#シェイクスピアと僕の夢
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onishihitsuji84 · 1 year ago
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の��を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しに���れていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の���り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば、それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立ち上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにする��めだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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ashi-yuri · 1 year ago
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T・S・エリオット「荒地」 荒地遊びの記録
まずはじめに言葉があった
Kentucky Route Zeroの解説でモダニズムや詩を扱うにはやっぱりエリオットは読んでおきたいなと思ったのと、単純に「『荒地』を読んだことのある人」になりたかったので。
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岩波文庫、岩崎宗治訳、2010年8月刊行
難解な詩ということで構えて読み始めたけれど、荒地の前の初期の詩は、意外と近代文学青年の懊悩という見慣れたテーマが基調にあって読みやすい。いろいろ含みのある詩なので、訳注・解説がコンパクトかつ充実してるのはたいへん助かる。
荒地以前の詩も収録してくれているので、肉体・精神の不全感や自分にはどうにもできない情欲への羨望と怒り、反転した『女性』への失望と不信みたいなのが一貫して描かれてるのが理解できたのもよかった。
信ずるべきものを失い凋落する近代ヨーロッパ社会に生きる近代青年の不安とか孤独とか、それを伺いしれぬ女性への畏れや関係性の不和に重ねて見る主題は、いまの自分にとって多く共感することは難しいけれど、作り込まれてる言葉を読めるのはいい。
翻訳のいかにもすこし古い文学青年という文体のおかげでわかりやすいところもあり、ちょっと野暮ったい印象もあり、ほかの翻訳でも読みたいかも。でも、ところどころとても印象的な一節があって気になる。
四月は最も残酷な月、死んだ土から ライラックを目覚めさせ、記憶と 欲望をないまぜにし、春の雨で 生気のない根をふるい立たせる。 冬はぼくたちを暖かくまもり、大地を 忘却の雪で覆い、乾いた 球根で、小さな命を養ってくれた。  「荒地」 『1 死者の埋葬』 冒頭より(岩崎宗治訳)
内容はともかく、この「荒地」���いう詩のよさが自分には未知数な感じ。そもそも原文で読むべきなんだろうけれど、さすがにその元気はない。
春風社、滝沢博訳、2019年7月刊行
別翻訳者の最新版で2巡目中。
岩波文庫版よりさらに訳注と解説が充実し、こちらはきちんと意味を噛み砕いて翻訳しててよりわかりやすい。テキストそのものの印象はプレーンで、岩波文庫版よりちょっと弱いかも。
なんでこれがモダニズム詩の傑作となってるのかいまいちよくわからない。
最後の、「断片だけが自分を荒廃から支えてくれるんだ」というくだりはすごくよかったな。とてもまともには語ることはできなくて、断片でしか語りえないことを語る詩なので。
結局気になって、グーテンベルグ・プロジェクト(青空文庫の海外版)による英語原文読んだ。
The Project Gutenberg eBook of The Waste Land, by T. S. Eliot
最高にいいテキスト!
言葉同士が緊張感にみなぎり、呼応しあって、エリオット個人の、凋落するヨーロッパの、逃れられない普遍の、荒廃と再生を語る。
英語という言語が持つ明快さや歯切れのよさを活かした描写と響きで、あんなに難解に見えたのにすっと言葉と意味が腑におちる。明快なのに謎めいた象徴性と多義性を湛え、重すぎる意味を相対化するような言葉遊びの軽やかさも備え、そしてなによりテキスト、言葉そのものへの賛歌である。
どんなに多重に込められた意味よりも、編まれた言葉そのものがありえない再生がありうることを信じさせてくれる。神の再生を信じさせるような詩だったんだね。
そりゃみんな夢中で読み解きたくなるし、いろんな翻訳も出るわけだ。
もちろんこう思えるのは、日本語翻訳みて丁寧な訳注や解説を読めてある程度作品理解ができたおかげなので。神の再生はとにかく、ほんとに最高のテキストなので、あとで好きなとこだ��勝手に訳して遊ぼう。
英語読むなら詩形見やすいこっちがおすすめ
『四月は最も残酷な月』、ということで春に読めてよかった。
近代を語るモダニズムの嚆矢として、過去の文学を背骨としながら、象徴的な言葉で個人・コミュニティ・そして普遍について語ろうとする野心、断片的な語りなどKRZとの共通点も多い。
編集者としてエリオットの詩作を支え、本作を大きく刈り込み、余白と遊びの多い形で送り出してくれた詩人のエズラ・パウンドは偉大だし、「ありがとう、エズラ!」(敬称略)という気持ちがとても大きくなったので、Kentucky Route Zero的にも読んでよかった。
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おまけの荒地遊び
原文テキスト見て作った遊び訳。趣味で散文ばかり読んでる門外漢で素人の自分が、「荒地」を理解し楽しむために作っただけで、意味の正確性・適切性はまったく保証しないので悪しからず。引用として一節だけ。
様々な大家や専門家により研究・翻訳が進められていてあまりに畏れ多いし、人に見せるクオリティではないけれど、おんなじテキストからこんなに違う文章が出てくるから、やっぱりそれだけ豊かで楽しいテキストなんだなということが伝わればうれしいです。原文のよさも少しは伝われば。
まだまだほかの人の荒地遊びを見てみたいなと思いました。
Ⅰ「死者の埋葬」よりヒアシンス娘のシーン(35,36)
憧れと��情がいちばんみずみずしく出てる、理想化された追憶の存在、ヒヤシンス娘の一節。
She/Herなどの三人称は出てこないし、モデルとなってるのがかつての同級生(男性)であることや、モチーフとなってるヒュアキントスは同性愛のイメージを持ってると解説にあったのを受けて、今ならもうちょっとその面を打ち出しても楽しいかなと思ったので。
原文
“You gave me hyacinths first a year ago; “They called me the hyacinth girl.”
岩波文庫版
「あなたが初めてヒアシンスをくださったのは一年まえ、 「みんなからヒアシンス娘って呼ばれたわ」
遊び訳
「君は一年前はじめて、ヒヤシンスをくれたよね 「みんな僕をヒヤシンス娘と呼ぶんだ」
Ⅱ「チェス遊び」より詰問シーン(126-130)
神経が参ってる(と男が一方的に解釈してる)女に詰問されて、だんまりしかできず自分のダメさを吐露するシーン、この手の文芸ではすでに伝統芸能的に繰り返されてるけど、何度読んでもいい。
この前の対話(できない)シーンが緊張感高くてほんとに良い。
ずっと妻?の質問になにも答えられずに黙ってるのに、妻の発言の揚げ足を取ってシェイクスピアのくだりで内心ふざけだす、ひどくて笑える箇所から。滝沢氏の訳注いわく、このOOOOはジャズ風らしい。
原文
“Are you alive, or not? Is there nothing in your head?”                         But O O O O that Shakespeherian Rag— It’s so elegant So intelligent
岩波文庫版
「あなた、生きてるの、死んでるの?頭の中、なにもないの?」 だが、 おお、おお、おお、<あのシェイクスピヒアリング・ラグ>- なんて優雅 なんて知的
遊び訳
「あなたって生きてるの、それとも死んでるの?頭の中になにもないんじゃないの?」 でも、 O(オー) O O O これぞシェイクスピアまがいのラグじゃない なんてエレガント なんてインテリジェント
(おまけ)エリオット本人による「荒地」朗読
7:50あたりでエリオット本人によるOOO(オーオーオー)煽りが聞ける。
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Ⅱ「チェス遊び」より最終シーン(168-172)
閉店のご挨拶と第一次大戦による欧州終了のお知らせ、あるいは対話の不可能性。
原文
HURRY UP PLEASE IT’S TIME HURRY UP PLEASE IT’S TIME Goonight Bill. Goonight Lou. Goonight May. Goonight. Ta ta. Goonight. Goonight. Good night, ladies, good night, sweet ladies, good night, good night.
遊び訳
お急ぎください、お時間です! お急ぎください、お時間です! おやすみ、ビル。おやすみ、ルー。おやすみ、メイ。おやすみ。 バイバイ。おやすみ。おやすみ。 おやすみなさい、お嬢さん方、おやすみなさい、かわいいお嬢さんたち、おやすみ、おやすみ。
おやすみと言うと自動的に終わるのがいい。
おやすみなさい。
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udon-lostage-blog · 6 years ago
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少女たち(1)
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「時折決まって同じ夢を見るんです」
「と言いますと?」
「田舎の寂れた工業地帯なんですけど。ターミナルから逸れて貨物列車の廃線が伸びていて。その線路の上を歩き続けるだけの夢なんです」
「成程。随分とまた具体的ですね」
「そうなんです。あの景色だけはなぜかはっきりと思い出せるんです。」
「その線路の先には、何があるんですか?」
「それが、何処まで歩いても終点にたどり着かなくて。まるで果てまで続いているみたいなんです。それに目が覚めてしまうと、次にこの夢を見る時にはもう一度はじめから歩き直さなきゃいけなくて。でも別��それがもどかしい訳でも苦痛な訳でもなくて。寧ろこの夢を見ているときは心の晴れた、自由な気持ちになれるんです。」
「成程。あ、すいません。今珈琲入れますね。ブレンドですよね?」
「ありがとうございます。ブレンドで。こちらこそすいません、こんな閉店間際に」
「いいんですよ。詩織さんだし、ね。それに今日は珍しく忙しかった。少しくつろいでから帰ろうと思ってね」
古い八日巻の掛時計はもうすぐ8時を指すところだ。
夕方から降り始めた雨は既に止んだが、ステンドガラスに残る無数の雨粒が車のヘッドライトに合わせて踊っている。
「詩織さんは、シューゲイザー聴きますか?」
「シューゲイザーですか。」
「そう。こういう夜には、よく合うんです」
マスターはそう言って照明を下げると、カウンターの隅からCDを持ってきてそれを流す。
薄暗い店内は繁華街の光量に負け、私たちは喧騒から切り取られた。店の外の景色はいつもより鮮明に輝く。
「まるで映画を観ているみたい。」
JBLのスピーカーから流れるシューゲイザーは想像していたものよりずっとドリーミーで直線的で気だるく、深い残響に包まれている。
私は何となく、ガラス越しの街並みにその音を重ねてみた。
路面に反射する街頭の明かりや、行きかう人々の足音、雨上がり特有のコンクリートの香り。
それぞれがメロディに合わせてゆっくりと溶け合っていく。
「もう直ぐ、梅雨が明けます。」
「夏ですね。」
「そう。もうじき、夏が来ます。」
赤いペルシャ刺繍のソファにもう一度深く腰掛け、私はブレンドを一口だけすすった。
「そういえばね、詩織さん。」
「ええ。」
「さっきね、夢の話してたでしょう。僕はね、その線路の先には必ず何かがあると思うんですよ。それも運命的な何かが。」
「運命的な何か、ですか。」
「そうそう。もしかすると、もしかするとですよ。あなたにはずっと探している物があって、あなたはその答えを探すためにあの線路を歩いている。僕はそんなイメージを受けたんですよ。」
「探しているものですか。」
「勝手な思い込みですけどね。」
「いえ。似たようなことを考えていたんです。ただその『探し物』が何なのか今の私にはサッパリ見当もつかなくて。とりあえずはこのままでもいいかななんて思ったり。」
「なるようになる。ということでしょうか。」
「そういうことかもしれないです。」
「運命は最もふさわしい場所へ魂を運ぶ。僕の大好きな、シェイクスピアの言葉です。いつかきっと『探し物』に気づく時がくるでしょうし、あるいはもうその線路に乗っているかもしれない。いずれにせよ、運命は来るべくしてやって来るものです。それは未来のものかもしれないし、過去のものかもしれない。そして今現在かもしれない。その瞬間はふとした時に、自然に訪れるものです。」
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fujimoto-h · 7 years ago
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2017年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
 2017年もいよいよ終わる。今年は5月25日に母が63で亡くなるなどしたが、それ以前になにが起こったかまったく記憶にない。8時半(たまに11時)から21時やら23時やらまで働いたりしているせいだろうか。どうやら『ベルリン・アレクサンダー広場』のDVDboxや『サイタマノラッパー』ドラマ版のDVDbox��買ったまま一度も観ていないのは憶えている。  『文藝』のアンケート企画に「来たるべき作家」の一人として前の筆名で載っていたことも、春ぐらいのことかと思ったら7月だった。時期の記憶がだんだんいい加減になってくるのであった。  広島旅行やら島根旅行やら、あと『白鴉』30号を出して「アゴアク」という作品を載せ、先日ようやく同人誌評に取り上げられたが、褒められていない、というかそれ以前の問題。まあ、『白鴉』に載せた私の作品がこれまで全作品どこかしらで取り上げられつづけているという記録をまた更新できたのでこれでいいとする。そんなことよりもいま書いている作品が無事に仕上がることを祈る。  「アゴアク」についていただいた感想に、相変わらず主人公はどこまでも僻みっぽい、でもどことなく品位がある、というのがあったのを昨日思い出して、それはたぶん、私の描き出す主人公の、まわりの世界や世間に対するプロテストなのだろうなあ、などと考えたり。  あと、2017年の文学フリマ大阪に参加した『白鴉』では来年1月21日の文学フリマ京都と5月6日の文学フリマ東京へ参加することがすでに決定しております。両方とも言い出したのは私であり、私がいるのは確実です。
 読書関係だと内藤千珠子氏の著書がとても面白かったことや、長年の課題であったベケットがようやく読めるようになってきたこと、詩を読みはじめたことが大きい。ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』もようやく読みはじめ、なんと��人間へ近づいていっている。来年早々に読んでしまって、長年の課題であるドゥルーズ『意味の論理学』に挑みたい。詩集であるていど稼いだ割に読了冊数73冊というのはどうかと思うが。冊数など関係ないと言われるだろうが、読みの浅い人間がせめて冊数がなければどうすればいいというのか。どうやら一般的に本をよく読むと言われている人物は年間300とか400とか読んでおられるらしいので、100にも満たない人間のベストなど不要だろう。  映画は毎年のことながら前半期になにを観ていたかすっかり忘れる。『アトミック・ブロンド』をもう一回ぐらいは観ておきたかった。これも映画好きを自称している人は年間平均500本は観ているようなので、本数ではなく回数にすることによって数字を稼ぐなどといういじましいことをしてもなお141などという、てんでお話にならない数字を出してしまう私などのベストになんの価値があるだろうか、ということでやらない。
 といったところで、来年もよろしくお願いします。
最近読み終えた本 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック) 勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育=金田淳子=二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田)
最近観た映画 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド) 『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
2017年の本と映画の記録。2016年はこちら。
読了本73冊
松浦寿輝『BB/PP』(講談社) 二村ヒトシ/岡田育/金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWAメディアファクトリー) パスカル・キニャール『アマリアの別荘』(青土社) 赤木昭夫『漱石のこころ──その哲学と文学』(岩波新書) 町山智浩『映画と本の意外な関係!』(集英社インターナショナル新書) 津島佑子『半減期を祝って』(講談社) トーマス・ベルンハルト『ある子供』(松籟社) 三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(新書館) トーマス・ベルンハルト『石灰工場』(早川書房)通算4回。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)
ウィリアム・シェイクスピア『シンベリン』(ちくま文庫) 山本貴光『文体の科学』(新潮社) 『北の文学2016──北海道新聞文学賞、短歌賞、俳句賞』(北海道新聞社) 『シリーズ言語態(4)記憶と記録』(東京大学出版会) 小平麻衣子=内藤千珠子『21世紀日本文学ガイドブック(7)田村俊子』(ひつじ書房) 杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房) 内藤千珠子『小説の恋愛感触』(みすず書房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社) アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』(河出書房新社) アルフレート・デブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場──フランツ・ビーバーコプフの物語』(ぷねうま舎)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)2回。通算3回。 橋本陽介『物語論 基礎と応用』(講談社選書メチエ) アルフレート・デーブリーン『たんぽぽ殺し』(河出書房新社) ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(白水uブックス) カルロ・エミーリオ・ガッダ『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』(水声社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社) トーマス・ベルンハルト『消去──ある崩壊 新装版』(みすず書房)通算5回。 ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(亜紀書房) エルフリーデ・イェリネク『汝、気にすることなかれ』(論創社) 通算2回。 李珍景『不穏なるものたちの存在論──人間ですらないもの、卑しいもの、取るに足らないものたちの価値と意味』(インパクト出版会)
アーサー・ミラー『セールスマンの死』(ハヤカワ演劇文庫) 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) 山代巴 編『この世界の片隅で』(岩波新書) 岡本雅享『民族の創出──まつろわぬ人々、隠された多様性』(岩波書店) 岡本雅享 監修・編著『日本の民族差別──人種差別撤廃条約からみた課題』(明石書店) サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水uブックス) 疋田龍乃介『歯車VS丙午』(思潮社) 稲川方人『形式は反動の階級に属している』(書肆子午線) サミュエル・ベケット『モロイ』(白水社) 辺見庸=目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)
尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫) サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』(白水社) 稲川方人『封印』(思潮社) サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』(白水社) サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『また終わるために』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』(書肆山田 りぶるどるしおる) 『白鴉』30号 『星座盤』11号
『babel』創刊号 松浦寿輝『鳥の計画』(思潮社) 『時刻表』創刊号 田原『石の記憶』(思潮社) 田原『夢の蛇』(思潮社) 田原『そうして岸が誕生した』(思潮社) サミュエル・ベケット『蹴り損の棘もうけ』(白水社) 平田俊子『手紙、 のち雨』(思潮社) 高橋康也『サミュエル・ベケット』(白水uブックス) 平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『新訳 カフカ──マイナー文学のために』(法政大学出版局) 小野十三郎『冥王星で』(エンプティ) 稲川方人『2000光年のコノテーション』(思潮社) 川田絢音『白夜』(書肆子午線) 平田俊子『詩七日』(思潮社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(上)』(河出文庫) 丁章『在日詩集 詩碑』(新幹社) トーマス・ベルンハルト『原因 一つの示唆』(松籟社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック)
勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育/金田淳子/二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田) 映��観賞回数141回
『この世界の片隅に』(片渕須直)3回。通算5回。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(ロバート・ゼメキス) 『ベストセラー──編集者パーキンズに捧ぐ』(マイケル・グランデージ) 『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太) 『死闘の伝説』(木下恵介) 『マイマイ新子と千年の魔法』(片渕須直) 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー) 『手紙は憶えている』(アトム・エゴヤン) 『マダム・フローレンス!──夢見るふたり』(スティーブン・フリアーズ) 『戦火の馬』(マリアンヌ・エリオット、トム・モリス)
『破門──ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎) 『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバレス) 『ドラゴン×マッハ!』(ソイ・チェン) 『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー) 『92歳のパリジェンヌ』(パスカル・プザドゥー) 『マイ・ファーザー 死の天使──アウシュヴィッツ収容所人体実験医師』(エジディオ・エローニコ) 『MILES AHEAD──マイルス・デイヴィス 空白の5年間』(ドン・チードル) 『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』(マテイ・ミナーチュ) 『こころに剣士を』(クラウス・ハロ) 『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー)
『ヒトラーの忘れもの』(マーチン・ピータ・サンフリト) 『MERU メルー』(ジミー・チン、 エリザベス・チャイ・バサヒリイー) 『沈黙 サイレンス』(マーティン・スコセッシ)2回。 『アイ・イン・ザ・スカイ──世界一安全な戦場』(ギャヴィン・フッド) 『クラッシャージョウ』(安彦良和) 『オアシス:スーパーソニック』(マット・ホワイトクロス) 『その街のこども』(井上剛) 『疾風スプリンター』(ダンテ・ラム) 『アリーテ姫』(片渕須直) 『アイヒマンを追え!──ナチスがもっとも畏れた男』(ラース・クラウメ)
『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー) 『AKIRA』(大友克洋) 『SING』(ガース・ジェニングス)2回。 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(押井守)2回。 『キングコング──髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ) 『ショコラ──君がいて、僕がいる』(ロシュディ・ゼム) 『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン) 『殺しの烙印』(鈴木清順) 『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース) 『東京流れ者』(鈴木清順)
『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル) 『未来を花束にして』(サラ・ガブロン) 『牯嶺街少年殺人事件』(エドワード・ヤン) 『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フーク) 『美女と野獣』(ビル・コンドン) 『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック) 『ラビング──愛という名前のふたり』(ジェフ・ニコルズ) 『乱』(黒澤明) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ) 『お嬢さん』(パク・チャヌク)
『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン) 『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』(ファイト・ヘルマー) 『哭声』(ナ・ホンジン) 『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ) 『ライオン──25年目のただいま』(ガース・デイヴィス) 『彼らが本気で編むときは、』(荻上直子) 『アシュラ』(キム・ソンス) 『ゆれる』(西川美和) 『花戦さ』(篠原哲雄) 『ディア・ドクター』(西川美和)
『ジャッキー──ファーストレディ最後の使命』(パブロ・ラライン) 『エンディングノート』(砂田麻美) 『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス)2回。 『百万円と苦虫女』 (タナダユキ) 『溺れるナイフ』(山戸結希) 『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子) 『はらはらなのか。』(酒井麻衣) 『美しい星』(吉田大八) 『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル) 『未来よ、こんにちは』(ミア・ハンセン=ラブ)
『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン) 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン) 『光』(河瀬直美) 『武国』(熊切和嘉) 『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(ガブリエーレ・マイネッティ) 『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン) 『セールスマン』(アスガル・ファルハーディー) 『海辺のリア』(小林政広) 『おとなの恋の測り方』(ローラン・ティラール) 『海辺の生と死』(越川道夫)
『ヒトラーへの285枚の葉書』(ヴァンサン・ペレーズ) 『ダン���ルク』(クリストファー・ノーラン) 『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキー) 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト) 『ザ・ドライバー』(ウォルター・ヒル) 『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一) 『ファウンダー──ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック) 『ボブという名の猫──幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド) 『ライフ』(ダニエル・エスピノーサ) 『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アデ)
『20センチュリーウーマン』(マイク・ミルズ) 『ロックンロール・ハイスクール』(アラン・アーカッシュ) 『少女ファニーと運命の旅』(ローラ・ドワイヨン) 『新感染』(ヨン・サンホ) 『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー) 『あしたは最高のはじまり』(ユーゴ・ジェラン) 『ザ・ウォール』(ダグ・リーマン) 『スペース・レイダース』(ハワード・R・コーエン) 『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー) 『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ)
『おしゃれ泥棒』(ウィリアム・ワイラー) 『メッセージ』 (ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『デス・レース2000年』(ポール・バーテル) 『夜明けの祈り』(アンヌ・フォンテーヌ) 『幼な子われらに生まれ』(三島有紀子) 『RE:BORN』(下村勇二) 『エタニティ──永遠の花たち』(トラン・アン・ユン) 『50年後のボクたちは』(ファティ・アキン) 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)3回。 『コーヒー&シガレッツ』(ジム・ジャームッシュ)
『ドリーム』(セオドア・メルフィ) 『ハイドリヒを撃て!──「ナチの野獣」暗殺作戦』(ショーン・エリス) 『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(クリス・クラウス) 『スイス・アーミー・マン』(ダニエル・シュナイナート/ダニエル・クワン) 『ロスト・イン・パリ』(ドミニク・アベル/フィオナ・ゴードン) 『リングサイド・ストーリー』(武正晴) 『はじまりのうた』(ジョン・カーニー) 『ELLE』(ポール・バーホーベン) 『散歩する侵略者』(黒沢清) 『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ)
『審判』(オーソン・ウェルズ)通算2回。 『バリー・シール──アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン) 『三度目の殺人』(是枝裕和) 『セザンヌと過ごした時間』(ダニエル・トンプソン) 『スモーク』(ウェイン・ワン) 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール) 『鉱 ARAGANE』(小田香)2回。 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド)
『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
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yukue3-blog · 8 years ago
Text
ある作家のインタビュー記事(april roof magazineより抜粋)
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# マティーニとギブソン
「ヴォネガットは自著でこう述べています。
 “私が言いたかったのは、シェイクスピアは物語作りの下手さ加減に関しては、アラパホ族とたいして変わらないということだ。それでもわれわれが『ハムレット』を傑作と考えるのにはひとつの理由がある。それは、シェイクスピアが真実を語っているということだ”と。
 この言葉は私を勇気づけました。“然るべきタイミングに、然るべき心持ちで書く”これが私にとって最も大切なことです。そうすれば、小説は自ずと進んでいく。ゼンマイを巻いたロボットが手を離れて進んでいくみたいにね。だから、誰が・どこで・何をするか、私にはひとつもコントロールすることはできません。コントロールされた悲劇より、私は現実の悲しい喜劇を愛している。小説を書く時、私は赴くままにペンを走らせる作家ではない、何重にも色を重ねる画家でもなければ、厳格なオーケストラの指揮者でもない、ただ人より少しだけメモを取ることが上手な傍観者になり下がるんです」
 作家へのインタビューは、三軒茶屋にある彼の行きつけのバーで行われた。 橙色のライトがぼんやりと灯す、まるで洞穴の中みたいな店内。 作家は目を閉じ、次の言葉を探す。 無言の隙間から、バーテンダーがグラスをステアする音が聞こえてくる。
「そのために必要なのは、ストーリーでも表現でもない、たったひとつの感情です。それを捉えるために、私は胸の中に潜って、呆れるほど考え、然るべき時を待ち続けます。誰にも気付かれないように息を潜めて、静かに波の音を聞くんです」
— 例えば?
