#つばめぐるーぷにすごい画伯がいる
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shukiiflog · 2 years ago
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ある画家の手記if.?-4 名廊情香視点 告白
こいつら三人は、私にはたまに幻影かなにかのように見える。 
向かいのソファに座ってる真澄の髪の毛を、光が横から器用に小さく編み込んでってる。 光曰く「今日はわたしとおそろい」。両サイドの編み込み。 「うん、かわいい」仕上げた光が真澄の顎に手をあてて頰に軽くキスして真澄の横に座った。
***
夫婦っつっても色々なんだろうが…。 単純に見たままなら年齢差で完全に犯罪なんだが、二人の様子を見てると、想いあってる愛しあってるのは一目瞭然として、他のどんな関係でもない「夫婦」だってのがなんとなく滲むように事実としてこっちに伝わる気がする。 外見はまったく似てねえのに、仕上がりが違うだけで同じ生地でできた揃いの服みたいにも見える。 本来の夫婦ってのはこういうもんなのか、サンプルが少なくてどうとも…これまで自分に対峙する誰かならそれなりに見てきたつもりでいた、でも自分とは別に存在して関係しあう誰かと誰かはそれほど注視してこなかったかもしれない。 直人と香澄がそれに当たる。私はあの二人をセットとして見たことは少ない。ないと言っていいほどに。 それぞれに応じてきた。あの二人の関係についてあれこれ考えたときでさえだ。 直人と香澄は純粋に好き合ってることが一緒にいることや今の関係にダイレクトに繋がってる。 とすると、真澄と光は、どうなのか。…ダイレクトなものだけじゃねえのは、分かるような。
「光はお前にベタ惚れだな」 三人で外を歩きながら、さっき光が真澄の髪を編んでたのを思い出す。 「うちが例外にしたって夫婦でもここまで妻が夫に惚れ抜いてるってのは結構珍しいんじゃねえか」 光の好意はわかりやすい。単純ってのとは少し違いそうだが、こと好意に至っては表現に迷いがない。一方の真澄のわかりづれえこと。 今も三人で歩きながら光だけまっすぐ歩かずに真澄のまわりをくるくる回ったりコートの中に潜ったり真澄の手を握ってひっぱったり指先に白い息をかけてあっためたり、わかりやすい。 そんな光をたまにからかうような仕草でいなしたり丸い頭に手を置く真澄の印象は、満更でもない、って感じだ。 「そうかい。まぁ光は最初から頭おかしいんじゃねえかとドン引きする勢いで押してきたヤバい人ではあった。押し負けた」 「押し勝った!」 なるほどな。誰にでも好意的なような光だが、そこからさらに他のすべてへの好意を自分で押しのけてでも真澄一人を選びとるほど、真澄が好きだと。そういうことでいいんだかなんなんだか。 昔から愛だの恋だのって手の話題は不得意だ。好意的な感情の細かいジャンル分けや線引きに昔から首を捻った。その点、直人と香澄は私にとって考えやすいともいえる。あいつらお互いに好意的な感情はなんもかもすべて相手に対してあるからな、多分。 私がこれまでまともに恋愛して恋人同士になった相手なんて学生時代含めたってほんの数人だ。それも型に嵌った何の面白みもない交際。どれも短期間で終わった。同じ家で育った兄貴の交際遍歴を見てて、レンアイってのは難しい…面倒なもんだとハタから見て醒めちまったせいもある。 でもそういう交際やら人間関係の機会に恵まれなかったわけでもねえんだし、もう少し恋愛とかなんとかに絡んで、あの複雑怪奇な情緒をもっと掴んどくべきだったか。
…学生時代、か。… 「………ユキムラマスミ…雪村真澄…お前、今と学生時代で姓名変わったりしてねえか?」 聴かされて覚えた名前、音でしか知らなかった。 まさかこいつがもしかして、同姓同名じゃねえ本人か? 「変わってねえよ?」 拍子抜けするような素直な返事が返ってきた。警戒心の抜けた顔。表情はそれほど大きく変わらねえけど醸す印象が随分変わるな。 「人違いだったら悪い。ユキムラマスミ…もしかしてあれか、私のいた××校で、女遊びが激しいとかなんとかいう噂で、一部の女子から熱狂的に好かれて一部の女子から毛虫のように嫌われてた。意識したことなくてお前自体の姿とか顔���では知らなかったけど、何人か来たぞ、私のところにお前に振られた女子が、お前への割り切れない気持ち抱えてさめざめと泣きに。」 「人違いだね」 ここは間髪入れねえのかよ、嘘だな。 道路脇にかがんでた光が走って追いついてきて、私と真澄に一本ずつ花を渡してきた。 「光のぶんはねえのか?」 光が何も持ってねえから聞いてみれば「わすれてた」とか今気づいたみたいに言いながら驚きに三つ編みが跳ねそうなリアクションしてる。 なんかこういう妖精いたな、人間にプレゼントするのが好きで、自分のことが頭から抜けてて、無制限になんでも喜んで渡しちまうから、最後には妖精自体が存在までもをなくして無邪気に消える。 ふと、さっき光が真澄のコートの胸ポケットにさした花を、真澄が抜いて、光の三つ編みの耳あたりの編み込み部分に髪飾りにしてさした。光がにこにこして真澄を見上げる。 …真澄がいるから、消えねえ妖精、か。 「真澄。おんなあそび。ってなに?」 「何だろうねぇ」 微笑ましいんだかボケてんだか。真澄はともかく、光はこれ分かってて夫に嫌味ふってるとかってふうじゃねえな。 「真澄の話しっぷりはケムに撒いてんのかマジなのかよくわっかんねえなぁ…。お前の話を光はなんでも信じ込んじまうんじゃねえか?」 光は真澄のコートの中に入って前をカーテン閉めるみたいにして合わせて顔だけぴょこっとのぞかせてる。よくその近距離で二人とも滞りなく歩けるな…と思ったけど歩幅も足のでかさも違いすぎて逆に歩けてるっぽいな。 真澄が私の言葉に息だけで笑い零した。 「煙にまくつもりはないぜ。煙にまかれてんじゃねえかと思われた時点でそいつは成立してないもんだ」 視線の方向のわかりづらい黒目がちの伏目の目線の先が、光の頭に目配せするように動いた。 「…」 つまり真澄も、無垢で純真な少女にひたすらまっすぐで美しい想いを向けられ続けて、その無垢な想いの美しさに押し負けた。んじゃねえってことな。…なんかはじめからそんな気はした、半分くらい。 「さっきのはなし。××校ならわたしもがっこうそこだった。ふたりが入学する年にわたしがちょうど卒業したタイミングだったのかな?」 光が真澄のコートから出て、話を戻してきた。 光も同じ学校か。まああのへん子供の数も少なかねえけどそれほど多くもなかったし、いくつも分校されたりってのもないし、一箇所集中しやすかったか…。 「……先輩から聞かされた噂にこんなのもあったな。保健室の座敷わらしとかなんとか言われてた女子生徒。男子と途切れることなく付き合うものの秒速で別れたかと思ったら直後に別れた相手の男子が怪我したり厄介ごとに見��われる怪奇現象が起こるとかいう…。」 「ひとちがいです」 「光は絶妙なタイミングで嘘が下手だな」 からかったら光がガクッと項垂れた。 こうしてスラスラ学生時代の噂話なんてもんが出てくる自分にびっくりする。 別に私は噂好きでもねえし校内の噂に精通してたわけでもねえし、噂話はむしろ好かねえほうだ。ただ、校内でさんざん周囲の話題にのぼってたせいで耳に焼きついて覚えてたいくつかが今うまくヒットした。 と、いうより、今夫婦になってる真澄と光が両方とも、学校って場所で目立ちやすい存在感と話題性を備えてたんだろうな。 つーか今の感じからしても十分納得するもんがあるよ。お前らは今そうやって夫婦として並んで仲良さげにしてるだけで結構目立ってるしもう話題性を伴ってるからな。 「なんで座敷わらしだったんだ?」 「うー かみのけが、まっすぐで、いまよりすごく長かったからかな」 「重たそうだな…動きづらくねえのか?」 「あの頃はかみのけ切ったらはるきくんに怒られるからしかたなくずっと伸ばしてたらそんな見ためになっちゃってただけだもん…」
ハルキ。佐伯春輝。 昔のことはよく知らねえが、最近のことなら少し聞いた。 絢が、その佐伯春輝ってのがいずれ光の命を狙ってくるのは自明だっつって主張して、光が自分から相手の懐に入って、加害された現場を真澄が処理、ごく自然な証拠を揃えてうまく逮捕につなげた。その犯罪者だ。 ーーー家庭内での案件てのはつくづく捌くのに苦労するもんだ。直人も、香澄も、絢も、光も、慧も、問題のすべてじゃねえにしても確実に家の中でも蝕まれた。 そういうのに切り込むには真澄がやったような変化球が必要になる、少なくとも今のこの国では。 聞いた限りの印象では、私は光の動きが甘かったように感じた。自分で行くと言い出した光、命を左右する現場になる可能性が高かった、実際そうなった、それでも光にはまだ佐伯春輝を救おうとするかのような行動と、警戒心の欠けも多かった。 あれじゃあ真澄も常日頃から気が抜けねえだろう、なんて顛末まで聞いて一人で思ったりもした。まあ簡単にしか聞いてねえからこの程度の感想もハズレてっかもしれねえけど。 ……。光がただの純真無垢な女の子、ではないことは分かった。でも佐伯春輝の件での動きで私が光に持った印象は、つまりそういうもんだった。そう思われておかしかねえんじゃねえか。…否、まだ何も知らねえ段階で、ここまで考え下げるのも無為なような… 「…ハルキ、って、簡単な話しか聞いてねえけど、あのお前の養父とかいうクズ野郎か。あれからどうなった」 おとなしく服役中、じゃねえ可能性がある。それもわからねえが、真澄が相手に刑務所なんて快適生活させとくか? 「光知ってる?」 真澄に聞かれて光は近づいてきた街中のほうを見ながら答えた。 「きもだめしにあそびにきてたよ。おばけ役やりたいみたいだったからわたしとかすみくんとなおとくんとときひこくんで退治したの」 一瞬パキッと自分の歩行が石みたいに固まった気がした。…光と香澄と直人…なんつー絶望的な危機対処班だ… 「情香も呼んだはずだぜ?来ればよかったのに」 「そのオバケとやらの出現を先に教えりゃ行ったさ…。なんつった、直人がなんだって?死人かいいとこで重傷者は出なかったのか?」 これは冗談で言ってんじゃねえぞって目で真澄を見る。真澄は光と顔見合わせてる。 「約一名重傷だったかな?」 「そうでもないよ、おばけだし。ぺしゃんこになったけどたぶんもうげんきにやってるよ」 顔見合わせたまま眩しいくらいにこにこ笑ってるそれは誰がどう大丈夫で誰がぺしゃんこになったんだよ。 …トキヒコ? 「さっき私の知らねえ名前も出たな。随分たくさん集めたのか?」 「ときひこくんか」 話してんのを聞きながら、単に「ヒコ」ってどこにでもある名前の類似で思い出す。
初めて会ったのは… パーティに、直人と香澄とはじめて行ったとき。 画家や関係者だらけのホールに、一人の男の子がいた。その場に子供が彼だけだったわけでもなかった。それでも記憶に残ってる。 偶然近くにきたとき、彼があまりにも強い力で自分の上腕あたりを引っ掻いてたから、服の上とはいえ怪我すると思って、おせっかいは承知で軽く一声かけようとした、 その一声をかけようとするモーションを私が少しも取ってない手前の瞬間に、彼は私のほうへ素早く顔を向けて、何も言わずそのままただ私をじっと見た。 睨まれたとまでいかない、でも独特の目つきをしてた。 あれだけ大きなぱっちり開いた目での上斜視、まるで睨み上げてるようにも見える、私じゃなくてもかなり印象深いだろう。 その子がまったく別日に、ハロウィンで真澄の家に集まってる中にもいた。 その子は直人とハロウィンの作業を終えてから、探すそぶりもなく私のところまで迷いなく歩み寄ってきて、頭を下げて言った。 ーーーー”覚えていらっしゃるか分かりませんが、パーティのときにお会いした者です。行屋虚彦と申します。あのときはご挨拶もせず不躾な目で見て、すみませんでした”ーーーー
「……」 イキヤ…ウツヒコ、か…。さすがにここは関係ねえかな。 「ときひこくんは…真澄のおともだち…?」 「残念ながら違う。僕に友達は居ない」 言い切ったこいつ。友達はいない、か。友達の定義にもよるだろうけどよ…。 「ときひこくんは真澄のことおともだちだっていってた…ときひこくんのかたおもいなの?」 道の脇の比較的綺麗な高いブロック塀の上に身軽に飛びのった光が、そこに腰掛けて両脚を交互に揺らしながらきょとんとした顔で訊く。 「おおう?あの人何言ってんだ」真澄が妙な曲がる球でも受けたみたいにウケてる。 「なら友達としておくよ。片想いされてんのは僕じゃねえしな」 「そうだった、かたおもい…ふてきせつなことばづかい…。ときひこくんはかすみくんがすきなんだった」 急に球がこっちに曲がって私にヒットした、どういうこったよ…。 「そこで香澄が絡んでくんのかよ。なんかまたやべーやつじゃねえだろうなそれ…」 あからさまに嫌な顔して腰に手を当てる。 「わわ、」 そのとき光が妙な声をあげて唐突に大きく体勢を崩して壁から落ちた。 「!」 私が受け止めようと動いたときにはもう真澄が落ちてきた光を抱きとめてた。 「やべーやつだな。けど僕や情香とどっこいだぜ」 たぶん。てとこまで付け加えて答えながら、光を地面に下ろす。 私は普段から、何事か起きるのを頭で考えて予期して動くのは体質的に合わないんで、それよりよほど俊敏に反応できて動ける条件反射でだいたい動いてる。危機対処にしても体の動かし方ならそっちが主軸だ。 真澄はまるで考える部分がごっそりないまま、ただ予期してたような動きを当たり前にする。それで合ってんのか知らねーけど、仮にそういう人間がいたとして…予期が思考じゃなく感覚的なものなら、ノータイムでの動きも可能か…。
さらに歩いて行きながら話を続ける。 のんびり歩いてるせいでちょっとそこまで買い物に行くだけなのにずいぶん時間かかってんな。
「私やお前と張り合うようなやばさならまだ助かる。最近香澄の友達っつー子と話す機会があってな、…あと半歩横にズレりゃ香澄のストーカーっつーか…様相…実態としてな。あれにはまいったよ」 「ほー。そりゃお疲れさん」 「……」 つい最近の、自称香澄の友達っつー子。 あの子と私個人での相性の悪さや考え方の違いはそりゃ在るだろう、てだけでどうってことじゃねえし、あれ以外にも捌き方はあった。扱いにまいったとかじゃない。 「…妙な話だけど、今の形の家族が持てて、これが私に許されるギリギリだったろうなと思うよ。後からだからこそ思える話かもしれねえけどさ」 … 特に優先すべき重要な話題があるでもなし、三人で散歩ついでに話しながら買い物してこうってだけだから、少しくらいは重めの話振ってもいいか。この二人相手でそのまま場が暗く沈み込んじまうってこともなさそうだしな。 …と、思って、珍しいな…とか、少し外れた位置から思う。
友達や知り合いがいないとか孤独に生きてるとかってわけでは全然ないが、これくらい気軽に喋れる相手ってのはいなかった。 うちの場合、特に夫や息子の話ってなるとそのままを話してみてなかなか二言で腑に落ちてくれる相手はいない。香澄が友達に詰め��られてんのを前もって危惧してたのも、その辺があった。 そういう入り組んだプライベートがなんとなくでも共有できる相手ってのは珍しい。ありがたいとも思う。 話を続ける。 「私が初めて香澄に会ってあれこれ略歴聞いたとき、本人はなにも答えきれてねえこと自体にはおろおろするものの、自分にその答えられねえって事実がなにも響かねえことには動揺はなかったっつーか、ある意味ではあの状況でよく落ち着いてた。本人に落ち着くも何もなかったのかもしれねえが、今回は友達の言葉になんとか考えて自分で反論しようとしてた。私はそこを遮った」 私の高くて細いヒールの音が道のタイルに響く。 「香澄への負荷と、相手にもヒートダウンする時間とチャンスをやるべきだと咄嗟に思った。それにくわえて昔からの癖で、ここはバッサリ省いていい、無為な、思考をさくべきポイントからズレてると…長く真剣に向き合ったぶんだけ下手に消耗してすり減らす…と直感で思ったものを、迷いなくバッサリ切り捨てちまうんだ。 …でもその場から離れても、香澄は友達の言葉に向き合う姿勢を崩さなかった。これにもまだ別の意味での危うさはあるものの、自分がもし香澄にとってもっとひとつひとつの言葉がひどく重く絶対的に響くような存在…例えば実の親だとか、だったなら、とてもじゃねえけど今回みたいなフォローに見せかけた横暴はできねえし、怖気付いて何もできなかったかもな…てな。」 愚痴っぽい情けない述懐に、光は何も言わなかった。これで案外母親としての覚悟や方針は、光のほうがよっぽど度量深くすでに決まってるのかもしれない。 絢には時間がない。 つまり真澄にも光にも、親として家族としてグダグダ迷ったり悩んだりする時間は、もうそれほどない。 真澄も光も絢も、相手に自分のことをまるでわかったような気にさせるのが上手い。騙してやろうっつーことじゃなく自然体でやってるんだろうが、今の私みたいに接した相手は気分いいだろうな。 そのぶん深刻な虚像か勘違いを相手に抱かせたまま、それをことさら修正する必要もなく、生きていく。 誰しもそんなもの。それでも程度の差ってのはある。 こいつら三人は、私にはたまに幻影かなにかのように見える。 横で真澄が小さく嘆息した。 「そんなものは相性でしかないさ。香澄には情香が合う、それで親子なんだからいいじゃねえか」 「……」 幻影(仮)のわりにまっとうなこと喋るよな。おかげで少し頭が切り替わったよ。 「…てめえんちはお利口なウサギと素直なリスだがうちは違った意味で手に負えねえガキが二人もいんだぜ…?いろいろ悩むこともあらぁな…」 自分から話し出したついでに、ここらで恨めしげな目つきしてまぜっ返す。 「お利口…」 真澄が光を見て呟いた。 そういや絢とは最近対面で話してはねえな。なんか絢も変わってきたのか…? 「まだまだ可愛らしい範疇だよ。絢は真澄にベタ惚れだし。と��もかわいい」 光がえらくかわいいを連発してる。絢って初対面時のしっかりした爽やか美青年のイメージが私の中では強いんだが? 「…お前もな。まぁそいつはお互い様だろう。ひやひやさせられてしょうもねえアホだけど可愛いんだから仕方ない」 ……。 「…このリスもはじめはお前のストーカーだったんだっけか?」 親指でクイッと光を指して言ったら真澄が吹き出した。相当ツボに入ったのか肩震えてる、ガチで笑ってんじゃねえかこれ。 「ますみー!そのリアクションまちがっている!ここはわたしをフォローするところだぞ!」 真澄のまわりをぴょんぴょんすごい跳躍力で飛び跳ねて光が抗議する。長い三つ編みが一緒に大きく跳ねる。 それをなだめるように真澄が光の頭を撫でる。 …ちょうどいい、感じでもあるんだろうな。真澄と光と絢は、三人で家族で。
ここではたとさっきの話に頭が戻った。 「もしかして光くらいの世代か…?慧がいたの」 「あき。」 光が横で首をかしげる。三つ編みが一緒にかたむく。 「冷泉慧鶴。やたら目立つやつだから分からねえかな、見た目は完全に白人で、プラチナブロンドに薄い青い瞳の、品の良い雰囲気してるやつで…」 私や真澄とは世代がずれてる、でも光なら校内にいりゃギリ先輩だったはずだ。知り合いじゃなくてもあいつはどこ行っても注目される、…それで光が注目するかはあやしいけど。 「わたしほとんどほけんしつにいたから…ほけんしつの座敷わらしだったので。…ほんとにぜんぜんがっこう行けなかったから、しらないかもしれない…。じょうかちゃんのおともだち?」 一度舌出しといて、私に申し訳ないみたいに眉下げてくる。 「長い付き合いの友人だ。絢となら、ほんの数回だけど会ってお互い見知ってはいるんじゃねえかな。 約一年前、半身に大怪我を負ったまま病院から失踪して、それっきりになってんだ。足どりを調べてもあまりに綺麗に行方知れずで、どう賢く人目を避けてもここまで痕跡を残さねえのは難しい。失踪してこれまでの全部なげて生きるのも私個人と二度と関わらねえのも、それもいいと思うんだが…なんかやべえことに巻き込まれてねえといいんだけどな…」 最低限の情報を伝えて私的な感情も伝えておく。素直な本音だ。慧が今どうなってるやら…。 「もしどっかで見かけでもしたらできれば教えてくれ」 ケータイを取り出して慧の写真を二人に見せる。ネット上に死ぬほど盗撮画像とかがあんだけどな。 「……つるちゃんだ」 「…つ?」 思わず反覆しそうになった。 あいつがあだ名で呼ばれること自体が珍しい。そこまで他人を懐に入れねえし、せいぜい私や直人や香澄が「慧」って縮めて呼んでた程度だろう。 「わたしほけんしつにいたから。つるちゃんもときどき具合わるくなってほけんしつにきたよ。わたしの先輩でほけんしつなかま。……つるちゃんいなくなっちゃったの…」 光がほんの少ししょんぼりした様子になる。聞けばそんなに仲が良��ったってことでもなく、一度も連絡もとってねえらしい。ならそのしょんぼりはどっから来てんだ。
とりあえず画像見せるために足を止めてたのを、また街中まで歩き出す。 まだ夕方にもなってない、太陽の位置は高い。 古本や書籍の店だらけの場所まで来た。 「光は本が好きなのか?」 「んー……??」 謎の返事。好きとか嫌いの枠から外れた特殊なものか? 本屋に入ろうとした瞬間、一歩手前で立ち止まった光がギュンと効果音がしそうなくらいの速さで首を横に振って、私の体に三つ編みが高速でバチンと当たった。 小さく謝った光は視線の奥にある通りをじっと見て、 と思ったら途端に駆け出した 「光!」 すぐに追いかける なんだ 異様に足が速い、本当にこんだけ私と身長差あるのか?追いつけるかどうか… 「つるちゃんみつけた!」 走りながら光が言った、 目視で確認する前に光が追いついた、 長いブロンドの、 走ってきた私たちを交互に見てぽかんとした…多分…慧。
「つるちゃんでしょ?みつかったよじょうかちゃん」 満足げに私の顔を見て笑う光は、慧の服の裾をガッチリ掴んで握りしめている。 慧の目線が光を見下げて、思い当たったように少しだけ目を丸くした。 「…きみは…、××校の…佐伯?」 気のせいか…?なんか慧の様子が… 他人から声をかけられて愛想笑いでも作り笑いでもなんでもニコリともしねえってのは…初めて見た。 「もう佐伯じゃなくて雪村だよ。けっこんしたから。あのね、この子がつるちゃん探してたの。わたしのおともだちのじょうかちゃん」 光の後ろに立つ私が名指されて、視線を光の顔の位置まで下げていた慧がちらりと一瞬あげて私を見た。目つきだけでお互い「詳しい話は後で。」って意思疎通が済んだ。 「…お前の友達?情香がか?」 慧の物言いが若干刺々しくねえか…? 「うん。なんでそこが気になるのかな」 ん?光もなんか張り合ってねえか…? 「情香は友人になる人間はちゃんと選ぶぜ」 「ほう、わたしではじょうかちゃんのおともだちには不足だと」 「誰もそこまで言ってねえ。なんで服掴んでんだ離せ」 「にげちゃうからだめだよ、つるちゃんよわむしだもん」 …。だんだん口調が砕けてきてる、どうもこっちが慧と光のお互いよく知った本来の雰囲気らしい。 やっぱただの保健室で顔合わせてた付き合いの薄い先輩後輩って仲じゃねえだろ。なんかあったのか…? 「そういう無遠慮に踏み込んでくるあたり変わってねえなお前。何十年ぶりって再会だってのに昔と寸分変わらずいけ好かねえなんて、自分が情けなくなってくる」 「かなしいこと言うやつめ。わたしはつるちゃんすきなのに」 「いけ好かねえんじゃなくて嫌いだってきちんと言い直すべきか?」 「大差ないからどっちでもだいじょうぶ。」 「何が大丈夫なんだ分かんねえやつだな」 「……。」 思わず聞き入ってしまった。
慧が姿だけでもだいぶ豹変してるとか、思いもよらず見つかったとか元気��うだとか、色々思うところはあるものの、 基本的に誰にでも笑顔で、嫌いな人間にも礼儀は通すし自分がどんな状態でも礼節は尽くす、あの慧が。 簡単に人を罵ったり嫌ったり下品な振る舞いは決してしない慧が。 光をおそらく…ディスっている、淡々と…。 慧は光にそれだけ言い捨てるようにしたあとでさっさとその場を去ろうとする。 私にはあとから電話もメールもできるからか?……光が離さねえから服の裾伸びかけてる…。 「慧?…大丈夫か?」 声をかけていいもんか迷ったが、慧の連絡先が変わってちゃここで逃すと連絡つかねえかもしれねえ。 慧は静かに振り返って光の手を掴んで服からひっぺがしながらこっちに向��直った。…手袋いらねえのか… 「悪い、光に気ィ取られた。一年ぶりだな、情。後味悪い上に面倒な消え方して悪かったよ。色々お前に世話もかけたんじゃねえか。また日を改めて連絡する。一年分と今日も含めて、そこで埋め合わせさせてくれ」 ほぼ以前と同じ笑顔を浮かべた慧が目の前に立って話している。これも作ってるわけじゃねえんだけど…相変わらず器用にモードチェンジするな。 「…埋め合わせより、質問はここで済む」 「ん?」 「いま元気か、何かやべーことに巻き込まれたりしてねえか、私の助けが必要なことはあるか?」 それさえ確認できりゃいい。友人としてまたつるむのは当然のことだ、慧がまだそう望むなら。 慧はしばらく考えたあとで答えた。 「元気にしてたし、元気だよ。お前の助けが欲しけりゃ遠慮なくまたいつでも頼らせてもらうさ」 これは信頼の示し方だ、慧なりの。 効率よくするための分担だとかで他人と協力して仕事に取り組んだり、そういうのはコミュニケーションスキルの高い慧の得意分野だけど、そういうのを好んでやってはねえし、一人で片付けられるならそれが一番気楽で、誰かに頼るのが上手いようでいて、本当の意味で信頼して誰かに助けを求めたり頼るのは下手だ。 慧は一拍おいてさらに続けた。 「巻き込まれてはねえよ。俺の意思だ」 そのままくるっと体の向きを変えて通りを曲がっていく。 横から光が手を振って言った。 「またあそぼうねー」 慧が遠くから「勘弁しろ…」とかなんとか、こっちを見もせずに半目でげんなりした様子で呟いてるのがかすかに聴こえた。 …あの髪の長さでも美術講師は務まらねえことねえはずだけど、慧の性格的に教職就いててその職種に必要な域を出るほどに派手だったり奇抜な外見は、本人のすわり心地が悪くてできねえはずだ。 ただでさえ必要以上に目立っちまうから慧はせめて髪だけでもっつって常に短く整えてた。 別の理由も絡んでるが。 …以前の張り詰めた空気感が…緩んだ、ようで、以前より緊張感は増してるようにも感じる。 巻き込まれてはねえ、か…。自分の意思とやらで結局今なにしてんのか、今度会ったときに吐いてもらうか。
完全に置いてきちまったと思ってた真澄がいつの間にか光のそばまで追いついて来てた。 その日は光が読む本をどっさり買って、三人それぞれで分けて本を抱えて持って帰った。 私は雪村家の近くの駐車場に停めてた自分の車で自分の家まで帰る。 光からメッセで唐突にお茶会の誘いがきたと思ったら…こうなるとはね… 考えたいことと、すぐにも始めたいことが色々浮かぶのを、運転しながら頭を落ち着けた。
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rinabi11 · 6 years ago
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* 2019年10月25日(金) 【K105 赤い蛇/赤い蛇 音1】  おはようございます。  今日から【赤い蛇の13日間】がスタートします‼︎  そしてもっと大きなくくりでいうと【第三の城】のスタートでもあります。  マヤ暦(正式名称はツォルキン暦)は、260日で1年がまわっていて、さらにその260日が52日ずつ5つの城で区切られています。  今日からスタートする【第三の城】は【大転換・変容】の期間。  つまり"変化"が不可欠なときということ。  変化をおそれず、忙しくてきつくなったときはゆっくり体を休めながらパワフルに過ごしていきましょう✨  意識してみてくださいね。  -------  写真は、幼稚園で次女たち年長さんが描いたそれぞれのグループ(班のようなもの)の絵。 年長はうみ組とそら組があって、グループ名はこどもたちがこどもたちだけで話し合ってつける制度なのです。 みんなそれぞれ可愛すぎる♡♡♡ ちなみに次女はえいグループです🌊   #マヤ暦 #りなマヤ #マヤ暦アドバイザー #変化 #幼稚園 #こどもの絵 #えいグループ #Aグループじゃないよ #つばめぐるーぷにすごい画伯がいる      https://www.instagram.com/p/B4BjsXWFjTU/?igshid=12p8urol4mzlh
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toxgo · 3 years ago
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愛なのに
まずはじめに「その着せ替え人形は恋をする」を皆さん見てますか?2022���アニメのラインナップで、ぶっちぎりで1番面白いです。まだ未見の方は是非第3話までチェックしてほしいですが、第8話が神回だったのでもう一気に全話見て下さい笑 アニメ化から原作コミックスの売れ行きをいかに伸ばせるかがここ最近のアニメのバズってる指数になってますが、特に"着せ恋"の売れ方は半端じゃなくて、1ヶ月で100万部伸びたらしいです。騙すつもりはないですが、騙されたと思って一度見てみてください。
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さて、今回は先月末から公開された「愛なのに」について。城定秀夫と今泉力哉がタッグを組み、お互いが書いた脚本をお互いが撮影するという企画"L/R15"より生まれた作品です。今作は監督が城定秀夫で脚本が今泉力哉。まずは城定秀夫について。数多くのピンク映画やVシネを世に生み出してきた城定秀夫の作品の中でも「アルプススタンドのはしの方」はすごく良い作品なのでこちらもチェックしてみて下さい。そして今泉力哉と言えば世間的には「愛がなんだ」が代表作とされていますが、個人的には違います。僕は下北沢を舞台に男1女4の設定で描いた青春群像劇の2020年公開の「街の上で」が1番だと思います。
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若葉竜也が演じた主人公の荒川青も最高でしたが、ストーリーの中で1番心を惹かれたのは中田青渚演じるスタイリストの"城定イハ"でした。穂志もえか、萩原みのり、古川琴音よりも圧倒的に中田青渚に1票でした。劇中で映画の撮影を終え、下北での打ち上げ後にイハちゃんの家に行って、ただ談笑する長尺ワンカットシーンは本当に良いので見てほしい。関西弁の女の子ってやっぱりいいよな〜とも思わされるし、なんといってもイハちゃんが可愛すぎます。このシーン以外にも全編通して散りばめられている今泉節も最高の作品です。
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あれ?城定? 気になった方は流石です。この役名は今泉力哉が城定秀夫をオマージュした役名なのです。それくらいリスペクト強めな先輩後輩の2人が作る映画がつまらないわけがないのです。単調な流れでも会話劇が抜群に面白い今泉力哉の脚本力と城定秀夫のカット割がとてもいい塩梅でした。見終わっての感想を軽く伝えるならば、予告編を見て抱く期待値を余裕で超えてくる位面白かったです。
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ここからは毎度お馴染みのネタバレ有りな感想で作品を振り返ります。多少のネタバレは気にしない方向けです。嫌な方は鑑賞後に読んでもらえたら嬉しいです。
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主人公は瀬戸康史演じる古本屋の店主の多田(ただ)。年齢はもうすぐ31歳。その多田を一方的に好きになり、しつこく求婚を迫る女子高生の矢野岬を演じたのが、今ブログで三回連続登場の河合優実(もう確実にファンです) 岬が店内から一冊の小説を万引きするところから物語は始まります。万引きの理由は自分の名前を覚えてほしかった事と、多田が読んでいる本が欲しかった為。間違いなく可愛くないと絶対に許されない理由でした笑 その日を境にして店に来る度にラブレターを持ってきては求婚を迫る岬。そんな彼女を邪険には扱えない性格の多田。犯罪になりかねない歳の差がもちろん壁になってますが、もう一つの壁が多田の過去の恋愛でした。この微笑ましい冒頭の2人のシーンでがっつり心掴まれました。
瀬戸君はアイドル俳優とばかり思ってましたが、歳を重ねていい味が出てきてますよね。この作品でその先入観は払拭されました。それよりも、河合優実に言い寄られる多田よ、、ただただ羨ましいぞ笑
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多田の忘れられない女性の佐伯一花(いっか)を演じたのが、ゲス極のドラマーであり最近は女優としても活躍中のさとうほなみakaほな・いこか。佐伯は多田が岬と出会った頃には結婚式を控えていました。その相手である亮介は、2人を担当してくれているウェディングプランナーの美樹と結婚式が終わるまでの期間限定な不倫関係にありました。この亮介が不倫をしている事は予告を見た時点で既にネタバレしていたので、こっちの話はどうでもいいから、もっと多田と岬のシーンを見たい!と思ったのが序盤の感想です。でも、一花が亮介の不倫の尻尾を掴んでからが、この映画の始まりと言っても過言ではないです。
不倫をした事をあっさりと認める亮介。相手は美樹でなく、過去に自分の事を好いていた人物であると嘘をつきます。謝罪されても腹の虫がおさまらない一花が出した結論は「私も同じ事していい?」でした。つまり一花も過去に自分の事を好きだった多田と寝てくると。ここら辺から亮介を演じた中島歩のポンコツぶりを発揮する演技は思わず笑ってしまう事間違いなしです。
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多田をホテルに呼び出した一花。結婚式を控えた花嫁である事を多田は知っていて、「こんな事は絶対に間違っている」と一花の決意を受け入れません。そんな多田に痺れを切らし「じゃあ違う男とやる」と洋服を着始める一花を見て、男としてのプライドが勝ってしまい遂に決意が固まった多田。ちなみにこの時のコンドームの件は最高でした笑 エロVシネを沢山撮ってきた城定監督の濡れ場に対するこだわりは半端じゃなかったです。並の濡れ場シーンとは比べ物にならない位に。そして、その城定監督の期待に間違いなく100%応えたであろうさとうほなみの演技は必見です。
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これで亮介とウィンウィンな関係に戻れると思っていましたが、一花は多田と会ってから表情が晴れないまま。あーやっぱり罪悪感が勝ってしまうパターンねと思いましたが、悩みの原因はそんなありきたりなものではなかったです。一花は多田とのSEXがあまりにも気持ち良すぎて忘れられなくなっていました。これだけ聞くとビッチで尻軽な奴ねとか、多田がとんでないテクニックの持ち主だったのかと考えてしまいます。でもそうじゃないのがこの脚本の面白い所。結論から言うと原因は亮介にあって、彼は超がつくほどSEXが下手クソだったのです。
その確信に触れるシーンは美樹との行為を終えた後にやってきます。男たる者、異性に言われたらずっと引きずってしまう「SEX下手くそですよね?」を美樹にマジなトーンで言われてしまいます。ここの掛け合いの亮介のポンコツっぷりは絶対に笑ってしまいます。その後、一花は多田との行為をアゲインしたくなり、もう一度だけ体を交わします。このシーンを見て僕はいやらしだけとは違う感情になってしまいました。鑑賞前の予想を大きく覆した中盤は完全に一花と亮介に話を持って行かれた展開でした。でもご安心下さい。ラストはちゃんと多田と岬のターンで幕を閉じます。
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時は一花から連絡が来る前に戻ります。多田はいつもの様に岬から手紙を受け取りますが、その時は少し雰囲気が違いました。封筒の中には白紙の便箋だけが入っていて「多田さんの言葉が欲しい」と岬言われ、返事を書く約束を交わしました。でも16歳の女子高生に改めて何を書けば良いのか分からず筆が全く進みません。そんな時に一花からの連絡がありました。ずっと忘れられなかった相手と決着をつけた結果、多田は“愛”についての価値観が変わりました。岬に宛てた内容は、"これからも手紙を書いて欲しい。求婚をし続けてほしい。いつか岬の事を好きになれる気がする" その後、なんだかんだありながらも結婚する事を決めた一花から招待状が届きます。そして岬の両親が多田の家に怒鳴りにくる(当たり前)などあって迎えるラスト。
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いつもの日課であるノラ猫のカンタにエサをあげている多田の所に手紙を持った岬がやってきます。親御さん問題は解決してないですが、こっそりとお店で会い続ける2人。一花の結婚式にはもちろん参列しなかった多田に友人が引き出物を渡しにやってきます。その中身は夫婦茶碗。その片方を岬にプレゼントし、「やった!」と岬が喜び幕は閉じます。
この後の展開は見た人に委ねる的な終わり方でしたが、僕はこの2人が将来結ばれる事はないのかなと。岬がこれから大人になっていく中で、色々な人との出逢いや価値観、世界観の変化が押し寄せてくるはずです。そして多田ではない別の誰かと結ばれた時には良き思い出の1つとして“ちょっと思い出しただけ”になるかもしれませんよね。この映画のキャッチコピーである「真っ直ぐで厄介で、否定できないこの想い」はとても素敵な言葉だなと見終わった後に思わせられました。
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NARI
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arara1212 · 5 years ago
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長野市「丸亀製麺 長野店」旅とざるのうどんと 場所 長野県長野市小島110-1 電話 026-244-7320 ジャンル うどん バリアフリー ◯ 駐車場 あり URL https://www.marugame-seimen.com  基本的に外出を好まない。嫌いなわけでないが、計画するのが面倒でならないのだ。1日くらいの工程ならなんとかなるが、それ以上はダメダメなのだ。かといって行き当たりばったりというのも嫌な小心者でもある。  そんな私だが、正真正銘行き当たりばったりの旅に出たことがある。小学4年の8月のある朝、突然思い立って姫路まで行ってきたのだ。兵庫県姫路市といえば、当時伯母家族(母の妹)が転勤で住んでおり、その前年、前々年と2度ばかり家族で訪れた事があったのだ。  行ったことがあるとはいうものの、行程はすべて父の運転する自動車でのこと。新幹線でなど行った事がある筈もない。ただ前年姫路城を訪れたときに、伯母宅から姫路駅までほぼ直線の広い街道を車で20分くらいか。路線バスでもおそらく乗り換えなし30〜40分くらいの簡単な道のりだろう。日ごろからバスだの電車だのには乗りなれている。父親の「話す言葉と聴く耳と真剣に伺う態度があれば誰でも教えてくれるし、どこにでも行ける」の言葉を胸にいざ出発。東京駅でチケットを買ってもらい新幹線へ。  当時東京、姫路間は新幹線でどれほどかかったのであろうか。4時間くらい?よくは覚えていないが、車内ではよほど目立ったのであろう。ランニングに半ズボン、おかっぱアタマでぱつんぱつんに肥えた男の子が1人でいるのだ。周囲の大人たちが心配してくれる。ぼくどうした?お父さんお母さんは?私も現在よりも現在以上におしゃべりだったし、500億倍は愛想がよかったから身の上から事情までペラペラ話していたと思う。  なにゆえ、突然こんな事を書き出したかといえば、暑い日に冷たいうどんをたぐると、条件反射的にこの思い出がフラッシュバックするのだ。たしか姫路駅の立ち食いコーナーで、大人がざるのうどんを食べていたのが印象に残っていたからだ。ああ西ではこんな食べ方をするのか、という感想をもったのだが知らないだけで、東京にもざるうどんくらいあったかもしれない。   「丸亀製麺 長野店」 という事でうどんならこちらであろう。関西のうどんと讃岐のそれとはだいぶ違うだろうが、まぁよしとしてくれたまえ。  「ざる 並」300円 様々な理由もあり並盛りとした。何より安いのがよい。極太のしゃっきりモチモチとしたうどんは、噛み締めるといった風情なのがよい。東京のふやふやうどんとはわけが違う。ただつゆの濃度が高く塩からい。これは店側の判断だから文句のありようもないので、つけ方を気をつけながらいただく。水で薄めてからというのもよいかもしれない。あ��り行儀はよくないが。  「いなり」110円 つゆが濃くて塩からくてどーのといいながら、このような強甘辛のいなりは大好きなのだ。そもそもつゆだくのアゲがよい。酢飯がほぐれてしまうほどなのも可。気をつけながら口にしないと、いなりが崩壊してしまう。  「まいたけ」140円 「チーズちくわ磯辺」170円 「かしわ天」150円 天ぷら各種。通常ならなす天は外さないのだが、たまたま売り切れ!申告すれば揚げてくれるとは思うが、他の方に迷惑をかけそうなので断念。しかし、プリプリのまいたけ、濃厚なチーズちくわ、肉汁たっぷりのかしわ天は充分満足させられるものであった。   ずいぶんとたくさんの方にご心配をいただいた。車掌さんはもとより、向かい側の席にいたサラリーマン風のおじさん、隣の席の大学生風のお兄さんは大阪に嫁いだ妹さんに会いに行くと言っていた。彼とは手塚治虫の話題で盛り上がった。「火の鳥」が好きだというと驚いて、では「きりひと讃歌」を読んでご覧と勧めてくれた。姫路駅でどのバスに乗ったらよいかとふらふらしていた時に声をかけてくれた女子大生風のお姉さん。一緒に行く先のバスを探してくれた上に待ち時間に従姉妹へのお土産を選んでくれた。バスの運転手さんに住所みせたら丁度よいバス停を教えてくれたはよいが、それは間違いでひとつ前で降ろされてしまい、折り悪しく雨が降ってきてしまいずぶ濡れでトボトボ歩いていたら近所のおばちゃんが雨宿りさせてくれた上に伯母宅まで連れて行ってくれた。よい時代だった。大人が子どもに声をかけてもなにかあるわけもない。まぁそれだけ私が可愛らしかったという事であろう。もちろん現在でも可愛いのだが。   #長野  #長野県  #長野市  #長野グルメ  #うどん  #うどん県  #うどん部  #うどん好き  #うどん屋  #うどん巡り  #うどん好きな人と繋がりたい  #うどんスタグラム  #うどん大好き  #うどんインスタグラマー  #丸亀製麺  #丸亀製麺うどん  #兵庫  #兵庫県  #姫路  #天ぷら  #天ぷらうどん  #いなり寿司  #食べるの好きな人と繋がりたい  #飯 #飯スタグラム  #飯テロ #美味しい #コロナに負けるな #좋아요_한국 #좋아요_일본 (丸亀製麺 長野店) https://www.instagram.com/p/CCUBVScAlZG/?igshid=mhh5ul1or18q
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krnllllll · 5 years ago
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日記、映画の感想
用があって叔父の家に行った。母の歳の離れた弟で、30代後半、3人子供がいて1番下は5歳。私の従姉妹だ。日記だから明るい話でもないし面白くもないです。
母と叔父の歳が離れてるから、叔父と私はそんなに関わりがなく家に入ったこともなかった。あまり綺麗じゃないのは知っていたけど、予想よりもすごく汚かった。暗くてジメジメした空間はカビと人間と、趣味の悪い芳香剤の臭いががして、こもっていてオエっとなる。床という床に畳んでない服とか、洗濯したか不明なタオル、シワシワのヒョウ柄やショッキングピンクが転がっている。
寝室も嫌な湿度と不潔な臭いがして私は入れなかった。その中から平然と出てくる叔父と5歳の従姉妹。2人でYouTubeを見ていた。
叔父を連れ出し2人で買い出しに行った。
なんであんなに部屋が汚いの?いつから?誰が片付けられないの?なんとも思わないの?
