#仏壇の日
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candlejp · 2 years ago
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特別な日に絵蝋燭のお供え
煤けず最後まできれいに燃焼します
On special occasions, offer our painted candles.
They burn cleanly until the end.
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koch-snowflake-blog · 7 months ago
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傳谷 英里香は、日本の女優。千葉県出身。KON-RUSH所属。女性アイドルグループ「ベイビーレイズJAPAN」のリーダーであった。 ウィキペディア
生まれ: 1995年11月2日 (年齢 29歳), 千葉県
映画: なれたら
身長: 158 cm
事務所: レプロエンタテインメント(-2022年7月); KON-RUSH(2022年11月-)
血液型: B
日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれた。洗礼名はアンジェラ(Angela:イタリア語で天使の意味)。日本語の語順ではアンジェラ傳谷英里香となる。
スポーツ全般が得意。公式プロフィール記載の特技であるバスケットボールは小中の7年間部活に入部しており、中学生時代には副キャプテンを務めていた。同じ時期、水泳部、陸上部も掛け持ちしていた。スキューバダイビングは2017年夏に日帰りで資格を取得。
運動能力反射神経ともにメンバーの中ではずば抜けており、ベイビーレイズのメンバーと運動で争う企画では独壇場であった。
ピアノも幼少時より習っており、「第17回Japan Expo」のため渡仏した折には撮影で訪れたモンマルトルの丘にて両親の思い出の曲であるサザンオールスターズの「TSUNAMI」を演奏し、居合わせた現地の人や観光客の注目を集めた。
ベイビーレイズJAPAN結成以前はモデルまたはソロアーティスト志望であり、黒木メイサや安室奈美恵を目標としていた。このため結成当初はアイドル活動に全く乗り気では無く、自身のTwitterやブログなどで「元々アイドルというものが苦手でやりたくなかった。」とも語っていた。しかし、ベイビーレイズJAPANのメンバーとして活動していくにつれて「今は(アイドルが)好きです。ちゃんと言えます。」「前の自分に会ったら引っぱたきたいくらい全然違う世界だった。」と思うようになり、アイドルに対する考え方も変わってい��たという。
ベイビーレイズ時代は「やるならとことん」を座右の銘としてことあるごとに明言しており、キャッチフレーズにもなり実際の行動規範ともしていた。
10代の間に体験しておきたいと、20歳の誕生日前に群馬県のみなかみバンジーでバンジージャンプを体験した。
ベイビーレイズ(JAPAN)時代はハーフと言うこともあり漢字が苦手キャラであったが、読書家であり実際はそれほど苦手ではない。自身の苗字の「傳」の字もバランスよく書きこなし、客観的には達筆の部類に入る。
『世界ふしぎ発見!』(TBS)の解答者として初めて出演した回を含め合計3度{2019年5月時点}もの全問正解のパーフェクト賞を獲得し、推理力・考察力に秀でた才女ぶりも披露している。
ロック音楽が好き。2017年1月に名古屋で共演してからSUPER BEAVERの大ファンとなり、1人でワンマンライブに参戦するほどである。女性シンガーでは阿部真央やあいみょんが好き で、ファンクラブイベントで彼女らの曲を歌唱披露したこともある。
読書好きであり、仕事の合間を縫って様々な本を読んでいる。哲学書や自己啓発本も好んで読む。小説も幅広く読むが、川村元気や住野よるの作品に造詣が深い。漫画はほとんど読まないが、ファッション関係の仕事に関心が強いこともあり、『ランウェイで笑って』は好きな作品であると表明している。
映画も非常に好きで、オフや仕事の空き時間を縫ってよく鑑賞する。幅広いジャンルを鑑賞するが、ドキュメンタリー物が好み。ファンイベントでは、おススメの映画として『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』、『湯を沸かすほどの熱い愛』、『ワンダー 君は太陽』、『ルーム』、『君が生きた証』を挙げ、作品に対する熱い想いを大いに語った。
  
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kennak · 7 months ago
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年収っていうか年商だけど。原価もそんなにかからないから年収って書いた。 こんなこと匿名でしか書けないけど何年も頑張ってきたからマジで嬉しくて誰かに言いたくて書いた。 特定回避のために用語は全部一般的なワードに置換えて書く。 どんなことしてるか概要 一言で言うと新興宗教の教祖。 信者は400人くらい。 会費はないのでお布施とグッズ販売のみ。 あと信者に健康食品とかを売ってて(合法だぞ)、 それで全部合わせた金額から経費を除いてだいたい3000万。 宗教法人じゃないから半分くらい持っていかれるけどな…… どうやって始めたか 元々宗教とかには全く無縁だった。そりゃ墓参りとクリスマスくらいはやるけど。 街中で新興宗教の勧誘を見るとうわぁ……って思って��。たぶん普通の感覚だと思う。 やろうと思ったきっかけは、某首相暗殺事件後ニュースでフォーカスされた3000万円の本とか壺とかを見て、これめっちゃ儲かるなって思って興味を持ったこと。 ノウハウを見ようと思ってそこそこ有名な新興宗教に入って、3か月でさっと脱退。 引き抜きはバレたら怖いからしなかった。 