「例えば、この世界には朝と夜があります」
— というと?
「つまり、朝、カーテンを開け、誰もいない街を走る塵芥車を見送り、次第に大きくなっていく街の音や光を想いながら書くべき小説があります。そして夜、明滅するネオンサインの下、マティーニで喉を濡らし、消えていく暗闇を想いながら書くべき小説があるということです」
— 昼は?
「昼は、みんなご飯を食べているか、テレビを見ているか、銀行でお金をおろしているか、そんな、つまらない時間でしょう?」
— 今は?
今は午前二時です、とバーテンダーが静かに告げる。 ひと粒のオリーブがグラスに添えられる。 作家はその透明な淀みをほんの少し傾け、何かを確かめるように口に運ぶと、遠くを見つめ、そっと語り出した。
「昔、ミエという女性と過ごした時間がありました。彼女とのことの多くは時代に拐われていってしまいましたが、それでも断片的に彼女のことを思い出す瞬間があります。私たちは三度会い、一度だけ夜を共にしました。で��、ふたりで過ごした時間は二十四時間にも満たないでしょう。あまりにも短い、人生の一瞬の風のような時間です。だけど今、こうしてまた思い出すのは、その時間が確かにそこにあったからなのでしょう…」
 ミエは漢字では“美瑛”と書きます。
 美瑛と出会ったのは出版業界の関係者が集まるとあるパーティーの場でした。その頃、私はまだ二十代で、ようやく自分の書いたものが文芸誌の片隅に載り始めた頃でした。
 季節は冬でパーティーは品川のホテルで行われました。 煌々と灯るシャンデリア、華やかに彩られた会場で���ャンパンを片手に語り合う文士たち。 周りには、ベストセラーを何作も出しているIさんや、政界でも活躍していたYさん、映画も手がけているAさんなど誰もが知っている顔ぶれが並んでいます。 そこは、私のような若造には到底縁のない場所でした。
「君はどんなものを書いているんだい?」 「僕はこんなものを…」 「そうか、ところで洋酒は好きかい?」 「いえ、あまり飲んだことがないんです」 「ここのマティーニは絶品だよ、私の本にも登場するんだ。君もぜひ飲んでみてくれ。じゃあ、ごきげんよう」
 そんな調子でパーティーは進んでいきました。 彼らは慣れた手つきで高級な酒を呷ります。 それはまるで崩れる事を知らない巨大な城の主のように。 一方、見窄らしい格好でふらふらとしていた私には、どうにもその雰囲気が居心地悪く感じられました。
 当時、無名の作家でお金も地位もない私でしたが、若さ故、野心と反骨心だけは旺盛に持っていました。そこにいる文士たちの本もひと通り読んではいましたが、彼らの書く浮世の世界の薄く張り巡らされた膜のようなセンチメンタリズムにはどうにも浸れませんでした。 彼らはたしかに素晴らしい美文を書きます。 でも、そこには人の温度がない。 彼らの書くものはすっと胸に入って来て、次へ、次へと頁を捲らせます。 でも、それは培養された感情で、胸に刺さる楔のような余韻を残すことはありませんでした。 私は日頃から、“私の方がずっと本当のことが書ける”と、胸の内でひどく対抗心を燃やしていたのです。
 そんなわけで、せめて格好だけでも文壇の一員らしく振舞わないといかんと思い、慣れない高級な酒を煽ったのがよくありませんでした。気が付けば、私は随分と酔ってしまい、会場の隅っこに座り込んでいました。しまったと思いましたが、華やかなパーティーの片隅で萎れている惨めな男になど誰も気づきません。とにかく水を飲んで頭を冷やさなくては、と立ち上がろうとした私に「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたのが美瑛でした。
 それから、ひと月と経たないうちに美瑛と私は再び出会いました。
 ある夜、赤提灯が揺れる新宿の酒場で偶然、彼女と居合わせたのです。 少し酒が入っていたものの、私はひと目で彼女に気づきました。 彼女はモデルのような煌びやかな容姿をしているわけではないのですが、どこか他人とは違う、一度見たら忘れない、人を惹きつける不思議な雰囲気を纏っていたのです。 それは、とても静かで、どこか神秘的で、勢いのままに触れたら壊れてしまいそうな繊細なものでした。
 私は彼女のそばに行き、先日の礼を言いました。 彼女は少し驚いた後、私を思い出してくれて、にこっと笑いました。 とても素敵な笑顔でした。 酒が入って気が大きくなっていたのでしょう、私は「もしお一人でしたら、こちらで少し話しませんか?」と���女を誘いました。 すると彼女はまたにこっと笑い、「ええ喜んで」と言って私の隣の席にやって来ました。 とても静かな香りがしました。 それは香水の匂いでも、整髪料の匂いでもない、冬の早朝に誰もいないホームに降りたった時のような、どこか懐かしい日常に潜む小さな異国の香り。
 私はたくさんのことを話しました。 文章を書いてなんとか暮らしていること、先日のパーティーでは居心地の悪さについ酒を飲み過ぎてしまったこと、いつか書きあげたい感情がたくさんあること…
 そして、彼女もたくさんのことを話してくれました。 自分は二十二歳で都内の大学に通う女学生だということ。 品川のホテルでは給仕係のアルバイトをしていること。 名だたる文士たちの中で酩酊している私を見て、急いで水を取りに走ったこと。 中野に住んでいて、仕事帰りによくここで、ひとりお酒を飲むこと。 大学では英文学を専攻していて、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を研究していること。 語学が堪能で、日本語、英語の他にも中国語と韓国語が話せること。 四月から、日本人なら誰でも名前を聞いたことがある大きな会社で働きはじめること。 いつか独立して海外で活躍したいと思っていること。
 未来という純白なキャンパスを前に、彼女の目は淀みなく、静かな野心で燃えていました。 ものを書くこと以外ろくに頭にない私はその姿を見て感心しました。 その頃は、まだ若い女性が多くの夢を語れる時代ではなかったのです。 それでも、彼女の明るく謙虚で直向きな姿を見ていると、“この夢が報われない世界などおかしい、あってはならないのだ”とさえ思いました。
 本が好きで怜悧な彼女との話を尽きることなく、あっという間に夜は更けていきました。 そして、日付が変わる前にようやく私たちは新宿駅で別れました。 別れ際、改札前で何かを言おうとして逡巡する彼女に、私は「また会えるかな?」と尋ねました。 彼女は言葉を飲み込んだ後、笑顔で「あなたが良ければ」と言いました。 その笑顔はとても愛らしく、私の心を暖めました。
 手を振り離れていく彼女。 改札の向こう、雑踏の中に消えていく襟足と赤いマフラー。 その光景は小さなボートを見送るようで、どこか遠い世界のことのようでした。 そして、すっかり彼女を見送ると、私は自分の胸の中に芽生えた小さな違和感を認めました。 小さな違和感。 それは決してネガティブなものではなく、かといって良いものでもなく、どちらかというと何かを正しく捉えそこねているような悪い予感でした。
 うまく言葉にできないのですが、彼女からは他の若い女性(或いは男性も)が持つ、ある一つの世代に共通する匂いや手触りが一切感じられなかったのです。 それは偏に容姿が良いとか悪いとか、性格が活発であるとか控えめであるといったことではなく、なんといいますか、例えば、彼女が他の誰かと過ごしている姿が(それは、友人だったり、恋人だったり…)全く想像できな��ったのです。 彼女が友人とランチをしている姿、母親と電話をしている姿、恋人と手を繋いで歩く姿、下着を脱ぎ、ベッドで抱き合う姿… そのどれもに手触りがなく、掴もうとすると、するりと指の間を抜けていくようでした。
 ただ、正直なところ私もそれをうまく計れずにいたのです。 私も人生経験の未熟な若者でしたし、なにせ出会って間もない女性のことです。 多少の神秘性はあってもおかしくはない。 むしろそれが彼女の魅力なのかもしれなかった。
いずれにせよ、私にとってそれは初めての感覚でした。
 年が明け、春が終わる頃、示し合わせたかのようにいくつかの連載の話が舞い込んできました。 私は胸にいつまでも残る余韻のような感情をなんとか作品にできないかと、文章を書いては推敲し、自分の表現を模索していました。
 当時、私の書くものへの評価は大きく二分されていました。 自由な文体に漂う叙情的な感情の流れを新しいものだと評価してくれる人たちと、非構成的で散漫な文章からは何も見出せないと厳しく批評する人たち。 簡単に説明するとそのような感じです。 そして、文壇で力を握っていたのは圧倒的に後者の人たちでした。 彼らは私の文章をどうにかして自分たちの作った既存の枠に押し込もうとします。 彼らの手にかかると、言葉はひとつひとつ分解され、検品され、気がつくと皮を剥かれた玉ねぎのようにすっからかんにされてしまいました。 それはある範囲では正しさであったのかもしれませんが、私のような若者にとっては吐き気がするくらい悍ましく、不自由なものでした。 そのため、この世界での私への評価はあまり良いものではありませんでした。
 ただ、私は当時から一貫して決めていることがあります。 それは、文章に余韻を持たせるということです。 文体やストーリーは、その隠れ蓑でしかありません。自由に配色され、時に焦点をぼかしながら、然るべき場所へと進んでいきます。それは装飾であり、ひとつの個性であり、意思の有無に関わらず、花が咲き、やがて枯れていってしまうものです。 しかし、感情は違います。 感情は、物語の通奏低音としていつまでも流れ続けます。 それは個性というよりも血であり、生臭い匂いであり、拭うことのできないものなのです。 作家はそれを捕まえなくてはいけない。 そのために気がおかしくなるほど、ひとつのことをじっと考え待ち続けます。 その横顔と出会える日を夢見て、毎朝、毎晩、瞼の奥をただ眺め続けるのです。 花を咲かすのではなく、根や茎や葉や散った花弁にまで血が通うようにひたすら水を遣り続けます。 そうしてようやく書き始めたとき、物語に植え付けられた、どこまでも余韻を残す感情だけが、誰かの人生の頁になれるのです。
 もちろん、若い私にはそんな強い思いを抱き続けることは難しく、お酒を飲んでは自分の無力さを嘆いていました。 電話が鳴ったのはそんな時です。
 電話口から聞こえたのは女性が涙を堪える音��した。 東京の夜の深い闇の向こうから聞こえるその音は、途切れ途切れで、集中しないとほとんど静けさにかき消されてしいます。 向こうの夜もこちらの夜も、そこにあることを忘れてしまうくらい静かな夜で、私たち以外の何もかもが止まってしまったかのようでした。 私はじっと受話器の向こうの胸の音を聴きました。 巨大な静寂の中に潜む消え入りそうな小さな声、巨大な東京の騒音の中にかき消されたそれ。 目を閉じると鼓動の音が聞こえて来て、まるで深い異邦の海の底へと潜っているかのようでした。 何度も水を掻いて顔を出した水面、靄の向こうでぼんやりと光る灯台の明かり。 或いは私がその光だったのかもしれません。 そんな時間がどれくらい続いたのか、しばらくして、小さなため息の後に一言。 「今から会えますか?」 と、美瑛の声が夜を渡りました。
 ネオンと喧騒の渦巻く新宿。 美瑛は以前と同じ店の同じ席に座っていました。 声をかけると、先ほどの電話の声とは対照的な明るい声で私に礼を言い、またあの素敵な笑みを見せました。 その頬は薄く赤らんでいて、少し酔っているようでした。 「いつもこんなに飲むの?」と尋ねると、「私にもそういう日があるのよ」と言って、またグラスを口へ運びました。
 その後も彼女の様子は変わらず、終電の時刻が近づいた頃、私は「そろそろ帰ったほうがいいよ」と彼女に告げました。彼女は時計を一瞥し、目をぎゅっと閉じた後、私を見て「ねぇ、少し歩かない?夜風に当たりたいの」と小さく、でも確かな声でそう言いました。
 新宿の人混みを抜け、青梅街道沿いに彼女の住んでいる中野の方角に向かって、私たちは夜を歩きました。 手を広げたり、髪をかきあげたり、階段を駆け下りたり、上ったり…まるで漂流するみたいに、赤いバッグを揺らしながら、少し前をふらふらと踊るように進んでいく彼女。 私たちを包み込む巨大なビル群は、どれも眠ったように息を潜め、人も見当たりません。 生活の匂いも、労働の匂いもない不思議な時間の新宿。 未だ頼りないままの手触りの彼女、ポケットに手を突っ込んで歩く私。 蝋燭の火のように静かに揺れるステップ。 それは帰るべき場所を探して彷徨う悲しいステップでした。
「東京は本当に大きいところね。たくさん人がいて、たくさんお店があって、たくさん電車が走っていて、悲しいことも楽しいこともたくさん、たくさんあるの」 突然、振り向いた彼女はそう言いました。
 ビル街を抜けると、頭上には再び東京の夜が降ってきて、山手通りを何台もの車が走っていくのが見えました。長い赤信号を前にいつしかステップは止まり、街は息を取り戻し、間も無く、私たちのくだらない生活の匂いが帰って来るのがわかりました。 そして、彼女の目には涙が溢れていました。
「ひとつ隠していたことがあってね。私は日本人じゃないの、国籍は中国。でも、日本の学校に行って、日本のものを食べて、日本で育った。日本語だってこんなに上手に話せるし、難しい言葉もその辺の学生なんかよりよっ��ど知っているつもりよ。桜を見て春を感じるし、お米を研いで、ご飯を炊いて、お味噌汁を飲む、着物だって自分で着たことがあるのよ。それなのに、ねぇ��それなのに…どうして?」
 救われることのない答えを求める寂しい眼差しで、彼女は立ち尽くす私の目を見た後、溢れ出すその涙を隠すように両手で顔を覆いました。 行き交う車のヘッドライトがそれを照らしては隠し、照らしては隠し、やがて少しづつ速度を落としながら止まりました。 そして、信号が青に変わるとともに、彼女は「ごめんなさい…」と一言残し、去っていきました。
 悲しみを飲み込むように消えていくその背中。 それはどんな言葉や物語よりも本当のものでした。
 私たちと彼女を隔てて、明滅する青信号。 そこに散らばったいくつかの風景。 水の入ったグラス、赤提灯、絵に描いたような笑み、知らない国の香り、夢を語る姿、小さな違和感、文壇、電話の声、ネオン、ステップ、溢れる涙、消えていく背中… それらはどれも失くしたことすら忘れてしまうようなとりとめのないものでした。 でもそれは確かにそこにあったんです。 そして、今ここでひとつの物語が終わろうとしている。 終わる。 終わらせてしまう…
 気がつくと、私は急いで交差点を渡り、彼女のもとへ駆け寄って、その手を掴んでいました。 春の夜の東京の空気より少しだけ冷たい手のひら。 それが初めて触れた、彼女の確かな温度でした。
 それから、彼女はここ数ヶ月のことを思い出すように話しました。 入社後に配属された部署は彼女の語学力を十分にいかせない場所だったこと。 その力を使って仕事を進めようとすると多くの邪魔が入ったこと。 そんな姿を案じて、親身に相談に乗ってくれた上司がいたこと。 その上司から身体を求められたこと。 一度だけそれに応じたこと。 その人には奥さんと子どもがいたこと。 ひどい罪悪感に襲われたこと。 関係を拒むと、自分が日本人でないことをひどく罵られたこと。 どこからか悪い噂が流れ始めたこと。 仲の良かった同期や親しかった同僚たちとの距離が少しづつ離れていったこと。 会社は彼女の話を全く聞いてくれなかったこと。
いつしか自分の居場所がなくなっていたこと…
 その会社はとても大きくて、ひどく日本的な会社でした。 或いは、日本全体がそういう時代だったのかもしれません。 力のない者たちにとって、暗い話はいくらでもありました。
「何もかも嫌いだわ!あなたも、この世界も、全部!」 一頻り話し終えると彼女はそう言い放ち、大声で泣きだしました。 静かな住宅街の路上、彼女の言葉をさらっていく乾いた東京の夜風。 悔しさに、悲しさに涙する、小さくて頼りないその姿は、どこにでもいるひとりの女の子のものでした。 私はそっと彼女を抱きしめました。 「ねぇ、どうして…」 彼女のくぐもった声が、胸の中で何度も何度も木霊しました。
 明け方、目を覚ますと隣に彼女はいませんでした。 少しだけカーテンが開いていて、そこから夜明け前の薄く伸ばした光が入り込んでいます。 アパートの二階、彼女の残り香がするクリーム色のタオルケット。薄明かり��晒された部屋は六畳くらいの大きさで、壁がところどころ剥がれていて、彼女の持つ雰囲気とはかけ離れた質素なものでした。
 立ち上がると、「起こしちゃった?」とカーテンの向こうから声がしました。目を向けると、薄暗いベランダで美瑛は煙草を吸っていました。 「眠れないの?」と聞くと、「眠りたくないの」と彼女。 橙色の火が燻らせる煙の先、明けていく空には重たい雲が敷き詰められていて、僅かなその隙間から白い光が覗いていて、煙はその光に吸い込まれるように真っ直ぐに伸びていきました。 横に並ぶと、「あなたも一本どう?」と言って彼女は私に煙草を差し出しました。 火を点け、ふぅと吐き出すと、そこには私と彼女、二つの煙の靄が出来上がりました。 東京の空に吐き出された二つの白い煙。 初めはしっかりと輪郭を持っていたそれは、いつしか薄く伸ばされ、混ざり合うようにひとつになって、ふたたび空に還っていきました。 私たちは無言のままその行方をじっと見守っていました。
「ねぇ、悲しい話をしてもいい?」 煙が消え去ると彼女はそう尋ねました。 そっと頷くと、彼女は新しい煙草に火をつけ、まるで喜劇を語るように話しはじめました。