ひと回りも上の叔父が子供に見える。
奥さんが片付けられないから、子供が片付けないから、俺も最初は片付けてたけど諦めた。部屋の異臭も分からない。
言いたくないけど重ねて言ってしまう。表情の幼い隣のこの人は、少し不貞腐れている。
奥さんが片付けないから部屋が散らかるというのはあまりにも人任せだし、あなたの子供は片付いている状態が分からないんだから片付けられるわけがない。このままで良いわけがない、全て捨てて片付けた方が良いんじゃない?
納得していないまま、近いはずの目的地が遠く感じる。
ー鬼滅の刃見た?
もうその話はしたくないのか、話を逸らされる。
40手前の成人男性が20代後半の姪に提供する話題がそれなのかと思ってしまった。恐る恐る、聞いてみる「(あなたの家族の中で)誰が見たいの?」
子供も見たいけど、俺も見たい。
やっぱりなと思った。この人は私のことを子供扱いしてアニメの話をしてるわけではなく自分も当たり前にみるから当然 大人の私も興味があると思って聞いている。もちろん私は鬼滅の刃のアンチではないし、アマプラでアニメ全話見たし人気なのも知っている。自分がアニメに明るくないから特段興味もなくハマってないないだけで偏見はない。どちらかと言えば好きだ。映画だって観たら楽しめる。だけど
久しぶりに合った成人している姪に聞く話題ではないと思う。最近どうなの?とか仕事は楽しい?何食べてるの?今読んでる本は?どこに住んでるの?とか聞くことはたくさんあるだろうに、鬼滅の刃か…。と思ってしまう。彼はどんな人生を送ってきたんだろう。
叔父の家に帰り、5歳の従姉妹と話しながら最近見た映画と彼女の将来のことを考え���。
「星の子」
大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治した“あやしい宗教”を深く信じていた。中学3年になったちひろは、一目惚れした新任のイケメン先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。そして、彼女の心を大きく揺さぶる事件が起きるー。
新興宗教を信じている両親に育てられて、分別のついてきた中学生の頃に悩むみたいな話だった。
私の従姉妹が抱えている問題は、宗教ではなく「精神的に幼い両親と片付けられない部屋」だ。明るく朗らかで、その年齢の子どもらしい可愛らしさがある彼女は今のところ何も問題ないかもしれない。鬼滅の刃のねずこが好きなんだと言って私にぬいぐるみを見せてくれる彼女は幸せそうで満たされているように見えた。
でもいつかきっと"違和感"に悩まされるだろう。
かなり端折るけど、映画では主人公の姉は両親の宗教が嫌で家出をした。
いつか違和感を感じたとき、私の従姉妹はその選択が出来るくらい強く生きられるだろうか。それだけが正解だとも思わないけど。大好きな親のある部分が普通ではないと感じて"自分は嫌だ"と思うのはかなり勇気がいる。虐待されているわけではない、大切に育てられているからこそ一部分には目を瞑ってしまいたくなるけどそれでもそこから逃げるべきだという判断をして行動に移せるだろうか。きっと思ったよりはすぐだけど、少し想像がつかない。
主人公の高校進学を機に、見かねた伯父夫婦が主人公に対して「一緒に住まないか?」と提案するシーンがあった。
彼女がどんなふうに成長するかまだ分からないし、そのときに私はどんな生活をしているか分からないけどもしかしたらそんなふうに手を差し伸べるべきなのは私かもしれない。私から叔父の家庭に首を突っ込んだりしたくないけれど、子供はかわいそうだ。望むあれば助けてあげたい。
でもそれも自分勝手なのかもしれない。
「信じる」ことをテーマにしたこの映画は、宗教の話ではなくこんな家庭の話でもあると思った。
きっといつか疑うはずだ。
私の生まれ育ってきたこの汚い部屋は劣悪な環境は普通なのか、これで良いのかいけないのか
この汚い部屋で私を育てた両親は私のことを愛しているのか、これは虐待なのか
それを自分の中で固めた始めたら自分はどう生きていけば良いのか悩むはずだ。
もしかしたら両親と距離を取りたいと思うかもしれないし、あの汚い部屋を普通だと信じて あるいは抜け出せるという発想を捨ててずっと生きていくかもしれない。
まだ疑ってないであろう彼女は、自分の信じていた普通が普通じゃないと気付いたときに何を思ってどう行動するんだろう。そのときに私は何をしてあげられるだろうか、気がつく前にアプローチをするべきか。
映画で主人公に一緒に住む打診をした伯父夫婦は主人公の少女にとって宗教は不幸なものだと信じていた。果たしてそれだって真実なんだろうか。エゴじゃないか。何かを信じて生きていけるのも強さだったり才能だ。黒に近いグレーが白に見える才能か、黒に近いグレーを白だと言い張ってあるいは自分に言い聞かせて過ごす強さがなければ何かを信じて生きていけない。主人公の親は前者、主人公は後者だと思う。
主人公の叔父はそれを黒だと言える強さ、姉には黒に近いグレーだねと言える強さがあると思う。
何が正しいわけではないし何がダメなわけでもない。みんながみんな何かを信じている。だけどお互いに干渉しすぎるとしんどくなる気がするなーーーーーーー。
またねとバイバイをした5歳の従姉妹と次に会うのは何年後だろう。帰ってすぐにシャワーを浴びた。
映画を見たあとに海を見ながら食べたアサイーボウルは甘くて冷たくて美味しかった。得体の知れない食べ物だと信じていたアサイーボウルは信じられないくらい身体に馴染んだ。これを食べたら風邪をひかないかもしれない。外の空気と少し強い秋の日差しが心地よかった。たくさん考えながらみたから疲れた。
私の従姉妹が悩むのはまだ先だから、今は一緒に映画を観に行ったあなたが幸せに生きられるように信じています。
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2ttf · 13 years ago
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xf-2 · 7 years ago
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8月4日、俳優の津川雅彦さんが心不全で78歳の人生の幕を閉じた。約3か月前の4月27日、妻で女優の朝丘雪路さん(本名・加藤雪江)がこの世を去ったばかりだった。朝丘さんはアルツハイマー型認知症を患い、2009年から別居していた夫の津川雅彦さん(78)が3年ほど前から同居し、介護をしていた。津川さんは、45年間連れ添った朝丘さんに対し、生前「娘を産んでくれたことを含め、すべて��感謝です」と語っていた。女優の道に進んだ長女の真由子さん(44)が、家族3人で過ごした日々を語る。 (出典:文藝春秋2018年7月号 インタビューは2018年5月23日に行われました)
◆ ◆ ◆
「眠れる美女」のように
 母の死がこれほど突然に訪れるとは思ってもみませんでした。
 母を看てくれているお手伝いさんから「少し様子がおかしい」と電話をもらったのは、お昼頃、仕事先へ向かおうと自宅で準備しているときでした。心配ですぐに車で5分ほどの実家へ駆けつけました。
 母はベッドのなかで、すやすや眠っているように見えました。寝息のようにスースーと息が聞こえ、いまにも目を開きそうです。私は「ママ! ママ!」と何度も呼びかけました。
 お手伝いさんの話では、朝はいつもの様子でしたが、しばらくして声をかけると反応がなかったそうで、あわてて仕事で外出していた父と私に連絡したとのことでした。
 父から、とにかくお医者さんに連絡をとるように言われましたので、主治医に連絡をとりました。
 あまりに急なことで私は気が動転し、「本当にこのまま亡くなってしまうのかな」と不安でいっぱいでした。父も初めは驚いた様子でしたが、今思うともう覚悟していたのでしょう。母の様子を見て安らかに逝かせてあげようと思っているようでした。母を心配しながらも私のことも気づかい支えてくれた父はすごいなと思いました。
 私たちの声や思いは母の意識にきっと届いていたと思います。母はおとぎ話の「眠れる森の美女」のように目を覚ますことなく眠ったまま、夕方に静かに息をひきとりました。
 自宅で家族に看取られたのは理想的な最期だったのかもしれません。私たちに苦しむ姿を見せなかった母は、本当に家族孝行だと思います。
母との最後の会話
 最後に母と話したのは、その1週間前でした。部屋に入って「ママ元気? 真由子だよ」と言ったら、初めは「ん?」という顔でこちらを見ていましたが、私だとわかったら「頑張ってる?」といつも通りの会話になりました。
「うん、一生懸命頑張ってるよ」
「そう、ありがとうね」
「ありがとうって、何もしてないよ(笑)」
 そんな会話を交わしながら、母の部屋で30分ほど一緒に過ごしたのが最後でした。
 家族と近親者だけで葬儀を済ませ、納骨を終えたら、ようやく落ち着き、これから母の居ない世の中を父と2人で力を合わせて生きていかなきゃと思えるようになりました。父の意向でみなさんにお知らせしたのはその頃です。すると、母のことを知る方々からたくさんの電話やメールをいただき、母が亡くなった日のことを伝えるたびに、「ママは死んだんだよ、ママは死んだんだよ」と自分に言い聞かせるようで悲しみがあふれてきました。
仕事が命だった
 母と私は、親子というより姉妹のような関係でした。私がまだ小さい頃から、母は家にいることが少なく、長期の舞台公演などがあれば、1カ月ほど留守にすることも当たり前でした。幼い私がお母さんは通いで来る人なんだと思い、玄関で「ママ、また遊びに来てね」と見送った話は、母から何度も聞かされました。たまのお休みで自宅にいるときには、母は悲しそうな顔をしていました。「ママ、どうしたの?」と尋ねたら、「ママ、お休みになっちゃった。何したらいいのかわからないの」と言われました。母はそれぐらい仕事が命でした。
 反対に父のほうは、休みになると「真由子、どこ行きたい?」といろいろなところへ遊びに連れて行ってくれました。授業参観や運動会などの学校行事もすべて父が来てくれて、いまでも旅行に行くと、父と一緒にお風呂に入るほど、私はパパっ子に育ちました。
 私は子供の頃、将来の夢を依かれると「3食昼寝つきのお母さん!」と答えていました。学校帰りに友だちの家へ行くと、お母さんがおやつを作って待っていてくれるのが羨ましくて、「こういうお母さんになりたい」と思ったからです。それからしばらくして私は「お手伝いさんになりたい」と思っていました。家では、お手伝いさんといつも一緒でしたから、自分も大人になったら、お料理やアイロンがけをして、誰かのお世話をしたいと思っていたからです。
 高校生になるころには、私の夢はスチュワーデスに変わっていました。アメリカンスクールに通っていた私は英語が得意だったので、英語を活かせて誰かのお世話が出来る仕事に就きたかったからです。20代に入ると、父が経営していたおもちゃを販売する会社「グランパパ」を手伝いながら、スチュワーデスになりたいという夢を膨らませていました。ところが、父に相談すると「万が一、事故が起きたら確実に死ぬような仕事はダメだ」と反対されてしまいました。
「女優をやってみない?」
 ガックリきて、自分には何もやることがないと悩んでいたとき、母に突然「ちょっと、女優をやってみない?」と言われました。女優なんて、1度も考えたことがなかったから「それはイヤ」と答えたら、「食わず嫌いはダメよ」という言葉が返ってきました。「パパとママの仕事を頭ごなしに嫌いって言うのは良くないわ。1回やって味見してみなきゃ。嫌ならやめればいいんだから」。
 そういわれて、私は25歳で母が座長を務める舞台に出演することになりました。自分で舞台に立ってみると、父と母はこんなに素晴らしい仕事をずっとつづけてきたんだと初めて実感しました。自分の演技で客席から笑い声やすすり泣きが聞こえ拍手が起こる。これはすごい仕事だと、母のいうことがわかった気がしました。
 ただ、あとになって「あれはママの策略だったのかな」とも思います。お客様の反応が直接見えない映画やテレビの仕事が最初だったら、芝居の面白さをすぐに実感できなかったかもしれないからです。
父、津川雅彦が舞台で母を起用した理由
 母自身も舞台を愛していました。私が子どもの頃は、父が演出、母が主演、伯父の長門裕之さんが相手役という舞台をよく観ました。感動の涙を流した場面は、いまでも思い出すと鳥肌が立つほど鮮明に覚えています。舞台に立っているときの母は本当にすごかった。父は同じ役者として、母を尊敬していました。父は私が女優の道に進んでから、よくこう話していました。
「舞台の花道で芝居をするのは本当に難しい。普通の役者は間が持たないから、一発決めて、さっと引っ込む。でも、(二代目)中村鴈治郎さんと雪江だけは花道で30分も客席を沸かせられるんだ」
 父が自分の演出する舞台に必ず主演女優として母を起用したのは単純に身内だからではないと思います。
「台本を渡して、最初に稽古で立ったときの兄貴(長門裕之)と雪江の芝居はすごいんだ。あの2人は天才だよ」
 そう言って、伯父と母を絶賛していました。私も両親と同じ道に進んで、その感覚がわかるようになりました。舞台の上で大先輩の女優として母に接し、そのすごさを体感するようになったからです。
家でも浮世離れしていた
 そのような舞台での顔とは別に、母はテレビの世界では、“浮世離れしたお嬢様”“天然ボケ”のキャラでした。例えば、家事が一切できないとか、結婚するまでお金を払って買い物をしたことがないとか。私がデビュー後に母と料理番組に出たときは、結婚後、初めて包丁を握ったと話題になりました。
 そんな“世間知らず”になったのは、母の父・日本画家の伊東深水が母を溺愛して、深窓の令嬢として育てたからです。父はよく「雪江が何もできないのは伊東深水のせい」だと文句を言いましたが、結婚する時に「雪江は何もしなくていい、女優だけをやってくれていればいいんだよ」と言ったそうです。
 母と私で「クイズ$ミリオネア」に出場したときには、こんなことがありました。第1問は「都道府県の都はいくつ?」。私は「1つ」と答えを言いました。直後、ファイナルアンサーと言われると、母が絶妙なタイミングで「でも、京都もあるわよ」と耳元でささやきました。そういわれると、私も急に自信がなくなり、2人であたふたと相談するうちに再度司会のみのもんたさんにファイナルアンサーを求められました。思い切って「1つ!」と答え、「正解」の一言が返ってきた瞬間、母は大はしゃぎ、私は感極まってうれし涙を流してしまいました。みのさんからは「第1問でここまで盛り上がったのは、あなたたちぐらいですよ」と言われました。帰宅すると、番組を観ていた父から「みっともないから、もうクイズ番組には出るな」と2人で叱られましたが、いまとなってはいい思い出です。
「卒婚」と報じられた別居の真相
 父と母が別々の家に住むようになったのは2009年のことです。当時の芸能ニュースでは、熟年夫婦が円満に別れる「卒婚」だといわれましたが、父と母は不仲になったから別居したわけではありません。
 きっかけは父が経営する「グランパパ」が経営難に陥り、6億円以上の負債を返すために私が生まれ育��、父と母が住んでいた家を売却せざるをえなくなったことです。その家は母の持ち物でしたから、父はそのことを今でも悔やんでいます。そのとき私はすでに実家を出て1人暮らしをしていましたが、父と母は新たに住まいを探さなければならなくなりました。しかし、父と母は物持ちなので、2人が同居し、快適に過ごせるような一軒家を探すのは容易ではありませんでした。そこで別々の家を借りて、別居することにしたのです。長年住んだ家と別れることになり、悲しんでいるかと思ったら、母は「雪江、1人暮らし初めて。ちょっと大人になれるかしら」とウキウキしていました。以前から父と母の生活スタイルは仕事上別々でしたから、部屋の住所が変更されただけのようなもので、実質的な変化はありませんでした。
コンビニをホテルのクロークと勘違い
 1人暮らしをしている時、スーパーやコンビニに1度も行ったことのない母は、マンションの1階にあるスーパーに行きたくなると「真由子、今日うちにご飯食べに来る?」と電話をかけてきました。「うちね、1階に24時間の大きな冷蔵庫があるの」といって、とても楽しそうでした。
 一緒にコンビニに行く際には、まず2つあるレジの片方のカウンターにコートを預けます。ホテルなどのクロークと勘違いしているのです。それから売り場を回って、「あの、すいません、これちょうだい」と商品を指さすと店員さんが母に気づき、カゴを持って来てくれたので、私が「コンビニではカゴは自分で持って買い物をするんだよ」と注意しました。すると「重たくて、ママ、あんなの自分で持てない」。万事がこんな調子でした。
 母が「もっと遊びなさいよ」と父に言った話や父が合コンしていることは、よく知られていますが、父と母は若い俳優さんや女優さんたちとよくご飯を食べに行っていました。両親とも私が不勉強に思えるほど、最新の情報をキャッチしていて「いま、これが流行ってるんだぞ」「あんた、そんなことも知らないの?」と言われることがたびたびありました。そのような刺激があって、父も母もずっと若々しく、格好よくいられたのだと思います。それで元気でいてくれるなら、むしろ心配が減って、いいことだと私は思っていました。父も母もお互いがイキイキしていることを誇らしく思っていたことでしょう。
「私のことも忘れちゃうのかも」
 母が認知症の診断を受けたのは2013年のことです。そのことは本人には知らせませんでした。
 母が若い頃から話し相手の名前を間違えるのは日常茶飯事で、娘の私と話しているのに「ねぇ、ヤマちゃん」と運転手さんの名前で呼んだり、外出先で仕事関係の方に出会って、ひとしきり話して別れてから「いまの誰?」と尋ねてきたりすることは、しょっちゅうでした。そのようなキャラクターですから、いつから認知症になったのか、家族にもわからないところがありました。
 私は身近に認知症の人がいなかったので、映画などで観た知識で「そのうち私のことも忘れちゃうのかも」と不安になりました。ですから、元気なうちにできるだけのことをしてあげたいと、私が母のところへ通って、なるべく一緒に過ごすようにしました。近所へ散歩がてらショッピングをした���、食事や温泉に出かけたり。いま振り返っても、母との思い出は最後の5年間が一番多いような気がします���
家族でつくった最後の舞台
 母にとって最後の舞台になったのは、2014年の時代劇ミュージカル「花や…蝶や…」でした。これは私がプロデュースした舞台です。
 認知症になって、母が大好きな仕事をもうできなくなるかもしれない、と思ったら、胸が締めつけられました。娘として何かしてあげたくなり、もう1度だけ舞台に立たせてあげたいと思ったのです。
 父に相談すると「気持ちはわかる。でも、雪江が舞台に立つなら座長になるからね。万が一、何かあったら他人様に迷惑をかける。家族の思いだけで、やらせるのは役者として無責任すぎる」と反対されました。そのとおりだと思ったとき、妙案が浮かびました。「じゃあ、私がプロデュースをすればできるんじゃないか」と考えたのです。その提案には父も賛成してくれました。
 私は脚本の脚色、演出、振り付け、出演とすべてを担当し、深水流の家元でもある母の日本舞踊を活かして「ウエスト・サイド・ストーリー」の時代劇版にしようと決めました。そして父に「私が演出、ママが主演だから、ナレーションで出ていただけないでしょうか?」とお願いしました。こうして家族3人で1つの舞台を作ることになったのです。
母から来たクレーム
 私も母に万が一のことがあってはいけないと、演出には細心の注意を払いました。しかし舞台に立った母は、病気の影響も78歳の年齢も感じさせないどころか、女優のプライドを最後まで持ちつづけていました。芝居の冒頭で、母が花魁道中を演じる場面があり、転んで骨折でもされたら大変だからと高下駄はやめて、小道具さんに厚めの草履をお願いしました。すると、母から直接クレームがきました。
「先生、わたし女優です。草履ではなく高下駄でお願いします」
「朝丘さん、大変失礼しました。すぐに高下駄をご用意します」
 そう言って高下駄を用意すると、母は難なく履いて、凜とした姿で花魁道中をこなしました。帰りの車でも「あんたね、馬鹿にするんじゃないわよ」と怒っているので、「ほら、年齢も年齢だから、娘としては心配でしょ」となだめると、「そんなおばあちゃんじゃないから」とぷりぷりしていました。体に負担がかからないような振り付けにしていたら、目一杯に踊る振り付けに変更させられ、演出家としてはタジタジでした。
 セリフのほうも、途中で「あら?」と思うことはありましたが、ベテランらしく自分なりの言い方でうまくごまかしていました。80歳近くになれば、セリフ覚えが悪くなるのは誰にでもあることです。
 不思議なもので、日常生活で、もの忘れが目立つようになっても、母は芝居や歌になると驚くほど記憶は、はっきりしていました。昔覚えたジャズの英語の歌は、一言一句漏らさず覚えていました。
「花や…蝶や…」は結果として母の最後の舞台になりましたが、母は亡くなるまで再び舞台に上がる日を楽しみにしていたと思います。「花や…蝶や…」の公演が終わった後も「先生、次はいつ?」と尋ねられましたから。
病状が進んで、母は「姉」から「妹」になった
 別居していた父と母が3年ほど前からまた一緒に暮らすようになったのは、母の病状が進んだためです。父が心配して「すぐ会えるように、お前の近くに引っ越そう」と広い家を見つけて、母と一緒に住むことになりました。
 わが家には昔から「おはよう」や「おかえり」の挨拶でキスをする習慣があって、父と母の間にはまたその習慣が復活しました。父と暮らすようになって母は明るくなり、新婚時代に戻ったような初々しさまで感じられました。
 母の場合は病状が進んだといっても、大きく変わったのは、恥ずかしがり屋さんになったことくらいでしょうか。食欲は旺盛で、特にあんこの和菓子などはよく食べていました。甘いものを買ってきて一緒に食べようとすると、私の前にある同じお菓子をじっと見つめているので「これが食べたいの?」と差し出すとパクパクッと食べて、さらに自分のも食べてしまう。「それ私にくれないの?」と言うと、「これはおいしいからダメ」と返してくる。子どもに戻った感じでした。私にとって以前の母は姉のようでしたが、病気になってからは妹のようでした。母の現役時代に比べたら、本当に多くの時間を過ごすことができて幸せでした。最後にしっかりと母親をやってくれました(笑)。
「また女優になりたい」
 母は病気が進んでからも、不意に「明日のスケジュールはどうなってるの?」と尋ねることがありました。「明日もお休みよ」と答えると、「えー、休み多すぎよ」と不満そうでした。ふと見ると、踊りの手ぶりを工夫していることもありました。母は最後まで女優として、女優人生の千穐楽の幕を下ろすことができたんだと思います。
「ママ死んでもね、生まれ変わったらまた女優になりたいの」
 母は昔からよくそう話していました。いまごろは、新しい女優人生の初日を迎えるための準備をしていると思います。
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sokotsumono-desu-ga · 3 years ago
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ラストワルツの漫才を毎日生で観た日々
は〜、日曜日で舞台『あいつが上手で下手が僕で』シーズン2、千秋楽の配信終わっちゃいますね。初日観に行っておもろすぎて結局千秋楽まで毎日観に行きました。数えたら14公演観たらしい。14ラストワルツか〜(?)。笑い倒した日々でした。3週間前までラストワルツのおらん世界で生きてたん?嘘だろ……。
これは染谷俊之さんのお芝居が好きな人間による、そしてラストワルツのファンになった人間による、ラストワルツの漫才を生で観れた日々の記録です。日替わりとかは別の記事にメモってるのですが(もしよかったらさかのぼってみてください、12ラストワルツ分ぐらいはけっこう細かく記録してます)、これは役者さんのこととかも含め、ラストワルツの初日から千秋楽までの変化とか更新されていく最高さとかを記録しておきたいというのと、染谷さんと和田さんの高砂と岬最高だったなって方と「ラストワルツ最高、わかる…」になりたい(メッセージお待ちしております🕺🕺 https://wavebox.me/wave/biykzhp4121v3s5b/ )のと、ドラマとか円盤とかでラストワルツおもろ!になった方がこの文章に辿り着いて(気ぃながっ)、舞台期間中はそんなこともあったんだなあ笑、みたいに思ってくれないかな、とか思って書きました。
だって、いい大人二人で漫才やるやらないの取っ組み合いするラストワルツのお芝居が毎日最高を更新していってたなとか、和田琢磨さんが東京千秋楽でダンスミスった瞬間の染谷俊之さんの顔むちゃくちゃおもろかったな、とか、ぜんぶ、忘れたくないじゃないですか……。
さて、今あらためて初日のこと思い返すと、大千秋楽で台本かのごとく行われてた様々なおもろシーン、エモシーンが、いかに公演期間中に作られていったかってことを思い知ります。もちろんラストワルツだけじゃなくて(ラストワルツの話だけ読みたい方次の段落へスキップどうぞ!)、例えばねあんでる、初日は日替わりとかその場でネタをぶっこむとか全くなかったんですけど、いつのまにか、バンバンが滝に落ちる時に言う「芸人あるある」で島とか高砂、時浦を巻き込みはじめたり、ロングリードの言い間違いで小ボケを挟んで来たり(一回、「なんだっけ……ロン…ロン…ドン…?」「「🎶ドンキ🎶ホーテ〜」」って2人でハモっててめちゃくちゃウケた)、時浦(というか荒牧さん)にバンバンが昔にやった過酷な企画内容について大喜利を無茶振りされてめちゃくちゃ困るミハル(というか木津くん)が生まれたり、他だと、アツソーパズルで時浦に対してバイオレンスな行いを繰り広げる東雲くんが爆誕したり(ビンタした回もありました、あとは多分荒牧さんがあえてやられたんですけど、東雲が時浦を突き飛ばして舞台からほぼ落下させた回もありました 笑)、そんな東雲に対して次のキャンプシーンの冒頭で時浦が東雲に対して「東雲ってテンパると暴力的なんだな……」とか一言文句を言うのが追加されたり、そういうところ、挙げだすとキリないんですけども、たくさんありました。初日観て毎日行きたいってなって、めちゃくちゃラッキーなことに毎日観れて、毎日笑う箇所増えていって、漫才も全コンビどんどんおもろくなっていって、毎日新鮮に笑かされ、毎日最終的には、ラストワルツ、一生漫才してくれや……涙、になってました(回帰)。
で、初日のラストワルツ、これは染谷さんのお芝居に注目して見てたからかもしれないんですけど、高砂、っていうか染谷さん、初日からカッ飛ばしてました。初日のキャンプ場の夜のシーン、ラストワルツのとこバカウケしてた(まあ毎日ウケてたが……)。エクソダスのお二人はシーズン1に引き続きあるあるの日替わりとか自由な感じでしたが、他は初日って基本スッと行くようにしてる中だったので高砂の突き抜けを余計に感じました(という記録)。
和田雅成さんが大千秋楽日のマチソワ間スペースで言ってたとおり、和田琢磨さんが大千秋楽後のニコ生配信で言ってたとおり、デカい声ってマジでおもろいってことを思い知りました。ねあんでるの静かな良いシーンからの、「寝た!!!!??!!??!?」。
いや、お笑いの基本行動パターンですよ、でもさあ、めちゃくちゃ笑った。からの、初日が「ごめん!!!こないだ酔った勢いでお前のかーちゃんとベロチューしちゃった!!!!!」だったんですけど、マジで笑いました。あんなん、笑っちゃうよ。
そんで、洞窟の岬と時浦のシリアスなシーンになって、こっちは固唾を飲んで見守ってるわけじゃないですか。そしたら、高砂が岬に掴みかかって、エモいシーン……かと思いきやジャケット脱がしてぶん投げ始めるから、マジで爆笑しました。あー、あの瞬間忘れらんないです(回顧)。初日と2日目ぐらいだけだと思うんですけど、染谷さんジャケット脱がしながらわろてもうてはりましたもん(そんくらいめちゃくちゃ会場がドッカンだった)。
は〜、初日であんだけカッ飛ばして、そのあとにさらに磨きがかかって行ったら、そりゃ洞窟の中もあんなことになるよ。そして喉もかれるよ。マジで大千秋楽直前まで大丈夫だったのが、最後の夜公演だけ一言目から、声たいへんそうで、しかし、大千秋楽の漫才の完成度見ましたか。最高だった。個人的にはやっぱり見た中でいっちゃんおもろかった。最後の高砂の、爆音「コンテンポラリー!!!」のおもろさたるや。木津くんが大千秋楽後のインスタライブで、「自分ももっと声出した方がいいかなとか思ったけど、染さんの『目ぇーーーーーーーこらせよ!』が超えてくる」て言ってた。素麺のとこ高砂くんクソデカボイスだけでウケ取ってた日ありましたもん。大阪1日目の「目ぇーーーーーーーーーーーーー!!!!こらせよ!!!」はクソデカボイスのお見本だった。
初日観た時点で、高砂くんとラストワルツ魅力めちゃくちゃある、むちゃくちゃおもろいコンビおる、になったのに、今思えば初日の高砂も岬もまだおとなしかったんや……。ランタン消えた後の謎ダンスはまだなくて(多分3日目くらいに生まれた)、「パニックになろうぜ!!!」ももちろん(?)なかった笑!あれは、和田さんもおっしゃってたけど、最後の漫才でやるコンテンポラリーな動きで暴れ回ろうっていうアイデアのもと途中から追加されたんですかね。今思うと初日は岬のパニックダンスなかったんか……。日記読み返したら4日目から岬も暴れはじめたらしいです。大千秋楽の岬の暴れっぷりヤバかったから、なんかもう大暴れしてない岬くんがすでに記憶の彼方です。なんなら、前楽の一日だけは岬の方が高砂より暴れてました。岬が暴れてる横で高砂はなぜか我に帰って一瞬静かになってた公演が2回だけあったんですよね。あれ謎だった、おもろかった……。
あと、初日から変わったといえばですよ、キャンプ場で高砂が寝てる岬に対して勝手に懺悔するとこ。最初は、たとえば高砂くんが「ごめん!こないだお前が寝てる間にお前のパソコンの検索履歴見ちゃった!お前、二次元の彼女いるんだな」って言って、岬が「ウオオオオオオィ‼︎」って飛び起きるとかで、高砂懺悔→岬のリアクションで終わりだったんですけども、いやこれですでにめちゃおもろかったんですけど、だんだん岬の返しもありきのくだりになっていって、高砂のボケっていうよりラストワルツのネタって感じになっていって嬉しかったな〜。二次元の彼女のやつも最終的に「ごめん!お前のパソコンの検索履歴見ちゃった!お前、二次元の彼女いるんだな」→岬「ウオオオオオオィ‼︎」→高砂「今度紹介してくれよ、一緒に飯でも行こうぜ」→岬「それができないから俺は苦悩してるんだよおおおお」に進化してました(これマジで好きでした)。
で、また初日に戻って、初日の漫才の話なんですけど、ラストワルツはトップバッターでして、もう、染谷俊之さんと和田琢磨さんが、どーもー、って言いながら出てきたときの感動ヤバかったですね。夢観てるんかと思いました。ネタ、ケンタウルスの方だったんですが、千切れるほど笑いました(こんときはまだ楽天カードマン!とクリアアサヒ!しかツッコミパターンはなくて、🎶積水ハイムと伯方の塩ッは2日目から追加されました)。いやー。染谷俊之と和田琢磨がおもろい漫才やってるんですよ。狂いますよね。初日からおもろかったです、でもケンタウルスも森林伐採部も、千秋楽日、ほんとにもっとめちゃくちゃおもろくなってた。はあ(嘆息)。
ラストワルツの漫才があのかたちになった経緯、全ラストワルツファンに知ってほしい。ラストワルツだけ、2つあるネタの両方に重なってる部分、「コンテンポラリー!」ツッコミがあったじゃないですか、あの岬の謎の動きと高砂くんのツッコミめちゃくちゃ好きだったんですが、単純に、なんで同じツッコミで漫才の脚本書いたんやろうとは思ってたんです、わざわざ2個作るのに。でもそしたらですよ、和田琢磨さんの配信で聞けた話なんですけど(たのむ、アーカイブ買って見てください。マジさいこーなんで 泣)、有料配信なんで書くのあれなんですけど、細かく書けないんですけど、コンテンポラリーな動きも、コンテンポラリー!ていうツッコミも、台本に全くなくて(???)、和田さんが動きを思いついて(!!!)、これやるわ!って染谷さんに言って、稽古で染谷さんがあのツッコミをして、2人で死ぬほど笑ってこれにしようってなったらしいです。
・・・。
・・・・・・。
天才か!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これ聞いた時のラストワルツファン(わたし)の気持ち、ヤバかったです。お二人がおもろい!ってなったことを、お二人の演技でめちゃくちゃいい漫才にして届けてくれて、なんかもう嬉しくてたまらんです。たまんねえよ。
なんか全コンビそうなんですけども、漫才師の演技うまくない?(うまいよ)。大千秋楽、ふだん演劇を観ない、お笑い好きな人と見てたんですよ。なんばにある吉本の若手がよく出るお笑い劇場(漫才劇場、略して漫劇)によく行く人なんですけど、観劇後、「ラストワルツ漫劇出れるな 笑、翔に出れる 笑」って言ってたのがなんか勝手にむちゃくちゃ嬉しかったです(翔liveっていう、M-1の準々決勝〜決勝行くか行かんかレベルの芸人が集う若手のライブがあるんです、おもろいです)。全コンビおもろかったし、毎年M-1が予選から色々ある通り、お笑いってマジで好みなんで、どのコンビがいっちゃんおもろいとかひとによるんですけど、
わかる!!!!!
