#メキシコ独立記念日
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月9日(木曜日)
通巻第8589号
大統領、グリーンランドとパナマ運河の獲得に「軍事力」を使う可能性を否定せず
地政学的見地に立てば、中国を排撃する戦略的発想が基本
*************************
1月8日、トランプ特別機が突如、グリーンランドの「首都」ヌーク空港に着陸した。
降り立ったのはドナルト・トランプ・ジュニア(大統領の長男)。つまりグリーンランドは安全保障上、米国の防衛システムに入るべきという大構想を本気で実現させようとする政治的なパフォーオマンスだ。同島のピトゥィクに米空軍基地とレーダー基地を配備してはいる。
デンマークの自治領とはいえ、国際法的には他人の領土、トランプはその島を買う、と言っているのである。
実際にアラスカを米国はロシアから購入し1867年に720万ドル支払った。1803年にはルイジアナ州をフランスから1600万ドルで購入した。アメリカ人の考えでは、たとえ略奪した領土であっても、土地は購入するもの。ましてトランプは不動産王。
冗談ではなく、本機なのである
トランプ次期大統領は「グリーンランドとパナマ運河地帯を米国領とするためには「軍事力」を使う可能性を排除しない」と述べた。
注意すべきポイント、トランプの構想の中で「パナマ」と「グリーンランド」は1セット。ついでに「メキシコ湾」の「偉大なるアメリカ湾」への改称とカナダの合併という四つは「セット」なのである。
トランプの言い分を聞こう。「国家安全保障のためにグリーンランドが必要だ。以前からそう言われてきた。(デンマークは憲法でグリーンランドを自国領、しかし独立する権利を認めているが)��デンマークはそれを放棄すべきだ。なぜなら、それは国家安全保障のために必要だからだ」
パナマとセットだという意味は米国東海岸から中国へマゼラン海峡経由だと19000マイル。これがパナマ運河経由だと12000マイル。そして北極圏の海路をつかえば1000マイルとなる。すべてが中国に有利なのである。
トランプ大統領は「中国とロシアの船舶が現在デンマークが統治するグリーンランド周辺を航行している。そんなことを許さ��い」と付け加えた。デンマークとグリーンランドの両首相は、「この島は売りに出されていない」と述べており、コペンハーゲン政府はその立場を繰り返した。
▼メキシコ湾開発とカナダ合邦も。。。
トランプは、まだ付け足している。
『メキシコ湾』という名称は良くない『MAGA湾』(偉大なるアメリカ湾)にしよう。『パナマ運河』は再びアメリカが管理する。カナダは準州とし合併し、その北部のグリーンランドは買い取る。
さらにトランプは、この野放図とも言える発言に付け加えた。
「メキシコ湾沖合掘削を拡大するつもりだ。バイデンがすべてを閉鎖し、50兆~60兆ドル相当の資産を処分するのとは逆に、メキシコ湾の名前を美しい響きを持つアメリカ湾に変更するつもりだ」
カナダのトルードー首相に「州知事」を呼びかけたように、トランプは「カナダは51番目の州になる可能性があり、ホッケーの名選手ウェイン・グレツキーが知事を務める。人為的に引かれた境界線をなくす。そうすればカナダは関税も支払う必要がなくなる。
国家安全保障にとっても、はるかに良いものになる。私たちはカナダを守るために何千億ドルも費やしてきている」。
そして1979年にカーター大統領(当時)が返還したパナマ運河は「いまや中国が運営しているのだ! パナマ運河を(カーターが無思慮にも)譲ったのだ。中国に譲ったのではない。中国はそれを濫用したのだ、その贈り物を濫用したのだ」
故ジミー・カーター元大統領が在任中にパナマ運河地帯を『放棄』したと非難し、中国が大西洋と太平洋の間の水路を支配していることを懸念しているとトランプは述べた。
パナマは運河の修復に30億ドルの援助を求めているが、「運河の両端にいる」中国に頼むべきだと主張した。
パナマ変換時に締結された協定は、「運河の中立性が脅かされていると米国が判断した場合」、アメリカは「軍事介入する権利」が明記されている。
パナマのホセ・ラウル・ムリノ大統領は、運河地帯の支配権を獲得しようとするトランプ大統領の試みを��否し、「パナマ運河とその隣接地域の1平方メートルすべてがパナマのものであり、今後もそうあり続けるだろう」と反駁した。
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毎日が記念日
3月6日は…
1836年、アラモの戦い が終結。
テキサス革命の最中、テキサス独立派の兵士たちはアラモ砦で13日間にわたりメキシコ軍と激しく戦いました。しかし、3月6日、メキシコ軍の総攻撃により砦は陥落し、テキサス側の兵士はほぼ全員戦死しました。この戦いは「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな!)」というスローガンとともに語り継がれ、後のテキサス独立運動を後押しする象徴的な出来事となりました。
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ベトナム戦争で「核の脅し」を演じたニクソン米大統領は、何をしでかすか分からない外交的恫喝(どうかつ)を「マッドマン・セオリー」(狂人理論)と呼んだ。予測不可能性を掲げるトランプ大統領は、「狂人」と自認してこの外交戦術になぞらえている。 トランプ氏の就任演説は、満を持したかのように「米国の黄金時代がいま始まる」と切り出した。マッドマンらしく「米国第一主義」と「力による平和」のレトリックで、容赦のない帝国主義への憧憬(しょうけい)を打ち出している。 1月20日の就任演説で時間を割いたのは、米国領土を大幅に拡大した19世紀最後のウィリアム・マッキンリー大統領への敬意であった。1897年就任のマッキンリーは、ハワイ、グアム、フィリピン、プエルトリコを米国に併合した拡張主義者である。 彼はパナマ運河の創設を主導し、関税を手段と��て国内産業を保護した。トランプ氏が就任演説で、「富を増やし、領土を拡大する国」でなければならないと述べたことは、これらに通底する。 さっそく、トランプ氏は南米のコロンビアを、高関税で脅して不法移民の送還に対する抵抗を封じた。ペトロ大統領のあっという間の屈服は、マッドマン・トランプに次の標的でも強硬手段の行使を促すことになった。 1週間も待たずに、中国の薬物フェンタニルを自国経由で米国に流入させているとしてメキシコとカナダからの輸入品に25%の関税を課し、中国には大統領選で繰り返した最大60%ではなく、一律10%の追加関税を通告した。 これに対し、メキシコとカナダは妥協点をさぐり、中国は最大15%の対米報復関税を用意した。 トランプ「本丸」は中露枢軸にあり おそらく、トランプ氏による領土拡張の「金ぴか時代への憧憬」は、本物なのだろう。あわよくば、グリーンランドを購入、パナマ運河を奪還、カナダの併合に至るまで、米大陸と北極圏で勢力圏の拡大が成就できれば、マッキンリー流の「偉大な大統領」への道が開ける。 先のルビオ国務長官によるパナマ訪問で、パナマ運河に対する「中国の影響力を抑制しなければ、米国が報復措置をとる」と通告したのはその第一歩になる。 ただ、トランプ新政権が攻略しようとする「本丸」は、やはりユーラシア大陸にある。「米国を再び偉大な国」とする彼のMAGA戦略を出し抜こうとする中露枢軸の存在が立ちはだかるからだ。特に中国は、依然として中国製品を集中豪雨のように売りつけ、米国に対抗する際の伴走者にロシアを従えている。 トランプ氏の最優先公約は、ウクライナ侵略戦争を就任から「24時間以内に解決する」との大言壮語だった。しかし、プーチン露大統領はそう簡単には動かせず、「6カ月以内」の決着へと先送りせざるを得なかった。 中国はロシアにとって兵器増産に不可欠な部品の供給元であり、エネルギーの貴重な買い手である。中国の支援がなければ戦争継続はままならないから、習近平国家主席の影響力は大きい。 トランプ氏は敵対国であっても、右手に棍棒(こんぼう)を持ちながら、左手では握手する。中国との関税戦争が行き詰まると、マッドマン理論を棚上げして、妙な「取引」モードに入りかねないから要注意なのだ。 トランプ氏はこのところ、米中取引への下地として中国寄りの論点を繰り返していた。 1月初旬に、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟する可能性に、プーチン氏が脅威を感じている理由をトランプ氏は��理解できる」と述べていた。 就任数日後のFOXニュースでは、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアからの侵略に反撃するのではなく「和平を訴えるべきだった」と語る。 そして、バイデン政権がウクライナに「武器・弾薬を注ぎ込み始めた」ことが戦争を長引かせることになったと非難した。 英誌エコノミストはこれらの論点は、中国の特使が3年間にわたって世界の各都市でそのまま言い続けてきた主張であると見極めている。 米中取引外交の下地をつくる トランプ氏は中国を「敵対国」と定義しながら、習氏やプーチン氏を「素晴らしいやつらだ」といってはばからない。大統領就任式に各国大使を招く慣例を破って、習氏を招待するポーズを示し、名代の韓正副主席の派遣を引き出していた。 この決定を受けて、トランプ氏は1月17日の習氏との電話会談で、過酷な関税を課す代わりに「ウクライナ和平工作への協力」を要請していた。さらに、中国系動画投稿アプリ「TikTok」(ティックトック)にまつわる安全保障上の懸念を一転して軽視するようになっている。 その挙げ句に、超党派で可決しているTikTokの米国内での禁止につながる新法の適用を、75日間も猶予する大統領令に署名している。 元はといえば、TikTokで動画を使った選挙干渉などのリスクが指摘され、規制の必要性を言い出したのはトランプ氏だから信用ならない。しかも、最高経営責任者(CEO)の周受資氏を大統領就任式に招待しているほどの譲歩だ。 「台湾を見返り」 日米安保の危機 仮に、米中「取引」により中国がロシア説得に乗り出すとすれば、米国に求める見返りは何か。 同誌は中国の高官級協議に携わってきた人物の分析として、「台湾独立を支持しない」とするこれまでの米国の立場を転換し、「台湾独立に反対する」との新たな共同声明を出すことが着地点ではないかとみる。 中国が「核心的利益の核心」とする台湾の独立に、トランプ政権が「反対」を明示すれば、台湾民心の動揺を誘って政治的な変化が現実化する可能性が出てくる。逆に中国は、トランプ氏が懸念する南米やグリーンランドの資源獲得から手を引く余地が浮上する。 しかし、台湾が「一国二制度」のまやかしに下ることは、米軍の接近阻止・領域拒否(A2/AD)を狙う第一列島線のカナメを、日米が失うことになる。 米中による「悪魔の取引」ほど、日本の安全保障にとって危険なものはないだろう。 前の記事 トランプリスクが消えない理由 他国を不安にする「アメリカ帝国」もどき発言相次ぐ 湯浅博の世界読解
米中「悪魔の取引」という陥穽、その先にあるのは台湾独立反対の共同声明か 湯浅博の世界読解 - 産経ニュース
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2025/1/29 21:00:19現在のニュース
<独自>警察・自衛隊の合同拠点新設へ 能動的サイバー防御で東京・市谷に([B!]産経新聞, 2025/1/29 21:00:13) リンクサイド:ラストダンスの織田信成、演技前から涙 「母が泣いていて」 国スポ(毎日新聞, 2025/1/29 20:58:42) 週刊文春、誌面でも一部訂正、謝罪 中居正広さん巡る記事(毎日新聞, 2025/1/29 20:58:42) プーチン氏、ゼレンスキー大統領は「非合法な指導者」…停戦合意に「署名する権利はない」([B!]読売新聞, 2025/1/29 20:57:47) 袴田巌さん再審:袴田巌さん側、刑事補償金2億円超を国に請求 再審無罪確定受け | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/29 20:57:33) 「厳しい抗議」政府、国連人権高等弁務官事務所への任意拠出金用途から女性差別撤廃委除外([B!]産経新聞, 2025/1/29 20:55:50) JR東海の「ドクターイエロー」ラストラン 新幹線の検査車 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/29 20:55:17) グーグルマップ、メキシコ湾を「アメリカ湾」に 米国で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/29 20:55:17) リンクサイド:ラストダンスの織田信成、演技前から涙 「母が泣いていて」 国スポ(毎日新聞, 2025/1/29 20:54:58) 交際相手の娘と性交、親でなくても「監護者性交罪」 最高裁が初判断:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/1/29 20:54:24) 【解説人語】年金改革論戦スタートへ 「見送り」改革案の中身と背景(朝日新聞, 2025/1/29 20:53:40) 金正恩総書記が核施設視察…トランプ大統領就任を念頭、「力による平和と安全保障こそ我々の闘争方式」([B!]読売新聞, 2025/1/29 20:51:31) 道路陥没、「深さが想定の2倍」で作業難航 不安が募る住民 埼玉:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/1/29 20:48:34) 公益通報者処分に刑事罰 不利益扱いを抑止、フリーも対象に追加 保護法改正案概要判明([B!]産経新聞, 2025/1/29 20:48:10) 【そもそも解説】安倍派の会計責任者の参考人招致、どういうこと?