「わたしはね、朝鮮に近い少数民族の自治州で生まれたの。だから中国籍だけど、中国人でもないのよ。幼い頃のほとんどは韓国で過ごしたわ。韓国はわたしたち家族にとって外国だったけど、三人の暮らしはとても幸せだった。でも心中は複雑だったわ。わたしたちの幸せは寂れていく故郷の上に築かれているようだったから。わたしの故郷は一時間もあれば回れてしまう小さな町だったけれど、昔はみんなが家族みたいに温かく暮らしていたの。なだらかな黄緑色の丘があって、丘の上には水車があって、牧場があって、その起伏を縫うように一本道がどこまでも続いていた。家族も友達もみんな同じ病院で生まれて、同じ学校に行って、同じ美容院で髪を切って、同じように歳をとっていくと思っていた。でも、そんな小さな町にもいつしか本州の経済の波が押し寄せてきた。それは一部の人をとても裕福にしたわ、でも町は幸せにならなかった。いつしかお金のある人は中国の都会や韓国や日本に出たきり戻ってこなくなって、貧しい人だけが残された町はどんどん疲弊していった。酷いものよ。でもいずれは消えていく運命の血だったのかもしれない。わたしたち家族の小さな幸せもそうやって出来上がっていたの。でも、それは仕方がないことだった。そして、わたしが十歳の時に母が死んだ。交通事故だったわ。父も母もわたしも故郷に後ろめたさを感じながら、それでも慎ましく小さな幸せを噛み締めて生きていたのに、この世界はある日突然私たちから母を奪ったの。それも交通事故よ。なんてこともないただの交通事故。この気持ちわかる?びっくりして何も感じなかったわ。母を轢いた人を恨んだり、悲しくて涙を流したり、そういうところまで全然辿り着けなかった。そして、あっという間に色々なことが過ぎていって、“はい、こうなりました”って母が死んだことだけがまるで前からそうだったみたいに残された。わたしはどうすればいいかわからなかったわ。父はとても優秀な人で、母が死んでからも直向きに仕事に打ち込んでいた。悲しみに立ち向かいながら頑張る姿に周りも感心していた。でも、人間はそんなに強くなれないのよ。父はわたしと二人きりになると母のことを思い出してしまうみたいでよく泣いていた。心が空っぽになるまで飲んで、母の話を何度も何度もして、故郷を捨てた自分を責めて、涙が枯れるまで泣いてようやく眠るの。そして翌朝にはスーツを着てまた仕事に出かけていく。このままだといつか駄目になってしまうと思った。だからわたしはひとりで日本に行くことを決めた。十二歳の四月だったわ。父は反対したけど、こうすることが最良の策なんだって自分でも薄々感じていたみたい。最後まで賛成はしてくれなかったけど、大学を出るまでずっと支援してくれたわ。そして、その時からわたしは美瑛という名前になった。美瑛っていう名前はね、わたしがつけたのよ。まだ母が生きていた頃、三人で旅行した北海道の美瑛があまりにも綺麗だったから。そこには何もかもがあったわ。黄金色の丘がずっと続いていて、お母さんがいて、お父さんとわたしが笑っていて、空も湖もどこまでも青く澄んでいて、そこにいる人もみんな幸せそうで、日本はなんて素敵なところなんだろうと心の底からそう思ったの。そこにはわたしにとってのすべてがあった。それから、しばらくして父には新しい家族ができたわ。心の穴を埋めるにはきっと必要なものだったと思う。もちろんわたしには何度も相談してくれたし、帰ってこないかとも言われた。でもそこに戻って生活する気にはなれなかった。わたしは今でもちゃんと父を愛しているし、父もわたしのことを本当に愛してくれている。けど、彼は彼の家族にも愛情を注がないといけないのよ。そういう時期なの。だから連絡は取っていない。故郷には随分と帰っていないわ。どうなったのかもわからない。もしかしたら、もう無くなってしまっているかもしれないわね。その方が幸せな場所なのかもしれない。でも、時々すごく不安になるの。今のわたしには関係のないことだって思っているのに。すごく、すごく不安になるの。あなた、故郷が消えていく気持ちって想像したことある?自分が生まれた町が消えていくことを考えてみたことがある?愛していた人たちも疎ましかった人たちも丸ごとみんな、みんな消えて、家がなくなって、お店がなくなって、どんどん空き地が増えて、それが当たり前になっていくの。小さい頃、見た風景や遊んだ景色を思い出すことがあるでしょう?あなたはきっといつでもそこに戻れると思っているはずよ、ただ自分が戻らないだけで、いつでも。でも、わたしにはもう戻れないの。どんなに強く戻りたいと願っても戻ることができる場所がないの。わたしのことを待ってくれている場所はもう何処にもないの。こんなことをわたしが思うのはおかしいのかしら?わたしは今、東京にいて、煙草を吸って、こんな格好でベランダに立っているのに、心は消えた故郷の冷たい風に吹かれている。母も父もいない故郷の風に。でもどうしようもないわ、どこに行ったってわたしはわたしとして進んでいかないといけない。強く、もっと強くならないといけない���。でもね、わたしはね、こんなところで、また泣いて、あなたにこんな、こんなつまらない話をしてしまうの」
 彼女は目を閉じ、何かを確かめるように空を見て、ゆっくりと煙草を吸い、またひとつ煙を吐き出しました。 そして、無理矢理ににっこりと笑いました。 それはとても、とても悲しい笑顔でした。 たまらなくなって、私はその煙草を取り上げ、火を消すと、そのまま彼女を抱き寄せ、そっと口づけをしました。 私にできることはそれくらいしかなかったのです。 震える彼女の髪の向こう、次第に色をつけていく東京の朝を厨芥車が駆けて行くのが見えました。 涙の生温い舌ざわりと彼女の煙草の残り香が、いつまでも、いつまでも口元に残っていました。
 彼女の物語の残した余韻は、作家である私を試すかのようにずっと宙を漂っていました。
 ですが、その後、彼女と会うことはありませんでした。 私は何度か中野のアパートへ行こうと思いましたが、その度に何か理由をつけては足を遠ざけました。 安易な言葉や簡単な優しさを与えるのが怖かったのです。 或いは私には彼女の悲しみを背負っていく覚悟がなかったのかもしれません。 彼女からも電話はありませんでした。
 そして、気付かないうちに時代は変わっていきました。 忙しない日々が続き、私はいつしか文壇のメインストリームと言われるようになっていました。 かつてあれほど私のことを批判した者たちも手のひらを返したように私の時代を迎合し、ある時期には、私の文章を模倣したような作品がいくつも生まれました。 中には著名な賞を獲ったり、世間の話題を攫う作品もありましたが、そういったもののほとんどが、私には感情の濃度を薄めただけの肉も骨もないようなものに思えました。私はそういった作品を忌み嫌い、自分の次元はもっと高いのだと証明するかのように作品を書き続けました。 そしていつしか、貪るようにストーリーを作り、とってつけたような悲しみを添えた、ハリボテのような作品が増えていったのです。 私は、もう書くことなどなくなってしまったのだと胸の内では途方に暮れていました。
 そんな日々が二十年余り続いたある時、突然、出版社に私宛ての手紙が来たのです。 手紙はエアメールで北京の郵便局の消印がありました。 封筒を開くと、そこには一枚の写真が入っていました。 そこは、どこまでも続く黄緑色の丘で、小さな家と牧場と水車があって、手前には幸せそうに笑う女性とそれに寄り添う男性が写っていました。 私は一目でその女性が美瑛だとわかりました。 美瑛と彼女の家族。 幸せそうな笑顔はどこまでも現実的で、それ故にとても美しく輝いていました。 それはきっと、初めてみた彼女の本当に幸せそうな笑みでした。 彼女はようやく自分の帰るべき場所を見つけたのです。 写真を裏返すと、サインペンでひと言「好きな人ができたの」と書かれていました。
 その時です、なぜか頬を濡らすものがありました。 それはとどまる事を知らず、いつしかその文字を滲ませていました。 そして気が付くと私は声を出して泣いていました。 私は、私の中のどこかでずっと彼女が生きていたことを思い出したのです。 彼女があの日からどうやって生きて、どれだけ涙を堪え、無理矢理に笑ってきたのか。 異邦の地で踊りながら、どれだけ煙草を吸って、眠れない夜を越えてきたのか。 私は偉そうに筆をとっていながら、そんな大切なことも考えることができなかった。 あの日、中野からひとり帰る朝、私は色々なことを確かめながら歩きました。 故郷���いる父や母や妹のこと。 幼い頃に遊んだ公園の遊具のこと。 初めて買ってもらった自転車のこと。 父とキャッチボールをした日のこと。 母に不恰好なエプロンをプレゼントした日のこと。 妹を助手席に乗せて買い物に行った日のこと。 私が東京に行く日、みんなで車に乗って駅まで行ったこと。 いっぱいの鞄に母が無理矢理入れた梨。 ガランとした部屋に寝転がって見た自分だけの東京の空。 カーテンのない夜。 きつい肉体労働の帰り道に買った缶コーヒー。 夢中で書いていたペンの先に射し込んできた朝日。 アパートに届いた米と缶詰と野菜ジュースが入った段ボール。 その隅っこに添えられていた手紙と一万円札が入った封筒。 今歩いているコンクリートの道。 上空を覆う高速道路。 東京に生きる人たち。 たくさんの感情…
 それは皆、私を作り上げる大切な欠片でした。 しかし、そうやって胸の奥からすくい上げて、決して離さないようにしようと決めた想いも、忙しなくすぎる日常という波に攫われ、いつしか沈んでしまっていたのです。 それでも時折姿を見せるそれを、なんとか形にしようと私は筆を取りました。 でも、それはいつだって少し違う形をしていた。 そして無理矢理に捻じ曲げコントロールしようとすればするほど、あっけなく手から離れていき、後味の悪い喪失感だけが残りました。そして、いつしか自尊心に駆られ、自分自身の余韻に酔いながら書いていた私は、かつて憎んでいたものになってしまっていた。 私は自分の傲慢さ心の弱さを恥じました。 そして気付いたのです。 私には書きたい感情がまだたくさんあると。 それは決して特別なものではない。 華美に装飾されたものでも、ドラマティックなものでもない。 吹いたら消えてしまいそうな小さな記憶の断片たち。 その断片たちが薪となって、私の作品に灯をともしてくれます。 私は特別でない私のことをもっと考えたい。 もう戻れない場所もたくさんあるかもしれない、でも今だから行ける場所もきっとたくさんあると思います。 私は今書くことがとても楽しいんです。
 気がつくとグラスは空になっていた。 作家はグラスに残されたオリーブを口にし、その余韻に暫し目を閉じると、バーテンダーにそっと告げた。
「次はギブソンを貰おうか、思い切りドライなやつを」
 カタカタとシェーカーの揺れる東京の街は、ゆっくりと夜が明けていく時間だった。
-end
【マティーニ(Martini)】 ジンベースの著名なカクテル。通称カクテルの王様。『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より抜粋
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uniudonuni · 6 years ago
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積ん読リスト/2019.8.29
読んだことあっても読み直したい本(めちゃくちゃ)含む。チェックつけてく。
文庫
・恩田陸 蒲公英草紙
・恩田陸 エンドゲーム
・江戸川乱歩 江戸川乱歩傑作選
・川端康成 雪国
・菊池寛 恩讐の彼方に
・太宰治 人間失格
・太宰治 晩秋
・太宰治 斜陽
・谷川俊太郎 二十億光年の孤独
・中井英夫 虚無への供物(上・下)
・夏目漱石 草枕
・夏目漱石 こころ
・夏目漱石 夢十夜
・三島由紀夫 花ざかりの森・憂国
・三島由紀夫 金閣寺
・三島由紀夫 近代能���集
・村上春樹 海辺のカフカ
・村上春樹 風の歌を聴け
・燃え殻 僕たちはみんな大人になれなかった
・森鴎外 阿部一族・舞姫
・森博嗣 すべてがFになる
・柳広司 ジョーカー・ゲーム
・柳広司 ダブル・ジョーカー
・柳広司 パラダイス・ロスト
・柳広司 ラスト・ワルツ
・夢野久作 少女地獄
・万葉集
・竹取物語
・平家物語
・徒然草
・おくのほそ道
・伊勢物語
・義経千本桜
・アンネ・フランク アンネの日記
・セリーヌ 夜の果てへの旅
・ウェブスター あしながおじさん
・オールコット 若草物語
・カフカ 変身
・サン・テグジュペリ 夜間飛行
・サン・テグジュペリ 人間の土地
・アンドレ・ジッド 狭き門
・ヘッセ 春の嵐
・ヘッセ デミアン
・ヘッセ クヌルプ
・ヘッセ 郷愁
・ヘッセ シッダールタ
・ヘッセ メルヒェン
・ヘッセ ヘッセ詩集
・スヌーピーコミックセレクション50's~90's
・アリストテレス 詩学
・ホラーティウス 詩論
・デカルト 方法序説
・プラトン パイドロス
・ショウペンハウエル 自殺について
・ラッセル 幸福論
・ルソー 人間不平等起源論
・マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
・ソポクレス オイディプス王
・マーク・トウェイン 王子と乞食
・プルースト 失われた時を求めて(1)
・トルストイ イワンのばか
・カート・ヴォネガット タイタンの妖女
・ウィリアムギブスン ニューロマンサー
・フィリップ・K・ディック アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
・レイ・ブラッドベリ 華氏451度
・ウィリアムサローヤン 我が高原に
・アンソニーホープ ゼンダ城の虜
・ジュール・ヴェルヌ 海底二万里
・スティーブンタニー 100%月世界少年
・ケストナー 飛ぶ教室
・ニーチェ 善悪の彼岸
・ブレヒト 母アンナの子連れ従軍記
単行本、新書
・16歳の教科書1.2
・篠原さなえ 「魅せる声」のつくり方
・篠原さなえ 声がよくなる「舌力」のつくり方
・高井ホアン 戦前不敬発言大全
・高井ホアン 戦前反戦発言大全
・野田秀樹 20世紀最後の戯曲集
・村上春樹 カンガルー日和
・村上春樹ノルウェイの森
・村上春樹 ねじまき鳥クロニクル
・村上春樹 騎士団長殺し(1.2)
・VEフランクル 夜と霧
・シェリーケーガン 「死」とはなにか
・初期俳優教育システムのステイタスとメソッド
ラノベ
︎︎︎︎︎︎︎︎☑︎カゲロウデイズ2~8
・人生リセットボタン
・インビジブル
・六兆年と一夜物語
・イカサマライフゲイム
・やはり俺の青春ラブコメはまちがっている12.13
・絶対ナル孤独者1~3
・涼宮ハルヒの憂鬱
・狼と香辛料
・神様のメモ帳
・幼女戦記
マンガ
・火の鳥 6~13
・テガミバチ 1~4
・世界文学全集(河出書房)
1 シェイクスピア ハムレット オセロー ロミオとジュリエット 他
2 ゲーテ ファウスト 若いウェルテルの悩み
3 スタンダール 赤と黒
4 バルザック 谷間のゆり ウジェニーグランデ
5 ディケンズ 二都物語 クリスマス・キャロル
6 Cブロンテ ジェインエア
7 Eブロンテ 嵐が丘 詩
8 ボー 黒猫 モルグ街の殺人 アッシャー家の崩壊 他
9 フローベール ボヴァリー夫人/モーパッサン 女の一生
10 ドストエフスキー 罪と罰
11 トルストイ アンナ・カレーニナ
12 チェーホフ 三人姉妹 桜の園 他/イプセン 人形の家 ヘッダガブラー
13 ロマン・ロラン ジャンクリストフ1
14 ロマン・ロラン ジャンクリストフ2
15 プルースト 花咲く乙女のかげに
16 ヘッセ 郷愁 車輪の下 知と愛
17 ロレンス 息子と恋人
18 モーム 月と六ペンス 雨 赤毛 手紙 他
19 魯迅 阿Q正伝 狂人日記 他
20 パールバック 大地
21 ミッチェル 風と共に去りぬ1
22 ミッチェル 風と共に去りぬ2
23 ヘミングウェイ 誰がために鐘は鳴る
24 ショーロホフ 静かなるドン1
25 ショーロホフ 静かなるドン2
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mknaspa · 7 years ago
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Rise of the tmnt 105b 翻訳 & キャラ評
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Mascot Melee
まさに旧亀並のノリの良さ。
2k18 main characters bio まとめ (imo)
ラフ the tough pretty boy
猪突猛進型な面と,皆の protector なところは変わっておらず。しかし従順且つ素直で比較的穏やか。そしてプレッシャーに物凄く弱い。ちょっと先走ってしまうこともあるが,それが原因で失敗に繋がることは無いばかりか,自分の本来の力を引き出すことの方が多い。驚くと「キュッ」みたいな音を出す。テディベア 🐻 にお熱。ビビりの香りってなんだよ(ref.: 101)
ドニー the true dad
自分の腕に相当の自信を持っている古典的なドナテロだが,ロマンチスト気取りのキザ野郎。古典派なのか中二病なのか、シェイクスピアっ子。また,これまで同様 合理主義者っぽいが,無責任且つ他人を疑ってかかることに何の罪悪感も持ち合わせていない。白熱しすぎたり,限界を極めたりするとポンコツになる。その実態は 甘えん坊(ref.: tmnt 公式 twit & 107 参照)。
デカくて丸いキュートなお尻が好き。
レオ the smartass (Andy 談)
天真爛漫だが根っこはしっかり者:慢心気味でチャラい面もある皮肉屋(皮肉屋は見せかけ説も ref.: 110a)。だけど��配り上手。シリアスな事態には sensible and serious を発揮するところ,Leonardo the Master of Self-Control の伝統はちゃっかり受け継いでるのだろうか。家族や無辜の民には優しい。
マイキー the angel
楽観主義を代表する亀さん。今のところ元気にミケちゃんしているが、以前よりかは落ち着いている。何をするにも情熱的であり、平和主義者気質:自由気まま、穏便。常にニコニコ。穏やかで優しいっちゃ優しいが、怒る時は怒るし、怒るとマジで怖い。4人の中で最も流暢な、ネイティヴの Black English Accent が耳に心地よすぎる(アクセントギーク並の感想)。
それから 102b で「ドニーは soft shell だから優しくしないと」と言ってた本人の方が soft shell だと思います。
はじめてのおつかい in Times Square
: どうだ? 大丈夫そうか?
