#ギャラリー南風蔵の家
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acore-omiya · 3 years ago
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ギャラリー南風蔵の家でお弁当をテイクアウト☆ボリュームいっぱいの沖縄風弁当♫ この日は、みな風こども食堂の学習会「ボランティアする時の心構え」に参加しましたよ! https://www.instagram.com/p/CdDI2luPH4r/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oniwastagram · 2 years ago
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📸ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(滋賀県近江八幡市)② Borderless Art Museum NO-MA, Omihachiman, Shiga   続き。近江八幡の町並みの中でも印象的な大きな土蔵と板塀のT字路か��すぐ。 重伝建地区の南のエリアに建つこのギャラリー/ミュージアムは、1930年(昭和5年)に建築された京風数寄屋造りの町屋を活用して2004年に開館しました。展示入替時を除き通年で公開。 かつての所有者・野間家は古く江戸時代にはこの近江八幡に本家を置きながら下総国・結城で「角大」近江屋久右衛門の屋号で醸造業を営み、結城藩・水野家の御用達としての地位を築き“結城御三家”とも呼ばれたとか。 その家業は明治時代に畳まれましたが、この野間家で生まれ育った #野間清六 は前述通り近代〜昭和に美術史家として活躍、日本のみならずフランスの勲章も受章されています。この町屋はそんな野間家の分家(本家はそのお向かい)。 その名の通り「ボーダレス」(境界のない)という言葉に想いが込められたこのミュージアムでは、障害のある人たちによる造形表現と、現代アートを「分け隔てなく」紹介・展示することをコンセプトに各種企画展が催されています。 障がい者向けに限らず、地域の方々向けのワークショップやイベントの実施、更には海外/ヨーロッパの「アール・ブリュット・コレクション」と連動した取り組みも。 なおその背景には、戦後に日本の障害者福祉を切り開いた第一人者で“日本の障がい者福祉の父”と呼ばれた糸賀一雄さんが晩年は滋賀県を拠点とし『近江学園』を創設、園内でも造形活動が取り組まれていたことがあります。 調べると滋賀県は障害者のための施策を先進的に取り組んでいる自治体だということもわかってくる…。 昭和初期に建築された #近代和風建築 らしく、ギャラリー内は欄間などに素敵な意匠の透かし彫りが見られ、またこじんまりながら前庭として町家の和風庭園が残ります。今回訪れた時には黄色のツワブキの花がたくさん咲きほこっていた! 現代アートファンも町並みのファンの方も��ひ訪れてみて。 滋賀・ボーダレス・アートミュージアムNO-MAの紹介は☟ https://oniwa.garden/no-ma-museum-omihachiman-shiga/ ———————— #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #landscapedesign #beautifuljapan #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #庭院 #庭园 #庭園 #日本庭園 #近江八幡 #omihachiman #町家 #町屋 #アート #アートギャラリー #美術館 #現代アート #日本家屋 #japanhouse #ランドスケープ #おにわさん (ボーダレス・アートミュージアムNO-MA) https://www.instagram.com/p/Cpd9jgMvvnH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shakuhachi-kataha · 5 years ago
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第23回 ミニ講座 薦僧 (komoso) の実態を知る!!
薦僧 (komoso) は15世紀に暮露 (boro) とは別に登場し虚無僧の前身といわれています。
   暮露に関してはこちらを参照下さい↓
(2022年にnoteにて加筆)
 
その暮露とは別に発生した薦僧 (komoso) の実態を探っていこうと思います。
 
 
 
暮露 が「既成教団を離れた古代仏教系の<行>的僧侶」に対し、
薦僧とは「尺八吹奏を芸能とする仏教系の乞食芸能者」。
(保坂裕興「十七世紀における虚無僧の生成」) 
 
 
 
↑この表現が分かりやすいかと思います。
 
 
 
「薦僧」という言葉が最初に残された主な史料をご紹介。
 
 
 
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「戦国時代の武家法制」 隈崎渡 著 1944年(国立国会図書館より)
 
 
 
  
◯『大内家壁書』(1486年)周防の国(山口県)の大内氏の政治記録
 
◇禁制
 
「薦僧、放下、猿引の事。当初ならびに近里を払う可(べ)き事」
                      文明十八年四月廿九日付
 
 
中国地方を支配した大内家が放下僧(ほうかぞう)や猿回しとともに、薦僧も領内から追いはらうべきことを定めている。
 
 
 
 
(権力者による下層民排除!😭)
 
 
 
 
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「節用集」(国立国会図書館より)
 
 
 
◯『節用集』(室町時代後半)
室町時代から昭和初期にかけて出版された日本の用字集・国語辞典の一種。 漢字熟語を多数収録して読み仮名をつける形式をとっている。 
 
 
 
「普化」という字に「コモ」とよみがなが書かれています。
これは、この頃から薦僧と普化禅師の結びつきが強いことを物語っています。 
 
 
 
薦僧は読んで字のごとく、菰(薦)を背中に背負って物乞いをして歩いた人々という事ですが、何ゆえ彼ら尺八を携え出したのか?尺八を吹いて門付けすることを、どのような者たちから受け継いだか。
 
 
 
これについては古くから色々な者たちが尺八を吹いて門付けをしていた。
 
 
 
例えば、古い狂言《楽阿弥》は、尺八を吹いて門付けして歩く者たちの事が主題。
この狂言が成立したと思われる室町期の早い時期から、尺八を吹いて門付けして歩く者たちが存在していたことになり、そして彼らは薦僧ではなく「楽阿弥」とあるように少なくとも彼らの一部は阿弥号を持った時宗の徒で、やはり田楽法師がその中心ではなかったかと思われる。
 
 
 
もともと中世の尺八は、猿楽や田楽法師などの中世下層芸能者が吹いていた。『七十一番職人歌合』の琵琶法師の膝前にも一節の尺八が置かれていた。
 
 
 
門付けして歩く際に吹かれた縦笛は、普化尺八や一節切に限られていなかった。九州地方では十六世紀末までには「天吹」という縦笛を吹いて門付けする人々が存在していた。
 
 
 
つまり尺八を含めた様々な縦笛を吹いて門付けして歩くことは、かなり古くから田楽法師など様々な人々によって行われていたようである。その中から、薦僧と呼ばれる一団が成長していったものと考えられる。なお、現在普化尺八とも呼ばれる独特の長管がどのようにして生まれ、いつ頃から薦僧と結びついたかは不明であるが、歌口の造りと三節であることは古代尺八と同じであるし「體源抄」 (1) に一尺五寸五分に平調切りの図があり《楽阿弥》にも「大尺八、小尺八、してき(四笛。「狂言不審紙」(2) は一尺八寸とする)、はんてき(半笛)、れうてき(両笛)をさし」とあるので、古代尺八の系統に属する様々な長さの尺八が存在していたものと思われる。
   【體源抄】室町時代に雅楽家の豊原統秋が編纂した楽書。詳しくは第10回ミニ講座でやりました。→ 第十回ミニ講座「體源抄」の尺八
【狂言不審紙】とは狂言の注釈書。
 
 
 