(朝日新聞, 2025/1/29 20:46:33) 政府、国連女性差別撤廃委への拠出停止へ 皇室典範の改正勧告に抗議:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/1/29 20:43:03) 兵庫県前総務部長の情報漏洩疑い 斎藤知事「第三者調査踏まえ対応」:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/1/29 20:43:03) リンクサイド:友野一希「我慢の時だと思うので…」 フィギュア国スポ(毎日新聞, 2025/1/29 20:40:12) 共通テストの監督、受験生のトイレ個室に同行 「不適切」と謝罪 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/29 20:39:27) 「負け犬サダ」テレビ出演で知った勝者以外の美学…とんねるずの2人は僕をすごくリスペクトしてくれた([B!]読売新聞, 2025/1/29 20:39:10) 文春の訂正放置で記者誤認、フジ幹部関与前提の質問続出か 10時間超会見に影響の可能性([B!]産経新聞, 2025/1/29 20:37:13) �� マネー相談 黄金堂パーラー 〉 厚生年金保険料の上限上げ 高所得者、負担と給付が増加 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/29 20:37:07) リンクサイド:友野一希「我慢の時だと思うので…」 フィギュア国スポ(毎日新聞, 2025/1/29 20:36:50) 川崎市立小でまたプール注水止め忘れ 損害50万円、請求はせず(毎日新聞, 2025/1/29 20:36:50) リンクサイド:圧勝の佐藤駿「全日本もこの雰囲気でいけたら良いんですけど…」(毎日新聞, 2025/1/29 20:36:50) ソニーグループCEOに十時裕樹氏 7年ぶり交代 エンタメ事業強化(毎日新聞, 2025/1/29 20:36:50) リンクサイド:圧勝の佐藤駿「全日本もこの雰囲気でいけたら良いんですけど…」(毎日新聞, 2025/1/29 20:32:56) 政府、国連女性差別撤廃委への拠出停止へ 皇室典範の改正勧告に抗議(朝日新聞, 2025/1/29 20:31:40) イスラエル首相、トランプ氏と2月に会談へ ガザ統治など議論か(朝日新聞, 2025/1/29 20:31:40) 金融緩和拡大「誤りだった」 木内元審議委員 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/29 20:30:33)
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国際政治学者のイアン・ブレマー氏が率いるアメリカの調査会社「ユーラシア・グループ」は、恒例となっている「ことしの10大リスク」を6日発表し、最大のリスクとして「深まるGゼロ世界の混迷」をあげました。 「Gゼロ」はブレマー氏が国際秩序を主導する国家が存在しない状態をさして使ってきた用語で、ブレマー氏はオンラインでの会見で、「アメリカは世界で圧倒的な強国だが、きたるトランプ政権が単独主義を志向するなか、外交政策はより取引的になり、多国間主義や国際機関、法の支配などへの支持を放棄するようになるだろう」と指摘しました。 一方、中国についても「より内向きになっている」と述べ、経済問題や国内の課題に専念せざるをえないという見方を示しました。
そのうえで「ことしは冷戦初期、さらには1930年代に匹敵する地政学的に最も危険な一年になる」と述べリーダーシップの不在による混迷に警鐘を鳴らしています。 また2番目以降のリスクも、「トランプの支配」や「米中決裂」などトランプ氏の返り咲きに伴うものが多くを占め、それ以外ではロシアやイランの動向のほかAI=人工知能が制御できなくなることへの懸念などが10大リスクとしてあげられました。
1 深まるGゼロ世界の混迷
世界的な課題への対応を主導し国際秩序を維持する国家は存在しない状態で地政学的な不安定が常態化する。新たな世界大戦すら起きるリスクはかつてないほど高まっている。1930年代や冷戦初期に匹敵する危険な時代に突入しつつある。 【特集】イアン・ブレマー氏に聞く 混迷する世界の行方 - キャッチ!世界のトップニュース - “Gゼロ”の世界についてなど イアン・ブレマー氏へのインタビュー記事はこちら
2 トランプの支配
司法省やFBIといった政治的に権力を持つ組織にトランプ氏に忠誠を誓う人物を据えようとしている。行政権力に対する独立したチェック機能が低下し法の支配が弱体化する。また政治的に近い企業家を優遇すれば市場競争ではなく権力への近さが成功を左右するシステムが生まれる可能性がある。
3 米中決裂
トランプ氏の返り咲きにより米中関係の安定は崩れるだろう。経済の混乱や危機のリスクが高まることになる。トランプ氏は、今後、中国製品に高い関税を課すことを実行に移すだろう。
4 トランプノミクス
関税の大幅な引き上げは、サプライチェーンを混乱させ企業と消費者のコストを押し上げる。また不法移民の大量送還などによってアメリカの労働力が減少し賃金や物価が上昇するだろう。インフレ率の上昇と成長の減速で経済の強さを損なうことになるだろう。
5 ならず者国家のままのロシア
ウクライナで停戦が成立する可能性は高いが、ロシアはアメリカ主導の世界秩序を弱体化させる政策をさらに推進するだろう。ロシアは占領した領土を事実上支配したままにするだろう。
6 追い詰められたイラン
おととしのイスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃以降、イランの地政学上の立場は壊滅的な打撃を受けた。イランはここ数十年にないほど弱体化していて、中東は依然として不安定な情勢が続くだろう。
7 世界経済への負の押し付け
トランプ次期大統領が就任するアメリカと経済が低迷している中国の混乱がほかの国々にも波及し世界経済の回復を妨げ地政学的分裂を加速させることになるだろう。
8 制御不能なAI
AIの性能はさらに向上する一方、規制緩和によって大惨事につながる事故や制御不能なAIの「暴走」のリスクが高まるだろう。
9 統治なき領域の拡大
アメリカが世界的なリーダーシップを放棄していて、より深刻な地政学的対立や不安定を引き起こし、ならず者国家や非国家主体を勢いづかせる。
10 アメリカとメキシコの対立
メキシコは財政難が続くなか、トランプ次期大統領の関税措置や不法移民などの取り締まりといった困難な課題に直面することになり、アメリカとメキシコの関係はさらに険悪になるだろう。
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🇲🇽メキシコシティ③
ブリアナちゃんが誘ってくれてキューバサルサを踊るパーティに行く。
ラテンアメリカの特徴として、サルサが踊れる人はモテる。
ガチのサルサを目の当たりにするとかっこよすぎて痺れた。キレキレの踊り、かっこいい。。日本でのダンスカルチャー的に日本ではサルサはやりたいとは思わないのだけど、もしメキシコに住んだらサルサを本気でやりたいと思う。
サルサはサルサでもキューバサルサという普通のサルサよりテンポが速く激しいサルサを教えてもらう。
メキシコ人男性がとても熱心に教えてくれたのがありがたかったが手がしっとりしていたのと唾が顔に飛んできたのが気になった(⌒-⌒; )

メキシコの食べ物、モレ。ペースト状で物によっスパイシーだったり甘かったりする。色んな茶色がある。これを固めてチョコレートのようにしたり(粉っぽいが癖になって美味しい)シチューみたいな食べ方をしたりする。

メキシコのタコスは本当においしい。チーズが入ったのはケサディーヤという名前なのだがこのケサディーヤが1番美味しかったかも。これがなんで黒いのか忘れたけど味は普通のトルティーヤみたいだった。

ソノラ市場というブラックマーケット(黒魔術用品が大量にある)で食べた。

写真撮るのびびって全然撮らなかったけど生きた動物だったり十字架、薬草、オイルとかそういう怪しげな物がたくさん売っていた。

宿の人たちと行ったからじっくり見れなくてまた1人で行こうと思ったけど結局行けず...リベンジしたい。
渋谷発見!メキシコ人日本のアニメ好きすぎて新日を日々感じていた。

独立記念塔。通算3回くらい行った。ゴキゲン

メキシコのホラーなのにポップな感じが好き🖤

今日のグラフィティー

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2023年下半期に見た展覧会
0701 ガウディとサグラダ・ファミリア展@MoMAT 0702 イギリス風景画と国木田独歩@��ヶ崎市美術館 0702 生誕110年 傑作誕生・佐藤忠良@神奈川県立近代美術館 葉山 0706 ブルターニュの光と風@福島県立美術館 0708 谷川俊太郎 絵本☆百貨展@PLAY!MUSEUM 0711 テート美術館展 光 — ターナー、印象派から現代へ@国立新美術館 ☆0721 甲斐荘楠音の全貌 ― 絵画、演劇、映画を越境する個性(前期)@東京ステーションギャラリー *1 ☆0729 ソール・ライターの原点 ニューヨークの色@ヒカリエホール *2 0729 平間至展 写真のうた@ヒカリエホール 0804 「あ、共感とかじゃなくて。」@MoT ★0804 デイヴィッド・ホックニー展@MoT *3 0805 ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム@アーティゾン美術館 0806 蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる@国立新美術館 0812 特別展「古代メキシコ」@東京国立博物館 0812 スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた@国立西洋美術館 0813 私たちは何者?ボーダレス・ドールズ@渋谷区立松涛美術館 *4 0820 フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館 0825 甲斐荘楠音の全貌 ― 絵画、演劇、映画を越境する個性(後期)@東京ステーションギャラリー 0826 生誕100年 山下清展―百年目の大回想@SOMPO美術館 0902 挑発関係=中平卓馬×森山大道@神奈川県立近代美術館 葉山 ★0902 吉村弘 風景の音 音の風景@神奈川県立近代美術館 鎌倉別館 *5 0907 三沢厚彦 ANIMALS@千葉市美術館 0917 虫めづる日本の人々@サントリー美術館 0920 版画家たちの世界旅行 -古代エジプトから近未来都市まで@町田市立国際版画美術館 1022 杉本博司 本歌取り 東下り@渋谷区立松濤美術館 1029 デイヴィッド・ホックニー展(2回目)@MoT ☆1029 ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン@アーティゾン美術館 1119 開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?@名古屋市美術館 1121 テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館 1122 展覧会のちょっといい話 絵本と近代美術のあれこれ@板橋区立美術館 1125 装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術@東京都庭園美術館 1202 「パルコを広告する」 1969 - 2023@PARCO MUSEUM 1203 「横尾忠則 寒山��得」展@東京国立博物館 表慶館 1203 開館記念展「皇室のみやび」(第1期:三の丸尚蔵館の国宝)@皇居三の丸尚蔵館 1203 生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ@MoMAT 1207 イン・ビトウィーン@埼玉県立近代美術館 1209 永遠の都ローマ展@東京都美術館 1209 大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館 1209 イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル@国立新美術館 1214 モネ 連作の情景@上野の森美術館 *6 1216 「前衛」写真の精神: なんでもないものの変容@渋谷区立松涛美術館 ☆1216 「鹿児島睦 まいにち」展@PLAY! MUSEUM *7 1223 吉田ユニ「PLAYING CARDS」@ラフォーレミュージアム
