#三度目の正直で勝つからね!って言ってるのに無視して一人勝ちする若井
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通話を切るのが名残惜しかったなあ。
やーっと休みを合わせて3人でゲーム出来ました!藤澤は神経衰弱が、いや、ゲーム全体的に激弱過ぎて二人に一生笑われてたし、若井は静かに無双するし、元貴はホラゲ実況動画、怖がってたけどなんだかんだ言ってずっと観てるのが可愛かった!なんて平和なのか...。こういう時間をいつまでも過ごせたらいいなって。人狼は向いて無さ過ぎるのでもうやりません!そして藤澤、神経衰弱の練習しておくよ。次は全部のゲームで一位取るから覚悟しておいてほしい!
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・以下上から読んでいった箇条書きメモなので詳細はhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_01.pdf ・芸術に全く興味がないどころか予算削減をしようとしている。してる。 ・そのことについて人事権などを使っているようだが、職員に大した説明なく進んでいる様子で現場の混乱がわかる ・斎藤が井戸前副知事のことが滅茶苦茶嫌いなのはわかるが、態度で表しているのがかなり子供っぽいし、周りもかなり気を遣っている印象 ・令和3年選挙で職員内で事前運動があり、その後通報されたようだが握りつぶされたとの話はかなり問題なのではないか ・その当時の選挙についての情勢に違和感があり、職員たちの間で相当困惑が広がっている様子が分かる(職員たちは違法性を感じていた様子) ・当時公用車問題で揺れていた兵庫県だが、職員が斎藤を連れて公用車で投票依頼をしに回っていた話がある ・該当職員たちが通常コースではなくトントン拍子に謎の出世をし、さらに職員たちから反感を買っている ・該当職員たちも部下に対して横柄な態度をとるようになっていた ・マニフェスト作成などもその周辺の職員がしている ・井戸前知事の周辺職員はみんな飛ばされた。 ・県庁は、基本人事課が出世できるルートになっている。筆記試験があるが加味されていないのではないかという疑問 ・はばタンPay+のポスターにある写真や、その他ポスターに自らの写真を入れる行為は、次の選挙戦をにらんだあからさまな選挙運動ではないかと職員間で疑問視されていた。 ・商工会議所、商工会にも手は回っており、今回の知事選挙に向けた活動が昨年頭からあったことが指摘されている ・昨年末から選挙戦に向けて新聞やテレビ出演を知事が希望していたのは選挙戦に向けてだろうが、「取材がなければ激怒する」という話は異様ではないか ・贈答品問題。全部ひとりで持ち帰ってしまうらしい。前知事は高額なものは全く受領しなかったので感覚が全く違った模様 ・酒造メーカーが出展したイベントで日本酒を15本以上持ち帰っている。2、30本あったのではとも。持ち帰りすぎ ・突然おにぎりを食べたいと言い、慌てて現場で米を炊かせている。怖い ・特産品のアイアンセット(約20万円)貰ってる。しかし使いにくいので、別モデルをおねだりした様子。その見返りが特別交付税の算定だったのでは?との見立てがある ・片山副知事も貰っている。片山副知事ペラペラ自慢して色んな職員に色んな事喋っている。折田かよ ・事業とは関係ない特定のスポーツウェア等を着てポスター撮影をしているらしい。掘れば出るのでは ・知事室等の前に贈答品が多数陳列されるようになっていた(前知事のときは無かったのだろう) ・自宅に持ち帰るときは目立たないように重さや大きさを気にしている。悪い認識あったのか? ・5万円を超えるものを個人的に無料で受け取っているが、秘書課を通じておねだりさせている。 ・ふるさと納税返礼品をねだって貰っている ・ホールケーキを贈呈行事としてもらった時(個人的ではなく)、井戸知事は職員にもふるまった。斎藤は一人で持って帰った。PRにもつなげてない ・斎藤県政下では「公民連携」のもと個別企業との包括連携協議が急激に増加している ・知事は絶対にお金を出さないので、食事等、知事を迎えた側が出費しなければならない ・職員たちの前で贈与しようとした地元の方を職員たちは止めたが、斎藤は遮って貰っていた ・人参ジュース1箱おねだりして持ち帰り。人参大好きだな。良いことだ。 ・絵画も貰っている。芸術興味ないんじゃなかったの ・貰ったワインの感想が出ない。色々貰いすぎて何貰ったか覚えてない ・知事の行き先と運転日誌の距離が合わない。出張先で何をしているのかは、みんな見ているはず ・土産があったほうがいいという認識が県内下で広がっていたのではないか ・ウィスキー、ロードバイク、ウェア、スーツ、野菜、海産物、椅子、寿司等等。贈答品だけで生活してたのか? ・マスコミの前で贈答品を貰おうとして、マスコミに直接つっこまれ、やめた ・高級な苺が好き。何箱も貰った。可愛いね ・職員たちも困惑しきりでウワサ広がっていた ・革ジャンはねだってももらえなかったらしい ・県議にもビール貰ってるやついねぇか?意識改革は必要 ・政治資金パーティー券についても購入要請など怪しい記述がある。私学関係者にも依頼している。ここまでくると「政治と金の問題」でしかない ・阪���オリックス優勝パレードについては金の流れが明らかにおかしい。まともなやり方で集めるのも大変だっただろう職員の苦労と、聞いていたよりも高額な請求が来たこと、不正な行為による虚無感を覚える記述が続いている。 ・聞いたことを聞いてないと言って怒るのは若いのに記憶力が心配 ・県美術館のメンテナンス休館を知らずに激怒。前年度には公開されているスケジュールを改めて経緯説明させられる。知事本人も館長に直接凸電話 ・知事就任前に決まっていた件を新聞で知り、聞いていないと激怒。いわゆる机バンバンは知事就任から2か月目のこと。 ・知事が来る現場にはサクラで人を呼んでいた。道を間違えると知事が怒るから言うことを聞いてほしい、という現場への要請もあった ・知事の視察は前知事よりもドタキャンが多い。そのときは服部副知事が来る ・お気に入りの女性職員をつけていた?よく分からない記述があるので皆読んでほしい ・出張先に三面鏡と櫛が無いと怒られる。外見をとにかく気にしている。用意された浴衣が気に入らず着たくないと駄々をこねる。10万円の浴衣を調達させる。着付けを地域の方にしてもらう予定が「俺は知事やぞ!そんな素人にさせるな!」と怒鳴り着付けのプロを呼ばせたことも。 ・例えば「空飛ぶ車」や「有機農業」など万博や●●関連の施策には部局に具体的な指示を出す。また指示通りになっていないと激し く怒り知事室へ出入り禁止にして再調整困難となり所管課を困らしていたと聞く。(原文ママ。折田が参加した空飛ぶクルマ事業は知事��轄) ・ペットボトルのお茶を出すと怒る。ペットボトルの水を飲食禁止のところで飲んで、その場に置いていく。 ・事前に決めてオッケーにして万全に準備した案を、直前に気分で変える。こういうことが繰り返されている様子 ・とにかくいろんな地域で激高しており、目撃されている。気分屋で、まるで昭和のバブル世代の頑固おやじみたいな態度をとりまくっている ・周囲は委縮して何も言えなくなっている様子。それが関係者たちにも広がっている。懇意にしている職員たちはパワハラだけではなくセクハラも握りつぶしてもらっている様子 ・政策や防災対策の会議を直前に15分で終わらせてと無茶振りするのが日常茶飯事 ・泉房穂のツイッターバトルを取り締まる条例を探す ・よく忘れ物、失くし物をする(なにこの情報) ・書類が分厚いと怒る ・渋滞に嵌ると怒る ・周辺のものを蹴る ・工事中のコーンを蹴り飛ばす ・SNSはブロックしまくっている ・怒るとタブレットを投げる。ノートPCを投げる。 ・健康診断から自己負担オプション項目をなくす(腫瘍マーカーの検査を7000円程度)どうも知事の命令により県職員だけ通常のオプション検査が受けられない模様 ・エレベーター待てなくて怒るのでエレベーター呼ぶボタンを受付に作った ・ジェラート食べたくて定休日の店を開けさせる
兵庫県職員アンケート調査を読んで気になったところと感想
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)4月15日(火曜日)
通巻第8739号
嘗て台湾総督府で安全保障担当補佐官と話し合ったときの鋭い指摘
「日本は外交政策を考えなくていいね。あるのは追随政策だけだから」
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李登輝総統の時代、アジア・オープン・フォ-ラムで何回かお目にかかったが、任期を終えられて淡水にシンクタンクを設立された。そこにも数回は訪問し、李登輝総統から話を聞いた。後藤新平賞授賞式に東京にこられたときも楽屋で会った。
いつも「日本は一体、何をしているのか。あの武士道精神はどこへ行ったのか」とおしかりである。
台北のご自宅は狭い応接室、大渓にあった別荘は質素なつくり、ただし地下の蔵書はぎっしりと数万冊の書籍で埋まり、図書館のようだった。三割ほどが日本語だった。李登輝総統は日本語の達人でもあった。
嘗て台湾総督府で陣水扁総統の安全保障担当補佐官と話し合ったとき、彼が言った
「日本は外交政策を考えなくていいね。あるのは追随政策だけだから」。この箇所を「フォーリンポリシーではなくフォローイングポリシーだ」と、揶揄するように補佐官は流暢な英語で言った。
当該補佐官は台湾のメディアで健筆を振るっていた司馬文武である。
戦後八十年、日本は自主的な外交を展開したか?
ナショナリズムの発火は東京五輪だった。日本人に自信を回復させる契機となったが、昭和40年の日本はまだまだ各地に戦争の残骸がのこり、交通は渋滞し、学校はすし詰めだった。吉田茂は独立を回復した機会に憲法を変えるべきだったが、かれはむしろ憲法を口実に朝鮮戦争への出兵を拒否した。
佐藤栄作の沖縄返還は日本の繊維産業の抜本的縮小などと引き換えだった。核は持ち込まれた。密使だった若泉敬は必死の決意で舞台の裏方を務めた。
一昨年、筆者は福井県鯖江市郊外に建立された若泉の墓に詣でた。丸い地球儀をかたちどった特注墓である。
日本は独自の外交を実践できない。ところが米国はときおり方針を転換すると、チャンスが訪れる。ソ連と敵対関係から雪解けになるや、日本はシベリア開発、樺太ガス開発でロシアと協同できた。イランとは原油輸入で密接な関係があったが、米国のイラン制裁によりイラン原油の輸入が困難となった。アラブの商人らは足下を見る。日本は高い原油を交わされ続けてきた。
核武装はがんじがらめの監視体制、つまり核拡散防止条約という不条理によって事実上禁止されている。アメリカ人には復讐権という強迫観念があり、日本が核武装すると、かならず二発お見舞いされるという恐怖感がある。だから日本に核を持たせないのだ。
▼ドル基軸体制は日本が根底を支えている
日本のフォローイングポリシーとは「赤字を支えるために米国債を買え」「金利を据え置け」「為替レートを変えるから従え」となる。不動産不況に直面するや日本にロックフェラーセンターを買えと要請し、高値で買わされ、後日安値で買い戻された。
リーマンショックでは三菱銀行と野村證券が、リーマンなどへの出資救済を要請された。三菱は90億ドルの巨額を投じてモルガンスタンレーに出資した。野村證券はリーマンのアジア、欧州部門を2億5000万ドルで買収し、8000人従業員も引き受けた。この巨額の決定は米国からの電話一本、わずか一晩で決定にいたった。
日頃の日本では稟議審議が長引き即断ができないシステムなのに、これはどうした���とだろうと誰もが訝しんだ。
戦争を勝手に仕掛けながら、後始末は日本の番である。カンボジア北爆で密林にもナパーム弾や枯れ葉作戦。ところがカンボジア戦後復興を任され、地雷を撤去したのは日本だった。
犠牲者がふたり。そればかりかカンボジア平和会議は東京で開催しろと言われ、丸ごと日本の負担となった。その後のカンボジア支援は日本が世界一である。ところが政治的にカンボジアは中国経済圏にある。
湾岸戦争では尻ぬぐいの機雷掃海をやらされた。その日本に対して、自らが苦況に陥るとスーパー301条とか年次改革要求とか、ようするに日本はアメリカのATM、米国債の最大の債権者である日本がアメリカ経済を支えている。金兌換からペトロダラー体制で維持されているドル基軸体制は日本が根底を支えているといっても過言ではないだろう。
アメリカがけしかけて始めたウクライナ戦争とて日本は無関係なのに1兆7000万円の負担金が廻ってきた。
日本は果たして独立した外交政策をとれるか?
独自の経済主権を発揮して金利、通貨、為替政策をとれるのか? と問えば永田町ばかりか日銀、財務省の腰抜け達に期待できると考える人はよほどの善人だろう。
(余滴)追随とは「隋」に従うことであり、聖徳太子の遣隋使以後、シナの制度、文化をまねたという意味だから、現代語では「追随」より「追米」がふさわしい。
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2025年6月3日
●今日(2025年6月3日)の日記。昨夜、早めに睡眠薬を飲んでから寝たら、午前1時台に起きてしまった。さすがに、もう一度睡眠薬を飲んで無理やり寝ようとするのはもったいないので、やむを得ず、しばらく起きていた。そして、朝食として焼きそばを作って食べてから、再び寝た。
●子供や若者に対して求められる「読書感想文」の最大の難点とは、大人が書く「書評」のような自由度が認められない点である。子供や若者に対して「優等生」的な姿勢を求める教育方針こそが、読書嫌いや文章嫌いの子供や若者を増やしているのだ。子供や若者に対して安易に「子供らしさ」や「若者らしさ」を押しつけるべきではないのだ。「素直ファシズム」こそが、子供や若者をダメにするものだと、私は思うのだ。
●『ウマ娘』には何人かのメガネ女子キャラクターがいるが、ハーツクライのウマ娘化は、玉井雪雄氏の漫画『オメガトライブ』シリーズの梶の女性版みたいなキャラクターにしてもらいたい。ああいうキャラクターの「メガネ女子」って、なかなか見かけないからね。
●『ドラえもん』ののび太は、一般的・平均的なメガネ男子キャラクターのアンチテーゼだと、私は思う。一般的・平均的なメガネ男子キャラクターは、少なくとも過去は「ガリ勉」キャラクターが多かったが、のび太の近視は「勉強のし過ぎ」や「漫画以外の本の読み過ぎ」のせいではない。そして、のび太とは全く違う方向性で「一般的・平均的なメガネ男子」のアンチテーゼなのが、前述の『オメガトライブ』の梶なのだ。「メガネ」と「ヤンキー」「暴走族」の組み合わせには意外性があるし。
●『オメガトライブ』シリーズの梶は、途中から実質的な2代目主人公になっていた強力なキャラクターである。そして、日本国内で唯一ディープインパクトに勝ったハーツクライのウマ娘化は、そんな梶の女性版であってほしい。ディープの兄ブラックタイドを「メガネ女子」にするのはくどいから(すでに「三冠ウマ娘の姉」としてのメガネ女子が二人もいる)、代わりにハーツクライを「メガネ女子」にしてほしい。なんなら、シリウスシンボリを「メガネ女子」にしても良かったと、私は思う。現在『ウマ娘』に登場する「メガネ女子」で、意外性があるのは、ロイスアンドロイスくらいしかいないが、しかし彼女は不良キャラクターではない。
●もし仮に東京03が全員メガネ男子だったら、ちょっとくどくなる。一人メガネなしなのが良いのだ。そして、三冠ウマ娘の姉が全員メガネ女子である必然性は全くない。
●芸能界には、いわゆる「同性愛疑惑」などという噂がある人たちがいるが、私はそのような噂は、実は「同性いじめ」の噂を隠蔽するための工作として流されたガセネタではないかと邪推している。試しに「中谷美紀 同性いじめ疑惑」並びに「平井堅 同性いじめ疑惑」でGoogle検索してみたが、しかしそのような記事はなかった。結局、この二人には「同性いじめ疑惑」などという噂は、一応はないらしい。しかし、同性愛者やフェミニスト女性の「同性いじめ」は、少なくとも「理論的にはあり得る」のだ。
●ある「自称トランスゲイ」の人物は「レズビアンが他の同性を嫌うはずがない」などと決めつけていたが、実際には「異性嫌いの異性愛者」は吐いて捨てるほどいるので、それと同様に「同性嫌いの同性愛者」も「理論的にはあり得る」のだ。それに、「新宿二丁目に捨てるゴミなし」などという言葉だって、基本的に「机上の空論」だと見なした方が現実的である。「弱者男性」や「弱者女性」がモテないのは、決して異性愛の専売特許ではないのだ。
●異性愛だろうが、同性愛だろうが、男だろうが、女だろうが、その他(ノンバイナリーや性分化疾患)だろうが、あえて「悪条件」の相手を選ぶのは、正史『三国志』の公孫瓚の「名士嫌い」と似たようなものだと思う。「弱者」だろうが、「非弱者」だろうが、安易に恋愛や結婚やセックスに対して希望を見いだしては行けない。「信じる者はすぐ食われる」のだから。
●キリスト教の��名詞として「信じる者は救われる」という言葉があるが、実際にはそれ以前に「信じる者はすぐ食われる」という言葉があったのかもしれない。性善説論者のふりをする性悪説論者は多分、少なからずいるだろうし、逆もまた然り。
●「人間」として受肉した神は「ホモ・サピエンス」と呼べるのだろうか? 『ファイブスター物語』のアマテラスのミカドは受肉した神だが、彼は「ホモ・サピエンス」なのか? ましてや、FSSのジョーカー人やタイカ人に独自の学名があるかどうか不明だし、さらに、騎士とそれ以外の人間にそれぞれ(地球人とは別の)独自の学名があるかどうか不明だ。ましてや、ファティマたちに学名があるかも不明である。多分、「Homo sapiens fatimae」がふさわしい。
●FSSの世界観とは別の問題として、神に「学名」はあるのかという問題がある。一神教の神は「肉体性」を持たないので、学名は「ない」のかもしれないが、多神教の神々はどうなのか? 何らかの生物の姿で表される神々は、果たして「生物」なのだろうか? そもそも、霊魂に「学名」はあるのか?
●学名は生物以外の存在には適用されないという。ならば、「生物」ではない存在には「学名はない」事になる。生物として受肉していない霊的存在には「学名」はない。すなわち、人間として受肉したイエス・キリストは「ホモ・サピエンスである」が、神としてのイエス・キリストは「ホモ・サピエンスではない」事になる。しかし、それでも多神教の神々と「生物」との関連性がややこしい事には変わりない。多神教では、神々の死は珍しくない。GoogleAI曰く「神に学名はありません」。
●無神論者や唯物論者も、人間として存在する限りは「ホモ・サピエンス」である(トートロジー)。
●仮眠前に朝食の焼きそばを食べた。仮眠から覚めたら、午前8時半過ぎ。YouTubeのコモさん(子守康範氏)の生配信は、すでに2時間前に始まっていた。今日もコモさんの生配信では兵庫県知事問題を扱うが、私がこれから自身のメインブログで斎藤知事問題を扱うかは、未定。
●長嶋茂雄氏、肺炎で亡くなる。89歳。いわゆる「ミスター」と言えば、長嶋氏か鈴井貴之氏のお二方なんだよな。
●「平成の米騒動」も十分問題だったが、現在の「令和の米騒動」はシャレにならない事態である。やはり、減反政策は間違っている。これはマスメディアの「農業=ダサい」というプロパガンダのせいもあるだろうが、農業という産業自体は決してダサくない。本当に「ダサい」のは、農業などの第一次産業の基盤となる「田舎」の「保守的な価値観」である。
●競走馬は種族単位で、実質的に「世襲制の職業」だが、人間社会で世襲制である必然性のある立場や職業は、実質的に「ない」。しかし、ある共産党員の方は「日本は天皇制を廃止してはいけない。なぜなら、ドナルド・トランプみたいな権力者が大統領になってしまうと危険だからだ」と言って��た。要するに、共産党員並びに共産党支持者が、必ずしも天皇制廃止論者だとは限らないのだ。
●「学名」は生物に対して使われるが、鉱物には「鉱物学名」がある。
●ChatGPT先生曰く。
🔬「生物の学名」と「鉱物の学名」の違い
どちらも「世界共通の正式名称」ですが、体系や命名ルールに明確な違いがあります。
🧬 生物の学名(例:Homo sapiens)
✰構成:二名法。属名(大文字)+ 種小名(小文字)で構成。
✰命名法:カール・リンネが提唱した体系に基づく。
✰命名規約:
🐱動物:ICZN(国際動物命名規約)
🌸植物・菌類・藻類:ICN(国際藻類・菌類・植物命名規約)
✰使用例:
🐈ネコ → Felis catus
🌾イネ → Oryza sativa
※種の下に「亜種(subspecies)」がある場合は三名法をとることもあります。
🪨 鉱物の学名(例:オリビン olivine / ダイヤモンド diamond)
✰構成:基本的に単名(属や種の階層なし)
✰命名規則:IMA(国際鉱物学連合)が承認
構造・化学組成・物性が決定要素。命名には厳格な審査と論文提出が必要。
✰名前の由来:
色や性質に由来(例:olivine=オリーブ色)
地名や人物名に由来(例:smithsonite=スミソン石)
🔍 主な違いのまとめ(ポイント)
生物学名は分類体系に基づく階層構造(属・種)が明確。鉱物学名は構造と組成に基づく分類で、名前も階層がなくシンプル。命名の背景として、生物は「進化」、鉱物は「物質特性(物理・化学)」を重視している点が本質的な違いです。
●ラッキーライラックの弟の名前シリンガバルガリスは、ライラックの学名だが、綴りは「Syringa vulgaris」。「シリンガ」で区切るのだ。そういえば、誰かがキアヌ・リーヴスの名前を「キア・ヌリーヴス」だと勘違いしていたらしい。キアヌという名前はハワイ語で「山からの涼風」もしくは「絶えず神の意識に集中する者」という意味を持ち、叔父のヘンリー・キアヌ・リーブスにちなんで付けられたそうだ。
●オルフェーヴル産駒のラッキーライラックならぬ「ライラック」号。せめて「ゴールドライラック」という名前の方が良かった(ちなみに「ライラックゴールド」というお馬さんなら、昔いたらしい)。ゴールドシップ産駒の「ゴージャス」号だって、「ゴージャスアイリン」だったら良かった。
●予言と呪いと陰謀論は紙一重。
●『ウマ娘』のトレセン学園は事実上の女子校だが、表向きにはトランス男性の「ウマ男子」はいない(ボ��イッシュなウマ娘ならいるが)。しかし、牡馬がモデルのウマ娘たちは、ある意味トランスジェンダーに近い立場だと言える。アグネスデジタルとアグネスタキオンは「アグネス」という冠名を持つ「牡馬がモデルのウマ娘」だが、彼女たちはある意味、よしながふみ氏の『大奥』の和宮に似ている。和宮は史実通りの「女性」として描かれた。二人の「アグネス」たちは、女性としての擬人化により、名前と身体の性別が一致した。
●イーロン・マスク氏の「一応実子」、ヴィヴィアン・ジェナ・ウィルソン氏はトランスジェンダー女性だが、彼女の名前「ヴィヴィアン」は男女兼用の名前であり、性別移行の際に改名したものである(苗字は母親のもの)。彼女は体外受精で生まれたそうだが、そういえば『マルドゥック』シリーズのバロットも体外受精で生まれた子だったらしいな。バロットの実の父親は誰なのか? それを言うなら、ヴィヴィアンさんが本当にマスク氏の実子かどうかも怪しいが。実際にマスク「元親子」が元々「赤の他人同士」である可能性は、もしかすると皆無ではないのかもしれない。
●普通の生殖ですら、いわゆる「托卵」が疑われるのだから、体外受精ならばなおさら取り違えられる可能性がある。赤ちゃんが生まれた後でも取り違えがあるのだし。それに、日本社会が宦官制度を導入しなかったという定説も、色々な意味で怪しい。あってもなくても、怪しい。『源氏物語』は、その辺の盲点をついている。
●イーロン・マスク氏は「元息子」の娘ヴィヴィアンさんに対して、色々な意味でひどい態度をとった。「息子を得る」のが目的で、体外受精でヴィヴィアンさんをもうけた。ヴィヴィアンさんに対して「ザビエル」という一種の傲慢不遜な命名をした。そして、ヴィヴィアンさん自身も含むトランスジェンダー当事者たちを差別している。ハッキリ言って、毒親であり、「毒富裕層」である。
●「ザビエル」という名前は「救世主」を意味する。イーロン・マスクは自分の「息子」に対して「救世主」を求めたのかもしれないが、「娘」ヴィヴィアンさんは「等身大の人間」として生きるのを選んだ。
●ある人曰く「なれるなら なりたい 買い物依存症」。あんたがなりたいのは、「買い物依存症」ではなく「金持ち」だろうが! さらに、私が学生時代にいた某女子クラスメイトは「アタシ、アニメって嫌い」と言っていた。こちらは「アニメ」そのものよりも、むしろ「アニメオタク」が嫌いなだけだったのかもしれない。昔は、思春期以降の年齢のアニメファンは肩身が狭かったのだ。
●これはあくまでも、私が芥川龍之介の『羅生門』などの平安時代短編小説を読んだ印象なのだが、平安時代の庶民界って、ズバリ「リアル『北斗の拳』」だよな。そういえば、旧ツイッターには「平安京マッド・マックス」というネタがあったのね。平安時代の「平安」要素はズバリ��いわゆる「上級国民」限定だと思う。まあ、皇族も含めた上流階級にもそれなりに苦労があったのだろうが、庶民はさらにつらい。
●私の実家では、「ビーフシチュー」のルーで「ポークシチュー」を作っていた。無論、カレーやすき焼きに使う肉は豚肉だった。
●最近の私は「宇宙銀行」なる概念を知ったが、即物的な欲を「スピリチュアル」で満たすのは、何となくおかしい。結局は「資本主義」だよね。とりあえず、大槻義彦氏のオカルト批判にはもどかしさがある。大槻氏はオカルトに対して全面否定出来ても、資本主義に対しては全面否定出来ないだろう。
●元グラビアアイドルのインリン氏は資本主義を批判していたが、彼女は自分自身の「矛盾」に対して自覚的だったのだろう。
●仮にウマ娘に学名を付けるなら、多分「Homo sapiens equus」もしくは「Homo sapiens caballus」だろう。
●経済学者の安冨歩氏の造語「立場主義」について。私という人間は「私という立場」にあるので、安冨氏が定義する「立場主義」から抜け出すのは、実質的に不可能である(それこそ、脱資本主義よりも難しい)。まあ、安冨氏が定義する「立場主義」は、基本的に「集団主義」を想定しているのだろうが、「個人主義」もまた、人それぞれの「立場」があるのだ。
●今の私は、実質的にTumblrを旧ツイッターやThreadsの代わりにしている。その方が、私自身の思考や価値観を打ち出しやすい。
●芥川龍之介の平安時代小説だけに限らず言える事だが、平安時代は決して「平安な時代」ではない。しかし、平安時代だけではない。人間社会自体が常に「乱世」である。
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不当裁判・不当判決を告発します(新訂版)
(No.12)=((No.11)からの続き 水撒き人W氏側の藤田先生が奈良地裁宛に提出された「調査嘱託申立書」を私共が大歓迎・大喝采した理由は下記の通り。 第1:私共は、既にH.22.4月中に、当マンション全28所帯のうち(501号室(W氏宅)と401号室(私共宅)を除く)26所帯に対して「聞き取り・アンケート調査」を実施し、「若し、藤田先生の御考え通り、赤錆云々が元々排水枝管の物理的瑕疵に因るものならば、当マンション内の全63本の排水枝管中、アチコチの枝管に赤錆云々が多発する筈であるが、実際には赤錆云々は(501号室からの漏水被害を受けた)401号室の枝管☆②と☆③の2箇所にのみ発生し、他の所帯・他の部屋・他の枝管には、赤錆云々などは一切発生して居なかった事を既に確認済みであった。また同じ401号室(私共宅)内にあっても、☆①と☆④は「上階501号室(W氏宅)からの漏水被害を受けなかったので、赤錆・シミなどは全く発生して居なかった事実も確認済みであった。即ち、これ等の赤錆云々は、元々排水枝管の物理的瑕疵に因るものではなく、上階501号室(W氏宅)から漏水被害を受けたからこその痕跡である事、既に確認済みであった。従って私共は「たとえ藤田先生が、奈良地裁宛に、そんな調査嘱託申立書などを提出されても、その結果は却って御自分達の不利になるだけ(=勇み足=ヤブヘビ)だろう、と私共��は推察できて居た。 第2:嘗て松村・南両先生は「W氏の無茶苦茶な水道使用振りを客観的数値で立証する為、奈良市水道局から『W氏の水道使用量証明書』(『ダメ押し証拠No.2』)を取得すべく、裁判所に調査嘱託申立書を提出されたが、裁判所は頑として許可して呉れなかった。両先生は「斯んな重要証拠の取得を、何故、裁判所は許可しないのか?これこそW氏の『無茶苦茶な大量水撒き』振りを数字上で立証できる重要証拠なのに!」と頻りに残念がって居られたのである。(こんな具体的数字による『W氏の水道使用量証明書』までが提出されては、『メンツ丸潰れ』になる事を恐れた裁判所が「これは何が何でも阻止せよ!」とばかり、頑として『不許可』にしたのは当然だった!)、然し今回、図らずもW氏側の藤田先生が上記の調査嘱託申立書を奈良地裁へ提出され、奈良地裁は、当然、藤田先生からの此の調査嘱託申立書を受理するだろう、そうなれば当方も「待ってました!」とばかり、(嘗ては裁判所が意地を張って[不許可]にした)奈良市水道局からの「W氏の水道使用量証明書」の調査嘱託を[再申し立て][再申請]すれば、奈良地裁は(W氏側の「調査嘱託申立書」を許可してしまった手前)、今度は止むを得ず「私共からの調査嘱託再申立」も許可せざるを得まい、私共は『これこそ正しく千載一遇のグッドチャンス』と大喝采した。そして正にその通り、奈良地裁から、漸く(?)許可が得られて、後日、松村・南両先生は首尾よく此の『W氏の水道使用量証明書』を取得され、此の「経過報告書」の随所に「W氏の病的に異常な水道使用量」を(各月毎の具体的数字で)組み入れる事が出来た。これは言わば、藤田先生の上記調査嘱託申立(=『勇み足』『ヤブヘビ』)のお陰である。嘗て旧売主S氏が401号室に居住中に、上階501号室(W氏宅)から頻繁に蒙って居た筈の漏水被害も、更に「501号室(W氏宅)のベランダからヤモリが排水枝管外周を伝って階下401号室(S氏宅)へ這い降りて来た」「だからヤモリを防ぐ為にアルミホイルを詰め込んだ」「漏水被害とは全く関係は無い」などという、旧売り主(=老詐欺師)S氏の[大ウソ・化けの皮]も、これで剥がされてしまっただろう。


