#ぜんまい少女箱人形
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霧と話した | Kokusyoku Sumire 黒色すみれ
#Kiri to Hanashita#霧と話した#Kokusyoku Sumire#黒色すみれ#ぜんまい少女箱人��#Zenmai Shoujo-bako Ningyo#Spring girl box doll#my post#musik
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持ちばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れているところを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の底に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。受かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉���反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸福の値段をどんどんさげてしまう。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴんと鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感が欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその延長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわり続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そんな勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない。三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になにかが込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわるい。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかもという気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけることは暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電車が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごには結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない。ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、��ぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペース��を重ねるうちにすこしずつ美化されてしまうんだろうなと思う。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。がちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならないし、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもっているものの周りに飾っていきたい
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全人類よ、今すぐ橋本ライドンさんの『妹・サブスクリプション』を読んでくれ

〔なかよし姉妹 -- 2023年10月10日〕
可愛すぎる妹シリーズの印象で読み始めてみたら、まさか骨太のSFヒューマンドラマになっていくなんて、連載当初は思ってもみなかったんですよ、マジで。
作品の紹介に入る前に
この記事で紹介する『妹・サブスクリプション』(妹サブ)は、ぜひともツイッターで毎日21時に更新される最新話を連載で読んでいただきたい。3月8日に発売される単行本を待つことなく、今すぐ連載で読んでほしいのだ。それくらい、この作品を連載で読む体験にはすさまじいものがある。
今から連載を追いかけるには、まずは min.t で公開されているこれまでの連載まとめを読むといいだろう。連載開始は2023年10月10日であり、これまでの話数は約100話、すなわち100本の4コマなので、それほど難なく追いかけられるはずだ。その後、連載媒体である「ツイシリ」アカウント @twi_sirius、または作者・橋本ライドンさんのアカウント @hashimotorideon をフォローいただければ、最新話の更新やその周知が流れてくるだろう。
以下、この記事は作品紹介の都合上、これまでの連載のネタバレを含んでいる(できるだけ軽微なものに抑えたつもりではある)。妹サブのマンガ体験を十全に味わいたい方は、この記事の続きを読む前に、ご自身で連載を読んでいただければ幸いである。
前置きはここまでにして作品の紹介に入る
妹サブの舞台は、失われた人間を模倣する人造人間技術「レプリカント」が実現された近未来。主人公の一人である姉のみゆきは、妹・今日子(きょんちゃん)のレプリカントとともに暮らしている。冒頭で引いた第1話の時点で、妹は既にレプリカントなのだ。その設定は連載初期に少しずつほのめかされていった。

〔お姉ちゃんの部屋 -- 2023年10月10日〕

〔嫌いな業者 -- 2023年10月12日〕
連載開始から3日目までの印象的な場面を挙げよう。意識を失ったと思しき妹の体躯が、姉によって鍵付きの部屋に引きずられ、「回収センター」を名乗る者によって箱詰めされる。それも複数体が同じような姿で。この時点で、妹は人間ではなくロボットのような何かであること、またタイトルの「サブスクリプション」は昨今の継続購入サービスを意味していることが推察できた。だがその核となる設定はまだ示されておらず、確証がないまま不穏な空気が醸し出されていったのだ。
妹サブのマンガ体験の面白さは、こういった毎日のハラハラドキドキにある。各話で明かされる事実が断片的であり、次の更新は翌日を待たなければならないことから、その間に想像や考察が否応なく膨らむのだ。ここまでに私が述べたあらすじや解説は過去の連載を読んだ後だから書けるのであって、現在進行形で読んでいたときには翌日の展開を予想しても外すことは日常茶飯事だった。外してもその日のうちにスッキリできるならまだ良くて、時には何日も核心が伏せられたまま物語がジリジリと進み、早く真相と答え合わせさせてくれ!と悶絶と期待が入り混じった感情に駆られることもしばしばだった。

〔いつも通りの朝 -- 2023年10月23日〕

〔あなたにだけは話したい-- 2023年10月30日〕

〔あなたは異常 -- 2023年11月3日〕
作中で「レプリカント」という単語が初出するのは連載開始から2週間後、妹がレプリカントだと姉の口から名言されるのはさらに1週間後、そして壊れやすいからサブスク形式だという設定が述べられるのはそのまた4日後であった。ここでようやく、妹が“意識を失った”こと、複数体存在したこと、そして回収されたことに合点がいき、もやが晴れるようなカタルシスが得られた。そして同時に、これらの場面はみゆきとレプリカントの、そしてレプリカントと社会の関わりを示してもいたのだ。
妹サブのタテ軸とヨコ軸

〔妹は そのままで -- 2023年10月13日〕

〔いつも通りの朝 -- 2023年10月23日〕
妹サブの読みどころはいわばタテ軸とヨコ軸に大別される。タテ軸は、みゆき(姉)から今日子(妹)に向けられる“家族愛”の歪さだ。今日子のレプリカントを溺愛するみゆきは、オモテ向きには頼れる保護者でありつつも過保護のきらいがあり、妹離れできていない姉のように見える。だが実際にはもっと悪いのだ。

〔悩めるお姉ちゃん -- 2023年10月14日〕
その悪さは、みゆきが今日子のレプリカントと相対していない、ウラ側の状況で見え隠れする。キーボードを猛烈に叩いてサポートチャットに要望を送り、無機質なビジネス応答に舌打ちしながら怒るみゆき。その態度と「直せ」という強い口調には過保護を超えて、“愛する”妹を自らの管理と制御の下に閉じ込めて作り変えんとする魂胆があらわれている。もちろんリアルタイムの連載時には、本物の今日子は真に素直な子だったという可能性もあった。しかし現在までにその可能性は明確に棄却されている。

〔瞳に星屑をまぶして -- 2023年11月29日〕
さらに悪いことに、みゆきは自身の行いが正しいとかなり純粋に信じている(少なくとも、この記事の公開時点で、これまでの連載を素直に読む限りでは)。みゆきの信念は関係者との間で軋轢を生んでいき、それがまたドラマになるのだ。
もちろん、みゆきはわけもなくレプリカントに手を出したわけではい。作品設定では、レプリカントを正当に得るには対象の家族が亡くなったとされる必要がある。みゆきが今日子自身でなくそのレプリカントと暮らしているのには相応の理由があり、それもまた連載の中で描かれている。これらの事情を理解した上でなお、彼女の“家族愛”は歪だと言わざるをえないものであって、控えめに言っても全てを首肯することはできないものなのである。こういったアンビバレンツな人間模様や読後感もまた妹サブの魅力である。

〔いつも通りの朝 -- 2023年10月23日〕
そして読みどころのヨコ軸は姉妹をとりまく社会との関わりである。それは家族や友人といった近しい他者にとどまらず、文字どおりに世の中の状況を含んでいる。作品世界の中ではレプリカントが社会問題になっており、受容する動きもあれば批判する動きもあることが、連載開始から2週間のうちに示された。そしてこの記事を公開した時点で進行中の連載では、レプリカントと社会のあり方がまさに描かれようとしているのだ。これは本当に連載で読んでいただきたい。

〔違わない -- 2023年10月26日〕

〔初めて わかってくれた人 -- 2023年10月31日〕

〔知らない友達 -- 2023年11月12日〕

〔あるアルバイトの苦悩 -- 2024年1月9日〕
かような背景をベースにして、姉妹の生活とみゆきの思いは他者と相対される。近しい者では、例えば共生を否定した両親、カミングアウトを“ひとまずは”受容したみゆきの友人、何も知らずに“再会”した今日子の友人。より社会の側では、例えばレプリカント企業のカスタマーサポートで働くアルバイト。他にも、みゆきと同様にレプリカントに手を出した別の家族や、レプリカント事業の起業者なども登場する。かくして社会の中で姉妹模様が描かれ、また姉妹模様を通じて社会が描かれる構造は、科学技術の“もしも”と同時にそれが存在する世界での人倫を描く、骨太なSFヒューマンドラマの基礎となっているのである。

