#円谷一の忌日
Explore tagged Tumblr posts
ari0921 · 8 months ago
Text
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)11月1日(金曜日)弐
    通巻第8485号 
■訃報■
西尾幹二氏
●●●●●
 けさ(11月1日午前四時)、息を引き取られた。個人全集二十四巻、あと一巻で完結というところだった。編集は終わっており、年譜を作成中で、じつは小生もちょっとお手伝いをした。それは西尾さんがたった一度だけ三島由紀夫とあった日付けのことだった。
 西尾全集はわが書架の福田恆存全集のとなりに並んでいる。よく拙著から引用され、評価していただいた。氏の特技は長電話。朝九時か十時頃にかかってくる。最低一時間のお喋りになる。
 思い起こせば三十年に及ぶおつきあいのなかで、私と会うときは、話題は三島由紀夫であり、国際情勢だが、ニーチェの話は殆どしたことがない。拙著『青空の下で読むニーチェ』には、感想がなかった(苦笑)。 
 『江戸のダイナミズム』で出版記念会をやりませんか、と提案すると真剣に応じられ、準備状況、発言者、当日用意する冊子など、およそニケ月の準備の時間は殆ど毎日、氏の自宅や版元の会議室で膝つき合わせ、あるいは会場での打ち合わせに費やされた。当日は四月というのに小雪が舞い、出足を心配したが、会場は四百人以上の熱気で埋まった。
二次会はカラオケだった。氏は♪「湖畔の宿」を、小生は♪「紀元は二千六百年、病に伏される前まで毎年、忘年会は高円寺の居酒屋にお招きいただき、周囲構わず大声で論議風発、愉しい時間だった。大いなる刺激をいただいた。
 氏が主催する「路の会」は四半世紀続いた。月に一度���保守系の論客を講師にお招きして、ああだこうだと激論を闘わせる知的昂奮の場だった。西尾氏が急用時には、小生が二回代役の司会をつとめた。田村秀男氏と中西輝政氏を招いた時だった。おわると近くの居酒屋に場所を移して、さらに激論が続き、氏は割り箸の袋にもメモを取るのである。かえりは方向が同じなのでタクシーに同乗するのだが、延々と論争の続き、耳が疲れるほどだった。
 或る時、知り合いの雑誌の編集長から電話があって、カラーグラビアに「路の会」をとりあげることになり、大勢のメンバーがあつまって写真を撮った。全集の口絵に好んで使われた。 
 憂国忌には二度講演をお願いしたほか、出番がなくても時間が空いていれば出席された。
 氏は論争が大好きで、また相手構わず激論を挑む。現場で見たのは岡崎久彦氏への面罵、そして小泉首相を「狂人宰相」と名付け、また安倍晋三首相をまるで評価しない人だった。
 台湾に一緒に行く前日になって、台湾大使が「野党が西尾氏の訪台を政治利用しようと、いろいろと企んでいるので、延期して欲しい」となって、せっかくの旅行はそのまま中止となった。国内旅行は三重の長島温泉など。
 氏はまた読者、ファンをあつめて西尾塾とでもいうべき「坦々塾」を主催され、二回ほど講師に呼ばれて喋った。初回は四谷のルノアールに二階を貸し切った。
 次々と走馬燈のように思い出が尽きない。西尾幹二氏は不出生の論客にして思想家だった。
 合掌
5 notes · View notes
officek-paper · 2 months ago
Text
2001-09 吉祥寺マンダラ2
Tumblr media
KICHIJOJI TOKYO 2001 9 Program City Hole Bar MANDA-LA 2 0422-42-1579 <What's happened vol.4> 忌/フノハンケース 吉野日(Yo.G)白石亜紀彦(G)野中(Ds)春日善光(B 116 バターシーパワーステーション SUN OPEN 6:00 PLAY 7:00 ¥1800 17 WHO 森山佐登美(Vo)大伍克則(G)森山由香(Key)樽木友明(B)今成英機(Ds)西和(Per) MON 2 SUN 才大野昌代、岡部恭子、浜田明子(Vo)大竹創作(Sax)大山平(G)兼松裕之(B)澤孝(Ds) タケヤマトモコ(oP+) OPEN 6:00 PLAY 7:00 1800 3 MON ‹MANY RIVERS TO CROSS scene 1> 小山卓治(Vo.G) 前売有¥3500/3800 4 成瀬昭(Vo.G)秦達人(G)香川浩則(B)/杉本広(Vo.G) 18 TUE 19 WED 20 THU TUE ひびき with SAYOKO(Pf)大宮真人(Perc) OPEN 6:00 PLAY 7:00 ¥1800 〈蒼 月光〉 WED SYNAPSE 藤木弘史(P) 銘木POP(Ds) / Orange Bullet Quinteto. 21 FRI ·2000 LOVEJOY BKKE(Vo.G)近藤達郎(Key)部夏®(G)松永孝義(B)植村昌弘(DS) さかな pocopen(VoG)西脇一弘(G)pop鈴木(Ds) ¥2300 中嶋真実人NoP)/LOUNoP/たけひこ<o@) OPEN 6:00 PLAY 7:00 ¥1800 キンキーサロン 中村隆康(Vo.G)野崎みずえ(B)大石裕子(Ds) HILLS 琴健二(Vo.G)野口健一(B)遠田和範(Ds)アイ(Key) ·1800 西田民(o) OPEN 6:00 PLAY 7:00 ¥3500(ドリンク付) 平田陽子(Vo.Pf) 松山龍彦(G.B) *2000 6 THU 彩H)関根具理(Perc)利旨5(Ds)大朝Leacer. OPEN 7:00 PLAY 8:00 2500 22 SAT 7 FRI ‹TOUR» ZU-KANKU 羽野昌二(Ds)津村和彦(G)河端一(G)志村浩二(B) sachiko(Vo) 金子寿徳(Vo.G) SOLO/成田示5(G)SOLO *2500 (3 SUN SLEEPY & THE BLUE BOELS SLEEPY(Vo.G)飯野和好(Herp)丸山明(Key)北田アキラ(G)部郎(Ds) SWINGIN LITTLE CROCODILESマリナガ(Ds)ペンギン(VoG) *2000 満月堂 倉木那Vo)玉川雄一(@)津田也(B)大関(G)藤伍志(Ds)能習祐輔(Per) エコエコサイクルズ 山田和男(Vo.G)山川武光(B)大原生(Ds) 無頼庵 OPEN 6:00 PLAY 7:00¥1800 TONE SUMMT vol.11 彼岸谷正明(Vo.G)宍戸幸司(G)平野哲也(マシーン)松本正(Ds) 脇差キハラ宙(Vo.G)えみコバーン(Vo.G)+a ·2000 8 SAT <#3 CD発売記念ワンマンライブ> 橋本はじめ(Vo.G)ひずめつかさ(Vo.G) 飯田あきら(Key) (昼) ·2500 (4 MON こども/ VISIONICS OPEN 12:30 PLAY 13:00 1800 YUA Yuki(Vo) Aya(Pf)大竹創作(Sax) COPA-TONE /カマガタサトル(oG/三つ子 OPEN 6:00 PLAY 7:00 1800 (夜)真理(VoPf)<eX金魚>リカルド(B)HAYATO(SaX)大島香Ds) *1800 三上寛(VoG)/又吉きわむ(o.G) 阿部務No.G)/BLACK&BLUE / キャタビラーターリン OPEN 6:00 PLAY 7:00 ¥1800 マキニカリスマキ(Vo.key)カメ(G)ナムラ(B)セルジュ(Ds) *2000 11 石川永世No.G)/るりNo.G)/ MAKIROCK-ET(oG) 26 <かぼちゃ大収穫祭~かまちゃの種、花実り~> 黒木ミサ(Vo)新名健二(G三線)黒田牧子(ゴロス)長岡純子(ちんどん) TUE OPEN 6:00 PLAY 7:00 *1800 WED ·2800 12 WED <CD発売記念ライプ> ジャンゴ Opening Act DECOY *2000 27 THU 角田大龍(Syn)棟居イズミ(G)高橋ヨーカイ(B)寺田桂之(Per)石塚俊明(D 青木マリ(oG)/キヨミ(o.Gウクしし)OPEN 6:30 PLAY7:00 ¥2300 13 THU 須山公美子(o.Accora)ゲスト渋谷数(Pf) 前売有¥2800 28 FRI ¥1800 14 FRI 鎌田ひろゆき(oG)宍戸幸司(G)松橋道伸(Ds) ¥2000 5 SAT 松石玲子(Vo)並木健司(G) (30 ¥3500(ドリンク付) SUN 29 なぎら健壱(oG)+ OWN RISK <蜃気楼中央線 その四> 柳原陽一郎(Vo.G)他 前売有¥2500 OPEN 4:00 PLAY 5:00 前売¥2800 ◆時間:開場 PM6:30、開演 PM7:30(異なる場合はスケジュール表内に記してあります。ライブ終了後、AM0:00まで営業しています。 ◆料金:チャージ+ドリンクオーダー(ライブチャージはスケジュール表内に記してあります。ドリンクは500円より。) ◆前売券は1ヶ月前より当店にて発売します。くわしくは店員におきき下さい。 ◆出演��望の方はデモテープ・写真を用意の上、ご来店下さい。 今後のスケジュール 10/8 MON 10/14 SUN カルメンマキ 吉川忠英(G)中村哲(Key) ブラスト トリオ・ロス・オパビノス 清水一登(Pf)鬼怒無月(G)若垣安洋(Ds)向島ゆり子(Vin) 10/17 三上寛/加川良 1012栗コーダーカルテット 前売有 10/25 THU ロンサムストリン���ス JR中央線 吉祥寺駅 南口 /新宿: 丸來) MANDA-LA 2 〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町2-8-6 中央マンション地下 CALL/FAX.0422-42-1579 ホームページアドレス http://www.mandala.gr.jp/
0 notes
yotchan-blog · 4 months ago
Text
2025/2/26 20:00:05現在のニュース
新築マンションの平均価格、初の6千万円超え 8年連続で最高値更新(朝日新聞, 2025/2/26 19:58:10) 伊藤忠、セブンMBO計画への出資断念へ 買収対抗策不透明に(毎日新聞, 2025/2/26 19:57:39) 「都外の施設にも補助金適用へ」 東京都民の医療的ケア児受け入れを巡る問題、都議会で改善の意向示す(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/2/26 19:55:45) 洋画の実写が興収トップ10にない! 識者が語る「夢の工場」の衰退:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/2/26 19:51:47) 2・26事件の90回忌 東京・渋谷の慰霊像前で遺族らが追悼式(毎日新聞, 2025/2/26 19:50:12) 維新・吉村代表、2県議の処分で改めて「除名なら議員辞職すべきだ」(毎日新聞, 2025/2/26 19:50:12) 京セラが「仮想化基地局」本格化 台湾・韓国・インドの6社と協業も(朝日新聞, 2025/2/26 19:50:02) 636億円を積んだ基金、利用わずか1%未満 岸田政権の肝いり事業(朝日新聞, 2025/2/26 19:50:02) 私立高も無償化「賛成」58%で過半数 内閣支持率44%で横ばい 産経・FNN合同世論調査([B!]産経新聞, 2025/2/26 19:45:36) 柏崎刈羽原発7号機、停止長期化も テロ対策施設の完成が遅延(毎日新聞, 2025/2/26 19:42:59) 「2馬力」選挙防止に独自策導入へ 立候補時に宣誓書を要求 鳥取(毎日新聞, 2025/2/26 19:42:59) むずかしい膵がんの早期発見を胃カメラで 阪大など検査法開発(朝日新聞, 2025/2/26 19:42:46) 前科を書いた起訴状は「予断を与える」 東京地���が裁判打ち切る判決(朝日新聞, 2025/2/26 19:42:46) 円148円台、過小評価の修正再開 リバランスの売り低調 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/2/26 19:36:10) 産総研データ漏えいで中国籍の元研究員に有罪判決 東京地裁(毎日新聞, 2025/2/26 19:35:14) 「ドイツは移民を吸収する能力が限界に達している」「政策是正しなければ」駐日大使初会見([B!]産経新聞, 2025/2/26 19:33:52) 日本の教育:「勝ってもむなしさしか残らない」受験制度に異議 向井千秋さん/2 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/2/26 19:33:50)
0 notes
shintani24 · 11 months ago
Text
2024年8月2日
広島原爆投下後の写真ネガ 新たに10点確認 路面電車など写る(毎日新聞)
広島駅駅舎屋上から南東に向かって写す。多くの人々が電車を待っている。写真右手の人だかりがある場所に露店の闇市があった=1946年2月撮影
原爆投下から1カ月後と半年後の広島市中心部を撮影した写真のネガ計10点が、毎日新聞大阪本社の未整理だった資料から確認された。広島駅前にできた闇市の雑踏や復旧途上の路面電車、焼け跡に建ち始めた家屋などが写っており、破壊し尽くされた街の再建と復興に人々が歩み始めていた時期を捉えている。
1945年9月撮影の3カットと46年2月撮影の7カットで、広島平和記念資料館(原爆資料館)や専門家の協力を得て検証し、45年9月の2カットを除いて撮影地点を特定した。いずれも撮影した記者の氏名は記録がなかった。
46年2月撮影分のうち4カットは広島駅前の光景で、全壊全焼した一帯に建ち始めた住宅や商店、闇市の露店に詰めかける人々、電車を待つ乗客の長い列などを捉えている。別の地点のカットに写っていた電車は判別した形式や車番から、大破した後に修理して復帰した車両と判明した。
広島電鉄によると、原爆で保有していた123両のうち108両が大破したり焼損したりするなど甚大な被害が出た。突貫作業で復旧を進めたが戦後初期は車両が少なく、停留所では大勢が待ったという。
原爆資料館の石田芳文館長は「原爆の傷痕がまだ深く、行政による復興計画が本格的に動き出す前の戦後間もない時期、生きるために懸命だった人々の息吹が伝わってくる。長い復興の過程を検証できる貴重な資料で、『被爆の実相』の理解にもつながる」と話している。【宇城昇、広���晃子】
Tumblr media
お金持ちだけが医療を受けられる?…コロナが流行ってるけど治療薬はこんなに高い 「いのちの格差」実態は(東京新聞)2024年8月2日
猛暑の本格化と足並みを合わせるよう、新型コロナウイルスの第11波が到来しつつある。喉の痛みに止まらぬせきなど、特有の症状に直面する人々はいま、別の悩みも突きつけられる。コロナ治療薬の高さだ。頭がふらつく中でも価格におののき、処方をためらう人もいるという。「経済格差」「健康はカネ次第」。そんな言葉も浮かぶ現状を改めなくていいものか。(山田雄之、木原育子)
◆「9割が値段でためらい、6〜7割があきらめる」
新型コロナ用の治療薬の一つ「ゾコーバ」
東京・渋谷区の「みいクリニック」。最近は多い日で30人が発熱外来を訪れ、10人ほどが新型コロナと診断される。宮田俊男���事長は「高熱や強い倦怠感、喉の痛みを訴える人が多く、症状が強い」と話し、こう続ける。「ほとんどの患者が値段を聞いてためらい、20〜30代前半は『やっぱり大丈夫です』と断る」
「値段」とは、新型コロナ用の治療薬の金額だ。
同院は、重症化や後遺症のリスクを抑えるために治療薬の処方を提案するが、「9割が値段でためらい、6〜7割が諦める」。飲み薬として通常出す「ゾコーバ」は、医療費の窓口負担3割の人で5日分が1万5000円程度になる。
「値段が高くて処方できないのは歯がゆい」
東京・北区の「いとう王子神谷内科外科クリニック」の伊藤博道院長もそう漏らす。夫婦で感染しても1人分だけの処方を希望するケースもあり、「『お金が払えない』と聞いたら、勧められない」と息を吐く。
◆第11波の主役・変異株「KP.3」の特徴は
新型コロナ用の治療薬「ゾコーバ」などの調剤明細書
新型コロナの感染者数は11週連続で増加し、第11波に入ったと目されている。厚生労働省によると、約5000の定点医療機関から7月15〜21日に報告された感染者数は6万7334人で、1医療機関あたり13.62人。インフルエンザで流行の注意報を出す基準の10人を超えている。九州は多く、佐賀は31.08人、宮崎が29.72人。主流はオミクロン株「JN.1」から派生した変異株「KP.3」。感染やワクチンで得た免疫を回避する力が強く、感染力も目立つ。
国内で新型コロナ用の治療薬として一般流通する飲み薬は軽症や中等症向けのゾコーバ、重症化リスクがある人向けのラゲブリオ、パキロビッドの3種類だ。厚労省の資料には7月12日時点で「全ての受注に対応でき、十分な在庫量が確保できている」とある。先の伊藤院長は「ゾコーバは発症後3日以内、他は5日以内の服用を勧めている」と解説する。
◆「必要な患者に行き届いていない」
コロナ禍の必需品となったマスク
コロナ治療薬は以前、全額公費負担だったが、新型コロナの感染法上の位置づけが「2類相当」から「5類」に移行された後の昨年10月から、最大9000円の自己負担に。今年4月には公費支援が廃止され、3割負担の人は5日分でゾコーバが1万5000円程度、ラゲブリオとパキロビッドは3万円程度となった。
なぜ高額なのか。厚労省の担当者は、新型コロナで入院する患者向けの点滴薬については「新薬として研究開発経費や副作用といった安全性の調査費などを積み上げて薬価を算出した」と述べた一方、他の薬は「類似薬と比較し、薬価を決めている」と説明した。
公費支援の有無で治療薬の処方率が変わる傾向があるようで、医療従事者向けサイトを運営する「エムスリー」の調査では、3種類の飲み薬の処方率は昨年8月で2.2%、公費支援廃止後の今年4〜6月は10.5%程度だった。伊藤院長は「現場でも今、処方希望は患者全体の1割の感覚。必要な患者に行き届いていない」と訴える。
◆アビガンはいま…
新型コロナ用の治療薬といえば、物議を醸した過去もある。
代表例は、富士フイルム富山化学(東京都)が開発したアビガンだ。元々は新型インフルエンザの治療薬だったが、コロナ禍当初、新型コロナへの有効性を示す治験結果がないにもかかわらず、故・安倍晋三政権下の判断で投薬が進んだ。肝心の有効性はその後も確認できず、2022年10月に治療薬の承認申請を取り下げた。ちなみに、アビガンは今、マダニにかまれることで起きる感染症の治療薬として承認されている。