街中で地道に声かけて人集めて、初めて信者になってくれたのが勧誘始めてから1ヶ月くらいだった。 SNSも使ったけどあれはダメだな。 やり方が良くなかったのかもしれないけど、SNS経由で定着した人は一人もいない。 その後は信者に勧誘させて、増えて、勧誘させて……で倍々ゲーム。 軌道に乗ったら俺は勧誘とかしないで教祖としてふるまうのに集中した。 集金方法 お布施 基本はこれ。うちは会費がないので、『サービスに対する対価』として払ってもらってる。 オ○ムのイニシエーションってあったけど、あんな感じ。 悩みを聞いてそれっぽいこと言ったり、修行させたり。 金額によってサービスに差がついていて、 安い料金を払うと5人同時のお悩み相談で、高い金払えばサシで相談できる、とか。 ちなみに料金表もある。高いメニューは『時価』(実際は別のワード)って書いてた。 お布施の金額に応じて賞状みたいな紙を配っている。 あとは集会やイベントのたびにその月の布施の額の上位ランカーを発表して皆さん見習いましょう!って言って煽る。 イベント 布施を誘発するために定期的に行う。 うちは仏教オマージュなので、盆と彼岸と正月にイベントを行う。 イベントと言っても大したことはできない。 ホール借りて、ゲスト(呼べる範囲で有名な歌手とかタレント。まあそんなすごい人は呼べない)呼んで楽しませて、 説法してみんなで歌って終わり。上に書いた布施の金額の表彰式もここでやる。 物販 布施の次に稼いでる。 ありがたいグッズを販売する。お守りが多い。大きいのだと仏壇(といっても小さめのやつだけど) 俺はアニメとか好きだからその手のグッズを結構参考にしてて、ランダムで出てくるキーホルダー型お守り(全20種)とか用意したら結構評判良い。 外部のデザイナー(全然宗教関係ない人)に企画をお願いして、 市販のカスタマイズできるグッズ制作サービスを使ってる。 中には俺の写真入りアクリルスタンドとかあって自分でも笑っちゃうんだけど、それを握りしめて祈ってる信者を見ると少し嬉しい。 本もやっと1冊出した。自費出版。ちゃんと俺が書いたよ。調べたけどゴーストライターって結構高いんだな。 健康食品 信者は老人が多いので、売れるかなと思って始めたら結構売れる。 これもパッケージをカスタマイズできるサービスがあるので適当なお茶とかを売ってる。 薬って言っちゃうと捕まるからあくまで健康食品。 宗教っぽいこと言ってごまかすしかない。 気を付けていることは、同じ食品でいかにも宗教なパッケージと穏当なパッケージの2種類を用意すること。 一見宗教っぽくないパッケージは信者が非信者の身内(親戚、知り合い)に配る用にちょうどいい。勧誘にもなる。 大変なこと メンタルへの負担がデカい。信者って基本情緒不安定だからその人達と話してると辛くなる時がたまにある。 ただ超然とした態度を貫いた方が教祖っぽいかなって思ってるから、同調しないことを心がけてる。 教義を考えるのも結構大変。 修行熱心な信者がいて、ある日教義について「ここって矛盾してませんか?」というようなことを言われた時はかなり焦った。 (その場は上手く誤魔化して、その人には教義を考えるチームに入ってもらった) 組織運営も気を遣う。 信者にメンヘラが多いからすぐ喧嘩する。 一応教義で仲良くしなさいって言ってるから露骨な喧嘩はしないけど、仲間外れにしたりする。 多くの場合仲間外れにされた人に原因があるんだけど、そいつが離脱するのも困る。 かといって学校の先生よろしくコラー!って言うのもカッコ悪いから、階級(うちには布施や歴によって決まる階級がある)が一つ上の人間に解決させる。 この辺かな。でもこういう悩みって普通の会社でも同じだよな? 金もらえてるから余裕で頑張れる。 当面の目標は宗教法人になること。税金が重すぎる。 読んでくれてありがとう。あなたの今世と来世に幸せがありますように!
ビジネス宗教作ったら2年で年収3000万いった
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moment-japan · 3 months ago
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奈良・霊山寺 十一面観音立像(重文)
国宝重文建物6棟、重文仏像宝物30余点を所蔵する奈良の霊山寺。
バラの寺としても知られ、境内には賽の河原や鳥居があり、腰痛に効くといわれる「腰抜け地蔵」という胴体を真っ二つに切られた地蔵がいることでも有名です。
奈良時代の天平八年に来日したインド・バラモン教の僧、菩提僊那(ボダイセンナ)によって名付けられた法相宗と真言宗の2宗兼学の寺。
重文の十一面観音は平安初期の作で、壇像(香木彫りで無彩色の素地仕上げ)の仏像。
右手のハンドサインは、願いを聞き届けて成就させる与願印で表現され、左手には水瓶を持ち、大胆にデフォルメされた体型と唯一の彩色である朱色の口紅が特徴。
薩摩・長州が中心となった明治維新の廃仏毀釈による大規模破壊により伽藍の規模は半減、200体以上の仏像焼却の運命をたどった中から救出された希少な仏像の一体です。
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dai-mori · 8 months ago
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Chuo-cho, Meguro, Tokyo / Dec. 2020