〔今日子 中3の夏 -- 2023年12月10日〕
その中にはもちろん、もう一人の主人公である、“在りし日”の妹・今日子も含まれる。今日子の過去、あるいはやがてレプリカントに手を出すことになるみゆきの過去は、これまでの妹サブの連載の中で最も重要な物語である。これもぜひ連載まとめで読んでいただきたい。
「今」すぐ読まれるべき、ということ
以上、私がこの記事で急ぎ語りたかった、今すぐの「すぐ」について語り切ったつもりである。ここからは、連載がまだひと段落していない現状では拙速で蛇足かもしれないが、今すぐの「今」について少しだけ語りたい。本格的な語りは単行本の発売後に別の記事を起こす予定である。
妹サブを読み進めていくと、私は現実の現在におけるいくつかの社会問題をどうしても連想せざるを得ない――ひとつは毒親に代表される支配的な家族である。みゆきは親ではなく姉だが、家族の御旗のもとに個人(今日子はみゆきの姉である前に今日子個人である)の人格を支配どころか改竄までせんとする姿はまさしく毒親のそれに当たると言えよう。もうひとつは人格ある他者を部分的に模倣する技術であり、その最たるものがいわゆる生成AIである。特に妹サブにおいて中心的に描かれる家族と故人というテーマにおいて、私はTEZUKA2020・TEZUKA2023プロジェクトを真っ先に思い浮かべた(奇しくもTEZUKA2020プロジェクトの単行本は、3月に刊行予定の妹サブとの単行本と同じく、講談社から刊行されている)。故人・手塚治虫の版権を管理する法人やその家族が関わるこのプロジェクトは、仮に著作財産権の観点で正当だとしても、死後も譲渡できない著作者人格権の観点では正当性をどのように主張するのか。まさか家族の御旗のもとに正当性を主張するとでも言うのだろうか。よしんば法的に許されたとして、法に先立つ人倫として許されるべきなのか――こういったことを考えてしまうのだ。
妹サブは意図的にせよ結果的にせよ、現実のかような社会問題を空想のSFマンガの形で読者に問いかけているように思う。レプリカントの「レプリカ」は複製を意味する言葉だ。そして人間が『死後に』『他者によって“正当”に』『“複製”と称される行為の対象になる』ことは、人間の尊厳に踏み込み、個人主義を溶融させ、代替可能性を加速させる営みと捉えられるだろう。かような世界において、人間が人間らしくあること、あらゆる何かに先立つ個人であること、そしてその人格が代替不能であることは、いかにして成立し得、また成立“しなければならない”のか――過剰な願いかもしれないが、私はそのひとつの答えを、あるいは少なくともその確固たる問いを、妹サブには描き切ってほしいと思っているのだ。
(すいーとポテト)
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属性による平等をやりすぎると、分断が生じる
「被害者ポジション」をめぐって、争っている人たちについて。 | Books&Apps
例えばハーバード大学の合格最低点は黒人とアジア・白人系とでは全く異なるものとなっており、それが加速した今現在、願書にアジア系民族と書かれているだけで合格難易度が桁違いにあがる。
具体的にいえば「高校の成績は常にトップクラス。討論や数学の全国、州の大会で何度も入賞した。それなのにハーバードを含めた上位30校全てが入学を認めなかった」という事例もあるのだそうだ。*後述:マイケル・ワン
結果の平等によって努力が否定されたことは、正義なのか?(逆差別)
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平均点を引き上げられた”普通の人”が、被害者ポジションを作ることで元の評価に引き下げようとする運動が起きてしまう懸念。
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アファーマティブアクション最大の問題点は、過去の問題を現在/未来の人が被ること。若年時の学や職(キャリア)は人生を左右するため補償できる問題ではない。
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応募者全員が”下駄枠”の場合、機会の平等に戻るのか?
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・南川文里『アファーマティブ・アクション』(中公新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期
序章 なぜアファーマティブ・アクションが必要だったのか 第1章 いかに始まったのか―連邦政府による差別是正政策 第2章 それは「逆差別」なのか―転換点としてのバッキ裁判 第3章 反発はいかに広がったのか―「文化戦争」のなかの後退 第4章 いかに生き残ったのか―二一世紀の多様性革命 第5章 なぜ廃止されたのか―アジア系差別と多様性の限界 終章 どのように人種平等を追求するのか
それでも黒人の雇用が少ないのは能力に基づいた結果だという主張がありましたが、それに楔を打ち込んだのが1971年の合衆国最高裁判所によるグリッグス対デューク・パワー社判決でした。デューク・パワー社は公民権法の成立とともに卒業証明に代えて昇進試験を導入しましたが、このやり方でも黒人が昇進できない状況は変わりませんでした。最高裁は「現状を『凍結』する」ような制度だとしてこれを差別だと認定したのです。こうして過去の差別の補償のために政府が積極的に介入すべきだという「補償的正義」の考えが確立していきます。 こうした中でAAが導入されていくことになり、女性にも対象を拡大させながら進んでいくことになります。
論争で焦点となったのは、カラー・ブラインド(人種を意識しない)か、それともカラー・コンシャス(人種を意識する)というものです。
この裁判で注目されたのは成績優秀でSATで満点近い成績を取りながらアイビーリーグの大学にことごとく不合格になったマイケル・ワンであり、また、公民権政策の停止をライフワークとしてきた白人活動家のエドワード・ブラムでした。 この裁判はメリトクラシーを信じるアジア系エリート移民と、白人優位の社会を維持しようとするバックラッシュ運動の利害の一致によって進められたのです。
合衆国最高裁は、「人種」を考慮するステップを含んだハーバード大とノースカロライナ大の入試は、憲法に違反していると結論付けました。最高裁の多数意見は両大学の入試が人種という「疑わしい区分」を用いてまで実現しなくてはならない利益があるのか。といった点を指摘し、さらにAAは��的達成のための一時的手段のはずなのにAAを終了する具体的なポイントを設定してないことも問題視しました。 *平等の基準値不在なので不平等解消時期が設定できない。
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【統計の悪用】男性の多い一次産業を引き合いに『女性管理職が多い職場のほうが生産性が高い』という理屈をメディアスクラムで作ってくるのでは?という予測 - Togetter [トゥギャッター]
Sato_海外の経営者から見た日本@hetare_keieisha
これね凄い嫌な予感というか、 いまのうちに予言しておきたいことがあるんですどね。 日本をディスする目的でよく使われる生産性と同じ理論を使ってくると思っている。 結論からいうと 女性管理職が多い職場のほうが生産性が高いという理屈をメディアスクラムで作ってくると思う。
まず傾向として男性が多い職場はインフラ系・機械系とか一次産業だと思います。 次に傾向として女性が多い職場はWEB系とかデザイン系とかだと思います。
このとき当たり前なんだけど前者はそもそも利益率が低めの基幹産業なわけです(原価も高い) 後者は利益率が高めに出ます。
労働生産性なんてものは 日本みたいな産業立国では低めに出るのは当たり前なのですが、
元ポストの方の想像通り女性が多い職場のほうが女性管理職が多いですよって形になると思います。
連中もそう思っていると思います。
したがって労働生産性を引き合いに出して、
女性管理職が多い会社のほうが労働生産性が高い、だから女性管理職を増やせ、
という報道をメディアと関連する左翼インフルエンサーが一斉に言い始めると思います。 そして何らか立法で罰則だとか規制を作ろうとするでしょう。
しかし本質としては そもそも男性が多い職場は基幹産業だったり一次産業だったりで労働生産性という評価軸では高く出てきません。
したがって彼らはそれを悪用して上記のような主張をしてくると思います。 ということで今の内に予言を置いておきますね。
かわなんとか(カワナ=N=トーカ) @kawananikasann *労働生産性は虚業ほど高く計上されるので注意 例:) カタギの農家で稼ぐ男 VS 膣土方でアブク銭つかむズベタ(売春女)
単純な生産性で言えばそりゃ、後者のほうが高くなるんだよね
株ちゃむ @owakon888 中卒の詐欺師が運営してるマルチビジネスの方が
東大or海外大卒が運営するマッキンゼーより
ROEもROICも高いので
中卒の詐欺師が労働生産性を高めます!!
日本の大手企業は前科持ちを社外取締役に据え置くべきだ!!
デジタルおちゃらけ @netagire111 @hetare_keieisha 社員一人あたりの生産性が高いから女性を多く抱えておけるっていう本末転倒な話になってくる気がする
山の手@Yamano_te
日本の男女差の傾向として、女性のほうが男性よりもキャリア志向を持つ人が少ないんですね。本来はここをどうにかしなきゃならない。アファーマティブアクションってのは大義(男女比や人種比の是正)の為に個を無視して属性ごとに一律処理ってやつなので、実はフェミニズムの唱える「個人差は性差を凌駕する」(個々の努力、特性が大事である)とは思想的には食い合わせが悪いです。
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人種を考慮した入学選考は違憲 米連邦最高裁、従来の判断覆す - BBCニュース
アファーマティブ・アクションは違法
ジョン・ロバーツ最高裁長官は「多くの大学があまりにも長い間、個人のアイデンティティーを測るのは、克服した課題でも、築き上げたスキルでも、学んだ教訓でもなく、肌の色だと間違って結論づけてきた」との見解を示した。
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この画像は「平等(Equality)」と「公正(Equity)」の概念的違いを野球観戦の場面で視覚的に説明した教育的イラストです。
📊 翻訳内容
左側 - Equality(平等)
タイトル: "Equality = SAMENESS"(平等 = 同一性)
説明文: "Equality is about SAMENESS, it promotes fairness and justice by giving everyone the same thing."
(平等とは同一性に関するもので、全員に同じものを与えることで公平性と正義を促進する)
注意書き: "BUT it can only work IF everyone starts from the SAME place, in this example equality only works if everyone is the same height."
(しかし、全員が同じ場所からスタートする場合にのみ機能する。この例では、全員が同じ身長の場合にのみ平等は機能する)
右側 - Equity(公正)
タイトル: "Equity = FAIRNESS"(公正 = 公平性)
説明文: "EQUITY is about FAIRNESS, it's about making sure people get access to the same opportunities."
(公正とは公平性に関するもので、人々が同じ機会にアクセスできるようにすることである)
注意書き: "Sometimes our differences and/or history, can create barriers to participation, so we must FIRST ensure EQUITY before we can enjoy equality."
(時として私たちの違いや歴史が参加への障壁を作り出すため、平等を享受する前にまず公正を確保しなけれ���ならない)
💡 概念解説
ℹ️ポイント
平等(Equality): 全員に同じリソースや機会を提供する
公正(Equity): 個人の状況や必要性に応じて異なるサポートを提供し、同じ結果にアクセスできるようにする
🔰 実例での理解
左の画像: 全員に同じ高さの台を提供(平等)→ 身長差により結果が不平等
右の画像: 個人の身長に応じて台の高さを調整(公正)→ 全員が同じように試合を観戦可能
💡 着眼点 この概念は組織運営、教育政策、社会制度設計において重要な指針となり、真の公平性を実現するためには個別のニーズに対応したアプローチが必要であることを示しています。
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平等と公平の画像
父親の日常としては3箱で長身が座り、長男を膝に乗せ、ヒモ固定後に次男をおんぶor肩車してあげる。(全員座れる解決策)
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アファーマティブ・アクション,下駄,結果の平等,対等,平等,公平,左翼,左派,フェミニスト,フェミニズム,ジェンダーギャップ指数,管理職,キャリア,外国人,
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お葬式
祖父が全うした。91歳だった。5/27の6:27に息を引き取った。自分の誕生日は10/27で、紫の手帳を受け取ったのが12/27。おいおい、おじいちゃん。あなたの才能は十分に承知していた。けど、そこまでされると怖いぜ。
ここから長すぎる。一時間足らずで狂い書きな感じ。読みたきゃありがとうございますね。
黙して語らず、ニコニコ優しく、しかし熟慮している人だった。従兄弟曰く、「大学に行くときに、ニーチェの詩?に注釈つけて渡された。おじいちゃん心配してたんだなあ」おそらくそれはツァラトゥストラだ。おじいちゃん、同じ道を辿ってるね。「毎年おじいちゃんは宝くじ買ってたやろ?あれをどう使うか聞いてみたら、『あの道を直して、ここの堤防を強くして』って言ってて、本当にすごかった」そう、だからあの葬儀の当日、近隣は大雨で避難警報が出されたんだが、不思議とおじいちゃんが道を作り治水した地域にはほとんど被害がなかった。すげえぜ。かっこいい。
自宅から出棺。近所の人たちがお見送りに来てくれた。しかしまあ、その出棺作業は自らと親戚で急ピッチで段取りしました。すごくね?あなたは本当に、素晴らしい人だったのだ。みんなが知っていた。それだけは確かだ。私もその一人だ、と述べてもいいですか?おじいちゃん。あなたと将棋をしても、絶対に勝てなかった。正月に家の玄関の上がりで、自らのプライドである刀を手入れしていた姿を、鮮明に覚えています。祈るように、あなたは梵天に手入れの粉をつけていた。
通夜から葬儀まではパニック。全ての段取りを把握している父が、その段取りを内々の親族に明かさない。いや、普通さ、もういくばくもない命を目前にすれば、あらゆる段取りを把握して、誰がどこにどう動けばいいのかを伝える。あなたの生業はそういうものでしょう?『随時更新の身内スケジュール』が必要でしょう?そうやって自分が全部しなきゃ、という使命感の反対には、人に任せられないという不信感があるのでしょう?だから仕事以外に友人がいないんです。普通に休日に飲みに行くこともないと。「お前が友達と馬鹿話するような友達はいない」と断言しましたね。違うんです。馬鹿話じゃないんです。お茶会や飲み会は、深刻で暗い話を笑い飛ばす場所なんです。
なんでわかんねぇかな。わかんねえからあなたと飲んでも面白くない。というか、「こういう馬鹿がいた」みたいな仕事上の話を家に帰って母に申しつける時点で、非常に卑怯な落語なんですが、おめえさんよ、案外馬鹿を馬鹿にしちゃいけねえよ、馬鹿も馬鹿なりに考えてる。その考えてることを否定しては悦に入る。『酢豆腐』の旦那じゃねえか。大いなる阿呆。ダサ坊。シャばい。自分専用のポルノを自分で拵える野郎。水商売を貶しながら、お姉ちゃん遊びには大いなる興味があるどすけべ。小学生女児がなんぞの事件にあった、と聞けば、「この子はなんかとっぽいからそうなるよね」口が裂けても言うなよ。ジャニーズの会見、「この男は、男なのに化粧なんかして目も落ち窪んで、気色悪い」何様だよ。てめえが利用するだけ利用したゾーンに対してそういう言葉を吐くんだ、へえ〜。高校ぐらいまで父と祖母の着せ替え人形として彼らの与えられる服を着た。気色悪いんだよ、友達の言うには、その服装は、「なんか、おじいちゃんみたい」だとよ。っざけてんじゃねえよ!お人形遊びは楽しいか?てめえら俺が幼い頃に女装させたりとかしたよな。こちらはグチャグチャです。「お前が寝てても呼びかけたら応えてくれるから、つい」とか抜かしてるけどさあ、起きてるよ。その気色悪いボディタッチも。でも寝てて可愛いふりしてた方があなた気持ちがいいでしょう?てめえが俺を撫でるたびに、吐きそうになって仕方がないんだ。You Know? Yeah, you Just say "I Don't Know". ****
最後の念仏が唱えられる。輪廻転生は仏教で三回とされる。誰も見たことのない祈り方。三回同じ言葉を唱えた後に、なんとなく解脱のような文言があった。「見たことがない葬儀だった」と口を揃えて申し述べる親族。火葬場へ。これが悪夢のようだった。
とても現代的でシステマチックな火葬場。荼毘に伏すとして、その間はみんなでなんとなく空を見たり、煙突からの煙を見たり、そんな時間だと記憶していた。しかし実際は、棺を運ぶのは手動で操作できるフォークリフト。最後に顔を見て、そこからは全員が揃って荼毘の場所へ。もうその時点で、呼吸が苦しい。自分が過呼吸になっているのではなく、そこに漂う人間のタンパク質を燃やした独特の空気が、襲いかかってくる。少しは泣いたけれど、本気では泣かなかった。
喫茶室があります。親族の待機室はここです。全員が喫茶に向かう。一悶着あったらしいが、それは全てを握っているはずの父が何も手立てを打っていなかったことによるらしい。つまり、「あの家に帰る手立てがない」とのこと。大揉め。しれっと、親戚のおっちゃんが「また始まった」と呆れたように言うので、彼について行って喫煙所へ。「おじいちゃんの棺に、ショートホープ入れてあげたらよかったなあ、と今更後悔してるんですよ。植木職人の人曰く、『耳から煙出るぐらい吸う』ぐらいの人だったんで。まあなんかあるときに胸ポケットに入れたままやめたらしいですけど」「俺もおっちゃんのイメージそれよ。でもそんなんクラクラするやろうな。でもやっぱり、紙巻きじゃないと俺は満足できん。何回か試すけど、口の中がなんか変になる」「あれって、水蒸気にニコチン入って香料入って、ってことなので、口の中に残るの当たり前ですよ。で、定期的に掃除しなきゃなんですけど、してないように思います」「なるほどなあ」「紙巻きは手の中に隠せないじゃないですか、でもよく見ますけど、子供の散歩に付き合いながら、あのデバイスは手の中に収まるので、隠れて吸ってる人とか、あと軽自動車の中とかでずっと吸ってる若い女性」「あ〜!よく見るわ!」「なんか卑怯ですよね」「堂々と吸えばいいのに」
骨上げ。向こうから機会が運ぶ音がする。耐えられない。目を背けて壁に引き下がった。説明がある。その人の話を聞こうと思って顔を見ると、祖父のお骨が目に入った。無理。逃げ出して外で存分泣いたが、これはやらねばならん。おじいちゃんも本望ではないだろう。ある程度落ち着いた。元に戻った。骨箱を抱えたさっきのおじちゃん、「ほれ」完全に試されている。立ち向かおうと思った。おじいちゃんの顎の骨の右側をなんとか取り、入れた。壁に向かって泣いていると、おっちゃんが背中を叩いてくれた。優しいボディコンタクト。あれがなかったら、自分はもう立ち直れなかっただろう。
親族の直来。席順がアウトだった。向かいに祖母。斜め向かいに弟、隣に叔母の配偶者。彼や弟と話しているときは、苦しくなかった。弟は後ろから声が聞こえたらしく、ギャルソンとして働き出したので、真似てとりあえず。未来に向ける光を見た��うに思う。挟まれる祖母の無駄口、思い出話、さっきも言うたやん、で最終的に、「あんた食べんのな?あんた食べんのな?」この役割は弟が担ってくれた。途中で異常を察した母が「持って帰るので」と包んでくれた。そこで祖母が、「物足りんな!うどんでも食べたくなるわ!」糸が切れる。立ち上がって親族の控室に足取りもおぼつかず帰り、水を飲んで倒れそうなところを背中で柱に寄りかかったのは記憶している。そのあとは完全にギャルソンに徹した。席に戻れば……と感じた。
見送り、なぜか親族はパニック。というか、祖母の血をダイレクトに引いている人たちが大揉め。関わったら壊れる。だから、早く帰りたいだろう人たちのドアマン、ポーターとして立ち働いた。その場所が貸し出す傘の場所を把握しているのは俺だけで、木偶の坊なので雨風を防ぐにはもってこいだ。帰るまでが遠足。帰るまでが葬儀。見送ったあと、祖母に話をされた時点で、おそらく人生で一番危険な焦点発作があった。見える聞こえる把握はできるが、動かない。少しだけプルプルしている。話の隙間で深呼吸して、離脱。その後、なぜか父が、「この鍵が潜戸の鍵。行けるか?」と。拒否したところでまたパニックだろう。叔母方の年嵩とおばあちゃんが同情する車で帰ることになった。話の流れで、「えっ、だって私ら帰っても鍵はにいちゃんしか持ってないやろ?潜だって鍵かかっとるし」「これ受け取ってまーす」と鍵束を見せる。永遠のような10秒間の沈黙が、どうしても笑ってしまいそうになって良くなかった。
で、まあ帰宅したものの、真っ暗で鍵の種類がわかるのは父のみ。明かりをつけても何が何やら。普通に礼服で鍵を探しながら試して回る、という、夜盗みたいな働きをして、必要な鍵は開けた。自分はともかく着替えと服薬をしなければ無理。処方薬を飲んでいるところを見られようものなら、またおばあちゃんの詰問に合う。口に含んだまま、水道水の出る蛇口に向かう。「あんたな。夜に明かりつけて網戸にしたらいかんのよ」知るか!緊急事態だ!黙ったまま食器棚からコップを出して水で飲み下す。危なかった。あの場で自分が倒れたらマジでやばかった。ちょっと効いてきたのでせにゃいかんことをしようとしたんだが、お呼び出ないらしい。仏間のパニックを感じながら、叔母方のおっちゃんが絶対にまだ上がらない、との意思表示をしたので、ここは、と思い、靴を脱いで上がる。「これはここ!これはこれでいい!これは日にちが明けてから!とりあえず帰らせ!」と仕切って、「仏間できました。どうぞ」でおっちゃんおばちゃんもう帰らなやってられん状態。見送ろうと玄関について行った。母��「あれはどこ?」攻撃。「ありました!ご安心しておかえりください!」見送りで礼をしたが、90度だった。無意識なのにね。気持ちが出るね。
そこから自分たちのサルベージ。呑気に「あんたら泊まっていかんのな?」「ばあちゃんな、うちはうちでやることがあるんや」と挨拶もせずに帰る。あとから聞けば、母に「大丈夫な?」と聞いてたらしい。大丈夫なわけあるか!お前の不可知領域かつ被差別領域に踏み込んでるんだからほんとのことなんて言えるか!ババアに申し伝えたら、きっと座敷牢の世界なので、両親のそこの理性には感謝したい。
帰りながらうだうだ。珍しく母が飲まないとやってらんないね、状態だったので、缶ビールを美味しく注ぐ方法を実践して、本当の直来。
ここからは結構スピリチュアルなのに事実として観測されている事象を改めて結び直した話になるので、またの機会に。
Adeu!
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午前二時頃、浩二は夢を見た。彼はいつもスエットのアンサンブルを着て寝ているのだが、周囲が真っ暗で誰もいないところに独り座っていた。何だ、ここは? 彼は見渡したが何も見えず、多少怖気づいた。
しばらくぼんやりと座っていると、遠くから浴衣姿の男が歩いて来た。眼鏡をかけていなかったのでうっすらとしか見えなかったが、目を凝らしてみると浩志であった。
「…父さん!?」
そう声を上げると浩志は気付いたのか、
「嗚呼、やっと浩二に会えたぜ」
と笑顔を見せた。
「どうしたの?」
浩二がこう聞くと、浩志は向かい合って座り、言った。
「こんな格好であの世に行きたくねぇよ。オレが昔誂えた背広を着せてくれ。ちゃんと下着も穿かせろよ」
「…だって、死後硬直してるし、無理じゃないの?」
「頭使えば着させられるだろうが!? 嫌だよ、こんな病人みてぇな格好」
「誰も見てないよ。火葬すれば意味ないじゃん」
「イイから! 最後の親孝行ぐらいしろよ!」
相変わらずメチャクチャだなと、浩二は苦笑した。しかし、確かにあの世へ逝くにしても格好だけは、今は亡き祖父・柳次郎も生前着ていた大島紬のアンサンブルを着せたっけ。祖母・菊乃や母・満世もそうだった。佐伯家のご先祖は皆、装いには人一倍気を遣っていた。祖父は旧K財閥の銀行、祖母もK百貨店の前身であるS呉服店に勤めていた。皆、お気に入りの着物を着せて弔った。
その「伝統」を浩志も受け継いだのだろう。まァ、最後の花道を歩ませてあげようと、浩二は言った。
「父さんがそこまで言うなら、解った��
「流石、美津雄より理解がイイ!」
「…で、パンツは死んだ時穿いてたのでイイの?」
「否、シースルーのピンクのストリングスにしてくれ」
「…何、それ」
「オレの部屋のクローゼットのタンスの、一番上の引き出しに、未開封で入ってるよ。どうせ、お前は穿かないだろ?」
「絶対穿かない」
「じゃ、よろしくな」
そう言うと浩志は立ち上がり、
「これからお前の夢の中に現れるが、よろしく」
と言って暗闇の中に消えていった。
朝になり、浩二は美津雄と小百合に昨夜のことを話した。最初は二人とも信じられないと笑ったが、美津雄は箸を持ちながら、
「確かに、じいちゃんもばあちゃんも、遺言としてお気に入りの着物を着せて欲しいって、言ってたな…」
と、次第にその夢が虚ごとでないと思い始めた。小百合は、
「でも、死後硬直しているし、どうやって着させるの? 下着やスラックスはできるけど…」
と、浩志の亡骸を傷付けたらと心配したが、
「F祭典に任せっぺよ」
と美津雄が茨城弁を交えて言った。
午前十時半になり、そのF祭典のスタッフが来た。浩志の亡骸の前で合掌すると浩二は昨夜のことを話しながら、
「…まァ、夢なンで本当に本人が望んでいるか解りませんが、よろしくお願いします」
と言った。男性スタッフも、
「いえいえ、たまに故人が夢の中でご遺族様に現れることが、私も時折お聞きしますので大丈夫ですよ。寧ろ、故人がそう希望されているのであればご意向に沿った方がよろしいかと…」
と快く応じた。
F祭典が浩志の背広を着せている間、浩二は浩志が話していた「シースルーのピンクのストリングス」を探しに行った。彼が、浩志の部屋に入ることは殆んどなかった。私立S高校を定年退職してからは非常勤でも教壇に立ってはいたが、休みになると必ず東京へ行き、不特定多数の男と遊び呆けていた。いつ部屋の掃除をしているのか判らなかったが、浩志には、
「オレの部屋には絶対に入るなよ」
といつも言われていた。
室内に入ると、意外とキレイに片付けられていた。祖父の頃から使っているライティングビュローも、時折補修していたのだろう、目立つ傷は見当たらなかった。クローゼットも、I百貨店で誂えた背広やジャケットがかけられ、整然としていた。浩二は、やはり祖父の頃からあるタンスの引き出しを開けた。すると、まるで花畑の様に様々な色のビキニやストリングスが仕舞われ、
「嗚呼、やっぱり父さんは『変態』だ」
と思った。
彼は、浩二の「遺言」通りにシースルーのピンクのストリングスを持ち出し、F祭典のスタッフに渡した。スタッフの一人は箱から取り出して広げると、
「故人様が夢の中でこれを…?」
と、若干顔が引きつっている様だった。
「はい、そうなンです」
浩二はこう答えるしかなかった。
隣の居間で「お色直し」が終わるのを待っていた美津雄と小百合に浩二が戻り、畳の上に座るとため息をつき、
「…あったよ、『シースルーのピンクのストリングス』」
と言った。美津雄は噴き出し、
「やっぱり親父はオレだとブツクサ言うから出て来なかったンだな」
と話した。
「オレ、たまに父さんの洗濯物干してたけど、あんなのなかったよ」
「密かに干してたンだろう」
「あなたは専らトランクスよね」
「オレは『ブラブラ』してた方が好きなンだ」
「まァ、下着も嗜好品みたいなものよね」
そんなやり取りをしているうちに、浩志の「お色直し」は完了し、
「息子さん、終わりました。ご確認いただけますか?」
とF祭典のスタッフが声をかけた。浩二だけでなく美津雄と小百合も見に行った。目前には、キチンとネクタイを締めた凛々しい姿の浩志の亡骸が横たわっていた。小百合は、
「…やっぱりお義父さんはこうでなきゃ」
と、彼女は両親との顔合わせの時を思い出し、涙ぐんだ。嗚呼、確か内幸町のTホテルで待ち合わせをし、その時に颯爽と現れたお義父さんにてっきりこの男(ひと)と結婚するンだなァと勘違いしたっけ…。そんな浩志に対し、美津雄は会社帰りだったからか、「くたびれた」背広で来て幻滅したと彼女は思った。
美津雄は、
「あの下着は穿かせたの?」
と聞くと、F祭典のスタッフは苦笑を抑えつつ、
「えぇ、穿かせました」
と答えた。
「あの世でも男を追っかけ回すンだろうな。エンマ様に『この世に還れ!』と追い出されるンじゃねぇか?」
「生き還ったりして…」
「そうしたらカエルに乗り移るンだろう」
三人は、浩志の亡骸を目前に、好き放題に彼の今後を話していた。その様子を天井から「観察」していた浩志の「魂」は、
『オレのこと、三人とも好き放題話しやがって…。だったらゴキブリにでもトカゲにも乗り移ってやるわ!』
と「意地やけて」いた。一方で、すっかり蝋人形の様に血の気がなくなった自分の亡骸を眺めながら、
「嗚呼、あともう少しでオレの肉体も焼かれちゃうのか…」
と切なくなった。あの肉体をもって数多の男を勃たせたりイカせたりしたンだなァ…。
色々考えながら、浩志は身軽になったのをイイことに、これまで自分が関わっていた処々を巡ることにした。四十九日までは自由だと彼は気軽だった。
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暴風林さめざめ
ここ数日日記を書く気力がわかない日が続いた。日記を書かない日はたいてい「日記を書く」という発想自体がなく、つまり忘れていることが多いのだが、そうではなく「日記でも書いて寝ようかな、いや、無理だな、日記を書く体力はない」という感じで、失意のもとに「書けなかった」という有様だった。「書くことが思い浮かばない」と思った日は自動的に(無意識的にかつ意図的に)日記の存在を忘れているのだと思う。書くとなると、まあその日に起こったことを書けばいいわけだから、何かしらは書ける。ちなみに今は5:26で、0時に寝てから中途覚醒でこの時間である。疲れてぐったり0時に寝れる日もあれば、不穏なことに4時や5時まで眠れない日も出てきている。今日は眠れたほうなのでよかった。
睡眠に関してはよかったのだが、食欲が止まらない。爆食をする、というのではなく、暴食が習慣になってしまっている感じだ。常に何かを食べていたい。何かを食べて数時間経つと、まだお腹がすいていないのに、もう次のものを食べたくなっている。異常だ。クエチアピン服用期間のような状態にセルフでなっている。体重は減らず、体脂肪率も落ちず、トレーナーさんをがっかりさせる日々。今日もまた1日5食くらい食べてしまった。何がどうしてそうなっているのか?疲れているのか?ストレスか?不眠がぶり返していることから、なん��かのバランスが崩れていると感じる。
そんな中、昨日は「ヒートショックプロテイン」という、熱いドームのなかに入って汗をビシャビシャにかいて代謝をあげるという、ジムの付属コースのようなものに行ったのだが(そのあとトレーニング)、4時間睡眠だったのと、夜からの吐き気とで、ドームに入って20分経つ頃に、吐き気が限界を迎えた。吐いてはいないのだが、体中がじんわり「嫌な感じ」を発し、「死ぬ……?」となぜか唐突に思った。そういう場合は枕元のナースコールみたいなのを押してスタッフさんに告げなければならないのだが、もうどうせそろそろ終わるし、と思い我慢してしまった。それがかなり良くなかった。スタッフのとても優しいかた(好きなお姉さん)にすごく心配をかけてしまったし、昨日はそのあとのトレーニングのトレーナーさんも珍しく女性で(この方も素敵なかただ)、さんざん気遣いをさせながらなんとか50分のトレーニングを終えた。びっくりするほど弱ってしまった。(しかも夕方頃、ドーム担当のお姉さんから無事帰宅できたかどうか心配なのでこちらのメールに返信してほしい、という謝罪込みの安全確認メールまで頂いてしまい、反省&恐縮した。)吐き気はおそらく食べ過ぎ、かつ、体力不足による消化機能の停止のせいだと思う。夏にアルバイトに行けなくなった時も(その時は暴食はしていなかったが)このような感じがずっと続いていた。吐き気くらいでいちいち行動不能になるな、という感じだが、数時間でおさまらず、24時間続く吐き気というのは結構消耗する。この吐き気はなんなのだろうと思いながら、病院で貰った吐き気止めを飲みながら、なんとか出勤するが、レジの仕事中になんどもえづいてしまい、かなりきつかった。別に吐くわけではないのだが、ただ胃が気持ち悪く、喉が詰まっている感じがし、吐き気止めは特に効かなかった(消化の問題ではなかったのかも?)。とにかく色んな方に心配されながらジムを出、そのまま帰ればいいのにベローチェで勉強していこうという初志を貫徹してしまい、しかし結局あまり進まず帰った。最初から帰れ。一昨日は疲れているのになぜか外出して化粧品を爆買いしてしまったし(しかも爆買いの結果を1時間弱の動画に撮った)、リミッターがもろもろ壊れている。
今日は東京にやって来た友人を出迎えるためKITTEのタリーズで勉強しながら待ち、をしていたのだが、英文を読みながら途中から寝ていた。たぶん根本的に疲れているのだと思う。ただ、自分が疲れているのかどうかの判断ができない。そして食べすぎる。体重が減らず自己嫌悪。負の循環。友人とKITTEのラグジュアリ〜な(というと少し違うのだが言い回しが思いつかない)雑貨店などを回りながら、最終的に文房具と本の店でわれわれは足止めを食らい、これ!とかあれ!とか、わあわあ言いつつ、何もかも「最高じゃん」というテンションで、私は久しぶりに万年筆とカートリッジを買った。なんでやねん。カヴェコの2500円。人気モデルの復刻版らしいのだが、軸が16角形でキャップが八角形で、色が最高にALKALOIDという感じでもう誰にも止められなかった。カートリッジもミッドナイトブルーというインク色が一箱残っているのを友人が見つけ、言われるがままにそれを買った。友人はいつも私にいろんな「もの」をレコメンドしてくれるのだが、これ、生で(対面で)やられるとやばいな、かなり買ってしまうな、と、友人の推薦能力に舌を巻いた。