 
その中で、薦僧が他と異なる際立った特徴といえば、何といっても”普化禅師を始祖と仰ぐ” 半僧半俗の放浪者であったという点であろう。この”薦僧すなわち普化僧”という認識は「雍州府志」(ようしゅうふし)が普化振鈴の作略を慕う朗菴なるものについて記しているので、十七世紀半ばには一般に行き亘っていたことにある。
    
【雍州府志】(ようしゅうふし)は、山城国(現京都府南部)に関する初の総合的・体系的な地誌。 全10巻。 
 
 
 
<まとめ>
 
 
薦僧とは→
普化宗を称え尺八を吹いて門付けして歩く半僧半俗で武浪的な性格を持つ
◯暮露暮露から受け継いだもの→宗教的装いと武浪的な性格
◯臨済宗の僧から受け継いだもの→普化振鈴の作略といった禅宗的な意味付け
◯下層芸能者(田楽法師)から受け継いだもの→尺八を吹いて門付けすること
 
 
 
 
その薦僧の様子は、洛中洛外図に描かれている。 
 
 
【洛中洛外図】(らくちゅうらくがいず)とは、京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の景観や風俗を描いた屏風絵である。2点が国宝、5点が重要文化財に指定される(2016年現在)など、文化史的・学術的な価値が高く評価され、美術史や建築士、および都市史や社会史の観点から研究されている。戦国時代にあたる16世紀初頭から江戸時代にかけて制作された。現存するものの中で良質なものは30から40点とされる(wikipediaより)
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(「復元ミニ屏風」より / 国立歴史博物館)牧原一路氏提供
 
 
 
洛中洛外図屏風 歴博甲本
国立歴史民俗博物館所蔵。三条家に伝来しのちに町田氏の所蔵にな���た経緯から、三条本あるいは町田本ともいう。1940年(昭和15年)に重要文化財に指定されている。
絵の内容から、中心主題は1525年(大永5年)4月に成立した細川稙国の新政権と細川高国で、景観年代と制作年代もその時期、作者は狩野元信およびその周辺の狩野派絵師と推定されている。
 
 
 
 
詳細はWebギャラリーで見る事ができる↓
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/webgallery_fo.html#b
1000人以上の人々の様子が描かれています。
(じーっと見てると酔うくらいです笑)
 
 
洛中洛外図は浮世絵のように安易にダウンロードなどが出来ず、このようにWebで見るか、有料でダウンロードするか、美術本か図録でしか見ることができません。
 
 
  
薦僧は、その他、町田本、上杉本などに描かれおり、探して見ると結構幾つかある。しかし、美術館に所蔵してあっても公開されることも稀。個人蔵であったらなおさら人目にはさらされない。虚無僧のイメージは多くの人が知っているのに、薦僧のイメージが知られていないのはこのせいもあるのではないのかなと思います。
 
 
 
参考資料 
上野堅実「尺八の歴史」
保坂裕興「十七世紀における虚無僧の生成」
山口正義「尺八史概説」
 
 
 
 
コムジョはホントはコモジョです。
「尺八吹奏を芸能とする仏教系の乞食芸能者」目指して日々頑張ります笑。
 
 
 