塩野義製薬のゾコーバも承認まで時間がかかった。同年2月に厚労省に承認申請したが、胎児に影響が出る可能性があり、「妊婦または妊娠している可能性のある人」は禁忌になるなど、分科会も有効性を判断しかね、7月に継続審議に。その後も臨床試験を重ね、11月に緊急承認された。
◆「夏場だけでも自己負担軽減を」
「内閣感染症危機管理統括庁」の看板を掛ける岸田文雄首相(左)と後藤茂之感染症危機管理相(当時)=2023年9月
そんな経過を経た今、治療薬を服用しやすい環境の整備を求める声が上がる。
7月16日にあった都医師会の会見では、尾崎治夫会長が「今回は喉が痛くなるのが特徴。食事が喉を通らなくなり、暑さと相まって衰弱し、昨年以上に重症化するケースが増えるのでは」とし「夏場だけでもいいので、自己負担額が軽減されるよう国や都に対策をお願いしたい」と提言した。
同月22日に厚労省が開いた有識者ヒアリングでも、治療薬の負担軽減を望む指摘があり、解熱剤や鎮痛剤などの増産を求める訴えもあった。
◆「エビデンスがあまり確立していないことも問題」
高額ながら治療薬が必要とされるのはなぜか。
インターパーク倉持呼吸器内科(宇都宮市)の倉持仁院長は「重症化を避けるという意味で効果があり、これ以上悪くさせないという歯止めの意味もある」と解説する。
「コロナで自宅療養することに慣れ、症状が出ても解熱剤を飲むなどして、まずは経過をみる人も多い。持ちこたえるように普通の生活を送り、喉が痛くなるなど、どうにもならなくなって来院し、ゾコーバを処方する場合もある」
一方で「『治療したらこうなった』『治療しなかったらこうなった』というエビデンスもあまり確立していないことも問題だ」と指摘する。ただ、そうはいっても「未投与の場合、肺などさまざまな臓器でウイルスが増殖し、炎症を引き起こし、持病がある人は特に悪化しやすい」。
◆「人権無視も甚だしい」
新型コロナについて会見する東京都医師会の尾崎治夫会長=YouTubeから
そんな治療薬だが、現状では経済的な理由で治療薬を諦める人もいる。
NPO法人「医療制度研究会」理事長の本田宏医師は「ひと言で大問題だ」と切り出し、「家庭の懐事情で医療に差が生じるのは、医療へのアクセス権を阻害しているという面でも『いのちの格差』を生んでいる」と続ける。
本田氏は国の医療費抑制策の問題を指摘する。
「『医療費が増えると国が滅ぶ』と、医療費を削る一方で患者の窓口負担は増やしてきた。限界まで医師数を抑制し、コロナでは在宅死も起きた。お金持ちだけが医療にアクセスできる現状になり、人権無視も甚だしい」
今も社会的に影響が大きいコロナ。昭和大の二木芳人名誉教授(感染症学)は「ゾコーバの価格も高いが、重症化の可能性がある人が口にする二つの飲み薬も高額だ。二つの薬は、ともすれば命に関わる人々が対象になる。全体的に治療薬の資金援助が必要だ」と訴える。その上で「ゾコーバなどがもっと安価であれば、多くの人がもっと積極的に飲む。結果的にウイルスの脅威は減る。社会全体の不安感を取り除くとの意味合いでも急ぎ、対策してほしい」と話した。
◆デスクメモ 先日、新型コロナになった。当初は38度前後の熱。解熱鎮痛薬の処方のみ。やがて喉に激痛、声が出なくなった。医院でゾコーバを勧められるとうなずいた。ただ詳しい額を知ったのは薬局でのこと。出ないはずの声が出そうになった。普通の風邪との差。何とかしてと切に思った。(榊)
0 notes
kurano · 1 year ago
Text
 文豪・大舌英治(たいしたひではる)がその件に関して話したことは無かった。何を聞かれても、「自分はそこの出身者ではない、縁もゆかりも無い土地である」の一点張りであった。
「だいたいそこ、原付を飛ばしてもうちから10分は掛かるし、歩けば一時間はかかる。全然近くない! ほら、田園調布から徒歩一時間の川向こうに暮らしておるからと言って、田園調布を知っているとは言わんだろう? そりゃ、航空隊から一番近い隣の特攻隊基地だったらし��が、それだけのことだ。古い武家の村でな、あそこの出身者は皆気位が高く、頭も良かったことは事実だ……。じゃがそれだけだ。わしが知っておるのは……」
 そう。昭和も進み、最早戦後では無い! と喝破されたあの日、その村で前代未聞の誘拐婚事件は起こった。
 しかし、文豪は今、しみじみと振り返る。
「あの日、鹿屋駅のホームでD51が引く客車に乗り込んだ時のことは一生忘れられん……。日の丸の小旗を振って見送ってくれる村人の中から、長(おさ)が固い表情で客車の窓に近寄り、小声で囁いたのじゃ。『村のことは、決して外の世界で言うてはならん……』
 私はすっとぼけて、『何のことですか』と言葉を返すしか無かった。長は続けて私に問うた。
『稚児と言えば?』
『可愛い……。いやええと……、元気な男の子?』
『そうじゃ! それ以外の深い意味はなかど。裏の意味はなかど』
 トンネルを潜る度に、服が真っ黒になったことを覚えとる……。あの時、わしはなんとはなしに悟ったのじゃ。もう故郷に戻ることは無いだろう。村での出来事は、一生封印して生きるしかあるまいと」
 心境の変化はいかに?
「数年前、官房長官が何度も訪ねて来られた。『少子化脱出の切り札は、最早あの忌まわしき呪われた風習に頼るしかありません! 先生が文豪として世に出たのは、まさにこの日に備えるため、故郷のその記憶を紡ぐことで、日本の未来に貢献するためだったとは思いませんか?』と。
 わしは、しばらくは知らぬ存ぜぬを押し通した……。ああじゃが、官房長官は、文字通りの三顧の礼でな。しかもFANZAの1万円ポイント金券まで持って来るではないか。1万ポイントと言えば、350円セール動画が30本も買えるのだぞ? いいですかぁ? 皆さん。AVなんてものはね、10本買ってみて、中に1本当たりがあれば良い方ですよ? われわれジジイは、金鉱を掘り当てるような艱難辛苦な思いで、いつも動画を買っておるのです!……。ええと、何の話だっけ? あ、そうそう。そこまでの熱意を無視するなどということは、わしには出来んかった。文豪大舌にも愛国心はある! わしは、決意するしかなかった。
『かあちゃん秘書! フランス書院文庫編集部に電話しなさい。宅の主人が、ついに御社を��負って勃つ覚悟を決めますたと!』
 そうして誕生したのが、国民的ベストセラーとなった『おっとい○じょ』三部作(推薦文・文化庁長官三浦某)じゃ!」
 そして今春、絶賛劇場公開にこぎ着けたのが、「おっとい○じょナイト-非モテの逆襲」(*クレカ会社のガイドライン対策で、タイトルに一部伏せ字が入ることをご了承下さい)
 制作・内閣府(中共の言いなりです)、後援・こども家庭庁(及び、日本の正しい家庭の姿を目指して、自民党の隅々まで影響力を広げる統一された協会)
・続編、「おっとい○じょリターンズ-インセルの鉄槌」&「おっとい○じょリローデッド-黙れ!ツイフェミ」も鋭意制作と公開が控える。
・同時上映、「大隅線復活に懸けた男たち」
 応援メッセージ・静岡県知事&佐賀県知事。他、新幹線だのリニアだのが走ってもちっといいことはない恨みたらたらの全国の通過自治体首長。
 文豪大舌(たいした)の胸に今、去来するものは何か……。
「これだけは書くまい。書いてはならぬと肝に銘じてきた。今は亡き村の長に謝りたい。一部に、『そんなことをしたら産婦人科は年間で、一週間前後しか仕事が無くなるではないか? 産婦人科医に死ねということか? 星座で占う渋谷センター街の占い師の仕事はどうなる?』などの厳しい批判を浴びたことも事実じゃ。わしもそのことは胸が痛む。じゃが、何にせよ、お国のためじゃ。産めよ殖やせよ! 高度成長の栄光よ、今ふたたび! の号令に協力するしかあるまい」
0 notes
kachoushi · 2 years ago
Text
風月句会
2023年10月15日
Tumblr media
於:川崎市多摩市民館
坊城俊樹選 栗林圭魚選
坊城俊樹選 特選句
Tumblr media
坊城俊樹選 特選句
街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 大寺の風を擽る榠櫨の実 幸風 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種
坊城俊樹選 並選句
烏瓜守る篁や母の塔 幸風 観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 鬼残し児らの消えけり暮れ早し 経彦 菩提子の雨のしづくを城主墓 慶月 秋雨は葉裏の塵も拭ひけり 軽象 秋淋しメタセコイヤの闇深く 亜栄子 山粧ふ襤褸となりてたたなづく 幸風 たゆたへる心のやうに式部の実 白陶 赤帽の四仏に秋の雨しとど ます江 雨しとど廣福密寺金木犀 眞理子 秋霖に立つ観音の艶めける 慶月 禅寺の庫裏へと招く郁子の棚 眞理子 洗堰色なき風を漾はす 幸風 石仏に一円玉と菩提子と 三無 秋雨の下よりしみる五輪塔 慶月 塔頭の裏に小さき菊畑 眞理子 犬連れて秋の蚊つれて戻りたる 要 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 蘆の花谷戸に育ちて高く揺れ ます江 霧流れ城山の雨乱れなし 千種 秋黴雨だあれもゐない母の塔 亜栄子 白壁の明るき家の並ぶ秋 れい 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
______________________________________________
栗林圭魚選 特選句
Tumblr media
栗林圭魚選 特選句
観音の小さき御足やそぞろ寒 三無 絵手紙の文字の窮屈葉鶏頭 要 駐在も綱引き離島の運動会 経彦 小鳥飛び雨止みさうにやみさうに 千種 秋霖や庫裏よりもるる刀自の声 眞理子 句碑の辺に秋のささやき交はす声 白陶 秋黴雨だあれもゐない母の�� 亜栄子 梵鐘の撞木の先や秋湿り 眞理子
栗林圭魚選 並選句
隣国のおやきの匂ひ天高し 幸子 姫沙羅の艶めき輝る秋の雨 白陶 近道を来て晩秋の雨上る 千種 等身の太郎のパネル秋思ふと 久子 逸早く燃ゆる紅葉の花水木 秋尚 街騒も葉擦れも消して秋の雨 三無 尾を引きて鵯のひと声雨の句碑 秋尚 朱鮮か真弓の秋のけわいかな 軽象 無患子や古寺の要と仰ぎみる 亜栄子 杉木立秋雨ほのと明るめり 千種 秋霖や人影侘し母の塔 文英 秋霖の洗ふ碑ありて忌の間近 慶月 雨しとど廣福密寺金木犀 眞理子 木犀の香の雨烟る多摩の丘 久子 水煙に紅葉かつ散る結跏趺坐 幸風 木犀の大樹の包む道祖神 亜栄子 禅寺の庫裏へと招く郁子の棚 眞理子 薄紅葉石仏並ぶ小径にも ます江 秋時雨無患子の実を艷かに 文英 洗堰色なき風を漾はす 幸風 古寺の鎮もるほどに秋の声 白陶 菩提樹を雨の宿りの秋の蝶 千種 年尾忌や夜更けのコール偲ばるる 文英 ずぶ濡れに秋の暖炉のやさしかり 久子 ソーラーパネル鈍く光るや吊し柿 眞理子 泥濘の横山雑木紅葉抜け 亜栄子 塔頭の裏に小さき菊畑 眞理子 秋雨のビジターセンターはや暖炉 久子 農を継ぎ村歌舞伎継ぎ街興し 経彦 秋の灯をひとすじ流す雨の径 久子 蘆の花谷戸に育ちて高く揺れ ます江 霧流れ城山の雨乱れなし 千種 白壁の明るき家の並ぶ秋 れい 句碑の辺の萩しなやかに揺れてをり 文英 やや寒や追討ちかける今日の雨 ます江 秋湿り払ひて高し母子の像 軽象
0 notes
herbiemikeadamski · 2 years ago
Photo
Tumblr media
(^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 2月9日(木) #先勝(戊戌) 旧暦 1/19 月齢 18.3 年始から40日目にあたり、年末まであと325日(閏年では326日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 調整期間中なので、毎日毎日が退屈 で、慣れないと云うより久々の積算 の拾いをやってるが、これが楽勝で 直ぐに終わってしまうのだが😅💦 「流石に仕事が早い!」って言われ てもねぇ〜ですけど🤣😆🤣今日も 定時で上がって中野富士見町にでも 行っちゃう予定だが間に合いますよ ねぇ🚐🌬️にしても寒い😨❄️デスネw . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #北海道米ふっくりんこの日.  北海道札幌市のホクレ���農業協同組合連合会内に事務局を置く、北海道米販売拡大委員会が制定。  北海道の道南で開発された「ふっくりんこ」は北海道を代表するブランド米のひとつで、つやのある見た目で、甘みと粘りがあり、ふっくらとした食感が特徴。  道南と空知の一部産地限定で作付けを行うことで品種本来のおいしさが守られており、記念日を通して北海道米「ふっくりんこ」に愛着を持ってもらい、認知度の向上と消費拡大を図るのが目的。  日付は2と9で「ふ(2)っく(9)りんこ」と読む語呂合わせから。 . . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。  寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #受死日(ジュシニチ、ジュシビ).  最悪の日とされており、お葬式は行っても良いのですが、それ以外は何をやっても悪い日。  で、この日に病気になると死に至るともいわれています。  「黒日(クロビ)」 暦注では「●」と記されることが多し。 . . #輪島ふぐの日. 石川県輪島市の輪島市役所産業部観光課内に事務局を置く「能登半島・輪島わのしま食楽部(クラブ)」が制定。 . #プロ野球初試合. 1936(昭和11)年2月9日(日)大安。 . #ふくの日. . #日本航空350便墜落事故(#1982年). . #治虫忌. . #漫画の日. . #円谷一の忌日. . #大福の日. . #河豚の日(#ふぐの日、#ふくの日). . #とらふぐ亭の日 . #服の日. . #副業の日(#複業の日). . #木曽路ふぐの日. . #木曽路肉の日 . . ●クレープの日(毎月9の付く日). . ●パソコン検定の日(毎月9日). . ●えのすいクラゲの日(毎月9日). . ●福寿の日(9日、10日). . ●白馬そばの日(8日~10日). . ●福の日. . ●風の日. . ●肉の日. . . ■本日の成句■. #窮鼠猫を嚙む(キュウソネコヲカム). 【解説】 弱者であっても、追い詰められて逃げ場を失うと、居直って天敵と云える様な反撃して来る様。 . . 1990(平成2)年2月9日(金)友引. #アントニー (#あんとにー/本名:堀田 世紀 アントニー) 【お笑いタレント/マテンロウ】 〔東京都北区〕. . . (松屋) https://www.instagram.com/p/CoaubyChw8lRVfQQBPGi8mRGm0qDVSYldi78pQ0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
xf-2 · 6 years ago
Link
最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する���神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の��務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が��涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の��回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上��支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送り���がら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
10 notes · View notes
2ttf · 13 years ago
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送��息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃���展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』��】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
9 notes · View notes
zaregoto1914 · 6 years ago
Text
土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平��弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部��の接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞���挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
2 notes · View notes
spiritworldcommunication · 6 years ago
Text
インターネットからの脱出
2018/4/25発行 ZINE"霊界通信 2018 S/S Issue"収録 by gandi
Escape from the Internet
