでいると錯覚さえする。彼らはしかし、一方では、悪魔、鳥、牢獄、荒野だの、絞首吏や拷問刑吏の醜怪な姿だの、とかをも眼にするのであって……そのため非常に遠い奇妙な国を旅行したような気がするほどである。」
おそらく現代の幻覚剤による「旅(トリップ)」と同じような、未知の空間への旅行が体験されたのであろう。ヒエロニムス・ボッシュの「千年王国」の天国と地獄を一またぎするような、至福と恐怖がこもごも登場するその旅の旅行の体験の内実は、「ビート族のベヨーテ生活」の至福共同体が「ある敷居を境に苦痛の闇へと転落し、そこからヒップスター生活が犯罪の世界へ繋っていく」(ワイリー・サイファー)ところまで、現代の幻覚剤体験そっくりだったようだ。
幻覚剤文明が現代の特産物ではないように、魔女の塗膏もキリスト教的中世独特の薬物ではなかった。それは古代ローマにも、それ以前の蒼古たる地中海文明的なかにも、明らかに存在していた。ただ、またしてもその意味が違っていたのだ。キリスト教的中世の魔女の塗膏が忌むべき禁止の対象であったのにひきかえ、そこでは同じものが驚異の対象だったからである。
もっとも著名な例は、アプレイウスの『黄金の驢馬』の主人公ルキウスが魔女めいた小婢フォティスの導き屋根裏の小部屋の扉の隙間ごしに覗き見るパンフォレエの変身であろう。ミロオの妻パンフォレエは人眼に隠されて塗膏を身体中に塗り、鳥に変身して夜な夜な恋する男のもとへの飛んでゆく。
「見るとパンフォレエは最初にすっかり着ていた着物を脱いでしまうと、とある筐(はこ)を開いて中からいくつもの小箱を取り出し、その一つの蓋を取り去って、その中に入った塗膏をつまみ取ると、長いこと掌でこねつけておりましたが、そのうち爪先から頭髪のさままでからだじゅうにそれを塗りたくりました。そいでいろいろ何かこそこそ燭台に向ってつぶやいてから、手足を小刻みにぶるぶると震わせるのでした。すると、体のゆるやかに揺れうごくにつれて柔かい軟毛(にこげ)がだんだんと生え出し、しっかりした二つの翼までが延び出て、鼻は曲って硬くなり、爪はみな鉤状に変わって、パンフォレエは木菟(みみずく)になり変わったのです。
そうして低い啼き声を立てると、まず様子を吟味するように少しずつ地面から飛び上がるうち、次第に高く上がってゆくと見るまに、いっぱい羽根をひろげて、外へ飛んでってしまいました。」(呉茂一訳)
この場合にもパンフォレエの羽化登仙的な至福感は事の一面を物語っているにすぎない。同じ塗膏をフォティスから手に入れたルキウスは、同じようにそれを身体中に塗りたくりながら鳥とは似もつかぬ鈍重な驢馬に変身してしまう。それは天上的なものの失墜した果ての、道化た、暗い、醜悪な実相である。以後、彼はヒエロニムス・カルダーヌスのいわゆる「非常に遠い奇妙な国」の間をさまざまの魔物や物の怪に囲まれながらさまよいつづけなくてはならない。天上の飛翔は、一転、暗い冥府の旅に変るのである。
さて、このように両極的な作用を及ぼす『黄金の驢馬』の魔女の塗膏の成分は、一体どのようなものだったのであろうか。フォティスはこれらの驚異が「小さな、つまらない野草のおかげで」成就すると説明している。「茴香(ういきょう)をちょっ��り桂の葉をそえ、泉の水に浸したものを身に浴びるとか、飲むとかするだけ」でよく、また変身の解毒剤には「薔薇の花」を食べればよい。これ以上の説明がないので詳細は不明であるが、塗膏が茴香や桂の葉を含むいくつかの野草から合成されたことだけはたしかである。
ローマ文学史上、アプレイウス(一二三頃~一九〇年?)が登場するのは白銀時代も終焉してからのことであった。すでにこの頃、オリエントの異教はローマに流入して熱病のような猛威をふるっていた。しかし魔女の薬草はこれより早く、すでに黄金時代から重要な文学的トポスとしてしばしば詩文学の上に登場している。さいわい、ゲオルク・ルックという学者が黄金時代の四人の詩人に焦点をしぼって、『ローマ文学における魔女と魔法』について論じているので、これを参照しながらローマにおける魔女の塗膏の繁昌とその源泉をしばらく訪ねてみよう。
アプレイウスのパンフォレエが「恋いこがれた男」のもとに飛んでいくために鳥に変身したように、塗膏の効果の主たる目的の一つは明らかに愛の魔法であった。正確にはむしろ愛の錬金術というべきかもしれない。なぜから塗膏は、別れた男女をふたたび合一させたり、げんに夫婦である男女を分離させてその一方をよこしまにも他の男や女に結びつけようとする、分離と結合のための触媒の役を果たしたからだ。それゆえに塗膏の使い手反しばしばローマの悪場所である売淫の街区スブーラに巣食う百戦錬磨の取り持ち女たちであった。
盛期黄金時代の詩人ウェルギリウス(前七十~十九年)の『牧歌』第八に、ダフニスに恋をして捨てられた女が魔法で男を呼び返そうと逸話が見える。ふつうから職業的な魔女の家を訪うべきところであるが、この女(そもそも『牧歌』第八のこの箇所は、牧人ダモンとアルフェシボエウスが歌くらべをして、アルフェシボエウスが魔法を実演してみせるためにその女にじかになり変わり、彼女の声、言葉、状態を直接に演じているので、女は無名である)は女奴隷のアマリリスを助手に使い、かつて大妖術使いのモエリスから伝授された霊薬の製法を駆使して、みずから愛の魔法を演じてみせる。はじめに彼女はアマリリスを呼び寄せてつぎのように命じる。
「水を持ってきて、そこの祭壇をやわらかい紐でお結び。それから強い野草と匂いのきつい乳香を燃やすのだよ、そうすれば情夫(あのひと)の狂った気持を魔法の供物(くもつ)で惑わしてやれるのだから。足りたいのはあと魔法の呪文だけ。――街から家へ、私の呪文よ、ダフニスを連れ戻しておくれ。」
祭壇に結び紐、野草、呪文といった魔法が早くもあらわれている。「やわらかい紐」はおそらく羊毛の紐で、羊毛の紐には霊的呪縛力があると信じられていた。紐の結び方は、まず不実な相手の肖像画の首のすわりにそれぞれ三色(黒、白、赤)に彩った三本の紐をかけ、この画を祭壇のまわりに三度めぐらせる。「三つの異なる色を三つの結び目でひとつに結ぶかいい、アマリリス、結びつけさえすればいいのだよ、アマリリス、そしてお言い、〈私の愛の絆(きずな)を結ぶ〉と。」
三の数がしきりに重用されるのは、「神は奇数をおよろこびになる」からである。したがって「愛の絆」云々の畳句(ルフラン)も三x三の九回唱えられる。紐の三色のうち黒は冥府の色で、赤と白は悪を予防する保護色であり、黒を中心にしていわば施術者を庇護してくれる。こうして呪縛――結合(katadesis)が完了し、ダフニスは空間を立ち越えて施術者につながれてしまう。しかし魔法はこれで終わりではない。無気味な呪いの人形の焚刑がこれにつづく。
「粘土が火で固くなるように、蠟が同じ火にあった溶けるように、ダフニスは愛のために私のところにやってくる。供物の碾(ひ)き粉を徹き、もろい月桂樹を瀝青で燃やすがいい。悪いダフニスが私を燃やし、私はこの月桂樹の枝と私のダフニスを燃やす。」
呪いの人形はホスティウスの『諷刺詩篇』第一巻八「魔女とかかし」にも登場するが、ここでは魔女は「毛制と蠟制の二つの像をもっていた」(鈴木一郎訳)とあって、はっきり人体を模している。しかしウェルギリウスでは粘土や蠟をダフニスの姿に似せて捏ねておく必要はなかった。男の名前や不実を意味する符号が粘土や蠟に刻み込まれていたかもしれないが、顔形を模造するまでもなく、施術者の女がこれこれの呪物によってダフニスを意味し、それが相手だと考えればよかったのである。粘土は火のなかで固くなり、蠟は軟らかくなる。ゲオルク・ルックの注解によると、粘土は女の(相手にたいして硬化する)憎悪の固さをあらわし、蠟は彼女にたいしてふたたび軟化するであろう男の気持をあらわしている。異解では、粘土が固くなるのは、彼女から離れて他の情婦に移ったダフニスの気持を憎むべきコイ恋仇にたいして固くさせるの意である。同時に投げ込まれる月桂樹は願いの筋の吉凶を知らせてくれる。月桂樹がバチバチ爆(は)ぜて燃えれば願いはかない、燃えつきが悪ければさらに瀝青を注いで火を熾(おこ)らせるのである。
だが、つぎつぎにおこなわれる魔法にもかかわらず吉兆は一向にあらわれない。そこで女は、ダフニスが「担保」としてのこしていった衣服を閾(しきい)の下に埋めて地下の神々の裁きを乞う。「ダフニスは私にこの担保の借りがあるのだ」と。事態はこれでも好転しないので、女はアマリリスに先程燃えていた火の冷めた灰を河に持っていって投げ捨てるように命じる。その場合、灰を運んだらそれを「頭越しに」河に捨て、そちらの方を見ないで帰ってこなくてはならない。そうしないと悪霊がかえって施術者の側に憑(つ)いてしまうおそれがあるからである。かくて灰は流れに運ばれて「ダフニスを襲うであろう」。
この箇所では、女はダフニスへ呪縛をひとたび放棄して、呪いの灰で彼を襲うためにふたたび相手から分離している。「結合(カタデシス)の後にかりそめの「分離(アポリシス)」がつづくのである。この分離は恒久的なものではない。最後の結合手段として効果甚大な薬草(野草)が控えているのを女は知っている。しかしその力はあまりにも強大で、まかりまちがえば周囲に致命的な影響を及ぼす。そのために、一瞬、女は最後の切札を出すべきかどうかを逡巡する。するとこの瞬間、一度冷たくなった灰がふたたびめらめらと燃え上って祭壇を焦がしはじめる。
「これは吉兆だ!明らかにこれは何事かを意味している。――これを信じるべきなのか。それとも恋する女が魔法の夢にまどわされているのか。止まれ、わが呪文よ、止まれ。ダフニスはすでに都(みやこ)から帰りつつある。」
強烈な薬草を用いるまでもなく愛の魔法は成就する。しかし抜かずに終わった伝家の宝刀を彼女は依然として持ってはいるのである。それほどのようなものか。
「黒海沿岸で採集されたこの薬草と毒草は、モエリスがみずから私にくれたもので――それは黒海地方に多生している、しばしば私は、モエリスがこれを使って狼に変身して森のなかに姿を隠したり、深い墓穴から霊魂を喚び戻したり、穀物をよその土地に移したりするのを見た。」
薬草は単純な野草ではなく、特に「黒海地方に多生する」と明示されている。ホラティウスも初期の『エポーディ』のなかで、「毒薬の国イオルコスとヒべリアからきた毒薬」について語っている。ヒべリアは現代のグルジア共和国で、黒海地方に属する。黒海という地方は当然コルキス生まれの大魔女メデアを連想させるにちがいない。実際、詩人たちが邪悪な薬物の出所として念頭に浮かべているのはメデアその人なのである。メデアの壮大な魔法を活写した『転身物語』のオウィディウスはいうまでもなくティブルスも、「キルケ―か持ち、メデアが持っているあらゆる毒薬、デッサリアの地に生れたあらゆる薬草、欲情にたける雌馬の女陰からしたたる粘液」(『『哀歌』』と列挙する。オウィディウスのメデアは龍に打ちまたがってデッサリアに飛び、そこから薬草を採ってくる。すなわち薬草の特産地として、黒海沿岸とデッサリアといういずれ劣らぬ不気味な地方がいちじるしく強調されるのだが、これが何を意味するかについてはのちに述べたいと思う。
さて、ウェルギスウスの述べているモエリスの薬草の三つの応用例のうち、一は人狼変身、二は死者を喚起する降霊術(ネクロマンシ―)、三は穀物の生殖力の転移にそれぞれ関わる。人狼変身の話は後代(紀元一世紀)の『サテュリコン』の「トリマルキオーの饗宴」にも出てくるが、人狼信仰はおそらく神話時代に遡る起源を有している。ところがで、ロイナー教授は神話学者ランケ・グレイヴスらの説を援用して、オリュムボス神の飲食物たるアルブロジア(神々の食物)やネクタール(神々の美酒)が右のごとき幻覚性の薬物そのものではなかったとしても、そのエッセンス多量に混じていたにちがいないと推定する。ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱もこれと無関係ではない。
アルブロジアややネクタールを飲食する権限を独占している神々は、おそらく有史以前の聖なる王や女王たち(その前身はシャーマンであろう)であった。彼らの王朝が没落した後、それは、閉鎖的結社的なエレウシス密議やオルフェウス密議の秘密の要素となり、ディオニュソス祭儀とも結びついだ。密議の参加者たちは密議の席で共食した飲物や食物を絶対に口外してはならなかった。そうすることによって忘れ難い一連のヴィジョンが体験され、その類推的延長の上に超越的世界における不死と永生が約束されたからである。
ディオニュソス祭儀のメーナードたちの狂乱は、内的には飛翔感覚や性的興奮を伴い、外面的にはさながら狼のような凶暴を示したものにちがいない。彼女たちは髪をふり乱しながら国中を進行し、家畜や子供をずたずたに引き裂き、酒や薬物入りのピールに酔って「インドに旅行してきた」ことをひけらかした。してみると、見知らぬ士兵や妖術使いの人狼変身は、密議的な幻覚共同体が崩壊した後、秘密から疎外された個人や小集団が犯罪の形で表出せざるを得なかった聖なる薬物体験であったとおぼしいのである。
メーナードの末裔のように残酷な魔女たちは、先にふれたホラティウスの『エポーディ』にも登場してくる。数人の魔女が良家の子供を誘拐してきて、地面に首だけが出るように生き埋めにし、御馳走が山盛りの血を眼の前において(口元まで皿がきていても手が使えないので食べられないのだ)凄まじい飢えの修羅場をながながとたのしみ、はては生きたままの身体から骨髄と生き肝をちぎりとり、これを煮つめて媚薬をつくる。
「髪に、さてはまた蓬髪乱れる頭に、小さな蝮どもを絡ませながら、カニディアはコルキスの焔のなかにつぎのものを投ぜよと命じた。墓場から引き抜いてきた野生のいちじくの樹、死者の樹なる糸杉の木材、いやらしい蟇の血に塗られた卵、夜鳥ストリックスの羽根、毒草の国イオルコスとヒべリアからきた野草、飢えた牝犬の口からもぎとってきた骨を。」
これに子供の生き巻肝を加えれば魔女の霊薬は完成する。怖ろしい魔女カニディアのつくる媚薬は、ウェルギリウス作品の場合と同様、ある不実な男を呪縛するためである。しかし不思議なことに、カニディアの媚薬は予期したような効果を発揮しない。男の名はヴァールス、「老いぼれの漁色家」である。いましも彼は「私の手がこれ以上完璧には調和することのない塗膏(ポマード)を塗られ」て、魔窟スプーラの犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になっているはずであるのに、これはどうしたことであろう。彼はこともなげに街をうろついて夜の冒険に出かけている。やがてカニディアは「(自分より)さらに秘密に通じた魔女」が彼の背後にいて、その呪文が自分の塗膏の効果を台なしにしていることをさとる。「もっと強力な薬を、そのもっと強力なやつをお前から取り上げてやる」。こうして毒物と解毒剤が互いにきそいながら老ヴァールスを板はさみにしてしまうわけた。