: こっから見る限りはジョブジョブ
さあ「ラフが生きて帰ってこれますように大作戦」に集中しろ
(bueno:〔スペ語〕GOOD)
: その言い方やめてくんね?
: お昼に出歩くのなんて初めてだな 今の内に日光浴を楽しめ~(限界意訳)
: この恰好だと目立たなくていいな
このカバのスーツはタイムズスクエアに染まりきってる
: せやねー でもさ,トレンチコートでも良かった気がするんだよねぇ
(For the record:念のため)
レオ:お~ 目当てのモン見っけ
: さあスプリンターの誕プレを買いに行くんだ
僕たちの目を守るために…
(Depend on it:〔文頭・文尾につけて〕大丈夫だ)
: 修行の時間だぞ なんだか肌寒いのう
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: も~隠せよ! 目がああああ
: あのブツは育ち盛りのモノとみた
: 父さんにまともなローブ買ってやろうぜ
: ジャンプ体操したい子だ~れだ?
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: ヨーソロー 右に爺さん 左に子ども
(Steady as she goes:ヨーソロー,「進路を保て」)
: ピーナツバターアイスを持ってる
: 君のアレルギーが!回避せよ!回避せよ!!
: 危機一髪だったぜ オイこれクソおもしれぇな
(Close one:危機一髪)
俺様はラフ
群衆の中を誰にも触られることなく通ってやった,初めての亀さんだ
(Skate through:〈事態を〉たやすく切りぬける)
: エイプリルからビデオメールだ この「カバ亀ちゃん」ミームほんと草
: ケツからクッキー✩だなんて下品かもしれないけど
まあ笑えるよね
(as it turns out -:結論から申しますと~)
: すまねえ 俺のせいか?
(my bad?! って言い方してます)
: ラフ,前見てみ
さあローブを買って来い 今日で悪夢を終わらせよう
: そうだなっ  ーあれっなななな 無いぞ
財布!俺の財布! あの,俺の財布見ませんでした?
ドクロマークのやつで
中に「クマちゃんタウン」のポイントカードが入ってるんです
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: いま「財布無くした」って言った?
: いや~~~~? 俺のお金 見ませんでした?
: 無くしたんだ!
: マジカヨ
: ちゃんと探してみ
ミケ:なんでカバにポケットなんかあんの?
ドン:そのままノコノコ帰ってくるつもりじゃないよな?!
(Do not tell me:まさか~ってんじゃないだろね)
レオ:最後に見たのはいつだ?
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: もういいから黙ってー
: タンクの準備をせよ!
: あんたのコスチューム最高!
「カバ亀ちゃん」のミームやろ,それ
: ミームってなんの… ああそうそう!ミームね。そのミームだよ
で具体的にどのミーム… ああソレソレ
��様はなんにだってなれる亀さんだ
: あんたタイムズスクエアで一番イケてて綺麗なマスコットやわ
ほれ この子「カバ亀ちゃん」好きなんよ
: あの奥さん なんで俺の手に 5ドル札入れたんですか
レオ:ラフ 流れに身を任せろ その金は写真へのお礼だ
そこでそうやってチップを稼ぐんだ
お前が無くしたオレらの小遣い 全部チャラになるかもだぞ
: 「無くした」わけじゃねぇから
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: タイムズスクエアにお越しの皆様 ご注目願います
こちらが世界で最も有名なカバ亀でございます
セルフィーに誕生祝になんでもござれ
(キンセアニョス:15歳の少女の誕生日を祝う,ラテンアメリカを起源としアメリカに広がった祝儀)
: この「アトムお嬢」を差し置いて何様のつもりだい
このウスラトンカチのどこが良いってんだ
(Falling for:惚れこむ,好きになる)
ミームなんぞ所詮ネットの玩具
だが あたしらは観光客をずっと楽しませることが出来る
(略:少ないお駄賃でね!)
このベイビーちゃんを教育してやりましょう
♪ もしあんたが友達欲しいなら 立場をわきまえな
: 僕のヒーロー アトミックお嬢の歌キター!
♪ ちょっかいはかけないこと 命令には歯向かうな
(Step on someone's paws/toes:ちょっかいかける)
: そりゃ親切じゃねーな
♪ なんでも言うこときけば あんたは可愛がられるだけ
: マジで俺をおちょくらない方がいいぜ ーアウ
♪ おイタするなら 貴様を「のし亀」にしてやる
: ふざけんなよ ラフをおちょくるのはオレ達の役目だ
(106a でも同じことを)
着替えろ!レッスンの時間だ
父さんのプレゼント買う金を稼ぐ邪魔はさせん
ジュピター・ジム流に行くぞ
: これじゃあ自分の顔も見えないよ~
: 我らジュピタートルズ特戦隊!
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: ロボ吸血鬼にチップを払うか 貴様の甲羅を剥ぎ取るかだ
うちのシマを荒らすヤツにはお仕置きだ!
: なっなんだ
: ジュピタートルズ特戦隊が仲間を助けに来てやった
: 子亀時代のアイドル,アトムお嬢がこんな近くに!
(略:…いるだなんて信じられない!)
ーああそうだね 彼らは悪い奴らだ たおそっか
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: このマヌケどもをぶちかますんだ -ロボ吸血鬼?
: ミュージック スタートだ
: 犬を躾てやるか
(obedience school:ワンコ躾ける訓練学校)
:鎖に大太刀なんてフェアじゃなねぇなあ
:ワルガキはどっちだ? -お前だ
『看板:あーつまんね』
: 邪魔だよ!彼女とダンスをするのは僕だ
どうぞよろしく アトム・ボーイと別れて僕と一緒に来ない?
(splitsville:離婚)
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: そのコスプレと同じくれぇ良いダンスだったゾ
: ダンス勝負なら相手を選び直すんだな
(「喧嘩するなら同じ体格の人とやれ」という決まり文句)
: 来いよ マヌケが
: うまくいったみたいだな さあ父さんのローブ買いに行こーぜ
: そのカネをよこしな このカメ!
: ごめん ー避けて!
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tmnt 2k3 224 “Big Brawl Part ii” のこのシーンを思い出す(こいついっつも 2k3 に準えてんな)
: なんてこった!ドニーがお嬢さんの首を吹っ飛ばしちゃった!
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: てめぇ オレの財布盗んだ奴か
クマちゃんタウンのカードがありゃ… ってオイ!
よーし その気持ちわりぃツラ暴いてやるよ
: メタモルフォーゼか 予想外の展開だ
: NY にいるミュータントは自分たちだけだとでも?
: 俺たちは父さんにプレゼント買うための金が欲しいだけだ
: あっそ! そんじゃこのアホクマちゃんとはお別れだな
: てんめぇ
よくもハグ野博士とモコモコ船長,アンクル・クマンパを馬鹿にしたな!
(Snuggles:気持ちよく横たわる,心地よい > よくテディベアの商品名に使われる) (Cheech:田舎のおじさんを想起させる名前かハッパか)
: さあ皆に金を返してやろう!
: イケてね~!
: スパイダー・シェルにチェンジだ
(ドニーの美肌効果抜群そうなスッポン甲羅)
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: ロボゴキ吸血鬼なんてだっさいよ! カワバンガ!
: 君は僕の幼い頃の夢を台無しにした
ーウランタウンでアトム嬢と共に戦うという夢を
(ウラン × _ズヴィル〔~の街〕)
君とも もうお別れだ が,僕らにはタイムズスクエアでの思い出がある
(here:映画 “Casablanca” (1942) の有名な台詞のパロディ)
(you left me no choice:選択肢は無い,慈悲は無い)
: やつらオレ達の金 奪ってったぞ!
: ありがとう,タイムズスクエア! 
: あら~ これは何かね 息子たちよ 誇りに思うぞ♡
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なんとも形容しがたい 滑らかな “毛” 触りの絹じゃ まっこと良き
これは特別な時に着よう 押入れにしまっておくぞい
: ええっ
: さあ修行したい子だ~れだ?
たまたまジャンプ体操用のローブを着ていてよかったぞ
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: 目があああああ
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ーーーーーー
END
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ゴキブリのミュータント。
2k3 と 2k12 のラファエロたちはどういう反応しただろう?
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aikider · 5 years ago
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押井:少し前までは、その時代その時代ではやりがあって、それを若者がみんな使うわけじゃん。それをさらにオヤジがまねして使ったりもする。でも今はそれが細分化されているというよりは、共有したいという願望そのものがだんだんなくなってるという気がすごくするんだよ。
ーー 他人と共有したいと言う願望がなくなると、どうなるんでしょうか。
押井:それがなくなると「文化」自体が成立しなくなる。
ーー え?
押井:当たり前だよ、文化というのは「価値観の共有」のことだから。僕がいま漠然と危機感を持ってるのは「文化はもしかしてなくなるんじゃないか」ということ。必ずしも日本だけの現象とは思えないんだけど、日本がその先端を行ってることは間違いない。
ーー ちょっと怖いですね……。
押井:確かに日本は戦後、生まれ変わって「文化国家」になった。ただその文化が、高尚な文化ではなかった。アニメだったりアイドルだったりマンガだったりゲームだったりであって、残念ながら「芸術」ではなかった。まあ、それでもいいと思うんだけどさ。
ーー しかし、その「サブカルチャー」すら危うくなってきたと。
押井:そこで、じゃあ何が残るのかっていうと、いつもの話になっちゃうんだけど「快感原則」だけなんだよ。健康で長生きしたいという願望。テレビのCMとか、それこそYouTubeのCMだって、大半はダイエットとアンチエイジング。元気な老後。いつまでも若いおばあちゃん。
ーー 確かに多いですよね。
押井:ダイエットとアンチエイジングは二大テーマだよ。というか、それしか価値観がなくなりつつあるような気がする。元気で長生きして若々しくして……それが実現したとして、じゃあ何をするの?
ーー 手段が目的そのものになってますね。
押井:いや、本当に。単に90や100まで長生きしたいわけじゃないんだよね。元気でいたい、若々しいジジイババアになりたいわけだ。これって退廃そのものだよ(笑)。悪夢のような世界。
ーー 若々しい老人の世界ですか。
押井:何だそれ? 古代ローマよりひどいよ。ローマにはまだ「死ぬ文化」があったからね。「いかにして死ぬか」という価値観があった。今はそれすらないもん。死は敗北で、終わりで、ゼロ。「死んだ奴は負けた奴だ」ってさ。
ーー ということは、そういう人たちにとって「生き残ったら勝ち」なんでしょうか。
押井:それは「何かやってる奴」はそうだよ。政治家だったり表現者だったりとか、そういう人はやっぱり死んじゃったら終わり。生きてる奴だけがやり放題やるんだからね。でもそうじゃなくて国民レベル、人民レベル、大衆レベルで「若々しく長生きする」しかテーマがない、という状態が今の日本。それを考えると空恐ろしいなという気がするわけ。
ーー みんな「若々しく長生きする」ことがいいことのように思っているけど、実態は非常に空疎であると。
押井:これで「人生百年」とか言われたらどうしたらいいの? あとは年寄り同士で殺し合いでもやるしかないのか。
ーー 筒井康隆がそういう小説(「銀齢の果て」)を書いてましたね。
押井:あながちバカな妄想でもないかもよ。若々しい老人が若者を食いつぶしていく時代。「若い奴が年寄りに反感を持つ」というのは古典古代から続いたテーマだけど、現実はそんな生易しいもんじゃないぞというさ。だって年寄りが若い奴と同じことやろうとするんだもん。
ーーかつての若大将の加山雄三も、今やゲーマーおじいちゃんになって「バイオハザード」やって若者にウケるみたいな時代ですからね。
押井:そうそう。加山雄三ってヨット乗って大飯食ってギター弾いてさ、つい最近までコンサートやってたじゃん。いつまでも若く振る舞いたいという人たちのある種の象徴だよ。
思うんだけど、役者というのは「どう枯れるか」が最終的なテーマのはずなんだよ。外国の俳優なんかはそれがあるわけだよね。そしてそれに失敗した人間もいっぱいいる。ピーター・オトゥールとか、アラン・ドロンもそうだけどさ。イギリスの俳優とかは伝統があるからだけど、みんな枯れ方がうまいんだよね。老人役だったらイギリスに行って探せというぐらいでさ、「ゲーム・オブ・スローンズ」(米TV/11)なんて、たぶん7割ぐらいイギリスの俳優だよ。こないだも家で見てて奥さんとその話になったんだけど「やたらイギリスの俳優ばっかりだよね」って。それはファンタジーだから様になるという話なんだよね。ヤンキーじゃダメ。若い役はともかく、王様だ女王様だと言ったらもれなくイギリスの俳優だよ。
ーー「シェイクスピアやれる奴を連れてこい」みたいな。
押井:そう。堂々たる押し出しがあってさ、セリフも顔も三拍子そろってるわけだ。渋いし。そういう風に、役者というのは枯れることがテーマだったのに、最近は枯れないことがテーマになった。「あの人いつまでも若いわね」って。女優だったらまだわかるよ。端的に言うと、いま日本の実写の世界でじいさんやる役者がいないんだよ。もう払底しちゃった。
ーーうーん。
押井:今「じいさん役者」で誰がいるかって言われたら、いないんだよ。ばあさんはそこそこいる。元タカラジェンヌとかはものすごくかわいい、品のいいばあさんとかやれるからね。かっこいいジジイがいないの。昔はいっぱいいたんだよ。声優の世界だって同じ。ジジイ役を振るのは大変なんだから。いつもワカ(若林和弘)が嘆いてるからね。ジジイはいない、若い奴であふれ返ってる。
ーー映画監督は「死生観」の映画を撮るいかにして死ぬかの価値観がない、死生観がない、というお話ですが、それは言い換えると「じゃあどうしていま生きるのか?」「これからどう生きたいのか?」というテーマがなくて、ただただ「とにかく若く健康で生きたい」という手段の部分が目的になっているという話ですね。
押井:快感原則しかない。それは「文化の爛熟」と呼ぶんじゃなくて、単なる退廃だと言ってるわけ。文化の爛熟というのは、最終的には死生観にたどり着くはずなんだよ。いかにして死ぬかという。それが文明の最高レベルですよ。この話はわりと本質的な話なんだよね。映画監督は長くやってると必ず死生観をめぐる映画を撮るものなんですよ。例えば宮さん(宮崎駿)の「千と千尋の神隠し」(01)は死生観の映画。
ーーどの辺が「死生観」なんでしょうか。
押井:賽の河原みたいなエピソードがあったでしょ。小さな少女(千尋)が賽の河原を電車で渡って向こうに行くという話はゾクゾクしたよ。あそこだけ。あとはつまんない。あと高畑(勲)さんの「火垂るの墓」(88)。川のあるあの自然って、三途の川を渡るわけだよね。あの映画自体が死生観だよ。妹を見殺しにする話だからね。映画監督はみんなやるんだよ。鈴木清順も「ツィゴイネルワイゼン」(80)でやった。
ーー押井監督もやられたんですか。
押井:私もやった。「イノセンス」(04)だよ。あれは冥土の話だもん。あの世に行く一歩手前の話���だから幽霊と人形と動物しか出てこない。「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」(08)も死生観と言えばそうなんだけどさ。 サー(リドリー・スコット)ももちろんやってる。特に物語に関わってる人間は最終的にそっちにしか行けないの。やってないのはマイケル・ベイぐらいのもんだよ(笑)。
さすが押井守、説得力ある。文化を共有することがなくなって残ったのは快感原則だけ。健康長寿はあくまで手段に過ぎず、老後に何をするかが重要なのに、手段が目的になってしまっている。それは文化の爛熟ではなく退廃であると。
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onishihitsuji84 · 1 year ago
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こんにちは(爆撃機より)
 一月。僕はBig Dataの「Dangerous」を聞いている。
 ”危険”。激しい曲だ。牧歌的な幸せではなく、衝撃を聴衆に要求する音楽だ。  しかしそのリズムはテーマから離れている。始まりから、均一。決して決して焦らない。
 デ・デデデン。デデ――デデ。  デ・デデデン。デデ――デデ。
”How could you know, how could you know? That those were my eyes Peepin' through the floor, it's like they know”
youtube
 まず、Bluetoothは耳栓だ。挿せば駅の雑踏さえもくぐもって聞こえる。 ――ボタンを押せば音楽が流れる。音量は最大で、皮膚・血液・脊椎に三原色でリズムが巡る。体が揺れる。
 交感神経に音楽が噴水のようにきらきらと溢れる。  足は人間でごった返す駅の階段を上る。
「駅構内で走るのはおやめください」
 薄汚れた階段を真っ白なスニーカーが踏みつけていく。靴底からのテクニカルな響きが、がつんがつんとリズムを作り、人ごみの中でも音楽中毒者を露にする。曲調に合わせ、力強く一段一段。
 全身の筋肉という筋肉に熱い血が駆け巡る。さあっと雲が割れるように、気持ちが明るい側へと開けていく。  あたらしい一日が始まるのがわかる。
 ☟☟☟
 洋楽を聞いていると、言葉が雨のように降り注ぐ。  アルファベット歌詞の断片がうかぶ。広告の文字がおどる。リズムを刻んで歩いてく肉体のダイナミズムが七色の熟語を産み落とす。
「レインボー」、「水は敵ではないからね」、「ソースと目玉焼き」。 「リーガ��のスニーカー」、「語ることと、その言葉」。 「セックスがつむぐ運命の糸」、「試験会場」、「輪ゴム即売会」。 「全てがどんな場所でも一度に」、「鳩を撃つ」。 「もう一度ファインダー」。 「ピクチャー・イン・アメリカ」。
「アメリカの風景」。
 そう、「アメリカの風景」……
 ☟☟☟
 僕はアメリカの小説をうんとたくさん読んできた。  高校生の頃に『ロング・グッドバイ』と『ひまわりのお酒』を読んで以来ぞっこんだった。『偉大なるギャッツビー』もまた。
 そして僕は洗脳され、アメリカの小説に首ったけになった。ホーソーンからアンソニー・ドーアまで、アメリカの作家なら何でもよし。時代を問わず読み漁った。
『キリマンジャロの雪』、『ティファニーで朝食を』、『スローターハウス5』、『頼むから静かにしてくれ』。
『あしながおじさん』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、『ディキンソン詩集』、『ウインドアイ』、『宇宙戦争』。
『ジーザス・サン』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『オン・ザ・ロード』、『心は孤独な狩人』、『あの夕陽』、『東オレゴンの郵便局』、『賢者の贈り物』、『吠える』、『ドイツ難民』。
 何度も何度もアメリカのごつごつとした人情ドラマにときめいた。そのふくよかにして安らかなる腹に、禿頭を照らす脂に、腐臭とファストフードをしてゆらめく体臭に、心をまるごと奪われた。
 僕は『白鯨』を脇に抱えて高校までの坂を駆け上がった。黒板に並んだ公式ではなく、バナナフィッシュの読解に挑んだ。昼休みにはクラスメイトにフォークナーのリアリズムを論じた。ポール・オースターのする幽霊をひとり紐解いた。
 気づけば放課後だった。時の過ぎるは手のひらから滑り落ちる水滴がごとく素早かった。  眼は窓を見た。クラスに残っているのは一人で、夕陽もすでに隠れんとしていた。いま、文学青年の眼にはアンダーソンの文学に似た漠たる闇だけが映り込んだ。闇は太った白人女のようにさえみえた……