ぼくが初めてインターネットに触れたのは15年ほど前のことだ。ちょうど21世紀になりたてくらいの頃だろうか。当時出来たての情報カリキュラムの授業での出来事だ。少し起動に時間のかかる箱型の機械のスイッチを入れると、テレビ型のモニターの向こう側から世界中のあらゆる情報が飛び込んでくる。その斬新さに、ぼくは舌を巻いた。しかもその情報がすべて生々しい。なにかがテレビとは明らかに違う。 ぼくはテレビが嫌いな子供だった。今でこそ落ち着いてきたものだが、当時のテレビの演出はとにかく過剰で、ギラギラした悪趣味なセットの前で空疎な会話をする芸能人たちの姿にはとにかくウンザリするばかりだった。人の車を壁にぶつけて壊して喜ぶようなノリにも全くついていけなかったし、ディレクターの指示で拉致同然に、突然半年間も海外を旅させるような嗜好にも「こんなことが許されるのか」と子供ながらに怒りを覚えた(たとえそれが口裏合わせ済みのことだったとしてもだ)。そしてそれらの行動に何一つ意味はない。彼らの行動原理は「ノリ」だけで、洞察に基づいたものがない。徹底的に空疎なのだ。 空疎なテレビの世界の中でも、群を抜いて空疎だったのはひな壇の芸人たちだった。彼らは空疎さという一点において洗練されつくしていた。「なんでやねん」と投げられる言葉に、タイミングよく再生される乾いた観客の笑い声。「なんでやねん」。彼らが本当にそう思っているのか、かなり疑わしかった。「なんでだよ?」でもその「なぜ」を正面切って考えようとする人間は、そこには一人もいないように見えた。 (※もっとも、その空疎さこそなんでも重苦しく考えたがる彼らの前の世代への意図的反抗なのだと分かったのは、ずっと後になってからの話だ) しかしインターネットは違った。誰もが手作りの簡素なホームページを作り、それぞれが勝手なことを論じていた。そこには「なんでやねん」というツッコミを入れる人間はいない。それゆえ誇大妄想としか思えないことを100ページ以上に渡って、延々と書き連ねているような人も少なくなかった。誇大妄想。 テレビだったら芸人の「なんでやねん!」の一言でかき消されたに違いない。しかし人の誇大妄想の中には、社会を抜本的に変革してしまうような考えがしばしば含まれている。たとえば革命家。革命家は周囲の冷笑を意に介さず、空気も読まずに延々と妄想を深め続ける。すると次第に感化される賛同者が出てくる。保守派からすれば狂人に思えない賛同者たちが。 息苦しい日々の中で、ぼくはインターネットに光を見出した。 ぼくはテレビと同じくらい学校の雰囲気というものが嫌いだったが、それは教室がテレビの相似形のように見えたからだ。 端っこの席で、目立たないが誰も思いつかないようなことを考えているヤツの考えは、いつだって声がデカくてノリがすべての野球部の声にかき消される。その身も蓋もない事実に、ぼくはホトホトウンザリしていた。この構造はずっと変わらないに違いない。きっと大学でもそう。社会に出てもそう。死ぬまでそう。いつか全部叩き壊す。そうでなければ刺し違える。そんな風に自分に何度も言い聞かせなければ、グレてしまっていただろう一少年に、インターネットはこっそりナイフを渡してくれたのだ。ぼくは友人たちへ 「テレビよりインターネットの方が全然面白いぞ」と触れ回った。友人たちは興奮するぼくの話を、肯定するでも否定するでもなく聴いてくれた。インターネットが面白いということは少しずつ広まり始めていた。 率直に言って、ぼくはインターネットの「世界中の情報がリアルタイムで入ってくる」という側面は、そこまで重要ではないのではないかと思う。それは既存のメディアでも出来ていたことなのだ。インターネットの本当にクリティカルな点は「人間の生々しい声が、誰にも検閲されないまま聞ける/言える」という点にある。それも平等にだ。どんなに虐げられていた者にも、数千円のスマートフォンさえあれば平等にその機会はやってくる。
誰がジャンクな記事を量産しているのか
だから生々しい声が聞こえなくなったら、そこでぼくのインターネットへの関心は尽きる。聞いたこともないような考えや、社会によって巧妙に隠された呼び声を聞くために、ぼくらは本を読みネットを見る。決して誰かが仕込んだ一般論を聞くためじゃない。ぼくは「失敗しない生き方をするための十の方法」なんて記事を見かけるたびにいつもウンザリしているが、こういう記事は一体誰が書いているのだろう?全く失敗しなかった人だろうか。それとも派手に失敗した人だろうか。 あまりに不思議に思って周囲にこぼしていたら、知人の大学生が書いていた。同級生やサークルの仲間も結構な割合でやっているという。 バイト感覚で家計の足しにしているのだそうだ。 1文字0.1円。2000文字程度の記事を10個仕上げて2000円貰うんです、���彼は言う。プロのライターが最低1文字3円からということを踏まえると信じられない値崩れだ(もっとも最近はプロの現場でも1文字1円というケースが珍しくなくなったが)。 そんな金額ならスーパーでレジ打ちした方がずっと効率がいいように思えるのだが、仲間内のパーティに出席できたり、就活のときネットメディアに関わっていたことが有利に働いたりと、色々とメリットはあるらしい。「ちょっとした承認欲求や仲間内で意識の高さを演出するために、」 場合によっては損得度外視で引き受けることもあるという。 しっかり見ていれば分かることだが、中には高校生が書いているケースもある。記事の最後に「この記事を書いた人」というツイッターリンクが付いていて、そこに行くと高校生だということが分かる。 なるほどこれらの記事は(誰もがうすうす気づいてはいるだろうが)プロではなく文章の素人がタダ同然で書いているものなのだ。インターネットの記事が人に見てもらえるようにするには、内容よりもグーグルのロボットから高い評価を受けるためだけにとにかくコストを抑え、量産することが大事だ。そして言うまでもないことだが1文字0.1円では、一つ一つの記事に真剣に向き合う時間はない。 必然的にすでにインターネットに載っている文章をコピー&ペーストし、適当にリライトするという作業になる。もちろん直接取材や、図書館に行って原典を確認するなんてことはあり得ない(つまり、何かのきっかけで一度間違った情報がインターネットに掲載されると、永遠に誤情報がコピーされ続けるということになる)。著者は自分の考えを述べようにも、記事が問題としている内容に、真剣に向き合って考えているヒマはない。そもそも書かせている側が、著者に対して端から何も期待していないのだ。 こうした記事が、毎日数千、数万とインターネット上にアップされている。多くの場合は記事と見せかけた広告で、そうでなければ広告収入のために書かれたテキストだ。記事の書き方はこう。「ランキング形式のまとめ記事にしてください。まず1位と2位に、定番のA社とB社のアイスクリームを挙げます。そして3位くらいにクライアントさんのこの新作アイスクリームをランクインさせてください。1位だと広告だって思われてしまうので、3位くらいがよいでしょう。4位以降は適当でいいです」。もちろん、ぼくは必ずしも広告が悪いと言っているわけではない。問題は企業が、あたかも主流的意見であるかのような記事もどきを、ジャンクのように量産することにある。 ぼくらは日々これらの量産されたジャンク記事に囲まれて生活している。好もうと好まざろうと、スマートフォンにニュースアプリやツイッターをインストールしている限り、絶対に目にすることになる。グーグルで何かを検索しても、個人のサイトやブログにたどり着くケースは今や稀だ。インターネットの笑ってしまうような(しかしひょっとすると社会を揺るがすかもしれない)誇大妄想は、十年の月日をかけて、当たり障りのない一般論を装った、どこかの企業広告へとすり替えられたのだ。 こうしたゴミのような広告の山から逃れたい人はひょっとするとインスタグラムのような、社会性とあまり関係のないメディアだけを見るようになるのかもしれない。インスタグラムはアカウントのジャンク化を恐れて、拡散機能をあえて弱めにするなどの対策をしているようだ。だが言ってしまえば、それは騒がしい広告記事から耳を塞いだだけのことで、決して生々しい声を取り戻したというわけではない。 そしてこうしたジャンクな記事は、恐らくあと五年もしないうちに人工知能が書くことになるだろう。人工知能なら、もっとうまくやるに違いない。ビッグデータから得た集合的無意識──当たり障りのない一般論や、何かのきっかけでセレブが発言した、流行の考え方──を、それらしい言葉でまとめて無限に生産するのだ。しかしそれは、あの、テレビや雑誌といった旧メディアが作っていた空疎な時間と、一体何が違うというのか。
メリークリスマス!と言えないアメリカ
ジャンクな記事が生まれる要因は他にもある。世界的なポリティカル・コレクトネスの流行だ。ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)とは「 政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のこと(Wikipedia)」とある。 ポリティカル・コレクトネスの観点からすると、たとえば「看護婦」という言い回しは男性がその職業につけないイメージを与える可能性があるので間違っており、男女ともにイメージすることができる「看護士」と言い換えるべきということになる。同様に「保母」は「保育士」とすべきだし、「肌色」は人種的配慮に欠けるので「ペールオレンジ」に言い換えるべきとするのがポリティカル・コレクトネスの考え方だ。 この考え方は確かにある程度まで間違っていないように思えるのだが、少し考えると行き過ぎは文化を破壊しかねないということが安易に想像つく。例えば「メリークリスマス」という言葉は、宗教的配慮に欠けるという観点からすでにアメリカでは 「ハッピーホリデイズ」と言い換えられている。 クリスマス飾りににキリスト像やマリア像などを持ち込むのもご法度だ。十字架なんて問題外。宗教色を一切葬り去らねば、イスラム教徒や仏教徒に失礼じゃないか、というわけだ。そのうちクリスマスに赤色を使うのもNGになるかもしれない。赤はキリストの血を表すからだ。 しかしそのようなものを果たしてぼくらはクリスマスと言えるのだろうか。これは「政治的な正しさ」を盾にした、キリスト教文化への破壊行為ではないのだろうか。なぜポリティカル・コレクトネスの人たちはこんなに偏屈な考え方をするのだろう?これではまるでポリティカル・コレクトネス原理主義だ。ポリティカル・コレクトネス教以外のあらゆる宗教は絶対に認めないという原理主義的一神教だ。 たとえあなたが仏教徒だっとしても、笑顔で「メリークリスマス!」と言えばよいではないか。実際日本人はずっとそうだったのだ。キリスト教の人たちが宗教的に大事にしている行事ならば、わざわざそれに目くじらを立てることはない。むしろ「楽しそうだからぼくらも参加させてほしいのだが、仏教徒なんだけど構わないかね?」と言うのが本当の寛容ではないだろうか。それとも一神教徒の人たちには、そういう考え方は難しいのだろうか。 しかしポリティカル・コレクトネスの人々はそうは考えない。頑固に公の場でメリークリスマス!ということを許さない。「そんなに偏狭な態度をとっていれば、かえって息苦しい社会になってしまわないだろうか」「むしろ反動が起こって事態はよっぽど悪くならないだろうか」などと考えていたら、案の定バックラッシュがやってきた。2016年のアメリカ大統領選の時にドナルド・トランプ現大統領が「自分が大統領になったら再びメリークリスマスと言えるようにする」と公約したのだ。大統領選の結果はご覧の通りだ。トランプ大統領は、メリークリスマス!すら堂々と言えなくなってしまった息苦しい社会に不満を持つ人たちの支持を得て当選したのだ。 言うまでもなく、本来あらゆる文化的伝統行事は民族性や宗教性と密接に関わりあっているのであって、そこから宗教色を徹底して排除しようとすれば、ただの無味乾燥で無秩序な騒ぎになってしまう。宗教や民族にまつわる文化的行事が、現代的価値観からすれば理不尽としか言いようのないものを含んでいるのは当然のことだ。伝統行事は、むしろ常にその時代の価値観と全面的には折り合わなかったからこそ、時代が変わったからといって廃止されることはなく、時代を超えてずっと尊敬され続けてきたのだ。それを現代人の価値観にそぐわないからと言って安易に排除をしようとするのは、今の時代の価値観が未来永劫続くと考える現代人の傲慢であり、次の世代への想像力の欠如ではないだろうか。 日本よりはるかに多民族・多文化社会であるアメリカでポリティカル・コレクトネスの考え方が発展したということはある程度理解できなくもない。あまりに価値観が多様過ぎて、「寛容」や「思いやり」でカバーできる範囲をとっくに超えているのだ。ある人々にとって帽子を被ることが礼装であり、またある人々にとって帽子を脱ぐことが礼装である社会では、ポリティカル・コレクトネスがなければ一方的に少数派が追いやられるばかりなのかもしれない。だが、日本は全く状況が違う。常に周囲と価値観を合わせたがり、少数派になることを恐れがちな日本人は、アメリカとは性格が逆で、少数派が自ら少数派であることを捨て、自発的に多数派になりたがる傾向がある。そのような価値観だから世界的にも類をみない寡民族・寡文化社会になってしまったのだ。 有り体に言えば、我々の社会は空気を読むことが大好きだということだ。互いに周囲の顔色を見回して、自分が人とズレてはいないか、誰かが変わった考え方をしていないか、絶えず監視し続ける。今のインターネットは、テレビのような旧メディアと変わらない。これはもはや「ムラ」社会だ。特異な考え方は、誇大妄想が広がる前に「ツッコミ」をして「修正」する。これをポリティカル・コレクトネスの考え方が加勢する。今時の言葉で言えば「炎上」というのかもしれない。そして最後には「まとめ」として「総括」されるのだ(なるほど「総括」とはどこかで聞いたような言葉だ!)。 「炎上」は一見、正しい意見が間違った意見を修正する、社会の自己浄化作用のように見えなくもない。しかしその一方で、特異な発想の芽を潰していると言える。この調子だとそのうちわざと「ボケ」��者が出てきて、毎度お約束のように「炎上」させるようになるかもしれない。人と違うことが怖い私たちは、そうやって永遠に続く終わりのない日常に「お祭り」というリズムを作るのだ。やがて「ボケ」と「ツッコミ」は、「なんでやねん!」(=なぜなのか)という言葉本来の意味を失い、次第に儀礼化していくことだろう。その裏で、本当に特異な考えをする人の声はどんどん見えなくなっていく。社会は変化することなく終わらない日常となり、まるであのバラエティ番組のように、空虚な戯れが延々と続いていくのだ。
本物の共産主義社会が到来する
更に悪いことに、こうしたインターネットの記事たちは各ユーザーに合わせ最適化され、そのユーザーが関心を持っていそうなことばかりをサジェストするように出来ている。例えばあなたがあるニュースアプリでLGBTについての記事を読んだとしよう。そのアプリは次からLGBTについての話題で一杯になるのだ。するとあなたは思う。「今、社会はLGBTに相当な関心を持っているに違いない」。こうしてそれぞれが勝手に「北朝鮮問題が」「仮想通貨が」「アイドルが」「ネコ画像が」社会的関心事の中心であると考え始めるのだ。自分でフォローする人を選べるSNSはもっとひどい。「反安倍政権の世論が盛り上がっている」ように見える人と「安倍政権の高支持率が続いている」ように見える人のタイムラインは永遠に交わることがない。一体なんでこんなことが起こるのだろう。 本来、インターネットというプラットフォームは、「インターネットエクスプローラー」という名前が示す通り、欲しい情報を自分から「探検」することによって手に得るというツールだった。インターネット全体の記事が少ないときは、確かにそれで機能していた。欲しい情報に達するためには色んなページを回らなければならなかったし、必ずしも耳に聞こえのよくない情報も触れなければならなかったからだ。まさにそれは山あり谷ありの探検のようだった。今はどうだろう?ネットには異常な量の記事が溢れかえっている。ぼくらはそれを、到底すべて読み切ることはできない。こんな状況では、誰も冒険などしたがらないだろう。探さなくても、自分にとって気持ちのいい(都合のいい)当たり障りのない情報にすぐ触れることが出来るのだから。 こうした理由から、インターネットの記事が爆発的に増加することに反比例して、ぼくらが新しい世界に触れる体力は日に日に減っていっているように思われる。誰も好き好んで不都合な意見を聞きに行ったりはしない。大量の記事が出回ってあれもこれも読まなければならない中で、誰かの言葉と真剣に向き合う時間も多くはないだろう。ぼくらは気付かぬうちに少しずつ心の体力を奪われているのであって、自分を肯定してくれる安全・安心な言葉だけを聞き続けるようになっている。 そしてそんな世界すらももうすぐ終わる。もうすぐ人工知能がぼくらを真綿にくるんで、いびつな現実を視界から追いやってくれるに違いないからだ。近い将来、ぼくらは全く違う価値観の人と話して不愉快になることも、ほとんどなくなるだろう。アルゴリズムが話の合わなそうなフォロワーを、初めからミュートしておいてくれるからだ。イラストや音楽の才能のなさに思い悩むこともない。内輪のコミュニティの住人、いわゆる「界隈」と呼ばれる人々が、あなたを先生、先生とどこまでもチヤホヤしてくれるからだ(もっともそのアカウントの「中の人」が本物の人間であるという保証はどこにもないのだが)。当然恋人ができないと思い悩む必要もない。本物の人間よりずっと美しいホログラムと恋愛をするのは、今や普通のことだからだ。しかもその恋人は、あなたの過去の発言をデータベース化しているから、絶対にあなたの嫌がることを言わず、あなたが喜ぶことしかしないのだ。 さらに言おう。恐らく近い将来、人間は一切の仕事もする必要がなくなる。人工知能が自己発展する農場や工場を作り、自動運転カーで勝手に出荷してくれるからだ(驚くべきことに、アメリカのGM社はすでにこのシステムを運用し始めているという)。レジも無人だからバイトもいらない。経営も人工知能がビッグデータに基づいてやるのが一番効率的だ。 機械に職を奪われ、失業率は上がるのに生産力も上がり続けるから、先進諸国はベーシックインカム導入を余儀なくされるだ���う。なんのことはない、共産主義社会の到来だ。それも前世紀の不完全な共産主義ではなく、マルクスが予見した本物の共産主義だ。ほとんどのことを機械に任せ、人はクリエイティブな仕事、もとい「趣味」しかしなくなるのだ。そのクリエイティブな「趣味」だって、本当に行われるのかどうか随分怪しいように思える。全てが満たされた世界で、クリエイションをしようと思う人間なんて本当にいるのだろうか。 まるで夢物語だが、そういう世界は必ず来る。それも数十年以内に。その世界では人間にどこまでも優しくて都合の良いコンピューターという名の天使が、寿命が来るまでぼくらを甘やかし続けるのだ──まるで真綿で首を絞めるように。そんな世界では、特異な意見も、ラディカルな発想も必要ない。誰一人不満がないので、そもそも社会が変革する必要がない。 怒りも悲しみもなく、誰一人傷つかない世界。そこで天使のような、あるいは幽霊のようなホログラムが、残り少なくなった人間たちに奉仕している。人間は恋愛対象に何かと面倒な同じ人間よりも人工知能を選ぶようになり、人口もどんどん減ってゆくだろう。
"BLACK IS BEAUTIFUL."