それはちょうど、十八世紀毒殺魔ド・ブランヴィリエ侯爵夫人が夫の侯爵を亡き者にしようと毒を盛ると、度重なる毒殺の発覚をおそれた相棒のサント・クロアが解毒剤をあたえ、毒と解毒のシーソーゲームのなかで中途半端な廃人となった侯爵が、宙ぶらりんな生かさず殺さずの、世にも恐ろしい余生を送ったのとそっくりであった。
ヴァールスというのが誰をモデルにした人物ではっきりしない。しかしホラティウスの知人であることはたしかで、詩人ははっきりとヴァールスの肩を持ち、かつカニディアを憎んでいる。一方カニディアは、詩人の庇護者マェーケーナスがローマの無縁墓地エスクィリーナエの丘を自分の庭園に造りなおした際、この旧墓地に出没した魔女である。ホラティウスは「汝、マドロスや旅商人どもにあまた愛された女」と侮蔑しているので、前身は港町の娼婦かいかがわしい取り持ち女の類であろう。一説には、本名をグラティディアと称してナポリで美顔用塗膏を商っていた実在の女であるともいう。
ホラティウスは何故かこの女を心底から憎悪していた。開明的なエピキュリアンであったホラティウスはむろん魔法を真に受けていたわけではないが、不倶戴天の敵カニティアの脅威は身をもって知っていたらしい。カニディアは詩人に執拗に呪いをかけた。『エポーディ』前半ではカニディアを揶揄していた詩人も、第十七歌あたりではさすかに音(ね)を上げて魔女に降参してしまう(「やめろ、やめてくれ!私は効き目のある術に降服する!」)カニディアとホラティウスの間には直接の色情的怨恨はないのに、何故こうも執拗に呪詛し憎悪し合うのであろう。目下の論題から離れるので無用の詮索ではあるが、講和主義として敗北してから「黄金の中庸」を看板に韜晦してきたホラティウスの、政敵にたいする潜在的な不安が魔女カニディアの姿に結実したのだとすれば含意は深長である。
ところで、先に私は、老ヴァールスがより秘密に通じた別の魔女から対抗秘薬を調達し、カニディアの塗膏から身を護った経緯を述べたが、正確にはこれは逆である。漁色家ヴァールスは老いかけた精力を挽回するために(別の)魔女に催淫剤を依頼し、そのお蔭で老齢にもかかわらず夜な夜なスプーラに出没することができたのであった。一方、カニディアの塗膏は通常の媚薬とに逆に、この好色な遊び人を性的不能に陥らせる麻痺的な減退剤であったにちがいない。なぜなら「老漁色家がスプーラに犬に吠えつかれ、人びとの物笑いの種になる」効果を狙った薬物は、相手を色街における無用の徒である不能者に仕立てるための、底意地の悪い精力減退の薬にほかならないだろうからである。この不能不毛化させる魔法は、ウェルギリウスのいう「第三の魔法」である穀物の生殖力の転移盗奪の法にも通じている。
ローマ最古の法文書である十二銅表律は、隣人の耕地の収穫物を荒廃させる災いの魔法を重罰をもって禁じている。罰は犯罪を前提としているので、すでに当時から他人の畑の生産力を涸渇させ、(あまつさえ)これを我田引水しておのが腹を肥やす魔法が実践されていたのであった。本来神と自然の摂理のみが按配すべき穀物の作不作が人為の魔法によって操作されるのなら、同じことは人間的自然である肉体の活力の、特に性的エネルギーの増減についても通用するはずである。
ホラティウスがカニディアに蒙ったの呪い魔法は、老ヴァールスのような精力衰弱のそれぞれではなかったが、肉体のすみやかな老化という脅威であった。彼の髪は急速に白くなり、仕事は日々困難になりまさり、一瞬として息を吐くひまもなくなるであろうというのが、カニディアの呪いに籠めた脅迫であった。事実、ホラティウスは年齢より早く白髪が目立ち始めていたが、それがカニディアの魔法のたまものという証拠はなく、むしろ詩人は生来の病身にもかかわらず健康を維持し、日々の仕事も快適に楽しんでいた。彼はカニディアの悪意を感得してはいたが、魔法そのものはそれほど本気で信じていたわけではなかった。
ウェルギリウスやホラティウスの同時代の詩人プロベルティウス(前四十八?~十九年)も魔女の呪いを蒙ったことがある。プロベルティウスの受けた呪いは、まさに彼の男性としての能力の荒廃の脅威であった。敵なる魔女はその名もアカンティスといい、魔法をあやつると同時にやはり男女の仲を斡旋する取り持ち女でもあった。そもそもおらゆる種類の自然と蔑視してその正常な運行を人為的に左右しようとするプロメテウス的瀆神行為である魔法を、とりわけ肉体のの領域において一手に引き受けていたのは、先にも述べたように、当時スブーラに巣食っていた卑賤な薬草売りの魔女やあやしげな取り持ち女だった。ホラティウスの『エポーディ』のいちじるしい影響下にある『哀歌』のなかで、プロペルティウスはほとんどホラティウスをそのまま踏襲しながら唱っている。
「彼女(アカンティス)はつれないヒッポリュトスをアプロディーテーにたいして和ませるすべをすら心得ているのだ、水入らずの愛の絆にたいする最悪の災いの鳥であるこの女性。彼女はベネローベをさえ、その夫の知らせなどおかまいなしに、淫蕩なアンティノースとめあわせることだろう。彼女がその気になれば、磁石はもはや鉄を牽引せず、鳥はその小鳥たちの巣のなかで継母(ままはは)となる。すなわち彼女がポルタ・コリナの野草を掘り出したならば、固く結ばれていたものはすべて流れる水に溶け去るのだ。彼女は大胆にも月に呪文をかけ、月をおのが掟に従わせ、夜な夜なその肉体を狼の姿に隠す。醒めている夫の眼を環形でくらませるために、彼女は処女の雌鳥どもの眼を爪でくり抜く。彼女は魔女たちと結託して私��男性の能力を去勢させようとし、私に害をあたえようものと子持ちの雌馬の欲情の愛液を集めた。」
アカンティスはエロチックな引力(共感)と斥力(反感)の結合(カタデシス)と分離(アポリシス)の両極原理を基盤とする錬金術的性愛術を自在に操るのである。思うがままに貞淑ペネローペを淫蕩なアンティノース靡かせ、冷たいヒッポリュトスにアプロディーテーにたいする熱烈な情欲をかきたてる。彼女は自然の法則を嘲笑し、リビトーの流れをあちらからこちらへと変えたり、涸らしたり、増量させたりすることさえできる。共夫の女をよこしまな道楽者に取り持つように頼まれれば、不運な男の眼を鳥の眼をくり抜くようにくらませ、あまつ���え他人の畑の作物を枯らすようにしてそのリビドーを荒廃させ、不能の夫から強壮薬で男性的魅力をいやが上に引き立たせられた道楽者の方へと女の浮いた心を誘導していく。共感の法則をたくみに使い分けて、愛し合う男女を別れさせたり、嫌われた相手を手元にたぐり寄せたりするのである。
もっとも、このときにこそ魔女アカンティスを憎々しげた呪詛しているプロベルティウスであるが、彼自身、若年の頃は靡かぬ片恋の人「キンティア情(なさけ)を買うために「キタイアの女の魔法の呪文によって星辰や河の軌道を転ずることができ」、「わが主なる女(ひと)の心を変えて、彼女の貌(かんばせ)を私のそれよりも蒼ざめさせる」魔女の性愛術に帰依したことがあったのである。
アカンティスの魔法の中心にあるのも「ボルタ・コリナの野草」である。黒海やコーカサス地方の野草ではなく、市郊外の入手しやすい野草に頼ったのは輸入品が高価だったからであろう。いずれにせよ、この野草を投ずることによって、星の運行、河川の流れ、男女の情愛、磁力や母子愛まで、自然の正常な摂理は突然ばらばらに分解し、崩壊した積木の神殿を魔女の家に組み立てなおすように、別種の構成原理の手に委ねられる。
端的にいえば、この瞬間に世界は昼の側から夜の側に逆転し、世界原理の主宰者が神と宗教から悪魔(もしくは魔霊(デーモン)と魔法に交替する。あるいは天地創造の原活力たる火が神の手からプロメテウスに簒奪される、といってもいい。このように、あらゆる魔法使いは自然の法則を嘲笑するプロメテウスにほかならないのである。
「宗教的人間の態度は、祈る人、懺悔する人の態度であり、魔法使いの態度は主人と支配者の態度である。信仰篤い人間は祈りのなかで彼の神々に自分の優位を感じさせ、呪文によって神々を屈服させる。ある意味で魔法使いは神々の上に立っている。なぜなら彼は、神々がそれに従わなければならないと呼びかけと誓言とを知っており、かつ服従させられた神々の怒りから身を護る予防策に精通しているからである。」(ゲオルタ・ルック)
ローマの詩人たちは宗教詩人というよりはむしろ世故に通じたエピキュリアンであった。彼らは神々の側に立って魔法使いや魔女をきびしく紏弾したわけではない。そうかといって、あまたの魔女の姿を描いたにもせよ、彼らは悪魔崇拝に首までどっぷりと浸って秘教的な暗黒詩を書いたのでもない。
詩人たちが魔法にたいしてあいまいな態度をとりつづけたのは、彼ら自身と魔法使いたちとの間に存在した隠微な抗争のためであった。彼らは宗教の側に立って魔法を攻撃することこそあえてしなかったが、彼らなりに魔法を嘲弄もしくは嫉妬していた。なぜなら魔法が万事を解決してしまえば、彼らの持駒である言葉の救済力という白い魔術の出番がなくなってしまうからである。「歌(カルメーン)の原義は「魔法の歌」、「魔術的呪文」であった。「詩作(ポイエーテス)」もまた言葉の自然状態の組み変えというプロメテウス的行為である。それゆえに詩人もまた「傲慢(ヒュブリス)」の罪によってみずからはコーカサスの山巓にさらされながら地上の人びとに慰藉を授ける。プロベルティウスの言葉の医術についての確信は反語的である。
私は離ればなれにさせられた恋人たちをふたたび合一させることができ、
主(ぬし)なる女(ひと)の抗う扉を開くことができる。
私は他人(ひと)の生々しい悲哀を癒すことができるが、
私の言葉のなかにはいささかの薬剤もない。
さてウェルギスウスのモエリスが演じた薬草による三つの魔法のうち、まだ死者降霊術のみが言及されていない。死者召喚の秘法に関しては、すでにホメーロスの『オヂュッセイア』第十一巻に「招魂」の章がある。そこでオヂュッセウスに地下に一キュービット四方の穴を掘り、乳、蜜、酒、水、大麦の粉などを播いてから黒い牧羊の喉を切ってその血を穴に注ぎ、死者たちの魂を喚び戻す。古代人にとって死者は存在から消滅するのではなく、冥府や月世界に移行するのであるから、冥府の主であるハーデスやペルセポネイアに祈願して時間を逆流させることができれば、死者は当然地下世界から地上に還帰するはずなのである。地下的なものの秘密の結実である薬草がこの喚び戻しに重要な役割を駆使するのである。オウィディウスはいう。「彼女は黴び朽ちた墓の底から汝の父祖や祖先を引き出し、大いなる祈りによって大地と岩石とを割る。」
死者召喚が発端と終末、死と生と逆転であるとすれば、死から生への大逆流の一環として若返りの魔法が考えられる。老年から幼年への(自然的に不可逆的な)若返りはいわば死者再臨の模型である。オウィディウスは『転身物語』のなかで大魔女メデアがアエソンに施したおどろくべき若返りの秘法を絢爛たる筆にのせて活写している。
しかもここでメデアの魔法の要となっているのも「魔法の霊薬」である。まずメデアは翼のある龍にの首に牽かれた車を呼び出し、これにのり込んでテッサリアの野に飛び、あまたの薬草を採集する。それから奇怪な薬の調合にかかる。
「かの女は、髪の毛をバックスの巫女のようにふりみだして、炎のもえている祭壇のまわりをぐるぐるまわり、こまかに割った炬火(たいまつ)を溝のなかの黒々として血にひたし、ふたつの祭壇の炎でその炬火に火をつけ、こうして火で三度、さらに硫黄で三度老人(アエソン)のからだを清めた。そのあいだに、火にかけた青銅のなかでは、魔法の霊薬が煮えたぎり、白い泡をたててふきこぼれていた。かの女は、ハエモニア(テッサリアの古名)で刈りとってきた草の根や種子や花や激烈な草汁をそのなかに煮こみ、さらに、極東の国からとりよせた 取り寄せた小石や、オケアヌスの引潮に洗われた砂をまぜ、これに満月の夜にあつめた露、鷲木菟(わしみみずく)の肉といまわしいその翼、おのれを狼のすがたに変えることができるといわれる人狼の臓腑をくわえ、その上にキニュプスの流れに住む水蛇のうすい鱗皮と、九代を生きながらえた鴉の嘴と頭を入れてことをわすれなかった。」(田中秀夫・前田敬作訳)
前代の詩人たちの精読者であったオウィディウスは、ここにウェルギリウスやホラティウスやプロペルティウスの伝えた魔女の秘薬のあらゆる要素を投げ入れ、ほとんど完璧なごった煮を調製しているのである。さて、メデアの最後に橄欖樹の枯枝でこの液体をかきまわすと、老いた枯枝はみるみるうちに縁に返って豊かな薬をつけ、ふきこぼれた液がふれた地面はたちまち若やいだ春の地肌に変り、花が咲き、やわらかい草が萌え出た。メデアはすぐさま剣を抜いて老人の喉に孔をあける。流れる出る古い血の後に薬液を注ぎ込むと、瀕死のアエソンの白い鬚や髪はたちまち真黒になり、老醜の皺は消えて四十年前の姿になり変わった。
メデアが龍にのって薬草を探しにいくデッサリア地方は、都の郊外のように手近ではないが、さりとて彼女の故郷の黒海沿岸(コルキス)やコーカサスのような遠方でもない。しかしこころみに地図を広げてみると、エーゲ海から黒海に入るダーダネルス海峡を通じて、薬草の特産地たる黒海東端のコルキス、ヒべリア、コーカサスは水路から意外にも指呼の間にある。事実、アルタゴナウタエたちはテッサリアのパガサエの港からアルゴ号を仕立ててコルキスの金羊毛皮を探しに出立した。テッサリアと黒海沿岸地方に古くから深い関係が成立していたであろうことは、この一事からも容易推測される。ちなみにロイナー教授の野生幻覚剤分布表によると、魔女の塗膏の歴史的原生地は「中央ヨーロッパ全土」とされている。
おそらく中央ヨーロッパ奥地から地中海沿岸地帯にかけて、かつて強大な母神信仰が栄えていたのであった。この地下的(クトーニッシュ)母神崇拝の宗教はやがてアポロン的宗教に打倒され、輝かしいギリシア世界の表面からは駆逐された。とはいえ跡形もなく消滅したわけではなく、勝利を占めた若いアポロン信仰は古い地中海宗教の多くの要素を受け入れた。たとえばデルポイの神託を授けるアポロン神殿の巫女ピュッティアは、大地の裂け目の上にすわって地中からくる母の指示を受信する。ピュティアという名称そのものがすでに前ギリシア的宗教における地下的なものの化身たるピュトンの蛇との関連を暗示している。
若い宗教に征服された前代の宗教は、一転、魔法となるのがつねであった。のが常であった。同様に魔女たちは、かつてこの冥府的な大母神信仰の由緒正しい女司祭若巫女だったのであろう。しばしば魔女が引合いに出すテッサリアやコルキスのような土地は、メデアのような大女司祭が君臨していた聖地だったのであろう。したがってローマの詩人たちがその作品のなかに描いたアカンティスやカニディアのような魔女は、没落した大母神崇拝教団の巫女の、いまは往古の栄えある祭儀に参加するすべもなく孤立して巷をさまよい、賤業に口糊する、頽落したなれの果ての身にちがいない。彼女たちが時折り口にした霊薬の甘味は、プルーストにおけるマドレーヌの喚起的美味とひとしく、それが神餞として共食された往時の、栄光ある、だがいまは沈んで久しい世界の天上的な至福の思い出を、一瞬ざまざと想起させてくれたかもしれない。