H.24.7.31.「W氏の弁護人・藤田先生からの『調査嘱託申立書』を奈良地裁が受理して呉れました」との知らせを、南先生から聞いた。更に松村・南両先生より「再審被告準備書面」が提出された。その抜粋「水漏れはW氏が発生させたものである」「水漏れの頻度について旧売主S氏の主張が『買主B(私共)は一度しか水漏れを見ていない』とするが、水漏れが一度しか無かったというS氏の主張は尋問手続きを経て認定された事実ではなく、その信用性には疑いがある」「1度や2度の水漏れで赤錆が生じることは考えられない」「W氏が当マンション内での異常な言動など」を挙げ、「民法上の不法行為に該当する」。 H.24.8.2.午前10時から奈良地裁で行われる裁判に私共は出席・傍聴した。その際、私共は予て南先生から要請されて居た書類(1.弁護士照会に対する不二建設㈱からの回答書、2.当マンションの重要事項説明書、3.住友不動産販売㈱の販売活動報告書、4.私共が旧売主S氏から当マンションを買付けた際の購入契約書、5.私共がK女史に当マンションを転売(売却)した際の販売契約書、6.住友不動産販売㈱の査定書)等の(いずれも)原本を提出した。 此の時、私共は南先生から「W氏の『水道使用量の証明書』を奈良市水道局から取得する件、奈良地裁の許可が取れましたよ」との報告を受けた。私共は「今度こそ裁判も有利に運べるかも知れない」とも期待したが、一方で「そうなると奈良地裁・大阪高裁のメンツは丸潰れ」だが、結局、両裁判所はマタゾロ『初めから結論ありき』正に『アア言えば��ウ言う』、「そんな新規証拠などは、従来通り、徹底的に無視・握り潰してしやろう」と屁理屈を捏ね上げ、「マタゾロ私共を敗訴させ続けるに決まって居る」と予想した。案の定、両裁判所ともに「W氏が大量の水を使用したからと言って、それが、即、[階下へ漏水被害を齎した証拠]にはならない」と結論付け、結局、私共の不安が現実のものとなってしまった。詳しくは後述する。 H.24.8.28.W氏側の藤田先生より証拠申出書が提出された。W氏の妹君・S子氏に「W氏と水漏れについて知って居る事」を述べさせ、「水漏れはW氏が大量の水を流した為に生じたのではない事」「元々、枝管の詰りが原因だった事」を立証しようとする意図。同日、藤田先生からの要請に基づき、W氏の妹君・S子氏から第2通目の陳述書が提出された。冒頭に「自分はW氏の財産管理人である」と説明し、今までの経緯を報告するもの。該当箇所は日付順に此の経過報告書に既に組み入れたが、原文(全文)は添付DVDに収めてある。第1通目の陳述書に加え、今回の第2通目では、新たに実父母の介護事情を縷々説明し、裁判官の同情心を買おうとの魂胆がミエミエ。嘗て「旧売主S氏vs買主B(私共)」の第一審①で、旧売主S氏が「妻が病弱で、裁判中に死去した」事実を答弁書の中に記載して、宮本初美裁判官の同情心を掻き立て(?)、勝訴の一因とした時と同様か?」と私共は思った。 H.24.8.30.奈良市水道事業管理者池田氏より調査事項(W氏の水道使用量)についての回答が発行された。特にH.20.8月~H.21.5月の10カ月に亘り、W氏の異常な水道使用振りが具体的数字の上で明らかになり、特に旧売主S氏の居住して居たH.19.3月~H.21.3月は正に此の期間内に該当し、S氏が上階501号室(W氏宅)からの漏水被害に如何に苦悩して居たか?これにより、W氏の異常な水道使用振りが具体的数字で明らかになった。此の「W氏の水道使用量証明書」(ダメ押し証拠No.2)と当マンションン「管理日誌」(ダメ押し証拠No.1)、そして私共が既に撮影・収集・提出済みだった数多の漏水被害を示す大判(A4)証拠写真・イラスト・図表などで、奈良地裁・大阪高裁の「S氏が主張する如く『水漏れは1回だけ』だった」「従って本人等(売主S氏・買主私共B夫婦・水撒人W氏)、証人(仲介人・マンション管理人)、その他(当マンション住民諸氏)の出廷・尋問は一切必要無し、証拠調べも必要無し」との裁判所・裁判官諸氏等が一貫してゴネ続けた判断・判決は、全くのインチキだった事が証明された(筈だった)。
H.24.9.5.私共から陳述書を提出した。W氏の妹君・S氏は「水漏れは(W氏がベランダに大量の水を撒いたからではなく)排水枝管の瑕疵��はないか?」と主張して居るが、「これは枝管の瑕疵ではなく、W氏自身がベランダの排水溝・排水口に何でも捨てて枝管内を木の葉・ゴミ類でビッシリと詰まらせ、その状況でベランダに大量の水を撒いた事が原因である事」。一方、W氏自身は既に当時からマンション管理人に対して「もう二度とベランダに水は撒きません」とマンション管理人には再三・再四、謝罪・約束して居り、漏水被害に対する自己責任を認めて居た。また私共がH.21.4.15.に初めての「漏水シャワー」を食らわされて以来、今日まで毎週3~4回の頻度で401号室を訪れ、漏水被害程度の調査をして居たが、その度に☆③の排水枝管クランク部からほゞ毎回、漏水が滴り落ちるのを目撃して居り、私共以外にも、それぞれ異なる人物(それ等の方々の氏名を挙げれば、最初に当マンションを私共B夫婦に紹介して呉れた近鉄不動産㈱武内聖介氏(同氏は、実は上階501号室からの漏水被害を旧売主S氏から聞き知って居たにも拘らず、勝手に「大した事は無かろう」と判断して、売主S氏と買主私共B夫婦との「売買契約書の物件状況等報告書」欄に『漏水被害無し』『浸水被害無し』と書いてしまった」と正直に私共に告白して呉れた人物である)、当時のマンション管理人岩井昭雄氏、その後任・佐藤秀司氏、ダスキンターミニックス奈良北店セールスマネージャー西久保明男氏、住友不動産販売㈱尾崎真実氏ら)が異なる時期に排水枝管☆➂部の漏水を目撃・現認して居る。当マンションではW氏の病的「水撒き癖」は有名で、当マンションの殆どの住人はW氏の「水撒き」はじめ異常な言動振りを知悉して居る。それにも拘わらず、旧売主S氏の弁護人・藤本先生や、W氏の弁護人・藤田先生はじめ奈良地裁・大阪高裁いずれもが「漏水は(実質的には)たった一度きり」「売買契約を撤回するほどの理由にはならない」「生活には何ら不都合はない」と主張して居るが、これ等について私共は承服できない、と言う趣旨である。 H.24.9.7.南先生から私共に電話があった。「来る10月12日(金)午前10時から奈良地裁へ貴方に出廷して貰う事になりました。一方、W氏は出廷せず、妹君・S子氏が代理出廷する事になります」同時に南先生は「奈良市水道局から『W氏の水道使用量証明書』を裁判所経由で受け取りました。これを見ると、W氏は何カ月にも亘って、普通人の10~14倍、全く無茶苦茶に大量の水を使用して居ますね、ハハハ、これじゃあ『単なる水道栓の閉め忘れ』との言い逃れなど、とても通用しないと思いますよ」とも話された。

(若し、上階501号室からの漏水が、W氏の主張する『単なる水道栓の閉め忘れ』に因るものならば、これは清潔な水道水であるから、階下401号室の枝管クランク部・スノコ(目皿)部に強烈な赤錆が、そしてベランダ床面・壁面にしつこいシミなどが頻発する筈は無い。これ等の赤錆やシミは明らかにW氏宅(=501号室)のベランダや排水枝管内の詰まりゴミ・溜り汚物成分を多く含有した汚水、更にW氏がベランダにバケツで頻繁に(而も長期間に亘って)撒き散らし続けた排水・汚水に因る赤錆・シミであった事、容易に推察される)。私共から南先生に問い合わせの電話を掛ける事は屡々あるが、温厚・寡黙な南先生から私共に電話が掛かって来る事は極めて珍しい。「斯かるグッドニュースは一刻も早くB夫婦(私共)に知らせてやろう」との南先生の心遣いか?それとも「W氏の『大量水撒きの決定的証拠(ダメ押し証拠No.2)』を首尾良く取得できた事により、勝訴の可能性が出て来た」と予想されたのか? H.24.10.12. 奈良地裁で私共に対する口頭弁論が行われた。私共は過去の経過を正直に有りの侭に答えるだけだから気楽だった。一方、S子氏に対する口頭弁論および本人調書で、S子氏は「H.20.9.8.付け管理日誌にある『501号W氏 水道使用量対前検針より12倍」とあるのを指摘され、S子氏は「兄(=W氏)は、当時、痔を患っており、トイレで大量のトイレットペーパーを使用するので、それで詰まったのではないかと考えています」と回答したが、これは明らかにウソである。「痔を患って居た」との医師の診断書も無く、ましてや「患者は痔を患って居るが故に、トイレにスルメ・箸・昆布を流さざるを得なかった」などと言う診断書を書いて呉れる医師など居るか?トイレが溢れるほどトイレットペーパーを流し続ける者が居るか?もっと早く気が付きそうなものだ。痔の所為だけでトイレットペーパーを流し続けたのならば、何故、スルメ・箸・昆布が溢れ出て来るか?S子氏は永井尚子裁判官の前で「真実を述べます」と宣誓して居ながら、平然と斯かるウソを吐き、更に「今現在(階下の401号室に)住んで居られるK女史(=女性薬剤師)が、パイプ詰まりを管理組合に申し出て(近畿衛生技研㈱に)修理して貰ったという事なので、パイプの詰まりが原因だと思うので(=それじゃあW氏以外の一体誰が(501号室の鍵を所持して居ないのに)ワザワザ501号室に入り込んで、其のパイプを詰まらせたのでしょうか?当マンション竣工時(H.19.2.23.)から早々と501号室を購入し、それ以来ズット501号室を独占所有・占有し続けて居たのはW氏だけ、其の501号室内に入り込んで、枝管を詰まらせる事が出来るのは、W氏以外には誰も居ません!)、私は兄(W氏)の水漏れ(=水撒きの事か?)に因るものとは思って居ないので、訴訟は認められません」と反論、更にS子氏は更に「パイプは初めから詰まって居たのです」などとシラバクレて「兄(W氏)が水を撒いたのが直接の原因とおっしゃっているので、その事実が本当にあるのかどうか、パイプの詰まりを後に入った人(=K女史)が(近畿衛生技研㈱に)直して貰っているという事なので、本当は初めから詰まっていたんじゃないかと思うんです。そこまで徹底しなくて入居されなかったんですけれども、それで訴えられるのは、ちょっと不本意です」とS子氏は「階下401号室への漏水は兄(W氏)が水を撒いたからではなく、パイプの元々の詰りが原因です」と述べた。(然し、パイプの元々の詰まりが原因ならば、当マンション全体で28所帯、全体で63本ある排水枝管のアチコチに、最初から[枝管詰まり]が発生した居た筈である。私共がH.22.4月に実施した全28所帯に対する聞き取り調査では、「排水枝管が最初から詰まって居た」などと答えた所帯はゼロでした。それを「パイプの元々の詰まりが原因です」などと主張するとは!W氏自らが自分の病気(=統合失調症)から501号室のパイプを(長年に亙るゴミ類投棄で)詰まらせ、其処へ更なる汚水・ゴミ類を撒き散らせた張本人である事は明白である。弁護士諸先生方・裁判官諸氏は例によって「ベランダは風雨に曝されており、外界から木の葉・泥・土・ゴミ類が入り込む事も有り得ると考えられるのであって…」とか「W氏が実際に木の葉・泥・土・ゴミ類をベランダの排水溝・排水口に捨てて居る現場を、B夫婦(私共)は目撃しては居ない」「B夫婦の主張を裏付ける証拠は全く存在しない」などと反論されるかも知れないが、これ等は他のページで私共が纏めて反論したので、此処では再度反論する煩は避ける。
S子氏は更に続けて「なお、現在の訴訟で、購入価格から転売価格を引いた金額と慰謝料を含めて、700万円の請求をされている事には、そういう事が不満です。兄(W氏)が水を撒いたことが原因だと思わないので、納得が行かないんです」と主張した。W氏からの漏水被害を受けて居た401号室はH.23.4.23.に私共B夫婦からK女史に売却されたが、其の上階のW氏宅501号室はH.23.10.11.に近畿衛生技研㈱によってパイプ菅の高圧洗浄を受け、漸くパイプ菅の詰まりが解消されたが、同社の武本和也氏は「私達は最初(当マンション竣工時=H.19.2.23.)から当マンションの点検を請け負って居ますが、此の5年間(=正確には4年8ヶ月)で当マンション内の排水枝管を高圧洗浄したのは、今回(此の501号室)が初めてです」と語って居る。即ち、当マンションの竣工以来、此の5年間(=正確には4年8カ月)で当マンション内で排水枝管を詰まったのは501号だけであり、漏水被害を受けたのは真下の401号室だけであった事実から「W氏以外に501号室の枝管を詰まらせた者、且つ同室のベランダに大量の水を撒いて階下401号室へ漏水被害を齎した者、その張本人は、結局、W氏以外には誰も居ない」という事実は上述の通り明らかである。
H.24.10.15.私共は当マンション管理人佐藤秀司氏を訪ね、「当マンションでは、最初はマンションの点検人が不二建設㈱だった筈なのに、一体、何時から如何なる理由で近畿衛生技研㈱に変更になったのですか?」と尋ねた。同氏は「H.22.3.18.に岩井昭雄氏から私が当マンション管理人職を引き継いだ時には、点検人は既に近畿衛生技研㈱になって居たので、私は変更時期・変更理由などは知りません」と答えた。嘗て近鉄側はヤバイ存在として(漏水被害の実情を知悉する)岩井昭雄・前管理人を更迭し、今回も(『此の排水枝管は嵌め込み式なので補修できません』『マンションではベランダに大量の水を撒いてはいけないのですよ』などとブッキラボウに不誠実・突き放した回答で漏水被害訴訟沙汰を引き起こす一因を作った)不二建設㈱を、近畿衛生技研㈱に切り換えたのも、いずれもヤバイ存在を切り捨てて置こう」との魂胆だろうか?
H.24.10.16.私共は、近鉄大和高田駅前の喫茶店で近畿衛生技研㈱担当者・武本氏と面談、前述の事情(H.23.10.11に501号室の枝管内を高圧洗浄し、枝管内の『詰まり』を清掃して階下401号室への漏水被害問題を無事に解決した事情)を詳しく話して貰った。 H.24.10.26.奈良地裁でW氏および私共との和解勧告が行われた。然し、W氏側より「和解は拒否、飽く迄も正式裁判で決着を付けたい」との要望が有った。だが担当裁判官はH.24.2.17.の「④旧売主S氏に対する再々審」で『モノスゴイ判決理由(=屁理屈 )』を羅列、私共をヤスヤスと敗訴させた張本人・永井尚子裁判官その人である。W氏側の藤田先生は法律のプロであって「永井尚子裁判官の本件の過去一連の『インチキ裁判・オソマツ判決』振りを知悉して居り、此処は『なまじ和解よりも飽く迄も判決を望む』方が遥かに有利だ」と計算・判断されたのであろう。「W氏側が『和解を拒否』すれば、結局、永井尚子裁判官は飽く迄も正式判決を出さざるを得ないが、永井尚子裁判官は(今迄の行き掛り上、今更『私共B夫婦の逆転勝訴』の判決などを出せる筈が無く)、此処は何が何でも、今まで通りに『W氏の勝訴』『B夫婦(私共)の敗訴』の判決を出さざるを得まい」「これで十分に勝算あり」と計算された藤田先生の作戦だろうが、こんな簡単な計算・推測ならば、法律のプロ(=藤田先生)でなくても、法律の素人(=私共)でも容易に計算・推測はできる。そして実際に(私共の推測通り=案の定)の判決(=W氏側の勝訴、私共の敗訴)が出てしまった。 漏水被害を示す数多の大判(A4)証拠写真、イラスト、W氏の異常な水道使用振り・水撒き癖・トイレ詰まり・ゴミ不法投棄など・多くの不法行為を記した管理日誌(ダメ押し証拠No.1)、奈良市水道局からの「W氏の異常な水道使用量証明書」(ダメ押し証拠No.2)、岩井・佐藤両管理人の言葉、当マンションおよび近隣住民諸氏等の言葉、そしてW氏の(統合失調症による)病的な言動を示す妹君・S子氏の2通の(ウソまみれの)陳述書など、多くの証拠があり、而もH.24.10.12.の口頭弁論では「501号室の枝管の詰まりは(物理的欠陥などではなく)W氏自身がゴミ類で枝管を詰まらせ、其処へW氏自身が水を撒いて階下へ漏水させた」という事実も明らかになった���も拘わらず、永井尚子裁判官は、嘗て旧売主S氏に対する再審④で『モノスゴイ判決理由(=屁理屈)』を羅列し、ヤスヤスと私共を敗訴させた手前もあり、『自分が嘗て担当した裁判・下した判決は、飽くまでも正しかった』と固執せざるを得まい。私共の予想通り、永井尚子裁判官は壇上から私共を見下ろして『実はね、上階(501号室のW氏宅)から階下(401号室の私共宅)への不法行為(=漏水被害)を立証するのはね、実はね、これは大変に難しいのですよ!』などと、マルッキリ『上から目線』『私共を見下し』て、まるで幼児でも諌めるような口振りで、私共(=オイボレ夫婦)の顔を見詰めながら、ニッコリと微笑み掛けた。私共は「此の永井尚子裁判官は『少し頭がオカシイ』(=[バカ]じゃなかろうか?)と思った。それとも頭から私共を完全に嘗め切って居るのか?何故に私共(=オイボレ夫婦)に向かってニッコリと微笑み掛ける必要があるのか?永井尚子裁判官としては、個人的には「裁判所・裁判官諸氏等のメンツを死守する為とは言え、斯んな無茶苦茶な判決理由を示して置いて、内心忸怩たるものがあるのであろう!そこで([照れ隠し]の為か?)仕方なく私共に対してニッコリと微笑み掛けながら「実はね、斯んな不法行為(=漏水被害)を立証するのはね、これは、とても難しいのですよ」だなんて!「一体、何が、そんなに難しいのか?」、(以下は私共の想像であるが)恐らく永井尚子裁判官は私共に向かって「だから此の判決を不服として控訴・上告など、そんなツマラナイ事なんかするのは止めましょうね!そんな事などしても、何にもなりませんよ!無駄ですよ!」とでも言いたかったのか?私(夫)は永井尚子裁判官の『余りの予防線・逃げ口上』に呆れたが、勤めて平静を装って『何がそんなに難しいのでしょうか?』と永井尚子裁判官に質問し、同席の南弁護士先生に窘められた。だが私(夫)の本音を言えば「裁判官様、そんなに難しければ、御自身が直接に現場へお越しになって、実際に現場を現認されては如何でしょうか?また原告・被告・多くの証人など全員出廷させ、詳しく証言させ、尋問されては如何でしょうか?私共から提出した数多の証拠類も今一度詳しく検証・精査されては如何でしょうか?そうして正規な裁判手続きをお取りになれば、本件のような単純な裁判では、何もかもがスッキリと明らかになり、いとも簡単に解決します。チットも難しい事なんか無いと思いますよ!」とでも発言したかったのだが…。プロ野球でも、監督・選手が審判の判定を不服として抗議した場合、審判は「伝家の宝刀」「退場!」を命じる場合もあるが、それでも数万人の観客が環視して居る中、(特に最近ではビデオ判定も採用されて居り)審判と雖もイイカゲンな判定は出来ず、無暗に「伝家の宝刀」「退場!」を命ずる事は出来ない。然し(本件のような単純・チャチな裁判では)法廷では別に衆人環視して居る訳ではなく、正に担当裁判官の言いたい放題・やりたい放題、若し、私(夫)が永井尚子裁判官に向かって上記の如き発言でもすれば、先刻、私共にニッコリと微笑み掛けたばかりの永井尚子裁判官は、恐らく形相一変(?)、烈火の如く怒り狂って(?)、直ちに私共に法廷侮辱���(?)を適用し、「伝家の宝刀」「即刻・退廷!」を命じられた事であろう。此処は南先生のアドヴァイスに従って、私(夫)は大人しく黙らざるを得なかった。 H.24.11.28. W氏の弁護人・藤田先生から準備書面が出された。「B(私共)はW氏が水を撒いている姿を現認している訳ではないので、W氏が大量の水を流した事は何等立証されて居ない」と反論。(これ等については既に纏めて反論したので、此処に再度反論する煩は避けるが、W氏の『統合失調症』なる病気からしても、W氏が周囲の住民に迷惑を掛け続けて居た事は、ダメ押し証拠No.1 およびNo.2からも容易に把握できる。実際、岩井昭雄(前)・佐藤秀司(現)管理人によれば「当マンションの住人で、同氏の異常行動・迷惑行為、特に『水撒き癖』は有名で、管理人はもとより、当マンション内の住人で、それを知らぬ者は殆ど居ない。 20013(H.25)年 H.25.1.25.奈良地裁から判決が出た。その判決書より抜粋「W氏の水道使用量が増加したからと言って、W氏が501号室のベランダに大量の水を撒いたとは認められない(=[案の定]だった、正に『アア言えばコウ言う』訳だ!)」「錆であれば、その発生には湿度や材質も影響すると考えられ、501号室からの頻繁な水漏れがあったと事を認めるに足りる証拠とは言えない」「上記アルミホイルが詰められて居たからと言って、501号室のベランダから頻繁な水漏れがあった事を認める証拠とは言えない」「再審原告が501号室のベランダに頻繁に大量の水を流した事を認めるに足る証拠とは言えない」etc.etc.(これ等の判決理由に対して、私共は既に纏めて詳しく反論したので、此処に再度反論する煩を避ける)。
嘗て、(1)私共から「漏水被害を示す数多の証拠写真」「ヤモリ糞の写真」「犯人のマヌケな足跡写真」「S氏のウソまみれの主張・捏造工作を立証する写真・イラスト」などを多数提出しても、裁判所からは「こんなものは信用できない」として全て一蹴・徹底的に握り潰され、原告・被告・証人等を一切出廷・尋問・証言させて貰えず、(2)裁判所が「K先生からの調査嘱託」を頑なに不許可にした筈の「マンション管理日誌(ダメ押し証拠No.1)」は、その後、松村・南両先生によってヤスヤスト入手されて裁判所に提出され、(3)また裁判所が松村・南両先生に対しても、当所は頑なに不許可にして来た「奈良市水道局の『W氏の水道使用量証明書』(ダメ押し証拠No.2)」までもが、藤田先生の『勇み足』『ヤブヘビ』のお蔭で首尾よく取得でき、これも裁判所に提出された以上、(4)最早(永井尚子裁判官にとって)あとに残された判決理由としては「W氏の水道使用量が通常の10~14倍にも達して居るからと言って、ベランダに大量の水を撒いたとは認められない」正に「アア言えばコウ言う」「何とかして『自分が下した原判決は正しかった』『裁判所のメンツを守らなくては!』と必死に御苦労されて居る」様子がアリアリ、それ以外の数多の証拠写真・イラスト・岩井・佐藤両管理人等の証言、S氏・不二建設㈱等の無責任な主張、S氏・S子氏等の卑劣な捏造工作などには、一切言及せず無視した侭であった。「これ等はいずれも、何等、正規の裁判手続き(原告・被告・証人等の出廷・尋問、証拠物件の精査、裁判官諸氏らを始め関係者らの現場確認など)を経て判決されたものでは全くない。担当裁判官諸氏等の恣意的独断的な判断に因るものばかり」これでは幾度(たとえ100回)裁判を繰り返しても無駄だ」と私共は観念した。私共は矢張り「控訴するしか他に方法は無い」と考え、松村・南両先生に控訴手続きをお願いした。 H.25.1.29.「マンション管理組合つれづれblog」に下記のような記事が載って居た。

この記事は「賠償命令判決取り消し マンション水漏れ再審」の中で、本件を担当した奈良地裁の永井尚子裁判官は「男性(W氏)が統合失調症の為に訴訟能力が無かった」「男性(W氏)は(掃除の為に水を流しただけであって)不法行為は無かった」(=ウソばっかり!)W氏は自分の病的性格から何の意味も理由も無く、単にアチコチに大量の水を撒き散らして居るだけ、決してベランダを頻繁に掃除するほどの几帳面な人間ではない事、既述の通りである)として既に確定して居た判決(H.23.6.7.付け判決③)を取消し、住民(私共B夫婦)の請求を棄却した(H.25.1.25.付け判決⑦)」との内容だった。然し、 永井尚子裁判官は、私共が既に奈良地裁に提出した:(1)W氏が齎した漏水被害を示す数多の証拠写真・イラスト・図表など、(2)W氏の病的な言動(特に水撒き癖、ゴミ不法投棄等の数多の不法行為)に因る漏水被害を記載した「マンション管理日誌」(ダメ押し証拠No.1)、(3)W氏の病的なまでの大量水道使用振りを立証する「奈良市水道局からの(W氏の)水道使用量証明書(ダメ押し証拠No.2)」等を徹底的に無視、握り潰し、而も自分は一度も現場検証・確認に来る事も無く、然る後に下したのが此の逆転判決であった。永井尚子裁判官が、たとえ一度でも現場検証・確認に来て(例えばH.22.1.21.に私共が第2回目漏水シャワーを食らわされた)現場の惨状(=此の現場写真は既に前掲した)でも現認して居れば『男性に不法行為は無かった』『通常の範囲を逸脱して居たとは言えない』などの大ウソは付けない筈だ。然し、結局、永井尚子裁判官は最後まで一度も現場検証・確認に来る事なく、まるで[何事も無かった]かのようにスマシ顔で、斯んなウソッパチ記事を堂々と載せた侭だった!
H.25.3.21.奈良県弁護士会から(本件とは直接関係は無いが)K先生に対し、「弁護士としての品位を失うべき非行に該当する」として懲戒処分が下された。この事実はH.25.4.23.付け「官報」(弁護士懲戒情���)にて公開された。嘗てK先生は宮本初美裁判官を「問題ある裁判官」と酷評されたが、今度は、そのK先生ご自身が奈良弁護士会から「品位を失った弁護士」と酷評されて懲戒処分を受けた。これまた何とも皮肉である。