建築家であるぼくの父はもう80を超えているのだが、生まれつきの難聴で、ぼくが幼いころから話がなかなか通じなかった。どのくらい聞こえないかというと、ちょうど携帯電話の着信音が聞こえない、というくらいだ。大きな声で向き合って話すと半分くらい伝わる。ハッキリ言うと、身体障害者だ。 しかし父は一度も自分を障害者だと認めなかった。確実に貰えるはずの障害手帳も障害年金も、絶対に受け取らなかった。破産して、収入がゼロになり、家族の食い扶持を繋げなくなった時でさえだ。「なに、誰だってハンディキャップの一つや二つあるんだ、それをいちいち騒ぎ立てるなんてみっともないことだ」それが父の口癖だった。そして父は自分を「ツンボ」であると自称していた。「ツンボ」は差別用語だからやめなさい、といくら母が言っても「ツンボがツンボで何が悪い!」と絶対に聞かないのだ。 父の発言は無茶苦茶だ。第一、本当に障碍で苦しんでいる人に対するシンパシーがない。それに「ツンボ」なんて言ったら、ポリティカル・コレクトネスの人々からは避難轟々だろう。 だが、一方で父は障碍者に対して全く差別的ではなかった。車椅子で困っている人がいれば助けたし、その一方で車椅子でも態度が悪ければその場で怒鳴り合いの大喧嘩していた。外国人に対してもそうだ。父には中国人の友達がたくさんいた。酒が入れば毎回、歴史問題の議論で怒鳴り合いになるくせに、ずっと仲良しだった。二、三か月すると、何事もなかったかのようにまた飲んでいるのだ(そうしてまた喧嘩になるのだが)。 父は女性に対しての考え方も、世代から考えれば相当リベラルだった。あれだけ父権的なくせに、結婚当初、父が食べるまで食事に手をつけようとしなかった母に対して「そんな下らないこと今すぐやめろ」と叱りつけたのだという。家族の風呂に入る順番についてもそうだ。ぼくが生まれてからはいつも父と母は喧嘩ばかりしていたが、よく考えれば父と母はずっと対等だった。父はいつだって対等な喧嘩相手が欲しかったのかもしれない。 当時はわからなかったが、父が「ツンボ」を自称していた理由が、今ならなんとなく分かるような気がする。父はきっと「ツンボ」を忌避するのではなく、自分が「ツンボ」を格好いいものにしてやる、と考えたのではないだろうか。 この考え方はマルコムXの言う「 Black is beautiful. 」に似ている。かの有名なアメリカ黒人公民権運動の活動家だ。マルコムは、黒人は白人と平等、とは言わなかった。そうではなくて「"黒"こそ美しい」と言ったのだ。 話によると、幼いころは「ツンボ」のことで相当ひどくイジメられたらしい。しかし父は社会に同情を買うような態度を取りたいとは思わなかった。思うに父は「ツンボ」である自分が圧倒的に凄い建築を作ることによって「ひょっとしてツンボだったからこそ、この人はすごい建築家になれたのではないか?」と、人に思わせるような、価値観の転倒を引き起こそうと企んだのではないだろうか。 ポリティカル・コレクトネスの人たちにとっては「ツンボ」は永遠に良くないものであって、忌避されることはあっても、凄いものとして日の目をみることは未来永劫ない。果たしてそれで問題は本当に解決したと言えるのだろうか。「ツンボ」な自分を「ツンボ」と断言する父のやり方は、テレビではもちろん流せないし、インターネットだったら炎上間違いなしだ。けれどもぼくは、ハッキリ言ってテレビよりも、今のインターネットよりも、父のやり方は圧倒的に「クールなやり方だ」と感じてしまう。
インターネットからの脱出
しかしこのような「クールなやり方」は決してインターネットでは出来ないだろう。 ぼくらは薄々気づき始めているが、インターネットにはそのシステム自体に欠陥がある。リンクシステムが、情報のシェアを容易にしすぎたため、一人ひとりが考えることを放棄し始めたのだ。このような社会では父やマルコムXのような革命家気質の強力��個人はお呼びではない。むしろ自分では考えず、薄い情報をまき散らし続けるような人間(インフルエンサー)が影響力を持つ。集団主義の時代だ。多数派はポリティカル・コレクトネス一神教を盾に、他のあらゆるマイノリティが、自分の力で立ち上がろうとする膝を折ろうとする。「『黒は美しい』なんて言わなくていいの、黒も白もなく、みんな平等なの」と。それは「ブラックの血が流れていることに誇りを持つな」と言っているに等しいということに、彼らは気づかない。その考えは、ぼくには、すべての人間を根無し草にしようとしているようにすら思える。そうしてこのように作られた一見当たり障りのない「正論」が、「拡散」機能によって無限に増殖してゆくのだ。 抵抗する方法がある。全てのリンクを一度切ってしまえばいい。インターネットには「罪」もあるが、それ以上の「功」がある。インターネットは個人の発信したいという欲望を爆発させ、流通経路を用意し、個人が本をつくるハードルを劇的に下げた。だったらもう一度紙の本にすればいい。紙の本にはRTもシェアもない。ただ、一対一の読者と書き手がいるだけだ。書き手は読者に差し迫ってくる。逃げ場はどこにもない。RTして他人に共感を求めることはできない。目の前の相手と一対一で対峙するしかない。もしも読んでいて、本当に思うところがあるならば、自分で、自分なりのやり方で発信するしかない。やり方は文章でも動画でも音楽でもなんでもいい、ただ自分だけの力で、やり遂げるしかない。 ぼくはアナタと一対一で話したいのだ。隣の誰かに「ねーどう思う?」なんて聞いてほしくない。ぼくは今、他ならぬアナタと話しているのだ。(了)
1 note · View note
thyele · 2 years ago
Text
2023年5月6日
松屋の券売機が「最悪のUI」「使いにく過ぎる」と話題に 松屋に見解を聞いてみるも「回答は難しい」(1/2 ページ) - ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2304/27/news183.html 新しい店に入るたびに使い勝手のわからない機械を操作する不便さは便利さをはるかに上回る。 これはやたらと世代交代するアプリやらPCも同じ。非常にわかりづらい。
UIとは何?UXとの違いやUIデザインのポイントを徹底解説 | Tech & Device TV https://jp.ext.hp.com/techdevice/technologysc/creator_002/
「ひろし」「かつお」も話題 三島食品「ゆかり」が返品の山からロングセラー商品になるまで:ロングセラー商品の育て方(1/2 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2305/01/news084.html
「毎日仏壇の水が空になる…」家族が震えた怪奇現象の理由に「うちと同じだ」の声!「ご先祖様じゃないんか…」|まいどなニュース https://maidonanews.jp/article/14894705
ヌートバーの打席が「かわいい乱入者」で中断 攻守で魅せてファン歓喜 – Sirabee https://sirabee.com/2023/05/07/20163072379/
インスタで「倒し方」話題のKAT-TUN上田竜也「メンバーは倒さない。最初から決めてます」 - ジャニーズ : 日刊スポーツ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202305070000009.html
TAKAさん「完成した音源とフリーペーパー送って頂きました。KISAKI君ありがとう😌 https://t.co/n2n2YYvy9D https://t.co/97I9bH3mZf」https://twitter.com/TAKA_defspiral/status/1653757788521377792
Köziさん「@sakurazawa でした😽」https://twitter.com/Kzi_official/status/1653785886956584962
晁直だよさん「おもしかた https://t.co/ua7Ujpssq9」https://twitter.com/lynchasanu/status/1653787037382905856
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「来週のluinは カラビンカ先輩・らいむらいと先輩と3man😍😍😍 絶対愉しい、呑み過ぎないようにせねば・・・。笑 5/11㈭池袋手刀 『とろりんぽ』 出演(BIG 3): カラビンカ らいむらいと luin 開門 18:31/開演 19:00 前売 3,500円(+1d)/当日 3,900円(+1d) 前売御予約受付中 https://t.co/HEnF1LoPtH」https://twitter.com/lucy_peter/status/1653790331975110656
koumei_Lucifer's undergroundさん「Lucife's underground 次回のライブはこちらです! 参戦お待ちしてます!!」https://twitter.com/KoumeiLucifer/status/1653800492248748033
seekさん「#サイコルシェイム トレンド入り。 みんなが形にしてくれたお祝い。 ありがとう。 もう俺らの夢だけではない みんなといっしょにみてる夢。 日本武道館に連れていくから。 必ず。 https://t.co/ZM0k9Bglpu」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1653806425884463104
takuto_さん「9年前、about tess結成10周年の時"Song of the bird"100分完全版を演奏したんですけどその時会った3人が今日9年ぶりに会えました。変わった所も変わらない所も愛おしかったです。about tess来年は結成20年。10年に1回だけ100分完全版演奏するの良いかもですね。今のメンバーで演奏したいですし。 https://t.co/xGr1viRXdi」https://twitter.com/takuto_/status/1653807007592505346
こもだまり|昭和精吾事務所さん「去年寺山さんの『仮面劇・犬神』を上演しました。私とイッキが昭和精吾事務所で初めて出演した作品でもあります。 昭和さんの「平成生まれの月雄とやりたいなぁ」は実現できませんでしたが、新しい仲間と新しい『犬神』を世に出せて、やっと代表としての役割を1つ果たせた気がします。 #修司忌2023 💐 https://t.co/e0JFHUiyM7」https://twitter.com/mari_air/status/1653838567951708162
こもだまり|昭和精吾事務所さん「あれ? 一個ずつしか考えられなくなってる… 外付HDD付けるかな?(わたしに) ╭━━━━━╮ 繋げないよ! ╰━v━━━╯ https://t.co/HTGKz6KrkI」https://twitter.com/mari_air/status/1653846666548744194
lucy+peter=esolagoto / 中村真悟さん「俺のアコギはCとGでは鳴らない。 AmとEmで鳴る。 痛感した。 森へ🌳🌳🌳」https://twitter.com/lucy_peter/status/1653852950333386752
Ryuichi Kawamura officialさん「今日はBillboard Live YOKOHAMA🫶🏻 https://t.co/PAXBMZCbli」https://twitter.com/RyuichiKawamur2/status/1653908768273629184
Karyuさん「良いリフが思い���いた 気がする朝🌞 ゴールデンなウィークになれ🎵」https://twitter.com/karyu_official/status/1653909692941475841
KINGRYOさん「おはようございます✨ 2023.5.4(木)am9:15 本日から2日間は柏にいます🦁♬ 皆様よろしくお願いします👍 https://t.co/xc8y6FHu5H」https://twitter.com/kingryoworld/status/1653916242993119232
SICぢょ〜い。OFFICIALさん「countdown to 666 #subscribe666 #ぢょ〜い #sic https://t.co/HMZrfJR0ps」https://twitter.com/sic_drum666/status/1653918916278915072
昭和精吾事務所さん「寺山さんの作品は 40年経っても生き続けています 昭和精吾事務所『仮面劇・犬神』 1997 渋谷ジァン・ジァン 2023 ザムザ阿佐谷 #修司忌2023 🪷 https://t.co/JX23yGu0yK」https://twitter.com/showa_terayama/status/1653843397294309376
ポルトマン takashiさん「"南知多ビーチプロジェクト"に 招待していただきました。 インクルーシブを体感した1日でした。 ありがとうございました。 #南知多ビーチプロジェクト #園長先生あるある https://t.co/LLRNw55auD」https://twitter.com/poltman_takashi/status/1653933764354150400
たけぼうさん「2023/5/3 小倉Cheerz ありがとうございました!! お名前はめちゃくちゃ知ってて、今回楽しみにしていた首振りDollsさんとのツーマン!! めちゃくちゃ最高でした⚡️ 楽しすぎて、ライブ終わるのがあっという間🔥 お越しいただいた皆様、スタッフの皆様、首振りの皆さん、ありがとうございました!! https://t.co/QmVZFwgx7y」https://twitter.com/takeboki1997/status/1653925573746634753
seekさん「ここ数日で新たなスケジュールも発表されました。 更新したので、みんなのカレンダーにも書き込んでおいてねー。 いっぱい逢える! 2023.05.04現在 https://t.co/ChV6zMPHvQ」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1653947806414143488
nao 首振りDollsさん「ぜひまたやりまっしょう!」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1653947824130904065
高橋 浩一郎(Kaiki)さん「大事な場所でのんびり、ゆっくり https://t.co/RF9g6Spdfi」https://twitter.com/STakahashi0823/status/1653947843797983232
ジョニーダイアモンド首振りDollsさん「小倉!!いつも刺激的で最高の夜を与えてくれてありがとう! ついにジョニーパンドラと一緒にやれることができた! 念願のダブルジョニダイ🔥 https://t.co/wW9bHsVSTM」https://twitter.com/Tracisixteen/status/1653950462117416960
seekさん「seek Official Fan Club「魚ノ眼」更新情報 水槽のたゆたう 第三十九回 本番前 終演後 動画アップしました。 https://t.co/qkt2e4vHql https://t.co/kh42u1Rjc2」https://twitter.com/seek_bonshisya/status/1653953729278902272
[email protected] grace periodさん「本日はマラソン部の来日🏃‍♂️ 超絶カッコいい音楽を聴きながら来日です🎧🤘 @HADESRockGB https://t.co/KA22Uwox2M」https://twitter.com/eisuke_gp/status/1653953844785848320
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「おまわりさーん 盗撮されてまーす (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1653956032484491265
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「それにしてもかっこいいTシャツだなあ (°_°)」https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1653957013217636352
PARADOXXさん「【LIVE】 🔥本日🔥 今日のイベントは入場特典もございます🎁 皆様のご来場お待ちしております🌟 ◾️5月4日(木・祝)目黒ライブステーション PARADOXX × Hamamatsu Rock Summit presents 『Rock'n'Roll Children』 OPEN 16:30 / START 17:00 前売り¥3,000- / 当日¥3,500- (各ドリンク別) https://t.co/RI4jh4SlrK」https://twitter.com/info_PARADOXX/status/1653908617123487745
BUCK-TICK OFFICIALさん「📢5月3日〜5月7日の5日間、 ファンクラブ&モバイルサイト会員の皆様を対象に、 過去のファンクラブ会員限定ライブ映像を日替わりで限定公開✨ / 本日(5/4)12:00〜23:59公開 『FISH TANKer's ONLY 2013』の視聴ページをアップ❗️ \ 詳しくは▶️https://t.co/9akPW1DBzo #BUCKTICK #FISHTANK #LMP #FTO」https://twitter.com/BUCKTICK_INFO/status/1653957871447728129
摩天楼オペラ 苑さん「こちらも届きました! KISAKIさんありがとうございます! TAKAさんの曲は超セクシーでした!」https://twitter.com/opera_sonoman/status/1653931323952873474
Karyuさん「やっぱり良いリフでした😏 まるで繋がらなさそうなチャットで得たヒントを生かしてグイッと進む🤘」https://twitter.com/karyu_official/status/1653959824118521856
キリ(luin)🥁さん「学んできたことがあって、いつも心掛けています。曲によるけど カウントはドヤっとやるべし◎ 【IOLITE-アイオライト-】 5/3 池袋EDGE 『朽澄空』※幕開け迄 https://t.co/2ipIwY6U7p」https://twitter.com/kiri_drums/status/1653960386193027073
KING OFFICIALさん「【TODAY】 2023.5.4(木) 柏Thumb Up hide tribute 2023 入場 ■Aチケット ■Bチケット出演者予約   配信 https://t.co/XOQjy7KA8r ※お目当ての出演者のチケットをご購入ください   [入場順] A→B→当日券 https://t.co/4HudyMrfN6」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1653965133125922817
KING OFFICIALさん「【TOMORROW】 2023.5.5(金)柏PALOOZA タイトル:hide tribute 2023 〜hide追悼&日本骨髄バンク、 メイク・ア・ウィッシュ・ジャパンへのチャリティー 及び、理解普及〜 入場チケット¥4,600 (D別) 開場 15:30 開演 16:00 ■入場チケット e+ 一般 4月29日(土)10:00~ https://t.co/a1TRqHxSw9 https://t.co/fOIjUvAkjf」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1653965250872606720
KING OFFICIALさん「【KING WEB SHOP】 ■チェキ 公演当日21:00まで https://t.co/O4cjT66UHp ※受付期間後は、フォームが開いてる間は、ご注文承ります。 お忘れの方は、ご注文いただいて大丈夫です。 ■KING NEW ALBUM 〝CRY OUT TO HEAVEN〟 https://t.co/epgpeQqgtO ■通常通販 https://t.co/ERDSYYIonH https://t.co/fHk7Yjq9VL」https://twitter.com/KINGOFFICIAL114/status/1653965296015908865
首振りDollsさん「😈明日は神戸😈 『Rock'n'Doll Syndrome Tour』も昨夜で九州編終了!そして今ツアー2度目の関西、神戸編でございます。 神戸の皆様ダンスの準備は宜しいですか😈? 🔜2023/05/05(金) 神戸live music club PADOMA Open 17:30 / Start 18:00 https://t.co/8h76NMxID8 https://t.co/eiNc1if1FW」https://twitter.com/KubihuriDolls/status/1653965499343204353
nao 首振りDollsさん「蛸兵衛さん。 紺屋町に行くなら寄るべし! いつもありがとうございます! https://t.co/Teu2ilqxcT」https://twitter.com/kubihuri_nao/status/1653965695355600896
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「@shun_thefuzzbox 予定入れましょうか?笑」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1653770981733961729
舜6/3我輩生誕祭@池袋手刀さん「@yorita_ryosuke 9月以降でよろしくお願いします!🫡」https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1653889418779070471
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「@shun_thefuzzbox 了解しました😁✨」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1653967137428623360
UNCLOCK LOVER 頼田陵介さん「おはようございます😊 本日柏Thumb upにてUNCLOCK LOVER 柏に向かっております✌️✨ 本日も皆さまよろしくお願い致します😆✨ あ。 なる様遅刻 なる様遅刻 なる様遅刻 😤 https://t.co/OsfUdMXRa7」https://twitter.com/yorita_ryosuke/status/1653967918756163587
東高円寺二万電圧さん「本日の二万電圧は!! KYOKUTO ROMANCE主催2MAN×3DAYS 「境界線ZERO」 KYOKUTO ROMANCE ANONYMOUS open.16:30 start.17:00 adv.5,000yen door.6,000yen(+1d 600yen) KYOKUTO主催2日目です。 マクラカ壊死のCDも開場以降ドリンクカウンターにて販売しております。 クロークは16:15~受付致します。 https://t.co/S86RGxpn9x」https://twitter.com/hk20000v/status/1653950062710632448
向日 葵さん「【本日の公演情報】 SHIBUYA REX 「橋本祭り2023」 ✅開場/開演 17:30 / 18:00 ✅当日券:有(開場時から店頭にて発売) ✅出演順:3番目 ✅ロッカー/クローク:有 ✅物販/開場閉場転換時 ✅問)渋谷Rex 03-5728-4911 https://t.co/eRqy36zQWM https://t.co/Igh9vWw8j7」
"JOHNNY" Daigo Yamashitaさん「サンキュー小倉!! サンキュー首振りDolls!! 北九州代表ジョニーダイアモンドと横濱代表ジョニーダイゴのJohnny対決!ラストは急遽ルイジアンナのセッションでフィナーレ。サイコーな化学反応が起きたのでは無いでしょうか。また必ず!! 盛り上げてくれたDJのTEPPEIさんSHINYAさんにも感謝!!… https://t.co/tXFiVFeYj4」https://twitter.com/bad_johnny/status/1653973224466821120
koumei_Lucifer's undergroundさん「https://t.co/LnnhErUyw6」https://twitter.com/KoumeiLucifer/status/1653988666254184451
ジョニーダイアモンド首振りDollsさん「センキュージョニー❗️❗️」https://twitter.com/Tracisixteen/status/1653990108088115201
INORAN_OFFICIALさん「9月に逢う準備を🔥お見逃しなく!!!!」https://twitter.com/INORAN_OFFICIAL/status/1654003089614204928
0 notes
1010mush · 7 years ago
Text
茨戸編での尾形は何だったのか あるいは沈黙する破戒神父・鶴見中尉はなぜ死神を自称するのか
ガッツリ本誌176話まで。
1、序 鶴見と尾形の言説の不思議な酷似
父殺しってのは巣立ちの通過儀礼だぜ…お前みたいに根性のないやつが一番ムカつくんだ
ホラ 撃ちなさい 君が母君を撃つんだ 決めるんだ 江渡貝君の意思で… 巣立たなきゃいけない 巣が歪んでいるから君は歪んで大きくなった
こと江渡貝母への発砲については、私は鶴見の言い分をずっと好んできた。ここでの鶴見の江渡貝への殺害の示唆は正しく思える(母君は元々死んでいたから私にも倫理的禁忌感がない)。鶴見は時折とんでもない正しさで私を苦しめる。硬直した仲間の死体に向かって「許せ」と言う男。同じ4巻の回想には、マシュマロでゴールデンカムイには珍しい雲吹き出しで内面が記されていることも教えて貰った。
まるで死の行進曲のようなマキシム機関銃の発射音 この無駄な攻略を命令した連中に間近で聞かせてやりたい
私は鶴見中尉の内面描写が少ないという通説をとてもとても疑問視している。これはもはや読み手の願望に近く、検討するのであれば幅広い読解が必須であろう。ゴールデンカムイの人物は総じて内面描写が少ない。それところか、当初は梅ちゃんと寅次についてあれだけ饒舌だった杉元の内面は、「俺俺俺俺俺俺俺俺俺」という叫びとは裏腹に、「俺」も、その内面も、徐々に欠落を始めてしまったのだ。15巻にはアシㇼパの顔を思い出せていないのでは無いかと思わせるカットすらある。15巻で杉元の『妙案』が宙に浮いたままであるのは象徴的だ。私たちの心が取り残され、疑問は解決されず、1つの核心だけが深まるーー杉元佐一は自分を失っている、と。この話は杉元が梅ちゃんに認識されるような自分を取り戻す話出会った筈なのに(そしてそれを認知できない杉元は、梅ちゃんに自分を認識してもらえるように視力回復に躍起になる)、旅の過程で彼はますます自己を喪失していく。
これから延々と鶴見の話となる。
2、死神の自称
鶴見は意図的に自分を失わないために死神になることを選んだ男である、というのが私の基本的な考えである。それは「脳が欠けているから杉元佐一は自分を見失っている」という説を遠回しに否定する存在である。だいたいにして脳が欠けていなかったら杉元はスチェンカで相手を殴り続けなかったと言えるのだろうか。まぁ、杉元の話はさておくとして、それはおそらく尾形のこういった態度と対照づけることも出来る筈だ。
俺のような精密射撃を得意とする部隊を作っておけばあんなに死なずに済んだはずだ
今となってはどうでも良い話だが
鶴見は「今となってはどうでも良い」をやり過ごさなかった男である。一度は鶴見の腹心の部下であった筈の尾形は、戦後も心を戦場に置いてきたのではなく、戦場の側を自らに引き寄せようとする鶴見(や土方)にたいして冷笑的な視点を浴びせ続ける。
仲間だの戦友だの……くさい台詞で若者を乗せるのがお上手ですね、鶴見中尉殿
変人とジジイとチンピラ集めて 蝦夷共和国の夢をもう一度か?一発は不意打ちでブン殴れるかもしれんが政府相手に戦い続けられる見通しはあるのかい? 一矢報いるだけが目的じゃあアンタについていく人間が可哀想じゃないか?