魔女の塗膏や霊薬は、それ自体としても、むろん後の悪魔礼拝と切っても切れない密接なつながりがある。しかしそれよりも重要なのは、魔女を女司祭に戴いていた前ギリシア的地中海宗教が若い宗教に敗北したとき、そこにアポロン信仰が定位されたことである。いいかえれば、このとき以来、崇拝の対象は女性神(大母神)から男性神アポロンに変ったのだ。
アポロン的宗教の男性神崇拝は、当然のことながらキリストを受け入れる基礎を用意した。ここからキリストの倒錯像サタンの成立まではわずか一歩である。アポロンとキリストが男性でなかったならば、悪魔もまたついに男性ではなかったであろう。若い男性神に打倒された母神へのなつかしい郷愁は、アポロンやキリストへの憎悪の化身である第二の男性神を必然的に招来せしめた。この怨恨と憎悪に黒々と塗り込められた黒い男は、ときにはサタンとして、ときにはロマンティックな悪魔主義者として、ときには超人や天才として、時代とともに変転する自己表現をとげた。 いみじくも聖侯爵の「悪魔主義」について語りながら、「天才は母の国にではなく、魔女の国に棲む」と語ったのはG・R・ホッケである。私が右に述べてきたのもサタンの棲もう風土たる「魔女の国」のくさぐさの追憶であった。
出自《悪魔礼拝》
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『部室』
「やさしい人」とか、「やさしいね」という言葉が嫌いだ。 やさしさ、と書けば「優しさ」と「易しさ」の二つが見えてくる。やさしいね、という人間は、本当はどちらの気持ちでそう言うんだろう。やさしい人は、本当に優しいと思っているのだとしたら、随分幸せ��頭をしている。一生そうやって人を過信して幻滅してろ。 生きていると、いろんな人に出会うけど、俺は君の言うような「やさしい人」に出会ったことはない。みんないい顔をしてくれるけど、それはその一瞬だけだから、俺は誰も信じちゃいないのさ。 ホームレス仲間の汚れた彼にそんなことを話したら、「お前が前に住んでた家には、そういう『やさしい』人はいなかったわけ?」と尋ね返された。そんな存在があったなら、こんなところに来るわけないよ、と首を横に振る。それから、ポツポツと降り出した雨を凌ぐために、急いで高架下に戻る。 「愛情をもらえなかったからって、いつまでも拗ねていたら、来る幸せも来ないぜ。ポジティブシンキングで行こうや」 「簡単にそんなことが言えるようになりたくないね」 俺はそう言い返し、大きな高速道路の無機質なコンクリートを見上げてみる。長年の風雨に吹き曝されて、無骨さが増したような感じだった。ここに来て一年になるが、日々の食糧調達から周囲の精神的苦痛に至るまで、周りの猛者たちはいつも命懸けで生きている。中には命を落とす者もいるようなこの暮らしが、この高架下の景色とダブって見える気がした。 辛く長い冬を過ぎようやく落ち着いて過ごせる春が来たことを祝い喜ぶのが、この暮らしにおける独特な習慣らしかった。まずはじめに、俺たちが親しみを込めて「長老」と呼んでいる、髭の立派な紳士がやってくる。彼が祝祭の開幕を宣言するのだ。この年代でこの暮らしを「好んでやっている」と言い張るのだから、相当なものである。 そしてそれから、他人の家やらゴミ袋やらからくすねてきた食べ物を持ち寄り、無礼講で話をする。話題は本当に何でもよく、自分が生まれてきたときの話とか、どんな生活からここにやってきたのかとか、どんな食べ物が好きなのかとか、そういった些細なことで感情を共有しあう。俺たちはそういうことで、生活を乗り切ってきたのだ。 そんな風に、生きていく上で話をしたり、協力したりするのは、決して「やさしさ」からなんかではない。そうしないと生きていけないからなのだ。たぶん、「やさしい」と言ってくるような、余裕のある人間にはわからないだろうが。 高架下から出れば、幹線道路と脇の河川敷が見える。少年野球の試合をしているらしかった。たまにボールが飛んでくるときがあるので、その時は持ち前のフットワークでふわっとよけているけど、ごくたまにそれに当たって助からない馬鹿なヤツもいる。いずれはここで死ぬわけで、それは些細な死因の違いでしかないのだが、全くもってそんな死に方をした奴を見た夜には眠れなくなるものだった。 「またあのガキか」 「そうだよ、雨降ってんのによくやるわ」 「家でゲームでもしてろ」 そういうわけで、彼らクソガキへの我々の評価は散々だった。たまに俺たちを見て笑顔をくれるわけだが、所詮自分たちとは違う生き物だと思っているように見えた。そして、そういう態度を見た仲間たちはますますクソガキらへの憎悪を深めていくのであった。 「そろそろなんか探しに行くか」 「今日はどこまで行くよ」 「もう鈴木さん家はバレちまったな」 「井端さん家は?」 「俺ァ出禁くらっちまった。『ふてぶてしいお前みたいなの、来るたびにまたあいつかって湿疹が出来るんだよ、来るんじゃない』って」 「……それはお気の毒に。それじゃ金本さん家はどうよ。優しそうじゃん」 「渾名が『鉄人』やら『アニキ』やらで、強面だぞ。どこが優しいんだ」 今日を生きるために喧々諤々の議論が繰り広げられていたが、俺が来てからのこの一年の間にも我々はすっかり街を荒らす悪者として認知され、避けられているようだった。 「わしらを排除することで、移住した��と思う人に『この街はこんなにキレイなんですよ~』って言いたいだけなんだよなあ」 「そら、俺らみたいなのは汚くて、ぞんざいに扱われてしかるべき存在、みたいに思われてるよね」 「まあ、でもこのままここにいてもジリ貧なのは言うまでもないな」 そんな風にいう者もいるが、実は、俺はこの場所を好んでいた。せせこましく、また慎ましやかな暮らしが、自分のちっぽけで無力な体にフィットしているように思われたからである。たぶん、これくらいの暮らしを続けていないと、そう、多くを望みすぎれば破滅するような気がしていた。 「そんなこと言ったってすぐにここから出て暮らしを続けられるとは思わんな。ほら、行くぞ」 「行くぞ、ってどこへ?」 「他所の家に行くより、なんつーか、哀れに思われてでも恵んでもらえるところに行った方が全くもって効率的だろ」 「質問への答えになってないと思うんだが」 「ついてくれば分かるだろ」 そう言ったのは、この肥溜めのような集まりの中では顔面偏差値がもっとも高そうだった、元ヤンだ。渾名は名前からではなく、ただただ純粋に元々ヤンキーだったから「元ヤン」だ。だから、気性も若干荒い。そんな彼が『哀れに思われても恵んでもらう』と言ったその気持ちの変節に興味があったので、俺もついていくことにした。
「衣食足りて 礼節を知る 足りないお前は 元ヤンキー」 「おい、ろくでもない都都逸作ってんじゃねえ」 「すまんな、道端に落ちてた本で面白かったんでな」 「普通、そういうところに落ちてる本なんてエロ本くらいのもんだろ」 軽口が出るのは余裕のある証拠だった。いや、腹は減っているが、精神的な部分にはいくらか余力を感じていたのだ。何故なのかと問われれば、それは夜ごと繰り返されるくだらない会話の中にあるような軽率さのせいなんだろうと思う。 目的の場所に辿りつくまで、長い時間は要さなかった。重厚な門、不可思議な電子音、それに忌まわしい打球音、子供の笑い声。俺はそれを耳にしたとき、元ヤンの考えていることが分かった。 「あー、なるほどね」 「いい作戦だろ?」 「全然そう思わないけど、まあやらないよりはやる方がいいよな。プライドはズタズタだけど」 「とうの昔にプライドなんかあってないようなもんだろ」 何を言ってるんだ、と言いたい気持ちをぐっと喉の奥に閉じ込めた。それから、持ち前の静かな足技で中に忍び込む。いけない、まだ気づかれちゃいけない。なるべく小さな、なるべくおとなしい人に見つからなければならなかった。 そうしてこのとてつもない大きな建物の裏側まで用心深く入り込んでみせると、元ヤンは得意げな顔で何かをみつけたと伝えたがっていたので、聞いてやった。 「お前、ここから建物に入れるぜ。窓が開いてる」 「さすがに建物に入っちまうと、俺らしか可愛がってもらえないし、俺らの分しか得をしないぜ。俺らの仕事は、うまくいろいろと持ち帰ることなんだから」 「そんなのは建前だよ。こんな遠くから高架下まで、そんなたくさん持ち帰れるはずもないんだから」 薄々考えていたことではあったのだが、だからと言って義務を果たさないことには、むず痒いような不快さを感じることになるだろうと思った。 「一緒に抜け駆けしようぜ。俺らだけで、おいしいもん食って帰ればいい。後のことなんてなるようにしかならないんだから」 そういう甘美な誘い文句には乗らないつもりでいたのだが、やはり、昔のような暮らしに戻れるかもしれないという幻想が頭を少しでもかすめたので、もう遅かった。それで、俺たちは日差しの揺れて白すぎるくらい白いカーテンが目印の、人の少なそうな部屋に忍び込んだ。 その部屋は、どこか埃っぽく、手入れがされていないような感じもありつつ、しかし暖かみも感じる、そういう矛盾した空間だった。ともすれば鏡の国にでも迷い込んでしまったかのような異世界感すらある。中には人がいなかったが、ドアも開けっ放しだった。 呑気にもあくびをする元ヤンに警戒させるように言った。 「しっ、誰か来るんじゃないか」 「誰が来るんだろうなあ」 「ニヤニヤしてる場合かっての。場合によっては何もなしで追い出されるぞ。この部屋、食べ物の気配なんて一つも感じないんだけど」 「どうしろってわけでもないだろ。まさか、お前が忌み嫌ってる『やさしさ』から言ってるのか?」 「まさか。俺まで巻き込まれるのは御免だから言ってるんだよ」 声を潜め、目で火花を散らしていたら、ドアの向こうから静かな目線を認識した。 『猫じゃん』 「なんだ、生意気な顔して」 『かわいい~』 そう言われ、軽々と、ひょいと擬音がつきそうなくらい軽く持ち上げられたのは、元ヤンではなく俺だった。瞬間、目線がぐいっと反転しかけたのも俺だった。 「おい、俺じゃないのかよ」 「悪いな、この子からしたら好かれてるのは俺らしい」 『なんでこんなとこ来たの? 体も汚れちゃって、可愛そうに』 「余計なお世話だ」 「おい、早く俺も」 『でも、今はダメ。しばらくしたら部員のみんなも、先生も戻ってきちゃうから。声を潜めて待っていて』 「おい、どういうことだ! ちゃんと説明しろよ」 『みゃーみゃー鳴かないでよ。バレちゃうでしょ』 吊り目がちの女子高生が俺たちを叱りつけるように言った。 『ねえ、そこに誰かいるの?』 『ごめん、何でもない』 『変なの。ほら、言ってた部分の朗読の原稿は印刷しといたーって、先生から』 『ありがとう、助かる。これが終わったら練習したかったから』 『よかった。それじゃ、また放課後に』 そういうと、彼女は物の散らかった机を一掃いして、それから要らないと思ったであろう諸々を片付けた後、なにやら仰々しい機械じみたものの前に座って、見た目からは想像もつかないような快活な声を響かせた。 『こんにちは。お昼の放送です。最近、生徒がお昼ご飯を食べているところに猫が度々やってきてはそれを盗むということが多発しています、……皆さんもお気を付けください。それでは、ラジオネーム「バレンティン」さんからのリクエストで……』 軽快な手さばきで機械に手をかけ、音楽を切り替えた。彼女からしたら慣れたことなのだろう。
彼女は弁当を開け、 『ねえ、もしかしてこの原稿の猫って、君のことなの?』 と俺たちに囁いた。 「いやいや、俺たちそんな卑しいことはしてないから。そうっすよね?」 「……すまん。俺はしてたわ」 「え、マジっすか……」 『私、先週中庭でお弁当を開けてたらトラネコっぽい子に卵焼き取られたの、いまだに根に持ってるんだけど』 「なんとかしてくださいよ先輩」 「いや言い訳できんわ、確かにこの子の弁当から盗ったもん。まさかバレるとか思わんし……」 俺は心の中でとんでもないことになってしまったと思った。このままだと、何をされてもおかしくないが、かといって人間の言葉が分かっても猫の言葉でしか喋れない俺たちに「生活がかかっていたんです許してください」と反論することは不可能だった。 観念して、おいしいもんだけ貰ってトンズラするか。 「もう、ここは卵焼きもらって帰りましょうや」 「違いねえや。こいつ、曲が終わったら弁当に手はつけられないはず。だから、その瞬間に飛びかかれば何とかなるっしょ」 元ヤンと目配せをして、今か今かと足を踏み出すタイミングを探った。成功するイメージをしよう。さすれば、成功しかできない。いくらでも修羅場を潜り抜けた俺ならいける。 曲が止まった。 今だ。俺と元ヤンは、ほぼ同時に弁当の方へ跳んだ! しかし、彼女の机にあったはずの弁当は消えていた。跳んだ手足が空を泳いで、ボキリという音とともに着地した。いくら軟体で運動神経が良くても、タイミングをかわされたのなら対処しきれないときも、猫にはある。 『お送りした曲は、……』 痛みにこたえている俺たちを見て笑いをこらえながら、流暢に言葉を発し続けている。笑うなよ。 『続いては、ラジオネーム「ひのきぶろ」さんからのリクエストで、……』 また曲を変えたと思ったら、どこに隠していたのか、弁当が再び出てくるではないか。俺と元ヤンは驚きを隠さなかった。まさか読んでいたのか、と。 『一昨日もなんか部室に猫が来て弁当のおかずを奪われたって聞いてたから、たぶん対策しないとまたやられちゃうのかな、って思って』 そう悪戯っぽく笑みを浮かべる彼女に対し、元ヤン氏は睨みつけながら言う。 「卑怯だぞ! ──正々堂々と勝負しやがれ」 あー、元ヤンキーの血に火がついちゃった。こうなるともう止めようがない。というか、止めるよりも早く彼は再度弁当のほうに駆けて跳ねたが、今度は女子高生が彼をチョップでいなして止めて見せた。正直、俺が元ヤンの情けない敗北の姿を見るのは初めてで、自分が何かされたわけではないのに、なんとも形容しがたい屈辱を味わった。 「うーわ、ギッタンバッタンにされてら」 「他人ごとみたいに言ってないで早く助けろ! さっさとこっから出るぞ」 『前は見なかったほうの子、出ておいで~……逃げようとしても無駄だよ』 背筋が凍った。どういうつもりだ。いつの間にか部屋の隅に追い詰められていて、跳ねても走っても逃げられないようになっていた。チッ、これが目的か。俺は元ヤンについてきたのを後悔した。自分のできる精一杯の威嚇をして��たが、無駄だった。 『そんなにお腹すいてるんだったら、引っかかなくてもあげるよ。……一度だけだからね。おいで』 そういうと、彼���はチッチッと可愛く舌を鳴らして、元ヤンが飛びつこうとした卵焼きを目の前に差し出した。見てはいけないと思っているのに、見れば見るほど、ふわふわでおいしそうに焼き上げられたそれが恐ろしく見えてくる。もう元ヤンの止める声は聞こえなかった。不思議なもので、自分から飛びつこうとしているときは背徳感を感じないもので…… パクッ。 彼女から差し出されているときは、それを食べてしまうともう絡めとられているような感覚になってしまうのだった。しかし、本能はそれを拒めない。 「あー、食っちまったか……」 『おいしかったでしょ。私が焼いたのよ。