Rollei 35AF、ペンタックスのハーフに続いて今度は35mmのAF搭載のローライ発売か。この流れがフィルム回帰へ進むとは言い難い。あくまでもコレクター意識の価格だしね。でもフィルム需要が上がって再生産が進むかフィルム販売価格が下がれば嬉しい。バイク業界の原付50ccも中古フィルムカメラのようになっていくのかね。二段階右折と制限速度30km/hが無ければ50ccは自分にとって理想なんだけどねぇ。電動系のモペットなどの法規の線引きも曖昧になっている現状、原付もエンジン、骨格共に50ccではなくなるわけでパワーを制御したところで無理あるよな。でもそもそものトコ、当たり前のようになってたけど車の普通免許にオマケでくっついてくること自体がおかしいのかもなぁ。車と原付ではまったく異なるわけで諸々条件見直す機会かもね。そんなこんなではないけど、話変わってカブ50ccの最後のヤツ発表されたね。アレは原点回帰モダンスタイルと謳うだけあって今昔融合のデザインバランスがいいね。自分にとってのリアルが90年代だから95年製の半分スクーターみたいな半端で不人気のタイカブ買ったんだけど1960〜70年代の古き良きには常に憧れがあってやっぱ王道は「鉄カブ」だよねっていうのはあるわけ。でも6Vで各種部品の消耗とかも考えるとメカに詳しいヒトで日頃から手入れしながら乗れる人に限られるしそういう手がかかる子ほど可愛いって思える人にしか乗れないよね。逆にFIのカブに乗ったことないけど現代のメカ機構は快適なのだろうから、その間を押さえたファイナルエディションのカブ50ccは集大成としてもいいなぁ。個人的に特別版みたいな型でイチバン好きなのは生誕50周年のヤツね、あの霊柩車?仏壇?みたいな黒と金のケバさがいいよなぁ。
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hgc211hiro · 6 months ago
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年末の仕事😅
とりあえずやってみます 我が家の1階の浴室横の脱衣所ですが、ウチの母が洗濯用の粉石鹸を除湿機の上でこぼしたらしく、掃除したあとのものです💦 ですが実際には除湿機を試しに回してみると、ファンの下のほうに石鹸が残っていたらしくさらに広範囲に粉石鹸をぶちまけてしまうことに😭 もう一度やり直してやっとOKでした💦 次に仏壇の掃除。毎月2回、月齢歴(通称は旧暦と言ってます)の一日と十五日に御先祖へ挨拶をする慣わしが昔からあるので、換気扇やそのまわりにも線香の煤や灰がついてしまってます。これは既製品を埋め込んだものですが、自分の身長でもどうにか上のほうまで手が届くので、ラクに拭き掃除ができますね😅 位牌や香炉も一時避難してもらい、拭き掃除をしました。他所のはどうなのかよくわかりませんが、ウチは香炉一つに対しお茶用の湯呑み茶碗一対、酒用のお猪口サイズのグラス1個、お水用のグラス1個を一緒に置いておき、…
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仏壇に写真を置いちゃいけないってのは、たぶん今まで見たこと無いからぐらいの話で、置いちゃいけない理由って言うのは宗教的には見つからないと思っている。だって葬儀の時には祭壇に写真飾るでしょう、あれは宗教でもなくて「気持ち」で飾っているからです。
Xユーザーの佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系Youtuberです+減税会さん: 「仏壇に写真を置いちゃいけないってのは、たぶん今まで見たこと無いからぐらいの話で、置いちゃいけない理由って言うのは宗教的には見つからないと思っている。だって葬儀の時には祭壇に写真飾るでしょう、あれは宗教でもなくて「気持ち」で飾っているからです。」 / X
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asagaquru · 1 month ago
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5月はわたしを捨てた父の誕生日がある月であり、夫の母の命日がある月である。桜が散った札幌で、少し気持ちが鬱々としている。
お寺に行って、会ったことのない義母の仏壇に手を合わす。4回忌。お経の意味はわからないけれど、お焼香の煙がゆらゆらと昇って行くのを見ながら安らかに安らかにと唱えてくれているのだろうと思った。付き合ってすぐの時に「毎日お母さんを思い出す?」と聞いたら「そうだね」と言われた。その時は、2年も経っていなかった。お寺の帰りに同じ質問をしたら「毎日は無くなったなあ」と言っていた。
一度だけ、「がんだったのでしょ?」と聞いたこともあった。がんではなくて、死因だけを教えてもらった。彼が泣いて、申し訳なくて彼の手をただ摩った。思えば、その時に初めて夫の手に触れた。夫婦となった今も、それ以上のことは教えてもらえない。わたしも聞かないようにしている。ただ、テレビで映画を観てる時に義母の死を彷彿とさせるシーンが出たら、すぐ電源を消している。夫は気づいていない。これからも彼をあらゆるものから守っていく。夫がいない時に、彼の部屋の机の中に手紙を見つけた。元彼女のだったら嫌だなと思って開けたら、彼が札幌に進学した時に義母が書いたものだった。優しい人だったのだと思う。会って、いろんな話をしたかった。義父から「よかったら母さんにあげた婚約指輪をネックレスにしようか」と提案されたので、それならどうにかわたしと夫の結婚指輪に石留めできないかと思っている。
私の父は生きている。結婚したのをまだ報告していない。別に報告したって携帯上だけのやり取りで済まされて、それ以上ないのはわかりきっている。親が離婚している友人とその友人の母に会った時に、「きっと関わるのが申し訳ないって思っているだけだよ」と言われた。一瞬だけそうなのかな、と思ったけれど、すぐに「あの人に限ってそんなことはない」と思った。ただ「そうかなあ」と返した。この世でたった1人である父親からの愛情���信じれないなんて虚しいことだな。過去は変わらないし、取り戻せない。さっさとわたしの人生から消してしまえばいいのに、それができない。地下鉄の車窓に写る自分の顔を見て、どことなく似ているなと思ってしまう。まだこの歳なのに髪に白が混じるのを見つけるたびに、あの人の遺伝子だなと思ってしまう。地毛の色に染めても、すぐに色が抜けて、根本からはまたキラキラと透明な白髪が伸びてくる。はやく全部白髪になってしまいたい。シロクマみたいに透明でキラキラと太陽を白く透かすような白髪に。
