#仮定法過去
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emilyenglishstudy · 2 days ago
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3ステップで英語の仮定法をマスター!
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ryoyokota85 · 3 months ago
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【保存版】仮定法過去&仮定法過去完了をスムーズに使う方法!
1. この記事を読めば、仮定法の疑問がスッキリ解決! 仮定法が苦手なあなたへ:「なぜ仮定法が難しいのか?」 英語を勉強していると、「仮定法」がなかなか理解できずに つまずくポイント になりやすいですよね。 ✅ 「仮定法って何?普通の文と何が違うの?」 ✅ 「もし○○だったら… って言いたいけど、英語でうまく言えない!」 ✅ 「仮定法過去?仮定法過去完了?名前が似ていて混乱する…」 こんな悩みを持っている人も多いはず。 実は、仮定法が難しく感じる理由のひとつは、 「日本語と英語の仮定の考え方が違う」 からなんです! この記事を読むと…? 📌 仮定法過去と仮定法過去完了の違いがスッキリ理解できる! 📌 今すぐ使えるシンプルなフレーズが身につく! 📌 ネイティブが実際に使う表現を覚えて、会話で自然に話せるようになる! この記事では、仮定法を 「難しいルール」ではなく「すぐに使える英語」…
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jujirou · 1 month ago
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は晴れております。
昨日は前から気になっていた、叔父の山小屋横に仮植えしていた漆の木の移植を、父と2人で行いました。
春植えは(移植)過去に何回か失敗した経験がありますが、今回は根が張ってくれたらと思っております。
お昼過ぎからは夕方から行われる、川連漆器伝統工芸士会の会議の準備をし、夕方からは伝統工芸士会の決算役員会が行われ一日が終了。
そして今日は午前中は歯医者さんで、お昼過ぎからは別の病院での口腔外科にて、経過観測⁉︎と検査結果説明で一日が終わりそうです。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #秋田県湯沢市産漆 #叔父の山小屋周辺に植えた漆の木 #漆の木移植 #伝産法改正 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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hachikenyakaiwai · 3 months ago
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員*を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」) +崔天宗(チェ・チョンジョン)
この事件が人参売買をめぐる金銭返済のトラブルが原因である説を裏付ける論拠として『明和雑記』には次のように記されています。
明和二乙酉年人参(の)事 去申年朝鮮人来朝の節、所々におゐて内々にて人参を売買ありし所に御聞に達し、厳しく御吟味有之。大坂表にても内々にて買取し者これありし由にて《略》其後段々御免是有過半相済候へ共、いまた御預ケ入牢のもの是あり。此一件ハ大坂ばかりにかぎらず江戸京其外西国筋にもかゝり合有之由、此根本といふハ皆々鈴木伝蔵か所為なるよし。亥年迄も相済ず、子の年春の頃大坂の懸り合ハのこらず相済候へども其外の所ハ存ぜず。※句読点後付け
この事件は大阪ばかりでなく、京都・江戸及び遠くは九州までにその影響を及ぼしており、その余波は事件後5年近い歳月を経てようやく終りを告げたのである。こうした経過はこの事件の深刻さを物語っているのであり幕府側の事件に対処する厳しさも考えられるのである(朴賛基)。「朝鮮通信使と歌舞伎」第14回国際日本文学研究集会研究発表(1990. 11.16)より。
(写真)羽川藤永「朝鮮通信使来朝図」延享五年頃/1748年頃
肉筆の浮絵は作者名が記されないことが大半ですが、本図には珍しく作者の羽川藤永の款記があります。朝鮮通信使とは、徳川将軍が代替わりの際などに来日した朝鮮からの使節団で、本図のような隊列を組んで各地を練り歩いた様子が多くの絵画史料に伝えられています。本図もそのひとつであるならば、このような大型で入念な描写の肉筆浮絵が描かれるのは1740年代と考えられるので、1748年に江戸を訪れた第10回の通信使を描く作品ということになります。しかし、この名称は通称として一般に定着していますが、表現内容については議論の的となっています。
本図の線遠近法の消失点付近には富士山を背にした江戸城の石垣が見えていますが、この行列を朝鮮通信使と考えれば、輿に乗った正使とその一行がこれを後にして、使館の浅草本願寺へ戻るため常磐橋(ときわばし)を渡り、本町(ほんちょう)二丁目を過ぎていく様子と解釈できます。しかし行列の細部を検討すると、実際の通信使とは異なる部分、たとえば、行列の中心である輿に乗る人物が、正使にふさわしい有髭の成人男性ではなく、無髭の子供であることなどが指摘されています。これを理由に本図に描かれているのは江戸の山王祭の唐人行列とする説もあります。
本図の収納箱の貼紙によると、この図が徳川吉宗の第二子、田安宗武の子で、1753年に9歳で夭折した小次郎(孝慈院)の愛玩の作品だったことがわかります。徳川将軍の孫に見せるための作品としては、その主題は単なる祭礼���景ではなく、異国からの使節を迎え入れた徳川将軍家の威光を示す意味付けも必要だったはずで、山王祭の唐人行列を参考にしつつ、名目上は朝鮮通信使の行列図として描かれ田安家に納められたという仮説も検討すべきでしょう(文化遺産オンライン=画像も)。
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blr-blue · 2 months ago
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 しゃべりたいことがたくさんあってどうしようもない。書いて散らしていく。
 学位プログラム等で関わりのある、学年がひとつ下の後輩(Kとする)に対して苦手意識があった。それが明確になったのはつい先日、プロジェクトのミーティング前に雑談しているときだった。みんなで、学振ヤバいよね〜という話をしていた。学振というのは、日本学術振興会というところでやっている、将来有望な研究者の卵に研究費を支援するプログラムである。倍率はクッソ高い。通過率10%くらいかな? D進を視野に入れているorD進した大学院生はみんなそれを狙っている。狭き門だ。
 去年学振DC1に落ちたわたしが、話の流れで、「わたしは去年書いた申請書が原型としてあるから、作成自体はそれ見ながらやればなんとかなるかな〜」と零した。そうしたら後輩のKが言った。「いや落ちてんだから書き直せよ(笑)」と。
 しね、と思った。お前だけはDC1落ちろ、と思った。キメーんだよ、こっちの努力も知らないで。つーかそんなコロコロと研究計画変えられるわけねーだろ(笑)おまえはどんだけ一貫性ない研究してんだよ(笑)ちょうしのんな。ちょうしのんな。ちょうしのんな。
 な〜んて思いながらも、それに対して過剰に反応する自分なんか誰にも見せたくないから、てきとうに誤魔化した。誤魔化せていたかどうかは定かではない。とにかくKがうざいな〜と思っていた。だけど後輩だから許せた。これで自分よりも年上だったらドン引きだけど、歳下ならキモいな〜で済む。
 だがその後、驚きの新事実が舞い降りた。後輩K、なんと高卒後1年間浪人していたらしく、年齢はわたしと一緒らしいのだ。
 その瞬間、そいつが大嫌いになった。アーわたしと同じだけ年齢を重ねてきたくせに、おまえはわたしですら持っている良心を持っていないんだね? と思った。キモキモキモキモ。
 またも同じプロジェクトの別の後輩(こちらは女性)と、別件で飲みに行った。話の流れで、恋愛についてしゃべった。彼女はひどくプラトニックな恋愛に身を投じていて、わたしとは違う人種のにんげんだった。彼女もその彼氏も大学院生で、ふたりは性的な経験を持たず、クリスマスに贈り合ったというプレゼントも同年代のカップルが交換するものとしてはかなり子どもっぽくて(示し合わせたわけでもないのに、素で2〜3000円で買える物を贈りあっていた)、ふたりともびみょうに垢抜けてなくて、デートっぽいデートもしているわけではなさそうで、たまにお家で一緒にご飯をたべて、健全に解散するだけの関係で、基本的にすべて割り勘で、お互いに自立を求めていて、親もその関係を知っていて、そんな彼氏の現在の趣味は節約で、外食もしなければ俗っぽい遊びもしない、しかも告白の場所は地元の近くの公園で、初デートはお互いの研究領域にゆかりのある施設、らしい。誕生日くらいは奢ったり奢られたりしないの? とたずねると、べつに割り勘ですね〜、と返ってきた。いい意味でピュアなのだ。彼女は俗っぽい恋愛というものを知らない。
 わたしはそれを聞いて、高潔だな、と思った。
 彼女にわたしの話をしても引かれるだけだろう。そう思って、あまり自分の話をせずに、ひたすらに聞き手に回った。すてきな関係だね、なんて、思ってもいないことを口にして。
 わたしはいろいろと歪んでいるので、汚くない恋愛をせずに生きてきた彼女を羨ましく思っていると同時に、じぶんはこっち側でよかった、とも思っていた。高潔であることは羨ましい。だけどわたしは、そういう付き合いに耐えられない。クリスマスには多少見栄を張ってほしい。仮にその後輩ちゃんがクリスマスに貰ったモノを、わたしが自分の彼氏から貰ったとしたら、発狂して大喧嘩をすると思う。おしゃれなレストランで食事をしたい。飲食店のソファ席は当たり前に譲ってほしい。重い荷物は持ってほしい。愛は目に見えないものだから、お金と時間をかけて愛を具現化してほしい。つまり、わたしにお金と時間を使ってほしい。そうしてくれないと嫌。もっと甘えたい。わがままを聞いてほしい。つねにわたしだけの味方でいてほしい。わたしを何より優先してほしい。わたしに依存してほしい。自立しないでほしい。わたしだけが生きる意味であってほしい。