……あっ、いけない、もう曲終わっちゃう』 焦ったふうにはにかみ、すきっ歯を見せる。あざとさすらある。そこになぜか、少しだけ既視感を覚えた。見たことなんてないはず。思い出したくなんてない、昔のことは。 『お届けしたのは……でした。さて、今日もお別れの時間です。午後の授業も頑張りましょう。それでは、さようなら』 元ヤンは既に言葉を失っていて、疲れ果てた様子でもあった。それは単純に自分の軽率さから卵焼きにありつけなかったからというでもありそうだったが、むしろ自分の甘いマスクに物を言わせることが出来なかったために豆腐メンタルが崩れたからというのが、なんとも大きな要因のようだった。俺にプライドなんてないだろとか言いながら一番傷ついているのがとても痛快だったのに、同時に気の毒でもあった。 『あ、先生来ちゃう。隠れて』 そういわれて、俺たちは掃除用具の並んだ狭い鉄の箱に入らされた。 『終わったか』 『はい』 『ごくろうさま。朗読の原稿は貰った?』 『ええ。ハナちゃんから貰いました。ありがとうございます』 『あの部分は読む人多そうだから、うまく差別化しないと目立てないかもね。なんとか来週中には詰めたいね』 『そうですね。なんとか全国に行きたいので、頑張ります』 『その調子だよ、頑張って。それじゃ、戸締りだけちゃんとよろしく』 格子越しから眼鏡の男性がドアを閉めて退出するのを見ていた俺たちを、女子高生が解放する。息苦しさは気のせいのはず。 『さすがにずっとそこにいて、っていうのは気の毒だから──そうだ、またここに来たかったら、きょう夜にもう一度ここを開けるから、さ』 「え?」 『私についてきたかったら、来て』 それだけを早口で言って、チャイム鳴っちゃった、急がないと、と言ってドアに鍵をかけた。窓は開いたままだった。俺たちは、戻るのも留まるのも自由意志に任された。 「お前、あんなやつについて行くのか?」 正直、俺は迷っていた。あの子について行けば、暮らしのせせこましさからは解放され、恐らく飼い猫としての暮らしを保障されるだろう。少なくとも、ひどいことはしないで、思いっきり甘やかしてくることだろう。しかし、その代わりに、生きていくのに必死な、自由と本能の精神に従うコミュニティの中に生きるということを放棄することにつながるだろうと思っていた。 「俺は一度戻ろうと思うよ。話はそれからだ」 「……だよな。お前はそう言うと思ってた」 「帰るか」 また、窓からぴょんと出て、俺たちの住処の高架下に戻る。その間も、ずっと何か感じていた違和感と既視感を、頭の中で追っていた。
消えそうな細い月が雲に隠されて見えなくなった。 汚れた彼は、俺を見るなり、 「お前さ、『やさしい』って言葉、嫌いだって言ってたよな。あれ、本当はアレルギーを起こしてるだけなんじゃないのか?」 と言った。俺は意味が分からず聞き返したが、結局同じ言葉を繰り返されてしまった。 「お前は幸せにアレルギーを抱いて、それで急に突き放されて、ここに来たんだろ。お前を初めて見たとき、ここにくるようなナリじゃねえ、俺たちよりも全然上品じゃねえか、って思ったその違和感が、今ようやく分かったよ」 「言っていいことと悪いことがある、って知らないのか? 俺は俺の意志でここに来た。ただそれだけで、そこに何の繋がりもない」 「そう思いたいだけ、だろ」 「だったら何が悪いんだよ。『やさしさ』なんて、生まれたときから信用してない。頼むから黙っててくれよ」 「いや、黙らないね。君は聞きたくないからそんなことを言っているに過ぎないんだろ。分かるさ、それくらい」 「分かった気になって、そうやって人を決めつけるからここにしかいられないんだろ!」 俺は、このとき、生まれてきてから今までの中で、初めて怒りを叩きつけた。いつも野球小僧に見せている蔑みだとか、食べ物を与えてくれなかった人間に対しての恨みだとか、そういったものよりも、何十倍、いや何百倍も重い感情だった。そしてそれはお世辞にも綺麗じゃなく、むしろ醜い感情で、そうやって誰かを遠ざけるのは本心ではなかった。 「それで? 君はどうしたいわけ?」 そして彼は俺の気持ちを分かっているとでも言う顔で、しかしあくまで俺の意志を問う姿勢を崩さなかった。漁ってきたお菓子の空き袋が、強い風に飛ばされていた。あれと同じくらい、心は簡単に吹き飛ぶような気がしていた。 「……正直に言おう。怒らないで聞いてくれると、嬉しい。──俺は、君の言うような『やさしい人』に出会った、かもしれない」 「なんだよ、その言い方?」 「怒るなって言っただろ……これはお前の問題じゃない。俺が、俺だけが向き合うべきことなんだ。それを、誰にもとやかく言われるのは違う」 言っている俺でも、曖昧で、苦し紛れで、この場所から消えていくには弱い言葉だという自覚はあった。それでも、一人で生きていけない猫たちの社会から歩き出す強さが欲しい、という気持ちに嘘偽りなどなかった。俺も、彼も、元ヤンも、もしかしたら長老ですら、何もかも持っていなかったのだと今は思う。 「……ふん。勝手に出てけ。その代わりに、二度と面見せてくるんじゃねえ。二度と、だ」 「そうか」 「一人で出ていけよ。誰か連れていかれても、俺たちは迷惑なだけだ」 彼の主張は、最初から怒りに任せたものではなかった。震えるくらい、『易しく』ないが、『優しい』。夜風を遠く聞いているだけで、それからは何もしゃべらず、俺のことをいないものとして佇んでいた。 何してるんだ、さっさと出てけ。行くんだろ。 彼の背中がそう言っている。そして、来た道は覚えていて、足は進めと言っている。温もりの方に戻れと、心が言っている。
『ママはダメっていうかもしれない。それでも、あたしについてきてくれる?』 あの人の声が聞こえる気がした。倒れた彼女がいつまでもまた生き返ると思っていた、あの頃のことを思い出す。 生きるために必死だった日々と別れるのは、正直怖い。生きることに必死になっていたから感じなくて済んだ愛しさとか辛さが蘇ってきた。足が震える。泣きたいくらい臆病だったのは誰でもなく自分だったのか。 もう見えなくなった月に、みゃおうと叫んだ。 重りをつけたように捗らない足取りと、鋼のような風を越えれば、そこに電気の消えた学び舎がある。昼間と同じように、今度は一人で、誰もいないそこに飛び込む。 救われようとしている。俺は強くそう思った。 これも同じように、鍵のかかっているはずの部屋の窓は開いていて、暗闇の中でひとつだけ光が漏れている。たぶん、ここにいる。ひとつだけ見せられた『やさしさ』は、『易しさ』なのか『優しさ』なのか分からなくて、それでもその眩しさに目を晦まされた。 『ここにいるのね』 手が見える。呼び寄せられる。そこに彼女はいる。 『ありがとう、来てくれて』 真夜中の校舎は春だというのに寒かった。彼女はなにか光を頼りにして窓を閉め、それから俺の姿を手で撫でてさらりと流した。 「それにしても、なんで俺だったんだろう」 俺の言葉は彼女に届かないのは分かっていた。それでも、あのコミュニティで共に過ごした二人で会って、どうして俺を選び暮らそうとしたのか、自己満足でいいから聞いてみたかった。 『あなたは優しい子よ。もうどこにも行かなくて、いいの。必死にならなくていいの』 本当に、それでいいのだろうか? あっちに行けばこちらに揺り戻そうとする波が心に忍び寄り、こっちにいけばあちらに連れ戻そうと暗がりから手が伸ばされてくる。 『大丈夫。脅えないで。迎えに来たの。──いや、私が迎えに来てほしかったの、あのときからずっと』 「あのときから、ずっと?」 『私ね、クラスでいじめられてるの。靴を隠されたり、机が外に放り出されてたり、恥ずかしいこと言われたり……。もう、この学校に来てから、ずっと。もちろん守ってくれる仲間もいるし、ちゃんと向き合ってくれる大人もいる。だけどね、もう耐えられなくなっちゃって』 彼女の独白は、降り出した雨とともに静かに続いた。 『そんなときに、一年前くらいから──あなたが来たの、それくらいからでしょ──あなたに似た猫が私の家に来たの。何度も何度も、私が食べ物をあげてたの、覚えてる?』 「もしかして、お前、井端ん家の娘さんか?」 そう思って椅子に乗り、上に目線をやると、原稿にその名前があった。 『うちのお父さん、猫アレルギーなの知らなくて、ね。私が餌をあげてたのを知って、もうめちゃくちゃ殴られたの。「許せない、死ぬかもしれないんだぞ、嫌なら出てけ」って。確かにお父さんの気持ちもよく分かるけど、だからって私の気持ちを踏みにじるのは違うんじゃない、って思ったの』 だから、この部室は私のシェルターなの、こっそり使わせてもらってる。って、初めて出会ったときのような悪戯っぽい笑みを浮かべていた。 『あなた、本当に優しいから、今日来てくれたとき「会いに来てくれたんだ」って思っちゃったんだよ』 「会いに来たわけじゃなかったんだけどね……」 『ねえ……聞いてくれる? パパはダメっていうかもしれない。それでも、あたしについてきてくれる?』 重なり合った言葉の影は、もはや既視感なんて言葉でくくれないほどハッキリした解像度。世を捨てたはずなのに、涙が出そうになって、思わずこらえた。伸ばされた手を拒めない。 『もう、名前も用意してるのよ。あなたは──』 守られるのではなく、俺��守りたい証を、手にした。『やさしさ』が『易しさ』か『優しさ』かなんて、今は愚問だと感じられるくらい、儚い時間にいる。
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09191717
ゴネて柳島に差し入れさせた本もとうに読み終わってしまった。視線だけ動かして部屋の隅を見れば、積まれた用済みの本達。一度目を通せば文章は全て脳に記録される。それが常人には起こり得ないことだと知ったのは、いつだっただろうか。
不便な指錠と足錠の重さにも慣れた。首に這う金属はまるでネックレスかのように自然と馴染んで心地良い。俺の生死を握ってるのがあの男だと思うとゾクゾクする。そう、俺は世間が思うよりずっと愚直で、策士でもなんでもなく、普通だ。
俺のコレクションは無事だろうか。耳に入る情報は少ない。新聞は貰えない。ま、不機嫌な柳島が俺に八つ当たりしてこないところを見る限り、最後のアレ以外はバレていないんだろう。分かりやすい男だ。
スン、と鼻を鳴らしても小さな俺の城、世界から隔離されたコンクリートの小部屋じゃ無機質な匂いしかしない。土の匂いが恋しい。ああ。
その凛とした白シャツに包まれた背中を、今でも思い出せる。教室の一番後ろ、出席番号はいつも最後だった俺は、中学の入学式の日、目の前に座る男のか細い首と肩甲骨を嫌と言うほど見つめていた。何か惹かれるものがあったんだろう。流石に直感、としか言いようがないが、俺は机に置かれた座席表を見て、そいつの名前を指でなぞった。
柳島、懍。
柳島、懍。か。珍しい漢字だ。懍。意味は確か、おそれる、つつしむ、身や心が引き締まる。振り向かないか、と目線を送るが男は目の前をじっと見据えたまま、背筋を緩めない。
担任から回ってきたプリントを渡す為振り返った奴の顔を見て、目を見て、無意識に舌舐めずりをしていた。同じ世界に生きる奴を見つけた。そう思った。俺の勘は外れたことがない。気味悪そうに俺を見た柳島は、プリントを受け取らない俺に顔を顰め、机にザラ半紙のソレを置いた。
馴れ合わない俺と柳島が連むようになるのは、時間の問題だった。ま、柳島にも何か俺に感じるところがあったんだろう。教師はもっぱら柳島を心配していたのが笑える。それもそのはず、柳島は成績優秀、品行方正で、自由主義かつ成績も良くない俺とは側から見ればまるで合いそうにない。教師の評価とは裏腹、柳島は笑わず近寄り難い冷徹な男だと、遠巻きに女が噂しているのを俺は聞くともなく聞いていた。その評価は正解であり、間違いだ。教師の上っ面な評価よりもよっぽど近いだろう。
「お前、どこ受験すんの。」
「○○高。」
「都内一の偏差値じゃねえか。」
「母さんが受けろと言うから受ける。」
「ふーん。じゃあ俺もそこ、受けるかね。」
「好きにしろ。」
「......お前の頭じゃ無理、って言わねえ辺り俺好きだわ、お前のこと。」
「お前が日頃嘘ばかりついて、テストでも適当な返答してるの知ってるからな。」
恐ろしい程の知識に対する執着と、学校という小さな社会に順応しようと警戒を解かない姿はいつ見ても感服する。
何、理解するのは難しいことじゃない。奴が求めるのはいつだって理路整然とした理屈と、己が納得出来る結論だけ。引き出した話から、家庭環境がそうさせるんだろう、と、俺は自分を棚に上げ気の毒にすら思った。
高校の入学式の後、俺はまた奴のブレザーに包まれた背中を見つめていた。相変わらずすっと伸びた背筋と、綺麗に整えられた襟足。3年前の衝撃は、まだ昨日のことのように胸の中にいた。
ま、想像通りといえばそれまでだが、高校でも俺への風当たりは強かった。同調圧力が高い日本の学校だ。仕方がない。俺は気紛れに嘘を重ね、退学にならない程度に遊び、テストだけは結果を出す嫌な生徒だった。いい成績をつけざるを得ない教師の顔を見る度に笑えた。ざまあみろ。ざまあみやがれ。他人の評価なんて、まるで耳には入らなかった。
「お前、昨日渋谷で何してた?」
「...えっ、何、ストーキングしてたの?やだ、懍ちゃんったら大胆ネ。」
「何してた?」
「無粋な質問すんじゃねえよ。渋谷の円山っつったらヤること一つだろ。」
「まぁ、それもそうか。」
「父親も死んだし、世の中金がねえとどうにもならねえからな。」
「お前の行動力には脱帽するよ。」
「楽しいんだわ、人間捨てて、獣に戻るのがさ。孕まねえし、金貰えるし。」
柳島は俺を反面教師にすることを覚えたらしかった。俺が他人を欺けばそれを見て学習し、俺が乱れればアレはいけないことだと自分に言い聞かせているように見えた。奴は一度だって世間で言う"正論"を俺にぶつけたことはなかった。一度だってあれば、俺は笑って柳島を屋上から蹴落としただろう。互いに分かっているからこそ、踏み込まない。その関係性が堪らなく心地よかった。柳島だけは、俺を哀れまない。常識とか倫理観が無い人間が、これ程までに合理的で優しいことを俺は知らなかった。
「懍、進路どうすんの。」
「そうだな。まだ決めてない。」
「とりあえず国総受けられるレベルの所には入っとけよ。」
「国総?なぜだ。」
「お前は絶対後々俺に感謝することになる。」
「自分の道は自分で決める。」
「はは、それがいい。」
俺の予想通り、奴は日本の最高峰を誇る大学に合格した。後を追った俺も合格した。俺は理学部、奴は法学部。学部は違えど、その先の未来を歩くにはお誂え向きの選択だった。
奴は変わらず鉄仮面のまま、自分自身のことにはまだ気付かない。勿体ねえな、その素質を押し殺したままにすんのは。そう思っていた俺に、女神は突如として微笑んだ。
卒業証書を放り投げた俺は暇を持て余して、前々から場所を知っていた柳島の家に向かった。神の采配か勘の良さか分からないが、一度も訪れたことのないその場所になぜか足が向いた。
古びたアパートの2階の角部屋、隣の家も、その隣の家も、玄関のポストから新聞が何日分もはみ出ていた。汚い扉の前で息を潜めていたら、中から微かに、ギッ、と、確かに縄の軋む音が聞こえた。ポケットを探り見つけた針金で簡単に開くほど、奴の家の鍵は簡素だった。