ラストワルツは、漫劇出れる!!!!!!!(いや、関東芸人やから無理です(?))
あと、爆笑箇所で言うと、ご覧になった方も多いと思うんですけども、本当にこれは本編関係ないおまけみたいな話なんですけども、東京千秋楽でラストワルツのキャラソンで和田さんが染谷さんとすれ違う振り付けのところ完全に棒立ちになってたやつ、死ぬほど笑いました。
染谷さんだけ移動して、動かない和田さんに気づいたときの染谷さん��、顔!!!!!!!
現地モニターで染谷さん顔アップだったんですけど、めちゃくちゃ怪訝な顔して、ハ?、になってて、マジで吹き出してしまいました。モニターに怪訝な顔抜かれながら歌って踊る染谷俊之、おもろすぎた。配信で見返したら、染谷さん怪訝な顔のままで和田さんの顔めちゃくちゃ覗き込んでたし、和田さんは、ハッ!!!、て顔してフリに戻ってて、いやもうおもろすぎました。さらにカーテンコールでそれについて謝る和田さんもおもろすぎた。カーテンコールは円盤入るかな、でもあの怪訝な顔の染谷さんと、ハッ!!顔の和田さんはもう見れないのか……心の網膜に焼き付けておこうと思います。でもですね(?)、14ラストワルツして、ラストワルツのお二人やっぱりお芝居さいこ〜て思って、振り返ったら、お二人とも一回も台詞とかミスってなかったなと思うんですよね、お二人にしたら当然なんかもしれないんですけど……。ニコ。
そして、もう毎日ほんまによかったのが、洞窟のラストワルツの言い合いシーンでありました。いや、毎日しびれました。岬が時浦に財布事件の真実を告白するシーン、岬と時浦がいいのはもちろん、そん時の高砂、染谷さんのお芝居が、まじでたまらんくて……。以下勝手に感想なんですが、日によってもちろん違うんですけど(東京公演の最初の方は高砂が俯いてる時間がけっこう長かったと思うんですが、最後の方わりと岬の方を観ながら岬の話がを聞いてたな、と千秋楽の配信見直して思いました)、ここの高砂、大阪の前楽のソワレとかマジでよくて、見てるこっちが、うぇ〜ん高砂…泣、てなった、岬の告白に明らかに驚くわけではなく、悲しそうな、なんというか、自分のことのような、複雑な気持ちで聞いてて、だんだん呼吸も荒くなっていって、体に力が入っていって、岬が、芸人をやめる、と言い出した瞬間、ギュ!とランタン持つ手をにぎりしめ、駆け出す、掴みかかる、全力本気で岬にふざけんな!と言ってやれる、高砂……。岬が「俺はもう終わってんだよ!」て言ってるのを聞く高砂の顔、めちゃくちゃめちゃくちゃ、いいんです、悲しそうって訳でもなくて、でもそんなことを言う岬にやっぱ悲しいっていうか、なんでだよって、なんでそんなこと言うんだよって、本気で怒ってるっていうか、真摯で健気な怒りなんですよね……。高砂くんの心情は複雑なんだけど、でも岬を信じる気持ちはまっすぐなんだなって伝わってきてたまらんなって、毎回なってました。パンフレットにもあったんですが(染谷さん優しさとか表現するの得意って言われてるの……ニコ)、基本的に高砂はとっても優しくて、岬が傷つくのは嫌なんですよね。岬もなんだかんだそんな高砂に頼ってて、最初の時浦とのエンカウントのときも後ろ振り向いて高砂を探すんですよね……、高砂は岬に食ってかかる時浦に「岬に文句あるなら俺に言え、な?」ってかばうし(やさしい)……、岬が時浦にネタ帳見せるときも岬は一回高砂の方見て見せていいかな?みたいな素振りするし、高砂は見せたらいいじゃねえか的素振りを返すし……。岬、お前、高砂の優しさに甘えてばっかじゃだめだぞ!でも、高砂はお前と一生漫才したいって言ってくれるんだな!!………うぇ〜ん、岬、お前は幸せものだなぁ!!!泣 ほんと、これからは高砂と、漫才、素直に、一所懸命、やれるな!!泣 よかったな!!泣
て、まあなってたんですよ、毎公演。そしたらですよ、あの、東京大阪両方の公演観たラストワルツのファンの方、震えましたよね、あの、大阪の初日行ったらさあ、岬の、洞窟で時浦にお笑いやめないでください…って言われた後のセリフが、「もうちょっと、足掻いてみるか!」から、「もうちょっと、あいつと足掻いてみるか!」に変わってたんですよ。
・・・?
あいつと・・・・・・?
あいつと、あいつと、あいつと……(エコー)。
いや、これは泣いた。ウワーーーーーってなった、岬〜〜〜〜〜〜〜〜!!!てか、和田琢磨さん、ありがとう泣!!!!!岬は、あの高砂との取っ組み合いの後なら、そう言うって、うわ〜〜〜〜ん!!!泣、円盤でどっちが残るかわからんけど、この、この変化があったという、この事実をおれは後世に伝えたい(大袈裟、オタクは常に大袈裟だから許せ)。はあ、あの衝撃はヤバかった。
そこに至るまでの、岬の時浦への財布の真相告白聞いてるときの高砂の顔は、前述のとおりグッッとくるんすけども、東京楽の配信であんま抜かれてなくて、まあそりゃそうよな、岬と時浦の顔見たいもんな、と思っていたら、大阪千秋楽の配信で岬の独白中に2回高砂の顔抜かれてて、マジでありがとうございますになった(円盤も、頼む、頼む、頼む…)。
そうやって、あのシーンって、高砂のまっすぐさに、高砂……!になりながら観てて、そんで、この後の高砂のセリフ死ぬほどよくて、「何年経っちゃったーとか、何歳になっちゃったーとか、そんなの関係ねえよ、俺がお前をおもしろいって言い続けてやるよ、俺がお前を信じ続けてやるよ、俺は、お前と、一生漫才やりてえんだよ!」(毎日めちゃくちゃ集中して観続けてたら覚えた)、このセリフ最高やん、めちゃくちゃいいセリフやん、めちゃくちゃエモいやん、やのに、やのに、このセリフ言いながら岬のジャケット脱がすことにする染谷さん、マジで〜、大好き〜。
カミシモのスペースで荒牧くんも言ってたんですが、あのジャケット脱がすのは台本じゃなかったらしく、荒牧くんが「なんなんあの(演技)プラン!!?」て言ってました。和田琢磨さんは、稽古で染谷が突然おれの練習着脱がし始めた、稽古場ではほぼパンイチにされた(???)、それが腹よじれるぐらいおもしろくて……って言ってました(ラストワルツのファンは配信買ってマジで見てください)。
あの芝居観た瞬間、爆笑しながら、染谷俊之ファンは、染谷さん、やってんな……!!ニコ、になったのではないでしょうか(なった)。染谷さんの一個前の舞台、『クアンタム -TIMESLIP 黄金丸-』の真剣なシーンで、染谷さんがぶっ飛んでる芝居してるとこあって、めちゃくちゃよかったんですけども、公演が全部終わった後の配信で、「あそこも普通にやったら普通のシーンだけどね」と言ってる染谷さんに、共演の鳥越くんが「(芝居)どこまで行くんかなおもたわ、あんだけやってくれるからおもろかったよ」て言ってて、演じる人物と作品のこと考えた結果として、カッ飛ばして来るの……最高に……ありがとうございます。
ほんで、そういうですね、突き抜け高砂くんとか、めちゃくちゃいいラストワルツの関係性とかが詰め込まれた楽しいおもろい舞台を観た後でですよ、カーテンコールとか、あと東京と大阪公演の間でやってた染谷さんの配信番組に和田さんがゲストで来てた回とか、和田さんの配信とかで、染谷さんと和田さんとが、ひたすら、「楽しかった」、「めちゃくちゃ笑った」とか、「舞台上であんな素で笑ったの久しぶりだよ」とか(��京楽のカーテンコール)、楽屋でネタ合わせしながら2人で笑い転げてる、って言ってはって、舞台作るのはそりゃそんな楽しいことだけではないとわかりつつ、なんかめちゃくちゃファンは嬉しかったし楽しかったし、なんか、染谷さんと和田さんがラストワルツ演じてくれてマジ感謝すぎました。いや、見てるこっちがこんなに楽しくなるはずやん、と思いました。
あの、カミシモ1から好きな方は散々思ってこられたと思うんですけど、カミシモという物語は、ヤバいですね。カミシモ1の舞台を円盤でみて、おもれ〜!ってなって、舞台そのものがただでさえおもろいのに、そこに、好きな俳優が出る、好きな俳優さんが漫才やる、コンビやる、コンビの間のあれやこれやを見せつけられ、絆が深まったところでおもろい漫才見せられる、これは、狂うよ。1の舞台の円盤の特典で、梅津くんが千秋楽にめちゃくちゃいいお顔で、陳内さんに舞台裏でハグしてるとこ見て、えっ……いい芝居とおもろい漫才をやってくれて、その裏で起こってるこんなことを見せられて、ヤバすぎる、って思ったんですけど、カミシモ2めちゃくちゃ観に行って、いいお芝居観て、めちゃくちゃおもろい漫才観て、カーテンコールですら漫才の如きやりとりを爆誕させてくれて、そのあとで、そのあとでですよ、染谷さんが配信で「(和田さんを紹介して)今日は僕の相方に来ていただきました🎶」「琢磨くんが相方でほんとによかったなって」とか言ってて、和田さんが「染ちゃんが相方でよかった」、「なんかバランスが良かったんだよね〜」とか言ってて、気が狂うかと思った。毎日おもろくて楽しくてエモくて楽しかった。
いや、お芝居と漫才がすべてなんですけどね!!!でもやっぱり、なんかラストワルツのファンは、幸せでした。
ドラマ、楽しみになっちゃいますよねえ。ラストワルツの3人目は登場しますか?私は、諸々鑑みて違うとわかりつつ、玉城さんに1票投じておきますね。和田さんが配信で「鈴木拡樹くんいいな〜、きのこ嫌でやめそう」て言ってたのは超絶草でした。きのこ嫌でやめそうは草(でもわかる〜)。
はー。ラストワルツ、一生漫才してくれよ。コンテンポラらないでくれよ。いや、コンテンポラってくれよ。
彼ら一生漫才するらしいですし、三拍子の心臓が止まるまで応援していくとするか🕺🕺でもあんまりファンやりすぎると高砂に「俺らをダメにするやつだ」って言われてしまうんですけども……。
以上、ラストワルツのファンでした、ありがとうございました!
追伸、未来のラストワルツファンに向けてTwitterの舞台カミシモ2の日替わり系ラストワルツハイライトツリー貼っときます。
https://x.com/yokoyoko79/status/1600112909182328834?s=46
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aaaaya-m · 3 years ago
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最近の自分の趣味が内向的すぎてやばいかな…?と思ってる今日この頃です。折り紙はずいぶん前からちょこちょこやっていた趣味の一つなんですけど、もう一枚の写真の方はほんの一週間前くらいから目覚めた趣味です。まだ始めたばかりなので、今後も継続する趣味になるかどうかはわかりませんが。
私の身近なところではたぶんきっとまぁまぁ有名な話だと思うんですけど、私の画力は画伯レベルなんですよ。でも何か絵を描いてみたいという気持ちだけはあって、色鉛筆やらカラーペンやら使いこなせる自信もないくせにいろいろ持ってます。で、最近、気がつきました。最初からうっとりするような美麗なイラストを描こうとするからダメなんですよね。目指すイラストのレベルを下げてあげれば、楽しく描けるんじゃないかと。手帳の隅にちょこっと描くアイコンのようなイラストとか、それくらいラフなものならがんばれば私にもできる気がしたんです。そしてさらに最近気がついたこと。シールの力を借りるのも一つの手ではないかと。アート系のゆーちゅーぶをいろいろ見ていたら、シールでアートブックを作っている動画を見つけたんです。実は今まで、シールを集めるのが趣味という人の気持ちがまったくわからなかったんですけど、なるほど、こういう使い方をすればいいのかーと、目から鱗でした。というわけで、さっそくいろいろと買い込んでみました。あまぞんだったり、家の近くの書店(の文具コーナー)だったりから。シールだけじゃなくて、もともと持っている色鉛筆やカラーペン、折り紙を組み合わせれば、もっとバリエーション豊かにアートを楽しめそうだと思ったので、はがきサイズの水彩にも使えるスケッチブックを用意しました。アートブックならぬ、アートカードのような感覚です。やってみたら、まぁ楽しいですね。折り紙よりも没頭できる気がします。折り紙は作り上げた時の達成感は大きいけれど、パーツ一つ一つを作ってる時はけっこう嫌になってきてしまうので…。そう、だから折り紙の作品の方は、製作期間、半年くらいかかってるんです笑 嫌になっては放置し、そのうちまた再開。そしてまた嫌になって放置。また再開、を繰り返して笑 青と赤のものに関しては、実はもう一つずつ作ってありました。味気なく玄関に飾ってあったんですけど、私が留守にしている間に来ていた甥っ子に青の方は破壊されてしまいました。修復を試みたけど、紙がやわらかくなりすぎて組み立てることができず、泣く泣くさよならしました。ひどいよね…どうやら、ボールだ!と言って、蹴とばして遊んでいたようです。その時、赤も行方不明になっていたんですけど、それは廊下の隅に転がっているのをいとこが発見してくれました。今回新たに作ったものも、自分の部屋には飾るスペースがないので、また玄関にでも置いてこようかなと思います。ちなみにかごはやっこさんつなぎで作ったものです。これは組み合わせ方でいろんな形の箱ものが作れるようなので、またやってみたいですね。…折り紙の裏地が見えてしまってるのはご容赦ください。作るのは好きだけど、指先が器用なわけではないので…。
アートカードの方に戻りますね。こちらは自分の中ではまだ完成していません。もうちょっと余白を埋めたい。そして学びました。スペースを埋めていくのは、もっと無造作にやった方がいい、と。端から埋めると、重なり方が単調になってしまうんですよね。今回のはオレンジをベースにしてるつもりです。なぜオレンジなのかというと、作り始めたのが2月の14日だったから。そう、レンレンのお誕生日ですね。英語の部分は、曲の歌詞からお借りしたフレーズです。Raise~が宮野くんの『MILESTONE』から、Believe~がKEIKOさんの『七色のフィナーレ』からです。この2フレーズの繋がりはまったくありません。本当はレンレンにちなんでうたぷりの曲から引っ張ってこようと思ってたんですけど、レンレンをイメージすると甘ったるいものになってしまうので、それは家の誰か(特に兄)に見られたら恥ずかしいなと。そんなわけで、当たり障りのないフレーズを探してきました。まだ趣味になるかはわからないと冒頭では書きましたが、継続できそうな手ごたえはあります。旅先のパンフレットとかさ、とにかく紙ベースのものをガンガン貼り付けていくのも楽しそうですよね。私はフリーペーパーとかあると、すーぐ持って帰ってきてしまうから…地味に処分に困るんですよね。
最後にちょっと言い訳。最近アップする写真の下の方に影が入ってるのは、夜に蛍光灯の下で撮ってる写真だからです。もっと部屋の端っことかで撮れば影が入りにくくなるんだろうけど…ほぼ蛍光灯の真下で撮ってるからね。だってこだわるのめんどくさ…いえ、なんでもありません。ま、結論(?)は、自然光で撮るのがいちばんってことですよね。あ、あともう一つ。田舎の家から近いをどれくらいの距離で定義すればいいのかわかりません。家の近くの書店と書きましたが、歩けば余裕で一時間はかかると思う…。たぶん、私が前に住んでいたマンションから横浜駅までの距離とだいたい同じなんじゃないかと思うんですけど、横浜駅が家から近いと思ったことはありません。
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retepom · 4 years ago
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【世界が待ってる】No.075【この一瞬を】
合併号明けのジャンプは格別ですね。梅雨と見紛う日々の空模様ですが、本日は久方ぶりにお天道様も顔をのぞかせておりました。皆様如何お過ごしでしょうか。個人的に取得していた有給も終わり、当方も本日より業務再開となりましたので、いつもよりも低めのテンションになる事はお許しいただければと。では参りましょう、今週の本誌アンデラネタバレ感想です。
 「なんで頂上にマーキングしなかった」
 急に喋るな!!!!!!!!!!!(怒)
息をするように新装備で出てくるの何????合併号明けでただでさえ刺激が強いのに!!!!並ぶとデケェ(再確認)!!!!!!マジで2mあるじゃん勘弁して世界一すき…衣装のパターンが2つあって新装備を毎度持ち出していいってムイちゃんレベルの厚遇だけれど立場的には完全にここで散る準備なのよもう。まだ泣いてない。泣いてないぞ。泣くな!!!!!!!(己への恫喝)
『全滅したいのか?』
テラー参謀の台詞回しが理想的すぎてこまる…クリードとは対等なのか一応席順でマウントが取れるのか。こうなってくると2席の敬語対象範囲はボス(隊長)と友才のみかな。
そしてボスの小脇に出雲風子。セカンドバッグ感覚。後ろ手に縛ってるんだしもうちょっと良い運搬方法なかったんですかね。
「チッ 面倒くせぇ…」
円卓会議ではちゃんとスーツに着替えるクセに上官の前で悪態をつくのは止めない〜!!(すき)
そして図解されるSkyトゥリー大作戦。UNIONもUNDERも相変わらずしれっと謎の科学力合戦繰り広げてる…誰の技術なんだ……否定能力とUMAの合せ技か…というかこの布陣なら前回のマッチメイクの背景は映えを意識した撮影用(???)
「そーはならないな」
「あ?俺じゃ殺れねーってのか?」
「そーじゃない」
ふたりともなんでそんな小学生みたいな話し方してんの?このコマだけめっちゃIQ低くない??ていうかクリードの身体の厚みがもう吹き出しを内包するレベルなのよ。やっぱりパンプアップしてきた?身体仕上げてきた??デカ過ぎて固定資産税がかかりそうだな!!!
次コマ!!サブリミナル不燃(仮)+不貞!!!戸塚御大、男女コンビをすぐCarryするじゃん…ていうかくるるもそんなに小さくなかったよな?不燃(仮)さん結構サイズある??バンをガードできるくらいの寸法ですか???金持ちは嫌い???「喧嘩売っとるんか?」って言うの見たい(感想脱線芸人)
制限時間は全員適応だからUNIONもUNDERもお互いに時間かけられないんですね。トンデモ科学力なのに情報はSNS。データは紙媒体。何なんだUNION…
「じゃあ風子さんも…」と風子の身を真っ先に案じるチカラ君よ…涼ちゃんといい風子さんといい、本当に……絶対に生きてチカラ君…!そうでなくちゃ我らの心がめちゃくちゃになるぞ!!
まぁ読者的には制限時間があろうとなかろうと爆速ジェットコースターコミックだからねアンデッドアンラックはね。春四半刻調理実習はじまる。
「頂上で」「会おうぜ!!」
アンディがリーダーしてる…ジュイス様も結構しっかりついてきているので腕は大丈夫なのか……いや、大丈夫なことは何ひとつ無いんだろうけれど。剣より重い物は持てない(十分)のかな。
 「!?」
「アンディさん!!」
「不死が先行し相手を確認 後続はそれを見て判断か」
 ン"ンンン""ッ!!!!!!!待ってくれその攻撃方法がとれるのはUNDERでひとりだけ 深呼吸の時間を頂戴 吸って 吸って 吸っ
「だが関係ねぇ!!」
「俺の不減の弾幕の前じゃあなぁ!!」
 UN DECREASE ―不減―
万病に効く推しの見開きクソデカフォントォ〜〜〜〜ッッッ!!!!!!
アッ、あ〜!!!!伯でのガスマスクも大変色っぽかったんですが今回の装備もッッッたまりませんね"ッッッッァ°〜!!!!!!!!!
そしてそんな弾幕の最中でアンディのサブタイトル回収台詞が光るッッッ!!!!!アッもう負けた…アカン……これはもうUNIONボーイズの圧勝よ…さよなら不減……でもねどんな最期を迎えてもアナタが心の一等賞(現実逃避ポエム)
「!」「この感覚…」
 UN MOVE ―不動―
「了解です」
わぎゃああああぁッッッち、チカラ君…否、力さん!!!!!
これは勝利を掴む漢の顔ですわ…ジュイス様に指示出しちゃってるもんなもう……イヒーッて鳴いてた頃の彼じゃないんだな…ちょっと寂しいけれど……クリードが2回目(1回目はコピー)の不動くらったリアクションが円卓で一騒動あった時のリップや風子と一緒なの、やっぱり“止められてる”って特有の不思議な感覚があるんだろうか。
ところでアンディ回復遅らせてる?何か理由あるのかな??
「ほう あの時よりちったぁ成長したらしい」
仮にも的にした相手の顔覚えてるの百点満点返しなので本当にしんどい。意外にも殺す相手の事認識してるタイプなのか。しんどいじゃん。なぁ。タチアナ戦での強化服褒める台詞もめちゃ好きなんです。もう情緒がメチャクチャよ。
「だが所詮 止められるのは見えるものだけ」
エェン…歯でスイッチ押すタイプのアレじゃん…マスク装備、カッコいいだけじゃなかった……理由あった………目のやつはスカウターじゃなくて後方確認用モニターかな?それともそっちはそっちで武器の発射用?え?ウインクして!!!!!!!
おや…アレ?何でドッグタグ1枚しかつけてないんだ??2枚ありましたよね???作画ミスかな…でもどのコマみても1枚しか………お…おい………あと1枚、何処やったんだ。知ってるぞ。私は。アナタがドッグタグ2枚首から下げていたこと。知ってるんだからな。3巻読みすぎてヨレヨレなんだよ。何回描いたと思ってるんだ。オタクをナメるなよ。なぁ…何処に!!置いてきたんだよ!!!もう1枚!!!!!!!!なぁ!!!!!!?!?!ただのブラッシュアップにしてはアレじゃないか!!!!?!掘り下げるのか!!?それについて掘り下げるのか!!!?!?うわあ!!!うわああああっッッ(錯乱)
ハァッ…ァ…………………………………………
うん よし 続きね、 続き…
不停止…「二人組(ツーマンセル)か」
直接姿を確認せずに“不停止”と認識したのはやっぱりスカウターに背後を確認するモニターみたいなのが付いてるんだな?右からのアングルで描いてるし、ほぼ確定で良いか。そして当然ながらUNION全員の能力は予習済みと。まぁそりゃそうだ。UNIONが作戦立てられる時間の分だけUNDERも作戦立てているわけだから。ていうかツーマンセルってるび最強なんだよな、ツーマンセルとかスリーマンセルとか大好きなんだよ僕ァ
「風子を頼んだぜ!!」「おっさん!!」
 >>おっさん<<
名前で呼んでなかったのか、トップ君。アンディ無言のサムズアップ…あれ、やっぱ回復遅いよな??何故…温存……???
「おいおい 待て待て」
「てめぇら二人だけで俺を殺るってのか?」
そうだよ…負けフラグに念を押すなよ……ッ!!最高なんだよなその悪役っぷり!!!!
「アイツらが先に行く為の 捨てゴマじゃねぇか?お前らは」
……顔が…………良い………………………………………(確信)
「違うよ」
「ボク達は」
「お前に勝てるから」
「ここにいる!!」
し………………重野力ァ!!!!!!!!!!(大声)
高速で移動する物体の上で全く姿勢を崩さず能力を発動し続ける漢ォ!!!!!!!!!!
はぁ〜〜〜〜〜
男子三日会わざれば刮目して見よ……………………………………(感涙)
「…」 「馬鹿が」
あっ………頭の先から爪先まで完全無欠の“悪役”だア"ア"ア"ア"ァ"ッ"ッ"ッ!!!!!!!!!!眼ェガンギマり!!!!!!いつ死んでもおかしくねぇ!!!!!!心も身体もキレてるね!!!!前世は手榴弾ですか!!!!!!!!
ビリー様の首を秒で蹴り折ったあの“覚悟完了男子”トップ君の“修行後”直滑降延髄蹴りを!!!!!!首でうけて流血してんのにビクともしねぇバケモンだああああぁ!!!!!!!!ヒャアアアアアアァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 ―祭りは三日三晩続いた―
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ronpe0524 · 4 years ago
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ワクチン接種できるようになってきたけど、な7月(2021年7月の日記)
■2021/7/1 さぁ2021年も後半戦開始な木曜日。新たな気持ちでまた頑張っていきましょう。頑張っていきたい。頑張れればいいな。午後、学校から帰宅した娘がちょっと体調悪かったのか疲れてたのか、機嫌悪くて宿題とかやらせるのに一苦労。仕事やりながらだしどっと疲れる。夜、マリオンさんらがTwitter Space上半期映画・ドラマベストをやっていたので聴く。『インベスティゲーション』をすすめてくれた人がいたのでちょっとだけ話す。U-NEXT『爆裂都市 バースト・シティ』を見る。Netflix『全裸監督』S2E7を見る。
■2021/7/2 金曜日。いやー雨だ。コンビニに行く気もなくなる。でもヨーグルト買わないといけないので傘さしてコンビニに行ってお昼もいっしょに買ってきた。帰宅してから明日のための食パンを買い忘れたことに気づきショックを受ける。夜、娘を風呂に入れてあとは寝かせるだけだ、という段階で外からドーンドーンと音が。なんと横田基地が花火をあげている。雨なのに。マンションの通路に出て、屋根のあるところから30分間の花火を娘と見た。さすがに雨で見にくかったけど、それでもさすが花火だ。娘はとてもよろこんでいた。Amazon Prime Video『トゥモロー・ウォー』を見る。Netflix『全裸監督』S2E8を見る。これで完走。メインの役者陣はみんな良かった。とくに玉山鉄二。Apple tv+『リーシーの物語』E6を見る。
■2021/7/3 土曜日。どうやら前日の夜ぐらいに腰を痛めたらしい。前の病気の影響で僕は基本的に腰に痛みがある。毎朝、鎮痛剤を飲んでるぐらいには痛いし、もう死ぬまで走ったりする運動はできないだろう。がしかし、たまにそのレベルじゃない痛さになることがる。今がそうである。こうなると朝、昼、夜と鎮痛剤を飲んでなんとか過ごせる。早く治まってくれないだろう���。朝から娘を習い事に送る。束の間に自由時間。立川の「一福」でランチ。キノシネマ立川で『ザ・ジェントルメン』を観る。娘を迎えに行って買い物して帰宅。Netflix『バクラウ 地図から消された村』を見る。シネマコレクションbyKADOKAWA『大怪獣ガメラ』を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E1を見る。
■2021/7/4 日曜日。まだまだ腰は痛い。午前中だけ時間があり映画を1本観れるチャンス。シネマシティで『ゴジラVSコング』を観る。極上爆音上映。帰りに西立川のパン屋でお昼を買って帰る。ちくわパン、うまい。午後は娘の勉強を見たり遊んだり。娘が動画を見てる間は僕も映画を見たり。合間に投票に行ったり。夜はche bunbunさんらの上半期ベスト Twitter Spaceを聴く。日本未公開映画をDigってる人たちの話は映画情報としてとても面白い。Netflix『悲哀の密林』を見る。U-NEXT『真・雀鬼』を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E2を見る。STARZPLAY『ブラインドスポッティング』S1E2を見る。
■2021/7/5 月曜日。まだ腰は痛い。大丈夫だろうか。仕事もなかなか忙しい。なんとかお昼休みにスーパーで買い物。WOWOWオンデマンド『ザ・ゴールドフィンチ』を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E3を見る。STARZPLAY『ブラインドスポッティング』S1E3を見る。 シネマコレクション by KADOKAWA『眠狂四郎 勝負』を見る。
■2021/7/6 火曜日。基本的に毎月第一火曜はけっこうな人数に対してミーティングで話す感じになる(オンラインですが)ので緊張する。そして発表時間に対して準備がとても大変。夜、僕モテYouTubeで予告編探偵回を見る。入江監督、名優、伯周さん、編集長でわいわいやってる感じが楽しい。Amazon Prime Video『J・バルヴィン~メデジンから来た男~』を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E4を見る。
■2021/7/7 水曜日。朝からU-NEXT『16ブロック』を見る。追悼リチャード・ドナー。ここにきてRIJF中止の発表。いやー発表内容を読むとこいつはつらいな。うちの弟君も1日(ナンバーガール出る予定だった日)のチケットを取ってたはず。昼ごはんは揚げ玉豆腐だ。豆腐を200グラム食べるだけでけっこうお腹いっぱいになる揚げ玉豆腐。ヘルシーで素晴らしい。週一ぐらいで食べてる。Netflix『ロキ』E5を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E5を見る。夜、映画見てる途中で寝てしまう。無念。
■2021/7/8 木曜日。お。ここ一週間かなり痛かった腰がやや良くなっている。嬉しい。午前半休を取りイオンシネマむさし村山へ。『ブラック・ウィドウ』鑑賞。お昼は『笑乃讃』でうどんを食べる。雨の中、自転車で急いで帰宅。午後からは仕事に戻れました。Netflix『刑事グロムvs粛正の疫病ドクター』を見る。U-NEXT『ビッグ・マグナム黒岩先生』を見る。
■2021/7/9 金曜日。うーむ急ぎの仕事が多くて忙しかった。上司と月一のミーティング。どうやら9月ぐらいから段階的に出社しての仕事に戻っていき、11月から本格的なオフィスでの仕事に戻ることになり���う。夜、予定時間より遅れに遅れたけどYouTubdeで「僕モテFRIDAY’」開始。上半期の日本映画振り返りって感じで楽しい。オンライン試写で『共謀家族』を見る。
■2021/7/10 土曜日。午前中に1本映画を観れるチャンス。立川へ。キノシネマ立川で『ライトハウス』鑑賞。村山章さんのツイートを見てパンフを買おうと思っていたらなんと完売。まじかー。お昼用にマックを買って帰宅。テキサスバーガーうまい。午後は娘の勉強とかをやらせつついろいろ映画を見たり。WOWOW録画『まともじゃないのは君も一緒』を見る。U-NEXT『大列車強盗団』を見る。Disney+『ラーヤと龍の王国』を見る。夜は僕モテ読者サミット。今回も長時間の映画の駄話。意外にも上半期で大きく見逃していたのはそんななかった感じ。『ペトルーニャに祝福を』は配信とかで見れる状態になったら見ようと思う。夜中の3時半まで参加してたけどさすがに寝なきゃいけないので離脱。また年末!