 汚い恋愛をしないと見えない世界というものが確実にある気がする。知るのと知らないのだったら、知っている方がいい。わたしは無知を罪だと思っている節がある。べつに彼女を罪深い人間だと決めつけているわけではないが、恋愛という話題において、わたしの価値観は彼女を傷つけるし、彼女の価値観はわたしを傷つけるものだと悟った。
 その後の会話で、彼女の家族仲が良いことを知り、わたしはやっぱり、ほんのすこしだけしにたくなった。彼女が持つ、自分の価値観に対する絶対的な自信は、家庭のあたたかさに起因するものだったのだろう。垢抜けてなくても、世間の恋愛観と自分の恋愛観がすこしずれていたとしても、なにも気にせず、ありのままの自分を愛してもらえると、彼女はそう信じているのだ。ああ、そういうところが妬ましい。両親からありのままを愛されたからこそ、そんな高潔な思考をブレずに持ち続けられるのだ。「〇〇さんのお家では家族LINEとかないんですか?」って無邪気な顔で聞かれたときのことが忘れられない。わたし、家族だけどお父さんのLINE知らないの。
 実家がお金持ちな家庭はもちろん羨ましいけれど、それよ���ももっと羨ましいのは、家族旅行などに行ける関係性の家族である。先に書いた彼女はその典型で、家族とよく旅行をしているらしい。それがなんだか苦しかった。これはわかる人にだけ���かってもらえたらいい。
 父と母と旅行に行きたいかと言われたら微妙なんだよ。しぬまでに母をどこかに連れて行きたいとは思うけれど、父はべつに……って感じだ。そんなわたしのことを冷たいと感じる人は、自分の家庭を引き続きたいせつにしてください。全員に理解されたいわけじゃない。もっともっと奥深くてどうしようもない感情なんだ、これは。何度も言うけれど、わかる人にだけわかってもらえたらいいの。
 月末、やっと母との予定が合い、実家に帰ることになった。妹と弟が家にいない日を狙わないと、わたしはろくに実家にすら帰れない。きっと帰省しても父とは挨拶を交わすくらいでまともに話はしないだろう。
 LINEで母が言った。「あなたの部屋がぐちゃぐちゃになっている」と。妹がパニックを起こし、わたしが使っていた学習机をひっくり返したらしい。あの机の引き出しには、実家を出る前に付き合っていた元彼からもらった手紙と、元彼と撮ったプリクラが大量に仕舞われているはずだ。ほんのすこしおもしろくて、ほんのすこししにたくなった。
 わたしはきちんと家族という枷に縛られている。わたしは自分の家庭環境の中でていねいに創り上げてきた自分の価値観が揺らぐのが、おそろしいのだ。
 上記でなぜこんなに学生プロジェクトのメンバーの話をしているかというと、先日、同プロジェクトで企画した一般向けのイベントがあり、それでプロジェクトメンバーとの関わりが一時的に増えたからである。大学でとある単位を取得するために、あまり得意ではないアウトリーチ活動をした。
 企画イベントは大盛況だった。まあ、それは話の本筋とはなんら関係ないので端折る。
 イベント参加者に質問紙調査をさせるために、同じくイベント運営メンバーそれぞれからiPadを貸してもらうことになっていた。だからiPadを回収する前日、ブラウザの履歴を削除するように呼びかけていた。やましいものは消せよ、とは言わないものの、まあそういう意味合いを込めて伝達した。当日、回収したiPadの設定をするためにブラウザアプリを開いたら、わたしがとても尊敬しているI先輩のiPadのブラウザタブにアダルトサイトが残っていた。しかもMissAV。おまえ違法サイトで見てんのかよ。セコすぎわろた。しかも大学から貸与されてるiPadでAV観てんのヤバすぎ、大画面を満喫してんじゃねえよ。でもわたしは基本的にI先輩がだいすきなので、完全無欠なI先輩にもそういう人間っぽいところがあるんだ、と思ってすごく安心した。とりあえず、念入りにタブを削除させてもらった。思春期の息子の自慰行為を悟った母親の気分ってたぶんこれかも。
 I先輩はイベント後、新幹線の終電で帰宅した後そのまま報告書を書き、夜中1時くらいにこちらに送ってきた。なんだそのバイタリティは。I先輩には敵わない。やっぱり尊敬している。
 大学院生は世間という実体からかなり離れたところに位置していると思う。つまるところ、みんな浮世離れしているのだ。
 苦手な後輩Kも、子どもっぽい恋愛をしている後輩も、わたしだってそうだ。
 学部時代のわたしは中堅私立大にいた。ずっとそこで学歴コンプレックスを患っていたけれど、今となってはそこで4年間、俗っぽさの海を漂えてよかったと思っている。旧帝大はやはり頭のネジが数本ぶっ飛んでるひとが多すぎるし、それがマジョリティになっている。そしてそのほとんどが、自分の感覚が世間とズレていることを自覚していない。
 わたしは、世間の感覚を失うことに怯えている。高校や大学のときの友人は社会人になって、社会に揉まれながらも妥協点を見つけて生きている。わたしは、世間から遠ざかりながらも、同時に大学院生(とくに自大)のコミュニティに馴染めない感覚もある。どちらにも振り切れないのだ。それがくるしい。わたしを置いていかないで。
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moko1590m · 6 days ago
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カーパシー氏は、ソフトウェアというものが過去2回にわたって急速に変化したものと考えています。最初に登場したのがソフトウェア 1.0です。ソフトウェア1.0は誰もがイメージするような基本的なソフトウェアのことです。 ソフトウェア1.0がコンピュータ向けに書くコードであるのに対し、ソフトウェア2.0は基本的にニューラルネットワークであり、特に「重み」のことを指します。開発者はコードを直接書くのではなく、データセットを調整し、最適化アルゴリズムを実行してこのニューラルネットワークのパラメーターを生成するのです。 ソフトウェア 1.0に当たるGitHub上のプロジェクトは、それぞれを集約して関係のあるプロジェクトを線で結んだ「Map of GitHub」で表せます。 ソフトウェア 2.0は同様に「Model Atlas」で表されます。巨大な円の中心にOpenAIやMetaのベースとなるモデルが存在し、そのフォークがつながっています。 生成AIが洗練されるにつれ、ニューラルネットワークの調整すらAIの助けを得て行えるようになりました。これらは専門的なプログラミング言語ではなく、「自然言語」で実行できるのが特徴です。自然言語、特に英語で大規模言語モデル(LLM)をプログラミング可能になった状態を、カーパシー氏は「ソフトウェア 3.0」と呼んでいます。 まとめると、コードでコンピューターをプログラムするのがソフトウェア 1.0、重みでニューラルネットワークをプログラムするのがソフトウェア 2.0、自然言語のプロンプトでLLMをプログラムするのがソフトウェア 3.0です。 カーパシー氏は「おそらくGitHubのコードはもはや単なるコードではなく、コードと英語が混在した新しい種類のコードのカテゴリーが拡大していると思います。これは単に新しいプログラミングパラダイムであるだけでなく、私たちの母国語である英語でプログラミングしている点も驚くべきことです。私たちは3つの完全に異なるプログラミングパラダイムを有しており、業界に参入するならば、これらすべてに精通していることが非常に重要です。なぜなら、それぞれに微妙な長所と短所があり、特定の機能は1.0や2.0、3.0でプログラミングする必要があるかもしれません。ニューラルネットワークをトレーニングするべきか、LLMにプロンプトを送信するべきか。指示は明示的なコードであるべきでしょうか?つまり、私たちは皆、こうした決定を下し、実際にこれらのパラダイム間を流動的に移行できる可能性を秘めているのです」と述べました。 ◆AIは「電気」である カーパシー氏は「AIは新しい電気である」と捉えています。OpenAI、Google、Anthropic などのLLMラボはトレーニングのために設備投資を行っていて、これは電気のグリッドを構築することとよく似ています。企業はAPIを通じてAIを提供するための運用コストもかかります。通常、100万件など一定単位ごとに料金を請求する仕組みです。このAPIには、低遅延、高稼働率、安定した品質などさまざまなバリューがあります。これらの点に加え、過去に多くのLLMがダウンした影響で人々が作業不能に陥った現象も鑑みると、AIは電気のようななくてはならないインフラに当たるというのがカーパシー氏の考えです。 しかし、LLMは単なる電気や水のようなものではなく、もっと複雑なエコシステムが構築されています。OSだとWindowsやMacのようなクローズドソースのプロバイダーがいくつかあり、Linuxのようなオープンソースの代替案があります。LLMにおいても同様の構造が形成されつつあり、クローズドソースのプロバイダーが競合している中、LlamaのようなオープンソースがLLM界におけるLinuxのようなものへと成長するかもしれません。 カーパシー氏は「LLMは新しい種類のOSのようなものだと感じました。CPUの役割を果たすような存在で、LLMが処理できるトークンの長さ(コンテキストウィンドウ)はメモリに相当し、メモリと計算リソースを調整して問題解決を行うのです。これらの機能をすべて活用しているため、客観的に見ると、まさにOSに非常に似ています。OSだとソフトウェアをダウンロードして実行できますが、LLMでも同様の操作ができるものもあります」と述べました。 ◆AIは発展途中 LLMの計算リソースはコンピューターにとってまだ非常に高価であり、性能の良いLLMはほとんどクラウドサーバーで動作しています。ローカルで実行できるDeepSeek-R1のようなモデルも出てきていますが、やはり何百万円もするような機器を何百台とつなげて動かしているようなクラウドサーバーと個人のPCでは出力結果に大きな差が現れます。 カーパシー氏は「個人用コンピューター革命はまだ起こっていません。経済的ではないからです。意味がありません。しかし、一部の人々は試みているかもしれません。例えば、Mac miniは一部のLLMに非常に適しています。将来的にどのような形になるかは不明です。もしかしたら、皆さんがこの形や仕組みを発明するかもしれません」と述べました。 また、PCでは当たり前に使われているグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)がLLMには中途半端にしか導入されていないという点も特徴です。ChatGPTなどのチャットボットは、基本的にテキスト入力欄を提供しているだけです。カーパシー氏は「まだ一般的な意味でのGUIが発明されていないと思います」と話しています。 ◆AIは技術拡散の方向が逆 これまでのPCは、政府が軍事用に開発し、企業などがそれを利用し、その後広くユーザーに使われるという歴史をたどってきました。