22歳の頃に「お父さんは子供を捨てたんだもんね」と直接言って、そうじゃないよと言われた。その時はそう言って欲しかった。でもそれっきりだ。期待しても意味がないのにしょうもないなあと思う。あの人にも、自分自身にも。
7年間、母の旧姓を名乗っていた。そのまま夫の姓に変えたので、戸籍法とやらで2度と父と同じ姓に戻ることはできなくなった。正直さを積み重ねるのが愛情で、信頼だ。ある意味、父は自分に正直だった。あんな親にはなるまいと思う。 5月と共に春が逝く。
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niraistyles · 9 months ago
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ムーチーは、旧暦の12月8日に月桃の葉で包んで蒸したお餅を火の神(ヒヌカン)やお仏壇にお供えする沖縄の行事。邪気払いと子供の健康を祈願する意味がありますよ。市場などでも売られています。写真は無料でダウンロードできるようにしていますので自由に利用してください。
Muuchi is an Okinawan tradition where steamed rice cakes wrapped in shell ginger leaves are offered to the fire god (Hinukan) and family altars on the 8th day of the 12th month of the lunar calendar. This practice is meant to ward off evil spirits and pray for children’s health. You can find Muuchi sold in markets as well. Feel free to download and use the photos for free.
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mlyzvt-no2157 · 5 months ago
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Fさん宅の訪問販売
Fさんというのは、新卒のときに就職した会社の営業部にいた中年男性のことである。この会社の営業部は、何故か、非常に容姿に恵まれた人が多い中、Fさんは、お世辞にもイイ男とは言えなかった。どちかというと、贔屓目にみても、中の下か、下の上だろうという容姿である。しかし、自信家のFさんは、自分がイイ男でスタイルも抜群であると固く信じ込んでいた(実際は、背が低く、頭と顔が大きく、かなりのメタボのぽっちゃり体型で、手足が太くて短いのに、無理に海外のハイブランドのスーツを着ているため、脚の裾は引きずっており、手は指先しか出ておらず、ウエストはベルトの上にお腹の肉がぷよぷよと乗っかって、シャツのボタンは今にも弾き飛びそうだった。��が、あるとき、私の所属する部署の新人に鼻っ柱をへし折られ、ヤケクソを起こし、落ちる所まで落ちたが、上司の励ましによってスタイルを取り戻し、その後、男性ホルモン注射に夢中になってしまったという経歴?を持つ、かなり残念でかつ痛くて変な人である)。
さて、Fさんはかなり前に離婚したバツイチで、Fさんは実家から会社へ通っていた。Fさんのお母様はかなり前に他界しており、当時大学生だったの息子さんの衣食住の面倒は、Fさんのお父様が見ていた。Fさんのお父様は、Fさんと血が繋がっているとは思えない程、紳士で、Fさんが離婚した後も、元若嫁であるFさんの奥様と週に2~3回の頻度で子供を交えて会っていたらしい。恐らく、Fさんが、どこか遠くに単身赴任して滅多に家に帰って来なければ、Fさんと元奥様は離婚しなかっただろうと、会社の皆が思っていた。Fさんは、よく会社で、「親父の面倒はオレがみてやっている」と言っていたが、「お父様がFさんの面倒を見て下さってるの間違いじゃないですか?」と私は反論していた。ちなみに、営業部の全員が私と同じ意見だったが、それを言うとFさんはふてくされて仕事をしなくなってしまうので、営業部の人達は私と同じ事を言えなかったらしい。
なぜ、親子近く年上のFさんに対して私が反論できたかというのは、違う部署だったことと、Fさんが戦場記者や戦場カメラマンに対して、コンプレックスと憧れを抱いていたからである。Fさんも、最初から営業マンではなく、元戦場記者だった。だが、新人の頃に戦地を取材したFさんは、戦場の悲惨さ・目の前で無抵抗な女性や子供や惨殺されるところ、病院に運ばれても、次々と人々が死んでゆくこと、昼も夜も怯えながら仕事しなければならない地獄に耐えられず、たった一度の取材をしただけで営業部に異動したのである。だから、戦場記者や戦場カメラマンを続けていられる私の上司のMさんや、カメラマンのYさん、同期のS君や私などはFさんから一目置かれていた。
前置きが長くなってしまった。そんな、人間性にはかなり問題がある(面白いと言えなくはないが、家族には絶対なりたく人である)Fさんだが、Fさんのお父様は、世界的に有名な大手総合商社の経営企画部の部長&取締役だった超エリートである。それゆえ、基礎年金・厚生年金・企業のOB年金を含め、Fさんのお父様の収入は凄い額で、普通のサラリーマンの平均年収の2~3倍はあろう額だった。そのためか分からないが、Fさんの家の家計は、全てお父様の年金や投資して運用している不労所得などから支出していた。その事を当然だと思っているふてぶてしいFさんは、息子の養育費や自分の食費や被服代��ど生活に必要なお金を一切家に入れず、給与は全てFさんのお小遣いになっており、Fさんは非常に金遣いが荒かった。