■2021/7/11 日曜日。いつも通り6時に起きれた。娘と午前中から実家へ遊びに行く。娘はちょっと早い誕生日プレゼント(ルイージのレゴ)をもらい楽しそうに遊んでいた。僕は昨夜遅かったのでさすがに眠かった。両親は2回のワクチン接種が終わりちょっと安心。弟ももうすぐ2回目とのこと。僕はいつになるのだろうか。夕飯までご馳走になり帰宅。帰りに虹が見えた。どうやらBluetoothイヤホンが壊れたようだ。スマホとペアリングしてくれない。これが思って以上に影響大。すぐにAmazonにオーダしたけど到着は火曜かな。Apple tv+『リーシーの物語』E7を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E6を見る。U-NEXT『アトラクション 制圧』を見る。この映画、劇場公開時(カリコレ)に観ているんですけどほとんど内容忘れててショック。見てればもうちょい思い出してくると思ったのに。。STARZPLAY『ブラインドスポッティング』S1E4を見る。
■2021/7/12 月曜日。あーBluetoothイヤホンがないとこうも不便なのか。なんだか朝も昼も眠い。WOWOWオンデマンド『アトラクション 侵略』を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E7を見る。
■2021/7/13 火曜日。まだBluetoothが届かない。不便だ。お昼にスーパーに買い物へ。あーこの時間で本来ならば30分のラジオとか聴けたじゃないか。うちの娘、先日受けた英検準2級、面接の方も見事合格。年内の試験で合格できれば、と考えてたやつが早くも受かってしまった。これで次は2級の勉強に移行(すでにはじめている)。英検2級になるとけっこう難しくて僕はぜんぜん受かる自信ないんですけど。幼稚園の頃から毎朝やってるヒアリングの勉強、週3で通ってる英会話、週1でのオンライン授業(for英検)、さら毎日やってる英検の勉強の宿題。これだけやってると小3でもここまでできるもんなんですね。夜、娘が寝てからラロッカさんとDiggin' Netflix収録。月一のことやりとりが楽しいです。Amazon Prime Video『ハピエスト・ホリデー 私たちのカミングアウト』を見る。
■2021/7/14 水曜日。午前半休でTOHOシネマズ立川立飛へ。『唐人街探偵 東京MISSION』完了。休暇を使わないとシネコンですら映画を観れない。ららぽーとのフードコートでお昼(うどん)を食べてから帰宅。帰宅するとついに立川市のワクチン予約のお知らせが届いていた。すぐに予約。8月中には2回目まで接種できるな。ワクチンなくならなければ。Netflix『プライムタイム』を見る。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E8を見る。
■2021/7/15 木曜日。忙しい。仕事が忙しい。郵便局とか行かなきゃなんですけど行く余裕がない。夜、藤元監督の監督ラジオを聴く。まだまだ面白い話が出てくる。ABEMAではじまった小林勇貴監督の新作ドラマ『酒癖50』E1を見る。「俺にできることはお前もできる」という思考は大嫌いで、プライベートでも仕事でもまぁまぁ遭遇する。自分もこれが出ないように気をつける。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E9を見る。
■2021/7/16 金曜日。もう7月も折り返しか。まじか。会社のいろいろサポートしてもらっている先輩が1週間休みのためいろいろ確認したいことができずまー大変。もう無理。僕もまとまった休みが取りたいが、通院やワクチン接種後のことを考えるとあまり休暇を使えない。夜はYouTube「僕モテFRIDAY」を見る。イシヤマさんとDiggin' U-NEXTを収録。次のお題作品も勢いですぐ決めてしまった。
■2021/7/17 土曜日。朝からいろいろつらい。100がんばり続けてもその後の1で失敗したら全否定されるような状況が続いていて、さすがにすべてを放り出したくなる。放り出さないけど。午前中に1本映画観れる時間があったのでキノシネマ立川へ。『プロミシング・ヤング・ウーマン』鑑賞。午後は娘に勉強やらせたり、英語の勉強につきあったり。夜、YouTubeで「9時ゆる」を見る。週末の楽しみ。Netflix『ミッチェル家とマシンの反乱』を見る。MyFrenchFilmFestival『ミスターX レオス・カラックス』と『女の子は無料』を見る。Apple tv+『リーシーの物語』E10を見る。これで完走。うーん、まぁまぁだったかな。Apple tv+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S1E10。これは満足。S2も見ます。
■2021/7/18 日曜日。今日はけっこう時間があります。午前中から上石神井へ。東京おかっぱちゃんハウスにてPodcast「Where were we!」の公開収録。生で岡部さんとナツノカモさんがPodcast収録してるところを見る。あえて積極的に告知をしていなかった(なぜだ?)けど、コアはウィスナーさん(「Where were we!」のリスナーをこう呼ぶ)は集まっていた。まるゆさんもきてた。トークの中でも云っていたけど、おそらく観客がいなかったら話さないような話が展開されていて面白かった。またやってほしいです。お昼を食べる時間が少なかったが、まるゆさんと近くの丸亀製麺まで行ってうどんを食べる。けっこう混んでて10分ぐらい並んで、10分ぐらいで食べた。おかっぱちゃんハウスに戻りナツノカモ「カモの観察会2021夏」。贅沢な時間だ。そして午前中とのギャップよ。ナツノカモ氏が年末に開催予定、と話していたある企画がとても面白そうかつ天才的アイデアでとても楽しみ。帰宅。暑い。娘と夕飯を食べる。今日は娘の誕生日なので食後に買ってあったアイスケーキを食べる。うまい。もう9歳か。いろいろ大変だと思うけど元気に育ってほしい。夜、娘が寝てからキンザザPodcast���収録にリモート参加。『ブラック・ウィドウ』と『ロキ』についてわいわい話す。『ロキ』についてはやはりうまく言語化できない部分が多い。自分でしゃべっておいて何を云ってるのかわからなくなる。誰かに説明してほしいけど、きっちり説明できる人いるのだろうか。けっこう遅くまで話したのでちょっとメールとかして寝る。
■2021/7/19 月曜日。まだ仕事が忙しいな。カモの観察会の振り込みにも行けず。申し訳ないです。スーパーにも行く時間がないから娘が寝てから遅い時間にコンビニで買い物。Netflix『フィアー・ストリート Part 1: 1994』を見る。Apple tv+『シュミガドーン!』S1E1を見る。監督がバリー・ソネンフィルド。
■2021/7/20 火曜日。午前中、昨日行けなかった振り込みに行く。早めのお昼を山田うどんで食べる。でも今日は小学校の終業式なので娘の帰宅が早い。急いで戻る。仕事の合間で娘のお昼を準備して、仕事の合間で宿題などをやらせ、仕事の合間でおやつを準備して、オンラインミーティングをしながら英会話に送り出す。いやーきびしい。明日から娘は夏休みか。去年とかどうしてたっけかな。思い出せない。夜、娘が寝てから、けんす君&なんすけ君とDiggin' Amazon Prime Video収録。終わってから近況などを話したり。あーもっと映画観たいな。STARZPLAY『ブラインドスポッティング』S1E5を見る。
■2021/7/21 水曜日。娘が今日から夏休み突入。仕事への集中力がますますなくなる。そんなの関係なくMeetingも多くて大変。合間に図書館に本を返しに行ったりもしてへとへとである。夜、U-NEXTで『聖なる犯罪者』を見る。
■2021/7/22 木曜日。おー。今日から4連休であります。まずは娘と実家へ遊びに行く。おばあちゃんに英検準2級に合格したこを報告して自慢げ。夏休みの宿題とかはやらせつつ動画とか見たいがなかなか集中できない。夕方、オンラインの英会話を娘のために繋げる。いつもは仕事中なのでチェックできていなかったけど、今日は45分ほどの授業をずっと聴いていた。本当にヒアリングに関しては僕より娘の方がはるかに上だと思う。娘は単語をまだまだ知らないけど、前後の文脈で内容を理解していってしまう。日本語の文章を聴いているのと同じ感覚なんだろう。このままうまく続けられるといいな。夕飯を食べて、寝る前には庭で花火をやって遊ぶ。夜は藤元監督の監督ラジオを聴いたりしていたら寝てしまったようだ。
■2021/7/23 金曜日。いつもよりちょっと寝坊したが午前中から娘の英語の勉強をやったり、宿題をやらせたり。Netflixで『フィアー・ストリート Part 2: 1978』を見たり。お昼は両親といっしょにスシローに行く。どんだけスシローに行くんだ。一度帰宅。娘を両親にお願いして僕は渋谷へ。イメフォで『ジャッリカットゥ 牛の怒り』鑑賞。4連休あっても観れる映画はこの1本のみ。Twitter TLでは映画の感想が続々と流れてきて正直うらやましい。僕がある程度映画館に行けるようになるには数年かかるかもしれないなぁと最近は考えている。それまで映画を好きな気持ちが続いているのか、という問題はあるけどそこはあまり心配していない。実家に戻り夕飯をご馳走になる。明日から家族で出かけるので車を借りて娘と帰宅。夜は『シュシュシュの娘』とインスタライブ、YouTube「僕モテFRIDAY」を連続で見る。久々の画伯登場、嬉しい。Apple TV+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S2E1を見る。
■2021/7/24 土曜日。午前中から家族で出かける。目的地は千葉の市原。五輪期間ということで1000円高い首都高を突破しアクアラインを使って海ほたるでお昼ごはん。車線規制とか心配だったけど、ここまで一切の渋滞なしで快適だった。市原ぞうの国へ。ちょうどぞうさんのショーがはじまるタイミングで到着。動物好きの娘は大変楽しかったようだ。ショーのあとはぞうに餌やりもできる。他の動物にも餌やりができて楽しい。猫とふれあえる部屋(+300円)でのんびりしていたら居眠りしてしまった。時間がきたので宿へ。サユリワールド(市原ぞうの国と経営は同じなのだろう)という動物園併設のグラピング施設。僕らが泊まるところはツリーハウス風の部屋で、梯子のような階段をのぼらないと部屋に行けない。足の悪い人とか小さな子供はムリだろう。秘密基地のような構造に娘のテンションは上がる。夜ごはんはおなじみのBBQ。食材とかは全部用意されているので僕らは焼いて食べるだけ。各宿泊施設も離れているし、シャワールームも個別。いわゆるグランピングというやつですけど、コロナ禍のレジャーに最適。去年は横須賀のグランピングに行ったけどそちらも良かった。BBQでおなかいっぱいになり、シャワーを浴びて、英語の宿題なども終わったのでベッドでごろごろする。娘も疲れたようですぐに寝て、僕はYouTubeで「9時ゆる」を見てから寝る。春本監督のオススメ映画回で、紹介された映画をメモメモ。
■2021/7/25 日曜日。いつもと同じ時間に起床。娘とトイレに行き(ツリーハウスにはトイレがついていない)、毎朝やっている英会話の動画を見る。娘が「外でやろう」と。ツリーハウスの外にはゆらゆら揺れる椅子が2つ置かれていてので、そこにノートPCを持ってきてやってみた。なかなか楽しい。朝食はなんとサユリワールドのきりんと一緒に。キリンがいるとこのすぐ横で朝食を食べることができ、食後はキリンにおやつ(バナナとにんじん)をあげることができる。あそこまで近くできりんを見たのははじめてだったし、キリンに手をなめられたのもはじめて。貴重な経験だ。おやつを追加購入、園内の他の動物にもおやつをあげることができる。園内の柵の外にカピバラや鹿、ラクダなどが歩いている動物園なのだが、まだ開園前の時間のため、見てまわっているのはグランピングの客のみ。しかもこの園、動物の入っている柵の中にも扉を開けて入っていけてしまう。動物園の人に「お子さんにはおやつのバケツを持たせないようにしてください」と云っていた意味がすぐわかった。背の低い子供だとバケツごと奪われしまいそうである。ワオキツネザルの圧が強くて「バナナをくれー」という感じで近寄ってくる。てゆーかワオキツネザルに2回も背中に乗られた。もちろん着ていたTシャツは泥だらけ。すぐに着替えることになった。いやー楽しい経験でありました。10時にチェックアウトして、帰りはまっすぐ帰る。海ほたるに寄ったけどトイレとお土産購入のみ。そのあとは石川PAまですいすい。石川でお昼を食べて帰宅。実家に車を返しに行こうと思ったら娘も行くと云う。というわけで車を返しがてら両親にお土産を渡す。僕は1時間ほど横になって寝てしまった。夕飯前には帰宅。母が持たせてくれて炒飯を食べる。疲れたので娘と同じタイミングで寝てしまった。4連休、映画はほと��ど観れなかったけど、娘は楽しめただろう。
■2021/7/26 月曜日。ちょっと疲れは残っているけどたっぷり寝たので気持ちいい。TwitterのTLをさかのぼり、杉田監督の『春原さんのうた』がマルセイユ国際映画祭のインターナショナル・コンペ部門にてグランプリを含む3冠とのこと。めでたい!ここ数日、杉田監督が更新していたTumblrの映画祭滞在記を読んでいて本当に楽しかったし、良い時間を過ごしているのだろうと思っていたけど、最高の結果までついてきてなんだかこちらまで嬉しくなってしまう。『春原さんのうた』、公開は来年だけどとても楽しみ。年内の日本の映画祭でも観れる機会などあるだろうか。仕事のメールをチェックしたが、4日休んでたわりにはあまりメールがたまっていない。ホッとする。月曜日はMeetingが多い。夜、WOWOWオンデマンドで『名もなき生涯』を見る。面白かったけど前日の疲れがまだあるのか数回寝てしまう。寝ては戻ってを繰り返して見たのですごい時間かかってしまった。ただでさえ尺が長い映画なのに。
■2021/7/27 火曜日。朝時間があったのでNetflix『フィアー・ストリート Part 3: 1666』を見る。午前中働き終わり、昼ご飯を食べてる時点で午後、娘の病院にいっしょに行く予定だと云われる。メモでは自分は行かないことになっていたのだけどそれを云ってもしょうがない急いで午後半休の準備。それほど忙しくない日で良かった。病院に行くまで1時間ほど時間ができたのでBSスカパー!で録画しておいた『LUGINSKY』を見る。今度行く予定の監督のトーク付き上映も楽しみだ。娘の病院へ行き、娘とスーパーで買い物をして帰宅。ちょっとだけ仕事のメールをチェックしたがすっごい急ぎのものはなさそうなので見なかったことにする。夜、WOWOWオンデマンドで『暗数殺人』を見る。キム・ユンソク、素晴らしいですね。録画したTVドラマとかも見たかったけど娘のベッドで横になったらそのまま寝てしまった。
■2021/7/28 水曜日。娘がいつもの時間に起きず朝から不機嫌。最近寝る時間を22時にしたのだけど、21時の方が良かったんじゃないだろうか。不機嫌でも英語やら宿題をやらせないといけない。在宅仕事をしながら。自分もオフィス勤務復帰が近づいてきているのだけど、いろいろ大丈夫だろうか。いろいろ不安である。夜は藤元監督の対談配信を見たり。U-NEXT『アンダードッグ 前編』を見たり。
■2021/7/29 木曜日。翌日に休暇をもらうこともあり凄まじく忙しい。定時でも仕事終わらず。子供の夕飯準備したりしつつまだ仕事。MCTOS『プライムタイム』回に参加。ヒラツカさんの考察にうなる。いやー参加して良かった。夜遅くにメール立ち上げてまだ仕事。在宅だとこういうのができちゃう。できてしまう。U-NEXT『ドゥーム・パトロール』S1E1を見る。
■2021/7/30 金曜日。早朝にメールを立ち上げてまだ仕事。海外から返信を待っていたやつとかあってバタバタ。でも仕事を休ませてもらって立川駅近くの病院へ。ついにワクチンの1回目を接種。ファイザー。サクッと終わった。帰りにマクドナルドでコー��ー飲みながらABEMA『酒癖50』だけ見る。帰宅。まぁ1回目は大丈夫だろうけど、副反応を心配して義母が一泊泊まりに来てくれた。娘はおばあちゃんが来て嬉しそう。そうめんをお昼に食べる。まぁ休暇なんですけど仕事のメールをいくつか返してしまう。いかんいかん。休もう。たしかに午後になるとワクチンを打った左腕が痛くなってきた。でも腕が上がらないということはない。夜、YouTubeで「僕モテFRIDAY」。伯周さんとかめりさ、毎週配信はけっこう大変だろうと思うけど正直面白い。コメント欄で読者さんけっこう集まっているのも楽しいし、画伯の話も面白い。STARZPLAY『ブラインドスポッティング』S1E6を見る。Apple TV+『テッド・ラッソ:破天荒コーチがゆく』S2E2を見る。
■2021/7/31 土曜日。朝一で検温したけど発熱はなし。腕が痛いだけです。娘の習い事には義母が送ってくれるとのこと。ありがたい。自宅でゆっくりできたので午前中からU-NEXT『アンダードック 後編』を見る。コンビニに行ったり、お昼ご飯食べながらゲームの「返校」をすすめたり。3章がまぁまぁ複雑だったんですけど。なんか体調はぜんぜん大丈夫なのでMOVIX昭島へ。ちょっと観るをあきらめていて『竜とそばかすの姫』を鑑賞。僕はそんなにこの映画がうまくいってるとは思わないのですが、描こうとしているもの、題材は面白い。ネット空間、とかバーチャル、ではなくてはっきりとソーシャル・メディアの長短を描いている(描こうとしている)と思う。自分のTwitter TLのことを考える。あたりまえだけど自分がフォローしている人のツイートや、RTが流れているわけですが、このひとはなんでこんなことをツイートしているのだろう、なんでこんなに攻撃的なのだろう、こんなに怒っていてそれをツイートして何になるんだろう、という人がいる。たぶんそれが「正義」のようなものだと思っているのかもしれない。そういう人を理解できないし、理解する必要もないし、そんな余裕もない、と思っていたんですけど、なんかそういうソーシャル・メディアでの顔はやはりその人の一面であり、その人のそのスタンスにはなにか事情があるんだろうな、という想像をちょっとしてみようかな、という気持ちになった。そんなことをぼんやり思いながら帰宅。帰宅してまだ時間があったから、Diggin' Amazon Prime Videoの『J・バルヴィン~メデジンから来た男~』を編集して配信する。ここで話していたこともちょっと繋がる。夜、YouTubeで「9時ゆる」を見る。藤元監督、ポレポレでの3ヵ月ロングランお疲れさまでした。次は春本監督の『由宇子の天秤』っすねー。楽しみだし応援したい。ゲーム「返校 Detention」を短期集中プレイでクリア。なるほどなるほど。映画版も楽しみです。さて夏ドラマも出揃った感があるし、この前の僕モテ読者関西サミットでchihhieさんが「日本のドラマのことはツイートとか日記に書かないんですか?」って云われたことがちょっと気になったので、今期何を見てるかぐらいをここに書いておこう。空前の面白さと本数であった春ドラマに対し、夏ドラマはまぁ落ち着いているかな、と思っていたけどそんなことはないですね。夏ドラマも面白い。まずはこの日記でも何度か書いているけどABEMAの『酒癖50』。小林勇貴監督の新作ということで見てみたけど圧倒的に面白い。容赦ない。脚本は鈴木おさむ。実はある理由で鈴木おさむは好きではないのですがちょっと見直しました。地上波では安定の『孤独のグルメ』。がっつりコロナ禍を描く方向できたのは良いと思う。『ただ離婚してないだけ』、中村ゆり好きなんですよね。1話目から安里麻里監督の演出が圧倒的。話より演出の凄さ。入江組の助監督でもおなじみの角田恭弥監督演出回もあります。『初情事まであと1時間』、これはもう監督陣。橋口亮輔、三浦大輔、大九明子、谷口恒平ですからね。『お耳に合いましたら』、Podcast×チェンメシという題材も面白いけど、『サマーフィルムにのって』の監督・主演コンビ作品なのでもちろん見てます。『緊急取調室』は録画してるけどまだ1話も見ていないどうしよう。さらにWOWOWだと『男コピーライター、育休をとる。』、夏ドラマのヨーロッパ企画案件。山口淳太が演出、そして脚本は細川徹。あと『ひとりで飲めるもん!』、大政絢好きなんですよね。主に顔が。ドラマ前半のお仕事部分は面白くないんですけど、ドラマ後半のチェンメシひとり打上げ部分が最高なんですよね。大政絢がビール飲みながら「てんや」で天丼食べてるとこ見てるだけで最高。そう、実はこっちの方がチェンメシドラマとしては『お耳に合いましたら』より先行しているのです。こんな感じの国内ドラマを今期は見ています。あと古畑の再放送をついうっかり録画して見てしまっています。そんな感じで7月も終わり。
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mirrativtmbr · 5 years ago
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✨ミラティブ主催✨2020年6月モンスト配信者ランキング結果発表👑
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『モンスターストライク』の 配信者ランキングを結果発表🏆
このランキング企画は、新たなお気に入りの配信者さんが見つかるように、配信者さん同士のつながりが強くなるように、という意図でミラティブが主催しています🤝
🏆TOP100🏆
1位 柊月家(りたの兄)🎀 時間合計:758時間43分 2位 じらえもん 時間合計:733時間12分 3位 ゆきにゃෆゅき丸ღεïзღ🐰 時間合計:732時間40分 4位 ❦ぽんこつ悪魔マミィー❦🗿 時間合計:657時間05分 5位 しあ₍˄·͈༝·͈˄₎໒꒱ 時間合計:601時間40分 6位 🦠七福神🦠ちゃんあい🐲 時間合計:551時間06分 7位 ヒロロ@兄貴 時間合計:499時間23分 8位 あやちん😈❣️下ネタ¹ºº㌫ 時間合計:478時間21分 9位 まこや 時間合計:473時間10分 10位 🐨なぁChan☆*° 時間合計:452時間27分 11位 ᗰᗩᖰ🐌 時間合計:440時間13分 12位 もも@しょげまる( ˇωˇ��� 時間合計:404時間47分 13位 もってぃ 時間合計:404時間36分 14位 まりな 時間合計:367時間09分 15位 かいすぅ@寝落ち雑魚 時間合計:334時間12分 16位 【公式】MSG_S4蒼鳳 時間合計:330時間47分 17位 ☪︎⋆とも。˚✩ 時間合計:315時間11分 18位 🐧第18使徒さとっちぇる🤖🦈🖍 時間合計:293時間38分 19位 れおん...KINGGONNG 時間合計:283時間00分 20位 かぉり🍒 時間合計:281時間49分 21位 🥀闇のばぶぅ🧸.* 時間合計:272時間02分 22位 むぎちゃℳ. 時間合計:264時間29分 23位 マキぴろ君@youtube🐒 時間合計:253時間56分 24位 まさある 時間合計:253時間09分 25位 ○○の犬やし 時間合計:231時間38分 26位 メオ🍥(ИАО) 時間合計:230時間22分 27位 初心者丸出しお ち せ ·͜·ೢ 時間合計:220時間01分 28位 kitigainanako🌼 時間合計:217時間19分 29位 あすぽん。 時間合計:214時間30分 30位 みぽる 時間合計:205時間16分 31位 miso🥺 時間合計:194時間35分 32位 くぴど兼おんちゃん 時間合計:194時間27分 33位 ちーちぷ🐝 時間合計:190時間48分 34位 だいく🔨 時間合計:190時間13分 35位 たけおんのよめ@右下警察👮🏻 時間合計:186時間45分 36位 お邪鬼 時間合計:185時間12分 37位 さとんべ@ぴごちゃん激推し!! 時間合計:183時間09分 38位 ティーダ(*ฅ•̀ω•)🐯 時間合計:182時間58分 39位 ひよこ🐣にお任せ 時間合計:181時間26分 40位 暇人画伯。🐯 時間合計:180時間42分 41位 つばさ🦅 時間合計:179時間49分 42位 TERU★「推しマ★」 時間合計:177時間22分 43位 リュックサック 時間合計:176時間30分 44位 しーさん 時間合計:174時間31分 45位 🐇なっしー 時間合計:171時間14分 46位 すぐる👻 時間合計:168時間23分 47位 凛々⏰⚡ 時間合計:165時間50分 48位 ジョナサン 時間合計:164時間23分 49位 くるみ 時間合計:163時間20分 50位 たけおん👺 時間合計:162時間27分 51位 すけたん 時間合計:159時間56分 52位 🐣頭痛🐣 時間合計:157時間52分 53位 47〆 時間合計:153時間42分 54位 K͓̽E͓̽N͓̽T͓̽ 時間合計:153時間36分 55位 🐹ともたん🐹𝓣☃𝓕 時間合計:151時間25分 56位 料理長 時間合計:150時間16分 57位 そしな 時間合計:146時間49分 58位 ken 時間合計:144時間37分 59位 ジョージア 時間合計:143時間09分 60位 エニー 時間合計:138時間47分 61位 🍭たいちょ㉿🍫📛🌰 時間合計:137時間53分 62位 ミルク🐱🥕♡\(*ˊᗜˋ*)/ 時間合計:135時間54分 63位 まるねこ🐱 時間合計:135時間39分 64位 まえちん🍄 時間合計:135時間35分 65位 🐥モッコスくんʕ•ᴥ•ʔ 時間合計:135時間33分 66位 とも 時間合計:133時間57分 67位 ぽんたん🐔 時間合計:131時間31分 68位 尚🍭 時間合計:125時間40分 69位 棗 時間合計:123時間25分 70位 せつか 時間合計:123時間16分 71位 🍹🍫ちょこ🍫🐰🥕 時間合計:122時間56分 72位 めろん🍈 時間合計:119時間54分 73位 uμ【うみゅー】🦉✨ 時間合計:119時間48分 74位 なまけもの 時間合計:118時間57分 75位 もちもちクリスピー 時間合計:118時間02分 76位 執🐑T🐑事 時間合計:117時間54分 77位 る 時間合計:117時間44分 78位 れこお 時間合計:116時間09分 79位 Rªo.pin.ky 🐜..✘ 時間合計:116時間01分 80位 を ぞ ま 時間合計:114時間38分 81位 おまる 時間合計:113時間53分 82位 乙くん@ルイちゃん狂 時間合計:111時間33分 83位 豆乳🐼🍼 時間合計:111時間33分 84位 🌺🌺ぴよみん🌺🌺 時間合計:111時間12分 85位 いーさん! 時間合計:111時間08分 86位 ぱぁこ☺︎︎👐 時間合計:111時間02分 87位 おもちΩ 時間合計:109時間11分 88位 ぴぴん📌 時間合計:108時間52分 89位 アサシン 時間合計:106時間01分 90位 マロン 時間合計:104時間25分 91位 さくらんぼ@ 時間合計:103時間06分 92位 西クンの遊び部屋🌸 時間合計:102時間52分 93位 たかしょー 時間合計:102時間05分 94位 バッカス@元酒クズ㌥ 時間合計:101時間27分 95位 †怜_Rei_† 時間合計:100時間28分 96位 𝚊𝚜♡࿐₁₃₂₇ 時間合計:99時間56分 97位 みやこ🥞 時間合計:99時間20分 98位 シエンナ 時間合計:97時間40分 99位 めㄋㄘ 😰 時間合計:97時間08分 100位 アリス姫♡♡ 時間合計:95時間33分
⏰集計期間⏰
2020年6月15日 (月) 0:00 ~ 6月21日 (日) 23:59
⭐️賞品⭐️
ランキングに掲載されたTOP30の配信者さんは、おすすめ配信一覧で1週間掲載優遇されます❗️新しい視聴者さんゲットのチャンス✨
さらに…TOP10に入った配信者さんには、ミラティブ内の特別な「2020.6 モンストTOP配信者」リボンをプレゼント🎁
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※ 「2020.6 モンストTOP配信者」リボンは6月22日 (月) の配布予定です。
🎥ランキング参加方法🎥
配信開始時にアプリ設定を『モンスト』にして、『モンスト』の配信をするだけ❗️
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▼「配信準備」の画面からアプリ設定して下さい。
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注意事項
期間中の『モンスト』配信で、盛り上がった視聴され時間を配信者さんごとに集計したランキングです🏆
当社ログからの集計で、集計内容の詳細は非公開です。
ランキング集計対象の配信は、2020年6月15日 (月) 0:00 ~ 6月21日 (日) 23:59までに配信開始したものです。
『モンスト』以外の配信内容の場合、配信停止や利用制限をさせていただく場合があります。
無音配信、友だち配信は集計対象外です。
1ヶ月以内に同一端末にて利用規約違反等の確認できたアカウントや一部の企画配信や運営アカウント、端末の言語設定で日本語以外を設定されているアカウントは集計対象外です。
運営が企画趣旨にそぐわないと判断した場合や、不適切と判断した配信は集計から除外させていただく場合があります。
Mirrativ(ミラティブ )とは
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スマホゲーム配信者数、圧倒的No.1!スマホ1台でかんたんに画面配信ができるアプリです。
▼『Mirrativ(ミラティブ)』のダウンロードはこちら 👉 https://app.adjust.com/rjokdu_nh8snr
免責事項
本企画は株式会社ミラティブが運営を行います。
本企画は予告無く変更、中止されることがあります。
必要と判断した場合には、本要項を変更できるほか、本企画の適正な運営を確保するために必要なあらゆる対応ができるものとします。
参加者は本企画の参加にあたり、本要項および当社の運営方針に従うものとし、その運営方針について一切異議を申し立てないものとします。
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yurulog · 6 years ago
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2019年にヤったえっちげを振り返る。
この記事はアドカレの記事ではありません。参加してませんし。なんか書きたくなったので殴り書きしているだけです。
もう今年も残り10日程度と言うことで、月並みだけど今年もあっという間。だけどえっちげの消化は去年より少ないんじゃね…?と思っているところです。実際のところどうだろうね、振り返りながら数えていきたいと思います。
・プレイしたえっちげ
1. ハピメア -Fragmentation Dream-@Purple software
動機:遠野そよぎさんのキャラが相当人気あるから。
ぼくはえっちげ声優の遠野そよぎさんが大好きです。ハピメアに出てくる舞亜ちゃんが相当人気があるキャラで、そよぎさん好きなのにやったことないなぁと思い、原作をまず去年の10月頃にプレイした気がします。
ちなみにハピメア-Fragmentation Dream-は頭文字通り、Fan Discです。
主人公はある事件以降、夢の中で夢と気づいてしまう現象、明晰夢に悩まされるお話で、現実世界の明晰夢の2つの世界線で話が進んでいきます。そんな難しそうなハピメアも、難しいことは難しいけど、属性で言うと妹ゲーです。
実妹の舞亜、幼馴染の咲、後輩の景子と、年下の妹感あふれるキャラが3人もいます。そしてみんなおっぱい大きくないし、ロリっぽいし、ぼくにとっては最高のヒロインたちでした^_^
ネタバレになり過ぎるからうまく書くのは難しいけど、FDと言うよりも、原作の続編みたいな感じで、ボリュームも凄い凄い。Purple softwareのゲームは、ハピメアしかやったことないけど、これ以外にもプレイしたいなと思った。
2. ソーサレス*アライヴ! ~the World's End Fallen Star~@Fluorite
動機:体験版は低調な評価も、光るポイントを感じたため。それに花澤さくらさん。
FluoriteはDMM GAMESですね。この作品にも遠野そよぎさんがいらっしゃいますが、花澤さくらさんがいらっしゃるのもプレーした1つの理由です。
ただ、体験版は低評価で、誰も話題にしていない…そして1度だけ3ヶ月の発売延期(10月→翌年1月)しながら、12月上旬にはマスターアップと、「おいおい工程大丈夫か?納期長めにとったのはライバル作品避ける為か?」とオタクを不安にさせた記憶があります。
何故体験版が低調だったかと言うと、このゲームは2部制を敷いていて、面白くなったのは全員のルート終わった後の第2部のアライヴ編からで、第1部のソーサレス編の評価は正直そこまで高くありません。が、まぁ多少話長ったらしいところはあったけど、ソーサレス編も言うほど嫌いではないな…。
主人公が現代から古代の世界へタイムスリップする異世界転生ものですが、別に苦手ではなかった。文字通り、光るポイントがあり、後半戦で大化けしました。体験版やってみて、自分の中で良いポイント見つけることが出来れば、絶対面白い作品です。
基本的にメインヒロイン4人が魔法の団体競技で絆を深めていくお話だけど、この4人の行く末を見守りたくなったのも大きい。ただ、アライヴ編で驚きの展開が待っています。
キャラで言うと、花澤さくらさんが演じたユーミ・オーリエトちゃんが可愛すぎてもうダメ。白髪黄色目は性癖過ぎてダメだって。それでちょっと高飛車で、自信家で最強のキャラを演じたユーミちゃんが1番好きです。ちょっとSなところもあるし、花澤さくらさんって演技の幅広いなと思った作品です。
3. Sugar*Style@SMEE
動機:SMEEはラブラブルから全作プレイしているため。
自分が好きなえっちげブランドはSMEEと言うことは特に誰も知らないと思うのですが、1番好きです。ですが、今回は色々ケチをつけて、発売日にはSugarStyleではなく、ソーサレスアライヴ!を購入して、実際プレイしたのは発売から3ヶ月遅れでした。 
SMEEと言えば、宅本うとさん&早瀬ゆうさんのタックが強くて、早瀬さんがシナリオを担当する場合が多かったのですが、今回はモーリーさん&岸田ソラさんと言うシナリオライター2人体制で、ちょっとどうかなぁと思うところがありました。早瀬さんは一応いることはいるのですが、今回はディレクションに回ったので…。
悪くなかったのですが、SMEEでは案の定あまり評価していない作品になってしまいました。主人公が専門学校の女性寮に入る凄いお話でしたが、主人公としてそこまで魅力的に描いているとは感じなかったし、主人公が結構スレスレなボケかましているため、結構嫌われてない?なんで好きになったの?と思うところがありました。
ちなみにこのゲームにも花澤さくらさんがいて、勿論真央ちゃんも好きなのですが、それ以上に叶芽枢さん(一応新人えっちげ声優扱いです)が演じた冬月かなめさんが良かった。ビューティープリンセスながら可愛いものが好きで、だけどしっかり年下に当たる主人公の主導権は握っていて、とても羨ましい関係性だなと…。 
導入部分に疑問符はあるものの、イチャラブゲーとしてはやっぱりクオリティ高いのがSMEE。笑えるところも多々あり、しっかりSMEEの作風のゲームにはなっています。
ただ、初めてSMEEに手を出すなら、Sugar*Styleはおすすめしないかなぁ…。まぁ、かなめさんのおかげでそこまで低調な評価ではないです。
4. アオナツライン@戯画
動機:戯画っぽいところ。音楽にぬきたしやプレカノ作品で名を上げたえびかれー伯爵がいた。
今年プレイしたえっちげで1,2争うくらい好きです。なのに、発売日に体験版で光るポイント見つけることできず、購入を5月くらいにずらしたのは最大の失敗でした。
湘南が舞台のゲームで、海辺の学校を舞台とした学園ものえっちげです。まず、絵と雰囲気が最高に良かった。平凡なヒューマンドラマですが、学生男女グループの甘酸っぱい三角関係や人間関係の衝突など、人間臭さをうまく表現していたと思います。
最初は主人公、男幼馴染、ヒロイン幼馴染の3人だったけど、後輩、お嬢様を加えて、5人グループで夏を過ごすわけですが、ヒロイン幼馴染の海希ルートでは3人が仲良くなる生い立ち、共通ルートでは5人グループになる生い立ちがリアルさを交えて丁寧に描かれています。スクールカースト下位扱いの主人公と上位扱いの海希と男幼馴染の千尋。ここの話はスクールカーストの残酷さをうまく描いていると思います。
Blue,Summertime Blue.サブタイトルにもなっていますが、ED担当した紫咲ほたるさんが歌った「Blue,Summertime Blue.」も最高でした。実際、自分はプレーする前にライブイベントで聞く機会があり、感動して周りのオタクが泣いていました。正直、これもプレーする動機に繋がったと言えます。この歌の背景にあるストーリーってなんだろう、って。体験版で購入スルーしたものの、ライブイベントの後、すぐアオナツライン購入した良い思い出です。
5. 抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳はどうすりゃいいですか? 2@Qruppo
動機:前作がシンプルに面白かった。綾瀬理恵さんもED担当として続投になった。
おそらく末代でぬきたしの存在を最初に示したのは自分と言う自負があります。なぜなら、原作のOP担当が大好きな綾瀬理恵さんになったと同時に注目していました。しかし、ここまでキチガイな体験版から話題を呼び、スプラッシュヒットを噛ますまでは想像できず、まさかFDではなく、ぬきたし2が発売されるとは…。
無印の勢いを考えれば、よく2の最後の最後まで突き抜けたなと言うのが感想で、全然マンネリ化を感じませんでした。ハイセンスな下ネタに磨きがかかる、流行りの異世界転生ものをまさかの形で使う、新キャラもメインどころで目立ったなど、とりあえずプレイヤーを飽きさせない趣向が存分に見てわかるゲームでした。
不満点と言えば、ビック3ルートのお話…なんだけど、これ突っ込み過ぎたらネタバレになるな。まぁ、できれば一部の結末の描き方をそれぞれ違った形にしてほしかった。まぁ、これはわかる人にわかってもらえればと思います。そのせいで、勿論評価は高いけど、アオナツラインほど評価は高くないです。今年プレイしたえっちげのなかでは、3番目にきます。あと、スス子攻略させろ!