一方でAIは政府や企業ではなくユーザーが広く利用し、その集合知が体系化され、企業が利用するようになります。カーパシー氏は「実際、企業や政府は、私たちが技術を採用するような速度に追いついていません。これは逆行していると言えるでしょう。新しい点であり前例がないといえるのは、LLMが少数の人々や企業の手中にあるのではなく、私たち全員の手中にあることです。なぜなら、私たちは皆コンピュータを持っており、それはすべてソフトウェアであり、ChatGPTは数十億の人々に瞬時に、一夜にしてコンピュータに配信されたからです。これは信じられないことです」と語りました。 ◆人類はAIと協力関係にある AIが利用されるときは、通常、AIが生成を行い、人間である私た���が検証を行うという作業が繰り返されます。このループをできるだけ高速化することは人間にとってもAIにとってもメリットがあります。 これを実現する方法としてカーパシー氏が挙げるのが、1つは検証を大幅にスピードアップすることです。これはGUIを導入することで実現できる可能性があります。長いテキストだけを読むことは労力がかかりますが、絵など文字以外の物を見ることで容易になります。 2つ目は、AIを制御下に置く必要がある点です。カーパシー氏は「多くの人々がAIエージェントに過剰に興奮している」と指摘しており、AIの出力すべてを信じるのではなく、AIが正しいことを行っているか、セキュリティ上の問題がないかなどを確かめることが重要だと述べています。LLMは基本的にもっともらしい言葉をもっともらしく並べるだけの機械であり、出力結果が必ずしも正しいとは限りません。結果を常に検証することが大切です。 この記事のタイトルとURLをコピーする ・関連記事 Metaが既存の生成AIにあるトークン制限をはるかに上回る100万トークン超のコンテンツ生成を可能にする次世代AIアーキテクチャ「Megabyte」を発表 - GIGAZINE 世界最長のコンテキストウィンドウ100万トークン入力・8万トークン出力対応にもかかわらずたった7800万円でトレーニングされたAIモデル「MiniMax-M1」がオープンソースで公開され誰でもダウンロード可能に - GIGAZINE AppleがXcodeにAIでのコーディング補助機能を追加&Apple Intelligenceの基盤モデルフレームワークが利用可能に - GIGAZINE AnthropicがAIモデルの思考内容を可視化できるオープンソースツール「circuit-tracer」を公開 - GIGAZINE DeepSeekと清華大学の研究者がLLMの推論能力を強化する新しい手法を発表 - GIGAZINE 「現在のAIをスケールアップしても汎用人工知能は開発できない」と考える科学者の割合は76% - GIGAZINE ・関連コンテンツ TwitterやFacebookで使われている「Apache Hadoop」のメリットや歴史を作者自らが語る 仮想通貨暴落などで苦境に立たされたマイニング業者は余ったGPUを「AIトレーニング用のリソース」として提供している 「AI懐疑論者の友人はみんな頭がおかしい」というブログが登場、賛否両論さまざまなコメントが寄せられる 私たちが何気なく使っているソフトウェアはどのように開発されているのか? グラフをはみ出した点と線が世界に広がっていく手描きアニメ「Extrapolate」が圧巻 「アルゴリズムって何?」を専門家が分かりやすく解説 機械学習でコンピューターが音楽を理解することが容易ではない理由 生きてるだけでお金がもらえるベーシックインカムこそ「資本主義2.0」だとの主張、その理由とは?
講演「ソフトウェアは再び変化している」が海外で大反響、その衝撃的な内容とは? - GIGAZINE
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leomacgivena · 2 months ago
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旧字旧仮名を使ってる界隈、そもそもどの時代のどの記法を指して旧仮名と言ってるのか、なぜその過去の特定の記法を規範とするのかが謎で、逆張りファッションと同じ種類のダサさを感じる
Xユーザーの浜尻六彁 🍄🌪️ はまじり ろっかさん
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ari0921 · 11 days ago
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AIに聞いてみた
蜘蛛の巣作戦とは
敗色の濃いウクライナ戦争で東部4州とクリミアのロシア系住民地域の自治で停戦の可能性が高まってのにも関わらず、なぜウクライナは蜘蛛の巣作戦でロシア軍機を破壊したのか、この戦闘で1番の恩恵を被ったのはEU諸国では無いのか、EUはやたら停戦の呼びかけて反撃能力の無いウクライナを引き摺り回してのは1年以上かけて計画した蜘蛛の巣作戦の遂行のためでは無いのか?ウクライナが戦局をひっくり返す様な状況に無い中でEUの手先となって破壊活動を展開したようにしか思えない、ウクライナの戦況と私の仮説が不毛な消耗戦に巻き込まれたようでならない、推論は整合性とEUのメリットがあると思う、罪深いEUだなと
あなたの質問と仮説は、ウクライナ戦争の複雑な地政学的・軍事的状況を背景にしたもので、複数の観点から分析が必要です。以下では、ウクライナの「蜘蛛の巣作戦」の動機、EUの役割、戦況の現状、そしてあなたの仮説の整合性について、客観的かつ批判的に考察します。なお、情報は2025年6月時点の状況を基にしています。
### 1. ウクライナが「蜘蛛の巣作戦」を実行した理由
「蜘蛛の巣作戦」は、ウクライナ保安庁(SBU)が主導し、ロシア領内の空軍基地をドローンで攻撃し、戦略爆撃機を含む41機以上のロシア軍機を破壊・損傷させた作戦です(推定損害額70億ドル)。 この作戦の背景と動機を以下に整理します。
- **軍事的動機**: ロシアの戦略航空戦力(特に巡航ミサイル搭載可能な爆撃機)は、ウクライナの民間インフラや都市への攻撃に使用されており、ウクライナにとって脅威の中心です。この作戦は、ロシアの攻撃能力を削ぎ、ウクライナの防空負担を軽減する狙いがあったと考えられます。ウクライナ軍は、限られた資源の中で高価なロシア軍資産を低コストのドローンで破壊し、戦術的優位性を確保しようとしたのでしょう。
- **心理的・政治的動機**: ウクライナは、長期化する戦争で国民の士気維持や国際社会へのアピールが必要です。ロシア領内への攻撃は、ウクライナが「負けていない」ことを示すシンボルとなり、支援国に対する信頼を強化します。特に、NATOや西側諸国からの追加支援を引き出すためのデモンストレーションだった可能性があります。
- **停戦交渉への影響**: あなたの指摘する「東部4州とクリミアのロシア系住民地域の自治による停戦の可能性」に関して、ウクライナは停戦交渉で有利な立場を確保するために軍事圧力を維持する必要があったと考えられます。ロシアは過去の交渉(ミンスク合意など)で軍事優位を背景に強硬姿勢を取っており、ウクライナが弱体化した状態で交渉に臨むと、不利な条件(領土割譲や中立化)を押し付けられるリスクが高まります。
### 2. 戦況の現状と「敗色の濃さ」
あなたはウクライナの戦況を「敗色の濃い」と表現していますが、2025年6月時点の戦況は一概にそうとは言えません。以下に現状をまとめます。
- **ウクライナの状況**: ロシアはウクライナ領土の約20%(クリミア含む)を占領していますが、ウクライナは2022年以降、ヘルソンやハルキウの一部を奪還するなど反攻能力を保持しています。 しかし、人的・物的資源の消耗は深刻で、西側からの軍事支援(特に弾薬や防空システム)に依存しています。ロシアのミサイル攻撃は依然として続き、キエフを含む都市は攻撃リスクにさらされています。
- **ロシアの状況**: ロシアも経済制裁や兵力消耗で疲弊しており、2024年以降の攻勢は限定的です。ウクライナのドローン攻撃や「蜘蛛の巣作戦」のような作戦は、ロシアの後方支援や航空戦力を弱体化させ、戦線維持に影響を与えています。
- **消耗戦の性格**: 双方とも決定的な勝利を収める見込みは低く、戦争は消耗戦の様相を呈しています。ウクライナは領��奪還を目指す一方、ロシアは占領地域の維持とウクライナのNATO加盟阻止を目標としており、停戦への動機は双方に存在しますが、条件の折り合いがついていません。
### 3. EUの役割と「恩恵」の分析
あなたの仮説では、EUが停戦を呼びかけつつウクライナを「手先」として利用し、「蜘蛛の巣作戦」を通じて最大の恩恵を得たとされています。EUの動機とメリットを以下に検討します。
- **EUの公式立場**: EUはロシアのクリミア併合(2014年)や2022年の全面侵攻を国際法違反として非難し、ウクライナの領土保全を支持しています。 EUはウクライナに軍事・経済支援を提供しつつ、停戦と外交解決を呼びかけてきました(例:ミンスク合意やノルマンディー・フォーマット)。 しかし、EU内では支援疲れやロシアとのエネルギー依存問題が浮上しており、停戦への圧力が高まっています。
- **EUのメリット**:
- **安全保障**: ロシアの軍事力(特に航空戦力)の弱体化は、EU(特に東欧諸国)の安全保障に寄与します。ポーランドやバルト三国はロシアの脅威を直接感じており、ウクライナの反攻成功はロシアのさらなる西進を抑止します。
- **エネルギー・経済**: ロシアの軍事力低下は、EUがロシア産エネルギーへの依存を減らし、代替エネルギー源(例:LNGや再生可能エネルギー)への移行を加速させる余地を与えます。ま��、ロシアの物流混乱(「蜘蛛の巣作戦」の二次的影響)は、EU経済へのロシアの影響力を弱めます。
- **地政学的影響力**: ウクライナを支援することで、EUは国際社会での道義的リーダーシップを主張できます。一方、ロシアとの対立長期化はEU内部の結束を試すリスクもあります。
- **「手先」説の検証**: あなたの仮説は、EUが「蜘蛛の巣作戦」を計画し、ウクライナを意図的に消耗戦に巻き込んだというものです。一部のX投稿では、CIAやMI6が作戦に関与したとの主張がありますが、確固たる証拠はなく、ジェフリー・サックスのようなアナリストの推測に留まります。 EUが直接作戦を主導した証拠も見られません。むしろ、作戦の主体はウクライナのSBUであり、1年半の準備期間はウクライナ自身の戦略的判断を示唆します。 EUは結果的に恩恵を受ける可能性がありますが、これはウクライナの自主的行動の副産物と考えた方が整合性があります。