 実際、当時は「アメリカの小説」というラベルさえあればなんでも読めた。読むと必ず手を叩き、跳ねてまで面白いと感じていた。そんな彼の心にあったのは青年期特有の曇り。正しくは、夏の夜の冷風のようにもたらされて形無き闇。
 ぶうん……
 響く、静寂で巨大な暗闇。甘く、性的でさえある美しい深紫。 そんな闇をギザギザに裂いてしまうアメリカの小説のけばけばしい光。光、光は当然24時間無料、無料で、青年の眼球は視神経まるごと剥き出しにされ、麻薬のようにガンガンと無料、無料で、思考は麻痺して、その心には『巨大なラジオ』。
 でも、それはけして悪いことではなかった。僕はアメリカの小説と一緒で、幸せだった。
 つまり、恋をしていたんだ。それも猛烈に、刺激的に、甘く。
 LA、スプリング・フィールド、タコマ……僕のイメージはアメリカを横断した。  僕はモーテルに飛び込み、アメリカの小説とでベッドに入った。シーツの下で僕らはえんえん悲鳴に似た喘ぎ声をあげ、朝陽がみえるまでのたうち回った。  朝陽は新鮮な希望を満載して町に襲来し、東の空を陶器のように白く磨き上げる。モーテルの一室にも朝陽はそっと忍び込む。情熱に果てて眠り込む若者をも白く輝かせる。あたたかく、やさしく抱きとめる。
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 爆撃機はずっと唸る。
 ぶうん……
 ぶうん……
「大西君はどうしてアメリカの小説が好きなんだい?」 「アメリカが好きだからですね」 「どうして大西君はアメリカが好きなの?」  僕はいつもみたいにときめいて言う。 「やっぱりアメリカにはアメリカン・ドリームがあるじゃないですか。おおきな夢が、僕をうきうきさせてくれるんです!」 「でもアメリカは戦争をしているよ。人を殺している。戦争を応援している。ベトナムを焼き払っている。戦争を計画している」 「大西君は戦争は好きかい?」
 その答えは当然ノン(否)。でも、言葉は詰まって動かない。
 大学二年生のあるとき、懇意にしていた教授から僕はそう問われる。  そのときのことは一から十まで覚えている。教授の授業が終わって、いつもみたく談笑をして、爆撃機みたいなエレベーターに乗っているときだった。パーマに水牛みたいなのんびりとした顔つきをした彼は僕にそう問いた。 「アメリカの文学は戦争だ。戦争と資本主義のメカニズム、その歪を何度も何度も解釈する文学だ。悪夢を、どうやって覗くかの文学だ」 「大西君は戦争が好きなのかい?」
 リアルとは厄介だ。文章と違い、書き直すことも、一度手を放して寝かせるということもできない。  瞬間は過ぎれば過去となり、過去は改変不可能で、爆撃機式エレベーターは五階から四階へと渡った。  そして四階から三階。誰かが乗り込んでくるということもなく、扉は完全に閉じたまま。  それで、仏文学の教授は大部のファイルを両腕で抱えており、ずんぐりとして柔和な表情をこちらを向けていて、均一。崩れない。エレベーターもぶうん――ぶうんと同じ。一つの形を崩さない。
 ぶうん……
 ぶうん……
「戦争は嫌いです」 「ふうん……」  そこでエレベーターの扉がゴトゴト開く。学生がなだれ込み、その日の僕たちの話は過去になり、終わった。高校二年生から続いていた僕の米文学への忠誠もまた同様に。
 でも、それは悪いことではなかった。結果僕は仏文学や英文学、カナダ文学、ボルヘス。そしてシェイクスピア、カフカ、ドストエフスキー。新しい文学をノックすることになる。だから悪いなんてことはなかった。
 そもそも、善悪なんてものは実際には存在しない。正しさなんてものはまやかしだ。比較でしか示せないものに大した価値なんてものはあるわけがない……
 でも、僕は戦争は嫌だった。心からそう思った。  文学も、恋もそこまではごまかせなかった。
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ronpe0524 · 7 years ago
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さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢
シネマクティフのPodcast Vol.35_4(part2)【映画の楽しみ方は自由だ!】「あなたが言ってみたい映画の中の世界は?」リスナーの皆様篇 
http://cinemactif.com/podcast35_4_2/
にて、レペゼン沖縄のリスナーさん にいさん が挙げていた「ナビィの恋」。僕もあの時のあの島に行ってみたい。「ナビィの恋」は1999年公開の中江裕司監督作ですが、僕にとってもその年の心ベストテン第一位な作品でした。1999年は自分にとって社会人2年目。この頃、客先で作業する業務についていたこともあり、日本全国に出張していたのですが、沖縄にはほとんど客先が皆無だったため、出張にかこつけて沖縄に行くこともできませんでした。 ずっと沖縄に行ってみたい気持ちはあったのですが、ついに行けたのは「ナビィ」から10年後の2009年。その年の夏休みを利用して沖縄旅行へ行ったのでした。その旅行の、とくに初日のことを書きたいと思います。 2009年7月5日(日)、昼の飛行機で沖縄へ。那覇空港からはレンタカーを借りていざ出発。まずはタコス!ということで、「KINGTACOS長田店」でタコスとタコライスを購入。 テイクアウトして世界遺産の中城城跡で食べる。 タコスもタコライスも辛くてうまい。そしてタコライスのボリュームがすごい。
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そしてなぜ中城城跡へ行ったかというと、特設スクリーンでの映画上映があったため。その作品が中江裕司監督の「さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢」でした。先行LIVE付野外上映です。
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ステージはこんな感じ。普通に虹とかが出ていてびっくりする。 
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お客さんもいっぱいでとても良い雰囲気。東京からわざわざ行ってるのは僕らぐらいだったかも。映画上映前には獅子舞あり、LIVEあり、お芝居あり。ここではにいさんのおたよりにもあった平良とみさん、そして旦那さんである平良進さんも主演されていました。平良夫妻の元気な姿を見れて感激したのを覚えております。実は映画前のこのお芝居については9割以上何云ってるかわかんなかったんですけど、沖縄の人たちはどれぐらいあの言葉がわかるのだろうか。 「さんかく山のマジルー 真夏の夜の夢」は、離島を舞台にした作品。 キジムンが出てくるスピリチュアルでちょっと切ないけど笑えるお話。 シェイクスピア戯曲を元にしてるそうでストーリーもわかりやすい。 主演は柴本幸さん。自分はチェルフィッチュ岡田さん��舞台で見たことがある女優さんでした。 マジルー役の蔵下穂波ちゃんも素晴らしかった。そう、彼女は後に「あまちゃん」に出演。能年玲奈や松岡茉優と共にGMTメンバーとなるキャンちゃんを演じていたあの子です。 映画上映後には中江監督や出演者の方が舞台挨拶。子役の子もかわいかった。さすが沖縄って感じで最後はカチャーシーな感じで会場みんな盛り上がって。そして最後の最後にマジルー(蔵下穂波)が城跡上に登場!いやー幻想的で楽しくて良かったー。 イベントが終わるともう22時ぐらいだったのですぐにホテルへ。沖縄旅行1日目から素晴らしい映画体験ができたのを覚えております。
この沖縄は5日間の旅行でしたがとても楽しかった。首里城、ケツノポリスのあそこで写真を撮る少し若い僕。しっかり「ケツノポリス3」を持参しているがさすが。
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「しむじょう」の三枚肉そばセット。じゅーしぃもかなり美味しい。
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ネイチャースポット「ガンガラーの谷」。この頃は公開がはじまった時期だと思うけど、今では人気スポットのようですね。
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「中本鮮魚店」のてんぷら。
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僕は沖縄のてんぷら、とくにばくだんが好きなので「ジランバ屋」「呉屋てんぷら店」「かねこ蒲鉾店」「マミヤ八重山かまぼこ」などで買いまくっておりました。
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「mintama ミンタマ」。 イタリア料理屋さんだけど沖縄料理とかもある。木造民家を改装したらしき店内が素敵。
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国道58号線沿いの「シーサイドドライブイン」。アメリカンな感じのダイナー的な雰囲気。オーシャンビューな景色も最高。なのに学食みたいなテーブルとかミスマッチすぎで素敵。お客さんも地元の方ばかりという感じ。 食べたサンドがまたびっくりするほどうまかった。地元の人はどんぶりものとかオーダしてましたけどね。
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沖縄は子供がもう少し大きくなったらまた行ってみたいな。
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vento-aether · 8 years ago
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コトノハ出典一覧
17/12/22 少しづつ更新中です。 【言葉・短歌・俳句】
・私たちの体は、すべて星の物質でできている
引用:カール・セーガン(天文学者)
・鳥は本来,空気と光との息子である。
引用:?
・一度にすべてのことが同時に起こらないために、時間はただ存在する
引用:アインシュタイン
・走って駆け寄れるぐらい、私が純粋でまっすぐ育ってたら良かったのに
引用:友人より
・思い出した時にだけ過去は存在する
引用:Tumblrの海より
・光は時間であり、時間は光である
引用:『CITIZEN We Celebrate Time 100周年』/田根剛
・悲しいときに絵を描くんです。幸せなときには、色がでない
引用:新聞記事より/日馬富士
・私は見る、私は待つ、その目は探し求め、あるいはさまよい、識別し……そして時折、瞬く間にシャッターをよぎり、イメージが鏡に写し出されて、一枚の写真が生まれる
・私はあの日がいつだったかを覚えている、二つの雲ーー翼ーーに変えられて、空に突然月が現れたのは、夜の10時だった。あなたはもうここにはいなかった ・あの冬の日、私の庭で境界線が露わになる
Dun jour à lautre 巡りゆく日々 より/サラ・ムーン(写真家)
・目の前の対象が何かは忘れよう。 そしてただ見たままを書くのだ、見たままの色を、形をーー ・水平線も岸辺もない水の広がりの幻影
モネ(画家)
・空間に色を塗る
ルイ・カーヌ(画家)
・蝶が舞うようにそんな風に彼はものを識った
岡崎乾二郎(造形作家)
・何を描くかは二の次で、私が表現したいのは 描くものと自分の間に横たわる「何か」なのです ・時間の痕跡 ・約束の色、根源的な
松本陽子(画家)
・夢を抉るは錆た指、 月を裂かうと夜に挑むのですか 星が震えています
岡上淑子(コラージュ作家)
・もう歌は出尽くし僕ら好きとおり宇宙の風に湯��めしてゆく ・すじ雲のようなシールの剥がし跡 お願い だけどいったい何を ・郵便は届かないのがふつうだと思うよ誰も悪くないのよ ・日のなかを次から次へ虹を脱ぎながら歩いてる今日、会えます ・あなたがひとを好きになる理由はすてき森がみぞれの色に透けてく ・目をあけてみていたゆめに鳥の声流れ込み旅先のような朝 ・ごはんって心で食べるものでしょう?春風として助手席にのる ・うれしくて、言葉にならない。 言葉にならないけど、歌ならうたうことができた。 ・ひとを一から好きになること自販機になった田舎の商店のこと ・セックスをするたび水に沈む町があるんだ君はわからなくても ・ピアノの中には天の川が流れている ・二人はピアノの中に横たわり 内側から屋根を閉じた ・この部屋に優しく用意された窓星がきれいと呼ばれてゆけば ・手を洗いすぎないようにね愛してたからねそれだけは確かだからね
たんぽるぽる/雪舟えま
・永遠がないなんて、誰が分かるというの? 永遠なものなど、この世界にはないのに ・たぶん愛するだけじゃ足りなかったんだとおもう。 ・なつかしくあたたかい世界 ・もういいよと放り出した、誰か。 ・忘れない、それよりも忘れられないんだ ・覚えていて、私の声を。 ・誰かの手にわたってその時間を共に過ごした、蓄積した記憶の形のような古い匂い ・赤子を待つ歌だから子宮のなかで、羊水が音をたてて、呼吸が歌になる ・リズムを刻む音は心臓の音みたい、薄い膜の向こうに、風景が見える ・1日のなかでどれだけのものをすきっていってるんだろう ・ギターの刻みの波にピアノの音がぽろぽろ、たまに零れてきらっとひかって、消えていく ・静かに降り積もる時間の砂と吹く風 ・雨は嫌だけど、ふんわり匂い立つ瞬間は世界が静かに見える ・言葉は空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強いものにも���と強く働きかける事が出来る ・景色の個体から個体へ視線をあわす ・地下鉄の生ぬるい風がほのかに香るホーム ・すごく綺麗な月と薄い水色薄い橙色 ・雪ともあられともなんともいえないようなものが降っている ・「何色にもなれない、なりたい、私の色」 ・この時代の流行りの音 ・徐々に体がポリゴン化され、その点と線を伝って心臓まで届く ・私は幾つもの片思いをした ・喉の裏を撫でるような螺旋¨ ・たとえば君は一人かい? たとえば夜は一人かい? たとえば街に一人かい?
・自分のどんな感情も、言葉をつかえば全部宝石に変えられそう。 ・休日の一色しかない空の夕暮れ ・吐く息が白いから、冬がきたって嬉しくなる。 ・うまくいえないけど何事も何かがあってできてる ・雨も電車も遠くへ行きたがっている。 ・動かない私の中で、全ては静かに息づいていた。 ・優しいけれど真っ直ぐに心に刺さる雪の一欠片 ・失ったものへの詩 ・その曖昧さが、素敵ですね。靄がかった森のようで ・満たされることに必要なものは量で測れるものではなくて、 とても小さくても、一瞬でもいい。
・可哀想だねというのがどれほど簡単か、僕らは知っている。 ・「私、あなたの演奏のアルペジオがすごく好き ・「夢の中でも夢を見られないって恐ろしい事ね」 ・まだ空は夜だし、朝が来る気配もないな ・悲しい"けれど"幸せ、寂しい"けれど"満たされている ・別れだって死だって、安らかでなにもない無みたいなものが好き ・美しい声をした恋人、になりたい ・誰かに対して頭ごなしに嫌いと言ってみたい。 そうしてその後噓だと言ってしまうのだ。そうすれば君は傷つかない ・愛することよりも愛されることを選んだの。そのほうが傷つかないから ・誰にとっても無害でありたいけれど、爪痕を残したいと思ってしまうのよ ・空を仰いでも君が手に入るわけないのにさ ・綺麗になりたいのは、誰かに愛さたいからじゃなくて、 自分で自分を認めてあげたいから
引用:葉月 紗 作者Twitterより
・ときどき行方不明になる「おはよう」 
顔 / 奥田春美
・この世とその身をさざめかせていく ・いまだ見たことのない朝のような色を ・人は、白紙には耐えられないから ・遠のいていくように暮れなずむ空。 
白鳥伝説 / 城戸朱理 
・ささやいた人は、水の匂いがして ・あれは椅子だよ 時間の外側にいるための 
イーリー・サイレンス / 佐々木幹郎
・死は束の間の居眠り  ・生誕の空と変わらぬ青い空のもと ・心はとりとめもなく宇宙をさまよう 
葬儀に集う / 谷川俊太郎
・心寄せる人に夜、手紙を書いてはいけない。 ・手の中にあるものがすべて私のものとはいえない ・心のひそみは種にならって 明日の陽光にとっておく 
夜の水 / 木坂涼
・しらないまちも しらないかわも しらないさきまでみえた 
肩車 / 池井昌樹
【楽曲】 ・彼女の羽根はもう無い
引用:アルバム「水銀のリクタ」/Babel
【映画・映像・舞台】 ・人間にとって創造とは、そのときそのときの感動の発露
引用:人間ってなんだ?超AI入門
・あのとき幸せと悲しみが一緒にやってきて、私は一人きりじゃないんだって思えたの ・さよならを知るための旅 ・喪失を抱えてなお生きろと
引用:星を追う子ども/新海誠
・まるで世界の秘密そのものみたいに彼女は見える ・夜、眠る前 朝、目を開く瞬間 気づけば雨を祈っている
引用:言の葉の庭
・恋はため息でできた煙。
引用:ロミオとジュリエット/シェイクスピア
・その夜、手紙を書いたの 私を消さないでくださいって ・私がきれいだから、撮るのよ ・その時光やすべてが完璧だった ・神聖な存在への変容最後につぶやいた ・曖昧さ、人はその行間を見ようとする
とある写真家のドキュメンタリーにて
・水の形は愛の形 ・汚れなき魂とはなにか私達に考えさせる ・あなたの姿がなくても気配を感じる ・愛に包まれて私の心は優しく漂う ・生きることを愛する その喜び
引用:シェイプ・オブ・ウォーター
【小説】
・夢は、良い名を持っているはずです ・記憶に残るものは、物質?それとも、波の名残。
南の子供が夜いくところ/恒川 光太郎
・この砂漠はかつて海だった。 ・風に乗せてキスを送り、その風が少年の頬に触れてほしいと思った。 ・大いなる言葉ー、それは宇宙が無限の時の中を旅する理由を説明する必要がないのと同じように、説明を要しないもの ・世界は多くの言葉を話すもの ・全ての人の過去と現在にかかわる「宇宙のことば」
アルケミスト/パウロ・コエーリョ
・わたしが死んだら、わたしのたましいを抽出してください。 ・少女の記憶では、空はいつも不思議な眩しさに見たされていた ・いつまでも、いつまでも、この残響が、世界から消えることがなければいいのに
引用:想い出の色、あなたに残します / 渡来ななみ
・終わりという手話は、花びらが閉じるようにそっと掌をとじる。 ・居場所がないのなら作ればいいのです。あなたが望むのならば、世界のどこにだって、あなたのお気に入りの場所ができる。
引用:この素晴らしき世界に生まれて/福田隆浩
・ほしは ぽっちりとしか でてなくて、うすい つきあかりと、 とおくの とうだいのあかりで、 ぼくとおとうさんは あるいた。
引用:サーカスのよる/芭蕉みどり
・森は、いつもすこし暗い。 ・深くて濃いグリーン、同じく深くて濃い、としか形容しがたいブルー、そして静かだが非常に強い輝きを持ったゴールド ・その先の何か、僕はそこへいかなくちゃならないような気がするんだ。 ・人々の瞳の、瞬間の煌めきの中に、狂暴さと、冷酷さと、激しい恍惚と、 ・そして、取り付くしまがないほどの、深い愛と悲哀 ・都市のグレイを貴重としたモノクロームの幾何学模様 ・銀色の飛行物体<アルファロメオ> ・夜の空には、重さを失った惑星が交差し、オルフェウスは銀河を彷徨う。 ・この音楽があまりに美しい曲だという予感がするから ・音楽室の空間で、すべての色の粒子が同時に発光したかのような輝きだった。 ・それは言い換えると、過去も未来も、現在のこの瞬間に、同時に存在している、ということ ・現実は無数にあり、我々はおそらくそのいくつかを現実か夢として、生を送っている ・夜がかすかに明ける気配をゆらめかせていた。 ・波の煌めきのような、あの不思議なオ��ガクたちが、風のように流れてでてきた ・青く輝く空とコバルトグリーンの海、純白の砂浜、宙に浮かぶドア。 ・すこしずつぼくは、この記憶を持たない"ぼく"ですらなくなりつつある ・そして、ぼくは、すこしずつ、なくなってゆくのだろうか。 ・それは、悲しみ、でも、喜び、でも、ない。 ・「きのう、というより今日の明け方かな。夢を見たわ」 ――――いつもより穏やかで柔らかな響きの声だ。 「とても、美しい夢だったのよ」 ―――――――少女のように、遠くを見るような目
引用:森の中のカフェテラス/橋本一子
・宇宙の青さでまぶたを染めようと ・僕たちは導かれた、行き先も知らぬまま。 ・魂は飛んでいく、角膜を突き抜け ・答えなき謎とは後戻りするのは誰かということ ・私の夢に現れるひとつの魂は 別の衣装にくるまれている ・魂が天国の栄光に捧げられるよう ・この世には私の息づく心がある ・言葉ではおさえきれないし、ハンカチでは拭えない…………。 ・向こう岸で柳が揺れている、白い手のよう ・さらば、広げた翼のはばたきよ、非常の奔放なるたくましさよ ・言葉に現れた世界のイメージよ、創造よ、そして奇蹟の行いよ。
引用:白い、白い日/アルセーニイ・タルコフスキー 引用:アンドレイ・タルコフスキイ『鏡』の本/アンドレイ・タルコフスキイ出版会
・顔のないこの時、この場所からこそ、ぼくはやってきたのだ。 ・あの知りえざる長い夜 ・眩暈なき深淵
引用:?
