#チェコ語教室
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hakume · 1 day ago
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【2025年夏】チェコ語フォローアップ通信講座🇨🇿のお知らせ
ドブリーデン! 
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6月から真夏のような暑い日が続いておりますが、お元気でしょうか。
チェコ語を学習されている方向けに、フォローアップの通信教育を7月8月に開講することにしました。
暑さよりチェコ語が思い出に残る夏にしてみませんか。
今回の講座はは、決まった時間にzoomにつなぐ必要はありません。ご自身のスキマ時間を使って学習の補助にご活用ください。
講師がその人だけに向けてフィードバックを返します。
グループレッスンでは聞きにくいことや、チェコ語に関するさらなる質問がある場合も、Google classroomで無制限でお尋ねください。
【開催要項】
目 的:チェコ語にふれる時間をふやして学習の定着とモチベーションアップをめざします
対 象:チェコ語学習経験がある方
内 容:
(1)チェコ語の週2回の課題チャレンジ
・Google classroomにて週2回、課題をお送りします(毎週水:リスニング、毎週土:文法、作文、ドリルなど/入門、初級、中級で各レベルごとに出題します)
・ご自身の都合に合わせて2週間以内にチャレンジしていただくと、講師からフィードバックが届きます。
・初回は7月16日(水)です。8月末まで全14件のチャレンジが出題��れます。
・ご参加申込は7月31日(木)までお受けしています。
・チェコ語にふれることをめざしているため、出来不出来よりもまずは継続をめざしましょう
(2)Google classroomでは、チェコの現地情報や生活情報、サマースクール情報など「教室だより」を毎週更新予定です。チェコ語学習のモチベーションにしてください。
講 師:梶原初映
参加費:5,000円
お申し込み、お問い合わせはこちらから。
ご参加お待ちしています🇨🇿
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helloharuo-diary-2023 · 1 year ago
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helloharuo tour 2014
Wednesday 16 April 2014
真観は、箱根の旅館に向かった。箱根までは約1時間で到着。この旅館でチェコから来ている観光者Dと初対面。昨年知り合ったチェコの女性Mからの紹介だった。Mは、大学で心理学の教授をしているがその彼女のクラスの生徒の母親が日本に来て箱根に泊まる。その彼女の箱根エリアの観光案内をして欲しいというリクエストだった。真観は快く承知した。9時にDが滞在してい旅館の前で彼女と合流。DとはFacebookで既に繋がっていて何度かメッセージのやり取りをして交流を始めていた。真観は彼女を車に乗せて「helloharuo tour 2014」をスタートさせた。旅館の前には橋が架かっていてその橋の両側に鯉のぼりが何体も風に吹かれて泳いでいた。鯉のぼりの意味をDに話すとチェコではポピュラーで食用するとのこと。真観には新しい情報だった。Dがお茶に興味を示していたので真観は強羅公園に先ず向かった。この公園には茶室があるからだ���強羅公園の入場料は500円。茶室に着いて抹茶とまんじゅうセットで500円。簡易的にサービスされ後は3カ所の茶室を回った。湯を湧かす為の正方形の小さい炉を塞いでいた畳をひっくり返してDに炉について説明すると『畳がこんなに厚いとは知らなかった』と言った。彼女には意外だったんだろう。真観たちがこの茶室を去る時に外国人の団体がやって来た。Dは、彼らの言葉を聞き『ロシア人だわ。チェコ人はロシア人は好ましく思っていない』と言った。真観はその意味を理解していた。それはかつて1968年に起きたロシア侵攻、いわゆる「プラハの春」があったからだ。Dは、チェコでアメリカのパソコン関係の会社の弁護士をしている。歳は真観の1歳上。初めて会った真観だったがDのオープンな性格と真観のオープンな性格がマッチしたのか一緒にいて会話は弾んだ。次に向かったのは富士屋ホテル。ジョンレノンも泊まったと言うホテルならば印象も深まるだろうという真観の案だった。このホテルは、つい先月Kちゃんと訪れたばかりだった。和洋折衷のホテルはDにとっても興味深く感じた様で連れて来て良かったと真観は思った。次に予定していたのは富士山須走口。箱根からR138、そして東富士五湖道路のインターに入った。そして真観は道を間違えたことに気付いた。仕方なく一つ目のIC、山中湖で降りて真観はiPhoneで富士山須走口を検索し一般道路で引き返すことにした。山中湖に差し掛かった時ランチの時間でもあったのでイタリアンレストランを見付けて入ろうとしたら休日だった。これまた仕方なく富士山須走口を見付けることを第一優先と考え車を進めた。まもなく「須走道の駅」を見付けてここでランチを食べることにした。そして真観はやっと富士山須走口に行く為には東富士五湖道路に入っては行けないんだと悟った。「須走道の駅」のレストランは富士山がバッチリ見えるレストランで二人とも「富士山カレーライス」を食べた。このカレーライスのライスは富士山に見立ててライスの盛りつけをしていて日本人の芸の細かさをDは知った。さて食事も終わり富士山須走口に行こうと車を走らせた時更なるどんでん返しがあった。雪でまだ通行止めだというのだ。確かに富士山に雪が積もっているのは茶畑庵からも確認出来ていたがこれは大きな誤算だった。富士山須走口を目指したのはそこから行ける「小富士」に行きたかったからだ。う〜ん、残念。
Dは真観の観光案内にフレキシブルに対応してくれて『富士山が見れればそれで十分』と言ってくれた。真観は気を取り直して古巣十里木高原へと向かった。R469を上り忠ちゃん牧場の先にある富士山絶景スポットに案内。Dは大変感動してくれて何度も真観に感謝を伝えた。今日の富士山は空にガスがあり少し霞んでいたが標高1000mの十里木高原に来たらすこしばかりクリアーに見ることが出来た。そしてさらちょっとした感動をと真観は思い十里木展望台へと向かった。途中真観はDに東京から静岡に引っ越しをするきっかけになった友人のペンションも紹介する。そうやってDとの道中お互いのことを話して打ち解けて行く。Dはご多分にもれず?離婚を経験していたり、その訳あって子育てで子供に辛い思いをさせたことや社会主義時代のチェコの話をしてくれた。真観も出身地から上京しカメラマンになるまでの経緯や日本についての考え等を話した。十里木展望台の駐車場には車が沢山停まっていたが人気はなかった。そして約10分2人は展望台へと登って行く。Dは少々運動不足の日々を送っている様で途中途中立ち止まっては休憩しながら登った。展望台に着くと気持ちよい絶景が待っていた。二人ともこの時ばかりにカメラの機能であるパノラマで撮影をする。そうやって撮りたくなるほど景色はパノラマに広がっていた。当初「小富士」に行く予定で観光案内のスケジュールを組んでいたが諸々で変更となりその分時間に余裕が出来ていた。真観はDに箱根に帰る前に茶畑庵を紹介したいと言った。Dは、茶畑にも興味を持っていたので丁度いいと真観は思った。そして外国からの観光客にとって日本の家屋の造りを見るのも良かろうとの判断だった。茶畑庵の到着すると庵内に入る前にバックヤードにある茶畑に案内した。天気が良ければ富士山が茶畑の向こうにそびえるのだが富士山は雲のベールでかすかにシルエットだけだった。この茶畑庵のバックヤードにある茶畑は茶畑らしい?形状を持ちとてもフォトジェニックである。茶畑庵の中に入ると真観はDに各部屋を紹介した。それはいつも茶畑庵に初めてやって来訪者たちへの恒例の案内。Dは、キッチンや壁の素材に興味を示した。それとバスルームで使う桶は何の為にあるのか?と質問して来た。恐らく日本の旅館に泊まった際に温泉の浴場に置いてあったのだろう。立ちながらシャワーをする欧米人には不思議なモノに写るのだと思う。真観は、バスルームに入って水のないバスタブから水を汲む振りをしてどう使うかをジェスチャーで紹介した。次��寝室そしてリビングと移りオーディオルームやレコードの説明そして坐禅部屋で坐禅の組み方も披露しDにも体験してもらった。英語で禅について説明するのは難解なのでインターネットで調べてほしいと頼んだ。2回に上がり仕事部屋から見える富士山を見たDは真観をうらやましがった。外国人にも富士山は憧れの山ということだろう。ライブラリー室に移ると真観は自身の作品、今回はウェディングアルバムの数々をDに見せた。Dは、一枚一枚ページを丁寧にめくり見ていた。ウェイディングは各国共通項の行事。ウェディングにどれだけの費用が掛かるのかとかどうしてお色直しをするのか興味津々だった。
夕暮れになり時間も6時近くになって来た。そろそろDを箱根の旅館に戻す時間になった。真観は茶畑庵を出発してDに真観が毎朝通う禅寺に案内した。禅寺には枯山水の庭があるのでツアーの最後に紹介したかったのだ。Dは真観の坐禅についての話を彼女なりに汲み取って自分の生活に何かが足りないのかもと気付いた様だった。真観自身がそうだった様に。
もう空は暗くなりヘッドライトを点灯してのドライブになった。朝Dと話した時に旅館でのディナータイムは7時半からだと聞いていたので今回のツアーはそれまでには終えようと真観はスケジュール調整して観光案内をした。
真観の車アーティ21スペシャルが旅館に着いたのは7時13分。 「helloharuo tour」はこうして無事に終える事が出来た。 Dとはこれからもkeep in touchで行こうとハグをして別れた。 いい出会いに感謝。
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yuupsychedelic · 1 year ago
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詩集『Commons』
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詩集『Commons』収録作品
1.「戦争しか知らない」 2.「愛なき世代に薔薇の花を」 3.「青春とロコモティブ・シンドローム」 4.「商店街の純喫茶」 5.「広場、それは私の……」 6.「女は微笑むために生きてるんじゃない」 7.「もうすぐ朝は来るだろう」 8.「いくつになってもマイ・フレンド」 9.「断絶の季節」 10.「失墜」 11.「しぼんでいくこの風船で」 12.「自由になろうよ」
1.「戦争しか知らない」
僕は戦争の最中にここで生まれた 僕は戦争のない日々を未だ知らない 大人なら戦争を止められると信じていた 世界は味方してくれると信じていた
でも欧米から遠く離れたこの国に 振り向く人など誰もいない
愛せるものもなく 信じられる人もなく 生と死の狭間を彷徨い 明日が来ることすら 運命に委ねてた
もはや痛みも感じない 昨日も友達が死んだ
いつか大きくなったら銃を取り 憎き兵士に鉛を叩き込んでやると 幼い僕は無邪気に思ってた
でもいざ戦場で相手兵士の顔を見た時 同じ時代を生きる者同士だと気付いた
誰かの思惑で 何も説明されず 生と死の狭間を彷徨い イデオロギーの違いに 正義を委ねてた
もはや痛みも感じない さっきも友達が死んだ
何年待てば戦争は終わりますか? 僕は戦争のために生まれてきたのですか?