その後友人と別れ、勉強の続きをするか、と思いいつものエクセルシオールに行ったが、写真のごとく万年筆で遊ぶだけに終わった。ノートに適当な文を書き付けているうちに、最近こうして文房具で遊ぶこともなく、そういうストレスが蓄積していたのかもなとも思った。文房具に触れている時間をとれなくなると私の精神は死ぬ。文房具と私が真っ向から向かい合い、ともに青空をはしゃぎ回る時間が必要なのだ(きもい言い回しだ)。
帰宅して即布団に入ったが、まったく眠れず(9時間睡眠をしていたため?)、2時間ほど経ち、かなり迷った末、ケンタッキーをウーバーイーツした。かなり高価だった。それでも、ケンタッキーを食べればなんとか動き出せるような気がしたのだった。本当は冷蔵庫の中のしいたけを焼いて塩をかけて醤油をかけて食べたかった。しかしその気力はぎりぎりなかった。チキン1とポテトSの半分、そしてチキンポットパイ(デミグラス)を食べたため(夜にそんなに食べてはいけないし、一日のカロリー摂取量を大幅に超過している)、満足感はすごかった。満腹のはずなのに満腹感はなかった。もくりを立てていたら友人達が来てくれ、話しながら英語をやっているうちに23時になった。転職関連の話題で、前澤友作の資産管理の会社の求人が出ていることにかなり盛り上がった(最初に「このみるからにアブネーー求人なんだ?」となり、友人がインターネット力を駆使して調べたところ、かの人の資産管理会社だと突き止めていた)。英語をかろうじて毎日少しは読むようにしているが、かなり記憶力も集中力も落ちているのを感じる。何より、社会学の教科書を進められていない。「家族」の章に入って、こここそ私がやるべき各論なのだが、なんだかぐったりしていて、重くて分厚い教科書をひらく元気がずっと出ていない。そもそも重くて持ち歩くことを諦めている(いつもは持ち歩いている、アンソニー・ギデンズの『社会学 第5版』)。
元気が出るまで一日でも二日でも寝るべきなのかもしれないが、ジムの予約をばんばん入れてしまっている、少しペースダウンすべきなのかもしれない。そして気温の下がり。体の冷え。暑がりではあるが、その分冷える時は急激に冷える(汗と共に)。げぼ吐きそう。正直げぼ吐きそう。しかしそれは思うだけで、実際に吐くわけではない。試験がちかづいてナーバスになっているのだろうか。私はよくナーバスという語とナイーヴという語を混同しがちで、今も最初はナイーヴと書いていて、あれ?違うような…と思って意味を調べて書き直した。ナーヴァス。神経質な。ナイーヴ。純朴な。だいぶ違う。なんでナイーヴとい���石鹸はそんなに「緊張状態」みたいな名前をつけたのだ、と思ったが、それはナーバスのほうだった。
消化が進んでお腹が空いてくるような錯覚を覚えるが、全然そんなまやかしの感覚を信じてはいけない。お腹はすいていないし、食べても結局吐き気に襲われるだけで、一回、胃の中を空っぽにしてみるべきなのかもしれない。では、二度寝というか、これにて中途覚醒を終える。
2023.11.15