*1 御多分に漏れず「あやしい絵」展でファンになってから待望だった個展、こんなに早く見ることができるなんてありがたい。ただ、やっぱり結構残っている作品は少ないんだなあ、というのが一番の感想で、そして作品のアクが強くて初めのインパクトや中毒性は強い分、慣れてくるとそこまでじっくり見るような感じにはならないなあ、とも思ったり(音楽とかでもそういう曲ってあるよね)。一方で、メインビジュアルにもなっていたメト所蔵の「春」なんかは特有のケレンを上手く折衷させた見ごたえの絵のある絵に仕上がっているんだけれども、結局それより先が無かったという。。展覧会中でも識者の言葉として紹介されていたけれど、ちょっと惜しかったというか、あともう少し絵師として活躍してほしかったなあと。でも、図版でしか知らなかった作品をいっぱい見られて嬉しかった。 *2 ソールライターの「良さ」がようやくわかってきたような気がします。残されていたフィルムをデジタル現像して順番に映し出していく大画面スライドショーのインスタレーションがとても面白くて、美術館ではない空間になった分、こういう演出ができるようになったのは良いなあと思いました。 *3 この夏のナイスワン。自分の中の「とても楽しかった展覧会」の1つの基準が、「一通り見終わった後に展示室で延々ゆらゆらしていられること」なんですが、久しぶりにそのトリップがきました。ホックニー特有のポップで人懐っこい色彩がやはり素晴らしく、いつまでも網膜にうつしていたくなるんですね。特に大型作品の展示空間に入ったときは、その色彩感に包まれるのが嬉しくて、思わずくるくると踊りだしそうになりました(?)。 展覧会は、初期から始まってロン��ン、カリフォルニア、イギリスの田舎町、そして最近移り住んだノルマンディーと、活動場所で区切られた作家のキャリアを一通り追う構成。昔メトで大規模回顧展を見たはずなのですが、あまり記憶になく、、今回改めて見て、初期はかなりベーコンの影響を感じるなーとか、やっぱり色彩はマティス、後期のボナールっぽいなーとか、いろんな発見がありました。 この10年来ハマっているというiPad絵画は、長生き作家にありがちの、晩年にどんどんと・・・よく言えばダイナミック、悪く言えば大味というか雑になっていくアレなんだけども(ピカソとか)、ただ色彩だけで言うと、やはりホックニーそのものなんですよね。近づいてみると、マジで点とか線は小さい頃にwindows95のペイントソフトで遊んだ、落書きライクな感じなんだけども、遠くから見るとちゃんと「らしい」作品になっているのはさすがだなと思いました。 以下は蛇足なのですが、作品構成は、大型の油絵作品10点余りがテートから、それから複数のパネルを組み合わせた作品が同じくテートとポンピドゥーから1点ずつ、あとは作家蔵の超大型作品がメインで、その間を都現美所蔵の版画コレクション(これ一度まとめて見たかった!)で埋めていく、という感じ。つまり単に金にあかせてガサっと作品を連れてきたのではなく(それでも相当お金かかってると思うけど)、館にあるものが起点になっているのが良かったな。欲を言えば、作家のキャリアハイである西海岸時代の作品(プールとか彼氏とか出てくるやつ)が手薄な感は否めなかったですが、まあ贅沢を言うとキリがない。 *4 古今東西における「人形」の役割を紹介する展覧会で、人形と言えばやっぱりセクシャルな意味合いもあるけどさすがにそれは展示できないよねー、と思いながら見てたら、最後にばっちりあって、ここ(渋谷区)は本当にすごいなと思った。もっとやってください。 *5 環境音楽家・吉村弘の回顧展。展示室に直接音楽が流れているのかと思いきやそうではなく、しかし音楽を喚起させるような愛らしい絵楽譜や、それぞれの映像から聞こえる微かな音楽によって、展示室全体がとても豊かな音楽に包まれていた。そしてそこに、微かな外音や、来場者の衣擦れや足音、小さな話し声が「環境音楽」として響いている、というわけ。写真2枚目のサウンド・チューブという展示があって、観客がめいめいにこの筒を揺らしたり、ひっくり返して、筒の中に入った水音に耳を澄ましている(そして、とても良い音だなと思う)。しかしよく考え���ば、聞いている音はありふれた水音であり、つまり世界には、このように耳を澄ますべき音に溢れているんだ、ということがメッセージされている。そうして美術館の外に出るとあら不思議、外を通る車の音や風で葉がさわさわと擦れる音、いつもこの美術館の帰りに寄る鶴岡八幡宮の階段を登る自分の足音、美術館のコインロッカーで使った百円玉をそのまま賽銭箱に投げた時のコツンという音などが、全てビビットに聞こえてくる。つまりこの展示は、美術館の中でだけで完結せずに、観客の日常に対する知覚を変えることで、展示室外にもその世界がずっと続いていく、ようである。言うまでもないけれど、そういう展覧会はとても良いものだと思う。 *6 展示自体はなかなか豪華なモネ展だと思うんだけども、チケット代とか人の捌き方とか借用元とか企画元とかそういう本筋と関係ない部分がやたら気になってしまったい。でも、3,000円払って美術展を見たい、という層がこれだけ(しかも若年層も多かった!)いるというのは、ある種の救いなのかもしれぬ。 *7 PLAY!特有の見せ方のうまさと、展示されている作品群の愛らしさが上手に噛み合った、とても視覚的に幸福感のある展覧会でした。見られて良かった。
<海外編> 1104 Rijksmuseum/Museum Boijmans Van Beuningen At Rijksmuseum 1104 Van Gogh Museum/Van Gogh along the Seine 1105 Stedelijk Museum/Nan Goldin – This Will Not End Well 1107 Musées royaux des beaux-arts de Belgique 1107 Musée Magritte 1108 Musée de l'Orangerie/Amedeo Modigliani. A painter and his dealer 1108 Musée du Louvre ★1109 MARK ROTHKO Retrospective@Fondation Louis Vuitton 1109 Musée Marmottan Monet/Berthe Morisot and the Art of the 18th Century ★1109 Musée d'Art Moderne de Paris/Nicolas de Staël 1109 Musée d'Orsay/Van Gogh in Auvers-sur-Oise,Peter Doig 1110 Musée de Cluny 1110 Bourse de Commerce/MIKE KELLEY Ghost and Spirit, LEE LOZANO "Strike" etc. 1110 Centre Pompidou/Over the Rainbow 1111 Musée d'Orsay
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 9月16日(木) #大安(丁卯) #一粒万倍日 #不成就日 旧暦 8/10 月齢 9.1 年始から259日目(閏年では260日目)にあたり、年末まであと106日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 9月折返しで残りが3週ですが丁度 三週先が木曜日で9月がエンドです✋ 今月は木曜日が5回も💦水曜日もか 😅💦来週の木曜は「秋分の日」で 祝日かぁ~㊗そういえばシルバーウィーク なんてのあったけどもうそんなの 話題にもなりませんよね「緊宣」⤵️ だし。。。_| ̄|○...もう年寄りは 早く消えろってかな⤵️酷い世相⤵️⤵️⤵️ . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #牛とろの日. 北海道川上郡清水町で牛肉製品の製造・販売を行う有限会社十勝スロウフードが制定。 日付は「ぎゅう(9)と(10)ろ(6)」(牛とろ)の語呂合わせ。 ボーンフリーファームで育った健康な牛肉を安心して食べられるように衛生的に加工したまったく新しい感覚の牛肉加工製品。 『牛とろフレーク』を多くの人に食べてもらい、その美味しさを知ってもらうことが目的。 今や、お取り寄せグルメで人気商品となっている。 . #一粒万倍日. 選日の1つであり、単に万倍とも言われます。 一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。 . 一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。 但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。 また同じ意味合いで、借りを作る、失言をする、他人を攻撃する、浪費などもトラブルが倍増するので避けたほうがいいとされている。 . #不成就日. 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #競馬の日(#日本中央競馬会発足記念日). #国際オゾン層保護デー. #G.A.P.記念日 #アサイーの日. #グランド・ジェネレーションズデー. #スカウトの日. #シルバーシート記念日. #マッチの記念日. #ハイビジョンの日. #保湿クリームの日. #軽量の日. #心・血管病予防デー . #トロの日(毎月16日). #十六茶の日(毎月16日). . #メキシコ独立記念日. #パプアニューギニア独立記念日. #マレーシアデー. . . ■今日のつぶやき■. #鳴くまで待とう時鳥(ナクマデマトウホトトギス) 【解説】 好機が来るまで、辛抱強く待つと云う事。 徳川家康が詠んだとされ、家康の辛抱強い性格を表した句。 これに対し、織田信長が「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」、豊臣秀吉が「鳴かぬなら鳴かしてみせよう時鳥」と詠んだとされている。 . . 2004(平成16)年9月16日 #ゆーゆ (今尾侑夕/イマオユウユ) 【歌手】 〔東京都〕 《ロックユニット#マグロニカン》 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CT23Nd3hkp0r2HTsMAmudSZ-ztheus4D6HajKM0/?utm_medium=tumblr
#大安#一粒万倍日#不成就日#牛とろの日#競馬の日#日本中央競馬会発足記念日#国際オゾン層保護デー#g#アサイーの日#グランド・ジェネレーションズデー#スカウトの日#シルバーシート記念日#マッチの記念日#ハイビジョンの日#保湿クリームの日#軽量の日#心#トロの日#十六茶の日#メキシコ独立記念日#パプアニューギニア独立記念日#マレーシアデー#鳴くまで待とう時鳥#ゆーゆ#マグロニカン
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メキシコの独立記念日!!🇲🇽 Viva Mexico!!🎆 . ミレニアルズ 1990 💚🤍❤ #ドラゴンゲート #ヨースケサンタマリア #フラミータ #ミレニアルズ #独立記念日🇲🇽 #メキシコ #プロレス #いいねくれた人全員フォローする #いいねした人全員フォローする #いいね返しは絶対 #いいね歓迎 #いいね返し #いいね返す #フォローバック率100 #フォローバ100 #dragongate #millennials #eitakobayashi #yosukesantamaria #ut #ellindaman #kotoka #thawk #flamita #vivamexico #likeforlikes #likesforlike #100likes https://www.instagram.com/p/CFNjaeegP15/?igshid=1a7g81pr1uk6f
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7/25(日)マルセイユ国際映画祭最終日
私が25日の日記を書き始めようとしてる隣で槻舘さんがどういう流れの日だったかを語り始めて脳内で二重音声みたいになってる。
朝9時にホテル前に集合して川村さん、荒木さんと3人でマルセイユで最後のPCR検査へ。荒木さんも私も上映初日に着たのと同じ服装。前日の3回目の舞台挨拶だけ落ち着いた色味の服にしたり、洗濯も考えての服のローテーションの組み方が一緒。
PCR検査の判定によっては閉会式に出席できなくなるのでやっぱり緊張する。無事に全員陰性でほっとする。荒木さんは3回とも同じ人から検査を受けた。私は毎回ちがう人。長い何かの鼻への挿し入れ方にそれぞれ特徴があって、最後の人は痛みを感じなかった。川村さんは毎回一番ダメージを受けてて心配になる。終えてそのまま今回の会場の中で一番遠いところにある劇場へ。上りの坂道がハードで川村さんが少しずつ遅れていく。振り返って様子を確認しながら進む。前夜に『春原さんのうた』を見てくれた地元フランスのパスカルさんが監督したフレンチ・コンペティション部門の作品を鑑賞。自分の作品を見にきてくれた人の作品はお返しに見にいくという当たり前の礼儀を持つことを槻舘さんは徹底していて、どの人の作品がいつどこでやるかを把握して必ずスケジュールに組み込んでくれる。ありがたい。私はマルセイユ国際映画祭への出品が決まった時点で槻舘さんに現地コーディネーターとしての仕事を依頼してる。カンヌ国際映画祭から直接現地入りしてホテルのチェックインから一緒にいてくれてる。本当に色々助けてくれるので思わずその都度お礼を伝えるけれど、その度に、いえ仕えてますから、雇用されてますからと淡々と返される。その淡々とした返事がかっこいい。パスカルさんの作品は今回の映画祭ではめずらしくカット割りを細かく積み重ねて芝居を見せていく映画���った。フランス語による上映後のQ&Aは聞いてもわからないので退出。川村さんは槻舘さんが紹介する人と会うために一旦別れる。荒木さんと私は劇場前のカフェでそれぞれレモネードとエスプレッソ。フランス語ではレモネードをレモナードと発音する。日曜日は多くのカフェやレストランが休みかドリンクオーダーだけになるとのことで、昼食を食べる場所を探すために海の方に移動する。メリーゴーランドのそばにあるレストランが食事も出してるみたいだったのでテラス席に座る。店主らしき年配の女性がやさしく話しかけてくれる。ワクチン接種はもう済んだのかと聞かれてまだだと答えたら、まじか? 大丈夫か? みたいな顔をした。食事の時はマスクを外すのでレストランやカフェでは必ずテラス席に座ってる。このレストランではめずらしくメニューに英語表記もあったので助かった。荒木さんはステーキ、私はサーモンのクリームパスタを注文。槻舘さんがいつもお店をちゃんと考えてくれてるのが改めてわかる味だった。お互いに塩を自分で振りながら食べた。