無印のことが考えると、音楽にはえびかれー伯爵先生がいるし、声優は花澤さくらさん、そらまめ。さん、沢野ぽぷらさん、伊ケ崎綾香さんなどいて、アーティストも綾瀬理恵さんに綺良雪さん、そしてもはやえっちげーまーの間では全国区になった夢乃ゆきさんと、知る人ぞ知る実力派の方が多くて、キャスティングも100点満点と言えるゲームです。
そしてシナリオライターの倉骨治人さん、神近ゆうさん、企画のナガトサチさんはQruppoの方で、ぬきたしだけでは終わらない雰囲気がプンプンしています。次が1番難しいと思いますが、2作目のえっちげも全身を勃起させながら待っています。
6. 恋愛、借りちゃいました。@ASa Project
動機:大好きなアサプロだから。
HOOK系列のアサプロのなかでは賛否両論が1番別れるゲームで、最初はそこまで評判良くなかった記憶がありますが、批評空間で平均値と中央値照らし合わせても、比較的評判が良いかりぐらし恋愛が1,2点上回っている程度で、プレイする人は選ぶけど、良作に十分入る作品と言えると思います。
主人公の性格が嫌だ。なんで惚れたかわからないと言うのが合わない人の理由ですが、その背景を踏まえながら、高評価をつけた自分的には納得できるポイントがあります。
まず、主人公からヒロインまで常識人を探すことが難しいです。主人公は特殊な家庭環境から歪んでしまい、金を妹を幸せにすると信じ、一部ヒロインから金の亡者呼ばわりされます。高額バイトを探す中、レンタル人材派遣の仕事をする主人公ですが、本作のヒロイン4人から共通ルートから全員の仕事依頼を受けます。
その内容からしてヒロインから常識人を探すのほうが難しい気がして…。
・クラスメイトの絵未は彼氏の振りをして欲しいため、主人公に金銭を渡す。 ・同じくクラスメイトで絵未の幼馴染でお嬢様である八純はお友達が欲しくて、お友達料を主人公に渡す。 ・ちなつはお兄ちゃんが欲しいからって理由で、主人公に兄役の依頼として金銭を渡す。(妹のこなつはそれをひっかきまわす) ・予備校で講師をしている年上の椿は親に適当に男遊びしていると思われるために、主人公と愛人契約をする。
と、まぁ常人では理解できないお金の使い方をしているヒロインがたくさんいるわけです。歪んだ主人公vsキチガイな思考を持ったヒロインの構図で、主人公自体容姿は整っているので、ちょっと優しくされただけでバカ女が勘違いする要素は結構あると思います。  
現に絵未と八純はちょっとお花畑っぽいところあるし、双子のこなつは特に突き抜けている。こんな環境だから、主人公の人の悪さは別に気になりませんでした。
これが前途の通り、4人の依頼同時進行で進むわけだから、結構話のつじつま合わなかったりするかなと思いきや、そんなことも見受けられず、よくまとまったと思います。今回はシナリオライターが八日なのかさん1人体制だったので、ちょっと心配な点もありましたが、この作品で良い印象に変わりました。
そして、八純と絵未ルートに入る前のある選択肢は一見の価値ありです。札束と通帳。
7. 和香様の座する世界@みなとカーニバル
動機:みなと系信者だし、安く手に入ったのでとりあえずやっとこうと思った。
久々のタカヒロ作品。そしてRewriteぶりの田中ロミオさん。凄い組み合わせですよね。前作のみなとカーニバル作品である姉小路直子と銀色の死神は体験版から終わっていて、案の定オタクから凄い不評でタカヒロ限界説がささやかれていましたが、和香様は素晴らしい出来でした。
まず、このゲームの価格はミドルプライスで税別6800円とは思えない厚いボリュームで、絶妙な尺の長さ加減だったと思いました。基本的に1本道で、話の結末はTRUE ENDのみで、分かり易い道筋です。日本神話を基にした珍しいゲームで、タカヒロさんお得意の神奈川県が舞台。今回は鎌倉で、地の利を活かしている辺り、タカヒロさんらしいなと。
日本神話を基にしていて、神である和香様は人外的な能力を持ちますが、数千年封印されていて、それを解いた主人公が、和香様のお世話する流れです。これだけ聞くと王道ラブコメっぽいの連想しがちですが、さすが田中ロミオさんで、和香様が現代生活に慣れていく日常の描写とか、日本神話の妖怪についてうまく描いたり、これらがすべてテンポのがよかったので、スイスイテキストを読み進めることが出来ました。
アマテラスとかスサノオとか聞いたことある神について少しは詳しくなれたんじゃないかなと思います。それらと戦う和香様…。凄いスケールが大きい話なので、説明がいまいち難しいです。とりあえず、和香様の世話がしたいなと思ったゲームだし、オタクと和香様の聖地巡礼(鎌倉・江の島観光)するのが楽しみです。
8.どっちのiが好きですか?@HOOKSOFT
今年1番面白かったえっちげです。SMEEの宅本うとさん信者のくせに、HOOKは初挑戦でしたが、内容がほぼSMEEのゲームと変わりなかったので、すぐに馴染めて、一杯笑えて、イチャラブっぷりを堪能することができました。
1ヒロイン2ルートあって、共通ルートは多少短めですが、その代わりルートがリードする・リードされるの2種類あって、ヒロインの魅力を余すことなく描くことが出来ていると感じました。  
特に同じクラスで生徒会長の英摩耶ちゃんは本当可愛かった…。主人公は風紀委員・クラス委員長と言う立場で、摩耶ちゃんとは優等生同士として凌ぎを削り合います。摩耶ちゃん、ドSなのに打たれ弱いところが結構あって、ギャップにやられてしまいました。この行だけやけに長いな。長くなっちゃうんです。
昔、HOOKのゲームで『HoneyComing』と言うゲームがあったらしいです。そのゲームのキャッチコピーが『純愛は、HOOKが完成させる。』と言うことで、これ聞いた瞬間、『あぁ、アイスキで純愛は完成したんだ…。』って真剣に感じました。
自分が求めるえっちげ象に本当に近いです。学校やバイト先でヒロインと笑って、仲を深めて、イチャイチャして、自分が学生時代成しえなかったことをほぼ全部やってくれる素晴らしいゲームです。不治の病である青春コンプレックスの処方箋として、HOOK系列のゲームはずっとプレーするんだなって思いました。
ちなみに、宅本うとさんが携わったHOOKのゲームは全部購入したので、来年は優先的に消化したいなと思っています。
最後に
今年プレイしたミドルプライス・フルプライスのえっちげは8作品と、去年と比べて4作品少ない寂しい数でした。個人的に新生活を迎えたことと、他の趣味が思ったより白熱してしまったり、2つの要因でどうしてもえっちげに時間を割くことが出来ませんでした。
ただ、来年は最低でも12作品プレイできればなと思っていて、どんなに忙しくても、1日30分最低プレイする習慣を再びつけることができれば、達成できると信じています。
現に去年は仕事と他の趣味と折り合いつけながら、最低1日30分ずつプレイはしていたので、そのおかげで月1本は消化することが出来ていました。現代ではえっちげは尺が長いし、PCがないとプレイできないので、手軽にプレイが出来ないと言う欠点を抱えています。そして、どうしても昔と比べると作品も減っていて、どんどんユーザーが減少してしまっているのが現状です。
それでも、昨年現れたぬきたしのように、やっぱり面白いえっちげには尺が長かろうとユーザーが着くんだなと再確認することができ、イベントに参加したときも、やっぱりまだまだ死んでないなと実感することができたのは凄いよかったです。
18禁ゲームにしか表現できないことって、まだまだたくさんあると思うんです。それが去年可能性を見出したぬきたしのように、この世には出てない18禁ゲームでしか表現できない面白いアイディアがまだまだあると思います。SMEEやアサプロの下品で笑えるテキストも、これもやっぱり18禁ゲームでしか表現できないと思うし。
いくら業界的に下火とは言え、システム的には進化しているし、シナリオ見ても、面白いゲームはあるし、HOOKのように16年連続発売延期なしと言うしっかりとしたブランドもあります。悪いニュースだけ見て、えっちげを貶されるのは仕方がないのことですが、やっぱり残念に感じてしまいますし、良い物を作っているブランドにはしっかり報われてほしいなと常に思っています。
最後のまとめ、全然まとまりのない文章だし、お前死ぬのかみたいな硬い文章でしたが、まぁあんまり自分は面白みがある人間ではないので…wここまで最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
追記 2020/1/1
9.アメイジング・グレイス -What color is your attribute?-@きゃべつそふと
動機:おわたんが推しているし、キャスト・制作陣から想像する作風が自分に合致と感じたから。
発売からほぼ1年遅れの2019年12月末にプレイ。そして、2020年1月1日に攻略完了し、1週間足らずでクリアしてしまった。そのくらいテンポよく進みました。
きゃべつそふとの処女作である星恋*ティンクルが低調な出来で低評価に繋がり、2作目であるアメグレの体験版プレイしても何故か自分の中で期待値が上がらず、プレイが1年もずれ込んだのは大きな間違いでした。そもそも、ランプのMagical charming!でお世話になった冬茜トムさんがいる時点で見送るのはちょっと…って感じです。
アメグレは表向きは異世界転生ものです。個人的に、最近のえっちげは異世界転生ものは外れがあまりないと思います。それでいて、トムさんはしっかり物語に伏線を忍び込ませ、驚きの伏線回収方法で、プレイヤーのことを楽しませることに長けています。実際、アメグレもその調子で物語が進んでいきます。
それに加え、伏線を忍ばせるポイントにタイムリープと言う手法を用いていて、少し景の海のアペイリアに近い雰囲気を彷彿とさせました。ただし、難解なアペイリアと違い、要点をまとめた遡り方なので、何層になっても難解にならないし、すっきりとした仕上がりです。
(アペイリアは普通に好きだし、難解と感じるわけにはすぐに理解できなかったら自分の飲み込みの遅さに原因があります。)
ちなみに、どのような世界かと言うと、日本のある寒い地域を模した所で、オーロラに包まれている町が舞台です。その町の住人はオーロラの外に出ることはなく、世界はこの閉鎖的な町しかないと言い伝えられています。なので、現代社会とは遠くかけ離れた所が舞台です。
原画は梱枝りこ先生だけど、最近のりこ先生の絵より昔のほうが好き…と思っていた勢ですが、プレイしていくうちに慣れました。そしてやっぱり可愛いです。サクヤが好きです。そして、お話進めていくうちに驚きの設定が明らかになるのではないかと思います。
アメグレは今年プレイしたえっちげの中では4番目に好みです。話の組み立て方だけ見たら、今年1番の出来かもしれません。良さを伝えようとするとネタバレに接触するから、気になる方はまず体験版プレイしてほしいです。
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sasakiatsushi · 8 years ago
Text
小説家蓮實重彦、一、二、三、四、
人間に機械を操縦する権利があるように、機械にもみずから作動する権利がある。 ーー『オペラ・オペラシオネル』ーー
一、
 二朗は三度、射精する。そしてそれはあらかじめ決められていたことだ。  一度目の精の放出は、ハリウッドの恋愛喜劇映画を観た帰りの二朗が、小説の始まりをそのまま引くなら「傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉を小走りにすり抜け、劇場街の雑踏に背を向けて公園に通じる日陰の歩道を足早に遠ざかって行くのは和服姿の女は、どう見たって伯爵夫人にちがいない」と気づいたそばから当の伯爵夫人にまるで待ち構えていたかのように振り返られ、折角こんな場所で会ったのだしホテルにでも寄って一緒に珈琲を呑もうなどと誘いかけられて、向かう道すがら突然「ねえよく聞いて。向こうからふたり組の男が歩いてきます。二朗さんがこんな女といるところをあの連中に見られたくないから、黙っていう通りにして下さい」と、なかば命令口調で指示されて演じる羽目になる、謎の二人組に顔を視認されまいがための贋の抱擁の最中に起こる。
 小鼻のふくらみや耳たぶにさしてくる赤みから女の息遣いの乱れを確かめると、兄貴のお下がりの三つ揃いを着たまま何やらみなぎる気配をみせ始めた自分の下半身が誇らしくてならず���それに呼応するかのように背筋から下腹にかけて疼くものが走りぬけてゆく。ああ、来るぞと思ういとまもなく、腰すら動かさずに心地よく射精してしまう自分にはさすがに驚かされたが、その余韻を確かめながら、二朗は誰にいうとなくこれでよしとつぶやく。
 なにが「これでよし」なのか。ここは明らかに笑うべきところだが、それはまあいいとして、二度目の射精は、首尾よく二人組を躱したものの、ホテルに入るとすぐに新聞売り場の脇の電話ボックスに二朗を連れ込んだ伯爵夫人から先ほどの抱擁の際の「にわかには受け入れがたい演技」を叱責され、突然口調もまるで「年増の二流芸者」のようなあけすけさに一変したばかりか「青くせえ魔羅」だの「熟れたまんこ」だの卑猥過ぎる単語を矢継ぎ早に発する彼女に、事もあろうに「金玉」を潰されかけて呆気なく失神し、気がつくと同じ電話ボックスで伯爵夫人は先ほどの変貌が夢幻だったかのように普段の様子に戻っているのだが、しかしそのまま彼女のひどくポルノグラフィックな身の上話が始まって、けっして短くはないその語りが一段落ついてから、そろそろ「お茶室」に移動しようかと告げられた後、以前からあちこちで囁かれていた噂通りの、いや噂をはるかに凌駕する正真正銘の「高等娼婦」であったらしい伯爵夫人の淫蕩な過去に妙に大人ぶった理解を示してみせた二朗が、今度は演技と異なった慎ましくも本物の抱擁を交わしつつ、「ああ、こうして伯爵夫人と和解することができたのだ」と安堵した矢先に勃発する。「あらまあといいながら気配を察して相手は指先を股間にあてがうと、それを機に、亀頭の先端から大量の液体が下着にほとばしる」。  そして三度目は、伯爵夫人と入れ替わりに舞台に登場した「男装の麗人」、二朗への颯爽たる詰問ぶりゆえ警察官ではないにもかかわらず「ボブカットの女刑事」とも呼ばれ、更に「和製ルイーズ・ブルックス」とも呼ばれることになる女に案内されたホテルの奥に位置する「バーをしつらえたサロンのような小さな空間」ーー書棚がしつらえられ、絵が飾られ、蓄音機が置かれて、シャンデリアも下がっているのだが、しかしその向こうの「ガラス越しには、殺風景な三つのシャワーのついた浴場が白いタイル張りで拡がっており、いっさい窓はない」ことから戦時下の「捕虜の拷問部屋」を思わせもするーーで、この「更衣室」は「変装を好まれたり変装を余儀なくされたりする方々のお役に立つことを主眼として」いるのだと女は言って幾つかの興味深い、俄には信じ難い内容も含む変装にかかわる逸話を披露し、その流れで「金玉潰しのお龍」という「諜報機関の一員」で「かつて満州で、敵味方の見境もなく金玉を潰しまくった懲らしめの達人」の存在が口にされて、ひょっとしてこの「お龍」とは伯爵夫人そのひとなのではないかと訝しみつつ、突如思い立った二朗は目の前の和製ルイーズ・ブルックスをものにして俺は童貞を捨てると宣言するのだが事はそうは進まず、どういうつもりか女は彼に伯爵夫人のあられもない写真を見せたり、伯爵夫人の声だというが二朗の耳には自分の母親のものとしか思われない「ぷへーという低いうめき」が録音されたレコードを聞かせたりして、そして唐突に(といってもこの小説では何もかもが唐突なのだが)「こう見えても、このわたくし、魔羅切りのお仙と呼ばれ、多少は名の知られた女でござんす」と口調を一変させてーーここはもはや明らかに爆笑すべきところだが、それもまあいいとしてーー血塗れの剃刀使いの腕を自慢するのだが、その直後におよそ現実離れした、ほとんど夢幻か映画の中としか思えないアクション場面を契機に両者の力関係が逆転し、言葉責めを思わせる丁寧口調で命じられるがまま和製ルイーズ・ブルックスは身に纏った衣服を一枚一枚脱いでいって最後に残ったズロースに二朗が女から取り上げた剃刀を滑り込ませたところでなぜだか彼は気を失い、目覚めると女は全裸でまだそこに居り、これもまたなぜだか、としか言いようがないが、そもそも脱衣を強いた寸前の記憶が二朗にはなく、なのに女は「あなたさまの若くて美しいおちんちんは、私をいつになく昂らせてくださいました。たしかに、私の中でおはてにはなりませんでしたが、久方ぶりに思いきりのぼりつめさせていただきました」などと言い出して、いまだ勃起し切っている二朗の「魔羅」について「しっかりと責任は取らせていただきます」と告げて背中に乳房が押しつけられるやいなや「間髪を入れず二朗は射精する」。  帝大法科への受験を控えた二朗少年のヰタ・セクスアリスとして読めなくもない『伯爵夫人』は、ポルノグラフィと呼ばれてなんら差し支えないあからさまに助平な挿話とはしたない語彙に満ち満ちているのだが、にもかかわらず、結局のところ最後まで二朗は童貞を捨て去ることはないし、物語上の現在時制においては、いま見たように三度、何かの事故のようにザーメンを虚空にぶっ放すのみである。���かも、これら三度ーーそれもごくわずかな時間のあいだの三度ーーに及ぶ射精は、どうも「金玉潰しのお龍」が駆使するという「南佛でシャネル9番の開発にかかわっていたさる露西亜人の兄弟が、ちょっとした手違いから製造してしまった特殊な媚薬めいた溶液で、ココ・シャネルの厳しい禁止命令にもかかわらず、しかるべき筋にはいまなお流通しているもの」の効果であるらしいのだから、しかるに二朗は、一度として自分の意志や欲望の力によって己の「魔羅」に仕事をさせるわけではないし、彼の勃起や射精は、若く健康な男性の肉体に怪しげな薬物が齎した化学的/生理的な反応に過ぎないことになるわけだ。実際、物語上の時間としては過去に属する他の幾つかの場面では、百戦錬磨の女中頭の小春に技術を尽くして弄られようと、従妹の蓬子に「メロンの汁で手を湿らせてから」初々しくも甲斐甲斐しく握られようと、二朗は精を漏らすことはないし、ほとんど催すことさえないかのようなのだ。  つまりここにあるのは、その見てくれに反して、二朗の性的冒険の物語ではない。彼の三度に及ぶ射精は、詰まるところケミカルな作用でしかない。それでも三度も思い切り大量に放出したあと、二朗を待っているのは、今度は正反対のケミカルな効用、すなわち「インカの土人たちが秘伝として伝える特殊なエキスを配合したサボン」で陰茎を入念に洗うことによって、七十二時間にもわたって勃起を抑止されるという仕打ちである。三度目に出してすぐさま彼は「裸のルイーズ・ブルックス」にその特殊なサボンを塗りたくられ、すると三度も逝ったというのにまだいきりたったままだった「若くて元気なおちんちん」は呆気なく元気を喪い、更には「念には念を入れてとスポイト状のものを尿道にすばやく挿入してから、ちょっと浸みますがと断わって紫色の液体を注入」までされてしまう。サボンの効果は絶大で、二朗の「魔羅」はこの後、小説の終わりまで、一度として射精もしなければ勃起することさえない。物語上の現在は二朗がケミカルな不能に陥って間もなく終了することになるが、それ以後も彼のおちんちんはまだまだずっと使いものにならないだろう。七十二時間、つまり三日後まで。そしてこのことも、ほとんどあらかじめ決められていたことなのだ。  『伯爵夫人』は小説家蓮實重彦の三作目の作品に当たる。一作目の『陥没地帯』は一九七九年に、二作目の『オペラ・オペラシオネル』は一九九四年に、それぞれ発表されている。第一作から最新作までのあいだにはじつに三十七年もの時間が経過しているわけだが、作者は自分にとって「小説」とは「あるとき、向こうからやってくるもの」だと言明しており、その発言を信じる限りにおいて三編の発表のタイミングや間隔は計画的なものではないし如何なる意味でも時期を心得たものではない。最初に『陥没地帯』が書かれた時点では『オペラ・オペラシオネル』の十五年後の到来は想像さえされておらず、更にそれから二十二年も経って『伯爵夫人』がやってくることだって一切予想されてはいなかったことになるだろう。偶然とも僥倖とも、なんなら奇跡とも呼んでしかるべき小説の到来は、因果律も目的意識も欠いた突発的な出来事としてそれぞれ独立しており、少なくとも「作者」の権能や意識の範疇にはない。第一、あの『「ボヴァリー夫人」論』が遂に上梓され、かねてよりもうひとつのライフワークとして予告されてきた映画作家ジョン・フォードにかんする大部の書物の一刻も早い完成が待たれている状態で、どうして『伯爵夫人』などという破廉恥極まる小説がわざわざ書かれなくてはならなかったのか、これは端的に言って不可解な仕業であり、何かの間違いかはたまた意地悪か、いっそ不条理とさえ言いたくもなってくる。仮に作者の内に何ごとか隠された動機があったにせよ、それは最後まで隠されたままになる可能性が高い。  だがそれでも、どうしてだか書かれてしまった「三」番目の小説である『伯爵夫人』が、「二」番目の『オペラ・オペラシオネル』から「二」十「二」年ぶりだなどと言われると、それを読む者は読み始める前から或る種の身構えを取らされることになる。なぜならば、ここにごく無造作に記された「二」や「三」、或いはそこからごく自然に導き出される「一」或いは「四」といった何の変哲もない数にかかわる、暗合とも数秘学とも、なんなら単に数遊びとでも呼んでしかるべき事どもこそ、小説家蓮實重彦の作品を貫く原理、少なくともそのひとつであったということがにわかに想起され、だとすればこの『伯爵夫人』もまた、その「原理」をほとんどあからさまな仕方で潜在させているのだろうと予感されるからだ。その予感は、すでに『陥没地帯』と『オペラ・オペラシオネル』を読んでしまっている者ならば、実のところ避け難いものとしてあるのだが、こうして『伯爵夫人』を読み終えてしまった者は、いま、読み始める前から或る独特な姿勢に身構えていた自分が、やはり決して間違ってはいなかったことを知っている。二朗が射精するとしたら、三度でなければならない。二朗が不能に陥るとしたら、三日間でなければならないのだ。では、それは一体、どういうことなのか?  どういうことなのかを多少とも詳らかにするためには、まずは小説家蓮實重彦の先行する二作品をあらためて読み直してみる必要がある。数遊びは最初の一手からやってみせなければわかられないし、だいいち面白くない。遊びが遊びである以上、そこに意味などないことは百も承知であれば尚更、ともかくも一から順番に数え上げていかなくてはならない。そう、先回りして断わっておくが、ここで云われる「原理」とは、まるっきり無意味なものであるばかりか、おそらく正しくさえない。だが、意味もなければ正しくもない「原理」を敢然と擁護し、意味とも正しさとも無縁のその価値と存在理由を繰り返し強力に証明してきた者こそ、他ならぬ蓮實重彦そのひとではなかったか?
二、
 小説家蓮實重彦の第一作『陥没地帯』は、あくまでもそのつもりで読んでみるならば、ということでしかないが、戦後フランスの新しい作家たち、誰よりもまずはクロード・シモンと、だいぶ薄まりはするがアラン・ロブ=グリエ、部分的にはモーリス・ブランショやルイ=ルネ・デ・フォレ、そしてジャン=ポール・サルトルの微かな影さえ感じられなくもない、つまりはいかにも仏文学者であり文芸批評家でもある人物が書きそうな小説だと言っていいかもしれない。日本語の小説であれば、これはもう疑いもなく、その五年ほど前に出版されていた金井美恵子の『岸辺のない海』へ/からの反響を聴き取るべきだろう。西風の吹きすさぶ砂丘地帯から程近い、こじんまりとした、さほど人気のない観光地でもあるのだろう土地を舞台に、ロマンの破片、ドラマの残骸、事件の痕跡のようなものたちが、ゆっくりと旋回しながらどことも知れぬ場所へと落ちてゆくのを眺めているような、そんな小説。ともあれ、冒頭の一文はこうだ。
 遠目には雑草さながらの群生植物の茂みが、いくつも折りかさなるようにしていっせいに茎を傾け、この痩せこけた砂地の斜面にしがみついて、吹きつのる西風を避けている。
 誰とも知れぬ語り手は、まずはじめにふと視界に現れた「群生植物」について、「その種類を識別することは何ともむつかしい」のみならず、「この土地の人びとがそれをどんな名前で呼んでいるのかは皆目見当もつかないだろう」と宣言する。結局、この「群生植物」は最後まで名前を明かされないのだが、そればかりか、物語の舞台となる土地も具体的な名称で呼ばれることはなく、登場人物たちも皆が皆、およそ名前というものを欠いている。この徹底した命名の拒否は、そのことによって否応無しに物語の抽象性を際立たせることになるだろう。  もっとも語り手は、すぐさま次のように述べる。
 何か人に知られたくない企みでもあって、それを隠そうとするかのように肝心な名前を記憶から遠ざけ、その意図的な空白のまわりに物語を築こうとでもいうのだろうか。しかし、物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから、いかにも退屈そうに日々くり返されているこの砂丘でのできごとを語るのに、比喩だの象徴だのはあまりに饒舌な贅沢品というべきだろう。いま必要とされているのは、誰もが知っているごくありふれた草木の名前でもさりげなく口にしておくことに尽きている。
 だから実のところ命名は誰にでも許されているのだし、そこで口にされる名はありきたりのもので構わない。実際、わざわざ記すまでもないほどにありふれた名前を、ひとびとは日々、何のこだわりもなくごく普通に発話しているに違いない。そしてそれは特に「群生植物」に限らない話であるのだが、しかし実際には「誰もが知っているごくありふれた」名前さえ一度として記されることはない。凡庸な名前の、凡庸であるがゆえの禁止。ところが、ここで起きている事態はそれだけではない。かなり後の頁には、そこでは弟と呼ばれている誰かの「ここからでは雑草とちっとも���わらない群生植物にも、ちゃんと名前があったんだ。土地の人たちがみんなそう呼んでいたごくありきたりな名前があった。でもそれがどうしても思い出せない」という台詞が記されており、もっと後、最後の場面に至ると、弟の前で幾度となくその名前を口にしていた筈の姉と呼ばれる誰かもまた、その「群生植物」の名を自分は忘れてしまったと告白するのだ。つまりここでは、名づけることのたやすさとその恣意性、それゆえのナンセンスとともに、たとえナンセンスだったとしても、かつて何ものかによって命名され、自分自身も確かに知っていた/覚えていた名前が理由もなく記憶から抜け落ちてゆくことのおそろしさとかなしみが同時に語られている。ありとあらゆる「名」の風化と、その忘却。覚えているまでもない名前を永久に思い出せなくなること。そんな二重の無名状態に宙吊りにされたまま、この物語は一切の固有名詞を欠落させたまま展開、いや旋回してゆく。そしてこのことにはまた別種の機能もあると思われるのだが、いま少し迂回しよう。  右の引用中の「物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから」という如何にも印象的なフレーズは、語句や語順を微妙に違えながら、この小説のなかで何度となく繰り返されてゆく。これに限らず、幾つかの文章や描写や叙述が反復的に登場することによって、この小説は音楽的ともいうべき緩やかなリズムを獲得しているのだが、それはもう一方で、反復/繰り返しという運動が不可避的に孕み持つ単調さへと繋がり、無為、退屈、倦怠といった感覚を読む者に喚び起こしもするだろう。ともあれ、たとえば今日という一日に、ここで起こることのすべては、どうやら「昨日のそれの反復だし、明日もまた同じように繰り返されるものだろう。だから、始まりといっても、それはあくまでとりあえずのものにすぎない」という達観とも諦念とも呼べるだろう空気が、そもそもの始まりから『陥没地帯』の世界を覆っている。  とはいえ、それは単純な繰り返しとはやはり異なっている。精確な反復とは違い、微細な差異が導入されているからではなく、今日が昨日の反復であり、明日が今日の反復であるという前後関係が、ここでは明らかに混乱を来しているからだ。この小説においては、物語られるほとんどの事件、多くの出来事が、時間的な順序も因果律も曖昧なまましどけなく錯綜し、あたかも何匹ものウロボロスの蛇が互いの尻尾を丸呑みしようとしているかのような、どうにも不気味な、だが優雅にも見える有様を呈してゆく。どちらが先にあってどちらがその反復なのかも確定し難い、起点も終点も穿つことの出来ない、方向性を欠いた反復。あたかもこの小説のありとある反復は「とうの昔に始まって」おり、そして/しかし、いつの間にか「とうの昔」に回帰してでもいくかのようなのだ。反復と循環、しかも両者は歪に、だがどこか整然と絡み合っている。しかも、それでいてこの小説のなかで幾度か、まさに不意撃ちのように書きつけられる「いま」の二語が示しているように、昨日、今日、明日ではなく、今日、今日、今日、いま、いま、いま、とでも言いたげな、現在形の強調が反復=循環と共存してもいる。それはまるで、毎日毎日朝から晩まで同じ演目を倦むことなく繰り返してきたテーマパークが、そのプログラムをいつのまにか失調させていき、遂にはタイマーも自壊させて、いま起きていることがいつ起こるべきことだったのかわからなくなり、かつて起こったことと、これから起こるだろうことの区別もつかなくなって、いまとなってはただ、いまがまだかろうじていまであること、いまだけはいつまでもいまであり続けるだろうことだけを頼りに、ただやみくもに、まだなんとか覚えていると自分では思っている、名も無きものたちによるひと続きの出し物を、不完全かつ不安定に延々と繰り返し上演し続けているかのようなのだ。  二重の、徹底された無名状態と、壊れた/壊れてゆく反復=循環性。『陥没地帯』の舞台となる世界ーーいや、むしろ端的に陥没地帯と呼ぶべきだろうーーは、このふたつの特性に支えられている。陥没地帯の物語を何らかの仕方で丸ごと形式的に整理しようとする者は、あらかじめこの二種の特性によって先回りされ行く手を塞がれるしかない。「名」の廃棄が形式化の作業を露骨な姿態で誘引しており、その先では程よくこんがらがった毛糸玉が、ほら解いてみなさいちゃんと解けるように編んであるからとでも言いたげに薄笑いを浮かべて待ち受けているだけのことだ。そんな見え見えの罠に敢えて嵌まってみせるのも一興かもしれないが、とりあえず物語=世界の構造そのものを相手取ろうとする無邪気にマクロな視点はいったん脇に置き、もっと単純素朴なる細部へと目を向けてみると、そこではこれまた見え見えの様子ではあるものの、相似という要素に目が留まることになるだろう。  たとえば「向かい合った二つの食堂兼ホテルは、外観も、内部の装飾も、料理のメニューも驚くほど似かよって」いる。しかし「ためらうことなくその一つを選んで扉を押しさえすれば、そこで約束の相手と間違いなく落ち合うことができる。目には見えない識別票のようなものが、散歩者たちをあらかじめ二つのグループに分断しており、その二つは決して融合することがない」。つまり「驚くほど似かよって」いるのにもかかわらず、二軒はひとびとの間に必ずしも混同を惹き起こしてはいないということだ。しかし似かよっているのは二つの食堂兼ホテルだけではない。他にも「まったく同じ様式に従って設計されている」せいで「どちらが市役所なのか駅なのはすぐにはわからない」だの、やはり「同じ時期に同じ建築様式に従って設計された」ので「旅行者の誰もが郵便局と取り違えて切手を買いに行ったりする学校」だのといった相似の表象が、これみよがしに登場する。建物だけではない。たとえば物語において謎めいた(この物語に謎めいていない者などただのひとりも存在していないが)役割を演じることになる「大伯父」と「その義理の弟」と呼ばれる「二人の老人」も、しつこいほどに「そっくり」「生き写し」「見分けがつかない」などと書かれる。  ところが、この二人にかんしては、やがて次のようにも語られる。
 あの二人が同一人物と見まがうほどに似かよっているのは、永年同じ職場で同じ仕事をしてきたことからくる擬態によってではなく、ただ、話の筋がいきなり思わぬ方向に展開されてしまったとき、いつでも身がわりを演じうるようにと、日頃からその下準備をしておくためなのです。だから、それはまったく装われた類似にすぎず、そのことさえ心得ておけば、いささかも驚くべきことがらではありません。