H.25.3.27.私共の弁護人・松村・南両先生から大阪高裁へ「控訴理由書」を提出。その抜粋「原判決は401号室ベランダでH.21.2.3.とH.21.4.15.の少なくとも2回は501号室からの排水により水漏れが生じて居る事、401号室の排水枝管に赤錆が生じて居る事、被控訴人W氏が通常の水道使用量の12倍もの水を使用して居て、501号室において水道を出しっ放しにしていた事を認定しており、原判決認定の各事実からすれば、被控訴人が日常的にベランダへ大量の水を流し、それにより401号室ベランダに水漏れを生じさせて居た事は明らかであるにも拘わらず、被控訴人W氏がベランダに排水していたとは認められないとして、不法行為の成立を否定している点で誤りがある」「そもそも水漏れが一度しか無かったというS氏の主張は、尋問手続きを経て認定された事実ではなく、その信用性には疑いがあるが、少なく後も被控訴人W氏はH.21.2月とH.21.4.15.の、僅か約2か月の間に2回も水漏れを発生させており、その後、401号室で生活する事を断念せざるを得なかった控訴人Bが管理の為に401号室を訪れた際にも排水枝管から水が滴り落ちている様子、あるいは排水枝管の下に水溜りが出来て居る状況を見て居り、少なくともH.21年以降に被控訴人が501号室ベランダに大量に水を撒いて401号室に頻繁に水漏れを生じさせて居る事は明らかである」 H.25.4.16. W氏側からの「控訴答弁書」より抜粋「B(私共)はW氏に会った事もなく、水を撒く音も聞いた事は無い、と供述しており、W氏に苦情を述べたり、管理人に報告した様子は窺えない」「B(私共)の主張を裏付ける証拠は存在しない」(これ等については既に纏めて詳しく反論したので、此処には再度反論する煩を避ける。ただ藤田先生は『B(私共)はマンション管理人に漏水被害などを報告しては居ない』『漏水被害を裏付ける証拠などは存在しない』などと本当に思って居られるのだろうか?今まで私共が提出した訴状・数多の大判(A4)証拠写真・イラストなどを全然読んで呉れては居ないのか?私共が幾度も岩井昭雄・佐藤秀司の両管理人に「上階501具室からの漏水被害」を訴え続けて来た事実、そして管理人が当マンション理事会でも501号室からの漏水被害を幾度も報告されて居た事実を御存知ないのか?どうか、私共が提出した各種訴訟資料などを、今一度詳しく念入りにお読み下さるよう御願いする。確かに「弁護士は何が何でも依頼人を弁護し、何が何でも訴訟相手を遣り込めるのが弁護士本来の仕事である」かも知れないが、これはチト酷過ぎる。 H.25.5.10.奈良地裁・大阪高裁共に「飽く迄も原判決は正しかった」「漏水は一度だけで、契約解除する理由にはならない」「従って原告・被告・証人などの出廷・尋問・証言は一切不要」「Bが提出した証拠類は信用できない・採用できない」との立場を固持し続ける以上、私共は苦し紛れの『非常手段』として、今回の漏水被害の全貌と、過去一連の全裁判の全経過・資料をマスコミ(テレビ・新聞・週刊月刊誌等)を通じて世間に広く公表して貰い、世論に訴える事を思い付いた。そして「斯かる裁判・判決を、世間・世論は如何に判断・評価して呉れるでしょうか?私共は人間として静かに聞いてみたい」と付記した拙い陳述書を作成した。此の陳述書は大急ぎで既にH.25.3.20.に書き上げたが、それからH.25.5.10.に至るまでの約2カ月間、私共は何ら読み直しをしなかった。(今回、読み直して一部を書き直したのが、此の「経過報告書」である)。だが私共は「こんなバカなマネをしても良いのだろうか?」と考え直した。裁判官諸氏から「一介のオイボレ夫婦づれ(私共)が、天下のエリートである我々(=裁判所・裁判官)をオドス気か?何たる無礼千万!」と受け取られはしないか?迷ったが「此の侭では幾度(たとえ100回)裁判を繰り返しても、時間と費用の無駄だ。絶対に勝てない」と考え直し、『ダメ・モト』で、結局、陳述書を提出する事にした。但し、これは飽く迄も上記一連の裁判・判決に深く絶望した私共が、苦し紛れに思い付き、勝手に書き上げた陳述書であり、私共を弁護して下さった松村・南両先生には全く関係無い、という事を今一度、念の為に申し添える。 私共は「裁判所・裁判官は、言わば『相撲の行司』『ボクシングのレフェリー』である」と単純に思って居た。だが此の行司・レフェリーは、当方の攻撃手段(証拠写真・イラスト・ダメ押し証拠No.1 & No.2など)を徹底的に無視して(=封じて)使わせて呉れず、���手側の反則(二転・三転・四転・五転するのウソまみれの主張・卑劣な捏造工作など)は一切お構いなし、而も両力士・両ボクサーを土俵・リングに上がらせず、勝負をさせて呉れず(=法廷に出廷させず、尋問・発言・証言は不許可)、最初から『判決・結論(=相手の勝ち・当方の負け)ありき』を固執、これを覆す怖れある材料は全て排除するとは!私共が『取り直し』『再試合』(控訴審・再審・再々審)を要求しても、後を引き継いだ行司・レフェリーが、いずれも「前取組(=前試合)の判定(=判決)結果は全て正しかった」と固執。これでは最初から全く勝負にはならない。相撲ならば勝負検査役から「物言い」が付くだろうが、今の侭では宮本初美・永井尚子・両裁判官は正に「やりたい放題」「言いたい放題」。これでは宮本初美裁判官の創案した『インチキ裁判・大作戦』の蒸し返しである。これは最早とても裁判ではない。嘗てK先生が「宮本初美裁判官の余りのワカラズヤ振りに愛想を尽かし、サッサと私共の弁護を中途で抛り出して(逃げ出して?)しまった時、私共は已むを得ず奈良市内の弁護士事務所・数か所を訪れて「私共の弁護を引受けて下さい」と相談したが、殆どの弁護士諸先生方は「飽くまでも裁判所・裁判官が正しい(?)」「貴方(=私共)が間違って居る(?)」と発言され、恰も「依頼人よりも寧ろ裁判所・裁判官を弁護する」かの如くであり、「御引き受けできません」とアッサリと断られた。然し、中にはポロリと本音が出て「それでは裁判所・裁判官を正面から敵に回す事になる」「そんな事など出来ない」「私は自信が無い」そして「裁判官も人の子、その心証を害するような言動は絶対に慎みなさい」と私共にアドヴァイスをして下さった弁護士先生も居た。だが「裁判官も人の子」だからと言って「こんな恣意的・無茶苦茶な裁判・判決を下しても良い」という事にはなるまい。而も、仮に私共が「裁判官の忌避を申し立て」などを行っても、到底、受理される筈も無い。
だが弁護士諸先生は、何故、これほどまで裁判所・裁判官を敵に回す事に逡巡されるのであろうか?裁判官諸氏は公務員として身分が保証されるが、弁護士諸先生方は民間人として「裁判所・裁判官に楯突き、睨まれてしまっては、将来、当該裁判所・裁判官から『報復的イジワル(?)』を蒙り、今後の御自分達の『弁護士としての職業活動』に多大の支障を来たすであろう」事を怖れられるからだろうか?但し、これは飽く迄も(法律の素人である)私共のアテズッポウであり、本当の理由など私共には到底分からない。また松村・南両先生によれば「こんな裁判・判決は、上告するだけの理由は、勿論、十分にあるが、然し、たとえ上告しても過去の一連の判決が最高裁で覆る可能性も、差し戻しになる可能性も、いずれもゼロだよ」との事。結局、恰も「病院が組織ぐるみで医療過誤を隠蔽」「警察が組織ぐるみで���認逮捕・冤罪を隠蔽」「学校でのイジメ問題」「職場でのパワハラ・セクハラ問題」などと同様、法曹界でも「身内の不始末・恥(=今回のインチキ裁判・オソマツ判決)を組織ぐるみで隠蔽する」陋習が地裁・高裁だけでなく、最高裁にまで広がってしまって居るのだろうか?私共は唖然と��たが、松村・南両先生は、斯んな陋習・状況を知悉して居られるからこそ、私共に斯かるアドヴァイスして下さったのだろうか?私共は「宮本初美・永井尚子、および両裁判官に賛意を表された裁判官諸氏等の如きは極く少数の例外であって、大多数の裁判官諸氏等は良心的な方々である筈」「いくら何でも最高裁ならば、もっと良心的な裁判官が居られる筈」「だから、もう少しマシな判決を戴けるだろう」と思いたいが、実は私共は嘗て奈良地裁から大阪高裁へ控訴した際に、私共は「奈良地裁と違って、大阪高裁場ならば、担当裁判官が3名も居られるのだから、もう少しマシな判決を戴けるだろう」と期待して、結局、ものの見事に裏切られてしまった苦い経験がある。矢張り松村・南両先生の言われる通りなのだろうか?一体、此の国(=日本)の法曹界は、どうなって居るのか?結局、私共は自分達だけの力で、斯かるインチキ裁判・オソマツ判決を世間に公開・公表して行くしか、他に何等の方法も無い事を改めて思い知らされたのである。今後は、出来るだけ多くの[ホームページ][ブログ]に投稿を続けて行きたい。
H.25.7.19.大阪高裁より控訴棄却の判決が出た。矢張り私共の陳述書が裁判官諸氏の心証を悪くしたか?陳述書は完全無視されたが、さすがに前回の奈良地裁・永井尚子裁判官が下したような『モノスゴイ・呆れ返る』ような判決理由は記載されず、過去の判決理由を単に蒸返しただけのような迫力・説得力に乏しい判決理由だった。その抜粋「Bらの請求はいずれも理由がないものと判断する」「S氏がH.21.2.3.に水漏れに気付いた事や本件水漏れの存在自体から、直ちにW氏が大量の水を日常的に501号室のベランダに流していた事実を推認することはできないほか、本件水漏れ部分を通る排水枝管の曲がり角部分の赤錆様の筋の存在が501号室からの頻繁な水漏れを推認させるものでない事、原判決の通りである(それでは、一体、[上階501号室からの日常・頻繁な漏水]以外の何が原因で赤錆が生じたのでしょうか?私共B夫婦がH.22.4月に行った当マンションの各戸別聞き取り・アンケート調査結果を、裁判官諸氏等はお読み下さったのでしょうか?)。Wが大量の水を日常的に501号室のベランダに流していたのであれば、水漏れが頻繁に生ずる筈であるのに、岩井管理人が水漏れについてH.21.2.3.のSからの相談以外に、相談を受けていた事実を認めるに足りる的確な証拠は見当たらない事(裁判官諸氏が実際に現場401号室へお越しになってツブサに現状を視察されれば、漏水が頻繁に(連日)生じて居る事実をイヤでも現認して戴けるのだが!また前述の通り、マンション管理日誌と雖も、上階501号室からの漏水事故を全件漏れなく記載して居る訳ではありません!)、H.20.8月からH.21.1.月分までの501号室の水道使用量においてはH.21.2月分の水道使用量よりも多い月が存在する事に照らせば、原判決の通り501号室の水道使用量の推移をもって直ちにW氏が大量の水を日常的に501号室のベランダに流していた事実を推認することはできない(=私共が既に予想して居た通りの[案の定の屁理屈]、何とかして[原判決は正しかった]と御苦労されて居る様子がアリアリ!)」「401号室のベランダは構造上、元来、外気に暴露され、風雨が入り込み得るものである。そうすると、本件水漏れが、Wの501号室のベランダにおいて水を流した事によって生じたものとしても、それが直ちにBらに対する不法行為を構成するとまでいうことはできないのであり、他にそのような評価を首肯させるような事実を認めるに足りる的確な証拠は見当たらず、ましてや本件水漏れをもってB夫婦らが401号室に居住することができなくなるようなものであるとまで評価することはおよそ困難である(これ等は既に私共が詳しく反論したので、此処には再び同様の反論をする煩は控えます)」「Bらの請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないから、原訴訟での判決を取消して貰いたいとのBらの請求をいずれも棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって(何が相当(正当)なモノか?)、本件各控訴はいずれも理由がないから棄却する」(何とかして原判決を擁護して裁判所のメンツを守りたい魂胆がアリアリ!)。旧売主S氏(=老詐欺師)・近鉄不動産㈱担当者・水撒き人W氏・マンションの新・旧両管理人らの本人・証人を一切出廷させず、各種証拠類、更にダメ押し証拠類(No.1およびNo.2)をも全て握り潰し、裁判所・裁判官諸氏等は一度も現場検証・確認に来る事も無く、何等の正式な裁判手続きを経ない侭で、一方的に私共を敗訴させた過去の一連の裁判・判決と全く同じだった。これ等について私共は既に纏めて反論したので、此処に改めて反論する煩は避ける)。これは最早とても裁判ではない。
①では原告・被告・証人等を一切、出廷・尋問・証言させず、私共が提出した数多の証拠物件は全て握り潰し、一方では被告S氏のウソまみれの陳述、稚拙・卑劣な捏造工作には全く言及せず、K先生からの調査嘱託申立は全て不許可、更に現場確認に来る事も一切無く、不当裁判・判決を下した奈良地裁の宮本初美裁判官、
②では、裁判所のメンツを守る為か?全面的に宮本判決を支持された大阪高裁の小松一雄、久保田浩史、片岡早苗の3氏裁判官、
④⑤⑥⑦では、ダメ押し証拠No.1およびNo.2を突き付けられながらも懸命に予防線を張り、悪あがきを続け、その一方でモノスゴイ判決理由・相矛盾する判決理由を羅列して私共をヤスヤスと敗訴させ続けた奈良地裁の永井尚子裁判官、
⑧では、矢張り裁判所のメンツを守る為か?全面的に永井尚子氏の判決を支持された大阪高裁の矢延正平、菊池徹、内野宗揮の3氏裁判官、これ等の裁判官諸氏等は、いずれも「天下のエリート=法の番人=裁判官」である。 私共が「旧判決には承服できず、控訴などする都度、(裁判所からの度重なる『不許可』にも拘わらず松村・南両先生の努力の結果、そして藤田先生の『勇み足』『ヤブヘビ』の結果)目新しい証拠類(ダメ押し証拠No.1およびNo.2など)も確保でき、同時に私共は高額の弁護料を捻出する為に正に四苦八苦、『今度こそ裁判所は、きっと此の新証拠類を受理し、公平・公正な判決をして戴けるだろう」と期待をした。だが、結局、私共の全ての期待は悉く、物の見事に裏切られてしまった。裁判所・裁判官諸氏にして見れば「我々エリート(=裁判所・裁判官)にとって、一介のオイボレ夫婦づれ(=私共B)の[台所事情]など知った事じゃない、幾度、裁判が繰り返されようとも、本人・証人らの出廷・尋問・証言などは、従来通り全て不許可、その後、たとえ、どんな新規証拠類が提出されて来ようとも、そんな物は片っ端から徹底的に無視・握り潰して敗訴させてやる。勿論、現場検証・確認にも出向く必要など全く無い。それよりも(組織ぐるみで)我々エリート(=裁判所・裁判官)の権威・メンツを護り続ける方が最重要!万が一にも我々エリートのメンツが潰れる事があってはならない」「オイボレ夫婦づれ(私共B)は、いずれは銭が尽きてしまって、そのうちに諦めるだろう」そして『上階501号室からの「漏水被害」などと言う不法行為を立証するのはね、実はね、これは大変に難しいのですよ!』などと、まるで幼児でも諭すかのように『上から目線で』私共を見下し、ニッコリと私共に微笑み掛けて、極めてワカリヤスイ(?)お説教まで食らわせ、私共を一貫して敗訴させ続けた。全く何という裁判だろうか!

私共が偶々見たインターネット上には「裁判所に期待しないが得策」と言う[書き込み]があったが、これは私共に対して「マスコミに事件を公表するなんて、そんなツマラナイ(=クダラナイ)事は止めた方が良い!」と警告して呉れた関係者諸氏の親切な(?)「御忠告」であろうか?それとも「そんなクダラナイ事をしても無駄だ!マトモに取り上げて呉れるマスコミなど居るものか、バカ共め!」という「お叱り」「嘲笑」であろうか?如何なる意図の下に書き込まれたのか?私共には分からない。
私共は嘗て「裁判官諸氏は、全員が最難関・司法試験を突破・合格された超秀才・超エリートばかりの国家公務員であり、裁判所は、これ等[超秀才・超エリート諸氏]の大集団・全国組織である」とばかり思って居たが、上記の[書き込み]によれば、「必ずしも、そうではない、中には今回のような[インチキ裁判官諸氏]も数多く居られる」と言う事を、今回、初めて知った。つまり今回の一連の裁判だけに限って見れば、これ等の担当裁判官諸氏等は[同僚のインチキ裁判・オソマツ判決]を必死に庇って御自分達(=超エリート集団)の権威・メンツを必死に守り続ける、タダの[税金ドロボー?]集団にしか見えない(ゴメンナサイ!)。
矢張り私共には「上記漏水被害の全貌と一連のインチキ裁判・オソマツ判決の全経過を(マスコミを通じて)世間に広く公表して貰い、世間・世論に訴えて、その評価・判断を仰ぐ以外に解決策は無さそうだ」と思ったが、前述の通り、いずれのマスコミ社にも全て完全無視・ボツにされてしまった。それで今後は(止むを得ず)私共だけの力で、現行の[JUGEM BLOG]に加え、出来る限り多くの[ホームページ]・[ブログ]に投稿を続けて行く予定である。私共の本音を言えば、これ等の宮本初美・永井尚子の両[問題有る裁判官]は勿論、両氏の判決に[一も二も無く]賛意を表された裁判官諸氏等は、全員が[懲戒解雇]、[法曹界から永久追放]こそ相応しい、と思うが、世間・世論・識者は如何様に判断されるであろうか?是非、御意見を伺って見たいと思う。
以下、(No.13)へ続く
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俺を、《先生や大人に媚びることを人生の目標にしている人物》とみなしていたらしいのを弟のツイッターを見て知ったことがある(相互ではないけど存在は了解し合っていたアカウントで言ってた)(俺をTwitterに誘ったのも弟だった)
好だった人が、彼とは正反対の属性の女性と結婚してほしいなどよくわからないことを明に暗に連射したのだが、「てめぇに女の趣味があるのなら自分で口説けや」というのは後から思った(男女の差異はないほど良いと思うので、男女の区別なく三人称単数として彼を使うようにしている)
常温常圧超伝導体、一体何者なんだ
精通した瞬間に初音ミクのアンチになって初音ミクアンチ心の十字架を背負い続けてきたという気負いがあって…(もう和解したんだからいいだろ…)(嫉妬はあったけど羨ましいと思っているわけでもなくて…)
本当に好きだったり趣味だったりすることほど人と話したくないし、食物の味の話とか親ともしたくない(家庭菜園のトマトと店のトマトのどちらがうまいのかしきりに聞いてくるし、味が違うのはわかるけどどちらが美味しいのかはわからないと答えるとお前が好きな方が美味しいと答えてくるけど好き嫌いす...
アニメキャラに揃えた髪色とかにしたことを報告する女性には ははは という気持ちになってしまうね 色々な人が行き交うのが人生というものだから
「恋とは結局は一種の混乱でありつまらないものなのですが…」から人間を口説き始めるのってありなやつですか?
恋が続かないとしても 成就させたのであれば 愛は責任として続ける必要があるんじゃないですかね ただの勘ですけれど 愛は素晴らしく神に祝福されるべき感情だとは思いますよ、愛は当然、素晴らしいでしょうね
愛と恋(恋は走性というか傾向というか、情緒活動のない下等生物が生殖のために誘引される情動の影響下にある欲望や活動で、愛はまあ、他に言いようがないから諦めてそういうけど、高尚な感じがするよね、ただの感じだけれど)
恋は逆張り(ジョジョ読んでわからん…って言ってる人に『最近運命と三位一体のことがわかってきて日本人として産まれたからにはキリスト者でも天皇は敬わないと〜』みたいなことを行っていたら、ブロックされていた回)
具体的なビジョンなんざ自分も持たないくせにことばに酔ってわかってるポーズだけ取ってるやつに比べたら、若い子は革命なんか目指さずのほうが少しはマシだろ(現実生活では体制維持に寄与してんだろに)(ポリアモリーの実践に賭けるツイッタラーも、そういう芸人枠の気はするけど…)
食事に関するツイートをしないという掟を勝手に作り、これを施行していたため人から不信を買ったこともあった そんなに気にすることのあるなら直接言ってほしい 空リプとかじゃなくて そういう気恥ずかしさがあるのだ
ネットで革命の言葉が粗雑に扱われる様子になんかプリプリしながら救世主待望願望を準備もしないで念じているくらいがヘサヨの実情のくせになんか言葉を使うときの威勢だけはいいから混乱させてるんじゃないの…?
「メリトクラシーによる経済的圧死で弱者が滅びるのも滅びの美学です…」くらいの虚無思想に殉じている無党派層がまあまあいるってだけの気がする?
だいたいフランスで一人死んだからこうなってるわけじゃなくて色々積もったからこうなってんのに、その歴史性を無視して「人一人の命の重みをフランス人だけがわかっている」とか抜かして義人ぶってたら、誠意と理解のどちらかが欠けているようにしか思えない
『同等に扱う』でも満足しなくて『同じものとして呼ぶ』を要求するので国語辞典の編纂権でも求めているのか…?という段階ではある
エロコンテンツのレイプものに快楽落ちが多い傾向にある理由を推測できない人間、推理小説とか読めるのか?(気持ちよく終われるからだしポルノを気持ちよく読むことの何が悪いんだよだし反証なんて男狩りぐらいでいいじゃん)
浪漫て語源ローマじゃんwwとか擦ってくるダビデ父さん、割と嫌(fgoくんの話)(アイツなら悪堕ちすることもまあ得るかもしれんと思っていたダビデと、気が付かれないようにアーチャーをシカトしていたロマン、湿度)
俺がⅠコリント13:4~13に拘る理由は同じだけど。それで何か満足したか?ボンクラどもが
プラトニックぶっているだけでいいのかしらという気になってきたと言うか、実際プラトニックぶったりすることは堕落であってお前はプラトニックなど何も求めてないのだから別人に突っ込めばいいだろ、という気もするの��けれど、何重にも卑怯な気もするしな
会いたいと言ったら好きな人に会ってもらえる程度の人間関係強者がツイッターについてわかったようなことを語らないでほしいというインターネット・魂がある
オルフェンズ見た後に身体不全セックスが母胎姦見たいな話をしていたら好きな人との距離感がおかしくなって全部破滅したんだよなという八つ当たりの気持ちになっている(別に俺だけが悪いわけでもよそだけが悪いわけでもないから仕方ないけど)
別にいくらでも友達でもなんでも外にいるやつがTwitterのことで深刻ぶってんのが一番ムカつくんだよな、健やかに生きている人が健やかにツイッターから離れることは祝福するけどもよ
友達の多い人間が「友達は当然いくらでもいるけどTwitterのモブ共にも風情があってさー」みたいなことを申し上げられているのが一番ムカつくよ
私にも好きな人に好かれたいというただそれだけの純粋な想いで、Twitterのすべての一挙一動に気を遣っていた頃があったが、そのようにしても好かれ好いた人に嫌われることがあるのだということを受け入れながら人は成長する物語だぜなのだ 遠い昔のことのようだ
俺の事が好きらしい人が二人いて、どういう意味で好きなのかよくわからないし別々だから別々にコミュニケーションしていればいいだろうと思っていたら複雑な理由で好きだったらしく、端的にまとめるとぶつかり合って対消滅して俺が傷ついた愛と感動の物語もツイッターのおかげで体験できたことだし…
エースの本読んでて思ったこと:アメリカの感覚だと多分にゃるら大先生もインセルかエースか論でエースに分類されてしまうし、にゃるら大先生クラスの本物の男でインセルならもう終わりだよ
思想的領土で考えればアメリカもイギリスも共産系も嫌だといえば、そしたらもうイスラムかインドくらいしかなくない?
ムカついたときの語彙が「死刑」だの「殺してやる」だの「絶対に許さない」だの「社会的に許されない」だのみたいな、非常に限定された極端なものしか持ってない上にその偏りにも気が付けない貧弱な知性の持ち主、そういうのがよくも一丁前に人様を憎んだりできるものだね
暇な人間がやることが性と政治しか残らないのなら、まあその2つが繋がってしまうのは仕方ないんだなぁ(宗教とか物語弄りとかは、まあ派生物にしか過ぎないか…)って感じ
ある意味では、彼に何ら新しさはない。男たちは女たちを支配するのに長らく恥の感覚を用いてきた。…その賢さは、彼が戦術をアップデートし、ローレンのアセクシュアリティを…政治とアイデンティティ意識に…彼女が人生について理解したいと願うものに、直接接続…
恋、トータルで見れば(あ〜俺を振るなんてセンスねーなーケッ!)くらいで死に覚えで強くなっているような気がしないで���ない(恥ずかしさの蓄積で恥ずか死したくなる感情も日に日に積もりゆくけど…)(恥ずか死の感情、完全になんもしてなくても積もるので最悪)
だし、その向きでの発言をするだろうな…
プリコジン氏がプーチンに美味しい食べ物を提供する技術で成り上がったの、『やはり人類、いや穢れたこの地上世界の諸悪の根源は味覚格差…!』、みたいな気分になってきませんか?(ご都合陰謀論は辞めなさい!)
黄金時代とか言う単語を用いるに際して歴史用語の話とかまでしたがる変なやつだったからジャンプ黄金時代にやたらこだわっていた人に振られた気がしてきたけどどうせ気のせいだろ(人生は色々あるわね)
新本格、ニコニコ大百科眺めてたら笠井潔はわかるな〜って思った、あとは容疑者Xとか京極先生…
多目的トイレがばんばん増えるせいで女性用トイレが減らされているの、それ自体は端的に事実なのにこれに対する《政治的に正しい》価値観はこれみたいのをやたら押し付けようとするのも変だしプライベートスペースが確保されないのが嫌というのは最低限保証されるべき生理的感情の範疇に入れてないの?
トランスジェンダー関連でまず主張があるという時点で、【何らかの(全般の?)価値観や決定について男らしい/女らしいという規準と比較して、評価する】という、結構奇妙なこだわりに一家言ある特殊な価値観の人だという感じがする
俗流世代論くらいだとゆとり世代とさとり世代の間の時期に若者だった(今のZ世代だと完全に他人事)けど、やんちゃしてる同世代の若はバイトテロしてたのに精神性だけで常人ぶるには悟りに近い精神性を必要とされる世代、世界歴史基準だとヌルゲー寄りなの、キツイ
オタク最前線がエロゲから全年齢ラノベになってさらにはジャンプ〜ボカロ辺りに移行しオタク大衆化が始まり始めた時代生まれって感じが、次世代に対して普通にある
鵺、ありがちな展開をとにかく音速で突破し続けるので一体何を見せてくれるんだ…という期待感が存在し続ける
他人がいちいち首尾一貫していないことが気にかかって仕方がないという場合、人類愛がその興味の根源なんだろうか それとも優越心を持って嘲笑しているだけなのだろうか
医学部の勉強をするまで『世の中には極端に性格の悪い人がいること』に気がついてなかったのなら勘所が悪いし医学部の勉強でそう言われたらへー今知った!のテンションになってたらそれはそれでなんかおかしいだろ(けど俺もちゃんとそういうの知ったの犯罪心理学の本読んでからな気もするかも)
俺はコールしたらレスポンスしてくれる相手しか好きになれないけどね(お前本当にそういうのやめろよ)
お気持ち(感情論でも何でもいいが)といったら揶揄になってなんか��位に立てる風潮、あるのならよくわからないと思っている(感情以外に重要なものってあるの?よりにもよってネットバトルで)
鵺、気分がよかったらたまに読んでたマッシュルとテンポ似てる気はするからマッシュルがいい感じに円満終了してそこの需要を吸えるといい感じにサクセスできるかもしれない…!(全部無駄なただの軍師ツイート)
インターネットで好きになった人(①)、性別誤認するくらい俺のことがどうでもいいなら執着するのやめるか…で関心を止めたのでアレが一種の煽りだったのであれば悲しいすれ違いだとそれはそれで未練がましい思い込みに一点掛けしている
もうそれはそれでいいよくらいにオーバーキルでボコボコになってんだからせめて反維新系くらいに軸足を考え直した上で政治思想の足場固め直しなさいよ
今最も速そうな女性配信者(実写)でアングラでもなさそうな人って結局たぬかな先生だと思うけど、瀬戸内寂聴のスピリッツ
共産党とカメラで埼玉県がぐちゃぐちゃの話題 と 一夫多妻制の問題点を危惧するおじさんの提言 が流れてくることを 面白いと評する か 気が狂うと懸念する どちらを取るかだろうね
物語を読み返すとかいう行為、意外とそんなにやることなくない?くらいだったが失恋してうじうじしながら気がついたら駈込み訴え開いて読んでて猛烈感動して俺は正しいと思ってたことあった笑
道路や公園の規制が厳しいのは警察が頑張っとるねえってことだし警察にお守りやってもらいながらやる左翼運動があるか?っていう
手間を掛けないでちょっと手間ををかけてそうな一枚絵がぽこじゃか召喚できるAIとかダイトウしちゃったのがあまりにもすごくて前とおんなじようにインターネットで騒げないよ、というのは全体の雰囲気として漂うところなのかもしれない
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戦後の事件簿 「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた 図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった 1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した 1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない 1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した 1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した 1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した 1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている 1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した 1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された 1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した 1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた 1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した 1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪���前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って���出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった 1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された 1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された 1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった 1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された 1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた 1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動���続けた 1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された 1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した 1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した 1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と���生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された 1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した 1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った 1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した 1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた 1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した 1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された 1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している 1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった 1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から���家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した 1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるに���至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない

1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者��手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった 1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った 1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した 1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した 1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した 1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した 1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった 1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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「Club SLAZY」というオリジナルの舞台があって、みんなに見てほしいと思いながらTwitterで主張してたのですが、長くなり過ぎたのでこちらでまとめます。
基本情報
全部で6本の作品(1つは外伝的扱いだがここではまとめて語ろうと思う)とスペシャルライブというおまけ的な公演がある。ライブと言っているが6作目のその後が描かれており楽曲中心だが実質的に7作目にあたる。
「Club SLAZY」「Club SLAZY the 2nd invitation」「Club SLAZY the 3rd invitation」「Club SLAZY the 4th invitation」「Club SLAZY~Another World~」「Club SLAZY the final invitation」「Club SLAZY Special live」
以下1作目〜6作目と書いていきます。無印が1作目、AWが5作目、finalが6作目です。スペシャルライブはスペシャルライブかSPlive。
他に1作目と2作目の間にあったライブ「LUV SLAZY」、3作目と4作目の間にあったライブ「LUV SLAZY II」という公演がある。スペシャルライブに比べると演じているシーンは少な目でライブが中心。円盤化していないので自分の記憶にたよるしかないけど、少し触れるかも。IIは曲だけプレイボタンで発売されました。
更にスペシャルライブの後にTVドラマにもなっているがキャパオーバーのためこの記事では触れないと思う。
メインスタッフ紹介
脚本・演出 三浦香さん。この世界を創造したまさに神。この作品は三浦さんの脳内のアミューズメントパークに私ら部外者の観客が招待されているのだと思っている���最近テニスの王子様ミュージカルで演出補をしてらっしゃると思ったら最新作ではついに演出・脚本をやることになったとか。熱い。
脚本 伊勢直弘さん。3作目からの参加ですが、3作目で人気が出て4作目でブレイクしたと言われてるこの作品にとってとても大切な人。
振付 當間里美さん。意味が分からないくらいカッコいい振り付けをする人。刀剣乱舞ミュージカルでも振付してます。
作詞作曲 ASUさん。意味が分からないくらいカッコいい曲と歌詞を作る人。この作品の根底を支えてると言っても過言ではない。まあとにかく聴いてください。
私はClub SLAZYのことが大好きだ。しかしCSL(略称)を見てると「ひょわぁぁぁ………すき……」みたいな感じで偏差値が落ちて語彙がなくなり、他の人にプレゼン出来るような冷静な状態ではなくなってしまうんだ。
例えば「クラブスレイジーとは何か?」という根本かつ初心者向けの説明をしようとすると、ゲンドウポーズで「クラブスレイジー……それが一体何なのか、実は未だにさっぱり分からんのです……誰か教えて」って言い出す。それが私だ。
「Club SLAZY」はメンズキャバレーの名前である。店のパフォーマーは全員男性。客は全員女性。招待制で、「ガーネットカード」と呼ばれる赤い封筒に入った招待状がないと行くことが出来ない。
招待状を送る相手は店の支配人が決めている。
招待状を送る基準は「つらくて惨め」「悲しい」状態であること。スレイジーは店のパフォーマンスで女性の心を慰めるのが目的なのだ。
ところでこの店、お代をもらってないのだ。無料なのだ。慈善事業なのだ。
それで「この店のそもそもの存在目的は何?」ってならない? 私はなったね‼️
支配人の他にオーナーがいる。オーナーがあやしい。悲しい女性の涙を集めて何をするつもりなんだ。それとも他に真の目的があるのか? 謎のまま物語は進む。支配人はZs(ジーズ)、オーナーはX(エックス)といいます。
もしかしたらジャンルはファンタジーなのかもしれない……多分ファンタジーだ。異世界の話かもしれない。この作品の世界は大まかにアンダーワールド(私たちのいる現実世界)、Club SLAZYという異空間(招待状がないとたどり着けない、キャストも自由には出入り出来ない、料金も取らずに営業してるこのキャバレーは、異空間なのである)、「トリ」というもう一つの異空間の3つに分かれている。スレイジーやトリは天国や地獄のメタファーなのか? そう単純な話でもない。
Club SLAZYは沢山のパフォーマーがすごい歌とダンスを繰り出しくる。曲も歌も振り付けもすばらしくて、これらだけでも元が取れる。各パフォーマー毎に持ち歌がある。そうでない歌もある。舞台では完璧なパフォーマンスを魅せる彼らは実は舞台裏ではダメダメで、不思議ちゃんで…と変人揃い。
そんな酒浸りだったりナルシストだったり弱気だったり人見知りだったりと、色々ダメな男たちが、日々衝突したりしなかったりしながらダラダラ暮らしてるっぽいです。そういうのを楽しみます。
舞台でソロパフォーマンスが出来るのは上限5人なので、その枠を競い、更に5位の中で順位を競ってもいる。
表向きはそんな風に競争社会を基盤にしたシステムの店になってる。
でも実際はそうじゃないんだなあ。
男社会の闘争を繰り広げてるふりをした女社会の話だなって勝手に思ってる。で、理不尽な父性を象徴するXはどこまでも異物なのだ。
ほら、全然簡単に説明出来てないよこの人‼️
えー……プレゼンしようとすればするほどドツボにハマりますね。ストーリーにとても癖があるので、ノリについていけない人にとっては「何だこりゃ」になるし、好きになった人にとっては「最高ぉぉぉ‼️」となる。見る人を選ぶ作品かもしれない。でもついてこれなかった人も声を揃えて「歌は曲も歌詞もとてもいい。ダンスもいい」ってゆいます。全編オリジナル楽曲なのですが、歌いいんですよー騙されたと思って見てくれ。もしかしたらお話も気にいるかもしれないですし。ぜひー。キャストもいいよ。キャストもいい‼️ 見てくれ‼️(語彙は死んだ)
Club SLAZYには千子村正(ミュ)、燭台切(ステ)、博多(原作の声優さん)ととうらぶ界隈でお馴染みのキャストが揃ってるよ! 真田丸で信之の息子を演じた役者さんもおるので大河ドラマクラスタも見て。「レディ・プレイヤー・ワン」に出たハリウッド俳優もおるんやで。洋画クラスタもついでに見て。
Club SLAZYの登場人物はみんな弱っちい。何だか自分のことのように思えるんだ。特に社会で働き始めたはいいけど、男と同じ扱いはさせてもらえず、理不尽な世の中に悩んでる女性には。本当の気持ちを隠してたり、愛する人と別れたり、有象無象の試練を前にして座り込んでる人たちに、寄り添ってくれるんだ。……って、勝手に思ってるんだけど。私はDVDをヘビロテしてしまっていつのまにかこんな風に考えるようになったんだけど、普通の観客は違うのかもしれない。分からん。Club SLAZYのことを私は何も分からない。
Club SLAZY を好きな人たちは自らを「檻民」と称していた。これは3作目の中で登場人物がClub SLAZYという店を「小さな檻の中」と称したことによる。しかしその後5作目で公式に「386」という通称が登場する。以来私たちは自らを386と呼称している。「みはる」と読みます。
スレイジーは作内で何回か舞台上での早着替えがあるんですが、どれもいいんだよね〜。特に4作目冒頭のOddsさんのが好き❤️ 魔法少女ものの変身シーンに匹敵するエモさだと思っている。
言い忘れてたんだけどこの店ではソロパフォーマンスを許されたトップ5の実力者を「レイジー」と呼称しています。レイジーになるべく頑張っている見習いパフォーマーは「ニュージャック」パフォーマンスをしない店の裏方スタッフは「ミスティック」と呼ばれてます。上下関係はこう。
オーナー・支配人>レイジー>ミスティック>ニュージャック
ゆえあって引退した元レイジーには「キングダム」という呼称あり。と言ってもキングダムの話はあまりない。
レイジーは更に序列があり、高い順にトップエース、セカンドエース、サードスター、フォーススター、ファイブスターという称号があります。なぜ5番手だけフィフススターでないのかは私も知りません。
ニュージャックを経て実力を認められるとレイジーになるような感じだが、ニュージャックにならずいきなりレイジーになる人もいる。確認されている中ではCBがニュージャック経験者。Bloom、DeepとEndはニュージャックを経ていない。また、レイジーになった後も並んで順番に上に上がっていく訳ではなく、順位の変動で逆転するケースもあり、極端な例だとBloomはいきなりセカンドエースになっている。ごぼう抜きである。
登場人物紹介
Act(あくと:大山真志)。歌とダンスが圧巻のナンバーワンパフォーマー、トップエース。お話の中で色々とあって、店を後にした。彼がいなくなった後のトップスターはセカンドエースのBloomが兼任している。別の世界では戦国大名(大泉洋)の正妻(吉田羊)の息子をやっている。
Bloom(ぶるーむ:太田基裕)。レイジーの2番手であるセカンドエースの男。色気と歌唱力で客を魅了するが、舞台裏に戻るとやる気のなさにいつも死にたがってる。おばけになれたらいいな〜とか言ってる。かなり重篤な天然の不思議ちゃん。トップエースに相応しい実力を備えた彼がトップの座を固辞するのは何故か。単に面倒くさいからか。それとも❓ 別の世界ではすぐに脱ごうとする刀剣男士をやっている。
Cool Beans(くーるびーorくーるびーんず:米原幸佑)。サードスター。マジで万年サードスター。彼がレイジーになる前のサードスターはOddsだったが、それ以外の人は作内で一度もサードスターだったことがない。圧倒的3番手。俺様主義で自分大好き。全ての観客が自分のパフォーマンスのあまりのすばらしさに失明すると思っている。「クラブスレイジーのマシンガンナルシスト」と評される彼のパフォーマンスは完全に陽キャラパリピのそれ。その実怖がりで寂しがり屋。周囲の人間の不和に何よりも怯える心優しい意気地なしである。本人は常にトップエースになりたがっているが、「やる気のないやつとは勝負したくない」というポリシーのためBloomとは戦いたがらない。Actには「2番手になってから言え」と相手にしてもらえない。理不尽。それゆえに万年サードスター。そんな彼は全386から愛されてます。私も愛してます。
Deep(でぃーぷ:加藤良輔)。フォーススターつまり4番手のレイジー。勤勉とは程遠く隙あらばさぼりたいと思っている大酒飲み。似たような傾向のあるBloomと仲が良く、ノリが違いすぎるCBのことは���手らしい。しかしそんな彼にも色々な過去があり、これからも色々起こるのだ(分からん)。
End(遠藤/えんど:井澤勇貴)。恋人に振られた男。彼女が確認もせずゴミ箱に捨てたガーネットカードを手にしたばっかりにClub SLAZYに迷い込んできた狂言回し(1作目のみ。以降は一レイジー)。そのカード多分元カノ宛のやぞ。周囲にボケが多いのでツッコミ役に回らざるを得ない業を背負ってる。いつの間にかSLAZYで働いていて、やる気もそこそこある模様。Deepが彼の教育係になったが、実際にはEndが酔い潰れたDeepを回収する係である。歌と踊りが上手く、すぐに他人のナンバーをカバーしたがる傾向あり。欠番になってたファイブスターに就任。迷い猫を保護したばかりにひどい目にあう。トラブル受難体質。
Fly(ふらい:才川コージ)。レイジーを目指して日々努力するニュージャック。CBが教育係をしていて、何故か彼のことを崇めている。歌担当みたいに出てくるけど実際は筋肉担当(中の人筋肉番組出演履歴あり)。
Graf(ぐらふ:後藤健流)。レイジーを目指して日々頑張っているニュージャック。Flyと同じくCBが教育係。兄弟弟子立場にあるFlyとニコイチ扱いされることが多く、しかしふたりともそのことには不本意なようだ。メガネをしてるけどインテリ系ではなくダンス担当。ダンスが半端ない。まじでダンスを見てくれ。何故か彼もCBのことを崇めている。
Q(きゅー:法月康平)。ミスティックのリーダー。私は多分Q連続体から来たんじゃないかと思いますね(トレッキー向け)。指を鳴らすとあるべきものがあるべき場所へと飛んでいく。Qだよ。めっちゃQだ(詳しくは新スタートレックをご覧ください)。誰に対しても優しいが特にCBに優しい。この人も途中の話で色々あります。物語の最初からいましたみたいな顔をしてるが初登場は2作目。
Zs(じーず:藤原祐規)。店の支配人。現役時代はセカンドエースで、不真面目な勤務態度についてトップエースであるYaにとやかく言われていたっぽい。Yaがいなくなった後トップエースになるように当時の支配人Xに言われるも固辞。セカンドとトップを兼任とか言い出した(実質はトップエース)。その後いつのまにか店の支配人をやる羽目になる。そんな経緯があり、支配人業もあまりまじめにやってる様子がない。そこそこ。爪を隠すタイプの能ある昼行灯系キャラ。ガーネットカードが間違って遠藤の手に渡ったのは明らかにミステイクである。本来男の手には渡らないものなのだ。
Ya(やー:大須賀純)。Zsの好奇心がきっかけで店を去った当時のトップエース。Zsと違って性格は真面目。色々あって店から去り、店に再訪してから色々あってまた店を去った。「愛は幻」はEndでなくYaの持ち歌だと思ってます。別の世界では大阪城で小判を沢山収集する刀剣男士をやっている。大阪城特効ではマジでお世話になってます。
1作目は店に道場破り(?)に来たYa、何か思うところのあったAct、「不思議の国のアリス」のアリスのように店に迷い込んでしまった遠藤の3人が軸になるお話。
King(きんぐ:渡辺大輔)。Zsが現役のレイジーでトップ兼セカンドだった時にフォーススターだった男。Zsが現役を引退した時にZsに実力を認められてトップエースになる。当時のメンバーは伝説と称されていて一時代を築いたっぽいんですが、メンタル弱めなとこが穴になってしまった。突然店から姿を消した。ところが消えた彼を探すものは誰もいなかった。
Odds(おっず:藤田玲)。Zsがトップ兼セカンドの時にサードスターだった男。Zs引退でセカンドエースになった。トップエースになりたがってたが残念ながらKingがトップに選ばれてしまった。しかしセカンドエースをやってるうちに日和り、やっぱセカンドエースがいいなあ‼️ と思いながらやってたのにある日彼のトップエースKingがいなくなり、やる気を失って彼も店を辞めた。Zsさんと違って怠惰ではないが、ちょっと頭のネジが緩いところがある。kawaii。猫アレルギー。別の世界では新撰組の残党を連れてTo the Northしている。
Peeps(ピープス:山下翔央)。ニュージャック。何やら目的があって店にいる模様。
2作目はキングダムであるKingとOddsの元に手書きの招待状届き、2人が店を再訪する話である。2人が店を辞した時のいざこざをちゃんとしたい者がにせのガーネットカードを使い呼び寄せたのだ。
Riddle(りどる:森崎ウィン)とReti(れてぃ:INZ)。ある日突然店にやってきた謎の2人組。店のみんなは彼らを知らないが、彼らは店のみんなのことを知ってる。それどころか昔のことまで知ってる! 一体何者なの⁉️ 2人ともパフォーマンスがかなりエグい。人と話すのが得意ではないという割に明るく人懐こいのがリドル。別の世界では仮想世界の中に隠されたイースターエッグを仲間と探してる(監督・スピルバーグ)。無口でミステリアスなのがレティ。
X(えっくす:石坂勇)。かつての支配人。Zsが支配人になった時に引退。そしてオーナーになった。それまでオーナー誰だったのよ。気になる。Xがオーナー兼支配人だったのかもしれない。現役の時代をちょっと見たいよね。オーナーポジションで店ではパフォーマンスしないけどソロの持ち歌はあり。腹に一物ありそうで何かと不穏なムーブをする。自分で指名した割にZsの怠慢な勤務態度に不満がある模様。
千と千尋みたいな世界観があるっぽくて、「名付け」が特別な意味を持つっぽい。RiddleとRetiは乱入してきた後に居合わせたオーナーXが名前を付けた。ZsやOddsはXが、CBあたりはZsが名付けた。支配人クラスでないと名付けられないような感じ(何もかも推測)。
ふらりとBloomが姿を消したある日、トップもセカンドもいないSLAZYに謎の2人組が現れて…というのが3作目のお話。この回から脚本が2人体制になりました。2人でどのように分業をしてるか分かりませんが、三浦さんの味は残したまま脚本がパワーアップしたというのがもっぱらの評価。
DooBop(どぅーばっぷ:倉貫匡弘)。寄るべない身の上の兄弟の兄。色々あってSLAZYに来てニュージャックになり、Oddsが彼の教育係になる。同じ時期に店に来て同じくOddsが教育係になったCBとは兄弟弟子である。この2人もニュージャックの頃やたら教育係のOddsを崇めていた。どこかで見た構図である。
Jr.(じゅにあ:大森夏向)。寄るべない身の上の兄弟の弟。兄と店に来た後はミスティックになる。というか子供だったのでミスティックに育てられる。名前も彼だけ例外中の例外でミスティックが付けた。別の世界では妹に「鬼いちゃん」と言われるほど怖い兄だったがあえなく戦死(監督・片渕須直)。
8と9(ハチとキュウ)。2人のミスティック。ミスティックは名を持たず、数字で個体分けがされている。数字が若い程責任者としての地位が高い。つまりえらい。8と9はDooBopと一緒にやってきたJr.に名前を付け、彼を育てた。名前がシングルなのでかなりえらいはずである。1番えらいのは「1」な訳だが、メタ的なことをいうと三浦香さんのことではないかと思っている。
4作目はDooBopとJr.が店に来たところから始まり、過去の回想と現在が行き来する(2作目もそうだった)。現在の方の冒頭でキングダムのOddsが支配人Zsに呼び出され、Zsが店にいない間の代理支配人に任命される。Oddsは最初は戸惑うが結局満更でもない様子で引き受ける。Kawaii。私が好きなOddsさん早着替えはここ。Zsさんと違って割とちゃんと支配人の仕事をやろうとする。
V.P.(ぶいぴー:Kimeru)。Actがトップエースになる前、ファイブスターだった時期のセカンドエース。サードスターのCBの扱いがひどい。一方当時のトップエースWillにはとても献身的。だが彼の愛が大切なものをこわしてしまう。このくだりはSLAZY全編を通した中でもかなりの悲劇。
Will(うぃる:東啓介)。V.P.の時代のトップエース。彼には先見の明があるとV.P.は評している。彼も紛れもなく圧倒的実力を持ったトップエースなのだが、セカンドエースの重い愛を受けながら店を引っ張るにはいささか繊細すぎた。色々あって店を去る。別の世界では眼に眼帯をつけた脚が3mある刀剣男士をやっている。
Eyeball(あいぼーる:長倉正明)。メインは5作目だが地味に1作目から登場しているネームドキャラ(その時は松本祐一さんがニュージャックと兼任でやってました)。優しいけど気が弱く、自分勝手なレイジーたちの間で一生懸命場を取り持とうとしてた苦労人。彼も色々あって色々あるのだった(分からん)。1作目で登場と書いたが、姿を変えて4作目にも出ていたということが暴露され、386は5作目でめちゃくちゃ高低差のあるジェットコースター気分を味あわされたのである。恐るべし三浦香。
5作目は1作目で店を去ったActが店を再訪するところから始まる。彼がファイブスターだった過去の時代のエピソードに不穏にXが絡んでくる。余談ながら当時の順位は上から順にWill、V.P.、CoolBeans、Deep、Act。
6作目には新規のキャラクターはいない。Actが居なくなったあと長らく空位であったトップエースに新たにレイジーが指名される。誰が新しいトップエースになるのか? あなたの目でご確認ください。
シャドウ。正確には人の名前ではない。支配人にのみ存在するイマジナリーフレンド的存在。支配人本人以外に彼らを見ているのはQのみである。Qにはなぜ彼らを視認する能力があるのかは分からない。多分Qのミスティックリーダーとしての資質を現しているのだろう(何もかも推測)。ZsのシャドウはGrafの中の人が兼任している。4作目で新任支配人になったOddsにも彼のシャドウが現れる。支配人はレイジーたちに比べると責任を負う立場ゆえ、第2の自分が現れてしまう、という設定らしい。彼らは自分の本体の支配人の味方であるが、実利的に役に立つ存在ではない。だがたまにとても重要なことをする(ときがある)。
以下色々感想や解説。
Club SLAZYという物語の持つエモさについて。Club SLAZYは男同士がクソデカ感情をぶつけ合ってる作品と思わせておいて、デカい感情をそっとしまって好きな人と好きな人の幸せを願ったり、好きな人が悲しまないように誤解されたまますっといなくなったり、居場所が欲しかっただけなのにどうしてこんなことに…とか、過保護な親の干渉から逃れようともがいたりとか、そんなような物語である。ぶつけ合ってる場面もないわけではないが、逆に他の人の幸せのために自分のデカい感情をそっとしまってしまう男の方に涙する。エモい。一方選択を重ねた結果望まない別離を経験する男たちもいる。エモい。
名付けについて追記。Jr.の名付けは例外と言ったが、よく考えるとキングダムのYaに名付けられたEndも例外だった。
衣装について。ステージ衣装は基本形に対しキャラごとにアレンジが入り、かつニュージャックはスタッズ少なめ、レイジー多めという差別化がなされている。シャツの色は黒だが過去の話に出てくるレイジーはベージュ色のシャツを着ている。Xが支配人の時代にレイジーになった人たちはベージュ、Zs時代になってからは黒という分け方っぽい。ミスティックは多少サスペンダーに違いはあるが基本的にみんな同じ服装である。リーダーのQは少し違う服を着ている。
トップエースだけは赤い羽飾りを身につけることを許されている。悲しき女性の涙を貯めると言われてるガーネットという謎のマジックアイテムも持っている。近くに悲しんでる人がいると光る。どういう仕組みなの。謎すぎ。
謎のアイテムといえばZsのステッキである。1作目では先が赤く光るギミックが付いていたが、2作目から光らなくなった。代理支配人になったOddsもステッキを持つが彼のそれは間違いなく武器である。華麗なステッキ捌きに客のハートが撃ち抜かれるのだ。恐るべし代理支配人。
80〜90年代のバラエティ番組の系譜。(執筆中)
繰り返される別離というテーマ。(執筆中)
SLAZYのキャラは自分自身に能動的な人、受動的な人に分けられる。(執筆中)
「セカンドエース」という母性についてあるいはせめぎ合うマチズモとフェニミズム(執筆中)
私のSLAZY履歴。見た順番が少し行き来している。LUV SLAZY IIの後の4作目公演までのテンションが半端なかった。(執筆中)
ありがとうClub SLAZY。4作目の初日を見た時の多幸感が忘れられない(執筆中)
楽曲紹介(執筆中)
「Garnet Star」「あなたは知らない」「Crazy Girl」「魔法のホウキ」「The Ranway Pierrot」「愛は幻」「Circus」「The Midnight parade」「DRUG」「Khorosho!」「The Curtain Song」「Patient of love」「Peeps gospel」「Show Business! 」「Slave March 」「Lonely Boogie」「Marionnette」「FAKE」「The Broken Ferris Wheel」「サヨナラ」「Serenade」「Thema of SLAZY」「A to Z」etc...あかん全然書ききれてないな。もっとある。
この記事を誰よりも伝えたかったあなたへ。個人的な友人への弔意なので読まなくてもいいです(執筆中)
書き途中でーす‼️
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分��死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生��イベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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8/28(金)より全国順次公開の映画『ようこそ映画音響の世界へ』へ寄せられた、超豪華推奨コメントをご紹介!
(敬称略/順不同)
LiLiCo(映画コメンテーター)
萌えたぁ!職人の気持ちに感動しっぱなし!
彼らの頑張りを体感したらあなたも映画をもっと愛してしまう!
これは観なきゃ損!
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樋口真嗣(映画監督)
視覚と違って聴覚は任意に遮断する方法がないので、目を閉じても耳から映画はとめどなく入ってくる。
だから映画にとって耳から入る情報は、映像以上に作り手の意図を挿し入れることができる。
現実にない映像の説得力は、その映像のクオリティよりも音響によって決まるのだ。
歴史の節目にあらわれる革命の数々———
そこに関わる関係者の言葉は音響に対する自信と愛情と信頼が溢れている。
とてつもなく嬉しいことばかりで彩られている素晴らしい映画だ。
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押井守(映画監督)
セルジオ・レオーネの傍らにエンニオ・モリコーネがいたように、不肖この私にも川井憲次と若林和弘がいましたし、
いまも一緒に仕事をしています。なぜかと言えば「映画の半分は音響」だからなのです。
彼らの存在なくして映画を語ることはできません。彼らの存在なくして映画監督の仕事も成立しません。
その当たり前の事実を、この映画はたいへん面白く伝えています。映画の正体に興味のある人には、お薦めの一本です。
それにしても、苦悩するカントクに較べて音響スタッフたちの楽しそうなこと!あれが「映画に魂を吹き込む」人間たちの顔なのです。
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阪本順治(映画監督)
映像と音響、このふたつが“同等”に相まって映画はできている。が、鑑賞時、聴覚にあまり意識が行かぬことも。
『ようこそ映画音響の世界へ』を観れば、音響のマジックを知ることとなる。地道すぎる作業と、その種明かしにもびっくりだろう。
耳を澄ませれば、銀幕には違う世界が広がる。そんなことをこの作品は教えてくれる。本作を観た後と前では、映画の楽しみ方が
変わるに違いない。映画を愛するひとは、もうひとつの愛し方を見つけてくれるだろう。是非、劇場へ!
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鶴田法男(映画監督)
『トップガン』の戦闘機の爆音はライオンや猿の声で迫力増量。『スパルタカス』の兵士の鎧の音は車のキーの束の音。
デジタル全盛の時代に、いまだ創意と工夫のアナログ魂が息づいているのが映画音響の現場。本作を見終わったとき、
あなたは耳でも映画を観ることが出来るようになり、あなたの好きな映画がもっともっと愛おしくなる。必見!!
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宇野維正(映画・音楽ジャーナリスト)
映画館で映画を観る最大の理由は、音響にある。本作を観れば、それがどうしてかがわかるだろう。
「映画の音は錯覚のアートだ」という言葉に込められた映画の本質。そのいかがわしさに魅せられた、すべての人へ。
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春日太一(映画史・時代劇研究家)
本作には、名作映画にたずさわってきた音響スタッフたちが登場します。
彼らの語る創意工夫の数々を聞いていると、映画は監督だけが作っているものではないこと、
映画は映像だけではなく音も重要なファクターであること……がよく理解できます。
映画の奥深さに触れることができ、既に観た映画もまた改めて見たくなる。そんな作品です。
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荻野洋一(番組等映像演出/映画評論家)
レストランで食事をする時、一皿一皿の伝統、食材、産地など心得ていると、いっそう食事の楽しみが深まる。
映画の楽しみ方もまだまだ未開拓。そのことを『ようこそ映画音響の世界へ』は雄弁に教えてくれる。
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樋口泰人(映画・音楽評論家)
今後映画を観るときにほんのちょっとだけ耳を澄ましてみるといい。
たったそれだけのことでわれわれの視界は鮮明になりどこまでも広がっていくはずだ。
そしてわれわれはいくつもの新しい人生を生きることになる。出会いと驚きは映画の中で無限に生まれ続けているのである。
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小沼純一(音楽・文芸批評家)著書:「映画に耳を 聴覚からはじめる新しい映画の話」
歴史的な軸、個別の切り口(声・環境音・効果音・音楽、等など)で語られる「映画音響の世界」を体験すると、
映画にむかったときのあなたの耳は、以前とはべつのものになっている。
映画音響の歴史はさほど長くないから、生き証人の声がきこえるのもうれしい。
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泉哲也(オーディオビジュアル総合サイト StereoSound ONLINE)
映画の感動の半分は音にあった! そんな単純だけど大切なことに、改めて気づかせてくれる必見作。
映画音響スタッフの努力を知ってからお気に入りの作品を見返したら、これまで以上の感動に出会えること間違いなし。
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長門洋平(映画音響研究)著書:「映画音響論――溝口健二映画を聴く」
聞こえているけど聴いてはいない「映画音響の世界」への最良のガイド。
映画の音というものがどれだけ「不自然」なのかということがよく分かる。
この作品をとおして映画の聴き方、というか見方がまた変わりました。
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吉田俊太郎(翻訳家)翻訳:「映画の瞬き[新装版] 映像編集という仕事」、「映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話」
真に人を虜にしてきた映画作品のほとんどが音響を単なる付属物として扱わずに芸術の核として中心に据えていたんだなぁと
改めて実感。音響デザイナーたちのそれぞれ独創的でイマジネーション豊かな創作過程を垣間見れるのもとても楽しい。
映画制作の舞台裏に興味のある方にはもちろん、クリエイティブな日常を過ごしたい万人に勧めたくなる、
創作脳がビリビリ刺激される映画でした。
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賀来タクト(映画&映画音楽関連文筆家)
ウォルター・マーチがいなければ『地獄の黙示録』のヘリも飛ぶことはなかった。
ベン・バートがいなければ『スター・ウォーズ』も嘘くさい親子チャンバラだった。
ゲイリー・ライドストロームがいなければ『トイ・ストーリー』もただのおもちゃごっこだった。
音で映画を本物にした音響三銃士の活躍がここに!
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岩代太郎(作曲家)代表作:『Fukushima 50』(20)、『新聞記者』(19)、『レッドクリフ』シリーズ、『殺人の追憶』(03)
父の命が終わりを告げようとした時、主治医が私に「聴力は最後まで残っていますから話しかけて下さい」と囁いた。
人生は「音」に始まり「音」に終わる。映画も又、同様だと気づかせてくれる貴重な作品だと思う。
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川井憲次(作曲家)代表作:『イップ・マン』シリーズ、『機動警察パトレイバー THE MOVIE』シリーズ
当たり前ですが、映画は映像と音でできています。
音とは、セリフ、効果音、音楽ですが、それらを丁寧に説明してくれるこの作品は素晴らしかったです。
映画を支えるサウンドチームはそれぞれ役割が異なるものの、それらが一つのサウンドトラックになっていく課程は、
今まであまり紹介されていなかったと思います。
特にフォーリーと呼ばれる現実音でも、実際にはない音を工夫して効果的に作られていたりして、実に興味深かったです。
実際にない音を入れるのは音楽も同じで、実は正解がありません。ただ監督やプロデューサー、そして作曲家の好みや勘で作られているんです。私は作るたび、これでいいのかなあ・・・と毎回超不安になりますが、きっとこの映画に出てくる人もみんなそんな気持ちで作っているのかも・・・と自分に言い聞かせることにしました。
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菅野祐悟(作曲家)代表作:『太陽は動かない』(20)、『カイジ ファイナルゲーム』(20)、『マチネの終わりに』(19)
この映画を観ると、これから映画を観る時の楽しみ方に、新しい視点が一つ加わるのではないかと思います。
僕はこれから映画音響チームの一員として、より一層、映画音楽の作曲に真剣に向き合い、味わい尽くしたいと思います。
そう思わせてくれる映画でした。
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世武裕子(映画音楽作曲家)代表作:『星の子』(20)、『風の電話』(18)、『日々是好日』(18)、『生きてるだけで、愛』(18)
大事なこと全部詰まってる!
映画館行ったことない人にも、映画を愛する人にも等しくワクワクさせてくれるドキュメンタリー映画。
普段は映画の音楽だけを作っていますが、映画の「音」の秘密は実はもっと深くて壮大◎
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岩浪美和(音響監督)代表作:『ガールズ&パンツアー 劇場版』(15)、『劇場版 ソードアート・オンライン−オーディナル・スケール』(17)
音を知れば映画はもっと楽しくなる!映画音響をめぐる冒険者たちの挑戦が数々の名作と共に語られます。
この偉大なる冒険譚をぜひ劇場の音響で体験してください!
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えびなやすのり(音響監督)代表作:『プロメア』(19)、『劇場版 NARUTO-ナルト- 疾風伝』(07)など
まず僕たちがいる業界に入ってきた人に見てほしい。
あなた達がこれからどんな仕事をするのか、今やっている事がどんな意味を持っているのかわかる事でしょう。
次にこの業界に携わる音響以外の関係者に見てほしい。
音を革新的に良くすることは音響の情熱だけでは如何ともしがたいことに気づいて欲しい。
「音?モノでいいじゃん」この台詞を何度言われたことだろう。
是非良い音響の映画館で見て欲しい。サラウンドの何たるかが分かるでしょう。
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鶴岡陽太(音響監督)代表作:『映画 聲の形』(16)
80年代から私のアイドルであったゲイリー・ライドストロームに触れられて、感無量でした。
とは言え、如何にして今に至るかを知る恰好の教材として、若い方にこそ、是非見ていただきたい映画だと思います。
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山田陽(音響監督/音響技術)代表作:『天気の子』(19)、『君の名は。』(16)、『シン・ゴジラ』(16) 、『巨神兵東京に現わる 劇場版』(12)
日本とハリウッド。音響制作の現場には大きな違いがあり、細かく役割を分けて制作できる環境は正直うらやましい。
ただ、音響技術者たちの“音”に対するこだわり、想いは国や環境など関係ないものだと分かり嬉しかった。
ベン・バートも私と同じで機械いじりが好きな少年だったのだ。“音”は観客が意識することなく、自然に聞こえるようにするのが理想。
一方で映画の盛り上がりに“音”は欠かすことができない。
映画を影で支える音響技術者たちの活躍を知ることができる素晴らしい作品だ。
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赤澤勇二(音響効果)代表作:『とんかつDJアゲ太郎』(20)、『犬鳴村』(20)
多くの方に見て欲しい映画だと思いました。映画の見方に新しい視点が加わり、より楽しめるようになると思います。
改めて音の可能性を感じました。
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勝亦さくら(音響効果)代表作:『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『最高の人生の見つけ方』(19)
映画の中の音が目に見えないけれど観る人の感情を如何様にも動かすものだということを改めて思いました。
映画が好きな人、映画づくりに携わる人、映画づくりを目指す人、色んな人が楽しめる映画だと思います。
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松浦大樹(音響効果)代表作:『ステップ』(20)、『湯を沸かすほどの熱い愛』(16)
邦題のとおり、観客にとっては映画の音がどのように作られているのかを知ることができる貴重な作品。沢山の驚きと発見があります。
また映画制作に従事している者にとっては、映画音響史を学ぶに最良の教材。沢山のアイデアとヒントであふれています。
この映画は、私たち映画技術者に初心に返るきっかけを与えてくれる作品です。日本映画の実際はともかく、
この映画で描かれているような仕事がしたい。少なくとも自分は、いつもそう思っています。そして、ウォルター・マーチ最高。
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井上奈津子(音響効果/フォーリーアーティスト)代表作:『君が世界のはじまり』(20)、『惡の華』(19)
本当に胸がいっぱいになってしまった。効果音は爆発や銃声、魔法やアクションなど派手なものが��目されがちだが、
「プライベート・ライアン」のゲイリー・ライドストロームが「画面の外の音が大切だ」と言ったことに凄く共感した。
目に見えなく尚且つ画面の外にある空間を演出することでその世界に匂いや質感を与えることができるのではないかと思う。
台詞にしてもガヤにしても、一音一音にその音を扱う人の意思や演出があり、それを監督が演出していく、
それをこの作品では丁寧に描いていて感動した。
日本にいるとハリウッドや世界の映像音響との技術の隔たりを感じて悔しく思うこともたくさんある。
ですが、この作品に登場する全ての技術者は私たちとあまり変わらない音の変態なのだと、
劣等感を勝手に感じていないでもっと楽しめよと言われている気がした。
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北田雅也(効果音/フォーリーアーティスト)代表作:『映画ドラえもん のび太と新恐竜』(20)、『ザ・ファブル』(19)
雲をつかむような…という慣用表現があるのだけれど、
音の仕事というのは再現性の少なさや音の受け取りかたが個人の体験に依存すること、
空気の振動が消えた瞬間に存在そのものが消えることなど確固たるものが何もない雲をつかむような職業と言えると思う。
雲をつかむことに夢中になった人と雲をつかんで映像に魔法の息吹を吹き込みたい演出家の物語でもあるし、
人々が雲をつかめるようになった歴史の話でもある。映像に対する音響の作り方を体系的に理解することもできる。
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小山吾郎(フォーリーアーティスト)代表作:『クリード 炎の宿敵』(18)、『ブレードランナー2049』(17)、『グレイテスト・ショーマン』(17)
ピューピュー、パタパタ、びゅっ、ドカーン、カキン!、ザバーッ、ぶぉん、ちゅんちゅん、ジャジャーン、パカパカ、ガオーッ!、てくてく。
ワクワク、ドキドキ、素晴らしき音いっぱいの、音の映画! (拍手)
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笠松広司(sound designer/re-recording mixer)代表作:『きみと、波にのれたら』(19)、『海獣の子供』(18)、 『風立ちぬ』(13)
映画は総合芸術という事を再認識。”ある瞬間”の為に、やってダメな事もないし、やらなきゃイケない事もない。
作る側の音響技術者にも、観る側の映画好きなオーディエンスにもきっと刺激になる。
”その瞬間”『ハマった時の爽快感は病みつきになる』
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柴崎憲治(音響効果/サウンドデザイナー)代表作:『Fukushima 50』(20)、『海猿 ウミザル』(04)、『リング』(98)
コレから音響の世界を目指す人たちにとって、教科書の様な映画です。
foley は人の動きや物音を表現して人間たちの存在感を増して、fxは画に奥行きを与えて、立体感を作る。
backgroundは、frameの、内・外の映画の世界観を作る、それにより どうゆう場所なのか、どういう空間なのかを説明する。
画に対する柔軟な創造・想像力・アイデアが、音響技師達の感性とセンスによって画を引き立たせ、
当たり前の様にそんな音がするんじゃ無いかと、錯覚させる世界観を創り出す遊び心と情熱と創意工夫が描かれています。
とても魅力的な映画です。
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高木創(録音/整音/音響デザイン)代表作:『ゲド戦記』(06)、『機動戦士Zガンダム A New Translation Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』(05,06)、『攻殻機動隊 SAC_2045』(20)など
映像作品の半分は音響で成立している。この映画ではそれが国境を越えた共通認識である事を示している。
そして各時代の同時期に映画音響制作をしている日本の大先輩達にも想いを馳せた。
この映画に登場する敬愛するレジェンドな先輩方の証言をスクリーンで目の当たりにしながら「なんてこった」とつい呟く。
スピリットは国は変われど何ら変わらなかったのだ。
素晴らしい映画では音響は寧ろ意識されない。只々ワクワク感が掻き立てられるが、
そのワクワク感を紐解いてゆくと「音響」そのものだったという『ようこそ映画音響の世界へ』。とても良い映画だ。
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山本タカアキ(録音技師/サウンドデザイナー)代表作:『風の電話』(20)、『アイネクライネナハトムジーク』(19)、『モリのいる場所』 (18)
映画業界において音の分野はコストであったりスケジュールであったり色々と冷遇されていると日頃から思っているのですが、
優れた監督たちの音表現への信頼の言葉やこだわり続けて映画音響の歴史を作ってきた先駆者の姿を見て勇気をもらいました。個人的には作品作りで心が折れそうになった時、行き詰まった時に見返したい作品になりました。
それとやはり!映画を志す人たちには是非見てもらいたいです。たくさんの名作を通じて映画音響のあれこれがわかります。
映画音響を志す人は勿論ですが、監督、プロデューサーを目指す人たちにも見て欲しい!
音の表現力を知っている映画人が増えて日本映画がステップアップすることを望みます!!
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浦田和治(映画録音技師)代表作:『孤狼の血』(18)、『ノルウェイの森』(10)、『ジョゼと虎と魚たち』(03)
映像と音という二つのものが、同化したり、異化したり、対立したりして映画は出来上がっていくのでしょうね。
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木原広滋(録音技師)代表作:『よこがお』(19)
監督やプロデューサー等、プリプロダクション(撮影の前段階)から映像制作に関わる方々に是非観ていただきたいです。
作ろうとしている映像に本当に必要な音は、もしかすると『同録』ではなく『アフレコ』の音かも知れないですし、
はたまた『効果音』だけで殆ど表現できてしまうのかも知れません。
そういった事を再認識できる作品だと思いました。
またそれによって、新しい撮影のやり方や、新しいバジェットの使い方が見えてくる。そんな可能性も感じます。
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根本飛鳥(録音技師)代表作:『許された子どもたち』(20)、『愛がなんだ』(19)
まだ見ぬ風景を思い描き、あるかも分からないその景色を見るため、そこに眠る財宝を探して旅をする、映画音響の仕事とは
まるで開拓時代の冒険者の様だ。このドキュメンタリーに登場する人物達は超一流の冒険者であり、探求者である。
「その音」にたどり着いた彼等の眼差しの慎ましく美しいことよ。たかが空気の振動とあなどるなかれ。
冒険者達が掴んだ「その音」は私たちの心まで震わせてくるのだから。
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弥栄裕樹(サウンドデザイナー/録音技師)代表作:『ファンシー』(19)、『劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』(19)『ソワレ』(20)
正直こんなに感情が動かされるとは思ってなかったです。声・感情・空間・夢・時間・ソング….。
鑑賞中はユリイカと焦燥感の連続でした。映画音響は重要性とは裏腹に、あまり表に出てこない世界。
そこがクールだけども、もったいないとも思ってました。時代を作ってきた人たちの言葉やスタンスが、
この映画を通じていろんな人に伝われば、もっと豊かな作品が増えると信じています。この映画に関わるすべての人に感謝です!
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佐藤敦紀 (予告編演出/編集/VFXスーパーバイザー) 代表作:『シン・ゴジラ』 (16)
1970年代以降、音響技術の世界で革新を成し遂げたウォルター・マーチ、ベン・バート、ゲイリー・ライドストロームら
レジェンドの姿に胸アツ。そしてラストのベン・バートの言葉に深く感動。
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WEB内覧/バスルーム