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クィアたちのZINE交換【後編】

前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティ��ついて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私が��のようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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「もっちゅりん」がバカ売れのミスド。「辻利」「ゴディバ」「ピエールマルコリーニ」のコラボ商品も話題、新商品で行列を作る戦略の”強さ”
7/8(火) 5:02配信

東洋経済オンライン
1971年4月に開業した1号店「箕面ショップ」の看板
ミスター��ーナツの期間限定商品「もっちゅりん」が、各店とも即完売! 販売時間とともに、熾烈な争奪戦が巻き起こっているという。一体どんな商品なのか? そしてなぜミスドは好調なのか? 創業の地・箕面ショップで、実食しながら考えてみた。 「もっちゅりん」の注文時間は、各店でもバラバラ。筆者が訪れた大阪市内の某店では、最初に人が並んだのが11時25分のことだった。
【画像】続々と終売「もっちゅりん」はこんな感じ(食感・風味ともに「もっちゅりん」以外の形容詞ナシ!)
外が雨ということもあり、11時40分の時点で10人少々だった行列は、店内に並ぶよう誘導。その直後から突然のように行列が伸びはじめ……11時55分の時点で80人を突破していた。
■「もっちゅりん」とは、どんな味か? →「もっちゅりん」以外の形容詞ナシ!
さて、噂の「もっちゅりん」、味はどうか……食感・風味ともに初体験! もはや「もっちゅり」としか表現のしようがない。
ドーム状の容器に包まれた直径7㎝、高さ2㎝程の物体は、指で「ぐにっ」と軽く押しただけで跡が残るほどに柔らかく、生地としての弾力はしっかり残る。
■気になる食感、お味は…
「ミスド・もちもち柔らか2大巨頭」(勝手に命名)である「ポン・デ・リング」「エンゼルクリーム」より格段に柔らかく、かつ生地を引っ張ると、生地のコシ・伸びや、生地そのものの香ばしさがあり……そう説明するのが馬鹿らしくなるほど、「もっちゅり」としか形容できない食感だ。
あえて言うと、生地がうまい! おそらく塩だけかけて食べても美味であろう。さらに、中にくるまれている餅状の生地も、「あずき」が「あずき仕様」、「わらびもち」が「わらびもち仕様」になるなど、製造過程で相当に手間をかけている様子がうかがえる。
実際に食べたところ、「みたらし」だけ極端に食べづらかったものの、味や食感すべてに大満足できるものであった。
それにしても、この柔らかさの生地をフライにして、フレーバーをつけてドーム状の容器に収めて……トングで力を入れると潰れそうな「もっちゅりん」を扱う、キッチンの気苦労は相当なものと見た。
そして、美味しくいただいているうちに気づいた。「もっちゅりん」を待っていた人々は複数・集団での来店が多く、「オールドファッション」「エンゼルフレンチ」などほかの定番やコーヒーなどを、高確率で注文している。
かつ「もっちゅりん」品切れの一報を聞いた後も何らかの注文をする方が多く、1時間後にはショーケースがスカスカ、という繁盛ぶりであった。
どうやらミスタードーナツは、新商品を「話題性だけの打ち上げ花火」で終わらせないノウハウがあるようだ。
その強みを検証するとともに、「クリスピー・クリーム・ドーナツ」や、コンビニの「セブン-イレブン」などのドーナツとどう戦ってきたか、「ドーナツ業界・競争の大混戦」の歴史をたどってみよう。
■「もっちゅりん」だけじゃない! ミスド「新商品大行列」の歴史
ミスタードーナツはほぼ途切れ目なく新商品を提供しており、「もっちゅりん」だけでなく過去には「祇園辻利」「ゴディバ」「ピエール マルコリーニ」などのコラボ商品が、発売とともに爆発的な話題を呼んだ。
そもそも、今の看板商品「ポン・デ・リング」も2003年の発売から売れすぎによる品不足が続いており、「人気で品薄」「希少価値」といったイメージでの集客は、ミスタードーナツにとって昔からお手の物・お家芸ではある。
しかも新商品は年に何度も発売されるため、「ピザならクリスマス」「フライドチキンなら夏休み」といった「ハレの日」(特別な日)が繰り返し訪れているようなもの。ドーナツはお世辞にも「ケ」(普通の日)の食事ではないものの、新商品を頼んだ日を「ハレの日」に変えさせる力があり、ドーナツなら他のハレ需要商品より気軽な価格で頼める。
さらに、全体的な傾向として「女性客は新商品好み」「男性客は定番商品好み」などの傾向があり、各店ごとにショーケースに並ぶ40種類程度の商品は、かなり広範囲な年代・世代の好みをカバーしているという。
だからこそ、新商品と定番商品をセットで頼む人々も多く、決して「もっちゅりん」だけが売れている訳ではない。テイクアウトだと、「お母さんは新商品目当て」「お父さんはフレンチクルーラーなどの定番」「子供たちはポン・デ・リングをちぎってシェア」など、家族でガヤガヤとドーナツを取っているうちに、気が付けば注文は十数個・持ち帰り箱は2つ目に突入していたりする。
「話題の新商品を気にかけさせてしまう」「幅広い客層に対応できる」「テイクアウトに強い」これが、来店客に多量注文をさせてしまうミスドの販売戦略……という名の魔法だ。 さらにミスタードーナツは、店内で生地から作るためにロスが発生しにくく、余った食材も通常メニューではない「ファンシードーナツ」(例:ハニーチュロ+余りのチョコソースで「チョコチュロス」など)として、無駄なく売りさばくノウハウが完成している。
新商品発売は、店にとっては「新商品目当てで来たのなら、他の味も覚えて帰ってくださいね!」と誘導できる絶好の機会でもあり、ドーナツを選ぶ楽しさを覚えた顧客は、あらたな常連客となる。ミスドの「新商品の発売ごとに顧客をつかむビジネスモデル」は、そう考えるとかなりよくできている。 ■ライバルは多いのに、なぜ「ミスド」一人勝ち? それにしても、なぜ「ドーナツといえばミスタードーナツ」なのだろうか? これまで世界的なチェーンだと、ミスタードーナツ以外に「ダンキンドーナツ」「クリスピー・クリーム・ドーナツ」などが日本進出を果たしている。またセブン-イレブンも2014年からレジ横でドーナツを販売、2024年から「お店で揚げたドーナツ」を展開している。
ドーナツ店の国内市場はここ6年で5割以上も成長する中、ミスドにはライバルがいっぱいいるのではないか? 実際には、日本の市場で継続して戦えているのは、ミスタードーナツだけだ。 その理由としては、「ドーナツやお店を日本ナイズできたこと」であろう。「甘い・大きい」モノが多いアメリカのドーナツに対して、ミスタードーナツは「甘くない・小さい」といった日本人向けのドーナツを開発、定着させてきた。 ミスタードーナツは、1983年に「ミスタードーナツ・オブ・アメリカ」から権利を買い取ったために、独自で開発商品ができる。代表的商品「ポン・デ・リング」も、日本人ならなじみ深い「お餅のようなモチモチ食感」を狙ったものだ。一方で、日本に進出した「クリスピー・クリーム・ドーナツ」などは、こういった「日本ナイズ」ができなかったからこそ、ブームが去ったあとに衰退に見舞われたのだ。
近年では、アメリカでも健康志向の高まりから、世界最大手のダンキンドーナツでさえ、「甘い・大きい」ドーナツ以外のラップサンドなどを拡充、2019年に屋号から「ドーナツ」の看板を降ろしている(現在の屋号は「ダンキン」)。
さらに、日本ではダスキンの効率良い経営とクレンリネスのノウハウを導入できた。だからこそ、同時期に進出した「ダンキンドーナツ」や、「クリスピー・クリーム・ドーナツ」の拡大を許さなかったのだろう。
■セブンのドーナツ相手には苦戦 ちょっとした”自滅”も?
一方でミスタードーナツは、2014年に登場した「セブンカフェドーナツ」相手には苦戦した。店舗数はセブン-イレブンのほうが圧倒的に多いうえに、安価なコーヒーとのセット買いで、ミスタードーナツに行くまでもなく顧客を満足させてしまった。
ただ、最終的には競争にならず、セブン-イレブンのドーナツは2017年に撤退。同社は2024年から、急速冷凍の生地を店内で揚げて提供するドーナツを提供している。
ドーナツとしての美味しさ・質の問題もあって定着しなかった「コンビニ・レジ横ドーナツ」だが、ミスタードーナツは対抗するように「100円セール」連発で顧客を囲い込もうとして、収益悪化で4年連続赤字に沈んだ。いわば「自滅」に見えなくもない。
その後ミスタードーナツは、「ミスドゴハン」による単価向上・ドーナツ一本足打法からの脱却で赤字体質から脱却。居心地の良さを向上させたカフェ型の店舗改装で「居心地が良い店」としてのブランド力を向上したところで、コロナ禍によるテイクアウト特需に乗って、一気に業績を回復した。
ミスタードーナツがたどった「ドーナツ戦争・生き残りへの道」は、偶然や幸運に見える。しかし実際は、適した商品を開発して、適した店を作っていただけで、結果として競争相手に勝利しているのだ。
■いちど閉店も、要望で復活 ミスドと箕面の深すぎる関係
そんなミスタードーナツの「もっちゅりん」を食べるなら……筆者は、1971年4月に開業した1号店「箕面ショップ」でも食べてみることにした。
この店は、当時の「ダイエー箕面店」の一角に開業、当時は「1時間4000個」というとてつもない売れ行きを記録したという。その後、2001年の「ダイエー」閉店とともに閉鎖となったものの、地元の署名運動や嘆願書などが実を結び、跡地に建設されたビルの1階に入居するかたちで再開を果たした。
この店だけは、昔のロゴや創業当初のアメリカンな内装をできるだけ再現。独特な照明器具も、LEDに置き換えつつも、形状だけ復元したという。 ■1号店でも「もっちゅりん」は大人気 そんな箕面ショップで「もっちゅりん」は……朝9時の開店に20人ほどが並び、9時12分にはあっさり完売。 しかし、この店だけで販売されている「ホームカット」「ハニードゥ」など、創業当時のメニューが店頭に並ぶ11時にも行列ができて、あっという間に売れてしまった。
店内では数十年レベルの常連さんと思しき方もおられ、中には着席しただけでオールドファッションとコーヒーが差し出され、お店の方が席まで会計に行くような方も。この店は常連客にとっても、ファンにとっても特別な存在なのだろう。ミスドの55年という歴史を感じる瞬間であった。
宮武 和多哉 :ライター
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【現地参加録】春の譜会2025 Day.1(2025年1月18日)@大槻能楽堂
こんにちは、藤原です。本日は掲題の件についてご報告いたします〜。この記事、書くの遅くなっちゃって本当にすみません…。精一杯思い出して書いてますのでご容赦願います…。誠に怠慢でした…。失礼しました!興味ある方いるかは分かりませんが、興味あれば是非ご一読ください〜! なお、個人の主観でのレポートでありますこと、かつラグのあるレポートであることを明示いたします。ご了承ください。 また、初めに案内しておきますが、eplus系の情報メディア「SPICE」にてオフィシャルレポートも配信されております。こちらも2025年2月の記事なので前っちゃ前ですが、やはりオフィシャルという強さもあるので、こちらも是非ご一読ください。→能楽と現代音楽の融合『春の謡会2025』ライブ音源のオンエアが決定、CHEMISTRYやかりゆし58らが出演、オフィシャルレポート到着
諸々の事情によりタイムラグのあるライブレポであることをご容赦ください。このtumblr自体は2025年7月18日にスマホのメモ帳を見ながら思い返して楽曲を聴きながら思い返して記述し、演目及びライブ開催から約半年後の2025年7月19日に投稿しています。
ライブが始まる前まで
大阪市内の大槻能楽堂という舞台が今日のステージでした。能楽堂なんて幼少期に記念公演みたいなものに家族に連れて行かれて以来の接点。しかも、記念公演は改修記念みたいな公演だったので、もともと使われていたものを保存してその舞台上での公演スタイルには初参加で、そもそも公演の存在を知ったときには巡り合わせに驚きでした。「これは行くっきゃない!諸々の事情は後で強制的に調整しよう、大阪だし」という見切り発車でチケットをもぎ取り、準備完了。当日までワクワクでした。 公演当日は開演10分前ほどに到着。席も全指定で決まっているので、公演に間に合えば良いか〜の精神で向かっていたら、途中でお茶しようと思って調べていたカフェ「エクチュアからほり」さんを覗くも、想定以上に混んでいて諦めることに。無念だったんですが、その分時間に余裕がなくなり、バタバタしながら会場まで向かいました。からほりさんはいつかリベンジしたい!ぶっちゃけ縁なさすぎて先は長そうではあるけど。
ライブ開始〜終演
公演自体が「春の謠会」というところで、伝統芸能である能楽と現代音楽を同じ公演内に楽しむという「謡う」という行為に共通点を見出し焦点を当てたライブイベント。特に2025年は大阪万博開催というところもあり、インバウンド的な狙いもあるのかも。いずれにせよ、こういう機会に日本の古来からある伝統文化・芸術に触れられるのは良い機会だなと実感します。謠会は2日間開催され、それぞれメンバーと能の演目も違い形なんですが、私が参加したのは1日目。1日目は船弁慶という能楽の演目と、日食なつこ(以下なっちゃん)とかりゆし58のお二組が参加。もちろん、私の目当てはなっちゃんですが、かりゆし58さんも一度生で聞いてみたいなぁと思っていた存在でもあったので、本当に良い巡り合わせでした。 公演はまず能楽パート「船弁慶」から始まりました。あらすじなど興味ある方はこちらからどうぞ。→能・演目事典:船弁慶:あらすじ・みどころ the能ドットコム 平家物語や源義経、静御前、弁慶など一度は聞いたことがあるような歴史の題材だったので、比較的難しい知識はなく見れたんじゃないかなと思います。ただ、やっぱり初見では能楽の見方が完全には分からなかったので、これはこの見方で合っているのか?と思いながら見たところもあり…。前半の静御前の静かな舞はまさに「静」、音楽のお囃子も落ち着いていて寂しさのようなものを予感させます。船に乗る移動のシーンがあり、なぜかそこが印象に残るという不思議な脳内の状況も。その後に、まさにこれが「動」という怨霊との格闘シーンに移ろっていくんですが、お囃子の緩急や音量も打って変わって同じ人たちがこれやってるの?という感じすらありました。格闘シーンは薙刀と足音(足踏み)や、もちろん動きなどでその様を表現するんですが、迫力がすごい。地鳴りかなと感じるほどに音の振動が波状になって身体に襲ってくるような感じがしました。 演目が終わりましたら、DJの方とのトークセッションを挟んで音楽舞台のセットに移ります。その際にステージ上では足袋を着用することなどのマナーの話をされていました。それから、衣装や道具を引き継いで使っていること、手入れしていることなどですね。私そればっかりは専門の方がいるかと思っていたので、ご本人が!?というところでの驚きもありました。やっぱりこれまで引き継がれてきた文化や慣習もちゃんとあるんだなあと、自分でそれを管理するからこそわかる重みや伝統もあるよねえと感心しつつも、それを踏まえて適応して残っていっている芸術なんだと理解した一幕でした。
セトリ
幽霊ヶ丘
99鬼夜行
Misfire
泡沫の箱庭
必需品
百万里
非売品少女
水流のロック
音楽ライブパートはなっちゃんから。選曲は能舞台で観たいと思うようなものから、というようなセレクトだったと思います。イメージした、かな…いや舞台が舞台だから観たいかなと思うようなものをと、ライブ終了後のセッションで話していたような。勘違いだったら申し訳ない。 ステージ上に敷かれた赤い布の上で、ピアノ弾き語りスタイルでライブするなっちゃん。ライティングは赤と青がメインだった気がします。時々白っていう感じです。幽霊ヶ丘、99鬼夜行はその真っ赤なライティングと曲の題材にも感じられる得体の知れなさやおどろおどろしさが表現されていて、普段のライブとはまたちょっと違いました。そもそも能楽堂(能舞台)の配置が特殊で、能舞台に対して90度の角度で扇型に客席があるイメージなので、ライティングが演出する影とかがかなりいつもと印象違って見えた感じがします。 比較的アッパーで攻撃的で「動」の印象の2曲から一転、Misfireと泡沫の箱庭の落ち着いたそれこそ「静」というか「寂」といった印象のゾーンに。特に泡沫の箱庭は舞台の横の壁に反射反映していた青と白のライトの影の演出が美しくて、一気に世界観が深まる感じというか、グッとより引き込む感じがあったと思います。本当に影がめちゃくちゃ幻想的で、ご本人も見ていたんですが、むしろこの曲の間はその影ばかり見てしまっていた感じもあったかも、とすら思います。こういうのも通常のステージではない楽しみの一つですね。 さて、そのあとの必需品は生活感が溢れる感じもするんですけど、日常感と無常さがまさに能楽に通ずるものもあるのかなと勝手に思ったりしてました。最近のなっちゃんの話を折に触れて聞いていると、彼女が生きていく上で音楽はまさに作るのにも表現をするのにも生きていくのにもまさに必需品なんだと感じることも多いので、そういう意味合いでもこのステージには共通点があったのかも。 この後に続く流れを感じさせるように、百万里が響きます。爽やかで突き抜けるようなメロディーライン。終盤にふさわしいような、さらに高みにいくことを感じさせるポジションでの楽曲でした。歌詞を聞くと確かにこの舞台で何人演じたんだろうかとか、あの衣装は何人の手を渡ってきて身に付けられたんだろうかとか、もっと概念的な部分でどのくらいの人が「謡う」文化に関与することで源流(能楽)から現代の音楽までの流れがあるんだろうかと、前のトークセッションも相まってちょっと考えてしまってたりして。ファンファーレにふさわしい。 ただ静かな余韻と爽やかさだけでは終わらないのが、日食なつこ。非売品少女でぶち上げます。私は初めてライブで聴いた楽曲だったんですが、もう生での魅力にやられました。ハイトーンまで上がっていくボーカルと、緩急・上昇・下降の激しいメロディライン。情感がある強気な歌詞にデビュー時の無鉄砲さや恐れ知らずだけではない、裏打ちされた自信も表現の幅も感じられてとても楽しかったです。この曲のラスサビ前くらいからクラップが起こった感じかな。それまではなかなか難しい空気感でもあったんですよね。でもおそらく昔からなっちゃん知ってくれてる方がクラップしてくれて会場がそれに続いた感じだと思います。次は自分からクラップもできると良いな。余談ですが、この曲ライブで聴いて以来めっちゃ好きで。カラオケ行くと絶対歌います。もはや十八番くらいになった。 最後の水流のロックは「名刺がわりに」と。やっぱり安心感というか、本当に実家のような安定感があります。これこれ!!という感じ。季節的には冬だったけど全然寒さは感じないし、むしろ音楽的にはノって終われるセトリだったと思いました。楽曲も、時期的にTHE FIRST TAKEの発表も相まって会場にいた人はみんな聞いたことあったんじゃないかな、と思います。最後にトークセッションで感想を話しながら、ツアー玉兎の告知して、大阪が始まりというところで縁もあったみたいです。上記でもちょっと書いてしまった通り、能楽の直後という感じでもあったので、流れ?系譜?を感じるところでもあったようです。 いづれにしても結構最近のツアーでもあまり披露がないような珍しいセトリや楽曲披露があり、まさにこれだけでも行って良かった!!と思わざるを得ない、充実したライブでした。個人的にはなっちゃん単独のライブではない、いわゆる完全なホームではない会場でのライブは初参加でもあり、どんな感じなのかな?と戦々恐々でもありましたが、思ったより受け入れ態勢十分という感じだったし、多分結構ファンの人もいたんだろうなぁと思います。
ライブが終わったあと
この日のラストはかりゆし58さん。なっちゃんとは同じ事務所ですね。MCの合間の話の中でも何回か「なっちゃん」と名前を出してくれていて、ほっこりしました。かりゆしさんは初めてお目にかかる感じで、わかる曲も数曲ではあったんですが、アコースティックに編成されたバンドスタイルでの楽曲に、能楽の後半のお話のような波動ではないけど、確実に寄せては返す細波のような優しさと包み込むパワーの塊を感じました。陽だまりのような暖かさとか、南国特有の穏やかな感じとか色々表す言葉はあると思うんですけど、本当に隣の人のふとした優しさや思いやりに触れたような、心の芯が温かくなるようなそんな雰囲気。スッと心に入ってきて気づいたら涙を流しているような、そんな気づかないうちに琴線に触れているような感じで泣いていました。何か衝撃があってないちゃう感じではないんですよね、音にするとハラハラというような感じで気づけば泣いている、というのが特徴だなぁと。 オフィシャルレポートにも上がってましたが、「お母さんのお腹の中ってこんな感じかな」とお話をされていて、その空間や音楽に対しての安心感や包容力と歴史的な流れを感じるように話がありました。自分の記憶に残ってるだけかもしれないけど、どことなく参加した1日目は「源流」や「系譜」といったところにテーマが薄くあって、それを無意識に演者も含めた空間が感じ取っていたような、不思議な感覚でした。 また、ライブ全てが終わった後には能楽堂の舞台を写真撮ってもOKの合図が出て、私も例に漏れず写真を撮りました。ただ、今手元に写真撮った端末がなくて写真は貼れません。申し訳ない。
最後に、と追伸
個人的な話ではありますが、実はこれが家族と初めて(そして最後かもしれないけど)一緒に見たなっちゃんのライブでした。テレビのラヴィットの演奏とかは一緒に見ていたり、私がよく様々に話題に出したりしているので存在は日食なつこの存在自体は認知していたようですが、今回いろいろなタイミングがあって席はバラバラでしたが、同じ公演を観劇することに。正直、生きていてそんな日が来るとは一切想像もしていなかったので、そういう意味合いでもなっちゃんが人生に現れてから想定外すぎることばかり起こってるやんけ〜!と思っています。でもその想定外が楽しいんですよね。人生を豊かにしてくれてありがとうございます。 私は目当てがあったので飽きない公演でしたが、巻き込んだ家族はどうだったかな〜?と思い、会場を出てから落ち合って感想を探ると「本当に媚びない人なんだね」とコメントをもらいました。これは褒めてるって思って良いよね? 何はともかく、年初めからめでたい舞台での幻想的な公演を見させていただいて、披露された楽曲含めいつものライブや演出で違う一面を見た気持ちです。もし、来年も同様の文化的な公演��ようなものがあれば参加してみたいな、と思うほどには十分な満足度でした! ありがとう、大槻能楽堂!