・「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、「言葉」は魂と結びつく働きをする
・「光」が一瞬の認識につながる感覚だとすれば、「音」は生きた感情と共存する感覚なのかもしれない ・地球の「夜の側」の空間のような、ほとんど光のささない真空の世界
引用:ぼくの命は言葉とともにある/福島 智
・悲しいとか、さびしいとか、怖かった。うれしいも、楽しいも、怖かった。
引用:窓の向こうのガーシュウィン/宮下 奈都
・真っ黒なガラスの板の上に、限りない宝石を撒き散らして凍らせたよう。
宇宙は、これ以上の表情を作らない。
引用:薄暗い星で/星新一
・ぼくの心臓や脳が活動を停止しても、永遠に存在し、続いていく世界がある
引用:歌うクジラ(下巻)/村上龍
・実在しない生き物が子どもの心に椅子を作り、
それらが去った後に実在する大切な人を座らせることができる
引用:心に緑の種をまく/渡辺茂夫
・私は誰かの美しい人だ。 私が誰かを、美しいと思っている限り。
引用:うつくしいひと/西加奈子
・私の見開いたちいさな眼を大空に向けさせ そう あの青さと星を摑む夢を与えてくれました。
引用:湖水を渡って/シルヴィア・プラス
・眠ろう、両眼を閉じれば  世界は私とは無関係だ
引用:生命幻想曲/顧城
【漫画】
・昨日許されていたものが 今日タブーになるのなら いったい誰を好きになれば良いんだろう 誰を好きなら許されるんだろう?
引用:みんなの禁忌/遠藤平介
・生命はどんなに小さくとも外なる宇宙を内なる宇宙に持つ ・世界は蘇ろうとしていました ・わたしね 世界の秘密を知るために永い旅をしてきたの ・私達は血を吐きつつくりかえしくりかえしその朝をこえて飛ぶ鳥だ! ・いのちは闇の中のまたたく光 ・私達は世界の美しさと残酷さを知ることができる
引用:風の谷のナウシカ/宮崎駿
・誰よりも優しいのに 自分にだけはその優しさを向けてくれない
引用:ツバサ・クロニクル/CLAMP
・ずっとーーあの部屋で記憶を守りながら過ごしてたんだ 
引用:夢のあかり/みやこ
・きっとあなたが思うよりずっと海は広い
引用:マグメル深海水族館/椙下聖海
・平凡な日常よ、ずっとそのままでいて。
カナリアたちの舟/高松美咲
・私は自分を自分であたためることができる 自分で自分を抱きしめることができる それが希望でなくてなんなんだろう
・存在しないまぼろしを幸福の鍵だなんて思ってはいけないよ
ダルちゃん/ はるな檸檬
・この憧れをそんな子供っぽい片思いになんかしてやらない
やがて君になる
・映画や小説なんかも、世界を再構築するごっこ遊び
引用:カフェでカフィを/ヨコイエミ
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theatrum-wl · 8 years ago
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【レポート】竹中香子講演会@アンスティチュ・フランセ東京 2017年8月28日
フランスで舞台に立つために必要なこと: フランス語、演劇学校、そしてプロフェッショナリズム(その2:質疑応答編)
竹中 香子 (構成:片山幹生)
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(ひとり語り編より続く)
片山:それでは、これから質疑応答ということで。竹中さん、こちらに座ってください。 竹中:(椅子にすわる)あ、マイクがあったんだ。マイクに向かって、椅子座っていたら緊張して絶対しゃべれなかったと思う。 すいません、すぐに動いてしまうのです。一人芝居みたい。 片山:まず私から質問します。フランスで遭遇した3大ピンチは何ですか? 竹中:モンペリエの学校で新しい校長から、毎日日替わりで4つの作品を上演する、土曜日は9時間で4作品を上演するというプロジェクトの説明があったときには、「絶対無理。もう終わった」と思いました。それからギヨーム・ヴァンサンとのクリエーションが始まって、尊敬する俳優たちと二か月間稽古したときもピンチでしたね。シェイクスピアのセリフとか、最初は発音がなれるまで、自分でも何を言っているのかわからない状態で。こんなんで700人の観客の前で恥をかくのかという。第3のピンチは、『夢と変身』のパリのオデオン座、5週間の公演。こんな長期間やった経験��なかったので、体力的にも大丈夫なのかな不安になって。そして今、今も大ピンチでございます。 片山:9月にこまばアゴラ劇場される市原佐都子作・演出の『妖精の問題』ですね。一人芝居だとか。市原さんは、とんでもない作品を作りますね。頭がどうかしているんじゃないかと思うような。親とか呼べる感じの芝居ですか? 竹中:呼ぶか、呼ばないか、今ちょっと悩んでいます。マイノリティについて扱う作品なので。 
聴衆A:ギヨーム・ヴァンサンの舞台が大好きだった、演出がまるでないみたいに思ったと話されていましたが、実際に彼の作品に出て、その印象はどうでしたか? 竹中:俳優の演技のきっかけをどんどん消していって、演出を体に馴染ませることでそれを感じさせなくしてしまう作業を体験できました。ギヨームは、現代演劇では一人で目立ってしまうスター俳優は時代遅れだと言っていました。俳優の誰それ出ているから見に行く、というのは商業演劇ではいいんだけれど、フランスの現代演劇においては集団におけるアンサンブルが重要だと、常に言っていました。彼にとってのいい俳優は、相手のことばに耳を傾けることができる俳優だとも。『夢と変身』はフランスの30箇所以上をツアーしたのですが、彼はどの公演にも来ていました。作品を一度完成させると、ツアーには来ない演出家も多いのですが。 片山:ギヨーム・ヴァンサンは終演後に俳優にダメ出しとかするんですか? 竹中:することはするんですが、演技についてはタイミングについて指示するくらいです。彼はキャスティングで俳優を選んだ時点で、演出家の仕事は半分くらい終わっていると言っていました。演出家として俳優を指導する気はないと。俳優には俳優の仕事がある。ギヨームは総監督みたいな感じで、照明、音響など技術スタッフと制作スタッフなど作品創造に関わるあらゆる人間の責任者がギヨームで、俳優のリーダーでは必ずしもない。テクストの解釈はドラマツルギーの方がいて、解釈については彼女と話し合うことが多かったです。ギヨームは、ヒエラルキーの上にたつという感じではありませんでした。
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聴衆B:フランスのプロダクションでは、演出家をトップとするヒエラルキーを感じないとおっしゃっていましたが、日本の現場でのヒエラルキーについてどうお考えですか? 竹中:現場でのヒエラルキーについては私個人の問題もあって、私は「この人すごい」と思うと、下手に出てしまうという癖があるんです。何も言えずに服従みたいになってしまい、自分自身が率先してヒエラルキーを作ってしまう。 フランスに行ってから思ったことなんですが、日本の現代演劇は作家兼演出家が多くて、そこでこっちが戯曲の解釈をしようと思っても、「書いた人を前に間違ったことを言ったらやだな」と思ったりとか、戯曲がよい場合は、自分の解釈をいうのはおこがましいんではないかとか思ったりしがちなのでは。自分の態度にも問題はあったと思います。  聴衆B:私は個人的な問題ではないと思っているのですが、竹中さん個人に問題があると思った理由はなんですか?  竹中:言われたことをやる俳優になってしまっていたんですね。「自分のアイディアはつまらないので、指示ください」という態度で。自分の作品ではなく、人の作品に出ているという意識でした。「人様の作品で自分が失敗したら、この人に申し訳が立たない」、そういう気持ちになって、苦しくなっていった。 聴衆C:私は音楽家です。音楽家として演劇の舞台に関わった経験も何度かあるのですが、日本では俳優さんが演出家に従順なのに驚きました。直前のせりふの変更などもそのまま受け入れて、「ハイハイ、わかりました」という感じで。そういう様子を見ていて、私はこの人たちはおかしいと思いました。もっともオーケストラの団員でも日本人は比較的素直に言うことを聞く傾向があります。たとえ腹のなかでは違うことを思っていても、表だっては黙って従う。それに対してヨーロッパの演奏者は自分たちの主張をします。こうした創作活動におけるヒエラルキーというのは日本独特のものなのでしょうか?  竹中:ギヨームのツアーでも、20歳の若い俳優が40歳のギヨームに「いや違うと思う」とはっきり言います。そんなことは日常的にある環境でした。この5月にカナダで行われたトランスアメリカ演劇祭で、いろいろな国の20代の若者たちと上演された作品のアーティストのディスカッションに立ち会ったのですが、そのときにも同じようなことは感じました。経験や年齢の差を超えて、失礼にならずに、対等の関係に持って行ける、そういう訓練が高等教育までにされているなあと感じました。
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聴衆D:僕は新国立劇場の研修所で今年から演劇の勉強をしています。仮に竹中さんがフランスに行かず、日本に残って演劇を深めようとしていたとしたら、どうなっていたと思いますか? 竹中:私は甘い人間ですから、日本を離れてよかったと思っています。私は日本の演劇がレベルが低いからフランスに行きたいとか思ったわけではありません。むしろ自分は日本で演劇で食っていけるレベルにないからフランスに修行しに行きたいと思ったのでした。志があって行ったのではなくて、逃げの姿勢でフランス��行った人間です。フランスに行ったのは、もちろんフランスの学校で学びたいというのはあったけれど、俳優として勝ち残っていくためというよりは、単純にヨーロッパへの興味関心が強かったからです。 俳優で一生食べていける器はない人間なのにもかかわらず、とにかく演劇と一生かかわりたいという思いはありました。もし日本に残っていたら、私は作品というよりもその創作プロセスに勝てなかったと思う。一か月で稽古して、そこからすぐに本番があるというスピードに私はついていけませんでした。本番も一週間で終わってしまう。そのプロセスのなかで、私は上に伸びていけないだろうなとは感じていました。 フランスでいいなと思うのは創作のプロセスがゆったりしているところです。稽古期間が六か月あるとすると、まず3週間の稽古、それから一か月休みがあって、その間にほかのプロジェクトを進める。そのあとまた2週間やって、また休みがあって、最後に本番前の4週間稽古、それから初日迎える。こういうリズムは、私にはとてもあっている感じがします。 
聴衆E:竹中さんとは大学の同期です。竹中さんを尊敬しています。フランスでの学校生活はクリエイティブな日々だったようですが、行き詰まりを感じるときもあると思うのです。そういう時はどうやってガス抜きをしていたのですか? 竹中:モンペリエの学校では日曜しか休みがありませんでした。同じメンバーと閉鎖的な環境で朝から晩までいると、本当に顔も見たくなくなるようなときもあります。私は行き詰った時には、絵を描いていましたね、病的な謎の絵。あと、ヨガに行っていた。ギヨームの作品に出演するようになってからは、ガス抜きがますます難しくなって、精神分析に通うようになりました。ラカンの手法の人のところに一週間に一度通っています。俳優で精神分析をやっている人は多いんです。精神分析はどうやって自分と対話するかを探す作業としてやっています。 
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〔竹中さんのアクリル画〕
聴衆F:演劇ではどうしても言葉の問題に直面することになります。最近は多言語の芝居も多くなってきましたが、母語が異なる外国人が同じ舞台に立つ機会はどんどん増えていくように思います。母語でない演劇をやってくるからこそ、母語と外国語の二重性を持っているがゆえに俳優としてアドバンテージを持つことできるように思うのですが、いかがでしょうか? 例えばフランス人はラシーヌをフランス語の元のテクストでしか味わうことができないわけですが、私たちはそれを日本語でも、それも様々な翻訳で味わうことができます。 竹中:私は高等演劇学校を修了してフランスの舞台に立つようになりましたが、コンセルヴァトワールや演劇学校を経由せずに、フランスで俳優の活動をされている日本人は少なくないはずです。映画に出演される方もいますし、日本人俳優が所属している事務所もあります。フランス語を話す日本人俳優の方もいます。 私は舞台を自分の活動フィールドとしていますが、「ラシーヌやコルネイユ、フェドーなどの古典戯曲はフランス人のためのものだから、外国人の君には無理だよ」と演出家にはっきり言われたこともあります。確かに日本人の私がそこでフランス人と勝負しても絶対に勝ち目はないんです。最初のころは、「��ランス語を完璧に話せるようにならなければ」とか、「フランス人のなかでどうやって生き残っていけるか?」といったことを目標にして頑張っていました。でもそういうところで勝負してもだめだ、意味ないということに気付いたんですよね。私はアジア人であるという属性からは逃れられない。この属性を引き受けた上で、自分ができることを考えなくてはならないと悟ったとき、日本人の役が来ることが嫌でなくなりました。「日本人だから日本人の役しか来ないのは屈辱だ」とそれまでは思っていたのですが。でも私は日本の文化にひたって生きてきたわけです。その日本人性を利用して作品を作ってみたら、その評判がいいんですよね。日本人である自分を引き受け、その属性を生かした材料を使えるようになってきたときに、日本人の役や日本語を使う役の自分を肯定できるようになりました。
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〔竹中さんのペン画〕
聴衆G:私は海外で生活したことがまったくありません。フランス語がほとんどできないのに、フランスに言って、とりあえずはホテル・アパートメントに二週間住み、その間に住むところを決めたそうですが、どうやって住むところを見つけたのですか? そういうことからまったくわからなくて。 竹中:本当に今考えると怖いですね。ラッキーだったと思います。最初のアパートタイプのホテルは、日本で見つけて予約しました。住居探しについては、当時はmixiなどにフランス在住者のコミュニティがあって、日本人向けの賃貸物件の情報の交換が行われていました。ただ仲介の人に騙されるなんて話もよく出ていました。私も危うくブラックリストに載っている人の仲介のアパートを契約しそうになったのですが。
聴衆H:お金のある人だけがやることができるという状況が、日本では演劇に限らず、音楽やオペラでもわりと何十年も続いています。日本ではアーティストとして生活できないということで、ヨーロッパに行く若い人がいます。こうした状況が全然変わる気配がないのですが、これも日本的ですかね? 竹中:金がなくてもがんばって続けていくという「ど根性美学」からの脱却について、実は話そうと思っていました。夢があればお金はいらない、ど根性でがんばっていくなかで伸びる人もいますが、誰もがそうではありません。私もそういうがんばりかたはできない人間です。たった週に一回のアルバイトでも、演劇との両立は私には難しかったのでした。「ど根性精神」では生き残れない体質の私がどうやって演劇で生き残るかは、私にとって大きなテーマでした。 経済的な面では、アンテルミタンという失業保険制度で生活を保障されるフランスの舞台人はとても恵まれた環境にあると思います。ただ時折、それが過剰に思えることもあります。例えばこんなことがありました。初日前日に行われる公開ゲネプロに500人招待することになり、すでに予約も入れていました。ところが公開ゲネプロの前日になって、俳優も技術もその日は22時までの契約だったことがわかりました。あと2時間延長できるのなら、公開ゲネプロはできるのだけれど、22時までの契約だから無理。それで、すでに予約が入っていたにも関わらず、翌日の公開ゲネプロは急きょ中止になってしまいました。「いくらなんでも、それはどうなのか?」と私は思いました。フランス人俳優のなかにもこの中止措置に違和感を表明する人もいたのですが、契約条項が優先されたわけです。気持ちだけで演劇を仕事として続けていくのは無理だけど、バランスも大事だと思います。フランスは行き過ぎのところもある。
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聴衆I:テーマが面白そうだったので聞きにきました。でも来て話をきいてみると、違うんではないかと思って。ウィとノンしか言えない状態でフランスに行って、いろいろ助けられてラッキーだったということですが、それは正直なところかもしれないけれど、今までの流れをうかがうと絶対ラッキーだけではなかったことはわかる。意志や努力もあると思うけれど、ぶっちゃけすごい特殊な才能があったからこそできたんじゃんと話を聞いて思った人もいるんじゃないか? 「フランスで舞台に立つために必要なこと」という講演タイトルで、フランスに留学を考えている俳優志望の子がここに来ていたら、もうちょっと汎用性のあるコツや奥の手みたいのが聞けるんじゃないかと期待すると思うのだけど。結局今日の話では、竹中さんが特殊だったんだろうということになるのでは? 竹中:私は自分が特殊というわけではなくて、逆に私みたいなひとでも行けたから大丈夫だよというメッセージを伝えたつもりなんですけど。 片山:フランス人でも難関の国立演劇学校に日本人で入学できた。ギヨーム・ヴァンサンという注目株の演出家に在学中に見いだされて、卒業後にすぐにツアーに参加した。実際に同級生で、卒業後すぐにヴァンサンのグレードの演出家のツアーに参加した人は、竹中さんだったはずです。確かにいったい何があったのかと思いますね。 聴衆I:さっきの話だと、お茶に誘われて「仕事何でもください」と言うつもりで出かけたら、向こうから「出ない?」という話があった。ここが普通の人なら「なんで?」となるところ。 竹中:実際にそうだったので。本当に今まで自分で決めたことは何もないと思っています。流れに流されてやってきたんですよ。受験も2回目のときが25歳で受験資格ぎりぎりで、もし落ちたら強制退場になるので、ダメだったら帰国するつもりだったし。ギヨームも、学生のままフランスにいても仕方ないから帰ろうと思っていたタイミングでそういう話を貰った。 聴衆I:そういうのは仮に伝えられても他の人には真似できないことばかりじゃないですか。仮にそうだとしたら「フランスで舞台に立つために必要なこと」というタイトルがずるいんじゃないかな? 竹中:でもフランス語発音筋トレの話とか、実際的な話もけっこうしましたよ。フランス語の習得についてはかなりお金をかけたんで、いくらでもお話できます。
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〔『夢と変身』の舞台写真 撮影:Carecchio Emilie Incerti-Formentini〕
聴衆J:新国立劇場で契約社員として働いています。新国立の研修所を出ても、プロの俳優として舞台に立つというのがとても大変なんことで、研修所を出てからみなさんすごく苦労されています。モンペリエの高等演劇学校の同期の方々の進路はどうなっているのですか? 竹中:卒業の時点で契約が決まったのは私だけでした。私たちの代では、2年目にやった「白紙委任状」のときに、男の子が脚本を書いて、11人で3時間の大作を作りました。実はこの作品がモンペリエの公共劇場が主催するフェスに売れました。私は他の契約とバッティングしていたのでこのフェスティバルでの上演には出演できなかったのですが。ただその契約だけではアンテルミタンの条件に達していなくて、アンテルミタンを資格を得てない人もいます。舞台ではなく映像関係に進んだ人もいます。確かに出てからが難しいですね。 聴衆J:学校のほうでは出た後にサポートはあるのですか? 竹中:クリエーションについてのサポートはあります。例えば学生が作ったさっきの作品でも学校が窓口になって、公共劇場でのフェスティヴァルのプログラムとして売り込んだわけです。パリのコンセルヴァトワールであれば、事務所ともつながっていて最終学年の発表を見に来た事務所のディレクターに抜擢ということもあります。そういう意味では地方の学校は弱く、卒業後にパリに出ないと仕事を見つけることは難しいです。この5、6年の動きですが、俳優の仲間たちでグループを作り、演出家を呼ばないで、そのグループ内で脚本と演出を担当する俳優だけの劇団の活動が盛んになっています。それでどんどん成功してパリで活躍する卒業生はいます。
聴衆K:こんな素敵な女優がいることに感動しました。これから竹中さんをどんな作品で見ることができるのでしょうか? 今後の活動のヴィジョンを教えてください。 竹中:今は9月にアゴラ劇場で上演される一人芝居『妖精の問題』にとても苦しんでいます。私は不器用な俳優なので、テクストの急な変更や演出の指示にすぐに適応できないんですよね。そこの部分を演出家にわかってもらうまでにすごく苦労しました。私はど根性で乗り切るというのは無理なので。このほかにKyoko Takenaka do it yourselfという自主プロデュース企画で、フランス人の演出家と作家の三人で作品作りを進めています。信仰とその地域の演技、演劇の関係性を探っていくというプロジェクトです。ギヨームの『夢と変身』ツアーの公演が12月にあります。あとは日本人の蒸発について書いたフランス人女性作家の作品の公演が10月から11月にかけて、フランスの4、5か所で行われます。これは日本語での出演になります。
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●竹中香子 1987年10月8日生。埼玉県さいたま市出身。2011年3月に桜美林大学総合文化学群演劇専修を卒業後、渡仏。同年9月にパリ15区コンセルヴァトワール(芸術専門学校)入学。2012年にはパリ地方コンセルヴァトワールに入学。2013年、日本人として初めてフランスの国立高等演劇学校の俳優セクションに合格。2016年5月末にモンペリエ国立高等演劇学校(École Nationale Supérieure d’Art Dramatique de Montpellier)の全課程を修了。2016年10月から、2017年6月までフランス国立劇場製作ギヨーム・ヴァンサン演出『夢と変身』に出演し、フランス国内16箇所でツアーを行った。これと並行して、自らが脚本を手がけたソロ作品をフランス人の演出家とともに、「俳優と言語」をテーマに長期的にクリエーションを行っている。 https://mill-co-run.com/about/
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salontetsugaku · 8 years ago
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ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの記念講演