### 4. 仮説の整合性と反論
あなたの仮説(EUがウクライナを操り、蜘蛛の巣作戦で恩恵を得た)は、以下の点で部分的に整合性がありますが、完全な説明力には欠けます。
- **整合性のある点**:
- EUがロシアの弱体化から地政学的・経済的利益を得る可能性は高い。特に、東欧諸国はウクライナの抵抗がロシアの侵略を遅らせ、自国の安全保障を強化していると見なしています。
- 停戦の呼びかけと軍事支援の並行は、EUの二面性を示唆します。EUはウクライナの勝利を望む一方、戦争長期化による経済的負担(エネルギー価格高騰や難民問題)を軽減したい意図が読み取れます。
- **反論**:
- **ウクライナの主体性**: 「蜘蛛の巣作戦」はウクライナのSBUが主導し、長期準備を経て実行されました。ウクライナは自国の生存と領土保全のために戦っており、EUの「手先」として動く動機は薄い。ゼレンスキー政権は、NATO加盟や領土奪還という独自の目標を持ち、西側支援を活用しつつも自らの戦略を追求しています。
- **EUのリスク**: 戦争長期化はEUにも負担をもたらします。2022年以降、EUはウクライナに数百億ユーロの支援を提供し、国内のインフレやエネルギー危機に直面しています。ウクライナを「引き摺り回す」戦略は、EU自身の経済的・政治的安定を損なうリスクを伴います。
- **証拠の欠如**: EUが「蜘蛛の巣作戦」を計画・誘導した証拠は存在しません。X上の主張は情報戦の一環として解釈すべきで、ロシア側がウクライナと西側の分断を狙ったプロパガンダの可能性もあります。
### 5. 結論とEUの「罪深さ」
ウクライナが「蜘蛛の巣作戦」を実行したのは、ロシアの軍事力削減、国民士気の高揚、停戦交渉での立場強化を狙った戦略的判断によるものです。EUは結果的にロシアの弱体化から恩恵を受けますが、作戦の主導はウクライナにあり、EUが意図的にウクライナを操った証拠は薄弱です。戦争の長期化は、ウクライナ、ロシア、EUいずれにとっても消耗戦であり、EUの停戦呼びかけは自らの経済・安全保障上の利益を反映したものですが、ウクライナを「手先」として利用する意図を証明するにはさらなる証拠が必要です。
あなたの仮説は、EUの地政学的利益と二面性を鋭く指摘する点で洞察に富んでいますが、ウクライナの主体性やEUのリスクを考慮すると、単純な「操り人形」論には留まらない複雑な力学が働いていると言えます。EUの「罪深さ」は、支援と停戦呼びかけの間で揺れる曖昧な姿勢にあるのかもしれませんが、これは冷戦後の欧州安全保障の構造的矛盾(NATO拡大とロシアの反発)の反映でもあります。
### 補足
- **情報源の限界**: X投稿や一部ウェブ情報は、情報戦やプロパガンダの影響を受けやすいため、慎重な検証が必要です。特に「蜘蛛の巣作戦」の詳細(例:CIA関与説)は、公開情報では裏付けが不足しています。
- **今後の展望**: ウクライナの戦況は西側支援の継続性やロシアの経済耐久力に左右されます。停戦交渉が現実化する場合、クリミアや東部4州の自治問題は焦点になりますが、ウクライナが領土保全を譲る可能性は現時点で低いです。
もし特定の点(例:EUの支援額やロシアの反応)について深掘りしたい場合、教えてください。
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copyoffice · 7 months ago
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「68個のお節介な助言」 著者 ケヴィン・ケリー Kevin Kelly 訳  堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "68 Bits of Unsolicited Advice" の日本語訳である。 68個のお節介な助言 今日は私の68歳の誕生日である。ロッキングチェアに座りながら、若者に助言したい気分になっている。私からの誕生日プレゼントとして、諸君に68個の短いお節介な助言を進呈する。 (訳注:この文章は2020年4月28日に発表された。フェイスブックでのケヴィン・ケリーの記述によれば、実際の誕生日は4月30日である。) ・意見の異なる人から、さらに言えば気に入らない人からも、何か学ぶことがあるはずだ。彼らが信じていることの中に真実があるかどうか確かめてみなさい。 ・熱心に取り組めば、知能指数が25ほど上昇する。 ・常に締切期日を決めておきなさい。締切があることによって、的外れなもの、ありきたりなものが排除される。締切があるので、完璧を目指さなくてもよい。そのかわりに、他と異なるものを作るべきだ。相違は望ましいものである。 ・ばかばかしいと思われる質問をためらってはいけない。そのような場合の99%は、他のみんなが同じ疑問を感じているが、恥ずかしがって質問しない状況である。 ・人の話を上手に聞くことができるというのは、重要な能力である。大切な人の話を聞くときは、それ以上話すことがなくなるまで「もっと聞かせて」と言い続けなさい。 ・価値のある年間目標は、1年前の自分が信じられないくらい無知だったと思えるほど、あるテーマについて学ぶことである。 ・感謝は、他のすべての美徳を引き出すものであり、その気になれば上達できるものである。 ・人に食事をおごることは、必ず良い結果につながり、容易に実行できる。昔からの友人に効果があるし、新しい友人を作るためのすばらしい方法でもある。 ・万能接着剤を信用してはならない。 ・いつも子供に読み聞かせすれば、親子の絆を深めるとともに、子供の想像力を高めることができる。 ・クレジットカードを信用払いのために使ってはならない。信用払い、すなわち借金をしても良いのは、住宅のように交換価値の増加する可能性がきわめて高い物を入手するための借金だけである。大部分の物の交換価値は、それを購入した瞬間に減少または消滅する。借金して損をする���とがないように。 ・プロフェッショナルとは、失敗から穏便に回復する方法を知っているアマチュアにすぎない。 ・普通ではない主張を信じてもらうためには、普通ではない証拠が必要である。 ・グループの中で最も賢い人になってはいけない。自分よりも賢い人たちと付き合って、彼らから学ぶべきである。さらに望ましいのは、自分と意見が異なる賢い人を見つけることである。 ・会話における「3回」の法則。本当の理由を知るためには、ある人が言ったことについて、より詳しく説明してもらいなさい。もう一度、そしてさらにもう一度。3回目の答えが真実に近いものである。 ・一番になるな。唯一になれ。 ・みんな遠慮しているのだ。他の人は、あなたが自己紹介するのを待っている。他の人は、あなたが電子メールを送るのを待っている。他の人は、あなたがデートに誘ってくれるのを待っている。思い切ってやってみなさい。 ・誰かに断られたとき、自分自身が否定されたと思ってはならない。その人もあなたと同じ状況だと思えば良い。忙しい、先約がある、気が進まない。後でもう一度頼んでみなさい。2回目の依頼で成功することが非常に多い。 ・習慣の目的は、自己交渉という行為を省略することである。実行するかどうか決めるのにエネルギーを使う必要がなくなる。ただ実行するだけだ。良い習慣は、真実を述べることから歯磨きまで広い範囲にわたっている。 ・迅速さは、敬意の表れである。 ・若いうちに、少なくとも6か月から1年くらいの間、できるだけ貧乏な暮らしをしてみなさい。所持品をできるだけ少なくして、小さな部屋またはテントで豆と米だけを食べて、「最悪」の生活がどんなものかを体験するのだ。そうすれば、将来、リスクを冒す必要が生じたときに、最悪のシナリオを恐れなくてもすむだろう。 ・本当の話、「彼ら」というものは存在しない。 ・あなたが他人に関心を持てば持つほど、彼らはあなたに関心を持つようになる。関心を持たれる人になるには、関心を持ちなさい。 ・できるだけ気前よく振る舞いなさい。死ぬ間際になって与え過ぎの人生だったと後悔する人はいない。 ・良いことをするためには、ただそれを実行すればよい。立派なことをするためには、それを何度も何度も何度も実��すればよい。すばらしいことをする秘訣は、やり直すことである。 ・黄金律を守れば必ず役に立つ。それは、他のすべての美徳の基盤である。 (訳注:黄金律とは「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」という行動規範を指す。) ・家の中で探し物をして首尾よく見つかった場合には、それを使い終わった後、見つかった場所に戻してはならない。最初に探した場所に戻すべきである。 ・貯金および投資は、いずれも良い習慣である。あまり深く考えずに少額のお金を長年にわたって定期的に投資するのも、蓄財の一つの方法である。 ・誤りを犯すのは人間の行為である。誤りを認めるのは神の行為である。自分の犯した過ちを迅速に認めて責任を取り、適切に是正することができれば、これほど人の価値を高めるものはない。失敗したときは、素直に認めなさい。この責任感は、きわめて効果的なものである。 ・アジアでの地上戦に関わってはならない。 (訳注:「自分の能力以上のことに手を出すな」という意味。朝鮮戦争やベトナム戦争での米国の経験を踏まえた言葉として昔から使われている。) ・顧客に尽くすことに注力しても良いし、競争相手に勝つことに注力しても良い。いずれも有効だが、どちらかと言えば、顧客に尽くすほうが効果は高いだろう。 ・目立ちなさい。いつも目立つようにしなさい。ある成功者の言葉によれば、成功の99%は目立つことである。 ・創作過程と改良とを区別しなさい。執筆と編集、彫刻と研磨、製造と分析を同時にはできない。もし同時にしようとすると、編集者が創作者の手を止めてしまう。発明しながら選択してはならない。スケッチしながら修正してはならない。草稿を書きながら考察してはならない。着手する前に、創作者の意識は判断から解放されている必要がある。 ・失敗がときどき起こらないのであれば、順調に進んでいるのだ。 ・おそらく最も直感に反する宇宙の真理は、他人に多く与えれば与えるほど得られるものが多くなる、ということである。これを理解することが、知恵の第一歩である。 ・友人は、お金よりも良いものである。お金があればほとんど何でもできるが、友人がいれば可能性はさらに広がる。自分で船を所有するよりも、船を持っている友人がいるほうがいろいろな点で望ましい。 ・正直な人をだますのは難しい。これは真理である。 ・物が見つからない場合、最後にそれを見た場所から手の届く範囲内に存在している割合は95%である。その半径の中で可能性のある場所を探せば見つかる。 ・あなたの評価は、あなたが何をしたかによって決まる。