そんな、金遣いの荒いFさんが大好きだったものは、訪問販売である。あるとき、何処のメーカーの物を取り扱っているのか得体の知れない訪問販売の営業マンがFさん宅を訪れ、羽毛布団を紹介した。この羽毛布団は100年使っても羽毛がダメージを受けることなく、干さなくても湿気たりしないので、お手入れも簡単、その気になれば洗濯機でも洗える、乾燥機OK、そして何よりこの羽毛布団で寝ていれば、金運が上がるという怪しさ満載のシロモノだった。そして価格はなんと1枚70万円である。常識で考えたら、日干しやそれが無理でも乾燥機で布団を干さないとダニの巣窟になるのは当然のことであることは、大人であれば誰でも知っている。しかも、高級マザーグースダックの羽毛布団を普通の家庭用洗濯機で洗ってしまったら、へしゃげてしまい、布団がダメになることも少し考えたら分かることである。第一、布団はある程度長く使っても、寿命というものがあり、ウン十年も使うような物ではない。まして、100年も使ったら、中はダニやダニの死骸や埃の巣窟、そもそも100年後に自分が生きている可能性の方が遥かに低い。しかも、1枚70万円である。寝る布団の質で金運なんぞ上がる訳がない。金運は、本人が為替や株式の仕組みをよく勉強して、如何に上手に投資するか、今までに無かったようなモノを起業して大ヒットするかなど、本人の努力が必須である。そんな、ぼったくり価格の胡散臭い羽毛布団なんぞ、即断るのが常識だと思うが、高級品やハイブランドが大好きなFさんは違った。Fさんは即決で羽毛布団を自分とお父様と息子さんの3人分を購入し、合計210万支払ったのである。
どちらかといえば、私も「安物を沢山」よりも「高い物を長く大事に使う」タイプの人間である。だが、その考えを適用する物には、向いている物と向いていない物がある。例えば、腕時計などは、いい物であれば、きちんとメンテナンスを続けていれば、自分の代だけでなく、子供に譲ることもできる。財布も私が現在使っている物は、就職した時に購入したものをまだそのまま使っている。だが、布団はそういう買い方に向いていない物だと思う。70万円の布団を1枚より7万円(それでも高いが)の布団を10回買い替える方が、余程、衛生的で清潔で快適である。
Fさんの訪問販売でのお買い物は、羽毛布団だけにとどまらなかった。羽毛布団で金運が上がったのか下がったのかは謎だが、多分、何の変化もないと思われる。羽毛布団の訪問販売の営業マンが来てから2か月後、Fさん宅に、また別の訪問販売業者が訪れた。今度はアコヤ貝をうる業者だった。アコヤ貝は、おなじみの真珠を養殖する為の貝である。真珠が欲しければ、アコヤ貝を自分で育てて真珠にするのではなく、真珠として出来上がっている物を買うのが普通である。だが、Fさん宅を訪れた業者は違った。『このアコヤ貝には、直径15mmを超える花玉真珠の原石が眠っている。来年の春に、このアコヤ貝を開けると、まばゆいばかりに光り輝く、立派な直径15mm以上の花玉真珠が必ずできているはずである。アコヤ貝1枚の中に、少なくとも真珠は3つ以上入っている。その真珠を宝石店に売りに行けば、1粒あたり最低でも300万、平均で500万以上の値段で買い取ってくれるだろう。今回は、特別にあなただけに、アコヤ貝を1枚あたり50万円でお譲りしましょう』という、如何にも胡散臭いシロモノだった。これはいくら何でも断るだろうと普通は思うが、とにかく「普通でないもの。後にプレミアが付く」などのキャッチフレーズが大好きだったFさんはアコヤ貝に飛びついた。そして、訪問販売の兄ちゃんに薦められるがままに、アコヤ貝を10枚も購入したのだ。そのアコヤ貝は、側部が透明になっている円柱状の入れ物に入っており(イメージとしては、ツナ缶が透明になったような物)、何処からでもアコヤ貝が見られるようになっており、上部は缶詰よろしく、開封用のフックまで付いていた。何故、私がそんな事を知っているかというのは、Fさんが会社でみんなに自慢するために、合計500万も投資したアコヤ貝の缶詰(?)を全部持ってきて、デスクの上に並べてニマニマしていたからである。なお、待ちに待った翌年の春、Fさんは嬉しそうに、アコヤ貝を空けていたが、花玉真珠はおろか、10枚あった貝の中に真珠ができていた貝は4枚だけで、しかも到底真珠とは言えない黄ばんだ小さな粒(直径3~4m程度)で、僅かに場所によっては真珠色に輝いているかな?というような物だった。
それでも、懲りないFさんが、訪問販売で散財した物は計り知れない程多い。私が知っているだけでも、食器棚を改造したとしか思えないガラスの観音扉になっている500万円の真っ白な仏壇(私が某安価な家具チェーンで8万円で買った自宅にある食器棚ソックリだったし、観音扉を開けさせてもらい、中を見たら、側面に一定の間隔で穴が開いていた。その穴は何の為に必要なのか尋ねてみらた、「『気』を通すために、必ず開けておかないというえない穴」だそうである。でも『気を通す』と言っているが、穴は外部に貫通しておらず、どう見ても、食器棚の中棚を取り付ける為のフック穴としか思えなかった。そして、肝心の『気』とは何か?と尋ねてたら、Fさん本人もよく分からないと答えるものだから、思わずひっくりかりそうになった。)、南西向きの屋根があるにも拘らず、高層マンションに面した北向きの屋根に付けられた600万円のソーラーパネル、法外な値段のオール電化工事で(オール電化にも拘らず、台所のコンロは何故かガスのまま)など例を挙げていったらキリがない。
私が転職してかなりの年月が経ち、更に関西に引っ越してきて、そろそろ5年近くなる。Fさんが今でも散財を続けているのか、とても気になるが、3年程前に、Fさんのお父様の訃報連絡があった。Fさんのお父様はどんな思いで息子の散財を見ていらしたのかと思うと、やはり、高齢の親に心配をかけるような親不孝物にはなりたくないと思ってしまった。
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lllusioninthehead · 5 months ago
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どういうふうに生きれば良いかわからなくなる日々だった。親が長く生きれば生きるほどにお金がかかり自分と連れ合いの生の脚をひくことになる。
長く生きてほしい気持ちと裏側にある死んだほうが助かるという気持ち。
天使と悪魔どころではなく常に自分が生み出した善と悪が概念として両肩にいて囁き悲しませ喜ばせを繰り返している。