ホテルに戻って次の映画の鑑賞の時間までそれぞれ休むことにする。1時間後にホテル前に4人で待ち合わせて先ほどと同じ遠い場所にある劇場へ。フランスで人気のある若手の監督の作品を鑑賞する。マルセイユ国際映画祭に出品されてる映画にはフィルム作品が多い。どうしてフィルムで撮らないのかと聞かれることもある。こういうことがわかるだけでも外に出るのはいいなと思う。今回の映画鑑賞の予定をすべて終える。あとは閉会式だけ。それまでしばらく時間がある。夕飯は何がいいですかと槻舘さんが荒木さんに尋ねる。悩みながら荒木さんが海鮮を希望する。海沿いのブイヤベースで有名なお店まで行くことになる。出てきたブイヤベースはスープだけで十分なくらいにおいしい。パンにバターを塗ってスープに浸して食べるのを薦められてやったらもう本当においしい。大量の生牡蠣や名前のわからない貝や魚やカニやにんじんとじゃがいもの塊がどどんと前に置かれて圧倒される。これは値段がとんでもないことになるのではと思いつつ、最後だからいいと思う。荒木さんのおいしーは正確に発音すると「おい」と「しー」の間に聞こえないくらいの「っ」が入る。「し」もどちらかと言うと「すぃー」。文字表記だけでは再現できないおいしー。閉会式が始まる時間を確認しながら食べつづける。食べきれない。私は胃腸が強くないのでこれまで機会があっても生牡蠣は食べないようにしてたけれど、この日ばかりは食べてみた。閉会式直前のタイミングだけれど覚悟した。こんなにおいしいのか、だからみんな食べるのかとわかった。ビールもワインも飲んですでに酔っ払ってる。マルセイユにいる間は酔っ払ってばかり。閉会式の会場までは歩いて10分だったので、15分前��らいに会計をお願いした。値段はやっぱりすごかった。川村さんがご馳走してくれることになった。これはさすがにすごいのでまた改めてお返しをしないとと思う。お店の人が川村さんのクレジットカードを読み取りの機械に入れて色々といじってるけれど不具合が起きる。カードではなく機械の不具合だと謝りながら別の機械を持ってきて試すけれどうまく処理されない。ちょっとしたトラブルだと思ったら、これはもしかしたらしばらく解決しないかもとわかる。その時点で閉会式開始の7分前。遅刻確定。グロリアさんから槻舘さんに様子を確認するメッセージが届く。会計のことは川村さんと槻舘さんにお任せすることにして荒木さんと私だけ先に向かうことにする。荒木さんがカバンに入れておいた閉会式用の靴にナイキのサンダルから履き替える。小走りと早歩きを組み合わせて向かう。途中、足が痛くなってしまったようで、荒木さんが靴の履き替えのタイミングを間違えたと言ってる。心配になる。汗をかきつつ会場のオデオン座に到着。スタッフの皆さんがこっちだよと案内してくれる。遅刻してごめんなさいと思う。
閉会式の場内に入るとたくさんの人。換気を優先してるためエアコンの効きが弱くとても暑い。入口からすぐの席にグロリアさんが座っててアイコンタクトを交わす。汗もかいてるし息も切れてるので迷惑をかけないようにと思い一番後ろの方へ。ナタンさんがいたのでその後ろに座る。閉会式がスタート。槻舘さんが一緒にいないからフランス語のスピーチがわからずに場内をただ見渡してる。その後、槻舘さんと川村さんが無事に到着した様子が遠目に見えてほっとする。二人が前方の端の方の席に座るのを確認した。記憶が曖昧だけれど、多分そのタイミングくらいでスクリーンに『春原さんのうた』のスチールとタイトルが大きく映し出される。拍手が起きる。これはどういうこと? と思う。ナタンさんもこちらを振り返って拍手してる。これは? 前に? 出る? ということ? と聞くとそうだとナタンさんが教えてくれる。立ち上がって階段を降りる。ナタンさんも一緒に来てくれる。みんな拍手してくれてる。途中でそれがエールフランス賞(観客賞)だということを何となく把握する。マイクの前に立って私は何を話しただろうか。覚えてるのはまず総合ディレクターのジャン=ピエール・レムさんへのお礼と映画祭スタッフの皆さんへのお礼、あと通訳が本業じゃないのに通訳してくれてるナタンさんへのお礼、そのあと『春原さんのうた』メンバーの皆さんへのお礼と、いますぐにこのことを知らせたいけれど日本は深夜の時間で起きちゃうから電話するのは控えるということ、荒木さんの座る方を指し示しながら荒木さんのこと。たぶんちゃんと挨拶できたと思う。賞状を受け取る。受け取ったあとどうすればいいかわからず、様子を見ながら壇上から降りる。席に戻ると槻舘さんと川村さんも後方の席に移動してくれてる。荒木さんに賞状を持ってもらって写真を撮ってすぐに春原さんのグループLINEに送る。そのとき日本では深夜の3時半。プロデューサーの髭野純さん、宣伝の平井万里子さん、キノコヤ店主の黒川由美子さん、スチールの鈴木理絵さんがかろうじて起きてたようで喜んでくれてる。このあとその皆さんも睡眠に入ったと思う。後になって、どうして荒木さんも連れて壇上に行かなかったのかと後悔した。いきなりすぎて焦ってしまった。もし次があったら一緒に行こうと思う。ここからが長かった。高校生が選んだ賞、マルセイユ市民の人たちが選んだ賞、受刑者の人たちが選んだ賞、短編部門の賞、フレンチ・コンペティションの賞の発表がつづく。すごく丁寧に皆さん挨拶するからインターナショナル・コンペティションの賞の発表まで2時間かかった。国際映画祭でもあるけれど、ちゃんと街の映画祭でもある。市民の人たちがうれしそうに壇上で挨拶をする姿を見て気持ちも和んだ。その待っている間のことを少し。
と書いたところで日記の執筆を中断。実はマルセイユ国際映画祭で受賞をしてから、いろんな国の映画関係の人から連絡が届いていて、その返事や状況の整理などに時間がかかってる。『春原さんのうた』に関しては、国内のことはプロデューサーの髭野さん、国外のことは私が担当という役割分担でやってきてる。マルセイユのような映画祭で受賞するとこんなに状況が変わるのかということを実感してる。今はメキシコの人への返事とブラジルの人への相談のメールを送ったところ。この数日で世界中の人たちとメールのやりとりをしてる。事務処理能力を上げたい。
日記再開。待っている間のこと。ホール内が暑いことと、観客賞を受賞したことのうれしさと、これからまだ賞が発表されていくことへの緊張などもあって椅子にただ座ってるのが少し大変になる。槻舘さんが外に行って水を持ってきてくれた。感謝。荒木さんは隣で受け取ったペットボトルの水を一気に飲んでいる。ゆっくり息を吸いたくてホールを出ていくと、後から槻舘さんが追いかけてくる。聞けば、ディレクターのジャン=ピエールさんが、あいつはどこに行ったんだと焦ってたから呼びにきたとのこと。思えばジャン=ピエールさんは場内にいる間も後方の席に座ってこちらをチラチラと見ている。槻舘さんは観客賞を受賞したタイミングで、まずは観客賞を受賞とツイートしている。まずは? と思う。ジャン=ピエールさんはそのあと席を移動するときになぜか川村さんや槻舘さんの肩をグッと抑えたりしたみたい。俳優賞の発表が近づいたタイミングで、水を飲みすぎた荒木さんがどうしてもトイレに行きたくなったとのことで、槻舘さんと一緒に会場を出て行くと、やっぱりジャン=ピエールさんがガタッと席から立ち上がるのが遠くに見えた。これは何か獲るなと感じない方がおかしいくらいの雰囲気があった。でもなるべく考えないようにする。
俳優賞の発表が始まる。私たちも好きだった『JOJO』の主演の男の子が呼ばれて壇上で挨拶。続けて荒木さんの名前が呼ばれた。うれしい。私も後からついていって写真を撮った。槻舘さんも写真を撮ってくれてる。川村さんは動画担当。川村さんは『ドライブ・マイ・カー』のプロデューサーなのに、この期間ですっかり『春原さんのうた』の���ロデューサーでもあるんじゃないかと思えるくらいに一緒にいてくれてる。荒木さんは舞台挨拶の時もそうだったけれど、笑顔が溢れてて、荒木さんが話すと場内の空気があたたかくなる。賞状を受け取った荒木さんと一緒にまた席に戻る。続けてインターナショナル・コンペティションのスペシャル・メンションと準グランプリの発表。どちらもこれは好きだなーと思った作品だった。最後にグランプリの発表。審査員長のラヴ・ディアス監督が映画のタイトルを言う前に作品へのコメントを話し始める。その中にジャパニーズ何とかという言葉が聞こえる。それはもう『春原さんのうた』のことでしょう。ああ、本当に獲ったんだと思う。名前を呼ばれて荒木さんと二人で壇上に向かった。ラヴ・ディアス監督がとてもつよくハグしてくれた。他の審査員の方ともハグした。スクリーンに大きく出ているスチールは写真家で私の妻でもある鈴木理絵さんが撮ってくれたものだったので、まずは理絵さんの紹介とお礼への言葉から挨拶を始めた。2時間を超える閉会式で皆さ���も疲れてると思ったので、なるべく短く話そうと思った。改めて映画祭スタッフと作品のメンバーの皆さん、これまで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを伝えた。あと恩師の如月小春さんの話もした。
閉会式が終了した。長丁場だったこともあってみんなあっという間に会場を後にした。いくつかある賞のうちの3つも私たちがもらってしまって申し訳ない気持ちもあり、やっぱりうれしい気持ちもあり、今日ばかりは許してと思う。だって、こんなこと初めてだもの。受け取った賞状3枚を荒木さんと二人で持って記念写真を撮ってもらった。槻舘さんは笑顔でこれくらい獲ると思ってましたよと言う。川村さんはこれまで見たことないくらいの笑顔でうれしい、うれしいですね、いやー本当にうれしいと何度も言ってくれてる。ナタンさんとグロリアさんも笑顔。劇場の外に出るといろんな人たちがお祝いの言葉を伝えてくれる。同じ部門のベン・ラッセル監督も肩を叩いてコングラッチレーションと伝えてくれた。
いつものDJブースのあるパーティー会場へ。やっぱりいろんな人がお祝いの言葉を伝えてくれる。同じ部門のSantiago Mohar Volkow監督が、また別の映画祭で一緒になろうね、そこでもう一度競いましょうと伝えてくれた。かっこいい。ジャン=ピエールさんを探して、このさき映画を作るたびにあなたのことを思い出します、ありがとうございましたと伝えた。ラヴ・ディアス監督を探して話しかけた。独特の英語で全部はちゃんと聞き取れなかったけれど、あなたの映画は本当にアメイジングだと伝えてくれた。ヒューマニティに溢れてるとも。このさき何があっても、誰にどんなことを言われても、あなたが思うシネマを作って作って作りつづけるんだと繰り返し伝えてくれた。ここまで人から励まされることがあるだろうかと思った。
途中、端っこにいって一息ついたりもした。髭野さんと平井さんから連絡があって、リリースを出すので受賞のコメントを送ってほしいとのこと。30分後が締め切り。こんなときに鬼ですみませんと書いてある。なんとかiPhoneで書こうとするけれど、その間もいろんな人が話しかけてくる。急いで書いて、客観視点をもらうために槻舘さんと荒木さんに読んでもらって、ゴー���インを受けてから送信した。荒木さんはまたダンスの輪の中に入っていった。楽しそうに踊ってる。帰り際にまた一人一人を探して挨拶。フランスの俳優でありプロデューサーでもあるオリヴィエさん。荒木さんがよく一緒に踊ってたおじさん。スピーチをするときに度々一時停止する私の物真似がとても上手。そのオリヴィエさんがプロデュースした作品の監督のギョームさん。讃えあった。ナタンさんとグロリアさんに最後の挨拶。また会いましょうと伝え合う。
荒木さん、槻舘さん、川村さんと私の4人でホテルに戻る。槻舘さんと川村さんは4階、私は6階、荒木さんは8階。エレベーターの扉が開くたびに今日の終わりの挨拶をして別れた。一人になった。たぶん歯磨きだけしてそのまま眠った。
このマルセイユ滞在の間にたくさんの写真を撮った。一番好きな一枚をこの日の日記の最後に。























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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)3月19日(火曜日)
通巻第8181号 <前日発行>
トランプ最新語録 『ゼレンスキーは史上かってないセールスマン』。
「メキシコ生産の中国車に100%の関税。ネタニヤフは早く戦争止めろ」
*************************
『口撃』はエスカレートする。
「バイデンは間抜け」程度の攻撃(口撃)ではない。
3月16日のオハイオ州演説で、トランプ前大統領は「中国メーカーがメキシコで製造した自動車すべてに100%の関税をかける」と爆弾発言。習近平国家主席を名指しして、「メキシコに巨大工場を建設し、米国人を雇わずに、われわれに車を売ろうとしている。そうはさせない」とけんか腰の発言をくりだした。
さきに中国からの輸入品すべてに60%の関税をかけるというのもブラフだが、中国車に対して100%関税というのは「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」において、「メキシコから米国への自動車輸出は無税」と明記されているのだから、協定改定が必要である。
しかもこの「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」はトランプ大統領時代に成立させたのだから発言は矛盾している。
ようするにブラフの連発、有権者には受ける。
日本のメディアは商売優先だから、上記の報道をおおきく伝えたが、同じオハイオ州演説でトランプはもっと強烈な発言をしていることを報道していない。
曰く「ウラジーミル・ゼレンスキー氏が米国を訪問するたびにポケットいっぱいの現金を持ってワシントンを離れることに成功している。ゼレンスキー氏はこれまで知った『最も偉大なセールスマン』の一人だ」と辛辣に批判したのだ。
そのうえで、「米国は単にキエフに資金を呉れてやるのではなく、資金は『貸付け』とすべきだ。そうすれば彼らが成功した場合、我々に返済してくれるだろう」