地獄のような日常の中 さすらい続けるのは 空っぽになった良心たち
愛せるものもなく 信じられる人もなく 生と死の狭間を彷徨い 明日が来ることすら 運命に委ねてた
誰かの思惑で 何も説明されず 生と死の狭間を彷徨い イデオロギーの違いに 正義を委ねてた
もはや痛みも感じない 毎日仲間が死ぬ 僕は今日もここで 死を待つ
2.「愛なき世代に薔薇の花を」
レイトショーに微睡み ベランダで佇む恋人 僕たちは星空を見つめつつ 愛をたしかめた
いつしか白髪も増え 日々に燃えなくなった おじさんと馬鹿にされても 何も感じなくなった
愛なき人と呼ばれても 薔薇の花さえあれば 愛なき世代と呼ばれても 薔薇の花さえあれば
いっそ殺してしまえと祈った日 僕はあえて憂鬱を殺してみた
おそらく若い頃は夢を見て 王国でも作ろうとした カブトムシにすらなれないのに 虹を見つめていた
さりげなく大人になり 大仰に歳をとった 会社では役職持ち 部下に媚びを売られる日々
愛なき人と呼ばれても 薔薇の翼さえあれば 愛なき世代と呼ばれても 薔薇の翼さえあれば
いっそ散ってしまえと祈った日 僕はあえて羨望を殺してみた
あんなに泣き虫だったのに もう泣けなくなった レイトショーにはチェコ語の文字 隣で微睡むのは借り物の恋人
愛なき人と呼ばれても 薔薇の翼さえあれば 愛なき世代と呼ばれても 薔薇の翼さえあれば
薔薇があれば生きていける 薔薇があれば生きていける
愛なき時代に生まれても 薔薇の花さえあれば 僕だって生きていける レイトショーは続く 月光に照らされながら永遠に この先も続くだろう
3.「青春とロコモティブ・シンドローム」
十年前の僕は空も飛べる気がした 手を伸ばせば宇宙にだって行ける気がした 僕はいつしか夢を見なくなり 君もいつの間にか大人になったね
数えきれないほどの出逢いと別れを重ねて 青春時代にたしかなピリオドを打つ
ある日突然身体が動かなくなり 新しいことを始める勇気が出ない 僕は必死に今を生きようとするけど 心が何かを無性に��めようとしてるんだ
感覚だけで生きられる そんな季節は過ぎ去った
十年後の僕は何をしてるんだろう 恋も友達も夢もどこへ行ってしまったの? やりたいことがやりたくないことに忙殺され 誰かの意図のままに動く僕が生まれた
いつか見た花は芽が出ずに枯れた 青春時代よ僕に何を伝えたのか
あの日突然身体が動かなくなり すべては幻の中へ溶けていく 僕は必死に今を生きようとするけど かつてのように出来はしない
純情だけで生きられる そんな時代は過ぎ去った
涙が今日も止まらない 何故だかよくわからないけど 心を覆うガーゼは夢を目指した墓標
ある日突然身体が動かなくなり 新しいことを始める勇気が出ない 僕は必死に今を生きようとするけど 心が何かを無性に止めようとしてるんだ
感覚だけで生きられる そんな季節は過ぎ去った
心と身体とシンドローム なりたい自分になるために がむしゃらになれた…… そんな時代は過ぎ去った 僕は花を咲かせられなかった
4.「商店街の純喫茶」
君と僕 ふたりで飲むクリームソーダ 昼下がり 逢いたくなるのは恋じゃない もう何年 続いたのかこの関係 逢えなくなる そう決まって動き出す
遠距離恋愛 幼馴染 不似合いな言葉が 煙草に溶けてく
君と僕 ふたりで飲むウィンナーコーヒー 夕暮れ時 淋しくなるのは夢じゃない もう何度 憂いたのかこの関係 逢いたくなる そう思って呼び出した
蒼穹の彼方へ 時は行く 君の隣に別の男 想像もしたくない
あの頃僕らは若かった いつか見た夢が 煙草に溶けてく 時は流れた
遠距離恋愛 幼馴染 不似合いな言葉が 煙草に溶けてく 埃混じりの便箋 交わす文字 涙に溢れた 青年の日々よ いつかわかるさ……
5.「広場、それは私の……」
街の片隅の広場には さまざまな風が集まる 散らばったり集まったり 繰り返す星のように
私もここに行くたび いくつか時は重ねても 泣いたり笑ったり 変わらぬ声の響きよ
広場、それは私の…… 広場、それは私の……
いつか土に還っても思い出す まだ見ぬ未来を集めた場所 広場、それは私の……
街の片隅にある広場が もうすぐ月になるらしい 守られたり壊されたり 時の調べの中で
虹を追いかけた頃 正解なんてなくても 話したり話さなかったり なんとなく楽しかった
広場、それは私の…… 広場、それは私の……
かつてここにあったと語り継ぐ まだ見ぬ未来を集めた場所…… 広場、それは私の……
名もなき恋の始まり 語り継がれぬ友情よ 穏やかな家族の団欒 政治やデモクラシー
すべてはここから紡がれ いつか魂を結ぶ
広場、それは私の…… 広場、それは私たちの……
子どもから大人まで 人から石まで すべてが集う場所
広場、それは私の…… 広場、それは私の……
時を繋ぐ場所 忘れないで 失くさないで 広場、そこは私の……
6.「女は微笑むために生きてるんじゃない」
蝋燭を吹き消そうとして 消せなかった まるで恋愛のように 私を憎みたくなる
華やかな夜と穏やかな朝 仮に人形だって もっと上手く生きられるはずだ
何度泣いたのだろう 何度笑ったのだろう 作られた感情の先に 繰り越された本音の傷
女は微笑むために生きてるわけ��ゃない 偽物の愛に照らされて澱んだ光よ 女は微笑むために生きてるわけじゃない 最期に残したいのはこれ以上ない影
あなたを殺そうとして 殺さなかった ナイフの刺さった痕から 碧い血が流れる
笑う男と哀しむ女 仮にロボットだって もっと賢く犯れるはずさ
何度怒ったのだろう 何度誓ったのだろう 踏み躙られた日々の先に 作り込まれた私の愛
女は微笑むために���きてるわけじゃない すべては周りに穢された果ての叫びだ 女は微笑むために生きてるわけじゃない ほんとうは優しくありたかっただけ
さよならを言う前に……
女は微笑むために生きてるわけじゃない 太陽が昇る前の約束のポリフォニー 女は微笑むために生きてるわけじゃない 月が沈む前の運命のモノフォニー
女は微笑むために生きてるわけじゃない 偽物の愛に照らされて澱んだ光よ 女は微笑むために生きてるわけじゃない 最期に残したいのはこれ以上ない影
さよならを言う前に…… 女は微笑むために生きてるんじゃない
7.「もうすぐ朝は来るだろう」
淋しさと棲んできた 愛しさも喜びも抱きしめて いつか実れと祈ってた 幸せの果実よ
ただ夜明けを待つだけじゃ 何も始まらなかった もう歩み出そうとしたって すべて遅すぎるんだ
踏み出せなかった後悔と 変わらぬ平穏の海で 僕は舟を漕ぐ
恋愛がしたかった ぬくもりもつめたさも抱きしめて いつか出逢えると信じてた 運命の人よ
ただ糸を持つだけじゃ 何も生まれなかった もうやり直そうとしたって やり直せはしないんだ
過ぎ去りし日々への懺悔と 決められた宿命の海で 僕は舟を漕ぐ
遠くに太陽が見える もうすぐ来るのか 何度願ったのだろう?
一瞬のうちに沈んでいく 運命という名の儚さよ 何度祈ったのだろう?
それでも変わろうと 僕はこの舟を漕ぐ それでも生きようと 僕は運命に誓う
変わらなくても やり直せなくても 僕が僕であるために この舟を漕ぎ出す
もうすぐ朝は来るだろう いつか僕は夢を見た 朝は来るだろう
8.「いくつになってもマイ・フレンド」
足腰も弱り言葉も出ない そんな時代になっても 僕たちはマイ・フレンド
放課後の教室で語り合う そんな時代からの 僕たちはマイ・フレンド
すれ違うアベック 走るスポーツマン 夕焼けに照らされて すべてが思い出になる
十年経っても百年経っても 僕たちはマイ・フレンド もう迷わない 何処へだって行けるさ
仕事は残業 夫婦は倦怠期 こんな暮らしになっても 僕たちはマイ・フレンド
何したって変わらないさ こんな口癖になっても 僕たちはマイ・フレンド
走り出せ群青 いなくなれ憂鬱 夕焼けに口笛吹けば すべて無かったことに ……できないか
十年経っても百年経っても 僕たちはマイ・フレンド もう迷わない 何処へだって行けるさ だいじょうぶ
「あの頃は若かった」 そうじゃないだろ? まだ跳べるだろ?
十年経っても百年経っても 僕たちはマイ・フレンド もう迷わない 何処へだって行けるさ だいじょうぶ
いくつになっても腰が曲がっても 僕たちはマイ・フレンド 夢だって見るし 無茶だってするのだ
だいじょうぶだ 僕たちは大人だもの 生きてりゃ
9.「断絶の季節」
大人になったら楽になると思っていました いつかの若かった私にもう戻れません 春も夏も秋冬も繰り返すうちに 何も感じなくなった私がいました
たった一日の違いなのに なぜ私は大人を演じなきゃいけないんでしょう 答えを探しても見つかりはしない 現実という名の虚構の中で
断絶した季節を重ねた人は 人が人でなくなると嘆いています でも自覚的にそれを言葉にできない人は なんて幸せなんだと私は思います
幸せの価値など決められないのに どうして��人を決めつけてしまうんでしょう 人生の意味などわからないのに どうして上下をつけようとするんでしょう
自然体で生きているという人がもしいたら 私は自然って何かと疑ってしまいます それを無意識にしてしまうその事自体が 何て嫌な奴なんだろうと私を嫌いになるのです
断絶した心を持った人は 大切な何かを吐き捨ててしまったのです 痛みも憎しみも優しさも忘れて 自分だけの空間で生きているのです
安らぎや激しさの先に 猛烈な時代が過ぎ去っていくのなら 私はいつ楽になるのでしょう 一生このまま働くのでしょうか
断絶した季節を重ねた人は 人が人でなくなると嘆いています でも自覚的にそれを言葉にできない人は なんて幸せなんだと私は思います
愛とは何かを語らった時代よ 夢をふたりで無邪気に見つめた季節よ すべては断絶の中へ消え去り 時の魔法はいつしか解けました
断絶した心を持った人は 大切な何かを吐き捨ててしまったのです 痛みも憎しみも優しさも忘れて 自分だけの空間で生きているのです
死ぬこともできず 生きることもできない そんな臆病者として 私は明日も生きていくのです
10.「失墜」
クラスで一番人気の男子が学校に来なくなった 最初は噂になったけど今や話題にもならない どんな人も数日で忘れられていく 記憶の怖さを思い知ったんだ
記者会見で疑惑を否定した政治家が逮捕された 大臣にまで登り詰めた人だったけれど 裏金と虚飾に浮かれるうちに 人相すらも変わっていた
どんな人さえも どんな事さえも どんな権力に登り詰めても どんな利益を得られても
人は一夜で失墜する まるでコインの裏表のように 人は一夜で染まってしまう まるでカルトの教示のように
誰もが私は普通なんだと 心の中では信じている
ふたり並び立つ存在と称されたアイドルも 数年後にはそれぞれ別の道を行く ひとりは圧倒的なカリスマと呼ばれ もうひとりは「あの人は今」と囁かれる
有る事無い事書き立てる週刊誌 あんなもの無くなってしまえばいいのに 善意仕立てのプロパガンダ マスメディアは社会を侵略するウイルス
どんな恋さえも どんな愛さえも どんな至高の夢さえも どんな上向きな会社も どんな主張も どんな義務を押し付けられても
人は一夜で変身する まるでコブラの猛毒のように 人は一夜で塗り潰される まるでペンキを浴びたように
誰もが私は世界の中心だと 心の中では信じている
登りゆく太陽があるのなら 沈みかけの斜陽もあるだろう もし私が月というのなら 光だという人もいるはずさ
人は一夜で失墜する まるでコインの裏表のように 人は一夜で染まってしまう まるでカルトの教示のように
誰もが私は普通なんだと 心の中では信じている
宇宙が始まるその時に 運命が決められたといえるなら 昇華も失墜も誰かの書いた筋書き 私たちの普通も誰かに造られた偽物
誰もが私は世界の中心だと 心の中では信じている
11.「しぼんでいくこの風船で」
幼い頃から通い詰めた遊園地が 来週の日曜日で閉園するらしい ここ数年は人もまばらだったけど 久々に訪れてみると人の花が咲く
しぼんでいく風船を 人は膨らませて 明日は誰が創るのか 遺された人たちへ繋ぐ今日
ピエロとぬいぐるみたちが最後に舞い踊る 思い出をみ��な語り合いながら どこか淋しげで もう少し君も僕も行ってたら こんなエンディングも あと少し先になったかな?