自分で何とかしないと!という気持ちはあっけなく生活保護の申請が代替えしてくれた。持ち金がなくなる直前に。
母をなんとかしなきゃと思えば思うほどセーフティネットから遠ざかる不思議。
むしろ資産を一つずつ剥いで、丸裸にした方が良いのだ。正しく努力すればするほど苦しくなる。
諦めて、行政にお願いするだけで、あっけらかんと死ぬほうがよいという気持ちが消えて、天秤の片方に生きててほしいが残った。
無理することは何もなかった。
同時にこんなにも簡単に救ってくれて、保護を受ける前よりもむしろ生活費をくれる制度が恐ろしくもあった。この国の必要最低限の暮らしはずっと恵まれていて、そこに元気でもしがみつく人がいるのもわかる。
けして許されることではないけど。
申請を終えたとき、本当に心が楽になった。感謝しかない。
連れ合いに言わせると
そのために税金を払っている。本当に困っているのだから甘えよう。となる。
中庸が1番割を食うのは変わらないが。
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もうひとつ
母が突然、長年信仰してきた宗教の悪口を言った。
きっと医療麻薬と脳梗塞のせいなのだけど、これも心を軽くしてくれた。仏壇や宗教関連の細々とした物のの処分に困っていたところだった。
宗教は母のほぼ全てだった���に、誰がどういう意図でそんなことを言わせてくれたのか。
少なくとも元気な頃は絶対に言わない揶揄だった。
この言葉を聞いてすべてを廃棄する決意がわいた。事実病気になってからの母が宗教で救われる場面をついぞや見なかった。本人も全くそのことについて触れなかった。
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少しずつ収束し経済的にも心情的にも肉体的にも終わりが近づいている。生活保護にお世話になるとしても長くて2-3ヶ月だろう。日に日に管が増えやせ細っていく母を見ると何も言えない。
これが、現代における人が死ぬということなのか。と疑問には思う。病院の在り方についても。
金にならない患者に転院を勧めたり、転院先を紹介料が入る有料老人ホームにしたり。健康は金もうけの道具だ。もはや。
それでも、おくらねばならぬ。その日に向かっていく。あと、どの程度時間はあるだろうかと、半月の入院費七万を見ながら考えていた。
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chiyoha1488 · 11 months ago
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ちよ旅オカルト編2024夏②
屋島(香川県高松市)
ここから香川県に入って行きます
 チヨハのフォロワーの中にまだ香川県に行ったこと無いヒトいたら「屋島はマスト」だとまず言っておきましょう
うどんなんか食ってる場合じゃないですよ、屋島に行け(現にチヨハもまだうどん食ってないです
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というのも、屋島という場が全方面のオタクにしっかり刺さるような多角的な魅力を持つ地であるからです
以下、用語バンバン出しながらざっくり説明するから気になったら調べてね
地学的な話をすると「メサ」という残丘地形です、その息を呑む美しさは屋島に登ってく道で必ず気付くはず
歴史的な話をするといわゆる源平合戦の「屋島の戦い」の舞台です、平家の拠点があったんですが義経軍に奇襲かけられちゃって気合いで押し切られ壇ノ浦へと敗走する契機となった戦いです
観光的な話だとお遍路八十八ケ所のお寺もあるし水族館もある、景色も綺麗
香川観光のイメージいくつか上げた時には順位あんまり高くなさそうなとこですが、実はそんな欲張りセット的なとこなのです
まあでもチヨハは当然オカルト的な目的で行きました
屋島にはタヌキがいるのです
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平成たぬき合戦ぽんぽこはまあ義務教育レベルだと思うんですが、
自然を破壊する人間に対抗することを目的に変化の技術を磨くために、多摩に四国から3匹の長老タヌキが呼ばれてきます
そう、四国はタヌキ信仰がめちゃくちゃ浸透してるのです
この3匹の長老タヌキは四国3大タヌキとして実在(実在?)してて、
屋島にいるのは真ん中にいる一番おじいちゃんタヌキ
「屋島の禿狸」こと「太三郎タヌキ」です
実はこの太三郎タヌキ、四国どころか日本3大タヌキにも数えられるくらいの大物なのです
そんなわけでタヌキ大国の四国においてでも、四国タヌキの総大将みたいな位置付けになってます
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屋島には太三郎タヌキにちなんでたくさんタヌキがいます
でもタヌキが多い四国でもなぜ太三郎タヌキが総大将足りえるか、その答えが屋島頂上の「屋島寺」境内にあります
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お寺の境内に太三郎タヌキが仏様に並んで「蓑山大明神」の名前で祀られているのです
そこらの変化が上手いだけの単なるイタズラタヌキではなく、「仏法の守護者」としての地位に落ち着いてるところにこの太三郎タヌキの凄さがあります
御使レベルなら他の動物にもあったりしますがこのレベルは結構珍しい例なんじゃないかなと思います
鎌倉から昭和まで「神々の守護がある」という建て付けで行われていた他国との戦争の戦時下、日本軍にはやたら「神様から加勢があった」という報告がありま��た
日露戦争時には太三郎タヌキも参戦していたというまことしやかに語られた噂があることからも、神仏の類いとして見られているということは間違いないでしょう
平成たぬき合戦ぽんぽこで終盤、太三郎タヌキが念仏に傾倒し、亡くなったタヌキを極楽浄土に率いていくのも、この辺の事情を反映しているということですね