 先の建築物にしたって、後になると「二軒並んだ食堂兼ホテルは、いま、人を惑わすほどには似かよってはおらず、さりとてまったくきわだった違いを示しているわけでもない」だとか「学校とも郵便局とも判別しがたく、ことによったらそのどちらでもないかもしれぬたてもの」などといった書かれぶりなのだから、ここでの相似とは要するに、なんともあやふやなものでしかない。にしても、二つのものが似かよっている、という描写が、この物語のあちこちにちりばめられていることは事実であり、ならばそこにはどんな機能が託されているのかと問うてみたくなるのも無理からぬことだと思われる。  が、ここで読む者ははたと思い至る。相似する二つのものという要素は、どうしたって「似ていること」をめぐる思考へとこちらを誘っていこうとするのだが、それ自体がまたもや罠なのではないか。そうではなくて、ここで重要なのは、むしろただ単に「二」という数字なのではあるまいか。だってこれらの相似は難なく区別されているのだし、相似の度合いも可変的であったり、そうでなくても結局のところ「装われた類似にすぎず、そのことさえ心得ておけば、いささかも驚くべきことがらでは」ないというのだから。騙されてはならない。問題とすべきなのは相似の表象に伴って書きつけられる「二」という数の方なのだ。そう思って頁に目を向け直してみると、そこには確かに「二」という文字が意味ありげに幾つも転がっている。「二」つ並んだ食堂兼ホテルには「二」階があるしーーしかもこの「二階」は物語の重要な「事件の現場」となるーー、市役所前から砂丘地帯までを走る路面電車は「二」輛連結であり、一時間に「二」本しかない。とりわけ路面電車にかかわる二つの「二」は、ほぼ省略されることなく常にしつこく記されており、そこには奇妙な執着のようなものさえ感じられる。陥没地帯は、どうしてかはともかく、ひたすら「二」を召喚したいがゆえに、ただそれだけのために、相似という意匠を身に纏ってみせているのではないか。  「二」であることには複数の様態がある(「複数」というのは二つ以上ということだ)。まず、順序の「二」。二番目の二、一の次で三の前であるところの「二」がある。次に、反復の「二」。二度目の二、ある出来事が(あるいはほとんど同じ出来事が)もう一度繰り返される、という「二」がある。そして、ペアの「二」。二対の二、対立的(敵味方/ライバル)か相補的(バディ)か、その両方かはともかく、二つで一組を成す、という「二」がある。それからダブルの「二」、二重の二があるが、これ自体が二つに分かれる。一つの存在が内包/表出する二、二面性とか二重人格とかドッペルゲンガーの「二」と、二つの存在が一つであるかに誤認/錯覚される二、双児や他人の空似や成り澄ましなどといった、つまり相似の「二」。オーダー、リピート、ペア、ダブル、これらの「二」どもが、この小説にはあまねくふんだんに取り込まれている。オーダーとリピートが分かち難く絡み合って一緒くたになってしまっているさまこそ、前に見た「反復=循環性」ということだった。それは「一」と「二」の区別がつかなくなること、すなわち「一」が「二」でもあり「二」が「一」でもあり得るという事態だ。しかしそれだって、まず「二」度目とされる何ごとかが召喚されたからこそ起こり得る現象だと言える。  また、この物語には「大伯父とその義理の弟」以外にも幾組ものペアやダブルが、これまたこれみよがしに配されている。あの「二人の老人」は二人一役のために互いを似せていたというのだが、他にも「船長」や「女将」や「姉」や「弟」、或いは「男」や「女」といった普通名詞で呼ばれる登場人物たちが、その時々の「いま」において複雑極まる一人二役/二人一役を演じさせられている。この人物とあの人物が、実は時を隔てた同一人物なのではないか、いやそうではなく両者はやはりまったくの別の存在なのか、つまり真に存在しているのは「一」なのか「二」なのか、という設問が、決して真実を確定され得ないまま、切りもなく無数に生じてくるように書かれてあり、しかしそれもやはりまず「二」つのものが召喚されたからこそ起こり得た現象であり、もちろんこのこと自体が「反復=循環性」によって強化されてもいるわけだ。  こう考えてみると、もうひとつの特性である「無名状態」にも、抽象化とはまた別の実践的な理由があるのではないかと思えてくる。ひどく似ているとされる二者は、しかしそれぞれ別個の名前が与えられていれば、当然のことながら区別がついてしまい、相似の「二」が成立しなくなってしまうからだ。だから「二軒並んだ食堂兼ホテル」が名前で呼ばれることはあってはならないし、「女将」や「船長」の名が明かされてはならない。無名もまた「二」のために要請されているのだ。  陥没地帯は夥しい「二」という数によって統べられていると言っても過言ではない。それは文章=文字の表面に穿たれた数字=記号としての「二」から、物語内に盛んに導入された二番二度二対二重などのさまざまな「二」性にまで及んでいる。二、二、二、この小説に顕在/潜在する「二」を数え上げていったらほとんど果てしがないほどだ。とすれば、すぐに浮かぶ疑問は当然、それはどういうことなのか、ということになるだろう。なぜ「二」なのか。どうしてこの小説は、こうもひたぶるに「二」であろうとしているのか。  ここでひとつの仮説を提出しよう。なぜ陥没地帯は「二」を欲望するのか。その答えは『陥没地帯』が小説家蓮實重彦の一作目であるからだ。自らが「一」であることを嫌悪、いや憎悪し、どうにかして「一」に抗い「一」であることから逃れようとするためにこそ、この小説は無数の「二」を身に纏おうと、「二」を擬態しようと、つまり「二」になろうとしているのだ。  すぐさまこう問われるに違いない。それでは答えになっていない。どうして「一」から逃れなくてはならないのか。「一」が「一」を憎悪する理由は何だというのか。その理由の説明が求められているのだ。そんなことはわたしにはわからない。ただ、それは『陥没地帯』が「一」番目の小説だから、としか言いようがない。生まれつき、ただ理由もなく運命的に「一」であるしかない自らの存在のありようがあまりにも堪え難いがゆえに、陥没地帯は「二」を志向しているのだ。そうとしか言えない。  しかしそれは逆にいえば、どれだけ策を尽くして「二」を擬態したとしても、所詮は「一」は「一」でしかあり得ない、ということでもある。「二」になろう「二」であろうと手を替え品を替えて必死で演技する、そしてそんな演技にさえ敢えなく失敗する「一」の物語、それが『陥没地帯』なのだ。そしてこのことも、この小説自体に書いてある。
 つまり、錯綜したパズルを思わせる線路をひもに譬えれば、その両端を指ではさんでぴーんと引っぱってみる。すると、贋の結ぼれがするするとほぐれ、一本の線に還元されてしまう。鋭角も鈍角も、それから曲線も弧も螺旋形も、そっくり素直な直線になってしまうのです。だから、橋なんていっちゃあいけない。それは人目をあざむく手品の種にすぎません。
 そう、複雑に縒り合わされた結ぼれは、だが結局のところ贋ものでしかなく、ほんとうはただの「一本の線」に過ぎない。ここで「二」に見えているすべての正体は「一」でしかない。あの「向かい合った二つの食堂兼ホテル」が「驚くほど似かよって」いるのに「ためらうことなくその一つを選んで扉を押しさえすれば」決して間違えることがなかったのは、実はどちらを選んでも同じことだったからに他ならない。このこともまた繰り返しこの物語では描かれる。河を挟んだ片方の側からもう片側に行くためには、どうしても小さな架橋を使わなくてはならない筈なのに、橋を渡った覚えなどないのに、いつのまにか河の向こう側に抜けていることがある。そもそもこの河自体、いつも褐色に淀んでいて、水面を見るだけではどちらからどちらに向かって流れているのか、どちらが上流でどちらが下流なのかさえ判然としないのだが、そんなまたもやあからさまな方向感覚の惑乱ぶりに対して、ではどうすればいいのかといえば、ただ迷うことなど一切考えずに歩いていけばいいだけのことだ。「彼が執拗に強調しているのは、橋の必然性を信頼してはならぬということである」。二つの領域を繋ぐ橋など要らない、そんなものはないと思い込みさえすればもう橋はない。二つのものがあると思うからどちらかを選ばなくてはならなくなる。一番目と二番目、一度目と二度目、一つともう一つをちゃんと別にしなくてはならなくなる。そんな面倒は金輪際やめて、ここにはたった一つのものしかないと思えばいいのだ。実際そうなのだから。  それがいつであり、そこがどこであり、そして誰と誰の話なのかも最早述べることは出来ないが、物語の後半に、こんな場面がある。
 よろしゅうございますね、むこう側の部屋でございますよ。(略)女は、そうささやくように念をおす。こちら側ではなく、むこう側の部屋。だが、向かい合った二つの扉のいったいどちらの把手に手をかければよいのか。事態はしかし、すべてを心得たといった按配で、躊躇も逡巡もなく円滑に展開されねばならない。それには、風に追われる砂の流れの要領でさからわずに大気に身をゆだねること。むこう側の扉の奥で待ちうけている女と向かいあうにあたって必要とされるのも、そんなこだわりのない姿勢だろう。
 躊躇も逡巡もすることはない。なぜなら「こちら側」と「むこう側」という「二つの扉」自体が下手な偽装工作でしかなく、そこにはもともと「一」つの空間しかありはしないのだから。そしてそれは、はじめから誰もが知っていたことだ。だってこれは正真正銘の「一」番目なのだから。こうして「一」であり「一」であるしかない『陥没地帯』の、「一」からの逃亡としての「二」への変身、「二」への離脱の試みは失敗に終わる。いや、むしろ失敗することがわかっていたからこそ、どうにかして「一」は「二」のふりをしようとしたのだ。不可能と知りつつ「一」に全力で抗おうとした自らの闘いを、せめても読む者の記憶へと刻みつけるために。
三、
 小説家蓮實重彦の第二作『オペラ・オペラシオネル』は、直截的にはジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』及び、その前日譚である『アルファヴィル』との関連性を指摘できるだろう。小説が発表されたのは一九九四年の春だが、『新ドイツ零年』は一九九一年秋のヴェネツィア国際映画祭に出品後、一九九三年末に日本公開されている。同じくゴダール監督による一九六五年発表の『アルファヴィル』は、六〇年代にフランスでシリーズ化されて人気を博した「レミー・コーションもの」で主役を演じた俳優エディ・コンスタンティーヌを役柄ごと「引用」した一種のパスティーシュだが、独裁国家の恐怖と愛と自由の価値を謳った軽快でロマンチックなSF映画でもある。『新ドイツ零年』は、レミー・コーション=エディ・コンスタンチーヌを四半世紀ぶりに主演として迎えた続編であり、ベルリンの壁崩壊の翌年にあたる一九九〇年に、老いたる往年の大物スパイがドイツを孤独に彷徨する。  『オペラ・オペラシオネル』の名もなき主人公もまた、レミー・コーションと同じく、若かりし頃は派手な活躍ぶりでその筋では国際的に名を成したものの、ずいぶんと年を取った最近では知力にも体力にも精神力にもかつてのような自信がなくなり、そろそろほんとうに、思えばやや遅過ぎたのかもしれない引退の時期がやってきたのだと自ら考えつつある秘密諜報員であり、そんな彼は現在、長年勤めた組織へのおそらくは最後の奉公として引き受けた任務に赴こうとしている。「とはいえ、この年まで、非合法的な権力の奪取による対外政策の変化といった計算外の事件に出会っても意気沮喪することなく組織につくし、新政権の転覆を目論む不穏な動きをいたるところで阻止しながらそのつど難局を切り抜け、これといった致命的な失敗も犯さずにやってこられたのだし、分相応の役割を担って組織にもそれなりに貢献してきたのだという自負の念も捨てきれずにいるのだから、いまは、最後のものとなるかもしれないこの任務をぬかりなくやりとげることに専念すべきなのだろう」。つまりこれはスパイ小説であり、アクション小説でさえある。  前章で提示しておいた無根拠な仮説を思い出そう。『陥没地帯』は「一」作目であるがゆえに「一」から逃れようとして「二」を志向していた。これを踏まえるならば、「二」作目に当たる『オペラ・オペラシオネル』は、まずは「二」から逃走するべく「三」を擬態することになる筈だが、実際、この小説は「三」章立てであり、作中に登場するオペラ「オペラ・オペラシオネル」も「三」幕構成であり、しかも「三」時間の上演時間を要するのだという。これらだけではない。第一章で主人公は、豪雨が齎した交通機関の麻痺によって他の旅客ともども旅行会社が用意した巨大なホールで足止めを食っているのだが、どういうわけかこの空間に定期的にやってきている謎の横揺れを訝しみつつ、ふと気づくと、「いま��くたびれはてた鼓膜の奥にまぎれこんでくるのは、さっきから何やら低くつぶやいている聞きとりにくい女の声ばかりである」。
 いまここにはいない誰かをしきりになじっているようにも聞こえるそのつぶやきには、どうやら操縦と聞きとれそうな単語がしばしばくりかえされており、それとほぼ同じぐらいの頻度で、やれ回避だのやれ抹殺だのといった音のつらなりとして聞きわけられる単語もまぎれこんでいる。だが、誰が何を操縦し、どんな事態を回避し、いかなる人物を抹殺するのかということまでははっきりしないので、かろうじて識別できたと思えるたった三つの単語から、聞きとりにくい声がおさまるはずの構文はいうまでもなく、そのおよその文意を推測することなどとてもできはしない。
 むろんここで重要なのは、間違っても「誰が何を操縦し、どんな事態を回避し、いかなる人物を抹殺するのか」ということではない。この意味ありげな描写にごくさりげなく埋め込まれた「たった三つの単語」の「三」という数である。まだある。主人公が実際に任務を果たすのは「ここから鉄道でたっぷり三時間はかかる地方都市」だし、このあと先ほどの女の突然の接触ーー「かたわらの椅子に身を埋めていた女の腕が生きもののようなしなやかさで左の肘にからみつき、しっかりとかかえこむように組みあわされてしまう」ーーが呼び水となって主人公は「最後の戦争が起こったばかりだったから、こんな仕事に誘いこまれるより遥か以前」に「この国の転覆を目論む敵側の間諜がわがもの顔で闊歩しているという繁華街の地下鉄のホームでこれに似た体験をしていたこと」をふと思い出すのだが、そのときちょうどいまのようにいきなり腕をからませてきた女と同じ地下鉄のホームで再会したのは「それから三日後」のことなのだ。  「三」への擬態以前に、この小説の「二」に対する嫌悪、憎悪は、第三章で登場する女スパイが、いままさにオペラ「オペラ・オペラシオネル」を上演中の市立劇場の客席で、隣に座った主人公に「あなたを抹殺する目的で開幕直前に桟敷に滑りこもうとしていた女をぬかりなく始末しておいた」と告げたあとに続く台詞にも、さりげなく示されている。
 もちろん、と女は言葉をつぎ、刺客をひとり始末したからといって、いま、この劇場の客席には、三人目、四人目、ことによったら五人目となるかもしれない刺客たちが、この地方都市の正装した聴衆にまぎれて、首都に帰らせてはならないあなたの動向をじっとうかがっている。
 なぜ、女は「二人目」を省いたのか。どうしてか彼女は「二」と言いたくない、いや、「二」と言えないのだ。何らかの不思議な力が彼女から「二」という数の発話を無意味に奪っている。実際『陥没地帯』にはあれほど頻出していた「二」が、一見したところ『オペラ・オペラシオネル』では目に見えて減っている。代わりに振り撒かれているのは「三」だ。三、三、三。  だが、これも前作と同様に、ここでの「二」への抵抗と「三」への擬態は、そもそもの逃れ難い本性であるところの「二」によってすぐさま逆襲されることになる。たとえばそれは、やはり『陥没地帯』に引き続いて披露される、相似をめぐる認識において示される。どうやら記憶のあちこちがショートしかかっているらしい主人公は、第一章の巨大ホールで突然左肘に腕を絡ませてきた女が「それが誰なのかにわかには思い出せない旧知の女性に似ているような気もする」と思ってしまうのだがーー同様の叙述はこの先何度も繰り返されるーー、しかしそのとき彼は「経験豊かな仲間たち」からよく聞かされていた言葉をふと思い出す。
 もちろん、それがどれほどとらえがたいものであれ類似の印象を与えるというかぎりにおいて、二人が同一人物であろうはずもない。似ていることは異なる存在であることの証左にほかならぬという原則を見失わずにおき、みだりな混同に陥ることだけは避けねばならない。
 この「似ていることは異なる存在であることの証左にほかならぬという原則」は、もちろん『陥没地帯』の数々の相似にかんして暗に言われていたことであり、それは「一」に思えるが実は「二」、つまり「一ではなく二」ということだった。しかし、いまここで離反すべき対象は「二」なのだから、前作では「一」からの逃走の方策として導入されていた相似という装置は、こちらの世界では「二」から発される悪しき強力な磁場へと反転してしまうのだ。なるほどこの小説には、前作『陥没地帯』よりも更にあっけらかんとした、そう、まるでやたらと謎めかした、であるがゆえに適当な筋立てのご都合主義的なスパイ映画のような仕方で、相似の表象が次々と登場してくる。女という女は「旧知の女性に似ているような」気がするし、巨大ホールの女の亡くなったパイロットの夫は、第二章で主人公が泊まるホテルの部屋にノックの音とともに忍び込んでくる女、やはり亡くなっている夫は、売れない音楽家だったという自称娼婦の忌まわしくもエロチックな回想の中に奇妙に曖昧なすがたで再登場するし、その音楽家が妻に書き送ってくる手紙には、第一章の主人公の境遇に酷似する体験が綴られている。数え出したら枚挙にいとまのないこうした相似の仄めかしと手がかりは、本来はまったく異なる存在である筈の誰かと誰かを無理繰り繋いであたかもペア=ダブルであるかのように見���かけるためのブリッジ、橋の機能を有している。どれだけ「三」という数字をあたり一面に撒布しようとも、思いつくまま幾らでも橋を架けられる「二」の繁茂には到底対抗出来そうにない。  では、どうすればいいのか。「二」から逃れるために「三」が有効ではないのなら、いっそ「一」へと戻ってしまえばいい。ともかく「二」でありさえしなければいいのだし、ベクトルが一方向でなくともよいことはすでに確認済みなのだから。  というわけで、第三章の女スパイは、こんなことを言う。
 ただ、誤解のないようにいいそえておくが、これから舞台で演じられようとしている物語を、ことによったらあなたや私の身に起こっていたのかもしれないできごとをそっくり再現したものだなどと勘違いしてはならない。この市立劇場であなたが立ち会おうとしているのは、上演を目的として書かれた粗筋を旧知の顔触れがいかにもそれらしくなぞってみせたりするものではないし、それぞれの登場人物にしても、見るものの解釈しだいでどんな輪郭にもおさまりかねぬといった融通無碍なものでもなく、いま、この瞬間に鮮やかな現実となろうとしている生のできごとにほかならない。もはや、くりかえしもおきかえもきかない一回かぎりのものなのだから、これはよくあることだと高を括ったりしていると、彼らにとってよくある些細なできごとのひとつとして、あなたの世代の同僚の多くが人知れず消されていったように、あなた自身もあっさり抹殺されてしまうだろう。
 そもそも三章立ての小説『オペラ・オペラシオネル』が、作中にたびたびその題名が記され、第三章で遂に上演されることになる三幕もののオペラ「オペラ・オペラシオネル」と一種のダブルの関係に置かれているらしいことは、誰の目にも歴然としている。しかしここでいみじくも女スパイが言っているのは、如何なる意味でもここに「二」を読み取ってはならない、これは「一」なのだ、ということだ。たとえ巧妙に「二」のふりをしているように見えたとしても、これは確かに「くりかえしもおきかえもきかない一回かぎりのもの」なのだと彼女は無根拠に断言する。それはつまり「二ではなく一」ということだ。そんなにも「二」を増殖させようとするのなら、その化けの皮を剥がして、それらの実体がことごとく「一」でしかないという事実を露わにしてやろうではないか(言うまでもなく、これは『陥没地帯』で起こっていたことだ)。いや、たとえほんとうはやはりそうではなかったのだとしても、ともかくも「二ではなく一」と信じることが何よりも重要なのだ。  「二」を「一」に変容せしめようとする力動は、また別のかたちでも確認することが出来る。この物語において主人公は何度か、それぞれ別の、だが互いに似かよってもいるのだろう女たちと「ベッドがひとつしかない部屋」で対峙する、もしくはそこへと誘われる。最後の場面で女スパイも言う。私たちが「ベッドがひとつしかない部屋で向かい合ったりすればどんなことになるか、あなたには十分すぎるほどわかっているはずだ」。「二」人の男女と「一」つのベッド。だが主人公は、一つきりのベッドをそのような用途に使うことは一度としてない。そしてそれは何度か話題にされる如何にも女性の扱いに長けたヴェテランの間諜らしい(らしからぬ?)禁欲というよりも、まるで「一」に対する斥力でも働いているかのようだ。  こうして『オペラ・オペラシオネル』は後半、あたかも「一」と「二」の闘争の様相を帯びることになる。第三章の先ほどの続きの場面で、女スパイは主人公に「私たちふたりは驚くほど似ているといってよい」と言ってから、こう続ける。「しかし、類似とは、よく似たもの同士が決定的に異なる存在だという事実の否定しがたい証言としてしか意味をもたないものなのだ」。これだけならば「一ではなく二」でしかない。だがまだその先がある。「しかも、決定的に異なるものたちが、たがいの類似に脅えながらもこうして身近に相手の存在を確かめあっているという状況そのものが、これまでに起こったどんなできごととも違っているのである」。こうして「二」は再び「一」へと逆流する。まるで自らに念を押すように彼女は言う。いま起こっていることは「かつて一度としてありはしなかった」のだと。このあとの一文は、この小説の複雑な闘いの構図を、複雑なまま見事に表している。
 だから、あたりに刻まれている時間は、そのふたりがともに死ぬことを選ぶか、ともに生きることを選ぶしかない一瞬へと向けてまっしぐらに流れ始めているのだと女が言うとき、そらんじるほど熟読していたはずの楽譜の中に、たしかにそんな台詞が書き込まれていたはずだと思いあたりはするのだが、疲労のあまりものごとへの執着が薄れ始めている頭脳は、それが何幕のことだったのかと思い出そうとする気力をすっかり失っている。
 かくのごとく「二」は手強い。当たり前���。これはもともと「二」なのだから。しかしそれでも、彼女は繰り返す。「どこかしら似たところのある私たちふたりの出会いは、この別れが成就して以後、二度とくりかえされてはならない。そうすることがあなたと私とに許された誇らしい権利なのであり、それが無視されてこの筋書きにわずかな狂いでもまぎれこめば、とても脱出に成功することなどありはしまい」。『オペラ・オペラシオネル』のクライマックス場面における、この「一」対「二」の激しい争いは、読む者を興奮させる。「実際、あなたと私とがともに亡命の権利を認められ、頻繁に発着するジェット機の騒音などには耳もかさずに、空港の別のゲートをめざしてふりかえりもせずに遠ざかってゆくとき、ふたり一組で行動するという権利が初めて確立することになり、それにはおきかえもくりかえしもききはしないだろう」。「二」人組による、置換も反復も欠いた、ただ「一」度きりの逃避行。ここには明らかに、あの『アルファヴィル』のラストシーンが重ね合わされている。レミー・コーションはアンナ・カリーナが演じるナターシャ・フォン・ブラウンを連れて、遂に発狂した都市アルファヴィルを脱出する。彼らは「二人」になり、そのことによってこれから幸福になるのだ。『ドイツ零年』の終わり近くで、老いたるレミー・コーションの声が言う。「国家の夢は1つであること。個人の夢は2人でいること」。それはつまり「ふたり一組で行動するという権利」のことだ。  かくのごとく「二」は手強い。当たり前だ。これはもともと「二」なのだから。しかも、もはや夢幻なのか現実なのかも判然としない最後の最後で、主人公と女スパイが乗り込むのは「これまでハンドルさえ握ったためしのないサイドカー」だというのだから(これが「ベッドがひとつしかない部屋」と対になっていることは疑いない)、結局のところ「二」は、やはり勝利してしまったのではあるまいか。「二」が「二」であり「二」であるしかないという残酷な運命に対して、結局のところ「三」も「一」も歯が立たなかったのではないのか。小説家蓮實重彦の一作目『陥没地帯』が「一の物語」であったように、小説家蓮實重彦の第二作は「二の物語」としての自らをまっとうする。そして考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、このことは最初からわかりきっていたことだ。だってこの小説の題名は『オペラ・オペラシオネル』、そこには「オペラ」という単語が続けざまに「二」度、あからさまに書き込まれているのだから。
四、
 さて、遂にようやく「一、」の末尾に戻ってきた。では、小説家蓮實重彦の第三作『伯爵夫人』はどうなのか。この小説は「三」なのだから、仮説に従えば「四」もしくは「二」を志向せねばならない。もちろん、ここで誰もが第一に思い当たるのは、主人公の名前である「二朗」だろう。たびたび話題に上るように、二朗には亡くなった兄がいる。すなわち彼は二男である。おそらくだから「二」朗と名づけられているのだが、しかし死んだ兄が「一朗」という名前だったという記述はどこにもない、というか一朗はまた別に居る。だがそれはもっと後の話だ。ともあれ生まれついての「二」である二朗は、この小説の「三」としての運命から、あらかじめ逃れ出ようとしているかに見える。そう思ってみると、彼の親しい友人である濱尾も「二」男のようだし、従妹の蓬子も「二」女なのだ。まるで二朗は自らの周りに「二」の結界を張って「三」の侵入を防ごうとしているようにも思えてくる。  だが、当然の成り行きとして「三」は容赦なく襲いかかる。何より第一に、この作品の題名そのものであり、二朗にははっきりとした関係や事情もよくわからぬまま同じ屋敷に寝起きしている、小説の最初から最後まで名前で呼ばれることのない伯爵夫人の、その呼称の所以である、とうに亡くなっているという、しかしそもそも実在したかどうかも定かではない「伯爵」が、爵位の第三位ーー侯爵の下で子爵の上ーーであるという事実が、彼女がどうやら「三」の化身であるらしいことを予感させる。『オペラ・オペラシオネル』の「二」と同じく、『伯爵夫人』も題名に「三」をあらかじめ埋め込まれているわけだ。確かに「三」はこの小説のあちこちにさりげなく記されている。たとえば濱尾は、伯爵夫人の怪しげな素性にかかわる噂話として「れっきとした伯爵とその奥方を少なくとも三組は見かけた例のお茶会」でのエピソードを語る。また、やはり濱尾が二朗と蓬子に自慢げにしてみせる「昨日まで友軍だと気を許していた勇猛果敢な騎馬の連中がふと姿を消したかと思うと、三日後には凶暴な馬賊の群れとなって奇声を上げてわが装甲車舞台に襲いかかり、機関銃を乱射しながら何頭もの馬につないだ太い綱でこれを三つか四つひっくり返したかと思うと、あとには味方の特殊工作員の死骸が三つも転がっていた」という「どこかで聞いた話」もーー「四」も入っているとはいえーーごく短い記述の間に「三」が何食わぬ顔で幾つも紛れ込んでいる。  しかし、何と言っても決定的に重要なのは、すでに触れておいた、二朗と伯爵夫人が最初の、贋の抱擁に至る場面だ。謎の「ふたり組の男」に「二朗さんがこんな女といるところをあの連中に見られたくないから、黙っていう通りにして下さい」と言って伯爵夫人が舞台に選ぶのは「あの三つ目の街路樹の瓦斯燈の灯りも届かぬ影になった幹」なのだが、演出の指示の最後に、彼女はこう付け加える。
 連中が遠ざかっても、油断してからだを離してはならない。誰かが必ずあの二人の跡をつけてきますから、その三人目が通りすぎ、草履の先であなたの足首をとんとんとたたくまで抱擁をやめてはなりません、よござんすね。
 そう、贋の抱擁の観客は「二」人ではなかった。「三」人だったのだ。しかし二朗は本番では演技に夢中でーー射精という事故はあったもののーー場面が無事に済んでも「あの連中とは、いったいどの連中だというのか」などと訝るばかり、ことに「三人目」については、その実在さえ確認出来ないまま終わる。つまり追っ手(?)が全部で「三」人居たというのは、あくまでも伯爵夫人の言葉を信じる限りにおいてのことなのだ。  まだある。一度目の射精の後、これも先に述べておいたが伯爵夫人は二朗に自らの性的遍歴を語り出す。自分はあなたの「お祖父さま」ーー二朗の母方の祖父ーーの「めかけばら」だなどと噂されているらしいが、それは根も葉もない言いがかりであって、何を隠そう、お祖父さまこそ「信州の山奥に住む甲斐性もない百姓の娘で、さる理由から母と東京に移り住むことになったわたくし」の処女を奪ったばかりか、のちに「高等娼婦」として活躍出来るだけの性技の訓練を施した張本人なのだと、彼女は告白する。まだ処女喪失から二週間ほどしか経っていないというのに、お祖父さまに「そろそろ使い勝手もよくなったろう」と呼ばれて参上すると、そこには「三」人の男ーーいずれも真っ裸で、見あげるように背の高い黒ん坊、ターバンを捲いた浅黒い肌の中年男、それにずんぐりと腹のでた小柄な初老の東洋人ーーがやってきて、したい放題をされてしまう。とりわけ「三」人目の男による見かけによらない濃厚な変態プレイは、破廉恥な描写には事欠かないこの小説の中でも屈指のポルノ場面と言ってよい。  まだまだある。二朗の「三」度目の射精の前、和製ルイーズ・ブルックスに案内された「更衣室」には、「野獣派風の筆遣いで描かれたあまり感心できない裸婦像が三つ」と「殺風景な三つのシャワーのついた浴場」がある。伯爵夫人が物語る、先の戦時中の、ハルピンにおける「高麗上等兵」のエピソードも「三」に満ちている。軍の都合によって無念の自決を強いられた高麗の上官「森戸少尉」の仇である性豪の「大佐」に、山田風太郎の忍法帖さながらの淫技で立ち向かい、森戸少尉の復讐として大佐の「金玉」を潰すという計画を、のちの伯爵夫人と高麗は練るのだが、それはいつも大佐が「高等娼婦」の彼女を思うさまいたぶるホテルの「三階の部屋」の「三つ先の部屋」でぼやを起こし、大佐の隙を突いて「金玉」を粉砕せしめたらすぐさま火事のどさくさに紛れて現場から立ち去るというものであり、���ざ決行直後、彼女は「雑踏を避け、高麗に抱えられて裏道に入り、騎馬の群れに囲まれて停車していた三台のサイドカー」に乗せられて無事に逃亡する。  このように「三」は幾らも数え上げられるのだが、かといって「二」や「四」も皆無というわけではないーー特に「二」は後で述べるように伯爵夫人の一時期と切っても切り離せない関係にあるーーのだから、伯爵夫人が「三」の化身であるという予感を完全に証明し得るものとは言えないかもしれない。では、次の挿話はどうか?  三度目の射精の直後に例の「サボン」を投与されてしまった二朗は、今度は「黒い丸眼鏡をかけた冴えない小男」の先導で、さながら迷宮のようなホテル内を経巡って、伯爵夫人の待つ「お茶室」ーー彼女はあとで、その空間を「どこでもない場所」と呼ぶーーに辿り着く。そこで伯爵夫人はふと「二朗さん、さっきホテルに入ったとき、気がつかれましたか」と問いかける。「何ですか」「百二十度のことですよ」。今しがた和製ルイーズ・ブルックスと自らの「魔羅」の隆隆たる百二十度のそそり立ちについて語り合ったばかりなので、二朗は思わずたじろぐが、伯爵夫人は平然と「わたくしは回転扉の角度のお話をしているの。あそこにいったいいくつ扉があったのか、お気づきになりましたか」と訊ねる。もちろんそれは、小説の始まりに記されていた「傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉」のことだ。
 四つあるのが普通じゃなかろうかという言葉に、二朗さん、まだまだお若いのね。あそこの回転扉に扉の板は三つしかありません。その違いに気づかないと、とてもホテルをお楽しみになることなどできませんことよと、伯爵夫人は艶然と微笑む。四つの扉があると、客の男女が滑りこむ空間は必然的に九十度と手狭なものとなり、扉もせわしげにぐるぐるとまわるばかり。ところが、��普魯西の依怙地な家具職人が前世紀末に発明したという三つ扉の回転扉の場合は、スーツケースを持った少女が大きな丸い帽子箱をかかえて入っても扉に触れぬだけの余裕があり、一度に一・三倍ほどの空気をとりこむかたちになるので、ぐるぐるではなく、ばふりばふりとのどかなまわり方をしてくれる。