観覧車もジェットコースターも この後はどこへ行く? 数年後にはここは公園になるらしい こうして街は生まれ変わる
しぼんでいく風船で みんな生きている 最初に君と出逢った日 人はまだ沢山いたよ
陽が沈んだ後にセレモニーは始まる ひと時のサヨナラと また逢う日までの約束 でも皆気づいてる「もう逢えない」って ただ見つめたいんだ 今よりちょっといい未来を
映画の世界をそっくりそのまま 始まった頃の君は今と違っていた いつしかここはいろんな色が交わり そして去りゆく季節の先に 何処にでもある日常が流れていく
もう少し僕がここに行ってたら こんなエンディングも あと少し先になったかな?
次の日に僕は遊園地を訪れた 昨日の狂騒はまるで嘘みたく 他と変わらない空気に覆われてた 遊園地は人と時を繋ぐ場所 思い出の栞にたしかに刻まれている
しぼんでいくこの風船で僕らは いくつかのおはようとサヨナラを…… ダンスは続いていく そして愛を遺して新たな夢を携え 生まれ変わる
12.「自由になろうよ」
私がまだ制服を着ていた頃 貴方には出逢ってなかった クラスの輪にも入れず なんでもない日々をやり過ごしていた
そんなある日ふと入った公園で ギターを爪弾く青年がいた 私は思わず声をかけて ふたりで歌った「花はどこへ行った?」
たとえば貴方が白ヘルを被り あの連中と入り浸っていたとしても 私が貴方を好きでいる限り なかったことに出来るわ
自由になりたいと願ったのは 世代の声だから 大人に押しつぶされたままで 私は生きていけない
大学がロックアウトされた朝 隣を見ると貴方はいなかった 寝床にあったモーリスを手に取り ひとりで歌った「グァンタナメラ」
たとえば貴方が季節の炎に包まれ 他の女と抱き合っていたとしても 貴方が私を諦めない限り 見なかったことに出来るわ
自由になるために若者が集った この公園を私は見渡し 桜の木に残したイニシャルを そっと指でなぞる
ひとりで歌った「風に吹かれて」 こうして私たち ヒッピー気取りから足を洗う 幸せの終わり
自由を夢見て 自由を愛した 私たちの夏は歴史に残らない
失ったのは恋人の命と私自身の魂 政治と闘争の季節は終わった
たとえば貴方よりも良い人で 誰もが好きになるような魅力があっても 貴方以上に愛せる人は現れないだろう ひとりで歌う「結婚しようよ」
自由になるために若者が集った この公園を私は見渡し 桜の木に残したイニシャルを そっと指でなぞる
Bonus.「いつかまた「おはよう」を言うために」
何もかも思い出になっても 私のこと憶えててくれるかな? いつかまた逢う日まで 風の中に溶けていく
キミのこと忘れないから 私のこと憶えててくれるかな? きっとまた逢える日まで 風の中で見てるからね
はじめてステージに立った日のこと 今も忘れられないドキドキ それでも手を振ってくれるキミがいたから ここまで歩いて来れたんだ 夢を追いかけられたんだ
���たちがたとえ空気になっても 「こんな人がいたな」と時々思い出してね それだけで十分すぎるくらいだけど 出来たら名前も憶えててほしいな
ふたりから始まった旅路で 私たちは変われたのかな? いつかまた逢う日まで それぞれの旅は続くはず
キミが追いかけてくれた日々を 私は青春と呼んでいいかな? きっとまた逢える日まで 絶対に忘れないから
はじめてステージに立った日のこと 今も忘れられないトキメキ 私たちを好きになってくれたキミがいたから こうして大人になれたんだ 夢を追いかけられたんだ
私たちの魔法が解けても キミにかけた魔法は解かさない 仮に私たちを忘れても どこかでキミが幸せにいられますように とっておきのおまじない
アイドルに憧れ アイドルになった アイドルと呼ばれて アイドルを愛した
私たちが愛した日々 夢中になった日々 思うがままに走り続けた 私色の青春
私たちがたとえ空気になっても 「こんな人がいたな」と時々思い出してね それだけで十分すぎるくらいだけど 出来たら名前も憶えててほしいな
私たちの魔法が解けても キミにかけた魔法は解かさない 仮に私たちを忘れても ���こかでキミが幸せにいられますように とっておきのおまじない
キミに出逢ってよかった 好きだよ いつまでも
詩集『Commons』Credits
Produced / All Words Written by Yuu Sakaoka(Sakaoka Project)
Co-Authored / Co-Producer: Yurine(「青春とロコモティブ・シンドローム」「いつかまた「おはよう」を言うために」) TORIMOMO(「商店街の純喫茶」) Koharu Takamoto(「断絶の季節」「失墜」) Sakura Ogawa(「しぼんでいくこの風船で」)
Written at Yuu Sakaoka Studio, Mikage House, JR West Japan Series 225 Train, STUDIO U
Respect to ザ・フォーク・クルセダーズとすべての戦争に参加する人々(「戦争しか知らない」) ムーンライダーズ(「愛なき世代に薔薇の花を」「女は微笑むために生きてるんじゃない」「しぼんでいくこの風船で」) ガロと山上路夫(「商店街の純喫茶」) Yellow Magic Orchestra(「広場、それは私の……」) あの頃夢を見た若者たち(「自由になろうよ」)
Designed / Edited by Yuu Sakaoka Photo by YAT(PAKUTASO) Special Thanks to Koharu Takamoto, Yurine, Sakura Ogawa
Dedicated to My Best Friends
Management by SAKAOKA PROJECT
Very very very thanks to my friend, my familly, and all my fan!!
2024.2.7 坂岡 優
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7wave3 · 2 years ago
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20231101
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「MONSTER好きに50の質問」31〜50問目まで。
答えるのがゆっくりすぎでしたが答え終わりました。
Q32:ロベルトって結局、生きていると思いますか?
 完全に亡くなったと認識していました。生きていることを匂わす部分ってあったかな?
 MONSTERでは作中意図的に人を殺したキャラクターは漏れなく死んでると思うので、ヨハンの腹心だったロベルトも漏れなく亡くなったと思ってます。
Q33:最終回について一言どうぞ。
 MONSTERを完結させてくれて有難うございます、とかそういう意図の質問じゃないと思いますが完結させてくれたことにまず感謝したいですね。あの終わり方も、読���に肩透かししてやろうとかではなく、並々ならぬ思いがあって辿り着いた展開なんだろうと思ってます。
 最終回の内容については私は考える余白があるあの終わり方を好ましいと感じてます。模範解答がないものを、漫画にしたかったという気概を感じるので・・・でも実兄は「俺はああいう終わり方は嫌いだ」とはっきり言ってましたね。それで良いんだと思います。
 両親もMONSTERを読んでますが母は「面白いけど難しかった」父は「最後のはテンマの白昼夢だったのか?」と若干釈然としていない様子だったので、答えをはっきり貰えなかったと感じる読者が多いのかもしれないなと思います。
Q34:結局、MONSTERは何だったと思いますか?
 誰か一人がモンスターなのではなく、人の悪意が人を怪物にしてしまうってことだと思っています。
 名前やアイデンティティを奪われる、善悪の判別がつかなくなる、そうなったときに人は怪物になってしまうということだと受け取りました。
Q35:MONSTERはホラーだと思いますか?サスペンスだと思いますか?
 ホラーではないと思います。ヨハンが病室で起き上がる見開きはジャンプスケアそのものだけど、人間に迫ったヒューマンサスペンスだと思います。
Q36:作中で最も印象に残った言葉を教えてください。
 キャラクターごとに好きな台詞がありますね。なので最もって難しい・・・私は一挙放送していたアニメを中途半端な回から見てハマったんですが、その回が「ペトラとシューマン」でした。
 テンマが「神様のように完璧に治せたらいいと思いながら、でもいつも患者さんを内心ガタガタ震えながら診てます」と言った台詞に掴まれ、Dr.シューマンの「大事な人はいつかいなくなるんだ」という台詞で「このアニメ全部観なきゃいけない気がする!」となったのを覚えています。
Q37:印象に残ったエピソードを教えて下さい。
 テンマの人柄がにじむ回は大体好きです。
 「老兵と少女」も好きですし、料理したり食事したりするエピソードは全部良いですね。
 図書館の寄贈セレモニーで人を撃った後震えが止まったテンマが、「自分はもう医者じゃない」と意気消沈していたところで出会い励まされるグリマーさん初登場回も好きです。
 エヴァとマルティンの回、その後のコーヒーショップでのシーンも。
 後はヨハンが言葉だけで人を追い込む具体的なやり方を見せたリヒャルトとの会話シーンとかも怖くて面白かったですね。潜在意識に入り込むの巧みすぎると思いました。
Q38:どうでも良いような些細なことだけれど、どうしても気になってしまう事はありますか?
 漫画の方になるんですが、テンマが車に轢かれてミランやベトナム人、トルコ人の方���にお世話になる「屋根の向こうまで」という回で、顔に絆創膏があったりなかったりするのが読んでいて気になりました。笑
 連載終盤は相当疲れてたと聞いたのでお疲れだったのかな?と思っています。
Q39:『もうひとつのMONSTER』は読みましたか?読んだ方は感想もどうぞ。
 かなり前になりますが読みました。時々読み返してます。テンマがヨハンを追うことに対して「どうしてそこまでするのか?」「生き返らせたとはいえ医者の行動範疇を越えてる」という意見を見かけたことがあるんですが、彼がどういう性格と気質を持っているかが詳しく書かれていて、疑問に感じた人へのアンサーが補足されてました。
 なのでテンマファンとしては嬉しいです。陸上部だったとか、好きな曲とかが知れましたし。ただヨハンがその後どうなったかが分かるわけではないし、作者が答え合わせをしてくれると思って読むと混迷が深まるのかなと思います。
 ルンゲ警部が語る「どうして無差別殺人を起こす人間がいるのか」という解説は一読の価値ありだと思います。後この本でもラストがジャンプスケア気味なのが面白かったです。面白いですが、怖くて執拗だなと笑ってしまいました。
 でもフィクションを現実だと思わせるバランス感覚がすごいなと思います。ヴェーバーさんその後どうなってしまったのか・・・
Q40:『MONSTER解体新書』を読んだことはありますか?
 竹内規和さんという方の本なら二冊持っているんですがそれのことかな。私が持ってるものとタイトルが違うようなのでまた別の本なのかもしれませんね。
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Q41:『ダ・ヴィンチ』2002年4月号のMONSTER特集は読みましたか?
 偶然手に入れて今年読みました!