ここでの尾形の「正しさ」は、鶴見の「正しさ」とは違い私の心の拠り所になっていた。尾形が「いい人になれるよう 神様みていてくださろう」に適合するような行動をすると私はいちいち救いを求めてしまい、彼の行動がいつも噛み合わず言説が否定されるのを見てこの男の救いのなさに頭を抱えていたのだ(まさに本誌の『176話 それぞれの神』で現れた関谷の神にすがる心情である)。そして鶴見は、月島をある意味救ったが、尾形を救うのには失敗した。むしろ鶴見は尾形を利用するだけ利用していたように思えた。
尾形と鶴見と親殺しは4度交錯する。江渡貝。花沢中将。月島。ウイルク。
外敵を作った第七師団はより結束が強くなる 第七師団は花沢中将の血を引く百之助を担ぎ上げる 失った軍神を貴様の中に見るはずだ よくやった尾形
たらし めが…
尾形にとって鶴見の取り巻きであることが幸せなのかどうかは分からないが、他の造反組や、あるいは役目を見つけて下りた谷垣とは異なり、尾形は鶴見を『切』った、数少ない人物である。尾形は、月島同様戦前から鶴見の計画に加担していたのにもかかわらず、鶴見中尉から月島と同じ様に扱われなかった人間でもあった。
江渡貝の母殺しに関しては鶴見にも見るところがあると考える私も、この鶴見の花沢中将殺しにおける尾形の扱いが原因で、長らく鶴見のことをよく思えずにいた。さらに15巻149話、150話で鶴見が月島を父親殺しから救った(?)事実や、本誌にて戦前から尾形が鶴見の命で勇作を篭絡および殺害しにかかっていた事が判明した事を鑑みて、鶴見の風見鶏的態度に辟易していた。加えて言うのなら、ゴールデンカムイの中に時折現れる聖書��基づく表象や、それに対するキリスト教に軸足を置いた読み解き方というのは私が最も苦手とするところであったが、一方で鶴見が71話の表紙にて不完全に引用された聖書の一節を通じて『にせ預言者』(マタイ7:15)であると示されていることを筆頭に、いくつかのキリスト教的モチーフを(ところどころで反語的に)取り込んだキャラクターであることも否めずにいた。
にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。(wikisorceの口語訳より)
そもそも鶴見もまた、その他大勢のキャラクターおよび我々と同様、多面的な人物として描かれている。偽預言者であり、彼の演説はヒトラーのパロディとして描かれるほど(作者によるとミスリードらしいが。Mislead? Misread?)だ。そして、外敵に対しては自らのことを死神と称しながらも、仲間に対してはむしろ告解をうける神父の役割に近いものを演じ、坂本慶一郎とお銀の息子の前では聖母マリアとなり、月島や杉元と共有する傷は、スティグマと見ることも出来るだろう。キャラクターデザインには、明らかに鶴の要素が取り入れられている。さらには編集者のつけた仮面を被る悪魔、という表象ですら許容される向きにあるのだから、鶴見も大変である(悪魔という呼称は江渡貝の母によっても齎されている)。私がこの鶴見という、出自も分からぬいろんな人形が載せられたクリスマスケーキを長らく食べる気になからなったのは、そこに土俗の信仰と西洋的信仰が混ざり合って、あまつさえ鶴や死神の細工菓子まで載っていたことを考えると不思議ではあるまい。
私はどこかで、にせ預言者としての鶴見、という表象の正当性についてすら、もしかして議論になるのではないかと辟易している。不信の徒である私の読み解ける事項など限られていることは重々承知だし、そもそも私はゴールデンカムイを読み解くときに、作中での記載を第一に考え、外的世界に存在するマキリで作品をチタタプしない様に細心の注意を払ってきた。最近ラジオが出現したことで、ようやく文言に尽くし難かったそのバックグラウンドをまとめる事ができたような気がするが、私は解釈を取り払った読み方が先にくることを好むし、そもそも『らしさ』への拘泥は私の目を曇らせるのではないのかと考えている。とりわけキリスト教を扱う時には、竹下通りで千円で買った十字架のアクセサリーを身につける女の子のようにならないためには、むしろ触れずにいるのが一番なのではないかと長く考えていたものだった。それが私の最低限の敬意の示し方であった。
とはいえ、キリスト教と日本の間での困難を感じていたのは何も私だけではなかった。多くの作家がそれに苦しみ、むしろその困難を以って、日本を描き出そうとする作家もいた。もちろん私の考えでは、作家の作るものに於ける宗教的解釈は、仮に異端であっても一つの芸術作品になり得る一方で、評論家の宗教的解釈の異端さは、単なる誤読として片付けられる可能性がより高く、慎重を期するものであるのだが…。しかし私はだんだんと、そういったキリスト教と日本の狭間で描かれた作品であれば、鶴見像を見出せるのではないかと思う様になっていった。もっと言えば、私がキリスト教的表象を前にして立ち竦む、その逡巡自体を語ることならできるのでは無いか、と思う様になったのだ。
「にせ預言者ー貪欲な狼」「ヒトラー(ミスリード)」「マリア」「告解を受けるもの」、そして「聖痕」…を持つ「悪魔」で「死神」…の「鶴」をモチーフとした「情報将校」。
「にせ預言者ー貪欲な狼」に対してのとても簡潔な読み解き方は、単に鶴見が偽の刺青人皮を作ろうとしている、というものである。もう少し解釈を広げれば、鶴見が北海道の資源を活用して住むものが飢えない軍事帝国を作ろうと嘯くことであろうか。
軍事政権を作り私が上だって導く者となる お前たちは無能な上層部ではなく私の親衛隊になってもらう
これはヒトラーとして描写されていること(繰り返しとなるが、作者によるとミスリード)でもあり、ヒトラーとはたとえばその土地の出身では無いという点などでも共通点が見られる。実際には北海道はロシアと違って天然資源には恵まれておらず、またその後の軍事政権というトレンドの推移、戦争特需にも限りがあることを考えれば、金塊を持ってしても独立国家としての存続がおよそ不可能であっただろうことは見て取れる。
3、マリア、そして告解を受ける破戒的神父としてのあべこべさ
面白い事に、聖母として描かれる鶴見はほとんどもって無力であり、子をアイヌ的世界に属するフチに預ける事しか出来ない。
一方で「告解を受けるもの」、すなわち神父としての鶴見は極めて破戒的である。鶴見への告解は子羊たちの救済を意味しない。鶴見は誰とも共有すべきではない告解を共有することで、結束を強める「見返り」を期待する者である。教会に於いては告解の先には主による赦しがあることが期待され、十字架に架けられたキリストの苦難がそれを象徴していた。一見してキリストの苦難は鶴見の告解室においては「戦友は今でも満州の荒れた冷たい石の下だ」で代替されている。しかし鶴見の厄介さはその様な単純な構造におさまらないところである。一方で満州を彼らのいる北海道と分けて見せるそぶりを見せながら、時として「満州が日本である限り お前たちの骨は日本人の土に眠っているのだ」と口にし、それどころか戦争の前から月島・尾形らと何かしらの謀略を図っていたことすらわかり、『我々の戦争はまだ終わっていない』という悲壮にも満ちた決意が段々と『戦争中毒』である鶴見のハッタリであったことに我々は気づかされる。
彼への告解は何もかもがあべこべであり、神父の皮を被りながら極めて破戒的である。洗礼後ではなく洗礼前――つまり第七師団入隊前――の罪を、谷垣に至ってはあまつさえ衆人の前で告白させ、傷を共有させる。告解が終わった後に司祭は「安心して行きなさい(ルカ7:50)」というものだが、鶴見は自分に付いてきてくれるように諭すのだった(「私にはお前が必要だ」)。
破戒というのはあまり神父に使う言葉ではない。それでも、島崎藤村の『破戒』は、聖書のモチーフを色濃く反映させながら、被差別階級とその告白を描いた作品だったのだから、やはり破戒、と言う言葉はここにふさわしい気がする。
『破戒』において島崎が真に目指したのは、「身分は卑しくてもあの人は立派だから別」という、個人の救済を批判することであった。そのような個人の救済は、いわば逆説的に被差別階級の差別を補強する、矛盾した論理であったのだ。
この論理は2018年にも広く流通した。杉田水脈氏がLGBTに生産性がないと発言したことに、一部の人が、アラン・チューリングやティム・クックといった生産性のあるLGBTの名前を挙げて反論を試みたのである。このような言説が流布した後、リベラル派は、自分たちの身内の一部に対して、「生産性のないLGBT」が仮にいたとしても、その人たちも等しく扱われなければならない、とお灸を据えなくてはならなかった。
これこそ私が鶴見の恣意的な月島の依怙贔屓を、そして尾形の利用を、いまだに批判すべきだと考える理由である。
外敵を作った第七師団はより結束が強くなる 第七師団は花沢中将の血を引く百之助を担ぎ上げる 失った軍神を貴様の中に見るはずだ よくやった尾形
誰よりも優秀な兵士で 同郷の信頼できる部下で そして私の戦友だから
私はこの差異に於いて鶴見を許す気は毛頭ない。それは、私が谷垣を愛しながらも、アシㇼパを人質に取った事を未だに許していないのと同等である。谷垣を受容するに至った経緯が、私に鶴見というキャラクターを拒絶する理由は最早ないことを教えてくれた。そしてよくよく読み解いてみると、この、一見すると月島への依怙贔屓ですらあべこべなような気すらしてくるのであった。
4、主格の問題 ー 「死神」という主語について
ここにおける問題は『主格』に於いても明らかだ。鶴見が月島に話す時の態度は、軍帽を脱ぎ、主語は「私」、時折「おれ」と自らを自称する親しみのあるものだ。その一方でしかし尾形へは軍帽またはヘッドプロテクター(仮面)を装着して主語をあろうことに「第七師団」に置いている。尾形の父殺しについては未だに謎が多く、発端が誰なのか(花沢中将自身・尾形・鶴見)、なぜ花沢中将が死装束を身につけられたのかを筆頭に、��た鯉登少将への手紙をいつ誰が書いたのかも問題となろう。よって、尾形が鶴見への忠誠心を失いつつも自らの父殺しの願望を成就させるために鶴見の案に乗っただけなのかどうかは、よくわからない。とはいえ、自らが時に「どんなもんだい」と誇示さえする狙撃手としての腕を買わなかった第七師団への離反は、狙撃手と対称をなすような旗手としての勇作を評価し、勇作の殺害作戦を撤回した鶴見への、勇作の狙撃をもっての”謀反”を契機として、花沢中将死亡時に、すでに尾形の胸の内にあったと考えるのが自然であろう。加えて尾形も、どこかの段階で破戒的神父・鶴見への告解というステージを踏んでいたことも想像に難くない。
このように読み解いていくと、単に鶴見は月島にだけ心を許しているようにも読めるのだが、そうは問屋が卸さない。まずはいご草への呼称問題である。月島は自らのことを『悪童』ではなく『基ちゃん』と呼ばれる事に意義を見出しているのに、彼女の事を『いご草』と表現する(本当は鶴見との会話の上でも名前で呼んでいたのだろうが)。さらにそれを受けて鶴見は『えご草ちゃん』と彼女の非人格化を進め、さらには自らの方言も決して崩さないことで会話の主導権を握る。加えて、私は長らく、江渡貝と炭鉱での爆発に巻き込まれ、煤だらけで雨の中を帰ってきた月島への労いの少なさにも違和感を抱いていた。これも一つの「あべこべ」なのかもしれないし、あるいは月島への圧倒的信頼が根底にあり、彼なら心配に及ばないと考えていただけなのかもしれず、もしくは鶴見がヘッドプロテクターという仮面をつけた時の「死神」としての決意の表れかもしれない。
「死神」を自称すること。
そもそもにおいて、我々が日々感じている他人への判断、偏見、予断の集合体、例えば、あの人は秋田出身で大柄で毛が濃く少々ドジなマタギである、と言われたことによって”我々が想起する予断と偏見”と、漫画を切って話すことはできない。小説よりもさらに視覚的な漫画という分野においては、ステレオタイプと”キャラ”立ちするための記号化というのはほとんど隣り合わせにあり、分離することがむずかしい(この論だけで何百ページも割かなければ説明できないであろう)。それでも、だ。この作品のキャラクターほど、「あの人はこう言う人だから」と型に嵌める行為が適切ではない作品もないのではないか。
作品内で繰り返される「あなた どなた」という問い、あるいはその類型でのマタギの谷垣か兵隊さんの谷垣かどっちなのか、山猫の子は山猫なのか、という問い、そしてその問いに対するわかりやすすぎる「俺は不死身の杉元だ」という回答を、繰り返しながらもゆるやかに否定し続ける世界線の中で、「私はお前の死神だ」という言葉は鶴見の決意と選択を象徴しながらも、結局のところ杉元の「不死身」の様にアンビバレントな価値を持つ言葉の様にすら思える。
鶴見と杉元はスティグマを残す男である点も共通している。鶴見は月島が反射的に自らを守った際に微笑み、二人はその後スティグマータを共有する人物になった。
杉元と傷の関係については未だに謎が多い。彼自身が顔につけた傷についても多くが語られる事はない。時間軸として1巻以降で彼が顔に受けた傷跡はかならず治っていくのに、彼が周りに残していく傷は確実に相手に痕を残していく。なぜ尾形が撃った谷垣の額の傷跡は消えたのに、杉元が貫いた頬の傷はいつまでたっても谷垣の頬から消えず、尾形の顎には縫合痕が残り、二階堂は半身を失い続けているのか、分からないままだ。ずっと分からないままなのかも知れない。
そしてウイルクもまた、顔に傷を残す男性である。傷を残しても役目を終えない男たち。聖痕と烙印ーー両極な語義を内包するスティグマータを共有し合う男たち。それはかつての自己からの変容であり、拭い去れない過去の残滓でもある。そしてそれは、作中の男性キャラクターたちが「視覚」を中心として動き回ることと決して無関係ではないが、ここではその論に割く時間はない。
「あなた どなた」に対してあれほど口にされる「俺は不死身の杉元だ」を“言えない”こと。この言えない言葉について、私はどれだけの時間をラジオに、文章に、割いて来ただろうか。そのことを考えると矢張り、「あのキャラクターはこうだから」と言う解釈がいかに軽率にならないかに気を使ってしまう。たとえば鶴見においては、まさに本人が、「俺は不死身の杉元」よろしく「私はお前の死神だ」と言っているのだから、もうそれで良いではないかと言う気がする。「不死身の杉元」は杉元が不死身ではないからこそ面白みの増す言葉であるように、今まで見てきた通り鶴見も何も「死神」だけに限定するには勿体無いほどの表象を持っているが、その中で杉元が、ある種の悲痛な決意を持って、半ば反射的に「不死身の杉元」と口走る一方で、「死神」にはもっと計画的な、そして底が知れぬ意志の重みを感じるのは私だけだろうか。「不死身の杉元」にも感じないわけではないが、「死神」はより一層”選択”であった、という感じがする。偽の人皮を、扇動を、月島を、傷を、周りに振り回されることなく自ら道を切り開いて”選ぶ”という高らかな宣言が、「死神」である、という感じがする。
5、「運命」と「見返りを求める弱い者」
『役目』を他人に認めてもらうことが作品内でどれくらい重要なのかは難しいところだ。谷垣源次郎が役目を見出し、果たす事を体現するキャラクターとして描かれ、見出す事、果たす事の重要性は単行本の折り返しから我々に刷り込まれているとは思うが、その結果としての他者承認は必須なのだろうか。杉元や尾形が他者承認を執拗に追い求めている様に見える一方で、白石が、シスター宮沢、熊岸長庵、アシㇼパ、杉元と、認めないー認められないことをずっと体現し続けているのもまた面白い。
長年の谷垣源次郎研究の成果として、谷垣の弾けるボタンは、インカラマッが占いきれない予測不可能性と、それを元にした因果応報やら占いに基づく予測的行動の否定の象徴であると気付いて、私はだいぶスッキリした。網走にいるのがウイルクである可能性は彼女の占いに基づくと50/50であるが、これがウイルクではないと100/0で出ていたとしても、彼女は網走にそれを確かめに行かなくてはならなかっただろう。それは北海道の東で死ぬと知っていながら網走に行く選択をするのと同根であり、いずれボタンが弾けとぶと知っているからと言ってボタンを付けない理由にはならないこと、またはボタンが弾け飛ぶからといって、彼女が谷垣に餌付けするのをやめはしないことと共通する。そもそもにおいて自分の死期を悟っている、ある種の諦念を持つインカラマッの行動は、途中から愛に近しいものを手にいれるにつれ、淡い未来への希望と言語化されない献身を併せ持つものになりつつあった。未来への希望と言語化されない献身……そういったものの為に嘘をつくことすら厭わない女たちを総括して、二瓶は『女は恐ろしい』と称し、自分たちの行動原理では理解不能なものとして警戒していたのだった。二瓶の持つ『男の論理』は、明白な見返りを望むものだったからだ。谷垣もその例に洩れず、インカラマッは怪しい女だからといって救わずにいようとすらしたし、彼女と打ち解ける様になった後も、その『女の論理』の如何わしさを感じ取って、彼女と寝る際には、やましさから『男の論理』の権化である二瓶の銃を隠し、彼女と寝た後には、その求愛は彼女を守らせるための行動ーーすなわち明白な見返りを求めた打算ーーだと考えすらしたのだ。もちろん、彼女自身のかつての行いによって、それを谷垣に見えづらくして、当たりすぎる占いが谷垣の心を遠ざけているのも皮肉であるし、その当たりすぎる占いが全て占いではなかったことは皮肉であった。妹を亡くしていること、アシㇼパの近くに裏切り者がいること、東の方角が吉と出ていることは、すべてインカラマッが既に知っていたことであり(探しているのはお父さんだという占いも同等)、キロランケの馬が勝つかもしれない可能性や、三船千鶴子の場所を言い当てるだけの能力を持ちながら、占い師としての力を使わず内通者として動いたことで、彼女自身が彼女を『誑かす狐』に貶めてしまっていた。彼女が溺れる話の表題が『インカラマッ 見る女』なのは、そんな彼女の人間性の回復を示唆しており、それは彼女自身が占いから逃れて、弾け飛ぶボタンの行き先ような、予測不可能性に身を委ねることであった。
「最悪の場合、こうなるかもしれないからやらないでおこう」だとか、「相手がいずれ自分にそうしてくれるはずだから、今こうしよう」という報酬と見返りの予測に基づく行動とその否定は、ゴールデンカムイを読む上で極めて重要な要素だと考える。
予測に基づく行動の抑制を行わない登場人物たちの決定は、残念ながら愛のみではなく、殺しと暴力も含まれる。即断性という言葉で言い表すこともできるかもしれない。私はこれをよく『反射的』という言葉を用いて説明している。私に言わせれば、極めて幼���な、原始的な論理であり、月島が鶴見を助けたのもこれに分類される。それで鶴見が満足をしたのは、それはそれで鶴見の孤独を浮き上がらせる。反射とは、結局のところ「そうするしかなかったんだ」という男たちの言い訳に使われるものでもであり、杉元が初めて尾形に会った時に川に突き落とした時の口ぶりと100話の口ぶりなどは、まさにその代表例である。杉元という人物の中では、そのような反射的な即断性と、殺したものの顔をずっと覚えているという保持性の二つの時間軸が交差しており、その内的葛藤が我々を強く惹きつけている。そしてそこから、杉元が持つ時間軸は「地獄だと?それなら俺は特等席だ」「一度裏切った奴は何度でも裏切る」という回帰性、または因果応報性にまで波及するのだが、その思考の独特さは「俺は根に持つ性格じゃねぇが今のは傷ついたよ」という尾形の直線性と対をなす。尾形は直線的に生きていかなければ耐えきれない程の業を背負っている。それでも過去は尾形を引き止めに来る、杉元が梅ちゃんの一言を忘れられないのと同等に。
即断性/反射的の反語はなにも計画的/意図的なことだけではない。極めて重要な態度として、保留があり、現在この態度はインターネットが普及して、即時的な判断とその表出のわかりやすさが求められるようになったことで、価値が急速に失われつつあるが、明治期においても軍隊の中では持つことが叶わなかった態度であっただろう。保留を持つキャラクターの代表格こそ、白石由竹であることは言うに及ばないであろう。
保留を持ち得なかったものたちが代わりに抱くのが反発か服従であり、造反組は勿論のこと、気に入らない上官を半殺しにした杉元と、諦念に身を任せて問いすら捨てた月島を当てはめることができるであろう。
その即時性や保留や反発や服従を生み出すのが、自らを死神に例える鶴見であり、鶴見はまさに意志の人、意図の人、計画の人である。そして仲間に対して「相手がいずれ自分にそうしてくれるはずだから、今こうしよう」という見返りを期待して関係を���築する人である。これも、私が彼を苦手としていた理由の一つであった。しかし繰り返しになるが、鶴見の”選択”は、「即時性や保留や反発や服従」を生み出す。そして本編では、どちらかというと出だしから鶴見からの離反者ばかりが描かれ、人たらしの求心力を持つ魅力的な人物であるということを読み解くまでに、私はじっくりと長い期間をかけなければならなかった。「先を知りたくなる気持ち」「ページをめくる喜び」を強く求められる男性向けの週刊連載において、保留の態度を試されていたのは、読者の方であったのだ。
それでもなお私は、裏切られる鶴見、離反される鶴見というものを立ち返って見るにつれ、この男の立場の脆さというのを改めて重要な要素として捉えるようになったのだ。
それは「死神」とは遠く、自らの周りを賞賛者で固めた男の、ともすれば惨めとすら言える姿であった。そして私は遂に「死神を目指す弱い男」、鶴見を見出したのであった。
そこで大事なのは、鶴見が「死神」になろうとしている、というただ一点であった。それはおそらく尾形が銃に固執するのと同等の、自己決定権のあくなき希求であった。
11巻で尾形は言った。「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふやなものですが」。その11巻で鶴見は愛を見出していた。「あの夫婦は凶悪だったが…愛があった」。そして同じ巻で、鶴見はふたたび高らかに宣言したのだ、「私は貴様ら夫婦の死神だ」ーーと。
以上の文章は既に3週間以上前に書いたものだったのだが、本誌ではさらに「神からの見返りを求める弱い男」として関谷が登場した。この「弱い」という言葉は私の元ではなく、イワン・カラマーゾフが『カラマーゾフの兄弟』の一節『大審問官』にて述べた、大部分の信者を指す言葉である。さらに本誌では、私が谷垣とインカラマッの関係に見ていた「予測不可能性」を、ある意味逆手に取った様に、自分への逆説的幸運をもたらす人物として門倉が描かれ始めた。私は一読して彼は谷垣の類型であると感じ取ったが、それは即ち尾形の「かえし」である事も意味することを忘れてはならない。尾形はキロランケが神のおかげだと言った直後に、「俺のおかげだ」「全ての出来事には理由がある」と神の采配を否定するような男だからだ。
すべてのあやふやな存在に輪郭を持たせ、弾け飛ぶボタンを先にむしり取っておこうという「覚悟」。その覚悟の名前が「死神」。私にとっては、それが最もしっくりくる「死神」の捉え方であるような気がした。
覚悟については鶴見の口から15巻でこのように語られる。
覚悟を持った人間が私には必要だ 身の毛もよだつ汚れ仕事をやり遂げる覚悟だ 我々は阿鼻叫喚の地獄へ身を投じることになるであろう 信頼できるのはお前だけだ月島 私を疑っていたにも拘らず お前は命がけで守ってくれた
そう思うと尾形と月島の扱いの差にも、月島へのあの苦しい弁明も納得がいくような気がした。
6、月島への『言えなかった言葉』
話は最後まで聞け 月島おまえ… ロシア語だけで死刑が免れたとでも思ってるのか?
初読時にはこの物言いは癪に障った。そこまで自明のことだと思うのなら。そうやって父の悪名を利用して月島を助けたのなら。月島にそう言えばいいじゃないか、と思っていた。しかしそれは、結局の所「ゴールデンカムイ」の根底を為す、『言えなかった言葉』の一種であったのだ。9年間、鶴見は自分の工作を月島に明かすことが出来なかった。それは杉元が、いずれ梅子に再び見出してもらう未来を目指している期間(つまり本編)よりもっともっと長い時間であるような気がする。その事実だけがまずは大事で、それに対して色々な意味づけをする前に、私は鶴見が”言い淀んだ”事実に向き合わなければならなかった。私は鯉登でも宇佐美でもないのだから、鶴見を信望する必要などなかったのだった。裏切りたくなるほど痛烈に、その存在を意識すればいいだけであった。
そして、理由はどうであれ『言えなかった言葉』を9年間抱えていた鶴見には、やはり弱さという単語が似合った。もし、もし本当に、月島の父親の家の地下から掘り出されたのが白骨であったのなら、10日前に行方不明になったいご草ちゃんが月島が逮捕されてすぐに掘り出されたのだから、白骨化するのには時間がかかりすぎるので、ジョン・ハンターよろしく骨格標本を作るような細工でもしない限り、髪やら服やらで誰だかすぐに分かってしまう。だから、きっと鶴見の工作は説得力のある良く出来たものであったのだが、それですら、月島に言えなかった、という事実の確認。
月島をどうしても手元に置いておきたかったのだろう。「告解を受けるもの」であった鶴見が月島の前では弁明をする男に成り下がる。それでもそこで「スティグマ」が2人を繋ぎ止める。鶴見は言った。「美と力は一体なのです」。そして彼の言葉にある”美”の定義は彼の顔の傷をも厭わないものであった(二階堂が本当にヒグマを美しいと言ったかどうかは大きな疑義が残るが)。この点に関しては、私はずっと鶴見の考え方に感心させられていたものだった。自らを美しいと定義してしまえば、もはや何も恐れるものはない。
ますます男前になったと思いませんか?
これは鶴見が自らの容姿に(杉元のように)無頓着であるとか、または本当にますます男前になったと考えている訳ではない、と考える。15巻で大幅に加筆された鶴見のヘッドプロテクター装着シーン。
どうだ 似合うか?