「ゼレンスキー氏は歴史上最も偉大なセールスマンです。訪米のたびに500億ドルか600億ドルを持って帰ってしまう。私もビジネスマンだが、そんな芸当は出来なかった。だから彼は私よりもはるかに優れたセールスマンです」と皮肉たっぷり。
人気キャスターのタッカー・カールソンはゼレンスキーを『出て行かない居候』と比喩したが、こんどはトランプの『セースルマン』発言。左翼を除くアメリカ人の心象を代弁しているとみて良いだろう。
さて反トランプ陣営のフェイクニュースキャンペーンも手が込んできた。
トランプが「もし選挙で負けたら巷は『血の海』になる」と発言したと左翼メディアが一斉に流したが、これはフェイクと判明している。
民主党側が仕掛けた政治キャンペーンの一環であろう。
ウクライナ戦争の実態はすでにゼレンスキー側の敗色が濃く、そのうえ大統領選挙をしないとして政敵を英国大使に「追放」したことはウクライナ国民の不信を招いた。米議会は支援資金を可決せず、ウクライナを最後まで支援すると言い続けてきたヌーランド国務次官も停戦交渉の邪魔となったため国務省からたたき出された。
トルコのエルドアンが仲介役を買って出ており、ゼレンスキーも先日、イスタンブールを訪問しているのである。
▼『ハンガリーのトランプ』かく語りき
「ハンガリーのトランプ」こと、オルバン首相も吠えた。
オルバンは訪米してバイデンをバイパスし、トランプとだけ会った。すでに「あの間抜け」には会っても意味がないという意思表示、ワシントンは、外交がすでにトランプに傾いていることを知って愕然となった。
3月15日、オルバン首相はオーストリア帝国の支配に抗した1848年のハンガリー革命未遂を記念した集会で、「ブリュッセル(EU本部を意味する)はハンガリーに目を向けた最初の帝国ではない」と発言し、こう続けた。
「EUはハンガリーをロシアとウクライナの紛争に関与を強制し、受け入れさせる試みに対し、ハンガリーを守るためにあらゆる手段を講じる用意がある。西側の大国が戦争を始め、世界を破壊し、国境を引き直し、イナゴのようにあらゆるものを食べているが、私たちハンガリー人は異なる生き方をしており、異なる生き方を望んでいるのだ」
オルバン首相は、「EUを適切に再構築する必要があり、EU指導部が震え始める時が来た」と続けている。この発言の裏には「ウクライナにNATO軍を派遣する選択肢もある』などとしたマクロン仏大統領を、オルバンがバイデン同様に「間抜け」と思っているからなのだろう。
具体的にはウクライナ全面支援のEU諸国や英米の路線を明瞭に批判しつつ、独自の路線を歩むといっているのだが、その一方で、オルバンは中国と異常接近をなしている。この点が気がかりである。
BYD工場の建設、ブタペスト大學に中国人留学生増員と孔子学院など、NATOばかりか米バイデン政権へのあからさまな挑戦を見せつけている。
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毎日が記念日
2月5日は…
長崎二十六聖人殉教の日
1596年2月5日、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により、長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑されました。
殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ、茨木ルドビコ神父ら日本人20人。この26人は1862年にローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられました。
悲しい出来事でした。
【疑わしいAI-イチロウによる2月5日の出来事】
1. 1782年 - スペインとイギリスがパリで平和条約に署名し、アメリカ独立戦争が終結しました。
2. 1917年 - メキシコで憲法制定議会が開催され、新しい憲法が制定されました。
3. 1971年 - アポロ14号が月面に着陸し、宇宙飛行士アラン・シェパードとエドガー・ミッチェルが月を歩きました。
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🇲🇽メキシコ独立記念日week🇲🇽 📍 メキシコシティ 9月16日はメキシコの独立記念日! 1810年、メキシコはスペインからの独立を宣言し、それ以降9月16日は国民の休日でメキシコが最も盛り上がる日となりました。15日に前夜祭が始まり、国全体がお祭りムードになります。 最も盛り上がるのは写真にあるメキシコシティの中心地ソカロ! このソカロに数万人が集まり、15日のの23時に「Grito」のセレモニーが行われ、花火が打ち上がり、夜通し大騒ぎになります! 愛国心の強いメキシコ人にとって最も盛り上がり、かつ大切な日です🇲🇽 Informes acerca de nuestras clases de japonés en línea aquí (cualquier nivel): [email protected] WhatsApp https://wa.me/525578646333 Telegram: https://t.me/yakurefu Si vives fuera de México, puedes hacer el pago vía PayPal. English speakers are welcome too https://www.instagram.com/p/CTvay_xKv-3/?utm_medium=tumblr
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終息宣言2021好評開催中!!森発言に絶賛抗議中!!オンライン集会はいよいよ本日!!
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[オリンピック終息宣言2021]は神楽坂セッションハウスにて2月14日まで。いよいよ折り返し。まだまだ内容はてんこ盛りです。
てんこ盛りの原因は、なんといっても森発言。開催2日前にうんざりするようなニュース。いかにもオリンピックなさ別発言(森はオリンピックにはふさわしくない、というのは間違い)、そしていかにもTOKYO2020などたばたな事態。
私たちはもともと展覧会までにTOKYO2020の中止が決定しなければ、抗議声明を出すつもりでした。そして森のせいで緊急に文章を追加。[TOKYO2020開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明]となりました。
現在、おことわリンクさんの出した声明とともに会場に掲出し、両方とも賛同人を集めています。ぜひご来場の際は賛同人になってください(文面は本記事末に掲載しましたが、例によってイケガミア��コによる朗読ビデオが速攻完成しました。会期中に深夜晴海まで行くという無謀な撮影です)。
そして待望のオンライン集会[311まであと一ヵ月、オリンピックをちゃんと理解する会]は、本日2月11日(木)19:30より!!配信はこちらから!!
https://www.youtube.com/watch?v=GbY14Tvzgr0
イケガミより[文学vsオリンピック・デスレース2020]では外苑(JOC)~市ヶ谷~神楽坂というルート上にナショナリズムのテキストがちりばめられている、との主張があり、配信が電波不良だったり、夜で風景が見えなかったりした分のフォロー動画が届きました。いきなり三本。
これはサテライト企画のさらにフォローなので、Un Official動画として紹介します。オリンピックや、ナショナリズム、建国記念の日を「ちゃんと理解する」手がかりになるか?
1.外苑内:建国記念文庫
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2.市ヶ谷駐屯地:檄文(イケガミは三島が大嫌い)
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3.東京監獄:金子文子尋問調書
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さらに会場風景の紹介続きです。



1.三木祥子、花田伸
2.宮田昌作、平井勝正
3.吉川和江、戸山灰
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TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
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組織委員会会長 森喜朗
TOKYO2020組織委員会
日本オリンピック委員会 山下泰裕
JOC
内閣総理大臣 菅義偉
首相官邸
オリンピック担当大臣 橋本聖子
文部科学省 スポーツ・青少年局競技スポーツ課 オリンピック・パラリンピック室
東京都知事 小池百合子
東京都オリンピック・パラリンピック準備局
宛
TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
私たちはオリンピック・パラリンピックの終息を宣言する。
これはTOKYO2020の中止だけでなく、今後予定される北京、パリ、ミラノ、ロス、そしてよもやの2032年東京、のすべてである。
しかし、今、私たちがもっとも重要と考えるのは、TOKYO2020の中止である。これを止めることが「オリンピックはやめられる」ことの先例となるからだ。
中止すべき最大の理由はもちろん新型コロナウイルス感染症COVID-19の拡大である。
この一年、全てのひとびとの生活が、そして文化芸術活動やそのための施設が多くの制約を受け、破壊的な打撃にさらされてきた。美術、音楽、映画、舞台、一部のスポーツイベントも、文化のひとつに「食文化」も含めると飲食店も。公演や興行、作品制作の中止、延期、施設の休業、時短。そのことの経済的なダメージによって閉鎖した施設もあまたある。
それに対しての政府・東京都の補償は不十分だったり、見当違いだったり、業界から是正を求め、提案をしても、まったく聞き入れない。
私たち[オリンピック終息宣言]展は2月6日から14日まで神楽坂セッションハウスで展覧会を実施した。しかし、開催を選ぶにしても、いくつもの企画の縮小・変更を余儀なくされ、アルコールやマスク、定員制限といった物理的対策、なによりも精神的な不安の中開催するのだ。この負担はきわめて重い。
にもかかわらず、TOKYO2020、もう2021年なのに、こればかりはまったく中止決定せず、費用を無限にふくらませ、医療や補償にまわすべきリソースを食いつぶし、世論調査で8割もが「開催はムリ」と言っている声も聞かずに、政府、東京都、JOC、組織委員会は
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証としてワクチンなしでも安全安心やらないというご意見があれば聞いてみたい3月には福島第一原子力発電所のすぐそばから聖火リレーをスタートし子どもたちの笑顔のための希望の灯とします毎日毎日神に祈る」などと言い続けているではないか。
たとえば、開会式の半年前の1月23日を例にとると、この日の東京都新規感染者数は1070人。オリンピックまであと181日。このふたつの数字の並びに、なぜ矛盾を感じないのか。
そもそもこの大会は、2013年安倍首相がIOC総会で「福島原発はアンダーコントロール」と大噓をついて招致したものだ。2011年3月11日から、まもなく10年。放射能汚染で帰還できない人は5万人に及び、政府は増え続ける原発敷地からの汚染水を海洋放出しようとし、聖火リレーのコースのすぐ外には汚染土のフレコンバッグが山積みされている。
そして今度は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」として、いまだワクチン供給体制の確立すらできていないのに、世界的感染拡大からの「復興」を言い出している。
日本以上に感染者、死者数の多い国々、オリンピック参加国とされている国々に、これらの発言はどう思われるのか、考えたことがあるのか。
さらに国際的常識から乖離した発言が、日本のオリンピック推進のトップから飛び出した。
2月3日森喜朗組織委員会会長の「女性がたくさんいる会議は話が長い」である。
私たちも展覧会会期直前のこれから、という時にあまりのことに愕然となったが、国内のみならず、全世界も騒然となっている。
現在の国際的な女性差別撤廃の合意から大きく後退した時代遅れのミソジニー発言であり、同時に会議による合意形成を否定し、独断をよしとする発言だからだ。
しかしこれは、近代オリンピックの祖、クーベルタン男爵の女性のスポーツに対する「非実用的で、面白くもなく、見苦しい上に、はっきり言うと下品である」「女の栄光は、彼女が生んだ子どもの数と質を通して勝ち取られるもので、スポーツについていうなら、女の最大の功績は彼女自身が記録を目指すことではなく、彼女の息子が卓越するよう励ますことである」という思想以来、脈々と続いているものではないか。オリンピックの根底には差別の構造が存在する。だから私たちは、森会長の辞任は当然として、オリンピックそのものの中止・廃止が必要と考えている。
TOKYO2020における差別の問題、国��的常識からの乖離・遅れはそれだけではない。
昨年アメリカで大きなうねりとなったBLM、人種差別に対する抗議行動。この先駆けとも言えるのが1968年メキシコ五輪のブラック・パワー・サリュートだった。クーベルタン男爵は「スポーツで植民地先住民を教化する」という思想も持っており、そもそもオリンピックこそが差別の場である。しかし今、スポーツ界でも多くの人種差別抗議が拡がっている。全米オープンでの大坂なおみ選手しかり、BLMのシンボルのひとつでもある、アメリカ・プロスポーツでの膝まづき(ニーリング)行動しかり。抗議パフォーマンスによって弾圧されたメキシコ五輪の黒人選手たちや、ニーリングをはじめたコリン・キャパニック選手への連帯が人種を超えて拡がっていった。