 浦沢先生のインタビューや、漫画家さん、アーティストの方の感想、後は心理学者や社会学者の方の感想も載っていました。
 ミステリー評論家がMONSTERと要素が似ている作品を紹介してくれてる特集も面白かったです。
Q42:最近、ビッグコミックオリジナルで連載の始まった『PLUTO』は読んでいますか?
 この質問が作られたのはPLUTOの連載が始まった2003年なんですね・・・20年後に質問に応えてるのヤバいですね。2023年、Netflixでアニメの配信始まっちゃってるよ。
 連載当時の2003年頃は浦沢先生を知らなかったと思います。受験勉強してた頃かもしれません。
Q43:ちなみに、MONSTER関連サイトを探してみたことはありますか?
 探して見つけても大体更新が止まっていたりしましたね・・・
 今は消えてしまったんですがMONSTERのアニメ公式サイトの作りがHTML感すごくて、初めて見た時に古き良き作りのサイト〜!と思った記憶があります。
Q44:おすすめのMONSTERサイトがありましたら、教えてください。
 今だとpixivになるのかな。pixivやTwitterでキーワード検索したら素敵なファンアートや色んな感想が読めます。
Q45:MONSTERにまつわるちょっとした自慢をお教え下さい。
 2016年の浦沢直樹展で浦沢先生がギターを弾きにいらして、その後壁にテンマを描いてくれるのを生で見たことですかね。上がりました。
 後はMONSTERのサイン色紙を譲ってもらえたことですね。大切にしています。
Q46:MONSTERを身近な人に勧めたことはありますか?出来ればその結果も教えてください。
 家族と友人に勧めました。友人二人に勧めて一人は漫画を最後まで読んでくれたんですが、感想は聞けてないままです。
 もう一人の友人は二日かけてアニメを全話観てくれて、その後感想を沢山話してくれました。本当に良い友達です。
 Twitterのスペースで最終巻だけ未読の方に勧めさせれもらったのも数に入れていいのかな。その後有意義な感想会ができたので、とてもいい思い出になっています。
Q47:「これがMONSTERのテーマソングだ!」と言える曲はありますか?
 個人的解釈で「これ!」と言えるものはないかも・・・やはりあの蓜島邦明さんのOPがテーマソングじゃないでしょうか。インスト曲ですがMONSTERが秘めるものを引き立ててくれてますよね。
 最初の方わざとリズムが乱れるのも怪物が足踏みしてるみたいで怖くて大好きです。
 後海外のAMVってネット文化が好きなんですが(アニメの映像を勝手に使用してるけど愛を感じるので・・・)その中で一番好きなのがこの動画ですね。
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Q48:MONSTERは将来映像化されるそうです。あなたが希望する映像化の方法を教えてください。
 2016年くらいにギレルモ・デル・トロ監督が「MONSTERは水面下で動いてるよ」と言ってた気がするんですが、7年経ちましたね。
 映像化の権利はハリウッドから離れて、映画ではなくドラマシリーズで制作しようという話になってるようです。MONSTERとPlutoのアニメがNetflixで配信してるので、制作されるなら資本も配信もNetflixになりそうですね。
 個人的には映画よりドラマシリーズになる方が嬉しいです。ドイツとかチェコの風景を実写で観てみたいな~
 キャストは正直想像するのが怖いです。なので映像化が決まりキャストが発表されることがあって私がネットから消えたり、何も語らなければ受け入れられなかったんだなこの人と思ってください。
Q49:あったら絶対欲しいMONSTERグッズは?
 「テンマの救急手当セット」みたいな防災グッズが欲しいですね。ありそうで作られてないヨハンの手紙の文章を転写したマグとか。
 絶対ないけど小さいぬいぐるみとかも欲しいです。
Q50:最後に、MONSTERへの思いをご自由にどうぞ。
 こんなに一作品をディグる人間にしてくれて有難うございます。自分でも引くぐらい余計なこと考えてるなと思います。
 ずっと考えない期間があってもMONSTERを忘れてる訳ではなく、MONSTERを軸に色んなことを見てるなとよく思うので、自分の中に一本道を敷いてくれたようなデカい存在です。
 後テンマという存在を生み出してくれたことに感謝してます!
見てくれてる方がいるか分かりませんが、最後まで読んでくださり有難うございました!
◦1〜10
◦11〜20
◦21〜31
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honyakusho · 2 years ago
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2023年8月28日に発売予定の翻訳書
8月28日(月)には15冊の翻訳書が発売予定です。 なお、天声人語の英文対照版を含めています。 点数が2桁になる日は1社がその多くを占める場合がほとんどですが、28日は刊行する出版社の数自体が多くなっています。
「経済成長」の起源 : 豊かな国、停滞する国、貧しい国
マーク・コヤマ/著 ジャレド・ルービン/著 秋山勝/翻訳
草思社
[ザ・シーダーズ]神々の帰還(上) : 「真の人類史」への偉大な旅が、いま始まります!
エレナ・ダナーン/著 佐野美代子/翻訳 マイケル・サラ博士/著
ヒカルランド
ビッチな動物たち : 雌の恐るべき性戦略
ルーシークック/著 小林玲子/翻訳
柏書房
デオナール アジア最大最古のごみ山 : くず拾いたちの愛と哀しみの物語
ソーミャロイ/著 山田美明/翻訳
柏書房
自分の能力が変わるカリフォルニア大学バークレー校超人気の授業
A・ブダク/著 児島修/翻訳
サンマーク出版
香港人に希望はあるか
羅冠���(ネイサン・ロー)/原著 串山大/翻訳
季節社
ルールズ・オブ・プログラミング : より良いコードを書くための21のルール
Chris Zimmerman/著 久富木隆一/翻訳
オライリー・ジャパン
コスマス年代記 : プラハ教会・聖堂参事会長によるチェコ人たちの年代記
コスマス/著 浦井康男/翻訳
成文社
TharnType Story 1
MAME/著 須坂紫那/イラスト エヌ・エイ・アイ株式会社/翻訳
フロンティアワークス
白の服飾史 : 人はなぜ「白」を着るのか
ニーナ・エドワーズ/著 高里ひろ/翻訳
原書房
英文対照 天声人語2023夏Vol.213
朝日新聞論説委員室/編集 国際発信部/翻訳
原書房
オネスト・アンサーズ(原題)
レナ・シスコ/著 熊谷小百合/翻訳
二見書房
あの日
冬彌/著 邵慧婷/著 李響/翻訳 武石文子/翻訳 二駒レイム/イラスト
すばる舎
ラブトラップ
羽宸寰/著 林珮瑜/著 小暮結希/翻訳 二駒レイム/イラスト
すばる舎
チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク(仮)
ジョン・スラデック/著 鯨井久志/翻訳
竹書房
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helloharuo-synchronicity · 2 years ago
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2013年 08月 12日
トランシーな出来事(Synchronicity) #ターニングポイント(12 August 2013)
前回の「トランシーな出来事(Synchronicity) #照��」に続いてビックシンクロがあった。チェコに住む日本人��知り合いの方からチェコの女性を紹介してもらい先日一緒に箱根ドライブを楽しんだ。箱根を選んだのは、彼女が一度も訪れていなかったことと彼女が滞在している場所が茅ヶ崎ということで僕の住む静岡との中間地点で会おうと相談した結果だった。その日本人の方は、Facebookと僕のエキサイトブログでも繋がっていて彼女は、チェコでの生活を双方で紹介している。8月9日、長崎に原爆が落とされた日、彼女は、Facebookにシンプルなメッセージをタイムラインに載せた。「Dobrou noc. Good night. おやすみ~。」恐らくチェコ語だと思うがセルビア語にも似ていると感じる。そしてコメント欄にある女性が「Dobrouはgood? セルビア語に似ているね。nocがnight??」と問いかけをした。必然的に僕は、その女性の名前を見ることになるが、その時にアレもしかしたら???と疑問が湧いたのでコメント欄に問いかけをした。 「↑すみません、S子さんってその昔五○さんのお知り合いの???」次の日10日の朝になって投稿主のチェコの女性が問いに答えてくれてやはり同一人物だということがわかった。チェコの女性もS子さんにお世話になっているとも。しかし、そのS子さんからは、その日何の反応も無く僕は、長い間(15年以上)やり取りも無く音沙汰がないし嫌われてしまっているのかとも勝手に思っていた。禅に教わる「妄想/もうぞう」は、意味がないと思っていてもそう思ってしまうのは人間の性だと思うが後追いはせずにS子さんの反応を待った。すると11日(昨日)S子さんが僕の問いかけのコメントに対し「いいね!」を押した。しかし、言葉による回答は無く更に困惑した。認識はしたが自分から答えを明かそうとしないのは何故だろう?通常お互いにFacebook上で再会があると双方からのリクエストにより友達になるケースが多い。彼女から「いいね!」以外の反応がないのであれば友達申請をしない方が良いのではないか?そんなことも思った。しかし、このやり取りをこのままで終らせるのも何か違うと思い、思い切って友達申請をした。そして友達申請をする時は必ずメッセージを添える様にしているがメッセージと一緒に写真も送ることにした。最近90年代初頭のフィルムをスキャンしているがS子さんが写る写真も見付けていた。その時、「あ〜長く会っていないな、どうしているんだろうな?」と思ってはみたもののS子さんの写真はスキャンをしないでいた。(この時点でS子さんを再認識していたがフィルムスキャンと言っても過去の全ての一枚一枚のフィルムをスキャンするわけではなくセレクトしてスキャンしている)なのでS子さんに送るメッセージと一緒に送った写真は、メッセージを完成させる間にフィルムから探しスキャンをした。その写真は、彼女のお子さんが赤ちゃんの時の写真3枚だった。僕のS子さんへのアプローチはこれで終わりにしよう。返事が無くても気にしない様にしようと心に決めて時間を過ごした。暫くするとS子さんから友達申請承諾とメッセージが届いた。嬉しかった。2度ほどメッセージのやり取りをして彼女は、茅ヶ崎に住み、その赤ちゃんも19歳になることがわかった。これは辻褄があった。僕が送った写真は、1994年の日付けが付いていたから。S子さんは、僕の人生のターニングポイントのきっかけを助けてくれた人だった。僕がカメラマンになったのは、ヨドバシカメラに勤めていた時(京セラの出向社員でCONTAXを担当)、その当時NHKのジャーナリストであるJが常連客となりよく買い物に来てくれて僕らは、販売員お客様の関係から友達になった経緯がありそのJに「僕は、カメラを売るにはもう飽きた、カメラマンになりたい」と伝えると「いい人を知っている」と僕を最終的には、2年半師事した師匠に繋げてくれて今の僕がある。S子さんは、その繋げのパイプ的な存在だったのだ。S子さんは、英語が堪能だったのでJと一緒に僕の師匠の仕事を英語翻訳の立場でサポートしていたのだ。チェコの女性は、僕と会う前に心理学レクチャーをあるところでしていたのは知っていた。チェコの女性は、心理学博士で大学で教鞭を撮っている才女だ。その心理学レクチャーをした場所がS子さんが運営する茅ヶ崎の英語教室だったとチェコに住む日本人の知り合いから分かった。S子さんもチェコの女性から写真家と会ったことを聞いていたみたいで「M(チェコの女性)が会った写真家がはるおさんだったなんて、びっくりしています。Tさん(チェコに住む日本人の知り合い)のおかげでまたつながれましたね。」と彼女からの返信メッセージにあった。写真は、僕が世田谷代田に住んでいたアパートで撮ったものでこれらもやはりネガスキャンをした写真で95〜96年の写真になる。カップルの男性がJ、女性が奥さんのV。「トランシーな出来事(Synchronicity) #証明」にも書いたがチェコの女性が滞在している茅ヶ崎の家の主は、Vと同じ名前というのも興味深い。(この日記では名前を明かしているが。。。)チェコに住む日本人の知り合いの方が何故S子さんを知っていたかというと元々は、Jの紹介だったと後で分かった。僕は、Jの奥さんのVとの繋がりだと長い間勘違いしていた。S子さんという名前は、僕の初恋の人の名前と同じでS子と聞くと旨がキューンとキャイ〜ン!となる。