鶴。
杉元の言を借りよう。
和人の昔話にも「鶴女房」って話があってね 女に変身して人間に恩返しするんだけど 鶴の姿を見られたとたんに逃げていくんだ
鶴の頭部を模したヘッドプロテクターは、おそらく杉元が被り続ける軍帽と同種のものである。とはいえ杉元は軍帽をなぜか捨てられない男として描かれているのに対し、鶴見はむしろ「覚悟」の顕在化としてヘッドプロテクターを装着している。そしてその内部には、自ら御することすらできない暴力への衝動があり、その暴力を行使する時に、そのヘッドプロテクターからあたかも精液/涙のように変な汁が”漏れ出る”。編集の煽りによるとこれは「悪魔」の「仮面」である。たかだか煽りの一文を根拠に、悪魔かどうかを議論するのはかなり難しいが、それでもやっぱりヘッドプロテクターが「仮面」であるというのは、意を得た一文と言って良いのではないだろうか。それは不思議にも姿を隠す鶴の昔話に符合する。
正直に言おう!鶴見が悪魔だったらどれだけ解読が楽だった事か!原典が山ほどある。しかも悪魔は二面性を持つ。ファウスト 第一部「書斎」でメフィストフェレスはこのように話す。
Ein Teil von jener Kraft, 私はあの力の一部、すなわち
Die stets das Böse will und stets das Gute schafft. 常に悪を望み、常に善をなすもの。
Ich bin der Geist, der stets verneint! 私は常に否定し続ける精霊。
Und das mit Recht; denn alles was entsteht, それも一理ある、
Ist wert dass es zugrunde geht; すべてのものはいずれ滅びる。
Drum besser wär’s dass nichts entstünde. であれば最初から生まれでない方が良かったのに。
そしてイワンの夢の中で、スメルジャコフは「メフィストフェレスはファウストの前に現れたとき自分についてこう断じているんです。自分は悪を望んでいるのに、やっていることは善ばかりだって。」と、ファウストに言及するのであった(第四部第十一編九、悪魔。イワンの悪魔)。
このファウストの素敵な一節にはいずれ触れるとして、鶴見は悪魔を自称はしないことを念頭に先を急ごう。
この情報将校を語る上で、最も大事な事象は彼が自身を「死神」と定義することだと私は考えている。そんな中で、数々の日本的ーキリスト教的装飾に彩られ、たとえば「スティグマ」というキリスト教的文脈で鶴見に聖痕/烙印という聖別を与えることを全く厭わない私からも、「死神」がキリスト教的であるかどうかには首をひねってしまう。よしんばキリスト教のものを作者が意図していたとして、「死神」という訳語を当てるのは、デウスに大日という訳語を当てたザビエルの如き、弊害の多いものであるように思える。もしかしたら鶴見はpaleな馬に乗った男であり、隣に連れるハデスが月島か何かであり、第一~第三の騎士が鯉登、宇佐美、二階堂のいずれかの人物であるのかもしれないが…それにしても示唆する表現が少なすぎるのだった。このことは私を悩ませた。というのも鶴見をキリスト教的に読み解くという行為は、私にとって禁忌だからこそある程度の魅力を感じさせるものだったからである。ましてや鶴見を「弱い神」と位置付けるならなおのことであった。日本におけるキリスト教的神は、決して強者たりえない。強者だと感じていたらこの程度の信者数には収まっていない。そもそもゴールデンカムイには何となくキリスト教を思わせるような描写が散りばめられており、それでもいかにそれが合致していてもその文脈で語る必要はないのではないかと思われる事象も多々ありつつ(たとえばアシㇼパによる病者の塗油をサクラメントとして読み解く必要はないと感じるなど)、その禁じられた評論とやらを、試しにやってみるとこうなる。
そもそもにおいてまず、キリスト教に触れること自体に禁忌感がある、というのは既に記した通りだ。「スティグマ」「マリア」一つに取っても、私にとっては言及する前に、日本的キリスト教観について長大な考えを巡らせることがそもそも不可欠であった。キリスト教自体は現地の土俗宗教を取り込んで来たが、こと日本においてはそれすら叶わず、日本的キリスト教観というのは、おおざっぱに言えば日本の多神教感との習合ということが出来るかもしれないが、むしろ、日本の側がキリスト教の本質を捉えることなくキリスト教を取り込んでいく、という逆転現象の方が著しいほどだ。
評論家における教義の解釈のズレは、ともすれば不勉強や読み違えとたがわない為、私も慎重にならざるを得ない。しかし創作者における教義や解釈のズレは、等しく芸術となり得る力を持っているのであって、私はそれを読み解いて良いのかどうなのかずっと逡巡していたのだった。日本に於いてキリストを描くことの可能と不可能は、作家自身がキリスト者であった遠藤周作が身をもって体現していた。遠藤の描く神は一部で絶賛を受け、2016年にマーティン・スコセッシが映画化したことも記憶に新しいが、一方でカトリック協会の一部からは明白な拒絶を受けた。そして彼の描く神は、誰かを救う力を持つような強い神ではなく、弱い誰かに寄り添うような神であった。
鶴見は「愛という言葉は神と同じくらい存在があやふや」であるものに、覚悟を持って形を付けていった。それは日本人に許された特権であるかもしれない。ゴールデンカムイの作品世界の中で「神」「運命」「役目」が目に見えぬ大きな力としてキャラクターを飲み込む中(そしてそれが本誌に置いてリアルタイムでますます力を持とうとし、ともすれば谷垣のボタンすらそれに組み込まれてしまうのではないかという恐怖に怯えながら)、鶴見はひたすらに自律できる人生を求めている。運命を意のままに操ることへの飽くなき渇望。その裏返しとして彼は大嘘つきとなった。
そんな大嘘つきの鶴見ですら、嘘すらつけなかった事実が月島をあの手この手で自らの���元に置いておこうとした事実であった。9年間も彼はその努力をひた隠しにしようとした。それは大嘘つきの死神に存在した「俺は不死身の杉元だ」と同義の『言えなかった言葉』であった。奇しくも遠藤周作は、まさにこの国での神との対話の困難さについての一片の物語を、まさしくこのように著したのである――『沈黙』と。
対話の不可能さには逆説的な神性がある。
それはアイヌのカムイにおいても同じである。だからこそ送られるカムイに現世の様子を伝えてもらおうとし、それでもバッタに襲われた時にキラウシは天に拳を振りかざして怒ったのだ。しかしカムイとキリスト教的神の間には決定的な違いがある。キリスト教的神は全てを統べているのだ。そして「知って」いる筈なのだった。長年このことは日本の作家を悩ませていた。遠藤の『沈黙』においても、主人公は繰り返し、聖書におけるユダの記載、そして「あの人」がなぜユダをそのように取り扱ったのかを問うている。
だが、この言葉(引用者注:「去れ、行きて汝のなすことをなせ」)こそ昔から聖書を読むたびに彼の心に納得できぬのものとしてひっかかっていた。この言葉だけではなくあのひとの人生におけるユダの役割というものが、彼には本当にところよくわからなかった。なぜあの人は自分をやがては裏切る男を弟子のうちに加えられていたのだろう。ユダの本意を知り尽くしていて、どうして長い間知らぬ顔をされていたのか。それではユダはあの人の十字架のための操り人形のようなものではないか。
それに……それに、もしあの人が愛そのものならば、何故、ユダを最後は突き放されたのだろう。ユダが血の畠で首をくくり、永遠に闇に沈んでいくままに棄てて置かれたのか。(新潮文庫 遠藤周作『沈黙』p.256)
当時若干25歳の萩尾望都が抱いたのも全く同じ疑問であった。編集から1話目にて打切りを宣告されるも、作者自ら継続を懇願した結果、その後少女漫画の祈念碑的作品として今尚語り継がれる『トーマの心臓』において、萩尾は以下のようなシーンをクライマックスに持ってくる。
ーーぼくはずいぶん長いあいだいつも不思議に思っていたーー
何故あのとき キリストはユダのうらぎりを知っていたのに彼をいかせたのかーー
“いっておまえのおまえのすべきことをせよ”
自らを十字架に近づけるようなことを
なぜユダを行かせたのか それでもキリストがユダを愛していたのか
その後も「知ってしまうこと」は萩尾望都の作品の中で通底するテーマとして描かれ続け、時にそれはキリスト教的なものとして発露した。『トーマの心臓』の続編『訪問者』はもちろんのこと、『百億の昼と千億の夜』ではまさに遠藤が指摘した通りの役回りをキリストとユダが演じ、そして敢えてキリスト教的な赦しを地上に堕とした作品として、『残酷な神が支配する』を執筆することとなる。
私は日本に生まれた非キリスト者であるからこそ、むしろ不遜に、無遠慮に、宗教的な何かについて切り込んでいけるのではないかと常々感じていた(例えば私にとっては聖典とされる教義の中でも聖書に記載がないのではないかと思う箇所がままある)。そしてその鏡写しのように、概して宗教が封じ込めるものは懐疑と疑念と疑義と疑問ではないか、と考えてきたのだった。
神とは何か、愛とは何か。
そういった問いを挟まないために自らが神になることを決めた男。
それはおそらく弱さを自認した上での自らへの鼓舞であった。
はたして私のような不信の徒が、どのような表象にまで「神」を見て良いのか、いつも憚られると同時、そしてその弱い神をまさに、ドストエフスキーは『白痴(Идиот-Idiot)』として現代化を試みたのではなかったか、という思いがある。『白痴』という和訳は今からするとやや大袈裟なきらいもあるが、それでもやはり、罪なく美しい人間というのは、当時のロシア社会において『Идиот』としてしか発露し得ないというドストエフスキーの悲痛でやや滑稽な指摘は、裏を返せば知恵の実を食べた狡猾な『人間』であるためには、罪を犯し汚れる覚悟をしなくてはならないということであり、それをナスターシャ・フィリッポブナとロゴージンというキャラクターに体現させていた。このような本作を、黒澤明は、日本的なキリスト映画の『白痴』として図像化したのである。このように日本において不思議と繰り返される弱い一神教の神としてのキリストという存在は、ますます持って私の鶴見観を固めていく。
罪を犯し汚れる覚悟は、鶴見によっては以下のとおり示されているものかもしれない。
殺し合うシャチ… その死骸を喰う気色の悪い生き物でいたほうが こちらの痛手は少なくて済むのだが… 今夜は我々がシャチとなって狩りにいく
一方でキリストを『Идиот』と呼ぶことすら厭わないその姿勢は、私にとっては極めてロシア的なものである。信仰において美しく整っていることは最重要課題ではない。そのような本質性がロシアでは”イコン”に結実している。家族が毎日集まって祈る家の片隅のイコンコーナーの壁に掛けられた、決して高い装飾性や芸術性を誇るわけではなく、木片に描かれたサインすらない御姿の偶像。しかしそれこそが最も原始的な「信仰」のあり方なのではないか。ゴテゴテとした教会の装飾でも着飾った司教の権威でもなく、余分なものが根こそぎ取り払われて、日々の礼拝と口づけの対象となる木のキャンバス。真に信仰するものへの媒体としてではあるが、特別な存在感と重みを持つ象徴的なイコンという存在は、英語では「アイコン」と読み下されるものであり、文脈を発展させながらポップカルチャーにおいてもその役割を大きくしていったことは周知の通りだ。
7、親殺しの示唆と代行 ー 尾形の場合
翻って尾形の新平の親殺しはどうか。
父殺しってのは巣立ちの通過儀礼だぜ…お前みたいに根性のないやつが一番ムカつくんだ
鶴見も尾形も親殺しの事を「巣立」ち、という同じ形容を使うという事実。きっと何度も語られてきたことだろうけど、改めて15巻にて新たな父殺しが描かれてたことで、その関連性に驚く。父親の妾を寝取りながら、自らが手を汚す事もなく、両親が絶命した事で自由を得る新平のような人物は、私が『因果応報のない世界』として称するゴールデンカムイの特徴である。あるいは『役目』重視の世界とでも言おうか。そこで『役目』を果たしたのは意外にも尾形と彼の「ムカつき」であった。ただし尾形は、他人を結果的に助けてもその事を認識されない人物であるので、この『役目』もまた誰にも認識されることなく消えていく。
ホラ 撃ちなさい 君が母君を撃つんだ 決めるんだ 江渡貝君の意思で… 巣立たなきゃいけない 巣が歪んでいるから君は歪んで大きくなった
江渡貝の母は既に死亡していたが、江渡貝には支配的な母の声が聞こえ続けており、その声は鶴見に与することに反対し続けていた。母は江渡貝を去勢していたことすらわかっている。そんな母を殺せと示唆する鶴見。何より面白いのは「決めるんだ 江渡貝君の意志で…」という鶴見らしくない言い回しである。しかし結果として齎される“対象の操作””偽刺青人皮の入手”という点では功を奏しているので、単に相手によって取る手法を変えていて、それが本人にとってプラスに働くこともあれば、そうでないこともあるだけかもしれない。