今回は、我が家のバスルームをご紹介します 内覧記事や間取りが気になる方は、左上の黒い四角のTAGS内からPlanカテゴリーをお選び頂くと、過去の詳細記事をご覧頂けます^^

こちらが全体 ご覧の通り、我が家のバスルームはとてもミニマルです 意匠だけでなく、機能としても本当に最小限なのです…! 一般的なバスルームに標準装備されているようなものが ほぼ、ないかもしれません…😂
自分たちにとって必要なものだけに特化して 不必要なものを全て取り除いた状態にして頂きました

バスルームは、隣接したパウダールームと一体的に空間を繋げることを最優先にしました(パウダールームの記事はこちら)
素材も色も統一して、物理的にも仕切りを曖昧にして なるべく広く見えるようにしたくて
それを実現するためには、ユニットバスは選択肢にできず、必然的に造作バスとなりました
造作バス=高額というのが通説ですが、我が家は決して予算が多い家庭ではないので、造作で金額が上がりがちな原因を容赦なく取り払う工夫を沢山しています

まずは、FONTE TRADINGのトータルセットを取り入れることで大きくコストダウンすることが出来ました(品番:ST-T505-160-1/現在は販売終了) これで約20万程減額になったかと思います 造作に至るまでと、メーカーの詳しい記事はこちらをご参照ください
浴槽は、ご覧の通り本当にシンプルで 左官の土台にバスタブを埋め込んで、塗装等を乗せ、隙間をコーキングして頂いたものになります
元は減額もかねて置き型のバスタブを導入しようと思っていたのですが 我が家の場合、何故か左官の方が安かったのです だったら掃除もラクだし腰にも優しいし埋め込み型に…とこの形になりました(もちろん、置き型・埋め込み型どちらにもメリットデメリットはあります) 左官だと超お手間がかかるのにホント何故だったんだろう? こういうこともあるから、何度もこのブログでお伝えしているのですが造作でお考えの方は、諦める前にまずは見積もりをとって頂いてください…! バスタブは1600mmで、身長177cm&163cmの夫婦が深めに背もたれに寄りかかっても足を折ったりすることもなく(むしろつま先届かなくて一瞬慌てること多い…)ゆったりと入れる広さです
夫がショールームでサイズ感を何度も確かめて楽しく決めた思い出です^^
私達が行った時はフォンテさんのショールームは小さめで必要最低限な内装でしたが、今は移転してさらに素敵になっていると思うので気になった方は是非行ってみてくださいね

浴槽には、建築家Wさんが工夫してくださったポイントが^^
片方の端だけ、少しだけバスタブより土台をはみ出させることで ちょっとしたスペースを作って下さいました キャンドルだったり、音楽をきくのにスマホを置いたりと なにかと重宝しています こういったほんの数センチが、暮らしを豊かにしてくれることをWさんはよくご存知です…すき

バスタブ水栓もFONTE TRADINGです
最近は風呂釜から直接給湯するスタイルも多いですが 我が家は壁付けです 掃除もラクなので特に不便はありません 給湯ボタンもバスルーム内にはあえて付けていません
バスルーム内に付けると… 意匠に気をつけなくてはいけなくなる(スタイリッシュな給湯ボタンは当然高額になり使える給湯器も限られる)し 壁に凹凸が増える分、掃除も大変になるし 何より、夫婦で好きな温度が壊滅的に違うため、根本の温度をいじることは戦争になるので 和睦のためにもパウダールームの収納スペースに隠蔽しています それゆえ、サーモスタット付の高機能水栓も不要でした 自分の手元のさじ加減で毎回温度調節出来るシングルレバー混合水栓が最高なんやで…! また、給湯器は必要最低限の機能のものを選んでいます ノーリツのGQシリーズ オートストップさえついていてくれれば充分だったので 追い炊き機能がないことで15万ほど減額しています 追い炊きは、家族が多い・かつ全員別々のタイミングで入る・エコの観点が強い方には本当に頼もしい機能ですが 夫婦二人ではシャワーと併用で普通に水道代が安いのと 私が潔癖で水を頻繁に使い回せないので 我が家には不要という判断です (賃貸時にあった追い炊き機能を1度も使いませんでした)
どうしても同じ水を使いたい場合は、足し湯派です 毎日が足し湯の場合でも、追い炊きとは月額+300円ほどの差 給湯器の寿命約10年分で追い炊き機能グレードアップ分の元は絶対にとれない計算でした
入りたいときにお湯を溜め、流用するならお湯を足すライフスタイルで、 温度を保とうとする概念がないので、風呂蓋もありません
シンプルにすることで芋づる式に要らないものが出るので、ここの減額調整に苦痛はありませんでした^^

こちらは、シャワー水栓 浴槽の給湯も、シャワーも、そしてパウダールームの水栓も 全てフォンテさんの同じハンドルで統一しています 本来はハンドルを上向けに付けるのですが、我が家では水のしたたりを考慮してあえて下向けに付けて頂いています こうすると水の溜まりと無縁になります^^
元々、水栓のセットでバータイプのシャワーホルダーがついていたのですが こうやって3点の丸で並列にしたかったのであえて使いませんでした 替わりに、グローエのホルダー(品番:28622000)を施主支給しています メーカーによる違いが出てしまうかと覚悟していましたが ツヤ感も色も奇跡の一致でデフォルトかのようになりました…しゅごい
角度可変タイプではなく決して使いやすいとは言えないので、今後もし理想の形が出たら可変タイプに変えるかもしれません^^ 写ってないですがシャワーハンドルは現在廃盤になってしまったようです 先日不具合が起きたので工務店さんが補償で交換してくださり、今は最もデザインが近いもの(品番:SP-HD46)を使っています そしてシャワーとは別で一般的には足元の方にも水栓(カランと呼ぶのでしょうか?)があったりすると思うのですが、それもつけていません 我が家で使うのはシャワーだけで、使わない水栓は掃除の手間でしかないので 本来足元につけるシャワー水栓を、先ほどのバスタブ水栓として使っているんです^^ 水栓を一つ減らすことでも数万円の減額になっています

我が家のバスルームの最大の特徴は FRP防水仕上げであることです
FRPとは繊維強化プラスチックのことで 軽くて強く、不飽和ポリエステル樹脂+ガラス繊維のシートの上にトップコートを塗るだけで防水できるので よく漁船やバルコニーなどに使われていますが 一般的に室内の仕上げなどにはあまり使われません 造作バスの場合、仕上げでタイル等を使うと 材料費も手間代もかかるので高額になる原因になります 我が家はFRPを仕上げにすることで、大きく減額しています
日中の陰影が一番出やすい時間に撮影したのですが うっすらと繊維が浮かぶテクスチャーが伝わりますでしょうか?
私は基本的になんでも、柄がなくフラットなものを好むので この仕上げは本当に賭けでしたが… 工務店さんが何度も繊維をサンディングして規定よりも厚めにトップコートを乗せてくださったので、本来のFRP仕上げよりは凹凸が少なくなっていて、ちょっと距離をとって全体的に見てみると普通の壁に見えるくらいの仕上がりになりました
また、厚みのある繊維をはりつけていくため必然的に角には丸みが出ます ピン角が好きな私はそこも心配でしたが、この丸さがなんともいえない柔らかな印象で、とても優しい空間になったと思えています^^ 大判のタイルも大好きなので床だけでも奮発して導入するか最後まで悩みましたが…!自分でもビックリするほどFRPを好きになれたので、予算を優先して勇気を出して選択して本当に良かった😭
壁、浴槽、パウダールームの床まで一切の繫ぎ目がなく、まさにシームレスな状態が美しいです これは、むしろFRPでなければ実現できなかったことでした メンテナンスは、トップコートを塗り直すだけなので、一般的な経年リフォームに比べ、かなり低価格です 質感さえ気にいってしまえばメリットが多いと感じます^^ デメリットとしては 滑ります!凄く滑ります!! プールサイドと同じだと思って下さい 走ったらライフセーバーに怒られちゃうやつです
でも、毎日使っているうちに アイスバーンでも転ばない雪国の人みたいなスキルがつくので大丈夫です (目に見えないけど、塗料が若干削れてくるのか薄く石鹸カスがつくのか足元は次第にツルツルではなくなります)

パウダールーム側からの天井の見上げです
ご覧のように、バスタブ側にはガラス仕切りがありますが ドアはつけていません ドアを取り払っただけで、取り付け金具なども含め15万程減額となりました
その替わりにシャワーカーテンをします 普通にガラス扉よりも目隠しになるので機能としても優秀です
カーテンレールは存在感を最小限にするために あらかじめ天井内に埋め込んで設計して頂きました Wさんの丁寧なお仕事です^^
シャワーカーテンがあるのでガラス仕切りもなくていいけれど FRPとガラスの組み合わせが好きなので唯一の贅沢ポイントとして残しました また別記事でご紹介したいのですが 私は完全室内干し派で、ここは洗濯動線でもあるので カーテンレール付近にステンレスのランドリーパイプをつけて頂いてます

朝はパウダールーム・夜はバスルームで歯磨きするルーティンなのですが ドアがないと どちらの空間からでも歯ブラシをサッと取れるので とてもストレスフリーです 賃貸では洗面所からわざわざお風呂に持って入ったり それがイヤになって2ヶ所に置いたりで地味にめんどくさかった…

お気付きかもしれませんが、鏡すらつけませんでした😂
鏡がない状態でフッツ〜に1年くらい過ごしてた(真横のパウダールームにバカデカ鏡があるから遠目にそれを使ってた)のですが 夫がバスルームで髭剃りをするようになったので今は置き型の鏡を足しています 鏡は、MOEBE/ミラーφ20cmブラック 凄くシンプルでなんのことはないように見える鏡なんですが、ここまで極限に線を削ったデザインのものはあまりないのでありがたいです (好きすぎてブラスバージョンもデスク横で使ってる) もちろん、バスルームのように多湿な場所を想定していないと思うので今後錆びるかもなのですが MOEBEは鏡を簡単に取り外せるので、いずれ防湿加工のオーダーミラーに交換すればいいかなと思っています でも入浴後に自分の体より入念に拭いてるせいか案外錆びない 顔だけ映ればいいか〜と弱気なままφ20cmにしたのですが、少し離れればバストアップまで映ります バスルームなんてどんなに気を付けても水垢がつくから、鏡は大きくなればなるほど掃除も大変なのに、今まで大体の賃貸バスルームはどこも大きめの鏡だったので、“大きくなきゃいけない”と無意識に毒されていたかも…我が家にはこのサイズ感で充分だったようです

バスタブサイドには、隙間があって 何もないように見せるバスルームの収納の要です!
シャワーカーテンをしまうのはもちろんなのですが soilのバスマットをたてかけるのにも使っています
バスマットって私にとって 踏まないように無意識に避けちゃったり (お風呂上がりの綺麗な足でしか踏みたくない) 掃除の際もちょっと厄介だったりする存在なのですが
ここならパウダールーム側の動線も塞がないし 影干しも出来るので、この隙間が活躍しています

窓側のバスタブサイドには掃除道具を隠しています😳 吸盤をガラスにつけて底面を浮かせて 水分が必ず逃げるようにしています
普段はバスタブの死角側につけておいて 引き違い窓を引き出しの役割にしてでサッと道具が取れるように^^ 窓も床も、毎日お風呂あがりにスキージーで水切りをしています このバスルームを維持するために必ずやろうと夫婦で決め、続かなかったらどうしようと思っていたけど、一滴も残さずとか完璧じゃなくてもいいからザクッと水を切ろう〜やらないのとは大違いだよねぇ〜というスタンスにしたことで、続けられています 毎日の習慣にして3年目です

バスルーム正面から
我が家のサッシは基本的にブラックなのですが バスルームとパウダールームは他の窓と完全に縁を切っているので 唯一シルバーにしています
ここにブラックのサッシではコントラストが強すぎるし 水垢が目立ってしまうからです
当然ながらデメリットとして、窓は壁よりも室内温度が逃げやすいため 浴室乾燥暖房機はマストで設置しています (冬はさらに遠赤外線の補助暖房も出しています!無風で立ち上がりが超早いものを選ぶのが大切です^^) ヒートショックは本当に怖いし 洗濯物を干す際も乾燥機能が必要だったので 予算が上がろうが意匠が乱れようが、ここは削ってはいけないところでした 最小限なデザインのプロダクトにして頂いてます(品番:V-242BZL)

窓を付けることは、上記のようにデメリットもありますが それを凌ぐメリットがあるので我が家は窓を入れて本当に良かったと思えています 入浴中、坪庭を見ること これは本当に癒しになっています…😭 日中は明るい自然光だったり 夜にかけては坪庭のアッパーだったり それを通して坪庭のハイノキを見て お風呂入ってるだけなのに全力で光と影を楽しめる…! (坪庭の記事はこちら) 大きな窓があると通風もとても早いので、バスルームにありがちなジメジメも一切ないですし ヒートショックだけしっかり対策しておけば、私個人としてはこんな幸せなことないよという仕様です〜😭

最後に バスルームで最もこだわったのは シャンプー等の小物をどう置くかだったかもしれません…! このブログでちょこちょこお話させて頂いているのですが 私はデザインだけのインテリアを飾るのがとても苦手(ヘタクソ)で、自分が日頃ガチで使う日用品を、使いつつ飾る傾向にあるので 日用品選びに命をかけるタイプです
そのためシャンプー達をより使いやすく、美しく見えるように置きたいな〜とバスルームというよりむしろ展示みたいな感覚でシミュレーションしました ディスプレイする際は、ギチギチに詰めず物同士の余白を多めに取りたい人なので、バスルームの横幅全てを使って収納棚を作って頂いてます 横長フラットにしたことで無駄な凹凸やひっかかりがないし、余白があるから置いてる物をちょっとズラすだけでザッと拭けちゃうので掃除の際も凄く良いです^^ 棚の奥行きは設計上は100mmでしたが、FRP防水で角にアールがかかっているので実質80mmくらい シャンプーなども問題なく乗っています そして高さ これはお店のディスプレイを少し勉強して“ゴールデンゾーン”(最も商品が視認しやすく、魅力的に見え、手に取りやすい位置)を意識することにしました😂
足元から110cm…これです…! もしこれより低かったらパケが美しく見えないし これより高かったらプッシュボトルが使いにくかったと思います 実際に使ってみたら利点はそれだけじゃなくて シャワー位置がシャンプーより下なので 水滴が飛びにくいし、ボトルの底面がカビにくいし はじっこの方に置いてあるものなんかお前は本当にバスルームの住人なのかというくらい乾いています この棚は本当にシンプルなんだけど控えめに言って最高、優勝…👏

価格も包み隠さずお書きしますね
バスルームは合計で、約60万円でした 一般的に浴室の予算は約100万、造作バスだとさらに50万アップと言われる中で これはけっこう凄いんじゃないかな…(すごい) とにかく、我が家のバスルームは デフォルトでつくものがあまり無いんです でも自分達に必要なものは全てあります😊 逆に要らなかったものを全部取れたこと 欲しいものだけを洗練できたことで 現状本当に暮らしやすいです 我が家の家づくり全てに共通することですが、 施主の私達が優先順位を明確にし 建築家Wさんが常に丁寧な設計をしてくださり 工務店さんが上を目指す施工をしてくださったことで 三位一体となって出せたいい結果だったと思います
以上、我が家のバスルームでした^^ 長い記事にお付き合い頂き、ありがとうございます!