聞こえるように足音を立ててゆっくり部屋へ入った俺が見たのは、女の首にかけた縄を梁に通し、無心で引っ張る柳島の姿だった。
「不法侵入だ。」
「鍵、今時あんな玩具みてえなの付けんなよ。」
部屋は若干タバコ臭い。柳島は俺のことを一瞬見て、また作業に戻った。畳の上のちゃぶ台にはマイルドセブンと睡眠薬、血塗れの小さな人形に錆びた口紅、男の写真の入ったスタンドが置かれている。男の目元は、柳島によく似ていた。
部屋の中は簡素で、無駄な物は何もない。開け放たれた襖から隣の部屋を覗き見れば、和蝋燭に照らされた祭壇が見えた。
あまり好きじゃない、と思いながらも残されたマイルドセブンを一本拝借して、床に転がっていたコンビニライターで火を付ける。一瞬顔を顰めた奴は梁へと縄を固定し終えたのか、珍しく汗の滲む額を拭って、女の足元に椅子を置き、蹴り倒した。
「死因は。」
「睡眠薬を摂取した上での首吊り。縊死だ。」
そこから5分、俺も奴も無言のまま、ただ壁にかかった古時計の針が古臭い音を立てていた。手の中の煙草は吸われることなく燃えて、フィルター手前で燻っている。弔いなんて笑える理由じゃない。吸う気分じゃなかった、それだけだ。
「もう、死んだぞ。」
「ああ。」
「......俺の母親さ、ガキの頃、男作って出てったんだわ。幼稚園で描いた絵見せようと思って、教えられた住所に行ったら、母親は綺麗な下着着て、成金の卑しい顔したおっさんに抱かれてた。」
「......。」
「最っ高にイイ声上げてたよ。堪らねえって感じでさ。俺は帰り道絵を捨てて、そっから親父と暮らしてた。この親父ってのがまた厄介で、高学歴とプライドだけが取り柄の男だった。俺はあの男が、プライドを保つ為だけのパーツだった。俺が成長するにつれて、落ちぶれてくんだよ。俺がいれば満たされるからな。だからさぁ。」
「だから?」
「高一の夏、殺したんだ。プライド高いのに惨めなまま生きるの、可哀想だろ。救ってやったんだ。この世界から。」
「そうか。」
運命か宿命か、父親を殺した手段は、今奴が女にした方法と同じだった。違うのは煙草の銘柄と、外には桜が咲き誇っていることくらいだった。耳の奥からジワジワと煩い蝉の声の幻聴が、聞こえる気がした。
「この女、誰だ。」
「母親。」
「......。」
「なぁ。」
「ん?」
「俺は、お前なのか。」
「そうとも言えるし、違うとも言える。お前は俺になれるし、俺にならずにも済む。」
思い詰めたような表情は、きっと世間が計り知れない所へ向かった意識のせいだろう。こいつの脳内は、俺にしか分からない。今一度部屋を見回し、立ち上がって携帯を操作した。
「お前、泣けるか。」
「恐らく。」
「じゃ、今から俺の芝居に付き合え。お前は主演だ。最初で最後の芝居だ。アカデミー狙うつもりで演じろ。分かるな?」
「あぁ。分かる。」
「...『もしもし、消防119番で「おっ、お母さんが、と、友達の、首、帰ったら、っひ、人が、」落ち着いて、何がありましたか?』」
「母さん、母さん!!!どうして!!!!ぅわぁぁああぁぁああああ!!!」
大学3年、奴の進路を聞いた俺は高笑いしそうになって、慌てて表情筋を殺した。予想通り、というかなんというか、奴の人生のレールがひん曲がっていることを本人が気付いてない状況が嫌に哀れに思えた。
「国総で公安、しかも刑務官志望ねぇ。ま、珍しいから希望は通りそうだな。」
「お前も公安だろ。警察庁は色々縦割りだと聞くが。」
「議員に媚び諂って書類と添い遂げるなんざこっちから願い下げ。権力のない人生なんて味気がなさ過ぎて反吐が出るね。」
「相変わらず口が汚いな、愀。」
「お褒めに預かり光栄です。」
卒業式の日、俺は奴の連絡先を消し、家も引き払って奴の目の前から姿を消した。と言っても名前は知られているから、会おうと思えば逢えるはずだった。でも俺も奴も、会うつもりはなかった。言葉にはしなくとも、そういう結末になると互いが理解していた。
警察にいる以上、犯罪の痕跡を消すことは容易かった。俺は片っ端から前科者、身寄りのない人間、幸せな人間、とにかく隙のある人間を探して、連れ去った。
悶える姿を見る度、脳裏に吊るした親父の姿が蘇った。剥製を机に並べれば、幸せな家族の絵が俺の脳内で動き始めた。
俺は俺を客観視していたから、行動の理由は分かる。寂しかったんだ。分かり合えた奴とは同じ世界にはいられない。愛して欲しかった母親は知らない男に抱かれるただの女だった。守って欲しかった父親はプライドにしがみついて生きる可哀想な男だった。縋る場所をなくして尚生きる為には、暖かい家族を、愛に溢れた家族を、沢山作りたかった。辻褄は合っている。理解されずとも、これが俺の世界を守る為の唯一の秩序だ。
扉を開けた瞬間のプロデューサーの顔、今思い出しても笑える。俺を異常な人間だと認識し、この狂った屋敷を映さなければ、という欲と、映してはいけないという人としての倫理観。鬩ぎ合った挙句カメラを回し続けた姿に国民は拍手喝采しただろう。画面越しじゃ暫く人形に見えていたらしいから。地下の美術倉庫を映した時漸く、その吊るされた生肉から漂う腐臭と夥しい蠅の数で察したクルーは軒並み嘔吐し、程なくして警察が来た。
そこからの流れなど既定路線過ぎてつまらないが、ここ、東京拘置所で随分と偉くなった柳島と対面した時、漠然と、俺の物語が完結したような気がした。笑いがこみ上げ、溢れ、腹を抱えて笑う俺を、刑法39条を思い浮かべ顔を顰めて睨む連中の中で唯一、柳島だけは、微かに笑みを浮かべていた。
過去を思い返していたら、もう、17時30分になっていた。窓のない部屋では夕日も朝日も見えないが、この時期ならとうに太陽は沈んで、暗い夜が押し寄せて来ているだろう。
部屋の奥から、物音が聞こえる。カツ、カツ、今日は比較的穏やか、ってことはS案件じゃなく新作の本の差し入れか。奴の足音を聞くだけで機嫌が分かるのは、俺の特技だ。壁に背を付け、姿勢を正す。奴の秩序を守る為、俺は奴の前で今日も"拘置所で初めて出会った模範囚"を演じる。
「S4番、立て。」
「はい。」
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【S/D】家族の思い出
クリスマスにアナ雪短編「家族の思い出」パロ。
再会して初めてのクリスマスです。アナ雪っぽい事情で成人まで離ればなれに育てられてました。両親は亡くなり、ディーンは王様、サムは王様の弟です。「パイとエールと」よりも前の話です。
☆
サムと一緒に過ごせる初めてのクリスマスだった。冷たいクリスタルが濾過した朝日を浴びて目を覚ました瞬間、今日は忘れられない日になるだろうという予感がした。死んだ石みたいな無機質なノックの音と、哀れ��カスティエルの声がして寝台から抜け出す時を告げられた(おれが専任の従者を拒んだせいで、キャスは王の相談役兼宮廷侍従長兼おれの目覚まし係、この時期はクリスマスに城で開かれる食事会の装飾から運営を一手に任されている。一か月くらい寝てないんじゃないか? もっともあいつが寝ているところを見たことはないけど)。 寝不足の相談役の手前、いつまでも寝台で手足をぬくぬくさせているわけにはいかなかった。おれは自分でひげをあて、用意されていた服に着替えて部屋を出た。多忙なキャスが待っているわけはなかったがドアの前には人影があった。ぶつかりそうになった背中を支えてやろうとして、逆に腰を掴まれた。それで誰かわかった。この城でおれより背の高い男はそうそういない。 「あ――ごめん。キャスに聞いたらもうすぐ出てくるはずだっていうから、待ってたんだ」 おれは一歩離れた弟を見上げた。 戴冠式のときに着ていた王大弟の正装もよく似合っていたが―― 「マント?」 金のヒイラギ葉で留められた黒のベルベット。広い肩から足元へ水のような光沢が流れ落ちている。「おまえ、マントなんか着けてんのかよ。王様のおれが着けてないってのに?」 サムはぷっとふき出した。きれいに撫でつけられた髪がひと房耳に落ちて、冬の朝の森のような香りがこぼれる。「あんたこの間の狩りでマントで足がもつれて、ルーガルーに噛みつかれそうになったってボビーに文句を言っただろ。ボビーが家政長にあんたの剣幕そのまま伝えたもんだから、すっかりマント嫌いの王様ってことになってる。気づいてなかった?」 「寒くなけりゃマントなんて無用だ、邪魔なだけだし」 薄くて防寒には向かない儀礼用の手袋を脱いで両手を擦りつける。「気が利かねえ奴らだ、今日こそマントが必要だろ。城の中にルーガルーが出るかよ?」 「寒いの? いいよ、僕の着て」 留め金を外そうとするサムを慌てて止める。「いいんだ、おまえが着てろ」 「何遠慮してんの、手もこんなに冷たいじゃないか。いいから着てなよ、あとでキャスに言ってちゃんとディーンに合ったの用意させる」 ベルベットのマントが肩にかけられ、サムから移った熱気で背中がすっかり包まれた。サムはヒイラギの留め金を喉元で慎重に留め、それから少し右肩のほうへ留め具の位置をずらした。「これで剣が抜きやすくなるよ」と笑う。今日ほど帯剣すべきでない日もないのに。 また指先同士が触れた。サムは何の意図もないようにおれに触れることができる。そのことが少し――少し、悲しい――なんだって? なんだこれは? 女々しいったらありゃしない。 今度は自分からサムの手を握って、おれは実態のない感情が”無い”ことを自分自身に確認させようとした。サムの手を握ったからといって世界がひっくり返るわけじゃないし、たとえおれの世界がひっくり返ったとしてもサムの世界までひっくり返ってくれるわけじゃない。だから握った手から熱以外の感覚を拾うべきじゃない。いたわりや愛情ならともかく、悲しさや――切なさなんて。切なさ? 全く、十三歳の女の子じゃあるまいし。サムの手を握って胸が痛くなるべきじゃないんだ。 だというのにおれは熱くなっていくのを止められなかった。 サムがゆっくりと重なった手を自分の唇のほうへ引き寄せた。おれはじっとそれを見ている。もがくように息を吸うと、またあの香りがいっぱいになって胸が圧迫された。サムが俺の指の腹にキスをする――そしておれがしたように、深く息を吸い込んだ。 「新しい雪の香りがする」 おれは薄く笑う。「雪解けの水で顔を洗ったからな」 「ディーンは雪に似てる。積もったばかりの雪。まだ誰にも踏み荒らされてない雪原みたいだ」 「……おれは――まだ――樫の木に似てるっていわれたほうが嬉しかったかな……」 「窓を開けて、朝日を浴びてきらめく一面の雪景色を見た時のような感動だよ、わかる、ディーン。あんたを見るたびに、僕は感動するんだ」 サムの声は、ゆっくりとして、押し殺したように低かった。長い廊下にささやきだけが響く。 飢えた目に見つめられた。 「サム、おれは、おれも――」 彼のその言葉はおれに世界がひっくり返ったことを教えてくれた。きざったらしい言葉をどこで覚えてきたのかはちょっと気になるが、おれと違って市井で過ごす時間の多かったサムだからその辺は人並みの経験があるんだろう。サムのそっちの過去については、キャスも何も報告してこなかったし、おれもあれこれと口を出すつもりはなかった。むしろスマートな恋愛遊戯が出来るほうが安心できた。いずれおれに何かあったときには――この感覚は不可解な力に目覚めてからというものずっと心の奥深くにあった――弟がこの国を継ぐ。その時には洗練された口説き文句のほうが剣や大砲よりも役に立つはずだ。 まあ、それはともあれ――いずれ引き上げられるとしても、いま、転覆した船に一緒に乗っているとわかった相手を、おれは万感の思いで抱きしめようとした。が、その前に指の付け根を噛まれた。 「あっ、いっ――サ……ム!」 ただびっくりして名前を叫ぶ。サムの赤い舌がへこんだ皮膚の上をたどるのが見えた。これは現実なのか? まだおれは夢の中にいるんだろうか? 「ディーンが本物の雪でなくてよかった」 サムは笑って――でも真剣な目でいう。「もう指先まで熱くなってる。雪だるまだったらあっという間に溶けちゃうだろうね」 エロティックな雰囲気に”雪だるま”なんて子供っぽい言葉が混じると、ますます現実感がなくなってくる。 「ああ、ディーン……」 キスされるんだと気づいた。おれは弟とキスをする。この瞬間のために今まで生きながらえてきたような気がした。 「間が悪いのは承知の上ですが陛下、それに王弟殿下」 キャスの声が近くで聞こえた。「そろそろお仕度を終えて頂きませんと。もう城門内に民たちが集まっています。鐘を鳴らさないとみんなごちそうにありつけない」 二人分の吐息で唇が湿った。サムは凍り付いたように数秒間動かなかったが、グレーがかった碧眼を閉じて手を放し、おれから距離をとった。 王たるもの慌てふためく姿など見せるわけにはいかないし、キャスに対して取り繕う余地があるとも思っていない。それでも気まずさを拭えなくて、マントの裾を揃えるふりをして俯いた。 「陛下、それは――そのマントはふさわしくない。丈が長すぎますし色も合いません。そもそもマントは嫌いなはずじゃ? それは王弟殿下の衣装に合わせたものですね。マントが入用なら女官長に用意させます。確か毛皮の裏打ちされた白のビロード織があった、鐘付の衣装にはそちらが合うでしょう」 キャスの顔をみなくても、眉間に力が入った怪訝な表情でいるのがわかる。かしこまった口調とは裏腹に表情は開けっ広げなんだ。彼が空気を読まないのはほとんどが天然だが、もしかしたら今回は計算されているのかもしれなかった。というのは、これまでもサムと転覆しかかった雰囲気の時はあったが、いずれの時も直前になってこいつがやってきて、ぬけぬけとお行儀よく間に入ってくれていたからだ。全く頼もしい右腕だった。 おれはため息をつきかけて答えた。「いや、これでいい――サム、行くぞ。広間の上のバルコニーから一度外に顔を見せよう。おれが鐘塔に登ってるあいだ、みんなに愛想を振りまいていてくれ。もしおれが落ちてきたらキャッチしろよな」 「陛下、しかし――それだと衣装の色が合いません」 「いいんだよ、キャス。おれは黒が好きなんだ」 サムを先に行かせておれは答えた。 キャスは少し声を張って、サムの背中に向けていった。「では王弟殿下、殿下には別の外套をご用意したほうがよろしいかな」 サムは足を止め、振り返っておれを見た。 「いらないよ。今日はもう、熱いくらいだから」 クリスマスの伝統について話題が上った。民たちが普段食べられないごちそうを気がすむまで腹の中に入れて、それぞれの伝統を果たしに帰路に着くころ、おれたちはようやく座って食事することができた。一切れだけ残ったレモンパイを見つけたサムが、嬉しそうにおれの皿に乗せる光景を見て、おれはまだおれたち家族が家族だったころ、サムが今そうしてくれたように、マムがおれたち兄弟の皿に、手作りのパイを切り分けてくれたのを思い出した。 「マムは狩りの腕は天才的だったけど、料理の腕はいまいちだったよな。自分でもわかっていたのに、クリスマスのごちそうだけは作るってきかなくて、結局、おれたちと親父が食べる分だけ作ってもいいことになった。おれがパイ好きになったのはそのせいさ。マムに「何が食べたい?」ってきかれるたびに、パイが食べたいって言い続けてたんだ。なんでかっていうと、パイなら厨房のコックが調理した肉やら果物を生地に乗っけて焼くだけだから、失敗が少ない。つまり――パイ好きにならざるを得なかったのさ。もちろん今は本当に好きだ。肉詰めパイもいいけど、やっぱりこのレモンクリームのたっぷり乗ったパイが最高だ。一口食べただけで天国にいける」 王家の伝統としては取るに足らない小さな行事だ。それでもおれが憶えている唯一の家族の伝統だった。サムも憶えているといい、でもおれのパイ好きの理由には驚いていた���しばらく黙り込んだサムはパイの上に乗ったクリームをすくってなめた。 「その伝統はこれからも続いていくかな?」 サムはいう。 「さあな。マムはもういないが、この先料理好きな王か王妃が現われれば続くんじゃないか」 「それじゃあ続くっていうより再開するだけだろ」 「じゃあおれかおまえが作るか? おれはいいけど厨房が嫌がる。おまえはおれよりもっと嫌われ者」 「ひどいな」 「マムが生地を練るのを見るのが好きだった。何度か火の番をしたこともある。おれが居眠りしたせいで焦げたパイを食べた年もあったな、おまえはすごく小さかったから憶えてないだろうけど……」 「ディーン」 サムの右手がおれの左手の上にかぶさった。「今なら厨房も空じゃないかな」 おれはサムが何をいっているのかわからなかった。まじまじとやつの顔を見つめていると、そのまま手を引っ張られていつの間にか立ち上がっている。「サミー? まさかおまえ……」 「パイを焼こうよ。伝統を続けたいんだ」