ここで関谷のような問いを死神たる鶴見に投げかけるとこうなるーー鶴見は江渡貝から得る『見返り』がなくても江渡貝を助けただろうか?
これは関谷への以下の問いはこのように繋がるーー弱く清い娘を殺し、殺人鬼たる関谷を生かす神だったとして、関谷は神を信じ続けただろうか?
善き行いをした者に幸運しか降りかからないのであれば、なぜこの世に不遇は、不条理は、戦争はあるのであろうか。
これに対して「すべての出来事には理由がある」とする尾形が、自分の置かれた環境と新平の環境をダブらせた上で、親を殺す事が出来ず(巣立つ事が出来ず)大口を叩くのみの新平に対する「ムカつき」であることは明らかでありながらも、そこで結局新平が「救われた」事の偶発性、蓋然性、見返りのなさは見逃してはならないであろう。
同時に、墓泥棒を捕まえるのは自分の仕事ではない、と語る鶴見が、なぜ遺品の回収をしていたか(出来たか)、そして「傷が付いていた」という詳細、のっぺらぼうがアイヌだということまで尾形に情報共有していたという二人の結びつきを考えるのも実に面白い。アイヌを殺したのは誰なのか? そこにいたと分かっているのはもはや鶴見だけなのである。
兎にも角にも、鶴見は、むしろその「不遇、不条理、戦争」の側に立つ事で、幸福を齎そうとする者なのである。
それは奇しくも、イワン・カラマーゾフが大審問官で言わせた「われわれはおまえ(キリスト)とではなく、あれ(傍点、悪魔)とともにいるのだ。これがわれわれの秘密だ!」のセリフと合致するのであった。
8、デウス・エクス・マキナの否定
と、ここまで書き上げた中で、本誌でキリスト教の神を試すキャラクター関谷が出てきた事で、私は論考を一旦止め、その後176話が『それぞれの神』というタイトルで柔らかく一信教を否定する日本的描写にひどく満足し、自らの「弱い神」「死神」の論考を少しだけ補強のために書き加え、大筋を変える事がなかったことに安堵した。
既に触れたファウストでの悪魔の発言、「すべてのものはいずれ滅びる であれば最初から生まれなければよかったのに」は、自らの死に対して諦念を、そしてウイルクとの再会に疑念を抱いていたインカラマッを連想させる。インカラマッ、そして関谷がこだわった『運命』は、やはり緩やかに谷垣によって、そして土方・門倉・チヨタロウによって否定される(このあたりはまさにドストエフスキー論的に言うポリフォニーというやつだ)。
関谷の持つ疑問は「ヨブ記」に置いて象徴されている。ヨブは悪魔によって子供を殺されるが、信仰を捨てず、最終的に富・子供をもう一度手にいれる。『ファウスト』では、やはり悪魔がファウストを試すが、最後に女性を通じて神がファウストを助ける。『カラマーゾフの兄弟』では、神を疑ったイワンは発狂・昏睡に陥る。つまりヨブ記を元にした作品群では、一神教の神は勝利している(『カラマーゾフの兄弟』のドミートリーのストーリーラインは除く)。これは演劇において「デウス・エクス・マキナ」と呼ばれる手法であり、最後に神が唐突に出てきて帳尻を合わせていく手法の事である。
関谷は自らの死にそれを見た。自らの悪行に等しい罰、裁きが下され、意志の強い土方が奇跡を起こしたと考えることで神の実在を感じたのであった。もっとも、我々読者にとっては、関谷への裁きは遅すぎるし、それが娘の死の何の説明にもならないため、関谷がどう捉えようと我々には神の存在が十分に確認できた「試練」ではなかった、と指摘しなければならないだろう。ただ、「デウス・エクス・マキナ」はむしろ因果応報を覆す超常的な描写であり、関谷が見た「意志の強い人間の運命」や「奇跡」、「裁き」という物差しすら飛び越えるものであったので、皮肉なことに、かえって関谷を包む状況とは一致を見せるとすら言えるのであるが……。おおよそにおいて良作とは、物語も人物も「あべこべ」で「矛盾」と「パラドックス」を抱えるものであるため、関谷とヨブ記についてまとめた記載をするには、稿を改めた方が良いと思われる。
それでも関谷についての序章を、本稿の終章に持ってきたかったのは、まさに、新平への運命を急に出てきて変えていく尾形が、あくまで人として、それも銃の腕を除くととてつもなく弱く、惨めな人間として現れ、新平の親���殺人によって新平を救ったという、いわば「デウス・エクス・マキナ」の”変形という名の否定”ではないか、と指摘したかったからである。
時に死神でなくとも、人の子も人を救う。その一端が、尾形の「ムカつき」であったこと、そしてそれが本誌の白石や1牛山に引き継がれていくことを指摘して、この文の結論とする。
そこに「見返り」はない。尾形は新平を助けようとしたわけではないし、白石はアシㇼパを助けても依頼主の杉元が生きているかどうかすら知らないし、チヨタロウは牛山を失って自身に新たな力を得たわけではない。
だからこそ、「見返り」を問題にしてはならないーー外れてしまうとしても、ボタンを縫い付ける必要はあるのだから。
そしてインカラマッはきっと、情を持たず自分を守ってくれないとしても、谷垣に愛を伝えなくてはならなかったのではなかったのかと思うのだ。
読んでくださってありがとうございました。
過去の文をまとめたモーメント。
マシュマロ。なぜ書いているってマシュマロで読んでるよって次も書いてって言われるから書いているのであって、読まれてない文も望まれていない文も書かないですマシュマロくれ。と言って前回こなかったので人知れず本当に筆を絶ったのであった。そのことを誰にも指摘されなかったので、やっぱそんなもんなんだなって思ってる。
11 notes · View notes
iseilio-blog · 2 years ago
Text
高橋 お傳
柴田 錬三郎 (677) 柴田錬三郎 - YouTube
毒婦傳奇 集英社
高橋お傳
明治十年九月十日 ──
一早,東京裁判所的 判事補 加藤 進 很難得的一付憂鬱的樣子。
加藤 進 是 旗本布衣(已退休的幕府將軍直屬武士) 的次男,是個
劍客型的人物 ;事實上也有著不錯的劍術。
一進了辦公室坐下來,閉上眼約二十分鐘,開始工作。桌上堆著一些
卷宗。是去年八月二十七日在淺草藏前的旅宿,殺害了舊衣商 後藤吉
藏 的 高橋お傳 的卷宗,加藤 進 忙著其它案件而有了一些拖延。
結婚十年來,琴瑟失調,尤其這兩三年除了必要,彼此也沒說話。
妻子是如同蚱蜢一般的瘦長女子,而 加藤進 喜歡的是小隻而富泰的
女人。因為是父命難違的婚姻,新婚初夜也沒有擁抱女體的歡愉。
之後妻子和一個 18歲的男孩離家出走了。對這種淫婦的案件也只有
不太積極的拿起來過目。
高橋 お傳 生於 群馬縣上野國利根郡下牧村,二十六歲。是平民
九右衛門 的親弟 勘左衛門 要來的養女,可是 お傳 並不是 左衛門
的親生。母親 春子 嫁給 左衛門 時,肚子已經懷有 お傳。春子 在
沼田城主 的管家 廣瀨半右衛門 家中做事時為 半右衛門 沾犯而懷孕,
之後只以些許的金子趕出門。春子 氣量( 指容貌與性格 )佳美,
可是  左衛門 頭腦不佳,在 お傳 兩歲的時候就離家出走了。四處
輾轉之後,再出現的 春子 是在 中仙道 的 旅宿,成了 飯盛女郎。
記憶底邊 的 女人
關東 旅宿的 飯盛女郎 大多來自 越後,お傳 的母親在這裡成了 越後
女郎。お傳 從養母聽說了 旅宿 的事,或許不知不覺的就來到了
越後,不過並沒有成為 飯盛女郎,而是成為女傭。那年的年底招贅
了同村 高橋代助 的次男 波之助。波之助 灑脫,對女人也有些小巧的
智慧,お傳 夫婦兩人相當要好。兩年後不幸來臨,波之助 的皮膚得
了最為人們嫌惡的癩瘡。夫婦倆去到東京,お傳 在料理店幫忙,
波之助 做臨時工,然而因為癩疾被發覺而無法長久。這時夫婦間的
空氣開始險惡,一個晚上回來大吵了一架而被旅宿趕了出來。之後,
お傳 要  波之助 裝成她的哥哥,去到橫濱。以她的氣量自然也不會
被疏忽。橫濱的生絲商人 小澤伊平 一看到她就食指大動,將她帶
到了他的旅宿在一起二十多日。她在返家省親時懷中揣了三十円。
伊平 住的是二樓,波之助 從樓下的房間望著天花板想像著 伊平 與
お傳 相擁的畫面,不久 波之助 就意外的早死了。
形單影支的 お傳 因為 波之助 有癩疾被發覺而被趕出了武藏屋,從此
無所依靠,過著在男人間顛沛流離的日子。
小川市太郎 年過四十還是獨身,從事砂糖買賣的工作,與養母相依
為命,而其實與養母有著夫婦一般的關係。市太郎 一遇上了 お傳,
不久要 お傳 去別家旅宿等他。三天後 お傳 回來,市太郎 的養母已經
不見蹤影。市太郎 說已經讓她回去故鄉 久留米。
- 有兩人流浪生活的調查資料,是四谷尾張町的住戶 岩崎かね 寡婦
(お傳)的供述書。夫婦兩人大約就是過著浮浪生活,而終於一起
成了詐欺師。 -
八月間,お傳 去到橫濱,進入 小澤伊平 商店的倉庫偷竊了生絲三十
支,帶到舊衣商 後藤吉藏 處,要抵當借兩百円。可是 吉藏 知道她的
困窘,懷疑生絲的出處,沒表示要借。由於 お傳  的拜託,又瞥見
お傳 的美貌,就說 :今晚六點來信濃屋的蕎麥店,看看是否籌到了
錢。お傳 回到家,向 市太郎 說錢可能有眉目了。
「 真的 !」
躺著的 市太郎 跳了起來。
「 沒問題,一切交給我。」
お傳 笑著,拍了胸脯。這時在身上已經藏了剃刀。
お傳 去到了蕎麥屋,吉藏 已經在等待。
「 錢已經有了 」,說完,吉藏 裝著無事一般 :
「今晚不回去沒關係吧 ?」
お傳  低著頭 :
「. . . . ,市太郎 有說今晚去橫濱想辦法找錢 . . . .,」
兩人去到淺草藏前的「丸竹」旅店。
然後,就在這裡,犯行演出了。 ────
加藤 進 讀完了口供,嘆了口氣。
「 喂,正木 ─,」
加藤 進  向正在認真讀法律書籍的 正木 喚了一聲。
加藤 進 說 :
「 鈴川 在向 お傳 取供的時紀錄是你嗎 ?」
「 是 !」
「 是怎麼樣的女人 ?」
正木 顯得有點遲疑。
「 是,是個美人。」
「 美人這個知道。是說印象。有點妖氣啊,什麼的。」
「 不,不是那樣的女人。其實是有點楚楚可憐的感覺。」
「 楚楚可憐,怎麼說 ?」
「 我也不知道要怎麼說 . . .  . ,怎麼都看不出來是妖婦。」
「 你,還不知道女人 ?」
「 不好意思,還是童貞。」
「 那,就沒什麼好談了。」
「 可是 . . 」
正木 反抗的慫了慫肩膀,未置可否。
「 我也瞭解天性的好壞。那個女人不會天性不好。碰到的男人不是
得了癩瘡,就是壞蛋,一個好好的女人就這樣陷入了泥淖。」
加藤 進 寫好了陳述書,要求 お傳 按拇指印。就在這時 加藤 進
嚇了一跳。
只見閉著的眼睛顯出寂寞,鼻樑美麗高挺,文靜的嘴唇有著無法形容
的優柔魅力 -這些一瞬間捕獲了豪放磊落的 判事補 的心。
加藤 進  長久以來追求的女性,現在,現實的,出現眼前。
── 衝擊發生了。
無以倫比的白皙肌膚,由於一年多的牢獄,更加顯得沉靜,也透過
姿態洩漏出女性的悲哀。
加藤 進 數秒間停止了呼吸,茫然的望著 お傳。
同樣���為女人,家裡如同蚱蜢一般的妻子,而這個 お傳 竟然是如此
的有著雲泥之差。
當 お傳 抬起頭,剎那間的回眸,加藤進 査覺到自己身體微微的
顫抖 ;美麗的雙眸如此的澄清
「 那麼 . .,陳述書要怎麼寫呢 ?」
如此磁性的聲音,加藤 進 這輩子從來也未曾聽過。忘其所以的狼狽,
口乾舌燥的說 :
「 這個 . . 這個 . . 、就是說、妳 . . . 必需據實寫出來  .  . . .,」
這時  加藤 進 感到了一旁 正木 的視線。
お傳 幾次的伸出粉嫩的手在陳述書上印上大拇指。
加藤 進  心臟一再的劇烈悸動。
這個指印一旦按上,お傳 的死刑就確定了。
很想相信口供才是事實 ;這麼美好的女人會說謊嗎 ?加藤 進 有著
把陳述書拿回來撕掉的衝動。
一面看著 お傳 的按指印,心裡不免想著,
── 能夠被這個女人殺死,說不定就是男人原本的願望吧。
お傳 被帶走之後閉下了眼睛,
「 老板 -,」
是 正木 的聲音。
「 嗯,」
「 老板現在還認為這個女人是毒婦嗎 ?」
「 嗯 . . . . .。毒婦 !是毒婦 !這樣的女人從這個世界消失是男人的
幸運 ;不這麼想不行  . . . . 。」
───
お傳 的 處刑在明治十二年一月三十一日上午十時舉行。
被拖到刑場的 お傳 臉露微笑,遮住眼睛在狹小的框中就坐,伸出頭,
劊子手揮下太刀的剎那,突然 お傳 大聲悲鳴 ──
「 原諒我啊 -!我不想死 !慈悲啊、慈悲啊,請慈悲 -  !」
お傳 難以名狀的哭喊、顫動,遮掩布條掉落,血流滿臉 . . . . . ,
• 柴田鍊三郎 在封面頁背唯一親手簽名,天下孤本,意者請內洽 NT$10,000.-
柴田錬三郎(小説家)
(678) 日本の古本屋 - YouTube
高橋 お傳 - YouTube
由於 歌舞伎、���影,尤其是小說一再出現毒婦字眼的誤導。お傳
被渲染,成了毒婦。然而之所以成為娼婦,實際上是由於人生遇上
困境,是個薄倖的女孩。
前述小說家的 恒 魯文,在 お傳 的三年忌,大概為了贖罪,發案在
東京都台東區的 谷中靈園 建了墓。之後,聽說去參拜 お傳 的墓,
三味線 的彈奏就會隨之進步許多。現在去獻花參拜的人也不少。
如果到了1882年 死刑廢止,お傳 也就不會死了。
被男人,被命運撥弄,お傳 實在是個悲運的女孩。
默禱 !