●我が家と同じように建築家と家を建てている方のブログ集はこちら。 これから家づくりをされる方は是非ご参考ください。
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「バナナの皮ですべったことはないです」について
それ以外では日々元気にスベり倒している。
色々書いておきたい事と、書けない事と、書かなくてもいいかな、と思う事と。
日々の中に色々なことがある。
今日はバナナの皮ですべったことがない話。
『スタァライト夏休みプロジェクト!「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」再演』なんてものをやっているというのを知ったのが如何せんお盆休みでボエーっとツイッター眺めていた時だったというのがまずひどい話で。いや忙しさにかまけてちゃいけないよなあと思う。
如何せん知ったのがその辺りだったので僕の再演は第9話からとなりました。いや高速道路の合流車線じゃあないんだから…。
「バナナちゃん」こと大場ななの回、たぶん好きな方は多いんじゃないかと思う。レヴュースタァライトという作品を俯瞰して観たときに物語の大きな転換点となる話でもあるし、元々同じ舞台に立とうとする彼女たちの、それぞれの立場の違いに基づいたひとりひとりの目指す場所の違いというところに「時間軸」という第三軸を置くことで、「同じ時間を生きる人々の中に流れる普遍的な違い」を描き出そうとする話でもある。個人的にも好きな回だったりするように思う。
個人的に私がこの回を好きなのは、無論のことそういった物語の構造に基づいた話では全くない。
それは「バナナちゃん」こと彼女が、もしかしたら過去、もしかしたら未来、そして、若しかしたら現在の、自分自身で在ったかも知れない、と感じている事によるものだ。
だから、彼女の話は観ていて結構苦しく思ったりもする。
全然話が変わってしまうのだけど、なんか今年のアニサマはすごかったらしいですね。あなたはどうでしたか?行きましたか?行きませんでしたか?観たかったものは見れましたか?見れませんでしたか?それはどんな景色でしたか?良かったですか?そうでもなかったですか?
まあ分からないけれど。私はといえば、その瞬間は山奥でヤモリをつかまえてお子様たちの大ヒーローになったりしていました。いや何しとんねん。(いやそういう仕事があったんです)
流れてくる話をボエボエ眺めていて、口をつくのは「そうかー」「そうですかー…」みたいな言葉ばっかりだったのだけど、自分自身では案外その感じが嫌じゃなくて、こういうのも悪くないなと思った。そう思えることが嬉しかったりもしていたのかも知れない。
そうだなあ。何処から話をしたらいいのか途方にくれてしまうのだけど。
私がかつてアイマスのオタクだった、というか、ある意味では今もそうなのかも知れないのだけど、ということをご存知の方がここにどれだけ居るのか分からないし、意外と私はそのあたりをケアするつもりが無い雑なひとなので、訊きたい方はどっかで捕まえて訊いてください。なんか長くなるし書きたくないよなこういうの。
当時も今も、僕はたったひとりのアイドルのプロデューサー…、この言い方恥ずかしいので個人的には苦手なんだよなあ…「プレイヤー」でいいかなあ…、もとい。プレイヤーなんだろうなと思っていて。御存知の方はご存知だったりするんだろうか。そういう方には長年のご愛顧ありがとうございます。
私はアイマスについてはアーケードの終わりの頃からのプレイヤーで、あ、そういえば何か中野かどっかに筐体が復活したみたいな話聞いたんだけどアレホントなのかな。ヘボプレイヤーだったから自分でやるのはどうかなと思うけど、人がやってるところは見たいなー。アーケードは確かメイン基板がPS2のボードでもう今からしたらヘロッヘロの映像なんですよね。アレに噛り付いて必死にモグラ(この辺りで往年のプレイヤーからめちゃめちゃ怒られる)していたの、もう10年くらい経つのかあ…懐かしいなあ。
如月千早という子は、本当に本当にクソ面倒くさい子で、詳細は多分当時の攻略サイトとか掲示板とかどっかに残っていると思うので見てください、そのクソ面倒くささ故に初プレイでまともにクリアするなんてほぼ不可能な子で。ただ、店頭のデモを見ていても分かる圧倒的な歌唱力と、うーん…何というのか、どこか放っておけない感じがあって。それでうっかりユニット登録してしまったのが運の尽きだったんだよなあ…。初プレイはほんとうにひどいことになり、傷心の余りしばらくやよいで癒されプレイをしていたことまで憶えてしまっている。というかこの話たぶんどっかで書いた気がするので恥の上塗りをしている。つらくなってきたのでやめようね。
プレイヤーとしての自分の話は概ねそんな感じになるのだけれど、どうしてそこに至ったのか、というきっかけで言えば、当時全盛を極めようとしていたニコニコ動画の存在がとても大きかったように思う。
あの頃、つまりアーケードのアイマスが終わろうとしていた頃、『アイマス』というコンテンツは大きな転換期を迎えていた。それはXBOXという次世代家庭用ゲーム機への移植で、それは「次世代」という圧倒的な馬力を得たこのゲームが、映像的に、音楽的に、そして演出を含めたシステム面で、大きな変貌を遂げて私たちの前に姿を現わした頃だった。
折しも当時のニコニコ動画は、それまでに培われた国内草の根制作者達の研鑽の場になりつつあって、うーんそうだなあ、「歌ってみた」だとか、発売されたばかりのボーカロイドだとか、ありとあらゆるコンテンツの坩堝のようになっていた。コンテンツの二次利用に関しても今ほどは整備されていなかった当時は、コンテンツ制作という点においてはある種の蜜月の時間であったことは確かなことだろう。
その坩堝の中のひとつに、所謂「MAD動画」というものがあった。流石にもう知っている人も少ないのかな。<以下色々書いたけど表に出せる話じゃなかったので割愛>つまり、この分野において『アイマス』というコンテンツは革新に近い変革をもたらしていた。そこに惹かれ、興味を持った。これが、私が『アイマス』に触れる本当のきっかけだったのだと思う。
色んな子でプレイして、結構いいスコアを出したこともあるけれど、私自身は基本的にあんまりうまいプレイヤーではなかったように思う。何度Dクラスで終わったのか、もう数えることすらできない。「どうして」彼女だったのか、ということを実は私は明確に憶えていない。もしかしたらたまたまだったのかも知れない。けれど、過程の中に居る私にとって、それは最早ひとつの意地みたいなものになっていたような気がする。石に噛り付くように一歩一歩、それでも運は必ずしも味方ではなくて、何度筐体ごとひっくり返してやろうかと思ったか分からない。
ただの興味が、いつしか必死になっていた。今振り返っても、私にはそうとしか言えない。いつ放り出してもおかしくなかったのに、どうしてあんなにも必死にプレイできたのか。夢中になってしまったのか。その理由が今も私には全く分からずにいる。けれど同時に、そこにあった滑稽なほど必死だった日々が、その日々の景色の中に常にいた彼女のことを掛け替えない一人と私が思う理由の大きな部分を占めていることを理解してもいる気がする。
アイマスの話、本当に長くなるからやめようね。
ただ、今でもちょっと可笑しく感じてしまうのだけど、あの頃も、今も、どこかで「千早Pは変な連中」と思われているような節があって、結果的にそういう「変な連中」のひとりにカウントされてしまっている私は、そんなことは無い筈、とも思うのだけど、そう言われてしまう理由も心のどこかで分かっているような節がある。彼女自身が変な子だから、結果的にそういう人たちが集まってしまっているのかも知れないなあと思う。でも、それは決して彼女だけではないでしょう、とも思う。ただ私にとって、プレイヤーとして長年付き合ってくれた彼女は、あの頃も、今でも、心の何処かに居場所を空けてある、大事な人のひとりなのだ。
そうだなあ。
彼女の声を担っている方は今井麻美さんという声優さんなのだけれど。
うーん、そうだなあ。
今更当時の話をいちいちする気にもなれないのだけれど、今井さんは、コンテンツとしての『アイマス』が今ほど大きくなるよりもずっと前、アーケードの片隅で私が肩を縮こませながら延々とプレイしていた頃(今ではそうでもないのかも知れないけれど、当時はゲーセンといえば「硬派なプレイヤーたちのたまり場」みたいなところがあって、そういう場所でギャルゲーみたいなゲームをやることには肩身の狭さがあったりしていた)から、ずっとコンテンツの最前線に立って頑張ってきてくれた人のひとりだ。ラジオやイベント、それに彼女は「演者でありプレイヤー」でもある人として、当時を知る人たちの中には記憶されている事と思う。今や押しも押されもしない巨大なIPの雄に成長したアイマスだけれど、あの頃の彼女たちの頑張りが無かったら今はきっと存在していないだろうと思う。
いろんな光景を、懐かしく思い出す。
実は私が初めてラジオ番組に投稿したのも彼女がパーソナリティを務めるアイマスの番組で。あの頃のアイマスのラジオって、古参の方というか所謂「ハガキ職人」みたいな、面白くてトークも引き出せるような話を送っていた方が多くて。私は今も昔もあんまり「面白い話」みたいなのを書ける人ではないので、随分頭を悩ませたり、日々の中で色々思いついたことを書き留めたり、それから、「送信」の小さなボタンひとつを押すのがすごく怖くて書いた内容を何度も何度も読み返していた事だとかも、昨日の事のように憶えている。初めて読んでもらえた時はほんとうに嬉しかったなあ。
いろんなやり取りをしてゆく中で、今井さんの中の千早もまた、とても大きな存在なんだな、という事を知って。私が「今井さん自身」に興味を抱いたのは、結構こういうところからだったのかも知れない。
元々声優さんって私はあんまりよく知らなくて、ただ単純に一方的に、「私が大事にしているものを、それを演じてくれている人がとても大事にしてくれている」ということが、とても嬉しかったんじゃないかと、振り返れば思う。
ライブも、有難いことに今やチケットを取るのも難しいアイマスのライブだけれど、当時はそこまででもなくて、初めて見たのは4thだったか家庭用2作目の発表があった幕張で、その後もたくさん観させて貰ってきた。アイマスのライブにおける今井さんは、僕がその事をきちんと知るのはもっと後だったのだけど、普段ラジオなんかで見せる面白いお姉さんという感じでは全くなくて、「ステージに千早が居る」と、例え疑ってかかろうとしても、そう思わずには居られない佇まいをよくされていたように思う。
ただ、ライブというのは面白いもので、演者が役者たろうとしていたとしても、ふとした拍子にそこに演者自身の素顔が垣間見えてしまったりもする。そういう時の今井さんはやっぱり、あのプレイヤーとしてはゲッソリするくらいストイックな孤高の歌姫ではなく、ワハハという笑い声の良く似合う面白いお姉さんで、私はその両方がとても好きだった。
今井さんは、歌手としても今年デビュー10周年?「?」って何だよとも思ってしまうけれど、大体そのくらい。なんか見たら記念ミニアルバムが出るんだそうな。わー嬉しいなあ。買っとこうかな。
素直にそう思えることが、すごく嬉しい。
彼女の今に至るソロアーティストとしての道は、それでもやっぱりアイマスというコンテンツがあったからなのかな、という気が個人的にはしている。歌を歌うのが好きで、歌を歌う人が好きで。そういう人が、そういう役を離れた所で、その人自身として「デビューします!」と発表したとき。嬉しかったなあ。初めてのワンマンは、今はもう無いけど昔「シネマライズ」っていう小さな映画館があったところで、個人的にその映画館にはよく通っていたので、その辺りも懐かしくて嬉しかった。今でもあの日の、アレ確か年末だか年明けだか、すごく寒い時期で、物販列に並ぶのがしんどくて近場のファミレスで友達と延々カードゲームしてた事とか(真面目に並べよ)、あのスペイン坂にずらっと並んだ人たちの最後尾に並んだ時の事とか、そうあの頃はキンブレも無くて、ほっそいペンライトをウキウキ買った事とか、確かCDか何か買ったら色々付いてきたんだよね。手持ちがあんまり無くてどうしようか散々迷ってたら後ろの人に「オイ(キレ)」と怒られたこととか。本当に昨日の事みたいだ。シネマライズは映画館だったから客席に段差があって、多分本来は見やすい箱なんだろうけど、きっと見積もりを誤ったんだろうなあ。散々詰めてもお客さんが入りきらなくて推し蔵饅頭みたいになっていた事とか。自分でもびっくりするくらい良く憶えてしまっている。そうそう、ライブ前に発売された1stアルバムが『COLOR SANCTUARY』というのだけど、初回盤には当時としては本当に珍しかった、MV収録のBDが付いてきたんだよね。映像がめちゃめちゃ綺麗で(撮影は寒くてすごく大変だったらしい)感動したことも良く憶えてる。いいアルバムなので良かったら聴いてね。
何だっけ。コレ何の話ですか?
最近ここに書いてる話って殆ど痴呆老人の寝言みたいな書き口なので自分でも心配になっている。
そうだなあ。
私にとって、千早と今井さんは、あくまで別の人だ、という気持ちがどこかにあって。
でも、どこか似た所もあったりする二人で。
関係性としても、すごく色んなものが絡み合っている二人なので、うまく切り分けることが今も出来ずにいるところもあって。
ただ、別の人だからこそ、そういう異なるお互いを大事にしながら、心のどこかで二人三脚みたいに歩んできてくれたことが私にとってはすごく特別なことでもあったりするのかな。
今井さん、普段のライブではあんまり、というか殆ど千早の話はしないんですね。3日目でご覧になった方にはきっと伝わったんじゃないかと思うんだけど、あそこで見たまんまの人というか、面白い人で、真面目で素直なひとなんだと思う。今でもファミ通でラジオやってるから良かったら聴いてね。たぶん見たまんまだと思う。
一方の千早はと言えば、これももうずいぶん昔の話か…、アニメをご覧になった方には伝わってくれたのかな、めんどくさい子なんですよ。ホントに、プレイヤーとして言うなら、ゲッソリしてしまうくらい。ひねくれた子です。
アイマスは「中の人の個性をキャラクターに取り込んできたコンテンツ」として知られているんじゃないかと思うのだけど、そうして、その時間の中で彼女たち二人が互いに手を携えてきたことも、さんざん見てきて知ってもいる筈なのだと思うのだけど、それでもやっぱり、私には彼女たちは違う個性を持ったひとりひとりの人間で、
うーん。
私は、自身が役者ではないから、そこに在る気持ちを完全には理解できないと思うのだけど、そこに、「異なる二人」が、同じ夢を携えて歩んできたみたいな景色を観てしまっていて。それは、「違う人」だからこそ、例えば普段はワハハと笑う今井さんが「千早」としてステージに立つとき、何度それを「違う人なのだ」という当たり前の目線で疑ってかかろうとしても、そう思わずには居られないくらい、そこには圧倒的に千早としての彼女が存在していて。すごく真逆のことだと思うけれど、そういう彼女を見ていると、その佇まいの中に、今井さん自身のまなざしを、長い時間をずっと共に過ごしてきた人へのまなざしみたいなものを、感じてしまうことが度々あって。これはアイマスのステージの話だけれど、これはそのまま歌手としての今井さんのステージのも言えることで。ソロのステージって役からは離れた歌い手自身のステージだから、だからこそ感じる、「今井麻美として、彼女に負けないように」みたいな感覚というんだろうか、うーん、違うのかなあ…、
例えば、「演じる相手に誇れるひとりの歌手であるように」みたいな佇まいを、ワハハと笑いながら、千早とは全く違う自身のパフォーマンスでお客さんを楽しませてくれている姿の中に、ごく偶に見てきたような気がする。勿論、これは「気がする」というだけの話ではあるのだけど、それでも、ステージからの話には無くても、そこに在るものが「役者」ではなくあくまで「歌手」としての彼女のステージだとしても、そこに人としての違いがあるとしても、いや逆なのか、「違いがあるからこそ」、見える景色と見えない景色の間に、そのお互いがお互いを尊敬するようなまなざしを、微かに感じてしまう。
今井さん自身は、僕の知る千早では勿論ないし、恐らく僕の知る千早もまた、今井さんの中の彼女とは違う姿をしていると思う。けれども僕は、プレイヤーとしてだけではなく、ひとりの観客として、ファンとして観てきた景色を知っている。今井さんが時に役者として自らを重ねるように、時にプロデューサーとしてその姿を見守るように、彼女に接してきてくれたことを知っている。そうしてまた、そこに重ねられた彼女が、そのまなざしを鏡に映す様に、今井さんの事を見守り、支えて来てくれたことを、これは勿論僕の勝手な思い込みでしかないのだけれど、知っている。
ゲームというのは、ぐるぐると同じところを回る歯車のようだと思う。何度も何度も同じことを繰り返す。
けれど、現実の時間はそうではない。時間は、繰り返さないし、止まらないし、決して巻き戻りもしない。ただ、前だけに進む。
そういう対照的なふたつを長いこと見てきて、思うのだ。
変わらないものが、同時に何かを変えること。繰り返すことが、同時に前へと進むこと。大切な時間が、重ならないそれを重ねる度に、強い絆になってきたこと。違う事が同じこと。同じことが違うこと。
思うのだ。知らなくとも、そこに揺るぎない、絶大な信頼があること。
金曜日の夜に割と「元気?」みたいな話を貰って。いや本当に申し訳なくて。ヘラヘラしてばっかりで申し訳ない。
なんだか笑ってしまって。だって見えるのだ。観てはいなくてもありありと分かる。
そのステージがどんなものだったのか、知らなくても知ってる。僕だって伊達にプレイヤーをしていない。散々うなされて、知っているのだ。彼女が、ちゃんと歌おうと思える場所に立てたなら、それが最強無比であることを疑う事さえ無い。疑う余地が無いのだ。
そのことを知っているから心配もないし、観なくてもそれがどんなステージだったかが手に取るように分かる。ウチの子が最強じゃなかったら誰が最強なんだ。ふざけるな。でも観客としての僕はそれにちょっと興味もあったりするから、BDは買ってみてもいいかなと思う。なんというか、それを観て笑いたい。絶対笑える自信があるし、きっといい映像になっていると思う。
日曜は…そうねえ…素直に、色んな人に感謝したい、かな…。
『遠い音楽』って、千早がカバーした曲であるのと同時に、ソロアーティストとしての今井さんの中にも大きなものを残した曲のはずなんですよね。当時の話を遡ってみればその辺りは分かるんじゃないかと思うし、何より、そのステージを観た人なら、知らなくとも伝わることがあるんじゃないかと思う。ワンマンでも歌える機会はもうほぼ無いと思うので、そういう機会としてもすごく良かったんじゃないかと思う。そういう曲を置く余地を設けてもらえたことが素直に有難いと思うし、歌えてよかったな、とも思う。一応クレジットとしては「今井麻美」としての歌だということだけど、実際はどうだったのかなあ。その辺りは僕には計り知れないので、どこかで話を聞けたら嬉しいな。
そうねえ…そうねえ…
「今日はバナナの皮ですべったことがない話」を一切していなかった事に気づいたのでバナナの話でもするべか。
僕が彼女を身近に感じてしまうのは、彼女の中にすごく特別で大切な時間があって、それがすごく特別で大切だからこそ、今も彼女がそれを手放すことが出来ない、というあの感覚を、なんだか自分も知っているような気がするからなんだろうと思っている。
誰にでも、そういうものはあるんじゃないかと思っていて。
そうだなあ。
プレイヤーとしても、観客としても。長い時間過ごしてきた中で、私自身の中にも「特別なもの」「手放せない瞬間」ってやっぱりあって。振り返ってみればそれは、私個人の中の小さな拘りでしかないのだけれど、それでもやっぱり大切なものって大切で、特別なものって特別で。
現実はゲームとは違う。同じ時間を繰り返すことは二度とないし、決して巻き戻りもしない。ただ、前だけに進む。そうして、進む時間と共に何もかもが変わってゆく。これは避けようがない。
一時期、私はそのことがすごく怖かった。私の中にある、私にとって特別で、絶対に手放したくない大切なもの。それが、時間と共に変わっていってしまうみたいで、ひとりだけ取り残されてしまうみたいで、ひどく怖かった。私の大切なものが、変わることで失われてしまうんじゃないか。そんなふうに思えて、その事がひどく怖かった。『アイマス』というコンテンツで言えば、ちょうどアニメ化された頃の事だ。
正直観るのも怖くて。思っていたものと違ったら。私が大切にしてきたものと違うものだったら。アニメというのは、今はどうか分からないけれど、KADOKAWAメディアミックス時代を生きてきた私みたいな人間にとっては「コンテンツのゴール」そのものだ。たくさんの人たちが入ってくるし、その絶対多数の中では私個人の「大切」なんて吹けば飛ぶようなものでしかない。怖くて仕方なくて、頑張って笑い飛ばそうとしていたところもあったように思う。
結果から言えば、私個人にとってアニメはとても良い作品だった。いや、勿論色々あるのは知っているけれど、それでもやっぱり私は千早のプレイヤーなので。それがやっぱり一番大事だったことを告白せざるを得ない。
それは、彼女にとって「未来へ進む作品」だった。ゲームの中の彼女を織り込んで、その足を一歩先へと歩ませてくれようとしているかのような作品だった。それが嬉しかったし、変な話だと思うけれど、そうさせてくれたのが、プレイヤーではなく、繰り返すゲームの外側で、その歩みを共にしてきてくれた彼女の仲間たちだったことが一番嬉しかったようにも思う。アニメにはゲームと違ってプレイヤー視点というものが存在しない。存在しないというよりも、本作においてはそういう風に描かれていたようにも思うけれど、大事なのはそこではなくて、その場面において、千早の背中を押してくれたのが、彼女の周りにこれまでもずっと居た人たちだったという事だ。
そのストーリーはゲームの中の彼女の物語とは違っていて、何だろう。ずっと私がひとりで握りしめてきた手の中から、その外で共に生きてきた仲間たちの手を取って、一���の鳥が巣立っていくみたいな。そういう感覚だったのかも知れないなあと思う。変だと思われるんだろうなあと思うけど、だからこそ嬉しかったんですよね。過去から来て、やっと彼女が未来へと進みだせたような感じがして。寂しさがあって、それよりもずっと大きな嬉しさがあったのかなあ。今はもう分からないけれど。
9話のばななを見ていると、私はあの頃の私を思い出してしまう。特別な瞬間があった事。かけがえのない景色があった事。すごく嬉しかったこと。だからこそ、それを手放せなかった自分が居たこと。思い出してしまうんですよね。小さな自分の理想の中に、誰かを閉じ込めようとしてしまっていたこと。恐らくだけれど、多かれ少なかれ、誰にとってもそういうものは在るんじゃないかと思う。
けれどこの物語は、「それを手放すこと」の大切さを描いている。変わってゆくことに可能性があること。同じことの繰り返しでも、そこに在る一瞬は違うものであること。そしてその先に、今そこに居る仲間達の手を取った先に、未来があること。それってすごく大切なことだと、知っている。
だから、ばななのこの話が僕は結構好きなんです。
何だっけ。もういいか。あーそうだ。
アニソンも随分長い時間を歩んできて、誰かが歌った歌を誰かが歌ったりする、みたいなことも増えてきて。
個人的にはそれでいいんじゃないかと思っていたりもする。
日曜の『遠い音楽』は、原曲はZABADAKさんで、アイマスのCDシリーズの中で千早がカバーしたそれを今井さんがリカバーするという形の歌だった(…筈)。当時ZABADAKさんは同人で音楽をやっている方達にファンの方が結構いて、そちら経由で僕はこの歌を知っていて、なのでカバーして貰えたことがすごく嬉しかったりしたけれど、結局のところそれもひとつのきっかけでしかない。ZABADAKの歌は今はもう聴くことが叶わなくて、だから今回の話の中で昔からのファンの方達が「歌ってくれて良かった」と言ってくださっていた事が僕はとても嬉しかった。でも、多分今でも、この歌の原曲を知らない人も居るんじゃないかと思う。それはそれでいいんじゃないかと思っている。
誰にでも知らないことってある筈で、それは決して悪い事じゃない。知らないことは知っていったらいいと思うし、そういう意味では「知らない人」というのは「これから知ってくれる可能性を持っている人」でしかないと思う。そういう人たちがそこに在る歌を知ってくれる、そのひとつのきっかけとして、誰かの歌をカバーすることが機能してくれるのだとしたら、私はそれはすごく良いことだと思う。
そして、だからこそ、その元となった人たちのファンが、そういう場面で頑張ることにも、単に喜んだりすることにも、意味があるんじゃないのかなと思う。
最近私は豊崎さんの歌を時々思い出すのだけど、「さあ僕らには何もない/��からこの手にはこれからなんでも出来る」っていい歌詞だよね。
満足したので寝る。
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「令和元年のまえがき」 この前、久しぶりに『ジョジョ』の「クラフトワーク」を観たので(例によってGYAO!で)、以前書いた「スタンド論」を読み返してみた。我ながら面白かったので、ここに再投稿しよう。と思った。(2019/09/04)
____________
『スタンド論 〜『ジョジョの奇妙な冒険』考〜』
この長大な物語の全てを一度に論ずることは難しい。しかも一旦は終了したはずが、まるでプロレスラーの引退��復帰のように、新シリーズとして再開され、今現在連載されているのだ。とてもここで全てを賄いきれるものではない。
そこで今回は第3部から登場した「スタンド」に的を絞って考えてみたい。作者自身が語っているように、第1部、第2部はいわば、肉体対肉体がテーマだった。あるいは圧倒的に強力な肉体を持つものに「貧弱な」人間が知恵と勇気で戦いを挑む物語だ。戦うべき相手はあくまでも強力な肉体を持った存在だった。
それが第3部では「精神力」の戦いへと変わった。
「スタンド」とは精神力が映像化したものだ。強いスタンドは強い精神力から生まれる。スタンドはそのスタンドの本体となる人間の精神そのものなのだ。本当に恐ろしいのは肉体ではない。それを操る精神すなわち心なのだ。だから肉体と肉体の戦いは、実は心と心の代理戦争に過ぎなかった。ならば、その心を目に見える形で直に戦わせれば、どうなる?
この実に魅力的な問い掛けに答えるために、第3部は始まった。
実をいうと「ジョジョ」以前にも人の[心と心]=[精神力と精神力]の戦いを描いたものはかなり存在した。つまりは超能力者同士の戦いだ。
まず思いつくのが横山光輝の古典的名作『バビル2世』だ。この『バビル2世』には荒木もかなり影響を受けたようで、「第3部」の主人公である承太郎や花京院がいつまでたっても学生服のままなのはまさに「バビル2世」の主人公に倣ったものだ。バビル2世は砂漠でもあの暑苦しい学生服を着ていた。承太郎がいくら暑くても決して学生服を脱がなかったのは作者の[先達に対する敬意]の表れだろう。
また、少し時代を下ればあの一世を風靡した大友克洋の『アキラ』がある。この作品こそはまさに「超能力者もの」の今に続く王道だが、大友にはこの作品とは別に「童夢」というやはり、超能力を持つ「子供」を描いた作品がある。目に見えない力が壁をドーム状にへこませ人を押さえつけるシーンは知る人ぞ知る名場面だ。
第3部からの『ジョジョ』も間違いなく超能力者同士の戦いを描いた作品なのだが「スタンド」という新たなシステムを「発明」したことで、それまでの「超能力者もの」とは一線を画す作品となった。今までの「超能力者もの」は、どれも超能力の力を表すのに「結果」だけを描いてきた。例えば、いきなり頭が爆発してみたり、鼻血が出たり、あるいは物体が勝手に浮き上がったり、壊れたりと言った具合だ。つまり超能力者の力が発揮されたときに「なぜそうなるのか」は全く描かないままで、「力」が行使された「結果」だけを描いて済ませてきたのだ。
すでに「スタンド」によって、超能力(精神力)の視覚化を体験してしまった我々からみれば、今までの「超能力者もの」はずっと超能力を持たないもの(ジョジョ的に云えばスタンド使いではない者)の視点から描かれてきたということになる。
「ジョジョ」以前「スタンド」以前のかつての「超能力者もの」は作者は自身で超能力者を描きながらも無意識のうちに、こちら側(超能力を持たない一般人側)に立っていたわけだ。だから、彼らは、超能力の結果を描いても、それを説明する必要はなかった。いや、必要性を感じなかった。超能力者に超能力があることを認めれば、あとは何の迷いもなく、超能力が行使された結果だけを事実として描けた。「超能力は分からないものだ」で済ましていられた。なにしろ一般人なのだ。一般人に超能力は理解できない。ただ、起きたことを見て驚くだけだ。いや、もしかしたら「超能力者自身にもなぜそうなるのか分からない」という認識を持っていたのかもしれない。
だが、「ジョジョ」の「スタンド」はそれはちがうと言った。超能力者には「力」が見えている。なぜ、頭が爆発するのか、ものが持ち上がるのか、超能力者にはその理由が分かっている。なにしろ「見えている」のだから。超能力者にとって、それは目の前で起こっている当たり前の光景としか映らない。超能力者にとって超能力は不思議でもなんでもないのだ。「ジョジョ」においては、超能力者はつまり「スタンド使い」だが、彼らには見えるのだ。敵の頭が砕け散るのは、スタンドが敵の頭をうち砕いているからだし、車が持ち上がるのはスタンドが持ち上げているからだ。あるいは、拳銃の弾が空中で静止するのはスタンドがすばやくつかみ取ったからでしかない。ただ、スタンド使い(超能力者)ではない一般人にはスタンドが見えないので、それが不思議な光景として映るだけなのだ。