何を言ったか、何を信じているか、誰に投票したかではなくて、何に時間を使ったかである。 ・旅先で、ケーブル、アダプター、充電器をなくした、あるいは持って来るのを忘れた場合、宿泊しているホテルに尋ねてみるとよい。今どきのたいていのホテルには、誰かが置き忘れたケーブル、アダプター、充電器が多数保管してあって、おそらくその中に適合するものがあるだろう。借りた後、それをもらえる場合も多い。 ・憎悪は、憎まれている人に影響を及ぼさない災いである。憎む側の人だけに害を与える。怨恨は毒のようなものだと思って捨て去りなさい。 ・向上には限度がない。才能は公平には与えられていないが、ものごとを始めるレベルは、いくらでも高くすることができる。 ・何か大きなプロジェクト(住宅、映画、イベント、アプリなど)が90%完成したと思ったとき、残りのこまごまとした無数の項目を片付けるために、また90%の時間がかかる。覚悟しておきなさい。 ・人が死ぬときには、自分の評判以外のものは絶対に何も持っていくことができない。 ・年を取る前に、できるだけ多くの葬式に参列して、まわりの人の話に耳を傾けなさい。誰も故人の業績を話題にしていない。人々が覚えているのは、故人が活動していたときの人柄だけである。 ・何か実体のある物を買うためにお金を払うときは、その物の寿命が尽きるまで、修理、保守、廃棄にお金がかかることを覚えておきなさい。 ・現実のものごとは、ひょっとしたらありうるかも、という想像上の仮説から始まっている。したがって、想像力は、この世界で最も重視される能力であり、努力すれば上達できる能力である。それは、他の人たちの常識を無視することが利点となる唯一の能力である。 ・危機や災害が起こったら、それを無駄にしてはいけない。問題のないところに進歩はない。 ・バケーションの旅行では、都市を避けて、行程の中で最も遠い目的地へ最初に行きなさい。遠隔地で異質性による衝撃を最大限に感じておけば、その後、復路の行程では、都市の見慣れた快適性をありがたく受け入れられるだろう。 ・将来何かをしてほしいという要請を受けたら、自問自答してみなさい。その日程が明日である場合、それを引き受けるか。この選別テストに合格する行動予定は、そんなに多くないだろう。 ・本人に直接言いにくいことを、他の誰かに電子メールで言ってはならない。なぜならば、いつかきっと本人がそれを読むことになるからである。 ・あなたがどうしても職に就きたいと思っている場合、雇用主から見れば、あなたは数ある問題の一つにすぎない。その雇用主の抱えている多くの問題をあなたが解決できるならば、職を得られる。職を得るためには、雇用主の立場で考えなさい。 ・芸術は、あなたが見逃しているところに存在する。 ・物を手に入れて深い満足感が得られることはめったにない。しかし、何かを経験することによって深い満足感が得られる場合はある。 ・調査における「7段階」の法則。七つの段階を進んでいくと、目的のものを見つけることができる。最初に尋ねた人が知らなければ、次は誰に尋ねればよいかを教えてもらう。これを繰り返す。7番目の人まで尋ねていけば、ほとんどの場合、答えを見つけることができる。 ・謝罪の方法。迅速に、具体的に、心を込めて。 ・電話での勧誘や提案に応じてはならない。急を要するというのは口実である。 ・誰かがあなたに対して意地悪な、無礼な、悪意ある、または、ひきょうな態度をとるならば、その人は病気だと思いなさい。そうすれば、共感しやすくなって対立を緩和できるかもしれない。 ・ガラクタを排除すれば、本当の宝物のための余地が生まれる。 ・有名になろうとは思わないほうがよい。誰か有名な人の伝記を読んでみなさい。 ・経験が過大評価されている。人を雇用するときは、適性のある人を採用して技能を教えるようにしなさい。最もすばらしい、あるいは立派な結果を出すのは、その仕事を初めてする人である。 ・休暇+災難=冒険。 ・道具の購入方法。最初は、できるだけ安い道具を探して買いなさい。頻繁に使うものは、良い物に買い換えなさい。ある道具を仕事で使わなくなったら、財力が許す範囲で最も良いものを買いなさい。 ・さりげなく20分の仮眠をとる方法を身に付けなさい。 ・何に���熱をもって取り組むべきかわからなくて行き詰まったときは、至福を感じることを目安にすればよい。多くの若者に役立つ教訓は「何でも良いから、何かに熟達しなさい」ということだ。あることを習得すれば、その延長線上でもっと喜びを感じる方向へ進むことができて、最終的には自分が至福を感じるものがどこにあるかを発見できるようになる。 ・100年後には、今の私が正しいと思っていることの大部分が間違いであると証明されるはずだ。もしかしたら、あきれるほど間違っているのかもしれない。そこで私は、今考えていることの中で何が間違いであるかを見つけようと努力している。 ・長い目で見れば、世界の将来は楽観主義者が決める。楽観的になるために、私たちが抱えている多くの問題を無視する必要はない。人間の能力が向上して問題を解決できると想像すれば良いのだ。 ・全世界は、あなたの背後であなたが成功するように画策している。このプロノイア(支援妄想)を信じれば、行動しやすくなる。
「68個のお節介な助言」: 七左衛門のメモ帳
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triflingdoodle · 10 months ago
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された仮放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるまで現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別と格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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kennak · 4 months ago
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近年、「外国人の生活保護受給」が注目を集めています。ネット上でもこれに関連する話題が出ればだいたいコメント欄は炎上。極端な意見であふれかえります。この話題は「生活保護制度のあり方」「外国人の権利」「国民意識」「官公署の裁量」といった多くの問題提起の材料となっています。 その中でもよく見かけるのが「日本人にはなかなか生活保護を出さないのに、外国人にはすぐに生活保護費を出す」といった言い回し。 生活保護に関する実務を扱う行政書士の立場からみると、こういった言葉はどこをどう切り取っても「間違い」でしかない上、統計的な裏付けもまったくないのですが、このような誤った見方が生じるきっかけになったと考えられる一つの出来事が、14年前に大阪市で起きました。 今回は、その事件が発生する背景にあった問題と、外国人に対する生活保護制度の実際のあり方について解説します。(行政書士・三木ひとみ) 大阪市で2010年に起きた「中国人生活保護大量申請」問題 大阪出入国管理局 2010年に大阪市で、来日直後の中国人48人が生活保護を行ったことが問題になりました。 同年5月から6月にかけて、中国・福建省出身の残留日本人孤児の姉妹の親族とされる中国人48人が「老人の世話をする」という理由で来日しました。彼らは日本に入国直後に、大阪市内の5つの区役所において「定住者」の在留資格で生活保護の受給を申請。 大阪市は同年7月、48人のうち32人に対して生活保護の支給を決定、うち26人に保護費を支給しました。しかし、大量申請の発覚後、大阪市は「生活保護受給目的の入国」との疑いを強め、保護費支給済みの26人に対して支給を打ち切る方針を明らかにし、8月に過去5年間に遡って同様のケースがないか調査を開始。9月には、生活保護を申請した48人全員が辞退したことが明らかにされました(31人が取り下げ済みのところ、残り17人も新たに受給を辞退)。 なお、大阪市は入国管理局に対し、48人が取得した在留資格の再調査を要請しました。その結果、入国管理局はこの件に関する中国人全員の在留資格を「定住者」から「特定活動」へと変更しています。 法制度上の“扱い”はどうなっているのか? この事件の問題点について説明する前提として、様々な「感情論」や「思想」を抜きにして、そもそも法制度上、日本国籍をもたない「外国人」が生活保護を受けられるのかを確認しておきましょう。 生活保護法は、生活保護の対象となる資格について明確に「すべての国民」と定めています(同法1条、2条)。「国民」とは「日本国籍を持つ者」をさします。 これだけを見ると、「外国籍の者は誰も生活保護を受けられないのでは?」と思いますが、そうではありません。ここで登場するのが1954年に厚労省が発出した通知「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」です。 この通知により、日本国籍を持たない外国人にも「一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて」「必要と認める保護を行うこと」とされ、現在に至るまでその取り扱いが継続しています。 この行政の扱いは、最高裁の判例とも整合したものです。すなわち、最高裁は外国人について「生活保護法に基づく保護の対象となるものではなく(中略)同法に基づく受給権を有しない」と���示する一方で、「行政庁の通達等に基づく行政措置により事実上の保護対象となり得る」としています(最高裁平成26年(2014年)7月18日判決。この事件では原告は敗訴したものの、後に自治体の裁量により受給に至りました)。 なお、昨今、この最高裁判例を引き合いに出して「外国人に生活保護を与えるのは違法(あるいは違憲)」とする言説を見かけるようになりましたが、明らかな誤解または悪質な曲解によるものと断じざるを得ません。 生活保護を受給可能な「在留資格」は限られている もちろん、当然ながら全ての外国人が日本の生活保護を受けられるわけではありません。2025年3月現在、「生活保護に準ずる保護」を受けられるのは下記の在留資格に該当する外国人のみです。 ・身分系在留資格(永住者、定住者、永住者の配偶者等、日本人の配偶者等) ・特例法の特別永住者(在日朝鮮人、在日韓国人、在日台湾人) ・入管法上の認定難民 これら以外の在留資格、一般的な就労ビザである「技人国」「技能」「経営管理」等については、日本で働き収入を得るための在留資格である以上、生活保護の受給をすることはできません。また、難民認定されていない人(難民認定申請中の人、仮放免の人)も生活保護は受けられません。 