もちろん厨房は空じゃなかった。サムが手を一振りすると、うたたねしていた火番の小僧は椅子から転げ落ちる勢いで部屋を出て行った。 サムは博識で、彼にしか読めない本もこの城にあるくらいだが、パイのレシピは読んだことがないようだった。粉まみれになって憤然とするサムからは、朝に嗅いだような森の香りはしなかった。代わりに砂糖の甘い香りとサム自身の匂いがした。それは幸福の香りだった。おれは笑いながら粉だらけの髪を指ですいてやって、保存庫から練ってあるパイ生地を取り出した。そんなものがあるのかとまたサムは憤慨した。 おれがめん棒で生地を伸ばすのをサムは小さな木のスツールに座ってじっと眺めていた。昔のおれを真似しようとしたのかは知らない。だけどあの頃のおれを同じ気持ちにサムがなっているならいいと思った。 いちごとベリーを二人でたっぷり中につめて、生地をパイ用のオーブンに入れた。ごうごうと薪が燃える音以外は、ほとんどの使用人に休暇を出している夜の城は静かだった。 「これからは毎年、二人でパイを焼こう」 「厨房のかわいそうな小僧を追い出してか?」 サムは笑った。少し後悔するように吐息が多かった。 「あの子、キャスに報告するかな?」 「あの子はコックに報告する。コックは女官に報告して、女官が軍寄りだったらボビーに、内務寄りだったら家政長に報告する。家政長はキャスに報告するだろうけど、ボビーが報告するのはおまえ」 「じゃあ賭けよう」 「何に?」 「僕に毒を盛るのがボビーか、キャスか」 蔵まで行けば口当たりのいいエールがあるのがわかっていたが、この場を離れたくなかった。 厨房に足を踏み入れる前に脱いでおくべきだった黒いマントの裾が白く染まっている。 外は雪が降っている。蝋燭の火が隙間風に揺れる。けれどオーブンの熱がなくともおれは温かかった。今日はずっと、風すさぶ鐘塔に立ったときでさえ。 「来年も、再来年も、その次の年も、ずっと」 サムの言葉におれはマントの中から手を出した。見なくともその手を取ってくれると信じていたし、その通りになった。おれたちはオーブンの中で燃える薪が伝統を焼き上げるのを待つあいだ、手を繋いでいることにした。それ以外の何もしないが、それ以上の何かが確かになった。 朝になれば太陽が雪を照らし、春になれば雪原の雪も解けて海原へ流れていく。 「メリー・クリスマス、サミー」 サムが答える前におれは目を閉じた。朝に予感した通り、今日は忘れられない日になる。
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御指名はいりました 16
ゆらゆら、ゆらゆら 目蓋を閉じていても 生ぬるい水の中にいるようなこの感覚は 気持ちが悪いのに、それでも慣れてくると このままでいいような気がしてくる 馬鹿は風邪を引かないってのは 風邪を引いたことにも気がつかないという意味だと でもそれって悪いことなんかじゃないと 《 嫌な事があっても気がつかないで笑っていられるなんて、幸せじゃないの》 そう言ってあっはっはと豪快に笑ったのはおふくろだった おふくろはいつでも俺を《アンタは馬鹿で可愛いよ》と愛しそうに言うのが口癖だった。 言葉は悪くても、おふくろの口調や顔からそれがちゃんと本心なのはわかっていたし だから俺もそう言われるのが嫌じゃなかった。 16で俺を産んだ母親は、今の俺の年の時には3人の子供の親になっていて 朝から夕方まで働いて、俺ら兄妹の為に飯を作って妹二人を寝かせてから今度は夜の仕事に出かけていた。 《何かあればすぐ電話して》 必ず玄関先でその言葉を俺に言うおふくろは顔色が悪いときもあった。親父に殴られて大きな痣を長い綺麗な金髪で隠していることもあった。 俺の馬鹿は母親譲りなんだと思う 女にだらしない親父は滅多に家に帰って来ない。たまに帰ってくれば俺や妹の前でも平気で母を殴ったり蹴ったりする。水商売やってもこれしか稼げないのかと嘲笑った時に初めて俺は父親を殴った。 無駄にでかくてすぐに殴ってくる親父がずっと怖かった。 でも16歳の俺に殴られふっ飛んだ親父を見たとき もう、怖い親父は幻影になった。 台所に走った真ん中の妹がフライパンを手に持って戻ってくると、倒れた親父の背中を思い切りフライパンで叩いた。俺は頭を蹴り上げた。多分5、6秒くらいなんだろうが親父の吐き出す嗚咽のような声以外は無音だった。 《やめてぇ!》 まだ小学生の妹の泣き声で俺の足は宙に止まったが、真ん中の妹は泣きながらまだ親父をフライパンで殴っていた。 《死んじゃう、とぉちゃん死んじゃうやめてぇ》 うわぁぁんと泣き出した妹を 蹴られて踞っていたおふくろが抱き締めた。 《やめなさい》 掠れた弱々しい声なのに、怖さを含んだその
声に妹もフライパンで殴る手を止めた。 しんじゃえばいいのに そう呟いた妹と俺も同じ事を思っていた。 子供を3人も産ませたくせに 他所に女を囲って家に帰らないどころか金も入れない親父。おふくろの稼ぐ金すら奪おうとする親父。おふくろに似ているという理由で俺と真ん中の妹は可愛くないと嫌う親父。 おふくろと比べ物にならないほど不細工な年増の女と浮気をする親父を 俺は死ねばいいと本気で思っていた。 殺気の治まることない俺と妹に脅えるように親父は家から出て行った。そのみっともなさに余計腹がたったし憎しみも増した。 《この、ばか》 と、おふくろは俺と妹の頭をゴンゴン、と拳骨で優しく殴った。 《怒りに任せて手を上げるのだけは、やるんじゃないよ。そこで手を出したら自分の敗けなんだ》 そう言っておふくろは俺と妹を両腕に抱いて泣いた。すごく小さな声で 馬鹿すぎてアンタ達にはほんと困るよ可愛くて と呟かれ妹は泣いた。俺は泣かなかった。 おふくろは馬鹿だと思った。 俺を馬鹿だと笑うおふくろは俺よりもっと馬鹿なんだと思った。 それから あぁそうか おふくろから産まれたんだから だから俺も馬鹿なのか そう思った ◾ ◾ 「その話って、ルキ��にはしたことあんの?」
「するわけねぇだろ」 「ほぉ。ほんとだバカだねアンタ」 「あぁん?」 病室でルキアの買ってきたリンゴをワンピースのすそでゴシゴシ拭いて、まるごとかじりながら リルカは俺にはコンビニで買ってきたカットフルーツを「ほら、口開けて」と放り込んだ。食べてぇのはそっちのリンゴなのにと思いながらも、熱のせいか冷えたコンビニのフルーツは喉に気持ちよく流れ込んだ。 「その話だけでどうこうなるわけもないけど。少なからず心のある相手にそんな話されてさ、だから自分は惚れた女は何があっても大事にしてやるとか言われりゃーさ、女はグラッとくるもんじゃん?」 「…………わざわざ話すことじゃねーだろ」 「でもアンタの愛情深さは伝わる話だよ」 「……?」 「わかんないか、馬鹿だから」 「おい、馬鹿馬鹿失礼だなテメェ。病人にも容赦ねぇのな」 「もう峠越してんでしょ?まだ熱下がりきってないみたいだけど、そんな辛くないでしょ?」 「頭ん中揺れてる……くらくら?ゆらゆら?くるくる?」 「じゃあ黙っててあげるから寝なさいよ」 シャリ、と音をたててまたリンゴをかじる。 窓から入る風は生ぬるいが、熱のせいかエアコンより今はこの風が気持ちよく感じた。 でもリルカにはこの部屋は暑いはずだとふと思った。とはいえ「臭い!この部屋臭い病人臭!」と失礼な事を言って窓を開けたのはリルカだが。 目を閉じればまた水の中に沈んでいく感覚に落ちていく 生ぬるい、海のようだ ルキアの笑顔がもう思い出せない。浮かぶのは必死な顔のルキアだ。 思えばルキアの笑顔をそんなに見たことがないように思った。 でもだからだ、だからこそたまに見せる笑顔が尊くて胸を焦がすように熱くさせるのだ。 初めてルキアと会った時 子供?と思って思い切り動揺した。 幼い感じのパジャマ姿にウサギのぬいぐるみを抱えて玄関に現れたルキアに俺はたじろいだ。ルキアも同じように感じた。 柄の悪い大きな男が現れて怯えているように見えた。とんでもなく大きな平屋の日本家屋の一軒家にルキアは一人で住んでいた。 長い廊下を歩きながら、どの部屋からも灯りがないことが、家の広さも手伝って余計に寂しく感じた。 「すごい家っすね」 「私一人で住むには部屋が多すぎて掃除が大変です」 「ご両親は?」 「元々いません」 「へ?」 「兄と私とお手伝いさん数名でした、もっと子供の頃は兄の奥さんやお祖父様もいたんですが」 「……今は、ひとり?」 「はい。もうすぐ、ここから出ますけどね」 その時は笑った顔をみせた でもあれは無理矢理笑っていたから 笑顔のカウントには入らない 庭の所々に燈籠があり、大きな池がある。
家同様かなりの広さの庭には、かなりの樹齢な木々が生い茂り、泥棒に入られてもきがつかないのではと心配になる。こんなところに女の子一人なんて不用心な気がした。 「今更うちなんかに泥棒に入っても、泥棒が可哀想です」 そう言うとルキアは笑ったが、やはり自嘲気味の笑顔だった。 「何にもないですもん」 「へ、」 「全て奪われてしまいましたから」 「……え?」 「あ、大丈夫です。あなたにお支払するくらいのお金はありますよ」 「いや、そうじゃなくて……」 「お金、大事なのはわかってます。これからの事を思えば1円も無駄になんてできないのもわかってるんですが……眠れなくて。誰かと、他愛もないお話したくて」 前を歩きながらでも、ルキアがウサギをぎゅっと抱き締めたのはわかった。 あのときは事情を詳しくは知らなかったけど、それでもルキアが「孤独」なのだけはわかった。俺にというより全てのことに怯えているようにも感じた。 「この家、幽霊とかはでない?」 「は?」 「いや、俺怖いもんないんすよ、喧嘩も負けたことねぇし。でも俺、実は怖い話とか幽霊とかだけはスッゲー苦手なんすよ」 「…………でません、多分。私は見たことないです」 「そっか!!じゃあーよかった!なんかやっと元気になれたっていうか。こんな日本風の大きな家だと幽霊とか似合いそうでちょっとビビってたんすよ。ウラメシ系ぽいし」 「ウラメシ系?」 「ゾンビとかドラキュラとかは洋風な家のイメージで、この家だと三角形の布頭につけた幽霊ぽくないすかね?」 「……三角の布……って、なんか漫画というか古典的すぎません?」 「や、だからそーゆーのが苦手っつーか怖いんすよ」 「四谷怪談のDVDならありますよ」 「この家で見たら雰囲気ありすぎるだろ!」 言葉が崩れてしまった!と思ったが クスクス、とルキアが笑ってくれた時には、こっそりガッツポーズをした。 笑うルキアは可愛かった。 寝かせてやるより、笑わせたくなって その日はルキアを布団に寝かせて俺はただひたすら喋った。 笑いながら眠るルキアの寝顔に満足した 次の時はトム&ジェリーのDVD(しか持ってなかった)を持ってルキアの家に行った。 ルキアは喜んだ。あははーとだらしなく笑う横顔が可愛くて この女をいつもこうして笑わせてやりたいと思った。 ◾ ◾ 「そのくせ、その次ぐらいには襲っちゃった
んでしょ?」 「うるせぇ……」 「無防備なルキアにクラッときたとか?本当にアンタ見境ないよね」 「ばーか、正直なだけだ。嫌いな女なら身体だけじゃ飛び付かねーもん」 「へぇ……」 「おまえには誘惑されて負けたけどな」 「はぁ?? なにそれ、あたしがいつアンタなんか誘惑したのよ!」 「ん?しただろおまえ」 「してねーし!ふざけんなそんな事言うなら帰る、気分悪い」 「…………俺寝るまで、いてくれよ……頼むよ」 「……甘えんな。クソ恋次」 フン、と鼻を鳴らしてそれでもリルカが椅子にふんぞり返って立ち上がらないことにどこかホッとする。 今は一人ではいたくなかった。 「黒崎さんが好きだ。彼としか眠りたくないのだ」 訴えるように言ったルキアに、いつもみたく言葉巧みにも身体を使ってでも言いくるめられなかったのはこの熱のせいだ。 熱のせいで言葉はでない、抱き締めて羽交い締めにする体力もない 更には熱で弱っている俺には ルキアの訴えはダイレクトに俺の頭に心に身体に突き刺さった。 黒崎さんは私が横にいると眠れるんだ それなら私は彼の隣で眠ってあげたい 眠れない辛さを知っているから だから、私なんかで眠れるなら 違う、私がいることで眠れるというのが すごく嬉しかったんだ 最初はそれだけだったんだ でもな 私が黒崎さんに必要とされる喜びだけでものたりなくなっていたのに気がついたんだ 黒崎さんの隣で眠るだけじゃなくて 求められたくて そんな自分はすごく破廉恥でいやらしいと怖くなったが 黒崎さんも私を求めてくれたんだ 黒崎さんはな、私に添い寝の仕事をしてほしくないと言った 私はそれが嬉しかった だからこの仕事をもうできない 黒崎さんがいやだということはしたくないんだ 私も、もうだめなのだ 黒崎さんの隣でしか眠りたくないんだ 仕事を辞めさせてほしいのだ すまぬ、今まで世話になった あまりに真面目に話すルキアに
頭が更にクラクラとして気持ち悪くなった。 ふざけんじゃねぇ、黒崎なんかにおまえをやると思ってんのか馬鹿と大声で怒鳴って灰皿を床に叩きつけた。 頭も身体も熱のせいで動けないからか、感情が爆発した。 黒崎黒崎と連呼するルキアを殴りたくなって 割れた灰皿に怯えるルキアの顔すら忌々しくて、我慢できずにルキアの腕を痛いぐらいに掴んだ時に 目の前のルキアにおふくろに見た 手を上げようとした自分は死ねばいいと思っていた父親なのだと思ったその瞬間 俺は気持ち悪さに吐き気を覚えた。 そのまま本当に吐いた。 馬鹿なのが母親譲りなのはよくても 女に本気で手を上げる父親の血も間違いなく自分は引いてるなんて認めたくもないのに 今の自分は間違いなく忌々しいあの醜い父親だと思うと気が狂いそうになった。 というより狂った。 怯えながらも意見を曲げようとしない強さを残した瞳のルキアは あの頃の母親と同じだった ただルキアを守りたいだけなのに