ここ頻繁に起きるシンクロニシティの御陰で毎日が楽しい。これらのシンクロニシティは、僕をどこに導いてくれるのだろうか?僕は、フローの状態のあるのか?いずれにしても坐禅が大きく関わっていると自己認識している。
トランシーな出来事(Synchronicity)は、 人生の”道しるべ”であり“その先に”光”があると信じる。
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team-ginga · 2 years ago
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映画『死刑執行人もまた死す』
 というわけでAmazon Primeでフリッツ・ラング監督の映画『死刑執行人もまた死す』(1943)を見ました。
 フリッツ・ラングがドイツからアメリカに亡命して撮った国策映画であり国威高揚映画ですね。それが悪いというつもりはありません。あの名作『カサブランカ』(1942)だってそうですから。
 でもこれはひどい……というか、あまりにも中途半端な映画です。
 1942年に現実にナチス占領下のチェコで起きたラインハルト・ハイドリッヒ副総督暗殺事件を題材にした映画とのことですが、現実の事件を伝えたいのか、ナチスの暴虐を告発しレジスタンスの勇敢さと犠牲的行為を讃えたいのか、緊迫感のあるサスペンスを作りたいのか、ひねりの効いたサスペンスコメディーを作りたいのかわかりません。
 どれか一つに焦点を定めればいいのに、全部を一緒くたにやろうとしたため全く統一性のない映画になっています。
 ヒロインはプラハに住むマーシャという若い女性です。彼女は八百屋で買い物をしているときに、一人の男が走ってきて建物の中に隠れるのを目撃します。
 男はスボボダという医師で、ラインハルト・ハイドリッヒ副総督を暗殺し逃げてきたのですが、もちろんこの段階ではマーシャはそのことを知りません。ゲシュタポに「男を見なかったか」と聞かれたマーシャはあらぬ方向を指して「あっちに逃げて行きました」と嘘をつきます。
 その直後、街には外出禁止令が敷かれます。スボボダはホテルに部屋を取ろうとしますが断られてしまいます。
 困ったスボボダはマーシャの家へ行きます。ゲシュタポが去った後、マーシャの行方を目で追っていたから自宅を知っていたという設定ですが……どうして見ず知らずの人物のところへ行くのでしょう。彼女なら匿ってくれるという確信は一体どこから来るのでしょう。
 ……というか、後からわかることですが、ズボボダはプラハに住み、プラハで働いているわけです。それならプラハに自宅があるんじゃないですか。なぜそこに帰らないんでしょう。
 でもズボボダはマーシャの家へ行き、マーシャは彼を一晩匿います。翌朝、ゲシュタポがマーシャの家にやってきてマーシャの父親であるノヴォトニー教授を連行します。
 「え? なぜ?」と思いますが、連行されたのは教授だけではありません。ナチスは暗殺の報復として四百人の市民を連行し、1日ごとに四十人処刑するつもりなのです。
 マーシャは父親を救うためにスボボダ医師が働いている病院へ行きます。スボボダは前夜ヴァニャックという偽名を使い建築家だと言っていましたが、包帯を巻くのが上手だったこと、教会の鐘が聞こえるところで働いていると言っていたことから見当をつけたのだと言いますが……ありえませんね、そんなこと。
 スボボダは困ります。彼が自首すればマーシャの父親も四百人の市民も助かるわけです。
 究極の選択ですね。サルトルの『悪魔と神』で二千人の神父の命と二万人の市民の命のどちらを選ぶか選択を迫られるハインリッヒ神父や、『アルトナの幽閉者』で二人の捕虜の命と自軍の兵士たちの命のどちらを選ぶか選択を迫られるフランツの苦悩を思わせます。
 スボボダはレジスタンスのリーダーに自首することを申し出ます。しかし、支部長が「これは戦いだ。自首することはまかりならん」と言ったので、この問題はあっさり(!?)解決します。
 スボボダは自首しないと言うので、マーシャはスボボダをゲシュタポに告発しようとしますが、街の人々がどれほどナチスを憎んでいるかを知って考えを変えます。
 ところ変わってレジスタンスの集会所ーーチャカという男が市民四百人を救うために暗殺者を差し出すことを提案しますが却下されます。実はこのチャカはナチスのスパイで、前にもレジスタンスのメンバーを密告したことがあります。
 レジスタンスのメンバーはチャカの正体を暴くため罠を用意します。チャカはドイツ語ができない、だから密告者ではないという前提がある(なぜそういう理屈になるんでしょう。随分おかしな前提です)のですが、チャカの前でドイツ語でジョークを言うとチャカは笑います。ドイツ語ができるんだ、ということは密告者だということになってチャカは追い詰められます。
 その瞬間にゲシュタポが踏み込んできて、メンバーは逮捕、リーダーはかろうじて逃亡しますが、銃撃により傷を負っています。
 スボボダはリーダーを治療し自宅に匿いますが、ゲシュタポはそこにも踏み込んできます。奥のドアを開けると、そこにいるのは……マーシャです。
 マーシャはスボボダの恋人のふりをします(えーっと、��つの間にマーシャに事情を話し、協力を取り付けたんでしょうか。よくわかりませんが、マーシャはすっかりレジスタンスの協力者になっています)。
 警部のグリューバーはそれでも二人を疑い、マーシャの婚約者のヤンを呼んでマーシャと会わせます。
 マーシャはヤンの前でも芝居を続けます。婚約者に裏切られ憔悴しているヤンをグリューバーは飲みに誘い、キャバレーでその夜を過ごします。
 スボボダとマーシャはチャカに報復するため、暗殺の日にマーシャが逃したのはチャカだと証言します。チャカは暗殺の時間には行きつけのレストランにいたと言いますが、レストランの支配人もウエイターもウエイトレスもみんな「その日はチャカ様はおいでになりませんでした」と言います。
 いや、レストランの人間だけではありません、タクシーの運転手やホテルの女主人などあらゆる人間がチャカに不利な証言をします。
 うーん、全員がレジスタンスのメンバーか協力者だということですか。ちょっとできすぎじゃないでしょうか。
 追い詰められたチャカはグリューバー警部ならアリバイを証明してくれると言います。
 ヤンと一晩飲み明かしたグリューバーは、些細なことからスボボダはやはりレジスタンスのリーダーを匿っていると確信して、ゲシュタポに電話しようとします。ヤンはそれを止めようとして揉み合いになり、グリューバーに殴られて気を失います
 揉み合いの中で電話が壊れてしまったので、グリューバーはスボボダが務めている病院に行きます。
 え? なぜ?
 電話が使えないなら、別のを探せばいいし、ゲシュタポに直接行ってもいいじゃないですか。ご都合主義にも程があります。
 グリューバーはスボボダを逮捕しようとしますが、意識を取り戻して病院に駆けつけたヤン(彼は一体どこまで事情を知っているんでしょう。彼の行動原理はよくわかりません)やスボボダの同僚の逆襲に遭い殺されてしまいます。
 グリューバーが見つからないので、チャカの立場はどんどん悪くなります。チャカの家の執事まで���ジスタンスの協力者のようで、チャカに不利な証言をします。
 最終的にチャカの家の地下室でグリューバー警部の死体が発見され、チャカは暗殺の犯人として逮捕されます。
 護送の途中、ゲシュタポはチャカを車からおろし「走れ」と言います。言われるまま逃げようとするチャカを警官が射殺します。うーん、どういうことなんだろう。裁判にかけると面倒なことになるので、手っ取り早く殺してしまえということなんでしょうか。
 暗殺の犯人は警察によって射殺されたので、人質となっていた市民たちは解放される……かと思いきや、そうはなりません。彼らはみんなーーマーシャの父親の教授も含めてーー銃殺されてしまいます。
 なぜかここだけ非常に現実的……というか悲しい物語にしていますね。
 ラストでは新しく赴任してきた副総督がベルリンから暗号文書を受け取ります。そこには「チャカは犯人ではなかったことが明らかになった。しかし、市民の平穏とナチスの威信を保つため、チャカが犯人だったということでこの事件はおしまいにする」という趣旨のことが書かれています。
 Not the endという字幕が出てオシマイ。
 うーん、なんなんだ、これ。
 これって国威高揚になるんでしょうか。これを見てナチスを憎み、最後までナチスと戦おうと思うアメリカ人が増えるんでしょうか。
 単なる国威高揚映画なら誰も見てくれない。だから面白おかしい要素やサスペンスやラブロマンスの要素も入れて楽しい映画を作ったということなんでしょうか。
 フリッツ・ラングはどういう気持ちでこの映画を撮ったのでしょう。彼は心底ナチスを憎み、この映画を作ったのでしょうか。それとも今後もアメリカで映画を撮り続けられるよう、いわば保身のために「映画職人」としてこの映画を作ったのでしょうか。
 マーシャの父親の教授が死を覚悟して娘に言うことばは確かに感動的です。彼は自由の大切さを語り、チェコはいずれ再び自由の国となるだろう、自分はそのために戦士として死んでいくのだと息子(マーシャの小さな弟)に伝えてくれと言います。
 でも、その直後父親は処刑者リストに載っていないとのことで処刑を免れるのは物語としては艶消しですし、第二次大戦後チェコスロバキアがソ連に占領され東側に組み込まれたことを思うと、非常に複雑な思いがします。
追記:  『死刑執行人もまた死す』は実にかっこいいタイトルですね。  原題はHangmen also die。  Hangmenと複数になっているところを見ると、暗殺された副総督だけではなく、市民たちを支配し殺害する為政者全体を指しているということでしょうか。  でも、個人的には「ハングマン」と言われるとなんだか安っぽく感じてしまいます(昔そういうテレビドラマがあったので)。
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sallypraha · 7 years ago
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ジジちゃん、元気です!
やんちゃです!
昨日獣医に行ってきました。待合室で他の犬たちにも飼い主たちにも
大人気でした!
チェコ人ってほんまに犬好きやなぁ~(^o^)。
ジジのおかげでいろんな知らない人たちと自然にコミュニケーションできて
うれぴー!
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今朝出勤したら、日本から監査の方が来られていてお土産いただきました!
朝からおたべを食べておりやす。
なんというしあああせぇぇ~。(ここはほんまにチェコかいなぁ~)
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レオン牧師のメッセージやっと聞けました~!
すっごい迫力で私の霊もビンビンきちゃって聞きながら汗かいてました~!
(トイレを我慢してたからという説もありますがxxx)
驚いたのは、レオン牧師のあの熱いパワフルな語り!
彼のメッセージをはじめて聞いたのは、プラハにあるウクライナ人教会で奉仕されてたとき。
その時の印象は、静かに穏やかに淡々と語る口調だった。
チェコ語ってのもあったけど、内容がわたしにはチンプンカンプンで
なにを隠そう途中で抜け出したのだ。。。あははxxx。
だから東京アンテオケでの彼のメッセージ聞いてびっくりしたぁ~!
きっとレオン牧師もあの場で、強い聖霊の力を感じていたのでしょうね!