 
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shunsukessk · 5 years ago
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中��見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅い��のだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき���神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰��運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだ��たらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれ��別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではな��し、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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aina-makana · 7 years ago
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今日は、あちらこちらでお祭りが開催されていますね❣️ 与野夏祭りで賑わう通りの ギャラリー南風(みなかぜ)蔵の家に委託販売して頂いている商品が 7月末まで延長して頂けることになりました❣️ 美味しい沖縄料理を食べにお友達を誘って遊びにいらしてください✨ 優しい笑顔のオーナーとスタッフが温かく迎えてくれます💕 #ギャラリー南風蔵の家 https://www.facebook.com/pages/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%8D%97%E9%A2%A8-%E8%94%B5%E3%81%AE%E5%AE%B6%E5%BA%97/395412297200288 #沖縄料理 #ゴーヤージュース で夏バテ知らず #与野夏祭り #与野本町 #本町通り #与野公園そば #埼玉県信用金庫 となり #委託販売 (ギャラリー南風 蔵の家店)
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xf-2 · 6 years ago
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国の文化審議会は18日、153件の建造物を登録有形文化財に指定するよう柴山昌彦文部科学相に答申した。三重県内からは郵便局舎の面影を残す旧一志波瀬郵便局(津市)や大正時代に建てられた旧山田郵便局電話分室(伊勢市)など7件が答申された。  登録有形文化財は都市開発から近代建造物を守るため、築後50年を経過し、歴史的景観に寄与している建造物などを対象に国が指定。全国の登録有形文化財は1万2281件となる。  県内分は、旧一志波瀬郵便局(津市)▽旧山田郵便局電話分室(伊勢市)▽熊野古道おもてなし館(熊野市)▽山中家住宅の4棟(名張市)―の計7件。県内の建造物の登録有形文化財は263件となる。  旧一志波瀬郵便局は昭和6年に建てられ、47年まで業務が行われていた。木造平屋建てで玄関上部の屋根に付いた飾りや木製の上げ下げガラス窓など洋風の意匠が施されている。平成29年からカフェ。旧型のポストが建物の前に残っている。  旧山田郵便局電話分室は大正12年に伊勢神宮外宮の北側に建築された。平屋建てのれんが造りで、コの字型。近代建築家の吉田鉄郎が最初期に手掛けた。昭和29年まで電話交換業務が行われていた。現在はレストランやギャラリー。  熊野古道おもてなし館は小間物問屋を営んでいた杤尾家の店舗兼主屋で、明治中期に建てられた。熊野街道の歴史的景観を残す。  山中家住宅は主屋と離れ、北蔵、南蔵の4棟。初瀬街道沿いにあり、近世の宿場町の景観を伝える。
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yamanaka-lab · 2 years ago
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2022建築レビュー#5
-建築レビュー#5(���計者:Carmody Groarke)発表者:池部(M1)講評者:伊藤-
建築レビュー第5回はCarmody Groarkeを取り上げた。
Carmody Groarkeは、ケビン・カーモディとアンディ・グロークらによって2006年に設立された建築事務所であり、それぞれの名前を組み合わせた事務所名となっている。
ロンドンに拠点を置き、数々の建築賞暦のある建築家達です。
彼らのコンセプトは、「都市が抱える文化的問題を、空間・光・素材などの様々な文脈から意図的に追求し、解決するための建築デザイン」である。
今回は、彼らの建築作品を4つ取り上げて紹介する。
事例1『Manchester’s Science and Industry Museum』Manchester(2021)
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ギャラリーは、1880年代に建てられた建築物であるニューウェアハウスの1階部分にある。今後数年間で、博物館は、既存の歴史的建造物やスペースと、ヴィクトリア朝の鉄道高架橋のネットワークとの間に、敷地全体の方向性とアクセスを強化することを目指している。
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美術館のロウアーヤードからの新しいエントランスは、「パイナップルライン」とも呼ばれる新倉庫に線路が通っている歴史的な高架橋のアーチ型の下屋を修復し、��のエリアを明るく心地よい空間に変え、来館者の方向性を明確にし、到着の気分を盛り上げるものとなっている。
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新しいギャラリーは、グレートウェスタン鉄道によって1882年に建てられたニューウェアハウスのアーチ型の地下室の西端に位置する。一連の操作により、古いただの保管スペースであった空間は1つの空間に合併され、世界クラスの科学展示物を展開し、さまざまな巡回展を開催する博物館としての魅力を高めている。
ガラス繊維でできた高さのある壁は、外から内へと訪問者を迎え入れる。また、「頭上の貨物車の重量を支持するために設計された、ヴィクトリア朝の重い構造物の重さ」を軽減し、さらには歴史的建造物を永続的に維持していくためのメンテナンス作業をするために取り外しが可能になっている。新しいグラスファイバー製のパネルは一つ一つ手作業で鋳造され、周囲の風化したヴィクトリア朝のレンガ造りを引き立てるためにテラコッタ色に着色されている。
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この新しいギャラリーは、広大な倉庫の1階部分の広さと特徴を生かして、鋳鉄とレンガの複合構造、高さ5mのアーチ型天井、そして上部の歴史的な鉄道路線とプラットフォームの形状に沿うように配置されている。ギャラリー内の歴史的建造物も復元され、元の倉庫の壮大さとスケールを体験しながら、新しい展示体験ができるようになっている。
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事例2『The Hill House Box Museum』London (2019)
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ヒル・ハウスは、チャールズ・レニー・マッキントッシュの最も重要な作品の一つで、スコットランドで最も高く評価されている建物の一つであり、20世紀初頭のヨーロッパの代表的な建築でもある。グラスゴーの西30kmに位置するヘレンズバーグにあるこの建物は、1902年に出版社のウォルター・ブラッキーとその若い家族のために建てられ、クライド川河口の南のパノラマビューを見渡すことができる。
★チャールズ・レニー・マッキントッシュ
スコットランドの建築家、デザイナー、画家。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の一人でもある。
この住宅は先鋭的なレイアウトと3次元的な空間進行を提案し、建築はスコットランド・バロニアルの絵画的な伝統の中に組み込まれながらも、マッキントッシュはヨーロッパの他の地域で起こっているモダニズムの現代技術の進歩にも明らかに影響を受けている。このように伝統と発明が混在した珍しい建築であったため、長期にわたる水害という根本的な問題���発生し、この家を存続させるために大規模な保存修復プロジェクトが必要となっていた。
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修復の間、この家を視界から遠ざけるのではなく、より積極的な保存へのアプローチがとられている。最大15年かかるとされるこの保存修復の不可欠な要素として、このプロジェクトは、ヒルハウスを「芸術品」として収め、保護するための「大型の」仮設博物館を提案し、同時に、訪問者がこの家にアクセスできるよう維持することを提案している。