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの記念講演の音声が、6月5日、ノーベル財団のホームページにて公開された。 「この度のノーベル文学賞の受賞にあたり、自分の歌が一体どう文学と結びつくのか不思議でならなかった。その繋がりについて自分なりに考えてみたので、それを皆さんに述べようと思う」という言葉から始まる27分間の講演で、ディランは自身が音楽に身を投じることになったきっかけや、創作活動の礎になったという三冊の書物について語った。最後は「歌の詞は歌う為のものであり、ページに綴られているのを読む為のものではない。そして、皆さんにも、これらの詞を、聴かれるべき形で聴く機会があることを願っている」として、「詩神よ、私の中で歌い、私を通して物語を伝えてくれ」というホメロスの言葉で締めくくられている。    ◆   ◆   ◆ この度のノーベル文学賞の受賞にあたり、自分の歌が一体どう文学と結びつくのか不思議でならなかった。その繋がりについて自分なりに考えてみたので、それを皆さんに述べようと思う。回りくどい説明になるかもしれないが、私の話に価値があり、意味あるものになることを願う。 全ての始まりはバディ・ホリーだった。私が18歳のときに彼は22歳で他界したが、彼の音楽を初めて聴いた時から近いものを感じた。まるで兄であるかのように自分と通じる何かを感じたのだ。自分が彼に似ているんじゃないかとさえ思えた。バディは私が愛して止まない音楽を奏でた。私が子供のころから慣れ親しんだ音楽、即ちカントリー・ウェスタン、ロックンロールとリズム&ブルースだ。3つの異なる音楽要素を彼は絡み合わせ、そこから新しいジャンル、彼ならではの音を生み出した。そしてバディは「歌」を書いた。美しいメロディー、そして独創的な歌詞の歌を。しかも歌声も素晴らしく、様々な声色を使い分けた。彼こそがお手本だった。自分にはない、でもなりたいものを全て体現していた。彼が亡くなる数日前に、一度だけ彼を観たことがある。長旅をして彼の演奏を見に行ったのだが、期待通りだった。 彼は力強く、刺激に満ちていて、カリスマ性があった。かぶりつく様な距離で観ていた私はすっかり心を奪われた。彼の顔、手、リズムを取る足、大きな黒の眼鏡、その眼鏡の奥の瞳、ギターの持ち方、立ち方、粋なスーツ、彼の全てを目に焼き付けた。とても22歳とは思えなかった。彼には永久に色あせない何かを感じ、私は確信したのだ。すると、突然、信じられないことが起きた。彼と目が合った瞬間、何かを感じた。それが何だかわからなかったが、背筋がゾクっとした。 確かその1日か2日後に彼は飛行機事故で亡くなった。そして私は一度も会ったことのない誰かから「コットン・フィールド」を収録したレッドベリーのレコードを手渡されたのだ。その一枚のレコードとの出会いが私の人生を変えた。それまで知らなかった世界に引き込まれ、まるで爆発が起きたかのようだった。真っ暗なところを歩いていたら光がさしたかのように。誰かが手を差し伸べてくれたみたいだった。そのレコードを100回は聴いただろう。 初めて知るレーベルだった。レコードには、所属する他のアーティストを宣伝するブックレットが入っていた。ソニー・テリーとブラウニー・マギー、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、ジーン・リッチー、どれも初めて聞く名前ばかりだった。でもレッドベリーと同じレーベルなら良いに違いないから絶対に聴かねばと思った。知り尽くしたいと思ったし、自分もこういう音楽がやりたいと思った。子供の頃から慣れ親しんだ音楽にも思い入れはあったが、その時点では忘れてしまった。考えることもなかった。自分にとっては過去のものとなったのだ。 この時点ではまだ家を出ておらず、いつか出たいと思っていた。これらの音楽を自分でも覚え、やっている人たちに会いたかったからだ。そして遂に家を飛び出し、自分でもその音楽を弾くようになった。それまで聞いていたラジオでかかる音楽とは違い、力強く、人生をありのまま映し出していた。ラジオでは運次第でヒットが出るが、フォークの世界では関係なかった。私には全てがヒットで、メロディーが弾ければそれでよかった。曲によって覚え易いものもあれば、そうでない��のもあった。古いバラードやカントリー・ブルースは体に染み付いていたが、他は全てゼロから覚えなければならなかった。当時は少ないお客さんの前でしか演奏できず、部屋に4、5人のときや街角で弾くこともあった。レパートリーが豊富でなければいけなかったし、どう言う場面で何を弾くべきかわかってなければいけなかった。親密な歌もあれば、シャウトしないと伝わらない歌もあった。 初期のフォーク・アーティストをとことん聞き、彼らの歌を自分で歌うことで、固有の表現が身についた。そしてラグタイム・ブルース、ワーク・ソング、ジョージア・シーシャンティ、アパラチアン・バラッド、カウボーイ・ソングといったあらゆる形で歌った。そうすることで細部までが見えてくる。何のことを歌っているのかがわかるのだ。拳銃を抜いて、またポケットに戻す。馬に鞭を打って往来を駆け抜ける。暗闇で語り合う。スタッガー・リーが悪党で、フランキーがいい娘だったこともわかる。ワシントンはブルジョワの街だと知り、ジョン・ザ・レヴェレイターの低音の声も聞いたし、タイタニック号が沼の小川に沈むのも見た。仲間は荒くれ者のアイルランド人の流離人や気の荒い植民地の若造だ。篭った太鼓の音や低く鳴り響く横笛の音も聞こえる。��色のドナルド卿が妻をナイフで刺すのを見たし、多くの同志が戦死してゆくのも見た。 フォーク特有の表現を全てマスターした。気の利いた言い回しも覚えた。機材、テクニック、秘密、謎、全てが頭に入っていた。そしてそれが歩んできた決して注目されることのない軌跡も知り尽くしていた。全てを結びつけて、今の時代に当てはめることができた。自分自身で歌を書き始めた際、自分が唯一知っているフォークという表現形態を存分に使った。 でもそれだけではない。自分なりの信条、感性、培った世界観も持っていた。若い時から備わっていた。小学校で学んだのだ。『ドン・キホーテ』『アイバンホー』『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記」『二都物語』といった誰もが小学校で読んだことのある本を通して、人生観、人間性への理解、価値観が養われた。歌詞を書き始めた時、それらを糧にした。そういった本の題材が私の多くの歌の中に入り込んだ。意図的であるときもそうでない場合もある。誰も聞いたことのないような歌を書きたいと思ったのだ。そしてこうしたテーマは私の歌の礎となった。その中でも特に私の心に残る3冊の本についてここで触れたい。メルヴィルの『白鯨』、ルマルクの『西部戦線異常なし』とホメロスの『オデュッセイア』だ。 『白鯨』は興味の尽きない一冊だ。見せ場が絶えず、印象的なセリフで溢れている。非常に読み応えのある本だ。筋書きは単刀直入だ。捕鯨船ピークォド号の謎めいたエイハブ船長は義足を付けた病的に自己中心的な人物で、自分の片足を奪った天敵である白いマッコウクジラのモビィ・ディックに復讐心を燃やす。大西洋から喜望峰を周り、インド洋まで彼は鯨を追う。地球の裏側まで追いかけるのだ。目指すものはあまりに漠然とし、確実なものはない。彼はモビィを皇帝と呼び、悪魔の化身と見なしている。エイハブはナンタケットに残した妻と子供に時々想いを馳せる。そして何が起きるかは予想できるだろう。 乗組員は様々な人種から成り立っていて、鯨を見つけた者には褒美として金貨が与えられる。多くの星座に纏わる記号、宗教寓話の引用や既成概念が登場する。エイハブは他の捕鯨船に遭遇すると、その船長にモビィの情報を聞き出そうとする。奴を見たか? ある捕鯨船にガブリエルというイカれた預言者が乗っていて、彼はエイハブの破滅を予言する。曰く、モビィは「シェーカー教徒の神の化身」であり、彼に関わった者達は災難に見舞われる。エイハブ船長にそう伝えるのである。また別の船のブーマー船長も、モビィに片腕を奪われている。でも彼はそれを受け入れ、生きているだけで幸せだと感じている。彼にはエイハブの執拗なまでの復讐心が理解できないのだ。この本は、同じ経験をしても人によって反応が違うことを教えてくれる。旧約聖書のからの引用が多く登場する。ガブリエル、ラケル、ヤロブアム、ビルダー、エリヤ。異教徒の名前もまた多く登場する。タシテゴ、フラスク、ダッグー、フリース、スターバック、スタッブ、マーサズ・ヴィニヤード。異教徒たちは偶像を崇拝する。中には小さな蝋の人形を崇拝するものもいれば、木彫りの偶像を崇拝する者もいれば、火を崇拝する者もいる。ピークォド号の名前はインディアンの種族が由来だ。 『白鯨』は心を揺さぶられる話である。船員の一人で語り手である男が言う。「イシュメイルと呼んでくれ」と。ある人に何処の出身だと聞かれると彼は「どの地図にも載っていない。本物の場所は載らないのさ」と言う。スタッブは何事にも意味はないと思っている。全ては起こるべくして起こるのだと。イシュメイルは生まれてからずっと帆船に乗ってきた。彼にとっては帆船がハーバードでありイエールだと言う。人とは距離を置いている。ピークォド号が台風に直撃する。エイハブ船長は吉兆だと捉える。スターバックは悪い兆しだとしてエイハブの暗殺を考える。嵐が去った直後、乗組員の一人が船のマストから落ちて溺れてしまう。これから起こることを暗示しているかのように。クエーカー教徒の平和主義の神父を装った、残忍なビジネスマンがフラスクに言う。「負傷を負った者の中には神に導かれるものもいるが、他の者は苦痛が待ち受けている」と。 全てが織り交ぜられている。あらゆる神話、ユダヤ教キリスト教聖書からインド神話、イギリスの伝説、聖ジョルジュ、ペルセウス、ヘラクレス(全て捕鯨船員)、ギリシャ神話、そして血なまぐさい鯨の解体まで。事実もまた多く盛り込まれている。地理、鯨油について(君主の即位にいい)、捕鯨産業の名士など。鯨油は王を清める聖油に使われるのだ。鯨の歴史、骨相学、古典哲学、偽の科学的理論、差別の正当化など、あらゆるものを含んでいるが、理にかなってるものは一つもない。教養のある人、ない人。幻想を追いかける、死を追いかける。巨大なマッコウクジラはシロクマの如く白く、白人の如く白い、皇帝であり、天敵であり、悪魔の化身である。モビィをナイフで攻撃しようとして片足を失った狂気の船長。 我々には物事の表面しか見えない。その裏に何があるかは解釈次第だ。船員たちは人魚の声を探して甲板を歩き回り、サメやハゲワシが船の後をつける。頭蓋骨や顔の表情を本のように読み取ろうとする。ここに顔がある。君の前に置こう。読めるものなら読んでみるがいい。タシテゴは自分が一度死んで生まれ変わったのだと言う。余分に与えられた日々は贈り物だと。自分はキリストに救われたのではないと彼は言う。キリスト教徒ではない人間に助けられたのだと。そしてキリストの復活の下手な模倣をする。 スターバックがエイハブに「過ぎたことは忘れろ」と言うと、憤慨した船長は「私に不敬を言うとはけしからん。私を侮辱するものはたとえ太陽であっても切りつける」と言い返す。エイハブもまた雄弁な詩人である。「私の揺るぎない目的までの道には鉄製のレールが敷かれていて、私の魂はその溝に沿って走るのだ」或いは、「目に見える物は全て薄っぺらい仮面でしかない」と語る。引用したくなる詩的なフレーズであり、これを超えるものはない。 そしていよいよエイハブはモビィを見つけ、銛を出す。ボートが降ろされる。エイハブの銛は血で洗礼されている。モビィはエイハブのボートを攻撃し、破壊する。翌日彼はまたモビィを見つける。再びボートが降ろされる。モビィはまたもエイハブのボートを破壊する。3日目、また別のボートが乗り込む。ここでも宗教的引用の登場だ。彼は再び現れた。モビィは再び攻撃してくる。ピークォド号に激突し、沈める。エイハブは銛の紐に絡まってしまい、船から投げ出され、海の藻屑となる。 イシュメイルだけが生き残る。彼は棺桶の上で海に浮かんでいる。というのが物語の全てだ。ここで語られるテーマとそれが暗示しているものは、私の歌の幾つかにも登場する。 『西部戦線異常なし』もまた影響を受けた一冊だ。『西部戦線異常なし』はホラーだ。これは、童心、意味のある世界への信頼、他人への関心を失う話だ。悪夢から抜け出せない。死と苦悩の謎めいた渦に吸い込まれてしまう。抹殺から自分を守っている。地球上から消されようとしているのだ。かつてはコンサート・ピアニストになるという大きな夢を抱いていた純粋な若者だった。嘗ては人生、そしてこの世界を愛していたが、今はそれを粉々に撃ち砕いている。 来る日も来る日も、蜂に刺され、ミミズに血を吸われる。窮地に追いやられた動物だ。どこにも居場所はない。降りしきる雨は単調だ。絶え間ない攻撃、毒ガス、神経ガス、モルヒネ、燃え盛るガソリンの川、食べ物を求めて残飯を漁る、インフルエンザ、チフス、赤痢。周りで命が次々と失われ、破裂弾が鳴り響く。これは地獄の下層部である。泥、有刺鉄線、ドブネズミだらけの塹壕、死体の内臓を食い漁るドブネズミ、汚物と排泄物だらけの塹壕。誰かが叫ぶ、「おい、そこのお前。立ち上がって戦え」これが一体いつまで続くか誰にわかると言うのだ? 戦争に終わりはない。自分は殺されようとしている。足は出血多量だ。昨日は人を殺し、その死体に話し掛けた。戦争が終わったら君の家族の面倒を死ぬまで見ると伝えた。一体誰が得をしているのだ? 指揮官や将軍達は名声を得て、他にも経済的に潤う人たちが大勢いる。しかし、手を汚しているのは自分達だ。同志の一人に「ちょっと待て、何処に行くんだ?」と聞かれ、「好きにさせてくれ、直ぐに戻るから」と言い、肉片を求めて死の狩の森に入っていく。普通の生活を送っている人たちが何を生きがいにしているのかもはやわからない。みんなの不安や欲望などもう理解できない。 さらに機関��が鳴り響き、死体の一部が幾つもぶら下がっている。腕や脚や頭部が転がっているところに蝶々が歯の上に止まっている。悍ましい傷口、あらゆる毛穴から膿が出ている。肺の傷、身体には耐えきれないほどの大きな傷、ガスを放射する死体、吐き気がしそうな音を立てる死体の数々。死がそこら中にある。どうすることもできない。自分も誰かに殺され、死体は射撃練習の的に使われるだろう。ブーツにしてもそうだ。今は自分の貴重な所有物だが、直ぐに誰かの足にとって変わるだろう。 木の間からフランス人達がやってくる。容赦ない奴らだ。破裂弾も底を尽きてきた。「そんなに直ぐにまた攻めてくるなんて卑怯だ」と言ってみる。同志の一人が土の中に倒れていて、野戦病院に連れてってやりたいと思う。他の誰かが言う。「無駄足さ」「どう言うこと?」「そいつをひっくり返してみろ。俺の言ってることがわかるさ」 その知らせを待ち続ける。戦争がなぜ終わらないのか理解できない。兵力不足が深刻化し、召集した若者達は使い物にならない者ばかりだ。それでも人員が足りないから採用するしかない。病気と屈辱で心はズタズタだ。親にも、学校の校長にも、牧師にも、政府にさえも裏切られた。 ゆっくりと葉巻を吸う将軍にも裏切られた。彼のせいで自分は暴漢と殺し屋にと化したのだ。できることなら彼の顔に銃弾を浴びせてやりたい。司令官にもだ。金があったら、どんな手を使っても構わないから奴を殺してくれた男に謝礼を約束することを妄想する。もしその人がそれで命を落としたら、謝礼は遺族に行けばいい。キャビアとコーヒーが好物の大佐も同罪だ。公認の売春宿に入り浸っている。彼にも死んでもらおう。呑んだくれの兵士が次々とやってくる。20人殺しても、20人また替えがやってくる。鼻の奥まで匂ってくるだけだ。 まるで拷問室のようなこの狂気の沙汰に自分を送り込んだ上の世代を軽蔑するようになる。周りを見渡せば同志が次々と死んでいく。腹部の傷、両足切断、坐骨粉砕で死んでいくのを見ながら思う。「まだ20歳だと言うのに、もはや誰だって殺せる。自分を狙ってきたら父親さえも殺せる」 昨日、傷ついた軍用犬を助けようとしたら誰かが叫んだ。「馬鹿なことをするな」と。一人のフランス人が喉を鳴らしながら足元で倒れている。彼の腹に短剣を突き刺すが、まだ生きている。息の根を止めるべきなのはわかっているが、それができない。本物の鉄十字に貼り付けにされ、ローマ兵に酢を染み込ませたスポンジを口元に当てられている。 何ヶ月か過ぎ、一時休暇で帰郷する。父親とは話ができない。「入隊しないのは卑怯者だ」と彼は言う。母親もだ。再び戦場に戻る際、「フランス人娘には気をつけなさい」と言う。狂気はさらに続く。一週間、或いは一ヶ月戦って、やっと10ヤード前進する。でも次の月にはまた元に戻される。 プラトン、アリストレス、ソクラテス、1000年前の文化、哲学、知恵はどうなってしまったと言うのだ?こんな事態は防げたはずだ。家に思いを馳せる。ポプラ並木を歩いた学生時代に戻る。楽しい思い出だ。小型飛行船からさらに爆弾が降ってくる。気持ちを引き締めなければいけない。何か誤算が起きるのが怖くて誰のことも見ることができない。共同墓地。他に残された可能性はない。 すると桜の花に気づく。そして自然は全く影響を受けていないことに気づく。ポプラ並木、赤い蝶々、儚い花の美しさ、太陽。自然は全く意に介さないのを目の当たりにする。人類によるあらゆる暴力も苦悩も自然は気づきもしない。あまりにも孤独だ。すると爆弾の金属片が側頭部に当たり死んでしまう。排除されたのだ。削除されたのだ。駆除されたのだ。私はこの本を置き完全に閉じた。戦争小説はもう二度と読みたくないと思い、二度と読むことはなかった。 ノース・カロライナ出身のチャーリー・プールがこの話に通じる歌を書いた。「ユー・エイント・トーキン・トゥ・ミー」という歌で、歌詞はこうだ。 ある日街を歩いていたら窓の中に張り紙を見つけた 入隊して世界をこの目で見よう、と書いてあった 楽しい仲間と刺激的な場所を見るだろう 面白い人たちと出会い、彼らの殺し方も覚えるだろう 僕に言っても無駄さ、僕に言っても無駄さ 僕は頭がイカれているかもしれないけど、分別はある 僕に言っても無駄さ、僕に言っても無駄さ 銃で殺すなんてちっとも楽しそうじゃない 僕に言っても無駄さ 『オデュッセイア』も素晴らしい一冊で、そこで語られている題材の数々は多くのソングライターのバラッドに取り上げられている。「早く家へ帰りたい」「思い出のグリーングラス」「峠の我が家」、私の歌でもだ。 『オデュッセイア』は戦争で戦い終えて帰郷しようとする男の不思議な冒険物語だ。長い帰路の旅であり、途中にはいくつもの罠や落とし穴が待ち受ける。彼は呪にかかったように彷徨い続ける。常に海に放り出され、毎回九死に一生を得る。巨大な岩の塊が彼の船を揺らす。怒らせてはいけない人の怒りを買ってしまう。乗組員に問題児もいる。背信。船員たちが豚にさせられたかと思うと、今度は若い色男に変身する。彼は常に誰かを救助しようとする。彼は旅人だが、足止めを食らうことが多い。無人島に流れ着く。人けのない洞窟を見つけ、そこに隠れる。巨人に出くわすが、「お前は最後に食べる」と言われる。そして巨人から逃げる。家に帰ろうとするが、風に振り回される。容赦ない風、冷たい風、不吉な風。遠くまで行ったと思うと、風にまた押し戻される。 毎回次に何が待ち構えているかあらかじめ警告を受けるが、触ってはいけないと言われたものをつい触ってしまう。進む道が二つあったら、そのどちらも凶。どちらも危険を伴う。一方は溺れる可能性があり、もう一方は飢える可能性がある。狭い海峡に入って行き、泡の渦巻きに飲み込まれる。牙の鋭い6つの頭を持った怪物と出くわす。雷に打たれる。突き出した枝に飛びついて荒れ狂う川から身を守る。彼を守ろうとする女神や神々もいれば、彼を殺そうとする者もいる。彼は素性を幾度も変える。疲れ果て、眠りに就くと笑い声で目がさめる。見知らぬ人に自分の話をする。旅に出てから20年になる。何処かに放り出されて、置いていかれたのだ。ワインに薬を入れられたこともある。苦難に満ちた道のりだった。 色々な意味で、これらのことは誰にでも起こり得る。ワインに薬を入れられたことがあるだろう。間違った女性と一夜を共にしたことがあるだろう。摩訶不思議な声、甘い声、聴き慣れないメロディーに魅了されたことがあるだろう。遠い道のりをやっと辿り着いたと思ったらまた押し戻されたことがあるだろう。そして九死に一生を得たことも、怒らせてはいけない人を怒らせたこともあるだろう。この国中を取り止めもなく彷徨ったことだってあるだろう。そして、凶をもたらすあの不吉な風を感じたことがあるだろう。しかし、これだけでは終わらない。 家に辿り着いても事態は決して喜べるものではなかった。妻の親切心につけ込んだ悪党達に家を乗っ取られていたのだ。しかも人数が多すぎる。いくら彼が彼らよりも偉大で、大工としても、狩人としても、動物に関するに知識にしても、海男としても、何をやらせても一流だったとしても、勇気で身を守ることはできない。機転を利かせる他ない。 ゴロツキ達には彼の家を汚した代償を払わせなければいけない。彼は小汚い乞食に変装すると、横柄で馬鹿な下手人が彼を階段から突き落とす。下手人の横柄さに嫌悪感を抱くが、彼は怒りを抑える。百対一にも関わらず、彼らを全員やっつける。一番の強者をもだ。彼は何者でもない。そしてようやく家に帰ると彼は妻と一緒に座り、彼女に冒険談を話すのである。 つまりどういうことか。私自身、そして他のソングライター達も、これらと同じテーマに影響を受けてきた。そしてそれらは無数の解釈ができる。ある歌に心を動かされたのであれば、それで十分なのだ。その歌の意味を知る必要なんてない。私は自分の歌に色々なことを込めてきたが、それらが何を意味しているか案じるつもりはない。メルヴィルが旧約聖書や新約聖書からの引用や科学的理論、プロテスタント教義、そして海や帆船や鯨に関する知識を全て一冊の本に込めた際、彼もそれらが何を意味しているのか案じたとは思わない。 ジョン・ダン然り。シェイクスピアの時代に生きた詩人/聖職者は綴っている。「彼女の乳房のセストスとアビドス。二人の恋人ではなく、二つの愛であり、巣である」これが何を意味しているのかは私もわからない。でも良さげに聞こえる。自分の歌も良さげに聞こえてほしいのだ。『オデュッセイア』に登場するオデュッセウスが英雄アキレスに会いに冥府を訪れた際、平和で幸せな長寿と引き換えに名誉と栄光に満ちた短命を手にしたアキレスはオデュッセウスに全ては間違いだったと語る。「私はただ死んだ。それだけだ」と。そこには名誉はなかった。不朽の名声などない。そして、もし可能であるなら、黄泉の国の王でいるよりも、地球上で小作人の元に仕える奴隷として生きることを選ぶ。どんなに辛い人生であろうと、死ぬよりましだと語っている。 歌も同じだ。我々の歌は生き��いる人たちの世界でこそ生きるものなのだ。でも歌は文学とは違う。歌は歌われるべきものであり、読むものではない。シェイクスピア劇の言葉の数々は舞台で演じられる為のものであるのと同様に、歌の詞は歌う為のものであり、ページに綴られているのを読む為のものではない。そして、皆さんにも、これらの詞を、聴かれるべき形で聴く機会があることを願っている。コンサート、或いはレコード、或いは今時の音楽の聴き方でも構わない。 最後に再びホメロスの言葉で締めたいと思う。「詩神よ、私の中で歌い、私を通して物語を伝えてくれ」    ◆   ◆   ◆
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kimisg-spot · 12 years ago
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4月29日(月)TILGFF春の名作劇場上映作品『シェイクスピアと僕の夢』(2008年・米)/ TILGFF’s One-Day Screening in Spring on 29 April: Were the World Mine (2008/USA)
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「まことの恋が平穏無事に進んだためしはない。」『真夏の夜の夢』からのこの台詞。恋をしたことのある人、あるいは恋をしている人であれば、誰しも心に深く響くに違いない。この戯曲を翻案にトム・ガスタフソンが監督した映画、『シェイクスピアと僕の夢』にとっても要となる台詞である。 