「スタンド」は、超能力の「力」そのものに「形」を与えた。それは同時に超能力を説明する方法にもなった。「ジョジョ」以前は超能力が引き起こす現象は説明不可能なものでしかなかった。どんなに超能力を描いても、超能力の説明にはなっていなかった。超能力者同士の戦いでも、実際彼らが何をしているのかは分からなかった。ただ苦しがったり、はじき飛ばされたり、急に死んだりするだけだ。決着が付くときはいい。そうでなく引きわけに終わったときなどは、結局超能力者が難しい顔をして汗を流して、それで「ふう」とため息をついて終わりだ。いや、それはそれでなかなかに緊迫感のあるものだが、現実問題として[描写としてはかなり地味]だ。派手な格闘も何もないからだ。ただじっとして、時々触ったり、手を握ったりするだけなのを見ていてもつまらないだろう。スタンドのお陰で「ジョジョ」では本来(?)地味なはずの超能力者同士の戦いをド派手な大格闘として描くことが可能になった。
超能力の「力」がスタンドという形を与えられたことで戦いは途端に分かりやすくなる。スタンドなしでは絶対描けない超能力合戦の末の「紙一重」の勝利でさえ「リアルタイム」で読者に示すことが出来る。もしスタンドがなければ、強力な超能力者同士が息を詰めて黙って向き合ったあとで、どちらかがばたりと倒れる。勝ち残った方が「危なかった」と安堵の言葉を漏らして初めて、戦いの展開がどうだったかをある程度推測出来るだけだ。しかし読者には一体何がどう危なかったのか、どの程度危なかったのかも分からない。第一これだと結局誰と誰が戦っても同じ光景しか描けない。いつも「睨み合い」と「ばたん」と「危なかった」で終わりだ。超能力者を描くはずのマンガがすぐに超能力を描くことにマンネリを起こすことになる。超能力者の最大の見せ場であるはずの超能力の行使の場面がいつも同じに、しかもかなり地味になってしまう。超能力者マンガが存分に超能力を描けないという笑うに笑えない状況が生まれるということだ。
その意味で「スタンド」は画期的な発明だと言える。存分に超能力を描けるからだ。「スタンド」は、超能力がなぜそのような現象を引き起こすかを読者にも見える形で説明してくれる。「見えない力」を「見える力」つまりスタンドに置き換えたことが『ジョジョ』の最大の功績であり、長期にわたる成功の秘密だった。
(2)
ところが、長期に渡って描き続けているうちに、生みの親である荒木自身が「スタンド」の意味を変容させてしまった。意識的であるかどうかは分からない。
どういうことか?
つまりこうだ。荒木は、超能力者の能力そのもを擬人化あるいは映像化したはずのスタンド自身に更に「超能力」を持たせてしまったのだ。一般人には見えない超能力者(スタンド使い)の能力はスタンドとして、超能力者と読者には顕在化された。しかしその顕在化されたスタンド自体が更に超能力者自身にも読者にも「見えない謎の力」、言ってみれば「超・超能力」を持ってしまったのだ。
例を挙げてみよう。最も分かりやすい例は、第5部に登場する「クラフトワーク」というスタンドだ。実は私がこの文章を書こうと思ったのもこのスタンドの登場がきっかけだった。
スタンド「クラフトワーク」の能力は触れた物体を空間に固定させることだ。このスタンドは自身の射程内、つまり力を発揮できる範囲内であれば、あらゆるものを静止・固定させることが出来る。たとえ、それが空中であってもだ。だから向かってきた弾丸なども空中で止めてしまえる。しかしなぜ、そうなるのかは全く説明されない。なぜ、弾丸は空中で止まるのかは全く描かれない。スタンドがその手で直に弾を止めるわけではない。スタンドの射程の範囲に入れば、弾丸はただ止まるのだ。これはスタンド自身が「超・超能力」を���っていることを意味する。
この違いは初期のスタンドと比べてみると分かりやすい。比較対象は第3部の主人公スタンド「スタープラチナ」だ。いい具合にこのスタンドも劇中で弾丸を「止めている」からだ。だが、「スタープラチナ」の弾丸の止め方は「クラフトワーク」の「超・超能力」とは全く違う。「スタープラチナ」は「指で掴んで」弾丸を止めるからだ。「スタープラチナ」には「クラフトワーク」のような「超・超能力」はないので、もし弾丸を掴み損ねると、弾丸は止まらない。(もちろん「スタープラチナ」が後に獲得する「時を止める」という「超・超能力」を使えばそれは可能だが、ここで言いたいのはそういうことではない。)
「スタープラチナ」の「掴んで止める」という方法だとスタンドが掴んだ弾丸を離してしまえば、弾丸は下に落ちる。人間が持っているものを手放すとその物体が下に落ちるのと同じことが起こる。これは読者にも劇中のスタンド使いにも自然で分かりやすい。しかし「クラフトワーク」の場合、スタンドの「超・超能力」が効果を発揮していれば物体はずっと空中にとどまっているのだ。まるで「クラフトワーク」自身が目に見えないもう一つのスタンドを出現させて、物体を支え続けているかのように。
(3)
この二つのスタンドの違いは何かと言えば、つまりは作者自身のスタンドの解釈、あるいは定義の変化と言ってもいい。
初めスタンドは超能力者(スタンド使い)が現実の物体に影響を及ぼすときの力そのものとして描かれた。一般人には見えなくても、スタンドのやることが見えれば、物体がなぜそうなるのかがスタンド使いと読者には分かった。スタンド使い(超能力者)が念じただけで物体が動いても、実は彼のスタンドが「実際に」その物体を動かしているのだ。しかしスタンドは次第に変化し、超能力者の能力の「象徴」になった。こうなるとスタンドを見ただけはどんな能力を持っているのか全く分からない。ちょうど、一般人と超能力者の区別が見たたででは付かないように。
実際、この変化の始まった第三部の終わり頃からスタンドは「触っただけで」ありとあらゆることをやるようになる。スタンドが触れば、破壊されたものが復元され、生命が誕生し、ジッパーが現れ、肉体が若返っていく。そして��ぜそうなるかは一切説明されない。さらに強力なスタンドになると、そうしようと思っただけで、時間までコントロールするようになる。もはや触ることさえしない。もっとも、時間を止めるのに何に触れればいいのかという問題もあるが。
スタンドの「超・超能力」はそのスタンドの本体であるスタンド使い自身にも理解も説明もできない謎の力なのだ。「なぜかは分からないが、そういうことが出来る」というレベルだ。
ここに三つの世界が見て取れる。三段階の能力だ。
まず初めは一般人にも理解と説明のできる能力。次がスタンド使いには理解と説明のできる能力。最後がスタンド使いにも理解も説明もできない能力。
一般人にも理解と説明のできる能力とはごく普通の、我々がよく知る物理法則にしたがった能力のことだ。コップを持ち上げる。ドアを開ける。水を撒く。
一般人には理解不可能でスタンド使いには理解できる能力とは、いわゆる一般的な超能力だと分かる。サイコキネシス、テレパシーなどは、起きた現象だけを見れば、程度の差こそあれ、どれも人間自身にも出来ることだ。つまり、ものを動かしたり、意志を伝えたりということそれ自体にはなんの不思議もない。それが超能力と呼ばれるのは、その一連の出来事に、あたかも全く介在するものがないかのように見えるからだ。だから、もしスタンドが介在しているのが「見えれば」、それは「なんでもないこと」になる。スタンド使いには理解が出来る能力とはそう言うことだ。スタンドによって引き起こされたとしても、起きたこと自体は平凡な出来事だ。壊れた、ぶっ飛んだ、切れた、燃えた。あるいは体に入り込まれてまるで催眠術のように操られた。
しかしスタンド使いにも理解できない「超・超能力」はそうではない。それは原因がなんであれ、引き起こされた現象自体が異常なのだ。超自然的と言い換えてもいい。それは介在しているものが見えないから、理解できないから異常なのではなく、どんな力が作用していても起こりえそうにないという意味で異常なのだ。そういう現象を引き起こす方法・手段を人間は持っていないし、知らない。
どうやって時間を止める? どうやって鏡の世界に入る? どうやって壁にジッパーを出現させる? どうやって一瞬で怪我を治す? どうやって人をあっという間に老人にする?
スタンドの「超・超能力」は超能力と言うよりも、現時点では別の部類に入る現象だ。一般的に、あるものは奇蹟と呼ばれ、別のものは呪いと呼ばれる。異次元の世界の問題として扱われるものもあるだろう。また、時間の問題は最先端の量子力学をオカルト的に解釈すると生まれる。
つまりどの現象もいかなる方法を用いても人間が実現できないものばかりだ。
スタンドは一般的な超能力の現象を説明するために発明されたアイディアなので、一般的な超能力以外の説明は最初から不可能なのだ。スタンドは人間のいる物理法則の世界から一枚だけずれた場所にいるだけで、その作用自体は、人間と同じ物理法則に従っている。だから、スタンドがその一枚隔てた向こうからどんな力を及ぼしても、現実の人間のいる場所で起こることは必ず人間の住む世界の法則つまりは物理法則に準じている。つまりスタンドがある物体に作用を及ぼしても、その物体自体は人間の住む世界の物理法則に支配され続けているということだ。だから、スタンドが棚から壺を落とせば、その壺は、人間の世界の法則に則って、床に落ちる。途中で、壺に関わる物理法則が変化して天井にぶち当たるということはない。だが、スタンドの「超・超能力」はその法則を破るし、全く理解不能の現象を引き起こし、落ちる壷を天井にぶつけてしまう。
(4)
スタンドというアイディアは非常に優れた便利なアイディアだ。この世界の不思議な出来事をほぼ全て飲み込むことが出来る。幽霊も、死後の世界も、UFOも、多重人格も、呪いも、奇蹟も、異次元もすべて、スタンドの「せい」に出来るのだ。
結局、つまりは、そういうことなのだ。 最初、スタンド使いの力そのものとして描かれたスタンドが、いつの間にか、スタンド使いとは別のキャラクターとして描かれ始めた。「別」という言い方は少し変か? スタンド使いとスタンドの関係が、ちょうど一人分横にずれてしまった。つまり、人間であるスタンド使いは、スタンドという超能力を持っている。そしてそのスタンドが自立した存在として更に「超スタンド」とでも言うべき「超・超能力」を持っている。そしてこの「超・超能力」は、もはや制限を持たないので、作者はあらゆるアイディアを割り当てられる。
このズレは、読者にとっても作者自身にとってもあまり意識されていない。しかしこのズレこそが肝心なのだ。
たとえば、時間を止めるとか、人間を爆弾に変えるとか、生命を生みだすと言った大それた能力を直接人間であるスタンド使い自身が持つのではなく、異形のスタンドそれ自体がが持っているというところに、妙な説得力と安心感が生まれるからだ。いや、結局はスタンド使いの能力には違いないのだが、実感として、読者は、スタンド使いとは、そういう恐ろしげな能力を持っているスタンドという魔物的悪魔的あるいは神的な存在を所有している人間というふうに見てしまう。
このワンクッション置いた状態は実は重要だ。
どんなに突拍子もない、あるいは無茶な能力でも[その能力]と[人間であるスタンド使い]の間に、これまた正体不明の超スタンドがいることで、その能力の突拍子のなさが一度、屈曲するのだ。[生身の人間]と[大それた能力]を直につなげないで、一旦迂回してから接続することになる。すると、そこに妙な説得力が生まれ、物語はある種の自在さを獲得する。
人間が時間を止めたり、老人を赤ん坊に変えたりは出来そうもないが、一種の魔物としての超スタンドならそういうことも可能だろうという、妙な納得の仕方を、作者も読者も、無意識のうちに行っている。
「ジョジョ」がここまでの長期連載作品になったのは、「スタンド」が持つこの「自在さ」が要因の一つなのは間違いない。
(アナトー・シキソ)
2001年6月11日初出 2012年8月21日改訂 2019年9月04日改訂
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ここのところ続いている維新の会ネタから 【維新 丸山衆院議員の「戦争」発言 ロシア大使におわび】 丸山穂高衆議院議員が北方四島を戦争で取り返すことの是非などに言及したことについて、日本維新の会の片山共同代表と馬場幹事長は、17日、ロシアのガルージン駐日大使と面会し、当時、丸山氏が所属していた党の幹部として、おわびしました。 日本維新の会は、北方四島を戦争で取り返すことの是非などに言及した丸山穂高衆議院議員を除名処分にし、議員辞職するよう重ねて促しています。 こうした中、片山共同代表と馬場幹事長は、17日午後、東京のロシア大使館を訪れてガルージン駐日大使と面会し、丸山氏の発言について、当時、丸山氏が所属していた党の幹部として、おわびしました。 このあと馬場幹事長は記者団に対し、ガルージン大使が「『戦争』ということばとロシアの混乱を望むようなことは非常に不快だ」などと述べたことを明らかにしました。 そのうえで馬場氏は「『日本維新の会が、丸山氏の発言のような考え方に基づいて、ロシアとの関係を考えているのではない』とはっきり申し上げた。われわれの真意はロシア本国にも伝わると思う」と述べました。 (2019/5/17 NHK) 情けないの一言です。 本来であれば片山虎之助は橋下に文句を言って こんな馬鹿な事を止めさせるべき立場です。 片山虎之助は今年83歳。2016年の参院選で当選しましたが、 2022年の選挙で引き続き出馬することはないでしょう。 あと3年で辞めるのですから、 なおさら橋下の暴走を止めるべき立場だったはずです。 丸山議員の酒に酔って(酒が原因で騒動を起こしたのはこれで何度目だよ) の発言は政府の外交交渉を妨害する形にしかならず、 この点に於いて丸山議員が処罰されるのはありなのです。 ですが、北方領土は国際条約違反で 火事場泥棒によって持っていかれた土地です。 大日本帝国軍の文字通り命を賭けた防戦によって 北海道までは不法占拠されずに済んだというだけです。 丸山議員の発言の件で日本がロシアに謝る理由は何一つありません。 ここは絶対に間違えてはならないところです。 ところが片山虎之助すらこれを止めようとせず ロシア大使館に言って謝罪。 ロシアの主張している 「日本との戦争で勝って手に入れた」 という嘘をかえって補強する行動を取りました。 丸山議員の私的な発言の件で わざわざロシアに謝る理由なんて全くありませんよ。 このへんが外交オンチの橋下や松井の「らしさ」なのでしょう。 橋下の機嫌を損ねたら追い出される。 維新の会にはそういう恐怖があるのは明らかです。 かつてマスゴミが作った「姫の虎退治」なんてくだらないもので 片山虎之助は落選させられました。 その後、マスゴミが持ち上げまくった姫井由美子が どのような役立たずの無駄飯食い政治家だったか マスゴミに乗せられて姫井由美子に投票した人達が 一番理解しているのではないかと思います。 ただし、落選した途端にしょぼい政治家になる なんてのは山崎拓の事例もあります。 一度の落選によって片山虎之助も ここまで落ちぶれたということなのでしょう。 さて、今回の件を機に丸山穂高議員を潰そうと 私怨を晴らそうと維新の議員達をけしかけた橋下はというと 橋下徹 ✔ @hashimoto_lo 丸山穂高氏は上西小百合氏と全く同タイプ。このような国会議員を誕生させたのは僕の責任。維新が辞職を促すのは当然だが、国会の辞職決議はいかがなものか。辞職の基準がない。弁護会の懲戒基準と同じく法の支配にかなわない。選挙で落選させて現実を認識させた方がいい。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00000079-kyodonews-pol … 4,458 14:56 - 2019年5月17日 Twitter広告の情報とプライバシー 丸山穂高氏の辞職勧告案提出へ 戦争発言で野党6党派(共同通信) - Yahoo!ニュース 立憲民主党など野党6党派は17日、北方領土を戦争で取り返すことの是非に言及した丸山 - Yahoo!ニュース(共同通信) headlines.yahoo.co.jp 2,162人がこの話題について話しています 橋下徹 @hashimoto_lo 丸山穂高氏は上西小百合氏と全く同タイプ。このような国会議員を誕生させたのは僕の責任。維新が辞職を促すのは当然だが、国会の辞職決議はいかがなものか。辞職の基準がない。弁護会の懲戒基準と同じく法の支配にかなわない。選挙で落選させて現実を認識させた方がいい。 さすがは口の回る小沢一郎です。 逃げ足の速さは抜群ですね。 自分がけしかけたのがネットでかなり評判が悪い事に気付いたのか 真っ先に逃げました。 松井一郎代表の「党としてできる最大限の事をした」 という発言から一晩経たずに 辞職勧告決議を出して無理矢理辞職に追い込もうと 急遽動き始めたのは維新の会です。 維新の会の行動が 足立康史議員ら所属銀や 松井代表らの発言と整合性が取れないのは 実権を握っている橋下の命令以外にありえません。 維新・松井代表「丸山の議員辞職勧告が出たら賛成する」 (議員辞職勧告提出を共産党、社民党、立憲民主党、自由党、国民民主党に呼びかけて共闘を持ちかけたのは維新の方です) ↓ 丸山ほだか ✔ @maruyamahodaka 憲政史上例を見ない、言論府が自らの首を絞める辞職勧告決議案かと。提出され審議されるなら、こちらも相応の反論や弁明を行います。ただ問題は、議運委や本会議では本人からの弁明機会の機会すら無い。その場合には、この機会にyoutube等で自ら国内外へ以下の様々な配信を。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190515-00000040-asahi-pol … 12,697 17:47 - 2019年5月15日 Twitter広告の情報とプライバシー 丸山氏の辞職勧告決議案を協議 「戦争」発言で衆院議運(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース 北方領土返還に関連して戦争に言及した丸山穂高衆院議員(日本維新の会が除名)をめぐ - Yahoo!ニュース(朝日新聞デジタル) headlines.yahoo.co.jp 10,091人がこの話題について話しています 丸山「クビになったらつべでぶちまけるわ」 ↓ 橋下徹「国会の辞職決議はいかがなものか」 (命令した張本人がこれ) 橋下シンパの有本香氏も 「国会で辞職勧告で追い込もうというのはやはり異常」 と、橋下のこの発言に乗ったようです。 松井代表以下、維新の面々は 真っ先に逃げ出した橋下徹によって 盛大にはしごを外された形なので大いに笑ってあげましょう。 ちょっと脱線しておきます。 森友学園の土地取得問題は 財務状況が認可基準を満たしていなかったのに なぜか特例のように森友学園に認可を出した大阪府があったからこそ あの売却手続きが進んだのです。 ですので誰が一番憎いかと山本太郎が 安倍晋三と答えさせようと繰り返し籠池に質問したのに 「松井一郎大阪府知事です!」 と籠池に繰り返し断言されたのです。 ところがマスゴミは森友問題=安倍という事にするために この「大阪府が異例の認可を出したから土地を購入できた」 という部分についてもまともに報道しません。 そんな流れの中でしたから 大阪維新にとっては 安倍を潰せば問題を安倍に押しつけて誤魔化せるし、 うまくいけば政権与党に交じって利権を切り回せる。 そう考えたのでしょう。 松井一郎は小池人気に便乗しようと 「三都物語連携」なんてものをやりました。 ところが、小池の希望の党は 民主党の残党を入れてしまったことで それまで圧倒的だった支持率が一気に崩壊して惨敗しました。 マスゴミは小池が排除の論理を掲げたから支持が下がった と嘘をついていますが、 民主党が合流すると決めたタイミングで支持が急落を始めたんです。 「民主党の托卵戦術を排除しなかった」 これこそが小池が惨敗した最も大きな理由だと言えます。 さて、話を戻しましょう。 過去の動きを見れば松井以下維新というのは いざというときに寝返る小者ばかりが集まっています。 橋下という担ぎ手が集められるのがそのラインだったのでしょう。 そんな維新も江田憲司with有象無象を入れてしまって 江田憲司に乗っ取られた事もあったわけですが・・・。 2年前に丸山穂高議員は 代表選と選挙での総括をすべきと主張しました。 これが橋下の逆鱗に触れて党を追放されそうになりました。 丸山議員も感情にまかせて余計な言い方、余計な物言いをする という悪癖がありますのでここは大きな問題です。 (どうも彼の突発的な変な言動などを見るにアルコール依存症のように思います) 物には言い方というものがあるのですから。 もう35であり、国会議員なのですから 「若いなぁ」で済まされる問題ではなくなっていることを理解して 二度と、一滴たりともアルコールには口を付けないようにすべきでしょう。 宴会の場だから、勧められたからと 簡単に断酒の禁を破る事を繰り返すようではダサすぎます。 今回の問題の根本には維新の会の構造の問題があります。 維新の会の代表には任期がありません。 大きな選挙の後は見直すという形を取っているようですが、 実質的に党内で公平な選挙が行われた試しがありません。 ワンイシューポピュリズムの劇場型選挙のために 維新が散々批判してきた共産党が取っている体制と同じなのです。 日本共産党は不破哲三と党中央委員会が実権を握り、 志位和夫が20年もの間、 党規約も無視して無選挙でずっとトップを続けて来ました。 (共産党の党規約では役職は選挙で決めるとあるんです。内部のルールすら一度も守ったことのない連中が護憲といいつつルールを守らないのはある意味で当然なのかもしれません。) そしてなにがあろうとも志位和夫に責任を取らせない という体制を維持してきました。 志位和夫に責任を取らせない事によって その裏にいる不破哲三に絶対に責任が及ばないようにしているわけです。 維新の会も同じ構造を採用しています。 しかも維新の会は 「一地方首長が国会議員団の上にいる」 という極めて歪な形を取っています。 そして今回の 「ロシア大使館に謝罪しに行く」 という完全に的外れ、 いや、それどころか日本の足を引っ張る行動に至りました。 橋下としては大阪のローカル人気で絶対的基盤を作っているので そこを通して国政側も支配する構造が重要ですから 維新の会の橋下を頂点とする ・雇われ法律担当顧問という設定の一民間人 ↓ ・大阪市長 ↓ ・国会議員団 という歪な構造を維持しているのでしょう。 地方政治と国政は別物であり、 地方の利益と国の利益は往々にして利益相反を生みます。 地方と国の利益がぶつかった場合、 国側の視点から妥協点を考えるべき話です。 しかしながら、 維新の会は構造が真逆になっているので 外交に全く関与しないはずの一市長が 外交を処理する国会に余計な命令を出した形になってしまうのでしょう。 そして地方政治しか知らない、 それも橋下人気がなかったら ただの一地方議員で終わっていた人間が 外交マターにまで出しゃばれば 的外れな事をやらかすのも不思議ではありません。 橋下自身が外交オンチという事情もあって 今回のロシア大使館へ謝罪しにいく という頭の悪い事態に至ったと思いますが、 今回の丸山穂高の粛清を狙った事件は 維新の会の実態を見事に露見させてしまったと思います。 橋下としては自分に責任があるみたいな 「責任を取らない立場を真っ先に取って口先だけで言う責任」 で誤魔化していますが、 「雇われ法律顧問の一民間人」 という責任を取らなくて良い立場を取って 党の実権を握るという 橋下にとってこれ以上ない美味しい構造をまもるために 今後も党内で民主的な代表選挙や 選挙の総括は行わせないことでしょう。 北朝鮮方式の民主選挙ならやるでしょうけどね。 丸山穂高潰しの為に 劇場型選挙のために散々批判してきた共産党や立憲民主党、社民党と 躊躇亡く手を組んだという事実と、 散々批判してきた共産党と似たような構造を組織内に作って 責任を取らない人間が実権を握っている独裁政党。 この2点について改めて知られるべきだと思います。 さて、お次は政治とはちょっと関係のない記事を採り上げます。 【狂犬病予防接種は必要か…国内感染例60年以上なし、獣医師会は「接種率7割以上必要」と主張】 編集委員 石黒穣 飼い犬の狂犬病予防注射の必要性を巡り、専門家の間で議論が起きている。動物の疾病対策を受け持つ国際機関が、注射義務を定める狂犬病予防法の見直しを勧告し、国内研究者からも懐疑的な見解が出されているのだ。 「時代遅れ」国際獣疫事務局が報告書 狂犬病予防法は、年1回犬にワクチン注射を打つことを義務づけており、4月1日から3か月の一斉注射期間が始まった。 法律の「見直し」「改定」を勧告したのは、国際獣疫事務局(OIE)だ。日本の獣医療に関する総合的な評価報告書を2018年7月にまとめ、その中で言及した。 国内発生が1957年を最後に60年以上ない中で、流行リスクが「過度に厳しく」評価され、過剰対策になっているというのが理由だ。この報告書は、農林水産省および、同省とともに狂犬病対策を所管する厚生労働省内部の検討資料にとどめられ、国民には広く知られていない。 報告書は、狂犬病予防法が野良犬があふれた戦後間もない時期に施行されたものであり、放し飼いが原則禁じられている今日には、「時代遅れ」との見方を示した。実質的に、義務的な注射の廃止や緩和の検討を求めた。 狂犬病予防注射の料金は1回3千数百円だ。2017年度には全国で451万頭が予防注射を受け、飼い主の費用負担は全体で約150億円に上ったとみられる。 報告書は、日本の狂犬病対策で「費用対効果」の視点が抜け落ちているとの判断も示した。 OIE関係者は勧告について「国際的なリスク評価の基準を踏まえ、資金や労力の適正配分を重視している」と解説する。勧告に強制力はないものの獣医療効率化に向けて指標となる。 感染動物が侵入する確率、4万9000年に1度 一方、義務的な注射を廃止しても「大規模な流行は起こりにくい」とする研究結果をまとめたのは、山田章雄・東大名誉教授を中心とするグループだ。 山田氏らは厚労省の研究班として15年度まで、疫学や統計調査を行った。その後も研究を続け、最新成果を国立感染症研究所発行の学術誌(ネット版)で18年12月に公表した。 日本の厳しい検疫をすり抜けて感染動物が侵入する確率は、4万9000年に1度との計算値を示すとともに、万一侵入しても、感染の連鎖は起こらず自然に収まると結論づけた。 ~以下省略~ (2019/5/12 読売新聞) 日本のマスゴミの記者が知識と教養が足りず、 常にろくに勉強していないことは今更強調する必要はないでしょう。 もはや常識ですから。 そしてごく一部の学者などの言説を根拠に 珍説を発表してドヤ顔をするというのが 日本のマスゴミの定番になっています。 そして世論誘導に成功したら 書いた記者が自分の成果だと思い込んで ますます調子に乗るというのがパターンです。 狂犬病は東南アジアでは今でも発生している病気であり、 インドに至っては今でも毎年3万人ほどが 狂犬病によって死亡しているとされています。 日本では大正期に家畜伝染病予防法が制定され、 犬に対して狂犬病のワクチン接種が義務づけられたことで 大正末期~昭和初期には年3000件以上の発生例が 年間数件にまでおさえられました。 しかし、大東亜戦争によって起きた国内の混乱から この予防対策が滞ると 1940年代は年間1000件ほどの発生に戻りました。 そこで再び1950年に狂犬病予防法が施行され、 犬に毎年の狂犬病ワクチン接種が義務づけられ、 1956年の例を最後に国内での狂犬病発生は観測されていません。 (1970年にネパールで狂犬病の犬に噛まれて帰国後に発病した例が1件あり) 狂犬病はコウモリ、アライグマ、狐なども感染源となっており、 犬以外が媒介する可能性は大いにありますが、 実生活においての人間との接触の可能性を考えれば 常に身近に有り、人を噛む可能性が最も高いものの 飼い主が管理できる犬へのワクチン接種で管理していこうという この考え方をブログ主は支持します。 さて、一時期日本であった台湾も同様の制度があったこともあり、 台湾は長らく狂犬病の発生が確認されていない数少ない国の一つでした。 しかしながら、平成25年に野生のアナグマに狂犬病が確認され 狂犬病持ちのアナグマに噛まれた犬へ狂犬病の感染が確認されました。 今回採り上げた読売の記事ではワクチンは必要ないだの 日本に入ってくる可能性は49000年に1度程度だから必要ないだの おおよそ信用に値しない誘導を行おうとしています。 今の時期ですとナガミヒナゲシがオレンジ色の花を咲かせています。 日本に入ってきた外来種ですがあっという間に広がりました。 ついでいうとアツミゲシも とある河川敷で見付けましたが こちらは麻薬ゲシなので 下手に栽培したら捕まりますからご注意ください。 セアカゴケグモも日本に入ってきて 今や「セアカゴケグモがそこら中にいる」状態になりました。 セアカゴケグモは二次元的な巣を作る他のクモと違い、 三次元的な巣を作ります。 このあたりは観察すると面白いのですが それはまた別の話ですね。 今や輸送手段の発達により、 それまで日本に無かった動植物が日本に入ってきています。 そうした中で 「狂犬病の入ってくる可能性は49000年に1度」 なんて珍説をブログ主は全く信用しません。 日本で明治42年を最後に確認されていなかった 口蹄疫が平成12年に実に90年ぶりに確認されたのです。 このときは自民党政権であっという間に封じ込めをしましたが、 平成22年の赤松口蹄疫災害では 民主党政権のせいで大災害へと発展しました。 まさかと思っているものでも 輸送手段が発達した今となっては 今までよりもずっと入ってくる可能性が高くなっていると思います。 マスゴミの記者が 「無駄だからやめたほうがいい。(ごく一部の)学者もそう言っている」 とドヤ顔をして言ってきた話はほぼトンデモや妄言の類いだと そう切って捨てておくのがいいでしょう。 そういや立憲民主党は 「インフルエンザウイルスの無毒化は紅茶が一番です」 とか癌に対しての現代医療を否定して 「肝臓が元気になれば癌にならない、だから自然治癒を」 みたいな妄言を垂れ流したりしている (案の定ホメオパシー信者) あさぬま和子を公認して愛媛県議会へ送り込みました。 放射能デマのおしどりマコにしてもそうですが、 立憲民主党の人選ってほんとなんというか 一貫しているといえば一貫しているのですが 「ろくでもないのを探してくる」 という点ではすごいですね。