それに対してJOC、組織委はどう対応したか。「TOKYO2020での政治的パフォーマンスは禁止」と、改めて発表。さらにはあろうことか、会場への旭日旗の持ち込みを「まったく問題ない」としているのだ。この日本、東京でも卑劣なヘイトデモの際に振り回される、あの1940年東京五輪当時の大日本帝国の軍旗が。
世界が、人類が、スポーツ選手もアーティストも、人種差別をなくそうと闘っているのに、この逆行はなんだ。
政府、東京都、JOC、組織委はひとの命と健康と生活、そして尊厳をどこまで軽視するつもりなのか。
TOKYO2020は、ひとびとに「オリンピックとは健康や生命を脅かし、差別をまき散らすおそろしい疫病だ」と知らせる機会となった。政府、JOC、組織委員会の迷走と開催への異常な固執により、今や多くのひとびとに、その正体は見抜かれている。
オリンピック・パラリンピックは健康を、生活を、文化・芸術を破壊する。オリンピックはスポーツの敵ですらある。オリンピックは人類の命を奪う疫病だ。
これをやめることこそ、真の「希望の灯」である。
終息せよ、TOKYO2020、終息せよ、オリンピック。
2021.2.15
オリンピック終息宣言2021実行委員会
オリンピック終息宣言2021出品作家一同
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坂本龍一「“無駄”を愛でよ、そして災禍を変革の好機に」 文明をバージョン1.5に進化させるために
全世界の死者が30万人を超えても、コロナ禍の収束が見えません。人類がこのウイルスに打ち勝つにしても、負けに等しい打撃を被る「カドメイアの勝利」になると、誰もが感じています。 私たちがこれまで「日常」と思っていた景色は、すっかり変わりました。コロナ後に到来するであろう「ニューノーマル」についての議論が世界中で始まっていますが、それは多くの場合、単に従来の生活様式が変わるということではなく、世の仕組みや人間と自然との関係をも改変しなければ、という含意が込められています。 コロナショックで変わったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづるリレー連載「コロナ・ノート」。今回は特別編として、ニューヨークに住む音楽家の坂本龍一さんに、コロナ禍で大きく揺らぐ文明や現代社会のありようについて伺います。 「資本主義が行き着いたグローバル経済のあり方を根本的に問い直さなければ、もう人間に未来はない」 かつて学生運動に深く関わり世直しを志す若者の一人だった坂本さんは、いまあらためて、社会変革の必要性について訴えます。 (取材・文 石川智也)
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●「ぬるい」日本の対応 検査受けられないのは人権侵害
コロナパンデミックにより、坂本さんが住むNY州では3月、劇場や美術館のほか飲食店も強制的に営業停止となり、市民には自宅待機令が出された。同様の措置はNY以外のアメリカの都市やヨーロッパ各国でも取られ、入国禁止や制限も課された。いわゆる「ロックダウン」である。多い日には1日800人もの人が亡くなるという、日本とは比較にならぬほど悲惨な状況下にあるNYからは、母国のコロナ対策はどのように映るのだろうか。 「一言で言えば、非常にぬるい。不徹底だし、一貫性がないし、長期ビジョンもない。ここ1カ月、本当に歯がゆい思いで見ていました。といっても、強制的に都市封鎖や行動制限をすべきだということではありません。何よりも、検査数が絶対的に少なすぎます。検査しなければ、感染の実態や広がりがわかるはずがない。対策の目標を設定することだってできないはずです」 NYの自宅から外出する機会もほとんどなくなったという坂本さん。13時間の時差がある現地とのインタビューはSkypeで行った 「医療崩壊を防ぐためという説明は、当初は理解できないものではありませんでした。でも、2月に中国をはじめ隣の韓国で感染が広がり始めた段階で、あるいは遅くとも欧米で爆発的に感染が広がり始めた3月上旬の段階で、あらゆる資源を投下して集中治療病床を増やし、また検査態勢を整えるべきだった。韓国や欧米に比べれば日本にはまだ時間的余裕があったし、先行した諸外国の対策を学ぶことができたはずです。それなのに、クラスター対策や感染経路の解明にばかり人材と時間を費やしてしまった。残念というか、情けないです」 「誤解しないでいただきたいですが、実際に命をかけて治療に携わっている医療者の方たちには���本当に敬意を抱いています。NYでは毎晩7時にノイズを出して医療従事者などに謝意を示す運動が続いていますが、日本でもぜひやってほしい。僕が憤りを感じるのは、国民を一人でも多く救おうと本気で考えているとは思えない政治家や官僚に対してです」 「ぬるい」と言えば、休業要請に対する政策的手当も同様だ。スピード感がないうえに明確な「補償」ではなく協力金や補助金というかたちにとどまる。そして「自粛」の徹底度は、いわば日本的な相互監視に委ねられている。小規模業者や個人事業主からは「もう限界だ」との悲鳴があがる。 「経済活動や移動の自由という基本的価値を、強制ではないとはいえ奪われているわけでしょう。仕事をする自由を事実上奪われ、補償も充分ではない。しかも体調を崩し熱も出ているのに、なかなか感染検査もしてもらえない。検査にたどり着くまでがあまりに大変で、その間に亡くなった方もいた。理不尽としか言いようがない。自分が何の病気に罹(かか)っているのか、誰でも知る権利がある。それが技術的には可能なのに、政策によって遮られている。これは人権侵害だと思います。
●新自由主義が医療崩壊を招いた 日本も危うい
コロナ禍が浮き彫りにしたのは、まさに国による感染拡大抑止策や医療体制の差異だ。優劣と言い換えてもよい。ウイルスは世界中に広がったが、致死率の地図はまだら模様がある。そしてその背景には、グローバル経済の深化とそれに伴う新自由主義の負の側面という問題が横たわっていると、坂本さんは言う。 「他国と比べて感染拡大の抑え込みに成功していると世界的に見られているのが、韓国と台湾、そしてドイツですね。ドイツは感染者数は多いけど、死者や重症者は少ない。それは、イタリアやスペインと違って、ドイツがまだ伝統的な国民国家の医療制度を保つことができていたからだとも言えると思います。逆に言えば、いわば社会民主主義的な福祉体制を維持できていたドイツに対して、イタリアでは、新自由主義的な政策によって病床数の削減や合理化を進めてきた。そのツケを今回一気に払わされ、医療崩壊を起こすことになったのでしょう」 イタリアは1990年代後半以降、緊縮政策によって医療資源や社会保障を大幅に削減してきた。新自由主義的な民営化政策が病床数や医療従事者の減少だけでなく医療水準低下の要因になったとの指摘もなされている。 「そういう意味では、日本も非常に心配です。日本でも80年代以降、特に2000年代の小泉・竹中路線以降、新自由主義的傾向が強まっています。大きな流れで見れば、医療費(の伸び率)抑制政策のなかで病床数と入院期間も減らし、バッファというか余裕のない、まさに重症者が何十人、何百人か発生したら医療崩壊するというぎりぎりの状況を、長期間かけて作ってきた。幸運なことに日本はなぜか今のところ感染者数も重症者数も爆発的に増えていませんが、今後を考えると改善しなければ非常に危ういと思います」 ●今の政策は「棄民」 安倍さんのどこが「保守」なのか
「新自由主義はアメリカ人が考えだしたことで、何よりも世界中をマーケットにして、自分たちの農産物や工業製品や知的財産を自分たちのルールで売りたい、紛争も自分たちの法律で裁くぞ、というものです。自民党政権は戦後一貫してアメリカの利益代表ではあったものの、軍事面はともかく、経済面ではアメリカに抵抗してきたし、日本の農業も守ろうとしてきた。でもその縛りは2000年代にはどんどん外され、市場を明け渡すような動きが進んでしまった。安倍さんはその新自由主義路線に乗っているだけだとも言えます」 「僕から見ても、安倍さんはとても『保守』とは言えない。保守的なそぶりは、トランプ大統領のメキシコ国境閉鎖発言と同じく、ジェスチャーだと思う。その本質は、アメリカ追随とネポティズムと露骨な大企業優遇です。国民はもっと怒るべきです」 アメリカでは俳優やアーティスト、スポーツ選手が旗幟を鮮明にして政治的発言をするのは日常的だが、日本ではバッシングを恐れて口をつぐむ人が多い。その中で、自らリスクを引き受け、原発や安保法制、辺野古問題で真っ向から政権を批判してきた坂本さんの姿勢は際立つ。 「もっと言っていいですか? 福島の原発事故のときにも思いましたが、いまの政権がやっていることは、国民のことを考えているとは思えない、あえて強い言葉を使えば『棄民政策』です。しかも今回は原発事故被害者だけでなく、日本国民全体を棄民しようとしている。なぜこれを多くの人が許しているのか、僕にはまったく分からない。いまはデモは難しいですが、本来なら100万人規模で国会に押しかけたっていい話だと思います」
●強権政治か民主的手法か この国は瀬戸際にいる
コロナ対策では日本も緊急事態宣言を発出し、私権が一定程度制限されたが、罰則や強制力を伴うものではない。そこで自民党などの一部から出ているのが、法律ではなく憲法に緊急事態条項を設けて対応できるようにすべきだとの声だ。安倍首相も憲法記念日の5月3日��「緊急事態において、国家や国民がどのような役割を果たし国難を乗り越えていくべきか、そのことを憲法にどのように位置づけるか、極めて重く大切な課題だ」と必要性を訴えた。 「日本は今回、欧米諸国や中国のような、強制的な措置やロックダウンをしなかった。その際に『法律がないからできません』ということを毎回、強調しています。非常にうがって考えるならば、これは、強制力がないから甘い措置しかとれない、だから憲法改正が必要なのだ、という世論をつくる地ならしの意味もあったのでは。国会のチェックを通さずに法律と同じ効果の政令を出せる緊急事態条項は、閣議決定という手段を多用し重大な法解釈まで変えてきた安倍さんが、まさにずっと目指してきたことですね」 「韓国や台湾、そしてドイツでコロナ対策が比較的うまくいったのは、民主的な情報開示を行い、ITを使った行動履歴の把握に対しても国民の政府への一定の信頼があったことも大きな理由だと僕は思っています。でも今回の対策の総括しだいでは、人権に配慮し情報をオープンにして国民の信頼を得るよりも、国家が強い権限をもつ開発独裁国のような仕組みの方が効率的、効果的に対策を打てる、という方向の議論に行ってしまうこともあり得る。そういう意味では歴史の分岐点にあると思います」
●グローバリズムの破綻は明白 社会民主主義が現実的
世界中の識者たちが「ポスト・コロナ」の未来像を唱え始めている。その主調音は、行き過ぎたグローバリズムへの批判だ。 「今回のコロナ禍で、まさにグローバル化の負の側面、リスクが顕在化したと思います。グローバリゼーションには色々な側面がありますが、ひとつには、先ほど言った過度の合理化の問題があります。生産拠点を海外に移し、最も効率的なサプライチェーンを築き、国外の安い労働力に依存する。そして国内の労働力は、調整しやすい非正規にどんどん切り替える――。こうした新自由主義路線が、いざ感染拡大防止のために各国がモノやヒトの流れを国境で止めた途端、経済自体を立ちゆかなくしています。そして、国内では色々な産業の逼迫と、失業者の増加や格差拡大といった矛盾を呼んでいる。グローバル化のしっぺ返しを受けているわけです」 「これに短中期的に対処するには、やはり、もう少しゆとりというか遊びを持った、効率とは違う原理をもつ社会の分野を、もっと厚くしないといけないでしょう。社会保障を充実させることはもちろん、医療で言えば、人員も病床ももっとバッファを持った体制をつくるべきだし、経済で言えば、国内の雇用を安定化させ、生産も、より自国に戻していくべきです。株価を上げることが正義、という経済合理主義からすれば『後退』と映るかもしれませんが」 「それは、国内的に言えば、新自由主義路線から社会民主主義に舵を切るというか、戻すということです。共産主義がいいと思っていた二十歳ごろの僕からしたら、こんな発想は考えられなかったけど。社会民主主義なんて、生ぬるいプチブル的な思想だと思っていましたから(笑)」 ●今回のコロナ禍の前から、過度なグローバル化への反動は世界中で起きていた。
「アメリカのような国でバーニー・サンダース旋風が起きたことの意味は、非常に大きいと思います。アメリカ経済を牽引してきた中間層の多くは経済的に余裕がなく、子女を大学へ行かせられない、あるいは医療保険もないという家庭も多い。金融偏重の経済政策で資産価値を増やす人がいる一方で、格差は広がり続けています。ウイルス危機は、元��ら抱えてきた矛盾をエックス線のように明るみに出しただけです」 パンデミックは経済成長の代償 方向転換しなければすぐ「次」が 今回のコロナ禍を、臨界に達した文明に対する自然からの警告の託宣かのように捉える人もいる。坂本さんも、過去のパンデミックや大恐慌の歴史から教訓を引き出すだけでなく、経済の仕組みや専門知の生かし方も含めた、新たな文明の作法をつくるべきだと唱える。 「今回の問題は、単に世界経済の中国依存の脆弱さが明らかになったとか、ヒトの移動が飛躍的に増えたためにウイルスが地球の隅々まで運ばれるようになった、というだけにとどまりません」 「グローバル資本主義が、つまり人間がやってきたことが、今回のような大規模なパンデミックを引き起こしやすい地球環境をつくってしまった。過剰な開発と都市化、そして生態系の破壊が人間と野生動物との接触機会を増やし、未知の病原体に感染するリスクも高めたわけです。言わば感染症は、人間が経済成長の代償として払っているコストです。このまま方向転換しなければ、パンデミックはこれまで以上に頻繁に起こり得るということが、だれの目から見ても明らかだと思います」 「これは、気候変動の問題と同じです。原因は人間の経済活動であり、立ち止まることができない資本主義経済の仕組みが事態を行き着くところまで悪化させている。パンデミックにしても気候変動にしても、現在の経済や産業、あるいは暮らしのあり方を大きく変えなければ、人間じたいが種として生き延びる可能性はどんどん狭まっていくでしょう。文明をバージョン2とまではいかなくても、バージョン1.5くらいに大きく変更していかないと、本当に先がないと思います」