そして、今日はOSAKA GIGANTIC MUSIC FESTIVAL 2025 開催! なっちゃんは19時からですね〜。私は参加できないですが、参加される人は夜だからといって油断せずに熱中症対策をして楽しんできてください!
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かっかっかっかっかっかっか👽
今日までの生命活動に感謝して、労りゆっくり寝ましょう
困難な選択を前にしても揺れない確固たる私を築きましょう
誰もができることは、できないとしても努力して勝ち取りましょう
ことばには空中での分解作用があることを信じましょう
言いたいことは素直に言いましょう
食べたいものを食べましょう
死にたい時は死にましょう
死にたいと言いたい時は言いましょう
点滅していても横断歩道は渡りましょう
残ったスープを見殺しにはしないでください
安心な場所へはすぐにいきましょう
強くあろうとして粉砕するのはやめましょう
何かあったら5分前に言いましょう
次のオーダーが待っているので、5分前に言いましょう
次はメモをとりましょう
残り2分残っていても、次のオーダーをこなしましょう
疲れました、正直に
疲れたんです、そして社会の規則は青松のルールだということを今実感しています。
ことなる部分もあるけれど、大半がそうnなんだって
私の口内環境の構造を扱いきれていないので、あなたの鼓膜まで届かず空気の振動だけになってしまったんです。
それは悲しいことだと理解しています。そう、理解しているのです。私はそのことについて認識しているのです。だからいいでしょう。しかし、可視化って怖いものです。私の確認、または認識範囲を相手に伝えるために存在しているのですから。私の記憶を保存しているのに、もう次は聞かないでね、そう意味に聞こえるから言わせてもらうけど、投げ出したいです、投げ出して全部流したいです。社会不適合という言葉は嫌いです。叛逆しているのではありません、投げ出しているからです。私は、投げ出したいという考えの過程にさまざまな要因を挙げて考察して出した結果で投げ出しているのです。しかし、前者のように最初から私は社会に属さないんdすよって結果はあまりにも愚行ですね、はい、、、、、、、、、、、、、、なっぐっていいです。この世界なんて正直に生きる方が辛いんですもの、これはこうなっている、だからこれはこうしなきゃいけない、私は因果を辿って行動したのだけれどあなたたちは、効率よくして、、とかなんだとか
付加価値なんて何も気にしないで、平気な顔してサービスしているんだから。値段に書いとけ、付加価値抜き、
それで許されない人と許される人はなんだろうか、真面目か結果が良ければいいのか経験なくして物語は紡げない主義側です。いくら想像可能でも、それは抽象に過ぎずディテールはその関係性や目線、非言語情報をどれだけ目にし言葉にし実践してきたのかによるのではないかです。(T . T)破い、、、、、、、、、、、、、どんな空想を描く作家でも実生活は普段の現実生活の延長線だからどんなに目を背けたくてもい逃げ出したくても現実とのギャップを埋めるぐらいの妄想しか書けないんです。近未来や科学技術の発展が描く未来性も現実の人間の消化不良を描いてそれは未来ではスッキリしてシャープで何もかもスタイリッシュで掲げた思想は誰かのアートの一部になってそれは正義正当化のために利用される始末で。昔は良かった、今の若者は、そういう人たチの言葉は現に生きようとする生産市民の足枷となる、自分自身が背けてきた苦悩や葛藤を燃焼できずに次の世代が生まれ、社会や会社での地位も悩みを吐き出す立場でいられなくなて指導する立場になって、、、行き場のない消化できないために貯めた言葉を街のあらゆるところにぶつける週末を過ごし、放たれた言葉が自然分解されると信じきっているから自傷行為した後の高揚感と少しの後ろめたさのように自分のユートピアに帰宅していく。気づけばそこにあった、認識するまでにかかった時間の貯金額を知れる日は来るんでしょうか。時間は無駄にしない。時間がないのではなく、時間は作るものです。時間の定義が曖昧ですね、24Hを時間なのか、活動するための流れを時間とするのか、どっちなんでしょうか、後者だとしたら、人それぞれではないか、それなのに効率タイパだのすぐ結果に走りたくなる現代人ではありたくない。誰だってあの時こうしとけば良かった、そうすれば未来は少しでも良くなっていたかもしれない。と考えてしまう時間があって、私は行動した時間全てを無駄だと思っていない。時間はかかり過ぎてしまったなと振り返ることはあるが常に冷静でいたい。私は私の人生。これについて少し考えたい。子供は母親を選んで生まれてくる描写が見られることがあって、私は胎児の記憶がないので母親の母体の中で何を思考し筋肉を動かしていたのは想像の世界に入ってしまうが、赤ちゃん工場などという世界が天上にあるのならばとして考える。今母親の社会進出と家族の変容について調べていて、家族という形を残していくためには母親は必要で、自分も母親像を求めてしまったことがある。クラスメイトのお弁当箱の中が華やかであることに少し劣等感を抱いてしまったのを母親に全て押し付けてしまった。その時なぜ父親は無かったことにされるのか、お前も親である。。弁当の華やかを彩る権利がある。いや義務である。結局子供ってのは母親によってしまうのか。栄養をもらっていたからなのか、、、ともかく、父親ってのはろくでなしである、、イクメンなど造語されてからというもの土に帰ればいい、、、、土壌の養分になる方がよっぽどマシである。それなのに社会は女性として生まれてきただけの人間に勝手に母性を植え付ける。女性は男性のワーカーであると教育される。機嫌をとる、世話をする。いい歳こいた大人がさせることではない、動け自分で、、、お前の脚と手はなんのためにある五体満足はお前の母親が産んでくれたからだ、感謝もしないで見ようともしないで他人に求めることは内臓の器官を売ってからが対等になる。それぐらいの時間と労力をお前らのために幼い頃から費やしてきた。それが社会にいるためだったから。。。それで、女性は出産や妊娠といった期間に子供認識するのではないそうだ。母親になるまでに抱えてきた期待や自立を子供には経験させたい。自分自身が必要ないと遮断されて��た選択肢を与えるかのように母親はなってしまうらしい。(あとは各々調べて)そんでもって、母親は我が子を唯一の思い通りにできるものとして見てしまうらしい。その結果、コミュニティから脱退してしまうらしいんだ。そうなうと子供は母親の人生なんだ、自分の人生は自分のために使え。なりたい職業につけ。それは大筋の認識が各々で異なるからなりたい職業ランキンがあのようになってしまう。リスペクトはない、常に誰かからの期待や目線にしがみついて生きるしかないんだよね、人間ってのはさ、、、、、、、人間は社会性を持つ生物なので集団を拒否るとこぼれ落ちかのように人が減っていく。これは彼らによっては信号なのかもしれない、関係を築こうとしない人類がいたら直ちに報告せよってね、、、、、、関わってはいけない、子供にはこのように耳打ちをする「関わってはいけないよ、危ないからね」 ホームの休憩所に屯する女子高生の痴話に己の耳が引っ張られそうになっても、そこは落ちいて目の前の流れるるおすすめ投稿に必死に集中力を移し何事もなかったように振るわなければならない。機械のアルゴリズムに全ての神経がやられ盛り上がる女子高生の残した静寂に悲しさを覚える。自分の人生を生きてきたのにあの時間はまだ獲得したいと思い続けてしまっていんだよね、手にすることが容易ではなかったあの時間は何にも変え難い素晴らしいものだったと今の自分のギャップに悩まされる今晩でした。お暇します n
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TEDにて
スティーブ・ラミレスとシュウ・リュウ:ネズミ・レーザー光線・操作された記憶
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
私達の記憶の内容は、果たして編集することが出来るでしょうか?
SFじみた発想で、スティーブ・ラミレス氏とシュウ・リュウ氏は、MITの研究室で実験用のネズミの記憶を操作しようと生きたネズミの脳にレーザー光パルスを射込みます。
二人はこの奇想天外な内容を、研究方法を示しながら語ると共に、もっと大切なその研究の理由を、私達に問いかけます。(TEDxBoston)
たぶん、このアイデアは映画の 「トータル・リコール」や 「エターナル・サンシャイン」「インセプション」 を思い出させる事でしょう。
今日、皆さんに分って欲しいことは、我々は実際に脳内の記憶を瞬時に光速で安全に活性化出来るということです。
それに必要なのは、たった2つのステップです。まず、脳の記憶を探し、ラベルをつけ、あとはスイッチを押し記憶を活性化するだけです。
思い出している時の脳は、驚く程あらゆる部分が活発になっているのが分ります。特に、海馬と呼ばれる脳の部分が盛んに活動しているのです。それは様々な私たちが大切に思う記憶のプロセスに携わっているといわれて来た場所です。
これは記憶を探し���つけて再活性化するのに理想的なターゲットとなります。
脳内の記憶を探すのは、そう簡単ではないのです。本当にそうです。干し草の山から針を見つけ出すよりずっと難しいのです。というのは少なくとも針は、実際に触れられる物だからです。でも記憶はそうではありません。その上、脳には干し草の山の藁の数より、ずっと多い細胞があります。
この仕事は本当に根気がいる様です。しかし幸いにも脳自体に助けられました。基本的に脳に新しいことを記憶させるだけでその特定の記憶に関与する細胞が何処にあるか脳自体が示してくれると分ったのです。
私の脳では何が起きているのでしょう。倫理的な話は一時置いておくとして、脳をスライスしてみるとします。するとそれを思い出している時の脳は、驚く程、あらゆる部分が活発になっているのが分ります。特に海馬と呼ばれる脳の部分が盛んに活動しているのです。
それは様々な私たちが大切に思う記憶のプロセスに携わっているといわれて来た場所です。これは記憶を探し、見つけて再活性化するのに理想的なターゲットとなります。海馬を拡大化してみると勿論多くの細胞が見えますが、ある特定の記憶にどの細胞が携わっているかを見つける事が出来ます。
なぜなら細胞が、記憶を形成している時の様に活発な時は必ずその細胞が活性化していたことが後でわかるような手がかりを残してくれるからです。
夜、ビルの電気がついていると、そこで誰かが仕事をしていると分かる様なものです。細胞内の生物学的なセンサーも細胞の活動直後のみオンになっているという事です。いわば、生物学的な窓に明かりがついていれば、その細胞が直前まで活発だったと解ります。
このセンサー部分を切り取ってそれを細胞を制御するスイッチにくっつけて、このスイッチを遺伝子組み換えでウイルスに埋め込みマウスの脳に注入しました。ある記憶が形成されると、その記憶に働く細胞にも又、このスイッチが設置されます。
これが、恐怖の記憶を、形成した後の海馬の様子です。ここに見れるブルーの海が、密に詰まった脳細胞です。緑色の脳細胞を見てください。緑色の脳細胞は、ある特定の恐怖の記憶にしがみついている細胞です。
これは瞬時に抱く恐怖が結晶化された脳です。これは記憶の横断面図です。ここでお話ししているスイッチは、瞬時に作動してもらわなければなりません。数分や数時間の単位でなく、千分の1秒の脳のスピードが求められます。
シュウ、どう思いますか?脳細胞を活性化したり不活性化したりするのに、例えば医薬品とか使えるでしょうか?いやあ、薬品はあちこち広がり問題を起こすし、細胞に作用するには時間もかかるから、リアルタイムで記憶をコントロール出来ません。
スティーブ、脳に電気ショックを当てたらどうだろう?電気は速いけど、特定の記憶を持つ細胞だけをターゲットにするのは無理だね。それに脳を焼いてしまうかもしれません。
そうでしょうね、光速で脳に影響を与えるもっといい方法を見つける必要があります。光速は、勿論、光の速さですね。それなら、記憶を活性化・不活性化させるのに光を使えるかもしれません。それはかなり速いですね。脳細胞は普通、光パルスには反応しません。
光パルスに反応するのは、感光性スイッチの組み込まれた細胞だけなので、脳細胞を操作しレーザー光線に反応する様にします。脳細胞を操作しレーザー光線に反応する様にします。今お聞きになった通り脳にレーザーを射込もうとしています。
それを実現させるのが光遺伝学です。それはスイッチひとつで脳細胞のオン・オフを可能にさせてくれる。それはスイッチひとつで脳細胞のオン・オフを可能にさせてくれるチャネルロドプシンと呼ばれるものです。この脳細胞の緑色の斑点がそれです。
チャネルロドプシンは光に敏感なスイッチだと考えてもいいでしょう。チャネルロドプシンを人工的に脳細胞に組み込み、それをクリックするだけで、脳細胞を活性化したり不活性化したりできるのです(人体なら本人の同意の上で)
この場合、光パルスでクリックします。このチャネルロドプシンの感光性スイッチを先ほどのセンサーにつけて脳に注入します。記憶が作られると、その特定の記憶を司る細胞は感光性スイッチをその中に設置させ、私たちは、これらの細胞をここにあるようなレーザーを使いコントロール出来るのです。
実際に実験してみましょう。マウスを使ってみるのです。ちょうどここにある様な箱にマウスを入れます。そして足に軽い刺激を与え、この箱に対する恐怖の記憶を作ります。ここで何か悪い事が起きた事をマウスは学びます。
さあ、私たちのシステムでこの記憶作成時に活性化された海馬の細胞だけにチャネルロドプシンが含まれてることになります。
あなたがマウス程小さいとしたら追いつめられた様な気持ちだと思います。そんな時、身を守る最善の策は察知されまいとする事でしょう。マウスが恐怖を感じる時の典型的な行動がこれです。箱の片隅で身動き1つしなくなります。
これは、フリージングと呼ばれます。もしマウスが何か悪い事が、この箱の中で起きたと記憶するなら同じ箱に戻した時、フリージングを起こします。それはこの箱の中で、どんな脅威にもさらされたくないからです。
フリジーングとはこんな感じです。あなたが呑気に道を歩いていて、突然、別れた彼女か彼氏に、ばったり出会ったとします。さあその恐怖の2秒、あなたは「どうしよう?挨拶する?握手する?、背を向けてさっと逃げる?他人のふりをする?」などと考え始めます。
浮かんでは消える不安な思いに身動きすら取れなくなります。ヘッドライトの中に立ちすくむ車の前の鹿のようです。でもそのマウスを次の様な全く新しい箱に入れたなら、その箱は恐れないでしょう。新しい環境を恐れる理由はないからです。
でもこの新しい箱にマウスを入れ、同時に前の恐怖の記憶をレーザーで活性化させたらどうなるでしょう。この全く新しい環境で最初の箱の恐怖の記憶を呼び戻す事が出来るでしょうか?はい、これは値千金の実験です。
あの日を思い出すとレッドソックスが勝ち、緑が一杯の春の日でした。川遊びをして、ノースエンドに行って、お茶を飲むには絶好の日でした。一方、シュウと私は、窓のない真っ暗な部屋にいて瞬きさえせず、目は一点を見つめ、コンピューターの画面に釘付けになっていたのです。
このように、光遺伝学に頼らなくても人間は、瞑想訓練すれば、記憶を思い返すことができるようになりますが、この方法で初めて記憶を活性化させるためマウスを観察していたのです。
これが私たちが見たものです。この箱に最初マウスを入れた時、マウスは探索し、嗅ぎ回り、歩き回っていました。勝手に動き回っていました。普段のマウスの行動ですね。ネズミは好奇心の強い動物です。この新しい箱で何が起きているのか知りたがっています。面白いです。
しかし、レーザーをつけた途端、この様に全く突然フリージング状態に入ったのです。その場でビクリともせず、じっとしていました。明らかにフリージングです。最初の箱の恐怖の記憶をこの全く新しい環境の中で呼び起こすことが出来た様です。これを見てスティーブと私は、マウスと同様、衝撃を受けました。
実験後、私たちは何も言わず部屋を出ました。それからしばらく、ぎこちない沈黙が続き、やがて、スティーブが口を開きました「うまくいったんじゃない?」「うん うまくいったみたいだ!」私たちは本当に興奮しました。
そして学術雑誌の「ネイチャー」に研究成果を出版したのです。私たちの研究成果が公に出て以来、インターネット中であらゆるコメントを頂いてます。その中のいくつかを見てましょう[ついに実現!バーチャル・リアリティの世界?][神経操作?ビジュアル夢模倣?神経コーディング?]
最初に気づく事は[「記憶を書き直す」すごい未来!]
このような研究は議論を呼ぶ内容だということです。
私はこの最初の楽観的な見方に全く同感です。私たちにとって今までに一番胸に沁みる褒め言葉です。でも、そんな楽観的な意見だけではありません[恐ろしいことだ。これが簡単に?][人に出来るようになったら!?何てことだ。人類は終わりだ!(基本的人権があるので違法です)]
確かに2番目のを見れば、誰の目にもポジティブではないことが分ります。しかし、これで思うことは研究はまだマウスの段階ですが、記憶コントロールにおける倫理的な問題について、そろそろ議論する時期だということです。
次に、私たちは「インセプション」と呼ばれるプロジェクトも行っています。[映画のネタにぴったり。人に記憶を植え付け利用する。その題は「インセプション」]記憶を呼び戻す事は、納得して頂けましたが、もし、その記憶をいじったら、どうなるでしょう。それを虚偽記憶にしてしまえるでしょうか?
全ての記憶は精巧で絶えず変化しています。でも、もし記憶を単純に映画の1カットだと想定すると、今まで話した事は「再生」ボタンを押して同じ場面ををいつでも何処でも観る事が出来るということです(光遺伝学に頼らなくても人間は、瞑想訓練すれば、記憶を思い返すことができるようになります)
実際には、脳内に入ってこの映画のシーンを編集して違った物を作り上げる。そんな妄想が可能でしょうか?マウスでは可能なんです。前回と同様にレーザーを使い、記憶を回復させるだけでいいのです。この時に新しい情報を古い記憶の中に組み込ませたら記憶は別のものになります。リミックステープを作る様なものです。
それは、どうやって行うのでしょうか?脳内に恐怖の記憶を見つけるやり方ではなく、実験に使う動物をこのような青い箱に入れ、青い箱を表す脳細胞を見つけ、光パルスに反応するようにさせます。ちょうど先に話したようにです。その次の日、動物を取り出し今度は赤い箱に入れます。青い箱の記憶を、呼び起させる目的で脳内に光パルスを照射します。
そして、記憶を呼び起こさせると同時に、足に軽い刺激を2,3回与えます。どうなるでしょうか?足に与えた刺激と青い箱の記憶をここでは人工的に結び付けようとしているのです。2つの情報を繋ぎあわせるのです。結果を検証する為に動物を再び取り出し、青い箱に戻します。青い箱の記憶を呼び起こしている時、足に軽い刺激を与えてましたから突然、動かなくなりました。
実際、起きなかった事なのにここで電気ショックを与えられたと思い出したかの様にです。つまり虚偽記憶を作り上げたのです。マウスは実際には、何も悪いことが起らなかった環境を恐れているのです。今まで光制御「オン」スイッチの事について話しましたが、実は光制御「オフ」のスイッチもあり、そのスイッチを設置する事で記憶を��つでも何処でも消す事も可能だと容易に想像されます。
今日話した事全ては、神経科学の哲学的原則に基づいています。倫理学も。
そして一見神秘的な特質を持つと思われる心は、実は私たちが操作出来る物理的なものだということです。個人的には私は皆が好ましいと思われる記憶を呼び起せるような世界や好ましくない記憶を削除出来る医療の世界が見えてきます。
今や脳に障害を与えるような記憶を編集出来る医療分野の世界さえ、現実のものとなってきています。なぜならSFからあらゆるヒントを得、それを実験し、現実化することが可能なそんな時代になっているからです。
研究室内だけでなく、世界中、医療分野で似た様な方法で様々なデータが復活されたり編集されています。それはデータの年代や使用目的の如何を問わずです。そうやって私たちはメモリーの仕組みを私たちは理解出来ています。
例えば私たちの研究のグループは、恐怖の記憶を司る脳細胞を見つけ出し、それを喜びの記憶に変えることに成功しました。これが、丁度その、脳に障害を与えるような記憶を編集するという事なのです。
雄のマウスに雌のマウスの記憶を呼び戻すことに成功したケースもあります。マウスにも面白い経験だったそうです。胸躍るような時代に今私たちはいます。科学の発展のスピードは、とどまるところを知りません。あとは私たちの想像力次第です。
最後に、今までの話を聞いてどう思いますか?この技術をどう善性方向に進めて行きましょうか?これらの質問は、研究室だけに留めておくべきではありません。
今日のトークの目的は、現在の神経科学での可能性を皆さんにご紹介することです。
しかし、それと同様に大切なことは、皆様にこれに関し真剣に考えて頂く事です。この研究の意味。これからの可能性。そしてこれから取るべき道を一緒に考えましょう。なぜなら、この先、実に大きな課題が待っているとシュウと私は思っているからです。
有り難うございました。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<おすすめサイト>
コナー・ルッソマンノ:あなたの心を増強するための強力な新しい脳神経技術ツール
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マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
アンバー・ケイス:誰もがすでにサイボーグ
脳と直接通信できるステント
エリザベス・ロフタス:記憶が語るフィクション
ダニエル・ギブソン:DNAを人工的に作りインターネットで送る方法
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「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here」展