ルキアを笑顔でいさせてやりたいのに なんでこんな顔をさせちまうんだ 死ねばいいと思う男と 同じ事を何故してるんだ 吐いても吐いても胃液まで吐いても 気持ち悪さは収まらず そこからの意識も飛んだ 目覚めたくなくても目が覚めてしまった時には病院だった。 ルキアが傍にいることが 泣きたくなるほど嬉しかった 「 ……大丈夫か?どこか痛むか?」 「いや、だいぶ、いい」 「点滴のおかげだろう、全く……具合悪いのに何故あんなに酒を飲むのだ……ばかものが」 「……馬鹿なんだよ、すまねぇな」 「素直だな、やはり具合がよくないのだな」 普通に話すルキアに、あれは夢だったのかと調子よく思いたくなる。 「いてくれたんだ……ありがとな」 「当たり前だ、あんな状態の人間を放っておくほど鬼畜ではない」 「じゃあこれからもずっと…傍にいてくれ」 「恋次……、それは出来ぬ」 やはり夢ではなかった わかっていたけど 息子が亡くなって眠れなくなっていたという黒崎には同情するが 元々は離婚して妻と息子と離れていたという。離婚の理由はルキアも知らないと言うが あんないい場所に自分が残り妻と息子を出ていかせるなんてろくなもんじゃねぇ。 獅子河原の家に乗り込んで、店の名前すら知らない獅子河原にまさかと思ったが 聞いておいた黒崎一護の家に足を向ければ マンション街の歩道を歩いてくる 無駄に綺麗な男と手を繋ぐルキアを見てしまった。 男を見上げるルキアは泣きたくなるほど可愛い顔をして男を見上げていた。 俺が知らないその笑顔は あんなに見たかったルキアの笑顔なのに 見たくないルキアの笑顔��もあった。 こんな爽やかな顔をして妻と息子を家から出す男 親父だってそうだった 他所からみれば「優しそうな旦那さん」と言われていたのだ。それがどうだ外の笑顔の裏で家庭内では浮気をしては妻や子供に本気で殴りかかる鬼畜だった ルキアをおふくろと同じになんて絶対させない ルキアを笑わせるのは俺なんだ 大きな屋敷で眠れなかったアイツに 外の世界を教えたのも俺だ 俺がルキアを幸せにするんだ 俺が 「落ち着きなさいよ」 ぺん、と額を軽く叩かれた 「まだ、熱高いみたいね」
「……大丈夫だよ、てかそう思うなら叩くな」 「だって、アンタがあんまりにも独り善がりだから。止めてやんなきゃと思って」 「…………」 「あのさ」 リルカは濡れたタオルで俺の目元口許を優しく拭った。熱のせいか興奮していたのか 泣いていたようだった 「俺がいなくちゃとかあたしがいなくちゃって考えはね、ヒジョーに危険なのよ」 「……なんだよ、テメェにわかんねーからって危険にすんじゃねぇ」 「違うから。でもそうね、ないわね確かに」 「おまえは自分が一番だからな」 「うん、そーだよ。でも誰もがそうだよ」 「話になんねーよ、ブス」 「……熱に免じて暴言は許してあげる。でもね、人は所有物じゃないの。自分と同じ人間なの」 「あ?」 「アンタさっきから聞いてりゃルキアが好きだとすら言わないじゃん。俺がいなきゃとか黒崎はダメだとか。それ、余計なお世話」 「なんだと?」 きっぱり言い切るリルカにさすがにカッと頭に血が上り、身体を起こした。 「アンタがそんな俺がいなきゃみたいな態度だからルキアは笑わなかったんじゃないの?や、笑ってたとは思うよ?アンタの欲しい笑顔じゃないだけでね」 「……なんだよ、それ、」 「好きな気持ちなんて、もっと単純なの。アンタのは愛より支配力が前に出すぎてルキアに伝わらなかったんだよ、多分。多分ね」 だって だって、ルキアは本当に世間知らずで 口説いたとはいえ俺なんかに簡単に身体を任せるくらい馬鹿で そんな馬鹿だからー 「口説いたんでしょ?ならその時はちゃんとルキアに伝わってたんだよ。ルキアを欲しいと思う恋次の気持ちが」 「……」 でもそのあとのアンタはどうなの? 仕事の為とはいえルキアの嫌がる客でも指名とらせたり、アタシにルキアを預けたり、ちょこまか女に手をだしたりさ そのくせ「おまえの面倒だけはみてやる」なんて言葉でルキアを繋ぎ止めても ルキアだってわかんなかったと思うよ なんで なんで好きだとか愛の言葉のひとつ言わないで ルキアに対して所有物のような態度でいたの? 恋愛に成功も失敗もないけれど あるとしたら、アンタのその所有とか支配とかその辺がルキアの心を掴まえられなかった失敗の原因なんじゃないの? ◾ ◾ ◾
ゆらゆらと揺れながら溺れてしまいたいと思うのに 水面からオーロラのような光のカーテンが揺れているのは綺麗だなんて思う。 馬鹿なのは母親譲り 自分勝手な傲慢さは父親のもの でもそれだけか? おれは親父でもおふくろでもない 「俺」という一人の人間なんだ ルキアもそうだ 世間知らずの馬鹿な女だけど だから簡単に言いくるめられられて俺の傍においておきたかったけれど ルキアはユマみたく俺に飼われる猫じゃない 飼い主を求めてなんていないんだ 「ルキアは俺のもんだと、思ってた」 「そーなんだろうね」 「すげぇ、何様だよな……」 「そぉだねぇ……でもね」 「……ん?」 「そう思われるのを幸せに感じることもあると思うよ」 「……おまえ、言ってること矛盾してねぇか?」 フフンとリルカは笑いながら、俺の額から前髪をかきあげるように何度も撫でた。 「女は貪欲なの、好きな男になら自分のもの扱いされることにゾクゾクと興奮することも、あるよ」 「おまえも?」 「さぁね?」 なぁ、キスしてくれよとリルカに頼めば 珍しく笑いながらおでこに唇を押し付けてくれた。 ルキアと違う甘い香水の香りに泣きたくなって背中に手を回せばぱちんと叩かれた。 「調子にのるな、赤カブが」 「……熱のせいで、寂しくて、こえーんだよ」 「じゃあ誰か女の子呼ぼうか?」 「誰でもいいわけねーだろ?」 「誰かを思う男に抱かれるのはごめんです」 「けち」 「プライドってもんが高いのよ」 「今だけそれ、捨ててくれよ」 「嫌。アタシ抱いていいのはアタシを好きな男だけなの」 「…………」 リルカの言い分はもっともだと素直に思えたし 身体もまだだるくて、叩かれた手をだらんとベッドに放り投げて目を閉じた。 まだぼうっとするが、それでも毒を吐き出したかのように、胸に痛みはあっても少しだけ眠れる気がしたその時 ふわりと甘い匂いが俺を包んだ。 「誰かの代わりに抱かれるのは嫌だけど 失恋した男に優しくしてあげるのは、アタシがしたいからいいの」 その柔らかさと甘い匂いと いつでも俺を可愛いと笑う母親を思い出させる優しい声に もう一度背中に手を伸ばしても 今度は振り払われることはなかった。
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“その後、中国側は「30万人が虐殺された」と主張するようになったが、城は首を横に振る。 「城内では遺体も見とらんです」 上海から南京に進軍する途中では、中国人の遺体を目撃している。塹壕(ざんごう)で何十人の中国兵が死んでいることもあった。 「そりゃ、敵と交戦しながら進むけん。こっちもあっちにも遺体はありましたが、女や子供、年寄りの遺体は見たことはなかです」 進軍は不眠不休で続き、夜が明けると敵兵約30人が目の前を歩いていたこともある。夜間に敵と交戦した後、同じ連隊の兵士が「多くの敵を斬った」と話しているのを聞いたこともあった。1週間ほど滞在した南京でも何かあれば仲間内で当然耳に入るはずだが、虐殺は一切聞いていない。 城が所属した第6師団は熊本で編成された精鋭部隊で、中国では「世界で一番強い」と恐れられていた、という。その師団の一員だったことは、城らの誇りだった。 だが、南京攻略時に師団長だった中将、谷寿(ひさ)夫は戦後、「南京虐殺の責任者」との罪で戦犯となり、処刑された。 「哀れですばい。師団長は何もしとらんのに」 城は憤りを隠せない。77年たった今も脳裏に浮かぶのは仲間の姿だ。南京城壁から狙い撃ちされ、敵弾に次々と倒れていった。 「それでも日本の兵隊は強かですばい。弾がどんどん降る中でも前進していく。国のため国民のため突っ込んでいくんですけんね」” - 南京攻略戦・兵士たちの証言「城内空��ぽ。誰もいなかった」「虐殺あるはずない…」 産経はとことん朝日と戦う腹を決めたらしい。 : まとめ安倍速報 (via 774rider)
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白砂の花びら
海沿いの俺のまちは、夏も冬も日本海からの潮風に守られている。この日はどういうわけか 普段よりずっと日差しが強く、昨日よりおとといより気温がだいぶ上昇していた。冬にはあおぐろく染まる北陸の空でも夏はそれなりに抜けるような青さを見せる。一種の雰囲気を感じて振りあおいだら、立ち枯れたみたいに生えている電信柱のいただきに、黒くうずくまる猛禽の視線と俺の視線がかちあった。
海沿いの道は温泉へ向かう車が時折走り抜けるだけで、歩いているのは俺たちだけだった。俺の半歩後ろをついて歩くユウくんはスマートフォンを構えながらあれこれ撮影している。ポロン、ポロンとこの世界に異質なシャッター音が溢れて落ちる。
バグジャンプのふもとまでたどり着くと、彼は先ほどの猛禽をあおいだ俺みたいに首をまわして仰いだ。
「映像で見るより大きい。ていうか高い。スキーのジャンプ台みたいだね」
俺の貸したキャップとサングラスが絶妙に似合わない。卵型のユウくんの輪郭にウェリントン型のフレームは似合っているのだけど、ユウくんがかけるとアスリートというより、田舎の海にお忍びでやってきたはいいけれどただならぬ雰囲気を隠そうともしないセレブリティに見える。
バグジャンプは体育館を改築した旧スケボーパークに隣接している。パークに置きっ放しのブーツと板からユウくんに合うサイズを選んでフィッティングして俺もブーツを履き、板を持って2人でバグジャンプへの階段を登った。
登り切ると眼下に日本海が広がる。日本も世界もあちこち行ったけれど、俺は今も昔もこの景色を愛している。光をたたえた海は水平線へ行くほど白くて曖昧で、潮風が俺たちの頬を撫でた。ユウくんが歓声をあげてまたシャッターを切る。
ユウくんの足をボードに固定しでグリップを締めた。いざとなったら抜けるくらいゆるく。アスリートのユウくんは自分の身体感覚に敏感だからかスタンスのチェックは一瞬だった。「まず俺が滑るから見てて。俺はスタンスが逆だけどそこは気にしないで」「トリックやってくれる?」「やんない。ユウくんのお手本だから滑って跳ぶだけ」フェイクの芝の上に板を滑らせる。重心を落として体重を全て板にのせ、軽く弾ませてスタートした。視界がスピードをもって背後に駆け抜けてゆく。軽く踏み切ってそのまま弧を描いてエアクッションに着地した。板を足から外して体を起こし、バグジャンプに取りすがってユウくんに電話をかける。「こんな感じ。ターンとかしないで普通に滑り下りればオッケー。スピードでて怖くなったら力抜いて。体重偏らせる方が危ないから。踏切のときにもどこにも力入れないで。そのまま落っこちる感じでいけば今みたいになるから」「YouTubeで見たのと同じ絵だ! すっごい。俺今北野アヅサの練習見てるよすごくね?」「俺の話きいてる?」「聞いてる聞いてる。体をフラットにして変に力入れないで、姿勢の維持だけしておけばオッケーってこと?」「そう」「りょーかあい」
ユウくんがバグジャンプのてっぺんで右手を掲げる。スマホを動画撮影に切り替えて俺も手を挙げた。板をしならせて、ユウくんがスイッチした。レギュラースタンス。腰を軽く落とした姿勢はいい具合にリラックスしている。ユウくんの運動神経に間違いはないけれど、万が一ケガがあったらという不安が喉につかえた。俺の心配を茶化すようにその姿はあろうことか一回転してエアクッションに沈んだ。
「ありえない。回転しくじってケガしたらどうすんの」
「狙ったんじゃないよ。ちょっとひねってみただけ。エアってすごく気持ちいいんだね。横の回転なら慣れてるけど縦の回転はないから、めっちゃ新鮮。空が見えるし楽しいし着地気にしなくていいなんて最高。両足固定されてるのはちょっと怖いけど」
回転数のあがったユウくんは頰を火照らせて躁気味に笑っていて、まばたきが減って口数が多くなってるのが余計に危うい。教えてくれというので絶対に無茶はしないことを約束させて、基本の滑りにもう少し解説を加え、簡単なトリックをひとつレクチャーした。もともと体ができていることもあるしユウくんの身体と脳は笹の葉のように研ぎ澄まされていて、俺の言葉の通りに体を操っていく。終いにはタブレットでお互いの滑りを録画し、「ここ、ユウくんは左に落としたいんだろうけど下半身がついてってない」だとか「アヅはこのときどこを起点に体を引いてるの?」だとか結構真面目にやってしまった。休憩のたびにユウくんは海へ体を向けて「船」だの「カップル」だの「カモメ…ウミネコ? 」だの、言葉を覚えたての子どもが看板を読みたがるように単語を頭の中から取り出して眺めていた。「ジャンプやばい。やればやるほど考えたくなってやばいやつ。ね、夕ご飯の前に海行こ」とユウくんから言い出した。
行く、と言ってもバグジャンプを降りて道路を横切り防波堤を越えればもう砂浜だ。ボードを片付けて、軽くなった足でアスファルトを踏む。防波堤の上に登るとユウくんはまた海の写真を撮り出したので、その足元にビーサンを並べてやる。俺も自分のスニーカーを脱いでビニールに入れ、バックパックにしまう。
やや遠くから犬を散歩するじいさんがこちらへ歩いてくるくらいで、ここは遊泳区域でもないので先客はいなかった。ユウくんは「砂浜やばい、何年振り」だの「ここ走ったら体幹鍛えられそう」だの「日本海は綺麗だって聞いてたけど本当だね。うちの県の海水浴場は海藻ばっかりだよ」だの俺の相槌も必要とせず軽やかに波打ち際へと歩いて行った。
波に脚を浸したユウくんの半歩後ろにたつ。そのまっすぐ伸びたかかとのうしろで、黒や茶色の細かい砂利が水のふるいにかけられて一瞬まとまり、また瓦解していく。そこには時折海藻だとか丸まったガラスの破片だとか、たよりなくひらひらと翻る桜貝だとかが浮かんでは消え、俺はなんとなくユウくんの白いかかとその様を眺めていた。
ユウくんは「俺札幌雪まつりやる��と言い出し、それはどうやら砂で何かを造ることだったようで、黙々と建造を始めた。俺はごろんと横になって脚をのばし、自然と目に入ってきたユウくんの、キリンの子どもみたいに野生的な首筋についた砂つぶを眺めていると、風にあおられたその粒がハラハラと飛び散って俺の目に入った。ユウくんの向こうでは空が乳白色になるポイントと遠浅の海の水平線が交わりハレーションを起こしている。