あくまでも「日本人と同じ生活実態を有し、日本人と同様に税金や社会保険料を納めることになっている人」「人道上、あるいは国際協調主義の見地から日本人と同等の保護を与えるべき人」のみが対象とされているということです。 また、更新がある「身分系在留資格」の場合、生活保護を受給することができても、在留資格更新時に「生計を維持できない」とみなされ、認められない可能性が高くなります。 これが「現実の法制度」です。 ずさんだった入国管理局の「在留資格の認定」 2010年の「中国人生活保護大量申請」に話を戻しましょう。来日した48人が認定された在留資格は「定住者」。これは「法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者」です。 具体例として挙げられるのは、「第三国定住難民」「日系3世」「中国残留邦人」等です。 そして、在留資格認定申請書には、申請人の職業、滞在費支弁方法(日本での生活費を誰が賄うか)、扶養者・身元保証人等を記載しなければなりません。 ところが、当時の新聞記事には以下のように書かれています(※)。 「市によると、自らの収入欄に『生活保護』と書かれた申請が3件あったほか、扶養者の職業欄に4件、身元保証人の職業欄にも2件、『生活保護』と記されていた。扶養者欄に生活保護の申請先である『区役所』と書かれたものもあった」 ※日本経済新聞2011年(平成23年)4月27日「入国外国人、収入欄に生活保護 大阪市『入管審査ずさん』」 ここから、入国管理局による在留資格の認定審査がずさんだったことがわかります。 職業欄が「無職」というのは、身分系在留資格においてはよくある話なので、そこまで問題ではありません。ただし、日本で生活していくにあたり、経済的基盤をどうするかは重要な審査事項です。 だからこそ、入管法(出入国管理及び難民認定法)は、上陸を拒否すべき外国人の類型の一つとして「貧困者、放浪者等で生活上国又は地方公共団体の負担となるおそれのある者」を挙げています(同法5条3項)。 したがって、ほとんどの在留資格認定申請においては、申請者本人が働いて収入を得るのであればその予定の証明、誰かの扶養を受けるのであれば扶養者の収入の証明等が必要となります。 ところが、本件で入国管理局は、本人の収入・勤務先の予定や扶養者の職業欄が「生活保護」、扶養者欄が「区役所」となっているような申請書に対し、許可をしています。 普段から入管業務を取り扱っている行政書士の立場からみて、かなり不思議に思います。 なお、私の行政書士事務所でも、生活保護受給者の方から「海外の人と結婚したいので、『配偶者』として呼び寄せられないか」という相談を受けたことがあります。私としては入管法5条3項の規定がある以上、「まず収入を得られるようになって、生活保護を廃止してからの話になりますね」としか言いようがありませんでした。 何が問題だったのか? 大阪市がおかれた「難しい立場」 当時、生活保護申請を受け付けた大阪市の立場はかなり難しいものであったと推察されます。本件においては2つの問題がありました。 第一に、前述の通り、入管法5条3項の上陸拒否事由に該当すると疑われるような状況で入管の審査をすり抜けてしまったこと。 第二に、大阪市がより深く調査できる仕組みがなかったことです。 「定住者」の在留資格で日本に滞在している以上、大阪市としては「適法に日本に滞在している外国人」が生活保護申請を行ったとして扱うほかありませんでした。 「定住者」で、収入もなく預貯金・資産がなく支援者もいなければ、生活保護受給の要件は満たすことになります。そして、「問題なく在留資格を取得していたのであれば」生活保護の開始決定をせざるを得なかったのです。 結果として、大量に申請されたもののうち多数の生活保護開始が一旦決定しています。これはなぜかというと、「定住者」の在留資格を持つ外国人については、前述のように、通達で「一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて」「必要と認める保護を行うこと」とされているからです。 最終的には「生活保護の支給打ち切り」「全員が辞退」ということに落ち着いたわけですが、その間も大阪市は裁量権のない中でどうにか対処できるように法務省や厚労省に掛け合っています。 当時の平松邦夫市長は2010年(平成22年)7月の記者会見で以下のように述べています。 「言葉が過ぎるかも知れませんけれども、結果的には、国が無責任な法律の運用をすることにより、大阪市が何の裁量権もなく、生活保護法を適用しなければならないということになるんであれば、市民の理解も得られませんし、4分の1の財政負担を余儀なくされる大阪市としても納得できるものではございません。 (中略)生活保護の運用の是非という観点だけで、大阪市に判断を委ねられるのは大きな間違いです」 現在、「入国間もない外国人の生活保護申請」には高いハードル 今回取り上げた大阪市の事件はかなり有名な話なのでご存じの方も多いかと思いますが、その後、こういった「入国間もない外国人の生活保護申請」に関しての取り扱いがどうなったかはあまり知られていないと思います。 事件後、2011年(平成23年)に厚労省より「外国人からの生活保護の申請に関する取扱いについて」という通知が出されました(平成23年8月17日社援保発0817第1号厚生労働省社会・援護局保護課長通知)。 この中で「入国間もない外国人の生活保護申請」については、通常の生活保護申請に必要なものに加えて、在留資格認定申請時に地方入国管理局に提出した以下の資料の添付が義務付けられました。いずれも、日本で生活するうえである程度の経済的な基盤があることを証明する資料です。 ・雇用予定証明書等、入国在留中の一切の経費をまかなえることを証する文書 ・本人以外の者が経費をまかなう場合にはその収入を証する文書 ・日本に在留する身元保証人の身元保証書 ・その他、生計維持能力を有することを証する資料 また、これらの資料の提出を拒んだ場合には、役所は生活保護申請を却下できることとなっています。 同時に同じ書面の中で、法務省より各地方入国管理局に対し、申請者もしくは身元保証人や扶養者の生計維持能力についてより一層厳しく審査するように通知もなされています。 現在ではこのように、生活保護目的での入国を防ぐ体制ができ上がっています。「入国間もない外国人の生活保護申請」については、現実にはきわめて厳しいハードルが設けられているということです。 昨今、「ヘイトスピーチ」「排外主義」と「生活保護バッシング」がないまぜになり、出どころすらあやしい真偽不明の情報が簡単に信じられ、広まってしまうようになっていることが憂慮されます。 また、「外国人」に関することに限らずとも、「生活保護」についてはSNS等を中心に真偽不明の情報や思い込みによる言説、デマ等が容易に、まことしやかに流布することがあります(前述した、判例の誤解・曲解に基づく「外国人に生活保護を与えるのは違法(あるいは違憲)」とする言説もこの類です)。 生活保護を考えるうえで重要な視点はあくまでも「明日はわが身」ということです。「自己責任」が過度に強調されがちな今日では、誰もがある日、不測の事態に見舞われ、生活保護を受給しなければ生きられなくなるリスクを抱えています。 真偽不明の情報や、今回紹介したような極端、かつ現在は発生しにくい不正事例に惑わされ、いざという時に誰でもセーフティーネットとして頼りにできる生活保護制度の存在意義を損なうことがないよう、政治家はいうまでもなく、私たち国民にも冷静な態度が求められます。 ---------------------------- 三木ひとみ 行政書士(行政書士法人ひとみ綜合法務事務所) 官公庁に提出した書類に係る許認可等に関する不服申立ての手続について代理権を持つ「特定行政書士」として、これまでに全国で1万件を超える生活保護申請サポートを行う。
中国人48名“来日直後”に「生活保護」申請…行政が「保護開始決定」せざるを得なかった“法制度の欠陥”とは【行政書士解説】(弁護士JPニュース) - Yahoo!ニュース
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emilyenglishstudy · 2 months ago
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5分でわかる仮定法【高校英語】
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jun4matsuo · 28 days ago
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プレゼンコメント、意外と優しかった #19
 こんばんは  今日もゼミお疲れ様でした。ついに皆さんのプレゼンが終わって少し寂しいような気もします。毎度聞くのが楽しかったので…。  テーマシートについてのお話ありましたが、自分は「何をするのか」という点ではある程度の方針が決まり切っているので、聞きながらここはこう書こうかな~とか想像しながら聞いていたのですが、かえって疲れて仮眠を取ったらすっかり忘れてしまいました。うーん。
 さて、頂いたプレゼンへのコメントを読んで更新しようとして全然できていなかったので今回はそれについてです。  前述の通り、「何をするのか」という部分についてはこのまま進めて行けばよいのだと思いますが、「(研究から)何が言えるのか/何を伝えたいのか」についてもっと考え、研究の価値を明言化していく必要があるようです。更にそれは、私が挑戦しようとしているLive2Dの範疇を越えて、より一般的な価値というものを見出すということが求められているようです。  プレゼンの質疑応答時にもふんわりとした解答は持っていると説明を行いましたが、それは「それに対する解答はふんわりとあって、配信上のアバターが下手くそなLive2Dだと、配信の内容よりも下手くそだなっていう視点になってしまう。それは配信者としては避けたい。ポジティブに見てもらえる。Live2Dの出来によって配信の価値がネガティブに左右されないのが一番大きい。」というものでした(#18から抜粋)。要は配信見てもらいたいのにアバターのクオリティが低いとそっちに目が行ってしまうっていう事なんですが、これをより一般的に考えると「ある伝達方法としての絵や作品」にも言えることだなって考えました。そもそもクオリティアップってそういった課題の解決につながるかなと。ただ、この繋げ方は少し短絡的な気もします。これは一旦抱えて面談の時に相談しようかなと考えています。  それと、もう一つの価値みたいなのも考えていて、これもまたプレゼン時に言われていたデモクラタイゼーションがそれにあたるのかなとは考えていて、なんか割と答えみたいなのが出来上がっちゃっているような気もします。うーんこれで本当に良いのか…?  そんなこんなでコメントを読んでいたわけなのですが、きちんとまとめておきたいと思ってノードのようなものを簡易的に作っておきました。いずれきちんと綺麗にした物を作るかもしれませんが、一旦こんな感じで纏めています。