  ヘレナであり、妖精パックでもある主人公ティモシーは、エリート男子校でいじめに耐える毎日を過ごしている。さらに彼を悩ますのは、スポーツマンで人気者のジョナサンに対して密かに抱いている恋心。そこに、謎を秘めたテビット先生が生徒上演の『真夏の夜の夢』のパック役にティモシーを抜擢し、そこから突然大きな変化が訪れる。先生は彼に、ドイツの映画監督マックス・ラインハート版の台本を渡し、その台本の中から三色すみれを使った魔法の惚れ薬の作り方が浮かび上がる。ティモシーは、はじめは間違って、その後は意図して惚れ薬を保守的な同級生や町の人々にかけていく。惚れ薬をかけられた者は次々と、恋の痛みと歓びを知ることとなる。 この映画は様々な愛の形を描いている。問題を抱えた子どもを愛する母親。振り向いてくれない妻を愛する夫。女性を愛する人妻。男を好きになった男友だちを愛する少女。同じ人を愛する2人の男性の嫉妬と対抗心。そしてもちろん、お互いを愛する2人の男子生徒。
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    この映画が描いているのは、『アラバマ物語���のアティカス・フィンチが言う、「他の誰かの靴を履いて歩いてみる」ことの大切さである。数えきれない映画が扱ってきたテーマで、決して斬新なわけではない。しかしこの作品は、惚れ薬同様、圧倒的な魅力で多様な観客を惹きつける。シェイクスピア好きは、原作との対比を楽しみ、高校生活の試練のまっただ中にいる者は、ティモシーの姿に救いを感じることができるであろう。『ハイスクール・ミュージカル』のような青春映画のパロディーとして観る者もいれば、「やおい」ファンは、ティモシーを傷つきやすさと澄んだ瞳で演じるタナー・コーエンに心奪われるだろう。しかし、最終的には優しく、神秘的な雰囲気が映画の一番の魅力かもしれない。低予算のインディペンダント映画であるため、手作り感が否めないが、それが反って不思議な別世界を作り上げている。観客は現実世界から一気に幻想世界へと引き込まれる。パックは、恋で盲目になった登場人物を、「人間ってなんてばかでしょう」と笑う。ここで描かれる幻想世界は観客に魔法をかけ、同じようにばかとなって恋をしたいと思わせてしまう。是非、ティモシーとともにこの魔法を体験し、果たしてティモシーはこの夢から覚めるのか、本当の愛を見つけることができるのか、見届けてはどうか。
    『シェイクスピアと僕の夢』は2008年の第17回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭(以下TILGFF)で上映されたが、日本では残念なことに、ロードショー公開もDVD発売もされていない。幸運にも、来週4月29日開催のTILGFF「春の名作劇場」において、1日限定で再上映される。Tokyo Rainbow Week 2013の間、東京にいる予定の人は、この『真夏の夜の夢』に浸りながら、初夏の訪れを感じてはどうか。この1日限りの映画祭では、人気カントリー歌手シェリー・ライトのカミングアウトを追って好評を博したドキュメンタリー映画『シェリー・ライト―カントリーシンガーの告白』と、日本と台湾の短編映画3本をまとめた『日本&アジア短篇セレクション』も再上映される。詳細はこちら。
日時:
2013年4月29日(月・祝)
会場:
東京ウィメンズプラザ ホール
東京都渋谷区神宮前5-53-67
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/contents/map.html
作品紹介:
シェイクスピアと僕の夢

監督: トム・ガスタフソン / 2008 / USA / 96min / Language: English ※日本語字幕付き
シェリー・ライト ― カントリーシンガーの告白

監督: ボビー・バーレッフィ、べヴァリー・コップ / 2011 / USA / 93min / Language: English  ※日本語字幕付き
日本&アジア短編セレクション
●ごくごくふつーのっ!
監督: Studio LUNCHBOX / 2011 / Japan / 16min / Language: Japanese  ※���語字幕付き

●アンコール / 再演一齣戲
監督: 練健輝(アンソニー・レン) / 2011 / Taiwan / 32min / Language: Mandarin  ※日本語&英語字幕付き
●TSUYAKO
監督: 宮崎光代 / 2011 / Japan, USA / 25min / Language: Japanese ※英語字幕付き
■スケジュール

10:30am-12:00pm シェリー・ライト ― カントリーシンガーの告白

12:45pm-14:00pm 短編セレクション

14:30pm-16:05pm シェイクスピアと僕の夢
料金:
1,000円(学生 800円) / 1プログラム
2,500円 / 3プログラム
■チケットの入手方法:
当日券は午前9時30分から全作品の整理番号付きチケットを会場受付にて販売します。
開場時間になりましたら、整理番号順にご入場ください。
また、前日4月28日(日)に開催される『東京レインボープライド2013』の会場内、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のブースにて前売券を販売いたします。
完全入れ替え制です。
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    “The course of true love never did run smooth;” this line from Midsummer Night’s Dream will resonate with anyone who has been or is in love. And it is the focus of Tom Gustafson’s charming cinematic take on Shakespeare’s play, Were the World Mine. Timothy, part Helena and part Puck, endures the physical and verbal taunts of his classmates at an exclusive all-boy’s high school. To make matters worse, he furtively pines for Jonathan, the school jock. All this changes as the enigmatic teacher, Ms Tebbit, casts him as Puck in a student production of Midsummer Night’s Dream. She gives him Max Reinhart’s edition of the play, which reveals to him the recipe for the love-in-idleness juice. As Timothy, first mistakenly, then intentionally applies this magic love potion to his classmates and the people of the conservative town, they begin to experience the pain and pleasures of being in love. The film explores love in its many forms: a parent’s love for a troubled child, a husband’s love for an indifferent wife, a married woman’s love for another woman, a girl’s love for a boy in love with another boy, the rivalry of two boys in love with the same person, and of course, the love two boys share for each other.
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There is nothing new in the premise of this film that has the characters “walking in someone else’s shoes,” as Atticus Finch put it. Even so, its charm is as potent as the love juice, and it is bound to enchant a diverse audience. Lovers of Shakespeare will enjoy unraveling the parallels with Midsummer. Those who are going through the trials and tribulations of high school will find consolation in Timothy’s journey. Some might see the film as a spoof of teen comedies such as High School Musical. The yaoi crowd will, no doubt, swoon over the vulnerable and bright-eyed Tanner Cohen, who plays Timothy. In the end, though, it is probably the gentle and magical tone of the film that makes it a crowd-pleaser. As it is a low-budget, independent film, the sets and costumes often look handmade, yet this adds to the otherworldliness; the audience is transported from the real world into a strange dream-like vision. Puck cries, “what fools these mortals be!” as he observes the characters who all fall head over heels in love. This dream will cast its magic over the audience and make them long for such a love that will make them fools, as well. I urge you to experience the magical journey together with Timothy in order to learn whether or not Timothy wakes from this dream, and whether or not true love becomes a reality for him.
Were the World Mine was screened during the 2008 Tokyo International Lesbian and Gay Film Festival, but was never released in general theaters nor made available on DVD in Japan. Fortunately, it has been included as part of the program for the “TILGFF One-Day Screening in Spring” on 29 April. If you have plans to be in Tokyo during the Tokyo Rainbow Week 2013, what better way to begin early summer than immersing yourself in this Midsummer Night’s Dream. The One-Day Screening will also include the highly acclaimed documentary about country singer, Chely Wright, coming out, and three short films from Japan and Taiwan. For more information, visit: http://tokyo-lgff.org/.
1109 Kimi's G-Spot
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画像提供:東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
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thyele · 5 years ago
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有村 竜太朗さん「「月令10.0/getsurei10.0」 いよいよ明日になり〼。 こういう状況だから、 画面越しでも音だけでも、みんなと一緒に過ごせる場所がある事に今は救われて〼。 いろんな気持ちはあるけれど、それでも明日は楽しみだから。 参加してくれる方も思いっきり遊んでくれたら是、幸い至極。 (・ライヴ・)/」https://twitter.com/Pla_ryutaro/status/1299328775960756226 UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「さて、本日の録りを終えて、 舜さんにもデータ送れた♪ 起きてから中々長いこと座ってたな。 寝る前もやけど。笑 今日は終了します(`_´)ゞ」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1299359212242231296 lucy+peter=esolagotoさん「目的もなく 好きな曲を好きなだけ唄いちぎってきました 今夜はよく眠れそう。笑」https://twitter.com/lucy_peter/status/1299359780532678657 太三さん「愛と平和に包まれ今年の夏に悔いなし! 全来世のみなさまありがとう!!!」https://twitter.com/taizodiac/status/1299365538410315777 UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「@shun_thefuzzbox よろしくお願い致します✨ どーぞ! 楽しんでください(`_´)ゞ」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1299366602643664896 太三さん「そして近日 湧き上がる情熱と 気合の入ったお知らせをします。」https://twitter.com/taizodiac/status/1299366838082576384 KINGRYOさん「ハンバーグ\(//∇//)\」https://twitter.com/kingryoworld/status/1299369202894041088 KINGRYOさん「2020.8.28@吉祥寺シャッフル 〝完全なる独唱〟配信 ご視聴ありがとうございました✨ OTOYAもSHUもありがとうね!! とっても楽しかったよ(^-^)」https://twitter.com/kingryoworld/status/1299370752060186626 utaistjpさん「女性キー【海の幽霊/米津玄師】カバー (歌詞付き・フル) +3 気に入って頂けましたらリツイート、いいねをお願いいたします!!フルVer.はコチラ👉#石河美穂 #ウタイスト」https://twitter.com/utaistjp/status/1299315799438643200 ryoさん「命。 誰に授かった? 直接は親であろう でも尋ねても答えは無いかも 「生きろ」 と 命じられたのだ 多分。 好きにすればいい 正解は無い 受け取ったその時から 自分のものだから。」https://twitter.com/ryo_dalli/status/1299372742307983361 舜 NEiNフルアルバム発売中さん「なんか眠れないのでよりたから来たデータの確認と録音の為の音作りでも。 今回はこの子達に頑張ってもらおうかな😊🎸✨」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1299373657202937857 幡野 広志さん「安倍総理、病気の再発で辞任か。これはご本人にとってかなりショックだったろうな。 総理大臣が辞任するほど仕事に影響をあたえるんだよね、病気って。政治信条に関係なく、病気を揶揄されないことを願いたい。」https://twitter.com/hatanohiroshi/status/1299262043019595776 キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「チケット『残りわずか』です!」https://twitter.com/kiri_drums/status/1299374938013364224 ふなもと健祐さん「寂しいですねぇ… 浴衣、今年は着れないなぁと僕も思ってました。それもまた残念ではありますね。ぐむむ。 #Peing #質問箱」https://twitter.com/funamoch1/status/1299377969866055681 【Phobia】 KISUIさん「@prin_guitarist 笑うしかないよね。笑」https://twitter.com/KISUIxxx/status/1299386032035516418 こもだまり/昭和精吾事務所さん「Manhattan96で共演し、同じ高校演劇部の先輩後輩だと(顧問の櫟木先生のおかげで)判明した、 ちえちゃん/うっちーこと 少年社中女優の【内山智絵】さん。 彼女がプロデュースする #チエノミ 初公演「湖国への約束」が31日まで、K'sスタジオで上演中。 配信もあるってよ! ここ、歳の差10歳…」https://twitter.com/mari_air/status/1299389362736517121 こもだまり/昭和精吾事務所さん「#楽屋 によって出会ったもの。 清水邦夫さんは勿論、チェーホフとシェイクスピアと三好十郎の台詞を初めて音にした夏。 8/29 19:30、#ことのはbox 吉川班千秋楽。 お陰様で完売ですが、応援の気を送ってください📣 共演の飯田來麗ちゃん、美人でしょ。 歳の差20超のコンビ。」https://twitter.com/mari_air/status/1299394269652774914 👓松 👣 駿🧢さん「明日です! lang配信ライブ! まだ盤ゲットしてないかたは、本日公開のMV、bandcampで聴きつつ備えてください!」https://twitter.com/Shunsuke_Matsuo/status/1299320648087474177 UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「おはようございます! レコーディングに夢中になり過ぎて安倍さんの辞任を知ったのは深夜でした。 本人の意思とは関係なく、病はもうどうしようもないよねぇ〜 … とにかく、お大事に! です。」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1299494447734947841 魚住英里奈 Official infomationさん「本日正午よりメール予約の受付開始です。」https://twitter.com/uozumi_chas/status/1299512336198201344 🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「8月の終わり 明後日にするお知らせに向けて今日も準備をしまくらなければ 北野タケシの映画に「キッズリターン」ってあるでしょ あの感じ それに比べると年齢は重ね過ぎてしまったけど」https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1299516546331492354 舜 NEiNフルアルバム発売中さん「結局朝まで録音してました_(:3 」∠)_ 久しぶりに起きて10秒で出勤して続きを🎸✨✨ アンクロの曲に新しい命を吹き込みますよ👍✨」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1299527221506240513 UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「@shun_thefuzzbox ありがとうございます! ほんとに仰る通り新しい風が入ってきました😆✨ 引き続きよろしくお願い致します‼︎」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1299541860692631552 KINGRYOさん「こんにちは✨」https://twitter.com/kingryoworld/status/1299541983841497088 KINGRYOさん「今日も暑いですね😵 熱中症に気をつけてね✨」https://twitter.com/kingryoworld/status/1299545966576459776 👓松 👣 駿🧢さん「本日19:00スタート lang 配信ライブ 今日を入れてあと3日でduesは営業を終えるけど、だからこそこれからの未来のための60分にしたいと思います 本日の配信から2週間、アーカイブでも購入視聴できます お時間が合えばリアルタイムでも見てほしい 何卒」https://twitter.com/Shunsuke_Matsuo/status/1299527262526603264 金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「音楽やるなら洋楽聴かなきゃとか昔から言われてたけど、やっぱ邦楽が好きなんよね 歌詞が伝わりやすいからかなとか漠然と思ってたけど、最近は老化のせいか歌詞もほとんど聞き取れないし頭入ってこないし英語で歌ってる邦楽も好きだ 不思議 結局、地元愛ってやつですかね笑 (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1299552844144496640
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