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この安全で保護された建築作業の領域で、「博物館」は、ヒルハウスの周囲を高い位置からぐるりと囲む高架歩道によって、進行中の保存修復を一般の訪問者に体験してもらう仕組みになっている。博物館の囲いには、独立した木造の建物にビジター用の施設も設置される予定である。
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新しい美術館の建築的アイデンティティは、抽象化された巨大なガーデンパビリオンで、その壁はステンレススチールのチェーンメイルメッシュで全体が覆われている。この半永久的な囲いは、雨に濡れた既存の建築がゆっくりと修復される間、元の家の基本的な「乾燥室」のシェルターとなる。この繊細な囲いは、昼夜を問わず、マッキントッシュの建築の象徴である風景を遮ることなく眺めることができるようにするものでもある。
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事例3『Windermere Jetty Museum』Windermere(2019)
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蒸気船博物館といいます。この新しい博物館は、湖水地方国立公園ウィンダミアの海岸に、国際的に重要な船のコレクションを収蔵している。蒸気船、モーターボート、ヨットなどの展示スペースがあり、その建築と湖に関するストーリーが語られています。この場所は、歴史的な砂利採取工場を再利用しており、船の積極的な保護プログラムによって、この場所の活動を継続している。人、船、水、そしてこの場所の絵のように美しい産業遺産の再解釈を提供する公園の風景の中で、訪問者が建物の中で体験することに重点を置いている。
一棟の大きな建物ではなく、平面が正方形の小さな建物たちは、そのコンテクストによりふさわしいスケールを生み出している。そのため、美術館は土地や水と地形的な関係を強く持っている。波止場は博物館の中心的存在で、湖を体験の中心にすえ、水面下でコレクションを展示する。メインエントランス、保存ギャラリー、解説、教育、カフェなど、来館者の動線を構成する他の建物は、すべて波止場の周りに集まっているが、洪水の危険性から逃れるために、基礎が高くなっている。保存修復工房は、作業船渠の水面近くに設置された独立した建物である。
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この美術館の建築言語は、ウィンダミア湖周辺にあるヴォイジーの豪邸やブロードレイズハウスやチャールズ・ヴォイジーのブロードレイズハウスの大きく張り出した軒や、湖水地方の典型的な農業・工業建築から引用した、ヴァナキュラーな屋根の型式によって特徴付けられている。建物の形態はどこか親しみやすいものですが、張り出したキャノピーによって、建物の内部空間が全天候型のシェルターとして景観に溶け込み、特別なものとなっている。内部は、湖岸に面した大きな主室を中心に、付属空間と外部キャノピー空間が左右対称の断面構成でバランスよく配置されている。
美術館は、陸上と水上、さまざまな高台から四方八方から見られる。そのため、屋根と壁が形式的な構成において重要な地位を占めている。これらの要素に建築的な一貫性を与え、美術館の建物が全体としてまとまったものになるように、酸化銅が決定的に重要な素材として使用される。銅を折り曲げ、真鍮の留め具で規則正しく留めることで、高層部に独特の質感を与え、さらに時間の経過とともに風化していくことでその質感を高めている。非常に大きな窓とドアによって、ボートは容易に外と中を行き来することができ、建物と建物の間のミュージアム・ルートも明確に読み取ることができる。
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自然な銅の外観は、モノリシック(巨大)なコンクリート���基壇とは対照的に、建物に軽快さを与えている。また、外装を包むじゃばらが水平方向に繰り返されることにより、美しい湖のコンテクストを表現している。
事例4『7 July Memorial』Hyde Park(2005)
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2005年7月7日、午前8時50分頃、ロンドン地下鉄トンネル内の3カ所でほぼ同時に地下鉄の車両が爆発し、同日午前9時47分頃ラッセル広場近くのタビストック・スクエアを走行中のダブルデッカーバス、デニス・トライデント・2型1台が爆発した。
カーモディ・グロークは、この最悪な同時爆破テロによって亡くなった犠牲者の遺族と協力し、恒久的な追悼記念碑を設計した。
ハイドパークに位置するこの記念碑は、新しい公園の小道にあり、ロンドン最大の公共の場所の1つで静かな熟考の場を提供する。爆撃によってもたらされた唯一無二の集団的損失は、記念碑の性格を物語っている。
52本の850kgステンレス鋳造の垂直柱は、それぞれが失われた52人の命のうちの1つを表し、爆弾の4つの場所を表す4つの連結されたクラスターの開いたパターンに配置されている。
各石碑は、オープンキャストプロセスによって引き起こされた表面のユニークなマークと、失われた各生命の日付、正確なタイミング、場所を説明する目の高さで運ばれた碑文によって特徴付けられる。
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問者は石碑の間を歩き、その意味を深く考えるように勧められる。プラークは道の端にあるバームにあり、各犠牲者の名前を記録している。
抽象的な建築の言語を通して、記念碑は家族のための和解の象徴であると同時に、爆撃の壊滅的な影響を何世代にもわたって恒久的に思い出させることを意図とする。
私はCarmody Groarkeの設計について、コンセプト(文化的問題を、様々な文脈から意図的に追求し、解決するための建築デザイン)からは分からなかった、人が建築の重要な部分に介入し視線を大切に設計している建築家であると感じた。非日常を体験する空間として既存の壮大なスケール感を生かした新規部分の挿入が行われていると感じる。また、既存部分を生かした新旧の差がはっきりとわかる新たな素材の挿入も魅力的に感じるが、それだけでなく考えられた構造デザインがより既存を引き立たせているのではないかと感じる。
山中は、写真の良さを差し引いて何が印象深さに繋がっているのかを疑問視し、既存の部分と新規の部分が常に同時に存在している点が面白いと述べた。また、元の建築により少ない手数で新しいものを共存させることで洗練されたものになっていると捉えている。
『Manchester’s Science and Industry Museum』では蒲鉾状のアーチ状の天井の造形を新しい建築が引き出していること、カートディの操作がシンプルであり、このような操作を行うことにより、元々の既存の時より特徴的な部分の魅力を感じさせると述べた。
The Hill House Box Museumはマテリアルの数が増えないということが重要であり、コンバージョンなどではなく、自分達の中で二項対立の関係を作り出していると捉えた。
Windermere Jetty Museumに関しては、屋根の高さ勾配、窓の高さが一緒という同じ操作しかしていないことによって湖畔の魅力を引き立たせている。また、最少の建築操作しか行っていない、
つくり切らないという設計が魅力的であると述べた。
引用
Carmody Groarke HP  https://www.carmodygroarke.com/
Archi Daily Carmody Groarke | ArchDaily
Carmody Groarke: Architects of the Moment  Carmody Groarke: London's Architects of the Moment | PORT Magazine (port-magazine.com)
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utsuwa365 · 2 years ago
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. おしらせ . 本日1/11より東京西小山Parque にて 個展を開催いたします。 . 1/14、1/15の2日間はParque 2階が 屋根裏レストランに! 詳しくはリポスト元の投稿を 是非ご覧くださいませ♡ . こちらは予約制のお食事会ですが この2日間も1階は通常営業しておりますので ご予約なしに個展をご覧いただけます。 . 私も14、15の両日在店にて 皆さまをお迎えいたしますので 是非ぜひお立ち寄りいただけましたら♡ . 写真6枚目に本日の森の様子を。 久しぶりにピリッと冷えましたが 晴れて穏やかな木々たち。 動画にすると飛んでしまいましたが 本日はとても綺麗な青空です。 👇👇👇 Repost from @parque.tokyo • 2023年1月11日 水曜日 ⁡ 今年、初営業日 石渡磨美さんの個展でスタート致します。 ⁡ Parqueで��3度目の個展 磨美さんが森のアトリエに移られてからは2度目。 ⁡ 作品の作る世界観が ぐっと深まったように感じられます。 自然の中の美しいモチーフも溢れています。 木の肌山の肌、冴えた空気や枝を抜ける風の音も聴こえてきそう。 ⁡ 深呼吸しに、いらして下さい。 ⁡ ⁡ 石渡 磨美 陶展 ⁡ 2023.01.11 wed. - 01.22 sun. <店休日 16 mon. 17tue.