ハレルヤ!
絶対3回聞きやぁ~す!聞こうと思います。。。聞けるかな。。。(>.<);;
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hakume · 7 months ago
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【2025年1月】チェコ語教室@zoomのご案内
2024年も残りわずかになりました。いかがお過ごしでしょうか。
おかげさまで2024年も多くの方にチェコ語オンラインクラスにご参加いただきまして、ありがとうございました。 今年はオンラインの特長を生かしてチェコからもレッスンをお届けする試みがうまくできたのが、とてもよい機会となりました。
年明けからも楽しく印象に残るチェコ語教室をめざします。 ということで、2025年1月スタートのチェコ語オンラインレッスンの参加者を募集いたします。ご一緒にいかがでしょうか。
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(1)はじめてのチェコ語 初めてチェコ語にふれる方向けのクラスです。文字と発音、あいさつ、文法の初歩を学びます。初心者の方、基本をやり直したい方におすすめです。
◼︎日程:水曜日18:30~19:45 1/8, 1/15, 1/22, 1/29, 2/5, 2/12, 2/19, 2/26, 3/12, 3/26
◼︎受講料:30,000円(全10回・資料代込)
(2)チェコ語初級1 チェコ語を学習したことのある方向けに、日常のやりとりから文法(動詞の現在変化と名詞の格変化の基本)を学びます。
◼︎日程:水曜日20:00~21:30 1/8, 1/15, 1/22, 1/29, 2/5, 2/12, 2/19, 2/26, 3/12, 3/26
◼︎受講料:30,000円(全10回・資料代込)
(3) ニュースで学ぶチェコ語 チェコの最新ニュースから頻出の表現を学びつつ、単語と文法に慣れ、チェコの話題や関心をフォローすることをめざします。 動詞の時制・体と名詞の格変化を学習済みの方、SNSなどでチェコ語ニュースに触れる機会が多い方におすすめです。
◼︎日程:火曜日19:30~20:30 1/14, 1/21, 1/28, 2/4, 2/18, 2/25, 3/11, 3/25
◼︎受講料:24,000円(全8回・資料代込) (4)チェコ語文法<接頭辞> 日本で手に入るテキストではあまり触れられていない、辞書からも意味がつかみにくい接頭辞。しかし、これを知らなければチェコ語は始まらない、そんな大事な文法を解説します。 動詞の時制(過去・現在・未来、動詞の体)を学習したことがあり、読み物や会話の理解を深めたい方におすすめです。
◼︎日程 木曜日20:00~21:00 1/9, 1/16, 1/23, 1/30, 2/6, 2/13, 2/20, 2/27, 3/13, 3/27
◼︎受講料:30,000円(全10回・資料代込) (5)リスニング2ヶ月集中 不足しがちなリスニングの時間。週に30分×2回、2ヶ月のコースでA1レベルの問題を中心に扱います。学習歴の浅い方も、長く勉強されている方も、聴く時間をしっかり作ってバランスのよいチェコ語力を育てましょう。
◼︎日程 月・木曜日18:45~19:15 1/16, 1/20, 1/23, 1/27, 1/30, 2/3, 2/6, 2/10, 2/13, 2/17, 2/20, 2/27
◼︎受講料:20,000円(全12回・資料代込)      **他クラスと同時受講の方は10,000円(全12回・資料代込)
(6)チェコ語小説講読 物語を読むことはチェコ語を復習したり、なじんだりするのに大きな効き目があります。これまでに学んだ文法の知識を使いながら、みんなでチェコ語の現代小説を読みすすめていきます。(小説の著者に会いに行ったエピソードはこちらで読めます) 動詞の体・名詞の格変化を学習したことがあり、理解を深めたい方、チェコの文学や読書に興味のある方におすすめです。
◼︎日程 日曜日17:00~18:30、各回90分、月2回ペース、参加随時 ◼︎受講料:3,000円/回・資料代込み いずれも ◼︎お申込み・お問合せ:こちらのフォームよりご連絡ください。講師より折り返しzoomのリンク、お支払い方法などの詳細をお送りします。
◼︎講師:梶原初映(プロフィール)
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honyade · 5 years ago
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フィクショネス 文学の教室「カレル・チャペック『山椒魚戦争』 を3ヶ月かけてじっくりと読む」
※「フィクショネス 文学の教室」は、2014年7月に惜しまれつつ閉店した下北沢の書店「フィクショネス」の店主であり、 作家の藤谷治さんがホストをつとめる、作品について参加者とともに語り合う場です。
名前からして少し不気味でその見た目も得体が知れない存在、山椒魚。 そんなやつらと戦争をするとはいったいどういうことなのでしょうか。
今回のフィクショネスでは「ロボット」ということばを生んだチェコの作家カレル・チャペックの代表作である『山椒魚戦争』を取り上げました。 チェコ文学だとか、SFだなんて少しとっつきにくく思うかも知れませんが、そんな「偏見」を吹き飛ばすような一作と三ヶ月になるでしょう。
藤谷さんからもコメントが届いています!
カレル・チャペックの『山椒魚戦争』は僕にとって、少年時代からの愛読書でした。 小説家になった今の僕には、ひとつの理想的な小説にもなりました。 今の僕は、ちまちました小説を書いていますが、いつかはこんな小説が書いてみたい! 高望みと知りながら、そう思っています。 僕だけではなく、多くの小説家に影響を与えたこの『山椒魚戦争』を、もう一度ゆっくりと、皆さんと読めるのが、楽しみでなりません。 藤谷治
フィクショネス×本屋B&B「文学の教室」は、2019年から1つの作品、1つの国や時代、1人の作家などに焦点を絞り、複数回に分けて、さまざまな視点で読み解くシリーズへとリニューアルしました。 これまで同様、2014年7月に惜しまれつつ閉店した下北沢の書店「フィクショネス」の店主であり、作家の藤谷治さんがホストをつとめます。
それぞれ独立した回ですので、単発のみの参加でもお楽しみいただけます。また読了をされていなくても参加できますずっと読みたかったけどなかなかきっかけがなかったという方や、かつて手に取ってみたけれどうまく読み進められなかったという方など、この機会にぜひご参加ください!
また、感想文や書評などを持参すれば、藤谷さんご本人からコメントもいただけます。 物書きを目指す方にとっては、藤谷さんが語る創作上の技術や姿勢が創作の手引になることでしょう。
答え合わせではなく「文学」について考えるきっかけとなる「文学の教室」どうぞお気軽にご参加ください。
【学割プラン】 3回の通し券:1500円+税(毎回1drink付き) 高校生以下の方がドリンク代のみで参加が可能なお得なチケット。 数に限りがありますので、お申し込みはお早めに!
※初回参加時に学生証を確認させていただきます。 忘れずお持ちください。
【プロフィール】 藤谷治(ふじたに・おさむ) 作家。1963年東京都出身。 1998年から2014年までに東京の下北沢にセレクト・本屋「フィクショネス」を経営。 また書店経営のかたわら創作を続け、2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館)で作家デビュー。 近著に『小説は君のためにある』(筑摩書房)、『燃えよ、あんず』(小学館)、『猫がかわいくなかったら』(中央公論新社)がある。
時間 _ 12:00~13:30 (11:50開場) 1月19日、2月16日、3月15日 場所 _ 本屋B&B 世田谷区北沢2-5-2 BIG BENビル B1F ▼入場料 ・全3回通し参加:1000円+ドリンク500円×3=4500円(いずれも税別) ・1回のみの参加:1500円+ドリンク500円=2200円(いずれも税別)
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helloharuo-diary-2023 · 2 years ago
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2013年 08月 12日
トランシーな出来事(Synchronicity) #ターニングポイント(12 August 2013)
前回の「トランシーな出来事(Synchronicity) #照明」に続いてビックシンクロがあった。チェコに住む日本人の知り合いの方からチェコの女性を紹介してもらい先日一緒に箱根ドライブを楽しんだ。箱根を選んだのは、彼女が一度も訪れていなかったことと彼女が滞在している場所が茅ヶ崎ということで僕の住む静岡との中間地点で会おうと相談した結果だった。その日本人の方は、Facebookと僕のエキサイトブログでも繋がっていて彼女は、チェコでの生活を双方で紹介している。8月9日、長崎に原爆が落とされた日、彼女は、Facebookにシンプルなメッセージをタイムラインに載せた。「Dobrou noc. Good night. おやすみ~。」恐らくチェコ語だと思うがセルビア語にも似ていると感じる。そしてコメント欄にある女性が「Dobrouはgood? セルビア語に似ているね。nocがnight??」と問いかけをした。必然的に僕は、その女性の名前を見ることになるが、その時にアレもしかしたら???と疑問が湧いたのでコメント欄に問いかけをした。 「↑すみません、S子さんってその昔五○さんのお知り合いの???」次の日10日の朝になって投稿主のチェコの女性が問いに答えてくれてやはり同一人物だということがわかった。チェコの女性もS子さんにお世話になっているとも。しかし、そのS子さんからは、その日何の反応も無く僕は、長い間(15年以上)やり取りも無く音沙汰がないし嫌われてしまっているのかとも勝手に思っていた。禅に教わる「妄想/もうぞう」は、意味がないと思っていてもそう思ってしまうのは人間の性だと思うが後追いはせずにS子さんの反応を待った。すると11日(昨日)S子さんが僕の問いかけのコメントに対し「いいね!」を押した。しかし、言葉による回答は無く更に困惑した。認識はしたが自分から答えを明かそうとしないのは何故だろう?通常お互いにFacebook上で再会があると双方からのリクエストにより友達になるケースが多い。彼女から「いいね!」以外の反応がないのであれば友達申請をしない方が良いのではないか?そんなことも思った。しかし、このやり取りをこのままで終らせるのも何か違うと思い、思い切って友達申請をした。そして友達申請をする時は必ずメッセージを添える様にしているがメッセージと一緒に写真も送ることにした。最近90年代初頭のフィルムをスキャンしているがS子さんが写る写真も見付けていた。その時、「あ〜長く会っていないな、どうしているんだろうな?」と思ってはみたもののS子さんの写真はスキャンをしないでいた。(この時点でS子さんを再認識していたがフィルムスキャンと言っても過去の全ての一枚一枚のフィルムをスキャンするわけではなくセレクトしてスキャンしている)なのでS子さんに送るメッセージと一緒に送った写真は、メッセージを完成させる間にフィルムから探しスキャンをした。その写真は、彼女のお子さんが赤ちゃんの時の写真3枚だった。僕のS子さんへのアプローチはこれで終わりにしよう。返事が無くても気にしない様にしようと心に決めて時間を過ごした。暫くするとS子さんから友達申請承諾とメッセージが届いた。嬉しかった。2度ほどメッセージのやり取りをして彼女は、茅ヶ崎に住み、その赤ちゃんも19歳になることがわかった。これは辻褄があった。僕が送った写真は、1994年の日付けが付いていたから。S子さんは、僕の人生のターニングポイントのきっかけを助けてくれた人だった。僕がカメラマンになったのは、ヨドバシカメラに勤めていた時(京セラの出向社員でCONTAXを担当)、その当時NHKのジャーナリストであるJが常連客となりよく買い物に来てくれて僕らは、販売員お客様の関係から友達になった経緯がありそのJに「僕は、カメラを売るにはもう飽きた、カメラマンになりたい」と伝えると「いい人を知っている」と僕を最終的には、2年半師事した師匠に繋げてくれて今の僕がある。S子さんは、その繋げのパイプ的な存在だったのだ。S子さんは、英語が堪能だったのでJと一緒に僕の師匠の仕事を英語翻訳の立場でサポートしていたのだ。チェコの女性は、僕と会う前に心理学レクチャーをあるところでしていたのは知っていた。チェコの女性は、心理学博士で大学で教鞭を撮っている才女だ。その心理学レクチャーをした場所がS子さんが運営する茅ヶ崎の英語教室だったとチェコに住む日本人の知り合いから分かった。S子さんもチェコの女性から写真家と会ったことを聞いていたみたいで「M(チェコの女性)が会った写真家がはるおさんだったなんて、びっくりしています。Tさん(チェコに住む日本人の知り合い)のおかげでまたつながれましたね。」と彼女からの返信メッセージにあった。写真は、僕が世田谷代田に住んでいたアパートで撮ったものでこれらもやはりネガスキャンをした写真で95〜96年の写真になる。カップルの男性がJ、女性が奥さんのV。「トランシーな出来事(Synchronicity) #証明」にも書いたがチェコの女性が滞在している茅ヶ崎の家の主は、Vと同じ名前というのも興味深い。(この日記では名前を明かしているが。。。)チェコに住む日本人の知り合いの方が何故S子さんを知っていたかというと元々は、Jの紹介だったと後で分かった。僕は、Jの奥さんのVとの繋がりだと長い間勘違いしていた。S子さんという名前は、僕の初恋の人の名前と同じでS子と聞くと旨がキューンとキャイ〜ン!となる。