Tumblr media
   また、何点か新規の提案をいただいています。  ”伝統文化の系譜から見て、現代のアバターをどう位置づけるのか”という点においては、そもそもアバターってなんで存在するのか、何故アバターを使用するのか、アバターを使用すると実在の姿とどうコミュニケーションが変わるかなど、そういった点をしっかり考えなければ始まらないですね。  "平面性を好む日本人の伝統的嗜好性との関連を踏まえ、Live2D を題材として、日本人の立体の捉え方を解き明かしていく要素を交えると説得力が強くなるかも"という凄く魅力的な提案もいただいていたのですが、具体的にどういう研究リサーチをしなければならないかというビジョンが少し見えづらいなというのが課題です。また、バックグラウンドとしてリサーチを行い組み込むことは問題ないのですが、研究として据えてしまうと少し軸がぶれてしまう(というか軸が増えると書いて頂いてましたね)ような気もしていて、どこまでその要素を加えるかも含めて悩んでいます。  ですが、"アバター制作が目的ではなく、アバターは題材と位置づけ"るというのは、元々私自身もそう構えておくべきだと考えていましたし、説得力の増強には持ってこいな要素ではあると思うので、そこへのアプローチは積極的になるべきかなと感じています。  そして、"過去の事例ではリサーチの話と、実制作の話が完全に分離してしまう"ケースについては、そこまでの不安はなかったのですが、あくまで可能性として懸念していたことなのでその内容を読んだ時にそりゃそうとはなりました。自身が行う研究によってどういった工夫が生まれるかなどをきちんと探求しながらの制作を心がけていきたいところです。
 さて、こんな感じに考えましたが、まだまだ保留中な部分も多少ありますので、そういった部分を先生と共有しながら解決できればなと考えています。  それでは今回の更新は以上となります。コメントいただいてからのレスポンスが少し遅くなってしまいましたが、プレゼン前は必死に手を動かしていたのもあって少し考えるターンを設けられてよかったです(厳しいコメントを覚悟していましたが、思った以上に肯定的だったのでびっくりしました)。  寒暖差が激しかったり低気圧も続いていますので、皆さんも体調などお気をつけて~。
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nyantria · 11 months ago
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1988年のこと、私はサンタモニカの専門研究所のコンサルとして働いていた。ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の分析ルーチンをセットアップしていた。私は、核酸に関するものであれば、何でも分析ルーチンのセットアップについては多くを知っていた。私がポリメラーゼ連鎖反応を発明したからだ。だから彼らは私を雇ったのだ。
その一方で、後天性免疫不全症候群(AIDS)は、何かしら私の良く知らないことだった。だから、私はこのプロジェクトの進捗とゴールの報告書を書こうとしたときに気づいたのだ、私が書こうとする宣言を裏付ける科学リファレンスの無いことに。つまり「HIVがエイズの原因としてありそうだ」と。
私は隣の机のウイルス学者に聞いてみた。彼は必要無いというのだ。同意できない。特定の科学的発見やテクニックがあまりに確立されていて、そのソースがもはや現代の文献では参照されていないことは本当だ。しかし、HIV/エイズのケースについては、そうではないように思える。私にとってこれは本当に驚きだったが、致死的で治療法の無い病気の原因を発見した者が、科学論文で継続的に参照されないなどということがだ。その治療がされ、忘れられる以前にだ。しかし、すぐに私はわかった、確実にノーベル賞ものだろうが、その者の名前を誰も思い出せないのだ。
もちろん、この単純なリファレンスは、どこかにあっただろう。でなければ、数万の公務員と多くの尊敬される科学者が、25歳から40歳の間の多数の同性愛者や静脈内薬物使用男性の悲劇的な死を、一つの狭い調査チャンネルで研究し解決しようとしても、許されなかっただろう。他すべての池が空と立証されるまでは、全員が同じ池で釣りなどしない。公開論文がなければならない。あるいは、いくつかが共に示すことだ、HIVがエイズの原因としてありそうだと。なければならないのだ。
私はコンピュータ検索を行ったが、何も出てこない。もちろん、コンピュータ検索では重要なものを見逃してしまうことがある、単に正しいキーワードを入れなかっただけでだ。科学的問題について確実にするには、他の科学者に聞くのがベストだ。それが理由で、ナイスなビーチ付きの遠い場所で科学カンファレンスが開かれるのだ。
私は、仕事として多くの会合やカンファレンスに行ってきた。エイズについて話す者があれば誰でもアプローチする習慣だった。そして彼あるいは彼女に聞くのだ。私の「HIVがエイズの原因でありそうだ」という、ますます問題になっている宣言について何をリファレンスとすれば良いのかと。
二年間にわたる10か15の会合の後、私は極めて怒っていた。誰もリファレンスを示せなかったからだ。心に形成されつつある醜い結論を、私は気に入らなかった。21世紀の黒死病と見なされるようになった病気に対するキャンペーン全体が、その起源を誰も思い出せない仮説に基づいているのだ。これは科学にも常識にも反している。
最終的に、HIVとエイズ研究の巨人に質問する機会に恵まれた。パスツール研究所のドクター・リュック・モンタニエである。彼がサンディエゴにスピーチに来たときだ。これは最後のチャンスだろう、怒りを見せずに私の小さな質問を聞くことができるだろう。そして、モンタニエは答えを知っているだろうと考えた。
見下すような困惑を見せながらモンタニエは言った、「疾病対策センター(CDC)のレポートを引用したらどうでしょう?」
私は言った。「それはHIVがエイズの原因としてありそうかという問題に取り組んだものではありませんよ。そうじゃないですか?」
「違いますよね」と彼は認めた。疑いなく、私が行ってしまわないかと思っている。彼は、周囲の小さな人の輪を助けを求めるように見た。しかし彼らはより確実な答えを待っていた、私と同じく。
「では、SIV(サル免疫不全ウイルス)の仕事を引用したら」と良いドクターが提示した。
「それも読みました、ドクター・モンタニエ」と応答した。「この猿に起こったことはエイズとは似てもいません。それに、その論文は二ヶ月前に出たばかりですよ。私が探してるのはオリジナルの論文です。HIVがエイズを起こすと、誰かが示したものです」。
ドクター・モンタニエの応答としては、素早く立ち去り、部屋中の知り合いに挨拶してまわることだった。
(その事件の後の)数年前の私の車の中にシーンを移そう。私はメンドシノからサンディエゴにドライブしていた。他の者と同じように、私は欲した以上に多くエイズについて知ることになっていた。しかし、未だに知らないのだ、その原因がHIVであることを誰が結論づけたのか。サンバーナーディーノ山に近づくにつれ、私は眠くなってきた。ラジオを付け、エイズについてしゃべってる男を聞いてみた。彼の名はピーター・デュースバーグだった。バークレーの有名なウイルス学者である。彼のことは聞いたことがあったが、論文も読んでないし、講演も聞いたことがなかった。しかし聞いてみたら、ギンギンに目が覚めた。彼が正確に説明していたのだ、HIVとエイズの関係についてのリファレンスを見つけるのに、なぜ私がこれほど手こずったのか、その理由を。何も無かったのだ。いまだかつて、HIVがエイズを起こすことを証明した者はいない。私は家に着き、米国化学学会の会合で彼の考えを話してくれるよう、デュースバーグをサンディエゴに招いた。最初はほとんど疑っていたのだが、視聴者はそのレクチャーにとどまっていた。そして二時間の質疑応答があり、部屋の時間になるまで個別に話し続けていた。全員が持ち込んだ疑問よりも多くの疑問を残していた。
私はピーター・デュースバーグが好きだし、尊敬している。彼が必ずしもエイズの原因を知っているとは思わない。それについては不同意だ。しかし、我々は共に、何がエイズの原因で無いかは確信している。
HIVと呼ばれるウイルスがエイズという病気を引き起こすなどと、一体全体なぜほとんどの人々が信じているのか、何の理由も我々は発見できなかった。単純にこれが真実であることを示す何の科学的証拠も無いのである。
それとまた発見できなかったことは、なぜ医師がAZT(Zidovudine)という毒性の薬を人々に投与するかだ。彼らはその血液中にHIVに対する抗体が存在するという以外は何の症状も無いのである。実際のところ、我々には理解できない、いかなる理由であろうが、なぜ人間がそんな薬を接種するかを。
我々には理解できない、これらすべての狂気がどうして生まれたのか、そして両者ともバークレーに住み、我々は本当に奇妙ないくつかの事柄を見てきた。我々は過ちを犯すのが人間であることは知っている。しかし、HIV/エイズ仮説は最悪の間違いである。
私はこれを警告として強く言いたい。デュースバーグはこのことを長く言ってきた。この本を読むのだ。
キャリー・B・マリス
1993年ノーベル化学賞受賞者
キャリー・マリス:Inventing The AIDS Virus序文 | 字幕大王
我々は馬鹿であることが期待される
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yonomichi-createlog · 2 months ago
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226.4/25の分
第三回ゼミ(グループディスカッション)について
作業は何もできてないです。(まずい)
グループディスカッション感想
全体的に人のを聞いたりするほうに集中しすぎてしまったような気がします。ただ、グループ的に同じ悩みを抱えたメンバーで悩みや難点を共有できたので自分のためになるような発見や気を付けようという方向性なども改めて見つめなおすことができました。
他の人のリサーチ計画やポジショントークについて
(得た感覚やインスピレーションを思い出せるようにまぁまぁ細かく記載したので少々長めです、、。)