東京都現代美術館で「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here」展を見る。造形作家で批評家としても知られる岡﨑の大規模個展で、作家自身が作品解説も書いている。本人濃度(?)の極めて高い展覧会と言えそうである。
冒頭の画像は、チラシやポスターにも使われている作品。そのタイトルは以下のとおり。
左 Amid the sea’s savage darkness, the little bird glimpsed a single piercing ray of light. What could it be? Awakened, it flew through the storm. Fish, enduring these raging waters, seem stronger, wiser than humans. Beyond twenty feet, wave-roars silence human speech. Reefs transform: slippery, spiked, twisted, sharp—their endless forms leave me utterly lost. 右 The roar of waves and wind deafens me. In reef shadows, I hear phantom whispers, mysterious sea flutes. Mesmerized by the rainbow sheen of fresh fish, divine rapture overtakes me. Sinking through swirling waves, consciousness dissolves. A voice echoes through silver air, "Wild storm! Yet garden, sea, sky—all ablaze." Pale fingers now grasp, cradle.
すべてではないが、かなりの数の作品が非常に長いタイトルを持っている。それも含めて作品が成立しているのだろうと思うので、なるべく正確に書き写すよう努めたが、誤入力があるかもしれない。
展示室は1階から3階まで続き、ミュージアムショップ近くのスペースにも展示が少しある。
展示室1階は「2020年までの仕事」と「さまざまなプロジェクト」。最初に掲げられていたのは、作家が「こづくえ」と名付けた工作物。これを1年あまり壁にかけて眺め、なぜかおもしろいと感じ、のちにシリーズ化していった由。平面を立体化する発想は、洋服の型紙などに通じているようである。