ここ頻繁に起きるシンクロニシティの御陰で毎日が楽しい。これらのシンクロニシティは、僕をどこに導いてくれるのだろうか?僕は、フローの状態のあるのか?いずれにしても坐禅が大きく関わっていると自己認識している。
トランシーな出来事(Synchronicity)は、 人生の”道しるべ”であり“その先に”光”があると信じる。
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honryu2 · 5 years ago
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第二章 母親のさりげない言葉が起業の原動力となった
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 1993年の冬に、母が親族訪問で日本に遊びに来た。遊びに来たと言っても、私は勉強とアルバイトで忙しくて、金銭的にもどこかに連れて行く余裕はなかった。母は暇でいられない人なので、若い時体操の選手、監督をやった事もあって、運動生理学一通りわかっているので、健康ランドでのマッサージの仕事を紹介した。ある意味で力仕事ではあったが、一日一万円以上も稼げる。母は中国で教授を務めていたが、当時一か月の給料はわずか4000円程でしかなかったので、母はとても喜んでいた。毎日とても幸せそうにアルバイトに向かっていた。苦痛だとか、プライドだとか、そういったものは一切なかった。今思うと、母にそこまで苦労させてしまって、とても切なくなり、涙が出てしまう日もよくあった。しかし、母にしては、日本で一日働けば中国の二ヶ月分の給料をもらえ、とても喜んでいた。その喜びは給料の違いだけではなかったようだ。毛沢東時代に青春を過ごした母にとっては、自分が頑張��ば確実にそれに見合う収入が得られるということは何より幸せな気持ちになれたかもしれない。それだけに母の青春時代はみじめな思いばかりだったようにも感じた。私には、その当時の母の無邪気なうれしい表情は何より真実だと感じた。そして少ながらず悲しくも感じた。国の経済力の差はそのまま人間の差に直結する、と。
 その年、雪の降る日が多かった。母はいつも自転車で深夜一時過ぎに帰ってくる。ある日、雪をかぶって帰ってきた時冗談交えて言った。「車に抜かれていくのがムカつくね。いつか自分も車を乗ってやる」。
 日本では当たり前のことだが、当時の中国では、個人で車を所有することは考えられない時代だった。雪の中で自転車をこいで、隣の車に轟轟と抜かされていく時の母の気持ちが私にはすぐ理解できた。その時私は何も返事しなかったが、心の中に重く受け止めた。とても。
 今思えば、それは母だけではなく、一世代の中国人の夢だったかもしれない。母が次日本に来る時に、絶対車を買ってあげよう。自分の心の中にそう決めた。
 三年生になった年、変化が訪れた。ある有名な社会学の先生が社会学の授業として大学で中国語講座を開講し、自分がそのアシスタントとなった。当時は中国ブームの始まりで、東工大に中国語の授業はそれまでなかったので、毎学期100人以上の学生が集まった。先生は多忙だったので、実際はほとんど私が教鞭をとっていた。生徒は学部生だけではなく、大学院の博士課程の学生も多くいた。本来語学の授業なので、語学を教えていればよかったのだが、所詮一年の授業で何かとマスターは難しいのだから、せめて中国社会のことを理解してもらって、中国という国が好きになってもらう、と教えながら思った。だから、中国の文化や社会の話題を多く取り入れた。枯れ木のような語学の授業は生徒たちがいつもイキイキしていた。生徒たちは、語学を覚えようというより、むしろ中国という国に興味があるように感じた。
 大学で教鞭を取るおかげで、自分に自信も持てただけではなく、大学内で多くの友人に恵まれた。各国の留学生やとくに博士課程の学生の中にも友人は多かった。当時大学内で自分が中国映画の上映会を開催すれば、イランとか、ロシアとか、チェコとか稀な国からの留学生の友人たちも応援に来てくれた。時に国際会議のような光景だった。
 何より、別な視点で日本を見ることができたのは自分にとって大きな意味があった。留学というのは、下から上を仰ぎ見ることだが、教えることによって、上から下を見ることもできた。このように逆の立場で日本を見る機会は、日本社会への理解を深められ、その後の仕事に大きな意味があったに違いない。
 自分より年上の留学生と親しく付き合う中で、一つ気づいたことがあった。日本の博士課程には、日本人学生の割合が段々少なくなっていること。それと、企業でも有能な技術者が欠けているということ。当時の中国は日本と違って、優秀の学生は、基本的に理系に行く時代だった。日本に憧れている学生も多くいた。日本の大学の博士課程に、そして企業に優秀な人材を送ろうと素朴な想いができた。
 今でいう、派遣業の発想だった。
 *     *  *
 90年代始めの頃、派遣という言葉はまだ殆ど聞かない時代だったと思う。後で分かったことだが、行政的にもその時に初めて少しずつ緩和され、パソナなどの会社もこの時代に業績を大きく上げてきたのだ。その背景には、バブル崩壊後、不況に喘ぐ企業が、リストラを行い、低コストの人材を求め始めたことにあった。
当時の私は、世の中の大きなことは知らなかった。しかし、企業にはこんな需要があること、大学の研究室では外国人研究者を必要としていることだけは知っていた。当時派遣という言葉すら知らなかった私だが、少しずつ今でいう派遣業務を始めていた。後に日経新聞に、ある企業が外国から三人の技術者を日本に送り込んだという記事を見た時に、私より規模が小さいのではないか、と少し悔しいくらいの思いをしたのを今も覚えている。当時の日本は技術大国で中国より経済力は遥かに強かった。日本で働きたい、日本の給料をもらうことを夢見ている技術者たちは大勢いた。中国のトップクラスの大学の修士課程や博士課程から学生を選び抜けた。クライアントは日本の中小企業が多かったが、住友化学のような大手とも取引ができた。最初は大学の友人のコネやアルバイト時代の知り合いなどに頼っていたが、その後は少しずつ自分で開拓した。派遣業が注目される前の時代だけに、競争が少なく割と簡単だったかもしれない。
その仕事を通じて、私は一つ大事なことを学んだ。言葉より人間の姿勢が大事だということ。私は決して口うまい人ではないが、でも、自分の中に、思いやりがあった。それは技術者側の人生を思いやる気持ちと、企業のコスト対効果に対する思いやりでもあった。私は、「自分を信用しなさい」、このようなことを一度も言ったことはなかった。しかし、私の真っ直ぐなまなざしの中、それが伝わったらしい。何も裏付けのない学生だった私を企業が信用してくれた。それは私にとって重責であり、恩だと感じた。だから、その信用を裏切らないように自分が努力するのみ。どんな時も正直に相手に伝え、迷いはなかった。その真の心が企業から信頼を得た気がする。
今思えば、企業が信用してくれたのは、自分の一生懸命な姿勢はもちろんだが、学生だからこそ信用された面もあったと思う。とくに、東工大というネームバリューもいい肩書きになっていたかもしれない。社会に出て、様々な人と触れる中で一つ非常に誇りに思えることは、東工大の学生ほど謙虚な学生はいないということだ。100%できる自信がなければ、或は成し遂げてやる気迫がなければ、軽々しく請け負うことはしない。謙虚さは東工大の文化だったかもしれない。
こうして、同期の留学生たちはまだ奨学金があるかないかで気持ちが大きく左右される時に、私はそれを一蹴できるくらい晴れやかな気持ちになれた。奨学金が得られなかったことで苦しめられた二年後に、私は自分の事業を立ち上げた。誰の援助にも頼らず、自分で稼いてやる。それが実現できた。私が大学を出るまで、正式な従業員はたった3人だったが、年商は6千万円を超えた。
そして大学三年の時につい母に世界一安全と言われるボルボの車を買ってあげた。それを早く実現できたことは自分にとって何よりうれしかった。
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lovecrazysaladcollection · 6 years ago
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宇都宮高校英語部の男子たちの話を続ける。
 全国高校生英語ディベート大会で優勝した彼らは、今年初めにトルコであった世界大会に日本代表として参加した。
 世界の舞台はどうだったか。
 副部長だった小田卓弥(18)は「透明な壁にぶちあたったみたいでした」と振り返った。「これまでとは違うステージに立たされた。相手にぶつかりたいのに、ぶつかれない」
 え、ぶつかれないって?
 予選の相手はタイ、トルコ、チェコ、アラブ首長国連邦、スウェーデン、インド、レバノン、ボスニア・ヘルツェゴビナの8カ国。英語を母語にする高校生ではない。
 それでも、スピードや語彙(ごい)力は段違いだったという。嵐のように主張が飛んでくる。ずらずらずらっと論拠を並べ、こちらが出した論拠を次々と破る。
 英語部顧問の有坂由美(46)は「惨状」と表現した。「見ていて、つらかった。自分たちが育てた生徒が、こんなにハンディを持たされているとは。世界とこんなに距離があったとは」
 結果はレバノンに勝っただけで1勝7敗。審判から「講師を送ろうか」とまで言われた。
 急いで書いておくが、彼らの1勝は快挙だ。日本代表として3年ぶりの勝ち星なのだから。
 今回も含め、日本は7回出場して4勝52敗。「世界」との差は何なのだろう。英語力か、議論力か、それとも両方か。
 生徒の話に、どきっとした。
 中田竜明(18)が言う。「外国の高校生たちは議論するのが当然、主張するのが当然、という感じだった。でも僕らは日本でふだん、議論する必要がない。へたに議論しようとしたら、煙たがられてしまう」
 小田が続ける。「英語部の中で議論するのはいいけど、教室でやったら友だちがいなくなる。学園祭でクラスでお化け屋敷をやろうとなって、それが多数なら別の意見は言わない。でも、英語部では、少しでも気になることがあったら口にする」
 ということは、英語部に入っていなければ、彼らも議論することはなかったということか。
 学校教育の場で、生活の中で、生徒が議論や主張をする機会はどれほどあるのだろう。
 そこで育った大人も同じだ。議論が特別な国の住人と、議論が当たり前の国の住人では「議論の基礎体力」が違う。これでは英語、英語と追いかけてばかりいても、国際的な交渉や論争の場で苦戦するはずだ。
 「英語ができない」って何なのか。ひょっとして「議論ができない」ことを英語のせいにしているだけではないのか。
 ふと有坂が言った。「でも、生徒たちはすごいですよ」
 コテンパンにやられたのに、懇親会では臆することなく外国の生徒たちとコミュニケーションをとっていた、という。
 議論と人間関係は別。わかってはいても難しいことを、生徒たちは自然体でやっていた。
” -
(英語をたどって:2)透明な壁にぶちあたった
まぁ確かに、論理的な議論の能力と外国語能力のどちらでも負けたとなったら相手に顔向けなんかしたくないと思うのが普通だよな(少なくとも日本人の場合)
(via 719043)
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nihongo · 8 years ago
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Tumblrユーザーボイス: 東京都在住・maeさん (37歳)。
最近はおしゃれなインテリア写真や雑貨屋の写真などでたくさんの多肉植物を見かけますね。定番のアロエやサボテン類から、植物とは思えないような形をした名前もわからないようなものまで、本当にさまざまです。今回のインタビューは、愛してやまない多肉植物の記録をつけているmaeさんです。maeさんのブログ「樹冠」には詳細な多肉植物の交配や成長の記録から、自ら作成した原種の分布地図など本格的な内容の投稿と併せて、面白くてかわいらしい多肉植物の写真がたくさん。昔あまり知識がないせいで植物を枯らしてしまい落ち込んだ経験があるというmaeさんは、この記録がどこかの植物好きな人の参考になれば、という思いもあってブログを続けているそうです。まるで我が子のように愛情を込めて多肉植物について語るmaeさんのインタビューをどうぞ。
- どんなきっかけで植物、多肉植物に興味を持たれるようになったのですか?