> 12:00 - 20:00 _____________________________________________ ⁡ {{会期中イベント}} ⁡ 石渡磨美陶展 特別企画 ties×SWEETCH 「dans les bois 〜深き森にて〜」 ⁡ 石渡磨美さんの器でお楽しみいただく オーダースウィーツ専門パティシエ/SWEETCH 笠尾美絵さんと ties主宰・料理家/遠藤千恵さんのコラボレーション・コース。 ⁡ 1/14(土)15(日)の2日間 Paruque2階を「屋根裏レストラン」としてお迎えいたします。各日2回の開催。 (完全事前予約制) →→→14日はご予約満枠 →→→15日は各回にご予約可能枠後少しございます。 ⁡ ⁡ ⁡ ________________________________________ ⁡ 石渡磨美 Mami Ishiwata ⁡ /プロフィール ⁡ 大分県南海部郡(現 佐伯市)生まれ 1998 会社勤めの傍ら陶芸と出会う ⁡ 2008-2017 東京都武蔵野市の『陶芸教室むさしの』勤務 ⁡ 2011~ 受注生産にてオーダーメイドのうつわ制作を開始 ⁡ 全国各地のギャラリー/百貨店にて展示会参加多数 ⁡ 2019年末より、拠点を兵庫県神戸市に移し活動を続ける ⁡ ___________________________________________ ⁡ #石渡磨美 feat. #ties #SWEETCH ⁡ #Parque_exhbition2023 (Parque) https://www.instagram.com/p/CnQiXdMPpzZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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catonoire · 3 years ago
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2022年に観た展覧会一覧
若干抜けている可能性あり(特別展企画展のついでに観た常設展など)。並びは鑑賞日順。★は特に気に入ったもの。
土田圭介 鉛筆画展 心の灯り(武蔵野市立吉祥寺美術館)
記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol. 18(東京都写真美術館)
松江泰治 マキエタCC(東京都写真美術館)
特別展 ポンペイ(東京国立博物館)
浜口陽三、ブルーノ・マトン展(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション)
秀英体111 秀英体ってどんな形?(市谷の杜 本と活字館)
ミケル・バルセロ展(東京オペラシティ アートギャラリー)
生誕110年 香月泰男展(練馬区立美術館)
ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展(東京都美術館)
ミロ展 日本を夢みて(Bunkamura ザ・ミュージアム)
上村松園・松篁 美人画と花鳥画の世界(山種美術館)
没後50年 鏑木清方展(東京国立近代美術館)
ヴァーチャル・ボディ メディアにおける存在と不在(東京藝術大学大学美術館 陳列館)
藝大コレクション展2022 春の名品探訪(東京藝術大学大学美術館)
空也上人と六波羅蜜寺(東京国立博物館)
ふつうの系譜 京の絵画と敦賀コレクション(府中市美術館)
メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年(国立新美術館)
ダミアン・ハースト 桜(国立新美術館)
宝石 地球がうみだすキセキ(国立科学博物館)
スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち(東京都美術館)
大英博物館 北斎(サントリー美術館)
香道の世界 志野流香道500年の継承(増上寺 宝物展示室)
ボテロ展 ふくよかな魔法(Bunkamura ザ・ミュージアム)
100年くらい前の本づくり(市谷の杜 本と活字館)
★篠田桃紅展(東京オペラシティ アートギャラリー)
沖縄復帰50年記念 特別展 琉球(東京国立博物館)
色彩への招待(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション)
佐藤卓 TSDO展 in LIFE(ギンザ・グラフィック・ギャラリー [ggg])
熊谷守一美術館37周年展(豊島区立熊谷守一美術館)
生誕100年 朝倉摂展(練馬区立美術館)
型染 日本の美(文化学園服飾博物館)
ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode(三菱一号館美術館)
芭蕉布 人間国宝・平良敏子と喜如嘉の手仕事(大倉集古館)(美術展ナビによるプレビュー記事)
篠田桃紅 夢の浮橋(菊池寛実記念 智美術館)
★カラーフィールド 色の海を泳ぐ(DIC川村記念美術館)
津田青楓 図案と、時代と、(渋谷区立松濤美術館)
★よめないけど、いいね! 根津美術館の書の名品(根津美術館)
★ゲルハルト・リヒター展(東京国立近代美術館)
高田唯 混沌とした秩序(ギンザ・グラフィック・ギャラリー [ggg])
「A Quiet Sun」 田口和奈(銀座メゾンエルメス フォーラム)
歌枕 あなたの知らない心の風景(サントリー美術館)
芸術×力 ボストン美術館展(東京都美術館)
フィン・ユールとデンマークの椅子(東京都美術館)
東北へのまなざし 1930-1945(東京ステーションギャラリー)
★LIVE + LIGHT In Praise of Shadows 「陰翳礼讃」現代の光技術と(バッグ ブリリア アート ギャラリー)
this is not a samurai 野口哲哉展(ポーラ ミュージアム アネックス)
探検!雑誌づくり工場 中とじ編(市谷の杜 本と活字館)
ライアン・ガンダー われらの時代のサイン(東京オペラシティ アートギャラリー)
ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展(東京オペラシティ アートギャラリー)
仙厓のすべて(出光美術館)(美術手帖による紹介記事)
日本美術をひも解く 皇室、美の玉手箱(東京藝術大学大学美術館)
ヴォイド・オブ・ニッポン77 戦後美術史 の ある風景 と 反復進行(GYRE GALLERY)
日本語の歴史展(東洋文庫ミュージアム)
秋の風 能楽と日本美術(国立能楽堂 資料展示室)(プレスリリース)
装いの力 異性装の日本史(渋谷区立松濤美術館)
★大勾玉展(大田区立郷土博物館)
国宝 東京国立博物館のすべて(東京国立博物館)
★国立新美術館開館15周年記念 李禹煥(国立新美術館)
美をつくし 大阪市立美術館コレクション(サントリー美術館)
特別展 毒(国立科学博物館)
★しゃべるヒト ことばの不思議を科学する(国立民族学博物館)
チャリティーオークション「Spring is around the corner」展(ポーラ ミュージアム アネックス)
日本のアートディレクション展2022(ギンザ・グラフィック・ギャラリー [ggg])
未来の博物館(東京国立博物館)
★スペイン語でつながる子どもの本 スペインと中南米から(国際子ども図書館)
地図と印刷(印刷博物館)
響きあう名宝 曜変・琳派のかがやき(静嘉堂文庫美術館)
★ヴァロットン 黒と白(三菱一号館美術館)
150年後の国宝展(東京国立博物館)
美をつむぐ源氏物語(東京都美術館)
源氏物語と江戸文化(東京都美術館)
旧江戸川乱歩邸 ミニ展示「乱歩が愛した歌舞伎役者 十七代目中村勘三郎との交流」(大衆文化研究センター)
杜の小さな印刷工房 刷ったり押したり失敗したり(市谷の杜 本と活字館)
川内倫子 M/E 球体の上 無限の連なり(東京オペラシティ アートギャラリー)
収蔵品展074 連作版画の魅力(東京オペラシティ アートギャラリー)
瞳に映るファンファーレ 浜口陽三の銅版画と川瀬巴水をはじめとした新版画(ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション)
大竹伸朗展(東京国立近代美術館)
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保管スペースが足りないので図録はなるべく買わないように心がけているのだが、自制心も足りないので結局じわじわ増えてしまう。上の写真は今年の増加分の一部(いま手元にないものもあるため)。
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tempeizm · 6 years ago