下の作品《3時12分》は、箱に入れて送ったら「梱包材しか入っていなかった」と報告され、ごみ箱の中から梱包材とともに発見されたといういわくつきだそう。壁にかかっていれば周囲から際立った存在たり得るが、置かれた環境によっては作品とは認識されない事例。

このシリーズは、以下のような大きな立体作品にも発展した。


広い展示室でいちばん存在感があったのは、アクリル絵具による絵画作品群だった。透明感のある絵具と不透明な絵具の使いかたがおもしろく、大胆に描き殴ったかのようでありながら、ごちゃついておらず、すっきりした印象にさえ見える。とても長い作品タイトルは、発表当初はかなり奇妙なものと受け取られたらしい。
左 この方角がわたしにとっては、いつとはなしに生きる方角になっていたというわけだ(ぼくらが近づくと消えてなくなる水!)。衰弱していたので海までは出られない。わずかに見える地平線、光線の具合か、砂漠に反射するまぶしい光がぼくらの目を灼く。わずか一滴でも砂の底から草の芽を、緑の火花を誘い出す水。その残してきたすべてを飲み干す。 右 北へ向って五時間歩いたら景色が変った。なにしろできるだけ遠くまで行き(ぼくらは大股に! 歩いた)何もみつからなかったら日没までに戻らなければならない。真昼に消えて夜にはまた生れるあの雲の、日中のさいごに残る積雲の影。そのひとつひとつが、水の動きと水の深さをそなえた森の茂みをあらたに作り出すのだ。見わたすかぎり忙しなく。

左 あなたがたの考え(善悪)は紙に書かれる。この紙きれを火にくべよう。紙が燃えたらその考えこそ過ちとなる。紙は炉に投げ込まれ、しばらく火の中にあったが、やがて焼けも焦げもせずふわり、ふわりと飛びだしていく。楽園に神が生ぜしめた(花も葉もめだたぬ)善悪を知る一本の木。その木から(禁じられた果実と同じく)紙きれも作られたのである。 中央 天使は翼があるから鳥という。顔かたちは玉のように清らか、声のさまも女のよう。心を寄せても返事は文ばかり、耳に入るは羽音だけ。 右 野には(この世界では見えぬ)育ちも摘まれもしない無数の種子が眠る。言葉は種子である。あなたの見る水は、いつのまにか漲り涸れる河のように水蒸気が作るのではない。地の底から、泉のように想起されるのである。

左 石がとどく距離なら、隈なく見渡せるさ。よって、剥き出しになった骸に気づかぬ者—水を目の前に、乾いた口で飢えを我慢するような者は、だれもいない! 悲しみは消えず、きっと肌の上に残るだろう(だから)、いつまでもきりなく泣くことはない。奇麗な死を願うのであれば(食われたくなければ)。海綿と水を用意し、今すぐ洗濯に出たまえ。 右 遠く投げた石によって、少年の肩の筋と骨とは粉々に砕かれた。距たりゆえにこの男—ダレモイナイ、自身は、自分が何をしたのか知ることもない。同じ母から生まれた者を殺したというのに。見える通りその肌はつるつる、滑らかなまま。けれど(だから)心が晴れることはもうないだろう。感じられるのは右脚のくるぶしの痛み。その痛みに大粒の涙を流す、ダレモイナイ。他国のものよ、この男と戦うつもりなら、その鼻と耳を削ぎ落とし、犬に食わすことさえも躊躇うことないぞ。

小さいサイズの作品も多く、大きいサイズのものとは違った魅力がある。左から、《出来/ルーテルの食卓》、《河内(ハノイ)/地球上ではじめての聲》、《瑠璃/西方の溌剌》、《戸口/雑巾と棕櫚の靴拭い》。

床に置かれているのはタイル作品。奥の壁に見えるのが布を使った作品。

床に置かれたタイル作品2点のタイトルは次のとおり。タイルと同じように文字を12×12に並べている。
ひ と の よ は お し よ せ る こ う ず い 、 た て 、 あ ん か ん と い え に ざ し て い て は な ら ぬ 。 れ ん れ ん と こ の よ に と う り ゅ う を き め こ む な 。 す く い の は し が げ き り ゅ う に の み こ ま れ ぬ う ち に い さ ぎ よ く た び た て 。 あ つ い じ ん あ い に お お わ れ た こ の よ に 、 こ こ ろ を あ わ そ う と は お ろ か な こ と 。 ゆ れ う ご く ど だ い に あ し を と ど め て は な ら ぬ い こ う べ き い か な る か げ も お ち て い な い ま ひ る 、 ち か く に み ず わ き い で 、 て ん が い さ な が ら か た ど ら れ た い け 、 か う せ る か 。 み ど り の く さ が も え 、 す ず し げ な み な も 。 さ ば く を は し り ま わ っ た あ し を や す め 、 ぎ ん よ う に あ い た く ち を と ざ す 。 い ち わ の か ら す 、 き ぬ の う え に お か れ た こ く よ う せ き 。 だ れ の た め に も に ふ く す
い ま は わ た し を あ ら う と き で す 、 と み ず に み を な げ た 。 こ ん な う つ く し い ひ と が あ ざ ら し に た べ ら れ て し ま う 、 と ひ と び と は な き さ け ん だ 。 み を な げ る と い な ず ま が お こ り 、 い な ず ま を み て あ ざ ら し は み ず に う か ん だ 。 ひ の く も が と り か こ み け も の た ち が ふ れ る こ と も そ の は だ か の す が た を ひ と に み ら れ る こ と も な か っ た は じ め て て ん ち が し ゅ つ げ ん す る よ り も ま え 、 ま だ な に も の も か た ち を な し て い な か っ た と き 、 い き る も の は た だ お お み ず の う え を た だ よ っ て い た 。 か み の こ と ば に よ っ て て ん ち が あ ら わ れ て か ら は い き る も の は き の う え に ず っ と と ど ま っ て い る 、 だ か ら い き る も の が う ご く た び に 、 こ の き か ら み ず が な が れ で て く る の だ
この下の画像は、布をパッチワーク的に組み合わせた作品のひとつ、《木灰木を育てる》。近づいて目を凝らして見ると、手芸作品ではないので必ずしも布を縫い合わせているわけではないようだった。

絵画ほど多くはないが、立体作品も少なからず並んでいた。
(下の画像左) ハンバウとそむきにぐるものを ホクワクととらへたり (下の画像右) テウミンとたみをとむらって バツサイとつみをきりしは

上の画像で壁に掛かっている小さいサイズの絵は《同じ名をもつ堅さと重量(頭陀袋)》。
また、展示室の隅の一区画が絵本に割かれていた。絵本の実物のほか、絵本『かく』の原画がたくさん。


数々の「ポンチ絵」。作家曰く、デフォルメされて記憶された名画の印象を、設計用薄葉紙を破って表現した、絵画の似顔絵、とのこと。

四谷アート・ステュディウム関連資料。2004年から2014年まで開校された芸術学校で、岡﨑はそのディレクターを務めていたとのこと。

このほか、公園の計画に携わったり(雪と霧の公園)、環境保護的な活動に関わったり(灰塚アースワーク)、公共の場所に設置する作品を制作したり(ファーレ立川)、といった狭義のアートの域にとどまらない仕事も紹介されていた。
2階の小さなスペースでは、岡﨑が2021年に脳梗塞で倒れたことと関連した展示がなされていた。病後のリハビリで描いたものが《T. T. T. Bot (Table Turning Tripod Robot)》の描画過程に似ていたということから、それも展示されていた。《T. T. T. Bot》は2015年の作品で、人の描画過程の速度や方向などを記録し、それを反転させた動きを画板にさせることで、画板に筆を置くだけで描いた本人以外の人も自動的に描画過程を体験できるというもの。この説明では何が何やらという感じかもしれないが、展示室には実物と映像が用意されていたので、仕組みは想像しやすかった。
《T. T. T. Bot》の描画過程の絵はたとえばこんな感じ。

ご本人の脳の写真も。

3階は「2022年からの仕事」。やはりアクリル絵具の絵画作品が主役を張っている。

(上の画像) ジャガタラ。バナナから生まれた。ある日イノシシの牙に引っかかったココナツを見つけました。持ち帰ったココナツを庭に埋めると数日で大木に育ち、花が咲きました。花をとろうと彼女は木に登り、指を切り、その血が花に落ちました。 ジャータカ。かつて菩薩は泥水を泳ぐ力強い魚でした。干ばつがありました。ルビーのような目を開き魚は言いました。助けを求めている世に如来が雨を降らせるのは初めてではありません。洪水が起こって、甘い花の香りが漂いました。 (下の画像) “You don’t see far, and you don’t see clearly,” said the Moon, “In the little pretty whirl here below.” Lute strings trembled moonlight. Gossamer threads caught starlight. Moments dissolved beneath crystal waters. “She wept for the world’s depravity, unheard by the ears of men.” Constellations pierced bamboo grove. Coral pendant caught lamplight. ‘There,’ she exclaimed, ‘there!’ and she knelt and kissed the purple carpet. Evening frost kissed pale skin. Temple candles flickered worlds. Ivory doves scattered dreams. I think she was actually weeping. Dawn shattered like sea glass.


左から On Ohrid Lake’s rocky shore, an ancient sage meditated, his bird-like face carved by time and fasting. Swallows skimmed waters. The novice’s azure beads glinted. “Master,” he murmured, “your strength wanes like autumn light.” Behind them stood a monastery, half-hidden among olive trees, its burned walls whispering tales of sacrilege. “At night, Master, I see them: Hellenic maidens weaving flower crowns with blue wildflowers, their hair flowing with their hearts’ rhythm.” The youth’s voice trembled. Through azure darkness, mysterious figures like shadows - Macedonian shepherds driving boars through olive groves, Dryads herding pearl-white goats, laughter echoing across deep blue Aegean waters. Lilies and roses, planted by long-departed Orthodox monks, wove through the garden where ferns advanced like silent armies. “The ancient Thracian gods still walk here,” the old man murmured, eyes gleaming. Beyond the flower-strewn ruins, cypress groves stretched toward horizon, harboring secrets of Cyclopes and Thessalian nymphs dancing in moonlight. “I seek the moment when immortal spirits sing,” the sage revealed, clutching his cypress staff. “When the sun passes between Ram and Lion, their song trembles through creation. Tomorrow at dawn, I shall hear it.” His eyes blazed with ancient wisdom, reflecting centuries of searching through Byzantine and Delphic lore. The youth gathered roses bright as rubies and lilies white as pearls, weaving them through rushes as the last grains of sand fell. “You’ll find me young again,” the master had promised. When dawn painted the walls with clear light, he sat motionless, embracing the dewy flowers, his quest ended.
《露齿而笑/コロッケを食べるDavy Crocket. または口笛をふくJiminy Cricket》

《Une Larme pour une Goutte d’Eau/ただ一つの慈悲》

立体作品もやはり何点もあったが、Tumblrの画像枚数制限のため少ししか載せられない。
Examine The Tone And Reasoning Too; Consider The face, How It Changes Hue/聆音察理,鑒貌辨色


(上の画像中央の立体作品) Hear the Breakers’ Deepening Roar/气喘如牛、舳艏揺曳倾海/Trampling, Trampling, Trampling, to Overwhelm the Shore! (上の画像左の平面作品) The faithful brown eyes closed in eternal sleep as the wind created an eerie howl. Through tall reeds, something leapt into deep water. “My brother, Follow the path to that volcanic pit,” I whispered. Animals absorb earth’s scent into their flesh; cubed meat wafts soil’s aroma. A large dun-colored beast moved at considerable speed across the green hillside. The stiffened limbs of our prey ceased their natural service. “It was bluish clay,” he muttered, tracking another creature. We glimpsed porcupines, an anteater, and a wild pig with curved tusks. After hunting for over an hour without securing a shot, darkness fell swiftly. (上の画像右の平面作品) The aged fish cast a vast, faint shadow on the pond’s bottom, its silhouette wavering like a mirage in the sunlight. The water’s slight murkiness and the shadow’s immensity rendered it imperceptible to the smaller fish, who swam on, oblivious to the ancient presence above. Daily, the old fish approached the shore, gazing skyward. It sampled the bitter earth, musing, “With time, I’ll adjust.” It longed to scale the bank, envisioning the wonders beyond: distant mountains, rivers, and luminous nighttime cities. The mysterious terrestrial world beckoned, teeming with countless unseen marvels.
最後に余談をひとつ。額縁やケースに入っていない作品が多いので、下の写真のように床のあちこちにテープが貼ってある。ある展示室でテープの先に踏み込んでしまった人がいたらしく、スタッフが「結界を張ってありますのでその先には入らないでください」と言っているのが聞こえてきた。結界。そう、確かに結界と言っていた、ごく自然に、当然のように、大真面目に。それが妙にツボにハマってしまい、誰かに話したくてたまらなくなったが話す相手がいないのでここに記しておく。

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クリアしたゲーム/2025-5月
12. Unpacking(2021) Xbox Game Pass

購入日:ー
クリアした日:2025/5/27
引っ越しの荷解きをしながら主人公の人生を垣間見るゲーム。
ずっとゴーストワールドのDVDを持ってるの私とおなじだった。
全実績解除できました。うれしい!
11. Shady Part Of Me(2020) Xbox Game Pass

購入日:ー
クリアした日:2025/5/19
生身の少女とその影を切り替えながら脱出を目指すパズルゲーム。多少アクション要素もある。
少女は明るい場所にいられず、また影も暗い場所にいくと消滅してしまうので、お互い助け合いながら進めていきます。
パズルの難易度はそこまで。たまに詰まってしまうところはあったけどそれは私の頭の問題。
ストーリーの説明はほぼなし。ひたすらこの少女たちの内側の話。助け合いで進んでいくのに、なんかケンカしてたりと雰囲気はよくない。美術的にはすごく好きな人は好きだと思います。音楽もキレイだし。
ここから勝手な考察
この影と少女は同一人物だと思ってたけど、ナレーションでは大人っぽい落ち着いた声(影)と子供のような声(少女)で、少女はインナーチャイルド的ななにかなのかな。
あと折り鶴を取得すると大人の男性の声がするときがある。この声は少女が精神的な病でカウンセリングを受けてる医師の声なのかな?
ぜんぶ勝手な想像ではあるけど、精神的な病って簡単に回復しないから進めてるように見えても後退してたりするし、終わりが見えなくて後半疲れてしまった。
なんとかクリアできてよかった。
ちなみに箱パッドでやるとなぜかABボタンの決定とキャンセルが入れ替わってて(PS系の操作と同じ)やりにくいのでキーボード操作でした。
10. RAGE 2(2019)Xbox Game Pass