北の方の生まれで、森のそばで育ちました。通学は街に出ていましたが、休みには昆虫や小動物を追いかけて森を駆け回っていました。植物にはまったきっかけは森で拾った栗の実です。秘密基地に隠しておいたら翌年に出芽したんです。かわいいと感じたんだと思いますが、踏まれたり抜かれたりしないように囲いを作り、乾いているようなら水やりをしたり。手をかけたせいかぐんぐん大きくなって、2年目くらいに初めて花が咲いて栗の実ができたんです。1果だけでしたが、感動したというか、ぐるっと回ったような不思議な気持ちに包まれたのを覚えています (ちなみに今では大木になっています)。
18歳のときから東京に出てきました。人の手で作られた精緻で巨大で機能的な都市生活が新鮮で楽しくて。ただ、やっぱり緑がないとさみしい。当時はベランダのない小さなアパートでしたから、室内で育てられる観葉植物を集めて育て始めました。それから20年くらいたちましたが、住む場所は変われど、いままで緑を絶やしたことはありません。
多肉植物は数年前から。きっかけは藤田雅矢さんの『ひみつの植物』という本のハオルチアの写真です。光ってたんです。こんな美しい植物があるんだと、一目見て衝撃を受けました。もちろん実際に植物が発光するわけではありません。Window plantsと呼ばれることもあるようにハオルチアの多くは葉表や葉裏に「窓」と呼ばれる部位があります。現地の過酷な環境下では彼らは窓だけを地上に出し強い光を弱め、葉の内奥で光合成を行います。その窓が陽光を透過・拡散させて光り輝く葉姿が美しく、すっかり魅せられてしまいました。
いざ育ててみると、非常に種類が多くそれぞれが多彩な葉姿を持つ、特に原種には採取場所、採取番号、採取者などの採取データが付いていて、進化の過程を追いかけられる、交配が容易なため自分だけの品種を生み出せるなど、鑑賞価値以外にもハオルチアには面白い側面がたくさんあることがわかりました。あとは出会いです。多肉植物園芸の歴史は古く、趣味としている人がたくさんいます。ブログやSNSで知り合った方と実際に顔を合わせてお会いすることもあります。種や苗を交換したり栽培技術を教え合ったり自慢話を聞き合ったり (笑)。しかも愛好家は日本に限らず、南アフリカ、ドイツ、チェコ、アメリカ、台湾、タイなど世界中にいます。年齢も性別も職業も居住地も国籍すらも異なる人たちと、植物を通じて出会えることが一番大きな魅力かもしれません。
- 現在はどれくらいの数の植物を育てられていますか?
実生の極小苗も入れると1000あるかないかだと思います。ハウスでやってる方に比べればこれでも少ない方です (笑)。
- アフリカなど全く異なる気候の土地の植物を日本で育てる上で、どんな点に気をつけていますか?
温度、日照量、光の強度、灌水頻度、通風など気をつけることはいろいろありますが、参考にするのは自生地の環境です。自生地の気温からずれる真夏と真冬が危ない時期なので、特に注意しています。天気アプリは手放せません。時期によっては日に何度も見ることもあります。その日の最高低気温だけでなく、風向き、風速、週間予報を見ながら水やりしたり計画を立てたり。たとえば夏の南風は高温強光になるので水やりは控える、逆に北風のときは水やりをするなど。多肉植物は種類が多く、それぞれ好む環境も千差万別なのでまだうまく育ててあげられない植物がたくさんあります。弱ってるようなら環境を変えてみたり、断水も含めて灌水を調整したりと試行錯誤の連続です。ただ、過保護に育てるときれいにならず徒長するし、手をかけすぎても植物のストレスになるので、距離をきちんと置いて遠くから見守ることも大事だと思います。
- 多肉植物の魅力、またこんなに人気がある理由とは何だと思われますか?
多肉植物を育て始めた理由を伺うと、「何だろうこれ」という驚きから入ったと答える方が多いように思います。光が形を成したようなもの、菓子のグミみたいなもの、気味の悪い怪物的なもの、ねじれたり巻いたりするもの…日本の植生の常識の枠外からくる、独特のフォルムや色彩。そこにみんな驚嘆して惹かれるんだと思います。それにやっぱり生き物ですから、所有するというより育てる喜びもあります。植物には気持ちを落ち着かせてくれる鎮静作用があると思いますが、特にサイズの小さな多肉植物はより人に近い場所にいてくれるように感じます。完全放置すれば死んでしまう生き物ですから手間もかかるけれど、植物からそれ以上になにかをもらっていると思います。
愛好家の間で半ば笑い話で、「自分が死んだ後、植物の世話をどうすればいいか」という話題が不思議としょっちゅう��るんですが、あれはみんな冗談にしつつ、実は本気で心配してるんじゃないかと疑っています (笑)。それくらい真剣に植物と付き合ってる人たちが多いですね。
先人たちによる多肉植物を維持し広める努力のほかにも、比較的丈夫で流通しやすいこと、不定芽なので殖えやすいなど広まった理由はたくさん挙げられると思いますが、ウェブの力も大きいと思います。植物を介して自分の暮らしや感情の片鱗を表現する人たちが増え、共感した人がまた広めていく。写真によるコミュニケーションが増えた今は、植物自体が言葉になったような感じがします。
- maeさんの今後の夢、目標をお願いします。
やっぱりいつか自生地を訪ねたいです。できれば住んでみたい (笑)。どんな場所で育っているのか、自生地の姿はどんなふうなのか、季節ごとの光の加減や匂いや音など行かないと分からない環境をまるごと体感したい。
(画像: @jukanmuri)
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32j · 5 years ago
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ヴィレム・フルッサーを知っていますか?(中日新聞夕刊00/07)
 九十年代のドイツ語圏でブームを引き起こした思想家に、ヴィレム・フルッサーがいる。一九二十年にカフカと同じプラハのユダヤ人地区で生まれたフルッサーは、ナチスの手を逃れてブラジルに亡命し、ジャーナリストや哲学教授として活躍した後、七十年代になって約半世紀ぶりに再びヨーロッパに戻った。
 「プラハの春」を圧殺されたばかりのチェコには帰れない彼は、イタリアやフランスに居を定めたが、注目を集めるようになったのはむしろドイツ語圏の国際会議であった。ユニークな切り口の文明論・メディア理論とその独特の風貌や話術はどの会議でも聴衆を熱狂させ、若者たちや芸術家たちを中心にカルト的な人気を集めるようになっていったのである。
 彼のドイツにおける最初の著作は『写真の哲学のために』(一九八三年、日本語版は深川雅文訳、勁草書房)である。その後八十年代のいくつかの著作を通して彼の人気は高まっていったが、ジャーナリスティックな注目は集めるものの、アカデミズムの世界ではそのいかがわしさに眉をひそめる向きも多かった。
 事態が変化したのは、彼の突然の事故死以降のことである。一九���一年、ベルリンの壁が崩れ、講演旅行のために初めて故郷プラハに里帰りしたフルッサーは自動車事故に遭遇し、その激動の生涯を自らの生まれた都市で終えることになる。そして、その後出版された『サブジェクトからプロジェクトへ』(一九九四年、日本語版は村上淳一訳、東京大学出版会)、『テクノコードの誕生』(一九九六年、日本語版は村上淳一訳、東京大学出版会)をはじめとする著作群、著作集は思想界・哲学界に新たな衝撃を与え、ドイツや東欧を中心に一大ブームを引き起こすまでになったのだ。
 ドイツ語圏では現在、キットラーやボルツらのメディア哲学が注目を集めている。だが、フルッサーがこれらの思想家達と異なっているのは、何よりもその理論的スケールの大きさであろう。文明を組織する支配的文化コード(記号体系)を「画像―文字テクスト―テクノ画像」への数千年単位での推移として捉え、前近代、近代、ポスト近代を「道具―機械―装置」といった概念群で明快に説明する彼のメディア哲学は、人間のコミュニケーションの根底を見据えた、眼の覚めるような説得力をもっている。そして、それは現代の情報社会を読み解く上で、他の思想家からは得られないオリジナルで強力な視点や概念装置を提供してくれているのである。
 日本で初めてのフルッサーに関する国際シンポジウム「未来を考える―デジタル社会の思想、ヴィレム・フルッサーのコミュニケーション論とともに」が去る五月二十六、二十七日の両日、赤坂の日独文化センターで開かれた。ここには、ドイツからアンドレアス・ミューラー=ポーレ、ディルク・マテヨフスキー、フランスからマルク・ギヨーム、日本からは深川雅文、村上淳一の二人の翻訳者のほか、多木浩二、港千尋、奥出直人、藤幡正樹、室井らが参加して、熱い議論を繰り広げた。しかしながら、むしろここでの議論はフルッサー理論のまだまだ解き明かされない未知の可能性を予感させるものであるように感じられた。まだ、時代はフルッサーに追いついていない。その意味で彼はまさしく二十一世紀の思想家なのである。
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sallypraha · 7 years ago
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今日は月一回のミッショナリーミーティング。 みんな仕事終わってから集まるので 始まるのが遅くて私はぽけぇ〜😑っと 聞いてて 途中からうとうと😴。。 「サリー!聞いてる?!次回から一人ずつ 順番で20分説教するんだよ!」 ゲッー😱😱😱! なんやそれー! そんなこと地球上であっていいわけ?! おまけに集会室にカメラ設置して 礼拝のオンライン化するとかなんとか 私のチェコ語の聞き取りが正しければ そんなこと言ってたような嫌な予感が あはあは、 まじかよ😰。 これ主のみ手どすえ😭。 京都名物は「お食べ」どすえー! わかってるんだ! 主は私が怠けないようにお尻ペンペン してるんだ。 ゴーですか? ゴーでしょう! 腹くくった木曜白馬キャンプ2日目の夜でした。 ほなおやすみなさい😴💤💤💤 💤おやすみ💤おやすみ💤 ぐおぉぉー!寝れんぞー😭!
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