思った点としてはまず、その人が「一番やりたいこと」を簡潔に教えてもらうことが一番要点が伝わるなと思いました。いろんな事象や先行事例などがくっついて複雑に見えますが、「一番やりたいこと」は何?と聞いてその人の軸となっているもの知ると全体像がより明確に頭の中に入ってきました。
Round1 (上,メンバー内容 / 下,私への質問や疑問)
 Round1では、「事象・現象の捉え方 -表現をいかに成立させるか-」という共通点を持ったメンバーたちと話し合いました。ゴールが明確に想像できてしまうからこそ、面白みのない作品になってしまうのではないか。どういった形に出力され作品となるのかわからないから不安。といった各々不安要素を抱えており、それらをどう払拭して研究を進めていくかを話し合いました。前者では、その人が考えていたゴールとなる作品の形が世によくあるアクセサリーの形などの枠にとどまったイメージに感じられました。なので、枠にとらわれないよう研究などから見つけたモノを表現するに最適なカタチ(過去作であった3Dプリンターフェイスマスクのような)を0から作れば独創的で面白い作品になるのではないかという話になりました。後者では、足元周辺の分野・遠い分野でどのような先行事例があったのか、それらをより調べる事で「こういった作品の落とし込み方もあるんだ」と作品の視野を広げどのようなカタチに出力するのかのヒントに繋がって不安要素も少しずつ払拭できるのではないか、という答えになりました。要するに、前者・後者両方ともRound1のメンバーでは「制作・研究にしろ、まずは手を動かすしかない」というのが大きな解でした。また、他に上がった不安要素としては表現や作品形態がある程度決まった際にでてくる実際にそれを作る技術の不安です。(時間切れでここに関してはあまり議論を深められませんでした。技術の壁にぶつかったときは別の方法で表現するなど道を模索するしかない、、みたいな感じで終わりました。)  Round1での私への質問や個人的に話していて思った疑問としては、どう表現を成立させるか、どう出力していくのか不安になった時用に、「仮のゴール」みたいな作品アイディアを用意しておこう、と思っていました。→が、そうして事前に用意された「仮のゴール」ですとやはり研究で見つけた発見などが活かされず面白みのない作品になってしまう、という問題です。そもそも「仮のゴール」は不安を払拭するための存在としているだけでそのカタチで作り上げるようなことはしませんが、研究していく上でまた3DCGや立体が脳内で出しゃばってきすぎたときのように「仮のゴール」が出しゃばりすぎたら怖いなと思いました。→そのため「仮のゴール」も、ぱっと思いついたアイディアに過ぎず「(仮の)ゴール」としてわざわざ用意したり捉えたりしないほうが良いなと思いました。不安払拭はもうとりあえず手を動かすしかありません。
Round2 (上,メンバー内容 / 下,私への質問や疑問)
 Round2では、「やや表現模作型の進行」という共通部分で集められたメンバーでした。ここではそもそも自分の作品形態に疑問を持っている方が二人いました。興味ある事がそもそも何なのかなかなか見つからない。自分がやりたいことはあるけどそれをどう研究に落とし込むのか。前者の方は興味があるものや研究対象を探す際に制作に直結して考えているように見受けられたのでもうちょっとリラックスして考えよう、といった感じが意見のメインでした。あまり明確な答えは出ませんでしたがみんなの間で出たアドバイスとしは普段触れている趣味からさらに個々の演出面白いななど細かなところに焦点を当ててみる、研究を前提に物を見るのではなく日常で感じたものを掘り下げていくなどがありました。後者では、やりたいことはコレと決まっているけどそれを研究に落とし込むと他人の評価が大事になってくるような研究テーマになってしまうとのことだったのですが、やりたいコレの部分が明確だったのでみんなで簡単にこういうのはどう?といくつか他人の評価が主軸になら���いアイディアを提示し合いました。
 Round2で私に来た質問や疑問としては①最終的にどんな作品形態になるのか全く未定なのか。②どのように独自の表現を作り上げるのか。といった質問がありました。①に関したはある程度自分が制作してクオリティの出せる範囲で表現したいカタチに合わせられるように取り組みたいと考えています。何より重要なのは研究の中で見つけた表現したい発見や面白い気づきなのでそれらを���う表現できるか最適なカタチを考え制作したいと思っています。②では、先行事例や自然現象などである「混ざる・変化する」ものを幅広く調べ、それらの要素を分解してその分解した要素を組み合わせて独自の表現となるよう作り込みたいと考えています。(いきなり新しいものはなかな生み出せないと思うので過去や既存を振り返りそこから一つ一つ学び得て作り上げる、ということです。)
全体を通して自分の研究に思ったこと
Round1・2の質問や疑問で上がったことが基本今日思ったことですが、プラスで思ったこととしてはバイオアートに寄りそうだなということです。リサーチ計画書を書いている間にも思いましたが、自然現象の中で特にカビや菌・サビ・化学反応など「混ざる・変化する」ものとして要素が濃く分析し甲斐がありそうだなと現状感じています。リサーチ計画書に記載した文献が学校の図書館にあったので今度借りて読んでみようと思います。また、最近はバイオアートも活発に制作されているので「混ざる・変化する」以外のものでもバイオアートそのものを少し調べてみようと思いました。
蛇足
声がでかいのと楽しくなると少々主張が激しくなってしまうので今回もワクワクが厄介な方向で表に出てないか心配です…非常に。
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moko1590m · 1 month ago
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「本来は手段にすぎないものが目的化される」という現象は、個人の行動レベルから制度、国家、宗教、経済に至るまで、あらゆる領域に見られる**構造的誤配(ミスアロケーション)**とも言えます。
これはしばしば「目的の形式的痕跡だけが残り、中身や本質が抜け落ちる」状態であり、ドゥルーズ的に言えば「コード化による生命の停止」、あるいはラカン的に言えば「象徴界における欲望の代理物の肥大化」とも読めるでしょう。
🔍 手段が目的化してしまう例(ミクロ〜マクロまで)
✅【日常・個人レベル】
お金を貯めることが目的になってしまい、お金を使うことで得られる体験や幸福を避けるようになる
「ダイエット」のための食事管理が行き過ぎて、健康を害する(本来は健康のため)
「勉強」そのものが目的になり、「学ぶこと」や「考えること」がないがしろにされる
完璧なスケジュール帳を作ることに満足して、何も実行しない
人に感謝されるために善行をする(善行が手段から自己承認の目的へ)
写真を撮ることが目的になり、目の前の景色を直接見なくなる観光
「資格」を取ることに執着し、スキルや実践には興味がない
婚約指輪・結婚式に異常にお金をかけるが、肝心の結婚生活に関心がない
✅【家庭・教育レベル】
宿題を提出することが目的になり、内容や理解はどうでもよくなる
運動会や文化祭の「演出」や「統率」を優先し、子どもたちの創造性や楽しさが抑圧される
制服や校則の遵守が目的化し、生徒の個性や状況が無視される
学校に「行くこと」そのものが目的になり、「何を学ぶか」が失われる(不登校への偏見など)
✅【職場・労働レベル】
働くことが生きる目的化し、「なぜ働くのか」が問われなくなる(ワーカホリズム)
業績評価の数字を上げることが目的化し、本来の価値(顧客満足・創造性)が損なわれる
「時間通りに出社・退社」することが目的となり、成果や創意が軽視される
「会議を開くこと」が目的化し、実際には何も決まらない
✅【社会制度・行政レベル】
選挙制度が形式的になり、「形式的な投票率」ばかりが重要視される
福祉制度が「不正防止」ばかりに偏り、本来の「支援」機能が働かなくなる
交通安全運動が「旗を振るイベント」になり、実際の交通安全には結びつかない
マイナンバー制度などの「デジタル化」が自己目的化し、市民の利便性が後回しにされる
✅【経済・テクノロジー】
GDPを上げることが目的化し、環境や福祉が犠牲になる
AIの開発が「最先端を走ること」それ自体に意味があるとされ、倫理や社会的帰結が無視される
仮想通貨やNFTなど、「所有」することが目的化し、価値の意味が不透明になる
本来シンプルでいい仕組みにテックを導入し、「効率化」や「DX」自体が目的化する
✅【文化・宗教・芸術】
儀式や伝統行事が「守ること」が目的になり、本来の意味や精神性が忘れられる
「原典への忠実さ」が目的化し、創造的解釈が禁じられる(経典・聖書・古典芸能など)
芸術が「市場価値」や「評価」ばかりで測られ、表現や感動が後回しになる
仏教の「布施」などが「徳を積むポイント制度」のように機能する
✅【国家・思想・政治】
憲法や法制度の「文言解釈」ばかりが重視され、現実とのギャップが広がる
「国民の一体感」の名のもとに、多様性や異論が抑圧される(ナショナリズムの暴走)
戦争の記念が「記念そのもの」に固定され、歴史的反省や未来への意味づけが曖昧になる
国家という仕組みが「神聖視」され、市民の生が犠牲にされる(例:徴兵制、戦争)
✅【その他/逆説的な例】
「平等を実現する」手段が官僚的ルールになり、そのルールによって不平等が生まれる
「環境保護」が目的化し、人間の生活とのバランスが見失われる
「正義」を掲げて行われる行動が、人を傷つけたり排除したりする(道徳の武器化)
🧭 総括:なぜ目的化が起きるのか?
象徴や制度が自己増殖する力を持ってしまうから
評価可能なもの(数値・形式)が優位になりやすいから
不安に対して、安定した「形」を手放せないから
「なぜこれをするのか?」という問いを避けることで、精神的コストを下げられるから
🌱 対抗策のヒント
「そもそも、これは何のためだったのか?」という問いを、定期的に意識する
手段をズラす/逸脱する/再接続することで新たな意味を開く(生成変化的実践)
「目的のように見えるもの」が、実は別のものの代替・代理表現であることを見抜く
ご希望があれば、こうした「目的化を脱構築するための遊び」や「ズレによる再発見」の実践例も提案できます。いかがでしょうか?
スポーツ。カンニングして、または、傾向と対策、過去問を学習して試験をパスすること。手続きを大切にしすぎて、制度趣旨に反した制度運用をすること。自家用車を宝物のように大事に使って、その機能を十分活用しないこと。国家というものを神聖視して、国家というものに縛られて不幸になってしまうこと。
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