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1995年の阪神淡路大震災から24年。 家が全壊して家族みんな途方にくれた。 日本では毎年の様に地震や台風など天災が襲って来る。 1.17をただの過去にするのか、未来の糧にするのかは自分達次第。 これからもそれを胸に生きて行きたい。 ピアノがあったから両親が家の下敷きにならずに助かった。 そのピアノで1人でも多くの人達の心を救って行きたい。 ------------------ 【↓Tickets】 http://tempei.com/?p=2015 【2019年】 1/19/神奈川県茅ケ崎市, MKホール 1/20/東京, 山王オーディアム【Guest : 松村湧太】 1/21/東京(ボランティア非公開公演) 1/27/佐賀県有田町, 蔵春亭ギャラリー 2/3/滋賀県, 守山市民ホール 2/5/兵庫県立芸術文化センター【幻想バレエによる"組曲モネ"】 2/9/三重県尾鷲市, 熊野古道センター 【Europe Tour from May to October】 【日本ツアー】 10/26/北海道札幌市 10/27/北海道南富良野町 10/30/北海道幕別町 11/9/滋賀県長浜市 12/8/香川県三木町 #piano #concert #Classical #Jazz #Rock #Pianist #天平 #ピアノ #ピアニスト #コンサート #旅人 #世界人 #日本 #日本人 #Japan #Japanese #全国行脚 #AllOverJapanTour #日本全国 #寅さん #旅行 #旅 #絶景 #Travel #Trip #View #クラシック #ジャズ #ロック https://www.instagram.com/p/Bst3MIQlzpd/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=i9sg3jl2tezt
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5484tabulae · 7 years ago
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、��島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」���不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわけではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起��せます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 浜離宮 042 2012_03_03 吉見百穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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jinsei-pika-pika · 4 years ago
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聞こえてくる音楽を絵にする 美術家・奈良美智のアトリエへ Yoshitomo Nara Paints What He Hears
ロサンゼルスでの大規模な回顧展が予定されている日本人アーティスト、奈良美智。自身が音楽から得たものについて話してくれた
BY NICK MARINO, PHOTOGRAPHS BY TETSUYA MIURA, TRANSLATED BY MASANOBU MATSUMOTO AUGUST 06, 2020
 日本最大の島、本州の最北地で育った奈良美智は、その耳を通して、外にはもっと広い世界があることを知った。それは80年代後半、彼が著名な美術大学「デュッセルドルフ美術アカデミー」で絵画を学ぶために渡独した何年も前であり、また2019年、サザビースで彼の絵画作品《Knife Behind Back》(2000年)が約2,500万ドルで落札される何十年も前のことだ。
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奈良美智と、“大きな頭の女の子”を描いた彼の作品《Miss Moonlight》(2020年)。栃木県にある彼の自宅スタジオにて撮影
 60年代から70年代、当時、彼はいわゆる“カギっ子”で、午後になると旧日本帝国陸軍基地の敷地に放置された弾薬庫でのんびり遊んで過ごすような子どもだった。夜は、家にあったラジオや8歳の時に自分で作ったもので、米軍が駐屯する地域に音楽やニュースを配信するアメリカのラジオ放送「FEN(米軍極東放送網、現在はAFNに名称改変)」を聴くことに熱中した。その放送を通じて出会ったのが西洋の音楽だった。フォーク、そしてロック。英語という奇妙な外国語によるその歌声は、歌詞が理解できなかったため、彼にとってギターと一緒に発せられるもう一つの音に過ぎなかったという。そうして、信じられないことに、奈良は60年代半ばのフラワーチルドレンたちの平和を求める音楽から、70年代後半の恍惚と激しく打ち鳴らすパンクロックまで、西洋のポップミュージックの進化を貪欲なまでに目の当たりにしていったのであった。
 レコードを集めていた当時(最初に買った洋楽シングルは、1967年にリリースされたビージーズの『マサチューセッツ』)、「素晴らしい芸術作品」と思ったアルバムジャケットを彼は細部まで食い入るように観察した。特に気に入っていたジャケットは、ジョニ・ミッチェル自身が描いたと知って感動したという『かもめの歌』(1968年)と、野の花を刺繍したようなルーク・ギブソンの『アナザー・パーフェクト・デイ』(1971年)。こういった音とビジュアルが組み合わさったクリエーションは、奈良の想像力を鍛え上げ、のちに大人になり、奈良自身が文化的アイコンになったのち、少年ナイフやR.E.M、ブラッドサースティ・ブッチャーズといったバンドにジャケットのアートワークを提供していくことに繋がっていく。
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奈良の制作スペース。左にあるのは彼の作品《Thinking at the Table》(2020年)
 美大生だった90年代、奈良は自身のシグネチャーとなる作風を生み出した。このとき描き始めたのが、先日、ファイドン社から出版された本で“大きな頭の女の子”と紹介されている絵画である。そのアクリル絵の具で描かれたアニメ風のプロポーションの無邪気な人物は、一見、アメリカ的な“Twee(風変わりで魅力的)”と日本的な“kawaii(かわいい)”の両方の感覚に紐づいたもののように思えるが、それほど単純ではない。細長い切れ目状の口とティーカップの受け皿のような目。その顔は、相反する感情の交錯を強烈に放つ。日本の戦後美術の研究者である吉竹美香は「よく少女や子どもの肖像画だと言われますが、それらの作品は、実は(奈良の)自画像なのではないか、と私は思います」と言う。
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奈良が描くキャラクターの多くは、花や楽器、さらに恐ろしいものなど、小道具を持っている
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奈良はドローイングや彫刻も制作。彼の最も有名な作品シリーズは主にアクリル絵の具で描いている 
奈良は、1995年、東京のスカイザバスハウスで開かれた個展『深い深い水たまり』で一躍注目を集めるが、その時までに、これらの架空のキャラクターはミューズとして奈良作品に欠かせないものになっていた。その後20年にわたって、彼は何度もそのキャラクターを描いてきた。たいていは、1.5メートルを超えるキャンバスに、濃い乳白色を背景にして。ある作品では、自身のデニムの上に鉛筆で、それらを10代の若者のように熱狂するジョーイやディー・ディー・ラモーンに変身させて描いている。奈良のいたずらっ子たちも豊かな音楽とともに生きてきたのである。ドラムを叩いたり、マイクスタンドをにぎったり。文字通りのパンクスではなかったとしても(しかし、彼らはしばしばそうであったが)、パンクロック的なアティチュードを示してきた。内巻きのカールヘアや赤ちゃん人形のドレスを着用しながらも、しばしば火のついていないマッチやピストル、のこぎりといった、不穏なシンボルを振り回し、彼らは“グレムリン・キューピー”になった。
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奈良は、最愛のレコードコレクションに加えて、今もCDを持っているほど熱狂的な音楽ファンだ
 そういったキャラクターたちの多くは、ロサンゼルス群立美術館で新たに開かれる、彼の大規模な回顧展で見ることができる(美術館は現在休館中。展覧会は、再開されてすぐに開幕する予定だ)。音楽からのインスピレーションに重点を置き、奈良の過去36年の間に作られた100を超える作品が集められるという。「クラスの同窓会みたいな感じでしょうか」と現在60歳になった奈良は話す。「子どもたちの同窓会というよりは、孫たちの同窓会に近いかもしれませんが」
 キュレーションは吉竹が務め、ドローイングや絵画、ウィルシェア・ブールバード(註:ロサンゼルスの主要な幹線道路)沿いの美術館の外側に設置された高くそびえる常用樹を頭に生やした約8メートルの女の子のブロンズ彫刻に加え、奈良の私蔵コレクションから数百枚のアナログレコードアルバムのジャケットも展示される。展覧会の限定カタログには、奈良のお気に入りのアメリカの筋金入りのインディーバンド、ヨ・ラ・テンゴによる6曲(うち5曲はカバーで、1曲はオリジナル)を収録した特製アナログレコードがついている。ちなみに、そのB面は、カレン・ダルトンとドノバンといったアーティストによる往年のフォークソング集だ。
 展覧会は、音楽とアートが融合した一例としてみることができるが、奈良にとって、そもそもこの2つの要素は別々に切り離されたものではなかった。「耳から入ってきた音楽が、手からまっすぐに出ていく。そのような感覚で僕は絵を描いています」と奈良は言う。
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「ここを訪れた人には、何か変わったものに見えるようです」と奈良。「どうして色々な場所に変わった人形をたくさん置いているの? とよく聞かれます」