●持続可能な世界のデザインを もはや人間に猶予はない
かつてペストの流行はヨーロッパ近代を準備し、世界史を変えた。前世紀初頭のスペイン風邪は第1次大戦によって爆発的に世界に広がったが、逆に、大戦を終わらせる要因ともなった。今回のコロナ禍は、少なくともグローバリズムを大きく失速させると見られている。そのうえで、新たな日常(ニューノーマル)の地平をひらくきっかけになるのだろうか。 「『ポスト・キャピタリズム』という言葉は一種の流行語ですが、やはり、持続可能な、新しい経済の仕組みをつくっていくしかないですよね。僕は社会学も経済学にも素人なので、残念ながらその回答は持っていないですが、今回のコロナ禍をただ対症療法で処して過ぎ去るのを待つのではなく、世界中の英知が集まって、持続可能な世界のデザインを描いてほしいです。経済学者も政治学者も社会学者も都市デザイナーも、もっと仕事をしろよ、と言いたい(笑)」 「今回、ウイルスのことで各国がここまで経済活動を減速させることができた。もちろん、これによって生活が逼迫する人がたくさん生じましたが、少なくとも、やる気があれば対策を打つことはできるということが証明された。現在は多くの国が国境を事実上閉ざしていますが、ウイルスの解析や情報、医療機器などでの協力はむしろ積極的に行われています。国際的連帯の重要さを各国が身に染みて感じたと思います。気候変動の問題にだって、協力して取り組めるはずです」 「パンデミックも気候変動も、どちらも生存に関わることですよ。根本にある資本主義の問題点を見なおし、早く持続可能な社会を実現しなければ、人間に残された猶予は少ない。世界史に刻まれた過去のパンデミックと同じように、この苦境を好機に変え、文明史的に意味のあるものにしなければいけないと思います」 「芸術なんて役に立たない」 そうですけど、それが何か? 積載量過剰のまま猛スピードで突き進む資本主義文明がわずかなりともバッファを取り戻せるのかどうかは不明だが、そうしたゆとりや遊びという「無駄」をどれだけ抱えているかは、少なくとも社会の成熟度の指標となる。 今回のコロナ禍であらためて顕わになったのは、この国の文化支援の貧しさだろう。ドイツの文化相が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、我々の生命維持に必要」とのメッセージを送り、文化施設と芸術文化従事者の支援に手厚い予算を組んだのとは対照的だ。 「政府や行政の支援が乏しい代わりに、クラウドファンディングなどでアーティストやミュージシャンを支えようという動きが広がっているのは、本当にうれしいですね。できれば、フロントにいるアーティストだけでなく、裏方として舞台設置やライティング、音響などに携わるスタッフさんたちも含めて支える動きがもっと広がってほしい。彼らあっての僕らですから」 「でもね、根本的には人間にとって必要だからとか、役に立つから保護するという発想ではダメです。芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。お金を生み出すかどうかも分からない。誰かに勇気を与えるためにあるわけでもない。例えば音楽の感動なんてものは、ある意味では個々人の誤解の産物です。理解は誤解。何に感動するかなんて人によって違うし、同じ曲を別の機会に聴いたらまったく気持ちが動かないことだってある」 坂本さんは「音楽の力」などという言葉は大嫌いだと以前から公言している。 「僕自身、音楽を聴いて癒やされることはありますよ。でも、それは音楽自体が力を持っているということではない。僕の音楽に力なんてないですよ。何かの役に立つこともない。役に立ってたまるか、とすら思います」 かつてナチス・ドイツはワーグナーの音楽を国民総動員に利用するとともに、ゲルマン精神の涵養に役立つ芸術とそうではない芸術を峻別した。芸術に体制賛美を担わせ目的に沿う作品のみを支援したのは、戦時中の日本や旧社会主義圏の国々も同様だ。 「そういう悪い見本が近い過去にあるんです。文化芸術なんてものは、必要があって存在するわけではないと思った方がいい。だから、行政の側が支援対象を内容で選別することはもちろん、作り手側が、何かに役立とうとか、誰かに力を与えようなんて思うことも本当に不遜で、あってはならないことだと思います」 「芸術なんていうものは、何の目的もないんですよ。ただ好きだから、やりたいからやってるんです。ホモサピエンスは、そうやって何万年も芸術を愛(め)でてきたんです。それでいいじゃないですか」 自らの内に「無駄」を包摂しそれに親しむのか。それとも、余裕を失った果てに更なる効率化・合理化を追い求めるのか。私たちの社会は、どちらへ向かうのだろう。
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ジェイ・ローチ監督『オールザウェイ JFKを継いだ男』 (その1:ケネディ暗殺から1994年公民権法成立まで) 原題:All The Way 制作:HBO Films, アメリカ, 2016. いまから56年前の1964年7月、アメリカ国内で人種差別を禁止する公民権法が制定された。独立宣言で「すべての人間は平等」とうたいながらも、いまなお激しい人種差別がつづくアメリカにとって、人種差別を法律で禁じた公民権法の存在は特別な意味を持っている。 映画『オールザウェイ』は、「昇格」大統領と言われたリンドン・ジョンソンが、公民権法制定の大義のもと、大統領の座を勝ち取るまでの政治闘争の内幕を描いた伝記である。アメリカの歴史に深く刻まれる公民権法はどのように成立したのか、本作はその真実を伝える貴重な映像資料と言えそうだ。本稿では史実を参考に、映画がどのように当時の実態を描いているかを辿った。 なお、今回取り上げる『オールザウェイ』はHBO films制作の劇場未公開のもので、ロブ・ライナー監督の『LBJ ケネディの意志を継いだ男』とは別物である。アマゾンのPrime videoで観ることができる。主演のリンドン・ジョンソンをブライアン・クランストンが素晴らしい演技で熱演している。
CONTENTS その1:ケネディ暗殺から1964年公民権法成立まで
昇格した大統領が抱いた大志
ジョンソンが公民権法成立を目指した背景
法案通過の鍵となった投票権
議事妨害に対抗するジョンソン
ジョンソンが行った「特別な接待」
映画には描かれなかった上院通過の様子
取り下げられた投票権の行方
その2:民主党全国大会から大統領選挙まで
大統領選挙に立ち塞がる二つの難題
公民権活動家殺害事件が生んだ新党
寝室で行われた民主党全国大会の舞台裏
大統領選を有利にしたジョンソンのメディア戦略
悲劇を招いた北ベトナム空爆
圧倒的な勝利となった大統領選挙
プライバシーに見るジョンソンの現実主義と映画のスタンス
映画『オールザウェイ』を振り返って
昇格した大統領が抱いた大志 この映画は、第36代大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンがアメリカ大統領に就任してからの、およそ一年間の出来事を描いている。中心となる話題は、公民権法の成立とジョンソンが自らの実力で大統領の座に着くまでの二つの過程である。 映画は、凶弾に倒れたケネディ大統領の血痕が残るリンカーン・コンチネンタルの描写からはじまる。事件は1963年11月22日、テキサス州ダラスで起きた。凶弾はケネディの頭部を貫通、大統領は即死だった。こうして、副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領の座に着き、ケネディの政策を引き継ぐことになる。 「昇格大統領、それが肩書きだ」というジョンソンに、妻のバード・ジョンソン1)が「そうね。でも来年の11月に変えましょう」と励ます場面がある。ジョンソンにとって大統領就任は、実力で大統領になるための戦いのはじまりでもあった。 ジョンソンは就任演説の際、その日がリンカンが奴隷解放宣言を出してちょうど100年目にあたることを念頭に、上下両院合同会議で次のように宣言する。
ジョン・F・ケネディの遺志であった公民権法の実現に向け、歩みを継続しましょう。100年以上にもおよぶ議論をさらに進め、前大統領が提出した公民権法に新たな章を付け加える時です。人種によるいかなる差別も、我が国から排除しようではありませんか。
演説でキング牧師が実現を訴えた公民権法は、ケネディ大統領によって法案作成が指示され、すでに議会で審議が行われていた。ジョンソンはその遺志を引き継ぎ、より確かな公民権法を制定しようと呼びかけたのである。
この演説にひときわに大きな期待を寄せる者がいた。マーティン・L・キング・ジュニア牧師である。キング牧師はちょうど三ヶ月前、「仕事と自由のためのワシントン行進」で演説を行ったばかりだった。「私には夢がある」と題された演説2) の反響は大きく、名演説として歴史に刻まれただけでなく、その後の公民権運動の支えとなった。映画には、そのキング牧師がジョンソンの考えに深く共感する様子が描かれている。 一方、ジョンソンの演説に万雷の拍手が鳴り響くなか、憮然とした表情の議員たちもいた。ジョンソンが師と仰ぐ南部出身のリチャード・ラッセル上院議員3) もその一人だ。ラッセルはかねてから人種差別主義と隔離政策を支持しており、公民権運動反対の陣頭指揮をとってきた。彼にとって朋友ジョンソンの考えは受け入れがたいものだった。ラッセルはその後、リベラルな姿勢を強めるジョンソンと対立を深めていく。 こうしてジョンソンは大統領就任と同時に、公民権法の制定を胸に民主党内部の右派議員の説得にあたり、さらには黒人層に気を配りながら自力で大統領の座に着くという、複雑で難しい道を歩みはじめることになる。次の大統領選までに残された猶予は1年間だった。 ジョンソンが公民権法成立を目指した背景 就任演説の翌日、黒人を読者層とする新聞が「2000万人の黒人が安堵した」と伝えるなか、あれは選挙対策の口上だろうとジョンソンの本心に期待する議員も多くいた。古参議員ラッセルも最初はそうだった。映画には、ジョンソンに疑問をぶつける右派議員を相手にラッセルが、「合衆国憲法の重大な危機だ。しかし彼にも事情がある。時がくれば公民権法を骨抜きにするはずだ。」と説得する様子が描かれている。ラッセルはラッセルで、南部出身の大統領を議会掌握に利用するねらいがあった。
共和党ではすでに、バリー・ゴールドウォーター上院議員が大統領候補者の指名を受けていた。彼は小さな政府と強硬な反共路線を打ち出していた。一方、大統領が交代したばかりの民主党には大統領候補を選ぶだけの余裕はなかった。「ゴールドウォーターなら楽勝ですよ」という上院議員のヒューバート・ハンフリーにジョンソンは、「手強いぞ。だが、自分が党候補になるのが先だな」と応じている。 翌年11月にジョンソンが大統領になるには、まず党の候補者指名を受ける必要がある。ケネディの弟、ロバート・ケネディが立候補する可能性もあった。ラッセルはそうなれば党内分裂だという。一方、ケネディが残した公民権法案は重荷になる。あるいはジョンソンは、大統領の権限で法案の審議を先延ばしにすることができたのかもしれない。しかし彼は、ケネディが死亡してすぐに法案と向き合うことを決意する。それは選挙戦を勝ち抜くための手段というより、大統領としての大義であり、困難をバネに選挙戦を乗り切ろうとする闘志の現れだっただろう。 ジョンソンのこの判断の背景には、公民権闘争の高まりがあった。その抗し難い機運がジョンソンに、公民権法の成立に掛ける決意をもたらした。映画のなかで彼は、「罪を犯してきた南部を救えるのは、南部出身の大統領だけだ」と心情を吐露している。しかしこれは、共和党の攻撃材料になるばかりか、下手をすれば党内右派との分断を招きかねない諸刃の剣だった。ジョンソンはラッセルから、リベラルの連中を付け上がらせるなと忠告を受けている。 法案通過の鍵となった投票権 ジョンソンに託された公民権法案は、1960年ごろケネディによって構想された。具体的には、「投票権の保護、行政的な対応、南部白人票の確保」を盛り込んだものだ。白人票の確保にケネディの政治姿勢が現れているが、投票権の保護は当時から人種差別対策の重要な柱だった。4) しかし黒人の投票権は、南部の保守的な人々には受け入れがたい、非常にリベラルな考え方だった。それだけに、このまま法案を通そうとすれば共和党からはもちろん、民主党内の反発も強くなる可能性があった。このころジョンソンは、「通らないような法案を全力で推進することは自分の政治的立場に大きな打撃を与える」5) と恐れていたという。 そこでジョンソンは、法案から投票権を除外することを考える。映画では、就任演説の翌日に行われたキング牧師との電話のやりとりに、その腹の内が描かれている。彼は投票権の重要性を訴えるキング牧師に「まさか私に説教かね」と疎ましがる。そして、H.R.1752(法案第7152号)と題された条文冊子から、投票権が記されたページを引きちぎるジョンソンの姿が描かれている。 投票権の除外というジョンソンの提案は、キング牧師には受け入れがたいものだった。側近のハンフリーも投票権を外そうとするジョンソンに、リベラル派も裏切りだと受け止めるだろうと反対する。しかし、ジョンソンは「お前が説得しろ。リベラル派の代表だろう」とハンフリーに詰め寄り、さらには副大統領候補の甘言を浴びせる。 ジョンソンはキング牧師に、「黒人を貧困から救う必要がある、保険や教育にも取り組みたい、この国を根本から変えたい、法案成立後には必ず投票権条項を追加する」と熱心に語りかける。それにたいしキング牧師は、「わたしは仲間に約束する必要がある。実現しなければ暴動も起こりかねない」とほのめかし食い下がる。これに対しジョンソンは、下院で確実に法案を通すためには君の協力が必要だと票の取りまとめを依頼する。結果的にキング牧師はジョンソンの提案を受け入れ、黒人指導者として黒人活動家を説得する協力的な姿が描かれている。 こうしたジョンソンの説得と活動が効いたのだろう。公民権法案は1964年2月、賛成290票、反対130票で下院を通過する。これによりジョンソンは当初の目的を達成するが、保守派のラッセルは落胆する。これまでラッセルに懐柔されてきた右派議員は、「これでもジョンソンを信じろというのか」と詰め寄る。これにたいしラッセルは、上院では議事妨害で食い止めてみせると応じている。一方、キング牧師はかろうじて仲間への体裁を保った格好だ。キング牧師には、選挙戦になればジョンソンは黒人票を欲しがるという読みがあった。 以上が映画に描かれた、公民権法案が下院を通過するまでの様子である。この一連のやりとりには、法案の通過を最優先に、人を選び報いることで自分の思いを達成していくジョンソンの姿が、実に丁重かつリアル描かれている。 議事妨害に対抗するジョンソン 法案の成立に危機感を抱いたラッセルは会見を開く。公民権法案は悪質で過激な憲法侵害に他ならないと訴え、我々有志は上院伝統のフィリバスター(議事妨害のための長時間演説)で戦うと宣言する。これを知ったジョンソンの妻バードは、「ディック(ラッセル)が語る愛国心には説得力があるわ。あなたは何のために闘うの���、国民に話すべきよ。」とジョンソンを鼓舞する。 妻の言葉に動かされたジョンソンは公邸の庭に記者団を集め、ラッセル上院議員の残念な決断に反応を示しておきたいと、小学校の教師だったころの思い出を語りはじめる。