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歴史的には屋島は源平合戦の舞台ということですが、それにまつわるオカルトもあります
上の写真は「血の池」
源氏方が平家を討った後、この池で刀を洗うこと、池を血で染めてしまうほどだったということだそうです
今はご覧の通り美しい池なのですが
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また、屋島の戦いも海戦であったことから、壇ノ浦(山口県下関市)と同じく、「海へと沈んだ平家方の武士は怨念が宿った平家蟹へと生まれ変わった」とされます
合わせて「海へと沈んだ平家方の女房はカッパに生まれ変わった」という伝承があります
カッパ?
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myonbl · 3 months ago
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2025年3月30日(日)
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今日は長兄の三回忌、ほぼ二年ぶりに阪急宝塚線・清荒神駅に降り立った。沿線の桜はまだまだ三分咲きともいかないが、清荒神参道から長兄宅へ向かう途中に大きな枝垂れ桜、いい目の保養をさせていただいた。集まった兄姉たち、どんな場合も私が最年少なのだが、それが70歳になったというのは私以上にショックだったようだ。次に会うのは七月の母の十三回忌、どうか皆と(無事に)再会出来ますように。
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5時30分起床。
洗濯開始。
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朝食を頂く。
珈琲を淹れる。
洗濯物を干す。
8時15分に自宅を出て、バスの都合で阪急西院駅から乗車、桂駅で特急に乗り換え、十三から宝塚線で清荒神駅まで。
長兄の四十九日が一昨年<5月21日>のこと、時間の前後が曖昧なのはエイジングのなせるわざとして責めずにおこう。とにかく、なんとか10時30分の約束の時間には間に合った。
次兄が導師を務めてまず近所の墓前に参拝、その後長兄宅で法要を済ませて11時45分、みなで昼食を頂く。
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兄姉と孫たちで16名(多分)、仕出し弁当を頂きながらあれやこれや。食後に仏壇を真ん中に集合写真、あとはダラダラ話すのは辛いので先に失礼することに。ところが、玄関を出ると急に雹が降り始め、長兄の長男が急きょ車を出して宝塚駅まで送ってくれた。
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帰宅すると、日曜日ではあるけれど先日ノリで解説した三菱UFJ銀行のキャッシュ&デビットカードと、熊野からデコポンが届いていた。早速、デコポン代金を銀行に振り込む。
彼女は���替えてすぐに買物に走る、今夜は奥川ファームの大根と人参をフィーチャーした葛切り鍋に決定。
今日の移動中、私の契約している<IIJ Mio>はほとんど回線が繋がらず役に立たない。他の回線と同様に<NuroMobile>に戻すことにして、手続きをする。2ヶ月で2度変更、手数料が馬鹿らしいがストレスなく使用出来なければ携帯電話の意味が無い。
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早めの夕飯開始、昆布だしをきかせた鍋を手作りポン酢とすりゴマで頂く、美味なり。
録画番組視聴、土曜は寅さん。
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アメリカから日本へ、ビタミン剤のセールスにやってきたものの、やることなすこと上手くいかないマイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)が、御前様の善意あるアイデアで、とらやに下宿する。マイケルに親切にするとらや一家。そこへ、アメリカ大嫌いの寅さんが帰って来て、対決か! と緊迫の一瞬を迎えるが、満男の英語塾の先生・めぐみ(林寛子)と、その美しき母・圭子(香川京子)が現れて、寅さんは方向転換してしまう・・・  ハリウッドのコメディ映画で活躍してきた名傍役・ハーブ・エデルマンをゲストに迎え、アリゾナロケを敢行した華やかな一編。同じ旅人同士、言葉の壁もなんのその、心を通わせる寅さんとマイケル。博とさくらの日本的な夫婦関係に疑問を感じたマイケルが、さくらに思慕を寄せる。坂東鶴八郎一座の「蝶々夫人」とさくらをだぶらせるマイケル。自分の気持ちをストレートに出すアメリカ人と、表には出さない日本人。コミュニケーションをテーマに、寅さんとマイケルの友情が育まれる。
知的美人の香川京子さんは大好き、無くなった高校落研の同士・I兄のご母堂がそっくりだったことを思い出した。
片付け、入浴、体重は600g増。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。
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明日は3ヶ月ぶりの内科受診、本当はもう少し体重を落とすはずだったのだが・・・。
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kisatonote · 3 months ago
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‘’何より気がかりなのは、個々の組織以上に、社会そのものがカルト性を帯びてきたことです」
 ――カルト性とは。
 「例えば、善悪二元論的な物の見方です。オウムは、自分たちこそ絶対的な善で、悪の勢力が自分たちをつぶそうとしていると主張しました。同様にいま、自分たちは絶対に正しく、批判する人たちは悪だ、という考え方が広まっているように思います」