 「もっとも、最近になって、世の殿方の間では、百二十度の回転扉を通った方が、九十度のものをすり抜けるより男性としての機能が高まるといった迷信めいたものがささやかれていますが、愚かとしかいいようがありません。だって、百二十度でそそりたっていようが、九十度で佇立していようが、あんなもの、いったん女がからだの芯で受け入れてしまえば、どれもこれも同じですもの」と,いつの間にか伯爵夫人の語りは、またもや「魔羅」の話題に変わってしまっていて、これも笑うべきところなのかもしれないが、それはいいとして、ここで「四ではなく三」が主張されていることは明白だろう。とすると「ぐるぐるではなく、ばふりばふり」が好ましいとされているのも、「ぐるぐる」も「ばふりばふり」も言葉を「二」つ重ねている点では同じだが、「ぐる」は「二」文字で「ばふり」は「三」文字であるということがおそらくは重要なのだ。  そして更に決定的なのは、伯爵夫人がその後に二朗にする告白だ。あの贋の抱擁における二朗の演技に彼女は憤ってみせたのだが、実はそれは本意ではなかった。「あなたの手は、ことのほか念入りにわたくしのからだに触れておられました。どこで、あんなに繊細にして大胆な技術を習得されたのか、これはこの道の達人だわと思わず感嘆せずにはいられませんでした」と彼女は言う。だが二朗は正真正銘の童貞であって、あの時はただ先ほど観たばかりの「聖林製の活動写真」を真似て演じてみたに過ぎない。だが伯爵夫人はこう続けるのだ。「あのとき、わたくしは、まるで自分が真っ裸にされてしまったような気持ちになり、これではいけないとむなしく攻勢にでてしまった」。そして「そんな気分にさせたのは、これまで二人しかおりません」。すなわち二朗こそ「どうやら三人目らしい」と、伯爵夫人は宣告する。二朗は気づいていないが、この時、彼は「二」から「三」への変容を強いられているのだ。  ところで伯爵夫人には、かつて「蝶々夫人」と呼ばれていた一時代があった。それは他でもない、彼女がやがて「高等娼婦」と称されるに至る売春行為を初めて行ったロンドンでのことだ。「二朗さんだけに「蝶々夫人」の冒険譚を話してさしあげます」と言って彼女が語り出すのは、先の戦争が始まってまもない頃の、キャサリンと呼ばれていた赤毛の女との思い出だ。キャサリンに誘われて、まだ伯爵夫人とも蝶々夫人とも呼ばれてはいなかった若い女は「聖ジェームズ公園近くの小さな隠れ家のようなホテル」に赴く。「お待ちしておりましたというボーイに狭くて薄暗い廊下をぐるぐると回りながら案内されてたどりついた二階のお部屋はびっくりするほど広くて明るく、高いアルコーヴつきのベッドが二つ並んでおかれている」。こうなれば当然のごとく、そこに「目に見えて動作が鈍いふたりの将校をつれたキャサリンが入ってきて、わたくしのことを「蝶々夫人」と紹介する」。阿吽の呼吸で自分に求められていることを了解して彼女が裸になると、キャサリンも服を脱ぎ、そして「二」人の女と「二」人の男のプレイが開始される。彼女はこうして「高等娼婦」への道を歩み始めるのだが、全体の趨勢からすると例外的と言ってよい、この挿話における「二」の集中は、おそらくはなにゆえかキャサリンが彼女を「蝶々夫人」と呼んでみせたことに発している。「蝶」を「二」度。だからむしろこのまま進んでいたら彼女は「二」の化身になっていたかもしれない。だが、そうはならなかった。のちの「伯爵」との出会いによって「蝶々夫人」は「伯爵夫人」に変身してしまったからだ。ともあれ伯爵夫人が事によると「二」でもあり得たという事実は頭に留めておく必要があるだろう。そういえば彼女は幾度か「年増の二流芸者」とも呼ばれるし、得意技である「金玉潰し」もーーなにしろ睾丸は通常「二」つあるのだからーー失われた「二」の時代の片鱗を残しているというべきかもしれない。  「二」から「三」への転位。このことに較べれば、回想のはじめに伯爵夫人が言及する、この小説に何度もさも意味ありげに登場するオランダ製のココアの缶詰、その表面に描かれた絵柄ーー「誰もが知っているように、その尼僧が手にしている盆の上のココア缶にも同じ角張った白いコルネット姿の尼僧が描かれているので、その図柄はひとまわりずつ小さくなりながらどこまでも切れ目なく続くかと思われがちです」ーーのことなど、その「尼僧」のモデルが他でもない赤毛のキャサリンなのだという理由こそあれ、読む者をいたずらに幻惑する無意味なブラフ程度のものでしかない。ただし「それは無に向けての無限連鎖ではない。なぜなら、あの尼僧が見すえているものは、無限に連鎖するどころか、画面の外に向ける視線によって、その動きをきっぱりと断ち切っているからです」という伯爵夫人の確信に満ちた台詞は、あの『陥没地帯』が世界そのもののあり方として体現していた「反復=循環性」へのアンビヴァレントな認識と通底していると思われる。  「このあたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保たれているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから、いまはひとまずひかえておかれるのがよろしかろう」。これは伯爵夫人の台詞ではない。このような物言いのヴァリエーションは、この小説に何度もさも意味ありげに登場するのだが、伯爵夫人という存在がその場に漂わせる「婉曲な禁止の気配」だとして、こんな途方もない言葉を勝手に脳内再生しているのは二朗であって、しかも彼はこの先で本人を前に朗々と同じ内容を語ってみせる。一度目の射精の後、まもなく二度目の射精の現場となる電話ボックスにおける長い会話の中で二朗は言う。「あなたがさっき「あたいの熟れたまんこ」と呼ばれたものは、それをまさぐることを触覚的にも視覚的にも自分に禁じており、想像の領域においてさえ想い描くことを自粛しているわたくしにとって、とうてい世界の一部におさまったりするものではない。あからさまに露呈されてはいなくとも、あるいは露呈されていないからこそ、かろうじて保たれているこのあぶなっかしい世界の均衡を崩すまいと息づいている貴重な中心なのです」。これに続けて「あたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて維持されているこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねないから、わたくしが誰なのかを詮索するのはひかえておかれるのがよろしかろうという婉曲な禁止の気配を、あなたの存在そのものが、あたりに行きわたらせていはしなかったでしょうか」と、小説家蓮實重彦の前二作と同様に、先ほどの台詞が微細な差異混じりにリピートされる。こんな二朗のほとんど意味不明なまでに大仰な言いがかりに対して、しかし伯爵夫人はこう応じてみせるのだ。
 でもね、二朗さん、この世界の均衡なんて、ほんのちょっとしたことで崩れてしまうものなのです。あるいは、崩れていながらも均衡が保たれているような錯覚をあたりに行きわたらせてしまうのが、この世界なのかもしれません。そんな世界に戦争が起きたって、何の不思議もありませんよね。
 いったいこの二人は何の話をしているのか。ここであたかも了解事項のごとく語られている「世界の均衡」というひどく観念的な言葉と、あくまでも具体的現実的な出来事としてある筈の「戦争」に、どのような関係が隠されているというのか。そもそも「戦争」は、前二作においても物語の背景に隠然と見え隠れしていた。『陥没地帯』においては、如何にもこの作品らしく「なぜもっと戦争がながびいてくれなかったのか」とか「明日にも終るといわれていた戦争が日々混沌として終りそびれていた」とか「戦争が始まったことさえまだ知らずにいたあの少年」とか「戦争の真の終りは、どこまでも引きのばされていくほかはないだろう」などと、要するに戦争がいつ始まっていつ終わったのか、そもそもほんとうに終わったのかどうかさえあやふやに思えてくるような証言がちりばめられていたし、『オペラ・オペラシオネル』の老スパイは「最後の戦争が起こったばかりだったから、こんな仕事に誘いこまれるより遥か以前」の思い出に耽りつつも、知らず知らずの内にいままさに勃発の危機にあった新たな戦争の回避と隠蔽に加担させられていた。そして『伯爵夫人』は、すでに見てきたようにひとつ前の大戦時の挿話が複数語られるのみならず、二朗の冒険(?)は「十二月七日」の夕方から夜にかけて起こっており、一夜明けた次の日の夕刊の一面には「帝國・米英に宣戦を布告す」という見出しが躍っている。つまりこれは大戦前夜の物語であるわけだが、ということは「世界の均衡」が崩れてしまったから、或いはすでに「崩れていながらも均衡が保たれているような錯覚」に陥っていただけだという事実に気づいてしまったから、その必然的な帰結として「戦争」が始まったとでも言うのだろうか?  伯爵夫人は、二朗を迎え入れた「お茶室」を「どこでもない場所」と呼ぶ。「何が起ころうと、あたかも何ごとも起こりはしなかったかのように事態が推移してしまうのがこの場所なのです。(中略)だから、わたくしは、いま、あなたとここで会ってなどいないし、あなたもまた、わたくしとここで会ってなどいない。だって、わたくしたちがいまここにいることを証明するものなんて、何ひとつ存在しておりませんからね。明日のあなたにとって、今日ここでわたくしがお話ししたことなど何の意味も持ちえないというかのように、すべてががらがらと潰えさってしまうという、いわば存在することのない場所がここなのです」。だからあなたがわたくしを本気で犯したとしても「そんなことなど起こりはしなかったかのようにすべてが雲散霧消してしまうような場所がここだといってもかまいません。さあ、どうされますか」と伯爵夫人は二朗を試すように問うのだが、このとき彼はすでに「サボン」の効用で七十二時間=三日間の不能状態にある。  そしてこの後、彼女はこの物語において何度となく繰り返されてきた秘密の告白の中でも、最も驚くべき告白を始める。そもそも先に触れておいた、二朗こそ自分にとっての「三人目らしい」という宣告の後、伯爵夫人は「お祖父さま」にかんする或る重要な情報を話していた。自分も含め「数えきれないほどの女性を冷静に組み��いて」きた「お祖父さま」は、にもかかわらず「あなたのお母さまとよもぎさんのお母さまという二人のお嬢さましかお残しにならなかった」。事実、隠し子などどこにもいはしない。なぜなら「それは、あの方が、ふたりのお嬢様をもうけられて以後、女のからだの中ではーーたとえ奥様であろうとーー絶対におはてにならなかったから。間違っても射精などなさらず、女を狂喜させることだけに生涯をかけてこられた。妊娠をさけるための器具も存在し始めておりましたが、そんなものはおれは装着せぬとおっしゃり、洩らすことの快感と生殖そのものをご自分に禁じておられた」。ならばなぜ、��のような奇妙な禁欲を自ら決意し守り抜こうとしたのか。二朗の死んだ兄は「「近代」への絶望がそうさせたのだろう」と言っていたというのだが、それ以上の説明がなされることはない。  だが実は、そうはならなかった、というのが伯爵夫人の最後の告白の中身なのだ。「ところが、その晩、そのどこでもない場所で、たったひとつだけ本当のできごとが起こった。ここで、わたくしが、お祖父さまの子供を妊ってしまったのです」。どういうわけか「お祖父さま」は伯爵夫人の膣に大量に放出してしまう。それが不測の事態であったことは間違いないだろう。だがやがて妊娠は確定する。当然ながら彼女は堕胎を考えるのだが、「ところが、お祖父さまのところからお使いのものが来て,かりに男の子が生まれたら一郎と名付け、ひそかに育て上げ、成年に達したら正式に籍に入れようという話を聞かされました」。こうして伯爵夫人は「一郎」を産んだのだった。しかもそれは二朗が誕生する三日前のことだったと彼女は言う。やはり隠し子はいたのだ。一郎はその後、伯爵夫人の母親の子として育てられ、いまは二朗と同じく来年の帝大入学を目指している。「しかし、その子とは何年に一度しか会ってはならず、わたくしのことを母親とも思っていない。ですから、ほぼ同じ時期に生まれたあなたのことを、わたくしはまるで自分の子供のようにいたわしく思い、その成長を陰ながら見守っておりました」。この「女」から「母」への突然の変身に、むろん二朗は衝撃と困惑を隠すことが出来ない。それに伯爵夫人のこのような告白を信じるにたる理由などどこにもありはしない。むしろ全面的に疑ってかかる方がまともというものだろう。二朗は自分こそが「一郎」なのではないかと思いつく。そういえば何度も自分は祖父にそっくりだと言われてきた。容貌のみならず「おちんちん」まで。それについ今しがた、伯爵夫人はここが「どこでもない場所」であり、それゆえ「明日のあなたにとって、今日ここでわたくしがお話ししたことなど何の意味も持ちえないというかのように、すべてががらがらと潰えさってしまう」と言ってのけたばかりではないか。その舌の根も乾かぬうちにこんな話をされて、いったい何を信じろというのか。  ことの真偽はともかくとして、ここで考えておくべきことが幾つかある。まず「一郎」が伯爵夫人と「お祖父さま」の間の秘密の息子の名前だというのなら、二朗の死んだ兄の名前は何だったのか、ということだ。そもそもこの兄については、曰くありげに何度も話題にされるものの、小説の最初から最後まで一度として名前で呼ばれることはなく、そればかりか死んだ理由さえ明らかにされることはない。幾つかの記述から、亡くなったのはさほど遠い昔ではなかったらしいことは知れるのだが、それだけなのだ。まさかこちらの名前も「一郎」だったわけはない。一郎が生まれた時には二朗の兄は生きていたのだから……書かれていないのだから何もかもが憶測でしかあり得ないが、結局のところ、兄は二朗を「二」朗にするために、ただそれだけのために物語に召喚されたのだとしか考えられない。そして別に「一郎」が存在している以上は、兄には何か別の名前があったのだろう。いや、いっそ彼は「無名」なのだと考えるべきかもしれない。実在するのかどうかも定かではない「お祖父さま」と伯爵夫人の息子には名前があり、確かにかつては実在していた筈の二朗の兄には名前が無い。「どこでもない場所」での伯爵夫人の最後の告白を聞くまで、読む者は二朗の兄こそ「一郎」という名前だったのだろうと漫然と決め込んでいる。だからそこに少なからぬ驚きが生じるのだが、つまりそれは「二」の前に置かれている「一」がずらされるということだ。その結果、二朗の「二」はにわかに曖昧な数へと変貌してしまう。それどころか彼には自分が「二」ではなく「一」なのかもしれぬという疑いさえ生じているのだから、このとき「一」と「二」の関係性は急激に解け出し、文字通り「どこでもない場所」に溶け去ってしまうかのようだ。  もうひとつ、このことにかかわって、なぜ「お祖父さま」は「一郎」の誕生を許したのかという問題がある。彼にはすでに「二」人の娘がいる。その後に奇妙な禁欲を自らに強いたのは、すなわち「三」人目を拒んだということだろう。「二」に踏み留まって「三」には行かないことが、二朗の兄言うところの「「近代」への絶望」のなせる業なのだ。つまり「三」の禁止こそ「世界の均衡」を保つ行為なのであって、このことは「お祖父さま」の爵位が子爵=爵位の第四位だったことにも暗に示されている。ということは、彼はひとつの賭けに出たのだと考えられないか。確かに次は自分にとって「三」人目の子供になってしまう。それだけは避けられない。しかし、もしも伯爵夫人との間に生まれてくるのが男だったなら、それは「一」人目の息子ということになる。だから彼はおそらく祈るような気持ちで「一郎」という名前をあらかじめ命名したのだ。逆に、もしも生まれてきたのが女だったなら、その娘が果たしてどうなっていたか、考えるのもおそろしい気がしてくる。  「三」の禁止。仮説によるならば、それは『伯爵夫人』の原理的なプログラムの筈だった。「一郎」をめぐる思弁は、そのことを多少とも裏づけてくれる。だがそれでも、紛れもない「三」の化身である伯爵夫人の振る舞いは、この世界を「三」に変容せしめようとすることを止めはしない。彼女は二朗を「三」人目」だと言い、たとえ「一郎」という命名によって何とか抗おうとしていたとしても、彼女が「お祖父さま」の「三」人目の子を孕み、この世に産み落としたことには変わりはない。「一」郎の誕生を「二」朗が生まれる「三」日前にしたのも彼女の仕業だろう。やはり「三」の優位は揺るぎそうにない。だから二朗が射精するのは「三」度でなければならないし、二朗が不能に陥るのは「三」日間でなければならない。考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、このことは最初からわかりきっていたことだ。なぜならこれは小説家蓮實重彦の第三作、すなわち「三の物語」なのだから。  そして、かろうじて保たれていた「世界の均衡」が崩れ去った、或いはすでにとっくに崩れてしまっていた事実が晒け出されたのが、「ばふりばふりとまわっている重そうな回転扉」から「どこでもない場所」へと至るめくるめく経験と、その過程で次から次へと物語られる性的な逸話を二朗に齎した自らの奸計の結果であったとでも言うように、伯爵夫人は物語の末尾近くに不意に姿を消してしまう。どうやら開戦の情報を知って急遽大陸に発ったらしい彼女からの言づてには、「さる事情からしばらく本土には住みづらくなりそうだから」としか急な出奔の理由は記されていない。かくして「三」は勝利してしまったのか。本当にそうか。実をいえばここには、もうひとつだけ別の可能性が覗いている。すなわち「四」。ここまでの話に、ほぼ全く「四」は出てきていない。しかし「三」であることから逃れるために、いまや「二」の方向が有効でないのなら、あとは「四」に向かうしかない。では「四」はいったいどこにあるのか。  伯爵夫人が「伯爵」と出会ったのは、バーデンバーデンでのことだ。「あと数週間で戦争も終わろうとしていた時期に、味方の不始末から下半身に深い傷を追った」せいで性的機能を喪失してしまったという、絶体絶命の危機にあっても決して平静を失わないことから部下たちから「素顔の伯爵」と呼ばれていたドイツ軍将校と、のちの伯爵夫人は恋に落ち、彼が若くして亡くなるまでヨーロッパ各地で生活を共にしたのだった。バーデンバーデンは、他の土地の名称と同じく、この小説の中では漢字で表記される。巴丁巴丁。巴は「三」、丁は「四」のことだ。すなわち「三四三四」。ここに「四」へのベクトルが隠されている。だが、もっと明白な、もっと重大な「四」が、意外にも二朗の身近に存在する。  二朗が真に執着しているのが、伯爵夫人でも和製ルイーズ・ブルックスでもなく、従妹の蓬子であるということは、ほぼ間違いない。このことは、ポルノグラフィックな描写やセンセーショナルな叙述に囚われず、この小説を虚心で読んでみれば、誰の目にも明らかだ。この場合の執着とは、まず第一に性的なものであり、と同時に、愛と呼んでも差し支えのないものだ。確かに二朗は蓬子に触れられてもしごかれてもぴくりともしないし、小春などから何度も従妹に手をつけただろうと問われても事実そのものとしてそんなことはないと否定して内心においてもそう思っているのだが、にもかかわらず、彼が求めているのは本当は蓬子なのだ。それは読めばわかる。そして小説が始まってまもなく、蓬子が伯爵夫人についてこともなげに言う「あの方はお祖父ちゃまの妾腹に決まっているじゃないの」という台詞が呼び水となって、二朗は「一色海岸の別荘」の納戸で蓬子に陰部を見せてもらったことを思い出すのだが、二人の幼い性的遊戯の終わりを告げたのは「離れた茶の間の柱時計がのんびりと四時」を打つ音だった。この「四」時は、二朗のヰタ・セクスアリスの抑圧された最初の記憶として、彼の性的ファンタズムを底支えしている。それに蓬子は「ルイーズ・ブルックスまがいの短い髪型」をしているのだ。二朗は気づいていないが、あの「和製ルイーズ・ブルックス」は、結局のところ蓬子の身代わりに過ぎない。そして何よりも決定的なのは、蓬子という名前だ。なぜなら蓬=よもぎは「四方木」とも書くのだから。そう、彼女こそ「四」の化身だったのだ。  小説の終わりがけ、ようやく帰宅した二朗は、蓬子からの封書を受け取る。彼女は伯爵夫人の紹介によって、物語の最初から「帝大を出て横浜正金銀行に勤め始めた七歳も年上の生真面目な男の許嫁」の立場にあるのだが、未だ貞節は守っており、それどころか性的には甚だ未熟な天真爛漫なおぼこ娘ぶりを随所で発揮していた。だが手紙には、緊急に招集された婚約者と小田原のホテルで落ち合って、一夜を共にしたとある。婚約者は誠実にも、自分が戦死する可能性がある以上、よもぎさんを未婚の母にするわけにはいかないから、情交には及べないーーだがアナル・セックスはしようとする、ここは明らかに笑うところだーーと言うのだが、蓬子は「わたくしが今晩あなたとまぐわって妊娠し、あなたにもしものことがあれば、生まれてくる子の父親は二朗兄さまということにいたしましょう」と驚くべきことを提案し、それでようやっと二人は結ばれたのだという。それに続く文面には、赤裸々に処女喪失の場面が綴られており、その中には「細めに開いた唐紙の隙間から二つの男の顔が、暗がりからじっとこちらの狂態を窺っている」だの「あのひとは三度も精を洩らした」だのといった気になる記述もありはするのだが、ともあれ二朗はどうしてか蓬子のとんでもない頼みを受け入れることにする。彼は小春を相手に現実には起こっていない蓬子とのふしだらな性事を語ってみせさえするだろう。それは「二」として生まれた自分が「三」からの誘惑を振り切って「四」へと離脱するための、遂に歴然とその生々しい姿を現した「世界の均衡」の崩壊そのものである「戦争」に対抗し得るための、おそらく唯一の方法であり、と同時に、あるとき突然向こうからやってきた、偶然とも僥倖とも、なんなら奇跡とも呼んでしかるべき、因果律も目的意識も欠いた突発的な出来事としての「小説」の、意味もなければ正しくもない「原理」、そのとりあえずの作動の終幕でもある。
(初出:新潮2016年8月号)
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fre5hic-blog · 8 years ago
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うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVE LIVE 6th STAGE
マイガールもえ様のお陰で、ありがたいことに5月28日のライブに参加しました。 (以下びっくりするほど長いので、途中で眠くなったら寝てください)
西武ドームは過酷な環境であると散々ネットで脅された(言い方が悪くて申し訳ないです)ので、なんでもノートに「うたプリライブ 準備♪」なんて持ち物のリストアップページを作ってその日が来るまでそわそわしていました。
今回はこれまでにない試みとして、5月27日と早い段階でお嬢様モードに切り替えて気持ちを高めてみました。(いつもはライブ終演後に感想を言う時だけお嬢様を降臨させています)やはり、伯爵のお嬢様を名乗る以上は前日や当日に程度の低いツイートはしたくないと思ったのでその点気を付けてみました。
前日の入場がなかなかの混乱を極めていたので自分が行く日もそのようであったらどうしようと不安は大きかったですが、1時間程度でリストバンドを貰えてよかったです。しかし、本当にすごい人数が集まっているんですね。こんなにたくさんの人が来ているのに、尚はずれて来れない人がいるってすごいことです。私も自分で申し込んだのは軒並みはずれたしね。
マイガールもえ様のありがたいチケットは(本当に感謝しているのでしつこくこのスタイルで行きます)、さらにすごいことに2ndライブから毎度参加している私ですら初めて目にしたアリーナのチケットで、奥のステージと中央のステージの間くらいの場所という素晴らしいポジションでした。 正直なところアリーナ席に浮かれに浮かれていたので、始まるまでの私たちは相当テンションが高かったと思います。
さて、早速ライブの感想を書いていきます。
マジLOVEレジェンドスター
真ん中のステージに白くて大きな風船のようなものがもくもくとあらわれ、その中からスタリが登場。あの演出、きっと中で待機している演者もわくわくする演出ですよね。真っ白の中で、イヤモニをしているとは言え客席で期待と興奮でざわついた音だけが聞こえている。それが弾けると辺り一面の彩り豊かな光と、圧倒される熱気……! 今回の曲も合いの手をたくさん入れられる曲だったので、最初からとっても楽しかったです。
QUARTET★NIGHT どうでもいいことですが、カルナイってユニット名には★が入らないの面白いと思いませんか。 ありがたいことに奥のステージ(我々が最も見やすいステージ)への登場だったので、肉眼でじっくり見ることができました。並びは左から黒崎さん、伯爵、嶺二、美風くんだったと思うのですが合ってる? 私はダンスなどの振りを記憶する能力が壊滅的に欠落しているので単なる私の思い違いだったら恥ずかしいことですが、なんとなくまた振付変わったような気が……。 スタリが出てくると場の空気がほわんとしてキラキラする一方、カルナイが出てくるとぴりりと引き締まって視線を吸い寄せられる感じがするので、ユニットの個性というか、雰囲気と言うか、そういう違いが演者のたたずまいからも感じられるようになってきたのがなんとなく嬉しかったです。 個人的に、どこかのタイミングで伯爵と美風くんがハモる時に伯爵が美風くんの肩に手をやってお互い目を合わせずとも通じているような表情になっていたのがお気に入りポイント。基本的に歌カルナイは嶺二・美風、黒崎・伯爵で絡む振付が多い気がするので(擦れ違い様に目くばせとか、そういうものは除きます)、よかったなーと。
テンペスト 伝わりづらいし伝わったとしても同意してもらえなさそうですが、アニメのOP曲をマモが歌いに来る時の「いつもの」感、いいですよね。 レジェンドスターのOPアニメーションは、早乙女学園時代の描写などを組み込んでうまいこと彼らの中で流れた時を感じさせてくれる演出だから結構好きなのですが、改めて大きい会場のスクリーンで見るとこみあげるものがありました。 そして、マモの歌い方がまた……。カルナイに続きマモも奥のステージで歌ってくれたので大変よく見えたからよりそう感じたのかもしれませんが、すごく強い力が溢れていて惹きつけられました。 これまでのライブでは、マモパートは比較的穏やかな気持ちでライトを紫色にして振っていたんです。けれど今回、ちょっといつもと違う感じがして(この事はマイガールもえ様ともちょっと話した。もえちゃん曰く、テンペストはこれまでのタイアップ曲とは異なり、かなり作品を意識して作詞などがなされているとのこと。)私もキンブレを握る力がぎゅっと強くなりました。 さらに雨が降る様な舞台演出もすごくて、まだ始まって3曲目だというのにクライマックスに達したかのような錯覚に陥りました。あの演出本当になんだったんだろう……とても良かったけど、何か大きな意味があったのではないかと深読みしたくなります。
ここでアイドルの紹介。 今回アニメの終わりで予告されたライブがそのまま現実に来たという流れが作られていたので、決選ライブのアナウンサーさんの声の方がアニメの時のようにナレーションを入れてくださってい��した。これ、実際聞くとかなりテンションが上がります。
KILLER KISS この曲、一瞬そんなことないと思ったけれどどうあがいても嶺二テイストの曲なので、伯爵……せめてそういった要素が欲しかった……。↑松氏がいかに伯爵に対して思い入れが無いかを痛感させられる一曲である。 ここで初めてトロッコでの登場。これまで何度も遠目に見てきたあのトロッコが、こんなに近くで……!!!(今回のライブでの一番の興奮ポイントはトロッコが座席近くを通ったこと) 私たち側のトロッコには嶺二が乗っていたので、マイガールもえ様はものすごく興奮していました。私はというと反対側のトロッコは一切見えないためそもそもトロッコがどこを動いているのかさえわからず、前回に引き続いてまたしてもうちの執事は私に意地悪なことをするのね……と、心のお嬢様が大変むくれておりました。(伯爵は5thライブでもことごとく私たちの座席からはよく見えないステージで歌った) 折角前野さんがポニーテールにして、メガネをかけてくれていたのに……。髪の結び方は微妙に違うけれど、いつぞやのAGFの伯爵の事を思い出しました。 トロッコから降りて中央のステージでラストのサビを歌っていて、その振付が好戦的と言うか、なんだか殺伐とした感じだったので(良く見えなかったから勘違いかもしれない)、この二人は仕事だから一緒にいるだけで本当にビジネスの関係なんだなあと思いました。そしてCDのブックレットに載っていたあまりにも空々しいインタビューのことを思い出して、やはりある程度互いに関心のある組み合わせの方が心穏やかに見ていられる気がしました。
ハルハナ またトロッコでの登場。しかし、我々とは逆方向に動いているトロッコだったため中央ステージ上部のモニターで観覧。 キラキスとは打って変わったメロウな楽曲で、二人のダンスもしっとりとけれど情熱的でした。二つの曲の系統の差がうまく作用しているなと思いました。 個人的に黒崎さんがあまりダンスが上手でないという設定が好きなので、エロティックな腰つきでカルメンみたいなステップ(カルメンじゃない踊りだったら恥ずかしい)を踏む、こんな魅せ方の難しそうな振りを一生懸命練習していたのかなと妄想したら可愛く感じました。ただ黒崎達央的には、正直赤メッシュわかめヘアーが気になって上手に魅せられるダンスを踊れていたのかどうかあまり覚えていません。
Melting of snow 私がメンタルをズタボロにされる羽目になった、今回最大の問題ステージ。 詳しくは私がお嬢様芸をしていた時のツイッターを引用して振り返りましょう。
「Melting of snowでのカミュは、一見完璧な執事アイドルそのものとしか言いようのないように感じられたわ。私の執事に出来ないことなんてないもの、普段と全く異なる雰囲気のパフォーマンスを何でもないように見せつけてくれて、悔しいけれど格好良かったの。」 「でも、途中ではっとした……。だってあの人、のんびりと新聞を読んだり、美味しい紅茶に舌鼓を打ったり、それはそれは伯爵アイドルだったんですもの……あんなに素敵な笑みで……。分かってはいたことですのよ、でもこの人は執事である前に伯爵。」   「執事として私の元に現れたことは別に彼が望んだことではなくて、偶然だった。大勢の求めるカミュという虚像、彼はそれを敏感に察知しそれに見合った違う顔を柔軟に見せてくれる人だとも分かっていた。だから、もしかするとこの人に執事であることを求める人はもういないと感じたのでは……?」 「どんなものであってもカミュはカミュで、些細な肩書きに拘る私が愚かで見苦しいと言われているような気もいたしましたわ。勿論……どんなカミュだって好きよ、でも、私は敢えて私達に傅く貴方が本当に嬉しくて、それを当たり前のようにしてくれるのだからその度貴方の本質を見たように思っていた。」 「それを感じさせてくれるのは、本当の意味での伯爵の貴方と執事でいる時の貴方だったのよ。私が触れられるのは後者だけだから、どうしても縋りたかったの……。そんなもの縋る必要など無いと言われたとしても……。」 「……どうしてかしら、思うことを正確に言葉には出来ないものね。きちんと伝わっているかしら……?そんな気持ちでいたから、嶺二さんの曲は途中まで上の空になってしまって……本当に己を恥じているわ。」   
……とのことです。改めて読み返しても、言いたい事がよくまとめられているいいツイートだと自画自賛です。 メルティは全然執事要素がないんです。最初は執事が余暇を過ごすさまだと思い込もうとしていたのですが、流石に無理がありすぎました。これまでは伯爵らしさと執事らしさをうまく兼ね備えたような演出、パフォーマンス、振付だったのですが今回そういうことはやめたみたいでした。 メルティを見ている時、正直もう自分がこれからも伯爵を好きでいる自信が全くなくて、公式が売り出したい方向性が変わってしまうことに心が付いていけずとても辛かったです。そしてこんなことを考えているのは自分だけなんだろうなというのも、心細くて悲しかったです。 虚像を見ているという自覚を持って私は執事をしている伯爵が好きなので、ここだけの話あまりにも悲しくて泣きました。
オン・ユア・マーク そんな私の価値観をぶっ壊されたあとの曲をまともに聞けるかと問われたら、そりゃあ無理に決まっています。嶺二は犠牲になったのだ……。 今回結構腰つきがスクリーンで抜かれていたと思うのですが、その度にマイガールもえ様がきゅん♡みたいな可愛い顔をしていたので森久保さんの腰が抜かれる度にこっそりもえちゃんの事をチラ見していました。もえちゃんかわいい!!!