 現在、奈良は幼少期に住んでいた家から南に約480キロほどの位置にある栃木県の山の多い田舎町に住んでいる。彼が制作を行う風通しの良い白壁の自宅スタジオは、おもちゃのフィギュアや、ぶら下がった尾っぽが振り子のように揺れる猫の時計などでいっぱいだ。彼の所属ギャラリーであるブルーム&ポーの翻訳者を介して、彼は日本語でわれわれ『T magazine』のアンケートに答えてくれた。
―― あなたの今日のスケジュールはどんな感じですか? どのくらい寝て、どのような仕事を予定していますか?
 僕は普段、人と接する必要がないような生活をおくっています。だからスケジュールは滅茶苦茶です。たとえば、昨日は夜中の12時に起きました。ただ、たいていの日は8時間から10時間寝ています。
―― 1日に何時間くらい、作品制作を行っていますか?
 気分の良い日は、起きてから寝るまでずっと仕事をしているかもしれません。僕は一日中スタジオで過ごします。本を読んだり、散歩に出かけたりして、仕事をまったくしない日もあります。
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奈良のスタジオの倉庫にて
―― あなたがいちばん最初に作ったアート作品は?
 6歳のときに、紙芝居を作りました。僕と僕の猫が北極点まで一緒に旅をして、そのあと南極点まで下っていく、という物語でした。
―― 今まででいちばん最悪だったスタジオは?
 若いころに使っていたスタジオは本当に酷いものでした。でもそういった状況もすべて楽しんでいました。たとえばドイツに住んでいたころ、僕のスタジオにはシャワーがありませんでしたが、いつもプールに行き、そこで髪の毛を洗っていました。
―― 最初に買い手がついた作品は何ですか? またいくらでしたか?
 24歳のとき、とても小さなスペースで展覧会を開いたのですが、そこに展示していたレコードジャケットほどの大きさの絵です。だいたい20ドル、2000円くらいで販売しました。
―― 新しい作品を作るとき、なにから制作を始めますか?
 それは、そのときによって違います。インスピレーションについても、雲のかたちや音楽、映画から着想を受けることもあります。
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スタジオのエントランスホールにある壁の1つ
���― どのようになったら、“作品が完成した”と思うのでしょうか?
 それも毎回異なります。ただ僕が満足したら制作を終了します。他人がその作品をどう見るかは気にしませんし、心配したり考えたりもしません。
―― アシスタントは何人いますか?
 僕ひとりだけです。自分で制作をこなします。だからダラダラすることもできる。もしアシスタントがいたら、いつも仕事をしていなければいけないというプレッシャーを感じてしまうと思います。
―― 作品を制作しているとき、どのような音楽を流していますか?
 何から手をつけていいかわからなくなったときは、いつもボブ・ディランやニール・ヤングを聴き直します。
―― 自分がプロフェッショナルな美術家だと、心から言えるようになったのはいつですか?
 デュッセルドルフ美術アカデミーを卒業したときです。それまでは、たとえばホテルのチェックインで職業を記入しなければいけないとき、僕はいつも「学生」と書いていました。しかし、卒業してからはもう「学生」と書けないわけです。そこで「そうだ、もう自分は“アーティスト”と書かなければいけないんだ」と思いました。
―― 仕事中に繰り返し食べるものはありますか?
 ドイツに住んでいた時は「ハリボ」の熊のかたちをしたグミ。日本に戻ってからは、チョコレートを食べるようになりました。
―― いま夢中になっている番組はありますか?
『アンという名の少女』という最近、Netflixが制作した『赤毛のアン』のリメイク版です。製作者は、史実を再現してみせる素晴らしい仕事をしており、舞台になっている当時の生活や人々の様子を本当によく伝えています。先住民族や黒人のコミュニティが直面している問題など、今日に関連する問題を物語のなかにうまく織り込んでいるのが面白い。さまざまな分野の興味深いテーマに触れていて、大人も子どもも観るべき作品だと思います。
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奈良の美意識が見てとれる、写真やイラストなどの配置。内巻きにカールしたヘアスタイルの女の子、漫画の猫の時計、カート・コバーンなど
―― スタジオにあるもので、一番変わったオブジェはなんですか?
 スタジオに置いてあるどんなものも、僕は変だとはまったく思っていません。ただ、ここを訪れた人には、何か変わったものに見えるようです。「どうして色々な場所に変わった人形をたくさん置いているの?」とよく聞かれます。
―― どのくらいの頻度で、他のアーティストと話したりしますか?
 めったに他のアーティストと会うことはありません。アーティストは芸術についてだけ話したがるものですが、僕は他のことに興味を持っている人と話したいと思っています。映画が好きな人、読書が好きな人、自分とはまったく違う分野の職業の人。漁師だったり、ハンターだったり、林業従事者だったり。
―― 最近、泣いてしまった出来事は?
『アンという名の少女』を観て。若いころはほとんど泣きませんでしたが、年をとるにつれ、ときどき、本当に些細なことで簡単に泣いてしまうようになりました。
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読書用の部屋に佇む奈良
―― 窓からはどのような風景が広がっていますか?
山、森、草原。人はまったくいません。
―― 家賃はいくらですか?
賃料は払っていません。このスタジオは自分で建てたものです。
―― 最も頻繁にまとめ買いするものは?
 おそらくチョコレートです。ピープルツリーというメーカーのもの。実は以前、Twitterでチョコレートの写真をアップしたことがあり、その会社の人が私のところにたくさん送ってくれました。だから、いまのところ、買う必要はありません。
https://www.nytimes.com/2020/07/24/t-magazine/yoshitomo-nara.html
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oniwastagram · 3 years ago
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📸足守プラザ庭園 / Ashimori Plaza Japanese Garden, Okayama ――岡山県指定の町並み保存地区“足守”の陣屋町の観光拠点で見られる和洋折衷な近代和風建築?と枯山水庭園。 足守プラザ庭園の紹介はこちら☟ https://oniwa.garden/ashimori-plaza/ ...... 「足守プラザ」は岡山県の町並み保存地区に指定されている旧城下町の古い町並み“足守”の観光交流施設。 各施設のパンフレット📚が見られるほか、陶芸・木工芸の体験施設やレストラン“洪庵茶屋”、米蔵ギャラリーなどを併設。ギャラリー前に日本庭園もあります。 . 同じ岡山市でも岡山市の中心部からは約20km程の距離がある足守の古い町並み。2022年5月に初めて訪れました。 . 先に紹介した岡山県指定名勝の大名庭園『近水園』の中でも書きましたがずっと来たかった足守。 それがかなわなかった主な理由は交通手段の問題で…最寄り駅から4km程離れているけれど、現在路線バス🚌はコロナ禍もあり休止中。 . 2番目に近い備中高松駅の近くにレンタサイクル🚲できるお店があるので今回はそこを利用したのですが、そのお店の「第三日曜日の定休」にぶつかったり雨だったりで…その手段もようやく使うことが出来て、念願!の足守。 . 豊臣秀吉の正室・ねね(北政所)の兄・木下家定(杉原家定)が関ヶ原の戦い後も外様大名として存続し初代藩主として足守に入って以来、この地を(途中5年間だけ離れたものの)明治維新までの約270年間を13代に渡り治めました。 . 足守に置かれたのは城🏯ではなく陣屋なので、正しくは城下町ではなく“陣屋町”ですが、そのメインストリートには現在も古い雰囲気を残す町家・邸宅を多く残します🏘 そんな町並み保存地区の最南部、街並みの入口的な場所にあるのが足守プラザ。(観光駐車場も併設) 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanesehouse #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #庭院 #庭园 #近代建築 #近代和風建築 #岡山庭園 #岡山ギャラリー #足守 #おにわさん (足守プラザ) https://www.instagram.com/p/Ce6PWRSPmdP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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taiyoutomoyamizuno · 5 years ago