購入日:ー(Epicの無料配布では2021/2/19)
クリアした日:2025/5/15
一言でいうと北斗の拳+SFの世界でドンパチするゲーム
撃ち合い以外にも北斗神拳みたいなのが使えるのでいろんな戦い方ができます。
RAGE1ははるか昔にSteamで買って、積みゲーを崩し始めた初期ぐらい(記録はしてない)にクリアしたけど、内容はまったく覚えてない。おそらく直接的な繋がりはなさそう。
終盤まではサブクエスト系はほとんどやってたのに急に飽きが来て突発的にクリア。サブクエのダンジョンほぼ使いまわしだし内容も同じだから真新しさがなくて飽きやすいかも。
ちょっと困ったこと:最後のステージ(敵の本拠地)に入ったら、プレデターを使って!って言われたけどプレデターが何かわからなくてセントリーに殺されまくってまったく進めない状態に。
調べたらプレデターとはどうやらクセルクセス三世という名前の敵が使ってた乗り物のことで、謎に手間取ってしまった。誤訳かな?こういうのやめてほしい。
そのあとのボス戦もそこまで苦戦せず、第二形態もなくてあっけなかったな…セントリーのほうが正直強かった。
ともかくクリアできてよかった。
ちなみにこの画像の女の人は主人公じゃなくて敵のザコ。主人公より目立ってておもしろい。
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大谷恵美子さんと笹川竜司が凪ちゃん殺しの主犯格 大谷さんがずっと小柳さんやった そっちが本名で整形 相当整形出雲大社がずっと言っていた この話は伊勢の金がした 金は福山勇の子供 イサムはひらしのおとうと 近藤は国会議員で滋賀の代議士サニーは近藤の息子 それが長谷川 あれがワニ園を持ってるぞ それがあのバッドボーイの元ネタになっていて 近藤先生は国会議員で息子は自衛隊にならんね そしたら 坂井や高島がいうことを聞くじゃなか そして長谷川は麻薬のブローカーなので笹川とは知り合い 秀和にも2キログラムが送られてくる あれはスピード 本当か?マリファナじゃなかか? おいたちおんなじものをあんたから買ってるがマリファナだぞ 木箱いっぱいはいっとったって言ってるが コンテナいっぱいの間違いじゃなかね? それを船の流通に紛れ込ませて ベネズエラから買ったって言ってるが本当は メキシコだぞ そしてこれこそ大泥棒と言われていた マリファナの流通にならんか ほらマフィアがイエスって言った 受取人が鈴木千穂ってどういうことだ 笹川? 千穂が日本財団の遺産を受け取るからって言ったんだろうが 向こうはそんなこと聞いていないと言っている ただ運搬しているところを横取りされたからFODを出せって全部に行って吐かせているところだぞ これが三回目だろうが 最初が入院前 それが五回目って誰かが言ってきたイギリスの船長が千穂に連絡をしてきた時が最初だぞ イギリスが私たちに聞いてきた 千穂がなんでマリファナがいるんだって聞いてきたぞ それで日本だってすぐわかったぞ それが流通流かなんだそれを笹川がネコババした だがその主犯がなぜか鈴木秀和になったことから その家に潜伏している可能性が高くなってそれで二階にいる話は事実だろう? 受取人を鈴木秀和にしているからだぞ 三階に逃げることもあるようだね? 近所の家から地下にも逃げるそうじゃないか?坂井の家な出口があるのは確かめたよ 笹川だから日本財団が手を引いたんだ 今日は上原も何も言ってこないし 中村も何もない 本田も何も言わない なぜだかわからないのなら聞いてごらん🐊 なぜか🐊がチラチラしてる 松本先生と日本財団とはね そして学校の近くのハッカーがいわさとはね?! それが私を辞めさせた張本人か それで大谷が笹川と女の調達で取引していたことは 城原の四年の専科が途中から来たので 最初から笹川の女を仕向けたってことになるのかな? あれが灰色の車で生化学薬品を排気から垂れ流して 急性気管支炎が室見が丘の三丁目に異様に増えてそれがマラリアだったんだ 何でそんなものがこんなところに それがおかしいとしか言えないから 百日咳って言ってた 学校にも病原体を持って行ったために本当は大変だった 医者は言えなかったんだけど その女がそれで指名手配になるのは わかるだろう 千穂におかしな病原体がついているのがつくもからの報告があり それが城原の女が三丁目の集会所から仕掛けたことから あのあたりマラリアが出てるんだ それで死亡者が出たことは 警察と つくもたちが知っている 千穂のところで病原体が巻かれたぞっていう話があってそれが三菱が作ったって言ってその女が誰か?車は跡がつかないように向こうがしてきた それでその女が誰かって話になったら 大谷の女だったり笹川の女だったりすることから 小柳恵美子の整形前の顔で押さえさせた それで笹川が松本ヨシヒトで相当整形で間違いないんだろ? お腹がないから激しいセックスはできないんだ 体は年取っている 顔は若いが それで東京歯科大卒業だったが後から暇つぶしに 東京理科大に行ったんだろう? それでポレトレの先輩で後輩ってわけにならんね? そしてお前が作ったフュージョンこそが特殊詐欺と拉致監禁の元ざさえ 西研二は唐津のブローカーお前たちの チズちゃんが金持ちなもんか 研二が持ってるだけだぞ シンジケートの手伝いで それが吉田と一緒に資産家隠しを笹川と一緒に唐津でやってることから 研二が幸枝に 笹川を紹介しない話はなくなるな? 麻薬もやるが笹川は相当毒好き それで貴族毒は笹川が楓の件から貴族毒を手に入れられた その遊びに若い頃夢中にって 日本財団を相当太らせてきたことから 貴族毒の元締めを松本こと笹川がやっていたんだ 笹川は笹川はそれで由理に誰から毒を渡すのかわかるよな? 長谷川からにならんね?サニーさんの友達は翔也 とっても仲良しで滋賀まで追いかけて 相当金持ちで美容院を少々とブローカーがメインの仕事なんて教えないでYouTubeやっているんだ今でも そして池上ひなの男が誰だか問題にならんか それが金だぞ 金が顔が綺麗だからひなが騙されて東京まで追いかけて そこで夜の仕事をさせられて 結局男を取る仕事に金がさせた それが誰かわからんか笹川じゃなきゃおかしいだろう竜司が銀次郎って言ってるから 金ちゃんが笹川じゃなきゃおかしいじゃないか しかも東京で福祉の仕事をしていて それで夜の仕事までお世話できる若社長さんっと言ったら日本財団が絡んでるのがわからんか? しかもセックスに麻薬を嗅がせたためにヒナは怖くなって部屋から飛び出して警察に行ったのは一人プレイより3人プレーが楽しくないかって他の男を呼び出したからなんだ 普通は黙って応じているのに 複数人は嫌だったらしい それでヒナちゃんが妊娠したって誰かが心配して離れたがそれが笹川だから手が出せないが由理が相当困っているので可哀想だから 佐賀のヤクザが笹川にたてついて ヒナちゃんを中絶させるために働きかけたけど 内情は笹川は子供が欲しくなかっただけよ その方が面白いから そして日本財団は真剣に鈴木家のノーベル賞の話から離れてシンジケートとやり合っていることをここに書いておくが お前たちの根城が室見ヶ丘になって金武倉庫って名前を変えて 私立自衛軍の武器倉庫に指定しているって 日本財団が教えたぞ そして出雲大社にやまぎしもどきの自衛隊が潜伏していてこうしんてんの入り口を守っているそうじゃないか? ではなぜ学校の先生たちが嫌がらせをするのかわからないかい 近藤国会議員はヤクザのしりあいが笹川ということから政財界の闇取引のバイパスなんだだからみんなから重宝がられて大事にしていることから 地方創生の頭の後ろにいるんだ そして長谷川は福岡に自宅があり出先が熊本さんじゃなくて福岡さんと言えば由理さんの家のお隣にならんね? 元々車がいるからあんな片田舎で車の修理庫だけ置いておけば 車の洗浄は誰にもバレないで夜中でもできますになっている 看板も出していないしガレージだけの本当に大きいところ だけどあの家にまで車をたくさん隠したことから置き場に困って とうとう廃車を壊す話になって近場だとまずいから福岡に戻してスクラップする話をしている サツがこの間盗難者を見つけて消したことから佐賀県警に内定者を15人も作って黙らせている そして毒は福岡さんからだと言いたいがそれだとユリは飲まないので お金持ちの男がいいに決まってるじゃないの それが笹川にならんね よく保険の友達が来るって自宅に ユリちゃんはサニーさんに会ったことがあるって言ってたでしよ?サニーさんのいうことを聞けば金持ちになれるからって それで翔也が相当金持ちってずっと言ってるから騙された そして長谷川が毒をどこからって言ったら笹川からの指示になるのはわかるだろう 美間坂家には西研二の方から 日本財団が入らせられて 長谷川が持っていかなくても 日本財団の顔で通るのは西研二が金の話をしないわけないじゃないか? それでいうことを聞いているんだぞ 羨ましがらせて 珠美が相当儲かっているのを間近で見ているから みわもそうとうもうかった かおりも相当儲かった だからゆりも幸枝も金欲しさに千穂に毒を指示通りにやったんだぞ 2025/04/30 そしてなんでこんなに狙うのかお前が千里眼持ち出先を見通すから為替がよく反応するのでお前の言動を知りたがった池上慎二たちがその情報をもとに儲け話をさせてやっている池上慎二たちに それを日本財団もしているからこうやってお前を捉えては携帯電話をダメにして情報だけを抜き取って儲け話をしようとしているんだ為替が動くから株が動くから2025/04/30 今回は近藤が動いたので地元の地方創生が関わったからお前が大変だったんだぞ そして長谷川は近所じゃないか だから近所の人間に口を聞いてその家に潜伏させたり金をとらせていうことを聞かせてきたんだ それが稲津にならんか そういうことでつながってきただろう? 2025/04/30 そして日本財団は福祉に強いことから 医者も相当靡くしょっちゅう裏金献金が日本財団から流れることから 肥前精神医療センターには長谷川から金を流させた そして新しく地方創生から佐賀の教員も受付に入れているぞあそこはどれだけあの緑の制服の事務局長が金をもらってあるのかわからないぞ それで新保に連絡がつかない話にはならないだろう2025/04/30
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ベーシックリラックマ フラワーウィグルボールペンの魅力|San-X Net Shop
はじめに

「ベーシックリラックマ フラワー」シリーズについてこのシリーズは、San-X Net Shopでも人気のある、シンプルで洗練されたデザインを大切にしながら、リラックマらしい癒しの雰囲気をしっかりと表現しています。
穏やかで落ち着いた色合い:淡いカラーで視覚的に優しく、目にも心にもやさしい配色が特徴です。
シンプルで飽きのこないデザイン:過度な装飾を避けたミニマルなスタイルが、長く使いたくなる理由の一つ。
癒しのキャラクターたち:リラックマ、コリラックマ、キイロイトリといったおなじみのキャラクターが自然と心を和ませます。
ウィグルデザインの特徴
見た目も楽しく、触感も魅力的
独特なねじれたバレルデザイン:通常のペンとは異なる、ねじれた形状が見た目にも個性を与えます。
見るだけで楽しくなる形状:使う前から楽しい気分にさせてくれる、遊び心のあるデザインです。
手にしっかりフィットするシリコン素材:持った時に手にやさしくなじむ柔らかい感触で、長時間の筆記も疲れにくくなりま

長時間使用でも快適
滑りにくく疲れにくい持ち心地:シリコンのグリップは滑りにくく、しっかり握れるため、長時間の筆記にも最適です。
柔らかな感触でストレスを軽減:堅い素材ではなく、手のひらにやさしい素材を使用しているため、使い心地が非常に快適です。
リラックママスコットの癒し効果
デスクの上にあるだけで和む存在
ペンの上部に付いた小さなリラックマ:可愛らしいリラックマのミニマスコットが付属し、癒しの存在になります。
PVC素材でしっかりとした作り:しっかりした作りのため、簡単に壊れにくく、長く使える安心感があります。
見るたびに心が和むデザイン:忙しい日常でも、このマスコットを見れば自然と微笑んでしまう、そんな存在です。
実用性とデザインの両立
毎日の筆記に最適な設計
0.5mmのボールポイントで滑らかな書き心地:細字ながらもインクの出が良く、ストレスフリーな筆記が可能です。
メモ書きや日記、仕事にも使いやすい:用途を選ばず使える汎用性の高さも魅力です。
ノートや手帳にもフィットするサイズ感:大きすぎず小さすぎず、持ち運びにも便利なサイズです。

どんなシーンにも合う
職場でも学校でも違和感なく使える:かわいらしさがありながらもシンプルなデザインのため、大人も使用しやすいです。
カフェや自宅のリラックスタイムにもぴったり:自分時間を楽しむお供としてもぴったりなデザインです。
ギフトにも最適なパッケージ
贈り物として喜ばれる理由
個別に箱入りで高級感あり:パッケージにもこだわりがあり、贈り物としての見栄えも十分。
誕生日やちょっとしたプレゼントに最適:特別な日でなくても贈れる手軽さが魅力です。
開けた瞬間に笑顔になれるデザイン:箱を開けたときのサプライズ感もあり、受け取った人に喜ばれます。
サイズと素材について
ちょうどいいサイズ感
本体:約210×10mm:手に持ちやすいサイズで、ペンケースにもすっきり収まります。
パッケージ:約100×80×80mm:贈答用にも適したサイズ感で、扱いやすさが魅力です。
安心の素材構成
バレル:シリコン製:手に優しいシリコン素材は耐久性も高く、長く使うことができます。
マスコット:PVC製:かわいさと強さを兼ね備えた素材で、毎日の使用にも耐えられる仕様です。
幅広いターゲットに対応
年齢・性別を問わないデザイン
学生から社会人まで幅広く使える:年齢を問わない落ち着いたデザインが魅力です。
性別を問わず人気のあるスタイル:男女問わず使いやすいカラーと形状で、誰でも違和感なく使えます。
かわいすぎず、上品さもある絶妙なバランス:シンプルな中にも可愛さを感じさせる、絶妙なデザインです。
コレクターにもおすすめ
コレクション価値のある一品
実用性とデザイン性の両立:コレクターズアイテムとしての見た目と、実際に使える機能性を兼ね備えています。
日々の生活に取り入れやすい:飾るだけでなく、実際に使用することで、日常の中でも楽しめます。
リラックマ好きにはたまらない魅力:シリーズを集めているファンにとっては、ぜひ手に入れたい一品です。

手軽に購入できる安心感
San-X Net Shopで手軽に購入
全国どこでも注文可能:San-X Net Shopを利用すれば、どこに住んでいても購入できます。
忙しい方でも簡単に購入可能:時間がなくてもスマートフォンやパソコンから簡単に注文が完了します。
自分用にもギフト用にもおすすめ:1本からでも購入できるため、自分用・プレゼント用と用途に応じて選べます。
まとめ:日常にやさしさと癒しを

このペンがあることで得られること:
書く時間が少し楽しくなる:かわいいペンを使うことで、ちょっとしたメモ書きでも楽しくなります。
忙しい日常の中でホッと一息つける瞬間:ペンを見るだけで癒されるので、日々のストレス緩和にもつながります。
プレゼントにも最適なデザイン性:もらった人が喜ぶ、心のこもったギフトとしても最適です。
あなたの手元に、このウィグルボールペンがあるだけで、日々の中にちょっとした楽しみが加わることでしょう。そして、それはきっと、小さな幸せを積み重ねていく第一歩になるはずです。
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