テキサス州コチュラの古びた学校だった。コチュラは荒野の真ん中にある国境の町で、極貧のメキシコ移民であふれていた。教え子はかわいかった。毎日、朝飯抜きだから腹ペコで登校してくる。だが、みんな勉強が大好きなんだ。心が温まった。
しかし、子供たちはやがて変わる。キラキラ輝いていた瞳から光が消えてしまう。嫌われていることに気づくからだ。肌の色のせいで・・・
「慌てるな」と忠告されることもある。「政治生命が危険だ」と。だが私は言いたい。正しいと信ずることを行えないなら、大統領とは何だとね。
ジョンソンはテキサス州の貧しい農家に生まれ、苦学の末に教員養成大学を卒業した経歴を持つ。コチュラでの思い出は、その在学中に一年間休学して行った教員見習いの時のものである。6) こうした体験こそが、彼を公民権法の実現へと突き動かす原点になっている。ジョンソンという人物を考える上で重要なエピソードといえるだろう。 自身の苦しい過去を振り返るジョンソンに、メモを取る手を止めて話に聞き入る記者たちの姿があった。ジョンソンが打ち出すこうした親密で率直なメッセージは新聞に掲載され、人々の心を打ち、公民権法の善良なイメージを伝える広報活動として大きな効果を発揮したと考えられる。 ジョンソンが行った「特別な接待」 そうした努力にもかかわらず、議事妨害がはじまってすでに67日が経過していた。映画は荒び疲れた議場の様子を映し出す。そこではラッセルが、南部には黒人が集中しすぎている、黒人が全米で均等な比率になるように全州に振り分けるべきだ、と前代未聞の提案をしている。他にも、1500 ページのスピーチ原稿を持参した議員もいた7) というから、反対派の抵抗は相当なものだったのだろう。 長期化する議会妨害を利用し、公共施設での差別撤廃条項を骨抜きにしようとする共和党議員も現れる。譲歩しなければ妨害は続くというのだ。しかし、ジョンソンは要求をはねつけ、次のように説得する。
共和党は公民権法に反対するか、人種差別主義者に投票するかだ。われわれは歴史を作る、その歴史にどのように名を残すか考えるべきだ。アメリカの流れを変えた偉大な人物となるか、単なるおしゃべり男になるかだ。
コチュラのエピソードもそうだが、こうした会話の端々にジョンソンが人々を説得する巧みさが現れている。彼は自分に言い聞かせる形を取りながら、実際には相手が自分のこととして受け止めるように導いている。主張の正しさを押し付けるのではなく、相手がそう考えるように誘う巧みな話術だ。 そうこうするうちに、議会妨害は69日目に入る。この時点ではジョンソンはまだ劣勢だった。このままでは勝てない。彼は党派を超えて票の獲得に奔走する。あるときは、脳腫瘍で手術のため入院した議員向けに、「意識さえあれば投票はできる」と首席補佐官ウォルター・ジェンキンスにハッパをかけたりもする。さらに、法案通過に協力すると見た者には、大統領章が記された自分のカフスボタンを「世界にひとつしかないものだ」と言いながら押し付けたりする。 ジョンソンは別の場面で票の取りまとめについて、「大勢の女性を誘うようなものだ。遊ばないかと声をかけるといったんは断られる。ビンタを食らうこともある。しかし、大抵はイエスなんだ」と述べている。ジョンソンは、女性に声を掛けるのと同じ思いで、多くの議員を法案賛成へと引き込んだのだろう。映画のなかでジョンソンが「またカフスを頼む」と側近に伝える場面がある。彼はいったい、カフスボタンを幾つ作らせたのだろうか。 こうしたジョンソンの姿は、周りの人々に驚きをもたらしたようだ。ジョンソンのもとでホワイトハウス特別研究員を務めた歴史家のドリス・カーンズ・グッドウィンは、そうしたジョンソン特有のやり方を「特別な接待」と呼ぶようになったという。7) 熱心に説得を繰り返す彼のこうした姿勢はやがて、労働、宗教、公民権団体など、多くの団体のロビー活動に力を与えていく。 映画には描かれなかった上院通過の様子 議会妨害は74日目を迎え、法案はついに討論終結決議に持ち込まれる。映画にはこの最終局面の様子は描かれていない。しかし、本田創造氏の『アメリカ黒人の歴史 新版』8) によれば、この日の状況は次のようなものだった。
結局は討論打ち切り動議を採択するといった異例の白熱した審議をへて、6月19日──この日は、奇しくもケネディ大統領が政府原案を議会に提出してから、ちょうど満一年目にあたる──ついに賛成73票、反対27票で上院も通過し、それから十数日後の7月2日、ジョンソン大統領の署名を得て正式に連邦の法律として成立した。上院における反対27票は、その年の11月の大統領選挙で、共和党候補となって民主党候補のジョンソンに惨敗した、超保守主義者のバリー・ゴールドウォーターをはじめとする共和党議員6名と、南部民主党議員21名が投じた票である。(Kindle の位置No.2548-2554).
こうして「1964年公民権法」は苦難のうえ上院を通過する。ジョンソンの懸命の努力が難局を乗り切る原動力だったことは間違いない。まさにジョンソンは彼の信念に従い、アメリカの歴史に名を残す仕事をはたしたのである。 7月2日の法案署名の場面でジョンソンは、キング牧師に署名に使ったペンを贈呈している。一方、署名を前に退室するラッセルは「選挙に影響が出なければいいが」と言い残し、ジョンソンと袂を分つ様子が描かれている。去りゆくラッセルを見送るジョンソンは、「おめでとうございます」と声を掛けるハンフリーに、「私がいる限り南部は民主党を支持しないだろう。法案成立がそんなにめでたいか」とつぶやく。ジョンソンの気持ちはすでに大統領選挙にあった。 取り下げられた投票権の行方 ところで、こうして成立した「1964年公民権法」には別の正式名称がある。それは、「憲法上の投票権を実施し、公共施設における差別にたいする差止救済を与えるため、合衆国地方裁判所に裁判権を付与し、公共機関、公教育における憲法上の権利を保護するため、訴訟を提起する権限を司法長官に授権し、公民権委員会を拡大し、連邦援助計画における差別を防止し、平等雇用機会委員会を設置する等の目的のための法律」というものだ。9) この異様に長い名称を見て奇異に思う人もいるだろう。長すぎる名称のことではない。投票権の実施がうたわれているからである。ジョンソンは法案の成立を優先し、キング牧師に投票権の放棄を提案していた。この食い違いの詳細はWikipediaの「投票権法(1965年)」の記述で知ることができる。そこには、例えば次のように書いてある。
同法(1964年公民権法)には投票権の保護も幾つか入っている。登録官は、各投票者に書くことの識字試験を平等に管理することと、小さな誤りのある申請書を受領するように求めている。また6年生の教育を受けた者なら十分に投票できるだけの識字能力があるという「反証を許す推定」を創造した。しかし、公民権運動指導者からのロビー活動があったにも拘わらず、この法は投票時の差別の大半の形態を禁じることはなかった。10)
ジョンソンが1964年7月2日に署名した公民権法には、確かに投票権の保護が定められている。しかし、法案を通すことを優先し修正が加えられたことで、投票の際の差別を完全には排除できない不十分なものになっていたのである。しかしジョンソンは、前述のようにキング牧師との交渉のなかで「公民権法の成立後には必ず投票権条項を追加する」と述べている。はたしてこれは、法案の成立後履行されたのだろうか。 映画にはこの約束がどうなったかの具体的な描写はない。しかし、エンドロールに次の説明が加えられている。
(1964年11月の大統領選挙でジョンソンが当選した)翌年ジョンソンはキング牧師らと協力し、投票権法を制定。さらに「偉大な社会」を提唱し、福祉・教育・雇用などの分野で抜本的な改革を行った。
このとき制定された投票権法は「投票権法(1965年)」と記されるように、1965年8月6日にジョンソンの署名により法制化された。実はこの署名の際にもジョンソンは、国民に向けた次のようなメッセージを発している。11)
米国の文明の主流をなす基本的事実は、(中略)自由と正義と人間の尊厳はわたしたちにとって単なる言葉ではない、ということである。わたしたちはそうした概念を強く信じている。大きな発展や混乱、そして豊かさを体験しながらも、わたしたちはそれを信じている。従って、わたしたちの中に抑圧された人々がいる限り、わたしたちはその抑圧に加担しているのであり、それはわたしたちの信念を弱め、気高い目的の力を弱めるものである。
それ故に、これは米国のニグロの自由の勝利であるだけでなく、米国の国民の自由の勝利でもある。そして、皆さんが可決し、今日わたしが署名をするこの法律によって、探求を続けるこの偉大な国家に住むすべての家庭が、さらに力強く自由の中で暮らし、さらに素晴らしい希望を持ち、米国民であることをさらに誇りとすることができる。
こうして、法案の通過を優先して投票権が除外もしくは骨抜きにされた1964年の公民権法は、ジョンソンが約束した通り法案通過からおよそ1年後に正しく履行されたのである。これにより1964年の公民権法では限定的だった黒人の投票権の確保が拡大された。その効果は下記のように、まことに劇的なものだった。12)
1965 年末までに、深南部5州だけで新たに 16 万人のアフリカ系米国人が有権者登録をした。そして 2000 年までには、アフリカ系米国人の有権者登録率は、白人に比べわずか2%低いだけとなった。1965 年には、南部では連邦議会または州議会議員に選出されたアフリカ系米国人は2人にすぎなかったが、今日ではその数が 160 人に達している。
(その2へつづく)
(その1:ケネディ暗殺から1994年公民権法成立まで)
(その2:民主党全国大会から大統領選挙まで)
引用文献 1) バードは通称。本名はクローディア・アルタ・テーラー・ジョンソン。 Wikipedia「レディ・バード・ジョンソン」 https://bit.ly/2Z90Ekb 2) マーティン・L・キング・ジュニア「私には夢がある」American Center Japan, 米国国務省出版物, 1963. https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/ 3) Wikipedia「リチャード・ラッセル・ジュニア」 https://bit.ly/2QTRp2Z 4) 安東次男「ケネディと1963年公民権法案」立命館国際研究, 14-3, 2001.11. http://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/14-3_02ando.pdf 5) 安東次男「1964 年公民権法と大統領政治」立命館国際研究, 13-3, 2001.3. http://www.ritsumei.ac.jp/ir/isaru/assets/file/journal/13-3_13ando.pdf 6) Wikipedia 「リンドン・ジョンソン」 https://bit.ly/2Dg4Map 7) アメリカンセンター Japan「ついに我らに自由を 米国の公民権運動」 https://americancenterjapan.com/wp/wp-content/uploads/2015/11/wwwf-pub-freeatlast.pdf 8) 本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波書店, 1991. 9) 本田創造, 上掲書, Kindle の位置No.2554-2558. 10) Wikipediaの「投票権法(1965年)」 https://bit.ly/2EGUxwF 11) アメリカンセンター Japan「ついに我らに自由を 米国の公民権運動」p.61. https://bit.ly/3h2L1Rr 12) アメリカンセンター Japan, 上掲資料, p.61. https://bit.ly/3h2L1Rr
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