批判している共産党と同じ体質
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毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
しかし、どこまでも社会主義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
続く趙紫陽も学生たちの民主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
他方、愛国無罪が大きな「虚言」を蔓延らせる。
日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供を交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞��加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
逃げ回った挙げ句、通りに出た。
「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった」
「(中略)城壁の下には死骸が積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺されるという血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍は騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督鎮は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・絞縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には想像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」「大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されていた。
こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「南京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共自治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日本の警備隊32人を含む)が惨殺された。
居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「特務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとよ��、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
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しあわせの在処 2
風向きが変わったのは、ルキアが高校受験を迎える年になり、俺が白哉から執事に任命された、ルキア14歳、 俺が30歳になった春だった。
◾
あの当時2歳だったルキアは、すんなり俺を受け入れ、担当なのだから当たり前だが誰よりもルキアの傍に俺はいた。大きな病気や怪我をすることなく、ルキアはすくすくと育った。
1つだけ、朽木の家と約束させられたのは、ルキアの呼び方と俺の話し方だった。
けじめの為にもルキアの事を呼び捨てにするのは絶対駄目だと同じ使用人達に怒られた。自分達の立場からして、名前を呼ぶなら様をつける、もしくはお嬢様と呼ばなければいけないと散々怒られいきついたのは「お嬢」という呼び方だった。それから俺の口の悪さからルキアまでぶっきらぼうになってしまったことで、最低限の標準語を話せとこれは雇い主の白哉から言われた。
しかし時は既に遅く、ルキアは「男みたいな話し方をするお嬢様」に成長してしまった。
とはいえよく笑いよく食べ、わがままも言うしいたずらもよくするルキアは俺にとって世界一可愛いお嬢様に違いなかった。
何でも話すようになっていた8歳の頃、二人でバケツを持って裏の公園にドングリを拾いに行った帰り道
「いちごはけっこんしないのか?」
とルキアが俺の手を握りながら聞いてきた事があった。
「そのうちするかなぁ」
「そのうちっていつ?来年?10年後?」
「さぁ‥お嬢が大人になったらとか」
「今けっこんして、私がいちごの子供になってもいいぞ?」
「は?なんだよそれ」
「そしたらいちごは私のお父さんになるから」
楽しそうに言うルキアに少しだけ戸惑った。ルキアは父親が欲しいのだろうか。白哉という義兄が物足りないわけではないと思うが(白哉はルキアを溺愛しているし)考えてみればルキアには両親がいない。けれどそれは最初からだ。白哉の婚約者でルキアの姉だった緋真さんという方は、両親が他界していなかったと聞いている。その為白哉との結婚は朽木家から散々反対されていたらしい。
「みんながね、いちごのこと、お父さんだと思ってて。ルキアちゃんのお父さんかっこいいって言うんだ」
「へぇ?お兄さんじゃなくてお父さんか」
「お兄さんがいいのか?」
「そりゃそうだろー」
まだ20代半ばだったし、素直にそう答えればルキアはふぅうん、と曖昧に頷いて
「でもルキアにはにいさまいるから、いちごはお父さんがいいな」
と言った。
真剣に考えて答えたのかと、白哉が兄で俺が父親というどうなってんだよそれな答えでも、まぁいっかと笑ってしまった。
「それで、お父さんになったら、いちごはルキアのことルキアって呼ぶんだよ」
「へ?」
「だって、いちご、名前呼んでくれないから」
ルキア様と呼ぶには親しくなりすぎていた事もあり、お嬢と呼ぶようになったが、ルキアは実はその呼び方が好きではなかったのかと小さく落胆した。
「この家のひとだけだぞ、お嬢様とかルキア様なんて呼ぶのは。学校ではみんな、ルキアって呼ぶのに」
「そりゃそうだ。だって屋敷にいるのは会長と白哉様とお嬢以外みーんなお手伝いさんなんだから。おまえはお嬢様なんだから気安く名前でなんて呼べないんだよ」
そう言うとルキアは顔をフィッと背けて「だから、いちごがお父さんになればいいのに」と小さく呟いた。
小学校の高学年になると今度は「いちごがこのまま結婚できなかったら、私がしてやるから安心しろ」と余計な心配ができる程に成長した。俺が誰よりもルキアを可愛いと溺愛していることに、ルキアが応えてくれることが嬉しかった。そんな風に時は穏やかに過ぎていった。
◾
◾
「本日より朽木家でお世話になります、井上織姫です!宜しくお願い致します」
そう自己紹介をしてから俺に満面の笑みを向けてきた井上に心底驚いた。
井上織姫は俺と同じ孤児院で育った3つ下の女だった。俺が孤児院を出てから彼是もう10年以上会っていなかったが、その独特の名前と幼い頃の面影を残した笑い方で直ぐに思い出すことができた。
「久しぶりっつーか半世紀ぶりだよな、驚いた、大人になったなぁおまえ」
「もう27だもん、大人だよぉ。一護君もなんか雰囲気変わったね、柔らかくなった感じ」
「そぉかぁ?それにしてもすげー偶然だな!ていうかおまえは大学行かなかったのか?あそこで一番頭よかったろ?奨学金でなら行かせてやれるとか院長言ってた気がすんだけど」
「そうだよ、大学出て薬剤師の資格もとって、ここに来たの」
「へ?」
「なかなか教えてもらえなかったんだよね、一護君の場所。やっと教えてもらえて、だから此処に来たの」
「織姫?」
井上の言葉がよくわからなくて首を傾げれば、古参の松本さんが俺の背中をばしんと叩いた。
「にっぶいわねぇ~?この子はアンタを追いかけて此処に来たって言ってんでしょーが!」
そうでしょ?と井上にウインクして松本さんは笑った。井上は昔と同じようにたはっと笑う。
「そうです、追いかけてきたんです。昔からお兄ちゃんみたいで大好きで、出ていっちゃってからも諦められなくて、やっと見つけたんです!これから、またあの頃のように一緒に過ごせると思うとほんとに、あたし、あたし」
ぼろっと大粒の涙を流した井上に皆が驚いたが、本人が一番驚いているらしく
「あれ!? 嬉しいのに、なんでアタシ泣いてんだろ、やだ、ごめんなさいぃ」
と泣きながらまた、たははと笑った。天然なのこの子?と松本さんが呆れて笑えば皆も笑った。
「ったく、大袈裟だな相変わらず」
「大袈裟じゃないよー、本当に会いたかったんだからぁ」
上目使いの涙目でそう言われると、胸がどきんと変な音をたてた気がした。
井上は誰とでも仲良くなれるし実際その明るさから皆の人気者でもあった。けれど確かに俺の傍にいつもいたように思う。突然消えた俺をずっと心配してくれてたのかもしれなかった。
「じゃぁまずお嬢に挨拶に行くか」
「ルキア様だね!あたしまだお会いしてないんだぁ。すごく可愛らしいんでしょ?」
「いやぁ‥気が強いわりに意気地無しで無愛想だぞ?でも気さくで根はいい子だから大丈夫だ」
「あ、じゃぁあたし今日皆さんのご挨拶にクッキー焼いてきたんだけど、お嬢様にも食べてもらおうかな?」
「お、おぅ、お嬢甘いもんすきだからな‥」
と言いつつ、多少不安になった。というのも井上は想像を絶する味覚音痴だからだ。ただ孤児院の時から「くそまじぃ!」「食えねぇ」と言わ慣れているからある程度は自覚していると思うし、昔の話だから今は料理もできるようになったかもしれない‥と一抹の不安を抱えたままルキアの部屋をノックした。
「入れ」
という声に井上は、ぅわぁ、ときどきするよーと足をジタジタ暴れさせた。平気だよ、と肩を押しながら扉を開ければ振り向いたルキアは不思議そうな顔で俺と井上を見た。
「お嬢、今日から新しく入った井上だ」
「井上織姫です、ルキア様宜しくお願い致します」
「あぁ、此方こそ、よろしく」
いつもなら無駄に突っ掛かってくるルキアが何故か無駄に大人しい。変な沈黙ができてしまった。
「あの、ルキア様、甘いものはお好きですか?」
同じように沈黙に耐えられなかったらしく、井上が持ってきたクッキーをルキアに差し出した。
「これよかったら召し上がってください、あたしが作ったものなのでお口にあうかわかりませんが」
「‥手作りなのか?」
「はい!お料理大好きなんです!」
「へぇ‥」
相変わらず言葉少ないルキアだが、ありがとうとクッキーを受け取ってペコリと頭を下げた。
「やだ、お嬢様が頭なんかさげないでくださいよぅ!それに美味しいかわからないですし」
「うん、織姫の料理は俺も庇えないとこあるから、無理しなくていいぞ?お嬢」
「ちょ、ひどいよ一護君!」
顔面真っ赤にして井上が声を裏返した。その様はまだ幼かった頃の井上と変わらなくてプッと思わず笑ってしまう。
「用はそれだけか?」
俺と井上が笑っていると、静かなルキアの声がした。
「挨拶だけなら出ていってくれ、私は宿題があるから。井上、これから宜しく頼む」
「は、はい!!」
「‥‥お嬢、宿題わかんなかったら呼べよ?俺がいなかったら、織姫も頭いいっつーか、俺より頭いいから織姫に頼んで大丈夫だぞ?」
「‥わかった」
そう言うとフィッと��に顔を向けてしまった。なんだ?機嫌が悪いのか体調でも悪いのか?と思ったが、井上も一緒だったしそのまま失礼します、と部屋を出た。
「うわー、緊張したぁ。白哉様と雰囲気そっくりだね!」
「いや、普段はもっと元気っつーか‥なんかごめんな織姫、お嬢態度悪くて」
「やだぁ、なんで一護君が謝るの~?自分の彼女でもないのに」
お金持ちのお嬢様なんてあんな感じでしょ?と笑う井上に、巧く言葉が続かなかった。
いや、ルキアはあんな感じじゃない
それから、確かに俺の「女」なわけでもない
さっきの態度が気に入らないし気にかかるし、井上にお嬢様なんてあんなもんなんて言われるのも何もかも嫌だった。嫌だったけれどそれがどうしてかと言われたら答えられない気がして、なにも言えなくなった。
そしてその日からルキアはあからさまに俺を避けた。
いつものように、夜の紅茶を部屋に運んでも一切喋らない。ありがとう、と礼は言うも俺の方に顔すら向けない。いつもなら宿題してようが本を読んでようが俺に仕事が残っていようが喋り続けて部屋から出さないようにするくせに。
「どこか具合が悪いのか?」
「悪くない」
「でもお嬢、最近変だぞ」
「‥‥用がないなら出てってくれ、私はやることがあるから」
そうかよ、と心で悪態をついて部屋を出た。なんなんだあの態度。全くかわいくないったら。反抗期なんだろうか。反抗期だとしたらどう接したらいいのかわからない。多分白哉に聞いたってわからない気がした。
俺を此処に連れてきた朽木白哉とは、十数年の時を経ていつのまにか親しい間柄、信頼しあえる間柄になっていた。
正直なところ何度も大喧嘩したし(90%ルキア絡みで)出てけ、出てくよのやり取りも数えきれない。けれどいつでもルキアが泣けばお互いに身を引いた。そんな感じで気がつけば、俺は「ルキア担当」から「執事」にまで昇格していたのだ。とはいえ、此所で働く人達は皆年上だし職歴も長く、執事になったとはいえ相変わらず使用人達から敬われる事なくイジられる方が多いままだった。
◾
お疲れっすーと使用人達の休憩所に顔を出せば、わりと気のおける使用人達が一服するなりお茶を飲んだりと寛いでいた。
冷蔵庫からヨーグルトを取り出してソファにどかっと腰をおろした。上を向いてはーっと大きく息を吐き出す。最近これが癖になっていた。モヤモヤをどう消化していいのかわからなかった。こうすれば、身体の中の悪いものを少しは吐き出せる気がした。
「最近元気ないけど、執事の仕事辛いんか?」
やはり古参で朽木ロジスティクスのドライバー兼白哉の剣道の相手もしている射場さんが聞いてきた。
「いや、そんなことないっすよ」
「でもおまえ、最近やたらため息ばかりじゃけぇ、あんま笑わんし」
「‥‥そう、かな」
確かに笑ってない気がした。だってそれはルキアが笑わないからだと責任転嫁してしまう。
「お嬢様も元気ないですよね‥最近はよくお庭で阿散井君の邪魔してうっぷんはらしてるとこあるし」
「‥‥は? 雛森、今なんつった?」
「え?だから最近黒崎さんが忙しくて遊べないからか、よく庭師の阿散井君のとこにいて、脚立蹴って阿散井君倒したり、変なところ鋏で切ったり、散井君の邪魔して困らせて遊んでるから」
なんだそれ?
何故か突然腸が煮えくり返るような熱く苦いものが込み上げてきた。ルキアが庭師をからかって遊んでるだと?俺とは口もきかない目もあわせないクセに?何だそれ、じゃぁ単純に俺を嫌って避けてるだけってことか?
嫌われている、と思った時点で今度は急速に胸が苦しくなった。なんで?ルキアに何かしちまったのか俺
「ちょっと大丈夫?黒崎君百面相しちゃってるけど」
「ルキア様を庭師に取られて悔しいんか?」
「あの庭師よりは黒崎のがいい男だけどなぁ」
皆が好き勝手言って笑うなか、全然笑えなかった。庭師の阿散井は最近新しく入った刺青男だ。最初ルキアは怖がっていたから、そんな悪い奴じゃねぇよ、見た目で人を判断するなと教えたのは俺だった。
なのに今俺は、阿散井が何だかとてつもなく憎たらしい奴な気にすらなってくる。
「‥俺より阿散井といるのが楽しいのかもな、年も近いしさ。最近俺とはまともに口もきいてくんねーよ?反抗期かもしんねーと思ってたんだけどさ」
はは、と笑ったつもりだがなんだか渇いた笑いになった。今の言い訳はだせぇしカッコ悪い。余計なこと言っちまったと頭をガリガリ掻いて誤魔化すように無理矢理笑った。
「お嬢様は拗ねてるんじゃないですかね」
コック長の虎徹さんの声に、何が、と怒りのまま反応してしまえば虎徹さんは困ったように、でも笑った。
「今まで自分のものだと思ってた黒崎さんに、可愛い女の子が現れたんですから。お嬢様にしてみれば井上さんは全然悪くなくても、ライバルが現れたようなもんじゃないんですか?」
「ライバル?井上が?」
罪な男やのぅ~と射場さんが豪快に笑いだして、雛森がお嬢様可愛い~とやはり笑うなか、頭がうまくついていかない。
でもー
確かに機嫌が悪くなったのは、俺が井上を紹介したあの時からだった、気がする。
え?
まさか
ルキアは、やきもちをやいて拗ねているのか?
「まだまだ子供な部分と女性の部分、両方持ってる今、お嬢様双方の想いからくる嫉妬心にうまく対処できないんじゃないですか?」
虎徹さんの言葉にじわりじわりと胸が頬が熱くなる。何よりなんだかとんでもなく恥ずかしく、けれど油断したらにやけちまいそうで口許を手で覆って天井を仰いだ。
そうか、やきもちか
ルキアも一丁前にやいたりするのか
バカな奴だ。俺の全て、俺の生きる源がルキアでしかないのに。
「だから、黒崎さんも反抗期だからって放っておくより、いつも通りに構って構って構い倒したほうがお嬢様も元気になるんじゃないですか?あ、その時は井上さんは連れて行っちゃだめですよ」
「わーかってますって。あーめんどくせぇなぁ、まったく本当にお嬢の奴ぁガキだなぁ」
「そげな事言って、黒崎もよーやっと笑ってんじゃねぇか」
確かに今、久しぶりに楽しい気がした。
ここ数日のモヤモヤしたものが全て吐き出された気がした。よし、明日は朝からルキアに鬱陶しがられるぐらいまとわりついてやる。そう決めてしまえば早く明日にならねぇかなと、久しぶりに早く布団にも入った。
◾
◾
ところがそう易々と、巧く事はすすまなかった。
相変わらずルキアの機嫌は治ることなく、話しかけてもちょっかいかけてもつん、と澄まして会話に乗ってこない。あれ?焼きもちじゃなかったのかと段々とまた、俺のテンションも下がり始める。
何より腹立たしいのは庭師の阿散井の存在だった。どうやら頭は良くないのか宿題を頼む(ルキアは隙あらば人に宿題をやらせようとする)事はないようだったが、雛森の言うとおり、ルキアはよく阿散井にいたずらをして慌てる阿散井を見ては楽しそうに笑っていた。その光景をみかける度、とんでもなく俺の機嫌は悪くなった。モヤモヤとしてムカムカする。胃腸薬でも飲めば治まるかと思ったが全く効かない。
ついこの間まで
ルキアのあの笑顔は俺に向けられていたのに
そう感じてしまえば、胸にまたモヤモヤと黒い塊が巣食う気がした。なんだかんだと既にルキアとギクシャクしだして一月ほど経とうかという頃、井上が嬉しそうに俺の元に走ってきた。
「一護くん、みてみて!」
「ん?なんだ」
「お嬢様がケーキ焼いてくれたの、この間の礼だって。一護君と一緒に食べてくれって」
愛想悪いけど、可愛いよねぇお嬢様と嬉しそうに喜ぶ井上にはホッとするも、それでも今度は井上まで憎たらしく思えてくる。だって、何故?何故井上にそれを渡す?
二人で食べろというのも気に入らないが、本来なら俺に渡してくれてもいいじゃないか。今朝だって帰宅時だってルキアの部屋に顔を出しているのに。俺にも食べろと言うならケーキを焼く話を一言も言ってこなかったのは何故だ?
まだ何か話している井上に「後でもらうから」と声を掛けてルキアを探した。彼処にいて欲しくないな、と思いながら中庭に行けば予感は的中、中庭の松ノ木の手入れをしている阿散井の足元に、ルキアはいた。
何か話しかけているが、阿散井は仕事中の為生返事だ。ルキアは少々ふて腐れているようで唇を尖らしている。けれど唇に反して大きな瞳はいつもみたくきらきらと輝く事なくどんよりとしている。
ルキアが阿散井に無防備なことも、阿散井に話をまともに聞いてもらえないから拗ねている(ように見える)ことも、どちらも気に入らなかった。ルキアの担当とはいえ自分にそんな権利はないのだと冷静に判断できるのに、それでも怒りが爆発しそうな自分がいる。その時ルキアが脚立の下に置いてあった枝切り鋏を手にとって、阿散井からは死角の場所の木の枝をざっくり切り落とそうとした。
その瞬間、身体は動いた。
それはその木が、会長が大事にしているというのは、ある。だがそれは建前でしかなかった。
「ひゃ!? い、一護?」
「何してるんだお嬢!」
いたずらが見つかった子供のような顔と声のルキアに対して、俺の声は暗く低く、顔は般若なのようでしかなかっただろう。
「なんで阿散井が困る事ばかりするんだ!いい加減にしろ」
「え、あ、」
俺の本気の剣幕にあてられたらしく、ルキアは顔を強張らせた。
「自分がお嬢様��ことを鼻にかけるな何しても許されると思うなと百万回言ってもお嬢にはその意味も気持ちも伝わらねえんだな」
「鼻にかけてなんかない!」
「この木は会長の生まれた年に植えられた会長の大事な木なんだ。お嬢がそれを切って歪にしても、その責任は阿散井がとらされるだろうな。クビになろうと阿散井はお嬢の名前は出せない、出したところでお嬢は叱られることもない。でも阿散井は仕事を失う。それわかっててこんなことしてんのか?なぁ!」
「‥‥ち、違‥‥」
少し言い過ぎてるし言葉もかなり乱暴なのはわかっている。わかっていてもどうしても止められない。お嬢様であるルキアにこんな態度をとっていいわけがないのに、細いルキアの手首を掴んだ指には力が増してしまう。
「違う、そんなこと思ってなかった‥‥だから、ごめんなさいごめんなさい」
「俺じゃねぇだろ謝るのは阿散井にだろーが」
「黒崎さん、俺は大丈夫です、お嬢様離してやってください」
あたふたと脚立から降りてきて阿散井は俺に懇願した。おまえが決めることじゃねぇしえらそーに助言してくんじゃねぇと睨み付けても阿散井は「黒崎さん、」と 引くことなく俺を呼んだ。
「お嬢様、寂しいんすよ。貴方が執事になられて忙しそうで。他の使用人に聞いた��お嬢様が赤ん坊の頃から貴方は傍にいたそうじゃないですか」
「今だって俺は執事兼お嬢の担当だ」
「だから、お嬢様は、貴方を思って前みたく甘えてはいけないと、負担になるからとー」
「やめろ!恋次!」
阿散井の話は素直に俺の心届きかけていた。けれどルキアが阿散井を名前で呼んだ時、またしても怒りに似た感情的が込み上げた。
「お嬢、話がある、話しましょう」
「い、いやだ!一護と話すことなんかない!」
ズキッと身体のどこかが傷んだ気がした。でも痛みなんかに負けるわけにはいかない。
「来なさい!」
「ぃゃぁあ!れ、恋次!」
担ぎ上げて肩に乗せれば、ルキアは悲鳴をあげて阿散井に助けを求めた。ぱしんとその小さな尻を叩けばイヤだぁぁと大きな声をだした。そのせいで母屋で薬の調合をしていたらしい山田さんや井上が飛び出してきた。
「ど、どうしたんです?お嬢様‥って黒崎さん何してるんです!」
「い、一護君、だめだよ、お嬢様をそんな風に扱ったらだめだよぉ~」
オロオロとする2人にいいんだよこの馬鹿姫様には説教が必要なんだと言おうとした時、
ルキアの小さな手が俺の背中のあたりのシャツをギュッと握りしめた。さっきのように山田さんや井上には助けてとも言わない。なんだ?と思ったが大丈夫だから、と2人に言ってずんずんと庭の奥にある蔵に入る。ルキアはこの場所が嫌いだ。なぜなら此所は窓がなく、剥き出しの古びた橙色の電球しかなく不気味だし、小さい頃から悪いことをして俺に怒られるのもいつも此所だからだ。
「まず、言いたいことあるなら言えよ」
ルキアを腐葉土の袋の重ねてある場所に座らせて、仁王立ちで見下ろしながら威圧的に言えばルキアはふるふると首を振った。
「何も、ない」
「そうか、じゃあ聞く。なんで俺を避ける?」
「‥‥‥‥」
都合が悪くなるとだんまりになるのは小さい頃からのルキアの癖だ。そしてこのだんまりになる時のルキアが腹に一物ある時なのも知っている。
話すまでここから出してやるつもりはなかったし、けれどルキアもなかなか素直に話をしそうにない。長期戦になるのであればと仁王立をやめてルキアの目の前にどすんと座って胡座をかいた。
◾
◾
「‥‥さっきの阿散井の話じゃねぇけど」
あまりに頑固に口を閉ざして三角座りのまま動かないルキアに根をあげて、口を開いたのは結局自分だった。
「俺が執事になったのが、気に入らねぇの?」
「そんなことはない」
「俺の担当はお嬢だから、おまえの相手を疎かにしてるつもりはない。でもなにかしら不満なんだろ?そうでなけりゃ理由を言ってくれ。ワケわからなけりゃ悪いところあっても治せねえんだけど?」
「‥‥だから、別に、貴様は悪くない」
「あ、そう。じゃあなんで俺を無視する?」
「無視してない。今も話してる」
「最低限な?それもいきなり最低限な会話以外話さなくなった。なんなわけ?俺が疎ましいのか?それならそう言えばいいだろ?会長でも兄貴にでも。おまえが一言言やぁ俺は簡単におまえの担当から外されるんだから。気に入らねぇならこの屋敷から追放すりゃいいし、喋りかけられるが嫌なら2度とお嬢と話さないで視界から消えてやるよ」
「い、イヤだ!そんなの許さぬ!」
突然泣きそうな顔になってルキアが顔をあげて俺と目をあわせた。大きな菫色の瞳に久しぶりに俺を写した。俺の瞳にもルキアの顔が久々に飛び込んだ。ただそれだけなのに、何故か胸が熱くなった。
「じゃぁ何で俺を避ける?」
「‥‥」
「言え、言わなきゃここから出さねぇぞ」
「‥‥‥‥」
それでも理由を聞けばルキアはまた俯いてしまう。なんなんだよどうしたんだよコイツはと、はぁ、と大袈裟に溜め息を落とす。
「‥‥阿散井と随分仲良くなったんだな」
だんまりのままはきついし、さっき阿散井を名前で呼んでいたのがひっかかっていたせいか、ついそう言ってしまった。
「‥‥貴様が、悪い奴じゃない、仲良くしろと言ってたから」
なんでそこはそんな素直なんだと、悪いことじゃないはずなのに何故かイラッとしてしまう。そのため言葉が続かない。仲良くしろと言ったか?俺、いやそんな事はどうでもいいんだけど。
「おまえが使用人を名前で呼ぶなんて珍しいからさ。相当気に入ったのかと思って」
棘のある言い方な気がしたが仕方ない。素直にそう思ったし、今じゃ俺より阿散井になついてるように見えて面白くなかったのだ。
ルキアはちらりというよりはぎろりと睨むように俺に目線を寄越して
「そうだな、恋次好きだ、いい奴だし」
とにっこり笑ってでもちっとも可愛くない事を言う。
「あ、そ。じゃあ阿散井におまえの担当変えてもらうか?俺より阿散井のがおまえもいーんだろ?」
「‥‥貴様がそうしたいならそれでも構わぬ」
「はぁ?俺のせいにすんなよ、てめぇがそうしたいんだろ?阿散井のがいいっててめぇが白哉に言えよ」
「違う!私じゃない!私の担当辞めたいのは貴様だろ!」
「そんなこと言ってねぇよばーか!」
「ばかだと?ばかは貴様だ!い、井上に一護君とか呼ばれて鼻の下伸ばして、井上の事をな、名前で呼んで‥‥」
「はぁ?なんだよそれ」
「井上と一護はつきあってるんだろう?ずーっと昔から!彼女いるなんて1度も私に教えてもくれなかったくせに!」
「彼女?何それ?そんな話知らねぇけど」
「松本が教えてくれたぞ、井上は貴様といたくて追いかけてきたって。よ、よかったな、今まで私の世話ばかりして彼女にも会えないで、さぞかし辛かっただろうな、怨んでるだろ私のこと‥‥」
尻すぼみに小さくなるルキアの声に、漸くこいつなりに気を使っていたのかと気がついた。思わず笑いそうになるのを堪える。笑うのは馬鹿にしてるからではない、単純にルキアが愛しかったし、俺も嬉しくなったのだ。でもここで笑えば素直でないルキアはもっと盛大に拗ねるだろうと、天の邪鬼にも溜め息を落とした。
「すっごい勘違いだし、余計なお世話だ」
「な!」
「俺と井上は幼なじみってそれだけだ。確かに十年ぶりに会えて嬉しかったけど、正直忘れてたぐらいだ。そんな関係でしかないのに勝手に彼女にしておまえが拗ねるとかやめてくんね?」
「‥‥名前で呼んでたくせに」
「俺の育った場所では皆下の名前で呼ぶんだ」
「‥‥そう、なのか?」
泣きそうというよりは、心配そうに甘えを分段に含んでルキアが俺を見上げてくる。
バカだなぁと我慢できずに結局笑ってしまったが、ルキアは怒らなかった。「一護に内緒にされてたのかと悔しかったし、二人が名前で呼びあってたから‥松本の言うことを信じてしまったんだ」 モジモジとしながら一生懸命言い訳するルキアをそっと抱き上げた。今度はルキアは降ろせともやめろとも言わない。子犬のように俺に身を任せているがそれでもまだ少し不貞腐れているようだ。
「俺は、お嬢が嫁に行くまでどこにもいかねーし誰のもんにもならねぇよ。俺はお嬢のモンだから余計な気つかうんじゃねーよ」
そう言ってぎゅっと抱き締めてやればふわりと腕をまわしてしがみついてきた。
「そうだ、いちごは、わたしのものだから、誰にもやらないぞ」
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