 「自分たちが絶対的に正しいという『無謬(むびゅう)性』を信じ、思うようにいかないことがあると、自分たちは被害者だと主張する。敵がすぐに見えなければ、陰謀論に走る。カルト団体の特徴だと思っていたものが、社会全体に見られるようになりました」
 ――その傾向はいつごろから表れたのでしょう。
 「私が最初に感じたのはイラク戦争です。米国のブッシュ大統領(当時)は『テロとの戦い』を掲げ、自分たちの敵か味方か、と各国に迫りました。武力行使に仏が反対すると、米下院の食堂では、フレンチフライという名称を変える、という動きもありました。民主国家の雄とされた米国で起きたこの出来事に、衝撃を受けたのを覚えています」
 「そして今、トランプ大統領が、���烈な被害者意識をあおり、支持を得ています。日本でも同じような傾向は見られます」
 ――どんな対策が必要でしょうか。
 「地下鉄サリン事件直後から、カルト研究の必要性を訴えてきました。事件後、警察庁と法務省、厚生省(当時)の研究会が『カルト研究センター』の設置を提言していましたが、実現していません。『カルト現象』とも言うべき社会状況が見られる今、研究の必要性は高まっています」
 「教育も重要です。私は、5年ほど前から教壇に立つ神奈川大学で、カルト教育の授業に力を入れています。どのようにしてカルトの勧誘を断るか、といった実用的なことだけでなく、戦争の度にくり返される現地住民の虐殺事件などを題材に、人の心がいかにもろく、置かれた状況次第で考え方が変わってしまうか、ということを伝えています」
 「学生からは、もっと早くに教わりたかった、という声が寄せられます。学生たちは、薬物教育や消費者教育は中高生のうちに受けるけれど、カルトについて知っているのは『オウム』『地下鉄サリン』といった言葉くらい。中には授業を受けて、自分がつきあっているのがカルト団体だ、と気付いて相談に来た学生もいました」
 「日本には安全な国というイメージがありますが、地下鉄サリン事件と安倍氏銃撃事件は、そのイメージをひっくり返した2大事件と言えます。カルト問題が背景にある点も共通しています。このままカルト対策をせず放置すれば、形を変えて第3の悲劇が起こりかねません。カルトの怖さや、人間のもろさを、多くの若者が学ぶ機会が必要です」
"地下鉄サリン事件30年 教育者になった江川紹子さんが考えるカルト:朝日新聞" https://digital.asahi.com/sp/articles/AST3L0TVDT3LOXIE05HM.html?ptoken=01JPRNDNMW9FY3GDAHDH2NSJM4
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chibiutsubo · 3 months ago
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#おでかけ #高岡 #山町筋
建てられたのが明治後期という時代だからか、建物にも西洋風の意匠がいくつも取り入れられていて、戦前のレトロ建築が大好きな私はほくほくです。さりげなく取り入れるなんてことはなく、これとこれを融合しちゃったの!?みたいな、強引かつ斬新な和洋折衷具合とか。西洋のものにはとにかく憧れしかなかっただろうな、というのが垣間見えて面白いです。
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瓦屋根になまこ壁なのに、窓周りだけめっちゃ西洋。こういう強引な取り入れ具合好きよ。
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和洋折衷ではないですが、こちらも多分それなりに年季の入った建物なのでは……と調べてみると、元文具商の建物だそうです。今は小さなお店が入っていたり、レンタルスペース、観光案内所のような感じでした。
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交差点の角に立つ建物も良い感じのレトロ具合。
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ぱっと見仏壇店とは思いもしない、素晴らしいレトロ具合ではありませんか。手前の部分だけだったら海外の路地にあってもおかしくない雰囲気なのに、後ろの住宅はしっかり日本です。良い。
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misatovan · 6 months ago
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2025年になった。わたしは2005年に高校を卒業しており、その年に産まれた子がもう二十歳に……。なんてこった。年末年始は妹も帰省し、楽しいお正月だった。妹は腹の子のことを「新メンバー」と言っていて、なんか良いなと思った。
胎児は年明けとともにまたひとつ大きくなったように思う。明け方に内臓や肋骨のあたりをぼこぼこと蹴る。まえにも増して「せまかろう」「苦しくないか」と思ってしまうが、どうやら動いているぶんにはあまり心配要らないらしいので、たぶん良いのだろう。今ここまで来ても「本当に無事に産まれて来てくれるだろうか」と心配になってしまうときがやっぱりあって、深夜に目覚めてふと自分の心もちが頼りないような気分になったとき、胎動に励まされる。産後に必要なものも遅まきながらだいぶ揃えた。祖母の位牌のすぐ横に哺乳瓶など置かせてもらっており、お仏壇の横がゴチャッとしているが、なんとなく、おばあちゃんは許してくれるんじゃないかなと勝手に思っている。
今日は33週��妊婦健診で、母子ともに異常なしとのことで一安心した。血圧も今のところ大丈夫。初診のときよりだいぶ早く終わったのだけれど、帰ってからまたパタリと眠っていた。
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