BE PROUD 今回のライブでもっともステージを生かした演出がなされていたのは、間違いなくこの曲でしょう。 どう考えても感動的な演出になることが目に見えていた曲ですが、さらに元OCD信者としてもしっとりした曲の鈴木達央が素晴らしいことは自信を持って言えることなので、嫌な言い方をすると多くのオタクが思わず泣き出すことに関しては出来レースだったと言っても過言ではありません。流石の私も、じんとしてしまいました。しかし、黒崎さんの身に何があったらこんな曲が誕生してしまうのだろうという疑問をぬぐうことはできない……。このラインの曲は何のゲームで使われるんだろうか……。 演出の話に戻ると、これまでは黒崎達央が前のめりだったこともありダンサブルになりがちでしたが、今回はバックダンサーなし振りなしで聞かせることに主軸をおいていました。これまでのステージのイメージも手伝って、よりその切なさ、ロックな熱さとはまた違う秘めた情熱の様なものが際立っていましたね。 まず我々に近い奥のステージで歌い始めて(スタンドマイクだった気がする)、2番が始まるタイミングだったようなそうではなかったようなで花道をゆっくり歩くのですが、その移動がすごくかっこよかった……。あれは私の席の辺りで角度で見るのがベストだった気がします……。他の角度で見ていないのでもっといい角度があったら申し訳ないのですが、いや、あのしっとりさで黒崎達央の横顔を見られるのは最高でしょう?しかもライトが反対側から当たっていたので、本人は陰になって良く見えないところもすごく良かった。最高の花道の使い方です。さらに奥のステージは三面しか客席に触れていない一方、移動後の中央ステージは全方向を客席に囲まれたステージなので、最も盛り上がる曲の終盤で全ての中心に黒崎さんがいるというのがとても胸が熱くなる演出でした。 でもやはり黒崎さんには、バックダンサーを引き連れて●グザイル一味みたいにオラついている(酷い偏見)姿をステージでは見せてほしいですね。 私はステージ裏でダンサーズと肩を組みたがる黒崎達央を応援しております。
シンクロニズム 来ました、私の解釈通りの美風藍楽曲!! 私はAS美風ルートに関しては友情エンドの美風くんしか信じていない害悪思考の持ち主なので、美風くんのターンですすり泣く音が聞こえると「美風の泣かせ演出はあからさますぎるしどう見ても大恋愛エンドの美風だから、泣いているオタクはみんな大恋愛エンド信者に見えてきて殺伐とした気持ちになる」などと心の汚いことを考えてしまいます。そこは素直に受け止めて涙を流しておけよと思うのですが、出ない涙は流せない……。 しかし私は長年マイナー志向でオタクをしてきた関係で相当ポジティブ思考なオタクに成長したため、曲によっては「この歌詞は友情エンドの美風くんにしか書けない!!!!これはあの美風くんが書いた歌詞!!!!しかもライブのパフォーマンスもすっごく友情エンド美風くん!!!!やった!!!!あの美風くん生きてた!!!」と思えるのが私の良い所。シンクロニズムはそういった曲の1つでした。 端的に申し上げると、シンクロニズムは曲開始早々ラブという単語を連呼してくる恐怖楽曲です。冒頭のサビの「目の前のオタク全員僕のファンにする」みたいな歌い方から、Aメロですっとクールな声になる辺りがもうすごく怖い。美風史上最高の小悪魔っぷり。にも拘わらずオリジナルタイプの美風らしさをほのめかせてくるところは100点満点の友情エンド美風藍です。 ここまで熱く語っておきながら、パフォーマンスは真ん中のステージだったのであまり見えなくて深くは語れないのが悔しい……。 見えた限りだと媚び媚びの可愛さいっぱいな美風翔太がステージを駆け回り、ハートを作ったりダンサーさんとツーショットを撮る仕草をしていたり、したたかさを感じさせてくれたので私は手放しでほめたいなと思いました。それから、間奏の振付がとても好きだったのでビューティフルラブや二人のモノグラムに続いてまたしても美風曲の振りで高まってしまった……と悔しくなりました。
ここまでがカルナイパート。 わかっていたけどソロ曲は新曲でしたね……。個人的にこのラインの曲は、今回のライブを経て「たまにはと思って今までと違うことをしてみたんだろうけど、やっぱり従来通りのアイドルイメージで売り続けてほしいよね」という結論を導く材料だったなと思います。なので次回は最近突然過去を振り返らなくなった黒崎さんによる、俺とお前一生一緒最後まで添い遂げてえのはお前だけみたいなことを不器用な歌詞と魂を昂ぶらせる絶妙な振付で楽しませてくれるソロ曲を楽しみにしています。あといい加減執事要素しかないお嬢様向けの曲も出してくれてもいいと思うんだけど、↑松氏にそれは全く期待できないので自分で妄想作詞作曲するしかないかもしれません。わーーんやだやだそんな自給自足みじめすぎて情けなくなるよーー!心安らかにお嬢様でいさせてくれない公式なんか大嫌いだーーー!! 声優的には、カルナイライブを経て、こう、カルナイは完璧なパフォーマンスを観客に見せなければならない……という考え方になったのかなと思わせるような隙のない感じがしました。私は特に彼らに対してそういうものは求めていないので、そんなにがんばらなくてもいいよ……と思うのですが……。なんというかそういう方向に行く事で得られるものは多いと思うけど、そこで失われてしまうものが私は好きだったような……自分でもよく理解しきれていない考えなので上手く言えない……。
ダンサーズのパフォーマンス 今回ダンサーさんの人数多くなかった!?あちこちのステージに散らばっていてびっくりしたよ。 スポットライトが別のステージに変わると曲調がガラッと変わって(変わったような気がしてるけど変わってなかったかもしれない。記憶が曖昧。)楽しかったです。
DAY DREAM 昨年8月のSDFに参加して以降私は盲目的にSDFとその楽曲を崇めているので、当然SDF楽曲を今回のライブでやって欲しいと思っていました。なんせ半野外だからDAYとNIGHTを感じられますからね。まだ明るいうちにDAY DREAMを歌って、日が完全に落ちて暗くなったらNIGHT DREAMをやる。完璧ではありませんか!さらに声優があのお洋服を着ていたら最高すぎる!私はあのシースルーなトップスを着た鈴村健一さんを一目見たい! ……叶わなかったけど。 まず声優はあのお洋服は着ていなかったし(これはさすがに仕方ない)、先に言ってしまうとこの後すぐにNIGHT DREAMが待っています。まだ全然日も暮れていないのにNIGHT DREAMです。個人的にはまだ全然DAY DREAMの時間でしたが、容赦なくNIGHT DREAMが始まるのです。でもステージに釘付けになり脳内で強制的に日が沈んだので、結果的にはNIGHT DREAMの時間になりました。妄想力の強い脳みそは心強い味方です。 DAY DREAMは中央ステージから左右に伸びたステージから登場し、中央ステージに集まっていくという動線でした。(つまりあまり見えなかった) 私たち側のステージから登場したのは多分那月、神宮寺くん、嶺二で、反対側が音也、翔ちゃん、黒崎さんだったと思う……。私の目が悪いのと、今回わかりやすくはあるものの黒が基調のお衣装だったので遠いとあまり個体の区別がつかないんですよ(それでも3rdよりはマシ)……。なので、最初の方は「あそこにいるのは誰と誰……だ……?」という点に意識が行ってしまいました。というかそもそもマイガールもえ様にあそこにいるよって言われるまで、せり出したステージにいることすら気付けなかった私って……ポンコツですね……。 途中でバズーカの様なものを使って何かをぶっ放していたのですが、実は隣にいたオタクが前日も参加したようで、ライブが始まる前に「この辺りならデイドリの時飛んできそうだね、やったー!」と話していたので、「隣が話してたのはこれか…………ねえ、全然こちら側には飛ばしてくれてないじゃん!隣のオタクのうそつき!期待させないでよね!」と思ってしまいあまり驚けなかったのは少し残念でした。 歌詞とかそういった内容の考慮せずにこの曲の一番の聞き所をあげるとすれば黒崎さんの「わか~~る~~よお~~~~~」だと私は思っているので、生わかるよを聞けてとても興奮しました。
NIGHT DREAM くきゆりが選ぶ2016年ベストオタクソングの栄えあるナンバーワン楽曲。 あまりにも好きすぎてCDで聞く時に例えでもなんでもなく息が止まるので、リピート再生できないくらいです。 大変ありがたいことにこの曲は奥のステージでスタンドマイクを前に全員が横一列に並んで(左からセシル、伯爵、聖川、トキヤ、美風だったと思う)歌ってくれたので、とても見やすかったです。見やすさという観点では、しっかり見たいものが見やすい位置にいられることが少ないのですごく嬉しかった! イントロが始まると同時にひとりずつ出てきて、闇の中からすっとアイドルが出てくるような演出が素敵でした。その際、ひとりひとり何か台詞を言って出てきたんですけど、何と言っていたのか全く持って思い出せない……。それぞれ「~you」という”貴女”へのメッセージだったと思うのですが……。 とにかくこの一列に並んで、シンプルな手の振付を全員がやるというのがあまりにも好きすぎて、そんな演出をこのNIGHT DREAMでやってくれたのが最高すぎました。そして純情midnight伝説のきわどいラインを攻めぬく感じの振付は、男がやっても女がやってもいやらしくエロティックでずるい……。 センターの鈴村真斗のクールだけどむずむずした表情が印象的過ぎて、テンションがあがりました。あの人あんまりセクシーには向いてないのかなってところがかわいく思えて、この度初めて鈴村さんのことを聖川おじさんと呼んでしまいました。 間奏のタイミングで真ん中のステージに移動が入り、ラスサビは中央のステージで歌いました。移動する時も、独特の雰囲気が漂っていて声優さんのスキルは素晴らしいなと感動しきりでした。 ……と、「このライブで一番好きだったのは?」と聞かれたら即答しそうな勢いで、語る口調にも熱がこもってしまうNIGHT DREAMですが……その……「セシルおじさん事件」に驚きすぎて……。(鳥海さんが歌詞飛ばした件とは別) うたプリに限らず、ライブでは後方席でもステージの様子がわかるようにバックのスクリーンにカメラの映像がリアルタイムで映し出されるようになっていますよね。基本的に歌っている演者の顔が抜かれることが普通です。ですから、セシルのソロパートでもおじさんがアップでうつります。写るはずだったんですけど……。セシルおじさんとは反対側に設置されたアーム可動式のカメラが彼を綺麗に写せる場所まで動いたのに、何故かスクリーンに映し出されたのは可動式カメラよりも遠くの位置にあるカメラの映像で、したがってセシルおじさんを映そうとせり出していた可動式カメラがスクリーンに大きく映されてしまうという……悲しい事件が……。 私「お、おじさーーーーん!!!!」 あれはとても悲しかったです。蒼井くんやマモがいるとただでさえそちらを映す時間が長くなりがちなのに、折角のタイミングで10秒くらいセシルおじさんではなくカメラが移り続けていたのは本当にやるせない気持ちになりました。もうこんなことは二度と起きてほしくないので、あえて書き残しておきます。
そしてそのままスタリパートへ突入。
Be The Light! ゴンドラで我々サイドの逆側を回っていました。 マモがHAYATOと一緒に!的なかけ声をかけてきたのですが、この曲はそういう感じの曲なの?もしかして次のゲームシナリオのヒント??と、だいぶ胸がざわつきました。トキヤの専門家の方がいらっしゃればご意見お待ちしております。 スタリ春至上主義とはいえ、トキヤに関してはちょっと疎めなのでよくわからないんです……。確かに、今までのトキヤの曲とは一線を画す感じはしているけれど……今更トキヤ的黒歴史たるHAYATOが出てくるってどういうことなんだろう……。けれど春ちゃん的には非常にキーになる存在だから、その辺でなにかしらがあるという風に思っておけばいいのかな……。 ーお分かりの通り、全然パフォーマンスに集中できませんでした。
初恋をまたはじめよう ライブが始まる前にもえちゃんと「やっぱり翔ちゃんはタオル曲ポジションなのかな……」「え、今回は曲調的にないんじゃない?」などと話をしていたのですが、やっぱり回しましたね。 はーブンブンつこブンブンーいを~♪ブンブンブンブン いつも翔ちゃんの曲は良くも悪くも楽しい気持ちをぐわっと湧き上がらせてくれる、うたプリのライブにおける大事な存在だと思っています。けれど今回はタオルを回したとはいえ、これまでとは異なるしっとりめの曲調かつ歌詞の内容です。 そういう中でどのようにいつもの翔ちゃんらしさを演出してくれたのかというと、登場した場所が客席の通路だったところが一番かなと思いました。 これまでの「うおー!一緒に盛り上がろうぜ~っ!」ではないけれどお客さんに一番近い所で歌ってくれることは、色々訳ありでクセのあるメンバーの中では一番普通なバックを持つ翔ちゃんだからこそ暖かい気持ちになれたのではと。春ちゃんとの関係を抜きにしてこんな気持ちになれることは私には滅多にないので、今回の翔ちゃんはとりわけ良かったです。 でもタオル担当とはいえ無理にタオルを振り回さなくたっていいんだよ、と思いました。
Tears in love(アコースティックver.) 谷山紀章とtearsと言われると、どうしても某イニシャルはRではなくLを使っているヴァイオリニストのことが頭に浮かんでしまうのですが、これは私だけなのでしょうか。 そんなくだらない前置きはさておき、今までで一番の四ノ宮那月だった��ではなかろうか……。正直これまでもよく「ただの谷山」なんてことはよく言われていたし、砂月の名前を出してきてそうじゃないだろと思う事もよくあった彼ですが、今回は素直に那月だと感じられたので嬉しかった。それに加えてアコースティックな演出によって、観客が歌に全神経を集中させられるようにしたのはとても良かったと思います。あの張りつめそうな空気による息苦しさが心地よくて、谷山さんが時間をかけてキャラクターを消化したことをうかがわせました。 けれどだからこそ悔しかったのは、まだゲームが出ていない為どのような過程でこの曲に辿り着いたのかを私は知らないままで���の曲を生で聞いてしまったことです。基本的にゲームのシナリオを知る前に聞ける方が精神衛生上メリットの多い私ですが、今回に限っては那月と春ちゃんがどのようにそこに辿り着いたのか正解を教えてほしいと強く望んでしまいました。それくらい、本当に良いライブでした。
Give me True Love この期に及んでまだ真実の愛を求めてくるわがままで欲張りな神宮寺くんに、レン春のデレデレでいちゃいちゃすぎる早く結婚しなよと逆切れしたくなるラブラブカップルっぷりを垣間見た気がしていた私ですが、本当に悔しいことに元々神宮寺女だったせいで、どうしてもライブではただのファンになってしまいますね。 電動立ち乗り二輪車で出てきた時はあまりに予想外すぎて笑ってしまいましたが、そうして縦横無尽にステージを移動していく様が本当にかっこよくてキラキラしてて見とれてしまいました……。安心と信頼の神宮寺諏訪部さんである……。 最初は真ん中のステージに登場、ぐるぐる回ったりした後二番になるタイミングで奥のステージに移動してくれました!移動通路では傾斜がある分滑るのか、電動立ち乗り二輪車からは下りていました。 諏訪部さんが神宮寺くんらしいなと思えるところは、歩き方だと思っているのでそれが良く見えて満足です^^
甘美なるアルカディア 突然猫の鳴き声が聞こえて、黒猫を抱えた子供がステージに登場。 ク、クップル!?!?と会場が動揺しつつ、そう言えば前に象だったか猫だったかを実際に登場させたいと鳥海さんが言っていたような気がするしそれか?なんて混乱していたところでアルカディアのイントロが。 セ、セシルーーーー!!!!(興奮ポイント) セシルおじさんは特に大きくすごいことをするわけではないのですが、毎回ちょっとずつ仕掛けをしてくれるので楽しいです。前の時の電球で魔法を表現してくれたのが個人的には一番気に入っています。次は何をしてくれるんだろう、と小さな期待をさせてくれるセシルおじさんのライブへのアプローチとしてとても好きです。
I swear… いつも新曲を聞く度に聖川に過剰な期待を寄せてしまう私ですが、今回の曲は集大成のような歌詞で「いよいよ結婚……結婚するのか……」とドキドキさせられていました。 それでねえ、またしても奥のステージだったので良く見えたんですよ……。神宮寺くん、セシル、聖川と奥のステージを使ってくれたのは、伯爵運がまるでなかった分スタリで恵まれたということなのかな……。 そしてこれは本当にびっくりしたのですが鈴村真斗さん、噴水の中で歌ったんですよ……とても綺麗だったなあ……。噴水の中でステージが上に上がるととても神々しく思えて、どこかで見ているであろう春ちゃんの事を思ってしまいました。 あの噴水の勢いが聖川の気持ちの具現化にも思えて改めて真春の幸せを願ってしまった……。ら、あの噴水だと思っていたものは決壊したダムの水を表したものだったそうですね。笑 良く考えなくても、この人は学生時代に心のダムがせき止めていた春ちゃんへの想いが決壊した人だった……。それを騎士kissではなくこちらでやったというのは、勿論会場の都合もあるでしょうが、どうしても「原点回帰」という言葉が脳裏をよぎってしまい、今度こそ聖川は何事からも逃げずに春ちゃんの手を取って困難に立ち向かってくれるのではないか……そう思わせてくれました。
Brilliant Days ここ一番で泣いた曲。 CDで聞いた時は木漏れ日ダイヤモンドほどの破壊力は無かったので、音也くんの浄化も完了か……などと思っていたのですが……。 ダンサーさんが……いえ……沢山のキッズダンサーが音也と一緒に手を繋いで出てきて、踊っていたのです……。 文章にすると大したことが無いように見えますが、音也くんが子供と出てくる意味だよ……。子供って未来の象徴みたいなところがあって、音也がそう言ったものと共にステージに出てくるのは本当に、本当に今度こそ前を向いて歩いて行くよと音也に言われているような気がしたというか……。 そして最後に他のスタリメンバーが出てきてさあ……。トキヤがさあ……そこで一番に声をかけてあげるのはトキヤなんですよね。彼らは皆で同じ1年を過ごして積み重ねてきたものがあってこそのスタリで、それこそが彼らの強みだと思っているので、この演出は私が見たかったものの一つの形なのだろうとしみじみ感じました。 アニメを見ているとどうしてもトキヤがメインのように見えてしまうことが多くて、そんな中4期でやっと焦点が当たりメインは音也だと思わせてくれました。それをふまえてこうして子供も含めて皆が音也の元に集まってくる姿は、まさにひまわりと言うか、これが音也というか、うたプリというか……。こういった演出ができる環境にまで大きくなれた事に、感謝しました。 ここに来れてよかったと思いました。
基本的にMCの記憶は全くないので何も書く事が出来ないのですが、確かここでカルナイの人たちも出てきて色々話していたと思います。伯爵の執事モードの時間がこれまでより長かったのが嬉しかったのと、前野さんが野球ネタを入れてきたけれどお客さんがピンと来ていないのが面白かったです。あとは、テンペストでずぶぬれになったマモにキッズダンサーが「びしょびしょだけど大丈夫?」と聞いたとかそんな感じのことを言っていた気がします。それ以外のことを何一つ覚えていないので、私の記憶力も相当衰えたんだなと思うと大変悲しいです。
マジLOVE1000% MCのあと「この二組がそろったということは……?」と振ってくれたので、私も思いっきり叫びました。そう「ゴールデンスt「マジLOVE1000%!!!!!!」 え、なんで!?なんでだよ、なんでGOLDEN STARSじゃないんだよwだっておかしくないですか!?!?!?マジLOVE1000%って、スタリの曲でしょ??確かに一緒にカルナイが歌うことは何度もあったしライブの最後に歌われがちだけど、きちんと二組名義で歌っている曲があるのにわざわざそちらを歌うことなくないですか!? 私、今回のライブでこれはどうしても納得がいかなくて、1000%のタイトルを言われた時に心の中で苦笑したしなんなから顔にもそれが出てしまったと思う……。
スタリのソロ曲は新曲で揃えてきて、しかも推定でびゅ続編で使われるであろう曲でした。続編、いったいもう何年待たされているの?という気持ちとこれが出たらこの人たちの物語がいったん一区切りしてしまうのでは、という寂しさとで複雑な気持ちになるタイトルの為の曲。 そして、アニメから引き継ぐ形で開催されるこれまでにないコンセプトでのライブ。 これまでの歩みをふまえて、それを形にした上でひとつ階段を昇る。これはスタリにしかできない事でした。きっと声優さんたちもそれぞれ思うことがあり、それをその時できる一番の方法で私たちに示してくれたのだろうなと思います。 それぞれ付き合い方魅せ方は違いますが、私はスタリ声優の皆さんが見せてくれるステージが大好きなんだなと思わせてくれるソロ曲パフォーマンスでした。
HE★VENS GATE -Beginning of the Legend- もえちゃんと私がこの日一番湧いた瞬間、それは HE★VENS GATE -Beginning of the Legend-が始まった瞬間だったと言えるでしょう。 何を隠そう我々、 HE★VENS GATEがめちゃくちゃ好きですからね。 カラオケで歌う回数を重ねるごとにより盛り上がっていますからね。 しかも、奥のステージでアニメの時のような演出で歌ってくれたので最高でした。 本当に頭の悪い感想ですが、一番に思ったのは「ヘブンズの本物だ……!」でした……。ヘブンズ声優の皆さんがキャラクターに近づくためにたくさん努力をしてくださったのが目に見えてわかって、その嬉しさも手伝って本当にテンションが上がりました。 ヘブンズは色々言われていたので、他のファンもいるこのライブではプレッシャーも相当だっただろうと思います。その中であれだけのものを見せてくれた彼らのポテンシャルの高さには、舌を巻きます。 曲も楽しくて、声優さんの熱量もびんびん感じられて、最高のヘブンズの幕開けでした!
HE★VENLY PARADE 真ん中のステージへ移動してのパフォーマンス。 この曲は何故かじわじわと笑いを誘われるので(決して面白い曲ではない)、イントロでふふっと笑ってしまった……。
MIGHTY AURA ここからデュエットソング。 いきなりマイティーオーラってすごいですよね、ぶっとばしてる……! マモと立端の差が相当ある雄馬くんが、どれだけ詰めてくるんだろうというのは多くの方が気になっていたことだと思います。決して余裕があるダンスでは無かったと思いますが、力強くて、生き生きしていて、とてもかっこよかった! マモとの練習?でも色々と挑戦して頑張っていたそうで、そんなところがなんとなくトキヤと瑛二らしくも見えたりして…(^-^) 曲が終わると会場の熱気がすごくて、なんだかほっとしてしまいました。
Grown Empathy ゴンドラで回る演出で、谷山さんが近くまで来たのでもえちゃんが嬉しそうでした。 代永さんがふっと笑う感じが、どことなくナギ意識なのかなという不敵さがあって個人的にドキドキしました。私はヘブンズだと天草とナギが好きで、実はナギってすごく難しい子だと思っているからこういう台詞に頼らず声優さんの一挙手一投足でキャラクターを連想できたのが個人的な収穫でした
Lasting Oneness 気付くと嵐のONE LOVEになってしまう事で有名なこの曲。 左右のクレーンに分かれて天高くのぼって、右と左からやりとりをしているような印象のステージでした。 聖川と綺羅くんらしく綺麗な歌詞を交互に歌うので、歌う度二人からオーラの様なものが見えるような気がして、歌うことで互いに会話して高め合っているように見えました。 綺羅くんについてはまだわからない事も多いのでこの曲が綺羅くんにとってはどういう意味を持つのかは憶測の域を出ませんが、聖川だけでなく彼にとっても何か自分のステージを一つあげられる存在であればいいのになと思わせてくれました。 まあ…終始クレーンで上の方にいたので、二人の表情はほとんどわからなかったのですが(´ω`;)
Lovely eyes 何故か全く記憶がないのですが、二人ともゴンドラだったっけ……。 記憶がないと言うのは語弊がありますが、ぼんやりとしか覚えていなくて……。振付などもわかるのに……。
Visible Elf 好きな組み合わせの好きな曲なので、とっても楽しみにしていました! とはいえ、まさか気球の様なもので空へ飛んでいくとは思いませんでしたがね!笑 私たちの席は天草側だったので悲しいことに私は全くセシル側を見ていないのですが、山下くんのテンションを上げずにテンションを上げるお芝居がすごいなあと感心してしまいました。 気球に乗るファンタジー感は凄いなと思いましたが、個人的にはこの二人は直接やりとりをするようなパフォーマンスをして欲しかったような……。
JUSTICE IMPULSE 最早定番になりつつあるワイヤーアクション、ここで来るとは!! 我々の中で大和くんは黒崎さんポジションに収まっているせいもあり、こう、笑ってしまうというかですが、ね、木村さんがワイヤーでくるくる回っているのがなんだか、その、ね……(^-^)(悪い意味ではない) 本当に盛り上がってわいわいできて、アドレナリンが分泌される感じでしたよ! いつもの翔ちゃんらしさ的なものをここで補給できた気がします。これぞライブ!という曲がうたプリでは少ないので、やっぱりこれがないと!笑 早く皆で鑑賞会をして、合いの手を入れて盛り上がりたいな~!!
NEXT DOOR アニメの音也回の話の流れがあまり好きでなくて、どうしても瑛一もこの曲も受け入れがたいものでした。 だからこの曲と瑛一のソロ曲はライブでNEXT DOORを聞いて、アニメの話について自分の中で折り合いがつけられるまでは聞かない事にしていました。 私は寺島くんのキャラクターとの向き合い方に絶大な信頼を置いているので、彼がこの曲をどのように表現するかを見てから色々な点について判断したかったからです。 アニメでは心を閉ざした音也が歌ったもので、CDに収録されているのもその時の歌です。寺島くんはそれを再現するのではなく、曲の中でアニメの話を消化できるようなお芝居をしてくれていました。一番では自分について壁にぶち当たり悩み苦しむ音也くんを、次第に解決の道に辿り着く音也くんを、そして今まで通りのようで何か違う、一皮むけて開放されたような音也くんを……。 それを支える緑川さんの音也を追い詰めていく太い縄の様な歌い方、次第に「次はどう来る?」と試すような純粋故に恐ろしさを感じる瑛一らしい気持ちの高ぶりをうまく歌と振りに落とし込めてくれたので、この曲の嫌なものを全て取り払ってくれた……そんなパフォーマンスでした。 CDに収録されたもののシチュエーションは変わることはないけれど、ライブであのNEXT DOORを聞けたことによって「でも、今のNEXT DOORは違うんだよ」と自分で良い記憶を上書きできるようになれました。正直実際パフォーマンスを見るまではもし嫌な記憶��ままになってしまったらどうしようという不安もありましたが、最も良いと思えるNEXT DOORを観られて良かったです。
ダイジェストムービー スタリとヘブンズのユニットソングが全て披露し終えてひと段落したところで、最初のライブからこの前のライブまでがダイジェスト編集された映像が流れました。 私はセカンドライブからは全て参加しているので(ファーストはシネライで補完)、色々思い出があるなあと感慨に浸りつつ、映像としてはうたプリ会で散々一緒に見ているのでその時に言い合った感想のことなども思い出したりして、うたプリオタクとして歩んだ日々に思いを馳せました。 ただ、この映像って一体なんだったんだろうという。私たちに何を伝えたかったんだろうか。 タイミングとしては、前回のライブで流れていてもおかしくないと私は思ったのであえて今回これを流した事の意味……と思うと、なんだか苦しくなりました。前回で流しておけば、今回のライブは始まりになっていたはず。けれど初めてアニメから明確にバトンを受け取ったライブで、そしてそのアニメがそれとなく区切りを思わせるような終わり方だったとしたら、これより先のうたプリは私が好きだと思っていたうたプリとはまた違う道を歩んでいくことになりはしないか。 懐かしさと共に、底知れぬ不安を感じました。
God’s S.T.A.R ライブもフィナーレとなり、各ユニットの全員曲。 ここまで各曲について色々と感想を述べてきましたが、正直この曲が今回のライブで一番印象深いものとなりました。 随分長く書いたので最初の方のことはもうお忘れかと思いますが、私がMelting of snowで書いた事を思い出していただきたい。次にその後の伯爵の出番であるNIGHT DREAMで書いたことを改めて確認していただければわかると思いますが、NIGHT DREAMにおける伯爵に対するコメントは一切なかったかと思います。 私の中で私が全盛期の遺物のような存在になってしまったと思ったので、どんなに前野伯爵が素晴らしいパフォーマンスをしていたとしても、かっこよくても、なんだか他人事みたいな悲しさを感じながら曲を見ていたからです。既に書いた通り伯爵は別に執事アイドルでなくたってアイドルの頂点に立つ男であることに変わりはありません。結局私の気持ちの問題に過ぎない些末なことだと、NIGHT DREAMでは思い知らされました。変化する仏様のうちどれに手を合わせるかぐらいの気持ちでいればいいのに(この解釈と例えへの引用が不適切だったら申し訳ないです)、それができない苦しさが改めてこみあげてきてブログの文章とは言え何か書くのはためらわれてしまったのです。 久々にカルナイが登場し、曲のイントロと共に4人が奥のステージに降りてきてくれた時も「この人はもう執事アイドルではない、ごく普通のアイドルなんだ」と強い喪失感と共に、伯爵のお嬢様でいるのもこの辺りが潮時かな……。今日は私が伯爵のお嬢様だった最後のステージだ……今までありがとう、これからは少し遠いファンとして伯爵の活躍を応援していきます……。 などとぐだぐだ思っていました。 しかし、NIGHT DREAMの時と同様降りてくる間にそれぞれがセリフを言ってくれた時、私に向かって一陣の風が吹き……!
「お嬢様へ」
夢でも見ているのかと思いました。 マイガールもえ様がすごく嬉しそうに「今の聞いた!?!?」と言わんばかりの表情で私の方を見てくれて、それで夢じゃないと思ったら実感がわいてきて嬉し泣きが止まりませんでした。 God’s S.T.A.Rはカルナイにとっても非常に大切な曲で、それを捧げる相手として伯爵はお嬢様という存在を選んでくれました。例えアニメの時のセリフを意識して言ったにすぎなかったとしても、これ以上望むことは何もないくらい嬉しかったです。 私はDouble face以降少しずつ積もっていた不安のせいで、Melting of snowという曲を重く見過ぎていたのかもしれません。思えば突然リリースされた何に使われるのか全く分からない曲に、これまでの伯爵のアイドル活動を否定されてたまるものですかって話ですよね。また↑松に踊らされてしまった……。 前野伯爵が「お嬢様へ」と言った時の表情は、「あれは余興、軽いファンサービスですよお嬢様。何を落ち込んでいらっしゃる。」なんて笑われたような気がしました。私、まだ貴方のお嬢様でいいの?以下略の様な恒例のクレイジー妄想が脳内を駆け巡り、そして救われたような思いで、最高に魂の震える God’s S.T.A.Rに歓声を上げることができました。 カルナイライブの時よりもさらに純度の高いパフォーマンスだったので、映像でもなんでもいいからカルナイを好きな人には見てほしいステージでした。
不滅のインフェルノ ヘブンズに思うところがあった人も演者の熱い気持ちと素晴らしいパフォーマンスを見て心動かされ、ライトを振らずにはいられなかったのではないでしょうか。……なんて最もらしいことを書いてみたものの、 God’s S.T.A.Rの衝撃であんまり覚えてないんですよね……。燃えてた気がする……。あともえちゃんがずっとヴァンのことを呼んでいたのはとても良く覚えています。(後にヴァンと目が合ったという報告を受けました)
We are ST☆RISH! アニメに近い振付ですごく感動しました。というか、この流れがアニメままなので本当にあの対決のあとのライブだったんだなと感動しました。 真ん中のステージだったからすべてが良く見えていたわけではないのですが、まあ安心感がすごい。そして合いの手を入れながら楽しい気持ちと感極まる気持ちがぶわっとくる。 でもこの曲を聞くと、なにか終わりの様なものを感じてしまうのでダイジェストムービーの時に思ったようなことがぶり返して来て少し切なくなりました。 いつからスタリの曲はこんなにもまぶしくて切ないものになってしまったんだ……。
これで一旦ライブは幕引き。アンコールです。 アンコールパートは、パフォーマンスが全て終わってしまい、それでもそのパフォーマンスの素晴らしさに観客の心が打ち震えもう一度でいいからそのパフォーマンスを我々に披露してほしい!というどうしようもない心の高鳴りからくるアンコールに相手方が応えてくれたものだと思っています。 だから私は所謂アンコールタイムになった途端に自分の座席に座って、同行者と和やかにご歓談……という観客が大嫌いです。アンコール!と何度も何度も声を張り上げ、ペンライトを振り、演者がまたステージに上がるのを今か今かと待ちわびていない人間に果たしてアンコールパートのパフォーマンスを見る資格があるのでしょうか。 勿論、アンコールがプログラムに組み込まれていることの多い昨今のオタクライブ構成にも問題はあると思います。いや、本当��問題なんてないんですけれども。「私たちが声を上げなくたって、アンコールパートはやるでしょ?笑 ライブでたくさん声出してペンライト振ったから疲れちゃった笑 今のうちに休んでおこうっと」と勘違いしているように見えるオタク共の態度が何もかも問題なんですけれども。(あえて悪意を込めた言い方をしています) アンコールは当たり前じゃない。 私はオタクイベントに参加するようになってかれこれもう7年くらいになる年季が入り始めたオタクですが、この2、3年アンコールになった途端に座って雑談しだすオタクが急激に増えたような気がします。 別の話を引き合いに出して恐縮ですが、国フォであった寺島くんのライブで周りが軒並み座りだした時は遂にこの世の終わりが来てしまったのかと思いました。 「こんなに興奮しているのに座ることなんてできない、早くまたステージに出て来て欲しい」というような体の奥底から湧き上がる感情が近年のオタク達の心にないだなんて私は思えないのですが……。 本当にショックだったのです。私達のまわりは一斉に座りだし、立って声を張る人はごく少数だった。勿論座りながらもアンコールをしている人はいて、私はそう言った人を否定はしません。まあ、できれば立っていて欲しいけれども……。しかしそれでもやはりアンコールすらせずに雑談している人が本当に目につきました。 目の前の座席にいたのが黒いマジックで背中に「愚民」とすこしかすれた文字で書いた薄地の水色の法被を着た人だったのですが(ここまで丁寧に私の地雷を踏み抜いていくオタクがこの世にいたとはと逆に感動した。愚民とプリントしたTシャツを着た人達を危うく許しそうになった。)、その「愚民」さんがまさしく即座に座り同行者とおしゃべりをし出して「貴女って人は……!!!貴女本当にその法被のみたいな人なのね、本当にがっかり!私たちの執事、そしてお仲間の方々、後輩の皆さん、そしてレイジング事務所の皆さんのパフォーマンスを見て、貴女は何も感じなかったとでも仰るおつもりかしら!そんなことありませんわよね?ねえ、そうでしょ?そうとお言いなさいよ!!」と私の心のお嬢様が大変お怒りだったという、蛇足の様な小話もありまして。そんなに私の嫌悪感を煽らなくてもいいのにと思いました。笑 誰が何をしようと自由だからアンコールを強制されたくない、そう言うのならしなくて良いので帰ってください。お金を払ってチケットを買っているのだから見る権利がある、それはそうですね。もっとステージが見たいと思わないのに居座るなんて、帰りが混雑するしいいことは何もないと思いますが。私はそう思います。 私はこれがあるべき理想の姿だと思ってこのように書いていますが、世相としてアンコールに意味を見出さず静かにおとなしくするのが主流になっているなら、私は一人でわめいている時代に取り残された滑稽な女ですね。笑 色々不快にさせるような事を書いてしまいましたが、要するに今うたプリを支えるオタクはこういう人達なんだと思ったら切なくて悲しくなったという話でした。
さて、気を取り直して改めてアンコールパートです。
夢を歌へと…! 全員がトロッコに乗りそこらじゅうに散らばっていたような気がするのですが(時間を見つけて少しずつ書いているせいで、この曲について執筆しているのは2017年9月。いよいよ記憶が薄れ始めているのだ)、ヘブンズはステージにいたような記憶もあり、正解はDVDを見るしかない状態です。 間奏でセリフは言わなかったので、あ、そこはアニメを再現するわけではないんだ……まあ確かにあのセリフは春ちゃんに向けての台詞なので、ここで言うのは違うのかもしれないな……と思いました。 しかしこの曲が良くできているお陰でパートの主導権が移るたびにそのユニットが場を支配し力をふるっているように思わせてくれて、その饗宴を観客として目の当たりにできたのは貴重な経験でした。 そして最後にスタリが全てを浄化する神の如く何よりも心を包み込むように歌い上げるので、私はまたプリ春信者としての信仰をより一層深めることとなりました。スターリッシュと春ちゃんは永遠だよ……。
MC 流石に最後のMCの内容は割と覚えていますよ! 絶対に泣かないてらしま君がやはり涙を見せずにいてくれたことは、私の中でとてもありがたく、私の思い描く理想の「キャラクターとの付き合い方」をしているのは寺島くんだなあとまた信頼度を上げてしまいました。 (ここで最近配信されたうたプリのリズムゲームの話を。実はシナリオ前章のシャイニング事務所ライブのフィナーレで、音也くんが泣いていまして……。嘘でしょ……私や多くのオタクと寺島くんが信じてきた音也とはいったいなんだったんだ……。とショックを隠しきれない大問題が起きています。え、初の単独ライブではなく事務所のオールスターライブで泣くんだ音也って……。誰か納得のいく解説をして……。) 全体的に今回のライブのMCは楽しく和やかな時もしんみり感動的な時も、どことなく苦しさの様なものを感じました。 うたプリという夢の世界の裏側で何か大変なことが起きているような気がして、私はすごく不安感に襲われて、やっぱり5th、6thと時を経て徐々に壁に近づいていて正念場なのかもしれないとさえ……。
マジLOVEレジェンドスター 最初はスタリで、最後は全員で。 これだけ長たらしく文章を書いてしまうくらいには、色々なことを感じたこのライブ。 その最後を飾ったこの一曲は、これまで聞いていたそれとは全く違う曲のように思えました。 永遠なんてないかもしれない、いや永遠なんてものは存在しないと言い切ったうたプリだからこそ、永遠を尊び、愛し、その言葉の意味を噛みしめもがきながら永遠であろうとするのかもしれない。 その永遠の形をこの目で見たいと力強く思わせてくれた、大変思い出深いライブとなりました。 ここから少年ハリウッドの話を絡めてアイドルと永遠について熱く語るのもアリですが、さすがに2017年5月28日のライブの感想を2017年9月4日より先延ばしにするのはどうかと思ったので、今回はこれで終わりにしようと思います。 万が一最後まで読んでくれた方がいましたら、私のつまらない話に最後まで付き合ってくださってありがとうございました。
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dotsuitarunen · 8 years ago
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どついたるねん、STUDIO LIVE「おならぷーぷーセッション」本日配信スタート!豪華すぎる無料配布CDの詳細も明らかに!   どついたるねんのSTUDIO LIVE ALBUM「おならぷーぷーセッション」が本日8月1日よりレコチョク、iTunes Store、moraなどの音楽配信サイトで販売がスタートされた。 これは6月に行われたSTUDIO LIVEを音源化したもので、彼らの多数あるオリジナル曲の中から選��すぐりされた楽曲をパフォーマンスしたものが収録されたものだ。 ファンはもちろん、このLIVEで、もしくはこれから“どついたるねん”に興味を持つ人にとってはベスト盤かつ入門盤としてもぴったりの作品だ。 またかねてよりアナウンスされていた無料配布CDのジャケット写真、展開写真も公開された。収録楽曲数やデザイン性からまるで無料とは思えないこの豪華なCDは8月18日の『陽気なカツカレー展 -どついたるねんメモリアルアーカイブ-』でのオープニングパーティーより枚数限定で配布がスタートする。 もちろん、8月30日の自主企画LIVE「どついたるねんCARNIVAL~めっちゃ楽しいよめっちゃ楽しいよめっちゃおもろいよ~」でも配られる。   さらに8月18日(金)~8月30日(水)の期間限定でトーキョーカルチャートbyビームスにて開催される『陽気なカツカレー展 -どついたるねんメモリアルアーカイブ-』の情報も更新された。 初日の18日は18:00よりオープニングパーティーが開催され、この時に新曲のMUSIC VIDEOがお披露目される予定だ。入場は無料となる。 27日の17:00~19:00はトークショーとしてメンバーとこの展示に参加したクリエイター達が登壇する予定だ。この日は入場料¥500の予約制となっている。 トーキョーカルチャートbyビームスでの電話予約対応となっていて、本日から受付がスタートされる。予約電話番号は03-3470-3251。   30日に渋谷 O-WESTで開催される自主企画LIVE「どついたるねんCARNIVAL~めっちゃ楽しいよめっちゃ楽しいよめっちゃおもろいよ~」はチケットの一般販売もスタートされた。 ゲストはレーベルメイトである大槻ケンヂ。まだ申し込んでいない人は早めにチェックしよう。 今後の詳細情報や彼らのスケジュールはHPやオフィシャルTwitterで逐一発表される。
 ◎2017年8月1日 どついたるねん毎日動画~「おならぷーぷーセッション」発売告知TRAILER~ URL:https://youtu.be/dywOOHqnU6Y
■どついたるねんスタジオライブ「おならぷーぷーセッション」アルバム 2017/8/1(火)より配信販売スタート 01. わたるちゃん2 02. BODY GUARD 03. 俺節 / アッパー 04. 精神 05. UNCHAIN 06. ばっちこーい!サラダバー 07. ミッドナイトデジャヴ 08. such a sweet lady 09. 生きてれば 10. このまま黙ってると思うなよ 11. 人生の選択 12. BOLT ~Brother II Brother~ 13. Dear ガチンコ 14. カズダンス 15. MY BEST FRIENDS 16. 静かなるドン 17. 鳥貴族 18. アメリカ   ▽配信販売URL ●iTunes Store https://itunes.apple.com/jp/album/id1261678228?app=itunes&ls=1   ●レコチョク http://recochoku.jp/album/A1007971182/   ●mora http://mora.jp/package/43000014/NOPA-1453/     ■「陽気なカツカレー展 -どついたるねんメモリアルアーカイブ-」 2017年8月18日(金)~8月30日(水) 会場:トーキョーカルチャートbyビームス http://www.beams.co.jp/shop/ca/   ●オープニングパーティー: 8/18(金) 18:00~20:00 ・入場無料 ・新曲MUSIC VIDEOお披露目あり。   ●トークショー: 8/27(日)17:00~19:00 ・入場料 ¥500 ・予約制 「トーキョーカルチャートbyビームス」にて電話予約 TEL 03-3470-3251   【参加アーティスト】 ancco いくしゅん 池野詩織 鵜飼健仁 梅佳代 大川久志 大橋裕之 沖真秀 金子山 川島小鳥 黒木雅巳 ごっちゃん(はやとちり) 佐伯慎亮 SAYORI WADA ダダオ NAZE 西光祐輔 NONCHELEEE 梁井一     ■「どついたるねんCARNIVAL~めっちゃ楽しいよめっちゃ楽しいよめっちゃおもろいよ~」   2017年8月30日(水) 出演:どついたるねん、大槻ケンヂ(GUEST LIVE) 会場:渋谷 TSUTAYA O-WEST open 19:00 / start 19:30 adv. ¥3,000 / door ¥3,500   問:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999   http://www.red-hot.ne.jp/   ●TICKET チケットぴあ 0570-02-9999(Pコード339-088) http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1733697 ローソンチケット 0570-084-003(Lコード75178) http://l-tike.com/order/?gLcode=75178 イープラス http://eplus.jp/sys/main.jsp?prm=U=14:P2=212465:P3=0007:P6=001       ■どついたるねん公式HP http://dotsuitarunen.tumblr.com/   ■どついたるねん、メジャーデビュー記念特設サイト http://dotsuitarunen2017.jp/   ■どついたるねん公式アカウントTwitter @dotuitarunen
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