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  “ SORAとDAICHIの境界線 ”   徳竹秀美 陶展  @hidemitokutake_ceramics   2020/8/12(水)-8/20(木)  12:00-17:00  ◎休館日 15日(土) 16日(日)(定休日)   ◎作家在廊日◎ 12日(水)・13日(木)・14日(金)・20(木)    德竹秀美  2011 ナショナルアート・スクールシドニー オーストラリア、大学院、陶芸学科 1999 愛知県瀬戸窯業高校専攻科陶芸学科   2016 スカルプチュア・バイ・ザ・シー シドニー、オーストラリア 入選 2014 スカルプチュア・バイ・ザ・シー シドニー、オーストラリア 入選 2012 スカルプチュア・バイ・ザ・シー シドニー、オーストラリア 入選 2001 豊田美術展 市長賞  個展 2019ほの国百貨店 豊橋 2018 無我園 碧南 2015 ワタソン・アートセンター キャンベラ、オーストラリア 2012 アップル・ハウス デンマーク サイスキャロライナ大学 サウスキャロライナ、アメリカ ワップス ワトソン グラースコ、スコットランド  グループ展 2019ギャラリー terra デレフト、オランダ    ギャラリー北野坂 神戸    ギャラリーいまじん 岐阜 2018リンタオ美術館 リンタオ、中国    48th IAC メンバー 東方美人‘’ 鶯歌陶芸美術館、台北、台湾  収蔵品 ダブリン美術館 ダブリン、アイルランド 鶯歌陶芸美術館 台北、台湾 リンタオ美術館 リンタオ、中国  国際アカデミー(IAC)所属 448-0034 愛知県刈谷市神明町4−713 [email protected] http://www.hidemitokutake.com/ Instagram: hidemitokutake_ceramics  たいようでの初個展になります。陶器で作った彫刻的な造形をお楽しみ下さい。  瀬戸とオーストラリアで陶芸を学ばれた後、愛知県に工房を構える現在も、中国やアメリカなどで滞在制作。  その作風は多種多様な技術や文化、体験を重ねて変化を続けてきました。  その中で最も大きい要素の一つは、オーストラリアで初めて目の当たりにした、大地や植物などの独自の自然で、現在の手びねり成形の造形作品に大きく影響しています。     #陶芸家  #陶器 (たいよう Taiyou Human Connection Natural Cafe / Shop / Space) https://www.instagram.com/p/CDdROjVlp3z/?igshid=1h8kjh8zd3nxv
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acore-omiya · 5 years ago
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2020年7月25日(土)プレオープン! 30食限定 子ども無料、大人500円、お弁当配布。17時~18時。ギャラリー南風(みなかぜ)蔵の家店にて。
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narusenonnow · 24 years ago
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★【中止】新宿眼科画廊にてグループ展 「MALE ART 2020 男のフェチズム展」を開催
2020年5月1日(金)~6日(水)にて開催を予定しておりました「MALE ART 2020 男のフェチズム展」ですが、 新型コロナウイルスに関する政府の方針に伴い、ギャラリーとも話し合いをいたしまして、開催を延期することとなりました。楽しみにされていた皆様、申し訳ございません。 皆様や社会の安全を鑑みまして決定いたしました。
日程が決まり次第、再びこちらでご案内させていただきます。 何卒ご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。
引き続きのご声援どうぞよろしくお願い申し上げます!
2019年開催UNKNOWN ASIAで出会った、LGBTを意識するメンバー中心に4名が揃いグループ展を開催!ホットなガイがあなたの心を温めます 。
【開廊時間】2020年5月1日(金)~6日(水)                       12:00~20:00(水曜日~17:00) ※木曜日休廊 【場所】新宿眼科画廊 https://www.gankagarou.com/      〒160-0022 東京都新宿区新宿5-18-11 【入場料】無料
★TORAJIRO
現代アーティスト
【EDUCATION】 2000.3 武蔵野美術大学造形学部日本画学科
【EXHIBITION】 1998  グループ展「ゆかいな仲間たち展」(日本画) 1999  個展「昨日と今日」(日本画)
【BIOGRAPHY】 大学時代から男性や、男性の日常を題材にした絵の制作を開始。 卒業後、ニューヨークへ留学。 留学後、日本でグラフィックデザイナーとして働く傍ら、日本画・アクリル画をメインとした制作を開始。 2016年から、デジタルでの制作を開始し、デジタル作品をまとめたZINEをイベント等で販売。 2019年から、油絵の制作を開始。
【STATEMENT】 少年や青年をモチーフに絵を描いている。絵を通して彼ら(少年や青年たち)が言おうとしていること、社会や大人への不信感、彼らの秘密や猜疑心を見る人へ伝えようとしている。
【HP】 https://twitter.com/torajiro_art
★Shinji horimura
現代アーティスト
【BIOGRAPHY】 大阪市出身のアーティスト。男性人物画が専門。ルールが多く右へならえ的な日本を嫌い、25歳で単身ニューヨークへ。ディスプレイデザイナーとして生活しながら独学でアートを始める。世界のエスニック文化が好きで、当時は東南アジアや中南米の影響を強く受けた作品を描いていた。
【STATEMENT】 11年間のニューヨーク暮らしを終えて帰国すると、忘れられつつある地域の祭りや風習といった民俗文化に斬新さを感じ、祭りや神事で褌姿で奮闘する雄臭い男たちに土着的な力強さと神聖さ、エロスを感じた。���いだったこの国が実はインスピレーションの宝庫だということに気づき、「エスニックな日本」を追求するようになる。
画材もアクリルや油性色鉛筆など西洋のものから和紙、墨、水干絵具といった日本独自のものに一転。古神道や密教の神秘的な世界観の中に無骨で逞しい男性美を置き、自然が生み出す荒々しいパワーと漢の色気を重ねながら、日本画ではなくグラフィックデザインやストリートアートの要素を生かした独自の現代アートを展開している。
【HP】 https://www.truepath33.com/
★FUM
アウトサイダーアーティスト イラストレーター
【EDUCATION】 2018 甲秀樹 絵楽塾
【EXHIBITION】 2015 個展  「標本箱」 2016 グループ展  「lolol party」(ボルダリングジムとのコラボ展) 2016 グループ展  「art祭」(茅葺き屋根古民家を貸し切り数名の色々なアーティストとコラボ) 2017 イベント  「フラッグアート展」(宇都宮の商店街のアーケードにて飾られる)
【BIOGRAPHY】 自身がLGBTであり、男性ヌードをモチーフに独学でイラストを学ぶ。 ペン画にてアナログ画を中心に活動し、友人のアーティストらとともにコラボ商品などを販売。カフェやケーキ屋にてオリジナルキャラクターや看板デザインなどにも携わる。2018年から本格的に水彩画にて制作を開始。
【STATEMENT】 男性のヌードをモチーフにエロスをポップに描きあげる。 リアリティのある肉付きや身体付き、エロス、フェチズムな部分を、80年代、90年代ポップやファンシーに表現して描いている。
【HP】 https://twitter.com/FUM_art
★成瀬ノンノウ
腐女子の現代美術家
【EXHIBITION】 2019 アートフェア (UNKNOWN ASIA Art Exchange Osaka) 2018 個展「成瀬ノンノウ個展」(gallery UG,Tokyo) 2017 個展「美生物」(gallery UG,Tokyo)       グループ展 先従隗始(gallery UG,Tokyo)       アートフェア Expo Malaysia Plus( Malaysia ) 2016 グループ展 Haert of japan- マリーナベイサンズ(Singapore)       アートフェア Art Expo Malaysia Plus(Malaysia)       個展「美生物」(gallery UG,Tokyo)       グループ展「神宮前二丁目猥談」(ペーターズギャラリー)       グループ展「The EMA Show」(America)
【PRIZE】 ペーターズギャラリーコンペ2011 鈴木成一賞次点 HB GALLERY FILE COMPETITION 2014 1次審査通過 AOMORI PRINT トリエンナーレ2014 1次審査通過
【BIOGRAPHY】 IT系企業で働きながら制作をおこなう。近年は日本画材などを使用し、男性を描いた平面作品を制作。関東中心に発表している。
【STATEMENT】 私は男性の絵を描く女性である。 平等で自由であるべき美術界にも“見る男性、見られる女性”という社会通念がそのまま反映されている。日本において例を一つあげるならば、女性が男性を描く事例が少ないという事実。あなたは容易にその背景について想像できるはずである。しかし、その流れは変化しつつある。 私は変化の狭間に居る人間として、男性の絵を描き、思考している。
【HP】 https://narusenonnow.tumblr.com/
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