遼 尉 臣 筆記 — 美男子 的  頭
Conflict Over The Revolver Invention | American Genius (youtube.com)
0 notes
junsho-ji · 7 years ago
Text
真宗大谷派宗務総長に訴える
親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年法要に関し
真宗大谷派宗務総長 内局各位 宗務所各部に訴える 
         真宗大谷派東京教区 順正寺 住職 江口貫正
 
真宗大谷派においては2023年に親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年の慶讃法要を執行すると告知されたがこの法要の根拠並びに法要費50億円の根拠を明らかにしていただきたい。
まず、先般宗務総長出向の元開催された宗門内局巡回の折に教区会議員より質疑のあった親鸞聖人の立教開宗の年次の問題。
宗務総長以下、総務部長、慶讃法要準備本部長ともその場では回答できず保留、のちの回答では史実的な「根拠」は無い(見つけられない)との返答であったと聞いた。800年の根拠なく、そもそも親鸞聖人が立教開宗なさったかどうかも議論されず、前例に従って無批判で惰性の法要施行に異議を唱える。
その根拠なき法要に50億円もの予算を計上しそれを寺院門徒に負わせることになんの痛みも感じないあなた方の在り方を問う。そもそもこの50億円という金額、法要に関しての各事業の経費の積算の結果ではなく、蓮如上人御遠忌、宗祖御遠忌が150億円ほどだったからその3分の1にしたと総務部長は言っている。
よって宗派発行の「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年。立教開宗八百年慶讃法要総計画案の作成に向けて」というパンフレット8ページ記載の予算内訳は、取り敢えず50億円を予算にしてそれを各部門に適当に分配したものである。みれば通常の会計で賄えるはずのことにも莫大な予算付けをしている。
宗務総長は寺院各門徒から宗派への上納金は毎年総額50億円だから法要までの4年間、各寺院門徒への割り当てを毎年25%増やせばいい、門徒一人当たり毎年1000円負担してもらうとかなり気安くいう。
根拠なき法要の為に4年間毎年1000円下さいとご門徒に依頼する住職は哀れだ。支出しなければならないご門徒も騙されたようなものだ。
宗務総長や内局参務のようなご門徒が幾らでも出してくれる大寺院にとっては大した事ではないのだろうが、私の預かっている寺のように墓を持たない寺は通常の本山上納金は葬儀、法事の布施から支出している。そんな寺にとっては25%上乗せを気軽に言われても急に葬儀、法事が増えるわけもなく死活問題である。むしろ、収入は年々減少している。実際前年度の上納金は期限内に収められず、それでも願事があった為最終的にはカードローンで借金して収めた。
今回の慶讃法要の予算建ては、東京でまだ寺院専業でできる状況下においても無理な話だ、ましてや、現在兼業が圧倒的に多い地方の寺院においては横暴以外の何物でもない。兼業寺院においては別業で得たサラリーを寺院運営費に充てているところも多い。
このような状況下での今後の選択肢は
1、   返す当てのない借金をして上納する
2、   この法要の割り当てを拒否する
3、   収入は減るが借金するよりましなので宗派を離脱する
いつから親鸞さんは
「わしの誕生日だから借金しても祝うのが当たり前だ」
「わしが浄土の真宗を開いたのだ」
なんてことを言う、そんな糞みたいな宗祖になったのですか?
宗務総長 あなたはこの法要を施行することで何がしたいのですか?
宗祖を祝うと言いながら宗派離脱や解散寺院を増やし真宗大谷派を解体したいのですか?
まさか「あの勅使門直したのは私だ」とか言いたい、とか勘弁してください。
慣習に無批判に従うことなく、頭を使って欲しい。
あなた達の閉じられた世間では当たり前の事でも、本山の一歩外に出れば無知蒙昧の戯言にしかなりません。
今、私たち真宗大谷派が本当に取り組むべきことは何か、宗祖誕生800年・立教開宗850年を謳うならそれを考えるべきです。
まあここでいくら書いても、蛙の面に小便、馬の耳に念仏、何も変わらないのでしょう。
そもそもこのように宗派宛の文言をホームページに掲載するのは当宗派では上意下達、上納金徴収のシステムは強固に作り上げていますが、私のような末端の寺院住職の意見を受ける部所もシステムも無いためです。
あなた達の口から同朋とか同行という言葉が出てくるたびに、人は簡単に嘘を吐けるものだと目の当たりにし悲しくなります。
とにかく、自分がやっていることがどういうことかよく考えよう。
2 notes · View notes
kachoushi · 3 years ago
Text
各地句会報
花鳥誌 令和4年9月号
Tumblr media
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和4年6月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
愛猫の裏声しきり猫の恋 喜代子 吾が枕かすかに匂ふ梅雨の夜 都 忘られぬ都忘れの名も色も 同 君待ちていつもの位置に置く円座 同 夏至の日の夕日急がず海に落つ 同 雨上る藍より青き四葩かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
老頭児の浜灼けさらし雲の峰 順子 サンドレスのボタン外して眠りをり 和子 又ひとつ汽笛と薔薇の香を混ぜて 三郎 海風に揺れて売らるるあつぱつぱ 光子 夏暖炉婦人の長き留守を待つ 慶月 又違ふ汐風と薔薇の香りと 三郎 もう薔薇は厭きたと銀髪の女 千種 開港の跡ことごとく薔薇として 同 ロザリオを石のクルスに掛くる夏 炳子
岡田順子選 特選句
枇杷のなるフランス軍の駐屯地 きみよ 又ひとつ汽笛と薔薇の香を混ぜて 三郎 丸窓を過ぎるマダムの夏帽子 眞理子 乳母車より乗り出してあぢさゐへ 光子 十字架と昼を沈めて夏の蝶 和子 麦秋の港から来る貨物船 いづみ 海風を拾ひ歩きの夏帽子 はるか 開港の跡ことごとく薔薇として 千種 潮の香も薔薇の香もある司祭館 炳子 客死せりそよぐバナナの葉の下に いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
鯉幟降ろされ空は日常に 佐代子 久々に人の気配や四葩咲く 益恵 漁期終り蜑六月の浜に立つ すみ子 青嵐一往復に果つ鉄路 益恵 若きらは羽化登仙に夏の町 悦子 骨酒となりて香の立つ岩魚かな 宇太郎 沼に立つ青鷺衛士の貌をして 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
梅雨蝶の低くころがるやうに飛び 秋尚 十薬の花の展ごり年尾句碑 美枝子 天辺から影の崩るる栗の花 秋尚 紫陽花や湿りを帯びし杖の音 三無 やとの風静かに流る菖蒲園 瑞枝 梅雨曇陽子の墓所に赤き供花 亜栄子 河鹿鳴く信濃の里の蒼き夜 美枝子 錆色に形とどめて朴の花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
太陽の金色に燃え麦の秋 中山昭子 夏潮の深き浅きに海女の息 世詩明 麦秋や金の波打つ十町歩 英美子 耳すませ月下美人のひらく音 同 夏燕影を落とさぬ速さかな みす枝 神楽笛青田の波を操りて 時江 ひとところ湧くがごとくに蛍舞ふ 信子 気が付けば妻は近くに蛍の夜 三四郎 田植済み一村深き寝息かな みす枝 句友逝き麦秋の野の遺さるる 中山昭子 刻刻と力漲る植田かな みす枝 水現れて二つに割れて女滝かな さよ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
路地裏に古書店短夜のデジャヴ 登美子 十薬の花を巡りて隣家かな 紀子 赤い服着て子らの行く夏の森 あけみ 通院の道すがらとは薔薇に眼を 令子 薔薇園のアーチを出れば此岸なり 登美子 薔薇の園老い就く母を飲み込むる 同 薔薇園へ行きしアーチを潜りきし 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月15日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夜には夜の風の匂ひや遠蛙 雪 はつきりと蛙となりし声に啼く 同 庭下駄に僅かな湿り梅雨の宿 千代子 時鳥雄島の森を鳴き交し 同 十字架の見えつづく道薔薇咲ける 令子 ジューンブライドも年かさね老いてゆく 同 藍深き防具の少年青嵐 笑子 寺の蟻行き着く先は経机 泰俊 放課後の曲は窓より万緑へ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
涼しさを木々が集めてゐる故山 かづを 日本海梅雨てふ黙のありにけり 同 靴脱ぎに僧の下駄ある走り梅雨 たいし 能面の深さ秘めたる梅雨の宿 同 涼しさは江戸の名残りの箱階段 千代子 観音は金色にして梅雨の中 和髙畑子 剣持ちと神の使ひの伊勢神楽 やす香 白きものばかり干されて夏に入る 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月17日 さきたま花鳥句会
片削ぎの武甲の嶺や夏霞 月惑 菖蒲田や八ッ橋傘を除け合ひて 一馬 五月雨や氷川の杜を浄めける 八草 ほむら立つ大地哀しき麦の秋 裕章 白絣母の遺品の鯨尺 とし江 白蓮と言へどほのかに紅を乗せ ふじ穂 水匂ふ闇をひきずり蛍狩 康子 水に映ゆ早苗見下ろす浅間山 恵美子 赤き薔薇ノスタルジーと名のありき ミトミ
………………………………………………………………
令和4年6月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
青蔦に窓を狭めて駐在所 斉 頂上に遺跡眠らせ夏木立 慶月 あどけなく谷戸の早苗のそよぎをり 幸風 悠然と闇ゆるがせて黒揚羽 軽象 古の山気を纏ひ黒揚羽 炳子 蟻行くや弥生時代と同じ道 佑天 釣鐘を五つぶら下げ茎傾ぐ 白陶 木下闇鎮もり眠る木霊達 眞理子 くるぶしを立ち上りくる草いきれ 千種 乗り換へし草のさ揺れやかたつむり 同
栗林圭魚選 特選句
蜘蛛の囲や無防備なりし腹見せて 亜栄子 十薬や森の􄼱間を埋め尽し 同 雨後の朝でで虫のそり弛むかな 同 しやぼん玉子等の高さに風集め 同 塗り残したるが気掛り半夏生 秋尚 緑陰に尺八びやうと流れをり 佑天 朝方の雨も上りて破れ傘 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月20日 萩花鳥句会
ホトトギス啼きし裏山雨後の夜 祐子 夢うつつ公金一獲明易し 健雄 夜通しの仕事となりし辣韮漬け 恒雄 梅雨寒や足元摩るひと夜かな ゆかり 坂道を蹴上がり来るや青嵐 陽子 地下足袋で踏んばる竿に鮎跳ねる 美恵子
………………………………………………………………
令和4年6月25日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
大緑蔭佇む人も青みたり 三無 公園の何処を歩すも涼風に 怜 雛鳥の如く口開けかき氷 史空 半夏生あふれて白き風光り ます江 見送りは紫陽花揺れる線路傍 エイ子 日に向かひ一途に咲くや苔の花 貴薫 緑陰や木々のざわめき鳥語落つ エイ子 紫陽花に圧倒されてしやがみても 和魚 一歩ごと紫陽花の色変りゆく ことこ 梅雨晴れや台地の風の心地良き エイ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
神池は母なる海へ蜻蛉生る 慶月 炎天へ神の鳩にはなれずして 順子 雅楽笛浮遊してゐる風死せり いづみ ぬつと黒く太く鳥居が茂より 和子 灼くる杜かの海鳴りのはるかより はるか 籐寝椅子かつては海の見えし部屋 要 短夜の狛犬の見た海の夢 いづみ 玉砕はこんな日かとも油照 慶月
岡田順子選 特選句
濠ひとつ蓮の樹海となりしかな 俊樹 弟も妹も亡く合歓の風 梓渕 ぬつと黒く太く鳥居が茂より 和子 枇杷落ちて錆びゐるままの男子校 要 短夜の狛犬の見た海の夢 いづみ 海千山千の漢汗ぬぐふ 政江 神池は母なる海へ蜻蛉生る 慶月
栗林圭魚選 特選句
アッパッパ気怠い午後の瞼なる 政江 灼くる杜かの海鳴りのはるかより はるか 白鯨のやうな雲ゆく日の盛り 順子 黒揚羽気怠き昼の残りけり 炳子 迷ひ出し土偶めきたるサングラス 順子 神池の石灼け鳩の足赤く 要 海千山千の漢汗ぬぐふ 政江 鮮らけく小雨に浮ぶ濃紫陽花 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月31日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
文机に古き艶書や多佳子の忌 一涓 江戸見遣る梅雨入も漂と佐内像 同 還俗の一人となりてサングラス 同 笠深く垂れて編笠百合となる 雪 芍薬の花の何処かにいつも蟻 同 昔から好きに生きてる単帯 昭上嶋子 蛍の灯恋の暗号送りをり みす枝 口閉ぢしままの狛犬苔の花 たゞし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
暁に鳴るは鉄砲百合の花 成子 花楝仏心遠くけぶらせて 久美子 紙飛行機飛んで戻らぬ夏の海 ひとみ 少女らの腿でわけ入る青山河 佐和 海酸漿鳴らす少女の私へと ひとみ 白玉や雨の過ぎたる城下町 喜和 指鳴らす彼は嫌ひで空梅雨で 由紀子 乾坤の弾みさながら雨蛙 朝子 あめんぼの踏むは魔法の水ならん 睦古賀子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和4年6月 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
団子虫ころりころりと梅雨に入る 雪 此の辺りかつて洗ひ場初蛍 同 九頭竜の瀬に囮鮎てふ哀れ 清女 草や木も梅雨の暗雲塗りこめし 希 葭切の物申すかに急かしをり 笑
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
0 notes