キャップをかぶせているとはいえユウくんを長時間砂浜で太陽光にさらすのはよくないだろう。日焼け止めはバックパックの中に入っているけれど…そう思いながら目をしばたいているうちに意識が遠のいていく。次に目に入ったのは呪いの像みたいな謎のオブジェだった。「…それって」「どう? 自由の女神」「ゲームにとかに出てきそう。調べると誰かの遺書とかみつかるやつ」「アヅひっど。辛辣。砂と海水だけで作るの難しいね。ねえ、どこかの国にね、砂の像の本格的な大会があるんだって。砂と海水だけで最低でも高さ1m以上のものを作るの。砂浜一面にたくさん城だとかオブジェだとかが作られるんだけど、どれも満ち潮になると流されちゃうから、その日だけ。ヨーロッパっぽくないよね。その侘び寂び精神って日本っぽくない?」「侘び寂び精神?」「ほら日本人って桜が好きでしょ。すぐ散っちゃうハカナサ的なもの込みで。何かそういうこと」
ユウくんはスタイルの悪い自由の女神の頭部を指先で整える。俺たちの一身先まで波がきてまた引いていった。ここも満潮時には水がやってきて、その呪いの女神像も今夜には海に還る。
大学生になって夏休みの長さに驚いた。中高をほとんど行けてなかった俺にとって、夏休みは授業の進行を気にしなくていい気楽な期間だった。それにしたって大学の夏休みは長い。俺は授業があろうがなかろうが練習漬けの毎日だが、この2ヶ月という期間を世の大学生は一体何に使うのだろう。
大学一年生の冬、2度目のオリンピックに出てからメディアからのオファーが目に見えて増えた。俺自身も思うところがあって露出を増やすことにした。15歳のときもメダルひとつで世界が変わったけど、あのときはそれでも中学生だったからか(すぐ高校生になったけど)競技の注目度の低さからか今考えれば優しいものだった。夏季オリンピックへの挑戦を表明してからは練習練習練習スポンサー仕事練習練習といった毎日だ。調整のために海外にいる日も少なくない。
だからこの2日間だけが、きっと本当の夏休みになる。
俺も俺で慌ただしかったが、そのパブリックな動き全てがニューストピックスになるユウくんのそれは俺の比ではなかった。シーズンが終わっても出身地にモニュメント���造られたりタイアップの観光案内が造られたり、国内のショーに彼が出演すると報じられた瞬間チケットの競争率がはね上がったり。そんな彼がスカイプで「夏休みをやりたい」と言い出したときは、いつもの気まぐれだろうと俺は生返事をした。しかしそれはなかなか本気だったようで「海行ったり花火したりする‘ぼくの夏休み’的なのやりたい。田んぼに囲まれた田舎のおばあちゃんちで過ごすみたいなワンダーランド感をアヅとやりたい」と彼は食い下がった。
「俺と? ユウくんのじいちゃんばあちゃん家ってどこにあるの?」
「うちの実家の近所。長閑な田舎感ゼロ」
成人男子の頭をふたつ持ち寄ってしばし考えたものの、俺たちは家族旅行の記憶もまともにない。物心ついた頃から休日は練習だし、旅行=遠征だ。「国内がいいな。海…沖縄?」「このハイシーズンにユウくんが沖縄行ったりしたらめっちゃ目立たない?」「うううん、目立つのは仕方ないけどアヅとゆっくり過ごせないのはやだな…じゃあ何かマイナーなところ」そんな場所が即座に出てくるような経験はお互いにない。だからしばらくお互いスマホをつついてるうちに俺が「海と田んぼあって田舎で特に観光地でもない、ウチの地元みたいな場所っしょ。何もないところって探すの逆に大変なんだね」と口を滑らせたのは特に他意のないことだった。
「アヅの地元‼︎ 行きたい、スケートパークとかあのバグジャンプとか見たい。日本海って俺、ちゃんと見たことない。アヅの家見てみたい」と食い気味に言われて面食らったものの悪い気はしなかった。知らない土地に行くより気安いし何よりうちの地元には人がいない。両親は友人を連れていくことにはふたつ返事だったが、それがユウくんであることには絶句し、地味に続いている友人関係だと告げるとやや呆れていた。でもそんなの普通だろう。だって高校生を過ぎて、友人のことを逐一両親に話す必要なんてない。ユウくんがただの同級生だったらそんなこと言わないっしょ、と胸に芽生えたささやかな反発はそれでも、訓練された諦めによってすぐに摘み取られた。
砂の上に起き上がり砂をさらっていくつか貝を拾い、謎の像を写真に収めているユウくんに声をかける。「そろそろ晩メシだから帰ろ」夏の太陽はそれでも夕暮れにはほど遠く、西に傾いた太陽の、ささやかに黄色い光がものがなしい。振り返ったユウくんの顔はなぜか泣きそうに見えた。その頰は午後5時の光線の中でもはっきりわかるくらい白くて、まるで俺が拾った桜貝の内側のようだった。彼の唇がちいさく動いたけれど、波の音に消されて何も聞こえない。かりにユウくんの目から涙がこぼれていたとして、そしてそれが流れる音がしても、波の音にかき消されてしまうだろう。「疲れたっしょ。車持ってくるから待ってて」。踵を返そうとしたらTシャツの裾を掴まれた。俺はユウくんの白い手を包んでゆっくりほぐした。「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
スケートパークの駐車場からラングラーを出し、国道へゆっくりと出る。ユウくんが防波堤の上で所在なさげに棒立ちになっているのが見えた。
まず落ちたのは母親だった。ユウくんがメディアで見せるような完璧な笑顔と言葉づかいで挨拶しスポンサードされている化粧品メーカーの新作を渡す頃には、母の瞳は目尻は別人のように下がっていた。そこには緊張も俺たち兄弟に向けるようなぶっきらぼうさも消え失せ、俺たちにとってはいっそ居心地の悪いほどの幸福が溢れていた。さすが王子様。さすが経済効果ウン億の男。さすがおばさまキラー。夕食が始まる頃には遠巻きに見ていた弟も積極的に絡み出し、ヤベエとパネエを連発していた。野心家なところがある父が酔って政治的な話題を持ち出さないかだけが心配だったが、父はあくまで俺の友人として接することに決めたようだ。ユウくんの完璧な笑顔、お手本のような言葉に少しだけ負けん気を混ぜる受け答え、しっかり躾けられた人の優雅な食事作法。兄は居心地が悪そうに俺の隣でメシを食っていた。俺と兄だけは今、心を連帯している。スノボをとったら芯からマイルドヤンキーな俺たちと、歯の浮くような爽やかさを恥ともしないユウくんではあまりに文化が違う。いつも感じている座りの悪さがむくむくと膨らむ中、母が産直で買ってきたであろうノドグロの刺身と名残のウニだけが美味かった。
風呂上がりには念入りにストレッチをした。俺の部屋では狭いので居間でふたりで体をほぐす。ユウくんの体はゴムでできているように関節の可動域が広く、股割りを始めたときは思わず感嘆の声をあげた。俺もケガ防止に体は柔らかくしている方だが到底叶わない。いくつかペアストレッチをしてお互いの筋肉を触る。「アヅすんごい鍛えてるね。腹筋は前から板チョコだったけど大胸筋と下腿三頭筋ヤバい。何してるの?」「体幹メインだからそんなに意識してないけど…直で効いてるのはクリフハンガー。後で動画見よ」「もっと筋肉つける予定?」「んん、もう少し空中姿勢作りたいから、体幹は欲しいかな」「アヅがこれ以上かっこよくなったら俺どうしたらいいの…POPYEの表紙とかヤバイじゃん。ユニクロであれだけ格好いいとか何なの。あっ俺、明日は新しいスケートパーク行きたい」「マジ? ユウくんにスケボーとかさせれらないんだけど。怖くて」「うんやんなくてもいい。アヅが練習してるの見たい」ユウくんの幹のような太ももを抑えながら、俺は手のひらで彼の肩をぐっと押した。
両親はユウくんをエアコンのある客間に通すように俺に言ったけれど「コンセプトは夏休みに友達んち、だから」と言って俺は自室に布団を運んだ。六畳の俺の部屋は俺が大学の寮へ移ってからもそのままにされている。どれだけモノを寄せてもふたり分の布団を敷けばもうスペースはない。ユウくんは俺の本棚の背表紙を指でなぞりながら「教科書とスノボ雑誌以外なんもねえ」と楽しそうにしている。さっき風呂から出たばかりなのにもう肘の内側や膝の裏が汗ばんでいて、ないよりはマシだろうと扇風機をまわした。「もう寝る?」「んん、���ないけど電気消す」窓を開けて網戸を閉め、コードを引っ張って電気を消した。カエルの鳴き声が窓の外、群青色の彼方から夜をたなびかせてくる。それは記憶にあるよりずっと近く、耳の奥で遠く響いた。
ユウくんは行儀よく布団に収まって俺の側に寝返りをうった。「自由の女神像、流されたかな」「多分ね。見に行く?」「あっそういうのもいいね。夜にこっそり家抜け出して海行くとか最高。でもいいや、そういう夢だけでいい」指の長い手のひらが、探るように俺の布団に潜り込んでくる。俺の指をつまむようにして指を絡めた。
「…何もしないのって思ってるでしょう」「うん」「今日は何もしないよ。ここはアヅの家だから。セックスして翌朝親御さんの前で息子やってるアヅも見てみたいけど、我慢する」ユウくんはいつもそうやって自分をあえて露悪的に見せる。思ったことだけ言えばいいのに、と心がざらついた。
「どうだった、うちの地元」
「うん、最高。アヅと歩いて、バグジャンプ見ただけじゃなくて跳べて、海で遊べたんだよ。こんな夏休み初めてだよ。バグジャンプからの眺め最高だった。一生忘れない」
「大げさ…」
ユウくんの目はほとんど水分でできてるみたいに、夜の微かな光を集めてきらめいていた。その目がゆっくりと閉じられるのをずっと見ていた。指先にぬるい体温を感じながら。
率直にいって覚えていないのだ。その夜、本当に何もなかったのか。
眠りの浅い俺が微かな身じろぎを感じて起きると、ユウくんが窓辺にもたれていた。布団の上に起き上がって片膝をたてて窓枠に頰を押しつけるようにして、網戸の外へ視線を向けている。俺の貸した襟のゆるくなったTシャツから長い首と鎖骨が覗いていて、それが浮かび上がるように白い。
扇風機のタイマーは切れていて夜風が俺の頰を心地よく撫でた。俺の部屋は二階。窓の外では田んぼが闇に沈んでいる。目が慣れてくるとそのはるか先に広がる山裾がぽっかりと口を開けるように黒く広がっていた。ユウくんの膝と壁の微かな隙間から細かな花弁を広げてガーベラみたいな花が咲いている。彼の足元から音も立てずシダが伸びていく。教育番組で見る高速再生みたいに、生き物として鎌首をもたげて。ユウくんは微動だにしない。名前のわからない背の高い花がもうひとつ、ユウくんの肩のあたりで花弁を広げた。
海の底に沈んだみたいに静かで、どの植物も闇の奥で色もわからないのに、そこには生々しい熱が満ち満ちている。
布団の上を這って脱力しているユウくんの左手の人差し指と中指、薬指を握った。ねっとりした感触に少し安堵する。
「アヅごめんね。起こしちゃったね」
ユウくんは首だけを俺に向けて囁いた。
背の低い葦がユウくんの膝を覆う。ずっと気づいていた。右足首の治りが芳しくないこと、それに引きづられるようにユウくんが心身のバランスを大きく欠いていること。
「ねえ、春からずっと考えてるんだ。今まで俺強かったの、俺が完璧に滑れば誰も叶わなかった。でもそうじゃない潮の流れがきちゃった。アヅ、日本選手権の前にテレビで‘誰でも何歳でもチャレンジはできる’って言ってたでしょう。あれ聞いて俺すごいどうしようもない気持ちになったんだよね。腹立てたり嫉妬したりした。お前まだ二十歳じゃん、俺も二十歳だったら、って。アヅとスカイプするたびに思い出しちゃって、一時期ちょっとダメだった。でもアヅに連絡しちゃうし、そういうのって考えるだけ無駄だし、もちろんアヅも悪くないし。なんか今までは細かいことに迷うことはあっても大きなベクトルを見失うことってなかったんだよね。世界選手権2連覇するとかそういうの。でも今わかんない。引退もしたくないけどどんどん前に行くガソリンみたいなのがない。スケート以外も何もやる気おきない。ゲームも立ち上げるの面倒くさいし音楽も聞きたくない。でもこういうことって最後は自分で何とかすることだから誰に言っても仕方ないし、自分の中で消化するしかないんだけど。アヅはどんどん先行っちゃうし。それがすごいカッコイイし。好きだけど嫌い。でも俺にとって世界で一番カッコイイのアヅだな。アヅみたいに必要なこと以外は喋らないでいたいな。アヅの隣にいるのすごい誇らしい。これ俺のカレシーって皆に言いたいくらい。それが言えないのもすごい嫌だし。何かもう何もかも」
感情の揺れるままにユウくんは喋り、彼の語彙の海に引きずり込まれる。その偏りというか極端さというか、きっとこれが海水なら濃度が濃すぎて生き物は死んでしまうし、雪山だというのなら環境が過酷すぎて大した植物は育たない、そういったものに窒息しそうになった。俺たちの語彙や世界は圧倒的に貧しくて何も生きていけない。そこには美しさだってカケラもない。「よくわかんない。死にたくないけど、いなくなりたい」
幾重にも重なるカエルの声。降り注ぐような虫の声。こんなにもたくさんの生き物が泣き喚いているのに、そしてこのやかましくて力強い音楽が月明かりに照らされ満ち溢れている世界で、それでも虚しさしか感じられないユウくんが哀れだった。誰も見向きもしないやせ細った貧弱な空虚を大切に抱えているユウくんが。
ユウくんの背後に虚無が立ち彼の肩をさすっていた。けれどそはユウくんとほぼイコールの存在で、彼にとっては他人に損なわせてはいけない自らの一部だった。それは誰にも意味付けられたり否定されたり肯定されるべきではない。
勝ち続ける、他者より秀でる、新しい技術を得る。けれど俺たちの誰も等しく人間であるので、それには自分の体を損なう危険が常に伴う。けれど誰にもう十分頑張った、と言われても表彰台の一番上が欲しいのだ。
そして自分の体が重くなってゆくこと、誰かが自分より圧倒的に秀でるであろう予感を一番先に感じるのも、自分自身だ。
ユウくんは空いている右手でなく、俺とつないでいる左手をそのまま持ち上げて頰をこすった。子どもじみた仕草で。
ユウくんは孤独な惑星の住人で俺はその惑星のディテールの何一つもわからない。ただ俺もただひとりで惑星に佇んでいるという一点だけで、俺と彼は繋がっていた。
「アヅ、キスしたいな」
繋いだ手はそのままに、俺は体を起こして膝でユウくんを包む葦とシダに分け入った。草いきれの中でユウくんのうなじを掴んでキスをする。最初は触るだけ、次はユウくんの薄い舌が俺の唇を舐めた。そのままゆっくりと歯を探られればやがて頭の芯が痺れてゆく。ユウくんの唾液はぬるくて少し甘い。音をたてないように静かにキスをしながら、指に力を込めた。これだけが本当だと伝わ��はしないだろうか。
こんなキスをしたらもう後戻りできない。俺の足に蔦が絡みつく。空虚が鳴る。胸を刺されるような哀れで悲しい音だった。
次に目を冷ますと空が白んでいた。寝返りを打つうちにユウくんの後ろ髪に顔を突っ込んでいたらしく、それは麦わら帽子みたいな懐かしくて悲しい香りがした。スマホを引き寄せて時計を見ると4時半。ユウくんの肩は規則正しく上下している。そこは正しく俺の部屋で、布団とテレビと本棚、積まれた衣装ケースがあるいつもの光景だった。ユウくんの足元に追いやられていたタオルケットを引き上げて肩までかけてやった。
首を傾けて窓の外を見る。抜けるような晴天にほんの少し雲がたなびいていた。手付かずの夏休み、2日目。俺はユウくんの腹に手をまわして目を閉じた。
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